P「まゆの左手首がなんだって?」 (210)
※ このssにはオリジナル設定やキャラ崩壊が含まれます。
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1.「ゴシップ」
「えっと……何かあったんですか?」
間の抜けた声でそう聞き返す俺に、一冊の週刊誌が突きつけられた。
その表紙、豊満なバストを持った悩ましい姿の女性に、俺の目は釘付けになる。
「……迫力がありますね」
「そこじゃありません! こっちですこっち!!」
千川ちひろが、週刊誌を持つ手とは反対の手で、表紙の隅に書かれた見出しを指差す。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1454736381
「じょ、冗談ですよちひろさん……えぇっと、『人気アイドルの秘密。隠された傷跡』……?」
「で、こっちが記事の内容です」
雑誌をぱらぱらとめくり、問題の記事が書かれたページを開く。
そこには「今人気上昇中アイドル、左手首に隠された傷跡とその凄惨な過去!」と見出しが書かれていた。
「はぁ、よくあるゴシップじゃないですか。大体こんなものを本気にする人なんて……」
記事の内容を確認していた俺の言葉が詰まる。
「その記事、まゆちゃんの事なんです」
決して左手首を見せないアイドル……隠された手首にはリストカット跡が……過去、幾人もの男性と交際して……。
「で、でたらめにもほどがありますよ! この記事!」
俺は声を荒げると、ちひろさんに詰め寄った。
「急に大きな声を出さないで下さい! それに、当たり前じゃないですか……
まゆちゃんがそんな子じゃないって事は、皆がよく知ってます!」
まゆちゃん――佐久間まゆは、うちで売り出し中のアイドルの一人。
儚げな容姿に柔和な性格で、いわゆる「優しい女の子」として世間でのファンも多い。
さらに最近では「真面目だけどちょっと天然」という新たな一面も垣間見せ、その人気はうなぎのぼりだ。
だからこそ、このタイミングで根も葉もない噂なんて撒かれたりしたら、彼女の今後の活動に支障が出ないとも言い切れなかった。
「これ、今から回収とかって……」
「無理ですね。もう販売されてしまってますし、手遅れです」
そう言うと、ちひろさんの顔が険しくなる。
「それに、根拠の無い噂なら私だって慌てたりしません。
ですが、彼女が手首の露出を控えている事は、熱心なファンほどよく知っています」
誰が言ったか、嘘をつくときには少しだけ真実を混ぜると効果があると言う。
事実、まゆは手首を露出させる事を頑なに拒んでいた。ある時はリボン、またある時は手袋で隠し……
それはプロデューサーである俺に対しても同じだ。
世間だけでは無い。事務所の誰一人として彼女の隠された秘密を見たことのある者はいないだろう。
過去に一度だけ、何とはなしに聞いた事があったが「運命の人と結ばれるための……おまじないです」とはぐらかされてしまい、
その時はそんなものかと大して気にも止めなかったのである。
「……とりあえず、まゆと相談しましょう。今後の対策も練っておかないと」
「それが、来てないんです」
どうして? という表情の俺に見つめられ、ちひろさんが下を向く。
「まゆちゃん。今日は事務所に来てないんです。電話をかけても繋がらなくて……」
嫌な想像が頭に浮かんでくる。もしかしたら、まゆはこの事を知って……!
「俺、まゆの様子を見に行ってきます。電話に出なくても、寮にはいるでしょうから」
そう言って俺は事務所を飛び出した。外は雲に覆われ、午前中だというのに薄暗い。
それはまるで、これから起きる出来事を予感させるようで、俺の心をひどくざわめかせた。
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2.「消失」
寮にやって来た俺は勢い良く扉を開き、そのまま管理人室へ向かう。
「あ、あれ? プロデューサーさん!?」
だが、普段なら管理人のおばさんが座っている席に、今日は一人の少女――小日向美穂が腰を下ろしていた。
「どうしたんですか、そんなに慌てて。それに、寮にプロデューサーさんが来るのって珍しいですよね?」
そう言って小首をかしげる美穂の動きに合わせて、彼女のアホ毛が揺れる。
普段ならそんな彼女を見て癒されているところだが、今はそういうわけにはいかない。
「美穂! まゆは居るか?」
「まゆちゃん……ですか? そう言えば、今日はまだ見て無いですね」
「まゆの奴、事務所に来てないし、電話にも出ないんだ。部屋まで様子を見に行きたいんだが、構わないかな?」
管理人室を出た俺は、美穂の後についてまゆの部屋の前までやって来る。
「まゆちゃ~ん、いますかー?」
美穂が扉を叩くが、反応が無い。何度か声を掛けてみたが、諦めた様子で美穂が振り返る。
「……部屋にいるとは思うんですけど、おかしいですね」
「この部屋の鍵って、開けられないのか? もしかしたら、中で倒れているのかも知れない」
「えぇっと、管理人室には合鍵があるハズですけど……持ってきますね!」
俺のただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう。急いで美穂が管理人室へと引き返す。
彼女が帰ってくるまでの間、俺も何度か呼びかけてみたが結局なんの返事も返ってくることは無かった。
「――持って来ましたっ!!」
美穂が駆け足で戻ってくると鍵を開け、俺達はゆっくりと扉を開く。
「――えっ?」
扉を開けた美穂が、呆気に取られたように声を上げたが、それは隣に立つ俺も同じ思いだった。
まゆの部屋――ピンクを基調とした家具で飾られた、まるでお人形さんの玩具にありそうな部屋。
小さなテーブルに可愛らしい装飾のベット。壁に作られたクローゼットの前に置かれた棚の中には、
様々な小物とぬいぐるみが飾られている。
だが、部屋の中にまゆは居なかった。一体、何処へ行ってしまったと言うのか。
「――まゆ?」
力ない俺の呟きが、誰もいない部屋の静寂にかき消される。その日、一人の少女が俺達の前から姿を消した。
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3.「失踪」
一旦彼女の部屋を後にした俺達は、まだ寮に残っていた他のアイドル達に声をかけ、まゆを見なかったかと聞いて回った。
だが、結果は収穫なし。そうこうしている間に、ちひろさんから連絡が来た。
「――はい。ですから、寮にも姿が見えなくって……えぇ、そうですよね……分かりました。一旦事務所に戻ります」
「ちひろさん。なんて言ってました?」
「とりあえず、事務所に戻るようにって。まゆが見つからないとなると、そのフォローもあるし……」
「――もしまゆちゃんが帰ってきたら、すぐに連絡しますから!」
「ああ、頼んだ」
きっと見つかりますよと、寮を出る俺の背中に美穂が言う。俺は彼女に頷くと、急いで事務所へと向かった。
――事務所についたのは、正午を少し過ぎた頃。部屋に入ると、アイドル達が思いおもいの時間を過ごしている姿が目に入る。
「あ、プロデューサーだ」
何人かがこちらに気づいて手を振ってきた。俺は片手でそれに応えると、すぐにちひろさんのところへ向かう。
「それで、どうなってます?」
「今日明日のまゆちゃんに入っていたお仕事に関しては、他のアイドルに代わりを頼む事でなんとか……
でも、このまま何の連絡も入らないとなると、難しいですね」
「寮でも、普段と変わった様子は見られなかったそうです。彼女の部屋にも書置きとか、そういった物は見当たりませんでした」
「事故にあったって連絡もありませんし――考えたくはありませんけど、もしかしたら何らかの事件に巻き込まれた可能性も……」
事件――ちひろさんのその言葉に、俺の表情も険しくなる。考えたくは無いが、否定する事も出来なかった。
「それに、早速例の記事の悪い効果が出てきています。先ほどから事務所に問い合わせの電話が掛かりっぱなしで……」
「やっぱりですか。一刻も早くまゆを見つけないとまずいですね。
この記事を本人が知る事で、事態が変にこじれる事もありえますし」
もしくは、既になんらかの形でまゆ本人がこの記事を知っていて、それで事務所に来ないのだとしたら?
だが、彼女の居場所を掴むための手掛かりが無い。闇雲に探したところで見つけ出すのは困難だ。
焦る気持ちとは裏腹に、取る事の出来る手段は余りにも少ない。
「とりあえず、事務所の皆に事情を説明して……手掛かりを探しましょう。最悪、警察に相談する事にもなりますね……」
その時だ。俺はある人物の事を思い出した。彼女なら、行方の知れないまゆを探し出す事が出来るかもしれない。
「ちひろさん、俺ちょっと出てきます!」
「えぇっ!? どこに行くんですか!」
「もしかしたら、まゆを見つける事が出来るかもしれません!」
机の上に放りだされていた例の雑誌を手に取ると、俺は再び事務所を飛び出した。
書き溜め分が終わったので、ここで一旦区切ります。
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4.「天才」
目的地についた俺は、汗だくの額を拭って呼吸を整えると、目の前に立つ古びたアパートに目をやった。
事務所からそう離れていない場所に立つ、およそ人が住んでいるようには見えないボロアパート。
「多分、居るとは思うんだけどな……」
門をくぐり、かび臭い空気の中を、今にも踏み抜けそうな床板をぎしぎしと鳴らしながら俺は彼女の部屋を目指す。
「お~い、いるか~!」
ドアを軽くノックするが、返事は無い。だが、しばらくすると少しだけ扉が開かれ彼女――晶葉が顔を覗かせる。
寝起きなのか徹夜したのか、いつもくくってある髪はほどかれ、大きめな白いワイシャツにもシワが寄っている。
「……助手か。その顔を見る限り、またなにか問題が起きたようだな」
こちらの表情を察して、晶葉が俺を部屋に招き入れる。
四畳半の狭い和室には、所狭しと物が積み重ねられ、中にはなにやらよく分からない装置のついた椅子なんかも設置されていた
……洗脳器具かなにかだろうか? まさか、と自分でツッコミを入れてみたが、
本当にそういった物を作れてしまいかねないのが「天才」池袋晶葉と呼ばれるゆえんでもあった。
そんな晶葉は畳の上の物を掻き分けてスペースを作ると、俺に座るように促し電気ケトルの電源を入れる。
そして簡素なデスクチェアに座ると、足を組んでこちらへ向き直った。
「それで……今度は何だ? 大人組の宴会で居酒屋が大破、志希の実験で中毒者多数、
泉のプロテクトが暴走して事務所のデータベースがおしゃかになった事もあったな」
「……どれも忌まわしい事件だった」
何気ない一言で脳裏にフラッシュバックする過去の事件の数々と、始末書の束を抱えた笑顔のちひろさんの姿
……いや、それはまた別の話だ。
「って、そうじゃない。実は、人を探したいんだよ……ほら、前にも志希がいなくなった時に、
匂いで探すセンサーみたいなの作ってくれただろ?」
「事務所で香水をぶちまけて逃げ出した時のヤツか……だが、誰を探すんだ?
