地の文。安価有り。捏造、独自設定マシマシ。遅筆。
以上がOKで、お暇な方。もう暫くの間、お付き合いしていただければ。
前スレ
【艦これ】艦娘「ケッコンカッコカリオコトワリ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1425468153/)
前スレで出た艦娘
1.吹雪
2.磯風
3.赤城
4.球磨
5.秋月
6.春雨
7.鳥海
8.古鷹
9.五月雨
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1432133041
予想以上に足柄さんが書きづらくて戸惑っております。
もう少々お待ちくださいホントすいません。
利用者層は被らないと思っていたんですが、あれー?
渋にはロクなの置いてないですよ。
早くしますとか言ったの、誰。
推敲後、明日中には。
遅くなりました、まもなーく。
第一、何が誤算って、ここにくるまでオコトワリ勢もLOVE勢も、一回も出てないって事なんですよ。
ごめんなさい、始めまーす。
牙が、欲しかった。彼女らのような、牙が。
10.足柄
じゃじゃ馬、という言葉がある。
いやじゃいやじゃと言うことを聞かない『邪邪馬』。
そんな辺りが語源らしい。
転じてはね馬だとか暴れ馬なんかを意味し、そこから利かん気娘を指すようになったのだとか。
おてんば、という何となく意味が似ている気がする語も、一説には、江戸時代の宿駅で公用に使われた馬を御伝馬と言い、この御伝馬が他
の馬より充分に食料を与えられていたため元気に跳ね回った事から、活発な女の子をおてんば、というようになっただとか言う。
共通点は、一般的にどちらも女性をイメージする言葉であるということだが。
五月雨「あ、足柄さん! ちょっと、ちょっと待って下さい!」
提督「ん」
書類の山に一区切り。
小休憩も兼ねて執務室を出て、しばらく歩いた廊下の先で焦り声を耳にした。
足柄「だーいじょうぶよ。すぐに汗の処理もするし、兵装だって煤が付いてるだけだから」
五月雨「そ、そういう事じゃなくって! あ、もう、ちょっと!」
声の主は先ほど部屋を出た五月雨、そして足柄か。
曲がり角の先から聞こえてくる声に、ぱたぱたと忙しない足音も混じる。
音の軽さからそれは五月雨のものだろうが、それはそれとして聞き逃せない文節が聞こえた気がする。
提督「兵装に煤、って……」
状況は限られている。
艤装は言うまでもなく武装だ。
勿論、飾っているだけのものでは無いにせよ、置いておくだけで煤が付くわけがない。
砲撃か、被弾か。
どちらにせよ暴発と言う可能性を除けば、準戦闘行為以上の事が無ければ炭素屑が発生しようがない上に、その炭素屑を付着させているの
はよりにもよっての足柄である。
『餓えた狼』こと妙高型重巡3番艦の足柄である。
提督「足柄め……」
あり得る。
十分あり得る。
あのじゃじゃ馬、いや、じゃじゃ『狼』ならば十分すぎるほどにあり得る。
確かに業務は休み、思い思いに過ごせと流した。
言葉の欠如に関しては俺が悪い。
が、それでも、兵装まで持ち出そうとは、場合によっては対応も考えねばならない。
声の距離から考えて、そう遠くでもない。
そろそろ鉢合せるだろうと見積もり、角で待ち伏せる。
五月雨「ですから、足柄さ……わあっ、提督!?」
そしてその目算は正しく、ほどなく壁の影から五月雨の青い髪が覗き、続いて手を体の前に突っ張った五月雨自身が現れた。
その手の先に足柄がいるのだろう。
曲がり角の先にまさか俺がいるとは思わなかったのだろう、俺の顔を見つけた五月雨は大きく目を見開く。
こちらを向いたその頬には先ほど見た焦げ跡は見つからず、方法はわからないがきちんと加療は受けてくれたようで、一先ずはそれに安心
する。
さて、それじゃあ次はと、口を開いた。
提督「五月雨、ちょっと」
五月雨「ダ、ダメェッ! ダメですっ!」
提督「足柄も話を聞かせぇぶっ!?」
しかし、こちらを向いた五月雨は何を考えたか悲鳴を上げた。
そして何やら顔を赤くした彼女は、身体の前面に突っ張っていた両腕を俺の方に伸ばし、次の瞬間、俺の視界が真っ暗に閉ざされた。
咄嗟の事で何が何だかわからないが、口ももごもごと上手く動かない。
足柄「あら、提督。丁度良かった」
提督「ふぁ、ふぁひがら?」
五月雨「あら、じゃありませんよ、足柄さん!」
顔面全体を温く柔らかいものに圧迫されているようで、開いたままの口では上手く音を紡げない。
上半身も何やら前かがみにさせられ、更には頭全体が何かそれなりの太さの物にがっちりと固定されている。
五月雨「だから言ったのに! ちゃんとして下さいって言ったのに!」
足柄「別にいいじゃないの。何が減るわけでもないし、涼しいし」
五月雨「ですから、そういう問題じゃないんですって!」
先の言い争いの続きなのだろうか、足柄と五月雨の声は俺などそっちのけでやり取りを続ける。
五月雨は相当語調を強くして足柄の何かを批判しているようだが、足柄はそれを意にも介していない様子。
どうやら話し合いは平行線のまま、ずっとこの調子で廊下を進んできたようだ。
それにしても五月雨の声が聞こえるたび、やたらとその振動が俺に伝わるのは何なのか。
五月雨「とにかく足柄さんは――!」
提督「は、はみだえ。ひょっと」
五月雨「――ひぅっ!? ちょ、提督、喋らないで……っ!」
尚も抗議を続ける五月雨に、とりあえず呼びかける。
すると、眼前の暗闇が、もぞ、と蠢いた。
同時に、耳元で聞こえる五月雨の声も揺らぎ、顔面に感じる熱もほんのりとその温度を上げた。
……状況から考えるにこれは。
足柄「どーでもいーけど、五月雨ちゃん。提督、苦しそうよ?」
五月雨「し、仕方ないですっ! 足柄さんが私の言うこと、聞いてくれないんですからっ!」
足柄「私のせいなの……?」
五月雨「そーですっ!」
どうやら俺の推測は正しいらしく、確かに後頭部からがっちりと顔面を押さえつけられているこの状態では、あまり吐くも吸うも自由でない。
正直、鼻がつぶれ、口も思い通り動かないこの状況。
なかなかに息苦しいし、ついでに言えば体勢も辛い。
近くの五月雨に、なるべく腕が当たらないようにばたばたと身振りのみで抗議の意を示すが、どうやら彼女に俺の意図は通じていないらしく、更に頭部への締め付けがきつくなっただけだ。
五月雨「ですから、足柄さんは早く部屋に戻って下さい! 艤装のお手入れとかは、私がやっておきますから!」
足柄「大丈夫よ。装備の手入れは自分で出来るから」
五月雨「でーすーかーらーっ!」
肺に蓄えられた余剰酸素によるガス交換も、そろそろ限界だ。
確か五月雨は艤装を装着していなかったと思うが、にも関わらず俺の拘束は一向に解けない。
呼吸困難の焦りと苦痛から、頭に回された腕を掴んでも
五月雨「ダ、ダメです! ダメですからね、提督っ!」
そう言って五月雨は普段以上のポテンシャルでもって、俺の力に抵抗して一層締め付けを強くする。
五月雨がこうまで冷静さを失っている理由は、十中八九、一緒にいる足柄にあるのだろうが、正直こちらもそれどころではない。
何だか段々後頭部が痺れてきて、ついでに末端の感覚も鈍くなってきた。
五月雨「後で装備の手入れしたら、ちゃんと部屋に戻るから。だから先に、ね?」
足柄「それが、ダメなんですー!」
そしてここに至って、更に拘束力が強化される。
最早こうなっては仕方がない。
緊急避難だ、許せ、五月雨。
五月雨「んひゃぁっ!?」
背に腹は代えられないと腹を括り、布越しに思いっきり空気を吸い込む。
ギリギリまで絞られた肺胞全てを満たすには到底足りないが、とりあえずのエネルギーの確保は達成された。
そしてその副次的効果として
五月雨「提、督っ。お願……っ、息、吸わないで、下さ……っ」
死ねと言うのか。
冗談じゃない。
悪いが五月雨の抗議を無視し、もう少しだけ呼吸を進める。
すると、眼前の暗闇の濃度が薄まった。
が、それでも視界の九割を占めるのは黒。
黒い布地、恐らく五月雨のセーラー服の襟の部分辺りだろう。
その辺りに頭を埋めていた、そう信じたい。
五月雨「ダメっ、提と……っ!」
>>68
これ逆だよな
足柄がダメなんですーとか言ってて吹いたわ
提督「だぁぁああーっ!」
五月雨「あっ!?」
