菜々「怠け者のお姫様」 (68)
「杏ちゃん! まって! まってよ!」
「ん? ごめんね、きらり」
道を歩く小さな子供達を眺めていて、これは夢なんだと気づいた。
「杏ちゃんは速すぎだよ!」
「あー、気づかなかったよ。次から気をつける」
私がまだ北海道にいた頃。
まだうさぎのぬいぐるみが綺麗だった頃。
「お願いだよ? 杏ちゃんはほんとうに……あっ」
「どうしたのきらり? ……あれって、アイドル?」
うさぎを抱いた女の子と、鞄や服にかわいい飾りを少しだけつけた女の子がビルのモニターを見上げた。
「ふーん、まぁいいんじゃない? でも疲れそう」
「またそんな事言って。ダメだよ?」
「はいはい、わかったよ。きらりはアイドルが好きなの?」
偉そうな物言いに笑ってしまう。
あの頃の私は自分が天才だと本気で思っていて、事実運動でも勉強でも負けたことはなかったけど、所詮は十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人。
早々に並ばれ、追い抜かれ、いつしか追いかけることも嫌になるくらいの差ができていた。
残った才能は頭の回転だけ。結局、やればできるのにやらない子って言われるようになったっけ。
「だって、とってもかわいいんだよ!」
「……へぇ。確かに、きらりがそこまで言うからにはいいものかもね」
「ふふふ、今度いっぱい見せてあげる」
「え、それは……はぁ、わかったから。今度ね」
「えへへ、ありがと!」
これは本当に小さかった頃の、昔の話。
私の隣で笑ってたこの子は、今はどうしているんだろうか。
……………
………
…
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「杏ちゃん? あんずちゃーん? 起きてください。そろそろ時間ですよー?」
体を揺さぶられる。
薄っすらと目を開けると、蛍光灯の光が目に入った。
ソファの上で横を向いてから目を開ける。
「あ、起きましたね? さっき社長さんがいらっしゃるって連絡がありましたよ」
「ん……ありがとう、菜々さん」
ここは……芸能プロダクションの一室だ。
道を歩いていたら根負けするまでしつこくスカウトされて、今日が事務所での初めての顔合わせ。
菜々さんはオーディションで選ばれたらしい。
時間丁度にここに来たら鍵を持った菜々さんがいて、社長は遅れるってことを聞いた。
「まったく、杏を待たせるなんて」
「忙しかったんですよ。ほら、今はこんな状態ですし……」
菜々さんと事務所の中を見回す。
必要最低限のものしかなく、寂れた室内にいるのは私と菜々さんだけ。
倒産寸前なんじゃないかと思うような風景が広がっていた。
「こんな風になってるとは思わなかったよ。納得はしたけど」
「それでも、まだいい方なんでしょうね。昔は――」
ドアの開く音がした。
菜々さんの言葉が途切れる。
「待たせてごめんなさい」
入ってきたのは一人の女性。
この人がこの会社の社長だ。
「いえいえ、気にしないでください」
「杏は寝れたから、まぁいいよ」
「あ、杏ちゃん?」
菜々さんもそんなにあわてなくていいのに。
私は働かないって言ってあるから。
私はアイドルに憧れなんてないんだから。
それでも、私を採用したのはこの人なんだから。
「それでは、お話を始めましょうか」
あの後、社長は何事もなかったかのように私達の対面に座った。
前のときもそうだったけど、この程度のことは気にしないらしい。
表情もほとんどと言っていいほど動かない。
「私はこのプロダクション、Circusの社長兼プロデューサーの松村です。よろしくお願いします」
座ったまま、軽く一礼。
「まずは、我が社に入ってくれてありがとうございます。このプロダクションは…………昔のことは、知ってますよね?」
菜々さんと揃って頷く。
Circusは元々電波曲を中心に何でもありの姿勢で売っていた。
アニメやゲームとのタイアップも多かったっけ。
それが動画サイトとかで沢山使われて、かなり有名だった。
「数年前までは順調でした。ですが、勢いは徐々に衰えていきました。最大の原因は世代交代に失敗したこと、ですね」
引退した跡を継げる人が居なかったらしい。
確かに、今では他のプロダクションに移籍した一部の有名な人以外は姿を見ない。
「祖父――先代は先細りが見えているならば、致命的になる前に畳むと決めました。移籍先や転職先を探して全員を送り出した後で、Circusは一度終わりました」
この辺りは当時から推測されていたことだ。
珍しく穏便に無くなったプロダクションとしても話題になった。
「その上で、私はCircusを復活させたいと思っています。そのために、アイドルとして二人を選びました」
社長の目に僅かに熱がこもる。
「だからどうか、二人の力を私に貸してください。お願いします」
社長が深々と頭を下げる。
数秒、時が止まった。
「あ、頭を上げてください! 私なんかでいいなら、いくらでも協力しますから!」
静寂を破ったのは、菜々さんの声だった。
「というかですね、歌って踊れる声優アイドル、永遠の十七歳、ウサミン星人のナナをそのままでいいって言ってくれたのはここしかありませんでしたから……ここが、最後のチャンスですから。だから……ナナに、ここで働かせてくださいっ!」
菜々さんも社長と同じくらい頭を下げた。
「菜々ちゃん……ありがとうございます」
「はいっ! ……へ? 菜々、ちゃん? 今まで安部さんだったのに……?」
菜々さんがきょとんとした顔をする。
「だって、菜々ちゃんは年下ですよね?」
「え、あ、ハ、ハイ。だってナナは十七歳ですから!」
「いや、実年――」
「あー! あー! これで契約成立ですね! いやあ! よかったよかった!」
菜々さんが大声で社長の言葉を遮った。
そっちだって、社長を社長とも思わないことしてるじゃん。
菜々さんの方はこれで契約成立らしい。
二人の視線が私に向いた。
「杏はね、面倒くさいのは嫌。ただ自由でいたいの、わかる?」
そう、杏は頑張らないって決めたんだから。
「それをさ、有名プロダクションの復活なんて疲れる仕事をさせる気?」
「ちょっと杏ちゃん!」
菜々さんが声を荒げる。
社長は何も言わない。
「だからさ、遊びみたいに楽して稼げる! そんな仕事を回してよ」
「ってそんなのあるわけないじゃないですか!?」
「わかりました。そうしましょう」
「ええっ!? 通っちゃうんですか!?」
菜々さんはツッコミが映えるなぁ。苦労人というか。
実際、この話はもう社長としていた。
だからこれはただの儀式。
「杏の条件を飲んでどーしてもって頼むなら、やってあげなくもないよ」
「どうしても、お願いします」
スカウトされたときみたいに、あれだけ熱心に必死に誘われたら、メリットさえあればちょっとは何かしてあげる気にもなる。
アイドルとして才能があるって言われたから、それも試してみようかって思うくらいには。
楽してお金を稼げるならそれで十分だ。
「仕方ないなぁ。それじゃあ、アイドルやってあげるよ」
「……ええと、これって杏ちゃんも加入ってことでいいんですよね?」
「はい、そうですよ。二人とも、よろしくお願いします」
「はぁ……よかったぁ……あんなこと言って、もうどうなるかと」
菜々さんが脱力したようにソファにもたれかかる。
失礼な、杏は優しい人なんだ。
「それでは、早速契約と……この後、少しレッスンをして行きましょうか。大丈夫ですか?」
「はい! ナナはいつでもバリバリやれますよー!」
「……えっ?」
レッスン……?
今日は顔合わせだけだって思ってたんだけど。
「近くのスタジオを押さえておきました。歩いて移動できますよ」
「そういう問題じゃなくて……初めからこのつもりだったな!?」
「だって、この交渉に負けるわけがないでしょう? 杏ちゃんが嫌ならちゃんと運んであげますから、安心してください」
とても綺麗に微笑みながら言いやがる。
「それから、今後私はプロデューサーとして関ることになりますから、そのつもりでお願いします」
「わかりました、プロデューサーさん」
「プロデューサー、いつか借りは返してやる……」
たった一回会って話をしただけで逃げ道を塞いでくるなんて。
なんだかもう契約書を書く気力すら無くなって……
「契約の説明に入りますよ? 杏ちゃんはどうせ聞いてますから、いいですよね」
そんなことを言って、説明を始めてしまう。
卵が先か鶏が先か、だけど。
こんな扱いするなら、私の態度だってこのままでいいよね?
