向日葵「ずっと一緒に」 (62)

真夜中だった。

どこからか、声が聞こえる。

切羽詰まったような、まるで泣く寸前のような、そんな女の子の声だった。


「待っててね」


声の主は私の手を握っている。

私は眠りに落ちていて、目を開けてその子の顔を見ることができない。

けれどその温もり、その声はとても懐かしくて、私の心を安らかに落ち着かせるものだった。


これは夢?

あなたは誰?

こんな真夜中に勝手に部屋に入ってきて、私の手を取って話しかけている、あなたは一体誰ですの?


「すぐに、向日葵の所にいくからね」


手から温もりが消える。

部屋は静寂を取り戻し、人の気配は消えた。

私の手は、少しだけ濡れていた。

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【前編】〈 Colorful Cookie 〉


「ごめんね、向日葵」


あれは今からちょうど一年くらい前の、中学三年生の冬。すっかり受験一色になり空気もどこか張り詰めていた頃、帰り道に俯きながら隣を歩いていた櫻子が突然私に言ったのだった。

何も謝られる覚えはなかった。この子は例え自分に非があったとしてもそれを認めずに突っ跳ね返してくるような子だ。特にこの私に対して自分から謝ったりするなんて、長い付き合いの中でもそうそうあったことじゃない。

「何がですの?」……私は聞いた。この時は本当に何事かわからなかった。別に謝られるようなことで身に覚えがないからなのだが、それもそのはず……最近櫻子と登下校時以外で絡むことが減っていたのだ。

夏休みに入ったあたりから、私と櫻子の接触は減っていた。今思えばあれは櫻子なりの “気遣い” だったのかもしれない。夏は受験の天王山……その言葉を真摯に受け止めた櫻子は、それまでのように気軽にうちにやってくることも少なくなり、大変な宿題が出ても自分でなんとかすると協力を遠慮し、そうして何気ない会話というものも徐々に減っていってしまったのだった。


一体何を謝ることがあるのか。俯く櫻子の目は髪に隠れて見えなかった。私の返答に櫻子は答えず、結局その日も無言のまま家に着いてしまい、「また明日」とだけ言って別れた。

私も特に重く考えることなく、翌日からもいつもと変わらない微妙な距離感の学校生活を続けていた。自分の受験のことでいっぱいで、櫻子の些細な変化には気を回してあげられなかった。


あの子の方が敏感だったのだ。私たちの距離が離れることに関しては。


それはきっと、櫻子は自分に非があると思っていたからだろう。自分がもっとちゃんとしていればこんなことにはならなかったのにという自責の念を、ずっと抱えていたのだ。




「――それでは、今回はここまでにします。次の授業は今日やったところを少し復習してから、新しいところを進めていきましょう」


気づけば授業は終わろうとしていた。チャイムはギリギリ鳴っていなかったが、今が四限目で次が昼休みということもあり、生徒たちは先生が終わりを告げる間すでに教科書類を片付けたり、購買の競争に参戦するため財布を持ちすぐに席を立つ準備をしたりと物音騒がしくしていた。その音で我に帰る。

私はお弁当を作ってきているので購買戦争に急ぐこともないのだが、考え事にふけっている間すっかり板書を忘れてしまっていた。チャイムが鳴って戦争組がぱたぱたと教室を出て行く中、素早く板書を書き留める。

もう少しで書き終わるというところに、可愛らしいバンダナに包んだお弁当を提げた友人がやってきた。


「古谷ちゃん、お弁当一緒しよ?」

「ええ、ちょっとこれを写したらすぐに……」

「あれ、まだ写せてなかったの? 珍しいね~」

「ちょっと気を抜いていたものですから…………よし、できた」

「隣いい?」

「ええ、どうぞ」


高校の授業は中学よりも大変だ。一年生とはいえ、ここは県下でも名のある進学校。中学の勉強法ではもうだめなんですよと各教科担当の教師は口々に言う。「面倒見のいい学校だから、そんなに張りつめなくても普通にコツコツやってれば大丈夫だよ」……なんてOGでもある撫子さんは言ったけれど、私は未だに緊張のギアというものを心から全部下げられない。

私の成績は悪いわけではないが、それでも気を抜いたらあっという間に置いていかれてしまうだろう。周りのクラスメイトもみな受験戦争を勝ち抜いてきた者なのだ。

少し荒く走り書きになってしまったノートを閉じ、弁当を取り出す。いつもやってきてくれるクラスメイトと一緒にお昼ごはん。ありがたいことに、私はこの新天地でもいい友達に恵まれた。


しかし私の頭の中は、目の前の子とは別の女の子のことでいっぱいになっていた。

ノートをとっていなくてもチャイムが鳴ればすぐに道具を片付けてしまうような、そんな他校の女の子のことを。


私の名前は古谷向日葵。

大室櫻子とは別の高校に通っている、もうすぐ二年生。




この高校へは電車で通っている。

入学当初は新鮮だった電車通学も、もう一年が経とうとする今ではすっかり慣れてしまい、手頃に空いている席は無いものかとそれしか気にならなくなってしまった。

いつもより少し早い時間の帰り道、まだそこまで学生の多くない電車で運良く座れた私は、一息ついてから友達から借りた読みかけの推理小説を取り出した。「読んだら感想聞かせてね」――推理物は自分も好きだし、暇を見つけては読み進めるのが今の楽しみだ。

しおりの挟んであるページを開き、どこまで読んだかを確認する。目当てを見つけ、さて読もうと目を走らせようとして、ふと視界の端にちらつく乗客たちに目が移った。

何気なく車内を見渡してみる。席はほとんど埋まっており、立っている人はまばら。この時間帯は大人よりも制服を着た学生の方が多い。私の他に乗っている学生たちには、皆それぞれの色があった。

友人と大声で話し合う子や、小声で笑いあう子。大きな部活のバッグを持っている子。友人らしき人と隣同士に座っているが、携帯の画面に夢中な子。イヤホンで音楽を聴きながら、うだるように寝ている子。


あの子は……櫻子は、どんな高校生になっているのだろうか……様々な学生たちを見ていて、そんなことをふと考えてしまった。別々の高校に進んでからというもの、私たちが会う機会は急激に少なくなっていった。

アルバイトをしていると以前少しだけ聞いたことがある。まだ続けているのだろうか。アルバイト先は何故かはぐらかされて教えてもらえなかった。

櫻子は家から自転車で通える高校に進んだ。なので電車通学のときに同じ電車で偶然会うということはない。通学時間にも差があるため、家を出るタイミングも少しズレている。

こんなにも会えなくなるものなのか……入学後しばらくして、その現実をひしひしと感じた私はショックだった。隣の家に櫻子はいるはずなのに、どうしてこんなにも離れてしまうものなのか。


「櫻子……」


小説の文字から焦点を外し、私は昼前と同じように中学時代の櫻子を思い返した。あの子はきっと私よりもショックを受けていない気がする。だってあの子は今の会えない現実を、中学生の時に既に予想していたのだろうから。


「ごめんね、向日葵」――あの時の言葉を私は妙に忘れられなかった。

櫻子が謝っていたのは、当時予想した今のこの現実に対してのものなのではないか。

一緒の高校にいけなくて、ごめんね。向日葵は私のためにいろいろしてくれたのに、それでも届かなくて、ごめんね。色々な “ごめん” の形が思い浮かぶ。


きっと櫻子はあの受験期の夏に考え込んだに違いない。違う高校に進んで離れ離れになってしまう未来を、しかしそれでも私を希望する学校に進学させるため、勉強の邪魔にならないように身を引こうと。

その全ての現実に対して、「ごめん」と――

「あっ……」


ポケットの中の振動に気づいて、携帯電話を取り出す。今手に持っている小説を貸してくれた子からのメールだった。他愛のない内容でもこまめに連絡をくれる子で、家の方角は私と反対だがとても仲良くしてくれる。

返信を終え、ふとメールの受信ボックスを探ってみようと思った。櫻子から最後に来たメールはいつのものだったかが気になったのだ。

だいぶスクロールを重ねた所に、大室櫻子からの返信メールを見つけた。「バイトがあるからいけないんだ、ごめんね。」――去年の秋、連休を使って櫻子と久しぶりに会おうと思って誘ったときのメールだった。

絵文字も何もない文面のそのメールは、ひどく悲しげな顔の櫻子を何故か連想させた。高校に入ってからというもの、あの子の方からメールが来たことはない。私がメールを送っても、味気ない短文の文章だけがいつも返信として返ってきてしまう。

なにか櫻子に送ってみようか……そう思って新規のメールを作ろうとし、しかし何も思い浮かぶことはなかった。大きな連絡事でもあればメールのひとつも送るけど、他愛のない文をやりとりするなんてことは高校に入ってからほとんどなく、そうして一年経ってしまった今急にそんなやりとりをするなんてことは不自然極まりないことになっていた。

携帯をポケットにしまい、小説を再度開こうとすると、自宅の最寄駅に到着する旨のアナウンスが流れた。

ひとたび櫻子のことを考え出すと、いつもあっという間に電車が到着してしまう。




「!」


シンクロニシティに近いもの、とでも言うのだろうか。

今日はやけに櫻子のことを考えてしまうと自分でも不思議に思っていた帰り道、自宅の前で偶然櫻子を発見した。こうして直接姿を見るのはどれくらいぶりだろうか。

私たちの家の前で誰かと話している。中腰になって話している相手は、小学校から帰ってきた所であろう楓だった。楓も今は立派な小学三年生だ。


「あっ、おねえちゃんなの!」

「えっ……」


こちらに気づいた楓が手を振ると、すぐに櫻子が振り返る。久しぶりに櫻子を見た私の第一印象は、また一段と背が大きくなっていたことに対する驚きだった。撫子さんにどんどん近づいている。


「ただいま楓。櫻子も」

「あ、うん、おかえり」

「久しぶりですわね。元気してました?」

「うん……元気だよ」


もじもじとセカンドバッグの持ち手をいじりながら、ちらとだけ目を合わせて櫻子は答えた。

私からすれば、そんな素っ気のない櫻子は元気があるとは言わない。うるさいくらい大きな声、生意気な態度、からかうような言葉振り。そんな “昔の櫻子” をついさっきまでよく思い出していた私にとっては、今のこの子が元気だとはあまり思えない。


「病気なんかしてませんわよね。勉強の方は大丈夫?」

「これでもちゃんとやってるよ。心配ないって」

「そう……偉いですわね」


形式的な会話。櫻子はあまり私に目を合わせないで、楓の方を見ている。その横顔からはどこか気まずそうな印象を受けた。


「楓とどんなお話をしてたんですの?」

「えっ……と……大したことじゃないよ」

「そう?」


「小学校楽しい? とか、そんなん」

「学校はお友達がたくさんいるから楽しいの♪」

「ふふ……よかったね」


楓の頭を撫でる櫻子。櫻子も大きくなったが楓も昔に比べればとても大きくなった。身長差的には昔とそんなに変わらない気もして、それがさっきまで思い出していた昔の櫻子の姿にリンクした。

――こんな気まずそうな空気で話をしたいのではない。私はあの頃の櫻子と、昔のようなやりとりがしたいのだ。元気に満ち溢れた櫻子を、隣で見守るような……


今日偶然出会えたことを無下にしてはいけない。これはチャンスだ。

意を決して、私は一歩踏み出してみた。


「じゃあほら、こんな家の前で立ち話もなんですし、どっちかの家でゆっくり……」

「ごめん、向日葵」


遮るように、私の言葉を切るように、櫻子は少し声量を上げて言った。言葉尻を切られた私は話を続けることができなくなり、櫻子の顔を伺うことしかできなくなった。


「私今日、忙しくてさ」


申し訳なさそうな笑顔を向けて、私の横を通り過ぎて大室家へ入っていく櫻子。

その言葉からは、どこか「嘘をついている」ような気がした。

本当に忙しいのか? 私には、この場からただ逃げたがっているだけのように見える。


「じゃあ、また」


鍵を開け、ドアを開け、ドアは閉まり、櫻子は私の視界から消えた。

「また」なんて言われたけど、もうしばらくは会えなくなるような予感がした。


櫻子に避けられている気がする。なぜ?