とりあえずのエネルギーの確保は達成され、そしてその副次的効果として五月雨の弱体化にも成功。
妙に艶っぽい声音を上げた五月雨の腕を、気合の一声と共に強引に振りほどき、すぐに後方に一跳び下がる。
再び拘束されでもしたら、次こそ無事の保証はない。
足柄「おぉー」
少し離れたところで足柄の感嘆の声が聞こえる。
そのもう少し手前で、顔を真っ赤に染め上げ、潤んだ半眼でこちらを睨む五月雨。
その目に溜まった涙は先程のようなブラフでは無くどうやら天然物のようで、両腕で肩を抱きふるふると震えている。
だがこちらとしても、その目付きには断固として物言いを付ける。
俺にも非があるかもしれないが、五月雨も悪い。
悪いったら、悪い。
>>70
あ、ホントだ。ごめんなさい。
五月雨「て、提督……っ」
提督「俺が悪かった」
声を震わす五月雨に、即座に白旗を挙げる。
いかんせん、彼女がその両の腕でもって守っている箇所が良くない。
確かに脱出方法は悪かった。
いや、最低と言ってもいいかもしれない。
が、あの場面で他にどうすれば良かったというのか。
そしてこれからどうすれば良いというのか。
五月雨「う、うぅ~」
奥歯を噛み締めながら呻き声を上げ、睨視を解く気配のない五月雨と向かい合い、考える。
これ以上、下手は打てない。
いきなりフロントヘッドロックじみた拘束方法を試みた五月雨も五月雨だが、その事で彼女を責めるべきではないことくらい、流石にわかる。
結果はどうあれ、五月雨に悪気はなかったに違いない。
なら、話を逸らしてやるのが無難か。
提督「そうだ、五月雨」
五月雨「……何ですか」
提督「えっと……そうだ。きちんと入渠してくれたんだな、安心したよ」
出来るだけ自然に、出来るだけゆっくり、出来るだけにこやかに。
以上の三点を心掛けて、五月雨に話題を振ってやる。
このまま世間話的な流れに持ち込めれば、重畳だ。
五月雨「あ、はい。あの後すぐに、入渠して」
俺の『安心』という単語に毒気を抜かれたのか、五月雨は、ふ、と肩の力を抜いた。
こういった時に毎回思うが、本当にいい娘だ。
相手の好意に素直に反応することが出来る。
いきなり事を収めるのは流石に出来なかろうが、この分ならそれも難しくなさそうか。
五月雨「入渠、して……」
が、五月雨は何やら、入渠、という単語を再度繰り返し、更に何を思ったか自分の胸元に視線を落とした。
そうして数秒、再び五月雨の肩が小刻みに震えだす。
五月雨「て、提督……なんで私が、入渠したってわかって――」
提督「あ」
下手を、打った。
良い匂いだった。
付け加えれば微妙に湿気を感じた。
だから明石に治してもらったんじゃないな、と直感的に結論付けてしまった。
更に言えば、とぼければよかったのに相槌まで打ってしまった。
取り返しは効くまい。
五月雨「て」
五月雨の口が大きく『え』の形に開かれ、それとは真逆に普段くりくりとした目が水気に潤む。
顔色は、白くなったり青くなったりを僅かな間で繰り返し、最終的には発光せんばかりに赤くなった。
頭上には錯覚でなく、湯気が見える。
最初期組である付き合いの長さか、彼女の頭の中で何が渦巻いているのか、何となくわかってしまう。
先程、執務室から辞す前に五月雨自身が言った言葉、そして今さっきまで俺にしていた行動の意味と結果、そしてたった今の俺と五月雨の
会話が、彼女の中でぐるぐると渦巻き、結果、オーバーヒートを起こしかけているのだろう。
五月雨「て」
もう、為す術はない。
今はとりあえず彼女を見送ろう。
そしてお互いの頭が冷めた頃、もう一度話し合おう。
多分それが一番いいし、多分それしか無い。
今はそうしてもらった方が、若干ではあるが好都合だし。
そう諦めた俺の目の前で、五月雨は目一杯に息を吸い込み、
五月雨「提督の、ばかぁああーーっっ!!」
あらん限りの声量でもってその言葉のみを吐き出して、それをそのまま推進力にしたかのような猛烈な速度で、彼女が来た方向へと再び駆けて行ってしまった。
その速度たるや、昨日の春雨のそれよりも早いかも知れない。
足柄「あーあ」
そしてその余韻が消えた頃、角から足柄がひょい、と顔だけを覗かせる。
呑気なもんだ。
足柄「馬鹿、ですって」
提督「……馬鹿、だってな」
思えば今の一幕、二割三割程度は、この足柄に責任の一端があるのではないかと思ったが、止めた。
俺がヘマったのは事実だし、考えたって虚しいだけだ。
提督「足柄、お前、その恰好……」
足柄「ああ、コレ?」
そして五月雨がああまでして見せまいとした足柄の格好は、まあ、確かに。
カーキ色のタンクトップと、同色のホットパンツ。
しかもヘソ出し。
首にこそ汗拭き用のタオルを引っ掻けてはいるが、五月雨の言った通り艤装はつけっぱなしで、その砲塔が煤けてはいるが、その露出度は妙高型の、腰にマウントするタイプの艤装と妙にマッチングしている。
マッチングしてはいるが。
提督「その恰好でウロウロするのは、どうよ」
足柄「だって暑くって」
なるほど、五月雨がああまで頑なになるわけだ。
息切れこそしていないが全身が汗でしっとりと湿っているのを見れば、出撃とまではいかないまでも演習場で延々と弾をぶっ放していたというところだろう。
それにしたってあの服装だって艤装の一部なんだから、火器を運用する際はきちんと着用しろと言いたいところではあるが。
足柄「……何よ」
提督「いや……」
まあ、男性である俺に対してはもちろん、女性に対してだって刺激が強かろう。
彼女に、その格好とその服装を選択させるに至った理由は、言うまでもなく彼女のズボラさだ。
それを考えれば、そこに女性的な魅力たる『色気』は皆無だと言っていい。
ただ、何と言おうか。
端的に一言で言い表してしまえば、生物的な魅力に溢れている。
体のラインに沿った、どころか、曲線直線、丸みや角度。
その全てが一目で把握できる出で立ちが、足柄の背格好が、その身体に秘めた強靭さを感じさせるのだ。
贅肉は無いが生命活動に必要な脂肪をきっちりと蓄えている体の丸みの向こうには、持てる身体能力の高さがわかる筋肉が、発達し、脈づいているのがわかる。
加えれば、そのフィジカルをいかんなく発揮できている証拠が、今の汗を湛えた姿であるなら足柄と言う一個体が生物としてのスペックをどれ程の高水準で備えているかが良く分かる。
加えてその容姿だ。
つまり、この個体と番になれば、あらゆる身体的な意味において『強い』一族を形成できる。
その確信を否応なく感じさせるのだ、足柄のこの姿は。
足柄「何、何なのよ」
じっと動かない俺に、足柄は重ねて疑問の声を寄越す。
提督「いや、何ていうか。――風邪はひくなよ」
足柄「わかってるわよ、そんな事は」
まあ、そんな理屈をともかくとしてしまえば、足柄の服装はばっさりと、はしたない、で斬ってしまえる。
五月雨が気にしていたのも要はそこだろう。
未だに止まらない汗を首のタオルで拭いつつ、足柄はそのまま歩きだし
提督「ちょっと待て」
足柄「ん、何?」
提督「何処に行くつもりだ」
その艤装を掴んで止める。
彼女が歩いて行こうとしていたのは、鎮守府の外へ続く方向だ。
五月雨には方便で、体を休めたり遊んだりする以外は禁止、とは言ったものの、別に鍛錬すること自体に問題があるわけではない。
が、足柄は既に汗だくの状態。
足柄、いや、妙高型の全員もまた件の時期以来、球磨ほどではないにしろ鍛錬が多くなった艦娘だ。
オーバーワーク、とまではいかないまでも、心配にはなる。
足柄「何処って……外だけど。ちょっと走りこみにでも」
そして概ね予想通りの回答だ。
重ねるが、鍛錬自体に問題はないが。
提督「ちょっとは休め。せっかくの休日だぞ」
足柄「休みの日だから、じゃない。普段通りだったら仕事もしなきゃならないんだから、その分、動いて、鍛えておかなきゃ」
じゃないと勝利なんて掴めないわよ、と足柄。
寝溜め、というのは良く聞くが、足柄の場合は動き溜めと言ったところか。
普段からして異常なほど勝利に拘泥する彼女らしいと言えばらしいが、それにしたってだ。
提督「そうは言っても、足柄な」
足柄「もう、提督ってば部屋に篭ってばっかりだから――そーだ」
説得に挑もうとする俺の腕を、にやりと笑った足柄が逆に掴む。
提督「ん?」
足柄「予定、変更ね。そーよ、部屋に篭ってばっかりだから、そんな考えになるのよ」
