【クトゥルフ神話】少年「春上市暗黒神話体系」少女「『幻夢魔境』」【幻夢境カダス】 (42)

春上市暗黒神話体系 『幻夢魔境』/Thunderbird

「ヘイ、アア=シャンタ、ナイグ。旅だつがよい。
 地球の神々を未知なるカダスの住処におくりかえし、
 二度とふたたび千なる異形のわれに出会わぬことを宇宙に祈るがよい。
 さらばだ、ランドルフ・カーター、このことは忘れるでないぞ。
 われこそは這い寄る混沌、ナイアルラトホテップなれば」
 
       ――――H・P・ラヴクラフト『未知なるカダスを夢に求めて』より


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このスレは以前どっかで連載してたクトゥルフ神話ものです
もう2年前に書いたものなので内容が古いものもありますが目を滑らせておいてください

連載当時とは一部内容などに変更がある場合がございます
途中で挫折したらすみません

また作品のジャンルはコズミックホラーではなく、
ニャル様を始めとした一部協力的な神格もいますので、
そういった系統を好まない方にはオススメ出来ませんのでご注意ください


でははじめます

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1371006001


#1st day(Monday)



――――うつらうつらと僕は虚ろな泡沫の夢の内を漂っていた。



漆黒の天蓋を万色で彩るは、無数に無限に分裂し、結合し、
消滅し、誕生し、絶えず脈動しながら姿を変える幾多もの輝ける宇宙達。

あるものはその内に更に極細塵のような無数の宇宙を内包し、またあるものはその内に一切合切の存在を有しておらず、
またあるものはそれそのものが一個体の生命体であるかのように振る舞った。


無限の可能性が、幾多の宇宙に無数の階層を形作り、無尽の多元宇宙に分岐させる。
世界は三次元の認識に留まることを知らず、四次元を超越し、五次元を飛び越え、果てのない高みに昇り続ける。

視覚が聴覚を屈折させ、嗅覚が味覚と混じり合い、その全てを触覚が捻り上げる。
この広大無辺の宇宙において、もはや過去や現在、未来はただの幻想に過ぎず、
僕達の絶対と信じる法則など、何一つ意味がないことを実感する。


それは可能性の平行宇宙達。
連動した時間軸、独立した時間軸、存在しない時間軸。
蠢き立つ因果律、ざわめき立つ因果律、静かなる因果律。



――――混沌に染まったその光景は、まさにこの世界の縮小図にして、この世界の全てであった。



そして宇宙を俯瞰する僕は、見る角度から幾多にも姿を変える十三個の虹色の球体によって、
さらにその無数の平行宇宙と無数の時間軸と無数の因果律を越えた彼方にある深き闇の中へと誘(いざな)われた。

眼下を無数の輝きと音が通り過ぎる。
それらはこれまで幾多もの宇宙が記憶した世界であり、
これから幾多もの宇宙が体験する世界であり、また、どの宇宙にも関係しない世界であった。


――――やがて、その次元と宇宙を渡る航海も終わりを迎える。


最極の空虚で、七色に煌めく打ち鳴らされる太鼓と単調なフルートの音色が耳に届く。
およそ遙か古の時代から奏でられているであろうこれら
刹那の旋律一つ一つが、この無限無量の大宇宙を支えている法則となっているんだろう。

そして僕達はこの旋律の狭間に生かされているだけなのだ。



―――――この宇宙は所詮、神ならざる果てしなき魔王が微睡(まどろ)みの中で見る、泡沫の夢に過ぎない。


 



…………僕の眼の前に顕れたのは、黒々とした深遠なる外宇宙の深淵。


時間と空間を遙かに超越した窮極の虚空を支配するのは、
あえてその名を口にした者とて無い、沸騰する白い混沌の核。

その果てしなき魔王は、下劣に乱打される太鼓と、かぼそく単調なフルートの音色に合わせ、
三次元に収めることができないその無定形な体を人では
言語化できない言葉と共に、禍々しく脈動させ、のたうち回らせていた。


その周りを踊る精神を殴打し引き裂く虚空の恐るべき無数の異形なる神々の稚児達は、
絶えず姿形を変え、めまぐるしくその存在を不規則に歪めている。

さらに大きな虚ろに揺らめく緑色の火の玉は膨張と収縮を繰り返しながら、ゆっくりとその周囲を浮遊している。


彼らの奏でる単調な輝きは、歪曲した世界の破片なのだろうか?
そんな外宇宙の中心を眺めながら、僕は何もない泡沫を漂い続ける。

 