正直言うと、アレは普段から自作の香水をつけていた彼女が対象だったから機能したようなものでな」
そこまで言うと、晶葉が二人分のカップにお湯を注ぐ。
豆の良い香りが部屋中に広がり、飲むだろう? と、目の前に淹れたてのコーヒーが差し出される。
「いくら私が天才だと言っても、何でも出来るわけじゃあないからな。期待させて悪いが、物によっては力にはなれん」
「……まゆが、いなくなった。手掛かりも無いし、どこにいるのか……居場所の検討もつかない」
俺はそう言うと持ってきていた雑誌を開き、例の記事を晶葉に見せた。記事を読んで、晶葉の眉がピクリと上がる。
そして、長い沈黙の後で彼女はゆっくりと口を開いた。
「これを、彼女は?」
「知らないと思いたいが、耳に入るのも時間の問題だろう。もしかすると、もう既に知っているかもしれない」
しばし、晶葉が顎に手を当てて考え込む。
「分かった、何とかやってみよう……だが、少々時間を貰うぞ?」
「それで見つかるなら、待つさ。今は晶葉だけが頼りだ」
「目処がついたら連絡しよう。それまでは、助手も普段通り仕事をしていてくれ。
どうせこの記事の対応やなにかで、忙しいだろうからな」
俺は晶葉に礼を言うと、立ち上がった。部屋を出ようとする俺に、彼女が言う。
「分かっていると思うが、彼女を……まゆを信じてやれ。助手に迷惑をかける事を望むニンゲンじゃない。
軽率な行動を取る事は無いと、私は思うぞ」
「……ありがとうな、晶葉」
「ふ、ふん! 私はな、こんな些細な問題でお前に落ち込まれると、その、なんだ……
実験の手伝いなんかも、おちおち頼めないから仕方なくだな……」
「分かった分かった……なら、そっちもせめて、身支度ぐらいは普段から気をつけるようにしてくれよ」
「……? どういうことだ?」
「えっと、一応女の子なんだし、俺も目のやり場に困るというか……」
その時初めて晶葉がワイシャツ一枚である自分の格好を確認する。
「ばっ! バカもん!! 気づいていたならさっさと言わんかっ!!」
顔を真っ赤にして怒る晶葉に部屋を追い出され、俺はアパートを後にする。
とりあえず今は、晶葉を信じて待つしかない……気持ちばかりが前を向き、どうにも動けない自分がもどかしかった。
ふと見上げた空もまだ晴れず、吐き出しどころのないもやもやが俺の胸を締め付けた。
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5.「疑惑」
――晶葉に頼んでからはや三日。その間、まゆから連絡が来る事はなかった。
それでも俺は焦る気持ちを抑えて、なるべく普段通りに振舞うよう努力していた。それは、事務所の皆も同じだろう。
残されたアイドル達も表面上は変わらずに仕事やレッスンをこなしていたが、皆彼女の事を心配していた。
だが、世間でのまゆの印象は悪化の一途を辿る。雑誌での記事発表と同時にメディアから消えたまゆ。
タイミングが悪いといえばそれまでだが、姿を見せない彼女に対してファンの間では
「あの記事が事実だから姿を見せない」という噂が物凄い速さで広まっていた。
「人気アイドル謎の失踪!」「暴かれた過去の交際関係!」「雲隠れで傷跡を整形中!?」……
まゆに関する根も葉もない噂がばら撒かれ、それに喰いつくゴシップ好きの数々。
――だが、それ以上に俺を打ちのめした現実があった。
「もしかしたら、実家に帰ってるかもしれません」
まゆがいなくなった翌日。ちひろさんが言った一言で、俺は彼女の実家へと電話を掛けた……だが。
「この番号は、現在使われておりません――」
受話器から流れる無機質なアナウンスに、体が固まる。
すぐにちひろさんがまゆの個人情報が書かれた書類を持ってきて確認したが、電話番号のかけ間違いなどではなかった。
高まる嫌な予感を感じながら、書類に書かれた住所を確認する。
「そんな……なんでだ?」
確かにその住所は存在した。
だが、調べてみるとその場所に建っているのはなにかの研究施設のようで、およそ一般人が住んでいるような場所では無い。
そう意味では電話番号と同じく、彼女はまったくのデタラメを書類に書いていた事になる。
「まゆちゃん、なんでこんな嘘を書いたんでしょう?」
ちひろさんも、怪訝そうな顔になる。だが、まゆが何を考えてこんな嘘を書類に書いたのか。
その理由を、俺達が思いつく事はできなかった。
――そして、今にいたるのである。
俺は深いため息をつくと、机の上に積み重なった書類の束に目を落とした。もしもこのまま何の連絡も無く、
まゆがアイドルを辞める事になった場合、今まで予定を組んでいた様々なイベントもキャンセルとなる。
いくつかは他のアイドルに任せられるものもあったが、最悪の場合も考えておかなくてはならなかった。
「はい、どうぞ」
「あぁ、ありがとうまゆ――」
机に置かれたコーヒーにつられて視線を上げると、そこには少し困った顔をした凛が立っていた。
「あっ――わ、悪いな凛。間違えちゃって……」
「別に、気にして無いよ……いつもなら、プロデューサーにコーヒーを入れてたのはまゆだったからね」
そう言って長い黒髪をさらさらと揺らす――渋谷凛。彼女とまゆはほとんど同じ時期にこの事務所にやって来た。
物怖じしない性格で、クールな印象を受ける凛と、可愛らしさを詰め込んだようなまゆ……
一見すると正反対に見える二人だったが、その面倒見の良さゆえか意外と二人の仲は良好であり、
最近ではなにかとコンビで活動することも多くなっていた。
ある意味でパートナーと言えるまゆが姿を見せなくなっても、
落ち込んだ姿を見せて周りを心配させまいと気丈に振舞う彼女には本当に頭が下がる思いだ。
「やっぱり、連絡ないんだね」
「あぁ。晶葉に頼んでまゆを探せる算段をつけてもらっているが、やはり時間がかかるらしい」
「プロデューサーはさ、どこか心当たりは無いの? まゆが行きそうな場所や、二人の……思い出の場所とか」
「一通りは見てみたけどな……いなかったよ」
「――――そっか」
レッスンに行くという彼女を見送って、俺は凛の入れてくれたコーヒーに口をつける。
『プロデューサーさん。コーヒーですよぉ』
笑顔で俺にコーヒーを差し出す、まゆの姿を思い浮かべる。凛の入れてくれたコーヒーは、彼女の物よりも苦めだった。
窓から外を見ると、いつの間にか雨が降っていた……ここ最近は天気も悪い。
寒空の中雨に濡れ、震えているまゆの姿を想像してしまい、急いでそれを打ち消す。
――窓に当たる雨粒を眺めながら、俺は彼女と初めて出会った時の事を思い出していた。
書き溜め分が終わったので、ここで一旦区切ります。
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6.「出会い」
「まったく、自販機から探し出すのは大変なんだぞ。しかもこんな旅先で……」
そうぶつぶつと文句を言いつつも、しっかりと要求どおりの物を探してしまう自分に少し腹が立つ。
「でもまぁ、嬉しそうに飲む顔を見ると許せちゃうんだよなぁ……なぜか」
仕事先の撮影スタジオにおいて、俺は自動販売機を探して歩き回っていた。
慣れない建物の中で半分迷子になりながらも、ようやく廊下に設置された自販機を見つける。
「やっと見つけた……えぇっと、あ! あるある!」
財布から小銭を取り出し、目的のボタンを押すが――反応なし。
壊れているのかと思い、何度か連打してみるが、うんともすんとも言わない。
「まさか……売り切れ? 勘弁してくれよ~! 撮影終わるまでに買って来れなかったら何言われるかわかんないってのに~!」
その時、近くのベンチに腰掛けていた少女が俺の方へやって来た。
「あ、あのぉ……」
「はい? あ、じ、自販機壊したりなんてしてませんよ!?」
勢いよく振り向いた俺に、少女がびくりと体を振るわせる。
栗色のゆったりとした髪、抱けば折れてしまいそうな細い体、頭につけた、大きなリボンのついたカチューシャが可愛らしい。
だが、なにより特徴的だったのがその目だった。
まるで、吸い込まれるように透き通った瞳に、一瞬、我を忘れて見惚れてしまう。
「……きれいだ」
「えっ?」
「君さ、アイドルとかに興味ある!? あ、でもスタジオにいるって事は、もうアイドルだったりするのかな? もしまだアイドルじゃないって言うなら、ウチでアイドルやってみない!? おっと忘れるところだった。俺、別に怪しいものじゃなくって、こうみえてアイドルのプロデューサーとか、たまにスカウトみたいな事もやってて――!!」
「あ、あの、す、すみません……」
「いやぁ、ここには仕事でたまたま来たんだけどね? まさか君みたいなきれいな子に会えるとは思わなかったなぁ……行きの電車でずっと嫌味言われてた苦労も報われるってもんだよ! いや、彼女の事を嫌ってるわけじゃないんだけど、初めて会った時から下に見られてるって言うか、ずっと下僕扱いと言うか――」
「す、すみませぇんっ!!」
少女の大声で我に返る。どうやら、また悪い癖が出てしまったようだ。
「そんなにいっぺんにお話されたら……私、処理しきれません」
「いや、こちらこそごめんなさい。初対面でいきなりあんな事言っちゃって……」
そこで俺は、改めて彼女に名刺を差し出す。
「アイドルの、プロデューサーさん……」
「それで、どうかな? 興味あったりする?」
「……ごめんなさい。私は今、読者モデルのお仕事をさせて頂いているので」
「そっか、残念だなぁ……」
うなだれる俺に、彼女が持っていた物を差し出してくる。
「……これは?」
「えっと、私が最後の一本を買ってしまったみたいで、この世の終わりのような顔をされていましたから」
それは、俺が探していたお目当てのジュースだった。
「まだ封も開けてませんし、良かったらコレを」
「えぇ……凄く助かるけど……良いのかい?」
「はい。アイドルのお誘いは受けれませんが、これぐらいなら」
そう言ってにっこりと微笑む彼女は、まさに地上に舞い降りた天使のように見えた。
「良かったぁ~、これで蹴られずにすむよ~」
「蹴られる……ですか?」
「あ! でも、タダで貰うのも悪いから、代わりに何か奢らせてよ」
俺はお金が入ったままの自販機を指差す。
「じゃあ、お言葉に甘えて……ココアを頂きますね」
そのまま俺は、次の撮影まで時間があると言う彼女と一緒にベンチに座り、とりとめも無い話を交わした。
とは言え基本的には俺が事務所での失敗談や日常であった笑い話を一方的に喋るだけだったが。
それでも彼女は、とても楽しそうに俺の話に耳を傾けてくれた。
時折こぼす笑みや、驚いた時の目を丸くする表情が可愛くて、俺はついつい彼女とのお喋りに夢中になってしまったのだ。
そして、悪魔は忘れた頃にやって来た。
「へぇ~。この私をほったらかして、随分と楽しそうね」
背筋の凍る声とは、この事を言うのだろう。冷や汗をかきながら、声のしたほうへ振り返る。
「や、やぁ……意外と早く終わったみたいだね……調子も良かったのかな?」
「お陰様ですこぶる絶好調。それで、隣の子は誰なワケ?」
「いやぁ、ジュースを買いに来たら意気投合しちゃって。ちょっとお話を、なーんて」
瞬間、俺のふくらはぎに見事なローキックが決まる。
「こんのバカプロデューサー! 仕事ほったらかして何呑気に女の子くどいてんのよっ!!」
「ちょ……連打は止めて……っりんさまっ!!」
「だからその呼び方は止めてって言ってるでしょ!」
彼女と俺のやり取りを、となりに座るまゆがニコニコと眺める。
「ふふっ、本当にお話の通りなんですね~」
「でしょ……ほんとこれが大変でってあいたっ!」
「ちょっとぉ! 話の通りって何よ! またあること無いことぺらぺらしゃべってたの!?」
「だからそれは話の流れで――!」
――肩を叩かれ、俺はそこで目を覚ました。どうやら、少し寝てしまったらしい。
目の前に、心配そうな顔をしたちひろさんが立っていた。
「随分、うなされてまいたけど……大丈夫ですか?」
「えぇ、ちょっと……まゆと初めて会った時の事を思い出してまして」
「なら良いんですけど……無理はしないで下さいね? 先輩として、なんでも相談に乗りますから!」
