怨嗟叛逆のアサシネイション【Steins;Gate×ASSASSIN'S CREED】 (137)

シュタインズゲート及び科学ADV、アサシンクリードのクロスオーバー
双方全シリーズのネタバレが含まれる為注意
また相当量の地の文、相当量の長さが見込まれます

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2010年 8月13日


「はぁ、はぁ、はぁ……」


乱れた呼吸音が、三つ。仄暗いガード下で響いていた。
その後ろから、不規則に乱雑なリズムを刻みつつ迫る足音があった。

――あと、もう少しなのに。
三人の先頭を走るおさげの少女が迫る足音の方へ振り向く。
先程まで離れていたはずの音がかなり狭まっていた。
マズイ。このままでは車に到達する前に捕まってしまう。

自分の後に続く二人の男を見る。
一人は帽子を目深に被り、息を切らしながら膨れた腹を揺らして何とかついて来ている。
もう一人の白衣の男は痩せてはいるが、こちらも体力があるとは言えない。既に汗を額に充満させていた。
自分一人ならもう少し楽に……そんな意味の無い考えが過る。

自分一人が逃げても意味は無い。
重要なのはこの二人なのだ。
未来に絶対に必要な、この二人が。


「二人共! こっち!」


少女は予定していたルートを変更し、少々遠回りをする事にした。
欄干を超え、川の真横を走る。

川沿いに走っていると、途中に鉄の柵がついた侵入禁止の扉があった。
その扉を見るなり、少女は川に面した家に飛び付き、塀、窓、そして屋根へと猫のように素早く昇った。
そして家から飛び降り、扉の向こう側に着地する。
素早く鍵を開け二人を通し、すぐに扉を閉めた。

追手は扉に阻まれ、こちらに来れないようだ。
怒号はどんどん遠くなっていく。
これで少しは楽になる。少女は安堵し、息を切らす二人の速度に走りを合わせた。


しかし、安堵した束の間。妙な物音を聞いた。
後ろを見る。どうやら一人だけ自分と同じように扉を超えて来た者がいたらしい。
その身体能力から察するに、何らかの訓練を受けた者だろう。


「急いで!」


そう叫んでも日頃訓練はおろか運動すらしていない二人は、これ以上速度を上げられなかった。
それどころかもういつ倒れてもおかしくない様子だった。
追手が増える気配は無い。ただ一人追って来る男の持つ武器は警棒だけのようだ。
交戦するしか無い。少女の判断は早かった。

少女は来た道の方へ反転し、追手に猛進する。
身を低くし、その体の四肢、体幹からいかなる攻撃をもできるように少女は走りながら構えた。

二人がそれぞれの間合いに入る。男は警棒を袈裟に振り下ろした。
少女は左に体を沈めてそれを避け、振り下ろされる男の腕を右手で掴み、懐に入って左の肘を空いた脇腹にぶち当てた。
即座に顎に右の一撃を入れ、よろめかせる。そして少女は更に左の掌底を鳩尾に見舞った。

しかし、どういう訳か。掌底を喰らった男の胸にみるみるうちに紅い染みが広がっていった。
少女が見舞ったのは掌底では無い。
左の袖下に隠された鋭利な仕込み刃を伸ばし、男の腹を突いたのだ。
刃は深く突き刺さり心臓まで達していた。

少女は刃を引き戻し、右手で男を軽く押した。
男は力無く、そのまま一つ立たされたドミノのように地面へあっけなく倒れた。

一息つき、他の追手が来ていないか確認する。
来た道からはもう声は聞こえない。どうやら他の道へ回ったようだ。
状況を冷静に確認すると少女は走り出し、すぐさま二人に追いついた。



「車はほんの200m先にある。あとちょっとだから、頑張って!」


少女の声に何とか首肯で返す二人。
運動不足のせいで、二人の体力は既に限界近くに来ていた。

ようやく車が見え、少女はキーを手に取りロックを解除した。
扉が自動で開き、走り疲れた二人を荷物を放り込むように車に詰める。
自分もすぐさま運転席に乗り、エンジンをかけてアクセルを目いっぱいに踏み込んだ。
タイヤが金切り声をあげ地面に噛み付くと車はすぐに速度に乗った。

国道を抜け、車通りの少ない道を通る。
今現在、主要道路で検問が行われているという情報は無いが用心に越した事は無い。

街灯すら疎らな道を、車のヘッドライトが暗闇を切り取るように進んでいた。
響く音も、エンジン音とタイヤが道を踏みしめる音くらいだった。

静寂の中に敵の気配は感じられない。
少しの安全を取り戻し、少女は大きく溜息をついた。

ルームミラーで後ろの二人を見る。
まだ双方とも息が整わず、肩で息をしている。
無理も無い。突如現れた自らの生命を脅かす者からの逃走だ。精神的にも疲労してしまっただろう。
太った男は眼鏡を取り、必死に汗を拭いていた。
痩せた男は車の座席下に出来た暗闇を、ただ見つめているだけだった。


「まゆり……」


誰の声かも判別できないような、か細い声がした。
誰にも留められず、ただ車内に溶けていくかと思われた声だったが少女にはしかと聞こえていた。

声の主を、またミラー越しに見つめる。
乱雑にオールバックに整えられた髪、目に強さを与える切れ長の眉、そして筋の通った鼻。
実年齢よりも少し老けて見えるが、まだ彼は未成年だった。

この男が――。

この男が、未来への叛逆の鍵を握る男。

少女が来た未来で、英雄と謳われた男。



「岡部、倫太郎……」


――



第一章
『無為信条のプレリュード』


――


時は、遡る。
それは岡部倫太郎達が逃亡する数刻前だ。

白衣に身を包んだ男――岡部倫太郎が道路の真ん中で肩を落としていた。
夏の力強い斜陽がその長身の先に長い影を作っていた。

その影の中。その中に、何か紅いものが倒れていた。
――少女だった。血で体を紅く染め、汚れ、絞られた雑巾のようにうち捨てられていたが、それは紛れも無く少女だった。

交通事故があったらしい。
少女が倒れている数m先でバンパーのひしゃげた車が止まっている。
そしてその車からライダースーツを着た女が降り、携帯電話を出して何やら通話をし始めた。


「ラボへ……」


岡部は呟き、少女の遺体に目もくれずにどこかへ走り去った。
まるで、それが常であるように。


「今度は二日前では無く、どこか別の時間に……」


陽が沈み、まだ人通りの多い秋葉原を歩く。
追われているはずの身であったが、彼は走ろうともせずにいた。
何か、自分が捕まるはずがないと確信しているようでもあった。

その彼は携帯で何かの操作をしながら何か事務的に呟いていた。
番号入力画面に四桁の数字が映る。
ナンバーマークがついていた。どうやら電話をかける訳では無いらしい。
その画面のまま、岡部は携帯電話をポケットにしまい目的地に歩みを進めた。


――このまま戻れば、ラボには誰もおらず、また難なくタイムリープする事になるだろう。


岡部は幾度となく頭の中で呟いて来た言葉を、また頭の中で呟く。



タイムリープマシン――それは、岡部達が見つけた偶然の産物。
七月の下旬、彼が奇妙な体験をした事が全ての発端だった。

ラジ館へ、とある人物の講演会を見に行った際、彼は殺人現場に遭遇した。
そして、彼はその事実を友人にメールで知らせた。

その瞬間、自分の周囲が――いや、世界が歪み始めた。
世界が自分という点を残して高速で崩れてゆく。
そして自分の周りが、また世界が再構成されていった。
奇妙な感覚。その異様な光景に、岡部は脳を揺さぶられ激しい眩暈を起こした。

岡部は揺れる世界の中、何とか目を開けた。
そこで見た光景は――誰一人いない、自分を残して止まった世界だった。
知っていたはずの現在が、過去が、それらが微妙に変わった世界だった。

それが、岡部が初めて認識した世界線移動だった。
そして、彼は殺人現場で見たあの死んだはずの女、牧瀬紅莉栖と運命的な再開を果たしたのだった。


「戻れるだけ戻った方が……いや、違う可能性も模索しなければ……」


それからというもの、彼はその体験、及びその体験の原因となった未来ガジェット八号機、電話レンジ(仮)の研究を開始した。
電話レンジ(仮)。ある程度任意の過去に、メールを送れるというマシンだった。
その未来から過去へ送られたメールに影響を受け、受け取った者が何らかの動作をする事で、また未来も変わる。
タイムマシン――古びたビルの一室で岡部達が作った、奇跡のマシン。それは、神をも冒涜する偶然の産物だった。

厨二病患者岡部倫太郎、もとい鳳凰院凶真が創立した未来ガジェット研究所。そこに所属するラボメンと共に、岡部は電話レンジ(仮)の実験を開始した。

妹分であり幼馴染の椎名まゆり。
機械に精通し自らの右腕と称する程信頼した友人、橋田至。通称ダル。
美少女よりも美少女らしい、漆原るか。だが男だ。

メイド喫茶の天真爛漫猫耳メイド、フェイリス。
無口だがメールの時だけ饒舌になるメール魔の女、桐生萌郁。
一人前の戦士を自称する、どこか認識のずれたブラウン管工房のバイト、阿万音鈴羽。

そして死んだはずの天才脳科学者、牧瀬紅莉栖と共に。


しかし何度か実験をしてわかった事は、過去に送れるメール容量は非常に少なく、また未来が変わる幅も予測がつかないという事だった。
それ以降は電話レンジ(仮)の改良を進めた。過去改変の幅をより正確にする為に、牧瀬紅莉栖の頭脳を借り、橋田至と共にマシンに改良を加えていった。

そしてついには記憶を過去に送る、タイムリープマシンを開発した。
実用的なタイムマシン。人類の夢。それを、彼らは作り上げたのだ。

――それが、いけなかった。

彼らは欧州を跨ぐ研究機関、SERNに目をつけられてしまった。
SERNもタイムマシン研究を行っていた。世界を自らの手中に収める為に。
そして、その技術を独占しようとしていたのだ。

タイムリープマシン開発が完了した僅か数時間後、SERNの刺客ラウンダーが岡部のいるラボを襲撃した。
そのラウンダーの中に桐生萌郁がいた。彼女はスパイだったのだ。

震える岡部達に銃を向けつつ、彼女は言った。


「椎名まゆりは、必要無い」


――やめろ。
岡部倫太郎の心の叫びは、掻き消された。

その場の全てがスローモーションに感じた。
揺れる拳銃。耳を劈く炸裂。
そして、一瞬のけ反った後に糸の切れた人形のように力無く倒れていくまゆりの体。
ばたん、と小さな体が床に放り出された。

火薬の臭いがラボに満ちていく。
そして、鼻を突く生臭い酸鼻なる臭いも。
まゆりは額を撃ち抜かれていた。岡部倫太郎の目の前で。

あまりの衝撃に理性を失い、萌郁に襲いかかろうとする岡部。それを必死で止める紅莉栖。
蹲り、泣き叫ぶ橋田。そして暗黒の筒先を向けて沈黙するラウンダー。
その場を一言で言うなら、地獄だった。

抵抗する力も無い。逆らえば殺される。逆らわずとも――。
どうして……岡部は必死で抵抗しようとした。
あの無垢な笑顔も、あの時折見せる悲しげな表情も。
空に向けて広げた、あの手も。
もう、二度と見られないなんて。

どうして? なぜまゆりが死んだ?
続けても意味の無い問いを、ひたすら心の中で続けていた。
声にならない声が、感情にすらならない意思が、岡部の身体を蹂躙していた。
心臓が張裂けそうだった。感情で体が焼かれそうだった。

抵抗しようとする岡部に、萌郁はまた銃口を突き付けた。
体が強張った。たった今殺されたまゆりの、あの光景が蘇る。

こいつらは自分達を連れ去り、口封じをしようとしているのだ。
そして反抗すれば、まゆりのように……。

まゆりを、何故殺した。



「俺も殺すのか!」

「抵抗するなら」


ふざけるな。何故殺した。何故殺した!
まゆりは何もしていない。何もしていないのに、何故、何故殺した!
そんな思いが、頭の中でひたすらにループ再生される。

引金を握る手に、力が籠るのが見て取れた。
まただ。また、あいつは引き金を引こうとしている。
また……。

紅莉栖を何とか振り切り、抵抗しなければ。
せめて、彼女と橋田だけは。

だが、その刹那。強烈な打撃音がラボに響いた。電光石火のような攻撃が、ラウンダー達を襲ったのだ。
襲撃者は無駄の無い動きでラウンダーを叩き伏せていく。
襲撃者――それはラボの下でバイトをしている阿万音鈴羽だった。
彼女の攻撃を喰らい、瞬く間にラウンダー達は顔を地面に伏せた。
鈴羽はそのまま落ちた銃を拾い、残った萌郁に突き付けた。そして萌郁の拳銃も鈴羽を捉えた。

銃口が睨み合った。死線が張り詰める。
鈴羽はその状態で、何かを呟き始めた。


「42、ブラウン管、点灯済み」


暗号のようなその言葉に、岡部は一瞬何をしていいのかわからなかった。
が、すぐに理解した。

タイムリープマシンを稼働させるのに必要な条件。
リフターである下層の42型ブラウン管テレビが、鈴羽によってつけられている。
タイムリープしろと、彼女は言っているのだ。

岡部はすぐに動いた。タイムリープマシンを操作し、この襲撃を免れる為に。
紅莉栖もそれに続いた。萌郁が何か叫んでいたが、鈴羽のせいで釘付けになり動けなかった。

焦りと沸き立つ血のせいで、手が思うように動かない。
ラウンダーが少しずつ意識を取り戻しているのがわかる。
早くしなければ、早くしなければ――気持ちが急き、操作が進まない。

そしてついにラウンダーの一人が起き上がり岡部達に襲いかかった。
岡部は自身の作ったガジェットで煙の幕を張り、時間を稼いだ。
銃が乱射され弾が体を掠める。鋭い痛みと体に走る衝撃に怯みながらもついに操作が完了した。

だが紅莉栖は叫ぶ。本当に良いのかと。
やるしかない。俺が飛ぶしか無い。こんなふざけた現実を変える為に。

燃えるような痛み、そして耳を裂く音の中。
まゆりを、残して。


「……飛べよぉおおおおおおおっ!」


岡部はタイムリープした。



――


岡部はタイムリープに成功した。
そして、すぐに行動を起こした。

まゆりを救う為に彼は打てる手を尽くした。
封鎖された駅から離れて違う路線から逃げようとした。
タクシーに乗って遠くに行こうともした。
萌郁を脅迫し、先手を取ろうとした事もあった。

しかし、結果は全て一つに収束した。

まゆりは、世界に殺されていた。
銃殺、刺殺、轢殺、圧殺。
どんなにまゆりを助けようとしても、何をしようとも、何を画策しようとも。
いかなる方法を用いて、世界が、まゆりを殺した。

それでも、岡部はタイムリープし続けた。

終わらない、8月13日。
何度も何度も同じ映像を見せられるような感覚。
そして、その結末はいつもまゆりの死。
運命というプロットに沿って行われる、淡々とした結果。

岡部の心は壊れていった。
どうせ、まゆりは死ぬ。
何をしても無駄だ。
無駄なんだ……。

そう決めつけ始めていた。

全てを諦めかけた時だった。


「そんな所で何してる?」


一人の人物が、鮮やか過ぎる夕焼けの中、一人項垂れる岡部の前に立ち手を差し伸べてきた。
その人物は牧瀬紅莉栖だった。

岡部は彼女に今まで起きた全ての事を打ち明けた。
そして彼女の勧めにより、岡部はまた数時間後に遡り紅莉栖と共にまゆりを救う方法を画策する。

そしてタイムリープした先で、過去の紅莉栖が言う。原因は事件の引き金となる事柄のはずだと。
タイムリープマシンでも無ければ、もっと、別の何か。



「牧瀬紅莉栖の言う通りだよ」


思考する二人に険しさの宿る声がかけられた。

声の主は阿万音鈴羽だった。
ラウンダー襲撃の時、勇猛果敢に戦っていたあの鈴羽だった。

彼女は2036年からやって来た、タイムトラベラーだった。
未来はSERNが世界を管理統治するディストピアであり、その現実を変える為にタイムマシンに乗って来たのだ。
そう彼女は言った。そして彼女は続ける。

世界を救う為には世界線変動率1%の壁を超える必要がある。
ダイバージェンス、それは世界線が移動し、再構築された際に元いた世界線との差異を確認する為の数値。
世界線。様々な可能性が絡み合い、過去から未来へと流れて行く大河。
一つ一つは干渉し合わないが、行きつく結果は同じである。

この世界線が――それの行きつく先が――まゆりの死の結果にも繋がっている。

しかし、世界を大きく変容させ、今いるα世界線から1%変動したβ世界線へ移動すればその結果が変わるかも知れない、と鈴羽は言う。
世界を大きく変容せしめる分岐点。そこで行われる選択が、世界線を大きく変動させる鍵。
この2010年がその分岐点だった。

その分岐する条件。
SERNのエシュロンに検知されてしまった、岡部が初めて送ったDメールを消す事。
そのメールが保管されたデータベースにハックする為にはIBN5100が必要であり、鈴羽が1975年に飛んで手に入れる必要があった。

では何故この時代に来たのか。
それは、消えた父親を探す為だった。

鈴羽は全て話終えるとタイムマシンに乗り込み、過去へ飛ぼうとした。
しかし、タイムマシンは動かなかった。風雨により故障してしまっていたのだ。

このままでは全てが無為になる。
岡部は決断する。
過去に戻り、橋田至にタイムマシンを修理させる事を。

行動はすぐに起こされた。
二日の間に、タイムマシンを修理する。
そして、まゆりの訴えで鈴羽の父親を探す事にもなった。

そして、二日の間にその二つは成し遂げられた。

橋田はタイムマシンを修理し終え、まゆりの慧眼のおかげで鈴羽の父親も判明した。
誰を隠そう、タイムマシンを修理した橋田至が鈴羽の父親だったのだ。

鈴羽はラボメンとの思い出、そして父の激励を刻み込み、過去に旅立って行った。
IBN5100を手に入れる為に。そして未来を、変える為に。
自分だけは年をとってはいるだろうけれど、数時間後にまた会おうと言って。

そのタイムマシンが未来に戻る事も出来ないものだと知りながら。

数時間後、鈴羽が書いた手紙がラボの下層にあるブラウン管工房の店長、天王寺によって届けられた。
まゆり、橋田、紅莉栖、そして岡部は手紙の封を開けた。

内容は、ただ一言で言うならば、これだけだ。



失敗した。


手紙にはそんな絶望と赦しを乞う言葉がただ、並べらているだけだった。

岡部が本来鈴羽がタイムマシンで飛び立つはずだった日に引き止めたせいで、タイムマシンがその後に降った雨で壊れた。
そのせいで修理しても不完全な状態になってしまい、事故が起き、自分の記憶が消えてしまった。
そして目的も忘れ、ただのうのうと生きてしまった。

こんな人生、無意味だった。

彼女はそう書き残し、自殺していた。

岡部は苦悩した。
自分のせいで、彼女は任務を果たせなかった。
自分のせいで、彼女は自殺した。

気付いたら、タイムリープマシンに手を伸ばしていた。
こんな現実は認めない。認めてなるものか。

彼女は絶望的な未来で抗い、やっと過去に行きつき、自分の父親と会えたのだ。
その苦難がどれだけのものか、痛い程にわかっていたはずなのに。

脳裏に鈴羽が時折浮かべていた笑みが浮かぶ。
誤魔化すような笑み。曖昧で、悲しげな笑み。
彼女はそんな表情ばかりしていた。


――岡部倫太郎っていいヤツだね。
――祝砲あげてよね!
――父さん、あたし、来たよ。父さんに会うために。
――さよなら


もし自分があの時彼女を引きとめないようにすれば、この思い出も消えてしまう。
そんな事は認めない。

まゆりが死ぬ未来も。
こんな報われない思い出も。
俺は、認めない。

何度でも繰り返してやる。
まゆりを助け、鈴羽の思い出を守る為に。


俺は、認めない。


「岡部! 何して――」


彼を呼ぶ声は眩暈と共に掻き消えた。



――


そして、夕方の秋葉原に戻る。

もうタイムリープした回数は数えていなかった。
体感した時間を換算すれば、悠に一年、いや二年は過ぎただろう。
しかし、そんな事はどうでも良かった。

来る日も来る日も、答えが出切っている鈴羽の父親探しを演じ、そしてまゆりを救う方法を画策していた。
いつからか、橋田にタイムマシンを修理させるような事もしなくなった。
そんな事は無意味だから、せめて一緒にいる時間を作らせ思い出を増やす要因になれば、そう思って外させていた。
タイムリープで、それすらも無かった事になるというのに。


「嘘には二種類ある。人を傷つける嘘と、優しい嘘だ」


父親探しの答えである当人がある時こう言っていた。

なら俺にも、優しい嘘をくれ。
まゆりは、死なないと。

嘘でも良いから。
誰か俺に、そう、言ってくれ。


「ん?」


無駄な思惟に耽りながら、いつものようにラボの前まで戻って来ていた。

しかし何かがおかしい。
明りは点いているが、不規則に点滅を繰り返している。
窓にもヒビが入り、小さな穴がいくつも開いている。
周囲の住人や通行人も不安そうに集まり、何やら声を潜めて会話をしていた。

