軍人たちの艦隊コレクション (666)


  「……っ」


 不意に目を覚ます 
  
 閉じていた瞼を薄く開き、外の光を取り込む


 黒く塗りつぶされていた視界がひらけ、ぼんやりと揺らめくものに変わっていく


   ゴポ ゴポ ゴポ ゴポ   


 揺らめく視界に目を細めながら、耳は何かを捉える

 心臓が脈打つ音にまぎれて、何か水の流れるような音が聞こえてくる

   
  (……水の音)
 

 その音に首をかしげながらも覚醒は進む
 
 次第にぼやけた視界の焦点が合い、辺りの光景が目に入ってきた


  (ここは……?)


 明らかになった自分の状態に戸惑う

 何故か横倒しになった状態で水槽のようなものに入れらており、全身は水槽に満たされた水のような液体に浸かっていた
 
 先ほどの音は水の流れる音ではなく、水に反響した自分の体の動きだったようだ

 
  (息は?)


 全身が水に浸かっていることを理解し、水中で呼吸が出来ないことを思い出す

 咄嗟に息を止めようとするが、そうするまでもなく呼吸は出来ていた

 視線を落とすと、口元は覆いのようなもので覆われている

 どうやら、この覆いによって呼吸は保たれているようだった


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1449754311



  「おい! ……を……ろ!」


 自分の状況を確認し、辺りに目を向ける余裕が生まれてくる

 水槽の向こう側へ目を凝らすと、何か白いものを身に着けた人影が確認できた

 何か言っているようだが、水音にかき消され聞き取れない  


  「………確認! 急げ!」


 その影に目を凝らすと、隣にもう1人いる様だった

 先ほどの人影が何か指示を与えているが、やはり良く聞こえない

 改めてその影たちが何者であるのか目を凝らして確認する

 しかし、薄暗い水と曇ったガラスに阻まれ、着ている衣服が白衣だとしか分からなかった


  「…………正常!」

  「しかし、麻酔……が弱………す」

  「………は、意識が……………!」


 目の前の影たちはしきりに何かを確認し、口々に何かを言い合っていた


  「吸入……、濃度……に上げろ」

  「こ………覚めさ……」


 だが、水の反響と自らの鼓動が邪魔をして何と言っているのか聞き取れない


  (どうして、こんなところへ)


 影の正体を探ることを諦めて、再び自分の状況について思考を巡らせる

 しかし、いくら考えたところで何も浮かんでは来ない

 ここはどこで、どうして水槽なんかに入っているのか、全く分からなかった
 

  「しかし………では」


  「構わん、やれ」


 自分が覚えている限りの記憶を必死に掘り起こす

 眠りに付く前に、自分はどこに居たのか

 なぜ、気を失ってしまったのか 

 目を覚ます前の、自分の行動1つひとつを子細に思い返した


  「麻酔濃度………上昇」

  「数秒……意識が落……す」


 船に乗っていたこと、仲間といたこと、戦争の最中だったこと、色々なことが頭を駆け巡る

 そこから、自分の身に起こったことを思いだそうとしたとき


    シュュュウウウウ


 何かが噴き出すような音が聞こえ、異臭のする気体を吸い込む

 本能的に危機を感じるが、もう遅い

 視界は徐々に暗くなり、意識も遠のいていく

 そして、息を止めようとした頃には、完全に気を失ってしまっていた 


  (ここは……?)

  (病室、のように見えるが……)


  コン コン コン


  「失礼する」ガラガラガラ

 
  (何だ!?)


  「おっと……」

  「目が覚めていたようだな」


  「……っ」


  「無理に動かさない方がいい」

  「思っている以上に体に負担となっているはずだ」


  「どういう……ことだ?」


  「長い間眠っていた」

  「筋力は衰えてはいないが、頭の動きに体が付いていかないのだろう」

  「時間をかけて徐々に慣らしていった方が良い」


  「お前は、何者だ?」

  「日本人みたいだが……味方なのか」


  「おっと、紹介が遅れてしまったな」

  「私は帝国海軍情報局特殊情報対策室の室林大佐」

  「貴官、君嶋大悟一等水兵の世話を任された者だ」


君嶋(海軍大佐が自分の世話役……)

君嶋(どういうことだ?)


室林「やはり、腑に落ちないという顔をしているな」


君嶋「……信じられません」

君嶋「一介の兵卒に大佐殿が世話役になるなど」


室林「確かに君にしてみればおかしな話だろう」

室林「だが、貴官にはそれほどの価値がある」

室林「私はともかく、海軍本部はそう考えている」


君嶋「それは……どういう」


室林「単刀直入に言おう」

室林「我々海軍は、君の体を利用させてもらった」

室林「新たな敵に対抗するためにな」


君嶋「敵……アメリカですか?」


室林「いや、そうではない」

室林「米国はすでに東太平洋上での戦闘能力を殆ど失っている」

室林「虎の子の第7艦隊を喪失してな」


君嶋「アメリカが!?」

君嶋「日本がやったのでありますか!」


室林「いいや、我が国も同じだ」

室林「全艦艇の8割を喪失し、聯合艦隊も壊滅した」


君嶋「そんな……まさか!」

君嶋「信じられない」


室林「ヤツらが現れたのだ」

室林「軍艦、商船、輸送船……洋上に浮かぶ全てを攻撃し、海の底へと沈める」

室林「深海より現れる怪物が」


君嶋「……深海の怪物」

君嶋「そんなもの、聞いたこともない」

君嶋「あったとしても質の悪い噂です」

君嶋「自分が眠っている間にそんなことがあったなんて信じられません」


室林「君の立場にしてみれば、その反応もやむを得ないものだろう」

室林「だが、これは歴然たる事実だ」

室林「現実に米第七艦隊と聯合艦隊は壊滅し、世界の海は寸断された」

室林「数十年前に突如として現れた深海棲艦によって」


君嶋「何を言っておられるのですか?」

君嶋「私はそんな怪物の話なんて知りません」

君嶋「まさか、眠っている間に何十年も経ったとでもおっしゃるのですか?」


室林「ああ、その通りだ」

室林「貴官が気を失ってから何十年もの月日が流れている」

室林「その証拠に……」ピッ


  『……本日の天気は、晴れ時々くもり』

  
君嶋「な、なんだ……これは」


室林「テレビだ」

室林「古いブラウン管だが」

室林「君とっては初めて目にする物だろう」


君嶋「しかし……」


室林「なら、これならどうだ?」

室林「今日付の新聞だ」

室林「ロビーから取ってきたもので、下手な細工はしていない」


君嶋(これは……)

君嶋(日付が未来になっている)

君嶋(だが、そんな……そんなはずは)


室林「納得してもらえたどうかは分からないが」

室林「そのうち嫌でも現実を知ることになるだろう」

室林「それよりも、君に確認しなければならないことがある」


君嶋「……何でしょうか?」


室林「先ほど、深海棲艦など知らないと言っていたが」

室林「それは本当か?」

室林「君の記録からして、接触していなければおかしいのだが」


君嶋「いえ、私は怪物なんて」

君嶋「最後の記憶に……」


室林「どうした? 何か思い出しか」


君嶋「ま、まさか……あれが怪物だと言うのか」

君嶋「でも、だとしたら辻褄は合う」

君嶋「それじゃあ、あいつ等は……!」


室林「落ち着くんだ」

室林「ここで取り乱しても何も始まらない」

室林「ゆっくりで構わないから、何があったか話してみてくれ」


君嶋「……申し訳ありません」

君嶋「自分は嘘を付いていたようです」


室林「嘘? それは」


君嶋「自分は、確かに会ったことがあります」

君嶋「その深海の怪物……深海棲艦というものに」


室林「話してはくれないか?」

室林「話によっては、君の身に起こったことが分かるかもしれない」


君嶋「ええ、構いません」

君嶋「海兵団を修了して……」

君嶋「何度目かの任務に就いた時の事です」

補足など
・「艦隊これくしょん」の設定を流用したオリジナル
・一部に地の文表記アリ
・Wikiも編集する予定
・基本的に女子の出番はないので注意


<洋上 駆逐艦 甲板>


  『開戦から暫く、連合国が反攻を強め始めた頃』

  『自分は支那の東の洋上に居ました』

  『任務は南方への物資輸送でした』



   ザッ ザッ ザッ ザッ


君嶋「はぁ……」

君嶋(もう十分キレイだろうに)

君嶋(これ以上やっても何も変わらないぞ)



  「貴様ッ! 何をサボっている!!」



君嶋(げっ、不味い)



  「はっ! 申し訳ありません」


  「謝って済むと思ったか!」

  「根性が足らん! その場になおれ」



君嶋(俺じゃなかったみたいだな)

君嶋(あれは……下山田の奴か)

君嶋(あいつ、またあの兵曹に目を付けられたな)


兵曹「オラッ!」ブンッ


   パシンッ


下山田「……っ!」



君嶋(相変わらず容赦がないな)

君嶋(兵曹殿も兵曹殿だが……下山田も下山田だ)

君嶋(あんなに開けっ広げにサボらなくてもいいものを)



兵曹「おい! 感謝はどうした」


下山田「あ、ありがとうごさいました!」


兵曹「気持ちがこもっとらん!」

兵曹「もう一度だ!」ブンッ



  『そう言って、上官が同期の下山田を殴ろうとしたとき』

  『大きな爆発音とともに、自分の乗っている船が大きく揺れました』  



君嶋「!?」

君嶋(なっ、なんだ?)


兵曹「な、何が起こった?」


下山田「いやぁ……自分に聞かれましても」


兵曹「貴様に聞いているのではない!」


  カン カン カン カン カン


  「本艦に被弾アリ!」

  「敵艦の砲撃と思われる!」

  「総員、直ちに戦闘配備に付け!!」



君嶋(……来たか!)


兵曹「とにかく、今回のところはこれで勘弁してやる」

兵曹「今すぐ戦闘配置につくのだ!」


下山田「はい! 了解しました」

下山田「行くぞ、君嶋」


君嶋「ああ、分かってる!」



  『こうして、自分にとって初めてでは無い実戦が始まりました』

  『しかし、今にしてみれば……もう少し疑うべきだったのです』

  『甲板に居たのに、敵の艦影はおろか哨戒機も発見できなかったことを』


<駆逐艦 弾薬庫>


君嶋「君嶋一等水兵、ただいま戻りました!」


下山田「同じく下山田、戻りました!」


兵長「遅い! 何をやっていた」


下山田「いや、すみません」

下山田「兵曹殿に捕まっておりまして……」


兵長「また、兵曹殿の気を損ねたのか」

兵長「いい加減にしないと背中の皮が剥がれてしまうぞ」
  

君嶋「そんなことより、兵長」

君嶋「我々にご指示を」


兵長「分かっている」

兵長「君嶋はここで弾薬の積み込み、下山田は移動の邪魔になる輸送物資の投棄」

兵長「やることは訓練通り、後はその場の指示に従え」

兵長「以上、いいな?」


君嶋&下山田「「了解しました!」」



  『自分に与えられた任務は、砲塔への弾薬の積み込みでした』

  『弾薬室にこもって砲弾を昇降機まで運ぶ』

  『誘爆や浸水さえなければ安全な場所で、そこに居たから生き延びられたのかも知れません』


  『戦闘開始から1時間』

  『艦内のいたる所から被弾の知らせが届くにも関わらず』

  『未だに敵発見の報告すら受けていませんでした』



君嶋「兵長! これはどうなってるのですか?」

君嶋「さっきから黙って攻撃を受けてるだけで」

君嶋「どうして反撃しないのです!?」


兵長「そんな事を私に聞かれても困る」

兵長「だが、敵の艦影すら見つからないのだ」

兵長「闇雲に砲撃をして、弾を無駄にするわけにはいかない」


君嶋「ですが、このままではやられてしまいます!」

君嶋「艦橋からの連絡は無いのですか?」

君嶋「あそこからなら敵の姿を見つけられるはずです」


兵長「それが合ったら、もっとマシなことを言っている!」

兵長「何度も連絡をしているが、応答がまるでないのだ」


君嶋「そんな……」

君嶋(艦橋がやられた?)

君嶋(だったら、下山田は……)


兵長「しかし、そんなことを言っても始まらん」

兵長「私も信じたくないが……」


君嶋「クソッ……」


   ダダダッ


兵長「待て! 何処へ……」



  『弾薬庫から飛び出した直後、背後から爆発音がしました』

  『それは言うまでもなく敵の砲撃による爆発で……』

  『船体を貫いた砲弾が、兵長もろとも弾薬庫を破壊した音でした』


<駆逐艦 舷梯>


  『爆風で吹き飛ばされながらも軽い裂傷程度で済みました』

  『所々に流血はありましたが、痛いという記憶はありません』

  『それよりも、同期の……甲板で物資の投棄を命じられた下山田の方が気になっていました』


君嶋「クソっ……兵長」

君嶋「一体、どうなってるんだよ」


  『気が付けば、甲板にいるはずの友人のもとへと歩き出していました』

  『敵の砲撃が飛び交う甲板へ出るなんて自殺行為ですが』

  『そんなことを考えている余裕などありませんでした』



君嶋(……下山田、お前は)

君嶋(お前は大丈夫だよな)


   カン カン カン



  『ふらつきながらも舷梯を伝って甲板を目指しました』

  『出口から差す光が視界を真っ白にしますが、構わずに外へと出ます』

  『しばらく目を細めて、辺りの明るさに目を慣らすと』

  『一面に広がる……地獄のような光景が飛び込んできました』


<駆逐艦 甲板>


君嶋「な、なんだよ! これ」

君嶋「どうなってんだよ!?」



  『砲身がひしゃげた主砲、ガラスの割れ目から炎がチラつく艦橋』

  『つい1時間前に綺麗にしたはずの甲板は赤黒く変色し』

  『人だったかも良く分からないモノが……そこらじゅうに、転がっていました』



君嶋「お、おい! 下山田!!」

君嶋「どこだ!? 返事をしろ」

君嶋「下山田ッ!」
  


  『甲板で親友の名前を叫び続けました』

  『ほとんど絶望的でも、もしかしたら無事かもしれない』

  『そんな些細な望みにかけて叫び続けました』

  『しかし、そんな自分が見つけたのは……』



君嶋「何処だ! 何処に……」ザクッ

君嶋「これ……」

君嶋「……なんだ、これ」



  『木端微塵になったあいつの体と……その頭、でした』


君嶋「し、下山田……」

君嶋「……うっ、おぇぇ」



  『バラバラになった友人を見て、堪らずおう吐しました』

  『それまで感じてこなかった不安と恐怖が一気に押し寄せてきたんです』



君嶋「うっ……ぐっ」

  

  『そのままおう吐を繰り返し、目の前が吐瀉物で一杯になった頃』

  『遂に胃の中の物が無くなって、胃液も出てこなくなってきます』

  『すると、さっきまで自分を包み込んでいた恐怖感や不安感が嘘のように消え失せ』


君嶋「何故、どうして」

君嶋「どうして……どうしてこんな」


  『その代わりに、抑え込まれていた敵への憎悪が湧きあがってきました』

  『こんなことをした奴は何が何でも許さない、と心の奥底から思いました』


君嶋「一体、何処のどいつだよ」

君嶋「どいつがこんなことを……!」


     ザバッ


  『そうして敵への憎悪を確信した時、海面に何かが移動するのが見えました』


君嶋「そこか? そこにいるのか!」



  『反射的にそいつがやったんだと理解して』

  『近くにあった銃座へと飛び乗りました』



君嶋「皆の仇だッ!」



  『そして、そのまま引き金へと指を掛けると』

  『狙いも定めずに機銃の引き金を引きました』



君嶋「死ねェぇええ!!」


   ズダダダダダダダダダ



  『正直、ここからは良く覚えていません』

  『ただ……自分の挑発に乗ってか』

  『アイツもこっちに向かって来たのを覚えています』



君嶋「喰らえぇぇぇッ!」


   ズダダダダダダダダダ



  『それでも構わずに引き金を引き続けました』

  『もう自分でも何が何だか覚えていません』

  『残されている最後の記憶は、人ではないの悲鳴と何か生温かいものを被った感触だけです』


室林「そうか……」

室林「話してくれてありがとう」


君嶋「今の話で、何か分かりましたか?」


室林「ああ、ひとつ思い当たる節がある」

室林「私も専門でないから詳しいことは言えないが、最後に君が浴びた物」

室林「それはおそらく、深海棲艦の体液だろう」


君嶋「体液……ですか」


室林「技本の研究員が言っていた」

室林「君が年を取ることなく眠っていたのは深海棲艦の細胞の影響だと」

室林「何かしらの理由で未知の細胞と接触、融合し、それと適合するために君の体細胞が活動を休止した」

室林「一種のコールドスリープのような状態に陥っていたと」


君嶋「コールド……?」


室林「まぁ、とにかく」

室林「数十年後の未来に来てしまったということだけ分かれば良いさ」


君嶋「そう……ですか」


室林「どうした? 何か腑に落ちなかったか」


君嶋「いえ、今の話に関しては問題ありません」

君嶋「詳しくは分かりませんが、そういうことにしておきます」

君嶋「ただ……ひとつ疑問があります」

君嶋「大佐の話が本当なら、その怪物によって内地は大きな被害を受けているはず」

君嶋「ですが、先ほどの新聞にはそれらしい記事は載っていませんでした」

君嶋「これはどういうことでしょう?」


室林「それなら話は単純だ」

室林「奴らは洋上の物を無差別に攻撃するが、陸上の物にはあまり関心を示さない」

室林「初めて現れた時も帝国海軍を壊滅させこそしたが、陸には上がってこなかった」

室林「つまり、陸に居る限り脅威は少ないという訳だ」


君嶋「しかし……それでは逃げているだけではありませんか」

君嶋「そのまま後手に回ってばかりでは」

君嶋「それこそ、鉄も油も無くなって」

君嶋「奴らの言いなりになるだけだ」


室林「無論、そんなことは我々も分かっている」

室林「だからこそ、海軍は新たな兵器を開発した」

室林「永い眠りに就いていた君の生体情報を利用して」


君嶋「自分の情報を……?」


室林「君には謝らなければならないと思っている」

室林「しかし、そうするしか方法がなかったのだ」

室林「あの怪物に対応するには、奴らの細胞を取り込んだ君の体を使うしかなかった」

室林「軍を代表して私から謝罪する」

室林「本当に……申し訳なかった」


君嶋「顔を上げてください、大佐殿」

君嶋「あなたが頭を下げることはありません」

君嶋「海軍に志願した時から、この身は国に捧げました」

君嶋「自分の力で国を守ることが出来るなら、本望です」


室林「……流石は帝国軍人と言ったところか」

室林「その心意気、他の士官たちにも見せてやりたいところだ」


君嶋「滅相もありません」

君嶋「故郷を出てから、お国のために捧げた体です」


室林「そう言って貰えると、こちらとしても気が軽い」

室林「それで、君の処遇なんだが……」

室林「君はどうしたい?」


君嶋「もちろん、軍務を全うしたいであります」

君嶋「あれから数十年の月日が流れたとはいえ、軍役を終了していません」

君嶋「このままでは帝国軍人の名折れです」


室林「そうか……それが貴官の希望か」


君嶋「何か、不都合でしたか?」


室林「いや、君が軍に復帰する分には問題ない」

室林「というより、その方が楽だ」

室林「もし軍籍を抜けると言うならば、私は君を説得せねばならなかったからな」


君嶋「では、何を渋っておられるのですか」

君嶋「復帰に問題がないなら、何も気にすることはないではありませんか」


室林「いや……そういう訳にも行かない」

室林「先ほど言った通り、君が眠りについてから数十年」

室林「海軍内部で大規模な制度改革や体質改善が行われた」

室林「その結果……いま現在、帝国海軍の軍役についている艦艇で」

室林「作戦行動に従事している艦……ほぼゼロだ」


君嶋(作戦行動に参加している艦がゼロ……)

君嶋(まさか、すべて沈められてしまったとでもいうのか?)


室林「一応、訂正しておくが……」

室林「稼働艦艇がゼロというのは、君が思っているのは違う」

室林「先ほど話した新兵器が原因なのだ」


君嶋「しかし、新兵器と言えども船の上で使うものでしょう?」

君嶋「それとも……航空機のように空襲用の兵器なのでしょうか」


室林「残念ながら、どちらでもない」

室林「それは艦艇を利用せずに、高火力の武装を装備、運用でき」

室林「非常に小型かつ、俊敏な深海棲艦に対応できるスピードを兼ね備えた」

室林「次世代型の生体兵器なのだ」


君嶋「……生体兵器?」

君嶋「馬や犬などを戦闘に利用するのは陸軍がやっていましたが」

君嶋「それがどうして海軍に……」


室林「この生体兵器の素体は人間だ」

室林「素体となる人間に、君から得た敵の生体組織」

室林「それを培養したものを組み込むことで」

室林「砲撃の爆炎に耐えることができ、水上を滑らかに移動することも可能とした」

室林「まさに、深海棲艦の天敵と呼べるものを作り出すことが出来た」


君嶋「凄い……そのようなものが」

君嶋「それがあれば深海の怪物などひとたまりもない」


室林「いや、そう上手くも行かない」

室林「敵も黙ってやられているだけではない」

室林「アレを導入してから、新しい個体が次々と発見され」

室林「遂には、陸上まで活動範囲を延ばす個体まで現れ始めた」


君嶋「そんな奴らが陸上に……」

君嶋「大丈夫なのですか?」


室林「大丈夫だ、彼女らは良くやっている」

室林「そうなる前に海上で撃退してくれるだろう」


君嶋「しかし……その新兵器と自分の処遇に何の関係が?」

君嶋「稼働している艦艇がゼロでも、軍に従事している軍人はいるはずです」

君嶋「自分もそこで働けばいいだけの話では」


室林「それは、また……」

室林「説明が必要だな」


君嶋「説明?」


室林「ああ、さっきも言った通り」

室林「海軍内部で大きな制度改革があったのだ」


君嶋「ですが……それは新兵器を使うための制度づくりでは?」


室林「確かに、その内容も含んではいるが……」

室林「主題におかれたのは、実質的な予備役と化してしまう現役軍人の処理だ」


君嶋「現役が予備役?」

君嶋「それはどういった……」


室林「新兵器はその特性上、素体となった人間1人単位で運用される」

室林「つまり、巨大な船が役立たずになった深海棲艦との戦いは」

室林「君の知っている戦艦同士の艦隊戦より遥かに少ない人数で行われる」

室林「それに加えて、新兵器の素体となるには適性が必要でな」

室林「現職の軍人にはその条件を満たすことが出来なかった」

室林「したがって、現代ではほぼ全ての軍人が後方勤務を余儀なくされる」

室林「だから……」


君嶋「あぶれた現役軍人をどうにかしようとした?」


室林「まぁ、そういうことになる」

室林「そして……海軍としての決定はこうなった」

室林「敵深海棲艦に対し有効な攻撃手段を持つ者及び、それを統括する者のみを各拠点に配備し」

室林「これを新たな帝国海軍の核とする」

室林「他方、その基準に満たない士官、兵卒はそれを補佐するものとするとして」

室林「帝国守備防衛隊海軍部を新設する、と」


君嶋「つまり……自分のような一般の兵卒は帝国海軍ですらないと?」


室林「いや、組織の上では防衛隊も帝国海軍だ」

室林「軍令部に隷属する一部署という扱いではあるがな」


室林「それと……君については少々扱いが複雑だ」


君嶋「と、言いますと?」


室林「君は次世代兵器開発のために利用された検体」

室林「謂わば、実験に使われたモルモットのようなものなのだ」

室林「このことは軍の最高機密であり、世間に出回れば帝国海軍の威信は失墜する」

室林「そのため、私たちとしては君を手の届かない場所へはやりたくない」

室林「だが、君は元一般水兵だ」

室林「各拠点で司令官の任に就くのは肌に合わないだろう」

室林「そこで、帝国海軍に籍を置いたまま、出向という形で防衛隊に所属する」

室林「そうすれば我々は君を手放さず、君も馴染みやすい場所で軍務を全うできる」

室林「これが、今考えている君の処遇だが……」

室林「どうだろうか?」


君嶋「それは……命令ですか?」


室林「いや、命令ではない」

室林「ただ……海軍部の総意はそういうことになっている」


室林「今すぐに決断できないというなら、それでいい」

室林「また後で答えを聞こう」


君嶋「いえ、その条件で構いません」

君嶋「自分は望んで海軍へ志願した身であります」

君嶋「今更、軍を離れるという選択肢はありません」


室林「そうか……それは良かった」

室林「今はゆっくりと静養してくれ」

室林「後日、正式な辞令と必要な物を送る」


君嶋「ハッ、承知しました!」


室林「では、失礼する」

 
   ガラガラガラガラ


君嶋(目が覚めたら見知らぬ未来へにいる)

君嶋(こんなことが……自分の身に降りかかるとはな)

君嶋(空想小説もいいところだが、あれこれ考えても仕方ない)

君嶋(……なるようになるしかないか)


<横須賀 車両乗降場>


君嶋「ここが、横須賀か……」

君嶋(海兵団も横須賀鎮守府だったが、随分と様変わりしているな)

君嶋(まぁ、眠っている間に相当な時が流れてしまったんだ)

君嶋(当然と言えば当然か)

君嶋(しかし、それはいいとしても……)


     カン カン カン カン カン

  ガタンゴトン ガタンゴトン


君嶋「……迎えが来ないな」

君嶋(約束の時間はとうに過ぎているし)

君嶋(まさか、場所でも間違えたか?)


   プー  プップー


君嶋「ん? なんだ」

君嶋(車がこっちに向かって……)


  キュルキュルキュル

      キィィィィイイイッ


君嶋「なっ、うわっ!」


   キィィイッ  ガタン


君嶋「……と、止まった」


   バタンッ タッタッタッ


  「あー……大丈夫ですか?」

  「ケガとかしてません?」


君嶋「あ、ああ……大丈夫だ」

君嶋「それより、その車……」


  「ああ、大丈夫ですよ」

  「見た目オンボロですけど」

  「これでも軍用車なんで、これぐらいじゃ壊れません」


君嶋「いや、そういうことではなくて」


  「それより、その恰好」

  「君嶋特務少尉ですか?」


君嶋「一応……そういうことになる」

君嶋(しかし、今更ながら……特務少尉とはな)

君嶋(室林大佐は建前の問題だとは言っていたが、大出世も良いところだ)

君嶋(両親が居れば、赤飯でも炊いて大騒ぎしているな)


  「いやぁ、遅れて申し訳ないっす」

  「コイツのエンジンの調子が悪くって」

  「なかなか動いてくれないんですもん」


君嶋「……買い替えたりはしないのか?」

君嶋「今の時代、車だってそれほど高価なものではないんだろ」


  「それが出来たら良いんですけど」

  「軍の予算がこっちまで回ってこないんで」

  「ウチは万年、火の車なんすよ」


君嶋「それは……大変だな」

君嶋(いつの時代も、金策は重要か)

君嶋(こういうところは変わらないんだな)


  「ああっと、申し遅れましたね」

  「自分は日下部雄一等水兵であります」

  「この度は、少尉殿のお世話することになりました」
 

君嶋「君嶋大悟だ、よろしく」

君嶋(この浮ついた感じ……下山田を思い出すな)


日下部「じゃあ、好きなとこ乗ってください」

日下部「コイツで基地まで案内しますよ」


君嶋「えっ?」


日下部「なに、呆けた顔してるんですか」

日下部「こんなとこで突っ立ってても、日が暮れるだけですよ」


君嶋「それは分かってるが……」

君嶋「これに乗るのか?」


日下部「何か問題でもありますか?」


君嶋「…」

君嶋(さっきの運転を見せられて、問題が無い方がおかしい)

君嶋(こんなところで死にたくないぞ)


日下部「ささっ、出発しましょう」

日下部「工場長も待ってるっすから」


君嶋(……腹をくくるしかないようだな)

君嶋(大丈夫、俺はあの戦いを生き残ったんだ)

君嶋(この程度で死ぬはずないさ)


日下部「あと、ベルトはちゃんと締めて下さいね」

日下部「色々と厳しくなってるんで」

日下部「気を抜くと直ぐに切符を切られちゃうんす」


君嶋(それはお前に原因があるんじゃ……)


日下部「じゃ、早速行きましょう」


君嶋(大丈夫……なのか?)


<防衛隊基地 正門>


  キィィイイイッ  ガタン


日下部「よし、無事到着」

日下部「君嶋少……大丈夫っすか?」


君嶋「あ……ああ」

君嶋(これは……大シケの海よりだいぶ酷い)

君嶋(こいつの車には、出来るだけ乗らないようにしよう)


   バタン
         バタンッ


日下部「じゃあ、自分は車を戻し……!」

日下部「ああっ!?」

  
    シュゥゥウウウッ


君嶋「……どうした」


日下部「いやー……やっちまったっす」

日下部「また技術部の連中にどやされる」


  「日下部……またやらかしたのか?」


日下部「その声は、野田!」

日下部「丁度いいところに来てくれた」

日下部「この車を……」


野田「無茶苦茶言うなよ、こっちにそんなスキルはない」

野田「大人しく技術部の連中に直してもらえ」


君嶋(日下部の知り合いか?)

君嶋(階級章は上等水兵を示しているな)

君嶋(多分、アイツの同期か何かだろう)


日下部「そんな、殺生な……」

日下部「俺がどんな扱い受けてるか知ってるだろ」


野田「それは、お前が悪い」

野田「アイツらが丹精込めて作った機械を速攻でぶっ壊すんだ」

野田「目の敵にされても文句は言えないだろ」


君嶋(アイツ……機械音痴だったのか)

君嶋(それでよく海軍に入ろうと思ったな)


野田「それに、こんなところで何してるんだ」

野田「新海軍からやってくるお偉いさんを迎えに行ったんじゃなかったのか?」


君嶋「それなら……」

君嶋「たった今、送り届けてもらったところだ」


野田「あなたが?」


君嶋「君嶋大悟特務少尉だ」

君嶋「今日からここに赴任することになった」

君嶋「よろしく頼む」


野田「……野田公彦上等水兵です」

野田「日下部には車の修理に行かせるんで」

野田「ここからは、自分が案内を務めます」


君嶋「なら、ここの責任者に挨拶がしたい」

君嶋「そこまで案内してくれ」


野田「自分の後に着いて来てください」

野田「荷物の方は、そいつに部屋まで運ばせるんで大丈夫です」


君嶋「了解した」

君嶋「日下部一等水兵、あとは頼んだぞ」


日下部「はい、任せてください!」


野田「では少尉、こちらです」


<防衛隊基地 工場長執務室>


野田「失礼します、工場長」

野田「今日付で赴任した、君嶋少尉をお連れしました」


  「ん? 日下部一等水兵はどうした」


野田「また車をダメにしたんで」

野田「技術部の方に直しに行かせています」


  「またか……アイツを迎えに遣ったのは失敗だったか?」


野田「まぁ、肝心の少尉殿はここに居るので」

野田「失敗までは行かなかったと思いますよ」


  「ああ、ソイツがそうか」


君嶋「君嶋特務少尉であります!」

君嶋「本日より、こちらでの勤務となりました」

君嶋「ご指導のほど、何卒よろしくお願いいたします」


  「この基地の管理を任さている五十嵐中佐だ」

  「よろしく頼む」


君嶋「はい! こちらこそ」


五十嵐「後は俺の方で担当する」

五十嵐「お前は職務に戻れ」


野田「了解しました、失礼します」


   ガチャッ  バタンッ


五十嵐「…」


君嶋(これがここの責任者)

君嶋(だが、工場長というのは聞き違いか?)

君嶋(まさか……本当に工場へ送られたわけではないよな)


五十嵐「……君嶋特務少尉」


君嶋「はい! 何でしょう」


五十嵐「そんなところで畏まってても疲れるだろ」

五十嵐「そこらの椅子にでもに座っててくれ」


君嶋「いえ、中佐殿を差し置いて自分が座るわけには行きません」


五十嵐「しかし、立ちっぱなしは辛いだろ」


君嶋「これぐらい、自分は何ともないであります」


五十嵐「だが……」


君嶋「お心遣い感謝します」

君嶋「しかし、軍人たる者」

君嶋「上官の前で休むなどは言語道断であります」


五十嵐「……筋金入りだな」

五十嵐「ウチの連中とも新海軍のエリートとも気色が違う」

五十嵐「室林の話も、口から出たでまかせって訳じゃなさそうだ」


君嶋「室林大佐?」

君嶋「大佐殿の事を知っておられるのですか」


五十嵐「まぁ……そういう話はゆっくり話そう」

五十嵐「そんなに堅苦しくしても、肩がこるだけだろ」


君嶋「しかし、それでは……」


五十嵐「全く、強情な奴だな」

五十嵐「こういうことはしたくなかったが、仕方ない」

五十嵐「上官命令だ、そこの椅子に座れ」


君嶋「なっ、何を?」


五十嵐「命令に逆らうと?」


君嶋「……了解しました」


五十嵐「よし、この方が俺もやり易い」

五十嵐「それで、君嶋少尉」

五十嵐「……紅茶は好きか?」


君嶋「紅茶……ですか」


五十嵐「ああ、そうだ」

五十嵐「好みがあるなら言ってくれ」


君嶋「いえ、そんなものは特に……」

君嶋(あるわけないぞ)

君嶋(そんな高級品、目にしたことすらないのだから)


五十嵐「なら、丁度良かった」

五十嵐「ちょうど試作品の特製ブレンドがあるんだ」

五十嵐「一杯飲んでみてくれ」


君嶋「ですが、中佐殿……」


五十嵐「気にしなくていいぞ」

五十嵐「ウチの連中はどうにも、不気味だとか何とか言って」

五十嵐「俺の紅茶に手を付けようとしないからな」

五十嵐「久々に他人へふるまう機会がやって来て、嬉しいぐらいなんだ」


君嶋「それは……大変ですね」


五十嵐「しかし、話の分かる人間で良かった」

五十嵐「すぐに持って来てやる」


君嶋「いえ、それなら自分が」

君嶋「中佐殿はそこで……」


五十嵐「いいから気にするな」

五十嵐「俺が自分で淹れなきゃ意味がないんだ」

五十嵐「黙ってそこで待っていろ」


君嶋「わ、分かりました」

君嶋「ここでお待ちしております」


五十嵐「1分ほど時間をくれ」

五十嵐「湯は沸いてるから、後は茶葉を用意するだけなんだ」


君嶋「…」

君嶋(仮にも一拠点の長が、部下に茶を淹れて良いのか?)

君嶋(いや、むしろ……この方が今は一般的なのか?)

君嶋(今更ながら、とんでもない時代に来てしまったのかも知れない)


五十嵐「ほら、俺の特製ブレンドだ」

五十嵐「存分に味わってくれ」


君嶋「はい……頂きます」グイッ

君嶋「ん? これは……」


五十嵐「どうだ? 感想は」


君嶋「……うまい」

君嶋「紅茶は良く分かりませんが」

君嶋「これは美味いです」


五十嵐「そうか、美味いか……」

五十嵐「いやぁ……ウチの連中は誘いにすらのってこないからな」

五十嵐「分かる人間が来てくれて良かった」


君嶋「自分はそんな大仰な者ではありません」

君嶋「率直な感想を述べたまでです」


五十嵐「そう謙遜するな」

五十嵐「俺のブレンドが不味いみたいだろ」


君嶋「それは……失礼しました」


五十嵐「で、そろそろ本題に戻るか」

五十嵐「色々と聞きたいことがあるんだろ?」


君嶋「ええ、大いにあります」

君嶋「まずは室林大佐について」

君嶋「大佐からは、大佐本人のことも含めて素性は明かさないように釘を刺されましたが」

君嶋「どうしてあの人の名前を知っているのですか?」


五十嵐「一から話すと長くなるが……」

五十嵐「平たく言えば、奴は同じ海軍兵学校の同期なんだ」

五十嵐「その腐れ縁で奴からお前の話を聞いていたってことだ」

五十嵐「まぁ、新海軍の中枢に食らいつくエリートと、窓際旧海軍の一長官が裏で繋がってるなんて」

五十嵐「普通は思いつかないけどな」


君嶋「その……中佐殿」

君嶋「新海軍と旧海軍というのは?」


五十嵐「ん? 室林の奴から話を聞いてないのか」


君嶋「ええ、軍内部で制度改革があったのは聞きましたが」

君嶋「詳しい事情は直接見た方が早いと」


五十嵐「アイツ……説明役を俺に丸投げしたな」


君嶋「何か、おかしなことでも言ってしまいましたか?」


五十嵐「いいや……何でもない」

五十嵐「それより、新海軍と旧海軍についてだったな」

五十嵐「確かに初めて聞くと分かり辛いかもしれないが」

五十嵐「言ってしまえばただの俗称だ」

五十嵐「帝国海軍本体の方を新海軍、守備防衛隊の方を旧海軍という具合ににな」


君嶋「しかし、新と旧が逆では?」

君嶋「守備防衛隊の方が後に出来たなら」

君嶋「そちらの方に『新』と付けるのが普通ではないのでしょうか」


五十嵐「それは……まぁ、色々と事情があってだな」

五十嵐「さっき、制度改革の話を聞いたと言ったが」

五十嵐「どこまで知っている?」


君嶋「どこまで、と聞かれると難しいものがありますが……」

君嶋「理解している範囲で答えるなら」

君嶋「新兵器への適性がない軍人に対処するために防衛隊を新設したと」


五十嵐「だったら話が早い」

五十嵐「今、適性がない軍人がどうこうと言ったが……そいつは嘘だ」

五十嵐「俺達みたいな普通の軍人には適性なんて欠片もない」

五十嵐「適性アリとされたのは、軍にも入隊してないようなのだった」

五十嵐「だからこそ、深海棲艦に対抗しようとした海軍は内部改革を余儀なくされた」


五十嵐「その結果として、名前は元のままだが中身がまっさらな帝国海軍と」

五十嵐「組織は新しいが中身は殆ど変らない防衛隊が生まれた」

五十嵐「そういう訳で帝国海軍が新海軍、防衛隊が旧海軍と呼ばれているんだ」


君嶋「つまり……帝国防衛隊こそが正統な帝国海軍の後継組織であると?」


五十嵐「まぁ、組織の変遷史としてはそうなってくるな」


君嶋(しかし……どうにも引っかかる)

君嶋(中佐殿の話が本当なら、ここは正統な軍の拠点になるはずだが)

君嶋(ざっと見た印象では常駐している軍人の数が異様に少ないように思える)

君嶋(それに、工場とか工場長とかいう単語が飛び交っている)

君嶋(これではまるで、工場で働く工員ではないか)


五十嵐「……なんだ?」

五十嵐「納得がいかないことでもあったか」


君嶋「いえ、少し気になっていることがありまして」

君嶋「先ほどから、工場とか工場長とかいう言葉が出ているのですが」

君嶋「その意味は……?」


五十嵐「そんな風に聞くってことは……」

五十嵐「室林からは聞いてないのか」


君嶋「はい、何も」

君嶋「受け取ったのは、横須賀に赴任せよという辞令だけです」


五十嵐「はぁ……全く」

五十嵐「アイツもとんだ面倒事を押し付けてくれたな」

五十嵐「この状況を一から説明しろと言われても難しいものがあるが」

五十嵐「取りあえず、まずは……」


   コン コン コン


  「失礼します」


五十嵐「……来客みたいだな」

五十嵐「出てもいいか?」


君嶋「お気になさらず」

君嶋「聞かれて困るお話なら、席を外します」


五十嵐「そんな重要な話は来ないと思うが……」

五十嵐「いいぞ、入ってこい」


    ガチャリ


日下部「どうも、失礼します」


五十嵐「お、日下部一等か」

五十嵐「こっちまで来てどうしたんだ?」

五十嵐「また車を壊して、技術部にこってり絞られてるって話だが」


日下部「……勘弁してくださいよ」

日下部「親の仇かってぐらい睨まれた後に、散々どやされたんですから」

日下部「しばらく軍用車には触らせてもらえそうにないっす」


五十嵐「まぁ、その方が安全だろう」

五十嵐「お前を車に乗らせると、スクラップになって返ってきそうだしな」


日下部「そこまで酷くないですよ」

日下部「緩んだねじが2、3本抜けるだけで」

日下部「形まで変わることはないっす」


君嶋(そういう問題ではないと思うが……)


五十嵐「ま、その話は置いておいてだ」

五十嵐「一体何の要件だ?」


日下部「ああっと、少尉に伝えたいことがあって来ました」


君嶋「ん? 自分にか」  


日下部「はい、そうです」

日下部「今日は工場を見てもらうと思うんですけど」

日下部「今さっき、遠征から帰ってきた艦隊の装備品が届きまして」

日下部「工場全体が殺気立ってて、作業区画への立ち入りは控えてくれって話です」


君嶋「……それなら仕方ないが」

君嶋「一体、どうしてそんな状況に?」


五十嵐「この基地には新海軍で使用した武装のリサイクル設備があるんだ」

五十嵐「最近は弾薬を補充して使う武器より、マガジン組み込み式の武装の方が主流らしくてな」

五十嵐「使い終えた武装はこっちで回収して新しく作り直すんだ」


君嶋「使い終えた武装を作り直すとは」

君嶋「まるで、ここが工場みたいな言い方ですが」


日下部「工場みたいも、何も……ここは工場ですよ」

日下部「新海軍の艦隊が使った武器を作り直したり」

日下部「あっちがいつでも使える汎用装備を製造したり」

日下部「とにかく、向こうの艦隊が万全な状態で動けるようにする」

日下部「それが自分たちの仕事っすよ」


君嶋「本気で言っているのか?」

君嶋「自分が工員だと言ってるようなものだぞ」


日下部「いや、自分もれっきとした軍人ですよ」

日下部「工場の仕事とは別にはちゃんと訓練もしてします」

日下部「たまの演習には、護衛艦にだって乗り込みますからね」


君嶋「いや……演習でなくても」

君嶋「船は乗る機会はある、というか」

君嶋「任務で降りたくても降りられない、なんてことは無いのか?」


日下部「そりゃあ、新海軍は予算が豊富っすからね」

日下部「ウチで何かあったら直ぐに予算が減らされるんで」

日下部「燃料費が馬鹿にならない船は、おいそれと動かせないんすよ」


君嶋「あ、ああ……」

君嶋(薄々、感じ取ってはいたが……)

君嶋(想像以上にまずいかも知れないぞ、これは)


日下部「じゃあ、報告も終わったんで」

日下部「自分はこれで失礼します」


   ガチャ バタン


君嶋「…」


五十嵐「……大丈夫か?」


君嶋「は、はい」


五十嵐「まぁ……色々と思うこともあるだろうが」

五十嵐「赴任してまだ一日も経っていないんだ」

五十嵐「今日はゆっくりと休んで、頭を整理するといい」

五十嵐「ちょうど、工場見学もできなくなったみたいだしな」


君嶋「しかし……」


五十嵐「上官の進言には素直に従っておけ」

五十嵐「昔がどうだか知らんが、今は軍でも無理せずに働く時代なんだ」

五十嵐「そんなんじゃ、何かと生きにくいぞ?」


君嶋「……分かりました」

君嶋「今日のところは自室に戻り」

君嶋「明日に備えることにします」


五十嵐「よし、それでいい」

五十嵐「じゃあ……就任祝いもかねて」

五十嵐「俺からプレゼントだ」


君嶋「プレゼント?」


五十嵐「ああ、特製ブレンドの茶葉をやる」

五十嵐「疲れているときは紅茶に限るからな」

五十嵐「こいつを飲んで今日は休め」


君嶋「そんな、自分にはもったいないです」


五十嵐「いいから、黙って持って行け」

五十嵐「俺が作ってため込むより」

五十嵐「美味いと言ってくれる人間に飲まれる方が、コイツも幸せだ」


君嶋「……分かりました」

君嶋「ありがたく頂戴します」


五十嵐「じゃあ、また少し時間をくれ」

五十嵐「小分けにする袋を戸棚の奥から引っ張り出してくるからな」

-翌日-

<防衛隊基地 士官執務室>


  コン コン コン


  「失礼します」


君嶋「ん? 誰だ」


  「日下部一等水兵であります」


君嶋「そうか、入っていいぞ」


日下部「はい、失礼します」


   ガチャ バタン


日下部「おはようございます、君嶋少尉」

日下部「昨日はよく眠れましたか?」


君嶋「ああ……それなりにな」

君嶋(正直、疲れが取れたかどうかは微妙だが)

君嶋(士官用のベッドだけあって、寝心地は抜群だった)


日下部「それは良かったっす」

日下部「昨日は工場の視察もできなかったんで」

日下部「ホント申し訳ない限りです」


君嶋「いや、それはもういい」

君嶋「それで……こんな朝早くから何の用だ?」

君嶋「まさか、挨拶をしに来ただけってことはないだろう」


日下部「それはそうですけど」

日下部「一応、朝の挨拶も含まれてますよ」


君嶋「俺付きの秘書でもないだろうに」

君嶋「挨拶なんぞ、一々やらなくても良いぞ」


日下部「そういえば言ってませんでしたっけ?」

日下部「自分、昨日付で少尉殿の世話役兼付き人になったんです」


君嶋「俺に付き人?」

君嶋「何かの間違いじゃないのか」


日下部「いや、そんなことありませんって」

日下部「ちゃんと辞令ももらいましたし」

日下部「新海軍が来るときは、ウチの誰かが必ず一人は付き人になるっす」

日下部「まぁ、君嶋少尉みたいなのは初めてっすけど」


君嶋「そうか……」

君嶋(室林大佐の話の通り、自分は扱いが異なると言う訳か)


日下部「とにかく、ここに居る限りは自分が付いて回ることになります」

日下部「鬱陶しいかも知れないっすけど、宜しくお願いします」


君嶋「いや、こちらこそよろしく頼む」

君嶋「何も知らないペーペーだからな」

君嶋「頼りにさせて貰うぞ、日下部」


日下部「はい、ありがとうございます」


君嶋「……なんだか、少しぎこちないな」

君嶋「昨日のを見る限り、上官の前で緊張する質でもないだろうし」

君嶋「無理して俺に合わせてるのか?」


日下部「いやぁ……そういうんじゃなくてですね」

日下部「少尉が意外にフランクと言うか……」


君嶋「俺がどうした?」


日下部「自分の勝手な思い過ごしだったんですけど」

日下部「新海軍の士官ってのは、全員が全員エリート意識が強くてツンケンしてるもんだと思ってて」

日下部「実際に会ったことのある士官も皆そんな感じだったんで」

日下部「てっきり……君嶋少尉もそういう感じかと思ってたんです」

日下部「それが、話してみると思ってたのとは違ったんで」

日下部「ちょっと面食らってたんす」


君嶋「ああ……そうか」

君嶋(確かに、士官候補生の連中はやけに選抜意識が強かったな)

君嶋(こういうところは変わってないのか)


日下部「でも、少尉が話の分かる人で良かったです」

日下部「自分としても、防衛隊を役立たずの穀つぶしなんて思ってる人のお付きは嫌っすから」


君嶋「……防衛隊が役立たず」

君嶋「そんなの風に見る奴らが居るのか?」


日下部「多くは無いですけど……居るにはいます」

日下部「特に、少尉みたいな青年将校に多いっす」

日下部「まぁ……現実問題、旧海軍は新海軍のサポートに徹してますから」

日下部「第一線で戦ってる人たちにしてみれば、そう思われても仕方ない面はありますね」


君嶋「…」

君嶋(コイツの話、口調からして嘘はついていないだろう)

君嶋(しかし、ここまで海軍を変えてしまう兵器とは一体……)


日下部「ちょっと、話が脱線しすぎましたね」

日下部「そろそろ本題へ戻りたいと思います」

日下部「朝っぱらから少尉に愚痴を聞かせるわけにも行かないっすから」


君嶋「それで、その本題というのは?」

君嶋「昨日の話じゃ、工場の視察はできないんだろ」

君嶋「何か他の場所でも見せてくれるのか?」


日下部「見せると言うか……見に行くって感じに近いですかね」

日下部「鎮守府への武装の納入が今日の昼に決まったんで」

日下部「視察がてらに、少尉殿も一緒に行きましょうって話っす」


君嶋「鎮守府、ということは……新海軍か?」


日下部「はい、そうです」

日下部「帝国海軍の横須賀鎮守府っすね」

日下部「ま……ここも鎮守府の一部ではあるんですけど」

日下部「拠点は向こうにあるんで、大体は工場とか基地って呼んでるっす」


君嶋「……そうなのか」

君嶋「それじゃあ、例の新兵器とやらも向こうにあるのか?」


日下部「新兵器って、アレのことですか?」

日下部「それなら有るというか……」

日下部「行けば会えると思いますよ」


君嶋(会える……? 随分と妙な言い方をするな)

君嶋「しかし、突然の話だな」

君嶋「まだ具体的な任務は与えれていないし」

君嶋「昨日も、中佐殿は何も言っていなかったんだが」


日下部「それが……昨日の夜になって急に連絡があったんす」

日下部「他所で受けてた護衛任務が向こうの鎮守府に舞い込んできたらしくて」

日下部「それに使う武装を今日中に納品しろ、だそうです」


君嶋「昨日の今日でか?」

君嶋「さすがに、それは無理じゃないか」


日下部「まぁ、こういう無茶は良くあるんで」

日下部「まとめて出せる数の在庫は用意してるんす」

日下部「ただ……一度ストックを放出すると」

日下部「生産ラインのフル稼働が待ってるんで、後が怖いっすけど」


君嶋「それは何というか……」

君嶋「大変だな、色々と」


日下部「こういうのはもう慣れっこなんで、今更です」

日下部「それより、鎮守府行きの件はどうします?」

日下部「急な話なんで、無理ならそう伝えますけど」


君嶋「いや、行くことにする」

君嶋(今の新海軍の様子も知りたいし)

君嶋(あわよくば、噂の新兵器とやらも拝見したいからな)


日下部「了解しました」

日下部「また迎えに来るんで、適当に時間を潰しておいてください」

日下部「ただ、作業区画は例のごとく殺気立ってるんで」

日下部「特別な用がない限りは、近づかない方が無難っす」


君嶋「了解した」

君嶋「ご苦労だったな、日下部」


<防衛隊基地 発着場>


君嶋「こいつは……?」


日下部「新海軍の鎮守府まで直通の貨物列車ですよ」

日下部「防衛隊ができた頃にはトラックかなんかで運んでたみたいっすけど」

日下部「とてもそれだけじゃ回らくなって」

日下部「こうして線路を引いて、列車で運んでるんです」


君嶋「船は使わないのか?」

君嶋「ここにも港と船はあるんだろ」


日下部「それは、まぁ……そうですけど」


  「無理して船で運んでも、コスト的に釣り合わないんです」


日下部「あっ、大門兵長」

日下部「もう来てたんですか」


君嶋「あなたは……」


大門「申し遅れました」

大門「私は技術部の大門技術兵長です」

大門「本日は、横須賀鎮守府まで同行することとなりました」


君嶋「君嶋特務少尉だ」

君嶋「こちらこそ、よろしく頼む」


君嶋「それで、大門兵長」

君嶋「今のはどういう意味なんだ?」


大門「そのままの意味ですよ」

大門「今でこそ、新海軍のおかげで海上の輸送はだいぶやり易くなりました」

大門「ですが……それでも、船が沈められるリスクや迅速な輸送が出来ないという欠点が残っています」

大門「何より、原油が取れない我が国では、船に使う燃料費が馬鹿にならないんです」

大門「ですから、安全性と利益性、一度に送れる輸送量などを考えた結果」

大門「今の機関車による陸上輸送に落ち着いたのです」


君嶋「なるほどな」

君嶋(輸送と言えば海上輸送の認識だったが)

君嶋(深海棲艦とやらの出現で、そうもいかなくなったという訳か)


大門「では、さっそく乗り込みましょう」

大門「2両目の一部が客車になっているので、そこまで案内します」


日下部「すいませんっす、大門兵長」

日下部「案内は自分の役目なのに」


大門「いや……ウチの技術部長からの命令だよ」

大門「『日下部の奴に列車を触らせるな、アレまで壊されたら堪らない』って」


日下部「……幾らなんでもそれは酷いっす」

日下部「触っただけで壊れるなんて、あり得ないっす」


大門「そう言われても……どうしようも出来ないな」

大門「技術部じゃ、君は技本と納期の次ぐらいに恨まれてるんだ」


日下部「そ、そんなぁ……」


君嶋「ま、仕方ないな」

君嶋「日ごろの行いが悪かったんだ、諦めろ」


日下部「少尉殿まで!」

日下部「周りがそう言うからって、自分の事を誤解してますよ」


君嶋「なら、目の前で車をオシャカにしたのは」

君嶋「……何処の誰だっただろうな?」


日下部「うっ……それは」


大門「まぁ、からかうのはそこら辺にしましょう」

大門「彼だって、好きでやってるわけではないでしょうから」


君嶋「そうだな……」

君嶋「悪かった、日下部」

君嶋「気を悪くしたなら謝ろう」


日下部「いや……大丈夫っす」

日下部「どうにかしなきゃいけないってのは、自分でも良く分かってますから」

日下部「そんなことより、早く列車に乗り込みましょう」

日下部「出発までそんなに時間もないっす」


君嶋「じゃあ、大門兵長」

君嶋「客車まで案内を頼む」


大門「分かりました」

大門「私の後に着いてきてください」


<輸送列車 車内>


  ガタン ゴトン

     ガタン ゴトン


君嶋「…」

君嶋(船影が全く見えない……)

君嶋(これが、今の横須賀の海)


大門「どうかしましたか? 少尉」

大門「窓の外を睨みつけて」


君嶋「いや……船の姿が全く見えないと思ってな」

君嶋「これも深海棲艦とやらの所為なのか」


日下部「そう言うってことは……」

日下部「もしかして、横須賀は初めてっすか?」


君嶋「まぁ、そうなるな」

君嶋(まさか本当のことを言う訳にはいかない)

君嶋(……ここはそういうことにしておくか)


日下部「やっぱり、そうですか」

日下部「いやぁ……よく勘違いされるんすよね」

日下部「横須賀は防御が厚いから、船の出入りが多いとか」

日下部「あそこの防衛隊は防衛用の艦隊を持ってるとか」


君嶋「でも、船は持っているんだろ?」

君嶋「だったら……」


大門「いえ、とても艦隊なんて運用できるレベルではありません」

大門「頭数は揃っては居るんですか……」

大門「予算の都合で廃棄できないスクラップ同然の船だったり」

大門「誰も動かし方を知らないような旧式の軍艦だったり」

大門「とても戦闘で使えるような状態でないのが殆どなんですよ」


君嶋「だからこそ、例の兵器か」

君嶋「しかし……それだけに頼っていていいのか?」

君嶋「なにも、敵は化け物だけじゃないんだろ」


日下部「そうとも言い切れないっす」

日下部「今日日、ちょっと沖へ出たら直ぐに深海棲艦とかち合う時代なんで」

日下部「護衛も付けずに沖へ出たら最後、仲良く海の藻屑です」

日下部「そんなもんで、世界中の国は協定を結んでる上に」

日下部「日本は対深海棲艦の第一人者です」

日下部「だから……」


君嶋「協力を求めはしても敵対はしない、か」

君嶋(……戦争などやってる場合では無いということか)


大門「まぁ、そういう事情もあって輸送船以外の艦艇は廃れる一方」

大門「軍艦なんかは、新しくても製造から20年単位の老朽艦がザラで」

大門「製造中止になった部品なんかは工場で手作りしている有様です」


君嶋(軍艦がそんな扱いとは……)

君嶋(あの時の上官が知ったら、卒倒しそうな内容だ)


日下部「あっ! 見えてきました」

日下部「アレが新海軍の鎮守府っす」


君嶋「……あれか」

君嶋(あのレンガ造りの建物、見覚えがあるな)

君嶋(確か、鎮守府の庁舎だったか)

君嶋(他にも海兵団に居た時のままの建物がいくつか見える)

君嶋(まさか……こんな形でここへ戻ってくるとは)

君嶋(人生、意外と分からないものだな)


日下部「どうしたんですか? 黙りこくって」


君嶋「いや、何でもない」

君嶋「それより、降りる準備だ」


<横須賀鎮守府 発着場>


大門「では、荷降ろしの監督があるので」

大門「私はここで失礼します」


君嶋「そうか、分かった」

君嶋「ここまでの案内、助かったよ」


大門「ありがとうございます」

大門「また、会う機会があると思うので」

大門「その時は宜しくお願いします」


  カツ カツ カツ カツ


君嶋「荷降ろしの監督か」

君嶋「お前の見張り以外にもちゃんとした仕事があったみたいだな」


日下部「当然ですよ」

日下部「昨日の今日で、タダでさえ工場は大忙しです」

日下部「こっちに仕事でもなきゃ、兵長が来るはずないっす」


君嶋「なら、どうしてお前はこっちに?」

君嶋「無理して俺についてこなくても良かったのに」


日下部「そいつは……」


  「ほう、貴様が海軍から左遷された少尉か」


君嶋「……はい、君嶋特務少尉であります」

君嶋(いきなり左遷とは随分な言い草だな)

君嶋(だが、階級章は海軍大尉……)

君嶋(ここの提督が寄こしたのだろうか?)


  「そうか……」

  「で、そっちのは?」


日下部「ハッ! 日下部一等水兵であります」

日下部「本日は、君嶋特務少尉のお付きとして同行しました」


  「フンッ……お付きとは」

  「防衛隊はさぞかし居心地のいいところみたいだな」


君嶋「失礼ですが……そちらは?」

君嶋「お出迎えがあるという話は聞いていませんでしたが」


  「なんだ、聞いてなかったのか」

  「私は横須賀鎮守府付きの本条誠海軍大尉だ」

  「そちらの中佐殿から話があり、貴様らの案内役となった」


君嶋「大尉殿が自ら、ですか?」

君嶋「僭越ながら……大尉殿には役不足であると存じますが」


本条「ああ、全くだ」

本条「司令長官の命といえども、困ったものだ」

本条「私にも艦娘どもの育成というものがあるのに」


君嶋(艦、娘……?)


本条「ただ、司令の言い分も分からなくはないがな」

本条「聞いたところ、前線基地に来るのは初めてらしいし」

本条「アイツらに任せていては帝国海軍の品位が問われる」

本条「全く……これだから婦女子のお守は嫌なんだ」


君嶋(おい、日下部)

君嶋(これはどういうことなんだ?)


日下部(いや、自分にも分からないっす)

日下部(工場長が根回ししてくれたみたいですけど……)


本条「まぁ……そんなことはどうでもいい」

本条「とにかく、私が鎮守府を案内することとなった」

本条「説明はその都度行う、私の後についてこい」


<鎮守府 埠頭>


君嶋(……どういうことだ)

君嶋(何なんだ? ここは、一体)


本条「ここが我が鎮守府の港だ」

本条「例のごとく、本来の艦船の発着には使用されていないが……」


君嶋(年端のいかない子供から、年頃の娘まで)

君嶋(右も左も女子ばかり)

君嶋(鎮守府付きの軍人はどこにいる?)


本条「……君嶋特務少尉」

本条「私の話を聞いているのか?」


君嶋(待て……冷静に考えてみろ)

君嶋(海軍が分裂した理由は何だ?)

君嶋(それは、次世代型の生体兵器が開発されたから)


日下部「少尉、呼ばれてますよ」


君嶋(深海棲艦とかいう化け物に対抗するための生体兵器)

君嶋(……素体となるのは人間)

君嶋(帝国海軍の軍人にはその適性は無かった)


本条「おい、返事をしろ」

本条「聞いているのか?」


君嶋(適性があったのは……軍人でない)

君嶋(だとしたら、まさか……)


本条「君嶋特務少尉!」


君嶋「!」


本条「全く、貴様のために案内をしているのだ」

本条「肝心のお前が聞いていないようでは困る」


君嶋「申し訳ありません、大尉殿」

君嶋「ですが、ひとつだけ……お伺いしたいことがあります」


本条「何だ?」


君嶋「この鎮守府、我々の他に男子が居ないように見えますが」

君嶋「それは一体……」


本条「ここは帝国海軍横須賀鎮守府だ」

本条「深海棲艦との決戦のため、艦娘たちを養成する場所である」

本条「当然、私と司令以外はみな女子だ」


君嶋「と、いうことは……まさか」

君嶋「海軍の新兵器というのは……」


本条「もちろん貴様がここで見た女子たち全てだ」

本条「さもなければ、この鎮守府に軍属の者以外が居ることになる」

本条「そもそも、貴様も海軍士官であるなら知っているはずだ」

本条「何故そんなことを今更……」


君嶋「何故です!?」

君嶋「どうして、こんなことになっているのですか!」


本条「……どうした、いきなり」


君嶋「化け物に対抗するために新兵器を造り上げたはいいが」

君嶋「その兵器の素体に海軍の軍人はなることはできない」

君嶋「ならば、適性のある婦女子たちを使おう、だと?」

君嶋「そんなことが許されて堪まるものか」


日下部「少尉殿! 落ち着いてくださいっす」


君嶋「これが落ち着いていられるか!」

君嶋「海軍は軍艦を棄て、軍人を飼い殺しにしているどころか」

君嶋「あまつさえ、戦場に彼女たちを引っ張り出して」

君嶋「深海棲艦とかいう化け物と戦わせているのだぞ?」


日下部「でも、深海棲艦と戦うには仕方が……」


君嶋「仕方がないで済まされるか!」


君嶋「相手が何であれ、戦っているのは年頃の娘や年端もいかない子供だ」

君嶋「そんなことがまかり通るというのか!?」


本条「彼女たちは艦娘だ」

本条「見た目こそ人間のそれに近いが、中身はもはや別物だ」

本条「実際に、実在の戦闘艦では……」


君嶋「御託なら必要ありません」

君嶋「彼女たちが何者であれ、女子供を戦わせているのは事実です」

君嶋「それでも、仕方がないで済ますと言うなら」

君嶋「あなたの話は卑怯者の言い訳だ!」


本条「……卑怯者だと?」

本条「貴様! 上官に向かって何という口の利き方だ」

本条「身の程をわきまえろ!」


君嶋「帝国海軍の誇りを忘れた人間に言われたくありません」

君嶋「自分たちは戦場に立たずに婦女子を戦場に出している」

君嶋「これを卑怯者と言わず、何というのですか!」


本条「何を……ッ!」

本条「貴様ら旧海軍の連中が役立たずだから、彼女たちを使っているのだ」

本条「補助組織の癖に、食ったような口を利くんじゃない!」


君嶋「大尉殿は何とも思わないのですか!?」

君嶋「自分が守るべき人を戦場に送り出しているのですよ」

君嶋「軍人として、こんなことを許していいはずがありません」


本条「出来もしないことを言うな!」

本条「海軍は敵に打ち勝つために新しい兵器を作成した」

本条「それがどんなモノであれ、国を守るのが海軍軍人の使命だ」

本条「そんな綺麗事で戦に勝てるなら、いくらでも言ってやる!」


君嶋「綺麗事ではありません!」

君嶋「これは軍人として最低限の矜持です」

君嶋「それすら守れないと言うのなら、貴方たちは軍人ではない」

君嶋「女子供の陰に隠れる卑怯者だ!」


本条「口で吠えるのなら誰にだって出来る」

本条「だが、そんなまやかしでは奴らに勝てん」

本条「だからこそ、彼女たちを使って敵を滅ぼす」

本条「これを否定すると言うなら」

本条「今の海軍、その全てを否定するということだぞ!」


君嶋「今の海軍を否定しようが知った事ではありません!」

君嶋「彼女たちを戦場へ引っ張り出していることが許せないです」

君嶋「俺たちは誰も海軍のために入隊を決めたわけじゃなかった」

君嶋「家族や友人、彼女たちみたいな子供を守る為に志願したんだ」

君嶋「それが……守りたいと願った人たちを前線に立たせるのが未来の海軍と言うなら」

君嶋「一体何のために戦ってきたと言うのですか!」


本条「貴様が何と思おうが現状は変えられない」

本条「どんな手段をもってしても、来たるべき危機を排す」

本条「それが帝国海軍のやり方だ」


君嶋「……これ以上はお話になりません」

君嶋「提督の居場所を教えてください」

君嶋「直接行って、話をしてきます」


本条「貴様が司令に?」

本条「何を馬鹿なことを……」

本条「どうせ、門前払いが関の山だ」


君嶋「自分は本気です」

君嶋「提督に話を聞かなければ納得できません」


本条「……司令部の執務室だ」

本条「そこまで言うなら、行ってみるがいい」

本条「ただ、どちらにしても貴様の評価が下がるだけだがな」


君嶋「評価など気にしません」

君嶋「自分は自分の思った通りのことをするまでです」

君嶋「では、失礼します」


<鎮守府 司令部 廊下>


    コン コン コン

  コン コン コン コン


君嶋「提督! 提督はおられますか!?」


    ガチャリ 


  「あの、何ですか?」


君嶋「帝国海軍君嶋大悟特務少尉だ」

君嶋「提督に話があって、やって来た」

君嶋「お目通り願う」


  「君嶋特務少尉……ですか?」

  「そんな話は聞いていませんが」


君嶋「いきなり押しかけて申し訳ない」

君嶋「だが、どうしても提督に話を聞かなければならない事情がある」

君嶋「そこを通してくれ」


  「残念ですが、提督はお忙しいので」

  「今、お会いできる時間はありません」


君嶋「そこを何とか頼む」

君嶋「ここで引き下がるわけには行かないんだ」


  「しかし……今は」

 
  「……通してやりなさい」


  「提督?」

  「でも、いきなり押しかけて来たんですよ」


  「いいから、通してやれ」


  「分かりました……」

  「どうぞ、お通り下さい」


君嶋「ああ……ありがとう」


<鎮守府 司令部 執務室>


君嶋「君嶋特務少尉であります」

君嶋「突然の来訪をお許しください」

君嶋「どうしてもお話ししたいことがあって、やってまいりました」

  
  「美津島海軍大将だ」

  「この鎮守府の管理および艦隊の指揮を任されている」


君嶋「それで、提督」

君嶋「単刀直入に聞きますが……」


美津島「まぁ、待ちなさい」

美津島「その話の前に……」


  「はい? 何でしょうか」


美津島「少し、席を外してくれ」

美津島「彼と2人で話をしたいんだ」


  「しかし……」


美津島「上官命令だ」


  「……分かりました」


    ガチャ バタンッ


君嶋「今のは……」


美津島「彼女も艦娘なのだ」

美津島「それも、自分の戦いに誇りを持っている」

美津島「そんな彼女に、これからする話を聞かせるわけには行かないだろう?」


君嶋(これから話す事が分かっているかのような口ぶり……)

君嶋(何なんだ? この人は)


美津島「……合点がいかないという顔だな」

美津島「まるで、これから話す内容が分かっているようで気味が悪い」

美津島「そう思っているんだろう?」


君嶋「それは……」


美津島「答えは簡単だ」

美津島「私も君の素性を知っているのだよ」

美津島「だから、君が取りそうな行動はあらかじめ分かっていた」


君嶋「提督が自分を?」

君嶋「本条大尉は、何も知らないようなことを言ってましたが」


美津島「ここは帝国海軍横須賀鎮守府であり、艦娘の運用拠点」

美津島「軍令部の復権派とは相容れない派閥の拠点と言ってもいい」

美津島「本来なら、私には君の素性を知らされるはずがないのだ」


君嶋「ならば、何故?」


美津島「室林と五十嵐から聞いたのだ」

美津島「過去からやってきた男がこの鎮守府に来ると」


君嶋「室林大佐と五十嵐中佐が?」

君嶋「一体、どのような関係で……」


美津島「昔の教え子だ」

美津島「ずっと昔の……まだ、艦娘の計画が軌道に乗り始める前の」

美津島「あの頃は良かった」

美津島「軍艦と艦娘とが互いの欠点を補い合って」

美津島「私も洋上で指揮を執ることが出来た」

美津島「本当に、良い時代だった」


君嶋「お言葉ですが、美津島提督」

君嶋「自分は昔話を聞きに来たのではありません」

君嶋「貴方に聞きたいことがあってやってきたのであります」


美津島「……聞きたいことか」

美津島「君が言わなくとも分かっている」

美津島「現状をどう思っているか、だろう?」


君嶋「ええ……そうです」


美津島「正直に言えば、良くは思っていない」

美津島「孫ほどの娘子を戦場に送り出して、自分は後ろに控えている」

美津島「昔の教えからすれば……卑怯者なんだろうな」


君嶋「そうであるなら、なぜ反対しないのですか」

君嶋「貴方なら分かるはずです」

君嶋「この状況がどれほど歪んでいるかが」


美津島「確かに、君にしてみれば」

美津島「今の海軍はさぞかし歪んだものに見えるだろう」

美津島「だが……他に方法がないのだよ」

美津島「未知の敵には未知の力を、軍艦で適わない相手には艦娘の力を」

美津島「そうしなければ、国は守れない」

美津島「そんな時代になってしまったのだ」


君嶋「しかし、納得できません」

君嶋「それでは逃げているだけです」

君嶋「守るべき者たちの後ろに隠れて、何が軍ですか?」


美津島「では、君嶋特務少尉」

美津島「逆に聞かせてもらうが……」

美津島「君はどう思うんだ?」


君嶋「自分が……ですか?」


美津島「何があったかは室林から聞いている」

美津島「ならば、誰よりも深く、敵の強さを知っているはずだ」

美津島「奴らに襲撃を受けた船に乗り合わせていたのだから」

美津島「だからこそ、聞いてみたい」

美津島「本当に我々だけの力で奴らを撃退できると思っているのかを」


君嶋(……俺達はやられた)

君嶋(深海の怪物に手も足も出ず)

君嶋(一方的な砲撃を浴びせかけられ、下山田や兵長、多くの仲間たちは散っていった)

君嶋(そして、俺は……)


美津島「……答えられないだろう」

美津島「つまりは、そういうことなのだよ」

美津島「もう軍艦の時代は終わってしまった」

美津島「幾ら望んでも、あの時代は帰ってこない」

美津島「だから、少しでも彼女たちの負担を少なくする」

美津島「それが……今の我々に出来るたった1つのことだ」


君嶋(俺は助かった)

君嶋(それは怪物を傷つけ、その体液を浴びたから)

君嶋(あのとき、奴を傷つけたのは……)


美津島「君が激昂するのも無理のないことだ」

美津島「私とて憤りを感じたこともある」


美津島「だが、今日のところは帰りたまえ」

美津島「これ以上、ここに居ても君にとっても良い事はない」


君嶋(だとしたら、俺でも)

君嶋(いや……防衛隊の軍人でも)

君嶋(あの怪物を倒すことができる!)