そしてそのまま足柄は方向を変え、俺が来た方向、つまりは執務室へと歩を向ける。
提督「あ、足柄?」
足柄「目一杯、体を動かせばそんな考えも吹っ飛ぶわよ。付き合いなさい。さあ、行くわよー」
提督「あ、足柄!? そうじゃなくて今はな、いや、それよりも俺、身体を動かすんだったらもう早朝に」
足柄「さ、着替えた着替えたー」
提督「足柄ー!?」
足柄「私は優しくないわよー」
艤装と同期した艦娘の膂力に敵うわけもない。
さんざ大声を上げる俺を余所に、足柄はずんずんと、上機嫌そうに廊下を進み続けた。
― ― ―
足柄「~~~~っ! あーっ、疲れたーっ!」
提督「……っ、ふぅーっ」
たっぷり走った。
寒くはないが、かといって暑くもない。
俺がすでに走った早朝から大分上がった気温は運動するには最適で、加えて燦々と降り注ぐ陽光は、俺が先に走った景色とはまた違ったモノを見せてくれる。
青く染まった海と、ずっと高くに見える蒼穹。
決して小さくない鎮守府本棟の周りを5周した後は数えるのをやめたが、海風の心地よさに引っ張られ1時間半程は走ったか。
アスファルト舗装された道路に外した艤装を置き、そのまま大の字に寝そべった足柄を横目に見つつ、ゆっくりと屈伸運動を始める。
目の前に広がる海からの照り返しが、少々眩しい。
提督「疲れが残るぞー」
足柄「少し休んだら、すぐに始めるってば」
体を起こさずひらひらと右手を挙げて応じる足柄に溜息を一つついて、伸脚に移る。
足柄「にしても、やっぱり提督、結構動けるのね」
提督「運動を欠かしたことは無いからな。それでも艦娘の運動量には及ばないが」
流石に朝っぱらに使ったジャージに再び袖を通す気にはなれず、洗い替えの一着に着替えて足柄と共に外に出た後、鎮守府の本棟を回り始めて以来、彼女に後れを取ることは無かった。
部屋に篭ってばかり、と言ってはいたものの、やっぱりという辺り足柄も俺がある程度動けることは知っていたようだ。
足柄「ふー。……さってと」
一際大きく息を吐き出し、身体のバネだけで跳ね起きた足柄は、俺の隣に並び、追随するように整理運動を始める。
足柄「にしても、走ったわねー」
提督「何で付き合ったかな、俺も」
足柄「まあ、いいじゃない。悪い気分じゃないでしょ」
提督「休みとは言っても、俺は仕事、有るんだがな」
足柄「まあまあ」
心理学で昇華、という言葉がある。
苛立ちや葛藤を、社会的、精神的価値をもつものに置き換えて満足させることだか言うが、確かに若干すっきりしたような気はする。
まあ、疲労のおかげで、脳のキャパシティを余計な考え事に振れないだけかもしれないが。
足柄「ま、それに」
横で前後屈をしつつ、足柄がにやりと笑う。
俺を執務室へと引っ張っていった笑いとはいささか質の異なる、語弊無く表せば女性らしからぬ下卑た笑みだ。
足柄「それだけ動けば、やましい気持ちも起こらないでしょ」
提督「……気付いてたか」
足柄「もっちろぉん、当ったり前じゃない」
後ろに反らした体をぐ、と中途半端に戻した足柄は、鼻息荒く胸を張り、その豊かな胸部に右手を添え高らかに言う。
足柄「当然よね、この精悍なボディ!」
提督「はあ、そうですね」
魅力を感じたのは、確かに。
精悍、という単語もごもっとも。
が、相変わらず色気は無いと思う。
強いて言うなら艶気か。
しっとりと汗で湿ったタンクトップも、その布の色が濃ければ透ける肌色も僅かだ。
眼福、というのは少し違う。
足柄「なーんで、丁寧語なのよ」
提督「特に意味はないですが」
足柄「ホラ、それー」
不服そうな足柄をおいて先に整理運動を終え、先ほどまで彼女が寝転んでいた場所の近くに腰を下ろす。
じんわりと体の動きを鈍らせる疲れが、設地した尻から地面に吸い込まれていくようだ。
提督「しっかし、頑張るよな」
足柄「え、何が」
提督「ん、足柄も、妙高型の皆も……球磨とかも。とにかく皆、さ」
足柄「ああ」
足柄は相槌を一つ。
整理運動を継続しながら、雲一つない青天井を仰ぎ見て、言う。
足柄「そんなの当然じゃない」
きっと足柄、いや、妙高型や球磨だけじゃない。
練度が限界に達した後も、演習に、出撃に。
艤装を背負って海上を駆ける艦娘は多くいる。
彼女ら全てが、恐らくそう言うだろう。
足柄「自分が強くなるこの瞬間が、私は一番好き」
強くなるためだ。
彼女らは、数字上はこれ以上強くなる事はない。
妖精達の技術による艤装の性能計測は、極めて正確にその練度を算出する。
それは足柄も例外でなく、彼女の性能は既に、妙高型3番艦の『足柄』としてはほぼ完成している事が確認できている。
提督「強く、か」
足柄「そう。強くよ」
何を見ているのか、足柄の横顔には曇りなどないように見える。
が、間違いなく彼女の練度は頭打ちなのだ。
これ以上はどう足掻いたとしても
足柄「甘く見ないでよ。私は、ううん、私達は艦娘なのよ?」
しかし、俺の考えを先回りしたように、こちらを伺い見ることすらせずに足柄が口を開く。
同時に
提督「うわっ!?」
足柄が芝の上に置いた艤装の銃座が、彼女が仰ぎ見ている天頂とは九十度角度を異にした水平線へと照準を合わせる。
同期は、切れているはずだ。
足柄「運用すれば摩耗していく鉄の体とは違って、今の私達は自分を高めることが出来るわ」
そして足柄はこちらに向かってその手を一振りし、
足柄「見てなさい。……撃ェエーっ!」
高らかに叫ぶ。
艤装に据え付けられた砲塔の一基から轟音と共に弾が射出される。
一瞬、その音に怯んだものの反射的にその軌跡を追うと、今、俺たちがいる場所からかなり離れた海面に一本の水柱が立つのが見えた。
と、同時。
足柄「撃ェエーっ!」
間髪入れず、再び叫んだ足柄の声と同時、先ほどとは違う方向からまた一弾が飛び出す。
それは遠く離れて着弾し、また一本水柱が立つ。
提督「……ん?」
そして三発目。
着弾と同時、違和感に気付く。
水柱は形こそ違えど、大きさがほぼ同じだ。
更に四発、五発。
それらは焼き直しのように同じ軌跡を辿り、少なくとも陸から見ている限り同か所に着弾しているように見える。
足柄「失敗して、改めて、磨いて。それで身に着ける技術、勘、経験。これは、計測じゃ計れない強さよね」
そして全ての砲塔から硝煙が立ち上る。
多分、そこまで大きな誤差は無いわ、と足柄。
風はそこまで強くない。
射撃条件としてはそこまで難しいものではなく、実演としても地味ではあるが。
複数門の砲台からの射撃を全て、ほぼ同箇所に着弾させるのは並みの難度ではなかろう。
加えて
提督「……技術で、今、艤装を離れた位置から動かしたのか?」
足柄「艦載機だって、言っちゃえば空母の艤装だし。それと同じようなモンよ」
軽く言うが、足柄は遠隔操作の艤装で今のをやってのけた。
磨いた技術。
それの披露としては申し分ない。
足柄「見た? 強く、なれるのよ。まだまだ、間違いなくね」
大したものだ、素直に驚いた。
確かに強くなれるのだろう。
練度が限界に達した後でも、艦娘の可能性は潰えない。
だが。
提督「そこまで強さを求めるなら、足柄」
だからこそ、解せない。
納得がいかない。
提督「だから、それ以上強くなりたいなら」
足柄「だから、あれは要らないのよ」
さらに上回りたいと思うのなら、その為の方法は、少なくとも現時点では一つしかない。
足柄「これだけ見せたのに、まだ言うのね」
空を仰ぎながら、足柄の答えは、艦娘の答えは変わらない。
変わらない拒否。
強くなる手段を自ら遠ざける言葉を、何度聞かされてきただろう。
提督「あれの機能は、保障されている。練度の限界を突破できるのは間違いない。なのに、か」
足柄「そんなの知ってるわ。だから、よ。嫌なの」
言って足柄は、視線を天から地に、空から俺に移す。
睨む足柄の瞳孔は、自身の字名の通り鋭く細まっているようにも見えた。
足柄「前にも言った通りよ、提督。もう一度言いましょうか」
餓狼の眼が、俺を捉える。
その様すら以前と同じだ。
足柄「貴方からあれを受け取った私が、それで強くなれるとは思えない」
妙高型の皆が、同じような事を言った。
それで強くはなれないだろうと。
そう言って、彼女らは今もって戦場に向かい続けている。
提督「強くはなれるだろう。何故」
足柄「何故、なんて今更よ。私や妙高姉さん達だけじゃない。鎮守府の皆があれに頼らないで強くなってる」
