島村卯月「背伸びと立ち位置」 (64)
17歳という年齢は、世間一般的には、決して大人と呼べる年齢ではない。
しかし、ことアイドルの世界において、年齢が2桁にも届かないような娘だって門を叩いているこの世界において、17歳を「低い」と形容することは難しい。
「おはようございます!」
たった今、元気な挨拶とともに事務所の扉を開いたこの少女、島村卯月というアイドルは17歳だ。
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彼女は元々、アイドルを夢見て養成所に通う、いわばアイドル見習いであった。
だが、ほんの数か月前に、現在、彼女を担当しているプロデューサーの目に留まり、アイドルとしての活動を開始することができた。
ここまでの活動は順調そのもの。最近では小さなライブや、取材の仕事も増えてきた。
そんな彼女のモチベーションをさらに上げる出来事が起こったのは、つい最近のことだ。
この事務所では、稀に部署移動が存在する。マンネリ化を防ぐ、といった理由が掲げられているが、要するに“アイドルの売り方をいろいろ試そう”ということなのだろう。
3~4人で1部署。それが5つくらいという、決して大きくはない事務所であるので、部署が違うからといってもそこまで離れる感覚ではないが。
それまで、卯月は部署で最年少であった。それが、今回の部署移動によって、なんと最年長となったのだ。
移動していった年長者たちの代わりに入ってきたのは、自らを「カワイイ」と言って憚らない少女と、なんとも気の弱そうな、不幸体質を自称する少女の2人であった。
「おはようございます! 幸子ちゃん! ほたるちゃん!」
「おはようございます! 朝からカワイイボクを見れて、卯月さんはラッキーですね!」
「お、おはようございます……。なにか悪いことは起きてないですか……?」
正反対だなぁ。
と思いながら、そんな2人が愛おしくて微笑みが漏れる。
この2人は、まだ入ってから日が浅い。
2人を見るたびに、卯月は、自らが入りたての時を思い出していた。
最初は、右も左もわからず、毎日が不安の連続であった。
もちろん、アイドルになれたことそれ自体は、とても言葉にできないような喜びであったし、辞めたいなどと思ったことは一度もない。
それでも、未知の領域に踏み出す時、得てして人はどうしようもない恐怖に襲われてしまうものだ。
そんな彼女に、アイドルについて手取り足取り教えてくれたのは、他でもない、先輩アイドル達であった。
誰もみな優しく、卯月の心に寄り添って、アイドルとしてのスタートを支えてくれた。
先輩達のサポートがなければ、もしかしたら心が折れていたかもしれない。
だからこそ、目の前の2人にとって、自分がその「先輩」になりたいと、意気込んでいるのだ。
「今日は2人とも、レッスンですか?」
「ええ! 今はダンスレッスンを重点的にやっているところです! まあ、カワイイボクにかかればすぐですけどね!」
「頼もしいですね! ほたるちゃんはどうですか?」
「わ、私は……全然……」
「何言ってるんですか! この前、トレーナーさんに褒めてもらってたじゃないですか!」
「そうなんですか? すごいです!」
「きっとお世辞です……」
「まったく! もっとほたるさんは自信を持ってですねぇ……!」
「ふふふ……」
――――――――――
その日の夜、卯月は自室の机に向かって、ノートを書いていた。
「えっと……、表現力レッスンはこうして……。このスタジオはこっちの入り口から……。あと……」
卯月が思い出しているのは、自らがアイドルになってから教わったことだ。