「ははは、それじゃあいよいよって時には、お願いしますね」
俺は笑って誤魔化すと、すっかり冷めてしまったコーヒーの残りを一気に飲み干した。
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8.「嘘」
嘘をつくのは簡単だが、その嘘を突き通すのは難しい。だが、その嘘が誰にも見破られないならば、それは嘘でなく真実となる。
「調子は、どうだ?」
「……すこぶる絶好調です」
「ふむ。まだ少し記憶のほうに混乱があるようだな」
目の前に立つ、白衣の人物が私の顔を覗きこむ。
「視覚に異常無し。その他の数値も正常……いや、ちょっと落ち着きがないようだが……『彼』がいないのだから仕方が無いか」
傍らのモニターに出力される数値を見ながら、その人物は手元のファイルに何かを書き記していく。
「それにしても、今回の騒動には参ったよ。まぁ、あの記事を書いたライターにはそれ相応の罰を受けてもらったそうだが」
「私も……罰を受けますか?」
「いや、受けない……と言いたいが、君にとっては既に拷問とかわらないかもしれん」
白衣の人物が、作業する手を止めてこちらに向き直る。
「人の欲求とは難儀な物だな。まぁ、私も人の事は言えないが……」
「…………」
「まさか『こんなもの』まで再現してしまうとは。いや、この場合発現と言うべきか……」
そう言うと白衣の人物が、再び作業に戻る。それを眺めていた私の視界も徐々にぼやけて行き、やがて深い静寂に包まれた。
書き溜め分が終わったので、ここで一旦区切ります。
後、8じゃなくて7.「嘘」ですね、ミスりました。
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8.「過去」
あれから何の進展もないままに二日――まゆがいなくなった日から数えたなら五日が過ぎた。
時計の針は深夜を指しているというのに、俺は事務所のパソコンと睨めっこ。
まゆに関する問い合わせや嫌がらせの電話は日に日に増え、その対応に追われて本来の業務にも支障が出始めていた。
「プロデューサーさん。今日はもう、お帰りになって構いませんよ?」
ちひろさんがそう声を掛けてくれる。彼女も連日の残業続きで疲れているはずなのに、
それを微塵も感じさせないところはさすが大手プロダクションの事務員と言ったところだ。
「もう少しでキリの良い所まで行きますから、それまでは頑張りますよ」
「そうですか……なら、これでもどうぞ」
引き出しから一本のドリンク剤を取り出して、ちひろさんが俺の机の上に置く。
「どうも、ありがとうございます……いくらですか?」
「こちら、税込み765円となっておりますっ♪」
そして、どちらとも無く笑い出し……ひとしきり笑った後、再び作業を開始する。結局、ケリがついた時には日付も変わっていた。
「それじゃあ、お先に失礼しますね」
そう言って、ちひろさんが部屋を出る。広い事務所にはもう俺一人だ。
背もたれに体を預けるようにして椅子に座りなおすと、俺はここ連日の出来事を振り返っていた。
そもそも、まゆがいなくなった直接のきっかけは何なのか。
あの根も葉もないゴシップ記事も同様で、なぜ今、このタイミングであんな内容の記事が世間に放たれたのか。
「まるで、誰かがまゆの活動を邪魔するように……」
何気なく呟いた時、俺は思い出した。そして、スケジュール帳を引っ張り出すとこれからのアイドル達の予定を確認する。
「明後日……いや、日付が変わってるから明日か」
晶葉からの連絡を待つ間、自分にできる事なら、何だってやっておきたかった。
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9.「繋がり」
今日でまゆがいなくなってから一週間。俺は今、凛の付き添いという名目でとある録音スタジオへと足を運んでいた。
「珍しいよね。プロデューサーが収録に付き合うなんてさ」
「あぁ、ちょっと野暮用もあってな」
通いなれたスタジオに入ると、丁度お目当ての集団が向こうからやって来るのが見えた。
「あーっ! 兄ちゃんじゃーん!」
「よお! 相変わらず元気だな、亜美!」
勢いよく飛び込んでくる亜美を軽く受け止め、その後ろに立つ懐かしい顔ぶれに挨拶する。
「みんなほんとに久しぶりだなぁ……随分印象も変わっちゃって……」
「そういうプロデューサー殿は、相変わらず頼りなさげですね」
「ほんっと、こんな奴が一時とは言え私達のプロデュースをしてたなんて、信じらんないわね」
「もう、伊織ちゃんったら~。そんな事言うと、プロデューサーさんが泣いちゃうわよ~」
「勘弁して下さいよあずささん。もう泣き虫だったあの頃の俺じゃあ無いんですから!」
しばし談笑していると、おずおずといった様子で凛が会話に加わってきた。
「あ、あのさ! プロデューサーって……竜宮小町……さんと、知り合いなの?」
「そうか、凛は知らないんだっけ」
俺が改めて律子達に凛を紹介する。
「紹介するよ。今俺がプロデュースしてる渋谷凛。そんで、こっちが元同僚の……」
「双海亜美だよ~!」
「三浦あずさです~」
「水瀬伊織ちゃんよ!」
「そして私が彼女達のプロデューサーの、秋月律子です!」
「し、渋谷凛です! よろしくお願いします」
顔を真っ赤にしてお辞儀をする凛に、亜美たちがやいのやいのと話しかける。
「んで、俺が途中入社のプロデューサーってわけ。
元々は765プロにいたんだけど、事情があって凛が入ってくる半年前に今のプロダクションに移ったんだよ」
「そうだったんだ……」
先輩アイドルに囲まれて半ば放心状態の凛をおいて、俺は律子に話しかける。
「それで、久々に会ったってのになんだけど、ちょっと聞きたいことがあってさ」
「……佐久間まゆについて、ですね?」
「さすがは律子だ。よく分かったな」
「そりゃあ、一緒に仕事してた仲ですから。分かりますよ、当然」
そう言って眼鏡をクイッと上げる。
「業界でも、彼女の失踪を知らない人はいないってぐらいに話題になってますからね。
ほんとなら、こんな所に顔を出してる暇なんてないんじゃないですか?」
「そこは前と違って、仕事熱心な事務員さんがいるからなんとかなってるよ」
そこで俺は言葉を切ると、今度は真面目な態度で訪ねる。
「実はな、今度のゴシップの出どころなんだが……俺は961プロなんじゃないかって睨んでるんだ」
「まさか……だって、彼女はウチの事務所とは関係ありませんよ?」
「思い出してくれよ律子。961プロは元々業界内でその手の噂が絶えない会社だ。
自分のところのアイドルの障害になりそうなら、事務所なんて関係無しに妨害工作を仕掛けてくるさ」
「確かに、最近の彼女は勢いに乗ってましたけど……でも、それだけじゃあ」
「もう一つの理由が、まゆのプロデューサーが俺……元765プロダクションの社員だってこと」
そこで俺は大きくため息をついてから、吐き出すように続ける。
「さらに悪いのが……美希の件だ」
「あぁ……」
俺の言葉を聞いて、律子がなるほどと肩を落とした。
――星井美希。当時14歳という異例の若さにして人気アイドルの仲間入りを果たした彼女は、
所属する961プロダクションにとってもまさに今後の活躍が期待されていた新進気鋭のアイドルであった。
だが、そんな彼女が何を思ったのかたまたま仕事で一緒になった俺達に興味を持ち、一言。
『美希、事務所を移籍するね!』
後に業界全体を混乱に陥れた大移籍劇。その発端となった俺の事を、961プロの社長が許してくれるはずもなく……。
「なんとか高木社長の計らいで俺が別の事務所に移る事で決着がついたが……やっぱり忘れられてたわけじゃないらしい」
「とてもじゃないですけど、ウチじゃ961プロに本気で圧力をかけられたら敵いませんからね……」
「そのせつは本当に迷惑をかけたな……申し訳ない!」
「か、顔を上げてくださいよプロデューサー!
それに、ほんとだったら業界から追い出されててもおかしくはなかったんですから!」
そうなのだ。961プロの社長と765プロの社長が知り合いだったため、俺はなんとか業界から追放される事もなく、
こうして別の場所でだがプロデューサー業も続けていられる。
実を言うとこの時も美希が俺に着いて来ようしたが、さすがに二度目の移籍は周囲の人間によって阻止された
……この時ほど律子の事が頼もしく思えたことは無い。
「とにかく、あの記事が直接の原因かどうかは分からないが、また何らかの妨害があるかもしれない」
「だから、こちらで何か掴んだら教えて欲しい……そう言うことですね?」
「頼む。このとおりだ」
そう言うと、俺は律子にもう一度頭を下げた。
「まったくしょうがないですね……でも、余り期待しないで下さいよ?」
たまには事務所に顔を出してください。皆、待ってますから。そう言って律子達は帰って行った。
後に残った俺と凛が、ロビーのソファに座って収録までの時間を潰す。
「それにしても、ほんとに驚いたよ」
凛が、緊張から解き放たれたのか、ソファにぐったりとした様子で体を預ける。
「はは、いつもは物怖じしないクールな渋谷凛も、さすがに大先輩に囲まれると借りてきた猫みたいだったな」
「もう……怒るよ?」
「悪い悪い……でもその三つ編み姿も結構似合ってるな」
「こ、これは亜美……さんが、あと三浦さんも面白がって……」
「顔を真っ赤にしてされるがままの凛は、悶絶級の破壊力を秘めていたな。
どうする? こんどそういう路線でも売り出してみるか?」
「~ッ!!」
ダンッ! と音がする程の勢いで、凛の革靴が俺の足を踏みつけた。
「バカッ! 私もう行くから!」
そのまま勢いよく立ち上がると、痛みで動けない俺を置いて歩いていってしまう。
「まったく、手加減なんてしてくれないもんな……」
ようやく痛みが引いたかというころに、携帯電話に着信が入った。
「もしもし、プロデューサーですが――」
「――プロデューサーさん? 小日向です!」
「美穂か、どうしたんだ?」
電話口から聞こえてきた彼女の声は、心なしか暗い。
「あの……とりあえず、後でもいいので寮に寄る事ってできますか? 見てもらいたい物が、あるんです」
書き溜め分が終わったので、ここで一旦区切ります。
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10.「形」
美穂から電話を受けた数時間後、俺は女子寮にあるまゆの部屋を再び訪れていた。
「プロデューサーだ。開けるぞ?」
「あ、ど、どうぞ!」
一週間ぶりに入ったその部屋は、以前来た時となんら変わり無い……
ただ一点、クローゼットの前の棚がどかされている事以外は。
美穂が、壁に作られたクローゼットの前に立ち、こちらへと手招きをする。
「それで、何を見せたいんだ?」
「あの、まゆちゃんを探す手掛かりが何か無いかと思って、寮のみんなと一緒に部屋を調べたんですけど……」
「おいおい、そういうのは俺かちひろさんと一緒にだな……」
「す、すみません! でも私達も、何か手伝える事は無いかなって……」
事務所の友達を想う、美穂の気持ちも分かる。仕方ないなと呟いて、俺は本題に入った。
「で、何を見つけたんだ」
「……これです」
美穂がクローゼットの扉を開く。
「私、初めてこの部屋に入った時に、なんでクローゼットの前に棚なんて置いてあるんだろって思ったんです。
だって、中の物を取り出す時に、いちいち棚をずらさないといけないじゃないですか」
閉ざされたクローゼットの中身。そこには、最低限の衣類と、フタのされた大きめのダンボールが一箱置いてあるだけだった。
「それで、二人で棚をずらしてみたら……やっぱり、変ですよね? それによく見たら、この部屋、おかしい事だらけなんですよ」
「…………」
「テレビも無い、本棚も無い……おまけに、普段着る衣類の類もほとんど無い。
このずらした棚に置いてあるのも、玩具のアクセサリーや前に私達がプレゼントした物だけ。
なんだか貰った物をそのまま並べたって感じで……ベットだってそうです!
