「例えば、どうしようもなく欲しいものがあったとして」
そんな前置きを以て、この話は始まります。
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◆ ◇ ◆ ◇
「例えば、どうしようもなく欲しいものがあったとして。文香はどうする?」
「どういうものかに、左右されるかと……」
「んー。じゃあ、それが金銭的な方法で解決できるものだとしたら」
「迷わず買う、と思います。きっと」
「まぁ大概そうだろうな、俺だってそうだ」
「じゃあ、それ以外だとしたら?」
「それ以外、と申しますと……?」
「そうだな、うん。例えば、気持ち。恋と言ってもいいかも」
「諦める、でしょうね。何よりそうしてきましたから」
「そうか」
「ええ」
「なら、決まりだ。文香はこれからワガママになりなさい」
「…………はい?」
何やら謎の問答の後に、私はプロデューサーさんからそう告げられました。
ルールは単純かつ明快。
一日、一つワガママを言う。というものでした。
さぁ、困りました。
何分、ワガママというものがよく分かりません。
それを意識的に行え、というのは少々無茶ではないかと思うのですが、
プロデューサーさんの言うことです。きっと何か考えがあるのでしょう。
そんなわけでこの日より、私の当面の課題は一日一ワガママになりました。
なってしまったのでした。
◆ ◇ ◆ ◇
最初のワガママは、忘れもしません。
甘い味がしました。
「お疲れ様です。お先に失礼します」
私は、身支度を済ませ、帰路に着こうとしたところで声をかけられました。
「文香」
声の方向へ、おそるおそる視線を向けるとそこには笑顔の眩しいプロデューサーさんがいらっしゃって
「おいで、おいで」と手招きをしているのでした。
これと言った言い訳も見当たらず、その召集に逆らえるはずもなく、とてとてとプロデューサーさんの元へ。
「どうか……なさいましたか?」
「ワガママ。忘れてるでしょ?」
忘れていません。
だから、そそくさと帰ろうとしたのではありませんか。
そう言い返せたら何と良かったことか。そのような気概のない私は、はっ、とした演技をします。
「すみません……。失念しておりました」
「まぁ、初日だもんね。習慣付けていこうか。それで、今日のワガママは?」
ワガママは? と言われましても…。
しかし、逃げることは許されないようで、私は観念して適当な要求をすることにします。
「喉が、渇きました」
私がそう言うと、プロデューサーさんはにこにこして「お安い御用だ」と言いました。
にこにこ顔のプロデューサーさんに手を引かれ、事務所を出て歩くこと数分。
私は何故だか、喫茶店にいました。
「あの……何もここまでしていただかなくても……」
「だってノド、渇いたんでしょ?」
「そうなのですが……自販機などで十分で…」
「まぁ、来ちゃったもんは仕方ない。好きなもの頼みなよ。俺はもう決まってるから、決まったら店員さん呼んでいいよ」
「………では、お言葉に甘えて」
卓上に備え付けられたインターホンを押すと、ぴんぽーん、という音が店内に響き、
「ただいまお伺い致しまーす」という声が厨房の方より聞こえ、すぐ後に店員さんがやってきました。
「ご注文お決まりでしょうか?」
「ええ、っと。このキャラメルマキアートをお願いします」
私がメニューを指差して注文を伝え、プロデューサーさんに目で注文が終了したことを訴えます。
「後、アイスコーヒーで」
「以上でよろしかったでしょうか?」
「それと、洋梨のタルトを2つ。以上で」
プロデューサーさんがそう言うと、店員さんは「かしこまりましたー」と、厨房の方へ引っ込んでしまいます。
あの、プロデューサーさん。
タルトは頼んでないのですが……。
しばらくして、店員さんがアイスコーヒーとキャラメルマキアートと共にタルトケーキを運んできました。
なるほど、きらきらとしていて確かにおいしそうです。
けれども、はい。そうですか。と手を付けては何か負けた気がするので
精一杯の抵抗の念を込めて正面のプロデューサーさんに熱烈な視線を送ります。
送ります。
送ります。
結果は惨敗。この人は私の視線など意にも介さないで、にこにこと目を合わせてくるのです。
紅潮した頬を冷ますべく、手でぱたぱたと扇いでいるとプロデューサーさんが口を開きました。
「来ちゃったもんは仕方ないし、食べなよ」