最初から完璧になんでもできる人などいない。みんな、誰かに何かを教わって大きくなっていく。
このノートはいつかきっと、2人の役に立つ。そう思って、なるべく細かく、丁寧に記述していく。
ちょっと寝る時間が遅くなっているのはご愛敬だが、つい時間を忘れて書き続けてしまった。
――――――――――
「あれ? しまむー、なんか眠そうだね?」
ある日、レッスン場に行く途中、本田未央がすれ違いざまに声をかけてきた。
未央は卯月と同期で、部署は違うが駆け出しのころはよくレッスンを一緒にしていた仲だ。
「最近、ちょっと寝るのが遅くなっちゃってて……」
えへへ、と笑いながら、少し嬉しそうに話す卯月。
「ほどほどにしなきゃダメだかんねー?」
未央も、笑いながら会話を切り上げ、その場を去って行った。
その日午前のレッスンは滞りなく終わった。体は軽く、ステップの音が自分で心地よい。
午後からは雑誌の取材が入っていたが、これも笑顔で終わらせることができた。
ちょっと疲れたかな、とも思いつつ、事務所の部屋に戻ると、ソファで誰かが眠っているようだ。
「あ、幸子ちゃん、……お疲れみたいですね」
顔を一瞥して、帰り支度を整える。
つもりであったが。
「え……?」
幸子の顔に、正確には目の下に、涙の跡。
「幸子……ちゃん?」
そろそろ日も沈もうかという時間。
母に帰宅が遅れる旨を告げ、卯月は少女の目覚めを待つことにした。
「んん……」
あくびともうめき声とも聞こえる音を上げて幸子が目を覚ましたのは、時計の長針が3週ほどした頃か。
「……は! 時間……! か、帰らなきゃ!」
「あ、目を覚ましたんですね!」
「卯月さん!? ど、どうしてこんな時間に?」
「幸子ちゃんの家には、プロデューサーさんが連絡してくれたので、急がなくて大丈夫ですよ」
「え? え?」
状況が呑み込めていない幸子が落ち着くのを待って、ゆっくり、ゆっくりと卯月は切り出した。
「今日のレッスン、うまくいかなかったんですよね?」
「……」
「ほたるちゃんに聞きました。トレーナーさんにちょっと厳しめの指導を受けてたって」
「ボクは……」
「幸子ちゃん」
「……」
「幸子ちゃんは、本当にカワイイです」
「え……?」
「私、寝てる幸子ちゃんを見て、ちょっと見とれちゃいました」
「あ、ありがとうございます」
「トレーナーさんも言ってましたよ? 『輿水はヴィジュアルと姿勢がいいから、ダンス次第でもっと化ける』って!」
「ほ、本当ですか……?」
「はい! もちろん、私もそう思います!」
珍しく丸くなっていた幸子の背中が、いつもの自信を取り戻す。
「だから、こんなとこで立ち止まっちゃダメです!」
「卯月さん……」
「私も、最初はしょっちゅう、トレーナーさんに怒られちゃいました」
「卯月さんもですか?」
「はいっ! でも、そのおかげで今の私があるんです!」
そのセリフと笑顔は眩しく。
幸子の中に入ってくる。
涙には触れない。
プライドの高い幸子のことだ。弱みを見せたことは肯定し難いだろうから。
代わりに自分のことを話す。
その道はちゃんと繋がっていると示すために。
ずいぶん話し込んでしまったが、幸子にも笑顔が戻ってきたことが、自分のことのように嬉しい。
「でも、ボクは明日はお休みだからいいですけど……、卯月さんはお仕事ですよね? 遅くまでありがとうございました」
そういって幸子は頭を下げる。
「大丈夫です! 明日も頑張りましょう!」
幸子の口から出た「ありがとう」。
その響きを噛みしめながら、卯月は笑顔で帰路に就いた。
幸子の翌日のレッスンは、とても良い出来だったらしい、というウワサが耳に入った。
後輩が褒められた時の卯月は、もしかしたら自分が褒められた時よりも嬉しいのでは?