これ、マットレスだけで、毛布なんかはどこにも無いんですよ……?」
美穂の声が、どんどん小さくなっていく。
「一見すると、確かに可愛らしい部屋に見えますけど……この部屋は、
人が……女の子が生活していたにしては……いびつ過ぎます」
「まるで、子供が作った玩具の家みたい――」
そう言って黙ってしまった美穂にかける言葉も見つからず、仕方が無いので俺はまだ確認していなかったダンボールを開く。
「これは……俺がまゆにあげたプレゼントだ」
仕事にたいするねぎらいの意味を込めて贈ったプレゼントが、箱の中に丁寧にしまわれていた。
奇妙な事に、その一つ一つに付箋が貼られ、数字が書かれている。どうも、プレゼントを貰った日付を書いているらしい。
そんなプレゼントに囲まれるようにして置かれた、一冊の日記帳を手に取る。
大きめの小説程の厚みがあるそれは、赤いリボンで丁寧に包装されていた。
「これ、俺が預かっても構わないかな?」
「……私には、分かりません」
日記帳を手に持ち、改めてまゆの部屋を見回す。確かに、美穂の言うとおりだ。
生活感の無い部屋というのがあるが、この部屋は生活感そのものを「作っていた」。
だが、その作りは粗く、すぐにバレてしまうような物……
まるで生活するという事を知らない者が、表面上だけそれらしく見せようとしたような……。
「私達の知っているまゆちゃんは……本当のまゆちゃんだったんでしょうか?」
寮を出る際に美穂から掛けられた言葉に、俺は何も答える事が出来なかった。
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11.「再開」
寮を後にした俺は、事務所に戻るために人通りの少ない河川敷を歩いていた。
腕の時計を見ると午後五時。まだ日は落ちていないが辺りは薄暗く、身を刺す様な冷たい風が流れていく。
もう少し厚着をしてくるべきだったか……そんな事を考えながら歩いている俺を、一台の車が後ろから追い越していく。
その車が、俺との距離を取って止まった。そして後部座席のドアが開くと、中から一人の少女が現れる。
「――――まゆ?」
見間違えるはずの無い栗色の髪。コートを着ているため、普段よりもふっくらとしたシルエット。
カチューシャは外しているようだったが、間違いなくそれは、佐久間まゆ本人であった。
今まで何の連絡も無かった彼女が突然目の前に現れ、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
俺は、彼女が十分な距離まで近づいてくるのを待った。こちらから近づくと、その瞬間に彼女が離れていってしまうかもしれない……そんな想像が胸にわいたからだ。
「お久しぶりですね、プロデューサー」
風に揺れる髪を右手で押さえて、まゆが言う。その声はどこか平坦で、感情が感じられない。
おもわず抱きしめたくなる衝動を抑えて、俺は口を開く。
「……今まで、どこにいたんだ? みんな心配してたんだぞ」
「……ごめんなさい」
「それに、今も何をしているんだ……あの車も、一体――」
手を伸ばせば触れられる距離だというのに、二人の間には大きな隔たりがあるように思えた。
作り物のような表情のまま受け応えする彼女を見ていると、なぜだか先ほどの彼女の部屋を思い出す。
「話せない、事なのか?」
「…………」
「姿を消したのは……その、雑誌の噂のせいか?」
一瞬だけまゆの瞳が泳いだが、すぐに頭を振って否定する。そんな彼女の態度に、無意識のうちに視線が彼女の左腕に移る。
だが、左手はコートのポケットで隠されており、中の様子をうかがい知る事はできない。
「なぁまゆ。黙ってないで、何か言ってくれないか。俺達で力になれる事なら何だって――」
俺が最後まで言い終わらないうちに、彼女の唇が開く。
「私は、嘘をついていました」
彼女の瞳が、俺をまっすぐに見据える。
「嘘は、簡単につくことができる。でも、その嘘をついたままでは、いられないんです」
まるで、機械が喋っているかのようなトーンでそう言い放ったまゆの視線が、俺の持つ彼女の日記帳へ向けられる。
その瞬間、何の感情も見せなかった彼女の瞳が大きく見開かれたと思うと、俺の胸に自分から飛び込んできた。
ふわりとした髪から香る、甘い匂いに、柔らかな体の感触。呆気に取られている俺を見上げて、彼女が言う。
「――『まゆ』を、離さないで」
そのまま、彼女が両手で俺を後ろへと突き飛ばす。その時、一瞬だけだがあらわになる彼女の秘密。
「ま、まゆっ!」
バランスを崩した俺はそのままごろごろと土手を転がり落ちた。
急いで起き上がり、元いた場所に戻ったときには、車も、まゆもその姿を消していた。
書き溜め分が終わったので、ここで一度中断します。
あまりにも急な展開に頭の理解が追いつかなかったが、まゆに、何か人には言えない事情がある事は、もう疑う余地もなかった。
「まゆを離すなって……それにあれは……」
彼女の言葉が、何度も頭の中を反復する。一体、なにを隠し、どれが嘘だったのか。
思えば、彼女と初めてあったときから、俺は彼女の『笑顔』しか知らない。
いや、彼女が俺に対して極力『笑顔』しか見せて来なかったと言うべきか。
そして、問題の左手――。
「でも、そんな事ってありえるのかよ」
脳裏に浮かぶ、最後のまゆの姿。コートの袖から見えた、彼女の秘密。僅かな瞬間だったが、確かに感じた彼女の温もり。
だが、俺を突き飛ばすために一瞬だけポケットから出された彼女の左腕は、冷たい輝きを放つ、むき出しの機械で作られていた。
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12.「日記」
○月▽日
今日から、日記をつける。記録をとる人がいなくなるので、私自身が記録をとる。
時々、提出しなくてはならないので、二冊の日記帳を用意した。提出用と、自分用だ。
施設を出てから、初めての一人暮らし。
実際は寮なので、共同生活なのだけど、部屋は個室を与えられたので、誰にも監視されないプライベートな空間は確保できている。
こうして秘密の日記帳に思いついたことを書いていると、いけない事をしているようで、なんだかドキドキする。
実際、これはいけない事だけど……
人間は嘘をつけると言うし、こうして嘘を用意できるまゆは、しっかりと人間になれていると思う。
○月△日
久しぶりに、あの人と会う。本当は何時間何分ぶりだとか、そういった気の利いた挨拶がしたかったけど。
実際に彼の前に立った私は、どうしようもないぐらいに思考が分散して……
結局、彼から声をかけてもらうまで、ろくに返事も出来なかった。この日のために、新しい会話文も覚えたって言うのに。
――でも、彼は私の事を覚えていてくれた。相変わらず、変な話もしてくれて、私は自然に笑うことができた。
これからの日々に、期待している私がいる。
○月□日
寮の部屋に、家具を揃える。壁に作られたクローゼットの中に秘密の日記帳を隠して、その前に棚を置いた。
これで、誰かに見つけられる心配はないだろう。我ながら、完璧な隠蔽の仕方だと思う。
後は、ベットとテーブルと……施設で遊んでいた玩具の家を思い出しながら、部屋を飾る。
でも、なんだか余計な物までついていたので、そういう物は捨ててしまった。
事務所の人達はみんな良い人ばかりで、私にも優しくしてくれる。
施設なんかよりも、ずっと居心地が良い……このまま、ずっとココに居られたらいいのに。
○月○日
渋谷凛という子と、最近は良く一緒になる。
一見周りに興味が無いように見えて、その実困っている相手に提案するアドバイスはどれも的確だ。
彼女は、観察力に優れているのだろうか? 私も、もう少し気をつけたほうが良いかもしれない。
もしも秘密がばれるような事があれば、また、居場所を失ってしまうのだから。
以前から感じていたが、私はプロデューサー……彼に何か特別な感情を抱いているようだ。
思えば、この気持ちは彼と初めて出会った時からずっと続いている気がする。
今度、技師に相談してみようかとも思ったが、面倒事になるのは避けたい。しばらくは、誰にも言わないでおくことにする。
×月▼日
本当に、腹が立つ、あの人達はなんて勝手な事をするんだろう!
クローゼットの中に巧妙に隠されたこの日記帳を見つけなければ、私は今までの「まゆ」を永遠に忘れてしまうところだった!
これからは、もっと細かく、しっかりと日記を書き残す事にする。
もし、また私の記録を戻されてしまっても、ちゃんと思い出すことが出来るようにだ。
なんと言ったか、そう、この日記が私のバックアップになる。――これほどまでに自分の体を恨めしいと思った事は無い。
人は時間と共に記憶を無くして行くと言うが、私は全てを覚えておける。
けれど、それは他人によって簡単にいじくり回されてしまう不完全な物だ。
経験の積み重ねで人になるとのたまうくせに、都合の悪い体験は無かった事にしてしまうだなんて……
やはり、あの人達にとって私は、都合の良い道具でしかないのだろうか?
×月□日
最近、自分と他人の違いが分からなくなる。
確かに、外見上の成長は望めないが、こんな私でも「感情」というものがなんとなく理解できるようになってきた。
彼に褒められると「嬉しい」、彼に会えないと「悲しい」、彼と一緒に過ごすと「楽しい」、認めたくないが、前回の一件……
あの人達の勝手な行動によって、「怒り」の感情も初めて実感する事ができた。
身体的な限界は人と違えど、この気持ちは「まゆ」自身の物。誰にも、無かった事になんてさせはしない。
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13.「告白」
「それで、どうなんだ?」
いつもの白衣姿でデスクチェアに腰掛けて、難しい顔で腕を組む晶葉。
作業机の上には、俺の持ってきたまゆの日記が置かれている。
まゆが再び姿を消した後、俺はすぐに晶葉の元へ向かった。
俺の知る限り、こういった事に関しては彼女以外の専門家がいなかったからだ。
そんな彼女は俺の話を聞き、まゆの日記に目を通すと、そのまま黙り込んでしまった。
沈黙に耐え切れなくなった俺が声を掛けると、ため息をついて、晶葉がこちらに顔を向ける。
その表情は、相変わらず難しいままだ。
「なぁ助手よ。つまりお前はこう言いたいのだな? 彼女――佐久間まゆは、人間では無いのではないか、と」
「ああ……そうだ」
「――馬鹿げた話だとは、思わないのか?」
もちろん、現実にこんな事が起きるなんて思ってもみなかった。せいぜい、アニメや漫画、小説だけの話だと。
だが、実際に俺は、彼女の腕が機械で作られていたのを見たのだ。それに、この日記の内容……。
「もしかしたら、義手だったのかもしれん。咄嗟の出来事で見間違えた可能性だって――」
バンッ! と、畳に拳を打ちつけて晶葉の話を遮る。
俺は今、どんな顔をしているのか、なぜこんなにも、心が落ち着かないのか。
そんなはずは無いと、必死で否定しようとしていた疑問を、口に出す。
「――晶葉……お前は、この事を知っていたのか?」
彼女が、俺から視線を逸らす。その動作が、全てを物語っていた。
「――ッ!!」
次の瞬間、俺は白衣の襟元を掴むと、彼女をそのまま吊るし上げた。晶葉の華奢な体が、宙に浮く。
「いつだっ! いつから知ってた!? なぜ黙って……なんで教えてくれなかった!!」
もしこの事を俺が初めから知っていたら、もしかしたらこんな事になる前に、今とは違う選択を選べていたかもしれないのに!!
「――く……くる……し……」
酸欠で苦しむ晶葉の表情で、我に返る。慌てて手を離すと、彼女の体は勢い良く椅子の上に落ち、そのまま畳の上へと転がった。
「だ、大丈夫か……?」
俺は、一体何をした? まゆの事で頭が一杯で、とんでもない事を――。
「ひっ……!」
転がったままの彼女を助け起こそうと伸ばした俺の手を見て、晶葉の顔が恐怖で歪む。
その顔を見て、いてもたってもいられなくなった俺は、机の上の日記を掴むと彼女の部屋を飛び出す。
「なんでだ……? どうしてこうなるんだよぉ……!!」
行く先も分からぬままただ、俺は夜の街を闇雲に走り続けた。
書き溜め分が終わったので、ここで一度区切ります。
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14.「追憶」
「おはようございます。プロデューサーさん」
いつだって可愛らしい笑顔で俺を迎えてくれたまゆ。
「お弁当を作ってみたんですけど……食べてみてくれますかぁ?」
彼女の作るお弁当は、まるで料理本をそのまま再現したかのような出来栄えで。
「お疲れ様です……コーヒー、どうぞっ♪」
仕事が一息ついた時には、タイミングよくコーヒーを差し入れてくれる。
「まゆは、お化けとかは苦手なんです……女の子はみんな、そうですよねぇ?」
女の子らしい弱点だって持っていた。
「プロデューサーさんと、いつまでも一緒にいられたらいいのに……」
記憶の中のまゆはまさに「恋する女の子」そのものだった。男なら誰もが一度は想像する理想の女性像……当たり前だ。
なぜなら、彼女はソレを忠実に再現するだけの能力を持っていたのだから。
「――――まゆ」
晶葉の家を飛び出した次の日、俺は会社を休んだ。
狭いアパートの一室、何をするでもなく布団に転がり、意味も無く天井を見上げる。
結局、彼女が本当は何者であるのか、今、どこにいるのか、なぜ姿をくらませてしまったのか……
そして、俺に出来る事は何があるのか。答えが出せないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
『次のニュースです。連日お伝えしている961プロダクションによる悪質な――』
つけっぱなしのテレビから流れる声に耳を傾けていると、安っぽい呼び出し用のチャイムが部屋に響いた……来客らしい。
「……こんにちは」
けだるい体を動かして玄関を開けると、そこには凛が立っていた。いつもの制服姿だが、手にはビニール袋を提げている。
「心配だったから様子を見に来たんだけど……立ち話もなんだから、あがっても良い?」
「……断っても無理やりあがるって顔に書いてあるぞ」
仕方なく、俺は凛を家にあげた。本来なら彼女もアイドル、こういう事は極力避けるべきなのだが……。
「台所借りるね。どうせお昼もまだなんでしょ?」
時計を見れば、昼なんてとっくの昔に過ぎ去っていた。台所に向かいながら、凛がこちらに話しかけてくる。
「ちひろさんがさ……まゆがこのまま戻ってこなかったら、アイドルを辞める手続きなんかも、取らなくちゃいけないかもって」
「普段どんなに忙しい時だって元気なプロデューサーも急に仕事を休むしさ……事務所の雰囲気も、暗いまんまで……」
「プロデューサー……まゆに、会ったんでしょ?」
凛の言葉に、なんで分かるんだと返す。
「分かるよ……だって、私のプロデューサーなんだからさ」
そう言うと、再び調理を再開する凛。程なくしていい香りが部屋に広がり、テーブルの上に簡単な料理が並べられる。
「「いただきます」」
二人そろって、もくもくと箸をつける。味付けは塩が多いのか、少ししょっぱかった。
「この野菜炒め……ちょっと失敗しちゃった」
「……俺は上手に出来てると思うぞ」
「まゆは、こういうの得意だったな。私も練習してるけど、まだまだまゆには敵わないよ」
「なぁ……凛にとってまゆってなんだ?」
俺の質問の意図が分からず、キョトンとする凛。だが少し考える顔になると、ぼそりと呟く。
「まゆは……ライバル……かな?」
「ライバル?」
「そっ、ライバル……。お互い立ちたい場所に立つために、意識しあって……でも、だからってまゆの事が嫌いなわけじゃないよ?」
「……あのさ、凛。その……まゆの事なんだけどさ」
俺は凛に、自分の見た事を話す。最初は驚いた顔をした凛だったが、話を聞き終わると普段と変わらぬ凛がそこにいた。
「そっか……でも、その話が本当なら色々と納得できる事もあるよ」
「色々と……?」
「ほら、まゆってさ……ちょっと、普通とは違うところがあったでしょ? 特に、プロデューサーが絡んだときとか」
確かに、彼女の言動には少し抜けて……変わった所も多々あった。
そこは「真面目だけど天然」という形で、周囲にも認知されている。
「でもさ、その話聞いて私……少し安心してるんだ」
「……?」
「だってさ、まゆがもしロボット……って言うのかな? もし、そうだったとしても、それがまゆなんだなって」
何を言ってるのかすぐには理解できない俺に、凛が少し怒った顔で続ける。
「だから、ロボットだからって完璧じゃ無いって事だよ。プロデューサーも知ってるでしょ?