いつもと様子が違う。
その差異に嫌な胸騒ぎを覚えた。



「まさか……」


階段を駆け上がる。すると、ラボのドアが開け放たれていた。
ドアの前にはラウンダーと思しき男が二人、体中に赤い染みを浮かべて倒れていた。
男達の傍らに何か大きな箱が穴だらけになって放置されていたが、それを無視してラボに入った。


「ダル! 紅莉栖!」


中にはラウンダーがまた一人、床に突っ伏していた。
部屋の隅に橋田が蹲っており、中央には鈴羽が肩を怒らせ立っていた。


「岡部、倫太郎……」

「鈴羽! 何があった! ラウンダーが来たのか!」

「……うん」


おかしい。
ラウンダーが襲撃してくるのは、いつもまゆりが死ぬ前だったはずだ。

まゆりは先程萌郁の車に轢かれて死んだ。
なのにラウンダーが来るだなんて……。


「オカリン! 牧瀬氏が! 牧瀬氏が!」


床に蹲っていた橋田が目を真っ赤にしながら、岡部に縋りついてきた。


「紅莉栖が、紅莉栖がどうかしたのか!」

「牧瀬紅莉栖は……奴等に拉致された」

「なっ……」

「ラウンダーが……あいつらが、君と椎名まゆりがいない間に、ここに来たんだ。
 あたしがあいつ等の隙を突いてなんとか戦力を削ってたんだけど……」

「後からなんかライダースーツを着た女が来て、牧瀬氏を拉致したんだよ!」

「……馬鹿な」


そう、馬鹿げている。
今まで自分が体験したことの無い場面だった。

自分がタイムリープするその瞬間までに確定している事。
それはまゆりの死と、まゆりを除く自分達全員がラウンダーの手に渡らずにいる事だ。
ラウンダーが来るとすれば、まゆりも必然的に死ぬはずだ。
逆に言うと、まゆりが先に死んでいれば、不思議な事にラボへのラウンダーの襲撃は起こらない。
それが今までタイムリープして知った、この二日間の変えようの無い真理だった。

しかし、ここは違う。
ラウンダーのラボ襲撃とまゆりの死が一致しない世界線。
幾度にも及ぶタイムリープで世界線がずれてしまったのか。

考えられなくは無い。
幾度となくタイムリープしたが、まゆりの死は様々な方法で遂げられていた。
その際、世界線はほんの少しだけだが移動しているはずだ。

タイムリープの乱用が、ついに不規則性を生み出した。
不規則性が紅莉栖が連れ去られるという、今までに無い出来事を起こしたのだ。
岡部はその考えに行きつくと小さく息を漏らした。


「……そうか。紅莉栖が、連れ去られたか」


しかし、それは些細な事だった。
自分にはタイムリープマシンがある。
イレギュラーによって紅莉栖が連れ去られようと、過去に戻ってしまえば問題は無い。

むしろ喜ばしい事なのではないか?
今までのタイムリープでは劇的な変化は殆ど見られなかった。
萌郁がまゆりを轢き殺し、その足で先回りしラボを襲う事なんて今まで無かった。
ここに来てようやく変化が現れたのだ。

万に一つの可能性で、タイムリープだけでも世界線は変えられるのかも知れない。
そんな光明が、やっと見えて来たのではないか?
まゆりも、もしかしたらそのイレギュラーで助かるのでは無いか?
麻痺した心が冷静に、まるで他人事のように思考する。


「ダルは、無事なんだな」

「う、うん。僕はなんとも……鈴羽が、助けてくれたから……」

「そうか」


ここでもし橋田が重症でも負っていれば、更に不規則性が上がっていたのに。
と、落胆する自分が心の隅にいたのを岡部は感じていた。


「それだけじゃ、ない……」


岡部の思考を止めるように、鈴羽は唇を血が出そうな程噛み締め、そう呟いた。
何かを必死でこらえるようにして、顔を俯かせている為、感情は読めない。


「何だ? まぁ何であろうと関係無い。俺は今からタイムリープする」


そう。関係無い事だ。
過去に戻れば、それは無かった事になる。

またまゆりは生きているし、また鈴羽の父親を探す事になる。
味気なく、そして地獄のような二日間が、また彼を待っているだけだ。


「そうすれば、万事――」


岡部の楽観的な考えを遮るように、鈴羽の口が開いた。



「――タイムリープマシンは、あたしが破壊した」


一瞬、何を言ったのか理解できなかった。
脳が揺れて視界の周辺に電流模様の淀みが走り、見ているものが曖昧になっていた。
麻痺し切った心が理解を拒んでいた。


「いや、それも、タイムリープすれば……」


うわ言のように、岡部の口からそんな言葉が漏れていた。
足は止まらずに、タイムリープマシンのあった方へと進み続ける。
その様子を見た橋田が岡部を止めた。


「オカリン!」

「どけ、ダル……俺は、行かなきゃならないんだ」

「オカリン! 聞けよ!」

「うるさい、どけ」

「無いんだ……」

「どけ、ダル」

「タイムリープマシンは! もう無いんだよ! もう、やり直せないんだよっ!」


橋田の直線過ぎる言葉がようやく岡部の脳に伝達した。
その瞬間、運んでいた足がフローリングの床に根差したように動かなくなってしまった。


タイムリープマシンが……無い?
どういう意味だ。

タイムリープマシンが、無い。
過去に、戻れない。
やり直せない。

まゆりが、死ぬ……。

まゆりがっ……。


事実が、岡部の脳に否応なく浸透して行く。
ようやく全てを理解した時、岡部は膝から崩れ落ち、ただ「あぁっ……」と、呻き声をあげるだけだった。



「嘘、だろ……」

「本当だよ。あたしが、壊したんだ」


後ろで苦虫を噛み潰したような顔をして二人を見つめていた鈴羽が歩み寄って来た。


「おい……鈴羽……お前、壊したって言ったのか?」

「……うん」

「あのマシンを、本当に壊したのか? あの、タイムリープマシンを……」


忘我の岡部が力無く鈴羽に詰め寄る。鈴羽はただ小さく肯くだけだった。


「嘘、だろ?」

「嘘じゃない。あいつ等の戦力が想定以上だった。あの装置を回収しようとするラウンダーを止める為には、そうしないといけなかった」


玄関先で倒れていた二人。
奴等の傍らにあったあの物体は……タイムリープマシンだったのか。


「奴等の突撃銃を奪って、滅多撃ちにした……」


一体何を言っているんだ。
鈴羽はラウンダーが来た時は助けてくれたじゃないか。
今回だってそのはずだろう?


「もう修理のしようも無いと思う」


何で、何で壊しただなんて話になってるんだよ。


「……ゴメン」


やめろ。


「あたしが、不甲斐ないばっかりに……」


やめろ。謝るな。


「本当に……」


謝るな。謝るんじゃない!
じゃあ、まゆりは……。
まゆりはどうなるんだよ。


「……ざけるなよ」

「え?」

「ふざけるなよっ!」


岡部は鈴羽の胸倉をつかみ、壁に打ちつけた。
橋田は何が起こったのかわからず目を白黒させている。


「タイムリープマシンを壊した!? 何て事をしてくれたんだ!」


岡部なりに力強く叩きつけたはずだったが鈴羽は抵抗もせず、ただ岡部の顔を真っ直ぐに見つめていた。


「これじゃあ、まゆりがっ! まゆりが、救えないじゃないかっ!」

「えっ……ま、まゆ氏どうかしたん?」

「UPXの前! あの交差点で転がってる! 死んだよまゆりは! 車に轢かれて!」

「そ、そんなっ……」


衝撃のあまり橋田はたじろいた。


「椎名まゆり……やっぱり、この日に……」

「やっぱりだと? わかっていたなら、全力であのマシンを守れよ! なぁ!」


鈴羽は岡部から視線を外すように頭を垂れ、唇を噛み締めただ黙っていた。


「ちょ、ちょっとオカリン……」

「俺が何度タイムリープして来たと思う……何度したと思う! あぁ!? お前達の想像なんて及ばない程の数だ!
 そんな途方も無い数のこの二日間を繰り返してきたんだ……まゆりを救う為に! お前の思い出の為に!」


鈴羽は顔をあげずに黙っていた。
その態度が岡部の癪に触った。怨嗟の言葉が一斉に押し寄せ、喉奥に詰まって焦げ付く。
そのせいで喉がひりついて逆に言葉が出せなかった。


「それなのにお前は……あの、マシンを壊した……」


怒りに焼けた喉をやっとの事で開き、岡部はどうしても言いたい言葉だけを絞り出す。


「……ゴメン」

「何で……何であのマシンを壊した、言え」


ビルの影に打ち捨てられた血の詰まった肉袋が、眼球の裏に痛い程に焼きついている。
違う。違う。そんなんじゃない。ただの死人じゃないんだ。


「あれが、あれが無ければ……」


故人を思い、空に手をかざして儚く消えてしまいそうになっていた彼女を咄嗟に抱きしめた。
ラボでたった二人、ゆったりと流れる時間を過ごした。
新しく出来たラボメンと楽しそうに話しているのを見つめていた。
それが打ち捨てられているんだ。冷たいアスファルトの上に。


「まゆりが……」


岡部はようやく理解した。それがどういう事か。


「まゆりが……死んだ、ままなんだぞっ……」


掴んでいた手が緩み、体がずり落ちる。いつの間にか鈴羽にもたれかかるようになっていた。
繰り返し見て来たまゆりの死で流さなくなった涙を岡部は流していた。止まらなかった。
ただ悔しくて、不甲斐なくて、涙が止まらなかった。鈴羽も肌が青くなる程拳を握りしめていた。



「オカリン……」

「まゆりがっ……まゆりがっ……」


またやり直せると思っていた。
そんな弛みが自分の中に出来ていたのは知っていた。
でも、それすらもやり直せると思った。死んでもまたやり直せば良いと思っていた。
いつか何かが変わると思った。


「まゆりが……死んだんだ……俺の前で何度も!」


何度も死んだ。気付くとまゆりの死に特に感慨を覚えなくなっていた。


「殴られ、絞められ、刺され撃たれ轢かれ潰され! まゆりは、殺されたんだ!
 俺の目の前でだ! 俺の! 目の前でっ……何度も……何度もっ……。
 だが、俺はそれに耐えた……いつか、いつか必ずまゆりを救える時が来ると信じて。
 だから俺は、お前の父親を捜す二日間をただひたすらに演じ続けた……」

「やっぱり、君は……タイムリープを……」

「あぁそうだ! なのに、なのにそのお前はタイムリープマシンを……」

「……ゴメン」

「謝ってまゆりが還って来るなら苦労は無い! もうっ、もうまゆりは……」


もう彼女の死を見る事も無い。これが最後だ。
つまり、もう――。


「帰って……来ないんだぞっ……」


鈴羽を掴む手が軋んだ。言葉の最後の方は歯を食いしばったせいで泡が潰れるような音になってしまった。
頭を垂れ、返る言葉を待った。だが鈴羽は何も言わない。
その事に岡部の怒りが再燃する。


「お前の為にも、俺は今までこの時を過ごしてきた……ダルがお前の父親である事も知っていたのに、敢えて探させた。
 この二日で、お前と、俺達の思い出が出来るように。なのに……なのに、こんな仕打ち……あんまりだっ……」

「ゴメン、なさい」

「……黙れ」

「ごめんなさい……」

「黙れ黙れ! この……」


ようやく顔をあげ、鈴羽を更に捲し立てようとしたが、言葉が止まった。
鈴羽も泣いていた。
ただか細く、ごめんなさい、と戦士の顔を捨てた一人の少女が何度も岡部に赦しを乞うていた。



「私は、失敗した……失敗したんだ。君の希望を壊して、戦士として失格で……なのに……。
 ごめんなさい、ごめんなさい……」

「鈴、羽……」


唇を噛み締めながら啜り泣く鈴羽をそれ以上追及する事はできなかった。


「ごめんなさい……ごめん、なさいっ……」

「オ、オカリン……鈴羽を赦してあげてよ。鈴羽がいなかったら、僕とオカリンまで危なかったんだから、さ……」

「……くっ」


岡部は放るように、謝り続ける鈴羽から手を放した。
鈴羽は崩れ折れ、それからしばらく俯いて泣いていたが、涙を拭うとなにやらそそくさと荷物をまとめ始めた。
岡部は鈴羽から視線を外し、タイムリープマシンがかつてあった場所をただ睨んでいた。


「す、鈴羽? 何してるん?」

「私の、まだ残っている任務を、遂行する」

「任務?」

「岡部倫太郎のタイムリープ成否に問わず、あたしは、君たち二人を逃がさなきゃならない」

「ぼ、僕達を逃がす?」

「うん。君たちは、今ラウンダーに追われる身となった。だから、あたしが君たちを逃がす」


岡部はそんな会話を背中で聞きながら思い出していた。
未来の自分は、レジスタンスの創立者となっているらしい。

まゆりを救えず、ただのうのうと生きているだけではないか。
そう揶揄したこともあった。
まさか自分が、本当にそうなるとは夢にも思わなかった。


「ぼ、僕らって、そんなに重要なん?」

「うん。君たち二人は未来であたしが所属するレジスタンスの創立メンバーだから」


橋自分の娘がタイムマシンでこの時代にやってきたというカミングアウト以上の衝撃を橋田は受けた。


「え、それマジ?」

「うん、そうだよ」

「す、すげぇ」

「……で、鈴羽」


奥で一応の平静を取り戻した岡部が、ようやく鈴羽に話しかけた。


「何?」

「お前は、俺達を逃がすのか」

「うん。それが任務だから」

「ふっ……任務か。当初の任務にも失敗し、紅莉栖は連れ去られ、タイムリープマシンを壊したお前がか!?」


半ば自棄になった岡部が嘲笑混じりに叫ぶ。



「ちょっ、オカリン! もういいだろそれは!」

「まゆりも救えず、ただのうのうと生き延び……そんな白痴のような事を、俺達にさせる為にかっ……」


鈴羽は何も言わずに岡部を見つめる。
返答を拒否する訳でも無く、ただ岡部の言葉を待っている。
無言の返事だった。
岡部はその態度に居心地の悪さを覚え、たじろいてしまった。


「……俺に、何ができる」


鈴羽はまだ黙ったままだ。


「俺は紅莉栖のような頭脳も持っていない。況してや筋力も、ダルのような技術も無い。
 ただ、世界線変動が観測できる、たったそれしかできない人間だ……そんな俺に、何ができる」

「そんな事ないよっ」


鈴羽が声を荒げた。それに岡部は冷笑で返す。


「タイムリープマシンが無い今……俺に、もう使命も大望も無い。俺には……」


そこまで言った時、岡部の脳裏に何か、強烈な映像が蘇っていた。
初めてまゆりが殺された、あの時の映像が。

ライダースーツを纏い銃口をこちらに向ける女の姿が。
信じて仲間にした、あの女が。
裏切り、まゆりを殺した、あの女が。

何か。何かが、自分に降って来たのだ。
そう、これからの自分を決定づける何かが、この記憶によって。


「俺に……」

「……あるよ」


岡部の弱くなった声を制する鈴羽の声に、強さが戻っていた。


「復讐、するんだ」


鈴羽の一言が、岡部の乾いた頭に甘美な響きを持って鳴り渡った。


「……復讐だと?」

「そう……椎名まゆりを殺し……世界を歪曲させようとしている、SERNに」


鈴羽が一歩、岡部に歩み寄る。


「未来は、タイムマシンだけで変わるものじゃないかも知れない。
 SERNと戦い勝利する……そんな事だって、可能かもしれない」

「……世界線は必ず収束する。お前がそう言った。そして、俺もそれを嫌という程思い知らされてきた」

「あれは、ただの理論だよ。もしかしたらあの理論でさえ間違っているかも知れない」


一歩、また一歩。鈴羽は岡部に近づいて行く。


「タイムリープマシンも、タイムマシンも無いなら……それに賭けようよ」

「だが」

「君が……岡部倫太郎が、タイムマシンが無い今、残された最後の希望なんだよ……」


二人の距離はもう無かった。鈴羽は白衣を掴んで岡部に縋り、泣き腫らした目を必死に岡部に向けていた。
取り柄すら失った捨て鉢の彼に救いを求めて。


「敵を倒す技術……いや、殺す技術はあたしが教える。
 あたしが所属していたレジスタンス……その元になる団体はこの時代にもある。
 それを頼り逃げれば良い。ツテもある」


鈴羽は口早に言う。


「仲間はまだいるんだよ。この時代にも。それに父さんだって、あたしだっている」


岡部が揺らいでいるうちに、彼女の精一杯の言葉を。


「だから、あたしと一緒に逃げて」

「お前と……」

「……真実は無く……許されぬ事など無い」


鈴羽が、何か呪文のような言葉を唱えた。
厳かでありながら、心に重圧を感じさせない言葉だった。


「何だ、それは」

「あたしがいたレジスタンスの、訓示みたいなものだよ」

「訓示、だと?」

「真実は無いんだ。世界線理論も正解じゃないかもしれない。理論を冒涜するのも、悪い事じゃない。
 だから、抗おう。運命に」

「運命に……」

「だから、岡部倫太郎――」


鈴羽が手を差し出した。返り血を浴び、赤黒く染めた手を。



「一緒に、あたしと逃げよう」


断るはずだった。ふざけるなと一蹴し、その手を弾くつもりだった。
世界線理論はどうやっても覆せるものではない。
いくら足掻こうと、いくら苦しもうと、世界は変わらない。
残酷に、世界は美しい程に正確だ。

まゆりは死んだ。それが、事実だ。

しかし、彼は他の事も考えていた。
タイムマシンが無いのなら。
過去に戻れないのなら。
未来を見続けるしかない。

その事に何か明るい気持ちを抱いている。

もしかしたら内心喜んでいたのかも知れない。
もう、あの二日間を繰り返す事がない。

わかりきった事を繰り返す、あの日々から抜け出せる。
やっと解放される。

そう、頭の片隅で考えたいたのかもしれない。
いや、そう考えていた。

その証拠に、差し伸べられた手を見た時に起こった感情は――安堵だったのだから。


「俺は……」


そして、岡部は。


「オカリン……」


その手を、握っていた。


そうしたから、彼はこうして鈴羽の運転する車に乗っている。
行き先もわからない――それが心地いい――この車に。


「まゆり……赦して、くれ……」


その言葉は、助けられなかった事に対するものなのか。
それとも安堵を感じている、自分の為なのか。

答えは誰も知らない。
真実など、そこには無いのだから。

車は走る。二人の男と、少女を乗せて。
希望と、無知を、道連れに。


――



第二章
『怨嗟叛逆のプレリュード』


――



「着いたよ」


リクライニングさせた座席に投げた体を起こし、寝ぼけた眼をこする。
スモークの焚かれた窓ガラス越しに細い朝日が車内に入りこむ。どうやら、あのまま寝てしまったらしい。
走り詰めで筋肉痛になった身体を無理やり動かし、車を出た。

ドアを開けた途端、彼らを出迎えたのは潮と埃の臭いだった。
車が止まっているのは建物の中だが、表には海があるらしい。


「……ここはどこなんだ?」


気だるい体を伸ばしながら鈴羽に問う。
荷物を降ろしながら、彼女は答えた。


「ここは隠れ倉庫だよ」


答えになっていそうで答えになっていない返答だった。
だが、それ以上聞く気は無かった。
ここがどこであろうと、ある程度安全なら今の彼らにとってはどうでも良い事だった。

虫食いのような穴が到る所に空いた古びたトタン地の壁。
潮風を受け鉄骨も錆び切り、屋根には大きな穴も開いていた。
地面には砕けたコンクリートや砂利が散らばっている。
隠れ倉庫とは言え、到底人の暮らせる場所とは思えなかった。


「ついて来て。この先が隠れ家だから」


この先?
倉庫は吹き抜けで、何処かに他の部屋がある余地も無い。いやむしろ倉庫の癖に置かれた荷物すら無い。
見える四方全てボロのトタン壁だ。

鈴羽は疑問に思う二人をよそに、地面にあった板に手をかけた。
その板には、なにやら把手のようなものがあった。
鈴羽がそれを引くと板の下に地下へ続く階段が出現した。


「この中。二人共、荷物を持って」


岡部は戸惑いつつも、手荷物を持ち中に入ろうとした。
が、橋田が突然甲高い声を上げた。


「す、鈴羽!」


鈴羽は敵の襲撃かと思い、荷物を放って身を翻して銃を抜き戦闘態勢に入った。
周囲を見回し、敵の気配を探った。が、そんなものは感じられず。


「い、いやその……聞きたい事があって……」


橋田は両手を振り、紛らわしい事をしてゴメンと後に続けた。
鈴羽は項垂れるように息をつき、銃を戻した。


「何?」

「その……牧瀬氏は、どうなるの、かな」


歯切れ悪く橋田が尋ねる。
鈴羽は一瞬視線を落としたがすぐに向き直り、何も含みを持たせぬ鋭い口調で言った。


「あいつらに捕まったんだ。殺されはしないけれど、もう二度と会えないと思った方が良い」


橋田の目が揺れた。それから彼は下唇を噛み締め、地面を見たまま立ち尽くしてしまった。


「行くよ父さん。もう牧瀬紅莉栖についてはどうしようもないんだ。あたし達に出来る事をしないと」


元から紅莉栖と仲が悪かったせいなのか、戦士として育った故のリアリストがそうさせているのか。
紅莉栖の話を切り、懐中電灯を手に地下へと続く階段に足を踏み入れ、岡部と橋田に続くよう促した。
岡部は橋田を一瞥したが、すぐに鈴羽に続いた。

