八幡「モンハンで未婚を救う」 (235)
寒さも深まってきた冬の日。
暖房をガンガンに利かせた自室で一人、俺は戦っていた。時刻は深夜の二時。明日、というより今日はもちろん登校日だ。
これからの俺の安否が気遣われるが、そこはなんとか無視する。気にしたくない。現実逃避と言っても良い。
「よし……!」
持っているのは二つ折りの黒い小型ゲーム機。挿入されているソフトの名前はモンスターハンターX。
画面の中では今まさに、俺の操っているキャラクターがディノバルドと呼ばれるモンスターを討伐したところだった。
軽快なファンファーレが鳴り響き、目的達成のメッセージが降りてくる。
受験生の妹に配慮した小声でひとしきり自分を褒め称えた後、ようやくゲーム機から手を離すことができた。手汗やべえ。
いつの間にか凝り固まっていた肩を回しつつ、脇に置いていたマッ缶に手を伸ばす。すっかり温くなっていたが、この温さが逆にマッ缶特有のまとわりつくような甘さを強くしていた。
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「ガンキンの肉質クソ過ぎるでしょ……」
一人ごちる。俺がやっていたのは大型モンスターと戦い続ける大連続狩猟という種類のものだった。
普通のクエストなら狩るモンスターは一体、多くても二体ほどで済む。しかしこの大連続クエストは一味も二味も違った。
クエスト名"鎧袖一触のパワフルアームズ"は四体ものボスを倒すまでクリア出来ないため、ゲーム中でも指折りの高難易度を誇っている。
モンハンは多人数プレイを推奨しており、大連続クエストは一人でやるにはなかなかにキツい仕様だった。
本来ならオンラインに繋ぎ、協力者を集めるべきなのだが、孤高のぼっちである俺はソロでクリアすることに決めている。けっして俺の立てた部屋に誰も入ってこないとかそういうわけではない。
このぼっち殺しとも言えるクエストをぼっちのままクリアしてしまった俺はぼっちを超えるスーパーぼっちというわけだ。
「俺が、俺が真のぼっちなんだ」
もう誰も俺を止められない。俺こそが最強であり、無敵。
ゲーム機の画面にはニヤついた自分の顔が映っている。それを見て、俺は我に返った。我に返る理由が悲しすぎる。最強の敵はいつだって自分だ。
その時、部屋の扉が前ぶれなく開いた。
ギョッとして目を向けると、隙間から可愛らしい顔が覗いている。妹の小町が様子を見に来たらしい。ふぅ……びっくりさせやがって。
「あ、勉強の邪魔しちま」
「まだ起きてたの」
俺がナッパさながらの笑みを向けながら口を開くと、小町は虚ろな目で食い気味に言ってきた。え? なに、怒ってるの?
「お、おう。もう寝ようかと」
「早く寝て」
「は、はい……」
扉が閉められた。先ほどまで最強を自負していた体からは力が抜け、少し震えていた。やばい怖い。
受験生の小町から見たら、平日夜遅くまでゲームやってる兄の姿は果てしなくウザく見えるのだろう。怒られるのも仕方はない。
時刻はもう三時になろうとしている。俺も速く寝よう。そう思ってベッドに潜り込んだ。
朝になり、スマホのアラームを掛け忘れていた俺は当然の如く遅刻した。夜更かしに加え、マッ缶に含まれていたカフェインと、有り余る糖分が俺に睡眠を許さなかったことが事態をより深刻にしている。
焦っても仕方ないので小町が作っておいてくれた朝食をじっくり楽しみ、ついでにコーヒーもゆっくり飲んでから家を出た。寒過ぎて引き返したくなる。
だが、そういうわけにもいかない。ぼっちである俺は他人からノートを借りたり出来ないのだ。
仕方なく愛車に跨がり、学校へ向かった。
× × ×
「ぐふっ……」
千葉市立総武高等学校二年F組に到着した俺を待っていたのは美人女教師と鋭いボディブローだった。
女性の細腕からは想像できないほどの衝撃と、重さ。
たまらず床に膝を落とし、負傷箇所である鳩尾を抑える。朝食とコーヒーが逆流しそうになるが、それは何とかこらえる事が出来た。
「弁明を聞こうか」
美人女教師──平塚静は冷徹な声で哀れな俺に言う。
「聞いてから殴れよ……」
呟きはリノリウムの床に吸われていった。笑うどころか爆笑している膝を叱咤して立ち上がり、平塚先生を正面から見据え……怖いから目を逸らす。
「勉強をですね、ちょっと」
「嘘をつくな」
一瞬で看破されてしまった。
「う、嘘じゃないですし……。ちょっと息抜きに一狩り行ってたらとんでもない時間になってただけです」
「ふむ……」
俺の言葉は独身アラサー女の心に届いたらしい。平塚先生はちらりと休み時間中の教室内を見やってから頷いた。
そこで教壇の真ん前でこんな屈辱的な仕打ちを受けていることに改めて気づいてしまう。
やだ何これ超恥ずかしいんだけど。ていうかクラスメイトが暴力を振るわれているんだから誰か助けろよ。悔しい。悔しすぎる。悔しすぎてビクンビクンしちゃう。
「今日はこの辺にしといてやろう。放課後、職員室まで来るように」
平塚先生はそう言うと教室から出て行ってしまった。返事はいらないんですね分かります。
俺がため息を吐くと同時に、授業開始を知らせるチャイムが鳴った。
午後の授業が終わり、放課後。俺は帰り支度をしていた。机の中にはもみくちゃにされたプリント類が敷き詰められている。
欠席した授業で配られた物だろう。机の上に放置では可哀想だからと、親切にも中に押し込んでくれた人がいたようだ。ありがたい話である。絶対に許さん。
「ありがてぇ……ありがてぇ」
感謝の言葉を呟きながら復讐の炎をたぎらせていると、俺の机に誰かが勢いよくバン! と両手をついた。
やめたげてよぉ! どいつもこいつも俺の机に何の恨みがあるのかと思い、下げていた目線を上げる。
短めのスカートからほっそりとした腰。これだけで女子生徒だとわかった。
そして目につくのは揺れ動く二つの何か。健全な青少年である俺は思わずそれに見入ってしまう。ありがとうございます!
「……なんだよ」
なんとか理性を取り戻し、釘付けになった視線を上へと押し上げる。
「ヒッキー、今日も部活行くでしょ?」
平均より少し低い身長と童顔。桃色がかった茶髪は後頭部で団子のように纏められている。その大きい瞳に見つめられると、妙な気恥ずかしさがあった。
彼女は由比ヶ浜結衣。俺こと比企谷八幡と同じ部活に所属している女子生徒だ。
「職員室に呼ばれてるから、その後でな」
「うん。わかった」
そう返すと、由比ヶ浜はとてて、と軽い足取りで教室を出て行った。部活が楽しみなのだろう。少し微笑ましく思いながら、俺は職員室に向かう。
はあ、行きたくねぇな。
「待っていたぞ」
平塚先生が長い足を組み直す。大人の女性として理想的なスタイルを持ちながら未だに結婚相手が見つからない女教師は辺りをきょろきょろと見渡し、
「君に来てもらったのは他でもない。今日の朝に受けた言葉の中に、引っかかったものがあってな。それが理由だ」
他の教員がいないことを確認すると、少しぎらついた視線を向けてきた。なに、ロックオンされたの? ここから女教師ルートなの?
