京子「都市伝説」 (53)



いつもの学校。


いつもの教室。


いつもの授業。


いつも、いつも、いつも。



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そんな日常には飽き飽きしていた。


楽しいか楽しくないかで言えば、楽しい。


そんな曖昧な気分で学校へ行き、授業を受け、部活でだらけて、家に帰る。


今日もきっとこんな、いつもの日常だと思った。



だが、今日は少し面白そうな非日常的な話を耳にした。


女子中学生とは噂好きな生き物であり、好奇心の塊である。


もちろん、私も例外ではない。


目の前に餌があれば躊躇いなく食らいつく。


食らいついた後などその場で考えれば良い。


刺激が枯渇した脳へ投げ込まれた餌を食らうため、噂の詳細を訪ねる。



つまりはこうだ。


子の刻...つまり0時、鏡を覗き込むと自分の未来の姿が見える...と言うことらしい。


実にありふれたバカバカしい話だ。


だがその下らない噂話に心を踊らされる私も、実に馬鹿だ。



その後、ごらく部でいつも通りだらだらと過ごし、さっさと帰路につく。


夕食も適当に胃の中へ流し込み、いつもより短い入浴を済ませる。


そして、運命の時を目覚まし時計片手に洗面所で待つ。


いつもと違う時間。


いつもと違う行動。


いつもと違う空気。


何もかも私が飽き飽きしていた日常とはかけ離れていた。


そして、時は訪れた。



0時0分、日を跨いだ瞬間。


私は鏡を勢いよく覗き込んだ。


しかし、そこに移り込んでいたのは間抜けな顔で鏡を覗く私だった。


「なーんだ、結局噂は噂ってことか...」


あまりにも期待はずれな結果に、部屋に帰る足取りは重い。


何の気なしに、ちらと鏡を振り返る。


そして、気付く。


鏡に写る自分の姿の違和感に。



写し出された姿は未来などと言う幻想ではなく。


存在した過去の私だった。


全く持って理解ができない。


しかし、理解を超えた現象が目の前に映し出されている。


呼吸を整え、鏡を覗き込む。


鏡に映る幼い私は、しきりに泣いて何かを訴えている。



握り拳を叩きつけ、鏡を割ろうとしているようにも見える動作を繰り返し、長針が0時1分を指したところで煙のように姿を消した。


暫しの間呆気に取られていたが、鏡に亀裂が走る音で我に帰った。


注意深く見てみると、幼い私が拳を叩きつけていた所に、僅かだが確かに亀裂が入っていた。


気味が悪くなり、駆け足で部屋へと戻り布団の中へ篭城する。



暗闇の中、務めて冷静に思考を巡らせる。


未来の自分が見えると噂されているにも関わらず、なぜ幼い私が映し出されたのか。


単純に考えると噂の内容が曖昧で、本来の内容は未来の自分ではなく過去の悲しい出来事が降り掛かった時の自分が映し出される、と解釈すれば説明がつく。


しかし、それでは血気盛んな女子中学生の噂などにはならないだろう。


噂など尾ひれが付くものだと言われればそれまでだが、どうも納得がいかない。



考えがまとまらず、勢いよく布団から跳ね上がる。


そして私の両の眼は、見てはならないモノを見てしまう。


ドアを開け、ゆらりとこちらに歩を進める幼い私。


「あ…っ!?」


金縛りと言うやつか。


喉を握り潰されたかのような感触と共に、発した筈の悲鳴は部屋の闇に飲まれた。



目を背けようとも、眼球が脳の命令に従わずただ迫り来る幼い私を捉え続けている。


いよいよ間近に迫り、私の肩にその小さな手を掛けた。


そして、泣き腫らした目でこう言ったのだった。


「忘れないで」


そこで私の意識はプツリと途切れてしまった。



気がつけば朝日が顔を出し、いつものように照りつけている。


「夢…?」


昨晩のあまりにも非現実的な出来事に放心する私を、母の一声が現実へと引き戻す。


「京子ー、起きなさーい」


「…はーい」


返事をし、部屋を出る。



母の声がする方へ向かうと、昨晩の体験が夢でないと言う事実が突きつけられた。


「え…これ…」


私の目覚まし時計は机に置かれてあり、もう針が動く事はなかった。


「洗面所に落ちてたわよ、あと鏡にヒビが入ってたんだけど知らない?」


「…知らない」



「そう…なんなのかしらね?」


母の話もそこそこに、朝食を夢中で流し込んだ。


そして登校の準備を済ませ、いつも迎えに来る親友を待たず家から逃げるように教室まで駆けていく。


学校につくと、噂話を聞かせてくれた昨日のクラスメイトがまたも同じ噂話に花を咲かせていた。


噂の真相を確かめるべく話しかけ、実体験をはぐらかして話を進める。



その結果、私の考えが的中していた事が分かった。


悲しい過去の...ではなく、元の噂にいつの間にか尾ひれがつき正しい事実が書き換えられていたと言う事だ。


実際は未来の自分ではなく、本当の自分が見えるらしい。


一応謎は解けたが、どうにも納得がいかない。


本当の自分とは何なのだろうか。



つまり、この私は本当の歳納京子ではなく。


偽物の歳納京子と言う事なのか?


