妹「お願いだから死なないで」 (50)
・オリジナル
・地の文
・暇つぶし
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01.
夜の蜘蛛は殺せ。
朝の蜘蛛も殺せ。
02.
僕の妹はおかしい、
狂っていると言って過言で無いほどに、おかしい。
親戚の間でも忌避され阻害され、
聞くところによるとクラスの方ででも孤立し孤独らしい。
学校を歩いていれば一日に一度は妹の話題を耳にする、
今日はなにをしたとかしてないとか
昨日はなにをやらかしたとかどうとか
そんな妹の一挙手一投足の話題が、絶えない。
けれど僕はそれに対して
なにか策を講じようとか言う助ける気持ちや、
可哀想とかどうとか言う同情の感情を持ちはしない。
持つ意味が、無い。
迫害される。
多人数が同一の空間で同時に過ごすという行為上、
大なり小なりそれは当然どこかに生じる自然現象だ。
その対象が妹だと言うだけでそこになにか感慨を持つほうがおかしいのだ。
あって当たり前の事象。
それに対してわざわざ手を出すほど僕は傲慢じゃない。
――いや、そもそもとしてだ。
狂っている僕の妹は、そんなものを必要としていない、
迫害されて居ながら、僕の妹は自身のクラスの中心に存在する。
というよりも、中心に存在するからこその、孤独なのか。
中心は、単一。
その他大勢から一定の距離を取られた円、その真ん中。
あそこまで行き着いた奇人を、僕は妹以外に知らない。
「おはよう」
音を立てて立て付けの悪い教室の扉を開く、
勿論、妹のではなく自分の教室の扉をだ。
すると既に登校しているクラスメートは
当然のように僕に挨拶を寄越す。
僕も、それに平然と答えながら自分の席に腰をかけ
鞄を机脇のフックに掛ける。
と同時に深巫が机にするすると近寄ってきて
僕の机の上に座る。
「やぁ、元気?」
「そこそこだけど」
「それはそれは重畳だ」
「深巫はどうなんだい? あまり顔色がよくないけど」
「二日目だ」
「それはそれは重畳だ」
僕は会話をしながら鞄から机に私物を移動させる。
机に座り頭上から言葉を投げかけてくる女子に文句を言ったりはしない、
言うだけ無駄だと知っているからだ。
決していいお尻をしているからではない。念のため。
「しかし掃村、毎度ながら凄い量の不要物だな」
「君も、毎度ながら学校に全く荷物を持ってこないね」
「制服って言うのはポケットが多いからな、
教科書やノートの類をロッカーに詰め込めば一々鞄などいらないさ」
深巫。
フルネームは深巫秤<みかんなぎはかり>というクラスメートの女子で、
僕の友人の一人。口調が少々風変わりだけれど
それはそれで個性だろうと僕はなにも言わないで居る。
同様に、休み時間の度に僕の所に来て
僕の机を椅子代わりに使うことも、何も言わないで居る。
「しかし今朝はずいぶん豪快だったようだね、
妹さんになにを言ったんだい?」
「別に大した事じゃないよ、普段どおりさ」
妹、妹、妹。
僕の一つ下の妹。
今日の登校中、下駄箱で語った電波な発言になんかしらの
アクションを起こそうとした僕の首根っこを捕まえて
安い金属製の下駄箱を人形に凹ます勢いで叩き付けた妹。
狂っているというか、ただただ馬鹿力の方に目が行く。
「君も馬鹿だね」
深巫は僕の机に腰をかけたまま、
上体を前後に揺らしながら笑って僕を嘲る。
「毎度思うけれど、君は実の所極度なマゾヒストなんじゃないかい?