足柄はそう言って俺の横、置かれた自分の艤装の真ん中に収まるように腰を下ろし、そのまま膝を抱える。
そして目を細め、彼女の砲弾が着弾した辺りを見たかと思うと、すぐに膝頭に額を当てて顔を隠してしまった。
足柄「それでも、提督はまだ、あれにこだわるのね」
提督「足柄……?」
今の視線、そして声には先の鋭さは無い。
感じるのは何か諦めのような、虚ろな感情。
彼女がそうなった場面なんて見たことは無いが、きっと追い詰められた人間はこんな声を出すのだろう。
提督「足柄。お前……何を知ってる?」
足柄「皆、知ってるわ。でも、提督もそれは分かってるんでしょう?」
そうだ。
恐らく、艦娘全員がほぼ同じ情報を共有していることを俺は知っている。
今までも何度もそれをほのめかされ、時に直接言われてきた。
だが、俺が今聞いたのは。
足柄「そろそろ気付いていいはずよ、提督。でも、私にはそれを言う勇気はないし」
俺の考えをまとめさせまいとしたのか、間を置かずに足柄は言う。
これ以上ここにいてほしくない。
ここで気付いてほしくもない。
丸めた背中から伝わる意思が、しかし俺には信じられない。
あの足柄が何にそんなに臆病になるのか。
足柄「それに、これは提督自身が気付かなきゃいけないし、気付いてほしい事。そうでなければきっと意味がないわ」
だから、もう行って。
そして足柄はそれを最後に、顔を上げないまま口を閉ざしてしまう。
提督「……風邪、引かないようにちゃんとしろよ」
足柄が無言のまま頷くのを見て、羽織っていた俺の上着を彼女の艤装にかけ、本棟に足を向ける。
俺は足柄を傷つけたのだろう。
彼女が自分の強さを俺に見せ、俺に指輪を諦めさせようとしたのは何となくわかる。
だから、傷つけたことに関して謝るのは筋違いだ。
俺は、なぜ彼女が傷ついたかがわかっておらず、原因もわからないままの上っ面の謝罪は、何より足柄に失礼だ。
あと少し。
そろそろ気づいてもいい。
多分、もう答えは目の前なんだろうが。
提督「……勇気、か」
足柄の一言が気にかかる。
問題の根は深そうだ。
自分が傷つかずにそれを知れるとは思っていない。
が、足柄が、ひょっとしたら今まで俺が『オコトワリ』されてきた全ての艦娘達がそこまで怖がる何か。
それを知って俺はどうするのか。
どうできるのか。
それだけが未だに見えない。
所でこっち使ってるってことは前スレは埋めちゃっていいのかな?
五月雨hshs。
いっぱい艦娘が書けて楽しいんですが、足りない語彙のレパートリーが更に尽きてきました。自業自得ですが、何でコンマ式にしたのか。
とりあえずあとちょっとなんで、一応このままで行きます。
あ、あと>>68はすみません。マヂ恥ずかしい。
↓+2 次の艦娘
>>107
あ、ありがとうございます。
ですがお手数かけてもなんですので、自分で埋めてきます。
千代田、了解しましたー。
前スレ>>1000うまいことやられました。
頑張ります。
あ、紛らわしくてすみません。別に展開は変えません。
うまいこと言われたな、ってだけで。
吹雪「イヤだから、ですよ。それ以外に理由が要りますか?」
磯風「吹雪がどういった考えで指令のそれを断ったのか、それ自体は彼女の考えだから詳細には分からない」
磯風「これに関して私と同じ考えなのかもしれないし、違うかもしれない。だが、私と吹雪とで同じものもある」
鳥海「私からは、何も言えません。前もそうでしたが私の理由はもちろん、春雨さんの理由も。彼女も、それを望んでいると思います」
古鷹「だから、私達は貴方のその指輪を受け取りたくなくって……そして、私の口からその理由を言えません」
老提督「後は、彼女らと話す事だ。それこそ、私との対話で全て気付くなど、彼女らの望むところではあるまいよ」
足柄「そろそろ気付いていいはずよ、提督。でも、私にはそれを言う勇気はないし」
安価選ばせてフラせ続けてこれだしなあ、辟易する人だって出ておかしくないでしょ進展はよ
「嫌なら読むな!」「完結まで覗かなきゃいいだろ!」
~~~~~半年後~~~~~
「嫌なら読むな!」「完結まで覗かなきゃいいだろ!」
>>1のダイヤモンドメンタルなめんなよ
>>227
叩くと砕ける、って事ですね。頑張ります。
遅くなりました。ぼーちぼーち、今日中にはー。
ドライブ無かった。おのれディケイド。
始めまーす。
共に戦うことが出来たなら。
共に傷つくことが出来たなら。
そして、もしその時が来るとして――
11.千代田
吹雪「司令官」
軽く汗を流し、着替えて戻った執務室。
メンタル面は一先ず置くとして、体全体に染みた疲労のせいで少し微睡みたくもなるが、どうせなら後腐れなく寝てしまいたい。
その一心で瞼に乗った眠気を何とか跳ね除けながら、残り少なくなった書類に向かっていると、コンコンと丁寧なノック音が聞こえた。
吹雪「いらっしゃいますか、司令官」
提督「……ん、開いてるぞ」
しばし間を開けて、再び。
一瞬返答に詰まったのは、扉の向こうから聞えた声のせいだ。
声自体に驚いたというわけではない。
もちろん、その声の主のせいだ。
提督「……入ってくれ、吹雪」
固唾。
文字通り、非常に飲み込みづらい一滴が、喉を転がり落ちていく。
たかが一日半顔を合わさなかっただけなのに、普段どんな顔を彼女の前に晒していたか、そんなことまでが考えに昇る始末。
思春期の男子学生か。
吹雪「はい、失礼します」
が、当の吹雪はそんな俺の逡巡など全く素知らぬ顔で、あっさり扉を開き執務室にすたすたと入り込んでくる。
胸には厚くはないものの幾枚かの書類を抱えている。
吹雪「遅くなってすみません、こないだの出撃の書類をですね……どうしたんですか?」
提督「いや、何でもないです」
何だ、気にしてたのは俺だけか。
いや、今までも何人にも『フラれ』ているからこんな経験は無いでもなかったが。
いやいや、恐らく、吹雪と会うことがあったとしても彼女の態度は変わらないのだろうという予感もあったしそれが実際正しかったわけなんだから凹む必要なんかないんだが。
提督「……なんか、面倒くさいなぁ」
吹雪「え、ごめんなさい。書類、後にしたほうがいいですか?」
提督「ああ、いや、そうでなく」
こちらの言葉を曲解した吹雪は、さっと書類を後ろに隠す。
曲解させるような独り言を言ったのは俺だが。
やっぱり、初期艦は特別、でしたか。
頭の中の古鷹がクスクスと笑う。
ちょっとうるさいですよ、お姉さん。
吹雪「あの、司令官?」
提督「おっと、悪い、吹雪。……そうだな、なるべくなら昨日のうちに上げておいて欲しかったんだが」
吹雪「うっ……。ご、ごめんなさい」
提督「や、っても別に急ぐモンでもないし、持ってきてくれたんだから全然構わないんだが」
そう言って吹雪から書類を受け取る。
見るまでもなく、彼女の練度が限界に達した際の出撃に関する書類だ。
そう言えば、昨日古鷹が持ってきてくれた書類の中で、これだけが抜けていた。
流石の古鷹も全ての回収はできなかったか、たまたま吹雪が完成を遅らせてしまっただけなのだろうが。
提督「……うん、了解した。後はこっちで処理しておくよ」
吹雪「お願いします」
提督「ああ」
受け取ったものをパラパラと捲り、大まかに目を通す。
大きな不備が無い事を軽く確認し、処理予定の書類の小山の中に放り込む。
後は特別間違った部分が無ければ、軽く手を加えて本営への逓送便に突っ込むだけだ。
提督「お疲れ様、休みなのにありがとうな。後は好きに……どうした?」
吹雪「え」
提督「いや、だからどうしたって……吹雪?」
吹雪「え、えっと……ん、と」
抱えた書類は受け取った。
そうすると、彼女はもうここには用は無いはずだ。
が、それでもあまりこの部屋から、正確には執務机の前から動く気配のない吹雪に呼びかける。
しかし当の吹雪は歯切れ悪く、えっとだの、うーんとだのと躊躇いの感嘆詞を吐き出してきょろきょろと執務室内を見回すだけで、具体的な言葉を喋らない。
吹雪の真面目な性質だ。
自分の中の意志とか欲求とか、それらを具体的に組み立てられないまま表に出すのを良しとしないために、彼女がこうやって言葉を詰まらせるのは度々ある。
普段だったら待ってやるところだが
提督「吹雪。今日は休みだから、何かあっても後日でいいぞ」
吹雪「え。あ、あのですね、えーっと」
提督「……なんだ、一体」
