【ゴッドイーター2】隊長「ヘアクリップ」 (534)
隊長の今までとこれからの話
・GE2編からRB編の間のお話
・女隊長(主人公)による地の文っぽいもの主体のGE2編回想が主体なので注意
・隊長周りはオリ設定多し。俺のsettei*.txtが火を噴くぜ!
・隊長の性格と口調は一応女ボイス9(あがり症気味の優等生キャラ)イメージ
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1
2074年×月某日。
フェンリル極致化技術開発局、通称フライアによる極致化計画の第一人者、ラケル・クラウディウスの暴走によって引き起こされた、地球のエコシステム……
終末捕喰を巡る混乱が収束し、終わらない抵抗と戦いの日々が取り戻された現在。
私はある目的のため、依然として修繕作業が行われているフライアの移動要塞に足を運んでいた。
目的と言っても大した用事じゃなくて、ここにいた時期に作成していた日誌のデータを回収しに来ただけなんだけど。
◇
顔馴染みのフライア職員達に出迎えられつつ、嘗ての自室だった場所に入る。
異動やクーデターがあった手前、データベース内にファイルが残っているか不安だったけど、どうやら手つかずのようだった。
私はひとまず安堵し、手持ちのタブレット端末にデータを移す。
取り立てて言うほどの情報を書き込んだ覚えもないけど、こうした記録媒体は自分の初心を再確認する上で、重要なものになるだろう。
取り込んだデータの確認がてら、日誌に初めて書き込まれた日の分に目を通すと、初々しい文章が飛び込んできて、思わず苦笑してしまう。
私が神機使いになってから一年も経っていないはずだけど、こうして懐かしさを感じる程度には、濃密な時間を過ごしていた事を再確認した――
2
――この右腕に何もなかった頃、私はただの学生だった。
もちろん、"ただの"と言っても、フェンリル本部の内部居住区に設立された学校の高等部に通っている時点で、単なる民間人とは言えない。
私の実家は、フェンリル関連企業内の有力者の一人である父を始めとした名門であり、私もそれに与る形で比較的裕福な暮らしを送っていた。
母は5年前に病気で他界し、上には家督を継ぐ兄がいる。
私自身は、母譲りの緑がかった金髪がちょっとした自慢というだけの、平凡な箱入り娘だった。
父は優秀だけど、それと同じぐらい偏屈な人物で、
"人は在りのままの姿であるからこそ美しく、その気高さこそがこの世界を生き抜く意義にもなるのだ"という持論の元、人為的な肉体強化を施された神機使いを毛嫌いしている。
娘や出資先のフェンリルが相手でもその態度は変わらず、三年前に確定した、私の神機使いとしての適性も握り潰された。
散々神機使いにアラガミの脅威から守られておいて、虫のいい話ではあるけど、その面の皮の厚さでこの世界を生き抜いてきたのも確かだ。
そんな父を持った手前、私は神機使いになることを許されなかったばかりか、彼の思い描いたシナリオ通りの道程を歩むことも義務付けられた。
初等部からフェンリル本部所属まで、エスカレーター式に段階を踏むことのできるエリート校に在籍させられたのも、その一環だ。
私は特にそれらに反抗することもなく、17歳になるまで育ったけど、疑問がなかったわけでもない。
父が人を在りのままの姿で生かすことのできる医療関係に力を入れても、慰問の付添で訪れた外部居住区の様子を見れば、それだけでは情勢に対応できないことがすぐに分かったし、
アラガミと本質を同じくする神機使いを最終手段とした軍事力に、取り付く島は元よりない。
実質死ぬことのないアラガミを相手に、結局防戦一方にしかなっていないという実情を除けば、
人類の打開策として神機使いが機能している以上、個人の嗜好からそれを忌み嫌う父は、比較的早い段階で異常なものに見えた。
もちろん、私も神機使いがまともな職業だとは思っていなかったけど。
――こんな父でも根は聡明なのだから、少なくとも彼の敷いたレールに乗っておけば、痛い目に遭うことはない。
……とすんなり割り切れるほどできた性格でもなかったけど、口論を繰り返して家を飛び出せるだけの胆力も私にはなかった。
外の景色はずっと見ていない。アラガミの侵攻が今ほど激しくなく、まだ本部のアーコロジーが形成される以前、砂漠化とは無縁そうな草原と、
壁に遮られない青空のどこまでも広がっていく光景が、幼少の頃の思い出として、記憶の片隅にこびりついている。
美化された記憶と、父の支配から抜け出したい願望が合わさり、私はいつしか、もはや何も残っていないはずの外に、漠然とした憧れを抱くようになっていた。
今思えば何とも希少な、温室育ちのお嬢様らしいお花畑思考だ。
◇
現状にどこか引っ掛かりを覚えながらも、のうのうと学生生活を送っていたある日。
東の果てに現われた"赤い雨"や、"感応種"と呼ばれる新たなアラガミ……
ついでに本部直轄の"道楽"要塞についての話題で休み時間の教室が賑わいを見せていた頃、二名の客人が校舎を訪ねてきた。
一人は車椅子に乗った、喪服のような格好の女性。もう一人は、やや中性的な雰囲気を纏った、ゴシック調の衣装の青年。
内部居住区の人間から見ても少々独特な二人は私が目当てで来たらしく、私は放課後の誰もいない時間に呼び出された。
「初めまして……あなたのお父上には、フライア運用の件でお世話になりましたね」
出会い頭にそう言った女性の姿には見覚えがあった。確か、ラケル・クラウディウス博士……
神経科学分野の専門であり、本部が新たに立ち上げたフェンリル極致化技術開発局、通称フライアの副開発室長だ。
内にも外にも閉鎖的な本部が珍しく本格的な宣伝広告を打った事柄であったため、嫌でも記憶に残っていた。
しかし、そんな有名人が何の用だろうか。確かな力や資質を持った、父や兄ではなく、よりによってこの私に――
「……あなたには、ご家族の方々にない、大きな素質が眠っています」
――こちらの思考を見透かしたような発言に、思わず身体が強張る。
「そう緊張なさらずに」
ラケル博士がレースの奥の目を細める。
宗教画の如く美しい微笑み。それだけに、左目の下にある傷跡が異物感を醸し出していた。
「……荒ぶる神々を喰らうことのできる唯一の存在、ゴッドイーター……彼らもいずれは、上に立ち、道を指し示す指導者の存在を必要とするようになります」
「あなたは、旧世代のゴッドイーターたちを統べる精鋭……"ブラッド"の候補者として、フライアに招聘されました」
"ブラッド"……これも聞いたことがある。フライアの移動要塞を拠点とし、各支部の神機使いを教導する目的で新設されたという、特殊部隊の名称だ。
ふと、ラケル博士の傍らで沈黙を守る、青年の右腕が目に入る。
神機使いのものと思われる、大きな腕輪。
ただし、普段見る赤い腕輪ではなく、見慣れない装飾の施された、黒い腕輪だった。
恐らくラケル博士と、彼女を連れてきた輸送機のスタッフ、それに……私を護衛する目的で来たのだろう。
「まずは適合試験を受けてもらいます……今すぐご同行いただきますが、よろしいですね?」
微笑んだ表情のまま、ラケル博士が言葉を紡いだ。
柔らかな物腰とは裏腹に、有無を言わせぬ強引さを感じる。
そして、当の私本人はと言うと、自分でも意外なことに、彼女の無茶な申し入れを二つ返事で承諾していた。
あまりに突拍子もなさ過ぎて、事態の全容を理解する前に条件反射で応えてしまった部分もあるかもしれない。
ただ明確なのは、私がこの状況に期待心を持っていたということだ。
わざわざ校舎まで私自身を訪ねに来たことから察するに、恐らく父はこの状況を知らない。
いくら本部直轄のフライアといえど、用件が用件なので父の物言いを懸念したのだろう。
オペレーターか救護班に回すとでも言えば、彼も喜んで私を放り出したかもしれないけど、すぐバレる嘘はつきたくない、と言ったところだろうか。
正直、そこまでして私を抱き込む理由もわからなかったけど、私にとってもこれはチャンスだと判断することにした。
父の最も嫌がる方法で彼から独立して、外に出る口実を作る。
もう少し父の支配下に置かれておけば、独立の芽もあったかもしれないけど、この時は目の前に吊り下げられた、餌に飛びつく以外の選択肢が頭になかった。
そもそも、実際に目の前にいる二人が、このまま私を逃がしてくれるとも思えない、となれば。
後で頭を冷やしてひとしきり後悔する前に、せめて一度ぐらいは、どこまでも広がる空を眺めてみたい。
当時の私は、本気でそんなことを考えていた―
3
――それから程なくして、適合検査で耐え難い痛みを伴いつつも、私は神機使いとなった。
父とはあれ以降、一度も連絡を交わしていない。
故郷での私の存在は、現在でも行方不明者として処理されているはずだ。
有権者の娘とはいえ、いつまでも生存の見込みのない者を捜索している余裕は、この世界にはない。
もっとも、共にフライアの開発責任者であるレア博士、ラケルのクラウディウス姉妹や、局長及び本部顧問のグレゴリー・ド・グレムスロワの後ろ盾が失われ、
"ブラッド"の活躍もある程度知られるようになった現在では、その効力も弱まりつつある。
大した用事じゃないとは言ったけれど、ここに日誌を回収に来たのは、
神機使いとなってからの自分を見つめ直すことで、このことに対する決意を固め直す意図もあった――
◇
――正式にフライア所属の神機使いとなった翌日、"ブラッド"候補者としての基礎訓練の日々が始まった。
いくら偏食因子で身体能力が強化されたといっても、素体は体を動かすことに慣れていない元学生だ。
神機の扱いを訓練場内でものにするのは骨が折れたけど、今までの学生生活で身についた習慣のおかげか、座学の成績はそれなりによかった。
また、フライアには二人の候補者仲間がいた。
一人は香月ナナ。私と同時期にフライアに編入された、同い年の女の子。
後ろ髪を二束、アップで留めた、猫耳のような独特の髪型、布面積の狭いチューブトップの上に、
これまた背中と脇部分が大きく開いたベストを着込み、ボトムスはサイドのファスナーを開けたショートパンツ……
といった外見で、ラケル博士達とは別ベクトルで異彩を放っている。
初対面の時こそ驚いたけど、ナナ自身は裏表のない快活な子で、よく喋りかけにきてくれる。
……そういえば、出会った時に"おでんパン"という創作料理を貰ったけど、
私は北欧生まれなので、アレも彼女の出身地である、極東では知名度の高い料理なんだろうか……と最初は勘違いしていた。
"おでんパン"自体は意外と美味しい。
もう一人はロミオ・レオーニ。私達の1年前に入隊した先輩で、
ナナと2人で訓練の感想を話し合っているところに、彼がばったりと出くわしたのが初対面となった。
彼も砕けた性格で、調子づくことも多いけど、時には先輩として、神機パーツ毎のの基本戦略を教えてくれる。
外見はニット帽とダボついたボトムスがまず目に付き、帽子や短い丈のジャケットにはバッジなどの小物が散りばめられている。
やっぱりというか何というか、ナナとは気が合うらしく、初対面の時からあっさり打ち解けていた。
◇
飛んだり跳ねたりすることに慣れ始めた頃には、"ブラッド"隊長のジュリウス・ヴィスコンティ……
ラケル博士の護衛を務めていた、あの青年の計らいによって、実地訓練も行われるようになった。
初めて対峙するアラガミの姿。それを切り裂き、貫いた時の感触。
どちらも気味の悪いものだったけど、この時はまだ、あくまで訓練の延長線上か、仕事の対象としてしか見ていなかった。
交戦していたオウガテイル種のアラガミが更に増援として現われた際、
ジュリウスが"ブラッド"の証である"血の力"、"ブラッドアーツ"を披露する形で、初めての実地訓練は終了となった。
戦闘の緊張から解放され、空を見上げる。
何にも遮られない、どこまでも広がる青空。亡都を覆う雑草の群れはイメージと違ったけど、この空の光景だけは記憶通りだ。
感動とある種の達成感に笑みすらこぼしていると、一緒に訓練に来たナナが不思議そうにこちらの様子を眺めていた。
書き溜めが尽きたので今日はここまで
ついでに適当な捕捉
・神機使いの適合検査への招聘に応じることは居住区市民の義務だが、金持ちには賄賂で拒否する手段もある(GE2、サツキ談)
・内部居住区の描写はシリーズ中ほとんどないが、内部居住区市民の設定画は存在している(公式設定資料集)
・フェンリル本部はフィンランドにある(諸々の公式書籍)
・ラケル博士の付添は本来シエルの任務だが、護衛としては神機使いの方が適しているような気もするし、
ジュリウスがしばらくシエルに会ってなかった描写もあるので、ジュリウスがついていったことにした
・そもそもラケル博士がわざわざスカウトに出向く必要があったのかって?……彼女も内心ではブラッド集めに焦ってたということでどうにか
面白い 期待
女ボイス9イイヨネ…
>>14
いい…
19子のヒャッハー具合も好きです
投下再開
◇
ジュリウス指導の下、基礎訓練と実地訓練を交互にこなしていく中で、3つの事件が起こった。
1つ目は第4の"ブラッド"候補者、ギルバート・マクレインがフライアに編入されてきたこと。
ギルバート……通称ギルはグラスゴー支部で5年の経験を積んできた、22歳のベテラン神機使いで、
紫のファー付きジャケットに羊毛付きの帽子、スマートながらも長身な体躯が目立つ外見をしている。
そんな彼に対してロミオがグラスゴーでの過去を追及し、ギルがそれに右ストレートで応じたのが事件の始まりだった。
元々仲がいいと言えるほどの関わりもまだなかった"ブラッド"だけど、これによって一気に場の雰囲気が冷え切ってしまった。
小さな願望で神機使いになった私だけど、明日には死体として野に転がっているかもしれない職業柄、
わざわざチーム内の諍いでその確率が高められるのは望ましくない。
それに、短い期間とはいえ、それなりに人となりがわかっているナナの落ち込んだ表情を見るのは、何だか心苦しかった。
ジュリウスからもそれとなく期待の眼差しを向けられている気がしたので、私は意を決し、ギルを説得しに行くことにした。
結果から言うと、とりあえず説得には成功した。しかも、一言二言であっさりと。
正直拍子抜けだったけど、ギルも存外気配りのできる性格だとわかったのは収穫だった。
尤も、第一印象で失敗したロミオ相手ではそうもいかないらしく、以降も小さな口論は続くことになった。
◇
2つ目の事件は、私が"血の力"に目覚めたこと。
私が編入された時点で、フライアの移動要塞は極東地域に入っていて、その目標がフェンリル極東支部ということもあり、
極東支部からは2人の応援が寄越されていた。
1人はダミアン・ロドリゴ。
極東支部の新人神機使い担当の指導員で、彼自身もかつてはマドリード支部の神機使いとして活躍していたらしい。
フライアでは相談役として私達に応じてくれた他、"リンクサポートデバイス"という新装置の試験運用にも従事している。
もう1人は極東支部の若手神機使い、エミール・フォン・シュトラスブルク。
彼は高名な貴族であるシュトラスブルク家の出身で、騎士道精神というものを重んじているらしい。
その詳細は分からないけど、アラガミから人々を守ることにかけては、彼なりの筋を貫き通していることが窺える。
芝居がかった言動に気圧される場面も多いけど、何より彼は富裕層出身でありながら、自らの意志だけで神機使いになっている。
その点だけで、彼は私にとって尊敬すべき人物だった。
そんなエミールとの共同任務として、アラガミ討伐に臨んだ際、問題は起こった。
"感応種"の出現だ。
◇
アラガミを構成する自律した細胞群、"オラクル細胞"には、捕喰の傾向を決定づける"偏食因子"と呼ばれる物質が備わっている。
その作用により、アラガミは"偏食場"という特殊な信号―パルス―を体から常に発する。
アラガミが群体行動をとるのは、"偏食場"同士が互いに共鳴し合っているためであり、同様のパルスである場合、特にその傾向が強くなる。
同様に偏食因子を用いる神機使いの第2世代、所謂"新型"同士によって起こる"感応現象"も、
こうしたアラガミの生態に起因したものとなっていて、
微量ながら人間の脳にまで入り込んだ"偏食因子"が一部の脳神経と結合、共存することによって、
より強力な脳波という形で"偏食場"が発現している、という本部の極秘研究結果が、2071年に発見されている。
また、この感応能力を強めれば、アラガミの"偏食場"をもコントロールすることが可能であり、
その応用としてアラガミの兵器化を目論んだ本部による、"新世界統一計画"が同年、極東にて断行されたこともあった。
ただ、計画は結局頓挫し、首謀者のガーランド・シックザールが起こしたクーデターとして、関与を否定した本部に処理されてしまっている。
話が逸れてしまったけど、"感応種"の厄介なところは、
こうした"新型"の感応能力のような強い"偏食場"を、アラガミ側が身につけてしまっているという点だ。
"感応種"の発する"感応現象" は強烈なパルスとなって周囲のアラガミ、果ては神機にまで影響を与え、それらを管理下に置く。
アラガミ達は"感応種"を核とする、より統率されたチームワークと、強制的に活性化された力で神機使いを襲い、
対する神機使いは"感応種"の"感応現象"によって神機の生体機能が停止し、主な戦闘手段を封じられる。
つまり、神機使いが"感応種"に相対するには不利な部分しかなく、"感応種"は事実上の天敵だと言える。
これが"新世界統一計画"によってアラガミ側を焚き付けてしまった結果なのかどうかは定かじゃないけど、
"感応種"の出現が現状極東地域に集中しているのは、間違いなくその影響があったためだと見ていいだろう。
その"感応種"が、神機の機能停止に狼狽したエミールを弾き飛ばし、孤立した私の眼前で鼻息を荒くしている。
初めて遭遇する大型アラガミ、しかも、再三警告を促されていた"感応種"。
今まで対峙してきた中型アラガミの、二回りは大きい、狼のような体躯。
ごつごつとした岩のような質感の、鉄をも砕きそうな前脚。敵対者を射抜かんとする眼光。
他のアラガミを引き連れた様子はない。
しかしながら、明らかに一介の新人神機使いが勝てる相手じゃなかった。
手は震え、脚は竦み、声も出ない。離れた場所で戦う仲間達に、救援を求めることも思いつけないほど、頭の中が真っ白になっていた。
"感応種"が岩のような前脚を振るう。私も条件反射で神機を構えるけど、当然大盾パーツが展開することはなく、
エミールのようにあっけなく吹っ飛ばされる。
続いて地面に叩きつけられることになるも、攻撃はそこで一旦止んだ。"感応種"は何かを警戒しているようだった。
……警戒?何を?ただ遊んでいるだけなんじゃないの?
立ち上がりながら、益体にもならない思考を巡らせていると、"感応種"の後方で倒れているエミールの姿が目に入る。
まだ息はあるようだけど、とても自力では立て直せそうにない状態のように見えた。
今立ち上がった私が"感応種"に嬲り喰われてしまえば、次は彼が玩具にになるだろう。
そう思った途端、自分の身体の内から、真っ赤なものが湧き上がってくるような感じがした。
箱入り娘の我儘を通してもらった身だ。こんな状況に陥った以上、もうどうなったっていい。
――"いくら恐怖に曝されようと、苦痛を与えられようと、それがお前だけの問題なら私は構わない"
"だが、それが他の者に降りかかるのであれば話は別だ。自身にそれを阻止できる力があるなら、全力で解決に当たらなければならない"――
……個人が持つ責任として、幼い頃に父が授けてくれた、数少ない善良な教えだ。
当時はまるで意味が分からなかったけど、今なら。
湧き上がってきた赤いものは膨らみ始め、動悸が早まる。"感応種"は更に警戒を強め、今にも飛びかからんとしていた。
神機を構え直す。"感応種"が先ほどよりも鋭い角度で、前腕を振りかぶる。
瞬間。
赤が、弾けた。
◇
私の"血の力"を乗せた一撃で、思わぬ逆襲を受けた"感応種"は、
救援に駆けつけた"ブラッド"の応戦も加わったことにより、撤退を余儀なくされた。
"感応種"へのカウンター。それは、奴らの"偏食場"と同等以上の力を持ち、他の神機使いをも活性化させる第3世代神機使い、
"ブラッド"の"血の力"、あるいは、その影響で生み出される戦闘技術、"ブラッドアーツ"を用いることで、神機使いに及ぶ"感応現象"を相殺することだ。
"ブラッド"が旧世代の神機使いを教導し、統べることの所以はここにあると言っていい。
その"血の力"が偶発的に覚醒した私は、エミール共々何とか生き残ることができたわけだけど、その後が大変だった。
あろうことか、私が"ブラッド"の副隊長に指名されてしまったからだ。
候補者の名が外れた今となっては妥当かもしれないけど、新人よりは経験を積んだギルに脇を固めてもらった方が適正なのでは……
と思っていると、早速ギルに太鼓判を押されてしまい、私は何も言い返せなくなった。
実際、"血の力"が発現して以降の私の調子は凄ぶるいい。
"血の力"に対応する性質を持った第3世代型神機の精度がより高まったおかげもあるけど、私自身も以前よりずっと冷静に戦えるようになっていた。
神機の適合率が高いと、稀に人格に影響を及ぼすことがある、という噂を聞いたことがあるけど、その影響もあるかもしれない。
それにしたって調子がいい……思わず疑ってしまうほどに。
明らかに成長が早過ぎる。まだ実地訓練の段階ではあるけど、この討伐速度は異常だ。
才能のある新人だから、で済ませられる話じゃない。となれば、原因は私達に投与された偏食因子にあるのだろう。
P66偏食因子。第1世代の"旧型"と第2世代の"新型"が混在していた従来のP53偏食因子とは違い、
最初から"ブラッド"用に調整されたものなのだという。
そう考えると、"血の力"を初めとした技能の強力さにも納得がいくかもしれないけど、
その理論をこうして実現するまでに、どれほどの試行錯誤が重ねられたのだろうか。
P66偏食因子の開発者は他ならぬラケル博士で、彼女には"マグノリア=コンパス"と呼ばれる、児童養護施設の運営者としての側面もあった。
私やギルを除くブラッドの面々も、"マグノリア=コンパス"の出身なのだという。
孤児院を営む傍ら、極致化技術の開発に従事……計画を飛躍させるための、"マーナガルム計画"や"アーサソール"のような、人体じっ――
――考えるのを止めた。
自分に力があるとわかった以上、今は誰かのためにそれを振るうだけだ。命はまだとっておきたい。
ともかく、第2の事件は"ブラッド"の戦力増強と、副隊長の指名による、組織内の指令系統の一本化という形で終わりを迎えた。
そして3つ目、現状最後の"ブラッド"候補者、シエル・アランソンの編入だ。
◇
シエル・アランソン、16歳。私やナナと同じく、神機使いとしての経験はないけど、
幼少期に"マグノリア=コンパス"で鍛え上げられた、高い近接格闘術と戦術理論の素養を備えている。
リボンのような結び方の上に、更にリボンで留めた、特殊な銀髪のツインテール、
長袖のブラウスに腹部のコルセット、レーヨン製のスカートでまとめられた格好は、全体的に貴族趣味ながらも、どこか窮屈そうな印象を受ける。
また、身体のラインが出やすい格好に負けじと、彼女は抜群のスタイルを保持していた。
正直、同姓として羨ましい……いや、ほんの少しだけれど。
シエルは副隊長、つまり、私の補佐として任命されたため、以降は彼女と行動を共にすることが多くなった。
シエルは高度な戦術理論を身につけており、参謀としてそれらを"ブラッド"に適用させるのが是だと考えていたけど、
現場主義のギルや、そうした環境に慣れていないナナとロミオからは多少ならずも反発を受けていた。
現状に納得しないギル達と、現場と論理の差異に折り合いをつけられないシエル。
再び訪れた"ブラッド"の不和に、またもやジュリウスから期待の眼差しを向けられたため、私はまず、シエルに歩み寄ってみることにした。
……彼には試されているのだと思うことにしよう。
シエルの戦術理論を噛み砕き、状況に応じてわかりやすい形で現場に伝える、双方の橋渡し役として従事してみた結果、
チームの立ち回りとしては、まずまずの結果を得ることができた。
そうした実地訓練をある程度こなしていると、シエルも私を認めてくれたようで、わざわざ自分の友達になってほしいと申し出てきた。
大袈裟だなとは思うけど、私自身、学生時代はその状況に内心苛立っていて、あまり友人を作ろうとは思わなかった。
今の状況も未知の分野で戸惑うことはあるけど、嘗てに比べればまだ精神的な余裕があるし、
どことなく口下手なところや、内向的な性格に共感できる部分もあったので、シエルと友人関係になれるのは願ったりかなったりだった。
でも、彼女からの"君"呼びはやっぱりちょっと恥ずかしい。
シエルの"ブラッド"に対する事務的な態度が段々軟化し、ギル達も彼女の戦術論に理解を示すようになってきた頃、
フライアから"ブラッド"に、"神機兵"動作テストの護衛任務が言い渡された。
◇
"神機兵"。
フライアの主要計画である"極致化計画"の二本柱の1つで、その片割れの"ブラッド"と共に運用計画が進められている。
主導者はフライアの開発室長であり、ラケル博士の姉でもあるレア・クラウディウス博士。
彼女が父・ジェフサから、神機のオラクル細胞制御機構を応用した機動兵器の研究を引き継いだことが発端となった。
レア博士は有人制御式での運用思想を推し進めているけど、これに対する派閥として、九条ソウヘイ博士による無人制御式の思想も存在している。
今回の動作テストは後者の無人制御式についてのものであり、"ブラッド"の役割は実験の経過を現場からモニターし、
動作不良や想定外のアラガミ出現など、不測の事態が起きた場合には、速やかにアラガミ関連の事柄を処理する、というものだ。
"神機兵"自体には未だ調整が必要なようだったけど、任務の経過は比較的良好だった。
ただしそこに、赤い積乱雲が襲来するまでは。
◇
ここ半年、極東地域で観測されている"赤い雨"。
同色の積乱雲を伴って表れるこの現象は、未だ解明されておらず、分かっているのは、"赤い雨"に触れると、
高確率で"黒蛛病"と呼ばれる未知の病に侵され、人によって進行速度の違いはあれど、確実に死に至ってしまうという一点のみだ。
それは神機使いも例外ではない。
ジュリウスから即刻避難命令が出されるも、フライア局長であるグレムは"神機兵"の護衛を優先し、現場に居残ることを強制する。
当然従うべきは前者だけど、シエルは不本意ながら後者に従わざるを得ない状況になってしまっていた。
既に退去が間に合わない距離にいたからだ。
いくらシエルでも、雨に触れられない状況でアラガミと交戦することは自殺行為に近い。
既に動作を止められていた"神機兵"は雨宿りにしかならない。
下された命令は相反する2つ。
となれば、私が取れる行動は1つしかなかった。
◇
結局、雨宿り"にも"なる"神機兵"に無断で乗り込み、シエルの救援に向かった私は、
命令違反も合わせ、懲罰としてしばらく独房に入れられることになった。
釈放されるまで長くはかからなかったけど、ジュリウスには一連の件でかなり迷惑をかけてしまったようだった。
彼は私の行動を諫めつつも笑って許してくれたけど、以降も出来るだけ彼の眼差しに応え、償っていこうと思う。
シエルの方はというと、事件以降、より距離が縮まった気がする。
具体的には、バレットエディットについて積極的に熱く語ってくれたり、感極まって抱きついてきたり。
最初は驚くことの方が多かったけど、シエルが私に色々な表情を見せてくれるようになったのが純粋に嬉しかった。
……とりあえず、100年先も友達でいられるように頑張ってみよう。
また、この事件を機に、今まで不明だった私の"血の力"の内容も明らかになった。
その力は"喚起"。周囲に影響を及ぼすという点では、オラクル細胞の活性化を周囲に促すジュリウスの"統制"と共通しているけど、
私の持つ"喚起"の本質は、触れ合った人が"ブラッド"であれば"血の力"の発現を、
通常の神機使いであれば"血の力"の片鱗である"ブラッドアーツ"の覚醒を促すことができる、というものらしい。
特に後者は現状私でしか再現できない現象であるため、一層の活躍を期待します……と、ラケル博士に念押しされた。
……ジュリウスといい、ラケル博士といい、人と関わり合うのは正直得意じゃないんだけど、中々思うようにいかない。
私の"喚起"の実証例となったのはシエルで、彼女は"直覚"の血の力に目覚めていた。
アラガミの状況を察知する鋭敏な知覚を持った上で、"感応現象"を用いてその知覚を周囲に共有するという、利便性の高い"血の力"だ。
改めて疑わしくなる程強い力だと思ったけど、もう何も考えないことにする。
そうこうしている内に、フライアの移動要塞は目標であるフェンリル極東支部に到着していた。
極東支部……"月の緑化"事件の黒幕だと言われていたり、素手でアラガミを引きちぎる神機使いがいるらしかったり、
色々と怪しい噂の絶えない支部だけど、その実態はどのようなものなのだろうか――
とりあえず極東支部到着まで
おかしい…GE2本編の範囲に入ったらもっとサクサクダイジェストしていくつもりだったのにどんどん長くなってる…
ギルの仇討以降は一編一編短くなるはず…多分
適当な捕捉
・ガーランドと新世界統一計画、アーサソールについてはthe spiral fate(TSF)参照
・アーサソールは本部による新型神機使いの実験部隊で、人体実験によって感応能力が高められている上、本部に洗脳されている(TSF)
・アーサソールは小説『禁忌を破るもの』にも出てるけど、未見なので設定語りに含めてない
・新型の感応現象と感応種のつながりは特にないが、何か繋がりそうだったので勝手に繋がってるぽく書いた
・ヨルムンガルドとフェンリル(アラガミ)はいつゲーム本編に出てくるんですかね
少しだけ投下
ギル編から短くなると言ったな、アレは嘘だ
4
――取り込んだデータの確認、もとい振り返りを一通り終える。
自分の記憶と照らし合わせながら読み進めてきたけど、どうもこの辺りの記述は読みにくい。
事実とそれに対する感想だけでいいものを、半ば専門用語まみれのメモ帳と化している。
そういうのはちゃんと住み分けて……というより、これで反省して、ノートと住み分けるようにしたんだっけ。
今も結構諫められることが多いけど、一定の事柄に熱中すると周りが見えなくなる性質はこの頃から健在のようだった。
高等部ではオラクル研究分野を学んでいたから、関連技術に対しての知識欲が割合強いのもあったんだろう。
……こんなことすら、実家にいた頃には気がつかなかった。
フライアでの用事は一通り済ませたので、アナグラに戻る準備をする。
折角フライアに来たのだから、帰る前に"彼"の墓にも顔を出しておこう。
極東支部に到着して以降もフライアに戻る機会はあったけど、まさかこのまま極東に残留し続けることになるとは思わなかった。
今回、日誌を取りに行く羽目になったのもそれが一因だけど、これは異動時に持ち込みを忘れていた私が、単純に迂闊だっただけとも言える。
それに、ここに居残ることになったのはむしろ喜ばしいことだ。
アナグラではフライア以上に多くの事があったし、学ぶ事についてもまた、同様だった。
いずれは、ここを離れなければならない時も来るかもしれないけど。
……この日付以降のデータは、アナグラの自室で確認することにしよう――
◇
――フェンリル極東支部。
その名の通り、嘗て日本と呼ばれた、東の果ての地域に位置する支部で、
支部内部の主要施設が地下に集中しているという特徴から、その拠点は"アナグラ"という別称で呼ばれることもある。
極東地域は強力なアラガミが頻出する地帯でもあるため、
フライアは"ブラッド"と"神機兵"の大きな運用実績を得ることを目的に、ここを訪れた。
付いて回る噂や"アナグラ"という言葉の印象から、どことなく排他的なイメージが先行していたけど、実際にはそんなこともない。
支部の神機使いや職員達から、外部居住区に"サテライト拠点"の人々まで、
例外は当然あるけど、多くの人が好意的に私達を迎えてくれた。
極東支部は対アラガミの最前線である代わりに、得られる資材が豊富で、最先端の設備と技術の開発が優先されるという利点もある。
外部居住区の生活改善も図られていて、近年では他の地域から流れてくる市民の数も増加傾向にあるんだとか。
ただ、その収容人数も限界に達しつつあったため、
極東では独自の施策として、"サテライト拠点"と呼ばれる、フェンリル本部の管理に拠らない生活拠点の建設が進められている。
私達が訪れた客人用の区画には、その"サテライト拠点"への本部の支援を取り付けるため、
双方をつなぐ架け橋として活動する歌姫、芦原ユノの姿もあった。
彼女は、市民代表のアイドル的な存在として各支部でも人気を博していて、私達の中では、ロミオが特にそのミーハーぶりを発揮している。
ユノとは彼女がフェンリルでの広報活動の一環として、フライアに訪れていた際に一度出会っていたことがあり、
同年代のよしみもあってか、比較的早くに打ち解けることができた。
◇
"ブラッド"がフライアから極東支部へ、一時的に拠点を変更した際の変化が一番大きいのは、活動環境だろう。
フライアにいる頃に経験した任務は、所謂実地訓練の延長線上で、
極端な事を言えば、ただアラガミを討伐するだけでいい場合が多かった。
しかし、極東支部での任務は、より多岐にわたる条件、状況の元で臨まなければならない。
私達"ブラッド"の支部での役割は、第一部隊のサポートと、その他種別の任務をこなす遊撃的な性質のもの。
基本は少数部隊ながら、隊長を除いた構成員の練度が不足している第一部隊の穴を埋める名目として、
支部や"サテライト拠点"に接近するアラガミの討伐を務めることになるけど、
状況に応じて外部居住区前線の防衛任務や、優先的に"感応種"の討伐任務に向かうなどの場合もある。
これは支部の神機使いの活動を補強するものである他、
多目的な用途での"ブラッド"の実用性を証明するための、フライア及び本部の思惑も含まれている。
また、極東支部に限った話ではないけど、ここの神機使い達は何れもその環境に場慣れしている。
"ブラッド"個々人の能力が高いけど、
チームとしての連携や拠点防衛への対応、地形に対する知識などは彼らに一日の長があるだろう。
未熟とされる第一部隊の構成員にしても、基礎の段階でそれらの教えが染みついているからこそ、今日まで生き残っている。
対する"ブラッド"はというと、結成からこっち、隊員同士の仲はそれなりだけど、
若手4人、ベテラン2人で構成された急造チームという感が未だに拭えない。
隊長のジュリウスがアラガミ討伐以外の公務に手を取られがちな以上、
副隊長の私が彼らの仲を取り持たなきゃならないんだけど、具体的な方法がいまいちわからず、手をこまねいていた。
険悪な関係ではないものの、どこか表面的な付き合い止まりというか。
チームとしてはそれが利になることもあるけど、
そうしたことはジュリウスやラケル博士が求めていることでもないような気がする。
◇
支部の厚意で"ブラッド"の歓迎パーティーが開かれている最中、
私はいつの間にか会場から行方を晦ましていたギルの行方を追っていた。
というより、それを口実に会場から抜け出した。
賑やかなのは嫌いじゃないけど、疲れる。
そんなわけで、ロビーにでも行って寛いでおこうと向かってみると、口実の彼はあっさりと見つかった。
どうやらギルも、私と似たような理由で逃れてきたらしい。
何となく話しかけてはみたものの、会話は双方、どこかぎこちない。
私が変に緊張して、しどろもどろになっているせいもあるけど、どうも彼は深い関係を持つことを避けている気がする。
変な意味ではなく、単純にチームの仲間としての。
微妙な雰囲気のまま会話が途切れようとした時、
「おお、ギル!ギルじゃないか!」
上方から声が降ってきた。
真壁ハルオミ。
極東出身ながら、以前はギルと同じく、グラスゴー支部の神機使いとして活動していた。
後でギルから聞いたことだけど、神機使い歴11年にして、年齢は28歳。
年齢による身体機能の衰えから、オラクル細胞の制御が困難になる問題もあるため、人間が神機使いとして活動出来る範囲は限られている。
そうした側面から考えると、彼はかなりの長寿だ。
性格は捉えどころがなく、飄々としているけど、ギルの操縦役を自称するだけあり、
少し話すだけでも、彼を自分のペースに巻き込んでいた。
同郷の先輩との再会にギルもどこか嬉しそうで、普段見せないような表情をする場面もあった。
気心の知れた相手だからこそだろうか、意外さと共に、少し妬けてしまう。
ただ、そんな中でも、ギルの表情が段々沈んでいくのが見て取れた。
小話の後、ハルオミさんは任務へ、ギルは自室へ、それぞれさっさと出て行ってしまったので、私は1人取り残される。
ちょっとした疎外感を覚えつつも、パーティー会場へ戻ることにした。
◇
極東支部の歓待ムードも終わり、幾らか通常任務もこなすようになった頃、シエルから朗報があった。
"ブラッドバレット"。
"ブラッドアーツ"同様、"血の力"による影響が神機に変異をもたらしたものらしく、
バレットのモジュール部分に特殊な効果を付与する"変異モジュール"が、その要となっている。
シエルが"血の力"に目覚めた後、私との任務に同行した際には、
既ににその兆候があったようだけど、しばらくの間実現に至ることはなかった。
極東支部に着いてからは現地の整備班の協力により、"喚起"と"ブラッドバレット"の関係性が実証できた代わりに、
今度はバレットエディットに組み込む際、必須項目である"変異モジュール"の抽出が難しいという問題に直面していた。
そこで私が気休めに何気ない一言を発したところ、それが彼女にとって重大なヒントとなったらしく、
こうしてバレットエディットにも活用できる、完全版の"ブラッドバレット"が完成した。
完成報告の際、感極まったシエルに抱き着かれる。二度目だった。
命令に付き従うだけの日々を送ってきた過去から、絶対性のあるものを信じ、ギル達と衝突していたシエル。
そんな彼女も"神機兵"護衛任務以降、それ以上に大切なものを知り、過去から解放された。
冷たい印象を与えてしまう、堅い言葉遣いと無表情を除けば、元から決して悪い性格ではなかったシエルだけど、
ここ最近の彼女は本当に活き活きしている。
人付き合いが苦手な私だけど、"ブラッド"に配属された今が楽しいと言ってくれて、
もっと皆の役に立ちたいとはしゃぐシエルの姿を見ていると、"喚起"の"血の力"を持つことも悪くないかな、と思えてくる。
――自分の素性はひた隠しにしているくせに、都合のいい。
◇
エイジス島の調査に向かっていた第一部隊から、"ブラッド"へ緊急の救援要請が着た。
エイジス島は極東支部の南側に位置する孤島で、3年前までは巨大シェルターに全人類を収容し、
アラガミから恒久的に守護する"エイジス計画"の舞台として注目を集めていた。
その建設計画に大量のオラクル資源が割かれていたため、
極東の生活環境が3年で急速に発展したのは、"エイジス計画"によるリソース面の負担が消えた影響だとも言われている。
それはさておき、ここエイジスには計画の残滓として、未だに多くのオラクル資源が眠っていて、
周辺地帯のアラガミを引き寄せる格好の餌となっている。
そのため、新種のアラガミや、他の地域が主な食事処であるアラガミが最初に流れ着くのも、ここである場合が多い。
今回の救援要請の内容も、突然変異種の出現により隊員二名が負傷、隊長の藤木コウタの機転により、2人は逃がされるも、
今度は彼がアラガミの集まるエイジスに取り残されてしまった、というものだった。
救援は無事成功、コウタさんも大事には至らなかったけど、件のアラガミの姿はなかった。
しかし、支部内の病室でコウタさんの"神機が刺さった赤いアラガミに襲われた"という証言を聞いた途端、ギルの表情が強張った。
彼は少しの間の後、足早に病室から出て行ったけど、何となく不安が残る。
◇
エイジスでの救助作戦以降、ギルはどこか思い詰めた様子を見せ、立ち回りの精度も鈍るようになっていた。
普段から口数が少なく、人を避けがちな彼だけど、任務にまで不調をきたす今の様子は明らかにおかしい。
それに――
"万が一があった場合、残されたヤツは一生、お前の命を背負い続けるんだ"
"お前の前向きなところは嫌いじゃない。だが、自分だけは大丈夫とは思わない方がいい"
――"神機兵"護衛任務での無茶な行動をギルから窘められた経験がある私としては、
そんな彼がたった独りで、何かを抱え込んだままでいるのを放っておけなかった。
意を決してギルに当たってみるも、"お前には関係ない"、"俺の問題だ"、と、取り合ってくれない。
でも、"お前を巻き込みたくない"と漏らしたのを聞くことはできた。やっぱり何かある。
何かあるけど、その先に進めない。
進展しない状況に歯噛みしていると、その場に居合わせたハルオミさんと出くわした。
この人なら、とダメ元で尋ねてみたところ、どうやら彼もそのつもりだったらしく、あっさり口を割ってくれた。
――ハルオミさんの妻であり、ギルにとっても大切な人だった、ケイト・ロウリー。
人手の足りないグラスゴー支部の仲間のため、数度の引退勧告を無視してでも神機使いを長年続けてきた彼女は、
件の赤いアラガミとの戦闘をきっかけに身体が活動限界を迎え、暴走したオラクル細胞の浸喰……アラガミ化が始まってしまう。
それを善しとしなかった彼女は同行していたギルに介錯を請い、葛藤の果て、彼は自ら手を下した――
思えば初対面時、ギルが私の説得にすぐ応じてくれたのは、彼が私のお節介を焼く姿に、ケイトさんを重ねていたからかもしれない。
自分自身の手を汚し、失った人の分の想いを背負う。
その業の深さは私には計り知れないけど、だからこそ、ギルを支えてあげたいと思った。
◇
ハルオミさんからの頼みもあり、私は多少強引にでもギル喰らいついていくことを決めた。
当然ギルからは反発されたけど、それについては後から来たハルオミさんが執り成してくれた。
彼が極東に来た目的もまた、赤いアラガミと決着をつけることで、その柵から自分とギルを解き放つことだった。
極東地域南東、嘗て人間同士の醜い争いがあった湾岸地区の廃墟で、私達3人は赤いアラガミと対峙する。
竜と人を掛け合わせたような全体のフォルム。
発達した両腕には展開式の禍々しい形状の巨大な刃が仕込まれていて、背中には飛行可能な翼状のブースターが生えている。
体表は紅い装甲で覆われ、その両眼は自我を失っているかのようにギラついていた。
グラスゴーでの戦いから年月を経た今でも、アラガミの右肩には刺さったままのケイトさんの神機を確認でき、
全身には生身であることを証明する傷痕が残っていた。
つまりコイツは、未だにあの時の傷が癒えずにいる。
しかし、赤いアラガミは衰えようとも強大な力を発揮し、
ギルが仇敵を前に冷静さを欠いていたこともあって、接戦を強いられることになった。
近接攻撃を弾いた隙を突き、赤いアラガミの右腕がギルの胴体を直撃する。
壁際まで吹っ飛ばされたギルにアラガミがにじり寄ったところで、ヤツの頭部に弱点属性である雷バレットが撃ち込まれた。
苦しみつつも振り向くと、そこには何の変哲もない壁があるのみ。
呆気に取られたアラガミの側頭部にまたも雷バレットが撃ち込まれ、ヤツの頭部が結合崩壊を起こす。
痛みに悶え、怒り狂いながら撃たれた方向に振り向くと、余裕を保った表情のまま、銃形態の神機を構えるハルオミさんの姿があった。
今度こそ標的を見据えたアラガミは即座に背面のブースターを起動し、左腕の狂刃を展開させる。
その瞬間、神機を近接形態に変形させた私の背後からの"ブラッドアーツ"により、高速移動の要となっていたブースターも砕かれた。
跳弾の"ブラッドバレット"。
壁や地面といった地形に反射する性質を持ったバレットで、戦闘では攪乱や不意打ちに用いることができる。
事前にシエルに協力してもらいながら作成したバレットだけど、どうにかこれでヤツの注意をギルから逸らすことに成功した。
さて、ここからが正念場だ。
翼を捥がれたアラガミが、ゆらりとこちらに向き直る。
私が神機の大盾パーツを咄嗟に展開させるや否や、滅茶苦茶な勢いでヤツの仕込み刃が叩き込まれた。
防ぐので精いっぱいで、避けることもままならない。
凄まじい剣圧と多彩な角度からの攻撃により、大盾パーツが悲鳴を上げて軋み始める。
あの"感応種"との一戦から、幾種の大型アラガミを相手取る経験を重ねてきた今なら、と思っていたけど。
……とんだ見当違いだったみたい。
一瞬の油断を突いた刃の切り上げと共に、私の神機が払いのけられる。
万事休す。でも、せめてギルが乗り越えた姿を見届けるぐらいは――
「ここで諦めるわけには、いかねぇんだよっ!!」
――復活したギルが、叫ぶ。
右腕を振り上げ、私の腹を引き裂かんとするアラガミの右肩口を、ハルオミさんが正確に撃ち抜いた。
アラガミが怯み、私は背後からギルが駆けてくるのを確認する。
先ほどバレットを撃ち込まれたヤツの右肩を視認して、瞬時に閃いた。武器がないなら借りればいい。
地面を蹴って飛びあがり、銃撃によって少し抜けかかっていたケイトさんの神機を、渾身の力で蹴り込む。
神機は深くアラガミの古傷に食い込み、動きを止めることに成功した。
後は仕上げだ。
ヤツの眼前にまで迫ったギルが槍先を突き出し、神機が生成したオラクルの気流に乗る。
「届けぇぇぇっ!!」
気流は突風となり、ギルごと神機を打ち出す。
赤い波動を纏う弾丸となったギルは、そのままアラガミの肉体を穿ち、自らの因縁に終止符を打った。
戦いが終わり、倒れ込みそうになるのを抑えつつ、
初めて"血の力"を使ったことで、疲労困憊になっているであろうギルを助け起こしに向かった。
最初は払いのけられるかと思ったけど、彼は差し出された手をしっかり握ってくれた。少しドキッとする。
立ち上がったギルが私に見せた表情は、前を向いて歩き出したことを証明するような、晴れやかな笑みだった。
◇
仇討ちを機に、一歩前に進むことができたギルは、どこか自嘲気味だった以前よりも、素直に笑うことが多くなった。
コミュニケーション面でも、"ブラッド"や極東支部の仲間とそれなりに会話している姿が見られる。
以前からそのきらいはあったけど、周囲に対して人一倍心配りができるのが、彼の元来の性格のようだ。
また、吹っ切れて周りを見渡せるようになった影響なのか、神機の整備にも興味を引かれている。
その相談として2人きりでいることが多くなったり、"今度は俺がお前を支えてやる番だ"とか、
思わず嬉しくなることを言ってきてくれたりして、世間知らずのお嬢様としては、どうにも彼を意識せざるを得なく……
まぁ、それも少しだけだし、何も問題はない。
だから仇討ち以降、人当たりがよくなったことで支部内の女性人気が上がっただとか、
整備士の楠リッカさんと神機の整備関連で意気投合して仲が良くなっているだとか、
私はちっとも気にしていない。これっぽっちも。全然。
……それに、彼が私を見る時の目は、私じゃない、他の誰かを見ているような気がした。
一方のハルオミ……ハルさんは、これまでの一途さはどこへやら。
"聖なる探索"だの"ニーハイ戦術"だの、理解し難い話を私によく振るようになった。
極東支部到着~ギル編終了まで
キャラエピの順序と挿入タイミングが滅茶苦茶なのは許してほしい
◇
ギルの仇討を終えて以降、私にも一つ、関心事が出来た。
エリナ・デア=フォーゲルヴァイデ。
シュトラスブルクと同じく名のあるフォーゲルヴァイデ家の出身で、弱冠14歳ながら、極東支部第一部隊の隊員を務めている。
ちなみに、彼女の第一部隊での同僚は、私達がフライアにいた頃、共に戦ったこともある、あのエミールだ。
彼とは神機使いになる以前から顔見知りらしく、
エミールが大袈裟なことを言っては、それに噛みつくエリナの姿を"アナグラ"で見ることができる。
エリナは向上心の強い性格で、負けず嫌いでもあることから、出会った当初は本部の息がかかった"ブラッド"を目の敵にすることもあった。
しかし、先のエイジス島での事件から、自らの実力不足を痛感。
エミールとのことで心配させているのもあるし、これ以上、コウタ隊長に迷惑をかけたくない。
そこで、癪だけど、救援作戦で高い実力を見せた"ブラッド"に戦い方を教えてもらいに、私の元へ来た、ということらしい。
……それで、何で私に?