と感じさせるくらいの笑顔で耳を傾けている。
また、よく幸子が相談をしてくれるようになった。
その度に、相談した幸子よりも熱心に、解決に取り組む卯月の姿が見られたという。
――――――――――
「私、おみくじで吉以外を引いたことがないんです!」
半ば持ちネタのように話す卯月。
これが笑いに繋がる理由は2つある。
1つ、普通はそんなに連続で同じものは出ない
1つ、普通はみんな、吉より上の運勢を引いたことがある
逆に言うと、これらを満たさない人間に、このネタは通用しない。
「私はずっと大凶です……」
このように。
(やっちゃった!)という表情を浮かべる卯月と、そんな2人に驚きを隠せない幸子。
といっても、ほたるはそう深刻に捉えてはいない。むしろ、先輩の持ちネタを潰してしまったことへの焦りを感じているくらいだ。
「ごめんなさいっ! ほたるちゃん! 辛い思い出を……」
「え? い、いえ……むしろ気を遣わせてしまって……」
「なんで2人で謝り合ってるんですか……」
不幸体質のせいで、「とりあえず謝る」というクセがついてしまったことはまた気の毒と言う他にない。
この日は、午前は3人でレッスン。
午後は卯月の撮影と取材を、幸子とほたるが見学する日程になっていた。
レッスン前のひと時の会話が上記のようになってしまったが、とりあえず時間が来たのでダンスレッスンが始まる。
実は、卯月が2人のダンスを実際に見るのはこれが初めて。
ワクワクして、また、自分が先輩と初めてレッスンしたことを思い出し、ノートにまとめたりしたりして、ちょっと眠れなかったことは秘密だ。
「1!2!3!4!」
トレーナーの声が響く。
ステップもちゃんと揃っている。
どうやら基礎は言うことなしのようだ。
休憩を挟んで、次は音楽に合わせてのレッスン。
しかし
「すいません……、機器の不備で音楽が流れなくて……、今日も基礎レッスンを続けます」
珍しいな。というのが卯月のまず抱いた感想であった。
今まで、こんなことはなかったはずだ。
しかし、聞き間違いでなければ今、トレーナーは“今日も”と言った。
また、幸子は特に驚く様子もなく、ほたるは申し訳なさそうに俯いている。
卯月が不思議そうな顔をしていると、口を開いたのはほたるだ。
「ごめんなさい……、私のせいで……」
「え?」
「もう! ほたるさんのせいじゃないですって! また切り替えていきましょう!」
どうやら、この2人で……いや、ほたるがレッスンをする時には、よく機器が不調になるらしい。
基礎がしっかりしていたことへの合点がいった。
いつもこの流れで、基礎レッスンが多くなっているのだ。
「大丈夫です! 基礎を固めるのは大切なことですから!」
ほたるを元気づけるために笑顔で言ったのはいいものの、俯いたほたるに笑顔は届かなかった。
午後にある撮影のために、3人はスタジオを訪れていた。
事務所にほど近く、卯月は何回か来たことがある。2人も、最初の宣材写真はここで撮ったはずだ。
「あのカメラマンさんはとっても優しくてですね……」
「ふんふん」
「この向きで撮る時はあの柱を目線に合わせると見栄えが……」
撮影前、ノートにまとめた情報を披露していると、どことなく、スタジオ内がせわしない。
「どうかしたんでしょうか?」
近くのスタッフに聞いてみると、カメラが不調らしい。
恐らく延期になりそうだ。ということも話していた。
さて、この時、卯月の頭の中に、撮影のことはなかった。もちろん、撮影がイヤだとか、そういうことではない。
ほたるがまた、責任を感じてしまうのではないか。という危惧でいっぱいになっていたのだ。
ちらと見たほたるの表情は、案の定、今にも泣きそうなものであった。
恐らく、自らの撮影が延期になったということなら、ほたるはそこまで気に病むことはない。
「卯月の仕事に迷惑をかけてしまった」という事実が、ほたるの心を締め付けていることは明白だ。
なんと慰めようか?
「私は気にしてないよ」という言葉は、果たして今のほたるに届くのか?
この不安に溢れた表情を笑顔にすることが、自分の、先輩の役割ではないのか?