……………
………
…
「今日皆さんのレッスンを担当する青木慶です。よろしくお願いします!」
あれから時間が過ぎて、非常に不本意なことにレッスンスタジオ。
目の前には、まだ若いトレーナーが立っていた。
「プロデューサーさんから今日は癖がつかないように基礎を教える、というを依頼されました。菜々さんは自主レッスンをしていて、杏ちゃんは経験無し……なんですよね?」
トレーナーさんの言葉に小さく頷く。
プロデューサーは私と菜々さんの分のジャージと靴を用意していた。
この格好だと、ものすごくだらけたくなる。
私の隣で、小声でさん付けに文句を言っている菜々さんはスルーしよう。
「実際にどんなレッスンをするかはイメージし辛いでしょうし、わたしがダンスだけ一回通して見せますから、その後でボーカルとダンスに分けてレッスンしましょう」
トレーナーさんが音楽をセットして、戻って来た。
「それじゃあ、少し見ててください」
始まった曲は『GO MY WAY!!』。
本家もカバーも併せて、最もアイドルに歌われている曲だろう。
癖が無くてレッスンには丁度いいのだと思う。
トレーナーさんは教科書のように正確にステップを刻んでいく。
「へぇ……」
今見本も見れたし、今まで見てきた動画と合わせれば……たぶん、再現できる。
「はい、ここまでです。それじゃあ、最初のところから区切って――」
「ねぇ、一回最初から通してやらせてよ」
「はい?」
トレーナーさんが気の抜けた声を出す。
「だから、一回通してみたいの。たぶんできるから。その代わり、できたら今日は終わりにしてよ」
そうしたら、動く量も時間も少なくて済むじゃないか。
それに少々無茶だけど、杏がこの先アイドルとしてやっていけるかのテストにはちょうどいい。
「またすぐ怠けるんですから……あの、ナナも一緒にやっていいですか? 帰りませんから」
「菜々さんまで……わかりました。試しにやってみましょう」
二人でお願いしたら了承してくれた。
一回だけ、試しにって言葉は便利だ。トレーナーさんは押しに弱そうだし。
菜々さんと距離を開けて横に並んだ。
「気楽にやってみてください。できるところまでで構いませんから」
トレーナーさんの言葉の後に、さっきと同じ『GO MY WAY!!』が始まった。
「「GO MY WAY!! GO 前へ!! 頑張ってゆきましょう――」」
出だしから菜々さんと声が重なる。
菜々さんもフルで通すつもりのようだ。
二人で歌って踊るとなると引っ張られることもあるけれど、今回は基礎レッスンだ。
菜々さんの声と動きを意識しないように、トレーナーさんの動きの再現に集中する。
踊りながら歌うなんてことはやったことはないけど、体は動く。
ぶっつけ本番だけど、ペース配分をしっかりすれば最後まで持つ……はずだ。
「「GO MY WAY!! GO MY 上へ!! 笑顔も涙でも――」」
開始から四分、これが最後のサビだ。
最初に比べて息が切れて体が動かなくなってきた。
菜々さんに崩れる気配はない。
もうここまで来たら、体を動かすのは意地だ。
楽をするための先行投資と思えば耐えられる。
無様な姿をさらすことに比べたら、この程度どうということはない。
杏がやるって言ったことはやり遂げられなければいけないんだから。
「「全ての輝き この指にとーまーれー」」
曲が終わって、最後のポーズのまま一秒。床に崩れ落ちる。
「あーつーかーれーたー」
床に仰向けで体を投げ出して、顔を覆って荒い息を吐く。
全身に軽い疲労が溜まっているのを感じる。
最後まで杏は完璧にできた、はずだ。
運動なんて久しぶりにしたけど、なんとかなったか。
このくらいなら、少し休めば回復する。
「杏ちゃん、大丈夫ですか?」
「このくらい、少し寝てればすぐ直るよ」
菜々さんは少し息が乱れているくらいで、しっかりと立っている。
「はぁ、いつもと違う意識で歌うと難しいですね」
「菜々さんはステージに立ったことがあるんですか?」
「あ、はい。メイドカフェのライブで結構やってました。『GO MY WAY!!』もそのとき歌ってましたから」
「それであんなに……所々、ライブ向けのアレンジを無理やり直したような感じがしましたから。そういうことなら、基礎を軽く押さえた上で実践向けのレッスンをした方が長所を伸ばせ
そうですね」
メイドカフェって、ステージに立つ方もやってたんだ。
もうベテランだろうに……そんなのと張り合おうとしてたなんて、馬鹿じゃないか。
菜々さんをなるべく意識から外していたから、気づくのが遅れた。
「杏ちゃんは、研修生としてはほとんど完璧です。やりたいことのイメージは伝わってきました」
「じゃあ、もう帰っていいよね?」
「ただし、体と声の制御がまだまだ甘いです。一番の原因は体力不足ですね。それから、理論もちゃんと学んでおかないと」
「えー」
ド新人に対してそんなに甘いわけがないですよねー。
でも、本当にもう体力が限界だ。すぐには動けそうにない。
「菜々さんはまだ余裕そうですけど、杏ちゃんには休憩が必要ですよね。回復するまで理論を中心に教えることにしましょうか」
「一度しっかり基礎をやりたかったですし、ナナはそれでいいですよ」
「もう動かなくていいなら、杏も賛成」
せっかく休めるって言ってくれてるんだから、乗っておこうか。
「大丈夫です。この後はそこまで動きませんから」
「そこまで?」
「……そこそこ」
「一切」
「駄目です。少しは確認のために動いてもらいますよ」
ちっ、このあたりでやめておこう。
労働条件の改善は慎重に進めるものなんだ。
「杏ちゃんもそれでいいみたいですし、続きをお願いします」
「それじゃあ、ストレッチをしながらお話をしましょうか。まずは――」
……………
………
…
計四時間に及ぶレッスンが終わった。
靴を履きながら、窓の外を見る。
外はもう薄暗くなっていた。
少しレッスンをするって言ってた気がするけど、少しってなんだっけ……
「杏ちゃん、お疲れ様です」
「あ、うん、菜々さんもお疲れ」
菜々さんに疲れた様子はまったくない。
いきなり四時間も拘束されたら、普通は文句の一つくらいありそうなものだけど。
よっぽどアイドルが好きなんだろう。
「もしよかったらなんですけど、この後一緒にご飯を食べませんか?」
先に出ていた菜々さんがそう声をかけてきた。
「明日は日曜日だし、杏はいいけど。どこに行く?」
「そうですね……ファミレスとかどうでしょうか? ちょっと歩かないといけないみたいですけど。ナナの家はこっちの方ですから……」
「ちなみに、杏はあっちね」
反対の方を指差すと、菜々さんが固まった。
これは、グダグダになりそう。
「え、えっと、そうは言ってもあまり高いお店はちょっと……あっ」
「まさか、だけどさ」
財布を取り出して中を確認した菜々さんがまたフリーズした。
もうここまで来るとフラグでしかない。
「昨日振込みしたの忘れてました……残りのお金は家に……」
「杏も今は一人分しか持ってないよ。下ろせるけど」
「いえ、杏ちゃんに出してもらうわけには! でも……」
会ったばかりの年下に奢らせるのはできないよね。
そうなると、選択肢は限られてくるわけだけど。
「うぅ、仕方ないですね。ナナから誘っておいて悪いんですけど、今回は無しってことで――」
「あー、菜々さん。それなんだけどさ……菜々さんはなにか話があったんだよね?」
「そうですけど……?」
「あるよ。なんとかする方法」
「本当ですか? でも、どうやって……」
明日は日曜日だし、どうせ私は一人暮らしだ。
一日くらい家を空けたってなにも問題はない。
だから――
「人類初のウサミン星着陸と行こうじゃないか」
「……へ?」
だって、電車で一時間なんでしょう?
