千早「アイドル、ですか?」 武内P「はい」(22)

如月千早ではなく、「処女はお姉さまに恋してる~2人のエルダー~」の妃宮千早さまとデレマスとのクロスです。

だったらスレタイに妃宮千早って入れたほうがオトボク好きも見に来てくれたんじゃない?
これだとスレタイ釣りっぽくもなっちゃうしね

期待

知らないキャラだったので帰ります

休日。寮に籠りがちではあまりにも不健康なものだから、たまには外に行きましょうと史が言うので、学院の許可を得てショッピングを楽しんでいた。

そんな折、少し歩き疲れたから、オープンテラスのカフェで足を休めていたところ、何やら巌のような体躯の男がヌッと現れて、件の名刺を渡してきたのであった。

あまりにも気配もなく人相の悪い男がやって来たものだから、職務意識の高い史なんかは震えながらも男とぼくの間に割って入る。健気にも小さな体を広げて、ぼくを守ろうとしているのであった。

武内P「いえ、あの、私は怪しいものでは……」

男は困ったように首筋に手をやり、威嚇する史を前にどう説明したものかと言葉を探しているようだった。

男から貰った名刺に視線を落とすと、どうやら彼は芸能事務所のプロデューサーということらしい。

男の風貌に加えて、芸能事務所のプロデューサーという肩書きが胡散臭さに拍車をかけていたけれど、端から疑ってかかるのもよくはない。

史の肩を叩いて、「とりあえず話を聞こう」と笑いかける。

史「しかし、千早様……」

千早「大丈夫。見晴らしのきくオープンテラスだし、何かあったとしても周りがすぐ異変に気が付くから」

説得すると、史は不承不承ながらも納得してくれ、再び席に着いてくれた。

それから件のプロデューサーさんも立ちっぱなしというのは具合が悪いだろうから席を勧めようとしたのだけれど、どうやら史の態度に傷付いたようで少し気落ちしているように見えた。

武内P「あ、すみません、……相席させていただきます」

気を取り直したプロデューサーさんが丁寧に一礼をして、「失礼します」と席に着く。

千早「ねえ、史。346プロって知ってる?」

頂いた名刺には346プロと書いてある。

史「申し訳ありません、千早様。芸能事務所には明るくないので、存じ上げておりません」

千早「だよねぇ……。ぼくも史もテレビはあまり視ないものね」

小声でこそこそと話していると、会話の雰囲気からおおよそのところを察したのか、プロデューサーさんが四角い鞄からノートパソコンを取り出して346プロのホームページを開いてくれた。

武内P「こちらがうちの事務所のホームページになります。所属アイドルの一覧なのですが……」

くるりとパソコンの画面をこちら向けにしてくれたので、史と肩を寄せて画面を覗き込む。

千早「どれどれ」

史「あっ、千早様、この方は知っています」

千早「うん?」

史の視線を追っていくと、高垣楓という名前のアイドルと顔写真が載っている。

たしかに、あまりテレビと関わりのない生活を送っているぼくでも何度か見た覚えのある顔だった。

他にも城ヶ崎美嘉さんや速水奏さんなど数人見覚えのあるアイドルがいて、ははぁと感心してしまう。

千早「有名なところなのですね。……それで、そのプロデューサーさんがなんのご用でしょうか?」

武内P「はい。アイドルのスカウトを……」

ん?

うん?

なぜかぼくのジェンダーアイデンティティーに罅が入る音がする。

いやいや、これは自意識過剰なのであって、まさかそんなことはあるまい。

千早「あの、確認なのですけど、そのスカウトというのは私に対してではなくて、こちらの史に対してのものですよね?」

手で史を示しながらプロデューサーさんに訊ねる。

史「お気持ちはわかりますが、千早様、それは少々往生際が悪いかと……」

千早「史? 私が現実逃避しているとでも言いたいのですか?」

史「違うんですか?」

千早「ち、違います」

だって、ぼくは男なのだからアイドルだなんておかしい。どうにもプロデューサーさんは女性アイドルとしてスカウトしているつもりのようだし、その対象にされるというのは何か間違っている。

