【艦これ】「もう秋ね」 「そうだな」 (78)

先人たちの轍を踏み散らかしつつ、気づけば書いていました。

基本的には突発的に思いついたことをキャラクターたちに絡ませながら話をつくっていこうと思っています。
秋なんで秋っぽい話なんぞを。機会があれば戦闘もさせようかなとも思っています。

あんまり作品を確認してないので他作者さんとかぶるようなところがあるかもしれませんが、ご容赦ください。

あと地の文が多いので苦手な方注意ください。

それではこういう二時創作は初めてですが、どうぞよろしくお願いします。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1443018675

「秋だな……」


執務室の窓から覗く空はほんのりと茜がかかり、うすくたなびく雲が遠くの方まで続いている。


ぎぃい、と年季の入り始めた木椅子軋ませながら背伸びをし、ペンを机に放ったあと苛立ち始めた手首をもむ。なんとはなしに部屋をぐるりと見回し、ほっと息をつく。


学校を卒業し、本部で軽い研修を受けたここの鎮守府に配属されて早2年が過ぎた。長いようで短いような、しかし充実した日々。3年目を迎え、未だこの場所に自分がいるということはとても幸せなことだと思う。


提督としての任務は大変だ。深海棲艦との戦いは生半可ではない。連中に勝つため、任務を全うするためこれまで何人もの仲間たちを様々な海へ送り込んでいった。幸いなことにまだ犠牲者はいないがたくさん傷をつけてきたことは事実だ。しかしそれを共に乗り越えてきたという過去は今にして思えばとても美しく、暖かいものだと思える。えてして思い出は美化されるものだが、仲間たちとこれまで築き上げた絆は間違いなくかけがえのないものだ。


――こんこん。


「なんだ?」


「わたしよ。入るわね」


「ああ」


ひゅうう、と心地よい風が窓から流れてくる。少し乾いた、季節の移り変わりを感じさせる風。


「もう秋ね」


「そうだな」


「コーヒーを淹れてきたわ」


「ありがとう」


ことり、とステンレスのマグカップが机に置かれる。擦り傷だらけだ。着任祝いとして元帥殿から餞別でいただいたもの。保温性に優れているのでどんな季節でも使用でき、重宝している。


なんとはなしに言う。


「おまえともけっこう長い付き合いだな、叢雲」


「まぁそうね。一番の古株はわたしだもんね」


そういって叢雲は机の端に軽く腰かけると、は~あと少し大げさに肩をすくめた。


「今でも昔を思い出すとため息が出ちゃうわ。何も知らないあんたにアレコレ教えるの大変だったんだから」


「あんまり言わんでくれよ。確かに、赴任するまでに提督業をもう少し予習すべきだった。悪かったと思ってる」


「ほんとかしら」


「ほんとさ」


すると叢雲はどーれ、と探るような目でこちらの顔色をのぞいてきた。赤い瞳が、瑞々しく揺れる。


叢雲は着任当時から、おかしなことをしでかしてないか、隠し事をしていないか見極めるためにこうして見つめてくることがあった。不甲斐ない話だが、よほど当時の自分が危なっかしく見えたのだろう。今でこそ慣れたが、もともと女っ気が無かった自分にとってこの睨めっこ攻撃には大変気をもまれた。いや叢雲だけじゃない、気を揉むといえばほかの住人達含めてだ。なんせ美人ばかりである。着任当時は挨拶するだけで無駄に疲れたものだ。

「まぁ、いいわ」


きまぐれな猫のようにそういうと、叢雲はコーヒー片手にこちらが確認し終えた書類のチェックを始めた。ぱらぱらと、判やサインを記された紙の束を捲っていく。


「――他鎮守府との演習の積極的参加。哨戒任務のマルチ化。練度を格差を小さくし、不測の事態にも迅速に対応できるようにする……」


ぽつりと、報告書に一部を叢雲が読み上げた。


「これ、上にあげるものでしょ。これからの活動指針?」


「そうだ。特定海域のみならず、多方面への同時攻撃や艦隊を複数用いた作戦が増えてきているからな。海に出せるものが限られていたり、実力にばらつきがあったりするとまずい」


「うちも人口が増えたしね」


「そうだ。おまえと北上と蒼龍、長門と利根であれこれしていたときとは大違いだ」


「あのころはやりくりが大変だったわね……。よく頭を抱えたもんだわ」


「海に出るたびに資源が大赤字だったからな。まぁ良い思い出さ」


「そんなもんかしら」


「そんなもんさ」


言ってコーヒーを一口。ホットがうまくなる季節である。


「じゃあ大淀に渡してくるから」


叢雲は腰を上げ、書類の束をとんとんとまとめた。


「他に用事はある?」


「いや、今日はもう終いだ。夕方まで自由にしていい。夕飯まで外にいるよ」


「わかったわ。お疲れ様」


叢雲はきびきびと返事をして執務室を去っていく。ぼんやりと彼女が出て行った扉を見つめたあと、席を立つ。
そして窓に手をかけて下界を見下ろす。執務室は三階だ。ここからだと鎮守府の大体を見渡すことができる。今はいないが、よく下の運動場で駆逐艦と軽巡の子らが遊んでいる。心休まる平和な光景だ。


自分はここからの眺めと屋上からの眺めが好きだ。今の季節、暮れなずむ水平線を眺めるのがお気に入り。とても風情がある。


ひとしきり涼しい風を堪能した後、窓を閉めた。日が暮れるのがもう早いので用心のためだ。


「さて、気晴らしに外へ行くか」



*  *  *  *  *  *


腕時計を見ると時刻は1700を回ったところ。夕餉の時間だ。夏の大型作戦も終わった今、特殊な作戦も任務も無いため、夕餉の時間内であれば各々がいつでも食事をとれるようにしてある。もちろん何らかの任務があるものは別だが。


「司令官」


後ろを振り向くとこじんまりとした紫色の姿が見える。ひょこひょこと小走りにやってくるとお疲れ様、と軽く頭を下げてきた。


「ひとりか、弥生」


「ええ。みんなはもう食堂に行ってる」


「そうか」


「司令官もこれから食事?」


「そうだ。鎮守府を散歩してきたからいい具合に腹も減っている」


「そう」


そして会話が唐突に終わる。もともと自分は喋るたちではないが、弥生はもっと無口だ。鎮守府にやってきたときは扱いに困ったものである。気を遣うなといわれたら余計に気を遣ってしまうのが人の性というもの。彼女が秘書官だったとき、コミュニケーションが上手くいかな過ぎて泣かれたこともある。あのときは本当に参った。思わず睦月に助けを求めてしまった。我ながら不甲斐ないとは思う。


「……」「……」


だが今はこういう無言のままでも気負いはない。きっと弥生もだ。言葉を交わす必要のない間柄というのもなかなか悪くはない。個人的には好きな方だ。


「あ、来た来た!弥生ちゃーん!」


食堂が視界に入る。見れば入り口で睦月が手を振っていた。弥生を待っていたのだろう。


「司令官」


「ああ。行ってこい」


弥生は頷くと、再びひょこひょこと小走りに去っていく。その様子を見て少し不安になった。大丈夫大丈夫とは弥生の口癖だが、意外とドジなところがある。秘書官だった時も書類を抱え過ぎ、廊下でつまずいてぶちまけたり、敷居につまずいて盆に載せた茶をこぼしたりすることがあったのだ。


「!」
「弥生!」「弥生ちゃん!」


――セーフである。蹴つまずいたようだがなんとか踏みとどまった。
結局弥生は睦月に手を引かれながら食堂へ入っていた。「大丈夫」といいながら。やれやれ。





彼女らに遅れて食堂へ入る。仲間たち全員が入れる大きさがあるのでなかなかに食堂は広い。


自分はいつも食堂に入ったとき全体を見回すようにしている。最近はあまり無いが、はぐれものが居ないかどうか観るためだ。こう人数が増えるとどうしても仲良しグループというものができてしまう。ましてや食堂は広いのだ。かたまっているものとそうでないものが露骨に表れる。それにはぐれもの以外にも、何か悩みを抱えている者というのは遠目から見ると良く分かる。この鎮守府を彼女らにとって過ごしやすくさせるというのも自分の役目の一つだと思っている。


ざっと見渡す限り、今日はそのような者はいなさそうだった。うむうむと頷きながら配膳場へ向かう。


「提督。今日もお疲れ様です」


「間宮さん、お疲れさん。今日もうまそうだな」


「今日はさんまの塩焼きですよ。これから美味しくなる季節ですね」


「そうだな。食欲の秋ともいうし、ご飯が楽しみになる季節だな」


「ええそのとおりです。提督。食欲の秋ですよね」
「おっしゃるとおりです。まったくこの香りだけで気分が高翌揚します」


隣に現れたのは赤城と加賀だ。空母組は確か昼から修練場で訓練だったはず。体を動かした後だからきっと腹を空かせているのだろう、料理を見て二人ともにこにこしている。大変、にこにこしている。


「間宮さん。つかぬことをうかがいますが、さんまのおかわりはあるのでしょうか?」


「ええ。今日は大量だったようで、卸の方からたくさん購入しましたから」


「聞きましたか加賀さん。旬の幸、食べ放題ですよ!」
「ええ赤城さん。非常に、気分が高翌揚します。」


「なーにが高翌揚よ。食いしん坊なんだから。ああ、赤城さんは良いんですけどね」
「こら、瑞鶴」


加賀の隣、二人分ほど空いた先に盆を手にした者が二人。瑞鶴と翔鶴だ。思わずほほをかいてため息をついた。


「何か御用ですか?五航戦のお二人」
加賀の低い声が地鳴りのように響いた。


「別にー。何でもないわよ」


「こ、こら瑞鶴……。ご、ごめんささいね、加賀さん」


つんと明後日の方を向いている瑞鶴と、それを睨み付けている加賀を見て翔鶴は苦笑いを浮かべている。むしろ浮かべるしかないといった様子。


「最近思っていましたが、やはりあなたは性根を一度叩き直す必要があるようですね……!」


「ふん!それはこっちのセリフよ」


ごごごごごという擬音が沸き立つような雰囲気が平和な配膳場を犯し始める。



「おい」


たまりかねて声が出た。加賀と瑞鶴がこちらを向き、瑞鶴がしまったという顔をする。


「おまえたち、ここは飯を食う場だ。喧嘩をするなら余所でやれ」


「……だ、そうよ」


「ぐぬぬ……」


「お前もだぞ加賀。二人ともいい加減にしろ。間宮さんの前でそんなことをするな。失礼だろう。せっかくの飯を不味くする気か」


「確かに……」「そうね……」


「二人とも、気にしなくていいんですよ」


眉をハの字にしながら間宮さんが言った。さすがにばつが悪くなったのか、瑞鶴と加賀はそれ以上言葉は出さなかった。


「ふぁあん!やはり塩焼きさんまには大根おろしですね!」


そして赤城はまったくぶれない。こちらのことなどお構いなしである。いつの間にか食事を受け取った赤城はすでにもっきゅもっきゅと絶賛食事中である。その姿に毒気を抜かれたのか、脱力したように加賀が赤城の隣へと座った。


「提督、申し訳ありませんでした」


間宮さんから食事を受け取っている間、翔鶴が言った。


「翔鶴、おまえが頭を下げることじゃないだろう」


言って瑞鶴をちらりと見る。唇を尖らせ、こちらと目を合わせようとしない。が、申し訳なさそうな気配はある。


「また明日全体朝礼の時に言うが、今後一航戦と組むことが増える」


瑞鶴はえええ、と声にならない声を上げた。その様子を見て鼻でため息をついた後、言葉を続ける。


「どうにも任務に支障をきたすような状況なら、こちらも黙ってはいないからな。胸に留めておくように」


以上、と言って場を離れた。案の定うしろの方では瑞鶴がげんなりとした声を漏らしている。彼女らの変な因縁も、暇なこの時期に解消させたいものだ。頭の中のやることリストに加えておくことにする。



すでに食事をとっている者たちからの挨拶を返しながら、さてどこに座ろうかと考える。たいがいは誰かと一緒に食べることが多いが、なんとなく今日はひとりで食べようと思い隅っこのテーブルに腰を下ろした。ふと頭に思い浮かんだのは先ほど言った今後の方針のこと。


叢雲に渡した報告書のように、今後の鎮守府の活動について考えをまとめはしたが、具体的なことはまだぼやけたままだ。直近に考えなければならないことは練度その他を考慮したグループ分けだろうか。高い方から低い方へと順位付けし、誰をどのようにして組むかを考えなければならない。
当然、練度の高いものは低いものへの指導的立場に当てるべきだ。だが瑞鶴と加賀の関係のように単純に練度分けすればいいというものではなかろう。うちのものたちの関係性は大体把握しているつもりだが、念のため一度その辺りをしっかりまとめる必要があるか。


一番楽なのは各艦種にきちんとしたまとめ役を選定し、そのものを頭として各員の指導や誘導、こちらとの調整を行うというもの。一応現時点でも艦種ごとの代表者というものはあるがほとんど形骸化している。よくよく冷静に考えれば、現在のこの鎮守府は連絡網等が完全ではなかった。これまでよく激戦を潜り抜けてきたものだ。やれやれである。


そんなことを考えながら、脳裏に浮かんだものは叢雲の姿。そう。彼女には世話になっている。以前からも。そしてきっとこれからも。怒られることも多いが。


「フン……叢雲か……」


「何よその言いぐさ……!わたしと相席はイヤってわけ?」


はっとして前を向けばなんと叢雲である。少々吊り上り気味だが形のいい赤眼は半分しか開いておらず、片眉がぴくぴくしている。大変、苛立っている様子。思わず箸をもった手を振り、弁明する。


「いやいやいや、違うぞ叢雲えーとそのだな……!」


「ええわかったわよわたしはあっちで食べるわよ。それと行儀が悪い!箸はおきなさい!」


ふん!と盛大に鼻を鳴らし、薄青の豊かな長髪を豪快にふりふりと揺らしながら、叢雲は吹雪たちが座っているテーブルへと去って行った。思わず目線を落とし、眼下のさんまにすみませんと謝罪をする。


「はぁ……」


ため息をつく。最近ため息が多い。まったくよくない兆候だ。思い出したようにさんまをつつき、下ろし大根を身にのせて口へ運ぶ
。おいしい。だが少し冷め始めている。おまけに大根のにがみがやけに沁みる。


間宮さんおかわり!という元気な赤城の声がこちらまで聞こえてきた。それにつられてあははと笑い声も聞こえてくる。なにはともあれ、彼女らは元気だ。それはとても喜ばしいこと。ここの頭である自分が辛気臭かったら彼女らに余計な心配をかけてしまうかもしれん。いかんな。それはいかん。


そして腹が減っては戦はできんもの。ぐずっていないで飯を食おう。精をつけねばできることもできん。


その後さんまを一尾おかわりした後、皆に軽く挨拶をして食堂を後にした。



*    *    *


夜。自分の部屋。時刻は間もなく2200を回るころ。


暖色の白熱灯の下、椅子に座り、本を読んでいる。


すかした窓からは穏やかな夜風とやさしい虫の音が聞こえてくる。


もともと読書が好きで暇さえあれば読んでいる。しかし最近は以前にも増して本を手に取ることが多くなった。これといった理由は無いが、読書の秋真っ盛りである。


部屋隅にある二人掛けのソファーには叢雲。意外なことに彼女も本を読む。もちろん漫画ではない。


ちなみに先ほどの食堂での件はもちろん弁解済みだ。彼女は頑固な方ではあるが、決してわからず屋ではない。長い付き合いである。向こうの癖も、こちらの癖も、お互い知りえているというものだ。


さらにベッドの上にはもう一人。椅子代わりに腰を下ろし、真面目な顔で本を読む姿はなかなか美しい。ときおり見せる銀髪を耳元で掻き上げる仕草はこちらをどきどきさせる。余談だが最近鎮守府で秋祭りがあり、意外にも食いしん坊だったことを知った。



「浜風」


言ったのは叢雲。いつも通りの少し生意気そうな声。


「そろそろ部屋に戻って寝たら?」


言われて浜風は壁の時計を見た。そしてこちらを向く。


「提督、もうお休みになられますか」


「……いや、もう少し切のいいところまで読むつもりだ」


「私も、もう少し読んでいたいです」


名残惜しそうに浜風は言った。自室で読め、と言いたいところだが浜風の自室にはもちろん他の子たちがいる。だがもう眠っていることだろう。彼女は仲間の睡眠を邪魔したくないのでここで本を読んでいる。なお、叢雲は現在秘書艦のためここにいる。