普通でいたいのに、気まずくなってしまう。なぜ?


「櫻子……」


そのとき、冷たい風がぴゅうと吹いた。冷え切った風に楓がふるふると凍える。「ごめんなさいね、早く中に入りましょうか」と背中を押し、楓と一緒に自宅の門をくぐった。

「もう二月だねぇ」

「ええ、寒いですわね」

「雪もまだ溶けないの」

「春あたりまで残るかもしれませんわね……楓、先にお風呂入っちゃいます?」

「うんっ、でも……ちょっとおなか減っちゃったの」

「あら。じゃあおやつでも探しましょうか? 私も少し欲しいかなと思ってたところですわ」

「やったぁ♪」


ランドセルを置きにいった楓を見送り、私は台所のおやつ事情を確かめた。

買い置きしてあるものはあまりなく……少し落ち込んだ今の私に元気をくれるような甘いお菓子は見当たらなかった。階段を降りてきた楓が同じようにして戸棚を覗き込み、「ん~……」と少し残念そうに首をかしげた。


「どうしましょう……なにか温かいものは淹れようと思ったけど、それだけじゃ物足りませんわよね」

「おねえちゃん、今日はいそがしい?」

「いえ、そんなことはありませんけど……」

「じゃあ、一緒におかしつくりたいの!」


楓がもじもじしながら、どこか恥ずかしそうに戸棚から新しい薄力粉の袋を取り出した。


「あ……」

「今からでもできそうなお手軽なやつで……おねえちゃんが得意なお菓子といえば?」

「ふふ……クッキー?」

「せいかいなの♪ 楓も一緒に作り方教わりたいの!」

「わかりましたわ。それじゃあ久しぶりに作りましょう」


嬉しそうにしている楓から袋を受け取り、クッキー作りの準備を始める。昔に比べると家でお菓子を作る頻度は減っていたため、久しぶりだという気持ちだけで少し高揚感が得られた。

お菓子作りは食べるときだけじゃない、作るときから楽しいものだ。


「いっぱいつくって、櫻子おねえちゃんにもあげるの!」

「ええ、そうし……」


楓が言った何気ない一言に、はっとなった。

「さ、櫻子に?」

「さっきお話したの。楓も大きくなったからお料理とかお菓子作りとかいっぱいお勉強して、櫻子おねえちゃんに作ってあげるねって」

「……!」


そうだ。

これだ。これがあった。


櫻子と関わるきっかけがないなんてことはない。私たちは家が隣同士で、ずっと友達で、何か作ったら気軽におすそわけができる関係。昔からずっとそこだけは変わらない。

受験の忙しさ、高校生活の大変さでお菓子作りのことを忘れかけていた。私から櫻子に送れる気持ち……いつだって伝えることのできる手段はメールだけではなかった。


「見ておねえちゃん、お母さんがいろいろ材料買い足しておいてくれてるの!」

「あら本当……! これならいろいろなのが作れますわね」

「今日はひまわり先生のクッキー教室なの♪」

「うふふ……それじゃ楓ちゃん、まずはエプロンをつけましょうか」

「はーい!」




「あっ、ひま姉!」

「こんばんは花子ちゃん。ちょっと久しぶりですわね」


チャイムを鳴らすと、エプロン姿の花子ちゃんが出てきた。どうやら今日の夕飯当番らしい。小学5年生にして日頃の夕飯作りを任されているのはすごいと思うが、撫子さんが大学生になって櫻子と花子ちゃんしかいない今、彼女の方が担当する頻度は多いのだろう。


「どうしたの?」

「久しぶりにクッキーを作ったから、櫻子におすそわけしようと思って……あ、もちろん花子ちゃんにもありますわ」

「わあ、ありがとう……あ、どうぞあがって? 櫻子ー! ひま姉来たー!!」


少し久しぶりに会ったが、花子ちゃんもやはりいつかは私を追い越し、追い抜いてしまいそうなくらい背が大きくなっていた。楓と毎日一緒に学校に行ってくれているお礼も込めて、花子ちゃんのクッキーもしっかりと作っていた。


櫻子の部屋をノックすると、中からワンテンポ遅れて「はーい」と返ってきた。ドアが引かれて櫻子は顔をのぞかせると、「……いいよ、入って」と招き入れてくれた。

久しぶりに来る櫻子の部屋は思ったよりも片付いていた。撫子さんがこの家を出てしまい、ちゃんと部屋を掃除しろと言う人がいなくなったのではないかと心配になっていたが、逆に櫻子はしっかり者になってきているのかもしれないと思えた。

櫻子は立てかけてあった丸テーブルを出して私にクッションを渡すと、自分はベッドに腰掛けて背中を伸ばした。


「今日は忙しいって言ったのに……」

「まあまあ、そんなに長く居座るつもりはありませんわ。これ渡しに来ただけですから」

「……クッキー?」

「ええ、さっき楓と一緒に作ったんですの。だから櫻子にもと思って」

「あー……ありがと」

「これすごいでしょう? ちょうど材料があったから色々なフレーバーのものを作ってみたんですの。メロンフレーバー、バナナフレーバー、ストロベリーに……これは普通のバタークッキーで、こっちがチョコチップ」

「ほんとだ……すごいね、カラフル」

「久しぶりにお菓子作りなんてしたものですから楽しくなっちゃって……どうぞ?」

「うん」


櫻子は薄黄緑色のメロンフレーバークッキーを手にとり、さくりと口にいれた。今日の出来栄えには自信があった。「ん……」と美味しそうに口角が上がったのを私はしっかり確認した。

自分の作ったお菓子を食べて、櫻子が嬉しそうな顔をするのが好き……私は中学の時だけじゃない、もっと小さい頃からそんなことをやっていた。懐かしく嬉しい感覚がじわじわと胸の内から溢れてくる。


「……どう?」

「ん、うん。思ってたよりもすごくおいしい」

「どう思ってたんですの……」


櫻子に同じクッキーを一枚手渡され、一緒に食べる。味見で一通り食べてはいたのだが、櫻子に渡されたクッキーが一番サクサクで美味しい気がした。

「今は何かやってたんですの?」

「え……っと、宿題」

「え!? あなたが自分から宿題!?」

「な、なんだよ! 私だって宿題くらいやるわ!」

「驚きですわ……本当にちゃんとしてきたんですのね」


櫻子へのツッコミも入ってきてだんだんと昔のような会話のテンポを思い出してくる。櫻子は先ほど家の前で話したときほど気まずそうにはしておらず、ぱくぱくとクッキーを食べてくれた。


「さっき忙しいって言ってたのはこれでしたのね。勉強してたなら、ちょうど甘いもの作ってきてよかったですわ」

「うん、嬉しい」

「どんな内容をやってるんですの? わからないところとかあったら私が……」

「ああっ、いいって! 自分でできるから……!」

「あら……そう?」


私が立ち上がって勉強机の上の問題集に手を掛けようとすると、櫻子は慌てて制止した。

ちらとだけ視界に入った内容は数学……それも初歩的なものではなく、私の学校の授業で行うものと大差ないように見えた。


「あなたの学校もそこそこ大変そうですわね……まだ進路とかは明確に決めてないんでしょう?」

「うん……それは全然」

「まあまだ高一ですしね……私も全然ですわ。部活とかは入ってますの?」

「ううん、何も。結構誘われるんだけどね」

「あ、バイトしてるんでしたっけ?」

「バイトもしてたけど……今はやめちゃった。家で一人にしてる花子が寂しそうだったからさ」

「そう……」

「私のことなんかいいじゃん。向日葵は? 向日葵はどんな感じなの?」

「私? ええと……」


話題は私の学校生活の話に切り替わり、櫻子は興味深そうに聞いてくれた。昔のように茶化してきたりすることはあまりなかったが、やはり櫻子との会話は他の誰とも違って特別な感情を私に与えた。

心が緩やかに落ち着き……それでいてどこかドキドキもしていて、それが私には心地よかった。しばらく会えなかったことで私の中には中学生の頃の櫻子の面影が強く残っていたので、今の少しだけ大人に近づいた櫻子を間近で見てるだけでも嬉しかった。

『櫻子ー! ごはんできたー!』

「あっ……うん! 今いくー」

「あらもうこんな時間……長居はしないって言ったのにごめんなさい。私そろそろ戻りますわ」

「そう……わかった。じゃあね」


夕飯の合図に促されて櫻子は立ち上がった。私もそこで一緒に立ち上がり、空になったクッキー缶を手に櫻子と玄関へ向かう。花子ちゃんも一緒に私を見送ってくれた。


「それじゃあ、また」

「うん……またね」

「ばいばい、ひま姉」

「ええ、花子ちゃんも」


真冬の玄関の冷えた空気は、例え隣の家に帰るだけでも外に出たくないと思わせる。

しかしそれとはまた別のこの家を出たくないという気持ちが、玄関のドアに手をかけた瞬間膨れ上がった。


「あっ、あの」

「ん……?」

「ええと……その……」


櫻子に目を見つめられて思わず恥ずかしくなったが……クッキー缶を持つ手に力を入れ、勇気を出して胸の内の言葉を伝えた。


「また今度、お菓子作ったら持ってきますわ。今度はもっと時間のあるとき……週末とか。バイトはしてないんですもんね?」


櫻子は少しはっとなって、軽く目線を下げて何かを考えた。

もしかして断られてしまうのかと一瞬不安になったが、花子ちゃんが無言で櫻子の脇腹をちょんとつつくと、「う、うん」と言ってくれた。


「ありがとう。それじゃあまたその時に」

「じゃあね、向日葵」

「ええ」


外に出ると、冷たい夜の風が私の服の中まで吹き込んできた。慌てて自分の家に戻り、外気から逃れると……途端にぽかぽかと身体が温かくなってきた。

どうやら私は……ひどく緊張していたらしい。

しかし、関わりが薄くなって心配だった櫻子と久しぶりに話すことができた。時間にすればほんの数十分だったかもしれないが、それでもここ何ヶ月も櫻子のことを思い出して悩んでいた自分にとっては充分なほどの安心感をもらえた。

またお菓子を作れば櫻子に会える。櫻子の顔が見られる。櫻子と話せる……そう思うだけで胸の内から冷たい手の先まで温かくなっていく気がした。

今度は何を作ろうか……やはり今は寒いから、温かいカップケーキなどいいかもしれない。今度時間のあるときに買い出しに行ってみよう。そんなことを考えながら、楓の待つ部屋へと戻った。




お菓子作りの材料などを買う行きつけのお店。

久しぶりに来てみるとそこは陳列の配置を変えたのか、私の馴染みのある頃と雰囲気が少し変わっていて驚いた。

目当てのものはどこだろう……カップケーキの材料となるものを探しに来た私の目に入ったのは、店頭の正面で目立つように展示されているある物……


「あっ……!」


それは、チョコレートだった。


赤を基調としてしとやかなシルバーで装飾された一帯のコーナーの至る所に「St. Valentine's Day」と書かれている。今が二月上旬であることをようやく思い出した。バレンタインデーが近づいているのだ。

去年は受験期間真っ最中ではあったが、簡単なチョコレートを作ってプレゼントしたのを思い出した。しかしそこで作ってきたのは普段からお菓子作りをしている私くらいのもので、櫻子を含めて作ってきていない子の方が多かった。あの時の忙しさはまさに頂点を極めていた。


目がけて来たものより先に、置いてあったチョコレートを手に取る。


今年も櫻子にバレンタインチョコを作ろう。去年のような慌ただしい中で作るものではない、しっかりと心を込めた一品を。

ひとたび思いつくとぽんぽんアイデアが出てくるもので、それから良さそうな材料の揃うお店をはしごしてバレンタインの準備を始めた。お小遣いからも予算を出して、今までで一番気合いの入ったものを作ろうと思った。