史「間違っているのは千早様の装いかと史は考えます」

ぶつぶつ小声で不服の意を唱えていると、同じく小声の史がそれにもっともな物言いをつける。

千早「だけど、そんなこと言われたって……」

街で遊ぶのだから女装の必要もなかったけれど、聖應女学院女子寮に戻る道中で学院の生徒と遭遇する可能性も考えられたから、念のために女装して外出しているのであった。

だから、今、周りの人の目には女性として映っているはずである。全く遺憾ではあるけれど、エルダーとしての自負もある。そう易々とはぼくの女装も見破られないはずなのだ。

しかし、そうは言っても、内に秘める男らしさが邪魔をして、到底アイドルにスカウトされるほどの女性にはなれていないはずなのである。

だから、きっと、この目付きの悪いプロデューサーさんにスカウトされているのは史の方に違いないのである。

そうだよね? と、プロデューサーさんに期待の眼差しを向ければ、彼は大真面目な顔をして言い切った。

武内P「いえ、お連れ様も大変愛らしくていらっしゃるかとは思いますが……。私がスカウトしているのは貴方です」

千早「えっと、貴方というのは史のことですよね?」

武内P「違います。銀髪にすみれ色の瞳をしている、貴方です」

千早「そんな……」

がらがらとジェンダーアイデンティティーが音を立てて崩れるのが、どこかで聞こえた気がした。

女学院に通い、全校生徒のお姉さまであるエルダーに選任され、挙げ句の果てにはアイドルにスカウトされるだなんて……。

こんな話、寮に帰ってしたなら、薫子さんたちに爆笑されてしまうことだろう。

なんてことだ。

千早「あの、一応お訊ねしますが……、なぜ私なのでしょうか?」

問うと、少し考えるような間があって、プロデューサーさんが「笑顔です」と答えた。

千早「笑顔、ですか?」

武内P「はい。笑顔です」

あまりに真っ直ぐな瞳で彼が言うものだから、そんなにぼくの笑顔というのはいいものなのだろうかと考えてしまう。

我ながら作り笑いには自信があるから、そうした意味ではプロデューサーさんの言うことも全くのでまかせではないのだろうけれど、アイドルとして人を魅了するにたる笑顔ではないように思える。

史「ほぅ。千早様の笑顔の価値がわかるとは、なかなか優秀な方のようです。先程は不信感を抱いて申し訳ありませんでした」

武内P「いえ、私の方こそ、いつも言葉が足りないものですから、無用な警戒をさせてしまって申し訳なく思っています」

がしり、と握手を交わす小さいのと大きいの。

いつの間にやら、二人は打ち解けあった様子である。

千早「あの、プロデューサーさん。せっかくのお話なのですが、学業に専念したいので、アイドルになるつもりは……」

何よりもぼくは男であるからして、男性アイドルとしてならばともかく、女性アイドルとして活躍するだなんてどだい不可能な話なのである。

武内P「えっと、お二人は学生でいらっしゃるのですか?」

プロデューサーさんが訊ねるので、そういえばまだこちらの身分を明かしていなかったと思い至った。

いや、あまりにこのプロデューサーさんが怪しかったものだから、意図的に個人情報を口にしないよう努めていたのだが。

しかし、第一印象とは違って悪い人ではないようだし、礼儀として自己紹介くらいはしておくべきだろう。

千早「自己紹介が遅れましたが、私は聖應女学院三年の妃宮千早と申します」

史「同じく、聖應女学院二年の渡會史と申します。普段は千早様の側仕えとして身の回りのお世話をさせていただいております」

武内P「聖應女学院ですか……。たしか聖應女学院というと有名なお嬢様学校ですよね?」

千早「お嬢様学校かどうかというのは内側にいる私たちには判断できませんが、独特の伝統があるところですから有名だというのは確かだと思います。ですから、プロデューサーさんが想像している学校で間違いないはずです」

もともとはプロテスタントの学校であったが、戦後はカトリックのミッションスクールになったりと、色々と複雑な経緯のあるところである。それに加えて、エルダー制度を始めとする独特の伝統があるものだから、聖應女学院は何かと世間様でも話題にのぼることの多い学校であった。