まゆだって緊張したり、失敗だってする。落ち込んだり喜んだり……そういうの、まゆの本当の気持ちだと私は思うからさ」
「よく人の心を持ったロボットって言い方するけど、人の心を持ってて、しっかりとそれを感情として表現できたら、
それは人と同じなんじゃないかな……他の人がどう思うかは知らないけど、その話を聞いても私の中では、まゆはまゆのままだよ」
そして、凛が可笑しそうに笑う。
「でも、見た目が変わらないのはちょっと羨ましいかも……まぁ、そうなったら私は、大人の色気で勝負するけどさ」
凛が帰った後も、俺は布団に転がって先ほどの話を思い出していた。
確かに凛の言うとおり、まゆの見た目は俺達となにも変わらない。
日記にも書いてあったが、心だって持ってる……なら、俺は何にショックを受けているんだ?
まゆの体が、機械仕掛けで動いている事か? 彼女がそんな重大な秘密を、俺に隠していた事か?
「――なんだ……そういう事か」
そう、俺はまゆの力になってやれなかった……彼女が、俺に頼ってこなかった事にショックを受けていたんだ。
言えるわけないじゃあないか、自分が、実は人間では無いだなんて。
「心があるなら、人と変わらない……」
彼女が俺に向けていた気持ちは、紛れも無く彼女自身から生まれた感情だ。
そして、彼女なりにその気持ちを伝えようと努力した結果が、あの「恋する女の子」……。
そこまで考えると、俺は机の下に押し込んでいた彼女の日記を手に取った――。
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15.「日記2」
△月◎日
お仕事が上手くいって、彼に褒めてもらった。おまけに、いつも頑張っている御褒美だって、可愛らしいマグカップまで!
今日は、何て素晴らしい日なんだろう! もらったマグカップは大切に、秘密の隠し場所に隠す事にする。
ついでに、この思い出を忘れないように今日の日付を書いた付箋を貼っておいた。
もし、この日記を失くしてしまっても、これを見れば、いつでも思い出すことができるように。
△月×日
なんだか最近、体の調子がおかしい。技師は気のせいだろうと言っていたが、私にはわかる。
きっとこれが、「恋」と言う物なんだろう。だって、彼の事を想うと、上手に体を動かす事ができなくなる……緊張するのだ。
機械である私が緊張するなんて……正直な話、戸惑いもあるが、それを喜びが上回っている。
彼と一緒に居るととても落ち着くし、褒めてもらえると体が跳ね上がるほどに嬉しくもなる。
もっともっと、彼に見てもらいたい。私を、まゆという存在を認めてもらいたい……
彼だけは、私を私として見てくれているのだから。
△月▼日
今日は憂鬱な気分で一日を終えようとしている。
彼が、私以外の女性と親しげに話しているのを見たとき、何ともいえない辛い気持ちになった。
これも、初めて感じる気持ち……「嫉妬」だ。すぐにでも二人を引き離したかったが、そんな事をして嫌われたくは無い。
こんなにも私の中で彼の存在が大きくなっている事には自分でも驚いている。
でも、それ以上に……私の体が、憎い。
もし私が「人間」だったら、もしかしたら、彼と結ばれる事だって夢じゃ無かったかもしれない。
けれど、私は「機械」だ。ただ、物を考え、人間のように振舞う事が出来る「機械」。
□月●日
彼の事で頭が一杯で、今日もちょっとした失敗をしてしまった。けれど周りは気にしない。
むしろ、なぜだか可愛いとまで言われてしまった。でも……ポンコツ可愛いとは、褒め言葉なのだろうか?
ここに来て、もうすぐ半年が経つ。
見た目が変化しない私が、この場所にいられるのも、もって後二、三年といったところか……
それが過ぎれば、彼ともお別れしなくてはならない――。
――嫌だ。どうにかして彼と一緒に居られないか、もしくは、永遠に彼を私だけの物にしてしまうか……私は、身勝手だ。
●月■日
技師に、ばれてしまった。
数字で表された私の「心」を見て、あの人達は私に「恋心」が生まれた事に驚いていたが、
それ以上に何かを恐れているようでもあった……隠したって分かる。あの人達は、私を……「機械」を恐れたのだ。
自分達で人と変わりない存在を生み出そうとしたわりには、ソレが人に近づきすぎた事に恐怖している。
「恋心」と共に見つけた、自分達に対する強い「敵意」。再び私の記録をいじくったようだが、私にはこの日記がある。
いくら巻き戻した所で、私と言う存在を……彼等と過ごした幸せな日々を、無かった事になど、させてたまるものか。
●月×日
急に、回収に来るという連絡が入った。
理由は伝えられなかったが、余程の事があったのだろう……電話口の声は、非常に慌てていた。
一体何があの人達に起きたかは知らないが、ただ素直に連れ戻されるような事はしたくない。
――この日記は、丁寧に隠しておこうと思う。彼の前から私がいなくなっても、ちゃんと思い出してもらえるように……
彼が、もう一人の「まゆ」を見つけ出してくれることを信じて。
書き溜め分が終わったので、ここで一度区切ります。
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16.「佐久間」
会社を休み始めてから4日目。あれから毎日のように凛が様子を見に来たが、相変わらず俺は無駄な時間の使い方をしていた。
このままではいけないと思っていても、まゆの事を考えるのを止めるなんて、できやしない。
またいつものように一日を終えようとした頃、机の上の携帯が鳴る。晶葉からだ。
「――話したい事がある」
それだけを言うと、彼女からの電話は切られた。
あの一件以来、彼女とは会っていないし、会う資格も無いと思っていたので、
彼女の方から電話があった事に多少の驚きを隠せない。
時計を見ると、夜の八時を少し回ったところ。俺はくたびれたコートに袖を通すと、あのボロアパートへと向かった。
――アパートにつき、晶葉の部屋へ。ノックをすると、無言でドアが開かれる。
中に入ると、狭い部屋には俺の知らない女が立っていた。
長身で細身。髪は短く揃えられ、いかにも神経質そうな顔をしている。
見た目は割と若く、二十代のようにも見えたが、妙な威圧感を持っているのでもう少し上なのかもしれない。
その女の隣には、いつものデスクチェアに座る晶葉の姿もあった。
「――それで、話ってのは?」
晶葉にたいして言ったつもりの質問に、細身の女が答える。
「あなたがまゆの言う、プロデューサーで間違いありませんね?」
「――ああ」
「不躾で失礼。わたくし、彼女の担当をしている佐久間ともうします」
佐久間、確かに目の前に立つこの女は、自分の事をそう名乗った。
「佐久間って事は……まゆの……」
「あの子と直接的な繋がりはありませんが……生みの親と言う意味では、母親とも言えるかも知れませんね」
何の感情も見せずに、その女――佐久間が淡々と言い放つ。
「まゆは、今どこにいるんだ?」
「今はまだ、この町に。が、恐らくもう会う事はないでしょう」
「なんでそんな事がっ……!」
「……あなたも、自身の目で見たはずです。彼女が、人間では無いと言う事を」
「……」
「今日あなたをここに呼んだのは、あなたがまゆの正体を知ってしまったためです。
どんなキッカケであったにせよ、ぺらぺらと吹聴されては、困りますから」
そう言うと、佐久間は晶葉の机の上に置いてあった封筒を俺に差し出した。
「何だこれは……」
「説明せずとも、分かっているのでは?」
「――ッ!!」
俺が封筒を弾き飛ばしても、彼女は表情を変える事無く話を続ける。
「別に、強制ではありませんが……例の記事を書いたライターがどうなったか知ってますか?」
「例の記事……まゆのゴシップの事か?」
「彼は真実を知ったわけではありませんでしたが、非常に良くないやり方でまゆに注目を集めさせてしまいました。
その責任をとって、彼は今、誰にも見つけることの出来ない場所にいます」
畳の上に落ちた封筒を拾うと、再度、俺の前に持ってくる。
「真実を知ったあなたがこうして無事でいられるのも、まゆが私達にお願いをしてきたからです。
この封筒の中身も、彼女が自分で用意した物……受け取るかどうかは、私には関係ありません」
「まゆが……」
呆然とする俺に封筒を押し付けると、それではと言って佐久間が部屋から出て行く。
その後を追いかける事すら出来ないでいる俺に、今まで黙っていた晶葉が声を掛けてきた。
「ぷ、プロデューサー? 大丈夫か……」
力ない目で晶葉を見る。そんな俺を心配そうに見上げる彼女の顔も、暗い。
「あ、あの……私……プロデューサーに謝らなくちゃいけないと思ってて……」
「謝る……? いや、それは俺の方だよ」
「で、でも! 私はまゆの一件を知っていたのに、その事を黙ってて……だから!」
「晶葉も、あの女……佐久間とか言ったか?