でなければ態々危険を冒してまで妹さんを挑発したり刺激したりはしないよ」
「僕の妹は爆弾か? 電子レンジにかけてしまった目玉焼きかなにかか?」
「似て非なるものだね、放って置く分には問題ないし
むしろ表面上だけでも同意してあげたり乗ってあげたりすれば普通にやり取りも成立する」
「それは成立してないと僕は思う、
二人が同じ壁に向かってボールを投げてるだけだ、キャッチボールじゃない」
「上手い事言うね」「それはどうも」
実際、今朝の妹とのやり取りも
別に成立してるとは言い難いなにかだった。
妹が一方的に訳のわからない話を捲し立てて僕に迫り、
無視を続けていた僕が流石に一言くらい相槌でも打ってやろうと
口を開いた瞬間に首根っこを掴まれたのだから。
あれは逆でも半でもなく、ひたすらに意味不明なキレだ。
僕は決して小柄ではない平均的男子だし、
妹は逆に非常に小柄な女子だと言うのに。
「君は妹さんが可愛くはないのか?」
「可愛いとは思うよ。客観的に見てあれは美人だ」
「そういう意味じゃない掃村。愛着とかそういう意味だ」
「ないよ。兄弟は他人の始まりって言うしね、
血の繋がりがある訳じゃない、同じ血が流れてるだけだ。
だったら君と僕も同じことだろう」
「淡白だ、冷淡と言っても良い。
まがりなりにも十数年の時間を共にしてる癖に」
時間、ね。
問題なのは時間じゃなくて距離だ。
百万光年じゃないが、どれだけ同じ時間を過ごそうと距離があればそれは親密ではない。
僕と深巫は親しいけれど、それは時間を長く過ごしたからではなく
単に距離の問題だ。 同じ時間という意味なら、同級生諸君とは二年と少し過ごしているけれど、
僕はその中で親しいと思える人間なんて結局片手で数える程度しか居ない。
つまりは、そういうことだ。
そんな、まぁ世間一般とは少しばかりずれた
華も咲かない世間話に興じているとガラリと黒板側の扉が開く。
HRまではまだしばらく時間があるので教師ではなかろうと扉の方を向くと
案の定クラスメートが一人、扉付近の女生徒と挨拶を交わしながら自分の席に歩いていった。
僕はその様を横目で眺めながら会話を続ける。
「十数年一緒に過ごしてるからこそ、
あいつがもう手遅れだって事がわかるんだよ」
「手遅れ、ね。私はそう思わないが」
「深巫はそうかも知れないけれどね」
投げっぱに言い放つ、
この話題はこれで終わりにしようという合図だ。
なんで自分の妹の狂いっぷりについて歓談しなくてはならないのだ。
僕は少し息苦しさを感じながら制服の首元を指で引っ張る。
「ふむ、保健室にでも行っとくか?」
「どうしてだい?」
「首に痣が残っている」
「……」
―――
僕の妹が狂っていると判明したのは、
はていつ位昔の事だったか僕は今一記憶に残っていない。
というのも、僕と妹は先刻言った様に一つしか年が違わないので
妹が幼い頃というのはイコールで僕の幼い頃な訳で、
当然記憶というのも曖昧模糊とした物にならざるを得ない。
「お兄ちゃんは凄いんだよ」
「僕がすごいの?」
「うん。お兄ちゃんはとっても凄いの、私はそれを知ってるの」
「そっか、僕はすごいのか」
「とっても凄いの、それで格好良いの、細い剣でばしばし倒すの」
「なにを?」
「人間」
幼少の頃、記憶に残る最古の妹とのやり取りはこんなだ。
当時の年齢を考えれば微笑ましい兄妹の会話なのだが、
今の妹を思えばこれは片鱗とも言えるなにかだったのかも知れないとすら思う。
疑心暗鬼、暗中模索と言った感じだ。 あるいは五里霧中か。
如何せん、妹の心中など僕には計り知れないので
憶測、推測、推察、そう言った仮定に仮定を重ねた思考が
妹を語る上でほとんどを占めてしまう。
狂っている、というのもだからそれは一般論であって
それが正しいとは限らないのだ。
それが真理だとは誰も言ってない。
ただただそうであろうと思っているだけ、
思っているだけの、机上の空論みたいなもの。
正当性など、一ミリも無い。
妹は、妹なのだから。
兄の僕がなにを言った所で、ってなものだ。
03.
「掃村」
授業終了の鐘が鳴って教師が教室から退出する、
と時を同じくしてすぐ隣の席に座って授業を受けていた深巫は
そのまま座ってる椅子をこちらに向ければ済む話なのにも関わらず
一度席を立って僕の机によいしょと形の良いお尻を下ろす。
肉付きがよいお尻がむにっとなる感じがとてもまる。
「どうした、浮かない顔をしているようだけど」
「君ほどじゃないよ、腹痛の波は去ったの?」
「あー、まー、普通かな」
「そうかい」
くすくすと、不意に深巫が笑う。
愉快そうに痛快そうに、嫌らしい表情で笑う。
「しかし君も天邪鬼だ。
他人に妹さんの事を語られるのは好ましく思わないくせに
自分自身の頭の中は妹さんの事で一杯かい?」
「……なにを言ってるんだい君は」
「授業中、随分と物思いに耽っていたみたいだけど?