「ジュリウス隊長にギルバートさん、シエルさんは取っつき難そうだし、ロミオさんやナナさんに馴れ馴れしくされるのも嫌」
「アンタは尖ったところもなさそうだし、教えてもらうには合ってると思ったの」
……そうですか。
「……それにアンタの顔、どこかで見たことあるから、思い出しておこうかなって」
気のせいだよ、と返した私の目は、きっと泳いでいたに違いない。
私には覚えがないけど、あのフォーゲルヴァイデ家の出身である以上、
父の付添で行った会合の何れかで顔を合わせている可能性は十分にある。
出生を知れば即刻故郷に送り返す、というような人達じゃないのは分かっているけど、
私個人の身勝手な感情として、周囲に素性が知れるのはできるだけ避けておきたかった。
ひとまずエリナの課題の確認として、難度の低い掃討任務に同行する。
私にものを教えられるほどの経験はないけど、筋は悪くないように思えた。
ただ、焦りのせいなのか、防御行動の類を殆ど取ろうとしないのは頂けない。
ふと、彼女の傾向を自分に当てはめ、あの赤いアラガミとの戦いをシミュレーションしてみる。
瞬く間に悪寒が走ったので、この課題については特に強く言い含めておいた。
エリナは相変わらず気難しい態度をとっているけど、満更でもなさそうだ。
こうして、新人による新人教育という、私達の奇妙な師弟関係が始まった。
また、その後日には、"ブラッド"によるユノの護衛任務を兼ねて、"サテライト拠点"を訪問した。
"サテライト拠点"は、外部居住区外での建設が計画されているミニアーコロジーの総称であり、
"クレイドル"と呼ばれる、極東支部の独立支援部隊がその計画を主導している。
私達が訪れた場所もその一つだけど、ここには既に生活居住区が存在しており、
支部外での生活を余儀なくされた人々の居場所となっていた。
"サテライト拠点"への支援は"クレイドル"を通して極東支部が行っているけど、
支部の外部居住区と比べても、その生活レベルはどうしても劣ってしまっている。
更に現在では"赤い雨"による被害も深刻で、居住区の野戦病院には数多くの"黒蛛病患者"が収容されていた。
この現況を垣間見た"ブラッド"、特にジュリウスに対し、ユノのマネージャーである高峰サツキがここぞとばかりに詰め寄ってくる。
「あの玩具の戦車みたいな移動要塞を作るコストで、ここみたいなサテライト拠点がいくつ作れると思います?」
「そもそもフェンリル本部からの支援が少ない極東支部が一生懸命血を流している一方で、」
「本部はどうして黙って見ているんですかね?」
もちろん、ジュリウスがすぐにどうにかできる問題ではない。
しかし、こうした八つ当たりを受けても仕方のない立ち位置にいるのが"ブラッド"であり、フライアだ。
そんな私達でさえ好意的に見てくれる人達はここ"サテライト拠点"にもいるけど、
当然、心の底では割り切れない部分があるだろう。
その代表のような発言したサツキさんも、去り際に"これでもあなた達には期待している"とは言ってくれたけど。
……もし私があんな形で家を飛び出さなければ、父に口添えして、ここへの支援を取りつけることも――
――頭を振って、思考を打ち消す。
何の意味も成さない仮定だ。
今の私は、フライアの末端でしかないというのに。
◇
"サテライト拠点"での一件の後、ジュリウスが本当にどうにかし始めた。
"黒蛛病"患者の極東支部への収容、専用病院の設立に、"サテライト拠点"への追加支援、設備の強化等々……
様々な案件を極東支部、フライア、本部の各方面に打診し、既に最初の一件は本部の承認を受け、実現している。
その分、ジュリウスは各案の調整に駆け回るようになったものの、その行動力には頭が上がらない。
彼が言うには、
「ノブレス・オブリージュ……これを今までの行動規範としてきたつもりだったが、今回の件でその認識が甘かったことを痛感した」
「だが、こうして知った以上、俺は"ブラッド"として、可能な限り"サテライト拠点"の支援にあたっていきたい」
「お前達にも負担を強いてしまうことになるが……どうか、しばらくは付き合ってくれないだろうか」
ということらしい。
ノブレス・オブリージュ……"富める者は、人類の未来に奉仕する義務を負う"。
ジュリウスは裕福な家庭で産まれ、幼少期に両親を亡くした後、ラケル博士によって引き取られたのだという。
そこでも"ブラッド"に通ずる選りすぐりのエリートとして育てられた半生から、彼は特にその意識が強いのだろう。
私には耳の痛い話だけど、反対する理由もなかった。
そうした経緯もあり、ジュリウスが極東支部を空けている間は、副隊長の私に"ブラッド"の運用が任せられることとなった。
シエルが補佐にいて、ロミオやナナは快く応じてくれるし、今ではギルも協力的になってくれている。
だから、何か大事でも起こらない限りは私の指揮でもなんとか……
「……副隊長、そちらの資料ではありません。こちらの資料を」
「……ダメだこりゃ」
「……ガチガチだねー」
「……」
……なる、はず。きっと。
私用の関係でしばらく音沙汰なくてすいませんでした
相変わらずの牛歩ペースだけどなんとか完結まではもっていきます
本筋に関係ない要素は出来るだけ削ぎ落とすつもりだったけどエリナちゃんには勝てなかったよ……
◇
資料よし、概要把握よし、シエルとのコンタクトよし。緊張状態は……追々。
ジュリウスは本部との通信会議のためフライアへ、ギルはハルさんと共に討伐任務へ、それぞれ出向中だ。
今回の隊長代理としての仕事は簡単な近況報告だし、もうへまはしない。
という意気込みで、先行のシエルの説明に耳を傾けていると、背後で大きな物音がする。
「ナナ!?おい、しっかりしろ!」
ロミオが叫び声を上げた先へ振り返ると、ナナが仰向けに倒れ込んでいた。
逸るロミオにジュリウスと任務担当のオペレーターへの連絡を任せ、私とシエルはナナの介抱を行う。
数刻の後、ナナは目を覚ましたものの、寝起きで気が緩んでいるのか、直前まで見ていた夢について訥々と語り始めた。
幼少期の母との思い出、母の言葉、そして……血まみれになった母の姿。
「凄い小っちゃい頃だから、色々忘れちゃったんだけどさ……私、お母さんとどっかの山の中、二人で住んでたの」
「お母さん、神機使いでね……あんまり、家にいなかったんだけどさ」
「"泣かない!怒らない!寂しくなったら、おでんパン食べる!"……ってのがお母さんとの約束でね」
「お腹いっぱいになったらあんまり寂しくなかったし……それにおでんパンたくさん食べると、お母さんが喜ぶんだ」
私とシエルの表情が綻ぶ。
そういえば初めてナナに"おでんパン"を渡された時、お母さん直伝とも言っていたっけ。
「だから……おでんパン食べるとお母さんを思い出して……凄い幸せな気分になるんだ――」
「――よっし!もう大丈夫!!2人ともありがとね!」
結局倒れた原因はわからずじまいだったけど、ナナはすっかりいつもの調子を取り戻したようだった。
ただ、今の彼女の一見単純にも見える快活さと、それに裏付けられた芯の強さの源がわかったとはいえ、少々疑問に残る点もあった。
ナナの幼い頃……極東支部がまだ発展途上だったとして。
食糧問題はともかく、仮にも神機使いであった彼女の母が、なぜ支部から離れた山中に居を構えていたんだろうか。
◇
ジュリウスとギルが帰ってきた後、ナナは不調の原因の解明のため、入れ替わりでラケル博士のいるフライアへと向かった。
ラケル博士には神経学者かつ、"マグノリア=コンパス"の長として、これまでにもナナを診てきた経験があるそうだ。
私はジュリウスに事の一部始終を改めて報告し、彼がナナについて知っていることを話してもらった。
ジュリウス曰く、ナナは"ゴッドイーターチルドレン"と呼ばれる存在であるらしい。
既に亡くなっている神機使いの両親の間に産まれた彼女は、生まれながらにして体内に"偏食因子"を宿す。
そうした人間の持つ能力が未知数であるために、当時の極東支部でも、その存在は厳重に管理されていた。
つまり、ナナの母はナナを守るため、支部外での逃亡生活を選んだということか。
通常、神機使いに投与される"オラクル細胞"には、アラガミへのほぼ唯一の対抗手段でありながら、
同じく"オラクル細胞"によって構成された、一個体のアラガミとも言える神機を制御するため、
人為的な調整の施された"偏食因子"が備わっている。
この理論を応用することで、支部や"サテライト拠点"の外壁にも、
アラガミのコアに記憶された捕喰傾向を利用し、その場からアラガミを忌避させる"アラガミ装甲壁"が備え付けられているわけだけど、
"ゴッドイーターチルドレン"が生まれながらに宿す"偏食因子"は、恐らくアラガミのそれにごく近い、天然のものなのだろう。
そのため、"ゴッドイーターチルドレン"が神機使いとなるには、新たに調整した"オラクル細胞"を投与する必要があり、
その結果、濃度が高くなった"偏食因子"は、自力での制御が困難になる。
そこで、ラケル博士が定期的なメディカルチェックを行い、薬を投与することでナナに内在する"偏食因子"を安定させてきたけど、
今になってその均衡が、何らかの要因で保たれなくなってしまった、と言ったところだろうか。
……失礼な話だけど、今まで診療とか薬とかとは無縁そうな振る舞いをしていたナナだけに、少し意外な成り立ちだった。
語り終えたジュリウスもそれに同調しつつ、すぐに真顔に戻った。
「とにかく、ナナの任務行動については調整を打診しよう」
「……お前に頼っていてばかりですまないが、ナナの事も気にかけておいてくれ」
そう告げる彼の瞳にはいつもの期待だけでなく、大切の仲間の窮地に寄り添えないもどかしさが滲んでいるようにも見えた。
◇
極東支部より東に位置する、雪の降り積もった廃寺地区。
嘗て隠れ里であった一帯の生態系はアラガミによって悉く破壊され、夜空には皮肉にも、流麗なオーロラ領域が形成されている。
今回の"ブラッド"の任務はここに出現した中型アラガミの討伐であり、
それを中心に集まる小型アラガミの増加を防ぐためのものであった。
"ブラッド"はジュリウス、私、ロミオ、ナナのα隊、シエルとギルのβ隊に分かれ、α隊は本丸の中型種討伐へ向かう。
油断はできないけど、この程度の戦力なら、今の"ブラッド"の相手にはならない。
ただ一つの懸念は、ナナが不調のまま戦列に参加していることだった。
フライアから戻ってきた彼女たっての願いだし、任務自体の難度も低いけど、どうしても不安は残る。
ジュリウスの指示の元、α隊全員が即時ナナのフォローに回れるよう立ち回りつつも、周囲の小型アラガミを排除していく。
雑魚を下した先で対峙する中型アラガミは、上半身には巨大な翼手、下半身には硬質化した二本足という、所謂鳥人のような出で立ちで、
翼手を用いた広範囲な攻撃や、掌から放たれるオラクルエネルギー弾によるアウトレンジ戦法を得意とする。
中型種の翼手を掻い潜り、攻撃を加えていく中、オペレーターからアラガミ増援の報せが届いた。
時間をかけてはいられない。
神機を銃形態に変形させた私は走る勢いのまま雪原を蹴り、一瞬で中型種との間合いを詰める。
"ラッシュファイア"と呼ばれる技法で、神機の銃身を近接パーツに換装することで得られる、特殊な移動方法だ。
今回、近接銃を用いたのはこのためだけではない。
この銃身パーツはその名の通り、敵に接近した際に大きな効果を発揮するもので、
現在私の神機には、"オラクル細胞"同士の結合を著しく阻害する"徹甲弾"の"ブラッドバレット"が装填されている。
中型種に急接近した私はヤツの下半身に狙いをつけ、"徹甲弾"を直に当てることで、その装甲を結合崩壊させた。
そのダメージに片膝をついた中型種の頭部めがけ、私の背後に控えていたロミオが、得物である大剣型の神機を振り下ろす。
中型種の討伐が完了した今、後は残った周辺の小型連中を一掃して離脱するのみ……のはずなんだけど。
アラガミの群れはリーダーを失ってなお、その数を増やしていた。
『ブラッドαへ!戦域周辺の全アラガミがそちらへ移動中!数は大型種が10以上……小型種は無数にいます!』
オペレーターの動揺がこちら側にも伝播する。
これでは、群れを形成するというより、まるでこちらを目印に集結してきているような――
"アラガミが群体行動をとるのは、「偏食場」同士が互いに共鳴し合っているためであり、――"
"「ゴッドイーターチルドレン」が生まれながらに宿す「偏食因子」は、恐らくアラガミのそれにごく近い、天然のものなのだろう。"
――まさか。
小型アラガミの胴体を刺し貫きながらも、オペレーターに、ナナのいる地点と偏食場パルス発生地点の照合を依頼する。
その間にも、廃寺地区は夥しい数のアラガミに取り囲まれてしまっていた。
「ナナ!ラケル先生からも無理しないように言われてるんだろ!?」
「俺が退路を開く!ナナ、お前だけでも逃げるんだ!」
「私だけ……逃げる……?……っ!」
照合結果が出た。
やはり、ナナのいる地点から一際強力な偏食場パルス反応が検出されている。
「……私のせいだ……私のせいでみんなが……お母さんが……!」
「うぅ……っく……っ……!」
不意に、何らかの力場を感じ取る。
しかもこれは、以前にも何度か感じた覚えのある、固有のものだ。
「――うわぁあああああああああああっ!!」
――ここら一帯のアラガミを引き寄せていたのは、ナナの"血の力"だった。
◇
――合流してきたβ隊と救援の第一部隊によって外部から退路が切り開かれ、私達は這う這うの体で"アナグラ"へ逃げ帰ってきた。
ナナは支部長であり、極東支部のアラガミ技術開発統括責任者でもあるペイラー・榊博士の手引きによって、
彼のラボラトリに運び込まれ、偏食場パルスを遮断する隔離部屋へと収容されている。
榊博士が言うには、ナナの精神状態が安定するまでは、面会も適わないそうだ。
場所は変わって、"アナグラ"のラウンジ。
近年増築された極東支部の来賓区画で、私達が支部に来た際には歓迎パーティーの会場にも使われた。
普段は9歳にしてプロの調理士免許を取得している天才料理人、千倉ムツミがラウンジを切り盛りしていて、
任務前の待機時間や、任務帰りに一息つく神機使い達の憩いの場となっている。
そんな場において、私達"ブラッド"は暗い雰囲気を漂わせていた。
ジュリウスはロビーで次の任務の発注を受けている。
"血の力"による影響が遮断されたとはいえ、その残滓が多くのアラガミを支部の周辺まで引き寄せてしまっているからだ。
「……ナナがいないと、なんか調子狂うんだよな」
重苦しい雰囲気は部隊のムードメーカーの片割れがいないせいもあるけど、その原因の殆どは、先の任務での事だった。
ナナの"血の力"の暴走。
あれは恐らく、元々ナナが持っていた"ゴッドイーターチルドレン"の性質をさらに強化させたものだ。
ナナの母親が頻繁に家を空けていたのも、ナナの力に引き寄せられたアラガミから彼女を守るためだったのだろう。
そして、その最期も……
あの時の様子だと、ナナはその頃の記憶を全て思い出したに違いない。
それが引き金となって、彼女は力の扱い方を知らないまま、"血の力"にまで昇華させてしまった。
ナナが一時期変調をきたしていたのも"血の力"の兆候だったとすれば、
やはりその責任は、"喚起"の"血の力"を持った私にあるだろう――
「……お前、もしかして自分のせいだとか思ってるんじゃないだろうな」
――という思考は、ギルにあっさり読み取られてしまったようだ。
「ナナが前から抱えてたものが原因だってんなら、どの道いつかはそいつと向き合わなきゃならない……俺や、シエルのようにな」
「お前がやったのは、その時期を少しばかり、前倒しにしただけの事だ」
「そうなりゃ俺達のやれることは……アイツがケリつけるまで支えてやって、それが終わったら迎えてやる、それだけだろ」
……そうだ、落ち込んでいる場合じゃない。
「……ふーん、たまにはいいこと言うじゃん」
「ギルの言う通りです、副隊長……ナナさんだって、あなたを責めてはいないはずです」
ナナはきっと、母を死なせ、仲間に迷惑をかけた自分を責めている。
そんな彼女を迎えられるように、ナナが安心して帰れるようにするのが私の……私達の、やるべき事だった。
「フッ……言いたいことを言われてしまったな」
「……では早速、神機使いとしてナナを安心させてやろうか」
いつの間にか戻って来ていたジュリウスの一言で、私達は立ち上がる。
任務に駆け出そうとする中で、ふと、カウンターで料理の仕込みをしているムツミちゃんの姿が目に入る。
彼女もまたナナを迎えるために、"おでんパン"を作ってくれているようだった。
"だから……おでんパン食べるとお母さんを思い出して……凄い幸せな気分になるんだ――"
――ナナの携帯端末宛てにメールを一通送り、私はジュリウス達の後を追いかけた。
◇
討伐任務を終え、"アナグラ"に帰投した私達の元に、榊博士とリッカさんが血相を変えて飛び込んできた。
私達が帰ってくる少し前、外部居住区の老朽化した"アラガミ装甲壁"から、多数のアラガミが侵入。
幸い人的被害はなかったけど、代わりに神機を持ったナナが極東支部を脱走、
"血の力"を暴走させたまま、アラガミを引きつけて逃走中なのだという。
ナナの位置はすぐに特定され、私達は再び件の廃寺地区へと向かった。
……神機使いの激しい動きに耐えられるかどうかはわからないけど、一応秘密兵器も持って行っておく。
廃寺地区に到着した私達は以前と同じく二隊に分かれ、独りで戦うナナの援護に向かう。
当然彼女は拒絶しようとするけど、そんなのは知ったことじゃない。
彼女がアラガミを引き寄せるなら、その分奴らを斃してやればいいだけの話だ。
先の討伐任務や第一部隊の協力もあり、アラガミの数は前回より目減りしているものの、まだまだ先は長い。
でも、勢いづいた今の"ブラッド"なら、やはり"この程度の戦力"だ。
◇
周辺のアラガミを一掃し、"ブラッド"全員が再び一堂に会す。
「みんな、ありがとう……」
「でもさ、ほら……私また、こんな風に迷惑かけるかもしれないから……」
しかし、ナナはまだ、気持ちの整理をつけられていないようだった。
当然のことだけど、こうして迷っているからこそ、彼女はまだ戻ってこれる。
「ばっか!そんなこと気にせず、ナナは泣きたい時に思いっ切り泣けばいいんだよ!」
「お前の"血の力"……アラガミが寄って来るって能力なんだろ?索敵の手間が省けるってだけじゃねぇか」
「帰りましょう、ナナさん……いえ、ナナ」
ロミオ達が口々にナナを受け入れるも、彼女は中々首を縦に振らない。
「でも……でも……!」
そこで、私はダメ押しとして、ナナに秘密兵器を差し出す。
ムツミちゃん手製の"おでんパン"。
流石に少し崩れてしまっているけど、食物としての形はしっかり保持していた。
何の冗談だと思われてしまうかもしれないけど、
ナナの心を溶かすには、彼女と一緒に帰るにはやっぱり、これしかないと思ったから。
「……!」
ナナはゆっくりと、しかし確実に"おでんパン"を受け取り、その口へ運んでいく。
「えへへ……冷めちゃってるよ」
「……でも、おいしい……すごく……おいしいよ……」
「ありがとう……」
ナナは涙ながら、笑顔で応えてくれた。
◇
この件以降、記憶が戻ったことでどこか変わってしまった部分もあるんじゃないかと危ぶむ声もあったけど、
ナナは相変わらず明るい性格のまま、今日も口いっぱいに"おでんパン"を頬張っている。
精神的成長は間違いなくあるだろうけど、変化した部分を強いて挙げるなら、
以前と比べ、私達に対する遠慮がなくなったことぐらいだろうか。
彼女を悩ませていた"血の力"も、精神的に吹っ切れたことで完全な制御が出来るようになり、もう隔離室に入る必要はなくなった。
また、母の死と改めて向き合った影響なのか、現在は自分だけの創作料理のレパートリーを増やしたがっているようで、
私もその開発に度々付き合わされるようになった。
ただ、彼女が私に味見をと差し出すのは料理とは名ばかりの珍味アイテムばかりで、そこは少し勘弁してほしいんだけど。
試しにリッカさんへの相談も提案してみたものの、
それはそれでとんでもないものが出来上がりそうで、むしろ恐々とすることになってしまった。
ナナ編とロミオ編はギル編ほど表立って主人公が活躍しないから中々難しい……
ほぼ漫画版のコピペみたいになっちゃったけど
それぐらいナナ編の完成度が高いのでGE2漫画版3~4巻を買おう(ステマ)
◇
「……あのさ……一緒に任務行きたくない人って、いる?」
世界の果ての、しかもたった一地区に寄り集まったアラガミを排除したところで、人類の戦いが一時的にでも止むはずはなく、
私達神機使いはいつも通り、任務続きの日常を過ごしている。
そんな中、幾度目かの共同任務を終えた帰りに、エリナがこんなことを聞いてきた。
状況が状況だけに、鎌でもかけられてるんじゃないかと狼狽えたけど、どうやら別の話らしい。
「いや、アンタと行くのは別に……悪くは、ないけど」
「……そういうんじゃなくて!ほら、その人が好きとか、キライとかさ、あるでしょ。そういう気持ちの話」
……やっぱりそういう話じゃ?
まぁそれは置いておくとして、好きな人、ね――
"……お前、もしかして自分のせいだとか思ってるんじゃないだろうな"
――ああいう時は、ちゃんとこっちを見てくれるんだけどな。
……違う。彼は関係ないだろう。
「――でもさぁ、相手がそうだったら?向こうがこっちを嫌ってたり、好きだったり……」
話を少し聞き流していたらしく、また変に動揺してしまう。
「さっきからどうしたの?……まさか、アンタにも心当たりがあるとか?」
「……とりあえず、さっきの続きなんだけどさ、その相手がものすごーく気を遣ってくる人だったりしたら?」
続きを言い淀んでいるのか、エリナはその場で少し、しおらしくなる。
急かす理由もないので大人しく待っていると、彼女は再び語り始めた。
エリナには、尊敬する神機使いの兄がいた。
彼はエリナ曰く、優秀で華麗なゴッドイーターだったけど、3年前に出撃した任務を境に、帰らぬ人となってしまう。
兄の死をきっかけにエリナは神機使いを志し、その目的を果たすも、彼女には悩みがあった。
ソーマ・シックザール。
ナナとはまた違った、特殊な経緯で体内に"偏食因子"を宿した人間で、
"感応現象"にある程度の耐性があることから、"ブラッド"が来る以前の極東支部では対"感応種"の要として活躍していたらしい。
現在は"クレイドル"の所属として、特異なアラガミの調査のために極東支部を離れていることが多いとも。
そのソーマさんこそが、エリナの兄が死亡した任務に同行していた神機使いであり、
今度の任務の参加メンバーには彼とエリナが組まれているのだという。
神機使いは死と隣り合わせの職業であり、エリナも身を持ってそれを経験したことから、彼女にソーマさんを責める気は毛頭ない。
しかし、彼は目の前でエリナの兄を死なせてしまった事に責任を感じ、必要以上に忘れ形見のエリナを気遣っている。
ここまで聞けば、エリナの言わんとすることはわかる。
私は彼女の付添として、その任務に同行すると約束した。
役に立つかはわからないけど、仲間の事情に首を突っ込むのには慣れている。
「私、上手く話せないかもしれないから……お願いします……!」
それに、成り行き上の関係とはいえ、かわいい弟子の頼みを聞かないわけにもいかないだろう。
恐らく目的とするところは違うだろうけど、彼女を妹分扱いするエミールの気持ちが少しわかった気がした。
……兄、か。
神機使いになる前、私にも兄がいた。
兄さんもまた、確かな資質を持った人物で、
実家では何かと押しつけがましい父と、それに対し、物言わぬ反抗心を秘めていた私の間に立つことが多かった。
私としては、どうあっても父に逆らえない事を思い知らされているようで嫌だったけど、
そうした兄さんの人柄は尊敬している。
私がいなくなったことで、また変な気を回してなければいいんだけど。
……エリナといると、どうも余計な事を考えてしまう場合が多いような気がする。
◇
ソーマさんの極東支部での滞在期間は短い。
故に、エリナとの約束の時はすぐにやってきた。
「――前衛は俺と、お前でやる」
「エリナは後方射撃で支援してくれ」
「……はい」
今回、私達に与えられた任務は複数の小型種、中型種の掃討。
ソーマさんには調査に必要な物資の調達として、別の目的があるようだけど、今回はさておく。
彼とは会うのも任務に行くのも初めてだけど、その無愛想な態度からは、不思議と威圧感や圧迫感がない。
むしろ、相手への気遣いがありありと見えるようで、エリナが事前にしていた話に納得する。
ソーマさんの指名の後、エリナがこちらに、不安げな視線を送る。
だけど、それに私が応えて、ソーマさんに訴えかけることはできない――
"ソーマさんとの任務なんだけど、アンタは……あなたは着いて来てくれるだけでいいの"
"まぁ、心細いから着いて来て、ってだけでも相当我儘なんだけどさ……私の気持ちはもう決まってるから"
"それだけでも自分の手でケリつけたいじゃない?……だから、見守っててください"
――それが任務の前に交わした、彼女との約束だからだ。
なので私は、根拠のない笑顔をもって、エリナに返事をしておくことにした。
少しは、彼女の気も紛れたようだ。
◇
討伐対象を掃討し、ソーマさんも自分の目的を完了させたことで、私達は任務を終える。
結局、任務中においても過保護なソーマさんにエリナが逆上、神機使いとしての意思を表明したことにより、
エリナはソーマさんの対応を改めさせることができた。
"バカにしないで"だの"私のスピアは飾りじゃない"だの、エミールを相手取った時のような剣幕でエリナは捲し立てていたけど、
そのぐらいで気分を害すソーマさんでもないだろう。
それどころか、真っ向から自分の甘い態度に歯向かってきたエリナに対し、喜ぶ素振りすら見せていた。
「あのっ……お疲れ様でした!」
「ああ、お疲れ」
「……また、頼むな」
「!……はい!今日は、ありがとうございました……!」
フィールドワークがあるというソーマさんと別れ、私達は二人きりになった。
今になってさっきは言い過ぎたんじゃないかと不安がるエリナを宥めつつ、私は彼女と出会った当初の頃を振り返る。
もしエリナがあの頃のままであったなら、ソーマさんは以降も、必要以上に彼女を気遣い続けただろう。
そうならないように一歩踏み出したのは、他でもない彼女自身だ。
――手が差し伸べられるのを待つだけだった、私とは違う。
言いたいことを言えばいいという私の言葉に安堵したのか、エリナは以前よりずっと素直な態度で、私に帰投を促してくる。
弟子とはいってもほぼ同期の神機使いなんだし、私も負けてられないな。
とりあえずエリナちゃん成長記終了まで
◇
フライアで私とシエル、極東支部に来てからはギルとナナが"血の力"に目覚め、"ブラッド"はより強大な戦力となった。
それに伴い、"血の力"を応用した連携戦術や任務環境の理解など、チーム単位での戦闘効率も上昇している。
これには今までの任務と訓練による練度の向上もあるだろうけど、隊員同士の信頼関係の構築も起因しているはずだ。
特に廃寺地区での一件以降、隊内での交流が今まで以上に増えてきた感がある。
ついこの間の話だと、"アナグラ"で飼われている、カピバラという希少な野生動物の持つ"癒し"について、
あのジュリウスが進んで参加し、ナナやシエルと語らっているのが印象的だった。
まぁ、そんな和気藹々さを余所に、相変わらず喧嘩腰な二人組もいるんだけど。
フライアでの諍いがあって以降、ギルとロミオの関係は依然として微妙なままだ。
ナナの援護に向かった時はそんなこともなかったんだけど、彼女が復帰する頃には元通りになってしまっていた。
ロミオはギルに対してだけは変わらず刺々しく、彼の経験からくるアドバイスにも不満気味だし、
対するギルも極東支部に来てから丸くなったとはいえ、ロミオの売り言葉に買い言葉で応酬してしまう短気な部分がある。
それに最近では、ある事柄が彼ら2人のみならず、私達"ブラッド"との摩擦に拍車をかけていた。
◇
既に覚醒していたジュリウスを含め、"血の力"を得た"ブラッド"は5人。
1人取り残される形となったロミオは、その事実に焦っていた。
言い訳になってしまうけど、私の"喚起"によって"血の力"が呼び覚まされる明確な条件やタイミングは、未だに判然としていない。
実際、ロミオからの頼みで何度か任務に同行したことはあるものの、目に見えるような効果は表れなかった。
今まで目覚めた3人の例を考えると幾らか共通項がないわけでもないけど、何にせよ、意図的に起こせるようなものではない。
開発者のラケル博士でさえその詳細を把握出来ていない現状では、結局時間的な解決を見るより他になかった。
だから焦ったって仕方がない、もうしばらく様子を見ようよ。
とは軽々しく言えないのが私や、他の"ブラッド"の悩みの種になっている。
今の彼にとって自分は"持たざる者"で、仲間は皆"栄光を得た者"なのだ。
そんな私達がロミオに気休めの言葉をかけたところで、彼の目には高みからの余裕や憐憫としか映らないだろう。
たとえ心のどこかで、仲間達の本心に気づいていたとしても。
そして現在、ロミオの焦りは、彼の精神を確実に蝕んでいた。
状況を顧みない独断専行、作戦指示の聞き流し、明らかに身についていない戦法への急転換……
彼自身は何でもないかのように振る舞っているつもりで、私達には絶好調だと嘯くけど、流石にこれ以上は看過できない。
ジュリウスは"黒蛛病"対策の研究を進めるべく、フライアへのアラガミ素材の搬送を行っているため、
しばらく極東支部を離れている。
ギルも務めて穏便にロミオの説得に当たっていたけど、普段の関係もあり、効果はさほど望めないようだった。
私が、何とかしないと。
◇
進歩のない現状への焦り、資質を持つ者への羨望、着いていかない肉体。
おいそれと指摘できないのは私達共通のものとして、私個人としては、ロミオのそうした状況にどこか既視感を覚えていた。
記憶上の人物の人物を辿ってもその解は出ない。
でもこれは、私が神機使いになる決心をした時から、ずっと心の奥底で引っかかっている何かと、よく似ているような気がした。
その何かを深く探ろうとすると、自らの理性が強く制止をかけてくる。
――末端部でも心を暴けば、私はすぐに身動きが取れなくなる。今はこれで、いや、以降もこのままであるべきだ。
――今まで通り、何も考えずに力を振るえばいい。悩むことなく、周りに善人面でも振りまいておけばいい。
理性が邪魔をして、既視感の正体に辿り着けない。
辛うじて指先だけ輪郭に触れることはできても、本体を掴み出すことも覗き見ることもかなわない、もどかしい状態。
それでも我慢しようと思えば抑え込めるけど、今はロミオの様子を見る度に輪郭部分が引掻かれる。
度重なる自制と本能の現出に理性が摩耗し始め、私は苛立ちを覚えるようになっていた。
だからだろうか、私がロミオを諭そうと彼を"アナグラの"自室に呼び出した際には、思いがけず口論を起こしてしまった。
「――シエルも、ギルも、ナナも、別に"血の力"を欲して手に入れたわけじゃないよ」
「だから、ロミオにだって」
「"赤い雨"に曝されて、強いアラガミとやり合って、"アナグラ"から抜け出せってのか?」
「入隊してすぐに"血の力"を手に入れた奴はいいよな、先輩に上からものを言えてさ」
「そういうことを言ってるんじゃなくて……!」
最初は気のない返事を繰り返すだけだったロミオも、こちらの追及に苛立ちを隠せなくなってきている。
もはや彼にとっては挑発にしかならない諫言を繰り出しては、素気無く受け流される生産性のない舌戦。
なのに、
「――自分だけが不幸だなんて思わないで」
何故こんな台詞が口を突いて出たのか自分でもわからない程、私は感情的になっていた。
しかし、ロミオにとってはこれが意図せず効果的だったようで、分かりやすくたじろいでいる。
「……う、うるさい!しつこいんだよ!いつもは周りにいい顔してるだけのくせに!」
「自分だけが不幸じゃない?私も苦労してますってか!自分の事は何一つ話さないのに、そんなことがわかってたまるかよ!!」
「……そうだよ、どうせお前だって――」
「――神機使いになる前は、何も変えられなかった奴なんだ」
一瞬、心臓を強く掴まれるような感覚が私を襲った。
二の句が継げなくなる。
「図星か?こんな説教してくるぐらいだから、心当たりはあるんだろうけどさ」
「……それが"ブラッド"に入ってからは大成功かよ、くそっ」
「俺だって、俺にだって居場所があるはずだったんだ……!それを、お前が――」
そこまで言いかけて、ロミオがハッと我に返る。
おずおずと相手の様子を見やった後、
「……わりぃ、言い過ぎた」
気まずそうな表情を作りながら、足早に部屋を出て行った。
対する私はそんな彼を見送ることも出来ず、ただその場に立ち尽くしていた。
ロミオが私達に羨望を持っていると仮定しておきながら、
彼が私個人に対し、あそこまで強烈な敵意を抱いていた事を想定できていなかった、というのもある。
"俺だって、俺にだって居場所があるはずだったんだ……!それを、お前が――"
思えばそれは、私が早期に"血の力"に目覚め、シエルを導いた時点から、ロミオが感じていたことなのかもしれない。
1年前からジュリウスの影に隠れ、やっと後輩が出来たかと思えば、次々と後から追い抜かれていく。
その流れを作り出した元凶に頼ってみても、自分には"血の力"の兆候すら表れない。
全てではないにせよ、私に怒りの矛先が向くのは当然の帰結であるように思えた。
でも、私が受けた衝撃の本質はそこじゃない。
神機使いになる前の、何もできない、あるいは、何もしなかった自分。
父に言われるがまま従って、内心では使うことのない牙を研いでいた過去。
今まで乗り越えたつもりでいたけど、そうじゃなかった。
過去を忌避して、思い出そうとする度に振り払って、無意識の内に触れようとしないだけだった。
身体から緊張が抜け、その場に崩れ落ちるようにして座り込む。
私はロミオに、嘗ての自分の焦燥を投影していた。
それを少し突かれただけで、この有様だ。
ただ怯えるだけの私に、今のロミオを変えられるはずがない。
だから私は、この後彼が起こした行動を止めることも出来なかった。
ロミオ脱走5秒前まで
言う程隊長とロミオって絡みないよなと思って付け足したら余計にロミオが嫌な奴になってしまった…
◇
「いやー、楽勝、楽勝!もう"ブラッド"に敵なしって感じ!」
その日何度目かの任務を終え、私達"ブラッド"は"アナグラ"に帰投していた。
シエルはローテーション上非番のため、この場にはいない。
先日の口論で思う事があったのか、調子を多少取り戻したようだけど、ロミオの危うさは変わっていなかった。
今回も結果だけ見れば上出来な任務の成果を、彼は空元気で周囲に吹聴している。
「……ん?何この空気」
その過程を知る私達の中に、諸手を挙げて賛同する者はいなかった。
「……先輩、なんか最近おかしくない?」
見かねたナナが、おずおずと口を開く。
「いやぁ、別に?だってさ、あのジュリウスがいなくたって生還率100%なんだぜ?」
「これは明らかに"ブラッド"としての実力だよ!」
答えになっていない。
確かにチームとしての連携行動は"ブラッド"の課題だったけど、今は。
「―――」
「……あぁ、もちろん副隊長の指示もいい感じだよ!」
私は、ロミオに何も言えなくなっていた。
感覚の正体を知った今でも、彼の空回りぶりを見る度に胸の内側がざわつく。
だけど、またあの過去を実感するのが、怖い。今の自分を剥ぎ取られるのが、恐ろしい。
結局、私の自衛手段は今まで通り、考えないようにすることだけ。
"ブラッド"の副隊長として、求められた事をこなすしかなかった。
――それは家を飛び出す前と、何が違うんだろう。
「おいロミオ……さっきの任務、なんなんだよ……全然なってねぇ」
気づけば、ギルが怒気を纏わせた口調でロミオに詰め寄っていた。
彼も今までは譲歩してロミオを諭していたはずだけど、明らかに腹を据えかねている。
「あんま固いこと言うなって……頼れる後輩もいることだし、もっとこう、余裕を持ってさー」
「余裕と油断は違うだろ」
しんと静まり返った場の空気に、一筋の亀裂が走る。
今のギルなら、地雷を踏み抜きかねない。
「ギ――」
「……後輩に抜かれまくってやる気がなくなったのか?」
「だったらいっそ、やめちまえよ」
私より先にナナが制止をかけようとしたけど、遅かった。
静寂が、再びこの場を包み込む。
数秒の沈黙の後、口火を切ったのはロミオだった。
「――やる気が、ないだと?」
「取り消せよ……」
「何?」
拳を強く固めたロミオが、そのまま距離を詰めていたギルを殴り倒す。
「っ……何しやがる!」
「……お前になんか、わかるわけないんだよ!!後から来た奴に抜かれまくってることなんか、この俺が一番っ!!」
「それでも何か出来る事はないかって……俺は必死に探してるんだ!」
「俺にはお前やシエルのような経験はないし……ナナみたいに開き直れるほどの大物でもない……」
「ましてやコイツみたいに!さっさと"血の力"に目覚めて、怪物みたいなジュリウスに肩を並べるなんてことも……!」
一瞬、私を見てばつの悪そうな表情をするも、堰を切ったロミオの激情は止まらない。
「俺だって皆の役に立ちたいよ!胸を張って、皆の仲間だって……!」
「……俺は役立たずで、どこにも、居場所なんか……なくて……っ」
やり場のない怒りを湛えたまま、ロミオは私やナナにも構わず、その場を飛び出す。
それきり、彼は神機も持たないまま、"アナグラ"をも抜け出してしまっていた。
◇
何時かと同じく、暗く沈んだ雰囲気のラウンジ。
窓から見える空には例の赤い積乱雲が広がっており、このイレギュラーの出現によって、ロミオの捜索は直前で打ち切られた。
ジュリウスにも既に連絡はしてあるけど、あちらもほとんど同じような状況だ。
とはいえ、ロミオの腕輪に搭載されたビーコンの反応は既に確認されていて、迎えに行くこと自体は容易になっている。
……彼が"赤い雨"に曝されるか、アラガミに襲われるなんてことがなければ、だけど。
結局、腫れ物に触るような扱いで接していても、彼にとっては逆効果だった。
今回はギルの言葉でロミオの不満が噴出する結果になったけど、あのまま状況が進んでいれば、ロミオが自滅する可能性すらあった。
だから多少強引にでも、それこそギルの時のように彼と向き合わなければいけなかったのに、
私の弱さのせいで、こうして危険に晒すことになってしまった。
これでは副隊長として、立つ瀬がない。
――ここでの私の存在意義が、揺らいでしまう。
「……現在、ロミオの扱いは脱走兵、ということになるのでしょうか」
「脱走兵……!?」
「理由はどうあれ、許可もなく極東支部を抜け出していますから……最悪の場合、神機が剥奪される可能性があります」
「それに、ロミオの"偏食因子"の投与リミットも心配です」
「このまま戻ってこなければ、時間切れでアラガミ化ということも……」
「そんな……」
シエルの推論を聞き、ナナが項垂れる。
状況は違えど、嘗て自分が起こした行動と重ねている部分もあるのだろう。
神機使いは神機を制御するために、体内に"オラクル細胞"を注入されるけど、
それは自らの身体をアラガミ化させてしまう危険性をも孕んでいる。
退役か、重大な命令違反を起こせば神機は手放せるけど、
体内の"オラクル細胞"を安定させる"偏食因子"の投与は、生きている限り定期的に行わなければならない。
つまり、基本的に神機使いはフェンリルの設備がないと生きていけないわけで、
私達の腕輪を、主人に繋がれた鉄枷として見る人もいる。
フェンリル本部がもはや人類の盟主たりえる以上、それは神機使いに限った話ではないんだけど。
そして、神機使いのアラガミ化という事柄に敏感な男が、ここに一人。
「……おい、少し付き合え」
「ギル!副隊長に八つ当たりしたってしょうがないよ!」
「……そんなつもりはねぇよ」
的外れなナナの抗議を尻目に、私はギルと共にラウンジを後にした。
◇
「――失礼しました」
ギルと共に、支部長室を退室する。
彼に連れられ、初めに向かったのはロミオの処遇に関する、榊博士への打診だった。
博士はあっさりと、ロミオの脱走を彼の休暇として処理してくれたけど
私達の諍い事に感慨深そうな反応を示したり、"赤い雨"の研究について何か言いかけてやめたりと、
無造作な白髪頭に狐目という、彼の特徴的な風貌に見合った捉えどころのなさを発揮していた。
善人には違いないんだけど、博士のふとした所作にはどぎまぎさせられる。
極東に来て間もなかった頃。
興味本位で"アナグラ"のデータベースの情報を漁っている中、博士に音もなく背後に忍び寄られ、
「本部の特殊部隊が配属早々、極東の情報収集とは……感心だねぇ」
と声をかけられた時は、心臓が止まるかと思った。
それはともかく、役員区画の廊下に出た私は、改めてギルに用件を聞く。
「ま、大した用事じゃないんだがな……お前には何かと世話になってるし、まだ素直に話せると思ったんだ」
「……正直、アイツには言い過ぎたと思ってる。すまなかった」
「……そんな顔しなくてもわかってる。ロミオには改めて、ちゃんと謝るさ」
私の怪訝顔につられて、ギルが苦笑する。
尤も、今回はロミオの扱いに対して及び腰だった、私の方にも責任がある。
「お前、また……まぁ、今回は俺の言えた義理じゃないが」
「……初めて会った時は、いきなりグラスゴーでの事を詮索されたのもあってな、気に入らねぇガキだとしか思ってなかった」
「アイツ、年の割には落ち着きがないし、無暗に騒がしいし、見てられないだろ」
……まぁ、それは、うん。
何か否定しなきゃいけない気もするけど、とりあえずは同意しておく。
「それでも、こんだけ一緒にいりゃと認識も変わってくるもんでな……」
「特に、吹っ切れた後は……そうだな、アイツを弟分として見るようになった部分が、確かにある」
弟。
自分の耳を疑ったけど、ギルが目深に帽子を被り直している辺り、その発言は真実のようだった。
「……家では一人、グラスゴー支部には先輩の神機使いばかり」
「兄弟の感覚なんてものは、精々俺がハルさん達に弟分として可愛がってもらった程度だった」
「だが、ある程度年を取って、少し落ち着いた後にロミオを見るとな……どうしようもない奴なんだが、ほっとくこともできない」
「その時になって、ハルさん達が俺を見ていた時の感覚がわかるような気がしたんだ」
「だから、アイツにはそれとなくアドバイスをしてきたつもりだったんだが……上手くいかないもんだな」
ギルが自嘲気味に笑う。
考えてみれば年もそんなに離れていないし、反抗期の弟を持った口下手な兄、という風に見れないこともないような。
その想像が可笑しくて、思わず表情に出てしまう。
「まぁ、お前相手だから話せたんだ……アイツらには、言うなよ?」
そう言って珍しく冗談めかすギルの瞳に、私の姿は映っていなかった。
こんな事を気にしてる場合じゃないんだけど、その時の私は少し弱っていて。
彼と笑い合いつつ、胸の奥がちくりと痛むのを感じた。
「――大丈夫、大丈夫!今のでばっちり聞いちゃったから♪」
「……ギルも、しっかりロミオを想っていてくれたんですね」
だから、ナナとシエルの突然の登場は、私にとってはいたずらに余韻を引きずらなくて済んで、ある意味助かったかもしれない。
「お前ら……尾けてきやがったのか」
「さっきがさっきだったから、ちょっと不安でさ……副隊長、邪魔しちゃってゴメンね?」
何でそこでナナが私に謝るのか、皆目見当がつかない。いや全く。
「……先ほど、極東支部付近の、"赤い雨"の通過が観測されました」
「それとほぼ同時に、アラガミの出現も確認されています」
「皆あんまり喋んないから、どうにも暗くなっちゃうんだよねー……副隊長、早く迎えにいこ!」
「聞かれちまったもんは仕方ねぇか……行くぞ」
引け目や恐れ、コンプレックスの助長。
ロミオとの間には、色々と悔恨を残してしまったけど。
彼がそれらを受け入れてくれるかどうかは、とりあえず連れ戻してから考えることにしよう。
私はどうあれ、彼らのつながりを絶つことはしたくなかった。
◇
アラガミの出現が確認された旧市街地にて、私達はロミオが脱走した時の顔ぶれのまま、1日ぶりに彼と再会した。
「……説教は後にする、まずは仕事だ」
「もう、ギルが一番そわそわしてたくせにー……ロミオ先輩、私はチキン5ピースで許してあげるから!」
先ほどまでのやりとりを考えると、どうにも締まらない感じだけど、彼らの表情には一様にして、安堵の色が浮かんでいた。
「……俺、後でちゃんと謝るから」
「皆、力貸してくれ!」
芯の通った声が、私達の間に響く。
ロミオは雨宿り以外にも何かを掴んできたようで、以前の悲愴さは見る影もなかった。
◇
アラガミの討伐を終え、ロミオの元に私達が集まる。
今回の相手はガルム種と呼ばれる大型種別のアラガミで、嘗て私が対峙した"感応種"と系譜を同じくする、狼の姿を象ったアラガミだった。
他の系譜に連なる"感応種"とは何度か交戦したものの、件の狼型とは未だ再戦の機会がない。
類似した外見と、似通った戦法を用いる今回の大型種との戦いで、改めてそのことに対する不安がよぎったけど、
今は完全に復調した、ロミオの帰還を素直に喜ぶことにした。
そのロミオは今、自分を迎えに来た仲間たちに対し、言葉を詰まらせている。
「……皆……俺……」
彼の様子を見て、ギルがすかさず殴りかかる……ということはなく、目の前に差し出した握り拳で、ロミオの額を小突いてみせた。
「お前の休暇届は勝手に出しといた……これは貸しだ、もう二度とするなよ」
「……今日はいい動きだった、この調子で頼む」
言うだけ言って、ギルがその場を立ち去っていく。
それを見やり、ナナが抑えめの声でロミオに呟いた。
「ギル、ずっとロミオ先輩のこと気にしてたんだよ……言い過ぎたって」
「……さ、帰ろ!ロミオ先輩がいないと、皆無口だからやりづらくてー」
ナナの暖かい言葉に、今にも泣きだしそうな顔のロミオが、今度は私の方に視線を向ける。
積もる話も色々あるけど、
「帰ってきて、いいんだよ」
今はこれだけ、伝えておいた。
「……そう、だな……よっし!元気よく帰ろう!」
彼らは、再び、歩み出す。
「あ、そうだ!帰ったら例の約束、よろしくねー!」
「例の約束?なんだっけ?」
「えぇー、約束したじゃん!チキン8ピースだよー!」
「こっそり増やすなよ!5ピースだったろ!」
「やっぱり覚えてたんじゃーん!……まぁ、間を取ってー、7ピースってのはどう?」
「ナナだけに?」
「……先輩、それはちょっと」
「ごめん……」
「……何やってんだ、さっさと帰るぞ」
見上げた先には、抜けるような青空が広がっていた。
ロミオ編終了と見せかけてもうちょっとだけ続くんじゃ
オリ掛け合いの割合が増えてきているのでその練り込みに投下時期が不安定になっております……少し前から既にですが
もはや誰も見てないだろうけど一応
◇
ロミオが"アナグラ"に帰還してから、数日が経った。
彼に依然として"血の力"の目覚めは確認できないものの、ロミオはその事実を受け入れ、糧にするという精神的な成長を果たした。
それらの成果からか、彼の作戦行動の面においても、
味方への支援だけでなく、単独での戦闘術や、作戦指示などについての理解度が大幅に改善されている。
そうした模範的ともいえる任務態度に加え、彼が元々持つフランクな性格もあって、
ロミオは"アナグラ"内では若手ながら頼りがいのある神機使いとして、周囲に認知され始めているようだ。
また、以前までの懸念材料であったギルとの関係も、相変わらずしょっちゅう言い合いをする仲ではあるものの、
私達が笑って見ていられる程度には収まりがついていた。
そして私は、そのロミオと改めて話し合うことについて、中々踏ん切りがつかずにいた。
彼が脱走先でどんな経験をしてきたかわからないけど、今のロミオの姿に、私が無意識に過去の自分を重ねることはない。
ただ、一度喧嘩別れのような事態を起こしたまま、ここまで何の釈明もなく来てしまったがために、
互いにどこか引け目を感じながら接しているのが現状である。
流石に隊長代理として、"ブラッド"を総括する面で支障が出るほどじゃないけど、
それ以外の場面では、エリナの指導や他の神機使いとの共同任務を言い訳に、ロミオと話し合う機会を何となく避けてしまっていた。
そんな中、フライアへのアラガミ素材搬送に出ていたジュリウスが、ラケル博士を伴い、数日ぶりの帰還を果たした。
副隊長として、私が先行して二人を迎えに行くと、再会の挨拶もそこそこに、ラケル博士がある案を提示する。
「ロミオが"血の力"に目覚めない事を気に病み、一度"ブラッド"を離れようとしたとか……」
「歩みは人それぞれ、急かすつもりはありません……ただ、もしその事でロミオが隊にいづらいのであれば」
「……"ブラッド"の任を解き、極東支部の部隊に組み込んでいただくよう、榊博士にお願いすることもできますよ」
少なくとも、それをロミオが望んでいないのはわかる。
ラケル博士なりの気遣いだという事は見て取れるけど、ここは私が――
「いえ、その必要はありません」
「ここにいる副隊長をはじめ、シエルもギルも、ナナも……そしてロミオも、全員がかけがえのない存在です」
――強い口調で、ジュリウスが機先を制する。
「数多のアラガミを斃し、数々の危険を乗り越えられたのは、ひとえに、"ブラッド"が完璧なチームだからです」
「"ブラッド"の中に至らない者がいれば、私が守るだけのこと」
「……誰も、脱落させはしません」
ジュリウスは、ロミオの脱走騒ぎについて、詳細まで知っているわけじゃない。
しかし、彼の言葉には、傲慢さや、その場限りの出任せを一片も感じさせない、高潔な意志の力が宿っていた。
「そう……ジュリウスがそこまで言うのであれば、あなたの意見を尊重しましょう」
「ありがとうございます……では、俺はここで」
ラケル博士の案内を私に任せ、ジュリウスは"ブラッド"隊員が集うロビーへと向かって行った。
恐らく、彼が率先して発言したのには、そう動いた方がラケル博士の信頼を得やすい、という意図もあったんだろう。
"サテライト拠点"での一件といい、ジュリウスの意志決定力は尊敬にも値する程だけど、
その一方で、少し、妥協をしなさ過ぎているような気もする。
ただでさえ"ブラッド"全体が揺らぎかねない事件が連続している現状で、その頑なさにむしろ追い詰められないといいんだけど。
……うん?"ラケル博士の案内を私に任せ"?
気づけば、私は稼働中のエレベーターの中で、ラケル博士と二人きりになっていた。
展開が自然すぎて反応が遅れてしまったけど、この流しっぷりも彼の才なんだろうか……
「……そろそろ、よろしいかしら」
あ、はい。
「実はあなたにお願いしたい事があって来たの……一緒に、来ていただけますか?」
◇
「――急に呼びつけてごめんなさいね……早速、本題に入りましょう」
ラケル博士に依頼され、私は久々にフライアを訪れていた。
その外観、内装は、"黒蛛病"専用病院の整備に慌ただしくなっている以外、私達がいた頃と何ら変わりはない。
「榊博士の助言もあって、"赤い雨"の発生時期やその規模が、高い精度で予測できるようになりました」
「そこで、次は――」
ラケル博士から私に課せられた特殊任務、所謂"特務"は一つ。
「――おお、貴方ですか!?素材採取に協力してくれる"ブラッド"の方というのは!」
"神機兵"開発に必要な、特定のアラガミ素材を採取すること。
しかしそれは、彼女の姉でもあるレア博士が主導の有人制御の運用方式ではなく、
「初めまして、私は九条……あっ!その緑がかった金髪!!貴方は私の"神機兵"に無断で乗り込んだ……!?」
「……まぁ、ラケル博士に免じて水に流しましょう……私とラケル博士のこれからをよろしくお願いします!」
その反対派閥である、九条ソウヘイ博士の推し進める、無人制御式"神機兵"への開発協力だった。
市民の声や神機使い達からの批判もあり、
どうやらフライアの上にいる本部は、一見してリスクの少ない無人制御式"神機兵"の運用を優先する意向であるらしい。
どちらの方式であれ、人類の平和実現に貢献できるのであれば助力を惜しまない、というのがラケル博士の考えであるようだけど、
妹が自分の反対勢力に与していると知ったら、レア博士はどんな顔をするだろうか。
「あ、いや……これからの研究って意味ですよ?"神機兵"のね!はっはっは……」
その反対勢力のトップが、妹に何やらよからぬ想いを抱いている事も含めて。
◇
"特務"の目標アラガミの数体目かを討伐し、九条博士に採取した素材を渡した後、私はフライアの高層庭園に腰を落ち着けた。
この庭園は、フライアの高層フロアに位置する憩いの場で、周辺には今日日見ない草花達が生い茂っている。
神機使いになってからこっち、独りでいるのは、この庭園でジュリウスと改めて出会って以来だった。
当然、"特務"に向かうのも私だけ。
ただ、討伐対象は最大でも中型アラガミが複数体という程度なので、私1人でもどうにかなっている。
また、素材採取のついでとして、今まであまり使ってこなかった神機パーツの使い勝手も試していた。
私達神機使いの、その中でも"新型"と呼ばれる第二世代以降が扱う神機は、
アラガミのそれと同質である神機のコアを中心に、刀身、銃身、装甲の3パーツで構成されている。
神機使いに接続された腕輪の役割は、ただ"オラクル細胞"の投与口というだけではない。
腕輪は神機と神機使いをつなぐ媒介としての役目も持っており、腕輪を通じて神機使いの脳波が神機に伝達、
神機を構成する"オラクル細胞"の移動による、刀身と銃身をそれぞれメインにした、遠近両方の形態変化を実現する他、
近接形態に限り、装甲パーツを展開してアラガミの攻撃から身を守ることも出来る。
更に、神機にはアラガミとしての性質を利用した、捕喰機能が備わっている。
これを用い、近接形態でアラガミを攻撃すれば、銃形態で扱うオラクルエネルギーを補填することが出来る。
また、これも近接形態に限った用途ではあるけど、完全に捕喰目的に割り振られた捕喰形態に神機を変形させ、アラガミを喰らえば、
神機と身体のオラクル細胞を一時的に活性化させるバースト状態になれる他、捕喰した細胞を、銃形態での弾丸として精製する事も出来るのだ。
そうした神機を構成する3パーツにはそれぞれ種別があり、
私は主に一撃離脱重視の槍、オラクルを温存でき、ここ一番で大火力を叩き込める重火銃、バランスよく扱える大盾を用いている。
仲間内では同じく槍使いのギルや、アラガミの索敵範囲外からの攻撃を可能にする狙撃銃を備えたシエルなど、
特定の神機パーツの扱いを得意とする神機使いはいるけど、戦場での不備を考慮してか、パーツの換装を積極的に行う者は少ない。
ただ、それを臨機応変に使い分けられる域にまで達すれば、
アラガミの種別ごとへの対応も容易になるし、その都度味方への万全のサポートも行えるはず。
そうした思惑もあり、隊の枠組みを離れて独りでいる時期を見計らって、このような試行錯誤を行っているわけだ。
銃身パーツの換装は以前にも何度か試しているけど、立ち回りの根本が変わる近接パーツの扱いは中々に難しい。
特に槌型の近接パーツは破壊力と加速力を兼ね備えた強力さは持っているものの、
パーツに内蔵されたブースト機能の制御が困難で、訓練場にて何度も練習した後、初めて実戦に持って行った程だった。
ほぼ近接一本での偏った戦法とはいえ、この槌を自在に使いこなすナナの実力の高さを、改めて実感する。
……仲間といる事に慣れたのは、いつからだろう。
学生時代、1人でいるのはむしろ好きな方だった。
父は押しつけるだけ押しつけて、それに対する私の努力には無関心だったし、母とは、彼女が死ぬまで顔を合わせた事がない。
周囲にいる学生達を見ても、それらと馴れ合って、上手く溶け込もうとは思えなかった。
それが神機使いになって、"喚起"の"血の力"に目覚めて。
最初は厄介な異能を掴まされたと思っていたけど、段々人付き合いも苦にならなくなっていって。
そんな甘くはないけど、心地のいい空間に居続けたせいで、こうやって独りであれこれ考える今の時間が、どうにも寂しい。
"アナグラ"に戻ったら、すぐにロミオに謝ろう。
このまま機会を逃し続けていれば、今見ている夢が――
「ふふ、やっぱりここにいたのね……皆が恋しいの?」
――反射的に顔を上げる。
「よかったら、ランチでも一緒にどう?」
視線の先には、何時かと同じ、美しい微笑みを浮かべるラケル博士がいた。
◇
ラケル博士に招かれたダイニングルームのテーブルには、"アナグラ"では見たこともないような、
しかし私にとっては馴染みのあるような、そんな高級料理が並べられていた。
もちろん、高級であろうとなかろうと、食糧には貴賤なく工場生産のものが用いられているんだけど。
縦長のテーブルに私達2人、しかもラケル博士が向かい側に座っていることもあって、緊張で味はよくわからなかった。
「思えば、あなたとこうしてお話しするのは初めてですね……ジュリウスから近況は聞いているのだけど」
「……ジュリウスね、フライアに戻る度に、"ブラッド"の皆の事を楽しそうに話しているの」
「私が引き取った頃は無口で、あまり笑わない子だったから安心しているわ」
まぁ、そこは意外な話でもなかった。
ジュリウスが"ブラッド"を想っているのと、存外、立ち行った話に踏み込みにくそうにしているのは、彼の今までの言動でわかる。
「ジュリウスは手のかからない子ではあったのだけど、少し心配していたの」
「あの子はきっと……あなた達を本当の家族のように想っているのね」
「……あなたやギルに、"家族"という表現は少し違和感があるかしら」
珍しく、ラケル博士が眉尻を下げた、困ったような笑顔をこちらに向ける。
……家族、兄弟、姉妹。
「いえ……少なくとも、ギルはそう感じてないと思います」
以前の話を反芻しながら、後で彼が機嫌を損ねない範囲で話を合わせる。
ギルとロミオが兄弟なら、私やナナ、シエルはその妹といったところだろうか。
ジュリウスは……何だろう、お父さん?長男?
