真っ暗な空から幾何学模様の結晶が落ちてきた。
大和「……いわゆるホワイト・クリスマス、なのでしょうか」
宴会の廃棄食材を倉庫へと運ぶ作業の真っ最中であったが歩みを止め、ふたりで空を見上げる。
提督「定義としてはそうなるね」
抱えた荷物を落とさぬよう手のひらを少しだけ上へかざし、落ちてきた結晶を受け止ようとした。
大和「駄目ですね、肌に触れると溶けてしまいます」
提督「何してるんだ。雪なんて今月に入ってもう何度も見ただろう」
大和「……そうですけど」
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北緯45度3分53.5秒 東経147度50分25.04秒
それが今の私達が居る島の座標だ。
もっと言うと緯度は北海道より上で北極点より下、でも海流の影響で冬もそんなに寒くは無い。
もっともっと知られている名前で言うと択捉島。
いや、普通に寒いんですがあくまで比較的にという意味です。
大和「これ、積もるでしょうか」
提督「積もらない。ここは地温も高いし明日は比較的暖かいそうだからな」
大和「……ほんっとうに気が利かないんですね」ジトー
提督「どうしてだ」
大和「早く運びますよ」スタスタ
提督「ちょっと待ってくれ、お前と違って私は歩幅が狭いんだ」
雪とは逆に白い呼気が二筋、空へと昇っていく。
軍用地ゆえの無骨なコンクリート舗装道路を私たちは進み続ける。
提督「意外と冷える。明日の暖機の時間を早める必要があるな。米軍との合流予定時間に間に合わないかもしれない」
大和「……」
提督「お前は何故不機嫌な顔をしている」
大和「……知りません」
提督「艦娘は本当に分からない」
大和「少しは自分で考えてみたらどうですか」
提督「私の考えは私の推測でしかない。人の心は直接本人に聞くのが手っ取り早い」
大和「本人が嘘を言う場合もあるんですよ」
提督「私は言葉に基づき相手の人格を組み立てる。嘘ならそいつが後々困るだけだ」
大和「前から思っていたのですが、提督の関係づくりは破綻していらっしゃいます」
提督「そうかな。普通だと思うよ」
大和「もしかして提督はお友達が少ないのではないですか」
提督「友達の定義はなに?」
大和「……もう良いです」
提督「そっか」
択捉島へ来て三ヶ月。
何故か私は彼の秘書艦として仕事を任され続けている。
彼は執務室では仕事の話しかしない。
この少年は本当に変わった子だ。
優秀の二文字が本当に相応しい。私も彼の優秀さには何度も驚かされている。
ただしそれは、机の上で書類と格闘する彼に限った話である。
手に入る情報を裏なく素直に読み取り解釈し、結論付ける。
いわゆるお勉強で必要とされる能力を彼は持っているのだろうけれど……。
提督「米軍との演習だ、非礼があっては駄目だ。やっぱり今日の宴会は早めに切り上げ確認を徹底しよう」
人間としては間違っていると私は思うんです。
大和「でも今日は忘年会も兼ねた、頑張った子たちへのご褒美なんです」
提督「艦娘にも休息が必要なことは知っている。その運用において適度な――」
大和「だ・か・ら」
提督「……」
大和「今日は『絶対に』全体を早めに切り上げるなんてしないで下さい。兵装や機関のチェックは私がしますから」
提督「なら問題ない。お前に任せば安心だ」
大和「はぁ」
日本の最北にある泊地。
『北方の防人』と言えば聞こえは良いが、択捉島などという最果ての地に着任したがる者など誰もいない。
これはきっと一種の左遷なのだ。
海軍側も飛び級を繰り返し大学校を最年少で、しかも主席で卒業した天才児に不適格者の烙印を押すわけにはいかなかったようで。
むしろ使えない人材に生き残るためのポストを与えていることに対して、彼らは自分自身の慈悲深さに陶酔してしまっているのかもしれない。
身内びいきは海軍の悪習だろう、エセ貴族の伝統はここまで続いているのか。
しかもそれは個人でなく組織を守るためのものなのだ。
呆れてため息も出てこない。
うんざりする。
そんな海軍の男たちと、そんな海軍の男たちの誇りだった自分自身の存在に対しても。
提督「クリスマスには家族や大切な人に贈り物をする文化がある」スタスタ
大和「……」スタスタ
提督「大和、何か欲しいものはあるか」
大和「それは形式ですか、本心ですか」
提督「形式で聞いた」
大和「なら結構です。何も欲しくありません」
提督「本心からなら何か欲しい物があるのか」
大和「答えたくありません」
提督「なら聞かない」
大和「提督」
提督「なんだ」
大和「何故私たちは一緒に食料を運んでいるのですか。こんなことは下士官にやらせれば良いじゃ無いですか」
提督「下士官のやることも進んでやる上官はウケが良い。だから私はそうしている」
彼のこうした行為を『形式』と私は呼んでいる。
提督たるものは◯◯すべきだから、こうあるべきだから、またこうすると得をするから。
行為の形ばかり真似し、打算丸見えで動く彼の行動を私は形式と呼んでいる。
提督「これで少しは私の評価も上がるだろう」ニコニコ
変なところで子供っぽいというか、実際に子供というか。
純粋なのだろうけど、汚い。
純粋に汚いと言って良い?