そんなことが頭を回るが、何も口にはできなかった。
残念ながら、不幸というモノは重なってやってくる。
撮影は延期になり、取材のために事務所に戻ってきた3人は、部屋で記者の到着を待っていた。
しかし、無慈悲にも、連絡が入ってしまう。
「はい……、記者さんが体調を崩して……、延期ですか……、はい……わかりました」
「え、延期らしいです! 私のお仕事してる姿、2人にも見せたかったな~!」
「ま、まあしょうがないですね! また次の機会に楽しみは取っておきましょう!」
先に違和感に気付いたのは卯月。
ほたるがいない。
卯月の表情が固まるのを見て、幸子が周りをキョロキョロと見渡して言う。
「ほたるさん……!?」
「た、確か卯月さんが電話のために少し離れた時にはまだ……」
「幸子ちゃん! プロデューサーさんに連絡お願いします!」
「卯月さん!」
幸子の言葉も耳に入らず、卯月は部屋を飛び出した。
「ほたるちゃん! どこですか!」
後で怒られるだろうな。と考えながら、卯月は事務所を駆ける。
なぜ、レッスンの時に目を見て話してあげなかったんだろう。
なぜ、撮影の延期が決まった時に、なにも声をかけてあげなかったのだろう。
なぜ、電話の最中、ほたるが耳を傾けている可能性に気づけなかったのだろう。
浮かぶのは後悔?
駆ける理由は罪悪感?
そんな細かいことはどうでもいい。
今、ほたると話さなければ。
今、元気を与えなければ。
自分は先輩でいる資格がない。
結局、事務所を隅々まで走り回った卯月は、中庭の端で座り込む華奢な少女を見つけた。
「……ごめん……なさい」
延期への謝罪か、部屋から逃げたことへの謝罪か。
卯月の耳には、もっと大きな、ほたる自身の存在への謝罪に聞こえた。
さて、どうやって声をかけようか。
いや、それ以前の問題かもしれない。
今、どんな美辞麗句を並べたところで、ほたるの耳には届いてくれない。
まずは
「ほたるちゃん」
「……はい」
俯いた少女から放たれた言葉は、まるで地面に吸い込まれるように力なく消える。
「お腹……空いてませんか?」
「……え?」
意外な言葉に思わず顔を上げるほたる。そして
「やっと、私の顔、見てくれましたね♪」
ようやく、卯月の笑顔がほたるの目に映った。
目を見ながら。卯月は語る。
「アイドルになってすぐのころ、私、大失敗をしちゃったんです」
「大失敗……?」
「はい! なんと、先輩の衣装を破っちゃったんです!」
「……」
「も、もちろん、わざとじゃないんですよ? 運んでたら転んでしまって」
「それで、今のほたるちゃんみたいに凹んでたんです」
「……」
大丈夫、自分の声はほたるに届いている。
「そんな時、その先輩が話しかけてくれたんです」
「“怒られる……!”って思ってたんですけど、その先輩、なーんにも衣装について言わないんです」
「え……?」
「そして、“近くに美味しいケーキ屋があるんだけど、一緒にどう?”って」
「……」
「だからほたるちゃん! 一緒にケーキ、食べにいきませんかっ?」
「……でも……私は……卯月さんのお仕事を……」
「中止じゃなくて延期です! 今日はいい休憩になってラッキーでした!」
「ラッキー……?」
「はい! ほたるちゃん、ありがとう!」
「……!」
卯月の言葉が終わるや否や、ほたるの目から涙が零れる。
「え? ええ!? だ、大丈夫ですか? 私、何か悪いこと言っちゃったり」
思いもよらぬ涙に狼狽する卯月。
しかし、涙とは裏腹に、ほたるの表情には笑みが認められた。
「違うんです……今まで、私といて“ラッキー”なんて言ってくれる人、いなくて……」
「そ、そういうことですか……、よかった~」
「ご、ごめんなさ……」
「違います! こういう時は、ごめんなさいじゃないですよね?」
「あ……ありがとう……ございます……!」