「……引っかかった言葉っすか」
なんだろう。朝に言った言葉の中に婚約や交際を仄めかすものがあったのだろうか。だとしたら凄く気まずい。
「一狩り……と言っただろう。あれだよ比企谷」
「はあ……」
「あれはモンスターハンターを夜遅くまでプレイしていた事を意味する隠語だ」
隠語じゃねえよ。CMとかでも普通に言ってるだろ。
そう返しそうになったがやめておいた。あの黄金の右が怖い。
「モンハンをしていた事は事実っすけど」
「ふむ。実は私も先日、そのもんはんを始めてな」
モンハンの発音が何故か平仮名だった。むしろこちらの方が隠語である。えっちな風に聞こえる俺は生粋の狩人と言っていいだろう。新作待ってます!
「まだまだビギナーといって差し支えない腕前だ。だから……この分野において先達である君から話を聞きたいと思った」
「…………」
平塚先生はためらいがちに目的を明かした。職員室で教師が生徒にゲームの話を訊くなど本来は良くない事である。
だが俺はアウトローなのでその事には特に触れず、黙って先を促した。
いつも冷静なこの人が焦燥感を露わにしているのだ。世話になっているのも事実であるし、感謝もまあ、している。
理由くらいは聞いても問題ないと思った。もしかしたら力になれるかもしれないし、上手くいけば弱みを握れるかもしれない。
「あのドドブランゴ……だったか。あいつが倒せなくてな」
雪獅子ドドブランゴ。ハンターランク2に上がるために倒さなくてはならないモンスターだ。素早い動きと強烈な一撃。さらに名前の通り、氷を武器としてくる強敵である。
周囲には小型モンスターであるブランゴを従えており、こいつらがまた非常に鬱陶しい。雪玉投げんのやめろ。
「武器種はなに使ってるんすか」
「大剣とハンマーだ。無骨な武器が好きでな」
この人の事だ。男らしい武器で男らしいプレイをしているのだろう。
「相性は悪くないと思いますけど」
大剣もハンマーも一撃必殺を旨とする武器だ。素早い相手に対して優位に戦闘を進めることが出来る。
ならば根本的に武器の扱いを間違えているか、防具の方に問題があるか、だ。
「まさか、私のベルダー一式が砕かれるとは……」
初期防具じゃねぇか!
ベルダー装備はゲーム開始時から既に用意されている防具で、もちろん防御力も一番低い。裸よりマシ、といったところだ。
「他のに替えた方が良いと思いますよ」
「それは分かっているんだが、なかなかどうして難しい。何を作ったら良いか分からんしな」
「下位だったらカブラ一式が良いかと。序盤なら単純な防御力よりも体力上昇スキルの方が強いですし、見た目もゴツくて格好良い」
因みに俺もベルダーからカブラに替えた口だ。上位中盤までそれで行けたあたり、このアドバイスには説得力があると思う。
「そうなのか。いや、良い事を聞いた」
納得いったとばかりに平塚先生は膝をパンと叩いた。リアクションが親父っぽい。
「それでな、比企谷……ん」
職員室の扉が開き、保険医の女性が入ってきた。いつぞや仮病を使った時にお世話になった人だ。
今は部活動の時間という事もあり、他の教員はいなかったが、ここは職員室だ。人の出入りは学校内でも指折りである。
「ここでする話ではないな。場所を変えよう」
ようやく気づいたのか、平塚先生は立ち上がった。
「私だ。入るぞ」
男前な声かけの後、平塚先生がその部屋の扉を開けた。中には二名の女子生徒が揃って顔をこちらに向けたところだった。
一人は先ほどの由比ヶ浜。もう一人、黒髪の女生徒が持っていたティーカップを置いて、嘆息する。
「平塚先生、ノックをして欲しいと……」
「ああ。次からな」
いちいち男前過ぎる。今度から俺も見習おう。
そんな事を考えながら男前の独身女の後に続く。その過程で黒髪の女生徒──雪ノ下雪乃と目が合った。
相手が驚いたような顔をしたので、俺もつい見入ってしまう。
これ以上ないくらいに整った目鼻立ちに、艶のある長い髪。雪のように白い肌。すらりと伸びた足は黒いニーソックスに包まれていて、どこか扇情的だった。
雪ノ下はこの部活……奉仕部の部長を務めている。奉仕部というのは人助けを目的としている怪しげなクラブだが、俺は短くない時間をこの部屋で過ごしていた。
「すまん。遅れた」
雪ノ下から目を離して言った。バレてないよね? 見つめてた事とかバレてないよね?
「良いのよ」
来なくても、と続けられると思ったがそれは無かった。校内一の美少女である雪ノ下さんは毒舌でも有名だった。ソースは俺。被害者も俺。
それが最近ではすっかり丸くなって、今ではこんな優しい言葉もかけてくれるようになった。雪ノ下だけに雪玉である。俺の長年の努力が実った証と言っていいだろう。
「比企谷を借りていたぞ」
「いえ。顧問の平塚先生ならば問題は無いでしょう。比企谷君は奉仕部の備品ですから」
備品扱いだった。誰だよ丸くなったとか雪玉とか言ったやつ。中に石入ってんぞ。
「で、案件というのは?」
「うん。少し君達に聞いてもらいたい事があってな」
「それは奉仕部に対する依頼、という事でしょうか?」
マジか。驚きながら俺は平塚先生を見た。この人はこれから、とんでもないことを言おうとしているのではないだろうか。
「そう思ってもらって構わない。で、聞いてもらいたい話というのは……」
そこで俺の視線に気づいた先生はぐっと息を詰まらせる。勢い任せにここまで来てしまったが、ここに来てようやく冷静になったらしい。
そうだよな。普通は頼まない。というか頼めない。教え子、しかも自分が顧問をやっている部活に依頼など、今後の教師生活に多大な影響を及ぼしかねない話だ。
「も、モン……」
え、言うの? 思い留まれよ今ならまだ引き返せる。
「モンスター……」
「モンスター?」
由比ヶ浜が近寄ってきて平塚先生の顔を下から覗き見た。
やめてあげて! 至近距離から見つめるのはやめてあげて! 可哀想だから! 化粧では隠せないものが露わになってしまうから!
