俺ガイルSS
短編です
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岐路というものは大なり小なりの違いはあれど確かに存在する。
人生は一本道には当然ならない。つまるところ日々選択と行動を繰り返しているのだ。
「わかったかね比企谷?」
「ええ骨身に染みました」
「骨身に染みているやつは多分そんなことは言えないだろうな」
ふーっと平塚先生は長めの息を吐いた。じゃあ何て言えば良いんだよ?反省してまーすとか言えば良かったの?とはいえこの叱責は俺自身の選択の結果なのだ。
6限。現国。暇を持て余していたとはいえ、授業中の内職をばっちりと見咎められてにっこり笑顔で放課後の職員室に連行された。
「受験生が授業中に内職するなんて普通ですよ」
「言い訳か?」
「一般論てやつです」
「およそ一般の範疇には属さない君が言っても説得力が足りないな」
「まったくもって俺もそう思います」
一般人とは違う特別な存在。スペシャリスト?いやヴェルタースオリジナルだ。
そんなアホな発想を機敏に感じ取ったのか、座ったまま腕を組んでこちらを見据える先生は眉を落として溜息を吐いた。
「だいたい世間一般のことはどうでもいい。君のことを話してるんだから」
「はあ。つまり?」
「別に他の生徒が内職していてもかまわん。だが少なくとも、君が私の授業でやるのは許さん」
「ひでぇ……」
横暴だ。げんなりしていると、それを見て先生はふふんと笑った。
組んだ腕を解いて白衣のポケットに差し込むと、脚を組む。艶めいた大人らしい、そんな余裕を感じられる。
「ま、お説教はどうでもいいか。で、最近はどうだね?」
「どうでもいいんすか。ぼちぼちですよ。少なくともちゃんと勉強はしてます」
「それに関してはあまり心配していないよ。君はやればできる子だからな」
「普段やってないみたいな言い方しないで下さいよ」
「はは、すまんすまん」
謝意のない呟きだった。かといって不快になるものでもないが。
「奉仕部の方は?」
「最近行く機会減りましたから。特にどうとも。先生だって知ってるでしょう?」
「受験生だからなぁ。活動の機会が減るのは仕方ないが」
遠い目をして呟く。尻すぼみな声には郷愁というか、どこか過去を懐かしむような響きが含まれていて、思わずふっと声が出た。
先生は「何がおかしい?」という視線をこちらに向けるので、こう答えることにした。
「いえ。先生が受験生だったのは何年ま……」
ひゅっと音が聞こえたと思ったら、発信源は音を置き去りにした拳だった。
耳元ぎりぎりを掠めた拳をぐっぱぐっぱすると、にこやかに微笑む。
「虫がいたんだよ」
「そ、そっすか」
「ああ。残念ながら逃してしまったが。次こそは、な」
絶対捉えるとばかりに関節を鳴らす。一体なにを捉えるんですかねぇ。
指太くなりますよ?とか言ったら怒られそうだからやめておこう。しかし、かつての受験生も今やさしずめ呪拳聖といったところか。リアル結婚できない女になっちゃってますよ先生。
「まあ私の話はいいさ。これから予備校かね?」
「ええまあ。今日は自習ですが、最近は毎日です」
「そうか。勉強も結構だが、たまには部活にも顔を出しなさい。雪ノ下が寂しがってる」
「活動日数を減らすのは俺たちで話し合って決めたことです。 第一、あいつはそういうやつじゃないでしょ?」
「そんな通り一遍な返事は期待していないよ。それに」
「それに?」
たぶん今の俺は怪訝な顔をしていたのだろう。
それを解きほぐすように、先生はこちらをちらりと見上げると意味深な笑みを浮かべた。
「君はもう少しあの子のことをわかっていると思っていたが?」
勘違いかな?と言い添えて、今度は楽しそうに笑った。
「……よくわかりませんが。善処します」
「ああ。では励みたまえよ」
失礼しました、という定型文とともに職員室をあとにする。
ひらひらと手を振る先生にぺこりと頭を下げると、ゆっくりと扉を閉ざした。
職員室から下駄箱へ向かう廊下は普段の放課後と違っていくぶんひっそりとしていて、終礼からの緩やかな時間の経過を教えてくれていた。