確かに紅莉栖の事も気になる。
だが、鈴羽の言うように紅莉栖がタイムマシンの母と呼ばれる未来が来ると言うのならすぐには殺されないはずだ。
しばらくの間は――何があろうと最低でも十年はまず大丈夫だろう。
岡部はそんな風に考えていた。岡部はまだ気付いていなかったが、情も解さぬ程冷静に考える癖、或いは病はまだ治っていなかった。

その階段は中々に長く、暗かった。長い階段が終わると今度は三つ枝分かれした細い道が現れた。
鈴羽は立ち止り、懐中電灯で周囲の道と、いつの間にか取り出していた地図とを照らす。



「こっち。はぐれないようにちゃんとついて来て」


三人は暗い地下通路へと足を踏み出した。
簡単な舗装はされているようだが、何度も段差や石に足を取られた為に足元を常に確認せねばならなかった。
そんな道をひたすら歩いた。蔓延った気だるい湿気と溜まっていた疲れのせいもあり、目的地に着くまでかなり長く感じた。


「……よし、やっとついたみたい」


鈴羽が扉を開け中に入る。
室内には強い明りが点いていた為、暗闇に慣れてしまった目を反射的に瞑った。

ようやく光に慣れ室内を見ると、予想に反した光景が広がっていた。
外観からは予想もつかない程、室内はよく整備され、自分達がいる大部屋の中央にはPCとデスクトップが何台も並べられていた。

突如現れた洗練された部屋に岡部は呆気に取られた。
後ろからはいつの間にか来た橋田が同様に呆けていた。


「ようこそ。アサシン教団、関東支部に」


鈴羽は荷物を起き、手を広げて二人に言った。

アサシン教団――かつて自分が機関だの、エイジェントだのと妄想したものだが……。
その名前は、どこかそれと同じような幻想の類にしか聞こえなかった。


「え、えっと……鈴羽? あ、アサシン教団って何ぞ?」


橋田が岡部との共通の疑問を投げかけた。


「歴史、とかを説明すると長くなるけど……まぁ簡単に言うと、人類の自由の為に戦ってる組織、かな」


あまりにも簡潔で御伽噺のような答えに、岡部はかぶりを振った。


「暗殺教団……アサシン教団は、シリアにおけるイスラム教のある派閥にあったとされる組織だ。
 その教団は自己犠牲を厭わない戦士を育成し、それを戦闘や暗殺に使用した。
 聖地イェルサレム侵攻に来る十字軍の侯爵を暗殺したりと、戦績もあげていたようだ」

「オカリンよく知ってるね。高校の時、世界史とかとってたっけ?」

「いや、まぁ……色々とな」

「あぁ……厨二病の資料ね……」


痛いところを突かれ、わざとらしく咳払いを話を続けた。


「まぁ、それはいいとして……今言ったように、この組織は十字軍時代、イェルサレムを守ろうとした組織だ。
 それ以外にも宗教上での意義もあるが……その教団が、今もあると?」

「うん、そうだよ。でも時代と共に様相を変えて、今守っているのは聖地じゃなくなった。今守っているのは、人々の自由だよ」

「……何から、自由を守っているんだ」

「もしかして、SERN?」

「SERNも敵の一つだよ」


鈴羽は肯定するが、含みを持たせて回答をする。


「でも、君達は知ってるはず。SERNの裏にある組織を」

「三百人委員会、か」


世界を裏で操る、権力の権化達――たった三百人の強大過ぎる暗躍者達。
ラウンダー、ひいてはSERNを操る集団の事だ。



「そう。でも、三百人委員会っていうのは、一つの呼称に過ぎない。彼らにはまだ名前がある、それはテンプル騎士団っていうんだ」

「テンプル騎士団? なんかどっかで聞いた事あるような……」

「これも十字軍遠征の時代。聖地イェルサレムを奪還したキリスト教騎士が設立した、聖地保護の為の組織……だったか」

「そうだね。確かそんな感じだったはず」

「時代が進むにつれ、銀行業のようなものを行い勢力を拡大。しかし、それが行き過ぎてフランス王に目をつけられ、解体させられた。
 団員を処刑するという手でな」

「オカリン、案外物知ってるじゃん」


橋田の感想には構わず、岡部は話を続ける。


「テンプル騎士団は、俺が言ったように解体させられたんだ。数百年も前にな。
 そんな組織が何故今頃になって世界を掌握しようとしているんだ」

「消えた訳じゃないよ。地下に潜って、再興の機会を窺っていたんだ。
 そして機を得たテンプル騎士は世界中に広まり、各地に影響力を持っていったんだ。
 イスタンブール、モスクワ、イタリア……世界各地に触手を伸ばしていた痕跡がある」

「えっと……それって、いつくらいの話なん?」

「最低でも、500年は前。或いは、それ以上かも」

「それ以上?」

「詳しい事はよくわからない。もしかしたら千年単位じゃ足りないかも知れない」


途方も無い話だった。有史以前からの結社同士の戦いなど想像も出来なかった。


「テンプル騎士団は、一応平和の為に活動していると言い張ってるけど、内実は違う。
 人々から自由を奪い、徹底的に管理する事で、争いの無い平和を手に入れようとしているんだ」

「正に、悪の組織って感じ……」

「そして、そのテンプル騎士団とあたし達は戦ってる。平和の為に、奴等にある物を渡さないように」

「ある物?」


岡部が聞くと、鈴羽は背負っていたバックパックの中から一枚の写真を取りだした。
そこには美しい幾何学模様から光を放つ、何か得体の知れない球体が映っていた。
一体何なのかはわからない。しかし、唯の物体では無い事だけは確かだった。


「これか。これは……一体なんだ?」

「それはPoE、エデンの果実と呼ばれる物体の一つ。リンゴだよ」

「エデンの果実……リンゴ?」

「エデンの果実は人々を洗脳したり、死者を復活させたり、傍受不能な通信機能を持っていたり、まだ解明されてない理論を映しだしたり……。
 遥か昔に作られたというのに、今の技術じゃ到底成しえないような事や魔術とも言えるような超常現象を起こせる人智を超えた物体。
 種類は色々ある。その内の一つがこのリンゴ。人を操ったり、様々な知識を見る事が出来るんだ」

「……はいー?」


橋田が素っ頓狂な声をあげて首を傾げた。
タイムマシンという物を見ていても、信じられないのが当然な話ではある。
マインドコントロールに死者の蘇生。妄想も良い所な話だ。
そう考え、岡部も疑いの視線をかけた。鈴羽もそれは承知しているようで話を続けた。


「まぁ、信じられないのも無理は無いよね。でも、あたし達も一応エデンの果実を入手しているんだ。
 それがこの写真。未来であたしが証拠用に託された資料写真だけど、このリンゴを手に入れたのは第二次世界大戦期なんだ」


まだ橋田はよくわかっていないのか、「へー」と感嘆の息を漏らすだけだった。


「要するに、これを巡って戦っているんだな」

「うん。これがあれば、ある程度人民も統制できる。でも、その人智を超えた物体でも成し遂げられない事が一つあった」

「それって?」

「時間の掌握……タイムマシンか」


岡部がそう言うと、鈴羽は深く頷いた。


「二人共、1943年に起きたフィラデルフィア計画って知ってる?」

「何それ?」

「第二次世界大戦中に起きた、軍事実験事故だったか?」

「うん、その通り」


岡部は以前読んだネットのオカルト記事を思い出す。フィラデルフィア計画、第二次大戦中に起きた凄惨な事故だ。
ニコラ・テスラが当時行っていたプロジェクトの一環で、船舶のステルス機能の搭載というものがあった。
しかし、実験は失敗に終わった。船はレーダーどころか、その場から消えてしまったのだ。
そして船は遥か2500㎞も離れた場所で見つかった。

乗組員はどうなったか?
殆どが死んだか、或いは行方不明になったという。
僅かに生き残った乗組員も精神に異常をきたし、発狂していた。
その乗組員達は体が突然発火しただとか、逆に凍っただとか、体が透明になってしまった等と船の中での出来事を陳述していた。
とにかく不可思議で凄惨な事件なのだ。

透明……そう言えばゲルバナも、透明と言えば透明だが……。
岡部は電話レンジ(仮)の実験で起きた事象を思い出す。


「駆逐艦エルドリッジを使った初めての時間跳躍。
 本来はステルス機能の実験だったんだけど、偶然が偶然を呼び……駆逐艦は予想外の動きをしたんだ。
 時間跳躍という動きをね」

「俺達と似たようなものか」


岡部達が開発した電話レンジ(仮)も偶然の産物だった。
奴等の時間跳躍理論の発見も、偶然だったのか。


「うん、そうだね。でも、この頃のは多角的に行っていた兵器開発の一角に過ぎなかったんだ……」


鈴羽は頭を掻いた後、すぐに話を続けた。
 

「さっき、エデンの果実には人間では解明できないような理論とかを映し出すって言ったよね」

「あぁ」

「実は、このエデンの果実を持ってしても時間跳躍の理論は映し出されなかった。
 そして奴等はあの実験の後、色々な事を検証して疑問に思った。何故時間跳躍理論は映されないのか、って」

「その理由を奴等は見つけたのか?」

「ううん、見つけられなかった。そしてテンプル騎士がそんな事を疑問に思ってる間に、エデンの果実の一つがあたし達に奪われた。
 沢山のエデンの果実をを有していたにも関わらず奪われたんだ。
 そして痛感した。エデンの果実での統治、発展には限界がある事を……ようやく、ね」

「……そして、本格的に時間を手に入れようとしたか」

「SERNが出来たのは1954年。あたし達にリンゴを奪われたのが45年。
 準備期間なんかを考えると、あたし達にリンゴを奪われたのが発端とも見れるかも知れない」

「成程……」

「時間を掌握すれば、エデンの果実なんていくらでも取り戻せる。
 そう考えて、エデンの知識を得ずに彼らは試行錯誤でタイムマシンを開発している」

「が、まだ完成には至っていない……」

「そう。ある程度理論が固まったけれど、あと一歩が進めない状況だったんだ。
 でも、そんな時にあるものが彼らの網にかかった」

「俺の、あのメールか」

「うん。奴等のエシュロンが君達の不可解なメールを傍受した。
 そして彼らは君達をマークした。するとあろうことかわずか数週間で実用的なタイムマシンを開発した。
 奴等はそれをかすめ取ろうとしたんだ。タイムマシン開発のヒントを増やす為に」

「……そして、そうならないように、お前はあれを壊した訳だ」


岡部が恨めしそうに言う。
鈴羽は一瞬ばつが悪そうに視線を伏せたが、話を止めなかった。


「でも、それはできなかった。その代わりに奴等は頭脳を得たんだ」

「紅莉栖か」

「うん。牧瀬紅莉栖。岡部倫太郎には話したけど、彼女は未来でタイムマシンの母と呼ばれている。
 彼女が研究に関わったせいで、SERNのタイムマシン開発は軌道に乗り始め、2034年には……完成する」

「す、スゲェ……さすが牧瀬氏……」

「あたしが乗ってたタイムマシンは父さんが作った物だよ。父さんも同じくらい凄いって」


鈴羽が笑顔を作って父を称賛する。


「鈴羽……」

「ところで、お前のタイムマシンはどうするんだ。あれこそ、奴等に渡ってはいけないものだろう」


秋葉原駅のすぐ近く、ラジ館頭頂部に刺さったあの人工衛星のような物体を思い出す。
初めて世界線を移動し、人々が消え、初めに目を引いた物体だった。
あれがまさかタイムマシンだとは夢にも思っていなかった。

あれが故障する前に、鈴羽を過去に送れていたとしたら?
ふと、そんな疑問が頭を過った。

鈴羽を引きとめるDメールを、新たなDメールでうち消す事も可能だったのではないか?
そうすれば、IBN5100は手元にあったのではないか?

そんな事を考え始めたが、すぐに振り払った。
もう考えても意味の無い事だ。
タイムリープマシンも電話レンジ(仮)ももう無い。たらればの話など、意味は無いのだ。


「心配はいらない。既に自己破壊ユニットで、もう動かないようにしてある。
 修復も、そこから何か得ようとしても無駄なくらいには処理されてるはずだから」

「IBM5100はどうするんだ」

「IBM5100は……過去に戻れない以上、もうしょうがない。タイムマシンも雨で元々壊れてたからね。
 直す暇も無かったしこれからも無いと思うから……」

「……それで良いのか」

「もう時は未来にしか進まない。あたしが全部した事なんだから、今更何を言っても……」


答えの無い問いが鈴羽の答えによって打ち消された。
下唇を噛み締める鈴羽を見て岡部は、そうか、と答えるばかりだった。


「えぇと、ところでなんだけど……」


橋田が手を顎に添えて、何か興味ありげに質問する。


「何?」

「あ、アサシン教団とテンプル騎士団って、今どっちが優勢なん?」

「言うと悪いけど……圧倒的にあっちが有利だね。確か今から数年前にアサシンの拠点が何カ所も襲われてるから……。
 日本も例外じゃないよ。日本のアサシン達は今大阪に拠点を構えてるけど、前リーダーは殺されてる。
 そして以前みたいな活動も出来ず、隠れて組織の復旧をしているから私達への支援は最低限になりそう」

「うわぁ、マジか……」

「何故襲撃されたんだ」

「裏切り者がいたんだ。裏切り者は……うん、確か二年後には殺されるはず。もう一人の希望に」

「もう一人の希望?」


鈴羽は言うかどうか悩んだのか少し唸ったが、まぁ大丈夫かなと呟いた後に喋り始めた。


「デズモンド・マイルズ。世界を救った英雄だって、あたしは聞かされてる」

「英雄だと? 何をしたんだ」

「人類を滅ぼす程の太陽フレアが2012年に来るはずだったんだけど、それを阻止したとか……」

「2012年……その年は確か……」


岡部はその年号に何かひっかかるものを感じた。すぐには思い出せずに長考したが、やがて鈴羽が口を開いた。


「マヤの予言」


岡部は「そうだ、そうだ」と声を漏らしながら昔調べた知識を思い出す。


「2012年の12月21日から23日の間に、世界が一つのサイクルを終えるとマヤ人の残した暦に記されていた。
 サイクルが終わる、つまり世界が滅亡するとして2012年人類滅亡説が出てきたんだ」

「あー、それなら僕も聞いた事あるかも」


橋田が横から口を開く。


「今回に限っては的中したんだろう。その太陽フレアに因って人類は滅亡する、そういう事だろう?」


鈴羽が頷いた。


「だが、太陽フレアをどうやって防いだんだ?」

「それは……聞いてない。ただそういう事をしたとまでしか聞かなかったから」

「そうか」

「えっと、鈴羽?」


橋田が小さく挙手をして先生に質問をするように鈴羽に声をかける。


「何?」

「そのデズモンドって人はまだ生き……あ、2012年に太陽フレアから僕達を守ってくれるから生きてるか」

「うん、生きてるよ。でも太陽フレアを防いだその時に死んじゃったみたいだけど」

「そう、なんだ」


橋田は気落ちしたように肩の張りを落とす。


「それで、そのデズモンドは強いのか?」

「強かった、らしい」

「らしい?」

「うん。あんまり任務とかには就いた事が無かったらしいからそこまで力量は計れないって。
 でも、その戦闘技術は比類無いものだったんだって」

「ほう……」


橋田とは反対に岡部は英雄の話を聞き、胸中に興奮を湧かせていた。
だがその感情に居心地の悪さを覚え、短い相槌でその会話を切った。


「でも……そんな、太陽フレアとか防げる人がいるのにアサシンが劣勢なん?」


橋田が話を本題に戻した。


「うん。そもそも襲撃だとかそれ以前から、この世界にテンプル騎士の息がかかって無い物を見る方が難しいくらいだったからね。
 数では……どうしても負けるよ」

「そ、そんなになん?」

「この世界は、テンプル騎士が作ったもので溢れてる。様々な娯楽、思想、果ては資本主義まで。
 全ては人々を統制する為に、テンプル騎士によって作られたものなんだ」

「ま、マジすか……」

「アブスターゴって知ってるよね」

「あぁ、あれっしょ? あの多国籍企業、製薬とか色々やってる」

「その会社自体が、テンプル騎士か」

「さすが、察しが良いね。奴等の莫大な資金で設立されたこの企業が、今はテンプル騎士の表向きの顔になってる。
 父さんが言った通り、薬学が基本と謳ってはいるけど、奴等は色んな事に手を出してる」

「えっと……例えば、どんな事やってるん?」

「確か今ぐらいには……エデンのリンゴを搭載した人工衛生を飛ばして、世界の情報を総覧しようとしたりしてたはず」

「うわ、なんかそれっぽい」

「まぁ、今の情勢とかはこんな感じだね。君達は、たった今アサシンの一員としての常識を知ったんだ」


鈴羽の表情が、また一段と険しいものになる。


「これから君達にはしばらくここにいて貰う。勝手に外に出る事はあたしが許可しない限り許されない。
 そして、岡部倫太郎にはアサシンの実働員として戦う技術、生きる術を教える。
 父さんは、その岡部倫太郎のバックアップをして貰う」

「ちょ、ちょっと待って……」


橋田が困惑したように、鈴羽にストップをかけた。


「何?」

「ぼ、僕も……やっぱり、やるん?」

「当たり前だよ。言ったでしょ、父さんも創立メンバーの一人だって」

「で、でも……」


岡部が橋田の目を横から見る。
この環境への戸惑い、というよりも、むしろ恐怖が見て取れた。
無理も無い。つい先日、ラウンダーの襲撃を受けそれが強烈な印象として残っているのだ。
そして、奴等に……まゆりも殺された。親しかったはずの、つい先程まで共に笑いあっていたはずの、友人が。

そんな奴等と明確に敵対しなければならない。それは、いつ死ぬかわからない世界に身を落とすという事だ。
逃げ出したい、という気持ちもあるのだろう。


「……ダル」

「な、何? オカリン」

「決めろ」


だが、それは叶わない。


「お、オカリン……」

「俺は……やるぞ」

「や、やるって……」

「まゆりが、殺されたんだ。奴等に、ラウンダーに……桐生萌郁に……。
 まゆりは、お前にとっても大事な仲間じゃなかったのか」


橋田は目を見開き固まった。


「まゆりも、お前にとても懐いていた。気の置けない仲間として」

「まゆ氏……」

「そんな仲間が殺されて、お前は悔しくないのか」

「……」

「俺はっ……」


血が滲まんとせんばかりに拳を握る。
体が一つの感情のせいで、震えていた。


「俺は……悔しいっ……」


沈んでいた怒りの感情が泡を立てて浮上してくる。
その泡に弾かれるようにして言葉が止め処なく溢れてくる。


「いくら足掻いても、まゆりは殺されたんだ。そんな、そんな理不尽が許されるのが、俺は悔しいっ……。
 奴等が、タイムマシンを開発しようと考えなければ……まゆりは、死ななかったかもしれないのに。
 この、怒りを……奴等にぶちまけてやりたい……あんなふざけた連中に、俺達の怒りを思い知らせてやりたい」
 そうは思わないのか!」


岡部の精一杯絞り出すような声が橋田を揺さぶる。
橋田はそれ以降視線を落とし、押し黙ってしまった。


「お前に強要はしない。襲撃を受けて、怖かったのもあるだろう。
 俺も……最初のうちは怖かった。だが、俺はやる。
 まゆりが、復讐を望んでいないとしても……俺は……」


