前スレ
艦隊これくしょん ~艦これ~ Bright:金剛 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1432963201/)
多忙につき長らく放置して前スレを落としてしまい、ご迷惑をおかけしました。
6話からの続きになります(※1話~5話については前スレをご覧下さい)
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1452409806
スレをまたいだので、一応簡単に設定と主要登場人物の紹介も。
【背景】
十年前に突如発生した怪物、深海棲艦。
その怪物に対抗するため、「艤装」に選ばれた艦娘が次々と誕生し、戦いを繰り広げていた…
これは、横須賀鎮守府における金剛とその仲間たちの戦いの物語である。
【主な登場人物】
・金剛
主人公。持ち前の強さと明るさで周りを引っ張り支えてゆく。
・比叡
金剛の妹。ややシスコン気味だが冷静に周りを見る目もある。
突っ走りがちな姉のサポート役。
・祥鳳
横須賀鎮守府のベテラン。ややメンタル的に脆い面もある。
仲間想いだが、時に自己犠牲的な行動に走ることも。
・如月
横須賀鎮守府のベテラン駆逐艦。
かなり大人っぽい性格。
・電
横須賀鎮守府で三人の姉妹と暮らす艦娘(見習い)。みんなから妹のように可愛がられている。
気弱で心優しい性格。
・赤城
横須賀鎮守府の秘書官。
かつては伝説の一航戦と呼ばれていたが、現在は原因不明の理由で艤装が装備できず苦悩している。
・伊吹提督
横須賀鎮守府の提督。厳つい顔に厳格な性格だが、心優しいおやっさん。
【これまでの話】(参照:艦隊これくしょん ~艦これ~ Bright:金剛 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1432963201/))
第一回
前スレの >>3->>31
第二回
前スレの >>68->>110
第三回
前スレの>>123->>175
第四回
前スレの>>179->>217
第五回
前スレの>>229->>261
長らくお待たせして申し訳ございませんでした。
それでは、投稿再開させていただきます。
第六話 平和になれば、いつか、きっと…
10月下旬。寒風が吹き始めた横須賀鎮守府には、あちこちにソメイヨシノの楕円形の落ち葉が無秩序に散らばっていた。
その葉っぱの大群を二人の少女が箒で掃き、あちこちに赤茶の小山を作り上げていた。
「あー、なんか寒くなってきたよねー」
「えぇ。そろそろ冬服を出さないといけませんね」
北上と大井は天気のことやクリスマスのことなど、とりとめもないことをぶつくさ言いながら、先日伊吹提督から言い渡された罰則であ
る鎮守府構内の清掃を実施していた。
港に散らばった枯葉を箒でかき集め、もみじ色の小山が一定の距離を開けて次々とできていく。
大鯨や駆逐艦の少女達など非番だった横須賀鎮守府の仲間が手伝ってはくれたが、学校を改装した横須賀鎮守府はかなり広範に落ち葉が積もっており、思った以上に時間がかかっていた。
伊吹は『隅から隅まできれいにする』よう命じており、僅かなゴミの存在も許さないのだ。
「ねー大井っち。こんだけ枯葉があるなら、あたし焼き芋作りたいなー」
「いいですねー、北上さん! 終わったらさっそくお芋買ってきましょう!」
「あー、駆逐艦の子達は芋取られるから内緒にしといてね」
「ふふ。ちゃんと後でお芋あげるクセに、北上さんったら!」
「あはは。まー、マジでハブったらさすがにかわいそーだからね」
二人は談笑しながら、集まった枯葉を透明のビニール袋に詰め込んだ。ひとまず満杯になった袋を手にゴミ捨て場まで向かおうとした時
、大井は水平線の彼方に小さな影が浮かんでいるのに気付いた。
「北上さん、アレ・・・」
大井が指差した方向を見た瞬間、穏やかだった北上の表情と目つきが鋭くなった。
「ん~、もしかしたらやばいヤツかもねー。今のうち、艤装呼んどこうか」
「えぇ」
二人は静かに艤装を召喚・装着して戦闘準備を整えると、小さな影に向かって単装砲と魚雷発射口を構えた。
相手がどの程度の耐久力を持った敵かは不明だが、この距離ならいつでも海の藻屑にできる。
影はそのままゆっくりと港に接近し続け、やがて黒い影ははっきりとした人型の輪郭を見せた。
「おっ、北上姉と大井姉じゃん。久しぶり」
ふたりはほっと胸を撫で下ろし、単装砲を降ろした。影の正体は深海棲艦ではなく、球磨型五姉妹の末っ子、木曾だった。
「なんだ、木曾か・・・」
「心配して損したじゃーん」
「悪い悪い、秘密任務だったんでな」
そして木曾の隣から、あぶくを立てて何かが浮かび始めた。
「潜水艦・・・!?」
大井は慌てて魚雷を構えたが、海中から現れたのは白い水着の少女だった。
「は、はじめまして。ま、まるゆと申し・・・ます…!?」
海中から現れたまるゆは、魚雷を自分に向けて仁王立ちしている大井に大いに慌てた。
「ひ、ひぃぃぃ! ごっ、ごめんなさい!」
飛び出したのがまるゆだと気付き、大井も慌てて構えを解いた。
「なんだ、味方の潜水艦か…」
「あ、あの木曾さん…。ま、まるゆ、何かお気に障ることでも…?」
まるゆはすっかり怯えて木曾の背中に隠れてしまった。
「気にすんな。オレらも連絡せずに来たんだ、敵と思い込むのもしかたない。ほら、誤解は解けたんだ。ちゃんと挨拶しろ、まるゆ」
「は、はい・・・。改めまして、潜水艦のまるゆと申します・・・」
震えながらまるゆはおずおずと前に出て、北上と大井にお辞儀した。
大井もそれに倣い、しっかりと頭を下げ、まるゆの頭を優しく撫でた。
「ごめんなさいね、驚かせちゃって」
「い、いえ・・・。気にしないでください・・・」
まるゆは少し安心したのか、わずかながら笑みを浮かべた。
「ったく、木曾も来るなら来るって連絡よこしなよ~」
「まぁちょっと色々あってな」
「ところで・・・」
大井は妹が海賊を彷彿とさせる黒いマントを羽織っていることに気付いた。
「あんた、前と服装が変わってない? 海賊に転職?」
「あぁ、これか。俺の艤装が改二ってヤツになったらしい。
その影響で、艤装がこの服しか受け付けなくなっちまってな。まっ、奴等と殺り合える剣が手に入ったから別にいいけどな」
「で? 何しに来たのさ。ってか、ちゃんと語尾に"キソー"って付けなよ」
姉の悪い冗談は無視し、木曾は大井との会話を続けた。
「まぁちょっと秘密の輸送任務ってとこさ。とりあえず、伊吹のダンナに会わせてくれ」
執務室に向かった女海賊は、背丈の低い姉達によって手厚く歓迎された。
「おぉ、木曾だクマー! 会いたかったクマー!」
「ちょ、離せよ球磨姉・・・!」
「ホントに立派になって・・・。球磨は嬉しいクマー!」
球磨は自分よりも背の高くなった妹にじゃれついた。
どちらが姉だが分かったもんじゃないな。木曾は内心思った。
「まるゆちゃんも元気そうで良かったにゃ」
多摩は腰を降ろし、目線をまるゆに合わせて微笑んだ。
「やめろよ球磨姉! くすぐったいだろ?」
「うるさい、たまには妹分補給させろクマー!」
じゃれつく長姉をなんとか振りほどき、木曾は苦笑しながら見守っていた伊吹へと向き直った。
「木曾。早速ですまんが、君の艤装が強化された現象、通称"改二"について詳しく聞かせてもらおうか」
「あぁ。前にまるゆと出撃した時、コイツが危なくなってな」
伊吹は黙って木曾の話を聞き続けた。
木曾を含めた一部の艦娘は提督に敬語を使わないが、彼はあまり気にしておらず、公の場でなければ大目に見ていた。
「まるゆ、敵に狙われて、中破しちゃって…」
「俺も大破して危ないところだったんだが、急に艤装が変形してこうなっちまった。
大淀に聞いたが、那珂のヤツも改二ってのになったらしい。
どうやら、艦種も前と変わって雷装巡洋艦って言うらしいな、これ。前より魚雷を速く撃ち込めるようになった気がするよ」
「それで、思い当たる原因は?」
「それがさっぱり分からん」
肩をすくめて木曾は言った。
「強いて言えば、俺とまるゆが大破して危ないとこだったくらいか。そういや、那珂も似たような状況だったらしい」
「まるゆは何か気付いたことはあるかね?」
「まるゆ、ほとんど覚えてなくて・・・。あ、木曾さんがまるゆを抱きしめてくれてたことは覚えます」
「ほかには何かないかね?」
伊吹が続けた。
「えぇと、『まるゆ、お前は絶対に死なせねぇ!』って言ってたことは覚えてます」
「ほぅ・・・」
「お、おい! それは言わねぇ約束だっただろうが・・・!」
「で、でも。あの時の木曾さん、本当に素敵でしたよ・・・!
『例えこの身が引き裂かれようと、お前だけは護ってやる!』って」
まるゆは目を輝かせ、まるで似ていない木曾の口真似をしながら姉貴分の活躍を語った。
すると、球磨と多摩は木曾を妙な表情で見つめ始め、伊吹もまた暖かい目線を女海賊に向けた。
「な、なんだよ」
木曾がその視線に躊躇っていると、やがて彼女の姉二人は目を潤ませ始めた。
「うぅ・・・。こんなにいい子に育って、球磨は嬉しいクマァ・・・」
「多摩も嬉しいにゃ・・・。木曾は本当にいい子だにゃ・・・!」
二人の姉に頭を撫でられ、木曾は困惑しながら顔を赤くした。
「ちょ…。や、やめろってば!」
「うぅ・・・。球磨はいい妹を持ったクマ!」
「木曾は姉孝行だにゃ」
「だからやめろって言ってんだろ、球磨姉も多摩姉も…!」
だが、マイペースなこの二人がその程度で止まるはずなどなかった。
暫くの間、勇敢な女海賊はただの末っ子に成り下がっていた。
その後夕張によって木曾とまるゆの艤装が点検されたが、彼女にはさっぱり理解できなかった。
「むむむ…」
確かに木曾の艤装は構造が変化し武装も強化されているが、以前の資料と比較してもどういった原理で『改二』へ変化したのか、何一つ分からなかった。
まるゆの艤装に何か影響はあったかと思って調べてみたが、そちらは以前の点検と何ら変わるところはなく、謎は深まるばかりだった。
「あー、もうわかんなーい!」
夕張は天を仰いで叫んだが、作業場の妖精達を驚かせるだけで何の意味もなかった。
「あっ、ごっ、ごめん…」
妖精達に詫びると、夕張は二人の艤装に背を向けて、別の仕事に取り掛かることにした。
「やっぱり、武装強化が必要ね…」
夕張は作業場に転がった傘や主砲など、製作途中の武器をじっと見つめた。
作業を手伝っていた妖精達もまた同じ方向に目をやった。
その後、木曾はまるゆの護衛のため、別地点への輸送任務へと旅立った。
北上と大井も呉鎮守府の駆逐艦や新人軽巡洋艦の艦娘達との訓練のため、時を同じくして横須賀を離れた。
それから一ヶ月ほど過ぎた12月上旬のことだった。
比叡が舞鶴に出張してちょっとした騒動を起こす事件などもあったが、大きな事件は起きず、比較的穏やかな時が流れていた。
だが、その間にも事態は大きく動こうとしていた。
日本深海の熱水噴出孔。そびえ立つ黒い煙の中で、四体の深海棲艦が超音波によって議論を始めていた。
(ソウコウクウボキ…サクセン…シッパイシタナ・・・)
黒い龍を侍らせた戦艦棲姫が苛立ちの混じった思念を伝えた。
(イイカンガエハドウシタノヨォ…キャハハハ!)
南方棲鬼が装甲空母姫をここぞとばかりに煽り立てた。
(ハヤイセンカンハコロセナイ…ツヨスギル…)
(ドウスル!? コレイジョウカンムスヲハビコラセテハワレラノカズガ…!)
飛行場姫は強い音波を発し、焦りを伝えた。
(ナラソノカンムスヲリヨウスレバヨイ…! ミテオレ…)
(マタシッパイシナイヨウニネェ…!)
南方棲姫がはやし立て、装甲空母姫の表情が歪んだ。
(ダマレェ!)
装甲空母姫は怒りに任せて襲いかかろうとしたが、戦艦棲姫の黒い龍を見て渋々矛を収めた。
(オノレカンムス…ツギコソカナラズ…!)
「新しい軽空母の艦娘を配属する?」
伊吹提督と梅こんぶ茶を飲みながら赤城は言った。
「金剛や比叡がいるとは言え、さすがに祥鳳だけでは大変だと思ってな」
「そう、ですか・・・」
赤城は静かに呟いた。
きっと私が戦えないからだ。胸が少し痛んだが、すぐに任務のためと思い直し、伊吹提督との話を続けた。
「しかし、生半可な実力では却って祥鳳さんの足を引っ張るだけでは?」
「それは心配ないだろう」
「なぜです?」
赤城は自信ありげな表情の提督をじっと見つめた。
「新しい空母の二人の師匠は、君の戦友・龍驤だ」
その日の午後、横須賀鎮守府にいた全ての艦娘が執務室に集合した。
「伊吹はーん、入るでー」
軽そうな声と共に執務室の扉が開けられ、三人の少女が入ってきた。
うち二人は巫女袴に軍服を羽織っており、いずれも優雅で上品な雰囲気を纏っていた。
だが、髪型はまるで正反対で、右の少女は獅子のように逆立った髪の毛だったが、対する左の少女は清楚な黒い長髪の持ち主で、頭には可愛らしいリボンが着いていた。
前者は親しみやすそうな緩い目つきの少女だったが、後者は気の強そうなきりりとした目つきの少女だった。
真ん中には赤い服と黒いスカートを着た少女が堂々とした面持ちで立っていた。入室した三人のうち、彼女は誰よりも幼げな容姿をしていた。
その来客達を見るなり、誰よりも早く祥鳳があっと声をあげた。
「龍驤・・・、先輩・・・?」
「おぉぅ、祥鳳ちゃん。ひっさしぶりやな。元気しとった?」
「龍驤先輩!」
祥鳳は整列から飛び出して嬉しそうに龍驤の手を取り、まるで大好きな親戚に久々に会えた少女のようにはしゃいだ。
「ちょ、祥鳳ちゃん元気すぎやで・・」
「先輩! 私、嬉しいですっ! またこうしてお会いできるなんて!」
普段の落ち着いた態度とはまるで正反対であった。きゃっきゃと興奮する祥鳳を見て、横須賀鎮守府の面々、とりわけ金剛と比叡は少なからず衝撃を受けた。
「Oh…祥鳳、まるで子どもみたいデース。Cuteね!」
「めずらしいですね、祥鳳さんがあんなにはしゃぐなんて」
「祥鳳お姉ちゃん、なんだか子どもみたいなのです」
龍驤の手を取りはしゃいでいた祥鳳は、仲間たちの言葉が耳に入りすぐさま固まってしまった。
「あ、あの・・・。あの・・・」
自分が柄にもなくはしゃぎまわっていたことに気付き、祥鳳は顔を赤く染め黙り込んでしまった。
「ご、ごめんなさい・・・。思わず私・・・」
「えぇって、えぇって。祥鳳ちゃん元気そうで安心したわ」
「あはは・・・。はい・・・」
祥鳳は恥ずかしそうに黙って列へと戻った。
「龍驤、君の言っていた二人の紹介をしてもらえないかな?」
「せやな。飛鷹、隼鷹、挨拶せえや」
「同じく、軽空母の隼鷹でーす!」
髪の毛を逆立てた少女・隼鷹が元気よく名乗りをあげた。
「同じく軽空母、飛鷹です! よろしくね!」
隼鷹に続き、黒髪の少女・飛鷹も名乗った。
「この鎮守府の提督、伊吹だ。航空戦力の充填は我が鎮守府の課題だった。二人とも宜しく頼む」
「はい!」
「あいよ!」
飛鷹と隼鷹は敬礼で返した。
ついで横須賀鎮守府の面々の自己紹介が始まる中、龍驤は赤城の目線が斜め下を向いているのに気付いた。
どこか、悔しさと悲しさが滲んだような目だった。
自己紹介を終えた龍驤は鎮守府のグラウンドで電や雷達を連れて、金剛や比叡、そして祥鳳と雑談していた。彼女は子ども好きで、年下の面倒見も良いと評判だった。
「ねぇねぇ、龍驤さんはどれくらい強いんですか!?」
「どんくらいやと思う?」
龍驤は質問してきた暁に対し、逆に尋ね返した。
「うーん、祥鳳さんの先輩なんですよね龍驤さんは? だったら、祥鳳さんより強いんですか?」
「ううん、龍驤先輩は私よりずっと強いのよ! 本当よ!」
祥鳳が自慢げに語る様子から、暁達もそれが本当なのだと悟った。
「そうなの、龍驤さん!?」
「ふっふーん。せやで。こー見えてもウチはな、かつて赤城や鳳翔、そして佐世保の加賀と共に戦い抜いた、一航戦の龍驤なんやで!」
「すっごーい!」
「ハラショー…! ところで一航戦ってなんですか?」
暁達が尊敬の眼差しで、自分達よりやや背の高い龍驤を見つめた。
「えぇ質問やな。一航戦ってのは、『第一航空戦隊』の略なんや。
って言うても、空母の艦娘は、昔は蒼龍達とウチらしかおらんかったやけどね」
「そう言えば、龍驤さんはどうやって艦載機を発進させるのですか?」
電が尋ねた。
「Oh! それは私も、気になりマース!」
「ええよ、見せたるわ。減るもんでもないしな」
龍驤が左手の指を何度か擦り合わせると、左手には『勅令』の文字がぼんやりと浮かぶ青白い炎が宿った。
同時に彼女は右手で手にしていた巻物を広げた。ピンと張られた巻物は、一瞬で白い飛行甲板となった。そこには一切の文字は書かれて
おらず、代わりに白い簡素な形状の紙飛行機の式神が並べられていた。
「艦載機のみんな、ちょっち飛んであげて!」
龍驤の青白い炎を飛行甲板に沿ってそっと滑らせると、次々と紙飛行機は燃え、鮮やかに彩られた戦闘機へと姿を変えた。そのうちのの
二、三機が飛行甲板から次々と飛び立ち、龍驤の頭上にくるりと輪を描いた。
「うわぁ・・・!!」
「すごいのです!」
「Wow! こんな空母もいるんデスネ!」
雷や電達は驚くべき発艦方法に感動し、きゃっきゃとはしゃぎ始めた。
「この方法で、ウチらは祥鳳ちゃんよりいっぱい艦載機も積めるんやで。どうや、すごいやろ?」
「すごーい!」
電達は、天高く駆ける小さな艦載機の集団に目を奪われていた。
そんな子どもと戯れる子どもみたいな容姿の師匠を、飛鷹と隼鷹は新たに宛てがわれた部屋の窓から見つめていた。
二人の部屋には殆ど荷物はなく、ダンボールに詰め込まれていたのはデザインの凝った酒瓶が数本と、多少の着替え程度だった。
ふたりには、荷物らしい荷物が殆どなかった。
「…ったく、あの人もいい気なもんね」
「はいはい、言わない言わない」
「あんたも呑気すぎるのよ! とにかく、ここに配属された以上、少しでも多く戦果を上げて・・・」
「まぁまぁ。果報は寝て待てって言うだろ? 焦らない焦らない」
飛鷹の言葉を隼鷹は軽く受け流した。
「あ、あたしはこの辺りをちょっくら散歩してくるわ。一緒に行く?」
「別にいいわよ。ほっといて!」
隼鷹はやれやれと呟き、部屋を出て行った。後ろから扉が閉まる音が聞こえたが飛鷹は顔を向けさえしなかった。
「早く、私達の家を取り戻さないといけないのに・・・」
飛鷹は窓から水平線の彼方を見つめ、静かに呟いた。その目線は、遥か彼方の太平洋の先へと向いていた。
その夜、駆逐艦の幼子達が眠った午後10時頃、龍驤の提案で非番の金剛と比叡も交え、飛鷹と隼鷹のささやかな歓迎会が催された。
が、企画を提案した本人は既にテーブルの上で腕を枕にし、あどけない姿を晒して眠っていた。
その時だった。
「龍驤さん、龍驤さん・・・」
か細い声で誰かが龍驤の肩を摩りながらその名を呼んだ。
「ううん、だれぇ・・・?」
眠そうな目を開けると、彼女の目には嘗ての戦友が目に映った。静かだがはっきりとした声だった。
「私は、どうすれば戦線に戻れるのでしょう…!?」
「あぁ・・・」
目を開けるなり、龍驤はどう声をかけたものかと痛む頭を回転させて考え始めた。
しかしながらパッと答えが思いつくわけでもない。
「なんでよ・・・! なんで私、いつまでも…!」
そこにいた全員の目が赤城の方に向いた。
紅茶を使ったカクテルの話で盛り上がっていた金剛と隼鷹も黙り込み、そっぽを向いてちびちびと日本酒を口にしていた飛鷹も、全員が赤城に注目した。
横須賀鎮守府では比較的付き合いの長い祥鳳でさえ、普段は冷静沈着で穏やかな赤城がこうして声を荒げるさまなど見た経験がなく、驚きを隠せなかった。
「龍驤さん。どうすれば、どうすれば私は、一航戦の誇りを・・・」
「ううん、なんでやろなぁ・・・」
龍驤は返答に窮した。
彼女も赤城の現状については知ってはいたが、医学的にどう見ても五体満足の健康体であるにも関わらず、艤装が彼女に適合しようとしない。
精神面に問題があるのではないかと医者は述べていたが、原因は未だ不明であった。
「何が大食い女よ・・・。私だって必死だったのに・・・。あんな好き勝手・・・」
突然、赤城はぶつぶつと愚痴り出した。
「あぁ・・・。十年前に賞金稼ごうと大食い大会に行ったヤツやな。あん時、キミ張り切っとったもんな」
「私…、そんな下品な女じゃないです…。なのに…、あんな・・・・」
龍驤はぽろぽろと涙を零し始めた赤城の背中に優しく手を添えた。彼女の脳裏には十年前の光景が昨日の事のように蘇り始めた。
当時はまだ、艦娘への理解はおろか艦娘の存在すら世間に浸透しておらず、鎮守府のバックアップなどもなく、艦娘達は経済的に困窮していた。
そのため、彼女達は戦いの合間になりふり構わず資金稼ぎに明け暮れた。
ある者はアルバイトを幾つも掛け持ちし、またある者は軍関係者と協力体制を取るため行動を起こし、またある者は戦いそのものを厭い、戦場から去って行った。
赤城は――食費の節約も兼ねて――大食い競争で賞金稼ぎをした経験があった。
その時の写真が最近になって流出し、週刊誌のバッシングに利用されたのだ。
「なんで、私達がこんなに悪く言われなきゃ・・・!」
未だ前線に復帰する様子を見せない赤城に対して、世間は冷たかった。
『戦えない一航戦なんて予算とコメのムダ』 『一航戦の埃』 そんな身勝手で悪質な赤城への中傷の言葉があらゆるメディアで氾濫していた。
龍驤はしばらく泣き続ける赤城をじっと見つめていたが、やがて重々しく口を開いた。
「あー、赤城。気持ちは分かるけど、あんまし後輩の前で愚痴ってばっかやとかっこ悪いで?」
龍驤の苦言に赤城はハッとなり、袖口で涙を拭いて仲間達に頭を下げた。
「し、失礼しました・・・。お見苦しいところを…」
「い、いえ。赤城さんだって、お疲れですよね…」
「ふぅ…。こんな時、鳳翔がいてくりゃあよかったんやけどな…」
鳳翔の名を聞いた祥鳳の顔がたちまち曇り、龍驤は慌てて付け加えた。
「あ。あっ、ごめーん。ウチもちょっち疲れたから、赤城連れてって一緒に寝かせてもらうわ。じゃあね」
「えっ? わ、私、龍驤先輩ともっといっぱいお話したいのに! 赤城先輩は・・・」
「まー、また今度な祥鳳ちゃん。ごめんね」
祥鳳は萎れた花のようにしゅんと俯いた。
「んじゃ、行くで、赤城?」
「え、えぇ」
龍驤は自分より遥かに大柄の赤城の腕を担ぎ、彼女を引きずるように連れ出し、食堂を後にした。
「龍驤さん…」
祥鳳が閉められた扉を見ながら寂しそうに呟いた。
「…祥鳳は本当に龍驤がLoveネ!」
うたた寝から目覚めた金剛がそっと呟いた。
「い、いえ…! そ、そんなことないです!」
「んまー、ウチの師匠は面倒見いいからねー。懐いちゃうのもわかるよー」
「ちっ、違います! たっ、確かに尊敬はしてますけど…!」
祥鳳は顔を赤くして否定したが、師に対する愛情は隠せてはいなかった。
そもそも、先ほど嬉しそうに龍驤に飛びついた時点で明らかなのに何故今になって照れてるのか。
祥鳳の子どもっぽい一面が金剛には可愛らしく思えた。
隼鷹もまた、照れてもじもじとする先輩をにやにやした表情で見つめた。
一方で、飛鷹は祥鳳達から目を逸らし、日本酒をちびちびと口にしていた。
龍驤は戦友を引っ張り部屋へと運んでいた。火照った身体の彼女にとって、ひんやりした廊下の空気は心地よく感じられた。
「ごめんなさい、龍驤さん…。情けないところを見せてしまって」
廊下を引っ張られながら赤城は呟いた。
「ええて、ええて。ウチら、同じ釜の飯を食うた仲やろ? 困った時はお互い様や。なっ?」
「・・・ありがとう、ございます・・・」
赤城の瞳が荒れ狂う海のように濡れ、雫となって龍驤の肌にこぼれ落ちたが、龍驤は知らないふりをした。
赤城は他人に情けない姿や弱みを見せることを「誇りが傷つく」と嫌っている。
彼女を酒の席から連れ出したのも、龍驤なりの思いやりだった。
何より、内心ライバルと思い対抗心を燃やしていた戦友がこんな無様な面をさらけ出すのが耐えられなかった。
「赤城。今は辛いけど耐えるんや。耐えてくれや…。あんたのためにも、あの子らのためにも…」
祈るように、励ますように、龍驤はそっと呟いた。
一方、残された祥鳳達は未だ雑談を続けていた。
と言っても比叡と金剛は日頃の疲れが溜まっていたせいか、既にテーブルの上で盛大ないびきをかいて寝てしまっており、今起きているのは隼鷹と飛鷹、そして祥鳳のみだった。
「そう言えば・・・隼鷹さん」
「ヒャハ?」
真っ赤になった隼鷹が間抜けな声を上げた。
「龍驤さんから聞いてたけど、あんまり暴れすぎちゃダメよ」
「あっちゃー…」
隼鷹は苦笑しつつ天を仰いだ。
「艦娘にセクハラした診察医を一升瓶で叩いて半殺しにしたって…」
「アハハ…。気が付いたら夢中になっちゃって…」
「気持ちはわかるけどやりすぎよ。下手したら海じゃなくて陸で轟沈する羽目になってたのよ?」
「いやー、飛鷹にあんなことされちゃあ黙ってらんないからねー!
んまぁ、艦載機に盗聴器とカメラ持たせといたし、龍驤先輩のおかげで最悪の処分は免れたんだけどねっ。ひひっ…」
あまり反省の色を見せない隼鷹に呆れ、祥鳳は溜息を吐いた。とは言え、彼女もそれ以上責めることはなかった。
寧ろ、内心では密かに賞賛してすらいた。
艦娘はその美しく華麗な活躍から、一般層から鎮守府の職員に至るまで、幅広い層のファンが存在している。
当然、そうした者の一部には心無い言動や下劣な欲情に駆られる者などが出てきてしまう。
横須賀鎮守府の発足直後は、祥鳳たちも整備と称して不必要に体に触ってくる者やしつこく付きまとってくる者、変な物体の入ったプレゼントを贈ってくる者などに苦しめられた時期があった。
もっとも、そうした輩は例外なく鬼の形相をした伊吹提督によって『過剰な制裁』を受け、それ以降は横須賀鎮守府の一般職員もごく一部を除き女性限定となり、横須賀鎮守府におけるセクハラ被害は撲滅された。
那珂が毎度毎度、「贈り物は鎮守府を通してね!」とファンに対して呼びかけるのも、こうしたトラブルを防ぐための対策として伊吹が指示したためである。
だが、完全に上手くいったのは横須賀鎮守府のみの話である。
他の鎮守府では大なり小なりセクハラ問題が起きているし、挙句「大本営のお偉いさんと寝た」などと根も葉もない恥辱的な噂を流されたことで精神を病んで戦えなくなった艦娘もいるという噂を祥鳳は耳にしていた。
確かに隼鷹の行動は法的に許されるものではないだろう。だが、彼女が敢えて自らの手を汚したのも仲間への思いやりがあってのことだ。
その優しさと行動力に祥鳳は内心敬意を抱いていた。
「な、何勝手なことばっかり言ってんのよ…!」
突如、黙ってうたた寝しかけていた飛鷹が飛び起きて噛み付いた。
「あんなの、あんたの力なんか借りなくても、合法的に叩き潰してやったわよ!」
「とーか言って、ホントは嬉しかったんだろ? な、飛鷹ちゃん?」
「べっ、別に嬉しくなんかないわよ! 余計なことばっかり!」
「あー、もう素直じゃないなー! いずもお嬢様は」
「やっ、やめなさいよその呼び名!」
わーわーと騒ぎ出した二人を祥鳳はじっと見守った。
この二人は喧嘩ばっかりだけど、どこかお互いに気遣ってるようにも見える。
「そう言えば、あなた達は姉妹なの?」
「そうよ、私達は飛鷹型の艤装。隼鷹とは双子の姉妹。もっとも、こんなアル中女、妹とは思いたくないですけど!」
「はは。まぁ、こんなこと言ってるけど、あたしと飛鷹は大の仲良しだから」
「あんたが勝手にそう思ってるだけでしょ。なんで家がなくなってからもあんたと一緒なのよ…?」
「そっか・・・。あなた達も、深海棲艦に・・・」
「えぇ…。四年前の第二次大量襲撃で・・・、海運事業の重役だった父と母が船ごと…」
暫く三人の間に沈黙が流れた。
「まー、確かにあたしら深海棲艦に親ぶっ殺されて、
悪知恵だけは働くブタ野郎に家も財産も騙し取られて、お嬢様から無一文になっちゃったけどさ」
隼鷹は飛鷹の肩を抱き、頬ずりした。
「あたしが残ったんだからさー、いいじゃないの。なっ?」
「やっ、やめなさいよ、馴れ馴れしいわね!」
飛鷹は鬱陶しそうに双子の妹を払い除け、ぷいと横を向いた。
「そう、貴方達も大変だったのね…」
祥鳳は静かに言った。
一方で、自分と違って姉妹一緒にいられた二人を少し羨ましくも思う気持ちも湧いてきた。
いいな、このふたりは。
「隼鷹さん、飛鷹さん。まだ慣れないこともあるでしょうけど、ここに来た子はみんな家族みたいなものよ。
だから、安心して?」
「ちがうっ!」
再び飛鷹は怒鳴った。
「私の帰る場所は、私の本当の家は、サンフランシスコにある白い家よ! こんな所にいつまでも・・・」
「あー、ごめん先輩。飛鷹が失礼なこと言っちゃって…」
面食らって黙ってしまった祥鳳に、慌てて隼鷹がフォローを入れた。
「戦果さえ挙げれば! 戦果さえ挙げれば…。こんなところに…。いつまでも…。いるひつようは・・・」
酔いと疲れが眠気を誘ったのか、それ以上飛鷹は言葉を紡げなくなり、目と口を閉じてしまった。
「飛鷹はさ、戦果を挙げれば、給料も上がると思い込んでんだよ。
それでお金貯めて、一刻も早く家を買い戻そうって・・・」
「確かに戦果が多ければ多少は上がるけど…」
祥鳳は顔を曇らせた。危険な仕事にも関わらず、艦娘の給料はそこまで高くはない。
衣食住は無料で享受できる―鎮守府内の寮で生活する場合に限るが―ものの、
それを差し引いても一ヶ月あたり20万円前後の手当が標準であり、ボーナスもよほどの戦果を上げない限り数万円前後しか捻出されない。
護衛に失敗した時は減給もあり、命懸けで戦う割にはあまりに薄給であった。
祥鳳はあまり趣味や贅沢をするタイプではなかったので、
艦娘としての戦いが終わった将来に備えて貯金をしているが、それなりに貯金はあれど土地を購入するだけの財産など遠い夢でしかない。
もちろん貯金を行わない艦娘も多い。金剛は紅茶にこだわりがあり、如月も化粧品などには気を遣う。
那珂に至ってはステージの使用費やCD製作の代金などを全て自腹で賄うばかりか、
時には自分たちと同じ境遇の孤児達のため身銭を切って給料を募金することもあり、殆ど貯金らしい貯金をしていない。
そんなことを続けているため、彼女の将来を心配した姉二人に叱られる場面も祥鳳は度々見かけていた。
「お金を貯めるのも、どのくらいかかるかわからないわよ…」
「まぁ、それでも飛鷹は止めらんないよ。この子にとって、あそこはなんとしても帰らなきゃならないからね」
双子の姉に苦笑しつつも、隼鷹は自分の上着を脱いで毛布がわりに彼女へ着せた。
「…んまぁ、ちょっと生意気だけどさ。この子、ホントは臆病で、寂しがり屋だから」
「そうみたいね」
「だから飛鷹のこと…、あたし共々よろしくお願いしますわ。先輩ッ!」
隼鷹は先ほどとは打って変わって、かしこまって頭を下げた。
祥鳳は少し困ったように微笑んだが、すぐに首を縦に振った。
飛鷹は丸いアーチを描いた大きな門の前に立っていた。
なぜこんな所にいるのか不思議に思いながら、彼女は門を開けた。
そこには懐かしい光景が広がった。
白く大きな二階建ての家。広い緑の芝生が生えた庭。桃色の花が咲いた庭の木。
煌びやかな天井のシャンデリア、白く清潔な内装と広いロビー。
ロビーに並べられた、数々の美しい鷹の絵画や彫像。
まるで教会のようなステンドグラスの窓。赤いカーテン。
そうよ、ここが私の家よ。
妹と背比べをした柱もある。ふたりで遊び回った二階の部屋もちゃんとある。パーティ会場になった一階のロビーだってこの通り。
そうだ。私は帰ってきたんだ。帰ってきたんだ。
「あら、お嬢様。お帰りなさいませ」
シワだらけの顔の、優しいお手伝いのおばさんがお辞儀してくれた。
そっか、帰ってきたんだ。私は家に帰ってきたんだ。
ロビーに設けられた大きな階段から、高級なスーツを着た紳士と和装の美女が降りてきた。
父さん、母さんだ。
「おかえりなさい、いずも。そろそろ夕飯ですよ?」
「おかえり、いずも。今日は久々に家族全員揃ったんだ。ゆっくり食事を楽しもう」
そして階段の横には、ドレスを着た妹がにやりと笑って立っていた。
そっか。私が艦娘になって戦うなんて悪い夢だったんだ。
父さんも母さんも生きている。家も無事だ。双子の妹もいる。
もう悪い夢は終わったんだ。
私は家に帰ってきたんだ。
「ただいま戻りました。お父様、お母様」
飛鷹の瞳から、涙が溢れた。
だがその暖かな家は既に思い出の中の幻に過ぎなかった。
飛鷹が目を開けると、そこは冷たいテーブルの上だった。
隣では隼鷹が涎を垂らしながら毛布に包まり眠っていた。
「夢、よね…」
甘美な夢が現実の苦味をより強める。
そう、これが現実。
両親も家も財産も何もかも失い、艤装とかいう訳のわからないものに選ばれたという理由だけで、私は戦場に身を置くことになってしまった。
「大丈夫、部屋に戻れる?」
最後まで起きていた祥鳳が声をかけた。
「だ、大丈夫です。もうほっといてください…!」
「あっ、飛鷹さん…!」
飛鷹は目に涙を浮かべ、自身の部屋へと戻った。
その翌朝、龍驤は直ぐ様呉鎮守府への帰還準備を始めた。
「もう帰っちゃうんですか? 私、もっとお話したかったのに…」
祥鳳は残念そうに肩を落とした。
「んんー。あんまり呉を空けといちゃうと危ないやろ? 堪忍な?」
「…はい」
祥鳳は拗ねた子どものような返事をした。
「あっ…。高速戦艦のおふたり。ちょっち耳貸しとくれる?」
「What?」
「はい、お呼びになりましたでしょうか?」
金剛と比叡は手招きされ、腰を落とした。二人が近づくと、他の子に聞こえないよう小声で龍驤は話し始めた。
「ウチの弟子達のこと…。それから、祥鳳のこと、よろしゅう頼みますわ。
明るく振舞っとるけど、ホンマは今にも折れそうな脆い子たちやから。ちょっち気にかけてやってや…」
「All right! 祥鳳たちのことは、私達におまかせくだサーイ!」
「気合! 入れて! 気にかけます!」
「あっかーん!? そこで言うてまってどうすんねん?」
金剛と比叡がうっかり大声で言ってしまい、龍驤は思わず突っ込んだ。そんな先輩に対し、祥鳳達は首をかしげた。
「…龍驤先輩、どんなお話をされてたんですか?」
「えーと、それはね…。あ! そうや祥鳳ちゃん。これ餞別や。大事に使ってやってや」
龍驤は懐からある式神を取り出し、祥鳳の右手にそっと置いた。
青い炎をに包まれた式神は直ぐ様緑色の戦闘機と変わり、すぐ一瞬の後に式神の姿へと戻った。
「え、これって・・・。零式艦戦52型・・・!?」
その艦載機は比較的珍しいタイプのもので、それらを所有している者は正規空母や龍驤など主力となる艦娘のみだった。
祥鳳や飛鷹ら軽空母の艦娘にはそこまで配備が行き届いてはおらず、九九艦爆や九七式艦攻、九六式艦戦など、所謂旧式の艦載機ばかりであった。
「いざって時に役に立つで。使ってやってや」
「ありがとうございます! 私、嬉しい! これなら絶対に負けません!」
少し前とは打って変わって、祥鳳は可愛らしい笑顔で喜んだ。龍驤も微笑み、自分より背の高い後輩の肩をポンと叩いた。
「よっしぁ。がんばれや祥鳳ちゃん! あと、飛鷹と隼鷹のこと、よろしく頼むね!」
「はい! 龍驤先輩もお元気で!」
「おう、じゃあまたね!」
龍驤はいつまでも自分に手を振る後輩に見送られ、横須賀鎮守府を後にした。
こうして隼鷹と飛鷹の横須賀鎮守府での新たな生活が始まった。
だが、此処では艦娘が炊事洗濯掃除を自ら行なうとは聞いていたが、まさか着任早々いきなり昼食当番を任されるとは二人とも予想外だった。
調理場に入ると、飛鷹は食堂の調理場に緩い雰囲気をまとったエプロン姿の少女がいるのに気付いた。
「あ、お二人が新しく着任された軽空母の隼鷹さんと飛鷹さんですね。祥鳳お姉ちゃんから話は伺ってます!」
「祥鳳…お姉ちゃん? あなた、あの人の妹なの…?」
長い髪を結いながら飛鷹が尋ねると、大鯨は静かに首を振った。
「私は『妹分』です。でも祥鳳お姉ちゃんのこと、本当のお姉ちゃんみたいに思ってますから」
「そう…」
飛鷹はそれ以上何も聞かなかった。血の繋がりがない艦娘がお互いを義理の姉妹のように思う例は珍しくはない。
呉鎮守府にも巻雲と秋雲という子がいたが、随分仲が良く本当の姉妹のようだった。もっとも、巻雲は秋雲に振り回されてばっかりだったが。
「それじゃあ、お二人にはお昼ご飯をお願いしますね。今日はシチューですから」
「えぇ。任せといて」
飛鷹は次々と人参や玉ねぎの調理を開始した。作業自体は単純だが、さすがに大人数の分を切るのは骨が折れる。
この大鯨って子、いつも調理を担当してるようだけど、実は結構凄いんじゃないかしら。
飛鷹は鯨のエプロンを纏った少女に対し、密かに尊敬の念を抱いた。
同じく隣で料理を手伝っていた、ふらふらした手つきの隼鷹をちらりと見た。
この子は暇さえあればお酒ばかり飲んで、そのくせ要領だけは人一倍いい。
しかも人当たりがいいから、酒癖が悪くてても結局隼鷹を慕う仲間は多い。既に大鯨とも呉鎮守府の食堂に関する雑談で盛り上がり始めている。
常に尖った女という印象を持たれ、どこか人に避けられがちな自分とは正反対。
そんな妹に少しむっときたが、顔には出さず目の前の野菜を切ることに集中した。
「あら、上手ね飛鷹さん」
厨房を見に来た祥鳳は、手馴れた手つきで野菜を切ってゆく後輩に感心した。
元令嬢と聞いたから家事はできないのかもしれないと思っていたが、杞憂だったようだ。
「べ、別にこれくらい・・・。嗜みです」
「でも飛鷹さー。龍驤先輩に教えられたときは最初ぜんっぜんできなくて、半泣きだったよねー」
「な・・・! よっ、余計なこと言わないでよバカ!」
飛鷹は顔を真っ赤にして怒り出した。
そんな二人のやり取りに、思わず祥鳳と大鯨はくすりと笑ってしまった。
「まぁまぁ、私も最初ぜんぜんできなかったわよ」
「そ、そうですよ。私も最初はヘタクソでしたから」
大鯨も横からフォローを入れた。
そういえば、昔は私も全然できなくて、龍驤先輩に呆れられてばっかりだったな。
祥鳳の脳裏にふと懐かしい想い出が浮かんだ。今度は私が先輩なんだよね。頑張って二人を支えてあげないと。
「うっし。こっちは野菜切り終わったぜー」
「は~い。それじゃあ、こちらもお願いしますねー」
「うげっ? まーだあんのかよ…」
「はい、まだまだたくさんあります!」
他の用事を済ますため厨房を出た祥鳳の耳に、隼鷹と大鯨の会話する声が届いた。
それから一時間ほどかけて、飛鷹と隼鷹はキュウリのサラダとクリームシチューの用意を終えた。
ふんわりとしたミルクの匂いが食堂全体に広がった。
「大鯨おねえちゃん! 今日のごはんはな~に?」
その匂いを嗅ぎつけたのか、はたまた昼の時間を待ちかねたのか、幼い少女達が食堂へと駆け込んできた。
「あっ、新しい空母のお姉ちゃん達ね! 私は暁よ! 一人前のレディーとして扱ってよね!」
「おう、昨日龍驤先輩と遊んでたちびっ子達だね! あたしは隼鷹。よっろしく~!」
「響です。よろしくお願いします」
「雷よ! わからないことがあったら、私に頼ってくださいね!」
「はわわ…。い、電です。よ、よろしくお願いします、なのです」
「飛鷹よ。昨日、自己紹介したとは思うけど、改めて、よろしくね」
電達は行儀よくお辞儀すると、暁がいち早く席に座ろうと駆け出した。
「よっし! 一番早く座った子が今日のシチューのおかわりをゲットできるわよ!」
「はわわ! ま、待って欲しいです!」
「こら~! 食堂で走っちゃダメでしょ!」
大鯨が注意するが、元気いっぱいの幼子達は聞く耳を持たなかった。暁と雷は我さきにとテーブルに向かって走り出した。
二人の姉に遅れを取るまいと電も走ろうとしたが、足がもたついて転んでしまった。
「あいて!」
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
飛鷹が血相を変えて転んだ電のもとに駆け寄った。
「へ、平気なのです…。いつもよくぶつかったり転んだりしてるので…」
「ほら、立てる? 擦りむいたりしていない?」
飛鷹は膝まづき、そっと手を差し伸べた。
「は、はい…。大丈夫なのです」
飛鷹の手を取り、電はすっと立ち上がった。
「ありがとうございます、飛鷹お姉ちゃんは優しいんですね!」
「べっ、別に気にしなくていいわよ。これくらい当然よ」
「あ~、飛鷹ってば照れてる照れてる! か~わいい!」
「なっ・・・! 隼鷹は黙ってて! ほ、ほら、さっさと席に着くわよ。電ちゃん!」
「は、はいなのです!」
飛鷹は顔を赤くし、電を連れて席へと着いた。
一方、一番早く着席していた暁は目を丸くしていた。
「な、なんというレディーなの飛鷹さん…」
「ふふ、暁にライバル出現だね」
響が隣から口を挟んだ。
「ふ、ふん! 暁はもう立派なレディーだもん!」
「あら? 立派なレディーは食堂で走ったりしないものよね?」
暁が後ろを振り向くと、祥鳳が立っていた。だが、その表情は笑顔でも目は笑っていない。
暁達の行動の一部始終を、しっかりと彼女は見ていたのだ。
「し、祥鳳お姉ちゃん…?」
「暁、雷。どうして食堂で走ったりなんかしたのかしら…?」
「う、うぅ…。ご、ごめんなさい・・・」
昼食の間、二人が祥鳳にこってりと絞られたのは言うまでもない。
午後三時頃、祥鳳は伊吹の命令を受け、隼鷹と飛鷹を引き連れて哨戒任務に就いた。
もっとも飛鷹達の艤装は速度の出ない低速型のため、祥鳳は二人に合わせて、いつもより速度を落としながら移動していた。
三人は東京湾沖を通り抜け、千葉県南端周辺の海域まで来ていた。
「飛鷹さん、偵察機を出してもらえる?」
「えぇ」
「お安い御用さ。者ども、出てこーい!」
飛鷹と隼鷹は龍驤と同じ手法で艦載機を飛ばす艦娘だった。
二人は左手に握っていた巻物をさっと広げ、その右手に「勅令」の字が宿った薄い朱色の炎を点した。
左手の巻物は飛行甲板となり、その甲板に沿って右手の火を滑らせると、火が点った艦載機達が次々と発艦して海原へと飛び立った。
九六式艦戦、九九式艦爆、九七式艦攻と、祥鳳の操る艦載機より種類が多く、また手数も多彩だった。
「ふふっ。どう? 私達だって新人だけど、結構やれるでしょ? 祥鳳さん?」
「えぇ」
だが、祥鳳はすぐに飛鷹達の艦載機の弱点に気付いた。
飛鷹も隼鷹も艦載機こそきちんと発艦こそ可能なものの、まだ艦載機自体を動かす練度自体は高くない。
その証拠に艦載機の統率は十分に取れているとは言えず、どこか乱れた隊列で空を進んでいた。
それに加えて、巻物と式神を開く時に隙が大きい。これでは狙い撃ちされる危険もある。
ここは三人の艦載機を固まって進ませ、二人をサポートしながら進んだ方がいい。
祥鳳は一度艦載機を戻すよう指示を出そうとしたが、「北西に戦艦ル級発見! 700m先に3体います!」と、飛鷹の突然の報告に遮られた。
「こっちにもいるぜ。東北東500m先に駆逐ニ級6体に軽巡ト級が2体、軽空母ヌ級も2体いらぁ!」
「なんですって!?」
ここ数ヶ月の間、横須賀周辺ばかりに強力な深海棲艦が出現している気がする。しかもル級のような強力な個体ばかり。
ここ二三年の場合ならば、ル級が出現することすら珍しいというのに。
祥鳳には、深海棲艦の襲撃に何か意図があるように思えた。
力を測るための威力偵察? 金剛さん達のような強力な艦娘を一刻も早く叩くため? あるいはその両方?
遠くから近づいてくる影が目に入り、祥鳳は我に帰った。今は目の前の敵を倒すことに集中しないと。
「二人とも、私の近くに固まって。隼鷹さんは、まず東北東の敵をお願い。飛鷹さんは、私の援護に回って」
「えぇ」
「はいよ!」
祥鳳は矢を番え、次々と撃ちだした。空に放たれた矢が燃え、艦載機となって次々と敵艦隊へ向かった。
「お願い、九七式艦攻!」
祥鳳はまず九七式艦攻をル級の群れへと向かわせた。艦載機は艤装を通して空母の指令を伝達させ、逆に艦娘側も艦載機の目にした情報を艤装を通して得ることが可能だった。
此方に気付いたル級が対空射撃を放つが、祥鳳の九七式艦攻の殆どがそれを軽々と躱してしまった。練度の高い彼女の艦載機は隊列を乱
さず、最小限の動作で敵の攻撃を避け、雷撃をル級に浴びせた。
手ごたえあり。艦載機から伝わってきた感触を受け、祥鳳は満足げに微笑んだ。ル級一体は見事に雷撃が急所へ命中し、撃沈に成功した。
残り二体は小破しただけだったが、此方にはまだ九九艦爆もいるし、仲間達もいる。戦力としてはどうにかなるはずだ。
「戦艦ル級を1体、撃沈しました!」
「ひゅ~、さっすが先輩! やるね~♪」
「隼鷹さん、そっちの敵に集中して! 今そちらにも援護を送ります! 飛鷹さんはル級に次の攻撃を!」
「えぇ!」
「よっしゃ~! 者ども、かかれ~! ヒャッハー!」
軽快な掛け声と共に、隼鷹の艦載機達が突撃を開始した。九六式艦戦、九九式艦爆、九七式艦攻が、やや荒っぽい飛び方で深海棲艦の群れへと襲いかかった。
だが、不気味な口に手足の生えた姿のヌ級は彼女の艦載機に対抗する戦力を保有していた。
ヌ級が口から放った黒い敵艦載機が飛び上がり、隼鷹の艦載機達を迎撃した。
「やっべ・・・!」
隼鷹の顔に冷や汗が走る。
彼女の艦載機のうち約半数があっさりと撃ち落とされてしまった。残りの半数はなんとか雷撃と爆撃でニ級5体の撃沈に成功したものの、軽巡ト級は中破、ヌ級は小破止まりだった。
「まずいわね…。飛鷹さん、とりあえず、そちらを任せていい? すぐ援軍を送るから」
「えぇ!」
祥鳳は頷き、懐と背中に備えていた残りの艦載機を発進させた。
彼女の懐には龍驤に貰った零式艦戦52型の式神もあったが、今はまだ遣う時ではないと懐に留め、九九艦爆を隼鷹の援護へと向かわせた。
一方、飛鷹は二度目の攻撃を行なっていた。
ル級の対空射撃はヌ級の艦載機ほど脅威ではなく、艦載機はそれほど撃ち落とされてはいなかった。
飛鷹の九九艦爆と九七式艦攻が祥鳳の艦載機と共に一気に襲いかかり、爆撃の嵐が降り注いだ。
装甲や腕が派手に弾け飛び、ル級二体は大破にまで追い込まれた。
「よしっ!」
飛鷹は手応えを感じて拳を握った。
続いて、祥鳳が飛鷹の側に放った九七式艦攻が魚雷を放ち、ル級に命中した。ル級はそのまま撃沈し、海の底へと消えていった。
同時に東北東の敵に対して向かった祥鳳の残りの艦載機も隼鷹のものと合流しようとしていた。
黒い敵機が彼女の九七式艦攻と九九艦爆に機銃を放ってきたが、残っていた九六式艦戦が黒い怪物を撃ち落とし、その窮地を救った。
「ありがとう、隼鷹さん!」
「おたがい様だよ、ひひっ」
祥鳳は九九艦爆を向かわせ、敵機の間隙を縫ってヌ級へと爆撃を放った。同時に九七式艦攻が雷撃を放ち、無傷のままだったト級を撃沈
した。
「ふぅ…」
三人は残存した艦載機を回収し、一息ついた。だが、飛鷹だけは艦載機を戻さずに前へと進み始めた。
「あっ、飛鷹さん!」
「さぁ、奴等にトドメを刺しましょう! 戦果を挙げるチャンスよ!」
飛鷹は大破して動けなくなっているル級めがけて進み始めた。
「待って、あまり突出すると危険だわ!」
だが、飛鷹は聞く耳を持たなかった。
「おい飛鷹ってばー! とりあえず大破させたんだしもう帰ろーぜ!」
隼鷹と祥鳳が突っ走るお嬢様を追いかけた。
ふと、隼鷹は揺れ動く波間に光る何かを発見した。潜水ヨ級の緑色の瞳だった。
波間に潜んでいた海魔は、攻撃を開始しようとしていた飛鷹へ向けられていた。
「飛鷹!」
隼鷹は最高速度で駆け出し、飛鷹の前に仁王立ちになった。
焼けるような感触と衝撃を受け、隼鷹の目の前は真っ暗になった。
隼鷹は、自分が生暖かいお湯の感触に包まれていることに気付いた。
「ひゃは? ここどこ・・・?」
海にいたはずなんだけど、昨日飲みすぎて倒れちまったのかな?
あれ、今あたし服着てない? やだ、素っ裸じゃん。
いや待てよ、あたしもいくら酔っ払っても素っ裸になるほどおバカじゃないはずだ。
まさかあたし、風呂で飲んじまってそのまま寝ちまったのかな?
「隼鷹さん、気がついた?」
目を覚ますと、そこには髪の長い女性ふたりがいた。
一人は白い割烹着を着た祥鳳、もう一人は彼女のよく見知った双子の姉だった。
「飛鷹?」
その瞳は潤んでいた。
「隼鷹…! なんであんなことしたのよ! 答えなさい!」
「あぁ…、アレね」
そうだった。
あの時、飛鷹が魚雷で狙われていた。あたしがあんたを庇って、魚雷で吹っ飛ばされたんだっけ。
「このバカ! あんたに守ってもらわなくたって私は大丈夫よ! なんで死にかけたりなんかすんのよ!」
「だ、だってさ…」
「だいたいあなたはいつもそうなのよ! 人の気持ちも知らないでひとりで勝手なことばっかりして!