吹雪「あ、っと。そのー……そうだ、お茶! お茶淹れますよ、司令官、いりますでしょっ!?」
提督「うあ? あー、まあ、欲しいっちゃ欲しいけど」
吹雪「じゃ、吹雪淹れますね、ちょっとお待ちを!」
提督「けど、そんなの自分で、って、あー……」
普段だったら待ってやるところだが、今日は折角の休みなんだからちゃんと、と言おうとしたところで、吹雪はすたすたと給湯スペースに向かってしまう。
何なんだ、一体。
吹雪「あれ、濡れてる……。司令官、ご自分でお茶を?」
提督「ああ、五月雨が来てだな、その時に」
吹雪「五月雨ちゃんが……へぇ」
かちゃかちゃと準備に手を動かす吹雪を、流石に途中で追い出すのも非道いかな、と置いておく。
まあ、言葉を纏めるまでの時間稼ぎなんだろうが、何か言いたいのならそれこそ別に後日でも構わないような気もするが。
提督「折角の休みなんだから、きちんと休めばいいのに」
それこそ、書類だって別に明日でも構わなかったのだ。
確かに、昨日出してもらうのが、もっと言えば出撃直後に提出してもらうのがベストだったのだが、逆に今日でも大丈夫なんだから明日だって大丈夫なのは吹雪にだって解っていたはずだ。
遅れた書類は提出しにくい。
その気持ちは管理職である俺には痛いほど良く分かるが、それだけだろうか。
吹雪「別に、好きに過ごせ、って言われた通りにしてるだけですよー」
提督「そうですかい」
五月雨も似たような事を言っていたっけ。
どうにもこの鎮守府には勤勉な奴が多くて困る。
ワーカーホリックとかいうのか、こういうのも。
まあ、それさえも時間を置くための何かなのかもしれないが。
提督「まあ、いいか。それ淹れたら、もういいからな。ちゃんと休めよ」
吹雪「え、えっとですね、それは……」
提督「何だ、まだ何かあるのか」
吹雪「えーーーーっとぉ……」
提督「全く……ん?」
あからさまに、そして全力で俺と視線を合わせないように、というよりそもそも俺に背を向けて給湯しているため目を合わせようもないのだが、それでもなお少しでも意図を読み取られまいとしているのか、吹雪の首の筋肉にぐ、と力が入る。
時間稼ぎの意図を悟られている、と吹雪側もわかっているのだろうが、かといって今話されても、その会話を纏めるのに苦労するのが目に見えている。
さて、どうしたもんか。と思案に入ろうとしたと同時、かちゃり、と、金属同士が控えめに擦れる音が微かに聞こえてきた。
千代田「おっ邪魔っしまーすよー……っと」
提督「……千代田?」
千代田「え?」
音源は先程も吹雪に開けられた執務室の扉が開けられた事に因るもののようで、出来た隙間を少しずつ広げるように扉はゆっくりと開けられていく。
何事かと見ていると、その隙間が腕一本分ほどになった頃、室内の様子を窺うように顔だけを覗かせたのは千歳型航空母艦2番艦の千代田だ。
千代田「ぅげ、提督っ!?」
提督「ぅげ、ってお前さんね」
中腰なのだろうか、彼女の身長よりも幾分か低い位置に出されたその顔は、執務室内に俺の顔を見つけるや、開口一番、割と汚い声を上げて驚く。
執務室の扉は割と厚い。
さっき程度の声量で俺と吹雪の会話は外に漏れることは無かっただろうし、どうやら千代田はこの部屋の中に誰もいないだろうと訪れたようだが。
千代田「な、何でいんのよ、提督が」
提督「いや、ここは誰の部屋だよ」
千代田「だ、だって、さっきこの周り走ってたじゃない、足柄さんと一緒に」
提督「ああ、アレか。帰って来たんだよ、さっき」
千代田「何でよ、もっと走ってなさいよ……」
提督「あのなぁ」
なるほど、そういう根拠か。
それにしたって、何て言い草をしてくれやがるのか。
更には、この言い方だと千代田はここに忍び込もうとしていたらしい。
どうして千代田がそんな事を。
提督「……何だ、流石にそろそろ練度を上げる気になったのか」
千代田「んなっ、ち、違わいっ! 何だって、私が今更そんな事しなきゃいけないのよっ!」
提督「何だ、違うのか。そろそろだと思ったんだが」
千代田「ヤだってば! 別にいいでしょ、空母は他にもいるんだし、今のままだって運営に不足は無いし、何より別に練度が低いってわけでもないんだからっ!」
提督「まあ、極論すればそうだが」
千代田「じゃあ良いじゃない、私の練度が今のままだって」
提督「ふむ……」
てっきりそうだと思ったんだが、外れたようだ。
千代田の練度数値は98%だ。もう大分前から。
そもそもケッコンカッコカリが発令され、そしてこの鎮守府が例の時期を迎えて以降、彼女の練度の伸びは異常に悪くなった。
吹雪の練度の違和感に最近まで気付かなかったのも、千代田の他にも何人か似たような事をしている艦娘がいたからだ。
聞くまでもなく、彼女らが何を避けているのかは分かる。
こちらとしても彼女らの練度が限界に達しないと、大っぴらに、というのは少々違うが、ともかくケッコンカッコカリの話題を振るには抵抗があるし、そもそも振ったとして意味がない。
要は話を振られる前の予防策、そんなところだろう。
前提が無いのだから無論、効果は覿面だ。
が、その場合、どうしたって出撃数は落ちる。
練度を上げまいとしている娘達は各々のやり方で、例えば予備艤装を使ったりだとか、巧みにMVPを他の娘に譲ったりだとか、色々な手段でもって自身の練度をコントロールしているようだが、それでも『練度を上げない』との一点に目的を定めるなら、出撃どころか艤装を使わないのが一番手っ取り早い。
それでも我が鎮守府の出撃、戦果が共に高水準を保っていられる事について、全く、陰でどんな動きがあるのだろうかと考えるだけで、この鎮守府の艦娘コミュニティの深淵さには頭が下がる。
ともかく、だからだろうか。
千代田は最近、俺の顔を見るなり逃げるようになった。
顔を見るなり、だけではなく、何かにつけて俺を避けている。
いっそあからさまなほどに、場所、時間を問わず、極力、俺と行動を共にしないように試みている。
だからさっきも、何の用事までかは知らないが、俺がいない間に執務室に入ろうとしたのだろう。
全く、徹底している。
まあ、それでもともかく、だ。
提督「ま、とにかく部屋に入ったらどうだ。そんな体勢じゃキツいだろ」
千代田「べ、つに、こんな所に用事なんか……」
提督「お邪魔します、ってただろうが、お前」
千代田「……そーだけどさー」
中腰のまま部屋の中に頭部だけを突っ込んで言い合いを続けるのも不毛と判断したのか、入室した千代田は、後ろ手にぱたんと扉を閉める。
ただ、口を面白くなさそうに尖らせ、加えて入口から動こうともしない。
斜め下方に視線を投げ、不貞腐れたように後ろ手を組んだままだ。
吹雪「えっと……千代田さんも、飲みますか、お茶?」
千代田「え」
場の空気に困ったのか、ひっそりと給湯スペースに収まっていた吹雪が、千代田に声をかける。
が、呼ばれた千代田は、吹雪の方に首を向けるや、目をしきりに瞬かせた。
呆気にとられているのだろうか、気色ばんだ表情も抜け、ポカンと口まで開けたまま、呆然と吹雪の顔を見る。
千代田「……え、何で吹雪がいるの?」
吹雪「いましたよ。すみませんね、影が薄くって」
千代田「違うわよ、そんなこと言ってなくて! だって、吹雪――」
幽霊を、とまではいかないが、いないはずの人を見つけた。
正に、そんな表情。
千代田がこの部屋を訪れた段階では彼女の中で、俺はもちろんのこと、吹雪に至ってはここにいることがあり得ない存在だったようだ。
俺がいないと思ったのは、まだわかる。
しかし吹雪は、今でこそ筆頭秘書艦ではなくなったにせよ、最古参の艦娘だ。
別に執務室にいること自体はおかしくない。
一斉で休みだと流したことを千代田が念頭に置いていたとしても、あそこまで驚くだろうか。
考えている間に、千代田は吹雪に駆け寄り、その肩を掴んだ。
そしてそのまま吹雪を自分の方に引き寄せて
千代田「だって、貴女、昨日あんなに――っ」
それだけ言った後に、弾かれたように俺の顔を見た。
その眼つきは鋭く、半ば睨むようなそれ。
しかし、その強い眼差しの上の眉は、自分の行動を悔いるような角度だ。
提督「な、何だ?」
突然、そんな複雑極まりない視線を送られれば、当然驚く。
同時に困る。
正直、何を言うかを躊躇い、間抜けにも聞き返すしかない俺を一瞥した千代田は、はあ、と深い溜息を一度だけ吐いて、吹雪の肩を離した。
千代田「吹雪……」