「でも明日朝早くから遠征でしょ?起きられるの」


「大丈夫です。迷惑はかけません」


「ほんとに?」


「はい」


「ならいいけど……」


会話を終え、浜風は再び物語の世界へと戻る。ちらりと、困ったような顔で叢雲がこちらを見た。まぁまぁ、とほほ笑みながら無言でうなずいて返すと、叢雲は小さく肩をすくめた。


こういう時間も最近できたものだ。2年経ち、仲間たちとの絆も深まり、ようやく気さくに話ができるようになっている。昔では考えられないことだ。理由は良く分からないが、彼女らに尋ねると昔は自分のことが恐ろしいく見えていたのだという。きっと提督としての義務を覚えるため、それらを果たすために必死過ぎて余裕が無かったからだと思う。厳しいこともたくさん言った。けんかもした。だがそうして腹を割って話したことによって今があるのだと確信している。


自分としてはこれからも仲間たちとの思い出をつくり大切にしていきたい。最近ではあちこちで鎮守府が設営され、人の出入りも激しい。あまり長いこと同じところに居るとそこでのルールが凝り固まってしまうことから提督の入れ替えや特定の艦隊の入れ替えも増えてきている。いつここを離れるかもわからない今――あまい話かもしれないが――初めての鎮守府で、初めての仲間たちとの思い出は自分にとってかけがえのないものなのだ。


鈴の音は夜通し続いていく。しかしいずれは鳴らなくなる。別れはいずれ来るのだ。ならばせめてそのときまで穏やかに、時に忙しく、楽しく過ごせればいいと思う。自分の願いは、それだけだ。

ひとまず投下終了です。

来週末ぐらいに更新の予定です。

おつ 期待してる

乙、まずは見守ってるよ

乙です

1です。

前回は推敲が足らず誤字が多くて本当に申し訳ありませんでした(陳謝アンド陳謝)。
高翌揚という字がなぜあんな風になったのか・・解せぬ……



朝。自分の部屋。時刻は0500。カーテンの隙間から差し込む朝日はまだ仄暗い。


体内時計によって目覚めるいつもの朝。あと五分、あと五分という誘惑を頭を振ってかき乱す。さぁ、今日も一日が始まるぞ。


あくびをかみしめながらベッドを降り、思い切り伸びして体を軽くストレッチする。関節がごきごきと小気味のいい音を鳴らした。


クローゼットから制服を取り出し着替えた後は早速海へ向かう。0600より早出の遠征があるためだ。


これから海に出るのは第4艦隊。旗艦を矢矧とした以下駆逐艦5名による部隊。彼女らにはこれから長時間の遠征任務にあたってもらうこととなる。


「提督。おはようございます」


海際に立ち、水平線から昇ってくる朝日を眺めていると後ろから声をかけられた。振り返った先にはたおやかな雰囲気を纏った女性が立っている。


早朝からきりっとした挨拶をしてきたのは矢矧。生真面目で懐の深い子だ。


「おはよう。今日は比較的波が穏やかそうだな」


「ええ。大淀さんから頂いた情報によると、北方海域の方は晴れで大きな波は無いそうよ」


「そうか。しかし長時間の遠征だ。おまえは慣れているだろうが駆逐艦の一部は長時間遠征に慣れていないものもいる。よく見てやってほしい」


「まかせて。心得ているわ」


頼もしく返事をする矢矧にうむ、と頷く。


「そういえば間宮さんから糧食は受け取っているか?」


「駆逐艦の子たちが受け取りに行っているところよ。そろそろ戻ってくる頃じゃないかしら」


「浜風は眠そうじゃなかったか?」



「そういえば少し瞼が重そうだったわね。何か知っているの?」


「最近本の虫に取りつかれているのだ。遅くまで読んでいる」


「提督の部屋で?」


「ああ、そうだ。勘が良いな」


「自室じゃ読めないでしょうし、だとしたらと思ったのよ。提督も本が好きよね。どんなものを読んでるの?」


「特定のジャンルにこだわっているわけではないが、最近は夜市という本を読んだな」


「なんだか怪しげなタイトルね」


「ああ。和風で少し怖い内容の話だ。だがとても不思議で神秘的な話でもある。興味があるなら貸してやるぞ。文体も固くないから読みやすいしおすすめだ。浜風もその作者の本に夢中でな」


「そう。なんだかうれしそうね、提督」


矢矧が穏やかに微笑んだ。頷きながらああ、と彼女に返事をする。


「自分の価値観を少しでも他人と共有できるというのはうれしいだろう?」


「そうね。ええ、そのとおりだわ」


ふふふ、と矢矧は口元をほころばせた。つられてこちらも小さく笑う。


――と、そんなとき、


「てーとくぅー!」


「しれぇええーー!」


鎮守府内の方からこれまた無邪気な声が聞こえてきた。さながら空に向かって伸びる大輪の花のような明るい気配。朝っぱらから元気この上ない。


「ほーらやっぱり島風がいちばんでした!」


「ぶふぇ……。もー少しで追いつけそうなんだけどなぁ」


「おはよう。相変わらず元気だな、おまえたち」


おはよう、と駆逐艦二人が声を揃えて挨拶をした。


「わたしは起きるのも一番だからね!」


「わたしはちょっと眠いかなー」


ふああと目じりに涙を浮かべて欠伸をするのは時津風。確かに眠そうだ。正直いうと自分も眠い。


「他の三人はどうした」


「歩いてこっち来てるよー。あ、きたきたー」


島風と時津風がやってきた方向を向くと、浜風、陽炎、長波の三人がこちらへ向かってきていた。それぞれ手には糧食の入った紙袋を持っている。


その様子をみて駆逐艦二人に言った。


「自分の糧食は自分で持ってきなさい」


「だってジャンケンで勝ったもん」


そういって時津風はほほを膨らませた。まぁ、そういうことなら構わんが。


「ねー、しれぇ。なんならジャンケン勝負する?わたし強いよー負けないよー?」


時津風はンふふ、と意地悪そうな笑顔を浮かべ、右手をしゅ、しゅとジャブのように挑発的に繰り出してきた。


「あーはいはいまた今度ね」


その様子をしっしとあしらいつつ、矢矧に出航準備するよう伝える。憤慨している時津風を遠征から帰ってきた後遊んでやる約束をしてなだめつつ、糧食を携えた3人と合流し、全員で港へ向かった。


「提督」


言ったのは傍らの矢矧。向こうの方では駆逐艦の子たちが楽しそうに騒ぎながら準備を進めている。


「私にも本を貸してもらえるかしら」


「喜んで、どうぞ」


「楽しみにしておくわ」


矢矧はうふ、と満面の笑みを浮かべた後、駆逐艦の子たちの元へ向かった。陽炎が島風と時津風に手を焼いているところをフォローしてやり、ようやく落ち着きを取り戻し始める。
そして朝焼けを水面に受ける海原へ彼女らを見送った後、執務室へ向かうことにした。



*    *    *



時刻は0630。3F執務室。


椅子に座り、本日中に処理すべき書類や業務を頭の中で整理しつつ、その内容を手元のノートにメモしていく。最近はやることが多すぎてメモを取らないと忘れてしまう。


ページを上下に午前・午後とざっくり分け、午前の部分に艦娘たちの練度による区分け、各艦隊の暫定メンバー決め、そのローテーション決めと書く。その次に他鎮守府との演習予定の確認と続け、工蔽で武器の開発と書く。


「んー……」


腕を組み、目を閉じたまま天井を見上げた。背もたれに体を預けると毎度の如くぎぃい、と椅子が鳴く。


これは学生の頃から続く考える時の癖だった。瞼の裏に広がるどこまでも続く暗闇の中で穴を掘るように、もしくは水中をもがく様に手探りで思考する。こうすることによって名案が浮かぶわけではないのだが、ついついやってしまう。


うちの鎮守府は空母に恵まれている。一航戦の赤城・加賀に続き、蒼龍・飛龍、瑞鶴・翔鶴。軽空母には飛鷹、鳳翔の二人がいる。また戦艦にも恵まれている。金剛型の4人に長門型の2人。そして型はまばらだが、駆逐艦もまぁまぁ在籍している。


逆に戦力が薄いのは軽巡・重巡艦だ。軽巡は矢矧に能代、北上、大井の4人。重巡は利根型2人、熊野と鈴谷、そして衣笠の5人。潜水艦に至ってはゼロだ。


これまで海域や戦況に合わせいろいろとやりくりをして作戦をクリアしてきた。しかし作戦完了を第一とし、面子の足並みを後にしてきたツケが最近まわってきているのが現状。あまり実力に差が開くと上から目をつけられるかもしれない。もしかすると誰かが別の府にとばされるかもしれない。それは個人的に嫌だ。避けたい。


そのためには弱い子の練度の向上が早急に必要だ。となるとどうする?何をどう組み、予定すれば効率がいい――?


「――Guess who?」



視界の向こうを暗中模索していると、突然何者かの手によって両目を覆われた。


「!?」


その不意打ちに驚いた自分はバランスを崩し、思わず背もたれに体重をかけ過ぎてしまう。そして椅子ごと倒れそうになり、


がたッ!――、もふ。


勢いにまかせ後頭部を床に強打するかと思いきや、なぜか柔らかいものに支えられて無事に済んでしまった。


……しかし柔らかい。そして温かい。おまけに花のような良いにおいがする。


「うふ。提督ったら、積極的ネー」


んあ?と呻きながら目を開けると、視線の先によく見知った戦艦が顎を引いてこちらを見つめていた。にこにこと微笑む彼女を一瞬ぼんやりと眺め、自分が今どんな状態なのか気づき、おわわー!と小さく叫びながら居ずまいを正した。軽く赤面して振り返ると、彼女はンぅーふっふーとどこか勝ち誇ったように口元をにやにやさせていた。……両手で胸を触りながら。


思わず額を押さえ小さく俯きすまん、とつぶやく。すると彼女は一転してからっと笑った。


「グッモーニン、提督!」


そして英国生まれらしい流暢な英語で元気よく朝の挨拶をした。ぐっもーにん、とこちらは対照的に沈むような声で返す。


「金剛。さっきはすまん」


「そんなのワタシなら全然オッケーヨ~。むしろ大歓迎ネ。それより提督ゥ、名残惜しくなかったカーイ??」


金剛はエヘヘヘーといじわるな笑顔を再び浮かべた。またもや両手を胸に当てている。しかも今度は少し揺らしている。


はぁ、いかん。目に毒ではないが毒だ。非常にあまい毒。英国流にいえばスィートポイズンとでもいうのか?英語は疎いのでよくわからん。


ともあれ、これ以上見ては業務に支障をきたしてしまいそうだ。金剛からはさっさと目を逸らし、机に向うこととする。


「もう、提督ったら、相変わらずイケズネー」


トゥーバァッド、とそんなに残念でもなさそうな声でごちる金剛は置いておき、眼前のノートに再び目を落としながら言う。


「今日から秘書艦なんだろう?秘書艦らしくちゃんとしてくれ」


「秘書艦だからこそヨー?提督ゥ。分かってないネー!」


「あーはいはい。分かってない分かってないネー」


ぶーぶー鳴く金剛をいなしつつ、壁の時計を見ればまもなく0700になるところ。思いのほか時間が経っていた。このままでは朝食に遅れる。


「食堂へ行くぞ金剛。腹が減っては戦ができん」


椅子から立ち上がりながら金剛に言うと、イェスサー!と手を上げながらの返事がとんできた。良い返事だと言おうとすると、


「ところで提督ゥ、イクサっていったいどんなイクサなのかナー?」


ワタシワカンナイヨーと戯けたことを言う金剛のにやけ顔をまたもや拝むことになった。例によって胸をさわさわしている。この短時間に三度目だ。


ええいしつこいぞ!という恥ずかしさを誤魔化すために言い放った自分の言葉はしかし無念、彼女の形のいい耳に届かなかったようだ。これこそトゥーバァッドだろう。向こうといえばはこちらの反応を楽しむようにカラカラと笑うばかりである。もはやまともに相手をしない方がよさそうだった。


苛立ち紛れにフン!と盛大に鼻を鳴らして執務室を出る。何となく敗北した気分だが考えすぎないようにする。後ろの方から届いてくるソーリー提督~という声は扉越しに聞き流すことにし、食堂へと続く廊下をずんずんと歩いていった。



*    *    *    *



「――ということなので、これから他鎮守府との演習や、これまでとは違う編成での出撃が増える――」


朝食後の朝礼は毎朝0750より行っている。早出の任務で出払っていないもの全員を集め、基本的には運動場で行っているが、急ぎの時は朝食中に行うこともある。


今日は運動場にて行っている。良く晴れた空の下、視線の先に仲間たちがずらりと並んでいるのが見える。いつもの光景だ。


隣には秘書艦の金剛。今回はとくにしゃべることも無いので黙って控えている。


朝礼はここに赴任してからずっと行っており、本部から通達された連絡事項の報告やその日の各部隊、もしくは各艦種への指示を出すことを目的としている。同時に仲間たちの顔をみて状況を確認することも目的の一つ。


だがこの朝礼もいずれ廃止させるつもりだ。最終的には艦種ごとの代表にある程度の業務を委託し、より組織だった構造にしようと考えている。


なぜかというと現状のやり方だと自分にかかる負荷が多すぎる。何でもかんでも自分で管理していてはいざという時に面倒だし不便だ。提督としての執務の能率も下がる。


そもそも昔は全体の人数が少なかったからこの全体朝礼で事足りていたのだが、人数が倍以上に増えた現在はそういうわけにもいかない。非常に特殊なケースではあるがあくまで我々は軍事組織。学校やサークルとは訳が違う。


「――なので、まずは各艦種の代表者を選出してもらう。どんな選出方法でも構わないが、代表者は言い渡されたすべての指示に対して責任を持ってかかるように。また、自分の行動が部隊の命運を左右するという覚悟を持ってくれ」


仲間たちの表情が少し強張った。だが嫌そうな顔をする者は一人もいないように見えた。


「日限は本日1830まで。また、選出された代表者との打ち合わせを1900より行う。これまでの内容について質問はあるか?」



――特に手は挙がらない。


「では朝礼を終える。もし不明なことや気になることがあれば個別に尋ねてくれ。以上、解散」


解散の言葉と同時にそれぞれ今日の任務や訓練に合わせて動き始めた。自分も執務室で書類整理が待っているので、部屋に戻るべく踵を返した。


「提督」


一歩踏み出す前に呼び止められた。この声は赤城である。振り返りどうした、と尋ねる。


「空母・軽空母代表はこの赤城が務めさせていただきます」


飯を食っている時とはまるで違う――それこそ人格が入れ替わったよう――その表情は歴戦の戦士の顔をしていた。


「決断がやけに早いが、みな了承してのことだろうな」


「無論、そのとおりです。今しがた全員を集めて話をしたところです」


迷いなく赤城は言った。確かに、経歴や腕前を見てもこの鎮守府において赤城が代表者にふさわしい。こちらとしても安心できる。大食いなのが玉にきずだが。


「では赤城。夜の会合で詳しい内容を説明するが、空母系は今後赤城を頭として動いてもらう。頼んだぞ」


「承知いたしました。では」


赤城は一礼し、向こうの方で待っていた空母組に合流して早速何やら指示を出し始めた。やる気満々の様子。いいことだ。後は彼女らのバックアップや、おかしな方向に進んでいかないよう適宜様子を確認すればいいだろう。


気を取り直して執務室へと足を向ける。さてまずはどの書類から手を付けてやろうかと頭の中で攻略法を考え始めていると、


「待つのじゃ提督よ」


再び足を止められる。後ろを向けばいつものように腕を組んだ利根が仁王立ちしていた。


「重巡はこのわしが務める。よいな」



「よいけど、お前の独断じゃなかろうな」


「フン、何をいうか。冷静に考えてみろ。この鎮守府で一番頼りになる重巡は誰だと思うておる?」


どうだ、と言わんばかりに胸を張り、鼻を高々と上げる利根を無視し、彼女の質問に対して顎に手を当てながらあくまで冷静に考え、



「……筑摩だな」


「なんでぢゃ!」


ぷんすかと長いツインテールを振りながら荒い息をする利根に「ちゃんとみんなで話し合ってこい」と言い残し、再三執務室へと向かった。


赤城はともかく、もう少し真面目に考えてほしいと思う。おそらく先ほどの利根ではないが、今回の代表選出の件に関して軽く考えている者は少なからずいると思う。


だがこれはある意味これからの鎮守府の行方が決まるようなものなのだ。大規模作戦が終わり、今はみな気持ちが緩み、忙しかった頃よりもだいぶのほほんとしている。それはそれで良い。