「そう、ギルが……これは、嬉しい事を聞いたわ」
「……ジュリウスと過ごしてきて、私、思ったの」
「人間がともに同じ時を過ごし、共に語らい、共に泣き、共に笑い合う事さえ出来れば」
「……そこには、家族という絆があるのだと」
私の父や兄との間に、そんな時間はあっただろうかと思い返そうとして、やめた。
……今いる"ブラッド"の範囲で考えればいい。
それとは別に、少し引っかかる箇所もあった。
先ほどから家族や子供の話をする割には、自分の運営する"マグノリア=コンパス"について、触れようともしていない。
ジュリウスに焦点を当てた話だからなのかもしれないけど、一応聞いてみるぐらいは――
――不意に、テーブルに置いていた携帯端末から、着信音が鳴り響く。
「……九条博士から?」
「はい、次の"特務"についてでした」
「……そう、少し名残惜しいけれど、仕方がないわね」
曇りがちに目を伏せるラケル博士を見て、
今回私が指名されたのは、こうした話をする事も目的にあったからなんじゃないかと、ふと思った。
再び顔を上げたラケル博士が、私に一通の、黒い手紙を差し出す。
「九条博士に会ったら、この手紙を渡してほしいのです……もちろん、中身は内緒でね」
「……こうしてまた、あなたを振り回す形になってしまって、ごめんなさいね」
「大丈夫です……まだ、色々考えちゃいますけど」
「……あなたにこうして連れ出してもらえて、今はよかったと思ってますから」
少し真意を測りかねるところはあるけど、これは事実だ。
目の前の女性のおかげで、私はもう少しだけ夢を見ていられる。
「……ありがとうございます」
「ジュリウスと……そして"ブラッド"の皆の事を……これからも、よろしくお願いしますね」
ラケル先生とのお食事会まで
ここら辺から拠点会話の記憶が消えててヤバい
◇
「いやーありがとう!あなたのおかげで研究が捗りましてねぇ!!」
「自立制御装置の完成まであと一歩というところですよ!まぁ、その一歩というのが最大の難関なんですがねぇ――」
無人制御式"神機兵"の開発も残すは科学者側の調整を残すのみとなり、私の"特務"は終了した。
研究段階もいよいよ大詰めというところで、九条博士は熱に浮かされたように、無人制御の哲学を語っている。
「――いいですか、無人型の"神機兵"はパイロットが不要なのですよ!この意味がわかりますか!?」
「破壊されても誰も傷つかない!!……そりゃあ私の心は痛みますがねぇ――」
標的のみを撃滅し、誰一人として傷つけることのない、機械の人形。
思想の響きは魅力的だし、九条博士にも有り余る熱意はあるけど、以前の動作テストの印象からか、"神機兵"にはどうにも頼りない印象がある。
今回の"特務"の主眼として置かれていた装甲面はともかく、また不測の事態に動作しないなんて事があれば。
……まだ乗り込めるようにはなってるのかな、アレ。
「――おっと、言い忘れていましたが、私の"神機兵"にはもう搭乗できませんからねぇ!」
「よしんば強行したとしても、もう内部構造もレア博士の主導するそれとは全く異なっていますから!!」
……残念。
九条博士の熱もだいぶ収まったようなので、ラケル博士から預かっていた手紙を渡しておく。
「えっ……ラケル博士から私に?……てっ、手紙ぃ!?」
「……あ、ああすみません!気が動転して!」
「……それにしてもラケル博士は素晴らしい方ですよ……科学者として優秀で、健気で、ホタルのように儚く――」
またマシンガントークが始まる前に、それとなく話を切り上げる。
健気さはともかく、あの人も割合頑固なところはありそうだけど、口には出さなかった。
九条博士への用件が終わり、先んじてラケル博士への挨拶も済ませてきたので、あとは"アナグラ"に戻るだけだ。
そういえばこっちに日誌のデータを置いたままだったし、自室に寄っておこうかな。
そんなことを考えながら研究室の扉をくぐると、意外な人物から声がかかった。
「よっ!びっくりしたか?」
声の主はロミオだった。
彼を含めた"ブラッド"は通常通り、"アナグラ"で動いているはずだけど、何故ここに。
「お前1人じゃ心細いと思ってさ」
「……なんてな、ジュリウスや榊博士に無理言って、こっちに来させてもらったんだ」
「で、これもいきなりなんだけど、帰るついでに任務行かないか?もう2人で組んじゃってるからさ」
矢継ぎ早に想定外の展開が飛び込んできて、心の整理がつかないけど、つまりはそういうことらしい。
◇
「くぅ……はぁー!今日もよく働いたなー」
任務を終え、ロミオが軽く背中を伸ばす。
以前の騒動以降、初めて彼と2人で任務に臨んだものの、やはりロミオの成長には目覚ましいものがある。
とはいえ、単独で行動するには危うい部分もあるので、そこはしっかりフォローさせてもらった。
私にも指導役としてエリナを見ている成果が出ているような、そうでもないような。
「――にしても、副隊長はやっぱ冴えてるよなー!」
「副隊長と組むと、すげぇ動きやすくってさ」
「そう、かな」
「そうそう!でなきゃ、あんなデコボコした奴らのまとめ役なんて出来ないって!……俺が言うのもなんだけどさ」
確かに、私が隊長代理として"ブラッド"を指揮する回数も、ここ最近では随分多かった。
しかしながら、私自身にしっかりしなければという気持ちはあっても、彼らをまとめられていた自覚はない。
今の"ブラッド"が強いのは、彼らが個々に成長し、それぞれを補い合える余裕と信頼を持てるようになったからだ。
「ありがとう……それで、任務に私を誘ったのって、やっぱり――」
「あー、ちょっと待った!大体お前の予想通りだけど、俺から言わせてくれ」
「……この前はごめんな、あんな事言っちまって」
無理を押してフライアまで来た時点で、薄々感づいてはいたけど。
ロミオの目的は、例の騒動前に起こった、私との関係の拗れを清算する事だった。
「……こっちこそ、何も知らないくせに勝手な事言って、ごめんなさい」
「いや、それはこっちの台詞で……やめとくか、また喧嘩になっちまう」
「ふふっ……だね」
ロミオの軽口をきっかけに、私達は笑みを交わす。
少し前まであった緊張が、解きほぐされていくような気がした。
「それにさ、副隊長から色々言われたおかげで、思い出せたこともあったんだ」
「……?」
「ほら、俺って"マグノリア=コンパス"の出身だろ?今じゃほとんどが連絡取れなくなってるけど、そこにも友達が結構いてさ」
「その中に、リヴィっていう女の子がいたんだ」
"マグノリア=コンパス"。
"ブラッド"の多くがその出身として所属していた孤児院だけど、そこでの話を聞くのは珍しい気がする。
「そいつ、色んな事情があって、エリートクラスから俺達のいるクラスに降りてきたんだけど、」
「来た時は何にもも喋らなくてさ……正直、クラスの中でも浮いてた」
「だからその子と仲良くなろう!って……単純だけど、そういうガキだったんだよ、俺」
「それは今も、じゃない?」
「いやいや、俺だって今じゃそれなりに考えて……うーん、あんま変わんないか……?」
「……と、とにかくだ!そんなわけで、結構しつこく喋りかけてみるんだけど、全然反応ナシ」
「それでも諦めたくなくて、毎日リヴィのとこに通い詰めてたんだけど、そうやってたら段々と、イライラしてきてさ」
「イライラ?」
「俺のいたとこって孤児院だから、特に色んな事情を抱えた奴らが集まってくるんだよ」
「で、皆そういう事に立ち向かいながら毎日を生きてた……リヴィにどんな事情があったか、俺は今も詳しくは知らない」
「だけど、そいつだけ被害者ぶって、他と関わらないようにしてたのに、昔の俺はイライラしてたんだ」
少し、いやかなり深くこちらに刺さる部分もあるけど、今はロミオの話を聞く事に集中する。
「だから我慢ならなくて、リヴィに言ったんだよ。"自分だけが不幸だなんて思うなよな"って」
「……それに怒って、リヴィが初めてこっちに感情ぶつけてきてさ、俺はそれが内心嬉しくて、イライラなんて吹っ飛んだ」
「これで仲良くなれる、って……実際、それがきっかけになって、リヴィとも仲良くなることができた」
"自分だけが不幸だなんて思わないで"
あの口論の際、私の口を突いて出た言葉は、奇しくも、嘗てのロミオが発したそれと重なっていた。
「それからクラスが進んで、皆大きくなって、色んな奴に差をつけられ始めて……俺は、自信を無くしちまった」
「そしたら段々、自分の居場所を守る事に必死になって、俺の上にいる奴らが羨ましくてたまらなくなっていって、」
「自分が最初に何を思ってたかなんて、すっかり忘れちまってたんだ」
ロミオが焦燥に駆られていた時期、私はロミオに、過去の自分を重ねていた。
だけど、彼はやはり独自の過去を持っていて、それが歪んだ果てにああなったことを、ここで理解した。
その事実を知り、今の私は何故だか、酷く安心している。
ロミオが私のようになることはないという、確証が取れたからだろうか。
「それが"ブラッド"に入った後も続いてさ、皆といる間も、ずっと考えてたんだ」
「どうやったら皆みたいに上手く戦えるんだろうとか、役に立つにはどうすればいいんだろう、って」
「だから、仲間の戦法を真似たり、独りで突っ走ったり、色々試してみた……でもさ、そうじゃないんだよな」
それまで俯きがちに語っていたロミオが、そこで改めて顔を上げ直す。
「俺は、俺に出来る事を一生懸命やろうって思ったんだ」
「……"ブラッド"にいることが辛くなって、逃げ出した後も、副隊長に言われた事がずっと引っかかってて……」
「匿ってもらった先の民家の、じいちゃんやばあちゃんに話を聞いてもらったら、その正体がわかった」
「昔思ってたことと一緒で、皆同じなんだ。で、その"同じ"の中に、皆それぞれ、誰かには真似できないものを持ってる」
「だからこそ、きっと俺にも、皆には真似できない事があるんじゃないかってさ」
「……そっか、それが急に元気になった訳なんだね」
「そういう事!……だからまぁ、副隊長のおかげ、ってことになるかな」
ロミオが照れくさげに、指で鼻を擦る。
「怪我の功名だけどね……ねぇロミオ、私にしか出来ない事って、何かな」
「え?そうだな……うん、それこそ、副隊長やってる事だな!」
「……私、結構真面目だったんだけど」
「俺だって真面目だよ?……ま、本気でわかんないなら、俺と一緒に探してみるか」
「ロミオと?」
「おう!仲間に気づいてもらうのもいいけどさ、やっぱこういうのって、自分で見つけ出すのが一番だと思うんだ」
自慢げにそう語りつつ、ロミオが私に手を差し出す。
「……答えが見つかるのが何時になるかわかんないけど、少しずつでも探して行こうぜ、後輩」
「……お手柔らかに頼みますね、先輩」
おどけてみせながらも、差し出された手を、しっかりと握る。
また一人、"ブラッド"の隊員が前を向いて、歩き出した。
「よーし!てなわけで……こいつもやるよ」
握手ついでに、ロミオが懐から取り出した小物を私に手渡す。
黄色の缶バッジが一点に、同色のワッペンが一点。
もう一つ手に握らされた、花びら型のバッジが目を引く。
「ナナじゃないけど、仲直りの印に、ってやつだ!……礼はいらないぜ」
「う、うん……?」
「おい、何だよその反応!?」
「……副隊長さー、たまにはその制服以外も着てみようぜ」
ロミオに言われた通り、私は入隊以降、ずっと"ブラッド"の制服を着たままだった。
フライアに配属された当時、神機使いの激しい運動に耐えられる衣服がこれしかなかったというのもあるけど、
新たに特殊な繊維で編み込まれた衣服を、オーダーで作ってもらうのも何となく億劫で、そのまま何着かある制服を着回している。
この時代、服飾文化は嗜好品としての傾向が強く、特に人の枠を超えた身体能力を有する神機使い向けの衣服ともなれば、
製作に必要な資材は自前で用意しなければならない。
そして、その資材の入手先は当然、任務で得られる報酬となる。
「自分探しも大事だけど、これからは服作りも目標に入れとく事!」
「こんな世界でも、女の子ならオシャレぐらいしとかなきゃさー」
人差し指を立て、ロミオがわざとらしい口調で説教してくる。
「だから、何かいいの作れたらさ、そいつらも使ってやってくれよ」
これも、ロミオなりの気遣いなのだろう。
「そういう事なら、ありがたく受け取っておくね」
「服かぁ……そういうの気にするの、久しぶりかも」
「しっかり決めてやれば、ギルも靡くかもよ?」
「な、何でそこでギルが出てくるの……」
「さぁ?何でだろうなー」
「もう――」
隊員同士の内面のつながりが強化されたことで、"ブラッド"は現在も成長を続けている。
そこに再び、隊長のジュリウスが加わった今なら、より盤石な戦力を得られる事だろう。
後はロミオの"血の力"が覚醒し、それを応用した戦術の確立が出来さえすれば。
……私の存在は"ブラッド"にとって、直に不要なものとなる――
ロミオ編終了、ついでに4章も終了
長い前振りだった……
RB編後のロミオはもっとリヴィに構ってあげるべきだと思う
5
――アナグラの自室に入り、結んでいた後ろ髪を解く。
室内に備え付けられた、鏡に映る自分を見やると、随分と髪が伸びたように感じた。
新しい服も仕立ててもらったことだし、たまには違う髪型にでも挑戦してみようかな。
暫し目的を忘れ、新しいヘアスタイルを模索しようとしたところで、指先に何かが当たる。
前髪に留められた、シアンカラーのヘアクリップ。
目を細めながら、手に取った愛おしいそれを眺める。
まだまだ実用には耐えうるものの、表面に浮かんだ細かな傷の数々は、見るだけで嘗ての光景を思い起こさせるようだった。
……あの頃の私は、己の持つ、この力と地位だけが、自身に求められている価値だと信じ込んでいた。
もしくは、そう信じざるを得ないほどに、自分を知る事を恐れていた。
だから、私が"ブラッド"から必要とされなくなる時も、いずれは来てしまうのだろうと。
そんな妄信に縛られた私を、このヘアクリップに込められた想いが解き放ってくれた――
◇
「――あれ、ヘアゴム切れちゃった?」
極東、湾岸地区。
"アナグラ"に帰還し、極東支部での活動を再開した私は、エリナと共に、任務後の作戦地点で佇んでいた。
どうやらアラガミの攻撃を受けた拍子に、後ろ髪をまとめ上げていたヘアゴムが吹っ飛んだらしい。
「しょうがないなぁ……ほら、私の貸してあげる」
エリナが少し得意げに、腰元のポーチから取り出したヘアゴムを差し出してくる。
帰投してから予備のを括り直せばいい話だし、ここでわざわざ世話を焼いてくれなくても――
「うっ……いいの!人の好意は素直に受け取んなさいよね!」
――半ばむきになったエリナから強引にヘアゴムを押し付けられ、私は仕方なくその場で後ろ髪を括り直す。
支度を終え、エリナの方に向き直ると、彼女は何時かのような、しおらしい様子になっていた。
そういう態度を取るということは、また何か相談事だろうか。
「……最近、よく行くよね?あなたと、色んな任務にさ……」
「今更言うのもなんだけど、あなたは"ブラッド"とかただの神機使いとか、そういうの気にしないんだね」
エリナとの任務によく行くのは、彼女に折り入って頼まれたから、というのもあるけど。
言われてみれば確かに、コウタさんにハルさん、エミールといった、極東支部の神機使い達と任務に行く事もまた、少なくはない。
でも、その事に関して特に抵抗は感じないし、むしろこちらが教えを請う立場にあるのでは。
といったニュアンスの言葉で応えると、
「……そうそう、私の指導役を安請け合いしちゃう割には、そういう性格なんだよね」
若干の呆れ顔が帰ってきた。少し納得いかない。
「……正直言うとさ」
「あなたが来たばかりの頃は、"ブラッド"なんて温室育ちのエリートで、肩書きだけのくせに……って決めつけてたの」
「だから、"ブラッド"なんかに負けるもんか!って思ってた」
「だって、ここを守るために血を流して戦ってきたのは私達極東支部の、普通の神機使い達だもん……!」
エリナの意見は、もっともだと思う。
以前、外部居住区市民とのつながりが深いコウタさんの計らいで、彼と共に外部居住区を見て回ったことがある。
現在の外部居住区は活気ある町並みになっているけど、3年前、コウタさんが第一部隊の隊員として活動していた頃には、
ここも人類の終わりなき抵抗に希望を見出せない人々の、絶望と諦観の渦巻く地帯になっていたという。
もちろん希望は捨てず、"アナグラ"の神機使い達を支持する人もいたけど、当時ではそれも一部の人達だけだった。
……私が父の付添で訪れた、本部の外部居住区と同じ。
さらに極東では、人類の希望であった"エイジス計画"の頓挫という追い討ちが間近に起こった事もあり、
内外問わず、その深刻さは一層増してしまっていた。
しかし、サツキさんも言っていたように、そんな苦境を跳ね返し、3年で外部居住区の生活環境の改善のみならず、
"サテライト拠点"にまで着手し、市民達に未来への希望を見出させたのが極東支部であり、そこに所属する神機使い達だ。
そうした来歴を鑑みれば、リスクの少ない独立拠点で訓練を積み、予め整えられた環境に足を運んだかと思えば、
旧世代の神機使い達を統べると宣う"ブラッド"の存在は、温室育ちと取られても仕方のないことだろう。
それでも、余計な能書きを取っ払えば、やはり"ブラッド"も神機使いだ。
綺麗事のようだけど、その志は極東支部の神機使い達のそれと変わりないと思う。
……いずれ私がどうなろうと、神機使いとして、その意志は携えていきたい。
「そう……そうなんだよね……それでね……あのね……」
突然、エリナが口ごもりだす。
彼女の性格はある程度わかっているつもりだったので、そのまま待っていると、
「……もう意地張るの、やめた!私、先輩についていく!」
その場で、エリナの性格が変わった。
「あ、そうそう、あなたのことは、極東の流儀に倣って、"先輩"って呼ぶからね!」
そんな流儀、今初めて聞いた。
いや、こっちにも先輩はいるけど。
もしかしてどこかで騙されてるんじゃないかと、少し心配に――
「……いいでしょ?」
……あ、はい。どうぞ。
「やったー!それじゃあ先輩、これからもどんどん任務に連れてってよ!」
「私は弱音なんか吐かないし、どこまででもついてくから!」
これまで以上にエリナに捲し立てられ、少し困惑する。
もし彼女に尾があるなら、興奮で千切れんばかりに、ぶんぶんと振られているんじゃないだろうかと思ってしまう程だ。
「そうだ、あとさ、買い物も行こうよ!」
「コウタ隊長の家の近くに、可愛い雑貨屋さんがあってね――」
今まで自分を抑え付けてきた分もあるのだろうか、エリナの勢いは止まらない。
純粋な好意をぶつけてきてくれることに悪い気はしないし、むしろ嬉しいんだけど、
今まで接してきた、素直になれない彼女の変貌ぶりを考えると、誇らしいような、少し寂しいような。
エリナちゃんいいよね……編まで
エリナちゃんゴリ押すならやっぱりここは入れとかないとね、大分展開早めたけど
うちの9子は割とちょろいからね仕方ないね
何か予想外に忙しくてまた中断状態になっててすまない…
全然ストックないけど保守も兼ねてちょっと投下します
◇
明くる日、ナナのアイテム開発……もとい、料理修行や、ギルがある神機パーツの整備に使うらしい素材集めに付き合っていると、
ジュリウスから、"ブラッド"に宛てたグループメールが届いた。
どうやら後日、来賓の歓待と"ブラッド"の慰労を兼ね、ユノとサツキさんを交えた昼食会がフライアで開かれるらしい。
この企画はユノの希望で立てられたもののようで、
おそらくは"サテライト拠点"への援助施策を立てたジュリウスと"ブラッド"への礼も含まれているのだろう。
こちらとしては、今までユノ達と落ち着いて話すことも少なかったし、いい機会かもしれない。
それに、何かと"ブラッド"から一歩引いた所にいがちなジュリウスを労い、彼との距離を縮めるきっかけにもなりそうだ。
ただ、ユノ絡みでまたロミオが変な気を起こさなけれないいけど、とギルと談笑しながらラウンジに入ると、
そのロミオとシエルが何やら楽しげに話し合っていた。
「珍しい組み合わせじゃねぇか、何かあったのか」
「お、よぉギル!実はさ……っ!?」
ギルの呼びかけに快く応じるロミオ。
少し前ならありえなかった光景だけど、それよりも不可解なのは、私の姿を認めた彼が、シエルと共にぴたりと動作を止めた事だった。
「あ、あぁ、副隊長も来てたのか」
「……お、お疲れ様です」
隠す気がないのかと言いたくなる動揺ぶりに、むしろ私の方が追及を言い淀んでしまう。
「……お前ら、本当に何かあったみたいだな」
「い、いや何でもねぇよ!ただ今の話は副隊長には聞かせられないってだけで……あっ」
「ロミオ……!」
こちらから手を下すまでもなく、共犯者達はあっさりと自供した。
そういう事なら、甘んじて私への不満や批判を聞き入れて――
「違います!決して君をそんな風に見ていたわけでは……!」
――今までにない勢いでシエルに食って掛かられ、少し怯む。
「そうだよ!少なくとも悪い話はこれっぽっちもしてないから!……まぁ、まだ何の事かは言えないんだけど」
「とりあえず今言える事だけ言っとくとだ……副隊長、次の昼食会、楽しみに待っといてくれよな!」
そう言うなり、ロミオはシエルを連れて逃げて行ってしまった。
とりあえず悪い話ではないみたいだけど、結局何の話だったのかはわからず仕舞いだった。
「……なるほどな」
その一方で、隣のギルは納得したような表情をしていたけど、私には何も教えてくれない。
でも少しだけ、私は別の意味で安心していた。
……まだ、切り捨てられるには早いと思ったから。
少し長い間見ていた夢を終わらせる、そんな覚悟はとうにしていたはずなのに。
こんな事で一喜一憂してしまう程、私は"ブラッド"に未練を持ってしまっているらしい。
自分でも意識しないままに、"ブラッド"制服の袖を強く握りしめた。
◇
あれからまた日を置き、特に問題もないまま、フライアでの昼食会が開始された。
結局ロミオの内緒話の全容は知れなかったばかりか、ナナやギル、それにジュリウスにまで秘密の共有は広がっていたようで、
私は若干の疎外感を覚えつつも、この日を迎えることとなった。
会場はフライアの庭園。
高層から青空や遠景が望める、開放的な全天ガラス張りの囲いに、嘗て世界に存在していた野原と見紛うような、
人工の自然に溢れた環境での食事は、ジュリウスが言うところの、ピクニックを彷彿とさせる。
"ブラッド"とユノ達とで改めて挨拶を交わしたところで、ユノが話を切り出す。
「改めて、サテライトへの支援の数々、ありがとうございます」
「"黒蛛病"患者の収容だけでなく、アラガミ装甲壁の改修まで……本当に、感謝してもし足りないぐらいです」
「いえ、私達は"ブラッド"として、すべき事をしているまでです……むしろ至らない事があれば、その時はどうかご叱咤ください」
「ユノさんもジュリウスも堅すぎだってー!親睦を深めるための昼食会なんだからさぁ」
どうにも生真面目な2人の間を、ロミオがすかさず取り持つ。
こうした、相互のコミュニケーションを円滑にするための行動はロミオの得意分野だけど、
憧れのユノにも問題なく接していけている辺り、2人の様子を見て冷静になれた部分もあるんだろうか。
「……まぁ、今回はジュリウスの行動に拠る所が大きいだろうな」
「そうですね……ジュリウスの迅速な決断がなければ、ここまで順調にはいかなかったでしょう」
ギルの評に、シエルも同意する。
現在、ジュリウスが推し進めている案件としては、フライアでの"黒蛛病"専用病院設立の目処が立ち、
近い内に"アナグラ"に収容された患者達がフライアに移送される予定となっている。
これが明確な解決手段になるかどうかは未知数だけど、物事がいい方向に進んでいるのは間違いないだろう。
「それだけじゃない……俺が行動を起こせたのは、お前達がいたからだ」
「俺が不在の間も、お前達は"ブラッド"として、遜色のない活躍をしてくれている」
「えへへ……そう言われると、なんか照れちゃうなー」
はにかむナナを見届け、今度は私の方にジュリウスが視線を向ける。
「そして、それを率いてきたお前も――」
そこまで言いかけたところで、ジュリウスの耳に装備された通信端末に連絡が入った。
オペレーターからの通信をしばらく聞いたところで、彼の表情が強張る。
「――すまん、ピクニックはお開きのようだな」
「……極東支部付近で、大型種を中心とした、アラガミの大群の接近が確認された」
それまでの和やかな空気が一変し、周囲に緊張が走る。
万が一の場合を考え、私達の装備もフライアに持ち込んではいたものの、図ったようなタイミングだ。
「マジかよ、こんな時に……!」
「昼食会はまた今度、ですね……皆さん、お願いします……!」
「ええ、是非……"ブラッド"、出撃するぞ!」
結局、何一つ目的が果たされないまま、昼食会は保留となってしまった。
でも、この時点で、それらに対する不安は僅かだった。
……それは私だけでなく、ここにいる誰もが、全員でいつかこの続きが出来ると信じて疑わなかったから。
エクストラのイベントを無理やり捻じ込んでみた昼食会まで
次回、ロミオ死す!……までは流石にいってると思います、多分
専ブラ入れてみたのでテスト
シルバーウィークなどお構いなしの遅筆投下でございます
◇
「――アラガミの侵攻規模を踏まえ、今回の作戦ではフライアから"神機兵"が実戦投入される」
「前回のように保護してやる必要はないが、留意しておいてくれ」
「了解!」
『了解――』
極東支部前、対アラガミ前線基地跡。
支部の多くの戦力が投入されるこの防衛任務の中、
"ブラッド"は2隊に分かれ、それぞれに割り当てられたアラガミ群の迎撃に向かっていた。
私にジュリウス、ロミオのα隊が対峙する群れのリーダーは虎型と戦車型の、2体の大型アラガミ。
「大型種が2体ともなれば、全員で各個撃破に向かうのが定石だが……今回は防衛戦だ」
「"神機兵"のサポートがあるとはいえ、あれはフライアの判断で動いているし、一箇所に戦力を偏らせるのは避けたい」
「そこで、俺とロミオが先にヴァジュラの討伐に向かい、副隊長には俺達が合流するまでの間、クアドリガの陽動に出てもらいたい」
「……ヤツは一筋縄ではいかない相手だが、やってくれるか」
ジュリウスの提案に、私は抵抗もなく頷いてみせる。
引きとめておくぐらいなら、私でも十分な余力は残しておけるはずだ。
「ま、あんま気負うなよ副隊長!ヴァジュラとその取り巻きなんてちゃっちゃとやっつけて、すぐ合流してやるからさ」
「帰ったら今度こそ楽しみにしてろよな!」
「フッ……頼もしいのも結構だが、油断はするなよ、ロミオ」
「……時間だ、いくぞ」
◇
前線基地跡、第4ゲート付近。
まだ神機使いが対アラガミ戦力の中心となっていなかった頃、世界の各地には、連合軍によって建造された前線基地が稼働していた。
それも現在では悉く廃棄され、クレーターに建造物の倒壊、止まぬ火の手と、アラガミの傷痕が色濃く残された廃墟となっている。
しかしながら、当時の基準としては破格の、堅牢かつ複雑な基地の内部構造は現在も機能しており、
こうした支部の最終防衛ラインとして生き続けている。
その通路の一つを、我が物顔で闊歩する一団があった。
群れの中心に君臨するは、戦車型の重装アラガミ。
クアドリガ種と呼ばれるこのアラガミは、全身に無機的な装甲を纏い、側部には一対のボックス状の器官を背負った、
巨大な体躯の装甲馬だ。
その前脚は戦車のキャタピラを模したものでありながら、節ごとにぶつ切りにされ、四足歩行に用いられており、
本来の役割に全く即していないという事実から、あくまで単なる捕喰対象として喰らった、人間の近代兵器の面影にすぎない事が窺える。
本体正面には頭蓋骨から肋骨にかけた人体骨格を模した生体器官が位置しており、胸部には大きな盾のような装甲が配されている。
そして、その戦車型に付き従う、甲虫のような殻と角を持った、二本足の小型アラガミの集団。
ここから先の、鳥かごの中に詰まった餌を求め、奴らが歩を進める中、それらが発することのない、くぐもった破裂音が鳴り響いた。
破裂音は一つ、また一つと増えていき、それを聞き届けた小型アラガミが、次々に死骸として横たわっていく。
近代兵器を取り込んだアラガミらしく、索敵能力も発達している戦車型は、即座に音の発生源を見定めた。
アラガミから見て北東の方角、半ば崩壊した施設の頂。
そこにあるのは、狙撃銃身に換装した銃形態の神機を構えた、私の姿だった。
自らもその身に狙撃を数発受け、戦車型が怒りの咆哮を上げる。
それと共に側部の器官を展開し、内蔵されていた複数のオラクル弾頭が放たれた。
私は自らに向けて降り注ぐ弾頭を飛び退いて回避し、そのまま下の地面に着地する。
立ち上がった拍子に神機を近接形態に変形させ、既に間合いを詰めに来ていた戦車型へと走り出した。
戦車型はその鈍重そうな外見に似合わぬ素早さを持ち、猛烈な勢いでこちらに突進を仕掛けてくる。
私はそれに対応する形で回避行動を取り、すれ違いざまにアラガミの前脚を斬りつけた。
脚の無限軌道もどきは一度刃を弾きかけるも、より強引に押し込むことでその一部が裂け、真っ赤な体液を噴出させる。
現在、私が神機の刀身に装備しているのは、長刀型のパーツだ。
重量、リーチ、機動力共に、取り回しのバランスが非常にいい刀身で、多種多様な姿を持つアラガミへの適応力も高い。
尤も、戦車型の脚元への近接攻撃は効率的とは言えないけど、一応の狙いはある。
獲物を通り過ぎた戦車型は追撃を仕掛けるため、僅かに傷ついた前脚をバネにし、バックステップの要領でこちらに飛び込んでくる。
それを横っ飛びで回避した先には、再度放たれたオラクル弾頭が待ち構えていた。
咄嗟に神機を構えるも、装甲パーツの展開が間に合わず、爆風で吹っ飛ばされてしまう。
後方に吹き飛び、危うく受け身を取った先には、先ほど何体か散らした、小型アラガミの残りが押し寄せてきていた。
これを好機と見定めたか、戦車型がその四肢を大地に踏みしめ、どことなく顔を思わせるようなディティールの胸部装甲を前面に張る。
アラガミが装甲の隙間から黒煙を吐き出すと共に、装甲が真っ二つに割れ、中から巨大なオラクル弾頭が姿を見せた。
吹っ飛んだ距離から考えても、発射から着弾までのラグは長くない。
一転して危機的な状況だけど、小型アラガミがわざわざこちらまで出向いてきてくれたのが、私にとっての幸運だった。
戦車型が姿勢を変えたタイミングで、まずは一閃。
"ブラッドアーツ"で小型アラガミ達を薙ぎ払い、初手の狙撃で消費したオラクルエネルギーを幾らか補う。
次に、神機を捕喰形態に移行させ、"ブラッドアーツ"の余波で怯んだ残りの小型アラガミに狙いを定める。
神機のコアから伸びた"オラクル細胞"の咢は小型アラガミに深々と食い込み、その肉体を持ち上げた。
それを振りかぶり、既に発射準備を整えた戦車型めがけ、サイドスロー気味に小型アラガミを投げ込む。
発射された弾頭。飛んでくる小型アラガミ。
そのどちらも止まることはなく、戦車型の眼前で大きな爆発が起きた。
辺りが爆風に包まれ、私とアラガミ、双方の視界が一時遮られる。
防御用に構えていた装甲の展開を解き、煙が晴れた後の爆心地を見やると、そこには予期せぬ事態に痛手を負った、戦車型の姿があった。
装甲を開け放していた巨大弾頭の発射器官は焼け爛れ、頭部の排熱器官は大きく傷ついている。
皮肉にも、アラガミのその巨体によって、ヤツが背にした施設はさほど被害を受けていないようだった。
それを認めた私は、身体の内側から湧き上がる力を体感しながら、その昂揚感に任せて戦車型に突進していった。
小型アラガミを投げ込んだ際の捕喰による、"オラクル細胞"の活性化だ。
活性化によって漲った"オラクル細胞"は身体能力を跳ね上げ、一瞬にも思える体感時間で、私を相手の元まで誘っていく。
私の接近を察知した戦車型は後ろ脚で立ち上がり、軍馬の如く上体を大きく反らす。
その姿勢から繰り出される、全体重を前脚にかけた圧し掛かり。
それをまともに貰えば、いかに第3世代の神機使いといえど、無事では済まないだろう。
だから、そうならないように印をつけておいた。
勢いをつけた速度のままに地面を蹴り、私は戦車型の振り下ろした前脚に沿う形で飛び上がった。
無限軌道を模した前脚の、その隙間に滲む鮮血を瞬間的に認識し、長刀を閃かせる。
既に作られていた傷を入り口に、その比にならない剣圧を刻み込まれたアラガミの前脚は、
付け根から中程を残し、私の着地と共にあっさりと寸断された。
悲鳴を上げながらバランスを崩し、そのままつんのめる形で倒れ込んだ戦車型の、前脚から胴体までを順に駆け上っていく。
動きを封じたとはいえ、広範囲に渡る爆撃を行えるオラクル弾頭の存在は厄介に変わりない。
このチャンスに、そうした手段も絶たなければ――
――突然、背中に大きな衝撃が走った。
困惑とひりつくような痛みに足を踏み外すも、何とか着地には成功する。
ふらつきながらも戦車型から距離を取り、攻撃のあった方向に視線を合わせると、そこには翼手を天に掲げた、鳥人の中型アラガミがいた。
迂闊だった。
"神機兵"か、他のエリアからの取りこぼしかはわからないけど、恐らく先の爆発の混乱に乗じてに紛れ込んでいたのだろう。
多くの戦力を動かす関係上、オペレーターも十分なサポートが行えないというのに、
私の相手は戦車型と小型アラガミの群れだと、油断してしまっていた。
私が背中に受けたのは、あの中型アラガミが繰り出すオラクルエネルギー弾による攻撃だろう。
活性化状態であった事から、危うく大事には至っていないようだけど、こちらの勢いを殺すには十分な痛手だ。
私の無事を確認した中型アラガミが、先ほどと同程度のエネルギー弾をこちらに向けて連射する。
体勢も整っていない今では、防御しか手段がない。
装甲パーツの展開を間に合わせ、背中の火傷に呻きながらも、攻撃を耐え凌ぐ。
当然立ち上がれないまでも、戦車型が立ち直るのは時間の問題だ。
また爆撃を仕掛けられる前に、こちらも策を講じなければ。
現在、私がすぐ使用できるのは、数個のスタングレネード。
強烈な閃光と特殊な超音波により、短時間、アラガミの視聴覚を遮断する事のできる代物だ。
特に戦闘中では、複数のアラガミとの乱戦になった際に用いられることが多い。
装甲への衝撃が止み、顔を出すと、中型アラガミがその翼手を用いた滑空攻撃でこちらに迫ってきていた。
考えている暇はない。
一先ず仕切り直しとして、このスタングレネードを――
――その瞬間。
私が今まさに使おうとしていたものと、全く同形状の物体がこの場に投げ込まれた。
それを察知した私は、即座に視界を閉ざす。
何も知らぬアラガミ2体の視聴覚を刺激する、眩い光。
突然の出来事に体勢を崩した中型アラガミは、それと同時に飛来した弾丸に頭部を撃ち抜かれた。
「無事だな、副隊長」
「その様子じゃ、まだまだ余裕って感じ?」
救援に現われたのは、ジュリウスとロミオの2人だった。
ジュリウスは私に目配せすると、独り中型アラガミの処理へと向かう。
私はそれに応える形で完全に立ち直り、ロミオと共に目を眩ませた戦車型を仕留めに向かった。
戦車型が眼前に迫る中、ロミオがしたり顔でこちらへ銃口を向ける。
「受け取れ!」
銃口から放たれた光弾は私の身体に浸透し、再び力を漲らせた。
神機が捕喰した"オラクル細胞"は活性化と共に、神機の中で銃形態用のエネルギー弾として生成される。
そのエネルギーは"オラクル細胞"の活性化作用を持った、支援用の弾に転用する事も可能で、
それを味方に"受け渡す"ことで、対象に通常の捕喰活性化以上の効果を与えることが出来るのだ。
私も先ほど捕喰した小型アラガミの弾丸をロミオに受け渡し、相互に活性化が発動する。
極限まで高められた身体能力で私は跳躍し、その場から立ち上がろうともがく戦車型の背に飛び乗る。
そして、間髪入れずに斬撃を加えることによって、ボックス状の器官を片方ずつ切り落とされた。
苦痛に喘ぎながらも、ようやく視聴覚を回復させた戦車型は、最期の悪あがきとして、再び巨大弾頭を胸部に生成し始める。
しかし、アラガミの正面にいたロミオが、それを許すはずもなかった。
「どりゃああああっ!!」
雄叫びを上げ、ロミオが戦車型の胸部の、剥きだしになった発射器官に神機を突き刺す。
いや、彼が持つ大剣のサイズと鈍器のような先端を考えれば、"捻じ込む"と形容した方が適当だろうか。
生成途中の巨大弾頭もろとも、ロミオの神機はどんどん飲み込まれていく。
アラガミの悲鳴が途絶え、彼が神機を引き抜いた直後、戦車型の内部で弾頭が自爆した。
再び、自らの攻撃で痛手を被った戦車型は一瞬肉体を膨張させ、ロミオが空けた穴から黒煙を吐き出しながら、ついに事切れた。
「……なぁ、あれってコア、大丈夫なのかな」
一旦戦いが終わり、戦車型のコアを捕喰する中、ロミオがぼやく。
斃したアラガミのコアは、支部に持ち帰れば、外壁の"アラガミ装甲壁"に用いられる。
アラガミは日々、その体質を変えていくので、その時毎の最新のアラガミ細胞を用いて、装甲壁をアップデートしていかなければならない。
そのため、装甲壁の主材料であるコア部分も、出来るだけ無傷で回収することが求められるのだ。
「無事ではないにせよ、特殊な例として、研究対象にはなるかもしれないな」
とはいえ、この状況では若干場違いな不安に駆られるロミオを、
既に中型アラガミのコア回収を終えていたジュリウスが、真剣なのかジョークなのか、判別の付き辛い調子でフォローする。
携帯端末に表示されたレーダーを確認すると、周辺エリアにはアラガミの反応がまだ幾つか残存していた。
◇
アラガミの群れに苦戦する他の部隊や"神機兵"の援護に向かい、周辺エリアのアラガミを一掃した後、
私達はアラガミの侵攻の余波を受け、被災地となっていた"サテライト拠点"住民の避難誘導を行っていた。
神機使い達の尽力で被害は抑えられたけど、それも0というわけじゃない。
払った犠牲を胸に、神機使いや住民が表情に影を落とす中、それでもユノは気丈な姿勢を崩さなかった。
「生きてさえいれば、何度だってやり直せます……今までだって、そうしてきましたから」
失ったものを背負いながら、けして絶望には浸からない心。
ユノがアイドルとしてだけでなく、サテライト市民の代表としてもいられるのは、こうした芯の強さがあるからなのだろう。
その一方で私は、火の上がる民家を見て、またも胸の内側にざわつくものを感じていた。
今いる全ての人間を救い、この世に救うアラガミ共を討滅する。
そんな大それた考えを持っているわけじゃないけど、私は果たして、自分の手の届く範囲の人々でさえ、守ることが出来るのだろうか。
……いや、守らなければならない。
それが"ブラッド"副隊長以前の、神機使いとしての私の存在価値だ。
嘗て人のいた居場所を朽ちさせる炎は、そんな私の揺らぎを如実に表しているかのようだった。
多くの住民の無事が確認されたところで、フライアから赤い積乱雲の接近が報じられた。
ジュリウスは住民の中央シェルターへの避難を急がせ、他のエリアへのコンタクトも取っていく。
そのさ中、"サテライト拠点"の警護を担当していた"神機兵"が、突如動作を停止し始めた。
周辺エリアの確認できる住民を全てシェルターに収容し、侵攻してきたアラガミも粗方斃すか、追い払ったところではあるけど、
この状況下で唯一行動出来るはずの"神機兵"が、まるで糸を切られた人形のように動きを止めていくさまは、否が応にも周囲の不安を煽りたてた。
「――ジュリウスごめん!俺ちょっと行ってくる!」
その不吉さに呼応するかのように、ロミオが突然"赤い雨"用の防護服を引ったくり、シェルターの外に駆け出していく。
思わず、そのままの格好で私が追いかけようとしたところを、ジュリウスの手に制止される。
「待て、俺が連れ戻しに行こう……お前はここで、進入してこようとするアラガミを食い止めてくれ」
そう言い放ち、ジュリウスも防護服を着て駆け出していく。
追いかけようにも、アラガミが出てこない確証がない以上、シェルター内の住民を捨て置くことはできない。
ジュリウスの懸念通り、しばらく後には複数アラガミが襲来し、私はそれを一体残らず撃破していく。
私がアラガミを相手取っている間も、2人は未だ帰ってこなかった。
あの防護服はあくまで"赤い雨"の中での行動を可能にする装備であって、戦闘での着用は想定されていない。
もしあの時、私の前を通り過ぎようとしたロミオを、私が咄嗟に抑え込むことが出来ていたら。
せめて、ジュリウスの代わりに私が出ていれば。
そんな後悔と不安を抱き始めたその時、大きな力場を感じ取った。
"ブラッド"のみが感知する、"血の力"の覚醒による偏食場パルスの反応だ。
ということは、向こうではやはり戦闘があり、その中でロミオが覚醒したのか。
けれど、その波動は一際強いようでいて、消えかかった蝋燭の最後の輝きでもあるようで。
そのような感覚に囚われた直後、対峙していたアラガミが突如向きを変え、すごすごと引き返していく。
後方で待ち構えていた他のアラガミも同様の行動を取り、一種の不可解さを残したまま、"サテライト拠点"に一時の平和が戻った。
喜べばいいのか、訝しめばいいのか、複雑な気分を抱いている内に、"赤い雨"が止む。
それと共に極東支部から伝えられたのは、今回の作戦の終了と、ロミオの死だった。
予告通りロミオ死亡まで
戦闘描写はノッキンオンヘブンズドアを大いに参考にさせていただいてます
その言葉だけで一年は戦える
さすがにそこまで長引かないけど投下
◇
昨日発令された拠点防衛任務の、その終盤。
"赤い雨"が降りしきる中、極東支部北方の集落に、嘗て私が対峙した、狼型の"感応種"率いる、アラガミの群れが出現した。
人間は元より、"神機兵"も動かなくなった状況から、その報せをシェルター内で最初に聞いたジュリウスもすぐには動けない。
だけど、それを偶然傍で聞いていたロミオは違った。
北の集落には以前脱走したロミオを匿い、彼の意識を変えさせた老夫婦が住んでいたからだ。
斯くして、守るもののため、無謀とも言える戦いに赴いたロミオのおかげで、老夫婦を含めた集落の人々は生き残った。
その中には、汐が引くように去っていくアラガミ達の姿を目撃した人もいたという。
しかしながら、彼は戦いの中で、"感応種"の手による致命傷を負ってしまっていた。
……これが、ロミオと共に戦ったジュリウス本人から聞いた、ロミオの最期だった。
現在、フライアの庭園にはロミオの墓標が立てられ、"ブラッド"や極東支部の人間だけでなく、
ユノ達や、ロミオに救われた老夫婦も葬儀に参列していた。
その人柄の良さから親しまれ、特に最近では精神的に大きく成長したことで、頼りにもされていたロミオ。
極東支部でも既に無視できない存在となっていた彼の喪失を受け、葬儀の場は深い悲しみに包まれていた。
声を上げて嘆く者。顔にやり場のない感情を湛える者。死者への手向けとして、鎮魂歌を捧げる者。
さまざまな形で周囲がロミオの死を悼む中、私は無表情で立ち尽くしていた。
悲しみはある。
大切な仲間を失った。
怒りはある。
アラガミに殺された。
礼賛はある。
彼の行動で、多くの命が救われた。
……でも、それらに浸る事を許さず、私の心を塗りつぶそうとしているのは、失意だ。
私は、自分に課された役割を果たすことが出来なかった。
手を伸ばせば届いたものを、見失ってしまった。
どんな事情があったにせよ、私はみすみす機会を手放して、ロミオを死なせてしまったんだ。
嘆きも歌も耳を通り抜け、私はその心の器に少しづつ、亀裂が入っていく音を聴いていた。
◇
人の命が失われたところで、戦いも、時も止まる道理はない。
一時は沈静化していたアラガミが早期に行動を再開したことにより、私達には悲しみを癒す隙すら、与えられる事はなかった。
死にゆく者の遺志は受け継がれ、または上書きされることによって、私達は徐々に元の日常へと還っていく。
とはいえ、立ち直りの兆しはあるものの、"ブラッド"の面々は未だ、どこか浮かない顔つきだ。
その理由として大きな割合を占めているのは、隊長であるジュリウスがまたも極東支部を空けている事だった。
葬儀の後、彼はすぐに本部へと直行し、ラケル博士と共に新たな計画とやらの準備を進めているらしい。
今までならいざ知らず、この状況下での彼の不在は、残された"ブラッド"に少なからず疑念を抱かせていた。
「……あいつ、そろそろ独断が過ぎるんじゃないか」
「ロミオ先輩の葬儀の時から、全然話せてないし……さすがに心配かなー……」
「……"ブラッド"は本部直轄の部隊でもあります」
「彼の意志に関わらず、行動せざるを得ない場合もある、かと……」
不満を漏らすギルとナナに対し、ジュリウスのフォローに回るシエルの言葉も歯切れが悪く、空々しい。
彼女も本心では、彼に対する不信感を募らせているようだった。
「皆、不安なのはわかるけど……ジュリウス1人が離れているなら、私達の方から信じないと」
「ジュリウスだって、こんな状況でも私達なら大丈夫だと踏んだから、行動に移してるんだと思う」
「……綺麗事はいい、お前はどう思ってるんだ」
「……正直、私もちょっと不安かな」
「でも、まずは信じてみなきゃ……こんな現場にいるなら、尚更ね」
「……そっか、そうだよね」
「……すまなかったな」
「こんなことで躓いてたら、それこそロミオに笑われちまうか」
だから、彼らとジュリウスをつないでおくのが、副隊長としての私の仕事だった。
姑息な手段でしかないけど、少なくともこの立場にいる間なら、彼らも私の言葉を聞き入れてくれるだろうから。
「……難しい話してたらお腹空いてきちゃった!ラウンジ行こー!」
「お前はいつもだろ……まぁ、付き合ってやるか」
「ごめん、私は部屋で報告書類まとめとかないと」
「……副隊長」
「うん?」
「……いえ、何でもありません。今回の任務も、お疲れ様でした」
「お疲れ様。ここのところ連戦続きだったから、しっかり休息を取っておくように!……なんてね」
3人と別れ、自室に戻る。
……冗談めかしたつもりだったものの、私は笑顔を作れていただろうか。
尤も、不安げな表情を崩さなかったシエルの様子を見れば、答えは明白なんだけど。
ここ数日では、私も健常な精神でいるとは言い難かった。
現に、こうやって薄い笑顔すら維持できない有様だ。
"ブラッド"に限れば、"喚起"の"血の力"はもう必要ない。
だから私に出来る事は、張りぼての副隊長を演じるくらいだというのに、それも無理が生じ始めている現状では、どうしようもない。
かといって、今の仲間達に余計な悩みを増やすわけにはいかなかった。
"俺だって真面目だよ?……ま、本気でわかんないなら、俺と一緒に探してみるか"
――共にそれを探すと約束してくれた友人も、今はいない。
キリのない思考を一旦打ち切り、レポートを制作するために自室のターミナルを立ち上げると、私宛てのメールが一通着ていた。
とりあえずこんだけ
気づけばアニメ最終回(9話)でGER体験版配信もすぐそこじゃないですかやだー!
>>154に違和感あるのでちょっと修正
投下は今日の夜か明日に出来れば
3人と別れ、自室に戻る。
……冗談めかしたつもりだったものの、私は笑顔を作れていただろうか。
尤も、不安げな表情を崩さなかったシエルの様子を見れば、答えは明白なんだけど。
ここ数日では、私も健常な精神でいるとは言い難かった。
現に、こうやって薄く笑うことすら維持できない有様だ。
"ブラッド"に限れば、"喚起"の"血の力"はもう必要ない。
だから私に出来るのは、張りぼての副隊長を演じる事くらいだというのに、それも無理が生じ始めている。
どうすればいい。
何を為せば、私は認められるのか。
下手に今の仲間達に相談などして、余計な悩みを増やすわけにはいかなかった。
"俺だって真面目だよ?……ま、本気でわかんないなら、俺と一緒に探してみるか"
――共に答えを探すと約束してくれた友人も、今はもういない。
キリのない思考を一旦打ち切り、レポートを制作するために自室のターミナルを立ち上げると、私宛てのメールが一通着ていた。
◇
「――この事態に、勝手な行動を起こしてすまなかったな」
先日、私個人に宛てられたメールの送り主は、本部に向かっていたはずのジュリウスだった。
彼がフライアに帰還する旨は後になって"ブラッド"全員に知らされたけど、私だけはこうして任務に駆り出されていた。
既に目標アラガミの討伐は終わり、ジュリウスと改めて対面する時が来る。
「私はいいよ、皆を納得させられるだけの理由があるならね」
「……それは少し、難しいかもしれんな」
「なぁ副隊長、"ブラッド"に来た日のこと、覚えているか?」
「……どうしたの、急に」
話題を逸らすためなのか、それとも話の取っ掛かりを探しているのか、ジュリウスが突拍子もない事を切り出してきた。
こうした距離の測り方は、彼にしては少し珍しい気がする。
「いや、俺は"ブラッド"に長くいる方だが……お前とナナが入ってからは、特に多くの事があったと、柄にもなく考えてしまってな」
「ロミオやお前に、ナナ、ギル、そしてシエル……俺は初めて、かけがえのない仲間を得ることが出来た」
「……交わす言葉こそ少なかったが、俺はお前達のことを、家族のように思っている」
ラケル博士との会食の時にも聞かされた、ジュリウスの"ブラッド"への想い。
幼くして両親を失った彼にとって、家族という存在は憧れに近いものになっているのだろう。
だから仲間の活動を妨げないために、隊長として私達を影から支えて、自らに課した規範を独りで背負い込もうとして……
だけど、そんなジュリウスの、"ブラッド"の日常は壊されてしまった。
「ごめんなさい……私が、私があの時――」
せめて目の前の者を守れる、強さを持っていれば。
「――自惚れるなよ」
それまで穏やかだったジュリウスが、私の言葉でその雰囲気を一変させる。
「お前がロミオを止められたところで、北の集落の人々はどうなる?お前が俺の代わりにアイツを追いかけたとして、あの戦局を覆せたのか!?」
「あれは起こるべくして起こった!ロミオは神機使いであるがために、人々を守るという本懐を遂げて、逝ってしまった……」
「お前は勿論、目の前にいた俺でさえ、どうしようもなかったんだ……!」
肩を震わせ、怒気を孕んだ表情で私に詰め寄る。
「……だからといって、納得がいかないというのであれば、それは俺も同じだ」
「俺がこうして激情に駆られているのは、犠牲になったのがロミオだったからというだけじゃない……」
「お前も、ナナも、ギルも、シエルも……"ブラッド"が一人でも欠けてしまえば、もう意味がないんだよ……!」
私の襟元を掴みかけていたジュリウスの左手が寸前で止まり、その場で強く握り込まれる。
私は初めて見る彼の必死の様相に、何も答えることが出来なかった。
「……すまない、辛いのはお前も同じだったな」
鬼気迫る勢いだったジュリウスの表情が和らぎ、代わりに自嘲気味な笑みを形作る。
「……思い込みが強すぎる面はあるが、お前には仲間の危機を自分の責任のように捉えられる、優しさがある」
「その"血の力"も、お前の暖かい本質からくるものなんだろうな……」
「……そんなお前になら、"ブラッド"を任せられる」
「……それは、どういう――」
――彼の発した言葉が、呑み込めなかった。
「言葉の通りだ……俺は、"ブラッド"を抜ける」
「以降はフライアでラケル博士と共に、全力で"神機兵"の強化に取り掛かるつもりだ」
「無人制御の"神機兵"が戦場を支配するようになれば、もう神機使いが危険を冒す必要はなくなる」
理解を拒み、狼狽える私の様子を余所に、ジュリウスが何かを私に手渡す。
手に取ってみると、それはディスク状の情報記録媒体だった。
「後で皆と見てくれ」
「"神機兵"の調整には、もうしばらくかかる」
「だから、神機使いが戦い続けずに済む、その時まで……あいつらを、頼む」
「ジュリウス」
思考の整理はつかないけど、何とか声を絞り出す。
彼は妥協を許さない。
私達の与り知れぬ所で、既に決断をしてしまったジュリウスに何を言っても、彼は耳を貸さないだろう。
だけど。
「……"ブラッド"として進む道はなかったの?」
「私達に、出来る事はないの?」
これだけは、聞いておきたかった。
「……お前達は生きてさえいれば、それでいいんだ」
「俺はこのまま、フライアに帰還する……"アナグラ"を拠点とすることは、もうないだろう」
私の縋るような目つきと言葉に応えることはなく、ジュリウスは背を向ける。
去っていく彼の背に、もはや迷いは見られなかった。
後日、ジュリウスの離脱は、フライアから正式な形で辞令が下された。
それと同時に命じられる、"ブラッド"の極東支部への移籍。
"ブラッド"は1日の内に、ジュリウスだけでなく、フライアからも完全に切り捨てられる形となった。
予定は守れなかったけどジュリウス離脱まで
突然興奮するピクニック
◇
未だ不安の残る無人制御式"神機兵"の開発と、"黒蛛病"の治療に注力するというフライアの方針転換から、
"ブラッド"は極東支部の所属部隊として再編成されることとなった。
とはいえ、現存する隊員は全員配属時から極東を主戦場としているし、環境的に不慣れな部分は少ない。
変化のあった事柄といえば、辞任したジュリウスの後釜として、私が隊長に据えられたぐらいだ。
何の断りもなく袂を分かったジュリウスに、横柄とも取れるフライアの対応と、
得心がいかないまでも、ひとまずの着地点が見えたことで、"ブラッド"はいくらか落ち着きを取り戻しつつあった。
……本当に、私が隊長でいいんだろうか。
ジュリウスの離脱と共に下されたこの辞令に関しては、"ブラッド"の誰も疑問視していない。
今まで副隊長兼隊長代理を務めてきた経験からの抜擢、というのはわからないでもないけど。
そもそも副隊長であった頃から、私は何故自分がこんな地位にいられるのか、不思議で仕方なかった。
戦術についての造詣の深さに、高い索敵と指揮能力を兼ね備えたシエル。
近接戦闘を重視した戦法故に咄嗟の判断力に優れ、組む相手を選ばない朗らかさを持っているナナ。
高い実力と経験からくる安定感に加え、仲間への的確な指示とフォローを行えるギル。
いずれも、私よりよほど隊長にふさわしい資質を持っている。
"血の力"による役割を終えた、いわば使い捨てが、何故こんな場所に居座っているのか。
どうして彼らが、それを甘んじて受け入れているのか。
疑問が私の口から出ることはない。
切り捨てられるだの、無価値だのと、散々内心で吹聴していた割に、それを直に見せつけられるのは怖いらしい。
それに、私が現状から置いていかれていると、彼らを失望させたくはなかった。
幸い、今は事実が先にある。
私はジュリウスに"ブラッド"を託された。
どれだけ悩もうが、何もない私に出来るのは、彼らを、目の前の人々を守る事だけだ。
別にGERの体験版を3データ分やってたとかじゃないんだからね!
地味に忙しかったり書きたい展開が文章にならなくて死にそうになったりしてるだけなんだから!