吹雪「司令官に、この前の出撃の書類を持ってきて。それでそのついでにお茶を淹れてあげます、ってそれだけですよ」
千代田「そう……」
吹雪「ええ」
千代田と吹雪はたったそれだけのやり取りをした。
提督「……ぉう?」
そして、たったそれだけの相槌を打ち、千代田は応接ソファにドカリと、腕を組んだまま少々乱暴に腰を下ろす。
位置は、執務机と正対する、つまりは俺の真正面だ。
何やら二人の間に、俺がわからないやり取りがあったことだけは分かるのだが、栗色の髪の下の俺を睨め付ける双眸が、それに関する質問を許してくれそうにない。
提督「え、千、千代田?」
千代田「何?」
にべもない。
千代田は半眼で俺をじっと見つめたまま、一部分のせいで多少組みにくそうなその両腕を、しかし僅か程も緩めようとせず、足まで組んだふんぞり返った体勢でソファに陣取った。
提督「何かの用で来たんじゃ……?」
千代田「後にする。暫くいるわ」
提督「えぇー……」
『何か』をしには来たんだろう。
しかし今千代田はそれを放りだして別の事を、というより吹雪の様子を見る事をより優先するようにしたようだ。
何の為に、かまではわからないが。
千代田「で、吹雪。私ももらっていい? ってか別に、提督にお茶なんか」
吹雪「そんなわけにはいかないですよ。ちょっと待ってくださいねー……」
提督「いやいや、部屋に帰って休みなさいよ君ら……」
どっちにせよ、様子を見るならここでなくても良かろうに。
吹雪だって、しつこいようだが、今日ここに来る理由は無いんだし。
期せずの、どころか、正直に言ってしまえば要らん来客が、しかも二人も部屋に居座られてしまえば、ぶっちゃけ面白くはない。
というよりも純粋に邪魔だ。
吹雪は、まあ、茶なんかの世話を焼いてくれるようだが、千代田は何をしているのか。
吹雪にしたって、本当は休んでもらいたいのに。
提督「今日は休みです、って一斉しただろう。ここにいることが無駄とまでは言わんが……」
吹雪「なら、何か」
千代田「問題が?」
提督「言わんが……ねー」
徹底的に話を聞かないつもりなのか。
吹雪にしても何やら用事があるようだし、千代田は吹雪を見ているつもりのようだし。
きちんと休んでほしいんだが。
普段が普段、過酷な環境にあるだけに。
提督「まあ、いいか。……で、吹雪、いったい何の用なんだ?」
吹雪「え?」
こうなったら仕方がない、俺の仕事は後回しだ。
どうせもう量もそんなに無い。
出来れば先回りできる仕事もやっておきたかったのだが、彼女らの休養の方が優先だ。
言われた吹雪は、淹れた茶と茶請け皿を執務机に置き、同じものを千代田の前に並べ、疑問符を浮かべている。
ちなみに茶請けは、片手で、最悪咥えたままでも咀嚼できる小さめのどら焼きが幾つか。
生地自体に粘度があるから、ドジがあっても書類には落ちにくく汚れにくいだろうとの配慮も含めての選択か。
提督「何か、用があったんだろう? 言葉を纏めるのを急ぐ必要はないが、それの協力は出来る」
吹雪「司令官……」
提督「ちゃんと話してくれ、聞くから。……どうせ言わないと、行くつもりはないんだろう?」
吹雪「そ、うですけど、そんな」
昨日の今日だ。
吹雪は賢い。
それが彼女自身にとって想定外の感情だったとしても、昨日、退室前に俺に感情をぶつけてしまったことを気付いていないはずがない。
言葉を詰まらせているのは、それが原因だろう。
わだかまりというハードルさえなければ、よりスムーズに考えを纏められるはずだ。
椅子から立ち、執務机の前に回る。
盆を持ったままの吹雪の手に、少し力が篭るのは見逃さないが、吹雪も吹雪で割と頑固だ。
それなりに強引に物を進めなければ、無駄な停滞をしかねない。
せっかくだから、どら焼きを一つ口に放り込んで、茶も一啜り。
たし、と机に置き直し、吹雪に寄る。
千代田「……」
吹雪を見ている、と決めたらしい千代田の動向が気になったが、腕組み姿勢のまま、ついでに言えばそちらに俺の目が向いたことで少々目を丸くはしたものの、睨み目のまま静観の構えだ。
千代田的には、俺が吹雪に話を聞くだとかはまだセーフらしい。
提督「で、何を言いに来たんだ?」
吹雪「え、んっと。その……」
また、言葉を詰まらせる。
急かしても意味がないのは分かりきっている。
ので、待つ。
合いの手を入れて吹雪の回路を促進しようかとも考えたが、それにはまだ材料が足りない。
吹雪が何の話をしに、この部屋を訪れたのか――
提督「いや――」
待て。
部屋を訪れた時の吹雪の様子はどうだった。
普段と、変わっていないんじゃなかったか。
俺もそう思ったはずだった。
目の前で盆を抱える吹雪の様子は、明らかに常とは異なる。
わだかまりというハードルさえなければ。
そんな事が頭を過ぎった時点で気づくべきだった。
そして、そのわだかまりは何が原因となっている物だ。
吹雪は確実に、昨日の件を気にしている。
なら、聞こうとしていることは?
提督「吹雪、お前」
吹雪「へ?」
艦娘に、出来るだけの事を。
俺は、そうしたいだけだ。
そうしてほしいだけだ。
何の気兼ねをすることも無く、何を気にする必要もなく。
前大戦で大半は沈み、今なお争いの場に引き出されている彼女らが、せめて彼女らの手の届く範囲で自由を享受できるように。
提督「……指輪の事か」
吹雪「……ぅ」
吹雪の、喉が鳴る。
わかりきったことだが、図星か。
吹雪に限らず、鎮守府全ての艦娘達がこれに不満を持っている。
その不満の端緒を知りたいのはもちろん、しかし、彼女らはそれを口にしてくれない。
口にしないにも関わらず、それでもなお、ここまで彼女らが遠回しにしてくるのは何なのか。
諦めさせようとするなら、今後一切、これを拒否するないしの声明を、俺に出せばいい。
モヤモヤ、する。
その表現が一番近しい。
交渉、などと言う高度なレベルではなく、話し合い、という言葉を使うのも憚られる。
簡単な事が今の現状には抜けている。
「これがこうだから、こうして下さい」或いは「こうして欲しいです」。
話し合いのイロハの『イ』だ。
その「これがこう」の部分を、彼女らはごっそり省いて話さないのだ。
だから、モヤモヤする。
ぎりぎりの位置で、その一線で踏みとどまり、何かを窺っている様なそんな現状。
何、と聞いても、どうした、と尋ねても、何も言わず、煙に巻き、現状は何も好転しない。
しかし、彼女らはそれを是としている。
いや、もしかしたらそうせざるを得ない理由があるのかもしれない。
彼女らが怖がる、何か。
せめて、それさえ探り出せれば。
提督「言いたい事は、言ってくれ。……アレを諦めろ、というのは無理だが、そういう話でもいい。不満を溜め込むのは、良くない事だ」
艦娘に、出来るだけの事を。
俺は、そうしたいだけだ。
そうしてほしいだけだ。
その為には、なんだって。
俺の事なんて二の次だ――
提督「……話を、しよう。俺の仕事とか何とかを気にしてるなら、そんなの後にしよう。俺の事なんて、どうでもいいから――」
千代田「いい加減にしなさいよ」
もう少し。
吹雪に手が届くギリギリの場所で、その声が俺の行動を遮った。
声の圧が、音の振動が、そのまま壁にでもなったように俺と吹雪の間に屹立した。
声の出所など、確かめるまでも無い。
千代田「この茶番、いつまで続くの?」
千代田がソファから立ち上がり、先の眼光を更に鋭く、俺を睨みつけている。
提督「千代、田?」
吹雪「千代田さん……っ!」
ゆらり、と。
ゆっくりと上半身を逸らせた千代田は、その逸らした上半身を助走にして、俺に向かって大きく一歩踏み出した。
待て。
何が。
千代田「ねえ、これ、いつまで続くのよ。何度、私達はそれを聞けばいいの?」
提督「何?」
手を伸ばせば触れれる距離に、千代田が立つ。
俺より頭一つ低いに関わらず、顎を少し上げてこちらを見るその視線は、俺を見下す意図が明確に含まれていた。
何度聞けばいい。
そんなのこっちのセリフだ、とは思うが、今はそれじゃない。
何が千代田の気に障った。
さっきまでは大人しくこちらの様子を見ていただけだったのに。
千代田が明確に口にしたわけではないが、彼女の意図は、吹雪の様子を見る事だったはず。
なら何故、吹雪の事情を聴こうとしたことに対して、こんなにも。
吹雪「千代田さん、待って。ダメ……っ!」