拳を固く握りしめる。


「奴等に、人の命をどうとも思わない奴等に……一矢報いる」

「岡部倫太郎……」


橋田から鈴羽へ視線を戻す。確固たる決意の目で。


「鈴羽」

「何?」

「俺は、まだお前を赦した訳じゃない」


鈴羽の表情が翳った。


「だが、俺はお前の言った通りにする。奴等を……テンプル騎士に復讐する力を、俺にくれるなら。
 アサシンに俺はなる」

「岡部、倫太郎」


人類の自由だとか、エデンの果実だとか。
そんな物はどうでも良かった。

ただ、あの笑顔の――あの無垢な少女の命の――為に、岡部は決意した。


「未来がそう定まっていようといなかろうと……俺は、奴等に反逆する」

「……僕も!」


怨嗟に満ちた決意を宣言した時、隣の橋田が大声を上げた。
先程まで俯いていた橋田が、岡部と鈴羽に強い眼差しを向けていた。


「ぼ、僕もやる! 僕も、ま、まゆ氏の為に……アサシンに、なる」


涙をうっすらと浮かべ、体を震わせながらも橋田は決意した。


「お前……」

「まゆ氏も、大切な仲間だった……だから、僕もオカリンと一緒に、アサシンになる!
 連れ去られた牧瀬氏も、助けるんだ。僕達の、仲間を……」

「父さん……」

「ぼ、僕は、鈴羽が言ってたみたいに、バックアップしかできないとしても……。
 オカリンを、全力でサポートしてみせる! だから、だから僕も……」

「……なぁ」


岡部が、橋田を呼んだ。
しかし、それは友を呼ぶような声では無かった。
威圧感に満ち、相手を押し潰すような迫力があった。


「な、何?」

「そう、呼ぶな。そんな、甘ったれた名前で」

「お、オカリン……」


その時橋田が見た岡部は、以前まで一緒につるんでいたあの友人とは、全くの別人に見えた。
怒りと虚しさを湛えた眼光。その目に橋田は思わず息を飲んだ。

その名を考えたまゆりも、もう死んだ。
だからこの名を呼んでいい者は、いない。


「俺は、鳳凰院凶真でも無い。自らの人質すら守れない、そんな名前も」


まゆりの為に身につけたこの名前も。
全てが終わるまでこの二つの名は自分には名乗れない。
まゆりを殺した、奴等を消し去るまでは。


「俺は……岡部倫太郎……アサシン教団のアサシン、岡部倫太郎だ」



――

以前エタったのを再開
今回はプロットを作成して終着点もちゃんと見通してあるから大丈夫、なはず
更新は遅いと思われますがのんびりやっていきます

――


第三章
『暗中命脈のヒュージティヴ』


――


訓練はすぐに開始された。
隠れ家の間取りはラウンジと個部屋が二つ。
そして、訓練場があった。

筋力トレーニングに鈴羽との組手は勿論の事、食事、応急手当の仕方。人目の少ない場所に出ては、パルクールや尾行の訓練も行った。
何処で手に入れたのか、と聞きたくなるような銃火器やその他武器の扱いレクチャーまでされた。
訓練は肉体的なものだけには留まらなかった。アサシンとしての必要最低限の知識も学ばねばならなかった。
語学や歴史、そしてアサシンの信条も。

目立たず、罪の無い無関係な者を傷つけず、仲間を守る。
アサシンにとっての絶対的な誓い、信条だと鈴羽が教えてくれた。これを守れなければ当然罰を受けるとも聞かされた。
確かにこれは守らなければならない、岡部はそう思った。
目立てば敵に自分の存在を知られる。無暗に無関係の者に害を加えれば足がつくかもしれない。
仲間は守らなければ自分を守ってくれる人間もいなくなる。
今の岡部にとって、それは誓いや信条と言った精神的なものよりも、自分の置かれた新しい世界のルールとして感じられた。
だから守らなければならない。心ではなく、脳にそう刻み込んだ。

訓練、食事、勉強、就寝。一日のスケジュールはそれだけで埋め尽くされていた。
来る日も来る日もそれを繰り返す。
しかし、それでも毎日学ぶ事は変わっていく分、岡部にとってその繰り返しは全く心労にはならなかった。

訓練も最初の頃は小さな怪我が絶えず、一日が終わると死ぬように眠っていたが、三ヶ月もすると体が慣れてきた。
そして半年もすると見違える程に筋力がついた。
身長も少しだけ伸び、岡部は屈強な戦士の土台を着々と作りあげていった。


橋田も拠点に配備されたPCを使い、外界の様々な情報を手に入れていた。
そう時間もかからず、他の支部との連絡係に任されるようにもなった。
そして、偶にではあるが訓練にも参加していた。体は以前に比べかなり細くなり清廉とした美丈夫になっていた。

時折、アサシン教団本部からの指示が来ていた。日本の支部には属さず、直接本部の指揮を受ける事になった為だ。
彼らはその指示に従い、拠点を移すなどしていた。生活資金は教団から支給され、そこまで生活に不自由は無かった。
買い出しなどは戸籍や顔が知られていない等の理由で鈴羽が行っている。
岡部と橋田は現在テロリストとして指名手配されている為に、自由に外に出る事は出来なかった。
未来ガジェット研究所でのラウンダーとの交戦は、宗教にハマった乱心の大学生がテロ組織と繋がり銃を手に入れ起こしたもの、
そんな風に歪曲されて世間に広められていた。
岡部はそんなニュースを見て、どうしようも無い怒りに身を焦がした。

その経緯を含め、岡部は訓練に慣れた頃から、幾度となくラウンダー暗殺――桐生萌郁への復讐――の任務を与えて欲しいと本部に訴えていた。
だが本部にいる導師と呼ばれる幹部クラスの人間からは「焦るな」「次はこうしろ」という回答しか与えてくれなかった。
岡部は辛抱強く、訓練に勤しむしか無かった。

それから拠点を転々としながら、来る日も訓練、情報収集を繰り返した。
そして季節は巡り、夏を越え、秋を越え、風透き通る冬へと変わろうとしていた。
岡部達が潜伏して、一年以上の時間が経過していた。


そして――。


「はぁっ!」


岡部の体重を乗せた廻蹴りが鈴羽に振り降ろされる。鈴羽は腕でガードをしたが、ガードはおろか体ごと吹き飛ばされてしまった。
体勢を崩され、右の脇腹がガラ開きになる。

そしてそこに木製のナイフを突きたてた。
空間の呼吸が、二人の呼吸が止まる。
岡部が寸止めしたナイフを引くと、止まった時間が動きだしたかのように鈴羽も動き始め、ふぅ、と息を漏らして膝をついた。



「はぁ……たった一年で、これだけ強くなるとはね……」

「お前の稽古のおかげだ」


鈴羽はかぶりを振った。


「ううん、それだけじゃないよ。君の努力と才能の賜物だ」


彼女は嬉しそうに言う。手放しの称賛だ。


「おめでとう。これで君は実戦格闘術を修了した。もうあたしが教えられる事は無い」

「そうか」


岡部はわずか一年で鈴羽と同等かそれ以上の戦闘能力を手に入れていた。
確かに努力も才能もあったのだろう。
だが、それだけでは片付けられない。執念の成せる業だった。


「ようやく、これで俺も外に出て任務をこなせるのか」


鈴羽は曖昧に笑い、「まぁ、そうだね」とぼかすように答えた。


「というか、二ヶ月前くらいから本部に何度も任務くれって言ってたでしょ……あたし、あれで怒られてるんだからね?
 まだ訓練も終えてないのに……」


鈴羽が口をとがらせ、おどけたような口調で文句を言った。
鈴羽はあの夏から変わらずに岡部に対し明るく振る舞っていた。

が、岡部はまだ一言もあの時の事を赦すとは言っていなかった。
岡部はどこか鈴羽に対して見えない壁を作っていた。
表面上は仲間として振る舞ってはいたが、あまり彼女と訓練以外で面と向かって話す事は無かった。


「それで……記念に君渡すものがあるんだ」


鈴羽が部屋の隅においてあったバックパックから何かを取りだした。
岡部の前に出された物は、20cm程の細長い箱のついた籠手とハンドガンだった。


「何だ、これは」


ハンドガンはわかるが、籠手の方は一体何なのか見当もつかなかった。
そして内側に細長い箱と更にその上には妙な物が乗っている。
金属製なのはわかるが、全くどういった物か見当もつかなかった。双方とも艶消し加工が施されている所を見ると暗器なのだろうか。
見た事も無い奇妙な物体に岡部は困惑した。


「こっちは、ワルサーとかを参考にして作った……一点物の拳銃。サイレンサーもオプションとしてついてる」

「いや、それはわかる。その……ゴチャゴチャした筒みたいなものがついてるのは何だ?」

「これ? まぁ、見た方が早いよ」


そう言う鈴羽の左腕には彼女が手に持っているのとは別に、同じ形状の筒がベルトで固定されていた。
何をするのかと思い見ていると、鈴羽は左手首を外側に曲げた。

すると、小さく研ぎ澄まされた音と共に、筒の中から鋭い短剣が飛び出した。
その鋭く素早い動作に思わず驚きの声を漏らし驚いていると、鈴羽が説明を始めた。


「これはね、アサシン教団に古くから伝わる仕込み短剣。アサシンブレードってあたし達は呼んでる。
 今見た通り、この武器は手首を外側に曲げる事で剣を射出、収納できるようになってる」

「凄いな」


岡部はその画期的な武器に久しぶりの高揚感を覚えていた。



「でも、君に渡すこれは更に特別製なんだ」

「特別製? どういう事だ?」


鈴羽は短刀入れの上をトントンと指で指し示す。
先程の刃が二枚揃えて並べられているように見えるが、果たしてこれが一体なんだと言うのか。


「それは何だ。毒矢でも出るのか」

「あはは。まぁ遠からずもって所かな、昔はそういうのもあったみたいだし」

「なら一体何だ」

「正解は、ピストルだよ」

「ピストル? ピストルと言うと、引き金のような物がついているはずだが……」

「それがここ」


鈴羽は次に筒の根元にある丸い部分を指さした。


「これを外して、この引き金を引いて撃つんだ」

「はぁ……」

「こういう見た目だと、ピストルだなんてそうわからないでしょ? 手首に付ける銃器なんて想像もつかない。
 それにワイヤーでも引金を引けるようになっているからいざという時の奇襲も可能なんだ」

「そう、か」


こんな物がピストルだと、と疑念を抱きながらも岡部は何とか返事をした。


「変わった見た目だけど、威力、精度は現代のハンドガンと遜色は無いよ」

「現代?」

「あ、いや……何でもない。こっちの話」


鈴羽は大げさに両手を振って誤魔化す。
岡部は少し気にかかったが流す事にした。


「そうか。しかし随分と、良い武器じゃないか」

「まぁ……ね」


先程から何か重苦しく返事をする鈴羽だったが、岡部はその事を気にも留めなかった。
奴等を殺す為に、この武器は力になってくれる。ただその事に興奮していた。


「で……それを、俺にくれるのか」

「う、うん。そう、だね」


鈴羽が歯切れ悪く返事をする。
岡部はさすがに先程からの態度に痺れを切らし、寄越せとジェスチャーするように手を出した。


「ほら、早くくれ」

「え、う、うん……」

「何だ。何か、それを渡したくないようだが」

「え? う、ううん。ごめん……そうじゃないんだけど、さ……」


彼女はこちらに目を合わせようとしない。


「はぁ……何かあったのか?」

「い、いや……そうじゃないんだけど……」


曖昧な作り笑顔を浮かべて鈴羽は一歩下がる。
岡部は彼女のその笑みを見て、自分に伝えたく無い事とこれを渡す事による不都合がある事を察した。
しかし、彼女の事情などはどうでも良かった。


「渡すのか渡さないのか、どっちなんだ」


鈴羽の態度に痺れを切らして一歩踏み出して迫ると、ようやく諦めたのか鈴羽は渋々その二つを渡した。
早速、両方の感触を確かめる。
ハンドガンの方は何かグリップが使い込まれているようで、初めて握るにも関わらず手に馴染んだ。
サイレンサーの着脱をしてみたり、実際に撃ってみたりした。どの動作も滑らかにが行えたので、よく整備されているようだと感心した。


アサシンブレードのついた籠手の方もかなりしっくりと来る。
見た目に反し重量はさほど感じないが、安心感を感じるような適度な重さがあった。
手甲の重さと、アサシンブレードの重さが吊り合うように一つに纏まっているらしい。
しかし、よく見てみると籠手の部分はとても薄い金属で出来ていた。見た目が何とも心許ない。


「なぁ鈴羽。この籠手は大丈夫なのか?」


岡部が質問をしたが、鈴羽はぼうっと岡部の事を見つめて返事をしなかった。
心此処に在らずと言った感じだ。


「おい鈴羽、いい加減にしろ。聞いてるんだから答えろ」

「……え? あ、あぁうん……わかってるよ。で?」


全く話を聞いていないじゃないか。岡部は大きく溜息をついた。


「わかってないじゃないか……この籠手だ。強度の方は大丈夫なのか?」

「あぁ……それは叩いてみればわかるよ」


そう言うと鈴羽は床に放るように置いてあった警棒を持ち、岡部に遠慮も無しに力を籠めてその手甲を叩いた。


「お、おいっ。何をするんだいきなり」

「どう? 痛くないでしょ」

「え?」


叩かれた振動は腕に伝わっていたが、確かに全く痛みは無かった。



「どう? 凄いでしょ」

「……あぁ、そうだな」


つまんで投げれるような薄さしか無いのに驚く程の強度であった。
この籠手は相当に使える。手甲部分だけなら服の袖にも隠そうと思えば隠せるし、近接での攻撃はこれで十分凌げるだろう。

しかし、隠し短刀はどのように使えば良いのか。
どうやって射出させれば良いのかサッパリだったが、ワイヤーを見つけたのでこれを弄る事にした。


「これで刃を出すのか?」

「あぁっ、そのワイヤーは駄目だよ引いちゃ。そっちは片手でピストル打てるようにする為につけたヤツだから」

「何? じゃあどうやって……」

「手首のすぐ下の部分にしっかりと直で装着してあるなら、あたしがさっきやったみたいに、
 ただ手首を外側に向けるだけで刃が出るようになってるよ」

「それだけか?」

「うん。筋肉の動きに反応してバネが動いて飛び出すんだ」

「筋肉の、動き……」

「やってみればわかるよ。あ、少し力まないと駄目だよ。じゃあやってみて」


岡部は言われた通りに、手首を外側に反らしてみた。
すると小さく、しかし鋭い、金属が擦れる音をたてて刃が一瞬にして飛び出した。
あまりの滑らかな刃の動きに岡部は思わず声を漏らした。


「凄いな」

「一応手入れはしてたけど、ちゃんと動くか何度か動かして確かめてみて。
 あぁそうそう、そこのロックを外すと取り外せるようになってるから」

「取り外せる?」

「うん。ブレードの部分だけ抜いて、ナイフみたいにね」

「そうか……わかった。試してみよう」


手首を曲げ、何度か刃が飛び出る感触を確かめる。
刃の飛び出る様は絹を撫ぜるように滑らかで、それでいて勢い良く抜き出る様は白銀の氷よりも冷たい切れ味を感じさせる。

若干細いのが頼りないが、どうやら籠手の部分と同じような素材で構成されているらしい。
それを知ると、強度への不安はたちどころに消えた。

取り付けのピストルを撃ってみる。小さいが果たして威力はあるのか。
手首を反らし、備え付けの的を狙い引き金を引く。
火薬が弾け、弾丸が狙った通りに的を射抜いた。分厚い木で出来た的の奥の方まで弾はめり込んでいる。
精度も威力も申し分無い。ワイヤーを使えば、片手で武器を振りながら撃つ事も出来るか。
意表をつく戦い方も、中距離からの通常運用も出来る。これは良い。

そして最後にブレードのロックを外し、手に持ってナイフのように扱ってみた。
手首に装着し射出させた時は予想よりも飛び出たが、ブレード部分は二重構造になっている為、そこまで刃渡りは長くなかった。
主に突き刺す事で威力を発揮するだろう。イメージとしてはダガーか。
振り回してみても、ちゃんと武器として使える。少々軽い印象だが、研ぎ澄まされた刃の光沢はどれ程の威力を秘めているかを顕著に物語っていた。

この武器を奴等の胸に突き立てる日もそう遠くない。
そう思うと、握った刃の感触がとても頼もしく感じた。

このアサシンブレードと籠手を使えば、近接戦闘ではかなり優位に立ち回れるはずだ。
自分の技術も相当に上がった。今の自分には、恐れるものなど無い。
今までに無い闘志が、自らに湧いて来ているのを岡部は感じていた。


「……ふっ」


薄く笑いを浮かべる岡部を、鈴羽はただじっと見つめていた。
これで良かったのか――ただ、鈴羽はそんな陰鬱とした思考を反芻していた。



「良いな、これは」


岡部の言葉で我に返り、鈴羽は取り繕うように笑って見せた。


「凄いよね、それ。その武器が確立したのがもう500年以上も前だなんて、ビックリするよ」

「ほう……そんなに歴史のあるものなのか」

「うん。この刃が、何人ものテンプル騎士を成敗してきたんだ」

「そうか……」


この刃の内に眠る歴史を知り、湧きあがった闘志は更に彼を奮い立たせた。


「鈴羽! 本部から連絡来たけど! 何か、大事な話だってさ!」


扉越しに橋田の声が響いて来た。
二人は簡単に片付けを終えて橋田のいるラウンジに戻った。


「父さん、本部からの大事な話って何?」

「あれから大体一年が経ったから、僕と倫太郎の詳しい熟達度が知りたいんだってさ」


橋田の岡部に対する呼称は名前になっていた。
以前は何か間抜けな感じがするとこの名前を嫌っていた岡部だったが、今はさして気にならなくなっていた。


「そっか……」


鈴羽は何か察したように、PCディスプレイの前に座った。

本部からの連絡は、いつもW・Mという人物がしてくる。
どこかの支部の幹部クラス以上の人物、という事しかわからなかった。
この名がイニシャルなのか、それとも何か別の物を表しているのか、それすら検討がつかない。

毎度暗号で送られてくるメールだが、既に橋田が解読済みだった。
その解読済みの文面を見て、鈴羽が真剣な表情で返答のメールを作成し始めた。

岡部はその表情から感じとっていた。
自分が何かに狩りだされる日が近い、と。


「……よし、とりあえず返信終了っと」

「なんかまた場所移すとか言われるのかと思って、最初焦ったよ」

「あはは……機材全部動かさないといけないもんね」

「いくら倫太郎達が力自慢って言っても、どれも壊しちゃいけないから神経使うんだよねこれが。
 第一疲れるしさ」

「お前だって、俺と一緒に訓練しているだろう。それにかなり痩せたじゃないか」

「それでもメンドイもんはメンドイっつーの」

「見た目は良くなったが、中身はいつまでも変わらんな」

「それが僕の良い所ですしおすし。あ、ところで、リア充まっしぐらのイケメンになったお父さんを見てくれ。こいつをどう思う、鈴羽」


確かに中々男前になり、詰まったような鼻声も直った橋田だったが、時折出る@ちゃんねる用語とどうしようもない下ネタが彼の魅力を何か残念なものに変えていた。
しかしそういった所が、このチームの中で貴重なガス抜きのような存在になっていた。
彼のおかげで、岡部は未だに人間らしい会話が出来ると言っても過言では無かった。
もしこのチームが鈴羽と自分の二人だけだったら――彼女とは碌に喋る事も無くジョークという概念すら忘れてしまっていたかも知れない。
それだけ橋田の存在は技術面以外にもこのチームにとって大きな物だった。


「あ、うーん……どうだろ」


父親の妙な冗談に、鈴羽は苦笑いをするしかない。


「あれー? 反抗期ってヤツ? 父さん悲しい……」

「あははっ、ごめん父さん」


こういう冗談ばかりの会話は少なくなったものの、やはり心地が良かった。
何か、あのラボの事を思い出してしまう。
ただ騒がしくて、そして穏やかで、無垢だった。
そしてあまりに、軽率だった。

無邪気に笑う二人を見て溜息が零れた。
橋田と鈴羽。彼らは自分の仲間、同志だ。この二人も自分と同じように戦っている。
だというのに、妙な居心地の悪さを感じてしまう。

橋田は本当に死ぬ気で戦う気があるのだろうか。
こいつはラウンダーの恐ろしさをわかっているのか? 俺と同じくらいに?
俺と同じように何度も守りたいものを奪われていく様を見た事があるのか?
奴等がどんなに非道なのかもその端しか見た事が無いだろう。
だから、未だにそんな風に気楽でいられるのだ。
俺はこいつらよりもこの状況を理解している。誰よりも客観的でいられる。
俺だけは――。

幾度にも渡るタイムリープで入った心の亀裂の中に、ドス黒いものが溜まっていく。


「ん、どうしたの倫太郎」


橋田の声に我に帰る。


「あ、あぁ……なんだ」

「いやなんかさ、ちょっと意識飛んでるっつーの? 心ここにあらずみたいな感じだったから」


顔に出ていたか。岡部は大きく息を吐き、「何でもない。ただいい加減に暗殺任務につきたいと思っただけだ」と誤魔化した。
橋田は納得したように「あー」と抜けた声を出した。


「まぁ確かに倫太郎も強くなったし、僕自身のスキルも上がったしね。そろそろ経験を積みたい所ってのは確か」


橋田がそう言っている横で、今度は鈴羽が溜息をついた。



「だからって、そんな急いても良い事はないよ。強くなったのは確かだけど、訓練したのは高々一年程度なんだから。
 本当ならもっと時間をかけてやるべきところを、詰めに詰めてやってるだけなんだからね?」


唇を尖らせ、二人を交互に見ながら彼女は愚痴った。


「わかっている。だがな、いつまでも逃げているだけじゃ何も変わらないだろう。
 こちらから打って出て、奴等の勢力を削らなければ何も始まらない」


強硬的な態度で鈴羽に意見する。鈴羽はそれにムッとした表情になる。


「確かにそうだよ。でもね、こっちはこっちで打って出れる程の戦力が無いんだ。
 味方の直接的な援助は期待できない状況で、これ以上危ない橋を渡る事は出来ない」

「じゃあどうしろと言うのだ。このまま訓練をするだけして、奴等の襲撃に備え迎撃をするだけか」

「そう。見つかっていないからこちらからの接触は出来るだけ避けるべきだよ」

「ではいつまでこうしていればいい? 力をつけても、大勢力でもって襲われれば一たまりも無いぞ。
 だからまだこちらの居所がバレていない間に奇襲をかけるのが一番だろう」