「本当に、本っ当になにもありませんからね!?」
「わかったわかった。ほら、両手塞がってたら鍵開けれないでしょ。片方持つよ」
「あ、ありがとうございます」
電車で西に約一時間。
着いたのは古いアパートの二階だ。
ここに来るまでに、近くのスーパーで買い物をしている。
今日の夕飯は鍋の予定だ。
「それじゃあ、どうぞ……」
「おじゃましまーす」
玄関に入ると、目の前には板張りの床とキッチンに、その奥には和室がある。
目に見えるところに荷物は無く、よく片付いている綺麗な部屋だ。
「袋は流しの下にでも置いておいてください」
食材の入った袋を言われたとおり、キッチンに置く。
和室に荷物を置いて、卓袱台の前に座った。
「今日はここ最近で一番疲れたよ。もう、駄目……」
そのまま卓袱台に突っ伏す。
天板が冷たくて気持いい。
「我が家のような寛ぎっぷりですね……お野菜を切ってしまうので、少しだけ待っててくださいね」
横向きになった視界に、菜々さんがキッチンで動いているのが映る。
一応、手伝った方がいいだろう。
「火の番くらいならするよ? カセットコンロ?」
「はい、そうです。それじゃあお願いできますか? 確かこっちに……」
流しの下の扉を開けて鍋とコンロを取り出す。
コンロの方は私が回収することにした。
「そのまま机まで持っていってください」
「了解」
水を入れた鍋を持った菜々さんの前を歩いて、卓袱台まで戻る。
「よっこいしょっと」
私がコンロを卓袱台の真ん中に置いて、その上に菜々さんが鍋を置いた。
「ふぅ、あとはここに……」
菜々さんは鍋を置くと、またキッチンに戻った。
少しして、昆布を片手に出てくる。
「はい、こっちは任せましたよ」
そう言って、昆布を渡された。
「出汁は取っとくよ。二十分くらい?」
「そんなところですね。それじゃあ、ナナは具の準備に戻りますね」
コンロのツマミを回して火をつける。
そのまま強火で沸騰するまで待つことにした。
また天板に頬をつけて部屋をぼーっと眺める。
会話はなく、ガスの炎と包丁の音だけが聞こえていた。
途中で沸騰したら昆布を入れて、菜々さんが切った野菜を入れて、そろそろ煮えてきた頃だ。
「もうお肉も入れちゃいますか?」
「うん、いいと思うよ。柔らかいうちに食べきれる程度にね」
菜々さんが空いているところに肉を入れていく。
これですぐに食べられるようになるだろう。
「それでは、いただきます」
「いただきます」
まずは肉をすくって半分くらいポン酢につけて食べた。
最近は鍋も面倒でつくってなかったから久々だ。
「くぅ~美味しいです!」
「こんなときにはお酒がほしくなりますね! ……とか?」
「そうそう、特に冬なら燗だと体も温まって……って違いますからね!? ナナはJKですから!」
「はいはい、ななさんじゅうななさい」
「そんなに行ってないですから! いや、そもそも十七歳!」
ノリがいいんだか自爆癖があるんだか。
このウサミン式多段階墓穴掘削法がある限り、アイドルの菜々さんがどんなキャラになるか簡単に想像できてしまう。
あぁ、鍋がうまい。
「無視して出汁を飲まないでくださいよ! 杏ちゃんを信じていいのかちょっと疑わしくなりましたよ……ねぇ、杏ちゃん」
「菜々さん」
「はい?」
「鍋、おいしいね」
「あ……そう、ですね」
食事は引きこもりの数少ない楽しみなんだからさ、ちゃんと味わおうよ。
「独り暮らしなんかしてると野菜や肉を買っても使い切れないからね。最後に料理をしたのっていつだっけ」
「ナナだって独り暮らしですよ? あ、そうです! 食材の保存や消費期限までに使いきれるようなレシピを書いたノートをあげましょうか?」
「えー、どうせ使わないからいいよ」
「まぁまぁそう言わずに。ちゃんと食べないと大きくなれませんよ?」
「菜々さんだって杏よりちょっと高いだけじゃ……そこか。そこに成長を吸い取られたのか」
「む、胸を見ないでくださいってば!」
「育つのが身長なら考えたんだけどなー」
「それでもナナの方が十センチくらい高いじゃないですか。ほら、押入れにありますから後で――」
「だーかーらー、使わないって――」
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
冷凍していたごはんを使って雑炊までしたから、かなり満腹になった。
うん、満足した。
「さてと……それじゃあ、話を聞こうじゃないか」
鍋を挟んだまま、そう切り出した。
食事も終わったことだし、本題に入ろうか。
卓袱台の向こう側で菜々さんが姿勢を正す。
「聞きたいことと言っても、ひとつだけなんですよ。ただの杏ちゃんは今日一日付き合って信じられるって思いましたけど……アイドルとしての杏ちゃんは、信頼できますか?」
……あぁ、なるほど。
「杏ちゃんはわかってると思いますけど、ナナは年齢的にこれが最後のチャンスなんです。いつまでも夢ばかり見ていられません。ここで駄目だったら普通に生きていくって決めて、人生を懸けてやるって決めました」
ここにも本気になってる人がいたか。
「杏ちゃんは特にアイドルに拘りもありませんよね? でも、才能はありますから……まだ私達のプロダクションは小さいですし、そこまで余裕はないと思います。杏ちゃんはアイドルとして、最後までやり抜く覚悟はありますか?」
確かに、普段の杏を見てたら判断に困るよね。
「大丈夫、安心してよ。菜々さんの足を引っ張ることはしないからさ」
これだけじゃ、ちょっと弱いかな。
……菜々さんなら、いいかな。
「詳しくは言わないけどさ、杏はたぶん、折れちゃった菜々さんみたいなものだから」
「……え?」
「だって、サボってれば負けるのが当たり前で、サボってるのに勝ったらそれって凄いことでしょう?」
「杏ちゃん……」
「でも、私は今に結構満足してるんだ。だから、本気で頑張ってる人には……私の余力分でいいなら全力で応援するよ」
過去の私を邪魔することはできないからね。
この事務所じゃサボれなくなりそうだけど。
「だから、私がアイドルをする理由って、お金と、プロデューサーと菜々さんのためかな」
「私も、ですか?」
たった今から、ね。
杏なりに、できる限りだけど。
「あ~、でも杏は怠け者で捻くれてるからね。だからさ……菜々さんも杏と契約しない? 給料分は働いてあげるかもしれないよ?」
「契約って……な、なにを要求されるんですか? お金はそんなに持ってないですよ……」
そうだなぁ……よさそうなものっていったら……
「じゃあ、あれ――飴ちょうだい」
そう言って、菜々さんの後ろ、棚の上を指差す。
「へ? 飴?」
気の抜けた声を出しながら、菜々さんが後ろを振り返った。
「あ、ドロップスですか……わかりました。お仕事を頑張る度にひとつ、ですね」
「うん、そういうこと。それじゃあ、今日の報酬を貰おうか」
「ふふ、はいはい。ちょっと待っててくださいね……はい、どうぞ」
口を開けて待っていたら、苦笑してから立ち上がって缶を取って、食べさせてくれた。
「懐かしいね。これは普段買わないから」
「今も普通にスーパーに普通に売ってますから! とにかく、これからよろしくお願いしますね。杏ちゃん」
「まぁ、ほどほどにね。菜々さん」
「それはそうとさ、風呂と布団大丈夫だよね?」
「お布団はお客さん用がありますけど、パジャマはどうしましょうか」
「菜々さんのでいいよ。色々と大きいから杏なら入るでしょ」
「だから色々って……杏ちゃんが小さいだけですー」
「とりあえず、ここに入ってるんだよね?」
「ぎゃー箪笥を漁らないでください! 歴史が、表に出してはいけない歴史がっ」
このくらいが、杏達にはちょうどいいんじゃないかな。
……………
………
…
「よしよし、また取れた」
「杏ちゃんすっごーい」
子供が二人、ゲーセンでクレーンゲームをしている。
「あと四個はいけるね」
確か五百円で十回できる台だったはず。
その分、景品はバッジとかの小物だけだったけど。
ただ取るのを楽しむだけだから、安いってだけの理由でこれを選んでいた。
「いいなー……」
「取った分は後できらりにあげるよ」
「え、う、それはちょっと悪いよ……」
「わたしがそうしたいからってだけなんだけど」
「そう言われても……」
言われた方は頭を抱えて悩んでいる。
本当に無神経なんだから……
「そうだ! ちょっと待っててね!」
そう言うと、筐体の向こう側にぱたぱたと走っていった。
「ん? あんまり遠くに行かないでね。あ、また取れた」
「きらり、もういいの?」
「うん! もう終わったから」
両手を後ろに回して、にっこり笑いながら駆けてくる。
「はい、あれからけっこう取れたよ」
クレーンで取ったバッジやアクセサリを差し出す。
「ふふふ~、ほら! 杏ちゃん、これあげる!」
「でかっ……よく取れたね」
後ろに隠していたのは大きなうさぎのぬいぐるみだった。
「なんか引っかかってね、一回で落ちてきたの」
「それはよかった……本当に交換でいいの?」
「うん! 杏ちゃんが取ってくれたのがほしいの」
「わかったよ。ありがとう、きらり。大切にする」
「わたしもちゃーんと付けるからね」
この頃はまだ勉強も運動もこの子よりはできていた。
うさぎを貰ったってことは、この後そう遠くないうちに別れる時期が来たっけ。
最後の頃は身長で抜かれて、運動は随分追いつかれていた。
他人に負けたのは別れてからだっただったかな?
一番を取るのが当たり前って思われてたら、一桁でも低いって言われるんだ。
上がったハードルはなかなか下げてくれない。
「あ、あんずちゃん。飴あげる」
「あむ……いきなりどうしたの?」
「いっぱい取ってくれたお礼と……宿題教えてくれる先払い!」
「ちょっと待って。宿題の方は聞いてないぞ」
「一問だけ、最後のがわからなくって」
「……あー、あれか。わかった、じゃあ家に帰ってそれやろうか」
「ありがと!」
ああ、なんだ。
今も昔も、杏がやってることって同じじゃん。
……………
………
…
「や……も……し……らりだよー☆ おにゃーしゃー☆」
乱暴に開いたドアの音と、乱入者の声で目が覚めた。
「あれ? 誰もいないのかな?」
今はプロデューサーは外出しているし、菜々さんはまだ来ていない。
私は入り口から死角になっているソファで寝ていたから気づかれていなかった。
……私しかいないなら、対応しないと駄目か。
「お待たせしました。ただ今社長の松村は外出しております。私でよろしければご用件を伺いますが」
入り口にいたのは、やたらと背の高い女性だった。
若い……とは思うけど、年齢の判断が付かない。
服や鞄にこんなに小物をつけてるんだから、高校生って可能性もあるか。
「えっとね、今日からここでアイドルをする予定なの☆」
……なんだ、うちの社員か。
大方、プロデューサーが私に伝え忘れてたんだろう。
「プロデューサー待ちでしょ? そこら辺に適当に座って待ってて。たぶんすぐに帰ってくるから」
「にょわ!? いきなり適当になったにぃ?」
あぁ、これはまたうちらしいというか。
また濃い子を連れてきたものだ。
「ねぇねぇ、待ってる間お話しよ?」
「えー、面倒くさい。さっき寝てたところを起こされたし、続きをするんだ」
うさぎのぬいぐるみを枕にしてソファに倒れ込む。
「そう言わないで、ね? お名前教えて? 今何年生なの?」
そんな事を言いながら、ソファの方まで回り込んできた。
こいつ、まさか私のことを小学生と勘違いしてないか?