千代田「吹雪、ごめんね。我慢するつもりだったけど、もう無理」
吹雪が千代田と俺の間に立つが、悲しいかな、身長差からあっさり千代田に横に除けられる。
吹雪を後ろに背負う形になり、千代田はなおも俺に詰め寄る。
千代田「答えなさいよ、提督。これはいつまで続くのよ……!」
これは、いつまで。そんなものわかるわけがない。
奥歯を軋らせ詰め寄る千代田に、しかし彼女の沸点の見当をつけることも出来ないため臆することすらできず、ただその場に棒立ちになる。
いつまで。
そんなもの、わかるわけがないじゃないか。
だって――
提督「そんなの――」
千代田「答えなさい、提督……っ! 提督は――」
提督「――そんなの、俺に聞くな! お前達が答えてくれないんじゃないかっ!!」
腹が、立つ。
もしかしたら、彼女らにこの感情を向けるのは、初めてかも知れない。
煙に巻いて、言い逃れて、それでも「わかってくれ」だなんて。
勝手だ。
勝手も、いいところだ。
吹雪「司、令官?」
俺の怒鳴り声に驚いたのか、吹雪は目を丸くした。
持ったままでいた盆を更に強く抱きしめ、ほんの少しだけ後ずさったようにも見える。
が、千代田は
千代田「私達が?」
俺を見下すような視線を変えず腕を組んだまま、鼻で軽く笑った。
光の加減か、その顔は少し青くなっているようにも見える。
千代田「違うでしょ、提督。そんなの答えたところで、きっとこの問題は収まらないわよ」
吹雪「――っ、千代田さん、止め」
千代田の言葉に、吹雪は、ハッと何かに気付いたように千代田の腕にしがみつく。
千代田「この問題が終わらないのはね、提督が、いつまでもあの艤装にこだわっているからよ」
吹雪の方を一瞥もせず、千代田は、ぎり、と自分の二の腕に爪を食い込ませながら言葉を継ぐ。
確かに、千代田の言う通りかもしれない。
だが、俺にはあの指輪にこだわる理由がある。
あの指輪に。
あの艤装に――
提督「――え?」
間抜けな声が、不随意に漏れた。
耳に届いてからようやく、それが自分の声だと気付いた程に無意識に出たその声を合図に、俺の頭も体も同時に止まった。
艤装。
千代田は今、艤装、と言ったのか。
何を。
船体に施された装備を指す言葉として、或いは艦娘が身に纏う、彼女らの前世を模した砲や魚雷発射管、その他各種を指して言うなら問題ない。
が、今のはそうじゃない。
ケッコンカッコカリの、指輪。
千代田は、今、間違いなく、それを指して艤装と言った。
それは間違っていない。
あれは艦娘と強い絆を結ぶための指輪だ。
大本営の発表では、そう公開されている。
それしか公開されていない。
彼女らが操る船体装備は確かに不思議な力を持ち、あの指輪をそれらと類似する品として艤装と認識するのは不自然ではない。
だがそれなら、艤装のような物、或いは、艤装と似た力を持つ物、の筈だ。
千代田は何の逡巡も無く、艤装、と言い切った。
彼女らがそれを正確に知るはずがないのに――いや。
千代田以前に、一人。
提督「吹雪……?」
千代田の後ろで目を見開いている俺の初期艦が、目に入る。
恐れ、後悔、配慮。
様々な感情が綯交ぜになった視線を俺に向ける吹雪。
そうだ、千代田以前に一人。
あの指輪を艤装と言った艦娘が一人、いた。
俺が、気付かなかっただけだ。
あの時吹雪は、その艤装は受け取らないと、明確に――
提督「千代田……いや、吹雪。……違う、お前達――」
足が震える。
力が入らず、床が本当にここにあるのかを疑う。
後ろ手を机に突かなければ立つことが出来ず、背中を冷や汗がとめどなく伝って落ちていく。
提督「お前達、何を――いや、どこまで、知ってる?」
足柄にした質問が厳密には間違っていたことを今、口に出して初めて自覚した。
何を、ではなく、どこまで、だ。
彼女らはどこまで知っている。
千代田「彼女達を……ううん、違うわね――」
千代田は俺の質問に答えないまま、青い顔で嘲笑を浮かべてかぶりを振り、す、と再び俺を見る。
何かに耐えるように、或いは自分を痛めつけるように、その爪を未だ二の腕に食い込ませ続けたまま。
千代田「――艦娘たちを愛していますか? ……そんなところかしら」
『一つ、皆さんに質問があります。艦娘たちを愛していますか?』
いつか聞いた問い。
ケッコンカッコカリが発令される僅かに前。
大本営会議室で聞いた、そこに集められた者たちの覚悟を確認するための問い。
あの提督に言われた事が思い出される。
俺の事を鈍いと言い、そして、俺がほんの僅かな事柄を除いたほぼ全てを知っている、と重ねた。
その通りだった。
全て、知っていた。
彼女らが知っているということだけを除いて、全てを。
千代田「どこまで? 多分、全部よ。私達が知っているって事を提督が知らない、って事まで含めて、全部」
千代田が、吹雪が。
表情は対象であるにもかかわらず、同じような顔色をした二人の娘が俺を見ている。
気付いていたのかもしれない。
無意識に遠ざかっていたのかもしれない。
艦娘達がそれを知っているなら、きっと受けてはもらえない事を知っていたから。
吹雪「――司令官!?」
千代田「っ!?」
ふ、と。
闇が目の前に降ってきた。
同時に、吹雪の悲鳴と、千代田の息継ぎが耳に残る。
が、その二人の姿がどこにあるのかはわからなかった。
そしてすぐに、腰、背中と連続して衝撃が伝わる。
何が起こったのか。
それを確認するより前に、俺の意識は闇に沈んだ。
いつか、そう願ったその通りに、俺の意識は闇に沈んでいった。
共に戦うことが出来たなら。
共に傷つくことが出来たなら。
そして、もしその時が来るとして、共に沈むことが出来たなら。
それは、どんなにか素敵な事だろう。
今回の安価は無しです、すみません。
どうせ最後なので、滅茶苦茶言わせました。文脈、思考の繋がっていない事、いない事。
ここまでお付き合いいただいた皆様にあっては、本当にありがとうございました。
ようやく進展でございます。
……本当に……
「ごめんなさい」…
それしかいう言葉がみつからない…
お待たせしましたです。ちょっとしたら落としますです。
じゃ、行っきまーす。
艦娘は人ではない。
微睡みの底で、軍学校でよく聞かされた言葉を、文字とも声とも取れない形で延々と受け取り続けている。
この言葉をきちんと守れていたなら、お互いにこんなに苦しまないで済んだのだろうか。
12.提督
別に、突出したものは無かったと思う。
吹雪「はじめまして、吹雪です。よろしくお願いいたします!」
提督「お、おう。よろしく」
そこまで強い使命感があったわけではない。
もう随分前の話、何処からともなく黒い艦隊が現れて、海は彼らの物になった。
そのせいで地球は人類にとって幾分か住み辛い環境になってしまったから、せめてそれを何とかするのに貢献できれば、と仕官した。
勉強して、体を鍛えて、学校に入って。
そして最前線を希望した結果、『提督』になれた。
それだけだ。
提督になること自体は、そんなに難しくない。
条件としては妖精が見れる事、それと霊場たる鎮守府を維持できる霊媒体質である事。
それが最優先事項。
それら条件にしたって、先天的にそれらを満たしている人間はもちろんいるが、絶対に鍛えられない訳でもない。
現在、海軍が協力を請うている妖精以外の妖精がどうなのかは知らないが、少なくともこの妖精を見るのに妖精の目は必要ない。
信心と、それを基にした技術。
噛み砕けば妖精が見えると信じる事、そしてその為の努力が出来る事。
これさえ出来れば、いずれ見ることが出来る。
霊場を維持するのだって、意識する場所が目以外になったというだけで、難易度はそこまで変わらない。
要は、八百万の神に対する信心、超常に対する寛容さを持ちやすい日本人のメンタリティからすれば、『提督』になることはさほど難しい事ではない。
まあ、海軍内部的には人格査定やら、その他煩雑な基準もあるにはあるが、結果として俺はそれをパスして提督になった。
一応その際、座学や身体能力その他を総合した成績で優秀という評価を頂いたが、そんな評価があったとしても、俺が何が特別なわけでもない凡百の提督である、ということに変わりはない。
提督としての『出自』が平凡ならその後の経過は、と問われても何も出ない。
深海棲艦に対する戦況のパイオニアというわけでも、艦娘運用に革新的なものをもたらしたわけでもない。