読んでくれてるかもしれない方にはほんと申し訳ない
◇
人気のない街並み。
アラガミに喰い散らかされ、不自然な風穴がぽっかりと空いたビル群。
崩れ落ちた民家。
区画全体に漂う頽廃的な雰囲気と、中心部にある、嘗ての街のシンボルだった教会に准えて、ここは"贖罪の
街"と呼ばれている。
極東支部から北東に位置するこの亡都が、再編された"ブラッド"にとって初の任務地となった。
討伐対象は大型が2体。
先の防衛任務でも確認された、虎の姿を模したアラガミだ。
硬化した皮膚に覆われた容貌の、その上半分は古代の兵士の戦兜や、王冠をも思わせる形状。
背中に配されたマント状の器官はあらゆる攻撃を弾き、それを満開の花びらのように展開させた際には、雷光にも似たオラクルエネルギーを帯びる。
大地を踏みしめる筋肉質な四肢は強靭で、常人を轢き潰す剛力と、軽やかに宙を舞うしなやかさとを併せ持つ。
このアラガミは大型種の中でも特に名の知れた種であり、これを若手神機使いにとっての登竜門と目する者もいる。
それ故に、この任務は新たな"ブラッド"の戦力的な指標にもなり得るだろう。
……名前だけの副隊長だった頃とは違う。
今の私には隊長として彼らの命を預かり、守らなければならない責任がある。
失敗は許されない。
逃げ場もない。
久しく感じていなかった緊張と重圧に、神機を持つ手が震える。
「――隊長?」
ふと我に返ると、ナナが俯く私の顔を覗き込んでいた。
「……ナナ?」
「大丈夫?もうすぐ目標地点だよ」
「……ごめん、少しボーっとしちゃってた」
「何を考えようが勝手だが、そろそろ切り替えておけよ……いつも通りでいい」
前方の索敵に気を張り巡らせていたギルが、私の様子を見咎める。
シエルは発言こそしないものの、気がかりそうな表情でこちらを窺っていた。
「うん……わかってる」
彼らに気づかれないよう、神機を握り直す。
これを乗り越える事が出来れば、きっかけが見つかるかもしれない。
"喚起"でも、与えられた役職でもない、私にしか出来ない事の、その兆しが。
「――私とギルが前衛、シエルは後方射撃、ナナはまず近接射撃で間合いを計って」
「初期位置からの移行タイミングは各自、臨機応変に……開幕はシエルに任せるよ」
「了解しました」
「了解だ」
「りょーかい!」
2体の虎型はそれぞれ、別々の地点で行動を始めている。
私達は各個撃破のセオリーに則り、出撃地点から近い箇所にいる、1体目のアラガミへと狙いを定めていた。
アラガミは狭まった街路の中に位置していて、こちらの動向にはまだ気づいていない。
場に一定の緊張感が漂う中、シエルの神機が銃声を発する。
「命中確認」
シエルの合図を皮切りに、"ブラッド"が一斉に駆け出す。
アラガミは即座に向き直り、自らに危害を加えたオラクルの軌跡を辿る事で、その発生源であるシエルへと敵意を向けた。
遠方から正確な狙撃を続けるシエルを庇うように、3人の神機使いがアラガミの前に立ちふさがる。
「喰らえ!」
「おりゃーっ!」
尚も歩みを止めようとしないアラガミに対し、ギルとナナが銃撃を仕掛ける。
これに気を取られた隙に、私はヤツの側面に回り込み、手にした短剣型の神機で後ろ足を斬りつけた。
虎型は前脚から顔面、背部のマントにかけた前面に硬質化した部位が集中しているものの、その分、胴体や後ろ足といった、残りの部位は比較的、肉質が軟らかい。
特に、短剣型や槍型といった、接触部位の集中した、貫通性の高い近接パーツや、それらに類似した属性のバレットには脆く、
それらの装備を担う場合は、まず虎型の側面か背面に陣取るのが基本戦術となる。
一連の攻撃が煩わしいのか、虎型は苛立たしげに息を荒げ、全身に青白い雷を纏う。
私達は瞬時に飛び退き、直後に発生した、虎型の周囲を覆う電磁場から身を逃れた。
これを隙と見たアラガミは後方へ大きく飛びあがり、背部のマント状の器官を展開させる。
扇状に広がったマントと頭部の間には雷球が生成され、軽やかな宙返りと共に、それは放たれた。
「シエル!」
「はい!」
既に初期位置から移動し、拡散した雷球を防ぐギルとナナの背を飛び越えたシエルが宙を"蹴る"。
私もそれに追随する形で地を駆け、アラガミの着地後もなお放たれる、雷球の連射を共に掻い潜っていく。
業を煮やした虎型は質量攻撃に手段を切り替え、その巨体で私達を押しつぶさんと飛びかかってきた。
そのさ中、アラガミの眉間にバレットが撃ち込まれる。
バレットは目標に接触した直後、球形の吸着弾へと変質し、その場で爆発を起こした。
銃撃を行ったのはギルだった。
虎型の顔面は硬く、貫通属性の攻撃を通さないけど、爆発や打撃といった、衝撃を伴う破砕属性の攻撃には弱い。
彼の狙い通り、アラガミは悲鳴と共に体勢を崩し、再び地面に足を降ろした。
勢いを殺しきれず、滑るように着地したアラガミの胴体めがけ、私とシエルが両側面から短剣型神機による連撃を叩き込んでいく。
痛みに呻く虎型が爆炎に次いで目にしたのは、ブースト機動によって自らの目前にまで迫ってきていた、ナナの大槌だった。
先のダメージにより脆くなっていた顔面は完全に砕かれ、アラガミは視力を失う。
この調子だ。
このままいけば、誰も傷つくことなく、任務を終える事ができる。
そんな私の慢心を即座に打ち砕くかのように、オペレーターからの報せが届く。
『もう1体のヴァジュラが進行方向を変え、こちらの方角に接近してきました!現在の地点からの移動を推奨します!』
予想していなかったわけじゃないけど、想定よりも接近速度が早い。
警告通り、この場から1体目を引き離さなければ。
「ナナ!"血の力"で――」
「避けろっ!!」
「えっ――」
ギルの叫びに反応し、身構えようとした時には、もう遅かった。
足元に小さな痺れが走ったかと思えば、体の中心から頭頂部まで、一気に衝撃が駆け昇る。
「――っ!!」
身体の一部を損壊させるほどの負傷があろうと、その活動が停止するまで、アラガミの闘志、あるいは本能が衰えることはない。
虎型は絶えず隙を窺い、焦った私を先ほどと同様の電磁場に巻き込むことに成功した。
小賢しい未熟者に一矢報いたアラガミは、身体を刺す周囲の攻撃には目もくれず、
自らの近辺に発せられた偏食場パルスを頼りに、一目散に駆け出して行く。
「隊長!」
「大丈夫……ごめん、油断しちゃった」
「説教は後だ、追うぞ!」
全身を焼くような痛みと、多少の痺れはあれど、戦闘面に支障はない。
シエルとナナが回避に成功していた事にはひとまず安堵しつつ、離脱したアラガミの追撃に向かう。
◇
『……このままでは、アラガミの合流は避けられませんね』
私達はシエルの"直覚"と、オペレーターの指示を頼りに、逃亡したアラガミの追跡を続けていた。
入り組んだ市街地の中で、建造物を飛び越えられる虎型に対し、現状の私達に先回りできる手段は存在しない。
割り出されたアラガミの合流地点は、先ほどとは対照的に、障害物や遮蔽物の少ない、開けた場所が示されていた。
「片方は既に手負いとはいえ、ヴァジュラ2体の連携はバカにはできませんね……」
「目が見えないってことは、逆に言えば、簡単にもう一体と離れないって事だし……」
「さっきの狭路とは違い、今度は広場だ……そこら中を跳ね回られる可能性もある」
「スタングレネードと、ナナの"血の力"での分断を考えた方がいいな」
"――ジュリウスごめん!俺ちょっと行ってくる!"
「……」
「……どうした?」
ギルの言葉で、あの日の記憶が想起される。
私が手を伸ばさなかったばかりに、彼は手の届かない場所へ行ってしまった。
結果だけを見れば、仕方のない事だったのかもしれない。
どうしようもない事だったのかもしれない。
だけど――
"いくら恐怖に曝されようと、苦痛を与えられようと、それがお前だけの問題なら私は構わない"
"だが、それが他の人間に降りかかるのであれば話は別だ。自身に阻止できるだけの力があるなら、全力で解決に当たらなければならない"
――それを正当化していい理由には、ならない。
決して、繰り返していいことではない。
また、手が震えだす。
「……分断は、しないよ」
「何……?」
私自身に何もなくても、神機使いとしての力はあるはずだ。
あの時だって、防げたはずなんだ。
「1体は手負い、しかも視力を失った今なら、複雑な連携行動には対応出来ないはず」
「出方がある程度わかっているなら、わざわざ戦力を分散させることもないと思う」
「ですが、それも確証が持てません……それに、先ほどのペースから考えると、2人ずつでも十分――」
「……大丈夫だよ。私だって、何の考えもなしにこんな事言ってるわけじゃないから」
「……考え、ですか」
「それで、その作戦って?」
「追いついてから話すよ……今はちょっと、言えないかな」
私の手が届く限り、仲間を危険に晒させはしない。
……もう手放すつもりも、ない。
「……そろそろだな」
ギルに応じ、"ブラッド"は付近の建造物の、その壁沿いに寄り集まった。
この先に、討伐目標がいる。
「いたいた、ぴったりくっついちゃってぇ……」
物陰から顔を出し、ナナが肉眼でアラガミの姿を捉える。
彼女に続いて覗き込むと、2体の虎型が互いに寄り添い、追っ手を待ち構えるかのように、周囲を警戒していた。
「さて……その考えってのを聞かせてもらおうか」
仲間の側へ振り向いた私の元に、三つの視線が注がれた。
疑いのない眼。
期待を宿す瞳。
力量を推し量ろうとする目。
だけど、平静を保つ私の表情の裏にあるのは、会心の策なんかじゃない。
「……そうだね、まずは3人とも――」
体勢を整える。
不穏さを感じ取ったのか、ギルが僅かに眉を上げるのが見えた。
「――ここで待機していて」
言い終わるか言い終わらないかの内に、私はその場から飛び出した。
制止する声も、混乱や戸惑いの声も、今は耳に入れず、全速力でアラガミの元へと向かっていく。
警戒を続けていた無傷の虎型は私の姿を即座に認め、戦場に咆哮を轟かせた。
顔を失ったもう一体もそれに呼応し、展開したマントから雷球を生成する。
狙いもなく、単調に放たれるそれだけなら、まず当たることはないけど、相手は2体だ。
相手を定められる視覚を持った虎型が、その強靭な四肢を躍動させ、私に迫る。
右からは雷球、左からは質量攻撃。
置き去りにした仲間の援護を待てるはずもなく、私はまず雷球の方に向かう。
次いで大きく跳躍し、雷球を回避した後、真横に出した右足で宙を"蹴る"。
飛び込んだ私は神機を捕喰形態に移行させ、突っ込んだ勢いでその場を通り過ぎようとしていた、虎型の尾を噛み千切って着地した。
虎型は苦悶の声を上げ、"オラクル細胞"同士の結合を絶たれた尾は黒い霧となって霧散する。
私が現在、近接形態の神機に装備しているのは、数種ある刀身の中でも最も小型かつ軽量の、短剣型の刀身パーツだ。
そのため、基本的にはリーチが短く、一発の攻撃にも大した威力はない。
しかしながら、それらを補う特徴としてあるのが、機動力の高さだ。
短剣は軽量故に、短時間に多くの攻撃を重ねられ、咄嗟の回避行動にも優れる。
加えて、それらの補助として、神機には内在する"オラクル細胞"を制御する機構がある。
これは他の刀身パーツにも対応している機構で、例としては槍型のオラクル気流や、槌型のブースト機動といったものがある。
しかし、短剣型にはその設計思想のために、そうした機構を搭載できるだけの余剰スペースがない。
なので、移動用に割り切ったものとして、短剣型は神機から発生する"オラクル細胞"を用い、大気中に小さな壁を生成する。
この壁は一つの行動に一回しか生成できない代わり、神機使いの脚力に一度は耐え、空中での移動を可能とする。
先ほどの戦いでシエルが活用したのもこの機構で、彼女も主な装備として短剣パーツを扱っていた。
そして現在、私は回避と攻撃を同時にこなし、背を向けた形の虎型と、後方の無貌の虎型との間に着地していた。
尾を喰い千切られたアラガミは怒号と共に全身の"オラクル細胞"を活性化させ、青白い雷を帯電させる。
依然としてその標的は私に定められているだろうけど、直に追いついてくるであろう"ブラッド"に目をつけないとも限らない。
それを未然に防ぐため、私は腕輪のアタッチメントを展開させ、懐から取り出したアンプルを腕輪に挿し込んだ。
投与されたアンプル内部の液体が腕輪を介して体内に循環し、全身から目に見えない物質が分泌される。
その直後、敵意を漲らせた尾無しの虎型は元より、視覚がないはずの無貌の虎型もまた、こちらを標的に据えていた。
無数の"オラクル細胞"で構成されたアラガミを律する、捕喰行動という名の本能。
その、偏食傾向に拠らない上辺を刺激し、誘発させるのが、先ほど私に投与されたフェロモン物質だ。
ナナの"血の力"ほどの効力はなくとも、これで一定時間アラガミを引き付けることはできる。
私が細胞自体に刺激を与える囮となったことで、無貌の視覚のハンデを解消させてしまったのは痛いけど、
ヤツが狙いもないまま闇雲な攻撃を仕掛け、思わぬ被害が発生するなんて事がないだけ、ずっといい。
神機を構え直し、前後からにじり寄る虎型に備える。
シエルとギルによるものであろう、後方からの狙撃を受けてもなお、尾無しは私から視線を離さない。
もうすぐナナも追いついてくる頃だろう。
……時間は、かけられない。
意を決した私と、獲物目がけた虎型達の跳び上がるタイミングは、ほぼ同じだった。
私は活性化によって攻撃速度を早めた、尾無しの虎型に向けて宙を蹴り、
展開した装甲パーツでアラガミの繰り出した右前脚を受け流し、翻した身で、すれ違いざまに虎型の後ろ脚を斬りつける。
私も先ほどの捕喰で活性化しているとはいえ、やはり一撃では浅い。
通常ならこのまま着地して次の攻撃に備えるところだけど、私には"ブラッドアーツ"がある。
"血の力"もしくは、それから派生した戦闘技術、"ブラッドアーツ"の発現には、"新型"神機使いの起こす"感応現象"が密接に関わっている。
以前も触れたけど、"感応現象"は体内の"オラクル細胞"が脳神経と結合し、"偏食場"と同種の脳波を発現させるという現象だ。
"偏食場"を発生させるということは、神機使いの体質がよりアラガミに近づくという事であり、
また、神機を制御する人工細胞の容れ物でしかなかった人間の肉体が、細胞を受容し、自発的にオラクルを伴った機能を発するまでに至ったという事でもある。
この神機使い側の、体内の"オラクル細胞"の増幅をより強化したのが"血の力"だ。
滞空時間の中、私は神機を握りしめ、刃先に念じるイメージで戦意を込めた。
P66偏食因子の作用により、私の感情を媒介に増幅された脳波が、腕輪の介入を必要とせずに神機まで伝達される。
伝達した"偏食場"は神機内で循環する"オラクル細胞"に影響を及ぼし、その流量を増加させる。
こうして瞬間的に強化された神機はその威力を高めるだけでなく、それに付随する機構をも発達させる。
つまり短剣型の場合、一つの行動の中でいくつも壁を作ることも可能になる。
斜め下から斜め上へ、右から左へ、上から下へ。
壁を蹴った先に壁を作り、オラクルの刃で強化された刀身を用いて、貫通攻撃の通る部位を切り刻む。
攻撃対象は尾無しだけに止まらない。
活性化で発達した脚力で壁を蹴り、無貌も射程に捉える。
だけど、ずっとやられていてくれるほど、アラガミも単純じゃない。
段々と私の動きに適応し始め、迎撃に前脚や雷球、電磁波を織り交ぜてくる。
元々回避も織り交ぜた空中機動とはいえ、今度は深追いした私の方が対応しきれず、無貌の体当たりをギリギリ避けたところで地に降ろされた。
その隙を狙い、尾無しが再度飛びかかってくる。
身をよじって回避しようとするも、虎型の雷爪は制服の肩口付近を切り裂き、私の肉体からも鮮血を噴出させた。
「くっ……う……!」
鋭い痛みと、全身を襲う痺れに顔が歪む。
身体を動かせないこともないけど、しばらく回避行動は望めそうにない。
とはいえ、こちらも十分なほどの連撃をアラガミ側に叩き込んだ。
着地した尾無しの様子には疲労が見え、一戦目からのダメージが蓄積している無貌は、足元がふらついてきている。
後少し。
この局面さえ乗り越えれば、守り切れる。
麻痺に抗い、私がぎこちない動作で守りを固めるよりも早く、無貌が体勢を立て直した。
衰えてはいるものの、未だ威圧を感じさせる勢いでこちらに迫ってくる。
尾無しも同様に身を翻し、私に追い打ちをかけるために駆け出した。
そこで、ふと私は違和感を覚えた。
無貌の軌道が、段々私から逸れていっている。
今になってフェロモン剤の効果が切れたと仮定しても、不自然なほど右側へ――
無貌の方向に集中しかけてしまい、慌てて尾無しの方を見やるのとほぼ同じタイミングで、刺突音が耳朶に響く。
そこで私が見たのは、オラクル気流を展開した槍先に纏わせ、側面から尾無しの胴体に神機を突き立てているギルの姿だった。
傷ついた尾無しの肉体は容易く槍を受け入れ、たちまちのうちに呑みこんでいく。
たまらず動作を止めた尾無しは、私への追撃を諦め、その場から飛び退いた。
「やっとこっち向いてくれた……それ使われると、こっちも調整難しいんだからねー!」
声のする方に振り返ると、ナナが装甲パーツを展開し、無貌の振り下ろした前脚から身を防いでいた。
言葉の内容から察するに、ギリギリ個体のみを引き寄せるように調整した"血の力"を用い、視覚のない無貌の狙いを逸らしたようだ。
『結合阻害弾です!止めを!』
間髪入れず、シエルからの無線と共に、遠距離から一発ずつ、それぞれの虎型に狙撃が行われた。
"結合阻害弾"はその名の通り、アラガミを構成する"オラクル細胞"同士の結合を阻害し、弱体化させる"ブラッドバレット"だ。
概要は近接銃の"徹甲弾"と似通っているけど、こちらは当てた部位を破壊する、高威力ながら限定的なもので、
対する"結合阻害弾"はアラガミの弱体化のみに止まる代わり、その効果を全身に及ぼす、サポート主体のものになっている。
「今度こそー……とどめぇっ!!」
無貌の攻撃の隙を突き、ナナが神機を振りかぶる。
振り下ろされた大槌は、先にナナが破壊していた顔面の跡に再び直撃した。
貌どころか、胴体部分にまで槌をめり込ませたアラガミの本能は潰え、呻き声さえ上げられずに倒れ伏す。
私も呆けてはいられない。
痺れの取れた身体を動かし、神機を銃形態に移行させながらも、ギルと格闘を続けていた尾無しの方へと駆け出す。
私が銃身に装備している重火銃パーツには、狙撃銃や近接銃といった、他の銃身のような、際立った特徴がない。
しかしながら、その代わりとして、"オラクルリザーブ"と呼ばれる、有用な機能が備わっている。
"オラクルリザーブ"は、その名の通り、射撃用のオラクルエネルギーを貯蔵する機能で、他の銃身とは比べ物にならない容量を貯めておける。
一定の量までオラクルを貯めてしまえば、単純な威力だけなら"ブラッドアーツ"をも上回るような一撃をアラガミに与えることが出来るのだ。
その分時間はかかるけど、私の神機内には、現時点でかなりの量のオラクルエネルギーが充填されている。
無貌になる前の虎型との対峙から今まで、ほぼ近接形態のみで戦ってきたためだ。
短剣型は手数の多さから、オラクルの効率的な回収にも秀でているため、重火銃との相性がいい。
本来なら、短剣型の"ブラッドアーツ"とこの機能を併用して、2体まとめて決着を付ける狙いだったけど、そうはならなかった。
……独りで彼らを守り切る事も、私には出来なかった。
『リザーブ弾いくよ、下がって!』
尾無しの眼前で無線による指示を飛ばし、"ブラッド"の退避を確認した私は、銃口から高密度なオラクルの塊を吐き出す。
放出されたエネルギーは渦となって前方に拡散し、虎型の巨体を一瞬で包み込んだ。
渦中のアラガミが逃れようとするよりも早く、ダメージを蓄積させた肉体は朽ちていく。
時間経過で渦が大気中に霧散した後には、力尽きた雷獣の骸が横たわっていた。
ヴァジュにゃんズ討伐まで
こんな程度の設定捏造でなぜこんなに時間がかかったかというとまぁその…なんだかんだで楽しいよねGER
ショートのブラッドアーツは一応ダンシングザッパーイメージのつもりだけど何か別物になってしまった
あと今度は別の用件でまた一月近く投下止まります……毎回本当にごめんなさい
エタ寸前でやっと用事が一段落したのでちょっとだけ
しばらく余裕できるから出来るだけ投下スペース早めたい
でもクリスマスSSもちょっと書きたい(ボソッ
◇
戦いを終え、私とナナはアラガミのコアの回収作業にあたる。
アラガミに死の概念はない。
損傷を受けて一時的に活動を停止させる事はあっても、コアがある限り、奴らは何度でも再生する。
コアの回収は、アラガミ装甲壁を更新する以外にも、そうしたアラガミの再生を防ぐ措置にもなっているのだ。
だけど、いくらコアを破棄したところで、霧散した"オラクル細胞"は今までの記憶を引き継ぎ、私達の与り知れぬ所で再集合することで、またコアごとアラガミを形作る。
その循環を断ち切らない限り、人類側は防戦一方でしかない。
勝てる見込みも、戦いの先も見えないこの世界で、私は何を残せるのか。
それはまだわからないけど、今の私にはやらねばならない事がある。
託されたからというだけじゃなく、私自身がそうしたいと感じたからこそ、私は"ブラッド"を守り抜かなければならない。
……でも、それだけじゃ、まだ何かが足りない。
その何かがわからないから、こうして身の丈に合わない事をしでかして――
「……隊長、先ほどの行動の真意を聞かせてください」
――仲間から歪みを見咎められる。
「……下手に集団で動くより、相手に的を絞ってもらった方がリスクも少ないと考えただけだよ」
「シエルこそ、どうして待機命令を守れなかったの?」
「……待っていれば、君は次の指示を出してくれたんですか?」
私を見据える、疑念の目。
だけどそこには、そうであってほしいと信じようとする感情も混じっていて、それが私に二の句を継げなくさせる。
「どちらにせよ、それで自分が追い詰められてるんじゃ、世話はねぇな」
「やめなよ、ギル……」
沈黙する私達の間に、ギルと捕喰を終えたナナが割って入る。
言葉ではギルを宥めているけど、ナナ自身も私の行動に納得はしていないようだった。
「独りよがりな命令は聞けない……少なくとも、俺は置き物じゃないんでな」
「……お前が変に固執しなけりゃ、いくらでもやりようはあったはずだ」
「うーん……あんまり悪く言いたくないんだけど、私も今回はちょっと隊長らしくないと思うなー……」
わからない。
ギルも、ナナも、シエルと同じ目をしている。
私に、期待できる事なんてないのに。
結局、この戦いで何も見つけられなかったのに。
彼らが私にどんな価値を見出しているのか、私自身にはまるでわからなくて。
「……私らしさって、何?」
「えっ……?」
つい、禁句が口を突いて出てきてしまっていた。
「それがわからないから、私はこうやって……!」
そこまで言いかけたところで、呆気に取られた仲間の様子を見た私は、ようやく我に返った。
「……ごめん、何でもない」
彼らは未だに言葉を失っているようだった。
当然だ。
私だって、自分で理解するまでは口外しないつもりだったのに。
任務中の判断ミスといい、以前にもまして、より自制が利かなくなってきている事を嫌でも自覚する。
「……いや、何でもないってことは――」
『緊急事態です!市街地エリアに、新たなアラガミの発生が観測されました!』
問い質そうとするナナを遮るように、オペレーターから無線が入った。
とりあえずここまで
もっと曇らせなきゃ…
◇
「――了解しました、このままポイントに直行します」
オペレーターから詳細を聞き、私達は討伐対象アラガミの追加を承諾する。
アラガミはこの区画の廃屋内に発生していて、既にシエルも"直覚"でその位置を把握している。
現状で即時行動に移せるのは"ブラッド"だけだし、支部の近辺に位置する、この亡都での問題を見過ごすわけにもいかないだろう。
「そういうわけだから、まずはこっちを……」
だけど、タイミングが悪すぎた。
「……話はまだ終わっていません」
「さっきは私のミスで皆を心配させて、ごめんなさい……でも、これからはちゃんと――」
「そういう事を言ってるんじゃない」
直前のやりとりで確信を得てしまったのか、誰も私の話題逸らしに乗ろうとはしなかった。
実際、あの場で思わず口走ってしまったことが、私を悩ませているのは確かだけど。
「……大丈夫。私の問題だから、自分で解決できるよ」
「……今のお前じゃ、背中は預けられない」
「自分で解決できる程度の問題なら、話すぐらいはできるんじゃないのか?」
「……シエルと、ナナも?」
「……」
「え、えーっと……」
先ほどとは打って変わって、3人とも私から目を背けている。
「……信用できないなら、それでもいいよ」
やっぱり私は、話せなかった。
一時の信用だけでなく、誰から見向きもされなくなる気がして。
何もできない自分を知られて、期待を裏切ってしまうのが怖い。
この恐れが、嘗て"ブラッド"から離れようとまでした私の本性なんだろうか。
知られた方が都合がいいのに、自分を理解できるのに、たったそれだけのことが乗り越えられない。
「……先に行ってるから」
己に纏わりついた虚飾をこれ以上取り払われたくなくて、私はまた仲間から逃げ出そうとする。
それはこうした方がいいというような理屈じゃなくて、最早反射的な行動に近いものだった。
「待て!」
既に見当をつけていたのか、ギルが走り去ろうとする私の肩を、その寸前で掴む。
彼の手を振り払おうと、私が振り向きかけた瞬間――
――眉間に熱を帯びると共に、視界が真っ白な光に包まれた。
◇
"アナグラ"や、フライアとも違う、どこかの室内空間。
そこには、右腕に赤く大きな腕輪を着けた、3人の人物が佇んでいた。
紫の帽子を被った、気難しそうな顔の青年に、その向かい側で彼をからかっている、年長者とおぼしき、黒のライダース姿の男。
そして男の傍らで微笑む、赤縁眼鏡に、茶色のロングヘアの女性。
終いには帽子の青年も笑みを見せ、この空間は温かい雰囲気に包まれていた。
その場に私はいない。
意識は視覚と聴覚を得て、確かに彼らの様子を窺えているけど、肉体もなければ、彼らに存在を感知されてもいない。
更にいえば、彼らの内の青年のものと思わしき感情が、私の内にも流れ込んできている。
明らかに尋常ならざる事態だけど、そうとしか形容しようのない感覚と世界に、私の意識は引きずり込まれていた。
永久に続くと錯覚してしまいそうになる心地よさと、大事な存在である男と女性に何らかの本懐を遂げさせてやりたいという、使命感にも似た願い。
そうした青年の想いに何故か抵抗する気も起きず、感じ入ってしまっていると、突然空間が塗り替えられた。
靄を抜け、目の前に広がっていたのは、異国の戦場。
男はおらず、青年と女性が得物を手に、赤い鎧を纏った怪物と対峙している。
怪物の力は圧倒的で、2人の繰り出す攻撃をものともしない。
女性の決死の反撃により、怪物はその場から退散するも、彼女はある致命傷を負ってしまっていた。
――"人手の足りないグラスゴー支部の仲間のため、幾度の引退勧告を無視してでも神機使いを長年続けてきた彼女は、
件の赤いアラガミとの戦闘がきっかけで身体が活動限界を迎え、暴走したオラクル細胞の浸喰……アラガミ化が始まってしまう。"――
絶望的な状況に介入しようとしても、意識だけの存在ではそれもままならない。
悔しさと歯痒さを感じると同時に、私はこの状況に、自分の記憶とのつながりを感じていた。
この直感が正しければ、青年はこの後――
"葛藤の果て、彼は自ら手を下した――"
――恩人に手をかける罪、果たせなかった願い、男への懺悔、彼女の仇と、無力な自分への憎悪。
様々な負の感情が、重圧となって一挙に圧し掛かってくる。
……私が今垣間見ているのは、ギルの記憶だ。
そして、この一連の現象自体にも、学んだ知識の一つとして、覚えがあった。
新型神機使いの"感応現象"。
この現象がそう呼ばれる由縁は、"新型"の発する脳波が"偏食場"を有するだけでなく、
そうした"新型"同士の脳波が干渉し合い、結合することによって、強力な交感作用を発生させる点にある。
その内容は、端的に言ってしまえば、現在のように、感応した相手の記憶を覗き見ることだ。
この交感作用に限定した、"感応現象"の引き金は"新型"同士の直接的な接触と、当事者達の感情にあると言われているけど、
明確な発生条件は未だ明らかになっていない。
ましてや私達のような第3世代神機使い同士での発現は、今回が初めてのケースになるだろう。
またも空間が塗り替わる。
再度靄を抜け、私が目にしたのは、自身も幾度か足を運んだ、フライアの庭園だった。
そこにいるのは、入り口付近に設置された、休憩所の椅子に座り込むギルと、その眼前に立つ、緑がかった金髪の少女。
ギルは先ほどの出来事からいくらか落ち着いてはいるものの、その心は沈み、自責の念と復讐心に縛られ続けていた。
そんな事情は露ほども知らず、少女は恐る恐る彼に話しかけようとしている。
拙い調子に、怯えを見せる態度。
けれど彼女は、けして臆病者ではなかった。
他者のために調和を保とうとする彼女の言葉は、何故か己をもその気にさせてしまう。
ギルの心に、小さな火が灯された。
この少女はどこか似ている。
外見的な共通点はあまりないけど、嘗て自身が手を下したあの人に。
自分への説得が成功し、安堵の表情を浮かべる少女に、ケイトさんの笑顔が重なって――
――突如として空間が崩れ去り、現実世界の肉体に意識が戻る。
私は気が付くとすぐさまギルの手を振り払い、怯えた目で彼を睨みつけた。
私は"感応現象"を知識として知っていた。
それを目の当たりにして、理解した後は、何度もこの交感作用の中断を働きかけた。
"感応現象"は一方的なものじゃない。
私がギルの記憶を体感したということは、その逆もまた然りなのだ。
つまり、彼は私の記憶を覗いてしまった。
これまで隠し通してきた素性を。
今までの私を知ってしまった。
感情の昂ぶりと共に身体が震え、足元から崩れ落ちそうになるのを、必死に抑える。
「……今、のは……!?」
明らかに動揺しているギルはもとより、ナナやシエルも、状況が理解できずに固まっている。
傍らから見る分には、突然目の前の2人が静止したようにしか見えないからだ。
その隙を突く形になりつつも、私は今度こそ逃げ出した。
思考を放棄し、脇目も振らず、次の目標へ向かって一直線に。
感応現象パートが思ってたよりも長くなったので今回はここまで
あいつ設定の話になると早口になるの気持ち悪いよな…
足元から崩れ落ちるのは何か違う気がするのでちょっと訂正
――突如として空間が崩れ去り、現実世界の肉体に意識が戻る。
私は気がつくとすぐさまギルの手を振り払い、怯えた目で彼を睨みつけた。
私は"感応現象"を知識として知っている。
それを目の当たりにして、理解した後は、何度もこの交感作用の中断を働きかけた。
……"感応現象"は一方的なものじゃない。
私がギルの記憶を体感したということは、その逆もまた然りだ。
つまり、彼は私の記憶を覗いてしまった。
これまで隠し通してきた素性を。
今までの私を知ってしまった。
感情の昂ぶりと共に身体が震え、膝から崩れ落ちそうになるのを、必死に堪える。
「……今、のは……!?」
明らかな動揺を見せるギルはもとより、ナナやシエルも、状況が理解できずに固まっている。
"感応現象"を傍らから見る分には、突然目の前の2人が静止したようにしか見えないからだ。
その隙を突く形になりつつも、私は今度こそ逃げ出した。
思考を放棄し、脇目も振らず、次の目標へ向かって一直線に。
あけましておめでとうございました
今年もよろしくお願いします
またも停滞させてすみません…
このペースだとマジに1年ものになりそうな…
◇
駆ける。
自分を突き動かす、ある情動から解放されたくて。
でも、その方法を知らず、知ろうともせず、ただ無抵抗に呑まれるままで。
そんな矛盾を孕んだまま、私は独り、無人の街を駆けていた。
――"いくら恐怖に曝されようと、苦痛を与えられようと、それがお前だけの問題なら私は構わない"
"だが、それが他の人間に降りかかるのであれば話は別だ。自身に阻止できるだけの力があるなら、全力で解決に当たらなければならない"
"じゃあお父さんは、私を助けてくれないの?"
"お前が私の言う事を守っていれば、まずそんな目に遭うことはないからな"
――知られた。
よりにもよって、彼に。
閉じ込めてきた過去を。
向き合えずにいる自分を。
裏切った。
失望される。
――"お父さん!えっとね、今日はね、お兄ちゃんが――"
"……食事が済んだなら、早く自分の部屋に戻りなさい"
"あっ……そ、そうだ!学校のテストで――"
"何度も言わせるな"
"――っ!……はい……"
――ずっと、見てもらえなくなる。
ひとたび立ち止まれば、額に汗が滲み、息も乱れる。
頭を垂れ、膝を手についたその全身は、鉛の重さにも似た倦怠感に覆われていた。
自分だけでなく、神機にまで影響をもたらす"ブラッドアーツ"の発動は、肉体に少なからず負担を強いる。
短期決着に固執した、先の戦いでの"ブラッドアーツ"の連発により、私の身体には通常の戦闘以上の疲労が蓄積していた。
――"どうした、そんな所にうずくまって"
"……お父さんが一言だけ、お前のその髪が忌々しいって"
――それに、頭も痛い。
"感応現象"により、事物を強く意識した影響だろうか。
思い出したくもない記憶がフラッシュバックを起こし、私の脳内をかき乱してくる。
今の私は、精神、肉体共に、とても万全と言えるような状態ではなかった。
このまま膝を折ってしまいたいところだけど、そうもいかない。
息も絶え絶えに顔を上げれば、そこには目標地点である、廃屋の入り口があった。
――"……父さんには僕の方から言っておく……どうせ聞き入れてはもらえないだろうが"
"ただ……母さんのことは、恨まないでやってくれ"
"……大丈夫だよ、お兄ちゃん……嫌いになんて、ならない"
"だってこの髪は、私がお母さんの娘だっていう証なんだもの"
――仲間を失いたくないから、分断戦を拒否したはずなのに、今度は私の方からその仲間を突き放している。
……ジュリウスもギルも、人を見る目がない。
私は優しくもなければ、仲間を信じられるだけの度量もない、自己中心的な臆病者だ。
呼吸を整え、私は再び歩を進める。
この任務を通しても、やはり私に隊長としてふさわしい資質があるようには思えなかった。
ナナに言わせれば、今の私は"らしくない"ということだけど、それがどういったものなのかも見出せない。
だけど、せめて彼らが無傷のまま、この仕事だけは完遂させたいという未練が、私の原動力になっていた。
――"誰が従うなと言った。誰が抗えと言った。お前があの女のことを知る必要はない"
"……例え、あれが死んだとしてもだ"
――屋内に足を踏み入れた途端、異臭が鼻腔を突いた。
思いつく限りの有機物と鉄を煮詰めて腐らせたような、今すぐにでも蓋をしてしまいたい臭い。
嗅ぐだけで吐き気がこみ上げてくるほどだけど、この場では何とか持ち直す。
当然ながら、中に人の気配はない。
――少なくとも、人のそれは。
通路を少し進めば、そこには右奥の部屋から放り出されたと思われる、携帯食料とその容器が散乱していた。
それらは明らかに幾数年と放置されたものではなく、一日と経たない内に用意されたもののように思える。
――思えるどころではなく、そのものだ。
――封も切られていない、棒状の固形食糧の袋には、赤黒い液体がこびりついていた。
疲労とは別の要因からくる、一筋の汗が頬を伝う。
既に切ってあった無線は元より、息も足音も潜め、私は部屋の間近の通路伝いにその身を預けた。
奥の部屋ににじり寄った分だけ、悪臭は強まっていく。
臭いにせよ、眼前に散らばったものにせよ、けして良い予感はしなかった。
……だけど、この先にこそ、私の目的がある。
彼らを無事に帰還させるためにも、ここで合流を待つわけにはいかない。
うるさいぐらいに感じる心音をよそに、私はアラガミの潜む空間へ乗り込んだ。
最初に見たのは、右胸から生えた腕だった。
次に見たのは、半分ほどもない顔だった。
一面の血だまり。
散らばった布切れ。
もはや、人体だったとも判別し難い肉片。
片隅には、音を立てて咀嚼する物体と、それの啄む動きに連動して跳ねる、肉塊があった。
何らかの事情で、外での生活を余儀なくされた者達だろうか。
それとも別の地から、極東への移住を望んで旅をしてきた変わり者なんだろうか。
そんな事は、もはやどうでもよかった。
惨状に直面した驚愕が怒りに変わるのに、そう時間はかからなかったから。
神機を床に突き立て、金属音を響かせる。
物体が動きを止め、こちらにのそりと向き直った。
全身を赤い硬皮に覆われた、先の虎型を思わせる四足の巨体。
両肩は大きく張り出し、背中には砲塔のような器官が折り畳まれていた。
頭頂部から上顎にかけて覆われた半透明のカバー状の皮膚には、人々を蹂躙した証が飛沫状となって張りついている。
その面を見るだけで、私が激情に身を任せるには十分だった。
床を蹴り、血の上った頭でアラガミとの距離を詰める。
敵の存在を認めたアラガミは、真っ先に斬りかかるこちらの攻撃を、横っ飛びで軽々とかわしてみせた。
ヤツはその巨体にとって不利であろう狭所を物ともせず、むしろ跳んだ先の壁をバネにすることで、私に急襲を仕掛けてくる。
間一髪で攻撃をかわし、神機を振り下ろすも、既に着地を終えていたアラガミは再度その場から飛び退いた。
「はぁっ……はぁっ……!」
……身体が、重い。
アラガミの身軽さもあるけど、疲弊までは怒りで誤魔化せなかった。
健常なら捉えられた攻撃も、無理なく行えた回避も、全ての行動が後手に回ってしまう。
それなら、脚を封じるまでだ。
神機を構え直す。
現状でどこまで"ブラッドアーツ"に頼れるかはわからない。
けれど、この時の私にはそれを考える余裕も、判断力もなかった。
こちらの変化に素早く反応し、アラガミが飛びかかる。
ヤツの前脚の餌食になるより一瞬早く、私の神機は今度こそアラガミを捉えた。
前脚に喰い込んだ刃先を引き切ろうとした、その瞬間。
――視界が、真っ白になった。
それはまるで、つい先ほど生じた感覚のような――
――戦火に包まれ、混迷の様相を呈した街。
群衆は一様に何かを見上げ、怯えた顔で逃げ惑う。
その人々は無情にも、大小の手足に踏み潰されていく。
"それ"は、手足の中の一つだった。
高い知能こそ持っているものの、その行動の原則は他の手足と同じく、喰らう本能に基づいたものだ。
踏み潰したものも、引き裂いたものも、所詮は捕喰の過程で発生する消費物に過ぎなかった。
"それ"が発生して年月が経った後、"それ"は人間達に倒された。
だから"それ"を構成する細胞は、人間を消費物から本能の対象へと切り替えた。
場所を変え、形を変え、"それ"は人々を喰い続ける。
いつしか、当初は無感情で行っていた捕喰行動にも、"それ"はある執着を見せるようになった。
肉を轢き潰し、骨を砕いた時に生じる、この快感は何だ。
痛みと恐怖に怯え、引き攣った顔を眺め見た時の、この高揚感はどうだ。
……タノシイ。
そう、タノシイだ。
喰った先からこのような知識を得るのもまた、タノシイ。
だから、ここにいたヒトでも、随分と楽しませてもらった。
仕方なく共喰いで済ませて久しい所に、まったくもって絶好の餌が舞い込んできてくれる。
裂いて、割って、悲鳴をスパイスにして。
遠くの音も気にせずに食事を楽しんでいたら、やけに近くで音を鳴らす奴がいる。
振り向いてみれば、餌がまた一体。
もうしばらく、楽しめそうだ――
――視界が、ぐにゃりと歪む。
意識がここに引き戻された時、待っていたのはアラガミの反撃だった。
脇腹に直撃をもらい、後方に吹き飛ばされる。
私はまともに受け身も取れないまま、壁に背中を叩き付けた。
「うぶっ……!!」
一連の衝撃が止み、今まで身体にかかってきた負荷と、直前に流し込まれた映像と悪意が一度に戻ってくる。
絶えない悪臭も合わさって、私は堪え切れずに嘔吐してしまった。
折れた肋骨の痛みも構わず、血液混じりの吐瀉物を撒き散らす。
その隙を、アラガミが見逃すはずもなかった。
瞬く間に私との距離を詰め、接近に気づいた私の上体を、先ほど傷つけた方の前脚で壁にめり込ませる。
磔にされた左肩と腕は軋み、今にも踏み砕かれんとしていた。
「ぐ、う……あぁぁぁ……!!」
悶え苦しむ私を眺めるアラガミの口の端が、大きく吊り上がった、ように見えた。
ひと思いに潰してしまえばいいものを、徐々に力を強めてくる。
このアラガミは、捕喰を楽しんでいる。
人間から感情を学習し、自らの間近で人々がもがき苦しむさまを、心底悦んでいる。
直前に垣間見た記憶は、やはりヤツのものだった。
与えられ続ける恐怖と痛みで、私の顔がアラガミの望み通りに歪みかける。
せめてもの抵抗に顔を伏せると、足元に転がっていた、顔だったものと目が合った。
虚ろな瞳は、持ち主の無念を表すようでいて。
……私を見ようとしない、彼のそれに似ているような気がした。
辛うじて神機が置かれていただけの右手に、力が宿る。
例え消滅させることが出来ないにしても、このアラガミを野放しにするわけにはいかない。
彼らを無事に帰らせるまで、死ねない。
「……ぁあああああっ!!」
銃形態に移行させた神機をアラガミの顔面に押し当て、残留していたオラクルを全て吐き出す。
油断しきっていたアラガミは思わぬ反撃に戸惑い、煙を上げながら後ずさった。
その隙に、肩ごと痛めた左腕をぶら下げ、竦んだ足を奮い立たせる。
相対するアラガミは顔面を負傷し、カバーの下の青い体組織を覗かせていた。
立てはしたものの、もう限界だった。
今の姿勢を維持するだけで精いっぱいで、頭は痛みと蓄えた記憶が氾濫していて、意識は既に朧気になっている。
……私、何でこんなになるまで頑張ってたんだっけ。
初めは空を見られたら十分で、それさえ終えたら、適当な所で野垂れ死んでやろうと思っていた。
それでも少しだけ、勿体無くて。
未練がましく神機使いを続けている内に、"感応種"が現れた。
またとない機会で、そこで終わらせてもよかったのに。
私がまだ立っているのは、あの言葉を思い出したから――
――"いくら恐怖に曝されようと、苦痛を与えられようと、それがお前だけの問題なら私は構わない"
"だが、それが他の人間に降りかかるのであれば話は別だ。自身に阻止できるだけの力があるなら、全力で解決に当たらなければならない"――
……あぁ、そうか。
そんな、単純な事だったのか。
私は、父から逃げ出したつもりで、彼の言葉に縛られていた。
私の方から、彼の掌の上に居続けようとしていたんだ。
そして私は、二度も阻めなかった。
力を持とうが、何も出来なかった。
あっさりと、膝が折れる。
視界も霞がかってきた。
そのまま、血と吐瀉物の混ざり合った汚水に突っ伏そうとする私の身体を、何者かが抱きかかえる。
暖かい感触に、柔らかな心地。
横目で見やれば、もう二つの人影が、アラガミの前に立ち塞がっている。
それだけ確認すると、私は意識を失った―-
隊長の株落とし編終了
2無印のラーヴァナだいきらい(主に地底の雷のせいで)
◇
沈んでいく。
音も光もない中を、ただひたすらに。
もがけば這い上がれるのかもしれないけど、そんな気は起きなかった。
私は、恵まれた環境の中で育った。
家や食事に、服も、教育も。
学校と付添以外はずっと閉じ込められていたけど、生活は不自由しなかった。
人々のために手を尽くそうとする父は、私の誇りだった。
緑がかった金髪は、顔も知らない母との大切なつながりだった。
だけど、いつからか、父は私の呼びかけに応えなくなっていて。
いくら学校で努力しようが、何を為そうが、彼は無感動だった。
それどころか、母とのつながりを疎まれた事さえあった。
父と母の間に、何があったかは知らない。
ともかく私は構ってもらえないのが、見てもらえないのが辛くて、必死に彼の要求に応えようとした時期もあった。
でも、無駄だった。
父は私に押しつけるだけ押しつけて、後は関与しようともしない。
かといって有用な成果を上げなければ、早々に切り捨てられるかもしれない。
私が訴えられる価値は、彼にとって出来て当然のことを為し続ける、ただそれだけだった。
……そう、ただ、それだけ。
今まで接してきた者達と比べるまでもなく、大した境遇じゃない。
でも、私にはそれだけの事が、とてつもなく大きくて。
過去の自分をいくら否定しても、生き方は変えられなかった。
父の支配下にいたくなかったから逃げ出した、そのはずなのに。
私は誰にも見向きされなくなるのが怖くて、神機使いになってからも無意識の内に、同じことを繰り返している。
それ以外のやり方を知らなくて、縋る対象を父から、不特定多数の誰かへと移し替えただけだった。
力じゃなく、私自身を見て欲しい。
どこにいても、この願いは変わらなくて。
大した行動も起こせないくせに、そんな都合のいい自分が、嫌いだった。
だから、見てみぬふりをした。
その代わりに、また父の言葉で規範を課して、自らを着飾って。
だけど、もう潮時だ。
課した規範も崩れ、矛盾を自覚してしまったから。
けれど、この身体は堕ち切らない。
綻びを見せた心の器が、砕け散ることもない。
自身を見失い、深く沈みゆく私を押し止めているのは、一体――
◇
――目を覚ませば、そこはアナグラの病室だった。
周囲はカーテンに仕切られていて確認できないけど、以前にも見覚えがある。
起き上がり、着せ替えられた患者衣を肌蹴させてみれば、先の戦いでの傷や痣は痕すら残っていなかった。
負傷の度合いにもよるけど、自然治癒力が飛躍的に高まった神機使いの肉体でも、
ここまで回復するにはそれなりの時間を要するはずだ。
私は一体、どのくらい眠っていたんだろうか。
「失礼します……あ、お目覚めになられたんですね!よかったぁ……」
正面のカーテンが開けられ、現われた女性が安堵の声を上げる。
桐谷ヤエ。
普段は"黒蛛病"患者の看護にあたっている学生で、彼女とは何度か面識があった。
そのヤエによると、私は丸3日間も眠り続けてしまっていたらしい。
「――それと、榊博士から伝言です」
「"寝起きで悪いけど、至急、支部長室まで来るように"……と」
「やあ、ちょうどいいところに。少し話がしたくてね」
支部長室に入ると、デスクにうず高く積まれた書類の山から、榊博士が顔を出した。
「状況が状況だし、君から聞きたい事もあるんじゃないかい?」
体調は問題ないし、頭痛もフラッシュバックも、今は治まっている。
ただ、この博士の現況について聞き出せるほどの心的余裕は、まだなかった。
「……あのアラガミは?」
「君が倒れた後、シエル君達3人が無事討伐したよ」
「手負いのアラガミより、君の容態の方が一大事だったようだけどね」
「その3人は?」
「全員、今は討伐任務に出てもらっている」
「……」
「……謝罪の言葉を考える前に、まず顔を見せてあげれば、彼らは安心するんじゃないかな」
……合わせる顔も、ないけど。
「……死傷者の方たち、は」
ここまで作業を進めながら会話に応じていた榊博士が、その手を止める。
椅子から立ち上がり、私の正面まで来ると、重々しく口を開いた。
「……身元は特定できませんが、しばらくあの地区で滞在していたのは確かなようです」
「勝手ながら、残っていた部位の遺骨は支部内の霊園に埋葬させてもらいました」
「……そう、ですか」
「この件ばかりは……少なくとも君の責任ではない、と言わせてもらいます」
口調を改めたのは、責任者としての言葉、ということだろうか。
きっと、このようなやり取りも、今に始まった事じゃないのだろう。
それだけに、私情に駆られ、何も為し得なかった自分に苛立ちが募る。
……いや、得るものはあった。
それを伝えるためにも、私は榊博士を訪ねたんだ。
「……さて、君への報告はこんなところかな」
一通り言い終わると、博士はまたいつもの口調に戻っていた。
「ここからは私の話になるんだけど……任務中に、ギルバート君と"感応現象"を起こしたそうだね」
「……はい」
「もちろん、その内容について聞くつもりはないよ」
「……私が気になったのは、"再生中の映像が途切れたような感覚だった"という報告があった事でね」
「ギルバート君は流されるままだったと言うし……もしかして、君が打ち切ったのかい?」
「打ち切った、というか……止めるように、強く思ったのは確かです」
「そうか……おっとすまない、珍しい例だったものでね」
こちらに身を乗り出し気味になっていた博士が、体勢を改める。
どうやら、本当に科学者としての興味本位の話らしい。
「"感応現象"を応用した"血の力"は、神機使いの意思や感情を鍵としている……」
「君の"喚起"の"血の力"は特にその傾向が強いから、従来の"感応現象"にも影響を与えやすいのかもしれないね」
「それで、その後、何か変化は?」
「一時的な頭痛と……アラガミとの間に、"感応現象"が発生しました」
「アラガミと、だって?」
目と鼻ほどの距離に、榊博士の顔が現れた。
「は、はい……」
対する私は、それに気圧されて上体を仰け反らせる。
「内容は?言える範囲でいいから」
また姿勢を正しつつも、博士は言葉を逸らせる。
「……人間を好んで捕喰するようになった、アラガミの記憶でした」
「無感情に人々を引き裂いて、踏み潰して、神機使いに倒されてからも、"オラクル細胞"が記憶を引き継いでいって」
胸中に、嫌悪感がこみ上げてくる。
「人間を捕喰の対象にした後も、まるで作業みたいに……」
「……だけど、段々、喰われる人々の反応に、楽しさを見出すようになっていくんです」
自然と、顔が俯く。
声も、握り込んだ拳も、微かに震えていた。
状況に翻弄されていた当時より、ある程度頭の冷えた今の方が、より鮮明に、あのおぞましい感覚を思い出してしまう。
「……その感情が、私にも流れ込んで、きて」
説明するだけなら、と思っていた。
だけど、こうして口に出すことで、尚更あの惨状にいたという事実を実感させられてしまって。
「アラガミの思考を読み取るうちに、まるで私自身がそう思ってるみたいに、錯覚しそうに、なって」
口を噤んでしまいたい。
……でも、伝えなきゃ。
少しでも役に立たなきゃ、私は――
「それが、当然みたいに感じてしまうのが怖くて、私――」
「隊長君」
肩を掴まれ、顔を上げる。
そこには、神妙な面持ちの榊博士の姿があった。
「もう十分だ……私の軽率な言動を許してくれ」
「そして……よく話してくれたね、ありがとう」
余韻はまだ残っているけど、震えは治まっていた。
博士は私から離れると、デスクの引き出しの中を物色し始める。
しばらくしてから取り出されたのは、旧型のものと思われる携帯端末だった。
「……恐らく、その精神感応も、"血の力"による影響だろうね」
「……どういうことですか」
「ここに携帯がある……少し古いけど、まだ使おうと思えば使える代物さ」
博士は私の前に、その携帯端末と、それから取り出した、外付けのデバイスを提示する。
「ただ厄介な事に、この携帯は特定のデバイスしか受け付けない。このカードが数少ない合致例だね」
「まあ、携帯側のプログラムを弄れば、他もある程度受け入れるようになるんだけど……」
「ともかく、この携帯を隊長君、カードを君の記憶情報とする」
その後、博士が懐からもう一枚、全く同じ形状のカードを取り出したところで、何となく見当がついた。
「……携帯同士のカード交換が、神機使い同士の精神感応に相当する、と?」
「その通り。同じデバイスなら、そのまま情報の交換も行える」
「……でも、これならどうだろう」
次に博士が取り出したのは、先の2枚とは僅かに異なった形状のカードだった。
「このカードは別規格のデバイス。これをアラガミの記憶情報とする」
「当然、そのままじゃカードの中に入った情報は読み込めない……どうすればいいと思う?」
「えっと……さっき博士が言った通りに、携帯側のプログラムを変更すれば」
「そう、このカードを受け入れるには、携帯側の変化が必要になる」
「……これと同じ事が、君の身体に起こっていたとしたら?」
思い当ることは、一つ。
「……ギルとの精神感応の、中断」
「……"感応種"のような、物理的な干渉こそあれ、アラガミと精神感応まで起こした例は僅かでしかない」
「その僅かな例も、アラガミ側か人間側のどちらかが、極めて特殊な状態だったからに過ぎないんだ」
「だからこれは仮説になるけど、君は精神感応中に、何らかの要因で"血の力"を応用させ」
「強引に"感応現象"を中断させた結果……一時的にせよ、ナナ君のように"血の力"を暴走させてしまった」
「それが原因で制限が外れて、読み取れるはずのなかった情報まで取得できるようになった……ということですね」
「2日前には傷を完治させていた君が目覚めなかったのも、突発的な変化による負荷が大きかったからだろう」
「……数値上は問題ないようだし、今の君なら大丈夫だと思うけど、なるべく気をつけてくれ」
「……はい」
「やはりP66偏食因子には謎が多すぎる……フライアもそれに関しては口が堅いし、もう少しこちらで研究を進めてみるよ」
「他に何か、言っておきたい事はあるかい?」
……ついに、その時が来た。
先ほどとはまた別の緊張が、唇を乾燥させる。
「……榊博士……いえ、支部長に頼みたい事があります」
「……」
もうそんな状況じゃないのは、わかっていた。
でも、"ブラッド"が身近にいない今じゃないと、決意を鈍らせてしまう。
「私を、"ブラッド"から除隊してください」
「……理由を聞いても、いいかな」
「……私には、隊長にふさわしい資質がないんです」
「"喚起"の"血の力"にしても、3人が"血の力"に目覚めた今、役立てる余地はありません」
「その上、今回の任務では独断行動を繰り返し、隊を放棄するという失態まで犯しました」
「自分どころか、仲間の事まで信じられていないんです」
「……」
同意するでもなく、反論するでもなく、博士は無言で私の言葉を聞き続ける。
「それに、副隊長の頃から疑問でした……特に突出した能力もないのに、何で私がこの立場にいるんだろうって」
「……実力とリーダーシップが直結しないことぐらいは理解しています。でも、私は自分の長所すらわかっていない」
「……私は、もう"ブラッド"の戦力にはなれません」
半ば自棄になって、自分への不満点を並び立てる。
幼稚だろうが何だろうが、これでいい。
「でも、まだ"血の力"で神機使いの皆さんに、"感応種"への対応策を与える事は出来ます」
「……そうだ、極東支部で役に立てなくなったら、他の支部に異動させてもらうのもいいですね」
仲間も、無用な期待をせずにすむ。
私自身も、みんなの役に立って、価値を維持できる。
悪いことなんて、何もない。
前から、決めていた事だ。
少し長引いた夢から、目が覚めるだけ。
無理なんて、してない。
「……相談は、したのかい」
「えっ……?」
遂に口を開いた、博士のたった一言で、私の勢いが殺される。
「事前に"ブラッド"で、話し合いはしたのかい」
「……それ、は」
言い出せるはずがなかった。
そんな事を打ち明けようものなら、お人好しの彼らのことだ、確実に私を引き止めようとしただろう。
「なら、その話は聞けないな」
「私は君達ほど"ブラッド"の事を知らないし、問題にも思っていない」
「そんな……!でも――」
「それでも懲罰が欲しいというなら、考えなくもないよ」
眼前にかかっていた梯子が、いとも簡単に外されてしまった。
愕然とする私を見て、榊博士が一層怪しく笑みを浮かべる。
「それでは早速、刑を言い渡そう……寝たきりで体が鈍ってるだろうから、訓練場にでも行くといい」
とりあえずここまで
サカキとナナちゃんは喋らせにくいキャラ筆頭、でも敬語サカキはやってみたかった
極めて特殊な状態=黒ハンニとかアーサソールとかシオ残滓とか
敬語というより丁寧語の方が適当か、と今更ながら
ちょっとだけ投下
◇
"アナグラ"に数多くある地下施設の一つの、訓練場設備。
ここで行われる、アラガミのホログラム映像を用いた仮想演習は、新人の訓練だけでなく、
戦術や基礎の確認、一時的に前線を離脱していた者のリハビリなどにも用いられている。
榊博士に言われるがまま、ここまで来た私が後者なら、
「あっ、本当に来た!もういいの?先輩」
偶然会った、とも言えないらしい彼女は前者だろうか。
「何とかね……エリナは、どうしてここに?」
「ちょっと確かめたい事があって!そしたら榊博士から連絡があったから、ここで先輩を待ってみたの」
「榊博士から?」
「うん、"君も彼女に会いたがっていたみたいだから、ちょうどいいんじゃないかな"……って」
少し似ている気がしないでもない口真似を披露した後、エリナは悪戯っぽい笑顔を作ってみせる。
「それじゃ、身体もちゃんと元の調子に戻ったのか、私が診てあげるね!」
有無を言わさず、私は彼女と共に演習を開始することとなった。
訓練場に投影された大小のホログラムと対峙し、攻撃に防御、回避の間合いなど、基本的な動作を身体に馴染ませていく。
3日も怠けていた割には、悪くない。
「流石……それじゃあ、私も!」
私を観察しつつ、ほぼ同様の演習を受けていたエリナが、自分の相手から大きく距離を取った。
腰を据え、水平に神機を構えた彼女は、その表情を険しくさせる。
「はぁぁぁ……!」
本物さながらの速度で猛然と迫る大型ホログラムに対し、エリナは微動だしない。
その距離が僅かになった一瞬、彼女の神機が赤く発光した。
私と、勝機を見出したエリナの目が見開かれる。
「やあーっ!!」
勢いよく突き出された神機の穂先は、小規模ながら、オラクルエネルギーによる波動を纏う。
エリナの得意とする槍型神機の射程ならば、そのまま相手を捉えるには容易い距離だ。
ただ、彼女はその一突きを放つ事のみに集中しすぎていたらしい。
既に跳躍の体勢を取っていたホログラムは、寸前で槍先を飛び越える。
「えっ……!?」
完全に虚を突かれたエリナの頭上に、仮想の牙が迫る。
だけど、それに彼女が反応したのも束の間、ホログラム自体が瞬く間に粒子状となって消えていった。
どうやら、ここまでが演習の制限時間だったようだ。
自分の試みが失敗に終わった事を察し、エリナがその場で溜め息をつく。
「やっぱり、実戦で使うにはまだまだかなぁ……」
とりあえずここまで
特に意図せず描いてたらエリナ、上だ!な状況に
◇
「――はい、お疲れ様」
「お疲れ様です!ありがと先輩!」
あの後も何度か演習を行い、訓練を一段落させた私達は、訓練場付近の休憩所に腰を下ろしていた。
エリナに頼まれた分も含め、先ほど自販機で買った缶ジュースに二人で口をつける。
「はぁ……先輩、身体の方もすっかり元通りだね」
「そう?」
「そう!ずっとついてきた私が言うんだから、間違いないわ!それに――」
……肉体は万全でも、心はどうだろうか。
仲間を見殺しにして。
目の前の人々も救えなくて。
今まで無意識の内に触れまいとしていた、自らの行動の矛盾にも気づいてしまった。
だからまた、浅ましくも逃げ出そうとして、退路を断たれて。
今更彼らの元に戻ったところで、信用はとうに失われているだろう。
私は、これから何を為せばいいのか、わからなくなっていた。
「――!」
不意に、無機質な冷たさが頬を伝う。
その方向に視線を向ければ、むくれ顔のエリナがいた。
「……先輩、話聞いてた?」
私に押し当てた缶ジュースを引き戻し、彼女は口を尖らせる。
「……ごめん、もう一回お願い」
「もう、せっかく礼までしたのにさ……"ブラッドアーツ"のアドバイス、ありがとうって言ったの」
演習の初回、エリナが見せたのは明らかに"ブラッドアーツ"に類するものだった。
彼女が言うには、以前第一部隊で出撃した任務の際、偶発的に発現したものらしい。
"だからこの演習で試してみようと思ったんだけど、凄く集中しないと出ないし、あの小ささじゃなぁ……"
"ねぇ先輩!何か、コツとかない?"