授業にもっと集中した方がいいと私は思うよ」
「その言葉そっくり君に返すよ、
僕を見てる暇があったら黒板を見ろって」
「ふふっ、あんまりにも横で集中されているようだったから
ついつい気になってしまって困りものだ」
一人で頷きながら笑う彼女、
僕は嘆息を一つついて席から立ち上がって背中を向ける。
「どこに行くんだい?」
「屋上」
「一昔の不良みたいだね、授業はどうするんだ?」
「……さぼるよ」
「そうかい、では私は知らぬ存ぜぬを通すか」
「頼んだ」
休み時間特有の教室の喧騒を抜け
僕は人の少ない廊下を一人歩く。
昼の休みならともかく授業間の短い休みで
トイレ以外の理由で教室を出る人間は少ない。
ふと、廊下の反対側の壁、そのほとんどの面積を覆う窓を見てみれば
外は快晴、雲ひとつ無い空から降りる日光に中庭が照らされ
比較的大きな池で定番の鯉がのんびりと泳いでいるのが見て取れた。
「気ままだな、羨ましいとはおもわねえけど」
意味も無い呟きを唱えながら
廊下を渡り、購買前にでる階下への階段とは別の
登り階段を音も立てず歩く、
教室から漏れる生徒達の声は聞こえるものの、
やはり誰とも遭遇しない。
僕みたいな天邪鬼や、
「んだぁ? ……あぁお前かよ」
「気持ちよさそうだね、後追」
彼のような気まぐれ者が居ない限りは。
後追 咲良。
僕の友人の一人、男子生徒。
同級生ではあるがクラスメートではなく、
正直に言ってしまえば僕は彼がどこのクラスに所属しているのか知らない。
ただ以前一度見た生徒手帳の色で同輩であるとだけわかっているだけで、
僕はこいつとこの屋上以外の場所で顔を合わせた事がない。
「なんか用か?」
「九日十日。……別にそういう訳じゃないよ、単に寝転がりたくなっただけだ」
「ふぅん? ま、確かに今日は気持ちが良いぜ。
暖けぇし、午前は運動系の授業もねぇから静かだしよ」
「そいつは良い事を聞いた、昼までここに居座ろう」
「勝手にしろ。俺の場所じゃねーし」
「だね」
雨風で汚れた屋上のコンクリート、
そこに大の字になる後追の横に僕は腰を落ち着けた。
コンクリートは日光でほのかに温まり、
少し前まで他人が座っていた椅子の感触を思い起こさせてくれる。
次いでごろんと制服が汚れるのも構わず
背中をべたりとつけて寝そべる。
当然上空に浮かんでいる太陽が思い切り視界に入り
目が眩み、閉じた瞼の裏に残像として残る。
「空ってさぁ、広いよな……」
瞼越しに日光が眼球を余すとこなく照らし、
血液の赤で視界が染まるのを感じながら
しばしの間時折流れる風を受け止めていると
不意に隣で転がっていた後追が口を開く。
「そりゃ、そうだね」
「なんで、広いんだろうな」
「地球がでかいから、その周りはもっとでかいんだよ」
「ふぅん。地球がでかい、ねぇ」
意味ありげに言を濁す隣の友人に、
僕は何を言うでもなくいい加減目が痛み始めたのもあり
寝返りを打って横向きになることで答えた。
「俺はそうは思わないんだよな」
「はぁ? 地球が小さいって? 君はどんだけスケールの大きい人間だったんだよ」
「そうじゃなくて、地球が大きいと感じるのは人間が小さいからだと思うんだよ」
「……言いたい事がわかんないな」
僕は目と太陽の間に腕を居れて影を作り
少しだけ瞼を開いて後追に目を向けてみる。
後追も似たような体勢でこちらをみていて目が合った、
男二人並んで横になって、かつ向かい合って目が合って。
気持ちが悪い状況の出来上がりだった。軽く死にたい。
「あー、つまりさ」
気にした様子も見せずそのまま続ける後追。
屋上で授業サボって男同士見詰め合っての談笑って一体どうなんだろうか。
傍から見たらちょっとしたゲイポルノだ。
別段人種差別をするつもりはないけれど、個人的には勘弁願いたい。
どうか僕と関わりの無い場所でひっそりと存在してくれ。
「俺ってさ、ちっちゃいじゃん?