だが我々は軍事組織だということを忘れてはならない。いざというときは文字通り命をかけなければならないのだ。おそらくこの基本的な心構えについて彼女らは忘れていないだろうが、どうも最近気が抜けすぎている節がある。どうにかしてしっかりと根付かせてやりたいことなのだが、どこか名案はないものか。


「ヘーイ、提督ゥ。なんだかお悩みの様子ネ」


傍らの金剛が言った。


「悩みが尽きん役どころだからな」


「誰かさんじゃないケド、もっとワタシたちに頼って良いんデスよ?」


ディペンドンミー、といいながら金剛は自分の胸をどんと叩いた。どんなことでもまかせなさい、といった態。今朝方のようにふざけた感じはない。


そう、元来金剛はこんな風に姉御肌なタイプなのだ(実際に姉だが)。もちろん戦艦として戦闘する際も頼りになることは多い。さらに彼女は現在秘書艦だ。気になることは無暗に溜め込まず、どんどん彼女に相談してもらうのも悪くはないかもしれない。


「他人に言い辛いことでもどーんどん打ち明けてオーケイよー。私の胸で良ければネー」


言って金剛は胸をゆさゆささせた。またあの顔だ。オーマイゴッドこれはもう前言撤回である。というか何回そのネタを使う気なんだ。


「お姉さま、何をしているのですか……」


声の方を向けば間の悪いことに通りすがりの榛名の姿が。なんとも例えがたい顔で金剛と自分を交互に見つめている。おまけにはれんちです、と小さく呟いている始末。そんな小動物めいた榛名を金剛は笑い飛ばすと、


「ダイジョウブよ榛名―!提督がイロイロ元気なだけネー!」


「やかましい!」


いい加減にしないと怒るぞ!と手を上げながら言うと、金剛はアーハッハーと逃げて行った。なお方向的には執務室である。もしかすると先に戻るつもりなのかもしれない。


げんなりしながら榛名の方を向く。


「榛名。さっきのことは忘れろ。英国的戯れだ」


「え、ええ。榛名は大丈夫ですから」


そういう榛名の笑顔は少々固い。まったく金剛め……。



「ところで提督。朝礼で説明された件なのですが、やはり今後は大規模な作戦が今以上に増えるのでしょうか」


榛名の苦笑いを解消すべく話のネタを考えていたら向こうから尋ねられた。そうだな、と彼女に返事をする。


「正確に言えば、より複雑で多彩な能力を求められる作戦が増える感じだな。もちろん規模的な意味で大きい作戦も含まれる。だからこれまで以上におまえたちに世話をかけることになるだろう」


なるほど、と榛名は噛みしめるようにうなずき、


「榛名でよければこの力、いつでもお貸しいたします!」


と頼もしく言った。さながら白百合のように己の言葉に一点の曇りなどない、真摯な気持ちがこちらに伝わってくる。榛名のこういうところはとても好ましいと常々思う。なかなかできることではない。


ありがとう、と答えながらなんとなく視線を感じたのでそちらに目を向けるとなんと金剛が居た。驚きのあまり肩がびくっとなる。


しかも半分だけである。体半分だけをのぞかせながら、ジト眼でこちらを見つめている。唐突さと不気味さに思わず心臓がどくどくと躍動し始める。


「提督?」


榛名が心配そうに顔を覗いてきた。小柄で日本人的な顔立ちはとても愛らしい。


彼女に大丈夫だといいつつも目線はぎりぎり金剛へ釘付けである。ほどなくしてジト目の金剛は、視線をこちらに向けたままではあるがゆっくり建物の影にフェードアウトしていった。念のためもう少し目を向け、気配がなくなったところでようやくほっと息をつく。


「提督??」


心配げな榛名に何でもないからもう行きなさいと伝える。どこか解せない様子のまま、一礼して榛名は去って行った。


思いもよらぬことで執務室へ戻るのが少し億劫になってしまった。だがまぁ仕方がない、気を取り直して重い一歩を踏み出すことにしよう。


今日ははまだ始まったばかり。しかし一段と騒がしくなりそうな予感がした。やれやれである。



*    *    *    *


またもや「こうよう」がおかしくなりました・・・。原因不明です。すみませんが脳内補完お願いします。

ともあれ今回は以上です。筆が進めばもう少し早くなりますが、次は来週末辺りの予定です。


高揚はsagaって入れないと

初めてSS書くのならちゃんと■ SS速報VIPに初めて来た方へ読んどかないと


sage saga進行にすれば問題ない

こんばんは。諸兄の方々ご忠告感謝いたします。
初めて来た方へは読み逃していましたのでこれから熟読してまいります。


――暁の水平線。


視線の先にはうろこ雲に覆われた夕日。薄くのびた金色の幕を纏っているかのようで神聖さを思わせる景色が広がっている。


空の果てでは薄紫色の空と薄紅色の空が混じっている。そこは表と裏が交わる秘密の空間で、まるで自然が隠しそびれた宝物のように思えた。


波は穏やかに揺れている。夕日を照らし返す水面はさながら大麦畑の絨毯。駆け抜けていけば沈みゆく太陽に手が届くのではないか錯覚させられる。


周囲の音は海と風だけ。喧騒も無ければ、海鳥の声もない。


まともな生命すら産まれていない原初の海に立ち会ってしまったかのような、皆すべて置き去りに一人だけ世界の果てに辿り着いてしまったような孤独感。


――それにしても、こんな景色、見たことが無い。


希薄な意識に浮かぶのはそんな言葉ばかり。だってあまりにも美しすぎるから。水平線に沈む太陽は幾度となく見つめてきたが、眼前に広がるこの光景はあまりにも美しい。タダでこんな景色が見られるとは我ながら幸運だと思った。


しかしこの大空を見届ける両目は熱い。突然、わけもなく涙が流れ落ちた。


とめどなく流れる涙でせっかくの夕日が乱される。そして胸中には心を引き裂かんばかりのかなしみ。切なさ。


感動物の本を読み終えた時のような感情はどこから湧いたものなのか。心当たりが無さ過ぎて訳が分からない。


まるで他人の心に居座っているようだ。自分自身ではない誰かの心象風景をまざまざと見せられ、感情すらも同期し、これが自分の感情なのか、誰かの感情なのか判断ができなくなる。


まさにあの空のように。青と赤が交わる空の果てのように。



黄金色に輝く太陽の遥か上空にはすでに夜の気配があった。群青よりも青い、深海を思わせる『蒼さ』が忍び寄り始めている。


未だ涙は止まらない。この心は誰のもの。自分はいったい誰のもの。もはや思い浮かぶ言葉や姿はなく、荒ぶる感情に意識が蹂躙されていくだけ。


「――」


考えるのを止めるようにそっと目を閉じた。暗闇が訪れ、瞼の向こうに夕日の熱を薄く感じる。


次第に意識が沈みはじめた。瞼の熱は冷めはじめ、温度という感覚が鈍る。そして暗闇の濃さが増していき――、


「……!」


混濁した意識のまま再び眼を開くとやはり茜空。横になっていた体を起こす。水平線が見える芝生の上で寝転がっていたようだった。肉体に思考がついてきておらず、妙な感覚を覚える。


眼前には黄金の太陽。余計な雲に隠されることも無く、こちらを見据えるように爛々とたたずんでいる。網膜を焼くその輝きに思わず目を細めた。


感覚が戻り始めたのか音が聞こえてくる。寝起きの耳に届くのは波の音、風の音、そして――誰かの息遣い。


はっとしてそちらへ首を向けると時津風が身体を丸めて眠っていた。まるで日向で眠る猫のよう。


そして寝息は一つではなかった。反対側を見れば矢矧の姿。時津風とは違い、こちらは雌豹かチーターか。しなやかな体が夕日に照らされてどこか生々しい。おまけに胸元が少しはだけている。思わず目を背けようとしたとき、矢矧の手元の本に視線がとまった。秋の牢獄、という本。


ちらばっていた記憶の断片がかみ合い始めるように、色々な記憶が蘇ってきた。


そう、あれは確か、午前中の執務を完了して昼食を終えた後のこと。遠征から帰ってきた矢矧たちを迎えたのだ。そして矢矧に本を貸し、時津風とは約束通り遊んでやった。そのうち金剛がやってきたので4人で紅茶を愉しんだ。その後遊び疲れた時津風とともにそのまま横になって眠ってしまった。今更思うが、我ながら随分な身分である。弛んでると皆に言っておきながら、その実もっとも気が抜けているのは自分なのではないか。


そういえば金剛はどこだろう。彼女もこの場にいっしょに居たはずだが。周囲を見回してもその姿は見えない。用事でも思いだして先に戻ったのだろうか。


「むー、ぅん……」


唸り声と共に制服の裾を掴まれた。見れば時津風である。彼女の猫のような仕草に思わずふっと微笑んでしまう。


彼女の頭を撫でてやると再びむぅうと唸った。端正な顔は幸せそうな笑顔を浮かべている。もし彼女が成長するのならばきっと美人になるだろう。しかし残念ながら口元にはよだれが一筋。まだまだお子様である。


視線を再び夕日に戻した。美しい空。宝物のような輝き。淡くなり始めた空の果てのように、夢の中の記憶は意識の奥へ霞んでいった。



*    *    *    *



時刻は1750。食堂。


本日は秋野菜をふんだんに使ったメニューとなっている。なめこ汁、肉じゃが、人参とゴボウのおひたし、里芋のコロッケ、ブロッコリーのサラダ。料理を見るだけで腹が鳴る。


料理を受け取って手近な席に座り、箸を持っていただきますと呟き、まずはなめこ汁に手を伸ばす。熱いうちにずずっと一口。うむ。うむ。大変滋味である。


季節ものはうまいなぁと料理と間宮さんの腕に感心しながら里芋のコロッケを箸で割った。少し粘り気のあるほくほくの芋が顔を覗き、うっすらと湯気が立ち上る。コロッケの中身は里芋の他にグリンピースや細かくした人参、ピーマンなど。早速口へ運び、柔らかい芋と歯ごたえのある野菜のハーモニーを堪能する。具材だけの甘さがたまらなく上品で素朴でやさしくて、文句なしにうまい。


口の中で幸せを噛みしめていると、向こうの方から盆を手にしたものが現れた。



「いいかしら」


「いいぞ」


テーブルに盆を置き、自分の前の席に座ったのは叢雲。いつもどおりの少しムスっとした顔のまま、丁寧に合唱した後食事を始める。


「今日は非番だったな」


「そうよ」


「よく休めたのか?」


「まぁまぁね」


「今日は良い天気だったな」


「最近ずっとでしょ」


「……」


なんでだろう。会話が続かない。


確かに叢雲はつんけんしたところが多いタイプだ。自分では理由が分からないタイミングでかみついてくることもある。だが、


「――」
「……」


だがどうだ。この状況。なんでこんなに不機嫌なのだ。意味が分からない。


表情はそれほど険しくない。言葉もそんなに激しくない。しかし妙だ。雰囲気がいつもと違う。今彼女が発散している気配は間違いなく苛立ちとか怒りとかといった負の感情。どうしてそんな気持ちを自分にぶつけてくるのか。神聖かつ幸せな食事が台無しである。


とりあえず、叢雲に対して何か失礼をしたことがあったかと改めて振り返ってみたがこれといったことは思い浮かばない。そもそも秘書艦から外れた今、今日は直接やりとりをしていない。朝礼の時に顔を合わせたくらいだ。うーん。うーん……。


ああもうまったく解せぬ、と思わず口に出しそうになったとき、唐突に叢雲が口を開いた。


「駆逐艦の代表はあたしだから」


「え?」


「……駆逐艦の、代表者は、あたし、だから」


「あ、ああ、はい」


眼前には半目の叢雲。なにやら満足ではない様子。


「不満なの?」


猜疑心満載の目がつらい。そんなことはないぞと慌てて返事をする。


「もちろんちゃんと皆で話し合って決めたんだろう」


「当たり前でしょう」


「なら構わんさ。個人的にはお前が代表者で良かった。うれしいよ」


叢雲とは気心知れた仲である。そういう信頼のできるものが代表者というのは非常にありがたい。安心して仕事を任せられる。


「べ、別に……あたしは別に、嬉しくなんかないわよ……」


なぜそこでどもる。わからん。


そわそわしている叢雲をぼんやり眺めながらごぼうを口に運ぶ。しゃきしゃきの歯ごたえが素晴らしい。噛めば噛むほど味が出る。


「ところで他の艦種の代表者は決まったの?」


そわそわしたまま叢雲が尋ねてきた。ごぼうを飲み込み、ああと答える。


「空母組は赤城、戦艦は長門、軽巡は矢矧、重巡は利根に決まっている」


「なんだかいつものメンツって感じね」


「おおむね予想通りだな。だがまぁ皆信頼できるし頼りになる者ばかりだ。問題は無かろう」


「肝心のメンバー編成とかは決まっているの」


「あらかたはな。演習相手の件も、いくつかの鎮守府に打診して準備を進めているぞ」


「あたし演習苦手なのよね。模擬弾がどうにも好きになれない。気合が入らないというかなんというか」


「そうかと言って実弾でやるわけにはいかんだろう。下手をすれば死傷者がでかねん」


「適当に近海をまわったり鎮守府で鍛錬したりとかじゃダメなの?」


「不可ではないが良くはない。限られた時間で極力成果を上げるには、ほどよい強さの相手をする演習が一番いいからな。それになにより安全だ。沖に出れば、たとえ可能性がゼロに近くても死の危険がある」


相変わらず過保護ねぇといいながら叢雲はサラダをつっつく。ふと見ればみずみずしく新鮮なブロッコリーがやけに残っている。


「嫌いなのか」


「苦手なだけよ」


「意外な弱点があったものだな」


「うるさいわね……そんなに欲しけりゃあげるわよ」


はいどーぞと言うが早いか、叢雲はこちらの皿にブロッコリーをすべて移してきた。唖然としてその光景を見つめていると、あっという間にサラダの器がブロッコリー専用のものと化す。なにこれ。大変遺憾である。ブロッコリーは自分も苦手なのだ。むむむ。


叢雲の皿に移し返してやろうと思ったが行儀が悪いのであきらめる。そう、食物を粗末にしてはいかんのだ。間宮さんにも悪い。


「不満なの?」


「別に。食うさ」


叢雲につい対抗心を燃やしてしまい反逆の機を逃してしまった。しかしこれはやむをえんというやつだろう。無理やりそう納得させた。


そしてわずかに躊躇しながらまずは小さめのやつを一口。うむ。このもそもそ感が少し苦手なのである。ちなみにカリフラワーはブロッコリーの3倍苦手だ。



「代表者の集まりは1900からだったわね」


「ほうら」


「飲み込んでから喋りなさいよ……」


はぁ、と重い息をつく叢雲を見ながらブロッコリーを飲み込み、「くれぐれも遅れないように」と言った。


すると「んなこと分かってるわよ」とかみつくように返された。再び叢雲は不機嫌になっている様子。なぜだ。わからん。


もくもくと食べ始めた叢雲はそっとしておき、そういえば女心と秋の空なんて言葉があったな、などと思いながら集会で何を話すかを考え始めた。



*    *    *    *



「とりあえず、皆腰かけてくれ」


時刻は1900。執務室。部屋には長門、赤城、利根、矢矧、叢雲、金剛の6名がいる。自分の指示の後、それぞれ手近な椅子やソファに腰かけはじめていた。


「知っての通り君らは明日から各艦種の代表者、頭となるものたちだ。これがどういう意味をなすことなのか今更説明する気はないが、くれぐれも胸にとどめておくように」


皆同時に頷く。その光景を見てうむ、と自分も頷き返す。


「まず君らの為すべき仕事についてだ。主に3つある。1つは大淀や自分からの指示の伝達役。2つ目は各艦の状況や状態の把握。最後に訓練計画の作成と報告を行ってもらう。作戦計画の報告は秘書艦、もしくは自分に直接で構わない」