下士官の大人たちには見透かされ、むしろ嫌われてすらいることを彼は知らない。
だってそうだ、本人を前にして『嫌いだ』とのたまう大人など居ない。
だから彼は皆から好かれている。形式だけは。
……まぁ自業自得なんですけどね。
大和「貴方はもっと人間に興味を持ったほうが良いですよ」
提督「持っている。注意深く観察し言葉を解釈し、対応を考えている」
大和(なんだか、ろくなことになりそうにありません……)
大和「なんで普通に大学に行かなかったんですか」
提督「興味無いから」
大和「貴方はとても良い研究者になれたと思いますよ」
提督「そう言われても海軍以上に興味ある場所、無かったし」
大和「それはご家族の誰かが上級士官であった、などの理由からでしょうか?」
提督「上級士官じゃなかったけど、祖父は一応海軍だったよ」
大和「なるほど。それで……所属はどちらに」
提督「最後は戦艦大和に乗っていた」
大和「え」
提督「しかも主砲の担当だ、凄いだろう」フフン
大和「それは凄いですね」
主砲を動かすのは海兵の中でも花形です。
大艦巨砲主義がまかり通った時代を考えれば当然の帰結なのですが。
大和「では坊ノ岬で戦死されたのですか」
提督「戦死、いや、定義として戦死者なんだろうが……本人が認めるかどうか」
大和「……? それはどういう」
提督「漂流中にフカに足を食われたのが原因で失血死した」
大和「っ! そんな……!」
提督「何、驚いてるんだ。3000人もいれば不思議でもないだろう。ていうかお前だし」
大和「それはそうですが」
彼は平然と、淡々と事実を語った。
大和「最後については戦友会の方から聞いたのですか」
提督「ううん。祖父の書いた文字が残っていた。鉛筆なんかでなく、装甲の破片で甲板削って書いたモノが」
提督「初めて祖母から見せてもらった時に震えたよ」
提督「80ほどの文字が刻まれた木板、そこに、顔しか知らない祖父がそこにいたんだ」
提督「油が目に入る苦しみ、力尽き沈んでいく仲間の姿。祖父が見たものと祖父の感情がそこにあった」
提督「あれほど力強く悲しい文字、言葉を僕は知らない。だから気付いたんだよ、言葉こそ真実だって」
提督「僕たちは[ピーーー]ば何も残せない。でも文字は残せる、100年200年先、ううん、未来永劫に文字は生き続ける」
提督「だから僕は文字が、その根本である言葉に惹かれるし、信じてるんだ」
目を輝かせながら言葉について語る彼から、祖父の死への悲しみは微塵も感じられなかった。
伝わってくるのは彼がどれほど言葉に惹かれ、憑かれているか。
でも、なんて……。
大和「…………」ギュッ
提督「……なんで僕はお前に抱擁されてるんだ。荷物が落ちてしまった」
大和「……私がそうしたかったからです」
提督「なら仕方ない。でも、そろそろ離してくれないか」
大和「提督、聞いて下さい」
提督「うん、なにを聞けばいい」
大和「文字も言葉も人間の一面に過ぎません」
提督「人間は言葉によって身体を作る。思考を作る。一面に過ぎないわけがない」
大和「一面です」
提督「頑固な奴だな。一面に過ぎるなど、そんなわけ」
大和「貴方も私もここに居ます!! 私は文字や言葉なんかじゃない!!! そんなものに囚われず目の前にいる私を感じて下さい!!」
提督「温かい」
大和「他には!」
提督「……柔らかい」
大和「ほ、他には!!!」
提督「なんだろう、とてもいい匂いがする」
大和「は、恥ずかしいです!!!! もう離れて下さい!」バッ
提督「何故だ、お前から抱いてきたくせに」
大和「本当にデリカシーが無いんですね……私も私ですけど」ハァ
大和「提督」
提督「なんだ」
大和「文字にされた言葉は100年でも1000年でも生きられます。残ってる限り、続いていきます」
提督「うん」