櫻子と私の距離を戻してくれる、甘い甘い魔法のチョコレート。




「2月14日……あっ」


カップケーキをオーブンで焼いている間、ふとカレンダーを確認するとあることに気がついてしまった。


(この日……日曜日なんですのね)


てっきり平日だと思い込んでいた私は、シチュエーションを先日のクッキーや今のカップケーキと同じように、学校が終わって櫻子が帰ってきた頃に大室家に行って渡すものだと思い込んでいた。

日曜日となると話は変わる。もしかしたら櫻子は一日中家にいるかもしれない。


(櫻子の予定も確かめておかないと……)


櫻子は部活もバイトもしていないようだし、その日学校に行く可能性は低いと見た。

もし学校のある平日だったら櫻子は学校のクラスメイト等からチョコを貰うのだろうか……あれ、櫻子って向こうの学校ではモテるのかしら? そんな想像をしていると、オーブンが焼き上がりの音を鳴らした。

どうせ渡せばすぐに食べてしまうものだろうが、ラッピングはちゃんとしておく。櫻子の分と花子ちゃんの分……後で楓にあげる分も一緒に包んだ。

温かいうちにこれを届けなければ。隣の家に行くだけのことだが、急いでコートを羽織って準備をした。今シーズンに入る前に買った真新しいお気に入りのコート……普段からそこまで出掛ける用事もない自分には意外と着る機会がないものだと、そう気づいたのは最近だった。


昔の自分だったら、櫻子に会うくらいのことなら普段の家の格好と簡単なつっかけだけで行っていたかもしれない。しかし今は少しでもいい自分を櫻子に見せたかった。

この気持ちの名前は、私は知らない。




「おいしい……!」

「うん、やっぱりひま姉のお菓子はおいしーし」

「ふふ、ありがとうございます」


櫻子は今日の夕飯当番らしく、可愛らしいエプロン姿で現れた。その格好が私にとって見慣れないものすぎて、思わず笑ってしまうと少し恥ずかしがりながら怒ってきた。

すぐに花子ちゃんも降りてきてくれて、カップケーキを二人に手渡した。今回もなかなか良い具合に出来上がっており、中のふわふわ部分の甘さが想像以上に良い仕上がりになっていた。


「ごめんさいね、お夕飯前に……」

「いいしいいし。櫻子のご飯食べる前にお腹を満たしておきたかったし」

「なんだとー!?」

「あらあら、夕飯の献立はなんですの?」

「パスタだから、滅多なことがない限り失敗しないもんねー」

「それでも失敗するのが櫻子の怖いところなんだし……ちゃんとお湯に塩いれた?」

「あ、そっか塩入れなきゃ」

「ちょっと~……ちゃんとしてほしいし!」

「ふふふ……」


私が一番馴染みのある頃のこの家のテンポを思い出させる。櫻子と花子ちゃんの掛け合いの中にはやはり変わらないものがあった。それをほほえましく見ながら、暖かなムードを無駄にしないよう本題を切り出す。


「ところで櫻子、来週の日曜なんですけど」

「?」

「あなた、何か予定とか入ってます?」


気恥ずかしさから、バレンタインデーという言葉を使わずにその日の予定を尋ねた。どうやら来週の日曜が何日かもわからないらしい櫻子は、茹でようとしたパスタを置いてカレンダーを探した。

しかしちょうど卓上カレンダーの目の前にいた花子ちゃんが、気配りよく日にちを伝えてしまう。


「来週の日曜……2月14日だし。あっ、バレンタインデーだ」

「えっ」


櫻子の表情が少し変わった。それを最後まで確認し終わらないうちに私は視線を逸らす。今は昔よりも多少素直でいられているとはいえ、直に視線を交えてバレンタインのことをまじまじと話せるほどではなかった。

櫻子の視線を横に感じながら、平静を装って予定を尋ねる。緊張で言葉がつまりそうになるのをなんとかリズムよく押し出し、何でもない風を装った。


「その日は私も空いてるんですけど……あなたは?」

「え、えっと……」


予定を聴くだけのことなのに、櫻子はバレンタインデーという事実が意識のどこかにひっかかってしまったのか、少し考え込んでしまった。

別にこの日が開いていなければそれでもよかった。一日過ぎても二日過ぎても私は必ずチョコを作ると決めている。いつか会える時があるのならそれでいい。今更私たちの間で予定が合わないなんてことに不満はない。

数秒ののち櫻子は予定を確認するため、思い出したかのように携帯を取り出した。バイトも部活もない今の櫻子がそれでも予定を確認するのはもしかして先約がいるからではないだろうか……少しだけ心配になったところに口を出したのは花子ちゃんだった。


「櫻子はどうせ予定なんか何もないでしょ。久しぶりにひま姉とどこか行って来れば?」

「「えっ?」」


花子ちゃんの言葉に、櫻子だけでなく私も驚いてしまう。

「どこか行って来れば?」という言葉の意味を理解するのに少々かかってしまった。


花子ちゃんは勘違いをしている。私は最低限チョコを渡す時間さえ作ってもらえればそれでよかったのだが、どうやらその日一日櫻子と私を一緒にさせようとしているらしい。


「あぁっ……べ、べつにそのっ、バレンタインデーをまるまる一日一緒にいようとかそういうことではないんですのよ!? ただせっかくだからチョコでも作ろうかと思って、その渡す時間さえあればっていう意味だったんですけど……!」

「ひま姉いいしいいし。たまには櫻子と一緒に遊んであげてほしいし」

「ちょ、ちょっと花子! 勝手に私のことまで……!」

「予定がないのは本当でしょ? せっかくひま姉がわざわざうちに出向いてまで予定を聞きに来てくれてるんだから、お付き合いをしてあげるのは礼儀だし」

「くっ……」


花子ちゃんはまるで撫子さんのように上手に櫻子を言いくるめてしまうと、カップケーキを片手にかじりながら櫻子が置いたパスタを代わりに茹ではじめた。やることのなくなってしまった櫻子は卓上カレンダーを横目に落ち着きなくしている。

まさかの事態になってしまった。櫻子の予定を聴くだけだったつもりが、これではまるで私がバレンタインデーのデートを申し込んでいる形になってしまう。確かにそれは願ってもないことであるが……あまりに予想外すぎて私まで心の準備ができていない。

途端に胸が大きく鼓動を打ち出した。どんな返事が返ってくるか想像がつかない。


櫻子は私に背を向けてしばらくカレンダーを見つめていると、腰に手をあててくるりと回った。


「……わかった。いいよ」

「……へっ?」

「予定ないから。だから……まあその日は大丈夫だよ」


座っている私を見下ろしながら、恥ずかしげにそうに言った。私の胸に張りつめかけた緊張が一気に壊れる。


「お、OKってことですの?」

「うん」

「え、じゃあ……その日は一日?」

「そうだよ。大丈夫だから」


だんだんと受け取った返答の意味が現実味を帯びてくる。この一瞬の間に何が起こったかといえば、私が申し込んだデートの誘いが了承されてしまったということだ。

「あ、ありがとう……まさかOKされるとは……」

「な、なんだよ……そっちはわざわざこれ言うために来てくれたんでしょ?」

「そうなんですけど、当初の予定……あ、いえ……なんでもありませんわ」


トングを手にパスタを茹でる花子ちゃんが少し微笑みながら私の方を見た。

花子ちゃんに感謝しなくては。私が想像していたよりも数倍良い結果に事は収まっていた。このバレンタインデーというチャンスに、一番いい形で櫻子を確保することができてしまった。

櫻子は「詳しい予定とか決まったらまたメールでもしてよ」と言うと、カップケーキの残りをかじって花子ちゃんの手伝いに戻った。リビングに残された私は二人に聞こえないように深呼吸をすると、また緊張がほぐれていく温かさが胸の内から広がっていくのを感じた。


櫻子と、デート。

櫻子と、バレンタインデーに、二人きり。


こんなことは今までにあっただろうか。いくら長い付き合いの私たちでも、バレンタインデーに二人でどこかにでかけたことなんて過去に一回も無いかもしれない。きっと昔の私たちは気恥ずかしさに負けてしまって、たとえ条件が揃っていても踏み出せなかったに違いない。

こんな事態になるとは予想していなかったので、帰ったらすぐにでもその日の予定を決めなければいけないと思った。私が誘ってしまったのだから、私が計画を仕切らなければ。


そろそろ帰ると伝えると花子ちゃんがトングをかちかちしながら櫻子を「送ってあげろし」と促した。二人で玄関まで来て、靴をしっかり履いてから櫻子に向き合った。


「それじゃあまたその時に。いろいろ考えておきますわ」

「ん……わかった」


玄関を出てからはっとする。冷えた手で自分の頬を揉むと、自分の顔が想像以上にやわらかくなってしまっていることに気づいた。

どうやら無意識に笑顔になってしまっていたらしい。これではまるでデートの約束を了承してもらってうかれているみたいではないか。櫻子に変に思われなかっただろうか。

しかし取り付けた約束は本物であり、とんでもないラッキーが起こったのは事実だった。私の中に渦巻く嬉しいという感情もまた本物だ。


誰かとデート、もとい二人きりででかけることさえ私にとっては久しぶりすぎるものだった。ここ最近家族以外の人とどこかに遊びに行ったりしたことはない。

こんなことではいけない、一世一代のこの機会を無駄にはできない。私は自宅の玄関まで数メートルしかない距離を小走りで駆け抜けた。




2月12日、金曜日。


学校の私の席は窓際にあり、暖房が効いているとはいえ窓側から漏れ入ってくる冷気が少し寒いため、冷え性の私にはひざ掛けのブランケットは必須である。

教卓に立つ日本史担当の教師は区切りのいいところまで進めるとチョークを置き、話題転換して自分が担当しているらしい三年生の現在の状況を話し始めた。センター試験の結果がどうこう、私立大学の入試日がどうこうだと言っている。この教師以外にも受験期真っ最中である三年生の話をする者は多く、すでに何度も同じようなことを聴かされているためか生徒は皆意識半分でしか聴いていなかった。

私も書き上げたノートの上にシャープペンを置いて教師の言葉から耳をはずす。肌触りの良いひざ掛けの生地を指でつまんで弄びながら、今週末に一緒になる女の子のことを考えた。


明後日のバレンタインデーは、櫻子と一緒に出かける。

口に出すどころかその言葉を頭に思い浮かべるだけでも恥ずかしいが、櫻子と……デートだ。


私の心の中には二種類の櫻子がいる。ひとつはつい先日まで思い浮かべていた……いや、あまりに会えない期間が続いた結果それしか思い浮かべることが出来なくなっていた、中学時代の昔の櫻子。そしてもうひとつは、今月に入ったあたりから急によく会うようになった、高校生の今の櫻子。

昔の櫻子と今の櫻子が、私の中でほとんど五分五分の位置を占めている。恐らくこれからも会い続けて行くならば、今の櫻子がどんどん記憶を占めていくのだろう。そうならない前に昔の櫻子に思いを馳せた。

別々の高校に進むことになるんだという実感が湧き始めたとき、「私がいなくても櫻子は大丈夫だろうか」とそれしか気にならなかった。

小さい頃からずっと一緒で、私は櫻子の世話を焼いてきた。勉強から身の回りの雑事から翌日の学校の準備まで、なかなかちゃんとできない櫻子を支えるのが私の使命とでもいうように誰に言われるでもなくやっていた。


もし私がいなくなったら櫻子はどうなるのだろうというのは昔からよく思っていたことだった。どんどんだらしなくなってしまうのか、それとも人が変わってちゃんとするようになるのか……

……結果は恐らく後者なのだろう。やはり今の櫻子は、私が隣に付きっきりだったときよりもちゃんとしてきている。撫子さんに近づいたというか……大人っぽくなったのをひしひしと感じる。