皆黙ってこちらに向いて話を聞いている。面白いのがそれぞれ聞く態度が違うというところだ。


長門は腕を組んでにこりともせずうむうむと頷き、赤城と矢矧はそれぞれメモを取っている。利根は長門のように腕を組んで頷いているがなぜかドヤ顔。叢雲は足を組み、片膝に立てた頬杖に顎を乗せて聞いている。しかしこちらを見るまなざしは真剣そのもの。


たった5人でこれだけ個性が出るのだ。鎮守府にいるものすべてを完全に把握するなどやはり自分の器では無理だと再び痛感させられる。極力そうなるよう努めるが、まだ彼女らを理解しきるのは何年も先のように思えた。


話を戻す。


「基本的には以上の3点に注意して行動すること。ただし、君らの判断で適宜補佐を付けてもらって構わない。その場合は何の仕事について誰を補佐に付けるかを報告書として提出してもらう」


彼女らの反応を見つつ、話を続ける。


「いいか、大切なのは自分たちに与えられた仕事を効率よく達成していくにはどうすればいいか柔軟に考えることだ。君ら個人の能力では限界があるから他人に頼るのは決して恥ずかしいことでも間違いでもない。当然のことだが自分に相談してきても構わない。ここまでで質問があるものは?」


「提督、いいか」


言ったのは長門。彼女とも長い付き合いだ。へろへろの新人だった頃に最初に現れた戦艦、それが長門だ。来府してまもなくは色々な面で彼女を運用しきれず、半ば鎮守府の守護神として海際の陸の上で何日も仁王立ちさせてしまっていた。


「私たちの任務は理解した。提督の理想とする考え方も把握した。だが提督自身はこれから何をするんだ」


長門の質問はもっともだ。彼女らに言い渡した内容は、ほとんどがこれまで自分が行ってきた業務内容。それを譲渡してしまったら提督としての業務が無くなるんじゃないかと彼女は言っている。


もっともな質問だ、と長門に答えた。


「仕事を君らに頼んで空いた時間についてだが、これまで自分がおろそかにしてきたところを主な仕事として行う予定だ。手始めに行うことは他鎮守府との連携の確保だな」


「というと?」


「朝礼の時にも伝えたが、演習回数を今後増やす予定だ。その理由は練度を上げるだけが目的ではない。他鎮守府とのつながりを作るためだ。これにはいろいろと理由がある」


一度言葉を区切った。


「この鎮守府は在籍している艦娘たちのパワーバランスが非常に悪い。それらを均一化するには演習を交えた訓練が効果的だ。だがそれには時間がかかる」


ときおり彼女らの反応を窺う。話を理解して聞いているかを把握するためだ。しかし疑問がある。なぜだ。利根よ、なぜおまえはドヤ顔なのだ。


彼女の態度は一先ずよそに置き、話を続ける。


「パワーバランスが整う前に、強大な深海棲艦が出現するかもしれない。我々では対処しきれない作戦が来るかもしれない。下手すればこの鎮守府を深海棲艦が直接襲いかかってくるかもしれない。そうなった場合外部からの応援を求めるしか方法が無くなる。そんな急を要するときにどこからも援助を受けられなかったり応援が遅かったりしたら困る。いや困るどころではない、絶望だ。自分はかねてからそこを危惧している」


長門はこちらの言葉を噛み締める様な沈黙を保ったのち、口を開いた。


「つまり外交的な仕事に注力し、広い視野を持ってこの鎮守府の危険性を除くための活動を行うといいたいのだな」


長門に言いたいことをまとめて言われてしまった。ああ見えて(?)彼女は非常に頭が回る。決断も早い。彼女が秘書艦だった時はめちゃくちゃ早く仕事が終わったことが何度もあった。


長門にそのとおりだと答えると、彼女はわかった、と言いようやく微笑んだ。


「おまえの危惧しているところは前々から私も思っていたところでもある。少々予定がざるな気もするが、まずは行動を開始してからというのも悪くないだろう。おまえの悪癖は考えすぎるところにもあるからな。何につけても少々遅い」


「耳に痛いよ長門。決断が遅いのは改めるよう努力する。ほかに質問はあるか?」


「提督。よろしいでしょうか」


次に手を挙げたのは赤城。どうぞ、と言葉を促す。


「訓練計画の作成についてですが、作成は提督と共同で行った方が良いと考えます。なぜならば、今後の艦隊の能力を決定する計画なのですから提督との情報の共有は作成段階からすべきですし、私たちが報告した後の指示を出すという手間が省けます。同時に各艦の状況の報告もできます」


なかなか的を射た発言。彼女のいうことは確かに効率的だ。


しかし作戦計画の作成には時間がかかる。どれほどかかるか不明だがそう短い時間で決定できる気がしない。それが各艦種分となると結局これまで自分が行ってきたことと変わらないだろう。


折衷案を考えた。


「赤城の言うことは理解できる。だがそれだと自分がこれまで行ってきたこととあまり変わらなくなる。だからまずは赤城目線から作成した訓練計画をまず出してきてほしい。タタキでも構わない。そして提出は原則自分に提出してもらう。その際ときに内容の補足や確認を行う。それではだめか」


「そうですね……」


顎に手を当て考える赤城。彼女の癖の一つである。食事中のときには想像もつかないような、理知的かつ美しい姿である。


「赤城さん」



割って入ったのは叢雲。


「司令官は優柔不断だから一緒に考えるやり方だと日が暮れちゃうわ。その手間を省くために、仮の案でも先にできていたらその「ムダ」な時間を短縮できると思いませんか?」


ムダという言葉をやけに強調して叢雲は言った。無駄ではなかろう。こっちは真剣に考えているのだ。


赤城は叢雲の言葉に得心が行ったのか「なるほど」と呟いた。少しかなしい。


「それは間違いありません。ありがとう、叢雲さん」


「礼を言われるほどのことではないわ。すべては司令官の所為によるもの」


なんとなくばつが悪くなる。この場の主導権を握っていたはずなのに、まるで突然四面楚歌にでもなったような気分。どうしてこうなった。


とりあえずおほん、と咳払いをして流れを断ち切り、話し始める


「そういうことだから作戦計画についてはまずそれぞれで作ってきてくれ。他に質問は?」


沈黙の中、しゅた、と元気よく手を挙げたものが1名。


「よいか、提督よ」


「なんですか、利根さん」


「新たな艦娘を迎え入れるという予定はないのか?」


「無い。以上」


「なんでぢゃ!」


ふんぬー、とドヤ顔を崩した利根にため息をつく。これまでの話を聞いてなかったのか、こやつは。


「利根さんの言いたいことは私にもわかるわ。軽巡もメンバーが潤沢とは大きな声で言えないもの」


言ったのは矢矧。


「しかし現状で新しい子を入れたとしても――どんな子が入るか分からないけれど――提督はその子の対応に手を取られたくないのじゃないかしら。こうして鎮守府の体制が変わろうとしている時に新しい子が入るというのは足並みを揃える意味でも良いとは思えない」


冷静な意見である。というかこれまでの話から察すればそうなるはずだ。利根がおかしいのである。まったくこやつは。


当の利根はといえば矢矧が言うのなら……となぜか萎れる始末。自分が言えば100%憤慨するくせに何なのだこやつは。こやつは。


「ほかに、質問は?」


話題を変えるべく他に質問があるかどうかを確認する。特に手を挙げる者はいない。しょぼくれている利根は後でフォローしておいてやることにする。


「よし、集会は以上だ。明日からはよろしく頼むぞみんな。解散」



了解、と声を揃えた返事を受け取ると、彼女らはまばらに席を立ちはじめ執務室を出ていきはじめた。


「利根よ」


執務室を最後に出ていこうとした利根を呼び止める。


「なんじゃ?」


「おまえの言いたいことはわかる。矢矧とは逆に、府の体制が変わるこのタイミングで新しい子を入れた方が、新体制に馴染みやすく今後の活動に役立てるはずだとおまえは考えたのだろう」


「わかっておるなら、なんでじゃ」


「そこはすまん。自分の器不足だ。矢矧のいうように手を取られたくはなかったんだ。自分自身もこれからあまりやらなかったことを始める。余計なことはあまり考えたくない」


「ふむ。そうよな。おぬし、賢こぶっておるが結構いろいろと小さいものな」


「む、どんな意味だ、それは」


「言葉通りじゃ。まぁよかろう。重巡はこの利根がおるのじゃ。安心するが良い」


ではな、と言って利根は執務室を去って行った。多少は気を取り戻せただろうか。明るい彼女のことだから、あまり心配する必要も無いか。


「――ふぅ。やれやれ」


椅子に背を預けるとぎぃい、と毎度の如く鳴った。そのうち壊れるんじゃないかと一瞬不安になる。


「お疲れ様ネー、提督」


先ほどまで叢雲がいた向かいの席に座りながら金剛が言った。そんなことはない、と返事をする。


「世話をかけるのは彼女らの方だからな。自分がくたばっていては冗談にもならない」


「まぁ、もっとワタシたちを信じるがいいネー。みんな提督のためならどうにかしてみるはずヨ」


気を揉ませてすまんな、と返しながらあくびを一つ。少し眠い。時計を見れば2000をとうに過ぎている。今日は特にやり残していることも無し。そろそろ休むとしようか。


――こんこん。


唐突に部屋を叩く音が響く。ドアの方に目をやり、どうぞ、と返事をする。


「失礼します」


言いながら入ってきたのは浜風。彼女の頬はほんのり紅い。それにどこか湯の香りがする。きっと風呂上りなのだろう。


「提督、よろしいですか?」


「ん?ああ、部屋の鍵ね。ほら」


こちらへやってきた浜風に自分の部屋の鍵を渡す。やはり風呂上がりのようだ。いいにおいがする。温かい風呂が気持ちの良くなる季節だ。


ふと気づけば傍らの金剛が両手を頬に当て目をひん剥いている。どうした、と言いかけたところでHeeEEYY!と英国流の叫びが執務室にこだました。


「提督、浜風!これはいったいどういうことナノデスカー!?」


金剛の絹裂くような声に浜風と顔を見合わせ、


「どうって……」


「別に……」


「ゥオオオオーマイガ!!二人は……一体……どういう……」


今のやり取りにどんな問題があったのか。動揺し憔悴しきっている金剛に首をかしげていると、浜風は何か察したのか、あわあわと口元を震わせ、頬をもっと紅く染めていく。


「こ、ここ金剛さん、誤解です!私と提督はそんなんじゃありません!」


「そんなん?」「Realy……?」


「だから大丈夫です。私は提督の本を借りるために部屋の鍵を貸してもらっただけです」


「そ、そうなの、デスね……安心しましタ……」


ほんとに安心したのかどうかわからないような状態だが、しかし金剛は大丈夫らしい。アイムオーケイと何度もつぶやいている。


「では浜風、提督の部屋へ参りまショウ」


「なんでお前まで行く!」


「浜風はいいのデスカ!」


「本を借り出すだけじゃないか」


「監視シマス!」


「Why!?」


金剛の英語が移ったようである。


結局、明日の準備を残したまま金剛は浜風と一緒に自分の部屋へ行ってしまった。やれやれ。


席を立ち、窓辺に行って外を眺める。今日は月の無い夜。暗黒に飲まれたような青黒い海原が遥か彼方へ広がっている。


ちらりと午睡の中で垣間見た黄金の地平線を思い出した。もうほとんど思い出せないが、目の前の光景とはまさに真逆の光景だったという記憶がある。


この黒い光景も誰かの夢の景色なのかもしれない。もしくは心の風景か。いずれにせよ夜の海はあまり好きではない。


なんとなく沈んだ気分になった。明日に備え、今日は早めに寝ることにしよう。



*    *    *    *    *


寒くなり始めた寂しい連休の終わりにひっそりと更新終わります。

次回は来週末を予定しています。


待ってる

おつつ


<閑話・花と弥生>


鎮守府には花壇がある。運動場周りと中庭に煉瓦で作られており、季節によって色とりどりの花を咲かせてくれる。


発案は叢雲さん。殺風景だった鎮守府に少しでも彩りを増やしたいということなのだそう。少し意外。


花壇は叢雲さんを筆頭に駆逐艦の艦娘たちが主に管理していて、たまに戦艦や空母の人たちが手伝ってくれる。意外にも長門さんや瑞鶴さんが花壇に来ることが多い。花を愛でている時の彼女らはいつもの顔つきとは違っていて、それはそれで面白い光景。


わたしは花が好き。正確にはこの鎮守府に来て好きになった。


なぜなのかと言われると答えるのが難しいけれど、たぶん、一生懸命なところとか嘘をつかないところが理由かもしれない。植物なんだから当たり前と言えばそうなのだけれど。


あとたくさん種類があって楽しいし、季節によっていろんな姿を見せてくれるところとかも好き。かわいい。癒される。


花壇にはたまに司令官も現れる。考えが煮詰まったりイライラしたときに、元気に咲く花を見るとなんだか優しい気持ちになれるからだそう。とても分かる気がする。


――なんとなく、昔を思い出した。


鎮守府に来て間もない頃。ここのみんなにもまだ馴染めていなかった頃。わたしは暇があれば花壇に足を運んでいた。


これといった理由は無かったけれど、いつもなんとなく疲れていて、一人になりたいことが多かった。思ったことを口に出すのが苦手な部分も災いして、打ち解けたいのに上手にそう振る舞えられない自分に少し嫌気がさしていたのだと思う。


そんなときには花を見た。小さい花弁にそっと触れて命の存在を感じた。太陽に向かって伸びていく姿に勇気をもらった。


気付けば花壇の花たちは自分にとって物言わぬ隣人や友人のようで、誰よりも気の許せる存在になっていた。


あるとき、駆逐艦の非番の子たちとかくれんぼをして遊んだことがあった。あれはそう、ちょうど今のような秋の初めごろのこと。


突然だけれどわたしはかくれんぼが得意。……いや、まったく自慢にならないのだけれど。むしろなんだか少しかなしい。


このときも私はなかなか見つからず、近くで鬼の声がすれども気づかれることは無かった。当然、存在感が薄いことに怒ってなんかいない。だってこれは遊びだから。気づかれない方がいいことだから。だから、怒ってなんかは、いない。



隠れていた場所はもちろん花壇。それも中庭のお気に入りの隅っこのところ。一番落ち着く場所。


かくれんぼ開始以来ずっとそこに潜んでいたのだけれど、待てど暮らせど誰からも見つからなかった。時間が経つにつれ、いっそ飛び出してわざと見つかろうかという思いが何度もよぎった。けれどそれはなんだかとてもイヤな感じがしたからやらなかった。逸る気持ちをぐっとこらえ、わたしは遊びのルールを守ることに徹した。


だけどジレンマが次第に募っていき、頭の中では誰かに見つけてほしい自分と誰にも見つかりたくない自分が激闘を繰り広げはじめていた。このときの顔はたぶん、そう、いつもと違って不機嫌に見えていたと思う。


そうして頭の中の激闘がいよいよクライマックスに差し掛かったとき、唐突に声をかけられた。司令官だった。


「何をしてるんだ?」


うずくまったまま、顔だけを上げて上目づかいで司令官を見た。まだここへ来て日が浅かったし、来て早々秘書艦に当てられ、なれない仕事に失敗をたくさんして思わず泣きながら執務室を飛び出したこともあって、司令官には苦手意識があった。


「なにか嫌なことでもあったのか?」


司令官は本気で心配している様子だった。来たばっかりの艦娘が、人気のない花壇の隅っこでうずくまっていては確かに気になるだろう。


わたしは「かくれんぼをしている」と短く答えた。司令官はそうかと返し「なら邪魔はしないようにする」と続けた。


提督はしばらく中庭に居座り、花を眺めたり空を見上げたりしていた。空は雲がぽつぽつと流れているだけの良い青空だった。


「花が好きなんですか」


ほぼ無意識に尋ねていた。司令官は「嫌いなわけないだろう」と言い、


「花はとても可愛らしい。おまえたちのようにな」


と続けた。その言葉にひどく驚くと同時に、司令官の声が胸の奥にずしりと響いたのを覚えている。


「季節によって花は姿を変える。だがどれも個性的でその花らしいままだ。人でいう感情を表しているみたいで、なかなか面白い」


司令官は続けた。


「花壇に来るのは主にリフレッシュするためだが、それ以外にもおまえたちのことを見失わないようにするためだ。おまえたちは兵器だが感情はある。物言わぬ花のように、各々、様々な顔を見せる」