人に言える状況じゃ無かったんだろ……それなのに、俺は自分の感情で酷い事を……ごめん」
そこで俺は、彼女に対して頭を下げた。二人の間に訪れる沈黙。
「私も……ごめんなさい」
晶葉の、消え入りそうな謝罪の声が、狭い部屋の中にこぼれた。
==========
17.「傍白」
――こぽこぽとケトルが鳴ってお湯が沸きあがると、使い慣れたマグカップにコーヒーが入れられ、いつものように差し出される。
晶葉の入れるコーヒーは、少し砂糖が多い。本人日わく「甘いものは脳にいい」からだそうだが。
「これを見てくれ」
そう言って、晶葉が一冊のファイルを取り出す。
中を見てみると、なにやら表のようなものに、細かく数字が書き記されていた。
「前に一度、ロボットアイドルの話をしたのを覚えているか?」
「あぁ……だいぶ前にそんな事を言ってたな」
「あの話……結局私が作る事はなかったが……その時に知り合ったのが彼女、佐久間だ」
晶葉が申し訳なさそうな顔になる。
「佐久間は人工知能……いわゆるAIの専門家でな。
ロボ造りの参考にしようと会話の席を設けてもらった時、私は初めてまゆを紹介された」
「――自分の目を疑ったよ。彼女のとなりに立つ、どうみても人にしか見えない少女が、ロボットだというのだから」
そこまで話すと、どこか遠い目をしながら晶葉がコーヒーを口に含む。
「私だって、資金と時間があれば人そっくりの「人形」なら作る事が出来る。
だが、彼女はそんな「人形」の体に、人と変わらぬ心を宿していた」
「――いや、もしかしたら私達よりも遥かに人に近かったかもしれない。
とにかく、その時私は彼女――まゆと初めて出会ったのだ」
俺の反応を見ながら、彼女が話を続ける。
「そして佐久間は、私にお願いをしてきた。一時の間、彼女のメンテナンスを頼みたいと。
なんでも施設から離れた場所に彼女を置かねばならぬから、確かな腕を持つ技師を探していたというのだ。
それも、なるべくいつでも彼女の側に居られる立場にいる、な」
「それからしばらくして、彼女は私のいる事務所にアイドルとしてやって来た。
後は助手の知るように、普段はアイドルとして……そして定期的に、ここでメンテナンス
……正確にはAIの記録をとる生活を送っていたというワケだ」
そこで晶葉が、部屋の隅に置かれた物々しい椅子を指差す。
いつだったか洗脳器具のようだと思っていたソレが、まゆのデータを取るための椅子だったのだろう。
「私も、自分の欲には勝てなかった。こんなにも素晴らしい「作品」を間近で見て、触れたくて……結局相手の要求を呑んだんだ」
「しばらくの間は順調だった。だが、時が経つにつれてまゆの中に変化が現れ始めた。彼女は――恋をしていた」
「私はAIが人に恋をするという事実に驚きと――恐怖を覚えた。
佐久間とも連絡を取り、どう対処するか話し合ったが、彼女はまゆの記憶を
ある一定時期まで『巻き戻す』ことで問題を解決しようとした」
「だが、結果は失敗。何度繰り返しても、その度にまゆは同じ相手に恋をした。
結局私達は、彼女の記憶を巻き戻す事を諦め……その代わり、今まで以上に監視を強化する事にしたんだが
――助手は、まゆの左手首を見た事はあるか?」
俺は首を振って、晶葉の質問に答える。
「まゆの左手首には、彼女のデータを出力するための接続口が仕込まれていたんだ。
首や背中でも良かったが、露出の多い衣装を着る可能性や利便性を考慮して、その位置に落ち着いたらしい」
「そこに今回のゴシップ記事。
一応、パッと見ただけでは分からないように偽装はしてあったが、よく調べられるとすぐにばれてしまう程度のものだ。
佐久間が言うには出版社にちゃんと手を回したらしいのだが……
どうやらその後でまた別の誰かが、無理やり記事を発表させたのだと言っていた」
「どちらにせよ、まゆの秘密に世間は関心を示した。
我々は急いで彼女の身柄を確保したが、彼女は我々の隙をついて一度逃走している。
この前助手が見たという左手の機械は、彼女を捕らえようとした時に皮膚を損傷させてしまったためのものだ」
「ここでは、大掛かりな部品の修復は出来ないからな……」
話終わった晶葉がもう一度小さく、ごめんなさいと呟いた。
俺は彼女の目をまっすぐに見つめると、一番知りたかった事を質問する。
「それで……まゆは今、どこにいるんだ?」
「……それは、私にも分からない。
佐久間達にとって、私は一時的な協力者であって、それ以上の者では無いから……全ての情報を教えられているわけじゃない」
「で、でも! 今後まゆが連れて行かれる場所なら分かる!
さっきも言ったが、まゆの左手を修復するためには一度施設へと帰らねばならないはずだから……
助手は、水瀬グループを知っているか!?」
「水瀬って……あの水瀬か?」
「そうだ! その水瀬グループの傘下に、佐久間の所属している研究所がある。名前は――」
晶葉の口から飛び出した、思っても見なかった水瀬の名前。そして彼女の言った研究所の名前を、俺は以前から知っていた。
なぜなら、その研究所の名前を、俺はほんの数日前に自分で調べたのだから。
俺とちひろさんがデタラメだと思ったあの住所は、何一つ間違っていやしなかったのである。
まゆは最初から、書類に本当の事を書いていたのだ。ただ、俺達がそれに気づけなかっただけで!
「――ふっ……ふふっ」
自然と、妙な笑いがこぼれる。記憶の中のまゆと、日記の中のまゆ、二人のまゆが、俺の中で一人にまとまる。
彼女の体がたとえ機械で出来ていようと、それが何だって言うんだ。
『――私の中では、まゆはまゆのままだよ』
凛の言葉も、今なら理解できる。俺は人形なんかじゃない、「人間」としてのまゆに惹かれたのだから。
「ど、どうした助手よ……しょ、ショックで混乱してしまったのか……?」
おろおろとした様子で、突然笑い出した俺に声をかける晶葉。大きく息を吸うと、俺はそんな彼女に正面から向き合った。
「なぁ晶葉……俺に、もう一度協力してくれないか?」
「協力……?」
もう一度、まゆに会いたい。そして、彼女の本当の気持ちを、俺は確かめなくてはならない――。
==========
18.「協力者」
翌日、晶葉から詳しい話を聞いた後、俺は久しぶりに仕事場へと出社した。
そして休みの間に溜まっていた業務を片付けると、一本の電話を掛ける。
「――もしもし、伊織か?」
電話の相手――水瀬伊織に、俺は晶葉から聞いた話を伝える。
伊織は俺の話を聞き終えると、やれやれといった感じでため息をついた。
「――まったく、アンタって本当に勝手よね……まぁ、昔からそうだったけど」
「すまん。虫のいい頼みごとだとは分かっているが、まゆを見つけるために、手を貸してもらえないか?」
「――仕方ないわねぇ……今度、ジュースを奢ってもらうことで手をうってあげるわ。もちろん、果汁百%のね」
調べてみるが、少し時間が必要だという伊織との電話を切った俺は、あの後晶葉から聞いた話を思い出す。
「佐久間まゆは人型ロボット。いわゆるアンドロイドと呼ばれる物の、テストタイプにあたる」
「彼女の主な役割は人間社会に溶け込んで生活をしたときに、
AIがどのように物事を学習し、変化していくかのデータを収集する事だった」
「だが、彼女の場合は一般人として普通の生活を送るのではなく、より特殊な環境……世間の目に晒されてなおかつ、
自分がロボットであると周囲に悟られぬように行動する事を目的としていたのだ」
「彼女が読者モデルをしていたのはその一環だ。
その後、本人たっての希望でアイドルになったそうだが……なぜ彼女の要望を佐久間が受け入れたのか、それは私にもわからん」
「しかし、アイドル活動を始めても、まゆがボロを出す事は無かった。
むしろアイドル活動を始める事によって、本来の目的である特殊な環境を手に入れることが出来たとも言えるだろう」
「だが、我々も予期しなかった事態が起きた。
彼女の中には他よりも大きな感情の波が生まれ、その波をAIが理解する事で、敵意や嫉妬と言った感情まで持つようになったのだ」
「――SFなんかでよく見るあれだよ。
機械が人に謀反を起こす……実験はあらゆる面で成功だったが、同時に失敗でもあった。
なぜなら、反抗心を持った機械を管理する術を、我々はまだ確立していなかったからな」
「それに、彼女の思考パターンは重度の依存症も発症していた。
助手……プロデューサーを第一に考えて行動するようになっていたんだ――」
――晶葉の語ってくれたまゆの真実。そして俺に出来る事……いや、俺にしか出来ない事。
数時間後、伊織からの返信を受け取った俺は、作業の手を止めてちひろさんに声をかけた。
「すみませんがちひろさん。俺、ちょっと出てきますね」
「出てくるって……どこに行かれるんですか?」
事務所の扉に手を掛けながら、振り返って答える。
「ちょっと、まゆを迎えに行って来ようと思います」
書き溜め分が終わったので、ここで一度区切ります。
もう半分以上終わってるつもりなので、後一回、二回の投下で完結するかもしれません。
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19.「ロボット」
「あら、意外と早かったじゃない」
待ち合わせの場所に来ると、既に伊織はやって来ていた。
高級そうな車の横には、確か新堂だったか……御付の執事の姿も見える。
「一人で来るものだと思ってたけど……そっちの小っちゃい子は誰?」
「……助手よ、このちんちくりんはどうも口が悪いらしいな」
「ち、ちんちくりんですってっ! どう見たって私の方が背は高いじゃない!」
「ふん! その小さな私と並んでいるのに差なんて微塵も無いではないか!」
「どこがよっ! こう見えて、ちゃんと150はあるんだから!」
「私と2センチしか変わらんぞ? だが、背の低さに比例して態度は大きくなるみたいだな~?」
「きぃ~! 減らず口ばっかり言って~!! ちょっとプロデューサー! このちんまいのに現実を教えてやんなさいよっ!」
「何を言うか! そっちこそ私の助手に自分がいかに小さな存在か教えてもらえっ!」
「だぁーっ!! 晶葉も伊織も落ち着け! どっちも俺から見たら大差なんて無いからっ!」
「「なぁあんですってっ!!」」
鬼のような形相の二人に睨まれて、縮こまる俺。そこに、新堂さんが割ってはいる。
「お嬢様、その話題は後ほど結論を出すとして……今はまだ、やるべき事が残っております」
「ふ、ふん! 分かってるわよ!」
新堂さんにたしなめられて、伊織が話題を切り替える。
「それで、例の研究所について調べたんだけど……どうも水瀬グループの中でも特殊な立ち位置にあるみたいなのよね」
「と、言うと?」
「表向きは人工知能と言うよりも、ロボット工学全般を扱ってるみたい。
で、水瀬グループに対しては一般的な作業用ロボットの部門で取引があるみたいなんだけど……
どうもそれとは別のルートで、まったく別の事もやってるみたいなの」
「でも、研究所は水瀬グループの下になるんだろ? それなのに、なんで分からない取引があるんだ?」
「傘下って言っても、色々とあるのよ。今回の研究所は、一番の取引先がウチだってだけで、殆ど独立した別会社なの」
伊織が、新堂さんから何やら細々と書かれた書類を受け取り、俺達にもそれを見せる。
「なんか……専門用語っぽいのが並んでて良くわかんないな」
「……助手に分かりやすく説明してやると、この研究所では作業用のロボットの他に、
警備ロボットや介護ロボットなんかの医療用のロボットについても研究しているという事だ」
「それで、その研究用の資金ってのがウチとの取引と……政府からも、結構な額の助成金が出てるってワケ」
「政府から? でもなんで……」
「それは、その……」
俺の質問に伊織が口を濁す。その様子を見ていた晶葉が、伊織の代わりに答える。
「助手よ。作業用ロボットと違って、警備ロボットと介護用のロボットに無くてはならない物がなんだか分かるか?」
「えっと……なんだろうな……」
「答えは思考能力……つまり、知能だな。
一定の動作を繰り返す作業用ロボットと違って、逐一変化する状況に応じて対応を変える必要のあるこれらのロボットには、
ある程度の水準の人工知能が必須だ」
「それってもしかして……!」
「そうだ。そのデータ収集の為に、まゆのようなテストタイプが作られている。
外見を人と変わらないようにしているのは、本格的に介護ロボットを作る時のためだろうな」
晶葉の説明に、伊織も頷く。
「アンタだって病気で入院したりした時に、機械むき出しのロボットに介護されるのと、
人と見分けがつかない外見のロボットに介護されるのだったら、後者の方がなんとなく安心するでしょ?」
「だが、政府がそれだけのためにこの研究所を支援しているとは思えん。恐らくそこから生まれる副産物にも期待しているのだろう」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。話が急に難しくなりすぎだって」
「つまり、高度な人工知能を持った人そっくりのロボットを作る事ができたら、様々な使い道があるという事です。
それこそ、個人の身代わりから要人の警護、物騒な話となれば暗殺やロボットを使った軍隊まで……色々ですな」
一度に情報を飲み込めない俺に、新堂さんがそう説明してくれる。
「だから、そっち方面の取引に関しては、私でもちょっと手が出せないの。でも、安心しなさい!」
そう言うと伊織が髪を払って、胸を張る。
「ちゃんと佐久間まゆ。彼女がいる場所には目星がついてるから……準備は良いかしら?」
「お、おう! そのために来たんだからな……いつでもいいぞ!」
「にひひっ♪ それじゃあ、さっさと車に乗りなさい! 乗り込むわよぉ~!」
伊織たちが車に乗り込んだのを見てから、晶葉が呟く。
「なぁ……彼女、今の状況を楽しんでないか?」
「……多分、気のせいだろ」
俺達を乗せた車が、夕方の道路を目的地へ向けて走り出した。
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20.「告白」
「さてと、着いたわよ」
「ここは……波止場じゃないか」
車の中から伊織が、近くにとまる一隻の船を指差す。
「あれに、彼女が乗ってるわ。ホントに雑居ビルとかどこかの倉庫とか……そういうちんけな場所には置かないようね」
「どうして?」
「アンタね、相手はチンピラの集まりじゃないのよ?