それはもしかしたら私が中学生の頃に見ていた「理想の櫻子の姿」かもしれない。いつかは私がいなくても立派に自分のことができるような、そんな女性になりなさいよと直接言ったことはなかったと思うが、私は密かにそう思っていた。

しかし今のそんな櫻子の姿を見て、私は一抹の寂しさを確かに感じている。私のいない間に、私の知らない櫻子になってしまったことがどこか寂しい。大人っぽくなれば私に近い存在になるのかと思いきや、私は櫻子を遠くに感じてしまうようになった。


そう考えると、子供っぽいのはどちらかといえば私の方なのかもしれない。私たちの距離が離れて、あの子は成長した。しかし私はいつまでも櫻子のことを考えて心配していて、昔よりもどこか小心になっている。

私は櫻子に何かを与える存在だと勝手に自負していたが、櫻子は私に色んなものを静かに与えてくれていたのだろう。それは言葉で表すことができなくて、よくよく考えても明瞭にはわからないものであるが……それを失った私はいつも不安だったのだ。


やはり私は櫻子を離したくない。いつまでも近い存在で居続けたい。そのためには距離が離れつつあるこの今が重要なのは明らかだった。

(……私にとって、櫻子って何なのかしら)


いつからこうなってしまったのか。私は櫻子のことしか考えられなくなっている。私からすればまだまだ子供っぽいあの子に安寧を求めるかのように縋りたいと思っている。

この感情に的確な言葉はあるのだろうか。「恋」というその字は思い浮かべた選択肢からすぐに外した。そんなことじゃない、もっと違う別の何かな気がする。

しかし16年も生きてきて恋愛らしい恋愛などほとんど一切してきていない私にとって、恋という言葉の意味は未だによくわからなかった。小説の物語の中に出てくる登場人物になりきっていくつもの恋を見てきた結果、今の自分が櫻子へ向ける気持ちとは違う気がするというだけだ。


櫻子のことしか考えられなくて、櫻子とデートが出来ることが嬉しくて、櫻子に今すぐにでも会いたくて、しかしこれは恋ではない。

なぜ恋だということを否定をするのかもよくわからない。

自分の中にいる何かが認めたがっていない。論理と心理が戦いを続けている。


だが……その戦いは最近ついに終わってしまった。

あまりに時間がかかりすぎた。あまりに櫻子といない時間を過ごしすぎた。あまりにも……櫻子を想う時間が長すぎた。



私は……櫻子のことが、好きなのだろう。

櫻子を目の前にしていなければ、きっとこの気持ちはもっと早くに判明していたことと思う。たまたま中学までずっと一緒だったから見えてこなかっただけのことだ。私は最初の最初から……ずっと櫻子が好きなのだ。

心の戦いが終わってしまうと勝ち残った方が一気に幅を利かせるもので、私の行動・思考全てが「櫻子が好き」という前提に裏付けられていく。まだ否定したい気持ちが残っていないわけではないが、それを妙な納得が上回ってしまう。


バレンタインのチョコレート作りは今日帰ったらすぐに取り掛かる。明日は本番の日に向けて出かける先の下見やその他もろもろの準備に費やす予定だ。デート前日にせかせかとチョコを作っていては本番の日に寝不足になってしまいかねない。一世一代の日は万全な準備で迎えたかった。


気づけば授業の終わりを告げるチャイムが鳴っていて昼休みに突入していた。視線の先でクラスメイトがお昼ご飯なのであろう菓子パンを取り出している。櫻子のことを考えてまた頬が緩んでないかと心配になった私は顔に手を当てて確認し、机の上を片付けてお昼の準備を始めた。


「古谷ちゃんお昼一緒しよ~」

「ええ。今日はお弁当ではないんですの?」

「今朝は忙しくて……休み時間の間に一足早く購買で買っといたんだ。チョココロネ」

「あら、いいですわね。私もたまに食べたくなります」

「おいしいよね~」


袋が開かれると甘いチョコレートの香りがぽわっと漂った。ひとくちかじりつく寸前でその友人は「そういえば」と私の方に視線を向ける。


「確か明後日ってバレンタインデーだったよね……しくったー、なんでチョコのパン買っちゃたんだろ」

「まあまあいいじゃないですの。これはこれで美味しいでしょう」

「ところでさー、古谷ちゃんって誰かチョコ作る相手とかいるの?」

「えっ……?///」

「あ~その顔! 絶対いるんだ!」

「ちょ、ちょっと……まあ、確かに作るんですけど、女の子ですわよ?」

「え、私っ!?」

「……あ。そういえばあなたの分も作らなきゃですわね」

「えええ~~! 私チョコあげる人の選択肢に入ってなかったの!?」

「ご、ごめんなさい……でもちゃんと作ってきますから。来週の月曜日を楽しみにしててくださいね」


友人は少しだけむすっとした後「ふふっ、うそうそ」と笑い飛ばし、コロネの大きな側にかじりついて尋ねてきた。


「女の子って誰? このクラスの人?」

「いいえ、中学の頃まで一緒だった子ですわ。ずっと幼馴染で……」

「あー、前に話してくれたことあったね! ……えっと、櫻子ちゃんだっけ?」

「あ、そうですわ」


どうやら私は過去に櫻子のことを話していたらしい。何を喋ったかは覚えていないが、確かにこの学校で知り合った子に櫻子について話したことは何回かあった気がする。

「なるほどねー。毎年チョコのやり取りしてた感じ?」

「やり取りというか……私が一方的に作ってるだけですけど」

「ほぉ~、片想いってこと?」

「なっ、そんなんじゃなくて……! あの子はお菓子作りなんてしないので、いつも食べる専門なだけですわ」

「なーんだそっか」


友人はいたずらっぽく笑うと再びコロネにかじりついた。おいしそうにパンを食べる姿がどことなく昔の櫻子に似ていて、今頃あの子は何をしているのかと気になってしまった。


櫻子は向こうの学校でもたくさん友達を作っていることだろう。ということはそれだけ多くのチョコを貰うかもしれない。

ならばその人たちに負けないくらいのものを作らなくては。デートの内容もそうだが締めくくるチョコこそが大事なことには変わりなかった。なんといったってその日はバレンタインデーなのだから。


「いつか会ってみたいなー櫻子ちゃんに。古谷ちゃんのお友達だからきっとすごくいい子だよね」

「さあ、どうでしょう……」

「ええっ、悪い子なの!?」

「ふふっ、悪いわけじゃないですけど……」


この子が今思い描いている櫻子はどんな子なのだろう。今のあの子の人となりを、言葉だけで説明するのは意外と難しかった。


「機会があったら、私も櫻子にあなたを会わせてみたいですわ」

「おぉっ、楽しみ~!」


この子は私が櫻子を媒介せずに作った数少ない友達だった。この子に会わせれば、私は櫻子がいない間もそれなりにうまくやっていたことを示せるかもしれない。




2月13日、土曜日。


私は、後悔していた。


下見の日を変えていればよかったことなのだろうか。

下見でここに来る時間を変えていればよかったことなのだろうか。

恐らくそんなことは、問題を後回しにすることにしかならないのだろうが。


「ごめん……泣かないで……」

「…………」


駅前の大きなオブジェのすぐそばには二人の女の子がいた。

片方の女の子はまさかの櫻子だった。もう片方の女の子に見覚えはなく……たぶん私の知らない人だ。身長も私たちと同じくらいのようであるところから、恐らく櫻子の学校の人だと思われる。


その人は櫻子に力なくもたれかかって、声を押し殺して泣いていた。


いわゆる修羅場という感じではないようだが、誰がどう見ても別れのシーンであった。少し距離の離れたところで隠れている私の耳にも、「ごめん」「ごめんね」という櫻子の声だけはぽつぽつと届いてくる。どうやら櫻子から別れを申し出たらしい。

立ち聞きなんて最低かもしれない。しかし私の足は固まって動いてくれない。私の耳が勝手に櫻子の声ともう一人の女の子の泣き声に集中してしまう。目を背けたくても視点が動かせない。櫻子のこんな姿を、私は初めて見た。


櫻子の横顔は憂いに満ちていた。櫻子にとってもその子は大切で、しかし何か別れるしかない事情があったのだろう。そして女の子があれだけ泣いているということは、女の子は櫻子のことが大好きなのだ。

別れることになった原因はなんだろうか。櫻子か、女の子か? どちらでもない何かか? 二人は付き合っていたのだろうか? もしくは付き合う前の告白を振ったのか? 何もわからない私は憶測を思い浮かべることしかできない。


(やっぱり櫻子は……向こうの学校でも人気があるのでしょうね)


私のその予想は間違っていないだろう。中学時代から櫻子の人柄は多くの友達を作っていたし、高校に行ってもそういう人はそういう人だ。

しかし私の視線の先で繰り広げられているものからは、「友との別れ」よりも「恋の終わり」を無性に感じさせた。恋愛感情の絡む何かが絶対にあるということをひしひしと肌に感じる。ひどく胸が痛い。


私が今いる場所のすぐそばには、中学時代によく櫻子と一緒に来たカフェがあった。私たちの思い出の場所をデートコースにしようとして寄ってみたのだが、その帰りがけに今の二人に遭遇してしまったのだ。

明日のデートはどうしよう。ここのお店は間違いなくコースから外さなくてはいけない。それよりも櫻子はこんなことがあった日の翌日に本当に私とデートしてくれるのだろうか。櫻子は明日どんな気持ちで私と一緒にいてくれるのだろうか。私の身体は完全に固まってしまっているくせに、なぜだか無性に冷静な頭はどんどんと物事を考える。


そのときぴゅうと冷たい風が吹いた。コートの隙間に入り込んだ寒風は私の身体を思わず震わせる。それをきっかけに私の足がやっと動いてくれた。


(……帰りましょう)


見たくないものを見てしまった。見ないで済むなら一生見たくはなかった。永久に心残りになりそうなそのシーンから早く離れようと思い、定期のICカードを素早く改札にタッチして駅のホームに向かった。

ホームと駅前広場を隔てる柵の隙間から最後に見えたのは、もちろん先ほどから全く変わらない体勢の二人であった。


櫻子はあの子が泣き止むまで一緒にいてあげるのだろう。恋愛的なつながりはなくても、これから先も友達であり続けたいと思っているのだろう。友達想いな櫻子が人を振るという事実さえ未だに信じられないが、絶対にないがしろにすることはないはずだ。それだけは私も見ず知らずのあの女の子に伝えてあげたかった。


でも、もしかしたらごめんなさい。

櫻子があなたを振った理由は……


(……いけない)


こんなことを思ってはいけない。たとえそうであったとしても許されない。

たとえ私があの子の一番の幼馴染で、明日のデートの相手だとしても。




2月14日。 バレンタインデーの日曜日。


私が自宅の門を開けると、櫻子は既に玄関前に出てきてくれていた。「よっ」とだけ言って寒そうに手をすり合わせる姿はまったく飾らないいつも通りの雰囲気で、私が眠れないほどに気にかかっていた昨日の駅前広場でのムードが嘘のようであった。