「予想はつきました」
長い髪を払い、雪ノ下が冷静に言った。エスパーかよ。
「モンスターペアレントに困らされていると、その解決を私達に依頼したいという事ですね」
良かったエスパーじゃなかった。流石の雪ノ下でも独身アラサーの悲哀までは理解出来ないようだ。
「いや、違う。騒がしい親は確かにいるが、それは我々教師が相手するべきものだ。生徒である君達には頼めんさ。そこまで落ちぶれていない」
平塚先生が言った言葉は俺を驚愕させるのには充分すぎた。
いや、落ちぶれてんだろ。落ちぶれに落ちぶれてこの部活に来ちゃったんだろ。
八幡知ってるよ。結婚出来ない女性の大半は変にプライドが高いって。付き合うなら相手の年収は最低でも一〇〇〇万以上、みたいな事を思ってるって。
「では、どういった用件でしょうか」
「うっ……」
再度の質問。雪ノ下と由比ヶ浜に見つめられ、平塚先生は後じさった。
奉仕部の女子二人は異性から高い人気を誇っている。ちょっと望めば交際相手などすぐに出来るだろう。モンハンなどの娯楽とは無縁の生活を送っているのだ。
そんな相手に脈絡なくゲームの話をするのは気が引けるに決まっている。
てか何でこの人、モンスターハンターの話を奉仕部に持ってきたんだ。友達でも欲しいのかな?
仕方ない。
俺は可愛らしく先生が着ている白衣の袖をくいくいと引っ張った。萌え動作というやつである。可愛すぎて申し訳ない。むしろ俺が可愛すぎて死にたくなった。
「あ?」
平塚先生は鬱陶しそうに身をかがめる。良い匂いがしたが、それは重要ではない。反応と顔が怖すぎたからだ。
「やめておいた方が良いですって」
「む、だがな……」
「代わりに俺が言っときますよ。二人にモンハンを勧めれば良いんですよね」
「……よくわかったな。出来るのか?」
いや、わかるだろ。
「確約は出来ないっすけど。まあ悪いようにはしませんよ」
顧問の教師が言うよりは俺が言った方が抵抗も少ない。
「なんとかやってみますよ」
自信を持って告げる。きっと俺の目はいつもより濁っていたに違いない。
× × × × ×
平塚先生が去り、ようやく奉仕部の三人だけとなる。さて、どう切り出したものか。
勢いと同情で引き受けてしまったが、他人に、しかも女子にゲーム勧めるとかちょっと難易度高すぎると気づいた。
鞄からいつものように勉強道具を取り出し、長机の上に乗せる。
「で、先ほどの話はなんだったのかしら」
「あー、あれはな」
なんて言えばいいんだよ。スーパーぼっちの俺が誰かを誘えるわけないだろ。誘えたらぼっちになっていない。
「……お前らモンスターハンターって知ってる?」
あれ、言っちゃった。他に言いようがなかったのもあるし、雪ノ下から睨まれたのもあったが、驚くほど簡単にその言葉は出てきた。
「モンスターハンター?」
雪ノ下は小首を傾げる。知らないのか。かなり有名なゲームだぞ。さすが金持ちのお嬢様だ。
「知ってる知ってる! この前発売されたやつでしょ? パ……お父さんが並んでたもん」
庶民派の由比ヶ浜はもちろん知っていたらしい。
「それを平塚先生が始めたらしくてな。まだ初心者だから……」
初心者だから……奉仕部に協力してほしい? おそらく違う。発売から一か月以上過ぎたゲームを今になって始めたのにはわけがあるはずだ。
「初心者だから?」
由比ヶ浜が訊いてきた。
「色んな奴にやってもらいたいんじゃね。あれだろ、友達の輪を広げたいんだろ」
「あの歳で?」
雪ノ下が訊いてきた。
「おいやめろ」
なんでそんな酷いこと言えるんだよ。人の気持ち考えろよ。そしてなんで注意を受けたらキョトンとしているの?
「いくらアラサーで後が無いからって、言って良いことと悪いことがあるだろ。気をつけろよ。特に本人の目の前ではな」
「誰でも抱く疑問だと思うけれど……」
確かに。
「そう言わず、とりあえずPVだけでも見てみれば? ちょうどパソコンもあるし」
「えー? モンハンって男の子向けのゲームでしょ」
由比ヶ浜からのブーイングを適当にあしらいつつ、目で雪ノ下にパソコン起動を促す。
彼女はため息を吐いてから端末を開き、どこからか眼鏡を取り出して装着した。これで知的度五割アップ!
「モンスター……ハンターと」
「Xも入れてくれ。これでクロスと読む」
「はいはい」
投げやり過ぎる。はいは一度で良いだろ。
雪ノ下さんがネット最大手の検索サイトにキーワードを入力すると、少しの時間を置いて結果が表示された。
一番上は公式サイト。二番目は最大手の動画投稿サイト、三番目はこれまた最大手のネット通販。
……ん? その下に気になるものを見つけたが、さっさと用件を終わらせたい雪ノ下が動画投稿サイトをクリックしてしまう。
「これかしら? いくつかあるけれど……」
「一弾から順に見てくか」
「えー? 飽きたー」
由比ヶ浜からのクレームも華麗に回避する。飽きるの早すぎだろ。まだ始まってすらいない。
いまいちモチベーションの低い空気を引きずったまま、プロモーション・ビデオが開始される。モンスターやスタイル、狩り技といった新要素の御披露目を重視した短いものだ。
男の子というのは単純なもので、こういった映像を見せられるとときめいてしまう。財布の紐が緩み、ついでに顔も緩む。くそ、モンハンしてぇな。
狩猟本能を刺激され、帰宅願望が膨れ上がる俺とは対照的に、女子二人は冷め切っていた。由比ヶ浜に至っては材木座のラノベを読んだ時並みの反応である。カプコンと宣伝部と俺に謝れよ。
「なんか、いかにも男の子向けってカンジ……」
「そうね。いくら新要素を押し出しても、過去作に触れていないわたし達からすれば、それは魅力的には映らないわね」
おっしゃる通りである。彼女達からすればモンスターハンターは遠い異国の文化だ。
その遠い異国の中で流行っている文化を見せられても、アッハイみたいな反応しか出来まい。たぶん俺だったら無視する。無視して帰るまである。
「俺のプレゼンに問題があるのも事実だからな……」
ぼっちは他人に物を勧めない。自分の好きな物は内輪に囲って一人で楽しむ。だからぼっちなのだ。
これでは社会に出た時に困る。プレゼンテーションすら出来ないのであれば出世もままならないだろう。これはもう社会人は諦めて専業主夫になるしかない。
なんとも言えない空気になり、手持ち無沙汰になったらしい雪ノ下が関連動画の項目からPV第二弾を選択し、再生する。
そこで革命は起きた。
「比企谷君」
雪ノ下はパソコンの画面を食い入るように見つめている。視線の先にはぴょこぴょこと駆け回ってブーメランを投げつける猫のキャラクターがいた。
いや瞬きくらいしろよ。怖ぇよ。お前はウシジマくんかよ。
「このニャンターというのは何かしら?」
「ああ……」
そういえばこいつ、猫好きだったな。これは良い糸口かもしれない。
「モンハンにはアイルーっていう種族がいてな。マスコットにもなってる。そのアイルーは今までお供として連れて歩けるだけだったんだが、今作からは自分で操作できるようになった」
こくこくっと雪ノ下は頷いた。ニャンターの出番が終わり、ハンターの活躍に場面が移るとシークバーをクリックし、ニャンターの所に戻す。なんで秒単位まで正確なんですかねぇ……。あと瞬きしろ。
「お供? どこでも一緒にいられるの? その……アイルーというのは」
「ああ。だいたいどこにでもいる。人間社会に適応している奴もいれば、集落みたいなのを作ってる奴らもいるな」
俺が説明している間にもウシジマくんによるセルフリピートは続く。だから瞬きしろよ。ドライアイになるぞ。
そんな心配をしていると、横にいた由比ヶ浜がくいくいと袖を引っ張ってきた。耳元に顔が近づいてきて、小さな声で囁かれる。
「……犬はいないの?」
「いない。敵モンスターならそれらしいのはいるが」
ジンオウガは犬ではなく狼がモチーフだったか。まあ、あまり変わらんだろう。似たようなものだ。お手とかしてくるし。
「むー」
由比ヶ浜から睨まれる。文句ならカプコンに言えよ。俺は悪くない。それより早く離れてくれ。そろそろ心臓がヤバい。このままだと超帯電状態になる。
「ゆきのんもなんか夢中だし……」
「家で猫の動画漁ってる時もこんな感じなんだろうな」
二人でそんなことを言っているとようやく満足したのか、雪ノ下がむふぅと息をつきながら瞑目する。
そして眼鏡の位置を直してから、
「わたしは良いと思うけれど」
「ゆきのん!?」
雪ノ下さんチョロ過ぎィ!!