"えっと……参考にならないかもしれないけど、私が意識してるのは――"
"喚起"の"血の力"による、"ブラッドアーツ"の萌芽。
"血の力"の覚醒と同時に"ブラッドアーツ"を扱える"ブラッド"と違い、通常の神機使いはその発現に時間を要するようだ。
「神機が共鳴して振動したら、すぐ先端に意識を集中させる感じ……」
「前よりはずっとやりやすくなった気がするけど、難しいなぁ……」
私からの抽象的な助言を復唱し、缶を両手で掴んだエリナがむむむ、と唸る。
「今は私達がいるし、焦らなくてもいいよ」
「そういうわけにもいかないわ!今にもっと強くなって、"感応種"だって倒してみせるんだから!」
忙しなく右手を胸に当てたエリナは、尚も息巻いてみせた。
出会ってから今まで、紆余曲折あったけど、彼女のこの勝気さは変わらない。
「……そろそろ、私の指導も必要ないかな」
「えっ……?」
……精神的に弱った延長だろうか、思わず本音が漏れ出る。
彼女は強くなった。
同行した任務や演習での立ち回りにしてもそうだし、精神面も、周囲に気を回せる余裕が出てきている。
"ブラッドアーツ"さえ修得しかけている今、いつまでも私の元に縛りつけておく必要も――
「何言ってんの、先輩!」
――容赦なく、背中を叩かれる。
思わぬ衝撃に、私は図らずとも上体を軽く屈ませた。
私の発言を冗談だと認識したのか、意に介さないという意思表示なのか、エリナは笑顔で応えてくる。
「……」
だけど、その笑みも次第に崩れていった。
表情を消した彼女は、私の視線から避けるように、顔を俯かせる。
「……私、先輩が強いからってだけで、ついていこうと思ってるわけじゃないよ」
「……どうしたの、急に」
「……博士から連絡が着た、って言ったでしょ?その時、無理に聞いちゃったの」
「病み上がりなのに支部長室にいるなんて、絶対おかしいと思ったから」
「……幻滅、させちゃったかな」
「してないって言ったら、嘘になるかも」
「……逃げ出すような人には、見えなかったし」
私から、エリナの表情は見えない。
「だから、かな……思い詰めてるあなたの顔を見て、思い出しちゃった」
「昔見た、澱んだ目の女の子」
「……」
「まだ極東に来る前……お父様に連れて行ってもらった本部の会合で、その子を見つけた」
「きれいな髪なのに、何もかも諦めたような顔してて……それが記憶に残ってたの」
「……今の先輩、あの子とそっくり」
出会った頃の、彼女の言葉を思い出す。
顔は合わせなかったみたいだけど、やはり私は彼女と同じ場にいた。
同時に、これでエリナにも、私の素性が知れたことになる。
「……当たり前だよ、本人だもの」
でも、今更どうでもよかった。
どう繕ったところで、私が父の支配から逃れられなかった事実は変わらない。
「勝手な判断で動いて、守るべき人も救えずに敗けて、挙句の果てには責任から逃れようとして……情けないよね」
「……だから、エリナも早いうちに離れた方がいいよ」
笑顔を作れている、自信がない。
そもそも、こちらを一瞥もしないエリナにそれを向けても、意味はないかもしれないけど。
「……よくわかってるじゃない」
冷徹な声を発した彼女は、腰を上げ、私の方に向き直る。
天井の電灯が逆光となり、依然としてその喜怒哀楽は判然としない。
「ねぇ先輩……私が今日のこの時まで、あなたと一緒にいてもあの子を思い出さなかったのは、何でだと思う?」
それが無責任に答えられる問いでないことは、明らかだった。
己を見失っている私には、応えようもない。
それを見越していたのか、エリナはすぐに語りを継続させた。
「……初めて顔を合わせた時のあなたは、全然違う顔つきだったから」
「勝手に押しかけてきた私を受け入れて、問題に向き合ってくれて……!」
平静を保っていたエリナの声が一瞬、揺らぐ。
「私と一緒にいる時の先輩は、あんな顔しなかった」
「あなたの実力を目当てに近づいたのは確かよ……でも、立場に関係なく面倒を見てくれた先輩だから、この人についていこうって思えたの」
「……それが何?自分の事になると、たった一回の失敗で訳わかんない事言い出してさ……!」
膨れ上がった怒気に呼応するかのように、戦慄く拳。
それは、今にも溢れ出してしまいそうな、何かを抑えているようにも見えて。
「……でも、これは今回だけの問題じゃなくて――」
「うるさいっ!!」
彼女に気圧された、弱々しい反論は通じない。
もはや隠そうともせず、エリナは憤る。
「一回でも、何回でも、反省すればいいじゃない……これからが問題なら、直していけばいいじゃない!」
「だって先輩、生きてるんだよ!?犠牲になった人の分だけ、背負わなきゃいけないんだよ!?」
「そんな事で遠ざけられてちゃ、こっちが困るのよ!」
「……っ」
あの時、もしもジュリウスに加勢していれば、今度はシェルターの中にいた人々が無事では済まなかった。
オペレーターの連絡を受けてから急行したところで、アラガミの殺戮を阻止できなかったのも、心のどこかではわかっていた。
だけど、その事実に甘えたくなくて、私は無理やりにでも自分の責任として、背負い込もうとしていた。
結局それでは、彼らの理不尽な死を背負った事にはならない。
死に正当性を与えて、それを阻めなかった自分を貶めることに、酔っていただけ。
「……背負うだけなら、"ブラッド"にいなくたって出来るよ」
……そして私は、それを認められなかった。
「……これだけ私に言わせといて、まだわからないの?」
おもむろに、エリナが私の方へ手を伸ばす。
「じゃあ……教えてあげる!」
その手が制服の胸倉を掴んだのは、すぐだった。
激昂と共に、彼女の目線の高さまで立たされた私は、そこで初めてエリナの表情を見る。
まだあどけなさを残す顔立ちは、悲痛に彩られていた。
「……これでもね、先輩が倒れたって聞いた時、凄く心配だったんだよ」
「何にもできなくて、悔しくて、エミールやコウタ隊長にも当たりそうになって……」
「私でさえこうなのに、もっと長い間、あなたと過ごしてる"ブラッド"の人達がどんな気持ちだったか、わかる?」
掴まれた部分が、一層強く歪む。
「泣いてるシエルさんを……落ち込んでるナナさんやギルバートさんを見ても、まだ"ブラッド"にふさわしくないって言えるの!?」
「自重で潰れちゃう前に、少しはあなたを想ってくれてる人の事も考えてよ!」
「……私を、想って……?」
「当たり前でしょ……好きでもない人に、こんな事するわけ、ないじゃない……」
「……だから……だから……っ!!」
次第に、彼女は言葉を詰まらせていった。
一つ、二つと、エリナの手に熱が灯る。
「必要ないなんて、言わないでよ……いつもの先輩に、もどってよぉ……っ」
彼女を押し止める堰は、既に消耗しきってしまっていた。
嗚咽混じりの泣き顔を隠すように、エリナは私の胸元に顔をうずめる。
私はそれを引き剥がすことも、抱きしめることも出来ずに、ただ茫然と彼女を見下ろしていた。
14歳に説教される17歳終了まで
隊長ははっきり言われないとわからないタイプ
◇
私は、ただの学生だった。
成果を上げて、関知しているかもわからない父の機嫌を窺い続ける。
それは人間関係も同じことで、努力し、一定の結果を出してさえいれば、見咎められることはない。
飛び抜けて優秀だったわけでも、特別要領がよかったわけでもなかった。
ただ言われた事をこなして、頼まれ事に応えるだけ。
周囲からは都合のいい人物だと思われていたかもしれないけど、私は構わなかった。
だって、それが私にとっての、何の変哲もない日常だったから。
他の人間はいざ知らず、私は一方的に訴えかけるだけで、そこに相互関係なんて介在し得なかった。
神機使いになっても、同じだった。
仲間を手助けする事はあっても、彼らの輪に、私が入ることはない。
そう思っていた。
……だけど、違った。
それは単なる思い込みだった。
私は、他ならぬ自分自身の事で、エリナを泣かせてしまった。
少なくとも彼女の中には、私とのつながりがあったからだ。
それが理解できない、とはもう言えない。
エリナの表情に、偽りはないと感じたから。
「――絶対に、離れてあげないからね」
私の胸でひとしきり泣いた後、落ち着いたエリナは、改めて私の隣に腰を下ろしていた。
その間にかける言葉も見つからず、ただ黙するだけだった私に、彼女は構わず呼びかけてくる。
「どこまでもついていくって、決めたばかりなんだから……ちょっとだけ、弱音吐いちゃったけど」
「だから、このまま変な先輩を見続けるのは嫌なの」
「……ついていくって言う割には、結構わがままだね」
自分の事を棚に上げて、声を絞り出す。
そうまでして軽口を叩いた理由は、私にもわからない。
ただ、先ほど動揺していた分、どんな形であれ、エリナの訴えに応えたかったのかもしれなかった。
「だってそれが、かわいい後輩の特権でしょ?」
私からの反応が嬉しかったのか、彼女も瞼を腫らした顔で笑いかけてくる。
「……さてと!」
視線を一瞬床に移した後、エリナが勢いよく立ち上がった。
「それじゃ私、先戻るね」
「待って」
踵を返し、立ち去ろうとするエリナを、私は思わず呼び止めていた。
背を向けたまま、彼女が立ち止まる。
「……もう少しだけ、待ってて」
「絶対に、何とかしてみせるから」
根拠も、具体性もない言葉。
責任の重さと、抱き始めた疑問が解消されたわけでもない。
だけど、そう言わずにはいられなかった。
「……うん、待ってる」
去り際に片側だけ見せたエリナの目は、私に期待を寄せる、"ブラッド"のそれと似ていた。
変わらない気丈さと、それに隠された、純真な心。
そんなエリナの、成長の一端にでも私が影響しているというのなら、尚更それを妨げるわけにはいかない。
私はいつの間にか輪の中にいて、たった今、彼女との関係をつなぎ止めようとしている。
人とのつながりを自覚した私の心境は、確かな変化の兆しを見せていた。
とりあえずこれだけ
マルドゥークにはもう少しだけ待っててほしい
◇
エリナと別れた私は、改めて先ほどの出来事を反芻する。
私とのつながりを意識していたのは、エリナだけじゃなかった。
彼女があれほどの怒りを見せたのは、私が倒れた後の"ブラッド"の反応を見たからだ。
私らしさ。いつもの私。
彼らが見ていたのは、神機使いになる以前の私でも、今の捻れた私でもない。
……そもそも、私は父との関係を支配だと認識したから、フライアに来たんじゃないのか。
彼の気を引く事に腐心して、諦めて、惰性だけで続いていた日常に苛立って。
だから、ラケル博士の誘いに乗った。
私は周囲の評価が欲しくて、ギルとロミオの仲を執り成そうとしたのか。
打算があって、シエルと友人関係になったのか。
見返りがあったから、なりふり構わずに彼女を助けたのか。
強引にギルの手助けをして、彼に特別な感情を抱くようになったのも。
ナナを信じて、仲間と共に迎えに行ったのも。
何もかも、己の存在価値を証明したくて、行った事なのか。
父の言葉に縛られた、一種の強迫観念からの行動だったのか。
違う。
私はただ純粋に彼らを助けたくて、信じたかっただけだった。
外に出て知り合った彼らは誰もが魅力的で、そんな人達が信頼関係を結んでいくのが嬉しくて。
人と関わることに慣れていなかった私自身も、徐々に変わっていった。
だから私は、彼らの邪魔をしたくなかったのかもしれない。
"ブラッド"の私は力を与えるだけの存在で、彼らはそれを目当てについて来ていると、そう思っていたから。
過去に押し流され、怯える私は、素直な想いをも歪めてしまった。
期待してくれる彼らの目に応えられなくなるのが怖くて、信じられなくなって。
……でも、彼らがエリナと同じだとしたら?
彼らの信頼が、私の力だけに向けられたものじゃないとしたら?
自惚れても、いいんだろうか。
正直、今になっても実感は湧かない。
もう一度、信じられるだろうか。
未だ、迷いは振り切れない。
結局、一歩踏み出すのが怖いのだ。
ほんの少し前には、自然と出来ていた事なのに。
一たび自分が自分として彼らに近づくことを意識すると、足が動かなくなる。
……だけど、これが最後のチャンスなんだと思う。
私の神機使いとしての、"ブラッド"としての、ひいては自身の在り方を見定める、その機会。
後ずさって、殻に閉じこもろうとした私なら、いずれこの身体は堕ち切っていた。
心の器も亀裂を広げて、砕け散ってしまっていただろうから。
それを押し止めた、何かを確かめるために。
再起の入り口まで私を引っ張り出してくれた、健気な後輩に応えるためにも。
何回でも、立ち上がる。
今度こそ、見つけ出してみせる。
◇
翌日。
"ブラッド"に向け、アラガミの討伐任務が発行された。
ブリーフィングルームに招集された私達は、先に資料を預かっていたシエルから、その概要を聞く。
4日ぶりに会った彼らとは軽い挨拶こそ交わしたものの、会話らしい会話はまだ行っていない。
3人とも、その様子は平時と変わらないように見えた。
まるで、最初からあんな事は起こらなかった、とでも言いたげなようで。
「……あの」
だからこそ、私から切り出さなければならなかった。
説明が終わり、彼らの視線が私に注がれる。
あるいは、こうして私に踏ん切りをつけさせるのが、彼らの狙いだったのかもしれない。
「……先日は、本当にごめんなさい」
「私、自分の事ばかりで……みんなの事、まるで考えられてなくて」
「……昨日も、サカキ博士に除隊してもらうよう、掛け合ってた」
3人の様相が、少し変わる。
私の過去はギルを経由して、既にある程度知られているだろうから。
この際、後ろめたい隠し事は出来るだけ無くしておきたかった。
「でも、それもみんなから逃げてるだけだって気づけたから、私はここにいる」
「だから……今度こそ、あなた達を信じたい」
「どう扱ってくれても構わないから……ついていかせてください……!」
深々と、頭を下げる。
我ながら、勝手な物言いだ。
簡単には許されないであろうことも、わかっている。
だけど、ここで折れるつもりはない。
彼らに何を言われようとも喰らいつく覚悟は、昨日の内に決めてきていた。
数秒の沈黙の後、一つの足音が、私の方に近づいてくる。
「……顔を上げてください」
音の主は、シエルだった。
顔を上げれば、彼女のポーカーフェイスが姿を現し――
――一瞬、視界が暗転する。
次に光が戻ってきた時、私の顔は右を向いていた。
後から広がってきた痛みと、耳に記憶された残響から、私は頬を張られた事に気づく。
「これが、私達の解答です」
向き直ると、シエルは既に、私の前にはいなかった。
「……先に行っていますね、隊長」
その言葉に、私は思わず彼女の方へと振り向く。
声の調子こそ平坦だったけど、すれ違いざまに見えた口元は、少し緩んでいた気がした。
呆然とシエルの去った跡を眺めていると、今度は頭部が何やら固い感触を帯びる。
「……よし、何ともないな」
振り向かずとも、それはギルの手だとわかった。
5年もの間神機を携えてきた、温かくて大きい、彼の掌。
「わっ……!?」
それだけに止まらず、ギルは無造作に私の頭を撫でまわす。
こんな状況なのに、張られた反対側の頬まで赤らめてしまう自分が、情けない。
「言われなくても、こっちから引っ張り出してやるつもりだったよ……これからは頼むぜ、隊長」
当のギルは気にも留めず、やるだけやって、早々に出て行ってしまった。
複雑な感情を抱く暇もなく、次は私の番だと言わんばかりに、ナナが私の方に回り込んでくる。
「アイテム出して!持ってきてるでしょ?」
「えっ……ああ、うん」
別の切り口から攻めてきた彼女に言われるがまま、私は任務用の携行品をまとめて提示した。
それらをしばらく吟味していたナナは、あるものに見当をつけ、目の色を変える。
「没収!」
「あっ……」
私の手から、フェロモン剤が引っ手繰られる。
彼女は素早くそれを仕舞い込むと、屈託のない笑顔をこちらに向けた。
「わかってると思うけど、一応預かっとくね」
「それじゃ隊長、私達も行こっか!」
……シエルも、ギルも、ナナも。
まだ、私を隊長と呼ぶのか。
「どうしたの?」
「……みんな、これでいいのかな」
「どう扱ってもいいって言ったのは、そっちでしょー?」
「それは、そうなんだけど……」
「じゃあ、隊長は隊長でいいんじゃない?」
それきり駆けて行った彼女を、気後れした私は逃してしまった。
どうやら今度は、私が彼らに置いて行かれる番のようだ。
◇
――砂塵舞う、無人の居住区。
私達はあの時と同じ地に立つ、一体のアラガミと相対していた。
全身を金色の甲冑で覆った、六本足の肢体。
その内の、両腕にあたる2本は特に発達していて、盾のように硬質化している。
対照的に、長く伸びた尾の先端には、槍の如く巨大な針が形作られていた。
アラガミに向けた、神機の焦点がぶれる。
やはり、ホログラムと実物とでは、訳が違った。
その、獲物を前にした細かな挙動が実感を生み、否が応でも、廃屋での惨状を想起してしまう。
……だけど、死に対する恐怖は、それ以前から常に感じていたものだ。
アラガミが咆哮を上げ、まずは牽制とばかりに、尾針の薙ぎ払いを仕掛ける。
私があの時恐れたのは、アラガミの記憶を見せつけらてなお、何もしようがなかった自分自身だった。
振るえる力があるのなら、それを持てない人々のために行使しなくては、意味がない。
跳んで尾をかわし、銃形態の神機を構えた頃には、照準は正確に標的を捉えていた。
撃ち出したオラクルはアラガミに命中するも、眼前で組まれた両腕の盾によって、直撃は阻まれていた。
それでも、こちらの狙いに沿えてはいる。
やや前方に着地した私は神機を変形させ、隙のできた前脚の関節部に、槍を突き立てた。
……その行動理念は、やはり父の言葉と似通ったものになっているかもしれない。
だけどこれは、外での経験に基づいた、私の信条だ。
何より私は、彼の忌避したものを力として行使している。
彼の言葉を借りただけの存在には、ならない。
私の攻撃に続き、同じく薙ぎ払いを潜り抜けてきたギルとナナも、それぞれ前脚と後ろ脚に衝撃を与える。
アラガミは低く唸り声を上げるも、怯み切ることはない。
両腕を掲げ、引き戻した尾針と共に、餌の調理にかかる。
振り下ろされた凶器を3人が受け止めたその時、アラガミは動作を止めた格好となった。
絶好の機会を、物陰で窺っていたシエルの銃が射抜く。
弾丸は半開きの口部付近に吸い込まれ、今度こそアラガミを怯ませた。
頭上からの圧力が緩んだ隙を突き、盾で弾いて抜け出た私は、その箇所に追撃を加える。
外殻ごと筋繊維が抉り取られ、アラガミの奇声と共に体液が噴き出す。
そのまま捕喰形態に移行した神機を喰らいつかせ、私は距離を取った。
同じく足元にいた2人もそれぞれ捕喰行動を取らせ、私に倣う。
その、一瞬だった。
私達が先ほどまでいた地点に、いくつもの落雷が発生する。
八つ当たりとも取れる尾針の乱打を抑え、未だ屈辱に逆巻くアラガミは、怒号と共にその身を屈めた。
「くるぞ!」
ギルの警告を受け、"ブラッド"は身構える。
アラガミの頭部に配置された幾つもの突起が切り離され、弾丸の雨となって私達の頭上に降り注いだ。
弾丸は射出される度に頭部で生え変わり、4体の敵を無差別に追い続ける。
こちらも銃撃を交えた回避で応じ、雨が止んだ頃には、私達は二組に分断されていた。
『――作戦エリアへの、"感応種"の接近を確認!侵入予測時間、3分です!』
そのさ中、オペレーターからの無線連絡を受け取る。
今回、"ブラッド"がこの作戦に割り当てられた理由は、ここにあった。
極東支部への接近が観測されていた"感応種"と、より近辺のエリアに出現した、大型アラガミの討伐。
確実に任務を済ませるには、目の前の大型アラガミを早期に撃破しておくことが肝要だったけど、予想外に"感応種"の接近が早まっていた。
……あの時と、状況が似ている。
神機使いとしての使命を見出せても、"ブラッド"としての私は、まだ迷いを振り切れないでいた。
どんな指示を彼らに送ればいいのか、自身がどう行動すればいいのか、頭では理解している。
でも――
――アラガミの奇声が、私の思考を一時的にかき消す。
私とナナから離れた、ギル達の組に標的を定めたアラガミは跳躍し、その質量で彼らを押しつぶそうとする。
当然彼らはそれを避け、そのままヤツとの近接戦闘に移行した。
飛んできた尾針の突きを受け止め、地に足跡をつけたギルの視線が、私の方へ向く。
『ちょうどいい……隊長、ナナと"感応種"の方に行け!こいつは俺達が相手をする!』
「……っ」
彼の判断は、尤もだ。
今の相手は、絶望的と言えるほどの戦力を備えているわけじゃない。
かといって、このまま"感応種"の合流を許し、混戦状態になってしまえば、戦況が不利に傾く可能性もあるだろう。
だから今の内にこちらの戦力を明確に振り分けておくのは、理に適っていた。
悩めるほどの、猶予も残されていない。
「でも……」
私は、躊躇していた。
もし、彼らまで失ってしまったら。
私の目が届かない場所で、手遅れになってしまったら。
その恐怖に、私はまた抗えないでいて――
『――見くびらないでっ!!』
叫びと共に、シエルの短剣がアラガミの槍を跳ね上げる。
『君の導いてきた、"ブラッド"が……』
彼女は斬り上げた神機を変形させ、銃口をそのまま、構えられたアラガミの盾に押し当てた。
『共に成長してきた私達が、この程度の相手に遅れを取ることはありません!』
ゼロ距離で破砕弾が炸裂し、盾は泣き所へと変貌する。
大仰に仰け反るアラガミの隙を、ギルが見逃す理由はなかった。
『……言葉だけなら、何とでも言える』
捕喰によって活性化した肉体は一足で彼とヤツとの距離を縮め、唸る穂先は傷ついた前脚に深々と喰い込む。
『行動で、示してみせろ』
一時的に体勢を崩したアラガミから神機を引き抜いたギルの手には、いつの間にやらスタングレネードが握られていた。
『……これだけ余裕があるんだ、安心しろよ』
辺り一面を、白い閃光が包み込む。
反射的に目を背けた私の手を、傍にいたナナが掴み取った。
半ば強制的な形で、私はその場を後にする。
◇
ナナが私の手を放したのは、アラガミの視界からある程度離れて、すぐの事だった。
彼女は立ち止まると、私にアンプルを差し出す。
「これ、返すね」
手渡されたのは出撃前に奪い取られた、私のフェロモン剤だった。
受け取りはしたものの、釈然としない。
「……どうして、これを?」
「えへへ……シエルちゃんとギル見てたら、なんか恥ずかしくなっちゃって」
「それをどう使うのかは……私が決める事じゃないんだよね」
対するナナは、頬を掻きながら、ばつの悪そうな笑顔を浮かべる。
「……よーし!私も仕事しなきゃ!……隊長は、どうするの?」
「……私、は」
奮起した彼女は既に、自分が何をするべきか決めていた。
その上で、私の決断を求めている。
ナナだけでなく、今戦っている、あの2人も。
言葉と行動に示すだけの、自己がある。
単純な話だ。
人を信じるというのなら、まずはそう想える程の自信を持たなければならない。
私には、それがない。
彼らを信じていられたのも、"喚起"と副隊長の地位があれば見てもらえるという、依存があったからだ。
だけど私は、自分にもつながりがある事を知った。
その信頼に応えるだけでなく、自身がそれを求めていた事も理解した。
彼らから受けた期待も、今なら。
「……私は、"感応種"を叩きに行く」
「急ごう、ナナ!」
「……了解!」
恐怖とはまた違った、胸を打つ鼓動。
ようやく自分と向き合い始めた私の輪郭は、少しづつ、その形を成そうとしていた。
目標地点に向かうと、そこには既に、私達を待ち構える影があった。
先の鳥人型に似通った形状ながら、張り出した乳房にハイヒール状の両足と、女性的な要素を強調したシルエット。
水色の体毛に覆われたその全身は、妖艶な雰囲気を醸し出していた。
私達の姿を認めた"感応種"は、女声を彷彿とさせるような、独特の鳴き声を発する。
それに呼応するかのように現われたのは、"感応種"の眷属である事を示す、同色の体毛に覆われた小型アラガミの集団だった。
鳥人型の"感応種"には、空気中のオラクルと感応して眷属を生成し、標的を共に付け狙う習性がある。
この習性を利用してかつ、距離さえ離れていれば、この一団を引き止めるのは容易だった。
"感応種"は私を標的に定め、眷属共を消しかける。
猛然と迫る牙を2つほど、横から殴り飛ばしたのはナナだった。
「"誘引"するまでもないかもだけど……雑魚は任せといて!」
全身から波動を発し、器用に小型の意思のみを引きつけた彼女は、私から距離を取る。
これで私は、"感応種"と一対一になった。
とはいえ、時間をかけるわけにはいかない。
数に限りはあるけど、ヤツを斃さない限り、眷属は無限に生成され続ける。
下僕を誑かされた怒りなのか、"感応種"は一際大きな声を上げ、新たな眷属を生み出す。
出現した2体を私に向かわせると、"感応種"自身は空高く駆け上った。
神機使いでも届かない上空から、2体を同時に串刺しにした私目がけ、体当たりを仕掛けてくる。
その突進を寸前で回避するも、眼前には新たな眷属が待ち構えていた。
向かい来るそれを処理し、敵の過ぎ去った方を向けば、"感応種"はまたも上空に飛び上がっていた。
今度こそ確実に標的を仕留めんと、"感応種"はこちらの出方を窺う。
けれどそれは、私も同じだった。
"感応種"が眷属を生成できるのは、あくまでその周囲の限られた範囲のみ。
恐らく、"感応種"が私に最接近し、改めて眷属を生み出すまで、アラガミは1体だ。
私は完全に足を止め、腰を落とした構えで、"感応種"を待つ。
それを好機と見たか、"感応種"は急速に降下し、勢いをつけ始めた。
未だ、鼓動は高鳴っている。
だけど、その心境は不思議なほど、落ち着いていた。
ずっと探し求めて、徐々に見えてきた、私の輪郭。
この力は、歪んだ価値観を助長させるためのものではなく。
誰かのためにそれを振るう、義務にも似た、使命だけのものでもなく。
槍型神機の、その刀身が中心を残し、左右に展開する。
そこから生成されたオラクル気流が渦巻くも、私はあくまで足を止めていた。
私が真に望むのは、彼らと共にある事。
守るだとか、距離を置くだとか、もう一線は引かない。
憧れて、信じられた彼らと同じ目線で、肩を並べて戦いたい。
それが過去で澱んだ奥底の、より深くで燻っていた心。
……やっと、見つけられた。
鼓動は熱となり、身体中を駆け巡った。
その熱は神機にも伝わり、強力な振動を引き起こす。
"感応種"の質量攻撃は、すぐそこまで迫ってきていた。
「避けてっ!!」
ナナの叫びが、契機となった。
神機から、より大きく、鋭く研ぎ澄まされた、真紅の槍が生成される。
人々を脅かす、無数の敵からも。
"ブラッド"からも、極東支部の仲間からも。
己が関わってきた、多くの事物から。
私はもう、逃げない。
「たぁぁぁっ!!」
全てを集約し、放たれた一撃は、アラガミの頭部を刺し穿った――
◇
――宣言通り、何事もなく生還した2人と合流したのは、それからしばらくしての事だった。
彼らの姿を認めた私は、緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込んでしまった。
そんな私の姿を見かねて、3人が駆け寄ってくる。
「おいおい、大丈夫かよ」
「ごめん、安心したら力抜けちゃって……」
差し出された手を抵抗なく握り、助け起こしてもらう。
「これで隊長も元通り……いや、もっと凄いことになってたんだった!」
ナナが手を叩き、周囲の視線を集める。
「ほんとにすっごかったんだよー、さっきの隊長の"ブラッドアーツ"!」
「神機がこう、ゴォーってなって、ドバーッと」
「……わかったよ、後で本人から聞いておく」
「えぇー!」
「……ふふ」
他愛もない、いつものやりとり。
だけど、その光景が、ひどく懐かしく感じられて。
この日常にまた戻ってこれたのが嬉しくて、シエルと共に、微笑を浮かべる。
緊張が緩まったところで、私は姿勢を改めた。
「……皆、信じてくれて、ありがとう」
「何の話だ?……ま、今日少しは喋り過ぎちまったかな」
「いつかの誰かの言葉を借りるなら、今回が隊長の向き合う番だった……ただ、それだけです」
「……隊長、その、頬は痛みませんか?流石に加減するわけにはいかなかったので、必要なら手当を……」
「大丈夫。むしろ、何もされない方が怖かっただろうから」
「そうそう、シエルちゃんがビンタしてくれたおかげで、私達も普通に話せたしね!」
シエルにかけた笑顔のまま、ナナが私の方を向く。
「前は言えなかったんだけどね、私、"ブラッド"や極東のみんなと一緒に頑張れるのが隊長らしさだと思ってるんだ」
「私、らしさ……」
「だから隊長がまた隊長らしくなってくれて、よかったよー!」
彼らが見ている私と、私の望み。
それは自覚していなかっただけで、同じものだったのかもしれない。
けれど、過去に揺れて、孤独に戻ろうとした弱さを、否定したくはなかった。
それもまた私の本質で、なかったことにはできない。
彼らに弱みを見せなかったのは、望みの裏返しでもあっただろうから。
「……みんな、改めて聞いておきたいんだけど」
だから私には、確認しなければならない事があった。
「本当に私が、隊長でいいの?」
私の違う一面を知ってなお、彼は私に信頼を見出しているのか。
自らつながりを絶とうとまでした私を、彼女は求めているのか。
一度は"ブラッド"を裏切った私が、彼女の上に立ってもいいのか。
怖くて、聞けなかった。
理解不足を、彼らの失意のきっかけにしたくなかった。
だけど彼らが、もう一度迎い入れてくれると言うのなら、私自身がそれに納得しなければならない。
私からの問いかけに呆れるでもなく、笑い飛ばすでもなく、ギルが口を開いた。
「……シエル、渡してやれ」
「ここで、ですか?」
「迎えが来るまで時間はある……それに、いつまでも腐らせとくもんじゃないしな」
「……わかりました」
いまいち了解を得ない会話を経て、シエルが私の方へ歩み寄る。
「隊長、これを」
彼女から受け取ったのは、シンプルな装飾で包装された小箱。
蓋を空けると、そこには、一組のヘアクリップが鎮座していた。
「これは……?」
「……君がフライアから帰ってきた後、ロミオから相談を受けたんです」
「ユノさん達との昼食会の際、サプライズとして、副隊長にプレゼントを贈りたいと」
"とりあえず今言える事だけ言っとくとだ……副隊長、次の昼食会、楽しみに待っといてくれよな!"
ラウンジでの、シエルやロミオとの不自然なやり取りが思い当たる。
今になるまで、その実態への興味は頭の隅に追いやられていた。
「ジュリウス以外は副隊長に助けてもらってるだろ、ってね……私は、みんなに助けてもらっちゃったけど」
「あいつは無茶な事しか言わないから、結局そんな小物に落ち着いちまったがな」
「それに……渡すまで、時間もかかっちまった」
ロミオは、焦りから私を傷つけたことを、その時も気にしていたのかもしれない。
もう、私は十分に受け取っていたのに。
物も、言葉も、約束も。
箱を持つ手に、力が籠る。
「……恩を返したかったのは、私達も同じです」
「孤立した私を、復讐に走るギルを、悩むナナを……進んで受け入れてくれたのは、君ですから」
「……そこまでやっておいて、私達を置いてしまうのというのも、無責任じゃないですか?」
「……それに、隊長といると、何か心地いいんだよねー」
「"ブラッド"はみんな大好きだけど、隊長が隊長でいてくれるともっといいというか……人柄ってやつ?」
「とりあえずみんな一緒の方が、私は嬉しいかな!」
「まあ、そんなわけで……後釜は一人しかいないってことだ」
「肩書きも過去も関係ない、弱音を吐いたっていい……お前だから、背中を預けられる分、支えてやることもできる」
「ジュリウスが自分の戦いを選び取った今、俺達を中心で結び付けているのは……お前だ」
向けられた、3つの視線。
その瞳は、私自身を見据えている。
私が抱き続けてきた願いは、とうに叶っていた。
「……そっか……私で、いいんだ」
得難い喜びと、もう一つの感情が相反する。
もっと早くに自分を知っていれば、ロミオとも、より話すことがあったかもしれない。
彼と目標を探し求める苦楽を、共有できたかもしれない。
なのに私は、自分と向き合うことを恐れていて。
今になって彼を失ったことを実感して、湧き上がってきたその感情は、悲しみだった。
気づけば、私はシエルを抱きしめていた。
背中を掴む腕は小刻みに震え、混ざり合った感情は私の目に溜まる。
抑える術を持てないまま、それはついに溢れ出した。
涙、それも人前でなんて、何年振りだろう。
そう考える余裕もなく、私は情動の昂ぶりのまま、泣き喚く。
ごめん、ロミオ。
結局、仲間に見つけてもらっちゃった。
私がやりたかったこと。
私にしか出来ない事。
……そして、ありがとう。
あなたの言葉と約束が心にあったから、私は踏みとどまれた。
ここまで、自分の意志で辿り着くことが出来た。
今度こそ、みんなと一緒に。
逃げずに、あなたの想いも背負ってみせるから。
震える私を、シエルは優しく抱き返してくれていた。
隊長編、5章終了
何とかRB発売一周年の日にスレタイ回収まで漕ぎ着けました
今度は土曜あたりの夜に投下できればなと思っています
6
祈りを、捧げる。
悪意に曝された者達に。
不条理に見舞われた人々に。
たとえ魂という概念が、生きる者の都合でしかないとしても。
届く場所が、最初から存在しないとしても。
秘めた決意を鈍らせないために、私は祈り続ける。
私は、"アナグラ"の共同墓地にいた。
ここには、アラガミの犠牲となった、名も知れない人々の遺骸、もしくは、遺物が埋葬されている。
極東支部の尽力により、近年の人的被害や貧困は格段に改善された。
だけど、ああしてアラガミの脅威は依然としてあるばかりか、昨今では"赤い雨"の被害もある。
精度の高い降雨予測が実現した現在では、いたずらに被害が増加する事はなくなったけれど、
"黒蛛病"となった人々に対しては、既に全患者の収容を終えたフライアの処置を待つしかないのが現状だった。
"ブラッド"を切り離してからのフライアは、外界へ一切の情報を漏らさず、その容貌も謎に包まれている。
患者の少女と親しくしていたユノも、気遣わしげに彼女からの連絡を待ち続けているようだった。
ラケル博士がジュリウス主導の施策を無下にする事はないと思うけど、ここ最近のフライアの不透明さには、漠然とした不安が残る。
ともかく、今はジュリウスを信じるしかない。
気持ちを切り替え、ラウンジに向かうと、そこには入り口右手のソファに腰掛ける、シエルとナナの姿があった。
「おはよう、2人とも」
「おはようござい、ます……?」
「おはよー!……あれ?制服じゃないの?」
「うん、そろそろ予備の制服以外も着てみようかなって」
ナナの指摘通り、今日の私は"ブラッド"の制服を着てこなかった。
指先まで覆った合成繊維のインナーの上に、シャツと薄紫のウィンドブレーカーを羽織った上半身。
ボトムスには白黒の迷彩パンツを配し、前髪には当然、あのヘアクリップを着けてある。
http://i.imgur.com/3puNmmX.jpg
http://i.imgur.com/mFyihRR.jpg
……どちらかと言えば、少し派手な格好だとは思う。
一応、機能性の高い服装でもあるんだけど、選んでいる時は気が舞い上がっていて、何とも思わなかった。
こういう所は、上着の裾に着けたバッジやワッペンの持ち主に、少し影響されてしまったのかもしれない。
しばらくその余裕がなかったけど、こうしてある程度、自分の服飾に気を遣うのも、彼との約束だった。
「ちょっと意外なチョイスだけどー……似合ってるんじゃない、それ!」
「これはこれで……いいですね」
彼女達からは意外と好評だったようで、私は胸を撫で下ろす。
「ふふっ、ありがとう……ところで、今日の予定は?」
「私はしばらくしたら、ハルさん達と一緒に任務行ってくる!シエルちゃんは?」
「私は休暇日なので、ナナと別れたらじっくりと、バレットエディットの構成を考えてみようかと……」
今日は予定通りなら、部隊単位での大型任務や、メンバーを予め指定された作戦がない日だった。
基本的にこういった隙間を狙って、私達はフリーの任務を受注したり、休暇を組んだりする。
「私も、ナナと同じかな……そうだ、時間あるなら、一緒にバレットエディットしない?」
「誰かと作るのも久しぶりだし、2人のアイデア、聞いてみたいな」
「うーん……銃はあんまり得意じゃないんだけど、たまには頑張ってみようかなー」
「……私は、その……」
ナナはともかく、シエルが予想外の反応を見せる。
いつもなら、むしろあちらの方から誘ってくるぐらいの勢いなのに。
「あれ?どうしたの、シエルちゃん」
「……いえ、それも、とても有意義ではあるんですが……」
口ごもる彼女の頬に、微かな赤みが差す。
もどかしげに太腿を擦り合わせ、私の方を見つめたシエルは、おずおずとそれを打ち明けた。
「君に、やって欲しいことがあるんです――」
「――本当に、いいの?」
「……はい、これも、私の憧れでしたから……!」
「いや、友達の髪触るだけなんだから、そんな緊張しなくても……」
握られたヘアブラシが、両サイドのリボンを解いた、シエルの頭髪に迫る。
彼女の頼みとは、自分の髪型を私にアレンジしてもらうことだった。
"ブラッドバレット"を研究する際、肩を並べて勉強する事が憧れだったとシエルは語ってくれたけど、
こうしたスキンシップに関しても、それは同様だったらしい。
「小さい頃、鍛錬の合間にふと、施設の女の子たちがそんな交流をしているのを見て、羨ましかったんです」
「だから、友達が出来て、もっと仲良くなれたら、やってもらいたいな、と……」
カウンター席に座り、赤裸々に語る彼女の背後で、私は長髪を梳いていく。
両手を覆っているインナーは手首辺りから分割できるので、もう片方の素手は、柔らかな髪質と直に接触していた。
そういった経験は私もないけど、シエルからそれほどの関係だと思われているのは、正直嬉しい。
「……よし、出来た」
彼女に手鏡を渡し、出来映えを確認してもらう。
「……これは……!」
シエルの目が、大きく見開かれる。
鏡に映ったのは、私と同じく、後頭部の高い位置に後ろ髪がまとめられた、シエルの姿だった。
髪の長さと、結んだリボンから、彼女のポニーテール姿は、私とはまた異なった印象を与えている。
「えへへ……おそろい」
「……」
「……なん、て……」
鏡を見た姿勢のまま硬直したシエルを見て、私は青ざめる。
……しまった。
つい浮かれて、調子に乗ってしまった。
「あ……ごめんね、すぐ直すから――」
――伸ばした手が、力強く掴み取られる。
気づけば眼前には、一瞬でこちらに振り返った、シエルの顔があった。
「……こんなに、素晴らしいものなんですね……!」
「ありがとうございます!ずっと……大事にしますから……!!」
「い、いや……そこまでしてもらわなくても……」
どうやら彼女は、嬉しさのあまり固まっていたらしかった。
かといって、感極まった表情でそう言われても、それはそれで反応に困る。
熱視線を送るシエルからそれとなく眼を逸らすと、今度はその一連の光景に瞳を輝かせる、ナナの顔が視界に入った。
「いいなー、私もやってみたい!」
「……そういえば気になってたんだけど、ナナの髪型、どういう風に作ってるの?」
鏡を使い、様々な角度から自分の髪型を眺めるシエルは差し置いて、ナナの頭部を凝視する。
改めて、どういう髪型なのかは理解できるけど、その構造は見当もつかない。
ナナと初対面の頃から今まで、思っていても、何故だか言えなかったことだ。
「……気になる?」
「……うん」
「じゃあ、特別に教えてあげちゃう!」
事も無げに、許可が出た。
私に背を向け、留め具をすべて外した彼女は、その髪を垂らす。
既に何回か見ているけど、こうして髪を下ろした姿も、何となく新鮮に感じられる。
「まずはここからこうやって、こうして、次はここを……」
素の状態から、てきぱきと留め具が再装着され、組み上げられていく。
「……最後にピンと毛先を整えれば……かんせーい!」
後ろ髪が立ち上がり、ナナは元通りになった。
すごい。
手際が良すぎて、さっぱりわからない。
「えっと……じゃあ、今度は私にもお願いしていいかな」
「オッケー!」
「……盛り上がってるとこ、悪いんだが」
こうなったら体で覚えようと意気込む私の背後から、制止の声がかかる。
私達が振り返ると、少し気まずそうな様子で、帽子を目深にかぶるギルがいた。
「隊長、借りてくぞ」
とりあえずここまで、すいません普通に間に合いませんでした
9子にこの格好はどうよとは思ったけど、GE2無印でお気に入りの組み合わせだったのでつい…
◇
見せたいものがある。
そう言って、ギルが私を連れて来たのは、神機の整備室だった。
神機使いが出撃しない間、神機はここで定期的なメンテナンスを受ける。
それは現時点で所有者のいない神機も同様で、
室内では可動式の整備台に寝かされた膨大な数の神機が、専用マニピュレーターによる整備を受けていた。
整備班の人間が作業にあたる中、その第一班班長である、楠リッカが私達に声をかける。
「やあ、やっと来たね」
「すまん、遅くなった」
「いいよ、今はそんなに忙しくないし。それに……」
頬の煤を厚手の作業手袋で拭い、リッカさんは右手のタブレット端末を操作する。
「待ってる間、気が済むまで調整させてもらったから」
すると、ちょうど私達の正面にあった整備台が、こちらに向けてその体を起こした。
「わぁ……!」
思わず、感嘆の声が漏れる。
台に固定されていたのは、鈍い輝きを放つ、青紫の槍型神機だった。
電灯に照らされる、黒く縁どられた刃の眩さに、私の目はたちまち惹きつけられる。
「ギル、これもしかして、"ブラッド"の……?」
「ああ、特注品だ」
この神機パーツの形状は、間違いなく第3世代型神機のそれだ。
"血の力"がまだ稀少な体質なのもあって、私達の神機のコアに適応する神機パーツの規格は、ごく限られている。
だから、私も神機の世代を見分けられたんだけど、目の前のそれは何というか、ただ彩色しただけのようにも見えなかった。
「もちろん、変わったのは色だけじゃないよ」
リッカさんが、私の疑問を言い当てる。
「基本性能の向上はもちろん、使用者の戦闘データに基づいたチューニングも施してある」
「"血の力"の伝達効率も上がってるはずだから、"ブラッドアーツ"の負担もある程度軽減されるんじゃないかな」
「へぇ……でも、何で色まで?」
「受容体の影響だろうな」
そこに割って入ってきたのは、ギルだった。
「受容体?」
「正確には"感応波受容体"だな。詳しい説明は省くが、神機をチューンするには、そいつが必要になる」
「その製作にも、ある程度アラガミの素材がいるんだ」
「いつもは君達が獲ってきたコアからでも十分賄えるんだけど、ギルの言う通り、この神機に使ったのは特別製だからね」
「ギルがこだわるから、時間かかっちゃった」
「……素人が迷惑かけて、悪かったな」
少し拗ねた様子のギルを、別に悪いとは言ってないって、と、リッカさんがからかい半分に宥める。
仇討ちを果たして以降のギルが、時たまリッカさんから整備の知識を学んでいることは知っていた。
少し置いて行かれている気もするけど、普段出ることはない、彼の一面を垣間見られたのは、幾らか得をした気分だ。
――一瞬、胸の奥を、何かが掠めたことを除けば。
「ふふっ……馴染んでるね、ギル」
「ん……まあ、色々と世話になったからな」
そんな私の生暖かい視線に気づくと、ギルは早々と態度を改める。
「それで、話の続きなんだが……この神機に使った受容体は、俺が作らせてもらった」
「お前にも何回か、手伝ってもらっちまったけどな」
「……あっ」
そういえば何度か、ギルの素材集めに付き合った記憶がある。
整備に使うことは知っていたけど、その詳細までは聞いていなかった。
「もちろん、受容体を作るのにも技術がいるんだけど……本当に凄いんだよ、ギルは」
「私の作業を1回横で見たら、すぐに自分で受容体を作っちゃうんだから」
「もっとも、出来は良くなかったんだけどな……そのリベンジも兼ねての特注品、ってわけだ」
「それでここまでの成果を出せるんだから、十分大したものだと思うけどね」
「やっぱりギルは、技術者としての才能があるよ……!」
「たまたまだよ……悪い気はしないがな」
新たな才能の発掘に燃えるリッカさんと、それに満更でもなさそうなギル。
また蚊帳の外になった私は、あえて口を挟まず、彼らの様子を見る。
会話が進み、専門用語がある程度増えてきた頃には、入り込む余地もなくなった。
お似合い、だと思う。
リッカさんなら、のめり込める事柄を見出したギルを、十全にサポートできる。
彼女自身もギルに興味を示しているし、面倒見のいい性格だから、彼の好奇心にも長く付き合えることだろう。
私より、ずっと彼にふさわしい。
――掠めた何かは、痛みだった。
けして大きくはない、けれど、胸の内でじわじわと蝕んでくるような、嫌な感覚。
……あれ。
何故、私は自分を引き合いに出したんだろう。
今までも、そしてこれからも、ギルは大切な仲間だ。
それ以上の関係だなんて、少し意識してしまうことはあっても、想像できない。
そもそも、こんな下世話な考え自体が、彼に失礼なんじゃないだろうか。
そうやって思考を渦巻かせているところで、リッカさんと目が合った。
彼女は一瞬目を見開いた後、すぐさま得意げな笑顔を返してくる。
嫌な予感がした。
「――あ、そうだ」
「どうした?」
「実は後もう少し、詰めたい箇所があるんだよね……」
話題の中心になっていた神機を指して、リッカさんは突拍子もないことを言い始める。
「ちょっと集中したいから、後は君達でケリつけといてくれない?」
「ここからの話は、私も必要ないだろうし」
「……アンタ、さっきは気が済むまで調整したって――」
「言葉のあや、だよ!さぁ、出てった出てった!」
「おい……!?」
「わっ……!?」
彼女に背中を押し出され、私達は強制的に整備室を後にする。
扉も閉め切られ、私達は通路に取り残されてしまった。
「……ったく、どうしたんだ急に」
「さ、さあ……?」
通路には、誰も通らなかった。
この空間にいるのは、私達だけ。
「……二人だけになっちまったな」
「……そう、だね」
それを意識してしまうと、駄目だった。
緊張で、たちまち思考が回らなくなる。
「……そういや、服、変えたんだな」
「う、うん……」
「……似合ってる、と思うぞ」
「へっ!?……あ、その……ありがとう」
顔に、ほんのりと熱が灯るのがわかる。
当り障りのない感想なのに、どうしてこんなに取り乱してしまうんだろう。
……何でこんなに、心が弾んでしまうんだろう。
「意外だったか?」
「……ちょっと、だけ」
「……そうか」
会話が、途切れる。
大体が自分の責任だという自覚はあるけど、もしかして、ギルも緊張しているんだろうか。
沈黙に窮し、傍らのギルの顔を見上げる。
拒絶の意志はないものの、引き結ばれた口元。
そこでふと、その真横に垂れる、彼の髪が目に入った。
緊張状態が極限に達していたのか。
褒められて、気が動転していたのか。
少し前の出来事がよほど印象深かったのか。
私は、それに右手を伸ばしていた。
ギルは、男性にしてはかなりの長髪だ。
そういう嗜好なのか、ただ無造作に伸ばしているだけなのか、それはわからないけど。
その髪質は、シエルのそれに勝るとも劣らないほど柔らかく、きめ細かいものだった。
私は素手のまま、彼の髪に触れる。
髪の束は抵抗なく指を通し、私に仄かな温かみを与える。
ほぼ無意識でありながら、その感触に楽しみを見出していると、右腕が浮いた。
持ち上げたのは、困惑が色濃く出た表情の、ギル。
そこで、ようやく意識の焦点が定まった。
顔から火が出るとは、こういう様のことを言うんだろう。
「ひゃあっ!?」
「うおっ」
悲鳴を上げ、彼から後ずさった私は、熱を冷ますために顔を背ける。
こんな時、自分の髪型が恨めしい。
後ろ髪を結い上げていたのでは、耳まで茹で上がった様子が丸見えだろうから。
「ごっ……ごめんなさい、いきなり変なことしちゃって!」
「えっと、その……さらさら?だったから、つい……」
何やってるんだろう私。
何言ってるんだろう私。
色んな意味で、ギルに顔向けできない。
「……ははっ」
数秒後に返ってきたのは、笑い声だった。
「こいつもハルさんには散々からかわれたし、ケイトさんも羨ましがってたっけな」
ほんの少しだけ、彼の方に視線を向ける。
「そういう訳で、弄られるのは慣れてるんだ……こっち向けよ」
「い、いや、今はそれだけの問題じゃなくなってる、というか……」
私の慌てぶりに却って冷静になったのか、ギルは緊張を解いていた。
私はというと、未だに自分の行動が信じられずにいる。
「よくわからんが、それならこのまま、話を続けさせてもらうか」
「……あの神機パーツな、実はお前に使ってもらおうと思ってる」
「……えっ?」
今度は、身体ごと彼の方に向き直る。
「その調整の目処が立ったと連絡が着たから、お前を連れて来た」
「……せっかくギルが苦労して作り出したのに、悪いよ」
あの神機は、ギルのものなのだと、すっかり思い込んでいた。
実際には、あれこそが私の神機の新たな姿だったのだ。
「勘違いするなよ……アレは元々、お前のために作ってたんだ」
「……約束、したからな」
ギルと二人でいる時間が増えてから、彼は私を支えてやりたいという旨を、度々口にしていた。
今なら、それが本心からの言葉であったことも、理解できるけど。
「……今のままでも、私は十分すぎるほど支えられてるよ」
「ついこの前だって、ギル達が後押ししてくれなかったら、あのまま……」
「今までがそうでも、これからがある……それにな、俺がやりたいから、やってるんだ」
「……お前に受け取ってもらわなきゃ、意味がない」
そう言って見せた自然な笑顔に、心が揺れる。
彼のこういった部分に、私は弱い。
素っ気ないのに、その実親身に接してくれて。
いつも仏頂面なのに、ふとした瞬間に見せる笑顔は、人一倍優しくて。
それを見せられると、あっさりと乱れてしまう。
……もう、素直になってしまおうか。
「……わかった、ありがとう」
「これからも、頼りにさせてもらうね」
彼への好感が変調したきっかけは、覚えていない。
それは募れば募るほど苦しくて、でも、忘れられない心地よさがあって。
これが恋だというのなら、私はギルを慕っていた。
……だけど、この想いは叶わない。
今だって彼の目は、私を捉えてはいないから。
その違和感の正体を知ったのは、ギルの記憶を垣間見た時。
彼はずっと、私の背後の、ケイトさんの影を追い続けている。
ギルが彼女に、恋愛感情を抱いていないのは、わかっている。
それでも、彼女が大切な女性であったことには違いない。
その苦しみを思い起こさせる私が傍にいては、彼は幸せになれない。
尤も、私自身は妹分ぐらいにしか思われていないだろうけど。
だから、彼にいい相手が見つかるまで。
私が、この未練を断ち切れるようになるまでは。
――痛みだって、呑み込める。
「おう……よろしく頼むぜ、相棒」
……想うだけなら、いいよね?