ついさっきと同じようなセリフでした。
フォークを入れると、タルトケーキはさくり、と小気味の良い音を立てて、一口大のサイズになりました。
瑞々しい梨が光を反射して、きらきらと輝いていて、それはそれは食べるのが勿体ないほどでありましたが
眺めていてもお腹は膨れませんので、それを左手を添えつつ口へと運びました。
「……おいしい」
思わず、こぼれたその一言を聞き逃すプロデューサーさんではありません。
にやにや笑いながら、私を見てこう言いました。
「でしょー」
◆ ◇ ◆ ◇
いつしか、ワガママは課題から習慣になりました。
もちろん、いくらプロデューサーとその担当アイドルとはいえ
四六時中、一緒にいるわけではありません。
寧ろ離れている時間の方が多いくらいでした。
そして、離れている時間は私が次第に有名になっていくと共に増えていきました。
それでも、一日一ワガママは一度として欠かすことなく続きます。
例を挙げるならば、ある日の休日。
休日を利用して書に耽溺し、夜も更けてきたのでそろそろ床に入ろうか、という頃、
私はあることを思い出しました。
今日はワガママを言っていませんでした。
気付いてしまったら、謎の義務感がふつふつと湧いてきて、
なんとしてでもワガママを言わねば、という心持ちになってきます。
携帯電話を開き、電話帳をハ行まで送り、『プロデューサーさん』という文字列の上で止めました。
メールアドレスをプッシュし、メーラーを立ち上げます。
『無題 おやすみをください』
メールを送って数十分が経過した頃でしょうか。
睡魔に襲われ、うつらうつらとしているところで携帯電話が振動しました。
着信です。
『……もしもし。鷺沢です』
『今日はワガママ、ないのかと思った』
『こんな夜更けに、すみません』
『本、読んでたろ』
『はい。すみません……』
『謝らなくていいよ。うん、声が聞けて良かった』
『はい。すみま…いえ、ありがとうございます』
『それじゃ、おやすみ』
『はい。おやすみなさい』
◆ ◇ ◆ ◇
そんな習慣も、いつしか終わりが来るもので。
その終焉は穏やかなものでした。
私が最初のワガママを言った場所。
あの喫茶店は、いつの間にやら、私とプロデューサーさんのお決まりの場所となっていました。
少し、時間が出来たとき。
同じ時間に上がるとき。
行く口実は、その時々で様々で、私が注文する飲み物も、決まってはいませんでしたが、
プロデューサーさんの注文するものは毎度、アイスコーヒーと2つのタルトケーキでした。
季節の変遷に伴ってタルトケーキの上できらきらと輝く果物は移ろいます。
しかし、二人の間にあるのはいつもタルトケーキでした。
そう、ですね。
最後のタルトケーキのお話です。
「今までお疲れ様」
いつもなら、にこにこしてタルトケーキを頬張るあの人が
フォークに手も付けないでそう言いました。
その事実が、この関係の終わりを物語っていて
言いようのない寂しさや悲しさがこみ上げてきます。
言いたいことは、口に出して。
伝えたいことは伝えたいうちに伝えます。
悲しむのは後でもいいでしょう。
「大変、お世話になりました。右も左もわからず、貴方が隣にいてくれなければ
私はここまで歩くことはできませんでした。アイドルとしてやってこられたのは偏に貴方のおかげです」
「楽しかったよ。一緒に仕事できてよかった。
でも、文香がここまで来たのは全部、文香の努力と実力だ。俺は背中を押しただけ」
「それでも、私にとってのアイドルとは、貴方です。貴方の見せてくれた景色の全てが
私にとっての、アイドル鷺沢文香にとっての全てです」
「……………………」
「さて、湿っぽくなってしまいましたね」
「……笑ってお別れしないとな」
「そういえば、今日のワガママ。まだでしたよね」
「そういえば、そうだな」
「では、私のワガママを聞いて下さいますか?」
「ああ、どんと来い」
「……私は貴方が好きです。貴方の気持ちを聞かせてください」
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「例えばどうしようもなく欲しいものがあったとして」
私はきっと、それを何としてでも手に入れようと奮闘するのでしょう。
おわり
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