どんだけ猫好きなんだよ。もう恐怖しかないわ。由比ヶ浜も俺と同様に驚愕の表情を浮かべている。
「あ、あれだけで決めちゃうの?」
「別にそういうわけではないけれど。ただ見た限り、ニャンターの動きは相当に作りこまれている事があの短い動画の中で確認出来たわ。これは作り手の並々ならぬ熱意の現れに他ならないでしょう? ならば消費者であるわたし達も先入観に囚われず、そのクオリティをもって評価すべきと思ったのよ。映画や小説、漫画やアニメと並んでゲームも日本を代表する産業の一つなのだし、そろそろそういった分野にも手を伸ばしてみようかと。ただの知的好奇心なの。他意は無いわ」
はいはい。
他意しか無いじゃねえか。そんな追求から逃れるように雪ノ下は立ち上がり、紅茶を淹れにいった。
「相変わらず変な奴だな……」
「ヒッキーにだけは言われたくないと思うけど……」
「だが雪ノ下が釣れたのは意外だったな」
これも俺のプレゼンが効果的だったためだろう。溢れ出るモンハン愛があの猫マニアにも届いたのだ。そうとしか思えない。
「ヒッキーもモンハンやってるんでしょ?」
「ああ。ガキの頃からな」
因みにモンハンは一五歳以上推奨だ。推奨なだけで禁止というわけではない。
「そっか……。じゃあ、あたしもやってみようかな」
「合わせたいだけなら止めといた方が良いと思うぞ」
モンハンは簡単な部類のゲームではない。覚える事は山ほどあるし、要素も多すぎて初心者は手を出しづらい。
しかも学生の身で買うゲームというのはでかい出費だ。雪ノ下のような金持ちなら問題ないだろうが、由比ヶ浜の懐事情は一般の連中とそれほど変わらないだろう。
女子なら服やバッグ、化粧品にも気を遣わなければならないし、その他にも付き合いなどがある。トップカーストに所属しているなら、そっちの方にリソースを回すべきだ。
「……なによ。誘ったくせに」
俺の懸念などつゆ知らず、由比ヶ浜はぷくーっと膨れた。
「いや、冷静になって考えてみたらちょっとまずいかなって。部活でゲームとか、遊戯部だろそれ」
「良いのっ! ゆきのんが良いって言ってるんだから」
「……わたしはそんなこと一言も言ってないのだけれど」
戻ってきた雪ノ下が二つのティーカップと一つの湯のみに紅茶を注ぐ。時間を置いたおかげで頭が冷えたらしい。
まあ、そうですよね。ゲームの一要素だけであの雪ノ下雪乃が揺れるわけがない。
彼女は髪を背中に流すと席に座り、また動画を再生し始めた。揺れてる揺れてる! グラグラだよ! それどころかもう墜ちてる!
「でも、平塚先生の依頼って、あたし達にゲームをしてほしいだけなのかな?」
「そういえばそうね。それだけで教師という立場をかなぐり捨てるのは妙だわ……」
「別にかなぐり捨ててはいないと思うけどな。でも大方の予想はつくぞ。ちょっとマウス貸してくれ」
雪ノ下が持っているマウスをこちらにずらす。それを受け取ろうと手を伸ばし、そこで彼女の手と少し触れてしまった。
熱いものに触った時のような反射速度で透き通るような白い手が引っ込む。俺は手を伸ばしたままの姿勢で硬直してしまった。
え、何この反応? 汚物でも触ったの? そんなに不潔だと思われていることに軽いショックを受けた。
贅を凝らした罵詈雑言より本能から来る素直な反応の方が遥かにダメージは大きい。
「……つ、続けて」
「あ、ああ。悪い」
思わず謝ってしまった。俺悪くなくね? ちょっと掠っただけじゃん。でも裁判沙汰になったら恐らく負けるので、ここは謝っておいた方が良い。よし、冷静冷静。
マウスを取り、やだちょっと温もりが残ってて意識しちゃう。山菜ジジイの姿でも思い浮かべてクールダウンを図る。
数度のプラウザバックの後、最初の検索結果を映す画面に戻ってきた。下にスクロールすると、目当ての項目が登ってきた。
それを指差し、俺は言った。
「これだろ」
「……うっそ」
「……はあ」
一目で分かったらしい二人は揃って呆れと諦めの混じった表情になる。
狩りコン。
それが、俺の高校二年三学期を忙しくさせるイベントの名前だった。
今日はここまで!
日付が変わり、金曜日。今日が終われば明日は休み。学生は皆、連休前の金曜日を愛するものである。始まる前の休みが最も楽しいからだ。無論、それは俺も例外ではない。
自転車を駐輪場に置き、昇降口の所まで来ると男子の一団が下駄箱付近を占領していた。
口々に『寒ぃ』など『今年の冬やばくね?』などと言っている。おかげで他の生徒は屋内に入れず、寒風の中に取り残されたままだ。
うぜぇな。なんで固まってんだよ。テントウムシかこいつら。寒いのもやばいのもお前らです。
しかし、そう思っても口には出せない。ぼっちである俺は彼らには強く出られなかった。戦いは数だよ兄貴!