《おや、汀目(みぎわめ)さんですか? こんな所に来てはいけませんよ》


僕の名を呼ぶ、聞き慣れた声に振り返る。
虚ろな意識が認識したものは、無貌の混沌。

貌の無い円錐状の頭部と三本の足を有したその混沌は頭部を揺らしながら、
鉤爪の付いた手を広げ、全身から生えた触手をざわめかせた。


その超宇宙的存在が、どのような発声器官で、どのように言葉を発したかは定かではないが、
少なくとも先ほどの声は間違いなく、僕がよく知るこの神様の物であった。


《まったく、副王殿にも困った物です。いくら気に入っているからとはいえ、このような宇宙のゴミ捨て場に
 連れてくる必要はないでしょうに。私の加護がなければ、狂気に駆られながら、絶望すら擦り切れる永劫の生を受けることになりますよ》


そう言いながら、無貌なる神は大きくため息をついた。
無論、それは人がため息をつく方法とは大きく異なったのだが。


《とにかく、今日の所はお引き取り願いましょう。どちらにしろ、「今の貴方」にはまだ、ここは刺激が強すぎます。
 私の予定ではもう少し先ですから。では、汀目さん。また果てしなき魔王の見る虚ろな泡沫の夢の世界でお会いしましょう》


超宇宙的な混沌は、深淵と輪郭が定かでない腕を持ち上げ、ぱちん、と指を鳴らした。
その音に起因するかのように、僕の認識する世界はどろりと融解し、


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「起きなさい汀目三雲くん!」
「はいぃぃ!?」


先生の怒声に、ガタン、という音を立てて机を揺らし、
僕こと――――白山高校に通う高校一年の汀目三雲(みぎわめ みくも)は飛び起きた。
二月にしては暖かい日が差し込む中、教室のあちこちから聞こえる笑い声。


顔を上げた僕の目に映ったのは、何かの電池の構造が書かれた黒板。
それと修羅のごとく怒っている先生の顔だった。

書かれた内容から推測するにちょうど、
今度の学年末テストの範囲である鉛蓄電池の化学反応式の話をしていたようだ。
どうやら僕は、高一化学で高難易度と言われるすごく重要な部分で眠ってしまったらしい。


「まったく、君の化学の成績がいいことは私もよく知っています! だからといって授業中に寝るとは何事かしら!」
「す、すみません!」


急いで謝罪するけど、やってしまったコトは仕方がない。
覆水盆に返らず。先生の機嫌が直ることはなかった。

今日は、そうでなくても……



「藍河(あいが)さんも逆月(さかつき)さんも休んでるし!
 もうすぐ学年末テストがあるって言うのに、気が緩みすぎじゃないかしら!」


そういえばその二人も休んでたね。
――――どっちもズル休みだった気がするけど。

そんなことを思いながら、僕はちらりと誰も座っていない右隣の席を眺める。
で、よそ見したから当然の如く飛んでくる叱咤。


「何をボーっとしているの! 早く板書を書き写しなさい!
 ただでさえ遅れているのよ。今日は絶対に水素電池まで終わらせるからね!」
「は、はいっ!」


結局その後先生は猛スピードで授業を行い、
僕たちは地獄としか形容できないくらいの超高速で化学式が黒板に並んでいく、
悪夢のような授業を受ける羽目になってしまった。




さて、本日五時間目の授業が終了し、掃除もホームルームも終わり、放課後。
鞄に荷物を詰め込む僕に、髪を編んだ女子生徒が声を掛けてきた。このクラスの委員長さんである。


「ねえ、汀目君」
「? どうしたのさ、委員長」


委員長は僕にプリントの束を手渡してきた。
見た限り、ここ三日間で配られたプリントのようだ。そのほとんどが化学の授業で配られたプリントである。


「これは?」
「このプリント、逆月さんに渡してもらえるかな。逆月さん、今日も休んでたでしょ。
 汀目君の家の近くだっていうし、よかったらこれ渡してあげて欲しいんだけど」

「うん、いいよ。………さすがに病子には何かやらせとかないと、テストに支障が出そうだし」


僕の返答に、委員長はよかった、と胸を撫で下ろした。しかし、すぐに困った表情を作る。


「それにしても、逆月さん週またいで、もう三日目も休んでるよ。汀目君何か知ってる?」
「休んだ理由? まあ、予想できなくはないけど…………」

 