あなたまでいなくなったら…、私…!」
その言葉は途切れ、飛鷹の口から嗚咽が漏れた。
「家を取り戻したって・・・、あなたがいてくれなきゃ、意味ないでしょうが・・・!」
そこから言葉にならなかった。大粒の涙を零し、飛鷹は隼鷹を抱きしめた。
「ご、ごめん・・・」
祥鳳は大きなため息をついた。
「とにかく、今はお風呂で安静にしていて。提督には私から報告しておくわ。飛鷹さん、後はよろしく頼むわね」
そう言い残すと、祥鳳は静かに浴場から出て行った。
しばらくの間、飛鷹はお湯でびしょ濡れになるにも厭わず、ぼろぼろと泣きながら隼鷹を抱きしめ続けた。
「ご~めん。ごめん飛鷹~。あたしが悪かったって。とりあえずさ、もう泣き止もう、なっ?」
隼鷹は何とか泣き止ませようと双子の姉の背中を撫でた。
「わ、分かればいいのよバカ…」
飛鷹もようやく落ち着いたのか、妹から離れ、涙と鼻水を袖で拭った。
「ま、まぁ、私だって焦って突っ走っちゃったことは反省してるわ。あのあと赤城さんや提督にだいぶ叱られたし…」
「まぁ飛鷹って、一度集中すると前が見えなくなるタイプだからねぇ…。あたしがサポートしてやんなきゃダメだし・・・」
「…そうね。私、焦ってたわ。ごめん・・・」
「ホント、マジでそう。飛鷹はいつもそうだもんな…。ったく、世話が焼けるよ」
暫く、二人は黙ったままだった。
「そろそろ、戻るわね。傷が治る頃にはまた来るから」
「…あたしがいなくて大丈夫?」
「あんたこそ」
「何かあったら、来てくれるんだろ?」
飛鷹は何も言わず、微笑んで頷いた。
隼鷹もにやっと笑い、お湯に包まれゆっくりと瞼を閉じた。
飛鷹が浴場を出ると、廊下には浮かない顔をした祥鳳が待っていた。
「な、なんですか…?」
また説教されるのかと思い、飛鷹は身構えた。
だが、彼女は自分の目を疑った。
「ごめんなさい、隼鷹さんに怪我をさせてしまって」
祥鳳は深々と頭を下げ、飛鷹に詫びた。
「ま、待ってください。隼鷹が怪我したのは私のせいで…」
「それでも、私は旗艦として貴方を止めるべき立場にあったわ。私の責任よ」
「や、やめてください…。なんか、責められているみたいで余計に嫌です…」
そう言われて祥鳳はようやく頭を上げた。
「ご、ごめんなさい」
「私こそ、謝らせてください。戦果を焦って、みんなに迷惑かけちゃいました」
飛鷹も先輩と同じように頭を下げた。
祥鳳は少し戸惑ったが、そんな飛鷹を見て気付いた。
少しとっつき難い所もあるけど、この子も隼鷹さんと同じなんだ。素直で心優しい、軽空母の艦娘なんだ。
祥鳳は飛鷹の肩を優しく触れた。
「大丈夫。これからやり直していけばいいわ。一緒にがんばりましょう、みんなで。さっ、頭を上げて」
「はい…!」
そう言われて飛鷹もようやく頭を上げた。
そして二人は見つめ合い、にっこりと微笑んだ。
翌朝の午前10時頃だった。
高速修復剤で傷を癒し、風呂から出た隼鷹は医務室のベッドで眠っていた。
一晩中妹の看病をしていた飛鷹は椅子の上でうたた寝していたが、鎮守府中に発せられたサイレンと夕張の放送で目を覚ました。
『深海棲艦、再び発生しました! タ級が3体にヲ級3体! 場所は…』
「ったく、次から次へと、ゴキブリみたいね…!」
飛鷹は毒づきながら、隼鷹が病床から起き上がろうとしているのに気付いた。
「隼鷹、あんたは寝てなさい」
「ひゃは?」
「たまには私に頼りなさいな、このアル中女」
「はいはい。んじゃ、お言葉に甘えてぐっすりぽんさせてもらうよ」
隼鷹は再び横になり、布団を被った。
「飛鷹」
「なによ」
病室を出ようとした飛鷹が隼鷹に呼ばれ振り返ると、妹は少し寂しげな表情をしていた。
「お願いだから…、あたしより先に沈まないでよね」
「誰があんたなんかより先に沈むもんですか」
「言ってくれるねぇ、ひひっ」
隼鷹はふっと微笑んだ。飛鷹も笑い返し、医務室から執務室へと早歩きで向かった。
扉を閉め、執務室に行こうとしていた飛鷹は廊下で電と鉢合わせた。
「こ、これから出撃なのですか…?」
「えぇ、行ってくるわ」
「気をつけてなのです、飛鷹お姉ちゃん」
「えぇ。…って、お、お姉ちゃん…?」
飛鷹は思わず自分の耳を疑い、電の方を向いた。
「へ? 電、何か変なこと言っちゃいましたか?」
「…ううん、なんでもない。必ず帰ってくるから、心配しないで」
「なのです!」
飛鷹は電に見送られ、執務室へと走っていった。
飛鷹が執務室に入ると、既に金剛と比叡、そして球磨と多摩がいた。
「飛鷹さん」
飛鷹が立っていた。
「私も連れて行ってください」
「大丈夫なの?」
祥鳳に問われると、飛鷹は黙って首を縦に振った。
「提督、お願いします。飛鷹さんも編成に加えてください!」
「勿論、そのつもりだ。飛鷹、頼むぞ」
「はい!」
飛鷹は敬礼して頷いた。
「よし! 金剛、比叡、飛鷹、祥鳳、球磨、多摩! 出撃せよ!」
「はい!」
六人は直ぐ様港へ向かい、艤装を装着して海原へと駆け出した。
誰かが医務室の扉を叩いた。誰だろうと隼鷹は思った。
「どうぞ」
「隼鷹、具合はどうかね?」
隼鷹が目にしたのは伊吹だった。
「なんだ、提督かよ。あたしの見舞いに来る暇があんなら、艦載機の整備でも手伝ってくんない?」
「私もそうしたいところだが、あいにく艤装の整備はできないのでね」
「まっ、そう言うと思ったけどさ」
伊吹は苦笑し椅子に腰掛けた。
「飛鷹、大丈夫かな。あの子危なかっしいから、あたしが付いていないとヤバそうだし…」
「大丈夫さ。君も彼女も、強く優しく美しい、立派な艦娘だ。違うかね?」
隼鷹はぽかんとした表情を浮かべた。
「へへっ。褒めすぎだぜ、提督」
隼鷹は鼻を擦り、照れくさそうに笑った。
「君は安心して休んでいろ。大丈夫だ、すぐに飛鷹も無事戻ってくる」
「へーい」
隼鷹はベッドの上から気怠そうに返事をした。
伊吹もその様子を見て安心したのか、すぐに椅子を立ち、部屋を出ようとした。
「おっと」
ふと、伊吹が振り返った。
「言い忘れたが、くれぐれも全快するまで酒は控えるように。これは命令だ。いいな?」
「へ、へーい…」
バレたか。隼鷹は懐の――飛鷹に頼んで買ってもらった――清酒入りの小瓶を渋々伊吹へと投げ渡した。
その頃、飛鷹は金剛達と共に戦艦タ級の部隊めがけて前進していた。
ヲ級やタ級に加え、駆逐ニ級が十二体護衛についており、形勢は圧倒的に不利だった。
「まったく、なんで最近はこう敵がやたらと多く出てくるクマ…?」
「球磨姉、ちゃんと前を見るにゃ。今回はちょっと危ないにゃ」
二人が愚痴っていると、北北西から宙をつんざく音と共に敵艦載機が出現した。
先に此方の位置を捕捉していたのは向こう側だったのだ。
約2km先にいるヲ級三体は不気味な呪文を詠唱し、
頭にかぶった帽子のような巨大な口から、海の底から、次々と艦載機を繰り出してきた。
「まずいクマ、みんなよけろクマ!」
「にゃーー!!」
艦載機は次々と艦娘達めがけて雷撃と爆撃を放ってきた。不意を突かれた艦娘達は陣形を崩され、散り散りにされてしまった。
そして、艦載機の群れは、爆撃で他の者から離れて孤立した飛鷹を発見した。動きが鈍い軽空母は攻撃目標としては絶好の標的だった。
「くっ…!」
「飛鷹さん、危ない!」
この間合いじゃ艦載機を放つには時間がかかりすぎる。
まずい、やられる・・・! 飛鷹は猛爆撃の嵐を予感し、身構えてしまった。
「No! やらせはシマセーン!」
だが、飛鷹は無事だった。
「金剛さん、比叡さん!」
金剛と比叡が飛びかかり、飛鷹を狙おうとした艦載機に体当たりして叩き潰してしまった。
二人の防御壁にはヒビが入り小破したが、艤装自体には大した損傷は見られず、まだ戦えるように見えた。
「No problem! Body Guardは任せてくだサーイ!」
「仲間は、絶対に、守ります!」
煤だらけになりながら、金剛と比叡はニッと笑った。
「そうよ、あなたも私もひとりじゃない。同じ艦娘という仲間が、家族がいるわ」
隣には、何とか爆撃を掻い潜って飛鷹の隣に戻ってきた祥鳳もいた。
「家族、私の…、家族…」
「私達はみんな傷を負った者どうし。でも、だからこそみんなで助け合い、進んでゆくの。みんなで、一緒に」
「祥鳳さん…」
飛鷹の目が潤んだ。
そうか、私は家も家族も失ったわけじゃない。
私の家は、ここにあったんだ。
「一緒に戦いましょう。仲間のために、家族のために」
飛鷹は黙って頷いた。
「行きますよ、飛鷹さん」
「えぇ!」
飛鷹は指に炎を宿し、祥鳳は矢を番えた。
「さぁ! この飛鷹の力、見せてあげるわ!」
「艦載機のみんな、お願い!」
祥鳳の矢が艦載機の姿へと変わり、飛鷹の巻物から次々と艦載機達が浮かび上がり、空へ舞い上がった。
飛鷹の九六式艦戦は祥鳳の九九艦爆と九七式艦攻を護るかのように並んで飛行し、
祥鳳の艦載機を撃ち落とそうと迎撃に向かった黒い艦載機達を逆に叩き落とした。
「ふむ、新人もなかなかやるクマ」
「多摩達も負けてられないにゃ」
「よっしゃあ! やるクマ!」
祥鳳と飛鷹のもとに戻ってきた球磨と多摩は、猛スピードで飛鷹と祥鳳に対して突っ込んでくる駆逐ニ級に対し、弾幕を張って防衛の陣を敷いた。
何度も戦線をくぐり抜けてきたこの二人にとって、駆逐ニ級の群れなど敵ではなかった。
あっという間にニ級の群れは砲撃で次々と吹き飛ばされ、次々と沈んでいった。
「これで大丈夫にゃ」
「球磨さん、多摩さん、ありがとうございます!」
「お安い御用だクマ」
球磨と多摩は煤まみれの顔を拭い、微笑んだ。
「祥鳳さん、これでいけるわ!」
「えぇ! みんな、お願い!」
制空権を獲得した九九艦爆が次々にヲ級に対して爆撃を浴びせていった。
海の魔女は悲鳴を上げて次々と撃沈、もしくは大破に追い込まれた。
一方、飛鷹の残りの九九艦爆と九七式艦攻はタ級目がけて突撃し、雷撃と爆撃を浴びせた。
一体は何とか大破に追い込んだが、もう二体は躱され、掠り傷程度しか与えられなかった。
「Okay! ひっさびさにやりますYo! 比叡!」
「はい、お姉様!」
高速戦艦の姉妹は速度を全開にし、タ級へと突撃を開始した。
「ハヤイ…!」
速い。あまりに速い。タ級は何度も砲撃を放ち、迎撃したが、この姉妹を捕捉できず、攻撃は殆ど回避されてしまった。
更に上空からの敵艦載機が攻撃を仕掛けてくる。
空と正面の二方向からの襲撃で、あっという間にタ級は追い詰められてしまった。
「ダブル・バーニング・ラァァァァァブ!!」
そして飛鷹の九九艦爆と金剛・比叡の砲撃がタ級の身体を撃ち抜いた。
大破していたタ級とヲ級はあっという間に爆散し、骸が海へと沈んでいった。
残るタ級一体も戦況不利と判断したのか、直ぐ様残存して
いた艦載機をかき集め、共に海底へと退却した。
「Yeah、やりマシタッ! Congratulations!」
「ふぅ…!」
「やったクマー!」
「いや、まだにゃ」
多摩は背中の艤装から爆雷を取り出し、海中へと放り投げた。
海に小さな水柱が立ち、潜水カ級が吹き飛ばされてバラバラになった。
「艦娘に同じ手は二度も通用しないにゃ」
多摩は吹き飛んだ深海棲艦に対し、冷たく言い捨てた。
「Okay! EnemyはAll Destroyしまシター! 帰りマショー!」
「えぇ!」
意気揚々と金剛と比叡は横須賀鎮守府に帰投を開始した。多摩と球磨もそれに続き、祥鳳も続こうとした。
ふと、祥鳳は水平線の彼方を見つめる飛鷹に気付いた。
「飛鷹さん?」
「祥鳳さん。私、夢があるんです」
「夢?」
「平和になったら、サンフランシスコのあの家へ、隼鷹と・・・」
「そっか…」
祥鳳は静かに微笑み、飛鷹の手を取った。
「いつか、叶えられるようにしましょう。みんなで力を合わせて」
「はい…!」
「その時が来るまでは、この鎮守府があなた達の家。そして、私達みんなが、あなたの家族よ」
「はい…!」
瞳を潤ませ、飛鷹は頷いた。
もう一度、飛鷹は遠くの海を振り返った。
そこにはあの白い大きな家が見えた。飛鷹だけにしか見えない、白い大きな家が。
「平和になったら、いつかきっと…」
その時まで、しばらくお別れね。
飛鷹は白い家の幻に別れを告げ、祥鳳と共に金剛達を追いかけた。
12月の夕方。冷たい風の吹く長崎県近海の沖合を二人の艦娘が並んで進んでいた。
ひとりは長い銀髪の少女、もうひとりは彼女よりやや背丈の低い茶髪の少女だった。
共にデザインこそやや異なるが、白い巫女のような服に弓道着のような艤装を身に纏っていた。
「翔鶴、そっちはどうだった?」
茶髪の少女は銀髪の少女に対して尋ねた。
「瑞鳳先輩、こちらは異常なしです」
翔鶴と呼ばれた銀髪の少女は、先輩である茶髪の少女・瑞鳳に報告した。
「よし、そろそろ帰ろう。今日は武蔵さんがカステラを買ってきてくれたらしいよ」
「まぁ! 楽しみです!」
疲れの色濃い翔鶴の顔がぱっと明るくなった。瑞鳳も微笑み、その目を遥か遠くの鎮守府へと向けた。
「よし、帰ろう! 加賀さんや瑞鶴も待ってるよ」
「はい!」
二人は夕焼けで赤く染まりかけた海を走り始めた。
『アネニアイタイカ…?』
すると、何処からか瑞鳳の耳に奇妙な声が届いた。
瑞鳳はそれを幻聴と思った。海は何が起こるかわからないし、きっと最近は忙しかったから疲れてるんだ。
彼女はそう自分に言い聞かせた。
「そりゃ、会いたいよ…。逢えるならね…」
瑞鳳は冗談半分でつぶやいた。
そもそも瑞鳳は本気で逢えるとは思っていなかった。恐らく、あの時既に亡くなってる可能性の方が高い。
それでも、瑞鳳は心のどこかでいつかまた姉に会えるのではないかと希望を抱いていた。
どこかで姉が生きていて、艦娘になった私に気づいて、いつか迎えに来てくれる。彼女はそう信じていた。
その時だった。
「瑞鳳…、私よ…」
「えっ…」
目の前には姉がいた。あの時と変わらない、優しい笑顔で。
「お姉ちゃん…!」
「え? 瑞鳳先輩、お姉ちゃんって…?」
瑞鳳は海に立つ姉に向かって進みだした。だが、その姉の笑顔は翔鶴には見えない。
「おねえ…ちゃん…! お姉ちゃん…!」
先輩の異変に気づき、翔鶴が声をかけた。だが冷静さを欠いた瑞鳳は、蜜に惹かれる蝶のように姉の笑顔へふらふらと近づいていってし
まった。
「お姉ちゃん、会いたかった…!」
その瞬間、海底から突如現れた触手が瑞鳳の手足を掴んだ。
「ふぇっ!? なっ、何これっ!?」
抵抗するまもなく、瑞鳳は暗い海の底へと引きずり込まれた。
「瑞鳳先輩!?」
翔鶴が手を伸ばした時には既に手遅れだった。
そこには暗い静かな水面があるだけで、先輩の姿はどこにも見えなかった。
「瑞鳳先輩! 瑞鳳先輩!」
パニックを起こし、翔鶴は戦友の名をひたすら叫び続けた。
だが、何度呼びかけても瑞鳳は戻ってこなかった。
同刻、佐世保鎮守府に特別に設けられた弓道場を改造した演習場。そこでは黒髪のツインテールの少女、瑞鶴と彼女の師匠が弓矢の演習に励んでいた。
彼女もまた弓道着のような艤装を身に纏っていた。その隣には、同じように弓道着を身に纏った背の高いサイドテールの女性もいた。
「瑞鳳先輩と翔鶴姉、遅いですね…。どこで道草食ってるんですかね?」
瑞鶴は矢を放ち、ぶつくさと呟いた。彼女の弓から放たれた矢は炎に包まれて艦載機となり、機銃を放った。
だが、瑞鶴の力不足のためか、円形の的には殆ど命中しない。さらに的に空けられた穴の大半は、中心ではなく円の外周に近い部分ばかりであった。
「あの子は真面目な子よ。五航戦の子なんかと一緒にしないで」
「ま~たそれですか。いい加減そのあだ名やめてくれません、加賀さん? パワハラで訴えますよ」
加賀と呼ばれた長身の女性は後輩の抗議を無視し、無表情のまま弓矢を放った。
彼女の放った矢も同じく艦載機となったが、瑞鶴のそれとは正反対で的には百発百中。
それも殆ど全ての機銃が見事に中心を貫いていた。
「瑞鶴。今の貴方の実力は、せいぜい一航戦の私の五分の一がいいところ。だから『五』分の一の五航戦。悔しかったら、訓練を重ねてこの私を超えてみなさい」
「ムッキー! いいわよ、今にひれ伏させてあげるわ! この焼き鳥女!」
「やれるものならやってご覧なさい。まずは一つ一つの艦載機をちゃんと操ることに集中なさい。ピアノを弾くように、繊細にね」
瑞鶴はムッとした表情を崩さぬまま、再び艦載機を放った。今度はやや中心に近い位置に機銃が穴を開けた。
「そう、その調子よ」
これでいい。加賀は口にも顔にも出さず静かに思った。
この少女は素直な良い子ではあるものの、ひたすら生真面目な瑞鳳や謙虚な翔鶴とは異なり、少し調子に乗りやすい一面があった。
また、彼女は実力をその幸運で補っている一面もあり、周囲からは「幸運艦」と称されることが度々あった。
幸運と言えば聞こえがいいが、逆に言えば「実力の足りない運だけの艦娘」と皮肉っているとも言える。
ましてや若さに任せた強気な瑞鶴だ。周囲と軋轢を起こす可能性は容易に想像できた。
故に、加賀は敢えて瑞鶴にのみ厳しい訓練―弓矢の訓練の他、ジープで追い掛け回す訓練なども行なった―を課し、意地の悪いことまで言って批判を自分に向けさせていた。
厳しい訓練を課した上で結果を出せば、誰も瑞鶴を運だけの女となじることはできなくなるからだ。
瑞鶴もそんな先輩の真意には既に気付いていた。口にこそ出さないものの、瑞鶴は厳しくも強く暖かい加賀を内心では師として敬愛していた
(それでも五航戦呼ばわりだけは大いに不満だったが)。
「ん?翔鶴姉から通信…? ちょっと失礼します」
突如、瑞鶴が手を止めた。
「瑞鶴。何かあったのかしら」
「え? 瑞鳳さんが…? どういうこと、翔鶴姉!? ねぇ、翔鶴姉ってば!!」
次回、よくもやったわね!?
以上、六話になります。次の投稿は1月中を予定しています。
すみません
第七回、もう少しだけ延期させていただきます…
お待たせしました
第七回、投稿開始します
小笠原諸島の無人の小島。黒い岩だらけの小島には四体の海魔が並び立っていた。金属製の十字架に縛られた少女をじっと見つめた。
彼女の名は瑞鳳、佐世保鎮守府で軽空母として戦っていた艦娘である。
だが、人の形をした人ならざる黒い怪物達にとってそんな個人の名称など何の価値もないものであった。
深海棲艦にとって、瑞鳳は憎むべき敵である艦娘の一人にしか過ぎないのだ。
「コノカンムスヲドウスルツモリ…?」
南方棲戦姫はそっと少女の頬を砲塔でつついた。
「ミテイロ、ツギコソカナラズ…!」
装甲空母姫は甲高い声で吠えた。その吠え声に呼ばれ、無数の怪物達が島に集結した。
灰色の海の魔女、黒い鮫のような怪物の群れ、三つ首の怪物、大きな口に手足の生えた化物、
セーラー服を着た白い幽霊のような女怪物、尻から竜の頭が生えた怪物などが無数に群がり、小さな岩島を埋め尽くしていた。
「ウマクイクトイイワネェ…!!」
南方棲戦姫は狂ったように哂い、口を噤んだままの戦艦棲姫と飛行場姫と共に海へと戻っていった。
「オノレェ・・・! オノレェ・・・!!」
装甲空母姫は侮辱に怒りを感じ、顔を歪めた。直後、島に集まった海魔の群れに目線を向けた。
「ワガシモベドモ・・・、カナラズヤワレラガテニショウリヲ!」
装甲空母姫はあらん限りの力を込めて叫んだ。
島に集った深海棲艦達もそれに呼応し、不気味な唸り声をあげて戦意を見せた。
やがて、装甲空母姫は東京湾へと顔を向け、ゆっくりと海を進み始めた。
その後方を十字架を引きずる空母ヲ級の一体が従い、深海棲艦の軍団もまた進み始めた。
その怪物達の進軍を、二人の小柄なセーラー服の少女達が岩陰から物音を立てないよう静かに覗いていた。
「マ、マジっすか・・・!?」
ウサギのぬいぐるみを腕に抱えた少女が呟いた。その隣に立っていた少女もまた、青ざめた表情で深海棲艦の行軍を黙って見つめていた。
第七話 よくもやったわね!?
祥鳳は白い砂浜にいた。雲一つない青空に、輝く白い太陽。
そうだ。ここは、十年前のあの日に来た沖縄の海だ。父と、母と、そして妹と。
私があの人と、鳳翔さんと初めて出会った場所でもあり、私が大切な人を、みずほを失った場所。
彼女は、見覚えのある小さな女の子がぽつんと波打ち際で突っ立っているのに気付いた。
みずほだった。
「みずほ…! どうしてここに…?」
「どうして? 分かってるでしょ・・・?」
彼女の妹はゆっくりと振り返った。
「ひっ…!?」
だが妹の顔は無邪気な幼子のそれではなく、髪の毛の生えた真っ白な髑髏になっていた。
ところどころに海藻や巻貝、フジツボが付着した真っ白で不気味な死者の顔だった。
「ほら、お姉ちゃんのせいだよ? お姉ちゃんのせいで、私は死んだんだよ…。こぉんなになっちゃった」
「み、みずほ…!?」
カタカタと、骸骨の歯がかち合わせた妹を見て、祥鳳は恐怖を覚えた。
これは夢。夢に決まってる。祥鳳は自分にそう言い聞かせた。
だが、身体に走る悪寒は止まらない。
お願い、早く醒めて。
だが彼女の願いも虚しく、再び場面は変わった。
「えっ…」
気がつくと彼女は真っ白な病室にいた。そこには白いベッドの上で、祥鳳が母のように慕っていた女性が眠っていた。
だが、彼女が目覚めることはない。つい先日、大鯨や球磨達と共に見舞いに行ったばかりだ。あれから一向に変化の兆しなどなかった。
医者からはこのまま安楽死させるべきと助言する者までいた。それでも祥鳳は―むろん大鯨や球磨達も―いつか鳳翔が目覚めると信じていた。
「ほ、鳳翔さん…」
目覚めるはずもない。それを分かっていながら、縋るように祥鳳は声をかけた。
「あなたのせいですよ」
突如、鳳翔がベッドで眠ったまま口を開いた。
「ひっ・・・!」
「あなたが弱かったから…、あなたが艦娘になるのが遅れたから、私は倒されたのよ…」
祥鳳の身体に再び悪寒が走った。
そうだった。私が艦娘になって、横須賀鎮守府に戻ろうとした直前に、大規模な深海棲艦の発生が起き、鳳翔さんは瀕死の重傷を負った。
あの時、私がもう少し早ければ…。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…!」
「謝って済むとでも? あなたのせいで、私は寝床に縛り付けられたままなんですよ?」
鳳翔は頭をゆっくりと動かし、祥鳳を冷たい目で睨みつけた。
「ひっ…!?」
気配を感じて振り返ると、いつの間にか骨になった妹が立っていた。
「そうだよ。お姉ちゃんがもっとしっかりしてれば、私だってガイコツにならなくて済んだんだよ」
「あなたのせいですよ」
怖くなった祥鳳は頭を抱えて座り込み縮こまってしまった。
「やめて…」
「お姉ちゃんのせいだよ」
だが、鳳翔も妹も口を閉じようとはしない。
「おねがい、やめて…」
「お姉ちゃんのせいよ」
「あなたのせいよ」
「やめて・・・!やめてやめてやめて!!」
終わることない責め苦に、祥鳳は絶叫した。
「あぁぁぁっっ!!」
気がつくと、そこは砂浜でも病室でもなく、自分の部屋の布団の中だった。
「…またなの」
祥鳳は呟いた。冷たい部屋の空気に身体を斬りつけられるような気分だった。
あの幻への恐怖が止まらない。
まだ、あの夢は私を苦しめる。
南の海の砂浜でみずほを失った夢。
鳳翔さんを失った夢。
いつになったら、私は悪夢から抜け出せるの?
祥鳳は頭を抱え毛布を被って震えたが、それでも寒気は収まらなかった。
ちょうどその時、部屋の電話が鳴った。
こんな朝から誰だろう。まだ陽も登ってない時間なのに。
なんにせよ気分転換にはちょうどいい。祥鳳は震える手で受話器を手に取り、応じた。
「もしもし…。あ、夕張ちゃん。え、こんな朝から?」
朝五時頃。身を切るような寒風の中を歩き、祥鳳は工廠の扉を開けた。
艤装の保管倉庫は規則正しく艤装が整理されているが、通称『開発室』と名付けられている夕張の部屋は、相変わらず変なロボットや黒いヒーローのフィギュアが所狭しと並べられた窮屈な場所だった。
最近は部屋に帰らずここで寝泊りしていたのか、床には寝袋やスナック菓子の袋などが転がっており、
机には難解な図式や設計図やらが描かれたプリントが散乱していた。それにすきま風がところどころ吹いていてかなり寒い。
祥鳳はこんな不健康そのものの部屋にこもってる夕張の体調が少し心配になってきた。
「すみません、こんな朝から」
夕張は真っ黒な顔で出迎えてくれた。どうやらまた徹夜して何かを製作していたらしい。
「夕張ちゃん、なんの用事なの・・・。こんな朝早くから?」
「えへへ…。ちょーっと待っててくださいね! とっておきのもの見せちゃいますから!」
「そう、早くしてちょうだいね…」
煤まみれのジャージを着た夕張はにかっと笑い、部屋の奥へ向かった。
彼女を待ちながら、祥鳳は夕張に対してやや刺々しい口調で話してる自分に気付いた。
いけない、仲間にこんな冷たい態度を取っては。
夕張ちゃんはとてもいい子なのに。
確かにちょっと特撮番組と深夜アニメと機械の話にうるさいけど、毎日艤装をきちんと手入れしてくれてるいい子。
それなのに、私ったら。
そんな祥鳳の胸の内も知らず、無邪気な笑顔で夕張はその『とっておきのもの』を披露した。
「じゃじゃーん!」
「夕張さん、これは?」
それは飛行甲板を模した和傘だった。薄茶色の傘の中心は丸い朱色に染まっており、非常に美しかった。
「改二になった艦娘は今のところ那珂ちゃんと木曾さんだけ。しかもそのメカニズムはさっぱり分かってません。
だったら、艦娘が強くなるには、装備を強化するしかないわけです」
まるでセールスマンのように夕張は話し始めた。
「そこで、この傘です! 大和さんの傘を参考に造ってみました。ちゃーんと銃弾も爆撃も弾く優れものです!」
夕張は自信満々に和傘を開き、くるくると大道芸のように回し始めた。そんな彼女が可愛らしくて、思わず祥鳳は微笑んだ。
「ありがとう、夕張ちゃん。でも、大丈夫よ。そんなに心配しなくても」
「気に入らない、ですか…?」
夕張は寂しげに目を逸らした。
「そっ、そういうわけじゃないの…! ただ、そんな大きな傘なんか持ってたら、戦ってる時に邪魔に・・・」
夕張の顔が曇り始めたのを見て、祥鳳はハッとなった。
しまった。彼女はすぐさま自分の失言を後悔した。
「そ、そうですよね…」
「ちっ、違うの夕張ちゃん…! 悪気があったわけじゃ…」
慌てて繕うが夕張はどんどん暗い表情になってゆく。
「私、いつも祥鳳さんがみんなのこと守ってくれて、いつもボロボロになって帰ってくるの見てて…。
電ちゃんを助けに行った時だって、祥鳳さんは命懸けだったのに、私は何にもできなかったのが悔しかったんです…」
「夕張ちゃん…」
そうだったんだ。
祥鳳は初めて聞く夕張の心境を聞いて心底驚いていた。
そう言えば、
『アナタが無茶してSeaにドボンしたら、あのLittle girlsが悲しむだけデース!』
って金剛さんに言われたっけ。
夕張ちゃんも、電達と同じ気持ちだったんだ。
それなのに、私は・・・。
「だからせめて、装備で何とかできないかなぁって思ったんですけど…。やっぱり、邪魔ですよね、こんなの…」
夕張は寂しげに微笑み、和傘をすっと閉じた。
「そうだったの…。ごめんなさい、あなたの気持ちも考えずに、勝手なこと言っちゃって」
「い、いえ! 謝らないでください! こちらこそ、考えなしにこんなの作っちゃって…」
「じゃあ、いざとなったら使わせて」
「えっ…?」
俯いていた夕張が顔を上げると、祥鳳は優しい微笑を浮かべていた。
「大丈夫、夕張ちゃんが作ったものだもん。きっと役に立つわよ」
「…はい! 喜んで!」
夕張は黒い煤まみれの顔を綻ばせ、ぱっと明るい笑顔になった。
「…ありがとう、夕張ちゃん」
「いえいえ、これくらいお安い御用です!」
夕張は照れくさそうに鼻を擦った。
部屋は相変わらず寒かったが、祥鳳は体の芯にほんのりと火が灯ったかのような気持ちになれた。
「…そろそろ、朝ごはんの支度に行くね」
「はい! 徹夜明けの朝ごはん、楽しみです!」
部屋から出た時に見た夕張の表情に、もう陰りはなかった。
いつものように明るい笑顔だった。
その後、祥鳳は朝食の支度のため食堂へと向かった。
今日の朝食担当は電と雷だが、まだ幼い二人にこの人数は厳しいと思った祥鳳はふたりの手伝いに向かったのだ。
「おはよう、祥鳳お姉ちゃん!」
いつものように大鯨が台所にいた。いつものように変わらぬ笑顔で。
「あ、祥鳳お姉ちゃん! おはようなのです!」
「祥鳳お姉ちゃんおはよー! 今日は早いのね!」
電と雷は目玉焼きを焼いていた。既に何個かは出来上がっており、お皿に並べられていた。
「今日の目玉焼きはね、私と電がぜーんぶ作ったのよ! ホントよ!」
祥鳳は白い湯気を放つ目玉焼きをじっと見つめた。形もよく、白身も焦げてない。
黄身もしっかり色濃くなっており、火も通っているようだった。見たところ申し分ない出来に見えた。
「あら、上手にできたわね」
「えへへ…」
電は照れくさそうに俯いた。
大鯨の方を見ると、彼女は微塵切りにしたキャベツのサラダやパンをお皿に盛り付け、テーブルへと運んでいた。
あの子はもういない。でも、私達にはこの子達がいる。
大切な『妹』達が。
どことなく寂しげな表情をしていた祥鳳にいち早く気づいたのは雷だった。
「祥鳳お姉ちゃん、今日はなんか元気ないわねー!」
「えっ…?」
「そんなんじゃダメよぉ! ほら、笑顔笑顔!」
雷はぱんぱんと両手を叩いた。
「祥鳳お姉ちゃん! 困ったことがあったら、も~っと私に頼っていいのよ! ねっ?」
「うん…。ありがとう…」
祥鳳はふたりの小さな少女達の頭を撫でながら、静かに微笑んだ。
朝食後、祥鳳は夕張や雷とのやり取りで昨夜の悪夢をすっかり忘れていた。
自分のような頼りない艦娘を思ってくれた後輩の、夕張の暖かさ。実の妹はいなくても、代わりに自分を慕ってくれている妹達がいる。
改めてそれらを自覚できたことが、彼女にはたまらなく嬉しかった。
だが、その翌日の早朝に思いがけない事件が発生した。
そのきっかけは午前十時半頃に突如訪れた来客達であった。
「はい、横須賀鎮守府です」
鎮守府の呼び鈴が鳴り、祥鳳が来客に応じた。
門の前には、長身の女性と二人の少女が立っていた。
サイドテール、ロングヘア、ツインテールと、髪型は三者三様であったが、三人とも共通して弓道着を着ており、全員が空母の艦娘であることが伺えた。
真ん中の女性は長身で鋭い目つきをしており、祥鳳は少し恐怖感を覚えた。
「軽空母の、祥鳳さんね?」
「は、はい…」
誰だろう。祥鳳は鋭い目つきの美女を不安そうに見た。
「私は佐世保鎮守府秘書官、加賀です。一刻も早く伊吹提督のもとへ連れて行ってください。緊急の事態です」
「は、はぁ…」
祥鳳は戸惑いながら、門を開き三人を中へと招いた。
「貴方にも、大事なことを伝えなければなりません」
加賀は無表情のまま静かに口を開いた。
「貴方の妹さんは、瑞鳳は生きているわ」
執務室に到着すると、開口一番に加賀はそう言った。
「え? で、でも私の妹はもう…」
「本当にごめんなさい」
加賀は静かに頭を下げた。
「貴方の経歴を見落としていた、私の落ち度です。この間、艦娘の血液検査の際に、偶然貴方達の血縁関係が判明したわ」
加賀は懐から折りたたまれた紙を取り出し祥鳳に手渡した。
彼女がそれを開くと、そこには祥鳳と瑞鳳が姉妹だと示すDNA鑑定の結果が記されていた。
「もう少し結果が届くのが早ければ、貴方にも連絡できたのだけど・・・」
「彼女は今、行方不明です」
「そんな・・・。そんなことって…」
祥鳳は衝撃を受け、その場に立ち尽くした。
みずほが、妹が、艦娘になって生きていた・・・!?
「うそよ、ウソよ・・・」
祥鳳は喜びよりも衝撃の方が大きかった。
(じゃあ、私は、ずっと死んでいたと思い込んで、10年間もあの子をほったらかしに・・・!?)
祥鳳はふらりと倒れそうになり、赤城に肩を支えられ、辛うじて頭を打たずに済んだ。
彼女をちらりと見て、直ぐ様加賀は伊吹提督へと向き直った。
「艤装の発信機から、瑞鳳は小笠原諸島周辺にいることが判明しています。しかも移動してることから、恐らくまだ生存してるものと思われます」
伊吹は口を開かず加賀の表情を注視していた。その顔は無表情だが目の周りには隈ができており、かなりの焦燥感が伺えた。
「佐世保鎮守府の加藤提督から、横須賀鎮守府にも救援要請が出ております。我々と共に、救援部隊の出動をお願い申し上げます」
「事情は分かった。直ちに部隊を編成して、捜索に向かわせよう。君達も準備してくれ」
「ご協力、感謝致します」
その時だった。突如、睦月と夕張が執務室の扉を開いた。
「提督、大変です大変です大変です!」
「たいへんだたいへんだたいへんだにゃしぃ!!」
「提督、さっきテレビを見てたら大変なことが!」
突然の来客に対し、伊吹は苦々しい表情を向けた。
「・・・睦月、夕張。大変だけではわからん。報告はしっかり冷静に、的確に行うんだ」
「とっ、とにかくテレビを見てほしいのね!」
慌てて部屋に乱入した睦月と夕張に急かされ、伊吹は渋々テレビの電源を入れた。
何やら緊急の生放送が実施されてるようだった。地震か火山の噴火か。伊吹は一瞬そう思ったが、中継された映像を目にして顔色を変えた。
「瑞鳳!?」
その映像を見た加賀が声を張り上げた。そこには磔にされた少女が映し出されていたのだ。
『ご覧下さい! 艦娘が捕まっております! 深海棲艦に艦娘が捕まっております! 一体何があったのでしょうか!?』
中継のアナウンサーが興奮した様子で叫んでいた。
磔にされた少女の隣には、
「装甲空母姫…!」
映像を見た赤城の脳裏に苦い記憶が蘇った。
この怪物は四年前のあの日、鳳翔を撃破し、赤城や蒼龍、飛龍らに重傷を負わせたあと、長い間姿を消していた深海棲艦だった。
あれから蒼龍や飛龍はなんとか回復したが、赤城は今でもその傷を引きずっていた。
なにより、鳳翔という大切な友であり師でもある女性を失ってしまったこと、
そして自分の力不足で祥鳳の『母』を守ってやれなかった自責の念が今も尚赤城を苦しめていた。
装甲空母姫は瑞鳳の張り付けられた十字架をその化物のような腕で掴み取って見せつけるように振り回し、顔を歪めて笑った。
「まさかあの深海棲艦、瑞鳳さんを人質に…!?」
中継を見ながら赤城が言った。
「なんてことを…!」
さらに装甲空母姫の後ろには大量の黒い影のような怪物たちが続いていた。
戦艦タ級、レ級、ル級。空母ヲ級、軽空母ヌ級、軽巡ホ級、軽巡ト級、駆逐ロ級、重巡リ級。
大量の深海棲艦が黒い影のように進軍し、海を切り裂いていた。
伊吹は戦慄した。深海棲艦達は瑞鳳を人質にしてこちらの攻撃を妨げ、その総力を結集して東京湾を襲撃するつもりだ。
その時、執務室の電話が鳴った。赤城に受話器を手渡され、伊吹は話し始めた。
「はい、こちら横須賀鎮守府。何、彼女ごと!? いえ、お待ちください。その決定には異議を申し立てます。
えぇ、えぇ・・・。結構です。直ぐ様其方に赴きましょう」
伊吹は暫く押し問答して受話器の電源を切り、重々しい声で静かに言い放った。
「上層部から命令が降った」
祥鳳を除く一同がごくりと唾を飲み込み、提督に視線を向けた。
「軽空母・瑞鳳に関わらず深海棲艦の一団を殲滅せよ。たとえ艤装適合者を殺害したとしても法には問わない、艤装のみを回収せよ。とのことだ」
「なっ…!?」
「そんな・・・!?」
執務室の艦娘達が騒然となった。
「ふざけないで…!」
加賀は机に座っていた伊吹の襟首を掴む勢いで飛びかかろうとした。だが、翔鶴と瑞鶴に腕を抑えられ、その手は届かなかった。
「お、落ち着いてください加賀先輩!」
「加賀さんやめて!? こんなの、いつもの加賀さんじゃないよ!」
だが頭に血が昇った加賀は聞く耳を持たない。
「あの子をあのまま死なせるって言うの…! そんなことは、私がさせない…! 認めない…!」
「落ち着け、加賀。私とてこんな指令を下すつもりはさらさない。
これより異議申し立てのため、東京の大本営へと出張する。命令が出るまで、君達も待機していてくれ」
「…失礼しました」
加賀は我に返り、深々と頭を下げた。
「赤城、一緒に来てくれ。それから、金剛に連絡を頼む。私が不在の間、代理の指揮を彼女に委任する」
「はい」
赤城は直ぐ様内線に繋ぎ、金剛の部屋に電話をかけ、事情を説明した。一分ほどして会話を終えると、俯いたまま座り込んだ祥鳳に目を向けた。
その目には力はなく、ぐったりした目つきだった。
「祥鳳さん、安心してください。大本営の決定は必ず覆してみせます」
そう言い残し、赤城は伊吹と共に静かに部屋を出て行った。
扉が閉められ、主の去った執務室は沈黙に包まれた。
「私の、せいだ…!」
その沈黙の中で、祥鳳が静かに呟いた。
「私が、あの子の手を離したからだ…!」
あの子はあの時、きれいな珊瑚を取りに行こうと海へ駆けていった。
私が手を離してしまったせいだ。
私が手を離さければ、こんなことにならなかったのに。
「あなたのせいですよ」
「おねえちゃんのせいだよ」
どこからか昨夜の夢が幻聴となって蘇り、彼女の脳裏をぐるぐると回り始めた。
そうだ、私のせいだ。
全部、私のせいだ・・・。
「あぁ…。あぁぁ…! あぁぁぁぁぁっっ…!!!」
祥鳳は、声にならない声で人目も憚らず泣き叫んだ。
加賀も瑞鶴も翔鶴も、夕張も睦月も、どう声をかけていいのか分からず、ただ立ち尽くすしかなかった。
赤城の運転する車の助手席に乗り、伊吹は大本営本部へと向かっていた。
各鎮守府を統括する上層部組織、通称『大本営』は横須賀から遠く離れた東京都内陸部に立地していた。
そこでは日本政府から選出された国会議員や防衛省の人間が司令長官として所属しており、艦娘に采配を振るう各鎮守府の提督も彼らの部下に過ぎなかった。
伊吹は車中で必死になって頭を回転させていた。
捕縛されている瑞鳳の救援をなんとか承認させねばならない。
直接の交流こそ少ないものの、祥鳳との付き合いは決して短いわけでもない。
彼にとって、彼女も金剛や比叡同様、愛すべき娘のような部下だった。
何としてでも彼女の妹を救えるようにしたかった。
なにより、深海棲艦は大群で東京湾へと少しずつ迫って来ている。もはや一刻の猶予もない。
その時、伊吹の携帯から着信音が鳴った。
彼が受話器を取ると、意外な人物から連絡が届いた。
大本営本部の会議室に到着すると、数人の司令長官達が出迎えてくれた。
脂ぎった丸顔の太った男が二人と痩せ細った眼鏡の男がひとり、会議室の席に座っていた。
彼等がこの大本営の司令長官だった。
「やぁ、伊吹くん。はるばるご苦労だったね」
「こちらは秘書官の赤城です。鎮守府における業務の補助を担当していただいております」
赤城は静かに礼をした。伊吹は席には座らず、机に座る司令長官達をじっと見つめた。
「それで伊吹くん? 何の用かね?」
「先ほど出されましたご命令への異議を申し上げたく、此方へ参りました次第であります」
「ほほぅ」
「お言葉ですが、司令長官殿の作戦は、艦娘を捨て駒として扱うものかと思われます。
これは世間の心証を悪くし、我々の活動や司令長官達の経歴にも支障をきたすものかと…」
だが、彼の上司は伊吹の言葉などどこ吹く風と言わんばかりの表情だった。
「何を言うのかね。艤装さえ回収できれば問題ない。また新しい適合者を見つければいいだけのことではないのかね?
実際、舞鶴の吹雪とか言う子は二人目だそうじゃないか」
「所詮、艦娘など使い捨てよ。そもそもキミ、市民の安全の方が重要ではないのかね? 敵に捕まった艦娘など適当に処理しておけばよかろう」
「ですが長官…」
「艦娘ひとりなど救ったところで何のメリットもないじゃないか。よく考えた前」
「そうだ。そこの赤城くんも、ウチの下働きに取立てようかね? どうせ戦えないのだろ? 雑用くらいは役に立とう」
男達は下品な声で笑った。
赤城は鋭い視線で男のひとりを睨みつけたが、醜い豚のような怪物達には効果がなかった。
「そうですか…、それが司令長官殿のご意見ですか…」
ため息をつき、伊吹は司令長官達を見た。彼等が深海棲艦よりも醜悪で吐き気を催す怪人のように見えた。
この男達にとって、艦娘の命や誇りなど意に介すべきものではないのだ。
彼等が欲するのは、ただ自らの保身のみ。艦娘も提督も、彼らにとってはただの道具に過ぎない。
だが、今は時間がない。このままでは何もできないまま終わってしまう。直後伊吹が取った行動を見て、赤城は自身の目を疑った。
「お願いです! どうか、お時間を!」
鬼のような男とまで呼ばれた伊吹が、床に伏せ頭を擦りつけ、土下座をした。
「四時間だけで構いません! 彼女を救う猶予を!」
「提督、おやめください。なぜそこまで…」
「どうか、どうかお考え直しください!」
だが、怪物たちに彼の言葉は届かない。
「却下させてもらおう。そもそも大勢の国民が危機に晒されているんだ。一人の小娘ごとき…」
赤城は拳を握り締めた。もはや彼女も我慢の限界だった。
伊吹の誇りにここまで泥を擦りつけるような男達になど従ってられない。
たとえこの後どうなろうと知ったことではない。一撃浴びせてやらなければ。
赤城が激昂に身を任せ、飛びかかろうとしたその時だった。
「ちょーっと待ったー!」
突如、天井から女の子の叫びが響いた。そして、天井板を蹴破り、セーラー服の少女が天井から突如飛び降り、机の上へと着地した。
青葉だった。
「なっ…、貴様一体どこから出てきたのだ!?」
「どこからって、天井からに決まってるじゃないですかー!」
青葉はあっけらかんとした表情で言い放った。
「えへへっ…。青葉、見ちゃいましたー! 司令長官さん達が艦娘を捨て駒にしようと言ってるところを!」
「なっ…!」
「衣笠ちゃーん! このおじさん達のお話をみんなに教えてあげてくださーい!」
「はいはいー! 衣笠ちゃん、がんばっちゃいまーす!」
何処からか別の少女の声が響いた。青葉が脇に抱えていたスマートパッドからだった。そこには衣笠のライブ映像が映し出されていた。
「きっ、貴様ら何のつもりだ!?」
「おじさま方、いいんですかー? 賄賂とか~、不純行為の証拠写真とか~、さっきの艦娘を捨て駒にしようとしてた発言、全国にばら蒔いちゃいますよー?」
青葉はニヤリと笑い、鞄から写真を取り出して印籠のごとく見せつけた。
そこにはどこかの企業重役から不正献金を受け取る姿や、どう見ても中学生にしか見えない幼い―ただし艦娘ではない―容貌の少女をホテルに連れ込まんとする男達の姿など、長官達の醜態がこれでもかとばかりに収められてた。
さらによく見れば青葉の頭にはカメラが取り付けられたバンドが巻かれていた。
長官達は戦慄した。
まさか、今までの会話も全て…!
「もう既に、著名マスコミにはライブ映像の送信準備ができちゃってま~す!
あとは衣笠ちゃんがマウスをカチッと押しちゃえば、ネットの動画サイト含めて、全国に今の映像が流されちゃいますよー!」
スマートパッドの衣笠が楽しそうに叫んだ。
「あーあ。これじゃ国民の皆さんゲキおこぷんぷん丸ですねー。せっかくみなさん順風満帆な出世コースを歩んでたのにカワイソー!
青葉も悲しいでーす! 奥さんも娘さんも泣いちゃいますねー!」
えーん、と青葉は泣き真似をした。勿論、その声は棒読みである。それが更に高官達を苛つかせた。
「よせ、青葉! キミ達がこんな卑劣な行為をしてはならん!」
伊吹は土下座の体勢を解き、部下に向けて怒鳴った。
「でもー! もうこの映像は青葉と衣笠さん次第でどーにでもなるんですよー?