メガ粒子砲でバカ共を薙ぎ払いたくなる自分をこらえていると、一人の女生徒が連中の近くに歩み寄っていく。
「邪魔なのだけれど」
騒いでいる男子の声を容易く切り裂く冷たい声。雪ノ下雪乃が不機嫌そうな顔つきで彼らを見据えている。
一瞬だけ、は? みたいな空気が流れるも、相手を認めた瞬間、男子達はそそくさと去っていった。
ダッサ。いやほんとダサいわー。ちょっと男子ー? なに女子一人にやり込められてんのー?
障害物を排除した雪ノ下はいつものように長い髪を払うと、何食わぬ顔で自身の下駄箱まで歩いて行った。
あれ? 国際教養科のスペースはここから離れているため、バカ共の被害を受けないはずなのだが。あの冷血漢にも人情というものがあったらしい。朝から珍しいものが見れた。ありがてぇ、ありがてぇ。
「…………」
「……?」
ほんの一瞬、雪ノ下がこちらを見た。もちろん目が合う。距離があったので俺が会釈だけすると、彼女は無言で歩いて行った。
挨拶くらいしようよ……。
ぼっちである俺でさえ出来ることが雪ノ下には出来なかった。そしてその雪ノ下に先ほどの男子連中は蜘蛛の子の如く散らされた。
つまり真の勝者は俺ということになる。やはりスーパーぼっちの名は伊達ではなかった。敗北を知りたい……。
教室に到着し、自分の席に座る。空調機から来る暖かい風が頬を撫でると、まだ朝だというのに眠気がやってきた。
ここで机に体を預けたりすれば本当に眠ってしまいかねない。俺が目を開けて睡魔に対抗できているのは偏(ひとえ)に教室の中心で馬鹿騒ぎしている連中のおかげだろう。
本当にうるさい。時たまチャイムをかき消しそうなくらいうるさい。騒がないと死ぬの? 大げさに笑わないと呼吸が出来なくなるの?
しかし彼らが騒がないと教室には気まずい沈黙がやってくるのだ。
その沈黙を遠ざけるためにああして使命感に駆られながら騒いでいるのだとしたら、少しは暖かい目で見られる気もしてくる。嘘ですしてきません。
仕方ない。まだ授業まで時間はあるし、MAXコーヒーでも買いにいこう。あのほとばしるような甘さが俺に一日の活力を与えてくれる。
一日の始まりはMAXコーヒーから! 許容値を超えた甘さで今日も元気!
そんなセリフを物量重視のアイドルグループに言わせればきっと売れるだろう。
くだらない思考をしながら席を立ち、自販機に向かった。
寒い廊下を歩いていると、またもや眠気が襲ってくる。嘘だろ。どんだけ寝たいんだよ俺の体。冬眠とかしたいのだろうか。
これだけ眠いと普段より目が濁っているに違いない。今さっきすれ違った川崎沙希も挨拶したらびっくりしてたし。
挨拶は大事だ。モンハンでオンラインをする際、挨拶が出来ない奴は高確率で性格が悪い。ソースは俺。因みに挨拶が出来ても性格が悪い奴はいる。ソースは俺。
幽鬼のようにさまよい歩き、ようやくゴゥンゴゥン鳴ってる自動販売機の所までやってくる。本当に長い長い道のりだった。
歓喜のあまり硬貨を握る手が汗ばんでいる。この状態は若い女性店員がいるレジで良くある。なんであんなに緊張するんだろう? 男性店員が相手だと汗だろうが鼻水だろうが付いていても気にしないのに。
硬貨を投入し、迷わずマッ缶のボタンを押す。
炭酸やお茶、果ては水まで売り切れる状況であろうとMAXコーヒーだけは売り切れない。この信頼性の高さは他の飲み物に無い利点だ。
ガコンと取り出し口に落ちてきた不人気飲料を拾い上げ、ぼんやりと立ち上がる。
その時、肩に誰かが手を置いた。
「ぁ……?」
眠気から反応が遅れる。振り向いた俺の顔はさぞやまぬけだったことだろう。頬に妙な感触。これが指だと理解するまでに若干のタイムラグがあった。
「また引っかかったね。おはよ、八幡」
天使がいた。うす暗かった廊下が、俺の周囲が光り輝いて見えた。これが天国か……。
ジャージ姿の天使はひたすら無邪気な笑顔であは、と笑うと指を離す。
「戸塚か。おはよう」
心臓の鼓動がうるさい。体中の血管に凄まじい勢いで血が送り込まれ、皮膚の汗腺という汗腺が全解放された。
それでも冷静に挨拶をすることに成功する。
普通ならば盛大にどもる所だっただろうが、戸塚と出会ってから今に至るまでの時間で俺も成長した。今ならこうして即座にキメ顔を作ることも出来る。間違っても薬物をキメたわけではない。
「朝練終わりか?」
眠気など吹き飛んだので頭も回り始める。この時間帯から考えて、恐らく間違いでは無いはずだ。
「うん。ちょっと喉が渇いて来たんだけど、八幡を見つけたから……」
指でつついてくれたんですね。ありがとう。おかげで目が覚めました。
戸塚にバレないように深呼吸しながらプルトップを開ける。一口煽ると、慣れ親しんだ甘さが体に染み渡った。マッ缶はオールシーズン美味いが、戸塚が隣にいるとさらに美味い。もうずっと俺の隣にいてくれないだろうか。
いや、プロポーズの言葉なら他にもっと良いのがあるはずだ。人生に一回だけなのだから、最高のものを贈りたい。でも男なんだよなぁ、戸塚……。
俺が日本の婚約制度をどうやって変えるか悩んでいると、隣の戸塚も同じようにウンウン悩んでいた。もしかしたら同じこと考えてるんじゃないか? ワンチャンあるの?
「どうした?」
「え、うん……」
戸塚は辺りをキョロキョロと見渡す。平塚先生もやってたな。流行ってんのか?
「あの、八幡はさ……えっと。モンスターハンター、やってるんだよね?」
「おう。男の嗜みだからな」
「そ、そうだよねっ。良かったぁ」
何が良かったのかは分からないが、戸塚は安心したように笑った。こんな表情を見られるなんて、俺もモンハンやってて良かったぁ。
「戸塚もやってんのか」
「うん。まだ始めたばかりで下手っぴなんだけど、やっとランク3まで上がったんだ」
ランク3ともなれば下位も終盤である。武器の扱いに慣れ、知識も付いてきて一番楽しい頃合いかもしれない。ドラグライト鉱石とかライトクリスタルが出るとめちゃくちゃ嬉しい辺りだ。
自分にもそんな頃があったなぁと、懐かしさと親近感から口が軽くなる。気づけば大変な事をポロリと喋ってしまっていた。
「良かったら一緒にやるか? なんか手伝える事とかあるかも知れんし」
いやあぁぁぁああ!?