千早「そういうわけですから、学生の身分のうちは本業は学業であると心得えておりますので、せっかくのスカウトではありますが……」

お辞儀をして断りを入れると、隣の史も合わせて頭を下げる。

だが。

武内P「待ってください」

と、武内Pが粘る。

武内P「学業に支障をきたすことを懸念されるのもわかります。しかし、うちの事務所には学生アイドルも多数在籍しておりまして、実際にアイドルと学業の両方をこなしている子たちもいます。たしかに体力的にも精神的にも辛いことがあるかとは思いますが、頑張ればそれ以上に得られるものがあると断言できます。普通の人では絶対に見ることのできない景色をご覧にいれます。不安もあるかとは思いますが、辛いときには私が全力で支えてみせます。なので……」

千早「えっと……」

語る口調こそ平淡だけれど、何やら熱い人だった。

プロデューサーさんが言うアイドルにしか見ることのできない景色とは一体どんなものだろうか。

あまりに熱心なプロデューサーさんにあてられて、少しアイドル活動をする自分の姿を思い描いてしまう。

ひらひらのフリルいっぱいの服を着て、愛想を振り撒いている姿。

なんだか平素と変わらないような気もするけれど、やはりぼくは男だからないよなぁ……。

千早「こんなに熱烈に口説かれたのは初めてかもしれませんね」

どんなに口説かれてもアイドルになるわけにはいかないから心苦しいのだけれど、ぼくの笑顔を褒めてくれたせめてものお礼に艶っぽく微笑んでみせる。

史「……千早様は小悪魔でいらっしゃいますから、プロデューサーさんのおっしゃる通り、アイドルに向いているかもしれませんね」

プロデューサーさんに微笑んでみせるぼくを横目に、史が感心半分呆れ半分で呟く。

まあ、男であるぼくが聖應女学院において、理想の女学生の体現であるエルダーを務めていること自体、アイドル活動と言えなくもない。

正しく偶像(アイドル)なのだ。

とりあえずのところ、エルダーとして上手く振る舞えているあたり、ぼくにはアイドルの才能があるのかもしれなかった。

武内P「あの、すぐには決断を出していただかなくてかまいませんので、こちらを受け取っていただけませんか?」

と、プロデューサーさんがA4サイズの茶封筒を差し出してくる。

開けてもいいかと確認をとると、史が肩掛けの鞄からペーパーナイフを取り出して、差し出したぼくの手に握らせる。

武内P「付き人というのはすごいのですね……。勉強になります」

史の仕事ぶりにプロデューサーさんが感銘を受けている。

史から受け取ったペーパーナイフで封筒の口を切り、中身を取り出すと346プロの事務所案内の冊子であった。

武内P「売り込みにも使えますし、アイドルのスカウトにも使えますから、いつでも二部ほど持ち歩いているんです。よろしければ一部お持ち帰りいただいて、家でじっくり検討していただきたく」