「逆にこっちだって敵の詳しい勢力も数もわかっていないでしょ」

「だから、奇襲をする為の調査くらいやらせろと言っているんだ。いつまでも缶詰になって訓練訓練じゃこちらももたないんだ」


橋田は言い争う二人を見て、また始まったと天井を仰いだ。
ここ最近、方針や作戦について話し合い始めるといつもこうした口論をし始める。

移転や外に出られないストレスのせいで皆精神が過敏になっていたが、特に岡部はその傾向が強かった。
そこで上からのメールが届くなりすると彼は鈴羽に食ってかかろうとする。
そうして鈴羽も負けじと対抗しようとするのでこうして口論になるのだ。


「一年であたしと同じくらい強くなれたのは確かに凄い事だよ。
 でもね、ここのリーダーはあたしなんだ。指図するのはやめてくれるかな。
 それにね、いくら技を磨いて奴等に挑んだ所で物量と火力に押されたら碌に何も出来ないんだ。
 それを打破する為には上からの適切な指示と作戦を――」

「ま、まぁまぁ二人共」


橋田が二人の間に割って入った。ここ最近はいつもこうだった。


「父さんは黙ってて。いい加減岡部倫太郎にわからせないといけないんだ」

「何をだ。臆病風に吹かれた者の情けない言い訳か」

「何を!」


鈴羽が岡部に飛びかかろうとする。橋田が盾になるように前に踊り出て何とか彼女を制止させる。


「鈴羽! やめろって! 倫太郎も煽るなよ!」

「放してよ父さん!」

「鈴羽!」


腕を振り脚を振り、もがく鈴羽を橋田が何とか抑えつける。
岡部はそれをただ睨みつけるだけだ。


「目立ってはいけないって決まりを忘れたの! 岡部倫太郎!」

「目立たなければ良いだけだ!」

「考えも無しに動いたら目立つに決まってる!」

「もういい加減に……鈴羽!」


業を煮やした橋田が娘の肩を両手で掴み、目を合わせて叫んだ。
鈴羽はその剣幕に怯んだのかピタリと止まった。


「仲間内で喧嘩しても何も意味ないだろ? 僕達の敵はテンプル騎士団、SERNだ。そうだろ?」

「とう、さん……」

「ここで僕達が仲間割れなんてしてたら敵の思う壺だ。だから抑えてくれよ」


頭に上った血が抜けていったのか、鈴羽は急に大人しくなり小さく頷いた。


「倫太郎もちょっとあっち行って頭を冷やしてくれよ。こっちはこっちで話す事があるからさ」


岡部は険しい瞳のまま「あぁ」とだけ返事をして自室に戻った。
扉を閉め、小さなテーブルの上に置いてあった精神安定剤を飲み、ベッドに体を放り投げる。
目を腕で覆い、腹から空気を細く絞り出す。薬が効くまで15分間。それまでに色々な思考が駆け巡る。

またやってしまった。もう何度目だ? ここ二ヶ月間の間、喧嘩をよくふっかけている気がする。
こういう話になるとつい頭に血が昇ってしまうのだ。そうして鈴羽に当たってしまう。
やって良い事じゃない。これじゃただの八つ当たりだ。

まだ、赦せないのか。
――赦せるものか。
鈴羽だってきっとあの時は必死だったんだ。
――もっとやりようはあったはずだろ。
鈴羽のせいでまゆりが死んだんじゃない。
――奴が殺したも同然だ。

ぐるぐる、ぐるぐると。
湧き上がる怨嗟とそれを抑えつける理性の声が浮かんでは沈み、胸をかき乱す。
薬に頼らなければこうも精神の昂りを抑えられないとは。
体はいくら強くなっても、割れてしまった心はもう戻らないのか。
岡部は己の弱さに反吐が出た。

扉の向こうからは橋田親子の声がくぐもりながらも聞こえてくる。
低い声と、その合間に相槌を打つだけの短い声が聞こえた。
会話の内容までは聞き取れないが橋田が諭し、鈴羽は静かにそれを聞いているようだった。

岡部はその声に背を向けるように寝がえりを打ち、閊えた蟠りを吐き出すようにもう一度深く息をついた。
わかっている。
鈴羽のせいでまゆりが死んだんじゃない。
全てはラウンダーの、桐生萌郁の――ひいては世界の――せいだ。
彼女を怨む道理は無い。だがそれでも――。



「倫太郎ー」


ノックの後に遠慮がちな橋田の声がした。
岡部は起き上がり、「なんだ」と短く返す。


「頭、冷えた?」

「……あぁ。すまない。もう平気だ」

「そっか。じゃあさ、またこっち来てよ。さっきのメールの返事が来たからさ」

「わかった」


岡部は未だ燻る精神を落ち着ける為に何度か深呼吸をした。
肺に空気が入り、燻りを鎮めてくれる。薬もようやく効いてきたようだ。

ようやく落ち着いた所で岡部はベットから立ち上がり、仲間のいる部屋へと戻った。
PCの前には先程と同じように橋田が座り、その横で鈴羽がバツの悪そうにして岡部を見ていた。
その視線に気づき、岡部は頭を二、三回掻き毟った。


「その……」


鈴羽が伏目がちに岡部に声をかける。しかし、その後の言葉はいつまでも発せられなかった。
岡部はもう一度頭を掻き毟った。


「すまなかった」


直視が出来なかった為、そっぽを向きながらであったが岡部は先に言われる前に謝罪した。
先に謝られるとは思っていなかったのか、鈴羽は呆気にとられていた。


「その、少し気が急いていた。許してくれ」

「え、あ、うん……別に、良いよ。わかってくれたなら」


鈴羽も頭を軽く掻き、そっぽを向きながら返事をする。
妙にしおらしい態度を繰り広げる二人を横で見ていた橋田が、腕を組みながら呆れたように溜息をつく。



「あのさぁ……同棲始めて半年のカップルじゃないんだからそんなしょっちゅう喧嘩するのやめてくれない?
 いつも止めてる僕の身になって考えるべき」


じとついた目を光らせた橋田が唇を尖らせて正当な文句を述べる。


「誰がカップルだ」

「な、何言ってるの父さん」


二人が同時に語気を荒げる。


「いやぁだってさぁ、娘と同世代の男が毎日喧嘩してるの見させられてる父親の気持ちわかる?
 いや僕まだ未婚だし親の気持ちなんてよくわかってないけどさぁ……なんかすげぇアレだよ?」

「痴話喧嘩をしている訳じゃないだろう。作戦について……意見が分かれるだけだ」

「んな事言ってさっきみたいにゴメンねハニー、ううんあたしも悪かったのダーリンみたいな態度でいつも〆る訳じゃん?
 そんなんいつも見せられたら、義父さんお前に娘やりたくなくなる訳」

「誰が義父さんだ」


岡部同様鈴羽も反論しようとしたが言葉が上手く出ず、恥を隠すように目を地面に泳がせるに至った。
冗談めかして喋っていた橋田が一息つくと、眼鏡をくいと上げて真剣な表情になった。


「ま、冗談はさておき。要するにぶつかるのは良いけど程々にしてくれって事。
 僕らはチームなんだから、足並み揃えないとやってけないしさ。
 こんなたった三人のチームで意見合わせられなかったらこの先どうするのって話」

「……あぁ」


頷くしかない、尤もな意見だった。


「鈴羽もわかった?」

「う、うん……ごめん、父さん」


二人の反省している態度を見て満足したのか橋田はもう一度くいと眼鏡を上げた。
そして椅子を回してPCへと体を向けると複数のタブを開いて見せた。



「んで、さっき来てたメール読めるようにしといたから、二人も読んでよ」


橋田は画面を二人に見えるように向けた。長々しく英文が綴られている。
訓練によって英語もだいぶ解読できるようになったので翻訳もいらない。
内容はこうだ。


岡部倫太郎、橋田至。
この二人の訓練は、完了したものとみなす。
これまで良く、慣れない厳しい環境で訓練に耐えてくれた。
君達はこれで我らの一員となったと言っても良いだろう。
しかし、まだ完全に仲間と認めるには経験が足りない。

そこで、君達に最初の任務を言い渡さなければならない。
岡部倫太郎、君が待ちに待った最初の任務を。

君達も知っての通り、関東を跋扈するラウンダーの数はかなりのものだ。
連中は君達がまだ関東にいると睨んでいる。その見当は正しい。
このまま逃げるばかりでは、いつか奴等に発見されてしまうだろう。
日本における我々の影響力も少ないのが、それを助長してしまう。

そこで、今度は逆に此方側から仕掛けるのだ。
我々は東京のラウンダーを統括する人物が入れ換わったという情報を手に入れた。
君達にはその新任者の排除を任せたい。そしてそこから奴等の情報を得て欲しい。
関東におけるラウンダーの影響力を、テンプル騎士団の影響力を少しでも減らし、その先の目標への足がかりを作るのだ。

君達の為にも。そして、来る日の為にも。

任務における詳細部分は、添付しておいた各データと共に熟慮してほしい。
橋田至は実に有能な情報処理者だ。データを有効に使えると確信している。
そしてこのデータを辿れば、阿万音鈴羽と岡部倫太郎の腕ならば完璧に任務を遂行できるだろう。

幸運を祈る。
           W・M




岡部は凝り固まったものを飲み下すように、音を立てて唾を飲み込んだ。
鈴羽も今までの諍いを忘れたかの如くに画面に視線が釘付けになっていた。

ついに、この時が来た。
先程の口論とはまた違う部類の興奮に、岡部の鼓動は戦闘状態におけるそれになっていた。
アドレナリンが脳内に湧き、毛細血管は開き、血と闘志を全身に巡らせんと力強く心臓が猛っている。


「遂に来たね」


橋田が岡部の気持ちを代弁するように呟いた。
鈴羽も、神妙な顔つきで二人の顔を見ていた。


「あぁ……ついに、来た」


岡部はいつの間にかPCデスクに身を乗り出し、食い入るように命令書に何度も何度も読んでいた。
画面に照らされる岡部の顔を見て、鈴羽は何かを危惧するように下唇を噛み締めて立ちつくしていた。


「鈴羽。どうするの」

「えっ?」

「いや、今のリーダーは鈴羽なんだし。この命令、どうするのかって」

「あ、うん……」


呆けていた鈴羽は一転、精神を研ぎ澄ますように目を閉じ、それからゆっくりと目を開けて岡部と橋田を交互に見やった。


「父さん、岡部倫太郎。覚悟は、出来てるよね」

「今更、それを聞くのか」

「あはは……まぁ、そうだよね。この日の為に、岡部倫太郎と父さんは頑張って来たんだ」

「あぁ、そうさ」


橋田も力強く頷いた。
二人の決意は、互いに劣らずに堅いものになっているのだ。

テンプル騎士団に、一矢報いるという目的の下に。


三人は、互いを見合った。
これからは、鈴羽が二人を守るだけでは無い。
互いが互いの命を預ける事になる。

そして誰かが途中で死んだとしても、残った者が成し遂げなければならない。
それが、三人の悲願なのだから。


「これから作戦を立てる。父さん、お願い」


鈴羽が決意したように言うと、父は余裕という表情でそれに答える。


「いいですとも!」


橋田はPC画面に向かい、添付されたデータを開封していく。
眼鏡に画面を反射させ、黙々と作業を続ける友人を、岡部は見ていた。

これからついに始まる。
この一年が辛く無かったと言えば嘘になる。
だが、この一年があったから、俺達はこうして行動を開始する事ができたのだ。
拳に力が入った。


待っていてくれ、まゆり。
俺が全てを終わらせる。


そう、心の中で呟いた。


「これがその新任者、ターゲットの写真」


橋田が添付ファイルの山から、最も重要な情報を抜き取った。
画面に移った写真を二人は見た。

画面の中にいる者と、視線が重なった。
その瞬間。岡部の心臓が、先程までと全く別の動悸に襲われた。
全身の毛が逆立ち、噛み締めた歯が鈍い音を立てて軋んでいた。

影の中に佇む写真の人物。
眼鏡をかけ、虚ろな目で、携帯の画面をひたすらに凝視する、この女。


忘れるものか、コイツの顔を。
赦すものか、コイツの事を。


「これ、あの時の……」

「そう、コイツの名は――」


「桐生……萌郁……」



――


添付されたデータを元に岡部達は襲撃作戦を立てた。
期日は12月29日。

各位訓練を怠らず作戦決行の日まで己を高めた。
そして時は過ぎ、作戦当日の午前1時。眠っていた鈴羽は気配を感じ、目を覚ました。
またか。鈴羽は目覚めると同時に胸中で呟く。鬱屈としながらも部屋から出て、橋田がイビキを立てて寝ている大部屋へ入った。
一応警報装置や監視カメラを確認する。問題は無かった。だがまだ気配を感じる。侵入者では無い。そうなると答えは一つだった。
PC等の機器から漏れる仄かな明かりを頼りに、足を気配のする訓練部屋の方へ。
扉を音を立てないように開けて、中の様子を窺う。

部屋の真ん中に、岡部がぽつんと立っていた。
カシャ、と滑らかに金属が擦れるような音も聞こえて来る。
何度も何度も聞こえて来る彼女にとって馴染みのある音。一体何の音なのかはすぐにわかった。
アサシンブレードの音だ。
知っている音。でも、その音を出させている男のせいで、そのせいで、何か胸中に判然としない沈殿物が貯まり始めていた。
胸に閊えを抱いたまま、鈴羽は訓練部屋の中に入った。


「何してるの」


明かりも点けずに突っ立っている岡部に近づいた。
岡部は鈴羽を見ようともせず、虚空を見つめていた。
既に気配を察していて彼女を見る必要が無いのか、ただ見たくも無いのか。
いずれにせよ、岡部は鈴羽に感心など無いようだった。
いつもの反応だ。ここ数日、彼は夜中になるとこうしてこの部屋に来てはアサシンブレードの感触を確かめている。


「何もしていない」


返事もおざなりだ。まるで洞窟から抜け出る風、掴む所さえ無い無味な言葉だった。
その間も、岡部は手首を反らしてアサシンブレードを起動させる。ツヤの無い刃が小さな音を立てて現れる。
暗闇の中でブレードが出る様は、蜘蛛の脚の動きのように滑らかで狡猾なものだった。


「また?」


一歩、岡部に近寄る。


「あぁ。心配しなくても、もう少ししたら寝る。作戦に支障はきたさない」


もう一歩、二歩。鈴羽は寄る。


「それ渡してからずっとだよ。夜中になったら、そんな風にここにきて、そうやって……」


一歩。手が届く所にまで来た。
止めないと。彼を、止めないと。


「明日は作戦決行日だよ、早く寝ないと」

「わかっている」


返事はしているが聞く耳は持たずと言った感じで岡部はそこで立ち尽くしていた。
鈴羽は岡部の目の前に立った。それでも岡部は彼女の事を見ようとしない。
まるで邪魔者とでも捉えているようだ。鈴羽は溜息をついた。

わかっている。彼が自分を快く思っていない事は。
自分が彼の希望であるタイムリープマシンを壊したからだ。
それを彼はずっと怨んでいる。最近は強くなり自信がついてきたからなのか、
早く任務につかせろと迫るようになったり、面と向かって対峙してくるようになった。
そしてそれを諌めようとよく口論をするようになった。

その彼の言葉の裏に、「お前のせいで俺はこうなっているんだ」という言葉が隠れているような気がする。
わかっている。あたしのせいでこうなったんだ。
あたしがタイムリープマシンを壊さなければこんな事には。

そう思って弱気になり、彼の言葉に負けそうになる。それでも彼を止めてきた。
最初は口論もせずに止められた。けれど、最近は父がいなければ穏便に済ませる事が出来なくなっていた。


悪いと思っている。赦される事ではないとわかっている。何度も謝ろうとした。
しかし口には出来なかった。そういった言葉を口にする事すら、自分には赦されないと思った。
岡部倫太郎は心が壊れる寸前までタイムリープを繰り返した。幼馴染が死に続ける地獄の日々を繰り返していたのだ。
椎名まゆりを死なせない為に。そして自分の思い出を守る為に。
自分の思い出の為に彼はそこまでしてくれたのに、自分は彼の守りたいものを戻せなくしてしまった。

あの時。ラウンダーがラボに襲撃してきた時。
彼は必死に自分に訴えていた。タイムリープマシンが無ければ、あれが無ければ。
まゆりが、まゆりが、まゆりが――。
絶望と悲哀に染まった瞳が自分を見つめていた。
その目、彼の目。それを思い出す度に心の中で彼に詫び続けていた。

償いになるというのなら彼の言う通りにさせてやりたい。
それでも何度も早く任務につかせろと言う彼を見ると、どうしても止めたくなった。
どうしても、死に急いでいるようにしか見えなかった。
まだ彼が死なないという事はわかっているのに、逸ろうとする彼を止めたくてしょうがなかった。

しかしもう一度口に出して謝る事も出来ず。
そうして、彼との間には埋める事の出来ぬ深い溝が出来あがっていた。


「岡部倫太郎」


自分を全く意識の中に置こうとしていない岡部に業を煮やし、鈴羽が少し声を張って呼ぶ。
岡部は大きく息を吐き、気だるそうに鈴羽の方に首を回した。


「後少ししたら寝る。だがまだこいつの感触を確かめていたいんだ。
 こいつの感触を今のうちに馴染ませておかないと、もしもの時に対処できないだろう」

「もう十分だよ。そんな毎日毎日……」


鈴羽は岡部の腕を掴んだ。
岡部は抵抗せず、いや気にもしないというように鈴羽の掴んだ手を振り払おうともしなかった。



「ねえ!」


自分を認識したくもないとでも言いたげな態度に、鈴羽はたまらず叫んでしまった。
岡部はその声に、ようやく鈴羽に視線を向けた。その目は何の感情も湛えていなかった。
単なる空洞が見つめて来ている。鈴羽はそう錯覚し、思わず息を飲んだ。


「何だ」

「だから……もう寝た方が良いよ」


鈴羽は萎縮しながら目を見て伝えたが、「わかっていると言っただろう。もう少ししたら寝る」と、
素っ気なく返され、また視線を外されてしまった。
そしてまた静かな室内に刃の滑る音が響いた。
湿り気を含んでいるような艶めかしい音。人を殺す為に鳴る音。やはり駄目だ。
聞き慣れているはずなのに、彼が使っているとなると胸騒ぎが止まらなかった。

岡部の腕を掴んだままだと言うのに、無意識に手に力が入った。
黙ったまま、手が震えるくらい力強く握った。そしてそのまま動かずに、彼女はそこに立ちつくしていた。
まるで駄々をこねる子供のようだった。
すると、不意に岡部が大きく溜息をついた。


「わかった、もう寝る。本当にそろそろ寝ようと思っていた所だったしな」


彼は鈴羽に向き直り、真っ直ぐに見下ろしてきた。
鈴羽は「えっ」と声をあげ、その目を見たまま立ち尽くしてしまった。


「……鈴羽。おい鈴羽」

「あ、な、何?」

「腕を放せ。お前の言った通りに部屋に戻るんだからな」

「あっ、わかった……」


鈴羽はパッと手を放し、一歩後ろに退いた。
岡部はその横をすり抜けて何も言わずにそのまま扉に手をかけて出て行ってしまった。


鈴羽は一人取り残された。
そして手を胸にあてて、じっと彼が出て行った扉を見つめていた。

彼は死ぬ。これから十五年後に。奴等に捕まり、凄惨に殺されるのだ。
あの刃を渡した時から、いや自分がタイムリープマシンを壊した瞬間からもう引き返せない道へと彼は踏み出したのだ。
それは既定路線。未来の叛逆への種。しなければならない事。彼と自分に課せられた使命。
大局的に見ればそうなる。

だが、彼という一人の人生で見れば惨たらしい事この上無い。
幼馴染も救えず、あまりにも強大な力に死ぬまで抗って傷つき、友人も救出出来ず、そして死んでいく。

未来で彼の話は何度も聞いた。勇敢に戦った人なのだと。英雄なのだと。
でもこうして彼と直接会い、彼の人柄に触れるとそのイメージは変わった。
彼はただの弱い人間で、自分の守りたいものを守りたかっただけの人なのだと。
優しい人だった。父親の事を打ち明けた時、出会って間もなかったというのに損得勘定抜きで協力すると言ってくれた。
おかしな言葉を並べながらも自分を励ましてくれた。輪の中心にいて、皆を活気づけてくれる人だった。
自分のいた時代にはいない、鮮烈で、温かくて、生き生きとした人。

そんな彼を狂わせたのは自分なのだ。
ラウンダーが襲撃してきた時、自分が復讐を果たせと彼に言ったのだ。

でもそれしか彼を元気づける言葉なんて無かった。
タイムリープを幾度も繰り返していたという彼の目、雰囲気。
それが自分の時代の人々と重なった。
目に気力も精気も無く、日中に這い出ては規則正しい列を成して揃って何処かへ行き、そしてまた列を成し帰っていく人々。
鈴羽はそんな人間を嫌という程見させられてきた。彼がそれと同じになってしまうのではないかと思った。
そう思うと、彼にこの道を進ませる以外に道は無かった。

間違っていない。このままこの任務を遂行しなければならない。
彼が死ぬとわかっていても。未来の為に。世界の為に。

鈴羽はまだ、扉を見つめていた。



――


作戦当日。午後六時。
日は落ち、空は灰に染まり、雨が垂れこめていた。この季節には珍しい、前日から二日間にかけて続く雨だった。
この日は雨の勢いこそ落ち着いたものであったが、大粒の雨は道行く人の傘を重く叩いていた。


「遅くなってごめんな……まゆり」


耳が冴えるような雨の静かな喧騒の中、岡部が呟くように言った。
整然と息を潜め、身を冬の風雨に濡らしながらも墓石はそこにあった。
墓石と肩を並べるかのように一人ぼっちで、白く湿った息を吐き出しながら寂しく座り込んでいる人間がいた。
岡部倫太郎だ。

彼の目の前にある墓には花が添えられていた。岡部が持ってきたものだ。
彼はここに、けじめをつけにやって来ていた。
椎名家の墓――その墓にはそう掘られていた。
そして彼は独白を続ける。


「俺も、あれから色々忙しかったんだ。ほら、体格も何か強そうになっただろ。
 鈴羽の所でトレーニングをしてるんだ。それでこんな風にな……あ、至も、ダルも凄く痩せたんだ。
 写真には収めてないけど……かなり痩せたんだ。普通の人くらいに」


岡部の言葉がそこで止まった。
なんて拙い言葉だ。もっと、言う事があるだろ他に。
車に轢かれたあの時見捨てた事を謝るとか、お前の為にあいつらを殺して来てやるとか。
もっと重要な話があるだろ。

岡部は頭を垂れ、思い巡らせた。何を言えば良いか、何を伝えれば良いのか。
まゆりがいるんだ、ここに。彼女はどんな風に俺の話を聞く?
いつも楽しそうに笑って、俺のくだらない空想も笑顔で聞いてくれていた彼女は、今の俺をどう思う?
タイムリープをして彼女を何度も助けようとした。だが出来なかった。
こんな無能な俺を彼女はどう見る? 彼女は俺を赦してくれるのか?