ヤバいヤバいヤバい! なに誘っちゃってんだよ!? 今までのぼっち人生で何を学んだんだよ!? 時間を巻き戻せるなら三秒前の自分を殺したい。八つ裂きにしたい。一幡になりたい。
これで戸塚が気まずそうに笑ったりしたら世をはかなんで死ぬまである。
「良いの!?」
ぃやったぁああああ!! キタコレぇえええ!! 良くやった五秒前の俺!
テンションの上下に体がついていかない。呼吸が荒くなり、目が血走り、手が震える。完全に変質者じゃねぇか。
でも仕方ないじゃん? こうして知り合いとゲームの話なんかして、しかもポジティブな反応を貰ったことなんていつ以来か。もしかしたら人生初めてかもしれない。
「ぼく、オンラインとかやったこと無いから迷惑かけちゃうかもだけど……」
「ん? なんで入んないんだ?」
「マナーとかよく分からないし、怖い人とかも沢山いるんでしょ? だからちょっと」
「そっか。確かに初心者がそういう所で躓く事はあるな」
とはいえ、部屋に入ったら挨拶。他人を待たせない。しっかり戦う。そして乙らない。これくらいをちゃんとやっとけば問題ない。
戸塚はテニス部の部長を勤めてるだけあって、礼儀作法に詳しいし気も配れる。どっかの部長にも見習ってほしいくらいだ。
「最初は顔見知りとやった方が良いのは事実だな。地雷の大半はゲーム初めていきなりオンに入ってくるから」
「そうなんだ。八幡はオンラインやるの?」
「たまには。二つ名とかの面倒くさいクエストはオンでやる事も多い」
「も、もう二つ名までやってるんだ……」
二つ名というのは通常種と比べ、遥かに強力になったモンスターの事だ。モンハンXのエンドコンテンツとも言うべきものであり、初心者の目には人外の魔境に映る領域だ。
戸塚は気後れしたのか、寂しげな笑みを浮かべる。この瞬間、俺の罪悪感ゲージがオーバーリミットし、エネルギーブレイドの如く放出された。意味わからん。
「でも知ってる奴とゲームするのは初めてだから、そういった意味では俺も戸塚と変わらんぞ」
野良で会う奴らなんて強いオトモくらいにしか思っていない俺からすれば、リアルの知り合いとやる狩りは完全に未知数だ。
「そっか。良かったぁ……」
今度は安心したようにほにゃっと笑う。この笑顔を待っていた。写真にしたい。写真にしたあと額縁に飾りたい。むしろ俺が戸塚の額縁になりたい。
MAXコーヒーを飲みながら廊下を歩く。来る時はあんな冷たかった空間が、隣に戸塚がいるだけでとても暖かく感じられる。幸せとはこういう事を言うのだろうか。
「……?」
のほほんと人生の絶頂期を味わっていると、戸塚がなにやらもじもじしていることに気づいた。
やだ凄い可愛い。思わず息が止まり、血液が逆流する。俺の体さっきから異常起きすぎだろ。このままだと命の危険もある。
しかし、まあ大丈夫だろうとタカをくくった。これで死んでるんならもう死んでる。俺の半年間は無駄じゃない。
男気たっぷりに言うてみ? と視線で尋ねる。真っ赤になった戸塚は両手をむん、と握り、上目使いで言ってきた。
「あ、明日の土曜日、八幡の家にお邪魔してもいいかな?」
「…………」
俺は死んだ。
スイーツ(笑)
× × ×
「というわけで、モンハンの布教は成功と言えるでしょう」
職員室、俺は平塚先生にミッションの経過報告をしていた。
あの後、戸塚による懸命な呼びかけのおかげで俺はなんとか現世に帰還することが出来た。脳裏ではあの時の言葉が何度もリピートされ、気づけば放課後になっていた。
昼休みあたりに由比ヶ浜が何か話し掛けてきた気もするが、俺は放心状態だったために応答することが出来なかった。どうせ奉仕部でまた会うし、その時にまた聞けばいいだろう。
「そ、そうか。いや、ご苦労だった」
目を逸らし、気まずそうに返してくる。昨日はよっぽど追い詰められていたのか。まあ、確かに正気ではなかったっぽいしな。可哀想に。
「雪ノ下と由比ヶ浜は不審がっていなかったか?」
「めちゃくちゃ不審がってましたよ。でも狩りコンの話したら一瞬で納得……いだだっ!」
平塚先生が俺の両肩にひたりと手を置いた。その直後、途中だった言葉が悲鳴に変わる。肩が、肩が痛い! 握力がヤバすぎる。ゴリラかよこの人。
「なぜバラした。というかなぜ知っている」
マジで狩りコン目当てかよ……。でも昨日の口振りでは本当にゲームを楽しんでいるように見えた。
きっと不純な動機でモンハンを始めて、そのままガチハマりしてしまったのだろう。なんともこの人らしい。
「ネットでモンハンを検索したらすぐ下に出てきましたけど……」
「そ、そうだったか」
どこか諦めたように笑い、先生は椅子に座り直す。
命が助かった安堵からため息が漏れる。握りしめられた肩がズキズキと痛んだ。肩って握りしめられる部位じゃないだろ。どんだけ人体の破壊に精通してんだよ。
「で、狩りコンっつっても何すりゃ良いんすか? 先生のランク上げ?」
「いや、同行だ」
「は?」
「だから、狩りコンまで同行してほしい」
「いや……」
なんで? 合コンなんてさんざん出てるでしょ。そしてその全てで敗北してるでしょ。正直、行っても良い結果になるとは思えない。新しい傷が増えるだけだ。
しかし、そんな事を言っていては命がいくらあっても足りないので俺は沈黙を貫いた。
狩りコンに賭けたい気持ちは理解できる。
モンスターハンターのプレイ人口、その大半は男性なのだし、イベントに参加すればそれだけ出会いの確率も高くなるだろう。良いコミュニケーションツールでもある。
だが考えてみてほしい。モンハンのプレイヤーにまともな奴なんてどれくらいいるのか。
ガノタとかと同じで、一日中どの武器種が一番だとか、このスキルを付けてる奴は地雷だとかで罵り合ってる連中だぞ。
いくら母数が多かろうとも、デュフフとか言っちゃうキモオタばかりでは意味がない。