昨晩見たあの幼い私が本当の歳納京子と言うことなのか?


そして、昨晩の幼い私が言った言葉の意味。


そんな事を考えていたので授業など全く入ってこず、気付けば下校時間になっていた。



ごらく部に顔を出す気にすらなれず、荷物を鞄へ放り込み足早に帰路へつく。


「なんなんだよ...」


謎が解けないいらつきが私の歩みを早まらせる。


家が薄らと見えて来た時、突然後ろから声をかけられた。


「歳納京子!」



赤い髪、ポニーテール、もみ上げ。


生徒会副会長、杉浦綾乃その人だ。


「綾乃...?」


ごらく部の面々ならまだしも、帰り道に綾乃が声をかけてくるとはあまりにも予想外だった。


何の用なのだろう、プリントなら出したはずだが。



「船見さんが心配してたわよ...あなたの元気がないって」


「ごらく部にも行ってないんでしょ?」


なぜ綾乃が知っているのだろう?


結衣にでも聞いたのだろうか。


心配してここまで来てくれた綾乃に嘘をつくのもどうかと思い、相談ついでに昨晩の出来事を話してみることにした。



「うん...ちょっと悩んでててね」


「悩み?」


「綾乃はさ、私が本当の私だと思う?」


「ど、どういう事?」


綾乃の反応は間違っていない。


確かにこれだけでは何の事か分からないだろう。



「いやね、最近噂になってるアレ知らない?」


「もしかして夜の0時になんとかってアレ?」


「そうそう...でね、それをやったんだ」


「で、どうだったの?」


「...見えたよ、本当の私がね」


「本当のあなた?」



「うん、噂は未来の自分が見えるって広まってるけど、発生元に確認したら本当の自分が見えるんだって言ってさ」


「なるほどね」


綾乃が真剣に聞いてくれているのが分かる。


その真摯な姿勢のお陰か、すらすらと昨夜の出来事が私の口から語られる。



「それで、本当のあなたはどんな姿だったの?」


「...子どもの頃の私だった」


「そう...でもなんで悩むの?」


「信じられないかもしれないけどさ、その私が鏡から出てきたんだ」


「それでこう言ったんだ...忘れないでって」



綾乃はしばらく難しい顔で考え込んだ後、ゆっくりとその口を開いた。


「その言葉を単純に考えると...今のあなたが小さいあなたにとっての大切な物を忘れようとしてるって考えられるわね」


「大切な物かぁ...」


私も少し考えてみる。


幼い私...つまり、本当の私にとって何か大切な物。



それを今の私が忘れようとしている...。


考えれば考える程分からない。


ふたりの間に流れる長い沈黙を破ったのは綾乃だった。


「ねえ、昔のあなた...鏡から出てきたあなたってどんな子だったの?」



「...よく泣いてたよ。結衣に置いていかれそうになったり、あかりが来れない時とか」


「ホントにただの泣き虫だったなぁ...なんか懐かしい」


「...歳納京子」


「ん?何?」


「なんとなくだけど...意味がわかったわ」



綾乃は瞳を伏せ、どこか物悲しげにぽつりと言った。


そんな綾乃とは対象的に、綾乃の両肩を掴み食いつくように顔を近づける。


「ホント!?教えて綾乃!」


「歳納京子...」


「あなた、最近泣いた?」



「え...?」


何か大きな衝撃を受けたかのように、その場に立ち尽くす。


言葉が何も出て来ず、頭の中も空になったまま何も考えられない。


綾乃はこう続ける。



「泣き虫だったのよね...小さいあなたは」


「そのあなたが忘れないでって言ったんでしょ?」


「それって小さい頃の何か大切な記憶...特に何かで泣いた事を忘れないでって事なんじゃない?」


忘れるもなにもない。


過去はそう簡単に消えるものでもないし、忘れたくとも忘れられないものだ。



「忘れないでって...忘れたことなんて1度もないよ?」


「じゃあ歳納京子...泣き虫のあなたはどうして泣き虫じゃなくなったの?」


「そりゃあ......あれ?」


私、なんで変わったんだっけ?


忘れないで



「なんで私...変わったんだっけ...」


結衣に置いて行かれないため?