着ている上着は、昨日と同じコートであったが。


「そのコートかわいいですわね。似合ってますわ」

「何言ってんの、ねーちゃんが昔着てたやつだよ。ただのおさがりだって」

「でも似合ってますわよ。ちょっとかっこいい」


私から褒められることに未だに慣れていないらしい櫻子はちょっとそっぽを向くと、くるりと回って不思議そうに言った。


「そういう向日葵は何? こんな寒さにしちゃ薄着だけど……そんなんで大丈夫なの?」

「ええまあとりあえずは……最初に行くところ、暖かいので」

「ほーう。どこ行くの?」


私はにじみ出る気恥ずかしさをなんとか抑えて、ちょうど今出てきたところの門を手で大きく押し開けた。


「さあ、入って」

「え……この家に?」

「最初のスポットはここですわ」

「なにそれ! どっか行くんじゃないの!?」

「行きますけど……それはもう少し後で。一番最初はここと決めてましたの」


なんじゃそりゃ……という顔をしている櫻子の背中を押して家にあがらせる。

思っていたよりも櫻子は平然そうで、一安心できると私も元気が湧いてきた。昨日からずっと今日のことが心配だったのだ。


「『どこか行って来れば?』って花子は言ってたのにさぁ」

「何言ってるんですの、あなたもう一年近く私の家に来てなかったでしょう? ここだって立派な場所ですわ」

「あ……」


「櫻子おねえちゃん、いらっしゃいなの!」

「楓……ともついこの前会ったのにな」

「まあまあ、中へどうぞなの♪」

「すぐに温かいものを淹れてきますわね」


背中を押す係を楓に任せ、私は用意しておいた紅茶を淹れにキッチンへ向かった。

これはいわゆるおうちデートと言うのだろうか……何か違う気もするけど、櫻子と一番ゆっくり話ができるのがこの家なのだから仕方ない。




家に入る前は微妙そうにしていた櫻子だが、家の中でする私との話は意外と真剣に聴いてくれた。

櫻子がいない間の学校生活。どんな友達ができたか、最近はどんなことをしているか。暖かい部屋の中、楓も一緒になって櫻子と話した。


楽しく話をしている中でも、私は心の隅に昨日の駅前での出来事が残っていた。そんなすぐに忘れられるわけもないのは当たり前だが、しかし櫻子が終始穏やかでたくさん笑顔を浮かべてくれているのを見ると……昨日最後に意識から無理やりかき消した“あれ”は間違っていないのかもしれないと思ってしまう。

つつしみないことだとわかっているけれど……私は嬉しいという気持ちを抑えられない。だって私は……あなたが好きなのだから。


楓と話している櫻子の横顔に、無言のテレパシーを送る。


――櫻子、私は昔と変わりました。

あなたのいない間、あなたのことを考えて。

あなたのことに、素直になれました。

――あなたはどう?

私のことを……どう思ってますの?


「ありゃ、もうこんな時間になっちゃった」

「あっ……じゃあそろそろ外に出ますか。ランチのお店も決めてあるんですわ」

「そうなんだ。楓も来るの?」

「楓は午後から学校のお友達のおうちに行くの。だから櫻子おねえちゃん、いってらっしゃいなの!」

「わかった。またね」



お気に入りのコートを着て櫻子と一緒に外へ出た。ランチ予定のお店は自宅から少々距離があるが歩いて行ける範囲だった。

せっかくのデートだし手でも繋ぐのが筋かと思ったが……さすがにまだそこまでの勇気がでない。でもこうして二人並んで歩くのも久しぶりすぎて、それだけで私は胸の内からぽかぽかと温かいものを感じた。

「あ、言い忘れてたけど……」

「?」


「向日葵のそのコートも……似合ってるよ。ごめん、言うの遅くなって……」

「…………くっ、ふふふっ……///」

「なあっ、笑うな!」

「いえいえ、はぁ……ありがとうございます」


急に放たれた予想外のその言葉はあまりにもおかしすぎて、私は思わず顔を覆って笑ってしまった。

櫻子は真っ赤になってうつむいている。笑うことでもないのはわかっているが、私は失礼なくらい笑うのを引きずってしまう。こんなに可笑しいと思えたことは久しぶりだった。


そして、


「……ん」

(きゃっ!?)


櫻子は一歩身を寄せて、私の腕に自分の腕を絡めてきた。多少バランスを崩した私は、そのまま腕を抱きしめるようにもたれる形となる。

こんな手のつなぎ方をするのは初めてだった。私の不安定な体勢のせいで少々歩きにくくなっていたが、櫻子は構う様子もなくしゃんと歩いてくれた。


(うぅ、ど、どうしましょう……!)


私は恥ずかしくてたまらなかった。腕を絡めていることがではなく、鏡を見ずとも自分の顔が真っ赤になってしまっているのがわかっているからであった。


今日という日はバレンタインデー。こんなところを誰かにでも見られたら……まるで恋人同士だとでも思われないだろうか?

いや、思うに決まってる。

だって私は……この人が好きなのだから。

その気持ちこそが私を、私たちを恋人同士に見せる一番の魔法なのだから。


櫻子の横顔は、つい先ほどの「そのコート似合ってるよ」と言った時と同じ表情をしていた。

どうやら櫻子もこうして手を繋ぐことには慣れていないらしい。けれど私の代わりに勇気を出してくれたのだろう。バレンタインデーにデートをする二人というTPOをわきまえて。


「ずんずん歩いちゃってるけど……こっちでいいの?」

「あ、ええ。合ってますわよ」

「ん」


それからはあまり言葉を交わさずに歩いた。

片腕を包む私の手の強弱、櫻子との身体の密着具合、交わるとも交わらない視線……その些細なやりとりだけで、私たちにとっては精一杯だった。


でも今までで一番、櫻子を近くに思えた。




二人の間に残るたくさんの思い出。それを懐かしく拾っていくようなデートは、私の想像以上に楽しく進んでいった。

それは櫻子自身も積極的に楽しもうとしてくれていたことが大きかった。デートなんて初めてであまり自信の無かった私だが、櫻子が楽しいほうへ楽しいほうへと引っ張ってくれる……だからうまくいっているのだろうと思った。


何をしても、何を言っても、櫻子がうまく私を包んでくれる。同じようにして私が櫻子を包んであげ、嬉しそうにしている顔を見れば私も嬉しくなる。

人と付き合うとはこういうことなのかと初めて思えた。大好きな人と一緒なら、何をしていたって楽しい……私はそれを心から実感していた。


「えっ、中学校いくの?」

「校舎内には入りませんわよ。ただちょっと外を回るだけですわ」


雪もちらついて来たデート終盤、最後の最後に行こうと決めていたスポットは七森中学校だった。日曜日の夕方ともあれば人はいないので、気軽に散歩するくらいなら許してもらえるだろう。去年までは私たちもここの生徒だったのだから。


「懐かしいなぁ……まだ一年しか経ってないのに」

「寒さを感じながら歩いていると、なんとなく受験の頃の雰囲気を思い出しますわね……」

「去年の冬も……すごく寒かったよね」

「ええ」


閑散とした学校に音は無く、私たちの会話と足音しかそこには響かない。うっすらと耳に入るぱさぱさという音は雪が降り積もる音か、雪の一粒一粒は大きくなってきていた。


「あら……激しくなってきちゃった」

「これはまた積もるかもね……早めに帰ろうか」

「ああっ、ちょっと待って?」


葉っぱの一つもない細身の枝を牡丹雪で化粧した、ほの白い大桜の下……私は用意しておいたものを取り出す。


「はい、これ」

「あっ……」

「ハッピーバレンタイン。チョコレートですわ」


まるで今の今までバレンタインデーであることを忘れていたような櫻子は、少し驚き気味にチョコを受け取ってくれた。

「あ、ありがとう……今少し食べていい?」

「もちろん」


するするとほどいた包装紙を簡単に折りたたんでポケットにしまい、小箱の中のチョコレートを一口かじる。


「……どう?」

「……うん……おいしい。甘い」

「そうでしょう……チョコですもの」

「ううん、なんだろう……なんか懐かしい味もする。学校で食べてるからかな」


櫻子は笑顔のままもう一口をかじり、口の中で溶かしながら小箱をしまった。昔だったら貰ってすぐに全部を食べきってしまうような子だったのに、その振る舞いは大人に近づいた今の櫻子を象徴しているような気もした。


「ここで渡すのも予定のうちだったの?」

「ええ……どこで渡そうかずっと迷ってたんですけど、せっかくだからここで。うまくいったみたいでよかったですわ」

「うん……」


私の考えていたプランの、全行程が終了した。無事に一日を楽しみ切り、最後のチョコレートを上手に渡すことができた……

初めてのデートは大成功だ。間違いなく、ここ最近で一番思い出に残る一日になったと思う。



「ありがとう、櫻子……」

「え?」

「いえ、今日一日……付き合ってくれて。すごく楽しかったですわ」

「そんなの、私だって」


「あなたと一緒にいる機会が減って……ずっと心配してたんですの」

「心配……?」

「今頃どうしてるのかとか、どんな人になってるのかとか……でもそんな心配よりも、もっと大きな心配があった」


「あなたとこのまま、離ればなれになってしまうんじゃないかって」

「!!」


ゆっくりと、櫻子の目を見据えた。

櫻子の目も、まっすぐに私を見ていた。

「でも今日わかったんですわ……私たちは離ればなれになんかなっていない、むしろ昔よりも距離が近くなったんだって」

「…………」


「デート……ですわよね、これって。昔だったらきっと、恥ずかしがっちゃってうまくいかなかった……けどそれが今なら、こんなに楽しくうまくいくものになってる。それは私たちがお互いに、今日という日を楽しもうとしていたからですわ」


「……あの時楓がクッキーを作ろうって言ってくれて本当によかった。こうしてまたあなたの隣で、あなたと一緒にいることができてるのも……あのクッキーのおかげかもしれない」


「本当は割と近くにいるのに、無性に引き離された気がしてたから……だからなかなか会うこともなかったんでしょう。“会えないもの”だと思い込んでしまっていて」


「でももうそれも終わり。私たちはいつだって近くに……作ったお菓子が温かいうちに届く距離にいますわ。それを忘れないで、これからもずっと……」

「う……うぅぅ……///」


「……えっ?」


櫻子の瞳が急にうるみ、大粒の涙をこぼした。

驚いた私は一歩近づいて櫻子の手を取った。大きく見開かれた目からはとめどなく涙が流れて、しかしそれをぬぐうこともなく頬に伝わせていた。


「も、もう……なんで泣いちゃってるんですの? 私まだ全部言ってないのに……」

「うっ、うぅぁぁ、あぁぁぁ……///」

「あなたが泣いたら、私までっ……」


櫻子の泣き顔につられて、抑えていた何かが決壊してしまったように私も泣いてしまった。コートにいくつもの雪をくっつけた櫻子を抱きしめ、肩口に顔を押し当てて涙を我慢する。


櫻子はやはり大きくなっていた。大きくて、とても暖かかった。気づけば櫻子と同じくらい自分も泣いてしまっていて、落ち着くのには時間がかかってしまいそうな気がした。


本当はこの後……思いの丈を告白しようとしてたのに。

スムーズに格好よくいきたかったのに。

でも当たり前ですわよね。最初に出会ってから今の今までずっと好きだったのに、気づこうとしなくて、気づかなくて……やっとここまできて気づけたんですから、今更格好つける余裕も何もありませんわ。


私を抱きしめるその腕が、私に涙を追加させていく。

櫻子の優しさが、櫻子の想いが、櫻子の存在が……身体全体を通して、触れ合うほどに近い心を通して流れ込んでくる。

ばか櫻子、あなたは人を泣き止ませるのが下手ですわね。

でも私も少し……泣くのが下手になったみたい。昔はよく泣いていたのに……


今すぐに泣き止みますから、もう少しだけ――


櫻子の首元に顔をうずめ、きゅっと腕に力をいれようとした時だった。



どん! と、


「あっ……!」

「っ……」


私は、いきなり突き飛ばされた。

暖かく抱きしめていたはずの、その人に。


「さ、櫻子……??」

「………め…」

「え?」


「……め………だめ……」


まったく予想していなかったその行動で、私は当然しりもちをついてしまう。

下から櫻子を見上げているのに、深くうつむきすぎているその顔がどんな表情をしているのかは髪に隠れて見えなかった。


何が起こったのか、まったくわからない。


まったくわからないまま、言われてしまった。



「ごめんね、向日葵……」

「え……」


「私……このまま向日葵と一緒にいちゃだめなんだよ……!」

「っ……!?」


「だから……もう会うのはやめよう……」

「な、なんで……!?」


「ごめん……ごめん……っ!!」


櫻子は声の小ささに合わない切迫感をもって謝ると、そのまま全速力で走って私の横を抜け、近くの校門から外に出ていった。

私はまだ、何が起こったかわからない。

雪の降り積もる地面にへたり込む。


考えることも何もできないからっぽの頭の中で、櫻子の声が反響していた。


ごめん。

ごめんね。

一緒にいちゃだめなんだよ。

会うのはやめよう。


(な……んで……なんで……?///)