平塚先生はそういうの好きそうじゃないし、『女教師キタコレ』だの『婚期のタイムアップが近いですな』だの『もうサブタゲクリアで妥協しましょうぞ』だの言われたらモンスターではなく人間を狩り始めてしまう。そして多分、俺も狩られる。
「やめといた方が良いと思いますけど」
親切心からそう言った。九割くらいの保身もある。
「だが、もう他に手はないんだ」
平塚先生の横顔からは癒しがたい孤独の影が窺えた。この人がこんな表情をするのは珍しく、不覚にもドキッとした。
「そうっすか。とりあえず、奉仕部に持ち帰ってみますよ。二人とも良い反応ではあったんで」
見つめているとうっかり貰ってしまいそうになったので目を逸らす。危うく平塚先生ルートに入る所だった。危ない危ない。本当に危ない。紙一重である。
「すまないな比企谷。いや、駄目だったら一人でなんとかする」
「なんとかなってないから……いや、やっぱ何でもないです」
凄い睨まれた。怖ぇよ。まだ全部言ってないじゃん。この人が結婚出来ない理由はこういう所にある。
「そうだ。君の助言通りにカブラ一式を作ったらドドブランゴを血祭りにあげることが出来た。礼を言う」
よ、良かったですね……。血祭りとか怖過ぎる。日常生活ではまず使わない単語だろ。
「時に比企谷、今の君はどこまで進んでいるんだ?」
「そうっすね。ほとんどやる事は終わってますけど……」
最近はほとんど火山に籠もっている。モンスターハンターはある程度まで進めると、武器よりピッケルを握っている時間の方が長くなってくる不思議なゲームなのだ。
だが、それを初心者に言うのはマズい。引くに決まっているし、俺もちょっと言いにくい。
「ハンターランクは?」
「108ですね」
平塚先生の五四倍である。波動球と同じ数字でもある。
「ひゃっ……!?」
そんなに驚くことじゃないだろ……。ハンターランクなんて999まであるのだ。俺なんてまだまだヒヨッコ。ひよこクラブだ。
だが、たまごクラブの平塚先生からしてみたら天上人に見えるのかもしれない。優越感がヤバかった。
「じゃ、これから部活あるんで」
驚きから回復出来ていない先生を置いて、颯爽と職員室を後にする。
改めて思ったが、これ職員室でする会話じゃねえよな。
× × ×
「チョリーっす」
上機嫌だった俺は奉仕部の扉を開けながら今までにない挨拶をしてみた。
暖房が利き始めた部屋の中では女子生徒が二人、身を寄せ合って談笑していた。
「こんにちは」
「あ、ヒッキー。やっはろー」
それだけでまた二人の世界に戻ってしまう。仲良すぎるだろ。そしてどんだけ適当なんだよ。放任主義にも程がある。
しかしなにより、奇をてらった挨拶が空振りに終わったことが残念だった。ヤバい凄い恥ずかしい。インパクトが足りなかったのかもしれない。あと古い。
もう挨拶でウケ狙いとかやめよう。黒歴史をこれ以上増やしたくない。本当に教科書一冊分くらい出来てしまう。
ルンルン気分はどこかへ去り、ようやくいつもの調子が戻ってきた。トラウマはいつだって俺を冷静にしてくれるのだ。
自分を慰めつつ鞄から勉強道具を取り出し、長机の端っこに広げていく。はやいとこ勉強しなきゃ。時間は待ってくれない。
しかしいつもの癖で、耳は勝手に周囲の情報を拾ってしまう。
「ゆきのんは何て名前つけたの?」
「デフォルトネームよ」
「で、でふぉ……?」
「そのままの名前を付けたということ。変更はしてないわ」
「武器は……やっぱニャンターだ?」
「片手剣のままにしているわ。オトモの様子は随時観察しているけれど。やはり、凄く作り込まれているわね。双眼鏡が手放せなくて……」
え? なにこの会話? 女子力低くない? ていうかモンハンの話してない?
俺が手を止め、恐る恐る視線を上げると、それに気づいた由比ヶ浜がふふんと得意気に笑った。凄くムカつきます……。
「あ、やっと気づいた」
「あ、え、なに。どゆこと?」
超どもった。この短時間で二度目の羞恥心がやってくる。
「ふふーん。じゃじゃーん!」
由比ヶ浜はどや顔で言ってからバッグに手を突っ込み、中の物を取り出そうと試みる。しかし何かに引っかかったのか、彼女の思い通りにはならない。
「あ、あれ? ちょっ、出ない……」
格好わりぃ……。あんなに気合い入れたのに。見てて可哀想になってくる。由比ヶ浜の隣にいる雪ノ下もまた、生暖かい視線を向けていた。
「あ、出た。ばばーんっ!」
取り出したのは小さなピンク色のポーチ。そのファスナーを開け、赤い携帯ゲーム機を見せつけてきた。マジかよそれ新型じゃん。newの方じゃん。
「モンハン始めましたー!」
二つ折りのゲーム機を開くと、確かにモンハンXが挿入されている事がわかる。遠くて見えづらいが、あれはベルナ村のマイハウス内だ。
「お、おう……」
呆気に取られた俺の口からは生返事しか出てこない。というか、ちょっと引いていた。
今日持って来ているということは、昨日の内に買ったという事だ。プロモーション映像ちょっと見せられただけで買っちゃうとか大丈夫なんですかね……。
「てか、え、もう買ったの?」
「ううん。ゲーム機は持ってたんだ。去年の誕生日にパパから貰ってね。いらないからしまってたんだけど、こんな所でまさか役に立つとは」
由比ヶ浜の誕生日は6月18日だったはず。つまりあの赤いゲーム機は半年以上もの間、放置されていたのだ。
酷いよ。 あまりにもパパが可哀想過ぎる。俺の誕生日なんか一万円よこされて終わりだぞ。しかもケーキ代込みで。ありえん。俺も可哀想過ぎる。
「ソフトの方はどうしたんだよ」
「パ……お父さんのゲーム機に刺さってたから持ってきちゃった」
いや言い直さなくていいよ、前からパパって言ってたし。あれでしょ? ファブリーズだかエイトフォーとか噴射されてたパパでしょ?
