「ここは天国……なのか?」(44)
目覚めると辺りは見知らぬ土地である。
建物もなければ人もいない、大変見通しのよい風景である。
それに土地と云っていいものか、足元は綿のようにふわふわとしていて手応えがない。
視界は鬱陶しいほど明るい。
なるほどこれは雲の上なのだな、と私は合点がいった。
すると此処は天国であろうか。天国にしてはやけに地味なものだ。
私はしばらく真っ白な景色をぼうっと眺めていたが不意に或るひらめきが頭をよぎった。
自分が何者か皆目見当がつかないのである。
此処が天国ならば生前の記憶があっても良かろうに、まさか死んだ衝撃ですべて忘れてしまったのではあるまいか。
これは困ったと私は自分の顔や体を触ってみる。
ところが手はスカスカと空を切るばかりで一向触れる気配がない。
これは一体どうした事かと良く良く見てみると、なんと手も足も体も無い。
私はぎょっとして叫ぼうとしたが声も出ない。
感覚はあるのに実体が無いとは不気味千万、私は恐ろしさの余り震えあがったが震える体も無い。
私は幽霊になってしまったのであろうか?
しばらくそうして怯えていたがあんまり一人で怖がっていても寂しいものがある。
私は怯えるのに飽きてくると退屈を感じ始めた。
此の際私が何者かはどうでもよい。
幽霊ならば幽霊で兎角都合の良いこともあろう。
問題は何もすることがないという事である。
これでは天国も何もあったものじゃない。生きていた方が幾分ましである。
そもそも此処が天国かどうかも疑わしい。
キョロキョロと辺りを見渡しても一面雲である。
空を見上げると何やら灰色がかっていて縁起が悪い。
もし天国ならばそろそろ神の使いがおわしましてもいい頃だ。
何より私一人きりというのが解せない。
こんな場所が天国であっていいはずがない。
いつまで突っ立っていても埒が明かないので私は歩くことにした。
足が無いのに歩くというのは可笑しな話だが、とにかく歩いているのである。
景色が平坦なのでどこを目指しているかも分からない。 時間の感覚もない。
私は延々と歩き続けた。
途中いろいろと考えを巡らせて退屈をしのいでいたが妄想にも限度があろう、それもすぐに飽きてしまった。
私はただ歩いた。
もはや生きてるんだか死んでるんだか分からない。
ふと気が付いてみると遥か遠くから音が聞える。
俄かに私は面を上げ(顔が何処にあるかも分からないが)目をぱちぱちさせて(果して私の目はちゃんと此処にあるのだろうか)
耳をそばだてた(便宜上こう記述する他ない)。
音は段々こちらへ近づいているようである。
私はドンチャン、ドンチャンと聞える方を懸命に探すのであるが音の正体はどこにも見当たらない。
音は次第に大きくなり人の声も聞えてくる。
楽しげな笑い声から怒鳴り声などすこぶる賑やかな様子である。
しかしどうにもやかましい。
声のする方へ来たはいいが一遍正体が分からぬ。
だのに私の周りはわんわんと五月蠅い音が響いている。
おい、誰かいるのかと試しに云ってみるけれども今更声が出せるなら苦労はしないのである。
見ると近くの雲に小さな切れ目がある。
はて落とし穴でもあるのかしらんと覗いてみると穴は案外深いようである。
私は這いつくばってその穴に顔を突っ込み目を凝らした。
底を見て仰天した。
私の居る雲の遥か下に、おびただしい数の人間どもがうじゃうじゃと蠢いているのである。
私と違ってちゃんと肉体を持っている。ということはあすこが所謂現世かも知らん。
しかしどうにも様子がおかしい。
人間どもは隙間なくびっしりとひっついてお互い押し合いへし合いしている。
楽しげな様子も無いこともないが殆どが喧嘩腰である。
中には血を吹きだして倒れている者もいる。
それらが全体の流れに沿ってあちらへ行ったりこちらへ行ったりしている。
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