仮に青葉をここで銃殺しても、すぐに衣笠さんがみなさんの恥を晒しちゃうでしょうねー」
「くっ…!」
司令長官達は苦渋の表情を浮かべた。
「青葉、お願いがあります~! 今すぐ命令の撤回をしてください。そうすれば、この写真はばら蒔かないであげます」
「ほらほら、どうするのよ!? 早くしないとボタン押しちゃうわよー! 社会的に死にたくなかったら、さっさとしなよー! ほらほらー!」
衣笠も画面越しに煽り立てた。
「よっ、よかろう…。ただし、3時間だ! 3時間でケリを付けろ!」
「我々は市民の安全を守らなければならないことも忘れるな! 一刻も早く人質を救出し、敵を殲滅せよ!」
その言葉を聞き、伊吹はきりっと姿勢を正した。
「長官、ご配慮に感謝申し上げます。では、我々はこれで。すぐにでも現場に戻らねばなりませんので」
「失礼致します。そうそう、青葉さんには懲罰を執行させて戴きますので、ご心配なく」
伊吹と赤城は直ぐ様お辞儀をし、部屋を後にした。
青葉もそれに続き、「あっかんべー」と最後に舌を出して去って行った。
「くっ…。伊吹め…!」
司令長官達は悔しげに伊吹達の背中をただ見つめるだけしかできなかった。
伊吹達の帰りの車中には青葉も同乗していた。しばらくの間は全員が口を開かなかったが、大本営本部が見えなくなった頃になり、ようやく青葉が口を開いた。
「司令官、司令官! 青葉、やりましたぁ!」
青葉はいたずらに成功した少年のような笑顔を浮かべた。伊吹も静かに頷き、珍しくにやりと哂った。
「よくやった、青葉。君のおかげだよ」
「えへへ…。お安い御用です!」
照れくさそうに青葉は鼻を擦った。二人の様子を見て赤城は気付いた。
恐らく、先ほどの土下座に至る過程も事前に打ち合わせた芝居だったのだろう。
あの司令長官たちの不貞の情報も、こう言った事態が生じた際に艦娘を救うためあらかじめ集めさせていた『切り札』だったに違いない。
改めて赤城は伊吹龍という男に敬意を抱いた。
彼が自分の上司で良かった。彼女は心からそう思った。
「赤城。一刻も早く戻ろうか」
「えぇ」
赤城は頷き、横須賀へと向かった。伊吹は携帯電話を取り、横須賀鎮守府へ連絡した。
電達――彼女達には今の祥鳳を見せない方がいいと古鷹が配慮した――と負傷して入渠中の隼鷹と彼女に付き添っていた飛鷹、および遠征中の那珂達や北上大井らを除いたほとんどの横須賀鎮守府の艦娘が執務室に集結した。
翔鶴と瑞鶴は不安げにひそひそと小声で話し合い、睦月・如月・夕張・大鯨は座り込んだ祥鳳の周りに寄り添い、疲れきった様子の彼女を見守っていた。
お昼過ぎ頃になると、伊吹からの連絡が届き秘書官代行を務めていた金剛が受話器を手に取った。
『伊吹だ、時間がないので早急にご連絡致します』
「提督ゥ? Orderの撤回はSuccessシマシタ?」
「あぁ。大本営より新たな指令が降りました。『軽空母瑞鳳、ならびにその艤装を回収し、深海棲艦を殲滅せよ』と」
「All right! 任せてくだサーイ!」
「ただし、残り三時間しかない。急ぐんだ…!」
伊吹が付け加え、電話を切った。
「皆サーン! Three Hourしかありまセーン! これから作戦会議をStartシマース! 何か意見がある人はお願いしマース!」
「あの…」
おずおずと銀髪の少女、翔鶴が割り込んだ。
「翔鶴サン、何かGoodなIdeaガ?」
「あ、あの時、瑞鳳さんは確か『お姉ちゃん』って呟いていました。もしかしたら、幻覚を見せられていたのかも…」
「そんな…! 深海棲艦が催眠術なんて!?」
信じられないといった表情で夕張が言った。
「深海棲艦は未知の生命体。何らかの技術などを所有してる可能性も否定できません」
加賀は無表情のまま付け足した。
「そうだ、もう一度映像を見せてください!」
夕張はパソコン上に取り込んだ深海棲艦のライブ映像を拡大した。
装甲空母姫、十字架を引きずるイ級2体、怪物達を護衛する艦載機の群れ、そして十字架の隣に空母ヲ級が付き添うように立っていた。
「もしかしたら、全部このヲ級と装甲空母姫の仕業なんじゃ・・・!?」
「I see! では、このヲ級を倒せれば…!」
金剛はポンと手を叩いた。
「もしかしたら瑞鳳を目覚めさせ、呪縛から解き放てるかもしれない…。いずれにせよ、きっかけぐらいは作れるはずです」
加賀は静かに言った。彼女の表情は相変わらず無表情だったが、彼女の目には闘志と静かな決意が宿っているように金剛には見えた。
「とにかく、すぐにでもあの大群を迎撃しないと!」
「えぇ…。とは言え、相手に空母がいる以上、こちらにも空母が必要ね」
金剛は横須賀鎮守府唯一の空母、祥鳳の方を見た。彼女は相変わらず俯いたままだった。
「祥鳳、Listen? 急いで出撃準備をしてくだサイ…」
だが、祥鳳は俯いたまま体育座りの体勢を崩さなかった。
「無理です…」
祥鳳は弱々しい声を絞り出すかのように口を開いた。
「祥鳳…。PastのことをRegretしてる場合じゃないデース」
「無理よ! 私には無理よ…!」
祥鳳は叫んだ。
「あの時何もできなかった私なんかが、あの子を助けるなんて無理よぉ!」
祥鳳は頭を抱えて幼児のようにわぁっと泣き出した。
「私が死ねばよかったんだ…! あの時、私が死んでればこんなことには…! 私のせいだ…! 私のせいよ…!」
祥鳳はただ座って子どものように泣き叫ぶだけだった。
どうすれば良いものかと夕張達は言葉をかけられず、加賀達もまた戸惑いの表情を見せた。
だが、泣き叫ぶ祥鳳に誰ひとり何も声すらかけられない中で、ひとり無言で近づいた艦娘がいた。
金剛だった。
「祥鳳…」
金剛はその戦艦の名に相応しい威厳をもって、泣きじゃくる友の目の前に腰を降ろした。
その場にいた全員の視線が高速戦艦の艦娘の方へと向いた。
金剛は祥鳳の襟を左手で掴み、無理やり立ち上がらせた。
「Shut up!」
そして、金剛は全力で右手を振り、戦友の頬を叩いた。
ぴしゃり。
執務室全体に弾ける音が轟いた。
「祥鳳、いつまでウジウジしてるんデスカ!!」
「こ、金剛さん…」
突然の痛みに驚き、祥鳳は目を見開いた。
「あなたにはみえないんデスカ!? あそこで助けを求めて泣いてるYour sisterが! あなたはあの子のお姉ちゃんでショウガ!?」
金剛はモニターを指差す。確かに触手に囚われた少女の虚ろな瞳はどこか悲しげに見えた。
「無理よ…。あの時何もできなかった私なんかじゃ…」
「Don't say four or five! 妹を守るのは姉の仕事デス…! うだうだ言ってないで、全力で妹を助けなさいナ!」
「金剛さん…」
「無理デモなんデモ引きずっていきます…! あの子のためにも、あなたのためにも!!」
金剛は強く祥鳳の右肩を叩いた。
痛い。だが、同時に強く暖かい力を受け取った気がした。
「祥鳳さん、これはあなたにしかできないことなんですよ。お姉さんのあなたにしか」
「比叡さん…」
いつの間にか、比叡もそばに来て祥鳳の左肩に優しく触れていた。
「大丈夫です、貴方の思い、きっと伝わります! いえ、伝えてみせます!」
「祥鳳さん、私も協力するわ。可愛い妹さん、助けましょう? あのままなんて、かわいそうだもの」
如月もまた祥鳳の手を静かに握った。
「そうですよ! このままにしておくなんて絶対にできません!」
「みんなで瑞鳳ちゃんを助けるにゃしぃ!」
夕張と睦月も叫んだ。彼女達だけではない。
「祥鳳さん、私達にも協力させて!」
「祥鳳お姉ちゃん!」
「クマー!」
「にゃー」
古鷹も、大鯨も、加古も、その場にいた全員が同じ想いを胸に秘めていた。
「みんな…」
もう、祥鳳の目に涙はなかった。
共に戦場を戦った仲間達が彼女を支えてくれていた。
彼女は目に貯まった雫を右の袖でぬぐい去る。
もう涙に暮れるだけの幼い少女の影はなかった。
その目には歴戦の艦娘としての強い炎が、勇猛なる鳳凰の魂が蘇った。
金剛は微笑み、そっと手を差し出した。
「祥鳳。必ず妹を…!」
「はい…!」」
祥鳳は差し出された手に静かに自分の右手を重ねた。
「行きましょう…!」
「睦月も行くよ! いつかの借りを返す時が来たのね!」
比叡も、如月も、睦月も加わり、そっと手を重ねた。
そして夕張、古鷹、加古、大鯨、球磨、多摩もそれに続いたのだった。
出撃の直前、夕張は工廠から脇に色々と抱えて走ってきた。
「祥鳳さん、これを。さっき急ごしらえで仕上げたんですが・・・」
今朝、祥鳳に見せた和傘だった。
「それから、これも」
「これは…」
九七式艦攻だった。ただし、祥鳳の持つ通常の九七式艦攻とは異なり、迷彩模様が塗られた艦上攻撃機であった。
「祥鳳さん。私、姉妹とかいないんで、祥鳳さんが今どんなお気持ちなのか全然わかんないですけど…」
ためらいがちに夕張は言葉を紡いだ。
「妹さんを連れて、無事帰ってきてくださいね…!」
夕張は瞳を潤ませ、祥鳳の手を握って言った。
いつもとは異なり、今回はあまりに敵が多すぎる。
佐世保鎮守府の面々も共闘するとはいえ、数々の戦いを繰り広げてきた祥鳳達ですら無事帰れるか分からないのだ。
「ありがとう、夕張ちゃん」
祥鳳は傘を力強く握った。改めて手にしてみると、非常に軽く持ちやすかった。
「使わせてもらうわね、この傘」
「はい! 留守は任せてくださいね! 深海棲艦なんか、夕張スペシャルでぶっ飛ばしてやりますから!」
精一杯明るい顔を作り、夕張は返事した。
「ええ、お願いね」
「では、瑞鳳さん救出隊、はりきってまいりましょー!!」
睦月がいつもにも増して声を張り上げていた。
「戦艦金剛、出撃デース!」
金剛は眼前に迫りつつあるる敵の大群を見据えながら叫んだ。
「同じく比叡、気合、入れて! 行きます!」
比叡は気合をこめ、拳を叩き合わせた。
「駆逐艦如月、出撃します…!」
「同じく睦月、出撃しまーす!」
睦月と如月も艤装を装着し、海へと飛び出した。
「軽空母祥鳳、出撃します!」
そして、祥鳳は和服の左肩をはだけさせ、戦闘時の服装となった。彼女の腰には和傘が刀剣のように備え付けられ、左腕には弓が握られていた。
凛々しい祥鳳の姿に夕張は見惚れた。やっぱり、祥鳳さんはかっこいいな。夕張が見守る中、五人の艦娘は港を飛び出し、黒い深海棲艦の大群へと駆け出した。
祥鳳達が出撃した直後、夕張は港に加賀・瑞鶴・翔鶴の三人がやって来たことに気付いた。
佐世保鎮守府から届けられた艤装がようやく到着し、出撃準備が完了したのだろう。
「翔鶴、瑞鶴。行くわよ。横須賀鎮守府に遅れを取らないでちょうだいね」
翔鶴と瑞鶴の顔がぱっと明るくなった。
「待ってました!」
「よしっ、五航戦瑞鶴の力、今こそ見せてやるんだから!」
「いいの? 今回は死ぬかもしれないのよ? ましてや、五航戦のあなた達なら尚更その可能性は高いわ」
加賀は冷たい言葉を投げかけ、ふたりをじっと見つめた。それでも、二人の目に宿った決意は変わらなかった。
「この翔鶴。未熟者かもしれませんが、瑞鳳先輩を見捨てて逃げるような真似などできません!」
「翔鶴姉の言う通り! 瑞鳳先輩をほっとくなんてできないよ!」
「そう・・・」
加賀は静かに微笑むと、すぐに二人に背を向けた。
「私の足だけは引っ張らないようにね」
「はい!」
「加賀さんこそ、爆撃されて焼き鳥にならないでよね!」
弓矢を手に取った三人は海原に目を向けた。空には黒い雲が広がり始め、今にも雨が降りそうだった。
「待って! 私達も行きます!」
加賀達をある艦娘が呼び止めた。
「貴方達は…!」
出撃から十五分もしないうちに、金剛達は大量の深海棲艦に出くわした。
金剛と比叡が単縦陣の体勢を取り、祥鳳達の盾となって前後を守り進撃していた。二人は次々に砲撃を放って深海棲艦達を吹き飛ばし、道を切り開いた。
敵は駆逐や軽巡レベルばかり。このまま順調に進めるかと祥鳳は一瞬安堵したが、目の前の敵に彼女は驚愕した。
「Oh! 戦艦さんも交えてParty Timeですか!!」
戦艦レ級が6体、タ級が6体も待ち構えていた。レ級の竜のような尻尾が次々と唸り声をあげ、威嚇した。
五人は砲撃によって道を阻まれ、じりじりと接近されて円形に固まるしかなかった。
「Wow! Dangerousね!」
「どうやら、敵も総力戦のようですね」
強力無比の戦艦に囲まれ、祥鳳は気力が萎えそうだった。だが、そんな彼女の不安げな表情を察したのか、金剛が彼女の手をぎゅっと握った。
「金剛さん・・・」
「Okay! ここは私と比叡に任せてクダサーイ!」
金剛は祥鳳に向き直り、にっと笑った。
「道は! 私達が! 切り開きます!」
「でっ、でも…」
祥鳳は躊躇った。いくら高速戦艦とは言え、この数をふたりだけで相手になんて。
「祥鳳はLittle sisterを助けるんでショウ!? ここは私達だけでNo problemデース!」
「ここは二人にまかせましょう。大丈夫よ、金剛さん達なら。ねっ?」
如月が静かに声をかけた。祥鳳は躊躇いつつも頷くしかなかった。
「行きましょう、如月ちゃん、睦月ちゃん」
「えぇ」
「にゃしぃ!」
高速戦艦の二人は、正面に向けて連続で砲撃を放ち、無理やり道を開いた。
一瞬だけ生じた敵陣形の隙間を突き、睦月・如月・祥鳳が全速力で突撃して通り抜け、装甲空母姫の方へと向かった
「祥鳳! LovelyなSisterの笑顔、取り戻してくだサーイ!」
「うん! ありがとう、金剛さん! 比叡さん!」
金剛は進んでゆく友に向かって叫ぶと、自分達を完全に取り囲んだレ級とタ級に向き直った。
「ヒハハハ、バカナコムスメドモ…」
低い声でレ級の一体が突然笑い出した。
「What?」
「アノチビヲミステテワタシタチヲコウゲキレバ、シナズニスンダモノヲ…!」
レ級もまた狂ったように笑った。
「ナ~ニガリトルシスターダ…! ワラワセル!」
だが、深海棲艦の笑い声はすぐに絶えた。
金剛と比叡が間髪入れず突撃し、そのレ級の顔を殴り飛ばしたからだった。
「私の仲間を侮辱することはPermitできマセーン!」
「愛する人を守りたいという想い! それが私達の力!」
「その想い、Stampeedさせマセーン!」
レ級の白い顔が鉄拳を受けて丸く歪んだ。
「オノレ、チョウシニノルナコウソクセンカンドモ…!」
残りのレ級は憤り、比叡と金剛めがけて魚雷を連発し、一撃必殺を狙った。
絶体絶命の逃げられない状況。
「比叡」
「はい、お姉様!」
だが、金剛と比叡も焦りはしない。
魚雷が発射されたことに感知するや、ふたりはレ級の肩と頭を掴み、踏み台にして海上からひょいと飛び跳ね、襲いかかってきた全ての魚雷をあっさりと避けてしまった。
外れた魚雷は踏み台となったレ級に命中し、勢いよく吹き飛ばした。
「ナニ…?」
レ級達は動揺した。以前、高速戦艦がこの戦法で大破したという情報は深海棲艦達も知っていた。
レ級をあの時倒した戦艦もいない。にも関わらず、目の前の金剛と比叡は傷一つ負っていなかった。
そして、二人はいつの間にか残りのレ級たちに肉薄する距離まで直進していた。
「艦娘に、同じ技は二度と効きません!」
「レ級の魚雷は動きがToo Simpleデース! 私達艦娘は常にEvolutionしてマース!」
「ググ…!」
タ級が砲撃を浴びせる中、金剛と比叡はレ級の竜の尾を掴み、戦艦の怪力をもって振り回した。
抵抗した竜の頭に噛み付かれ、砲撃があちこちに命中し、身体に激痛が生じた。
だが、二人はそれには構わずこの海魔達を即席のハンマーにし、次々とタ級や残りのレ級を殴り飛ばし、動けなくしていった。
駆逐ロ級や軽巡ホ級、重巡リ級などがその隙に襲いかかってきたが、それらもまたレ級を武器にして吹き飛ばした。
やはり長門先輩の戦い方は凄いな。改めて比叡はそう感じていた。
長門の戦術は、戦艦の持つ耐久力と装甲を最大限に利用し、痛みを恐れず肉を切らせて骨を断つ戦い方であった。
先月舞鶴へ演習に向かった際に長門が訓練してくれたが、比叡はここにきて対レ級の戦術としてこの戦法が最も適していたことを改めて思い知らされた。
やがて、二人の周りには死屍累々の深海棲艦の小山が完成したのだった。
あとはとどめを刺すだけ。小破した二人は腕と身体の痛みを堪えつつ、動けなくなったタ級とレ級たちの山へと砲塔を向けた。
「人の想いまで利用し、踏みにじる深海棲艦!」
「Infernoに焼かれなサーイ!」
ふたりは手を握りあい、砲撃の体勢を取った。
「ダブル・バーニング・ラァァァブ!!!」
一斉砲撃を受け、レ級とタ級の群れは爆発した。
ついで、その周囲にいた深海棲艦達も巻き添えとなり、次々と海の藻屑へと変わった。
レ級とタ級と交戦する金剛達を背に、祥鳳と睦月と如月の三人は敵陣の隙間を縫うように高速で通り抜け、装甲空母姫のいる敵陣の奥めがけて進んでいた。
「あっ…!?」
だが、その行く手をヲ級50体の大群が阻んだ。海の魔女達の上には数百もの艦載機たちが蠢いていた。
祥鳳は自らの腰に取り付けた艦載機を見つめた。30機しかない以上、これではあまりにも多勢に無勢だ。
「あっ…!?」
そうこうしてるうちに、敵爆撃機の群れが祥鳳達に襲いかかってきた。
まずい、やられる。祥鳳の背中がぞっと震えた。
「ヒャッハァー!」
だが、景気のいい掛け声と共に、それらは空中で全て爆散した。
「お~お~、ここか~い? 祭りの場所はっ!?」
「祥鳳さん、無事ですか!?」
波を切り裂き、隼鷹と飛鷹が現れた。
「飛鷹さん、隼鷹さん!」
祥鳳は驚いた。飛鷹はともかく、隼鷹ももう回復していたとは。
彼女達だけではない。佐世保の艦娘達もそこにいた。その証拠に、艦娘達の操る艦載機の中には隼鷹達が操るものとは異なる艦戦や艦爆も含まれていた。
「瑞鳳先輩のお姉さんですね? 私、瑞鶴って言います! 一緒に先輩を助けましょう!」
「祥鳳、先輩…ですよね? 五航戦翔鶴、及ばずながら加勢致します!」
「鎧袖一触よ、心配ないわ。早く行って、瑞鳳を助けてきなさいな」
瑞鶴、翔鶴、そして加賀だった。
加賀は空母の艦娘を集結させ、急ごしらえの支援艦隊を結成し、やって来たのだ。
「おっと、あたしと飛鷹のことも忘れないでくれよな!」
「祥鳳さん、ここは任せて妹さんを! 急いで!」
「飛鷹さん、隼鷹さん!」
祥鳳はまっすぐ並び立つふたりを見た。どうやら完全に艤装も身体も回復したようだった。
「まっ、飛鷹が世話になったからね~。恩返しよ! ひひっ!」
「祥鳳さん、ぼやっとしてないで早く先へ!」
祥鳳は涙ぐんだ。
こんな私のために、そしてみずほのために、ここまでみんなが力を貸してくれるなんて。
「みんな…! ありがとう…!」
「あぁもう、いいからいいから! さっさと妹さんとり戻して、皆でパーっと祝杯挙げましょーや!」
次々と艦載機を繰り出しながら、隼鷹がにかっと笑った。
「行きましょう。祥鳳さん、睦月ちゃん」
祥鳳達は黙って頷き、三人で装甲空母姫と瑞鳳のいる地点まで走り出した。
「さぁ、祭りの時間だぁ! ヒャッハーッ!」
隼鷹が景気よく叫んだ。
隼鷹と飛鷹は式神を次々と繰り出し、大量の九九艦爆を召喚した。
瑞鶴と翔鶴も負けじと次々と矢を放ち、艦載機達を呼び出す。
そして加賀は目にも止まらぬ速さで大量の艦載機を次々と放ち、最新式の艦載機・流星や烈風を大空に羽ばたかせ、圧倒的な力と手数でヲ級達を爆撃していった。
「この程度とは、私達も舐められたものね」
加賀と五航戦の二人が制空権を確保したためか、九九艦爆はほとんど撃墜されずに済んだ。
「よっしゃー、かかれ者どもー!」
「いっけぇぇぇ!!」
隼鷹と飛鷹は次々とがら空きになったヲ級を爆撃し、海へと沈めていった。
「へへへっ、ゆかいだぜー!」
大量のヲ級を撃沈し、隼鷹は満足げににかっと笑った。
一方、電達は不安げな表情でに鎮守府の港から沖の方を見つめていた。
「祥鳳お姉ちゃん達、心配なのです…」
「だ、大丈夫よ! 祥鳳お姉ちゃんは強くてかっこいい、立派なレディーよ! あれくらい楽勝だわ!」
暁はそう言って末妹を励ますが、それが方便であることは彼女も理解していた。
今度ばかりは祥鳳もダメかもしれない。暁はそんなネガティブな想いを必死で振り払うかのように頭を横に振った。
だが、彼女達も対岸の火事を見てるだけというわけにはいかなかった。突如、海から泡が立ち、深海棲艦が出現した。
「きゃぁぁっ!」
突如、戦艦ル級が出現した。しかも電たちの眼前に。
暁達は驚き、腰を抜かしてしまった。
「いやぁぁぁぁ!!」
これから自身に何が起こるかを直感し、電は悲鳴をあげた。
だが、彼女達を襲おうと港へ砲塔を向けたル級は、突如何処からか飛んできた魚雷に吹き飛ばされ爆散した。
「こんにちは、小さなお嬢様がた」
セーラー服を着た二人の少女が電たちの前に現れた。
「私は綾波型駆逐艦九番艦にして、祥鳳お姉さまの一の妹分。漣と申します」
「同じく、綾波型駆逐艦の曙よ。別にアンタ達を助けに来たわけじゃないから。輸送任務で来たら、たまたま敵がこっちに進撃してたんで立ち寄っただけよ」
「まー、気づかれないようちょーっと東京湾を遠回りしなきゃなんなかったんですけどね」
だが敵は一体だけではなかった。次々と海から泡を立てて5体のル級が出現した。
「あらま~」
「ちっ」
5体のル級が漣と曙に襲いかかろうとしたその時だった。
「やっぱり、みんなの留守を狙って来たわね」
鎮守府から砲撃が放たれ、海魔の動きを止めた。
古鷹、加古、球磨、多摩、夕張が艤装を纏って工廠から現れたのだ。
「重巡に軽巡キタ(゚∀゚)コレ!!」
「ありがとうございます。助かりました、漣さん、曙さん!」
古鷹にお礼を言われ、漣はにっと笑い、曙は「ふんっ!」と頬を赤くしてそっぽを向いた。
「ふぁ…。まだ眠いのに…」
「加古、早く起きて。敵よ」
「まったく。これだからおチビちゃん達は世話が焼けるクマ!」
「みんな、無事かにゃ?」
「怪我はない?」
大鯨が電達に寄り添い、静かに抱きしめた。
「はわわ…。だ、大丈夫なのです…」
「よし。お前たちは大鯨と一緒に下がってろクマ。みんなの留守は、この球磨が守ってやるクマ!」
大鯨が四姉妹のもとに駆け寄り、「ここはお姉ちゃん達に任せましょう」と、港の奥へと下がらせた。
「漣さん、曙さん。成り行きですが一緒に戦いましょう!」
「ほいさっさー!」
漣は快く承諾した。
「よっしゃあ! やるよ、みんなー!」
「クマー!」
「祥鳳お姉さまの大切な妹分に、指一本触れさせませんよ!」
七人は海上へと降り立ち、輪形陣を組んでル級5体へと立ち向かった。中心には重砲撃型に装備換装した夕張が立っていた。
彼女の艤装の特徴は、装備の積載可能重量が他の軽巡洋艦の艦娘よりも多いことにあり、場合によっては主砲を四つ搭載することで重巡並の火力を発揮することも可能なのだ。
今、彼女の艤装には20.3cm連装砲が四つ搭載されている。
火力だけで言うならば、この場には事実上重巡洋艦が三体いるに等しい。
「よーっし! 受けてみろ、夕張アルティメットバイオリボルティックシュー…」
「名前が長すぎるクマ!」
「さっさと撃つにゃ!」
二人に突っ込まれ、渋々夕張は叫ぶのをやめてグリップを握り、総出力で砲撃を開始した。
彼女の砲撃が火を噴き、古鷹と加古の砲撃が唸りを上げ、曙と漣、そして球磨と多摩の雷撃が一斉に放たれ、五体のル級はあっさりと蜂の巣にされた。
その頃、祥鳳たち三人は装甲空母姫のもとへと漸くたどり着こうとしていた。
「如月ちゃん、睦月ちゃん。援護をお願い」
「えぇ、雑魚さんはまかせてね」
向かってくる駆逐ロ級に対し、如月と睦月が弾幕を張って近づけさせない。それでも敵艦載機はその幕間を摺り抜けて祥鳳達に襲いかかってきた。
「邪魔よ!」
祥鳳は不用意に接近した敵艦載機を弓で叩き落とし、機銃の弾を傘を開いて防ぎ、時に傘と弓の両方で敵をなぎ払った。
なにより和傘の威力に驚いていた。格闘に用いても傘には傷一つ入っていない。彼女は心の中で改めて夕張に感謝した。
だが、潜水カ級が彼女の足元を狙い撃ちしようと海面に浮かび上がった。
「え~いっ!」
だが、そのカ級に気づかぬ如月ではなかった。彼女は潜水艦に気付いた瞬間、直ぐ様用意していた爆雷を投げ、カ級を吹き飛ばした。
「もーっ、乙女の純情を邪魔するなんてひどいわね」
祥鳳は黙って頷き、瑞鳳の縛られている十字架に視線を向けた。
装甲空母姫の操る白い球状の艦載機の群れが、その丸い風船のような外見に反して、猛スピードで襲いかかってきた。
その時、祥鳳の背や腰に備えていた艦載機達が自ら飛び出し、戦場に躍り出た。
祥鳳が気がつくと、彼女の艦載機のいくつかは既に空を舞、空中戦を繰り広げていた。
まさか、私のために・・・!?
「みんな…! ありがとう…」
祥鳳は静かに呟いた。
祥鳳はさらに全ての矢を放ち、攻撃隊を発艦させた。矢が燃え上がり、九六式艦攻、九七式艦攻、九九艦爆へと姿を変えた。
「龍驤さん、今こそ使わせてもらいます…!」
さらに彼女は懐から白い紙の式神を取り出し、腰に取り付けていた燐の粉を指に擦りつけて着火し、小さな火を左人差し指に灯した。
小さな「勅令」の字が炎の中に浮かび、その火に炙られた式神は燃え上がり零式艦戦52型へと変化した。
「お願い、艦載機のみんな! 私の艤装! 私に力を貸して!」
目の前を飛ぶ艦載機達へ、そして自身の艤装へ、祈るように彼女は叫んだ。
「これが最期の戦いになってもいい…! 私はどうなってもいい!
でも、あの子だけは、みずほだけは、妹だけは助けたいの!
お願いみんな! 力を貸して!」
その叫びに応えるかのように、彼女の艦載機達が輝き始めた。いや、艦載機だけではない。
祥鳳の艤装が、傘が、星屑を纏ったかのような眩い光を放ち始めていた。
隣で祥鳳を護衛していた如月は驚愕していた。祥鳳の弓が、艦載機が、そして艤装が、いずれも星屑を纏うかのように輝いていた。
「まさか…!?」
妹を守りたいという想いが、強い思いが、艤装に届いたというの…!?
「綺麗ね…」
ちょっと妬けちゃうわ。輝きを纏う祥鳳を見ながら如月はそう思った。
「バカナ…」
一方、装甲空母姫は混乱していた。
九六式艦戦は所詮型機に過ぎない。
それより性能が上の零式艦戦52型が補助しているとは言え、深海棲艦の艦載機の数は100以上。
30機の艦載機しか操れない軽空母の祥鳳が勝てる道理はない。
「カカレ・・・!」
重巡リ級、軽巡ト級、駆逐ロ級の群れが次々と祥鳳に襲いかかった。
だが、祥鳳のわずか30機の艦載機は凄まじい戦闘力を発揮していた。
九六式艦戦と零式艦戦52型は次々と敵艦載機を叩き落とし、その隙を突いて九七式艦攻が軽巡ト級へ雷撃を撃ち込んで吹き飛ばし、九九艦爆と彗星の爆撃がリ級を次々に火の海へと葬った。
そして、夕張の開発した迷彩模様の九七式艦攻は他のどの艦載機よりも速く動き、雷撃を次々と撃ち放ち、深海棲艦達を沈めていった。
「アリエナイ…!」
装甲空母姫は祥鳳がここまで抵抗することに驚愕していた。嘗ての赤城達のように、赤子のごとく捻るつもりだったのに。
「みずほ…!」
「ク、クルナ…!」
艦載機の大半を撃ち落とされたヲ級は再び唄声を上げ、瑞鳳に迎撃命令を下した。
彼女を縛っていた触手のようなものが両腕を解放し、瑞鳳は腕のみ自由になった。
「うっ…!」
目の光を失った瑞鳳はもそもそと背中をまさぐって弓矢を取り出し、祥鳳に向けて放った。矢は見事右腕に命中し白い肌にずぶりと突き刺さった。
「痛ッ・・・」
だが祥鳳は苦痛に顔を歪めつつもその歩みを止めない。
「みずほ…! 待ってて・・・」
「ナゼクル…?」
瑞鳳は何度も何度も矢を放った。彼女の精神が失われている以上、矢は艦載機に変わることなくただの矢になる。
祥鳳も負けじと和傘を開き、矢を受け止めた。
大半は和傘に衝突し、折れ曲がって海へと沈むが、それでも全ては躱しきれず、何本かは彼女の右腕や腹部へ次々と突き刺さった。
それでも祥鳳は無抵抗で矢を身体で受け続けた。痛みを堪え、まっすぐに瑞鳳めがけて突き進んだ。
「みずほ…、待ってて…」
祥鳳はとうとう瑞鳳の捕まっている十字架にたどり着いた。近づいてくる触手を傘で薙ぎ払い、無理やり引き剥がした。
粘液の感触が不快だったが、今の彼女は気にも留めなかった。
「サセルカァァァ・・・!」
祥鳳に襲いかかろうとした装甲空母姫とヲ級は、睦月と如月の砲撃を喰らい、制止させられた。
「クチクカン・・・!」
「野暮なことしないの。姉妹の感動の再会なのよ」
「ムードの読めない人は嫌われるよぉ!」
「ザコガ、ドケェェエ!!」
怒れる海魔は艦載機に命令し、二人の周りを爆撃させた。艦載機の爆撃がふたりを取り囲み、睦月と如月は逃げ場を失った。
その好機を見計らい、装甲空母姫は次々と砲撃を放った。
「きゃぁぁぁ!!」
「ふえぇぇっ!?」
「シズメ、シズメザコドモ!!!」
装甲空母姫は何度も何度も駆逐艦を執拗に攻撃した。
「くっ…」
二人は砲撃が直撃し、吹き飛ばされてしまった。
防御壁も粉々に砕け、二人の服もところどころ破れ、可愛らしいデザインの下着が露わになった。
「ウットウシイザコメ…」
装甲空母姫は倒れた二人に蠅でも見るかのような目線を向け、直ぐ様祥鳳のもとへと向かおうとした。
だが、それでも睦月と如月は苦痛に顔を歪めつつ立ち上がり、海魔の親玉の進路を仁王立ちして阻んだ。
「クチクカンノクセニ、ナゼタオレヌノダ・・・!?」
「く、駆逐艦を・・・、舐めないで・・・!」
「睦月は一番お姉ちゃんだから…。こんなところで倒れちゃみんなに笑われちゃう…、もん…!」
だが、装甲空母姫は理解できなかった。なぜ弱い二人がここまで立ち上がるのか、なぜこの二人が逃げないのか。
「ムシケラハムシケララシク、サッサトクタバレ…!」
「虫けら、ね…」
如月はふっと笑った。
「確かに私たち駆逐艦の艤装は砲撃も装甲も弱い。睦月型なら尚更のこと。でもね、私達には誰にも負けない強さがあるのよ…!」
「どんな困難にも折れずにみんなを守りぬく、不屈の駆逐艦魂にゃしぃ!」
「ソンナモノガナンニナルゥ?」
装甲空母姫は顔を歪めて嘲った。
「大切な人への大切な気持ち、守りたいという想い。私達の想いに、艤装はいつも応えてくれるわ…!」
「今こそ睦月たちの本気、見せてあげるぅ!」
鬱陶しい。装甲空母姫は蝿でも払うがごとく砲撃を二人に向けて放った。だが、当たらない。
いつの間にか如月と睦月は装甲空母姫の後方へと回り込んでいた。
「オノレェ…!!」闇雲に砲撃を放ち艦載機に襲わせたが、高速で移動する睦月と如月には掠りもしなかった。
いつの間にか、この二人も祥鳳と同じ輝きを纏っていることに装甲空母姫は気付いた。
「ナンダ、ナンダ、コノチカラは…!?」
装甲空母姫は驚愕していた。叩けば叩くほど、この敵二人はより力を増して抵抗してくる。
なにより最弱であるはずの駆逐艦がここまで立ち向かってくることに対し、この強大な海魔は生まれて初めて恐怖を覚えていた。
「てぇぇぇぇぇぇい!」
「今、如月が楽にしてあげる!」
睦月と如月は一瞬の隙を付き、接近できるぎりぎりの距離から残りの魚雷を放った。
「オノ・・・レェ・・・!!!」
装甲空母姫は回避しようとしたが失敗し、飛び散った破片によって左目に傷を付けられてしまった。
「ふう・・・」
「オノレオノレオノレェザコクチクカンメェ!!」
傷ついた装甲空母姫は怒りの叫びをあげた。
その頃、祥鳳は傷だらけになりながら妹の縛られた十字架へと漸く到着した。今や十字架を牽引していたイ級も倒れ、彼女の邪魔をする者はなかった。
「みずほ、お姉ちゃんだよ! みずほ…!」
「…!?」
「待ってて、今助けるから!」
姉は妹を、矢だらけのボロボロの手で抱きしめた。瑞鳳は邪魔者を払おうともがき、ヲ級も残りの艦載機達を率いて次々と祥鳳を爆撃した。
祥鳳の艦載機も最早ほとんど撃ち落とされており、残ったのは零式艦戦52型と迷彩模様の九七式艦攻のみだった。
この二機ではもはや彼女を守りきれず、祥鳳の防御壁は崩壊し、あと二三回直撃すれば倒れてしまうほどだった。
だが、それでも祥鳳は妹を決して離しはしない。
目の光を失った瑞鳳は目の前の姉を振り払おうとする。だが、祥鳳は構わずに磔にされたままの妹を抱きしめた。
「ごめんね、今まで迎えに行けなくて…! 寂しかったよね…!」
「な…!?」
「ごめんね・・・!」
その言葉は瑞鳳の脳裏に、ある日の出来事を蘇らせた。
あの日、お姉ちゃんが遊んでいた携帯ゲームをいじってたらセーブデータを消しちゃって、大げんかしたんだよね。
幼かった私は、自分が悪いと心の奥底で分かっていてもわがままを言っちゃった。
気を付けないそっちが悪いと言って、二三日は口も聞かなかったんだっけ。
でも、しばらく経った日に探検に出かけたら、道がわからなくて迷子になっちゃったんだよね。
疲れて一歩も動けなくなり、名前も知らない公園のベンチで泣いて眠っちゃった。
泣き疲れて眠っていたところを誰かに起こされた。
お姉ちゃんだった。
「ごめんね、私のせいで…。寂しかったよね…!」
あのとき、おねえちゃんの顔は涙でくしゃくしゃだった。
もう、怒ってないのと恐る恐る聞いた。
そしたら、お姉ちゃんはこう言った。
「怒ってるわけないでしょ! すっごく心配したんだよ…! みずほ…!」
そして、私たちはふたりそろって泣き出した。
涙が頬を濡らした。姉の体温が感じられる。
…思い出した。この優しい温もり。この優しい声。そしてこの涙。
そうだ。この人が、私のお姉ちゃんなんだ。
「おねえ…ちゃん…」
涙とぬくもりが瑞鳳の記憶を呼び覚まし、身体と精神を支配する闇に一筋の光を放った。やがて、その光は涙となって、瑞鳳の瞳から溢れ出した。
「みずほ…!」
祥鳳は目を潤ませ、妹をきつく抱きしめた。
「ごめんね。待たせちゃって・・・」
姉妹は泣きながら抱き合った。やがて、瑞鳳を束縛していた触手も力を失い、ゆっくりと垂れ落ちた。
「ナンダト…!?」
装甲空母姫は作戦が完全失敗したことに茫然自失としていた。ヲ級の洗脳は完璧だったはずだ。だが、目の前の瑞鳳は明らかに自我を取り戻している。
「ナゼダ、ナゼダナゼダナゼダ…!?」
「如月ちゃん、この子を」
「えぇ…」
祥鳳は再び気を失った瑞鳳を睦月と如月に託し、装甲空母姫の前に立ちはだかった。
ヲ級はともかく装甲空母姫はまだ健在。
相手の艦載機も少なくなっていたとは言え、既に飛べる艦載機は零式艦戦52型と迷彩模様の九七式艦攻がそれぞれ一機だけ。
なんとしてでもみずほを、妹を、睦月を、如月を守る。
たとえこの身を引き換えにしてでも。
祥鳳が痛む腕に鞭打ち、矢を番えたその時だった。
「ヘーイ、深海棲艦! 私達をForgetしてもらっては困りマース!!」
「祥鳳さん、遅くなってすみません!」
金剛と比叡が波を切り裂き駆けつけた。レ級達との交戦で負傷したのか、二人とも防御壁がややひび割れていた。
「コウソクセンカンメ…!」
「お姉さま、祥鳳さん!」
「行きます!」
比叡と金剛が祥鳳の肩に手を置いた。二人の意図を理解した祥鳳もまた、弓矢を番い、狙いを定めた。
「Okay! 私達三人の必殺技、見せてあげまショウ!」
三人は、砲塔を向け、矢を番え、装甲空母姫の心臓めがけて狙いを定めた。
「トリニティ・バーニング・ラァァァブッッ!!!」
三人の叫びとともに、祥鳳の残っていた全艦載機と砲弾が放たれた。
迷彩模様の九七式艦攻が魚雷を放ち、もはや装甲空母姫に逃げ場は内容に思われた。
「オノレェェェェ!!!」
大きな水柱が立ち、海水が吹き飛ばされ、大きな噴水のように弾けとんだ。
だが装甲空母姫は撃沈してはいなかった。隣にいたボロボロのヲ級を盾にし、砲撃の雨をなんとか凌いでいたのだ。
「ナ、ナゼ…!?」
「チカクニイタ、オマエガワルイ…!」
「ア、アァ、アァァァァァ・・・!」
ヲ級は絶望の叫びを上げて燃え上がり、爆発した。
爆風が収まると、そこには片目を失い、体の一部をところどころ吹き飛ばされた装甲空母姫が尚も立っていた。
「オノレクチクカン、ケイクウボ…! イズレシカエシ・・・シテヤル・・・!」
装甲空母姫は捨て台詞を吐き、海の底へと去って行った。
金剛は警戒を保ったままだったが、しばらくしてもう大丈夫だと悟った。あの大群も含め、敵は全て殲滅した。もう、恐れるものは何もない。
静かになった海に浮かぶのは、倒された敵の残骸や力尽きた艦載機達だけだった。
「金剛さん」
傷ついた右腕を抑えながら、祥鳳が金剛に向き直った。傷口からは赤い血が流れ、白い和服の赤い小川が流れていた。
「比叡さん、如月ちゃん、睦月ちゃん…。みんな、ありがとう…!」
ボロボロになりながら祥鳳は仲間達に礼を述べた。
「You're Welcome! 祥鳳、よく頑張ったネ!」
金剛はにこりと笑い、祥鳳もまたそれに釣られて静かに微笑んだ。
いつの間にか黒い雲は小さくなり、赤い夕陽が雲の隙間からぽっかりと現れ、海を赤く照らした。
金剛には、太陽が祥鳳の勝利を祝福してるように思えたのであった。
次回、私が作った卵焼き、食べる?
以上、七話でした。
次の投稿は3月始め頃を予定しております。
俺は割と好きだけど進みが遅すぎるかな
特撮みたいに52話に分けてやるつもりなのか
>>101
すみません、実生活の方が忙しくて遅延気味です。
来週頃には次回を投稿する予定です。
お待たせしました、投稿再開します。
光の届かぬ暗い暗い深海。熱水噴出口から静かに昇っていた白い煙が静かに揺れた。
(ギャァァァァァァァァ!!!)
装甲空母姫が苦痛に呻き、彼方此方に絶叫の音波を乱発していた。
自身の策が破れ、与えられた兵力の大半を失ったこの海魔は、その罰として戦艦棲姫によって拷問されていた。
今、この怪物は巨大な腕の生えた龍のような怪物によって何度も何度も岩場に叩きつけられ、殴り飛ばされ、息も絶え絶えだった。
(ヒャハハハハ!!)
南方棲戦鬼は無様な仲間の様子を嘲笑い、飛行場姫は不安げに拷問を見つめていた。
(オユルシ…クダサイ…!)
装甲空母姫は息も絶え絶えの様子で許しを乞う。
(キサマニハシバラクサガッテモラウ…。ナンポウセイセンキヨ)
(オマカセクダサイ…。ドコゾノクズテツトハチガウトコロヲオミセシマショウ…)
恭しく南方棲戦鬼は頭を下げつつ、装甲空母姫を細い目で見つめ、にやりと顔を歪めて笑った。
(オノレェ…)
屈辱に塗れた装甲空母姫の頭の中に三人の艦娘の顔が浮かんだ。
睦月、如月、祥鳳。そして、あの高速戦艦の金剛。
(ザコドモゴトキガ…! オノレオノレェ…!!)
装甲空母姫は痛みに顔をしかめ、必ずや自身を傷つけた艦娘達へ復讐を成し遂げることを誓った。
8 私の作った卵焼き・・・、食べりゅ・・・?
12月中旬の朝。冷たい空気の感触で瑞鳳は目覚めた。
彼女が横須賀鎮守府の面々によって深海棲艦から救われてから一週間が経過した。
先の戦いにおける艦娘達の活躍は凄まじかったという。
佐世保鎮守府と横須賀鎮守府の空母・軽空母はヲ級の大群を迎撃し、その間隙を縫って急襲された横須賀鎮守府は突如現れた二人の艦娘・漣と曙――戦いが終わると二人はすぐさま何処かへ去ってしまったという――および球磨や古鷹ら重巡・軽巡の艦娘によって防衛された。
幸いなことに瑞鳳に大きな怪我はなかった。脳検査や精密検査なども実施されたが、体調にも異常はなくすぐに退院できた。
だが、彼女を救出に向かった艦娘達は無傷では済まなかった。
如月と睦月は何とか装甲空母姫を撃退こそできたものの、いくら歴戦の勇士である彼女達ですら、嘗て一航戦の赤城達を撃破した強大な敵相手に無傷では済まなかった。
艤装にも体にも大きな傷を負い、休暇も兼ねて数週間の入院を余儀なくされた(その間、弥生と卯月が舞鶴から呼ばれ、遠征任務を代理で請け負っていた)。
彼女の姉である祥鳳も二人ほどではないが重傷を負い、三日三晩意識不明の状態に陥り、昨日退院したばかりだった。
その他、横須賀鎮守府の飛鷹と隼鷹も爆撃を避けきれず怪我をして入院したと聞いている。
(私のせいだ…)
瑞鳳は胸を痛めた。私がもっとしっかりしていれば、深海棲艦に人質になんか取られなかったのに。仲間達も、そしてお姉ちゃんも怪我せずに済んだのに。
瑞鳳は暗い気持ちを抱えたまま、宿泊室を出た。後ろを振り返ると翔鶴と瑞鶴がひとつのベッドで抱きしめ合い仲良く眠っているのが目に入る。
そんな二人が羨ましかった。
私も、本当はお姉ちゃんと一緒にいたいのに。でも、私にはそんな資格なんてない。
同じ部屋に泊まっているはずの加賀はいなかった。恐らく朝から演習に励んでいるのだろう。
加賀さんならこのモヤモヤした気持ちを何とかしてくれる。瑞鳳は師匠に会いに行こうと思い立ち、弓道着に着替えてから部屋を出て演習場に向かった。
その途中、瑞鳳は一階の廊下で祥鳳に会い、目線が合った。
「おはよう。おねぇ…」
目の前には長年会いたかった人がいる。それなのに、お姉ちゃんと呼ぼうとしても喉元に引っかかった魚の骨のように言葉が詰まった。
瑞鳳の胸が痛んだ。
祥鳳とは退院後に何度か顔を合わせた。
操られていたとは言えあれほど傷つけたのにも関わらず、彼女の姉は何一つ瑞鳳を責めようとはせず、ただ寂しげに微笑むだけだった。
せめて「よくもやったわね!」と罵ってくれたほうがまだマシだった。
「お、おはよう。祥鳳…さん」
故に、彼女には素直に「お姉ちゃん」と呼べなかった。
私はお姉ちゃんなんて呼んじゃいけない。祥鳳をこれだけ傷つけた私がそんなこと言う資格なんてないんだ。
「おはよう、みずほ…。って、今は瑞鳳よね…?」
「う、うん。気にしないで…」
ぎこちない会話。ぎこちない挙動。ぎこちない笑顔。鎮守府内で再会して以来、ずっとこんな調子だった。
「ごめんね、まだ慣れなくて…」
「い、いいよ。気にしないで…」
「あ、朝ごはんの当番に行かなきゃ。またね…」
祥鳳は足早に食堂へと駆けていった。瑞鳳は去って行く姉の背中が、まるで自分を拒んでいるように見えてしまった。
瑞鳳は姉に気づかれないように後を尾け食堂をこっそり覗いた。そこでは、祥鳳があどけない容貌の少女達と一緒に朝食の支度をしていた。
「もう! 祥鳳お姉ちゃんは休んでて良かったのに…!
「で、でも私が当番だったし…。体ももう大丈夫だから」
「もー! こんな時くらい私を頼ってくれていいんだからね!」
「そうなのです。朝ごはんくらい電達が作るのです」
「ありがとう。それじゃ、任せちゃおっかな?」
「ふふん、電の本気を見るのです!」
鯨の描かれたエプロンの少女が黙って微笑み、祥鳳の肩をゆっくり押して椅子へと座らせた。
黒髪と銀髪の幼い少女達が目玉焼きをテーブルに運んでいた。
祥鳳と年下の艦娘たちは本当の姉妹のように仲が良かった。だが、実の妹であるそこに瑞鳳はいない。彼女の居場所はない。
割り込みたくても割り込めなかった。
なんで…。なんで、私じゃないの…?
「祥鳳の、バカ…!」
嫉妬にまみれた自分が悔しくなって、瑞鳳はその場から逃げるように足早に去った。
彼女の涙に気付くものは、誰もいなかった。
その頃、執務室では伊吹提督と青葉が、それぞれ鮭味と梅味のお茶漬け――安物のインスタント――を食べていた。
本来ならば彼も食事は食堂で済ませるのだが、今回は事情があって執務室を離れる時間も惜しいくらいに多忙だったため、昨日からずっとお茶漬けと簡単なサラダくらいしか口にしていない。
「ふぃふぇいふぁん、ふぉふふぃえふぁ、ふぁんむほぉぶふぁふぉふぉふぁんぼうぶわぁっふぁんふぇふふぁ?」
乙女らしからぬ品のない食べ方をする青葉に呆れ、伊吹は一旦箸を止めて器を置いた。
「…行儀が悪いぞ青葉。せめて食べ終わってから喋れ」
「しっ、失礼しましたぁっ!」
額に皺を寄せた伊吹の顔に驚き、青葉は慌てて手を止めて頭を下げた。
伊吹はしばらくすると黙ってお茶漬けを再び食べ始め、彼女もそれに従った。
やがて、お互いに食べ終わったことを確認し、青葉がお茶碗の前に手を合わせると、伊吹も「ごちそうさま」と一言添えて話を始めた。
「司令長官は君の提出してくれた物的証拠のおかげで現職を即刻解雇。今では警察の取り調べを受けているそうだ」
「へぇ~」
「よくやったぞ、青葉。君と衣笠のおかげだ」
「えへへ…お役にたてて光栄です!」
青葉は照れくさそうに鼻を擦った。
戦いが終わってから数日後、伊吹は舞鶴鎮守府の水本提督や佐世保の加藤提督らと共に緊急記者会見を開き、艦娘達の置かれている苦しい現状について訴えると共に司令長官らの不祥事について暴露した。
司令長官らの問題行動は以前から提督達の間でも悩みの種となっており、これを好機と見て艦娘に非難が及ばないように上層部の浄化を図ったのだ。
幸い、情報はあっという間に全国に広がり、司令長官らは世間からの非難に晒されて辞任を余儀なくされた。今後、別の人物が司令長官に任命されるだろう。
もっとも、たとえ青葉達の掴んだ証拠写真がなくとも、伊吹は自身の地位を顧みずに金剛らに瑞鳳を救出するよう命じていただろう。
今回は敵勢力が東京に到着するまでそれなりに時間に余裕があり、且つ司令長官を動かせる弱みを握っていたために、彼らしくない回りくどい手を取っただけに過ぎないのだ。
だが、司令長官らを追放した代償として、伊吹達には膨大な量の業務が降りかかってきた。
通常の業務に加え、報道各社への情報公開や予算案の決議、全国から届いた寄付や寄贈への対応、その他諸々の雑務などであった。
さすがに秘書官の赤城だけでは手が足らず、伊吹は非番の艦娘――前日は衣笠でこの日は青葉が担当だった――にも秘書官補佐を頼んでいた。
お茶碗を片付け終えると二人は書類業務に戻った。
「ところで司令官…」
「なんだ?」
「瑞鳳さんと祥鳳さんのことですが…。なんでしょう。なんかこう、わだかまりがあるように見えるんですが…」
「君や我々が口を出すことではない。十年も会えなかったんだ。まだお互いに距離を掴みかねているのだろう…。なに、いずれ時間が解決してくれるさ」
「青葉。あのふたりのツーショット、早く撮ってあげたいです…」
青葉のつぶやきを聞き、伊吹はこのカメラ好きの少女(と衣笠)に人間の暗部ばかりを撮らせていたことを改めて思い知らされ、自責の念が湧き上がってきた。
「…そうだな。その時はたくさん撮ってやるといい」
「はい! 青葉、その時はた~くさん撮っちゃいますから!」
青葉を労わるように、伊吹はいつになく優しい声色で言った。
これからは、この子にはもっと美しいものを撮ってほしい。彼は心からそう願った。
「すまない、青葉」
「えっ、なんか言いましたか司令官?」
「いや…。なんでもない。仕事に戻るぞ」
「はーい!」
ふたりは再び書類の山との戦いを開始した。
秘書官の赤城は執務の休憩を兼ねて親友の加賀と共に、グラウンドの演習場で艤装が装着できない件について相談をしていた。
そして今、装着されずバラバラになった赤城の艤装が演習場に散らばっていた。
「…確かに、艤装が装着できないようですね」
「えぇ。いったいどうすれば…」
「確かに、艤装が艦娘を拒絶する例は今までもありましたが…」
加賀はじっと考え込み始めた。
深海棲艦との戦いにおいて、最初に艦娘として登場したのが『初期艦』と呼ばれる艦娘達だった。
吹雪、叢雲、五月雨、漣の四人である。そして、彼女達は加賀や赤城らと共に十年前の第一時大規模襲撃の際に大活躍し、世界を駆け巡ることになった。
だが、その初期艦のうち三人は既に艦娘ではない。
吹雪、漣、五月雨の初代装着者らは瀕死の重傷を負ったことがきっかけで艤装に『拒絶』され、艦娘の座から退いた。
現在も尚戦場で活躍している「初代」初期艦の艦娘は叢雲のみである。
後年、行方不明となっていた三人の艤装は新たな装着者となる少女達のもとへと現れ、彼女らが所謂『二代目』となった。
赤城も同様の理由で拒絶されたのならば、艤装は既に彼女の元を去っていてもおかしくはないるはずである。しかし、赤城の艤装は留まったままである。
ふと加賀の脳裏にある考えが過ぎった。
『赤城』は装着者に何かを伝えたいのだろうか?
「このままでは、一航戦としての誇りにも傷が…。それに、装甲空母姫も…!」
赤城さんはいつになく焦っている。加賀はそう思った。
嘗て彼女に重傷を負わせ鳳翔を長い眠りに就かせた悪魔が蘇ったのだ。一刻も早く戦列に復帰したいと思う彼女の気持ちは痛いほど分かる。
だが、昔の赤城は何があろうとも何時だって冷静に戦い勝利を見出していた人だった。
戦友はこの四年間で何か変わってしまったのだろうか。
「赤城さん、今日はこれくらいにしましょう。焦ることはありません」
赤城は悔しげに黙って頷き、軍艦の形状に戻った艤装『赤城』を抱えて鎮守府へと歩き始めた。
暫くの間、ふたりは黙って歩き続けていた。加賀は無口赤城には不甲斐ない自分を責めているように思えてならなかった。
やがて、その沈黙に耐えられず赤城の方から話題を振った。
「そう言えば、加賀さん」
「なんでしょう」
「祥鳳さんや隼鷹さん達の実力については、どう思われますか?」
「瑞鶴達よりはましな腕前くらいね。せいぜい一航戦であるあなたの四分の一、四航戦と言ったところかしら?
あの子達に赤城さんの代わりが務まるとは到底思えません」
「ふふ。相変わらず厳しいですね…」
赤城は苦笑した。同時に、暗に加賀が自分を今でも戦友だと思ってくれたことが嬉しかった。
「事実を言ったまでです。あなたに敵う空母など、この世に誰もいません。鳳翔や龍驤を除けばの話ですが」
「でも、あなたの後輩の翔鶴さんと瑞鶴さん、だいぶ伸びしろがありそうですよ? この間も加賀さんに負けないくらい戦果を挙げてたじゃない?」
「五航戦の子なんかと一緒にしないで。あの子達はまだ私の足元にも及ばないわ。まだまだ特訓が必要よ」
加賀はぴしゃりと冷たく言い放った。だが、そんな戦友の言葉を聞いた赤城はくすりと微笑んだ。変わらないな。赤城は思った。
昔から加賀さんはこうなのよね。冷たいふりをして、実は誰よりも優しい心を持っている人。それも隠してるようで全然隠せてないのがかわいい。
「ふふ…。加賀さんったら」
「…なぜ笑ってるのですか」
「なんでもありません…、ふふっ」
突然笑い出した戦友に加賀は首を傾げた。
その時だった。
『緊急事態発生! 東京湾沖に戦艦タ級6体が出現!』
夕張の緊急放送が鎮守府中に発せられた。その放送を聞き、静かながらも穏やかな加賀の目つきは獲物を狙う猛禽のものへと変わった。
「赤城さん、行ってきます…」
「えぇ…、気をつけて」
加賀は直ぐ様艤装を呼び出して装着し、港へと向かった。赤城は自らの無力に拳を握り締めながら、戦友を見送った。
その日の出撃はあっさりと終了してしまった。
赤城と並んで最強の一航戦と称された加賀。
彼女の五分の一の実力しかないとか称されるものの十分な実力を持つ五航戦の姉妹。そして瑞鳳。
この四人に加え、高速戦艦の金剛と比叡も出撃した。彼女らにかかればタ級6体と言えど恐るるに足らない存在であった。
とりわけ、加賀は流星や烈風など最新鋭の艦載機を主戦力として扱っていた。
圧倒的な攻撃力によって一撃でタ級の半数を大破に追い込み、残りの敵戦力も五航戦と瑞鳳の畳み掛けるような爆撃と金剛達の砲撃によって撃破された。
まさしく完全勝利だった。
「すごい…!」
艤装が修復しておらず出撃不能だった祥鳳は、金剛達からの通信を聞いて驚愕していた。
そして、六人の艦娘が港へと戻ってきた。祥鳳は金剛や瑞鳳を迎えに行こうと船着場へと向かった。
だが、楽しそうに並んで歩く佐世保鎮守府の面々が目に入り、その歩みは止まってしまった。
「加賀さん! 私、やりました!」
瑞鳳は無邪気に喜び、加賀に飛びついた。加賀は後輩を優しく抱きとめ、その頭をそっと撫でた。
「よくやったわね、瑞鳳…」
「えへへ…」
加賀はふっと静かに微笑んだ。まるで瑞鳳の姉のようなふるまいをしていた。
「瑞鳳先輩すごいです! あんな遠距離から正確に爆撃を命中させるなんて!」
「さっすが先輩!」
瑞鶴と翔鶴が彼女の元に寄ってくる。二人もまた瑞鳳の仲の良い姉妹のように思えた。
「っ…」
祥鳳は胸にしびれるような奇妙な痛みを感じ、無意識に拳を握り締めている自分に気付き、慌てて手を開いた。
私には、嫉妬する資格なんてないのに。
勝手に死んだと思い込んで、10年間ほったらかしにして、何一つ姉らしいことなんてしてやれなかった。そんな私には加賀さん達を羨むなんていけない。
それにあそこまでみずほが、瑞鳳が成長したのも加賀さんのおかげだ。あの人の方がよっぽど私なんかより姉らしい。
そう自分に言い聞かせても、祥鳳は胸の痛みと手の震えを抑えることはできなかった。
陸に上がった金剛と比叡は、そんな戦友の寂しげな姿を目にし顔を見合わせた。
「お姉様、祥鳳さんと瑞鳳さんのこと、気付かれましたか?」
比叡は小声で姉に尋ねた。
「Of course・・・。あの二人からはDistanceを感じマース」
金剛も祥鳳のことが気がかりだった。あの二人のぎこちない様子は嘗ての自分と霧島を彷彿とさせた。
二人はどこか暗い表情をした黒髪長髪の戦友にかけるべき言葉を探しあぐねた。
艦娘達が鎮守府に無事到着したのを確認すると、夕張は戦闘用のセーラー服から薄汚れたツナギへと着替え、作業室へと入った。
作業室には前回の総出撃で傷ついた艤装が無数に並んでいた。古鷹、加古、衣笠、青葉。
仲間達の艤装を静かに見つめながら歩き、夕張は部屋の隅っこで静かに横たわっていた祥鳳の艤装へと辿り着いた。
あの戦いが終わった後、祥鳳は妹を抱きかかえながら満身創痍の身で横須賀鎮守府の港へと上陸した。
瑞鳳を医療班に受け渡した直後、彼女は安心したのかその場で気を失ってしまった。
その時だった。突如、祥鳳の艤装が全て剥がれて軍艦の形態へと勝手に戻ってしまった。驚く金剛達の目の前で艤装は真っ二つに割れて砕けた。
直ちに艤装を回収して高速修復剤に浸けたが、回復は遅く未だにひび割れは修繕できなかった。
また、この戦いで海に落ちた彼女の艦載機は30機とも回収されたが、彼らも全てボロボロの状態で工廠の机の上に力なく横たわってた。
祥鳳さんが限界を超えて戦った代償なのかも。夕張はそう推察していた。
もともと祥鳳はその身を犠牲にしてでも仲間達を傷つけないよう庇うことが多かった。
この物言わぬ彼女の戦友達もまた、そんな主の想いに応えるべく限界以上の力を発揮したのであろう。
「祥鳳さん…」
夕張は静かに呟いた。
姉妹のいない夕張にとって、横須賀鎮守府の仲間達は本当の姉妹も同然だった。
とりわけ、彼女はいつも――女の子らしくない機械オタクで特撮オタクの自分にも――優しく接してくれる祥鳳が好きだった。
「絶対に祥鳳さんの艤装を直すんだ…!」
故に、彼女の艤装の修理に対して夕張はいつになく意気込んでいた。彼女はツナギの腕をまくり、ふんと鼻を鳴らした。
工廠の妖精達もまた同じ仕草をし、共に気合を入れた。
その日の工廠は、翌朝まで明るいままだった。
出撃を終えた日の翌朝、瑞鳳は加賀に話があると言われ、人気のないグラウンドの木の下へと呼び出された。
「瑞鳳、これからあなたははどうする気?」
「えっ?」
「夕方までに選びなさい。佐世保に戻るか、横須賀で姉と共に暮らすか」
「わ、私は…」
瑞鳳は戸惑った。昨日の朝以来、祥鳳とは一度も会話してない。ちらりと食堂で別のテーブルにいるのを見ただけだった。
お姉ちゃんと仲良くしたい。でも、どう接してゆけばいいのかまったく分からない。それなのに、今日中に姉といるかどうかを決めろなんて無茶だ。
「そろそろ我々も佐世保に戻らないといけません。いくら超弩級戦艦と言えど、武蔵さんだけに防衛を任せておくことは危険だわ」
「えっ…。でっ、でも私…。あの…。その…」
瑞鳳はしどろもどろになりながら言葉を紡いだ。
「大丈夫。あなたがどんな選択をしようと、私はそれを尊重するわ」
加賀は無表情のまま言った。
「誰にも文句は言わせません」
それから数時間が経過した。
悩みに悩んだ瑞鳳は、お昼頃に瑞鶴と翔鶴を呼び出し、波止場で二人に相談することにした。
ふたりは大鯨の作った昼食の竜田揚げを食べた直後だったようで、瑞鶴の口周りにはご飯粒が付いていた。
「瑞鶴、翔鶴。ちょっと相談があるんだけどいいかな?」
「なんですか?」
妹の頬についたご飯粒を取りながら翔鶴が返答した。
「私、横須賀鎮守府に残ってもいいかな…?」
「はい?」
「…えっ?」
「そ、そうだよね…。そ、そりゃあ、私だって祥鳳とも仲良くしたいけど、私が行ったらチームワーク乱れちゃうし、祥鳳だって迷惑だろうし…」
とぎれとぎれになりながら瑞鳳は言葉を紡ぎ、そして俯いた。
三人の間に沈黙が漂った。翔鶴が何と声をかければ良いのか戸惑っているうちに、彼女の妹がその空気を打ち壊した。
「…バカにしないでくださいよ」
冷たく言い放ったのは瑞鶴だった。
「ず、瑞鶴…! そんな失礼なことを言ってはいけないわ」
翔鶴は咎めたが瑞鶴は口を閉じはしなかった。
「私は幸運艦だし、絶対に沈まない自信だってあります。それに、翔鶴姉だってむちゃくちゃ強いんですよ。そんなことも分かんないんですか?」
「ず、瑞鶴…」
「瑞鳳先輩、ホントは私達のことを言い訳にして甘えたいだけでしょ? 自分がお姉さんと向き合えないからって」
「なっ…! そっ、そんなことないもん!」
「ウソ。あんなに会いたがってたくせに、全然お話すらしてないじゃないですか」
図星を突かれ、瑞鳳は俯いた。
確かに瑞鶴の言うとおりだった。私は後輩を言い訳にして祥鳳と向き合うことから逃げようとしている。
「ちゃんと祥鳳さんに向き合ってください。このままじゃお姉さんがかわいそうですよ」
ぐうの音も出ない正論だった。容赦がなさすぎる。
瑞鳳は暫く黙った後、ようやく口を開いた。
「そうだね…。ごめんね、二人とも…」
二人に背を向け、瑞鳳は歩き出した。
「それから…、ありがとね。瑞鶴」
瑞鳳は吹っ切れたように微笑み、小走りで波止場を後にした。
翔鶴と瑞鶴は微笑みながら背丈の低い先輩を見送った。
「やれやれ、手のかかる先輩だこと」
「瑞鶴…。あなた加賀さんに似てきたわね」
「なっ…!」
瑞鶴は顔を赤くして反論した。
「似てないよ! 誰があんな腹黒で無口で焼き鳥な女なんかに!」
「ふふ。その割にちょっと嬉しそうなのはどうしてかしらね?」
「も~! 翔鶴姉も変なこと言わないでよー!」
その頃、祥鳳は金剛と比叡の個室で紅茶を飲んでいた。
金剛達の部屋は赤い絨毯やイギリス製のテーブルなど洋風の家具が置かれており、狭いながらも西洋の宮殿のように優雅な様相だった。
三人とも出撃や遠征などに忙殺されていたからというのが建前だったが、金剛達の目的は別にあった。
「そう言えば祥鳳」
「な、なんでしょう?」
比叡お手製のクッキー――大鯨が傍で付き添ったため普通の味付けだった――を齧りながら、金剛は祥鳳をじっと見た。
「加賀さん達を見てるとき、ちょっとあなたからJealousyを感じマース」
「そう、ですよね…」
図星を突かれ、祥鳳は俯いた。
「分かってるんです。私なんかより、加賀さんや瑞鶴さん達の方がよっぽどあの子の姉らしいって…。それなのに私、加賀さん達に嫉妬するなんて…」
「祥鳳。それはBadなことじゃないデス。あなたがLittle PhoenixをLoveな証拠デース」
金剛は優しく微笑みながら言った。だが、祥鳳の表情は暗いままだった。彼女はクッキーにも紅茶にも全く手をつけていなかった。
「もう、これ以上会わない方がいいのかもしれません…」
「What!? せっかく会えたって言うのに何言ってるデース!?」
「だって…。私、あの子を十年間ほったらかしにして…。それに私なんか、加賀さんに比べれば弱いですし…」
「そんなことないです」
突如、クッキーを齧りながら黙って話を聞いていた比叡が口を開いた。
「祥鳳さん。あなたは強い人ですよ」
「えっ?」
意外な言葉に祥鳳は目を丸くした。
「私もお姉様も見てました。祥鳳さんが命懸けで電ちゃん達を守ったことも、いつも美味しいごはんを作ってるとこも。そして妹をボロボロになって救ったことも」
「比叡さん…」
「あなたの心の強さは、優しさは、きっと加賀さんにだって劣らないはずです」
金剛も黙って頷いていた。
「比叡の言う通りデース。祥鳳は十分強くて優しいお姉ちゃんのはずデス。誰がなんと言おうと、私達はあなたがStrongなことを知ってマス」
「金剛…さん…」
「大丈夫です。今はまだお互い戸惑ってるだけですよ。私達と榛名達のように、祥鳳さん達もきっとまた仲良くなれるはずです」
「…ありがとうございます」
二人の暖かさが胸に染み、祥鳳の胸に熱いものがこみ上げてきそうになった。
「やはりそういうことね」
溜息を付きながら、加賀が突如扉を開けて部屋に入ってきた。
「かっ、加賀さん…!?」
「いつまでウジウジしてるの、四航戦の子。さっさと姉らしいことでもしてきなさい」
「加賀の言う通りデース! さっさと会いに行きナサイ!」
「気合! 入れて! 行きましょう!」
「ちょ、ちょっと待って・・・。あぁぁっ!! まっ、待って離してください…!」
「No Problem! 祥鳳が瑞鳳ちゃんにI love you って伝えればいいだけのことネ!」
金剛と比叡に腕を掴まれ、祥鳳は足をじたばたさせながら無理やり瑞鳳のもとへと運ばれた。
金剛達に無理やり引っ張られ、祥鳳は本棟の外へと連れてゆかれた。施設入口を出ると、ちょうど波止場から戻ってきた瑞鳳と出くわした。
「あ…。し、祥鳳…」
「瑞鳳…」
「デハ、姉妹で話し合ってくだサーイ!」
そう言うと金剛達は無理やりふたり近くのベンチへと座らせ、足早に去って行った。
取り残された二人はベンチに座り込んだまま何も話さなかった。目も合わせられず、長いあいだ二人は沈黙した。
やがて、祥鳳の方が口を開いた。
「ず、瑞鳳」
「な、何?」
「あ、えっ、えっと…。ア、アイラブユー…」
祥鳳は恥ずかしそうに言葉を紡いだ。
再び、姉妹の間に沈黙が流れた。
物陰から覗いていた加賀と金剛は呆れ、比叡は困惑した表情を浮かべ、加賀達と一緒に物陰から覗いていた瑞鶴と翔鶴もぽかんと口を開いた。
「えっ、えっ、えぇと…」
「何それ、わけわかんない…」
「ご、ごめん…」
再び姉妹は沈黙した。
「What a stupid Phoenix…」
「愚かね」
物陰から金剛と加賀がそれぞれ毒づいた。
しばらくして、瑞鳳が重い口を開いた。
「ねぇ…。私って、もしかして邪魔?」
「え、どういう…」
祥鳳は戸惑い、瑞鳳の横顔を見た。どこか泣きそうな表情をしていた。
「だって祥鳳、みんなにお姉ちゃんって言われて好かれてて…。私の入るスキがなくて…。それに、腕だってあんなに傷だらけにしちゃったから…」
「そっ、そんなことないわ…」
祥鳳は慌てて否定した。
「だったら、どうして…」
「えっ…?」
瑞鳳は祥鳳に抱きつき、背筋を震わせた。
「どうして、そんなによそよそしいのよ…!?」
「瑞鳳…」
「私はあなたの妹なんだよ? なんでよ?」
祥鳳は何も答えられなかった。
「私だって、瑞鶴と翔鶴みたいに祥鳳と…、お姉ちゃんと仲良くしたいもん!