美津島「心配せずとも、ここであったことは全て不問にしておく」

美津島「本条大尉にも私の方から言い聞かせておこう」

美津島「だから、今日は……」


君嶋「待ってください」

君嶋「先ほどの質問の答えが分かりました」


美津島「今更、取り繕わなくてもいい」

美津島「意地の悪い質問をしてしまったのは私だ」


君嶋「いえ、自分たちは戦えます」

君嶋「軍艦でも深海棲艦を倒すことが可能です」


美津島「……そんなことは不可能だ」

美津島「多くの人間が奴らに立ち向かい、幾百もの軍艦が沈められた」

美津島「何の根拠があって、そんなことを」


君嶋「証拠ならあります」

君嶋「今ここで、自分が提督と話をしているのが何よりの証拠です」


美津島「それは……どういう意味だ?」


君嶋「自分は深海棲艦と戦い、生き残りました」

君嶋「しかし、ただ生き残ったのでありません」

君嶋「奴の身体に傷を付け、その体液を浴びました」

君嶋「つまり……艦娘でなくとも奴らに傷をつけることは可能」

君嶋「自分がこの場にいることこそが、軍人にも深海棲艦を倒すことが出来る証拠であります」


美津島「…」


君嶋(さぁ、どうだ……)

君嶋(どう仕掛けてくる?)


美津島「フフフ……」


君嶋「!」


美津島「あッはっはっはっ!!」


君嶋「美津島、提督……?」


美津島「……いや、済まない」

美津島「そんな単純なことに気が付けなかったのが馬鹿らしくてな」

美津島「頭の固い老人などクソくらえと思っていたくせに」

美津島「自分自身、随分と歳を食ってしまったみたいだ」


美津島「だが、気づかされたよ」

美津島「変わってしまったのは時代ではなく、私自身だったようだ」

美津島「いつの間にか、誰かが何かを変えてくれるのを待っていたようだ」


君嶋「…」


美津島「君嶋特務少尉、今一度問う」

美津島「君は、今の海軍を変えることが出来るか」

美津島「艦娘に頼りきりではなく、自分たちの力で深海棲艦と戦う」

美津島「あの頃の海軍へ……戻れると思うか?」


君嶋「変えられる変えられないではなく、変えるのです」

君嶋「守るべき人を盾にしても、国を守った事にはならない」

君嶋「未来を信じて散っていった仲間のためにも」

君嶋「……この命を捧げる覚悟です」


美津島「そうか、いい返事だ」

美津島「室林が君にこだわる理由が分かった気がするよ」


君嶋「室林大佐がどうかしましたか?」


美津島「いや、なんでもない」

美津島「それより、そろそろ執務に戻ってもいいかね?」

美津島「遠征組が戻ってきたばかりで、雑務が溜まっているのだよ」


君嶋「ハッ、申し訳ありません!」

君嶋「本日は自分のために時間を割いて頂き、感謝のしようもありません」


美津島「また、何かあったら私を訪ねると良い」

美津島「助けになれるかは分からんが、力になろう」


君嶋「ありがとうございます!」

君嶋「では、失礼いたします」

  
   ガチャリ  バタン


美津島「君嶋特務少尉か……どう思う?」


  「!?」


美津島「下手な小細工はよせ」

美津島「外で聞き耳を立ていたことぐらい、分かっている」

美津島「入ってきなさい」


    ガチャリ


  「……失礼します」


美津島「それで……どう思った?」


  「もちろん、納得いきません」

  「私たちが戦った方が確実なのに」

  「それを……軍艦で戦うだなんて」


美津島「そう言うとは思っていたよ」

美津島「だが、私たちにも譲れないものがある」

美津島「それが男という生き物なのだ」


  「……よく分かりません」


美津島「まぁ……理解できなくても仕方ない」

美津島「私たちでさえ、よく分かっていないのだから」


  「そう……なんですか」


美津島「さぁ、仕事に戻ろうか」

美津島「目を通さなければならない書類が山積している」


-3日後-

<防衛隊基地 工場長執務室>


君嶋「君嶋特務少尉です」

君嶋「失礼します」


五十嵐「おっ、来たか」


室林「待ってたぞ」


君嶋「室林大佐?」

君嶋「どうして、ここに」


室林「いや、君に用事があって来たんだが」

室林「話すと長くなるからな、五十嵐の要件から先に聞いてくれ」


君嶋「五十嵐中佐もですか?」


五十嵐「まぁ、大したことじゃない」

五十嵐「今夜やろうと思ってるお前の歓迎会の事だ」

五十嵐「本当は日下部一等あたりを使って伝えるつもりだったんだが」

五十嵐「室林の奴が来たからな、ついでに俺の部屋まで来てもらったという訳だ」


君嶋「歓迎会?」

君嶋「そんなもの、どうして」


室林「実感はないだろうが」

室林「君も一応、肩書の上では新海軍の士官なんだ」

室林「だから……」


五十嵐「歓迎会の1つでも開かないと、俺達のメンツが立たないってことだ」

五十嵐「普通なら前もって連絡かなんなりするんだろうが」

五十嵐「突然の大仕事が舞い込んできたりしてな」

五十嵐「結局、話しそびれちまってたという訳だ」


君嶋「しかし、歓迎会というからには」

君嶋「何か壇上で話す必要がありますでしょうか?」


五十嵐「察しが良くて助かる」

五十嵐「ま、よくある就任の挨拶ってヤツだ」

五十嵐「簡単でいいから、何とか言ってくれ」


君嶋「……どのような内容でも良いのですか?」


五十嵐「話す内容はそっちに任せる」

五十嵐「これからの抱負でも、俺の紅茶の感想でも……」

五十嵐「何でも好きに話してくれ」

五十嵐「どうせ、仲間内でやる懇談会みたいなもんだからな」


君嶋「了解しました」

君嶋「ご期待に添えるかどうかは分かりませんが」

君嶋「思っていることを率直に話したいと思います」


五十嵐「俺からはこれでお終いだ」

五十嵐「室林、後は頼んだ」


室林「それじゃあ、私の番だな」

室林「ま、君にとってはこっちの方が重要だろう」

室林「なにせ、君の任務についてだからな」


君嶋「任務……ですか?」


室林「辞令は渡したが、詳しい説明は無かっただろう」

室林「今日はそれを伝えにたんだ」


君嶋「わざわざ、大佐殿が足を運ばなくても」

君嶋「書面で充分でしたのに」


五十嵐「それがそうも行かないんだよ」

五十嵐「お前が就任早々、やらかしてくれたからな」


君嶋「自分が?」


五十嵐「忘れたわけじゃねぇよな」

五十嵐「美津島提督に向かって、啖呵を切っただろ」

五十嵐「海軍を変えてやるだとか、なんとか」


君嶋「それは……」

君嶋「出過ぎた真似でしたが、抑えきれませんでした」

君嶋「処分を受けろと言うなら甘んじて受け入れます」

君嶋「ですが、取り消すつもりはありません」


五十嵐「いや、そういう問題じゃ無くてな」

五十嵐「そんな啖呵を切ったおかげで……」


室林「任務を変更せざるを得なくなった」


君嶋「上官に対する不敬……ですか」


室林「そういう訳ではない」

室林「美津島提督から、君の待遇について要請があってな」

室林「君の任務に追加事項が生まれた」


君嶋「追加事項……と言いますと?」

君嶋「現在の任務は工場の管理、統括の補佐となっておりますが」

君嶋「一体、何が加わるのでしょうか」


室林「横須賀防衛基地における戦闘部隊の編成」

室林「要は、深海棲艦と戦う軍艦と人員の確保だ」


君嶋「……部隊の編成を?」


室林「ああ、そうだ」

室林「元々あった私の意見を美津島提督が後押ししてくれた」

室林「君にとっても悪い話ではないかと思うが」


君嶋「しかし……」


五十嵐「自分で啖呵を切った割には、随分と面食らった顔をしてるな」

五十嵐「もう少し喜んだらどうだ?」

五十嵐「お望みどおり、自分の手で奴らと戦えるんだぞ」


君嶋「……自分にそんなことが出来るのでしょうか?」


室林「出来る……と私は信じている」

室林「私も全力でサポートするつもりだ」

室林「もちろん、ここの長官の五十嵐中佐もな」


五十嵐「……ああ」

五十嵐「上からの命令に逆らうわけにも行かないしな」

五十嵐「まぁ、ウチにある船でも隊員でも好きに使ってくれ」

五十嵐「どうせ技術部以外は暇しているような基地だ」

五十嵐「奴らのためににも、そういう刺激があった方がいいだろう」


室林「それで、どうだ?」

室林「引き受けてくれるか」

室林「どうしてもと言うなら、今回の話は無かったことにするが」


君嶋「いえ……その必要はありません」

君嶋「美津島提督のご期待に沿うためにも」

君嶋「その大命、謹んで受けさせて頂きます」


室林「……そうか、ありがとう」

室林「私からはこれで終わりだ」

室林「五十嵐、他に何かあるか?」


五十嵐「いや……ないな」

五十嵐「君嶋少尉、ご苦労だった」

五十嵐「下がって良いぞ」


君嶋「ハッ、失礼いたします」

  
   ガチャ  バタン


五十嵐「……お望みどおりの展開か? 室林」


室林「何のことだ」


五十嵐「とぼけなくても良い」

五十嵐「古い仲だ、お前が考えていることぐらい分かる」


室林「…」


五十嵐「しらばっくれてやり過ごすつもりか」

五十嵐「だがな、こんなところでも情報だけは入ってくるんだ」

五十嵐「軍令部の海軍復権派……奴らにどこまで入れ込むつもりだ?」


室林「別に、入れ込んでいるつもりは無い」

室林「目指している方向が似ているだけだ」


五十嵐「……どうだかな」

五十嵐「俺にはどっちも似たようなもんにしか見えないな」


室林「そうか……」


五十嵐「それより、どっから仕組んでた?」

五十嵐「鎮守府への武装の納品が早まったり、就任間もないのに後出しの任務が決まったり」

五十嵐「十中八九お前の仕業だろ」


室林「……私は舞台を整えたに過ぎない」

室林「美津島先生が協力してくれたのは、彼自身の力さ」


五十嵐「ハッ……どうだかな」

五十嵐「あの人だって、もう年だ」

五十嵐「耳当たりのいい若い考えにほだされても仕方ない」

五十嵐「特に、どこぞの誰かの後ろ盾があればな」


室林「私には先生の考えは分からない」

室林「だが、決定を下したのはあの人だ」


五十嵐「……そうかい」


室林「そう言うお前も、反対はしないんだろう?」

室林「ここまで分かっていて決定に従うのだから」


五十嵐「お上に逆らうと面倒くさいからな」

五十嵐「下手に逆らって、これ以上左遷でもさせられたら堪らない」


室林「そうか」


<防衛隊基地 ホール>


五十嵐「さて、こうして皆に集まって貰ったわけだが」

五十嵐「何をするかは分かってるよな?」


  「前口上は良いから、早くしてくださいよ」

  
   
  「そんな風に話してたら」


  「いくら時間があっても足らないですって」


五十嵐「……ったく、これでも上官だぞ?」

五十嵐「もう少し敬ったらどうなんだ」


  「中佐を敬っても、紅茶ぐらいしか出ないじゃないですか?」


五十嵐「なんだ? 飲みたいのか」


  「勘弁してくださいよ」

  「工場長が淹れるのは怖くて飲めないっす」


五十嵐「全く……酷い言いぐさだ」

五十嵐「アレのどこがダメだっていうんだ」


  「そりゃあ、中佐自身ですよ」

  「そんな見てくれで紅茶なんて……」


五十嵐「お前ら、なぁ……」


五十嵐「まぁ、いい」

五十嵐「今日の主役は俺じゃないんだ」

五十嵐「君嶋特務少尉、後は頼む」


君嶋「はい?」


五十嵐「なにスッとぼけた返事をしてるんだ」

五十嵐「挨拶だ、あいさつ」


君嶋「ああ……そうですね」


五十嵐「変に肩肘を張らなくても良いいぞ」

五十嵐「聞いてもらった通り、この場は無礼講みたいなもんだ」

五十嵐「もっと気楽にしていろ」


君嶋(そうは言われても)

君嶋(今からやろうとしていることを考えたら)

君嶋(とても、そんな気にはなれないな)


五十嵐「ほら、どうした?」

五十嵐「何も思いつかなかった訳でもないだろ」


君嶋「ええ、それでは……」


君嶋「既に知っている顔ぶれもいるが」

君嶋「この基地に配属となった、君嶋大悟特務少尉だ」

君嶋「ここでの任務は工場の管理、統括の補佐」

君嶋「簡単に言えば、五十嵐中佐の補助だ」

君嶋「防衛隊のことは何も知らない文、至らぬところもあるとおもうが」

君嶋「自分も、皆と同じ軍人として精一杯を尽くすつもりだ」

君嶋「皆、よろしく頼む」


  「おお! よろしくな」


五十嵐「じゃあ、君嶋から挨拶も終わ……」


君嶋「……と、普通ならここで終わるが」

君嶋「俺が本当に言いたいのはこんなことではない」


五十嵐「お、おい……」


君嶋「俺は見てきたんだ、新海軍の鎮守府に行って」

君嶋「艦娘だなんだと言って、女子供を戦闘へ引っ張り出している海軍の現状を」

君嶋「女の陰に隠れて、国を守ると言っている人間を」


  「おい、どうなってんだ?」


  「何だ? いきなり」


君嶋「お前達、こんな状況はおかしいと思わないか?」

君嶋「帝国海軍の使命は、身命を賭して臣民の命を守ること」

君嶋「それがどうだ? 陸に上がった軍人が、婦女子を海へと駆り出している」

君嶋「これが軍のあるべき姿なのか?」


  「そ、それは……」


  「…」


君嶋「俺はそうは思わない」

君嶋「たとえ、未知の敵に抵抗できるとしても」

君嶋「彼女たちも俺達と同じ人間であり、守るべき臣民だ」

君嶋「だから、俺は海軍を変える」

君嶋「艦娘に頼らない、軍人が軍人でいられる軍に」

君嶋「そのための大命も授かっている」

君嶋「今ここに宣言する!」

君嶋「必ずや、この手で深海棲艦を打倒してみせると」


  「…」


君嶋「……以上で、挨拶は終わりだ」

君嶋「皆が何と思おうとも俺は構わない」

君嶋「ただ、これが俺の言いたかったことだ」


五十嵐「おい、馬鹿」

五十嵐「挨拶って言っただろうが!」


君嶋「済みません、五十嵐中佐」

君嶋「折角の歓迎会を壊してしまって」

君嶋「ですが、どうしても言っておかなければと思ったのです」


五十嵐「だがなぁ……」


君嶋「……今日のところは失礼します」

君嶋「これ以上、この場に居ても」

君嶋「良い影響は与えないでしょうから」


五十嵐「あ、おい! ちょっと待て」

五十嵐「全く……室林の奴もとんだ問題児を寄こしやがって」


  「あの、工場長……」


五十嵐「うるせぇ! 今から茶会だ」

五十嵐「お前ら全員、俺の紅茶を飲んでけ」

五十嵐「さもなきゃ酒だ! 倉庫から有りっ丈持ってこい」


<防衛隊基地 士官執務室>


日下部「いやぁ……昨日は凄かったっすよ」

日下部「工場長が珍しく酒盛りを始めて……」

日下部「あんな騒ぎになったのは、いつ以来ですかね」


君嶋(中佐には悪いことをしてしまったな)

君嶋(……後でしっかりと謝っておこう)


日下部「しかし、昨日の演説は驚きましたよ」

日下部「いきなり『海軍を変える』なんて言うんすもん」


君嶋「流石に言い過ぎたとは思っている」

君嶋「五十嵐中佐には迷惑をかけたし」

君嶋「いきなりあんなことを言われても困るだろう」


日下部「自分は応援しますよ? 少尉の事」

日下部「ここに入った自分が言うのも難ですけど」

日下部「一生新海軍にこき使われるってのも癪ですから」


君嶋「その言葉はありがたいが」

君嶋「……先はまだまだ長そうだ」

君嶋「2人だけじゃ、戦闘部隊なんて名乗れないしな」


日下部「たぶん自分だけじゃないです」

日下部「みんな心のどこかでは思ってるっす」

日下部「艦娘に頼ってばかりじゃいられない、俺達も何かしたいって」


君嶋「本当か?」

君嶋「昨日の様子を見る限りだと、そんな風に思えなかったが」


日下部「みんな警戒してるんです」

日下部「職業軍人の復権だとか、海軍を取り戻せだとか……」

日下部「そんなことを言ってるのは少尉1人だけじゃないっす」

日下部「今の体制になってから体制派と復権派に分かれて言い争ってるんです」

日下部「でも、復権派の活動家は口先だけの理想家ばかりなもんで」

日下部「似たようなことを言ってる少尉を疑ってるんですよ」


君嶋「口先だけであんなことが言えるか」

君嶋「俺は本気だぞ」

君嶋「本気で奴らと軍艦でやり合うつもりだ」


日下部「分かってますよ」

日下部「さもなきゃ、提督に直訴なんて普通できないです」

日下部「それに……自分は少尉のお付きですからね」

日下部「少尉がやると言うなら、付いていくだけっす」


君嶋「……そうか」


   コン コン コン


日下部「あ、来客みたいですね」

日下部「さっそく、話を聞きに来たのかもしれませんよ」


君嶋「それなら嬉しい限りだが」

君嶋「そうそう上手くも行かないさ」

君嶋「……入っていいぞ」


    ガチャ


  「失礼します」


日下部「おお、野田」

日下部「まさかお前が来るとは思ってなかった」


野田「……勘違いするな、そんなつもりで来たわけじゃない」

野田「伝言を伝えるように頼まれただけだ」


君嶋「五十嵐中佐からか?」


野田「いえ、違います」

野田「宗方兵曹長からです」


君嶋「宗方……知らない名前だな」

君嶋「誰だか分かるか? 日下部」


日下部「もちろん知ってます」

日下部「というか、この基地で知らない人間は居ないっすよ」

日下部「なんたって技術部のまとめ役なんすから」


君嶋「技術部のまとめ役」

君嶋「そんなに凄いものなのか?」


日下部「当り前ですよ」

日下部「ウチは半分武器工場みたいなもんなんで」

日下部「現場のトップみたいな人っすから」


君嶋「そう言われてもな」

君嶋「あまり、実感がわかないな」


野田「……あなたは分からなくても仕方ないでしょう」


君嶋「どういう意味だ?」


野田「ここの仕事は武装の整備や資材の確保がメイン」

野田「だから、技術部が強いのは当たり前」

野田「兵科はいつでも技術部の使い走りです」


君嶋「なるほど……」

君嶋「そういえば、技術部の大門兵長も鎮守府まで同行してきたな」

君嶋「そういう面でも技術部の力が強いという訳か」


野田「ここでは兵隊よりも技師の方が重宝される」

野田「……そういう事ですよ」


君嶋(要は、前線と後方支援の重度が反転しているということか)

君嶋(まぁ……軍艦が使い古しの老朽艦らしいからな)

君嶋(こういう状況は推して知るべしか)


日下部「それより、野田」

日下部「伝言っていうのは?」


野田「ああ、それは……」

野田「君嶋特務少尉、宗方兵曹長より伝言です」

野田「『現場が落ち着いた、見たいなら来い』」

野田「……だそうです」


君嶋「現場が落ち着いた、ということは」

君嶋「工場の見学に行ってもいいということか?」


日下部「多分、そうですね」

日下部「この前の遠征でやってきた武装の解体が終わったみたいですし」

日下部「これでようやく、落ち着けるっすよ」


君嶋「お前は兵科だろ」

君嶋「工場の現場は関係ないんじゃないのか?」


日下部「普段はそうですけど」

日下部「人手が足りなくなると、自分たちも動員されるんです」

日下部「外部委託は機密上の問題があるからって」


君嶋(兵隊は戦ってさえいればいい、という時代ではないか)


日下部「まぁ、個人的には技術部の機嫌の方が大きいですけどね」

日下部「色々あって技術部からの評判は良くないんで」

日下部「向こうが殺気立ってると、こっちが巻き添えくらうんす」


君嶋「無闇やたらに機械を壊さなければいいものを」


日下部「それが出来たら苦労しないっす」


野田「……確かに伝言を伝えました」

野田「自分はこれで失礼します」


君嶋「ああ、ご苦労」

君嶋「助かったよ」


野田「それでは……」


日下部「ちょっと待った」

日下部「もう少し話してかないか?」


野田「よしてくれ、俺だって暇じゃない」


日下部「いや、すぐ終わるからさ」

日下部「1分……2分でいいから」


野田「お前が言いたいことなら分かってる」

野田「どうせ……君嶋少尉に協力しろ、とでも言うんだろ?」


日下部「でも、お前……」


野田「今の俺にそんな気はない」

野田「あの時みたいに、馬鹿じゃないからな」


日下部「……野田」


野田「失礼します」


   ガチャ  バタン


君嶋「……勧誘失敗だな」


日下部「ま、そう上手くは行かないっすね」


君嶋「しかし、あの時がどうこうと言っていたが」

君嶋「前に何かあったのか?」


日下部「いや……昔にちょっと」

日下部「ほら、少尉と同じようなことを言った人が居るって言いましたよね」


君嶋「口先だけの理想家、ってヤツか」


日下部「アイツ、新任の基地でその復権派に乗せられちゃたらしくて」

日下部「自分が防衛隊を変えるって息巻いてた時期があったみたいなんすよ」

日下部「ただ……そこで何かあったみたいで」


君嶋「結局は何も変えられなかった、か」


日下部「こっちに来て、もう忘れたと思ってたんですけど」

日下部「思ったより根が深かったみたいっす」


君嶋「ま、気長にやっていくさ」

君嶋「そのうちアイツにも受け入れられるようにな」


日下部「……そうっすね」

日下部「野田だって現状をどうにかしたいって思いはあるはずですから」


君嶋「さて、工場まで行くとしよう」

君嶋「呼び出されたまま、放置するわけにも行かないからな」


<防衛隊基地 作業区画>


君嶋「ここが工場の中心部……」

君嶋「当然だが、機械だらけだな」


日下部「何と言っても、横須賀鎮守府付きの工場ですからね」

日下部「ラインの数もそれなりじゃないと間に合わないっす」


君嶋「しかし、この設備で手一杯となると」

君嶋「そろそろ危ないかも知れないな」


  「ええ、全くです」

  「鎮守府の要求は増える一方で、設備の更新は無し」

  「ここの容量を超えるのも時間の問題です」


君嶋「大門兵長」

君嶋「貴方もここに居たのか」


大門「もちろん、私も技術部の人間ですから」

大門「普段はここで一日中、機械に向かっていますよ」


日下部「大門兵長は技術部でも指折りの腕利きっすからね」

日下部「特別な用事でもないと、工場の外に出てこないんですよ」


君嶋「技術部もなかなか大変なんだな」


大門「慣れてしまいましたからね」

大門「今はそんなに苦労は感じませんよ」


大門「それより、君嶋少尉」

大門「私は忙しくて参加できませんでしたが、昨日の歓迎会」

大門「何やら凄かったみたいじゃありませんか」


君嶋「ああ……俺も後から知ったが」

君嶋「五十嵐中佐が酒盛りを始めたみたいだな」


大門「いえ、少尉の就任あいさつですよ」

大門「堂々と『軍艦で深海棲艦を倒す』と言ってのけたそうじゃありませんか」


君嶋「まぁ……勢いというやつで」

君嶋「折角だから、思いの丈を全部ぶちまけてやろうと思ったのだ」

君嶋「尤も、そのせいで皆に悪いことをしてしまったけどな」

君嶋「俺の話が無ければ、中佐が暴走することもなかった」


大門「偶にはそういうのも良いですよ」

大門「納期遅れや無茶な注文ぐらいでしか騒ぎが起こらない基地なので」

大門「それぐらいは良い清涼剤です」


君嶋「……そう言って貰えると助かる」


日下部「それで……大門兵長」

日下部「宗方兵曹長は居ないんですか?」

日下部「自分たち、あの人の伝言でここに来たんすけど」


大門「ん? 技術部長に」

大門「そんな話は聞いてないが」


  「ああ、当然だ」

  「誰にも話してないからな」


君嶋「貴方は……」


  「ここの技術主任をしてる、宗方だ」


君嶋「君嶋特務少尉です」

君嶋「よろしくお願いします」


宗方「……噂通りの若さだな」

宗方「それでオオカミ少年とは」

宗方「新海軍に帰れなくなるぞ」


君嶋「何を……言っているのでしょうか?」


宗方「分からないか?」

宗方「こんなところでホラを吹いてちゃ」

宗方「出世コースにゃ戻れないって言ってるんだ」


大門「兵曹長、一体何を……」


宗方「悪いがこいつと俺の話だ」

宗方「少し黙っていてくれ」


大門「しかし……」


君嶋「大丈夫だ、大門兵長」

君嶋「この人の言う通りにしてくれ」


大門「……分かりました」


君嶋「それで、宗方兵曹長」

君嶋「貴方にひとつ言いたいことがあります」


宗方「なんだ?」

宗方「反論でもあるしてくれるのか」


君嶋「初対面で、そんな言い方をされる謂れはありませんが」

君嶋「回りくどい言い方はよして下さい」

君嶋「文句があるなら、ハッキリ言ってください」


宗方「ハンッ……そういうことかい」

宗方「じゃあ、言わせてもらおうか」


君嶋「ええ、どうぞ」


宗方「俺はお前が気に食わない」

宗方「今日はそいつをはっきりさせるために呼び出したんだ」

宗方「若造のくせして、出来もしない大口を叩く」

宗方「現場を知りもしないで、無茶な宣言をする」

宗方「若い奴らはほだされてるかも知れないが、俺は違う」

宗方「正直に言って、目障りだ」


君嶋「目障り……ですか」


宗方「ああ、そうさ」


日下部「待ってください、兵曹長」

日下部「自分に……言いたいことがあります」


宗方「ほう……日下部一等か」

宗方「俺に何を言いたいことがあるんだ?」


日下部「兵曹長が何を思っているのかは分かりませんが」

日下部「少尉の事を知りもしないで悪口を言うのは間違っています」

日下部「気に食わないと言うなら、その行動を見てから批判するべきです」


宗方「まだ、赴任して一週間も経ってない」

宗方「そんな奴にどうして肩入れできる?」


日下部「確かに、まだ日は浅いですけど」

日下部「この人の行動を直ぐ近くで見てました」

日下部「新海軍の上官に本気で掴みかかったり、鎮守府の提督に直訴しに行ったり」

日下部「普通じゃ到底できないことをやってくれました」

日下部「だから、自分は少尉に協力したいと思います」

日下部「何と言っても、この人のお付きを任された身ですから」


宗方「……もう少し利口になれ、日下部一等」

宗方「そんなのは、どうせタダのパフォーマンスだ」

宗方「あと数ヶ月もすれば何事もなかったかのように新海軍へ逃げ出すさ」

宗方「俺はコイツみたいに大口を叩く奴を何人も見てきた」

宗方「海軍復権だがなんだが知らないが、結局誰も何も変えられはしなかった」

宗方「こいつが違うなんて保証はどこにある?」


日下部「それは……」


宗方「言えないだろ?」

宗方「つまりは……」


君嶋「宗方兵曹長!」


宗方「お前が何を言っても無駄だ」

宗方「今のお前じゃ」

宗方「ホラの上塗りにしかならないからな」


君嶋「確かに、今の自分には何も言えません」

君嶋「ここで何かを言ったところで」

君嶋「兵曹長を納得させることは出来ないでしょう」


宗方「だったら……」


君嶋「しかし、彼の覚悟を否定するのは許さない」

君嶋「貴方の言う通り、口先だけと言われても仕方ない」

君嶋「実績のない者に賛同できないのは当然だ」

君嶋「だが、それでも日下部は協力してくれると言いました」

君嶋「こんな俺でも信用して、俺に付いて来る覚悟を決めてくれました」

君嶋「だから、貴方がこいつの覚悟を否定すると言うなら」

君嶋「何度でも自分は反論します」


宗方「そうは言ってもな」

宗方「所詮はオオカミ少年がオオカミが居ると叫んでることに変わりはない」

宗方「お前が何も出来なきゃ、それで終わりだ」


君嶋「貴方に何を言われようが、自分の決心は揺らがない」

君嶋「軍人たちの手で深海棲艦を打倒する」

君嶋「それが俺がここへ来た使命」

君嶋「少なくとも、そう思っています」


宗方「口でなら何とでも言える」

宗方「まぁ……せいぜい頑張るんだな」

宗方「どうせ、ここは通過点なんだろうが」


君嶋「そうです……通過点ですよ」

君嶋「自分の目標も、何もかも」

君嶋「目指すべきものは、まだ雲の上の話です」


宗方「……おい」


大門「はい? 何でしょう」


宗方「俺は作業に戻る」

宗方「お前は、そいつにここの現状を見せてやれ」


大門「は、はい! 了解しました」


宗方「じゃあな……君嶋特務少尉殿」


君嶋「宗方兵曹長か……」

君嶋「随分と嫌われたようだな」


大門「済みません、君嶋少尉」

大門「どうも復権派的な考えが気に食わないらしくて」

大門「前も、何度か突っかかってたことがあったんです」


日下部「本当ですか? 兵長」

日下部「自分、初耳だったんすけど」


大門「ここまで露骨な態度を見たのは初めてで」

大門「普段は部内の連中に愚痴る程度で収まっていたんだが」

大門「それが、まさか……自分から少尉を呼んで物申すとは」


君嶋「終わってしまったのは仕方がない」

君嶋「それより、大門兵長」

君嶋「兵曹長が最後に言っていたことは?」


大門「あれは、多分……」

大門「ここを見せて回れという意味だと思います」

大門「呼び出した以上は見学ぐらいはさせろ、ということですね?」


日下部「そういえば、元々は見学のつもりで来たんでしたっけ」

日下部「今更って感じもしますけど」

日下部「見学しますか?」


君嶋「もちろんだ」

君嶋「こんなところで引き下がっても何もないしな」


大門「分かりました」

大門「見るものがあるかは微妙なところですが」

大門「取りあえず、私に付いてきてください」


<防衛隊基地 ドック>


大門「さて、最後になりましたが」

大門「ここが……」


君嶋「船渠だな」


大門「流石に分かりますか」

大門「まぁ、見たまんまですからね」


君嶋「しかし、見たところ……」

君嶋「随分と閑散としているが」

君嶋「本当にここを使っているのか?」


大門「正直なところ、あまり使っていないというのが実状ですね」

大門「元々は造船用のドックなんですが、今は補修用としてしか使っていません」

大門「それも殆どは数年に一度の定期検査だけで」

大門「余程の事でもない限りはあまり使われません」


日下部「少尉が来るちょっと前に、久々の全船検査が終わっちゃったんで」

日下部「次にドックが使われるのはしばらく先っす」


大門「そうですね」

大門「大規模な改修や新造艦を作るなんて話が出ない限りは」

大門「次にここが使われるのは半年ぐらい先です」


君嶋「半年……」

君嶋「随分と間が空くな」

君嶋「そんなに船が少ないのか?」


大門「多いか少ないかで聞かれたら、余所よりは多いですが」

大門「それでも、配備されている艦は4隻」

大門「実際に稼働しているのは3隻といったところですね」


君嶋「残りの1隻は?」

君嶋「鎮守府の方にでも回しているのか」


大門「この近くの埠頭に繋がれたままですよ」

大門「一応使えなくもないんですが、かなりのパーツが製造中止になってしまって」

大門「壊れると修繕がかなり面倒くさいことになるので、使われていないんです」

大門「どうにかしたいとは思っているのですが」

大門「廃棄や解体にも費用が掛かって、どうしようもなく放置されているという状況です」


君嶋(……時代は変わったな)

君嶋(戦時中はどこも船渠が足りないぐらいだったらしいが)

君嶋(そいつがこうなるとは)


日下部「でも、整備してることはしてるんで」

日下部「一応は、動くには動くんすよね?」


大門「動く……と言っても、本当に動くだけだ」

大門「機関部の図面が紛失しているような代物だし」

大門「うちの軍艦マニアが気まぐれに整備してるに過ぎないからな」


君嶋「軍艦マニア?」

君嶋「何だ、それは」


大門「一種の愛好家みたいなものです」

大門「ウチも技術屋なので、大なり小なりマニア気質なんですが」

大門「どこにも一部には極端な者が居るので」

大門「アレぐらい古い方が想像を掻き立てられて良い、などと言う隊員が居まして」

大門「まぁ……基本的には害は無いので、宗方兵曹長も見て見ぬふりをしてますが」


君嶋「マニアねぇ……」

君嶋「どうも、他にも種類がある言い方だな」


日下部「種類って言ったら、難ですけど」

日下部「兵科のウチにもいますよ」

日下部「マニアというか……オタク気質の奴が」


君嶋「オタク?」


日下部「えーっと、マニアの亜種みたいなもんです」

日下部「特に、ある年代の女子を対象にして……」

日下部「まぁ……とにかく、似たようなもんっすよ」


君嶋「よく分からないが」

君嶋「女子と言えば……」

君嶋「例えば、鎮守府の艦娘のその対象になるのか?」


日下部「と、いうより大抵が彼女たち狙いっす」

日下部「理解者が多いって訳じゃないっすけど」

日下部「どこにでも、一定人数はそういうのが居るって話です」


君嶋「そうか……そんな奴らが」

君嶋「そのうち会う機会もあるかもしれないな」


大門「それでは、そろそろ戻りましょうか」

大門「これ以上は何もありませんし」

大門「外で立ち話も難でしょう」


君嶋「そうだな」


-1週間後-

<防衛隊基地 士官執務室>


日下部「少尉が来てから今日で2週間ぐらいですね」

日下部「どうです? 少しは慣れましたか」


君嶋「……大体はな」

君嶋「正直、まだまだ慣れないところは沢山あるが」

君嶋「初日よりは、この部屋も見慣れたな」


日下部「それは良かったっす」

日下部「慣れないままだと心労も溜まりますもんね」


君嶋(それでも、軍艦の中よりはだいぶマシだけどな)

君嶋(あのタコ部屋と比べたら、ここは楽園だ)


日下部「ま、少尉の生活如何はともかく」

日下部「そろそろ勧誘活動もやらないとマズイくないっすか?」


君嶋「……そうだな」

君嶋「歓迎会で大見得切ったはいいが」

君嶋「現状としては、あまりよくない」

君嶋「むしろ悪い方だ」


日下部「何人かはそれなりに考えてるって返事は貰えましたけど……」

日下部「これだけじゃ船を動かすなんて到底無理っす」

日下部「せいぜい手漕ぎボートが何艘か漕ぎ出せるかってぐらいっす」


君嶋「当然だが、そんな舟で勝てるはずもない」

君嶋「良くて港の漂着物……」

君嶋「最悪、海の藻屑というところか」

君嶋「……もっと頭数を増やさなければならないな」


日下部「そうは言っても難しいですよ?」

日下部「兵科は野田みたいに疑心暗鬼になってる奴やそもそも興味がないってのが多くて」

日下部「全体的に少尉の意見に消極的っす」

日下部「逆に技術部の方は、大門兵長みたいに好意的な人も居ますけど」

日下部「肝心の宗方兵曹長があの態度なんで……」

日下部「やっぱり、協力してくれる人は少ないです」


君嶋「……思ったよりも面倒な状況だな」

君嶋「兵科は個人単位でそれぞれ反感を持っていて」

君嶋「技術部は技術部長が強く反対している」

君嶋「どうしたものか」


日下部「やっぱり、地道に説得していく以外にないですね」

日下部「実際に船に乗って、深海棲艦を撃退できれば早いんですけど」

日下部「それには最低限、船を動かせる人員が必要なわけで」

日下部「兵科の連中を無視できないっす」


君嶋「と、いうことは……」

君嶋「まずは兵科の一般兵の勧誘を中心にするか」

君嶋「実際に船が動かせる人間が居ないとなると」

君嶋「どんなに人を集めても無駄だからな」


日下部「それはいい考えだと思うんですけど」

日下部「……どうするんです?」

日下部「野田の奴は話を聞いてくれそうにないし」

日下部「協力してくれそうな奴には、一通りは話をしましたよ?」


君嶋「とにかく探すしかないな」

君嶋「兵科の人間で俺達に反感を持っていない者」

君嶋「もしくは、この話に興味がありそうな者」

君嶋「自分の足で歩いて説得してまわるしかない」


日下部「それ……滅茶苦茶大変ですよ」

日下部「ここも基地ですから、それなりの敷地を持ってますし」

日下部「兵科は大抵自分の時間で動いてますから、誰が何処にいるかなんて確証はないです」


君嶋「それでも、やるしかない」

君嶋「もっと大変なことをやらかそうとしているんだ」

君嶋「これぐらいで弱音を吐いていたら始まらないぞ?」


日下部「そりゃあ……そうですけど」


君嶋「ほら、行くぞ」

君嶋「まだここの地図が頭に入っていないんだ」

君嶋「お前が来ないと、勧誘にもならん」


日下部「……了解っす」


<防衛隊基地 運動場>


君嶋「ここは?」

君嶋「他の施設と比べると妙に新しいが」


日下部「運動場です」

日下部「防衛隊が出来たときに作られた施設なんで」

日下部「この基地では一番新しい場所っす」


君嶋「運動場、というと……訓練用の施設か?」


日下部「そうですね」

日下部「訓練のために鎮守府を真似て作った場所みたいっす」

日下部「体力作りは兵隊の基本ですから」


君嶋「確かに走ってるのや鍛えてるのが何人かいるな」

君嶋「ただ、あまり多くは居ないようだが……」


日下部「こんな待遇ですからね」

日下部「毎日毎日、トレーニングに励んでるのは少数」

日下部「……取りあえず外に出てるって連中も少なくないんすよ」

日下部「兵科は宗方兵曹長みたいに取り仕切ってくれる上官が居るわけでもないんで」

日下部「自分たちの裁量で動く人間が多いんです」


君嶋「お前もその1人か?」


日下部「自分は違いますよ」

日下部「ちゃんと工場長から命令を受けてます」

日下部「君嶋少尉の任務を補佐せよって」

日下部「そんな趣味で付き合ってるみたいなことを言わないでください」


君嶋「それは悪かったな」

君嶋「じゃあ、片っ端からあたってみるか」


君嶋「ん? あれは……」


日下部「どうかしたっすか?」



  「今日は?」


  「僕の方はこれぐらいだな」


  「オレは……こいつだ」


  「おおっ! 凄いな」

  「狙ってたけど、撮れなかったんだ」



君嶋「訓練してる」

君嶋「……訳じゃないみたいだな」

君嶋「何をしてるんだ?」


日下部「げっ、アイツら」


君嶋「知り合いか?」

 
日下部「そりゃあ……」

日下部「あの2人も兵科の一員っすから」

日下部「顔ぐらいは知ってますよ」


君嶋「ほう……兵科の人間か」

君嶋「だったら、話が早い」

君嶋「行くぞ」


日下部「……本気っすか?」

日下部「アイツら、ウチの科の中でもトップクラスの変わり種ですよ」


君嶋「それを言うなら」

君嶋「俺達なんか、帝国海軍の鼻つまみ者だ」

君嶋「ただでさえ厳しい目標なんだ」

君嶋「贅沢なんか言っていられないだろ?」


日下部「いや、そうかもしれませんけど……」


君嶋「じゃあ、行くぞ」


日下部「あっ、ちょっと!」

日下部「待ってくださいって」


  「この角度……たまらないね」

  「流石は稀代の天才写真家だ」


  「そっちこそ、この構図」

  「彼女たちの行動パターンを把握していなくちゃできない」

  「待ち伏せの鬼と言われるだけはある」


君嶋「何が『待ち伏せの鬼』だ?」


  「えっ……」


  「な、なんだよ」


君嶋「ああ、邪魔して悪かった」

君嶋「ちょっと気になってな」


  「だ、誰だよ……アンタ」


  「オレたちは何もしてないぞ!」


日下部「何もしてないって……」

日下部「思いっきり、写真の品評会を開いてただろ」


  「日下部!? お前……」

  「どうして、こんなとこに」

  「上からきた少尉はどうしたんだよ」


日下部「だから、一緒に居るだろ?」

日下部「この人が噂の君嶋特務少尉だ」

日下部「まぁ……お前達の事だから、知らなかったかも知れないけどな」  


  「い、いや……」


  「……そんなことはない」 


日下部「紹介するっす」

日下部「こっちのメガネをかけてる方が一之瀬」

日下部「もう1人のカメラをぶら下げてるのが仙田」

日下部「2人とも、自分と同じ一等水兵です」


一之瀬「……一之瀬伸一です」


仙田「仙田史郎です」


君嶋「君嶋大悟特務少尉だ」

君嶋「よろしく頼む」


仙田「……はい」


一之瀬「お願い、します」


君嶋「それで、何をしてたんだ?」


一之瀬「それは……」


仙田「あなたには関係ない」


君嶋「そうは言ってもな」

君嶋「俺の任務にはこの基地の管理も入っている」

君嶋「一般兵が何をしているのかぐらい聞いてもいいだろう?」


一之瀬「…」


仙田「…っ」


日下部「それなら自分から説明しますよ」

日下部「こいつらは……」


君嶋「いや、直接話を聞きたい」


日下部「でも、そんなこと言ったって」


君嶋「いいから」

君嶋「ここは俺の好きなようにやらせてくれ」


日下部「……分かりました」

日下部「余計な口出しはしないっす」


君嶋「済まないな」


君嶋「それで……お前達」

君嶋「何をしてたのか話してくれるか?」


一之瀬「それは……」


仙田「断る」


君嶋「何故?」


仙田「言ったらどうせ、止めさせられる」

仙田「オレたちの口から自白させて」

仙田「それを証拠にするんだろ」


一之瀬「お、おい」


君嶋「一体、何のことを言ってる」


仙田「とぼけたって無駄だ」

仙田「オレには分かってる」

仙田「新海軍の人間なら、こう言うに決まってる」

仙田「『お前のやっていることは情報漏洩だ、それなりの処罰は受けてもらう』ってな」


君嶋(よく分からんが、随分と敵視されているな)

君嶋(直接何をしていたのかを聞くのは得策ではないらしい)

君嶋(……別の方面から揺さぶってみるか)


一之瀬「やめろよ、仙田」

一之瀬「それ以上はマズイって」


仙田「じゃあ、話すのかよ」

仙田「お前だって捕まりたくないだろ」


一之瀬「でも……」


仙田「だったら、黙っていろ」

仙田「こうするしかないんだから」


君嶋「ところで、2人とも」

君嶋「……これは何なんだ?」


一之瀬「あっ、それは……」


仙田「……アンタには関係ない」


君嶋「悪いが地面に置いてあったのを拾わせてもらった」

君嶋「見たところ、写真みたいだが……」


仙田「そんなのどうでもいい」

仙田「いいから、返せ」


君嶋「直ぐに返すさ」

君嶋「幾つか質問に答えてくれればな」


仙田「どこで撮ったか聞くつもりか?」

仙田「だったら、聞いても無駄だぞ」

仙田「オレは何も喋らないからな」


一之瀬「そんなこと言っても、仙田」

一之瀬「相手は新海軍の士官なんだぞ?」

一之瀬「ここで答えなきゃマズイって」


仙田「そんなのは脅しだ」

仙田「オレたちが認めなきゃ何もできない」

仙田「ここで話したら、それこそ終わりだ」


君嶋「別にお前達をどうこうしようという訳じゃない」

君嶋「純粋にこの写真について聞いたみたいだけだ」

君嶋「風変わりな格好をしている女子が映っているが……これは?」


仙田「なっ……」


一之瀬「分からない、んですか?」


君嶋「おかしな事を聞くな」

君嶋「分からないから質問しているんだ」

君嶋「知ってることを聞いても意味がないだろ」


仙田「そんな、嘘だ」

仙田「それは艦娘の写真だぞ!」

仙田「新海軍の少尉が知らないなんて」

仙田「そんなことあるもんか」


一之瀬「お、おい!」

一之瀬「仙田……」


君嶋「そうか……これも彼女たちの一員か」

君嶋「言われてみれば、この服装」

君嶋「鎮守府にも似たような格好の女子が居たな」

君嶋「だが、お前達」

君嶋「こんな写真を撮って……」


仙田「…っ、クソッ!」ダダッ


一之瀬「仙田!?」


日下部「おい! 待てって」


一之瀬「えっと……その」

一之瀬「すみません!」

一之瀬「自分もこれで」


君嶋「……逃げられてしまったな」


日下部「まぁ、妥当な結果ですよ」

日下部「元から人付き合いがいい奴らじゃないんで、こうなってもおかしくはないっす」

日下部「それに……少尉も少し強引過ぎたんじゃないですか?」


君嶋「なかなかに冷静な判断だな」

君嶋「耳が痛くなってくる」


日下部「それで、その写真はどうします?」

日下部「そんなの持ってるのがバレたら、色々面倒くさいっすよ」

日下部「少尉もアイツと同類に見られるかもしれませんし」


君嶋「同類?」


日下部「ほら、前に話題に上ったじゃないですか」

日下部「兵科にオタク気質の奴が居るって」


君嶋「ああ、そういえばあったな」

君嶋「……彼らがそうなのか?」


日下部「ええ、まぁ……」

日下部「鎮守府の艦娘たちを追ってるみたいで」

日下部「ああして2人で隠し撮りした写真を見せ合ったりして」

日下部「情報交換会をしてるみたいっす」

日下部「下手すると軍紀に触れる趣味なんで、周りの連中は関わろうとしないんですけどね」


君嶋「それで妙に警戒されていたのか」

君嶋「口を割るために任務の事を口にしたが」

君嶋「逆効果になってしまったか」


日下部「いや、そうとも言えないっすよ」

日下部「趣味が趣味なんで、新海軍の軍人を嫌ってるみたいですから」

日下部「どっちみち、少尉の立場だとまともに取り合ってくれなかったんじゃないっすかね」


君嶋「相手が悪かったと言うことか」


日下部「けど、芽が無いってわけでもないです」

日下部「色々と目を瞑りたい部分はありますけど、基本的には艦娘第一な思考なんで」

日下部「今の体制については、ある意味で少尉と同じ意見だと思います」

日下部「まぁ……どこまで賛成かって聞かれたら微妙ですけど」


君嶋「辛辣な割には随分と詳しいな」

君嶋「彼らと仲がいいのか?」


日下部「仲がいいって訳じゃないですけど」

日下部「あれでも数少ない兵科の同僚ですから」

日下部「普通にしてれば、情報は入ってくるっす」


君嶋「そうか」


日下部「でも、少尉……本当にアイツらを仲間に引き込むつもりですか?」

日下部「確かに野田みたいに変な嫌疑は持ってないみたいですけど」

日下部「相手はかなりの変わり種っすよ」

日下部「引き込むにはそれなりの覚悟がいるかと……」


君嶋「それでも、今の俺達は1人でも仲間が欲しい」

君嶋「実際に船を動かせる兵科となればなおさらだ」


日下部「でも、それなら」


君嶋「他の人間をあたっても結果は同じかもしれない」

君嶋「だが、この写真を見てみろ」


日下部「アイツらが撮った写真っすか?」

日下部「どうも、普通の写真にしか見えないっすけど」


君嶋「ああ、そうさ」

君嶋「何て事の無い風景に女子が映っている」

君嶋「これと言って特に面白味もない、ただの写真だ」

君嶋「だが、この娘が艦娘という海軍の生体兵器で」

君嶋「背景にあるのは帝都防衛の要衝、横須賀鎮守府」

君嶋「この意味が分かるか?」


日下部「いや、自分にはさっぱり……」


君嶋「写真でも絵画でも、人の手掛けた作品にはその作者の想いがこもると聞く」

君嶋「だから、この鎮守府の前で屈託のない顔で笑う少女」

君嶋「それが彼らの求めている物のひとつなのだと俺は思う」


日下部「そう……ですかね?」


君嶋「まぁ、俺の勝手な思い込みかも知れないが」

君嶋「どんな思いを抱いていようとも、彼らも軍人で、同じ男だ」

君嶋「俺が思ったように、彼らもきっと彼女たちを……艦娘を守ってやりたいと思っているはずだと信じている」

君嶋「だから俺は、あの2人を仲間に引き入れる」

君嶋「作戦が軌道に乗れば、今よりずっと彼女たちに近づけるんだ」

君嶋「奴らにとっても悪くない条件だろう」


日下部「それで乗ってくるかは分かりませんけど」

日下部「面白味が無いなんて言うと怒られますよ」

日下部「あの2人、自分の写真に妙な自信を持ってますから」


君嶋「注意しておこう」

君嶋「変に怒らせて、耳を貸してくれなくなると困るしな」

君嶋「当然だが、他言は無用だぞ?」


日下部「心配しないでも大丈夫です」

日下部「言いふらしたりしませんって」


君嶋「ああ、信用しておく」


日下部「それより……そろそろいい時間です」

日下部「今日は戻りましょう」


-数日後-

<防衛隊基地 食堂>


仙田「……味気ない」

仙田「そこの塩を取ってくれ」


一之瀬「もう三度目だぞ」

一之瀬「いい加減にかけ過ぎじゃないか?」


仙田「いいから」


一之瀬「……分かった」


仙田「悪いな」


一之瀬「なぁ……仙田」

一之瀬「やっぱり、謝った方がいいと思う」

一之瀬「逃げたままなのはマズイって」


仙田「今更謝ったって同じだ」

仙田「どうせ、今頃は報告書にもまとめられてる」


一之瀬「だったら尚の事」

一之瀬「クビになったらどうするんだよ」


仙田「なら、お前だけ行って来いよ」

仙田「オレは行かないからな」


一之瀬「やっぱり、お前おかしいって」

一之瀬「何時もだったら、直ぐに謝りに行って終わりにするのに」

一之瀬「……相手があの少尉だからか?」


仙田「そんなのは関係ない」

仙田「オレはしたいようにしてるだけだ」

仙田「アイツがどうだなんて……」


  「俺がどうだって?」


仙田「なっ……!」


一之瀬「君嶋少尉!」

一之瀬「どうして、ここに?」


君嶋「どうしたも、何も」

君嶋「腹が減ったから、昼を食べに来ただけだ」

君嶋「何もおかしいことは無い」

君嶋「それとも、俺は食堂に来ちゃいけないのか?」


一之瀬「いえ、そんなことは……」


仙田「……それで、何しに来たんですか?」

仙田「ワザワザこんなことろで食べなくても」

仙田「海軍の少尉さんなら、部屋まで持ってこさせればいいのに」


君嶋「日下部も似たようなことは言っていたが」

君嶋「どうにも落ち着かなくてな」

君嶋「やはり、こうして食堂で食べる方が性に合ってるみたいなんだ」


仙田「だったら、わざわざオレ達のところへ来なくても」

仙田「空いてるテーブルなら他にも沢山ありますよ」


一之瀬「おい、馬鹿」

一之瀬「相手は新海軍の少尉だぞ」


仙田「ふんっ……どうせ処分が下るんだ」

仙田「言いたいこと言って何が悪い」


一之瀬「仙田……!」


君嶋「俺も随分と嫌われたものだな」

君嶋「だが、何度も言っているように」

君嶋「お前達に処分を下そうなんて微塵も考えちゃいないぞ」

君嶋「そもそも、個人の懲罰如何は五十嵐中佐の領分だしな」


仙田「そんな嘘を付かなくてもいいですよ」

仙田「報告が上へ行ったら、上から処分が下る」

仙田「そう言えばいいじゃないですか?」


君嶋「……相当ひねくれた考えをしているな」

君嶋「もう少し素直に受け止めたらどうだ?」

君嶋「処分なんてするつもりは無いと言ってるんだぞ」


仙田「アンタの言うことは信用できない」

仙田「復権派だか何だが知らないが、できもしない大嘘を吐くような人間だ」

仙田「そんな奴の言うことなんか聞けるかよ」


一之瀬「おい、いい加減にしろって!」

一之瀬「本当に処分が下ったらどうするんだよ」


仙田「オレは本当の事を言っただけだ」

仙田「お前も処分が嫌なら黙ってろよ!」


一之瀬「何が本当の事だよ」

一之瀬「人の話を聞きもしないで」

一之瀬「もしかしたら、許してくれるかもしれないじゃないか?」


仙田「……新海軍なんか信用できるか」

仙田「あの娘たちを兵器としか思ってない冷血漢どもだぞ?」

仙田「どうして、そんな奴の口か出たことを信じられる」


一之瀬「でも……!」


仙田「もう知るかッ!」ダダッ


君嶋「逃がした、みたいだな」

君嶋「ここまで意固地になるとは思ってなかった」

君嶋「日下部が止めるだけはあるか」


一之瀬「あのバカ……」


君嶋「お前はいいのか?」

君嶋「あいつを放っておいて」


一之瀬「……いいんですよ」

一之瀬「ああなったら、どうしようもないんですから」


君嶋「そうか」


一之瀬「それより、君嶋少尉」

一之瀬「処分の話なんですが……」


君嶋「ああ、心配するな」

君嶋「端から処分など下すつもりは無い」

君嶋「上官に好き放題言うのは俺だって大して変わらないからな」

君嶋「今日は、忘れ物を届けに来たんだ」


一之瀬「忘れ物?」


君嶋「こいつだ」


一之瀬「仙田の撮った写真……」

一之瀬「どうして、わざわざ」


君嶋「返しそびれたままになっていたからな」

君嶋「元の持ち主に返しておこうと思って」


一之瀬「そうなんですか」


君嶋「芸術はよく分からないが」

君嶋「なかなか良い一枚だと思うぞ」

君嶋「少なくとも、俺は好きだ」


一之瀬「……嘘はついてないみたいですね」

一之瀬「だとしたら、やっぱりアイツは本物です」


君嶋「それは?」


一之瀬「パッと見た写真が良いと言える理由」

一之瀬「少尉には分かりますか?」


君嶋「さぁ……分からないな」


一之瀬「単純な事です」

一之瀬「ただ、その写真が本当に良い作品だからなんです」

一之瀬「……少尉はどう思いましたか? その写真」


君嶋「あまり得意でないから、批評はできないが……」

君嶋「彼女たち自身を撮ろうとしている」

君嶋「そんな気にさせる写真だと思った」


一之瀬「だったら、それを仙田の奴に言ってやって下さい」

一之瀬「そうすれば、アイツも協力してくれるかもしれません」


君嶋「……良いのか? そんな事を言って」

君嶋「後で恨み節を言われるかもしれないぞ」


一之瀬「それを正当に評価してくれる貴方なら信用できます」

一之瀬「周りからは下らないオタク趣味だと散々に言われていますけど」

一之瀬「そんな半端な気持ちじゃ、こんな写真を撮ることは出来ません」

一之瀬「この一枚にも彼女の表情や何気ないしぐさの一瞬にその人格が透けて見える」

一之瀬「個人が持つ特性を判断して、それが最も発揮される瞬間を収めることが出来なければこんな写真は生まれない」

一之瀬「本当に彼女たちの事を想っていなければ、これを撮ることは出来ない」

一之瀬「それが分かると言うなら、貴方も悪い人じゃありません」


君嶋「俺が嘘を付いていることは考えないのか?」


一之瀬「そんな嘘、わざわざ誰も付きませんよ」

一之瀬「皆、オタク野郎が撮った下品な写真だと言いますから」


君嶋「……そうか」

君嶋「だが、お前は?」


一之瀬「自分は、仙田の友人です」

一之瀬「アイツが行くと言うなら、一緒に付いていきます」

一之瀬「1人で行かせるには心配な奴ですから」


君嶋「分かった、恩に着る」

君嶋「それじゃあ、アイツを探してくる」


-数時間後-

<防衛隊基地 埠頭>


仙田「くっ……」


君嶋「とうとう追い詰めたぞ」

君嶋「散々逃げ回られたが、ここなら逃げ場はない」

君嶋「観念するんだな」


仙田「…っ」チラリ


君嶋「止めておけ」

君嶋「海に飛び込んでも風邪を引くだけだぞ」


仙田「クソっ……何なんだよ」

仙田「散々オレを追い回して」

仙田「一体、何するって言うんだよ」


君嶋「ようやく話を聞く気になったか」

君嶋「もう少し早ければ、こんな追いかけっこをしなくても済んだのにな」


仙田「……で、何だよ」

仙田「こんなところまでオレを追い回した理由は」


君嶋「これだ」ペラッ


仙田「しゃ、写真?」


君嶋「ああ、そうだ」

君嶋「こいつを返すために追いかけていた」


仙田「そんな……バカな」

仙田「それだけの為に?」


君嶋「もちろん、そうだ」

君嶋「本当はこんなに時間を食う予定は無かったんだがな」

君嶋「お前が話を聞かないおかげで」

君嶋「基地中を駆け回る羽目になった」


仙田「……ありえない」

仙田「どうしてそんなこと」


君嶋「人の物を預かったままなのは気味が悪いからな」

君嶋「さっさと返しておこうと思っただけだ」


仙田「でも、アンタは新海軍の士官だろ」

仙田「そんな奴がどうして?」

仙田「オレの知ってる奴らは……」


君嶋「お前が何を知っているのかは分からんが」

君嶋「俺はお前に写真を返しに来た」

君嶋「ただ、それだけだ」


仙田「…」


君嶋「それより、ほら」

君嶋「さっさとコイツを引き取ってくれ」


仙田「あ、ああ……」


君嶋「その写真、俺は良いと思うぞ」

君嶋「巧拙はよく分からないが」

君嶋「お前の想いが込められてるのは感じる」


仙田「ハッ……何を」


君嶋「ひっそりと隠れるように撮った日常の風景」

君嶋「何て事の無い背景に映る1人の少女」

君嶋「ここには艦娘も鎮守府も海軍もなく、1人の人間の生きている姿が収めれている」

君嶋「お前が求めているのは、そんな彼女たちの姿なんじゃないのか?」

君嶋「兵器としてでなく、人として生きる彼女たちを……」

君嶋「強いられた戦いから解放され、自由に生きる彼女たちの姿を望んでいるんじゃないのか?」


仙田「そいつは……」


君嶋「もし、そうだとしたら……」

君嶋「それは俺も同じ考えだ」

君嶋「俺達軍人は、彼女たちのような人を守るために戦うはずなんだ」

君嶋「しかし、今の海軍はそんなことをお構いなしに彼女たちを戦場へ立たせている」

君嶋「それがまかり通っているのが今の海軍だ」


仙田「…」


君嶋「だから、俺は深海棲艦と戦う」

君嶋「艦娘ばかりを未知の敵と戦わせるわけにはいかない」

君嶋「俺達の力だけで奴らとやり合うことが出来ると証明して、彼女たちを戦場から退かせる」

君嶋「それが俺の目的だ」

君嶋「そのために、お前の力が必要なんだ」


仙田「アンタ……バカだ」

仙田「それも底抜けのバカだ」

仙田「一日中オレを付け回したあげくにそんなこと言うなんて」

仙田「正直言って、マトモだとは思えない」


君嶋「そうかもな」

君嶋「こんなこと言うために、何時間も鬼ごっこをするなんて」

君嶋「俺はどこかおかしいに違いない」


仙田「でも……アンタの言ってることは正解だ」

仙田「痛いぐらいにオレの本音を突いてくる」

仙田「正直言って、完敗だ」


君嶋「よければ話してくれないか?」

君嶋「本当はお前がどう思っているのか」


仙田「そんな大したことは思ってない」

仙田「思ってたとしても、殆どアンタに言われた」

仙田「ただ……あの娘たちを兵器と呼ばせたくないだけだ」

仙田「泣いたり、笑ったり、悲しんだり……あんな表情が出来る子たちが兵器な訳がない」

仙田「新海軍の連中が物みたい扱うのが許せなかった」


君嶋「そうか……」


仙田「多分、オレは彼女たちに魅せられたんだ」

仙田「普通の生活で見せる笑顔や、ふとした表情……そして、危険を顧みずに戦う高潔な精神に」

仙田「だから、その一枚一枚を記録に残したいとカメラを手に取った」

仙田「でも……同時に、心のどこかでこう思っていた」

仙田「こんな子ばかりに戦わせて、オレ達は何をやってる」

仙田「どうしてオレ達が引きこもっていて、彼女たちが出撃するんだと」


仙田「要するに……考えてることはアンタと一緒だったんだよ」

仙田「だだ、オレには行動は移す勇気なんて無かったってだけだ」

仙田「その心の隙間を埋めるように、彼女たちの日常をファインダーに収めて」

仙田「いつしか基地の連中からも、艦娘に恋慕しているオタクだと言われ始めた」

仙田「一之瀬には悪いが……それも仕方ないとは思った」

仙田「実際に、傍から見れば女子の尻を追っかけている写真オタクだしな」


君嶋「……仙田」


仙田「だけど、彼女たちの写真を撮って満足して」

仙田「いつのころから、そんな自分に心底嫌気がさしてた」

仙田「結局、アンタを邪険に扱ったのは、自己嫌悪の裏返しだったんだよ」

仙田「彼女たちの代わりに戦うと言うアンタに対して、何もできない自分が酷く惨めに見えた」

仙田「オレにできなかったことしている人間に、今の自分を見られたくなかったから」

仙田「だから、アンタと関わらないようにしたんだ」

仙田「そうすることで、何もしない自分を肯定してやり過ごそうとしてた」


君嶋「…」


仙田「ははっ……一体何を話してるんだか」

仙田「一之瀬にもこんな話したことない」

仙田「オレもアンタのバカが移ったみたいだ」


君嶋「悪いな」

君嶋「それについては補償しかねる」


仙田「だったら、アンタに勝手に働いてもらうだけだ」

仙田「話を聞いたからには」

仙田「キッチリ深海棲艦に勝ってもらうぞ」


君嶋「……お前」


仙田「言っておくが、新海軍の連中は嫌いだ」

仙田「アンタだって本当のところは信用できない」

仙田「だが、写真を届けてくれた恩もある」

仙田「どうせ……嫌だと言っても引き返さないんだろ?」


君嶋「脈がありそうだったからな」

君嶋「協力してくれるまで付きまとうつもりだった」


仙田「やっぱりな」


君嶋「そういう訳で、よろしく頼む」

君嶋「仙田一等水兵」


仙田「ふんっ……」


<防衛隊基地 士官執務室>


君嶋(なんだかんだ、ここへ来て一月以上)

君嶋(慣れなかったこの部屋も、すっかり居心地が良くなった)

君嶋(まさか、こんなことになるとは……)

君嶋(昔の自分に言っても、信じてもらえないだろうな)


   コン コン コン


君嶋(日下部か?)

君嶋(今日は随分早いが……)

君嶋(まぁ、とにかく入れてやるか)

君嶋「どうぞ」


    バタンッ


  「失礼します!」
 

君嶋(……知らない顔が4人)
  
君嶋(何だ? いきなり)


  「君嶋特務少尉とお見受けしますが」

  「間違いありませんでしょうか?」


君嶋「確かに……間違いないが」

君嶋「一体、何の用だ?」


  「朝早くから申し訳ありません」

  「僭越ながら、本日は異動のご挨拶に参りました」


君嶋「異動?」

君嶋「そんな話は聞いていないが」


  「五十嵐中佐よりお聞きしていないでしょうか?」

  「呉海軍鎮守府の井上、以下3名が君嶋隊の所属となることを」


君嶋「いや……全く聞いていない」

君嶋「そもそも、お前達は何者だ?」


  「申し遅れました」
  
  「私は呉海軍鎮守府所属、井上正司上等水兵」


  「同じく、大久保正弘一等水兵」

  
  「小林正一朗一等水兵です」


君嶋「そこのお前は?」


  「えー……自分は」

  「横須賀海軍鎮守府所属、森辰巳上等技術兵です」


君嶋「それで何の用だ?」

君嶋「俺の隊の所属になると言っていたが……」

君嶋「それは、俺が編成する部隊の一員となるという意味か?」


井上「はい、その通りです」

井上「我々3人は貴方の指揮下に入るべく転属を願い出ました」


君嶋「転属……この鎮守府の所属になるのか?」


大久保「近日中に横須賀鎮守府の所属となります」

大久保「本日は、配属前にご挨拶へ伺った次第であります」


君嶋「で、俺の指揮下に入ると言う訳か」

君嶋「しかし……どうして呉からここへ?」


小林「君嶋少尉の噂はかねがね」

小林「横須賀にあの深海棲艦と戦う部隊が編成されると聞きました」

井上「周りの上官や同僚のほとんどは、小馬鹿にしたように言っていましたが」

井上「自分たちは違います」


大久保「少尉の志に共感し、行動を共にしたいと思いました」

大久保「そこで呉の鎮守府へ転属願いを出し」

大久保「遥々この横須賀鎮守府までやってきた次第であります」


君嶋「それは喜ばしい限りだな」


井上「少尉に喜んで頂けるなら、光栄です」

井上「転属願いを出した自分たちも報われます」


君嶋(ここまで直接的に言われるのも、何だか気恥ずかしいが)

君嶋(これが日下部の言っていた同志という訳か)


小林「思えば、入隊してから数年」

小林「兵科に任される仕事は、技術部の補佐や施設整備の名目の掃除が殆ど」

小林「全くといって兵隊の仕事をした実感はありませんでした」

小林「水兵として軍に所属しているのに関わらず、やっているのは雑務ばかり」

小林「ほとほと嫌になっていたところ、少尉の話を聞いたのです」


君嶋「俺の話か……」

君嶋「そんな大層なものでもないだろう」


井上「そんなことはありません」

井上「口先だけが殆どの復権派で、少尉は行動を起こしました」

井上「新海軍の人間と言えども、鎮守府の司令官に直訴など並大抵の覚悟ではできる事ではありません」


君嶋(舞台が整ったのは、室林大佐の力に因るところが大きいのだが)

君嶋(どうやら、全部が俺の手柄みたいに話が伝わっているようだ)

君嶋(まぁ……無理もないか)

君嶋(派手に動いた事には変わらないし、あの人がわざわざ表に出てくるとも思えないからな)


井上「自分たちは少尉の考えに賛同します」

井上「やはり……軍艦あっての海軍」

井上「船乗りが乗った船で敵を倒さねばなりません」

井上「彼女たちが居なくても我々は戦える」

井上「それを見せつけてやりたいのです」


君嶋「そうか……分かった」

君嶋「そこまでの覚悟あるなら十分だ」

君嶋「俺の下についてくれると言うなら、喜んで迎え入れよう」


井上「ありがとうございます!」


君嶋「だが、言いたいことがひとつだけある」


大久保「何でしょうか?」

大久保「自分たちに出来ることなら、何でも」


君嶋「いや、何かをやって欲しいという訳じゃない」

君嶋「ただ……1つだけ勘違いしないで欲しいことがある」

君嶋「俺は艦娘を押しのけて、軍人の力を見せつけたいんじゃない」

君嶋「彼女たちを守るために立ち上がったんだ」


小林「艦娘を守りたい?」


君嶋「彼女たちも、俺たち軍人が守るべき者の1人である」

君嶋「それを証明するために深海棲艦を倒すんだ」

君嶋「だから、敵を倒すが目的じゃない」

君嶋「それだけは分かってくれ」


小林「……分かりました」

小林「その考え、胸に刻み付けておきます」


君嶋「俺からは以上だ」

君嶋「君たちの協力を感謝する」

君嶋「これから、よろしく頼むぞ」


井上&大久保&小林「「「ハッ!」」」」


森「は、はい」


井上「では、失礼します」


大久保「失礼します!」


小林「失礼します!」


   ガチャ  バタン


君嶋(で、1人残ったわけだが……)

君嶋(こいつは何なんだ?)