高々170と数センチ程度な訳だ。
これが、まぁ大体平均だとするだろ?」
「うん」
「となるとだ、人間って実は世界で一番ちっせぇ生き物なんじゃねえかなとか思うわけだ」
「一番小さいって訳はないだろ、
いくらでも小さい生物は居るさ。微生物だけでも種類がいくつあることか」
「そうじゃなくてさ。
そいつらみたいに、もっと小さい生物ってのは
地球単位じゃなくて、もっと狭い世界ってのを持ってるだろ?
人間ってのは、変にそいつらよりもでかいから本当の大きさを知って
それと比肩して小さく感じちゃってさ」
「あー、わかるようなわからないような」
自分だけの世界、 自分だけの世間、
狭くて、小さくて、身近で、至近で、
だからこそ自分を確立できているわけで。
「地球はさ、いつまでも板状で端に行くと落ちるとか行ってるレベルでよかったんと思うんだよ俺は。
だっつーのに地球のでかさ知ってよ? 宇宙とか意味わかんねぇ世界にまで手ぇ伸ばして
一体なにがしたいんだっつーの。そんなに自虐行為が楽しいかね?」
「知識欲とか好奇心とかの問題だよそれは、
見方の問題だと僕は思うけどね」
「俺はネガティブなのかね?」
「前向きではないと思うけどね」
はぁとため息を一つついて後追は僕から目を外して起き上がる。
僕は、それに釣られた訳じゃないけど、 なんとなく同様に起き上がる。
黒で統一された制服が異様に熱を持ち始めたからかも知れないし、
服が汚れるのは構わなくても横になったことで視界にちらちら映る
薄汚れた屋上のアスファルトに頬が触れてる状況が嫌になったからかもしれない。
「まぁ、なんでもいいけどさ。
人間って儚いって事だよ」
「それは同意だな。儚い、良い言葉だね」
「良い言葉とは、思わないけどな」
空を仰ぎながらあっさり僕の言を一蹴する後追。
僕も儚いという言葉、実の所全然良いとは思ってないのに
その場の雰囲気的にこう合わせてやったのだが、まさかの展開だった。
裏切られた気分だ。マラソンでのスタートダッシュに似てる。
「儚い。今にも消えそうで、朧で、曖昧で、有耶無耶で。
手を伸ばせば掻き消えて失せてしまいそうな、存在。
俺は決してそんな物が良いとは思わないし、思えない」
呟くように口にしてから、
彼は逃げるように屋上の唯一安全な出入り口である
錆びた鉄製の扉に向かって言ってしまった。
「帰るのかい?」
「あー、いや。教室に戻る」
「ふぅん」
言って、別れの言葉もなしに重い扉が軋む音と
それから大きな閉じられる音がして後追の姿はここから消えた。
―――
「ほら、起きなさいよ掃村。もう放課後よ?」
屋上の変わらず汚れたコンクリートの上、
時間が経ち太陽が傾いた所為でいつのまにか
僕が居る場所は影になっていて、
高いところの為に時折吹く強い風邪と合わさって
まるで縮こまるネコの様に寝ていた僕はそんな台詞で目を覚ました。
「ん……。あと五分」
「そんな定型句はいらないから、早く起きなさいよ。
あと少しで完全下校時刻過ぎて屋上も鍵かけられちゃうわよ?」
「……うぃっす」
お決まり。
王道とも言える言葉の応酬をこなしてから僕は起き上がる。
硬いコンクリートで長時間寝たおかげで全身が軋むように痛むが
それは若さでカバーをする方向性で。
「おはよう掃村」
「……おはよう大神」
欠伸を殺しながら、髪に付いた小さな塵を払い。
周囲をぐるりと見渡してみると、
運動部の練習も終わり本格的に学校から人が居なくなってるのが見て取れる。
なるほど、大神が僕を起こしてくれなければ危うく翌朝まで
屋上に僕は締め出されるという事にマジでなっていたかもしれない。
「状況確認はできたかしら?」
「えっと、まぁ、うん。できたけど」
「けど?」
「大神がなんでここに居るのかがわからない」
「まだ寝ぼけてる? 私、あなたを起こしたんだけど」