わたしは花壇に目を向けたまま話す司令官の横顔から目を離せなかった。


「提督によって艦娘の扱い方は多様に変わるのだろうが、自分はおまえたちをただの兵器として扱うことができん。軍人として甘っちょろいのかもしれんな」


司令官は自嘲するように言い、だがな、と続ける。


「おまえたちのことを大切な存在だと認めた以上、どうであれ礼儀と敬意を持って接するしかないだろう。それが人間の生き方だと自分は思っている」


司令官はそう言って小さな薄紫色の花にそっと触れた。そして「青とか紫色の花が特に好きでな」と言いながらわたしに見えるように花弁を優しく動かした。


その花は一本の細い茎の先に、やや地面に向けて頭を垂れている花弁が1つついている風変わりな花だった。それが土からたくさん生え、それぞれ適度な空間を開けて集まっている。


通常花といえば日の光に向かって両手を広げるように咲くものだがこれは逆だった。だがこじんまりとしている姿はどこか愛嬌があり、不思議と憎めない。


司令官が言う。


「これはイワシャジンという花だ。地味だが、頭を垂れるような花弁が個性的でなかなか可愛らしいやつだ。こんな風になんとなくひっそりと咲く姿は――そうだな、弥生のようだな」


言って司令官は笑った。わたしはどんな顔をすればいいか分からなかった。


「イワシャジンのように、確かにおまえもここに居るんだ。どんな姿形であれ、間違いなくここに居るんだ。それだけは忘れるなよ」


そして「自分はそれを忘れない」と、自身に言い聞かせるように司令官は言った。


わたしは気づいたら呆然と立ち上がっていた。目頭が熱くなっていた。


司令官は私の姿を見てすぐさま狼狽した。地味と言ってすまんという風なことをあたふたしながら言っていた記憶がある。


そうこうしている間に鬼にみつかり、長かったかくれんぼは終わったのだった。


今年も変わらずイワシャジンが咲いている。目の前には小さな吊鐘状の花弁がいくつも風に吹かれて揺れている。そのうちの一つにそっと触れた。


――わたしも変わらずここにいる。司令官と、みんなと共に確かにいる。


だが命ある限り別れは来るだろう。だからせめてそのときまで、


「みんなと一緒に居られますように」


小さな小さなその花に、そんな願いを込めた。


<閑話・終>



*    *    *    *


艦種の代表を決めてから1か月ほどが経った。


各々の代表はとまどいやぎこちなさを時折見せつつも鎮守府が少しでも良くなるよう奮闘してくれている。今のところ彼女らからの反発も無く、順調にことは進んでいる。


演習の件も滞りなく進んでいる。すでに何度か他鎮守府の方と手合わせをし、直近では複数ある鎮守府の中でもエリート揃いの横須賀支部から派遣されてきた部隊と一戦を交えた。結果、我々は一軍のメンツではなかったが敗北。さすがに強敵というか、いろいろと経験の差を思い知らされる勝負であった。


横須賀や呉などの鎮守府は戦闘経験が多い部隊が多く、常日頃から様々な海へ様々な部隊が派遣されている。大型作戦のない今でも積極的に海へ出、艦娘たちの経験を積ませることと併せて深海棲艦の撃滅に余念がない。提督業として上を目指すのならば、それぐらいの気概が無ければいかぬということらしい。


こちらとしては別に偉くなるつもりなどはないので最低限、自分のところが危機に陥らない程度には地力をつけたいと考えている。こちらも楽な道ではないが、着実に進めていくつもりだ。


「あら提督。ここ、漢字間違っているわよ」


「なぬ――ああほんとだ。すまん書き直すよ」


「いいわ。こっちで修正しておくから、提督は他の書類に手を付けておいて」


「助かる」


いつもの古い木椅子に腰を下ろし机仕事に精を出す自分の隣には秘書艦の陸奥がいる。長門型2番艦の名に恥じぬ仕事ぶりで、彼女が秘書艦の時は非常に仕事がスムーズに進む。


長門も仕事ができるたちだが、どちらかというと長門がひっぱっていくスタイルになりがちだった。それだけ自分の力量が足りていないということなのは面目ないと思っている。


しかし陸奥が秘書艦の場合は少し違う。正直なところ自分より陸奥の方が仕事をこなせるのだが、彼女はこちらのペースに合わせてくれる。長門のように突っ走って執務をこなすことも無く、叢雲のようにつんつんすることもなく、金剛のように脱線することも無い。そして間違いがあれば丁寧に対処してくれる。まるでできた姉のような存在なのである。


ほかの子らからも陸奥への信頼は厚い。誰にでも分け隔てなく、丁寧に適切な方向を指し示してくれる彼女はまさしくこの鎮守府において秘書艦の長とでもいうべき存在なのである。正直いうと、秘書艦じゃないときでも陸奥に相談事をすることがたまにあるほどだ。少々面倒なことでも、嫌な顔をせず彼女はあらあらと言いながら話を聞いてくれる。まったく彼女には足を向けて眠ることができない。


余談だが秘書艦は週ごとに代わる。別に自分がそういうふうにルールを設けたわけではない。彼女らのなかで週ごとに秘書艦を交代するというルールがあるらしいのだ。選定基準は不明。くじ引きのようにランダムなのか、綿密なスケジューリングのもとで決定されているのかは少し気になるところではある。


しかし秘書艦が変わるというのは自分にとって悪いことではない。執務仕事が苦手なものもいるが、それはそれで向こうにとっていい経験になるだろう。自分としては、まんべんなく彼女らと触れ合えられるいい機会だと捉えているから今のままで異存はない。


「――あら珍しい。提督、他鎮守府から手紙よ。トラック泊地の提督からだわ」


陸奥から国際便の消印がなされた封筒を渡された。差出人は確かにトラック泊地の提督殿からのよう。封を切り中身をあらためると一枚の便箋が出てきた。綺麗な字で書かれてあり、読めば演習に関する内容の様子。それにしても今時手書きの手紙とは珍しい。なんだか心温まるものである。


通常、提督同士のやり取りや本部からの伝達手段は電話や暗号通信、またはFAXだ。基本的に文書でのやり取りが多いためFAXが主流である。一部の鎮守府では、試験的に軍用パソコンが導入されメールでのやり取りを行っているところもある。聞くところによると、経費節約のためFAXはなくなり、メールが主流になる可能性があると聞いている。


それにしても、トラックという非常に離れたところからわざわざ手紙を出してくるとはなかなか趣のあることをしてくれる。ここの提督とは仲良くなれそうな気がした。


「よし、こちらも手紙で返事をしよう。封筒と便箋はどこだったけか」


「はい。そう言うだろうと思って用意しておいたわ」


「おお、助かるよ」


陸奥から封筒と便箋、あと筆ペンを受け取った後、早速手紙をしたためはじめる。余談だが、幼少のころから長いこと書道をしていたので字が綺麗は綺麗な方だ。作品を書き、賞をもらったことも何度かある。


「――あら提督、もうお昼よ。手紙は後にしたら?」


陸奥が壁の時計を見ながら言った。


「そうか。なら先に飯にしよう」


ひとまず筆を置いて席を立つ。そして書類を机にまとめた陸奥を連れ食堂へと向かった。



*    *    *    *



食堂で昼食を取った後、海際へ向かった。傍らには陸奥が控えている。


空は快晴。芝の緑が日差しを受けて輝き、眼前には果ての無い水平線が広がっている。波は穏やかに揺れ、海鳥と波の音が耳に心地よい。


思わず背伸びをしながら言う。


「絶好の昼寝日和だな」


「午後1番の仕事は確か工蔽で開発だったわね。まだ時間はあるからひと眠りしたらどう?」


「そうしようかな」


陸奥と共に芝に腰を下ろし、空を見上げる。秋の空はとても高い。視線の先を鳥が数羽過ぎて行った。


ほどよい満腹感とこの長閑な風景が相まって眠気はどんどん強くなるばかり。下手に眠気を我慢するよりも、割り切って仮眠を取った方が午後の仕事に支障をきたさないと思われた。


両手を後ろ手に組み、仰向けに寝転がる。日差しの温もりと風の肌触りの良さ、そして乾いた芝の香りが心地よく、あっという間に眠りこけそうだった――などと考える間もなく、意識は混濁し、まどろみの海に落ちた。


「あら、ごきげんよう、陸奥さん」


「あら、こんにちは。熊野、鈴谷」


昼食を終えた熊野と鈴谷が現れ、陸奥の隣にそれぞれ座る。


「――」


「うわ、提督寝てんじゃん。よく地べたの上で横になれるわね」


鈴谷が提督の顔を覗きながら言った。その様子を見た陸奥が小さく笑いながら言う。


「鈴谷も寝てみたらどう?案外心地いいものよ」


「いやいや陸奥さん、それはないっしょ~。腰を下ろすだけならいざ知らず、横になるのはさすがにねぇ」


肩をすくめながら鈴谷が言った。隣の熊野も頷く。


「服が汚れてしまいますものね。しかし――」


「しかし?」


「提督の幸せそうな寝顔を見ていると、そんなに気持ちのいいものなのかしらと思ってしまいますわ」


どことなく愛おしそうに提督の寝顔を見る熊野に、鈴谷が激しく手を振りながら否定する。


「いやいやいや、何微笑んでんのよ熊野ったら。これは幸せそうな寝顔というより見っとも無いってもんでしょ。それともまさか……熊野ってば提督のことが……?」


鈴谷がいじわるそうにもったいぶりながらいうと、「ひゃあぁあ!?」という短い悲鳴が響いた。近くに留まっていた鳥がその声に驚いていずこへ羽を広げて飛んで行く。そして熊野の反応を見た鈴谷はあははと快活に笑う。


「ンもう、動揺し過ぎでしょ~」


「鈴谷ったら……!わたくし、怒りますわよ」


「あらあら。熊野、あなた顔真っ赤よ」


陸奥の容赦ない追撃に、髪を逆立てながら「とぉおわぉおう!」と熊野は再び悲鳴を上げた。さらに鳥が飛んでいく。鈴谷は再び笑う。熊野は恥ずかしさのあまり爆発しそうだった。


「む、陸奥さんまで……。うう」


「ま、まぁ落ち着きなよ熊野。別に誰も何も言わないわよ」


「何も言わないも何も、そもそも何でもないのですわ。変な勘違いはやめてくださるかしら。私はただ」


一度区切り、感傷的な様子で熊野が言う。


「私はただ、提督がこんな顔を見せるくらいに穏やかな鎮守府いられることが嬉しいだけ。帰ってこられる場所があるということが幸せなだけ」


「……そっか」


言って遠くを見つめる鈴谷。


「秋は、まぁ、いろいろ思い出しちゃうよね」


沈黙が訪れる。景色は変わらず、長いような短いような、少しもたれるような時間が過ぎていく。


鼻で小さく息をついた後、熊野が言う。


「ごめんなさい。変な空気になってしまいましたわね」


「そんなの別にいいよ、熊野」


突然、熊野はゆっくりと芝の上に横になった。両手を重ねて胸に置いて仰向けになる。その様子を見て「うお!」と鈴谷が唸った。


「空が、高いですわね。海で見上げる空とは大違い。それに」


続けて熊野が言う。


「地面がこんなにも力強くて、優しいものだなんて。提督があんな顔を浮かべるのも仕方がありませんわ」


言ってうふふと小さく笑う。何を言ってんの熊野といった顔で鈴谷はその様子を見つめる。陸奥は二人のやり取り優しく見守っている。


「さて二人とも、重巡は昼から訓練でしょう。そろそろ時間よ」


やっばいもうそんな時間、と鈴谷は慌てて立ち上がり、心地よさそうに空を見上げている熊野に手を差し出す。


「ほら行くよ熊野!遅れると利根さんがまたうるさいわよ!」


鈴谷の手を取りながら極めて穏やかに立ち上がり、対照的に余裕たっぷりな態度の熊野。


「はしたないですわよ鈴谷。淑女たるもの、どんなときでも悠然と……」


「講釈は後で聞くから、ほら行くよ!」


「じゃあね陸奥さんー」と、熊野の手を引き鎮守府へ戻る鈴谷の声が海に響く。


その後、再び穏やかな海と風の音が辺りを支配し、先ほどまでの小さな喧騒が嘘のように静かになる。


提督の顔を見ながら陸奥が言う。


「提督は幸せものね」


太陽が中天にのぼる。日差しは強く地上へ降り注ぎ始めた。



*    *    *    *



――午後の仕事、開始である。


まずは工蔽へ行って武器の開発。主砲が足りなかったのでそちらの製作を明石に依頼。結果を報告書で提出するよう伝え、さらに一部艦娘の改装をするようことづけて工蔽をあとにする。


続いて午後からの遠征部隊の見送り。出撃は第3艦隊。旗艦は能代、以下駆逐艦5名による部隊。


その後は空母組、重巡組共同での鍛錬の様子をチェック。海上で模擬弾を使用した射撃の練習や隊形を維持したままの移動練習など。


その後間宮さんのところへ行き経費などのチェック。今日は乾燥しているので喉に注意と言われ、ラムネ味の飴玉をもらった。口に入れるとしゅわしゅわと甘い味が広がった。


その様子をめざとく見かけた非番の暁が、同じく非番の響、雷と電を引き連れて乱入してきた。


レディがレディがという言葉とは裏腹な暁の飴玉を見つめる目と、なのですなのですという電が騒ぐ。この4人は賑やかなのはいいが場を収めるのに少々手間がかかる。結局いつものように響に仕切ってもらい、最終的にそれぞれ間宮さんから飴玉を受け取った後満足げに去って行った。「いつも邪魔してすまない。司令官」という響の言葉が印象的だった。


少し疲れを感じながら執務室へ戻ろうとしていると叢雲と浜風という珍しい組み合わせに遭遇。すれ違い様珍しい組み合わせだなと思わず口を滑らすと案の定叢雲がなによとかみついてきた。しまった、と苦い顔をしていると浜風が「叢雲さんが読んでいる本のことを話していたのです」と言う。


叢雲が読んでいたのは確か「瀬戸際の作戦」という本。陸の傭兵集団が中東をメインに戦う話で、なかなか爽快感のある内容だ。叢雲はその本が大好きなようで、何度か読み直しているほど。


しかし浜風の話を聞くとその本のことではなかったようだ。どうやら話は同じ原作者の「遥か異国の理想郷」という作品のことで、叢雲が言うにはその作品の登場人物の挿絵が島風に激似ということだった。はて、そうだったか。もともと挿絵はとくに気に留めないたちなので気にしたことが無かったが。暇があるときにでも確かめてみよう。


そして叢雲たちに別れを告げた後ようやく執務室に到着。時刻は1600を過ぎた頃。1日が、早い。


ぎぃいと音を鳴らしながら木椅子に座ると、肩を揉みながら首をぐるぐる回してこりをとる。昼からぶっ通しで動き続けてさすがにくたびれた。これから書類整理とにらめっこである。気が重いことこの上ない。


「とりあえずお茶を淹れてくるわね」


気を利かせた陸奥はそう言って部屋を出た。入れ替わりに「失礼します」と別の者が入ってきた。


「提督、昼に届いた書類ここに置いておきますね」


「大淀……お前、容赦ないな」


どっさりという擬音がぴったりな量の紙の束を、大淀はにこやかに未処理棚に置いた。


「こちらでざっと目を通したところ、急な要件はそれほど無さそうでしたよ。明日までに処理できれば問題はないかと」


「そ、そうか。あの量を、明日中ね……」


大淀は見かけによらずSだと思うのは自分だけだろうか。メガネで黒髪でクラスの委員長のような見目だが、こと仕事となると彼女は容赦ない。難題を事も無げにさらっと寄越してくる。