君嶋(横須賀所属で、今の3人と知り合いという訳でもないみたいだが)


森「あの……」


君嶋「どうした?」


森「もしかして、どうして自分が居るのか気になってますか?」


君嶋「まぁ、不思議ではあったな」

君嶋「横須賀の技術部所属で、あいつらの知り合いでもなさそうだったから」

君嶋「それについて色々と考えていたところだ」


森「自分は彼らの道案内をしただけです」

森「それで、軍艦の話になって」

森「自分も使われなくなった旧式艦を整備してるって言ったら、ここまで一緒に」


君嶋「旧式艦というと……埠頭に繋がれたままというヤツか?」


森「ええ、まぁ」

森「子供の頃からああいうのが好きだったんで」

森「宗方兵曹長に断って、触らせてもらってるんです」


君嶋(もしかして、こいつが例の軍艦マニアか?)


君嶋「それは、そんなに良いものなのか?」


森「もちろん!」

森「アレをいじる為に働いてるようなものです」

森「自分で動かしたり、整備したりするのも良いですが」

森「長年染みついたオイルの匂いとか、ところどころに付いたサビの色合いだとか」

森「最早、一種の芸術品ですね」


君嶋「……そこまで言い切るのか」


森「ええ、そうです」

森「古臭いタコメーターから、大きく露出している駆動部まで」

森「『そんなもの無駄でしかない』とか、『もっと効率が良くできる』と言う技術者もいますが」

森「そんなことはありません、アレはアレで完成しているんです」

森「あの洗練された機能美が理解できないなんて……」

森「同じ技術者として、悲しい限りです」


君嶋「そ、そうなのか」


森「むしろ僕は思うんです」

森「そういう連中が言う、効率なんて大したことないって」

森「やれ効率がいい、やれ燃費がいい、やれ環境に優しいと言ったって」

森「結局は数字の上の出来事に過ぎないんです」


君嶋(……話がおわらない)

君嶋(これは、不味いかもしれないぞ)


森「よく『技術者は数字で勝負しろ』なんて言われますが」

森「僕はそんなの下らないとおもうんですよ」

森「少尉も、そう思いませんか?」


君嶋「あ、ああ」

君嶋(正直、何を言っているのかまるで分からない)


森「やっぱりそう思いますよね」

森「机の上で議論するより、実際に動かしてみた方が良いに決まってる」

森「確かに、機械は無理に動かせば壊れます」

森「何をするにしても何かしらの制御が必要なのは分かっています」

森「ですが、だからと言って全てを機械にやらせるのは間違っていると思うんです」

森「それが如何に効率が良く、便利であったとしても、最後に動かすのは人間です」

森「その人間が管理する部分が多いモノほど、ツールとしての機械のあるべき姿だとは思いませんか?」


君嶋「いや……それは」

君嶋(後悔先に立たずとは言うが……)

君嶋(何故、こんな話題を振ってしまったんだ)


森「もちろん、僕にもあの船には改善の余地があることぐらい分かります」

森「でも、それはあくまで改善です」

森「周りみたいに駆動制御を全部電気式にしろとは言いません」


森「そもそも最初から機械式制御を想定して設計されたモノを無理に変えていいはずがありません」

森「ここ最近、艦娘関連のオートマ技術を船舶に流用するみたいな話が流行っていますけど」

森「自分はそれにはあまり賛成できませんね」


君嶋(この様子……)

君嶋(どうやら、俺一人では対処できそうにないな)


森「確かに、一見関係ないような技術でも、結びつければ新たな使い方が見つかる事もあります」

森「ですが……このふたつに関しては別です」

森「同じ対深海棲艦でも、明確に違うアプローチを踏んでいるんです」

森「そういう訳で、思想的に相容れない面がかなり多いんです」

森「それを安易に持ち出してもどうこうしたところで上手く行きっこありません」

森「技本が本格的に舶用装備の研究に乗り出したという話は聞いたことがありますが、それも噂にすぎませんし」

森「結局のところ、皆目先のことの囚われて本質が見えていないんだと思います」

森「第一、今の海軍の体制だと、船が活躍する場面が少なすぎるのも大きな問題です」

森「これじゃあ、船舶の技術が遅れても当然と言う訳で」

森「さっきの技術流用の話が持ち上がるわけです」

森「僕が思うには……」


君嶋(……早く来てくれ、日下部)


<防衛隊基地 工場長執務室>


  コン コン コン


五十嵐「入って良いぞ」


    ガチャッ


君嶋「……失礼します」


五十嵐「おっ、来たか」

五十嵐「急に呼び出して悪かったな」

五十嵐「ちょっと伝えておきたいことがあったんだ」


君嶋「いえ、滅相もありません」

君嶋「むしろ呼ばれて助かったぐらいです」


五十嵐「少し顔色が悪いな」

五十嵐「朝に押しかけてきた連中に生気でも吸われたか?」


君嶋「あの3人の事、知っておられるのですか?」


五十嵐「そりゃあ、俺はここの責任者だからな」

五十嵐「配置転換でやってきた奴らの事ぐらい知ってる」

五十嵐「操船系の人員が居て困ることは無いからな」

五十嵐「軍令部から打診されて、二つ返事で引き入れてやった」


五十嵐「どうして話してくれなったのか、って顔しているな」

五十嵐「まぁ……これについては悪かった」

五十嵐「単に俺の方の手違いだ」

五十嵐「まさか、この時期に直接挨拶に来るなんて想定していなかったからな」

五十嵐「お前に話すのを忘れてた」


君嶋「いえ、大丈夫です」

君嶋「自分としても同志が増えるのは喜ばしいことです」

君嶋「それに……これは彼らが原因ではありませんから」


五十嵐「ん? 違うのか」

五十嵐「じゃあ……何だ」

五十嵐「最近懐柔したって噂の仙田に振りまわされでもしてたのか?」


君嶋「そうではありません」

君嶋「……森の長話に付き合わされたんです」


五十嵐「森と言うと……」

五十嵐「まさか、技術部の森上等技術兵のことか?」


君嶋「ええ……はい」


五十嵐「そりゃあ、災難だったな」

五十嵐「アイツも仙田たちとは違った意味で有名だからな」

五十嵐「あの宗方でさえ、手を焼いている程の軍艦マニアだ」

五十嵐「相当絡まれただろう?」


君嶋「ええ……今回の事で学びました」

君嶋「マニアと呼ばれる人種には口を出すな、と」

君嶋「仙田や一之瀬が避けられていた理由も分かりました」

君嶋「自分は軽く話すだけのつもりでしたが」

君嶋「向こうはその気で無かったようで」

君嶋「一方的に長話を聞かされる羽目になったのです」


五十嵐「ま、愛好家ってのはそういうもんだからな」

五十嵐「俺だって紅茶の茶葉やら淹れ方なら2日は語れるぞ」

五十嵐「良ければ、今からでも話してやろうか?」


君嶋「……遠慮して頂きます」


五十嵐「冗談だ、そう本気にするな」

五十嵐「俺だってそこまで暇じゃない」


君嶋「本当ですか?」

君嶋「冗談には聞こえませんでしたよ」


五十嵐「悪かった、許してくれ」

五十嵐「ここじゃあ、こんな話を出来る相手も限られてくるんでな」


君嶋「分かりました」

君嶋「そういうことにしておきます」


五十嵐「で、話は変わるが……」

五十嵐「そのマニアの話はどうだった?」

五十嵐「何か面白い話でもあったか」


君嶋「マニアが避けられる理由は良く分かりました」

君嶋「ハッキリ言って、2度目は御免です」

君嶋「面白い面白くない以前に、内容が理解できませんでしたから」


五十嵐「……随分と辛辣だな」

五十嵐「そんなんで、良く仙田たちを引き入れようと思ったな」

五十嵐「アイツらも似たようなもんだろう」


君嶋「確かに……あの手の人間と付き合うにはそれなりの覚悟が必要なことが分かりました」

君嶋「ですが、それほどまでに語れるということは」

君嶋「好きなものについて、誰にも負けない情熱を持っていることでもあります」

君嶋「これは誰が何と言おうと捻じ曲げることはできません」

君嶋「だからこそ、目指すものが同じであれば力強い味方になるはずです」

君嶋「まぁ、何より仲間を選り好みできる立場でもないですからね」


五十嵐「言われてみれば、アイツらの情熱は人並み以上だしな」

五十嵐「その点に関して言えば妥協は無いだろう」

五十嵐「それで、森の奴も勧誘してみたのか?」


君嶋「いえ……」

君嶋「気づけば、軍艦の話になってしまったので」


五十嵐「……そんな隙は無かったと」

五十嵐「前途多難だな、それは」


君嶋「それだけ、やりがいがあるというものです」

君嶋「室林大佐から任された以上」

君嶋「誠心誠意やり尽くすつもりであります」


五十嵐「そいつは頼もしい限りだ」

五十嵐「奴のほくそ笑む顔が目に浮かぶ」


君嶋「?」

君嶋「それは、どういう……」


五十嵐「あー、いや……大した意味は無い」

五十嵐「何と言うか、アイツもお前の任務が大変だってのは分かってるからな」

五十嵐「命令を下した本人として、思うところがあるみたいだろうし」

五十嵐「お前がやる気に満ち溢れてるようで安心するだろうな、ってことだ」


君嶋「そうでしたか」

君嶋「では、室林大佐にも宜しくお願いします」


五十嵐「で、話は戻るが」

五十嵐「お前を呼び出した理由についてだ」


君嶋「はい、何でしょうか?」

君嶋「任務の方ならば問題なく進めていると思いますが」


五十嵐「いや、単なる演習の知らせだ」

五十嵐「今度やることになった鎮守府の合同演習について」

五十嵐「ちょっと、伝えておきたいことがあってな」


君嶋「鎮守府の合同演習……」

君嶋「日下部からそれらしいことは聞いていましたが、詳しいことは何も」

君嶋「一体、どこの部隊との演習なんですか?」


五十嵐「佐世保の第二艦隊だか第三艦隊だったか」

五十嵐「とにかく、そこら辺のが来るらしい」

五十嵐「重要拠点の一線級だからな」

五十嵐「それなりに強いみたいだぞ」


君嶋「一線級の相手……」

君嶋「それは、ここの部隊で対応できるのですか?」

君嶋「実動艦が3隻しかないと聞きましたが」


五十嵐「多分、お前が思っているのとは違う」

五十嵐「演習と言っても新海軍の方の演習だ」

五十嵐「鎮守府の新兵器、海軍でいうところの艦娘同士の演習だ」


君嶋「防衛隊は演習をやらないのですか?」


五十嵐「そりゃあ、俺だって出来るならやりたいさ」

五十嵐「だが、予算の関係でな」

五十嵐「合同演習なんてする予算は周ってこない」

五十嵐「出来ても、図上演習やら仮想標的の的あてぐらいだな」


君嶋「しかし、どうして新海軍の演習の話を?」

君嶋「防衛隊が出ないのなら、自分には無関係のように思えるのですが」


五十嵐「いいや、そういう訳にも行かない」

五十嵐「当日の海上封鎖やら周辺警備やらはウチの仕事だからな」

五十嵐「合同演習をするとなると、防衛隊から艦隊が派遣されると言う訳だ」


君嶋(道理でおかしいわけだ)

君嶋(日下部の奴は他人事のように話してたからな)

君嶋(その理由がこれと言う訳か)


五十嵐「それで、お前を呼び出した理由なんだが」

五十嵐「簡単に言えば、お前にも海上封鎖に参加してもらおうってことだ」

五十嵐「軍艦で深海棲艦を倒すにしても」

五十嵐「今の鎮守府の戦力を見ておくに越したころは無いだろ?」


君嶋「…」


五十嵐「どうした?」

五十嵐「もっと喜ぶと思ってたが」


君嶋「いえ、今まで散々と艦娘を戦わせないと言っていましたが」

君嶋「実際にどういう風に戦っているかは考えたことが無かったので」


五十嵐「それなら、良い参考になるだろうな」

五十嵐「美津島先生も目をかけているんだ」

五十嵐「何か掴んでくれよ」


君嶋「はい、ありがとうございます」


五十嵐「俺からはこれだけだな」

五十嵐「後は、話すようなこともないし……」

五十嵐「茶でも飲んでいくか?」


君嶋「また……例のアレですか?」


五十嵐「ああ、そうだ」

五十嵐「ちょうど届いたばかりの茶葉があるんだ」

五十嵐「こいつをブレンドに試してみたくてな」

五十嵐「時間は大丈夫か?」


君嶋「ええ、問題ありません」

君嶋「どうせ仕事は帳面整理が殆どですから」


五十嵐「よし、分かった」

五十嵐「じゃあちょっと待っていてくれ」

五十嵐「直ぐに準備してくる」


君嶋(これも半分習慣になってしまっているが……)

君嶋(こんなので本当に良いのだろうか?)


<防衛隊基地 士官執務室>


君嶋「…」ペラペラペラ


日下部「…」カリカリカリ


君嶋「…」ペラペラペラ


日下部「…」カリカリカリ


君嶋「なぁ……」ペラペラ


日下部「どうかしましたか?」


君嶋「俺達は何をしてるんだ」


日下部「何って、書類整理じゃないですか?」

日下部「指示通りに資料を整理しているんですから」


君嶋「そうは言ってもな」

君嶋「……これが書類の内に入るか?」


日下部「一応写真も付いてるし」

日下部「資料なんじゃないですか、多分」


君嶋「これを見てもか?」


日下部「まぁ、名前と所属ぐらいはどこの資料にもありますよ」


君嶋「なら……こいつは?」


日下部「好きな食べ物に性格、趣味……ですか」

日下部「あっても良いんじゃないですか?」

日下部「女子の機敏は男には分かりにくいですし」


君嶋「そういう問題じゃ無くてな」

君嶋「これはもうアレだ」

君嶋「早い話が、艦娘のブロマイドだろう」


日下部「まぁ、確かに」

日下部「何も知らない人間に見せたらそう言うっすね」


君嶋「全く……どうしてこんな仕事を頼まれて来たんだ」

君嶋「事務仕事と言えば聞こえはいいが」

君嶋「これじゃあ、ただのブロマイド整理じゃないか」


日下部「そんなこと言われても」

日下部「仙田に頼まれたのがこれだから仕方ないじゃないですか」


日下部「アイツらが付けた艦娘のデータ整理とか」

日下部「まさか、こんなことやらされるとは思ってなかったっす」

日下部「理由はどうあれ仲間になったんだから」

日下部「何というか……交友を深めようと思った結果がこれです」


君嶋「あいつらを甘く見ていたという訳か」


日下部「友好の証って感じで渡してきたんすけど」

日下部「こんな量があるとは思ってなかったっす」

日下部「正直、安請け合いは否めないっすね」


君嶋「まぁ……受けてしまったものは仕方ない」

君嶋「黙ってやるしかないな」

君嶋「丁度、艦娘について知るいい機会だ」

君嶋「折角だから教材として使わせてもらおう」


日下部「それはいいですけど」

日下部「……教材になるんすかね? これ」


君嶋「無いよりはマシだろ」

君嶋「それとも、本条大尉や美津島提督にでも聞きに行くか?」


日下部「いや……これで充分っす」


君嶋「だったら、終わりまでやるぞ」

君嶋「これで仙田たちに逃げられた、なんて事になったら」

君嶋「今までの苦労が水の泡だからな」


日下部「そうっすね」

日下部「じゃあ、見終わった書類を片しておきます」

日下部「少尉は……」


   コン コン コン コン


君嶋「ん? 来客か」

君嶋「誰かが来るなんて聞いてないが……」

君嶋「また、呉の3人組みたいなのは勘弁してほしいぞ」


日下部「そう言われても、自分にも分からないっす」

日下部「今日の予定に来客は無かったですから」


君嶋「とにかく、無視するわけにも行かない」

君嶋「開けてやれ」


日下部「はい」


   ガチャッ


  「失礼する」


日下部「あ、貴方は……」


君嶋「……本条大尉」


本条「鎮守府の一件以来だな」

本条「君嶋特務少尉」


君嶋「ええ、こちらこそ」


本条「…」チラッ


日下部「な、何か?」


本条「……相変わらず、お付きが居るみたいだが」

本条「ここの生活にもすっかり馴染んだようだな」


君嶋「お蔭さまで」

君嶋「ようやく、この部屋にも慣れてきました」

君嶋「今では我が家の様です」


本条「なら、そのまま居つかぬようにな」

本条「ここは庭に建てられた東屋も同然」

本条「決して母屋ではない」


君嶋「ですが、風通しはいい」

君嶋「柱が隠れる邸宅とは違って……」

君嶋「腐った柱は直ぐに見つかりますから」


本条「……減らず口を」

本条「その口で美津島提督も誑かしたのか?」


君嶋「そんなことはしていません」

君嶋「自分は自分の思ったことを率直に言ったまでで」

君嶋「それに提督が同意なされただけです」


本条「まぁ、どちらでもいい」

本条「事実として、貴様の言い分が受け入れられたのだ」

本条「私はそれに従わなければならない」


君嶋「それで……本日はどのようなご用件でしょうか?」

君嶋「大尉殿が来るなど聞いておりませんでしたが」


本条「今度の合同演習の挨拶に来た」

本条「その件で、五十嵐中佐との折衝が終わったついでにな」


君嶋「合同演習の挨拶?」

君嶋「話が見えませんが」


本条「中佐殿から聞いていないのか」

本条「今度の演習で、私が貴様らの船に乗り込むと」


君嶋「それは……」


本条「聞かされていないようだな」

本条「仕方がない、説明してやろう」

本条「良く聞いておけ、一度しか言わないからな」


君嶋「はい」


本条「まず、今回の演習は佐世保の第二艦隊と行う」

本条「知っての通り、佐世保は帝国海軍の要衝」

本条「当然、演習相手は海軍きっての精鋭部隊となる」

本条「そうとなれば、演習と言えどもそれなりの規模となる」

本条「旧海軍のように軍艦が2隻、3隻といった話ではないからな」


君嶋「…」


本条「そういう理由で、当日は周辺海域の封鎖と深海棲艦へ最大級の警戒が必須となる」

本条「国家防衛の主翼を担う精鋭同士が実働演習を行うのだ」

本条「もし仮に、その戦力を喪失するようなことあれば」

本条「国の国運に関わる重大事となる」


本条「……ここまではいいな?」


君嶋「ええ、ですが」

君嶋「海上封鎖と周辺警備は防衛隊の仕事の筈です」

君嶋「わざわざ大尉が同乗する理由は無いように感じますが?」


本条「私としても……防衛隊の船など頼りたくはない」

本条「だが、そういう訳にもいかないのだ」

本条「洋上演習を行う以上は、私か美津島提督がその評価を下さねばならない」

本条「そのためには、実際に洋上に赴き、艦娘たちの行動を観察する必要がある」

本条「だから……」


君嶋「防衛隊の船に乗船すると?」


本条「そういうことだ」

本条「美津島提督が出るまでもない以上、私が行くしかない」

本条「貴様の世話になりたくはなかったのだが」

本条「決まりは決まりだ、拒否するわけにはいかない」


君嶋「それは……」

君嶋「どういうことでしょうか?」


本条「そのままの意味だ」

本条「防衛隊など無くとも、今の海軍だけで充分に対処できると思っている」

本条「だから、貴様らの手は借りたくないということだ」


君嶋「しかし、だからと言って」

君嶋「彼女たちに全てを委ねるのはまかり間違っている」

君嶋「大尉殿には、軍人としての矜持は無いのですか?」


本条「貴様こそ、軍人の矜持が何だと言っているが」

本条「それで本当に深海棲艦を倒せると思っているのか?」

本条「在りし日の栄光を見ているだけでは、奴らには勝てない」

本条「そんな夢を見るのは詩人の仕事だ」

本条「軍人の職務は国家を脅かす敵と戦い、臣民を守ること」

本条「それがどんな形であったとしても、その任務を遂行することこそが至上命題だ」


君嶋「それは……そうですが」

君嶋「それでも自分は」


本条「フンッ……これ以上は無駄だな」

本条「この場で話したところで水掛け論だ」

本条「本当にできるかどうか、実際に彼女たちの動きを見て確かめてみるがいい」


君嶋「…」


本条「まぁ、私には無理だと思うがな」

本条「とにかく……今日はこれで失礼する」

本条「当日は私も防衛隊の艦に乗り込み、実質的な指揮を執ることとなる」

本条「感想はその時にでも聞かせてもらおうか」

本条「では、失礼する」


    ガチャッ  バタン


君嶋「…」


日下部「……大丈夫ですか? 少尉」


君嶋「ああ、大丈夫だ」

君嶋「悪かったな、二度もこんなところを見せて」


日下部「気にしないで良いっすよ」

日下部「むしろ、自分たちじゃ逆らえない相手なんで」

日下部「少尉が反発してくれて嬉しいぐらいです」


君嶋「そうか」


日下部「まぁ、ああは言ってましたけど」

日下部「本条大尉だって演習は失敗させるわけには行かないんで」

日下部「直接どうこうってことは無いと思います」

日下部「ただ……同じ船になったら気まずいっすけどね」


君嶋「そうだな」

君嶋「深く考えても仕方ない」

君嶋「今は、とにかく……作業に戻るか」


日下部「作業って、あのプロマイド整理っすか?」


君嶋「受けた仕事は最後までやる」

君嶋「常識だろ?」


日下部「そりゃあ、そうっすけど」

日下部「あんな話の後じゃ……」


君嶋「なら、この空気のまましばらく黙っているか?」


日下部「そ、それは……」


君嶋「じゃあ、手を動かせ」

君嶋「そうすれば、嫌な気分も忘れるさ」


日下部「はぁ……分かりました」

日下部「やるからにはやりますよ」

日下部「絶対に今日中に終わらせてやるっす」


君嶋「その意気だ」

君嶋「それじゃあ、始めるぞ」


<護衛艦 甲板>


   ザバッ  サバッ


 艇体に打ち付ける波がはじけ、子気味良い音を立てている

 波を切って進む船には海風がそよぎ、甲板に立っている自分の顔を撫でていた


  「良い風だ」


 風に混じった潮の香りを感じながら、久々の船出に想いを馳せる

 思えば、体感時間でふた月、実際の時間で数十年は海に出ていなかったことになる

 海軍に入隊してから船に乗らない日が無かったことを考えると、何ともおかしな話である


  (……懐かしいな)

 
 風で押し進められた波が船体を押し、体が揺さぶられる

 船酔いの原因になるそれは訓練生時代から体に覚え込まされたものであり、旧い知り合いにあったような懐かしさを覚える

 だが、それは同時に、抑えていたはずの記憶を揺さぶり起こす


  (下山田、みんな……)


 瞼の裏に焼きついたあの光景が蘇る

 滅茶苦茶に破壊された主砲、割れ窓から赤い火を覗かせる艦橋、バラバラに吹き飛ばされた戦友

 その光景の1つひとつが、この船の甲板に被って見えた


  「アンタは見ないのか?」


 突然、隣から声を掛けられる

 驚いて顔を上げると、欄干から身を乗り出したままこちらへ首を向ける仙田の姿があった

 先ほどのフラッシュバックもあり、とっさに返答を見失ってしまう


  「どうしたんだよ? そんな顔して」


 そんな姿を不審に思ったのか、仙田にしては珍しく心配そうな声を掛けてきた


  「いや……何でもない」

  「ちょっと考え事をしていただけだ」


 しかし、それに無難な理由を付けて何でもない事のように取り繕う

 思いがけず心の中を見透かされたような気がしてドキリとしたが、それを悟られる訳には行かない

 室林大佐の話にも合った通り、簡単に自分の過去を知られる訳には行かないのだ
  

  「良いのか? そんなんで」

  「あんなに近くにあの娘たちが居るのに」

  「こんなチャンス、滅多にないんだぞ」


 味気ない返答に興味を失くしたのか、仙田は別の話題を振ってくる 
 
 何時もなら一緒に居る一之瀬が相手を引き受けてくれるのだが、生憎と今日は居ない


 配置の都合で自分たちとは別の艦になってしまっていた

 同じく、砲撃主の日下部も旗艦の砲塔付きとなったため、この船には乗船していない

 今日ばかりは、こいつの話し相手は自分が引き受けるしかなさそうだ
 


  「そうは言ってもな……」


 そんなことを頭の隅で考えながら、仙田への返答に言葉を濁す

 正直に言って、彼女たちの戦いを見てもピンとこなかった

 演習の始まりと同時に甲板へ赴き、その戦いぶりを目に焼き付けようと勇んでいたのだが、

 それは想像していたよりもずっと不思議で、自分の知っている海戦とは似ても似つかないものだった


  「演習と言うよりは、踊りを見ている気分だ」


 仙田に向けていた視線を上げて、洋上で演習をしている艦娘たちに目を向ける

 水上を舞い、肩や腰に備え付けた武装で攻撃を浴びせるのが目に入った

 明確な意思を持って互いを攻撃しているはずなのに、傍目からはとてもそうは見えない

 甲板から見る彼女たちは、正しく踊りを踊っているようだった

 
  「アンタも面白いこと言うよな」

  「演習を指さして、踊りだなんて」

  「新海軍の少尉がそれでいいのかよ」


  「いや……」


 仙田の軽口に一瞬ヒヤッとする

 今の発言は、現代の海軍士官なら普通は出てこない発言だ

 感傷に浸ってボロが出やすくなっている自分を再確認し、気を引き締める


  「それより……演習はどっちが勝ってるんだ?」

  「ボーっとしていて見てなかったんだ」


 動揺を悟られないように注意して、別の話題へ話を逸らすように仕向ける


  「……そうだな」

  「接戦だけど横須賀の方が勝ってる」

  「ほら、戦闘不能になった娘も少ないしな」


 自分に向けていた視線を戻して、仙田が答える

 その指さす方には、戦列を離れて静止している艦娘の姿があった


  「そうか……」

  「だが、彼女たちの被弾の処理はどうやっているんだ?」

  「これでは戦闘不能かそうでないかぐらいしか見分けられないぞ」


  「ああ、それなら……」


  「彼女たちの装備が処理しているんです」

 
 仙田が質問に答えよう口を開く

 しかし、彼が始めるよりも早く、その先の説明を背後からの声が奪ってしまう

 2人して声のした方向に振り向くと、キッチリと軍服を着こんだ野田の姿があった


  「お前……」


 野田の姿を確認した仙田が文句を言おうと一歩踏み出す

 しかし、野田はそれを一瞥しただけで特に返答もせず、


  「あそこには特殊な弾頭が仕込んであって」

  「一定のダメージを受けたら、装備の方が勝手に使用不可になるんです」


 こちらへ向き直って説明を続ける

 仙田は明らかに不愉快な顔をしているが、それとこれとは話が別だ

 特に何も言わずに野田の話へ耳を傾けた


  「一応、傍目からも分かるようになっています」

  「破損状況によって色の違う旗を掲げると定められているので」
  
  「まぁ……ここからでは双眼鏡でも使わないと見えないかもしれませんが」

 
 
 話を終えた野田は軽く顎を上げると海の方を眺める


 確かに戦列から離れた者は白い旗を上げてたな、と1人で納得していると


  「……なんだよ、人の話を遮って」

  「お前は艦橋付近の警備担当じゃないのかよ?」 


 隣から不機嫌な仙田の声が聞こえてくる

 話を遮られたのがよっぽど癪だったのか、言外に『消えろ』と言っているのが丸分かりだった


  「別に、ここに長居はするつもりは無い」

  「少尉に話があって来ただけだ」

  「すぐに持ち場に戻る」
 

 だが、野田も野田で、そんなことなど知らないといった風に自分の要件を話して終わる

 知ってか知らずか、仙田の言い分が無視されるという形になった

 相手をするだけ無駄だと気付いたのか、舌打ちをした仙田はそっぽを向いて観戦へと戻っていった

  
  「それで、何の用だ? 野田」

  「ワザワザここまで来たってことは」

  「それなりに重要な事なんだろう」


 野田と2人になったところで要件を尋ねる

 この男の性格からして、わざわざ茶化すために持ち場を離れることは無いはずだ


  「ブリッジからの伝言です」

  「他に手が空いている者が居なかったので、自分が来ました」


 案の定、思った通りだった

 艦橋から自分宛ての伝言があり、それを野田が言付かったらしい
  

  「伝言? 誰からだ」

  「……本条大尉は別の艦に乗船していたはずだが」


 先日のやり取りを思い出し、自分を呼び出しそうな上官の名前を出す

 しかし、今日の演習では別の艦に乗っており、直接呼び出すことはできないはずだ

 ならば無線か何かで説教でも垂れるのだろうか、と邪推をするが


  「違います」

  「呉から来た新入りから」

  「ブリッジの様子を見に来ませんか、だそうです」

 
 次の野田の言葉によって否定される

 どうやら、艦橋で操船を行っている井上達が自分を誘っているらしい

 船に乗って戦いが為に呉からやってきた連中だ

 自分を囲んで、実戦の話でもしたいところなのだろうか


  「しかし、良いのか?」

  「演習の警備とはいえ、作戦行動中の船の艦橋だぞ」


 こんな伝言を頼む時点で恐らく大丈夫だとは思うが、一応確認を入れておく

 当然だが、一般の兵卒は艦橋に配置されでもしない限り、無断で侵入などできない

 今は海軍の中でも上位組織の士官ではあるが、そればかりはなあなあに済ませるわけには行かない


  「……問題ありませんよ」

  「少尉の立場なら、ブリッジの出入りは許されます」


  「それに、ウチはただの海上警備隊です」

  「戦闘行動を取ることも無いので、無用な心配ですよ」


 その問いかけに対して、抑揚のない野田の返事が返ってくる

 淡々とした答えではあるが、節々に落胆ような印象も受ける

 特に最後の言葉は、ある種の諦観にも近いものを感じだ

 日下部の話していた通り、野田が今の防衛隊の実状に満足できていないのは明らかなようだ


  「それで、どうしますか?」

  「行かないのであれば、自分の方から伝えておきますが」


  「そうだな……」


 艦橋からの誘いに頭を悩ませる

 士官としてどういう顔をして艦橋に居ればいいのか、あいつらと付き合って気力が持つのか、などと色々なことが頭をよぎる

 だが、そんなことを考えるのは形式だけであって、腹の中では決まっていた

 折角の艦橋に行ける機会なのだ、断る試しはない

 ただ……その決断を下す前に、もう少しだけ目の前の男の出方を見たかっただけだった


  「よし、行こう」

  「折角の誘いだ、断る理由もないからな」

 
 十数秒ほど沈黙し、全く顔色を変えない野田の反応を諦め、艦橋へ行くことを伝える


  「分かりました」

  「ブリッジまで案内するので、付いてきてください」


 答えを聞いた野田は事務的な返事を返すと、役目は終わったとばかりに歩き出す

 いちいち返事など待っていられないと言うのだろうか、スタスタと艦橋の方へ向かって行ってしまった

  
  「悪いな」

  「ちょっと行ってくる」


 さっさと先へ進む野田を横目に、隣の仙田に挨拶をする


  「別にいい」

  「観察なら1人の方がやり易いからな」


 仙田の興味も演習の方へ移ったのだろうか、欄干に身を乗り出したまま生返事を返してくる


  「おい、少し待て」


 踵を返して艦橋の方へ振り向くと、先行する野田へ声を掛ける

 呼びかけに応じて立ち止まった野田の姿にほっとし、小さくなった背中を追いかけようとしたとき、


    ズドォオン

 
 何かが弾けるような重低音が耳をつんざいた


    ザバァァァアン


 右舷前方、ちょうど彼女たちが演習を繰り広げていた海域にそり立つ水柱が現れる

 立ち上った水しぶきは天高く、太陽まで覆い隠さんとしていた


  「なっ……」


 突然の出来事に言葉を失くし、艦橋へ向かおうとしていた体を硬直させる

 欄干に身を乗り出していた仙田もその水柱に釘付けとなっていた


   ザーッ パラパラパラ


 砕けた飛沫が風に流され、立ち上った水柱は霧散していく

 太陽の光が散らばったしずくに反射し、虹を作っていた


   パラパラパラ 
           パラパラパラ


 洋上に現れた虹は、幻想的な輝きを放ちながら鮮やかに浮かび上がる

 白い雲と青い海のキャンバスに描かれたアーチは、光の加減によってその彩度を増す

 その光景はどこか現実感を失くさせ、白昼の夢のように目の前に広がっていた


 気づけば、虹が消えてなくなるまで、その場で固まったままであった

 水柱に釘付けとなっていた仙田も静止している

 皆、目の前の光景に見入っているのだろうか、息遣いより他の音は耳に入らない


  「あの方向は……」

 
 甲板が奇妙な静寂に支配されるなか、水柱が立ち上った方向を睨む

 あの方向は間違いなく、今し方まで艦娘たちが演習をやっていた海域だ

 安全上の問題から、彼女たちの装備していている兵器に火薬は仕込まれていない

 例外として護衛として配備されている艦娘たちは通常の装備をしている 

 だが、それでも余程の事が無い限り、砲撃をすることはないはずだ

 つまり、今のは……


  「……奴らだ」


 不意に仙田の声が聞こえた

 欄干から乗り出した格好のまま、今度は双眼鏡で何かを探るように爆心地を眺めている

 おそらく考えていることは同じだろう

 この状況で砲撃があったとすれば、深海棲艦が出て来たに違いない 
    
  
   ズドォオン

  
       ドゴォオン


 再び、砲撃音鳴り響き、鼓膜が揺さぶられる
 


 今度は2発が撃ち出され、対角線上に離れて着弾、


  ザバァァアン 


      ザッバァァァアン

      
       
 それぞれ大きな水柱を立ち上った


 もはや疑う余地は無い

 深海棲艦が出現し、戦闘状態へ突入したのだ


   カン カン カン カン


 最初の砲撃から数十秒、ようやく異常を知らせる警鐘が鳴り始めた

 何があったかは説明されるまでもない、行動あるのみだ

 すぐさま双眼鏡に食いついている仙田のもとへ駆け寄り、肩を叩いた


  「待ってくれ……まだ」


 しかし、その合図を受けても仙田は動こうとしない

 敵の正体を探ろうとでもしているのだろうか、砲火のあった辺りを必死で探している

  
  「そんなのは後だ」

  「とにかく持ち場へ急げ!」


 非常時には戦闘配置について貰わなければ困る

 仙田を叱咤し、半ば強引に欄干から引き離すと、持ち場へ就くよう命令する


  「……分かりました」

  
 苦々しく返事を返した仙田は、踵を返して自分の持ち場へと急ぐ

 その後ろ姿を眺めながら、自身の次に取るべき行動について考える

 今の自分は一種の観戦武官のような立場で乗船しており、戦闘配備に組み込まれていない

 要するに、決められた持ち場が無く、誰かに指示を飛ばすことも出来ないのだ

 だが、このまま何もせずに見ているのは、あまりにも無責任な話だ
 

   ドガァアン
         
         ドゴォオン
  

 放火はどんどん激しくなり、砲撃の重低音が臓物に響く

 繰り出される砲撃と風に混ざる炸薬の臭いがあの戦闘を思い起こさせる

 攻撃を受けいるはずなのに確認できないない艦影、そして時折チラチラと波のはざまを移動する黒い影

 これは間違いなくあの時のあいつ、自分たちの船を沈めた深海棲艦に違いない

  
  「クソっ……!」


 腹の底から言いようのない怒りが湧きあがる

 奴らが……奴らさえいなければ、下山田もみんな死なずにすんだのに

 もう二度とあんな思いはしたくない、そんな思いが胸いっぱいに広がってきた

 気が付けば、近くの銃座に駆け寄って機銃の安全装置を外していた

 この距離で奴らに命中させることは難しいだろうが、何もせずには居られなかった


 砲撃と目視を頼り敵へと狙いをつけ、いざ引き金を引こうとしたとき、


  『総員、衝撃に備えよ!』


 突然、船外の拡声器から警告が流れる
 
 次の瞬間、ディーゼルのけたたましい音と共に船が急加速、同時に左舷側へ回頭をはじめた


  「なっ……!」


 いきなりの加速に体が大きく揺さぶられる

 反動で銃座から転げ落ち、船の欄干に激突した


  「……痛っ」


 ぶつけた拍子に思わず声が漏れるが、


  ガッ グィイイイン


 そんなことなどお構いなしに船は急旋回を始める

 船体が大きく右へと沈み込み、船首が左舷側に振れた

 強烈な遠心力に振られ、ぶつかった態勢のまま舷側に押し付けられる

 柵の向こうには青い海が直ぐそこまで迫り、艇体で弾ける波が飛沫となって降りかかる


 回頭が終わり、押し潰されそうになった身体を引き起こす

 先ほど強打した肩をかばいながら、立ち上がって辺りを確認する

 船の進行方向には、おだやかな青い海が広がっているだけで何もない

 砲撃の喧騒は船尾の後ろまで置き去りにされていた


  (……どうなっているんだ?)
 

 遠くなった砲撃の炸裂音を耳にしながら、船首の方向を眺める

 目の前には何もない静かな海が広がっており、硝煙が混ざった風が頬を撫でていた

 戦場から遠ざかってく船の甲板で、ある疑問が心を埋め尽くす


  (逃げているのか?)


 突如として深海棲艦が現れ、演習をしていた艦娘たちを襲っている

 演習に参加している彼女たちは殺傷能力を持つ武器を装備していない

 警備の艦娘が応戦をしてはいるが、敵の数は未知数な上に、その正体も分かっていない

 ならば、防衛隊の艦船も彼女たちの応援に入るのが普通だ

 だが、今のこの船の取っている行動は逃走

 急速回頭で戦線を離脱し、全速力で戦場から遠ざかろうとしている

 艦娘をおとりに敵から逃げていると言っても過言ではない状況だ


  「君嶋少尉!」


 そんなこと頭の中で巡らせていると、背後から声をかけられる

 振り向くと、顔を強張らせた野田が立っていた

 彼も同じ目に遭ったのだろうか、軍服の真新しい水の跳ね跡が目に付いた

  
  「ここは危険です」

  「早く船内へ避難してください」

 
 非常時のためか、いつもとは違った緊張感で避難を勧めてくる

 それは有無を言わせぬ、断固とした調子のものだった

 しかし、彼の勧めに乗るつもりは無かった

 今のこの状況、これを黙って見過ごすわけには行かない

 幾ら艦娘とはいえ年端もいかないような少女たちをおとりにして、生き延びるなど言語道断

 そう心に決めると、黙って首を振り、その気がないことを野田に伝える

  
  「何を言っているんですか」

  「ここも、いつ砲撃が飛んでくるか分からないんですよ!」
  

 その答えに対して、野田は激しく反発する

 あまり感情を表に出さない彼にしては、怒りを前面に押し出し、怒鳴るような口調だった

 しかし、それでも答えは変わらない

 何も言わずにまっすぐに彼の目を見つめ返した


  「……どうしてですか? 少尉」

  「貴方も死ぬかもしれないんですよ」


 こちらの不退転の覚悟を読み取ったのか、気勢のそがれた野田は語気を弱める


  「それでも、逃げる訳には行かない」

  「俺達が逃げたら誰が彼女たちを守るというんだ?」


  「何を馬鹿なことを……!」

  「ただの軍艦で艦娘を守るなんて無理だ」

  「逃げなきゃ、俺達までやられるんですよ」


  「無理かどうかはやってみなくちゃ分からない」

  「それに、何時かは倒さなければいけない相手だ」

  「こんなところで逃げるわけには行かない」 


  「逃げなかったとしても、死んだらそれでおしまいです」


 自分を連れてくるように命ぜられためか、野田も反駁をやめない

 だが、説得が出来そうにないことを悟り始めたのか、次第に口調は弱々しくなっていった

 口数が少なくなってきた頃合いを見計らい、最後の台詞を叩き付ける

 
  「とにかく、俺は逃げるつもりは無い」

  「彼女たちをおとりにして逃げるなど、帝国軍人の名折れだ」
  
  「これから艦橋へ行って艦長と話を付けてくる」

 
 野田は反論するでもなく、下を向いて押し黙っていた

 こちらの意見を肯定したのか、それとも否定することをあきらめたのか、それだけでは分からない

 だが、こうしている間にも、後方で戦っている艦娘たちはその身を危険に晒している

 彼女たちに加勢するなら、無駄な時間を割く訳にはいかなった

 棒立ちになっている野田をその場に、艦橋へと乗り込むことにした
 


<護衛艦 艦橋>


 艦橋へと続く舷梯を駆け上がり、勢いよく扉を開ける

 勢いが付いた扉は蝶番が稼働する限界まで開いて、大きな音を響かせた

 突然の事に驚いたのか、操船を任されていた船員たちがこちらを振り向く


  「君嶋少尉!?」


  「どうして、ここに……」


 舵輪の前に立っていた井上と通信機の前に座っていた小林が自分の存在に気づく

 小林はヘッドホンを抑えていた左手をそのままに、首を回してこちらを向く

 井上も舵輪を握っていた手の片方を外し、上半身を捻って注意を向ける

 
  「何をしている! 持ち場から目を放すな」


  「ハ、ハイッ!」


  「了解しました」  


 しかし、すぐさま後ろに控えていた男に嗜まれて、向きを正す

 自分の事が気になる様子であったが、それぞれの仕事へと戻っていく

 操艦を任されている身として注意を疎かにするわけには行かない

 それは2人も分かっているようで、聞き耳を立てつつも再び振り返ることはしなかった


  「……君嶋特務少尉」

  「今は作戦行動中だ」

  「新海軍の少尉といえども、操艦の邪魔はしないで貰いたい」


 井上たちに喝を入れた男が静かに口を開く

 襟元の階級章は、現場の叩き上げとしては最高位の兵曹長を表す

 肩章には4条の線が引いてあり、この船の艦長であることを示していた


  「このままでは、作戦海域から離脱してしまいます」

  「今すぐ引き返してください」


 単刀直入に引き返すように要求する

 こうなる事はある程度予想していたのだろうか、艦長は眉を細めて苦い顔する

 そのまましばらく黙った後、『その必要はない』と口を開き、


  「私の命令だ」


 と言い捨てる


  「何故ですか?」

  「その理由を教えてください」


 しかし、それで納得できるはずもない

 すぐにその決断に至った理由を尋ねる 


  「こうなっては致し方ない」

  「戦闘が始まった場合は、即座に戦域から離脱する」

  「……それがルールだ」


 問い詰められた艦長は、決まり悪そうに返答する

 その視線は帽子のツバで遮らており、どこを向いているかは分からない


  「ルール、ですか」


 そんな彼を目に、先ほどの台詞を繰り返す

 艦長はそう言い張るが、そのような決まりは軍規にはない

 あったとしても撤退時における行動規範および自沈に際しての手引き程度しかなかったはずだ

 彼が言っているのは軍の中で暗黙の了解と目されていた慣習法、必ずしも守る必要はないものだ

 そう反論すると、艦長は被っていた帽子のツバを摘んで目深にかぶる

 『これ以上は聞いてくれるな』という態度であった

 
  「どうしてですか!」

  「このまま彼女たちを見捨てると言うのですか!?」


 だが、ここで食い下がるわけには行かない

 沈黙を決め込もうとする艦長を恫喝するように詰め寄る


  「君の言いたいことは分かる」

  「だが、艦を任された身として」

  「この船をみすみす沈めるような真似は出来ない」


 少しの間を置いて呟くように答える

 俯きざまにそっぽを向いているため、顔の半分以上が帽子で隠れ、表情が読み取れない


  「だからと言って見て見ぬふりをして逃げられません!」

  「現に敵が現れて、彼女たちは戦っている」

  「演習に参加した者は戦うための武器すら持っていない」

  「この状況で自分たちが逃げたら……」

  「一体、誰が彼女たちを助けるのですか!?」


 殆ど怒鳴り声に近い、抗議の声を上げる

 本当はもっと別の上手い言い方があるのだろうが、そんなものは今の自分には思いつかなかった

 ただ、磯の香りによって呼び起こされたあの時の感覚が自分を焦らせる

 酸化した血のサビ臭い臭い、生気を失った肉体の重み、光を失った瞳の虚ろな視線

 それらが幼い少女たちの身に降りかかろうとしている現実が、己から理論的な思考を奪っていく


 どれくらいの間声を張り上げていたのか分からない

 気が付けば、空気で満たされていた肺は萎み、荒い呼吸で酸素を取り込んでいた

 その間も艦長は微動だにせず、俯いたまま一点を見つめている

 艦橋の他の船員たちも聞き耳を立てながら、じっとそのその様子を窺っている 

 船外の喧騒とは対照的に、艦橋には奇妙な沈黙が垂れ込める


  「艦長」


 だが、それも束の間、艦長の名を呼ぶ声によって沈黙は破られた

 艦橋の皆の視線が一斉にその声のした方向へと移る


  「自分は引き返すべきだと思います」


 そこには舵輪を片手で操り、こちらを振り向く井上の姿があった

  
  「井上、何を……」

 
 突然の申し出に驚いた艦長は俯いていた顔を上げ、彼の名を呼ぶ

 露わになった顔には驚愕の色が見て取れた


  「君嶋少尉の言うとおりです」

  「自分たちだけ逃げられません」

 
 そんな様子の艦長には目もくれず、井上は先を続ける

 彼の目には、何者にも侵されない確固たる意志の煌めきが灯っていた 


  「しかし、そうは言っても……」


 その光に目がくらんだように顔をそむける艦長
 
 何とか平静を保って場を収めようとするが、もはや流れは変えられない


  「自分もそう思います」

 
 操舵手の井上に続いて、通信手の小林も声を上げた


  「ここで逃げ出したら、呉からやって来た意味がありません」

  「それじゃあ、ただ場所が変わっただけです」

  「自分がここに居るのは敵から逃げるためじゃないんです」


 口をつぐんだままの艦長へ向かって小林は続けた 

 それに畳み掛けるように井上も口火を切る


  「俺たちがここまで来た理由はただひとつ」

  「自分たちの力で深海棲艦と戦って打ち勝つためです」

  「そのために、君嶋少尉の下までやってきたんです」

 
 自分を含めて3対1という構図に勝ち目がないと悟ったのか、艦長は一文字に口を結んだまま閉口する 
 
 これなら押し切れるかもしれない


 井上達が作ってくれた機会を逸せずに追い打ちをかけようとしたとき、


     ズガァァアン
   

 爆撃音が鳴り響き、船体が大きく揺れた


 突然の衝撃に激しく体が揺さぶられ、体の平衡間感覚が狂う

 よろけて倒れそうになるが、すんでの所で両足を踏ん張り、転倒は回避する 

 初め数回の大きな揺れを乗り越えると、次第に船は安定を取り戻し、揺れも小さくなる

 やがて、揺れは完全に収まり、艦橋に元の静けさが戻ってくる

 
 
  「な、なんだ」


  「何が起こった?」


 今の揺れでバランスを崩したのだろうか、片膝をついていた艦長が立ち上がりざまに問いかける

 しかし、聞かれるまでもなく、全員がそれを理解していた

 自分たちが置かれた状況を考えれば、敵深海棲艦の攻撃、それ以外にはあり得なかった


  「レ、レーダーに反応アリ」

  「後方に高速で移動する艦影が……」


 すこし遅れて、観測手の報告が艦橋に響き渡る

 十分な実戦経験を積んでいないためだろうか、その声は不安に満ち、指示を仰ぐように艦長の事を見つめていた

 だが、艦長であってもその限りではなかった

 予期していない攻撃に咄嗟の判断を下せず、苦い顔のまま立ち尽くしている
 

  「後方甲板より入電です!」


 続けざまに、通信手の小林が入電を伝える


  「……繋いでくれ」

 
 茫然としていながらも艦長は命令を下す

 指示を受けた小林は慣れた手つきで通信機を操作する

 彼にも実戦経験は無いらしいが、訓練で培った技能は体が覚えているようだった

  
  『こ、こちら……甲板!』

  『敵弾が直撃、被害は……甚大です』


 小林が内線を繋ぐと、通信機を介して鬼気迫った声が艦橋へと響く

 その声は震え、一語一語を絞り出すように繰り出される言葉の合間には、何度も息継ぎの音が聞こえる


  『後部砲門は……多分ダメです』

  『負傷者も多数……』

  『甲板から、火も出ています』


 小林が男に被害状況を確認させる 

 しかし、彼の話は要領を得ず、具体的な状況は分からなかった

 だだ、そのただならぬ気配から、大変な被害が出ていることが容易に想像できた 


  『艦長、ご指示を!』


 男は懇願するように艦長へ指示を仰ぐ
 
 もはや自分ではどうすればいいのか分からない、といった感じであった


  「砲撃が直撃だと……」

  「戦闘海域からは完全に離脱したはずだ」

  「それがどうして」


 だが、助けを求められた艦長も冷静さを欠いていた

 目の前で起こっていることが理解できないという風に自問自答しており、返答を返す余裕は無かった

 そんな艦長に痺れを切らしたのか、電話口の男がもう一度指示を仰ごうとしたとき、


    ズドォオオン


 再び、艦全体に大きな衝撃が走る

 通信機から短い悲鳴が流れ、すぐさまザーッという雑音に塗りつぶされる


  「通信……切れました」


 小林が押し殺したような声で通信の断絶を伝え、通電を終わらせる

 先ほどの揺れと比較しても、今のは直撃だった

 これから何が起こるかを肌で理解したのか、艦橋の空気が張り詰める


  「ぜ、前方に……艦影」

  「……深海棲艦です」  


 揺れが収まったころ、双眼鏡を手にしていた観測手が声を上げる

 もう誰一人としてその存在を疑う者はいない

 艦橋の全ての耳目が、自分たちを死へ追いやるであろう怪物へと集まっていた


  「あれが……」

 
 進路前方には人類の敵である深海棲艦

 付近に他の艦や艦娘などは無く、船と怪物が向かい合うだけだった

  
  「……信じられん」

 
 目の前の光景を受け入れられず、思考停止に陥るかのように艦長は呟く

 さっきまで勇み節を述べていたはずの自分も固まっている

 だが、それでも考えることは止めなかった

 本当にあんな怪物と戦うことが出来るのか? あの時の二の舞ではないのか? また仲間を失うかもしれないぞ?

 頭の中にに色々な考えが巡るが、今の状況で自分が出来る選択は1つだけ

 臆せず戦う、それが唯一生き延びる可能性がある選択肢だ


  「今こそ戦うときです」

  「戦って、勝つしか生き残る道はありません」


 再度、艦長に向かって詰め寄る


  「何をバカなことを言っている」

  「この状況を見て、分からないのか!」

 
 そう言って艦長は軽く両腕を広げて反論する

 今の状況を見て判断しろというパフォーマンスなのだろうが、そんなものは通用しない

 むしろ現状を考えるなら、逃げるという選択こそあり得ない


  「迷っている時間はありません!」

  「敵は攻撃を止めてはくれないんですよ!?」  


 提案をのもうとしない艦長へ、語気を強めて意見する

 それを助けるかのように敵の砲が火を噴き、海面に大きな水柱を何本も立てている

 井上の操艦技術で直撃は免れてたが、それにも限界がある

 こちらは全長百メートル以上はある艦艇であるのに対して、敵は小型舟艇よりも小さい人間の大きさだ

 機動力だけを切り取っても天と地ほどの差がある


  「だが、しかし……」


 艦長もそれは理解しているのだろう

 だが、それ以上に勝ち目のない戦いをするわけには行かない

 そんな感情を吐露するように口ごもって黙り込む


  『こちら、船倉!』

  『損傷による浸水アリ』


  『ケガ人の搬送、間に合いません!』


  『ブリッジ、応答願います!』 


 ある種の膠着状態である艦橋を余所に、いたる所から混乱した現場を伝える入電が相次ぐ

 このままでは十分も待たずに戦闘能力はおろか、航行能力すら失ってしまう

 逃げるにしろ、戦うにしろ、行動を起こさなければ事態はどんどん悪くなっていく

 これ以上待つことは出来ない、そう思い至ると強行手段に出る覚悟を決めた


  「もう我慢の限界です、艦長」

  「今から自分がこの艦の指揮を執ります」


 そう言い放ち、艦長の前へ2、3歩足を踏み出す 


  「な、何を……」


 突然の出来事に艦長は言葉を失う

 事の成り行きを見守っていた艦橋の船員たちも同じように固まり、こちらへと視線を向ける
  

  「新海軍は防衛隊に対して指揮の掌握が出来る」

  「それを今ここで使わせてもらう」

  「今から自分が艦の司令官です」

 
 最終手段として、指揮権の掌握を行使した

 これは新海軍の軍人が非常時に防衛隊を直接指揮出来るように作られたもので、軍規にも成文化されている

 本当ならもっと早い段階で行使したかったのが、この作戦において自分は戦闘配備に組み込まれていない

 したがって、この状況における権利行使は厳密には規定違反となるため、出来れば使いたくは無かった

 しかし、これ以上艦長の心変わりを待っていれば、自分もこの船と共に海の藻屑へと消える

 皆の命と己の処分、天秤にかければどちらが重いかは一目瞭然だった


  「……分かった」

  「後は好きにしろ」
  

 指揮権を奪われた艦長は深くため息を付くと、投げやりに移譲を認める

 取りあえず収束した現場に、固唾を飲んで見守っていた船員たちは張りつめた緊張を緩めるが、


    ズガァァアン
 

 すぐさま敵深海棲艦の攻撃によって現実に戻される


  「小林、全線に回線を繋げ」


  「はい! 了解しました」


 攻撃を受けた直後、早速小林に向かって命令を飛ばす

 接続完了の報告を受けると、艦長席の通信機を手に取る

 そして、この船に乗船する全ての船員に向かって、


  「これより本艦は深海棲艦との戦闘に入る」

  「総員、戦闘配置に就け!」


 戦闘開始を告げた


 受話器を元の位置に戻すと、艦橋に束の間の静寂が訪れる

 引っ切り無しに掛かっていた指示を仰ぐ通信もパッタリと途絶えていた

 艦橋の船員たちも集中力を取り戻し、訓練を思い出すかのように計器を確認している

 それは自分においても例外ではない

 規格外の怪物とどのように戦うか、これから取るべき行動に考えを巡らせていた


   ズダダダダ

      ズダダダダダ


 程なくして、機銃の発砲音が聞こえてくる


  「機銃隊、攻撃を開始しました!」


 攻撃部隊が攻撃を開始したらしい、船員の1人がそれを告げる

 その報告に艦橋がにわかに活気づいた

 勿論、これで敵を沈められるわけでなく、あくまでも主砲や副砲の発射準備が整うまでの牽制でしかない

 それでも、自分たちが放った銃弾に深海棲艦が動揺する姿は彼らの自尊心を満たすには十分だった


  「敵深海棲艦、急速後退」

  「機銃の射程外へと退避するようです」


 双眼鏡を覗く観測手が敵の挙動を報告する

 こちらの攻撃を察知した敵はすぐさま後退、機銃の射程外へと避難するつもりらしい


  『こちら砲塔、発射準備が完了しました』

  『砲撃許可をお願いします』


 だが、それはこちらの思う壺だ

 深海棲艦が距離を取り始めたと同時に砲塔から通信が入る

 主砲が発射できるまでの時間稼ぎ、それを機銃隊はしっかりとこなしてくれた

 これも防衛隊を舐め切って、至近距離まで近づいてきた罰だ


  「ああ、後悔させてやれ」  


 砲撃主に返答を返す

 拒む理由など無い、有りっ丈を撃ち込むように伝えた


  『了解!』


 返答と同時に主砲の二連装砲が火を噴く

 撃ち出された2つの砲弾は緩い弧を描いて空中を飛翔、深海棲艦へ向かっていく

 艦橋の船員たちは熱いまなざしで、その行く末を見守った

 だが、敵も伊達に何艘も軍艦を沈めている怪物ではない 


  「主砲、敵深海棲艦付近に着弾」

  「損傷は見られません! 回避された模様」


 有り余る機動力で主砲を回避し、その体に傷を負わせることを許さなかった


  「第二射、用意! 急げ」


 すぐさま砲撃主に第二射の準備をさせる

 彼我の機動力の差が歴然である以上、こちらが戦闘不能になる前に決着を付けねばならない 


  「敵、移動を開始!」

  「後方に回り込もうとしています」


 正面は危険だと察知したのか、敵は後方に回り込む機動を取り始めた

 後部砲門は先ほどの攻撃で既に喪失している

 このまま回り込むことを許せば、奴にとっては恰好の的だ


  「クソッ……アイツ」

  「少尉! 右に回頭を」


 井上も同じことを考えたのだろう、自分に指示を仰いでくる
 

  「全速回頭、面舵一杯!」

  「奴に背後を取らせるな」


 彼の申し出に応じて、全速力での急回頭を命じた


  「了解!」

  「全速回頭、面舵一杯」

 
 
 指示を受けた井上は命令を復唱し、船の舵輪を大きく右へと回す



 舵輪の回転に従って、船体は大きく左へ沈み、船首は右側へ振れた

 同時に、艦橋には主砲の旋回に伴う鈍い機械音も伝わってくる

 正面の窓から窺える砲身は右舷側へ大きく旋回し、正面に深海棲艦を捉える


   ズドォオオン

 
 腹の底から震えるような重低音が鳴り響く

 その衝撃に船全体が揺さぶられ、視界が軽くふらつく


  「第二射、発射されました!」


 船員の1人が主砲の発射を報告する 
 
 だが、敵も甘くは無い



   ザッ バァアアン


 発射された砲弾は後数メートルのところで回避され、水面高くに巨大な水柱を発生させる

 しかし、こちらの主砲は二連装砲だ

 1発目がダメでも、それで終わるわけではない

 初弾よりも数刻遅れて発射された2発目が着水する

 先ほどの水煙で敵の姿は見えないが、十分に直撃コースだ


  (……どうだ)


 爆炎に覆われて黙視できない相手

 その被害を判断するために固唾をのんで見守っていると、


   ズガァァアン


 張り裂けんばかりの爆音と嘗てない衝撃が走った

 衝撃は凄まじく、立っていた者は例外なく薙ぎ倒される

 誰かが上げた悲鳴のような叫び声も幾つか聞こえた

 二、三度の突発的な揺れが収まった後、急に辺りは静かになる

 
  「うっ……」


 船が安定を取り戻したのを確認して、上体を引き起こす

 左の肩口が燃えるように熱い

 確認すると、左腕の上部がパックリと裂け軍服が赤く染まっていた

 傷口を見たせいか急に痛みが押し寄せる、それを誤魔化すように右手で押さえ、周囲を確認する

 艦橋への直撃は免れたのか、艦橋内部には目立った損傷はない

 爆風でガラス窓が吹き飛び、自分を含めて、その破片でケガをした者が数名いるようだった

 しかし、外の光景は艦橋の無事を喜べるほど生易しい物ではなかった


  (そんな……馬鹿な)


 最高の火力を生み出す主砲は砲身から滅茶苦茶に破壊され、使い物にならない

 甲板も、捲れあがった床がチラチラと赤い炎を覗かせ、多くの船員が犠牲になったことが見て取れる


 だが、それでも目の前に広がる光景よりは可愛いものかも知れない

 砲撃による水柱が収まった海には、奴が居た

 先ほどと変わらない殆ど無傷に近い姿で、嘲笑うかのようにこちらを見ている


  「……敵艦、未だ健在」

  「損傷は……」

  
 観測手が敵の生存を報告する

 敵の損害についても言及しようとするが、言葉が続かない

 それも仕方のないことだろう

 こちらが戦う手段を失ったのに等しい状況であるのに対し、敵はほぼ無傷

 死刑執行を待つ死刑囚も同然であった
 

  (……無理だ)


 突き付けられた現実が自分の信念を打ち砕き、死の恐怖を見せつける

 まさか、あんな怪物だったなんて

 良く知りもしないで倒せるなど、思い上がりも甚だしかった

 下山田、兵長、みんな……申し訳ない

 思考は加速し、どんどんと暗く、陰鬱とした感情が心を占める

 しかし、敵はこちらの事など構いはしない


  「砲身、稼働しています」

  「狙いは……ここです」

 
 観測手は力ない声で敵の様子を伝える

 奴は自分たちを確実に仕留めるため、その準備をしていた


  「やはり、こうなったか」


 隣で傍観を決め込んでいた艦長は諦めたかのように呟く


  「少尉ッ!」


 舵輪を握る井上は、こちらを振り向きながら自分を呼ぶ

 しかし、今の自分には何も言ってやることはできなかった


  「砲撃……来ます」

 
 観測手が掠れた声で敵の攻撃を知らせる

 既に双眼鏡は目から離されており、だらんとした右手に握られていた

  
  (済まない、皆)


 最後の覚悟を決める

 キッと目を閉じて、終わりの時を待つ

 思えば長いようで短い人生だったな、などと取り留めのないことが頭に浮かぶ


  「畜生ッ! クソッタレ」 


 井上の雄叫びと舵を回す音が聞こえる

 だが、それでも敵の砲撃が無くなることは無い

 ズドンという砲撃の音が耳をつんざき


   ザッ バァァアン


 水面に叩き付けられた音が聞こえた
 


 しかし、船は軽く揺れただけで、それ以上のことは何も起こらない

 最後に見た敵との距離からしても、直撃を受ければ自分たちの命はまず助からない距離のはずだ

 だが、砲撃音の後も意識は続いており、傷ついた左肩にはじんじんとした痛みがへばり付いている

 目を開いて辺りを確認するが、飛び込んでくるのは先ほどと同じ艦橋の光景であった
 

  (何だ? 何が起こった)


 敵は確実にこちらを沈めに来ていた

 肉眼で確認できる距離まで近づいて、砲撃を外すはずがない

 夢でも見てるのか? などと素っ頓狂な考えが頭を占める


  「甲板だ! 甲板を見てください」


 観測手が叫ぶ声がそんな自分を現実へ引き戻す

 艦橋の皆がその言葉に反応し、割れ窓から艦橋を望む

 そこには、

  
    ズダダダダ

       ズダダダダダ
  

 果敢に深海棲艦へと銃撃を加える男たちの姿があった

 数名は残された銃座に座り、残りは自前の拳銃を海に向かって発砲している

 その1人の後姿に見覚えがあった

 あの背中は間違いない、艦橋へ案内する時に見せた野田のものだった 
 


  「これは……どういうことだ?」


 不意に艦長が言葉をもらす

 彼も自分と同じく死を覚悟したのだろう、心底面食らったという顔をしていた


  「分かりません」

  「ですが……」 


 甲板に向けていた目をこちらへ回して、観測手は答える 


  「自分たちはまだ生きています」

  「それだけで十分です」


 そして、その答に割り込むように小林が先を続けた

 
 
  「そうです、艦長」


  「自分たちはまだ負けてません」

  「だから、少尉も……」


 それに合わせて井上も自分の方へと向き直る


  「戦いましょう」  
 

 そう告げた彼らの目はまだ死んでいなかった

 逆境の中でも希望への活路を見出し、決して諦めない

 そんな眼差しは凍りついた恐怖心を溶かし、忘れかけていた信念を呼び起こす


  「ああ、そうだな」

 
 気づけば彼らに答えを返していた

 まだ完全に恐怖や後悔が消えたわけじゃない

 だが、目の前の仲間が諦めていないというのに、どうして諦められるだろうか


  (まだ、戦える)


 残ったものは、何の根拠もない自信

 先ほど味わった苦い絶望の味は忘れてはいない

 だが、『必ず勝って帰れる』という確信めいた気持ちが心の底から湧きあがってきた
 
 そんな自分の様子を察したのか、井上と小林は口元を綻ばせる

 それにつられて他の船員も俯いていた顔を上げ始めるが、


  「……この状況でどうやって戦う」


 脇に居た艦長が口をはさむ

 上げ調子の皮肉ったような口調だった

  
  「主砲は喪失、機銃の効果も薄い」

  「今は弾幕で奴の動きを封じられているから良いが……」

  「銃弾が尽きれば、沈められるのも時間の問題だ」


 現実を突きつけ、現状がいかに悪いかを再認識させる

 野田たちも敵の行動を封じるように機銃を放っているが、弾が切れてはどうしようもない

 敵も今は銃弾の回避に専念しているが、銃撃を気にせずに砲撃をしかけてきたら、今度こそ沈められる


 ある意味で自分が指揮権を乗っ取り、戦いを強行したために、このような状況になったのかも知れない

 だが、そんなことを悔いても仕方がないのは艦長も分かっているはずだ

 それに、まだ勝利の芽が完全になくなったわけじゃない


  「作戦があります」


 たった1つだけ、起死回生の策を閃く

 もはや作戦と言って良いかどうか分からないほどのものであったが、確かに思いついた

 死の間際を肌に感じたからこそ、思いついた作戦

 勝利をあきらめなかった仲間が気づかせてくれた九死の策


  「作戦……?」

  「この後に及んで、何か出来ることがあるというのか」


 どうせ何も答えられないと思っていたのだろう、作戦の話に艦長は食いつく

 周りの船員も一斉にこちらを振り向き、聞き耳を立て始めた

 艦橋が静まり返り、甲板からの銃撃音が響く中、


  「艦本体による突撃攻撃」
  
  「つまりは……体当たりです」


 思い描いた策を説明する


  「……そんな無謀な」


 作戦の中身を聞いた艦長は明らかに落胆した顔をする

 こんな奴に一瞬でも期待した自分が馬鹿だった、そう言いたげな表情だった


  「無謀なのは百も承知です」

  「しかし、他に手はありません」

  「主砲が潰された本艦に残された、最後の攻撃手段です」


 しかし、こちらも引き下がっては居られない

 荒唐無稽なのは百も承知だったが、それでもやらずに死ぬわけには行かない


  「無茶苦茶だ」

  「そんなもの作戦ではない!」


 艦長は頑として反論する

 仮にも自分が指揮した船をそのように扱われるのが嫌なのか、自ら生還の可能性を棄てるのが気に食わないのか

 今まで以上に声を張り上げる


  「では、このままやられても良いと言うのですか!」

  「ここで何もしなければ、俺達は死ぬだけだ!」

 
 一瞬、頭の端にあの日の出来事がチラつく

 何としてもこの船を同じ目に遭わせるわけには行かない

 そう思うと、自然と言葉に力が入っていった


  「……そうか」


 そんな鬼気迫る様子に気落ちしたのか、そうとだけ言って、黙りこむ

 これ以上何を言っても無駄だと悟ったのだろう

 先ほどの衝撃で落としたままだった帽子を拾い上げ、『勝手にしろ』という合図だろうか、埃を払う動作をして黙り込み

 ひとまず雌雄が決した口論を終え、他の船員たちを見回す

 殆どの者は気まずそうに黙っているだけだったが、井上や小林はこちらを一瞥し、力強く頷いた

  
  「井上……」


 その答えに応じて、指示を出そうと彼の名を呼ぶ


  「分かっています」


 しかし、皆まで言う必要もなく井上は返事を返す

 そのまま舵を回して船首を足止めを食らっている深海棲艦の真正面を向けると、


  「目標、敵深海棲艦」

  「両弦全速前進!」


 スロットルを全開に入れた


  「小林、全線通信だ」


 船が敵へ向かって進み始めたのを確認し、新たな指示を飛ばす

 指示を受けた小林は手早く通信機を操作して全艦のスピーカーへと回線をつなぐ

 彼から接続完了の合図を受けると、再び艦長席のマイクを手に取った


  「この艦の指揮を執っている君嶋だ」

  「皆……良く聞いてくれ」

  「本艦はこれより、敵への体当たりを敢行する」


 艦橋は静まり返る

 隣にいる艦長は帽子を目深に被ったまま黙り込んでいる

 他の船員もこれから起こる事に想いを馳せているのだろうか、誰一人としてこちらを振り向く者はいない  


  「成功するかどうかは分からない」

  「失敗すれば、この船は海の藻屑と消えるだろう」

  「俺の独断で皆を危険に巻き込んで済まないと思っている」


 そう告げて、軽く目を閉じる

 瞳の裏に焼きついた、あの忌々しい光景が浮かんでくる

 それを振り払うように目を見開くと、通信機を握る力を強めて、先を続ける


  「ただ、これはだけは分かって欲しい」

  「俺は決して捨て鉢になって、奴に体当たりするわけじゃない」

  「奴に勝利し、皆が生き残る可能性を捨てていないからこそやるんだ!」


 気づけば空いている左手で握り拳を作り、操作盤の上に押し付けていた

 力んだせいで左肩に鋭い痛みが走るが、そんなことを気にしている余裕も無かった


  「これは最後の賭けだ」

  「全員が全員協力してくれとは言わない」

  「だが、動ける者は甲板へ出て敵の足止めを」

  「ケガ人は出来るだけ船内へ退避させ、衝撃に備えてくれ」

  「……健闘を祈る」
  

 あふれる想いを抑えながら、最後は努めて冷静な調子で通信を終える

 これ以上自分にできる事は無く、あとは作戦が上手くいくかどうかに懸っている

 そう結論付けて、割れ窓から現在の戦況を確認する

 銃弾の雨に晒されるのが嫌なのだろうか、敵は砲撃の準備もせずに銃弾の回避に躍起になっている

 対する野田達も負けてはいない、敵の嫌がる射撃をしながらも、巧みに射程外への道筋を潰していた


  「敵艦までの距離、200」  

  「敵、未だ身動きが取れていません」

 
 双眼鏡を手にした観測手が彼我の距離を伝える

 決着の時を前にして、他の船員たちも固唾をのんで静まり返る
   

  「距離、残り100」

  「状況の変わり、ありません」


 後は時間との勝負であった 

 甲板の野田達は必死に敵の足止めをしているが、彼らの持っている弾薬も多くは無い

 作戦を成功させるには彼らの銃弾が尽きる前に敵に突撃しなければならない


  (あと、少し……)

 
 
 握ったままだった通信機を掴む腕に力がこもる


 あと少しで決着が付く、自分たちが沈むか、それとも敵が倒れるか

 嘗ての仲間の顔を思い出しながら、どんどん大きくなっていく深海棲艦を睨みつける


  「衝突まで、50……40」


 肉眼で敵の身体がハッキリと確認出る距離まで近づく

 観測手は秒読みを開始し、艦橋の船員たちも身構える


  「20……15…」


 そして、カウントはゼロに近づき、


  「10…9………」

  「接触します!」
  

  「総員、衝撃に備えろ!」

 
 船は体当たりを成功させた


    バキッ


 鈍い音が船体に響き、大きな揺れが自分たちを襲う

 砲撃が直撃したとき程の衝撃は無かったが、舵が大きく振れ、制御が出来なくなる

 渾身の力で舵を握っていた井上も左右に振られ、床に吹き飛ばされていた


  「……っ!」


 自分も例外でなく、激しい揺れに弾き飛ばされ、床に打ち付けられる

 次第に揺れは小さくなり、操舵手を失くした船も減速し始める

 やがて、完全に推力を失った船は完全に停船した


  (……止まった?)