いっぱいお話だってしたいもん! 喧嘩だってしたいもん! 一緒にいたいのに…!
なんで、なんで、そばにいてくれないのよ…!」
瑞鳳は大声で泣き出した。まるで、年相応の少女に戻ったように。
「そっか…」
祥鳳はようやく妹の気持ちが理解できた。
瑞鳳も、私と同じだったんだ。あなたも、拒まれるのが、怖くて、寂しくて、辛かったんだね。
「瑞鳳…。私だって、あなたと一緒にいたいよ…!」
彼女は静かに妹を抱きしめる。
「ごめんね、さびしい想いさせちゃって…。ダメなお姉ちゃんだよね、私…」
「バカ…、お姉ちゃんのバカ…!」
「ごめんね、ごめんね…」
その間、祥鳳はずっと優しく妹の頭を撫で続けていた。10年前のいつか、彼女にそうしてあげた時のように。
いつの間にか、祥鳳からも嗚咽が漏れ始め、しばらくの間姉妹は静かに泣き続けた。
物陰から姉妹を見守っていた比叡と瑞鶴は静かにもらい泣きしていた。
加賀は無表情のまま、ふたりをじっと見つめていた。
どれくらい経った頃だろうか。泣き疲れて祥鳳の胸に顔をうずめていた瑞鳳が唐突に口を開き、姉の顔を見つめた。
「ねぇ。私、ここにいてもいいよね?」
「いいよ、瑞鳳。十年分、いっぱい甘えていいからね」
「うん…。ありがとう、お姉ちゃん」
瑞鳳が改めて姉を見つめると、彼女は頬を真っ赤に染め、目線を逸らしていた。
「…なんで照れてるの?」
「うーん…。なんかこう、面と向かって言われると、やっぱり恥ずかしい…かな…」
容貌は大人の美女そのものなのに、どこか子どもっぽい。
そんな姉を可愛く思い、瑞鳳は吹き出した。
「わっ、笑うことないじゃない!」
「だって、お姉ちゃん可愛いもんだもん…!」
姉妹はようやく穏やかに笑い合えた。長い10年の時が産んだ溝が、漸く埋まったようだった。
「そう。それでいいのよ」
仲良く笑い合う祥鳳と瑞鳳を見て、加賀は静かに呟いた。
「瑞鶴、翔鶴。そろそろ帰るわよ。用意なさい」
「は、はい…」
そう言って加賀はすぐにその場から歩き去って行った。
瑞鶴には彼女の背中がどこか寂しそうに見えた気がした。
数時間後、加賀達は佐世保鎮守府へ帰還を決定した。
やけに早いと伊吹にも言われたが、半ば強引に帰ると加賀が主張したためだ。
「本当にもう帰るんですか? もうちょっとゆっくりしたかったのに…」
瑞鶴が名残惜しそうに言った。彼女はもう少し大鯨のランチを賞味したかった。
彼女の食事は佐世保鎮守府で出される食堂のメニューよりもずっとおいしく、瑞鶴は気に入っていた。
「もう要件は済んだわ。これ以上、油を売って佐世保周辺を危機に晒す必要はないわ」
三人は横浜駅から新幹線へと乗車することになった。瑞鳳も三人の見送りに駅までやって来た。
「それじゃ、元気でね二人とも」
「任せてください、瑞鳳先輩の分まで佐世保は守ってみせます!」
「瑞鳳先輩も、お体に気をつけてください。本当にお世話になりました!」
瑞鳳は瑞鶴と翔鶴とそれぞれ握手した。
その後、加賀が彼女の目線に合わせて腰を落とし、静かに頭を撫でた。
「もう貴方に教えることはないわ、瑞鳳。もう独り立ちできる実力を身につけたはずよ。頑張りなさい…。そして、四航戦の子と、仲良くなさい」
加賀はそれだけ言って、すぐに背を向けて足早に電車へと乗り込もうとした。
「あ、あの…。加賀さん…!」
だが、瑞鳳に呼び止められて彼女の歩みが止まった。
「加賀さん! 今まで…、本当にありがとうございました!」
加賀は何も答えない。
「私…、加賀さんのこと大好きです…! いつまでも、ずっと…!」
「…ありがとう」
加賀は振り返り、静かに微笑んだ。
間もなく発車を知らせるベルが鳴り、彼女は慌ててドアへと入り込んだ。
瑞鳳は新幹線が見えなくなるまで、いつまでも手を振り続けた。
新幹線は猛スピードで走り、小田原を、伊豆を、次々に通過していった。
加賀は自分の隣の席を見つめた。そこにはだれもいない。今までいつも当たり前のように自分の隣にいた瑞鳳はもういなかった。
加賀は空白の椅子を静かにじっと見つめた。
しばらくすると、唐突に彼女は顔を覆い、俯いた。
「加賀先輩?」
まどろみかけていた翔鶴が物音に気付き、隣の席の加賀へ声を掛けた。
「あぁ、やっぱりね」
瑞鶴がわかっていたかのように言った。
席の隅で顔を覆い、誰にも涙を見せないようにしていたが、瑞鶴達には筒抜けだった。
雫がとめどなく零れ落ち、椅子や衣服に染みを作るのが二人にも見て取れた。
「ずい…、ほう…!」
もういつもの無表情を保てなかった。声を出さないようにしたが、どうしても嗚咽が漏れてしまう。
「はぁ…。やっぱり無理してたんでしょ! ホントに素直じゃないですねっ!」
「瑞鶴。ちょっと黙っていなさい。加賀先輩のお気持ちも考えなさいな」
翔鶴が妹の頭を軽く叩いて窘めた。
加賀は二人に何も言い返さず、言い返せず、涙を零し続けた。
(加賀さんのこと大好きです…!)
嬉しかった。あの子がそう言ってくれるなんて。
寂しかった。あの子がもう隣にいないことが。
二つの感情が爆発し、加賀の中から間欠泉の如く溢れ出し続けていた。
「瑞鳳…!」
だが、瑞鶴はそんな彼女を見て顔を近づけ、こう言い出した。
「あ、そ~んなにさびしいんだったら、私が妹やってあげてもいいんですよ? 泣き虫の加賀お姉ちゃん♪」
沈黙のまま放たれた裏拳が、瑞鶴に暫しの静寂を与えた。
その日の夜、祥鳳は瑞鳳に食堂に呼び出された。
「どうしたの、瑞鳳?」
誰もいないテーブルに座らされ、祥鳳は困惑していた。
厨房から甘い匂いがするので、何かお菓子でも作ったのだろうかと思っていると、エプロンをまとった妹が皿を持ってやって来た。
「あのね。いつか会えた時に、お姉ちゃんに食べてほしくて・・・。こっそり練習してたんだ・・・」
瑞鳳は恥ずかしそうに皿を指差した。
「上手く出来てるかわからないけど・・・」
もじもじとしながら瑞鳳は言葉を紡いだ。
「私の作った卵焼き・・・、食べりゅ・・・?」
やっちゃった。「食べる」と言ったつもりが「食べりゅ」と噛んでしまった。
すると、祥鳳の頬が涙に濡れた。
「えっ? どっ、どうしたのお姉ちゃん…!?」
「ず、瑞鳳…!」
祥鳳は口に手を当て、泣き出した。
瑞鳳は、本当に私のことをずっと思っていてくれたんだ。
「うん…。食べりゅ・・・!」
泣き声が邪魔して噛んでしまい、上手く言えなかった。
祥鳳はぽろぽろと涙を零し、卵焼きを摘んだ。
甘くてふんわりとした食感が口の中に広がった。
「おいしい…! おいしいよ瑞鳳…!」
「も、もう…! お姉ちゃん今日泣いてばっかりじゃない…」
だが瑞鳳の目も潤んでいた。
「だ、だって…。嬉しいから…! 瑞鳳が・・・。こんな美味しい卵焼き作ってくれて…!」
「お姉ちゃん…」
二人ともテーブルの上で泣いていた。
「瑞鳳。明日は私がおいしいごはん、作ってあげるからね…!」
「うん…! うん…!」
涙が卵焼きに零れてしまい、ちょっとだけしょっぱく感じた。
だが、それでも祥鳳にとって世界一おいしい卵焼きだった。
次回、一航戦赤城、出ます!
以上、八話でした。
次の投稿は4月以降になります。
次回の投稿は今週末になりそうです。今しばらくお待ちください。
>>126
すみません、もうしばらく延期します。
お待たせしました、投稿再開します。
瑞鳳が横須賀鎮守府での暮らしを開めてから数ヶ月が経過した。
12月の横須賀への大規模襲撃以来、関東周辺における深海棲艦の襲撃は比較的鎮静化し、他の地域においても襲撃の頻度はやや低下していた。
その間、瑞鳳は最愛の姉と共にゆったりとした時間を過ごすことができた。
クリスマスには横須賀鎮守府でサンタ騒動が発生し、バレンタインデーには伊吹提督が比叡特製の激辛チョコを食べて病院に運ばれ、関東全域を豪雪が襲った日には艦娘達が街の雪かきを手伝うなど、鎮守府の面々は平和な時を過ごしていた。
寒い冬を過ぎ、桜が満開となった四月中旬頃になっても、強大な敵は現れなかった。
このまま深海棲艦なんて出てこなければいい。金剛を含め、多くの艦娘たちはそう思っていた。
だが、そんな彼女達の穏やかな日々は長くは続かなかった。
暗い暗い海の底。黒い塊が海上へと浮上した。
それは魚の群れを押し分け、優雅に浮遊していた大きな水母をゼリーの破片へと変え、闇深き海底から明るい海上と突き進んでいった。
やがて、波を押し分け、白い怪物が海上に姿を現した。
それは白髪白肌の妖艶な裸女の姿だが、両腕にはグロテスクな口と砲塔を備えていた。
この美しい深海棲艦こそ、艦娘達が南方棲戦姫と呼んで恐れる強力無比な怪物だった。
砲塔から無数の雫を垂らし、南方棲戦姫は海の彼方の陸地をじっと見つめた。その目線の先には小さな港街があった。
白い魔女は獲物を捉え、顔を歪めて笑った。
9 一航戦赤城、出ます!
その頃、横須賀鎮守府の正門前では瑞鳳達が姉の祥鳳らに見送られ、合同演習のため佐世保へと発とうとしていた。
今回は横須賀鎮守府から瑞鳳と如月、そして金剛が参加することになっていた。そして彼女たちの他に、ある特別な事情で赤城も同行していた。
「それじゃー行ってくるネ比叡! オ留守番はお任せシマース!」
「はい! 気合、入れて! 守ります!」
「Yes! その意気ネ!」
金剛はにっと笑い、比叡と拳を合わせ、別れの挨拶をあっさりと終わらせた。
一方、この鎮守府に住むもうひと組の姉妹の見送りはやや長くて湿っぽかった。
「それじゃ、行ってくるね。お姉ちゃん」
「…ごめんね、ついて行けなくて」
祥鳳は寂しげに微笑んだ。
彼女の艤装は一ヶ月かけて漸く回復し、後遺症もなく装着できるようになった。
だが、横須賀鎮守府秘書官である赤城がいない間、他の空母が代理を務めねばならない。
なにより関東の防衛を手薄にはできないため、今回は祥鳳が横須賀を離れることはできなかった。
「ううん。お姉ちゃんや隼鷹たちが離れちゃったら危ないもんね」
「気をつけてね。何かあったら、すぐ横須賀から駆けつけるね」
「うん、ありがとう。お姉ちゃん…」
心配性すぎるよ、お姉ちゃん。そう思いながらも、同時に瑞鳳はそんな姉の優しさが嬉しかった。
「あっ…! ごめん、ちょっと待ってて」
祥鳳は唐突に何かを思い出し、小走りで鎮守府棟内へと戻り、2分ほどしてから風呂敷を抱えて戻ってきた。
「はい、これお弁当。新幹線の中で食べて。あ、金剛さんや赤城さん達の分もあるからね」
姉が作ってくれたお弁当を手に取り、瑞鳳の顔がぱっと明るくなった。
「わぁっ! ありがとう、お姉ちゃん!」
「うん。気をつけてね、瑞鳳」
「うん! 行ってきます!」
祥鳳に頭を優しく撫でられると、瑞鳳はお弁当箱を大事そうに抱えながら金剛や赤城と共にバスへと乗り込み、旅立った。
祥鳳はバスが見えなくなるまで手を振り見送った。
そんな彼女とは対照的に、共に見送りに来ていた雷は苛立ちを顕にしながら全く正反対の行動を見せた。
「べーだ! 瑞鳳お姉ちゃんのばーか!」
雷は舌を出して走り去る車に悪態を付いた。
「はわわ…、雷ちゃんそんなこと言っちゃだめなのです…」
「い、雷…?」
突然の妹分の行動に祥鳳は困惑した。自分の知らないところで喧嘩でもしたんだろうか。
「ひひ…。人気者は辛いね~!」
同じく見送りに来ていた隼鷹が苦笑した。気がつくと、同じく見送りに来ていた飛鷹や古鷹まで笑ってることに祥鳳は気付いた。
「え…? ど、どういうことですか?」
「も~、祥鳳お姉ちゃん鈍感すぎ!」
大鯨が突如抱きつき、彼女は柔らかな感触を背中と頬で感じた。
「最近、ず~っと瑞鳳お姉ちゃんにべったりだったじゃない!」
「え? そ、そうかしら?」
そういえば最近瑞鳳とはいつも一緒にいたかも。
祥鳳はここ数ヶ月瑞鳳とべったりだったことに気付いた。
振り返ってみれば、「ひとりじゃ眠れない」と甘えてきて一緒にベッドで添い寝したり、一緒にお風呂に入ったり、トイレ以外はほとんどいつも瑞鳳と一緒にいた気がする。
「んもう! 私達だって、祥鳳お姉ちゃんの妹なんですからね!」
「なのです!」
「雷だって!」
祥鳳の『妹』達は四方八方から抱きついた。
「ちょ、ちょっとみんな…」
「それー! 祥鳳お姉ちゃんをおしくらまんじゅうしちゃうわよ!」
『妹』達にぎゅうぎゅうづめにされ、祥鳳は顔を赤くして困惑した。
だが、横目で見ていた隼鷹達には彼女がどこか嬉しそうに見えた。
バスから航空機へと乗り換え――祥鳳の弁当は空港で飛行機待ちしている合間に食べた――長崎空港に到着してから更に電車へと乗り換え、金剛達は佐世保駅へと到着した。
駅から鎮守府へは徒歩で行ける距離のため、街の視察も兼ねて駅から歩くことにした。
「Waoh! GoodなSmellデース!」
佐世保市は深海棲艦の脅威がかなり薄れているのか、横須賀鎮守府よりも賑やかな町並みになっていた。
街灯は明るく、売店も幾つか並んでおり、「一航戦まんじゅう」や「加賀さん音頭CD」なる奇妙なお土産を売る店まで並んでいた。
赤城には街の人々も活気に溢れてるように見えた。おそらく、最強の一航戦が街を守るという安心感が人々に生きる希望を与えたのだろう。
「がいすーいっしょくよ、心配いらにゃいわ!」
「いっこーせん、しゅつげきします!」
通りの一角にあった小さな公園では、あどけない少女たちが艦娘ごっこを楽しんでいた。
「あらあら、おてんばなお嬢さんたちね」
如月は少女たちを微笑みながら見つめた。
「加賀さん、さすがね…」
一方、赤城の表情は暗かった。
加賀さんに比べて私は、あの四年前の日以来ずっと…。
いけない。すぐに思い直し振り払った。
この四年間で積もった恥辱を乗り越えるために、私はここに来たんだ。
「おっ! 瑞鳳ちゃんひっさしぶり~!」
屋台で焼きそばを焼いていた中年の男が瑞鳳に気付き声をかけた。
「あ、藤原さん! お久しぶりです!」
「いやー、横須賀に引っ越したって聞いたから寂しかったけど、また会えて嬉しいねー! お、今日はおごりだ。焼きそば持ってって!」
「本当!? ありがとうございます!」
瑞鳳はかわいらしいお辞儀をし、藤原という男からプラスチックのパックに包まれた焼きそばを人数分受け取った。
金剛達にはビニール袋を左手に持って歩く瑞鳳がお使い帰りの少女のように見えた。
駅から15分ほど歩くと、金剛達は佐世保鎮守府に到着した。
佐世保鎮守府は佐世保港の佐世保川に並んで建造された鎮守府であり、庁舎の隣に設置された艦娘発進用の特殊通路――金剛には遊園地のプールのウォータースライダーのように見えた――が備え付けられていた。また、佐世保の庁舎は横須賀鎮守府よりも大きく、おまけに金属板の柵で隙間なく囲まれており堅牢な要塞を彷彿とさせた。
金剛達は鎮守府の大きな鉄扉を叩いた。直後、鈍い音を立てて扉が開き、加賀と瑞鶴が出迎えた。
「遠路はるばる、お疲れ様です」
加賀は静かにお辞儀し、瑞鶴も慌ててそれに続いた。
「Hey! 加賀! Long time No see! お元気デシタカー!?」
「えぇ。九州は特に変わりありません。みんな優秀な子ですから」
さりげなく加賀に褒められたことが嬉しかったのか、瑞鶴はふふんと鼻を鳴らし胸を張った。
「あっ! 加賀さん! 瑞鶴!」
長身の美女を見るなり、瑞鳳は嬉しそうに駆けていった。
「瑞鳳せんぱーい! ひっさしぶりー!」
「元気そうね、瑞鳳」
加賀は駆け寄ってきた愛弟子を静かに抱き止め、優しい笑みを浮かべた。
「四航戦の子とは…、お姉さんとは仲良くしてる?」
頭を撫でながら加賀は尋ねた。
「はい! お姉ちゃん、とっても優しくて素敵です! 伊吹提督も、横須賀のみんなも、いい人ばっかりですよ!」
「そう…。よかった…」
無邪気な笑顔で頷く瑞鳳を見て、加賀は少し寂しげに微笑んだ。
「あっ、そうだ! ねぇねぇ聞いて聞いて瑞鳳先輩」
瑞鶴が手招きして瑞鳳を呼び寄せた。
「ん? なあに? 瑞鶴?」
「いいからいいから」
瑞鶴は瑞鳳の耳にそっと手を当てた。
「あのねー。加賀さんはねー、瑞鳳先輩がいなくて、寂しくて毎晩メソメ…」
瑞鶴の言葉は加賀の拳によって強制的に遮られた。
「痛ッ…! 何すんですか!?」
「お黙りなさい」
後頭部を抑えてうずくまる瑞鶴に向けて加賀は冷たく言い放ち、漫才のようなやり取りを微笑みながら見つめていた赤城に向き直った。
「早速ですが、明日に艤装装着の訓練を開始します。早朝、演習場に来てください」
「えぇ」
赤城は頷いた。
翌朝、赤城と加賀は佐世保鎮守府の演習場にいた。
佐世保鎮守府では空母の艦娘が中心的であるためか、木造の弓道場を模した演習場が設置されていた。演習場には瑞鶴、翔鶴、瑞鳳、そして金剛と如月も同席しており、正座して様子を見守っていた。
今、赤い袴を吐き赤城は加賀の見守る中、自身の艤装を目前にして正座していた。
ふと、風が演習場を吹き抜け、散りかけた桜の花びらが目の前を通り過ぎた。
佐世保の朝は横須賀よりも気温が少し温かい。赤城はそう思った。
「赤城さん。戦いに臨む気持ちで集中し、艤装を呼んでください」
「はい」
久々に弓道着を身にまとった赤城は強く頷き、立ち上がった。
彼女の目の前には艤装が鎮座して置かれており、真正面には自分を厳しい目つきで見つめる加賀が背筋を伸ばし立っている。
戦場で戦いたい。勝利したい。一刻も早く嘗ての強さを、一航戦の誇りを取り戻したい。その思いを胸に、赤城は叫んだ。
「来てください、赤城!」
彼女の叫びに応じて、『赤城』が空母の形状から艤装へと分解し飛び散った。
直後、飛び散った艤装が浮き上がり、長身の身体の各所に装着された。
「すごいっ!」
「やったぁ! さすがは一航戦!」
翔鶴と瑞鶴が声を上げた。だが、対照的に金剛や加賀達は怪訝な表情をしていた。
「うぅ…」
一見無事装着されたかに見えた赤城の艤装は震えだし、今にも落ちそうになっていた。
「あぁっ…!」
艤装から激痛が放たれ、赤城は顔を歪めた。再び、艤装に拒まれたのだ。
「くっ…!」
それでも彼女は痛みに耐えて立ち続けた。
何としても再び立ち上がりたい。祥鳳や仲間達に迷惑をかけたままではいたくない。一航戦の誇りを取り戻したい。また戦線で戦いたい。
その思いが彼女を踏ん張らせたが、それもほんの1分程度に過ぎなかった。
艤装が次々と身体から剥がれ、冷たい木造の床に鈍い音を立てて落ちた。
「きゃあぁぁぁぁっ!」
艤装に続くかのように赤城も膝をついて崩れ落ちた。
「あ、赤城先輩!」
「だ、大丈夫ですか赤城さん!?」
翔鶴と瑞鶴が見かねて立ち上がり、痛みに苦しむ赤城に手を貸した。一方、加賀は冷たい目線のまま戦友を見下ろしたままだった。
「すみません、加賀さん…」
何とか立ち上がった赤城はバツが悪そうに言ったが加賀は厳しい目つきのままだった。
「赤城さん、あなたは何のために戦いたいのですか?」
「なんのためって…。一航戦の誇りのために決まってるでしょう?」
その言葉を聞いても加賀は無表情のままだったが、彼女はかすかに下唇を噛んでいた。
「…頭にきました」
「赤城さん。貴方、だめな艦娘になったわね」
「な…」
「艤装に見捨てられた貴方なんかに興味はないわ。行くわよ、瑞鳳、瑞鶴、翔鶴…」
加賀はそう言い捨てると、背中を向けて弓道場を後にした。
呆然と立ち尽くす赤城を後にし、五航戦姉妹と瑞鳳は気まずそうに加賀に同行し、弓道場を去って行った。
如月は心配そうに赤城を見つめていた。一方、金剛は何かを悟ったような表情をしたまま正座し続けていた。
加賀の後に付いてきた瑞鳳はおずおずと声をかけた。
「か、加賀さん。あの…」
「何かしら」
いつもと違い、加賀は振り返りすらしなかった。
「ちょ、ちょっと言い過ぎなんじゃ…」
瑞鳳が。敬愛する師匠とは言え、加賀の冷たい態度は流石に彼女も看過できなかった。
「…赤城さんのことは、私が一番よく知ってるの。あれくらい言わないと、彼女はずっとあのままよ」
「で、でも…」
「瑞鳳。あなたは何も気にしなくていいわ。明日の合同演習に備えて、準備を進めておきなさい」
「は、はぁ…」
瑞鳳は納得いかない表情のまま小さく頷いた。
「しっかし、あの赤城さんも今じゃあんなふうになっちゃうとは…」
「もう赤城さんもあれじゃ引退なんじゃ…?」
その瞬間、瑞鶴は自身の目を疑った。
「おだまりなさい」
加賀が一瞬のうちに振り返り、瑞鶴の胸ぐらをつかんでいた。
瑞鶴は背筋が凍り付くような恐怖を味わった。
いつものちょっとしたじゃれあいとは全く正反対だった。加賀は全力で瑞鶴の襟を掴み、刃のような鋭い目つきを向けていたからだ。
「五航戦の貴方が、未熟者の貴方が、あの人のことを語る資格はないわ」
「は…はひぃ…」
「今後一切、赤城さんの悪口を言うのはやめなさい」
加賀の迫力に圧倒され、瑞鶴は震えながら何度も頭を振った。
「いい? この世であの人を、赤城さんの悪口を言っていいのはこの私だけよ」
「は、はい…。ご、ごめんなさい…!」
「わかればいいわ。あなた達は大鳳とマラソンでもしてきなさい」
加賀は鎮守府の運動場で準備体操をしていたスレンダーな体型のショートカットの少女、大鳳を指差した。
彼女は現在鎮守府に所属する空母の艦娘の中で最も若い少女だった。同時に生真面目な努力家でもあり、根っからの運動好きでもある。
彼女の日課は朝のマラソンと筋トレで、晴れた日は運動場でいつも体を鍛えていた。
「か、加賀さんは?」
「偵察に行ってきます」
「偵察?」
翔鶴が首をかしげた。
「昨晩、一瞬ですが強力な深海棲艦の反応があったそうです。白露達にも行ってもらってますが、万が一の場合に備えて、私も行きます」
そう言い残し、加賀は足早にその場を立ち去った。残された三人はとりあえず大鳳のもとへと歩き始めた。
「か、加賀さんがあんなにマジギレするなんて…」
「それだけ加賀さんにとって、赤城さんは大切な人なのでしょう。瑞鶴、いい? 今回はちゃんと反省するのよ?」
「は~い」
姉に諭され、瑞鶴は口をへの字に曲げて、自主トレーニングに励む後輩のもとへと歩いて行った。
瑞鶴達に気付くと、大鳳は筋トレをすぐにやめて先輩達のもとへと走ってきた。
「おはようございます、瑞鶴先輩、翔鶴先輩、瑞鳳先輩!」
「おはよー!」
瑞鶴は丁寧にお辞儀する後輩に手を振った。彼女も大鳳のことは嫌いではなかった。
この子はちょっと固くてスポーツ馬鹿だけど、根は真面目で一生懸命な後輩なのよね。
「ちょっと時間が空いたから、トレーニングに付き合うわね」
「ありがとうございます! それじゃ、今日は20kmランニングしましょう!」
「えぇ~!?」
瑞鶴は露骨に嫌そうな顔をした。
「瑞鶴先輩、体力作りは基本中の基本ですよ! いくら艤装が強くたって、体力と根性がなければ勝てません!」
「よーしっ! 久々にやろっか」
瑞鳳も頷いたのを見て、瑞鶴はさらにげんなりした表情になった。
「ちょっと、マジで…!?」
「大鳳さん、ちょっと待ってて。着替えてくるわね」
姉の翔鶴まで同意してしまっては反対しようがない。瑞鶴は演習前のマラソンに付き合わざるを得なくなった。
約2時間後、瑞鶴が汗だくのままベンチの上で力尽きたのは言うまでもない。
その頃、金剛は演習に向かう前に横須賀の祥鳳へ電話していた。
出発前、祥鳳から赤城の様子を連絡して欲しいと頼まれていたのだ。
「祥鳳。やはり赤城は…」
先ほどの結果を伝えると、電話越しにため息が漏れた。金剛には戦友が落胆しているのが手に取るように分かった。
「そう、ですか…」
「今のままじゃ無理デース。赤城は今Mistの中で彷徨ってマス」
祥鳳には金剛の言葉はどこか冷たいように聞こえた。
「だったら…。赤城先輩はどうすれば…!」
「いい質問デース! じゃあ、ここでQuestionネ。艦娘に一番必要なモノは?」
祥鳳は困惑した。こんな時になぞなぞって、どういうこと?
「強い兵装…ですか?」
「No!」
「水上安定スタビライザー?」
「No! そーいうことじゃありまセーン! もっとPrimalでmost importantなものデース!」
わけがわからない、祥鳳は思った。どれもこれも戦いに必要なものじゃない。
「え…? どういう、ことですか…」
「祥鳳はそれをもうUnderstandしてるはずデース」
「じゃあ、ヒントをあげマース! 祥鳳は何故瑞鳳が捕まったとき、勝てたと思いマスか?」
祥鳳はますます金剛の意図が読めなくなってきた。
「それは…、金剛さんやみんなが助けてくれたから…」
「それもそうですが、あの時、祥鳳のHeartには何がありまシタ?」
「あっ…!」
祥鳳は黙り込んだ。
そうだ。あの時は、ただ妹を、瑞鳳を助けたいという思いで必死だった。
「瑞鳳を、守りたい…。そういう思いで戦ってました…」
「そういうことデース…。瑞鳳へのLoveが、祥鳳をあの時、強くしたわけデース」
祥鳳は頬を赤くした。
言われてみれば、あの時いつもよりも艤装と力強く結びついてたように感じた。
「つまり、艤装は私達の想いを…!?」
「At least、私はそう信じてマース…!」
「じゃあ、赤城さんも…」
「あとは、赤城が気付くのをWaitするだけデス…」
赤城は白い袴着のまま、鎮守府の門に手をかけようとしていた。
艤装も装着できず、挙句の果てに加賀さんにまで見放されてしまった。
そんな自分が、戦えない私が鎮守府にいる意味なんてない。
扉を静かに閉め、背を向けたその時だった。
「如月さん…」
振り返ると小柄だが大人びた雰囲気の少女が立っていた。如月だった。
「あらあら、どちらへ行く気ですか?」
「さっきの様子を如月さんも見たでしょう? もう、私がいる意味なんて…」
赤城は肩を落として声を絞り出した。
「…本当にそうかしら?」
如月は静かに言った。
「ねぇ、如月とちょっとお散歩しない?」
「あっ、ちょっと…!」
如月はいたずらっぽく微笑み、赤城の手を取り走り出した。
「如月さん、いったいどこへ…?」
「ふふ、ひ・み・つ」
如月は唇に人差し指を当てて微笑んだ。
困惑しながら、赤城は小柄な少女に引っ張られた。
如月の華奢で小柄な身体のどこに大柄な自分を引っ張るだけの力があるのだろう。緩やかに引っ張られながら赤城は不思議に思っていた。
なぜこの子は私を佐世保の商店街へと連れて行くのだろう。そんなところに行ったって、何も変わりはしないのに。
「如月さん…、あなたいったい何のつもりですか?」
「まぁまぁ。たまにはお散歩でも楽しみましょう。ねっ?」
如月は人差し指に唇を当てて微笑み、赤城を商店街へと引っ張った。
昨晩同様、商店街は活気に溢れていた。
天井を覆う屋根こそやや古びてはいたが、八百屋では数人の主婦が世間話をしており、駄菓子屋では小学生が何かのカードを手に取って遊んでいた。
これを見せて何になるというの? 赤城は意味がわからなかった。
「ねえ、赤城さん。私思うの。意味のない、要らない艦娘なんて一人もいないって」
赤城には如月の意図がさっぱり分からなかった。
「私や睦月ちゃん達駆逐艦も、軽空母も、軽巡洋艦も、戦艦も、正規空母も、みんなで力を合わせて戦うんだって…」
「そうかもしれません。でも私はもう戦えない人間です…。そんな私が…」
「ううん。例え戦えなくたって、赤城さんは要らない人なんかじゃないわ」
「如月さんの気持ちは嬉しいですけど…」
「ほら、あっちを見てください」
「あれがなんだって言うんですか…」
しぶしぶ赤城は如月に従い、彼女の指差す方に目線を向けた。
如月が指した場所には、昨日見た屋台や「一航戦まんじゅう」の売店などが見られた。
だが、それだけではなかった。よく見ると、売店には一航戦まんじゅうの他に、赤城らのプロマイド写真やポスターが飾られていた。
商店街の一角には『ありがとう、加賀さん!』と題した、加賀を讃えた看板が飾られていた。
同時に、よく見ると彼女の仲間として、鳳翔や龍驤そして赤城らも紹介されていた。
「これって…」
「そう。加賀さんだけじゃなくて、みんな赤城さん、龍驤さんや鳳翔さんのことを忘れてなんかない。
あなた達みんなが深海棲艦から人々の笑顔を守ってきたことこそ、一航戦の誇りじゃないかしら?」
赤城は如月に頬を叩かれたような気分になり、目を見開いた。
「だから、みんなこうやって日常を楽しく過ごせてる。笑顔でいられるの」
もう少し一緒に散歩しましょ、と如月は赤城を連れて歩き始めた。
5分ほど歩くと、如月と赤城は商店街のはずれにある小さな海の見える公園を指さした。
未だ深海棲艦に破壊された痕跡こそ残っていたものの、残された遊具で幼い子供達が楽しそうに遊んでいた。
「わたしが加賀さんやるー!」
「じゃあわたしがほーしょーさん!」
「じゃあアタシが赤城さん!」
「ずぅりー! ぼくがあかぎさんだい!」
「あんたおとこでしょう?」
電や暁達よりも年下に見える、幼稚園か小学校低学年くらいの幼子だった。
もっとも、赤城はその子達の顔に見覚えはない。今日、初めて見る子ばかりだ。
「あれって…」
「ふふ。赤城さん、人気者ね」
公園の外縁に設けられた木の柵越しから様子を見守ってると、遊んで子供達のひとりがこちらに気付いた。
「あっ、赤城さんだ!」
「すっげー、ナマあかぎさんだ!」
「ほんもののあかぎさんだー!」
幼子達は無邪気な笑顔で赤城達のもとへと駆け寄ってきた。
赤城は驚いた。艤装も付けていないのに、すぐに私だと分かるなんて。
「あなた達、私を知ってるんですか?」
腰を落とし、背丈を子供達の目線に合わせて赤城は尋ねた。
「うん! 本で見たよ! ほんものはスゴイカッコいいね!」
「おとうさんが、『東京で赤城さんが助けてくれた』っていってたよ!」
「みんな…!」
そうだった。私を役立たずだと罵る人ばかりじゃなかった。
こんなにも、私を慕ってくれる人達が、子ども達がいてくれた。
「…ありがとう。みんな…。ありがとう…!」
赤城の目から次々と雫が溢れ、地面を濡らした。
「あれ、あかぎさんないてるの?」
「ふふっ。赤城さんは花粉症気味なだけよ。ちょっとそっとしといてあげましょ。ねっ?」
如月が微笑みながらそっと囁き、みんなで鬼ごっこしましょと、子供達を呼び寄せて公園の奥の方へと集めた。
赤城は胸の内で如月の気遣いに感謝し、その場でしばらく泣き続けた。
落ち着いた赤城は――如月は演習へ参加するため途中で先に鎮守府へと帰った――子ども達と公園でしばし戯れていた。
肩車をしてあげたり、これまでの戦いについて話をしたり、鬼ごっこをしたり、久々と言ってもいいくらいに楽しい時を過ごしていた。
ふと気が付くと、既に夕陽が海を赤く沈めていた。そろそろ夜だ。赤城は念の為に子供達を家まで送ることにした。
「さっ。皆さんそろそろおうちへ帰りましょう?」
「はーいっ!」
元気よく返事をした子ども達と共に、赤城達が海の夕日に背を向けたその時であった。突如、泡の弾ける音が背後から聞こえた。
「まさか…!?」
赤城は振り返った。海から妖艶な裸女の姿をした南方棲戦鬼が出現した。
腕の生えた巨大な口の怪物の上に跨り、顔を歪めて砲門をこちらに向けていた。
その砲口や白髪からは幾つもの雫が垂れ落ち、怪物の足元には無数の不気味な波紋が作られていった。
まずい…! 今の私じゃ、戦えない…! 赤城の背に冷たいものが走った。
南方棲戦鬼が赤城に砲塔を向けたその時だった。
何かが踵をつついた。赤城が足元に目を向けると、何十人もの妖精達が立っていた。それだけではない。
「この艤装は!?」
「ナンダ…?」
その場にいた全員が目を見開いて驚いていた。恐らく妖精達が深海棲艦の出現を察知したのか、ここまで運んでくれたのだろう。
艤装を装着できない赤城にとって今は軍艦の形をした盾にしかならないが、それでもありがたいものであった。
「ありがとう、妖精さん」
赤城は自分の背後に怯えて隠れていた子供達に向き直った。
「みなさん、早く逃げてください」
子供達と妖精達にここから逃げるよう促し、赤城は未だ変形せぬ艤装を手に取り南方棲戦鬼に立ちはだかった。
「ギソウハドウシタ? ナゼヨロイヲマトワヌ?」
「貴方に語る必要は、ありません…!」
白い海魔は顔を歪め、わざと砲塔を下に向け、赤城の脚を撃ち抜いた。
「あぁぁっ!!」
赤城の脛から血が溢れ、白い靴下が赤く染まった。
「あかぎさーん!」
「いいから逃げて! 逃げてください!」
痛みを堪えて赤城は力の限り叫ぶが、後ろを振り返るといつの間にか重巡リ級2体が立ちはだかっており、公園の出口を塞いでいた。
「そんな…!」
前も後ろも塞がれ、子供達と妖精が逃げられない。赤城が混乱してる間にも、南方棲戦鬼はすかさず右腕の砲を発射してきた。
軍艦形態のままの艤装を盾にしてなんとか凌げたが、このままではいずれ艤装もろとも砕け散るのは時間の問題だった。
「くっ…!」
「いやぁぁぁぁ!!」
子供達は怯えて座り込んでいた。
そんな子供達を見て、赤城の胸に熱い何かがこみ上げてきた。
助けたい。私を慕ってくれたこの子達だけは。
守りたい。この子達だけは、何としても…!
いつの間にか、赤城は無意識のうちに叫んでいた
「お願いです…私に力を貸して、『赤城』!」
だが艤装は答えない。
「今だけでいい…! この子達を守りたいんです…! お願いします、『赤城』…!」
その時、一瞬だけ艤装が頷いたように見えた。
次の瞬間、あれだけ赤城を拒んでいた艤装が輝き、突如空中で分解した。
飛行甲板が肩に、船腹が矢筒と弓に変形し背に、それぞれ武装となって赤城の装着された。
さらに甲板の一部が腰の防具へと変形し、赤城の腰を覆った。
最後に艤装の一部が胸当てへと変形・装着された。
嘗ての一航戦としての赤城が蘇ったのだ。
「こ、これは…?」
赤城は驚愕していた。なぜ、なぜ今になって艤装が!?
その時、赤城の頭の中に何かが叫んだ。
人々を守れ。子供達を守れ。それは艤装の『声』だった。
「そうか、そういうことだったのね…!」
そうか。ようやく分かった。
なぜ私が艤装に拒まれていたのか。
私は自分の挽回ばかり考えていた。義務を全うしなければならないと思ってた。ただ自分の誇りを取り戻すことしか見えていなかった。
でも、それじゃダメだったんだ…!
「分かった…、私に足りなかったもの…!」
ずっと追い求めていた答えがようやく分かった。
使命とか義務なんかじゃない。
人を守りたい。誰かを守りたいという想い。
そう、人を守ろうとする「心」。それこそが艦娘の力の源だった。
故に、金剛や祥鳳をはじめ、誰かを守りたい、愛する者を救いたいと願った艦娘達は強く在る事ができたのだ。
「フフ…、ヨウヤクギソウヲマトッタカ…! オモシロイ…!」
突然現れた強敵に歓喜し、南方棲戦鬼は不敵に笑った。
「えぇ、お待たせしました。存分にお相手させていただきましょう」
怯えていた子供達は、目の前に展開された光景に驚愕していた。
「一航戦赤城、出ます!」
赤城は弓を構え、背筋をまっすぐ伸ばし矢を番えた。
幼子達のヒーローが、伝説の一航戦のひとりが今、蘇ったのだ!
「艦載機、全機発艦!!」
赤城は次々と矢を放った。矢は燃え、次々と零式戦艦52型や彗星、九七式艦攻へと姿を変えていった。
「はぁぁっ!」
緑色の翼が次々と宙を舞い、爆撃を、雷撃を次々に深海棲艦へと浴びせてゆく。
「ぐっ…!」
72機からの攻撃に危機感を抱いたのか、南方棲戦鬼はゆっくりと海へと後退した。
「オノレ…! シモベヨ、カカレェ!」
「あっ…!?」
赤城の背後にいたリ級が動き出した。まずい。この距離じゃ確実にやられる。
赤城が急いで子供達のもとへ駆け寄ろうとしたその時だった。
「えぇぇいっ!」
砲撃が何処からか放たれ、リ級達の胸に穴が空いた。二体の海魔はその場に崩れ落ち、しばらく痙攣して動かなくなった。
「こんなちっちゃな子達にまで襲いかかるなんて。深海棲艦も地に堕ちたものね」
砲撃の主は如月だった。
「如月さん!」
「赤城さん! ここは如月にまかせてちょうだい!」
如月はにこりと笑ってウィンクし、次いで子供達に襲いかからんと海から姿を現したイ級達を次々と打ち抜いていった。
「ありがとうございます! お任せします如月さん!」
「さっ、みんな早く行きましょう」
周りを囲んでいた敵を全滅させた如月は子供達を促し、妖精達を肩に乗せ急ぎ足でその場から離れた。
南方棲戦鬼は追い詰められていることを実感し、少しずつ焦り始めていた。
さらに、この怪物へ矢を向ける者がもう一人現れた。
「グウッ…!?」
何処からか赤城のものとは別の艦載機が出現し、南方棲戦鬼へと攻撃を始めたのだ。
暗くなりかけていた海から、猛スピードで蒼い袴を纏った長身の空母の艦娘が現れた。
「あぁっ、かがさんだー!」
公園から避難し、遠巻きから見守っていた子供達は歓声をあげた。
「深海棲艦の反応があったと思って、急いで来てみれば…」
加賀は赤城をちらりと見た。
「赤城さん、遅すぎです。一航戦の名が泣くわよ…」
「ごめんなさい、加賀さん」
「別に気にしてません。目の前の敵に集中してください」
それだけで十分だった。
これ以上、二人には語る言葉はいらなかった。
「赤城さん、行きますよ」
「えぇ」
ふたりは静かに頷き合い、前方の敵を向いた。
「ヒハハ…! ワタシノ……ホウゲキハ……ホンモノヨ…?」
「だからどうしたというのです」
加賀は冷たく切り捨てた。
「ここは、この街は、貴方達には譲れません」
「加賀さんと私の一航戦の誇り、お見せします!」
二人は海の奥へと進みながら艦載機を次々と発進させ、南方棲戦鬼へと追撃を開始した。
赤城の彗星が、加賀の流星が、烈風が、次々と深海棲艦を襲う。爆撃が深海棲艦の鎧を打ち砕き、雷撃が南方棲戦鬼の跨る黒い怪物の腕を吹き飛ばした。
「チッ…」
南方棲戦鬼は舌打ちをした。先ほどまでは無力だった人間にここまで追い詰められることが腹立たしかった。
「ナメルナヨ…!」
白い裸女は怒りの咆哮を海原に轟かせた。
「オォォォォォ…!」
その叫びと同時に、南方棲戦鬼の跨りし怪物の口が開き、喉の奥に赤い光が灯った。それに同調して、腕の砲塔にも不気味な朱光が宿った。
赤い光が眩いレベルにまで輝いた直後、怪物の口や砲塔から、強烈な砲撃が無数に放たれた。
海を切り裂き、波を砕く、赤い破壊の光であった。
「なっ…!?」
不意を突かれた赤城と加賀は回避できなかった。
「きゃぁぁぁぁ!!」
「くっ…!」
砲撃をもろに喰らい、防御壁も粉々に砕け散ってしまった。既に水中浮遊関連の装置しか正常に機能しておらず、胸当てもひび割れてしまった。
「オロカナ…」
傷つき倒れた赤城と加賀を南方棲戦鬼は冷たく見下ろした。
全力での砲撃を放つと数分間攻撃ができなくなるが、ここまでボロ雑巾のように変えれば十分であった。
後は、恐怖に怯えて震えるこの二匹の人間に止めの一撃を放ち、肉片に変えてやればいい。
血の晩餐を想起し、南方棲戦鬼は舌舐りした。
赤城と加賀の惨状は、はっきりとではないものの子供達にも見えていた。
今、赤城達が戦っていた数百メートル先の海に赤い光が走ったかと思うと、その直後巨大な水柱が立ったのだ。
何か起きたことはこの幼子達にも容易に想像できた。
「あぁ、あかぎさんが…!」
だが、如月は静かに幼子の肩に手をかけ、微笑んだ。
「大丈夫よ。あのふたりならきっと、大丈夫だから」
「で、でも…」
如月は落ち着いた表情のままだった。
「だってあのふたりは、最強の一航戦なのよ。あんなやつに、負けたりしないわ」
幼子達は不安そうな表情を崩さないが黙って頷いた。
「よーし。如月と一緒に、赤城さんに力を送るわよ。 せーのっ!」
「がんばれー! 赤城さーん!」
「負けるな加賀さーん!」
「がんばれー!」
海の向こう。届くかも分からないにも関わらず、子供達は如月と共に応援を送った。
憧れのヒーロー、赤城と加賀に向けて叫んだ。
足元の小さな妖精達も飛び跳ねて旗を振り、加賀達を応援した。
傷つき倒れた赤城は自分の横で倒れてる加賀を見た。戦友は気を失ったようで、まったく動く気配がない。
「やっぱり、ダメだったの…?」
やはり、私には無理だったのかしら…。しかも加賀さんまで巻き添えに…。
赤城の闘志が萎えかけたその時だった。
「がんば…れ…! あかぎ…さん…」
声が響いた。彼女の頭の中に何かが。
「え…?」
撃ち落とされず空を飛び続けてる艦載機が拾った音が通信機へ届いたのだろうか。
微かだが確かな声が聞こえた。
「がんばれー! 赤城さーん!」
「負けるな加賀さーん!」
「あかぎさんがんばれー!」
子供達の応援だった。
そうだ…! 私はあの子達を守ると誓ったんだ…!
「まだ、負けるわけにはいきません…!」
艤装も既に砕けかけ、撃たれた脚の出血も止まらないにも関わらず、赤城は立ち上がった。
「…ひどく陳腐な展開ね」
赤城さん、まるでどこかのショーのヒーローみたいね。加賀は胸の内でそう思った。
彼女にもまた艦載機を通して子供達の声援が届いていた。
負けるなと自身を激励してくれた声が。
「でも、何故か力が沸いてきます…!」
加賀も同じだった。口には出さずとも、彼女もまた子供達の声に力を貰っていた。
「あの子達のためにも、必ず勝ちましょう…!」
「言うまでもありません」
「アキラメロ…、モウタタカエヌハズ…」
南方棲戦鬼が呆れたように言い捨てた。
「たとえ艦載機が一機もなくとも、貴方を倒せるはずです」
加賀が静かに言い放った。
「私達に、艦娘の魂があるならば!」
赤城が強い意思の籠った目線で深海棲艦を睨みつけた。
「戦えない、全ての人たちのために…!」
「私達が戦う!!」
一航戦の二人が吠えた。
「オロカナ…。モハヤカンサイキモハッシンデキヌノニ…」
言い終わらないうちに、南方棲戦鬼は顔を殴り飛ばされていた。加賀と赤城が鉄拳を海魔に放ったのだ。
「ならば拳で戦うまでです」
ただ殴られているだけにも関わらず、海魔は次第に押されてゆく。
「ソンナ…マサカ…ソンナコトガ…!」
「言ったはずです! 誰かを守ろうとする想い! それこそが私達の力!」
「決して深海棲艦になど屈しはしません」
拳の皮が砕け出血するのも厭わず、二人は南方棲戦鬼を殴り続けた。
南方棲戦鬼は恐怖していた。ただの打撃で、ここまで押されるなどありえない。だが、一歩ずつだが着実に押されていった。
その時、南方棲戦鬼の頭上を何かが高速で飛んできた。
「マサカ…!?」
それはまだ撃ち落とされずに頭上を周回していた加賀と赤城の艦載機だった。この好機を赤城達が逃すはずもない。
「行きなさい、彗星!」
「流星、お願いします」
赤城と加賀はまだ残っていた僅かな艦載機達に命じ、南方棲戦鬼を攻撃させた。
「チッ…!」
砲塔がいくつか砕かれたものの、南方棲戦鬼は尚も無事だった。
その時赤城と加賀はなにか気づいたのか、突如敵の前から後退し始めた。
何事だ。南方棲戦鬼が後ろを振り返った瞬間だった。
「Burning Love!!」
何処からか放たれた戦艦の砲撃の直撃を喰らってしまった。南方棲戦鬼の下半身となっていた黒い怪物が吹き飛ばされ、彼女自身も身体中から流血してしまった。
高速戦艦の金剛が、空母の瑞鶴と翔鶴が、瑞鳳が、到着したのだ。
続けて駆逐艦や軽巡洋艦の艦娘達も現れ、南方棲戦鬼はいつの間にか取り囲まれていた。
「マサカ…ソンナ…!?」
「切り札は最後まで取っておくものです。貴方ほどの敵を仕留めるのに、援軍を要請しないとでも?」
「チッ…! オノレェクウボメェ! コノウラミハカナラズ…!」
台座として騎乗していた怪物を失った南方棲戦鬼、いや南方棲戦姫は悔しげに呻き、あぶくを残して海の底へと撤退した。
「Hey! 二人とも無事デスカー!?」
「えぇ…。なんとか…」
「金剛さん、助かりました…」
「No problem! お安い御用デース!」
金剛はニッと笑い、ピースサインを向けた。
赤城と加賀も敬礼し、駆けつけてくれた仲間達に感謝を示したのだった。
赤城が復活した報は佐世保鎮守府に、そして佐世保の街の人々にもすぐさま広がった。
赤城が死闘を繰り広げた日の翌日、街の人々は赤城と加賀が命懸けで街や子供を守ってくれたことに感謝し、囁かな祝賀会を開いてくれた。
二人はまだ怪我が回復しきってなかったが、人々の好意に応えるべく、安静にするという条件付きの上で、応急処置を済ませて宴に参加していた。
「よっし! 今夜は赤城さん復活を記念して飲んじゃおー!」
「あなたはまだ未成年でしょうが」
はしゃぎまわる瑞鶴に加賀が冷たく釘を刺した。気付けば瑞鳳や翔鶴、金剛らが屋台で飲み食いしながら街の人々と楽しげに歓談していた。
「ねぇ藤原さん! 聞いて聞いて! 加賀さんすっごくかっこよかったんですよ!」
「ほほぅ…。そりゃあ俺も見たかったねぇ!」
瑞鳳は屋台を手伝いながら、師匠の勇姿を自分のことのように自慢していた。
「よーし! りんご飴も白露がいっちばーん!」
「ふふ。ボクが二番だね」
「ったく、あんた達はしゃぎすぎなのよ…」
白露や時雨、叢雲など、佐世保所属の艦娘達もこの祭りを楽しんでいるようだった。
一方で、今回の戦いで奮戦した加賀と赤城は、会場の隅の静かな席に座り、焼き鳥とコーヒー牛乳を手に談笑していた。
「それにしても、あんなギリギリまで『赤城』が力を貸してくれないなんて…」
「最強の一航戦の力を操る以上、『赤城』の装着者には相応しい心が必要なのよ。そんなことにも気づけないなんて…」
祭りの場にも関わらず、加賀は普段と変わらぬ厳しい口調だった。
「あぁもう! 加賀さんってホント素直じゃないですねぇ…!」
加賀達を探しに会場をうろついていた瑞鶴が横から口を挟んだ。彼女の口元はソースが付いており、恐らくたこ焼きでも食べたのだろうと赤城は思った。
「何のことかしら」
「みんなわかってますよ。加賀さんがどんな人かなんて。私だって、赤城さんだって」
「…お黙りなさい」
加賀は瑞鶴の頭を軽く小突いた。相変わらずの無表情のままだったが、その顔は少しだけ赤くなっていた。
「そうね。加賀さんは昔っからこうなのよ。私のこと大好きなくせに、いっつもこんなツンケンして…」
「戦力の低下を心配してただけです」
「んもう…!」
赤城は苦笑した。
瑞鶴さんの言う通りね。加賀さんったら、相変わらずの照れ屋さん。
でも、本当はずっと心配してくれてたんだ。
「加賀さん、ありがとうございます。助かりました」
赤城は戦友の手を握り、改めて礼を述べた。白い頬が朱色に染まり、加賀はたまらずそっぽを向いた。
「わー、加賀さんが赤くなってるー!! かわいー!」
無言のまま裏拳が放たれた。二度も小突かれた瑞鶴は、「うわーん、加賀さんのばーか!」と言い残して翔鶴達のもとへと戻って行った。
また、ふたりっきりになった。
赤城はまだ頬の赤いままの加賀をじっと見つめた。
「加賀さん。これからまた、共に戦わせてください。一航戦の友として」
「言うまでもないわ」
ふたりは拳を突き合わせ、ふっと微笑んだ。
「ふふ。赤城さんったら」
木陰から二人をそっと見守っていた如月は、元気そうな二人を見て優しく微笑んだ。
さてと、今日はお祭り。女の子らしく、楽しまないとね。
如月はそっとその場を離れ、りんご飴を買いに屋台へと向かい始めた。
次回、命は助けたいって…おかしいですか?