◇
「――作戦完了!お疲れ様でした!」
新たな神機パーツの性能を試す機会は、すぐにやってきた。
ちょうどあの後に、エリナとの任務が組まれていたからだ。
「お疲れ様……いい調子だったなぁ……」
陽光が、掲げた神機の表面を煌めかせる。
ギルとリッカさんから与えられた、私だけの神機。
先ほど出来上がったばかりだというのが嘘のように、手と身体に馴染んでくれている。
「ほんと、最近は調子いいね!誰のおかげなんだろう?……ねぇ、先輩?」
「うーん……やっぱり、エリナのおかげかな」
事実、エリナの訴えがなけれな、私は再起の入り口にすら辿り着けていなかった。
その事を考えれば、彼女には感謝してもし足りないぐらいだ。
「……本当に、ありがとう」
「なっ……」
対するエリナは、頬を紅潮させ、口をぱくぱくと動かす。
「どうしたの、大丈夫?」
「い、いきなり真剣にならないでよ……ふざけた私がバカみたいじゃん……」
得意満面の笑みから一転、目を泳がせ、照れくさそうに髪を弄ぶ彼女の姿は愛らしい。
「……私だって、また先輩についていけて嬉しいから、おあいこ」
「それでいいでしょ?こうなったら、嫌だって言っても喰らいついちゃうから!」
「そっか……じゃあ、早く追い抜いてもらわないとね」
「その時は、私が先輩の面倒を見てあげる!」
……それに、みんなのおかげ。
降り注ぐ陽光は、じゃれつくエリナを受け止めた私の、前髪に留められたヘアクリップにも反射する。
これに込められた想いがある限り、私は前を向ける。
自身と向き合って、想いを知って。
素直になれた私が今一度見上げたのは、何にも遮られず、どこまでも広がる青空だった。
ここまで
書いててわかりづらいと思ったので今更捕捉しとくと
時間経過や遮り以外でダッシュ記号が入ってる行は、隊長のネガティブな深層心理を表してます
本人でも気づかない本音というかそんな感じのアレ
>>299の修正版だけ投下
全然スムーズにいかないけど出来れば今日中には続きを…
「なっ……」
対するエリナは、頬を紅潮させ、ぱくぱくと口を動かす。
「エリナ?」
「……っ」
ひとたび私と目が合えば、彼女はそれを背けてしまう。
……何となく、身に覚えがあるような。
「大丈夫……?」
「……そういう不意打ちやめてよ、もう……」
首を傾げていると、か細い呟きが返ってきた。
頬を手で押さえ、エリナは控えめにこちらを見やる。
「私だって、その……」
直前で、エリナが言い淀む。
こうした仕草の彼女を見るのは、何だか久しぶりな気がした。
「……先輩のおかげで、成長できたと思ってるから」
それでも、彼女が最後に見せてくれたのは、恥じらいを多分に残した、穏やかな笑顔だった。
その様子が愛らしくて、私も笑みをこぼす。
「うん……これでおあいこ!」
「早く帰ろ、先輩!」
今度こそ赤面を振り切って、エリナが私の左手をつなぐ。
照れ隠しだろうか、足早に駆けるエリナに若干引きずられながら、私は何ということもなく、目線を上げた。
何にも遮られない、どこまでも広がる青空。
塞ぎ込んでいた頃、空は空でしかなかった。
エリナだけじゃない。
こうして今一度、空に意義を見出せるようになったのは、私が手を取り、それに握り返してくれた、みんなのおかげだ。
その想いがある限り、私は前を向ける。
自身と向き合って、想いを知って。
素直な心で、歩み続ける。
未だ落ちない陽は、前髪に留められた、ヘアクリップをも照らしていた。
7
"ブラッド"が本格的に再始動してから、幾らかの時間が経った。
戦力低下に加え、緒戦での失態から不安視されていた私達も、今では一定の信用を得られるほど、順調に任務をこなせている。
その要因は、"ブラッド"の全員が信頼関係を築けたところにあるんだろうね、と榊博士は言う。
「"仲間を使い、自分を使え"……私の補佐も務めてくれている"クレイドル"の指揮官が、よく口にしていた言葉でね」
「それに喩えるなら、君も隊長になって、自然と自分の使い方を覚えるようになった、という所かな」
実際、私の挫折に端を発した隊員同士の結束の強化は、"ブラッド"というより、私を変えていた。
みんなを守らなくていい、と言えば語弊があるかもしれないけど、何もかも一人で背負い込む必要はないと気づけたからだ。
もちろん甘えすぎてもいけないし、隊を預かっている以上、最低限の責任は果たさなければならないんだけど。
それでも仲間を頼ることへの抵抗が以前よりも少なくなったのは、私にとっても、
あの一件以降、多少私に気を回しがちになってしまった彼らにとっても、大きな一歩だった。
……特にシエルは、"君にはそれぐらいがちょうどいいんです"、と言って聞かないし。
ともかく、そうした心理面での問題はまず"ブラッド"内で話をつけるべきであって、
迷走した私にまずその方向性を提示してくれたのは、他ならぬ榊博士ではないだろうか。
その件について、改めて謝罪と感謝を贈るためにも、博士の研究室に出向いたこともあるけど、
「私はただ俯瞰した立場から、事象を観測しているだけさ。君達をどうにかするつもりはない」
「……もちろんここを預かる者として、その義務は果たさせてもらうけどね」
といった具合に、ひらりと躱されてしまった。
その一方で、フライアではついに"神機兵"が再度の調整を終え、実戦に配備されることとなった。
既に"神機兵"部隊単独でのアラガミ討伐にも幾度か駆り出されていて、その仕事ぶりはアナグラでも話題になっている。
ラウンジに設置されたテレビからは、フェンリル公共放送局によるプロパガンダCMがひっきりなしに流されていた。
初期は有人制御式"神機兵"の搭乗者募集が主な内容だったはずだったけど、運用の変化に伴い、広告内容も変わっているようだった。
CMに映っているのは、浮遊台に乗り、指先から流す電流で"神機兵"を指揮する、奇抜な格好の女性。
確か名前は……シプレ、だったっけ。
去年から登場したアイドルで、似た立場のユノとは人気を二分しているらしい。
その正体は文字通り電撃デビューを果たしたバーチャルアイドルで、CMの内容も要は編集された合成演出なんだとか。
歌や外見、キャッチコピー等に見られる独特なセンスが特徴で、そこがシプレファンを虜にしているようだ。
……と、ユノファンと二足の草鞋だった生前のロミオが、私に熱く語ってくれた。
こういったものにさほど興味は持てないけど、確かにCMの背景に流される彼女の歌声には、どこか引っかかるものがある。
流れた映像が目に止まり、改めてその正体についてぼんやりと考えていると、私に向けられた声がかかる。
「最近、シプレのCMもよく流れるようになったよな」
声の主は、コウタさんだった。
「コウタ隊長」
「だから呼び捨てでいいって。そんなに年も違わないし、エリナにエミールも、お前の世話になってる事だしさ」
「……それ、関係あります?」
「大アリだって、こっちも助かってるし……にしても、珍しいな、お前がそういうの見てるなんて」
「はっ!……まさかお前も、シプレの魅力に気づいたのか……!」
彼もまた、ロミオに負けず劣らずのシプレファンだ。
コウタさんと個人的な交流を深める機会は何度かあったけど、その一面を見せたのは二度目のことだった。
気もそぞろな彼を落ち着かせるためにも、私は急いで訂正する。
「いや、そういうわけじゃないんですけど……ただ、シプレの歌声ってどこか不思議だなぁ……と思って」
ついでに言えば、顔や声そのものにも何か覚えがあるんだけど、そこは考えない方がいい気がした。
何となく、本能的に。
「おお!それは――」
ただ、私の訂正もコウタさんには逆効果だったらしい。
何か用のあったらしいエリナが彼を連行するまで、私が聞かされた熱意を要約すると、
シプレの歌声は予め録音された肉声を応用し、予め入力された音程や歌詞に合成したものらしい。
それが彼女の独特で、どこか機械的な印象の残る歌声の正体だった。
そんな技術があることに感心しながら、再度流れたCMを見ていると、今度はシプレの電流に従わされる、"神機兵"の姿が目に止まる。
現在、戦場に出ている"神機兵"の全ては、ジュリウスによって統制されている。
一方的に関係を絶たれた側とはいえ、ジュリウスの安否は"ブラッド"にとっても気がかりだった。
彼は今、フライアでどう過ごしているんだろうか。
ここまで
>>309ちょっと修正して投下
毎度だらしない推敲で申し訳ない…
「おお!それは――」
ただ、私の訂正もコウタさんには逆効果だった。
何か用のあったらしいエリナがコウタさんを連行するまで、私が彼に聞かされた熱意から必要な分だけを抽出すると、
シプレの歌声は予め録音された肉声を応用し、予め入力された音程や歌詞に合成、編集したもののようだ。
それが彼女の独特で、どこか機械的な印象の残る歌声の正体だった。
そんな技術があることに感心しながら、再度流れたCMを見ていると、今度はシプレの電流に従わされる、"神機兵"の姿が目に止まる。
現在、戦場に出ている"神機兵"の全ては、ジュリウスによって統率されている。
一方的に関係を絶たれた側とはいえ、ジュリウスの安否は"ブラッド"にとっても気がかりだった。
彼は今、フライアでどう過ごしているんだろうか。
そして、現在。
ジュリウスの状況を知る機会は、意外な形で訪れた。
「――では、遠征作戦の概要を説明いたします」
「作戦名は、"朧月の咆哮"」
任務に向けたブリーフィングのため、支部長室に招集された"ブラッド"は、一様に目を丸くする。
シエルだけは一人淡々と、作戦概要を読み上げていた。
……そちらに集中する事で、戸惑いを誤魔化しているようにも見えるけど。
「――攻略の第一段階では、敵の後背部から別働隊が攻撃し、ブラッド隊が突入する機会を作ります」
「"ブラッド"の突入以降、別働隊は周囲のアラガミを撃破しつつ、包囲の輪を狭め――」
討伐対象は、ついにその動向が観測された、狼型の"感応種"。
"感応種"は山岳地帯に多数のアラガミを引き寄せ、天然の要塞を形作っている。
長期戦が予想される、この要害への突入作戦に助け舟を出したのは、あのフライアだった。
「――別働隊は遠隔制御の"神機兵"によって構成され、指揮をとるのは……」
「……ジュリウス・ヴィスコンティ大尉です」
その代表として、ジュリウスが目の前にいる。
シエルの傍らで沈黙を守る彼に、かける言葉を探しあぐねていると、
「……今更、よく戻ってこれたな」
ギルが切り込んでいった。
彼ほどではないにしろ、ジュリウスの行動に関しては、シエルやナナも複雑な感情を抱いているはずだ。
こうして隊長を務めている私も、納得はしきれていない。
――"……お前達は、生きてさえいれば、それでいいんだ"
……たとえその真意が、私達を守るためのものだったとしても。
「これは、ただの戦いじゃない……ロミオの、仇だ」
ジュリウスの言葉の通り、今回の討伐対象は少なくとも私達にとって、共通の敵となる存在。
彼から進んで"ブラッド"に手を貸すのも厭わないほど、確実に仕留めなければならない仇だった。
「そうだよ……!」
「絶対に、逃がしません……!」
そうなれば、ジュリウスと衝突している暇はない。
同調したナナとシエルの姿に心を落ち着かせ、私は振り返ってギルを見つめる。
「……ギルは、どう?」
「チッ……」
臨戦態勢を解き、ギルは帽子の鍔に指をかけた。
「……足は引っ張るなよ」
「……戦友の忠告として、受け取っておこう」
◇
程なくして、遠征作戦は決行された。
シエルの戦略通り、私達は山麓部から突入し、"神機兵"のサポートを受けながらも、着実にアラガミの群れを減らしていく。
その中でも、ジュリウスの指揮する"神機兵"部隊は、完璧な統制ぶりを発揮していた。
「……以前とは、まるで別物だな」
難色を示していたギルが素直に感嘆するほど、その動きは見違えている。
フライアのスタッフと語らい、その連携をより密にしていくジュリウスの姿に、私は改めて、彼が道を違えた事を実感した。
結局、"感応種"を追い詰めることなく日は沈み、私達は要害の中間部に、簡易的な前進キャンプを組み立てる。
最低限の寝床と、一時的な神機の保管場所になる程度だけど、一泊するには十分な設備だった。
携帯食料も食べ終え、ジュリウスを含めた全員がテーブルを囲む。
違った形とはいえ、一日中戦いを共にした影響なのか、悪い雰囲気ではなかった。
「このキャンプってさ……ちょっと不安じゃない?」
ナナが、第一声を上げる。
「そうですね……アラガミの縄張りの、真ん中ですから」
「"神機兵"を自律モードで配備してある……眠らない歩哨だ」
「こちらが反撃するまでの時間は、稼いでくれる」
「へー……ま、ジュリウスがそう言うなら、大丈夫かなー」
「ここまで来られたのだって、"神機兵"のサポートのおかげだし!」
元々の温和な気質もあり、ナナはジュリウスに対して、真っ先に距離を縮めようとしていた。
わだかまりはあっても、それを引きずらないのが彼女の優しさなのだろう。
その一方で、何も言わず腕を組んでいたのは、ギルだった。
「……ギル、どうかした?」
「いや……実力は認めてやるべきだと思ってな」
「ジュリウス……"神機兵"は、あれで完成なのか?」
「フライアのおかげで、無線制御の機体としては、ほぼ完成している」
「今は俺の”血の力”を用いて、教導過程……戦いの学習をさせているところだ」
「なるほどな……まだ伸びるってわけか」
ギルの態度も、先ほどに比べれば軟化している。
少しだけ、嘗ての”ブラッド”に戻れたような感覚。
「当然だ……お前達を戦場から遠ざけるには、まだ時間が要る」
「……そうかよ」
だけど、肝心な部分で、"ブラッド"とジュリウスは相容れない。
「ジュリウス、少しは話せるようだから言っておくがな……俺に、いや……俺達に、守られてやるつもりはない」
「戦いが全てとは言わない……だが、"神機兵"の後ろで腐っているだけなんざ、まっぴらごめんだ」
「……だろうな」
「お前達ならそう言うのがわかっていたから、俺は余計な干渉を受ける前に、”ブラッド”を抜けた」
「……別に、そういうのじゃなくてさ」
ナナが口を挟む。
「神機使いも、"神機兵"も、アラガミと戦えるんだから……一緒に戦う、じゃダメなの?」
「今回みたいに理由つけなくたって、居住区やサテライトの人達を守りたいのは変わらないし……」
「……"ブラッド"だけでも、"神機兵"の研究に協力できないでしょうか」
「ジュリウス一人の教導ではやはり偏る部分もあると思いますし、あなたの"血の力"が応用できるのなら、私達だって……」
「駄目だ」
シエルも加わった折衷案を、ジュリウスはにべも無く跳ね除けた。
「……これは、俺の役目だ」
「俺一人でなければ、神機使いを守り導く事など、出来やしない」
場が、静まり返る。
妥協を許さない彼の性格は、変わらない。
「……今後の"神機兵"の学習効率について、今の仲間と打ち合わせたい事がある」
「すまないが、次に会うのは明朝の――」
「……やっぱり、わからないよ」
でも、ここで交わらないまま、終わらせたくない。
だから今まで横槍を入れずに、ジュリウスの様子を見てきた。
「本当に私達を突き放したいなら……手を出させたくないのなら……」
「どうして、そんなに辛そうな顔をするの?」
「……何が言いたい」
ジュリウスが自分の意志で選び取った道を、捻じ曲げてしまおうとは思わない。
「私はただ……ジュリウスの気持ちを、知りたいだけ」
だからこそ、私を見捨てなかった、大切な仲間達のように。
不器用なサインを示す、本当の彼を信じたかった。
「同じ道じゃなくても、一緒にロミオの遺志は継いでいける」
「元通りになれなくても、前に進めるって……今は、そう信じられるから」
そう嘯く私と、頷く3人から、ジュリウスは尚も苦渋の顔で目を逸らす。
「……これ以上話したところで、平行線を辿るだけだ」
わかり合えるのが今じゃなくても、生きている内に、きっと。
私の目は、去って行く彼の左腕を捉えていた。
ここまで
やっと原作に沿える展開に入ったから軽く流せると思ったら難産でこれは……
◇
眠れない。
明朝の決戦に備え、寝ずの番を”神機兵”に任せた仲間達は、静かに寝息を立てている。
私もその例に漏れず、休息を取らないといけないんだけど、どうにも落ち着けずにいた。
明くる日への緊張か、ある種の高揚感か。
それとも3日寝溜めした反動がここできたのかな、と下らないことを考えていると、足音が聞こえた。
まずアラガミのものではないとわかる、小さな音。
それも、段々とこちらから遠ざかっていく忍び足だった。
番兵がいるとはいえ、不用意な外出は危険だ。
巻きついたナナの腕をそっとほどき、暗闇の中で神機の入ったケースを探し当てた私は、
先立に倣い、抜き足差し足でキャンプを後にする。
「く……っ」
薄く雲がかかった、月の下。
音の主は、出入り口から少し離れた岩場にいた。
こちらの存在には気づかず、左腕を抑えながらも、苦悶の声を噛み殺す。
「……やっぱり、感染してたんだね」
私の声に振り返ったのは、ジュリウスだった。
途切れがちな月光が、うっすらと汗の滲んだ彼の顔を照らす。
「……起きていたのか」
「何だか寝られなくて」
袖の捲られたジュリウスの左腕に浮かんでいたのは、黒蜘蛛の文様。
「……いつから、気づいていた」
「確信を持てたのは、今の反応で」
「……あの場でロミオと一緒に戦ったのに、何ともないのはちょっと不思議に思ってたけどね」
明確な違和感を持ったのは、ジュリウスと別れた時だった。
彼が怒りの中で私に掴みかからなかったのも、直接私の手に触れずにディスクを渡したのも。
今考えれば、接触感染の可能性が極めて高い、”黒蛛病”の伝染を防ぐための手立てだったのだろう。
……そうであって欲しくは、なかったけど。
「フッ……そうか、とんだ一人相撲を演じていたようだな」
薄く笑うジュリウスの様子は、どこか心許ない。
「だが、これでわかったろう……俺は、前に進めない」
「……まだ、そうと決まったわけじゃないよ」
「今だって、フライアで研究は進んでるんでしょ?」
彼が”黒蛛病”に罹っている事を、ラケル博士が知らないはずはない。
治療に専念するという名目で私達を切り離したというのなら、何らかの手段を見出せていてもいいはずだ。
「そちらは任せきりでな……今のところは、何も聞けていない」
そんな当てつけにも似た願いが、叶うはずもなかった。
ジュリウスは首を振り、またも自嘲めいた笑みを作ってみせる。
「まあ、安静にしたところでどうにかなるものでもないし、好きにやらせてもらうさ」
「新たな世界の、その礎だけでも……築いておきたいからな」
「だから……お前達の元には、いられない」
言葉に反して、彼の語尾は弱々しかった。
「……それでも、私は……」
ジュリウスも、自分なりに私達を想って、”神機兵”の成果を遺そうとしている。
死期を悟った彼は、もはや妥協しないのではなく、出来ないところにまで足を踏み入れていた。
何を言っても、気休めにすらならないかもしれない。
どうしようもないのだからと、これ以上干渉せずに捨て置けば、格好はつくかもしれない。
……それでも、私は。
「……心だけでも、あなたと共にありたい」
この想いを変えられない。
私が得たつながりの中には、彼もいるから。
「……懲りないな、お前は」
少し間を置いて、ジュリウスが言葉を返す。
彼にしては珍しく、少し呆れ気味な調子だった。
「だが、その真っ直ぐさが……羨ましくもある」
「……えっ」
今度は私の方が、呆気に取られる
「あんまりな反応だが、俺も嫉妬ぐらいはする」
「え、あっ……ごめんなさい」
「いや、いい……ぐっ」
突然、ジュリウスが咳き込む。
病は、今も彼の身体を徐々に蝕んでいた。
「ジュリウス!?」
「っ……気にするな、こればかりはどうしようもない」
歪んだ顔を、ジュリウスは少しだけ和らげる。
近づいた私を手で制し、彼は改めて語り始めた。
「……お前は、俺が求める力を持っていた」
「心を通わせ、得たつながりを力に"喚起"する……家族を求めていた俺にとって、まさしくうってつけじゃないか」
「……実際、お前には頼ってばかりいたしな」
「……そんなことないよ、私も結構、勝手に動いちゃってたし」
確かに、最初はジュリウスの期待に動かされていた部分もあったけど。
それ以降は良くも悪くも、私自身の意志による行動だった。
「……そう、その物言いだ」
「"血の力"に目覚めて以降、"喚起"ありきのお前を見ていたが……それはすぐに間違いだと悟った」
「"ブラッド"のみならず、極東の神機使いまでも惹きつけていたのは、お前のそうした本質だったからだ」
彼が"ブラッド"を抜ける際にも、聞いた言葉。
事実、仲間が私自身を認めてくれていたから、私はここに立っている。
「シエルやロミオが、その最たる例だろうな……」
「俺では幼いシエルの友人になる事は出来なかったし、ロミオの心を溶かすどころか、一年間苦しめただけだった」
ジュリウスが左腕の文様を見やり、拳を固く握りしめた。
「……副隊長のお前が信頼関係を結んでいく横で、隊長の俺は何をしていた?」
「隊員を理解し、導くのが長である者の本分だというのに、俺は……」
「あいつらの抱えていたものを測れないどころか、己の都合を優先して逃げていただけじゃないか……!」
「ジュリウス――」
「――ぐっ……俺だって、帰れるのなら、お前達の元に帰りたい」
「だが、不甲斐なくロミオを失い、”ブラッド”を裏切った俺に、そんな資格は……!」
「ジュリウスっ!!」
ようやく、ジュリウスが我に返る。
彼は目を見開き、顔に自身への驚愕を表した。
「すまない……どうにも、弱気になってしまうな」
取り繕っても、その表情には影が落ちたままだ。
「……これが、お前の聞きたがっていた本音だ」
「……そうだね、ありがとう」
本当の彼は、自分を許せない。
家族を求めながら深く知り合えず、助けられなかった自身を悔いている。
守るべき命を救えず、過去に縋るしかなかった、以前の私に似ていた。
「確かにジュリウスとはみんなほど話せてないし、肝心な時は運悪くいなかったかもね」
「でも、それだけでジュリウスが許せないとは思わない」
だから、ジュリウスにも伝えなければならない。
「……何故、そう言える」
「だって、ジュリウスはずっと、"ブラッド"を支えてくれた」
「あなたが公の場で手を回してくれていたからこそ、無茶も出来たんだよ」
私がシエルを助けるために、命令違反を犯した時も。
ナナの”血の力”が暴走し、私達が気落ちしていた時も。
ジュリウスは私達の目に見えない所で、便宜を図ってくれていた。
フライアを内包した本部と通じている間、身動きは取り辛かっただろうに。
「……それに、個人的な話なんだけど」
「あなたが家の事を黙っていてくれなかったら、私もどこかで潰れてたかもしれないし」
私がフライアに所属した当初、その素性を知っていたのは、彼やラケル博士と、一部の人間のみ。
わざわざ言いふらしでもしなければ、秘匿するまでもない私の出自を、
ジュリウスは理由も聞かず、守り通してくれていた。
今でこそ、あまり思い出さなくなった程度には意識していない事柄だけど、
その露見が何よりの死活問題だった当時の私にとって、彼の対応はありがたかった。
「……お前が何らかの事情を抱えていたことぐらいは、俺にだってわかる」
「黙っているだけで、何が出来たというわけでもないがな」
「……ううん、ありがとう」
「……ジュリウスが私達に負担をかけないように動いてきたことは、みんなわかってるよ」
「だから、ナナ達も頼って欲しがってたし、ギルも怒ってたんだと思う」
「……お前も、人の事は言えないんじゃないか?」
「ちょっと前まではね……でも、お前が一人でやるには荷が重い、って怒られちゃった」
「そうか……」
私の言葉にジュリウスが苦笑し、夜空を見上げる。
「大事にしよう、守ろうと突っ張ってきて、求めた憧憬から最も遠ざかっていたのは、俺自身だったのかもしれないな……」
「……だが、もう後戻りも出来ない」
目を閉じ、息を吐いた彼は、再び私に向き直る。
「……一つだけ、聞かせてくれ……お前が俺なら、どうしていた?」
まだ苦しみを残したジュリウスから、突如投げかけられた問い。
見えない意図に少し悩みつつも、答えるまでに時間はかからなかった。
「私は……私を信じてくれた、みんなと一緒に人々を守りたい」
「だから何があっても、最期まで前に立って戦い抜く道を選ぶ」
「それがロミオと約束した、私なりの、自分にしか出来ない事だと思うから」
「……強いな、お前は……いや、強くなったと言うべきか」
「どちらにせよ、俺の目に狂いはなかったようだな」
ジュリウスの表情が、ふっと安らぐ。
「ならば、俺が継ぐべきロミオの遺志は……やはり、今の道を突き詰めることだ」
「だが、その上で……お前達の元に、必ず生きて帰ってみせる」
「……絶望に浸るのは、それからでも遅くないだろう」
再び左拳を握った彼の顔から、苦しみは取り払われていた。
「……まずは、目先の共同戦線だな。ここまで言わせたからには頼むぞ、隊長」
「大丈夫……私もシエル達も、守られる気はないから」
「……言うようにもなったな」
「そうなるように任せてくれたのは、そっちでしょ――」
……明日、一つの因縁に決着がつく。
朧月の下で交わされた、このやりとりが実を結ぶかどうかは、この一戦にかかっている。
ここまで
ジュリウスが抱えてきた葛藤と、私が心に縛りつけてきた妄信。
自然と解決しているかもしれなかった二つを引き裂き、歪ませた直接的な原因は、あのアラガミに集約されていた。
◇
大きな目玉と鬼の顔、虎に戦車に鰐、女神。
昨日に引き続き、相も変わらず押し寄せてくる色とりどりのアラガミ。
とはいえ、その場で斃す分には限りはある。
群れを斬り伏せれば、それは姿を現さざるを得なくなった。
首元から伸びて揺らめく、赤い触手。
発熱器官を内包した、岩のような質感の前腕。
敵対者を射竦めんとする、魔狼の隻眼。
私にとって、アラガミは災害のようなものだった。
局所的に食い止める事は出来ても、根絶はまず不可能な、防いでやり過ごすしかない自然現象。
有り体に言えば、"そういうもの"、という印象だった。
だから、神機使いの誇りに燃え、時に理不尽な犠牲に怒り悲しむことはあっても。
それはアラガミそのものに対してであって、その時相手取る個体は、あくまで仕事の対象だった。
ギルの仇討ちに同行した時も、彼に寄り添いたい気持ちの方が強かった。
……だけど、アラガミの所業に逆上した私は、その記憶を垣間見た。
確かにそのアラガミは、統一された思考に縛られた、”そういうもの”だったけど。
そんな思考は一つの方向に先鋭化されていって、捕喰に感情を見出すようになった。
それから、認識は徐々に変わっていった。
何を今更、と思うだろうけど、アラガミは少なからず個の意思を持った、敵なんだ。
ただ人々を蹂躙するだけの力を持った、個人の感情を向けるに値する相手。
だから私は、その名を呼ぶ。
ガルム神属感応種、マルドゥーク。
たとえ、消し去ることが叶わなくとも。
またいつか、異なる姿と名を得て立ちはだかってきたとしても。
こいつはここで、私達が叩き潰す。
とりあえずこれだけ
やっぱり戦闘になると筆が止まる……3月中に終わらない……
要害の最深部。
アラガミと、それを喰らう者の両者が相まみえる緊張の中、崖上のマルドゥークが天を仰ぎ、咆哮を上げた。
その肉体から立ち昇る赤黒い渦に呼応し、どこに隠れていたのか、アラガミ側の戦力が周囲に展開される。
マルドゥークの原種となる、赤い体毛の狼型アラガミ群が仕掛けるのと、神機兵団が一斉に駆動音を響かせたのは、ほぼ同時だった。
『ガルムは俺が抑える……手筈通り、"ブラッド"は目標に集中しろ』
拠点の設備で"神機兵"を統括するジュリウスから、指示が飛ぶ。
彼自身は二重の意味で戦えない。
代わりに手足となり、アラガミにその身をぶつける"神機兵"を尻目に、私達はようやく同じ地に降り立った敵を見据える。
「……やっと、ここまで来たね」
「……交戦記録の少ないアラガミです。油断しないで」
「したくても出来ねえよ……こいつが相手じゃな」
マルドゥークもまた、迎え撃つべき相手を見定めていた。
静かに怒りを湛え、戦意に漲った3人は、私の言葉を待っている。
「……よし」
嘗て同じ相手に脚が竦み、声も出なくなった頃から、どれほど経っただろうか。
私はこうして生き残り、短い間に多くの経験を得てきた。
少し癪だけど、その猶予を私に与えたのは紛れもなく父の言葉で、きっかけとなったのはマルドゥークとの邂逅だ。
「みんな、行こう!」
私の号令で、"ブラッド"は行動を開始する。
まずは銃撃による牽制を交えて敵を誘い込み、三方からの包囲を形成しつつあった私達に対し、
マルドゥークは正面の私を標的に捉え、その陣形を突き崩そうと身を乗り出した。
……眼前の仇は、ただ憎い。
だけど、そもそも私があの時仕留め損なわなければ、一連の事件は起こらなかったかもしれない。
その事件にしても、悔恨の情は未だに残っている。
神機使いとして割り切らなければならない問題だと理解はしていても、当事者である以上、因果関係を感じずにはいられなかった。
少なくとも、慣れてしまってはいけないと思う。
マルドゥークが前腕を覆うガントレット状の硬皮を上下に展開させ、勢いよく横に払う。
飛び上がって躱せば、展開によって露わになった灼熱色の発熱器官が、振り抜いた先で爆発を起こした。
その反動で速度を増した振り払いが、再び私に迫る。
……ギルも、似た気持ちだったんだろうか。
というより、実際にその感情を体験してきた身ではあるんだけど。
それに、仇討ちを果たして全てが清算されるわけでもないのは、彼を見ればわかる。
時間は、かかるかもしれない。
けれど、心につなぎとめておくのも。最終的には折り合いをつけて、あっさりと開け放つ場合でも。
それらは時間をかけてしまうほどの価値のある、残された者達が行使できる手段なのだ。
だからこの戦いは、私にとって一種の整理をつけるための儀礼でもあるのだと、そう認識していた。
咄嗟に盾で爪先を受け流すと、マルドゥークは3発目の動作に移った。
後ろ脚で立ち上がり、巨体ごと両腕を振り下ろす。
ただ、その標的は私じゃなかった。
「うわっ!?」
振り下ろされた両腕は、マルドゥークが突如側面に胴体を捩じった先の、ナナの元に着弾する。
風圧が直近の彼女をたじろがせるも、アラガミの攻撃はこれに止まらなかった。
抉れた地面から漏れた光が、もう一度爆発を引き起こす。
腕の硬皮に包まれた発熱器官は、ガルム種の武器の一つだ。
そこから瞬間的に発せられる高熱により、マルドゥークは地形と大気に対応した攻撃を可能にしている。
「チッ……!」
盾は展開していた。直撃を受けてはいないはず。
爆風で吹き飛ばされたナナのフォローに、すかさずギルが向かった事を横目で確認しつつ、私は煙の中へと切り込んでいく。
目算で振り下ろした大剣型の神機は閉じた硬皮に喰い込み、マルドゥークに私の接触を気づかせた。
その直後、ヤツの背後からシエルが頭を出し、神機の咢を胴体に噛みつかせる。
前後から組みつかれたマルドゥークは短く唸ったかと思えば、即座に片腕を胴体側に引き、
それを軸とする事で、ぐるりとその場で一回転して見せた。
急加速にたまらず引き剥がされるも、私とシエルはそれぞれ反対の地点に危なげなく着地する。
「ナナ、大丈夫?」
『平気ー……ごめん、ちょっと用心します……』
『そっちの”様子”はどうだ』
『腕部への衝撃、胴体への貫通……事前の見立て通り、各部位の肉質はガルムと大きく変わらないようですね』
敵との睨み合いを維持し、私達は無線で情報を交わす。
最適とは一概に言えないまでも、先ほどの攻撃は確かに通っていた。
「乱戦に備え、隊員間の距離を保ちつつ、マルドゥークの包囲を再開します」
「私とナナで脚を封じる間、シエルとギルは、通りやすい胴体に攻撃を集中させて」
言い終わらない内に、マルドゥークが前腕を展開し、掌に接した地面を溶かす。
沸き立つマグマは片腕でかき上げられ、火球となって私の方へ打ち出された。
腰を捻り、踵を敵に向ける形で一歩踏み出した私は、背に掛けた盾でこれを受け止める。
火球が接触した瞬間、私の感応波に共振した神機のコアから、青白く夥しいオラクルの糸が姿を現した。
伸びた糸はまだ形を残していた火球を絡め取り、寄り集まって同色の球体へと形を変える。
「カウンターっ!」
機を見た私は、振り上げた刀身でそれをマルドゥークへと打ち返した。
オラクル光弾に転換された火球は敵の意表を突き、既に前進を始めた腕に直撃する。
それでも、マルドゥークは止まらない。
合流したシエルとギルの援護射撃を潜り抜けると、両手足を一際大きく沈ませ、弾むように肉体を浮かべた。
慣性のまま落ちてくるそれを迎え撃とうと、私達は三方で神機を構える。
しかしながら、ヤツもただで降りるつもりはなかった。
私との接触の直前、敵は空中で爆発を起こし、目の眩んだ私を通り越しつつも弧を描く。
背後を取ったマルドゥークは着地した後、一足飛びで私の元へ戻ってきていた。
発熱器官も脅威だけど、それと同等に恐ろしいのが、能力の応用に追従できるガルム種の身体機能だ。
ただでさえ厄介なその2つの武器を、マルドゥークはより引き上げられた力で振るっていた。
……だけどそれは、アラガミ側に限った話じゃない。
こちらだって、曲がりなりにも”ブラッド”なのだ。
振り向いた私と、繰り出された巨腕の貫手との間に、一つの影が割って入る。
確信を持って見ればそこには、大槌のみで敵の攻撃を受ける、ナナの姿があった。
「さっきはよくもぉ……」
爪と面が競り合った状態のまま、ナナは器用に面の方向を変えていく。
最終的に上を向いた槌の面は、彼女の地力と気迫によって、じりじりと爪を押し上げていった。
この怪力には、オラクル細胞の活性化により、底上げされた分も乗っている。
マルドゥークの意識が私に向いている間、ナナはシエルから捕喰弾を受け取っていた。
「やってくれた、なぁっ!!」
ブースト機能を点火させた槌にかち上げられ、腕を浮かせたマルドゥークが怯む。
その隙に神機を変形させ、ナナは銃口を上に向けた。
「どかぁーんっ!!」
至近距離で放たれた轟音は標的に吸い込まれ、強固に繋がれた、硬皮の細胞結合を断裂させる。
"徹甲弾"の"ブラッドバレット"。
近接銃を主に扱うナナのために、私やシエルが作成を手伝ったバレットの一つだった。
続くシエルとギルも、呻くマルドゥークの胴体へ銃撃を集中させる。
最後に踏み込んだ私は、先ほどカウンターを浴びせた箇所に見当をつけ、逆袈裟に大剣を叩き付けた。
シエルの分析通り、こいつの硬皮は衝撃に弱く、大剣型神機の性質も剣というよりかは、槌型のそれに近い。
属性の合致した一撃は響き、そこに”ブラッドアーツ”を乗せて閃かせたことで、硬皮は内包する器官ごと引き裂かれた。
両腕に裂傷を作ったマルドゥークが、私達から数歩分の距離を取る。
その足取りは先ほどまでに比べ、明らかに鈍くなっていた。
熱の操作にしても、少なくとも自由には行えないはずだ。
だけど、追撃に移ろうと構えたところで、私達は異変を感知する。
締め付けられるような圧迫感。
うねる空気。
目に見えないそれは、私達の歩みを止める。
『何……?』
拠点のジュリウスにも届いた感覚の性質は、ただ攻撃的で、刺々しい。
でも、根本的な部分が、似ていた。
「隊長、こいつは……!」
"ブラッド"のみが直に感じ得る、大きな力場。
『マルドゥークの偏食場パルス値、異常な増大を確認!これは――』
オペレーターがダメ押しとばかりに叩きつける、偏食場パルスの反応。
今一度、天を仰いで咆哮を上げる、赤触狼が発したのは。
「……血の、力……?」
ここまで
二重引用符の表記ミスはもうスルーしといてください…
赤黒い渦が昇る。
『くっ……!?』
異変は、戦場にも形を現し始めた。
ガルムの群れが、ほぼ膠着状態にあった神機兵団を圧し始めたのだ。
『周囲のアラガミが一斉に活性化!?そんな……!』
『……発信源は、活性化したマルドゥークのようですね』
狼狽えるオペレーターに、努めて冷静に応えるシエルの表情は引き攣っていた。
彼女の“直覚”は、より正確に戦況を捉え、より明確に異状を察知している。
……アラガミからこの感覚を得るのは、初めての事だった。
"感応種"という括りで考えても、今まで活性化に至った相手は少なくない。
それが、何で今になって。
敵は考える暇を与えない。
怒る肩に押さえつけられたマルドゥークの両腕は、尚も灼熱を灯そうとしていた。
その光量が増すごとに、表面の裂け目は広がっていく。
もはや制御も出来ず、ただ負荷を蓄えるだけの暴挙を、マルドゥークはあえて断行していた。
むしろ、自身の決壊を待つかのように、足元のみならず、周囲の地表までも煮えたぎらせる。
「なに、アレ……」
「野郎、自爆するつもりか……!」
もはや攻撃を加えたところで、大人しくなってくれるような規模ではない。
先ほどとはまた違った、異様な緊迫感に呑まれる"ブラッド"を前に、マルドゥークが両腕を振り上げた。
「防いでっ!」
再び地面に接した腕が輝き、最初にマルドゥークを包んだ。
行き場を失った光は地を削り、"ブラッド"や神機兵団、果てはガルムまでも飲み込もうとしていた。
地面に深々と刀身を突き立て、展開させた盾は赤熱化し、抑える手にも刺すような痛みを与える。
光と風が止み、目を開けば、周辺の山地は、すっかり平野に変えられてしまっていた。
煙に覆われ、奥はまだよく見えない。
『――皆さん、無事ですか!?』
「はい……何とか。みんなは?」
『……任務の続行には、支障ありません』
『熱いし痛いし周りもよく見えないけど、私も大丈夫!』
『問題ない』
私達の距離も、随分離されてしまっていた。
神機兵団からの返事はまだないけど、マルドゥークがここにアラガミを呼び寄せている限り、拠点のジュリウスは無事だろう。
万が一の事態に備え、スタッフの護衛も兼ねた"神機兵"が配備されているはずだ。
「とりあえず、"ブラッド"だけでも合流しよう……シエル、位置分かる?」
『はい。"直覚"で皆さんの誘導を――!?』
『――ギル!後ろっ!』
『な――ぐうっ!?――』
通信が途切れ、代わりに鈍い音を後方で聴き取る。
振り返って煙を払い、凝らした私の目は、仰向けに倒れ込むギルの姿を捉えた。
さらに奥を見やれば、息も荒く、ガルムが彼に迫っている。
「ギルっ!!」
これがマルドゥークの狙いか。
叫び、駆け出した私にも影が下りた。
「邪魔……しないで!」
それもガルムであると確認するまでもなく、叩きつけられた巨腕に飛び乗った私は、
怒りのまま、変形させた神機でアラガミの頭部を撃ち抜く。
再び向こうに視線をやると、ガルムはギルの間近にまで迫っていた。
ギルも不意打ちからようやく体を起こしかけているけど、間に合いそうにない。
咄嗟に向けた私の銃口も横合いから現われたガルムに遮られ、目を見開いた、その時。
鉄の腕が、ギルの前に立ち塞がった。
『……どこで油売ってやがった』
『……爆発の影響で、しばらく操作系統に障害が出ていた』
『遅れを取ったが、同じ轍は踏まん』
2体目のガルムを切り払った私の前にも、"神機兵"が加勢に現われる。
攻撃を防いだギル側の"神機兵"も、返す刀でアラガミを怯ませてみせた。
『……今は、お前達の手を取る事はできない』
『己の力で、立ち上がってみせろ』
『……へっ、言われるまでもねえ!』
煙が晴れる。
立ち上がったギルの無事を視認し、安堵した私の元には、"神機兵"を伴ったシエルとナナも駆けつけようとしていた。
「隊長!」
「ギルは!?……はぁ、よかったぁー……」
大破したものを除いた残りの"神機兵"も合流した私達に対し、退いたガルムの残りもまた、一箇所に寄り集まる。
その中心にあったのは、欠けた両腕で巨躯を支える、マルドゥークの姿だった。
光を失った断面は黒ずみ、本体も自爆の影響で幾らか損傷を受けている。
『使役できるアラガミは、あれが最後のようだな……こちらにも反応はない』
「……あの状態では、逃げることも出来ないはずです」
「……ってことは、もうひと踏ん張りだねー」
「まずは露払いだ……やるぞ、隊長」
「うん……!」
マルドゥークが吼え、共鳴したガルムが一斉に襲い来る。
ここまで来れば、長くはかからなかった。
互いにガルムから得た捕喰弾を受け渡しつつも、"ブラッド"と神機兵団は群れを物ともせずに撃破していく。
最後に残るマルドゥークも、こちらの攻撃の前に身動きも取れず、遂に地面に突っ伏した。
そのマルドゥークの真正面で、私は腰を落とし、振りかぶる形で大剣を構える。
昂ぶる戦意で神機の柄を握り込めば、刀身の根元から青白い光が迸った。
渦巻く奔流はやがて形を成し、巨大なオラクルの刃となる。
嘗て自身が負わせた傷を眼に刻み、憎々しげに貌を歪める仇を前にして、様々な感情が去来する。
それらを断ち切るように、渾身の力で振り下ろされた刃は、マルドゥークの巨体を真っ二つに斬り裂いた。
コアを残し、器官や肉を模していた細胞が空気中に霧散する。
一つの因縁は、ひとまずの決着を見た。
◇
「――片がついたな」
仇討ちかつ、極東とフライアの共同作戦を終えた私達とジュリウスは、改めて顔を向き合わせる。
「お前の求めているもの、見せてもらった……今回ばかりは、"神機兵"に助けられたな」
「“ブラッド”だけじゃ、マルドゥークまでたどり着けなかったしね」
「だが、不備もあった……現時点では、サポートの立場に甘んじるほかない」
「……"ブラッド"も、俺がいた頃より巧みになったな」
「当然だ、上がいいからな」
「ううん、凄いのはみんなで……」
「おいおい、こういう時ぐらい自慢させろよ」
「フッ……」
ギルに茶化される私を見て、ジュリウスが軽く笑う。
周りも微笑みはするけど、その面持ちは、晴れやかとは言い難かった。
互いを認め合ってもどこか寂しいのは、この場にいる誰もが、嘗ての仲間との別れを想定しているからだ。
「……あの、ジュリウス」
その核心を、シエルが突く。
「やはり私達では、力になれませんか……?」
以前の私と、同じ問い。
その想いを抱くのは、彼女だけには限らないだろうけど。
「シエル」
切り出したシエルの肩に手を置き、振り向く彼女の瞳を見据えた私は、頭を振った。
今の"ブラッド"の中で、配属以前からジュリウスと面識があったのはシエルだけだ。
実際の親交はどうあれ、こうして彼が離れてしまえば、特別気持ちも強くなるだろう。
けれど、ジュリウスは既に決断している。
何を斃すだとか、助けに行くだとか、そんな明確な問題でもなくて。
私達が動けるとしたら、それは彼が道を踏み外してしまった時だけだ。
――"……俺だって、帰れるのなら、お前達の元に帰りたい"
"だが、不甲斐なくロミオを失い、ブラッドを裏切った俺に、そんな資格は……!"――
ジュリウスを蝕む病、吐き出された彼の本心。
そこまで知ったからこそ、尚更同じ道に引き戻したくはない。
「……先に、フライアに帰投させてもらう」
「マルドゥークの事もある……コアの解析は極東に預けるが、"血の力"の第一人者はこちらにいるのでな」
そこまで言うと、ジュリウスは私達に背を向ける。
だけど、彼はその場から動かなかった。
「……いつかまた、お前達と交わることもあるだろう」
「その時は、よろしく頼む」
今度こそ、ジュリウスが歩み出す。
心だけでも、共にありたい。
私の意志は、ジュリウスに届いただろうか。
出された問いに、満足のいく解は見出せただろうか。
昨夜の彼の言葉を信じるならば、私もまた、託された居場所を守らなければならない。
「ねぇ、今のって……」
「えぇ……私達も、"神機兵"に負けてはいられませんね」
「……"元通りになれなくても、前に進める"、ってな」
答えが出るのは、もっと先の話だ。
決意を新たにする友の傍らで、私は改めて隊長としての覚悟を固めようとしていた。
朧月の咆哮編終了
4月以降はこれ以上にゆっくりな更新になると思いますが、とりあえず完結はさせます
最近ゴッドイーターを始めた俺にタイムリーなスレ
頑張ってください
面白いので支援
>>359
ありがたい…
投下します
◇
「――ロミオ先輩。先輩の仇、取ってきたよ」
そう墓碑に語りかけるナナの後ろで、私達3人は各々の思いを馳せる。
遠征作戦の後日、一人のフライア職員が"アナグラ"を訪れた。
"区画を限定した上で、あなた方の入場を許可します"
という旨を事務的に語った彼は、私達をフライアへと誘う。
私達が見られる範囲でのフライアは、以前とほとんど変わらない。
ただ、妙に静かだった。
元々、ここは極東ほど騒がしい場所じゃない。
だけど、今のフライアにはどこか居心地の悪い、異質な静けさがあった。
目にする職員の硬い表情も、心なしか不信を押し殺しているかのように感じられる。
直感に過ぎない懐疑心を抱いたまま、"ブラッド"が通されたのは、今や鎮魂の場となった、高層庭園だった。
私達が行き来を許されたのは、ここと中継地のロビーのみ。
区画どころか、一室でしかない厳重ぶりだ。
けれど、その分、このような形にしてまで私達を通したがったのが誰なのか、察しはつく。
その誰かに報いるためにも、私達は少しの間、疑念を忘れることにした。
どのみち、"ブラッド"だけの立場ではどうにもならない領域の事柄なのだ。
今はただ、ここで眠る命を背負い直す。
「……あれ、この花――」
墓前には、一輪の花が添えられていた。
7
何もかも、都合よくは出来ていない。
特に明確な人類の敵を抱えた現代で、それは自然と身につく認識ではあると思うけど。
自分とその周囲は不思議と上手くいく、なんて思ってしまうのもまた、人間の悪い癖で。
予感はあれど、私も例に漏れず、知らない内に錯覚していた一人だ。
そう思い知る発端は、サツキさんの訪問にあった。
「すいませんね、こんな時間に」
その日の私は、任務を終え、エリナの買い物に付き合った後、ハルさんからの誘いを受けた帰りだった。
期せずして、互いに復讐者を身近に持つことになった気持ちの共有や、グラスゴー時代のハルさん達の話。
私は酒も飲めず、ほとんど聞き役に徹していたけど、
会話の中で改めてロミオへの整理がつけられた事も含め、有意義な時間だったように思う。
それだけに眠気も勝ってきた夜の道程、私の部屋の前で待ち構えていたのが、サツキさんだった。
「ま、こういうタイミングでもなきゃ都合もつかないのが神機使いって認識なんで、そこは大目に見てくださいねー」
そう開き直りつつ、サツキさんは通された部屋のベッドに遠慮なく腰掛ける。
正直言って、私は彼女が少し苦手だった。
別に、性格が嫌いなわけじゃない。
遠慮のない発言に関しても、自分の立場から考えさせられる事はある。
ただ、彼女のように、悪意も好意も明け透けな人物に対して、耐性がないのだ。
そのサツキさんが、一転して神妙な口調で仕切り直す。
「……うちのユノがね、アスナちゃん……あなたも、会ったことありますよね……その子に、フライアまで会いに行ったんですよ」
「えっ……でも、アスナちゃんにはメールしたって」
アスナちゃんは、サテライトの野戦病院にいた、"黒蛛病"患者の少女だ。
ユノが足繁くサテライトの慰問に通うようになって以来、彼女とは特別親しい間柄だったらしく、
私もアスナちゃんが"アナグラ"にいた頃には、何度か彼女の話し相手になっている。
"黒蛛病"患者達がフライアに収容されて以降、向こう側からの連絡もない現状は、ユノにとっても気がかりになっていた。
「そうなんですけど、結局代理の返信すらなくて。だったら直接会いに行けばいいんだって、ユノがはりきっちゃったんですよ」
「そしたら、ラケル博士、でしたっけ……あの人がどうしても会わせてくれなかったんですよねー」
「んで、慰問はおろか、メールの使用も禁止。要するに、外部からの接触が全くできないんです」
「感染予防って話ですけど、なんか色々おかしいなー、と思いましてね」
少し前に訪れた、フライアの不穏な空気を思い出す。
あの日、結局ジュリウスやラケル博士の姿を見ることはなかった。
病と使命のあるジュリウスはともかく、ラケル博士は"黒蛛病"患者の受け入れを境に、不自然なほど表に顔を見せなくなっている。
彼女への恩義を踏まえれば、疑うべきではないとは思うけど。
……未だに信用しきれていないのもまた、主観の範疇だった。
「……それで、どうして私に?」
「いやね、あなた達"ブラッド"だって元々はフライアの所属じゃないですか……たとえ、今は捨てられた身でもね」
「中でも人たらしのあなたなら、誰か信頼の置ける方を知ってるんじゃないかと思いまして」
「誑し込んだ覚えはありませんけど……」
「あらま、ここの言語に堪能なんですねー……まあ、褒め言葉ってことで」
「ちなみにジュリウスさんには真っ先に連絡したんですけど、向こうが出てくれなくって……他の人で、お願いします」
ジュリウスは、"黒蛛病"患者達の現状を知らない。
ラケル博士が彼に報告できるだけの進捗状況ではなかったのだろうと、あの時は解釈していた。
だけど、今の私の心理ではこれも、懐疑の燃料になってしまっている。
その上、この問題に関しては末端に位置するジュリウスにまで連絡がつかないとなると、不安はより強まっていた。
「あ、その人に迷惑をかけるつもりはないのでご心配なく!かるーく、取材させていただくだけですから」
恐らく、私を含めた極東支部の人間では、情報の開示どころか、接触もままならない。
こちら側でそれを打開できるのは、あくまで無関係の立場を装える、サツキさんだけだ。
「……ユノの、ためですか」
「はい?」
「あなたの立場でも……いや、市民なら尚更、リスクはあるはずです」
「とても自分のためだけじゃ、出来ない事だと思って」
「……こっちで先に手を打っとかないと、あの子はすぐ暴走しちゃいますからねー」
「それに、多少は危ない橋渡らないと、ジャーナリストとは言えませんよ」
何でもないように言い放つサツキさんの目は、笑っていなかった。
この疑惑の内実によっては、ユノの不安だけでなく、フライアに収容されているサテライト市民の命がかかった事態にもなりかねない。
その究明にかける彼女の覚悟は、私が問い質すまでもなく、決まり切っていた。
「……一人、心当たりがあります」
私も、真相を確かめたい一人だ。
己の想いも預ける形で、私はサツキさんに応える。
フラン=フランソワ=フランチェスカ・ド・ブルゴーニュ。
特徴的なフルネームの彼女は、フライアに所属する16歳のオペレーターだ。
"ブラッド"がフライアにいた時期、フランの少ない経験ながらも優秀な手腕には、私達も世話になっていた。
無駄のない立ち振る舞いと切れ長な目つきから、一見して冷徹な印象を与えるフランではあるけど、
真摯に自分の仕事と向き合い、常に仲間を気遣える彼女の人柄は、十分信頼に足るものだと言える。
「――なるほどねー、突破口はそのフラン某さんですか……」
私からの情報を聞いたサツキさんは、少し考え込むような仕草で顎に手を添える。
「……よし!そうと決まれば今すぐ準備!」
かと思えば、彼女は勢いよく立ち上がった。
「情報感謝します、お邪魔でしたっ!」
挨拶もそこそこに、サツキさんは駆けていく。
「……あ、そうだ」
目まぐるしさに唖然としていると、彼女は開いた扉の先で急停止した。
「フェンリルもフライアもやり方が気に入りませんけど、ここの方々とあなた達は嫌いじゃないですよ」
「それだけ言っときたかったんです。じゃ!」
私が言いかける前に、サツキさんは見えなくなってしまう。
彼女なりに、以前の発言を気にしていたんだろうか。
意外な気遣いが心に沁みる一方で、少し複雑でもあった。
最もその言葉を伝えられるべき人物は、もう"アナグラ"にはいない。
ここまで
ジュリウスが突然一人相撲とか言い出してたのはアレです、きっと彼も色々勉強してたんです
◇
「――そういえばさー」
「うん」
「今の"ブラッド"って、女の子ばっかりだよね」
「確かに、比率は偏っていますね」
「それがどうしたんだ」
「色々大変なんじゃないかって。ギルが」
「……もう慣れたよ。別に、部屋まで共有してるわけでもないしな」
「そっかー……あ、誰か気になる子とかいないの?」
「何でそうなる」
「えーっと、何かこう……女の子っぽい話?みたいな」
「私達だけでいる時も、そういう話はあまりしませんけど……」
「外部居住区でこんな話を聞いたとか、アーカイブスでどんな番組を見たとか、そんな話ばっかりだよね」
「俺がいる時とそう変わらないな」
「……ギル!女の子らしさって何!?」
「俺に聞くな……ん?隊長、上着の裾、解れてきてないか」
「え?あ……さっきの攻撃で巻き込まれちゃったのかな」
「貸せ。繊維素材のストックはあるから、縫っといてやる」
「いいよ、これぐらいは自分で……」
「どうせ忙しさにかまけて忘れちまうだろ、ほら」
「うっ……あ、ありがと」
「……ギルは女子っぽい、というか」
「お母さんみたい、ですね」
……取り留めのない会話も挟みつつ、サツキさんの訪問から少し経った、ある日。
彼女からの報告を待つ私と"ブラッド"に、遭難者の救援任務が発行された。
幸い、"赤い雨"は予報も出ていない。
私達はいち早く周辺のアラガミを退け、救難信号の発信元に向かう。
遭難者は1人。
アラガミから逃げる過程で、あちこちに擦り傷を作ってはいるけど、容態に影響はないようだった。
通常なら、このまま彼女を伴って"アナグラ"まで帰投すれば、この任務は終了する。
だけど、それを私達に躊躇させたのは、彼女の存在だった。
「――どうしよう、とりあえずフライアに連絡した方が」
「いいえ、やめて頂戴」
困惑の中、ひとまず切り出されたナナの提案を、彼女は強い口調で制止する。
「極東支部の……支部長に会わせてください」
「フェンリル幹部職員としての処遇と、身柄の保護を求めます」
代わりに毅然とした態度で答えた女性は、本来フライアにいるはずの人間だ。
それも、前線で活躍を続ける"神機兵"を始め、フライアの開発部門を総括する立場にいた彼女が、なぜ。
「……話は戻ってからにした方がいいな、隊長」
予兆や前触れという言葉は既に、ふさわしい言葉ではなくなっている。
ここでのレア博士の登場は、フライアの異変を如実に表していた。
短いけどここまで
出来るだけ週一、よくて週二ペースでいけるといいな…
がんばる
◇
整った赤い髪に、香水の甘ったるい匂い。
制服に白衣を羽織ったその肢体は、過度な露出もないまま色香を醸し出し、
挑発的とも取れる、余裕に満ちた瞳には、絶えず微笑を飾り付けている。
大人の女性。
それが語彙に乏しい私から見た、普段のレア博士の印象だった。
けれど、救助後に"アナグラ"の病室に収容された彼女の姿は、随分と様変わりしていた。
「――まさか貴方達に、頼る事になるなんてね」
乱れた髪に、落ち窪んだ目元が美貌を損なわせ、揺れる瞳は定まらない。
折れ曲がった背筋は、誰かに許しを請うかのようだった。
"ブラッド"がフライアから切り離されて以降、レア博士の姿を見たのは、これが初めてではない。
先の大規模作戦で起きた、"神機兵"の機能停止騒ぎ。
その全責任を取らされる形で処分されたクジョウ博士に代わり、
レア博士は正式に、反目していた無人制御思想の指揮を執ることとなった。
"神機兵"研究の第一人者として、彼女は名誉回復の意味でも"朧月の咆哮"作戦に参加していて、私達もそこで顔を合わせている。