上履きを履き替えるときにふと、先ほどかけられた言葉が浮かんだ。
少しくらい顔を出してもいいか。いやでも今日はいいか。もっとゆっくりできる時の方がベターだろう。その方が良い。
そう思いこむようにして、靴を履き替えて駐輪場を目指した。
途中特別棟の傍を通る。なんとなく無意識に上を仰いで、部室の窓を見つめた。
先生は文字通り、お説教なんてどうでもよかったのかもしれない。
それでもあのやり取りで伝えたい何かが、推し量りたい何かがきっとあったのだろう。
春も過ぎ去った新緑の季節。立夏を飛び越した5月の初旬。
雲が散りばめられた幾分紅が混じる空を見て、そんなことを思っていた。
× × ×
地面を蹴って漕ぎだす、その一瞬の浮遊感と頼りなさ。やがてぐっとペダルに力を入れればそんなものなどどこ吹く風で、自転車は安定して巡航していく。
朝まで降っていた雨の気配はすでになく、アスファルトに水たまりは残されていない。
ただ、未舗装地には未だ湿り気が多く含まれていて、そこにこの時期特有の南風が吹けばむわっとした土と緑の香りが漂う。
「あちぃな」
5月の夕方でこんだけ暑いとかヤバくない?マジヤバすぎっしょーと某戸部風にヤバさを表現していると、走っていく先に数少ない知り合いの後ろ姿を発見してしまった。
「…………」
それとほぼ同時だった。無意識といってもいい。気が付けばブレーキを握って減速している自分がいた。
知らない仲ではない。むしろ数少ない知人の中ではよく話すほうだとも思う。
それでもこうして躊躇してしまうのは、なんというか癖のようなものだ。
さてどうしようかと迷っていると、件の人物は後ろから迫る自転車の気配を敏感に感じ取ってしまったらしく、ちらと後ろを振り返る。
亜麻色の髪がふわりと揺れて、その髪の間からは少しだけ驚いたような表情を覗かせた。
「なんだ先輩じゃないですか」
「おお」
「……ふふ」
「なんだよ?」
笑みを漏らした一色いろはに対して疑問の声を上げれば、小さく頭を横に振りつつ「いえ」と返してきた。
「後ろから変な気配がするなーと思ったら案の定だったので」
「お前アレだな」
「はい?」
「俺の気配感じ取れるとかすごいな」
「そこですか。まぁ女の子はそういうのに敏感なんですよ」
そういうもんなの?しかしこんな簡単に気配を悟られるなんてな。我がステルスヒッキーも昔に比べると弱体化の一途を辿っているのがよくわかる。
「ていうか先輩?」
「あん?」
「わたしだって気が付いてましたよね? なんですぐ声かけてくれないんですか?」
「俺だって迷ったんだぞ」
「何にですか?」
萌袖で肩にかけた鞄の持ち手を握りながら、きょとんとした顔で小首を傾げる。
なにこのあざとさの権化。
「いやあれだ。シカトして通り過ぎるか引き返すかをだな……」
「話しかけるという選択肢はないんですか……」
「無きにしもあらずだが、それは最終手段になる」
「はぁそうですか。先輩のことですからいまさら驚きませんけど」
すこし呆れはしますが、とでも言いたげに一色は肩を落とした。
それでもすぐに気を取り直したようで、踵を返して元の帰り道へ脚を向けて歩き出す。
そのまま「じゃあな」とも言いだしづらかったので、一応俺も自転車を降りて横に並んだ。
とてとてとローファーを鳴らす一色を横目で見やれば、彼女もこちらを見てどこか満足げににこりと微笑む。なんだよやりづらいな。
「お前もう帰りなの?」
言外に「珍しくない?」という疑問を滲ませると、一色は少しだけ言葉を詰まらせて答えた。
「えーっと帰りというか帰りじゃないというかですね」
「なんだそれ? 生徒会はどうした?」
「そっちは今日休みです。先輩こそ部活どうしたんですか? サボり?」
「サボってない。それに、部長様の許可も貰ってる」
「あー受験生だからってやつですね」
「ま、そんなところだ」
受験生だから。それ以上の理由はないし、それを後ろめたく思う必要はない。
それでも、ひっかかりのようなものを覚えた。