「お父さんも災難ね……」
「えー。でも、ありえなくない? 一七の娘にゲーム機って。センスない」
マジかよ……。いま俺の手元にある湯飲みは誰が選んだんですかねぇ……。
紅茶を入れる容器に湯飲みを選ぶセンスを見る限り、由比ヶ浜DNAはしっかり受け継がれているらしい。
まあ、口でああ言ってても、本心は少し違うのだろう。
本当にどうでもいいとか思ってたら、さっさと売るなりなんなりしている。まったく素直じゃないんだから。
「そのお父さんからモンハン抜いたんだろ。ちゃんと謝っといた方がいいぞ。あとお礼も言った方がいい」
「そうかな……。え、でもでも、今日は部室でやると思ったし」
雪ノ下が呆れたように息を吐いた。
「やるわけないでしょう」
「やるわけないんだ!?」
由比ヶ浜が驚愕の表情を浮かべる。当たり前だろ……。ただでさえ訳の分からない部活なのに、ゲームとかやり始めたらいよいよ終わりの匂いがしてくる。
「その、なんだ。雪ノ下も買ったのか、モンハン」
由比ヶ浜との会話を聞く限りでは、そういう風に捉えられた。俺が気まずく尋ねると、雪ノ下は紅茶を口に運んでからふいっと顔を逸らす。
「ええ。ゲーム機と一緒にね。ちょっと暇つぶしに」
「そ、そうか」
図らずも、奉仕部メンバーが一斉にモンハンを始める異常事態になってしまった。
「むー。ゆきのんと一緒に出来ると思ったのに」
「ゲームの持ち込みは校則で禁止されているわ」
「……教室で堂々とやってる奴らもいるけどな」
その手の規則は形骸化していると言っていい。
総武高校は県内有数の進学校だけあって授業中にやり出すような馬鹿はいないし、今のところ妙なトラブルも起きていなかった。教師連中も何かなければ静観しているだろう。
雪ノ下はチラッと俺の方を睨んだが、すぐに外す。
「……生徒指導があの人だものね」
「世も末だな」
他でもない、生徒指導の平塚先生が発端となって奉仕部にモンハンの嵐がやって来ているのだ。本当に大丈夫なのだろうかうちの学校。
諦観に到達してしまった俺と雪ノ下を尻目に、由比ヶ浜だけは不機嫌そうに唸っていた。しかし言葉にはせず、ゆきのんの袖をちょいちょいと引っ張っている。
「むー」
「ちょっと、由比ヶ浜さん?」
「……むー」
「わ、わかったわ。帰ったら……ね?」
「待ってました! ゆきのん大好き!」
由比ヶ浜ががばっと抱きつく。雪ノ下は暑苦しそうに身じろぎをしながらため息を吐いていた。
来ました奉仕部名物の百合空間。これはあれですかね。お泊まりの流れですかね。今日はちょうど週末ですし。
そして今日も当然のようにハブられる俺。
これも奉仕部名物である。百合とぼっちが生み出す歯車的小宇宙こそ奉仕部の醍醐味と言ってもいいだろう。
「でも、やっぱモンハン難しいよねー。コゲ肉しか焼けないし、もえないゴミでポーチが溢れかえるし」
「そうね。双眼鏡を覗いていたらタイムアップ……なんてことも珍しくないもの」
「ピッケルとかもったいよね。凄い壊れるし」
「ニャンターだと道具を使わずに済むわ。麻酔玉も使い放題だから、やってみたらどうかしら」
「そ、そうなんだ……。ていうか麻酔玉ってなに?」
「……捕獲、していないの?」
「えっ」
「えっ」
「…………」
こいつらこんな会話ばっかしてんのかよ。まあいいか。楽しそうだし。別に話に混ざれなくて寂しくなんかないんだからねっ!
コゲ肉を量産している由比ヶ浜と、口振りからして既に大型モンスターを捕獲までしている雪ノ下では進むスピードに違いがあるのは間違いない。
誰もが同じように進めるわけではないのだから、これで良いのだろう。むしろ攻略サイトなど見ずに手探りで進めていく方が冒険感もあって面白い。
「ヒッキーはずっと一人でやってたんだよね」
「あ? まあな。家でぼちぼちやってたよ」
ぼっちだけに。いややめておこう。今日のトラウマゲージは既に限界だ。オーバーヒートはさせたくない。
「発売日に買ったの?」
「おう。アマゾンでな」
千葉県の市川市塩浜にはアマゾンの配送センターがあるため、Konozamaは基本的に食らわない。安心して発注出来る。
そのせいで我が家にはダンボールが増え、処分が面倒だと小町が嘆き、そしてカマクラが喜ぶという事態に発展していた。猫ってなんであんなにダンボールが好きなんだろう。
「あなたが11月の下旬から、突然ここで勉強を始めた理由が分かったわ」
雪ノ下の言う通り、モンハンの発売に前後して、俺は部室で勉強するようになっていた。学校でゲームが出来ない以上、家でやる分の勉強をここで済ましてしまおうという考えだ。
効率化を図ったおかげでハンターランクは三桁に達し、今では立派な炭坑夫となることが出来た。
しかし引っかかる事もある。
「……なんでそんな正確に把握してんだよ」
「……え」
雪ノ下は目を丸くし、少し置いて顔を赤らめた。怖い。観察されていると見てまず間違いなかった。むしろ日記を付けられているまである。どんだけ俺のこと好きなんだよ。ほんと怖い。
きっと日頃からそうして他人の弱みや短所を記録しているのだろう。
だがそんな事を口に出せるはずもなく、俺が怯えながら雪ノ下を見ていると、由比ヶ浜が慌てた様子で言った。
「だ、大丈夫だよ! あたしも把握してたし!」
「嘘だな」
「嘘ね」
「なんで息ぴったり!?」
由比ヶ浜がそんな昔の事を覚えているはずがない。今日の日付を把握してるかも怪しいくらいだ。
それに……ちょうど、あの辺りは忙しかったのもある。
修学旅行から生徒会選挙、クリスマスイベントと続き、奉仕部も大変だった。もう本当に大変な時期だった。ギクシャクしてたし。
そんな時でも自分を見失わず、精進に励んでいた俺は真のハンターと言っても過言ではない。最低である。
雪ノ下がこほんと咳払いした。
「それで、平塚先生の依頼は狩りコンに関係するもので正しかったのかしら」
「ああ。なんか、同行を頼みたいんだってよ。俺個人じゃなくて、奉仕部への依頼だ」
「そう……」
「マジなんだね……」
「あんまりそんな顔をしないでやってくれ。本人曰わく無理強いはしないし、参加する場合、費用諸々は全てあっちで負担するそうだから」
「そういう問題ではないのだけれど……」
ですよねー。俺もそう思う。だってこれ、色々とキツいし。
雪ノ下と由比ヶ浜がモンハンを始めたとはいえ、この手のイベントに参加するかというと、それはまた別の話だ。
「こうなる事は分かってたから返答は保留にしてもらった。後の判断はお前らに任せる」
「…………」
「そっか。あたしはゆきのんとヒッキーが良いなら、オッケーかな」
由比ヶ浜が熱のこもった視線でじーっと雪ノ下を見つめる。彼女は瞑目して紅茶を飲んでいたが、しばらくすると居心地悪げに身をよじり、降参した。
「……まあ、良いでしょう。平塚先生の交際相手を見つけるのは不可能だけれど、イベントまでの同行というなら構わないわ」
「ふ、不可能じゃないだろ……。ちょっと天文学的な確率ってだけだ。不可能じゃない」
「そうね。地球外生命体とコンタクトが取れるくらいの可能性ね。無くはないわね」
「よくわかんないけど、なんか酷いこと言ってる……」
この部活が、メンバー全員が平塚先生に世話になっているのは事実だ。ここいらで始末をつけるというのも悪くない。
俺はいつになくやる気に満ちた体にさらなる気合いを入れると、紅茶をぐいっと煽る。
さあ、不可能に挑もうか。
今回はここまで!
予想外の大反響に草。思い付きで書いてるものだから期待せんといてや
このSSまとめへのコメント
またクロスもんかと思ってたら普通に面白い
続き期待
面白い。楽しみだ。