投稿は5月下旬頃を予定いたしております。
多忙のため投稿は延期させていただきます。申し訳ございません。
更新遅くて申し訳ございません。もうしばらく投稿は延期します。
長らくお待たせして申し訳ございませんでした。
投稿再開します。
海底の熱水噴出孔。
跨る海魔を失い、嘗ての南方棲戦鬼から本来の姿へと戻ってしまった南方棲姫が傷を癒しながら横たわっていた。
(シッパイシタヨウダナ……)
(グゥ……!)
南方棲姫は唇を噛み、俯いた。
(アハハハハ! ブザマネエ!!)
既に傷を完治させた装甲空母姫が傷ついた同族をしつこく嘲笑った。
(ソウコウクウボキ…… キサマ……)
(オマカセヲ。コノワタシニイイカンガエガアル……!)
(マタキサマガ……? コンドハドンナサクヲナスノダ……?)
戦艦棲姫が疑いの眼差しを装甲空母姫は口を歪めて笑い、後ろを振り向いた。
(オマエハ……!?)
現れた海魔の姿を目にし、戦艦棲姫は驚愕の表情を浮かべた。
その場に現れた深海棲艦は、小柄な少女の形態を取った、いかにも強そうには見えない者だったのだ。
10 命は助けたいって……おかしいですか?
それは5月も半ばを過ぎた頃だった。この日、暁、響、雷、電の四姉妹は、祥鳳、飛鷹、夕張、睦月らと共に青森県むつ市まで出張していた。
この地域に鎮守府の支援施設として(大湊警備府)なる施設の設立が決定し、建設中の土地の護衛と物資輸送、および雑務処理のため招集された。
先月には赤城が戦線に復帰しており、もはや祥鳳達軽空母が関東に留まる必要もなくなっていた。
今、飛鷹達は厳しい表情で艤装を装着し、深海棲艦が出現しないかと港の上に立ち、監視任務を続けていた。
だが、やる気に満ちた飛鷹とは対照的に、同じ持ち場の睦月と夕張はだらけきっていた。
「うぅ……。お腹がぁ……!」
「睦月も寒いのですぅ……」
睦月と夕張は互いに抱き合いながら暖を取り、寒風から身を守っていた。
「あ、あのねぇ……。あなた達、もうちょっと真面目にやったらどうなの……?」
「寒いものは寒いのですぅ!」
「だ、だって私たちこの格好ですよ!」
ねー。二人は同じタイミングで頷きあった。
「あぁ。そういえば確かにあなた達薄着よね……」
飛鷹は睦月達の短い上着に目線を向けながら言った。飛鷹は長い袖と袴なので寒さには滅法強い。
しかし、二人ともタイツこそ履いてはいるものの半袖で、夕張に至ってはへそが丸出しの露出度が高い上着である。
関東ならばまだしも、未だ寒風吹く東北では少し厳しい。
とは言え、艤装は特定の服装しか受け付けず、特定の服装以外を着れば装着できなくなってしまう。故に、気の毒ではあるが二人には我慢してもらうしかなかった。
その時、誰かの足音が聞こえた。飛鷹が振り返ると、建設予定地の隣に建てられた仮設バラックから、電が軽鴨の雛のような足取りでやって来た。
「あ、睦月お姉ちゃんと夕張お姉ちゃん、これ……。どうぞなのです」
電の小さな手には腹巻とカイロが握られていた。睦月はカイロを受け取るとすぐさま袋から取り出して背中に貼りつけ、夕張は腹巻を巻いた。
「おぉ、このみなぎるパワー……! 睦月感激ぃっ!」
「ありがとう、電ちゃん! 助かるわ!」
背の高い――と言っても睦月と夕張は戦艦や空母の艦娘に比べればかなり小柄だが――年上の先輩達に頭を撫でられ、電は顔を赤くした。
「よーしっ! 睦月、偵察に行ってくるのです! 張り切ってまいりましょー!」
「あ、待って睦月ちゃん!」
熱源を与えられてやる気が出たのか、睦月と夕張は張り切って海の向こうへと偵察へ走り出た。
「あ、そ、それでは、電はこれで失礼するのです……」
電は小さくお辞儀し、すぐに部屋へ戻ろうとした。だが。
「あいて!」
脚がもつれてしまったのか、何もないところでこの小さな少女は転んだ。
「あ、ちょっと大丈夫? 電!?」
「だ、大丈夫なのです……」
飛鷹は慌てて駆け寄り、電に手を差し伸べた。幸い、どこも怪我や擦り傷はないように見えた。
「……ったく、足元には気を付けなさいよ」
「あ、ありがとなのです……。飛鷹お姉ちゃん」
細長い手指を取って電はゆっくりと立ち上がり、再び自身の持ち場――と言っても海岸掃除などの簡単な雑用だが――へと戻って行った。
飛鷹は小さな少女を見送り、ふっと微笑んだ。
「お疲れ様です」
電と入れ替わり、祥鳳がやって来た。そういえばもうお昼ね。そろそろ交代の時間だったかしら。
「あら、祥鳳さん。お疲れ様」
「それは?」
祥鳳の視線は飛鷹の右手に握られたカイロに向いていた。
「あぁ、これ?電からもらったんです」
「あら、あの子ったら」
「優しい子ですね、あの子」
「えぇ……」
飛鷹は、その時祥鳳がどことなく悲しげな表情を浮かべたのを見逃さなかった。
「どうしたんですか?」
「あ、いえ……。何でもないの。大丈夫です……」
首を振り祥鳳は無理に微笑んだ。
何だろう。飛鷹は不思議に思った。だが詮索はせず、すぐに休憩所へと戻った。
一方、電は砂浜へと戻り、雷、暁、響と共に海岸の整備作業を再開した。
未だ戦闘には参加を許されてないものの、防砂林の管理補助や清掃といった雑用を任されていたのだ。
「雷ちゃん、あれ」
「どうしたの?」
「あそこに誰かいるのです」
電が指さした方向へ目をやると、雷の瞳に白い小柄な物体が映った。
「あれは……!」
何かと思って近づくと、その小柄な物体は人の形をしていた。
雷と電は好奇心からその物体を見にやって来た。
「こら、二人とも! お仕事サボるなんて、レディーのやることじゃないわよ!」
「まぁまぁ。様子を見に行くくらいいいじゃないか」
響に宥められながら暁も妹二人に続いた。
異様に大きな頭部に白い肌、そして小さな角を持っていた。幼い電にもすぐわかった。
これは、深海棲艦だ。
「ウウ……」
不安げに電が見つめていると、その小さな深海棲艦は目を覚ました。
「あっ……!」
「タ、タスケテ……」
電は深海棲艦と目が合い、身体が凍りついた。
だが、深海棲艦は攻撃をしてこない。腕から青い血を流し、ただ苦しそうに腕を伸ばすだけだった。
どうしよう。電は立ち尽くし、どうすればいいのか躊躇った。
暁達もまたどうしようもできず、ただ立ち尽くすばかりであった。
数日後、担当の艦娘――飛龍、那智、長良、陽炎、不知火、黒潮、霞――および丘司令官の着任および引き継ぎが完了し、横須賀鎮守府の臨時警備任務は終了した。
祥鳳達も移動船に乗船し、横須賀鎮守府の港へと帰還した。
温かい空気。明るい日差し。やっぱり、横須賀はいいな。祥鳳は家に帰ってきたことを実感し、穏やかな気分になっていた。
それは飛鷹も同じだったか、初めての遠征任務にやや緊張していた彼女も、解放感からかホッとしたような表情を浮かべていた。
船から降りると、金剛達横須賀鎮守府の仲間が出迎えてくれた。瑞鳳や大鯨もいた。
「瑞鳳、金剛さん!」
「Hey! 皆さん、オカエリデース!」
「ただいま……!」
笑顔で出迎えてくれた仲間達を見て祥鳳は微笑んだ。そして、自分のもとへ駆け出してきた小さな妹を見て顔を輝かせた。
「瑞鳳……!」
「お姉ちゃん、お帰り!」
再会するなり、彼女はいきなり姉に抱きついた。
「ず、瑞鳳……?」
「えへへぇ……! やっぱりお姉ちゃんあったかいなぁ……!」
祥鳳は突然の妹の行動に少し驚いたが、すぐに微笑んで妹の頭を優しく撫で始めた。
「ふふ。瑞鳳さんったら」
古鷹が微笑ましい光景を見て天使のような笑顔を浮かべた。
「一週間くらい、祥鳳お姉ちゃんがいなくて寂しがってましたからねー」
大鯨がいたずらっぽく笑った。
「なっ……、泣いてなんかないもん! もう……!」
瑞鳳は真っ赤になった頬を隠すかのように、姉の胸の中に顔を埋めた。
「おかえりなさい、睦月ちゃん、夕張ちゃん」
「如月ちゃん、ただいまにゃしぃ!」
「ただいまー! むっちゃくちゃ寒かったよー!」
「あらあら。二人とも大丈夫?」
荷物を片付けながら、如月も夕張や睦月の疲れを労っていた。
「そういえば、電たちはどうしたクマ?」
「荷物の整理をするから先に行ってて、って」
「ちょっと様子を見てくるにゃ」
球磨と多摩は軽い足取りで船の中へと入り、暁達を探した。だが、デッキにも仮眠室にもトイレにも四人は見当たらない。
「おーい。チビどもー、さっさと出てくるクマ」
球磨が叫ぶが、船員が何人か出てくるだけだった。
「……もしかしたら何かあったのかもにゃ」
やがて二人はいくつものドラム缶が並べられた船底の倉庫へとたどり着いた。遠征では艤装運用に用いる燃料も運搬されており、船に搭載されていたドラム缶の半数近くは空だった。
「ようやく見つけたクマ」
球磨は倉庫の隅にいた少女たちを発見した。
「きゃっ!?」
「電、雷、暁、響? どうしたのにゃ?」
「は、はわわ……。な、なんでもないのです」
「早く降りてくるクマ。船の人達に迷惑をかけちゃダメだクマ」
だが、四人は一向にその場を動こうとしない。彼女たちの後ろにはずた袋を被せられたドラム缶が置いてあった。
「それは何にゃ。見せてほしいにゃ」
「あぁっ! それは開けちゃダメなの!?」
「隠し事はよくないにゃ」
多摩は容赦なく袋を剥がした。きっと何かのいたずらだにゃ。彼女は軽く見ていた。
だが、剥がされた中身を見て球磨と多摩は驚愕した。
「クマー!?」
「うにゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
船の中に球磨と多摩の絶叫が響き渡った。
ドラム缶の中には、潮の香りに包まれた深海棲艦が座っていたのだ。
小さな体躯の白い深海棲艦は直ぐ様拘束され、艦娘達に囲まれながらグラウンドの真ん中へと座らされた。
伊吹も赤城達から連絡を受け、現場へと駆けつけた。
今、小さな深海棲艦は艤装を装着した艦娘達に睨まれ、心配そうな表情をした電達に見つめられながら、海水入りのビニールプールの中で震えていた。
その様子はさながらプールで遊ぶ園児そのものだった。
「さて。どうしたことだね、これは?」
さすがの伊吹も困惑した表情を浮かべた。深海棲艦を鎮守府に連れて来るとは予想外の事態だった。
「ワタシ、タタカウノイヤ……」
「北方棲姫、か……」
伊吹はその深海棲艦に見覚えがあった。この個体は、北日本以北で目撃されたという「北方棲姫」と推察した。
幼子のような姿をしていることで有名な深海棲艦だが、多少の写真と目撃情報があるだけで詳細は何一つ判明していなかった。
伊吹が近づくと、北方棲姫は縮こまり怯えた表情をしながらプールの中hと顔を沈めた。
「Hey提督! 出撃Orderを要求シマース! Quick AttackでDestroyシマス!」
「ま、待ってくださいなのです! この子は悪い子じゃないです! ただ怪我をしてただけで……!」
電の言葉通り、北方棲姫は腕から青い血を流しており、プールの水は青い塗料を混ぜたかのように濁っていた。
「What!? 電、自分が何を言ってるかわかってるんデスカ!?」
「コワイ……!」
「Shit! Cuteな顔して騙そうったって、そうはいきマセーン!」
金剛は飛びかかろうとしたが、すかさず比叡と祥鳳に抑えつけられ、その場に留まらざるを得なかった。
「お、お姉さま! お、落ち着いてください!」
「金剛さん。何も今、ここでなくとも……!」
「Hah!? アナタ達の頼みでも聞けないデース!」
金剛は暴れまわって拘束を無理やりほどき、金剛は北方棲姫に砲口を向けた。
「金剛さん。ダメなのです……!」
だが、電がその小さな体を盾にし、深海棲艦を庇った。
彼女ごと撃ち抜くわけにもいかず、金剛は砲口を下げざるを得なかった。
「電。どいてくだサイ。コイツは私達のEnemyデス。倒さなくちゃ、いけないんデス……!」
「でも、この子はまだ何も悪いことしてないのです! それに怪我だって……」
「それがFakeなら!? いつ襲いかかるかもわからないんデスヨ!?」
金剛はなんとかどかせようと説得を試みた。だが、電は震えながらも動こうとはしなかった。
「それでも、助けてあげたいのです……!」
「ぐっ……」
「確かにこの子も深海棲艦なのです。それでも、怪我をしてるなら助けてあげたいのです……!」
金剛は目が回るような錯覚に陥った。深海棲艦は倒さなければならない人類の敵。
それなのに、なぜこの子はここまで庇おうとするのか、なぜ仲間達ですら肩を持つのか、理解できなかった。
「敵でも、命は助けたいって……おかしいですか?」
金剛は尚も電を退かせようと睨みつけたが、電は頑としてその場に立ちふさがり首を横に振るばかりだった。
祥鳳や赤城、暁らもどうしてよいのか分からず立ち尽くし、いつの間にか二人の間に流れていた重苦しい空気はその場全体に蔓延し始めた。
その時だった。
「決定を下す」
このやり取りを黙って聞いていた男が漸く重い口を開いた。
「暫くの間、横須賀鎮守府でこの深海棲艦を監視する」
「What!? 提督、何を言ってるんデス?」
「金剛、落ち着け。深海棲艦を殲滅するには、まず敵の情報をよく知らねばならない。これは絶好の機会だとは思わんかね」
「But……!」
「金剛、ここは従ってもらおう。いいな?」
「Yes……, sir」
金剛は俯きながら頷いた。
「電。すまないが交替で監視を付けても構わないかね? 万が一何かあった時、君達や北方棲姫を助ける者がいなければならん」
「……わかったのです。でも乱暴はしないでください」
「もちろんだ」
渋々ながら電も頷き、了承した。
雷は妹と姉貴分を交互に見つめ、複雑な表情を浮かべた。
その後、北方棲姫は電たち共々木造の小さな物置小屋へと移された。
敷地内の隅、それもゴミ焼却所周辺に建てられたここならば、被害は少ないとの判断によるものだった。
見張りは偵察や夜間哨戒のない者らが交代で行うこととなり、球磨と多摩がその任を請け負った。
電たちは大鯨によって一旦部屋に戻され、ひとまず鎮守府内の緊張は収まりつつあった。
だが、金剛の厳しい表情が崩れることはなかった。彼女は工廠裏にて自分を止めた比叡と祥鳳に詰め寄っていた。
「祥鳳、比叡。なぜ私をdisturbしたんですか!? Why!?」
「ご、ごめんなさい……。でも……」
祥鳳は申し訳なさそうに黙って俯き、金剛の叱責に耐えていた。
「お姉様。おっしゃってることは存じてますが、あの子達のことも少しは……」
「Shut up! あなた達だってヤツラにHateがないわけじゃないデショ!?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ金剛さん! まずは落ち着いて……!」
見かねた飛鷹が口を挟むが、金剛はますます怒りに燃えるばかりであった。
「What!? Dangerは一刻も早くDeleteしないと大変なことにナリマス! Cool Downなんかできますカッ!?」
祥鳳は助けを求めるかのように瑞鳳と隼鷹の方を向いた。ふたりは黙っていたが、ややあって重い口を開いた。
「お姉ちゃん、いくらなんでもあの子達に甘すぎだよ。あんなことして、何かあったりしたら……」
「ん~。悪いけど今回はあたしも金剛に賛成だねぇ。祥鳳もちっとは危機感持ったらどうなのよ?」
瑞鳳や隼鷹も祥鳳に賛同していたわけではなかった。後者に至っては呆れたように頬を引っかき、厳しい言葉を浴びせてきた。
「えぇ……。確かにあなた達が正しいと思う……」
「だったら早く提督にアレをDestroyするよう提案しに行くデース! 深海棲艦はAll Destroy……」
「待ってっ!!」
突如、祥鳳が叫び、金剛も勢いを削がれてたじろいだ。
「ご、ごめんなさい……。怒鳴っちゃって……」
「祥鳳さん、何かご事情があるなら話してください。電ちゃんのこと、何かご存知なんでしょう?」
「え、えぇ……」
比叡が祥鳳を促した。
「祥鳳お姉ちゃん、アレは……」
「いいの、大鯨。みんなにはできれば知っておいてほしいから……」
大鯨祥鳳はゆっくりと話し始めた。
「電は、昔はもっと明るくて、やんちゃな子だったんです……」
瑞鳳は祥鳳の表情が暗くなったことに気づいた。
私の知らない間に何があったのだろう。興味をそそられると同時に、姉と長い時を過ごした電たちに対して微かな嫉妬を覚えた。
「あの子にはね、みゆきちゃんっていう年上の幼馴染がいたの。すごく仲が良くて、毎日遊んでたんです。
でも、三年前のある日、電と鬼ごっこをしていたら、みゆきちゃんと誤ってぶつかってしまって、トラックに轢かれて事故に……」
祥鳳は目を伏せ、悲しげな表情をした。
「あの子の母親がうちに来て、電にひどく当たり散らしてね……。"あんたは疫病神だ"って何度も何度も怒鳴って」
「何よそれ……! あの子は何も悪くないじゃない……!」
無意識のうちに飛鷹は拳を握り締めていた。
「えぇ。私や伊吹提督も何度もそう言って説得しました。でも、あの子は自分が悪いと思い込んでしまって……」
「そ、その子は、みゆきちゃんはどうなったの?」
瑞鳳が尋ねた。
「みゆきちゃんはその後どこかへ転院してしまったわ。今は連絡も取れなくなって……」
話終えると、祥鳳は金剛に向き直った。
「誰にでも、敵にさえ優しくするのは、あの子なりの罪滅ぼしなんです……。だから金剛さん、今は許してあげて……!」
「No more I would! あなたは甘すぎデス!」
「おっ、お姉様!」
金剛は聞く耳を持たず、その場から足早に去っていった。
「金剛さん……」
祥鳳は何も声をかけられなかった。
それっきり、金剛は誰とも会話をせず、港で体育座りをしたまま動かなかった。夕張や古鷹らが夜間哨戒に出かける際に声をかけたが、彼女たちの言葉にも耳を傾けようとすらしなかった。
時は過ぎ、真夜中となった。小屋には寝袋が敷かれ、電達は寝袋のなかに包まり、深海棲艦の隣にいた。
幸いにも北方棲姫は何もせず、小屋に設置されたビニールプールの中でうたた寝していた。
「金剛さん……、分かってくれなかったのです」
電は萎れた花のような表情で呟いた。
「大丈夫、暁たちがいるじゃない! それに金剛さんもすぐわかってくれるわよ!」
「それに祥鳳お姉ちゃんや飛鷹さんだっていてくれるんだ。ほら、そんな顔してたら北方棲姫が悲しむよ」
「暁ちゃん、響ちゃん。ありがとなのです」
二人に励まされ電は微笑んだ。だが、二人を安心させるために無理をしているのは明らかであった。そんな妹の笑顔が二人の姉には、そして電が姉と慕う祥鳳と飛鷹には痛々しく思えた。
この日の夜間の見張りは祥鳳と飛鷹が受け持つことになった。
横須賀鎮守府の切り札とも言える赤城や夜戦の切り札となる重巡や軽巡の艦娘を消耗させるわけにはいかず、且つ電たちからも反感を買わないと伊吹に判断されたからだった。
「ほっぽちゃん、大丈夫なのです。きっとみんな仲良くなれるのです」
「ウン……!」
北方棲姫は小さく頷き、潮水の中へと潜った。
電たちはそれを見守りながら、その隣で寝袋に潜り、眠りに就いた。
「今のところ、何もないようね」
「えぇ」
あどけない少女と幼子の姿をした怪物が目を閉じて眠ったあとも、祥鳳と飛鷹は監視を怠ることはなかった。
「飛鷹さん」
「なんですか」
「……ありがとうございます。見張り、一緒に引き受けてくれて」
「ま、まぁ私も暇でしたし……」
敢えて口には出さなかったが、飛鷹もまた祥鳳に負けず劣らず電を心配していた。
この子は優しすぎる。その優しさに救われた者として飛鷹は電のことを妹のように大切に思っていた。
故に、万が一の事態を恐れて自ら見張り番を志願したのだ。
「ふぁ……」
いけない。ふと、あくびが出てしまった。
遠征帰りの疲れも蓄積しているのかな。まどろんだ顔を何度も叩くが、やはり眠気は簡単には取れない。
「……もう。やっぱり眠いんじゃない」
祥鳳が思わずあくびをした時、誰かが小屋の扉を開けて言った。扉に目を向けると、瑞鳳と大鯨がいた。
「交代するよ、お姉ちゃん」
「瑞鳳……」
「お姉ちゃんがこの子達を信じるなら、私も信じる。だから、今は休んでて」
「そうそう、何かあったら大変だよ! 無理しないで、祥鳳お姉ちゃん」
「瑞鳳、大鯨……。ありがとう」
祥鳳は瑞鳳に寄りかかり、静かに目を閉じた。
「おやすみ、瑞鳳」
「うん……。おやすみ」
最愛の姉に寄りかかられ、瑞鳳は頬を赤く染め、大鯨は黙って姉と瑞鳳に毛布を掛けた。
飛鷹が仲の良い姉妹たちを穏やかな表情で見つめていると、また新たな来客が倉庫に現れた。
「ひひ。まったく、飛鷹お姉さまはがんばり屋さんだねー」
「隼鷹、あなた何しに来たのよ……」
隼鷹だった。左手には2つの御猪口、右手には清酒入りの徳利を握っており、何をしに来たかは明白だった。
「あぁ、あたしゃ酒飲みに来ただけだよ。たまにはガキどもの寝顔を肴にすんのも乙かなと思ってね。ひひっ」
そう言いながら隼鷹は酒瓶を開き、口に含んだ。
「あんたねぇ……。寝てるとは言え子どもの前で飲むのやめなさいよ。悪影響でしょうが」
「いいじゃん、いいじゃん。どーせ寝てんだし~。ほら、飛鷹も飲む?」
隼鷹は早くも酒を注ぎ、飛鷹に押し付ける。
「……ちょっとだけよ」
ふっと微笑み、飛鷹は御猪口を受け取り、上品に口へと含んだ。
「あ~ん、だから飛鷹ちゃんってば大好き~! ちゅーしてやるよ!」
苦笑する瑞鳳と大鯨をよそに、隼鷹は早速ふざけだした。
まもなく彼女が騒ぎ出し、飛鷹に殴られておとなしく監視を手伝うことになったのは言うまでもない。
その頃、伊吹は執務室にていつも通り実務をこなしていた。その表情はいつも通り硬く険しいものだったが、赤城には彼がどこか不安そうにも見えた。
「金剛さんが御心配なのですか?」
「あぁ」
伊吹は一言だけ答え、彼は何も言わなかった。
「あの深海棲艦を、いつまであのままにしておくおつもりですか?」
「そのことなら保留だ。現状、危険はないと判断している」
煮え切らない態度に赤城は苛立った。
「問題から逃げないでください。提督、早急なご決断を!」
伊吹は暫く何も答えなかったが、やがて静かに口を開いた。
「不満かね、私の処置が?」
赤城は黙って頷いた。
「確かに、あの深海棲艦を倒せば、電達の安全は確実なものになるだろう」
「ならば、一刻も早い撃沈を……」
伊吹は黙ってかぶりを振った。
「だが、電の心はどうなる? あの子はまた誰も守れずに、さらに傷つくことになる」
「提督。まさかそれだけのために……?」
赤城は大いに驚愕した。まさか、この男がたった一人の幼子の心を傷つけまいとするためだけに、あんな危険なことをするなんて。
「我々はただ深海棲艦を倒し、人々の命だけ守れば良いのではない。その心をも守らねばならないのだ。忘れるな」
「……提督」
それだけ話すと、伊吹は口を閉じた。こうなった以上、赤城もこれ以上は何も聞けないと判断し、秘書官としての作業を再開した。
しばらくの間、部屋の中を沈黙が包んだ。
「失礼しまーす!」
その時だった。誰かが扉をたたく音がした。
「司令官、赤城さん、雷よ。夜食を持ってきたわ!」
赤城が扉を開けると、おにぎりの詰まった籠を腕にぶら下げた雷が立っていた。やや歪なだが形にはなったおにぎりがいくつも詰まっていた。
「はい、司令官に赤城さん! おにぎりよ!」
「ほう。雷が作ったのかね?」
伊吹は小さな手からおにぎりを受け取った。
「そうよ! 私の力作なんだから! はい、司令官と赤城さんには梅干し入りをあげるわね。体にとってもいいわよ!」
「ありがとうございます。後ほど、美味しくいただきますね」
赤城はもらったおにぎりを懐にしまうと、小さくお辞儀して礼を述べた。
「じゃあ、私は祥鳳お姉ちゃんのとこに戻るわね」
「雷、ちょっと待ちなさい」
「えっ? な、なんですか?」
雷は不安そうにゆっくりと振り返り、伊吹を見つめた。きっと、深海棲艦を連れ込んじゃったことで怒られるんだ。
だが、彼女を待っていたのは正反対の言葉だった。
「金剛のことだが……。彼女を悪く思わないで欲しい」
「へっ?」
雷はきょとんとした表情になった。
「彼女も君たちを、人々を守るため、必死なんだ。分かってくれ」
「大丈夫よ! 電も私も、ちゃーんと分かってるわ!」
笑顔で答えた少女を見て、伊吹はゆっくりと頷いた。
「そうだ! 金剛さんにも雷がおにぎり渡してくるわね!」
そう言い残し、雷は執務室を後にした。
「……いつの間にか、あの子も大きくなったのですね」
「人は皆前に進むものだ。雷や電とて例外ではない」
「えぇ、提督の仰る通りです」
赤城には、幼い少女の背が以前よりもたくましく大きくなったように思えてならなかった。
金剛は一人膝に顔をうずめ、港に座り込んだままだった。
「あっ! 金剛さんこんなとこにいた! もー、風邪引いちゃうわよ!」
「Thunder Girl……」
幼子の声を聞き、金剛は驚いて振り返った。
「あっ、これ雷が作ったおにぎりよ! 食べて食べて!」
金剛は黙って小さな手からおにぎりを受け取り、ラップを解いて一口いただいた。
米の柔らかい感触とほのかな旨味が口の中に広がり、ささやかな満足を覚えた。
「電のこと、怒ってない?」
金剛は黙って頭を振った。
「怒ってはないデス。But……深海棲艦は倒さなけれバ……」
「そうかもしれない……。でも、電も、あの子なりに何かを守ろうとしてるの。ひとりの艦娘として」
「あのThunder Girlが?」
雷は頷いた。
「私、電のこといつも見ててわかったんだ。艦娘は、ただ強いだけじゃダメだと思うの。何を倒すかじゃない、何を守るのかが、大事だって」
「何を守るか、デスか……?」
「電の優しい気持ちが、きっとほっぽちゃんにも通じて仲良くなれるもん。私も、暁も響も、電のこと、信じてあげたいんだ……」
金剛は黙っていた。彼女からすれば雷や電の考えはあまりに幼稚で無謀すぎる。理由もなく人を殺す怪物に人間の優しさなんて通じるはずもない。
この子達は深海棲艦と直接戦ってないからわからないんだ。これまで何度も血を流してきた金剛にはあまりにも浅はかだとしか思えてならなかった。
それでも、この幼子は考えを変えることはないのだろう。雷の真剣な眼差しがそれを物語っていた。
「じゃあね金剛さん! あんまり寒いとこにいたら風邪引いちゃうから気をつけてね! あと、ちゃんとおにぎりも食べてよね! この雷特製なんだから!」
矢継ぎ早にそう言い残すと、雷は姉妹のもとへと駆け出し去って行った。
「ただ強いだけじゃ、ダメ。か……」
金剛は星空を見上げ、雷の言葉を繰り返しながらおにぎりの残りを食べ始めた。
はちみつ風味の梅干しを使っていたのだろうか。中身はとても甘く感じられた。
監視が始まってから三日が経過した。その間、北方棲姫は特に怪しい挙動を見せず大人しく過ごしていた。その傷も既に回復しており、すっかり元気そうに見えた。
この日は監視を睦月と如月、そして祥鳳が担当していた。
三人は少し離れた所から電達を見守り、座っていた。彼女たちもこの深海棲艦は例外的な存在だと思い始めていた。
ふと、電は尋ねた。ずっと彼女が疑問を抱いていた
「ほっぽちゃん、どうして深海棲艦さんは人間を襲うのですか?」
「ワタシタチハシメイガアル……。ジンルイヲヘラサネバナラナイ……」
「それはなんでなのよ?」
暁がぶっきらぼうに聞いた。
「……オシエラレナイ」
「できれば、電は戦いたくないのです……。祥鳳お姉ちゃん達にも、ほっぽちゃん達にも傷ついてほしくないです……。お互いに仲良くできれば……」
だが北方棲姫は首を横に振るだけだった。
「ソレハデキナイ……。ワレラトカンムスハタタカウサダメ」
「そんなのおかしいじゃない! なんでわけのわからない理由で戦わなきゃいけないの!? 暁はそんなの全然わかんないもん!」
暁が顔を真っ赤にして怒った。
「サダメハサダメ。ソレダケノコト」
「でも運命と戦うこともできるんじゃないかな」
響が静かに答えた。
「ウン……。タシカニワタシモ、イナズマタチトタタカイタクナイ……。ナニカデキルナラ……ナントカシタイ」
「そうよね! それが一番よね!」
「なのです!」
電と雷は嬉しそうに微笑んだ。
「ほっぽちゃん、手ぇ出してください!」
「オテテ……?」
北方棲姫は不思議そうな表情をしながら右手を伸ばし、電の言うがままに任せた。電は微笑み、その手を取って軽く握った。
「えへへ、友達の印なのです」
「トモダチ……」
ふたりが仲良く握手する様子を見て、如月や祥鳳は黙って微笑んだ。
その場にいる誰もが、深海棲艦と人類との和解の可能性が芽生えたと感じた。
北方棲姫を除いては。
握手をする北方棲姫が、プールの奥底に沈めたその左手を握り締めていたことに誰も気づかなかった。
真夜中、プールの中に顔を埋めていた北方棲姫はゆっくりと目覚めた。
深海から浮上する直前、彼女には装甲空母姫から使命が与えられていた。
(カンムスヲコロセ、ワタシニキズヲツケタムツキヲコロセ。キサラギヲコロセ。ソシテアノチビケイクウボドモヲコロセ)
彼女があの場にいたのは偶然ではなかったのだ。
その(人間にとっては)愛らしい風貌を利用して艦娘の情に訴えかけ、戦意のない深海棲艦のふりをして横須賀鎮守府へと忍び込む。
そして、目的の艦娘達を暗殺する。それが北方棲姫の企みだったのだ。
今この場に、殺すべき艦娘が三人いた。
祥鳳とか呼ばれていた艦娘と、ショートカットの小娘、そして妙な飾りを髪に付けた髪の長い小娘。
だが三人は連日の見張り番の疲れからか、うたた寝しかけていた。
「イマダ……」
北方棲姫はプールから這い上がり、濡れた体を引きずり、動き出した。そして、隠されていた爪を伸ばし、祥鳳達に鋭い刃を向けようとした。
だが、その爪が振り下ろされることはなかった。
「ほっぽちゃぁん……」
慌てて爪を隠して、後ろを向く。だが電は瞼を閉じたままだった。
「えへへ……。なのです……」
寝言か。北方棲姫は胸をなでおろした。
小さな少女たちは静かに寝息を立てて眠っている。しばらくは起きないだろう。
早く艦娘を暗殺せねば。北方棲姫は物音を立てないよう慎重に歩を動かし、祥鳳達を襲おうとした。
だが、その歩みは小さな手によって止められた。
「ずっと、おともだちなのでしゅ……」
いつの間にか、北方棲姫の足を電が掴んでいた。何がトモダチだ。意味不明な概念など深海棲艦には不要だ。
「ジャマヲ……」
力を込めれば簡単に振りほどける。それどころか、やろうと思えばその骨を砕くことすら可能である。
にも関わらず、北方棲姫にはなぜかこの小さな少女の手を動かすことはできなかった。
「ナゼ……? ナゼ……?」
彼女は不可解な自身の行動に困惑していた。
騙し利用し使い捨てるだけの存在にすぎないはずなのに、なぜ今自分が彼女を傷つけまいとしてるか、自分でも理解できなかった。
その夜、北方棲姫はついに誰も殺せずに朝を迎えたのであった。
翌朝、北方棲姫は電たちが用意した魚を貪りながら、昨日の自身の行動について考えていた。
「おいしいですか、ほっぽちゃん?」
「ウン……アリガトウ……」
北方棲姫は必死で笑顔を見せながら、その内心は混乱していた。
なぜ、自分は艦娘を殺せなかったのか、そしてなぜこのちっぽけな艦娘ごときに足を止められてしまったのか、理解できないでいた。
「そうだ! せっかくだから、鎮守府の散歩に行くのです」
電の提案を聞き、北方棲姫は内心ほくそ笑んだ。これでここから一旦離脱さえすれば、また暗殺の好機もあるだろう。それに敵の情報も探ることができる。
「ハラショー、いい考えだね」
「え? でも深海棲艦って長い時間陸にいると干からびちゃうんでしょ?」
雷が心配そうに北方棲姫の肌を見つめた。
「ウウン、スコシノアイダナラダイジョウブ。ワタシモ、イキタイ」
「よし! そうと決まれば行きましょ! みんな、波止場まで競争よー!」
「あっ、ちょっと待ってみんな。提督に許可を戴いてからに……!」
祥鳳が止めるのも聞かず、幼子達は暁を先頭に北方棲姫を引き連れて外へと飛び出した。
「あらあら……」
「みんな子どもだねぇ……」
如月と睦月は、苦笑しつつ暁達を見送った。
それまで動けなかったフラストレーションを解き放つためか、幼子達はその持てる力をすべて発揮し、全速力で駆け出した。
「へっ……へっ……へっ……。あ、暁が一番なんだから!」
「ふう……。ど、どうだろう」
暁と響は互いに競争意識が生まれたのか、一足先に船着場の先端まで到着していた。それに雷、電、そして北方棲姫が続いた。
「ちょっとー! ふたりとも早すぎよー! ほっぽちゃん置いてきぼりにする気ー!?」
「そ、そうなのです……!」
二人は覚束無い足取りで走る北方棲姫に合わせてややゆっくりと走っていた。
「マ、マッテ……!」
慣れない陸上での活動に北方棲姫は困惑した。彼女にとってコンクリートに覆われた港は足がうまく動かせず、バランスを取りづらい場所であった。
加えて太陽熱に温められたコンクリートの地面は灼熱地獄に等しい。
「はわわ……!」
「ちょっとちょっと! 大丈夫なの!?」
やがて、北方棲姫はバランスを崩してしまい、前のめりに倒れた。
「イッタイ……」
北方棲姫が痛みを堪えながら立ち上がろうとしたその時であった。彼女は目を丸くした。
「だ、大丈夫なのですか?」
電が手を差し伸べてきたのだ。
「ナゼワタシヲタスケルノ……?」
北方棲姫は不思議であった。深海棲艦にとってみれば、倒れた同族はもはや価値なき者でしかない。
それを助けようとする電の行動は彼女の常識から余りにもかけ離れていたのだ。
「なんでって、友達だからよ! 当然じゃない!」
雷もその手を差し出し、北方棲姫に立ち上がるよう促した。
波止場の先端でふざけ合っていた暁達も北方棲姫が転んだことに気づき、戻ってきた。
「ち、ちょっと大丈夫!? 怪我してない?」
「ダイジョウブ……、ドコモイタクナイ……」
立ち上がりながら、北方棲姫がそう言ったことで四人は胸をなで下ろした。
(ソウイウコトカ……)
この時、北方棲姫はおぼろげながら理解した。人間の言う「ともだち」の意味が。
強者が弱者を支配し、破壊するだけの深海棲艦にはなかった関係。互いに支え合う暖かな関係性。それが電の言う「ともだち」なのだと。
同時に、なぜか艦娘を暗殺するという当初の計画はすっぽり抜け落ちてしまった。
「よーし! じゃあ仕切りなおしてあの船のとこまで競争よ!」
よーいどん。暁の掛け声と共に北方棲姫と電達はかけっこを再開した。
先ほどと同様に暁と響がトップに躍り立ち、その後ろを雷達が続いた。
だが、今度は北方棲姫も負けてはいなかった。凄まじい速度で足を動かし、雷達を追い抜き、更には暁と響の横を駆け抜けてしまった。
「え、ええぇぇっ!?」
負けてられない。雷と電は急いで必死に足を動かした。だが、些か急ぎすぎたようだ。
「きゃっ!」
「電っ?」
ただでさえ転びやすい電は派手に転んでしまった。
「はうう……。いたいのです……」
電は涙目になって痛みに耐えた。その時、誰かが猛スピードで彼女のもとへ駆けつけた。
「イナズマ……ダイジョウブ?」
北方棲姫だった。今度は彼女が電に手を差し伸べる番であった。
「あ、ありがとなのです」
「トモダチハタスケルノガアタリマエナンデショ?」
「ほっぽちゃん……」
電は頷き、大きな白い手を取って立ち上がった。
遅れて駆けつけた雷達も、笑い合う妹の友達を見て安堵の笑みを浮かべた。
その様子を、遅れてかけつけた祥鳳や飛鷹、睦月と如月、金剛や伊吹も見ていた。
軽空母の艦娘ふたりは目を見合わせて微笑み合い、如月はあらあらと言いながら暖かな目線を幼子たちに向けた。
そして電と北方棲姫の笑顔を見て金剛もまた、固い頬を緩めた。
「提督……。ナゼ電があの子をかばったのか、なぜ提督があの子を匿ったか、分かった気がシマース……」
「金剛……」
伊吹は厳つい頬を緩め、微笑んだ。
「あの子達がTeachしてくれマシタ。私が忘れかけてた、大事なことヲ……」
伊吹は黙って頷いた。
この時、金剛はようやく電という艦娘の強さを理解したのだった。
だが、電達の穏やかな時間は突如終わりを告げた。
「緊急事態発生! 深海棲艦が出現しました……! 鎮守府付近に迫ってます!」
突如、夕張の通信が鎮守府に轟いた。
「えっ……?」
「とにかく、艤装を!」
金剛達はすぐさま艤装を呼び出して装着し、港の近海へと飛び出した。
「夕張ちゃん、深海棲艦の数は!? 今どこ!?」
「ちっ、近くです! 距離北西北150m! すぐに出てきますっ! それに非常に巨大で……。なっ、なにこれっ!?」
「夕張ちゃん、落ち着いて! 一体どうしたの!?」
祥鳳は夕張の声が震えているように聞こえた。
「てっ、敵は推定15m! そっ、それ以上かも! なんでこんな巨大なのにレーダーに引っかからなかったの!?」
「えっ……?」
その通信の直後、海面から波飛沫をあげて深海棲艦が現れた。
「装甲空母姫……?」
祥鳳は海から現れた海魔を見てそうつぶやいた。
だがその姿は以前交戦したものとは大幅に異なり、下半身は足の代わりに巨大な黒い鮫の頭へと変貌していた。
さらにその頭からは頑丈な腕が生えており、見るからに強靭な外見となっていた。
「まさか、強化されて、鬼に……!?」
飛鷹が冷や汗を垂らした。
以前加賀と赤城が交戦した南方棲戦鬼の件以来、いくつか下半身が巨大怪物に変化した姫クラスの深海棲艦が目撃されてきた。
これらの報告をまとめた結果、大本営はこれらの深海棲艦を「鬼」と命名し、警告を各鎮守府へ通達していた。
だが、まさか装甲空母姫までもが「鬼」となっていたとは。その強さを知る如月や祥鳳は驚愕し、内心恐怖を覚えた。
「フフフ…」
突如、装甲空母鬼が不気味に笑った。何かがくる。その場にいた艦娘達は身構えたが、手遅れだった。
装甲空母鬼の巨大な頭部が突如赤く光った。
あっと思った直後、赤い光りの束と強烈な衝撃がその場にいた艦娘達を遅い、全員が鎮守府近海から港のコンクリート壁まで吹き飛ばされた。
「くっ……!」
「きゃあああっ!」
「Shit!? なんデスカこのPowerは!?」
百メートルの距離を吹き飛ばされ、艦娘達は驚愕していた。如月や睦月はショックのあまり意識を失い、飛鷹や祥鳳は倒れ伏してしまった。
頑強な装甲を持つ金剛さえも大破してしまい立つのがやっとであった。それぞれの防御壁は粉々に砕け散り、あと一発でも喰らえば轟沈も免れぬ状態であった。
装甲空母鬼は高みから倒れ伏した艦娘達を見下ろし、狂ったように笑った。
「アハ、アハハハハハ、アハハハハ! ブザマネェ……!」
「くっ……」
こんな時に限ってほかの艦娘は遠征や偵察に出かけて留守だった。赤城が救援に到着するにも少し時間がかかるだろう。
その間に少しでも傷つけられれば一巻の終わりだ。
「キサマラハワタシニハジヲカカセタ……! シヲモッテツグナエ!」
「まさか、あなた私や睦月ちゃん達を狙って……!?」
「ソウトモ! ザコガワタシヲタオセルハズナドナイノダ……! ナイノダァァ!」
装甲空母鬼は憤り、吠え声を上げた。その咆哮は海原に轟き、艦娘達の体を震わせた。
胸の布を押さえ、なんとか立ち上がった祥鳳はふと港の後ろを見た。そこには北方棲姫と電達が怯えた表情で立っていた。
「は、はわわ……」
「電! あなた達は危ないから早く逃げて!」
祥鳳が叫ぶが、四人の幼い艦娘達は怯えて動けなくなっていた。装甲空母鬼はその隣に立つ白い同族を見て口元を歪めた。
「ヨシ。ヤレ、ワガドウゾクヨ……!」
だが、北方棲姫は装甲空母鬼が予想していたものとは正反対の行動を取った。
「ヤメマショウ……!」
北方棲姫は突如海へとその小さな身体を広げ、電達の前に仁王立ちしたのだ。
装甲空母鬼の表情から笑顔が消え、鋭い目つきとなった。
「キサマ、ナゼカンムスヲカバウ?」
その目に睨まれても北方棲姫は金剛達の前を動かなかった。
「カンムス、コロスノダメ……! イナズマ、ワタシノトモダチ……!」
「ナニヲイッテイル……!? ドケ……!」
「コナイデ……!」
北方棲姫は腕を伸ばし、大きく広げた。その直後、海面から怪物の頭とも砲台ともつかぬ黒い物体と浮遊する黒い猫の顔のような球体が次々と飛沫をあげて飛び出し、北方棲姫を守護するかのようにその周りを取り囲んだ。
「コナイデッテ、イッテルノ……!!」
言うやいなや、北方棲姫は黒い物体を操り、我武者羅に巨大な怪物の頭へと砲撃を始めた。
黒い球体は次々に口から爆弾を吐き出し、装甲空母鬼へと何度も攻撃を仕掛けた。
「カエレ……! カエレ……!」
何度も何度も爆風が飛び散り、光が巻き起こる。これで仕留めた。
北方棲姫は勝利を確信した。
だが、風が煙をかき消した時、装甲空母鬼は平気な顔をして海の上に浮かんでいた。
「コノデキソコナイガ……!: ナラバソノチビドモヲムッコロス……!」
北方棲姫の攻撃も装甲空母鬼には一切効かないのか。小さな北方棲姫の表情は青白くなってしまった。
「ジャマダ、ドケ!」
装甲空母鬼はいとも簡単に巨大な腕で北方棲姫を叩いた。
「グッ……」
「ドウゾクヲタブラカシタチビドモ……。マズハキサマラカラキエロ!」
「は、はわわ……」
三人の姉が小さな腕で果敢にも電を庇ったが、それさえもあっさりと指先で払い除けられた。
「きゃっ……!」
もう誰も守ってくれる人はいない。電は目に涙を浮かべ、死を覚悟した。
「ニクヘンニナレ、ゴミガ!」
「っ…!」
電は目を閉じ、自らの身が砕ける恐怖に身をすくめうずくまった。
「シネェェェエェ!!!」
装甲空母鬼は四門の砲塔を電に向け、全弾発射した。
「電ぁぁっ!!」
「やめてぇぇぇぇ!!!」
飛鷹と祥鳳が絶叫した。
「あ、あぁ……」
砂塵が巻き起こり、港の一角ごと電たちが吹き飛ばされたかのように見えた。
だが、しばらくすると祥鳳達の目に信じられない光景が映った。
「ほっぽ、ちゃん……?」
電は無事であった。その代償として、あまりにも重いものを対価にして。
「イナズマ、ブジ。ヨカッタ……」
電の盾となった北方棲姫の白い体は煙をあげ、彼方此方が焼けただれていた。全身に穴が穿たれ、そこから蒼色の血が滝のように零れ出していた。
「ほっぽちゃん。なんで、こんなこと……?」
「トモダチハダイジ。タスケル……。ソウデショ?」
「そんな……!」
そんなこといやなのです。電はそう言おうとしたが、ショックのせいか、舌が回らない。
北方棲姫はどこか虚ろな目をして微笑み、電の手を血だらけの手で力なく握り、青く染めた。
「サヨナラ……。イナズマ。トモダチ……」
北方棲姫はふっと微笑み、電のもとから離れ、装甲空母鬼に向かってよろよろと走り出した。
「ハハハハハハ! オロカネェ、オロカネェェ!!」
装甲空母鬼はすぐさま同族を巨大な腕で掴み、その下半身に備わりし口の中へと北方棲姫を放り込んだ。
そして、その牙で小さな体を何度も何度も執拗に噛み砕き、咀嚼し、ぼろ雑巾のような肉片へと変えた。
装甲空母鬼は心底不味いものを食べたといった表情のまま、北方棲姫の残骸を海の上に吐き捨てた。北方棲姫だったものの残骸が海上に浮かび、海よりも蒼い血が海面に広がった。
そして巨大な海魔は汚いものを見るかのような表情をして、腰に備わりし砲塔の火で残骸を焼き尽くした。
「うそ……!」
「そんな……!?」
あまりに残虐非道な装甲空母鬼の行動に、艦娘達は言葉を失った。裏切り者とはいえ、ここまで同族を打ち砕くなんて。
「そんな……」
響は恐怖に怯えて体を震わせ、雷と暁は呆然と立ち尽くした。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そして電は声にならない悲鳴を上げ、泣き喚いた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
その泣き声は傷つき倒れていた金剛達の耳元にも届いた。
「装甲空母鬼……!」
「Shit……!」
そして、大破し限界に近い状態だったはずの祥鳳と飛鷹、そして金剛が立ち上がった。
三人の目は残虐な怪物の顔をしっかりと捉え、睨みつけていた。
「あんた、自分がなにしたか分かってんの!?」
「電は、あの子達は、北方棲姫のことを大切に思ってた! それなのに……!」
「アハハハハハ! ウラギリモノヲコロシテナニガワルイ……!? キサマラニミカタシテアゲタノニ、ナニヲイッテイルノダ!?」
装甲空母鬼は哂った。なぜ艦娘達が同族を殺した自分に憤るのか、彼女にはさっぱり理解できなかった。
その時、突如、装甲空母鬼の体に何かが衝突し、その巨体が大きく吹き飛ばされた。
「ナンダ……!?」
"Hey, you! Do you know what human calls you!?"
金剛が艤装を装着したまま飛びかかり、白い海魔の頬を殴りつけた。
「ナ……!?」
"We call you, disgusting shit Devil !!"
金剛は息つく間もなく、必殺の砲撃を放った。何度も何度も執拗に、怒りを込めて。
「グッ……!」
そのいくつかが命中し、派手な爆風が巻き起こった。
「やった……!」
「No! まだデース!」
だが、煙が止むと装甲空母鬼は健在な姿を見せていた。
あまりに堅牢な装甲空母鬼の体は破壊できず、せいぜい腰部の砲塔を損壊させる程度の攻撃しかできなかった。
「オノレェ、シニゾコナイガ、イイキニナルナァ!」
装甲空母鬼は牙を剥き出しにし、襲いかかろうとした。だが、彼女たちが何も攻撃してないにも関わらず、突如装甲空母鬼の肩が再び爆破された。
「ナニッ…!?」
祥鳳が頭上を見ると、赤城の艦載機が数十機飛翔し、攻撃準備に取り掛かっていた。
「装甲空母鬼……! 我が友である鳳翔の仇、討たせていただきます!」
「イッコウセン……!」
まわりを見れば、急報を受けて哨戒から駆けつけた比叡や瑞鳳、装甲空母鬼の襲来の報を受けて目覚めた加古や古鷹も駆けつけていた。
形勢不利と見た装甲空母鬼は悔しげに顔を歪めた。
「クッ……! ツギコソハカナラズ……!」
装甲空母鬼は爆撃を躱しつつすぐさま海中へと潜り、波間へ隠れて逃げ出した。
「Shit……!」
戦いは終わり、街は無事守られた。だが、その場にいた艦娘達の心には敵を退けた達成感も、何かを守れた誇りもなかった。
「ほっぽちゃん、ほっぽちゃぁぁぁん!! ほっぽちゃぁぁぁぁん!!!」
この戦いで一人の少女の心を守ることはできなかったのだ。電の悲痛な叫び声が鎮守府中へと響き渡った。
怒りと悔しさを抑えきれず、金剛は港のコンクリート壁を殴りつけ、港の壁に丸い穴が穿てられた。
飛鷹と祥鳳は、ただ電の泣き叫ぶ声を聞きながら、拳を握り立ち尽くすしかなかった。
同日の夕刻、伊吹の発案で北方棲姫の囁かな葬儀が営まれることとなった。
彼女の遺骨はもちろん存在しない。木の卒塔婆に北方棲姫の名が刻まれただけの簡易な墓であった。
その場には横須賀鎮守府の艦娘全員が揃っていた。
昼間はいつも寝ている加古でさえ、この時ばかりはきちんと目を見開き、真剣な表情で式にあたっていた。
彼女たち艦娘にとって、死は常に隣り合わせの友である。葬儀を茶化すことなど、彼女たちにできようはずもないのだ。
「これより、勇敢な我らの友人、北方棲姫へ感謝を評する。全員、敬礼!」
その場にいた全員が敬礼した。俯き続ける電を除いては。
「祥鳳お姉ちゃん、飛鷹お姉ちゃん」
電はか細い声でふたりに問いかけた。
「電は間違ってたのですか……? 電は……」
「そんなことない。電は、間違ってなんかない」
祥鳳は小さな妹分の頭を静かに撫でた。
「あなたは、そのままでいい。優しいままの、あなたでいて」
飛鷹もそっと電の小さな手を取り言った。
金剛もまた電のもとに近づき、膝をつき目線を合わせた。
「電……。いつか、貴方の優しさが実を結ぶ日が来るはずデス。その優しさを、忘れないでくだサーイ…」
「はい……! はい……!」
電は祥鳳のスカートに顔を埋め、震え始めた。涙と鼻水が零れ祥鳳の服を汚したが、彼女は気にせず小さな少女を抱きしめ続けた。
それから二日が経過した。破壊された港は修繕され、戦いの傷跡は嘘のように消えてしまった。しかし、鎮守府の空気は未だに重く暗いままだった。
強力な敵が出現したことに加え、横須賀鎮守府におけるムードメーカーだった暁たち幼い四姉妹、とりわけ電の落ち込みようはひどかった。
その暗い空気は確実に鎮守府全体へと蔓延しており、このままでは士気にまで影響しかねず、致命的な敗北もあり得るかもしれない。
祥鳳達は談話室で電をどう元気づけるか話し合っていた。
「電はどう?」
飛鷹が尋ねると、大鯨は悲しげに首を振った。
「ずっと、部屋に篭ったままです。食事もロクに摂ってないです。このままじゃ……」
「そう……」
それ以上、祥鳳も問いただしたりはしなかった。
「強く、なりたいですね……」
大鯨が呟いた。その場にいた全員が賛同した。
大切な姉妹や仲間が、大切な人たちが悲しまなくて済むように強くなりたい。その思いは、その場にいた全員が同じ思いであった。
「Yes。私達はもっとStrongerにならなければ…」
金剛は改めて先日の戦いを思い返した。南方棲戦鬼など「鬼」クラスの超強力深海棲艦の出現報告が日本近海各地で増大している。
今後は更なる強敵が増えてくることは間違いない。さらに強くならなければ、仲間どころか自分さえも守れない。
そして、金剛の脳裏にあの凶悪な装甲空母鬼と電の泣き顔が浮かびあがった。
あの優しい少女が悲しむ姿を見るのはもうたくさんだ。
もっと強くなりたい。彼女は更なる高みを目指すことを密かに誓った。
その日の午後、横須賀鎮守府の呼び鈴が鳴った。
「ちょっと、出てきますね」
また夕張ちゃんが何か頼んだのだろうと思いながら、祥鳳は小走りでインターホンのもとへと駆けつけた。
「はい、横須賀鎮守府です。どちら様でしょうか?」
「すんませーん! ちょっと電を呼んでもらってもいいっすかー!?」
どこか聞き覚えのある口調ね。それにとてもやんちゃそうな子。誰だろう?