大和「でも私たちは言葉でも文字でもないんです。人間なんです」
提督「大和という名前も、僕の名前も、言葉だ。僕たちは言葉を身体化して自らのアイデンティティを作る」
大和「それでも言葉は後、身体は先です」
提督「……」
大和「私は確か大和ですけど、私は大和より先にありました」
提督「何言ってるんだよ。お前の存在は大和と名付けられることによって初めて他者に、自分にも認識される」
大和「違います! そんな小難しい話や、言葉なんてなくても私はここに居られるんです!!! 言葉が無い時代から私たちは生きてるんです!!!」
提督「……理屈はそうだけど」
大和「提督がおっしゃっていることこそ理屈ですよ」
大和「もっと、貴方は、もっと自分を大切にして下さい。貴方はただの言葉の塊なんかじゃない。貴方のお爺さんも、文字や言葉なんかじゃない」
大和「それだけなんかじゃ、無いんですから!」
提督「……」
大和「……ごめんなさい。一人で勝手に盛り上がってしまって」
提督「いや、いいよ」
提督「早く仕事を済ませよう。冷えてきた」ヒョイ
大和「……はい」
大和「……」スタスタ
提督「……」スタスタ
提督「抱擁は、好意を持った相手にする行為だと理解している」スタスタ
大和「……」スタスタ
提督「お前は私のことが好きなのか」
大和「違います」
提督「そうか。例外もあるということか」
大和「……」ゲシッ
提督「い、痛っ!? お前、今私を蹴ったのか!?」
大和「知りません」プイッ
大和「ずっと聞きたかったことがあるのですが」
提督「なんだ」
大和「何故貴方は私を秘書艦にしたのですか」
大和「別に私はとりたて事務処理能力が優れているわけではありません、もっと適任者が――」
提督「祖父が大和に乗っていたという件もあるけど、私がお前と一緒に居たいと思ったから」
大和「……へ?」
提督「顔も可愛いし、胸も大きいし、優しそうだったし」
大和「ななななななんで今そんなこと言うんですか!?」
提督「お前が聞いてきたんだろう。まだあるぞ、他にも――――」
大和「恥ずかしくないんですか!?」
提督「いや、だってお前が聞いてきたんだろう」
大和「~~~~っっ!!!」ゲシッゲシッ
提督「痛い!! 痛いってば!!!」
大和「今までずーっとそんなこと考えてたんですか!?」
提督「うん。だってお前聞いてこなかったし」
大和「一旦落ち着きましょう」フー
大和「……」
大和「提督は優しそうな女性が好きなんですか」
提督「うん。怖い人は嫌いだ」
大和「へぇー……。 他に私のどんなところが、す、好きだったんですか」
提督「言うと痛いから言わない」
大和「も、もう蹴りませんから。ね?」
提督「とてもスタイルがいいし、髪が綺麗だ」
大和「か、髪は女のなんとやらですから?」テレテレ
提督「でも何より、一番は」
大和「一番は……?」ゴクリ
提督「…………やっぱり言わない。お前に言うと怒られるから」
大和「えぇ~!? 酷いです!!」
提督「大和、逆に聞くけどお前は僕のこと好きか?」
大和「雪、止みませんね、提督」
提督「質問には答えろー! 私は上官だぞ!!」
提督「なぁ大和」スタスタ
大和「はい、なんでしょう」スタスタ
提督「今日お前が言ったこと、よく分からなかった」
大和「……別に良いですけど」
提督「僕には言葉以外に見るべきものなんて分からない。だって、そうだとしたら」
大和「なんですか」
提督「人間には見るべきものが多すぎて、困ってしまう」
大和「……あのですねぇ、提督」
提督「なんだ」
大和「みんな最初は困って、困って困って困って、その先でようやく慣れていくんですよ」
提督「嘘だ。そんなの大変過ぎる」
大和「嘘じゃないんですよー? これ」
提督「だとすると現実って凄く怖くて悲しいものになってしまう」
大和「悲しい?」