降雪の勢いはどんどん強く増していった。一粒一粒が重い吹雪が、追い打ちをかけるかのように私を叩きつける。

まるで、私の心を映したような天気になっていた。




寒さに震える身体を引きずって帰った。

コートについた雪はすっかり溶けて沁みこんでしまい、私は死んでしまいそうなくらい凍えていた。

だが一番凍えていたのは……私の心だった。


痛い、痛い、痛い。

氷の刃で心臓を突き刺されたように、

身体の内から大きなつららが外に出ようと突き出るように、

胸が、心が、痛かった。


もはや感覚もなにも無いに等しい状態で門を開け、私は家にたどり着いた。

すぐに楓が飛んできた。流れ落ちた涙の軌跡が凍るくらいぼろぼろになった私を見て、一体何があったのかを泣きながら聞いてきた。

言葉を話す力さえ残っていない私は、そのまま服を脱がされて温かい風呂にいれられた。


頭に打ち付けるぬるま湯が私にとっては熱すぎて、でも凍えた部分はしびれながらも元に戻っていった。

そうして背中を流す楓の優しさは凍りついていた心を溶かし、私は音が反響する浴室であることにも関わらず大声で泣いてしまった。


全部、全部、溶けて壊れて流れていった。


何もかもが、全部。

――――――
――――
――



真夜中だった。

私の枕元で、声が聞こえる。

嗚咽にまみれた、女の子の声。


「ごめんね……」


声の主は言葉も絶え絶えに、しきりに謝っていた。

泣き疲れて体力も何も残っていない私は、当然起きることなどできない。

しかしその声だけは、遠い意識の向こうから聴こえてきていた。


「もうすぐだから……もうすぐ一緒になれるから……っ」


鎖骨のあたりに、温かい重みを感じる。

声の主が、寝ている私の胸の上あたりに顔をうずめている。

私の耳元で静かに、小さく、切なく……言葉は繰り返された。


「大好きだよ……ずっとずっと、大好きなんだよぉ……!!」


私は、眠っている。



【後編】〈 MIRACLE MEETS 〉



「あっ、古谷ちゃん……!!」

「……お久しぶりです、皆さん」


二月も下旬に入った平日。登校するなり私は友人たちに囲まれた。


「急にどうしちゃったの? 風邪はもう大丈夫?」

「ええ、今はもう治ってますわ」

「もうびっくりしたよ~。ついこの前まで元気そうだったのに、急に風邪で何日も休んじゃうんだから!」

「ふふ、ごめんなさい……今日からはまた今まで通りにいけますから」


(……そう、今まで通りに)


バレンタインデーの翌日、私は真冬だというのにあまりの熱さと汗に濡れた布団の感覚で目が覚めた。

体温計が示した数値は……39.1℃。こんな大風邪を引いたのは久しぶりだった。

だがあの吹雪の夜に雪に濡れた身体を労わることもせず、ずっと外で泣きはらしていたのだから……当然と言えば当然だった。

親も楓も大変心配そうであったが、普通の風邪と同じように養生するだけで体調は徐々によくなっていった。今は熱も平熱に戻っており、今日から元の学校生活に戻れる。


「あ、そうそう……これ皆さんにバレンタインのチョコ。今更なんですけど……風邪引く前から作ってあったので」

「あはははは、変なとこまで律儀なんだから……ありがとー」

「うわーなにこれ、めっちゃ美味しい~♪」

「冬場ですけどなるべく常温で保存したので、味は落ちてないと思うんですけど……大丈夫でしたか?」

「大丈夫どころじゃないよ! 私がもらった中で一番おいしいんだけど!」

「ちょっとずるい~、わけてわけて!」


数日遅れではあるが友人たちはチョコレートを楽しんでくれた。私はそんな様子をほほえましく見ながら自分の席にすわり、小さく息をつく。


このバレンタインチョコが視界に入るたびに、あの日のことを思い出してしまうから……だから早く処理してしまいたかった。




水滴が涙のようにこぼれおちるほど結露しきった電車の窓。そこから見える外の景色は灰白色の曇り空と、無音で降りしきる粉雪の世界。今日もまた町には雪が降っていた。

車内は強めの暖房が効いていてとても暖かく、学校から駅に向かう間冷えついてしまった私の身体も徐々に回復してくる。乗客の数はそこまで多くなく、ゆったりと座れたのは少し久しぶりかもしれなかった。


いつもなら、こうしてちょっとでも座れた時は借りていた小説を読み進めていた。しかしあの日からずっと私の身体は無気力感にさいなまれ続けており、どこに焦点を合わせるでもなくただぼんやりとした空虚を見つめることしかできなかった。


電車が駅に停車する。乗客が少し多めに出て行った。そしてその数と同じくらいの人がまた乗り込んでくる。みんな速やかに手ごろな席を探して座っていく。

扉が閉まり、電車が動き出す。私の身体も少し揺れる。徐々にスピードが上がっていき、安定した速度で走る。私の家がある駅は、まだまだ先。


そのとき、ふいに肩に何かの感触があった。虚ろな目をしていた私ははっとなって意識を取り戻し、隣の人に肩をぽんぽん叩かれていることに気づく。

一体なんだろう……そう思いながら振り向いた私の頬に、何か温かいものがつんと刺さった。


「…………」

「……ふふっ」


……人差し指だけをぴんと伸ばした手で肩を叩かれたので、振り向いた私の頬にその人の指が刺さったのだ。誰かをからかう手段としてはとてもメジャーであろう、学校などでよく用いられる手法。

いきなりこんなことをしてくる人は私の周りにはほとんどいない。何よりこれを過去一番私にしてきたあの人は……今は電車通学ではないのだから。


だがそんないたずらをする人がまだもう一人いた。この人の姿を直接見るのはどれくらいぶりだろうか……


私の隣にいたのは、撫子さんだった。

「な、撫子さん……!?」

「ふふふ……ひま子ひさしぶり」

「び、びっくりしましたわ……あぁ驚いた……///」

「そんなに?」

「だってこんなところで……私に話しかける人なんていないってずっと思ってましたもの。本当に誰かと思った……」


久しぶりに会った撫子さんはやはりまた少し大人っぽくなっていた。だが表情を変えずに誰かをからかったりするような一面は変わらないらしい。

しとやかな白いファーコートを着こなす姿はとてもおしゃれで、ずっと馴染み深い人であるはずなのに……息を飲むくらい綺麗に思った。


「こっちに帰ってきてたんですか? 気づきませんでしたわ」

「ううん、ちょうど今帰ってきたとこ。大学の期末試験が終わって今日から長い春休みでさ……しばらくはこっちにいるんだ。それにしても、この時間帯ならひま子がこの路線使ってるかもと思ったけど……ほんとにいたからちょっと笑っちゃった」

「あら、じゃあ私が一番最初の出迎え人ですのね」

「そういうこと。まあ帰ってくることは自体は、櫻子と花子には電話してあるけどね」

「…………」


櫻子。

その名前が出た瞬間……私はきっと、自分でも無意識に何らかの変化を起こしていたのだろう。

だから撫子さんの声のトーンも、ここから変わったのだ。


「ひま子と話したいことがあるんだけど……この後時間ある? どこか話のできるお店に行こう」

「……はい」


別に怒られているわけでもないのに……私はしゅんとしてしまった。

きっとそこでする話は、私が今の今まで考えることすら避けていた話なのだろう。




「……最後は、学校に行ったんです。七森中に……そこでチョコを渡しました」

「…………」


撫子さんは啜ったコーヒーのカップをかちゃりと置き、窓の外を見ながら私の話に耳を傾けていた。

喫茶店に入って席につき、注文したものが届くなり「とりあえずバレンタインデーに何があったかを聞かせて」とだけ言われた私は、忘れたくても忘れられないあの一日を振り返って……その日の行程を最初からたどたどしく説明した。


「チョコをしまった櫻子に、その日一日のお礼を言いました。生まれて初めてのデートがこんなにうまく行ったのは、櫻子の方もいっぱい協力してくれたからだと思うって……その話をし始めた時からです。櫻子の目が変わったのは」

「…………」

「さっきまで楽しそうにしてたのに、急に泣き出して……私もどうしたのかと思って近づいてあげたら、どんどん激しく泣いちゃって」


「私もつられて泣いてしまいました。面と向かって素直になれたことなんて今までほとんどなくて、感極まってきちゃって……それで泣いてしまったんです。櫻子も私と同じ涙を流しているんだと思って……抱きしめてあげました」


「でも……なぜか突き飛ばされてしまいました」


「私は混乱しすぎて、全然何が起こったのかわからなくて……でも櫻子はそのまま泣きながら、一人で走って帰ってしまったんです。私は追いかけることもできずに……ただただその後もそこでずっと、突き飛ばされたままの姿勢で動けなくて……」


光景を思い出しながら話していると、勝手にそのときの気持ちが思い返されてしまう。撫子さんは泣き出してしまった私にテーブルの紙ナプキンではなく自分の持っていたハンカチを渡すと、優しい声で質問をした。


「櫻子の様子が変わってから……櫻子は何か言ってなかった?」

「言ってました。でも私は……全然意味がわからなくて……」

「……何て言ってたか、覚えてる?」

「しきりに『ごめん』と……あと、もう会うのはやめようと……」

「……そっか」


あの時櫻子が言った言葉の内容を……私は今でも理解できていなかった。いくら考えてもわからないということはつまり、私の知らない何かが隠されているのだとは思うが……それが何かを想像することさえ心が痛くて仕方なくて、

櫻子のことを考えと、悲しくなってしまって……

「ごめん、ありがとね。こんな話させちゃって」

「いえ……」

「でも何となく事情はわかった。後で櫻子にも聞くけど……ひま子に会えて、ひま子から聞けてよかったよ」

「……えっ?」


その一言にはっとなった。


忘れていた。この人は櫻子のお姉さんだ。

ということは……私が知らないその何か、櫻子が私に隠しているであろう何かを知っているかもしれない人なのだ。


「撫子さんは……何か知ってますの!? 櫻子のこと……っ」

「…………」

「お願いです教えてください、あの子の言った言葉の意味は何だったんですの……? 櫻子が隠しているものは一体何なんですの……!?」


急に声を荒げる私に一瞥おき、姿勢を向き合いなおした撫子さんは……私の目をまっすぐ見て、よく通る声で言った。


「それは……私は言えない。櫻子が直接ひま子に言わなきゃダメなことだから」

「っ……」

「……事情を知らないわけじゃないよ。知ってる上で言ってるの……こんなところで、急に現れた私なんかが言っちゃいけないことだと思う」


……この人は、私と櫻子が出会ってからの全てを見てきている人だ。


十年以上の歳月……人生のほとんどを櫻子と一緒にいて、傍にはずっとこの人がいた。私たちの関係も何もかもをすべて知っている、私たちみんなのお姉さんだった。

だからわかっているはずだ。今私と櫻子の間に起きている事態の深刻さを。ここまでずっと一緒に歩いてきて、それぞれが違うルートを辿りはじめた今……もうこの先ずっと交わることがなくなるかもしれないということを。