「杏は十七歳の高校二年生だ! 多少身長が低いからって子供じゃないんだ!」
この手の勘違いは多いけどさ。
それと受け入れられるかは別問題だ。
楽ができるなら乗ってやらないこともないけど。
これでこいつもわかったはず――
「え? そのぬいぐるみ……もしかして、あんず、ちゃん?」
「…………まさか、きらりなの?」
「あ、えっ……? そんな、なんで……あんずちゃんが、こんなところで……」
きらりが下を向いてぶつぶつ呟いている。
私だって、再会がこんな風になるなんて思ってもいなかったから混乱しているんだけど。
そんなことをしている場合でもなさそうだ。
「ねぇ、きらり。それが、きらりなんだね?」
「う、うん。そうだよ……でも!」
「あー、とりあえずさ、久しぶり、きらり。また会えて嬉しいよ。それとさ……」
……ああもう、後で恥ずかしい思いをした分請求してやる。
「私の薄い胸でいいなら、いつでも貸すからさ。親友の分くらいはいつでも空いてるし」
「あんずちゃん……ちょっとだけ、こうさせてほしいにぃ☆」
「ごゆっくり。無料なんだから、堪能しなよ」
きらりがゆっくり、強く抱きついてくる。
頭を撫でると、少し力が緩んだ。
胸元が少し湿っているのを感じるけど、気づかないふりをしておこうか。
十分くらい経っただろうか。
抱きつく力が弱く、優しくなってきた。
そろそろ、いいかな。
「おい、そこの年増園。若者を覗き見するのは楽しかった?」
ドアの方に向かって声をかけると、向こう側でガタッと音が鳴った。
「バレてたじゃないですかプロデューサー! しかも酷い呼ばれ方してますし」
「事実だから仕方ないですね。二人より十は上ですから」
「ってナナを巻き込まないでください! ナナはJKですよOK!?」
ドアが開いて、プロデューサーと菜々さんが入ってきた。
「いつからいたの?」
「私はきらりさんが入ってすぐですね。ちょうど一緒に上ってきましたから。きらりちゃん、ようこそ」
「ナナはずっと後ですよ! あ、きらりちゃん初めまして。ウサミン星からやってきたカラフルメイドの安部菜々ですっ! キャハッ☆」
うわきつ……じゃなくて、きらりが顔を上げてないのに自己紹介しても仕方ないとおも……うっ……
「ちょ、きらり、苦し……」
「うっきゃーーーー☆ 恥ずかしーーーー☆」
「杏ちゃん!? ああもう、ちょっときらりちゃん落ち着いてください!」
「あ、杏はもう駄目だ……ガクッ」
実際、呼吸はできるけど動く余裕はない。
また落ち着くまでこのままか……
「貸し、一」
「前向きに善処します」
プロデューサーはまったく表情を変えない。
ひとまずソファに座って自己紹介をした後、覗きについての交渉は一瞬で終わった。
「それなりに期待してるよ。それで、なんできらりがここにいるの?」
「簡単に言えば、街で引っ掛けてきました」
だからそれは真顔で言うことじゃないってば。
「きらり、周りを見てみな。変な人についていったら駄目だよ」
「んー? Pちゃんはいい人だよ☆」
P……producerのPかな。
それがあだ名かぁ……うん、あんまり似合ってない。
「ちょっと、ナナは入らないんですか!」
菜々さんはきらり基準なら疑いもしないんじゃないかな。
「菜々ちゃんもとーぜんいい人だよ☆」
「あ、ありがとうございます! ちゃん……ついに同年代からちゃん付け来ましたよ……!」
喜びを噛み締めている菜々さんは置いておいて。
「実際お買い得でしたよ。きらりちゃんは少しレッスンをしていましたし、優秀でしたから」
「きらり、レッスンに通ってたの?」
「うぇへへ☆ アイドル、なりたかったから、頑張ったんだー☆」
うん、そうだね。
きらりは昔からアイドルが好きだったから。
「それはそうと、今日は今後の方針をお話しようと思ってここに呼んだんですよ。きらりちゃんも来てくれましたし、ちょうどいいですね」
今日はそのために集まったんだった。
ここまで二週間レッスンを受けてきたから、そろそろだとは思っていたけど。
「やっとだね。それで、どうするの?」
「杏ちゃんと菜々ちゃんにはユニット活動を、きらりちゃんにはソロで活動してもらおうと思っています」
「はいっ!」
「おーけー☆」
なるほど、ね。
確かに、バランスはいいんじゃないかと思う。
「きらりちゃんには前に話したとおり、デビュー曲の練習をしてもらいます。二週間くらいでデビューできるだけの実力はあると思っています」
「はーい! えへへ、楽しみー☆」
プロデューサーが言うならそうなんだろう。
能力の見積もりは誤らないはずだ。
「杏ちゃんと菜々ちゃんは、二千五百人のホールライブでデビューをと考えています。出演者は本番までシークレットで」
「……は?」
聞き間違い、じゃないんだよね。
もしかして、プロデューサーも鈍った?
「ですから、新曲がユニット、個人ともに二曲ずつ計六曲。残りはうちの昔の曲をカバーしてもらいます。二週間後にはレッスンに入れるようにしますから、そこから一ヶ月でものにしましょう」
残念ながら合ってたらしい。
しかも新曲が六つも。
「今なら他に仕事は入っていませんし、大丈夫だと思いますけど?」
うん、そうだね。
だけど、問題はそこじゃないんだ。
「いきなりホールを借りて新曲そんなにって、大丈夫なんですか主に会社的に!?」
凍っていた菜々さんが再起動した。
だよねぇ、わざわざそんな規模でやるって普通じゃないと思うんだけど。
「資金面に不安はありませんし、客入りもプロダクションの名前を考えたら不可能ではないと思いますよ。人材は流石に無理でしたけど、961プロから派遣してもらえることになりましたし」
「961プロから、ってあの!?」
「本当に、どんな手品を使ったのプロデューサー。あんな大手と繋がりがあるなんて聞いてないよ」
会社の力が違いすぎる。
あそこは女性アイドルも男性アイドルもトップクラスを抱えているのに。
「だって、決まったのはついさっきのことですし。きらりちゃんの関係で社長室に殴り込んだら決まりまして」
……なにを言ってるんだこの人は。
「ちょっと待って。きらりが961プロの関係者ってどういうこと?」
「きらりちゃんが通っていたのはたまに961プロの研修生に混じってレッスンができる無料教室、みたいなものです。そこから本所属になることもあるような」
ということは、きらりはあそこでやっていけるだけの実力があるってことか。
「961プロの社風には合いませんが、ポテンシャルは高いですから。ずっと交渉していましたがなかなか手放してくれなくて。じゃあ大将を落としてこようかな、と」
だから何故そうなる。
やっぱり、このプロデューサーも変人だ。
だけど、事情はわかった。
本当に頑張ったんだね、きらり。
「人材面等々は、この企画に参加したからですね」
そう言って、テーブルの上に書類を乗せた。
「『PROJECT CINDERELLA GIRLS』? プロデューサーさん、もしかしてこれも……」
「はい。さっき決めてきました。合同ライブをしたり、プロジェクト全体曲をつくったり、楽曲の貸し借りをしたり、プロダクションを越えてユニットを組んだり……基本的にソロですが、必要に応じて複数のプロダクションがひとつの場で動くという企画です」
これはすごいのが出てきた。
961プロが中心だけど、むしろ中小プロダクションの連携が主な目的だからうちが入るのは不自然じゃない、か。
「な、なんだかナナの知らない間に大事になってませんか?」
「どうなろうと、うちはうちらしくやっていくだけですから。でも実際助かりましたよ。イロモノが王者を倒しますって言ったら支援してくれることになりましたし。みんなのデビューは考えてはいたんですけど、実現するには後一歩足りませんでしたから。渡りに船です」
「ああっ! しかも喧嘩売ってましたよこの人!」
菜々さんが頭を抱える。
プロジェクトのトップで現在のAランクに睨まれるとなったら……気持はわかるよ。
というか、杏も巻き添えだし。
しかも、プロデューサーは私達をスカウトしてたときから準備してたよね、これは。
本当にうちのプロデューサーは馬鹿なんだか大物なんだか……
「説明はこのくらいですね。このプランはどうですか?」
「きらりはどんなお仕事でもどーんと来いだよ! ばっちし決めちゃうから☆」
きらりが笑顔で即答する。
だけど、私は……ああもう、背負うものがいきなり大きくなりすぎだ。
どんなに要領がよくたって、アイドルの私はまだ素人だ。
その大舞台を成功させられるかと言えば、断言できるほどの自信はない。
「……わかりましたよ! 初めから人生懸けてるんですからもうここまで来たら当たって砕けろです! ナナは! やってやりますよ!」
菜々さんが迷いを振り切るように叫ぶ。
そっか……相棒が決めたなら、私も覚悟しようか。
「了解。地獄の底まで付いていくよ、菜々さん」
「縁起でもないこと言わないでくださいよ!」
「あー、地獄は苦しいよね。じゃあやめた。働かなくてもいい天国まで連れてって」
「もう! 一緒に行きますよ! ほら!」
「むぐっ……」
口の中になにかを突っ込まれた。
これは……べっこう飴?