これはきっと、そんな安易な大義名分にあやかり続ける自分に対する何かなんだろう。それを気取られぬよう矢継ぎ早に質問を飛ばすことにする。
「お前は? 最近もよく行ってんの?」
「奉仕部ですか? んー最近はあんまりです」
「意外だな。今でも入り浸ってるもんかと思った」
ぷに、と形の良い唇に指を押し当てて一色は思案顔になった。
そしてすぐにいたずらを思いついた子どものような、きゃるんとした表情を浮かべる。
「だって先輩がいないとつまらないじゃないですかー」
「はいはい」
「もうちょっと良い反応してくださいよ」
左を歩く一色は、俺の制服の肘部分をくいくいと引っ張って不満げな声をあげた。
そうだね、プロテインだね。
「いやなに、お前のそういうのにもだいぶ耐性ができてきたというかな。つーか引っ張るのやめろ」
「えーつまんないです」
ぶーぶーと、不承不承といったようにすっと手を離した。
一色のあざといアクションは大ぶりのパンチみたいなものだ。ある程度モーションから察することができる。いやできるようになったというべきか。
「お前さ、そういうこと誰にでも言ってるわけ?」
「んー……いえ、先輩にだけですよ?」
「……そうですか」
なんでそこはきょとん顔なんだよ。八幡ちょっと反応に困るんだけど。
「なんで敬語なんですか? 大体わたしが誰に何を言おうと……はっ」
「?なんだよ」
「まさか今わたしのこと口説いてましたか?」
「ほう? どうしてそう思うのか解説頼む」
「お前は俺だけを見ていろ! ってことかと。独占欲強いと愛されてるなーって感じますけどまだ付き合ってもいないしその段階じゃないかなーとも思うので無理ですごめんなさい」
「すげえ論理の飛躍だな」
俺が振られるのはお約束というか予定調和というかもう慣れてしまったから別にいいけれども。いや、いいのか?
その後も他愛もない軽口を叩き合いながら、夕陽が照らす新緑の下を歩く。
向かう方向は一緒だし、なんとなく別れを切り出すタイミングを逸してしまったというのが多分にあったが、木漏れ日が途切れて程なくすると稲毛海岸駅が見えてきた。
駅入り口まで行ってそこで別れるか。そんな心積もりでカラカラと自転車を押していると、右を歩く一色の歩調が緩んだ。
なんだ?と思っていると、今度はくいくいっと肘部分を引っ張ってくる。
「だから引っ張るな。で、なに?」
「いえ。ちょうど良いからちょっと付き合ってくれないかなーって」
「は? 何に?」
「買い出しです。実は生徒会とサッカー部の備品で何点か購入しなきゃいけないものがありまして」
記録用のノートとかー、テーピングとかー、新しいアイシング用の氷嚢とかー、と買うべきものを指折り思い浮かべながらつらつらと一色は話す。
なるほど、一色が今日早く帰る理由はこれだったか。備品を購入してそのまま直帰ということだろう。
「あー悪いが一色。これから予備校だから無理だ」
「えー先輩さっき今日は自習だって言ってたじゃないですかー。だから急いで行かなくても良くないですか?」
そんな鉄板とも言えるお断り文句を、一色いろははバターの用に簡単に切り裂く。エクセリオンブレードかよ。
「いやしかしだな。俺には作者の気持ちを考えて4択から選ぶ訓練をしなくちゃでな」
「昔の作者の気持ちを考えるよりも、今のわたしの気持ちも考えてみるといいですよ?」
うまいこと返したつもりなのか、したり顔でにっこり目を細める一色を見つめる。こいつの気持ちねぇ……。
「あれだろ? 荷物が多そうだから人手が欲しいんだろ」
「んー……まぁそういうことにしといてあげましょう」
「なんでそこは濁すんだよ」
「先輩は国語は得意でも、やっぱりこっちは苦手みたいですね」
「こっちってどっちだよ……悪かったな」
それ以外の理由など思いつかない。
感情の表層的な理解はできる。言葉を聞いて表情を見て、それらを記号化してパズルのように組み合わせる。ただ、それは表に出るからわかるのだ。見えないものを理解するのは酷く難しい。なによりも、わかった気になるのが一番恐ろしい。
一色はふるふると顔を横に振ると、にこりと笑んでぽんぽんと俺の肩を叩いた。