 鳴り響いていた銃撃音もどこかに、波が打ち付ける音と風がそよぐ音が艦橋を包み込む

 不意に訪れた静寂に、弾き飛ばされた船員たちはぞろぞろと立ち上がって辺りを確認し始める

 立ち上がって望む正面の海には敵の姿は見えない

 ただ、何処までも続く水平線と甲板から噴き出る煙が空に溶け込んでいく光景がだけが確認できた

 そんな現実離れした景色に皆が皆目を奪われてしまう

 窓から差し込む陽光に照らされながら、茫然と外を眺めていると

 
   ドォオオン


 激しい爆音と同時に凄まじい衝撃が体を襲った

 立ち尽くしていた艦橋の隊員は次々に薙ぎ倒される


  (……奴は生きている)


 自分も床に叩き付けられながら、最悪の事態が脳裏をよぎる

 主砲を潰された自分たちにこんな爆音を鳴らす術はない

 そうなれば、今のは明らかに敵が引き起こした作為的なものだ

 つまり、玉砕覚悟の体当たりでも敵を仕留められなかったことを意味する


  「クソッ!」


 自分の力不足を呪いながら、目の前の床を殴る


  「機関室より入電!」


 すぐさま小林が機関室からの入電を伝え、


  「敵深海棲艦、船底を破壊し侵入」

  「内部から左舷部装甲を破壊した模様!」


 敵が船体に大穴を空けたことを報告した


  (ここまでか……)


 機関室の内壁が破壊されたということは、航行能力を失ったということに等しい

 水密扉を閉めれば浸水による沈没は免れるだろうが、戦闘などは到底不可能

 こうなってしまっては、もはや自分たちの手でどうこう出来る問題ではない

 今度こそ覚悟を決めて両目のまぶたを閉じた


 しかし、死ぬにはまだ早すぎたようだ


  「レーダーに敵艦を捕捉!」

  「進路は南西、本艦との距離……どんどん開いていきます!」


 船員の1人が敵が自分たちから逃げていると叫ぶ

 到底信じられない、重い体を引き起こしてその真偽を確かめるべく立ち上がる
 
 既に観測手が双眼鏡をあてがい、深海棲艦の方向を確かめていた

 そして、その答えは、


  「逃げています! 間違いありません」

  「深海棲艦が、この船から逃げいます!」
  

 間違いなく、敵が逃亡しているというものだった
  
 どうやら、自分たちは賭けに勝ったらしい

 限りなく負けに近い内容であったが、敵を敗走させしめた


  (やった……のか)


 ボロボロになった船を眺めて感慨に浸る

 あの時と同じ射すような日差しは、全く違うものを映し出していた  

 張りつめていた緊張がほぐれて足の力が抜け、急に血の気が引く様な感覚に襲われた


  (血を、流し過ぎたか……) 


 クラリと重心が偏り、体の均衡が崩れる

 何とか体を支えようと足に力を込めるが、意識が遠のき、思うように体が動かない

 そのまま崩れるように倒れると、目の前が真っ白になった
 


<軍病院 士官病室>


君嶋「うっ……ここは」


  「目が覚めたみたいだな」

  「君嶋特務少尉」


君嶋「……本条大尉?」

君嶋「どうして、あなたが」


本条「どうしたもこうしたもない」

本条「乗っていた船が深海棲艦に襲われてな」

本条「この有様だからだ」


君嶋「その腕は……」


本条「見ての通り、骨折だ」

本条「転んだ拍子に強打したようでな」

本条「完治するまで一月はかかる」


君嶋「……ここはどこでしょううか?」

君嶋「見たところ、病院の一室のようですが」


本条「横須賀の軍病院だ」

本条「今回の件で負傷した人間が集められている」


本条「おかげで負傷者が溢れて病室が足りていない状況でな」

本条「士官同士、貴様と同室に入れられたという訳だ」


君嶋「……そうですか」

君嶋(大尉のこの顔、被害は相当なものなのか)


本条「貴様の方は随分と元気そうだな」

本条「看護婦たちは失血がどうとか言っていたが」

本条「その様子なら、そこまで大事じゃないんだろう」

本条「運よく船が生き残り、大破寸前で深海棲艦に見逃してもらったり」

本条「どこまでも悪運の強い奴だ」


君嶋「船は……自分の乗っていた船はどうなったのですか?」

君嶋「井上に小林、野田たちは無事なんですか?」


本条「さぁ? 私も詳しい状況は知らん」

本条「ただ、被害は貴様の船が一番少なかった」

本条「もっとも……それで主砲喪失に主機関大破だがな」


君嶋「あの船が一番被害が無い?」

君嶋「それじゃあ、他のは……」

君嶋「他の船はどうなったのですか」


本条「何も知らずに眠っていただけか」

本条「とんだ幸せ者だな」


君嶋「勿体ぶらないで教えてください」

君嶋「一体、何があったのですか?」


本条「佐世保との合同演習中に深海棲艦の襲撃があった」

本条「ここまでは貴様も知っているだろう」


君嶋「……ええ」


本条「だが、アレはただの襲撃ではなかった」

本条「複数の深海棲艦による組織だった攻撃」

本条「つまり……奇襲攻撃であると結論づられた」


君嶋「奇襲攻撃……!」


本条「まだ確定ではないが、少なくとも上の見解はそう固まっている」

本条「事故直後に面会に来た美津島提督がそう話されていた」

本条「一応、防衛隊付き士官の貴様にも伝えておくようにという御達し付きでな」


君嶋「しかし、なぜ奇襲が……」

君嶋「周辺の索敵は万全だったはずなのに」


本条「それこそ私の方が聞きたい」

本条「もっと早くに敵を発見できていたら……」



     カラ カラ カラ カラ カラ

  「急患です! 道を開けてください」



本条「フンッ……さっきからずっとこれだ」

本条「私のケガではあまりここから動けんし」

本条「全く、嫌になってくる」



  「大丈夫ですよ、日下部さん」

  「しっかりしてくださいね」



君嶋(日下部!)

君嶋(まさか、今のは……)ガタッ


本条「何だ?」


君嶋「済みません、大尉」

君嶋「ちょっと失礼します」


本条「おい! 何処へ……」


<軍病院 廊下>


君嶋「日下部!」

君嶋「おい、日下部ッ!」ダッ


  「何ですか! 貴方は」

  「止めてください!」

 
君嶋「俺だ! 分かるか!?」


日下部「しょ、しょう……い」


君嶋「そうだ! 俺だ」


日下部「す……すみません」

日下部「ちょ…っと……しくじって」


  「いいから離れてください!」

  「急いでるんです!」


君嶋「…っ」


  「はい、大丈夫ですよ」

  「もうすぐ付きますからね」


    カラ カラ カラ カラ カラ


  「そういえば、日下部とかいうお付きが居たな」


君嶋「……本条大尉」


本条「上官そっちのけで飛び出すとは」

本条「左遷先に随分と根を張ったようだな」


君嶋「それより、大尉」

君嶋「被害状況を教えてください」

君嶋「防衛隊の船に艦娘たちは、どうなったのですか」


本条「現時点で確認できている艦娘の被害は轟沈4、大破6、中破以下5」

本条「さらに、行方不明も幾人かいる」

本条「防衛隊の死傷者の方はまだ纏まっていない」

本条「貴様の3番艦以外が沈められたおかげで、数の把握が困難になっているんだ」


君嶋「3番艦以外は沈んだ?」

君嶋「だとすると、防衛隊は……」


本条「ああ、そうだ」

本条「防衛隊の護衛艦は3隻中、2隻が轟沈」

本条「貴様が乗っていた船も主機が全壊し、航行不能」

本条「今回の件で横須賀鎮守府付き防衛隊の機動部隊は事実上の壊滅だ」


君嶋「そんな馬鹿な……」

君嶋「防衛隊の船が全滅だなんて」

君嶋「到底、信じられません」


本条「残念だが、事実だ」

本条「今までの光景を見ていれば分かるだろう」

本条「それとも……現実から目を背けるとでも言うのか?」


君嶋「…っ」


本条「貴様は深海棲艦に勝った気でいるかも知れないが」

本条「そんなものは、ただの思い上がりだ」

本条「奴らは勝とうとして勝てるものではない」

本条「現に、貴様らも運よく見逃して貰っただけではないか」


君嶋「そんなことはありません」

君嶋「結果的にそうだったとしても」

君嶋「あのときの自分たちは敵と戦い、勝とうとしていた」

君嶋「皆が勝つために戦って、勝ち取った勝利です」


本条「それが思い上がりだと言うのだ」

本条「貴様が思っているほど敵は甘く無い」

本条「今回は運よく生き延びられたかも知れないが、次はそうはいかない」

本条「軍艦だけで奴らを倒すなど出来るはずがないのだ」


君嶋「……承服しかねます」

君嶋「確かに自分たちは敵を取り逃しましたが」

君嶋「全く損害を与えられなかったわけではありません」

君嶋「それに、自分がそれを認めたら、この戦いで散って行った仲間に申し訳が立ちません」


本条「話の分からん奴だ」

本条「貴様のその考え自体が迷惑だと言っているのだ」


君嶋「この考えが迷惑?」


本条「ああ、そうだ」

本条「貴様に感化されたのか、私の船の防衛隊員も無駄に戦おうと言い出した輩がいる」

本条「そのおかげで敵への対処が遅れ、轟沈という最悪の結果を迎えた」

本条「今までの歴史からも、もう決まり切っている」

本条「軍艦などでは深海棲艦を倒すことはできず、対抗できるのは新海軍の艦娘だけだ」

本条「これ以上余計なことはせずに左遷先で大人しくしていろ」

本条「貴様も新海軍の人間なら、いずれは艦娘を指揮する機会もある」

本条「深海棲艦を倒すなどという考えはその時まで取っておけ」


君嶋「今まで通り艦娘に戦わせろと言うのですか?」

君嶋「だったら、黙っている訳には行きません」

君嶋「自分は敵を倒したいから、戦いに拘るのではありません」

君嶋「最前線で戦っている彼女たちが戦わずに済むようにしたいのです」

君嶋「今回だって、少なくない数の艦娘たちが犠牲になっている」

君嶋「それを無視して何食わぬ顔をするなど、到底できません」


本条「何を好き勝手に……」


君嶋「大尉は何も思わないのですか?」

君嶋「自分達の代わりに年端もいかない少女が犠牲になるのはおかしい」

君嶋「彼女たちに戦いを強要させるのは間違っていると」


本条「……そんな綺麗事で事は収まらない」

本条「我々が生き残る道はこれしかないのだ」


君嶋「それは、考えることを放棄しているだけです」

君嶋「彼女たちを失いたくない気持ちは大尉も同じはず」

君嶋「だったら……」


本条「黙れ!」

本条「貴様に何が分かると言うんだ!?」

本条「自分の好きなように、勝手な事をベラベラと喋って」

本条「人の死を背負う程の責任が無いから、深海棲艦を倒すなどと平気で言えるのだ!」


君嶋「しかし!」


本条「……貴様は報われない努力を感じたことがあるか?」


君嶋「いや、それは……」


本条「ああ、無いだろうな」

本条「今までの行動を見ていれば分かる」

本条「そんなことを感じたことすら無いだろう」


君嶋「…」


本条「私はいつもそれに苛まれいてる」

本条「まさに今、彼女たちの被害を聞いたときもそうだ」

本条「手の届かないところで、部下が戦場で散っていく」

本条「自分はそれを後ろから見ることしかできない」

本条「貴様のように自らが躍り出て敵と戦う能力など持ち合わせていない」

本条「私に出来るのは、彼女たちを監督し、生きて帰れるような作戦を立てるだけだ」

本条「だが、その技能を磨けば磨くほど、より危険な戦場へと送り込むことになる」

本条「私が軍人でいる限り、この手で彼女たちを守ってやることは出来ない」

本条「どうしようもないこの虚無感を、貴様は……」


君嶋「大尉……」


本条「フンッ……少し、お喋りが過ぎたな」

本条「今のは怪我人の戯言だ」

本条「失礼する」


君嶋「待ってください! 大尉」

君嶋「確かに自分には、あなたの本当の気持ちなど分かりません」

君嶋「だとしても、今ので確信しました」

君嶋「あなたは彼女たちの事を本当に大切に思っている」

君嶋「でなければ……そんな悲しい目が出来るはずがありません」


本条「…」


君嶋「だから、本条大尉」

君嶋「自分たちと共に敵を倒しましょう」


本条「ハンッ……ここに来て懐柔作戦か」

本条「残念だが、その手には乗らん」

本条「私を防衛隊のボンクラどもと同じにするな」


君嶋「しかし、大尉!」


本条「精々その体で、今の惨状を目に焼き付けておけばいい」

本条「では、失礼する」


君嶋「…」

君嶋(本条大尉、貴方は……)


<軍病院 エントランス>


君嶋(ここの状況、想像以上に酷いな)

君嶋(負傷兵がそこかしこに溢れているし、治療も追いついていないみたいだ)

君嶋(俺に医療の心得があれば……)


  「おい、お前」


君嶋「その声は……宗方兵曹長?」


宗方「そんなところで何している」


君嶋「それは……」


宗方「まぁ、何でもいい」

宗方「それより少し手伝え」


君嶋「はい?」


宗方「技術部だけじゃ人手が足りてねぇんだ」

宗方「ボケっとしてる暇があったら俺に手を貸せ」


君嶋「しかし、何を……」


宗方「そんなのは見りゃあ分かる」

宗方「まだ移送が終わっていないケガ人が大勢控えてんだ」

宗方「いいから、さっさと付いてこい」


<軍病院 仮設病室>


  「う、ううっ……」


宗方「こいつで最後だな」

宗方「下ろすぞ」


君嶋「はい」


   ガタリ


宗方「それじゃあ、後は頼んだ」


  「はい、任せてください」

  「我々が責任を持って処置します」


宗方「任せた」

宗方「ほら、行くぞ」


君嶋「ああ……はい」


<軍病院 外庭>


宗方「さて、今日の作業は終わりだ」

宗方「日も傾いてきたみたいだし、お前も帰れ」


君嶋「あの……宗方兵曹長」

君嶋「1つ、質問があるのですが」


宗方「何だ?」


君嶋「兵曹長はどうしてここに?」

君嶋「3番艦が生き残っているなら、技術部はその修復にあたってるはずでは」


宗方「それが出来たらそうしてるさ」

宗方「だが、奴らが施しようがないぐらいにぶっ壊してくれたおかげでな」

宗方「突貫工事の修復でどうにか出来るレベルじゃなくなっちまった」

宗方「本格的な工事をするか廃艦にするかは分からんが、今の俺達にやることはない」

宗方「そんなわけで、仕方なくケガ人の搬送に勤しんでいたという訳だ」


君嶋「ならば……大門兵長や森二等は?」

君嶋「彼らの姿は見ていませんが」


宗方「大門は工場に居る」

宗方「アイツの専門は艦娘の艤装だからな」

宗方「工場で、破損した兵器の回収やら修復をやってるはずだ」

宗方「森の方は知らん」

宗方「普段から勝手に老朽艦をいじくるような奴だ」

宗方「アイツの動向なんぞ、いちいち把握してられん」

宗方「……これで満足か?」


君嶋「いえ、もうひとつ」

君嶋「兵曹長は……なぜ自分に声を掛けたのですか?」

君嶋「ハッキリ言って、貴方は自分を嫌っていると思うのですが」


宗方「他に使えそうな奴が居なかったってだけだ」

宗方「それに、俺はお前の人格どうこうが嫌いなわけじゃない」

宗方「お前が掲げてる信念が気に食わないんだ」


君嶋「信念……ですか」


宗方「ああ、そうだ」

宗方「お前が勧める、深海棲艦との直接戦闘」

宗方「俺はそいつが気に食わない」


君嶋「ですが、兵曹長」

君嶋「あなたも軍人で、それも船舶が専門の技術兵のはず」

君嶋「何故そんなことを言うのです」

君嶋「深海棲艦と戦うことの、何が気に食わないのですか?」


宗方「……あれだけの目に遭ったというのに」

宗方「良くそんなことが言えるな」


君嶋「あれだけの目に遭ったからです」

君嶋「今回の件で、同じ船に乗っていた多くの仲間を失いました」

君嶋「当然、死を覚悟した場面もあり、自分自身勝利を諦めかけた時さえありました」

君嶋「ですが……自分が諦めても、防衛隊の仲間は諦めなかった」

君嶋「自分が大口を叩いて掲げた信念を、自分以上に深く受け止め、それを実行しようとした」

君嶋「もう、これは自分一人の意思ではありません」

君嶋「あの場で戦った者、すべての目的となったのです」

君嶋「だから、この信念は覆せません」

君嶋「皆の手で深海棲艦を倒す、その日まで」


宗方「そうかい……」

宗方「お前はアイツと違うって訳か」


君嶋「兵曹長?」


宗方「少し、時間はあるか?」

宗方「お前に見せておきたいものがある」


君嶋「自分に見せたいもの……」

君嶋「それは?」


宗方「来れば分かる」

宗方「時間は取らせるつもりは無い」


君嶋(いきなり何を……)

君嶋(俺を一体どこへ連れて行くつもりだ?)

君嶋(まぁ……考えても仕方ないか)


宗方「無理強いするつもりは無いが」

宗方「どうする?」


君嶋「兵曹長……貴方が何を考えているのか分かりません」

君嶋「でも、何もなしに自分を誘うとは思えない」

君嶋「だから、付いて行きます」

君嶋「貴方の後に付いて、その真意を確かめます」


宗方「そうか……」

宗方「じゃあ、付いてこい」

宗方「ここからなら、そう遠くないはずだ」


<海岸 海を望む岬>


宗方「よし、ここだな」


君嶋(……着いたのか?)

君嶋(何もない岬のように見えるが)


宗方「時間を取らせて悪いな」

宗方「ここにあるモノを見せに来たんだ」


君嶋「自分には何もないように見えますが……」

君嶋「本当にあるのですか?」


宗方「確か……この辺りだったな」ガサガサ


君嶋(茂みの中……)

君嶋(そこにあるのか?)


宗方「……見つけた」

宗方「クソッ……だいぶ雑草が茂ってやがる」

宗方「こりゃあ刈り取らんと無理だ」

宗方「おい、何か切れるモノを貸してくれ」


君嶋「支給品の軍刀で良ければ」


宗方「草が刈れれば何でもいい」

宗方「とにかく、渡してくれ」


君嶋「……分かりました」サッ


宗方「よし、これで」


   ザッ ザッ ガザガザ


宗方「見えるか?」


君嶋(石? いや、それにしては妙に形が整っている)

君嶋(石碑か何かだろうか?)


宗方「こいつだ……」

宗方「これがお前に見せたかったものだ」


君嶋「これは、一体」


宗方「墓だ」


君嶋「墓?」


宗方「ああ、そうだ」

宗方「石ころ同然に見えるかも知れないが、列記とした墓だ」

宗方「ここにその印が付いている」


君嶋「しかし、一体誰の」


宗方「洋二……俺の弟のだ」


君嶋「!」


宗方「驚いたみたいだな」

宗方「まぁ、それも当然ちゃあ当然か」

宗方「ノコノコ付いて行ったら弟の墓を見せらつけれたんだからな」


君嶋「しかし、それを自分に?」

君嶋「兵曹長の兄弟の話など聞いたこともないのに」


宗方「さぁ? どうしてだろうな」

宗方「さっきまでお前を連れてこようなんて微塵も思っていなかった」

宗方「だが、忘れたつもりでいたアイツの言葉を思い出しちまってな」

宗方「それで気が付いたら、お前を連れてアイツの墓の前に立っていた」


君嶋「それは……」


宗方「『艦娘ばかりに戦いを押し付けるのは間違っている』」

宗方「何時かのアイツが俺に向かって言った言葉だ」

宗方「あの時の俺はその言葉に耳を傾けることが出来なかったが、今なら分かる」

宗方「洋二は誰よりも真剣に彼女たちと向き合っていた」

宗方「上官と部下、軍人と兵器とではなく、ひとりの人間同士として」

宗方「その結果が……今の言葉だと」


君嶋「良ければその話……」

君嶋「詳しく聞かせてもらえませんか?」


宗方「話せば長くなる」

宗方「……それでもいいか?」


君嶋「構いません」

君嶋「多分、聞いておかなければならない話でしょうから」


宗方「後悔するなよ」


君嶋「ええ、大丈夫です」


宗方「で、何処から始めるか迷うが……そうだな」

宗方「あれは、まだ俺が軍に入隊して十年も経たない頃……」

宗方「ちょうど兵曹に昇進して、今の大門あたりの立ち位置にいた時だ」

宗方「その頃、弟の洋二は海軍兵学校を卒業して、地方基地の司令官に任命された」

宗方「アイツはひとまわり年の離れた弟で、ウチの家系にしては珍しく出来が良い奴だった」

宗方「高等学校を首席で卒業、兵学校でも主席で卒業した札付きのエリートだ」

宗方「そのおかげかストレートに司令官を拝命して、新任早々基地のトップになった」

宗方「今にしてみれば、あの時誰かの下に付いてれば……」

宗方「もう少しぐらい長生き出来たのかも知れないな」


宗方「当然、俺達は一族総出でアイツを祝福した」

宗方「まさか自分の家から司令官が出てくるとは思わなかったからな」

宗方「親戚一同含めて、大騒ぎだった」

宗方「俺もアイツの事を誇りに思っていた」

宗方「ボンクラな兄にはもったいない弟だとも思ってたな」

宗方「だが、そんな俺達の知らないところで」

宗方「アイツは1人で悩んでいたんだ」


君嶋「それが……」

君嶋「さっきの言葉ですか」


宗方「本当のところ、どうだったか俺には分からん」

宗方「だが、アイツと同じことを言うお前がそうなら、そうなんだろう」

宗方「アイツは現場を目の当たりにして、艦娘への接し方が分からなくなったみたいだ」

宗方「遺品のノートにもそんな悩みで埋め尽くされたページが何枚もあった」

宗方「そして、悩みぬいたアイツは1つの結論を出したらしい」

宗方「彼女たちが何者であれ、自分は人間として彼女たちに接すると」

宗方「それから、洋二は自分の基地の全ての艦娘を同じ人間として扱った」

宗方「戦果をあげれば褒め、失敗をしたら慰めるといった風にな」


君嶋(……彼女たちを兵器扱い)

君嶋(俺には到底信じられないが)

君嶋(そういう教育を受けたら、そうなるかもしれないな)


宗方「そうしているうちに、アイツの部隊はどんどん戦果を出していった」

宗方「まぁ、当然だな」

宗方「他の基地は兵器扱いしている艦娘に対して、他の部下と同じく平等に扱ったんだ」

宗方「それで士気が上がらないはずがない」

宗方「いつしか軍の中でもトップを争うほどの精鋭になっていた」

宗方「だが、皮肉なことにそれがアイツに取って新たな悩みの種になった」

宗方「自分の部隊が強くなればなるほど、戦闘も危険度を増す」

宗方「結果的に奴の部隊の戦闘は増え、犠牲となる部下も少なくなくなっていた」

宗方「次々に命を落とし、兵器の様に補充されていく艦娘たち」

宗方「その事実が洋二を苦しめた」

宗方「アイツの中では艦娘=兵器という等式が崩れ去っていたからな」


君嶋「それで……どうしたのですか?」


宗方「お前と同じさ」

宗方「自分が戦って、彼女たちの負担を減らそうとした」

宗方「今の俺達に言わせれば無謀以外の何物でもないが、アイツは真剣だった」

宗方「彼女たちの上官として、同じ戦場で戦って散りたいと本気で思っていた」

宗方「あわよくば、彼女たちに戦わせずに自分たちだけで終わらせようとしていたらしい」

宗方「だが……何事もそう上手くはいかない」

宗方「十分思い知っているだろうが、深海棲艦は強い」

宗方「人間の想定なんて簡単に超えてしまうほど、奴らは規格外だ」

宗方「洋二は、その想定を見誤った」

宗方「いつもの様に戦場に船で乗り出して……そのまま帰っては来なかった」


君嶋「…」


宗方「俺がそれを知ったのは事件から1週間後」

宗方「海軍本部から洋二の殉職が通達されたときだった」

宗方「初めに聞いたときは嘘だと思った」

宗方「司令官が前線に出る訳がない、単なる誤報だろうと」

宗方「だが……そうじゃなかった」

宗方「洋二の二階級特進が言い渡され、英霊と書かれた紙切れが差し出されたとき」

宗方「現実を受け入れざるを得なかった」


君嶋「でも、どうして」

君嶋「そこまで詳しく知っているなら」

君嶋「なぜ、止めようと思わなかったのですか?」


宗方「そんなのは簡単だ」

宗方「あの時の俺は何も分からなかったんだよ」

宗方「アイツが何に悩んでいるかも、どうして悩んでいるのかも」

宗方「それはエリートが考える問題であって、自分には関係ないと思い込んでいたんだ」

宗方「全てを悟ったのは遺品のノートを読んだ時」

宗方「何もかも手遅れになった後さ」


君嶋「なら、なぜこんなところに墓を?」

君嶋「殉職者には墓地も用意されるはず」


宗方「確かに、共同墓地にはアイツの名前が入った墓がある」

宗方「だが、そこにアイツはいない」

宗方「乗っていた船と共に今も冷たい海の底で眠っている」


君嶋「では……この墓は?」


宗方「俺が作った」

宗方「アイツの部下の……艦娘に頼まれて」


君嶋「頼まれた?」


宗方「ああ、そうさ」

宗方「アイツの葬式の時、向こうから話しかけてきた」


  『司令は海が好きでした』

  『出来れば、海の見える場所に埋めてあげてください』

  『でも、あの人には家族が居て、いつまでも私たちと一緒は可哀想だから』

  『貴方の手でお願いします』


宗方「そんなことを言って……アイツのノートを渡してきた」

宗方「だから、俺はそれをここへ埋めた」

宗方「他の誰にも知らせずに、誰にも分からないし、誰も来ようなんて思わない場所に」

宗方「それがここに弟の墓がある理由だ」


君嶋「しかし……何故」

君嶋「どうして、こんな場所に」


宗方「ノートを渡されて、最初はアイツの本当の墓に入れることも考えた」

宗方「だが、それを決めかねてノートを捲っているうちに気づいちまったんだ」

宗方「アイツのノートには艦娘の事で埋め尽くされているくせに、俺達家族のことは殆ど載っていない」

宗方「結局、アイツが一緒に居たかったのは俺達なんかじゃなく、共に戦った部下たちだったってな」


宗方「だから、海が見えるこの岬に埋めた」

宗方「ここからなら誰にも邪魔されず、アイツは自分の守りたかった艦娘たちを見守れるってな」


君嶋「…」


宗方「……何か聞きたいって顔をしてるな」


君嶋「何故、このような話を」


宗方「さぁ? 自分でもよく分からん」

宗方「だが、これで踏ん切りはついた」

宗方「あの時出来なかったことをやる踏ん切りが」


君嶋「……本当ですか?」


宗方「何だ? 何か不満でもあるのか」


君嶋「いえ……しかし、どうしていきなり」


宗方「どうも諦めが悪そうだからな」

宗方「これ以上無視して、勝手に死なれても困る」


君嶋「それは……」


宗方「ほら、帰るぞ」

宗方「これ以上油を売っていると、技術部の奴らがうるさいからな」


君嶋「は、はい!」


<軍病院 一般病室>


君嶋「調子はどうだ?」


日下部「まぁ、ボチボチってところっす」

日下部「折れ曲がった足も神経は無事みたいだったんで」

日下部「後遺症は残らないだろうって話です」


君嶋「それは良かった」

君嶋「搬送されているのを見たときは気が気じゃなかったからな」


日下部「あれでも一応、重くない方だって医者は言ってましたけどね」

日下部「応急処置さえ間違えなければ、死にはしなかったらしいっす」

日下部「それでも……正直ダメなんじゃないかとは思いましたけど」


君嶋「で、退院はいつ頃になりそうなんだ?」

君嶋「向こうの基地じゃ、お前が居ないと1人の時間が多いからな」

君嶋「そろそろ話し相手が欲しくなってきたところだ」


日下部「微妙なところですけど……2ヶ月ぐらいですかね」

日下部「骨がくっ付いたら直ぐにでも退院できるとは言われましたけど」

日下部「実際どれぐらいかは分かりませんから」


君嶋「とにかく元気そうで安心した」

君嶋「ここ暫くは事件の処理でゴタゴタしていて」

君嶋「なかなか様子を見に来れなかったからな」


日下部「そういえば事件の方はどうなったんですか?」

日下部「病棟の中じゃ、テレビかラジオぐらいしか情報を得る手段が無くて」

日下部「野田たちに聞こうにも、向こうも忙しいみたいで」

日下部「一度見舞いに来たきり顔も見ていないんですよ」


君嶋「大本営から正式な発表はされていないが」

君嶋「上層部では、演習を狙った奇襲攻撃という見解で一致しているらしい」

君嶋「襲ってきた奴らも、今までには確認できていない新型」

君嶋「こちらの索敵網を潜り抜ける能力を持った個体である可能性が高いとの見方だ」


日下部「敵の、新型?」


君嶋「まだ調査段階で、確定した訳ではないが」

君嶋「本部ではその線で固まっているらしい」

君嶋「防衛隊の様子を見にきた室林大佐がそう言っていた」


日下部「大佐……となると、その情報は本当っぽいですね」


君嶋「あの人がわざわざ嘘を付くとも思えない」

君嶋「おそらく、本当の事なんだろう」


日下部「それで、被害の方は?」


君嶋「ようやく全貌が明らかになってきた状態だ」

君嶋「防衛隊の被害だけで轟沈2に大破1」

君嶋「大破した3番艦も主機を喪失、船体に風穴があいて航行不能の有様だ」

君嶋「これで、防衛隊は稼働していた全ての艦を失ったことになる」

君嶋「鎮守府の被害はさらに深刻だ」

君嶋「演習に参加していた非武装の艦娘を中心に6人近くを失い、4人が再起不能となった」

君嶋「まだ行方不明者も数名見つかっていないらしい」


日下部「酷いっすね……」


君嶋「唯一、不幸中の幸いだったのは隊員の被害が想定よりも少ないことだな」

君嶋「負傷者も何とかここ一か所で収容することが出来た」

君嶋「人的被害が大きくなる前に船が沈められたのと、奇襲隊のの主力が艦娘に集中したことが原因らしい」

君嶋「それでも……少なくない数の人間が犠牲になったのは確かだが」


日下部「…」


君嶋「取りあえず、負傷兵の対処はだいぶ落ち着いてきた」

君嶋「それはお前が病室のお前の方がよく分かっているかもしれない」

君嶋「大変なのは工場の方だ」

君嶋「消耗した装備や弾薬の補充に工員が総動員されているうえに」

君嶋「航行不能となった3番艦も要請があれば、復旧作業へ移ることになる」

君嶋「ここ数日は、工場から明かりが消えていない」

君嶋「兵科の面々も通常業務の時間を技術部の応援に割いている状況だ」


日下部「……そうっすか」

日下部「自分がカンヅメにされてる間にそんなことが」


君嶋「今は自分の体を治すことを考えろ」

君嶋「後は俺達が何とかする」


日下部「でも、少尉」

日下部「本当にあんな奴らに勝てるんでしょうか」

日下部「自分も船に乗ってたから、分かるんですけど」

日下部「あいつらに手も足も出せずに沈められました」

日下部「正直言って……勝てる気がしません」


君嶋「多分、それが普通の感想だ」

君嶋「あの戦いの中で、そう感じない方がおかしい」

君嶋「しかし、それでも俺は戦うことを諦めはしない」


日下部「……それは、どうして」


君嶋「俺に課せられた責任だからだ」

君嶋「言い出したからには、最後まで責任を持ってやり遂げなければならない」

君嶋「あの戦いで、そいつを痛いほど教えられた」

君嶋「なぜなら……」


  「俺達が諦めなかったから」

  「ですよね? 君嶋少尉」


日下部「野田!」

日下部「どうしたんだよ、いきなり」

日下部「来るなら、来るって連絡しろよな」


野田「こっちも急用でな」

野田「少尉に用があってきたんだ」

野田「工長室まで連れてくるようにと」


君嶋「工長室……五十嵐中佐が?」


野田「はい、伝えたいことがある様で」

野田「自分が伝令を頼まれました」


日下部「でも、またお前が伝令か」

日下部「ちゃんと他の仕事はしてるのかよ?」


野田「ただの偶然だ」

野田「仮にそうだとしても、軍の備品を壊しまくった挙句に」

野田「こんなところで寝そべってる奴には言われたくないな」


日下部「……それは言わない約束だろ」


野田「だったら早くケガを治して戻ってこい」

野田「こっちは人手不足で大変なんだ」


日下部「俺だって、さっさと足を治して海へ出たいさ」

日下部「ほら、俺達も水兵だ」

日下部「魚が陸に上がったらおしまいだろ?」


野田「水兵はずっと海に出ているみたいに言っているが」

野田「……防衛隊の俺達は陸での作業が殆どだ」

野田「その理論で行くと、俺達は肺魚か何かになるぞ」


日下部「相変わらず冗談が通じないな」

日下部「素直に『はい』って言ってりゃいいのに」


野田「馬鹿だと思われるよりはマシだ」


日下部「なっ……お前!」


君嶋「そこら辺にしておけ、日下部」

君嶋「下手に怒ると傷に障るぞ?」


日下部「しかし、少尉」


君嶋「とにかく、今はケガの治療に専念しろ」

君嶋「お前に寝込まれるとこっちも困るからな」


日下部「はい、分かったっす……」


君嶋「さぁ、行こう」

君嶋「中佐をいつまでも待たせるわけには行かないからな」


野田「分かりました」

野田「工長室まで先導します」


<横須賀基地 廊下>


君嶋「……野田」

君嶋「病院を出た時から言おうか迷っていたんだが」

君嶋「今のうちに言っておきたいことがある」


野田「何ですか?」


君嶋「この前の礼だ」

君嶋「お前が居なければ俺達は負けていた」

君嶋「だから……」


野田「それ以上は構いません」

野田「むしろ、助けられたのは自分の方ですから」


君嶋「……どういう意味だ?」


野田「少尉のおかげで、奴らに反撃することが出来たということですよ」


君嶋「しかし、やったのはお前だ」

君嶋「下手な遠慮はいらない」


野田「でも、貴方が居なければ自分は何もしていませんでした」

野田「あの攻撃を決心したのは少尉の言葉があったからです」


野田「あのとき、少尉は言いましたよね」

野田「俺達が逃げたら誰が彼女たちを守る、無理かどうかはやってみなくちゃ分からない、と」

野田「あれは……昔の自分が思っていたことそのままでした」

野田「少尉を見送った後も、それをずっと考えていて」

野田「そのおかげで、抵抗する決心がついたんです」


君嶋「……そうか」


野田「それだけですか?」

野田「もっと反応があると思ってたんですが」


君嶋「いや、日下部から少し話を聞いていてな」

君嶋「あまり驚くべきところもなかった」


野田「アイツ……勝手に」

野田「まぁ、今となってはどうでも良い事ですね」

野田「それより少尉、少しだけ昔話を聞きませんか?」


君嶋「俺は構わないが」

君嶋「いいのか?」


野田「どうせ何時かは話そうと思っていた話です」

野田「それに、日下部の話だけじゃ誤解を生みそうですから」


君嶋「そういうことを言って大丈夫か?」

君嶋「俺から日下部の方に漏らすかもしれないぞ」


野田「自分は少尉を信じる」

野田「……ということです」


君嶋「いつの間にかに随分と評価が上がってるな」

君嶋「それも昔話と関係があるのか?」


野田「まぁ……そうかも知れませんね」

野田「あの時裏切られたおかげで」

野田「信用できるかどうかを見分けるのは得意になりましたから」


君嶋「……そうか」


野田「あれは横須賀に移動になる前」

野田「防衛隊に入隊してからまだ1年ぐらいの事ですかね」

野田「アイツが……復権派の回し者がやってきたのは」


君嶋(……復権派か)

君嶋(良く名前を聞くのは、軍の中でそれだけ根の深い問題なんだろうな)


野田「アイツが防衛隊にやってきた夜、少尉と全く同じことを言っていました」

野田「国を守るのは軍人の仕事だ、女子供を盾にするのは間違ってるって」

野田「それを聞いて、俺を含めた同期達は熱狂しました」

野田「ちょうど防衛隊の実情を知って幻滅していた頃」

野田「あの言葉は自分たち十代の若者にとって魔法の言葉だったんです」


君嶋「……魔法の言葉か」

君嶋「確かにそうかも知れないな」

君嶋「事実、わざわざ呉からやってきた3人組も居たからな」


野田「アイツらにも忠告はしました」

野田「だが、彼らも俺達と同じだった」

野田「現実の戦闘や深海棲艦の力を全く知らずに、唯々自分の信じる正義を貫きたい」

野田「そういう一種の熱病のようなものにほだされていた」

野田「その結果、何の疑いもなく彼の言うことを信じ」

野田「自分たちを否定する人間を軍人でないとさえ思っていた時期がありました」


君嶋「それで……どうなったんだ?」


野田「結果としては単純です」

野田「あの時も、今回みたいに深海棲艦と戦って……負けた」

野田「一切抵抗できずに無残に沈められた」


君嶋「しかし、それだけでは」


野田「確かにこれだけじゃ今回と変わりません」

野田「でも、決定的に違うことがありました」


君嶋「それは?」


野田「自分達を扇動した奴が逃げたんです」


野田「アイツは敵を見かけた途端に退却命令を出した」

野田「敵は単騎で装備も士気も十分、戦うのなら絶好の機会だった」

野田「しかし、奴は敵と戦おうとはしなかった」

野田「幾ら反発しても『自分の一存では決められない』、『艦船保守が第一義務だ』と取り合わなかった」

野田「そのときになって初めて、俺達は今までのはただのパフォーマンスだったこと悟った」

野田「でも、気が付くのが遅すぎたんです」

野田「俺達がやっと現実を直視出来た時は、船はバラバラになって海の藻屑に」

野田「アイツを含めた仲間たちも海の底へと沈んでいた」


君嶋(俺も諦めていたら、あるいは……)

君嶋(いや、考えるのは止そう)


野田「まぁ……これが少尉を良く思っていなかった理由です」

野田「どうにも受け入れられなかったんですよ」

野田「俺達を裏切ったアイツと同じことを言う人間のことを」

野田「でも、少尉は逃げようとはしなかった」

野田「あの状況で、敵に食らいついて何とか船を生還させた」

野田「だから、今度こそ信じてみようと思うんです」


君嶋「今回は上手くいったかもしれないが」

君嶋「次は無いかもしれないぞ?」


野田「それで死ぬなら、本望です」

野田「貴方を信じなかった挙句、自分だけ生き残ったら」

野田「きっと、そのことを悔やみ続ける人生になります」


君嶋「……そうか」


野田「さて、話はこれぐらいで」

野田「工長室に付きました」


君嶋「もう着いたのか」


野田「それでは自分はこれで」

野田「工場の方が人手不足なので、応援に行ってきます」


君嶋「待て」


野田「何ですか? 話なら……」


君嶋「お前がどう思っているか知らないが」

君嶋「今回は勝利はお前のおかげだ」

君嶋「お前の活躍があったから、俺は勝利を諦めなかった」

君嶋「それは覚えておいてくれ」


野田「……分かりました」

野田「それでは、また」


君嶋「ああ」


<防衛隊基地 工場長執務室>


君嶋「失礼します」


室林「来たみたいだな、君嶋特務少尉」


君嶋「室林大佐?」

君嶋「五十嵐中佐は……」


五十嵐「ここに居るぞ」ガチャ


君嶋「…!」


五十嵐「おっと、悪い」

五十嵐「驚かせたみたいだな」


君嶋「いえ、大丈夫ですが」

君嶋「……どうして奥の扉から?」


五十嵐「お前が来るって言うからな」

五十嵐「生還祝いのスペシャルティーでもご馳走してやろうと思ってな」


君嶋「いや、自分には」


五十嵐「いいから、黙って貰っとけ」

五十嵐「室林の奴も話したいことがあるみたいだからな」

五十嵐「できあがるまでそっちの話を聞いててくれ」


君嶋「……分かりました」


五十嵐「それじゃあ、頼んだぜ」バタンッ


君嶋(相変わらず無茶苦茶な人だ)


室林「さて、さっそく本題に移るとしよう」

室林「今日君を呼んだのは他でもない」

室林「先日あった襲撃の件について話があるからだ」


君嶋「例の……奇襲攻撃のことですね」


室林「ああ、そうだ」

室林「この前に来たときはこちらの用事でゆっくりと話が出来なかったが」

室林「君も大変な目に遭ったみたいだな?」


君嶋「自分はまだマシな方です」

君嶋「全治数ヶ月の重傷を負った隊員も少なくありませんから」


室林「それでも当事者の1人であることには変わりない」

室林「それに、大変な目というのが負傷についてだけという訳じゃない」

室林「特に……3番艦の指揮をした君の場合はな」


君嶋「……大佐のお話というのは」

君嶋「指揮権の掌握の事についてでしょうか?」


室林「当たらずとも遠からず、と言ったところだな」


君嶋「罰を受けろと言うのなら甘んじて受けます」

君嶋「ですが、弁明をさせて貰うとすれば……」

君嶋「あの場面ではああする他ありませんでした」


室林「それはこちらも把握している」

室林「多少の問題はあっても軍規に則った行動であることには変わらない」

室林「海軍本部としては、君にいかなる罰則も与えるつもりは無い」


君嶋「……特別のご配慮、ありがとうございます」


室林「だが、本題はそこではない」


君嶋「それは……」


室林「知っての通り、今回の襲撃で我々海軍は甚大な被害を被った」

室林「横須賀、佐世保の両鎮守府は精鋭部隊を喪失し、横須賀の防衛艦隊は壊滅」

室林「次世代兵器……艦娘を実戦投入してから最大級の被害だ」


室林「報道規制が敷かれているおかげで国民の混乱は少ないが」

室林「海軍本部のみならず、陛下も今回の事態を重く見ている」


君嶋「陛下が……!」


室林「御前会議で陛下からお言葉を頂いたようだ」

室林「私にも正確な内容までは分からないが」

室林「事件での被害を耳に入れて、大層お心を痛められていたそうだ」

室林「陛下のお言葉ともあって上層部も色めき立っている」


君嶋「しかし、室林大佐」

君嶋「本題と言うのは一体何なんでしょうか?」

君嶋「……陛下のおられる御前会議と自分が関係あるとは思えないのですが」


室林「まぁ、そう慌てるな」

室林「話はこれで終わったわけじゃない」

室林「そういうゴタゴタもあって、貴官の処分話もお流れになったわけだが」

室林「真の意味で軍がゴタついている理由は別にある」

室林「何だか分かるか?」


君嶋「穴の開いた戦力の補充……でしょうか」


室林「間違いではないが、違う」

室林「確かに本部が穴の開いた戦力の補充に苦心しているのは事実だ」

室林「だが、それ以上に上層部は事態を深刻に受け止めている」

室林「それこそ帝国海軍の沽券にかかわる問題だと」


君嶋(上層部が面子に関わると言うと)

君嶋(まさか……)


室林「ああ、そうさ」

室林「既に軍令部では敵泊地への報復攻撃が計画、施行されつつある」

室林「艦娘投入以来、最大規模での動員計画だ」


君嶋「しかし、そのような話は……」


室林「それもそうだ」

室林「計画については、まだ一部の人間しか知らされていない」

室林「私を含めた軍令部中枢の人間や主力となる艦娘を保有する基地の司令官など」

室林「作戦に重要な役割を占める人間だけに」


君嶋「なら……なぜ自分にその話を」

君嶋「卑下するわけではありませんが、自分はそこまでの情報を得るに足る人間だとは思えません」


室林「いいや、そんなことはない」

室林「君は既に重要な役割を担っているはずだ」

室林「自分の任務を良く思い出してみろ」


君嶋(俺の任務は、この防衛隊で新兵器に頼らない部隊を編成すること)

君嶋(これが戦争で重要な役割を担うとすれば)

君嶋「……まさか」


室林「そうだ、次の報復戦では一般の軍艦も作戦に従事する」

室林「もっとも……前線での戦闘ではなく後方支援がメインだが、深海棲艦と会敵しない保証はない」

室林「だからこそ、君が艦長となり自分で作った艦隊を指揮する」

室林「それが本部の意向だ」


君嶋「しかし、指揮の経験など皆無に等しいです」

君嶋「あの戦いも仲間の協力と偶然が重なったからこそ生還できました」

君嶋「そんな状態で艦隊指揮など、自分には分不相応です」


室林「だが、君でなければならない」

室林「今回の件、上層部の……復権派ではかなり評価されている」

室林「今まで沈む一方であった防衛隊の船が、深海棲艦と互角の勝負をして、生還した」

室林「君には実感がないだろうが、深海棲艦が現れて以来の快挙と言ってもいい」

室林「だからこそ、君を艦長として船に乗せることで、在りし日の海軍に戻ることが出来る」

室林「本部の老人たちはそう考えているんだ」


君嶋「ですが、与えられた任務も満足にこなせていません」

君嶋「それに……自分は船も十分に守れたことが無い人間です」

君嶋「そんな自分が艦隊の指揮を執る資格など……」


室林「……美津島先生に詰め寄った時とは随分な違いだな」

室林「私としては、二つ返事で答えがもらえると思っていたのだが」

室林「本物の深海棲艦を知ってあの時の想いは変わってしまったか」


君嶋「そんなことはありません」

君嶋「彼女たちを守りたいという思いは変わっていない」

君嶋「いや、むしろ戦いが終わってからの方が強く感じています」

君嶋「ですが……」


室林「仲間の命を危険に晒したくない、か」


  「全く、馬鹿な事を考える奴だな」


君嶋「……五十嵐中佐」


室林「早かったな」


五十嵐「最近の電気ケトルは直ぐに湯が沸くからな」

五十嵐「ほら、特製のブレンドティーだ」


室林「相変わらずいい色だ」

室林「少しは腕を上げたのか?」


五十嵐「さぁ? ここの奴らは気味悪がって飲んでくれないからな」

五十嵐「美味くなってるかは知らん」


室林「そうか……」


君嶋「それよりも、中佐」

君嶋「先ほどの言葉の意味は」


五十嵐「意味もなにも、そのままの意味だ」

五十嵐「室林の話を聞いて何を思ったが知らねぇが」

五十嵐「アイツらもお前に自分の安全を心配される義理は無いと思うってことだ」


君嶋「しかし、艦長となる以上は……」


五十嵐「確かに、艦長は船員の保護義務がある」

五十嵐「それは軍規でも決まってるルールだ」

五十嵐「でも、俺達はルールだけで動いてるわけじゃないだろ?」


君嶋「……ですが」


五十嵐「アイツらも、この先に危険が待っていくことぐらい分かってる」

五十嵐「マトモに戦えたことすら無い敵に挑むんだからな、当然だ」

五十嵐「だが、それが分かっていてもお前に付いていく」

五十嵐「それは誰かに言われたからでも、命ぜられたからでもなく」

五十嵐「アイツら自身がお前に協力したいと感じたからだ」

五十嵐「今のお前がどう思っているが知らないが、お前が奴らの感情に火をつけたのは間違いない」

五十嵐「だから、黙ってその役目を引き受けろ」

五十嵐「それがお前の任務であり、言い出しっぺの責任ってヤツだ」


君嶋(そうか……そうだったな)

君嶋(アイツらを焚き付けたのは他でもない、この俺だ)

君嶋(勝手に分かっていたつもりになっていたが、そうじゃない)

君嶋(与えられた任務の責任に圧倒されて信念を曲げるなんて)

君嶋(上辺だけをなぞって、自分をその気にさせていただけだ)

君嶋(だから……)


室林「どうだ? やってくれるか」


君嶋「……先ほどの答えは無かったことにしてください」

君嶋「あれは保身に走った世迷言です」


室林「では、君嶋大悟特務少尉」

室林「貴官を帝国海軍特務中尉とし、特殊機動艦隊長に命ずる」

室林「本令は作戦活動の開始を持って発令」

室林「以降は聯合艦隊司令長官の指揮下に入ることとなる」


君嶋「承知しました」

君嶋「君嶋大悟特務少尉、身命を賭してその大命を受けさせて頂きます」


五十嵐「ひと段落ついたみたいだな」

五十嵐「さて、こいつがやる気になったところで聞いておきたいが」

五十嵐「当然……予算は出るんだろうな?」


室林「ああ、もちろんだ」

室林「既に上の方に掛け合ってはいるが」

室林「彼が協力してくれたおかげで事が簡単に進みそうだ」


五十嵐「そりゃあ、良かった」

五十嵐「ウチも何時までもこのままじゃマズイからな」

五十嵐「また新海軍の方に予算が取られちまうかと思ってたところだ」


君嶋「あの……先ほどから何の話を?」


五十嵐「ああ、説明してなかったな」

五十嵐「改修工事にかかる予算の話だ」


君嶋「改修工事?」


五十嵐「今回のいざこざで使える船が無くなっちまったからな、そいつの改修工事だ」

五十嵐「敵泊地の強襲戦となれば動ける艦艇は何かと入用だ」

五十嵐「だから、予算が出るのを見越して動員計画を作ったっていう訳だ」


君嶋「ですが、アレが数ヶ月で動くようになるものでしょうか?」

君嶋「宗方兵曹長は手の施しようがないと言っていましたが」


五十嵐「ああ、そりゃ直ぐには無理だ」

五十嵐「あの艦の損傷状況は俺のところにも来たが」

五十嵐「ここのドックじゃ復旧が無理なことぐらい分かる状態だった」


室林「言っておくが、新造艦を作れるほどの予算は出せないぞ」

室林「中央の方も戦闘準備で予算をかき集めてる状態だ」

室林「新海軍ならともかく、防衛隊にそこまで金はまわせない」


五十嵐「ああ……それは重々承知だ」

五十嵐「だから、俺の案としてはこうだ」

五十嵐「まず埠頭に繋がれたまま手をこまねいていた3番艦の修復案を破棄、とりあえず使える人員を確保する」

五十嵐「次に、空いたままのドックに予備艦を入渠させて改修工事を行う」

五十嵐「突貫工事になっちまうかもしれないが、とにかく半年後の大規模作戦に間に合わせる」

五十嵐「それなら少ない予算で戦える船が手に入るだろ?」


室林「だが、それだと横須賀の基地から船が無くなるぞ」


五十嵐「ウチの仕事内容じゃ、あっても無くても大して変わらない」

五十嵐「どうしても必要になったら、そっちが手を回してくれるだろ?」


室林「船までよこせとは……要求の多い奴だ」

室林「だが、軍令部としてもここの防御が薄くなるのは困る」

室林「あくまで他の基地の所属となるが、予備の船をいくつか手配しよう」


五十嵐「ああ、ありがたい」


君嶋「それで、五十嵐中佐」

君嶋「改修するという予備艦というのは?」


五十嵐「お前も知っているはずだぞ」

五十嵐「前にお前が愚痴を吐いてた森二等お気に入りの船だ」

五十嵐「候補は他にもあったが、アイツが一番都合がいいからな」

五十嵐「真面目に改修すれば深海棲艦とやり合えるかも知れないのも大きい」


君嶋(あの、埠頭に繋がれたままの老朽艦か……)


室林「まぁ……それで出来るなら後はそちらに任せよう」

室林「では、君嶋特務少尉」

室林「詳細な委任状などは後日送付する」

室林「今日の話は以上だ、下がってくれて構わない」


君嶋「はい」


五十嵐「後、予備艦の改修計画の会議にはお前も顔を出せ」

五十嵐「船の基本装備やらなんらや知って置いて損は無いはずだからな」

五十嵐「何時かは決まってないが、予算案の正式な認可が下りたら直ぐにでも始めるつもりだ」

五十嵐「それと……今日聞いたことは内密にな」

五十嵐「余計な情報を出して隊員を混乱させたくない」


君嶋「承知しました」

君嶋「今日の話は自分の胸に留めておきます」

君嶋「それでは、失礼いたします」

  
   ガチャ  バタン


五十嵐「さて……お前の目論見通りか? 室林」


室林「目論見? 何のことだ」


五十嵐「お前が俺を巻き込まないようにしているのは分かる」

五十嵐「だが、俺だって伊達に中央に居たわけじゃない」

五十嵐「そっちの動向を探るぐらいのパイプは持っている」


室林「…」


五十嵐「今回の件で、本部の復権派は大分活気づいてるみたいだが」

五十嵐「このままじゃマズイんじゃないのか?」


室林「何が不味いというんだ」


五十嵐「俺もお前も先生の教え子だ」

五十嵐「テメェが考えてることは俺にだって分かる」

五十嵐「だが、このままだと新海軍と旧海軍の溝は深まるばかりだぞ」

五十嵐「それに……君嶋少尉についてもそうだ」

五十嵐「末端はそうでもないが、本部じゃ復権派の急先鋒だってことになっている」

五十嵐「今は良いかもしれないが、そのうち苦しむことになるぞ」


室林「分かってるさ」

室林「でも、俺には他に方法が思いつかない」

室林「それに……ここまで来たら止められない」

室林「全てが終わった後に何が待っていようとも」


五十嵐「尻拭いのお鉢がこっちに周ってくるのか」

五十嵐「あの頃はどっちかつうと逆だったのに」

五十嵐「未来ってのは分からないもんだな」


室林「だからこそ、やってみる価値がある」

室林「そうだろ?」


五十嵐「さぁ……どうだかな」


<防衛隊基地 士官執務室>


日下部「よっ……」コツ コツ コツ

日下部「少尉、これが頼まれた資料です」サッ


君嶋「ああ、すまない」

君嶋「悪いな、まだ足が完治してないというのに」


日下部「気にしないでくださいよ」

日下部「悪いのは足だけですし、これでも思ったよりは自由に動かせるんす」

日下部「今なら軽いジョギングぐらいは出来るっす」


君嶋「そうは言っても松葉づえだろ」

君嶋「そんなので本当に走れるのか?」


日下部「まぁ、神経は完全に元通りですからね」

日下部「骨が折れてるだけで、動かそうと思えばどうにかなるっす」

日下部「医者もギプスがあれば多少の無茶は大丈夫だって言ってましたから」


君嶋「本当か?」


日下部「最近の医療技術を舐めない方がいいっすよ」

日下部「指が1本ぐらい無くなっても再生できるなんて話も聞きますから」


君嶋「失くした指を再生?」

君嶋「……そんなことが出来るのか」


日下部「ま、専門家じゃないんで断言はできないっすけど」

日下部「大金を積めば出来るって話です」

日下部「艦娘たちが持っている治癒能力か何かの研究で」

日下部「ここ十年で再生医療は1世紀は進んだなんて言われてるんですから」


君嶋「そう、なのか」

君嶋(未だに……こういうのは慣れないな)

君嶋(頭では分かってるつもりでも実感がわいてこない)

君嶋(いずれは本当の意味で馴染むときが来るのだろうか)


日下部「どうかしましたか?」


君嶋「いや……何でもない」

君嶋「それより、治るんだったら早く治してもらわなくちゃな」

君嶋「工場の方は1人でも人手が欲しい時だろうから」


日下部「そうですね」

日下部「ケガで休養していた隊員も戻っては来てますけど、まだ全員って訳じゃないし」

日下部「何より、あの大本営発表の後ですから」

日下部「自分だって足の具合が良かったら、すぐにでも応援に行ってるところっす」


君嶋「大本営発表か……」


日下部「はい、自分も何かしらの動きはあるだろうなとは思ってったんすけど」

日下部「まさか1ヶ月も経たない内に報復作戦の発表なんて」

日下部「さすがに予想して無かったっす」


君嶋「まぁ、そうだな」

君嶋(確かに……あの話を聞いてから3週間足らずで発表があるとは思わなかった)

君嶋(まだ例の船の改修や俺の内示の話は出てないようだが、それも時間の問題か)


日下部「でも、戦闘になるなら……少尉」

日下部「いよいよ少尉の出番じゃないすか?」

日下部「野田や宗方兵曹長も何だか柔らかくなってきたし」

日下部「今度こそ、深海棲艦を倒せるチャンスが巡って来たっすよ」


君嶋「ああ……やっと雲の上の話が手が届くところまでやって来た」

君嶋「でも、それはそれだ」

君嶋「お前の足はまだ完治していないし、俺は指揮官にはまだまだ未熟だ」

君嶋「今の俺達のやることは変わらない」

君嶋「目の前の仕事を片付けて、戦いに備えることだ」


日下部「まぁ、そうっすけど」

日下部「なんか……肩透かしを食らった気分です」

日下部「前の少尉はもっと、こう……」

日下部「思ったままに行動してたというか、もっと自分に正直じゃありませんでした?」


君嶋「これ以上、後先考えずに行動しても周りに迷惑をかけるだけだからな」

君嶋「少しは自重することにしたんだ」

君嶋「人の命を預かるというのに、何時までも直情径行でいる訳にはいかないだろ」


日下部「そうですか……」

日下部「しばらく入院して、少尉と離れていたせいもあって」

日下部「なんだか自分だけ取り残された気分っす」


君嶋「別に中身は変わってないさ」

君嶋「だが、この前の戦いで分かったんだ」

君嶋「深海棲艦は俺が思っているほど甘い敵じゃない、奴らとやり合うなら相応の覚悟が必要だってな」


日下部「少尉も色々考えてるんすね」

日下部「着任した時に『海軍を変える』なんて言ってのが懐かしいです」


君嶋「もちろん、それだって諦めたわけじゃない」

君嶋「ただ、今はそれよりも重要なことがあるからな」

君嶋「それも含めて『目の前の仕事を片付けろ』と言ったんだ」


日下部「はは……そうっすか」

日下部「だったら、自分もさっさと足を治すさなきゃいけないですね」

日下部「今のところ、コレが一番の仕事っすから」


君嶋「ああ、そうだな」


  コン コン コン


日下部「……来客みたいですね」

日下部「最近はめっきりご無沙汰だったのに、誰ですかね?」


君嶋「特に心当たりはないが」

君嶋「取りあえず、いいぞ」


    ガチャ


  「失礼します」


君嶋「ん、お前は……」


日下部「森二等? どうしてここに」


森「えー、その」

森「君嶋少尉に用事がって来ました」


日下部「少尉に用事? 一体何の」


森「それは……」


君嶋「言っておくが、船の話なら聞かないぞ」

君嶋「この前は1時間以上も延々と話を聞かされたからな」


森「いや、そう言われても」

森「自分も工長に命令されて来たんで」

森「話を聞いてもらわないと困ります」


君嶋「で、どんな用事なんだ?」


森「工場長からの呼び出しです」

森「至急、本棟の会議室まで連れて来るようにと」


君嶋(中佐からの呼び出し……例の改修計画についてか?)