「な、なんですか? その目は?」
「いや、チョイスが相変わらず……」
「これもスーパーに売ってましたから!」
売ってるかじゃなくて、選択の問題なんだけど。
まぁ、飴を貰ったからには杏も働こうじゃないか。
「うっきゃー☆」
「わわっ」
「おっと」
菜々さんと一緒にきらりに抱き締められた。
「杏ちゃんも菜々ちゃんも、一緒に頑張るゆ?」
「ほどほどに、だけど。よろしく、きらり」
「仲間としてライバルとして、お願いしますね。きらりちゃん」
方針も決まって、これでこのプロダクションも本格的に始動かな。
「メンバーも揃いましたし、先のことも決まりました。お祝いに、今日は夕飯を食べに行きましょうか」
「あ、いいですね! どこに行きます?」
「今日の私の気分はお寿司です。勿論、回ります」
それは少しドヤ顔で言うことじゃないって。
「おすしおっすっしー♪ 楽しみだにぃ☆」
「お寿司なら脂っこくないですし、胃にもうれし……いやぁ、今日はあっさり食べたい気分だったんですよね!」
「菜々ちゃんはお肉苦手?」
「いえいえ、焼肉とか大好きですよ? 食べれるなら食べたいですけど……」
みんなも賛成みたいだし、決まりだね。
はしゃぐきらりと菜々さんを見ながら、プロデューサーの横に行く。
「貸し、使うよ。ライブの打ち上げは焼肉だからね」
「わかりました。絶対に食べに行きましょう」
少し、プロデューサーの口元が緩んだ。
「面倒くさいことにしてくれたけど、まぁそれなりに期待しておいてよ」
きっと忙しくなるんだろうけど、適当にやろうじゃないか。
……お金と、焼肉のために。
……………
………
…
「うにゃー、今日は色々あって疲れちゃったー☆」
「お疲れ、きらり。杏はレッスンしてないからまだマシ……」
大きなベッドに倒れ込む。
私よりも四十センチも背の高いきらりのベッドだ。
幅も長さも、私には大きすぎるくらいだ。
「もういい時間だよね。今日はもう寝る?」
「きらりも、ちょっとおねむかなー……」
きらりもベッドに寝転がった。
二人で寝てもまだ空きがある。
部屋の中は小物やぬいぐるみで溢れていて、パステルカラーで纏められている。
私達がいるベッドもオレンジのかわいらしいデザインだ。
「じゃ、明かり消すよ」
ベッドの横にあるリモコンを操作する。
部屋の中が真っ暗になり、なにも見えなくなった。
寿司を食べた後、今日はきらりの家に泊まることになった。
独り暮らしの私は問題ないとして、きらりの両親がどう思うか不安だったけど、二人とも歓迎してくれた。
かなり昔のことなのに私のことを覚えてくれていたことに驚いたら笑われてしまった。私は随分個性的だったらしい。
パジャマは菜々さんのときみたいに今のきらりの服を借りたら私には大きすぎるから、昔の服を出してもらった。
「杏ちゃんはあんまり変わってないね?」
「そう? 確かに杏はこんなに小さいままだけどさ。もうきらりには運動じゃ勝てないよ」
仰向けになったままそう返すと、暗闇からくすくすと笑い声が聞こえた。
「そうじゃなくって……杏ちゃんはちょっと怠け癖が付いちゃったけど、今もとっても賢くて優しいままだよね」
「……そっか」
後ろから伸びてきた手にに抱き締められる。
小さい私はきらりにすっぽりと包まれてた。
「わたしはこんなに変わっちゃったけど……」
「大丈夫。きらりはとってもかわいいよ。それに、今も昔もこんな私に付き合ってくれるじゃん」
体を回して、きらりの方を向く。
「結局、私はきらりならいいんだよ」
「その言い方は卑怯だよぉ」
抱きしめる力が強くなった。
でも、苦しくはなくてなんだか落ち着く。
「いいかげん、寝よっか」
「そうだね。おやすみなさい、杏ちゃん」
「おやすみ、きらり」
……………
………
…
はっきりとわたしがみんなとは違うって知ったのはいつのことだっただろう。
少なくとも転勤で数年間いた北海道からまた東京に戻って、あの子と別れてからだった。
違うと言っても、わたしの場合はただ背が高いという、それだけだった。
問題は、成長期が早く来たくらいじゃ済まされないくらいに大きくなったことだけ。
北海道にいた頃も、最後の辺りで伸び始めていたけれど。
東京に来てから一気に大きくなって、体格も力も平均を大きく上回るようになった。
それからは、向けられる視線には好奇や恐怖が含まれることに気づいた。
転校後、馴染まないままに起こった変化だから、その時からじゃどうしようもない。
直接的な虐めはなかったけど、どこまで行っても独りぼっちで、いつもどこか自分達とは違うモノという扱いを受けるのは随分と堪えた。
学校に行くのも段々嫌になっていた頃だ。
北海道での、天才との会話をふと思い出したのは。
『え? 私の態度が悪い理由?』
『いや、そこまでは言ってないんだけど……』
『理由と言っても、わたしの性格のせいなんだけど……生きやすくするため、かな』
『それって、どういうこと?』
『あー……だいたいなんでもできると謙遜したって嫌味にしかならないんだよ。だったら、実力で黙らせた方が私は楽なんだ』
『んー……?』
『なにかひとつ武器を持ってると虐められないってこと。私みたいな変わった子が普通に過ごすにはちょっと頑張らないといけないんだ。でも、きらりはこんなこと覚える必要はないからね』
思えばあの頃から、杏ちゃんは達観していて、捻くれていた。
他にも方法はあったんだろうけど……杏ちゃんのあの性格じゃ合わなかったかも。
こんなことでも、あの頃のわたしは試してみる価値があると思った。
なにか武器を持つ、か……
わたしの得意なものといえば、杏ちゃんから小物を貰ううちに上達したアレンジと……
あとは、アイドル。
今から始めても駄目だろうし、ゆっくり考えよう。
始めるのは、中学生になって環境が一新されたら。
どうせなら、好きなものを全部混ぜてしまおう。
どうせ変わっているなら、みんなにも、わたしにも好かれるように。
わたしの、アイドルを――
……………
………
…
「にゃっほーい!」
事務所のドアを開けて、中に飛び込む。
部屋の中を見ると、杏ちゃんとPちゃんと菜々ちゃんがソファに座っていた。
「きらり、なんか今日はテンション高いね?」
「とーぜん! だって、今日はきらりんのデビューの日なんだから☆」
この二週間の間、プロダクションに誘われていたときからわたしに渡されていた曲をレコーディングして、レッスンをして、写真を撮って、イベントの詳細を決めてと、とても忙しかった。
自分でもいい仕上がりになったと思う。
この後のデビューイベントは期待が半分、不安も……半分は、確かにある。
「あれあれ? 杏ちゃんと菜々ちゃんはこの後やらなきゃいけないことあったー?」
予定だと午後からレッスンだったはずだ。
今ここにいるってことは……
「ふふ、ナナ達は変わりなく午後からレッスンの予定ですよ」
菜々ちゃんが杏ちゃんの方をちらりと見て、苦笑しながら答える。
「別にいつ来ようが杏の勝手でしょ。遅刻したわけじゃないんだし」
本当に、素直じゃない。
「杏ちゃんも菜々ちゃんも、ありがと☆ はぐー☆」
「ええい、またかっ!」
「わわっ、危ないですって!」
二人の座るソファに突撃して、間に座る。
二人とも小さいから、簡単に両脇に抱えることができた。
「毎度毎度、この状況に慣れつつある自分がいる……」
「杏ちゃん、人生って諦めが肝心なんですよ……」
諦めたような目をして、体を預けてきた。
捻くれ者の杏ちゃんには、鬱陶しいくらい好意をぶつけよう。
きっと、杏ちゃんときらりにはこれくらいがちょうどいい。
「見事に両手に華ですね。でも、そろそろ出発しますよ」
「むぇー……」
もう少しだけ、こうしていたかったな。
「杏ちゃんと菜々ちゃんは今日から新曲のダンスも開始です。六曲分できてますから、私がきらりちゃんに付いている間はトレーナーさんと相談してレッスンを進めてください」
「了解です!」
「おーけー」
両脇の二人が返事をする。
そろそろ、放しておこうかな。
「そうだ、プロデューサー。今までのカバーは知ってたから楽だったけど、新曲は知らないわけじゃん」
「そうなりますね」
「だからさ、モニターとプレイヤーを借りれない? その方がレッスンが楽なんだよね」
「それ、ナナも欲しいです。デモDVDは杏ちゃんが事務所の分を使うとして……ナナはトレーナーさんの分を借りればいいですよね?」
DVDを見てレッスンするってことかな?