「まあまあ難しく考えずに。小一時間買い物に付き合ってくれればいいですから。終わったら予備校に行ってもよし。わたしと放課後デートしてもよし、ですよ!」
「何がよしだ、何が」
きゃるんとした笑顔でぱちりと片目を閉じるあざといウインクは恐ろしいまでに決まっていて、これに騙される男が将来何人いるのだろうと考えるとその方々の冥福を祈らざるを得なかった。とはいえどうしたものか。
「……本当に小一時間なんだろうな?」
「はい。スムーズにいけばですね」
「微妙に怖いこと言うなよ」
「えへへ、すみません」
「はぁ……」
一色にこの後の予定を安易に漏らしたのは俺の失策。身から出た錆というやつだ。それに目の前の一色といえばもう行く気満々で、今更反抗するなと言わんばかりにこちらをランランとした瞳で見つめてくる。
こうなれば、もう断るのは難しい。俺は長い溜息をひとつ吐きだした。
「行くか」
「わーありがとうございます~」
気のない音を立てながら一色はぱちぱちと手を合わせる。
「言っておくが不本意だからな」
「なんですかそれー。こんな可愛い女の子と放課後を過ごせるなんてラッキーだと思ってくださいよー」
「おいこらそれが人にものを頼む態度か?」
「だってこんなこと頼めるのって先輩ぐらいですもん」
「お前今日そればっかりだな。ありがたみが薄れるぞ」
「ちっ」
ちって言った! 今舌打ちしましたよこの子!やだいろはすったら黒いわ。透明なはずなのに黒いわ。
「つーか戸部だっているだろ」
一色の雑用といえば戸部が真っ先に浮かぶ。というか一色いろは被害者の会の同期とも言える。
戸部ならそうそう頼みを断ったりはしないだろう。一色は少し言いづらそうに顔を背けたが、すぐにこちらを見つめ直して口を開いた。
「一応戸部先輩も3年で、次の総体が最後なので……」
「……一応ってなんだよ。まぁ事情はわかった」
「あはは。まぁそんなところです」
それ以上は何も発さなかった。きっと感情がない交ぜされたような。言葉にしがたいような。そんな心境なのだろう。
照れるように笑った一色は、どこか遠い目をしているようにも見えた。
夏の大会を最後に、運動部の部員は本格的に受験に備えるために引退する。当然そこには戸部も、そして葉山も含まれる。
今まで引っ張って貰っていた存在がいなくなる喪失感。
そして、これより先への漠然とした期待と不安。
その感情に、たったひとつの名前をつけるのは難しいことなんだろう。
そうした経験がない自分には想像でしかないけれど、なんとなくそんな感じなのだろうか。
そう思ってちらりと彼女を見れば目が合った。一色は肩をすくめて優しく笑むと、ひとつ咳払いをして話し出す。
「ま、そういうわけなので。今回は先輩に頼らせていただきます」
「はいよ。んじゃさっさと行くか」
「はい! あ、そうそう」
「なに、どした?」
ててっと一色は素早くこちらに近づくと、じめっとした暑さの中にふわりと香水の匂いが漂う。そのまま棒立ちしている俺の肘を再度掴み、耳にずいっと顔を寄せるとぽしょっと呟いた。
「こういう風に頼めるのは、ホントに先輩だけですから」
そんな発言をした彼女はすぐについっと離れて、こちらを見上げて少し照れ臭そうな笑みを浮かべる。そして短く折られたスカートを軽やかに翻すと、駅前のショッピングセンターへ歩き出した。
人の気持ちを考えろ、とはよく言ったものだ。
この言葉をこそこいつには贈ってやりたい。
恨み事を呟きながら、少しだけ遠くなった一色の背中を追った。
× × ×
今日はここまでで。
近日中にまた投下します
「あとはこれだけですね」
「こんだけか」
「はい。じゃあ買ってきちゃいますね」
カゴにテーピング用のバンテージというのだろうか、そんなものを数個追加して一色はレジに向かって足早に歩いていく。
ふーんいろんなものがあんのねぇ……と、普段はあまりお世話にならないスポーツ用品店の棚を見てしみじみとした感想を覚えた。
「お待たせしました~」
きょろきょろとしていると、程なくして気の抜けた声が聞こえた。