君嶋「分かった、直ぐに行こう」

君嶋「日下部、悪いが後は頼んだ」

君嶋「署名が必要な書類は机の上にまとめておいてくれ」


日下部「任せてください」

日下部「足が動かない分、しっかりと手を動かしますんで」


君嶋「ああ、頼んだ」

君嶋「それじゃあ行くぞ、森」


森「あっ、はい」

森「じゃあ、日下部一等もお大事に」


日下部「はい、養生しておきます」


<防衛隊基地 会議室>


  コン コン コン


森「君嶋少尉をお連れしました」


五十嵐「おう、入ってくれ」


君嶋「失礼します」


五十嵐「よし、取りあえず図面が見える所へ来てくれ」


君嶋「これは……」


宗方「ドックに入れられてる骨董品も同然の船の図面だ」

宗方「ウチにあった予備が紛失しててな」

宗方「かつての造船会社に問い合わせて、ようやく同型のものを手に入れてきたんだ」


君嶋「兵曹長?」

君嶋「あなたも計画に参加を」


宗方「当たり前だ」

宗方「俺はここの現場を取り仕切ってる技術部のトップだ」

宗方「ドックを使う以上は俺達が居なきゃ話にならん」

宗方「それに船の改修ならウチが絡まないわけには行かない」

宗方「その証拠に兵器担当には大門、機関担当に森が参加しているからな」


大門「お久しぶりです、少尉」

大門「あれ以来どうも工場の方が忙しくて」

大門「こんなところで会うとは思っても居ませんでした」


君嶋「ああ、こちらこそ」

君嶋「日下部も工場の方を心配していた」

君嶋「足が良くなったら自分も現場の応援に行きたいと」


大門「……そうですか」

大門「気持ちは嬉しいですけど、治療に専念するように伝えてください」

大門「彼の本分は海上任務ですから」


君嶋「分かった」

君嶋「本人にはそう伝えておく」


五十嵐「話は終わったか?」

五十嵐「取りあえず、まだ呼び出した面子がそろってねぇからな」

五十嵐「俺が持って来た紅茶でも飲んでてくれ」

五十嵐「そいつは最近仕入れた茶葉を使っててな、それを……」


  コン コン コン


五十嵐「はぁ……そういうことかい」

五十嵐「いいぞ、入れ」


野田「失礼します」

野田「野田上等水兵、本条大尉をお連れしました」


五十嵐「……特に席なんかは決まっていない」

五十嵐「その図面が見える辺りに居てくれ」


君嶋「野田?」

君嶋「どうしてお前が」


野田「実際の戦闘に参加した兵士として呼ばれました」

野田「何でも、現場の意見が欲しいとかで」


五十嵐「ああ、聞いた話じゃコイツお蔭で沈まずに済んだらしいからな」

五十嵐「次の作戦に生の声を届けようって訳だ」

五十嵐「そんでもって、こっちは……」


本条「深海棲艦ついて詳しいのは我々だからな」

本条「アドバイザーとして呼ばれた訳だ」

本条「尤も、本当はこんなことに現を抜かしていられるほど暇ではないのだが」

本条「美津島提督に来られても困るからな」

本条「仕方なく私が来たということだ」


君嶋「そう……ですか」


五十嵐「よし、これで粗方そろったな」

五十嵐「後は室林も奴も来るとは言っていたが……話をする分にはこれだけで充分だろ」

五十嵐「じゃあ早速本題の改修案に入ろうと思うが」

五十嵐「その前に、兵曹長」

五十嵐「ざっと例の予備艦の船の状態を説明してくれ」


宗方「……はい」

宗方「まず、あの船の基本情報についてだが」

宗方「色々と調べた結果……あいつ自身はかなりのスペックを持っていることが分かった」

宗方「駆逐艦のサイズい似つかわしくない重厚な装甲と、その重量でも十分な機動力を確保する大型蒸気タービン」

宗方「今までうちの基地で使ってた護衛艦が玩具に見えるぐらいの代物だ」


君嶋「しかし、そんなものが……」

君嶋「なぜ置物同然の扱いに?」


宗方「詳しくは俺にも良く分からん」

宗方「だが、こいつが竣工した頃に海軍の分裂騒ぎがあったらしい」

宗方「その絡みで防衛隊に移管されては良いが、性能を持て余したまま放置されてたんだろうな」

宗方「そもそもの設計思想が対深海棲艦用の次世代型戦闘艦だ」

宗方「小型艦の機動力をそのままに高火力、高耐久で敵を葬ることを目的としている」

宗方「当然、護衛や周辺警備ぐらいにしか役目が無い防衛隊には猫に小判」

宗方「無駄に燃料を食うだけの、金食い虫みたいなもんだったんだろ」

宗方「そんな訳で稼働させずに係留されたまま、今の今まで忘れ去られたというわけだ」


野田「なら、改造の必要はないのでは?」


宗方「そういう訳にもいかないな」

宗方「操舵関連のインターフェイスは旧式で使いにくい上に、オートパイロットも積んでない」

宗方「船内通信も救難艇の信号を拾う程度で、常用はいちいちパイプに向かって大声を出なきゃならない」

宗方「これじゃあ、幾ら本体のスペックが良くても」

宗方「最近の船に慣れたお前達が操艦するのは無理がある」


君嶋「それで、兵曹長」

君嶋「あの船はちゃんと動くのですか?」

君嶋「いくら改修をすると言っても、元がダメなら難しいと思うのですが」


宗方「その点については問題ない」

宗方「船体もサビが浮いているが、中身は無事だ」

宗方「馬鹿みたいに厚い装甲を持ってる船だからな」

宗方「ブラストかなんかでサビを落として、再塗装してやれば十分見栄えは良くなるだろ」

宗方「おまけに、主機については何処かの物好きが……」


森「ああ、はい!」

森「アレなら何時でも動かせるはずです」

森「自分がちゃんと整備してましたから」


宗方「そういう訳で動作保証は十分」

宗方「取りあえずは今のままでも実用には耐えられるはずだ」

宗方「まぁ……エンジンまで交換となったら他の船を土台にした方が早いけどな」

宗方「とにかく、改修する母体としては全く問題ない」

宗方「機関関連はどうせ技術部の人間を常駐させるだろうし」

宗方「通信の方はケーブルでも敷設して、有線の通信網を整備してやればそれなりのモノになる」

宗方「無線なんて洒落たモノを使う敵でもないからな、いっそ短距離無線の環境でも構築してやればいい」

宗方「問題があるとすれば、兵装についてだが……」

宗方「そこらへんは大門から聞いてくれ」


大門「今の話で大体想像がつくかもしれませんが」

大門「こちらはハッキリ言って、あまりいい状態とは言えません」

大門「まず、現在装備されている基本兵装のおさらいですが」

大門「主砲は50口径の15cm単装砲」

大門「副砲は資料の紛失で確認できませんでしたが……恐らく12cmの速射砲」

大門「機関砲については両舷に数門、高射砲は十数門配備されており、機銃の数は今の護衛艦より多いです」

大門「また、魚雷は2連装の水上発射管が備え付けられています」

大門「……他にも色々とありますが、基本はこの程度です」


本条「それで? それの何処が問題なんだ」

本条「実際に深海棲艦とやり合えるかは置いておいて」

本条「軍艦に疎い私には充分な武装のように聞こえるが」


大門「確かに、カタログだけで見れば十分かもしれませんが」

大門「現実的な問題を考えれば、山積みもいいところです」

大門「副砲は資料が紛失しているため型式の照合から始めなければなりません」

大門「また、魚雷もかなりの旧式で、現在保有しているモノが流用できない可能性が高いです」

大門「機関砲についても動作を確認していないので、どこまで動作するか……」


君嶋(……こちらはあまり良くないな)

君嶋(まぁ、森も兵装までは弄っていないというし)

君嶋(当然と言えば、当然の結果か)


宗方「と、まぁ……こんな感じだ」

宗方「細かいことはそこの図面に詳しく書いてあるが」

宗方「話してたところで分からんだろうから省略させてもらう」


五十嵐「ご苦労、2人とも」

五十嵐「こっから話し合いを始めていきたいと思うが」

五十嵐「何か意見はあるか?」


野田「はい」


五十嵐「何だ、野田上等」


野田「今の話で現状は分かりました」

野田「でも、自分たちは何を標的としているのでしょうか?」

野田「単に深海棲艦と戦うといっても、奴らにも色々な種類が居ます」

野田「奴らと戦って勝つなら、それこそ標的を絞って」

野田「そいつに特化した船にするべきだと思います」


五十嵐「ああ、もっともな意見だ」

五十嵐「本当はもうちょっと後に話をしようと思っていんだが」

五十嵐「この際順序はどうでも良いだろう」

五十嵐「本条大尉、頼んだ」


本条「……了解しました」

本条「まず話に入る前にハッキリさせておくが、君嶋特務少尉」

本条「私がここへ来たのは善意でも何でもない、ただ提督の命令に従ったまでだ」

本条「だから、与えられた任務以上の事はしないし」

本条「情にほだされて要らぬことまで言うつもりは無い」


君嶋「それは、当てつけですか?」


本条「そう思うならそう思えばいい」

本条「私は私の心づもりを話しただけだ」

本条「貴様がこれをどう受け取ろうと知らん」


君嶋「……そうですか」


野田「待ってください、大尉」

野田「今の発言は見過ごせません」

野田「幾ら防衛隊の問題だからと言って、アレはあんまりです」

野田「あなたも軍人なら俺達の気持ちが分かるでしょう?」


本条「分からんな」

本条「わざわざ死に行くために、船の改修をするような人間の気持ちは」

本条「でしゃばったことなどせずに私たちに任せておけばいいものを」


野田「なっ……!」


五十嵐「落ち着け、野田」

五十嵐「今日はケンカするために集まったんじゃないんだぞ」


野田「しかし、工長」

野田「これでは話し合いになりません」

野田「向こうが端から協力する気がないなら、自分たちだって手を貸す道理はありません」


森「あ、あの……」


本条「何をバカなことを」

本条「そもそも協力する気がないなどとは言っていない」

本条「ただ、任務以上の事はしないと言っただけだ」


野田「同じことだ」

野田「そうやって新海軍の奴らは口だけ達者で信用ならない」


君嶋(野田の奴、妙に熱くなっているな)

君嶋(俺が焚きつけた面もあるが、昔の事がよっぽど悔しんだろう)

君嶋(だが、このまま俺が割って入ってもややこしいことになるだけだろうし)

君嶋(……ここは様子を見ておくか)


野田「あの時もそうだ」

野田「上辺では協力すると言っておきながら、俺や仲間たちの話なんか聞かなかった」

野田「その所為で、俺達は……」


宗方「その辺にしておけ、野田」

宗方「お前に何があったかは知らないが」

宗方「今はお前の個人的な話に付き合ってる暇は無い」


大門「兵曹長……」

大門「それじゃあ、火に油を注ぐようなもんですよ」


宗方「良いんだよ」

宗方「これぐらい言わなきゃ分からねぇんだから」


野田「いや、分かってますよ」

野田「自分も頭では時間の無駄だなんてことは百も承知です」


宗方「なら良いじゃねぇか」

宗方「この話はこれで終いにして、さっさと……」


野田「でも、だからと言って見過ごせません」

野田「初めは任務だから仕方ないと思っていましたが、話を聞いて思い直しました」

野田「こんなことを言う新海軍と協力なんかできません」

野田「敵の情報なら俺達だって持っているんです」

野田「だったら、新海軍に頼る必要なんかありません」

野田「俺達は俺達だけの力で戦うべきなんです」

野田「そうですよね、少尉!?」


君嶋「だが、そうは言っても……」

君嶋(それじゃあ意味がないだろ)


森「ちょっと……」


宗方「いい加減にしろ! 野田」

宗方「今は防衛隊や新海軍がどうこう言ってる場合じゃない」

宗方「あと数ヶ月で、あの老朽艦を敵とやり合える戦艦に改造しなきゃならない」

宗方「そのためには時間が1分1秒でも惜しいんだ」

宗方「だから、お前の考えがどうこう話は……」


野田「なら、少尉が死んでもいいんですか!」


君嶋(どうしてコイツがそれを……)

君嶋(船の改修はともかく、俺の任務はまだ公表されていないはずだ)

君嶋「……五十嵐中佐」


五十嵐「いや、俺は話してない」

五十嵐「船の改修に意見を貸してほしいと言っただけで」

五十嵐「お前の任務については何も話してない」


野田「やっぱり……そうでしたか」

野田「おかしいと思ったんですよ」

野田「ここのところやけに少尉を部屋に呼ぶことが多かったし」

野田「軍令部の大佐まで横須賀の基地に来ている」

野田「そんな時期に偶然老朽艦の改修があるなんて、出来過ぎている」

野田「自分の睨んだ通りでした」


本条「末端に機密がバレる組織か」

本条「ここの話し合いも外に漏れなければ良いな」


大門「……また何を言ってるんですか」

大門「これ以上面倒な事態にしないでくださいよ」


野田「とにかく」

野田「少尉が乗る船を作る以上、手を抜く訳には行きません」

野田「ですから、本条大尉」

野田「貴方が防衛隊に全面的に協力するか、ここを去るかをハッキリさせない限り」

野田「自分は話を続けるつもりはありません」


本条「何度も言っているが、私は協力するつもりだ」

本条「そのためにわざわざ向こうから出向いてきたのだ」

本条「どうして聞き分けがないのか理解できないな」


野田「だから、その言い方が信用ならないんだ」


君嶋「2人ともいい加減に……」


     ダンッ


  「いい加減にしろよッ!」


野田「も、森上等……?」


森「さっきから黙って聞いていれば」

森「毒にも薬にもならないことをクドクド、クドクドと」

森「一体、何考えてんだよ!」


野田「何って、そんなの決まってる」

野田「俺は少尉のために……」


森「だったら、さっさと話を進めろ」

森「今日、僕がここへ来たのは他でもない」

森「あの船を改修するための話し合いに来たんだ」

森「それをさっきから『気に食わない』だとか『信用ならない』だとか」

森「そんな下らないことを話すために集まったんじゃない!」


野田「だが、森」

野田「ここで話をつけておかないと」


森「つけておかないと、何だ?」

森「それでアイツがポンコツになったりするっていうのか?」

森「確かに話が纏まらなかったら、思ったように計画が進まないかもしれない」

森「でも、それでも、あの船がダメになるなんてことは無い!」

森「そんなことは……他の誰でもない、この僕がさせない」


野田「お前……」


森「正直、本当の事を言ったらアイツを改造するなんてことはしたくない」

森「アイツには何時までもあのままで、僕の知ってるままでいて欲しかった」

森「けど、今度ばかりはそうはいかない」


森「防衛隊の船が無くなって動くのがいよいよアイツだけになった」

森「それも今の話じゃ、そこの君嶋少尉が乗るっていう話だ」

森「だったら、僕は全力を出してアイツを改造する」

森「深海棲艦にだって負けない立派な軍艦にしてやる」

森「それが今の自分のやるべきことだと思うから」


野田「だが……」


森「もう、これ以上茶々を入れないで欲しい」

森「これはアイツの……あの置物同然だって言われた4番艦の晴れ舞台なんだ」

森「僕はそれに持てる全てを捧げたい」

森「それが、僕に出来るアイツへの背一杯だと思うから」


野田「…」


君嶋「さて、こいつはこう言ってるが」

君嶋「……これ以上続けるか? 野田」


野田「いえ……」

野田「悪かった、森」

野田「熱くなりすぎて、やるべきことを見失ってたみたいだ」


森「分かってくれたら良いさ」

森「正直、言い過ぎた部分もあるかもしれないし」


本条「……やっと小競り合いが終わったか」

本条「取りあえず、今までの事は不問としておこう」

本条「ただ、先ほどの発言を取り下げるつもりは無いからな」

本条「そのところは了解してもらおう」


森「いいですよ、別に」

森「自分は話し合いさえ進めば構わないので」

森「大尉の心づもりとかは興味ありませんから」


本条「フンッ……」


大門「森、発言には気を付けろ」

大門「滅多な事を言ってこれ以上話し合いから脱線したくない」


森「あっ、はい!」

森「すみません」


五十嵐「まぁ、そんなことはいいさ」

五十嵐「大分時間も使ったからな」

五十嵐「さっさと進めないと日が暮れちまう」

五十嵐「というわけで大尉、さっきの話の続きを頼んだ」


<数時間後>


五十嵐「……改修案の骨子はまとまって来たな」

五十嵐「必要ないとは思うが念のためだ」

五十嵐「兵曹長、まとめを頼む」


宗方「了解しました」

宗方「じゃあ、まずは俺の専門の艇体についてからだが……」

宗方「冒頭にも話し通り、船体の改造は基本的に無い」

宗方「通信機やらの艤装の関係で内装を引っぺがしたりはするが、その程度だ」

宗方「具体的な作業としては船体のブラストと再塗装」

宗方「内装は必要最低限、作戦行動に必要な部分を優先的に施工して居住性は後回しにする」

宗方「それなら次の作戦までに戦闘をこなせるレベルへ持って行けるはずだ」

宗方「こいつが船体についての結論だが……」

宗方「異論はないな? 君嶋少尉」


君嶋「ええ、大丈夫です」

君嶋「自分がとやかく言える領域じゃありませんから」


宗方「そういう訳で船体については以上だ」

宗方「次は細かな艤装についてだが」

宗方「大門、森、頼んだ」


大門「武装については長くなりそうなので」

大門「まずは、森上等から船内装置についてまとめてもらいます」


森「はい、船の艤装についてですが」

森「兵曹長の話にあった通り、基本的に今の設計を流用する方針で行きます」

森「でも、流石にそのままでは支障が出る部分もあるので、通信機や無線は現行の規格に合わせます」

森「電装系についても基本はそんな感じで、破損が激しい箇所は最新のものに挿げ替えます」

森「エンジンや発動機に関しては、今の段階で問題なく動作するので、現状のまま」

森「実際に動かすときは、技術部の誰かを同乗させて動作させることになります」

森「大枠はざっとこんな感じですけど……」

森「何か質問はありますか?」


野田「そういえば……電装について何か言ってなかったか?」

野田「ウチの基地だとどうした、とか」


森「あっと、済みません」

森「大切なことを忘れていました」

森「電装に関してはウチの技術部に専門が居ないので、自分たちじゃ対処できません」

森「そうなったら多分、外部から応援を呼ぶことになりますが……」

森「問題ありませんか? 工長」


五十嵐「まぁ……何とかするさ」

五十嵐「幸い、これには室林の奴も一枚かんでるしな」

五十嵐「いざとなったらアイツ経由で技術者を派遣してもらう」

五十嵐「それなら問題ないだろ?」


宗方「自分には何とも言いかねます」

宗方「こういう問題は実地の奴らに聞くのが一番ですが」

宗方「どうだ? 大門」


大門「多分、大丈夫だとは思いますが」

大門「可能であるなら、全くの外部か……防衛隊の息がかかっている技術者が良いですね」

大門「ウチも新海軍には散々煮え湯を飲まされてきたので」

大門「もし新海軍の技術開発本部なんかが、我が物顔で関わってきたりしたら」

大門「現場の反発は相当なものになると思います」


五十嵐「確かにそれはある」

五十嵐「だが、室林が関わっている以上、どうなるか分からん」

五十嵐「俺としても出来れば防衛隊のメンツでどうにかしたいとは思っているんだがな」

五十嵐「もし現場が変に反発した時は……」


本条「お言葉ですが、五十嵐中佐殿」

本条「防衛隊内部の話は後にしてもらいたい」

本条「私自身も多くの時間を許されている身ではありませんので」


君嶋(……相変わらずの物言いだな)

君嶋(まぁ、若い将校ほど舐められないように高圧的な態度を取るとは聞いているが)

君嶋(大尉もそのクチだろうか?)


五十嵐「悪い……話が逸れたな」

五十嵐「大門兵長、続きを頼む」


大門「……先ほどの話にあった通り、基本的に兵装も流用もしくは改造で済ませる予定です」

大門「まず、主砲に副砲に関しては工数と作業効率を考えた結果、そのままのモノを使用します」

大門「主砲に関しても砲塔の防御力強化と機構の見直し程度に済ませて、主に射撃管制システムを強化します」

大門「具体的には、高精度レーダー測距による火器管制システムを導入し、砲撃主の支援及び砲撃の命中精度向上を目指す予定です」

大門「副砲については、建造記録から姉妹艦の計画が存在したようなので、その記録を辿って型式を把握します」

大門「その後は主砲と同じで、砲の強化と操作性の向上をメインとした改造を施します」

大門「……ここまでは大丈夫ですか?」


野田「もし、他の基地で資料が見つからなかった場合は?」

野田「一から砲を挿げ替えるのですか」


大門「それは……」


宗方「その時なってからだな」

宗方「挿げ替えるのが早いのか、それとも内径から互換する弾薬を仕入れた方が早いのか」

宗方「現状ではこういう方針を立ててるが、実際は分からん」

宗方「最悪、実験的にどんな弾が撃ち出せるか調べても良いが……」

宗方「そうなったらそうなったで会議をやるだけだ」


野田「……そうですか」

野田「分かりました、ありがとうございます」


大門「では、話を続けます」

大門「点数が多い機銃については、これも砲と同様に既存のモノを流用します」

大門「機関砲は今のモノを未改造で使用しますが、弾の規格も現行品と変わらないので、まず問題ないでしょう」

大門「ですが……高射砲については改造が必要です」

大門「このままでも高射砲としては機能しますが、おそらく戦力にはならないでしょう」

大門「本条大尉の話にあった通り、制空権を持った敵深海棲艦に対しての艦艇の対空兵器は殆ど意味をなさないのそうなので」

大門「今回の船の仮想敵は洋上を航行するモノに絞り込み、俯角を狙えるように高射砲を改造します」

大門「対空能力は殆ど無くなってしまいますが、実質的に機銃が倍以上になるので面での征圧力が増加します」

大門「これなら、海面を縦横無尽に移動する深海棲艦にも十分に対応できるはずです」


君嶋「待った」

君嶋「1つ聞きたいことがある」


大門「はい、なんですか?」


君嶋「今更だが、その機銃の操作性はどうなんだ?」

君嶋「奴らの移動速度は並みの高速艇を上回る」

君嶋「この前は何とかなったが、対艦用の……それも旧式の機銃で本当に大丈夫なのか」


大門「そうですね」

大門「少尉の言うとおり、あの機銃では敵深海棲艦に決定打を与えるどころか命中させることも難しいでしょう」

大門「かといって最新のものに置き換えたところで命中率が倍増するとも考えられません」

大門「なので、あくまでアレは弾幕を作る牽制用の機銃だと思ってください」


大門「この話し合いとは別に作戦を練る必要があるでしょうが」

大門「兵器担当の技術者としては、機銃で目くらましと足止めをして、主砲か副砲でケリをつける」

大門「……のような戦い方を想定しています」


君嶋「そうか……分かった」

君嶋(敵の攻撃を機銃でいなしつつ、一撃必殺の主砲で止めを刺す)

君嶋(想定はしていたが……そろそろ覚悟が必要みたいだな)


本条「どうした? 君嶋少尉」

本条「あれだけ自分の力で深海棲艦どもを倒すと言っていたのに」

本条「今更になって怖気づいたのか」


君嶋「……いえ、ちょっと考え事をしていただけですよ」

君嶋「そういうことで、俺からの質問は以上だ」

君嶋「先を続けてくれ」


大門「最後に、魚雷発射管についてですが」

大門「これは一切の使用を想定せず、特に手を加えない方針で行きます」

大門「確かに魚雷での攻撃は深海棲艦をも一撃で沈める火力を持っていますが」

大門「深海棲艦の機動性と魚雷の速度を考えると、命中させるのが困難である上に砲撃による誘爆のリスクが大きなものとなります」

大門「また、今回の改修では遭遇戦を想定しているため、なるべく沈没のリスクは減らす必要があります」

大門「なので魚雷の積載は考えずに魚雷による攻撃も想定しない」

大門「……以上が兵装関連のまとめです」


五十嵐「質問は……ないみたいだな」

五十嵐「なら、今日のところはこれでお終いだ」

五十嵐「室林の奴が来なかったのが気がかりだが、アイツには俺の方から報告しておく」

五十嵐「宗方兵曹長、大門兵長、森上等、ご苦労だった」


五十嵐「本条大尉も鎮守府のから足労を悪かった」


本条「いえ、美津島長官の命ですので」

本条「中佐殿はお気になさらず」


五十嵐「お前達も、悪かったな」

五十嵐「後で紅茶でも差し入れしてやる」


野田「い、いえ……自分は」

野田「その、任務があるので」


森「自分も作業があるので」

森「今回は……済みません」


君嶋(森はともかく、野田まで断るとは……)

君嶋(本当に気味悪がられているんだな)

君嶋「……自分が頂きましょうか?」


五十嵐「おお! 本当か」

五十嵐「だったら、この後一緒に俺の部屋へ来てくれ」

五十嵐「今ちょうど新しいブレンドを試作してるんだ」

五十嵐「実は、この前イギリスから輸入したレア物の茶葉が手に入ってな」

五十嵐「それを……」


    ダダダッ  バタンッ


野田「なっ!」


宗方「誰だ?」


  「……良かった、まだ解散して無かったみたいだな」


君嶋「貴方は……」


五十嵐「室林か」


室林「ああ、遅くなって悪かった」


五十嵐「随分と遅かったな」

五十嵐「悪いが、もう話し合いは終わった」

五十嵐「報告なら後でしてやるから、今は俺の新作を味あわせてやろう」


室林「残念だが、そうは行かない」

室林「これを見てくれ」ドサッ


宗方「なっ…!」


大門「それは」


森「ぎ、技本の封筒!?」


君嶋「……ただの封筒にしか見えないが」

君嶋「それがどうかしたのか」


大門「送ってきた相手が問題なんです」

大門「このタイミングでやって来たということは」

大門「最悪、今までの話し合いが無かったことになるかもしれません」


君嶋「それは……どういうことだ」

君嶋「そもそも、この封筒の送り主は何なんだ?」


室林「私の方から説明しよう」

室林「彼らの言う技本というのは、海軍の軍事技術の発展を目的として設立された研究所のことだ」

室林「正式名称は海・空総合戦闘技術開発本部、軍部では『技本』の略称で知られている」

室林「一般的な艦艇の装備はもちろん、帝国海軍で運用されている艦娘用の装備開発も一手に引き受けている機関であり」

室林「……君が私と初めて会ったときに保護されていた場所だ」


君嶋(あの時の、あの場所……)

君嶋(あれがそうだったのか)


宗方「お前、あそこに行ったことがあるのか?」


君嶋「ええ……はい」


宗方「どうして黙ってた」


君嶋「それは……」


室林「あくまでも一時的に保護されたに過ぎなかったからだ」

室林「身体検査に引っかかって数日立ち寄ったに過ぎない」

室林「その証拠に、本人もあの場所については理解していなかった」


宗方「本当か?」


君嶋(大佐の話も嘘八百だが……)

君嶋(本当の事を話すわけにも行かないな)

君嶋「はい、大佐の話に間違いはありません」


宗方「それならいい」

宗方「悪かった、奴らには良い記憶が無くてな」


君嶋「いえ、気にしないで下さい」


本条「それで、大佐殿」

本条「その資料がどうしたのおっしゃるのですか?」

本条「わざわざ話し合いを延長するほどのモノなのでしょうか」


室林「そうでなければ、慌ててこちらまで足を運んでいない」

室林「それこそ、報告を受けるだけで済ませるところだ」


本条「では何故……」


室林「これだ」サッ


五十嵐「そいつは?」


室林「今回の改修計画とそれに関わる予算案について」

室林「海軍本部からの意見書だ」


五十嵐「わざわざ本部が意見書ねぇ」ペラッ

五十嵐「……やっぱり、碌なこと書いてないな」


君嶋「五十嵐中佐、内容は」


五十嵐「見てもらった方が早い」

五十嵐「まぁ、こういうことだ」


  『本部ハ該当基地二於ケル老朽艦ノ改修案ヲ承認スル』

  『但シ、承認ニハ以下ノ条件ヲ付ケ加ヘル』

  『一、改修案ノ原案ニ於ヒテハ、之ヲ原案ノ通リ認可シ、必要トナル資金及ビ資材ヲ支給スル』  

  『二、戦闘技術開発本部ガ求ムル場合ハ、原案二加へ戦闘技術開発本部ノ意向二従フ事』

  『三、至急追加予算ヲ必要スル場合、報告ハ事後報告トシテ、該当基地ハ不足分ヲ補充スル事能フ』

  『四、以上ノ事項ニ於ヒテ同意ヲ得ラレヌ場合ハ、貴案ヲ棄却スル』

  『再審ヲ求ム場合バ、差戻手続ヲ行ヒ、再度新案ヲ提出スル事』


大門「これは……」


野田「……どういうことですか?」


本条「どうしたも何も……そこに書いてある通りだろう」

本条「海軍本部は今回の改修案を承認するが、それは次の条件によって成り立つ」

本条「第一に、改修案は原案通りに承認されること」

本条「第二に、技術本部が求める場合はその意向に従うこと」

本条「第三に、追加予算は本部の承認を後回しにして補充できる」

本条「第四に、これらの条件に同意できない場合は、この案は破棄される」

本条「最後に再審をする場合は、差戻手続きをして新案を提出すること」

本条「これの何処が分からないと言うのだ?」


野田「……それぐらいは分かっています」

野田「自分が言いたいのは、この意見書の目的ついてです」

野田「流石に上手く行き過ぎだと思いませんか?」


君嶋「確かに、防衛隊にとってかなり有利に出来ている」

君嶋「実質的に金に糸目を付けないと言っているようなものだ」

君嶋「皆の話を聞いていても、本部がふたつ返事で予算を回すとは考えにくい」


宗方「ああ、全くだ」

宗方「最近は組織の効率化だなんだ言って、こっちに回す予算を削りに削っていたからな」

宗方「ほとんど修正なしの上に追加予算まで認めるとは」

宗方「本部にしてはこれ以上に無いってぐらいに太っ腹だ」


本条「なら、何故そんな渋い顔をしている」

本条「この改修の問題は予算と時間で、予算の方は解決したも同然なんだぞ」


大門「……ふたつ目の条件があるからです」

大門「それが無ければ、私たちも諸手を挙げて喜んでいるところですよ」


君嶋「ふたつ目の条件というと、これか……」


  『二、戦闘技術開発本部ガ求ムル場合ハ、原案二加へ戦闘技術開発本部ノ意向二従フ事』


君嶋「しかし……特に問題になるような文面には思えないが」


森「問題も、問題、大問題ですよ!」

森「今まで散々、無理難題を吹っ掛けてきた技本に従うなんて」

森「時間も人手も足りていないのに、到底無理です!」


五十嵐「まぁ……とにかく確かめてみよう」

五十嵐「室林、その封筒に入ってるんだろう?」

五十嵐「俺達が従う技術本部の『意向』ってヤツが」


室林「ああ、おそらくな」

室林「私も中身を見る暇は無かったが」

室林「そいつを渡すために私を足止めした辺り、多分そうなんだろう」


五十嵐「宗方、中身を確認してくれ」


宗方「了解しました」ザッ ガサガサ


森「部長、中身は」


宗方「これは……図面と計画書か」


大門「計画書? それは」


宗方「一般艦艇における次世代戦闘技術応用計画」

宗方「……艦娘用装備の大型化と船舶への拡張性、とある」


森「拡張って……まさか」


宗方「ああ、そうだ」

宗方「俺たちの使っている軍艦」

宗方「そいつに新海軍の装備を乗せる……と言いたいんだろうな」


大門「そんな……信じられません」

大門「艦娘の装備流用は不可能だと結論づけられたはずです」

大門「それをこの場面で持ち出してくるなんて、荒唐無稽にも程があります」


宗方「アイツらは『妖精』の異名に恥じないくらいに、俺達の考えが分からない人間どもだ」

宗方「大方、俺たちの計画を良い実験材料だとでも思ったんだろう」

宗方「研究者ってのは、自分の考えを実践せずにはいられないらしいからな」


森「でも、部長!」

森「こんなのは……」


宗方「俺だって、こんな無茶苦茶を言う奴らを張り倒してやりたいさ」

宗方「だが、今回の仕事はその頭のイカれた妖精さんたちの話を聞かなきゃ話にならん」

宗方「俺達が反発してこの案が棄却されでもしたら」

宗方「それこそ時間の無駄遣いだ」


森「でも……!」


大門「今までだって、散々技本には困らされて来ただろ?」

大門「妖精に人間の言葉は通用しない」

大門「つまりは、そういうことだ」


森「…」


野田「あの……全く話が見えないのですが」

野田「自分たちにも説明して頂けませんか?」


宗方「ああ、悪かったな」

宗方「そこまで気が回らなかった」


本条「内輪でゴチャゴチャと何かを話していたみたいだが」

本条「分かったのか? その意向とやらは」


大門「簡単に言えば兵装の追加です」

大門「計画書に載っている武器を改修艦に搭載しろと」

大門「技本から送らてくる資料には事務的な説明は殆どないので」

大門「おそらく……そう見て間違いないでしょう」


本条「なら、何をそこまで揉める必要がある」

本条「鎮守府の方にも技術本部から似たような指令を受けたことはあるが」

本条「大抵は指示通りに艦娘どもに艤装を装備させて、その結果を送り返すだけだ」

本条「ムキになって怒るような必要性は全く持って無いと思うが?」


森「それは……」


宗方「それは貴方が新海軍の、それも艦娘たちを指揮する立場の人間だからだ」


本条「どういう意味だ?」


宗方「確かに、大尉が思っていることはある意味で正しい」

宗方「大尉にしてみれば、何の気なしに送られてきた装備を試してみるだけかも知れない」

宗方「だが、現場の俺達にしてみれば傍迷惑もいいところだ」

宗方「たださえ汎用装備の製造と使用済み装備のリサイクルで手一杯なのに」

宗方「技本の奴らは平気で試作品の試作を命令する、それも決まった時期でもなく、いきなりだ」

宗方「そして、どんなに俺達が抗議しても納期は延ばさず、要求も一切変更しない」

宗方「たとえ遠征部隊の帰投直後でラインがフル稼働の時でもだ」

宗方「その癖、試作品の核となる部分はブラックボックス化されていて、俺達には手は出せない」

宗方「つまり……中身が全く分からない物を奴らの図面通りに作ることになる」

宗方「酷い時には、物理的に加工不可能な図面が来るときだってある」

宗方「こうなったら最後、俺達でどうにか加工法を検討して作成しなくちゃならない」

宗方「勿論、奴らに掛け合ったところで一蹴され、納期に間に合わなきゃ俺達の評価が下がる」

宗方「付け加えるなら……」


本条「もういい……よく分かった」

本条「私が悪かった」

本条「それで終わりにしてくれ、これでは話が進まん」


宗方「それなら結構」

宗方「分かっていただけた様でなによりだ」


君嶋(あの本条大尉が折れるとは……)

君嶋(流石は現場の叩き上げと言うべきか)


五十嵐「それで、宗方兵曹長」

五十嵐「何とかなりそうか?」


宗方「ざっと見ただけの丼ぶり勘定ですが、おそらく……可能でしょう」

宗方「資料にある技術は艦対艦短距離無線誘導弾に、特殊流体装甲、擬装迷彩の3つ」

宗方「それぞれを簡単に説明すると……」

宗方「自動誘導で敵を追尾するミサイルに、液状化することで弾道を逸らす装甲、敵の目を欺くステルス迷彩ってところです」

宗方「こいつらを船に組み込むって話ですが……まぁ、何とかなります」

宗方「ミサイル本体や、流体装甲の被膜材、ステルスの塗料とかいうブラックボックスは向こうが準備してくれるみたいなんで」

宗方「俺達はそいつらが作用するように船体のレイアウトを変える作業で済みそうです」

宗方「もっとも、船体をぶち抜いてミサイルの発射機構を取り付けるなんて無茶もいいとこですが」

宗方「必要な図面が出揃っているので、製作自体には何の問題もありません」

宗方「ただ、絶対的に人員が不足します」

宗方「少なくとも技術部の人間だけではとても作業量に追いつきません」


五十嵐「そうか、それなら……」


野田「自分たちがやります」


宗方「しかし、お前達は」


野田「兵科であっても工場の作業は出来ます」

野田「今までだって、繁忙期には応援に行ってたじゃありませんか?」


宗方「そういう事じゃない」

宗方「船に乗って戦うお前達が訓練をしないでどうする」

宗方「俺達が船を改修するのは沈めるためじゃない」

宗方「奴ら……深海棲艦に勝つためだ」


野田「そんなことは分かっています」

野田「自分以外の誰に聞いたところで皆、同じ答えです」


宗方「だったら……」


野田「だからこそ、あの船が必要なんです」

野田「他の船を使って訓練しても、そんなものは頼りになりません」

野田「実戦に頼れるのは日ごろの訓練での経験」

野田「その経験は普段から自分が乗る船でなければ得られない」

野田「だから、勝つためにあの船を直す」

野田「自分たちも作業に加わって、少しでも早くあの船を復活させる」

野田「それこそが、勝利への近道なんです」


宗方「……分かった」

宗方「だが、工場の手伝いをして負けた……なんて言い訳は聞きたくないからな?」


野田「もちろん分かってますよ」


野田「負ける気なんて更々ありません」

野田「そうですよね? 少尉」


君嶋「ああ、そうだ」

君嶋「自分も負ける気はありません」


宗方「そうかい……分かったよ」

宗方「下手な気を回した俺がバカだった」


室林「それで、宗方兵曹長」

室林「話は纏まったか?」


宗方「はい、取りあえず基地の人員を総動員して事に当たります」

宗方「それでも人手が足りない場合は……」


五十嵐「俺の方から連絡を寄こすが、どうだ?」


室林「わかった、手配の準備はしておく」

室林「必要になったら声を掛けてくれ」


五十嵐「すまない、恩に着る」

五十嵐「それじゃあ今日のところは一旦閉会だ」

五十嵐「計画の練り直しを含めた具体的な実行は明日以降として、各自職務へ戻るように」


<防衛隊基地 士官執務室> 


君嶋(……例の計画が決まってから一月)

君嶋(独学で戦術の勉強などを始めてみたが)パタンッ

君嶋(本当に身についているのか、それとも……)


     ガチャ


君嶋「!」


  「うわっ……って、少尉?」


君嶋「……日下部か」

君嶋「朝っぱらから驚かせるな」


日下部「それはこっちのセリフです、少尉」

日下部「薄暗い部屋でジッとしてるせいで不審者かと思ったっす」

日下部「おかげで心臓が縮み上がりましたよ」


君嶋「それでも一応は上官の部屋だろ」

君嶋「ノックぐらいしたらどうだ?」


日下部「まさか、こんな明け方に執務室に居るとは思わなかったんす」

日下部「自分だって普段はこんな時間に起きていないし」

日下部「少尉は何をしていたんですか?」


君嶋「ああ、ちょっと読み物をな」

君嶋「海戦戦術系の本を借りて読んでいたんだ」


日下部「海戦術ってことは……アレっすね」

日下部「例の報復作戦に参加する機動部隊の指揮官就任」

日下部「突然の発表でビックリしましたが、頑張ってください」

日下部「やっと防衛隊の意地を見せる機会が巡って来たんすから」


君嶋「お礼の言葉はありがたいが……」

君嶋「そういうお前は徹夜だろう」


日下部「まぁ、はい」

日下部「工場の手伝いで昨日は一睡もしてないっす」

日下部「おかげで頭はガンガンするし、足はふらふらで……」

日下部「直ぐにでもベッドに入りたい気分っす」


君嶋「なら、どうしてここへ来た」

君嶋「宿舎へ直行すればいいだろ」


日下部「いやぁ……どうも作業が押してて」

日下部「次の交代も3時間後なんで熟睡できないんす」

日下部「だから、ここに隠してあった仮眠セットを取りに来たんす」

日下部「まさか少尉と鉢合わせするなんて思わなかったっすけどね」


君嶋(宗方兵曹長も人手の問題を示唆していたが……ここまでとはな)

君嶋(助っ人のコイツでこの有様なんだ)

君嶋(技術部の人間は……)


日下部「そういう訳で少尉」

日下部「ちょっとだけ、失礼します」


君嶋「あ、ああ」


日下部「えっと、この辺りに……」ガサゴソ


君嶋「なぁ……日下部」

君嶋「工場の方はどうなってるんだ?」


日下部「だいぶキツくなってきてますね」

日下部「タダでさえ汎用兵器の増産態勢に入ってるっていうのに、老朽艦の改装まで舞い込んで」

日下部「そろそろ周りも限界が見え始めて来ましたね」

日下部「まだまだ自分は仮眠セットを持ってくるぐらいの余裕はありますけど」

日下部「技術部の連中はそこら辺で雑魚寝してたり……宗方兵曹長なんかは殆ど24時間働きずめっす」


君嶋「兵曹長が?」


日下部「はい、朝から晩まで現場で指示を回して」

日下部「アレで倒れないんだから、末恐ろしいっす」

日下部「他にも仙田や一之瀬なんか……あっ! コレです、コレ」ガサッ ガサッ


君嶋(……大きな寝袋だな)

君嶋「そんなモノを隠し持っていたのか……」


日下部「いやぁ、繁忙期はコレがあると能率が段違いですから」

日下部「ここが空き部屋だったときから隠してあったんすけど」

日下部「少尉が来てから、中々使う機会が無くて」

日下部「これが終わったら別の場所に移動させる予定だったんです」


君嶋「まぁ……見なかったことにしておく」


日下部「それじゃあ、自分はこれで」

日下部「少尉も……」


君嶋「待て」


日下部「どうかしましたか?」


君嶋「いや……俺に何かできることは無いか?」

君嶋「工場の方は人手がいるようだし」

君嶋「俺も力になれると思うが」


日下部「そんな、大丈夫ですよ」

日下部「工場の事は自分たちにも任せてください!」

日下部「確かに今回ばかりはちょっと大変っすけど」

日下部「これぐらいの修羅場、実際の戦いに比べたら屁でもないっす」


君嶋「だが……」


日下部「少尉は自分たちなんか気にせず、好きにやってください」

日下部「深海棲艦に勝つためにはどんな雑用も厭わない」

日下部「それが自分を含めて、防衛隊隊員に植え付けられた奴隷根性です」

日下部「今更、これぐらいの作業で音を上げるなんてことはありません」

日下部「だから……少尉は、少尉にしか出来ないことをやってください」

日下部「自分たちはそれを支えるだけっすから」


君嶋「……日下部」


日下部「じゃあ、そういうことで失礼します」

日下部「これ以上は寝ないとマズイっすから」


君嶋「そうか……引き留めて悪かった」


日下部「では、失礼します」


   ガチャ  バタン


君嶋「…」

君嶋(どうやら、分かって無かったのは自分の方だったみたいだ)

君嶋(知ったような口ぶりで『打倒、深海棲艦』を掲げてきたが、その方法は何も考えてなかった)

君嶋(そして、いざ事が進み始めると何をしていいか分からなくなる)

君嶋(これじゃあ、馬鹿丸出しも良いところだ)


君嶋「だが……」

君嶋(……まだ間に合う)

君嶋(俺にしかできない事……深海棲艦に勝つためにやるべきこと)


<鎮守府 司令部 廊下>


君嶋(ここへ来るのも久しぶりだな)

君嶋(アレから色々あったが……今は目的を果たすだけだ)

君嶋(……行くぞ)


   コン コン コン


  「はい? 何でしょう」


     ガチャリ 


君嶋「防衛隊の君嶋大悟特務少尉だ」

君嶋「提督に話があってやって来た」

君嶋「突然の訪問で申し訳ないが、お目通り願いたい」


  「提督はただいま席を外していますので」

  「残念ですが、お会いすることはできません」


君嶋「……そうか」


  「そういうことなので、今日のところは」


君嶋「なら、ここで待たせてもらおう」

  
  「えっ……」


君嶋「何か不都合があったか?」


  「そういう訳じゃないですけど」

  「……本気で言ってるんですか?」


君嶋「ああ、もちろん」

君嶋「提督にはどうしても聞いて貰わなければならない話がある」

君嶋「無礼は承知だが、引き下がる訳には行かない」


  「でも、提督は外に出ていて」

  「帰ってくるのは……早くて昼過ぎですよ?」


君嶋「なら、それまで待とう」

君嶋「美津島提督に会うまではここは動かん」


  「……そこまで言うなら勝手にしてください」

  「一応、提督には貴方が来たことをお伝えしておきますので」

  「いつ帰っても大丈夫ですから」


君嶋「済まない、恩に着る」


  「全く……あの時といい今日といい」

  「これでどうして、あの子たちが騒ぎ立てるのか……」


君嶋「ん? 何か言ったか」


  「なんでもありません」

  「とにかく、忠告はしましたからね?」

  「どうなっても知りませんよ」


-数時間後-


君嶋(こうしていると訓練兵時代を思い出すな)

君嶋(教官にどやされて、皆で廊下に数時間立たされたこともあったか)

君嶋(あいつらは今……)


    ガチャ


  「んよっと……」ザザッ


君嶋(……さっきの秘書官か)

君嶋(山積みの資料を抱えてるが、アレで前は見えてるのか?)


  「……よしっ」ズズズズ


君嶋「なぁ……」


  「えっ! 何!?」


君嶋「あっ、おい! そんなに動くと」


  「あっ……」ズルッ


君嶋(……まずい)スッ


  ドサッ ドサッ  ガシッ


君嶋「良かった」

君嶋「どうにか転ばずに済んだみたいだな」


  「ええ、まぁ……」


君嶋「何処か捻ったりしてないか?」


  「は、はい」


君嶋「不用意に声を掛けたりして、悪かった」

君嶋「まさか、驚いて引っくり返るとは思って無かったからな」

君嶋「悪いことをしてしまった」


  「い、いえ……それよりも」


君嶋「どうした?」

君嶋「やっぱり何処か痛むのか」


  「そういうことじゃなくて、手を……」


君嶋「ん? ああ、悪かった」

君嶋「腕を掴んだままだったな」


  「…」


君嶋「どうした? 黙りこくって」


  「いえ……何でも」

  「それより、まだ……帰ってなかったんですね」


君嶋「当然、提督を待つと決めたからな」

君嶋「帰ってくるまではここに居るつもりだ」


  「……そうですか」


君嶋「ところで、この書類は?」

君嶋「さっきので床一面に散らばってしまってたが……」


  「まぁ……事務連絡の書類なので」

  「特にやぶれとかが無ければ問題ありません」

  「例の海戦の後処理などがあって提督も忙しかったので」

  「溜まりに溜まって、これだけの量になってしまったんです」


君嶋「確かに……凄い量だ」

君嶋(いや、仙田に渡された資料もこのぐらいはあったか?)


  「取りあえず、鎮守府が落ち着いてきたので」

  「整理できるものだけでもしようと思ったら、この有様です」


君嶋「そうか……」

君嶋「よし、俺も運ぶのを手伝おう」


  「でも、そんなわけには……」


君嶋「俺が居なければ、君も余計な仕事は増えなかった」

君嶋「せめてもの罪滅ぼしだ」


  「ですが……」


君嶋「いいから、やらせてくれ」

君嶋「このまま放っておかれたら俺の気が済まん」


  「分かりました、そこまで言うならご勝手に」

  「でも、運んでる間に提督が帰ってきても知りませんよ?」


君嶋「その時はそのときだ」

君嶋「ほら、さっさと始めよう」

君嶋「順番とかは気にしなくてもいいか?」


  「……一応、日付順になっています」


君嶋「よし、分かった」

-数十分後-


  ガサ ガサ ガサ


君嶋(よし……やっと終わりが見えてきた)

君嶋(後は、この薄っぺらい奴を……)ペラリ


君嶋「ん?」


  「……どうかしましたか?」


君嶋「いや、この書類なんだが」

君嶋「日付らしきものが書いてないんだ」

君嶋「こいつは何処にやればいいか分かるか?」


  「ちょっと見せてください」


君嶋「ああ、これだ」サッ


  「あー……分かりました」

  「電報の写しで日付を載せていないタイプの奴ですね」

  「この内容なら記憶しているので、私の方で処理しておきます」


君嶋「悪いな、手間かけさせて」


  「いえ、これが私の仕事ですから」


君嶋「しかし……君も艦娘という奴だろう」

君嶋「どうして、こんな秘書のような仕事をしているんだ?」

君嶋「海に出て戦おうとは思わないのか」


  「それは……」


君嶋「別に、答えたくなければ答えなくてもいい」

君嶋「だが……少し話をしてみて、どうしても気になってな」

君嶋「艦娘というのは皆戦っているものだと思っていたから」


  「いえ、構いませんよ」

  「私がここいるのに大した理由はありませんから」
  
  「ただ……辞令が出て、それに従っている」

  「軍属というのは大概がそのようなものでしょう?」


君嶋「辞令に振り回されるのは、艦娘も一緒ということか」

君嶋「そういう面では俺達と変わらないんだな」


  「あら? 意外と私たちの事を知らないんですね」

  「軍艦で深海棲艦と戦うなんて無茶なことを言っているなら」

  「私たちの事なんて、とっくに調べ尽くしていると思っていたのですが」


君嶋「そういえば……そうだな」

君嶋「深海棲艦を倒すと散々言ってきたくせに」

君嶋「自分でも不思議なぐらい艦娘という存在について深く考えてこなかった」


君嶋「環境の変化が大きすぎたのか、他の事を考えている暇が無かったのか」

君嶋「まぁ、言い訳にしか聞こえないな」


  「別に非難している訳じゃありませんよ」

  「ただ、意外だっただけです」


君嶋「意外? どこがだ」


  「鎮守府の娘たちが噂するような人が、私たちに無関心だったってところです」


君嶋(噂……どういうことだ?)


  「その顔、本当に何も知らないんですね」

  「珍しいですよ、貴方みたいな人は」

  「普通の人は艦娘からの評判とかも気にしますからね」


君嶋「それで、本当なのか?」

君嶋「君たちの間で噂になっているっていうのは」
  

  「それはもう、私も散々聞かされました」

  「数ヶ月前に颯爽と現れた経歴不明の特務少尉」

  「鎮守府に来るや否や提督の部屋に押しけ、その日の夜には『打倒、深海棲艦』を掲げる」

  「そして、この前の海戦で深海棲艦相手に損害を受けながらも沈没を免れ」

  「ついに……大規模作戦での軍艦による機動部隊の指揮を任される、と」

  「ここの鎮守府ではかなりの有名人ですよ」


君嶋「いつの間にそんなことに……」

君嶋「本条大尉は何も言っていなかったぞ」


  「まぁ……あの人はそういうことを話す人でありませんから」

  「部下の娘達に少尉の事を聞かれても『自分には関係ない』の一言で」

  「多分、そういう話が苦手なのでしょうね」


君嶋「大尉をそんな風に言うところを見ると」

君嶋「君もここは長いのか?」


  「そうでもありません」

  「ですが、艦娘としては古参の部類に入る方なので色々な人を見てきました」

  「こんな感想が出るのはその所為でしょううね」


君嶋「それか……」

君嶋「なら、話のついでに1つ聞いてみたいことがあるんだが」

  
  「ええ、どうぞ」

  「私の答えられる範囲でしたら」


君嶋「何というか……君たちは」

君嶋「今の自分の置かれている立場や任務について」

君嶋「どう思っているんだ?」


  「それは、どういう……」


君嶋「そんなに難しく考え込まないでいい」

君嶋「ただ、今の生活について君たち自身の意見を聞いてみたい」

君嶋「俺は船に乗って戦う海軍しか知らないから、今の制度に違和感があるが」

君嶋「当事者たちはどう感じているのか……」

君嶋「それを知っておきたいんだ」


  「そうですね……」

  「私たちも皆おなじ考えを持っている訳じゃないから、人によって答えが違うと思うけど」


君嶋「君の考えで構わない」

君嶋「こんな質問に正解なんてないからな」


  「だったら、私は特に何も感じませんね」

  「任務は任務で仕事は仕事、そんな風に割り切って生活していますね」

  「元々はちゃんとした人間だったみたいですけど」

  「今はそんな記憶も殆ど無くなって、艦娘としての生き方が定着してるって感じですかね」


君嶋「……そうなのか」


  「まぁ、それでも結構自分の仕事にプライドは持っていますね」

  「貴方がどう考えているか知りませんが、深海棲艦と渡り合えるのは私たちだけと自負していますし」
 
  「何より、自分たちは対深海棲艦の最前線で戦ってきました」

  「今まで沈んで行った仲間たちの分も敵を倒さなければという意識はあります」


君嶋「仲間ために戦う……か」

君嶋「そこは俺と一緒だな」


  「そういえば、貴方も……」

  「例の事件で深海棲艦と戦った経験があるんでしたね」


君嶋「……ああ」

君嶋(それだけじゃない)

君嶋(下山田、お前たちの仇は俺が……)


  「そういう人に会うのは初めてですね」

  「今の提督で実戦経験があるのは美津島提督ぐらいで、中には船に乗ったこともないような人も居ますし」

  「その美津島提督もあまり実戦の話はしない方なので」

  「貴方みたいに現役で戦闘経験がある人と話すのは初めてです」


君嶋「そういうものか」


  「ええ、私たち艦娘は防衛隊の基地へ行く機会なんてあるはずもないし」
  
  「現状だけ見れば、戦いを知らない人の指揮を受けて戦いに行っているんです」

  「まぁ……軍艦の戦い方と私たちの戦い方は全く別物なので、それが特にどうと言う訳ではありませんが」

  「中にはそれが気に食わない娘も居るし、私たちにも色々とあるということです」


君嶋「君たちにも色々と事情があるんだな」

君嶋「やっぱり、君たちも人間も変わらないな」


  「いえ、私たちは艦娘です」

  「人間なら致命傷では済まされないケガでもかすり傷で済み」

  「戦いとなれば、常人には扱えない兵器を振り回して敵を討つ」

  「どんなに外見やしぐさが似ていても、貴方たち人間とは根本的に違う」

  「それが兵器としてこの世界に存在している私たちです」


君嶋「……そうか」

君嶋「だが、君がどう思おうと俺達の考えは変わらない」

君嶋「軍人の矜持がある限り、俺達は君たちを身を挺して守る」


  「しかし……」


君嶋「これだけは何と言われても譲らない」

君嶋「俺が海軍へ志願したのは、何よりも君らのような人を守るため」

君嶋「それが出来ないなら軍人の名折れに他ならない」

君嶋「俺たちは軍人として、軍人らしく戦うことを選んだ」

君嶋「だから、俺の前に居る限りは……君もひとりの人間だ」


  「…」


君嶋「どうだ? 君に俺はどう見える」

君嶋「現状を変えようとする改革者か、それとも無謀な事を言う愚か者か」

君嶋「最後にそれだけ聞かせてほしい」


  「正直言って、貴方の考えは理解できません」

  「深海棲艦は私たちでさえ苦戦する相手なのに」

  「それに軍艦で立ち向かうなんて非合理にも程があります」


  「でも、少尉の話を聞いていると……不思議な気持ちです」

  「欠陥だらけの理論の筈なのに妙に、納得している自分が居て」

  「自分がおかしくなったんじゃないかとも感じました」

  「多分……私にその質問の答えを出すことは出来ないと思います」

  「ですが、貴方は私の思っていたほど愚かな人ではありませんでした」

  「そうとは知らずに勝手に邪見に扱って……その点は謝っておきます」


君嶋「別に謝る必要はない」

君嶋「君たちにしてみれば、そう思うのは当然のことだからな」


  「でも……」


君嶋「それより、ほら……こっちの書類は整理が終わったぞ」

君嶋「君の方はどうなっているんだ?」


  「……これで最後だったみたいです」

  「さっき渡された資料は向こうでまとめようと思うので」

  「一応、散らばった書類は元に戻りました」


君嶋「じゃあ、後は運ぶだけだな」


  「ええ、付き合わせて申し訳ありません」

  「後は私の方で出来るので……」


君嶋「いや、最後まで付き合おう」

君嶋「このままではきまりが悪いからな」


  「……断っても無駄そうですね」

  「分かりました、そちらの束をお願いします」


君嶋「ああ、任せておけ」


<鎮守府 司令部 執務室>


美津島「話は聞いている」

美津島「随分と待たせてしまったようだな」


君嶋「こちらこそ申し訳ありません」

君嶋「お忙しい中突然押しかけて」


美津島「いや、構わんよ」

美津島「今日の用事も本部の老人たちに釘を刺されに行ってきただけだ」

美津島「政治好きなのは勝手だが、私を巻き込まないで貰いたいな」


君嶋(本部に釘を刺される? どういうことだ)


美津島「……いきなり何を言い出すんだといった顔だな」

美津島「まぁ、あまり公言することではないのだが」

美津島「君には耳入れておいて貰った方が良いだろう」


君嶋「それは……?」


美津島「君も聞き及んでいるだろう例の大規模作戦」

美津島「その総司令官の内示を受けたのだ」


君嶋「提督が総司令官、ですか」

君嶋「自分にとっても喜ばしい話でありますが……」

君嶋(どうしてこんなに優れない顔を?)


美津島「どうやら気持ちが顔に表れてだな」

美津島「君の察しが悪かったら、私ももう少しは気が晴れただろうか」


君嶋「いえ……それは」


美津島「意地の悪い質問をしてしまったな」

美津島「どうにも年を取ると良くない」

美津島「手前勝手な感情で周りに迷惑をかけてしまう」

美津島「君にしてみれば、私が何を考えて喋っているのか全く分からないだろう」


君嶋「ええ……本心を述べればそうです」


美津島「簡単に話せば、私の失脚が決まったのだ」

美津島「他に適任がいないとか理由を付けて、ほぼ全会一致で決定」

美津島「全く……私が目障りなら面と向かってくればいいものを」

美津島「これだから軍令部の人間とは肌が合わんな」


君嶋「……提督が失脚?」

君嶋「済みませんが、話が見えません」

君嶋「総司令官の内示と美津島提督の失脚と……何の関係があるのでしょう」


美津島「私を貶める大義名分を作るためだ」

美津島「奴らにとっては老いた軍人に最後の花道を作ってやったつもりなのだろう」

美津島「大なり小なり次の作戦で起きた失敗を私の責任にすることで、失脚させるつもりだ」

美津島「それが彼らの決まり切ったやり口と言う訳だ」


君嶋「しかし、どうして!」

君嶋「なぜ美津島提督が失脚させられなければならないのです」


美津島「君が怒ってくれるのは嬉しいが」

美津島「何時こうなってもおかしくは無かったのだよ」

美津島「復権派にしてみれば、恨みに恨んでいる今の体制を布いた張本人の1人」

美津島「体制派にしても、いつまでも旧式の軍艦にしがみ付いている時代遅れの老人」

美津島「今まではノラリクラリと避けれきたが、今度ばかりはそうはいかない」

美津島「どちらつかずの宙ぶらりの末路にはこれぐらいが相応しい」

美津島「予期せぬ奇襲といえ、大切な部下たちを失ったのは私の落ち度だ」

美津島「残された娘たちのためにも、ここで立ち上がらない訳には行かない」


君嶋「ですが……!」


美津島「それ以上は結構だ」

美津島「私の腹はもう決まっている」


君嶋「……美津島提督」


美津島「それに、何も全てを諦めたわけじゃない」

美津島「いつか……『今の海軍を変えられるかどうか』と君に質問したことがあるだろう」

美津島「君は何と答えたか覚えているかね?」


君嶋「それは……」

君嶋「済みません、失念しました」


美津島「あの時、君はこう言った」

美津島「何の迷いもなく真っ直ぐに私の目を見て」

美津島「『変えられる変えられないではなく、変える』と」

美津島「その返事を聞いて、私は君に賭けてみることにしたんだ」


君嶋「一体、何を」


美津島「私が憧れ、目指した帝国海軍」

美津島「その誇りを取り戻せるかどうかをだ」


君嶋「その結果は……」


美津島「それはまだ分からない」

美津島「ともすれば自分の残り少ない余生が過ぎても分からないかもしれない」

美津島「だが、後悔はしていないよ」

美津島「今、この場に君が居るだけでも賭け分は十分に返ってきた」


君嶋「……そうであれば良いのですが」


美津島「少なくとも私はそう信じているよ」


美津島「さて、前置きが長くなってしまったが……」

美津島「そろそろ本題に入るとしよう」

美津島「君がここへやってきたということは、何か私の力が必要になったからだろう?」


君嶋「はい、そうです」

君嶋「本日ここへやってきたのは他でもない」

君嶋「美津島提督にご教授願いたいことがあってやって参りました」


美津島「私に教わりたいことか」

美津島「大方の予想では海戦術のノウハウだが……」

美津島「それで合っているかね?」


君嶋「……自分の考えなどお見通しですね」

君嶋「提督のおっしゃる通りです」

君嶋「今日は、海戦術について教わりにやってきました」


美津島「やはりか……そろそろだとは思っていたよ」

美津島「次の作戦で艦隊を任された君の事だから、海戦の如何について自力で調べるとは思っていた」

美津島「だが、独学でやるには限界があるだろうからな」

美津島「遅かれ早かれ私の元へ来るだろうと踏んでいたのだ」

美津島「それで、どうかね?」

美津島「海戦術について刻苦勉励してみた感想は」


君嶋「それが……よく分からないのです」

君嶋「確かに艦隊の陣形や状況による理想的な操艦の仕方などは分かりました」

君嶋「しかし、敵の艦隊の編成による戦い方やこちらの装備に応じた攻撃の仕方など」

君嶋「しっくりこないと言いますか……」

君嶋「本当にそれが通用するのか分からないのです」


美津島「ふむ……そうか」

美津島「それだけ分かっていれば上出来だな」


君嶋「?」

君嶋「どういうことでしょうか?」


美津島「今、『本当にそれが通用するのか分からない』と言っただろう」

美津島「それが直感でも何でも、感じとることが重要なのだよ」


君嶋「しかし、感じることが重要だと言っても」

君嶋「自分の場合は、それ以前の問題だと思うのですが……」


美津島「なに、簡単な事だ」

美津島「君のその悩みは至極簡単、むしろ当然の事だと言うことだ」

美津島「何と言っても、君が読んだ書籍は艦対艦の海戦術」

美津島「つまり……艦隊同士の戦いについて記述されたものなのだろう」



君嶋「いえ、そんなことはありません」

君嶋「表題にはしっかりと『深海棲艦との戦闘に関する』と題してありました」


美津島「それはそうだろうな」

美津島「今更、時代遅れの対艦戦を謳っても仕方がない」

美津島「本として売るためにはそのように題するしか無かったのだ」


君嶋「ますます意味が分かりません」

君嶋「それでは、自分が読んだ本の著者は」

君嶋「深海棲艦との戦闘について全くの無知だったとでも言うのですか?」


美津島「そこまでは言っていないが、似たようなものだろうな」

美津島「艦隊戦の専門家たちがその状況を想定して書いたものだ」

美津島「完全に間違っているという訳ではないが、実態とはかけ離れてしまっている」


君嶋「…」


美津島「本当の意味で深海棲艦との戦い方を知っているのは艦娘に他ならないが」

美津島「残念ながら、彼女たちには自分の戦い方を著書にして出版することは許されない」

美津島「これは軍の機密にかかわる事項で、軍規でも明記されている」

美津島「つまり……いくら本を読んでも今の海戦の実態は分からないということだ」


君嶋「では、自分が独学で学んだことは全くの無意味なのですか?」


美津島「単純にそういう訳でもない」

美津島「事実、艦隊の陣形や状況による操艦の仕方などは頭に入ったのだろう」

美津島「だとすれば、知識を得ると言う意味では成功だ」

美津島「ただ……深海棲艦との戦いについてはその知識が当てにならないがな」


君嶋「ならば、自分はどうすれば……」

君嶋「防衛隊の皆が寝食も削って作業に取り掛かっているというのに」

君嶋「肝心の自分が情報の優劣を見極められずに地団駄を踏んでいる」

君嶋「これではあいつらに顔向けが出来ません」


美津島「そうカッカするな、君嶋少尉」

美津島「まだ何も始まった訳ではない」

美津島「そもそも、君はここへ何をしにきた?」

美津島「私に今までの努力を否定されてた挙句、何もしないで帰る訳ではないだろう」


君嶋「それは……」


美津島「君はまだ若い」

美津島「周囲の期待に応えようと必死に努力しているのはよく分かる」

美津島「だが、こういう時こそ焦ってはいけないものだ」


美津島「落ち着いた心でドッシリと構えて、初めて自分の行く先が見えてくる」

美津島「これは船の上でもそうだ」

美津島「艦長というのは船の頭であり、船員たちを勝利へ導く存在なのだ」

美津島「頭が混乱していては敵を倒すことはできない」

美津島「返って足元を掬われてしまうだろう」

美津島「上に立つものほど、責任以上に冷静に物事を判断できなければ勝利は得られない」

美津島「それを肝に銘じておいてほしい」


君嶋「……分かりました」

君嶋「その言葉、しっかりと胸に刻み込ませてもらいます」


美津島「さて、少々説教臭くなってしまったが」

美津島「君がここへ来たのは間違ってはいない」

美津島「いや……むしろ限りなく正解に近いだろう」


君嶋「正解?」

君嶋「……ここへ来たことが」


美津島「ああ、そうだとも」

美津島「何を隠そう、この美津島十三海軍大将は艦艇での戦闘経験がある」

美津島「それも……深海棲艦との戦闘経験がな」


美津島「君としては、現役の司令官に話だけでも聞いておこうという魂胆だったかもしれないが」

美津島「私は君に己の知りうる全てを教えるつもりだ」

美津島「それが今の私に出来る精一杯だからな」


君嶋「よろしいのですか?」


美津島「ああ、勿論だ」

美津島「本部の圧力と退屈な日々に腐りかけていた私に喝を入れたのは、誰だったかね?」

美津島「それを忘れたと言うなら、今すぐにでも思い出させてやろう」


君嶋「はい! ありがとうございます」


美津島「……いい返事だ」

美津島「それでは早速……と言いたいところだが」

美津島「生憎と今日は私の都合が悪くてな」

美津島「本格的な指導は明日以降になってしまうが」


君嶋「いえ、問題ありません」

君嶋「端から突然押しかけた自分が悪いのです」


美津島「まぁ、私も色々と用事があるからな」

美津島「時には君の相手を出来ない時があるだろう」

美津島「その時は、そうだな……彼女に相手をして貰うと良い」


君嶋「彼女?」


美津島「私付きの秘書艦だ」

美津島「今日も含めて、初めてこの部屋にきた時も会っているだろう」


君嶋「ああ……彼女ですか」

君嶋「確かに顔見知りの仲ではありますが」

君嶋「突然押しかけたら迷惑ではないのでしょうか?」


美津島「なに、心配するな」

美津島「ああ見えても面倒は良い方だ、必ず君の力になってくれるだろう」

美津島「それに、そこまで君に悪印象を持っている訳でもないみたいだからな」


君嶋「そうでしょうか?」

君嶋「自分にはよそ者を警戒してるようにしか見えませんしたでしたが」


美津島「それでも彼女たちについて知るのは悪いことじゃない」

美津島「君の立場ではいずれ、否が応でも彼女たちと付き合うことになるだろう」

美津島「これはその予行練習みたいなモノだと持ってくれたまえ」


君嶋「……釈然としませんが」

君嶋「提督がそうせよとおっしゃるならば、そうさせて頂きます」


美津島「では、今日はこのぐらいで終わらせよう」

美津島「明日は外出の用事は無いからな」

美津島「朝からみっちりと教義に付き合ってもらうとしよう」


君嶋「はっ、了解しました!」

-3ヶ月後-

<防衛隊基地 士官執務室> 


君嶋(さて、そろそろ……)


  コン コン コン


君嶋(何だ? 日下部の奴が忘れ物でもしたのか)

君嶋「どうぞ」


  「失礼します」


君嶋「またお前か……仙田」


仙田「どうも、おはようございます」

仙田「君嶋特務少尉」


君嶋「朝から上官の部屋に挨拶とは殊勝な心がけだな」

君嶋「俺も色々と忙しんだが……何の用だ?」


仙田「『何の用だ』とは白々しいな」

仙田「オレがアンタの部屋まで来る理由なんか1つに決まっているだろ」


君嶋「……やっぱりか」

君嶋「悪いが、お前の頼みは聞けないぞ」

君嶋「従軍記者でもあるまいし、鎮守府にカメラなんか抱えて行けるか」


仙田「そう言って散々断られて来たからな」

仙田「朝一でコイツを買って来た」スッ


君嶋「何だ、それは?」


仙田「今日発売のハンディカメラだ」

仙田「一眼に比べたら、だいぶ画素は少ないし露光も悪いけど」

仙田「これなら懐に隠し持って行けるはず」


君嶋(そういう問題じゃないんだが……)

君嶋「それで、それに幾らつぎ込んだんだ?」


仙田「本体と付属品で35円」

仙田「新聞の広告で見た時から買うと決めてたからな」

仙田「ここ数ヶ月の給料をほとんど使ったぞ」


君嶋「計画性がないというか、潔いというか……」

君嶋「そういう行動力には心底敬服する」


仙田「そういう訳で、少尉」

仙田「これなら鎮守府で彼女たちの写真を撮ってきてくれるだろ?」


君嶋「残念だが答えは変わらない」

君嶋「俺も向こうへ遊びに行ってる訳じゃない」

君嶋「美津島提督に師事して深海棲艦との戦い方を学んでいるんだ」

君嶋「お前の頼みを聞いている暇なんか……」


仙田「そうは言っても、提督が居ない時はアレだ」

仙田「向こうの艦娘とイチャついてるんだろ?」

仙田「嘘だと言っても無駄だぞ、一之瀬が撮った証拠写真だ」

仙田「めいっぱいに望遠を利かせたおかげでピンボケしてるが」

仙田「服装からアンタだってことぐらい分かる」


君嶋「……随分と語弊がある言い方だな」


仙田「どうだ? 認めるのか」


君嶋「何を認めて欲しいのか分からんが」

君嶋「提督が居ない間は彼女たちに相手をしてもらったのは確かだ」

君嶋「だが、それも提督の意向の1つであって」

君嶋「お前が思っているようなことではないぞ」


仙田「アンタもなかなか往生際が悪いな」

仙田「こうなったら……」


  「見つけたぞ! 仙田」


  「やっぱり、ここに居たのか」


君嶋「日下部に、一之瀬か」


君嶋「お前らも俺に何か用か?」


日下部「いや、自分たちはそこの仙田に用があってきたんす」

日下部「今日の午後から実機を使った海上演習があるもんで」

日下部「兵科は朝から機材のチェックに駆り出されてるんす」


君嶋(そういえば……例の船の改修が終わって1週間)

君嶋(そろそろ海上演習があってもおかしくは無いのか)

君嶋(俺も完成時に一度乗っただけだからな)

君嶋(是非とも、次の演習には立ち会ってみたいものだ)


仙田「それで、オレに何の用だ?」


一之瀬「何の用だって……今話しただろ」

一之瀬「お前にも招集がかかってるんだ」


仙田「それは分かってる」

仙田「でも、まだ時間じゃないだろ」


日下部「明け方から宿舎を抜け出したのを忘れたのか」

日下部「お前が逃げ出したんじゃないかって」

日下部「宿舎じゃ結構な騒ぎだったんだからな」


仙田「それは……悪かったよ」

仙田「けど、どうしてもやりたい事があったんだ」

仙田「ほら……一之瀬には前に話したろ?」


一之瀬「やりたいことって……」

一之瀬「まさか、アレか?」


仙田「ああ、これだ」サッ


日下部「何すか……アレ」


君嶋「ハンディカメラだそうだ」

君嶋「画質も露光も悪いが、懐に隠し持てる大きさらしい」


一之瀬「でも、それって横浜の店でしか買えないはず」


仙田「だから、横浜まで行ってきたんだ」

仙田「ちょうど昨日の夜に連絡があってな」

仙田「数個だけ仕入れたから買うなら早く来いと」


君嶋「それで、明け方に宿舎を抜け出して買ってきたと言う訳か」


日下部「……良くやるよ」


仙田「そういう訳で、少尉」

仙田「このカメラはここに置いておくんで」

仙田「後の事は頼みましたよ」


君嶋「いや、そう言われてもな……」


仙田「とにかく約束は約束だ」

仙田「果たしてくれるまでは、地の果てでも追っていくつもりだ」


君嶋(約束した覚えは無いんだが)