………昨日チョコレートの作り方が分からないって、僕に電話を掛けてきたからねえ。


僕が寝ようっていうときに、いきなり電話を掛けてくるんだもん。
一応チョコの溶かし方から説明はしてみたけど、多分病子の様子だとそれすら無理な気がする。


まあ、病子も頑張ってるとは思う。
でも彼女は致命的に料理に向いていないということをちゃんと知ったほうがいい。

去年は去年でまわりが黒こげ、中は生焼けなホットケーキを作ってくれたし。
今年はどんなことをしでかすんだろう。そしてその後始末はいつも僕に回ってくる。


食べ物に関しては気持ちより、おいしいかどうかが
大事だと思う僕なので、別に市販のものでも構わない。
というかそれで妥協して欲しい。彼女の場合は命に関わる問題になりかねない。

はあ、とため息をつく僕の表情を別の意味に捉えたのか、委員長は少し心配そうに聞いてくる。



「やっぱり風邪か何か?」
「………うん。まあ、病子にもいろいろあるんだよ」


実のところ彼女が風邪を引くなんてありえない。体だけは人並み外れて丈夫なのだ。
どこぞの宇宙の深淵に潜むモノよりも恐ろしい彼女がそんなものでダウンするわけないじゃないか。


はぁ、と納得がいってなさそうな委員長。
が、それ以上の追求はなかった。

まさか、病子がずる休みだなんて誰も思わないだろう。一応、学校だと真面目キャラで通してるはずだし。


「じゃあ、僕はこれを病子に届けておくよ」
「うん、ありがとう汀目君。逆月さんにちゃんと学校に来るように伝えておいてね。それじゃあ」




生徒昇降口を降り、校門を出た後、『白山高校前』と書かれたバス停から僕はバスに乗り込む。
ここ白山区から高東山を越えて、目的地の南八代(みなみやしろ)区の『中央町』バス停まで三十分はかかる。

思った以上に車内は空いていた。
みんな学校に残って勉強しているか、
テスト期間で活動休止になる前に部活で精を出しているんだろう。


坂道を緩やかに下るバスの中で、僕は鞄の中から一冊の本を取り出す。
『ラヴクラフト全集6』と書かれたこの文庫本は一週間前、知り合いの神父から借りたものだ。



―――――『クトゥルフ神話』。

クトゥルーとも、ク・リトル・リトルとも、クルウルウとも呼ばれるこの神話は、
西暦一九二〇年頃に、アメリカ、ニューイングランドの作家H.P.ラヴクラフトを中心として
彼と交友関係を持つ作家達の手により生み出された創作神話である。


今までの怪奇要素に頼らない、人間に理解できない『宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)』を
核と成すこの一連の作品群は、ある程度共通した世界観を持ち、一種のシェアード・ワールドとなっている。

その世界観とは、

『人類は地球唯一の支配種族ではなく、人類が誕生する遙か以前、超古代、
 原初の地球では、人知も及ばぬ外宇宙の深淵から飛来した異形の神々が世界を支配していた。
 それらは今こそは深い眠りについているものの、いつの日か再び地上へと舞い戻り、万物を支配する』

                                             というものだ。



この広大な宇宙において人類の価値観や思想、希望などは何の意味も持たず、
我々はただ神々の気まぐれに振り回されるだけに過ぎない、というテーマがこの神話の根本にあるのだ。


もっとも、後にこの神話を体系化した作家オーガスト・ダーレスは
ラヴクラフトのような『宇宙的恐怖』の考えを持っておらず、
本来は人間に理解できるはずもない神々に「善」や「悪」といった『人間の価値観』で意味づけをしてしまった。


そのため、体系としての神話はうまくいったのだが、
一時的に『宇宙的恐怖』としての神話は失われることになってしまったのだ。

結局このことは、彼が後世にこの神話を認知させた偉業と共に、
師の世界観をおとしめた悪行として評価されるようになってしまった、と言われている。


…………が、最近の研究ではラヴクラフトもむしろノリノリで設定に参加していたらしい。

ついでに言うなら、世界観を貶めた云々は誇張気味といわざるを得ないようだ。
あくまでそれらが強調されたのは彼らやその後輩の作品であって、
ロバート・ブロックなどはラヴクラフト死後も彼らとは異なった世界観で小説を書いている。
 