振り向けば、一色はレシートを折々としてから財布へしまい込むところだった。
「おお。待った待った」
「先輩そういうこと言うからモテないんですよ?」
「ばっかジョークだよジョーク、八幡ジョークだ。大体モテようなんて思ってないし」
「えーだって先輩って素でそういうこと女の子に言いそうじゃないですかー」
「安心しろ。こんなこと言うシチュエーションは中々巡ってくるもんじゃない」
「何に安心しろって言うんですか……。なんでもいいですけどー」
「そういうことだ。ほれ」
半ば脱力して息を吐く一色から右手で3つ目のビニール袋を奪い取り、それを既に持っていた2つのビニール袋の束に加える。
「あ、ありがとうございます」
「おお」
これが今の俺の仕事なのだ。だからなに、気にする事はない。By空気王。
ぺこりと頭を下げる目の前の彼女を直視するのがこそばゆくて、なんとなしに体を捩れば袋が擦れてかさかさと音を立てた。
「そういうさりげない優しさはわたし的にポイント高いですよ」
「マジか。つーかお前小町の口癖移ってんじゃねーか」
「あ、ばれました? でも女の子なら普通に使いますけどね」
「常々思うがそのポイントは貯めて意味あるのか」
「そんな照れなくてもいいじゃないですか~。褒めてるんですから」
「照れてないっつの」
あーだこーだ言い合いながら商業施設内を歩く。平日だからか客足はまばらで、放課後だからだろうか中高生の制服姿をちらほらと見かける程度だ。
あれは男同士。さっきすれ違ったのは女同士。見る限り同性でのグループが多い。
では今の俺たちは?いや、やめとこう。自意識過剰もいいところだ。深く考えること自体間違っている。
「ね、先輩」
「あ? どうした」
「もう帰っちゃいます?」
「なんもなければもう予備校行くけど」
「じゃあなんかあればいいんですね」
「いやその理屈はおかしい」
屁理屈もいいところだ。それを聞いて目の前の彼女は楽しげな笑みを浮かべた。
「そーですね。誰かさんのが移ったのかもしれません」
「あー誰だろうな」
「ねー誰でしょうね」
くすくすと笑い声が聞こえたが、それを無視して下りエスカレーターに乗りこむ。一色もそれに続いた。
我ながら馬鹿な会話をしているな、と思いつつも。
たまに頭をからっぽに出来るような会話も悪くないとは思う。
その相手が今現在後ろに立つこいつというのも、去年出会ったばかりのころを思えばなかなか奇妙なものだ。
エスカレーターを降りればもう1階なので、とりあえず出口の方に向かう。すたすたと歩いていけば、さっきまでいたはずの一色の気配がない。
迷子を捜す親の気分よろしく、周りを見渡せば入ってきた方面とは逆に歩く一色を見つけた。
少し離れた一色は振り返ってこちらと目が合えば、ちょいちょいと小さく手招きをする。
どうやらちょっと来いということらしい。
「はぁ……」
こうなると帰るに帰れない。
仕方なしに近づくと、一色は店内をきょろきょろと眺めたり、店先のメニューボードをじーっと見つめたりと忙しない。
何を言い出すかは予想がつくが、あえてこちらからは何も言い出さないで待つことにする。
「先輩。わたしのポイント使いたくありませんか?」
「は?」
ちょっと何言ってるかわからずつっけんどんに返すと、一色は「ちっちっち」とことさらにムカつくポーズと表情でそれに応えた。
「さっき先輩言ったじゃないですか。ポイント貯めてなんかあるのかって」
「言ったな」
「歩き回って疲れたじゃないですかー」
「まあそこそこな」
「じゃあちょうど良いですね!」
ぽんと手を合わせると、目を輝かせて店内をもう一度ちらりと眺めて言った。
「ちょっとお茶していきませんか? 飲み物くらいなら奢りますよ?」
「えー……」
「えーなんですかそのむかつく顔は」
「お前に言われたくないわ。いやだってねぇ?」
「?」
女子の言うこれはもうあれだ。脅迫とか強制のそれに近い。
短いようで長いようなこいつとの付き合いで得た経験則は雄弁に語る。うだうだ言っても無駄だと。
こうなればもはや俺に拒否権などないのだと。
「仕方ない。10分な」