「なんで起こしたんだと聞いてるんだよ。
いや、屋上に放置されたかった訳じゃないけど
こんな時間までなにを校内でしてたのか気になって」
「え? えっと、それは、まぁ色々よ」
「色々?」
「そう色々」
「そっか、色々やってたなら仕方ないか」
「そういう事よ」
ふむ。
ぶっちゃけ全くどういう事かわからないのだけれど、
しかし大神。大神郁瀬は僕のクラスの副委員長さんなので
色々と言ったらそりゃ色々あったりするのだろうと勝手に解釈させてもらう。
途中退場したまま戻ってこないし、鞄も靴も置きっぱなしなのだから
そりゃ少し考えてみればまだ校内に居るだろうし
面倒見のいい大神が僕をわざわざ起こしに来てくれた事も頷ける。
「じゃあ行くわよ」
「わかった。今行く」
僕は差し出された大神の小さな手を掴んで
まだ降ろしたままだった腰を持ち上げる。
いや、しかし寝ているところをクラスメートの女子に起こされると言うシチュエーションは
中々嬉しいというか少しばかし喜ばしい場面だよなぁ。
屋上という場所とか、夕方という時間とか、色々テンプレ通りではないけれど。
とかなんとか少し年相応の事を考えてみたはいいけれど、
実際のところ僕の心境はどうなのかと言えば
至って平静というか平坦ですらあった。
大神郁瀬はどちらかと言えば起伏に乏しくはあるものの
総合的に言えば十分可愛い女の子であることに間違いはない。
ないのだけれど。うむ、どうにもときめきという感じは僕には生じない。
「あぁ、下駄箱はもう閉まってるから
靴を取って正面玄関から帰ってね」
使用頻度が低く、
且つ清掃範囲から外れている為に埃の溜まった階段を下りていると
大神はふといま思い出したかのようにそういった。
“帰ってね”と、まるで他人事のように言い切った。
教師だったらともかく、同じ学園の生徒であるのだから
この場合はそんななげっぱに発する場面ではないと思うのだけれど。
“一緒に帰ろう”みたいな言葉が飛んでくる事は流石に無くても
“早く帰らなくちゃ”的なそんな物言いが生徒の一般な反応ではないのだろうか。
まして比較的優等生である彼女のこと、門限とか諸々。
副委員長といっても、生徒会役員ではないのだし
この後も学校に居残らなくてはいけないような
用事などありはしないと思うのだけれど。
うん、まぁいい。
考えに耽るのはあまり得意ではないし、
いくら変に思ったところで僕はそれを口にすることはなく
言われたとおりに靴を持って正面玄関から帰路に着くだけ……。
「しまった、僕教室に鞄置きっぱなしだった」
さっき大神が僕を探しに来た理由みたいな思考で
置きっぱなしの鞄と靴を例に挙げておきながら
すっかり忘却していた。
もう下駄箱の目の前だっていうのに
また三階の教室まで行って帰ってこなくてはいけないのか。
「鞄? 別に明日でもいいじゃない」
「副委員長の癖にアバウトな発言だね。
まぁ授業を受けるには全部置いてってるから問題ないけど
そういや僕今日一日屋上で寝てた訳だから手付かずの弁当とか鞄に入ってるんだよ、
この季節に弁当を一日放置は怖すぎる」
それに大量の私物も問題だ。
あまり手から離しておきたくないし、
それに毎朝今日は何を持っていこうかと重さと大きさと重要度等を判別しながら
鞄に私物を詰め込むのは僕の日課兼趣味なのだ、ここは譲れない。
僕は軽い調子で放置を推そうとする大神の意見と
自身の趣味趣向プラス防犯意識のどちらを優先するか一秒強悩んでから、
大神を残して小走りで先程降りてきた階段を上って教室に向かった。
その際後方で大神がなにかしらを言った気がしたが、
僕の耳には生憎と聞こえることは無かった。
「……あったあった」
三階の廊下、
並んだ教室の一番奥にある突き当りにある
夕暮れの太陽に橙に照らされた誰も居ない教室で
