万里花を愛でるニセコイSS「ハリコミ」 (19)

「おかえりなさいませ、楽様! ご飯にします? お風呂にします? それとも……」
「いや、普通にご飯で……」


玄関先で投げかけられたあまりにもベタな橘万里花のセリフを遮って、一条楽は答えた。
楽様のいけずー、とぶーぶー言いながらも食事の支度を始める万里花に軽く苦笑しながら、楽は1DKの室内を改めて見回す。
家具も荷物も最低限。つい最近、新婚生活を始めたのだと言えばなるほどなと納得できそうな様子の部屋の奥に、一つだけ不釣り合いな品物――望遠鏡が置かれていた。

「様子はどうだ?」
「今のところ、特に動きはないみたいですけど……」
万里花が夜食を並べたお盆を持ってキッチンから出てくる。

そっか、と応えながら楽は望遠鏡を覗き込んだ。レンズの向こうには、何の変哲も無い一軒家。日はとっくに暮れているが、明かりは付いていなかった。
確かに万里花の言う通り、異常はないらしい。

楽と万里花、二人してマンションの一室で暮らし始めて五日目。
といっても、結婚したとか同棲を始めたとかそういったことではない。
とある事件の捜査の一環として、強盗事件の容疑者の隠れ家と思しき一軒家の張り込みをしていたのだった。

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「あの、楽様……ちょっとお願いしたいことがあるのですが……」
「ん、何だ? 橘が頼みごとなんて珍しいな」
「実は……」

数日前、放課後の教室で万里花が楽に持ちかけた相談。
それは父親の仕事、警察の捜査を手伝って欲しい、というものだった。

「張り込みにちょうどいい建物が、新婚の夫婦専用のマンションしかないみたいで……。情報の漏えいを防ぐためには、警察であることを伏せてニセの夫婦として入居しないといけないそうなのです」

そこで、万里花と共に夫婦を演じつつ、張り込みの手伝いをして欲しいということらしい。

「いや、でも何で俺たちが……。それこそ、お前の付き人の本田さんとかが適任なんじゃねえのか?」
「元々はその予定だったのです。ですが、張り込みの直前になって本田が夫役の右助を殴り倒してしまいまして……」
「な、何やったんだよ、あの人……」

万里花の父の部下で、警察機動隊の第一部隊隊長を務める相葉右助。
事情はよくわからないが、おそらく何かしら迂闊なことをしでかしてしまったのだろう。不憫な人だ。

「でもよ、だからって素人の俺たちが……」
「警察は今、深刻な人手不足なのです。町中で起きる、ヤクザとギャングの小競り合いの取り締まりもありますし……」
「うっ!」

「それに、町の平和を取り戻すために努力するのは、善良な市民の務めではありませんか」
「ううっ!」

ヤクザの息子に向かって、善良な市民と真っ直ぐな眼差しで言い切る万里花。
どう考えても楽との夫婦生活を楽しみたいという欲望丸出しだったが、真っ当な暮らしを是とし、公務員を夢見る楽にとって、断る道理を見つけることは難しかった。
危険はないということで、夫婦のフリをした張り込みに協力することになったのだった。




「はい、楽様。お夜食ですわ」
「おお、アンパンと牛乳か。夜食っぽくはないけど、張り込みっぽいな!」
「そう思いまして、朝から気合を入れて作りました」
「え? 手作りなのか?」
「はい、パン生地はもちろん、餡も小豆から。牛乳は近くの牧場の搾りたてを取り寄せてみました」
「お前、張り込み中の食事がパンと牛乳な理由を考えなかったのか……」
「せっかくですから、楽様に美味しいものを食べていただきたくて」

さあどうぞ、と差し出されたパンを受け取り口に運ぶ。
現場を離れず手軽に食べられることがウリのはずなのに、恐ろしいほど手間のかかったアンパンだった。
「うまっ!」

ふんわり焼き上げられたパン生地は厚すぎず薄すぎず、しっとりした餡と絶妙のバランスで口の中に入ってくる。
餡の甘さも絶妙で、微かに塩味がつけられた生地と組み合わさって素晴らしい風味を生み出している。
「ふふ、頑張った甲斐がありました」

ニコリと笑う万里花の笑顔。
楽は思わず胸が詰まりそうになって、コップに注がれた牛乳を飲み干した。


「せっかく望遠鏡があるのですから、ロマンチックに天体観測でもしましょうか」
「いやいやいや。星は星でも、俺たちが見張るのは別のホシだからな」
窓際に据え付けられた望遠鏡の前に、二人並んで腰掛ける。レンズの向こうの一軒家には依然として人の気配はなかった。