「みじかっ! 全然お喋りできないじゃないですかー」
「休み時間だってそんなもんだろ。さっさと行って帰るぞ」
「なんかいまいち納得できないですけど……わかりましたー」
時間に区切りがないから、終わりが見えないからいけないのだ。ならばあらかじめ制限をつければ良い。
まあ10分はいささか短い気もするが、とりあえずはそれで良いだろう。
そうして自分を納得させていると、ふと思う。
俺と一色は相性が悪い。いや、その言い方は正確じゃない。ただ単純に俺が弱いのだ。
異性だから。年下だから。理由は多々あると思うが、つらつらと考えていると小町が頭に浮かんだ。しかし一色と小町は違う。似て非なるものだ。
多分。おそらく。まだあの時の負い目を感じているんだと思う。どんな理由があったとしても、俺が一色を生徒会長に推した事実は変わらない。
だから。きっと。折り合いがつくその日が来るまでは。
彼女のささやかなお願いくらい聞いても罰はあたらないんじゃないだろうか。
先に入店した一色に続いて俺も店内に足を踏み入れる。
いつかそうなれば良いなと、淡い期待を抱きながら。
× × ×
短いですがここまでで
あと1回の更新で完結させます
「先に席とっといてもらっていいですか?」
「おお。任せろ」
「そうだ。ちなみに何飲みますか? 」
「いいの?」
「いいですよ。ほらもう順番来ちゃいますから」
そう言うのならお言葉に甘えようじゃないか。こういうのは断るのも失礼だしな。
はよ決めろと急かされて、レジ上に設置されているメニューをざっと目を通す。マッ缶は……ないな。ですよねー。
「じゃあ……アイスコーヒーで」
「了解でーす」
「あ、ガムシロ3つとミルク2つな」
「無駄に細かい……わかりました」
「頼んだ」
そう言い残して、一色に言われた通り席を探すことにする。
通りに面して大きなガラスが張られた窓際の席が空いていたが、八幡意外にもこれをスルー。いや意外でもなくて、日が傾いているとはいえ西日がきつく感じたからだ。
店奥にちょうど2人向かい合わせになる席が空いていたのを遠目に見つけた。あそこにするか。
鞄を置いて座って待っていると、程なくしてトレーを持ってきょろきょろとあたりを見渡す一色の姿が見えた。手を軽く上げてアピールするとそれに無事気付いたらしく、とことことこちらに向けて歩いてくる。
「お待たせでーす」
「おうサンキュ」
「いえいえ。でもなんでこんな奥なんですか。あっちもっと空いてますよ?」
一色はちらりと空席の目立つ窓側に目線を向けた。
「あれだ。西日が眩しそうだったからな」
「なるほど。先輩太陽に弱そうですもんね」
「なにそれ俺がゾンビって言いたいの?」
「ドラキュラそっちのつもりでしたが、どっちでもいいです」
心底どうでも良さげに、トレーの上のアイスコーヒーをコースターごと渡してくる。
それを軽い会釈とともに受け取り、とりあえずブラックのまま口に含む。汗をかいたグラスのアイスコーヒーはよく冷えていて、爽やかで苦味も少なく飲みやすい。思わず、ほうと息をついた。
一色を見れば、注文したアイスティーとチョコレートブラウニーの写真をパシャパシャと角度を変えて撮影していた。まあ何も言うまい。
こちらはこちらでミルクとガムシロップをコーヒーにぶち込んでいく。ただ、どんなに甘くしたところでマッ缶と同じには決してならないんだよなぁ。
まさに小町と一色くらい違う。ここ重要な。
3つ目のガムシロップを開けると、それを見た一色がうへーという表情を浮かべた。
「先輩ってホント甘党ですよね。そんな入れて大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ問題ない」
そう言って躊躇なくぶっ込む。
「えー絶対太りそう」
「頭使えば太らないって世界3大探偵のひとりが言ってたぞ」
「でも痩せてても糖尿病になるとかって言いません? 普段から飲んでるあれも絶対やばいですよ」
「マッ缶をあれ呼ばわりされるのは心外だが忠告として受け取っとく」
「ですです。先輩の健康がやばいですよ」