「それと、提督。トラック泊地からの提督から伝言です」



「ほう、なんと?」


渡された紙の束をちらちら捲って確認していると、予想外に興味深い話を振ってきた。


「明後日、こちらの鎮守府にいらっしゃるそうです。一言御挨拶に、とのことです」


大淀の言葉に一瞬言葉を失った。


「なんと礼儀正しい方だな。手紙の件といい、驚くばかりだ」


「ええ。私も気になったので本部から彼に関する資料を寄越していただきました。確認したところトラックの提督は上の方でかなり有名な方だそうですよ。なんでも歳は違えど現元帥と同期で、現役の頃はばりばりの提督として働いていたと。現在は中将として、半ば隠居ではありますが、トラックを拠点とした周辺海域を任されているとのことです」


「そうなのか。しかし元帥殿と同期とは、これはたまげたな……。」


思わず元帥殿の姿が脳裏に浮かぶ。白髭が良く似合い、目じりの皺の奥に潜む鋭い眼光が印象的な人だ。


「それほど大勢で来ないとのことですが、客人用の部屋を何部屋か確保しておきますね」


「ああ。頼む。ついでに掃除もお願いできるか」


「構いませんよ。非番の者にやらせるようこちらで手配をします」


あくまで自分は事務仕事のみ、という大淀の迷いのない姿勢には恐れ入る。


「提督もトラックの中将が来られるときはそんなだらしない姿を見せないでくださいね。2日目の無精髭はみすぼらしいです」


提督に髭はまだ早すぎますよ、とにこやかに棘のある言葉を言い残して大淀は執務室を出て行った。最後まで、容赦のない人物である。まったく、容赦のない人物である。ため息をつく暇すらない。


自分の勝手な予想だが、大淀がああもきついのはきっと新人の頃に迷惑をかけまくってしまった反動なのだと思う。今当時を思い返すとよく分かるのだが、叢雲と大淀には相当しんどい思いをさせてしまっていたのだ。


ああ、面目ない……と沈思黙考しながら顎をさする。指摘された無精ひげがちくりと指先に引っ掛かった。


「あら提督。浮かない顔ね」


盆を手にした陸奥が執務室に戻ってきた。盆の上には急須と湯呑とマグカップ。急須から薄ら白く立ち上る湯気ともに緑茶の良い香りが鼻をくすぐった。


「大淀から追加の書類を渡されただけだ。気にするな」


陸奥は空いているテーブルに盆を置いた後、あらあらそれは大変と言いながら湯呑とマグカップに茶を注いだ。そして陸奥からマグカップを受け取って茶を一口。ほぅ、と息つく。


中将殿はどんな方なのだろう、と窓の外の空を見ながら考える。中将となると階級が2つ上だ。失礼だけはしないようしなければならない。


ひとしきり陸奥の淹れた茶を愉しんだ後、ペンを取って再び書類と対峙した。今は何かを考えるよりも目前の敵を対処することが先だ。大淀から渡された追加の書類のことを頭の隅に置きながら、陸奥と共に紙の軍勢を処理していった。



*    *    *    *




アンニュイな日曜の昼下がりに更新を終えます。
毎度のごとく次回は来週末の予定です。

いまさらなのですが艦娘の性格はほとんど1の想像です(一応wiki等でざっくりと確認はしてます)。
あの子はそんな性格じゃないという方もいらっしゃるかもしれませんがなにとぞご容赦を。

あと余談なのですがある艦娘が欲しくて最近1-6をぐるぐる回っています。まわってたら磯風でました。
目的の子じゃないんですが磯風素晴らしいですね。これでしばらくリアルを乗り切られそうです。

乙乙
朝雲狙いか?

朝雲と浦風狙いですね。特に浦風。
広島弁を喋ると最近知って、どんなのか気になるなーと思ったのです。
にしても案の定出ないもんですね……。別のエリアのがいいのかな



明くる日。時刻は1000をまわった頃。


明日はトラック泊地の中将殿が来られるので、執務室や客間など気になるところの掃除を行っている。


自分は今執務室の整理と掃除を行っており、秘書艦の陸奥となぜか叢雲と蒼龍が傍にいる。二人に聞くと、ここへ来たのは大淀の指示だとの返事。


ちなみに昨日届けられた深海棲艦の大群さながらの書類の束は、急ぎのもの以外は昨夜中にこなした。ちなみに夕飯は執務室に食事を届けてもらうよう間宮さんに頼み、執務室で摂ることにした。そのとき食事を届けに来たのはなぜか不機嫌そうな顔の叢雲で、食事を渡される際「せいぜい頑張りなさい」と吐き捨てるように言われ大変げんなりした。一体なんなのさ。あれ。


執務室の奥には4畳半ほどの和室がある。そこで丸いちゃぶ台を引っ張り出し、座布団の上に座り陸奥と向かい合わせに食事をした。晩飯のラインナップは再びさんまの塩焼きにいつもよりほんの少し少なめの白ごはん、少し濃いめの赤だしの味噌汁。根菜の漬物というシンプルなもの。満腹になってしまえば仕事に支障が出ると、おそらく間宮さんの判断で腹八分目を意識して組まれたメニューだと思われる。出されたものはどんなものでもすべて食わないと落ち着かないたちなので彼女の心遣いはとても助かった。


そういえば去年も同じようなことがあった気がする。あれは大型作戦の真っただ中だったころのような。こんな小さなことでも歴史は繰り返すのであると、妙に感慨深い気持ちになった。


それにしても頭にくるのは大淀だ。奴め、急ぎのものは少ないと言っておきながら半分以上急ぎのものだったじゃないか。秘書艦が陸奥じゃなかったら発狂していたことだろう。今度大淀に会ったら一言物申すつもりである。


「陸奥、すまん雑巾取ってくれ」


「はいはい」


机についた黒いシミがなかなか取れない。アルコールでもつけなきゃダメだろうか。


「蒼龍、アルコール貸してくれ」


「はい、どうぞ」


蒼龍からアルコールのボトルを受け取り、ふたを開けて中身を雑巾に軽くしみこませた後再びシミをこする。わずかだが薄れ始め、ごしごしとしつこくこすってようやくとれた。


「あら、叢雲。神妙な顔して何をしているの?」


「え!いや別に、何でもないわよ……!」


ゴミ箱の掃除をしていただけよと早口に言いながら、叢雲はごみ箱の中身をごみ袋に入れていった。ゴミの分別はちゃんとしているはず。陸奥もその辺抜かりはないし、わざわざ中身を確認する必要はないのだが。


叢雲の様子を見ていると不意に彼女と目があった。勝気な紅い瞳が、気まずそうに揺れている。そして何かを誤魔化すように言ってきた。


「じろじろ見てないで手を動かしなさいよ!」


「あ、ああ。すまん」


しかし他人の事言えたもんだろうか。そう思いながら再び机の汚れ除去に取り掛かる。


「ねぇ提督。トラックの提督さんってどんな方なんですか?」


天井のよごれを拭いている蒼龍が言った。振り返り彼女の方を向くと、三尺では足りなかったのか、彼女は脚立の天板の上に昇って作業を行っていた。危ない状態である。脚立は跨ぐか上から2、3段目の片側に立って使用するものだ。


「詳しいことは不明だが、上の人たちの間では有名な方らしいぞ。なんと元帥殿と同期なのだそうだ。あと蒼龍脚立は――」

「ぅええ!?白髭の鬼のようなあの方と――っとあ!?」


こちらの言葉を遮り、だるまさんが転んだのように蒼龍は勢いよくこちらを振り向きながら言った。その勢いに流された脚立は激しく揺れ、蒼龍は天板から足を踏み外し、


がたっ……!


一瞬のうちに蒼龍の丸顔が目の前に迫ったかと思うと、


「おわわー!」「いやー!」


けたたましい音を立てて天地がひっくり返った。


色んなところをいろんなところに打ち、身体中に鈍い痛みが走る。


再び埃が立ち、鼻をむず痒くさせる。


「蒼龍!」「提督!」


すぐさま陸奥と叢雲の声が聞こえた。後頭部の痛みをこらえつつ、ゆっくり目を開けると鮮やかな浅葱色が視界に広がっていた。それは毛布のような柔らかさと温かさで顔中を覆っており、予想外の心地よさに思わず心が癒される。ああ……毛布が恋しくなる季節である。


「あいたた……。ごめん、提督。大丈夫?」


上に圧し掛かっていた蒼龍が身体を上げると同時に浅葱色の毛布は離れていく。大変、大変残念である。


そしてこちらに馬乗りになったまま蒼龍が服を着直していると、アンタら、という仁王のような殺意のこもった声が小さく耳に入った。思わず恐怖し、びくっと体が震える。震えが響いたのか、蒼龍が一瞬変な声を上げた。それがスイッチとなり、


「なぁあにをやってんのよアンタたちはぁあああ!!」


きんきんとした叢雲の怒声が文字通りこだました。遠征で海に出ている者にも聞こえるのではないかという声。陸奥の冷静なあらあらという声が妙なアクセントになりどこか滑稽な雰囲気が執務室に満ちた。


鎮守府の皆々は、あーまた提督がやらかしたなと呆れていることだろう。叢雲の絶叫は久しぶりである。新人の頃はこうやってよく怒鳴られていたのだ。そういえば怒鳴られるときはよく蒼龍が居た気がするな。奇縁というものだろうか。


「アンタたちはいっつもそう!蒼龍、あんたいつも不注意過ぎんのよ!脚立の上に乗ったら危ないのわかるでしょうが!挙句の果てに提督にダイブするなんて信じられない!怪我でもしたらどうすんのよ!明日は客人が来るのよ!?つまらない理由で包帯巻いた提督が出迎えるなんて前代未聞じゃないの!」


「ご、ごめんってば叢雲ちゃん、私も別にわざとじゃないんだよ……」


叢雲に怒鳴られ、蒼龍の短いツインテールが心なしか萎れている。


蒼龍は昔から変なところで天然である。純粋というか。そこが彼女の良いところであるのだが、叢雲はそこがイライラしているようだ。そんなに苛ついてストレスは大丈夫なのだろうか。少し心配になる。


「あといつまで提督の上に乗ってんのよ!はやく下りなさい!」


え、ああごめんごめん重かったよねと言いながら蒼龍は立ち上がる。彼女の温もりの残滓を腹の辺りに感じつつようやく体を起こした。肩が痛い。脱臼してないといいのだが。


はっ、と不吉なものが眼に入った。


「あらあら。アルコールのついた雑巾」


「うええ!?」


陸奥の声が妙に鋭く聞こえたかと思うと、蒼龍が派手にずっころげた。雑巾である。先ほどまで自分が使用していた雑巾が蒼龍の足を滑らせたのだ。


びったーんとしたたかに腰を打った蒼龍は涙目になりながら、座り込んだまま両手で腰を押さえた。さすがに今のこけ方はかなり酷かったので、思わず彼女に近づいて声をかける。


「蒼龍、腰は大丈夫……かァ!?」


蒼龍はいわゆる体育座りのような体勢だ。しかし痛みに気を取られて気づいていないのか、元来の天然がなさるものなのか不明だが両足を開いていた。繰り返す、その状態で両足を開いていた。かなり。


「……」


ああ見えてしまった。図らずも見えてしまったのだ。これはいかん。だが不可抗力である。わざとではない。わざとではないのだ……。


きっと気まずくなって動きを止めたのがまずかったのだろう、目ざとく自分の様子を訝った叢雲が状況に気づき「アンタ……」と冷たい氷のような切れ味のある声をかけてきた。


振り向かずになんだ、と返事をする。随分小さい声で返事をした気がする。なんせ怖かったのだ。後ろを向けば十中八九彼女の拳が顔面に飛んでくる。しかし眼前には蒼龍の秘境。


全身に油汗を吹きださせながら、目線を逸らせ、目線を逸らせと自分にひたすら言い聞かせる。しかしどうだろう、自分の意志の固さはけっこう自信があるはずなのだが、なぜか目線をそらし続けることができない。結果ちらちらと視線が忙しなく動くという怪しい状態になってしまう。まるで独立意識を持った両目と一戦交えているようだった。


――そして、ついにその時がやってきたのだ。


「何をしているの?」


ぬぅ、という擬音が相応しいような出現の仕方。目の前に広がっていた蒼い龍が住まう秘境の雲海は、一瞬にして灼熱の炎が迸る溶岩に飲み込まれてしまった。


「何を、しているの?」


目と鼻の先に叢雲の熱い両眼がある。デジャブだ、と思ったその刹那、


ばっしぃいいいん!!


左ほほを鈍器で殴られたかと思った。幸い首から上は身体に残っており一命は取り留めている。


「陸奥!蒼龍を風呂に行かせて!」


敬称を無視して陸奥にそう命じると、叢雲は自分の前に立ち上がった。見下ろされている。実際の高さはそうでないだろうが、ものすごい高さからの視線を感じる。


「はいはい。蒼龍、肩を貸しなさい」


陸奥は楽しそうに笑いながら返事をし、蒼龍を立ち上がらせると「ごゆっくり~」と言い残して執務室を出て行った。思わず『これは分が悪い』と感じた自分が何となく憎い。


「久しぶりにキツイ仕置きが必要なようね」


「その必要はないぞ。もう受けた」


「さっきのはせっかく掃除したのにまた部屋を埃まみれにした罰よ。蒼龍の件とは別だわ」


「そうか。なら罰として執務室の片付けは自分一人でやることにするよ。陸奥に伝えに行ってくれないか」


「それは罰とは言わないんじゃないかしら」


「そうかな」


「そうよ」


「なぁ叢雲」


「なによ」


「こう、目の前で仁王立ちされるとな。その、言い辛いんだがな。その、目線の先にあれがな。うん。うーん」


「文句があるならはっきり言いなさいよ」


「見えてるぞ。おまえ」


「なっ……!?」


猫を思わせる俊敏さで叢雲は一瞬でしゃがみこんだ。自然と目線の高さがこちらと揃った為、再び彼女と見つめ合う形となる。しかし先ほどとは少し状況が違う。彼女は両目だけでなく、白い柔らかそうな両頬まで真っ赤だった。そして、


「馬鹿ぁああああ!」


案の定二度目の絶叫がこだまし、アクセントに右頬をはたかれる乾いた音が響いた。今度こそ首が吹き飛ばされたかと思ったが幸い無事だった。そしてついにこちらの両頬も真っ赤になったようだ。まったくもって嫌なおあいこである。やれやれ。


叢雲は叫んだ後執務室を出て行った。取り残されたのは自分一人。散らばった書類と脚立。掃き掃除などが振出しに戻ってしまった。


それにしても両側の頬が痛む。熱を持って脈打っているほどだ。


深いため息をつき呟く。


「どうして、こうなった」


仰ぐように窓を見る。鳥が数羽横切って行くのが見えた。



*    *    *    *



時刻は1500。


なんとか午前中に執務室を片付け、午後からは客間の手伝いに向かった。ここの処理は大淀の指示によって非番の駆逐艦勢で行っていたが、なかなかはかどっておらず手を焼いた。


なぜかというとこれまでほとんど来客は無かったので多くの客室を倉庫として使用していたのだ。なのでとりあえず詰め込まれていた武器や資材などをまず工蔽に運び、明石に解体や整理をしてもらう。その後は部屋の掃除と片付け、という流れだったが、駆逐艦勢のみでは体力も無いし力仕事はなかなか進まなかったのだろう。大淀ならその程度の予想ならがつくと思うのだが。もしや嫌がらせだろうか。


いやいや、いきなり疑ってかかるのは良くない。そう自分に言い聞かせつつ駆逐艦の皆と協力しなんとか5室ほど部屋を確保することができた。掃除も済ませ、寝具の入れ替えも行った。客間の整理はこれで完了ということでいいだろう。


「いつつ……」


蒼龍から受けた体当たりと客間の手伝いの疲労が合わさり、身体のふしぶしが悲鳴を上げている。痛む肩に思わず手をやった。


一応昼に医務室へ行って当直の翔鶴に診てもらっていた。骨折は無く、一部打ち身があるとのこと。擦り傷などを消毒してテーピングなどをしてもらっているので数日のうちに治ると思うが、痛いものは痛い。思わず苦痛に顔をゆがめる。