祥鳳は不思議に思いつつ、部屋でふて寝していた電の手を取り、たまたま廊下で出くわした飛鷹や金剛と一緒に門まで連れていった。
電は心ここにあらずといった表情のままであり、そんな妹分の顔を見て祥鳳は胸が締め付けられるような思いだった。
「今、門を開けますね。入ってください」
祥鳳と電は信じられない光景を目にした。
「う、うそ……!?」
「あなたは、まさか……?」
門の外で待っていたのは、セーラー服を着たボーイッシュなショートヘアの少女であった。その姿は、かつて幼い頃の電と仲良しだった少女そっくりだった。
「そうだよ、みゆきだよ! もっとも、今は立派な艦娘になってかっこいい「深雪」さまだぜ!」
よほど自慢したかったのだろう。深雪は、わざわざ艤装を着けて横須賀鎮守府まで来たようだった。
髪の毛はボサボサで、まるで腕白小僧を大きくしたような姿であった。
「へへ! 16になって艦娘に就任した暁には、いの一番に電に教えてやろうってさ! あっ、もちろん伊吹提督と水本提督から外出許可はもらってるぜ!」
鼻を擦り、深雪はへへっと笑った。
「あ、あの、深雪ちゃん……」
「ん?」
電は涙をこらえて喉から言葉を絞り出した。
「電は、ずっと……。謝りたくて……。ずっと、ずっと……!」
「ばーか! もうそんなの全然気にしてないって!」
深雪は優しく電の肩を叩いた。
「うぅ……」
「ほら、涙拭きなって」
深雪が持っていたティッシュを受け取り、電は鼻をかんだ。
ちかごろ、なんだか泣いてばかりなのです。電はそんな自分を恥ずかしく思ったが、どこか胸の奥に溜まっていたつかえが取れたような気もした。
「ほら、辛気臭い話はやめやめ。なっ? 艦娘になる時の訓練とか、話してやっからさ!」
「はい……、はい……!」
電は大粒の涙を零しながら、数日ぶりに哂った。
「やっと笑ってくれましたネ……」
「えぇ」
「電ぁ……、よがっだわねぇ……。いなづまぁ……!」
金剛はほっとした表情で微笑み、飛鷹はハンカチを顔に当てて泣き出した。
「この笑顔、今度こそ絶対に…」
「えぇ。必ず、Protectしましょう」
「はい……!」
この愛らしき少女たちの笑顔を必ずや守ろう。笑い合う電と深雪を優しく見つめ、そう思った金剛達であった。
次回、私がやっつけちゃうんだからー!
次回は9月頃投稿の予定です。
たいへんお待たせしました、投稿再開します。
深海。日本海溝の奥底。
暗い闇の中に白い煙が舞う熱水噴出孔があった。その煙のベールをかき分け、黒い服を纏った女が黒い巨龍を従えて出現した。
(……マタヤラレタカ)
(モウシワケゴザイマセン……)
装甲空母鬼は項垂れ、頭を下げた。
失敗する度に厭味を投げつける南方棲戦姫も今回ばかりは黙っていた。互いに失態を繰り返している以上、下手をすれば以前の失敗を蒸し返して罰を与えられることを恐れていたからだ。
今、体は回復の途中である。あと少しの時間で再び「鬼」となれる今、南方棲戦姫は沈黙してその場を見守るしかなかった。
「鬼」になれれば、自分に屈辱を与えたあの艦娘二人を消し去ることができるのだ。彼女はじっと黙って白い煙に打たれて佇んでいた。
(シカタアルマイ)
戦艦棲姫の背後に控えし巨龍が立ち上がる。下ろしていたその巨腕を持ち上げ、ゆっくり泳ぐ細長い深海魚を捕え、巨大な口の中へと放り込んだ。
(コノワタシガデルシカアルマイ)
(マサカ、センカンセイキミズカラ!?)
南方棲戦姫も装甲空母姫も驚愕の表情を浮かべた。
(キサマラノコザイクニハアキタ。チカラニヨッテタタキツブスシカアルマイ)
(ヘイヲワガモトヘトカキアツメヨ。ワガチカラニヨッテタタキツブシテクレルワ!)
突如、巨龍がその豪腕を振るった。砂埃が舞い、海底の地面へ大きなクレーターが形成された。
(オォ……!)
これならば。装甲空母姫達は、同胞の圧倒的な力に歓喜し、叫んだ。
その興奮は周りを泳いでいた深海棲艦達にも伝わり、駆逐ロ級たちが、軽巡ト級が、重巡リ級たちが、一斉に沸いた。
今、海魔達は狂乱の宴を始めようとしていた。
10月中旬頃。季節は夏から秋へと移り変わろうとしていた。つい先週までは暖かった横須賀鎮守府にも冷たい風が吹き始めていた。
まだ気温こそ高いものの、確実に空気は肌寒くなりつつあった。
その鎮守府の門の前に、素朴なセーラー服の少女と、ほっそりしたフランス人形のような容貌の少女が現れた。
ふたりの名は吹雪と夕立。どちらも駆逐艦の艤装を纏う艦娘であった。
「久しぶりですね、ここの門を叩くのも」
「うん。吹雪ちゃん、もしかして緊張してるっぽい?」
夕立が親友の顔を覗いた。既に吹雪の表情は強張っており、緊張が伺えた。
「だ、だ、だって、あ、あの赤城さんと、ご、ご一緒できるなんて……!」
「はいはい。それもう昨日から百回も言ってるっぽい」
未だ緊張している戦友の顔を見て、夕立は苦笑した。
「あ、あ、あと、祥鳳さんにもちゃんとお礼を言わないと!」
「うん。吹雪ちゃん、あの時助けてもらったからね」
あの時とは一年前の出撃のことである。あの時、敵艦の攻撃から吹雪を身を持ってして庇ったのが祥鳳だったのだ。
「よし、そろそろ突撃しましょ」
「はい!」
二人は呼び鈴を鳴らし、中の艦娘に扉を開けてもらった。重巡の艦娘、古鷹が天使のような微笑みで二人を出迎えてくれた。
「こんにちは、吹雪ちゃん。今日からよろしくね」
古鷹に案内され、二人は執務室の前へとたどり着いた。扉を開けると、部屋の中にはたくさんの艦娘達がいた。
かつて助けてくれた祥鳳や、駆逐艦の先輩である睦月と如月、無双の高速戦艦と名高い金剛に比叡。
「Oh! 吹雪に夕立! Long time no seeネ!」
金剛が陽気に手を振ってくれたのが見えた。そして、伊吹提督の隣にいる凛とした長髪の人物を見て、吹雪は目を輝かせた。
赤城さんだ! 今日から、赤城さんと一緒の艦隊に入れるなんて、夢みたい……!
憧れの人を見て、吹雪は胸の高まりを感じた。そのためか、伊吹の言っていることもあまり頭に入らずじまいであった。
「吹雪ちゃん、ちょっと」
見かねた夕立に小突かれ、ようやく吹雪は我に返った。
「では、着任の挨拶をしてもらおうか。吹雪、夕立、前へ出たまえ」
緊張した面持ちで、吹雪は皆の視線を浴びつつ前へ出た。
「初めまして、吹雪型駆逐艦の一番艦、吹雪です! 今日からよろしくお願いします!」
「白露型駆逐艦、四番艦の夕立です。これからお世話になります!」
11 私がやっつけちゃうんだからー!
着任式が終わった後、吹雪達は届いた荷物を自室へと運び終えた。
「終わったっぽい…」
汗を袖で拭い、夕立が一息ついた。
「お疲れ様、夕立ちゃん」
「荷物多くて疲れた~!」
ぐったりとした表情で、夕立はベッドに倒れ込んだ。
二段ベッドのどちらを使うかは相談するつもりだったが、夕立は下のベッドを早速確保したようだった。そのままお気に入りのピンクのぬいぐるみを抱きながら、横になって目を閉じた。
「夕立ちゃん、まだお昼だよ」
苦笑しながら吹雪が夕立の肩を揺すった。だが、夕立は疲れ果てたのか、すぐに安らかな寝息を立て始め眠りに就いた。
「まったく、いつもこれだもん」
吹雪は微笑み、そっと毛布をルームメイトへと掛けた。
夕立は白露型の駆逐艦で、10人姉妹の中では四番目にあたる。
睦月型も然りだが、彼女らもまた血の繋がった実の姉妹であり、10人姉妹と聞いたときにはたいへん驚いたものだ。
夕立らの母親はフランス人で、彼女達姉妹の多くが日本人らしからぬ容姿をしているのも、夕立の髪色が金髪なのも母の血を継いだためだという。また、夕立の実家は比較的裕福であり、それ故か彼女の私物は高価そうな人形や洋服も少なくない。
さらに言えば、夕立は駆逐艦の艦娘の中でも優れた力の持ち主であった。雪風や島風ほどではないものの、おっとりした外見やマイペースな性格とは正反対に、実戦では嘘のように勇猛果敢であった。
そんな彼女のことを、吹雪は内心羨んでもいた。
吹雪は普通の家庭――母親はややヒステリックなところがあったが――の六姉妹の長女として生まれ、つい最近になってかつて吹雪の艤装を纏っていた女性の手引きで艦娘として選ばれるまで、ずっと普通の中学生として過ごしてきた。
加えて、吹雪は良くも悪くも突出した部分がない平均的な能力の駆逐艦である。強いて言えば対空射撃に強みがあるが、それでも平均よりやや上といったレベルでしかない。
ゆえに、彼女はそんな平均的と言われる自分を変えたかった。もっと強くなりたいと願っていた。隣で眠ってる親友に、赤城さんに、もっと近づきたい。それは彼女の密かな目標だった。
「ぽい……。もうたべられないっぽい……」
夕立の寝言に吹き出しながら、吹雪はそっとその場を離れてジャージに着替えた。
扉を静かに開いて部屋を出ると赤城とすれ違った。「あら、吹雪さん。早速特訓ですか?」
赤城さんに、声をかけられた! 吹雪は内心感激しながら、憧れの先輩の目によく映るよう元気よく返事をした。
「はい! 赤城さんみたいな強い艦娘になれるよう、吹雪、がんばります!」
「えぇ。頑張ってください」
「はいっ!」
吹雪は喜び勇んで、グラウンドへと走り去った。
若き駆逐艦の少女を見送りながら、赤城はそっと呟いた。
「私、みたいにか……」
強さに憧れる少女を微笑ましく思うと同時に、そんな吹雪に対してどこか不安を感じた。
数時間後、夕食の時間になり、吹雪は夕立を引っ張り食堂へと足を運んだ。
「ねむい……」
夕立は寝ぼけた表情のまま食事を口にしていた。それでも決して下品な食べ方をしない辺り、さすがはお嬢様育ちだ。吹雪はそう思った。
ほかの面々は何をしてるか、部屋に目をやった。
以前見かけた、不思議な喋り方をする球磨と多摩はその場にいなかった。飛鷹と隼鷹は遠征中で、明日には帰ってくるそうだ。
「Hey、吹雪に夕立! 久々の横須賀はいかがデスカ!?」
「にゃしぃ! 吹雪ちゃん、夕立ちゃん、お久しぶりぃ!」
食堂に金剛と睦月が入ってきた。如月や比叡らも一緒だった。
「金剛さん、睦月さん! お久しぶりです!」
「睦月先輩、久しぶりっぽい!」
睦月を見た途端、夕立の顔はぱぁっと輝いた。
「Hey,吹雪! 足柄はFineですカ?」
「え、えぇ。お元気です。いつも明るくて優しくて素敵です!」
「そういえば、また勝負に来るから首を洗って待ってろ。って言ってました!」
「Oh…」
まだあの重巡は諦めてないのか。にっこり笑って答える夕立を見ながら、金剛は天を仰いだ。
「それにしても……。二人とも、ちょっとはいい面構えになったようですねぇ……!」
睦月は先輩ぶりながら、二人を見つめた。
「そ、そうですか!? ありがとうございます!」
「だったら、今度リベンジしてくれるっぽい!?」
「いいですとも! でも、この睦月様はそう簡単には負けないぞよ!」
えへんと睦月はふたりの前で胸を張った。
「あらあら。睦月ちゃんも、うかうかしてると追い越されちゃうわよ?」
隣から如月が口を挟んだ。
「にゃっ、そっ、そんなことはないもん! 睦月はこう見えても最強にゃしぃ!」
「ふふ、どうかしら? 昨日は私との演習で負けて涙目だったじゃない?」
「うにゃー? 如月ちゃんのいじわるー!」
先輩らしくない姿を見せられ、睦月は慌てて如月を軽く叩いた。
「睦月先輩、ちょっとかわいいかも」
「ちがうのー! 睦月はもっと強くてかっこいいのー!」
顔を赤くして否定する睦月に、吹雪は思わず微笑んだ。
そして、談笑する吹雪達の隣の席に長い黒髪の女性が現れた。
「吹雪ちゃん、夕立ちゃん。隣、いいかしら?」
優しい声をかけられて、吹雪はハッとなって振り返った。ずっと話したいと思っていた祥鳳がお盆を持って立っていたのだ。
「祥鳳さん!」
吹雪は目を輝かせて深々とお辞儀した。
「お久しぶりです! あの時は、本当にありがとうございました!」
「祥鳳さん、お久しぶりです」
夕立も合わせて軽くお辞儀した。
「おっ、大げさよ吹雪ちゃん……。頭を上げて」
何度も何度もお辞儀され、祥鳳は慌てた。
「吹雪ちゃんねー、赤城さんとおんなじくらい祥鳳さんの事かっこいいとかステキとか、話してたっぽい」
「そうなの吹雪ちゃん?」
「ゆ、夕立ちゃんシィーッ!」
だが夕立は狼狽している吹雪にお構いなしに続けた。
「でも、舞鶴にいた頃は由良さんステキ、古鷹さんステキって毎日のように……。もしかして吹雪ちゃんって結構ミーハ……」
言いかけたところを吹雪が口を塞いだ。
「ちっ、違うんです祥鳳さん! 夕立ちゃんは勘違いしてるだけなんです! えぇとそのぉ……」
「ふふ。ありがとう、吹雪ちゃん」
祥鳳ははにかんだように微笑み、吹雪の隣へとお盆を置き、席に座った。
「も、もう。夕立ちゃん……」
「嘘は言ってないっぽい」
夕立はしれっと言い放ち、悪戯っぽく笑った。
「あれ?」
吹雪はテーブルの隅にいる小柄な少女に気づいた。どこか不機嫌そうにも見える。
「祥鳳さん、そちらの方は……?」
「この子? 私の妹、瑞鳳です」
「そうだよ。祥鳳お姉ちゃんの、"妹"の、瑞鳳です!」
瑞鳳は背を向けたまま言い残すと、食器を片付けて立ち上がった。
「ず、瑞鳳? 吹雪ちゃん達にちゃんと挨拶しないと」
「今忙しいの!」
「どうしたの? 何を怒ってるの?」
祥鳳は困惑しながら尋ねたが、瑞鳳はむすっとした表情のままだ。
「お、怒ってなんかないもん!」
その言葉とは裏腹に、瑞鳳は顔を赤くして口をへの字に結んでおり、誰がどう見ても不機嫌そうに見えた。
「あ~あ。ま~た瑞鳳お姉ちゃん、ヤキモチやいてるんだ?」
既に食事を終えていた雷が横から瑞鳳をつつき、からかい始めた。
「な…! なんですって…!?」
「やーいやーい! ヤキモチヤキモチー!」
「なっ……! ち、ちがうからー!」
「みなさん聞いてくださいー! 瑞鳳お姉ちゃんはヤキモチやきのシスコンでーす!」
そう言い残し、雷は食堂から足早に出て行った。食堂の外ですら、「瑞鳳お姉ちゃんはヤキモチやきー!」と言いふらす始末であった。
「ちょっ……。どっ、どこでそんな言葉覚えてきたのよー!? 待ちなさーい!」
瑞鳳は顔を真っ赤にして食堂の外へと追いかけに出て行った。
「ごめんね、吹雪ちゃん。うちの妹達が騒がしくて……」
「本当よ。レディーはもっとお上品に食べないと」
そう言いつつ、暁は焼き魚を解体し口に含んでいた。その様は一見お上品にみえる素振りに見えた。だが、長年彼女達の面倒を見てきた姉貴分にはお見通しであった。
「その割には、魚の食べ方が汚いわね。暁」
「ううっ……。だ、だって秋刀魚ってちっちゃい骨が多いんだもん!」
暁はいつものようにごねた。そのお皿には散乱した骨が散らばっていた。
「ほら。もっときれいに骨が取れないと、立派なレディーにはなれないわよ?」
「うう……。わ、わかったわよ! がんばるわ!」
暁は渋々骨をきれいに並べ出した。
かわいいな。祥鳳は内心微笑えましく思った。いつものように元気で、あどけない、そしてかわいい妹達。彼女達が元気に過ごしている幸せを、祥鳳は改めて噛み締めていた。この場に鳳翔さんがいてくれれば、何も言うことはないのだけど。
だが、その中で例外がいた。響だ。暁たち姉妹の中では一番大人びている彼女だが、祥鳳には最近元気がないようにも見えた。
どこかだんまりと食事をしている響を心配そうに見つめた後、祥鳳は吹雪たちに向き直った。
「ごめんなさいね吹雪ちゃん。妹達が騒がしくて」
「元気なのはいいと思うっぽい」
「みんな、祥鳳さんのことが大好きなんですね!」
「ぽい!」
吹雪と夕立から素直な感想を述べられ、祥鳳は頬を染めた。
「えっ……? えぇ……。そうね……」
そっか。瑞鳳はまたやきもち妬いてたんだ。祥鳳はようやく妹が不機嫌な理由に気づいた。
なんでそんなことも気づけなかったんだろう。そう思うと、彼女はますます頬に熱を帯びる気がしてきた。
「あー、祥鳳お姉ちゃん真っ赤っかー!」
暁がはやし立てる。
「や、やだ……! 暁、大人をからかわないの」
「まあ、暁も祥鳳お姉ちゃんは大好きだけどね!」
「なのです!」
暁も電も可愛らしい笑顔で頷いた。その笑顔に恥ずかしくなったのか、祥鳳は顔を手で覆ってしまった。
「もう……。祥鳳さんったらかわいいんだから」
「き、如月ちゃんもやめて……!」
金剛は少し離れた席に座り、そんな仲間達の賑やかなやり取りを微笑みながら見つめていた。
だが、会話の中で出た一つの言葉が妙に引っかかった。
「大好き……デスか……」
そう。私も、提督のことが好き。でも、それは祥鳳や瑞鳳達みたいに家族としての「好き」ではない。
私は、あの日からずっと恋焦がれていた。
厳しいながらも真剣に私を想ってくれた伊吹提督を。
深海棲艦との戦いは今後ますます激しくなる。より強い敵に敗北し、いつ自分が沈むかもわからない。
ならば、この想いを伝えなければならないの? 金剛は仲間達を見つめながら、頬杖を付き、ひとり考え始めた。
いつしか、彼女の頬も朱色に染まっていた。
「ふぅ……」
騒がしくも楽しい夕食を終え、午後11時頃になると、すやすや眠る夕立を残して、吹雪はひとり浴室へと向かった。
誰もいない広いお風呂。どんな感じだろう。内心彼女はわくわくしていた。
服をやや煩雑に脱ぎ捨て籠に突っ込み、吹雪は一糸まとわぬ姿になった。
鏡の前でちょっとだけセクシーポーズを取ってみる。ふむ、なかなか似合いますね。彼女はこっそりと呟いた。
実は最近、彼女は仲間達との入浴が少し恥ずかしかった。同年代の艦娘よりも自分の体型がやや控えめなのを、吹雪は密かに気にしていた。
別に妬いてるわけでもない。だが、他の艦娘とお風呂に入るとき、なんとなく言葉では説明できないむずがゆさを感じるようになっていた。
そんなわけで、吹雪はお風呂に一人で入りたいと思うようになっていた。その矢先、横須賀鎮守府に配属されたことは彼女にとって幸運だった。
人数が多いために時間指定がされてる舞鶴とは違い、横須賀鎮守府はある程度入浴時間に融通が利く。今夜、吹雪は時間を見計らい、あえて遅い時間を狙っていたのだ。
「おおぉ!」
風呂の扉を開き、改めて見てみると、吹雪は思わず声を上げた。横須賀鎮守府の浴室はとても広く、ちょっとした銭湯並みの広さがあった。
この広いお風呂が今、自分だけのもの。そのことに吹雪は軽い感動と興奮を覚えた。
「ふふーん、このお風呂は吹雪さまが制圧したぞー! わっはっはー!」
すっぽんぽんのまま吹雪は無邪気にはしゃいでいた。16歳にしてはちょっと恥ずかしいけど、誰もいないんだからいいじゃない。そう思い、吹雪は胸を張って高笑いした。
だが、彼女ははしゃぐあまり、周りを見落としていた。
「あら。吹雪さん、こんにちは」
「え……?」
吹雪は湯船の方に目を向け、固まった。そこには憧れの先輩が一糸まとわぬ姿で湯船に浸かっていたのだ。
長い髪を結い丸くまとめてあるが、その柔和な表情と高い背丈は明らかに赤城だと分かった。
「あ、あ、赤城さん……!」
「あら。夜中なのにお元気ですね」
「す、すみません! いらっしゃるとは気づかず、お恥ずかしい真似を!」
「ふふ。一人だとはしゃぎたくもなっちゃいますからね。私も幼い頃は、そんなことがありました」
「は、はい……。すみません」
微笑む赤城をよそに、吹雪はばつが悪そうにおずおずと洗い場へ進んだ。
そのまま赤城に背を向け、備え付けのボディーソープを塗りたくって体を洗い始めた。
「ど、どうしよう……」
吹雪は小さく呟いた。
よりによって、赤城さんにあんな恥ずかしいところを見せるなんて……。吹雪は沈黙が非常に痛かった。このまま、消えてなくなりたいとさえ思うほどだった。
やがて髪と体を洗い終えて石鹸をお湯で流すと、吹雪はおどおどと緊張しながら、赤城と同じ湯船に浸かった。熱いお湯の感触が心地よい。
体が温まり、疲れが取れてくるような気がした。
「ふう……」
湯に浸かりながら、吹雪は赤城をちらりちらりと見た。上品な表情に、白い肌。それはまさに吹雪の憧れる理想的な美人そのものであった。
何よりそのふくよかな胸と美しく整った面立ちに自然と目線が向いてしまった。
「吹雪さん」
「はっ、はい!」
突如、赤城から名を呼ばれ、吹雪は背筋を正した。
「、近頃の訓練の成果はどうですか?」
「え……。ま、まあまあです!」
緊張しながら吹雪は答えた。とにかく、赤城にこれ以上変なところは見せられない。
「あ、対空射撃は、私とっても得意なんです! 自信がありますよ!」
「そうですか。いつも、頑張ってるようですね。その姿勢、とても素晴らしいですよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
赤城に褒められ、吹雪は地獄から一気に天に登るような心地よさを感じた。
「もっと、強くなりたいですか?」
「はい、私、赤城先輩みたいに強くてかっこよくなりたいです!」
私はあなたが思ってるほど強くなんかないわ。赤城はそう言いたかったが、敢えてその言葉は飲み込んだ。
「明日、対空射撃の訓練をしましょう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「ただし、私の訓練は厳しいですよ。覚悟はいいですね?」
「はい! ジープ特訓だって、なんだってやってみせます!」
吹雪は無邪気にそう答えた。この時、彼女は赤城の訓練がそんな生易しいものではなかったことなど、想像もつかなかった。
翌日、赤城の発案を受け、伊吹提督も対空訓練を承認した。早速、鎮守府の港の一角を囲い、吹雪の対空訓練が開始された。
周囲は祥鳳、瑞鳳、睦月、如月らが警備に当たっていた。
まず吹雪は、赤城から基本的な25mm三連装機銃の基本的な使い方を教わり、それを右腕に装着してから海へと出た。
「では、これより対空射撃の訓練を開始する! 吹雪、心してかかれ!」
「はい!」
伊吹の指令を受け、吹雪は緊張して背筋を伸ばして機銃を構えた。
「では参ります、吹雪さん。私を倒すつもりで来なさい。覚悟は、いいですね?」
「はい! よろしくお願いします!」
「All right! イイ返事ネ!」
「それでは、参ります……!」
早速、赤城は弓を引き矢を放った。
「きれい……」
弓を引く時のまっすぐな背筋、風に靡く長い黒髪、しなやかに伸びる弦。赤城の全てが調和し、矢へと収束した。
その一挙一動が、吹雪にとっては美しい戦女神の彫像のようにも見えた。
だが、彼女が見とれていられるのもそれまでであった。
「Hey、吹雪! よそ見はNoデース!」
突如、見張り役かと思われてた金剛と比叡が、容赦なく砲撃を放ってきたのだ。
「きゃぁっ!!」
水柱が何本も立ち、吹雪の逃げ道を遮った。その間隙を容赦なく赤城は攻めてくる。
赤城は次々と彗星、九七式艦攻を解き放った。爆撃が次々と吹雪の上空に降りかかり、雷撃が足を掠める。
吹雪はなんとか躱したが、金剛達に逃げ場を塞がれ、八方塞がりとなった。
「逃げてはいけません! 立ち向かいなさい吹雪さん!」
「は、はいっ!」
吹雪はなんとか三連装機銃を構え、動きながら狙いを定めた。
ぱらぱらぱら。次々と弾が撃ちだされてゆく。だが、当たらない。赤城の艦載機は吹雪が想像していた以上に素早く動作し、見事に避けたのだ。
その隙にも赤城は次々と艦載機を呼び出してくる。今度は飛行甲板を使用し、弓をカタパルトのように射出し、次々と撃ちだしてきた。
あの飛行甲板、盾かと思ってた。吹雪は場違いな感想を抱いてしまった。その隙を突かれ、彼女の目の前に彗星の爆撃の礫が降りかかってきた。
「きゃああぁぁぁぁっ!!!」
派手な爆発が巻き起こり、吹雪の防御壁はヒビだらけになった。その服も既に焦げており、吹雪がもう立てないであろうことは明白だった。
「あ、赤城さんやりすぎです! これじゃ吹雪ちゃんが……!」
「やめてください! これじゃ、吹雪ちゃんが本当に轟沈しちゃうっぽい!」
通信機越しに祥鳳と夕立が抗議した。吹雪の惨状は遠く離れた艦娘達からもはっきりわかるほど凄まじいものだった。
共に警護していた瑞鳳や睦月達も、何も言わないが明らかに戸惑いの表情を見せていた。
これまでの横須賀鎮守府の演習は実弾を使わない比較的安全なものだった。ところが今は戦闘用の実弾を使用していた。
おまけに赤城と金剛達の攻撃には、一切の容赦が見られない。祥鳳たちには、赤城が本気で吹雪を沈めるつもりのように思われた。
だが、赤城は黙ってかぶりを横に振るだけで止めようとはしない。
「この程度で倒れるなら、いつか海の底で朽ち果てて終わるだけです。あなたも、本当にこの子を想うなら、容赦してはいけません」
「私も賛成デース。祥鳳、これも一種のLoveだと思いマース。EnemyはますますStrongerになってマス」
通信機越しに金剛が言った。彼女まで賛成しては、祥鳳も黙るしかなかった。確かに敵は強くなっている。今までのやり方が通じない可能性だってあるのだ。
いつしか見張り番をしていた艦娘達も、凄まじい演習に見入ってしまった。
「さぁ立ちなさい、吹雪さん!」
「は、はい……!」
倒れている吹雪にも、赤城は容赦なかった。
「吹雪さん! 私達艦娘は海へ出て戦わねばなりません。何のためです!?」
「う、うぅ……。え、えぇと……。平和な世界を……作るため……?」
「違う!」
赤城はそんな教科書通りの答えを求めてなどいなかった。
「その後ろで、女の子がやさしく花を摘んでいられるようにしてやるためじゃないのですか!?」
吹雪はよろよろと立ち上がりながら、赤城の叱責を身に浴びていた。
「吹雪さん、あなたがやらずに誰がやるのです!? さぁ立ちなさい! 立って、この私を倒してごらんなさい!」
叫びながら、容赦なく赤城は艦載機を放ってゆく。
「吹雪ちゃんもうやめて! これじゃ死んじゃうっぽい!」
「大丈夫……。私は負けないよ……!」
吹雪はなんとか声を振り絞り、涙声の夕立に返事をした。
「私が、私がみんなやっつけっちゃうんだからー!!」
その間にも、容赦なく艦載機は襲いかかってきた。再び機銃を放つが当たらない。
どうして? 蒼龍さん達とやったときはちゃんと当たったのに……?」
「吹雪さん! 軌道をよく見てください! まずは一機ずつ、確実に撃ち落としなさい!」
赤城の言葉を受け、吹雪はそれぞれの艦載機を見た。
どれも、ランダムに飛行し、弾を撃てば旋回して回避され、軌道が読めないように見える。
だが、よく見ればどこか法則性があるように思われた。
「ここだっ!」
吹雪は自身の直感に賭けた。艦載機の来る位置を予測し、そこに弾を撃ち込んだ。次の瞬間、艦載機に弾丸が見事命中し、海へと落ちていった。
「あ、当たった!?」
吹雪は喜んだ。あの赤城さんの艦載機を、まさか打ち落とせるなんて!
だが、喜んだのも束の間。艦載機は方向転換し、爆撃で襲いかかってくる。さらに金剛と比叡も砲撃を再開してきた。
「身を低くしてこまめに姿勢を変えて! 立ったままでは、敵のいい的になるだけです!」
「はい!」
吹雪は素直に従い、身を屈めた。赤城の言うとおりだった。
棒立ちにならなければ爆撃もすんでのところで回避できる。それを繰り返し、吹雪は何とか爆撃をかわし続けた。
「爆撃でなく雷撃も気をつけて! 雷撃は軌道をよく読むのです!」
「はい!」
先輩の言葉に従い、吹雪は雷撃をうまく回避した。
いつの間にか、吹雪は無意識のうちに爆撃の位置を回避しつつ対空射撃を行う動きを身につけつつあった。
「おぉっ……!」
これなら、勝てるっぽい? 夕立は思わず感嘆の声をあげた。
「てやぁぁっ!!」
吹雪はぎこちない動きではあるものの、なんとか爆撃と砲撃を避けつつ艦載機を次々と撃ち落としていった。
彗星が、九七式艦攻が次々と撃ち落とされ、海へと浮かんでゆく。
やがて、彼女は赤城に雷撃を確実に命中させられる位置まで肉薄していた。
「赤城さん、行きます!」
「ええ。全力でかかってきなさい!」
「はい!」
吹雪は太腿に装着していた発射装置のロックを解除し、赤城めがけて魚雷を発射した。
「いっけぇぇぇぇぇ!!」
必殺の魚雷が数本、赤城めがけて進む。この距離ならよけられない。これさえ当たれば、赤城さんに勝てる……! 吹雪は勝利を確信した。
直後、水飛沫を巻き上げ、大爆発が巻き起こった。
「やったっぽい!?」
「……やったは、禁句にゃしぃ」
夕立は歓声をあげたが、通信機越しに聞こえた睦月の声は重いものがあった。
「……まだまだですね」
煙が止み、視界が晴れると、吹雪は自身の目を疑った。
赤城は多少は傷ついたものの、悠然と立っていたのだ。
「なっ……!?」
赤城の周りを、撃ち漏らした九七式艦攻が飛び立っていた。
「まさか、これを予測して!?」
祥鳳は赤城が無事だった理由がすぐに分かった。彼女は九七式艦攻と彗星をわざと一機ずつ残し、吹雪の放った魚雷に備えて準備していたのだ。
確かに金剛達の砲撃を見れば、吹雪が来る位置も予測できただろう。
だが、何よりも驚異的なのは吹雪の魚雷を艦攻の雷撃だけで相殺したことである。
正確な位置を割り出すことはもちろん、余程の精密な雷撃が必要なはずだ。
自分どころか、二航戦や龍驤たち他の一航戦の面々でさえ、そんな曲芸のような芸当はそうそうできないであろう。
祥鳳は赤城の戦闘技術に改めて畏敬の念を覚えた。
「うっ……」
さらに吹雪は自身の頭上に撃ち漏らした彗星がトンボのように張り付いていることに気づいた。
すなわち、赤城はやろうと思えば、いつでも海の藻屑にすることさえ可能だったのだ。
「率直に申し上げます。これでは、まだ鬼や姫レベルの深海棲艦には敵いません」
「そんな……」
吹雪は肩をがっくり落とし、膝をついた。
冷たい海水が膝を濡らすと、途端に悔し涙が溢れてきた。
あんなにがんばったのに勝てないなんて。
無数の鼻水と涙が海面に零れ、無数の波紋を生みだした。海面に映った自分の顔がとても皺くちゃに見え、惨めに思えてきた。
そこに、赤城がゆっくりと近づいてきた。彼女は涙を零し続ける後輩に対して膝まづき、目線を合わせた。
「でも、初めてにしては、よく頑張りましたね」
「……あがぎざぁん」
憧れの先輩に優しく頭を撫でられ、吹雪は嗚咽しながら返事した。
「戦いの中で、よく対処法を編み出しました。臨機応変な戦法を活かしていきましょう」
「うわぁぁぁん、あがぎざぁぁぁん!」
褒められたのが嬉しかったせいか、負けたのが悔しかったせいか、しばし、吹雪は赤城の胸の中で抱かれて泣き喚いた。
「今後も訓練を怠らないようにしてください。あなたの努力は、今後きっと身を結ぶでしょう」
最後に赤城がかけてくれたその言葉が、たまらなかった。
夕方五時過ぎ、吹雪達は食堂に集まり、演習の疲れを癒していた。今夜の夕飯当番は電と暁と大鯨で、他のメンバーは吹雪の怪我を見たり、夕飯当番の手伝いをしていた。
「あいてて……」
「吹雪ちゃん、大丈夫?」
祥鳳が傷の手当てをしながら言った。
「な、なんとか大丈夫そうです……。ありがとうございます……」
苦笑しつつ、吹雪は答えた。祥鳳は吹雪の表情を見た。泣いてすっきりしたのか、敗北を引きずっている様子は見られない。
「赤城さんって、実はケッコー厳しかったっぽい?」
夕立が少し怯えながら言った。
祥鳳は頭を横に振った。
「ううん。赤城さんも真剣なんです。装甲空母鬼も出現した以上、少しでも強くならないといけませんからね」
祥鳳も内心、赤城の過激な訓練は決して誤りではないと思っていた。
「鬼」クラスの深海棲艦がいかに強大なのか、身を持って味わっている彼女からすれば、赤城があれだけ厳しくなるのも無理はない。むしろ、自分がいかに甘い考えであったかを実感した。
赤城は分かっていたのだ。たとえ自分が無双の一航戦であったとしても、空母や戦艦の艦娘がいくら奮戦しようと、それだけでは人々を守りきれない。故に、駆逐艦ひとりひとりにも厳しい訓練を施したのだろう。もっとも、もしも赤城が普段と同様に艦戦を使っていれば、吹雪は手も足も出なかっただろうが。
改めて、祥鳳は先輩の思慮深さを思い知らされた。
「まだまだ敵わないな……」
祥鳳は小声でそう呟いた。
今、当の赤城は金剛や比叡らと共に演習の疲れを癒すべく入浴中だった。
基本的に彼女は仲間達とずれた時刻に食事をし、入浴をし、そして就寝する。そもそも彼女が食事をしている場面をあまり見たことのある者は少ない。
「これで大丈夫、吹雪ちゃん?」
「はい、ありがとうございます!」
祥鳳は黙って微笑み、吹雪の頭を軽く撫でてやった。
「はい、吹雪ちゃん夕飯」
傷の手当てがあらかた終わると、瑞鳳がやってきてお盆をそっと吹雪の席へ置いた。お盆にはシチューの入ったお皿といくつかのフランスパン、そして卵焼きがあり、暖かな湯気を立てていた。
「あ、ありがとうございます。瑞鳳さん……」
吹雪はきょとんとした顔をして、小柄な先輩にお辞儀した。昨日の態度から、てっきり嫌われてると思っていただけに意外だった。
「お、お姉ちゃんに頼まれただけだし。それに怪我してるんだから、これくらい当然よ」
瑞鳳は頬を赤らめたまますぐにそっぽを向き、吹雪から少し離れた席に座った。
「もう、瑞鳳ったら」
祥鳳はそんな妹を見て微笑んだ。
そしてしばらくの間、吹雪達は夕飯を待ちながら雑談を始めた。
話題の中心は、舞鶴鎮守府のことだった。
舞鶴の指揮官・水本提督が艦娘――特に陸奥――のお風呂を覗いては鬼のような形相をした長門に半殺しにされかけたこと、雪風が比叡に救われたことを嬉しそうに話してたことなど、話は多岐に及んだ。
最初はそっぽを向いていた瑞鳳も、しばらく経つと艦載機の話題について楽しそうに吹雪達に講釈し、いつしか両者の蟠りもようやく消えていた。
それから、どれくらい経っただろうか。話の流れは深海棲艦についてのものとなった。
吹雪や夕立は、祥鳳達がどんな深海棲艦と戦ったかを聞きたがった。
「装甲空母姫は、祥鳳さん達が倒したっぽいけど、ホントですか?」
「ううん。倒せはしなかったわ。なんとか、追い払うのが精一杯で……」
「でも、撃退しただけでもすごいです!」
祥鳳は再び頭を横に振った。
「ううん、倒せたのは、私一人の力じゃないわ。金剛さんやみんな、それに艦載機の子達が力を貸してくれたから、何とかなっただけよ」
そもそも敵に大きなダメージを与えたのは、如月ちゃんと睦月ちゃんなの。と祥鳳は付け加えた。
「それに、私ががんばれたのは、瑞鳳をどうしても助けたかったから……」
「お、お姉ちゃん……」
先程は打って変わって、瑞鳳は嬉しそうに姉を見つめた。
「……ところで、祥鳳さん」
「どうしたの、夕張ちゃん?」
「深海棲艦の正体って、なんだと思いますか?」
「いきなりどうしたの夕張ちゃん?」
夕張はいつになく真剣な表情のまま続けた。
「こないだから、ずっと深海棲艦の正体について考えてたんです」
「どんなこと?」
夕張は麦茶を飲んでから続けた。
「深海棲艦って、"人類を滅ぼさねばならない"って言ってたらしいですよね?」
「え、えぇ。そうらしいわね」
雷と響をちらりと見ながら、祥鳳はやや怪訝な表情をした。あまりこの子達に嫌なことを思い出せないでと夕張に目で訴えた。だが、お構いなく夕張は続けた。
「こないだから、深海棲艦がなんで人間を襲うのかって、考えていたんです。食べるわけでも、アシナガバチのように卵を産み付けるわけでもないのに。生きものとして変じゃないですか?」
「えぇ」
確かに夕張の言う通り、深海棲艦の行動は奇妙である。人を襲うが、捕食することはほとんどない。どう数を増やすのかさえも不明で、未知の部分が多いのも事実だ。
「もしかして、地球の意思が深海棲艦を産んだんじゃないかって……」
「……地球の意思?」
祥鳳は怪訝な表情をした。
「ほら。いま地球温暖化が問題になってるじゃないですか。もしかしたら、環境破壊している人間に怒って、地球が深海棲艦を生んで懲らしめようとしてるんじゃ……」
「……夕張ちゃん、あなた特撮やアニメの見過ぎなんじゃないの?」
祥鳳のみならず、その場にいた一同は呆れた顔で珍説を唱えた本人を見つめた。
「ほ、本気ですってばー! そんな目で見ないでくださいー!」
「……夕張先輩って、けっこー変な人っぽい?」
「うっ……」
率直な夕立の言葉が、ぐさりと刺さった。
「夕張ちゃん。根拠もないのに、変なことを言ってみんなを心配させちゃダメよ」
普段は優しい祥鳳でさえ、夕張に呆れているほどだった。
「だいたい今の話、ちゃんとした証拠がないでしょ?」
「そ、それは……」
瑞鳳の正論に夕張が回答に詰まったその時だった。
「もう、無理だよ……」
突如、響が俯いて呟いた。その声は微かに震えているようにも聞こえた。
「ひ、響……?」
突然何かを言い出した姉に、雷が困惑しながらも優しく寄り添った。
「響、どうしたの? 何かあったなら聞かせて」
祥鳳はゆっくりと、響に尋ねた。
「無理だよ、祥鳳お姉ちゃんや金剛さん達が束になってかかっても、倒せなかったんだよ。あんな怪物なんかに、勝てるわけないよ……」
響は今にも泣きそうになりながら声を絞り出した。
「ねぇ、祥鳳お姉ちゃん。逃げよう、みんなで山奥とか。今ならまだ間に合うよ……!」
「響……」
いつも大人びている響が涙目で訴えてきたことに祥鳳は内心驚いた。
確かに、響が怖がるのも無理はないわね。あれだけ強力な深海棲艦、私でも勝てるか自信はない。
祥鳳がどう響に言葉をかけてやるべきか迷っていると、暁が厨房からやって来た。
「祥鳳お姉ちゃん達に謝りなさい、響」
彼女の顔は強ばっていた。響は俯いて答えず、雷と電はどうすればいいか分からずに立ち尽くすだけだった。
「お姉ちゃん達だってがんばってるんだよ。私たちだけが逃げてどうするのよ響!?」
「だったらどうすればいいんだ! あんなのに勝てるわけないだろ! それとも響が戦うって言うのかい?」
響は涙目で訴えた。
「か、勝てるわよ! 祥鳳お姉ちゃん達は立派なレディーなのよ! あんなのにだって、か、必ず……!」
「嘘つき……!」
いつしか二人は泣き出しながら互いに口喧嘩を始めていた。
「何が嘘よ! いじけてるあんたに言われたくないわよ! バカ!」
「バカはそっちだろ……! ぜんぜんレディーらしくなんかないくせに……!」
「バカって言ったほうがバカなのよ、このウルトラバカ!」
「だったらそっちはアルティメットバカだ!」
「そっちこそウルトラアルティメットバカよ!」
いつの間にか、ふたりの喧嘩はヒートアップしていた。
お互いにわけのわからない言葉で罵倒しあい、何度も何度も言い合った。
「う、うう……」
「うぐっ……」
やがて、響も暁も、突然顔をくしゃくしゃにして泣き出し始めた。
祥鳳達はどう声をかければ分からなくなってしまった。
実際に戦場に趣いた彼女たちにとっては、響と暁、どちらの主張も理解できる。
飲み込まれそうになる不安や恐怖、仲間を信じようとする想い。相対するふたりの主張は多かれ少なかれ誰の胸にもあるのだ。
だが、そんな時思わず立ち上がった者がいた。
「だ、大丈夫だよ、響ちゃん、暁ちゃん!」
吹雪は泣き喚く響たちに向かって叫んだ。
「どんな深海棲艦も、きっと、私がやっつけちゃうんだからー!」
「……本当に?」
鼻をすすりながら響たちは尋ねた。
「そうですとも! 装甲空母鬼なんて、この吹雪さまがぼっこぼこにしちゃいます!」
吹雪は胸を張って息巻いた。
「わ、私がやっつけちゃうんだからー! えっへん!」
直後、祥鳳と電を除いたほぼ全員が一斉に吹き出した。さきほどまで泣きながら喧嘩していた暁と響でさえ、くすくすと笑い始めていた。
「な、なんでみんな笑うんですか!?」
「だって吹雪ちゃん、今日の訓練で自分がボコられてたんじゃない。説得力ないっぽい!」
「そ、そんな~! ひどいよ夕立ちゃーん……!」
「吹雪さんは自信過剰すぎなのよ、もう……!」
さっきの威勢は何処へやら。夕立と暁に同時にダメ出しされ、吹雪はがっくりと肩を落とした。
だが、吹雪の咄嗟の行動で、食堂には明るさと落ち着きが戻った。響たちに笑顔が戻ったことで、ほかの面々も緊張が解れ、安心した顔つきになった。祥鳳は席から立ち上がると、響と暁にティッシュを渡し、懐から取り出したタオルでふたりの涙を拭いてやった。
「響、暁。安心して」
祥鳳は腰を落として目線を合わせ、二人の頭を撫でながら言った。
「例え相手がなんであろうと、必ずあなたも、瑞鳳や大鯨も、電たちも、この祥鳳が、守ってみせます」
強い意思を備えた目線で、祥鳳は優しくふたりに言った。姉貴分の言葉に、暁と響も黙って頷き、微笑んだ。
「だからもう、けんかはダメですよ。ねっ?」
「か、かっこいい……!」
「お姉ちゃん……!」
暁と響は祥鳳に抱きついた。暖かな祥鳳の体温がふたりの気持ちを穏やかにさせた。
「吹雪ちゃんとは大違いっぽい」
「そんなぁ~!」
夕立の毒舌にやられ、吹雪は頭までがっくり落とした。
「いえ。そんなことはないですよ」
「えっ?」
「赤城さん!」
突如、赤城が現れた。さきほど風呂から出たばかりなのか、髪の毛から白い湯気が立ちのぼっていた。
「吹雪さん、祥鳳さん、それでいいんです」
赤城は吹雪の肩を優しく叩いて言った。
「誰かを守ろうとする想い。守りたいという想い。それこそが私たち艦娘の力になります。その思いさえあれば、どんな強敵にもきっと勝てるはずです」
「赤城さん……」
赤城からすれば艦娘のあり方を真剣に説いたつもりであったが、吹雪は憧れの先輩から褒められたことで、頬を染め、天にも昇るような心地になっていた。
「これからも、一緒に頑張りましょう。人々を守るために」
「…はい! ありがとうございます、赤城さん!」
吹雪は瞳を潤ませて頷いた。
よかったね、吹雪ちゃん。そんな吹雪を見て、祥鳳も内心微笑んだ。
「おーおーおー、なーんか盛り上がってるねー。ひひっ」
その時、ふたりの艦娘が食堂の扉を開いた。
「隼鷹さん、飛鷹さん!」
「ただいまです」
横須賀鎮守府所属の軽空母、飛鷹と隼鷹だった。その手には東北で購入したらしいお土産があった。
「飛鷹お姉ちゃん、隼鷹さん、おかえりなさいなのです!」
「ふふ。ただいま、電」
飛鷹は出迎えに駆けてきた電の小さな頭を優しく撫でた。
「なーんかいい感じでかっこいいこと言ってたけどさー。あたしらも忘れんなよなっ! 祥鳳先輩」
にかっと笑い、隼鷹が言った。
「そうですよ。私達だって、電を、みんなを守りたい気持ちは一緒です」
「飛鷹さん、隼鷹さん……」
祥鳳は嬉しそうに微笑んだ。
「ここは私達の、新たな家であり、家族なんですから」
ぎゅっと抱きついてくる電を撫でながら、飛鷹も言った。
「……なんか私達、団結感あるよね」
瑞鳳がどこか楽しそうに口を開いた。
「それ自分で言うのかよ?」
「う、うるさいわよ隼鷹」
「ふふ。でも、みんなが仲良しなのはいいことです」
大鯨が言った。
「そうですね、たとえ深海棲艦がどんなヤツらだろうと、みんなで立ち向かえば怖くないですよね!?」
夕張が興奮気味に言った。
「ええ。これからも、力を合わせて立ち向かいましょう」
「よーし! 明日もがんばるぞー! おー!」
「おー!」
吹雪が勢いよく拳を天に向けたのに合わせ、その場にいた艦娘達全員が――赤城も含めて――声と拳を上げた。横須賀鎮守府に和やかな時間が訪れた。
「あ、言い忘れてましたが、明日から皆さんにも、一人ずつ猛特訓を行いますからね」
直後発せられた赤城の爆弾発言でその場にいた全員が凍りつくまでは。
午後9時半頃。賑やかな夕飯のあと、暁と響は入浴し、歯磨きを済ませ、就寝の準備をしていた。
「暁」
「どうしたの響?」
髪の手入れを終え、パジャマに着替え二段ベッドの上へと登ろうとしていた暁は、きょとんとしながら妹を見つめた。
「さっきはごめん。言いすぎたよ」
響の意外な言葉に暁は目を丸くした。だがこういう時こそ姉らしさ、レディーらしさを見せなければ。
「わ、私こそ悪かったわよ。ごめんね響」
暁は頭を下げ――彼女に思いつく限りの――レディーらしさをもって丁寧に詫びた。
しばらく、二人は何とも言えぬ気分のまま沈黙を保った。
「さ、さあもう寝るわよ! 夜ふかしはレディーの大敵なんだから!」
「うん」
その沈黙に耐えられず、暁はすぐに口を開いた。
「暁」
「なに?」
「スパシーバ。暁がお姉ちゃんで、本当によかった」
突然の響の言葉に、暁は顔を赤くした。
「な、なによ……!? 暁はレディーだし、一番上のお姉ちゃんなんだから、当然なんだもん!!」
「ふふ……。そうだよね」
二人はベッドに潜り込み、電気を消して、布団をかぶった。
天井が、白から黒へ変わった。暁は何とも言えない気分のまま天井を見つめ、まどろみに身を任せようとしていた。
しばらくすると、下で寝ていた響がぼそっと呟くのが聞こえた。
「ねぇ、暁」
「……なによ」
「今日は、一緒の布団に入っても、いいかな?」
少し照れながら、響はぼそっと呟いた。
「ふん! まったく響はまだまだおこちゃまね! いいわよ! 上がってらっしゃい!」
暁は、少しだけ嬉しそうにベッドへ上がってきた妹を出迎えた。
その頃、大鯨は工廠にいた。事実上、夕張の第二の部屋と化しているその棟内で、彼女はある兵装を見せてもらっていた。
「こ、これですか?」
そこには、銀色に輝くロケット弾を携えた新装備が悠然と立っていた。もっとも、それは大鯨にとっては八百屋の野菜を並べた籠に見えたが。
「ようやく完成しましたよ。対地対艦攻撃用の艦載ロケットランチャー装備、Wurfgerat 42、通称WG42です」
妖精達と共にえへんと胸を張り、夕張は誇らしげに新兵装を見せた。
「へっ? べ、べーけーつばいうーんとしらいし?」
「ヴェーゲー・ツヴァイウントフィアツィヒですっ!」
夕張は語気を強めて言った。
「今の大鯨さんが装備できる中では一番強い兵装です。明石さんの基本設計に私が手を加えてあります。理論上は「鬼」クラスの深海棲艦にも有効なはずです」
説明を受けながら、大鯨は光り輝くロケットランチャーを見つめた。
「これなら、私もきっと……」
「力になれるかもしれない。ですよね?」
大鯨は黙って頷いた。
「ただし、ロケットランチャーは六発しかありません。攻撃力は高いはすですけど、撃ちきったらそれっきり。その後は無防備です。下手したら反動で倒れる可能性もあります」
大鯨は唾を飲み込んだ。
「だから、一回きりで仕留めるしかないんです。よく、練習しておきましょう」
「はい」
大鯨はWG42をもう一度見つめた。
もう、守られるだけの私じゃない。みんなの帰りを待つだけの私じゃない。
今度は私がみんなを守る番なんだ。その瞳には、逞しき巨鯨のごとく強い決意が芽生えていた。
午後10時頃、夜も更け、窓から見る星が美しかった。
金剛は静かに執務室の扉を叩いた。
「失礼シマース」
赤城が扉を開けてくれた。
「あら、金剛さん。どうされたのですか?」
「Well……。提督に、ふたりっきりでオ話ガ……」
金剛は、いつになくもじもじと体を震わせていた。
なるほど。赤城は何が目的なのか察し、ふっと微笑んだ。
「赤城、しばらく外してもらっても構わんかね? いや、本日はもう休んでくれて結構だ」
「かしこまりました。お先に失礼致します」
赤城は伊吹に一礼し、部屋から退出しようと進み始めた。
これでやっと二人きり。金剛が思った矢先、退出しようとしていた赤城は振り返り、金剛の方へと向かった。
「What?」
「金剛さん。ひとつだけ」
赤城はそっと、金剛の耳元で囁いた。
「がんばってください、金剛さん」
「Well……」
金剛は顔を真っ赤にした。
「ふふ。では、失礼します」
赤城は扉を静かに閉め、部屋を後にした。
執務室には金剛と伊吹だけが残された。
「あの提督。お話が……」
伊吹は真剣な顔つきで見据えた。鋭い目線と厳しい表情が針のように刺さった。
だが、ずっとこの厳しいこの男に惚れていたことを思い出し、金剛は腹の底から声を振り絞った。
「提督。私はずっとあなたを……、あなたのことを、お慕いしてました!」
伊吹は真剣な目つきで彼女の言葉を聞いていた。
そして、静かに口を開いた。
「すまん。君の気持ちは嬉しいが、受け取るはできない」
「え……」
「私には妻子がいる…。いや、いたのだ」
金剛は寝耳に水をかけられた気分だった。提督に、奥さんが?