僕は自分の鞄が自分の机に変わらずぶら下がってるのを見つけて
微かにあった不安を安堵に変えながら呟き、
脇のフックにかかったそれに手を伸ばした。
「やぁ、掃村」
「っ!?」
手を伸ばし、鞄の取っ手部分に手が触れたと
ほぼ同時に背後から突然かけられた声。
反射的に身体があからさまに竦み驚きを表現する。
擬音で表すならびくって感じ。エクスクラメーションマーク三つくらい頭上にでてる気がする。
スネーク見つけた時の敵兵三倍だ。尋常じゃない。
いやまぁ、精神的には冷静なのだが、
肉体的にはその一瞬の驚愕で心臓は跳ね
額には冷や汗が伝っている。
どうにもこういうびっくり系イベントは苦手だ。
ホラー系は大丈夫なんだけどな。
「深巫、そういう悪戯はやめて欲しいな」
バクバクと音を立てる心臓を宥め賺しつつ、
僕は振り向いた先、教室の中ほどにある柱の影に立っていた
深巫に不平を口にする。
「いやすまない。君がそこまで驚くとは思わなくてな、
ははっ、思えば滑稽な様だったよ。
こんな時間の教室で一人で居る君が身体を飛び跳ねさせる姿は、
まるで女子のリコーダーを手にしようとする小学生のようだ」
悪びれた様子も無しにくすくすと笑って
こちらに歩いてくる深巫に僕は嘆息を吐く。
言うだけ無駄、それはなにも僕の机を椅子扱いすることや
その奇矯な言葉使いなどに限らない。
「で、なんだよそんなところでわざわざ待ち伏せして。
とっとと帰ればよかったんじゃないか?」
「君は本当に酷い奴だ。僕等は友達だろ?」
「まー、そうだけどさ。流石にこんな時間まで待たなくてもよかったんじゃないかな、
僕がそのまま帰ってたらどうするんだよ」
「君が鞄を放置して帰るとは思えない」
「……さっすが」
「任せたまえ」
足の曲線美、お尻の豊かさとは裏腹に控えめな胸を張って、
尊大にふんぞり返る僕の友人に呆れた目を向ける。
僕は心臓がほぼ元通りの心拍に戻ったのを感じつつ
こんどこそ自分の鞄を掴んだ。
「……ん?」
「どうかしたか?」
「いや、お前僕の鞄弄ったか?」
「まさかそんな真似はしないよ、後が怖い」
「……だよなあ」
「なにか違和感でも?」
違和感。というか、雰囲気的な物。
手にした瞬間の重みとか、音とか。
「おいおい、いまやることかい?」
「万が一があるからね」
即座に自分の席に腰を下ろし鞄の中身を
机の上にぶちまける。MP3プレーヤー・カロリーメイト・
うがい薬・文庫本・割り箸にグミに薬局で売ってるウィダーもどき。
ポケットティッシュに小さい懐中電灯・ゲーム機。
そして申し訳程度の筆記具。
「相変わらず酷い中身だね。学校をなんだと思ってるんだい?
友達の家に遊びに行くにしてもいらないものが多いよ」
「……」
「掃村?」
鞄のポケットを覗きひっくり返し、それがない事を幾度も確認する。
なんてこった、もっとも無くなっていて欲しくないものがなくなっている。
「どうしたんだい。妹さんが亡くなった、みたいな顔しているけれど」
「そんな嬉しそうな顔に見えるかい?」
「……今のは普段なんと言おうとも実際妹さんが亡くなったら
今みたいな顔になるだろうという含みのつもりだったんだけどね」
ため息吐いて肩を竦められた。
呆れたと言いたげなその態度に少々いらっときつつ、
けれどとりあえずは問われたことに答える。
「ないんだよ」
「ない?」
「あぁ、僕の十徳ナイフがなくなってる」
コルク抜きやノコギリやらがついてるサバイバル用のアレだ。
わざわざ冊子系の通販で注文したお高い奴だというのに。
なにが不味いって色々と持ってることをばれたらヤバイものだからな。
「君はそんなものまで学校に持ち込んでなにをするつもりなんだい?
漂流教室みたいな事態は起こりはしないんだよ?」
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