真美「歪照」 (36)
真美「母が死んでから、私の家は少しずつ歪んでいる、歪んでいくのでした。取り返しはつきませんでした」
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真美「最初に歪んだのは妹の亜美でした」
真美「放課後、亜美は大勢の前で下着を脱がされることを強制されました。誰もが止めようのない生暖かい空間のなかで、一人の女子生徒が
『犯したいひとー』
と言ったそうです。じくじくして膿んだ欲情が亜実の処女を奪いました。それをした皆は奇妙な笑みを浮かべていたそうです。
『自分ではなくて、よかった』」
真美「それ以来、亜美は精神的な不安を呈すようになり、結局学校にも事務所にも行かないようになりました」
真美「最初は色々とアルバイトをしていたようです。クリーニング店が一番長く続きましたが、やはり続かず次第に家に引き篭もるようになりました。」
真美「母が死んでから少し経って、家に誰もいなくて仕方なく電話に出ると、変な男の子からの悪戯電話があったことを思い出します」
真美「その男の子は言いました。
『[ピーーー]ば煙になる。煙は空を浮かぶ。浮かぶものは漂う。漂えば気づく。気づかれないならそれは存在しない。存在しない形で存在している。だから煙はこの世界と、あちらを結ぶどこかです。どこへも行けないときとは昼です。昼にこそ煙はよく見えます』」
ガチャツーツー
ガチャツーツー
ガチャツーツー
意味は判りませんでしたが、なんとなく(ああ、亜美はもうすぐ死ぬのだな)と悟りました。
その声は亜実の押し殺した声に、似ていたからです。
真美「亜美は、自分を犯した男の子になりきることで、なんとか自分と自分以外の物語を語ることができたのだな、と思いました」
真美「あれから何度も男の子?からの電話がありました。その男の子?の最後の電話はこうでした。
『真美はお●んこって知ってる?』」
真美「その電話があったあと、私は亜美に尋ねました。
『変な電話がかかってきたよ』
そのときの亜美の顔を忘れることはできそうありません」
真美「次に歪んだのは父でした」
真美「母が死んだあと、元々しゃべる方でなかった父は、本当にまったくしゃべらなくなりました。
この世の中に自分も自分以外も、何も存在しないと、その沈黙は語っていました。
それは、沈黙という言葉で語られる物語であり、沈黙でしか語ることのできない物語であり、透明な物語としか表現できないものでした。
それは透明でした。
透明なのは歪みきっているからでした」
真美「亜実も父も死んだ今となっては、私しかこれを語るものはいません。
そんな私は、最後に歪んだからこそ、赤いような音を立てて崩れそうでした。
そんなとき、小さい頃に従兄弟から貰ったゼットンが、私に語りかけました」
真美「そのゼットン人形は、私の手に入って以来、なによりも大切にしていたものでした。
そんな、大切にしていたゼットン人形がある日突然しゃべりだしたのです」
真美「そのときの私は妖精が何故このような世界を造ったのか考えていました。冷蔵庫の中に母を探したりもしていました。」
真美「それと『2』こそが正しい数字であり、その倍数である『4』は2が二つあるという点で、さらに私にとって啓示に溢れた数字であった、ということが頭から離れてくれませんでした」
真美「そんな私を見たゼットン人形は『何か書いた方が良い』と言いました」
真美「何を言っているのか理解できませんでしたが(そもそも人形がしゃべることを理解できる時点で、私はもう、そうなのでしたが)、とりあえずノートと鉛筆を取り出して机に向かったときでした」
真美「その途端、物語が私の中から溢れ出てきました」
真美「朝起きて書いていました。学校に行って授業中に書いていました。休み時間には図書館に行って書いていました。放課後にも書いて、家に帰ってからも夜を徹して書いていました。私は、そのとき、眠らずに書き、ノートはみるみる何十冊にもなりました」
真美「毎日ノートの前に向かって鉛筆を握っていたような気がします」
真美「そしてゼットン人形は毎日それを読んでくれていました」
毎日のように自分の大切な人が落ちていく。
守ろうとしても大きな何かに飲み込まれていく。
膨らみ続け、今にも破裂しそうな風船の上に、
降り立った蝸牛の目に映るものは地平線で、
這いずろうと身を乗り出すたびに、
劣化した風船は危うい音をたてます。
風船を飲み込んだ亀は蝸牛ごと愛している。
ゆっくりとした歩みが待てないのなら、「さようなら二十世紀!」と浮かんで裂けることを厭う。
それでも懼れながらでも蝸牛は歩を進める。
そんな蝸牛のことを考えていたら、亜美と遊んだころのことを思い出した。
亜美はそのとき、こんなことを言っていた。
「あのね、私たちの内的体験は、起こった諸々を時間軸に沿って構造化する、と言い換えることができるんだよね。無数の出来事の中から意味のあるものを選びだして相互に関連付ける作業であり、これにより物語られた世界は、意味と方向性を有した時間的な流れを生み出すんじゃないかな。
それでね、いくつかあり得る物語から、そうであるべき物語が取捨選択されるということでもあるんだよ。その「あるべき」さというのは、物語の結末をどうしたいかによって左右されるんだよね。
物語が恐怖という形をとったとき、私たちは行動を抑えるんだよね。恐怖は人の変えたいと思う気持ちを阻む怪物だし、抵抗は私たちの目的を奪い取る。でも、抵抗がなければ物事は長く続かない。
私は、そのときにこんなことを思った。
「物事に中庸を求めれば反抗は起きない。しかしその物事が残す痕跡は長続きしない」
ゼットン人形はそんな思い出を笑った。
どんとはれ
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