君嶋「……分かった、これ以上付きまとわれたんじゃ敵わん」

君嶋「満足するかは分からんが、彼女たちの写真を撮ってきてやろう」


仙田「本当ですか?」


君嶋「ああ、嘘は付かない」


仙田「やったぞ一之瀬」

仙田「これで秘蔵コレクションに新たな1ページが加わる」

仙田「ゆくゆくは横須賀を制覇して、目指すは全国」

仙田「最終的には全ての艦娘を網羅した艦隊図鑑を……」


一之瀬「分かったから、もう行くぞ」

一之瀬「約束もしてもらったことだし」

一之瀬「招集に遅れる訳にはいかないだろ?」


仙田「あ、ああ……そうだったな」

仙田「それじゃあ、君嶋少尉」

仙田「アンタの撮る写真楽しみにしてるからな」


一之瀬「では、自分も失礼します」


    ガチャ  バタンッ


日下部「相変わらず、頭の中身がよく分からない奴らっす」


君嶋「あれだけ熱中できるものがあるのは良いことだろうな……多分」


日下部「じゃあ、自分も呼び出しを喰らってるんで」

日下部「そろそろ失礼します」


君嶋「帰ったら演習の話を聞かせてくれ」

君嶋「新しくなった船の調子も知りたいしな」


日下部「分かりました」

日下部「生まれ変わった船の癖をしっかり刻み込んでくるんで」

日下部「期待しておいてくださいっす」


君嶋「俺も写真を見せてやるさ」

君嶋「仙田が唸るようなヤツをフィルムに収めてな」


日下部「それは楽しみっすね」

日下部「じゃあ、失礼します」


<海軍鎮守府 司令部 執務室>


君嶋「おはよう」


  「おはようございます」

  「今日もお早いですね」


君嶋「訓練時代にコッテリしごかれたからな」

君嶋「どうにも夜明け近くに目覚めてしまうんだ」


  「それでリズムが出来ているなら十分だと思いますよ」

  「私たちなんかは司令が出たら任務に行かなければならないので」

  「気を抜いたら不規則な生活になりがちなんです」


君嶋「でも、君は秘書官なんだろう」

君嶋「だったら心配する必要はないんじゃないんか?」


  「そんなことはありませんよ」 

  「私だって任務に駆り出されることはあります」

  「明日だって、朝にはここを発って船団の護衛任務に就かなければなりません」


君嶋「……君が護衛任務に駆り出されるのか」

君嶋「美津島提督は総司令部がおかれる呉にカンヅメになっているようだし」

君嶋「ここの懐事情も、良くは無いのか?」


  「私の口から言うのも憚られますが……あまり良くはありませんね」
  
  「主力の第一、第三艦隊は聯合艦隊に引き抜かれて呉に駐屯」

  「例の合同演習に参加していた第二艦隊とその護衛にあたっていた第五艦隊も奇襲攻撃で壊滅状態」

  「第四艦隊は鎮守府の防御にあたってはいますが、殆ど釘付けになって動けない状況です」

  「それでも帝都へやってくる輸送船の護衛はしなければならないので」

  「第二、第五艦隊の生き残りと私のような後方支援に回っていた艦娘を寄せ集めて任務を回している状態です」

  「その他にも艦隊に編入されていない娘も居ますが、とても戦闘がこなせるような練度ではないので」


君嶋「そうか……」

君嶋「それでは本条大尉も大変だろうな」


  「ええ、提督のお付きなってからはあまり会う機会はありませんでしが」

  「傍目からでも分かるぐらいにやつれてきています」

  「提督も心配なさっていましたが、代理司令の任は重かったようです」


君嶋「俺も最近は顔を合わせていなかったからな」

君嶋「今度、労いの言葉でもかけておこうか」


  「止めておいた方が良いと思いますよ」

  「あの人は、他人にそういう気遣いをされるのが大嫌いですから」


君嶋「ああ……確かにな」

君嶋「秘書なだけあって、ここの人間の事を良く分かっている」


  「それなりに年を重ねていますから」
  
  「嫌でもそういう機敏に詳しくなってしまうものです」


君嶋「なら、ひとつ頼まれ事をしてくれ」


  「何でしょうか?」

  「艦艇の海戦術についてなら、私は専門外ですよ」


君嶋「そういう堅苦しいものじゃ無くてな」

君嶋「要するに……これだ」サッ


  「何ですか? ソレ」

  「と言うか……どこに隠し持ってたんですか」


君嶋「ハンディカメラだそうだ」

君嶋「ピストルを入れるホルスターを少し広げて、入れておいた」


  「どうしてそんなものを……」


君嶋「部下の1人に、君らの写真を撮ってくる様に頼まれてな」

君嶋「こんなものまで用意してきて、断り切れなかった」


  「それで……持って来たんですか」

  「わざわざ隠してまで持ち込んで」


君嶋「まぁ、約束は約束だからな」

君嶋「反故にするわけにも行かないだろう」


  「大尉といい貴方といい、変なところで律儀ですよね」

  「士官はそうなる教育でも受けてるんですか?」


君嶋「生まれ持った性分の1つさ」

君嶋「君がそう感じるなら、ここには似たような人間が集まるってことだろう」


  「まぁ、そうかも知れませんね」

  「他の鎮守府は軽い感じの士官が多いそうですけど」

  「ここは堅物ばかりでやりにくいと、異動してきた娘なんかは良く言ってますよ」


君嶋「本条大尉はともかく、美津島提督まで堅物扱いとは」

君嶋「余所の風紀は一体どうなっているんだ」


  「まぁ……鎮守府の特性的に女所帯になりやすいので」

  「ここみたいに男性社会の雰囲気を残したところは珍しいのでしょう」

  「近くに防衛隊の基地もありますからね」


君嶋「何だかんだ、鎮守府もアイツらの影響を受けているという訳か」

君嶋「仙田の奴なんかは食いつきそうな話題だな……」


  「それは?」


君嶋「ああ、さっきの頼みごとをしてきた部下だ」

君嶋「君たちにご執心らしくてな、同僚の1人とよく君らのことで盛り上がっているんだ」


  「防衛隊にもそんな人が居るんですね」
  
  「彼らの仕事を奪ってしまったおかげで、恨まれているものだとばかり」


君嶋「ま、奴らも向こうじゃ変わり者だがな」

君嶋「アイツらにもアイツらなりの考え方があるんだ」

君嶋「そういうことで、一枚だけいいか?」


  「写真ですか?」

  「それならいいですけど……私でいいんですかね」


君嶋「さぁ? アイツの好みは俺には分からん」

君嶋「だが、君も十分写真映えすると思う」

君嶋「間近で見ている俺が言うんだ、間違いないさ」


  「そ、そうですか」

  「なら……お任せします」

  「こういうのは初めてなので、お手柔らかにお願いしますね」


君嶋「俺だって初めてだ」

君嶋「こんなものを弄るのは生まれた初めてだが」

君嶋「まぁ……何とかなるだろう」

君嶋「それじゃあ、いくぞ」

君嶋「3、2、1……」


     カシャッ 


 その日はあっという間に過ぎ去った

 提督とその秘書が不在の鎮守府へと行く理由もなく、やることといえば溜まりにたまった書類の整理のみ

 例の海上演習で忙しいのか日下部を始めとした兵科の面々が自分を訪ねてくることも無い

 そんな調子で殆ど自分の机の上で過ごしたせいか、やけに早く一日が終わった印象だった


  「よし……」


 ホッと一息をついて、軽く伸びをする
 
 そのまま視線を軽く下ろすと、乱雑に重ねられた資料の上に工場から送られてきた工程計画表が目に入る

 そこには日付を示す枠とそれに跨って書かれた矢印、その作業内容が細かく書き込まれていた

 既に工場の兵器製造ラインは通常の7割程度まで稼働しており、改修終わりで一息いれていた現場が通常運転に戻り始めた頃だった


  (計画まであと数ヶ月か……)


 これから数ヶ月で目標とされている兵器の生産数を見て、本番となる大規模作戦が差し迫っていることを肌で感じる

 美津島提督が総司令となり、自分が艦艇を使った起動部隊の長官に任命された戦い

 二重の意味で負けられない戦いがすぐそこまで迫っていた

 
  「ふあぁ……っ!」


 不意にあくびがこみ上げ、情けない声が響く

 時計を見ると午後十一時を数分ほど回った時刻、いい加減に明日の業務に支障が出る時間であった


  (そろそろ、寝るか)


 間髪なく押し寄せる欠伸の第二派を押し殺しながら、もう一度伸びをする

 キッチリと止めてあった襟元のボタンを外して寝支度を整えようとしたとき、


    ガンッ バタン


 正面の扉が勢いよく開け放たれた

 突然の出来事に少し面食らいながらも、視線を上げて扉の方向を確認する
 

  「き、君嶋少尉……大変です!」


 随分と急いできたのか、よれた制服に身を包んだ日下部一等が机の前までやって来ていた


  (またか……)


 こんな風に部屋へ押しかけられるのは初めてじゃない、どうせヘマでも何かしたのだろう

 眠気でぼやけた頭でそう結論付け『はいはい』と軽くあしらう  


  「違います! そうじゃないんです」


 だが、当の日下部は何かを訴えるように必死だった

 今にも掴みかからんという具合ににじり寄り、いつもは自然に出てくる崩した敬語も何処かに飛んでいた

 深手を負って搬送されているときでさえ妙に明るい調子を崩さなかった男が申告な顔で自分の前に立っている

 先ほどまで感じていた睡魔は吹き飛び、『何か尋常でないことが起こった』と直感で理解した 


  「どうした……何があった?」


 今度は真剣に何があったのかを問いかける

 表情まで意識は周らなかったが、おそらく眉間にシワを寄せてしかめ面になっていただろう


  「深海棲艦が現れました」


 質問を受けた日下部は簡潔にそう述べた

 彼の発した言葉にピクリと体が反応する

 今にも席を飛び出して問いただしたくなる衝動に駆られたが、


  「……続けてくれ」


 その気持ちを何とか抑えて先を促す

 心中穏やかではないが、何とか平静を装つように努力した


  (今は少しでも情報を仕入れておくことが重要だ)


 そう自分に言い聞かせながら、ざわつく心を押し静める


  「つい十数分前に防衛隊の港に不審な輸送船が入港許可を求めてきました」

  「当然、軍港に一般商船が入港を求めてくるなんて普通じゃないです」

  「それで……工長がその船の船長に掛け合ったところ」

  
  「深海棲艦に襲われたという訳か……」


 話を聞いてみれば、何て事の無いただの輸送船の襲撃事件

 今の日本ではどこにでもありうる事態で規模もそれほど大きくは無い

 しかし……、


  「ただ、この輸送船の護衛にあたっていた艦娘が1名」

  「……消息不明です」


 ある1点で異彩を放ち、際立って目立っていた


  「同じ船団を護衛していたらしい艦娘も居ましたが」

  「ひどく負傷していて、話すのもままならない状態です」

  「それで、商船の船長に話を聞いてみたところ……」


  「もう1人が行方不明という訳か」


 輸送船を護衛していた艦娘の消息が分からなくなった

 状況からして深海棲艦との戦闘があったことは明白であり、発見された1人はかなりの深手を負っている

 そうであるならば行方不明者は撃沈、もしくはそれに準じた状況に置かれている可能性が非常に高い

 不意に見知った顔の艦娘のことが頭をよぎる、彼女も輸送船団の護衛任務を請け負っていたが……


  「少尉?」


 黙り込んだ自分を心配して日下部が声を掛けてくる

 自分に報告を済ませて安堵したのか、声の抑揚がいつもの調子に戻りつつあった


  「いや、何でもない」


 彼の言葉にハッと我に返り、頭の中の嫌な考えを振り払った

 とにかく今は悪い予想に思考を割いている暇はない

 直ぐにでもやるべきことは2点、1つはより正確な情報の入手、もう1つは防衛隊の出動の要否

 もし必要と判断されれば、戦闘配備を取ら無ねばならないために、その時間的猶予も必要となる

 機械的にやるべきことを頭の中に提示し、優先順位を付ける

  
  「俺は五十嵐中佐のところへ出撃の是非を問いに行ってくる」

  「お前は鎮守府までの足を用意してくれ」

  「車でも汽車でも……とにかく直ぐに出発できる状態にしておいてくれ」


  「はい、分かりました!」

  「準備が出来たら工長の部屋まで迎えに行きます」


  「頼んだぞ」


 命令を受けた日下部は、水を得た魚のように俊敏な動きで部屋を飛び出して行った

 その後ろ姿を確認すると、先ほど外した襟元のボタンを片手で締めながら席を立つ

 壁に引っ掛けてあった上着と帽子と引ったくるような手つきで乱雑に取り、部屋を後にした


  「来たか……」


 そうとだけ呟くと、難しい顔をして席に座っていた五十嵐中佐がこちらを一瞥する

 『入れ』と目くばせした後、すぐさま視線を手元にある紙の束へと戻す

 指示通りに部屋へと足を踏み入れ机の前に直立すると、何かを書き込んだらしい紙の束を机の上に軽く投げ置き、こちらへと視線を差し向けた


  「話は聞いているな?」


  「先ほど日下部一等から」


  「だったら、分かっていると思うが……」

 
 短いやり取りの後、中佐は視線を下へ下げる

 つられて目をやると、先ほどまで睨みつけていたらしい机の上におかれた資料が目に入る

 そこには件の船長との通信記録を文字へ起こしたモノであり、余白に『出撃か?』の文字が赤鉛筆で書き込まれていた
 

  「状況は?」


  「詳しくは分からん」

  「今分かっているのは日下部に報告させた通りだ」

  「鎮守府の方にも問い合わせたが『負傷した艦娘の回収に行く』の一点張りで取りつく島もない」


 そう告げると、目の前の上官は被っていた帽子を左手で取りながら右手で髪を掻き揚げた


 未だにハッキリしない事態の全貌に中佐も判断を決めかねているのだろう

 これが通常状態で船を3隻持っていたならば、すぐにでも出撃準備を整えているはずだ

 だが、今は多大な予算をかけて改修させた艦艇が一艘のみ、万一これを失えばこの基地から船が無くなる

 出撃させるべきだという軍人としての考えと船への危険は避けるべきという責任者としての考えに板挟みにされて身動きできない

 掻き揚げた髪に交じる白髪は、そんな悩みを表すように疎らであった


  「中佐は、どのように考えでしょうか?」


  「出撃もやむ負えない、とは考えている」

  「お前は……どうだ?」 
 
 
 帽子を被りなおした五十嵐は、腹を決めたように答えを絞り出す


 傍らに置かれたティーカップには熱を失ったブレンドティーが飲みかけで放置されていた


  「……出撃すべきだと思います」


  「そう言うと思ったよ」

 
 得心したといった具合に、息を吐きながら呟く

 こちらの顔にあった視線は自然と逸らされ、天井の方を向いていた

 自分から話すことは無くなったという風な態度を確認して、今度は自分の考えを伝える

 
  
  「ですが、今すぐにと言う訳でありません」



  「……と言うと?」


  「闇雲に出撃するのは危険です」

  「少なくとも消息の分からない者は何者で、何処で襲われたかを調べる必要があります」


 束の間に天を仰いだ中佐は再び視線を戻してこちらをまっすぐに見つめる

 流石に基地の1つの切り盛りを任されているほどの人物である

 先ほどまでの懸念を拭い去り、1人の部下が提示した案を評価し、見定める顔に戻っていた


  「これから自分が鎮守府まで行きます」

  「そこで何が起こっているのかを解明して、それから出撃の判断を下します」


  「門前払いかも知れないぞ?」


  「自分は何度も向こうに足を運んでいます」

  「相手が本条大尉でも……何とかしてみます」

 
 こちらの言い分を聞き、目の前の男はしばらく黙りこむ

 そして、冷め切っているであろう飲みかけの紅茶を一気にあおる

 カップに残っていた液体を喉奥へ追いやると、静かに口を開いた


  「……分かった」

  「無駄かも知れんが、俺の方でも話は通しておく」

  「向こうが何を考えてるのか掴んで来い」


  「はっ、了解しました!」  


  「こっちはこっちで戦闘配備を敷いておく」
 
  「今からなら4時間もあれば全てが整うはずだ」

  「話が付かなくても、取りあえずそれまでに一度戻ってこい」

  「そうなったら防衛隊の方で出撃の判断を下す」

 
 五十嵐中佐の言葉を受けて、体が自然と敬礼の動作を行う

 こちらの意を汲み敬礼を返してくる上官に一礼し、踵を返して扉へと向かう

 背後からはダイアルを回して電話をかける音が聞こえてきた 


 執務室を出ると、廊下の向こうから日下部が駆け足で向かってくるのが見えた

 こちらの姿を確認した日下部は腕を大きく振りながら名前を呼んでくる

 返答代わりに右手を軽く上げながら小走りで彼の方へ向かう


  「早かったな」


  「少尉こそ……こんなに早く話が終わるなんて思ってなかったっす」

 
 軽口を返す日下部は、両手を膝に置きながら軽く息を整える

 あれから殆ど走りっぱなしだったのか、よれた制服はさらに皺くちゃになり、額にも汗が滲んでいた

 服装を正すように指摘して、日下部の息が整うのを待ってやると、すぐさま本題へと入る
 

  「それで用意はできたのか?」
 

  「はい、バッチシです」

  「向こうに停めてあるんで、付いて来てください」


 そう言って日下部は再び走り出す

 少しぐらいは説明をくれても良いではないかと心の中で思いながら、その後に付いていく

 数歩足を踏み出したところで、館内に設置されたスピーカーから五十嵐中佐の声で戦闘配備の指令が出た

 その放送に前を走る日下部が一瞬たじろぐが、構わず急かして先を急がせる

 背後で基地全体がにわかに活気づく行くのを感じながら、その場を後にした


  「少尉、アレです!」


 基地の正面玄関までやってきた日下部は、目の前の空間に向かった指を差し向ける

 そこにはヘッドライトが付いたままの一台の軍用車が停めてあった
 
 前面に伸びたボンネットと特徴的な丸型のヘッドライト、背面に補助タイヤが備え付けられたその車は、何時ぞやか乗せられたことのある懐かしい顔だった


  「アレは……」


  「技術部の倉庫から黙って借りてきたんす」

  「バレたら大目玉食らうんで、早く乗り込んでください」


 質問する時間を与えないとばかりに、それだけ言った日下部はさっさと運転席の方へと行ってしまった

 直感的に嫌な予感がして最後に乗ったときの事を思い返そうとするが、どうにもハッキリと思い出せない

 『どうでも良いか』と独り言ちして、運転席に座って手招きをする日下部に促されるままに、その傍らに腰を下ろす

   
  「じゃあ、飛ばしますんで」

  「しっかり捕まってて下さいっす」


 シートに取り付けられたベルトを締めると、隣から少し声色が変わった日下部の声が聞こえる

 その瞬間に、さっきまで霧がかかっていたようにボヤけていた記憶が鮮明に蘇ってくる

 そして、唐突に理解した

 先ほどの自分は決してこの車の事を忘れていたのではない、思い出したくなかったのだと……


  「おい、待て……」


 今ならまだ間に合うと、制止の声を掛けようする

 だが、ハンドルを握った隣の部下に届くことはなかった

 甲高いスキール音を立てながら、旧式の軍用車は夜のとばりの中へ飛び出していった


  「少尉、君嶋少尉!」


 自分の名を呼ぶ声にハッと我に返る

 出発してからの記憶が曖昧になっているせいで、どれぐらいの時間が経ったのか分からなかった

 頭の中にはけたたましいスリップの音と壊れそうな位にエンジンを蒸かす音が鳴り響いている


  「着きました」

  「鎮守府の司令部の前です」


 未だに白と赤の光がチカチカと点滅する幻覚を見ているなか、到着を知らせる声が聞こえた

 軽く頭を振った視界の端には助手席の向こう側を眺める日下部の姿が映る

 彼の視線を追った先にはガス灯に照らされたレンガ造りの建屋と、その入り口に立っている何者かの人影があった

 
  「迎えも来てるみたいっすね」

  「早く行った方が良いんじゃないですか?」


  「ああ……そうだな」


 ようやく戻ってきた体の感覚を確かめながらシートベルトの留め具を外す

 いざドアを開けようとノブに手を掛けたとき、横から同じく留め金を外す音が響くのを耳にする

 半身捻った状態で振り向くと日下部が留め具から外したシートベルトを手にした姿が目に入ったので、慌てて制止する


  「お前はここで待っているんだ」


  「でも、少尉……」

 
 当然自分も付いていくと思っていたのだろうか、留め具に掛けた手もそのままに日下部は口ごもる

 日下部の気持ちも分かるが、もしもの時のために基地へと直ぐに帰れる用意は必要だ

 そのためにも彼にはここに残って貰わなければならない
 

  「……分かりました」

  「自分はここで待機してるっす」


 待機命令を受けた日下部はしぶしぶ命令を受諾する

 今は何を優先すべきかは彼もよく分かって居るようだ

 外したまま握っていたベルトを留めなおして、こちらをまっすぐに見つめ返してきた


  「行ってくる」


 それに応えるように返事をすると、今度そ車のドアを開いて外へ降り立つ

 そして、入り口の前に立っている案内人らしき人影へと向かって歩き始めた


 コツコツと靴音を響かせながら足早に入り口まで足を運ぶ

 乗ってきた車のエンジン音が遠くなり、代わりに建物から漏れる光が足元を照らしはじめた

 入り口へ向かうこちらの姿を確認したのか、先ほどから待機していた人影も自分の方へ近寄ってきた

 夜の闇からすっかりと抜けだし、お互いの全身が白熱灯の光に包まれるまで近づくと、


  「君嶋少尉さんなのですか?」


 目の前には夜半の海軍施設には不釣り合いな少女の姿があった

 突然出てきた少女に少し困惑する

 もちろん頭の中では彼女が何者で、どういう目的でここにいるかも分かってはいた

 しかし、在りし日の海軍で育った自分にはどうにも違和感を拭えない光景である


  「あ、ああ……」


 そんな動揺が表に出たのか、我ながらそっけない言葉で返事をする

 だが、少女はこちらの動揺など知った事ではないという調子で、身元について2、3質問を浴びせてくる

 それらに軽く答え、さっさと建物の中に入ってしまおうと歩を進めるが、


  「それじゃあ、こっちなのです」


 機敏な動きで前を取られ、そのまま彼女に先導される立場になってしまう

 彼女も任務として自分の対応を任されているのだろうが、その姿はやはり子供にしか見えない

 どうにも違和感を拭えなかったが、黙ってその後を追った


 彼女に案内されたのは誰も居ない応接間であった

 どうせ直ぐに会うことは出来ないだろうと踏んでいたので大して落胆しなかった

 それより、ここからどうやって本条大尉に話を通してもらうかが重要だ

 試しに大尉はどうしているかと話題に出そうするが、 

  
  「初めましてなのです」


 待っていましたと言わんばかりに自己紹介をはじめられてしまう

 状況が状況だけに、鼻高々に自分の名前や所属、果ては家族の話をする彼女に呆気にとられて思考が停止する

 完全に出鼻を挫かれたまま、少女の話を右から左へと聞き流す

 ようやく彼女が自分の戦歴の話を始めた頃に割って入り、何とか先へ進めることに成功する


  「それでは……ゴホン」

  「大尉さんからの話ですね」


 途中で横槍を入れられたのが不満なのか、少し不満そうに本題を切り出す

 こちらの気持ちを分かっているのか、そうでないのか、わざとらしい咳払いのオマケ付きであった

 普段なら可愛らしいその仕草も、今の自分にとってはもどかしい以外の何物でもない


  「それで、大尉はなんと?」
  

  「会議中で誰にも邪魔されたくないので」

  「少尉さんにはここで待って貰うようにと」


 肝心の本題については、想定通りと言えば想定どおりであった

 そもそも五十嵐中佐の問い合わせに応じない時点で、自分が来たところで対応は変わらない

 断わったところでやってくるのだから、迎えるだけ迎えようという魂胆なのだろう

 取りあえず、目の前の彼女から聞き出せるだけ聞き出すことにする


  「なら、大尉はいま何をやっているんだ?」


  「執務室で会議をしてます」


  「何について話している?」


  「それは……よく分からないのです」


 他にも色々と聞いてみるが、殆ど収穫は無かった
 
 どうやら、こちらは防衛隊ほど指示系統がハッキリしてないらしい

 美津島提督が不在の今、詳細を知るにはやはり本条大尉に直接掛け合うしかないようだ


  「分かった、ありがとう」


  「分かって貰えて何よりなのです」

  「それじゃあ、途中だったのでさっきの続きを……」


 質問が終わるや否や、再びさっきの話の続きを始めようとする

 彼女にすれば、初対面の人間に自分を良く知ってもらうためのサービスのつもりなのだろう

 普段は厚意に当てはまるそんな行為も、今の自分にしてみれば本条大尉が仕掛けた罠みたいなものだ

 多少無理やりでも話題を変えて、話の方向を変えようと試みる


  「……おかしいです、少尉さん」

  「さっきから変な事ばかり聞いて」

  「まさか……ニセモノさんなのですか?」


 しかし、それが裏目に出てしまったようだ

 思考の大半を大尉に会うための計略に使い果たし、目の前の少女に注意を払うことを完全に失念していた

 傍から見たら不自然きわまりない会話は、彼女に不信感を与えるのには十分だった


  「いや、そんなことは……」


  「ニセモノはみんなそう言うんです」

  
 突拍子もないことを言われて、一瞬たじろいてしまった事も悪く働いた

 気づけば、目の前の少女は誰が見ても明らかな疑惑の眼差しを向けている

 こうなってしまっては何を言っても信じてはくれないだろう


  「正直に言いなさい」

  「今なら、まだ許してあげるのです」


 足りない背を必死に伸ばしてこちらを脅しにかかってくる

 全くもって脅しになっていないが、ここでひと悶着起こせば確実に出遅れてしまう

 正面に控えている日下部に助けを求める考えがよぎるが、すぐさま却下する

 これで向こうに応援を呼ばれることになったら会議に乗り込むどころではなくなる


 いっそのことニセモノという立場を利用してどうにかできないだろうか……

 日下部の運転で脳が揺さぶられた後遺症か、とっさに思いついた作戦の1つを良く考えずに実行へ移す


  「早くしないと憲兵さんを呼びますよ」


  「いや、それは困る」


  「だったら、自分がニセモノさんだって……」

 
  「ああ、そうだ」
 
  「俺は君嶋大悟の偽物だ」


 突然の告白に驚いたのか、少女は言葉を失って沈黙する

 その隙を見逃さずに、思いついた事をあることないこと畳み掛ける

 本部の最高機密を握っているだとか、少尉に成り代わった諜報員だとか、妖精にあったことがあるだとか 

 荒唐無稽も甚だしいが、とにかく子供が好きそうな単語を並べてみた


  「……というわけで」

  「今すぐ、本条大尉に会わなければならいんだ」


 自分で言っていて笑いそうになるが、あくまで堂々と言い放つ

 こうすると不思議と疑われなくなるらしい、下山田の奴が嘘を吐く時に良くやっていた方法だ


  「う……嘘付きは泥棒の始まりなのです」


  「いや、そうじゃない」


  「でも……そんな」

  「証拠がないと信用できません!」 


  「それは……」


 『証拠』と言われてドキリとする

 当然、全部が全部ハッタリであって、証拠などあるはずがない

 悩んでいるの悟られないようにしながら、何気なく腰へ手を当てる

 右手に触れたホルスターに何かしらの違和感を覚えた
 

  「さぁ、証拠は?」


  「そうだな……」

 
 そういえば、ここには仙田に渡された携行カメラを入れておいたままだった

 返すのをすっかり忘れていたが、これは使えるかもしれない

 
  「これならどうだ?」


 そう思い至ると、辺りを憚るようにホルスターの留め金を外し、手にしたカメラを少女に見せる


  「これは……何なのですか」


 目の前に付きだされた奇妙な物体を訝しみながら、指先でそれを触ろうとする

 
  「ダメだ!」


  「はわっ……」


 それを強い調子で制止ながら、わざとらしく急いでホルスターへカメラと戻す

 怒鳴られた少女はビクリと震えると、おびえるような目つきでそれを眺めていた

 その様子に満足して、今のはスパイの秘密道具だとか、いきなり触ると何が起こる分からない等と嘘を重ねる


  「ほ、本当なの?」 


 そんなやり取りを経て、疑惑が不安に変わったのだろう

 偽物の件はすっかり忘れて、先ほどの話が本当かどうかを確かめてくる 

 だが、あえてそれには答えずに彼女の右肩を軽く2、3回たたいた

 嘘を付くときは『本当だ』と言い切らない方がボロが出ない、下山田の入れ知恵だ


  「わ、分かりました」

  「今すぐ大尉さんのところまで案内するです!」


 何をどう理解したのか全く分からないが、とにかく少尉のところまでは行けるらしい

 ひとまずホッと息を付くと、新たに気を引き締めながら彼女の後に付いていく
 


 軽い足取りの少女の後を追って、静まり返った司令部の廊下を歩く

 非常灯と最低限の照明以外は消されてしまった通路には、古めかしい建物が醸し出す独特の閉塞感が漂っている

 普段は少女たちが行きかう場所であっても、そんな息苦しさだけはあの頃とは変わらない

 彼女たちも良く知っているであろうこの司令部に、どことなく懐かしいものを感じた気がした


  「ここなのです」


 しばらく歩いていると、目の前の少女がこちらを振り向き、目的地への到着を伝える 

 彼女が指さす部屋の立札には『士官執務室』とあり、ドアの隙間から明かりが漏れ出していた

 部屋の状況と聞いている話から、ここに本条大尉が居るのはまず間違いなさそうだ

 
  「ありがとう、助かった」


 取りあえず、案内をしてくれた少女に礼を言う

 彼女の返礼を受け、1人にして貰うために声を掛けようとした時、


  『どうして出撃できねぇんだ!?』


 中から怒号にも近い抗議の声が聞こえてきた

 それに続いて諌めるような声と言い争うような声が数秒くりかえされ、再び沈黙する

 鎮守府も判断しかねているようだ、防衛隊とは違った意味で緊迫した空気が伝わってくる


  「あの……」


 今ので本当に自分を通して良いか不安になったのだろう

 扉の前に立つ彼女が心配そうな顔をしてこちらに顔を向けている


  「大丈夫だ」

  「後は何とかするさ」


 そんな彼女の目線に合わせるように片膝立ちになって言い聞かせた

 それでも表情を崩さない彼女であったが、無理やりにでも分からせようと頭に手をやってワシャワシャとかきむしる

 少女は驚いてこちらを見返すが、それに構わず『帰るまで止めない』などと適当な事を言って動作を続ける 


  「……わかりました」

  「これで失礼するのです」


 暫くそれを続けていると、いい加減に付き合うのが面倒臭くなったのか、少女が帰ると言い出す

 そうか、と返事をしてクシャクシャにしてしまった髪を軽く戻してやる

 それもあまり気に入らなかったようだが、何も言わずにもと来た道を戻り始める

 立ち上がって服についた埃をはらい終えた頃には、廊下の暗がりに溶け込んで見えなくなってしまっていた


  「さて、行くか……」


 ここまで来たからには手ぶらで帰るわけには行かない

 そう自分で自分に発破をかけると、目の前のノブを回して部屋に押し入った
 


 扉を開けると、目の前に女性の後ろ姿が現れた

 艦娘の象徴する独特な制服と怒りを露わに小刻みに震える肩、おそらく彼女が先ほどの怒声の持ち主なのだろう

 辺りに気を配っている様子もなく、こちらの入室にも気づいていないらしい

 海図が広げられた机に両手を付いて目の前の上官、本条大尉を睨みつけている

 だが、そんな様子の彼女とは裏腹に、その向こうに見える大尉は両手を口元で組み合わせながら座したまま黙している

 視線を下ろして海図を眺めている表情は、目深にかぶった制帽に隠れて読み取ることはできなかった


  「失礼ですが……」


 不意に、横から声を掛けられる

 ハッと目の前の2人から意識を戻して、声がした方向を振り向く

 自分が入ってきたドアの右手、視覚となっていた場所にもう1人、いかにも頭が切れると感じの澄ました女性が立っていた

   
  「貴方は?」


 突然会議に押しかけて来た人間を怪しんでいるのだろう

 キリっとした鋭い視線で、こちらの素性を確かめてくる

 どうやら彼女にはさっきの少女みたいな子供だましは通用しそうになさそうだ

 下手な嘘をついてつまみ出されるわけには行かない

 話は伝わっているはずだと念押しして、自分の素性とここまでやってきた目的を話すことにした


  「……分かりました」

  「大尉に掛け合ってみます」


 こちらの話を聞いて、彼女は大尉の居る机へと向かう

 もう1人の例の怒鳴り声の女性に声を掛けると、二三耳打ちして彼女を脇へと下がらせた

 そして、そのまま机の正面に立ち、突然の来訪者について報告し始めた


  (さて、どう出てくるか……)


 『話は伝わっている』と言い放ったはいいが、大尉がどう出てくるかは分からない

 中佐から連絡が入っているはずだが、向こうが事実を否定すればそれで終わりだ

 半ば騙すような手口でこの部屋まで案内させたこともあり、最悪何も聞き出せずに追い出されてしまう可能性もある

 だが、そこまで酷い対応をされることはないだろう

 態度こそ人を食ったようなものある男だが、決して自らの保身のみを考える人間ではない

 自分が直接やってきたと知ったら、必ず何か反応をするはずだ


  「君嶋特務少尉」


 どうやら、こちらの思惑は当たったようだ

 取り次いでくれた女性が自分の名を呼ぶと机の右側へ避けて大尉の正面を空ける

 来いという合図だろうが、今の今まで大尉とやり合っていた彼女の事が気にかかる

 歩を進めながら横目で確認すると、抗議をしていた女性も鋭い目つきながらも黙ってこちらに目を向けるのみだ

 そういえば、水兵時代に士官へ報告する時もこんな雰囲気だった

 そんなことを考えながら、ゆっくりと正面の机まで歩いて行く
 


  「やはり……貴様が来たか」


 机を挟んで正面に立つと、目の前の男はそう呟く

 部下とのやり取りに力を使い果たしたのか、いつものような高圧的な態度は無い

 自分がやってきたことへの率直な感想といった感じであった


  「大尉……」


  「必要ない、話は聞いている」

 
 改めて今日の目的を告げようとするが制止され、先を急ぐように促される
 
 普段ならば皮肉の1つも入る場面であるが、それが無いということは余程余裕がないのだろうか
 
 完全に毒気を抜かれて戸惑いながらも、気を取り直して本題にはいる


  「では、単刀直入に聞きます」

  「艦娘が消息不明だという報告は事実なのですか?」
 

 そんな大尉の態度に応えて、今もっとも知りたい情報を問いかける
 
 だが、その答えは返答を待つまでもなかった

 目の前の男は苦虫を噛み潰したような顔をし、左隣の女は歯を食縛りながら激しい憤怒を見せる

 右に控えた女も一見冷静な風を取り繕っているが、瞳の奥の動揺を隠しきれないでいた

 こんな反応を見せられれば否が応にも理解させられる

 船団護衛の任にあたった艦娘が行方不明になったというのは明白だ


  「誰が……」


 その疑問は自然と口に出ていた

 誰かが行方不明となれば、その『誰か』が気になるは当然の心理である

 だが、それを言葉にするのはまた別の問題だ

 己の不用意な発言に背筋に冷たいものが走る

 いずれ聞かなければならない事だとしても、今この時ではなかった

 完全な失言だったが、次に打ち出すべき挽回の一手を考えなければならない

 はやる心を押さえつけて自分が取るべき行動の最適解を探ろうとする

  
  「美津島提督の秘書」

  「……貴様がよく絡んでいた彼女だ」

 
 しかし、それも次の発言によって全て吹き飛でしまった


  「なにっ……!」
 

 気づけば、右腕で机を叩き付け、身を乗り出す格好になっていた

 突然の行動に両脇の艦娘が驚いたような反応をしているが、そんなことはどうでも良い

 報告を受けた時から頭の片隅に燻ぶっていた悪い予感、それが現実のものとなったのだ

 例えようのない焦燥感が、早鐘を打つ鼓動となって耳元まで伝わってくる


  「本当……なのか」


 独り言か質問なのか自分でもわからない言葉が口からこぼれる

 目の前の男はそれに返事をするでもなく、ただジッと机に広げられた海図を見つめていた


  (……嘘では無いか)


 そう得心すると、激情する己の姿を妙に冷めた視線で眺めている自分の存在に気が付いた

 第一報を聞いただけで、ここまで自分が抑えられなくなるとは

 ここへ乗り込むときに自分がなすべき事を決めていたはずであるのに


 (相変わらず、仲間の危機に弱いらしいな)


 そんな風な感傷に浸っていると、


  「君嶋特務少尉」


 嗜めるような言葉づかいで名前を呼ばれた

 確認するまでもなく右隣に控えている女性の声だ

 軽く返事をして乗り出していた体を引き戻す

 冷えてきた頭は平静を取り戻し、意識の中から閉めだしていた周りの状況が目に入り始めていた


  「……状況はどうなっているのですか?」

 
 頭が冷えてきたところで、再び質問を投げかける

 他所の組織の人間がこうやってズケズケと物を言うのは本来は悪手なのだろう

 だが、相手は他でもない本条大尉だ

 こうなってしまっては下手に遠まわしに質問するよりも、この方がずっと効果的だ

 そして何より、彼女の知り合いとしても、現状についていち早く知っておきたかった


  「詳しくはこちらも把握していない」

  「だが、深海棲艦との戦闘があったのは確かだ」

  「襲撃を予想される時刻に、向こうからこちらへ打電があった」 


 大尉は静かに口を開く

 その視線はこちらを向くことは無く、机の上に広げられた海図に落とされていた

 目の前に広げられたそれは、自分も何度か目にしたことのある鎮守府近海の海図であった

 そして、そこにはバッテン模様といくつかのピンが刺されており、ピンの脇には時刻と思わしき数字が書き込まれている

 しばらくその図を眺めていると、大尉に促されて右隣の彼女がその意味を説明し始めた

 
  「海図に引かれたラインが当初の想定航路です」

  「中央付近にあるバツ印が襲撃予想地点とその時刻」

  「そこから続くピンの列が無線標識から送られてきたおおよその位置と時刻です」


 彼女の話を横で聞きながら海図に目を落とす

 そこには地図の西端から横浜の港まで伸びる実線が引かれており、その中腹に大きなバツ印が付けられている

 印から東、横浜方面まではピンの列が三筋に別れて伸び、その内の2つは防衛隊の基地へと、1つは印から南東の方角へと向かっていた

 おそらくこの線が船団の航路であり、事件にあった艦娘は横浜まで船団を護衛して鎮守府に返ってくる予定だった

 だが、その途中にバツ印で深海棲艦と接触し、戦闘後に1人がはぐれてしまったのだろう

  
  「今夜、作戦に従事していた者は3名」

  「2名は第二艦隊所属の駆逐艦型、もう1名が補充人員として従事した秘書艦だ」


 大尉が先と続ける

 視線はそのままに、意識をその声の方向へ向ける


  「襲撃があったのは午後10時ごろ、横須賀の南西50キロ地点とみられる」
  
  「鎮守府に打電において、当方の指揮の必要がないと報告したことから当初の敵は少数であったと考えられる」

  「そして、同時刻の30分後に非常事態を通告、正式に私の指揮下となった」


 本条大尉はこの事態は自分たちよりも早くに知っていた

 日下部が部屋に飛び込んできたのが11時頃であるから、およそ1時間の落差だ

 その事実がこちらの胸に鋭く突き刺さる

 もっと早く知らせてくれていれば、そんな気持ちが握った拳を強く握らせる


  「だが、その時点では現場は混乱を極めた」

  「辛うじて把握した内容によると、第五艦隊の1名が重傷、それに刺激されたもう1名が特攻をしかける」

  「残る1名が何とか特攻を思い留まられようとしたところに、敵艦の攻撃が直撃」

  「この攻撃により無線装置が破損、以降の交信が不能となった」

 
 男は淡々と事実を伝える

 表情からは読み取れないが、言葉の節々に適切な指示を下せなかった忸怩の念が籠っているように感じた


  「後は貴様の知っての通りだ」

  「第五艦隊の2名は護衛目標と共に防衛隊の港に辿り着き」

  「もう1名は……」


  「囮になったんだ」


 本条の発言に被せて、左の女が怒気を孕んだ声を上げる

 自分の登場にしばらく声を潜めていたようだが、いい加減に我慢の限界といった感じで机へ身を乗り出した


  「こうしている間にも沈んでるかもしれねぇんだ!」

  「こんなところで話し合ってる場合じゃないだろッ!?」


 彼女の怒りはもっともであった

 事実、自分が彼女と同じ立場であったらならば、同じように抗議の声を上げているだろう

 それでも、目の前の男は表情を崩さない


  「オレ達、いやオレだけでもいい!」

  「始末書を書けってなら、後で何枚でも書いてやる」

  「だから……頼む! 行かせてくれ」


 仲間を失うかもしれない恐怖か、それとも自分への不甲斐なさか、次第に抗議と言うよりは懇願になっていく

 もう1人の彼女も思うところがあるのだろうか、ひどく悲しい顔をしてその様子を見つめていた

 だが、指揮官と呼ばれる人間は時として冷酷な判断を下さなければならない時もあるのも事実だ

 本条大尉にとって今がその時なのだろう、『ダメだ』の一言で彼女の意見を取り下げた


  「もういい! オレは勝手に行く」

  「アンタの許可なんか知ったことか!」


  「無許可の出撃は認められない」

  「強行した場合は軍法会議にかけるぞ」


 業を煮やした彼女が遂に強行手段へと乗り出す

 しかし、それでも本条大尉は怯まない

 軍紀に反する行為であることを告げて、軍法会議という単語まで繰り出した


  「どうしてだ! どうしてそんなことが言える」

  「アンタはアイツとは旧い仲なんだろ!」

  「助けたいとは思わねぇのかよ!?」


 いくら抗議しても強固な本条の態度に嫌気がさしたのだろう、ついに捨て台詞とも取れる言葉を吐く

 その罵倒とも言える言葉からは、彼女の抱える焦りや不安、憤りが読み取れる

 だが、今回ばかりは相手が悪い

 このカタブツ大尉のことだ、そんな言葉など耳を貸さずに冷静に突っぱねるだろうと思った


 しかし、その目論見は大きく外れた

 大尉はカッと目を見開くと、椅子が倒れるのもお構いなしに立ち上がり、


  「今……何と言った?」


 そのまま真っ直ぐに目の前の彼女を見据えて問いかける

 口調は静かなものであったが、その裏には激しい怒りが込められていた

 隣で聞いているだけでもピリピリとした緊張感が伝わってくる

 当の本人は完全に気勢をそがれて、答えかねていた


  「何と言ったと聞いている!」


 次の瞬間、烈火のごとき怒り本条大尉から噴出した

 怒った拍子に叩き付けられた机は振動し、山積みにされていた書類がバサバサと落ちて行った

 その様子にもう1人が慌てて止めに入る

 しかし、そんなもので今の大尉が止められる筈も無かった


  「助けたくないはずがあるか!」

  「出来ることなら、今すぐにでもここを飛び出している!」

  「だがな……そうしたくても、私には出来ないのだ」


 抑えつけていた感情の箍が外れたのだろうか、怒髪天を衝いていた声は次第に誰かに言い聞かせるようなものへ変わっていた

 もはや彼に割って入ろうなどいう者はいない

 自分も左右の彼女も、ただ黙ってその話に耳を傾けていた


  「普段の状況ならば、言われずとも救出に向かっている」

  「だが、今はそんなことが出来る状況ではない」

  「多くの戦力を先の海戦で失い、残った大半も呉の聯合艦隊へと徴収された」

  「今の私には、この鎮守府を守るの事で背一杯なのだ」

 
 ひとつひとつ確かめるように、自らの置かれた状況とその胸中を独白する

 様々な要因で拠点を守りきることができる限界の戦力しか保有できていない現状、

 戦力になる艦娘に対して、実戦経験が乏しい艦娘が多数いるという鎮守府の状態、

 そして、1人を生かすために2人を殺すような作戦を立てることが出来ないとういう指揮官の苦悩

 深夜の執務室には、海軍の司令官としての本条大尉と彼女たちの仲間としての本条誠、そのふたつに板挟みにされた1人の人間の姿があった


  「ハッ、余計なことまで口走ってしまったな」


 話を終えた本条はそうやって自嘲気味に笑うと倒れた椅子を戻しにかかった

 今にも部屋を飛び出して行きそうだった彼女は俯いたまま、その場で立ち尽くす

 もう1人の方も、何と声を掛けたらいいか分からないといった風に左横で固まっていた


  「さて……」


 倒れた椅子に座り直した大尉は、曲がっていた制帽のツバを正してこちらを向き直る

 反射的にこちらも姿勢を正し、その話を聞く準備を整える


  「今、貴様が見たのがここの現状だ」

  「もう私から聞き出せるような情報は無いはずだ」

  「帰って報告するなり好きにしろ」

  「防衛隊の決定について、私がどうこう言える筋合いなど無いからな」

 
 溜まっていたものを全部吐き出して何時もの調子が戻って来たらしい

 厄介事を押し付ける新海軍の士官としては満点の返事で、こちらの出撃を容認した


  「はっ、承知しました!」

  「必ずや敵を撃滅し、行方不明の味方を救出して見せます」


 それに応えるように大げさに敬礼すると、味方の救出に加えて敵の撃沈まで宣言してやる

 たが、当の大尉は特に大きな反応もせずにずれた帽子を被り直す

 そして、澄ました方の艦娘に目くばせすると、机上の資料を1枚こちらへ寄こす


  「無線標識の発信記録だ」

  「時刻と発信地点が乗っている」  


 資料についてそうとだけ説明し、後は勝手にと言わんばかりにそっぽを向く

 そんな大尉へもう一度敬礼をすると、すぐに踵を返してその場を後にする

 もうこれ以上ここへ居る理由は無い


 (基地に戻って、一刻も早く出撃だ)


 はやる気持ちを抑えつつ足早に部屋を後にした


 工長室へと戻ると、すぐさま五十嵐中佐に鎮守府での出来事を報告する

 すでに日下部とは基地に出戻った時点で別れており、出撃準備に加わるよう命令していた


  「そうか……」


 全ての報告を終えると中佐はそう呟いた

 そして、手持無沙汰に握っていたペンを半回転させ、その端を机にぶつける

 室内に軽い音が響くが、すぐに外の喧騒に飲み込まれていく


  「で、彼女は生きている?」


 そのペン先をこちらへ向けながら、左手を顎の下にして尋ねてくる

 迷うことのない鋭い質問
 
 さすがに防衛隊の主要な基地を任されている将官だ

 下手な小細工などせずに核心を突いてきた


  「正確には分かりません」


 当然、現状では彼女の生死は不明だ

 このように答えるほかはなかった

 しかし、これだけで終わらせるわけには行かない

 
  「……これを見てください」


 胸ポケットにしまっていた例の無線標識の記録を差し出す


  「無線標識の記録か」
 

 片手でそれを受け取った五十嵐は、右手でペンを持ったまま記録の上から目を通す

 2、3枚めくって要点を掴んだのか、机上に資料を置いて、こちらに視線を戻す


  「最後の発信は30分前」

  「お前が向こうに乗り込んだ頃か……」


 独り言のように呟やいた五十嵐は、それきり黙り込む

 考える時間をくれといった感じに左手で額を抑えている

 おそらく、彼も迷っているのだろう

 出撃命令を下す者として、その名目を『救出』とするのか『捜索』するのか

 生前の見込みがあり、救出の必要性があるなら今すぐにでも出撃して助けなければならない

 だが、生存の可能性が限りなく低いならば、夜が明けるのを待つ方が得策である

 結局は自分一人で決めることを放棄したのだろう、額から手を下ろしてこちらの顔を見上げる


  「……彼女は生きています」

  「生きて、我々の助けを待っているのです」

 
 何を言われるでもなく言い放つ

 どうせこの状況で問われるとしたら自分の意見だ

 ならば、それは本条大尉に話を聞いた時から決まっている

 何としても彼女を救出する……それが掛け値なしの本心であった


  「そこまで言われちゃ悩んでいられんな」

  「出撃は予定通り3時間後、船の積み込みが終わり次第だ」

  「救出部隊の隊長は……」


 そこでいったん話を切ると、脇に置かれていたティーポットからカップに紅茶を注ぐ

 自分が居ない間に沸かし直したのであろう、注がれた琥珀色の液体から湯気が立ち上る

 立ち込める紅茶の匂いが抑えていたはずの睡魔を刺激し、漫然とその様子を眺める


  「頼んだぞ、君嶋特務中尉殿」


  「はい……?」  


 そんな様子を見破られたのか、からかう様な口調で五十嵐中佐が続ける

 睡魔にやられた頭が呼ばれた階級の違いに一瞬処理不良を起こすが、すぐに冗談だと理解する


  「そんな調子じゃ、船上で眠りこけても知らんぞ」

  「技術部の連中に頼んでコーヒーでも貰って来たらどうだ?」


 すこし遅れて敬礼と返事を返すと、紅茶をすすり終えた中佐に冗談を返される

 その言葉を受け止め、知らずに緩んでいた精神を再び引き締めた

 いざ海に出ても睡魔にやられてたんでは意味がない 

 自分の士官室にも日下部が持ちこんだインスタントのコーヒーがあったはずだ


  (あれでも飲んで眠気を飛ばすか)


 そんなこと考えていると、不意に後ろの扉がノックされる


  「失礼します」


 五十嵐中佐が招き入れると、作業着姿の宗方兵曹長が現れた

 戦闘配備が敷かれておよそ1時間が過ぎようとしているが、技術部は依然として大忙しらしい

 彼の身に着ける作業着には汗に滲んで、裾には真新しい油や泥のシミがこびり付いていた


  (……戻っていたのか)


 顔を合わせた兵曹長はそんなことを言いたげな目でこちらを一瞥するが、直ぐに顔を戻して中佐の前へと向かってくる

 近くまで来た宗方に場所を譲り、正面のドアから向かって左側に立つ

 机を挟んで五十嵐の目の前までやってきた宗方は、その場所で敬礼する


  「積み込みの報告に来ました」


 そして、時間が惜しいかのように早速本題に、小脇に抱えていた帳簿を差し出す


  「そんなことなら、俺を通さなくてもいいぞ」

  「お前なら好きにやらせても問題ないだろうからな」

  「こいつを見たって、おかしなところは見つからない」


 渡された帳簿をパラパラとめくると、中佐は元の持ち主に突き返す

 しかし、兵曹長はそれを受け取ろうとしない

 そんな態度の宗方に違和感を覚えたのだろう、五十嵐も何があったのか尋ねる


  「妖精さんが持ち込んできた例のアレですが……」
 

 アレというのは、例の本部の命令で試験搭載する誘導ミサイルの事だろう

 基地に運び込まれたときも技術部で騒ぎになったらしいが、また何か起こったのだろうか
 
 状況が状況だけだけに、この土壇場でなにか起こるのは可能な限り避けたい


  「言ってみろ」


 中佐も嫌な気配を感じたのだろう、低い声で宗方に先を促す

  
  「先方から送られてきたアレ、取りあえず奥の倉庫に突っ込んでいたんですが」

  「どうにもあそこの搬出装置が不良を起こしたらしく」

  「まだミサイルを搬出できないという報告が上がってるんです」

  「どうにか、倉庫から出せれば牽引車なり何なりで引っ張っていけますが……」

 
 宗方が持って来たのは予想通り、良い報告ではなかった

 施設不良でミサイルを搬出できないという話だったが、基地の整備が疎かになった結果がこんなところに出るとは

 このまま行けば確実に積み込みが遅れ、結果的に出撃も遅くなってしまう

 そうなってしまえば……考えたくもない


  「とにかく人手を寄こして下さい」

  「人力でも荷台を押して入り口まで持っていければ、クレーン車で積み込める」

  「クレーン操作はともかく、荷台の押し出しができるだけの頭数はウチじゃあ用意できない」


 だが、望みが完全に断たれたと言う訳ではなかった

 兵曹長の見込みでは、人の力で荷台を押し出せば搬出ができるらしい


  「自分が行きます」


 気づけば、一歩前に踏み出してそう言っていた

 頭で考えるよりも早く体が勝手に行動を開始していたようだ

 突然の申し出に2人がこちらに振り向くが、お構いなしに先を続ける


  「兵科の人間と一緒に搬出をやります」

  「彼らの力を借りれば出来るはずです」


 そんな自分の出方に予想は付いていたのだろうか、


  「やっぱり、そう言い出すよな」


 机の向こうの中佐は、特に驚いた顔もせずにその場で隊員を招集する放送を始めた

 その様子を見つめながら、黙って目の前の上官に敬礼をする

 それが今の自分にできる最大限の感謝の印であった


  「俺はクレーンの方をどうにかする」

  「人手の確保はお前に任せた」

  
 すると、今度は後ろから宗方の声がかかる

 反射的に振り向くが、既に部屋を後にしようとする背中しか見えなかった


  「行かなくていいのか? 時間は待ってくれないぞ」


 後手に回った自分をからかっているのだろう、冗談が混じり口調で中佐が話しかけてくる

 確かに許された時間はあまり多くは無い

 すぐさま居住まいを正すと、再び敬礼をして足早に部屋を後にした


  (……冷えてきたな)


 不意に、黙々と動かしていた足を止める

 汗で湿っていた体はすっかりと乾き、大きく開いたシャツの胸元から入り込む夜風が体の熱を奪っていく

 ミサイルの搬出を無事に終えてから数十分、ひとり真夜中の基地を歩いてきた

 他の兵科の面々は休息のために宿舎へと帰っていったが どうにもすぐに休む気になれずにこんなことをしていた

 気が付けば、港に併設された倉庫群を抜けて岸壁の終わりというところまで来ていた

 ここまで来ると波止場の喧騒は嘘のように静まり、さざ波と風のうなりだけが時折り静寂を破るのみだった


  (出撃まであと2時間か……)


 護岸の向こうに広がる海は黒々として底が知れない

 そんな海を眺めていると、今まで頼りにしてきたガス灯の光がひどく弱々しいものに感じられる

 同時に、この海の向こうで消息を絶った彼女の顔がまぶたに浮かび、再び嫌な想像が頭を支配する

 軽く頭を振って嫌な考えを吹き飛ばす


  (考え過ぎだな。もう休んで出撃に備えよう)


 そう自分に言い聞かせながら、踵を返して波止場の方を向く

 足早に宿舎へ戻ろうと片足を踏み出そうとしたとき、波音の合間に誰かの足音が近づいてくるのが聞こえた

 こんな時間にこんな場所まで来るに人間を不審に思いながら、その人物がやってくるのをを待つ

 そんなものを待っているよりさっさと宿舎へ戻るべきなのは分かっているが、何故だが動けずにその場で留まっていた

 しばらくすると、黄白色のガス灯に照らされた短靴が目に入り、足音の主が姿を現した


  「本条大尉……!」


  「貴様……こんなところに」  
 

 全く想定していなかった出会いに戸惑い、お互いに言葉を失くす
 
 目の前の男は最初こそ目を見開いて驚きを示していたが、既にその表情を隠してしまっている

 
  「どうして、ここに……」


 解しがたい状況に何とか言葉を捻りだし、固まっている大尉へ質問を投げかける

 『お前こそどうしたんだ』という顔をしている本条だが、おもむろに口を開く


  「部下の様子を見に来ただけだ」

  「ここで保護されているという話だったからな」


 どうやら、今回の騒動に巻き込まれた艦娘の様子を見に来たらしい

 負傷した彼女達は一時的に防衛隊で保護されたまま、その処遇を決めかねている状態であった

 その状況を確かめるために鎮守府の士官である大尉がここまでやって来たということだろう 

 だが、司令部の方は良いのだろうか、こんな状況で司令官が部屋の外すのは……


  「司令部の心配なら杞憂だ」

  「向こうは彼女たちに任せている」


  「頭に血が上りやすいきらいがあるが、あれで場数を踏んでいる」 
 
  「仮に動きがあったとしても無線で十分に対処可能だ」



 無意識に表情へ出してしまったのだろうか、こちらを制する口調で釘を刺される

 反論してやりたい気持ちもあったが、水掛け論になりかねないので口をつぐむ

 大尉としては今の自分にできることは他に無いと判断したのだろう、司令部で会った時の張りつめたような緊張感は無くなっていた


  「しかし……何故、こんな場所に?」


 今度は純粋に気になったことをぶつけてみた

 防衛隊で保護している艦娘の様子を見に来たとしても、こんな基地の外れまで来る必要はないはずだ

 仮に来る用事があったとしても、その理由が知りたかった

 大尉もこの質問をされることは予想がついていたのだろう、苦い顔をして海の方へ目をやった

 つられて同じ方向へ顔を向けると、横から大尉の声が耳に入ってきた
    

  「さぁな……自分でも良く分からん」

  「考え事をしていたら足が勝手に動いて」

  「気が付けば、貴様の前に居たということだ」


 そこまで話して、大尉は岸壁の方へと歩き出す

 岸壁まであと一歩というところで立ち止まり、黒く塗りつぶされた水平線を見据えた

 後ろ手に組んで海を見つめる背中を前に、数秒の沈黙が流れる


  「君嶋特務少尉……」


 声を掛けるべきかと迷っていると、不意に名前を呼ばれる

 とっさの出来事に返事をする機会を失い、言葉を失う

 軍人らしくピンと張った背中を見せながら大尉は続ける


  「お前は、どう思う?」

  「この……私の決断を」


 質問の意味が解しかけて、口ごもる

 大尉の言う『決断』とはいったい何の事を指しているのだろう
  
 司令官として鎮守府での救出を諦めたことだろうか、それとも格下に扱っていた防衛隊に全てを委ねたことだろうか

 その真意を測りかねて、もう一度聞き返した


  「そうか……貴様には分からんか」

  「まぁ、それで良いのかも知れないな」
 

 そう呟くと、後ろ手に回していた右手で軍帽のツバを摘んで目深にかぶる

 そして、再び数秒ほどの沈黙が流れた後に、大尉が口を開く

 『また何か聞かれるのか』と身構えるが、


  「アイツは……私が訓練課程を終えてから」

  「初めて教育した部下の1人だった」

 
 海を見つめる男は、確かめるような口調で独白を始めた


  「私の初任務は入隊直後の彼女たちの教育」

  「お互いに右も左も分からない未熟者同士で……」

  「今にしてみれば、子供のままごとの方がまだマシだったな」


 はぁ、とため息を付いて、帽子を掴んでいた右手を戻す

 背筋を真っ直ぐと伸ばしているはずの背中は、何処か物悲しく曲がって見えた


  「指揮官とは残酷な生き物だな」

  「ただひとつの勝利、生還のために、その他を切り捨てる」

  「そうはならないの誓ったはずなのに……皮肉なものだ」

  「その癖、私はただの一将校にすらなり切れていない」

  「犠牲を怖れるがゆえに、貴様が来るまで防衛隊の協力を拒んだのだから」


 自嘲気味に呟く目の前の男に、普段の自信と矜持にあふれた姿は無かった

 司令部で見せた苦悩の表情と目の前で誰となく独白する背中、それが本条誠という人間の本当の姿なのかもしれない

 誰しも生きていく上で何かしらの仮面を被っている

 本条大尉も例外ではなく、軍隊という官僚組織の歯車として軍人の仮面を被っているのだろう

 その証拠に、今の大尉は他人に毒を吐くどころか、自分に回り切った毒を見せつけるような話しぶりだった


  「本当のところ……私はお前が羨ましかったのかもしれない」

  「好き勝手なことを言いながら、それを実行に移せるお前が」


  「でも、それは……」


  「例え1人の力でなかったとしても」

  「今の……この現実が全てだ」

  「お前は彼女を助けるために出撃し、私は何もできずにここにいる」


 あまりに自虐的な物言いをする本条をどう扱っていいか分からずに、言葉を失う

 いつもの大尉が仮面をかぶった姿だったとしても、自分にはそれを剝いだ彼をどうして良いか分からない

 しばらく押し黙っていると、軽く咳払いして大尉から口を開く


  「また余計な事を言ってしまったな」


 組んでいた手をほどいて、やれやれといった具合に両手をあげる

 口調はいつもの調子に戻っていたが、まとっている空気は変わっていなかった


  「……もう帰れ」

  「貴様にはまだ仕事が残っているだろう」


 こちらの反論は受け付けないといった調子で続ける

 これ以上自分がここに居ない方が彼のためにも良いだろう

 宿舎の方へ向き直って本条の後ろを通り過ぎようとしたとき、


  「頼んだぞ、君嶋」

 
 ささやくようにこぼした声が聞こえた

 その声に一瞬だけ足を止め、振り返らずにその場を後にした
 

  (言われなくても、この手で助けだしてみせるさ)


 そう心の中で呟きながら、まばらに立ち並ぶガス灯を目印にして宿舎への道を急いだ


 出港してから1時間、時刻は4時を回ったところであった

 最後に無線標識が検知された地点を中心に捜索を続けているが、めぼしい成果はあげられていない

 彼女が消息を絶ってから既に6時間近くが経過し、乗組員も焦りを隠せなくなってきている

 自分も例に違わず、艦橋を任せて甲板まで降りてきていた


  「……どうだ?」


 いつかと同じように、隣には双眼鏡をのぞいた仙田の姿があった

 異なるのは、彼が手摺りを握る力は焦燥感からくるもので、その眼前に広がるのは深い藍色に塗りつぶされた海のみであることだった

 問いかけに応じないことから、おそらく何も発見できていないのだろう

 甲板には他にも双眼鏡をのぞく隊員の姿があるが、誰も声を上げる気配は無かった


  (まだなのか……)


 気が付けば、こぶしを強く握りこんでいた

 大見得切って出て来たくせに何も見つけらないのか

 あの時と同じうように自分は誰も助けることが出来ないのか

 何もできない自分に憤り、奥歯を噛みしめていると、不意に鈍い振動を感じる
  
 原因を探ると、ポケットに入れていた無線呼び出し器が受信のランプを点灯させて震えていた


  「君嶋だ」


 すぐさま受令機のボタンを押して応答する


  『少尉、今すぐブリッジに繋いでください!』


 しかし、焦ったような声がしたと思ったらすぐに切れてしまった

 かけ直そうにもこの端末では折り返すこともできない
 
 言われた通りに、辺りを見回して船内通信用の通信ボックスを探す
 

  「どうかしました?」


 その姿を不審に感じたのだろう、双眼鏡を覗いたまま仙田が尋ねてくる

 事情を説明すると近くの通信ボックスを顎で示して、再び捜索へと戻った

 そんな仙田に軽く礼を言い、箱の中の受話器を取ると艦橋へと繋げる

 
  『君嶋少尉ですか?』


 2、3秒の取次ぎ時間の後、観測手の大久保が電話口に出た

 『ああ』と答えて、何があったのかを問いかける

 
  『レーダーに反応が有りました』

  『南南西に約10km、本艦から向かって1時の方角です』


 簡潔な返答であったが、押し殺したような声から大久保の興奮が伝わってくる

 それに釣られてこちらの胸も高鳴る

 成果らしい成果を上げられていなかった反動もあり、興奮もひとしおであった

 だが、まだそうと決めつけるには早計だ


  「こちらで確認を取ってみる」

  「少しの間、外すぞ」  


 反応のあった場所を肉眼でも確かめるために通信を繋げたまま保留にする

 手に取った受話器を耳から外して、隣の仙田に話しかけた


  「……何ですか?」


 捜索を邪魔された仙田はぶっきらぼうに答える

 未だに目標を発見できていない苛立ちからか、その言葉尻には不快感が現れていた

 
  「南南西に10キロだ」


 そんな様子を余所に、先ほどの方位と距離を伝える

 突然具体的な情報を与えられた仙田は、ハッとこちらの方を振り返える

 しかし、それには応えずに黙って海の方へ眼をやった


  「本当にそうなのか?」


 双眼鏡を目にして海を捜索し始めた仙田が口を開く

 その声は期待が半分、不安が半分といった調子だった


  「詳しくは分からない」

  「とにかく、何か見つけたら教えてくれ」


 『そうだ』といってやりたいところだったが、情報が足りなさすぎる

 とにかく調べるように促し、肩口に据えていた受話器を手に取って通信を再開する

 隣の仙田は既に彼女の捜索へと戻っていた


  「それで……確証はあるのか?」


 電話口で待たせたことを詫び、一番気になっていたことを尋ねた


  『ええ……』


 数秒おいた肯定に続いて根拠を話し始める


  『付近を航行する海軍の艦艇及び艦娘の情報は無し』

  『運輸省に問い合わせても、この時間にこの海域を運行する一般商船の情報はありませんでした』


  『後は届出を出していない漁船ですが……』


 その可能性は限りなくゼロに近い、といった風に言葉を切る

 そう考えるのも当然だ

 あの頃とは違って、内地の港といえども敵の襲撃に備えなければならない時代だ

 
 護衛も無しに夜目の効かない夜に航海する船があるとしたら、それは余程の命知らずだろう 


  『それに加えて、対象は広域探知に引っかかりませんでした』

  『広域探索でも海上から1.5メートルの高さまでは十分に検知できる性能を持っています』

  『それが、10kmに接近するまで感知できなかったとすると……』


  「負傷した艦娘」


 大久保が続けるであろう言葉を口に出す

 もちろん、海上に浮かぶ漂流物か救命ボートのような小型舟艇の可能性もあった

 だが、そんなものは実際にこの目で見てみなければ分からない

 だとすれば、負傷して沈みかけている彼女だとしても罰は当たらないはずだ

 艦橋で監視を続けるように命令して、通信を切ろうとしたとき、 


  「おい! 光ったぞ」

 
 仙田が興奮した声で呼びかけてくる


 一言ことわりを入れると、通信もそのままに仙田に駆け寄った 


  「ライトの光だ!」

  「光ったり消えたりして、合図を返してる」


 こちらの気配を背中で感じたのか、双眼鏡で見えている光景を話し始める

 
  「合図は分かるか?」


  「多分、モールス信号だ」


 規則的に明滅する光の意味を捉えた仙田が返事を返す

 すぐさま解読するように言いつけて、握ったまま放置していた受話器を取る


  「目標を発見した」

  「今すぐ小林に取り次いで、野田に合図の照明弾を……」

  
  「イマスグ ニゲロ」


 そこまで言いかけたとき、ブツブツと信号の解読をしていた仙田が声を上げた

 いきなりの意味の分からない言葉に、そのあとの言葉を失う


  「何を言っている?」


 大久保が命令を聞き返してくるが、構わず確認を急ぐ 


  「今すぐ逃げろ」

  「……彼女はそう言ってる」
  

 逃げろ……とはどういうことだ

 彼女がこちらの姿を確認して助けを求めているのなら、自分たちを遠ざける理由が分からない

 なら、仙田が解読を間違えたのか?