――――さて、本題はこれからだ。
あくまで、これはギリシャ神話や北欧神話、旧約・新約聖書と同じように誰かが作った、いわゆる創作である。

そう、創作であるべきだ。
ああ、しかし現実はかくも残酷なものよ。



――――結論から述べよう。この『神話』は存在する。



この神話がラヴクラフト達の手により生み出された創作であることは間違いではない。

しかし、不幸の一致か、それとも如何なる神が仕組んだ運命か、
多少の相違点はあるものの間違いなく、この神話に記された異形の神々は実在した。




――――そう、異形の神々は実在する。


太平洋に沈む神殿、ルルイエに眠る大いなるクトゥルフ、
銀河の遙か彼方、ヒヤデス星団を支配する名状しがたきものハスター、
魚座の恒星フォウマルハウトに幽閉されている生ける炎クトゥグァ、
そして人類はおろか、自らの仕える主すら冷笑する這い寄る混沌ナイアルラトホテップ。

それら、異形の神々は今このときですら人知の及ばぬ永久の暗き宇宙の深淵で微睡(まどろ)み続けているのだ。



――――そして、僕もこの神話に巻き込まれた一人である。


僕らが『猟犬事件』と呼ぶ、初の神話的存在との接触が起こったのは中三の六月―――大体二年くらい前の話だ。

そこで、僕と病子は『ティンダロスの猟犬』という神話上の怪物に襲われた。
辛うじてその猟犬を退けたものの僕達が失ったものも大きかった。



――――非日常は、日常のすぐ側に存在しているにも関わらず、巻き込まれるまでは、誰もその存在に気付かないのだ。




『次は、「中央町」、「中央町」。お降りの方はお知らせ下さい』
「…………もうすぐかな」


窓の外をパチンコ店やスーパーマーケット、閉店したオモチャ屋が通り過ぎる。

この中央町も昔は南八代区の中心として栄えていたらしいけど、
新南八代駅ができてからはそちらに完全にお客さんを取られてしまったようだ。


新南八代駅前には十階建ての大きな百貨店がいくつも建ち並ぶが、
この中央町では三階建てのスーパーが最大の建物だ。一体、この差は何なんだろうか。

そんなことを考えながら、僕は左手にあるボタンを押した。
すぐに聞き慣れた音と共に車内のボタンが点灯する。


さて、これから病子の家に行ってプリントを届けなきゃならない。
と、言ってもまあ、彼女の家は僕の家の真ん前にある。まずは家に帰って着替えてからでいいだろう。



今回はここまでです
どうもありがとうございました

まだだいぶ長いのですがよろしくお願いします



「ただいま」
「はいはい、おかえりおかえり」
「…………弟が必死に勉強して帰ってきたっていうのに、
 姉さんは何してんのさ。家にいるんだったら家事の一つぐらいしてよ」

僕は家に入ってすぐの右手にある居間でごろ寝しながら、テレヴィもといテレビを見ている
僕の姉――汀目恵美(みぎわめ めぐみ)、大学一年生――に叱咤を飛ばして、廊下突き当たりの階段で二階に上がる。
階段上がって、二階右手の手前にある木でできたドアの向こう側が僕の部屋だ。

カチャ、とノブを回し、部屋に入る。
扉の隙間から冷たい空気が吹き込んでくる。



――――――寒い。


窓を開けていないはずなのに、やはり二月ともなれば空き部屋の中は外と同じくらい寒くなる。

僕はベッドの上に上着と一緒に学生鞄を放り投げる。
そして部屋の端に置かれている暖房器具の電源を入れ、勉強机の椅子に腰を下ろした。

机の上に置かれているのは、朝まで無かったはずの白猫と黒猫と灰猫のぬいぐるみ。
どうやら勝手に姉さんが人の机の上に並べやがったようである。

僕はため息を溢し、それらを傍のベッドの上へ移動させる。
それから、机の上に鞄から取り出した南八代区の地図を机の上に大きく広げた。



僕は地図に挟んでいた新聞記事のうち、一枚を手に取る。

日付は先々週の火曜日。
記事の内容は夜中、南八代区東側で帰宅中の男性会社員が行方不明になったというものだ。
近くからは男性の幾本かの頭髪と共に鞄などの所持品が見つかったと書かれている。