岡部はまんじりとも動かずにただ思った。
だが思った所で、彼の中のまゆりは変わらなかった。


多分、謝っても何をしても彼女は優しく俺を見つめる。
そして、俺の事を心配する言葉をかけてくる。
オカリンのせいじゃないよ――目の奥に浮かぶ彼女が、にっこりとほほ笑んでそう言う。
そういう子だった。自分の事を誰よりもわかってくれる、そして気遣ってくれる子だった。
人の感情の機微に鋭く、それでいて場のムードを作ってくれる優しい子。


「まゆり……」


彼女が復讐を望むだろうか。望まないだろう。
自分が苦しむ道を進む事は彼女は望まない。

望む訳が無い。でも、それでも――。


「倫太郎……」


長考に耽る岡部の後方から橋田が近づいてきた。


「至か」


岡部は小さく息をつき、振り返りもせずに来訪者の名前を呼ぶ。
橋田は岡部の横に立って墓を見下ろした。


「挨拶、ちゃんと出来た?」

「あぁ」


岡部が短く返す。
橋田も自分が持ってきた花を岡部のものの隣に添えた。
岡部はそれを横目で見やる。


「まゆ氏……僕達、頑張るからね。SERNなんてすぐにやっつけるからね。
 仇を絶対とるから……」


芯の通った声で橋田が墓に語りかける。その語りに対しての返事は無い。
雨が傘を、墓を、地面を静かに叩いていた。



「なぁ、倫太郎」


橋田が立ちあがりながら口を開いた。


「何だ」

「僕さ、さっき通りで人とぶつかったんだ」

「それがどうした」

「そのぶつかった人、阿万音由季って名前なんだ。鈴羽とそっくりだった」


岡部の瞳が揺れた。


「そうか」


しかし、動揺は表に出さずに淡泊にそれだけを返した。


「一応、連絡先とかは聞いた……というか、告白しちゃった」

「そうか」

「うん……とっても綺麗で、良い子そうだった。コミマの帰りで、浮かれて前を見てなかったって。
 ぶつかって、彼女の顔を見て……反射的に付き合ってくれなんて言っちゃった」

「そうか」


岡部は感情の籠っていない声でおざなりな相槌をうつ。


「……ちゃんと聞いてる?」

「聞いてるさ。別に、驚きはしないだけだ。きっと既定路線だったんだろ、今日逢うっていうのが。
 もう鈴羽っていう子供がいるんだ。お前達二人が結婚して子供を設けるのも世界が決めている。
 この世界線では既に決まっている事なんだ」

「そうだけどさ……」


橋田は何か気に食わないのか何か言いたげに言葉を切った。
その態度が岡部の癪に触った。


「じゃあ良い言葉で言い換えろというのか? 良いだろうじゃあ言ってやる、これは運命の出会いだ!
 運命の人との運命の出会い。どうしようもなく傲慢な世界が作った運命だ! 稚拙なプロットに沿って行われる茶番だ!」


岡部は立ち上がり橋田に詰め寄って捲し立てた。
橋田は目を点にして驚き、その後何か言おうと口を開いたが、何も言わずに口を閉じ俯いて黙ってしまった。


「……悪い。良い言い方じゃなかったな、今のは」


岡部は頭を垂れて額に手を当てながら溜息を落とし、謝罪をした。


「ううん。倫太郎の言う通りだと……思う。鈴羽がいるって事は、絶対出会うって事だったんだから」

「だが」

「いや、いいよ。大丈夫。怒ってないからさ」

「至……」

「うん……色々、足跡とか残さないようにするから。その、彼女と付き合う時は」


岡部は何も言えなかった。ようやく搾り出せた言葉が、「そうか」の一言だけだった。


「もうそろそろ行こう倫太郎。作戦の準備をしないと。鈴羽も待ってるし、ここにも奴等の見張りがいないとも限らないしさ」


時計を確認する。時刻はもう十時をとうに過ぎていた。


「……そうだな」

「えっと、先行った方がいいかな」

「あぁ、すまん。もう少しだけここにいる」

「じゃあ、また後で。えっと、なるべく早くね」


黙って頷く。それから橋田は早足で去り、また岡部は一人になった。
岡部を憐れむように、じっと動かずに墓石が彼を見つめている。

彼は墓石の方へ向き直った。そしてもう一度腰を低くする。
目線を低くして、彼女と目線を合わせられるように。


「……ごめんな、まゆり」


先程も言った言葉を繰り返す。
今の岡部が彼女と対峙して最初に出て来る言葉はどうやっても謝罪の言葉しか無かった。

謝る理由。彼女を助けられなかった事に対しても、そして――。


「やっぱり俺は……あいつらを、赦せそうに無い」


これからやる事に対しても。


「全部終わったら、またここに来るから。ごめんな……」


岡部は立ち上がり、数秒名残惜しそうに彼女が眠る場所を見つめてから踵を返した。

もうあの頃には戻れない。
文字通りの意味だ。だから、前に進むしか無かった。
自分にはそれしか道は残されていないと、確信していたから。


――


ガタゴトと機材が音を立てながら揺れている。
岡部もそれに倣うように車の揺れに身を委ねていた。

三人を乗せたバンは大型トラック用に整備された道路の合間を縫うように進んでいた。
もう午後11時を回っている。時刻が時刻だけに他の車の姿はあまり見られない。時折運搬用の大型トラックが通り過ぎていくだけである。
トラックが通る為に大きくとられた道路、巨大なはずの倉庫はその道路から見るとやけに小さく見える。
それにどれもこれも薄いピンクだとか濃い緑だとか、気持ちの悪い色ばかり。
距離感が狂う。遠近法が崩れた、水で薄めに薄めた絵具で描かれた絵の中にでも突き落とされた気分だった。

ここは青海、東京臨海副都心。陸側にはレジャー施設、半島のように突き出た海側には巨大な倉庫が並ぶ人工島。
桐生萌郁が現れるとされる倉庫もそこにあった。
ラウンダーはこの倉庫群で武器の受け渡しをするらしい。

日本は銃刀法という法律によって銃火器やその他武器を獲得するのが難しい国である。
よってラウンダー達も武器を手に入れるのはそれなりに難儀するようだった。
武器の受け渡し及び補充は日本のラウンダーにとっては重要事項であり、死活問題でもある。
よってその現場にはそれ相応の責任者が必要になる――というのが他の支部と本部からの報告であった。
そしてその現場に岡部達のチームが奇襲をかけ、桐生萌郁を暗殺し、あわよくばその武器も奪取する、というのが今回の作戦目標であった。



「いや、かなり無理なくねこれ」


と、作戦要綱を読んだ橋田が背もたれに体を預け、引き攣った半笑いを浮かべた。鈴羽も頷く。


「この人数で、この動員が見込まれる場所に突っ込めなんて……正直まともじゃない」


鈴羽はキッパリとこんな作戦は無謀だと断じた。しかし、岡部は反対しなかった。


「いや、だからこその少人数なんじゃないのか? あの辺りの倉庫群はかなり巨大だし、隠れられる場所も多いはずだ。
 最低限の退路を確保しながら進み、見つからずに目標を暗殺をする事だって可能なはずだ」

「向こうもそういう意味で言ってるんだろうけど……これ、正直死んでこいって言ってるようなもんだよ」


鈴羽が頭を垂れ、それを押さえるように手を額に置く。


「まぁ……あたしが言った情報を信じてくれたから、こういう作戦を立案してるのかも知れないけどさぁ……あんまりだよ」


独りごちるように鈴羽が声を落として呟く。


「情報?」

「え? あ、あぁ……まぁ、色々とね。未来から少しだけど有用な情報を渡してるから、さ」


曰く、未来で教団から最低限持っていくようにと渡されたデータ以外にも、ある人物が記していた記録を持ってきていたらしい。
それも一緒に現在の教団に譲渡した、との事だった。


「あー、だからこんな風に敵のおおよその配置場所とかわかってるんだ」

「そ、そうそう」

「つーか、ルート一つだけしか書かれてないね。それ以外の情報は?」

「それは……データに無かった」

「ふーん。そういうもんか」

「そ、そう。そういうもの」


鈴羽は何処か歯切れが悪い。
岡部は何か不自然だと思ったが気にしない事にした。
未来の事など今は知りたくも無かった。


「いやまぁ、確かにルート上の敵の配置とか動員数とかバッチリわかってるならこの人数で行って来いも理解できるけど……。
 僕らあれだよ? 初任務だよ? バイトだったら研修だよ? 私初めてだから痛くしないでってお願いする側だよ?」

「父さん……何その例え」


鈴羽が父親を憐れむような目で見つめる。
岡部が咳払いをし、会話に割って入った。


「とにかく、だ。俺はやる。敵の配置もわかっている。定時連絡の時間も、おおよそこちらの有利になる情報は揃っている。
 しくじらなければ完遂出来る任務だ。そうだろう?」


二人を交互に見やる。橋田も鈴羽も、親子揃って頭を掻き、それはそうだがと口を揃えて言った。


「どんな任務にも危険は伴う。そうだろう鈴羽」

「……はぁ。まだそういう事したことも無いくせに、わかりきったように言うね」

「危険など、幾度も経験した。お前に負けないくらいにな」


妙な空気を察し、橋田は椅子から立ち上がり、まぁまぁと二人の間に割って入った。
しかし鈴羽は言い返さなかった。その代わりに降参だと言わんばかりに両手を上げた。


「わかった。確かに君の言う通り、敵の配置その他重要な情報は揃ってる。
 これならあたし達でも……完遂出来る」


と、作戦を肯定した。


「じゃあ……」

「……準備するよ、二人共」


そうして準備を押し進め、12月29日今日この日がやってきたのだ。



「雨、全然上がんないね」


静寂を破り、橋田が独り言ともつかぬ言葉を漏らした。
長く続く雨は未だ止まず、落ち着かない湿りを地上へと落とし込め、漆黒の空を我が物顔で濃い灰色に染め上げていた。


「そうだな」


岡部が短く返す。それから誰も言葉は出なかった。バンは元の静寂に包まれた。
この車に三人で詰められてから、誰も無駄な口を叩かずに己のやる事だけを成していた。
橋田はハンドルを握って忙しなく回りを確認しながら車を動かし、鈴羽は入念に自身の装備の整備を行っていた。
岡部ももう一度装備を見直す事にした。

濃い灰色のパーカーの袖下に隠したアサシンブレードと籠手。問題無く刃は出る。
仕込みピストルに弾は込めてある。インカムとそれにつけたカメラも問題無い。
ワルサーのマガジンを確認し、ホルスターに仕舞う。
薬だってついさっき飲んだばかりだ。

鞄に仕舞い込んだ道具各種も見る。
かつて未来ガジェット四号機と名付けられていたモアッド・スネークを改良して作った新型投擲煙幕、
モアッド・スネークVer.2.01やら、登攀用の手袋やら、弾薬各種等々……全て整っている。
敵配置の再確認もする。もう何度も通した書類にもう一度意識を集中させる。
そうして全てが終わった。

やる事が無くなり、やがて首を埋めて片方の脚を抱きかかえるようにしてじっと座るだけに至った。
そしてもう何度となくついた深い息を、長く、長く吐きだした。

ようやく、この時が来た。復讐の時、まゆりの命を最初に奪ったあの桐生萌郁に思い知らせる時が。
岡部は腕に巻いたアサシンブレードの感触を確かめた。
するりと、水滴が滴るが如くに静かに射出されるブレード。
何度も、射出する。そして軽いはずの刃に込められた重みをもう一度噛み締めるように何度も、何度も。
その閃きの内に、岡部の脳裏にあの八月の記憶がフラッシュバックする。

何度もタイムリープを繰り返し、幾度も見たラウンダー達の手腕。
ただ数に物を言わせるだけの連中では無かった。明らかに訓練を受けたと推察できる者達もいた。
その者達に勝てるのだろうか。情け容赦の無い殺人集団に。
体や技術は磨いて来た。だが人を殺した経験など一度も無いというのに――。

いや、大丈夫だ。先人達がやってきたように、自分もやれる。この日の為に休みなく訓練をしたんだ。
命を懸けた任務。緊張はあるが、頭は冴えている。修羅場などタイムリープを繰り返していた時期に何度も越えたじゃないか。
それに不意打ちとは言え鈴羽一人で訓練されたラウンダー数人をねじ伏せた所だって見たじゃないか。
訓練では俺の方が強くなっていたんだ。俺だって出来るはずだ。俺だって。

人を殺す……その重みにも耐えられる。
いや、奴等は人などではない。畜生だ。人の命を何とも思わない餓鬼畜生。
奴等に慈悲を与える意味など無い。殺せ。無慈悲に殺せ。皆殺しにしろ。
あいつらがまゆりにした事と同じ事を奴等にし返せ、思い知らせろ。
この刃を奴等の喉元に突き立てろ。

じっと、薄闇の中に閃く刃を見つめながら岡部は自分に言い聞かせた。
もう何度目かになる深呼吸をする。少し鼓動が落ちついた。
そして息を吐きながら、滑らかな刃に映った己の姿が見た。
鋭い眼光、こけた頬、乱雑におろされた髪、手入れのされていない無精髭、血管の浮いた太い首。
刃に映った姿は獣のように荒く研ぎ澄まされていた。
そうだ。これが今の俺だ。アサシン――岡部倫太郎だ。


岡部は刃を仕舞い首を埋めるようにし、目蓋を閉じた。
ただ精神を落ちつける為に目を閉じた訳ではない。己の感覚の研ぎ澄ます為だ。

耳を澄ませば、タイヤがアスファルトを駆る音、雨が車を叩く音が聞こえる。
もっと集中する。深く、深く、意識の中に沈みこんでいくように。すると、聴覚に『輪郭』が現れ始めた。
バンや路面を叩く雨が弾ける様、遠くを走る車の姿、街灯の微弱な音さえも淡い輪郭を持ち始める。
聴覚が視覚の中に入り込み、音を投影してくる。
このバンの周囲の物が朧だが全て見えるようだった。前も横も、そして背後さえも。全てが靄がかってはいるが見えてしまうのだ。

岡部はこの奇妙な『感覚』をこの一年のうちにいつの間にか会得していた。
きっかけは鈴羽と森林で訓練をしている時だった。
1対1で森林の中、相手に見つからないようにしながら近付き倒す。それが訓練の目標だった。
その最中、森の中に流れる音を聞き、不審な点は無いかと探ろうと思った時、この感覚が現れた。
目を閉じて聴覚に集中していたというのに見えてしまった。しかも自分の背後まで。

岡部は最初幻覚か眩暈の類かと思った。
しかし、違った。幻覚でも眩暈でも無く、それは本当に聴覚が見えていたのだった。
何度も何度も確認した。結果は同じだった。何度も見えた。

そしてそれを確認している間に背後から何かが迫っているのを見た。
何かの塊がゆっくりとこちらに近づいてきていた。
最初は何かわからなかったが、全神経を集中して見るとそれが索敵中の鈴羽だとわかった。
徐々に、徐々に。極力音を立てまいとしながら近づいてくる。
岡部には見えた。そして敢えてわかっていないフリをして待った。
そして、確実に狙える距離にまで近付いてきた所で反転し、ハンドガンで狙いを定め「動くな」と発した。

塊が、草葉の中から両手を上げて立ち上がった。
鈴羽だった。

その日以来、岡部はこの感覚を磨き続けてきた。
今はまだ靄が少し輪郭を持つ程度になった程度だが、まだまだこの感覚には伸びしろがあると岡部は感じていた。



「岡部倫太郎、見えたよ」


鈴羽の声が、感覚を確かめていた岡部を現在へ引き戻す。
目を開け、本来の視覚で鈴羽の指す目標をフロントガラス越しに見つめた。

足元だけを照らされた、闇の中にぼうっと浮かぶ大型倉庫。
それは遠く、いや近いのだろうか。相変わらずここからどれくらいの距離があるのか掴めない、のっぺらとした印象を与えてくる巨大施設。
その異様が妙な威圧感を生み、牙城のように聳え立っていた。岡部はその光景に、思わず生唾を飲み込んだ。


「隣の隣……えっとここだね」


橋田が目標施設を確認し、そこから二つ離れた敷地へと車を入れた。
流石にそのまま乗り入れては見つかってしまうと思われたので、一応離れた場所から徒歩で行きカメラと監視の合間を縫って行く事にした。
何度も車が曲がり、左右に体が揺られる。そしてゆっくりとブレーキがかけられ、車が止まった。


「よし。とりあえずこの辺で……」


橋田が運転席から後ろへ移動し、バンの壁面に備え付けたPC群の前に陣取る。
ヘッドセットを付け、キーボードを弄り回し、パンと手を叩き準備完了と宣言した。


「岡部倫太郎。用意は良い?」


ホルスターにハンドガンを収めながら鈴羽が岡部に鋭い眼光を投げる。
岡部はそれに首肯し、灰色のパーカーについたフードを深く被った。


「よし、とりあえず今日は雨天だからプランはAで行くよ」

「あぁ、わかった」

「父さん、あたし達が出たらすぐにランデブーポイントに向かって」

「オーキードーキー」

「よし……じゃあ、行くよ」


鈴羽が扉に手をかけようとしたその時、橋田が「あー!」と叫んだ。


「何! どうしたの!? 敵襲!?」

「い、いやそのさ。今回の作戦名とか決めてなくね? って……」


鈴羽と岡部は一瞬呆気にとられたが、すぐに二人同時に呆れるように肩を落とした。


「父さん!」

「あ、いや、だってさ……ずっとラボメンで何かする時オカ……倫太郎が意味わかんない作戦名付けてたじゃん?
 僕らもまだ一応ラボメンな訳だしさ、ゲン担ぎって訳じゃないけど……そういうのって大事かなって」


鈴羽は目を点にした。それから呆れたと呟き、頭を掻き毟った。


「まぁ……確かにあたしがいた時代でも作戦名付けてたけど……」

「でしょ? だからさ、倫太郎」


橋田の視線が岡部へと移る。


「作戦名、お願いできる?」

「俺がか?」

「いや、いつもそういうのやってたの倫太郎じゃん」

「確かにそうだが」

「ね?」


そんな話を振られると思っていなかった岡部は視線を床へと泳がせ、しばらく思考した。
そして拳を握り締め、決意の眼でもって宣言する。


「なら……付けさせて貰おう」

「おう。どうせいつもの北欧神話からだろうけど」


自分で頼んでおいて何て言い草だと思ったが、気にしない事にする。



「今作戦は……オペレーション・ワルキューレとする……異存は無いな」


鈴羽はその名前を聞き、目を見開き、岡部に尋ねた。


「わかってるの? この名前の意味がどういう事なのか」


岡部は鈴羽を真正面に捉えて毅然たる態度で返した。


「わかっていて、言っているんだ」


違う。そういう意味で聞いたんじゃない。鈴羽はそう言おうとしたが、幾度か口を開けただけで声にする事は出来なかった。
乾いた唇を湿らすように噛み締めた。そして鈴羽は静かに言った。