提督「言葉じゃないとしたら。みんな、居なくなってしまう。僕の祖父も、昔の頑張った人達も」
大和「……」
提督「それって悲しいことだろ」
大和「はい、悲しいんです」
提督「文字になればずっと生きられるのに」
大和「それは子供のわがままですよ」
提督「なんだよー! それ!」
大和「……いつか、この子も祖父の死を本当の意味で悲しむ日が来るのでしょうか」ボソッ
提督「ん? 今なんて言った? 聞こえなかった」
大和「それは良かったです」ニッコリ
提督「……お前、さっきから私に対して態度が大きくなってないか」
大和「ようやく提督がただのお子様だと気付けたので」ニッコリ
提督「上官命令で突撃させるぞ!?」
大和「はいはい」
大和「提督」
提督「なんだよ」
大和「貴方が大きくなって、その時が来たら……大和が一緒に泣いてあげますね」
提督「脈絡が無いぞ」
大和「私の中にはあるのでご心配なく」ニッコリ
提督「なんだろう、無性に腹が立つ。言葉に出来ない」
大和「世の中はそんなものばかりですよ」
人は愚かしい。
海軍の男たちも、他の人間たちも。
誇りを守るために戦いを始め、最後は命を守るために戦いから逃げる。
あの戦いで沈んだ私という戦闘装置はもの言わぬ機械だった。
多くの命とその誇りを乗せ、死の戦場へと導く方舟。
それが私という存在だった。
単なる事実としてある艦の記憶の中で見た多くの人の感情にまみれた生と死。
提督「ふぅ、やっと着いたな」ドサッ
大和「……」ドサッ
私は一つ言ってないことがある。
人間はうんざりするだけじゃない。
愚かなはずの彼らを、愛おしいと思ってしまう私も確かに居るのだ。
可哀想な彼らを上から目線で肯定してあげたいと心のどこかで願ってしまっているのだろうか。
言葉に執着するこの子を笑えないほどに私自身も歪なのかもしれない。
大和「提督、クリスマスの由来をご存じですか」
僕の大好きな彼女は僕にそう問いかけた。
提督「勿論だ。当時ローマで少数派だったキリスト教が他宗教との軋轢を避けるために――」
大和「もっと単純なので良いですよ」クスクス
提督「なら原義というか、一応キリストの生誕祭という位置づけだろう」
大和「正解。だから今日はとても良い日なんです、生まれ変わる、何度でも。私たちは一年に一回生まれ変われる」
提督「それはキリストの話じゃないのか」
大和「提督」
彼女の目は据わっていた。その瞳は僕を見つめている。
まるで自分の奥底まで見透かされているような、見透かした先にもっと大きなものを見晴るかすかのような、そんな目だった。
なんでだろう。
言葉にもされていないのに、僕は今ゾクゾクしてる。
目の前の女性は僕を迎え入れるように両手を拡げ、ただこう言った
「おいで」
呼びかけに対し彼は即座に反応した。私の胸に顔を埋め、私の抱擁を受け入れた。
彼は祖父の、船乗りだった一人の男の生の残光を見てそれが余りにも眩しすぎたから文字こそが、その根本の言葉こそが生の本質であると勘違いしてしまっている。
私はかつて今と同じように彼の祖父を抱き締め、戦いへと赴いた。
そして戦いの中で敗れ、私の手は彼の祖父から離れ、死なせてしまった。
一代飛ばしとはいえ宿命と責任を感じずにはいられない。私の中の何かが、どうしても繋がりを感じてしまう。
提督「……」
大和「いい子ですね」ナデナデ
提督「……」ギュッ
私がこの子と共に歩もうとする道の先もまた、より良いものでは無いのかもしれない。
不確かで歪かも知れない私だし。
大体より良いかどうか、そんなことは誰も保証してくれやしないんだから。
でも
大和「今度はもう離したりしませんからね」
終わり
依頼出す
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