 しかし、こいつも水兵の端くれ、簡単なモールス信号を間違えるとは考えにくい

 それに艦娘に対して人並み外れた執着心を持つ男だ、彼女が発した信号を読み違えることは無いだろう

 だとすれば、彼女が明確な意思をもって自分たちに『逃げろ』と言っている

 そう考えるとすれば、導き出される答えは……


  『少尉! 返答をお願いします』

  『野田上等に照明弾の手配をさせますが、大丈夫ですか』


 受話器から流れる声が思考を中断させる

 先ほどの命令に従ったのだろう、小林が電話口に立っていた

 もし、自分の仮定が正しいとするならば、このまま了承するわけには行かない

 野田に取り次ごうとしている小林を制止して、もう一度大久保と代わるように伝える


  『変わりました、大久保です』


 ブチッと回線が切り替わるノイズが流れ、大久保の声が聞こえてくる


  「大久保、今すぐ広域探索に切り替えろ」


  『しかし……目標は』


  「いいから、早く!」


 こちらの怒鳴り声に動揺したのか、大久保の戸惑った声が通信機を通じて送られてくる

 だが、それについて詳しく説明する暇はない

 今は彼女の伝えた言葉の意味を確かめることが先決だった


  『……レーダーを切り替えました』

  『捜索範囲に反応は……!』


 そこまで報告し、大久保の声が止まる

 その反応から大方の予想は付いたが、結果を聞くまでは安易に信じる訳には行かない

 固まった大久保に向かって、何があったのかを問いただす


  『と、東南東に30km』

  『高速で移動する物体があります』


 少し震えた声の大久保がレーダーに示された情報を伝える


  『少尉、これは……』


 何が起こっているか感づいたのだろう、緊張と興奮がない交ぜになった声で大久保が尋ねてくる


  「俺達の敵……深海棲艦だ」


 その言葉は自然と口から出ていた

 自分でも驚くほど静かで、落ち着いた口調であった

 その単語に、電話口の大久保は沈黙に陥り、近くにいた仙田もこちらの方を振り向く

 空いている左手で双眼鏡から目を離した仙田を制しながら、大久保との通信を続ける


  「敵の進路と速度は?」


  『北西方向に約40ノット』

  『ほぼ真っ直ぐに救出目標まで向かっています』


 彼女の合図と敵の進路から、敵が彼女を探していることは容易に想像が付く

 先ほどの彼女が放った光で居場所が割れてしまったのだろうか、敵は脇目も振らずに彼女の元まで向かっている

 それだけならば敵が辿り着くよりも先に彼女を助け出してしてしまえば良いが、


  「接敵までの時間は?」

 
  『およそ25分』

  『本艦は12分で到着しますが、救出作業を考えると……』


  「接敵は……不可避か」


 現実は厳しいものであった


 全速力で彼女の元まで向かっても、救出作業中に敵艦と遭遇するのは必至

 敵の砲撃を喰らって共倒れすることも十分に考えられた

 無傷で助ける可能性が残っているとすれば、敵が追撃を諦めるか、彼女が自力で敵の到達海域から離脱することだが、

 獲物を見つけた敵が進路を変更することもなければ、負傷した彼女が自走することも考えられない

 つまりは、彼女を救出するにはあの敵と戦う他ないということだった


  「全艦消灯だ」

  「必要最低限まで電源を落とすように伝えろ」


 考えあぐねた結果、ひとつの答えを出す

 現状はほぼ最悪に近いが、唯一こちらに有利に働くことがあった 

 それは、敵が自分たちに一切の興味を示していない事だった

 こちらを発見出来ていないのか、それとも優先目標に設定していないのかは不明だったが、不意打ちをする機会はある

 その一点を付けば、速度と火力を兼ね備えた敵であっても勝てるはず


  『……分かりました』

  『それで、少尉』


 指示を受けた大久保は確かめるようにこちらの名を呼んだ


  「ああ、今すぐ行く」


 その『艦橋に戻ってこい』という合図に返事をして通信を切った


  「どうだったんだ?」

 
 受話器を元に戻すと仙田が声をかけてきた

 すっかりこちらの様子に気を取られていたらしい、双眼鏡を外して自分の方へ向き直っていた

 隠し立てすることでもない、簡単に今の状態を説明してやった


  「……戦うのか?」


 状況を飲み込めたのか、堅い表情で聞き返してくる

 その質問に答えずにいると、警告の放送と共に船内の明かりが消えた

 拍子を抜かれたように辺りを見回している仙田に向かって口を開く


  「彼女は必ず助ける」

  「そのために、俺は出来ることは全てするつもりだ」

 
 その答えを待たずに踵を返して艦橋と向かう

 彼女が接敵するまで25分、それまでに敵にどう対抗するか考えなければならない

 現段階で得られた情報を整理しながら、舷梯を駆け上がった


 艦橋への扉を開けると、操舵をしている井上を除いた面々がこちらの方を振り向く

 明かりの消えた艦橋は計器から放たれるモニターのバックライトと窓から降り注ぐ月明かりに淡く照らされていた

 事態とは裏腹に静寂を保っている艦橋へ足を踏み入れ、指揮官の定位置まで移動する


  「少尉、進路は」


 配置に付くと、井上が背中越しに指示を仰いでくる

 だが、そうすぐには決められることではない

 『今から決めるところだ』とひとまず保留にし、


  「大久保、敵の進路変更は?」

 
 観測手の大久保に話しかける


  「有りません」

  「先ほどの航路を40ノット付近の速い速度で航行中です」


 名前を呼ばれた大久保は、レーダーサイトの光に照らさた顔をこちらへ向けながら返事を返す

 消灯して向こうから姿が見えにくくなったにもかかわず、敵は何の反応も見せない

 どうやら、敵は本気で自分たちについては気にも留めていないらしい


  「彼女に変化は?」


 続けて、救出目標である艦娘の状態を確認する


  「いえ、目立った行動は見られません」


 レーダーサイトに目を落とした大久保は何も変わっていないことを告げるが、


  「少尉、甲板からの報告です」


 通信手の小林が横から入電の報を知らせてくる

 甲板から連絡ということは何かしらの動きがあったに違いない

 直ぐに小林の方を向き、先を続けるように促した


  「対象からの明かりが消えたそうです」

  「こちらの消灯に反応して合図を止めた、と推測されています」


 その報を聞いて、もう一度大久保に敵の進路を確認させる

 だが、敵は相変わらず直進を続けており、速度も緩めてはいない

 どうやら、向こうは完全に彼女との位置を把握しており、何があっても進路変更をするつもりは無いらしい


  「このまま直進するとして」

  「会敵までどれくらいだ?」


 今度は自分たちが敵の想定航路に到達するまで時間を尋ねる

 敵がこちらの読み通りに動くならば、この予測はそれなりの精度を持っているはずだ


  「敵艦が直進を続けることを想定すると……」

  「およそ7分20秒で航路上に到達」

  「その後、11分40秒で会敵します」


 大久保から与えられた情報を元に、頭の中で今の状況を整理する

 戦闘をするとして、向こうの速度から逆算すると、航路上に先回りしても15キロメートル程度の余裕は見込める

 また、この時間はまだ空も白んでおらず、視認性は高くない

 おまけにこの艦はステルス迷彩が施されているため、通常の状態でも発見されにくくなっている

 となると、索敵を視覚に大きく依存している深海棲艦は15km先に浮かぶ無灯火の艦艇を捉えることはできないはずだ

 したがって、遠方から敵の行動を一方的に把握できるレーダーなどの広域管制設備は奴らにとっては致命的な凶器となり得る

 つまり、自分たちが取るべき行動は……


  「不意打ちからの一斉攻撃」


 それこそが最も勝率が高く、彼女の救出が現実的になるものだろう


  「不意打ち……ですか」


 こちらの呟きを聞いていたのだろうか、はっきりしない声で大久保が聞き返してくる

 『そんなことができるのか』と疑問に感じているのは明白であった


  「彼女を助けるにはそれしかない」


 その疑念を払拭するように強い口調で言い切る

 もちろん、この作戦に絶対の自信があるわけではない

 細かいことを考えれば、穴だらけでどうしようもないものに見えるだろう

 だが、ここで実行に移せなければ、自分たちがここまでやってきた意味は無い


  「井上、このまま直進だ」

  「敵の航路で待ち伏せするぞ」


 自分自身の迷いを吹き飛ばすように真っ直ぐ前を振り向く

 正面の窓からは、いまだ深い藍色に染まった空と黒くうねる波が見える

 『了解』と返事を返して舵輪を握る井上の背中も視界に入った


  「小林、全船通信だ」


 そのまま小林に通信の準備をさせ、手元の通信機へと手を伸ばす

 通信機のマイクを手に取ると、小林の声と共に手元のランプが点灯した

 スピーカーから流れるノイズが通信がつながったことを証明する


  「艦橋の君嶋だ」


 通信が繋がったことを確認し、自分の名を名乗る


 続いて、現在の救出任務の状況をかいつまんで話す


  「既に知っている者もいるだろうが」

  「本艦の南南西、約10kmに救出目標らしき反応を察知した」

  「まだ詳細は確認していないが、目標である可能性は極めて高い」  

 
 少し遅れてスピーカーから流れ出す自分の声を聞きながら、それが終わるまでしばし待つ

 待ちに待った成果に船員たちが色めき立つ光景が目に浮かぶが、


  「だが、ひとつ……大きな障害が見つかった」


 それを抑え込むように話を続ける

 全貌を知っている艦橋の面々も息を飲み、こちらを見つめている


  「東南東に30km」

  「高速で彼女へと接近する反応があった」


 そこまで話して一度言葉を切る

 言葉にしなくても皆分かっているのだろう、先ほどまでは無かった緊張感が辺りに張り詰める


  「これを敵深海棲艦と断定」

  「任務遂行に交戦は避けられないと判断した」


 しかし、それを敢えて言葉にする

 戦闘単位としての目標を明確にするとともに、自分の覚悟を確かめるために

 胸に垂れ込めた不安を払うように深く呼吸をした

 肺に溜めた息を吐き出すと、戦闘の開始を宣言する


  「これより本艦は敵深海棲艦との戦闘に突入する」

  「敵艦の想定航路へと侵入し、不意打ちからの一斉攻撃で撃退する」
  

 同時に作戦を説明し、今後の行動指針とする

 先ほど大久保に示したように自信を覗かせるような言い方に努めた


  「総員、第一種戦闘配備」


 最後は一息に言い切ったが、それに反して胸中はザワついている

 本当に皆が自分に付いてきてくれるのだろうか、今まで勝ったことのない相手と勝負できるかだろうかなど

 腹を括ったはずなのに色々な不安が急に押し寄せてくる

 通信機越しでは皆の反応が分からないのももどかしい
 
 その不安をかき消すように、手元の通信機のボタンを押して回線を切った


  「少尉、後部砲塔から入電です」


 一仕事終えたのも束の間に、小林から通信の知らせを受け取る

 後部砲塔といえば、例のミサイルを発射する発射装置を備え付けている場所だ

 兵科の人間には手に負える代物ではなかったので、応援部隊の宗方と森がこの場所に乗船している

 取りあえず、小林に取り次ぐように伝え、手元の通信機を取った


  『早速、敵のお出ましだな』


 数秒してスピーカーから宗方兵曹長の声が流れてくる

 あの男の事だから、深海棲艦と交戦する判断に文句を付けにでもきたのかと、一瞬身構えるが

 流れてくる声の調子から感じるに、別段抗議をするという様子はない様だ

 では、『一体何をしに来たんだ?』と思索を巡らすが、


  『何の用だと思っているかもしれんが』

  『実戦の前に、こいつの注意事項を確認しておこうと思ってな』


 こちらの考えぐらい分かるいった具合に、兵曹長が先を続ける

 話しぶりからして、ミサイルの格納庫まで降りているのだろうか

 すぐ近くにあるモノを指さすような調子で話をしてきた


  『一応、前に軽くは話しておいたが』  

  『実戦となったらまた勝手が違うだろ?』


 どうやら、例のミサイルの実戦使用についてアドバイスをするために繋いだようだ

 前にも簡単な説明は受けていたが、今の今まで頭の中から抜け落ちていたことも考えると、兵曹長の判断はありがたかった

 敵との戦闘を決断した興奮を落ち着かせるように先の話に耳を傾ける


  『まず、一番大事な装弾数だが』

  『装填しているミサイルは1番から6番の、全部で6基だ』

  
 そっちでも把握するようしておけよ、と念を押される

 勿論、そんなことは言われるまでもない

 弾薬の積み込みをやっていた時から残弾の管理は嫌というほどやっていた

 戦闘継続の可否を決める重要な事項ゆえに、しっかりと頭に叩き込む


  『後、ミサイルの誘導についてだが』

  『半自動の指令誘導式だから、オペレーターが1人必要になる』
 

  「オペレーター?」


 そんな話は聞いていない、と聞き返す

 説明では誘導ミサイとは発射したら勝手に飛ぶようなことを言っていたが、それは間違いだったのか


  『ああ、勘違いするな」

  『ミサイル自体は勝手に飛んでいく』


 こちらの疑問を察したのか、宗方が回答をする


  『誘導方式の関係上、ある程度は照準器でミサイルを追う必要がある』

  『それでオペレーターがいるってわけだ』

  『おかげで射程も短くなっているが、こればかりはどうしようもないな』  


 オペレーターの役割は分かったが、それが誰か分からなければどうしようもない

 早速、その正体について尋ねてみる


  『直接話したほうが早い』


 しかし、兵曹長はそう返事をしたきり、反応が無くなる

 通信相手の宗方が居なくなった代わりに、スピーカーからは周囲の雑音が流れてくる

 想定外の事態に困惑し、通信機越しに何度か呼びかけるが返答は無い

 そうこうして、しばらく待っていると、


  『どうも、代わりました』


 突然、別の声が流れてきた

 この何処か偏屈な響きのある声には聞き覚えがある

 何時ぞやか数時間にわたって船のウンチクを聞かされた……


  「……森上等?」


  『はい、森です』  
  

 名前を呼んだはいいが、先の言葉が思いつかない

  
  「お前が……やるのか」


  『まぁ、兵長や他の部員が工場の関係で現場を離れらなくて』

  『エンジン関係もついでに見れる自分が指名されたんです』

 
 取りあえず聞いてみたはいいが、他に聞くことが無くなってしまった

 そもそも兵科の人間がミサイルを扱うことが出来なかったため技術部の2人が乗船したのだ

 そして、兵曹長が自分でやらないとすれば、残る森上等になるのは当然のことだ


  『ミサイルを撃つときは自分に言ってください』

  『自信はありませんが、絶対に当てて見せます』


 意思表明か何か分からないが、何時もの調子で森は自分の心意気を話す

 相変わらずの態度に勇気づけられ、気負っていた気持ちが少しだけ軽くなった気がした

 それに礼を言うと、通信機の向こうの森は不思議そうな声で答えた


  『それじゃあ僕もミサイルの準備とかしないといけないんで』

  『何か知りたいことがあったらまた連絡してください』

 
 今思えば、兵曹長は森について話したかったのかもしれない

 装弾数などは実戦の中でも伝えようと思えば伝えられる

 それよりは森の件を話して、動揺しないような配慮に気を配ったのだろう

 1人で納得すると、小林に全部砲塔に入電するように指示する


  『はい、こちら砲塔』


 取り次いでもらった電話口からは聞きなれた部下の声が返ってくる

 戦闘前の緊張に感化されているのか、何時もの日下部らしくない固い返事だった

 だが、それについて言及している時間はない


  「日下部、聞きたいことがある」


 すぐさま本題を切り出し、『何ですか』という言葉が返ってくる前に、


  「標的へ確実に命中させれる自身があるのは、何キロまでだ?」

  
 こちらの質問を投げかけた


 質問の意図をつかみかねたのか、一瞬黙って日下部は聞き返してくる

 だが、それに構わずに答えを迫った


  「3、いや……このシステムなら」

  「でも練習だと……」


 問いを受けた日下部は、ひどく悩んで途中で言葉を濁す

 やはり『確実に』と問われると萎縮してしまうようだった

 だが、どうにか最後には『6キロ』という明確な答えを出してもらった 

 初めは答えが出ないんじゃないかと不安になったが、取りあえずその答えに満足し、軽く礼を言って通信を切る

 結局のところ、日下部は意図を理解できていないのかもしれない

 しかし、それでも答えは得られた
 
 目の前で舵輪を握る井上に指示を出す

 
  「井上、6キロだ」

  「敵が6キロに近づくまで航路から動くな」


 明かりの消えた艦橋に自分の声が響く

 命令を受けた井上は『了解』と応対し、他の船員は懸念を振り払うかのように各々の仕事に取りかかっていた

 五十嵐中佐へ交戦と彼女の発見を告げる電報を打ちながら、自分たちの浮かぶ海に目をやる 

 今までの喧騒が嘘のように、薄明が近づく海原は寝静まったように凪いでいる

 その静寂は何かの拍子に荒波へと変わってしまう危うさを持っているように感じた


 戦闘配備の命令を下してから、十数分

 自分たちを乗せた船は敵の通過が想定される航路上で静止していた

 左舷に見える東の空は深い藍色から濃いブルーへと変わっていた

 あと1時間もすれば空も白み始め、垂れ込めていた夜の帳も上がるだろう


  「……夜明けか」 
 

 前方で舵輪を握る井上が独り言のように呟くのを耳にする

 思えば、襲撃の一報を聞いてから夜を徹しての作業であった

 果たしてこのまま夜明けを迎えられるかは分からない

 しかし、もう引き返すわけには行かない


  「大久保、敵との距離は」


 芽生えた不安を噴き飛ばすように彼我の距離を確認する

 
  「現在7.5キロ」

  「なおも接近中です」


 問いかけられた大久保はじっとレーダーサイトを睨みつけながら答えた

 その答えに『そうか』と返し、正面に広がる海を見据える


 奴が航路を変更しなければ真正面にその姿を捉える事ができるはずだが、目の前には黒と藍の一色でそれ以外の物は確認できない

 辺りが薄暗く、投光器も使えない状態で一般船舶よりはるかに小さな対象を見つけることは至難の技なのは分かっている

 だが、何としても相手よりも先に敵を発見し、先制攻撃を喰らわせなければならない

 一向に変化の見られない現状に業を煮やして日下部に確認を取ってみるも、


  『自分も確認できていません』


 当然ながら彼の回答は予想通りのものであった

 それでも、待っていれば嫌でも敵の姿を拝むことになる

 現状では想定した状況どおりに事が進んでいるからどうにかなると、自分に言い聞かせる

 未だに敵を目視で発見できていないことは不安材料だが、まだ猶予はある


  「通信はこのままにしておく」

  「何かあったら、連絡を寄こしてくれ」


 日下部にそう伝えて、通信機を下ろして小林の方を確認する

 しかし、今の発言で察したらしい小林は合図をするまでもなく計器を操作していた

 そんな小林を一瞥すると背中越しに礼を言い、再び通信機を寄せる

 接続中のランプが点灯した通信機の向こうからは雑音に交じって呼吸音が流れていた

 その息遣いは浅く、スピーカー越しに日下部の緊張が伝わってくる


  「いつもの調子はどうした?」

  「そんなんじゃ、当たるものも当たらないぞ」

 
 少し緊張を解してやろうと、軽く茶化してみる

 それに反応した日下部は小さく礼を返してくるが、相変わらず堅い調子だった

 普段は調子良いの奴なのに、こういう場面でぎこちなくなってしまうところがある

 全く緊張感が無くなってしまうよりは十分にマシなのだろうが、このままでは危なっかしくて見ていられない


  「いいか? 日下部」


 彼に本来の力を出してもらうためにも、一声かけることにする


  「勘違いしているようだから言っておくが」

  「何も必ず当てなきゃいけない訳じゃないんだ」


 先ほどとは真逆の事を言う自分に驚いたのだろう、こちらの名前を呼んだきり日下部は黙り込む

 しかし、それに構わず先を続ける


  「確かに命中させてくれるのが一番だ」

  「だが、お前が外しても後は俺達が何とかする」


 正直に言って、不意打ちの初弾を外した場合の勝率はかなり低いものになってしまうだろう

 
 だが、そうなったらそうなったでまた別の手を考えるだけだ 

 元から命綱なしの綱渡りみたいな作戦だ

 そんなものに付き合わるのだから、作戦の失敗を他人の所為にはしたくなかった  


  「だから、余計なことは考えずに一発ぶっ放してみろ」

  「そのためにお前はそこに座っているんだろ?」


 姿の見えない日下部へと語りかける

 どんな表情でこれを聞いているかは彼にしか分からない

 いつもの顔をしていれば良し、強張った顔でも良しとする

 とにかく下手に力んで訓練通りの力を発揮できないのは勘弁してほしかった


  『はは……そうですね、少尉』

  『ちょっと深く考えすぎてたみたいっす』

  『ありがとうございます、おかげで肩の力が抜けてきましたよ』


 数秒の間をおいて日下部から返答が返ってくる

 無理して何時もの調子に戻そうとしている感じは残っているが、そう考えられる余裕があれば十分だ

 軽く冗談を返して会話を終えようとしたとき、


  「敵、6.3キロまで接近」
  
  「目視で確認できます!」


 敵の発見を報せる大久保の声が艦内に響きわたる


  「日下部!」


 反射的に通信機に向かって砲撃主の名を呼ぶ

 指示の内容は口に出さなかったが、そんなものは分かり切っていた

 数秒の沈黙のあと、


  『距離6.1キロ、確認できました!』


 通信機からは敵の発見を知らせる一報が飛び込んでくる


  「行けるか?」

  
  『これなら……行けます』


 実際に敵を前にして緊張がぶり返してきたのか、先ほど見せた余裕が吹き飛んでいた

 しかし、それでも訓練を受けた軍人の1人だ

 緊張を見せているが、動揺は感じられなかった
 

  「発砲の機会はお前に任せる」

  「何時でも好きな時に撃ち込んでやれ」


 日下部に最後の指示を飛ばして通信を切る

 返事は待たなかったが、これ以上は邪魔にしかならないだろう

 後は彼が上手く敵に攻撃を浴びせてくれるのを祈るだけだ 


  「小林、機銃部隊に通知」

  「主砲発射後、目標に向かって一斉斉射だ」

  
 日下部との交信を終えると、間髪おかずに小林へと命令する

 もしも、日下部が主砲を外した場合の保険
 
 再装填の時間を稼ぐための目くらましだ

 
  「ブリッジより通達」

  「主砲発射後、目標に向かって一斉斉射!」 

  「繰り返す……主砲発射後、目標に向かって一斉斉射」

 
 指示を飛ばされた小林がせわしなく計器を弄りながら、全船に向けて指示を流す

 それを確認し、今度は手元の通信機を取ろうとしたとき、


  「!」


 ドシンと全身に衝撃が走る


  「主砲が発射されました!」


 不意打ちの初撃、主砲による先制攻撃の報を大久保が伝える

 自分のやろうとしていたことも忘れ、前方に釘付けとなる

 それは他の船員たちもそうであったようで、正面を眺める井上たちの姿が視界の端に映った


  「主砲、着弾します!」


 大久保の報告と同時に前方に巨大な水柱が上がる

 だが、肉眼ではこれ以上の情報は得られない


  「結果は!」


 とっさに大久保を問い詰める 


  「命中……命中です!」

  「詳細は不明ですが、敵装甲の一部が脱落しました!」


 返ってきた答えは求めていた以上のモノであった

 初撃は完璧に命中し、尚且つ敵に損害を与える事に成功

 これ以上に無い快調な出だしだった


  「よしッ!」


 思わず声が漏れる

 それと同時に眼下の甲板から火花が散り、目の前の海へと銃弾がばらまかれた


  「敵艦、未だに健在です」

  「速度を上昇させて、こちらへ突撃してきます」


 続けて大久保が敵の状況を報告する

 浮かれるのはまだ早い、戦闘は始まったばかりだ


  「両舷全速前進」

  「進路、112度から116度へ」


 こちらも接敵するために動き出す

 理想は射程外からの一方的な砲撃の繰り返しであったが、足の速い深海棲艦相手の立ち回りでは直ぐに追いつかれてしまう
 
 ならば、この機に乗じて一気に接敵、集中砲火からの短期決戦が望ましい


  「了解、両舷全速前進」

  「進路112度から116度」

 
 
 井上が指令を復唱して、待機状態にあった船の機関が始動を始める


 そのまま前進を始めた船が速度に乗ろうとしたとき、


  「来ます!」


 正面の海面が空に向かって打ち上げられる 


  「敵、正面4.2キロ地点まで接近!」

  「肉眼で敵影が確認できます」


 先ほどの警告した大久保が彼我の距離を再び報告する

 手ににしていた双眼鏡は既に首にかけられており、左舷前方をまっすぐに睨んでいる

 彼の目線の先には海上に浮かぶ黒い敵影が確認できた
 
 今の一撃で装備の一部が破壊されたためか、その影は歪な左右非対称であった


  「森、行けるか?」


 その黒い影を視界の真ん中に捕えながら、手元の通信機で後部砲塔の森へ発信する

 
  『まだ無理です』

  『3キロまで近づかないと捕捉できません』

 
 しかし、電話口の森はあくまで冷静に不可能と回答する

 射程が短いとは聞いていたが、敵を肉眼でとらえる位置まで近づいても使えないのは何とも歯痒い

  
  「なら、近づき次第発射しろ!」

  「こっちの合図は待たなくていい」


 敵を前にした焦りからか、少々乱雑に通信を切ってしまう

 そうしている間にも戦況は刻一刻と変化していた

 既に敵の射程圏内に入っており、何時敵の弾が当たってもおかしくない事態であった


  「伏せろッ!」


 突然、誰かが大声を張り上げる

 次の瞬間には船体が大きく揺さぶられ、倒れそうになる

 目の前にあった操作台を支えに倒れるのを免れると、


  「前方甲板に直撃!」

  
 大久保の声に敵の砲撃を知らされた


  「前方甲板より入電!」

  「砲撃によって副砲の一部が破損、負傷者も出ています」


 それに続いて、小林の声が甲板から発せられた情報を知らせる

 初めて敵の直撃を受けたが、損傷は軽微だ

 副砲の破損程度なら応急処置でまだ戦えるはず

 そう判断し、折り返して指示を出す


  「後部甲板の人員を前方へ移動」

  「彼らに副砲の復旧に当たらせろ」

  「ケガ人の搬送は……」


 そこまで言いかけたとき、再び船体に大きな衝撃が走る

 
  「左舷すぐ横に砲撃が着弾」

  「本艦への損害は不明です!」


 如何にか直撃は免れたらしいが、確実に敵の攻撃は激しさを増してきている

 何とか今の有利な状況のうちにケリを付けなければならない

 このまま長期戦となれば火力と速度を兼ね備えた敵に勝つ術は無くなる

 仮にうまく立ち回ったとしても、じわじわと戦力をそぎ落とされて最後には海の藻屑となるのが関の山だ


 距離が近づくにつれ明確になる敵の姿を睨みつけながら、頭の中で現状を整理していると、
 

  『1番発射するぞ!』

  『歯ァ食いしばっとけ』


 不意に手元の通信機から聞き覚えのある男の声が流れる

 意表を突かれて面食らっているうちに、砲撃とは違った種類の振動と何かが飛び出すような音が伝わってきた


  「後部甲板よりミサイル発射を確認!」


 すぐさま大久保が何が起こったのかを報告し、事態を理解する

 さっきのは数刻前に出した命令に従い森がミサイルを発射し、それを兵曹長が通信機で伝えてきたのだろう

 だが、こちらからはミサイルの姿は確認できない


  『一度打ち上げてから標的まで降下する』

  『ブリッジで確認できるのは着弾の直前だ』


 電話口の宗方へ尋ねると、そのような答えが返ってきた

 説明されたところで軌道がピンとくるものでもなかったが、今はそんなことはそんなことを気にしている余裕はない

 どんなものでも敵を沈めてくれさえすれば良いのだ


  『そろそろ……来るぞ』


 通信機の向こうから張りつめた宗方の声が聞こえる

 それを合図に正面の窓から敵の姿を臨む
 
 大きな損害を受けているにもかかわらず、それを感じさせない挙動げ猛烈に接近してきている

 確実に傷は負っているものの、未だに致命傷となるのは不意打ちの初弾のみであることが見て取れた


  「ミサイル、敵に接近します!」


 大久保の声とほぼ同時に視界の隅に高速で移動する白い物体が映る

 技術部に『妖精さん』と言わせしめた海軍の技術開発部、そこに所属する人間たちが作製した秘密兵器も同然の代物

 それが今、敵に向かって一直線に向かっていた

 艦橋の船員たちは皆、目の前の光景に光景に釘付けとなる


  『チッ……気づかれたか』


 そんななか、通信機から舌打ちが聞こえてくる

 宗方の声に意識と取られて敵から目を離した瞬間、大久保が敵のミサイルに気づいたことを叫ぶ

 正面に向き直ると、敵は自分に向かってくる飛翔体に反応し、回避行動へと移ろうとしていた


  『そう簡単に避けられて堪るか』

  『森! 絶対に逃がすな』


 しかし、相対するのはただの砲弾ではなく誘導機能を持ったミサイルだ

 敵は砲撃の網を縫って大きく左へ旋回するような進路を取るが、その進路を沿うように飛んで追いかける

 その軌道に意表を突かれたのだろう、敵は精彩を欠き、機銃から照射される銃弾の雨にさらされる


  「あと20、19……どんどん近づいて行きます!」


 敵は銃弾により動きを鈍らせ、その速度を奪っていく

 対するミサイルは悠然とその胴体に積まれた燃料を燃やして追尾する

 そして、追いかけっこが始まってから数秒、


  「追いつきます!」 

  
  『よし、行けッ』


 標的を捕らえたミサイルがその炸薬を爆発させる 


 ミサイルから発せられた爆炎が敵を覆い隠す

 立ちこめた煙はその場で停滞し、敵の姿を隠す天然のカーテンとなっている


  「小林、撃ち方止めだ!」


 その姿を確認するために全艦へ射撃攻撃の中止を通達する

 数秒後には斉射を繰り広げていた機銃たちも沈黙し、夜明け前の穏やかな海が戻ってきた

 不気味な静寂が辺りを支配するなか、静かに観測手の名を呼ぶ

 名を呼ばれた大久保は正面を向いていた顔を落としてレーダーサイトの確認を行う


  「……どうだ?」


 計器を見つめる大久保の背に問いかける

 視線を落として微動だにしない背を前にして、生唾を飲み込む
 
 この攻撃で敵に大きな損害を与えられたかで戦局は大きく変わる


  (これで無傷などということがあれば……)


 そんな結果に対する気負いが、渇きとなって表れていた


  「サイトに反応はあります」

  「ですが、肉眼で確認できない以上は……」


 だが、得られた返答は何とも歯切れの悪いものだった

 それは本人も自覚しているのだろう、険しい顔をこちらに向けて押し黙っていた


 大久保に『そうか』と返すと、再び正面の煙幕に目をやる

 それは風が凪いだ洋上で今だ色濃く残り、その内にいる敵の姿を覆い隠してた

 捜索の間は感謝していた穏やかさもこの期に及んではいじらしい

 弾薬の数も限られている以上は無闇に見えない敵へ撃ち込むわけにもいかない

 ただ時を待つことしか、今の自分たちにはできない状況であった


  『アレが当たったんなら俺達の勝ちだ』

  『技本の「妖精さん達」は気に食わない連中だが、持ってる技術は確かだ』

  『あのミサイル一基だって、敵の主力級を葬れる火力は持っている』

  『まぁ……ここまで煙ってるのは煙幕の具合なんて考えずに作った所為だろうがな』


 待っているだけの現状に痺れを切らしたのか、通信機の向こうから兵曹長の声が聞こえる

 かなり楽観的な見方だが、一概に間違っているともいえない

 事実、敵の覆う煙幕の天蓋は未だに晴れる気配を見せず、その爆発の威力を窺わせている

 なによりも自分自身がその状況を望んでいた


  「少尉、左舷砲門より入電です」


 突然、小林が入電を知らせる声が響く

 長い沈黙で少し緩んでいた艦橋の空気が一気に張りつめた


  「……繋ぎますか?」


 そんな空気を察したのか、小林は躊躇するように入電の許可を求める

 敵健在の報が飛んでくる未来が脳裏をよぎり、一瞬取るのをためらう

 しかし、直ぐにその考えを振り払い、小林に取次ぐように指示を出す

 勝手な理論で報告を聞き流すよりは些細な事でも情報を仕入れた方が良いに決まっているはずだ


  『少尉、野田です』


 通信の主は自分も良く知っている野田上等水兵だった

 彼は甲板の射撃部隊に加わっており、今の今まで機銃で敵に斉射を加えていたはずだ

 その野田がわざわざこちらへ連絡を寄こすということは、敵の動きを捉えられたのだろうか


  『敵の状況は……』

 
 だが、そんな見立てに反して野田は伺うように敵の状況を確認してきた

 もし敵の挙動を報告するのなら、そんなことを聞いてくるのはおかしい

 それに、緊急の連絡にしては妙に冷静な口調だった

 野田の行動に対する疑念が広がっていくが、今は仲間を疑っているような状況ではない

 彼にとって何かを判断するのに必要な情報なのだろうと、艦橋で把握している限りの状況を説明してやる


  『やはり……そうですか』

  『なら、敵は沈んでいません』


 説明を聞いた野田は何か納得したように相槌を打ち、宗方とは正反対の結論を出す

 ある種確信めいた言い方をする野田に艦橋がざわついた


  『おい! どういうことだ』


 ホットラインで繋がる兵曹長もその発言を拾ったのだろう、強い口調で聞き返してくる

 未だに沈黙を続ける煙幕の向こうを確認し、その根拠を問いただす

 
 
  『……俺は見たんですよ』

  
  『ミサイルが爆発する瞬間に奴が砲撃へ移るのを』


 艦橋のざわめきが一瞬にして凍りつく

 自分とて例外ではなく、冷や汗が頬を伝うのを感じながら固まっていた

 野田の言うことが本当ならば、敵は直撃の瞬間にミサイルへの攻撃を試みたことになる

 ということは……


  『そうです、少尉』


 こちらの考えを読み取ったかのように野田は言葉を続ける

 もはや返事を返すことも出来ずにただその先を待つだけだった

 それは他の男たちも同様で、この場にいる全ての者が次の一言に意識を囚われていた

 艦橋の沈黙を悟った野田は自分の証言を確かめるように一呼吸おくと、


  『奴はミサイルを迎撃したんです』


 静かに結論を言い放った


  『なら……どうして奴は何もしてこない』

  『迎撃したってなら、とっくに攻撃してきてもおかしくないぞ』


 数秒の沈黙が流れ、やっと反論の声が上がる

 それはこちらの通信機越しに話を聞いていた宗方のものだった

 深海棲艦との交戦を指示した指揮官としてはその主張を信じたい

 だが、野田の話も十分に筋が通っているように感じられた

 正体不明の生物とはいえ、奴らには統率のとれた行動が出来るだけの知能と合理性を持っている

 それこそが帝国海軍を追い詰め、艦艇による戦略的行動を不可能とした最大の理由だ

 だとすれば、攻撃を凌いだ敵が攻撃してこない理由は?

 攻撃に回すだけの力が残っていないのか、それとも……


  「機会をうかがっている」


 自然と出てきた言葉に『その可能性が高いです』と、野田は付け加える

 あまりにきっぱりとした答えに誰も反論する者はいなかった

 むしろ、相手を考えればそれぐらい用心に越したことはない

 そんな気にさせる言い方だった


  『だから、攻撃を止める訳には行きません』


 こちらの空気が変わったことを察しのか、野田は先を続ける

 そして、


  『もう一度、一斉射撃をするべきです!』


 敵への斉射攻撃の再開を求めた


  「敵艦、未だ沈黙」

  「煙幕も晴れる気配はありません」


 風の凪いだ水面を眺めていた大久保が状況を報告する

 どうやら、ここでの決断を下せと言っているようだ

 勝つも負けるも自分の判断次第

 この船に積まれた弾薬も多くは無く、期を逸せば負けは目に見えている

 目の前の敵に全てを使い切るつもりで攻撃するか、それとも彼女を助け出すまで警戒を解かずに監視を続けるか

 そして、決して多くはない選択肢の中でひとつの結論を達した 

 
  「斉射は無しだ」

  「見えない敵に弾をばら撒いても、無駄弾になるだけだ」


  『しかし、少尉!』


  「その代り、砲撃とミサイルで奴に止めを刺す」


 煙幕の向こうに機銃を撃ち込んでも敵にあたる確率は低い

 仮に命中したとしても、とても致命傷になり得る傷は負わせられない

 あれは物量による目くらましと行動封じを目的とした武器だ

 この状況で選択するとなれば、一撃必殺の威力も持つ武装……すなわち艦砲射撃とミサイルだった 


  「奴が生き残っているなら必ず反撃をしてくる」
 
  「そして、反撃に転じるからこそ、煙幕が晴れる前に顔を出すはずだ」

  「そこへミサイルをぶち込めば……」


 不意打ちの一撃で敵を沈めることが出来る

 攻撃の機会を窺っている相手に不意打ちを仕掛けるなど、なんと頭の悪い作戦だろうか

 だが、普通にやって勝てる相手じゃないのはよく分かっている

 ここは『行ける』という己の直感に賭けてみることにした
 

  『了解……しました』


 野田もこの期に及んでは命令に逆らう気は無いらしい

 大人しく了解の合図をして通信を切った

 次いで、兵曹長に森に取り次いでもらい、何時でもミサイル発射を指示できるようにした

 主砲の日下部にも『砲撃用意』の指令を送り、攻撃の準備を整える


  『こちら砲塔、何時でも発射できます』

  
  『ミサイルの方も整いました』


 日下部、森の両名からの通信が入り、攻撃準備が整ったことが知らせられた

 2人には回線を維持したまま、こちらの指示を待つように伝える


  「反応は未だに前方1キロ、煙幕の中です」


 敵はまだ動かない

 先手を決められれば戦況を有利に進めることができる

 だが、こちらの主砲は単装砲であり、装填の間に反撃を受けることは避けられない

 ミサイルにしても、この状況で発射したところでまともに当てることはできないだろう

 だとすれば、可能性があるのは……


  「小林、前方甲板へ発信」

  「副砲の復旧状況を確認してくれ」

 
 荒唐無稽な作戦でもその成功率を上げるために打てる手はすべて打つ

 そのために、敵の初弾でダメージを受けた副砲の状態を確認させる

 指示を受けた小林は計器をいじりながら何か言葉を交わすと、ヘッドホンを耳から外して報告を始める


  「全部甲板より、確認が取れました」
  
  「修復状況は概ね良好」

  「射角に制限はありますが、数発であれば砲撃は可能とのことです」


 思っていたよりも状態は悪くなかった

 これならば敵を誘き出すには十分役立ってくれるはずだ


  「直ぐに砲撃準備を整えさせろ」

  「準備が整い次第、発射だ」


 思わぬ朗報に胸が高鳴る


  「前進速度15ノット、取舵20度」


 そして、その興奮のままに舵輪を握る井上へ進路変更を指示する


  「前進速度15ノット」
 
  「取舵20度、了解!」


 指示を受けた井上は力強く復唱すると、スロットルを上げて速度を落とし、大きく右へ舵輪を回した

 船の舳先が右にふれ左舷側にあった煙幕のカーテンが右舷側へと移動する

 そのまま、その拡散した煙の臭いが微かに臭ってくるまで接近した時、


  「副砲、発射します!」


 通信を受けた小林の声と共に、ドンという軽い衝撃が襲ってくる

 眼下の副砲から放たれた砲弾は敵の居る場所から大きく外れ、煙幕の外側へと着弾する

 だが、それでも敵の沈黙を破るには十分であった

 煙の向こうに微かに火花が見え、煙をまき散らすように砲弾が飛び出してきた

 先ほどの砲撃でこちらの位置を割り出したのだろうか、右舷のすぐ近くに着弾し、巻き上げた水柱が右舷甲板を濡らす


  「日下部、森!」


 すぐさま2人の名前を叫ぶ

 本来ならこの先に指示がつくのだが、今更その必要もない

 通信機の向こうから2人分の返事が返ってきていた


  「敵、行動を開始」

  「右舷方向へ回り込もうとしています!」


 レーダーを監視していた大久保が敵の行動開始を知らせる

 左に舵を切っている今、右舷方向へ回り込まれたならば背後を取られることとなる

 この船は後部砲塔をミサイル発射装置に換装したために、背面の攻撃力には大きく劣る

 何としても、背後へまわられるわけには行かなかった


  「森、発射しろ!」

  「2番、続いて3番だ」


  『了解しました』

 
 勝負を決めるべく、出し惜しみなくミサイルを投入する

 1基で迎撃されるなら2基、単純だが撃沈の可能性は上昇するはずだ


  「第二射、来ます!」


 大久保の声と同時に船体が大きく揺れる

 恐らく船のどこかに命中したのだろう、艦橋の皆もふらつき、一様に近くの支えにつかまる

 こちらも何とか、近くの椅子にしがみ付き転倒は避けられた


  『少尉! 大丈夫ですか!?』

 
 通信機から日下部がこちらの無事を問いかける声が聞こえる

 だが、そんなことを気にかけている暇は無い

 前方に集中するように日下部を叱りつけ、森との通信を続ける


  「着弾までの時間は!」


  『捕捉ナシの状態で最大50秒』

  『捕捉出来れば30秒まで縮まります』


 残された猶予は50秒

 そこまでに敵を煙幕から引きづり出さねばならないが、


  「敵、右舷側正面1.5キロ」

  「煙幕から完全に抜け出しました!」


 敵も痺れを切らしたらしい、向こうから飛び出してきてくれた


  「森!」


 通信相手の名前を叫ぶ

 向こうも何の呼び出しかは分かっていた

 指示をするまでもなく、簡潔に『25秒』という返答が返ってくる

 今度は通信相手を日下部に変えて、手順を確認する


  『了解っす』

  『自分はあくまで陽動、本命は向こうですね』
 

 いつもの調子の軽い調子で日下部が答える

 土壇場で緊張のタガが外れたのか、戦闘に慣れて来たのかは分かたなかったが、今は頼もしい限りだった

 敵が健在であり、誘導ミサイルの迎撃をする能力があるとこが判明した今

 この戦闘の勝利は主砲を操る彼の手腕にかかっているとっても過言ではなかった


  「合図はこっちで出す」

  「狙いは……任せたぞ」


  『ええ、任せといてください』

 
 全てを任せる覚悟で日下部との会話を終えたとき、


  「2番、3番ミサイル、接敵します!」


 大久保がミサイルの接敵を知らせる

 敵の上空に、ミサイルが白い胴体がきらめかせながら飛翔しているのが確認できた


  「敵、回避行動に移ります」


 装備が半壊し所々に裂傷のみられる体ながら、敵は信じられない速度を出しながら旋回を始める

 それを追いかけるミサイルもその軌道を垂直降下から水平飛行へと切り替えて敵を追う

 その距離は徐々に詰まっているが、敵には先ほどのような焦りは感じない

 『一度見切った攻撃は受けない』とでも思っているのだろうか

 そうだとすれば、それは大きな驕りであることを、その身をもって教えてやらなければならない


  「……日下部」

   
 通信機の向こうの男に最後の確認をする

 電話口の青年は『分かってます』と静かに答え、その覚悟が決まっていることを伝える


  「3番ミサイル、敵に接近!」


 再び大久保の報告で、意識を目の前の移す

 先ほど放ったミサイルの1基が、今まさに敵を捕捉して撃沈させようとしている

 だが、敵もそんなことは分かっている

 すぐさま体を反転、砲門の照準を目の前に迫る飛翔体へと向け、


  「敵、主砲より砲撃!」

  「ミサイル、迎撃されました」


 迫りくる脅威を排除した


  『少尉ッ!』


 ミサイルを誘導する森が叫ぶ

 敵は既に2基目の迎撃態勢に入っている

 このままではなす術もなく撃墜され、ミサイルを無駄撃ちしただけになってしまう

 しかし、それはが自分が目論んでいた勝利への布石

 敵がミサイルの迎撃に注意を向けている、今こそが確実に不意打ちを撃ち込める好機


  「撃てッ! 日下部」


 主砲を操る日下部に発砲の合図をする

 これで、全てが決まるはずだ

 
  「主砲、発射されました!」


 直ぐに大久保の確認と共に船体へ軽い衝撃が走った

 耳をつんざく発砲音は意識の彼方に消え、自分の心臓の拍動がやたら大きく聞こえる

 敵へ向かって伸びた主砲が打ち出した砲弾が空を切り、数百キロの鉄の塊を敵へと向かって飛ばす

 水平線の向こうから届けられる陽光が煌めき、砲弾を淡い紅色に染めていた

 打ち上げられた砲弾は重力に従い、ある頂点を境に上昇から下降へ転じる


  「敵、砲撃に反応!」


 敵の動向を知らせる声が聞こえた

 砲弾に狙われた敵は、高速で飛んでくる物体に反応し、ミサイルへの迎撃態勢を崩す

 その瞬間、


  「主砲着弾!」

  「ミサイル、それに続きます!」


 敵の機影は海面が発する水柱によってかき消える

 そして白い飛翔体は、その全てを自身が発する爆炎へ飲み込んでいった


 打ち上げられた水柱が立ち消え、再び煙幕が敵を覆い隠す

 だが、今回は薄らと海を灰色に染めるのみで視界を完全になくすほどではない

 試作段階のミサイルにもムラがあるのだろう、今のは炸薬の調整が当たりだったようだ

 立ち上った爆炎は海風にさらわれ、みるみる薄くなっていく


  「大久保……」


 薄いグレーに隠された水面を臨んで、観測手の名を呼ぶ

 その声に我に返った大久保は、呆然と目の前を見つめていた視線を手元の計器へ戻す

 そして、慌ただしく表示された情報を読み上げる


  「レーダーサイトに反応……ありません」

 
 艦橋にいる水兵たちが皆、聞き耳を立てる

 誰が言うでもなく、この報告で勝負が決まると理解していた

 通信盤の前に座る小林は耳あてを耳から外し、舵輪を握りしめる井上は正面を向いたまま静止し、通信機を手にした自分は観測手の背中を見つめる

 周りの関心を一身に受ける観測手は、その左手に掴んでいた双眼鏡を目に当て、敵がいた海域をくまなく探す

 立ちこめていた煙が風に乗ってすっかり薄くなった頃、


  「敵影……完全に消失」

  「敵深海棲艦、撃沈しました」


 索敵の結果を報告する

 大久保の報告に耳をそば立てていた兵士たちは、その言葉に聞いても尚、その場に立ち尽くしている

 戦闘で極限まで張りつめていた緊張が消え、皆どうすればいいのか分からないといった様子だった

 自分も例外ではなく、既に敵影がなくなった海面を眺め続けていた


  『少尉、これって……』


 そんな艦橋の状態を察したのか、通信をつないだままの日下部が口を開く


  「ああ、そうだ」


 その問いかけに対して、未だに掴めない勝利の実感を確かめるように肯定する

 そして、それを確固たるものにするべく、


  「俺達の勝利だ」


 自分たちの勝利を宣言した


  「そうか……そうですね」

  「俺達は勝ったんですよね」


 手にした勝利を確かめるように、井上は呟いている


  「ああ、俺達は勝ったんだ!」

  「軍艦で深海棲艦に勝利したんだ」


 それに応えるように、再び勝利を宣言する

 先ほどまで、皆を覆っていた静寂は何処かへ吹き飛んでいた

 艦橋の人間は各々に勝利の実感を噛みしめ、外も敵の消滅を確認したのだろうか、兵士たちの歓喜が聞こえる

 回線を繋げてたままにしていた通信機からは電話口を離れた森と宗方のやり取りも聞こえてくる


  「少尉、船内からの戦況確認の要請が多数あります」

  「全船に通信を繋ぎますが、よろしいでしょうか?」


 そんな状況に浮足立っていると、小林から通信の要請を受ける

 敵の消失を確認してたとはいっても、まだ戦闘配備を敷いたままだった

 小林に了解の旨を伝えて、日下部との通信を切り替える

 
  「艦橋の君嶋だ」


 全船に繋いだ通信を取ると、交戦の指示を出し時と同じように名を名乗る

 始まった通信に艦橋の面子も反応し、喜び勇んで騒いでいたその口を閉じる

 
  「甲板の皆は既に確認しているかもしれないが」

  「先ほど、敵の反応がレーダー上から消滅した」

  「付近にもそれらしき艦影は見られない」


 そこまで伝え、一呼吸置いて言葉を切った

 正直な話、ここまで言ってしまえば後に続けてわざわざ話さなくても良いような気はしていた

 だが、それをハッキリさせるのも一種の様式美だ


  「つまり、我々の……」


 肺の奥まで行き渡った空気を吐き出しながら、一息に続けようとした時

 耳をつんざく爆発音と強烈な衝撃が体を襲った


 無防備に放り投げだされ、盛大に床に叩き付けられる

 とっさに受け身を取って体を守るが、防御に使った両腕を強かに打つ

 持っていた通信機もどこかに放り投げていた


  「ぐっ……」


 打ち付けられた拍子に、肺から押し出された空気がうめき声となって漏れる

 だが、そんな体の痛みなどどうでも良かった

 今は自分の身を案ずるよりも先に、ある一点に思考を集約させていた


  (敵が生きていたのか?)


 まさか、そんなことがあるはずがない

 あの敵はミサイルの着弾によって沈んだ、それはしっかりと確認した


  (では、一体何が……)


 うつ伏せになったまま思考を巡らせるが、その答えが出るはずもない

 現状に理解が追いついていない頭を右手で押さえながら、左手を支えに立ち上がる

 操作盤の影に隠れていた艦橋があらわになると、


  「これは……!」


 右手に半分隠れた視界には衝撃の光景が映った

 艦橋から外を見下ろす窓には何かの金属片が突き刺さり、そこから蜘蛛の巣状ににヒビ割れている

 そのヒビ割れの向こうには捲れあがった甲板とその隙間からチラチラと見える赤い炎が窺えた


  「少尉……無事でしたか」


 立ちあがったこちらの姿を確認したのか、頭から血を流した井上が話しかけてくる


  「お前、その傷」


  「大丈夫です、軽く切っただけですから」

  「それより……」
 

 辺りを確認してくださいと言った具合に、井上は首を振る

 それに従って意識を周囲へと向ける

 どうやら、今の衝撃で艦橋の船員の多くがケガを負ったらしい
 
 ほとんどが軽傷のようだが、窓のガラス片をもろに浴びた数人はかなりの傷を負っているように見える

 負傷した隊員たちを前に先ほどの攻撃から思考が逸れるが、


  「敵です! 敵が現れました!」


 叫ぶような大久保の声にすぐさま現実に引き戻される


  「どういうことだ!」


 殆ど反射的に答えていた
 
 自分でも驚くほど大きな怒鳴り声だった

 『そんなことない』という懇願にも似た想いがそうさせたのだろう


  「……新手です」
  
  「右舷後方、15キロの地点に敵が出没しました」


 怒鳴られた大久保は少し驚いた様子を見せるが、冷静に報告をする

 その強張った表情が嘘では無いことを示していた 


  (15キロ?)

 
 
 大久保の報告のある部分に違和感を覚える


 15キロ離れているとはどういうことだろうか

 一般的な深海棲艦の射程は一般的に10km未満だと言われている

 火力と速度を兼ね備えた深海棲艦だが、その物理的な制約で長射程の砲を搭載することが出来ない

 しかし、それを補うような速力をもって敵に肉薄、大火力の砲弾を撃ち込むことで幾多の艦艇を葬ってきた

 これは艦娘についても同じ条件が当てはまり、その射程の短さも相まって近距離の格闘戦が主流とされる理由だった

 だが、今回の敵は直線距離が15キロで砲撃を命中させてきた

 その事実から考え出される可能性があるとすれば、それは……


  「……鬼」


 仮定の結果をボソリと呟く

 その言葉は、凍りついた肝の温度を表すかのように冷たく艦橋へと響いた


  「今、なにを」


 微かな囁きのつもりだったが、目の前の男には聞こえたのだろう

 井上が血に塗れた顔をこちらに向けて聞き返してくる


  「それは……」


 突き付けられた事実と最悪の想定、そうであって欲しくないという思いと諦めに近い悟ったような心境

 それらが混ざり合い、井上への返答を鈍らせる

 どのように答えるべきかを見失っていると、 


  「前方甲板から入電!」

  「被害状況が明らかになりました」

 
 小林の入電を知らせる声が艦橋に響き渡る


  「敵砲弾は前方甲板に副砲付近に直撃」
  
  「負傷者多数、副砲にも致命的な被害が出ています」


 決定打となる副砲が潰され、人的被害も無視できないものとなっている

 沈没こそ免れたが、致命傷になり得る被害だった

 いくら特殊装甲の船だといっても、そうそう何度も耐えられる攻撃ではない


  「現場が指示を求めています」

  「君嶋少尉、命令を……」


 報告を終えた小林が上官の指示を仰ごうとこちらに振り向く

 だが、その声は轟く爆音によってかき消される


  「砲撃を確認!」

  「本艦前方、200メートル」

 
 
 ひび割れた窓からは盛り上がった海面が水の柱となって散っていくのが窺える


 まだ必中の射程に入ったわけではないが、それも時間の問題だ

 このまま何もせずにいれば確実に沈めに来るのは明らかだった


  「少尉! アレは何なのですか」

  「何か知っているなら教えてください」

  「このままじゃ俺達は全滅です」


 その予感は皆も同じなのだろう、井上の問いに辺りが静まり返る


 もはや、自分ひとりの中にしまっておくのは不可能だった

 思いつく限り最悪の想定を伝えるべく、口を開く


  「……海上に現れる鬼」

  「深海棲艦の中でも特に戦闘能力に優れた特別な個体のことを」

  「新海軍の人間は、そう名付けている」


 正直に言って、奴らの生態については良く分かっていない    
 
 しかし、その中でも航空戦、艦隊戦、水雷戦のそれぞれの能力に特化した特別な個体が存在することが判明している


 それらの特徴は容姿や装備など多岐にわたるが、特筆すべきはずば抜けて高い戦闘能力だ

 過去には艦娘の精鋭一個艦隊が壊滅的に追いやられたという記録も残っている


  「遭遇記録自体が少ないために、断定することは難しいが」
 
  「15キロ超で命中圏内に砲撃する能力がある敵は……」


 少し間をおいて、『他に考えられない』と言い放つ

 その言葉は艦橋の面々を凍りつかせた

 先ほどまでの勝利の余韻は完全に消え失せ、すぐ後ろまで迫った死の恐怖に包まれていく


  「なら、どうすれば……」
 

 沈黙に耐え兼ねたのか、俯いたの大久保がボソリと呟く 


  「……この距離ならまだ撒ける」

  「幸い今までの記録からもヤツの船足はそこまで速くない」

  「全速力で基地まで逃げ出せば、単騎での追走は諦めるはずだ」


 その疑問に、現状で考えられる最善の行動を答える

 ひねりだす言葉ひとつひとつが艦橋の空気をさらに冷え切ったものへと変える
 
 彼らがこんな答えを求めているわけでないことは重々承知であった


  「しかし、それでは……」


 予想通り、レーダーに目を落とす大久保が言葉を濁ごす

 それ以外に助かる望みが薄い事は、多くの敵を観察してきた観測手として、よく分かっているのだろう

 反論するでもなく、頭をうなだされていた


  「そんな……何を言ってるんだ!」


 そんな沈黙に対して反論するように井上が吠えた
 

  「それじゃあ、ここまでやってきた意味は!?」

  「尻尾を巻いて逃げるためにここまでやってきたのですか!」


 半身を翻し、殆ど片手で舵輪を握っているような格好でこちらに詰め寄ってくる

 頭部から流れる血は額を伝って目尻にまで達していた


  「……すまない」


 わずかに捻りだしたそれが、目の前の男に返せる精一杯の言葉だった

 その言葉に井上は絶句する

 血に塗れの顔に光る双眸には、何処かで見たことのある表情をした男の姿が映っていた


  (残酷な生き物……か)


 つい数時間前までの自分には理解もできなかった気持ちが痛いほどによく分かった 

 頭では理解していたつもりでも、感情を切り離すのは容易ではない

 今だって彼女を助けられる方法を必死に探っている

 予想される敵の戦力、残された弾薬の数、与えることのできる損害と、考えられるすべてを再現してみた

 だが、考えれば考えるほどに1つの答えへと収束する

 それが……


  (奴には勝てない)


 という事実であった


  「少尉……指示を」
 

 先ほどの怒号が嘘のように、操艦へと戻った井上が指示を仰ぐ

 しかし、反論を止めたところで納得がいっている訳でもないのだろう

 短く発せられたその言葉の端々に、悔しさが押し込められているのがヒシヒシと感じられた

 
  「進路80度に変更のち、両舷全速前進」

  
  「……了解」

  「進路80度に変更後、両舷全速前進」


 逃げの一手を告げる指示を井上が復唱し、舵輪を回す

 その動作は緩慢で型にはまったように機械的だ

 先ほどまで巧みな操艦で敵を翻弄していた操舵手の面影はそこには無かった


  「……俺だって悔しいさ」


 誰もが感情のこもらない作業を続ける光景を眺め、独り言ちする


  (だが、それでも……)


 無謀な戦いを挑んで船を沈ませるわけには行かない

 彼女を救うことが出来る可能性がわずかでもあるなら、喜んで臨んでいた

 だが、現状でそれは皆無に等しかった

 単騎で鬼に挑んでも勝敗は歴然、救出を強行しても敵がこちらを捕捉している以上、共倒れになるのは必至だ

 願わくば、逃げるこちらに釣られた敵が彼女を発見せず、鎮守府からの救援が来るまで彼女が持ちこたえてくれるのみ


  「……小林、主砲に繋げてくれ」


 先ほどの砲撃で一部被害を受けた通信をいじっている小林へ日下部に取り次ぐように頼む

 その指示に了解と短く答えた小林はすぐさま、目の前のダイヤルを調整して主砲へと通信を接続する

 通信確立しの合図に軽くうなずく小林を確認して、手元の通信機から日下部へ敵に砲撃をするように命令する


  『でも、ここからだと……』


 その命令に対して電話口の日下部はダメだといった具合に言葉を濁す

 もっとも、そう返されるのは分かっていた

 左舷に回頭しているとはいえ、敵がいるのは右舷後方、主砲の旋回範囲の外であった

 だが、今は敵の注意を引ければそれでいい

 とにかく敵へ向かって砲撃するように指示して通信を切った


  「主砲、発射を確認」


 数秒後、軽い衝撃と共に大久保が主砲の発射を告げる

 そして敵から大きく外れて海面に着弾したことを報告し、再び口を閉ざした

 東の空が薄らと白み始めた中、その薄明を求めるように船は北東へと舵を切った


  『どういうことなんだッ!』


 艦橋に怒号が響き渡る

 あまりの声量に、手に持つ通信機が震えたような気がした

 進路変更を指示してからの一号通信は、自分を責めたてる部下のものだった


  『何で敵から逃げてるんだよ!』

 
 船員たちの耳目が声の発生源である自分に集まる中で、通信の主、仙田は構わずに先を続ける

 その問いは何とも耳の痛いものだった

 彼を含めて、ここにいるのは命を賭してでも味方を助けようという気概の持ち主だ

 当然、敵から背を向けて逃げるいまの指示をここ良く思うはずはない

 だが、指揮官として無駄死にをする選択を取る訳にはいかなった


  「少尉……」


 仙田への返答に窮していると、小林に小声で呼ばれた

 目が合った小林は渋い顔をしながら計器に向き直り、何やらスイッチに手をかける

 今の状態で、仙田と話しても仕方ないと判断したようだ 

 いつでも通信をシャットアウトする準備は出来ているという合図らしい


 しかし、それではあまりにも身勝手すぎる

 せめて自分でまいた種は自分でケリを付けなければならない

 顔を横に振り、小林に止めるように指示すると、


  「……聞こえているか?」


 意を決して仙田へ返答をする


  『アンタ? 聞こえてるのか』

  『どうなってんのか説明してくれよ!』


 こちらの声を聞いたが否や、口早に先ほどの質問を繰り返される

 今起きている事の真偽を問いたいのだろう、先ほどまでの怒声はなりを潜め、急かすような口調になっていた


  「ああ……わかった」


 通信機の向こうに居る男の期待に応えるように、全てを説明した

 今の自分たちが戦っているモノの正体とそれが持っている力……そして、戦闘を継続した場合の自分たちの末路
 
 そうしなければ自分で自分の決定を覆してしまいそうだったからだろうか

 驚くほど事務的に、淡々とこの決定に至るまでの論理を説明していた


  『そんな……だからって』
 
  『だから、仕方ないってのかよ!』

 
 当然と言えば当然だが、仙田もこの決定を簡単には認めようとはしない

 鳴りを潜めていた怒気を強めて食い下がってきた


  「……悪い」

 
 こっちだって本心では敵に背を向けて逃げ出したくなどない

 だが、どうあがいても奴に勝てる算段が思いつかない

 『他に方法が無い』そう答える意外に言葉が見つからなかった


  『悪い……だって?』

  『そんな言葉で彼女を見捨て良いのかよ!』


  「なっ……」


 思わず声が漏れる

 確かに自分が下した判断はそうとも取れる

 いや……そう言われても仕方のないものだとは分かっていた

 しばらく言葉を失い、仙田の言葉を聞き流す 


  『アンタ言ったよな』

  『彼女は必ず助ける、そのために出来ることは全てするって』

  『そいつは口から出まかせだったのかよ!』


 そんなことはない、そう言い返せればどんなに良かったか

 しかし、現実はそれを許してはくれない

 事実として自分は敵との交戦を避け、逃げ出すように命令している

 彼が言っているように、彼女を見捨てる決断を下したに他ならなかった


  『……そうかよ』

  『否定もしないのかよ』


 しばしの沈黙の後、仙田は納得したように1人で呟く

 さっきまで捲し立てていた勢いもどこかに、酷くわびしい声だった

  
  『多分……どこかで期待してたんだ』

  『どんな状況でも、きっとアンタは戦う道を選んでくれる』

  『他の奴らと違って、真正面から深海棲艦と戦うつもりのアンタならってな』

  『でも、そんなのはオレの勝手な思い過ごしにすぎなかったみたいだ』


 仙田の独白がスピーカーから艦橋に流れる
 
 だが、何も言うことはできなかった

 普段はひた隠しにしている彼の本心に、かける言葉が見当たらなかった


  『だから、後はオレが引き継ぐ』

  『アンタが出来ることがここまでだって言うなら、オレがやってやる』

  『オレが自分の手で彼女を助けて見せる!』


  「おい、何を言って……」


 聞き返す間もなく、通信機からの応答が無くなった

 直後に小林が通信の断絶を知らせる

 
 どうやら、向こうから一方的に回線を切ったようだ 


  (仙田、どうするつもりなんだ)


 先ほどの言葉を頭の中で繰り返してその真意を探る

 仙田は自分の手で彼女を助けると言っていたが、その意味は一体……

 知り得る限りで仙田の性格を考え、彼が取りそうな行動に思考を巡らせる


  「右舷甲板より通達」

  「何者かによって救命艇が下ろされているようです!」


 しかし、こちらの思考よりも向こうの行動が早かったようだ

 通信を受けた小林が甲板の異変を報じる声が艦橋に響く


  「本当なのか……小林!」


 報告に反応した井上が問いただす

 今までのやり取りは静観していた彼だが、注意は向けていたらしい

 救命艇の出現に対する声には焦りと驚きが混ざっていた


 「船のアラートも反応しています!」

  「間違いありません、誰かが操作しています」


 すぐさま他の船員が救命艇の作動を報じる

 誤報などではなく、歴然とした事実のようだ  


  「少尉、やめさせてください!」

  「本艦は高速航行中です」

  「こんな状況で救命艇なんか降ろしたら……」


 小林が声を荒げて警告する

 だが、その先は言われなくても分かっていた

 最低でも着水した救命艇は波にさらわれ転覆、最悪本船に衝突して二次被害が生まれる

 このまま発信するつもりならば、何としてでも制止しなければならない


  「少尉! 再び通信です」

  「これは……救命艇の緊急無線からです」


 続けざまに小林が通信の受信を伝える

 了解して、繋ぐように指示すると、


  『少尉、一之瀬です』


 スピーカーの向こうから知った名前を名乗る声が聞こえる

 ここで一之瀬が出てくるということは、案の定仙田の仕業なのだろう


  「一之瀬、お前もか……」


 そう得心すると、勝手にそんなことを呟いていた

 命令をしてでも直ぐに辞めさせるべき場面なのだが、何故だがその言葉が先に出てきていた


  『……すみません』


 こちらの声を聞いた一之瀬は、開口一番謝辞を述べる

 自分が何をしているのかは分かってるようで、酷く萎縮した声だった

 だが、その裏に処遇は顧みないという固い覚悟が見え隠れしていた

  
  「止めろ! こんな状況で飛び出すのは危険だ」

  「お前ら、死にたいのかッ!?」


 井上が通信に割って入る

 1つの船の操縦を任される者として認められないのだろう

 血に染まる頬をさらに赤くして、猛烈に反論する


  『……悪いとは思っている』

  『でも、引くわけには行かない』


  「何、馬鹿な……!」


 今にも怒りが爆発しそうな井上に操艦へ戻るように指示して、通信を代わる

 無線の相手も覚悟を決めているらしい、その様子を黙って聞いていた


  「引き返す気はないのか?」


  『はい』


 こちらの質問に対して、一之瀬はキッパリと答える

 先ほど感じた決意は嘘では無かったみたいだ
 


  『本当のところ、成功するなんてこれっぽっちも思っていません』

  『失敗する可能性の方が断然大きいです』

  『でも、それでも……僕らは行きます』

  『僕だって、彼女を助けたい気持ちは一緒ですから』


 そう告げて、一之瀬は通信を切った

 小林が切れた回線に何度も呼びかけるが反応は無い

 仙田と一之瀬は完全に自分の指揮下から離れてしまった


  「少尉、すぐにでも彼らを止めてください!」

  「あれじゃあ、自殺行為だ」


 操艦の命を下されていた井上が意見を述べる

 他の船員たちも同じ意見らしい、彼を諌めようとする者はいない

 
  「通信が完全に拒否されています」

  「こちらからの応答を受け付けません」

 
 続けて、小林が通信不能を知らせる

 もはや自分たちには彼らを説得する術は無いようだ


  (もう無理だな)

 
 それが今の状況の率直な感想であった

 いったい何が無理なのか、自分でもよく分かっていない

 2人を説得することなのか、ここから無事に帰還することなのか、それても作戦目標を達成することなのか

 ただ、ひとつだけハッキリ言えることがあるとすれば……


  「これ以上、自分を騙すのは無理だ」
 

 ということだった


  「少尉……?」


 突拍子もない言葉に驚いたのか、気の抜けた声で井上が聞き返してくる
 
 しかし、それを無視して井上に命令を下す


  「両弦機関停止」

  「今すぐ船の速度を落とせ」


 突然の豹変に、事態が飲み込めていないらしい井上は困惑した顔でこちらを振り返る

 だが、そんな様子を気にせず、再び船を減速させるように急かす

 さっきと言っていることが違うと井上が反論すると、 


  「未だに敵の射程圏内です」

  「ここで船を減速させるのは危険です」

    
 レーダーサイトと外を交互に観察していた大久保も口を開く


 そんなことは言われなくても分かっている

 だが、あの2人が意地を見せたのだから、自分もそれに応えてやられなければならない

 少なくとも、彼らが無茶をしてくれたからこそ見えた光明があった


  「皆、悪かった」

 
 大きく顔を上げ、皆の顔を眺める

 一様に疲れをにじませ、不安に包まれた表情に包まれていた


  「こんなことになってしまったのは俺の所為だ」

  「でも、俺は本条大尉みたいに器用には生きられないらしい」


 船員たちの顔に驚きの色が映る

 それも当然だろう、何の脈絡もなしに指揮官が独白を始めるのだから

 井上が何か言いたげな顔をしているが、それを横目に先を続ける


  「気づかないうちに自分自身を欺いていたようだ」

  「船を任された者として皆の安全を保障しなければならない」

  「そのためには分を超えた危険を冒してはならないし、被害を最小限にとどめることが最優先であると」


 最初は驚いていた乗組員たちの顔が段々と神妙になっていくが良く分かった

 そんな彼らの視線を一身に感じながら続ける

 彼らがどんな反応を示すにしても、全てを話さずには居られなかった


  「だが、本当の俺はそんなことを望んでいなかった」

  「1人の軍人として、兵器の扱いを受けている彼女たちを助けたい」

  「ただそれだけの想いでここまでやってきた」

  「それは今救命艇で海に出ようとしているバカ2人と一緒だ」

  「だから、俺は……」

 
 そこで言葉を切って、再び皆の顔へと目をやる

 相変わらず疲れが表れている顔ぶれだったが、それでも誰一人として顔を伏せる者はいなかった

 皆が、まっすぐにこちらを向いて次の言葉を待っている

 その期待に肌で感じつつも、足元に脱げ落ちたままだった軍帽を拾い上げる

 そして、その帽子を被りなおすと、

  
  「何としても彼女を助ける」

  「それが俺の、軍人としての意地だ」


 一息に言い放った


 数秒の沈黙が流れる

 座っている者、立っている者……皆が自分が発した言葉の意味を探るように押し黙っていた

 その表情からは肯定か否定かは読み取れない

 誰一人として反応がない状況に、このまま推し進めてよいかを見失う


  (無理、だったか……)


 そんな思いに駆られそうになったとき


  「両弦機関停止」

  「救命艇が発艦できる速度まで減速します」

 
 操舵手の言葉が沈黙を破った

 同時に急制動がかかり、船は減速に転じた

 急激な加速度の変化によって生まれた慣性力が体を前方へと引き寄せる

 とっさに近くの手すりを握って、何とか前向きに力へ抗う

  
  「発艦処置を行っている救命艇に警告を出します」

  「個別無線が封鎖されているので、全艦放送にて勧告を行います」


 続いて、小林が全艦放送の次第を伝える

 そんな彼らの行動に感化されたのだろうか、他の船員たちも続々に作業へと戻っていく

 気付けば、静まり返っていた艦橋へ活気が戻ってきていた


  「これは……」


 その光景に言葉を失い、茫然と眺める

 水を得た魚のように動きはじめた船員たちの姿に、喜びよりも驚きの方が大きかった
 

  「あの2人、口でどうこう言うのは苦手ですからね」

 
 そんな自分を見かねたのか、誰かが声をかけてきた

 その方を向には、軽く口角を上げた大久保の顔があった

 こちらの視線に気づいた彼は、井上達の方を目で示し、


  「アレで少尉の気持ちに答えたつもりなんですよ」  


 冗談まじりにそう続ける

 少し困ったように眉をひそめるその顔は、苦楽を共にしてきた仲間を見守る顔であった


  「しかし、少尉……」


 だが、友に向けられていた眼差しは直ぐにこちらへと差し向けられる


  「一体、どうするつもりですか?」


 観測手らしく鋭い目つきでこの後について問い、


  「このままでは、自分たちの敗色は濃厚です」

  「上手く立ち回ったとしても、まともに戦えば大破は免れません」

  「こんな状況で勝ち目なんかあるんですか?」


 続けざまに現状と予想される被害を報告してきた

 しかし、生憎とそんなことはとうの昔に分かっていることだ

 そもそも勝ち目があるのならば、最初から真っ向勝負を挑んでいる
 
 などと、言い返したい気持ちが出てくるが、ぐっと抑え込んで首を横に振った


  「では、まさか……」


 こちら答えに大久保は動揺を隠せないようだ

 何かを勘違いしているのだろうか、その顔は落胆と絶望の色で染まっていく

 だが、希望が無いのなら余計な事などせず大人しく逃げだすつもりだ

 勝手に悲観している目の前の男の考えを正すべく、


  「俺達が何をしに来たか忘れたか?」


 逆に別の質問を浴びせかる

 
  「な、 なにを…?」


 突然の質問に、大久保はその意図が理解できないといった風に聞き返す

 内心穏やかでない彼には、自分の発した言葉の意味を探る時間は無かったのだろう

 それには構わずに先を続ける


  「確かに、俺達には勝ち目はない」

  「1対1での戦闘は勝利はほぼ絶望的だ」

  
  「しかし、少尉」

  「だからと言って……特攻など」


 案の定、おかしな勘違いをしていたらしい

 彼の頭の中では捨て身の特攻をしかける算段になっているようだ

 初めにはっきりと言っておくべきだった、と反省し、
 

  「何を勘違いしているのか知らんが」

  「俺は特攻なんてするつもりは毛頭ない」

  「それだったら、素直に尻尾を巻いて逃げている」


 その考えを訂正する


  「では、さっきの意味は……」


 それでも納得がいっていない様子で、怪訝な表情でこちらを見つめている

 問答を続けているうちに、再び辺りがしんとし始めた

 手こそ動かしているものの、他の船員たちも話の内容が気になっているようだ

 
  (下手なこと言ったら、殴り倒されそうだな)