DEATH DEATH やばいDEATH YO。それよりも渾身のボケが華麗にスルーされてぼかぁ悲しいよ。
そんな俺の健康面にさして興味もなくなったのか、一色は嬉々としてチョコブラウニーにフォークを差し入れると、一口大にしてそれを頬張った。
「そのブラウニーだって結構カロリー高いんだぞ」
グーグル先生によれば100gあたり466.1kcalらしい。ちなみに白米は100gあたり90kcal。
そりゃチョコと卵にココアにバターまで入ってれば妥当とも言える数値だ。
一色は無言でもぐもぐと口を動かすと、やがてそれを嚥下してこちらをじっと見据える。
「な、なんだよ」
それに対しても一色は答えない。
無言のまま、ブラウニーと俺の顔を交互に見つめると、ふ~と長い息を吐いた。
「仕方ないですねー。一口だけですよ?」
「何の話をしてるんだお前は」
「え? さっきのってちょっとちょうだいアピールじゃないんですか?」
「いやいやそんなこと一言も言ってないだろ」
「だってカロリー高いの心配してたじゃないですかー。だからわたしの健康に配慮して俺が食べてやるアピールかと」
「オーケーちょっと冷静になろうか」
論理の飛躍が著しくて八幡ついていけない。そもそもなぜあの発言からこの発想に至るのか。いろはす思い込み強すぎぃ!
「冷静になりましたか? はいどうぞー」
一色は二口目をフォークに刺すと、それを空中でこちらに差し出す。俗に言う「はいあーん」状態である。
「いや普通にくれるなら食うけど……それは勘弁してくれ」
「えーノリ悪いですね。先輩らしいといえばらしいですけど」
「俺にノリの良さを期待する方が間違ってる」
「それは間違いないですね」
その後も他愛ない会話が続いていく。会話といっても一色が一方的に話して、それに俺が答えるというのが基本スタンスではあるが。
正確な時間はわからないが、10分をとうに超えていることは確実だった。
強引に打ち切って帰ろうと思えばそれも出来るはず。それでも、そう思ってもそうはしなかった。
一般論として行動や結果には理由がある。俺がこうしてこの場に留まるのにもそうしない理由があるはずなのだ。
だから、この時間を悪くないと感じているんだと思う。
自分のことなのに俯瞰図のように推測じみていて、素直に認められないのが滑稽で仕方がなかった。
そんな自虐思考なんて知ったこっちゃない一色は、さきほどと変わらず話を振ってくる。
「そういえば先輩は志望校どこなんですか?」
「唐突だな。それ聞いてどうすんだ」
「別にどうもしませんよ。ただ……参考までに?」
「参考になるのかわからんが……」
「まあまあいいじゃないですかー。で、どこなんですか?」
「別にいいけどよ」
志望校を打ち明けるくらいやぶさかではない。それでも、なんとなくそれを自分の口で声にするのが気恥かしく感じてしまう。
ならばと通学鞄をごそごそとやって、目的のものを手に取り一色に渡した。
「ほれ。ここだ」
「せ、先輩って……」
「あん?」
「先輩って……やっぱり頭良かったんですか?」
「心底意外だったみたいな顔しないでくれる?」
呆けたような口調でいつかどこかで聞いた気がするセリフを言う。
ただ、俺の志望大学の赤本を手繰り、内容をあらためるその目は真剣そのものだった。
少しして一色は目を通し終えたのか、本をぱたりと閉じた。
ありがとうございました、と言い添えて渡されるそれを受け取ると、元あった場所にしまい込んだ。
「はぁ……わたしもそろそろ考えなくちゃなんですよね」
一色は肩を落としてひとりごとのように呟いた。
「まあそうな」
総武高はそれなりの進学校だ。「なんでこいつ合格出来ちゃったんだろう」レベルのやつもたまにいるが、概ね頭は悪くない。
そうなると大学受験を早期に意識する生徒も自然多くなる。1年から考えているのはさすがに少数派だが、2年の冬くらいから塾に通い出す生徒は多い。
「先輩はなんで大学行くんですか?」
「働きたくないから」
「は~なるほど。案外俗っぽい理由で安心しました」
「悪かったな。でもそんなもんじゃないの?」