「君たちと出会う前の話だ。10年前、深海棲艦に私の妻子は殺された。娘が今生きていれば、きっと君と同じくらいだったろうな」
金剛は呆然とした表情で伊吹の話を聞き続けた。伊吹の言葉もほとんど耳に入っていなかった。
「私は絶望したよ。家族を奪われ、神を呪った」
「そんな時、艦娘達と出会ったのだ。そして、同じく家族を亡くした君とな」
伊吹は悲しげな表情になり、金剛を見つめた。きっと亡くなった娘を思い出したのだろうと、金剛は思った。
「君と出会った時、驚いたよ。娘と瓜二つだったからな」
伊吹は胸の中のつかえを取り出すかのように、苦しげに言った。
「でも……! でも……!」
諦めきれない金剛はなおも食い下がった。
「提督、私じゃダメなんですか!? 私では……?」
「金剛。できぬものは何があってもできんのだ。許してくれ」
伊吹はひどく悲しげに答えた。
「妻は私が唯一愛した女性だった。たとえ亡くなったといえど、彼女を裏切ることはできない」
そう言って、伊吹は深く頭を下げた。
「そんな、そんな……!」
金剛は瞳を潤ませて、勢いに任せて執務室を飛び出してしまった。
「こんなの、こんなのって……!」
ずっと慕っていたのに。
彼に振り向いて欲しかったのに。
彼に愛してほしかったのに。
でも、それはもう叶わないんだ。
金剛は止めようもなく溢れる涙の中、無我夢中で自室へと戻った。
「お姉さま?」
比叡は寝巻きに着替え用としていた最中だった。
「ひ……えい……!」
金剛は比叡に泣きつき、大声で泣き喚いた。比叡は困惑しながら姉を抱きしめ、その話を聞き始めた。
金剛の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
翌朝の執務室。やや曇り気味で、部屋も寒い。
そろそろストーブを出すかと伊吹は思案していると、赤城が声をかけてきた。
「提督、昨晩の件ですが」
「うむ」
空気が重いな。伊吹は思った。原因ははっきりしている。昨晩のことだ。
「金剛さんの告白、お断りになられたそうですね」
「ああ」
伊吹の声のトーンが少し下がった。
「どうして、あんなことをなさったのです?」
赤城の声色はやや強ばっていた。明らかに苛立っているようだった。
「妻を裏切れない、それだけだ」
「だからといって……」
その時、誰かが足音を立てて執務室へやって来た。
「司令! お話があります!」
勢いよく扉を開いたのは比叡だった。
「なにか、用かね」
比叡は、珍しくその顔を怒りに染めていた。
「話は聞きましたよ。いくら何でもひどすぎです!」
伊吹は目を閉じ、黙って彼女の話を聞いていた。
「なんでですか、なんで! お姉さまが、どれだけ司令のことをお慕いされてたか知ってるくせに!」
赤城はじっと比叡を見つめた。彼女の目には涙が浮かんでおり、彼女なりに姉を思いやってることが伺えた。
彼女もまた金剛の想いが報われることを望んでいたのだろう。
赤城もまた比叡と同意見だった。艦娘の精神状態は戦況を大きく左右する。
故に、たとえ亡き妻を裏切れないのだとしても、伊吹の判断は彼女からすればかなりの悪手だと考えていた。このままでは、戦況の悪化にもつながりかねない。
「司令! 答えてください!!」
比叡が伊吹に詰め寄っているのを止めようとしていると、赤城は誰かが執務室に駆け寄ってくる足音を耳にした。
「Hey! Stopネ、比叡!」
金剛が執務室に勢いよく入ってきた。その表情は一見していつもの明るい彼女に戻ったように見える。
「気持ちは嬉しいけどもういいデース」
「お姉さま……」
「もう昨日CryingしたからNo Problemデース!」
そう言われては比叡も黙るしかなかった。
「Hey、提督!」
金剛は伊吹に向き直った。
「私は振られちゃいましたが、あなたが私の大事な人であることは変わりありまセーン!」
「金剛……」
「It is no use crying over spilt milkデース! もう過ぎたことをcryingするのはやめマース!」
伊吹は何とも言えない表情をしながら沈黙を保っていた。
一見、金剛は笑顔だった。話し方もいつもの快活な雰囲気を取り戻してるように見える。
「比叡! Afternoonの訓練の準備をシマース! Follow me!」
「お姉様…」
だが比叡には、そんな姉の笑顔がどこか痛々しく見えたのだった。
金剛が振られた。その噂は横須賀鎮守府中を駆け巡ったが、一週間もするとパタリと止んだ。
赤城と金剛らによる厳しい特訓が開始されたため、皆それどころではなかったのだ。さらに、あまりの厳しさゆえ、まともに付いてこれたのはベテラン組の祥鳳、球磨、多摩、睦月、如月、そして加賀に厳しく鍛え上げられていた瑞鳳くらいであった。
赤城の訓練では、練度の高い艦載機達の空襲を避けるのみならず金剛らの砲撃も躱さねばならない。衣服の都合で動きに制約がある飛鷹と隼鷹、夜戦が得意だが対空防御をやや苦手とする重巡の面々も、赤城の猛爆撃と金剛の砲撃の連撃には苦しめられた。
まして、仮に必殺の雷撃や爆撃を放てたとしても、赤城の頑強な防御壁は簡単には破れないのだ。赤城にそれなりの手傷こそ負わせられても、彼女を完全に打ち負かせるものはいなかった。
だが、多くの艦娘が赤城との訓練によって、自身の問題点を学ぶ結果となり、着実に実力を上げつつあった。
そんな仲間たちの様子に赤城は内心満足していたが、同時にどこか無理をしているように見える金剛を心配していた。
「Burning Love!!!」
このまま何も起きず、時間が解決してくれればいいけど。
いつものように元気よく砲撃を放った金剛を、赤城はじっと見つめながら思った。
その三日後のことだった。伊吹はこの日、横須賀市街へと出かけた。
この日は市長との会議のため、出張する必要があったのだ。
その帰り道、伊吹は横須賀の商店街を歩いていた。ふと、近くの肉まん屋が目に付いた。
たまには、土産でも持っていくか。そう思って、彼は店主に声をかけようとした。
その時だった。
「だれかー! 捕まえてー!」
どこからか、悲鳴が聞こえた。何事かと思った伊吹は、見知らぬ少女がひったくりに遭う場面を目にした。
さすがに見過ごすわけにもいかない。伊吹は一旦買い物のことを忘れ、ひったくり犯を追いかけた。
「待て! 止まれ! 止まるんだ!」
伊吹は槍投げの名手でもあった。彼は杖を投げつけ、ひったくり犯の足に見事命中させ、転倒させることに成功した。
不自由な脚を引きずり、伊吹は犯人のもとへと駆け寄った。
「お前は……!?」
伊吹は驚きの表情を浮かべた。ひったくり犯の正体は、嘗て彼が不正を暴き失脚させた司令長官だった。
あの後、政界から姿を消したと聞いていたが、まさかひったくり犯にまで堕ちていたとは。
だが、今は盗んだ品を取り戻すのが先決だ。その後、彼を警察に突き出し、詳しい話を聞けばいい。
後ろを見ると、少女がぜいぜいと息をしながらこちらへやって来る声が聞こえた。
「おぉ、お嬢さん」
伊吹は後ろを振り返ろうとした。だが、
「うっ……」
次の瞬間、伊吹は冷たいもので背中を差し貫かれる感触に襲われた。
口から血へどを吐き、腹部から多量の血を流して伊吹は倒れた。
「やったよ、パパ……。家族を壊したアイツをやったよ……!」
「ああ、よくやってくれた」
元司令長官は歪んだ笑顔を見せた。そして少女は血だまりの中に倒れた伊吹を見下ろすと、その場で狂ったように笑った。
「そうか……」
意識が薄れそうになる中、伊吹は悟った。司令長官は経済的に追い込まれ、家庭崩壊を招いたのであろう。
故に、復讐の機会を狙っていたのだ。それも娘まで利用した上で。
だが、不思議と彼らに対する怒りは感じなかった。
それよりも体が妙にだるくてたまらない。
自身の体が冷たくなるのを感じながら、伊吹の脳裏に様々な記憶が浮かんだ。
自衛隊時代にともに過ごした部下たちの、郷、岸田、上野、丘、南の記憶。
今は亡き両親の記憶。
少年時代、イモリやクワガタを獲って遊んだ裏山の小川の記憶。
青年時代に好きな女の子に振られ、悲しくて怪獣でも出て暴れろと願った時の記憶。
それらが次々に浮かんでは消えていった。これが走馬灯というものだろうかと、伊吹は思った。
そして、最期に死んだはずの妻子と、金剛、比叡の笑顔が目に映った。
「金……、ごう……」
伊吹は目の前の妻子と金剛たちに手を伸ばそうとした。だが、みんな遠くへ行ってしまい、届かない。
やがて、彼の視界は真っ黒に塗り潰され、意識が途絶えた。
この日、金剛は秘書官代理として執務室にいた。
暇を持て余していたところに、電話が鳴り響く。
「Hello? 横須賀鎮守府の金剛デース!」
ちょうどいい暇つぶしだ。金剛は受話器を取り、電話に応対した。
だがその直後、金剛の表情は一瞬にして青ざめた。
「What? 提督が、刺された……?」
彼女の手から、受話器がするりと滑り落ちた。
次回、
バーニング・ラァァァブ!!!
次回の投稿は12月の予定です。
予定よりだいぶ遅れてしまい申し訳ございませんでした。
投稿再開します。
12 バーニング・ラァァブッ!
10月下旬、伊吹龍提督が刺され意識不明の重体となった。この衝撃的な事件は、すぐに全国各地へと大々的に報道された。
伊吹を刺した後、元司令長官は取り調べの場でこう答えたという。
「伊吹が告発したせいで、俺の家族はぼろぼろだ! だから刺し殺してやった!」
その後、彼は娘ともども拘置所で自ら首を括ったという。
だが、人々の関心は犯人の顛末などよりも、提督が倒れた事実へと向いていた。
艦娘達を束ねる指揮官が倒れた今、深海棲艦が攻めてきたらどうすればいい? 今、横須賀市周辺は不安に満ちていた。
ある者は鎮守府に抗議へ向かい、またある者は横須賀から転居の手続きを済ませようと宅急便に殺到した。
艦娘達へ励ましの手紙を送る者もいたが、前者に比べればほんの僅かでしかなかった。いずれにせよ、誰もが不安と混乱で押し潰れそうになっていた。
それから、およそ一週間が経過した。
提督という要を失い、横須賀鎮守府は混乱の最中にあった。秘書官の赤城が代理で指揮を執っていたが、その多忙は極まっていた。
大鯨のようにただ嘆き悲しむ者もいれば、赤城のように今後の戦いの行方を憂う者もいた。
また、如月のように提督を失った悲しみに包まれながらも気丈に日常を送ろうとする者もいた。
中でも金剛の悲しみはとりわけ深かった。食事すらろくに取らず、部屋から一歩も出ることなく過ごしていた。
そんな中、祥鳳は東京湾沖へ、如月と共に偵察に出ていた。そろそろ冬が近づいてくる。風が少し肌寒く感じるが、ふたりは我慢しながら任務にあたっていた。
「祥鳳さん、大丈夫?」
ふいに、隣を並走していた如月が言った。
「伊吹提督のこと?」
如月は黙って頷いた。
よく見ると、彼女の目が腫れていることに祥鳳は気付いた。恐らく、提督のことが心配で昨晩も泣いていたのだろう。
「私は大丈夫よ。ありがとう」
祥鳳は少し悲しげな微笑みを浮かべた。如月には祥鳳が提督の悲報をあまり引きずってはいないように見えた。
それもそのはず。祥鳳は伊吹がきっと目覚めると信じていた。いつか鳳翔さんと一緒に、きっと目を覚ましてくれるはずだ。ただ、そう信じたいだけなのかもしれない。
それでも、生きてる限り希望を捨てない方がずっといい。祥鳳はそう信じていたのだ。
「それより、今は敵を探さないと」
祥鳳は力強く弓を引き絞り、矢を放った。矢は空中で燃えて艦載機の姿に変わり、空へと飛び立った。
そんな祥鳳の弓引く姿を見て、如月はどこか励まされるような気がした。
祥鳳さん、前より強くなったわね。彼女は胸の内で密かにつぶやいた。共に過ごしてきた妹を、また出会えた妹を、守るために、身も心も。
如月はそんな戦友を誇らしく思ってか、そっと微笑んだ。
「……今のところ、敵影は発見できずじまいね」
波も穏やかで漁船も静かに航行している。不気味な波紋も渦潮も見当たらない。
どこからか流れ着いた海藻の塊も見かけたが、漂流してるだけの自然物には艦載機達も特に反応は示さなかった。
すべての艦載機達が戻って来た。
「みんな、おかえり。どうだった?」
祥鳳が尋ねたが、艦載機達からも敵の存在を示す報告はなかった。
念のため夕張にも通信してレーダーや衛星情報の確認を取ったが、敵影は見当たらないとの返事があった。
「敵がいないなら仕方ないわね。戻りましょう」
如月は頷き、祥鳳の後へと続いた。
そんな二人の動向を、何者かが海藻の隙間から見つめていた。黒い人魚のような姿をした、潜水ソ級が。
その翌日、鎮守府執務室には二人の少女が訪れていた。
二人を、提督代理となった赤城と、彼女の代理として臨時秘書官になった比叡が出迎えた。
「高速戦艦、榛名。訓練を完了し、本日付けで着任しました」
「同じく霧島、着任しました。本日よりよろしくお願いします、赤城さん」
金剛の代理として舞鶴鎮守府より榛名と霧島が派遣されていた。
「お疲れ様です。榛名さん、霧島さん。大変な時ですがどうかよろしくお願いします」
「はい! 榛名、精一杯がんばります!」
榛名と霧島は微笑んでお辞儀した。
「榛名、霧島! これから一緒に、頑張りましょうね!」
比叡は嬉しそうに二人の手を握り、にっこり笑った。
だが、榛名と霧島はそんな姉の様子にどこか不審を覚えた。一見すると、いつもの明るくて活発な比叡に見えるが、どこか顔色が悪い。目に隈ができ、少しやつれている。
「比叡お姉さま、どこか疲れていらっしゃいますか? もし宜しければ秘書官のお仕事、この霧島が手伝います!」
「い、いえ! 大丈夫です! 比叡は、こ、こ~んなに元気ですっ!」
比叡は笑いながら、左腕をぐるぐると回して元気だとアピールした。
無理しなくていいのに。赤城は心配をかけまいとする比叡の言動が痛々しく思えた。
「そういえば、金剛お姉さまは? 榛名、金剛お姉さまに会いたいです!」
赤城と比叡は怪訝な表情を浮かべた。
「え、えっとー……お姉さまは今ちょっと風邪を引いて寝込んでます! 伝染っちゃうから、お部屋にいらっしゃいます!」
比叡は慌てて笑顔を見せ、取り繕った。そんな姉の様子を榛名は不審に思った。何か隠してるようにも思えた。
「で、でしたら榛名が看病を……!」
「だ、大丈夫ですから!」
比叡は声を張り上げた。
「お姉さまは今、お体の具合が悪いだけですから! きっと、すぐに戻ってきてくれますって! 二人に何かあったら、横須賀が危ないですよ! ねえ赤城さん?」
比叡は赤城をちらりと見た。赤城もそれに合わせて話を続けた。
「お二人は今、この横須賀鎮守府の、関東の防衛に欠かせない大事な方々です。くれぐれも、お体を大事になさってください」
「は、はい……」
「お姉さまにお大事に、とお伝えください」
次姉に言われ、榛名と霧島はおとなしく引き下がった。
「そ、それじゃあ私はお姉さまの様子を見てきますから、二人はシャワーでも浴びててください!」
そう言い残し、比叡はさっと執務室を飛び出した。
自室へと向かいながら比叡は思った。
言えるわけがない。ふさぎ込んで抜け殻になってるなんて。
比叡は軽く扉を叩いた。
「お姉さま」
返事はない。
「お姉さま、開けますよ」
やはり返事はない。仕方なくそのままドアノブを開くと、金剛が虚ろな表情でベッドの上に寝転んでいる光景が目に入った。
「お姉さま、榛名と霧島が来ましたよ」
「そう……」
返事は素っ気無かった。いつものお姉さまなら、もっと喜ぶはずなのに。
「お姉さま。いつまでこうしてるおつもりですか……」
「ほっといて……」
比叡は悲しげに姉を見つめた。
金剛はそんなことどうでもいいと言わんばかりだった。
「提督……。提督……」
彼女は虚空に向かって提督の名を叫ぶばかりだった。
そんな姉が悲しかったが、同時に腹立たしくもあった。
やがて、比叡の中で、悲しみとも怒りともつかない感情が湧き上がってきた。
「お姉さまっ……!」
比叡は衝動のままに、突如金剛の胸ぐらをつかんだ。
「お姉さまは戦士のはずです! 根っからの戦士のはずです! こんなお姉様なんて見たくない!」
比叡は瞳を潤ませ、感情のままに叫んだ。悲しさ、悔しさ、怒り、様々な感情が渦巻き爆発していた。
「ほっといて! もう、ほっといてよ!」
その時、比叡の中で何かが弾けた。
「お姉さま! いい加減に……!」
比叡は金剛に思わず張り手を喰らわせようとした。だが、怯える姉を見て、理性がストッパーをかけてしまい、思い止まった。
どんなことがあろうと、金剛お姉さまに手を上げるなんて、できない。赤城だったら、見かねて躊躇いなく頬を叩いていただろう。
だが、比叡にはどうしてもそれができなかった。
「ごめんなさい。やっぱり比叡には、比叡にはできません……」
やがて、彼女は諦めて姉を離し、その場に座り込んで涙を零した。
「お姉さま、お願いだから、元に戻ってよぉぉ……!」
「比叡……」
金剛は長姉らしい励ましもできず、膝をついて泣き続ける妹を見つめていた。
その時、怪鳥の叫び声のようなサイレンが鳴り響いた。
その頃、工廠では夕張が机の上で突っ伏していた。
撮り溜めしていた特撮番組を徹夜で見続けたため、彼女は真昼間にも関わらず眠っていたのだ。
だが、サイレンの警報が耳を貫くかのように聞こえで、夕張は目覚めた。
「う、うぇぇぇ!?」
慌てて夕張は涎を拭い、PCのモニターを見た。衛星より送られてきたデータが画面に表示される。
「深海棲艦が大量発生! えっと場所は…。な、なにこれ!?」
相模湾沖と東京湾沖。それぞれに大量の深海棲艦を示す赤い斑点のマークがプロットされていた。
さらに衛星から送られた日本地図の画像を見て、夕張は青ざめた。
「う、ウソ……!?」
関東だけではない。長崎県西部沿岸、大阪湾沖、若狭湾沖合にも、赤い斑点が色濃く集中していた。
「まさか……!」
夕張は思った。
他鎮守府を攻めて援軍を出せなくする。
その上で圧倒的な兵力をもって関東を、横須賀鎮守府を押し潰しさえすれば、関東一帯の沿岸地域を死の焼け野原にすることも困難なことではない。
更に横須賀が責め滅ぼされれば、東京は死の街と化し、他鎮守府の艦娘達や日本そのものにもかなりのダメージが与えられる。
単純だけど恐ろしい。夕張は背筋が震えるのを感じた。
「とにかく、急がないと……!」
夕張はすぐさま警報ボタンを鳴らしつつ、執務室へ連絡を取った。
同じ頃、祥鳳は座ったまま写真立てをぼうっと見つめ、鳳翔や伊吹のことを考えていた。
二人とも、今は眠ったまま。でも、いつかきっと目覚めてくれる。そして、変わらない優しい笑顔を見せてくれる。
そうよね、きっとそうよね。彼女は自分に言い聞かせるように胸の内で呟いた。
その時、彼女の耳にも甲高いサイレンの音が聞こえた。
「お姉ちゃん……!」
「えぇ」
この音は深海棲艦発生の警報。それも特別レベルを知らせる音であった。
『横須賀鎮守府の艦娘は、全員直ちに執務室へ集合してください!』
恐らく、装甲空母姫が瑞鳳を捕らえた時と同様のレベル、いやそれ以上の軍勢であることが予測された。
「……」
祥鳳は写真をじっと見つめた。
「鳳翔さん、行ってきます」
勝てるかどうか自信はないけど、私はみんなを守ってみせます。
いつも私たちを守ってくれた、あなたのように。
祥鳳は、妹と共に執務室へと急いだ。
深海棲艦発生の報は金剛達の部屋にも届いていた。
そのサイレンを聞き、比叡の涙は直ぐに引っ込んだ。今は、戦わなければ。
彼女は立ち上がり、金剛を見つめた。サイレンが鳴り響いても、姉は立ち上がろうとしない。完全に戦意をなくしてしまったのだろう。
「お姉さま、気が済むまで、そこにいらっしゃってください……! でも! 比叡は、信じてます! お姉さまはきっと立ち上がってくれると!」
比叡は袖で涙と鼻水を拭うと、すぐさま駆け出し、部屋を飛び出した。
「比叡……」
その場に残された金剛は呆然としたまま開けっ放しのドアを見つめ、妹の言葉を反芻し続けた。
ひとまず姉のことは脇に置き、比叡は執務室へと急いだ。
「比叡、到着しました!」
執務室には、遠征で不在の川内型三姉妹と北上、大井、木曾らを除いた、全ての横須賀鎮守府所属の艦娘が揃っていた。
ざわざわと、不安げな表情で古鷹や青葉らが雑談をしているのが聞こえる。
比叡は、まだ実戦を許されない雷や電達までもが召集されていることに気づいた。それだけ事態は深刻なんだ……。比叡は思った。
「皆さん、お揃いですね」
全員が揃ったことを確認すると、赤城はプロジェクターの電源を入れた。
赤い斑点だらけの日本地図がモニターに浮かぶと、艦娘達の顔が青ざめた。
「うそ……!?」
「皆さん、これは四年前に匹敵する規模の、いえ、おそらくそれ以上の深刻な大規模襲撃です。敵集団は、相模湾が、空母ヲ級だけで推定100、東京湾沖がイ級だけでも500近くいる見通しです」
仲間たちの顔が青ざめるが、それでも赤城は冷静に話し続けていた。
「今回は、呉、舞鶴、佐世保の近辺にも大規模襲撃の報告があります。佐世保と舞鶴に援軍の要請はしましたが、期待はできません。我々だけで、なんとか対処するしかないでしょう」
「そ、そんな……!」
「やばいクマ!」
「にゃぁ……!」
「静かに!」
狼狽える仲間達を赤城が一喝した。
「とにかく、敵をすぐに迎撃する必要があります」
すごい。こんな状況でも冷静に仲間を諫められる余裕を持つ赤城に、比叡は内心感嘆していた。
「相模湾沖は私と、祥鳳さん、瑞鳳さんで向かいます。護衛は、如月さん、睦月さん。それから……」
赤城は夕立と吹雪に向き直り、厳しい眼差しで二人を見つめた。
「夕立さん、吹雪さん、お願いします。お二人とも、覚悟はいいですね?」
「はい! 関東防衛のためにも、吹雪、がんばります!」
「夕立も、関東防衛がんばるっぽい!」
二人の返事は明快だった。やる気に満ち溢れているが、慢心した様子もない。
赤城はそんな二人に微笑むと、すぐに残りのメンバーへと向き直り、
「東京湾沖には、青葉さん、衣笠さん、古鷹さん、加古さん、球磨さん、多摩さん、隼鷹さんが向かってください。そのほかの皆さんは鎮守府で待機です」
「了解だクマ!」
球磨が敬礼をし、重巡や多摩達もそれに続いた。
「なー、赤城センパイ」
気怠そうに隼鷹が手を挙げた。
「なんです?」
「相手は大部隊なんだろー? なんで、高速戦艦の子らは出撃しないのさ?」
「念のため残りの皆さんには、鎮守府で待機していただきます」
「ふむ? それはどういうお考えでしょうか?」
霧島が眼鏡をくいと上げて尋ねた。
「万が一のためです」
赤城は静かに答えた。
「この戦い、何が起こるか予想がつきません。万が一のために、切り札は温存しておきたいのです。高速戦艦の貴方達を」
それから、赤城は比叡に向き直る。
「私が留守の間、鎮守府の指揮権は比叡さんにお任せします。よろしいですね、比叡さん?」
「はっ、はい! 気合! 入れて! 指揮ります!」
比叡は慌てて背筋を伸ばし、敬礼した。
「お願いします。比叡さん、あなたなら、きっと守りきってくれると信じています」
「はい!」
比叡は拳をぎゅっと握り、敬礼した。大丈夫だろうか。榛名と霧島は少し不安に思った。
一方、祥鳳は不安げに小さな妹分達を見つめた。
彼女たちは不安そうな表情をしていたが、祥鳳の視線に気付くと、慌てて取り繕った。
「あ、暁は立派なレディーなんだから、ちょっとくらい大丈夫よ!」
「祥鳳お姉ちゃん、私達はここで待ってるから。大丈夫、怖くなんかないよ」
「そうよ! こんな時くらい、私たちを頼ってくれてもいいのよ!」
「電たち、ぜんぜん怖くないのです。お姉ちゃん、行ってきてください。なのです……」
そう言って四人は無理に明るい声で微笑んだ。
「みんな……!」
たまらず、祥鳳は四人の妹をぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう。必ず、みんなのもとへ戻ってくるからね」
祥鳳は四人の頭を、それぞれ優しく撫でた。
飛鷹はそんな祥鳳を黙ってじっと見つめていた。
「そういや、飛鷹はここ残るんだよな? 一人で大丈夫かよ飛鷹?」
隼鷹が心配そうに声をかけた。
飛鷹は自身の妹に向き直ると、
「ここは私達が帰る場所なのよ!? 何があっても、この飛鷹が、守りぬくわ」
「そうか……」
隼鷹は飛鷹の鋭い目を見た。
もう「家に帰りたい」と嘆いていたお嬢様はそこにはいない。そこにいたのは、新たな家を得た、強い少女だった。
「けっ。飛鷹ってばカッケーこと言いちゃってさー」
「うるさいわね。あんたこそ、沈むんじゃないわよ」
「へへっ」
隼鷹はニヤッと笑いながら、手を差し出した。
「んじゃ、終わったら今夜は潰れるまで飲もうぜ!」
飛鷹も頷いて、ふたりはお互いの手をぱんと叩き、激励し合った。
一方、祥鳳は不安げに小さな妹分達を見つめた。
彼女たちは不安そうな表情をしていたが、祥鳳の視線に気付くと、慌てて取り繕った。
「あ、暁は立派なレディーなんだから、ちょっとくらい大丈夫よ!」
「祥鳳お姉ちゃん、私達はここで待ってるから。大丈夫、怖くなんかないよ」
「そうよ! こんな時くらい、私たちを頼ってくれてもいいのよ!」
「電たち、ぜんぜん怖くないのです。お姉ちゃん、行ってきてください。なのです……」
そう言って四人は無理に明るい声で微笑んだ。
「みんな……!」
たまらず、祥鳳は四人の妹をぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう。必ず、みんなのもとへ戻ってくるからね」
祥鳳は四人の頭を、それぞれ優しく撫でた。
飛鷹はそんな祥鳳を黙ってじっと見つめていた。
「そういや、飛鷹はここ残るんだよな? 一人で大丈夫かよ飛鷹?」
隼鷹が心配そうに声をかけた。
飛鷹は自身の妹に向き直ると、
「ここは私達が帰る場所なのよ!? 何があっても、この飛鷹が、守りぬくわ」
「そうか……」
隼鷹は飛鷹の鋭い目を見た。
もう「家に帰りたい」と嘆いていたお嬢様はそこにはいない。そこにいたのは、新たな家を得た、強い少女だった。
「けっ。飛鷹ってばカッケーこと言いちゃってさー」
「うるさいわね。あんたこそ、沈むんじゃないわよ」
「へへっ」
隼鷹はニヤッと笑いながら、手を差し出した。
「んじゃ、終わったら今夜は潰れるまで飲もうぜ!」
飛鷹も頷いて、ふたりはお互いの手をぱんと叩き、激励し合った。
「ではみなさん、準備はいいですね?」
「はい!」
赤城を先頭に全員が出撃しようとしたその時だった。
「ま、待ってください!」
大鯨が挙手した。
「大鯨さん?」
「私も、連れて行ってください!」
「大鯨……。今回は危険なのよ? 下手をしたら……」
「そんなのわかってます!」
大鯨は声を荒らげた。迫力に圧倒され、祥鳳も言葉を継げなかった。
「ここでただ何もできずに、お姉ちゃんやみんなが傷つくところを見てるだけなんて、もう嫌なんです! 私も、みんなと一緒に戦いたい!」
赤城は大鯨の目を見つめた。この気弱な少女がそこまで言うとは。
確かに、今は少しでも人手がいるだろう。
大鯨も駆逐艦並みの戦闘力はあるのだ。まるっきり役に立たないということもない。
それに、夕張から彼女が影で訓練や武装強化に励んでいると報告を聞いている。力も心も強くなっているであろう彼女の気持ちを、さすがの赤城も蔑ろにはできなかった。
「……分かりました。大鯨さん、一緒に来てください」
「はいっ! 赤城さん、ありがとうございます!」
大鯨の顔がぱっと明るくなった。
「では、皆さん。必ず無事ここに戻りましょう」
「はいっ!」
そして、艦娘達は次々に執務室を飛び出し、港へと走り出した。
赤城達が港に到着すると、重そうな木製の荷車を引きずって夕張が工廠からやって来た。
「夕張さん、準備はできましたか?」
「はい!」
夕張は荷車を重そうに反転させ、ビニールシートを引っペがして中身を見せた。
「皆さんの兵装、用意しておきました! お好きなのを持ってってください!」
「おぉ!」
港には、20.3cm連装砲や61cm四連装酸素魚雷発射管などが並べられていた。
「ありがとにゃ」
「これなら夜戦もばっちりです!」
「えへへ……」
夕張は照れ臭そうに頬を掻いた。
「あっ、そうだ。祥鳳さん。大鯨さん。これを」
夕張は荷車から傘とロケットランチャーを取り出した。
「きっと、役に立つはずです。あと、祥鳳さんの傘は、機銃モードも追加しときました! これで対空戦もばっちりです!」
「夕張ちゃん……、ありがとう……」
祥鳳はぎゅっと傘を握り締めた。
あの時、瑞鳳を救い出すときにこの傘が役に立った。今度も、きっと夕張の思いがこもったこの傘が助けになるだろう。
「みなさんの留守は絶対に守りきります! どうか、みなさんもご無事で!」
「えぇ!」
夕張はにこりと笑い、敬礼した。
祥鳳達もそれに答え敬礼を返すと、海へと向き直った。
いよいよ、出撃の時が来た。赤城は空へ目を向けた。。
水平線は暗く、曇り空である。だが、この曇り空に必ずや光を取り戻してみせる……!
「来てください、『赤城』!」
右腕に飛行甲板を装着し、手に弓矢を持ち、赤城が戦闘態勢に入った。
「来て、『祥鳳』!」
祥鳳は上着をはだけ、左肩を出して弓矢を手に取り、艤装を装着した。
「おいで、『瑞鳳』!」
艤装と矢筒を背負い、瑞鳳が凛々しい表情になった。
「来てください、『大鯨』!」
小さな煙突の艤装を背負い、大鯨が立った。背中の艤装には追加兵装としてWG42が装着されている。
「『吹雪』、来てください!」
足と背中に艤装を装着し、吹雪が気合満々と言った表情になった。
「『夕立』、出るっぽい!」
大きな煙突の艤装を背中に装着し、夕立が拳をぎゅっと握り気合を入れた。
「『睦月』、抜錨するのです!」
主砲を手に取り睦月が立ち上がった。
「おねがい、『如月』……!」
如月が髪をなびかせ艤装を纏った。
「出撃する、『球磨』!」
いつもののんびりした調子とは正反対に、きりっとした声で球磨が艤装を背負った。
「行くにゃ、『多摩』」
いつもどおりの声色で多摩が主砲を左肩に抱えた。
「『古鷹』、出撃です!」
古鷹は重々しい艤装を右腕に装着した。
「『加古』、行っくぞ~!」
元気よく加古が左右の腕に主砲を装着した。
「『青葉』、行っちゃいま~す!」
右脇に青葉が主砲を抱え、
「『衣笠』さん、行っちゃうよ~!」
衣笠が左右の腕で主砲のグリップを強く握った。
「さぁ祭りの時間だ『隼鷹』!」
右手に鬼火を灯した隼鷹が勢いよく叫んだ。
「横須賀鎮守府機動部隊、出撃!!」
赤城の号令とともに、艦娘達は次々と海原へ駆け出して行った。
「みなさん、どうかご無事で……」
夕張は小さくなってゆく祥鳳や赤城の背中を見つめながら、静かにつぶやいた。
それから2時間後、赤城達は相模湾沖合へと到着した。
海はまだ静かだが、敵は確実に近づいてくる。
如月は隣を走る駆逐艦の後輩達に目をやると、吹雪と夕立が緊張しているのに気づいた。足は微かに震えており、表情もどこかぎこちない。
そんなふたりの背後に睦月がこっそり近づき、つんと頬をつついた。
「きゃぁぁぁっ!!」
「ひぃ!」
「にゃははは!」
「あらあら、ふたりともかちかちね」
如月はいたずらっぽく笑った。
「もう! 敵かと思ったじゃないですか!」
吹雪は顔を赤くして怒り出した。
「ふふ。それだけ元気があれば大丈夫よ。さ、リラックスして。自信を持って挑みましょう」
如月は優しく二人を励ました。吹雪と夕立もしばらく怒っていたがふっと微笑み、肩の力を少しだけ抜いた。
一方で、赤城や祥鳳、瑞鳳ら空母の艦娘は静かだった。弓矢を両手に持ち、いつでも発射可能な体勢である。
赤城が先陣を切り、祥鳳と瑞鳳はふたり揃って並んで走っていた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「どうしたの?」
ふと、瑞鳳が姉に話しかけた。
「こんな時に言うのもなんだけど、今ちょっと嬉しいんだ……」
「え?」
祥鳳は思わず妹の方を向いた。瑞鳳は照れ臭そうに微笑んだ。
「お姉ちゃんとまた出会えて、こうやってまたふたりで一緒に戦えるなんて、思わなかったもん。私、すごく今嬉しいんだ……」
「瑞鳳……」
祥鳳は思わず泣きそうになったが、なんとか堪えた。
「あっ、そうだ! この戦いが終わったら、みんなで温泉行こっ? 加賀さんや翔鶴、瑞鶴も誘おうよ! あっ、赤城さんも良かったら一緒に行きましょ!?」
「ズルいですよ、瑞鳳お姉ちゃん! 私も一緒に行きますからね?」
間に入り、大鯨が頬を膨らませながら言った。
「敵はこれまでにない規模なのです。慢心してはダメ。全力で参りましょう…!」
見かねた赤城が窘めた。その言葉に全員が頷き、真剣な表情になった。
直後、赤城は矢を番えて弦を引き、遥か水平線の彼方へと飛ばす。矢は炎に包まれ、たちまち零式艦戦52型へと変わり、遥か遠くへと飛び立った。
赤城が黙って水平線を見つめていると、すぐさま艦載機が戻ってきた。だが様子がおかしい。何かに怯え慌ててるかのようだった。
「戻りましたか」
赤城は艦載機を手に取り、報告を聞こうとした。が、そんな手間をかけるまでもなかった。
「まさか、こんなにも早く……!」
赤城達の目の前に、黒い小さな悪魔達が現れた。
だが、それだけではない。
赤城達の前に立ちはだかったのは、100を超える空母ヲ級の大軍団だった。
その中心には、あの装甲空母鬼や南方棲戦鬼もいた。いずれも巨大な頭に女の体が生えた奇怪な姿をしていた。
「ヒィハハハハ!!」
装甲空母鬼の甲高い笑い声が海原に響き渡り、吹雪たちの背筋を震わせた。
「ひるまないで! 戦いは数ではありません!」
赤城はすぐさま零式艦戦52型や彗星、九七式艦攻を飛ばした。祥鳳と瑞鳳もそれに倣い、次々と九六式艦戦や九九艦爆を発艦させ、攻撃へ参加させた。
「吹雪ちゃん、夕立ちゃん。背中を合わせて」
「まずは、この爆撃の嵐を生き残るのにゃ!」
如月が指示し、四人の駆逐艦は背中合わせになって主砲を敵艦載機へと向け、対空射撃を放った。
次々と射撃が命中し、艦載機が撃ち落とされてゆく。
「やったっ!」
だが、敵艦載機の数は圧倒的だった。いくら撃ち落としても叩き落としても、まったく衰える様子を見せない。
そのうち、数千以上の艦載機は赤城達の艦戦などお構いなしに、次々と絨毯爆撃を仕掛けてきた。
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
猛爆撃が吹雪達の防御壁を吹き飛ばし、四人は散り散りに吹き飛ばされてしまった。
「吹雪さん!」
赤城はなんとか仲間達を助けようと駆け寄ろうとするが、自身も爆撃を躱すだけで精一杯だった。
そして猛爆撃は、祥鳳や瑞鳳らにも迫りつつあった。
そのうちの一機が瑞鳳を射程に捉えた。
「あぁっ……!」
咄嗟に、祥鳳が彼女を庇って傘を開いた。
「ぐっ……!」
「お姉ちゃん!?」
傘を盾にして致命傷は免れたが、衝撃の全てを防ぎきることはできず、祥鳳は左腕に切り傷を負い、出血して座り込んでしまった。
「お姉ちゃん、血が……!」
「大丈夫よ、瑞鳳」
痛みに耐えつつ、祥鳳は我慢して微笑んだ。それがかえって、瑞鳳には痛々しく映った。
「まずい……!」
赤城にとっても、まさかこれほどまでの物量とは予想外であった。
それでも、やりきるしかない。
赤城が更に艦載機を発艦し、反撃を開始しようとしたその時だった。
空を見上げると、何かが、丸い球体が空の上から高速で落下してくるのが見えた。
「なっ……!?」
その物体は深海棲艦の大群のど真ん中へと着地した。大量の波飛沫が吹き飛び、深海棲艦達の顔を濡らす。
「ナンダ!? ナンダ!?」
突然の出来事に空母ヲ級の大群は動揺し、陣形が崩れてしまった。直後、その球体の中から長身の女性が現れ、次々にヲ級達を張り倒していった。
「まさか……!」
その場にいた艦娘達誰もが驚いた。
蒼の袴に高い背丈。そして鋭い瞳。赤城に並ぶ一航戦と呼ばれし艦娘、加賀が目の前に現れたのだ。
「加賀さん!」
瑞鳳の表情がぱっと明るくなった。その声に気づいた加賀は、次々と弓矢でヲ級や艦載機をなぎ払い、真っ先に彼女のもとへと駆けつけた。
「瑞鳳、怪我はない?」
「はい! 大丈夫です! 来てくれたんですね加賀さん!」
「そう、ならよかった」
加賀は黙って頷いた。
ついで、彼女は膝をついている祥鳳を見つめた。
瑞鳳が無傷なのに対し、祥鳳は左腕から血を流しており、さらにその傘は部分的に黒く焦げていた。彼女が身を挺して姉の勤めを果たしたことが加賀にもよく理解できた。
「少しはいいお姉さんになったようね。四航戦の、祥鳳……」
加賀は口元を緩めて、うっすらと微笑んだ。
「立てる?」
加賀はそっと祥鳳に手を差し出した。
「……はい」
祥鳳もふっと微笑み、その手を握り立ち上がった。
「加賀さん、私は心配してくれないんですか?」
赤城が頬を膨らませ、いたずらっぽく言った。
「一航戦のあなたが、無様に倒れるはずはありませんから」
「まあ、そうですけど」
「どうやってここに?」
奇跡的に爆撃から逃れ無事だった大鯨が尋ねた。
「時間がありませんでしたので、自衛隊のヘリから飛び降りてきました」
降りるときに艤装を装着して、防御壁をクッションにしたのです。と加賀は付け加えた。
「加賀さん、佐世保は大丈夫なんですか?」
瑞鳳が心配そうに尋ねた。
「佐世保の戦いなら既に決着はつけてきました。後始末は五航戦の子達と大鳳に任せています。あの子達ならきっと、佐世保を守ってくれるでしょう」
「良かった……!」
赤城は敵の大群に向き直った。
加賀の突然の乱入で混乱し、陣が崩れつつあるが、なんとか体勢を立て直そうとしつつあるようだ。
そして赤城は、南方棲戦鬼が前線に現れようとしている一方で、装甲空母鬼が後ろへ下がろうとしているのを目にした。どさくさに紛れて自身は逃走するつもりなのだろう。
「祥鳳さん、吹雪さん」
赤城は自分のもとへ集まった後輩へと向き直った。
「力を合わせ、あの深海棲艦と決着を付けてきなさい」
「えっ……」
「ここであの装甲空母鬼を逃がせば、また大きな害をなすでしょう。今しかありません」
「で、でも…」
吹雪も祥鳳も不安げだった。
いくら最強の一航戦とは言え、この物量を相手にたった二人だけで勝てるのか。
だが、加賀と赤城は余裕の笑みを浮かべていた。
「鎧袖一触よ、心配いらないわ」
「この場は私達ふたりで十分です。さぁ、行きなさい!」
その凛々しく堂々とした立ち姿は、二人の不安を打ち消した。
この人たちなら大丈夫、きっと勝てる。
吹雪と祥鳳はそう思った。
「さぁ、存分に暴れてきなさい。鳳凰の姉妹、そして駆逐艦の子たち」
「はい! 祥鳳、出撃します!」
「吹雪、がんばります!」
祥鳳と吹雪は赤城と加賀に敬礼すると、待機していたたちに目配せしてすぐさま編隊を組み、装甲空母鬼の後を追った。
すかさず加賀と赤城は艦載機を発艦させて深海棲艦を爆破し、道を開く。
彼女たちを援護しながら、加賀は訊ねた。
「赤城さん、本当にいいのですか?」
「もし彼女達が倒されれば、その程度だったということです」
加賀は少し口元を歪めた。
「厳しいですね」
「あら。あなた程厳しいつもりはないですよ」
赤城は微笑むと、目の前に現れた南方戦棲鬼に視線を向けた。
裸女の悪魔はこちらに気づくと、目を細めて笑った。
「コノトキヲマッテイタゾ、クウボドモ……!」
赤城にとっても、南方棲戦鬼は再戦を密かに望んでいた相手だった。
だが、今の彼女に恐れなどない。
既に彼女は、本当の強さを取り戻したのだから。
「行きますよ、加賀さん」
「えぇ」
「南方棲戦鬼!」
赤城は、宿敵に向かって弓を向け、力強く叫んだ。
「我ら一航戦の誇り、今こそお見せします!」
100体のヲ級と南方棲戦鬼に、加賀と赤城は突撃を開始した。
「むむむ…。ちょっとこれはキツいかもしれないクマ…」
球磨と多摩、隼鷹、青葉、衣笠、古鷹、加古は東京湾沖合の、立山市に近い部分の海域で交戦していた。
制空権こそ辛うじて確保できたものの、いかんせん敵の数が多い。
駆逐イ級が大量に存在し、ピラニアのように襲いかかってくるのだ。これを退けるだけでも難しいものがあった。
そしてさらに、艦娘たちを苦戦させる存在が出現した。
「ちょ! マジかよ……!」
海から首長竜のような怪物の頭が飛び出し、突如魚雷を発射した。
「うわっと……!」
それは戦艦レ級の魚雷だった。かろうじて魚雷の第一撃を避けることはできたが、魚雷は次々と発射される。
あろうことか、駆逐イ級の大群までもが必殺の魚雷を放った。
「みんな、跳べクマ!」
球磨が仲間達に跳んで避けるよう指示するも、全員が大量の魚雷を回避できるわけではなかった。
「あぁっ!?」
「やっべ……!」
衣笠と隼鷹が魚雷をまともに喰らってしまい、中破してしまった。
「ガッサ、隼鷹さん!?」
青葉が血相を変え、慌てて駆け寄った。
「あいたた……。ごめん青葉、やられちゃった……」
衣笠は涙目で傷を摩った。服は破れ、黄色い下着が顕になっていた。
「わりぃ、あたしもだわ……」
巻物を焼かれた隼鷹も苦笑し、空を飛び続ける艦載機を見つめた。彗星はまだ何機か残っており、旋回を続けている。
あいつらを使えば、追加攻撃はできるかもな。よろよろと隼鷹が立ち上がろうとしたその時だった。
「にゃぁぁぁぁ!!」
「クマァァァ!!」
レ級の艦載機による爆撃から逃げてきた球磨達がこちらへとやってきた。周りを見渡せば、どこもかしこもレ級だらけであった。
「まずいクマ……!」
いつの間にか、レ級の群れは円陣を組んで球磨達を囲み、追い詰めていた。
おそらく、海中に潜んでいた個体が何体かいたのだろう。今、13体のレ級が襲いかかろうとしていた。
「ヒヒヒ……」
「イッパツデラクニシテヤル……!」
レ級達が意地の悪い笑いを浮かべたその時だった。突如、何処からか魚雷が発射され、数体のレ級が吹き飛ばされた。
「ナッ……!?」
その間隙を縫って、三人の艦娘達が現れた。
「よっ! 球磨姉に多摩姉」
木曾、北上、大井の三人だった。
「いやー、ぼろぼろだねー」
「ったく、こんな敵くらいさっさとやっつけちゃいなさいよ!」
「……相変わらず、生意気な妹クマ」
大井はいつもの毒舌であった。だが、その棘のある言葉が、今の球磨にとっては痺れるように嬉しく感じた。
「まるゆもいますよ」
更には海中から泡を立ててまるゆも現れた。
「すまない、助かったにゃ」
「まーまー、気にしないで」
いつものマイペースな口調で北上が姉に手を差し伸べた。
「さーて、レ級はどうしよっか」
「おっと、助っ人は北上たちだけじゃないよ!」
「ナンダ……!?」
レ級が振り向くと、三人の少女が悠然と立っていた。
「夜に隠れて悪を斬る! 戦場の闇夜に咲く、一輪の花! 川内型1番艦、川内!」
ツインテールの少女が忍者のようなポーズを取る。
「て、天下御免の軽巡魂! 静かなる川に佇む、い、一輪の花! せ、川内型2番艦、神通……!」
彼女に続き、長髪の大人しそうな神通が恥ずかしげに右腕のクレーンを縦に構える。
「波が舞い、水が踊る! 海風に舞う一輪の花! 川内型3番艦、みんなのアイドル那珂ちゃんでーす!」
最後に、お団子ヘアの那珂がマイクを手に取り、右腕を上げて「キャハッ☆彡」とポーズをとった。彼女のみが、姉二人とは異なる艤装と煌びやかな服を着ていた。
「我ら、水雷戦隊!!!」
三人は特撮ヒーローのようなポーズを取り、戦場に見参したのだった。
「よーし! 那珂ちゃん達もお手伝いするよー! よっろしくー!」
なにが起こったのか理解できず、レ級達はしばし唖然として彼女らの挙動を見つめていたが、やがてすぐさま海へと潜り、雷撃を放とうとした。だが、三人の機動力はレ級の予想を遥かに上回っていた。
「ふふふ。那珂ちゃんはお見通しだよーん!」
那珂は正確にレ級が潜った位置へと爆雷を投げつけた。直後、爆雷が海中で作動し、隠れていたレ級が吹き飛ばされて地上へと炙り出された。
「グウッ……!」
「オノレェェ……!」
口々に艦娘達への怨嗟の言葉を吐きつけつつ、レ級達は再び龍の口から雷撃を放とうとする。だが、川内達の動作はそれよりも素早かった。
「へっへー! きっかないよーだ!」
川内と神通は忍者のように雷撃を跳び避け、レ級に主砲を突きつけた。
「残念でしたね」
二人は引き金を引き、レ級の胸を容赦なく吹き飛ばした。
「那珂ちゃんもいっくよー! どっかーん!!」
那珂も姉二人に続いて、右肩のクレーンに備わった12.7cm連装高角砲を次々と発射した。
「グウ……!」
次々と放たれる砲撃にレ級は注意を逸らされる。その間隙を縫って、那珂は太腿の魚雷を次々と放った。
「ナニィ……!?」
レ級達は避ける間もなく、魚雷に吹き飛ばされて爆散した。
「負けてられないクマ。今こそ球磨型六姉妹の力も、見せてやるクマ!」
「行くにゃ!」
「おうよ!」
戦意を取り戻し球磨は立ち上がった。彼女の姿を見て、妹たちも戦意を高揚させる。
「あれ、六姉妹? ま、まるゆもですか…?」
球磨は戸惑うまるゆに向かって、にっこりと笑った。
「まるゆも今日から球磨の妹だクマ! 球磨の名に恥じぬようしっかり戦うクマ!」
「そういうことだな。まるゆ! あの無能な怪物どもに、お前の力を存分に見せつけてやれ!」
「はっ、はい!」
まるゆは照れ臭そうににこりと笑い、海中へ沈んだ。
「おっと、あたしらも忘れんなよ!」
隼鷹が彗星を操って次々とレ級に爆撃を仕掛け、加古と古鷹が援護砲撃を放つ。
「覚悟しろクマァァァ!!」
「せやぁぁぁ!」
「にゃああぁぁ!!」」
その間隙を縫うように球磨と多摩と木曾が突撃した。
球磨の拳がレ級達の艦載機を叩き落とし、多摩の蹴りが邪魔をしてきたイ級を突き飛ばし、木曾の剣がレ級の尾を切り落とし、次々と深海棲艦達を戦闘不能に追い込んだ。
「もぐもぐあたぁっくぅ!」
まるゆもただ見てるだけではなかった。海中から魚雷を放ち敵を追撃した。魚雷が命中し、爆発するがレ級に致命的なダメージは与えられなかった。
それでも多少の手傷は負わせられる。それは球磨達の援護に大いに役立った。魚雷が命中したレ級を発見するやいなや、木曾はすぐさまその元へと駆けつけ、一瞬で敵を斬り、撃破した。
次々とレ級たちが減りゆく中、大井と北上も魚雷の装填を始めていた
「んじゃ、やっちゃいましょっか大井っち」
「ええ、北上さん! 私たちの雷撃、見せつけてやりましょう!」
三人はそれぞれ魚雷を構えた。
「さぁーて!」
「海の藻屑となりなさいな!」
大井と北上の強烈な雷撃が放たれ、次々と残りのレ級を吹き飛ばす。13体も存在したレ級は、10分も経たずに、あっという間に海の底へと叩き落とされていった。
「残るは、イ級だけだな」
要であったレ級を失い、大量にいたイ級達の戦意が削がれてしまった。鮫から逃げ出すイワシの群れのように、イ級達は湾奥へと逃げ出した。それを隼鷹の爆撃が吹き飛ばし、敵部隊は壊滅してしまった。再び、千葉県の海に静けさが戻ったのであった。
その頃、相模湾沖では激戦が続いていた。だが、南方棲戦鬼はただただ唖然としていた。
ヲ級100体と数千の艦載機。兵力は十分揃えたはずだ。いくら赤城達正規空母二人であろうと、容易には勝てないはず。
だが、赤城と加賀によって、大量の兵はみるみるうちに沈められていった。
「九九艦爆! 九七式艦攻! 九六式艦戦!」
「行きなさい。流星、烈風」
あるヲ級が九九艦爆で爆散したかと思えば、別のヲ級はすぐさま九七式艦攻や流星の雷撃で吹き飛ばされる。黒き艦載機の大群も必死で応戦するが、九六式艦戦や烈風にまったく太刀打ちできず撃ち落とされてしまう。そして、赤城と加賀は、一航戦のふたりは、傷一つ負っていなかった。
「ナゼダ、ナゼココマデツヨイノダ……!?」
南方棲戦鬼は困惑していた。いつの間にやら、自軍は完全に壊滅してしまっていた。
海のあちこちで焼き尽くされた深海棲艦の残骸が黒煙を昇らせて次々と沈んでゆく様が彼女の紅の目に映った。
「ナゼダナノダァァ!?」
絶叫しながら砲撃を乱射する南方棲戦鬼をよそに、ふたりは平然と立っていた。
「教えてあげましょうか? なぜ私達が強いのか」
赤城は静かに答えた。
「私達の後ろには、守るべき人々がいます。その人々を命を賭して守り抜くことこそ、我等一航戦の誇り!」
赤城には既に迷いはない。
誇りでも義務でもない。ただ、戦えぬ人々を守り抜くため戦う。自身の戦う意味を見つめ直した彼女に対し、艤装は最大の力を与えていた。
彼女達の遥か後方の陸では――もっとも赤城達は知る由もないが――立入禁止看板の後ろから子供達が二人を応援していた。彼らは無力だ。しかし、それでもなにかせずにはいられなかったのだ。
「がんばれー、赤城さーんっ!」
「加賀さんいっけぇ! この俺がついてるぜー!」
「艦娘ファイトー!」
「がんばれ一航戦!」
「がんばってあかぎさーん!」
彼らの声は遥か彼方の赤城と加賀には聞こえない。だが、その想いだけは確かに届いていた。
今、赤城と加賀は、その身に星屑のような輝きを纏っていたのだ。そして輝きが増すにつれて、さらに動きが速くなってゆく。
赤城はさらに爆撃機を繰り出し、南方棲戦鬼の砲塔を次々と爆破していた。
「グォォ……! マダダ、マダマケヌ!」
南方棲戦鬼の巨大な口が赤く光った。砲撃を開始しようとした。
すかさず、赤城は加賀に目で合図し、動き出した。
「シネェェェェェ!!!!」
紅い閃光が海を抉り、大破して倒れていたヲ級達ごと赤城たちへと襲いかかった。
「ヒハハハハハ!!! アトカタモナクケシトンダカ!!」
裸女の悪魔は高笑いし、紅い光が海を焼き尽くす光景を見つめた。
紅い炎が何もかも焼き尽くし、すべてが無となった、美しき破壊の光景。
その頃、相模湾沖では激戦が続いていた。だが、南方棲戦鬼はただただ唖然としていた。
ヲ級100体と数千の艦載機。兵力は十分揃えたはずだ。いくら赤城達正規空母二人であろうと、容易には勝てないはず。
だが、赤城と加賀によって、大量の兵はみるみるうちに沈められていった。
「九九艦爆! 九七式艦攻! 九六式艦戦!」
「行きなさい。流星、烈風」
あるヲ級が九九艦爆で爆散したかと思えば、別のヲ級はすぐさま九七式艦攻や流星の雷撃で吹き飛ばされる。黒き艦載機の大群も必死で応戦するが、九六式艦戦や烈風にまったく太刀打ちできず撃ち落とされてしまう。そして、赤城と加賀は、一航戦のふたりは、傷一つ負っていなかった。
「ナゼダ、ナゼココマデツヨイノダ……!?」
南方棲戦鬼は困惑していた。いつの間にやら、自軍は完全に壊滅してしまっていた。
海のあちこちで焼き尽くされた深海棲艦の残骸が黒煙を昇らせて次々と沈んでゆく様が彼女の紅の目に映った。
「ナゼダナノダァァ!?」
絶叫しながら砲撃を乱射する南方棲戦鬼をよそに、ふたりは平然と立っていた。
「教えてあげましょうか? なぜ私達が強いのか」
赤城は静かに答えた。
「私達の後ろには、守るべき人々がいます。その人々を命を賭して守り抜くことこそ、我等一航戦の誇り!」
赤城には既に迷いはない。
誇りでも義務でもない。ただ、戦えぬ人々を守り抜くため戦う。自身の戦う意味を見つめ直した彼女に対し、艤装は最大の力を与えていた。
彼女達の遥か後方の陸では――もっとも赤城達は知る由もないが――立入禁止看板の後ろから子供達が二人を応援していた。彼らは無力だ。しかし、それでもなにかせずにはいられなかったのだ。
「がんばれー、赤城さーんっ!」
「加賀さんいっけぇ! この俺がついてるぜー!」
「艦娘ファイトー!」
「がんばれ一航戦!」
「がんばってあかぎさーん!」
彼らの声は遥か彼方の赤城と加賀には聞こえない。だが、その想いだけは確かに届いていた。
今、赤城と加賀は、その身に星屑のような輝きを纏っていたのだ。そして輝きが増すにつれて、さらに動きが速くなってゆく。
赤城はさらに爆撃機を繰り出し、南方棲戦鬼の砲塔を次々と爆破していた。
「グォォ……! マダダ、マダマケヌ!」
南方棲戦鬼の巨大な口が赤く光った。砲撃を開始しようとした。
すかさず、赤城は加賀に目で合図し、動き出した。
「シネェェェェェ!!!!」
紅い閃光が海を抉り、大破して倒れていたヲ級達ごと赤城たちへと襲いかかった。
「ヒハハハハハ!!! アトカタモナクケシトンダカ!!」
裸女の悪魔は高笑いし、紅い光が海を焼き尽くす光景を見つめた。
紅い炎が何もかも焼き尽くし、すべてが無となった、美しき破壊の光景。
>>248
すみません、二重投稿してしまいました。
だが、南方棲戦鬼が勝利の余韻に浸るのもそこまでであった。
「ナニ……!?」
南方棲戦鬼は自分の目を疑った。そこには、赤城と加賀が無傷のまま立っていたのだ。
「艦娘に、同じ技は二度も通じません」
「さぁ、受けてごらんなさい! 一航戦の力を!」
赤城と加賀は同時に弓を構えた。長く細い腕が弦を引く様。髪が風に靡く様。
すぐ眼前に死が迫っているにも関わらず、南方棲戦鬼は思わずその美しさに見とれてしまい、その場を動けなかった。
「流星!」
「九七式艦攻!!」
ふたりの放った矢は燃え上がり艦攻となり、猛進してゆく。
そして、艦載機の放った魚雷が突進し、南方棲戦鬼の体を刺し貫いた!
「ソンナ……! マサカ……! ソンナコトガ……! ソンナコトガァァァァァ!!!」
南方棲戦鬼は爆風に焼かれ、粉々に吹き飛んでいった。
すべてが爆発し砕けてゆくなか、南方棲戦鬼は赤城を見つめた。
「ウツク、シイ……」
体が崩れ落ちるのを感じながら、最期に南方棲戦鬼はそう呟いた。初めて艦娘を、人間を美しいと想った。
直後、その体は爆風で焼き尽くされ、残骸が海の底へと沈んでいった。
「やりましたね、赤城さん」
「えぇ」
ふたりは万感の思いで、沈みゆく強敵を見つめた。残骸から立ち昇る黒煙は、南方棲戦鬼の墓標のようであった。
赤城達が戦いを終えた頃、祥鳳達もまた宿敵と対峙していた。
冷徹な笑みを浮かべた魔女が海の真ん中でぽつりと待っていた。
「……キタカ」
「装甲空母鬼、決着を付けましょう」
祥鳳は強い目線で装甲空母鬼を見つめ、言った。
「あなたには、償ってもらわなければなりません。私の妹たちを……。電を、瑞鳳を傷つけたことを!」
「ソレガ、ナンダトイウノ?」
祥鳳は歯を食いしばりながら、不愉快な声で笑う装甲空母鬼を見つめた。
北方棲姫を殺され涙に暮れた電の顔が、磔にされ操られた瑞鳳の姿が脳裏に浮かぶ。
絶対に許せない。私の大切な人達を、瑞鳳や電の気持ちを弄んだこの悪魔を!