それから二日後、今度は南八代区の北に位置する倉森区で、
これまた同じように帰宅途中の女性会社員が行方不明に。この事件でも行方不明者の所持品が発見されている。

そのまた二日後、南八代区でまだ夜も明けぬ早朝に春上川の河原を
散歩中だった七十五歳のおじいさんとその愛犬が。ここまでが先々週の間に起きた事件。


そして先週の月曜日、水曜日、金曜日にも南八代と倉森の東側で失踪事件が起こっている。
今のところ、事件なのか、あるいは事故なのかすらわかっていない。
一部で言われているように、これらが何者かによる連続誘拐事件だとしても、
そもそもの事件を起こした目的、事件でいなくなった人々の行方、などなど色々不明な点が出てくる。

さらに言えば、狙われた人物に共通点にどんな共通点が見いだせるのか、さっぱり分からない。
あえて共通点を探すというのなら、犯行は夜間、それも一人になった人物が狙われていること。
そして、事件は全部川を挟んだ向こう側、南八代の東部で起こっていることぐらいだろう。


誰が、何のために、この事件を起こしたのか。
とにかく、色々な疑問が生じる。



――――そう、これを人が起こした事件と考えるならば。

 
人でない者が引き起こした事件であると、考えるならばどうか。
例えば、クトゥルフ神話に登場する怪物のような。


――――この街には異界へと通ずる『門』が存在する。
そして、この『門』を渡って神話に登場するような怪物達がやってきてもおかしくない

実際去年の七月には、どこかも分からぬ地下に広がる暗黒世界ン・カイより、
アブホースが『門』を通って地上の世界に渡ってこようとした事件が起こっている。


神父の話によれば現在、『門』は『夢の国(ドリーム・ランド)』と呼ばれる世界に通じている。


もし犯人が人以外の怪物であるとすれば、
『門』を越えてしまった『夢の国(ドリーム・ランド)』の住人である可能性が高い。

しかしそうは言ったところで具体的な証拠がないのではどうしようもない。
本当に怪物の仕業なのか。またどんな種類の怪物がこの犯行を行っているのか。
神父から『夢の国(ドリーム・ランド)』に関する作品を借りたのだが、手がかりはさっぱりだ。


――――どうにも対象を絞り込むための情報が見つからない。



現段階の情報では手詰まり。
今晩、彼女と会って情報を整理した後、
改めて明日、神父に意見を求めた方がいいだろう。

あちらも何か掴んでいる可能性がある。


「とりあえず、病子のトコにプリント持ってこうかなぁ」


僕は机の上を地図と記事を片付け、ベッドの上に
放り投げていた鞄からクリアファイルにしまった紙の束を取り出す。

全部で十枚強。その内四分の三が病子の嫌いな化学のプリントだ。
うん、彼女がどんな顔をするか簡単に予想が付く。


て言うかアレだ。
持っていった僕に八つ当たりという名のとばっちりが来ることは間違いないだろう。
これから自分の身に降りかかるであろう理不尽な不幸にため息をついて、僕は別の鞄にプリントを詰め替える。


服を着替えたあと、部屋の電気を消して階段を下りる。

そして僕が居間の前を通り過ぎようとしたとき、
寝っ転がったままの姉さんがにちょいちょい、とこちらに手を伸ばしてきた。



「どっかに行くの?」
「病子の家。学校でプリント渡してこい、って頼まれちゃった」
「ふーん、そう。じゃ、いいわ」


と興味なさそうに姉さんは再びテレビに視線を戻した。
「コンビニ」とでも答えていたら、買い物でも頼むつもりだったのだろうか。

この人は昔から僕を扱き使う。
掃除洗濯に料理まで、親がいない間の家事はほとんど僕が担当した。

姉さんが自分から働いているところなんて一度も見た記憶がない。
本当にどうやって一人暮らししているんだ。


「いい加減、何でも人にやらせないで自分でやってよ。それと、今日もカレーだから」


その言葉に、ぶーぶーと不満を零す姉さん。
元は姉さんが作らないのに大量に買い溜めしていた、
賞味期限間近のルーを持って帰ってきたのが原因なのである。

僕としても三日もカレーなんてもう沢山である。
でも早く食べないと腐っちゃうから、仕方がないのだ。


まあこんなとこで愚痴ってても、話は一向に先に進まない。
今は病子のところへプリントを持って行くのが先決だろう。

病子のことだ。鍋の一つ二つ、ダメにしている恐れがある。




とりあえず病子の家に来た僕は、チャイムを鳴らすことにしてみる。


――――が、反応は無い。

バッチリ電気がついているので、いるのはわかっているのだが――――寝ているのだろうか?

