万里花を愛でるニセコイSS「ゲキカラ」 (15)
「うふふ、楽様とのデートなんて久しぶりですわ」
「いや、デートなんてそんな大層なもんじゃねえけど……」
「楽様が行ってみたいお店があるんでしたわよね? 私、楽様のいらっしゃるところならどこへなりとお供させていただきますわ」
久しぶりに想い人と二人きりのお出かけ。お供と言う割にはグイグイと一条楽の腕を引っ張りながら、橘万里花は笑顔に大輪の花を咲かせていた。
「いや、この前学校の帰り道ですごく美味しそうな店を見つけてな。一回行ってみようと思ってたんだよ」
「そうなのですか。楽様が美味しそうとおっしゃるからには、きっとすごく美味しいお店に違いありませんわね。ささ、それじゃ参りましょうか」
どさくさ紛れに万里花は楽の腕にするりと絡みついた。胸が当たっているのか、楽の顔が赤くなる。
「ち、ちょっと待ってくれ、橘。店にはもう着いてるんだって」
「あら? でもそれらしきお店は見当たりませんけれど……」
キョロキョロと辺りを見回す万里花。
「何言ってんだよ、目の前にあるじゃねえか」
ほら、と楽が指差した先。
「こ、これは……」
築何十年かは経とうかというヒビ割れたコンクリートの建物に、長年の油汚れがべっとり付着したビニール製のひさし。くすんだ赤色のその表面には、今にも剥がれそうな文字で「辛々軒」と書かれていた。
「なんでもこの店は特製の麻婆豆腐が絶品らしくてな。店主のこだわりで、香辛料から厳選して作ってるらしいんだよ。これは是非とも味を盗んで、うちでもスパイスから再現してやろうと思ってるんだ。あれ、どうした、橘?」
「い、いえ、な、なんでもありませんわ……」
明らかに目が泳がせながら、震える声で万里花が答える。
「あ、もしかして麻婆豆腐苦手だったか? それなら別に他の店でも……」
「い、いいえ、そんなことはありません! 今日は楽様の行きたいお店に行くのですから! ささ、入りましょう入りましょう!」
「そ、そうか? そんならいいけど……」
万里花に背中を押されながら、楽は立て付けの悪いサッシ戸を開けて、店の暖簾をくぐった。
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「何もお前まで激辛にしなくてもよかったのに」
「せ、せっかくですから楽様とお揃いにしようかと……。あの、楽様は辛いものは大丈夫なのですか?」
「まあ、それなりにな。カレーはよくスパイスを調合してルーから作ったりもするぐらいだし。ここの店がどんな香辛料を使ってるのか楽しみだぜ」
楽しげに料理を語る楽の笑顔。普段なら胸を鷲掴みにされるところだが、今の万里花にとっては作り笑いを浮かべるのが精一杯だった。
「橘は辛いの平気なのか?」
「も、もも、もちろんですわ! 楽様がお好きなものを、私が嫌いなハズありませんもの!」
「いや、そんなことないと思うけど……」
「へい、お待ちー」
香辛料にはこだわりがある割に、接客には無関心といった様子で店員がお皿を運んできた。
ドンと、大きめのお皿が楽と万里花の目の前に一皿ずつ置かれる。
皿の上には燃えるような赤色に染まった麻婆豆腐が、周囲の空気すら辛くしてしまうのではなかろうかと心配になるぐらい、ホカホカと湯気を上げている。
「おおー、見た目のインパクトもすげえな。こいつは辛そうだ……って、どうかしたのか、橘?」
皿を目の前に、焦燥しきった様子の万里花に楽が声をかけた。
「い、いえ、別に……。そ、そんなことより、ほら、楽様どうぞ召し上がってくださいまし」
「ああ、それじゃお先にいただきます。はむっ……むぐ……おおっ、これは……むむ……」
もぐもぐと麻婆豆腐を食べる楽の姿を、万里花が心配げに見つめている。そんな心配をよそに、顔を少し赤くしながら楽は辛味のその奥に隠された香辛料の織りなす複雑な旨味を味わっていた。
「あー、辛い! けど美味い! 絶妙な香辛料の加減だなー、これは。真似するのはなかなか骨が折れそうだぜ。ほら、橘も食ってみろよ」
幸せそうな楽の笑顔がなければ万里花は思わず逃げ出してしまうところだった。
しかし愛する楽に促されては仕方ない。意を決したように、万里花もレンゲで豆腐をひとすくいして口に運ぶ。
一口。
ボンと頭から火が出た。
「お、おい、橘! 大丈夫か!?」
「だ、だだ、大丈夫ですわ……!」
目に涙を浮かべながらも、大好きな楽の前では気丈に振舞おうとする万里花。
二口。
顔が真っ赤に染まり、ダラダラと汗が吹き出て止まらない。
「す、すごい顔色になってるぞ、橘……」
「ら、らら、楽様と二人だから照れてしまって……!」
ガタガタを震える手足を必死に抑え付けながら。
三口。
もはや止めることはできず、ポロポロと涙が溢れる。
「た、橘、お前やっぱり……」
「……うっ……ぐすっ……」
鼻をすすりながらも、万里花はさらにレンゲを動かす。
せっかくの楽とのデートなのだ。彼が喜び、美味しいと思っている邪魔はできない。自分も一緒に、美味しく食べないと……。
四口目を口に運ぼうとしたその時、万里花の腕を楽が掴んで止めた。
「ら、らくしゃま……」
辛さで舌が麻痺しているのか、呂律が回っていなかった。