千早「いえ、あの……」

何度言われても困る。

なかなか折れない人だな。

しかし、聖應女学院の生徒だと自己紹介をしてしまったので、「実は男だから無理です」と本当のことを言うわけにもいかず、少し困ってしまった。

どう断れば納得してもらえるかなぁ、と考えているときであった。

凛「プロデューサー?」

ふと後方から訝しむような声がして、振り返った先には同年代ほどの女性が気怠い感じで立っていた。

武内P「渋谷さん……、あっ」

彼女を見た途端、プロデューサーさんが何事か思い出したように固まってしまった。

凛「今日の仕事の現場まで送ってくれるっていうから、待ち合わせ場所で待ってたんだけど、いつまで経ってもこないから探してみれば……。プロデューサー、何やってんの?」

怖い顔をした渋谷さんがズンズンと近付いて来て、プロデューサーさんを威圧的に睨み付ける。それから視線を移してぼくを見るなり、よりいっそう表情を険しくさせる。

凛「ふぅん。とても綺麗な人だね。美女とお茶できて楽しそうだね、プロデューサー。……で、待たされた私はどんな気持ちでいたと思う?」

凛「故に遭ったんじゃないかとか心配して、私、バカみたいじゃん」

武内P「……すみません」

凛「だいたい、そっちから持ちかけてきた約束でしょ? 私は自分で行くって言ったのに、危ないから送らせてくれって言ったのはプロデューサーだよね?」

武内P「……すみません」

凛「すみません、すみませんって、それしか言えないの? とりあえず謝っておけば、いつか許してくれるだろうとか考えてない?」

武内P「すみませ……、あっ、えっと」

凛「はぁ。……クレープ」

武内P「えっと、クレープ、ですか?」

凛「きらりたちから聞いたけど、こないだクレープ食べたんでしょ? それ、私に奢ってくれたら許してあげる」

謝罪の一手を貫いていたプロデューサーさんが勝利を勝ち取った。

話を聞くに、全ての過失はプロデューサーさんにあるように感じたが、それでも全くの職務怠慢ではなく、一応スカウトという仕事をこなしていたわけだから、言い訳の一つくらいしても良さそうなものだけれど……。

誠実な人なんだろうか。

それとも、ただの不器用な人?

知らず笑みが漏れる。

俄然、プロデューサーさんに興味が湧いてきた。

言い訳なしの謝罪の一手は、時として相手の譲歩を引き出すことができるのだと勉強になった。

だから、勉強代として、そらから少しだけプロデューサーさんに同情してしまったので、少しだけ彼を弁護してあげよう。

千早「あの、渋谷さん?」

呼びかけると、渋谷さんがこちらに顔を向ける。

会話の流れから察するに、彼女は346プロのアイドルなのだろう。なるほど、顔立ちも整っていて、タイプこそ違うが、薫子さんたちと比べても遜色ないように思える。

千早「申し遅れました。私は聖應女学院三年の妃宮千早と申します」

凛「……私は渋谷凛」

千早「はい。渋谷さんですね。こちらのプロデューサーさんの人柄を十分承知しているであろう渋谷さんならばわかるかと思うのですが、彼は決してのんびりお茶をしていたわけではないのです」

凛「まあ、抜けているところはあるけど、真面目だし……、サボっていたとは思ってないよ」

千早「それに少し天然? ちょっと不器用なところがありそうですよね」

凛「そうだね。少しどころか、プロデューサーはだいぶ不器用だよ」

千早「そうですよね。しかし、不器用ですけれど、何事にも一生懸命なのでしょうね。今もスカウトを受けながら、彼のそうした性分をひしひしと感じておりました。そこがきっと魅力的なところなのかなぁと」

凛「まあ、困りものでもあるけどね」

千早「そうかもしれませんね。お仕事に一生懸命になるあまり、他の大事な約束を忘れていたようですから。困ったところでもあるのかもしれません」

凛「でも、そういうところも愛嬌だと思って、今は諦めてるよ」

千早「しかし、約束をすっぽかすようでは困りませんか?」

凛「アンタが言ってたんじゃん。不器用ながらも一生懸命だから、一つのことしか見えなくなるんだって。でも、やっぱりそれは頑張ってる証なんだから、ある程度は仕方ないよ」

千早「そうでしょうか。やはり改善した方がよいのでは? いざというとき、そうしたことでは頼りにならないというか……」

凛「……うるさいな。アンタにプロデューサーの何がわかるの。多少ドジろうが、待ち合わせをすっぽかそうが、プロデューサーはそのままでいいんだよ」

千早「そうですね。失礼しました。……多少のドジや約束のすっぽかしも一生懸命の証ですものね」

凛「そうだよ。そんなのたいしたことじゃない」

千早「たいしたことではない」

凛「うん」

千早「そうですよね。たいしたことではなかったみたいです」

凛「そうだよ。そんなこといちいち気にしたって仕方ないんだから」

千早「そうですよね。仕方ないですね」

凛「そうだよ」

千早「仕方ない」

凛「うん」

千早「少し約束をすっぽかすくらいは、たいしたことではないし、仕方のないこと」

凛「そうだ、よ? ……あれ? なんで?」

渋谷さんが口から漏れる言葉を押し留めるかのように、自分の口許を押さえる。

凛「……アンタ、催眠術師かなんかなの?」

武内P「渋谷さん?」

困惑した様子の渋谷さんにプロデューサーさんがきょとんとした表情で呼びかける。

凛「いつの間にか言質をとられてた……。気が付いたら、これ以上プロデューサーを怒れないようにされてた」

愕然とした様子の渋谷さんに、

史「千早様は言葉遊びが好きでいらっしゃいますから隙を見せてはいけません。基本的に性根は優しいのですが、性格が悪いところもありますから、迂闊なことを言っては大変です」