それでも何も教えてくれない撫子さんを……「意地悪」だとは思えなかった。だってこの人は、私と櫻子のことを一番よくわかっている人だから。

この人は全て知っていて、わからないことなんて何もなくて、その上で「教えない」と言っているのだろうから。

「答えを知りたいなら……ひま子が櫻子に直接聞いてみればいいんだよ。あの子も話してくれるかは……わかんないけど」

「…………」

「それでもいつか絶対……いや、近いうちに必ず話してくれると思う。そういうことだから」


「……怖いんです」

「?」

「……櫻子に会うのが……櫻子と話すのが、怖いんです」

「…………」


私は相変わらず涙を止めることができなくて、泣きながら思いの丈をすべてこの姉に晒した。

今の私が、唯一全てを預けて頼れる人だった。


「……怖いって思っちゃうんだとしたら、それはひま子が……櫻子に嫌われたかもしれないと、心のどこかでと思っちゃってるからなのかな」

「……!」

「突き飛ばされて、もう会えないって言われて……ショックだったんでしょ。そんなの初めてだもんね……」


「ひま子は櫻子と離れたこの一年間ずっと不安を抱えてたから……だから余計に怖いんだよね」

「う、うぅぅ……///」


「でもさ、ちょっと考えればわかるじゃん」


「櫻子がなんでその日一日……ひま子と楽しく付き合ったか。ひま子に対してだけは恥ずかしがり屋のあの子が、どうして勇気を出してそこまで尽くしてくれたのか」


「櫻子も……ひま子のこと、好きだからでしょ」

「うっぅぁぁ……ああぁぁぁ……///」

――――――
――――
――



せっかく撫子さんと話す機会があって、アドバイスも貰えたのに……櫻子に会う勇気が出せない私はまた無気力に、櫻子のいない普段通りの生活を送るしかなかった。

隣の家にいるはずの櫻子のことを考えて、毎晩泣きながら眠っている私なのに……櫻子に会うのが怖いという思いは一向に消えてくれなかった。

むしろ自分の中で櫻子のことがどんどん膨らんでいくたびに、恐怖も同じようにして増していく……



二月末の土曜日。学年末テストを控えた私たちの学校では、この週末に集まってみんなで勉強をしようという計画を立てるものが多く、そんな集まりのひとつに私も参加することとなった。

友達三人とカフェに集合して、協力しながらテスト範囲をさらう……テストのための勉強というよりは、テストのための勉強の勉強をするといった感じである。


しかし私はそこで、今の今まで忘れてしまっていた“あること”を思い出した。


みんなで集まったカフェは、私もよく馴染みのあるカフェ。

中学時代に、櫻子とよく来たことのあるカフェ。

バレンタインデーの前日……櫻子と私の知らない女の子が抱き合って泣いていた、あの駅前にあるカフェだった。


友人たちがせっせとテスト範囲に打ち込む中、申し訳ないが私は勉強どころではなかった。

あのとき私が思い浮かべていたこと……つつしみないとは思いながらも、デート前日である自分の身の上に浮かれて思ってしまっていたこと。


(櫻子には私がいたから……あの子を振ったんだと思ってた……)


そう、あの時の考えは完全に間違っていたのだ。当の私もその翌日櫻子に突き放されているではないか。

「ごめん」「ごめんね」……その言葉は、あのときあの子に何度もかけられていたものと同じだったではないか。


だとしたらあの子が振られた理由はなんだったのだろう。もしかしたらその理由は、私が振られた……いや、私が距離を置かれた理由と同じなのかもしれない……!

そこまで考えついた時、私たちのいるテーブルから少し離れた場所で先ほどからずっと話している女の子たちの会話が耳に入ってきた。


丸テーブルを三角に囲む三人の女子高生……三人とも、櫻子の学校の制服を着ていた。


そしてその中の一人は……忘れもしない、あの時櫻子に振られていた女の子であった。



「ねえ、結局どうだったの?」

「……だめだったよ、全然」

「なんだ……全員だめなんじゃん、じゃあ」


「……あの話が本当なら、誰が行ったってダメになっちゃうよ」

「本当……っぽくない? 最近の櫻子見てると」

「一応隠してるっぽいけどね……たぶん本当だと思う」



「あーあ、櫻子が転校しちゃうのかぁ……」



その言葉を最後に、私の視界は真っ暗になった。

何も聞こえなくなり、何も考えることができなくなり、頭の奥がガンガンして、倒れてしまいそうだった。


完成しても黒一色で塗りつぶされた絵にしかならないパズルのピースが……全部当てはまってしまった。




気づけば私は、泣きながら大室家の玄関を叩いていた。

びっくりして出てきたのは花子ちゃんで、扉が開いた瞬間私はその横をすり抜けて、一目散に櫻子の部屋へと走った。


ドアを開けると……櫻子は、普通にそこにいた。

勉強机に座って顔だけをドアの方へ向け、あまりの驚きに目を丸くしながら、動くことができずに固まってしまっていた。


「櫻子!!!」

「ぇ……」


「あなた……あなたって、人はぁ……っ!!」

「な、なんだよ……」



「いなくなるならいなくなるって、なんでそんなことも言えないんですのよぉ!!!」

「……!?」


私は櫻子の椅子ごと正面を向かせ、両肩を掴んで叫んだ。

細い首筋に噛みつきそうなくらいの気迫で泣きついた。全ての力を叫びに変えて、訴えた。

「なんで、なんでなんですのよ!! 私はあなたにとって何なんですの!? 次第に距離を置けば綺麗に離れられると、そんな程度の関係だとでも思ってたんですの!?」

「っ……!」


「私から逃げて、私の目が届かなければいいと思って!! あなたのいない間だって私は、ずっとあなたのことしか考えてませんわよ!! あなたがいないときの方が、あなたのことでいっぱいですわよ!!///」


「ばかみたいじゃないのよ……やっと、やっと気づけたのに……! 櫻子がいなくなって、櫻子の大切さがわかって、櫻子に会いたくて、櫻子のことが好きなんだって……やっと認めることが、できたのにぃぃ……!」


「こんなに大好きなのに、ずっとずっと大好きだったのにっ、ずっと一緒にいられると、思ってたのに……!」


「やだぁぁ……嫌ですわよ……櫻子、さくらこぉ……!!」

「向日葵……」


「あなたがいないとダメなんですのよっ……あなたのいない世界なんて……そんなの生きてたって何の意味もないんですのよぉ!!」


「櫻子がいなかったら、私は……わたしはぁぁ……っ」


「あああぁぁぁあぁあ……っあぁぁああぁああぁ……!///」



痛いほどに櫻子を全身で抱きしめ、幼子のように声を張り上げて泣き続ける私を……櫻子は静かに受け止めてくれた。


櫻子も、泣いていた。

「お願いだから、一度でいいから……私を好きといいなさいよ……!」

「うっ、うぅっぅ……///」


「手もつないで、デートもして、初めて喧嘩しないでいられたのに……最後だからって私に付き合ってくれてただけなんかじゃ、ないでしょう、絶対……っ!!」

「ひまわり、ひまぁりぃぃ……」


「わたしは櫻子が大好きですわよぉ……世界で一番、愛してますわよぉ……っ!!」


「どこにもいかないで……私を一人に、しないでぇぇ……///」



櫻子は我が子のように私を抱きしめ、胸の内にしまい込むように頭を撫でつづけた。


私にはこの人しかいなかった。最初からこの人しかいなくて、この人が私の全てだった。


自分のことなんかどうでもいいくらい、櫻子が大好きだった。


最初から、ずっと。

「向日葵……だいじょうぶ、大丈夫だよ……」

「っう……ぅぅ……」


「全部……全部言うから。私のこと……ちゃんと教えてあげるから……」


「向日葵を一人になんか、しないからね……!///」

「さくらこ、さくらこぉぉ……」



「大好きだよ……向日葵……」


「私も向日葵が、大好きなんだよ……ずっと……ずっと……!!」



その声を、その言葉を、私はどこかで聞いたことがあった気がした。


深い深い、眠りの世界で。




真夜中だった。


気づけば私は、真っ暗な部屋で眠っていた。

私の耳元で、声が聞こえる。

優しい気持ちに溢れた、心に沁みこむような女の子の声……


「向日葵……」


私の隣に寝て、泣きながら私の髪を撫でているその子。

ゆっくり目を開いて……声の主の顔を見た。


「さ……櫻子……」

「向日葵……!」


「あなた……だったんですのね、やっぱり……」

「やっぱり……?」


「真夜中に勝手に家に入ってきて……私の枕元でいつも泣いていた女の子……」


「顔は見れなかったけど……声だけはずっと聞こえてましたわよ……? いつも、いつも……」

「うぅっ、うん……///」


「あぁ……よかった。あなたはいつも……私の傍にいてくれたんですのね……」


泣いている櫻子の頬に手をあて、指で目に溜まった涙をぬぐってあげた。

大粒の涙はしずくとなって私の手をつたい……枕に落ちた。


「ここ……櫻子の部屋? 私……寝ちゃったんですのね」

「いいの。いいんだよ……寝てていいよ」

「そう……」

「ねえ、向日葵」

「……はい?」


「私、本当にばかだったよ」

「……なぜ?」


「向日葵がいなければ、私も強くなれると思って……無理やり向日葵のこと考えないようにして、向日葵を泣かせてるのに気づかないんだから」

「…………」


「明日、ちゃんと全部話すよ」

「……なにを?」


「隠してたこと。向日葵……全然、間違っちゃってるんだもん」

「…………え?」


「でもいいの……嬉しかったよ。向日葵の本当の気持ちが聴けて……向日葵のこと、全部伝わってきて」

「…………」


「明日になったら、教えてあげる……明日、またデートしよっか」

「……ほんとに?」


「うん……だから今は、寝てていいよ」

「…………」


「向日葵……来てくれて、ありがとね……///」


優しい櫻子の腕に包まれて、私は再び目を閉じた。

こんなに温かいベッドで眠ったのは、初めてだった。


――――――
――――
――

「……入っちゃっていいんですの? 私まで」

「構わないでしょ、日曜だし。向日葵もここの生徒と見分けつかないよ」


翌日の日曜日。

デートしよっかと言われて、櫻子に連れられて来たその場所は……


櫻子が通っている、高校だった。


「向日葵は来るの初めてだよね。ここが私の高校……私のクラスは、この教室」

「…………」


櫻子は楽しげに校内を歩いた。閑散とした知らない学校を歩く私は、櫻子が何を見せようとしてくれているのかもわからなくて……ただただ知らない匂いのする校舎内を、櫻子についてまわっていた。


「ここが私の机。窓際だから、今の季節はすごく寒いんだよね」

「あら……私と同じじゃない。私も学校でこのあたりの席ですわ」


「えーっと、あるかな……」


櫻子は席に着くと、自分の机の中をごそごそと漁った。プリント類や置いていった教科書類などがぱらぱら出てきて、この子のちょっとだらしない部分を久しぶりに見れた気がして、何故だか私は嬉しかった。