「今日は帰ってくるでしょうか、犯人さん」
「どうだろうな……。俺たちの張り込みに気付かれてなきゃいいけど」
「あら、それなら大丈夫ですわ。私と楽様は、バッチリ新婚の夫婦に見えているみたいですから」
「なっ!?」
思わず楽は望遠鏡を蹴飛ばしてしまった。レンズがあらぬ方向を向いてしまい、慌てて元に戻す。

「今朝、ご近所の奥様たちに、いつも旦那さんと仲がよくてうらやましいわ、と声をかけられたのです。つまり、はたから見れば、私と楽様はラブラブな新婚夫婦にしか見えない、ということですわ!」
最大級のドヤ顔で万里花が断言する。

確かに、ただでさえ隙あらば楽にひっついて離れない万里花だったが、ここ数日は夫婦のフリをするとあってかさらなる密着ぶりを見せていた。
ところが恐ろしいもので、三日も経つとそれがなんだか当たり前のことのように思えてくるのだった。

夜も更け、午後11時。強盗犯の隠れ家には何の動きもない。
気温が下がってきたので楽は毛布を取り出してくると、万里花の肩にかけてやってから自分もその隣に腰を下ろした。

「ありがとうございます、楽様――って!?」
毛布は一枚しかなかったために、楽は毛布を羽織ったまま、その片側を万里花の肩にかけてやったのだった。
つまり、一枚の毛布に二人寄り添うようにしながら包まっている状態だった。

「どうした?」
「い、いいい、いえ、別に」
「身体、冷やさない方がいいからな」

明らかに動揺する万里花に対して、不思議そうにその顔を見つめる楽。
奥さんの体調を気遣う優しい旦那という、いかにも仲の良い夫婦のような自然な振る舞いだった。

「うう、心の準備ができとらんけん……ズルいばい、らっくん……」

この数日、万里花の新婚攻撃を受け続けるあまり、すっかり感覚が麻痺してしまった楽の行動はまさしく新婚の夫そのもので。
逆に攻撃していたはずの万里花が、思わぬ不意打ちで赤面する羽目になってしまっていた。

「しかしさっきのアンパンは美味かったなー。橘の料理の腕前にはホント脱帽だぜ」
「そんな、楽様こそ。昨日のお弁当はとっても美味しかったですわ」

張り込みといっても犯人が現れなければすることは特にない。
暇を持て余す二人は、毎日交互に料理とお弁当を作りあっていたのだった。
二人して昼休みに同じお弁当を食べているところを桐崎千棘に見つかってしまい、そこに万里花が油を注いで教室中が大騒ぎになったのも記憶に新しい。

「明日は俺が作る番だよな。何か食いたいもんあるか?」
「それはもちろん、楽さ」
「食べ物限定な。あとアフリカの民族料理とかは俺は作れないからダメ」
「うーん、そうですねぇ……私は楽様の手料理なら、それこそ何であろうと大満足なのですが……」

うーんと頭をそらし、どさくさ紛れに楽の方にもたれかかる万里花。
「何でもいいぞ、俺に作れるものなら」
普段なら照れて押しのけるところだけれど、感覚が麻痺している楽はそのまま万里花の頭をポンポンと撫でる。

「そうですわ!」
いいことを思いついた、とばかりにくるりと頭を回転させて、楽の顔を上目に見ながら万里花が言う。

「ハンバーグにしましょう! 今日、パンの生地をこねていて思ったのです。楽様と一緒に作ったらきっと楽しいに違いないですわ」
「ハンバーグか。たまにはいいかもな」
「ふふ、楽しみですわ。タネをこねる私の指遣い、ご覧に入れましょう……!」
わきわきと怪しく両手の指をうごめかせる万里花。

「お前も例の親友に負けず劣らず、たいがいオッサンだよな……」

午前1時。相変わらず異常なし。
眠い目をこすりながら、万里花が望遠鏡の覗き込んでいる。

「そろそろ寝た方がいいんじゃないか? 後は俺が見てるからさ」
元気そうに見えて、万里花は実は身体が弱いだけに、無理をさせるわけにはいかない。

「ま、まだまだ、大丈夫ですわ!」
「そんなこと言って、お前今日も授業中に居眠りしてたじゃねえか」
「それは、授業中は楽様のお側にいられないから退屈で……。こうして一緒にいられる時間を眠って過ごすなんてもったいないことはできませんわ!」

楽の胸元ににじり寄りながら、甘えた声で万里花が言う。
「もちろん、楽様が添い寝をしてくださるなら、私はいくらでも眠りますけれども」
「うっ、ま、またそんな馬鹿なことを……」