「……了解」


――


潮の香りがする冷たい風が吹いていた。その風に煽られるように、雨がゆらりゆらりと揺れ落ちる。
岡部と鈴羽、二人はその風雨をその体で切り裂くように走り、目標の倉庫に到着した。
背中を壁に付け、岡部が周囲を警戒しつつ、鈴羽が登攀用の手袋を装備し、手際良く雨どいをよじ登って行く。
雨どいは雨に濡れているというのに、鈴羽はもたつきもせずに驚異の身軽さで上へと向かう。
技術もあるが登攀用手袋の効果は絶大だな、と岡部は感心した。

雨どいに隣接した二階の小さな窓の所まで来た所で鈴羽が鞄から新たな道具を取り出し、それを窓に取り付けた。
数秒後、それを取り外すと窓に手を入れられる程の穴が開いていた。
そこから手を入れ鍵を開け、鈴羽は侵入する事に成功した。
そしてすぐにその窓からロープが垂らされた。岡部はそれを掴んで二、三度強度を確認する為に引っ張ってから登り、難無く侵入に成功した。


「二階トイレに侵入成功」


鈴羽が無線機の向こうにいる橋田に報告をする。


<オッケー。じゃあそこから出て、一旦上へ行って。最寄の階段は巡回がいるから、そこからもう一つ先の階段ね>

「了解」


二人はホルスターから銃を抜き、扉の両側に貼り付いた。そして銃を構えながらゆっくりと扉を開く。
常夜灯だけが照らされた仄暗い通路の中に敵影は確認できない。
二人はすぐさま踊り出で、また音を立てずに走る。事務所区画を抜け、目標の階段を駆け登る。
三階に到達し、扉をゆっくりとほんの少しだけ開け、その隙間から中の様子を見る。

この時間帯は操業は停止している、との事だったが倉庫内は光で満ちていた。
扉から先は衝立で通路が作られており、巨大な棚が無数に並べらているという事以外奥の様子はわからない。



「貨物エレベーターは見えるか」

「ううん。でもこの通路に敵影は無し。行くよ。このフロアにも四人いるらしいから注意して」


鈴羽の先導で二人は倉庫内へと踏み入った。衝立の切れ目手前に身を隠し、奥の様子を探る。
暗く、奥行きの知れない倉庫の中で貨物エレベーター前に陣取る集団がいた。
仮面で顔を隠し、突撃銃を肩から提げた物騒な男達。
ラウンダーだ。SERN及びテンプル騎士団の手駒であり、暗殺や誘拐、その他の汚れ仕事引き受ける部隊。
岡部はラウンダーの姿を確認した瞬間、激しい憎悪が胸中に犇めくのを感じた。
奴等のせいで、奴等のせいでまゆりは――。
ふつふつとわき上がる憎悪の念が無意識に呼吸を荒くする。


「岡部倫太郎」


向かいの衝立裏に立つ鈴羽が厳しい目で岡部を睨む。


「作戦に集中して。そんな風に感情的になったら駄目。落ち着いて」


鈴羽が声を潜めながら岡部を諭す。


「あぁ、わかっている」


歯ぎしりの後上辺だけの返事をし、岡部は再度ラウンダーの様子を抜きみ見た。
敵は情報通り四人。全員が同じ武器を持ち、同じような仮面を付けている。
体格も同様に良く、訓練されている事が容易に感じられた。
情報ではラウンダーは無作為なメールで集められていると聞いていたが、
どうやらここにいるのはそういう無作為の手合いではなく精鋭ばかりらしい。


「あれ、見える?」


鈴羽が顎をくいと動かし指し示す先、貨物エレベータの数十m先にダストシュートが見えた。
そこから降りれば一階搬入口に着く。桐生萌郁が武器の受け渡しを行っているのがその場所だ。


「貨物エレベータとダストシュート付近は固められている。
 この付近には大きな棚があるが、あの周辺は遮蔽物が無さ過ぎる」

「だとしたら……」


鈴羽と岡部は同時に上を見上げた。
そしてすぐに視線を互いへと戻し強く頷いた。


「この天井の高さなら上からでも行ける、か」


天井付近は密接に梁とそれを縦横に渡る細い柱が渡っている。
これなら梁を足場に出来る。


「うん。それにあそこを見て」


鈴羽の視線を追った先には天井下5mまで伸びた巨大な棚と、それに隣接する柱に手をかけられそうな段差があるのが見て取れた。


「あそこから登れるな。それに、角度的にも視界に入りにくいか」

「あたしが行く」

「いや待て。俺が行く。お前の方が射撃の腕は上だからな、援護を頼む」


鈴羽はその提案に首肯した。
岡部は鞄から掌に収まるような小型ドローンを取り出した。


「至。お前の出番だ」

<オーキードーキー>


ドローンは岡部の掌から離陸し、衝立の陰を飛び、壁の近くまで行った所で高度を上げ天井の梁付近まで上がった。
橋田の操縦で動くこのドローンには小型カメラが搭載してあり、これにより困難な偵察も容易に行えるのだ。


<倉庫内は全部明かりがついてるね……警戒の為だろうけど。
 一応周囲も見たけど、ここは形だけの警戒ってレベルなのかやっぱり四人以外の敵は見えないね>

「そうか、わかった。ドローンを戻してくれ」


岡部が言うと、すぐにドローンは来た道を戻って岡部の許へと戻ってきた。
橋田はすんなりとやって見せたが、相変わらず器用なものだと岡部は感心した。


「じゃあ、岡部倫太郎。あたしが合図したら行って」


そう言うと、鈴羽は周囲をもう一度警戒し、岡部に行けというハンドサインを送った。
棚の並ぶエリアへと踊り出て、即座に一番近くにあった棚の裏へ隠れる。
そして敵の視界に入らないように、棚から棚へと身を移し、目標の棚へと到着した。
他の棚には電子部品や携帯関連の細々とした物品が満載されていたが、その棚には運よく数個のダンボールが乗っているだけだった。
棚の段を足がかりに岡部は素早く頂上へ登った。


<よーし倫太郎。棚の上まで登れたみたいだね。この角度からなら上に登っても見えない。
 気をつけてくれよ。ここでバレたら桐生を追うのはおろか逃げる事も難しくなるから>


インカムに取り付けた小型カメラから様子を見ていた橋田が心配そうに言う。
岡部はそれに返事はせず、ゆっくりと音を立てないようにして柱へと近づいた。
そして慎重に手を伸ばし、段差を掴み登り始めた。

訓練で幾度もボルタリングや自然の中でのパルクールを行ってきた岡部にとって、
綺麗に整備された段差がある柱を登る事など容易い事だった。
易々と天井を支える梁に登りつめ、まるで猫のように梁の上を渡っていく。
ラウンダー達は岡部が迫っている事に全く気付いた様子も無く、ただ前方だけをじっと見つめていた。


「着いたぞ」


敵の頭上に到達し、通信機に囁く。


<真下の二人を片付けて。残りの二人はあたしがやる。合図したらやって>

「了解」


岡部は眼下の二人にいつでも飛びかかれるように身構えた。
左手首に装着したアサシンブレードを意識する。

初めて人を殺す。
復讐を誓った身なれど、その事を意識すると背筋に嫌な怖気が走った。
岡部は雑念を払うように首を振った。

奴等は畜生だ。殺す事に躊躇いなんていらない。
奴等が冷徹に人を殺せるなら、自分もそうなるまでだ。
何処まで落ちようと、俺は必ず、復讐を果たす。


――誓いを固めた瞬間、岡部の意識がぐらついた。
呼吸が出来なかった。意識が鷲掴みにされ、何処かへと引っ張られていく。
しかし、この感覚に岡部は覚えがあった。
リーディング・シュタイナーだと? 何故、今ここで?

意識が引き戻され、何とか呼吸が出来るようになった。
目蓋を開け、何事が起きたかを確かめようとした瞬間――。
岡部は我が目を疑った。


「ここは……何処だ?」


目がまともに開けられない程の強い太陽光が容赦なく照り付け、強風が頬を叩きつけるようにして吹いている。
鷲の甲高い鳴き声がとても近くで聞こえる。
岡部は一瞬、今起きた事の何もかもを理解出来なかった。
倉庫の中でこれ程の強風などあり得ない。いや、そもそもこの光景があり得ない。
岡部は今、何処の街とも知れぬ塔の天辺に立っていた。


「これは、何だ?」


眼下に広がる街は土で出来た建物ばかりだった。
中東か、何処かだろうか。しかし、道は全く整備された様子もなく、遠くに広がるのは砂が作りだす地平線だけ。
車や飛行機、そんなものの痕跡はまるでない。

今度は自身の姿を見た。先程まで着ていた服とはまるで違う、くたびれた修道服のような服。
白の中に血のような赤が流れる服。何処か伝統的で、それでいて何故か落ち着く。
ふと、自身の腕を見た。左腕には古びたアサシンブレードと籠手が装着されている。
そしてその先、手を見た。左指の薬指が無かった。

指が無い。そうだ、これは……アサシンブレードの為に切り落としたのだ。
いや、違う。アサシンブレードを使うのにそんな準備はいらない。
わからない。何だこれは?
ここは一体何処だ? そして、いつなんだ? いや、そもそも、『俺』は誰だ?

そう思った瞬間、岡部は元の倉庫内にいた。
砂の街も、修道服も、古びたアサシンブレードも何もかも無くなっていた。

何だ、今のは。
世界線が移動したというのか? いや違う、あれは現代ではない。
あれは――。


<今だよ>


鈴羽が指示を出した。
不可解な事に直面して混乱していたはずなのに、彼女の声に体が反射的に動いた。岡部はほぼ無意識に身を空中へと躍らせていた。
体が勝手に動く、何をすれば良いのかわかる。
訓練で教わった知識ではない。体が、何をすれば良いのかわかっている。

重力により降下し、過たず敵の頭上へと落ちていく。
敵は落ちて来る岡部に気付く事もなく制止したまま。
そして、刃が閃いた。

左側にいたラウンダーの後頭部に深々とアサシンブレードが突き刺さる。
そのまま岡部の自由落下のエネルギーにより敵は潰されるが如くに地面へ叩きつけられた。
すぐさまブレードを引き抜き、着地した姿勢のまま翻り、今度は右側の敵の鳩尾目がけブレードを振るう。
敵が身構える時間も無いままに、ブレードが腹部に突き刺さる。筋肉を裂き、内臓を抉り取る感触が腕から全身へと駆け巡る。
そして一切怯む事なく、岡部は左手に力と体重をかけて押し倒した。

瞬く間に二人が倒れた。
その音に気付いた残りのラウンダーが岡部の方へと振り向いたが、
奥から駆け付けた鈴羽が即座に二発の銃弾を放つ。
消音機により鋭くされた音が響いた次の瞬間には二人の男が倒れていた。

倉庫内は静寂のまま。
どうやら本隊にバレずに制圧出来たようだ。


「大丈夫、岡部倫太郎」


鈴羽が岡部のもとへ駆ける。
岡部は二つの死体の間で、息を切らして片膝をついて座り込んでいた。

今の、今の記憶は何だ? 別の世界線の記憶? 


「大丈夫?」


鈴羽がもう一度そう聞きながらしゃがみ込み、岡部の背中に手を添える。
岡部はそれに「いや、平気だ」と返し手を払いのけた。


「大丈夫だ。このくらい」

「本当に?」

「平気だ。別に、初めて人を殺したからと言って怖気づいたりしない。
 アドレナリンのせいで興奮しているだけだ」


嘘をついた。
しかし、口で説明できる事では無かった。それにこの作戦中に言うような事でも無いと思われた。
妙な心配事を増やして中止にでもさせられたらたまったものではない。



「……大丈夫だ」


何とか立ちあがり、血に塗れた左手を見た。
初めて人を殺した。だというのに恐怖も何も無く、体が勝手に動いて全てを処理していた。
いつもこんな事をしていたような気がした。人を殺し、敵を殺し、邪魔になる者を排除してきた。
そんな感覚が岡部の体中に蔓延っていた。

こんなものなのか、人を殺すというのは。
こんな、淡泊なものなのか。
アッサリ……死ぬものなのだな。


「……なら、良いけど」


鈴羽もそれ以上深く聞いたりはせず、もう一度周囲を確認してから目標のダストシュートに視線を向けた。


「行くよ」

「あぁ」


岡部も立ちあがり、鈴羽に続いてダストシュート前へとやって来た。
とにかく、今は作戦に集中するしかなかった。
今の現象については作戦が終わってから考えれば良い、岡部はそう結論づけ、もう一度気を引き締めた。


<よし、着いたね。じゃあドローンよろ>


橋田の指示に従い、岡部はまたドローンを取り出し、ダストシュートの扉を開いて放った。


<暗いし狭いし、普通の人間の操縦だったらまず無理だなこれ>


橋田の操られたドローンがダストシュートを下へと潜っていく。


「無駄口を叩いてないで早くやってくれ。見回りが来たらどうする」

<やってるっての。よし、着いた>



岡部はポケコンを取り出し、ドローンが映す映像を見た。
暗い為に赤外線モードになったからなのか解像度は低い。
しかしながらも映像は克明に状況を映し出してくれる。どうやら出口付近には敵がいないようだ。


「立案書通り敵はこの付近にはいないな……どうだ至、搬入エリア全体まで見れるか」

<やってみる>


橋田がそう言うと、カメラの映像が一瞬乱れ、大きく動いた。
移動が終わり制止すると今度は高度が上がり、みるみるうちに見晴らしが良くなっていく。
縦に幾十重にも積まれたパレットを超える高度になると、搬入口を広く見渡せるようになった。

そしてカメラは忙しなく動くフォークリフトと人間を捉えた。
どうやら受け渡し自体は終了し、銃火器をトラックに箱詰めをして撤収しようとしているようだ。


「ん?」


その映像の中に、岡部は見覚えのある人物の姿を見た。


「至。画面の左上辺りにいる人物にズームしてくれ」

<わかった>


即座にカメラ画面が左上部分をズームして映しだす。
その映像を見え、岡部の目が見開かれた。


「桐生、萌郁……」


血管に溢れたアドレナリンが再加熱され、開かれた血管を駆け巡り全身に流れ込んでいくのがわかる。
歯がギリ、と鈍い音を立てて擦れ、息が荒くなる。
ズームし終えた瞬間、桐生萌郁がドローンの方へと視線を動かした。
画面越しに桐生萌郁と目が合う。

いた。桐生萌郁が。
まゆりを殺した――仲間だと思っていたのに――あいつが。



「父さん、奴がこっちを見てる」

<いや、この距離じゃ見えないから多分大丈夫……それにあいつ眼鏡かけてるしそこまで目は良くないはず>


冷静に返してはいるが、橋田の声が心なしか震えているように聞こえた。
画面の向こうの萌郁はやはりドローンに気付いていないようで、すぐに視線を変えた。


<うん、やっぱりバレてないよ。大丈夫>

「そうか。とりあえず敵の数も……見えるだけで10人いるな。情報では約20人以上はいると書かれていたが……」

<どうする? ドローンをもっと進ませてみようか>

「いや駄目。小さいとは言ってもあまり近づけたらバレる。大よそ敵の位置は見当がついたし、一度ドローンを戻して」

<了解>


鈴羽の指示でドローンが戻された。


「なぁ、鈴羽」


ドローンを仕舞い込みながら、岡部はふと思った。


「何?」

「俺達が通るルートの敵の配置や人数はかなり正確だ。お前が渡した情報とやらのおかげでな。
 だが、時折曖昧な情報になるのは何故だ? 約二十人などと……」

「え? そ、それは……」


鈴羽は慌てて岡部から視線を逸らし、「えーと、えーと」等と言いながら見るからに言い訳を考えていますという仕草をした。


「……俺に言うと不都合があるのか?」

「い、いや、そういう訳じゃないけどさ……」


岡部がずっと訝しく睨みつけていると根負けしたのか、鈴羽が口を開いた。



「……俺に言うと不都合があるのか?」

「い、いや、そういう訳じゃないけどさ……」


岡部がずっと訝しく睨みつけていると根負けしたのか、鈴羽が口を開いた。


「ちょっと、そのデータは公式な奴じゃなくてね……あたしがすっぱ抜いて来たヤツなんだ」

「何?」

「だから、アサシンが共有してるようなデータじゃなくて、アサシンが持ってるデータの中でも取り分け隠されてるヤツなの。
 それは黙ってあたしが自己の判断だけで持って来たヤツだから、所々抜けがあるんだよ」

「そうか。しかし、隠されているだと? どうしてだ」

「それは……知らない。とにかく、あまり大声で言えるようなものじゃないんだよ」


鈴羽はこの話題を早く切り上げたいのか、「ほら早く降りる準備して」と岡部を急かした。
岡部は何か腑に落ちなかったものの、未来の事だ、知ろうと思わない方が賢明だと思い、それ以上聞かなかった。

ダストシュートの縁に足をかけ、そのまま穴の中に両足を垂らす。
そして両手を胸の前で組み、スムーズに落ちれるようにする。


「先に行くぞ」


鈴羽に一声かけ、岡部はダストシュートの中へ落ちた。
一瞬、ほぼ垂直に落ちたが出口付近で傾斜に乗り、そのまま下に滑り落ちた。
ダストシュート下には未だビニール等のゴミが溜まったボックスがあった為、それが緩衝材の役目を果たしあまり衝撃を受けなかった。
ビニールゴミはかなりの量があり、身を隠せる程だった。


周囲の状況をその中に隠れながら確認する。
フォークリフトや機械のけたたましい音が倉庫内に響き、人々の足音も聞こえる。
敵はこの近くにはいないようだ。ここは積まれたパレットの裏手にあって死角となっている。
頃合いを見計らえばパレットの所までは行けそうだ。


<あたしも続く>


鈴羽からの通信が来た直後、何やら人の気配がこちらに来るのを感じた。


「待て、誰か来る」


足音が一つ、ダストシュートの方へと向かって来ていた。岡部は音で感づかれたかと思い、身を強張らせた。
しかし、その足音は呑気にゆったりとしたものだ。どうやら感づいた訳ではないらしい。
それならばこちらが有利だ。岡部はゴミの中に身を潜めながら、さながら叢に紛れる虎のように目を光らせた。

相も変わらずカラシニコフを肩から提げたラウンダーが、気だるそうに腰を掻きながら岡部の潜むゴミ箱の近くへ近づいていた。
そしてそのラウンダーがゆったりとゴミ箱の前に来た瞬間、岡部はゴミの中から素早く上半身だけを出し、刃を閃かせながら男に掴みかかった。
刃が深々と喉に突き刺さり、悲鳴も上げられぬまま男は絶命する。
そして倒れる間も与えずに岡部は男をゴミ箱の中へと引き摺りこんだ。
後には何も残らない。けたたましい機械の音が遠くから聞こえるのみである。


「始末した。感づかれてはいないようだ。降りてこい」


鈴羽に通信すると、数秒後に鈴羽がゴミ箱の中へボスンと小さな音を立てて落ちてきた。


「何か柔らかいものを踏んだような気がするんだけど」

「始末した男の死体だろう」

「……そう」


二人はゴミ箱から出て、パレットの裏に身を潜めた。
積まれたパレットとパレットの隙間から向こうの様子を探る。

明かりはあまり点いておらず、何故か赤い非常用のランプだけが灯されている。
その仄暗い空間の中をラウンダー達が忙しなく動き、やたらと往来が多い。
運搬の邪魔になる為に片付けてあるのか、近くに遮蔽物と言えば柱くらいしかない。
そして搬入口近くのトラック前には、何やら報告を受けているライダースーツの女――桐生萌郁がいる。


「クソ……これでは近づけないな」


これだけ暗ければ何とか見られずにある程度は近づけるかも知れないが、かなり危険と思えた。
『感覚』を使って敵の位置を探ろうとしたが、音がうるさく、上手く敵の輪郭を判別出来なかった。



「どうする、鈴羽。作戦通りにやるのか」


作戦ではモアッド・スネークを使って敵の視界を奪い、奇襲をかけて一気に桐生萌郁を殺害、そしてそのまま荷を乗せた車を奪う事になっている。
しかし、数字で見た印象と実際に見る動く敵の数はまるで違った。
このまま飛び出せば屈強な男達が容赦無く牙を向けてくる。そして数に圧倒され、自分達に待ちうけるのは死だけだ。
そんな考えが頭を過る程、この奇襲があまりにも無謀なものに思えた。

クソ。何を怖気づいている。
俺は奴等を殺す為に命を懸けているのではないのか。
今更自分の命を惜しんでどうなる。
例え刺し違えてでも奴を殺せ。

岡部は怖気づく自分を奮い立たせた。
一方の鈴羽はすぐに答えず、じっとパレットの向こうを見つめた後に言った。


「もう少し、待つ」

「だがいつまでも待ってはいられない。上の連中と連絡を取られたら、不審に思って警戒を強化してくるかも知れんぞ」

「わかってる。でも今は桐生萌郁の周りに敵が大勢集まってる。もう少しだけタイミングを計らせて」


そう言いながら、鈴羽はモアッド・スネークを取り出す。


「……そうだな」


岡部にもそれが妥当な判断に思えた。二人は煙幕の中でも視界と呼吸の確保が出来るように暗視ゴーグルとマスクを付けた。
そして、じっと待つ。ラウンダー達の作業音を聞きながら、桐生萌郁に隙が出来る瞬間をただ待つ。
搬入口が開けられているせいか、真冬の外気が否応なく入ってくる。
白い息を吐き、寒さに体を強張らせながらも岡部達は好機を待った。