「装甲空母! この祥鳳が、あなたを討ちます!」
和傘を槍のように向け、祥鳳は叫んだ。
「ハッ! カエリウチニシテクレルワ!」
言うやいなや、装甲空母鬼は砲撃を放ってきた。
「危ない!」
全員が砲撃を避け、散り散りになった。
巨大な腕と巨大な口。接近するとまずい。
「瑞鳳、行くわよ!」
「うん!」
二人は巨大な海魔から距離を取りながらできる限り離脱した。駆逐艦の艦娘達や大鯨もそれに倣い、砲撃を躱しつつ、できるだけ距離を取っている。
「チョコマカトォォォ……!」
このくらい距離があればいいか。400m程度離れると、祥鳳は妹と共にすぐさま矢を取って艦載機を放とうとした。だが、
「サセヌワァァァ!!」
「あぁっ……!?」
白い球体のような艦載機が次々と祥鳳と瑞鳳の頭上へ飛んできた。その口が赤く光り、爆弾が落とされようとしていた。
「サァ、コナゴナニフキトバサレテシマエェェェェ!!」
その時だった。
「させません!」
「ぽい!」
「にゃしい!」
「ふふっ」
「えいっ!」
吹雪、夕立、睦月、如月、そして大鯨が揃って対空射撃を放ち、敵艦載機はすんでのところで撃ち落とされて、海へと落下した。
「吹雪ちゃん、ありがとう!」
「へへ……。これくらい、ぜんぜんへっちゃらですから!」
鼻を擦り、吹雪は微笑んだ。
よく見ると防御壁が少し砕けており、服も黒く汚れている。きっと、あの砲撃を躱しながら私達を守るために必死で来てくれたんだろう。
祥鳳は吹雪の気持ちが嬉しかった。
「吹雪ちゃん、危ない!」
「きゃっ!」
だが今度は敵艦載機は吹雪めがけて対空射撃を放ってきた。だが、彼女はそれを転がりながら寸での所で回避し、同時に対空射撃をしながら敵艦載機を迎撃していった。
「まだまだぁ!」
吹雪はすぐさま立ち上がり、体を回転させて次々と爆撃用艦載機を叩き落としてゆく。素早く的確な対空射撃で、あっという間に空を覆う白い悪魔は駆逐されてしまった。
「オノレェ……、クチクカンドモガァァァ!!」
自身の艦載機を落とされ、装甲空母鬼は怒りの咆哮をあげた。
「さあ、私達も負けてられないわね」
「そうね、追撃しちゃいますか!」
祥鳳と瑞鳳はすぐさま弓を引き矢を放ち、次々と艦載機を解き放った。九九艦爆が、彗星が、九七式艦攻が、零戦52型が、天山が、次々と発艦し、装甲空母鬼めがけて攻撃を開始する。
「よーし! みんな、一気に参りましょー!」
睦月の掛け声を機に、吹雪達はなんとか砲撃をかわしつつ祥鳳の周りに集まり、陣形を立て直した。
「いっけぇぇぇぇ!!!」
艦爆が、艦攻が、駆逐艦達が放った魚雷が、大鯨の放ったWG42のロケットランチャーが、次々と装甲空母鬼を襲った。
「グウウ……!」
水が飛び散り、爆発が巻き起こる。この攻撃で大ダメージを与えたかのように思われた。
「やったっぽい!?」
「いいえ、まだよ」
如月が険しい表情で言った。
爆風が晴れると、そこには装甲空母鬼がほぼ無傷の状態で立っていた。
「うそ……?」
装甲の名を持つだけに、この海魔の装甲は堅牢であった。あれだけの爆撃を、雷撃を、砲撃を、一挙に浴びたにも関わらず、平然と海に浮かんでいた。
さらに、下半身たる巨大な頭の口の中。そこには紅の光が不気味に輝いていた。
「フハハ、コンドハコッチノバンダ!」
「危ない、みんな!」
咄嗟に祥鳳は傘を開き、仲間たちの前方に立ちはだかり盾となった。
無論、それで防ぎきれるはずもないことは祥鳳も承知の上だ。それでも仲間達を少しでも守りたい。その一心で、彼女は盾となった。
だが、紅い光の奔流は無情にも祥鳳達を吹き飛ばし、防御壁を粉々に打ち砕いてしまった。
「きゃああああ!!」
「ああっ!!!」
そこにいるほぼ全員が吹き飛ばされ、倒れてしまった。
「うう……」
「ヒハハハハ!!! イイザマダナァ!!!」
祥鳳たちが傷つき倒れ動けなくなったことを確認すると、装甲空母鬼は動き始めた。巨体に違わぬ素早い動きであった。空を飛んでいた艦載機達が迎撃するが、すぐに対空砲撃で撃墜され、ほとんどが海上へと不時着した。
「うう……」
倒れた艦娘達を、装甲空母鬼は冷たい瞳で見つめた。そして何を思ったか、その巨大な腕で祥鳳と如月を掴み持ち上げてしまった。。
「お姉ちゃん!?」
「如月ちゃん!?」
「ヒハハハハハ!!」
装甲空母鬼は高笑いし、二人を握り締める。
「あああぁぁっ!!」
骨が軋む音が響き、祥鳳と如月は悲鳴をあげた。
「イタイカ、クルシイカ!? イイザマダナクチクカァァン! ケイクウボォォ!」
嬉しそうに装甲空母鬼は二人を締めつける。
「お、お姉ちゃん……」
「如月……ちゃん……」
瑞鳳も睦月も、なんとか立とうとするが、立てない。骨を折られた苦痛が邪魔して、なかなか助けに行けない。ただ苦痛に呻く姉妹を見ていることしかできなかった。
「サァ、ハイボクヲミトメホロビルガイイ! ミトメレバラクニシテヤルゾ!」
だが、ふたりは苦しみながらも首を横に振った。
「……駆逐艦を、舐めないでよね!」
か細いがはっきりした声で、如月が言い放った。
「ナゼダ、ナゼキサマラハザコノクセニニゲナイ? ナゼアラガイツヅケル……?」
「そうよ……。私は、私は、決して強くなんかない! でもね、だからこそ心だけは強く、美しく……。それが私の、如月の、駆逐艦魂よ!」
その可愛らしい様子に似つかぬ気迫で、如月は叫んだ。
「そうよ。みんなで一緒に、生きていきたいから! 家族を、大切な人を、守りたいから! だから、みんなで支え合うのよ!」
「だからあなたには、深海棲艦には、最期まで屈しない!」
「たとえこの身が砕けても、あなたを倒し、みんなを守ってみせる!」
強い眼差しのふたりの艦娘は力強く叫んだ。
「ヤカマシイザコガァ……。クイコロシテクレルワァ!」
「いやぁぁぁぁ!! お姉ちゃんっっ……!」
絶望的な状況を予感し、瑞鳳が悲鳴を上げた。
「あ、あぁぁ……」」
吹雪もまた二人の窮地を見て、なんとか立ち上がろうとしていた。
このままじゃ、祥鳳さん達が殺される。でも、私には何もできない……。ぼろぼろになったこんな体じゃ……。
その時、吹雪の脳裏に赤城の言葉が蘇った。
『誰かを守ろうとする想い。守りたいという想い。それこそが私たち艦娘の力になります。その思いさえあれば、どんな強敵にもきっと勝てるはずです』
そうだった。
「そうでしたよね。そうでしたよね、赤城さん! 」
私はみんなを、祥鳳さんや如月さんを守りたい。だったら、それが私の力になる! 絶対に装甲空母鬼だって倒せる!
吹雪はよろよろとふらつきながらも、なんとか立ち上がった。
「ま、まちなさい……!」
「ナニ……!?」
吹雪は精一杯叫び、立ち上がった。
装甲空母鬼は一旦手を止め、不思議そうに吹雪を見つめた。あれだけの攻撃を受けながら、まだ立ち上がれるとは。
「私が……! 私が……! 私が……、あんたなんか、やっつけちゃうんだからー!!!」
守りたい。みんなを。みんなを守る力が欲しい。
「お願い、私の艤装! 一緒に戦って! みんなを守るために!」
いつしか吹雪は叫んでいた。
その時不思議な事が起こった。
吹雪の艤装が突如、星屑を纏ったかのように光り輝き始めたのだ。
「コレハ……?」
「まさかの改二っぽい!?」
艤装は黄金の輝きを放ったまま、一旦吹雪の体から離れ、軋む音を立てながら軍艦の形態へと戻った。
だが吹雪は沈まない。新たに形成された防御壁の中に包まれていた。
「吹雪ちゃん!?」」
直後、軍艦はより物々しい武装を纏った軍艦の姿へと変わり、すぐさま分解し、吹雪の体へと装着された。
左腕には新たに高射装置が備わり、大腿部の魚雷はさらに強力なものへ変化し、背中のアンテナも堂々たる高さを備えたものとなった。
ここに、吹雪が改二となり、新たに再誕したのだ!
「ナン……ダト……!?」
突然のできごとに装甲空母鬼は呆然とし身動きがとれない。
「装甲空母鬼! 私が、みんなを守るんだから!」
吹雪は先程までの負傷が嘘だったかのように素早く動き回った。
「ヤレェェェ!!」
すぐさま装甲空母鬼は残りの艦載機を放ち、吹雪を迎撃させた。自らもまだ動く砲塔で砲撃を行い、吹雪を仕留めようとした。だが、吹雪は先程よりも素早い動きで砲撃を次々と躱してゆく。
艦載機が飛び立った瞬間、すぐさま高射装置と10cm連装高角砲を発射し、敵艦載機をすぐさま撃ち抜いてゆく。そして吹雪には対空射撃において天賦の才がある。
あっという間に敵艦載機は煙を巻き上げて、すべて撃墜されてしまった。
「ナ、ナンダトォォ!?」
装甲空母鬼は狼狽した。完全に自分が優位に立っていたはずの戦況。それをたった一体の駆逐艦に覆されていた。
砲撃を我武者羅に撃つが、まったく吹雪には命中しない。
「オノレェェェ!」
業を煮やした装甲空母鬼は再び口に紅い光を灯し始めた。
「来る……!」
吹雪は脚部の魚雷発射装置を構え、発射の体勢へと移った。
同時に、戦場の煙の匂いと爆音によって、気絶していた大鯨も目覚めた。
「あれ……、ってえぇぇ!? お姉ちゃん!?」
目を覚ますなり、彼女は仲間達が敵の巨腕に捕縛されていることに気づき、すぐさま立ち上がった。今の彼女には、吹雪が立ち上がり戦っている場面すら目に入らず、ただただ姉たちを助けることに必死であった。
「大鯨さん!?」
「お姉ちゃんと如月さんを、離してぇぇぇ!!!」
大鯨はWG42を起動し、残っていた4発のロケットランチャーをありったけ装甲空母鬼の腕めがけて発射した。
それに合わせて、吹雪も魚雷を巨大な口めがけて放った。
「グハァァァ!!」
ロケットランチャーは見事に命中し、装甲空母鬼の巨腕を易々と砕いた。
「うっ……!」
腕がちぎれたことで、拘束されてた祥鳳と如月も見事に着地し、力を失った指を振り払い、水上へ降り立つことに成功した。
祥鳳は何とか立ち上がり、痛みに悶絶する装甲空母鬼を見据えた。
「オノレ、オノレェェェ、スベテヤキツクシテクレル!!」
装甲空母鬼は苦痛に耐えつつ、新たに巨大な口へ光を貯めつつあった。
「如月ちゃん」
「えぇ」
だが、祥鳳と如月はその隙を見逃さない。ふたりは目を合わせ頷きあい、巨大な頭の顎先に軽々とよじ登り、装甲空母鬼の本体へと対面した。
「ナッ、ナニヲ!?」
祥鳳はふっと微笑み、ぼろぼろになった傘の先端を装甲空母鬼の目に突き立てた。
「この距離なら、防御壁は張れないわね!」
「マサカ……!?」
「空母が使えるのは、艦載機だけじゃないのよ!」
「ヤメロ、ヤメロォォォ!!!」
その瞬間、傘から銃撃が放たれ、次々に装甲空母鬼の目を撃ち抜いた。軽やかなミシンのような弾ける音が響いた。
「ピギャァァァァ!!!」
さらに如月も手当たり次第に主砲を放ち、装甲空母鬼の砲塔や武装を次々と破壊する。あっという間に、あれだけの装甲を誇った装甲空母鬼の体はヒビだらけとなってしまった。
「ビギァァァァァ!!!」
目を撃たれ、体を撃たれ、装甲空母鬼は痛みに悶絶し、二人を体から振り払った。
祥鳳と如月は吹き飛ばされて転んでしまったが、すぐに体勢を立て直して離脱し、瑞鳳達のもとへと戻った。その頃には、瑞鳳たちもなんとか立つことができるようになっていた。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
「えぇ、瑞鳳達は?」
「な、なんとか……!」
祥鳳は睦月、夕立らも立ち上がってこちらに戻ってきたことに気づいた。
祥鳳は装甲空母鬼を見つめた。視力を失い、腕を失い、苦しみもがいている今こそ、仕留める絶好の機会だ。
「みんな、決めるわよ!」
「うん!」
「はい!」
「ぽい!」
「にゃしぃ!」
「えぇ!」
「九七式艦攻、お願い!!」
「彗星、九九艦爆、天山!!」
祥鳳と瑞鳳が矢を放ち、艦載機達が突撃を開始した。四人の駆逐艦は魚雷を装甲空母鬼の口めがけて発射した。
一斉爆撃が、雷撃が、深海棲艦の巨躯へと炸裂した。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
全ての艦載機が雷撃を、爆撃を、銃撃を放った。
爆撃が装甲空母鬼の人型の部分を粉々に吹き飛ばし、睦月たちの雷撃が装甲にヒビを入れる。
そして、吹雪の放った魚雷が、光り輝きながら海面を猛スピードで切り裂き、巨大な口の内部へと命中した!
「ウギャアアァァァァァァ!」
装甲空母姫は断末魔の悲鳴をあげ、粉々に爆散した。ようやく、策謀に満ちた海の魔女は潰えたのだ。
「やった……」
燃え盛り深淵へと戻り往く海魔の残骸を見つめながら、祥鳳はどこか胸がすっきりした気分だった。
一方で、吹雪はどこか夢心地のような、ふわりとした気分になっていた。これは都合のいい白昼夢なの? それとも現実に起きた出来事なのか?
「私、私……。ちゃんとやれましたよね……!?」
「ええ。吹雪ちゃんのおかげで、装甲空母鬼を倒せました」
ぼろぼろになった祥鳳は微笑んで吹雪の頭を撫でた。
「ふふ、お見事よ。如月、ちょっと感激しちゃった」
服が破けた如月もそれに倣い、色っぽい声色で吹雪を撫でた。
二人の暖かい手の感触が吹雪を現実に引き戻した。そうだ、私はやったんだ。みんなを守れたんだ……!
「……はい! ありがとうございます!」
「吹雪ちゃんすごいっぽい! じゃなくて、マジですごいー!!!」
夕立が友の勝利を祝福して抱きついた。
「えへへ……。ありがとう、夕立ちゃん」
吹雪は目に涙を浮かべ、肩をなで下ろした。
「赤城さん、私がんばりましたよ……」
きゃっきゃと跳ねる夕立を抱きとめながら、吹雪は静かに呟いた。
その場にいた全員が、吹雪を讃え、無事を喜んだ。だが、瑞鳳だけは違った。俯いて何も言わない。
「うう……」
「瑞鳳、どうしたの? 怪我が痛いの?」
心配そうに祥鳳が尋ねると、瑞鳳の足元にはたくさんの波紋が瑞鳳と睦月は目を潤ませてそれぞれの姉妹へと飛びついた。
「ず、瑞鳳!?」
「ふぇぇ……、お姉ちゃぁぁん! すっごく心配したんだからね……!」
ほっとしたのか、緊張の糸がほぐれたからか、堰を切ったかのように瑞鳳は泣き出した。まるで、この場にいる艦娘達の中でで一番年下のようにも見える。
「ごめんね、瑞鳳……。心配かけちゃったね」
「ばかぁぁぁ!! お姉ちゃんのばぁぁかかぁぁぁ……!」
「ほげぇぇぇ……。お姉ちゃぁぁん……!」
大鯨ももらい泣きし、姉に泣きついた。
「大鯨……。瑞鳳……」
子供のように泣き出した瑞鳳と大鯨を祥鳳はいつまでも優しく撫でてやった。互いに無事戦いを終えられたことを噛み締めるかのように。
「ふ、ふん。ま、まだまだ、ふたりとも……。こ、子供だにゃしぃ」
何かをこらえるように、睦月は苦笑した。
「あら、睦月ちゃんは泣いてくれないの?」
冗談めかして如月は微笑んだ。
「に、にゃぁぁ!? む、睦月は泣いたりなんか……」
睦月は慌てて取り繕ったが、明らかに何かを堪えているようであった。
「泣いたり、なんかぁぁ……!」
もう言葉は続かず、睦月の顔が一気に崩れてしまった。
「如月ちゃぁぁん!!」
睦月も泣き出し、如月に抱きついた。
「あらあら、どっちがお姉ちゃんだったっけ?」
「しらにゃい、しらにゃいぃぃ! ふぇぇぇぇ……!」
しばらくの間、姉妹は無事を泣いて喜びあったのだった。
「そうですか、みんな無事ですか……。お疲れ様です、帰投お待ちしております!」
横須賀鎮守府の通信室では、出撃していた艦隊から夕張が戦果報告を受け取っていた。
「良かった~、みんな無事で……」
彼女は胸をなでおろし、椅子にだらりと背中をあずけた。
どうなることかと思ったけど、みんな生きててくれた……。夕張はしばらく椅子に座ったままだったが、大事なことを思い出して立ち上がった。
比叡さんに報告に行かないと。彼女はすぐさま通信室を飛び出し、港へと向かった。
「比叡さん、やりましたよ! どこもかしこも大勝利ですって!」
夕張は嬉しそうに叫ぶが、比叡の表情は険しいままだった。
「いえ、まだ終わりじゃありません」
「えっ?」
夕張は怪訝な顔で秘書官代理の横顔を見つめた。
「よく見てください。海がまだ静かすぎます」
言われてみれば、いつもなら港付近にたくさん飛んでいるはずの海鳥が一羽たりとも見られない。
波は異様に穏やかで空は暗く、水平線の彼方は不気味な静けさに包まれていた。
「そうね。勝利に浮かれてる暇はないようね」
戻ってきた艦載機を手に取り、飛鷹は海の先を見つめた。
「ウソッ……!? ル級があんなにたくさん!?」
同時に、携帯式レーダーがけたたましい音を立てて鳴り響いた。夕張は手元のレーダーを見た。
地図には赤い斑点が数え切れないくらい沢山ある。しかも、その斑点はすべてこの鎮守府へと迫っていた。
「まさか、相模湾や千葉県沖の敵は、陽動作戦!?」
夕張は背筋が震えた。
空母系の深海棲艦を大群で送り込み、鎮守府の最強戦力である空母を削る。
尚且つ深海棲艦を大量発生させてその他の戦力も削る。
そして、残った横須賀鎮守府の面々を確実に潰すために、ル級の大群を送ったのだとしたら……?
「夕張さん、艤装を呼んでください! 早く!」
「はっ、はい! 『夕張』、変っ身っ!」
言われるやいなや、すぐさま夕張は艤装を呼び出し、特撮ヒーローのようなポーズで艤装を装着した。
「夕張さん、鎮守府の最終ライン防衛と飛鷹さんの護衛を頼みます。飛鷹さんは港から艦載機で援護をお願いします!」
ふたりは黙って頷いた。
「さぁ、榛名、霧島! 準備はいいですか!?」
「はい! 榛名、頑張ります!」
「同じく! 霧島、出撃します!」
「よし!」
比叡は拳を握り気合を込めた。
「気合! 入れて! 行きますっ!」
比叡達は海原へと駆け出し、ル級の待つ戦場へと駆けていった。直後、爆発が海で巻き起こり、巨大な水柱が何本も立った。
妹たちが出撃してゆくその様子を、金剛は虚ろな瞳で窓から見つめていた。
金剛はぼうっとした表情のまま、いつの間にか工廠まで来ていた。
工廠には機材や整備道具が転がったままになっていた。
艤装も金剛のものだけが軍艦の形態で横たわっていた。よく見ると埃ひとつ被っていない。きっと夕張や妖精たちがきちんと掃除をしてくれていたのだろう。
「……」
金剛は何も口にせず、艤装に触った。
その時だった。
「金剛、金剛……」
誰かの声が聞こえた。それも妙に聞き覚えのある声が。
「だ、だれ……?」
よく聴いてみれば、それは金剛の、自分自身の声だった。
「私は金剛。あなた自身よ」
気が付くと、自分と同じ姿をした少女が目の前にいた。
さらに、目の前の光景も一変していた。工廠にいたはずなのに、いつの間にやら周りは真っ暗闇に包まれた。
どういうこと? 金剛は目の前の状況に困惑した。だが、目の前のもうひとりの金剛は彼女の困惑などお構いなしに口を開いた。
「なぜあなたは戦わないの? 妹たちは、あんなに立派に戦ってるのに?」
「それは……」
金剛は言葉に詰まった。
「そう……。あなたは10年前と同じね」
もうひとりの金剛は冷たく吐き捨てた。
「あなたは提督に依存してる。みんなを守りたいだなんてウソ。ホントは、ただ提督の気を惹きたかっただけ。ちがうかしら?」
「そんなこと、ない……」
弱々しい声で金剛は反論するが、もうひとりの金剛は彼女を冷たく見据えたままだった。
「だったらなぜあなたは戦わないの? 今、激戦が起きているのに。本当は悲しいことを言い訳にしてるだけじゃないの!?」
金剛は何も言えなかった。確かにもうひとりの私の言うとおりだ。
でも、私は……。
「立ちなさい金剛! みんなを守るのが、貴方の役目じゃなかったの!?」
「無理よ! 私はもう立てない! 私は提督がいなきゃ、立てないのよっ……!」
金剛は子供のように泣きじゃくり、膝をついて崩れ落ちた。
「……本当にそうかしら?」
そのとき、もうひとりの金剛が静かに言った。
「あの時、あなたは、もう誰かの涙を見たくないから、戦ってきたんじゃないの?」
「涙……」
そうだ。あの時、会った子だ。
父を深海棲艦に殺されて泣いていたあの女の子。それを見て私の胸で怒りが燃え盛ったはずだ。
『これ以上、あんな奴等のために、誰かの涙を増やすのはNoデス! 私はみんなにSmileでいてほしいデス!』
そうだ。二度と、私達やあの子のような、大事な人を失う悲劇を、涙を、繰り返してはならない。私はそう誓ったはずだ。
「あなたは、その誓いを果たすため、比叡や仲間たちと戦ってきたんじゃないの?」
「…仲間?」
さらに、彼女の脳裏に横須賀鎮守府の仲間達の顔がぼんやりと浮かんだ。
共に戦った祥鳳、強き先輩である赤城、心優しき電、「強いだけじゃだめ」と教えてくれた雷、そしていつも隣にいてくれた妹、比叡の笑顔が。
「あなたを支えてくれる仲間のこと。そのために何ができるか、考えることね…」
「比叡……」
そうだ。思い出した。あの日、比叡はこう言っていたんだ。
『お姉様、私やみんなを勇気付けるためにあんな風に明るく振舞ってますけど、時折倒れそうに見えるんです。だから、そんなお姉様をひとりぼっちにしないために・・・。私も艦娘になったんです』
そうだった。あの子は、比叡はいつも私のそばにいてくれたんだ。
なんで私は、お姉ちゃんなのに、あの子の言葉を、妹の言葉を、忘れちゃったんだ。
提督だけじゃない。私は比叡に、みんなに支えられて、ここまで来たんだ…!
「比叡……! 比叡……!」
金剛の目に雫が溜まり、こぼれ落ちた。
ごめんね、叡子、ううん比叡。あなたがいてくれたこと、忘れてた。私を支えてくれた比叡。一緒に闘ってくれた祥鳳。優しさの意味を教えてくれた雷や電。
仲間たちのことを思い出し、金剛の心に何か燃え上がるものが蘇った。
また、あの子達を守りたい。また、一緒に、戦いたい…!
金剛は袖で涙を拭い、立ち上がった。
「One more time、私と戦ってくれマスか……?『金剛』!」
そこには、先程まで泣いていた少女はもういない。戦艦の名を持つ強き少女が復活していた。
「もちろんよ、金江。いえ、『金剛』!!」
金剛は立ち上がり、もうひとりの自分の手を握った。
その時、彼女が最初に目にしたものは光り輝く自身の艤装であった。
その頃、曇り空の海では、比叡達が襲い来る100体ものル級と交戦していた。
だが、戦況は決して芳しいものではなかった。
「主砲、斉射っ!!」
比叡の叫びと共に背負いし巨大な35.6cm連装砲が火を噴いた。砲撃はル級の一体に命中し、海魔はたちまち肉塊となって爆散した。
「よしっ!」
だが、比叡が勝利の余韻に浸るのもそこまでだった。
「ひぇっ…!?」
その直後、残りのル級が反撃を仕掛けてきた。砲撃が微かに命中し、比叡の防御壁に小さなヒビが入った。
「ぐっ……!」
すぐさま副砲を放ち迎撃するが、倒しても倒してもル級達は向かってくる。もはや数が多すぎて狙いを定められず、避けるのが精一杯だった。
「お姉さま! ご無事ですか!?」
「え、えぇ……。これくらい、かすり傷です!」
霧島が駆け寄ってきた。彼女の防御壁にもヒビが随所に見られる。
「霧島、状況は!?」
「現在、霧島と榛名がそれぞれ8体撃破しました。私の計算では、あと60体は残ってるはずです……!」
その時だった。
「きゃァァァっ!?」
ル級の砲撃が榛名にまで命中した。
「榛名! 大丈夫ですか!?」
慌てて霧島と比叡が駆け寄る。
「は、はい。は、榛名は大丈夫です……!」
その言葉とは裏腹に、榛名は涙目だった。彼女の防御壁は既に比叡よりもたくさんのヒビが入っており、服や艤装にも既に目立つ傷が見られ、彼女の白い肌が顕になっていた。
「ぐっ……!」
さすがの比叡も弱気になりかけていた。
飛鷹が援護爆撃こそしてくれるものの、それでも限界がある。
赤城らもヘリで援軍に向かっているが、まだ時間がかかるという。それまで持ちこたえられるだろうか……。
「比叡お姉さま……、敵が……!」
まずい。
いつの間にか、四方八方をル級に囲まれていた。
とにかく、霧島と一緒に一点を全力砲撃して退避しないと。
その時、夕張から緊急の通信が届いた。
『こちら横須賀鎮守府の夕張! レーダーに反応です! 比叡さんに向かって、4時方向から未確認の物体が高速で接近中! ア、アレはっ!?』
新手? 比叡は背筋が震えたが、直後に飛鷹から通信が入った。
『待って夕張! それは……。いいえ、彼女達は、敵じゃない!』
その時だった。
「いっけぇぇぇぇぇ!!」
「主砲、斉射! 薙ぎ払え!」
突如、どこからか魚雷が放たれ、比叡達を囲んでいたル級の1体を一瞬にして吹き飛ばした。同時に、物凄い轟音の砲撃が飛び交い、ル級達を4,5体まとめて粉々にしてしまった。
「この声は、まさか!」
比叡は叫びの主がどこか聞き覚えのあるものだと気づいた。
「さぁて、狼の生贄はどこかしら!?」
「あっ、足柄さん!?」
そこに現れたのは彼女だけではなかった。
「大和、助けに参りました……! 大丈夫ですか、比叡さん?」
長身の大和撫子がそっと比叡に手を差し伸べた。
「大和さん!」
「遅れて申し訳ございません。先ほど、舞鶴の緊急輸送機で参りました……!」
「ありがとうございます、大和さん、足柄さん! 力が沸いて来るようです!」
比叡は無邪気な笑顔でそう返した。
「なっ……! べっ、別に金剛のことを心配したわけじゃないんだからね! あいつをぶっ倒すのは、この足柄様なんだから!」
足柄は顔を赤くしながら叫んだ。
「ふふ……」
相変わらずだな、足柄さんも大和さんも。比叡は静かに微笑んだ。
同時に、二人が来てくれたことで希望が湧いてくるようだった。体に、拳に、力が蘇ってきた。
「戦艦大和、推して参ります!」
「足柄、突撃開始するわよ!」
足柄と大和は突撃を開始した。
飢えた狼の咆哮が海原に轟き、戦艦大和の砲撃がル級達を次々と吹き飛ばしてゆく。
「私たちも負けてられません! 榛名、霧島!」
「はい!」
「参りましょう!」
三人の高速戦艦も立ち上がった。
「さあ! 重巡の本領、見せてあげるわよー!」
足柄は縦横無尽に駆け巡り、副砲と主砲から瞬く間に連続砲撃を放った。
「さあ二人ともついてきなさい! こいつらをここから一歩も通さないわよ!」
「はい!」
「さあ、砲雷撃戦、開始するわよ! 撃てぇぇぇ!!!」
足柄は叫びながら縦横無尽に動き回って弾幕を張り巡らせて攻撃を防ぐ。さらに隙を見ては雷撃を放ち、ル級を撃破し、追い詰めていった。ル級は足柄の対応に気を取られ、隙ができた。
この機会を霧島は逃さない。榛名と共に敵めがけて十分に狙いを定めることに集中できた。
「よし! 榛名、行くわよ!」
「えぇ……!」
「距離、速度、よし! 全門斉射ァァァッ!!!」
ふたりの高速戦艦は砲撃を次々と撃ち込む。浮き足立ったル級達は次々と撃破された。
さらに空からは飛鷹も艦載機によって爆撃を放ち、比叡達を援護した。
赤い爆風の花びらが海上に次々と咲き、ル級の大群達は次々と撃沈されていった。
「さっすがですねぇ……。足柄さん」
足柄がル級の大群に怯まず突撃し、時には蹴り倒し、殴り倒し、次々と屠ってゆく。その勇猛果敢な暴れぶりに、比叡は感銘を覚えていた。
「比叡さん、また一緒にやりましょう」
「ええ。一緒に!」
今度はこっちの番だ。ふたりは手を取り合い、主砲を足柄達と戦闘を行ってないル級の大群へと向けた。大和と比叡の主砲に小麦色の光が宿り、エネルギーが充填されてゆく。
「サセヌ!」
ル級も立ちっぱなしではない。すぐさま砲撃で迎撃を行なった。
だが、大和は動じない。
「はぁっ!」
右手の傘を振り回し、全ての砲弾を叩き落としてしまったのだ。
「ナニィ!?」
その直後、比叡と大和の主砲の充填を完了した。
「超弩級・バーニング・ラァァァブ!!!」
ふたりの叫びとともに、超弩級の砲撃が火を噴き、ル級達を吹き飛ばす。
凄まじい業火に焼かれ、ル級達は次々と沈んでいった。
いける。これなら、勝てる。
ル級を次々と殲滅しながら、比叡はそう確信しつつあった。
ほとんどのル級を殲滅した直後、海の色が紅に染まるまでは。
「あれは……?」
突然の不気味な海の変色を目にし、比叡は嫌な予感を覚えた。
彼女の予感は正しかった。
突如、海を割り、巨大な頭が浮かび上がってきたのだ。
「な、なにあれ……?」
全員の目がその場へと向けられた。
そこに、巨大な腕を持つ黒い魔龍と黒服を身にまとった白肌の鬼女が現れた。
比叡は怖気を感じ背筋が震えた。だが、まずは冷静に敵のサイズを推測しようとした。身長10m? いや、20mかしら……。
それにしても、なんて大きいの。比叡は思った。
それにあの怪物の不気味な顔。目がなくて、妙に整った四角い歯。感情の見えない魔龍に、比叡は内心恐怖を覚えた。それに怪物の頭を撫でる鬼女。雪のような白い肌に無表情な瞳。人のようで人でない、マネキン人形のようだった。
比叡が砲塔を向け、迎え撃とうとしたその瞬間だった。
「シズミ、ナサイ……!」
真紅の閃光が唸りを上げて海を切り裂き、比叡達へ襲いかかった。
その頃、工廠。金剛はいつの間にか自分が艤装を身に纏い、立っていることに気づいた。
「What happen? イッタイ全体ドウイウコトデース……?」
先ほどのもうひとりの自分は何だったのだろう。不思議に思いながら、彼女は自身の艤装を改めて見てみた。いつもより、艤装は重装備で煌びやかにも見える。
「Wow……! もしかしてこれが私の、Mark-Ⅱ、改二ネ!」
そこはかとなく、以前と構造も変わっているように見えた。とりわけ、艤装側面に盾のような武装が取り付いているのが見て取れた。きっと、防御も強化されているんだろう。金剛はそう思った。
その時、突如地面が大きく揺れた。
「What!?」
きっと、何か起きたに違いない。この様子では、戦況が不利になっているはずだ。
「Anyway……! 早速、出撃デース!」
金剛は工廠を飛び出し、走り出した。
その時、ブルーシートで覆われていた艤装が突如動き始めたが、彼女が気付くことはなかった。
それは、今は病室で眠り続ける艦娘・鳳翔の艤装であった。
同時に今、とある病院でふたりの男女が目覚めようとしていた。
戦艦棲姫の魔龍が口から放った一撃。それは、大地を易々と抉りとるだけの力があった。
さらに魔龍は紅い光を吐き続けながら、その首の角度を少しだけ右へと向けた。
直後、閃光を浴びた街の一帯が粉々に吹き飛ばされてしまった。というよりも、抉り取られたという表現が正しいだろう。
直撃した建物は水飴のようにどろどろに溶け、焼け焦げてしまっていた。
「ぐっ……!」
比叡は傷の痛みに苦しみながら立ち上がり、周りを見渡した。海は先程よりも真っ赤に染まっていた。あの深海棲艦が何か毒でも流しているのだろうか? 無数の魚が浮き上がっている。
次に、彼女は自分自身を見つめた。既に防御壁は粉々に砕け散ってしまって、艤装も主砲一本を除いて、折れ曲がり傷ついている。もう浮遊するのが限界のようだった。
榛名も霧島も足柄も気絶して動かない。きっと、彼女たちも同じ状況なのだろう。比叡は立ち上がることこそできたが、既にふらふらで照準を合わせることすら覚束無い。
そうだ、大和さんは? 比叡は慌てて戦友を探した。
いた。大和はあの砲撃を受けても、何とか立っていた。艤装が堅牢な分、防御壁も厚いのだろう。
艤装は半壊し、豊満な乳房も白日のもとに晒されていたが、彼女は恥じらいすら見せず、堂々と立っていた。
「大和さん!」
彼女はたった一人で、戦艦棲姫の前に立ちはだかっていたのだ。その背後に存在する鎮守府を守るために。
「サスガハセンカンヤマト。テキナガラミゴトナタチフルマイ」
「お褒めいただき、感謝致します」
堂々たる受け答えで、大和は言い放った。
「だめ……! 大和さん逃げてください!」
比叡は必死で叫ぶが、大和はただ眼前の敵を見据えるだけだ。
「ワレラハツミブカキジンルイヲサバクタメニウマレタ。ソコヲドケ」
大和は静かに頭を横に振った。
「お断りします」
「ナゼダ? ナゼキサマカンムスラハツミブカキニンゲンヲマモロウトスル?」
「深海棲艦の長ともあろう方が、つまらぬご質問をされるのですね」
大和は静かに笑った。
「ニンゲンハダイチヲケガシウミヲケガシソラヲケガシタ……カンムスガマモルカチナドアルマイ……」
「えぇ、前者については仰る通りです」
大和は静かに答えた。
「デハ、ナゼ?」
「どんなに人類に咎があろうと、貴方に我々の生殺与奪を握る権利などございません!」
大和は強い語調で答えた。その強い目線を、戦艦棲姫は興味深そうに見つめる。
「理不尽なる暴力から人々を守ることこそ、我等艦娘の使命! 我が名は戦艦大和! 日の本の名にかけて、この命尽きるまで戦い続けます!」
そう言って、大和は赤い和傘を向け、機能する主砲を動かし、ありったけ近距離から撃ち込んだ。
だが、それでも戦艦棲姫は沈まない。装甲こそ少しだけ砕けたが、魔龍も鬼女も微動だにしていなかった。
「そんな……!」
「ミゴトナイクサブリ。マスマスモッタイナイ」
戦艦棲姫は満足そうに笑うと、右腕をすっと上げた。
「あぁっ……!?」
「きゃぁぁっ……!?」
戦艦棲姫は魔龍を動かし、二人をその巨腕で掴み取ってしまった。そのまま、ゆっくりと魔龍は体を前進させ、鎮守府のある港へと進んだ。
「くっ……! 放せ、放しなさい!」
比叡と大和は必死で指を叩き逃れようとするが、万力のような指に締め付けられ、体を動かせない。
「デハ、キサマラノマモルモノカラ、ホロボシテクレヨウ」
「まさか……!?」
横須賀鎮守府を、吹き飛ばすつもりなの!?
「ミグルシイザコナドワレラノイクサニフヨウ!」
「やめて、やめて、やめてぇ……!」
あそこには幼い艦娘が、金剛お姉さまがいるのに……! 比叡は絶望が重くのしかかるような感触に襲われた。
やがて、あっという間に戦艦棲姫は港へとたどり着いてしまった。
だが、最後に残っていた二人の艦娘が立ちはだかった。
「深海棲艦! ここは通さない!」
「夕張アルティメットリボルテックしゅートォォォ!」
飛鷹はありったけの爆撃機を飛ばし、夕張は積載した主砲を一斉発射し、魔龍の頭部を全力で攻撃した。派手な爆発が起き、煙が舞い上がった。
やった。飛鷹と夕張は全弾命中した手応えを感じていた。だが、煙が晴れた時、飛鷹たちは信じられないモノを見た。
「うそ……!」
全力の攻撃を加えたにも関わらず、戦艦棲姫は平然としていた。
「ウットウシイザコメ!!」
「夕張さん! 飛鷹さん!」
二人は魔龍の肩から発せられた主砲に撃ち抜かれ、吹き飛ばされた。二人とも辛うじて防御壁で守られはしたが、服も巻物も焼かれ、流血している。
艤装も大破しており、もはや艦載機発艦も砲撃も不可能だった。
だが、それでも飛鷹と夕張はよろよろと立ち上がり、腕を伸ばして戦艦棲姫を阻む。
「ザコガ、ナゼソコマデヒッシニナル? ツマラナイモノノタメニ?」
「つまらないもんなんかじゃない!!」
「ここは、私の……。隼鷹の……。私達みんなの帰るべき家よ!」
「そうです! 祥鳳さん達が、皆さんが帰ってくるまで、アンタなんかに、潰させはしないんだから!」
「ジャマダ、ザコドモ……!」
だが、無情にも夕張と飛鷹は巨腕で弾き飛ばされ、叩きつけられてしまった。
「飛鷹さん! 夕張さん!」
そして戦艦棲姫は、再びその目を鎮守府の建物へと向けた。
その時であった。
「飛鷹お姉ちゃん!」
「夕張さん!」
「い、電……!」
「だ、だめ……」
小さな少女、電が艤装を装着したまま飛鷹のもとへと覚束無い足取りで駆け寄った。
彼女だけではない。暁、響、雷もまた、艤装を装着して戦艦棲姫の前に躍り出た。
「マダイタノカザコガ……! ホウムリサッテクレルワ」
「電……。は、早く、逃げなさい……!」
掠れそうな弱々しい声で、飛鷹は言った。
「イヤなのです!
「こ、ここ、こここは、あ、暁たちが、まままま、守るんだから!」
電は涙目で首をぶんぶん横に振り、拒んだ。そのまま、小さな腕を振るい飛鷹を引っ張って逃げようとするが、小柄な彼女では上手くいかない。
暁たちも震えながら主砲を構えるが、その手は恐怖で震えており、狙いすらろくに定まっていなかった。
「ば、ばか……。私に構ってないで、早く……!」
「ダメなのです! 飛鷹お姉ちゃんを置いていくなんてできないのです!」
戦艦棲姫は不思議に思った。自らの攻撃で倒されるのがわかっているのに、なぜこいつは立ち向かってくるのか。
だが、これ以上構うのも面倒だった。戦艦棲姫は魔龍に命じ、大和と比叡を投げ飛ばさせた。
「ぐっ……!」
「メンドウダ……。ゼンインマトメテケシサッテクレル!」
魔龍の口が再び紅く光り輝いてゆく。
「くっ…!」
「いやぁぁぁぁっっ!!!」
戦艦棲姫は、容赦なく第二撃を放とうとしていた。
電達は恐怖に耐えられず泣き叫び、飛鷹も夕張も大和も、悔し涙を浮かべて紅い光を見つめるしかなかった。比叡もまた、無力さに拳を握り締めるしかなかった。
「お姉さま、ごめんなさい……」
比叡は、そう呟いた。
ごめんなさい、お姉さま。私は、もう、ここまでみたいです……。
比叡はがくりと肩を落とし、目を閉じてしまった。
「イケェェェェェ!!!」
そして紅い光が、比叡めがけて襲いかかった。
「くっ……」
だがその時、比叡の目の前で奇跡が起きた。
「えっ……」
しばらくして目を開けてみれば、彼女達は傷一つ負っていなかった。それどころか、紅い光が何者かによって遮られていた。
誰かが、立ちはだかっていた。
ま、まさか…? 比叡は、その艦娘らしき誰かをよく見た。
彼女たちの目の前に立ち、艤装のシールドを展開して紅い閃光を阻んでいたのは、金剛だったのだ。
「ナ、ナンダトォ!?」
「Hey,Everybody! 待たせたね!」
やがて、紅い光はだんだんと薄い色に変わり、完全に尽きてしまった。
「比叡、Sorry……。よくがんばりマシタネ…!」
「お姉さま……!」
比叡の目から涙が溢れた。
やっぱり、お姉さまは私の最高のヒーローだった。幼い頃からずっと変わらない、優雅で素敵な、私の最高のお姉さま。
「お姉さま……! ありがとうございます……!」
「No problmネ、比叡!」
比叡を優しく撫でると、すかさず金剛は榛名たちに連絡を取った。その通信が返ってくるのにそう時間はかからなかった。
「榛名、霧島。Can you hear me? もう大丈夫デース…!」
『お姉さま……! 榛名……、感激です!』
『金剛お姉さま、来てくれたんですね……!』
ふたりの妹は、絶望的な状況に現れてくれた今後に感激していた。その脇では、足柄もまた目覚めていた。
『ったく。おっそいのよ、高速戦艦のクセに…!』
足柄は通信機越しに毒づきながらにやりと笑った。
「Sorry足柄! あとは任せるデース!」
一方で、魔龍の攻撃が防がれたにも関わらず、手応えのありそうな敵の出現に戦艦棲姫は歓喜していた。
「オオ、マダタタカエルモノガイタカ!」
「さぁて、Black Dragon! 今度はこっちの番デス! 覚悟はOK?」
「グッ……! ナメルナア……! キサマゴトキカタテデヒネリツブシテクレル!!」
戦艦棲姫は魔龍に命じて巨大な右腕を伸ばさせ、そのまま金剛を握りつぶそうと指を曲げた。
だが、金剛は動じない。
「Fire!」
主砲が輝き、魔龍の手指は粉々に吹き飛ばされてしまった。
「グォォォ……!」
苦痛に苦しみ、魔龍と戦艦棲姫は咆哮した。その隙に、金剛は海へと飛び出し、背後へ砲撃を仕掛ける。
「オノレェェ!!!」
「Hey! Here! 鬼さんこちらネー!」
「ヒネリツブシテクレルゥゥ!」
怒り狂った戦艦棲姫は魔龍の主砲を放ち、金剛を仕留めようとしたが、砲撃は一つも命中しない。
高速戦艦、それも改二となった金剛に、動きの鈍い戦艦棲姫はまったくついてゆけなかった。
戦いの行方を見守りながら、比叡達は金剛の周りを星屑のような光が覆っていることに気づいた。
その長い茶髪が風に揺れれば天の川のように輝き、砲撃が放たれれば星屑が舞う。まるで宝石のドレスをまとって戦ってるかのようであった。
「お姉さま、きれい……」」
うっとりとした声で比叡は呟いた。
「今度はこっちの番ネ! Fire!」
金剛の副砲が火を噴き、戦艦棲姫の魔龍の頭へ命中した。頭部が爆発し、その硬い外皮にヒビが入った。
「グウゥ……」
今だ。動きが止まったことを確認すると、金剛は手を真っ直ぐに伸ばし、一斉射撃の構えを取る。
「サセルカァァァ!!!」
戦艦棲姫は魔龍に命じ、紅い閃光を撃たせた。奔流となった光が金剛を襲い、飲み込む。
「お姉さま!!」
比叡が叫ぶが、時既に遅し。金剛は紅い光に包まれてしまった。
だが、
「ナニ……!?」
彼女は無事だった。再び、艤装に備わったシールドが彼女を護ったのだ。
「ソンナ、バカナ……!?」
「これが、艦娘のPowerデス!」
「ナニ……!?」
「誰かをProtectする強いSpirit! それはInfinity Powerを生み出すのデース!」
その直後、8門の砲塔が黄金の光を宿し、鮮やかに輝きだした。その輝きは少しずつ増し、最後には黄金の炎のように輝いていた。
「マサカ……!?」
「艦娘の力、今こそ見せてやるデース!!」
金剛は右手をぐっと伸ばし、砲撃の構えを取った。
「バーニング、ラァァァァァァァァァァブ!」
その叫びとともに、主砲から8発の黄金の砲撃、いや閃光が放たれた。
その閃光は矢の如く直進し、紅い閃光を吹き飛ばしてゆく。
「グォォォォ……!」
そして、金剛の艤装から放たれた金色の閃光が、魔龍の口を一斉に貫き、そして打ち砕いた!
「グハッ……!」
その直後、頭部に穴を空けられた魔龍はゆっくりと崩れ落ち、大きな波飛沫をあげて倒れた。
直後、その黒い巨体に引火したのか、あちこちが爆発し、燃えてゆく。
「グウッ……! ナカナカ……ヤルジャナイ……カ……」
同時に、戦艦棲姫も青い血を吐き出して倒れてしまった。だが、敗北を実感しながらも、不思議と悔しさは湧いてこなかった。
彼女はどこか満足していた。歯ごたえのある強敵達と戦い、敗北した。使命は果たせなかったが、初めて楽しい戦いができたように思われた。
「ネガワクバ……。マタ……。コン……ゴ……」
自身を倒した敵のことを想いながら、戦艦棲姫は魔龍の巨体と共に爆散した。
最後に大きな水柱が立ち、派手な爆発が起こる。戦艦棲姫は、深い深い深淵の奥底へと還っていった。そして海上には、深海棲艦の残骸と傷ついた艦娘だけが残された。
「やったぁ……!」
「榛名、感激です!」
姉の戦いを見守っていた榛名と霧島が口々に賞賛した。
「大和、安心しました……!」
「金剛さん、すごい……」
「まさにハラショーだね」
「雷、感動しちゃった……!」
「なのです!」
大和や電達も、金剛の勝利に湧き、はしゃぎだした。
彼女達が勝利を喜んでいると、やがて港には戦いを終えた艦娘達が戻ってきた。
金剛は足柄に肩を貸し――当の足柄本人は不服そうな表情だったが――、榛名と霧島はお互いに支え合い港から上がった。
みんな大なり小なり傷ついていたが、なんとか命だけは無事だった。
「比叡」
「お姉さま……」
金剛は比叡をジッと見つめ、優しく頭を撫でた。
「よく……、がんばってくれましたね。ありがとう、比叡……」
「はい、はいぃ……!」
比叡は堪えきれなくなって姉に泣きついた。
「お姉さまぁ……! お姉さまぁ……!」
わんわんと泣き出す比叡を、金剛は優しく微笑み抱きしめた。
やがて、赤城達を乗せた輸送ヘリがようやく到着しようとしていた。
雲に覆われていた空は、いつの間にか晴れやかな青空へ変わっていた。。
金剛達が戦闘を終えてから数時間後。
千葉県方面へと出撃していた球磨たちも無事に鎮守府へと帰投し、横須賀鎮守府に所属する艦娘が久々に全員集合を果たした。
まずは比叡や足柄、大和など、鎮守府防衛のために大怪我を負った者達が高速修復材の入った風呂で傷を癒していた。まもなく彼女らは病院へ移動し、治療を受ける予定だ。
今、食堂は暖房を最大限に効かせており、出撃した艦娘達を癒す待機所となっていた。
「いやー、しっかしみんな無事で良かったなー! 今夜は祝勝会だな~! あっはっは!」
「あんたねぇ……。こっちは死ぬとこだったのよ?」
「ひひっ。まあでも、無事で良かったよ。飛鷹」
「ったく……」
お互い毛布を被りながら、飛鷹と隼鷹がお互いの無事を確認し、微笑みあっていた。
「あいてて……」
「あらあら、夕張さんったら。こ~んなにぼろぼろになっちゃって」
傷だらけの夕張を、同じくぼろぼろの如月が治療にあたっていた。
祥鳳は電達のことを気遣って、逆に当の本人や瑞鳳達から怪我を心配されていた。
那珂は普段の明るい調子はそのままに、半壊した鎮守府港の片付けなどに励んでいた。
大井はぶつぶつ愚痴りながらも、誰よりも積極的に仲間の治療や食事の準備に明け暮れていた。
加賀や大和は、それぞれの鎮守府へ電話をかけ無事を報告していた。
そんな艦娘たちの様子を見ながら、仲間達の報告をとりまとめていた赤城は穏やかに微笑んだ。
少し無茶をさせてしまっただけに、全員がこうして無事に帰れたことが何よりも嬉しかった。
出撃した時には知らなかったが、幸いにも深海棲艦が発生してすぐに沿岸域の住民には緊急避難警報が出ていたと報告を聞いていた。
なんとか人的被害だけはゼロに留められた。これから復興が必要になるだろうけど、人々を守りきれたことに赤城はささやかな満足を覚えていた。
その時だった。
廊下から、杖で床を突く音が何度も鳴り響いた。
「この音は?」
まさか……! 金剛は驚いて入口まで飛び出し、勢いよく扉を開いた。
「提督……!」
なんと、そこには厳つい顔の足を引きずった男が立っていたのだ。
「遅くなったな。みんな」
彼のシワだらけの笑顔を見て、それまで笑顔のままだった金剛の表情が一気に変わってゆく。
「テ、テイトクゥーッ!」
金剛は涙を溢しながら、彼に抱きついた。
「提督はおバカちんデース! 私たちがどれだけWorryしたと思ってるんデスカー!?」
そう喚きながら、金剛はぽかぽかと叩いた。
「す、すまん金剛……。心配をかけたな……」
「ふふ。良かったですね、金剛さん」
祥鳳は優しく微笑んだ。
これなら、きっとあの人もいつか……。
「あらあら、祥鳳さん。こんなに傷だらけになっちゃって……」
聞き覚えのある優しい声を耳にし、祥鳳は驚いて振り向いた。
「えっ……!?」
彼女の後ろには、祥鳳が会いたかった人が、鳳翔が、優しい笑顔で立っていた。
「おかえりなさい。それとも、ただいまかしら?」
「鳳翔さ……ん……!」
祥鳳の目に涙が浮かんだ。たまらず、彼女は泣きながら彼女に飛びついた。
「お母さん、おかえりなさい……!」
ようやく言えた。あなたをお母さんって呼んであげられた。
「お母さん……。おかあさん……。私、うれしい……!」
電たちの目の前だというにも関わらず、祥鳳は子どものようにわんわんと泣き出し、『母』との再会を喜んだ。
「おかえりクマァ・・・!」
「ほげぇ……! ほげぇ……! お母さん……!」
その涙は球磨や大鯨にも伝染した。彼女たちも泣き出しながら抱きつき、『母』のぬくもりを久々に味わったのだった。
「あらあら、みんな泣き虫ですね」
そんな『娘』たちを優しく撫でる鳳翔の目にも透明の雫が溜まっていた。
「よっしゃー! あたし達の勝利と提督たちの帰りを記念して、今日は祝杯だぁぁぁ!!!」
「おーっ! 那珂ちゃんも歌っちゃうよー!」
隼鷹が酒瓶片手に勢いよく叫び、那珂が叫んだ。
その夜、鎮守府にてささやかな勝利を祝う宴が開催されたのだった。
戦艦棲姫の襲撃から数ヶ月経過した。
ようやく街の復興は進みつつある。
戦いはまだ終わらないが、それでも深海棲艦の出現頻度は少しずつ減ってゆく。
いつか、この戦いは終わる。そんな確信が艦娘達にも芽生え始めてきた。
ある日、艦娘達が食堂に集まり、芋羊羹を味わっていた午後の昼下がり。
ふと、夕張は頭の中で思ったことを口にした。
「もし、戦艦棲姫の言うとおり、私達人間が地球を穢す敵だとしたら……。私達艦娘は、深海棲艦だけじゃなくて、地球とも戦わなくてはいけないんですか?」
それまで談笑していた全員が怪訝な表情になった。
「もし、そうなら、私達の戦いは正しいものなんでしょうか……? この星を……」
「夕張さん。そんなことは関係ありません」
夕張の言葉は厳しい表情をした赤城によって遮られた。
「正しいかそうじゃないかなんて、関係ない。私達はやれることを全力でやるだけです。そのあとのことはそれから考えればいいのですよ」
「そうですよね、そうですよね……!」
夕張は安心したかのように微笑み、それを見た赤城もまた微笑んだ。
戦艦棲姫が破壊した街の復興には、まだかなりの時間がかかる。それでも、きっとまたなんとかなる。赤城はそう信じていた。
私も、この地域の人々も、今まで何度つまづいても立ち直ってきたのだ。
そう、大事なのは前を向くこと。誤りがあろうと、諦めずに前へと進むこと。
赤城はそんなことを考えながらお茶を静かに口にしていた。
「それにしても、金剛さんは今頃元気でしょうか……?」
祥鳳が静かに言った。
「きっと、いつものように元気に戦ってますよ」
比叡はふっと寂しそうに微笑み、青空を見上げ呟いた。
「だってそれが、金剛お姉さまですから」
「比叡さん、もしかして寂しいんですか?」
いたずらっぽく瑞鳳が笑った。
「そうですね。ちょっとだけ寂しいですね。でも、必ず元気で帰ってくるって、私、信じてます!」
比叡はにっこりと笑った。そんな彼女の笑顔を見て、祥鳳たちもまた静かに微笑んだ。
「お姉さま……」
比叡は雲ひとつない青空をじっと見上げた。
遥か海の向こうで戦っている、姉のことを思って。
日本から数千km離れた東南アジアのある国。そこは深海棲艦の勢力が未だに衰えていない地域だった。
この地域で、金剛や足柄が要請を受けて派遣されたのだ。
今、小さな漁村の近海に深海棲艦が発生したと連絡を受け、急いでいた。
そこでは、ル級達が肌の色が濃い子供達を砂浜にまで追い詰め、今にも襲いかかろうとしていた。
だが、その時、何かが叫ぶ声を聞き、ル級は振り向いた。
「Hey深海棲艦! これ以上、好き勝手は許しマセーン!」
ル級の目の前に、高速戦艦の艦娘・金剛が現れた。
その威圧感すら感じられる艤装にル級は怯む。その隙を逃さず、金剛は高速機動ですぐさまル級の懐へと入り込んで脚を掴み、沖合へと投げ飛ばしてしまった。
その圧倒的な強さに子供達は感激しつつ、金剛の勇姿を輝くような目で見守った。
彼女は後ろを振り向いて子供達ににっと笑いかけると、投げ飛ばしたル級のもとへと突撃した。
その後ろ姿は星屑を纏ったように輝いていた。
艦娘という名の戦乙女達は今日も戦う。
その後ろにいる人々のため、愛する者達のため、そして己自身に打ち克つために。
金剛は熱い叫びとともに、ル級に向けて主砲から黄金の閃光を放った。
「バーニング・ラァァァァァブ!!」
完
以上で、全話終了です。
何度も何度も遅れてしまい申し訳ございません。
ご拝読下さった皆さま、本当にありがとうございました。
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