「いったい何を探してるんですの……?」

「ちょっと待ってね、確か……あ、あった!」


様々なプリントが何枚も入ったクリアファイルから、櫻子は本のしおり程度の小さな紙を取りだした。

私を櫻子の前の席に座らせて、机の上に広げたその小さな紙をえへへへ、と笑いながら差し出す櫻子。

「これは……?」

「えっとね、それはこの前の中間テストの結果」

「……え、えっ? えっ!? 嘘でしょう!?」

「あっはは、嘘じゃないよ! ちゃんと私の名前が書いてあるじゃん」


「現代文92、古典86、数ⅠA90、日本史98、生物94、え、英語100……!!!」

「すごいっしょ? これが私の、今の成績」


「が……学内順位、一位……っっ!!?」

「偏差値76.2……まあほら、うちの高校はバカだからさ。向日葵と比べたらたぶん全然だよ」


信じられないものが載っているその小さな紙きれを、私は何度も何度も見返した。

そこにあったのは……学年一の秀才、大室櫻子の成績であった。


「私さ、実は……勉強がんばってんだよね」

「し、信じられない……あのあなたが……ああっ!?」

「なに?」

「そっか……ちょっと前にあなたの部屋に行ったとき、ちらっと勉強してるとこ見ましたけど……確かに私がやるようなのと同じことをやってた……!」

「……そうだよ。私今、毎日毎日勉強してるんだ」


自信満々よりは少し謙虚に、けれど嬉しそうに自分の成績を見せる櫻子。


「ど、どうしちゃったんですのあなた……いつの間にこんな……」

「向日葵に隠してたこと……これなんだ」

「えっ?」

櫻子は恥ずかしそうに視線を窓の外へ向け……しかしすぐに私の方へまっすぐ目を戻して、真剣な声で言った。


「私さ……この学校から、転校することにしたんだ」

「…………」


「向日葵知ってたんでしょ? たぶん……誰かから聞いたんだよね」

「えっと……あなたの高校の生徒さんが噂話してたのを、たまたま聞いちゃって……」

「なるほどね……だからか。それで昨日、私のとこに来てくれたんだ」


「私がどこか遠くに転校しちゃうんだと思って」

「ええ……」



「じゃあ言うけど……転校はするけど、別に遠くへはいかないよ。この近くの高校に移るだけ」

「……!」


「でもその高校がさー、めっちゃ頭いいんだよね! うちの高校に受験するような子じゃ到底届かないくらい……」

「う、うそ……」


「それでもそこに転校したくて。色んな先生たちに相談して、校長先生にも相談して……どうすれば今からでも転校できますかって」


「高校としては仲が悪いわけでもなかったけど、だからこそ半端な生徒を送り出すわけにはいかないからって……条件を付けられた」


「学年で一番の成績を取りなさいって」

「!!」

「一学年の成績……入学してすぐは私もそこそこだったけど、学年末試験で一番を取れればいいでしょうって。だから私、勉強頑張った」


「言っちゃうとさー、私が転校したい高校……ねーちゃんが行ってた高校なんだよね!」

「っ……!!///」


「ねーちゃんも卒業生だから、その高校に一緒に挨拶に行ってくれて……実はそっちの学校は私のこと歓迎してくれてるみたいなの。たぶんねーちゃんがその高校ですごく成績よくて、すごい大学に行ったから……その妹だからってことだけど。ねーちゃんにすごく感謝しなきゃって思った」

「あ……ぁ……!」


「でもだからこそ……歓迎してくれてるからこそ、私がしっかりしなきゃダメだって言われた。だから私……毎日毎日勉強頑張ったよ。今でも頑張ってる……」


「勉強すれば向日葵に会えるんだって思ったら、勉強すればするほど向日葵を手繰り寄せられる気がして……そう思うだけで、どこまでもどこまでも頑張れて……」



「……学年末試験があるのは、今週なの」


「だからさ……もうちょっと待っててよ。もうちょっとだけ……」


「もうすぐ……そっちに行くからさ」

「さ、櫻子っ……!!///」


「えへへ……ごめんね、隠してて……でも、でも……」


「私は向日葵が近くにいたら、絶対向日葵に甘えちゃってダメになるから……本当に一緒になれるそのときまで、なるべく会わないようにしようと思って……っ」


「でもそれもダメだったよ……向日葵がいないときが続きすぎると、向日葵に会いたい気持ちが溜まりすぎると、苦しくて仕方なくて……」


「そういうときは……楓に、向日葵んちの鍵を借りた」

「!!」

「向日葵が眠った頃に……こっそり会いにいった。私のことに気づかなくても、私は向日葵の顔が見れるだけで充分だった……向日葵はいつでも近くにいるんだって思ったら、どこまでも頑張れる気がした……」


「楓も、花子も、ねーちゃんも……みんな私のこと知ってるんだよ。だから私に協力してくれてた。向日葵には全部秘密にしといてねってお願いしたから、みんな言わなかったと思うけど」


「今月に入って急に、向日葵がお菓子作ってきてくれるようになって……嬉しかったけど、ちょっとやばいって思った。最後の最後に気を抜いたら、夢が果たせなくなっちゃうかもって……」


「でも花子に言われてね……『ひま姉のことも考えてあげて』って。だからバレンタインのデートに付き合ってあげようって思った。最後の最後、そこで一旦会うのを終わりにしようって」


「だけど……無理だった。向日葵とのデート……ずっと向日葵のために頑張ってた私が、向日葵とデートなんかしちゃって……そんなの楽しいに決まってんじゃん! そんなの……ずっと望んでた夢だったんだからさ……」


「どこで切り出すかはあの日ずっと悩んでて……中学校に行って、チョコ渡されて……向日葵が良いこと言い出したから、まずいと思った。ここで言わなきゃ、もう言えなくなっちゃうって」


「目の前の向日葵と一緒にいるためには……夢みたいなその日をこれから先もずっと続けていきたいなら、ここで最後ふんばらなきゃって。一緒にいちゃダメなんだよって言ったのは、そういうことだったの……」


あのバレンタインの日の櫻子の心情を……私は心からわかっていなかった。櫻子が隠していた秘密を知らなかったから、当たり前なのだが……

話をしながらどんどん涙をこぼす櫻子。あの日の気持ちを思い出して泣いているのだとしたら……やはり櫻子も辛かったのだろう。あの時の私と同じ胸の痛みを、櫻子も感じていたのだろう。

「ひとつだけ……確認させて?」

「ん……?」


「バレンタインデーの前の日……私、駅前で女の子に泣きつかれてるあなたを見ましたわ。偶然発見しちゃったんですの」

「あ、あぁ……あれか」


「あれは別れの現場だったんでしょう? あなたが別れを申し出て……それで女の子は泣いちゃってたんですのよね?」

「……正確に言えば、別れじゃない。付き合ってくださいって言われちゃって……それを断ったの」

「なぜ断ったのかというと……」

「そんなのもちろん、転校しちゃうからだよ。あの子はすごくいい子で、一年しか一緒にいなかったけど、これからもずっと友達でいようねって言ったら……泣かれちゃってさ」


ここまで聞けば、こんなのは……わざわざ確認しなくてもわかっていたことだった。

完成した黒一色のパズルは全部壊れて崩れ落ち、枠内には新しい光のパズルがぱちぱちと完成していった。正しいのは、こちらの絵だった。

「あのさ、向日葵……」

「……はい?」


「私、ほんとにさ……この一年間ずっと、向日葵のことしか考えてなかったよ……」

「……!」


「ずっと会いたかったよ……ずっと一緒にいたかったよ……!」


「だからずっと頑張ってさ……誰にも浮気はしなかったよ! 告白も、全部断ったよ……!」


「向日葵が……大好きだからだよ……!///」



……私は知らなかった。櫻子が頑張っていたことを。


『ごめんね、向日葵』――中学三年の冬、あの帰り道で言われたことを思い出す。櫻子は既にあそこから頑張っていた。離ればなれになった私たちのルートをまた繋ぎ合わせようと、私に見えないところで心を痛めながら、ずっとずっと頑張っていたのだ。


一年間……出会ってからというものずっと、こんなに長い期間距離が離れたことは無かった。私は櫻子のいない世界をとぼとぼ歩いていたが……櫻子は私のいない世界で、私だけを考えて人知れない努力を重ねていた。


「櫻子……」


泣きじゃくる櫻子の顔をあげさせ、呼吸のおぼつかないその愛しい唇にキスをした。

櫻子は何かが決壊したように、一段と激しく泣き出してしまった。その頭を胸に包んで受けいれ、ずっと一人で頑張っていた人を抱きしめてあげた。


ありがとう、櫻子。

よく頑張りましたわね。

よく、戻ろうとしてくれましたわね。

私たちの距離は、離れてもずっと変わらない。

むしろ、離れれば離れるほどに……近くなっていく。


「こ、んしゅうの、テスト……」

「ん……」


「がんばる、から……ぜったい、がんばるから……!」


「だから……待っててね、ひまわり……!///」


……ええ、待ってますわ。

ずっとずっと、待っていますわ。


最後にもう一度、深く長いキスをした。


――――――
――――
――



春。


寒さ厳しい冬とはうってかわって、今年の春は早いうちから暖かかった。積もった雪はほとんどが溶け、日差しを浴びればうららかな季節をつよく体感できた。


「おはよー古谷ちゃん!」

「おはようございます、皆さん」

「ね~ほんとよかったまた一緒のクラスで! もし離れちゃったらどうしようって、ここ来るまでずっと心配でさ~……!」

「ふふふ……私もですわ」


席を確認すると、私は新しい教室でも変わらない窓際の席だった。荷物を机に置き、窓から校庭を見ると……そこかしこで桃色の桜が満開に咲き誇っていた。

春風に吹かれて、桜の花びらがひらひらと舞っている。窓を開けて見下ろしたところではたくさんの生徒が入り乱れて話している。今日から入学する新入生たちだろう。

始まりの季節であることを実感し……私は去年の自分を思い出した。

去年の春は……私にとっては、「始まりの季節」というよりは「終わりの季節」の方が大きかった気がする。


しかし、今年こそはようやく始まった気がした。

先の見えない暗い道ではなく、明るく輝く光の道を……あの子と一緒にまた歩いていける、そんな気がした。

「ねーねー担任誰だと思う!?」

「私去年と同じがいい~」

「ってかさ、あの話本当かな! このクラス一人転校生来るらしいよ!」

「うっそー!」

「はーい、席についてくださーい」

「きゃー先生~~!! 先生ここ担任なんですか!?」

「いいから、今から話しますから! みんな自分の席に戻って戻って」


礼装の先生が入ってきて、新たな世界にはしゃいで一向に落ち着く気配のない生徒たちを無理やり席につかせた。「あんたたちもう高二でしょ!」とたしなめる先生も、どこかこの季節に喜びを感じていそうだった。


「はいはい、いいですかー。クラスメイトも変わってはしゃぎたい気持ちはわかりますが、この後もいろんな行事があって忙しいんです。先生に協力してくださいねー……って、ほらそこ静かに!」


「とりあえずえっと……最初のホームルームを始めますよ。皆さん見知った顔も見知らぬ顔もあるかとは思いますが、今日からこのクラスにもう一人新しい子が加わることになりました。よろしくしてあげてねー」


一旦無理やり静かにさせられたクラスも、その一言で大きくざわついた。「しーずーかーに! 今から紹介しますから!」と先生がうながすと、入口の扉を少し引いて……廊下にいる“転校生”を呼び入れた。


姉のおさがりを綺麗に着こなし、気恥ずかしさを笑顔に変えて元気よく入ってきたその子。


「かわいい……」「かっこいい……!」という小さな声があちこちからあがる。

まだ誰もその子のことを知らないのに、転校生が声のする方に笑顔で手を小さく振ると、生徒はまた一段と騒がしくなった。


「はいはい静かに聴いてあげてくださーい? ……それじゃあ、簡単でいいので自己紹介お願いします」


担任に新品のチョークを手渡された転校生は、まだ少しおさまらない黄色い声をバックに、黒板に向かってかつかつと名前を書いた。

最後の一文字をゆっくり書き終え、かたりとチョークを置いて振り返る。


舞い散る桜と共にやってきた、その子。

「転校生の、大室櫻子です。よろしく」

「……えええっ!!?///」


何人かの女の子たちが素っ頓狂な声をあげた。


その子たちは……櫻子の名前だけは過去に話したことのある、私の友人。櫻子の顔と私の顔を見比べ、口を押えて「うそ、うそ……!」と驚愕している。それを見た周りの子たちも、一体何事かと大きくざわつきだす。

担任がまた声を張り上げて生徒たちを静めようとすると……櫻子はふっと笑って、つかつか歩いて教壇の前を離れた。その予想しない行動に生徒はみな静まり返る。


櫻子は私の隣まで来ると……私に手を差し出して、泣きそうな笑顔で言った。



「ただいま、向日葵……」


「……おかえりなさい、櫻子……」


私はその手を取って立ち上がり、櫻子を抱きしめた。


強く、優しく、抱きしめた。


何度も何度も、名前を呼んで。



~fin~

ありがとうございました。


今日9月7日に投下されることとなったこのSSは、偶然にも自分のゆるゆりSS通算97本目でした。

今は割と忙しいのですが、すぐに100本目まで到達して……そしてこれからもゆるゆりでお話を書き続けたいと思います!


最後になりますが……櫻子ちゃん、誕生日おめでとう!!

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