高校生という身分で、将来の目標が明確にあるのは極々限られた一部の人間だけだろう。大半は人生最後のモラトリアムとして大学に行くという選択をしている。
友達が大学に進学するからとか。あるいは親に言われたからとか。
自分の周りの人間を見ても、内的要因よりは外的要因によるところが大きいと思う。
「やっぱりそんなものですかね」
「大概はそうだと思うけど。お前はどっか行きたい大学とか考えてんの?」
「わたしですか? まだ全然ですけど。ただ……」
「?どうした」
「ちょっとだけ……興味が湧いてるとこならあります」
「ほう。ちなみにどこ?」
まだまだこれから考えるものだと思っていたので、一色に将来のビジョン(玉縄風)があることに少し意外さを感じた。
「まだ言いませんよ」
「まだって。そもそも隠す必要あるのか?」
「わかってないですね~先輩は」
はぁ~やれやれと息を吐くと、いたずらっぽい微笑みを浮かべた。そのまま人差し指を唇に押し当てると、これまた砂糖たっぷりの甘い声で呟く。
「乙女のひ・み・つ。ですよ先輩?」
これはこいつだから許されるポーズだ。他の奴がやったらただの気味が悪い人になると思う。それほどまでにあざとい。あとついでにちょっとだけ可愛い。
「……なんでも良いけど」
「もー、すぐそういうこと言う。けど、いつかわかると思います」
「意味深だな。ま、なんかあったら話くらい聞いてやるから」
「ありがとうございます。先輩今日はなんだかわたしのポイント稼ぎにきてませんか?」
「ポイントが飲み物になるってわかったからな」
「現金な人だなー。じゃあそろそろ行きますか?」
「おお」
一色の鶴の一声でようやくお開きとなった。空の器が乗ったトレーを返却口に返すと、入ってきた入り口とは違う、直接外に出ることができる出口の方から外に出た。
空調のきいた店内から出たばかりなので少し暑さを感じるものの、下校して来た時に比べれば今の気温はかなり涼しく感じる。
「ほれ。これ渡しておくぞ」
「あ、どうもどうも。ありがとうございます」
手に持ったままだった、本日の買い出し品が入ったビニール袋をここで手渡す。
駅はすぐそこだ。ここで一色は電車で自宅へ。俺は予備校へ行くために別れることになる。
「じゃあな。気をつけて帰れよ」
「はーい。では!」
びしっと敬礼と共に別れの挨拶を告げる。
俺はそれに首肯で返すと、一色はくるりとスカートを翻し駅に向かって歩き出した。
やれやれこれから勉強かと、重い足を駐輪場に向けると、後ろから「先輩」と聞き覚えのある声で呼び止められたのがわかった。
後ろをちらと見やれば、そこには当然のように一色いろはがいた。
「なんか忘れ物か?」
「ある意味忘れ物ですかね?」
「?」
買い出しの袋は渡したし、他に預かっていたものもない。皆目見当もつかず何も言わずに一色の言葉を待った。
「先輩。今日はあらためてありがとうございました。これから勉強頑張ってくださいね」
「なんだそんなことか。まあなに、サンキューな」
「はい! わたしも頑張りますから」
「なにをだよ?」
「なんでもですよ。それでは~」
今度こそ一色は振り向くことなく駅に向かい、改札口の向こうへ消えていった。
その背中を見送ってから、駐輪場に向けて歩みを進める。
「頑張れ、か」
誰かが言っていた気がする。頑張っている人間に頑張れと言うなと。それは頑張っている人間に対して失礼であると。
はたしてそうなのだろうか。少なくとも今はそうは思わない。
それは見てくれている証左に他ならないから。応援してくれる優しさだと思うからだ。
だから頑張らなければならない。
ひとりの先輩として、後輩からの応援に応えられるように。
いつか立場が変わった時に、それをしっかりと返せるように。
浮ついた気分を小さな決意をもって抑え込んで、ゆっくりと自転車を漕ぎ出した。
<了>
以上です
申し訳ないですが続きは考えていません
気が乗ればまたなにか書きます。ありがとうございました
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