「大丈夫指令?疲れちゃった?」


「陽炎か。いやなに大丈夫。運動不足が少し祟っただけだ」


「そう?なんだか動きもぎこちなかったけど、身体が痛むんじゃないの?」


なかなか鋭いことをいう。陽炎は叢雲に次ぐぐらいの古株である。こちらの癖や動きなどお見通しなのかもしれない。


「……実は午前中、執務室で一悶着あってな」


「ああ、叢雲の声のこと?またつまらないことで言い争いしたんでしょ」


「平たく言うとそうだ。まったくあいつの短気はどうにかならんのか」


「う~ん。叢雲の短気というか、司令の言動も原因の一部じゃないかなぁ」


「別に叢雲を貶めるようなことは言ってないぞ。しかし……まぁさっきは……」


言いつつ蒼龍の件を思い出し、思わず腹の辺りをさすってしまう。


腕を組んで話を聞いていた陽炎はやっぱりね、と言うように肩をすくめると、


「まだ謝って無いんでしょ?叢雲に」


「別に謝ることなどないぞ」


「そこよ、そこ。司令はもう少し女心を勉強しなさい。叢雲の味方というわけじゃないけど、叢雲が心痛めることがあったのは事実なんでしょ?あの子がそんな態度を取るのは、司令のこと以外になかなか思い浮かばないわ」


「そんなものなのか?うーん良く分からん……」


「まったく、うっとおしい程鈍いのですね。この方は」



「こら、不知火」


「不知火か。お疲れさん。間宮さんとこ行って休憩して来い」


「お心遣い、感謝いたします。では姉さん、司令など置いておいてさっさと行きましょう」


「え?ああうん。司令、ちゃんと叢雲と話し合っときなさいよ?じゃないと許さないからね」


不知火に引っ張られながら陽炎は去って行った。確かに、彼女が言うように叢雲には失礼なことをした。誰だって下着を見られたらいい気はしないもんだろう。客間の作業も済んだし、叢雲に一言言いに行こう。


ひとまず叢雲が行きそうな場所を思い浮かべる。今日はいい天気。叢雲は空を見上げるのが好きだ。たなびく白雲を眺めている姿を何度も見かけたことがある。


この鎮守府で一番高いところは屋上だ。自分のお気に入りの一つ。


だが叢雲はそこには行かない気がした。彼女は海に生きるものでもある。


あてずっぽうで海へ向かうことにした。そろそろ遠征から帰ってくる部隊もあるし、ついでに迎えに行くことにしよう。



*    *    *    *



最近は秋晴れが続いている。歩きながら視線を上げると、抜けるような青空が広がっている。まるでこの世界の大きさをまざまざと見せつけてくるようで、こちらはその巨大さにため息をつくばかりだ。彼女はこの大空を見て何を思っているのだろうか。


道すがら瑞鶴と加賀というこれはまた強烈な組み合わせと遭遇した。またいがみ合っているのかと思いきや、二人は戦闘機の扱い方について論議をしているようだった。彼女らの間のいざこざも解消されたのか、最近では二人とも素直になっている様子が目立つ。赤城からの報告によると、二人はもう大丈夫とのことだった。


続いて中庭を通り抜けていると、弥生と利根と筑摩の姿を見かけた。弥生は花のことを説明しているようで、利根はほうほうと頷きながら弥生の話を興味深そうに聞いている。筑摩はその様子を微笑みながら見守っていた。邪魔しないようにそっと横を通ろうとしたとき、彼女と一瞬目が合った。言葉は交わさず互いに会釈だけをしその場を離れた。


運動場の方を見ると訓練終わりの暁型の4名と島風、時津風が走り回っていた。競争をしている様子。時津風がぶふぇえと息を切らしうなだれている隣で島風は元気にストレッチを行っている。子供は風の子と言うかなんというか、相変わらず疲れを知らぬ者たちだ。


こんな風な鎮守府になることができたのも皆のおかげだ。決して自分だけではこうはならなかっただろう。中でもとりわけ、叢雲には世話を焼かせてしまっている。


来府当時は彼女しかいなかったからという理由だった。しかし人数が増えた今でも、相棒は彼女以外にはありえないと自分は思っている。


きっとこれが本物の戦友というものなのだ。自分は彼女に誰よりも信頼を寄せているし、彼女がいる限り何とかなると思ってしまっている。その分甘えてしまっている点はぬぐえないが、ともかく彼女は自分にとって大切な存在だ。それだけは間違いない。


気付けば日がだいぶ傾いてきている。日が落ちるのが早くなった。


海へ着いた。日はまだ水平線に掛かってはいないが黄昏の予感はすぐそこにある。


寄せては返すさざ波の音が耳に優しい。夜の海は嫌いだが夕方の海は好きだ。茜色の紅い夕陽は見る者の心を温かくさせる。


そんな中太陽に照らされ、逆光で細身のシルエットが一つだけ見える。腰まで届く長い髪が海風で揺れていた。


芝を通り抜けて砂浜を歩いていき、彼女の隣に立った。


「すっかり秋だな」


「そうね」


海風がひゅうと吹いた。夏や春や冬とは違う、乾いてしつこくない心地よい風である。


「さっきは悪かった」


「気にしてないわ。それより」


叢雲は言い辛そうに一度区切った。


「わたしの方こそ、ごめん。痛かったでしょう」


「安心しろ。大丈夫だ」


「そう」


お互い顔を合わせることはない。眼前の沈みゆく夕日に釘付けだ。


「こうして夕日を眺めるのも久しぶりね」


「そうだな」


「前はこうして遠征や出撃の艦隊を迎えていた。その思い出も、まるで水平線の果てに置いてきたみたいに遠いことのようね」


感傷的に叢雲が言った。ゆっくりと言葉を返す。


「ああ。だが、自分たちがこうして再び夕日を眺めていられるのもその過去があったからだ。何も、寂しがることなどないさ」


「そうね」


ざぁぁ、と少し高い波が打ち寄せてきて、海へと帰って行く。


「叢雲」


「なに?」


「今までありがとう。そしてこれからも、おれの友であってくれ」


一瞬凪いだように波音が静まった。雲間から差し込む夕日の光が神秘的で美しい。


「――司令、わたしはね」


幾分優しい声で叢雲が言った。


「この鎮守府でよかったと思っている。嫌なことも色々あったけど、それすら愛おしいぐらいに」


身じろぐような気配を感じ、彼女の方を向いて思わず驚いた。いつもの仏頂面とは無縁な、年相応の女の子の柔らかい笑顔がそこにあったのだ。夕日に照らされたその姿は、今まで見たことなど無かった。


「あなたがわたしの司令で、本当に良かったわ」


幸せそうな笑みを絶やさぬまま、彼女はそう言った。いつもとのギャップもあり、思わずどぎまぎする。


「これからも」


すっ、と右手を叢雲が差し出してきた。こちらも迷わず手を出し、固い握手をする。彼女の小さな手の平と温もりを感じた。こうして彼女と手を交わすのは来府以来だった。


「「――よろしく」」


声を揃えてそう言った後も、しばらく手を放すことは無かった。


夕日は沈み消えてゆく。だが彼女との絆は決して消えまいと、強く心に思った。



*    *    *    *



遠征から帰ってきた矢矧たちを迎えるとちょうど夕食の時間になった。そのままの流れで矢矧たちと食堂へ向かい、楽しい夕食の時間を過ごした。


1900からは艦種代表たちとの定例会。明日はトラックの中将が来られるので、来府される間はいつもみたいにのんべんだらりとせず、見られても恥ずかしくない態度で過ごすことと伝える。また、出迎えは秘書艦の陸奥と叢雲、大淀の三名で迎えると報告。


定例会終了後、執務室には叢雲と陸奥が残った。明日の予定の再確認を行う。話している最中に浜風が現れ、彼女に部屋の鍵を渡した。その様子を叢雲は眉間に皺を寄せて見ていた。


時刻は2100。明日の予定の確認も終わり。今日はこれにて解散となる。


「陸奥、今日はお疲れ様。明日からもよろしくな」


「ええ。明日はしっかりね提督。叢雲、明日はがんばりましょう」


おやすみなさい、と言って陸奥は執務室を出て行った。今日は珍しく虫の音が聞こえない。静かな夜だ。


「叢雲」


明後日の方を向きながら言った。


「酒でも飲むか」


そう言って彼女を見ると、突拍子も無いこちらの言葉に驚いたのか、叢雲はきょとんとした顔をしていた。だがすぐに微笑みなおすと「いいわよ」と答えた。


「ちょっと待ってろ」


木椅子から立ち上って和室へ行き、棚の奥に隠してある酒飲みセットと4合瓶を取り出す。


酒は大吟醸の黒龍。間宮さんが馴染の卸の方からもらったものだそうだが、自分は飲めないということでいただいたもの。北方の大変うまい酒である。


執務室へ戻ると丸テーブルと椅子が叢雲に用意されていた。彼女は椅子に座り、左腕をテーブルについて頬杖をしている。


「やっぱり日本酒。アンタ好きだものね」


「熱燗が上手くなる季節だ」


「貸して。給湯室で作ってくるから」


「手伝うぞ」


「子供じゃないんだからいいわよ。待ってなさい」


結局叢雲に制され、椅子に座らされた。叢雲は酒と徳利、猪口持って執務室を離れる。


テーブルの木目の数をぼんやりと数えていると叢雲が戻ってきた。手に持つ盆の上には、口からうっすら湯気を立たせる徳利と猪口、あとどこから持ってきたのか鮭とばを持った皿がある。


「どこから持ってきたんだ、その鮭とば」


「やぼなことは聞かない。ほら」


叢雲は自分の向かいに座ると徳利を両手で丁寧に持った。早速猪口に入れてもらい一口。ぬる燗である。燗では自分の一番好きな飲み方だ。


「――うまいな」


「せいぜい味わって飲むことね。龍なんてなかなか飲めるものじゃないでしょう」


「そうだな」


鮭とばをつまみながら、ちびり、ちびり。特に言葉を交わすことはないが、とても居心地が良いひととき。


何度目かの猪口を空けた後、ずいと叢雲に渡した。


「飲まないか?」


「一杯だけよ」


叢雲から徳利を受け取り、両手で持たれた猪口に次ぐ。叢雲は舐めるように酒を飲んだ。


「香りが良いわね」


「ああ。飲んだ後の鮭とばが絶品のように感じる」


そんな小さなやり取りさえ楽しい。多くを語ることのない空間というのはとても貴重なものだと改めて思った。


2合ほど愉しんだ後、鮭とばが尽きたのでお開きにした。残った酒は再び和室へと隠しておく。


「また飲もうな。叢雲」


「いいけど、酒はほどほどにしなさい。」


うっすら頬を染めた叢雲はいつもと違って見えた。それも酒の魔法だろう。


「じゃあ、司令、おやすみなさい」


叢雲は穏やかにそう言うと執務室を出て行った。


「――さて、寝るか」


時刻は2300。明日はもう目前に迫っている。久しぶりに今日はぐっすり眠れそうだ。


明日は中将殿が来る。気合を入れて1日を乗り越えていくことにしよう。



*    *    *    *


筆が進んだので今回は早めの更新です。

次回は11/14辺りの予定です。

乙乙

>>53
浦風だけでもとにかく欲しいなら2-5やら4-2のボスマスにいるからそっちのが早い気もする
朝雲はイベント待ってもいいくらいだし

>>66
やっぱそうですよね。最近は2-5と1-6を交互に回してます。
こないだ2-5で瑞鳳初ゲットしたので思わずホッコリしてます。
瑞鳳もどうにかして登場させたいな~


時刻は1000。今、自分は府内の港にある波止場にいる。空は快晴。海も穏やか。例えて言うなら絶好の釣り日和である。


波打ち際に立ち、海原を眺めること小一時間。決して釣りをしているわけではない。


今日はトラック泊地の中将殿が来府される。0900頃の大淀からの伝言によると、もう間もなくこちらへ到着されるとのことだった。


「落ち着きが無いわね。アンタ」


傍らの叢雲が言った。


「まるで恋人を待つ初心な青年ね」


反対側の陸奥が言った。


二人の言葉にふん、と鼻息荒く返事をする。


「余計なお世話だ。緊張するものは緊張するのだ」


なんていったって元帥殿と同期である。正直言って未だにどう対応したものか考えあぐねている。失礼のないようにとはずっと頭の中にあるが、果たしてきちんとできるものか……。まるで入隊時の面談を待つ学生のような気分である。


「提督、くれぐれも粗相のないようにお願いいたしますね」


係留用のボラードに腰かけてタブレット端末をいじくっている大淀が言った。最近本部から送られてきた試験用の物だそうで、指令室に居なくても主要な情報連絡はそのタブレットの一つでこなせるのこと。最近の彼女のお気に入りである。


それにしても先ほどの返しはまるで小姑のそれである。いや、我ながら言い得て妙だと思った。


唐突に、大淀がほほ笑んだ。


「提督?その目は何ですか?」


「!い、いや何でもない。今日もメガネ姿が決まってるなと思ってな」


「余計な発言は慎んでください」


ハハハスマンなと乾いた笑い声を上げつつ、大淀からすぅっと目を離した。別にこちらは変な目などしていない。きっと考えを見透かされたのだ、間違いない。しばらく彼女と目を合わさないようにしよう。


「だけど、それにしても遅いわね。トラックは確かに遠い場所だけれど、一提督ともあろうものがこんなに遅刻していいものなの?」


苛立つような声で叢雲が言った。いい加減気怠くなったのか、波止場の端に座り込んで足をぶらぶらさせている。


「なんかトラブルがあったのかもしれん。まぁまぁ長い船旅だ。大淀、向こうの方からの連絡は無いのか?」


くれぐれも彼女の方は向かず、平常心維持に神経を使いながら背中で尋ねてみた。連絡はありません、という機械的な返事が寄越された。


大淀は言葉を続ける。


「ちなみに15分程前にこちらから打診をしました。しかし未だ返事は来ません。トラブルがあった可能性が高いと私は見ております」


「深海棲艦と遭遇したか……?」


「可能性はあるかと」


「ふむ――」


顎に手を当てて黙考する。


艦娘だけなら問題なかろうが一行には生身の人間である中将殿がいる。彼は船に乗り、護衛の艦娘と共にこちらへ向かってきているはずだ。深海棲艦に遭遇したとして、果たして彼は突破できるのか。


中将殿が乗船している船種によるだろうが、おおよそ今回のケースでは護衛の艦娘に攻撃的な陣形は組めないだろう。そのような陣形で、もし強力な敵艦が出現したら。


当初の来府予定時刻は大幅に遅れている。連絡は途絶えたまま。


「大淀」


「はい」


「南西海域へ向けて船を出す」


「承知いたしました。編成は」


自分の先ほどまでのように薄呆けていた頭はどこへやら。いつのまにか頭の中身は緊張と戦略と仲間たちの顔が浮かんでいた。


まず出払っている部隊を中将殿がいるであろう海域へ回せないか検討する。


本日早出の遠征で出撃している部隊は2つ。ひとつは北方鼠輸送の任務を任せている矢矧を旗艦とした部隊。もうひとつは旗艦を加賀とした機動部隊による南西海域の偵察兼敵艦の誘因。


「――そうだ、加賀たちが南西へ向かっているはずだ。大淀、加賀へ向けて通信。こちらの状況を伝えた後、彼女らがいる辺りに艦影や戦闘の様子があるかどうか調べさせろ。目視だけでなく艦載機を使用しろ。至急だ」


「承知いたしました」


大淀に指示を出しつつ、頭の中で加賀たちの編成を思い出す。旗艦加賀、次艦瑞鶴。以下島風、響、弥生の駆逐艦3名、全体5人による練度的には中の中程度の部隊。主な兵装も思い出す。空母組は艦戦多めの兵装。艦載機の練度はそれほど育ってはいなかったはず。駆逐艦勢はどうだ。島風は連装砲、対潜装備。響は雷撃重視。弥生は対空重視。


最悪彼女らを戦闘に向かわせるのはどうだろうか。接敵する敵艦の種類にもよるだろうが、戦えないことは無いはず。加賀と瑞鶴の二人の連携も最近は良好だ。もしここで喧嘩するようではもはや戦力外。自分が求めているのは個々の能力ではなく連携する力だ。ここで彼女らの力を試すのもありだろう。


「大淀、加賀に追加の打診だ。最悪そのまま戦闘に参加することになると。覚悟だけはしておけと伝えろ」


「承知いたしました」


「鎮守府からも出撃させる必要がある。編成は――」


「あら、提督」


頓狂な陸奥の声が耳に入った。


「あれ、そうじゃないの?」


「なぬっ」


双眼鏡を取り出して、陸奥の視線の先を見据えると黒い影があった。朝日に照らされるその姿は間違いなく船である。確信的なのはその船の周囲に展開されている人型の存在。紅の唐傘を肩にかけ、悠然とこちら側を見据える姿は紛れもなく艦娘である。