でも、トレーナーちゃんもいるのに?
「わかりました。借りておきましょう。それじゃあ行きましょう、きらりちゃん」
「はーいっ!」
ソファから立ち上がって、Pちゃんとドアの前に行く。
「きらりちゃん! 頑張ってください!」
「きらり、行ってらっしゃい」
ドアノブに手をかけたところで、背中に菜々ちゃんと杏ちゃんの声がかかる。
きらりがデビュー第一弾なんだから、頑張らなきゃ。
「行ってきまーす! ステージに向かってゴー☆」
振り返って、笑顔で行ってきますを言う。
二人から、勇気を貰ったんだから。
イベントの会場は屋外の小さな広場だ。
裏にいても、ステージ前にはたくさんの人が集まっているのがわかる。
少し、不安の方が大きくなった。
「予想より集まりましたね。うちのファンもまだまだいるってことですか」
プロダクションのファンってことは、ここでの成功が今後に大きく関ってくる。
杏ちゃんと菜々ちゃんにも……
「ああ、無駄にプレッシャーをかけてしまいましたね」
Pちゃんが困ったような顔でわたしの方を見てくる。
「みんな、うちの個性豊かで好き勝手楽しんでいるアイドルが大好きなんですよ。きらりちゃんは私がうちに相応しいと思って最初に選んだかわいいアイドルです。だから、自信を持ってください」
「でも……」
「なにも完璧である必要はないんです。ただお客さんを信じて、思いっきり楽しんでください。きらりちゃんが楽しければ、きっと受け入れてくれますから」
きらりがアイドルになれたのは、このプロダクションだけだった。
……一度、思いっきりやってみよう。
「……うん!」
今はPちゃんの優しさが嬉しかった。
どうせみんな後がないところからのスタートだ。
Pちゃんと、Pちゃんの信じるファンのみんなを信じて今日はめいっぱい明るく行こう。
「もう、大丈夫ですか?」
「ばっちし! いつでも行けるにぃ☆」
胸の前で一度手を叩いて、気合を入れる。
「始めましょうか。きらりちゃん、楽しみにしていますね」
「おーけー! れーっつ、ごー☆」
ステージの中央まで駆ける。
私が舞台に立つと、客席がざわめくのがわかった。
でも、今は気にしない。
「みんなー! にょっわ――――!!」
マイクに向かって思いっきり叫ぶ。
反応は、ない。
「あれあれー? 元気ないのかにぃ? もう一回行くよー? にょっわ――――!!」
「「にょっわ――――!!」」
ステージが揺れるんじゃないかと思うくらいの声が返ってきた。
緊張が取れ、自然な笑顔になる。
「ばーっちし☆ 諸星きらりだよ☆ おにゃーしゃー! 今日は、きらりんのきゅんきゅんぱわーでみんなとハピハピしちゃうよー!」
また、大歓声で応えてくれた。
「きらりはかわいい物が大好きでアイドルになったんだー。だから、こうやってみんなの前で歌えるのがすっごく嬉しいの☆」
MCに被せるように曲が流れ始めた。
さっそく、最初の曲に行こう。
「きらりの歌、聴いて欲しいにぃ☆ いっくよー! 『ましゅまろ☆キッス』!」
「ましゅまろほっぺ 指先で ぷにぷに」
この曲と衣装はわたしを背の高い女の子として売り出さないって言ったPちゃんがくれたものだ。
その言葉通り、とてもかわいいものになっている。
むしろ、普通なら歌うのも恥ずかしいくらいだけど……きらりならできるって信じてくれたんだ。
「「大好き。chu!」わかるかな?」
だから、明るくかわいく楽しく歌おう。
「あなたの「大好き」の中に 私も入れて。」
トレーナーちゃんのアドバイスを思い出す。
わたしの身長は武器だから、ステージを端から端まで大きく使って。
コールの入るような曲じゃないから、その分わたしが楽しくなるようなステージを。
「もういちど「かわいい」って言ってみて。」
「かわいー!」
そんなに人数は多くなかったけど、ここで入れてくれるとは思わなかったから一瞬驚いてしまった。
でも、Pちゃんの言ってたことってこういうことなんだ。
このプロダクションのファンのみんなは、とっても温かい。
うん、これならもう大丈夫。
最後まで、きらりが目一杯盛り上げよう。
……………
………
…
「おっじゃましまーす……」
声を潜めて、レッスンルームのドアを開ける。
杏ちゃんと菜々ちゃんはそれぞれのモニターの前で踊っていた。
「レッスンを見てくださってありがとうございます。こちらはうまくいきましたよ。レッスンの様子はどうですか?」
Pちゃんと一緒にトレーナーちゃんの横に並ぶ。
「あ、お疲れ様です。きらりちゃんは……その様子だと、本当に大成功みたいですね。おめでとう、きらりちゃん」
「ありがとー☆」
トレーナーちゃんも頑張ってくれたから、成功の報告ができて本当に嬉しい。
あの後、イベント最後のカップリング曲が終わるまで会場の熱は冷めなかった。
CD販売には長蛇の列ができたくらいだ。
大成功というのは言い過ぎじゃない。
「レッスンの様子、ですか……正直、今日もわたしの出番がないんですよ」
トレーナちゃんが少し情けなさそうに杏ちゃんと菜々ちゃんの方を見た。
「デモを流したと思ったら菜々さんはずっとそれを見て踊りますし、杏ちゃんはずっと座って見た後踊ったらだいたいできてますし。わたしは外から見て修正するくらいですね」
「カバー曲は家で映像見て覚えたって言ってましたし……やっぱりモニタはこう使いましたか」
「新曲でも変わりありませんでしたね。二人とも、動きを見て理解するのでこういう方法が合ってたんでしょう。今日は大雑把に動きだけ理解したら次に行ってますけど、もうユニット曲を終えてソロ曲に入っています。ライブまでには絶対に完成しますよ」
杏ちゃんと菜々ちゃんはすごい才能を持っていることはわかっていたけど、ここまで来ると嫉妬する気にもなれない。
わたしが新曲を覚えるのにかかった時間を考えれば異常なほどだ。
これでも、優秀だって言われはしたんだけど。
「きらり、プロデューサー、おかえり」
「お疲れ様です! その、イベントはどうでしたか?」
Pちゃんとトレーナーちゃんの会話を聞いているうちに、杏ちゃんと菜々ちゃんのダンスは最後まで行っていたらしい。
早足でこっちに近づいてきた。
Pちゃんと顔を見合わせて、にやりと笑う。
「もっちろん……」
「「完璧ぱーぺきぱーふぇくと☆」」
Pちゃんと一緒にポーズまで決めた。
杏ちゃんも菜々ちゃんも、トレーナーちゃんまで目を見開いて固まっている。
たぶん驚くかなって思って、このいたずらを考えるのはとっても楽しかった。
「失礼ですね。なんですかその右目でかわいいものを、左目で世にもおぞましいものを見たかのような表情は」
「え、いや、だってさ……歳とキャラ考えようよ」
「はうっ!?」
杏ちゃんのツッコミに菜々ちゃんが胸を押さえて蹲る。
「えーと、まぁ、うん。そんなことより、きらり。おめでとう。よく頑張った」
「よかったです……きらりちゃんの魅力がしっかり伝わったみたいですね」
杏ちゃんも菜々ちゃんも優しい笑顔で祝ってくれる。
「うん、きらりね、とっても頑張ったよ……」
ここに来て、涙が出そうになった。
杏ちゃんと菜々ちゃんを抱き寄せる。
「き、きらりちゃん、今はその、汗が……」
二人の首筋に顔を埋めると、菜々ちゃんが焦ったように言ってくる。
だけど……
「もうちょっと、このままがいいにぃ」
たぶん、少し声が震えてたのが伝わってしまったんだと思う。
二人で頭を撫でられた。
「今日はきらりちゃんのデビュー記念ということで、ハンバーグでも食べに行きましょうか」
少し経ってから、Pちゃんがそう切り出した。
もうわたしも大丈夫だ。
ふたりをそっと放す。
「きらりは賛成ー!」
「ハンバーグですか……お腹空きましたし今日は行けますよ!」
「あー、いいんじゃない?」
みんなも賛成みたい。
「ねえねえ、なんでハンバーグなのー?」
記念といっても、別の日にケーキを食べるくらいだと思っていたから、Pちゃんに聞いてみる。
「私の気分です」
「にゃるほどー☆」
Pちゃんもけっこう気分屋だよね。
わたしの質問に答えてから、Pちゃんは杏ちゃんと菜々ちゃんの方に向き直った。
「ですから、杏ちゃん、菜々ちゃん……レッスンの続きを、お願いします」
「ちょっと待て! 今のは途中で切り上げて食べに行く流れだろ!」
「あ、トレーナーさんもご一緒にいかがですか?」
「わたしもいいんですか?」
「都合がよければ、ですが。きらりちゃんのことで随分お世話になりましたし」
「……はい。それじゃあお言葉に甘えて……」
「って無視すんなー!」