そして、好機が訪れた。
一人の男が荷物を落とし、中身をばら撒いてしまったのだ。



「今だ」


鈴羽が合図と共にモアッド・スネークを六個一気に投擲した。
モアッド・スネークがからからと音を立てて転がったかと思うと、即座に蒸気が噴出し、辺り一面を白の世界に染め上げた。


「て、敵襲! 敵襲だ!」


岡部達の一番近くにいたラウンダーが叫んだが、
その直後には凄まじい速度で桐生萌郁へと突進する岡部のアサシンブレードによって走りざまに首を斬られ力無く倒れていた。
鈴羽も岡部の後方に続き、進路上の左右にいるラウンダーを的確に射撃で無力化していく。
零れた荷物に注目していたラウンダー達は反応が遅れ、煙幕により気管をやられ無様に咳き込んでいる。
咳き込みながら乱射される突撃銃では疾走する岡部達を捉える事が出来ない。
それどころか中央を突破してくるものに対して乱射をしてしまったが為に、何人かが味方の銃弾によって倒れていく。


「やめろ撃つな!」


萌郁が叫ぶが、既に遅かった。


「桐生っ!」


既に岡部は萌郁の5m前にまで迫っていた。
彼は左手を振り被り、刃を閃かせながら跳躍する。

岡部の跳躍が頂点に達した瞬間、萌郁と岡部の視線が交錯した。
終わりだ、桐生萌郁。貴様の犯した罪を償え。


そして、岡部は左手を振り降ろそうとした。
その瞬間、彼の体は凄まじい勢いで横に吹き飛ばされていた。


「ぐっ……」


突然の衝撃に受身も取れずに岡部は床に叩きつけられる。
飛ばされた方を見ると、身長2mはくだらない筋骨隆々とした男が立っていた。
その男に寸前の所でタックルをかまされたのだ。


「岡部倫太郎!」


鈴羽が岡部の方へ駆け寄り、彼を抱き起こした。


「俺はいい、早く奴を!」


岡部がそう叫ぶと同時に、先程の巨大な敵が野太い叫びを上げながら突撃してきた。
岡部と鈴羽は飛びのいてそれを回避すると警棒を展開させた。


「そいつらは殺すな! 生け捕りにしろ!」


桐生萌郁がヒステリックに叫ぶ。
ラウンダーが突撃銃を捨て、岡部達を取り囲む。

霧の中、敵の数を見積もる。かなり減っているようだったが、それでも十人程はいた。
岡部と鈴羽は背中合わせになって迎撃体勢を取る。
敵の手元にギラリと光る物がいくつも見て取れた。敵もナイフ等で武装しているようだ。



「がぁーっ!」


敵の一人が警棒を振り降ろしながら岡部に向かい突っ込んできた。
上段の一撃を左腕の籠手で受け止めた。衝撃が腕に伝わるがまるで痛みは無い。
隙だらけなった男に対し、警棒でもって股間を強打した。
敵がたまらず悶絶した。その隙に頸動脈をアサシンブレードで掻き切った。

今度は二人同時に襲いかかってきた。
一人はナイフを脇に構えて突き刺そうとしている。
もう一人は腕に自信があるのか徒手空拳だった。

岡部は横に飛びのいてナイフを避けた。
着地した瞬間に回し蹴りが飛んできたが、それもスウェイで寸での所で避ける。
岡部は反撃しようとしたがすぐさまナイフの攻撃が来てそれもあたわず。
その二人のコンビネーションにより反撃の間は無く、岡部はひたすら回避に専念するしかなかった。

体に披露が貯まり始め、思うように体が動かない。鈴羽も三人を相手に引けを取らずに応戦してはいるが、このままでは――。
岡部は逆転の可能性を信じ、切り札を使う事にした。
隙を見つけて何とか左手の指にワイヤーを付けた。これで仕込みピストルの準備は完了した。
そしてナイフの袈裟斬りを警棒で受け止めた。岡部の動きがそこで止まる。
その隙を突くように、もう一人が脇腹を狙うミドルキックを放とうとする。

今だ。岡部は敵が捻りを加えて必殺の蹴りを繰り出そうとした瞬間を狙った。
ワイヤーが絞られ、精緻なピストルの引金が引かれた。
瞬間、轟音が倉庫に響き渡った。
男の体が一瞬揺れたかと思うと、胸部から鮮血が弾けるように吹き出した。
そのままゆらゆらとふらつき、後方に力無く倒れた。
何が起きたのか理解出来ないまま倒れた相方を見たナイフの男は一瞬力みを解いてしまう。


「づああぁっ!」


その瞬間を逃さず、ピストルの反動で押し下げられた左腕に力を込め、フックを見舞うが如くにアサシンブレードを見舞った。
眼球と脳を突き刺し、岡部は勢いのままに男を地面に叩きつけた。

周囲のラウンダー達も岡部が何をしたのか理解出来なかったのか動揺が走った。
鈴羽がその隙をついて敵三人の頸動脈、股間、こめかみへブレードと警棒を交互に叩きつけていった。
ラウンダー達がその光景に怯む。息を飲み、攻撃を躊躇していた。


「何をしている! 早く捕えろ! 相手はたったの二人だ!」


萌郁は二人の戦力に恐怖を感じたのか一段とヒステリックに命令をわめき散らす。
それを見かねたのか、先程の大男が桐生に耳打ちをした。
萌郁は大男の言葉に冷静さを幾分取り戻し、頷いた後に踵を返してトラックの方へ大男と共に走り出した。


「待て!」


逃げる気だ。岡部の体はほぼ無意識に動き、萌郁の方へと駆け出していた。
行く手を遮るようにラウンダーが飛び出してきて警棒を振るってきたが、それを身を屈めて避け、
そのまま飛び上がって敵の背中に乗り飛び越えた。
着地し、駆けようとした所でトラックのエンジンがかかり、タイヤが金きり声を上げた。


「逃がすか!」


岡部は跳躍し、トラックの後部にある把手を掴んだ。
その瞬間にトラックが急発進する。


「岡部倫太郎!」


岡部の後方で鈴羽が叫んだがその声も一瞬で遠くなる。
トラックの速度が生み出す慣性に飛ばされないように岡部はひたすら踏ん張った。


<お、おい! 倫太郎! 一体どうなってるんだ!>


橋田がパニックを起こしながら喚く。



「今……桐生萌郁が乗っている、トラックに、しがみ、ついている」

<ま、マジかよ。ジャッキー映画じゃねぇっての>

「くだらない事を言ってないで何かサポートをしろ! 車をこっちに寄越せ!」

<わ、わかった! いや、つうか、鈴羽一人で置いてっていいのかよ。あそこにはまだラウンダーがわんさかいるんだぞ!>


無我夢中でトラックに飛び付いていた。鈴羽の事を考える余裕は無かった。
いやそれよりも桐生萌郁を殺す事に全神経が集中していた。


「あいつなら何とか自分で何とかするだろう! それよりも桐生萌郁を殺すんだ!」

<一旦戻った方が良いって! あいつを援護してやってくれ! いくら鈴羽でも不死身って訳じゃないんだぞ!>

「そうすれば桐生を殺せなくなる!」

<鈴羽の命と桐生どっちが大事なんだよ!>


橋田が悲痛に叫んだ。


<父さん、岡部倫太郎! 増援が来た! あたしだけじゃ対処しきれない!>


それに呼応するように鈴羽が応援要請をする。しかし。


<至急援護を――>


鈴羽の通信はそこでブツと途切れてしまった。


<鈴羽? 鈴羽!>


橋田が娘の名を叫ぶ。しかし返ってくるのはノイズだけだ。


<倫太郎、頼む! 鈴羽を助けてくれ!>


岡部は苦悩した。ここで桐生萌郁を逃がせば、奴を殺すチャンスが潰えるかも知れない。
だがこのままこのトラックにしがみついていれば鈴羽が危険だ。
どちらを取る。どちらを取るべきなんだ。


<倫太郎!>


親友が懇願するように叫ぶ。
岡部は決断した。脳裏に浮かんだ光景は、真っ赤に染まるまゆりの亡骸と、壊れたタイムリープマシンだった。


「桐生を殺す事が先決だ!」

<なっ……>


橋田は絶句した。


「ここで奴を殺さなければ、俺達はまた逃げ続けなければならなくなる!
 多少無理をしてでも、今仕留めるべきだ!」

<正気か倫太郎!>

「鈴羽なら自分で何とか出来るはずだ! 俺はこのまま桐生萌郁を殺す!
 至! 車を寄越せ!」


その答えに、橋田が短く唸るような声をあげた。


<僕は……僕は鈴羽の救助に向かう!>

「おい! 何言ってるんだ!」


そこから橋田は返事をしなくなってしまった。


「おい! 至! ふざけるな!」


橋田の態度に悪態をついたが、いきなりトラックが左右に大きく揺れ、岡部はふっ飛ばされそうになった。
大声で通信していたせいで前の方に聞こえてしまったらしい。
トラックは倉庫の敷地から出て公道を走る。岡部は何とか振り落とされないように掴んだ把手を上へ上へと登って行った。
ようやくトラックの上に手をかけ、天井部分によじ登った。
風を受けないように匍匐体勢になり、へりを掴みながら前へ進もうとする。
しかし、横殴りの雨のせいで思うように前に進まない。
ようやく中程まで進んだ所で萌郁が上半身を窓から出してきた。その手には銃が握られている。


萌郁が岡部目がけて銃を乱射する。
岡部はへりから手を放し中央に転がったが、トラックの天井部は雨のせいでよく滑り、風とトラックの勢いでまた後方へと押し戻されてしまった。


「クソッ!」


岡部は踏ん張り、何とか振り落とされずに済んだ。
だがこのままでは何も出来ない。どうすればいい。

逡巡した瞬間、突然トラックが急ブレーキをかけた。
その衝撃で岡部の体が前に放りだされる。

マズイ、このまま前に放りだされては轢き殺される。
反射的にへりに手をかけて体を横に飛ぶように修正した。
トラックの勢いを帯びながらも何とか体の五点で衝撃を和らげながら岡部は濡れたアスファルトの上に着地した。
岡部が落ちたのを確認したのか、トラックはすぐさま急発進した。


「クソ、待て!」


走りながら銃を抜き、弾が尽きるまでトラックに発砲した。
しかしトラックに弾は当たらず、どんどん遠ざかって行く。


「待て! 逃げるんじゃない! 桐生萌郁ーっ!」


岡部の慟哭が寒空を貫くようにこだました。
必死に走って追いかけたが、やがてトラックは道路の奥の方へと霞み、見えなくなった。


「クソ……クソッ……」


見えなくなっても走り続けたが、着地の際に痛めたのか体全身が鈍い痛みに苛まれ思うように体が動かない。
疲労と痛みが体を包み、重力が岡部の頭を垂らさんと働く。そして力尽きるように路面の上で蹲った。


「待て……待ってくれ……」


懇願するように見えなくなったトラックに手を伸ばす。
もう何も見えない。副都心の煌びやかなビル群がその手の先に見えるだけだ。
失敗したのか。俺が。桐生萌郁を殺せなかった。


「ダル……ダル! 応答してくれ! 車を……早く車を! 桐生が、桐生萌郁が逃げてしまう!」


岡部は友人を昔の名で呼ぶ。


<倫太郎! 今何やってんだ!>


その友人の怒号と銃声が通信機の向こうから返ってきた。


「桐生の乗るトラックが……奴が逃げてしまう!」

<それどころじゃねぇっての! 早くこっちに応援に来てくれよ!
 鈴羽が……鈴羽が怪我をしてるんだ!>

「だが……」

<だがも糞も無いだろ! ラボメンを守るって、オカリン昔言ってただろ!
 あれも全部ただの妄想だったのかよ!>


その言葉に、何も言い返せなかった。岡部を蝕んでいた復讐の熱が一気に引いていく。
橋田はいいから来いと怒鳴り付け、そこで通信を切ってしまった。


岡部は蹲ったまま動けなかった。
今まで体験した事も無いような疲労。桐生萌郁を逃してしまった落胆。とんでも無い選択をして仲間を危険に陥れた焦り。
岡部は奥歯が割れんばかりに歯ぎしりをした。


「クソーッ!」


そして、漆黒のアスファルトを叩きつけた。
俺は、俺は何をやっているんだ。何も成せないのか俺は。
世界線を操る事にも失敗し、この作戦も失敗した。
何故俺はこうなんだ。何故俺はこんな役立たずなんだ。

何度も、何度も。降りしきる雨の中で、岡部は叫びながらアスファルトを叩き続けた。
息が切れ、アスファルトを叩けなくなるまで。


「クソ……」


俺は、何も出来ない人間なのか。
一人前に痛みだけは感じる無能なのか。


<岡部、倫太郎……>


ザラついた音声が、失意の岡部を呼ぶ。


<聞こえ、てる?>


弱々しく、息の荒い声。鈴羽の声だ。岡部はその声に何とか反応した。


「鈴羽か……どうした……」

<早く、こっちに来て。あたしと父さんだけじゃもたない>

「だが……俺が行っても……」


何の役にも立たない。
そう言おうとしたが鈴羽が言葉を遮った。


<任務は、失敗したかも知れない。でも、生きてればまたやり直せる。
 一人で突っ込んで行ったのも、あたしは怒ってないから>

「……鈴羽」

<今は、岡部倫太郎だけが頼り。だから、お願い。皆で生き残って、またやり直す為にも援護を……>


そこで通信が途切れた。


「おい、鈴羽。鈴羽!」


いくら呼びかけても返事は無い。橋田にかけてみたがこちらも応答しなかった。


「クソ……」


もう何度ついたかわからない悪態。岡部は力を振り絞り何とか立ち上がった。
数百m先に見える、先程まで自分がいた倉庫。
トラックは長い間走っていたようだが、蛇行運転のせいでこの辺りをぐるぐる回っていただけらしい。

今なら、まだ間に合う。
岡部は雨で重くなった服を引き摺るように走りだした。



――



倉庫搬入口付近に着いた時、既にそこは戦場と化していた。
マズルフラッシュが引っ切り無しに明滅し、途切れる事のない制圧射撃が行われていた。

幸い岡部が近くに来た事には気付いておらず、ラウンダーは鈴羽と橋田がいるであろう方向ばかり向いていた。
岡部は戦場の百m手前程にあるコンクリート塀に身を隠し、周囲の状況を確認した。
ラウンダーの数はおよそ20人は下らないと思えた。
彼らは車で乱雑に道路を塞ぎ、またそれを遮蔽物にして攻撃している。
今度は搬入口の奥の方を見た。煙に巻かれてはいるが、驚く事にそこには岡部達が乗っていたバンが見えた。
橋田はどうやったか知らないが、あのバンで倉庫内まで直接乗り上げてきたらしい。
確かに防弾加工を施してあったが、それでもあまりに無鉄砲だ。

岡部は周囲の状況を鑑み、奴等の背後から気付かれないように近付き、少しでも数を減らす事にした。
ライトの光を避け暗闇を利用し、音を立てずに素早くラウンダーの背後に回る。
ラウンダー達は岡部の接近に一切気付かず橋田達へ攻撃を繰り返している。

そして、最後列にいた二人のラウンダーの背後を取った。
左側にいた敵の背中へアサシンブレードを容赦無く突き刺し、続いて残る方も口を塞いで同様に一突きで殺す。
突撃銃を奪い、残弾がそれなりにある事を確認し肩から提げ、次の獲物に忍び寄る。

今度は前の車両に陣取る三人だ。しかし二人ならまだしも、三人となると周りに悟られずに排除するのは困難だ。
仕方が無い。岡部は仕込みピストルを使う事にした。
バレてはしまうが、こちらに気を引かせれば橋田達が逃げるチャンスを作る事が出来るだろう。
岡部は決心し、警棒も引き抜いて矢のように走りだした。

岡部の気配を察知したのか、一番後方にいた敵が振り向いた。しかしもう遅い。
アサシンブレードが振り向いた敵の喉元を掻き切り、警棒で前にいた敵の首を思い切り叩いた。
バキリ、と首が折れる嫌な感触が警棒から骨伝いに伝わってきた。
最前列にいた敵が何やら喚きながら岡部の方へ銃を構えたが、既に岡部は左手のワイヤーを引き絞っていた。
破裂音が響き、男は心臓を撃ち抜かれて抵抗する暇もなく絶命した。


「こっちにもいやがるぞ!」


ラウンダー達が岡部の存在に気付き、今度は岡部が横殴りの鉄の雨に晒される。
寸での所でタイヤ裏に隠れ、岡部は通信機に手を添えた。



「今だ! 早く脱出しろ!」


通信機に叫んだが返事は一切ない。
もしかして、二人はもうやられてしまったのか? 一抹の不安が岡部の脳裏を過った時、けたたましいエンジン音が轟いた。


「奴等の車が動き出したぞ!」


ラウンダーが叫ぶと当時に、バンが煙の中から猪の如く発進した。
タイヤが台を蹴り、バンが宙を舞う。荒々しく着地するとラウンダー達の車を強引に押し飛ばし、岡部の方へ突撃してきた。


「岡部倫太郎!」


左のドアが開かれ、鈴羽が手を差し出した。
岡部は飛び、その手を掴んでバンの中へ入った。
即座にドアが閉められ、橋田がアクセルを踏み込み全速力で突っ切る。


「ごめん。通信機が壊れてて返事出来なかった」


鈴羽は申し訳無さそうに苦笑いを作る。しかし、その顔がすぐに苦痛に歪んだ。


「どうした鈴羽」


見ると右腕が血で滲み、力無く垂らされていた。


「撃たれたのか」

「かすっただけ、別に問題無い」

「いや、お前、折れてるじゃないか」

「平気。これくらいすぐ治る」


俺のせいで。岡部はすぐに謝ろうとしたが橋田の怒号が遮る。


「倫太郎! 追ってくるぞ!」


リアゲートのガラスから覗くと先程の車が追ってきていた。
数は四台。ラウンダー達が窓から体を出し、銃を乱射してくる。
銃弾がバンに当たり、増設した装甲がへしゃげていく。


「鈴羽、ここは俺が迎撃する。お前は下がっていろ」

「あたしもやる!」

「その腕じゃ無理だ! 鈴羽、こうなったのは俺の責任だ。俺がやる」

「岡部倫太郎……」


岡部は鈴羽に対し力強く頷いてみせた。
鈴羽はそれ以上何も言わなかった。


「至! 飛ばせ!」

「やってるっての!」


エンジンが咆哮を上げて、バンが更に加速した。
岡部はその勢いに足を取られつつもリアゲートの片側を開き、車内にあった対車用のマキビシを放った。
二台がそれにかかり、コントロールを無くし蛇行しながらガードレールや街灯に突っ込んで行った。
残りはかわされ、先程奪った突撃銃で迎え撃つ事になった。

片方のドアに隠れながら岡部は突撃銃を乱射した。
そして一発が敵の運転手に当たり、一台がまたコントロールを失って離脱していった。

残り一台となったが、突撃銃は弾切れになってしまった。
手持ちのハンドガンと仕込み銃では左右に揺れるこの状況では当てるのは至難の業だ。


「クソ……何か武器は無いのか!」

「デスクの下にペイントボールがある! そいつで何とかやってみてくれ!」


橋田の言う通り、PC等を取り付けたデスクの下にペイントボールが六つあった。
何でこんなものがと思ったがこれでどうにかしなければならない。
岡部はそれを掴み取り、銃撃の切れ目を狙って敵の車目がけて投げた。

一発目は外したが二発目で運転席側のフロントガラスに命中させる事が出来た。
三発目も同様にフロントガラスを汚し、運転手の視界を奪う事に成功した。
ワイパーで落そうとしていたが塗料は頑固にへばりついて全く落ちない。
そうこうしている間にカーブに入り、ラウンダー達は曲がり切れずにガードレールに真正面から追突した。
ようやく敵の追跡を振り切り、岡部はリアゲートを閉めた。
追跡を振り切った途端に体に力が入らなくなり、岡部は尻餅をつくように腰を降ろした。


「とりあえず、どっかで車を調達しないとね」


鈴羽が右腕を押さえながらまだ油断ならないという面持ちで言う。


「……そうだな」


岡部は力無く答えた。それ以降、誰も喋らなかった。
橋田は憤懣とした様子で黙々と車を運転し、鈴羽は折れた右腕に添え木を当てていた。
岡部は二人に対し謝罪をしようとしたが、何も言い出せなかった。
口ですまないと言ってもどうなるものでも無いと、岡部は理解していたからだ。

車のヘッドライトが闇夜を切り裂く。
雨はまだ、止まない。


――

今回はここまでです


――


第五章
『再生喚起のブラザーフッド』


――

今回はここまでです
我ながら全然進んでる気がしない

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