唐傘を持つ艦娘の後ろに中型の船が控え、その船の左右にも艦娘の姿がある。桔梗のような紫の服を纏った黒髪の艦。あれは確か重巡艦の……。


「提督、中将殿から伝言が届きました」


思わず大淀の方を向き、なんと?と先を促す。


「出迎えご苦労、とのこと。それから」


「それから?」


「双眼鏡が良く似合うな、と」


「……むぅ」


穴があったら入りたいとはこのことである。思わず双眼鏡をポケットにねじ込もうとしたが入るわけがなく、余計しょうも無い姿を晒すことになった。


「何してんのよ、みっともない」


しゃきっとしなさいよしゃきっと、と、いつの間にか立ち上がっていた叢雲に横腹を小突かれた。痛い。


あらあらという陸奥の声を聞いているうちに、どんどん来客の姿が近づいてくる。加賀たちにこちらは大丈夫だという打診を大淀へ指示した後、来客を迎えるべく深呼吸をした。



*    *    *    *



「ようこそいらっしゃいました、中将殿」


言って三人と共に敬礼をした。船から降りてきた白髭が似合う老齢の男は、こちらをみとめると人懐こそうな笑みを浮かべた。自分より少し背が低く、年のせいか若干丸みのある体格も合わさって余計に穏やかそうな雰囲気出している。


「ご苦労。提督直々に出迎えとは感謝する」


「恐縮でございます」


「構うな。それもよりもすまぬ。予定時刻を大幅に過ぎてしまった」


「とんでもございません。中将殿、道中なにか災難が?」


「うむ。深海棲艦に囲まれた」


「か、囲まれた……!?」


神妙そうな顔で頷きながら中将殿が言った。やはり深海棲艦と接敵していたのだ。


――しかし、


「それにしては、傷一つ無い様子ですね……」


中将殿が乗船していた小型の艦はもちろん、随伴してきた艦娘にも傷はまったく無かった。接敵した敵艦が貧弱だったのだろうか。


「取るに足らぬ相手だ。たかだか戦艦3隻と軽空母と軽巡。案ずることは無い」


「「 ええ!? 」」


叢雲と共に驚きの声を上げた。大淀と陸奥は唖然とした顔。あらあらという言葉すら出ない。


「ところで我が同胞たちの紹介がまだだったな。紹介しよう」


中将殿の傍ら一歩控えたところに立つ、あの和傘を手に持つ艦娘が一歩前に出てきた。陸奥や長門のように背が高い。自分と同じくらいだ。装備の具合からして戦艦だろうか。


「提督殿、お初にお目にかかります。私は戦艦大和。以後、お見知りおきを」


言って彼女は恭しく礼をした。叢雲に脇腹を再び小突かれ、ワンテンポ遅れて自分も礼を返す。


「戦艦、大和……!」


「はい、そうです」


答えてにっこり笑う彼女の美しさにくらくらしつつ、何か途方もなく遠い存在を眺めているような気分になった。


なぜなら、初めて目の当たりにしたということも含め、彼女の風格は今まで会ってきた者たちと一線を画していたからだ。非常に本能的な感覚なのだが、自分では彼女を扱いきれない、そう感じた。


大和に続き、控えていた者たちが並んで現れた。中将殿が乗船していた艦の左右に展開していたあの青紫色の艦娘。


「初めまして、提督殿。私は妙高と申します。こちらは羽黒。以後、お見知りおきを」


言って二人は同時に会釈をした。ぴったりである。その礼儀正しさに感服しつつ彼女らの練度の高さに驚く。具体的な数値など聞いてないのでまったく知らないが、こういうのは気配で分かる。誰がどう見てもすさまじい練度なのは明白だった。


最後に羽黒の横にちょこんと立っている艦娘が礼をした。見慣れぬ姿。駆逐艦でも軽巡でもない。何者だろうか。


「装甲空母、大鳳といいます。提督さん、よろしくお願いします」


こんな小さいのが空母……!?と絶句しつつもとりあえず礼を返した。大和といい大鳳といい、見慣れぬ艦娘が多くて焦る。自分もまだまだ無知であると痛感させられた。


「おや、あの子はまだ中か」


中将殿は船の方を振り返ると、おーいと誰かを呼んだ。まだ何者か居るのだろうか。


「呼んできましょうか」


「その必要はない」


大和の声を遮るようになにやら凛々しい声が響いた。声の方を向くと、艶のある長い黒髪の艦娘が現れた。セーラー服の胸元にある黄色い注連縄が特徴的。いやそれはさておきあの姿、どこかで見覚えが……。


「挨拶が遅れ申し訳ない。私の名は磯風だ。よろしく頼――」


こちらへやってきて、磯風と名乗った艦娘が突然驚いたような顔をした。鳩が豆鉄砲くらったような貌である。背後に何かあったのかと思って振り返るが、案の定何も無い。


「磯風と言ったな。よろしく頼む。ところでそんな顔をしてどうした。何かあったのか」


向かい直してそういうと「い、いや何でもない」と返され、そのままそっぽを向かれた。気まずそうな雰囲気をしている。分からん。


「ふむ。では案内してもらおうか。そちらが秘書艦かな」


中将殿がほほ笑みを向けたのは叢雲の方。慌てて秘書艦は陸奥だと訂正すると、それはすまんかったと中将殿は謝った。


「実は少し迷ったのだ。ただ何となく、叢雲の方がそんな気がしてな」


言ってがはははーと笑う中将殿。この豪放磊落な雰囲気は元帥どのと似ている。自分が憧れる姿だ。


「よ、よし、気を取り直して陸奥、中将殿たちを案内するぞ」


「はい」


「提督!」


大淀の鋭い声。彼女とも長い付き合いだ。大淀がこんな声を上げるのは芳しくないことが起こった時だけ。嫌な予感がした。


府内へ向かう足を止め、極力無表情な声色で大淀になんだと問いかける。


「加賀より通信が届きました」


彼女は一呼吸置いてから続けた。


「こちらに向かってくる敵艦を接敵しました、とのことです」


心の奥底に追いやっていた黒い不安が一気に膨れ上がった。軽く吐き気がした。


「詳しく説明しろ」


「南西海域へ向かって進行中、提督の指示により偵察機を飛ばしていたところ、偵察機より敵艦隊がこちらへ向かって進行中という連絡が入った、とのことです。把握した敵影は戦艦ル級2、重巡リ級が2、空母ヲ級が2、うち一つが蒼目とのこと」


血の気が引いた。遠征で使用しているルートで接敵するような敵艦じゃない。このまま交戦すれば敗北する可能性が高い。


「大淀、すぐに撤退させろ。その海域からの脱出が最優先だ」


「承知いたしました。すぐに指示を送ります」


「まずいぞ……。加賀の部隊では明らかに勝ち目がない」


「司令。とりあえず応援を寄越すわよ。速く編成を考えなさい」


「提督、とりあえず私は出る準備をするわ。叢雲、あとは頼むわね」


「まぁ待て、若いの」


聞くものを思わず静かにさせるような、独特の深い声が耳に入った。全員の視線が中将殿に集まる。


「うちの者が周辺海域の哨戒に出ているはずだ。妙高、連絡を取れ」


「はい。足柄、聞こえますか――?」


通信機か何かを装着しているのか、耳に手を当てて妙高が何者かと喋っている。淡々と話しが進んでいる様子。


「大淀さん、そちらの部隊がいる海域の位置は分かりますか?」


「こちらです」


大淀が妙高にタブレットを渡す。妙高はそれを操作しながら電波の向こうの相手と再び会話を始め、程なくして通信を終えた。


「先生」


「うん?」


「足柄の部隊を向かわせました。足柄以下瑞鳳、龍驤、高雄型2名、木曾の編成です。燃料、装備に問題は無く、当該海域には30分程度で合流できるとのこと」


「よろしい。若いの、あとは座して待つのみだ」


「ち、中将殿、よろしいのですか?」


「何がだ」


「その、応援をいただくということに関して……」


「愚問だ。わしの近海で深海棲艦を叩く機会があるのだ。これを逃す理由などない。むしろこちらが感謝すべきことだ。敵を発見したことに関してな」


「は、はぁ……」


「海のことは気にするな……とは言わんが、一つのことに囚われ過ぎるな。冷静に考えてみろ。おぬしの艦隊はすでに沖へ出ているのだ。であれば、我ら陸の者ができることとすれば指示を出すこと、別の部隊を送ること、そして祈ることしかない」


「提督殿、先生のおっしゃる通りです。足柄の部隊が遅れを取る敵艦とは思えません。万が一、そのようなことが起こったことも想定し、事が済むまでもうひと部隊は出撃できる準備を整えるようトラックへも通信はとばしてあります。ご安心を」


まるでたいした病気でもないのにやたらと騒ぎ散らす患者を諭すような妙高の言葉に、思わず情けなくなった。一体何なのだろう、この感じ。中将殿は、いや中将殿たちは自分たちとはあまりにも器が違う。彼らに顔を向けることが、なんだかひどく申し訳ない気がしてきた。


結局、わかったら中を案内してくれという中将殿に促されるまま、どこか煮え切らない思いを残して鎮守府へと戻った。



*    *    *    *



時刻は1300。来客用の応接室。


鎮守府の数ある部屋の中でも贅沢な造りで、通常の部屋としては広さも一番である。最大で30人くらいは入れるのではないだろうか。もちろんそんな詰め込みな部屋のインテリアではなく、大判の絨毯の上に一枚物の樫のテーブルや、革張りの柔らかいソファを設置するという贅沢なしつらえがなされてある。


上座のソファには中将殿たちが、下座には自分たちが腰を下ろしている。


先刻大淀と妙高それぞれに現場から連絡があり、無事危機を脱したとのことだった。思わず安堵の息をついていると中将殿から「最近の若い者は肝が据わっていないな」と笑われた。話のネタも尽きかけていたので、笑い話になるのなら安いものだった。


彼女らからの報告によると、撤退していた加賀たちは案の定敵艦に捕捉され交戦開始したが、直後に足柄たちが合流し、そのまま無事敵艦をすべて撃滅したという。戦果の内訳としては、空母と戦艦は中将殿の艦、残りの重巡2隻を加賀たちが破ったとのこと。また、瑞鶴に向けられた敵の攻撃を庇った加賀をさらに足柄が庇うという何とも言えない珍事もあり、もはやこちらのメンツなど海底奥深くに轟沈させられてしまっている。この話は案の定中将殿の笑いの種となった。


その後中将殿の話を色々と聞いた。なぜそんなに強いのか(我ながら的外れな質問だと後で恥ずかしくなった。叢雲に何度か机の下の見えないところで足を踏まれた)、や元帥殿はどんな人だったのか。それから昨今の各海域の状況や深海棲艦の動きの傾向、若干オフレコな本部の情報などなど。有益な話ばかり聞いてしまい、向こうが得になりそうな話など一つも言えないことが若干苦しかった。


「ところで、どうしてそちらの艦娘は中将殿のことを先生と呼ぶの?」


大淀から何度目かのコーヒーのお替りを受け取りながら叢雲が言った。言われてみればそうだった。中将殿の艦娘は皆彼のことを「先生」と呼ぶ。


簡単なこと、と中将殿はにやりと笑った。


「実際に、先生だったからだ」


「「 ええ!? 」」


再び叢雲と声を合わせ、思わず顔を見合わせる。その様子を再び中将殿たちに笑われた。
……いや、端に座る磯風だけはどこかつまらなさそうな顔をしていた。


「わしは昔軍学校で講師をしていたことがある。提督として海に出る時と、学校で教鞭を取る時を何度か行ったり来たりしていたのだ。人だけではない、艦娘の養成校に居たこともある。おぬしも研修で行ったことがあるのではないか?どうやらこの鎮守府にわしの教え子はおらぬようだが、今ここにいる妙高や羽黒、大鳳はかつての生徒だ」


「なんと……!」


驚きの言葉しか出なかった。これはとんでもない人と自分は話をしているのではなかろうか。


「養成校では今は誰が教鞭をとっているのだろうか。今度内地に視察でも行ってこようかな」


「先生、無駄に経費を消費しないでください」


「まぁそういうな妙高。内地へ行ったらお土産でも買ってくるぞ。羽黒も来るか?那智に会えるぞ」


がははーと笑う中将殿とそれを咎める妙高や羽黒を見ていると、確かに仲睦まじい先生と生徒に見えないことも無い。どちらかというと孫と元気なじいさんという風に見えるが。


「……」


楽しそうに笑っている彼らの傍ら、中に溶け込めず、やたらとちくちくするような視線をこちらに送ってくるものが一人いる。磯風だ。


思わず彼女の方を見ると、その微妙に不機嫌そうな半目と目があった。綺麗な顔をしているのになんでそんな目をしているのか。なんとなく雰囲気が叢雲に似ていると思った。


「……ん」


そしてぷいっと顔を逸らされる。何なのだ。もう一体何なのだ。何かしたのか自分は。


これがうちの者なら放っておくのだがなまじ来客のため下手なことができないでいる。彼女とは初対面のはず。こんな露骨に顔向けされない理由など無い筈だが――。


「――あ!」


「わっ!……何よいきなり」


隣に座っている叢雲に睨まれる。ほら、その顔。やっぱり磯風と似ている。


いやそれはいい。話は磯風だ。そう、艦娘の養成学校という単語がキーだった。


自分は磯風と初対面ではない。磯風という艦娘は自分がまだ学生だった頃、件の養成学校で会ったことがある。今目の前にいる彼女はその時会った磯風なのではないか。


「磯風」


思わず声をかけた。そっぽを向いていた彼女がゆっくりとこちらを向き、な、なんだと返事をした。


「おまえ、養成学校の時に研修で一緒だった磯風だろう?」


磯風はどこか言い辛そうに身じろぎした後「そうだ……」と答えた。その言葉に思わず自分は嬉しくなる。


「やっぱりな!どこかで見たことがあるとずっと思っていたんだ。研修期間の時自分の秘書艦役をしてくれただろう?いやぁ懐かしいな」


まさかこんなところで旧友、それもまさに自分の初めての艦娘と会えるとは。


世界は小さいのだなと思わず感動していると、ほう、と中将殿が話に加わった。


「秘書艦研修ということは、寝食共にするあれだな。ということは若いの、おぬし磯風のアレも知っているな」


中将殿がにやりと意地悪な笑みを浮かべた。何かと思ったが、ああ!とすぐ合点がいった。


「もしや中将殿も経験が?」


「当然だろう?」


んっふっふ~と二人して笑っていると、ちょっと、と声をかけられた。見れば叢雲の姿。眉間に皺を寄せている。それになぜか顔が赤い。叢雲の向こうの陸奥と大淀もなにやらハラハラとした顔をしていた。


「アンタ、一体なによ。ちょっと。アレって、何よ」


「え?それは磯風の――」

『 だぁあああああ司令!! 黙るのだ!! 』


磯風は大声で叫びながら勢いよく立ち上がった。驚いてそちらを見れば肩で荒い息をしている。彼女もなかなかの声量。叢雲のライバル登場だろうか。


「それ以上言えば、手が出てしまうぞ……」


薄ら殺意のこもった声で磯風が言った。彼女の髪の毛先が腰の辺りでぶわぁあと広がっている。あれは静電気ではない。絶対に殺気だ。


「い、いやすまん。そう悪気があったわけじゃない。けどそんな恥ずかしいことか?当時おまえくらい下手な艦娘生も多かっただろう?り――」



っズダン!



「……」


眼前には、磯風の顔。熟れたような紅い瞳の半目を揺らしながら微笑んでいる。


しかし自分には分かる。どんなに口元は笑っていようが、その実、決して笑っていないと。瞳が語っている。


「司令」


磯風が言う。有無を言わせぬ語気。


「笑ってるうちにやめような」


「はい……」


何年振りかのやり取りが、再び繰り広げられていた。



*    *    *    *


遅ればせながら叢雲改二達成記念にageなのです。

一応次回は11/28の予定ですが、もしかしたら連休中に更新できるかもしれません。

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