随分な言われようだった。

プロデューサーさんが少し気の毒だったから庇っただけなのに、まるで悪徳詐欺師かのような言われようである。

ぼくがぐちぐちと拗ねていると、史が「よしよし」と頭を撫でてくれる。

史「もちろん、 史はわかっておりますよ。プロデューサーさんを庇いたかったのですよね。千早様は優しい方です」

千早「ぐすっ、史、ありがとう」

しかし、史はさも理解者顔でぼくを慰めているが、ぼくを傷付けたのは主に史なのだった。

なんという自作自演。

凛「……妃宮さんだっけ? 一応言っておくけどさ、さっきの話術、犯罪に使っちゃダメだからね」

史「やめてください。こう見えて、温室育ちの千早様は繊細でいらっしゃるので、これ以上無礼なことを言わないでいただきたい」

武内P「その仰りようでは、渡會さんも無礼にあたるのでは……」

プロデューサーさんが首に手を当てて、ぼくが思っていたことを正に口にした。

まあ、それはそれとして。

千早「あの、プロデューサーさん。渋谷さんの仕事は大丈夫なのでしょうか?」

記憶が正しければ、そもそも渋谷さんを次の現場に送るためにプロデューサーさんはここにいたのだという。

いつの間にかスカウトに熱中していたようだが、本来であれば、すでに渋谷さんと落ち合っていて現場に向かっている時間ではないだろうか。

少し話をしてみた印象だけれど、このプロデューサーさんは時間ギリギリで現場に入るタイプの性格ではないだろうから、ある程度の時間的マージンは確保しているはずだが、しかし、それにしても幾らでも時間に余裕があるわけでもあるまい。

訊ねると、プロデューサーさんがスーツの袖口を手繰り、腕時計を確認する。

ちらりと見えた腕時計は有名な時計メーカーのもので、決して手が出ない代物ではないが、彼くらいの年齢の者が身につけるにはやや不釣り合いであった。

まだ若いが、もしかすると、事務所からある程度の役職を任されているのかもしれない。

武内P「そうでした。そろそろ出ないといけません」

ノートパソコンを折り畳み、プロデューサーさんが立ち上がる。

武内P「あの、妃宮さん」

千早「はい?」

武内P「すぐにでなくてもかまいません。学生として学業に専念したいと仰るならば、高校を卒業したあとでも大丈夫です。もしもアイドルに興味が湧いたときには気兼ねなく名刺の番号までお電話ください。いつでもお待ちしております」

千早「あー、えっと……」

わずかに答えに窮してしまう。

頑なに拒まずとも、このまま別れてしまえば話はうやむやになってたち消えてしまうだろう。待ってくれるとまで言ってくれた以上、今更勉学を盾に断りを入れることはできないのだし、まさか「男だから無理」と言えるはずもない。つまり、現状、上手く断る手段がないのだから、このままやり過ごしてしまうのが一番に思えた。

千早「わかりました。突然のお話だったものですから驚いてしまって、すぐにお返事はできませんが……、一度家に持って帰りまして、じっくり検討させていただきたいと思います」

渡された茶封筒を両手で抱えながら一礼する。

隣で史が手を伸ばす気配を感じたので、封筒を彼女に手渡し、肩掛けの鞄に納めてもらう。

武内P「妃宮さんの話術でしたら、アイドルだけではなく、プロデューサーとしてもやっていけるかと思います。そちらの方に興味がある場合でもお声かけいただければと思います」