ここまでの経緯もあってか、当時の彼女の佇まいには気苦労も見られたものの、今のような消耗ぶりは見せていなかった。
病室への面会に私とシエルを通したヤエから言わせれば、レア博士の様子はこれでも落ち着いた方なのだという。
憔悴の理由は今から聞き出すところだけど、今のレア博士にとって、保護時のあの態度と言動は精一杯の虚勢だったのかもしれない。
「レア先生……」
「やめて、シエル」
「もう、"先生"なんて呼ばれる資格はない……こんなことになったのは、私のせい……」
彼女への面会を許されたのは、私とシエルだけだった。
隊長の私はともかく、シエルの同行は他ならぬレア博士が指定した条件だ。
マグノリア=コンパス時代からレア博士はシエルと近しい関係にあったようで、
シエルがフライアに配属されたばかりの頃も、レア博士は"ブラッド"に馴染めない彼女を気にかけていた。
そのシエルを前にしてか、レア博士もいくらか調子を取り戻してはいるようだけど、その瞳は曇ったままだ。
「……ジュリウスと"神機兵"の活躍、聞いているでしょう?それを可能にしたラケル……」
「フライアはもう、彼らのものよ」
「私が逃げ出したところで、誰も追いかけてこなかった……ただ、アラガミに襲われただけでね……」
俯いた彼女はこちらを向くことすらなく、語り始める。
「先生の話では、ジュリウスとラケル先生がフライアを私物化しているような印象ですが」
「現に"神機兵"がアラガミを掃討している以上、悪いことではないわ……でも、私は……」
「"神機兵"にアクセスできず、研究棟にも入れない……パージされたの……研究者としても、姉としても……!」
「……それでは、フライアの内部については、レア博士もわからない……ということでしょうか」
「そういうことになるかしらね……ラケルが、全てを……」
「いえ!そうじゃないわ……いい子なの、ラケルは!……私達、仲が良かったし……!」
「悪いのは全て私で、あの子は何も――」
両手で顔を覆い、レア博士が言葉を打ち切る。
……少し、気を急いてしまったらしい。
私の追及を引き金に取り乱し始めたレア博士は、間違いなくラケル博士にまつわる何かを握っている。
それが今の状況につながるかは別として、まずは彼女を落ち着かせなければならない。
「……少し、整理が必要ですね」
そう呟くシエルに頷いた私は、彼女にこの尋問の主導権を預けることにした。
レア博士から情報を引き出すにはシエルが適任だ、と判断したのもあるけど。
この時点で焦れてきている私では、余計に事態を混乱させてしまうのでは、という危惧もあった。
「あの、レア先生……私達に何か、お手伝いできることはないでしょうか……?」
「まだ、先生と呼んでくれるのね……全ての原因は、私なのに」
「原因……というのも、聞いてみないことにはわかりませんから」
「それに、幼い頃から教わってきた私にとって……先生はいつまでも先生なんです」
面を上げ、初めてこちら側にレア博士の顔が向く。
見開かれた目でしばらくシエルを見つめ、視線を戻した彼女は、少しの逡巡の後、耐えかねたかのように口を切った。
「……これは、昔話よ」
キリよく区切れなかったのでとりあえずこれだけ
次回は水曜か木曜に投下します
RBのトロコン…おしゃれ神喰い見つけた人は凄いと思う
GEは女主寄りだけど毎回男女一週ずつはやるようにしてます…新作はよ…
休日中にほとんど進まなかったのでやっぱり土日に投下します
予告破ってばっかで申し訳ない
トロコン目指してたが挫折
なんだよ衣装400種とか…
>>383
み、店売り素材と上位素材の下位変換でなんとか…
◇
彼女が父に憧れ、科学者を志す少女だった頃、彼女は妹が嫌いだった。
滅多に喋らなくて、こちらが何を言っても手応えがなくて、そのくせ、身に覚えのないことで笑ってきて。
そんな妹の態度が不気味で、癇に障って、苛立ちをぶつけてしまうことも珍しくなかった。
あの日も、いつもの調子で。
黙って彼女の人形を持ち出して、怒っても素知らぬ顔で、終いには薄ら笑いまで浮かべてきたから。
我を忘れた彼女は、下り階段を背にした妹を突き飛ばしてしまった。
妹は半身不随の重傷を負いながらも、何とか一命を取り留めた。
その少し後、彼女が父から聞いた話によれば、妹の治療にはある特殊な措置が施されたのだという。
P73偏食因子。
人体の細胞を"オラクル細胞"に変質させ、驚異的な身体能力の向上と捕喰への抵抗性を与える、アラガミへの最古の対抗手段。
21年前、フェンリルのアラガミ総合研究所で開発されたそれは、現在用いられる"偏食因子"の実用化に大きく貢献した祖とも言える。
当時の開発段階では、ほぼアラガミの"オラクル細胞"そのものであったP73偏食因子は、人体への投与に適さなかった。
事実、"マーナガルム計画"の一環として行われた転写実験では"オラクル細胞"の暴発捕喰を引き起こし、
母体を介して、胎児段階で投与を施された被験者の子と、予め防衛手段を持っていたその父のみが生き残る結果となっている。
それだけのリスクが伴う上、前例のない後天的な投与でもあったにも関わらず、
彼女達姉妹の父は"オラクル細胞"の回復力に賭け、娘の治療を断行した。
結果として、妹の命は繋ぎ止められたものの、当時の彼女にとって、その過程はどうでもよかった。
一度失いかけた事で妹への感情が裏返って、犯した罪への償いで頭がいっぱいになって。
お人形も、大好きなお菓子も、自分自身までも。
彼女は全て、妹に捧げることを目の前で誓った。
事故を境に饒舌になった妹は快く彼女を赦して、姉妹の関係は変化した。
それからしばらくの間は、仲良くお喋りしたり、一緒に父への誕生日プレゼントを考えたり、幸せだった、と彼女は言う。
けれど、いつしか彼女は、妹の素顔を見ていない事に気づいた。
思えば事故の前から、妹が感情を露わにした場面を見たことがない。
その機会はあったかもしれないし、今でも実際、穏やかに微笑えんではいるけれど。
妹はどんな笑顔をしていただろうか。
どのように悲しんで、どう怒っていたのだろう。
以前よりずっと近くにいるはずなのに、靄がかかったように、何も思い出せない。
それでも、彼女は不安を口には出さなかった。
いや、出せなかった。
罪と誓いが枷になって、つながれた鎖の主は雲の上から、いつまでも彼女を見下ろし続けている。
その図式を打ち崩したところで、改めて喪失感に押し潰されるのは、妹の方ではない。
彼女が逆らえないことを意識するようになった頃、妹も次第に、躊躇なく彼女を利用するようになった。
姉妹が共に科学者となった後も、その関係は変わらない。
それどころか、妹は父の"神機兵"思想の実現とは別の思惑で、後ろ暗い研究に手を出すようになっていた。
孤児院の運営を隠れ蓑に、片端から子供達を引き取っては、不自然な速度で、どことも知れぬ里親の元へ送られていく。
妹が地下の一室で何を繰り返していたかなんて、知りようがなかったし、聞きたくもない。
当然、口封じには彼女が使われて、気がつけば妹はフェンリル本部と繋がりを持つようになった。
もう誰も、妹に口を挟む者はいない。
唯一、真っ向から妹を咎めた父も、アラガミに殺されたことになった。
彼女はただ、目を瞑るだけ。
ここまで
まずエロくはないけどほんの少しグロい気はするしどうなんでしょう
もし移転になったらあっちでまたよろしくお願いします
リアルの色々とGE離れで滞ってるので報告だけ
出来れば来週には投下します
◇
少しずつ、レア博士が落ち着けるだけの時間を見計らって、私達は彼女の聞き役になった。
全ての原因。
彼女らの家庭を歪めたのは姉の過失であり、父の驕りであり、妹の身に起きた奇跡だった。
"神機の適合率が高いと、稀に人格に影響を及ぼすことがある、という噂を聞いたことがあるけど、そのためなのかもしれない。"
――レア博士が語った一切は、これまで公にされてこなかった事なのだろう。
28という彼女の年齢から考えれば、当時ひとまずの成功例となった"偏食因子"は、P72偏食因子のみのはずだ。
それも、"マーナガルム計画"からそれほど時間は経っていない。
本部が関与していないとも思えないけど、もし公表されている事柄なら、ラケル博士の立場は現在とは異なったものになっているはずだ。
……又聞き程度とはいえ、"マーナガルム計画"で産み落とされた赤子が何と揶揄されていたか、私は知っている。
人間の所業ではない。
姉妹の父がラケル博士に詰め寄った際、彼女の繰り返していた実験を指して言い放った言葉らしい。
"血の力を初めとした強力さもこれで納得がいかないわけでもないけど、
その理論をこうして再現するまでに、どれほどの試行錯誤が重ねられたのであろうか。"
――レア博士は言葉を濁していたけど、その内容も見当はつく。
記録にない犠牲の上に立っているのは、他でもない。
私達の身に宿った、都合のいい程に強大な力なのだ。
確かに、人間がやっていいことじゃない。
だけどそれは、娘を救おうとした父の行為も同様だった。
彼自らが動いた背景には、贖罪の意もあったのだろうか。
今となっては、知る由もない。
「――ずばり、フライアにおいて、患者の治療は行われていない……としか、思えない」
レア博士の言葉を待つ期間と並行して、"アナグラ"にはサツキさんも帰ってきていた。
"アナグラ"内の指定の場所に呼び出された私は、そこで彼女の取材結果を聞く。
「それは何故か?まず、医薬品の納入記録ね。病院開設から、頭痛薬ひとつ納入されてない」
「それから、医師および看護士の雇用状況だけど……なんと、全員が本部または支部に転属――」
……私も、全く気づいていなかったわけじゃない。
何も知らない学生だったからこそ、不自然な部分はすぐ目についた。
降って湧いたような異能に首を傾げた、あの一瞬。
だけど、何も言わなかった。
保身のため、現実逃避のための過失。
あるいは、"そういうもの"だという割り切りが意識の根底にあったのか。
「――ともかく、目的がわかんないんですよね……だっておかしいでしょ?どうして、わざわざ"黒蛛病"患者の受け入れなんか」
「政治的なパフォーマンス?……にしては、ちょっと大がかりですよねぇ――」
いずれにせよ、過ぎた事だと思っていた。
事の大小に関わらず、神機使いとなった時点で、その身に宿るのはけして潔白な代物ではない。
あの時脳裏をよぎった予感にしても、確かな根拠も持たない当時の私にとっては、いきすぎた妄想でしかなかった。
だからこそ、私は少しでも報いるために、この力を躊躇なく人のために振るう決心をしたし、
ラケル博士を伴ったジュリウスのサテライト支援策に賛同もした。
レア博士の暴露にしたって、彼女とラケル博士が犯した過ちを度外視すれば、結局は過去の出来事なのだ。
追及は行わなければならないけど、現在の問題にはつながらない。
「――これで報告はおしまい……くれぐれも、ユノには内緒でお願いしますね」
……正しくは、つながらないと思っていた。
ラケル博士の研究は、今も続いている。
しかもそれは、いいように扱ってきた姉の離脱と、こうした情報の漏洩を許すほどの段階に達していた。
「……あぁ!忘れてた!このスクープに大いに貢献してくれた、フランさん!」
「なんかフライアがキナ臭いし、本人の希望もあって、サカキ博士が極東支部に連れて来たみたいですよ?」
尤も、後者に関してはサツキさんがタイミングを見計らったのもあるだろうけど。
ともかく、ラケル博士はまだ患者達を手放してはいない。
前例を考えれば、既に手遅れになってしまっている可能性もある。
だけど、まだ私達で食い止められる範囲である可能性も残っている以上、確かめない手はなかった。
一連の報告は、既にサカキ博士に通してある。
アスナちゃんの件に関してジュリウスに送ったメールは、まだ返ってこない。
ここまで
次回は多分戦闘も挟むのでまた長引くかと…
◇
アラガミに食い荒らされ、緑と文明が絶えて久しい地表を、数台の輸送車両が駆ける。
サカキ博士の決断は迅速だった。
ほぼ極東支部の独断で発行された潜入作戦には、フライアに所属していた経験と、
レア博士がもたらした情報を円滑に汲めるという名目から選出された"ブラッド"を中心に、"黒蛛病"患者の搬出要員で構成された救出部隊が向かう。
無人制御式"神機兵"の本格的な実戦投入以降、フライアは物理的にも極東支部から距離を取っていた。
道中でアラガミに妨害される可能性も含め、事を確実に進めるためには、神機使いの存在が不可欠になる。
こちらもまだ可能性の段階ではあるけど、そう断じられる根拠はフライアの内部にもあった。
車両から降り立った私の視線が、無意識に上がる。
フライア、この場合、移動要塞としてのそれには、"独立機動支部"という呼称がある。
支部単位での活動を可能にするべく、駆動部の上に並び立てられた膨大な設備群は、
長じて莫大な質量を誇る移動要塞の外観を形成し、見る者に威容すら感じさせる。
潜入に備え、私も含めた部隊の構成メンバーは"黒蛛病"対策の防護スーツを着用していた。
接触感染を防ぐため、普段の衣服以上に幾重もの特殊繊維層が全身を覆っている。
しかしながら、私がまずここで果たすべき役割は、嘗ての拠点への突入ではない。
視線を戻し、私は目標に歩み寄る。
「あんまり、サツキさんを心配させない方がいいよ」
なるべく朗らかに務めた声に、フライアを見据えていた人影が振り返った。
ネープルスイエローの長髪を揺らし、安堵の表情を見せた彼女は、すぐに眉尻を下げ、以後の追及を逃れるように目を伏せる。
「……ごめんなさい……急に、サツキが行き先も言わずに取材に行く、なんて言うから気になって」
「……帰ってきたサツキが、君を連れて行くのを偶然見たから、それで……」
出撃前、既にサツキさんから報告は受けていた。
ユノは意図せずして、絶好の機会に彼女の車両を無断で使用し、私達よりも一足先にここに辿り着いていたのだ。
私の格好に後方の車両群を見て、私達がただ自分を連れ戻しに来たわけでもない事を察知したのだろうか、
ユノは顔を上げ、今度はむしろ私を逃がすまいと、瞳を合わせてくる。
「……お願い!私も連れて行って!」
「今のフライアは、ユノが来ていい場所じゃない」
「足手まといなのはわかってる……今だって、助けに行こうとしてくれてる皆まで引きとめて……」
「……だけど、知ったからには放っておけない。一民間人として、同じ境遇で生きてきたアスナちゃんを……みんなを助けたいの!」
それは私を、というより、彼女自身を逃がさないための手段なのかもしれない。
ユノの脚は微かに震えていた。
「――気持ちはわかるが、我儘を聞いてる暇はねえんだ」
後ろから割って入ってきたのは、ギルだった。
私では厳しく言い含められないという判断からだろうか、その語調は若干刺々しい。
「さっさと戻れ。アンタに何かあれば、サテライトの住民にも影響が出る」
「……帰るつもりはありません」
「認めてくれるまで、ここに居続けます……!」
恐らく、ユノの発言は誇張でも何でもない。
以前の防衛作戦然り、今まで接してきた経験から鑑みれば、この強かさが彼女を彼女たらしめている。
とはいえ、携帯しているであろう護身用のスタングレネードだけでは心許ない。
強引にユノを帰らせるにしても、救出対象の規模を考えると、今の部隊から人員を割くのは現実的じゃない。
そもそも、ここまでの行動を起こせる人物がこれ以上何をしでかすか、わかったものじゃない。
「……いい加減に――」
「いいよ」
ギルの前に立ち、故意に力を込めて、神機を地面に突き刺す。
存外大きな音が響いたけど、ユノは私から眼を逸らさなかった。
ギルが押し黙った隙に私はスーツのファスナー部に手をかけ、脱ぎ去った上着部分をユノに差し出す。
「加わる以上、指示は守ってね」
「おい……!」
「傍に置いておく方が安全でしょ?……大丈夫、責任は私が取るから――」
押さえつける方法は、他にいくらでもあるだろうけど。
結局行き着くところは、情に絆された自分への言い訳をしたかっただけなのかもしれない。
たけど、些事に取られるほどの時間がないのも事実だ。
そうやってまた、自分に言い聞かせておく。
フライア周りの設定どうなってんのとかユノはどうやって入り込んだのとか考えてたら戦闘にすら入らなかった…だと…
結局力技でゴリ押したので考えなくてもよかったかもしれない
◇
レア博士のアクセス権限がまだ生きていたおかげで、フライアへの入場自体はあっさりと成功した。
彼女がここを離脱してから、情報を修正できるだけの時間は経っているはずだ。
こちらの侵入も察知しているだろうに、周辺の警備も少数というより、もはやないに等しい。
おかげでこうして楽に歩を進めてはいるものの、この奇妙なほどの無警戒ぶりは、対照的に部隊の緊張を高めていた。
フライアの下層部に到り、人間には不釣り合いなほど大きな扉をこじ開けた私達は、ついに目的地に到着する。
"黒蛛病"専用病院。
レア博士から聞き出した情報によれば、この施設に"黒蛛病"患者が収容されている事自体は間違いないそうだった。
だけど、今目の当たりにしている光景は、とても病院や病室のそれとは思えない。
室内側面に張り巡らされ、奥の扉の、さらに奥まで伸びた、"オラクル細胞"由来のものと思われる有機素材のチューブ。
それらに繋がれた、カプセル状の装置が夥しく並べ立てられているのみの空間。
「ひどい……」
ナナが見たままの感想を漏らす。
カプセルの透明なハッチカバー部から覗くのは、ひどく衰弱した"黒蛛病"患者の姿だった。
ここを病室とするなら、彼らはフライアに運び込まれてから今まで、少なくとも医療装置ではないそれに繋がれ続けていたことになる。
治療どころか、生活もない。
かろうじて生かされてはいるようだけど、ここから見渡せる範囲だけでも、みな無事とは言い難い状態だった。
憤然とした感情を抑え込み、カプセルの開閉装置と思われる箇所に指を伸ばした瞬間、
『待て。これ以上の勝手な行動は許さん』
平坦で、無機質な音声が制止をかける。
「……ジュリウスか」
「……この状況の説明を要求します」
『お前達に言う事はない』
それが人の、ジュリウスの声だと認識する間に、反応が遅れた。
彼はここまで、無感情に振る舞える人物だっただろうか。
「……フライアで患者の人達を治療しようって、ラケル博士に掛けあってくれたのはジュリウスだよね」
「ここにいるユノちゃんだって信じてたのに……どうしてこんなことになってるの!?」
「答えてよ!また何も言わずに離れて行っちゃうつもりなの!?」
『二度は言わんぞ』
気色ばむナナの訴えにも、ジュリウスは応えない。
そのたった二言に、私はやはり違和感を拭い去ることが出来なかった。
確かにそれは肉声だけれど、極めて精巧なようでいて、どこか歪だ。
それに、この調子はどこか覚えがある。
でも、こちらとしてもこれ以上、議論を差し挟む余地はなかった。
彼の説得は目的にない。
「……もう、準備はしてあるんじゃない?」
疑念を振り払い、部隊の先頭に歩み出る。
単純に考えればいい。
「やるなら、早く始めようよ」
少なくとも、今は。
『察しが早くて助かるな、"ブラッド"隊長』
私達が入ってきた場所とは反対側の、同形状の扉が開き始める。
隙間から漏れる光を遮るのは、一体の"神機兵"だった。
「シエル、後はお願い」
「了解。……無理は禁物ですよ」
シエルとナナに、頷きを返す。
彼女らの表情から落胆の色は消えずにいるものの、優先すべき事柄に異議を唱えようとはしなかった。
傍に来たギルと視線を交わし、私達は二人、隊列から離れる。
神機使いとして部隊に組み込まれた、その役割を果たす時が来た。
扉が開き切らない内に駆け出した私は跳躍し、展開した神機の盾で呆けた"神機兵"の胸部を殴りつける。
よろめいた傀儡にギルが追撃を加えると同時に、私達はこれまた人が使うには広すぎる通路に押し入った。
その直後、頭上で光が弾けた。
続く閃光は天井に穴を開け、崩れた瓦礫が私達の退路を塞ぐ。
手筈通り、シエルが分断を実行してくれたおかげだ。
あちらも動き始めた頃合いだろう。
意識を正面に向ける。
体勢を立て直した一体の後方では、既に複数の"神機兵"が列を成し、その赤い眼で私達の識別を終えていた。
ここから伸びる通路を抜ければ、あるのは"神機兵"の保管庫だ。
フライアがレア博士の知る頃と同じ体制を取っているのなら、出撃を待つ"神機兵"の大半はそこで眠っている。
"黒蛛病"との関連性は見えないけど、フライアの戦力を足止めする最適解は、まずここを抑えることだ。
どのみち防護スーツ一式をユノに貸し与えている以上、私は救助側に参加できない。
不測の事態に備え、シエル達は護衛としてあちらに残してある。
つまり、当面の間はギルと二人きりだ。
銃形態に神機を変形させた彼を横目に、私も提げていた神機を構え直す。
普段なら、いちいち何気ないやりとりにどぎまぎしているところだけど。
「深追いは駄目だよ」
「わかってる」
生憎、ここには諦めと怒りしかない。
ここまで
あれ、もう1年経ってる…
そもそも、今は任務中だ。
"神機兵"が、その身の丈以上の大剣を振るう。
元々人間の搭乗も可能な設計だけあって、持ち主からして巨大な剣の横薙ぎに、私達を生かして捕らえようという意思は感じられない。
腰を落とし、上体を倒して地を蹴る。
剣を潜り抜け、相手の懐に飛び込む形になった私は、携えた長剣型神機のオラクル流量を増加させた。
オラクルエネルギー刃で射程を伸ばした"ブラッドアーツ"の切り上げが、頭上を渡る"神機兵"の右腕に直撃する。
肘から先を失った"神機兵"の頭部に飛び乗り、私はこの通路を見渡せる視界を確保した。
得物を携え、アラガミと対峙するという点で、神機使いと"神機兵"にさほど差はない。
後者には全身を覆う鉄装甲もあるけど、どちらにせよ、その大剣が戦力の大部分であることに変わりなかった。
"神機兵"の挙動がジュリウスを基にしているというのなら、尚更だ。
前方に跳躍し、次の標的に見当をつける。
刹那、傍らにいた別の"神機兵"が、先ほどまで私のいた足場を叩き潰した。
だから私達は、"神機兵"の行動パターンもそれに即したものだと仮定した。
いくら相手が高い実力を有していようと、それはアラガミに対してのものだ。
今のように、力をそのまま神機使いに向けるのであれば、まだやりようはある。
剣を引き抜く"神機兵"の右腕の関節部に、ギルの吸着弾が着弾する。
起爆を見届けることなく、私は数体の傀儡を飛び越え、壁面に足を貼りつけた。
次いで蹴り出し、その勢いのまま、反応の遅れた目標の得物を側面から叩き落とす。
……けれど、こうした無力化は、あくまで策の一つだった。
ジュリウスが統率する神機兵団相手では、こうも簡単には御せないだろう。
"神機兵"の体躯が動き回るには狭所となる、この空間の存在もあるけど、
それを差し引いても、先の戦いに比べ、明らかに立ち回りが単調だ。
むしろこちらが足止めされている線も考えたけど、搬出が続けられている以上、黙って通すわけにもいかない。
懸念を抱きつつ、しばらく二人で“神機兵”を攪乱し続けていると、私の携帯端末に連絡が入った。
とりあえずちょっとだけ
明日からちょっと忙しくなるので時間取れたらまたちょびちょびやっていきます
『こちらブラッドβ。搬送作業、残り数名で完了します』
「こちらブラッドα、了解。撤収のタイミングは――」
剣を躱す。
奥の"神機兵"が大剣を折り畳み、内部に仕込まれた銃身を引き出す様を視認する。
『――それは、もう少し先になりそうですね』
『3機の"神機兵"が外壁を破壊、ルート上に侵入しました。応戦します』
前方に飛び込み、銃撃を回避する。
前転の起き上がり際に反撃を加え、弾丸が相手の頭部を直撃する。
「了解。敵が少数なら、ひとまず非戦闘員の安全を――」
『――っ!?』
「今度は何?」
『……ナナから、ユノさんが隊を離れたと』
突き出された剣先が、私の頬を掠める。
伸びきった腕の関節部を、背後から奇襲をかけたギルの槍が貫通する。
「……わかった、こっちに任せて」
どうやら、アスナちゃんはまだ運び出されてはいないらしい。
「ギル、聞いてた?」
『おう、さっさと行け』
「そうする」
敵に背を向け、来た道を駆け戻る。
流れ弾や、あるいは直接こちらを狙う攻撃をすり抜け、私は正面を塞ぐ、瓦礫の山に辿り着いた。
銃撃が人間一人は通り抜けられる穴を作ったところで、轟音と地響きを感じ取る。
一拍遅れた悲鳴をも聞き届け、再度"病院"に躍り出た私の眼前には、立ち尽くすユノと、彼女を見下ろす"神機兵"の姿があった。
ユノの背後には、カバーは開いているものの、いまだ装置に寝かされたままのアスナちゃんの姿が認められる。
"神機兵"は1体。
ユノの前方にあたる外壁は崩れ、空になった装置群の一部が破片の下敷きになっている。
"神機兵"が大剣を振り上げた。
ユノはまだ動けずにいる。
よしんば我に返ったとしても、彼女は真っ先にアスナちゃんを庇おうと動くだろう。
けれど、"神機兵"の狙いはあくまで侵入者のはずだ。
それでは、道連れと変わらない。
銃を使うには、ユノと敵の距離が近すぎる。
スタングレネードを使うにしても、"神機兵"が行動を中断するとは限らない。
剣が振り下ろされる。
ならば。
"神機兵"の動きが止まる。
その隙に、私はひとまずユノの元に辿り着く事には成功した。
両手に持つものは何もない。
私の神機は、硬直した"神機兵"の脇腹に投げ込まれていた。
「ユノ!」
「……あ、隊長、さ――」
――金属同士の不協和音が、頭上に響く。
咄嗟の判断だった。
見上げることもせず、アスナちゃんとユノを両脇に抱え、その場を脱する。
煙の上がった方を見据えつつ、ユノを下ろす。
行動を終えた傀儡は微動だにせず、今度こそその機能を停止させていた。
ユノの方に視線を戻し、私は腰を下ろす。
「大丈夫?」
「……ごめんなさい、ごめんなさい。私……」
敵と直面した恐怖だろうか。
私はともかく、助けるはずのアスナちゃんまで巻き込んでしまった負い目だろうか。
弱り切ったユノの姿を見るのは、これが初めてだった。
声と共に、震える彼女の肩を抱く。
「……まだ終わってないよ。アスナちゃん達を、助けに来たんでしょ?」
「あ……」
顔を上げたユノに、抱き直したアスナちゃんを差し出す。
少し苦しげだけど、確かに息はあった。
「シエル達も、もうすぐ戻って来る」
「私にはもう少しやる事があるから……後は頼むね」
「……うん」
アスナちゃんが、私の手から離れる。
彼女をしっかりと抱き止めたユノの瞳には、元の気丈さが戻りつつあった。
私が神機を拾い直した頃には、"神機兵"を退けたシエル達も合流を果たしていた。
残りの患者達の搬出も完了し、私達は神機兵団の追撃を躱しながらも、フライアを後にする。
車両が外に出れば、敵もそれ以上の攻撃を仕掛けることはなかった。
ここまで
何か知らない間に隊長の故郷が壊滅してる件
◇
私達が"アナグラ"に戻って少しした頃には、フライアは次の行動に移っていた。
"神機兵"によるアラガミの根絶を題目とした、フェンリル各支部への"黒蛛病"患者の引き渡し要求。
これは救出した"黒蛛病"患者の再検査と、調査目的で一部を奪取した、彼らが収容されていた装置の解析で分かったことだけど、
"黒蛛病"患者からは、微量ながら偏食因子の反応が検出されている。
今まで医学的な見地から研究を進められてきた症例だけに、体よく発見を逃れてきたこの性質は、現行の"神機兵"にも利用されていた。
つまり、あの装置は収容した"黒蛛病"患者から偏食因子を抽出し、“神機兵”に投与するためのものだったのだ。
――"今は俺の血の力を用いて、教導過程……戦いの学習をさせているところだ"
"統制"の"血の力"による制御と教導には、偏食因子の投与が必須だった。
……それらをより効率的に運用するためには、母体のものと同種であることが望ましい、というところだろうか。
そうなれば、ジュリウスの病状を榊博士に伝えないわけにはいかなかった。
知らせなくても辿り着きそうな答えではあるし、発表されたフライアの声明を額面通りにも受け取れなかったからだ。
最近は大体週刊どころか隔週ヘアクリップだもんね……ごめんね……
それでも読んでくださる人がいてありがたい
またちょっとだけ投下
それはともかくとして、報道上のフライアでの事件は、ジュリウスが独断で起こしたクーデターという体になっている。
実際、現状で表に出ているのが彼のみである以上、そう取るのも不思議ではない。
ジュリウスと"神機兵"スタッフを除いたグレム局長以下、フライアの構成員は人質と見なされ、現在はその一部が解放、保護されている。
当然と言えばいいのか、その中にラケル博士の名前はない。
私達が集まるラウンジのテレビ画面では、グレム局長が自らの身の潔白を証明しようと躍起になっていた。
彼もレア博士と同じく、何も知らされていなかった側の人間らしい。
「……なんだか、腑に落ちないですね」
「シエルちゃん、何が?」
「同調するわけではありませんが、グレム局長が会見で言っていた通り……」
「“神機兵”の武力のみでアラガミを滅ぼすなんて、絵空事のようにしか思えなくて」
「現状、何か具体的な策を講じているわけもなさそうだしな」
「……となると、大仰に掲げてるのはブラフってことか」
「……確証はありませんが、レア先生の話もありますからね」
「……それが何でも、ジュリウスは間違ってるよ」
「ナナ」
「ジュリウスの病気の事、隊長が黙ってたのはショックだったけど……あの子も約束があったから、今まで秘密にしてたんだよ」
「そんな隊長や、心配してくれてるシエルちゃんの気持ちまで台無しにして……」
「こんな事やってるジュリウスを、私はやっぱり許せない……!」
「……そうだな、まずはあいつに目を覚ましてもらわないとな」
「……・殴る程度で、済めばいいが」
ここまで
漫画版GE2はいいぞ
離れの席で、彼女達の声を聞く。
フライアへの潜入以降、私は一人でいる事が増えた。
正確には、こちらから遠ざけているんだけど。
今だって、本来ならここにいるべきではない。
それでも居座っているのは、情報が欲しいからだ。
――部屋に引き籠もっていたって、ニュース程度は見られるはずだけど。
……話を、戻す。
私としても、フライアの暴走が戦力拡大に止まるとは思えない。
推測の通りなら、ジュリウスによる"神機兵"の運用は、彼の"黒蛛病"への感染が前提だったということになる。
その点だけ見るなら、あくまでジュリウスの容態を見越し、効率を重視するために用意した手段と言えなくもないけど、問題はそこじゃない。
ラケル博士は当初から、"黒蛛病"の性質を知っていたということだ。
彼女か、あるいは本部の研究者か。
誰が解明したにせよ、どうしてそれを秘匿しておく必要があったのか。
私達の介入があったとはいえ、なぜ今になって明かそうと考えたのか。
それも、支部の乗っ取りという混乱を世界に与えた上でだ。
この状況そのものが、相手の狙いだとすれば。
クーデターを隠れ蓑に、次の段階へ駒を進めているとしたら。
どう頭を捻ったところで、単なる邪推に過ぎない。
現在、"アナグラ"では榊博士を筆頭に、新たな"黒蛛病"の研究が進められている。
こうしてフライアがヒントを提示してきた以上、畑違いの私が出来るのは彼らの成果を待つ事だけだ。
たとえフライアの真意に結びつくことがないとしても、治療には役立つ。
それに、本気でフライアが絵空事を信じている可能性だってある。
ジュリウスが本当に首謀者、だなんてことも。
そもそも私達がラケル博士を疑ってかかっているのだって、レア博士からの伝聞が根拠だ。
何とでも言える。
……だけど、フライアが手段として患者達を利用し、ジュリウスがそれに加担している事実は覆らない。
フライア収容時に記された"黒蛛病"患者の名簿と、救出した患者の人数は合わなかった。
"アナグラ"にいた頃から、容態の悪化している患者もいる。
フライアが市民とサテライト住民の敵となるのに、時間はかからなかった。
もちろん、容易くフライアの暴挙を許した極東支部への批判がないわけでもない。
ただ、怒りの矛先は、その多くがジュリウスに向けられている。
サテライトへの支援をフライアに取り付けたのは彼だ。
患者達の現状だって、私達が直接会った頃のジュリウスは知らなかった。
その彼が、なぜ自分の意志さえも踏みにじる行動をとったのか。
任務中は考えまいとしていた事柄が、頭をもたげる。
……私が、その原因だったとしたら。
朧月の夜。
無根拠に綺麗事を並べ立てて、中途半端に希望を持たせて。
フライアに戻ってみれば、治療なんてやってもいないことがわかって。
ジュリウスは、今度こそ諦めてしまったのかもしれない。
残された使命のために、手段を選ばなくなってしまったのかもしれない。
これも仮定だ。
だとしても、私はどうすればいい。
自身が歪めてしまった相手を、どうして止められる――
―――少し、眩暈がする。
思考が氾濫して、まともに頭が回らない。
「――よう、お一人かい」
声のした方に、咄嗟に振り向いた。
思索の渦が一旦止み、少し滲んでいた視界が、徐々に晴れていく。
「隣、いいか?」
一つ、席を空ける。
「つれないね」
声の主は小さく苦笑を浮かべ、空けた席の隣に腰を下ろした。
「……今は、そういう気分なだけです……ハルさん、何か?」
「ちょっと相談事があってな……ちょうど、後輩達も行っちまったことだし」
ハルさんの言葉に視線を向ければ、シエル達は既にラウンジを退室していたようだった。
ここまで
「お節介焼くつもりはないんだが、ついて行かなくても――」
「――相談しに来たんじゃないんですか」
「おっと」
本心から突き放したいわけじゃない。
でも、距離を取らなければ彼や"ブラッド"にも危険が及ぶ。
必要があるから、やっている。
――本当に?
――必要なのは、みんなに全てを伝えることじゃないの?
……頬が、仄かに熱い。
少しだけ、気怠い感覚もある。
「まあ、ちょっと気になる事があってな」
「はい」
「お前さん、最近悩んでる事とかないか?」
「……はい?」
「だから、悩みだよ。ちょっとしたのでもいいから」
「あの、話が見えてこないんですけど」
「うん?あぁ、相談だよ、相談」
「潜入任務からこっち、ずっと浮かない顔してるもんだからさ」
一見して軽薄な笑みと、余裕を崩さないまま、ハルさんはそう言ってのける。
今の話題の方が、よほどお節介だと思うけど。
「別に、気を遣ってもらわなくたって」
「……あんまり距離が近いと、言えない事もあるんじゃないか?例えば……」
「向こうのお友達の事とか、さ」
私を取り巻く状況を顧みれば、選択肢自体は多くない。
ただ、それを踏まえても、彼の声音は確信に満ちていた。
「……聞く必要もなかったんじゃないですか」
「この手の話に覚えがないわけじゃあない、ってだけだよ」
あくまで冗談めかすハルさんの瞳は、常に私の姿を捉えている。
このまま帰すつもりはない、ということらしい。
短く、息を吐く。
彼の言う"悩み"だけなら、安易に言いふらしたくはないけど、意固地になって隠し通す必要もない。
それに、方向が定まりかけている"ブラッド"に、今更個人の迷いを持ち込みたくないのも事実だった。
どのみち、現状の私では整理しきれない課題だ。
だから私は、
「……もしかしたら、なんですけど」
ハルさんの相談に乗る事にした。
ここまでというかこれだけ
環境が安定しない…
「……あの人が間違いを起こしたのは、私のせいかもしれない」
「私の言葉が彼を追い詰めたんだって、一度そう考えたら……私が彼を止められるのか、わからなくなって――」
少しずつ、確かめるように、経緯を語った。
全ては話せないまでも、断片を誰かと共有する分、気を紛らす助けにはなる。
それだけでもよかった。
語る間も、懊悩は続く。
このまま結論を出さずに、先送りにしてしまいたい。
だけど、逃避できる絶対的な時間がないと理解しているから、私はこうして人を頼っている。
もはや"ブラッド"のみに止まらず、ましてや私だけで思い悩めるような段階はとうに過ぎていた。
……それは恐らく、私が抱えるもう一つの問題にも直結している。
「――そうだな……」
相槌を打つわけでもなく、ただ私を見据えて黙するだけだったハルさんが、初めて言葉を返す。
「お前さんは、もうちょっとそいつを受け入れてやった方がいい」
口から出まかせを言った風でもなく、塾考の末、絞り出したというわけでもない。
言うなれば、予め備えた手札を切っているとさえ思えるような簡潔さで、彼は答えてみせた。
「……彼を拒絶しているつもりはありません」
それだけに、私はすぐさま、言葉に含まれた否定的な意味合いに目を光らせる。
「今ジュリウスのやっていることがわかっているから、その原因を作ってしまったかもしれない私が――」
「それだよ」
「――それ?」
「その"私のせいで"ってやつなんだ、俺が引っかかってるのは」
確かに、まだそうと決まったわけじゃないですけど。
反射的に飛び出しかけた言の葉を、寸前で飲み込んだ。
わかりきった文句で噛みつくより、先を待った方が結果は早い。
それをわかっていながら焦れているのは、ただ据わりが悪いから、というだけだろうか。
……多分、違う。
否定された姿勢を最善と信じる心驕りが、きっと私の中にもあった、ということだろう。
「……別に、その考え方が丸ごと悪いってわけじゃない。すぐ誰かのせいにするのもよくないしな」
「ただ、お前みたいな真面目な奴は……まあ、少し意地の悪い言い方になるんだが」
「……何でも自分の責任にしちまうことで、楽をしようとする節がある」
レス番が不吉になったところでここまで
年明けまでこの体たらくかもしれないし来年になってもこんなんかもしれない
あと去年の今頃の日付見直してたら投下量に眩暈がしました
あくまで持論だけどな、と付け加えると、ハルさんはこちらの返答を待つ事もなく、話に戻った。
「そりゃあ、誰にも負担をかけさせないって姿勢は立派だぜ」
「……だが、それも見方を変えれば、自分の事だけ考えてりゃいい状況を作っているとも言える」
「そうなると、自然と視野も狭くなる……そんな経験、お前にもあるんじゃないか?」
今度は、自分を抑える必要もなかった。
確かに心当たりはあったし、否定する気にもなれなかったからだ。
「……今も、そうだと?」
問いで返した私に、ハルさんは首を横に振る。
「迷っている内はまだ、かな。厄介なのは、それすらも捨てて、何も見えなくなった後だ」
「なまじ気兼ねをしなくていいもんだから……壊れるまで歯止めが効かなくなっちまう」
単なる気まぐれか、彼の言う"覚え"への追想なのか。
心なしか、ハルさんの声の調子が落ちたように感じた。
「……だから、まだ踏み止まれるうちに言っておく」
「自分におっ被せる前に、もう一度、そいつのやった事を受け止めてみろ」
「俺は"ブラッド"の元隊長と特別仲が良かったわけじゃないが……そいつは本当に、お前に何か言われただけで信念を曲げちまうような奴なのか?」
「……いいえ」
漸く、鈍っていた頭が回り始めた。
「私の知る彼は……それこそ、私達から離れてまで、自分の意志を貫こうとする人物でした」
その認識だけは、忘れてはならない。
だから私は、何故彼がこんな行動を取ったのか、不思議だった。
信じたくないから、受け入れたくないから、自分に責を求めて、無意識の内に押し込めようとしていた。
「……だったら、どうする?」
その在り方が、彼を遠ざけていると言うのなら。
受け止め、許容するために、今私がやれる事は一つしかない。
「まだ、正解はわかりません……けど、彼が道を踏み外している以上は」
「私が……"ブラッド"が、ジュリウスを止めます」
未だ引かない微熱と、泥の詰まったような意識が、私を弱気にさせていたらしい。
既に犠牲は出ている。
動機の是非を求めるのは、止めた後でだっていい。
私の言動が原因にあったとしても、尚更だ。
「吹っ切れたな」
ハルさんの口元が緩む。
その瞳に、私は思い当たるものがあった。
「はい……あの、ありがとうございます」
「いいさ、こっちも世話になってるからな」
「……それじゃ、俺もそろそろ――」
「ケイトさん、ですか?」
傍から見れば不明瞭に尽きる一言で、退席しようとしたハルさんの動きが止まる。
ギルだけじゃない。
彼もそんな目をするのだと感じた頃には、既に言葉が飛び出していた。
よく考えなくたって、当然の話だ。
距離で言えば、ハルさんが最も彼女に近い位置にいた。
だというのに訝しみもしなかったのは、彼が私を捉えていたからだ。
その彼の瞳の中から私の姿が消えたからこそ、私は聞いてみたくなってしまった。
「私が彼女に似ているから……あなたも、こんなに良くしてくれるんですか……?」
ここまで
年末のデスマーチには勝てなかったよ…
誰にもないから自分で書いてるんだよ!
私が安易に手を出していい問題じゃないから。
下手にかき乱して、今の関係を壊したくないから。
そう理解していながら、私はまだ未練を断ち切れずにいる。
「……どうして、そう思った?」
「私にも、覚えがあるんです」
「……そういう目で見られる事には、特に」
初めに違和感を持ったのは、父との仲が一方的に冷え込み始めた頃だった。
彼は確かに私を所有物として扱っていたけど、私を私として見たことはない。
見下ろす瞳は澱んでいて、常に私じゃない誰かを見つめている。
それはきっと、私と同じ髪の誰か、だと思う。
父と暮らす上で私が身につけたのは、湧き立つ嫌悪を抑えつける術だった。
誰に重ねられようと、私は私でしかないのに。
その視線に晒されると、まさに内面まで父の妄執に侵されていくようで、落ち着かなくなる。
自分がどこからもいなくなるような疎外感に耐え続けていると、私はいつしか人の目元を窺うようになっていた。
期待、失望、喜び、嘲り。
中でもギルの瞳は、とりわけ父のそれに近い。
「……こりゃあ、後でお説教かな」
大袈裟に溜め息を吐いた後のハルさんの呟きは、私にはよく聞き取れなかった。
「……その、一見怯えているようで、ただの一度も折れる気はないって顔……新人だった頃のあいつもよくしてたっけな」
立ち上がったハルさんが、私の方を見やる。
「確かにお前はケイトによく似てる。優しさも、頑固とも言える真っ直ぐさもな」
言葉を切った彼の眼は、未だ澱んでいた。
だけど、それもすぐ瞼に覆われて、清濁の判別がつかなくなる。
「……でも、結局は似ているだけ、なんだよなぁ」
再び現れた瞳には、侮蔑に染め上げられていた。
雰囲気の変化に戸惑う私の姿が、鏡のように映し出される。
「まず、見た目だな。あいつはそもそも金髪じゃないし、目の色も形も違う」
「えっ……いや、あの――」
「背丈も結構違うよな。後は……まあ、色々だ」
やや下方に伸びたハルさんの視線に対し、私も少しばかり、抗議の目で返す。
今の議題に、そういう外見的な部分は関係ないと思うんだけど。
そんな事は意に介さず、彼は尚も捲し立てる。
「うん?今度はそりゃ当然だろうって顔だが、実際そうだろう?」
「内面の性格や仕草だって、横で見ている分にも細かい差はわんさか出てくる。それこそキリがないぐらいにな」
「正直、お前じゃあケイトの代わりにもならないよ」
ハルさんの真意はわからない。
けれど、こうまで嘲笑混じりに言われてしまっては、流石にいい気はしない。
「……そんな事言われたって、どうしようもないじゃないですか」
「こっちはケイトさんに会ったこともないのに、やれ似てる、やれここがダメだって……!」
「俺は印象で語っているだけさ、よくある事だろう?」
まんまと乗せられている、と思わないでもなかった。
それでも、面と向かってぶつけられたからには、吐き出さずにはいられない。
……積もり積もったものも、あることだし。
「だからって、個人の基準を一方的に押しつけないでください!」
「あなた達にとっては大事な人かもしれないけど、私は私――」
立ち上がり、声を荒げた後で、私の行動がラウンジの注目を集めていることに気づいた。
削がれた勢いのまま座り直し、視線と囁き声が収まるまで、俯き続ける。
そっと横を向けば、笑いを噛み殺しているハルさんの姿が視界に入った。
「……笑わないで、ください」
「くく……いや、悪い悪い」
「……いいんじゃないか、"私は私"で」
「えっ……?」
気づけば彼の声色は穏やかで、毒気もすっかり顔から失せている。
この会話で何度驚かされたか知れない私の様子を察してか、ハルさんが口を開く。
「ごめんな、試すような真似して……当事者としては、そっちの本音も知りたくてさ」
「いえ、私の方こそ、自分勝手な事を……」
「でも、それが事実だ」
「似てると同じはイコールじゃない。どこまで行ってもケイトはケイトで、お前はお前のままなんだよ」
「……俺もそう割り切れているつもりだったんだが、本人から突っ込まれちゃあ、仕方ないよな」
自嘲気味な微笑みを向けた直後の彼は、今度こそ澱みのない瞳で、私の方を見据える。
「てなわけで、さっきの質問の答えとしては……まあ、お前自身を気に入ってる、ってことだ」
それじゃあな、と背を向けるハルさんの様子は、彼にしては珍しく、少し気恥ずかしげだった。
ハルさんを見送る中で、私の胸奥に宿る思いは変化しようとしていた。
私は私。
その言葉を伝えたくて、真に認められたいのは、やっぱりハルさんじゃなくて。
私自身が諦められるように、ずっと秘めたままにしておこうと思っていた。
時間が解決してくれるのなら、とも。
だけど、私にはもう、それを見届ける猶予は許されていない。
ならばいっそ、今みたいに。
……ぼやけた視界を、無理矢理引き絞る。
優先すべき事柄を、履き違えるわけにもいかない。
ジュリウスを止める、その覚悟はできた。
後は意地を通すための、味方が要る。
◇
「――し、失礼します」
「いらっしゃい。お茶淹れるから、そこに掛けてて」
緊張で、少し上擦った声を迎え入れる。
L字型の6人掛けソファーとテーブルが常備され、一人用の個室としては少し広いこの空間は、"アナグラ"における私の部屋だ。
元々"ブラッド"の使用している区画一帯が、迎賓用のものを一部改装しただけあって、
特に隊長でもある私の部屋の場合は、軽いミーティングや会合といった集まりに用いられる機会も多い。
もちろん、こうして個人的な用事に使うことも珍しくはないんだけど。
「お待たせ……シエル、もうちょっと楽にしてもらってもいいんだよ?」
「ありがとうございます……ここも何度か使わせてもらっていますけど、君と二人きりだと思うと、その……」
カップに注いだ紅茶を、シエルに振る舞う。
任務に付き合った礼として、以前にエミールから貰った品だ。
私の淹れ方がよほど不味くなければ、味は保証できる。
「二人きりだと……?」
「い、いえ!何でもありません!」
尤も、相手にはまだ、味わう余裕もないようだけど。
私が部屋に誘うと、最初の数分のシエルは決まってこの調子だ。
私が彼女の部屋に行ってもこうなる辺り、どうやらシエルは私的な空間に踏み入れること、踏み込まれることを特別視しているらしい。
私の価値観に置き換えれば、学校で友達に会うのと、家に遊びに行ったり来てもらったりとの違い、というところだろうか。
そうした環境に身を置いていた頃の私に、気心の知れた友人はあまりいなかったけど、こうまで緊張していた気はしない。
今にしたって、シエルの部屋に行っても、最初こそ浮足立っていたものの、慣れるのはすぐだった。
ナナやエリナの場合でもそうだし、多分、ロミオやジュリウスでも。
ギルは……その、ええと。
……もしかして。
ソファーに腰を下ろした私は一抹の不安をもって、私から見て右向かいのシエルの方に首を回す。
緊張も少し解れたらしい彼女はこちらの視線に気づくと、何か言いたげな様子で眼を合わせてきた。
……いやいや、まさか。
いくらなんでも自意識過剰が過ぎると反省しつつ、私もシエルに微笑み返す。
「どうしたの?」
「……あの、疲れていませんか?」
「えっ?」
ただ、それもすぐに、彼女の指摘に崩されてしまった。
「お茶を淹れる時の腕の角度や、ここに来るまでの足取り、体幹……ほんの少しですが、いつもよりもブレが大きく見えたので」
「……勘違いでしたら、すいません」
「……やっぱり、流石だね」
シエルは緊張の中で、私の不調を見抜いていた。
これは"直覚"による状態の視覚化ではなく、彼女自身が培ってきた洞察力だ。
「お気持ちはわかりますが、少し休んだ方がいいのでは?」
「フライアへの再突入まで時間を要する以上、君のような立場の人間なら、尚更ここで……」
どんな形であれ、シエルはこの瞬間を大事に考えてくれていて、友人としての私を想ってくれている。
その気持ちが私には少し面映ゆくて、それ以上に喜ばしい。
「ううん、それは出来ないよ」
「ですが――」
だから、私は彼女を裏切らなければならない。
今は問題なくとも、このまま状態を継続させていく以上、シエルの追及は免れないだろう。
そうして彼女には適わないと確信していたからこそ、私は滲む決意を再び奮い立たせる。
「休みたくても、身体が休ませてくれないんだ」
首元のインナーに手をかけた。
元々は鎖骨辺りまで空いた形のものだったけど、フライアへの突入を機に新調している。
なるべく、全身が隠れるように。
「……こう、なっちゃったから」
微かに震えた指が、インナーをずり下げた。
形だけの笑顔を伴ったそれに、シエルが絶句する。
露わになった首には、今にも喉笛に喰らいつかんとする黒蛛が一匹。
私は、病に罹っていた。
ここまで
「……え……なん、で」
「……あの時は、部隊の誰もいなかったからね――」
少し前から、気分が悪い。
不意に息苦しくなる瞬間があって、その度に不快感が増していく。
だけど、動揺の先走ったシエルをこれ以上悪化させないためにも、私はあくまで穏やかに応対する形で、彼女に経緯を説明し始めた。
原因としては単純で、倒れ込む"神機兵"からアスナちゃんを助け出した際の接触が全てだった。
"黒蛛病"の初期症状は、軽度の眩暈や微熱。
私もその例に漏れず、事態が明確になるまでは、任務外での接触の機会を出来るだけ遠ざけた。
当然ながら、部屋に引き籠もったままでも少なからず怪しまれる。
ぶつかる危険もない程度には空いている時間帯を狙ってラウンジに来ていたのは、私なりの回避策だった。
けれど、一人で取り繕えるのにも限りがある。
それを知らしめるかの如く、喉元に黒蛛の文様が浮かび上がったのは、今朝の事だった。
「――まあ、おかげで説明はしやすくなったかな」
「……これを」
「うん?」
「これを、知っているのは……?」
幾分か落ち着いたとはいえ、シエルの顔はまだ青褪めたままだ。
当然と言えば、当然だろう。
私達がフライアから帰ってきてからの時間は、既にそれなりのものになっている。
その間、通常任務をこなしながら、無治療のまま過ごしたともなれば、かかる負担も未知数だ。
「榊博士を通して、もう何人かには伝えてもらってる」
「……安心して、薬もいくつか貰ってあるから」
"黒蛛病"の発見以来、今なお未知のそれに対してフェンリルが進めてきたのは、対症療法としての治療法だった。
だけど、その結実をもってしても、確実と言えるほどの効果はない。
病の進行を遅らせることでさえ困難なのが、この時代の最先端医学の現状だった。
フライアが題目として掲げた根治の意味での"黒蛛病"への対処は、それだけ希望に満ちていて、懐疑的だったのだ。
「……それなら、何故君がここにいるんですか?」
「どうして、私達には何も知らされていないんですか……!」
「そうだな……まずは――」
そこまで言いかけて、声が途切れた。
唐突に喉を内側から絞られて、同時に何かがせり上がってくるかのような錯覚を受ける。
その何かを押し出そうと、私は衝動に促されるまま咳き込んだ。
「――っ」
鮮やかな赤が、口元を押さえていた掌を彩っていた。
それを血だと視認した途端に、口内に充満した鉄臭さに気づく。
「たいちょ――」
「来ないで!!」
張り上げた声が、立ち上がりかけたシエルの身を竦ませる。
「けほっ……大丈夫だよ、ちょっとむせただけだから」
「それに、こんな狭い所で急に動いたら危ないよ?」
誤魔化した声の掠れにも、彼女は気づいてしまうだろうか。
この喉と胸部の痛みは、叫んだだけで出来るものじゃない。
掌を隠すために包んだ指が、少し粘り気のある感触を伝えている。
そうなると、これは喀血ということになるのか。
「……落ち着いた?」
「じゃあ、続きを話すね」
……分析は後にしよう。
今は多少強引にでも、恐れと疑惑を強めたまま座り直したシエルに理解してもらう必要がある。
彼女も一旦は引き下がってくれたということは、まだそれに応じる気があるということだ。
「まず、一つ目の質問だけど……実は今、博士に協力していることがあるんだ」
「……協力?」
「うん……シエル、今の私とジュリウスの共通点って、何だと思う?」
「……隠し事が得意なところ、でしょうか」
「言い訳はしないけど、そこじゃないよ」
シエルの口から皮肉が出た事に内心たじろいだけど、表には出さなかった。
彼女も……いや、彼女達も、いい加減腹に据えかねていることは理解しているけれど、こちらもいちいち退いてはいられない。
「……えっと……"今"の君は、ジュリウスと同じ"黒蛛病"患者、です」
「そう……さらに言えば、"ブラッド"の偏食因子を保有した者同士でもある」
「置かれた条件の似た私の身体を調べれば、今のジュリウスの身に起こってる事も何かわかるかもしれない」
事実を再確認し、沈んだシエルの表情が見て取れる。
私はここから更に、彼女を傷つけなければならない。
胸を軋ませる、先ほどまでとは別種の痛みを振り切るように、私は言葉を紡ぐ。
「少し前にみんなにも話したけど、私は"黒蛛病"の性質が、ラケル博士の真意を知るヒントなんじゃないかと思ってる」
「だから私は、フライアから帰ってすぐ、博士に取引を持ちかけたんだ」
「この身体一つさえ差し出せば、ジュリウスか、彼を囲っているフライアの目的にもぐっと近づける可能性が出てくるわけだしね」
「そんな言い方……!」
「……それに、"黒蛛病"自体を治せる手だても、早く見つかるかもしれない」
「私だけじゃない、他の患者の人達だって助けられるんだ」
「流石に榊博士もいい顔はしなかったけど、最後は根負けしてくれたよ」
厳密には、彼が強く難色を示したのにも、別の理由があるんだけど。
「……それで?」
「取引という言葉を選んだからには、君も何か協力の見返りを求めたんですよね……?」
>>468
ちょっと訂正
シエルちゃんの受難は続く
「少し前にも話したけど、私は"黒蛛病"の性質が、ラケル博士の真意を知る鍵なんじゃないかと思ってる」
「だから私は、フライアから帰ってすぐ、博士に取引を持ちかけた」
「この身体一つさえ差し出せば、ジュリウスか、彼を囲っているフライアの目的にもぐっと近づける可能性が出てくるわけだしね」
少し、言い方が悪かったか。
黙ったままではあるものの、私を見るシエルの目つきが険しくなった。
「……それに、"黒蛛病"自体を治せる手だても、早く見つかるかもしれない」
「私だけじゃない、他の患者の人達だって助けられる」
「流石に榊博士もいい顔はしなかったけど、最後は根負けしてくれたよ」
厳密には、彼が強く難色を示したのにも、別の理由があるんだけど。
「……それで?」
「取引という言葉を選んだからには、君も何か、協力の見返りを求めたんですよね……?