「ったく、様子がおかしいと思ったら、お前辛いものが苦手だったんだな。何でちゃんと言わねえんだよ」
「だ、だって、楽様がすごく楽しみになさってたものですから、お邪魔をしてはいけないと思って……」
「何だよそれ……。とにかく、ホラ、水……って何してんだ?」
楽が差し出したコップを受け取らず、真っ赤な顔押したまま両手を組み合わせて目を閉じている万里花。
「わ、私、水は口移しでないと飲めないのですが……」
「この状況でもそんなことを言えるお前を尊敬するよ……」
涙を拭きながら万里花はコップを傾け、ゴクゴクと水を飲んだ。
冷たい水がヒリヒリする口内にしみて心地いい。だけどまだまだ辛さは引きそうにない。
「お前はもうやめとけよ」
「そ、そんな! わ、私、まだ食べられますから……!」
頑張りますから、と意気込む万里花を見て、楽はため息を吐いた。
いつもそうだ。普段は誰よりも気持ちをオープンにしてアタックを仕掛けてくるくせに、楽のこととなると妙に気を使ったり、心配をかけまいと嘘をついたり冗談めかしたりする。
それが万里花なりの気遣いなのだろうけれど、楽はそれをそのまま受け取るタイプの人間ではなかった。
これ以上、自分のために無理をさせるわけにはいかない。
ひょいと万里花の皿を取り上げると、自分の目の前に置いて食べ始める。さすがに辛いものが得意な楽でも、額から汗が吹き出してくる。
「ら、楽様、そんな私の分まで……!」
「いいんだよ、俺が食べたいんだから。それよりあとでどこか別の店行こうぜ。橘はそっちで何か注文しろよ」
「楽様……」
やっぱり楽様はお優しい……。
子供の頃からそうだった。
素っ気ないようなフリをして、実はいつも誰かのために一生懸命。
不器用だけど、優しくて、カッコいい。
必死で激辛麻婆豆腐をかきこむ姿はちょっと滑稽かもしれないけど……。
「な、なんだよ?」
じっと自分を見つめる万里花の視線に気付いて楽が顔を上げる。
「ふふ、楽様が私のために汗をかいてくださっているかと思うと、なんだか嬉しくて」
「うっ……」
辛さのせいか頬を染めながら微笑む万里花を見て、楽も自分の顔が熱くなるのを感じた。
どんな香辛料よりも体温が上がりそうな万里花の笑顔。
見つめていられなくて、楽は皿を持ち上げて残りの麻婆豆腐をかきこんだ。
・
・
・
ガコン、と音を立てて缶ジュースが取り出し口に転がり落ちてきた。
「それにしても辛かったですわ……」
「無茶するからだろ。辛いのが苦手ならそう言ってくれりゃよかったのに」
「すみません、楽様……せっかくのデートだと思うと、なんだか水を差してしまうような気がして……」
しゅんとする万里花。
それだけ想われているのかと思うとまた顔が赤くなりそうだったので、楽は誤魔化すために缶ジュースのプルタブを開けた。
ゴクゴクと甘いジュースを流し込む。
さすがに激辛麻婆豆腐2人前は辛いもの得意と言えどかなり効いた。
甘いジュースで中和しないと呼吸するだけで口が痛い。
「私もなんだか唇がヒリヒリします……あ! 楽様、私にもそのジュースを一口いただけませんか?」
間接キッスになることなんて、お気になさらず! と万里花がまた楽の腕に絡みつく。
「やだ、あげない」
ひょいと缶を頭上に持ち上げる楽。
「ぶー。楽様のケチー」
ヒリヒリすると言っていた唇を尖らせながら、万里花が言う。
ちょっとだけ腫れているのか、いつもより少しだけ厚くて、ぷるんとして見える。
脳裏によぎった思いつきを実行してみる気になったのは、激辛麻婆豆腐の香辛料のせいだろうか。
「万里花」
「え?」
楽は少しだけジュースを口に含むと、そのまま万里花の唇に口付けた。
「ーーーー!!?」
痛くないように、優しく軽く。
それから、甘いジュースを、唇の隙間から流し込んだ。
ぷはぁと口を離すと、見る見るうちに万里花の顔が真っ赤に染まる。
ジュースには香辛料なんて入っていないのに、麻婆豆腐を食べていた時よりも赤い。
「ら、らら、らっくん……なんばしよっと!?」
「く、口移しじゃないと飲めないんだろ?」
「ーーーー!!」
意外と押しに弱い万里花の反応に、楽は満足げに笑う。
「うう、まさか、らっくんからそがんこと……」
あまりの出来事に、万里花は俯いたまま顔を上げることもできない。
「そ、それじゃ、次の店行こうか。橘は何が食べたいんだ?」
「こ、心の準備ができとらんけん、こ、こんな急に……」
「おーい、橘、聞いてんのかー?」
「はっ!」
楽に揺さぶられてようやく正気に戻る万里花。だけど楽の顔を見ると、また赤くなってしまう。
「な、なな、何でしょうか、楽様……?」
「いや、だから、橘は何が食べたいのかな、って」
「私が食べたいもの……?」
万里花はまた俯くと、今度は少しだけ悪戯っぽく笑った。
せっかくのデートだし、あんなに辛いものを食べた後なのだから、今日は楽にとびきり甘えておねだりするのもいいかもしれない。
「橘……?」
顔を上げて、万里花は大好きな楽の目を見つめて言った。
「それでは、さっきのジュース……おかわりしてもよろしいですか?」
今度は楽の顔が赤くなる番だった。
おしまい
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