千早「プロデューサーさんは人事も担当されているのですか?」

武内P「いえ、そういうわけでは。ただ、人事の方に口添えはできますので、ある程度融通は効くかと思います」

改めて、プロデューサーさんから貰った名刺を見る。

346プロか……。

ここで関わりを持ったのも何かの縁だろうから、テレビで所属アイドルを見る機会があれば応援してみよう。もしかすると、そこに渋谷凛さんも映っているかもしれないし。

凛「プロデューサー。妃宮さんをスカウトしたいんだよね?」

武内P「? はい、そうですが」

凛「だったら……」

渋谷さんが手持ちの鞄を漁り、クリアファイルの中からチラシを取り出す。

凛「小さなホールだけど、今度、私たちのライブがあるんだ。事前にプロデューサーに電話くれたら、関係者席で観ることができるからおいでよ。アイドルなんて突然言われてもイメージ湧かないだろうし、実際に見てみるのが手っ取り早いでしょ」

千早「百聞は一見に如かず、ですか」

凛「そ。予言するよ。私たちのライブを観たら、絶対アイドルになりたくなる。そんなライブを観せてあげる」

意志の強そうな瞳には自信が満ち溢れていて、見る者を強烈に惹き付ける。これがアイドルの顔。思わず魅了されてしまいそうになる。

毎日、整った顔を鏡で見続けているぼくでなければ、危なかったかもしれない。あるいは、薫子さんや初音さんたちのおかけで、美人に耐性がついていて助かった。

そのようなことを考えてしまうほど、渋谷凛の存在は際立っていた。

武内P「それでは私たちはこれで失礼します。貴重な時間を割いていただきまして、ありがとうございました」

プロデューサーさんは一礼をすると、それとなく伝票を回収して立ち去ってしまう。あまりに自然な動作だったものだから、止める間もなく、彼の小さくなる背中を見送るしかなかった。

凛「それじゃあ、またね」

渋谷さんも小さく手を振ると、プロデューサーさんを追いかけるようにトコトコと駆け足で去っていく。

千早「またね、か」

史「千早様、どうなさるのですか?」

千早「どうするも何もアイドルになるわけにはいかないよ。ぼくは男だからね。だけれど……」

史「だけれど?」

渋谷さんに渡されたチラシの表面をなぜる。

千早「少し、ライブを観てみたいとは思ったかな」

ああまでプロデューサーさんを熱くさせるアイドルとは一体なんだろう。

気怠げな印象だった渋谷さんが見せた、アイドルとしての一瞬の表情。その覇気に満ちた顔で、一体彼女はどのようなパフォーマンスをするのであろうか。

好奇心を刺激される。

千早「しかし、それにしてもうちの女子寮の面々はレベルが高かったのですね。久し振りに外に出てみて、改めて実感いたしました」

先程からオープンテラスの前を人が行き交っているけれど、薫子さんや初音さん、香織理さんに勝る美貌の持ち主を見つけるのが難しい。アイドルである渋谷凛にすら遅れをとっていなかったことから、芸能界でも十分通用するレベルなのだとわかる。

史「はい。寮のお姉さま方は特別綺麗でいらっしゃいますから。おや、でも、あちらの席の方は香織理お姉さまに似て美人で……、え、香織理お姉さま?」

オープンテラスになっているところから、ガラス張りの窓を挟んで店内の席に香織理さんに似ている女性が腰かけている。目が合うと、にっこりと笑って手を振ってくる。どうやら、正真正銘、香織理さん本人のようだった。

さっと顔から血の気がひく。

男のぼくがアイドルにスカウトされるという面白現場を一番見られてはいけない人に見られてしまった。

女子寮でネタにされて笑い者になるべきか。それとも、口封じのため、しばらく香織理さんの奴隷として過ごすべきか。どちらがより幸せな生き方だろう。

にんまりと愛らしい笑みを浮かべた香織理さんが近付いて来て、先程までプロデューサーさんが腰かけていた席に座る。そして、ぼくの耳元に唇を寄せると、「ケーキを食べたいな」などと吐息混じりに囁くのだった。

史「……千早様の明日はどちらでしょう」

本当に。

ぼくの明日はどっちだ。

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