もう一度チャイムを鳴らして待つが、反応は無い。
仕方なくドアに手を掛けるが、案の定鍵は掛けっぱなしのようだ。


完全に居留守を決め込んでいるらしい。
うーむ、これは最終手段に出るしかあるまい。

僕はポケットから灰猫のキーホルダーのついた予備鍵を取り出す。
去年の夏。この彼女の家に少しの間だけ暮らしていたあの子の忘れ形見である。


少しだけあの一夏を思い出し―――僕は冷たい2月の現実に鍵を差し込んだ。
かちゃっと音を立て、病子の家の玄関が開く。

残念ながら、お出迎えはない。
これは本格的に二階に閉じこもっているものと見ていいだろう。



「病子、いるん――――っ!」


家に入った途端、鼻をつく異臭。
それに僕は思わず言葉に詰まらせてしまった。


―――甘い何かを焦がしたような臭い。
嗅ぎ慣れない臭いに思わず手で口と鼻を覆う。
カラメルとかとは根本的に違う、何か全体的にとてもカオスな何か。


少しよろめきながらも僕は、家に上がり臭いの元を辿る。

目的地はこの先にある、台所。
………うん、大体病子がチョコレートをどういう風に調理したかわかってきたぞ。


―――私が鍋の底で目にしたものは病的なまでに黒々とした凶(まが)まがしい固形体であり、
そのひどく膨れあがった曖昧(あいまい)模糊(もこ)にして名状しがたいものは、この世の物とは思えぬほど。


あー、うん。駄目だ。僕にラヴクラフトのあの文章は作れない。
だからただ一言で目の前の惨状を表現しよう。



「―――――これはひどい」


はぁ、と僕はため息をつく。
少なくとも病子が学校に来なかった原因の大本は、僕が思った通りだったからだ。
ただしその結果は僕の予想の斜め上を行く、あまりにもひどすぎるものであったが。

どうしてこうも彼女は料理が下手なんだろうか。
かつての僕にも、今の僕にも理解できない。
やはり横で指示を出すしか解決策は無いのだろうか。


…………まあ、何事もなかったみたいだからよかった。
さて、そうと来ればいつまでもここで愚痴ってても仕方がない。
この惨劇の始末は後回し。まずはその元凶を部屋から引きずり出すのが最優先事項だ。






逆月病子の部屋はこの家の二階にある。
階段を上がってすぐ右手の大きな木製のドアが目印だ。

コンコン、と僕は彼女の部屋の戸を軽くノックする。


「――――何だ、邪神か? 私は忙しいのだ。今はそっとしておいてくれ」
「残念、僕だよ。病子、入るよ」

「な!? き、貴様!? ま、待て!」


僕はその制止の声を無視して、ノブを捻った。
年季を感じさせる重い音がして、木製の扉が開く。



――――部屋の中はひどく殺風景なものだった。



机に、本棚に、クローゼットにベッド。
その全ては機能性を重視しすぎており、素材と色調は統一されているとはいえ、
猫のぬいぐるみさえ置かれていないがらんとした部屋は寒々とした寂しさを感じさせる。

少なくともこの部屋よりはまだ僕の部屋の方が、
年頃の女子の部屋を名乗れるだけの自信がある。




――――しかし、その部屋を支配している者は違った。



ベッドの上からこぼれ広がり、部屋の床を舐めるように覆う、ざわめく影のような混沌の絨毯。

陽炎のようにゆらゆらと現実との境界面に曖昧に
存在するそれらは、沸き立つように漆黒を虚ろに波打たせていた。


――――そして、彼女は、いた。
沸きだつ混沌の中心。上半身だけベッドの上から起こして、
肩まである漆黒の髪を垂らし、漆黒の左眼を備える、陶器のように白い肌の少女が、座っていた。

少女の名は、逆月病子(さかつき やみこ)。
僕の幼なじみにして、二年前の彼女の父親の死から始まった、猟犬事件の犠牲者。
そしてそこから始まった現在進行形の物語、その首謀者たる這い寄る混沌の娘。亜神。