杏ちゃんがPちゃんとトレーナーちゃんの間に割って入る。
「無視はしてませんよ。レッスンです」
「だーかーらー、それがおかしいんだってば」
「お金と時間が勿体ないです。早く動いて空腹にでもなってきてください」
「えー、もうやる気がなくなってきた……」
「そうですか……それじゃあ、杏ちゃんは帰ってもいいですよ。後でパーティーの様子とハンバーグの写真を延々送りつけてあげますから」
「飯テロはやめろぉ!」
「杏ちゃん、知ってましたか? 財布には逆らったらいけないんですよ」
「横暴だ! というか財布を自称するってどうなのそれ……」
杏ちゃんが毒気を抜かれたことで、言い合いが途切れる。
「はいはーい。続きやりますよー」
「あ、ちょっと菜々さん話は終わってないって」
「時間が経つのなんてすぐじゃないですか。ほら、行きましょう。はい、飴あげますから」
「ちょ、キャラメルは飴って言っていいのか?」
その隙に、菜々ちゃんが杏ちゃんを回収していった。
引きずられながらまだぶつぶつ言っている。
そんな杏ちゃんに向かって、Pちゃんはニッコリと笑って――
「ファイト☆」
「ちくしょう一番高いメニュー頼んでやる――――!!!!」
杏ちゃんがヤケクソ気味に叫んで、新しい曲に取り掛かる。
そんな様子をPちゃんとトレーナーちゃんと三人で笑いながら見ていた。
わたしは地道に活動して成功しているけど、杏ちゃんと菜々ちゃんはライブを成功させたら比べ物にならないほどのファンを獲得するはずだ。
そうなったら私は、きらりは追いつけるのかな……
……………
………
…
ライブまであと一週間。
今日は事務所での資料の読み合わせだけで、レッスンは休みだ。
休日なこともあって、朝から事務所でだらだらしている。
この人を駄目にするソファに座っていたら私が駄目になるのは当たり前ではないだろうか。
全ての人間は座れば駄目になる。私は人間である。ゆえに私は駄目になる。Q.E.D.
「――って思うんだけどさ」
「そう思うなら最初から座らなければいいじゃないですか」
菜々さんにばっさり切られた。
「杏ちゃんはちゃんと資料読み込んでますか?」
「そこは大丈夫。どうせ目で追うだけなんだからちゃんとやるって。もう二週目だし」
だらだら座ってるからって最低限のことはしている。
特に、今回は失敗はできないからそれ以上にも。
「菜々さんも、マッサージ器が気持いいのか知らないけど、時々手が止まってるんだけど?」
わたしがだらだら空間をつくるために私物を持ち込んだ分、他の人も私物を持ち込んでいる。
事務所も来客の目につかないところは随分変わってきた。
「……相互不可侵でいきましょう」
「賛成」
だから、こんなだらしない姿でいても誰にも咎められる謂れはない。
「おっつおっつ☆」
「ただいま帰りました」
事務所のドアが開いた。
ここから姿は見えないけど、声からしてきらりとプロデューサーが帰ってきたようだ。
「おかえりなさい」
「おかえり」
姿勢を正すことなく二人を迎える。
ここでは見慣れた光景だから、なにも言われることはない。
「で、どうだった?」
今日はきらりのオーディションがあった。
小さいけどテレビ番組の出演がかかっている。
今までのオーディションは通ってきたし、無理はしていないからたぶん大丈夫だとは思うけど……
「きらりん、出・演・決・定ー!」
大の字になって心底幸せそうに笑う。
きらりの顔を見たときに、口が猫みたいになっていたからそれだけでわかった。
嬉しいのを隠して真面目な顔をしようとしたみたいだけど、下手すぎだ。
「おめでと」
「おめでとうございます!」
きらりの実力なら、まぁ当然ってところかな。
かわいさを全面に出した活動でファンも増えてきているし、もう2ndシングルの準備も進んでいる。
「まだデビューもしていないと、なんだかきらりちゃんに随分先を行かれてしまったように思っちゃいますね。もちろん大舞台が控えてるのはわかってますけど」
菜々さんがポツリと呟く。
「きらりちゃんがライブに絶対に出ないことは言ってますし、シークレットの出演者目当てで来るホールの二千五百人をファンにしてしまえばいいんですよ」
「簡単に言いますけどね……わかってます、やりますよ。でも、さすがにこの規模は緊張しますね」
菜々さんも怖がってはいないけど、少し不安な様子は見られる。
ずっと小さいステージをこなしてきた菜々さんですら、だ。
もちろん、私はそれ以上に不安だ。表には出さないけれど。
でも、この二人でなら十分以上に勝算がある。
だからこそ、不安以上の自信を今でも持てている。
「だーいぶ! にゅふふー☆」
きらりが空いているソファに飛び込む。
きらりの持ち込んだものは大きいぬいぐるみやクッションが多い。
今もそれに囲まれてもふもふしている。
「ふぅ……」
プロデューサーが私の隣に座った。
この人もなぜか私と同じものを買っている。
今もビーズのソファに埋もれて緩んだ表情をしている。
プロデューサーだけじゃない。私も菜々さんも、きらりも似たようなものだ。
「……なんか、杏が増えたみたいだ」
最近はみんなでリラックスして過ごす時間も増えている。
きらりの活動が軌道に乗って、私達のライブも見通しがついたからだろうけど。
私以外がここまでだらけるのは、いつもじゃ困るけど。
たまになら、こういうのもまぁいいんじゃないかな。
……………
………
…
ライブまで残り三日。
今日はライブのリハーサルをしている。
レッスンスタジオで衣装も着ていないけど、進行は本番通り。
いつものレッスンとは緊張感も違うし、歌もMCも、客席の反応がない分やりづらい。
開始から二時間半後、菜々さんとのアンコールの曲まで終えて舞台袖の位置まで戻ってきた。
「お疲れ様です。もう本番に不安はありませんね」
そう言って、トレーナーさんが拍手をする。
その言葉に気が緩み、大きく息を吐いて座り込んだ。
あれから鍛えたとはいえ、これだけ長時間動くとそれなりに疲れる。
まだまだ余裕はあるけど、本番のプレッシャーがかかるとどこまで余裕があるか。
「よかったですよ。会場で見るのが楽しみです」
「おっすおっすばっちし! とーってもキラキラしてたにぃ☆」
プロデューサーときらりも拍手をしながらこっちに歩いてきた。
「杏も大丈夫だと思うけど、菜々さんは?」
「私も大丈夫だと思います。あとは本番でどれだけアドリブに対処できるか、ですね」
菜々さんの言う通り。私達の新曲はライブで初披露となる。
当然コールは即興で入れてくるだろうし、それに流されることなく菜々さんと息を合わせて対応していかなければならない。
それに比べたらカバー曲は楽な方なんだけど。
「それもお互いの癖とかはだいたいわかってるし、これでもう行けるよね」
「そうですね。あとは体調に気をつけましょう」
「最近また寒くなったからね。本当に」
「その視線はなんですか……」
ライブが近づくにつれて、菜々さんと話す時間も多くなっていった。
きらり程じゃないけど、互いのことはよく知っている。ユニットの相棒としてこれ以上はない。
ここまで来たら、二人とも緊張感はあっても恐怖心はなくなっていた。
練習の通りにできたら絶対に大丈夫だって自信があるから。
それが難しいってところはあるんだけど、もう思いっきりやるしかない。
「まぁ本番なんて好きに楽しめばいいんだよ」
「それナナがフォローするやつじゃないですか」
「じゃあ菜々さんもこっちに来よう」
「う……ってそれやったらカオスになりますよ。杏ちゃんは本番で最高のパフォーマンスをすること、です!」
「あー! きらりも飴あげゆー☆」
菜々さんときらりが飴を取り出して口に放り込んでくる。
ミックスする趣味はないんだけど……
「まふくなったはほうひてふへふ」
組み合わせが悪くて気持悪かったらどうするんだ。
口の中で混ざらないように遠ざけてたらまともに喋れな――って、これは……
「なんか普通にメロンとソーダの飴なんだけど」
どっちがどっちをくれたのかはわからないけど、きらりと菜々さんも無駄に連携がよくなっている。
「うぇへへ☆」
「キャハッ☆」
二人でハイタッチなんかしている。
まぁ仲がいいのはいいことだよ。
「これで杏ちゃんはしっかりやってくれますよね。前払いです!」
「杏ちゃんも、ちょーっと頑張ろうねー?」
そのまま二人でぐいぐい迫ってくる。
「わかったわかった、近いって。給料分は働くよ」
そんなことしなくても、私はちゃんとやるからさ。
安心してよ。