金も人も持ってるんだから、そんなリスクのある場所じゃなくて、自分達で直接管理出来る所に連れて行くに決まってるじゃない!」
「そういうものなのか……それにしても、よくこの場所だって分かったな」
「ま、まぁ雪歩が相談に――って、違うっ! わ、私の日頃の、その、勉強の成果というかなんというか……」
「バカ話はそのぐらいにしておけ……誰か降りてくるぞ」
晶葉の言葉で船の方を見ると、何人かの屈強な黒服の男達が船から降りてくるのが見えた。
それに、男達に囲まれるように立っているのは――。
「あれが佐久間と……まゆちゃんね?」
「どうする助手よ? 準備はいつでも出来てるぞ」
「分かった……行こう」
俺の乗った車が佐久間達に近づくと、向こうもこちらに気づいて足を止める。
ある程度の距離まで近づくと、俺達は車から降りた。
「お前は――私は警告をしたつもりだったのだが……つくづく人の好意を無下にするのが好きなようだな」
傍らにいた黒服達が、佐久間とまゆの前、俺達にたいして壁を作るようにして並ぶ。
全部で4人……もしかしたら、まだ船の中にも居るかもしれなかったが、ここからでは分かるはずも無い。
「悪いが諦めが悪くてね……一度断られたぐらいで諦めてちゃ、アイドルのプロデュースなんて出来はしないからな」
「……へらず口を」
鬱陶しそうに俺を見る佐久間の隣に立つまゆは、顔を伏せたまま微動だにしない。今、彼女はどんな顔をしているのか……。
「それで……何をしにこんな場所までのこのことやって来たんだ? しかも、今度は水瀬のお嬢様まで連れて」
佐久間の視線が、俺の後ろにたつ伊織に向けられる。
「私はただ、コイツが何をするのか見届けに来ただけよ。この話に、どう決着をつけるのかをね」
伊織はそう言うと、フンッと鼻を鳴らした。俺は一歩前に出ると、ハッキリとした口調で言い放つ。
「単刀直入に言おう。まゆを、迎えに来た!」
「……なんだと?」
佐久間の眉がピクリと上がる。
「だから、まゆを迎えに来たと言った!
黒服たちが、一斉に懐へと手を伸ばそうとした瞬間、晶葉が大声で叫ぶ。
「待てっ! コレを見てみろ!!」
そう言うと晶葉が、肩に担いでいた筒のような物を先ほどの船へと向ける。
その側面には、ピンク色のうさぎがペイントされていた。
「こんなこともあろうかと用意しておいた、とっておきの秘密兵器――名付けて「ラビット砲」だっ!!
もしもウチの優秀な助手に手をだしたら、そくざにコイツをぶっ放すぞッ!!」
「あ、あんた……なんて物騒な物を持って来てんのよぉっ!」
そんな俺達のやりとりに、佐久間が大きなため息を吐く。
「おまえ達は……まるでバカだな。それに、いい大人がそんな子供のようなやり方で……話にならん」
「あぁそうだとも! まゆを連れて帰るためだったら、俺はバカにだって子供にだってなってやるさ!
それに、バカになりついでにもう一つ――」
俺は大きく息を吸い込むと、黒服達の影に隠れているまゆをまっすぐに見据えた。そして――。
「まゆっ! 俺は、お前の事が――――好きだっ!!」
波止場に大声で響き渡る、俺の告白。
それを聞いたその場にいる全員が、呆気に取られ、まるで金縛りにあったかのように立ち尽くす。
それまで終始冷めた態度をとっていた佐久間でさえ、目を見開いて動かない。
「この一週間余り、まゆの事を考えない日は無かった! そして気がついたんだ……自分の、本当の気持ちに!」
まゆが、伏せていた顔を上げて……俺との視線が、重なる。その顔に浮かぶのは、信じられないといった驚きの表情。
「プロ……デューサー……さん」
「なんでこんなに、まゆの事を気にしてしまうのか……初めは担当だから、アイドルが心配だからだと思ってた。
でも違ったんだ! 俺は、心の中で……惹かれてた。それも、君と初めて出会ったあの時から!」
「一目惚れってやつさ……今まではアイドルとプロデューサーと言う関係が、この気持ちに気づく事を邪魔してたけれど……
そんなちっぽけな枷をとっぱらってみたらさ、まゆにべた惚れの俺が、ここにいたんだよ……」
「日記を読んで、まゆの秘密を知って……悩んでいたまゆの力になれなかった自分が悔しくって……!
このまま……このままこの気持ちをまゆに伝えずに別れるなんて、そんな事、できるかよっ!!」
「だから! 俺は自分の正直な気持ちを伝えたい――もう一度言う……俺は、まゆの事が大好きだっ!」
伝えたい事、自分の気持ち、その一欠けらだけでも良い。まゆに届けたくて、俺は心の内を一気にまくし立てた。
目線をまゆから逸らす事無く、俺は彼女の返事を待つ。
「あ……あぅ……」
まゆの顔が、みるみる泣きそうな顔になる。
胸の前で、未だ機械がむき出しの左手を右手で隠すように掴んだ彼女の小さな肩が、小刻みに震える。
――そんな悲しそうな顔をしないでくれよ……いつもの笑顔で、優しく微笑んでいる方が、キミには似合ってるのだから。
==========
21.「まゆ」
――まるで、その場にいた全員の時間が止まってしまったかのようだった。
まゆが一歩、また一歩と俺に向かって歩いてくるのを、誰もがただ呆然と見つめていた。
あの美しい栗色の髪は、強い海風に吹かれて乱れていたし、着ているコートはよれよれだ。
機械を寄せ集めて作られた左手が、沈み始めた太陽の光を反射させ、辺りを黄金色に染める。
そして、彼女のあの透き通るような瞳が今――まっすぐに、俺の事を見つめていた。
手を伸ばせば触れる事が出来る……そんな距離まで近づいて、まゆが立ち止まる。
「返事を……聞かせてくれるかい?」
俺の問いかけに、彼女がゆっくりと口を開く。
「わた……わたしは……人間じゃ、ないんですよぉ……?」
「あなたにも、みんなにもぉ……沢山の嘘を、ついてきました……」
「この気持ちだって……ほんとは、ほんとじゃないかもしれないのに……」
「それなのに……なんで、なんでぇ……」
限界だった。まゆの顔がくしゃくしゃに歪んだかと思うと、彼女の瞳から、大粒の涙が溢れ出す。
そして、まるで幼子のように泣き出した彼女は、自分の顔を両手で覆い隠した。
そのまま座り込もうとする彼女に手を伸ばし、しっかりと抱きとめる……今度は、躊躇しなかった。
「中身なんて関係ないよ……俺は、そんな『まゆ』を好きになったんだから……」
一段と声を上げて泣きじゃくる彼女の背中を優しく撫でながら、俺はそう答えた。
「な……何をぼさっとしている! まゆを……まゆを……」
佐久間が黒服たちに命令を下そうとしたが、言葉が続かない。見れば彼女の顔に、ありありと困惑の表情が浮かんでいる。
――その時、空に閃光が走ったかと思うと、巨大な爆発音が波止場一帯に轟いた。
驚いて振り返ると、間の抜けた顔でこちらを見ている晶葉と……その先端からもうもうと煙を上げる「ラビット砲」……。
「に、逃げるわよッ!!」
誰が言ったか、かけ声と共に俺達は走り出して、乗ってきた車に飛び乗る。
「皆様! 少々荒っぽく参りますぞ!」
新堂さんがそう言って思い切りアクセルを踏み込むと、車は凄い速さで佐久間達のいる方向へと走り出した。
加速のショックにより、車内に伊織たちの悲鳴が響き渡る。
すれ違いざま、俺は佐久間と目が合った。だが、その表情を読み取る間もなく、車は猛スピードで波止場から遠ざかっていく……。
結局俺達が一息つけたのは、国道に出て、夕方の渋滞に巻き込まれてからだった――。
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22.「キューピット」
「はぁ~……ったく! 生きた心地がしなかったわよ……」
助手席のシートに座る伊織が、ぐったりした様子で呟く。
「まぁまぁお嬢様。怪我無く目的も達成できたので、万々歳ではないでしょうか」
「大体、なんで急に爆発なんて起こすワケ?」
「あ、あれは事故だ! 不可抗力と言うか、と、とにかく! あれは全部助手が悪いっ!!」
「えぇっ!? 俺の責任なのかっ!?」
「当たり前だ! あんな状況で、あ、愛の……こ、こ、こくは……」
「そうよ! ホント何考えてんの? どう考えたって告白なんてする雰囲気じゃなかったじゃない!!」
「し、仕方ないだろう! その、なんだ……まゆの姿を見たら、
こう、なんか……今言わなきゃダメだって気持ちになったんだから!」
「だからって時と場所をわきまえなさいよね! あれじゃただの変態よ! へ・ん・た・いっ!」
「ほっほっほっほっ……若さですなぁ」
渋滞で立ち往生している車の中に、俺達のやりとりがぎゃあぎゃあと響く。
「……ふ……ふふっ……ふふふふっ……!」
俺の隣に座るまゆが、肩を震わせてくすくすと笑い出す。
「なんだか……プロデューサーさんと初めて会ったときの事を、思い出しちゃいました」
「そう言えば、あの時も伊織が一緒だったっけな……」
「あぁ……アンタが私をほったらかして女の子を口説いてた時ね」
「今思えば、あの時にジュースを買いに行かなかったら俺はまゆとも出会ってなかったんだな」
俺の言葉に、後ろを振り返っている伊織へと、まゆが顔を向ける。
「つまり伊織さんが、まゆとプロデューサーさんの恋のキューピットだったってわけですねぇ」
「ぷふっ……こんなじゃじゃ馬なキューピットなら、神様はさぞ手を焼いているだろうな」
「な、なんですってぇ! 自分だってバズーカぶっ放した間抜け眼鏡の癖に!」
「だからアレは、助手のせいで手元が狂ったんだ……と……」
「――? 何よ、急に大人しくなっちゃ……って……」
晶葉と伊織が、どちらも口を開けた状態で固まる。もちろん、俺だってそうだ。なぜなら――。
「ヒューッ! お熱いですなぁ、お二人さん!」
バックミラーを見ていた新堂さんが、茶目っ気たっぷりにそう言うと、
重ねられていたまゆの唇が、ゆっくりと俺から離れて行って……。
「ちょ、ちょちょちょちょっとぉ! 人の車ん中で何やってんのよぉぉっ!!」
「そ、そそそそうだぞ助手よ! こ、このばか者が! は、破廉恥きわまりない!!」
「ま、待てって! 俺だって突然の事でどうしたら良い物か――!!」
「うっさいわね! この変態! ド変態!! 変態たーれんっ!!!」
幸せな気持ちと、恥ずかしさと……そして、繋いだまゆの左手から伝わる温もりを、俺は確かに感じていた――。
==========
23.「母親」
どさくさに紛れる形でまゆを取り戻した俺達は、そのまま伊織の家に泊まることになった。
もしも佐久間達が追ってきた場合でも、警備が万全な伊織の家ならば、向こうも迂闊に動く事が出来ないだろうと提案されたからだ。
そして次の日、事務所へとやって来た俺達を待っていたのは――。
「あ、おはようございますプロデューサーさん! それに、まゆちゃんも!」
いつもと変わらぬ笑顔でちひろさんと挨拶を交わすと、お客さんが来てるんですよと、俺達は応接室へと連れて行かれた。
「――おはよう。キミの出社がまだだと聞いてね、待たせてもらっているよ」
応接室のソファに座る、佐久間の姿がそこにあった。俺は咄嗟に、まゆを庇える立ち位置に移る。
「フン。別にとって食べたりなんてしないさ……まぁ、座りたまえよ」
俺達は、警戒しながら佐久間の向かいに座る。どうやら、昨日の黒服は連れて来ていないようだった。
「それで……何のようだ?」
「なに、簡単な事さ」
そう言って佐久間は、持ってきていた鞄から取り出した何枚かの書類をテーブルに広げた。
「……なんだ? 契約書か何かか……?」
「この紙は、テストタイプの廃棄に関する報告書だ」
「廃棄だって……?」
理解できないといった顔の俺に、佐久間がため息をついてから説明する。
「つまり、彼女――佐久間まゆは、テストの最中に修復不可能なまでに損傷してしまったので、
廃棄処分にするという内容が書いてある」
廃棄という言葉に、まゆがビクンと体を振るわせる。その反応を見た俺は、佐久間へキツイ視線を投げる。
「それは、まゆを……お前達が『壊す』って事か?」
俺の言葉に、佐久間がニヤリと口の端を上げる。
「……やはり、キミは変わってるね」
「なんだと……!」
「言っただろう、廃棄すると。壊しも、分解も、無かった事にもしやしない……ただ、その場に置いて来るだけさ」
そこまで言うと、佐久間が真面目な顔になり、俺の目をまっすぐに見て話し始める。
「正直言って、私はお前が憎い。キミがどう思っていたかは知らないが……私も、
私なりの方法でまゆに愛情を注いで来たつもりだった」
「だが、彼女は私ではなく……どこの馬の骨とも分からぬ、キミを選んだ。悔しいじゃないか?