小さい頃から見慣れているはずなのに、混沌とした彼女を見た僕は小さく息を呑む。
そんな僕を彼女は包帯に覆われていない左の黒い瞳だけを動かして、鋭く睨み付ける。


「………何の用だ、三雲」


不機嫌そうな彼女の言葉に、とりあえず僕は委員長から貰ったプリントの束を渡す。
そのほとんどが化学のプリントだということに彼女の表情はますます不機嫌なものへと変わってしまった。



「何の用だ、じゃないよまったく。いい加減、そろそろ学年末なんだから頑張らないと」

「……それは今までの私の国語や英語の成績を知った上での話か?」
「それは君自身の化学の成績について知った上での話?」


ギクッ、と小さな肩を震わせて、病子は途端に詰まった。
父親の職業柄、小さい頃から多くの国の本に触れてきた彼女は言語というものには
圧倒的に強く、英語は言わずもがなラテン語にアラビア語、
その上ルルイエ語とか変なものまで翻訳できるが、何故か理科全般については壊滅的なのだ。

別に彼女は計算が嫌いとか、実験が苦手とか、
化学式がわからないとかいうわけじゃないのに、
なんか別法則に支配された別世界の住人を見ている気持ちになる。


僕は、さっきの一言で黙ったまま、
ベッドの上に膝を抱え込んでしまった彼女に歩み寄る。

少女の背中には、陽炎のように不定型に揺らめく、漆黒の翼がついていた。
手を伸ばして、翼に触れる。


質量零。
触ることは出来るが、影のように触った感触自体がない。

でもきちんと実体があるし、空気を掴む感じとも違う。
妙な感じだ。ちなみに収納自在らしく、外では彼女はちゃんと翼を隠している。



「…………あまり弄るな。何か、妙な感じがする」
「あ、ごめん」


手を離す。しかし不思議な感触だ。
これも混沌の影響なのだろうか。

かといって、以前神父にこの元々の化身を触らせて貰ったことがあるけど、
あれは影のように平面に見えて、それこそ凝固した闇のようにひどく立体的だった。
いつか機会があれば研究してみたい。


「しかしだな、三雲。私にもちゃんと学校を休むに足る理由があったのだ。
 貴様も知っておろう! 一刻を争う事態なのだから仕方が無かろう!」

「でもさすがに台所のあの惨状はないと思う。――――うん、無いね」

「〜〜〜〜み、見たのか!?」
「バッチし」
「…………」


あれはひどい、という僕の言葉に、
顔を真っ赤にして黙りこくる病子。

…………まあ、僕のために頑張ってくれたのは嬉しいことである。
だけど病子には壊滅的に料理のセンスが無いことは、ちゃんと理解しておいて欲しい。



あと最低、料理はちゃんとレシピを用意してから作ってくれないかな。
実験もそうだけど、聞いただけとか、うろ覚えとか、っていうのが一番危ないんだから。


「きちんとしたチョコの作り方ぐらいならテストが終わった後で、僕がいくらでも教えてあげるよ」
「し、しかし! それでは、間に合わん………では、ないか」


ぼそぼそとした病子の返事に、僕は額を押さえてため息をつく。


「お菓子作りをなめてもらっちゃ困るよ。『何となく』じゃあ、絶対に美味しいお菓子はできない」


お菓子はきちんと分量を考えて作らないと大惨事になる。
ゼラチンがちゃんちお固まらなかったり、ムースがプリン状になったり、
何故か生地に玉が出来まくったりと僕もその辺は失敗して学んでいるのだ。

まあ、少なくともチョコを直火に掛ける君はそれ以前の問題だけど。


「だ、だが、仕方が無かろう! 今まで、一度もチョコレートを鍋で溶かすなどやったこと無いのだからな!」
「だからって、なんで鍋にチョコレートをそのまま放り込もうなんて考えるかなぁ。湯煎についてはちゃんと説明したはずだけど?」
「……う、ううぅぅぅ」
「唸らない唸らない。それよりも早く台所に行くよ。あの鍋何とかしなきゃ」


実は僕はチョコレートよりも、クッキーが好きなことは、彼女の精神の安定と
クッキー製作の際に起こり得る犠牲を増やさないためにも、黙っておいた方が賢明なのだろう。


今回はここまでです
だいぶ間が空いてしまい、申し訳ありませんでした

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