……………
………
…
本番直前。
Pちゃんと一緒に、杏ちゃんと菜々ちゃんの控え室に入った。
「いらっしゃい」
「ええと、忘れ物はありませんよね……」
杏ちゃんと菜々ちゃんは正反対だった。
杏ちゃんはいつも通り椅子に姿勢を崩して座っている。
菜々ちゃんは落ち着きなくあれこれ確認している。
でも、二人ともいつもより緊張していた。
「緊張してますか?」
Pちゃんも気づいてたみたい。
でも、そこまで気にしていないようだ。
「大丈夫。これくらいなら影響はないから。曲さえ始まってしまえば完全になくなるだろうし」
杏ちゃんの言葉に、菜々ちゃんも頷く。
これじゃあ、わたしの方がドキドキしてるみたい。
「そろそろスタンバイお願いします」
楽屋までスタッフさんが呼びに来た。
邪魔をしたらいけないから、本番の直前に一言だけ応援しようと思って来たから、これでいい。
「菜々さん、行こうか」
「はい……準備オーケーです!」
杏ちゃんと菜々ちゃんが立ち上がった。
「杏ちゃん、菜々ちゃん! ふぁいと!!」
わたしの前を通る時に、手を差し出して声をかける。
二人は笑って、その手を叩いていった。
「ステージで自由に遊んできてください。私達はそういうプロダクションですから」
プロデューサーの声に二人が頷く。
「アイドルとしての私達のファン第一号第二号にプロダクションのファンもいますからね! 全開で行きますよ!」
そう言って、菜々さんが部屋を出て行く。
その後に杏ちゃんも続いて、ドアから半分体を出して止まった。
「それじゃ、行ってくるよ。まぁ、その……」
杏ちゃんは振り返らない。
「きらりも、プロデューサーも、菜々さんも。杏は天才で最強だからさ、安心して見ててよ。それじゃ」
そのまま、走って出て行った。
「……私達も、席に行きましょうか」
「……うん!」
……………
………
…
舞台の幕が上がる。
ステージの中央に二人の人影が見えた。
幕が一番上まで上がった直後、照明が一斉につき、電子音が鳴り響き、歌が始まった。
同時に、客席がさっとピンクに染まる。
コールもちょっとバラバラだったのが、段々揃ってくる。
それに杏ちゃんも菜々ちゃんも即興で合わせていって……
レッスンで何度も見たはずの『Moon Rabbit』が、この場で化けていく。
「すごい……すごいすごいすごいすっごい!」
最初の曲が終わったら、間髪入れずに『あんずのうた』が始まる。
会場のみんなで疲れるくらいに叫んで、杏ちゃんがアピールした後は続けて『メルヘンデビュー』が流れる。
三曲の間、みんな声の限りに叫んで、終わった時には会場は疲れたけどなにかやりきった後のような興奮と熱気に包まれていた。
「こんばんはー。『玉兎』の小さい方、双葉杏でーす」
「『玉兎』の大きい方……ってなにを言わせるんですか! だいたいナナもちっちゃいですし! ……あっ、安部菜々です! キャハッ☆」
杏ちゃんもステージに出てきて、MCが始まった。
「ファンの心は掴みました。カバーでもあの二人なら失態はないでしょう。ライブは、成功です」
Pちゃんが息を吐いて、座席の背もたれに体を預けた。
「きらりちゃん。杏ちゃんと菜々ちゃんはこれができるから組ませて、こんな大きな会場を用意しました」
そのまま、Pちゃんが話し出す。
「きらりちゃんには、難しいと思います。逆にあの二人がきらりちゃんみたいな活動をしたとして、きらりちゃんよりも結果を残すのは無理だと思います」
それは、そうだ。わたしにはあそこまでの才能はない。
杏ちゃんと菜々ちゃんが地道にやったらわからないけど……
「短期間である程度の結果を出すには、私はこの方法しか思いつきませんでした。これでプロダクションは安定しますし、きらりちゃんの方もどんどん仕事が増えていくと思います」
それはそうだろう。
こんな規模のライブを初めに持ってくるなんて普通はありえないし、話題性は十分だ。
「こんなことをしたら自信なくしますよね……きらりちゃん。今、プロダクションの方針で、私の方針のせいできらりちゃんと『玉兎』の二人との間には大きな差ができました。それでも、挫けないできらりちゃんらしく、追いかける気はありますか?」
前にも少しだけ考えて、心の奥底にしまっていたことを聞かれた。
……答えを探すこともしなかったし、今でも才能の差には挫けそうになる。
でも、わたしはアイドルをしたいし、みんなといたいから。
応援してくれるようになったファンのみんなとも、プロダクションのみんなともお別れするのは嫌だ。
だから――
「きらりは、もっともーっと大きくなるにぃ☆ だからPちゃんも、応援おにゃーしゃー☆」
「……わかりました。全力でいきます。これから、忙しくなりますよ」
Pちゃんが柔らかく微笑んだ。
「それに――」
後に続いたPちゃんの言葉は、大歓声に掻き消された。
MCが終わって、四曲目が始まったようだ。
「……なんでもありません。ライブを楽しみましょうか」
「うんっ!」
……………
………
…
「ライブの成功を祝って……乾杯!」
プロデューサーの音頭にみんなでグラスを合わせる。
ライブ後、そのまま焼肉を食べに来ていた。
今回もトレーナーさんが一緒だ。
「これで最低でもEランクですし、Dランクまでは十分現実的ですよ」
プロデューサーも一仕事終えたからなのか、いつもよりテンションが高い。
「おっにくーおっにくーきゃっほーい☆」
「あ、サラダも一緒にお願いします。はい、一人前で」
「よかったです……本当によかったです……」
開始早々、みんなバラバラだ。
らしいと言えばらしいんだけど。
「終演後のCD販売も売り切れましたし、いいスタートですよこれは」
「あーはいはい」
私はプロデューサーに捕まって話を聞かされている。
おかしい、主に菜々さんのスキャンダル対策で全員烏龍茶を頼んだはずなのに。
ライブの熱気で酔ったのか。
「そうそう、みなさんに言い忘れていました」
意外に途切れない経営側からのお話を聞き流して肉を食べていた時だった。
満足したのか、プロデューサーが手を叩いてみんなの注目を集めた。
「年が明けてから、プロジェクトの合同ライブに出ることになりました」
何気ないことのように告げた内容は、また私の思考を停止させるには十分だった。
「……ええと、それってアリーナでやるやつとかじゃないよね?」
「アリーナでやるやつです」
相変わらず、とんでもないことをさらっと言いやがる。
「さっきメールが入ってまして。全員、出れることになりましたよ」
まだ駆け出しもいいところなのに。
これは、その時までに昇って来いってことなんだろうな。
「きらりちゃんが追いつく日も思ったより近いかもしれませんね」
「アリーナって、一万人くらい? みーんなきゅんきゅんさせちゃうゆ☆」
きらりは強敵だからね。
これは私も油断はしないように気をつけよう。
「色々と過程を無視してますよぉ……嬉しいですけど! やりますけど!」
菜々さんは……うん、素面のはずだ。
やる気も十分みたいだし、これならちょっとだけ多く任せてサボっても……
「他のプロダクションとの合同事業なので、杏ちゃんは強制労働の刑です」
「理不尽なっ!」
そりゃ他で通用するとは思ってないけどさ、もうちょっと、こう……
「無理です。不可能です。諦めてください」
「杏ちゃーん、ほら、飴あげますよー?」
「杏ちゃん、はーい☆」
また二人から飴を口に突っ込まれる。
焼肉屋って、なんで各テーブルに飴が置いてあるんだろう。
「そんなのいいから、今は肉食わせろ――!!」
二人の手から逃れて叫んだら、みんなが笑う。
まったく、もう。
「さて、そんなわけで、最高のスタートを切ることができました。これからも、楽しくやっていきましょう」
プロデューサーはそこで一旦言葉を切ると、みんなの顔を見回した。
「目一杯、遊びますよ。Circusファイト――」
「「「おー!」」」
「おー☆」
「お、おー……」
ここは、退屈だけはしないかな。
以上です。お付き合いいただきありがとうございます。
いつも同じ世界観で妄想してますけど、やたら個性が強い子ばかり集まるプロダクションがあったら立ち上げってこんな感じかなと。
後に笑美とかはぁとさんとかが所属することになるでしょう。
>>13
東に一時間ですどことは言わないけど今度ライブがある方向ですマジで申し訳ありませんちょっとアブダクションされてきます。
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