安堵した卯月は、ほたるが泣き止むのを待って、幸子の待つ部屋へ戻っていった。
――――――――――
近ごろ、卯月には2つの習慣があった
1つは、ノートをまとめる作業。幸子とほたるを見るたびに、昔を思い出し、伝えたいことが増えていく。
そしてもう1つは
「もしもし! あ、幸子ちゃん! どうかしましたか?」
2人の相談を電話で受けることだ。
もともと、卯月は電話で話すことが好きだ。
最近では、ほぼ毎日のように、どちらかから電話がかかってくる。
時には雑談で終わることもあるが、それが卯月には楽しかった。
受けた相談について調べ物をして、夜更かしをしてしまうことも多くなった。
しかし、可愛い2人のためなら、疲れなど感じない。
いや、感じないような気がしている……というだけなのかもしれないが。
――――――――――
「しまむー、また夜更かし?」
「え?」
未央にこう言われるのは何度目か。
心底心配そうな顔をしてくれるのは本当にありがたいが、自分は大丈夫だと告げる。
「無理しちゃ……ダメだよ?」
いつになく深刻そうに言うが、もちろん無理などしていない。
むしろ、今日の卯月は気合が入っていた。
幸子とほたるのデビューが決まったからだ。
しかも、その舞台は卯月自身のライブ。
つまり、3人一緒にステージに立つことが決定した。
昨晩はもちろん、ワクワクと緊張でなかなか寝付けなかった。
今日が、そのライブに向けて、3人でレッスンをする初日だ。
レッスン場に入ると、2人はすでに準備をしていた。
トレーナーに挨拶を済ませ、2人に近づく。
1歩
2歩
3歩
「?」
進まない
足は動いている?
こんなに距離があったっけ?
あれ?
どうして床がこんな近くに?
……なぜ、みんな大きな声を出しているの?
意識と記憶はそこで途切れた
「……うーん……?」
「……」
「!!!」バッ
目覚めた卯月は、部屋を見渡す。
残念ながら、自分の部屋ではない。
かといって、事務所の休憩室でもない。
ということは
「病院……?」
外は暗闇。
時計を見ると、日付を回る手前であった。
入ってきた看護婦さんが言うには、午前のレッスンで倒れ、今まで眠っていたらしい。
典型的な睡眠不足による疲労の蓄積のようだ。
明日1日は病院で様子を見るが、何もなければすぐに出れるとのことだった。
女の子が2人、少し前までずっと待っていたが、時間が時間なので帰ったとも言っていた。
翌日。
案の定、朝一番で、幸子とほたるが病室を訪れた。
卯月は笑顔で迎えたが、2人の表情は、まるでこの世の終わりのような様相であった。
「ちょっと寝不足だっただけみたいです! 明日にはすぐ出れるみたいなので、心配しないで大丈夫ですよ!」
精一杯、明るく言ってのけたのだが、もちろん2人の表情は柔らかくなってはくれない。
「「卯月さん、ごめんなさい」」
ほぼ同時に謝罪の言葉が飛び出した。
「ボクが……いつも電話するから……ごめんなさい……」
「私も……わたしのせいで……ごめんなさい……」
「だ、大丈夫ですって!」
謝罪は止まってくれない。
「ボクがレッスンで上手くいかなくて沈んでた時、卯月さん、遅くまで残って話してくれましたよね。思えばあの時から、迷惑ばかり……」
こんな幸子は見たくない。
自信に溢れる幸子でいてほしい。
「しかも、ボクが寝てる間に、ほたるさんに何があったか聞いて、プロデューサーさんに家への連絡を頼んで、トレーナーさんにボクのことを聞いてくれたんですよね……?」
それは自分がやりたかったからやっただけなのに。
そんな悲しい目で話さないで。
「わ、私も、私のせいでお仕事が延期になった時、私を探して走り回ってくれたんですよね……? それに、いつも弱音ばかり言って、負担をかけてしまって……」
負担ではない。
本当に、2人のためだから頑張ったのに。
どうして謝るの?