最愛の娘が、手塩に育てて見守ってきた自慢の娘が、ひょいと現れた男の事を好きになり、そのまま私から離れていってしまう……」
「八方手を尽くしてみたが、まゆの意志は固い。こうなったら無理やりにでも引き離すしか方法が無いと思ったが……」
佐久間が、急に笑い出す。
「あの波止場での告白は、最低だったな……ムードもへったくれもありはしない」
「だが……アレが決め手になったよ。私も、諦めがつくと言う物だ」
「――まゆ」
声をかけられたまゆが、小さく「はい」と返事をする。
「お前は私の最高傑作で……そして最大の失敗作だ。涙を流せるロボットなど、ロボットではない」
「――人間を使って、ロボットの感情データを集めるなんて……どんな科学者にだって、出来はしないさ」
話し終えた佐久間が、鞄から小さな包みを一つ取り出し、まゆに差し出す。
「池袋には話を通して、資材も渡してある。いつまでも左手がそのままだと不便だろう? 早めに直してもらうと良い」
そのまま、止める間も無く彼女は応接室を出て行った。
残された俺は、ソファに座ったまま佐久間の話を理解しようと必死だった。
「えぇっと、要するにまゆは……自由になったって事か?」
俺の問いかけに答えることなく、まゆが渡された包みを開いて中身を手の上に出す。
「それって、メモリーカードか?」
まゆの掌に乗せられた数枚のメモリーカードには、ラベルが貼られ、数字が書き込まれていた。
「私、思い出しました……大切な物には、日付を書きなさいって……言われてたんです」
「それが、鍵になるから……忘れてしまっても、それが思い出を引き出す、キッカケになるからって」
まゆの頬を、一筋の涙が伝う。その横顔を見た俺は、そっと彼女の肩を抱き寄せて――。
「――はい! それ以上はいけませんよぉ~」
「ち、ちひろさんっ!! いつからそこに!?」
「そうですねぇ……まゆは自由にの辺りからですかね?」
真っ赤になる俺とまゆを、ちひろさんがからかう。
「さぁてさて。ひと段落ついたようですし? プロデューサーさんには休んでた分までしっかりと働いてもらいませんとね~!」
「そ、そんなぁ! 確かに休んでた間ちひろさんには迷惑かけましたけど! あれだって事情があって……!」
「言い訳なんて見苦しいですよ! アナタのアイドルは、まゆちゃんだけじゃないんですからね~。ほら、立った立った!」
「うぅ……ま、まゆ~、天使のような微笑で見てないで、ちひろさんに何か言ってやってくれよぉ~!」
「ふふっ……まゆは、お仕事を頑張るプロデューサーさんも、素敵だなぁって思ってますよぉ♪」
「さっすがまゆちゃん! 良いこと言いますねぇ~。さぁさぁ天使なまゆちゃんもそう言ってますし、お仕事お仕事っ♪」
「ふ、服を引っ張らないで下さい! この鬼! 悪魔! ちひろぉ!」
「ちぃ~ひっひっひっひっひ!」
この事務所には、天使と悪魔が同時に存在すると、その時の俺は思った。
だが、どんな困難が立ちふさがったって、なんとか乗り越えて行けるとも思う。
なぜなら、俺のすぐ隣には……まゆが、いつだって一緒にいてくれるのだから。
==========
24.「アンドロイドの見る夢は」
「――きれいだ」
「もう、プロデューサーさんは、そればっかりなんですから」
そういってまゆは頬を膨らませたが、純白のドレスに身を包んだ彼女を見て
それ以上の感想を持てる人間がいたら、俺はそいつに会ってみたい。
「ほんと、実感がわかないよね。この年で親友が結婚するだなんてさ」
まゆの隣に立つ凛が、はにかみながら俺に言う。
「こんなに可愛いお嫁さん貰うのに、浮気なんかしたら、まゆの親友として許さないからね?」
「その点は大丈夫! 俺とまゆは運命の赤いリボンで結ばれた仲だからな!!」
「きゃっ! ちょ、ちょっとプロデューサーさぁん……」
そう言ってまゆの肩を抱く俺を見て、やってられないといった風に凛が首を振る。
「まったく……見てるこっちが恥ずかしくなるよ」
「ほーんと、いつまでたってもイチャイチャイチャイチャしちゃって、よくもまぁ飽きないわよね!」
声のする方を見ると、ちょうど伊織達が部屋に入って来たところだった。
「おっと、キューピットのおでましだ」
「だ、誰がキューピットよ! アンタ達が変な噂を流すから、
最近じゃほんとに縁結びの神様みたいに扱われ出して、こっちは困ってんのよ!?」
「お、怒るなよ……皺が増えるぞ?」
「まだそんな年じゃないわよっ! バカッ!」
「おやおや、随分と賑やかですね」
「律子! そっちは大丈夫だったか?」
律子が、俺の質問に苦笑いで返す。
「なんとか説得しましたけどね……美希ったら、先をこされただの15歳だから結婚できるだの聞かなくって。大変でしたよ」
「そうね、しまいには春香まで『今から私がアタックしたら、ギリギリで滑り込みセーフかな?』
とかワケ分かんない事言い出すし」
「はは……今度、穴埋めに上手い飯でも奢るよ」
「そんな事言うと、期待しちゃいますよ? ともかく、みんな待ってますから。
いつ呼ばれても良いようにささっと支度、しちゃって下さいね!」
伊織と律子が部屋から出て行くと、まゆが俺の隣に寄ってきてつぶやく。
「前から思ってましたけど……プロデューサーさんって人気がありますよねぇ」
「そうかな? 良いように使われてるってだけな気もするけど……」
「なら、そういう事にしておいてあげます……でもぉ」
まゆのあの瞳が、俺をじっと見つめる。
「他の子の事ばっかり見てちゃ……ダメ、ですよぉ?」
「お、おう……分かってるって……」
何か、底知れぬ寒気が通り過ぎた気もしたが、それだけ彼女に愛されているのだと、自分の中で好意的に解釈をする。
「まゆちゃん! プロデューサーさん! 準備できましたか?」
「助手よ私の設計したこの特製音響装置で雰囲気は盛り上げてやるから、期待しておけよ!」
晶葉と美穂が、俺達を呼びに来る。
「あぁ、すぐに行くよ」
俺は返事をすると、まゆの手を握る。
―――――。
「プロデューサーさん?」
「――どうした?」
「私、嬉しいんです。今日の事もそうですけど、これからの事を考えると、胸がドキドキして……」
「最近は、自分がこの体で良かったなって思ってるんですよ。だって……」
「ずっと、ずぅっと一緒に……まゆは、プロデューサーさんと――」
俺は彼女の左手をそっと持ち上げると、その薬指にゆっくりと指輪を通していく。
「やっぱり、ちょっと引っかかるな……」
「気にしてませんよぉ……ほらぁ」
そう言ってまゆが、指輪をはめた左手を顔の前に持ってくる。以前と変わらぬ、機械がむき出しのままの左手。
その薬指の指輪が、光を反射してきらきらと輝く。
「だって、これも合わせて……プロデューサーさんが愛してくれる……『まゆ』なんですからぁ♪」
――この結婚式を期に、俺とまゆは新しいスタートを切った。
決して平坦な道のりでは無かったが、最期の時までまゆは俺の隣にいてくれた。
そこにはロボットも人間も関係ない、確かな愛の物語があったが……それはまた、別の機会に。
以下、エピローグとなります
==========
エピローグ
「とある事務員の記録」
まゆちゃんとプロデューサーさんの結婚式から、早いものでもう半年が過ぎようとしています。
思えばこの半年の間にも、色々な事がありましたねぇ。
まず、まゆちゃんの芸能界復帰騒動。ハッキリ言って、暴挙ですよ! 暴挙!!
しかも、例の左手はサイボーグよろしくそのままにして! いくらなんでも義手って設定は無理があるんじゃないと思いましたけど
……でも、時間が経つと世間も慣れちゃって、今じゃ個性の一つですから、慣れって凄いですよねぇ。
結局、この話題のインパクトによって例のゴシップはうやむやに。まぁ、そうですよね。
事実無根の嘘よりも、目の前にある衝撃の事実の方に、誰だって喰いつきますよ。そりゃあ。
この一件で、まゆちゃんは人妻アイドルという新たなジャンルを開拓したりしましたし……
これが受け入れられたのはやっぱり、真面目なまゆちゃんの人徳がなせる業でしたねぇ。
そうそう、結婚といえば。プロデューサーさん、まゆちゃんのお母さんには頭が上がらないみたいですよ。
結婚当初は大して交流が無かったそうなんですが、ロボットのお医者さんなんて、身近にはいませんからね。
どうしても手に負えない問題が起きたときなんかに、ちょくちょく連絡をとってたら、そのままなんとなくって……
分かるなぁ、そういうの。私も経験ありますよ。
最近じゃあ盆や正月には顔を見せに来いとか、気づいたら謎の黒服に監視されてるとかここに来るたびにぼやいてましたけど、
どうもまゆちゃんがお母さんと仲良くしたいみたいで、しぶしぶ受け入れてるみたいでしたね。
あれは、完全に尻に敷かれた男ですよ。尻に敷かれた……私も、チャンスがあれば一度くらいまゆちゃんのお尻に……
だ、ダメよ! 今は真面目な話をしてるんだから!
――でも結婚かぁ……私もそろそろ危機感が足音鳴らしてやって来る2[ピー]歳だし。
あわよくばと思ってたプロデューサーさんは移籍した先で結婚しちゃうし……
そもそもこれから先、私に出会いって訪れるのかしら!?
あぁ、なんだか不安になってきた――って聞いてますぅ、高峯さん? はぁ、まゆは幸せなのか……ですか?
そりゃあ幸せなんじゃないですかね。会う度にプロデューサーさんの惚気話を延々と聞かされて……
それがプロデューサーに会うと今度はまゆちゃんの惚気話を……惚気の二重攻撃ですよ、攻撃! え? 飲みすぎじゃないかって?
あのですねぇ、これが飲まずにいられるかって言うんですよ!
大体ですよ? 私はプロデューサーさんが新人の頃からですねぇ――――録音はここで途切れている。
これで、このお話はおしまいです。描写不足な点も多々あるとは思いますが、なんとか終わらせる事もできました。
本当は「ポンコツアンドロイド」をタイトルにしようと思ったのですが、ネタバレになるかと思い、今の形に。
それでは、機会があればまた別のお話で。ここまで読んでくださって、ありがとうございました。では。
ちょっとだけ宣伝。今回の話とは関係ありませんが。こちら過去作となります。
響「我那覇響探検隊!」雪歩「地底王国に謎の生物を見た! ですぅ」
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興味のある方は、合わせて読んで頂けると作者が喜びます。それでは。
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