あかりをひっぱっていくため?


だれのためだっけ?


忘れないで



「その思い出せない部分にあなたの本当の姿があるんじゃない?」


ほんとうのわたし?


私はわたし?


「わかんない...」


わからないよ



たすけて結衣


あかりちゃん、どこ?


「ダメよ、ちゃんと思い出して」


あや...の?


あやのちゃん...?



「あ、やの...ちゃん?」


そう言えば...むかし


親同士のお茶会か何かで1度だけ。


遊んだ子がいる。


確かまだその時は泣き虫のままで。



でも、その子と遊んでた時。


『へ、ヘビやだ!』


『私だって嫌だよ!』


『うぅ...結衣ぃ...あかりちゃん...』


『こ、こっち向いた!』



そうだ、蛇がこっちに頭を向けて...


『...えい!』


『ちょ、ちょっと危ないよ!』


『だ、大丈夫!結衣に教わったから...!』


なんとかしてこの子を守らなきゃって思ったんだよね



『も、もう大丈夫...?』


『うん...こ、怖かったぁ...』


『あ、あのね!』


『なに?』


『ありがとう...かっこよかったよ...』


『京子ちゃん』



そうだ。


私は...この子を守りたいと思ったから。


この子を不安にさせないように強くなったんだ。


私は、この子に出会って...この子のために変わったんだ。


思い出した?



「歳納京子...?」


「綾乃...ちゃん」


ただ一度だけ呼んだ事のあるその名で、綾乃を呼ぶ。


「な、何よその呼び方!?」



どうやら綾乃は覚えていないようだ。


綾乃は元々は人見知りなので仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。


「ありがとう、思い出したよ」


「私が最後に泣いた日のこと」


「そ、そう...ならよかったわ」



くるりと私に背を向ける綾乃。


その顔が赤くなっているのを私は見逃していなかった。


「なあ、綾乃」


「なによ?」


「私達、昔一回だけ会ったことあるんだけど覚えてない?」


「う、うそ!?」



紅く色付き始めた西の空を見ながら、綾乃に問いかけた。


綾乃は勢いよく振り返り、信じられないと言わんばかりの顔を私に見せてくれた。


「いつ!?」


「親同士のお茶会って言えば思い出す?」


「.......あっ」


どうやら思い出したようだ。



みるみるうちに綾乃の顔に汗が湧き出る。


「あ、あのね歳納京子!あれは...!」


「綾乃ってヘビ苦手だったんだな」


「ち、違うわ!あああ、あなたに合わせただけなんだから!」


少しからかうと大げさなぐらいの反応を見せる綾乃。


その姿がなんとも言えないぐらい可愛らしかった。



「あの日さ」


「あの日、ヘビにビビってる綾乃を見て私が守らなきゃって思ったんだ」


「歳納京子...」


「今まで結衣やあかりに守られてばっかりだった弱虫の私が...初めて人を守ったんだ」


「正直私もすごく怖かったんだよ」



ふざけたように綾乃に笑いかける。


彩乃はすっかり落ち着いたようで、拗ねた様子で少し俯きながら上目遣いで私を見ていた。


その仕草が、『あやのちゃん』と重なって見えた。



「でもさ、嬉しかった」


「ありがとうって結衣とあかりから何回も言われた言葉だけど」


「かっこいいって言われたのは綾乃が初めてだよ」


頼る事はあっても頼られる事は無かった私を、綾乃は頼ってくれた。


そしてかっこいい、という当時の私には無縁だと思っていた言葉もくれた。



「そうだったわね...」


「その日から泣いてないんだ、私」


「...でも歳納京子」


「分かってるよ」


綾乃の言いたい事がなぜか分かる。


不思議な感覚と心地良さの中、私はゆっくりと綾乃の正面に立ち、お互いの額を合わせる。



「泣きたくなったら綾乃の傍で泣く、これでいいでしょ?」


「ええ...もちろんよ」


「あ、あの...歳納京子...」


「ん?なに?」


「えっと...私は...あ、あああなたの事が...!」



「...やっぱり何でもない!また明日!」


「あ、おい綾乃!全部言えよ!」


「全く...よしっ」


綾乃の揺れるポニーテールを見ながら、私は大きく息を吸った。



「綾乃ー!ありがとー!」


「結構前はちょっと好きだったよー!」


「ちょっとって何よー!!」


「お、戻ってきた...へへっ」



行ったり来たり忙しい奴だ。


悪戯な笑みを浮かべ、息を切らしながら走ってくる綾乃を待つ。


「そ、それに...結構前までってなによ...はぁ...」


「今は」


「綾乃の事好きだからな!」



京子「都市伝説」終

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