眠たげなせいか、なんだかいつもよりも色気がある万里花の様子に、さすがに照れた楽は顔を逸らし望遠鏡を覗き込む。
目を合わせるとヤバい。

「ん?」
ふと気がつくと、隠れ家の窓に明かりが灯っていた。
警察は自分たちも含め距離をとって見張っているはずだから、これはつまり――。

「お、おい、橘、犯人が戻って――って」
慌てて望遠鏡から目を離して振り向くと、万里花は楽の胸元に顔を埋め、すやすやと寝息を立てていた。

「お、お前、さっきあれだけ言っておいてよく熟睡できたもんだな……」
呆れながらも、幸せそうな寝息を立てる万里花を起こさないように細心の注意を払いながら、楽は携帯電話を取り出すと現場に動きがあった時の手はず通り、教えられていた相葉右助の電話番号をコールした。

これでようやく張り込みの任務、完了かな。
携帯電話のコール音を聞きながら、楽は穏やかに眠る万里花の髪を優しく撫でてやった。



「むにゃ……うう、朝……?」
寝ぼけた声を上げながら、万里花が目を覚ましたのは布団の上。
目の前には、愛しい彼の寝顔。

「ら、ららら、らっくん! な、なんばしよっと!?」

慌てて飛び起きる万里花。状況的には間違いなく添い寝、だった。

「う……おお、橘、起きたのか。っと、悪い、お前を布団に運んだ後、俺も寝ちまったみたいだな……」
「ふ、布団に運んだ!? ……あ、そ、そういえば張り込みは?」
ようやく昨日、途中で寝てしまったことを思い出して、慌てて万里花が尋ねる。

「ああ、それならもう解決したぜ」
「ええっ!?」
「昨日、お前が寝てすぐ、犯人が隠れ家に戻ってきてな。右助さんに連絡を入れたから、警官隊が突入して身柄を確保したんだってよ」
「うう、5日も張り込んでいたのに、決定的瞬間を見逃してしまいました……」
「すまん、あんまり気持ちよさそうに寝てたもんだから起こすのも悪いかなと……」

「あっ!」
しょんぼりしていた万里花が突然大声を上げる。

「こ、今度は何だ?」
「事件が解決したということは、この張り込みもおしまいですか?」
「そりゃ、もう犯人は捕まっちまったからな」

うりゅりゅ、と万里花の目に涙が溢れる。

「うおっ! ど、どうしたんだ、橘!?」
「だって、張り込みが終わりになってしまったら、昨日約束したハンバーグが作れなくなってしまいます……」

なんだ、そんなことかと楽は深くため息をついた。
張り込み途中で寝て犯人逮捕の瞬間を逃したことよりも、楽と一緒にハンバーグを作れないことの方がショックらしい。

目いっぱいに涙を溜めた悲しげな表情で、俯き加減に楽を見つめる万里花。
いつだって一生懸命で、いっだって真っ直ぐに楽を想い続ける女の子。
すっかり夫婦気分でいたけれど、自分はその想いに何一つ応えていなことを楽は思い出した。

「……ハンバーグなら、俺んちで作ればいいだろ」
「えっ?」
思いがけない楽の言葉に、万里花が驚いて顔を上げる。

「張り込みは終わったけど、別にここでなきゃできないわけじゃねーしな。学校の帰りに材料買って帰ろうぜ」
「らっくん、大好きばい!」
「うおっ!」

楽の首に両腕を回して飛びつく万里花。
えへへー、と抱きついたまま幸せそうに笑う。
寝起きの楽はされるがままになっていた。


「あ、そうですわ」
すりすりしていた頬を離し、万里花が言う。

「楽様、朝ご飯にします? それとも昨日お風呂に入れなかった分、先にシャワーにします?」

楽は少しだけ考えると、ちょっとだけイタズラ心を出して答えることにした。


「万里花にする、のもいいかもな」


そう言うと、万里花を優しく抱きしめて、そのまま後ろ向きに布団に倒れこむ。

「ら、楽様……!?」
「まだ朝早いから、二度寝な」
いきなり頭と腰に腕を回され、挙句に楽の上にのしかかるような姿勢になってしまい、万里花は驚きの声も出せず、はわわわと赤面して震えるばかりだった。




抱き合いながら眠る二人。
そんな姿を、向かいのビルから本田忍は双眼鏡のレンズ越しに監視していた。
常と変わらぬクールな表情で。だけど、ほんの少しだけ口元に笑みを浮かべながら。

見張りと呼ぶにはあまりに騒々しい、手間のかかるお嬢様への張り込みは、もう少しだけ続きそうだった。

おしまい

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