 腹が決まったおかげか、そんな状況をどこか他人事のように捉えていた

 だが、そんな悠長な事は言っていられない

 自分が何を思ってこんなことを言いだしのか、ここではっきりと答える必要がある

 そう確信し、深く息を吸い込む

 周囲もその気配を察して、息を飲む


  「俺がこんな指示をしたの理由はひとつ」

  「敵を倒すためじゃない、仲間を助けるためだ」


 そう言い切ると、艦橋は静まり返る

 多くの者は動かしていた手を止めてこちらに向いたまま静止する

 正面の大久保も沈黙していた

 舵輪の前の井上と通信盤を操作する小林は気を向けながらも作業を続けていた 

 皆の注意が自分へ向いたことを確認し、先を続ける


  「繰り返すが、今回の作戦目標は消息を絶った艦娘の捜索と救助」

  「敵との戦闘はそこには含まれていない」

  「目標の遂行こそ、俺達軍人が真っ先に考えるべきこと」

  「あの2人は知ってか知らずか、それをよく分かっていた」

  「だから、俺も軍人らしく作戦目標を第一に考える」


 ここまで聞けば、皆自分たちがどうするべきなのかは理解したのだろう

 聞き耳を立てていた者はそれぞれの作業の続きへと戻り、大久保もしたり顔でこちらを見てくる

 それを横目に、仙田たちへ発信を続けている小林に回線を回すように指示する
 
 彼も何をするかは察したようで、それまで使っていた通信をそのまま明け渡してきた


  「こちら艦橋の君嶋」

  「至急、皆に伝えたいことがあって連絡をした」


 スピーカーから流れる自分の声がやけに響く

 まだ何処かで自分の下した決断に迷っているのかもしれない

 その迷いを振り切るようにマイクを握る手に力を込めると先を続けた


  「報告が遅くなってしまったが」

  「現在、本艦は新手の敵から長距離砲撃を受けている」

  「そして、ここまで長距離の砲撃能力を持つ敵艦を照合した結果」

  「現状の我々の戦力で敵を沈めることは難しいと判明した」

  「そこで現在、敵の砲撃から逃れるべく北東方面に進行中だ」


 新手の敵の出現と現在の進路、仙田の件で延び延びになっていた報告を行う

 この程度の事は現場の船員たちなら何も言わず分かっているだろう

 しかし、報告を省けばそれだけ皆の不信感を買ってしまう

 彼女を助けるためには、この船に乗る全員の力が必要不可欠だ

 
  「当然だが……このままでは当初の目的である味方の救出は絶望的だ」

  「本艦を見失った敵艦の狙いは救出目標へと移る可能性が極めて高い」

  「そこで、敵の陽動と味方の救出を同時に決行する」 


 敵の陽動と味方の救出の二正面作戦

 救命艇を用いて彼女の救出を行い、それが終了するまで捨て身の攻撃を決行する

 奴らも捨て身で自分たちのような戦力外を相手にするような馬鹿ではない、主力級が単独で深手を負うことがあれば、撤退を選択するはずだ

 敵がこちらの思惑通りに行動する保証も、救命艇が彼女に辿りつける保証も、自分たちが持ちこたえられる保証もない、無い無いづくしの大博打だった

 だが、それでも不思議と失敗する未来は見えなかった

 仙田の暴走で思いついた時から、心の中でこれと決まっていたのかも知れない
 
 作戦のあらましを説明し、再び通信機を執る


  「最後に言っておくが……」

  「指揮官としての俺はこの作戦に反対だ」

  「陽動とはいっても、敵主力級に捨て身の覚悟で攻撃することは変わりない」

  「はっきり言って……ここに残った者に命の保証は出来ない」


 自分の声が予想以上に冷たく響く

 死の宣告とは、思っているよりも重く冷たいモノなのかと再認識される

 だが、それでもここで話を切るわけには行かない
 
 通信機を握る腕に力を込めながら、館内放送を続ける


  「だが、それでも……俺は彼女の救出を諦めることが出来ない」

  「ここから先は防衛隊の士官としての行動じゃない、一兵卒のわがままだ」

  「付き合いきれない者は降りていってくれて構わない」

  「幸い今のところ敵は静観を決め込んでいるらしい」

  「今ならまだ救命艇で船を離れることが可能なはずだ」

  「5分の猶予をつくる……それまでに降りる者たちは船を下りて行ってくれ」

 
 手元のボタンを押して通信を切る

 無線機を静かに置くと、辺りを見渡して船員たちの顔を眺めながら口を開く


  「……この通りだ」

  「さっきの放送はお前達も例外じゃない」

  「降りると言うなら、ここから出て行ってくれて構わない」


 しかし、それに答える者は誰も居ない

 規則正しい計器の動作音だけが沈黙を破っていた


  「本当に誰も居ないのか?」

  「何度も言うが、ここから先は俺の勝手な行動だ」

  「嫌な奴は今すぐ降りろ! 命令だ」


 微動だにしない船員たちに痺れを切らし、念押しをする

 本当のところを言えば全員いなくなってくれた方が気が楽だった

 そうすれば、自分は心置きなく死ねる

 身勝手な言い分だが、自分の決断で彼ら危険に晒したくなかった

 だが、その思惑は見事に裏切られてた

 艦橋の船員は誰一人として辞退せず、甲板からも離脱するという報告は無い

 もう一度、最後の通告しようと通信機に手をかけた矢先、


  「少尉、仙田一等の救命艇の切り離しが完了しました」


 船員の1人が仙田と一之瀬を乗せた救命艇が船体と切り離されたと報告する

 それに続いて、小林が仙田からの着信を知らせる

 急いでい繋ぐように指示すると、数秒後に仙田の声が聞こえてきた


  『こちら……仙田』

  『救命艇からアンタの放送を聞たよ』


  「……そうか」


 その声は、命令を無視して飛び出したとは思えないほど落ち着いた口調であった


  『悪かった、勝手に飛び出したりして』

  『でも、こうでもしなきゃアンタは動かないと思ったんだ』


  「気にするな」

  「俺も今、似たようなことをしている」
  

 お互い様だな、と仙田は軽く笑いかけてくる

 ああ、と返事をするとこちらも笑い返す


  『じゃあ、そろそろ……』
 

 ひとしきり笑い終えた頃に仙田が別れを切り出す

 それに待ったと声を掛けて止めて、その言葉を遮る

 どうした事かと不審げな彼を尻目に、腰のホルスターへと手を伸ばして先を続ける


  「お前から渡されたハンディカメラ」

  「まだ、預かったままだった」

  「これが終わったら返してやるから、死ぬなよ」


 それを受けた仙田の返事は、『そっちこそ』と短く吐き捨てる様なモノだった

 苦笑いしながらそれを聞いていると、再び彼から返事が返ってくる


  『約束のことは覚えてるだろうな』

  『ダメだったらもう一回撮ってもらうぞ』

 
 一方的な言葉に答える間もなく、直ぐに通信を切られてしまった


  「仙田一等の救命艇、本艦を離れ救出目標へと直進していきます」


 通信の様子を窺っていた大久保が彼の救命艇の発進を告げる

 その報告を受け、前方の景色へと目をやる

 朝焼けが彩る海に、仙田と一之瀬を乗せた小舟が一艘、波を切って進んでいた


 仙田たちを見送ってから5分

 あれから艦橋へ無線も救命艇が切り離されたという報告もない

 動きがあるとすれば、時折り敵が発砲する砲弾が近くの海面に着弾するだけだった


  「少尉」


 我慢できなくなった船員の1人から、自分を呼びかける声がする

 彼の言いたいことは分かっていた

 もう十分に待ったのだから、戦闘を再開しろということだろう


  「……出て行ったのは?」


 しかし、彼の求める返答はせず、発艦した救命艇の数を尋ね返す


  「仙田一等の一艘のみです」


 目の前の計器を軽く確認した彼はきっぱりと答える

 想定してどおりの返答

 彼に聞くまでもなく分かり切っていたことだ


  「分かった。ありがとう」


 彼に礼を言い、今度は小林の方へ目をやる

 いつ入電がきても良いように待機していた彼は気配を察してこちらを振り向く

 そして、こちらが問いかけるまでもなく


  「いえ……」


 首を横に振る


  「……そうか」


 その返事に短く嘆息を漏らし、天井を仰ぐ

 どうやら、この船に乗っている人間は余程の命知らずか根っからの軍人らしい

 彼女の救出へ向かった仙田と一之瀬以外、誰も船から降りようとしなかった

 果たしてこれは己の人望のなした業なのか、それともただでは沈ませないという皆の意地の表れなのか、本当のところは分からない

 だだ、1つだけハッキリしていることがあるとすれば、


  (絶対に生きて帰ってみせる)


 という決意が芽生えたことだった

  
  「少尉!」


 不意に井上がこちらの名を呼ぶ声がする

 呆けていた意識を元に戻して前方に向き直る


  「ご命令を」


 視線の先には、半分こちらへと向き直った井上の横顔が映った

 もう少しぐらい黄昏ていたかったところだが、そうも言ってはいられないらしい

 自分の指示を待ちわびている皆の気持ちに応えるべく、口を開く


  「進路、80度から260度」

  「両弦全速前進」


  「了解! 進路80度から260度」

  「両弦全速前!」


 大声で指示の復唱をした後、井上は舵輪を右に回す

 ガラガラと舵輪が右に回転するにつれて船体が左へ傾いていく

 船を操る男の横顔には流れて固まった血の後が見える

 だが、そんなことなどお構いなしに彼は自分の作業に取り掛かっていた

 その姿に元気を貰いながら、これから始まる戦闘へと頭を切り替える


  「大久保!」


 とにかく敵の状態を確認するため大久保へ声をかける


  「敵は……っ!」


 しかし、その先は激しい爆発音によって中断させられる

 それが敵の砲撃だと理解する前に、強烈な衝撃が艦橋を襲う

 猛烈が揺れに足を取られて倒れそうになるが、とっさに近くの計器盤にしがみ付き回避する


  「砲撃です!」


 間髪入れずに大久保の叫び声が聞こえる


  「後部甲板付近に被弾!」

  「詳しい被害は……不明です」


 どうやら船の後部に被弾したようだ

 だが、大久保の説明は要領を得なかった
  

  「今の攻撃で通信の一部が遮断されました」

  「後部甲板と連絡が取れません」


 そんな大久保の報告に小林が補足する

 砲撃で通信がやられて現場の状況を確認出来ないようだ

 
  「被害の確認を急げ」

  「連絡が付く甲板の隊員を後部甲板へ向かわせろ」

  「負傷者は船倉に搬送、出火している場合は直ちに消火作業に移るように」


 取りあえず、被害の状況の確認と拡大防止の指示を出して小林に取りつがせる

 そして、観測手に仙田たちの被害を確認をさせた

 
  「仙田一等の救命艇は未だに健在」

  「目標海域へとまっすぐ進行しています」


 彼の報告にひとまず胸を撫で下ろす

 この作戦の肝はあの2人と言っても過言ではない

 彼女の救出に向かっている2人を真っ先に狙われては、そもそもここで敵と戦う意味が無くなってしまう

 敵がこちらに攻撃を仕掛けてきてくれたおかげで、その心配は無くなった

 しかし、だからと言って戦況が有利という訳でもなかった


  「第2射、来ます!」


 大久保の声によって意識が頭の中から現実に引き戻される

 同時に、前方左舷側に大きな水柱がそびえ立った

 水柱の破裂音は衝撃となって押し寄せ、腹の底へと響いた
 

  (……本格的に動き出してきたか)

 
 耳をつんざく轟音に、心の中で悪態を付く

 今まで静観ぎみだった敵が、ついに本気でこちらを仕留めに掛かってきた

 撤退命令を下した後の敵の砲撃間隔は明らかに広がっていた

 しかし、敵へ向かって舵を切った途端に、一転して攻勢を強めてきた

 どうやら向こうも砲撃をするしか能がない単細胞ではないらしい
 
 分かってはいたが、今度の敵は一筋縄では行かないようだ


 反撃の機会を探るため、彼我の状況をもう一度確認する


  「大久保、敵との距離は?」


  「南西に約8キロ」

  「本艦から向かって右舷側、双眼鏡で確認できます」


  「旋回後はどれくらいまで近づく?」 


  「敵がこのままの進路を取るとすると……」

  「前方に4キロメートルほどです」


 左舷前方4キロ、日下部なら主砲を必中させることのできる距離だ

 このまま戦況が変わらなければ、一撃必殺の砲弾を敵に浴びせることも可能である

 もちろん、こちらが必中の距離であるなら敵からの被弾の可能性も跳ね上がる

 だが、それでも敵に有効打を与えるチャンスであることには変わりない
 
 むしろ敵にここまでの接近を許してしまった今となっては、何かしらの被害を与える必要がある
 
 そこで問題となるのは、有効射程へと接近するまでにかかる時間だが……

 
 
  「井上、旋回までにどれぐらいかかる?」



 判断に必要となる意見を求め、操舵手に質問を投げかける


  「正確には分かりませんが……」

  「4分はかかると思います」


 突然の質問に戸惑いながらも、井上は半面をこちらに向けながら答えを返す

 彼がきっぱりと答えるということは、この4分というは信用してよいい数字だろう


 『4分』という、彼の答えに思考を巡らせる 

 今、自分たちを乗せた船は南西方向に向けて旋回中だ

 この進路を取り続ければ敵の右側面に突っ込む形となり、主砲の必中圏内に敵を捉えることが出来る
   
 だが、旋回をしている間、敵はこちらの右側面を見ながら行動することになる

 つまり、旋回が終わるまでの4分間、こちらの土手っ腹を敵艦に晒すことになるのだ


  (どうにか、それまで敵の砲火を凌げれば)


 敵に接近さえできてしまえば方法はいくらでもある

 いくら敵がこちらを遥かに凌駕する機動力を持っていたとしても、面制圧力と火力ではこちらが勝っている

 敵の主力級なだけに油断はならないが、近距離ならば機動力を持った敵にも何かしらの有効打を与えられるはず

 そうなれば、敵がよっぽどの戦闘狂でもない限り交戦を打ち切るはずだ

 奴らがどんな考えで船を動かしているのかは分からないが、作戦外の戦闘で主力艦が大破する危険を冒してまで戦闘を継続するとは考えにくい
 

  「砲撃確認! 着弾します」


 大久保の声に考えを妨げられる

 その直後、割れんばかりの轟音が鳴り響き、打ち上げられた波が砕ける飛沫の音が聞こえる


  「右舷後方に着弾を確認!」

  「本艦に被害はありません」


 敵の砲撃は一層の激しさを増している

 現状では小破状態で留まっているが、次に船体に直撃を受けたら戦闘不能に陥る公算が高い 
 
 つまり、この後の4分をどうやり過ごすかがこの場を切り抜けるカギだろう



  (やるだけやってみるしかないか)


 しかし、そうそう上手い作戦などは思いつくものでは無かった

 とにかく行動を起こす以外に、今の自分にできる事は無い

 そう思い至ると手元の通信機を手に取り、ある場所へと通信を繋いだ


   『……おい! 何だ』


 通信をつないで数秒、電話口からは不満げに返事をする壮年の男の声が聞こえてきた


   「兵曹長? 森は……」


   『悪いが、今は取り込み中だ』


 特有の雑音が混じった音声が細切れに聞こえてくる

 どうやら、森上等の代わりに宗方兵曹長が応対しているようだ

 森が出られな理由も含めて何があったのかを聞いてみた


   『さっきの攻撃でこっちも被害があった』

   『今は総出で復旧に当たってるところだ』


 報告が遅くなって悪かった、と後に続ける

 こちらに連絡を取るのもままならなかった状況らしい、兵曹長の声の後ろからは慌ただしく作業する船員たちの声が聞こえている

 しかし、気になるのはミサイルの状態だ

 もしここで使用不可能ともなれば、切り札が無くなったも同然となる

 そうなれば敵に損害を与えることはおろか、生きて帰ることすらままならなくなってしまう


   「それで……ミサイルの状況は?」


 努めて冷静にミサイルの状態を尋ねる

 だが、直後に大久保が敵の砲撃を伝える声が耳に入り、大きな炸裂音が鳴り響く

 船体が大きく揺さぶられるが、振動は軽微、すぐさま外れたとの報告が入る


   『……悪い』 


 それに気を取られていると、噛みしめるような声が通信機から流れてくる

 その声色にどういう状態であるかを薄々感じ取るが、黙っては居られない

 どういう事かと問い詰めると、兵曹長は重い口を開いた


   『発射口のハッチがやられた』

   『現状でミサイルの発射は不可能だ』


 キッパリと無理だと言い渡されるが、そうすぐには納得できない

 食い下がってどうにか使えるようにできないかと尋ねるも、


   『今、総出でハッチの蓋を退かしてる』

   『そいつが終わらない限り、発射は無理だ』


 技術屋らしく不可能だとバッサリ切り捨てられる


   『とにかく、復旧は急ぐ』

   『後はそっちでどうにかしてくれ』


 兵曹長もこちらに構っていられないのだろう、返答を待つこともなく通信を切られた

 耳に当てた通信機から流れるノイズはプツリと途切れ、右手に冷たい鉄の感触だけが残る


   「クソっ……」


 柄にもなく悪態を付いた

 切り札たと思っていたミサイルが事実上使用不可能となったのだ

 これでは奴に一泡吹かせるどころか、生きて帰れるかも怪しい

 考えなしに敵に突っ込もうとしている自分の見通しの甘さに辟易しながら、拳を握りしめる


  「敵砲ッ!」


 突然、誰かが叫んだ

 顔を上げると、目の前に黒い物体がこちらへ飛び込んでくる


  (来る……!)


 そう思った時には、もう遅かった

 何かがはじけ飛ぶような音が聞こえ、強烈な振動に襲われる

 体がふわり宙に浮き、すぐさま艦橋の床へと叩き付けられた


  (……生きている?)


 冷たい床の感覚から、生の実感を得る

 今度こそ死を覚悟しただけに、少しの間虚を突かれて、その場に伏していた

 次第に打ち付けた右肩がじんじんと痛み始め、現実に引き戻される

 痛めた肩を庇いながら、近くの計器盤を支えに上体を引き起こす
 

  「……少尉」


 声がする方には頭を押さえた大久保の姿があった

 今ので切ってしまったのだろうか、右頬から赤い血を流していた


  「敵弾はブリッジ右側面に着弾」

  「損傷、軽微……不発弾です」


 こちらの顔を確認した彼は敵弾の不発を報告をする

 どうやら、まだ天には見放されていない

 本来なら致命の一撃であるが、運よく不発弾で一命を取り留めた

 
  「少尉! 非常電話です」

 
 ひとまず生き残ったことに息を付くと、小林の声が響く

 その声に周りの船員たちも我に返ったのだろうか、静まり返っていた艦橋がにわかに活気づく

 井上も、回るに任せていた舵輪をその手に掴み、船の進路を修正し始める

 そんな様子を横目で確認しながら、足早に小林の元へと向かった


  「どこからだ?」

  
  「左舷の砲門です」


 非常電話とは、有事の際に艦橋と直接やりとりのできる通信設備のことだ

 設備自体は船が改装される前から備え付けらていたものだが、複数個所と同時に連絡を取れないという点で後付けのもに劣っている

 わざわざこの電話を使う理由として、通常通信が使えない状況にあるか非常電話でなければならない必要があるなどが考えられるが

 どちらにしてもこちらに何かを伝えたいというのは確かだ

 小林に取り次ぐように頼むと、通信機の脇に備え付けられた非常電話の受話器を取る


  『君嶋少尉ですか?』 


 受話器をフックから外すと、向こうから切羽詰った声が流れだす

 聞き覚えのあるその声の主に

 
  「野田か?」


 と返すと、

   
 『そうです』


 肯定の返事が返ってきた

 やはり彼であったことを確認し、なぜ非常電話で艦橋にかけて来たのかと問う


  『……済みません』

  『他に使えそうなものが無くて』


 本来の通信機が破損してため、やむなくこの回線を使用したようだ

 そんなことを少し声調を落とした声で話し始めると、


  『少尉、このまま進路を南に固定してください!』

  『それなら奴を出し抜けます』


 突然強い口調で進路の指示をしてきた


  「……どういう意味だ?」


 いきなり発せられた彼の言葉に、その真意を探る

 突然の要求でもあったが、何よりも彼が要求していることの意味が分からなかった

 撤退を進言するにしても、南進では敵から逃げることは難しい

 それに戦うべきでないというなら、仙田と一之瀬が出ていた段階でこの船を下りているはずだ

 逆に、真正面からやり合うべきだという意見でも、このまま敵に肉薄して主砲で仕留めるのは間違ってはいない

 なぜ進路を南に変更する必要があり、どうしてそれが敵を出し抜くことになるのか、全く分からなかった


  『朝焼けの空を見て思い出しました』

  『日の出前のこの時間、この海域には強い北風が発生するんです』

  『それが起こるのがおおよそ日の出の2分前……』

  『つまり、今なんです!』


 その風に乗れば予想よりも早く敵に接近することができ、接近戦を仕掛けられる

 そういうことを野田は言いたいのだろう

 だが、それには大きな問題があった


  「……確証はあるのか?」


 本当に、今この時、その風は吹くのか

 敵へ肉薄しようと大きく進路を変更している今、船の速度を変えるほどの速度を出すことが出来るのか

 それが問題であった


  『それは……』 
 

 電話口の野田はこちらの質問に言葉を詰まらせる
 
 当然だろう、自然の事など誰にも分からない

 いくら前例があるとしても、本当にそうなると断言することは出来ない
 
 そんなことは彼も分かっているのだろう、完全に黙り込んでしまった


  「なら、後は決まりだな」


 数秒の沈黙の後、そう言って会話を終わらせる

 野田も『仕方ない』と諦めてしまったのか、何も言ってこない

 しかし、その気持ちは直ぐに裏切られるだろう


  「お前の案、使わせてもらうぞ」


 上官の言葉に虚をつかれたのか、野田は珍しく間抜けな声を出す

 どうやら完全に思惑が外れたようで、どうしてそうなるのか分からないという風だった


  「この戦い自体がどうなるか分からないんだ」

  「だったら、少しでも勝率の上がる策を取る」

  「それが起こるかどうか分からないモノでも、やってみる価値はある」

 
 『違うか?』と意地の悪い口調で聞いてみる


  『まぁ……そうですね』


 してやられたといった感じの野田は生返事で答える
 
 その返事を聞いて、自然と口角が上がる

 ミサイルが使えなくなって万事休すかと思ったが、まだ終わっちゃいない

 そう考えると、現状も悪くない気がしてきた


  『後の事はお任せます、少尉』

  『自分は自分にできる事をやります』

  『だから、ヤツに目にもの見せてやってください』
  

 そんな気持ちを見透かされたのか、野田には珍しい軽口を利いてきた


 『任せとけ』と返事をすると、そのまま受話器を置いて通話を終了させた

 すぐ隣に座っていた小林に軽く礼を言い、艦橋の正面を振り向くと、


  「井上!」

 
 舵輪を握る操舵手の名を叫んだ

  
  「了解! 進路180に変更」

  「取舵、3度へ修正します」


 名前を呼ばれた井上は何の迷いもなく、進路変更の確認を復唱して応じる

 いつ命令を出したのかと戸惑うが、冷静に考えればおかしいことは無かった

 野田が使った非常電話は有事の際に艦橋の全ての人間へと情報を伝えるために、その音声はスピーカーによって拡散される

 受話器から直接野田の声を聞いていたため気付かなかったが、会話の内容は艦橋の人間すべてに筒抜けだったのだ


  「少尉!」

 
 続いて、背後から自分の名を呼ぶ声が聞こえる

 声のした方向を振り向くと、気象観測を担当している船員が声を上げる

 
  「突風を計測しました」

  「北方から風力6! 非常に強い風です」


 彼も野田の通信を聞いていたのだろう、興奮を抑えきれないといった風に報告を重ねる

 分の悪い賭けではあるが、こちらにも運気は向いてきたようだ 

 宗方兵曹長の報告から重く沈んでいた艦橋の空気が変わってきていた


  (後は、敵の弾が命中しないことを祈るだけか)


 そう独りごちして、自分の持ち場へと戻ろうとしたとき、


  「少尉、試算が出ました!」


 大久保の声が艦橋に響く

 
  「この風よって艦の速度が上昇」

  「あと1分で、敵から4キロメートル地点へ到達します!」


 その報告は野田の想定通りの結果を伝えていた

 風の力によって敵に肉薄するまでの時間……

 つまり、敵の的になる時間が減らされたことを証明していた


  (よし……これなら行ける!)


 そう確信して、砲塔の日下部へ指示を送るべく小林に指示を出そうとした瞬間、


  「来ます!」


 大久保の叫びと共に強烈な炸裂音と揺れが体を襲う

 この衝撃は何処かに被弾したのだろう、ここ数時間で何度も受けているが未だに慣れない 

 崩れた体制を戻して辺りの状況を確認する

 艦橋は相変わらずガラス片が散らばっているが致命傷は免れている

 だが、正面の窓に目をやると、甲板から黒煙が上がっているのが目に入った

 その光景に背筋に冷たいものが走る


  「大久保ッ!」

 
 反射的に大久保の名を叫ぶ

 もし、今の攻撃で主砲がやられたらすべては水泡に帰す

 敵に一矢を報いるどころか、この船の生存すら危ぶまれる事態だ


  「ぜ、前方甲板に着弾」

  「被害は……」


 このことは彼も分かっているのだろう

 その顔に冷や汗を滲ませながら、被害の確認を急ぐ

 だが、時間は待ってはくれない

 焦りが苛立ちに代わり、拳を握りこむ力が強くなってきたころ、


  「少尉! 砲塔から通信です」


 小林が日下部のいる砲塔からの入電を知らせてくる

 
  「今すぐ繋げ!」


 半分怒鳴るように小林に命令すると、目の前の通信機に取り付けられていたマイクロフォンを引っ手繰る


  『……砲塔の日下部です』
 

 艦橋のスピーカーから日下部の声が聞こえる

 少し音声が悪いが、どうやら大事は無いらしい
 
 日下部の無事にひとまず胸を撫で下ろしながら、砲塔の状況を知らせるよう詰問する


  『今の砲撃で砲塔の一部が損壊した様です』

  『主砲の発射には影響ありませんが、これ以上右へ旋回できません』


 彼の報告は最悪の事態が発生したことを伝えるものだった

 現在、この艦は船首を南に向けて進んでおり、南西方向の敵に真東からの接近を試みていた

 つまり、このまま敵の砲撃を掻い潜り、右舷正面4キロの地点に居る敵へと一斉攻撃を加えることを想定している

 しかし、右舷側に旋回できないとなれば、主砲の発射機能はそこ縄ていないとしても、それと同等の意味合いを示していることになる


  「……っ」


 言葉にならない悔しさが自分の拳を堅く握りしめさせる

 スピーカー向こうの日下部も、報告をしたきり黙りこんでいる

 彼も自分と同じく、どうしようもない悔しさに苛まれているのだろうか?

 ここまでなのか? 本当にもう……何もできないのだろうか?

 自問自答を繰り返すが答えは出てこない

 マイクロフォン掴んだまま通信機に両手を付き、がっくりと首を垂れる

 
  「ここまで、か……」


 自然にそんな言葉が漏れる

 脇で控えている小林も沈黙を保ったまま何も言わない

 全てを諦めて思考を停止させようとした、その時、


  「まだだ!」


 誰かの叫ぶ声が艦橋に響き渡った


  「まだ諦めるには早い」


 こちらの考えを見透かすように、その声は語りかけてくる

 先ほどとは打って変わって穏やかな口調には確かな自信と静かな闘志を湛えていた

 ハッと頭を振り上げて、声がした方向へ振り向く


  「そうですよね? 少尉」

 
 そこには口角を上げてこちらを見返す井上の姿があった

 朝焼けに染まったその顔は、まだ勝利を諦めていない戦士の顔だった

 その顔に敗北を考えることの愚かさを悟り、彼に全てを託す決心をした


  「井上、後はお前に託す」

  「好きなようにやってみろ」


 気づけばそんなことを言っていた

 ここまで来ると完全に指揮官としての仕事を放棄しているといっても過言ではないだろう

 だが、四の五の言っている時間は無かった

 敵が必中の射程圏に入るのは直ぐであり、ここで敵に肉薄できなければ持ち前の機動力で煙に巻かれてしまう

 
  「了解!」


 こちらの言葉に力強く返事を返した彼は、通信手へと同僚の通信手へと向き直る


  「小林、投錨要員を手配してくれ」

  「チェーンカッターを持たせて、右舷側の錨をおろせ」


 小林は一瞬戸惑った表情を見せるが、直ぐに目の前の計器を慌ただしく操作し始めた


  「カッターは後回しでもいい」
  
  「とにかく右舷の錨を下ろさせるんだ!」


 その後ろ姿に、井上は付け加えるように指示を繰り出す


  「まさか、お前……」


 ここに来てようやくこの男がやろうとしていることが分かってきた

 いきなりの投錨命令とアンカーワイヤの切断を想定したチェーンカッターの携行指令

 この2つから導き出される答えはただ1つ

 錨の抵抗力を利用した右舷側への急速回頭、それしか考えられなかった


  「ええ、そうです」


 彼も上官が自分の考えに思い至ったことには気づいているだろう

 しかし、井上はただ肯定の返事を返すのみで、あっけらかんとしている

 確かに主砲が旋回できないのなら船体の方を回頭させれば良いというのはわかる

 だが、それは……


  「……かなりの大博打だぞ」


 彼の考えに対する率直な感想が言葉に出ていた

 だが、それは井上にとっても分かりきっていることでもあったのだろう

 顔色ひとつ変えずに『これしかありません』と言ってのけた


 おまけに、『それに……』と付け加えながら、


  「博打を打ったのは少尉の方が先ですよ?」


 と本気だか嘘だか分からない冗談を口走る

 そう言われてしまったら、もう返す言葉もない

 迷いを振り切った面持ちで前を見つめる彼に、『そうだな』と応じる他なかった

 丁度、井上とのやり取りが終わった頃、


  「配置に付いたぞ! 井上」


 こちらのやり取りを見計らったかのように、小林が投錨準備の完了を知らせる


  「了解、投錨開始の指示は俺が出す」

  「その場で待機させてくれ」


 舵輪を握った井上は後ろを振り向かずに指示を返す

 それを受けた小林も、返事を返して、甲板の作業員へ待機の命令を下した

 
  (俺もこうしちゃいられないな)


 再起に燃える井上と冷静に自分の仕事をこなす他の船員たち

 そんな彼らの姿を目の当たりにして、再び自分に喝を入れ直す

 いつまでも、ここで茫然と戦いを眺めている訳には行かない

 今、自分が出来ることは限られているが、それでも何もしないなんてことはあってはならない

 そう決心すると、目の前の通信機に引っ掛けられたヘッドフォンを耳に当て、繋がったままであった主砲塔との回線をプライベートに切り替える


  『あ、ああ……はい』
  
  『聞こえてます』


 砲塔の日下部に呼びかけると、少し遅れて返事が聞こえてきた

 通信の無事を確認して、今の状況を把握しているかどうかを彼に尋ねる


  『まぁ、何となくは……』


 問いかけを受けた日下部は、歯切れ無く言葉をにごす

 どうやら繋ぎっぱなしにしていた通信から艦橋の様子を拾い聞いていたらしく、おおよそは察しているようだった

 しかし、日下部の理解に甘えて情報の齟齬があってはならない

 掻い摘んで井上がやろうとしていることを伝えて、これからの想定を話す


  「未だに敵は進路を変えていない」

  「恐らくこのまま北上してこの艦の背後に回り込むつもりだろう」

  「敵が予想進路を変更しないとなると、こちらは真東から敵に接近することとなる」

  「つまり、我々が急旋回をした真正面に敵が現れるはずだ」


 想定される敵の進路と船の動きを伝えていく

 こんなことは言わなくても分かっているかもしれないが、それでも伝えておくことにした

 些細な事でも作戦の成功率が上がるならそれで良かった
 


  「井上なら必ず敵の正面に船を持っていく」

  「だから、お前は……」


  『前だけを見てろ、ってことですか』


 言いたいこと先に言われてしまい、内心苦笑する

 だが、それは彼は自分の考えていることを理解してくれた証拠でもあった

 電話口の日下部に『ああ』と力強く返事をしながら、


  「後の事は俺達が何とかする」

  「お前は目の前の敵だけに集中しろ」

  「砲撃は……お前に任せたぞ」


 思いつく言葉すべてで日下部を激励する

 もっと有益な助言を与えられれば良かったが、他に言葉が見つからなかった

 ただ、『俺はお前を信じている』ということが伝われば良かった


  『少尉、自分は……』

 
 激励を受けた日下部が何かを言おうと口を開く

 だが、その言葉は、


  「小林! 今だ!!」
 

 井上が小林に指示を飛ばす声によってかき消された

 それは、井上が投錨の開始を小林に指示した声であった

 綱渡りを繰り返して何とか生き延びてきた自分たちが、遂に攻勢に出る局面となる

 まさに一世一代の大一番が始まろうとしていた


  「投錨開始! 全員何かに掴まれ!!」


 小林の怒声ともいえる警告が発され、海面に何かが叩き付けられたような音が響く

 すぐさま船に急激な減速力が働き、体が大きく前に迫り出すのを感じた

 目の前の通信機にしがみ付くことで何とか体が持って行かれることを阻止する


  「ぐっ……」


 急激な減速が生み出す強力な慣性力に晒され呻き声が漏れた

 すぐ隣に居る小林も自分と同じ状況らしい、食いしばるような声が聞こえる  


  「と、投錨を……確認!」

  「船体が、右へ傾いています」


 艦橋の誰かが、報告を繰り出す

 その報告の通り船体が右に傾き、前のめりになっていた体が今度は右へ沈み込む


  「今、右舷何度だ!?」


 井上が叫ぶ声が聞こえた

 どうやら、何度まで回頭出来ているのか聞いているらしい


  「現在……面舵39度」

  「目標進路まで、後10度だ!」


 大久保が返答する声が聞こえる

 彼にも相当な加速度がかかっているらしい、その声は息も絶え絶えだ  


  「負けて堪るかッ!!」


 井上が咆哮を上げる

 そして、渾身の力で舵輪を右へ回し始めた

 艦橋には性能の限界を超えた急旋回を警告する警報音が響く


  「旋回角度……46!」

  「あと少しだ! 井上」


 大久保も負けじと計器の数字を読みあげる

 努めて冷静さを保っていた大久保だが、ここに来てその報告に熱を帯びる

 もう報告と言うよりは井上に対する激励の意味合いの方が強いのかも知れない


  「ぐっ……クソっ」


 もはや限界まで右に回された舵輪はそれ以上右へは周らず、後は元に戻ろうとするだけだった

 その反発力に抗う井上は、両手で1つハンドルを握りこむと全ての体重をかけて舵輪を抑え込もうとする

 一歩間違えば舵輪が根元から折れてもおかしくないが、それでも力を緩めない

 大久保や他の船員たちの期待に応えようと、渾身の力を籠めて舵輪を押さえつける

 旋回が激しさを増し、さらに右舷側へと沈み込むを感じた時、


  「船が……船体が傾き過ぎています!」

  「これ以上は危険です!」


 船員の1人がこれ以上の旋回は無理だと警告する


  「大久保ッ!」


 すぐさま井上は大久保の名前を叫ぶ


  「旋回角49度! 行けるぞ!」


 対する大久保は計器に示された数字を読み上げ、目標の角度まで到達したことを知らせる


  「鎖を切れ! 早く」


 観測手の報告を受け、井上はアンカーワイヤーの切断を命じる

 小林は繋げたままにしていた回線を使い、その指示を現場の前方甲板へと伝える


  「全員! 何かに掴まれ」


 指示を終えた井上は衝撃に備えるように警告した後、両手で抑えていた舵輪から手を放す

 拘束から解き放たれた舵輪は勢いよく左へと回り始める

 船の船首、主砲の砲身が右から、左へと流れていくのが目に入った

 それに釣られるように体も左へと引っ張られていく

 
  「ワイヤ切断!」

  「総員、衝撃に備えろ!」


 小林が叫ぶ





 直後、砲撃とも聞きまごう爆音と共に、右舷へ沈んでいた船体が跳ねあがった

 余りの浮力に足の裏が床から浮き上がるように感じる

 そして、すぐさま重力によって艦橋の床に押し付けられる


  「ぐっ……!」


 押し上げられた臓物に重力が加わり、掠れた呻き声が漏れる

 何とか通信機に取りつくことで転倒は免れたが、バランスを崩した船員たちは強かに床に体を打ち付けたらしい

 誰かの呻き声が耳に入ってきた


  「ワイヤ切断完了」

  「被害は……不明です」

 
 大きな揺れが収まると、小林がワイヤーの切断終了を伝える

 続けて、

 
  
  「船体角度、正常に戻りました」



 別の船員が船体の角度が危険域から脱したことを報告した

 その知らせに皆が胸を撫で下ろしたの束の間、


  「敵、深海棲艦を確認」
  
  「肉眼で確認できます!」


 決戦の相手が目の前に、水平線に浮かぶ影となってその姿を現していた
 


  (あれが……鬼)

 
 この距離まで近づいて、初めて敵の姿を目の当たりにする

 それは、正しく異形のモノと言って然るべき風貌をしていた

 人の姿と見紛う本体と、そこから幾本もの触手のような器官が伸びている

 大きく迫り出した背部は、艦娘の艤装にあたる部分だろうか、自身の数倍はある砲が空に向かって突き出していた


  『少尉、アレは……』


 耳に当てていたヘッドホンから自分に向けて問いかける声が聞こえる

 そういえば、日下部との通信を繋げたままにしていたか

 いきなりの質問の理由を勝手に納得すると、


  「見ての通り、俺達の敵だ」


 と目の前の敵を眺めながら返事をする

 答えになっていない答えだろうが、自分にも奴が何なのかは詳しく分かっていない

 ただ、1つだけ明らかなのは、水平線に浮かぶあの怪物と自分は戦ってきたということだった


  「……正面4キロ」

  「未だ、攻撃の態勢を崩していません」


 日下部との会話に少し遅れて、大久保が敵の動向を報告する声が聞こえてくる

 今までレーダーサイトで敵の姿を確認し続けていた大久保だったが、生身の敵の異様さに息を飲んでいるのだろうか

 彼の報告にには先ほどまでの覇気を感じられなかった 


  「……正面4キロ」

  「未だ、攻撃の態勢を崩していません」


 日下部との会話に少し遅れて、大久保が敵の動向を報告する声が聞こえてくる

 今までレーダーサイトで敵の姿を確認し続けていた大久保だったが、生身の敵の異様さに息を飲んでいるのだろうか

 彼の報告にには先ほどまでの覇気を感じられなかった 


  「俺達はあんなモノを相手に……」


 隣からボソリと呟く声が聞こえる

 視線を落とすと、通信機の前に腰かけた小林が正面の海を向いて固まっていた

 これまでどんな状況でも冷静に自分の仕事をこなしてきた男でも、こればかりは想定外と言うことかも知れない

 現実となって目の前に現れた敵の存在感に、皆の士気が衰えていくのが感じられる

 だが、敵にとってはそんなことなど構いはしない


  「敵艦! 射撃体勢を取っています」


 目障りな敵を敵艦を沈めるべく、淡々と射撃準備を整えていた


  「砲撃、来ます!」


 大久保が警告を発するが、もう自分たちになす術は無い

 
 出来ることがあるとすれば、敵弾が致命傷にならないように祈ることだけだった 

 そして、次の瞬間には、鼓膜を震わせる爆発音と体が揺さぶれる衝撃が、着弾を知らせてくる
 


  「左舷砲門付近に着弾」

  「火災が……発生しています」


 何とか艦橋への被弾は免れたが、祈りも虚しく致命傷を喰らってしまった

 艦橋からは甲板から立ち上る黒煙が目に入る


  『今の場所は……』


 通信機を通して今の報告を聞いていたのだろうか、日下部が呟く声が聞こえる

 そこから先は何も言わなかったが、言わなくても分かっていた 

 砲撃の直撃を受けた左舷砲門は、野田上等水兵の配置

 つまり、あの炎の中に野田が居るかもしれないということだった


  「アイツなら心配いらない」

  「こんなに簡単に死ぬ男じゃないさ」


 自分で自分に言い聞かせるように、日下部へ言葉をかける

 死なないと思っていても簡単に逝ってしまうのは、下山田の件でよく分かっていた 

 だが、例え嘘だとしても、仲間が死ぬ未来は想像したくなかった
 

  「今は目の前に敵に集中しろ」

  「これ以上、奴の砲撃を喰らったらいよいよおしまいだ」


 嫌な事から目を逸らすように目の前の敵へと話題を変える

 日下部も今すべきことは分かっているのだろう、黙ってこちらの話に耳を傾けていた


  「とにかくお前は命中させることだけを考えろ」

  「発射の準備が出来たら合図を送る」

  「そうしたら、ヤツに一発ぶち込んでやれ」


 通信機の向こうの日下部は全ての指示に『はい』の一言で答えて、それきり口を閉ざす

 野田の事が気になるとしても、自分がヘマをすればこの船の全ての人間が危険に晒される

 絶対に失敗できないと言う緊張と友がどうなっているか分からないという不安に向き合うための沈黙なのだろう

 それ以上は返答を求めずに『それまで通信は繋げたままにしておけ』と付け加えて日下部への命令を終わらせる


  (さて、次はこっちか)

 
 マイクに余計な声が入らないように口元から外すと、今度は艦橋の船員たちへと目をやる

 敵から致命傷を受けた衝撃と目の前に現れた敵の異様な風貌のせいか、未だに軽く放心している者が多かった

 舵輪を握る井上や敵に釘付けになっている大久保はともかく、小林や多くの船員たちはまだ立ち直っていない  
 
 この局面でこのまま見過ごすわけには行かない

 

  「しっかりしろ! 小林」


 目の前で呆けている小林の名を呼んで、現実に引き戻させと、


  「主砲発射だ」

  「投錨部隊を今すぐ退避させろ!」


 半分怒鳴るように投錨を行った隊員を避難させるように指示した


 一瞬呆けたような表情をした小林だが、直ぐに我に返って手を動かし始める

 その姿を横目に、今度は正面の大久保に向かって激を飛ばず


  「大久保! もう計器は見なくていい」

  「敵の動きだけに集中しろ!」


 大久保は何も言わずに大きく頷く

 そのまま踵を返して正面へ振り返ると、左手に持っていた双眼鏡で敵の観察を再開した

 続けて、操舵手の井上へと指示を下す


  「進路はこのままだ」

  「敵が逃げるかこっちが沈むか」

  「それまで真っ直ぐ突き進め!」


 指示を受けた井上は『了解』と大きく返事を返す

 先ほどの急旋回で、遠心力と慣性力の影響をもろに受けたはずの井上だったが、その声には一切の疲労は見られない

 空元気かも知れないが、今はありがたかった

 そんな井上の不屈の精神を受けて、挫けかけていた船員たちの気持ちが再び熱を帯びて盛り上がっていく

 今、艦橋にいる全ての人間が勝利に向かって突き進もうとしてるのが感じられた


  「敵、砲門に動きあり!」

  「次弾、来ます!」


 観測手が敵が再び砲撃を開始する素振りを伝える

 その視線の先に浮かぶ影は、もぞもぞと針のむしろのように飛び出した砲門をうごめかせている


  (今度こそ沈めてやろうということか……)


 冷やりとした汗が、頬を伝っていくのが分かった

 奴が全力を出した時の火力は新海軍の艦隊を一瞬で壊滅させるほどの威力を持っている

 いくらこの船の装甲が厚いとは言っても、そんな化け物の斉射を受けたらひとたまりもない

 文字通り、海の藻屑と変り果てるだろう

 それは他の船員たちも察しているようだ

 熱を帯びて膨張した空気が収縮し、ピリピリと張り詰めたものへと変質していくのが感じられた


  「皆! ここが勝負どころだ」

  「奴が撃つのが先か、こっちが先か」

  「後はそれを見守るだけだ」


 艦橋の全員へ向かって叫ぶ

 ここまで来たら後は腹を括るしかない

 生きるにしても死ぬにしても、覚悟を決めるしかないことを皆へ伝える

 そのまま、彼らの反応を待たずに舵取台の方を向くと、

   
  「井上、分かっているな」

 
 敵を睨みつけるように正面を向いている井上へと言葉をかけた


  「分かっていますよ、少尉」
 

 彼は後ろを振り返ることなく応じる

 さも冷静に分かっていたかのような口調だったが、心の中はそう穏やかではないらしい

 その両肩は力んでふくらんでおり、舵を握る腕に力が入っているのが見て取れた
 


  「進路このまま……両弦全速前進!」


 だが、そんな不安を振り払うように指示を復唱する

 不退転の覚悟の下に戦闘へと乗り出すと言うことだろう


  「敵主砲、動きを止めました!」

  「副砲以下も順次、動作を停止しています」

 
 どうやら残された時間はそう多くは無いらしい

 敵の状態を報告する大久保も不穏を隠せないようだ

 艦橋に響く声もさっきより声高になっている


  (……まだなのか)


 そんな焦燥感に当てられてしまったのだろうか

 一向に甲板から撤退報告がない現状に焦りが募る

 このまま発射指示を出せば、主砲は発射され、敵を射抜くだろう

 だが、それによって決死の覚悟で投錨作業を行った兵士たちは砲撃の巻き添えを喰らってしまう

 1人の指揮官として、何より同じ海で戦う者として、味方を見殺しにするわけには行かない

 だが、このままでは敵の砲火によって1人残らず海の藻屑と化してしまう


 (今更何人か死んだところで関係ない、今すぐ日下部に発射指示を出せ)


 内なる悪魔がそう囁く

 その声は蠱惑的でありながら、何とも言えない甘美な響きで、焦りと緊張で乾ききった心へ容易に溶け込んでいく

 それでも、残された理性はそれを制す

 仲間を助けるためにやって来たはずなのに、どうして仲間を殺すようなことが出来るだろうか

 そう自分に言い聞かせて、心を揺さぶる妄言を振り払う 

 しかし、悪魔は囁くことを止めない


 (やらなければ全員が死ぬ)

 (これ以上はどうしようもなかった、必要な犠牲だったんだ)


 敵の攻撃まで残された時間は僅か

 その焦りが思考に霧を掛け、判断力を鈍らせる

 いつ来るとも分からない終わりが選択の迫り、決断を急かす

 見えない恐怖が、遂にヘッドフォンのマイクへと手を掛けさせようとしたとき、


  「投錨部隊より入電!」

  「甲板からの撤退が完了しました!」


 小林が声高らかに甲板の部隊の撤退を知らせる


  (来たッ!)


 待ちに待った知らせに、反射的に体が動く

 伸ばしかけていた手が一気にマイクまでの距離を縮めると、それを口元まで手繰り寄せる
 

  「日下部!」


 そして、気が付いたときには通信相手の砲撃主の名を叫んでいた

 集中しているのか彼からの返事は聞き取れない

 だが、もはやこれ以上の言葉は必要ない、後は日下部を信じるだけだ


  「大久保、どうだ?」


 敵の動向を逐一観察し続けている観測手へ声を掛ける


  「まだ攻撃態勢が整っていません」

  「行けます! 行けますよ!」


 声をかけられた大久保は興奮した調子でこちらを振り向く

 彼に『そうか』と言葉を返して、窓の向こうを臨む

 水面には薄灰色の肌を燃えるような紅色に染めた敵の姿があった

 朝焼けの海に、異形ともいえる姿をした敵、そんな現実離れした風景に目を奪われる

 一寸先も分からない生と、背後まで忍び寄っている死

 決定的に分けられない生と死の未来が混在するここは、あの世とこの世の境界線なのかもしれない

 果たして目の前に立つ『鬼』は地獄の獄卒か、それとも現世に迷い込んできただけの子鬼か、


  「主砲、発射を確認!」 


 それを決める一発が今、放たれた


  「うっ……」


 軋むような体の痛みで意識を取り戻し、呻き声を漏らす

 どうやら全身を派手に打ち付け、一瞬だけ気を失っていたらしい

 目の前に現れた無機質な艦橋の床を見て、自分の状況を悟る


  (……やられたか)


 ひとまず自身の無事を確認し、意識が別の方向へと向く

 今のは、間違いなく敵の攻撃だった

 最後に大久保の口が止まっていたのも、敵の砲撃を確認したからだろう

 しかし、そうなると……


  (敵は……どうなったんだ?)


 日下部の砲撃で致命傷を与えたか、それとも自分たちを沈めるべく攻撃態勢に入っているのか

 それを確認しなければならい

 今の体勢では確認できない艦橋の被害も気になる


  「ぐっ……」


 体に力を入れると全身に鈍い痛みが走る 
 
 その痛みに、まだ死んでいないことを実感しながら体を起こす


 まず上半身を起こして、片膝を着くと、指揮官席の椅子を支えにして立ち上がる


  「……これは」


 艦橋全体を見渡せる位置に立つと、その被害の全容が見えてくる

 どうやら、艦橋そのものには大きな被害は無かったようだ

 正面の窓ガラスが衝撃によって割れて、中に飛び散っているようだが、それぐらいしか目立った被害は無い

 船員たちも殆ど横倒しになったため、ガラスの破片に晒されずに済んだらしい

 だが、その窓の向こうには黒煙が立ち上っており、甲板からはチラチラと赤い炎が見えている

 そして、そのさらに向こうの水面には、朝日に照らされた敵が居た


  「あれは……!」


 だが、その輪郭は先ほど見ていたものとは全く違っていた

 本体の両側に大きくせり出していた機関部の右側、奴の左舷砲塔に相当する部分がごっそり無くなっていた

 砲弾の直撃を受けて吹き飛んだのだろうが、未だに海中へと没しない生命力に驚嘆する

  
  『しょ、少尉……』


 その光景に目を奪われていると、首元に掛かっていたヘッドホンから自分を呼ぶ声が聞こえる

 直ぐにそれを頭から被り、マイクの向こうの男へ応対する


  『……済みません』

  『今のでやられちゃったみたいっす』


 ヘッドホンの向こうからは日下部が弱々しく軽口を吐いてくる

 時折り挟んでくる浅い呼吸が、彼も怪我を負っていることを語っていた


  「気にするな、お前は良くやった」

  「後はしっかり休んでろ」


 気丈にふるまう日下部に労いの言葉をかけ、休むように言いつける

 
  『でも、奴はまだ……』


 しかし、日下部は食い下がる

 まるで自分の事など気にしていられないという風に、敵の名を出した


  「奴の事は先ほど自分も確認をした」

  「あの状況では直ぐには復帰できないだろう」

  「それまでに俺達がどうにかする」


 そんな日下部に現状を確認したことを伝えた

 彼は敵の姿を確認していないからそういうことを言うのだろうと睨んでいたが、そうではなかった

 ヘッドホンの向こうの日下部は『違います』と声を荒げて反論すると、 


  『まだ生きてます』

  『奴はまだ、諦めちゃいないんです』


 そう言って正面を向くように求めてくる

 内心、あの傷でそんなはずはないと思いながらも、正面の敵へと目をやった

 水面に浮かぶ敵は、さっき見た時と同じように半分近くを失った姿で微動だにしない


 やはり、日下部の思い過ごしだ

 『あの傷ですぐに動けるはずがない』と視線を戻しかけた時、視界の端に何かが朝日を受けて煌めくのが見えた

  
  (今のは……)


 その輝きに、もう一度目を凝らして敵の姿を確認する

 すると、敵の残された右舷側の主砲の砲身が朝日の光を反射していた

 入射角が殆ど変化しないの日光に対して、反射光が瞬く理由は1つしか考えられない

 敵の砲身が稼働することで反射した光がキラキラと輝いているのだ


  「まさか……」  

 
 目の前で起こっている事実に嘆息が漏れる

 まさか、あの状況でまだ攻撃の意志を失っていないなんて

 いや……あそこまで追いつめてしまったのは、他ならぬ自分たちだ

 こちらが玉砕覚悟で敵に攻撃を行ったのと同じように、今の奴は己の命を懸けてでも自分たちを沈めようとしている

 適度に損害を与えて、撤退を狙う作戦であったが、奴に致命傷を与えたのが仇となってしまった


  「クソッ!」

 
 思わず、今日何度目になったか分からない悪態をつく


 状況は悪い……最悪と言っても良いかもしれない

 日下部の状況からして主砲は使用不可能、ミサイルも誘導機能が殆ど機能していない上に最後の一基が発射できるかも怪しい

 おまけに、艦橋の船員たちはまだ殆どが気を失ったままだ

 操舵手の井上ですらまだ復帰していない

 急いで彼ら起こそうとしたろころで、艦の機能が回復するまでに敵が主砲を撃ち込んでくる方が圧倒的に早い


  『……少尉』


 今の舌打ちから察したのだろう

 通信機の向こうからは、気遣うようにこちらを呼ぶ日下部の声が聞こえた


  『ここまで来れて楽しかったです』

  『最後はまぁ……もっとカッコよく決めたかったっすけど』

  『中途半端にしか出来ないのが自分ですもんね』 


 もう諦めてしまったかのようなに日下部が独白を始める

 最期の挨拶とでも言うのだろうか

 戦意の裏に隠されていた『死』というものの実感がはっきりと形になって表れてきた


  (終わるのか、ここで?)


 だが、納得できない

 こんなところで終わるなんて、あそこまで追いつめたのに

 そんな感情が達観を塗りつぶすように渦巻き始めた


  (いや、こんなところで終わっていられない!)


 そして、ある1つの答えへと収束する


  『でも、自分はこれで満足です』

  『仙田たちに会えないのは……』


  「まだだ」

  
 そう呟いて、日下部の独白に割り込む

 何の脈絡もない言葉に驚いたのだろうか、通信相手は怪訝そうにこちらの名前を呼ぶ

 だが、そんなものなど気にしてられない


  「俺は諦めない」

  「何もしないで、やられるものか!」


 最後の悪あがきとばかりに日下部に叫ぶと、その場を飛び出す


 通信機の向こうから自分を呼びかける声が流れてくるが、もう耳には入っていなかった

 どうせ死ぬなら、やれることをやってから死んでやる

 そうでなければ死んでいった仲間たちに失礼だ

 士官席から飛ぶように艦橋の中央へ向かうと、散らばったガラスを踏み締めて舵取り台の前に立った


  「井上、少し借りるぞ」


 足元で倒れたままの井上へそう告げて、両手で舵を握る
  

  『少尉、一体何を……』


 ここに来てようやく日下部の声が耳に入ってきた

 当然だが、今から自分がやろうとしていることが分かっていないらしい


  「敵に突っ込む」

  「何かにつかまっていろ!」


 一方的に注意を促すと、スロットルレバーを思い切り前へ倒した
 
 その操作によって生まれた加速が慣性力となって、体にのしかかる


  『うぐっ……』


 耳元には日下部が呻く声が聞こえる

 今ので傷ついた体を痛めたのだろうか、浅い呼吸する息遣いが聞こえていた


  (悪いな、日下部)


 そんな日下部に心の声で謝る
 
 結局、最後の最後まで彼を自分のわがままに突き合わせてしまった

 さっきの攻撃で気を失っていれば、とばっちりを受けずに済んだだろう


  (でも、最後まで足掻きたいんだ)
  

 ここからの行動は殆ど自己満足に近い

 正直言って、この距離では突撃する前に、敵の砲撃を受けて終わりだろう

 だが、その光景を黙って見ていることなどできない

 例えそれが質の悪いわるあがきだったとしても、やらずに後悔だけはしたくなかった

 船首が力強く波をかき分けながら、船はその速力を上げる

 急激に加速した船は目の前の敵との距離をみるみる縮めて行く

 しかし、それは敵も分かっているのだろう

 キラキラと輝いていた砲身の煌めきは、無機質な鈍色へと変化する

 それは奴がこの船に狙いを定めたことを意味していた

 彼我の距離は約200メートル、今の速度では敵にたどり着くまであと20秒は必要だ

 それに対して、奴が発砲に要する時間はほぼゼロ

 つまり、狙いが決まる前に敵へ突撃できなかった時点で負けが確定するのだ


 
  (仙田たちは上手くやっているだろうか?)


 そんな空を眺めながら、頭の意識は仲間の救出へと向かった別働隊へ向かう

 こうなった分、せめて彼らだけでも生き残って欲しいと切に願う  

 仙田から借りたカメラを返すことは出来そうにないが、それも心の中で謝っておく
  
 視線を戻すと、真正面に砲口をこちらへ向けた満身創痍の敵の姿が見えた

 その姿に終わりが近いことを悟り、


  (……俺もそっちへ行く時間か)


 先へ逝ってしまった仲間たちへと思いを馳せながら、両の瞼を瞑る

 全ての視界が真っ黒に染まった次の瞬間、ドンという発砲音が鳴り響いく

 その瞬間、炸薬が爆発する音が鼓膜へと届き、全身にちぎれるような衝撃が走った


  (終わるときは一瞬か……)

 
 衝撃に吹き飛ばされながら、最期の時を想う

 誰しも死ぬのは最初で最後の一回きりのみ

 幾度も戦友の死を見つめてきた自分が、その感覚を初めて味わうというのはどこか可笑しく感じる

 刹那にそんな他愛もないことが頭をよぎる

 死の間際には走馬灯のように今までの記憶が巡るという話もあったが、自分はそうではなかったようだ

 もうこれ以上、自分にできることはない

 あとは思考が闇に堕ちるのを待つだけだ……


 しかし、一向にその時はやってこない


  (……どういうことだ?)


 まさか既に地獄に落ちたということはないはずだ

 その証拠に、頬には冷たい金属の感触が張り付いている

 瞼を開けると先ほどまで自分が立っていた場所が横倒しになって現れる

 とくかく現状の確認が第一であると判断すると、おもむろに立ち上がる

 そして、正面から望む海に目をやると、

 
  「何だ? これは……」


 先ほどまでそこにいた敵の姿はなく、何かが飛び散ったような破片が辺りに浮いているだけだった

 目に入る情報を処理しきれず立ちつくしていると、何かの通知音が艦橋へと響く

 これは外部通信を受信した時に鳴るはずの音だったが、現状で本艦に通信をつなぐ相手がいるのかと不審に思う

 しかし、訝しんだところで今の自分たちにはもはや戦う余力は残されていない

 通信を受け入れる判断をすると、気を失ってった小林が突っ伏している通信盤へ向かう

 そのまま通信盤を操作し、外部信号を受け入れ、艦内に無線を繋ぐ


  『間に合ったみてぇだな』


 通信が繋がったや否や、通信の相手は少女の声でこちらに呼びかける

 まったく想定外していなかった相手に言葉を失うが、彼女は構わず続ける


  『大丈夫、敵はさっきので沈んだ』

  『オレたちの勝ちだぜ』

  
  「君は……本条大尉のところの」

 
 今ので声の主を思い出す

 出撃前に本条大尉のところへ行ったときに、こんな口調で喋っていた艦娘が居た

 その質問に反応したのか、彼女は大きな声で答えてくる


  『ああ、そうさ』

  『あの大尉もやっと俺の出撃を認めてくれてな』

  『アンタたちが敵と交戦してるから、援護してやれだと』


 そうか、そういうことか

 何が起こったのかを理解して、乾いた笑いが出る

 自分たちが交戦状態に入ったという情報が五十嵐中佐経由で本条大尉へと行き、待機していた彼女を派遣したのだ

 敵が突然消えたのは怪奇現象でも何でもない、すんでのところで彼女が敵に止めを刺しただけだったのだ


  『お、おい……大丈夫かよ?』 


 突然笑い出した自分に、彼女は不安そうに声を掛けてくる


  「いや、悪い」

  「こちらなら大丈夫だ」


 そんな彼女へ軽く謝りながら、大丈夫だと伝えた

 すると、今度は別の信号が無線の入電を知らせてくる

 それは仙田たちも使っている救命艇の緊急無線信号であった

 彼女に断りを入れると、すぐさま回線を切り替え、


  「仙田か?」


 通信相手を確認する


  『ああ、そうだ』

  『こちら救命艇の仙田』


 やはり、睨んだとおり仙田一等からの連絡であった

 昂ぶる気持ちを抑えつつ、こちらの状況を伝える


  『なら、こっちも報告だ』


 すると、仙田の声が一瞬遠くなり、


  『あの……ありがとうございます』


 という聞き覚えのある声に切り替わった


 つい数日前まで普通に聞いていたその声に、胸が一杯になる

 遂に自分はやり遂げた

 忘れていた達成感が全身に満ち溢れ、充足感が脳を支配する

 
  『でも、どうしてこんな無茶までして、あなたは……』


 しかし、そんな自分を現実に引き戻すように、彼女は問いかける

 なぜ、こんな無茶を押してまで自分を助けに来たのか

 どうして、わざわざ危険に身を晒すような行為に至ったのか

 兵器として使われてきた彼女にとっては、それが理解できない行為なのかもしれない

 
  「俺たちが……いや」

  「俺は君を助けたかった」

  「ただ、それだけさ」


 言葉を詰まらせている彼女へ、自分の真っ直ぐな想いを伝える

 もちろん、自分たちの力で深海棲艦を倒したいという思いもあった

 だが、それ以上に『この手で彼女を助けたい』と心の底から願ったのだ

 きっと他の船員たちもそう思ったに違いないと、眠り続けている艦橋を見渡しながら勝手に納得していると、


  『えっ、と……』


 無線から彼女は恥ずかしげに戸惑う声が聞こえてくる

 その声に冷静に自分のかけたセリフを思い返し、急に小っ恥ずかしくなる

 これでは軟派な口説き文句に間違われても仕方ないではないか


   「い、いや……これはそういう意味では」

 
 堪らずに訂正すると、彼女も『分かっています』と抑え気味に返してくる

 だが、一度火のついた羞恥心はそうそう消えるものではない

 熱を帯びた頬を冷やそうと、顔を上げて窓の外へと意識を飛ばす

 空の藍色は薄れて薄紫色へと変化し、海は朝焼けのオレンジ色に染まってる

 割れ窓からそよぐ風は磯の香りを纏って鼻孔をくすぐる


  (朝か……)


 新たな一日が今、始まろうとしていた


  「……随分、汚れていたな」


 つい今しがたまで磨いていた石碑に向かって呟く

 ブラシで擦った表面には長年の風雪でこびり付いていた土や泥が汚れとなって浮かび上がっていた

 黒くなったブラシを桶に戻すと、別の桶から柄杓ですくった水を目の前の石碑にかける


  「綺麗になったぞ」


 元の淡灰色を取り戻した御影石に『下山田』という文字が姿を現していた

 辺りをそよぐ風が、自分が置いた線香の香りをまき散らす

 昼の日差しに照らされたそれは、輝くような白を取り戻していた
 
 そんな白に目がくらみ、伏見がちに目を逸らすと、


  「待たせて……悪かったな」

 
 下山田の墓に向かって謝った

 人によってはこんなことをしても無駄だと言うだろう

 彼の体は今でも海の底に沈んでいるし、戦没者の慰霊碑だって別にある

 自分にもそんなことは分かっている

 ただ、1人になれる場所でアイツと向き合いたかったのだ


  「でも、こっちも色々あってな」 


 献花、樒、線香、持参したそれらを供えながら先を続ける

 目が覚めたら数十年後の未来だったこと、海軍も随分変わってしまったこと、自分が士官になったこと

 今まであった事を思いつくままに羅列していった

 そういえば、あの時はお前が話し手で自分が聞き手だったか

 自分の事を思い返しているはずなのに下山田との思い出が一杯に溢れてくる


  (本当は、これが来なかった理由なのかもな)


 そんな自分をどこか冷静に眺め、ふとそう思う

 頭の中では分かっていても、下山田が死んだということを受け入れたくなった

 だからこそ、ここへ来るまでにこんなに時間がかかったのかも知れない

 
  「君嶋特務中尉」


 不意に後ろから話しかけられる

 物思いに耽っていたせいか、近づいてくる人の気配に全く気付く事が出来なかった

 内心で驚きつつも、そんな素振りを悟られないようゆっくりと首を回す


  「そろそろ時間です」


 振り向いた先には端正な顔立ちの少女が立っていた

 日差しの強いなか、上から下まできっちりと制服を着こんで顔色ひとつ変えていない

 そんな彼女は自分に付けられた所謂お目付け役というものであった

 軍艦一隻で深海棲艦と戦った一件から、軍令部の上層部から目を付けられてしまったらしい

 次の報復作戦で勝手な真似をしないようにと艦娘の監視を付けられてしまったのだ


  「もうそんな時間か?」

 
 下山田の墓を前に屈んでいた体を起こして尋ねる


  「はい」


 無表情な少女は短い答えを返してくる

 まるで一分の隙も与えないといった具合の返答だ

 これなら宗方兵曹長の方がまだ愛嬌がありそうだ

 だが、折角の旧友との再会だ

 もう少しだけ時間をくれと頼んでみる


  「着任式まであと3時間」

  「20分後の汽車を逃すと遅刻です」

 
 しかし、彼女の方が一枚上手だった

 こちらの頼みをばっさりと切り捨てる
 
 式典を引き合いに出されたら、こちらも引き下がらざる負えない

 流石に艦隊長官の着任式をすっぽかすわけには行かなかった


  「今日は悪いな」

  「続きは、また戻ってきてからだ」


 下山田の墓にそう挨拶をし、踵を返して少女の下へと向かう

 自分が近づいていくるのを確認した彼女も、回れ右をして元来た道の方へと歩いて行く

 そのまま追いついて少女の横に並ぶと、おもむろに彼女が口を開いた


  「君嶋特務中尉」

  「ひとつ、質問があります」


 普段は質問なんてめったにしない彼女には珍しい言葉だ

 そんな彼女に内心驚きつつも、先を続けるように促す


  「中尉は私も……」

  「私たちも、こんな風に思い出してくれますか?」


 彼女の瞳の先には、つい今しがたまで自分がいた下山田の墓石を見つめている

 相変わらず仏頂面が張り付いていたが、その瞳だけはかすかに潤んでいるように見えた 

 それは表情をつくるのが苦手な彼女なりの精一杯の感情表現なのだろう

 だからこそ、安易な答えに走るのは許されない

 軽く息を吐いて気を引き締めると、ゆっくりと首を横に振る

 
  「そう……ですか」


 揺れる瞳をもどして、彼女は自分へと向き直る

 感情表現が豊かでないとしても、明らかに落ち込んでいることは分かった

 だから、もう一度『違う』と否定する


  「俺は君たちを沈ませない」

  「過去の思い出なんかに君らを追いやるつもりはない」
  
  「だから、俺には君の希望に応えるてやることはできないのさ」


 気がつけば、空を仰いでいた

 ガラになく格好をつけたことを口走ったおかげで、彼女を直視することができなかった

 今の自分がどんな顔をしているのかも、彼女がどんな表情をしているかも分からない

 『大見得を切りすぎだ』と非難する自分もいれば、『よく言った』と褒める自分もいる

 前回の戦いが偶然の産物だというのは己が一番よくわかっている

 しかし、だからといって曲げられないものがあるのは自分も同じだ

 正直に言って、この先どうなるかなんて誰にもわからない

 もしからしたら自分の前にいる少女との約束も破ってしまうかも知れない


  「でも、今はこれで良いさ」


 誰にも聞こえないように小さくつぶやくと、視線を戻す

 そこには少し驚いたような顔の少女が立っていた

 
  「ほら、行くぞ」
 

 何かを言いたげな彼女が口を開く前に制する

 これ以上、今の台詞について詮索されるのは勘弁願いたかった

 戸惑う彼女に構わず、さっさと通りへ降りる石段を目指して歩き出す

 そんな石段の先に見える空には、抜けるような青が広がっていた


おしまい 

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