私は、“ごめんなさい”が聞きたくて頑張ったんじゃない。
“ありがとう”って言ってほしくて。
泣きそうな顔じゃなくて
笑顔が見たくて。
「ごめんなさい」
謝らないで
「ごめんなさい」
やめて
「ごめんなさい」
なんで
「「ごめんなさい」」
「やめて!!!!!」
静まり返る
卯月の顔からも笑顔が消えている
これは、誰が望んだ状況だろう
レッスンのため病室を後にする2人の背中を、卯月は見ることができなかった。
「しまむー、やっぱり無理してたんじゃん」
お昼を回ったあたりでお見舞いに来た未央は、不満げな表情でおどけてみせた。
「未央ちゃん……」
「……」
「?」
「午前のさっちーとほたるんのレッスン、それはそれは酷かったってさー」
「そう……なんですか……」
「しまむー」
「どうかしましたか?」
「“先輩”ってさ? 与えるだけのポジションなのかな?」
「……!」
「私が言いたいのはそれだけ!」
「……」
「早く元気になって、また事務所でねー!」
そう言って未央は去って行った。
“あとは卯月次第”とでも言いたげな雰囲気を残して。
自分にアイドルを教えてくれた先輩は、無理をしていたのだろうか?
そんなことはない。卯月だって、そこまで人の心がわからないわけではない。
では、今の自分と何が違う?
そういえばよく
「どうやったら卯月ちゃんみたいな笑顔ができるのかな?」
と聞かれた。
なんで忘れていたのだろう。
自分は
幸子とほたるから、何か学ぼうとしていただろうか。
自分は何も知らない
なぜ、幸子はあんなにも自信を持ってアイドル活動を続けることができるのか。
なぜ、ほたるは不幸にも負けずにアイドルを志したのか。
何も知らない。
聞く機会はいくらでもあった。
しかし、相手の悩みを聞こうとして、相手の言いたいことを言ってもらおうとして、自分からは何も聞けていない。
相談を受けなきゃというプレッシャー
自分の経験を伝えなきゃという焦り
それらが真綿のように自分の首を絞めていたことに気づけなかった。
“先輩でいたい”という背伸びは、なにも意味がなかった。
さて、自分の持っていた“先輩”という概念は間違っていた。
それは悪いことだ。
しかし、さらに悪いことがあるとすれば、それにずっと気が付けないことだ。
今、島村卯月は気が付いた。
そして決心した。
変わろう
と
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復帰初日は、午後のレッスンだけの日程。
卯月は、お昼の時間に、幸子とほたるを呼んでファミレスに向かった。
晴れやかな顔の卯月と違い、まだ少し陰りが見える2人。
席に着いた卯月の第一声は、2人が予想だにしないものであった。
「2人とも、私の相談に乗ってください!
幸子ちゃん、どうしたら自分に自信を持てますか?
ほたるちゃん、ほたるちゃんはアイドルになって、どんな夢を叶えたいんですか?」
「教えてください! 2人のこと!」
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ライブは大成功。
幸子とほたるは上々のアイドルデビューを果たした。
今日も卯月はノートを書く。
しかしそれは、以前とは違うもの。
昔に教わったことを思い出すのではなく、今、2人と出会ってから知ったことを、学んだことを書いている。
アイドルについてだけではない。
これから広がる、全ての世界に想いを馳せて。
おわり
普段はほたるちゃんの上に植木鉢を降らせる仕事をしています
過去作
渋谷凛「卯月の誕生日を」本田未央「祝いたい?」
朋「苦労人事務所の」未央「みんなの」ありす「ウワサ?」
橘ありす「帰ってきたタクシーフレデリカ?」
神谷奈緒「憎めない常務と五月病」
などもよろしくお願いします
このSSまとめへのコメント
一瞬誰の作品か判らなかったw すごく共感出来る作品だった。