待ちかねたようにシエルが口を挟むのも、無理はなかった。
ここまで語られてかつ、その問いをぶつけてきたということは、十中八九、彼女は答えに感づいている。
それにも関わらず、当の私は未だ核心を明かせずにいた。
「……実際には、その時は保留にしてもらってたんだけどね」
「本当にそれでいいのかなって、少し悩んでたから」
だからと言って、いつまでもそうしていていいはずはない。
とうに決断は下しただろう。
向き合わずに逃げることはしないと、誓ったばかりじゃないか。
「……多分、シエルの思ってる通りだよ」
「私がここにいるのは、このまま戦い続けることを選んだから」
「っ……そう、ですか」
シエルの落胆が、より色濃く容貌に映し出される。
彼女が予期していた最悪の答えは、僅かにすら変化を見せることはなかった、ということだ。
締め付けられるような身体の不快感と、胸奥の痛みが同期する。
「……理由は、二つあってね」
……話を、続けなきゃ。
今、俯いたシエルが抱いている思惑については、大体見当がつく。
それと向き合うためにも、こちらの意見を揃えておく必要があった。
「一つは、これもジュリウスに条件を近づけるため」
「彼も直接前線に出ていたわけじゃないけど、少なくとも以前までは、休みなく"神機兵"の指揮にあたってたみたいだからね」
投げかけた先の彼女は、俯いたまま動こうとしない。
仕方なく、私はそのまま次の話題に移る。
「二つ目……これはどちらかというと、かなり個人的なことなんだけど」
「……マルドゥークと決着をつけに行く前に、ジュリウスと話す機会があったんだ」
その時、シエルが僅かながら反応を見せた気がした。
「……そういえば、この時の話も詳しくは出来てなかったね」
「ともかく、そこで聞かれたんだ……もし私が彼と同じ立場だったら、どうしてたかって――」
私の選んだ道は、仲間と共に戦い抜くことだった。
それが私の継ぐロミオの意志で、みんなに望みを叶えてもらったこの身にしか出来ない事だと思ったから。
少なくともその時点では、彼の選択を認めた上での答えだった。
「――だから私も……みんなと一緒に戦いたい」
「出来れば、私達の手でフライアと決着をつけたいんだよ……それが、理由」
返答は、少しの身じろぎだけ。
流石に気になって、
「シエル……?」
声をかけた時だった。
「……ふっ」
今度は、私の対処が追いつかなくなる。
「ふっ……ふふ、ふ……」
肩を震わせた笑い。
この挙動が場にそぐわないのは、当然の認識として。
それがシエルによって発せられたものということが、私には信じられなかった。
半端なままどっか行ってるのはいつも通りだから気にすんな!
いつも通りな時点でよくないのはごめんなさい
「ジュリウスに近づきたい、ジュリウスにそう応えたから……」
「……私達は、よほど信用がないんですね」
俯いたまま、ぽつりと言葉が落ちる。
その一言に射抜かれた実感は、確かにあったんだけど。
何となく、それは私にだけ向けられたものでもない気がした。
「……違う」
「いいえ……本当に信じているなら、そんな選択はしないはずです」
「研究への協力は別にしても、私達がフライアと決着をつけるまで、待つ事を選べたはず」
「こんなに報告が遅れることもなかったはずですよね?」
言葉は尚も、力なく零れ落ちていく。
声すら震わせて語るシエルは、一向にこちらを見ようとしない。
「そもそも……戦うだなんて考えが出てしまうこと自体、おかしいんですよ」
「前線に出ることだけが戦いじゃありません……それこそ、榊博士に協力を申し出るだけでも、十分な貢献じゃないですか」
言い聞かせるように、それが絶対だとでも言うように、シエルは語気を強めていく。
程なくして、私は先ほどの直感が正しい事を確信した。
「……副隊長の私が、頼りないからですか?」
シエルは己の身に、言葉を反響させている。
震えを笑いで誤魔化して。
決して口にしたくはないだろう恐れを吐露してまで、私を引き止めようとしてくれている。
「未熟な私に任せられないから、君はいつも、こんな……っ」
押し潰されそうな彼女を、私は抱き寄せることも、手を握ることもできない。
届けられるのは、言葉だけだ。
「……違う。それだけは、絶対に認められない」
「私を信じられなくなるのは構わないけど、自分を疑っちゃ駄目」
それでも、シエルを見過ごせるだけの理由にはならない。
彼女達と改めて向き合うことも、残された時間の中で、私が果たす目的に含まれていた。
「ちょっとだけでいいから……顔、上げてほしいな」
口調を和らげ、リスクは承知の上で、シエルに身体を近づける。
警戒心を解かないまでも、要求通りに顔を上げた彼女は、すぐさま私から差し出された手に視線を向けた。
「……これ、色はシエルが選んでくれたの?」
掌を向けた私の手に乗せられているのは、シアンカラーのヘアクリップ。
空の解放感とどことない不安が同居したその色合いは、シエルの神機に配されたパーソナルカラーと共通している。
「……いえ。"隊長に一番似合いそうだから"と、ナナが……」
「そっか……ナナもよく見てるね」
「ほら……私、こんな頭してるから。緑が混じったもの同士、色も合ってて気に入ってるんだ」
「……そんな話、今更したって」
間の抜けた問いに毒づくシエルへ軽く笑いかけつつ、腕を引いた。
怪訝そうな表情はしているけど、先ほどの言葉にも効果はあったようだ。
「……私は、ずっとみんなに頼りっきりだよ」
「この髪留めだって、今も私が前を見るためには必要なものだから」
ヘアクリップを着け直した前髪に、ほんの少し重みを感じる。
「私のせいでみんなから信用を失うことはあっても……その逆はないよ」
言い切った私の見据える先には、苦々しく眉根を寄せるシエルがいた。
不快感というより、不安が強く出た表情。
「……私だって、君のことは信じていたいんです」
だから滅多な仮定を言うな、ということだろうか。
そう推察できる私も、結局は自身を疑っているのかもしれない。
「そうだよね……ごめん」
「……私も最初は、みんなに任せることも考えたよ」
「だけど、私にとっての戦いはやっぱりこっちなんだよ……私が応えた以上は、自分自身でジュリウスに示したい」
それでも、己の意志を変える気にはなれなかった。
ただ意固地になっているだけだったとしても、あくまで自身が主張する分は。
「……折れるつもりがないのなら、ひとまずは置いておきます」
「皆さんには、どう伝えるつもりなんですか?」
「その話なんだけどね……みんなには、いつも通りでいてほしいんだ」
「……黙っておけ、と?」
「言ってしまえば、どうしたって影響は出てしまうから」
「……今の、シエルみたいにね」
実務上では理性的な判断に富むシエルも、人間関係、特に"ブラッド"に関する事ならば、こうも感情的になってしまう。
副隊長を任せられる実力はあるけど、彼女も隊の中では最年少なのだ。
こうして年相応な面も見せてくれるシエルだからこそ、私も出来れば伝えずにおきたかった。
「確実に成功させたいんだ。そのためには、みんなも万全の状態でいてもらう」
「……だから、こうしてシエルに打ち明けた」
だけど、彼女には早い段階で見抜かれてしまうという確信があった。
……私の意地を通すためには、シエルに辛い立場を押しつけるしか、ない。
「……今の私が、任務に支障をきたすほど動揺している事実は、否定できません」
「でも……それでも!今の君の行動を認めることも、私には……!」
到底彼女には納得されないであろうことも、わかっている。
「……そうだね、私もシエルの言う通りだと思う」
「……え?」
「病気が病気だし……私一人のわがままで済むならともかく、"アナグラ"中に被害が出かねない」
「シエルに協力してもらったとしても、絶対に大丈夫とは言い切れないからね」
「!……な、なら――」
「だからこの先は、シエルが決めてほしい」
微かな期待に綻びかけたシエルの表情が、瞬時に強張った。
ここから先が、正念場だ。
「……な、何を……」
「私が今まで言ってきたのは、あくまで自身の希望……シエルが考えている通り、とても強制できるようなものじゃないってこと」
「そういうわけで、私の病状をみんなに伝えるか、このまま話に乗るかは……シエル次第だよ」
あのまま協力させる体で話を続けたところで、彼女は首を縦に振らないだろう。
かといって、自分の状況を鑑みてか、否に傾き切っているわけでもない。
ならば、やり方を変える。
というより、元から無謀なものとして、賭けに出るしかなかった。
「……みんなに伝えるつもりなら、もちろん私も大人しく、病室に入るよ」
「だ……だからといって、私の一存で簡単に決められるものでは……!」
「簡単だよ。不安要素を排除してフライアに立ち向かうか、二人して辛い目に遭うか、それを決めるだけ」
「私はシエルに合意すると言っているんだから、この場で決定権を使えるのはあなただけだよ」
シエルの白い頬を、汗が伝う。
駆け引きをするつもりはない。
今はただ、彼女に預けるだけ。
「……君を相手に、こんな事を言いたくはありませんが」
「君は私を味方に付ける利があったからこそ、こうして話を持ちかけてきたはずです」
「それなのに、本気で……私に委ねるつもりなんですか?」
ここまで
ノロノロしてたらついに漫画版に追い抜かされてしまった……
「……シエルの洞察力と、"直覚"が大きな障害になるって考えたことは、否定しない」
「でも、あなたが優秀なだけじゃ、きっと打ち明けられなかった」
「私が今みたいに包み隠さず話せるのは……シエルが友達だから、だよ」
少し、卑怯な言い回しだとは思う。
だけど、言葉自体に偽りはない。
彼女が利害を超えて信頼できる友人でなければ、この一連の思惑は生まれなかっただろうから。
「……私、は」
狭められたシエルの瞳が、情に揺れる。
せめぎ合いだ。
明白な現状維持か、不確かな抵抗か。
生じた迷いを情動として切り捨てる事に対しての躊躇が、彼女を苦しめている。
「すぐに決められないなら、今じゃなくてもいい」
顔を伏せ、逡巡する段階のシエルに、私が手を出せる謂れはない。
そもそも彼女を追い詰めているのは、他ならない私自身だ。
彼女に一任すると決断した以上、己の意思では動かせない。
「……一つ」
震えた唇が、決着を告げる。
……いや、まだ終わってはいないか。
「一つだけ、聞かせてください」
だからシエルは、その一押しを望んでいる。
「もし、ジュリウス以外の"ブラッド"が彼と同じ立場にいたとしたら」
「私が君と、敵対する事になったとしたら……君は、今と同じ行動を取れていましたか?」
それが理であれ、情であれ。
彼女が求めるなら、私は誠実さをもって応えるだけだ。
「たとえ相手がナナでも、ギルでも……あなたであっても、私の考えは変わらないよ」
シエルは、すぐには応じなかった。
たった少しであろう間を何倍にも長く感じながら、私は彼女の答えを待つ。
「……ずるいです、本当に」
如何様にも感情を読み取れるような、そんな呟き。
目元を拭い、面を上げたシエルの顔つきは一見して、いつもの無表情でいた。
「……君が戦力に数えられる内は、私も普段通りでいます」
「ですが……そうでないと判断した時、次はありません」
「足手まといにならないように、踏ん張らないとね」
「……無理もさせませんから」
勝利を収めたのは、情だった。
だけど、素直に喜べるはずもない。
それには、彼女を共犯者に仕立てた、という点も当然あるんだけど。
「……ありがとう」
「今日はこのまま部屋に籠るつもりだから、心配しないで」
「了解しました。では……」
普段通りというには少々過剰なほど淡白な反応を返して、シエルが立ち上がる。
たとえば私が、自身の行いを棚に上げ、この成果を嬉しがる図太さを持っていたとしてもだ。
一礼をし、踵を返した彼女の、その潤んだままの瞳を見てしまっては。
……そんな感情も、吹き飛んでしまうだろう。
「……ごめんね」
言葉を受けたシエルの背が、一瞬だけ緊張から解かれたような気がした。
「……失礼します」
閉まる扉が姿を隠すまで、彼女を見送る。
少しして、その奥で何かが崩れてしまった、音を聞いた。
すすり泣く声を、聴き続けた。
もう、戻れない。
ここまで
◇
「――はい、依頼のブツ」
「手袋は薄くしたけど、基本的には私達整備班が使ってるのと同じ。性能は安心していいよ」
「服はまあ……お守り程度だね。長時間の接触はおすすめしない」
「……それにしても、"黒蛛病"患者に触れる装備……」
「それも通常の服装とほぼ変わらないデザインで……だなんて、ずいぶん無茶な頼みごとだね」
「……もしかして私、騙されてたりして」
「……なんてね。そんな怖い顔しないでよ」
「事情は博士から聞いてる。いつも隠し事される側だからさ、たまには意地悪しないとね」
「……経験上、君たち神機使いが止めても聞かないのも、よく知ってるつもり」
「君と同じぐらい、厄介な人を相手にしたこともあるからね」
「……だから、今回も死なない程度にはサポートさせてもらうよ」
懸念が、3つあった。
一つは、私に巣食う病の経過について。
本来、首元の文様は、"黒蛛病"の最終段階として表れるはずのものだ。
身体機能の低下や喀血といった症状は、その前段階として認識されている。
私の場合は、それらが同時期に起こった。
しかも、感染からそれほど時間が経っていない状態で。
端的に言えば、病状の進行が異常なのだ。
一般人とは異なる神機使いの発症例も幾つかあるけど、ここまで極端な例はなかった。
その要因として有力なのは、やはりP66偏食因子の存在だろう。
既存と異なる部分として私に関わっているのは、それぐらいしか考えられない。
「――"黒蛛病"、ひいては"赤い雨"に含まれるオラクル細胞の性質について、わかったことが二つある」
「このオラクル細胞は、あらゆる情報を記録し、蓄積させる。雨粒として触れたものなら、何をも問わずね」
「情報の獲得という意味では、アラガミの捕喰と何ら変わらないと思うかもしれない」
「だけど、この雨に偏向性はない。要は、最初に何を口にしようと好き嫌いが出ないんだ」
「さらに言えば、このオラクル細胞は捕喰すら必要とせず、ただ情報の取得に特化している」
「"赤い雨"が降った後、そこにある物体や地質に影響があったという話は聞いたことがないだろう?」
「もちろん、"黒蛛病"の例は除いてね」
「そしてもう一つ、その"黒蛛病"に感染した患者の体内に宿る偏食因子は、病の進行と共に成長する」
「言い換えれば、死に近づけば近づくほど、その力は強まるということなんだ」
「"黒蛛病"を、患者の肉体を自らの成長の糧とするため、オラクル細胞がその体組織を無理やり馴染ませる過程だと考えると……」
「一連の症状は、それに対する拒絶反応と見るのが自然だろうね」
「……こうして成果を得られているのは、君から生じている"偏食場"を測定したおかげだよ」
「今までは観測も困難な程微弱だった反応数値を、君の身体は何倍にもして増幅させている」
「体内に入り込んだオラクル細胞が、急速に活性化しているんだ」
「それこそ既存の症例で言えば、とうに死に至っている程の領域にね」
「だけど、君はまだ生きている」
「重症化を促進させている要因と、君を生かす力が同じP66偏食因子であるのなら、まだ助かる見込みはあるはずだ」
「……情報の集積、無差別に与えられる偏食因子、そして……それらの"統制"」
「正直、当たって欲しくはない推測だけど……見えてきたものはある」
「……もう少しだけ、待っていてくれ」
特異な条件下にいるのは、私より以前に感染したジュリウスも同じだ。
気持ちだけ逸っても、仕方ないのはわかっている。
そのつもりであっても、芽生えた不安を完全に押し殺せる気概は持てなかった。
焦りに負けたとしても、立ち塞がってくるのが第二の懸念だ。
新種のアラガミと目されるそれは、主にフライアやサテライト居住区の近辺に出現し、人々を脅かし始めている。
ここ数日の主な相手となった奴らは、ただでさえ恒常的なアラガミ討伐に追われている極東の神機使い達にも、更なる負担を強いる存在となっていた。
その正体は、度重なる戦闘の結果,、方々の戦場に廃棄された"神機兵"のなれの果て。
黒鋼の装甲は赤く染まり、オラクル細胞の制御機構が積まれていたはずの背中からは、嘗てのマルドゥークを思わせるかのような触手が伸びている。
見た目以上に変化が顕著なのは、その挙動だ。
大剣を肩に掛け、背を折り曲げ、空いた片手を地に着けた姿勢は、どう見ても普段の"神機兵"のそれとかけ離れている。
あくまで模範的な神機使いに準じていた戦闘方式も、力任せに大剣を叩きつけたり、反動もろくに抑えずに銃弾を撃ち出したりするなど、
まるで抑えきれない力に振り回されるかの如く、極めて野蛮なものに変貌していた。
これらの変異を見せる"神機兵"は発生地点の関係から、サテライト住民にとっての新たな脅威となっている。
フライアへの物理的な介入を望む層にとってもそれは同様で、突如現れた赤い群れは、意図せずして防壁の役割をも果たしていた。
榊博士の見立てでは、これも"赤い雨"の影響による可能性が高いらしい。
既に何体か撃破された赤い"神機兵"の、まだアラガミ化を免れていた部品と偏食因子の形質を調査した結果、
それらは全て、ジュリウスが指揮を執った以降の世代のものであると断定されている。
つまりは、"黒蛛病"患者の偏食因子を注入された"神機兵"がその前身ということだ。
フライアの管理問題は置いておくとして。
"統制"によって何らかの影響を受けた"神機兵"の偏食因子が、制御を失った上で“赤い雨”と接触、活性化したと考えれば、
私の身に起こっている事も踏まえ、幾らか辻褄は合うかもしれない。
ただ、そう仮定すると気になるのは、"神機兵"が変異したタイミングだ。
原因が偏食因子の変化と"赤い雨"にあるなら、何故今になって同時多発的な変異が起こったんだろう。
ジュリウスが"神機兵"を率いてから、たったの一回も"赤い雨"が降らなかった、なんてことはもちろんない。
"神機兵"にしても、その時ごとの戦場に遺棄されている事実がある以上、全てがほぼ同じ時間に棄てられていた、と考えるにも無理がある。
残る線は、"神機兵"に変異の可能性を与えた"統制"の"血の力"だ。
「――ジュリウスのことは、もちろん心配です」
「友達にはなれませんでしたけど、フライアに来る前から、私達なりの付き合いがありましたし……」
「少なくとも、彼がこんな行動に出るような人物でなかったことは、私も理解しているつもりです」
「それに、ラケル先生だって……」
「……こんな状況になってしまって、時々わからなくなることがあるんです」
「君に出会う前の私は、命令が絶対でした」
「両親のこともほとんど覚えていなくて、ただ言う事を聞いて認められるのが拠り所になっていって」
「いつの間にか私は、与えられた命令を第一に考えるようになっていました」
「拾われた恩はあります」
「ですが、当時の私から見たジュリウスやラケル先生の人物像が、果たして本当に正しいものだったのかどうか……」
「どうしても、自信が持てなくて」
「……そう、ですね」
「過去を思い悩んで立ち止まるよりかは、これから彼らを理解していこうと考えた方がいいのかもしれません」
「私を今のようにしてしまった君も、同じですよ」
「"これまで"だなんて、考えないでください」
「……そのために、私は自分の意志で君に協力しているんですから」
そのジュリウス、というより、フライアの動向で気にかかっていたのが、現在の"神機兵"の運用だった。
フライアとのつながりが断たれた今、戦場にいる"神機兵"の姿は、報道映像等の断片的な情報で窺い知るのみだ。
だけど、フライアに直接乗り込んだ"ブラッド"は知っている。
少なくともその当時、私達と相対した"神機兵"の挙動は、明らかにジュリウスが指揮するそれとは質が異なっていた。
本来想定していない類の相手だったとしても、
アラガミの群れを退けられる実力を持ったはずの神機兵団が、たった4人の神機使いにああも容易く抑え込まれるものだろうか。
こちらとしても不意を突かれた場面はあったものの、"朧月の咆哮"と同一の指揮系統だとはとても思えない。
ジュリウスが手を抜いていた、という風には感じなかった。
フライアの所業を意図的に暴かせるのが目的なら、わざわざ一芝居打ってまで"黒蛛病"患者を逃がす必要はない。
善意があっての行動だとしても、神機使いですらないユノに刃を向けたという事実がある。
あの方式を採っている以上、ジュリウスの代わりに教導役を務められる人物も存在しないはずだ。
ここまで考えれば、何が彼の代わりに"神機兵"を動かしていたのか、自ずと答えは見えてくる。
"神機兵を自律モードで配備してある……眠らない歩哨だ"
"フライアのおかげで、無線制御の機体としては、ほぼ完成している"
"今は俺の血の力用いて、教導過程……戦いの学習をさせているところだ"
あの神機兵団は、完全に自律した制御の下にある。
仮に、現在稼働している"神機兵"も同一の体制だとすると、なぜジュリウスは降りざるを得なかったのか。
"神機兵"が教導を必要としなくなること自体は、ジュリウスも望むところだっただろう。
それこそが無人制御式"神機兵"の到達点の一つであり、そのために彼も調整に心血を注いでいたのだから。
だけど実態は、理想からは程遠い代物だった。
動作自体はジュリウスを踏襲出来ていても、それを的確に使い分けられていたとは言い難い。
少なくとも、ジュリウス本人ならまず納得しない程度の習熟度だ。
それでもジュリウスが手を出せなくなった理由として考えられる要因は、やはり彼を蝕んでいる奇病だろう。
私と同じように重症化が進んでいるのだとすれば、教導さえままならなくなったとしてもおかしくはない。
一連の騒動の中、フライアとしての声明はあっても、ジュリウス自身は一切表に出てこないこの状況も、その裏付けのように思えた。
けれど、まだ不自然な点は残っている。
ジュリウスが動けない状況にあるのなら。
志半ばで、諦めなければならない程だというのなら。
"……察しが早くて助かる"
……あの声は、何?
ここまで
過疎スレも折り返し
◇
今日何度目かわからない、大剣の横薙ぎを躱す。
風圧に戦ぎ、足元で擦れる雑草を尻目に、私は前方に踏み込んだ。
返す刀で放たれた突きとすれ違い、敵の股下を潜り抜けたところで、ブレーキ代わりに突き出した片脚が身体を跳躍させる。
捻った胴体から繰り出される、既に展開を終えていた槍型神機の穂先は、巨体が振り向く暇も与えず、その背部を貫いた。
『――反応の消失を確認。残り一体です』
広大な庭園を中心に形成された、都市の亡骸。
この付近に位置する"サテライト拠点"への侵入を防ぐため、私は暴走した"神機兵"の処理にあたっていた。
突き刺した神機を引き抜き、姿勢をぐらつかせた敵の背後に着地する。
圧し掛かる重圧に、立ち上がった後も身体が慣れない。
アラガミ化した"神機兵"の発生頻度は未だ小規模ながら、衰えを見せなかった。
そのために神機使いも連戦を強いられ、少しずつ疲労の色を見せ始めている。
ただでさえ万全な調子とは言えない私の身体は、早くも悲鳴を上げていた。
既に、接地の感覚も遠い。
それでも、まだ何とか平常を装える範囲だ。
「っ……」
不意に内臓を締め上げ、駆け登ってくるこれを除けば。
『先輩、そっち行ったよ!』
同行していたエリナから通信が入る。
視界の範囲にいる彼女の方へ視線をやれば、今回最後とされる標的が、猛然とこちらに迫ってきていた。
"神機兵"を追いかける形で、駆け寄ってくるエリナの姿も見える。
最悪だ。
気づけなかったことはともかく、こればかりは、誤魔化しようもない。
返答の言葉も出せないまま、私は敵の方へ駆け出した。
既に相手はこちらの射程に入っていたけど、あえて銃形態には移行しない。
逆に向こうの間合いにまで入り込んだ私は、神機の穂先を敵の脚部に叩きつけた。
掬われた足を素早く後ろに引き、地に張らせた"神機兵"は、黄色く濁った眼で私を睨み付ける。
その姿勢のまま、お返しとばかりに繰り出された強烈な斬り上げは、盾として構えられていた私の神機をいとも簡単に弾いてみせた。
もしくは、私がそう見せかけた。
上方に神機ごと放られた右腕はあえて引き戻さず、体勢を崩したまま、次の手を待ち構える。
直後の出来事を思うと、流石に気分も落ち込んだ。
隙を見逃さず、敵が前方に体重を乗せる。
自然と、眉間に皺が寄った。
こちらとしても、とうに我慢は難しくなっている。
だけど。
だけれど、これは、どうしたって。
「ぐぶ……ぅっ」
痛い。
飛び出た相手の爪先が、腹部に突き刺さる。
身体を一気に浮かせるほどの外圧に、私はあっさりと限界まで追い込まれた。
「うぐ、ぶぇっ……!」
たまらず振った神機が、空を切る。
爪先から離れ、少しの滞空時間を彷徨った私は、血を撒きながら地表に叩きつけられた。
『先輩!?このっ――』
一部始終を見たエリナの憤りが、不自然に止まる。
追撃のために一歩踏み出したはずの標的が、そこからぴたりと動かなくなった、その違和感からだろう。
背後に増えた痛みに呻きながら、薄目を開ける。
ちょうど、目の前の"神機兵"の身体と、首から上のズレが目に見えて大きくなってきたところだった。
どうせ打たれるならと、その直後に放った"ブラッドアーツ"のカウンターが上手く当たってくれたらしい。
完全な分離を果たし、双方倒れ伏した敵を追い越したエリナが、そのまま私の方へ駆け寄ってくる。
「大丈夫!?」
「……うん、何とか」
軽く咳き込みながらも、彼女が触れる前に自力で立ち上がってみせる。
「かっこ悪いとこ見せちゃったね……今の内に回収も済ませちゃおうか」
「でも、傷……」
差し出すつもりだった手を泳がせながら、エリナは尚も気遣ってくれていた。
「これぐらいならすぐ治るよ」
実際、"黒蜘蛛病"が体内のオラクル細胞を活性化させている影響で、私の治癒能力は飛躍的に高まっている。
内部はともかく、あくまで外傷を誤魔化す分にはありがたかった。
「……本当に?」
「本当に」
「ふーん……」
それでも彼女に生まれた疑念からは、しばらく逃げられそうにないけど。
ここまで
>>505
"くろくもびょう"とはいったい…
ちょっとした訂正だけしときます
意志の持ちようでは、こうして凝固させたオラクルエネルギーを、神機から切り離して扱う戦法も可能ということだ。
咄嗟に狙いも付け難いし、基本的には中距離程度しか維持できない代物だけど。
既に斃れた敵を追い越したエリナが、そのまま私の方へ駆け寄ってくる。
「大丈夫!?」
「……うん、何とか」
軽く咳き込みながらも、彼女が触れる事も見越して、事前に立ち上がっておく。
「かっこ悪いとこ見せちゃったね……今の内に回収も済ませちゃおうか」
「でも、傷……」
差し出すつもりだった手を泳がせながら、エリナは尚も気遣ってくれていた。
「これぐらいなら、すぐ治るよ」
笑みを見せつつ、コア回収に向かう体で彼女の側を通り過ぎる。
実際、"黒蛛病"が体内のオラクル細胞を活性化させている影響で、それに伴う治癒能力もまた、飛躍的に高められていた。
内の消耗はどうしようもないけど、あくまで外傷を誤魔化す分にはありがたい。
「……本当に?」
「本当に」
「ふーん……」
それでも彼女に生まれた疑念を振り払うには、しばらく時間がかかりそうだったけど。
◇
「――本当にびっくりしたんだからね、こっちも」
「いくら疲れてるからって、ちょっと油断しすぎなんじゃない?」
「ごめん……今日は随分と手厳しいね、エリナ」
任務に参加していた他のメンバーとも別れ、"アナグラ"のロビーに戻った後も、エリナの追及は続いていた。
彼女は私の立ち回りがよほど気に食わなかったようで、
「だってさっきの先輩、それぐらいおかしかったんだもん!」
「いつもなら間合いもちゃんと測ってるし、あのまま何も考えずに突っ込むなんて……」
「買い被り過ぎ。今回は本当に、焦って飛び込んじゃっただけだから」
「それが怪しいのよ!」
「怪しいも何も、これ以外に言いようがないんだけどな……」
この手の問いを投げかけては、私にはぐらかされ続けている。
「それに比べると……エリナ、最近は任務中の被弾もかなり減ってきたよね」
「……見栄張る前に守りを固めなさいって、先輩に教えられてきたから」
「そんなきつい言い方はしてないと思うんだけど……まあ、最初からそこまで経験に差があったわけじゃないし」
「今日でエリナにも追い越されちゃったかな」
「本当にそう思ってるならもっと悔しがってよね、まったく……」
それも漸く半眼で睨みつける程度に収まってくれて、何とか話題を逸らすことに成功した。
「というか、話逸らさないでよ」
というわけもなく。
「大体さ、血を吐くような怪我して無事で済んでるわけないじゃない!」
「ちゃんと後で診てもらうから」
「そういうこと言ってるんじゃなくて……はぁ」
「もうそれでいいわ……こっちが疲れてきちゃう」
結局、不貞腐れたエリナが折れる形で、ひとまずは逃げ切れた。
……元々大したこともしていないとはいえ、ますます私の立場が無くなってきているような。
こうして尾を引くような悪手を取ったのは、今回が初めてではなかった。
前提として、人前で血を吐いても怪しまれない状況なんてそうそう無い、というのもある。
だからと言って、掴まれるまで尻尾を振り続けているわけにもいかない。
この板挟みもまた、私を徐々に消耗させる一因になっていた。
「……それで、さっきの話なんだけど」
「……ああ、ナナさんだっけ」
ただ、私も終始猿芝居に興じていたわけではない。
エリナの本格的な詰問が始まる直前、私が彼女にそれとなく尋ねたのは、ここ最近のナナの動向についてだ。
それを早々に受け流された経緯もあるので、エリナに覚えられているかどうか、少し不安だったけど。
「私も任務以外はあんまり見かけてない。最近はラウンジにも顔出さなくなっちゃったしね」
暴走した"神機兵"が観測されるようになってから、私達がそれぞれの部隊で活動する機会は一気に減った。
"神機兵"だけならまだしも、それに呼応するかのように、極東地域のアラガミが積極性を増しているからだ。
単に運が悪いだけなのか、意図的に引き起こされたものなのか、はっきりとはしていない。
いずれにせよ急激な攻勢に対し、私達は特に規則性もないまま駆り出され続けている。
フライアの事もあり、"ブラッド"には何度かメール連絡はとっているものの、その際の反応がいまいち芳しくないのがナナだった。
普段ならいの一番に返ってくる近況報告は3人中最下位にまで落ち込み、
やや脱線した話題で飾り立てられがちだった文面も、最低限の返事が載るのみの素っ気ないものになっている。
この類の無頓着さはギルもいい勝負だけど、問題はそれを手掛けたのがナナであるという点だ。
あからさまな変化を見逃せるわけもなく、直に顔を合わせようと動き始めてはみたものの、彼女は中々捕まらない。
会いたいと連絡しても返事はないし、任務で同行した神機使い達への聞き込みも、現時点で得られる成果は乏しかった。
それどころか、普段のナナが愛用していたラウンジですら、目撃報告が殆どないという不安要素まで増えている。
「ここで誰にも見つからない場所って、それこそ自分の部屋ぐらいじゃない?」
「まさかまだ見に行ってない……なんてことはないよね、流石に」
「……寝床には使ってるだろうけど、基本は空けっぱなしかな」
「……うーん」
居住区の方に通っている可能性もあるけど、いつここに呼び出されるかもわからない現況では、それも少し考えにくい。
特に手がかりもないまま、傍らで小首を傾げ、唸るエリナに視線を向ける。
既に幾戦か終え、何もなければそこそこ休めるはずの私とは違い、先の任務から参加した彼女には次が待っていた。
「まあ、今の時間なら戻ってるかもしれないし……もう少し探してみるよ」
「……エリナ、時間は大丈夫?」
「え?あー……まだちょっとは余裕あるかな」
「じゃあ、私はここで。ごめんね、引き止めちゃって」
「あ、うん……じゃあ……」
喋り終わった今になって疲労が回ったのか、少し気の抜けた様子のエリナを背に、まずは“ブラッド”の区画へ――
「ひっ!?」
――向かう前に、私に迫る気配の方へと振り向く。
焦燥の中で捉えたのは、つい先ほど別れたはずの、エリナの姿だった。
「……さ、さっきぶりだね、先輩」
辛うじて答えてみせた彼女は、私以上に動揺を表出させている。
気取られない内に警戒を解き、私はエリナを手助けすることにした。
「……ちょうど、エリナがまだ話し足りないんじゃないかって思ってたところ」
「そ、そう……」
まだ疎らながら、往来のあるような場所で話し込むのは避けたい。
相手も暇ではないことだし、すぐ近くの壁が私の背になるよう、彼女を誘う。
「……あの、さ」
その間にエリナも落ち着いたのか、少しの逡巡を経て、漸く話を切り出した。
「先輩、やっぱり何か隠してない?」
彼女は、私への追及を諦めてはいなかった。
予想通り、と言えば聞こえはいいけど、その実、特に対策は考えついていない。
「気にし過ぎなだけかもしれないけど、どうしても引っかかっちゃって」
「……人を避けてるの、ナナさんだけじゃないよね」
自分の時間も捧げてでも引き止めたからには、既に確信めいたものが、エリナの中で渦巻いているのだろう。
私の真贋を見定めようと、見上げる瞳が入り込んでくる。
「気のせいなら、それでもいいから……何か、言って」
耳障りのいい嘘で丸め込もうと楽観的に思えるほど、彼女とは浅い関係でもない。
纏わりつく懇願と不安に押されて、私は口を開いた。
「……あるよ、隠し事」
結ばれたエリナの口元が、引きを強める。
両拳は胸の前で握りしめられ、やや前傾の姿勢から放たれる眼光は鈍らない。
「そんなに身構えなくてもいいんじゃない……?」
どんな大物でも受け止めてやる、とでも言いたげな彼女の気概が妙に大袈裟なものに思えて、真顔が少し崩れた。
僅かにでも気の休まる状況に身を置けたせいか、頭も緩んでしまっているらしい。
「いいから……!」
戒めの如く、こめかみの奥がきりりと締めつけられる。
新しい症状だろうか。
ともかく、仕切り直しだ。
傷んだ喉を咳払いで和らげ、より鋭く私を見据えるエリナの方へと向き直る。
「私が隠しておきたかったのは、もっと単純な事でね」
「……不安、なんだ」
少し下がる彼女の両手が、視界に入った。
「身内のクーデター、山積みの問題、具体的な解決法もわからない」
「人を避けてる……というか、余裕はなくなっちゃってるかもね」
嘘で騙す必要はない。
シエルでさえ、あの段階では私の容態を予想もしていなかった。
伝えなければならないのは、エリナが知る私の秘め事だ。
全てではなくとも、これも私の本音には違いない。
「……そう、なんだ」
対する彼女は、すっかり肩の力が抜けてしまっていた。
身近な悩みに、かえって呆気に取られているといった風情だ。
もっと取り返しのつかないような規模を覚悟されていたのか、叱りつけられた前科があるだけに、少し複雑な気分だけど。
その実、かなり近いところではある。
「まあ、それはそれで……先輩の口からは聞きたくなかったかも」
「……だから言えなかった、とか?」
すぐに気を取り直したエリナへ、首肯を返した。
フライアを相手取る以上、それに通じていた"ブラッド"にも、当然視線は集まる。
純粋な期待ではなく、停滞と閉塞の色濃い現状を打破する委任先として、私達は徐々に足場を狭められつつあった。
誰しもがそんな感情を持っているわけではないし、それを悪と断じるつもりもない。
けれど、おいそれと弱音を吐けない立場にあるのは確かだった。
「……だよね、ごめん」
「何か力になれるかも……って、余計なお世話だった」
無力そうに俯く彼女の内心を大きく占めているのは、折り合いをつけられない自身の感情への憂慮だろうか。
私が口にした不安は、何も己のみが抱えている問題というわけではない。
現況に置かれた者ならば、影響の大小に関わらず、気を揉んでいる事柄であるはずだった。
「そんなことないよ、エリナ」
とはいえ、これは私が蒔いた種だ。
伝播させたままにはしておけない。
少し腰を落として、エリナに笑いかける。
「……こっちこそ、不安にさせてごめんね」
下りた目線は、顔を上げた彼女のそれに、ぴたりと一致した。
「でも、こうやって話を聞いてもらって、少しは楽になれたし……エリナがしてくれたことは間違いじゃないよ」
「少なくとも、私にとってはね」
"ブラッド"の一挙手一投足が、"アナグラ"に注視されている。
見方によれば、それは私達の行動次第で、今後の士気にある程度の影響を与えられる、ということだ。
「それにね、私……迷ってはいないから」
私を見つめる失意に、動きがあった。
「自分のしたいこと、やらなきゃいけないことはわかってるつもりだし、それを諦めるつもりもない」
折れなければいい。
私達が、私が、それを守ってさえいれば。
晴らすことは出来なくとも、エリナ達をつなぎ止めておくぐらいは可能なはずだ。
「……それでも不安な時は不安だし、また零しちゃうかもしれないけどね」
完璧に振る舞う必要はない。
と、私が決めていい事でもないかもしれないけど。
既に無理を決めた身一つで持ち切れるほど器用でないことも、学習はしているつもりだった。
現に、この後エリナがどう応えるか、少し怖がっている自分がいる。
「……うん……まだ、ちょっと整理できてない、けど」
私が言い終わるまでの間に、視線を外していた彼女が、声を上げた。
「先輩がそう言うなら、こっちからはもう聞かない」
「……というか、ダメだよね。あれだけ偉そうに特別扱いが嫌って言っといて、いざって時は"ブラッド"頼りなんてさ」
「……ううん、――」
「いや、ダメね!先輩に言われるまでもなく!!」
威圧で帰ってきた視線に、なけなしの援助が吹き飛ばされる。
けれど、これはこれで慣れたものだった。
「だから、力になりたい、じゃなくて、なる!」
「私はもう、最っ高にかっこ悪い先輩も見ちゃってるんだから、何でも言ってきて!」
「エリナ……」
……痛い所を突いてくるのも、まあ、いつも通りだ。
「ありがとう……時間は?」
「うん……えっ?あっ……!」
挨拶をする間もなく、駆けて行った彼女を見送る。
あの調子なら、もう心配はいらないだろう。
さてと次はと一歩踏み出せば、先ほどまで後回しにしていた痛みと嫌悪感が滑り込んできた。
まだ、腰を落ち着けるには早い。
引っ掻き回された身体と意識を引き戻し、周囲に気取られないよう、歩を進めていく。
雪崩れ込む一瞬に呑まれなければ、思考もままならなくなるということはほぼない。
徐々に思案を広げて、頭に巣食った悪感情を追いやっていく。
結局、ナナがどこにいるのかわからず仕舞いだった。
しかしながら、彼女が調子を崩している理由をある程度察することはできる。
突けるとすれば、そこからだ。
キーワードを紐付けて、今一度回顧する。
聞き込みで多少は絞り込めたものから、取り留めのない話まで、並び立てて順繰りに――
"ここで誰にも見つからない場所って、それこそ自分の部屋ぐらいじゃない?"
――一周しかかったところで、網にかかるものがあった。
つくづく私は、自慢の後輩に助けられている。
少しキリのいいところで
もう2年なんですね…
おつおつ
毎回更新楽しみにしてるから頑張ってくれ
>>522
こんな死に体スレにありがたい…
もうこの投下ペースはどうしようもないけど、オチまでは決めてあるので気長に待っていただきたい
◇
薄暗闇に潜む、影があった。
それは私の部屋から、さほど時間もかからない場所にいて。
開いた扉から挿し込まれる光にも、僅かに身じろぎするのみだった。
「……探したよ」
発した声と共に明りを点ければ、振り向いた影が形を持つ。
「えーっと……それはどうも?」
困り笑いで私を迎えたナナは、室内のベッドに腰掛けていた。
ここは本来、彼女どころか、誰のための空間でもない。
嘗てはジュリウスが暮らしていた、ブラッド区画の空き部屋だった。
「……別に、隠れてたわけじゃないんだ」
ナナが視線を落とし、呟くように言葉を漏らす。
そもそもの配置からして、よほどの理由がなければここまで立ち入る者はいない。
この区画を主に使っている私にとっても、盲点だった。
「でも、ここに来れば、何かわかるかもって……」
何もないからだ。
ジュリウスが"アナグラ"を去る時点で、彼はその痕跡を消しにかかっていた。
現にこの部屋だって、ベッドに衣装棚といった、備え付けのものしか残されてない。
クーデターが起こった際も、名目上の捜索はあったようだけど、これといった成果は聞かなかった。
「……ジュリウスのこと、まだ怒ってる?」
それでもナナは、ここにいる。
その真意までは把握できなくとも、彼女がジュリウスに纏わる何かを求めて訪れたことに違いはないだろう。
私がそう推測し、助力を得た上でナナの居場所を導き出せたのは、彼の行為に痛憤する彼女の姿を見ていたから。
そう、思っていたんだけど。
「……逆に聞きたいんだけど、怒ってないと思う?」
どこか呆けていたナナの言葉に、意志が宿る。
「思わない」
「……じゃあ、そんなこと聞かないでよ」
ナナにしては、随分と冷めた調子の言葉。
ただ、そんな彼女の様子を目にしたことで、少し考えが変わった。
なるほど、確認を取るまでもない事柄なのは確かではある。
「でも、それだけじゃないよね」
その感情が、怒りに限ったものなのであれば、だけど。
少し間を開けた後、同じ調子で言葉が返ってきた。
「……例えば?」
「さあ……実際何を考えてるかなんて、本人にしかわからないし」
「ただ、怒っているだけなら……ここには来てないかな、と思って」
思い違いをしていた、らしい。
もしナナが憤りを維持し続けていたとして、この場所を気にかける必要はあるだろうか。
何もないとわかりきった部屋で当たり散らすこともなく、私が彼女の捜索を決意する程度の時間を、静かに過ごしただけで済むものだろうか。
「そういうもの、なのかな」
「……私が思う分には」
「じゃあ、そういうものなんだろうね」
あえて赴くことで、怒りを保つ方法もあるにあるだろうけど。
他人事のように私の問いをいなすナナを見る限りでは、それも考え難いように感じた。
「……質問を変えるね」
「ナナはこの部屋に来て、何がわかると思ったの?」
ジュリウスに纏わる事柄。
それは何も、彼本人に対するものだけじゃない。
「……色々あったはずだけど、なんだろ」
「わかんない。……うん、わかんないや」
得心がいったのか、ナナの声音が一段上がる。
「ジュリウスがここから出て行っちゃって、またここに来た時はちょっと冷たくなってて」
「でも、やっぱり根っこはジュリウスなんだって安心して、ラケル先生も協力してくれてるんだって、嬉しくて……」
「……そしたら、レア先生がフライアから逃げてきた」
上ずった音調を保てなくなるのも、すぐだった。
「"黒蛛病"患者の人達をあんなとこに押し込めて、ジュリウスは何も言ってくれなかった」
「ラケル先生が協力してるのもそういうことかもしれなくて、じゃあ今まで私が見てきた2人は……」
不意に語尾が緩み、勢いも止む。
これが理由だとばかりに、彼女の腿に雫が落ち、伝っていく。
「わかんないよ……」
「二人のやってる事も、それに我慢できないぐらい怒ってる自分も怖くて、信じられなくて、頭ん中ぐちゃぐちゃで……」
「わかんないよぉ……!」
わかんないまま年越しちゃった
すいません三が日中には何とか…
ナナの抱える悩みは、シエルが打ち明けてくれたそれと似ていた。
けれども、彼女の戸惑いの多くは、制御しきれない自身の感情に割かれている。
アラガミのみにぶつけていた激情を、人に向ける経験もなければ、それを得る必要もなかったのだ。
初対面の頃より開放的になったといっても、無意識に抑え込んでしまっていた部分はあったかもしれない。
「頭では割り切らなきゃって……でも、みんなみたいにはなれないよ……!」
それも、限界だった。
嫌悪とも怒りとも取れる苦悶をその貌に象る彼女は、未発達な感情に振り回されている。
「……誰も、ジュリウスの事なんて気にしてないって?」
刺激しないように、ゆったりとした足取りでナナの真横に腰を下ろした。
一人の体重を新たに受けて変形したマットが、俯いた彼女の頭を揺らす。
「ナナは、本気でそう思ってるの?」
今度は意識的に、首が横に振られた。
私としても、彼女がそう考えているとは思わない。
ただ、今の段階で意思疎通が図れるか、確かめておきたかった。
「…シエルがね、ナナと同じような事言ってた」
「今の二人を見てたら、これまで自分が見てきたものにも自信が持てなくなったって」
何も言わず、鼻を啜ったナナが涙の痕を覗かせる。
「落ち着いてるように見えたかもしれないけど、ナナだけの悩みじゃないよ」
「だから――」
――不意に、耳鳴りが広がった。
刺すように、押し込むように、染み渡るように。
瞬く間に言葉と意識を奪い取った音響は、ナナが異変を察知するのに十分な時間を与えてしまった。
「隊長……?」
視界に映った彼女の手が、私を現実に引き戻す。
反射的に身を引き、唖然としたナナを置き去りにしたところで、ようやく意識も覚醒した。
「っ……ごめん、ちょっと、疲れてて」
とはいえ、精神は十分にかき乱されている。
痛みではない。
そもそも、"黒蛛病"の症状なのかどうかも分からない。
疲弊した身体が隙を作っていることは疑いようもなかったけど、ただの耳鳴りとも思えない影響力が不可解だった。
「……ふぅん」
その一方で、ナナは丸まった目を細め、私の方に乗り出していた体を元の位置に戻す。
「そういうとこも、なんだよね」
「……何が?」
「そうやって色々隠そうとするところ。ジュリウスが"黒蛛病"だって聞かされてから、ずっとモヤモヤしてた」
三が日とは何だったのか
言う事が大体覆ってる気もしますが、流石に年内には終わらせたいですね…
「あの時は隠すことが皆の、……私のためだって、そう思ってた」
「……それで?今度は私のために嘘をついてたの?」
彼女が知っているはずはない。
この場で私の不調が結びつくこともないはずだ。
そう押し込めたつもりでいても。
「……疲れてるなら、来るところが違うじゃん」
「そんなことされたって、嬉しくないよ」
確かな安堵を覚えた自分に、嫌悪が募る。
「……ごめん」
「自分の気持ちを整理できなくて、辛いことは溜め込んで……」
「私達、変わんないね」
それでも、その安堵に含まれていたのは保身だけじゃなかった。
「……そうかもしれないけど、そうじゃないかも」
追い詰められ、苛立って尚、ナナは自分本位ではいられない。
だからこそ、私は変わらない彼女を放ったまま引き下がれなかった。
「何が言いたいの?」
怪訝な様子を隠そうともせず、ナナは改めて私の顔面に視線を定める。
「……ナナ、今日は"血の力"、使った?」
募る苛立ちが彼女の眉根を寄せて、
「"神機兵"を引き寄せるのに何回か。それが……あ」
一気に引き戻した。
「確かに今の敵は多いけど、"アナグラ"に引き寄せられてるようには見えないかな」
「いきなり変われなくても、成長はしてるんじゃない?」
もう片方はどうだか知らないけれど。
「……でも、結局自分の気持ちに振り回されっぱなしで」
「振り回されてるって自覚はあるんでしょ?自分の気持ちに向き合う余裕があるんだよ、今は」
「わかったように言うね」
「わかるよ……とは言わないけど」
態度の割に、何だかんだ言葉は返してくれる。
躓きこそしたけど、経過は悪くない。
そう思えば、少し賭けに出てもいい気になった。
「辛いことがあって、取り乱して……それでも受け止めてもらえて、”ブラッド”をもっと大事に思うようになった」
「……その気持ちは、ナナと一緒だと思ってる」
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