『提督』の適正審査やその鍛錬方法、そして鎮守府を維持する技術が既に確立され、深海棲艦と渡り合う様々な術がとっくに出来上がった後に着任し、先輩提督たちの後追いで戦果を挙げるのがちょっと上手くいっただけ。
踏み固められた道を行くのはそう大変な事でもなく、座学で得た知識も相まって上手に回すことが出来ただけだから、何を自慢できるわけでもない。
けれど、そんな誰かが整えてくれた土台のお蔭で、鎮守府の運用は初期の頃から大分上手に行っていたと思う。
吹雪「作戦が完了したようですね、お疲れ様です」
提督「おう、お疲れ様。よく頑張ったな」
吹雪「えへへ、司令官のおかげです」
初期艦の吹雪も、よくやってくれていた。
座学と現場は違う。
何の世界でもそうだが、生の知識というのは、何と言うか腹に溜まる。
ずしりとクるだけあって、一気に摂取してしまうと、消化不良を起こす。
それを効率良く身にするために知識があるに越したことは無いのだが、それでも尚一杯一杯になりかけた俺を吹雪が横から助けてくれた回数は、両の手足では足りない。
吹雪「あっ、新しい仲間が来たみたいですよ!」
そして慌ただしく過ごしていく中で、すぐに仲間も増えて行った。
五月雨「五月雨っていいます! よろしくお願いします。護衛任務はお任せください!」
球磨「クマー。よろしくだクマ」
赤城「航空母艦、赤城です。空母機動部隊を編成するなら、私にお任せくださいませ」
艦種が増えた分だけ戦術が広がる。
何より、鎮守府が賑やかになった。
始めは俺と吹雪の二人だけだった鎮守府も、所帯がどんどん大きくなっていき、戦果もそれに伴って上昇していく。
施設の規模もその度に拡張していき、新しく着任する娘が来てくれるたびに、歓迎会なんかを開く余裕が出てくるまでそうはかからなかった。
それに従って内外を問わず、関わる人達も増えていく。
情勢がある程度安定しているとはいえ、予断を許さない戦況であることを理解はしていたから、締めるところは締めていた。
が、それでも、鎮守府での生活は純粋に楽しかった。
やり甲斐のある事がたくさんあって、自分を慕ってくれる戦友がたくさんいて、自分も彼女らを信頼して。
それからもたくさん、一緒に笑って、一緒に悩んで、一緒に騒いで、時々喧嘩もして。
何が、人ではない、だ。
彼女らはこんなに人間だ。
彼女らと、ずっと一緒に。
その為になら、何だってしよう。
心に決めたのはその頃だった。
― ― ―
鎮守府の規模と評価が上がるにつれ、強力な艦を相手取る事や大規模な作戦も増えてきたが、良く練度を向上させた彼女達は、簡単に、とはいかないまでも、それでも立ちふさがる深海棲艦達を悉く打ち破っていった。
俺も今までのノウハウを、そして自身でも海図と睨み合いをしながら彼女らのサポートを行った。
元々勉強なんかは嫌いではなかったし、何よりそうして学んだもの、考えたものは必ずどこかで艦娘たちの役に立つ。
そう思えば何の苦でもなかった。
所帯も更に大きくなって、作戦行動以外の時間を持て余す娘達も増えてきた。
彼女らは手隙に各々でやる事を見つけ、自分らの余暇を楽しむだけでなく、更なる自己研鑚に努めたり、鎮守府内の整理や整備、果ては俺の手伝いや身の回りの事にまで気を回しだした。
鎮守府設備はともかくとして、俺の世話に関しては、自分の事は自分で、と初めは断っていたものの
吹雪「司令官の事だけを省くと、むしろ時間がかかっちゃうんですよ。大人しくこっちに任せて下さい」
との言から、結局は押し切られる形になった。
始めはありがたくも情けないとは思ったが、実際、空いた時間を別の事に当てられるのは大変助かった。
かといって、それらが得意な娘達にばかり負担をかけてもいられまいと、鎮守府内部の役割の回し方を考えた。
それを骨子に艦娘達は多少俺が不在でも十分鎮守府としての役割を果たせてしまうようなシフト割を組めるようになってしまうのだが、それはそれ。
ともかくそれの草案を組めたということで一応俺の面子は保たれ、同時に俺にとっても鎮守府にとっても、あらゆる意味において艦娘達はなくてはならない存在となった。
ここでの仕事は、暮らしは、生活はますます充実していく。
そして一緒に、ますます上を。
そんな矢先だった。
「艦隊帰投! 工廠に連絡を急いで! ストレッチャー回して!」
作戦完遂するも、吹雪、大破。
轟沈寸前まで負ったダメージが、魂にギリギリ『追い付かない』内に帰投できたのは奇跡としか言いようが無かった。
それなりに大きな作戦だった。
敵陣営最深部へはあと少しで、幾らかの被害はあれどこちらの艦隊の余力は充分、更にはあと一押しで詰め切れる戦況だった。
が、そんな背景はどうでも良い。
事実は、敵の砲撃の当たり所を悪くした吹雪が、艦娘の魂の核を直撃され、僚艦達の曳航で何とか鎮守府に辿り着けた。
それだけだ。
帰投の知らせを聞くや、指令室を飛び出し、ドッグへの道でストレッチャーに追いついた。
提督「吹雪!」
乗せられた寝台車はおろか、通る場所全てを血塗れにして運ばれていく彼女は、俺を見つけると震える手をふらりと上げ、目を細めた。
提督「吹雪、吹雪!」
壊れた蓄音機でももっとマシな声を発信しただろう。
気遣うでもなく、加療の役に立つわけでもない。
ただ彼女の名前を繰り返し、掲げられた手を握るだけの俺に、それでも吹雪は安心したように口を開いた。
吹雪「えへへ、司令、官。私……やりまし、た、よ?」
提督「いい、そんなの、いいっ! 吹雪、頼む、吹雪……っ!」
弱々しい笑顔。
切れ切れの息。
力なく握り返してくる手。
「止血、きつく押さえて! 吹雪、意識をしっかり! 寝ちゃダメよっ!」
顔と、俺が握る手だけが綺麗だったそうだ。
他のガーゼやシーツに包まれていた部分は、見れたものではなかったらしい。
何がいけなかった、どこに問題が。
何故、吹雪がこんな。
彼女らが戦う後ろで、俺はこんな役に立たないまま喚き散らす事が出来るほどなのに、どうして。
何が、誰が。
「提督は、ここでっ! 必要燃料、鋼材は!? 高速修復剤の用意を――」
そして幾人もの艦娘達に付き添われ、工廠の扉の向こうに吹雪は消えて行った。
明石「ここまで来たら大丈夫ですよ、提督。ちょっと時間はかかるかもしれませんが、もう安心です」
ここから先は、艦娘達の領域だ。
俺にできることは、もう何も。
扉の前で立ち尽くす俺に、応急処置を施してくれていた明石が声をかけてくる。
提督「ああ、すまない――」
どっと、肩の上から疲労が体に落ちてきた。
それが安心によるものなのか、無力感によるものなのか。
どちらかはわからなかったが、それでも立ったままでいるのは酷く辛かった。
扉の傍に備えられたソファに、腰を下ろそうと思いそちらに踵を返す。
ここにいたところで何の役にも立たない事は分かっているが、それでも吹雪の傍に――
提督「……明石、後は頼む」
明石「え、提督……? だって、もうすぐ――」
口からするりと、言葉が滑り出した。
明石の言葉を途中までしか聞かないまま、意思に反してソファに向かわず廊下をのろのろと歩き出した俺の脚は、肉体の、理性の動きに反して、体を来た道そのままに引き返えらせた。
違う。
このままではいけない。
何か、何か俺にできることは。
ぼんやりと狭まった視界の外には、さっきまで手を握っていた吹雪の表情、血の感触が生々しくちらつく。
一歩一歩がひどく重い足取りは、体を前に運ぶたびに吹雪の血痕を踏み付け、それでも進んだ。
執務室に着くや、本棚の前に立つ。
そこから既に一通り目を通した、海戦における戦術指南本、過去の艦隊戦の記録、船体や艤装の解説書――とにかく、目についた資料を片端から引きずり出した。
提督「邪魔だな」
机の上に載った作戦資料、報告書を適当に床に落とし、本を積み上げる。
そして一番上に載った本から机に広げた。
艦娘達は、頑張ってくれている。
彼女らの努力を、戦いを、無駄にしたくはない。
俺にできるのは、彼女らを上手く指揮すること、彼女らが目いっぱい動けるようにサポートする事。
今までと変わらない事を、しかし今まで以上に。
『何か』があってからでは間に合わない。
そんな不測の事態が無いようにしなければならない。
それには何が必要なのか。
練度、火力、装甲、速度、資材、兵装、戦術、先見、経験、勘――。
戦いに必要なものをとにかく探って、ひたすらページを繰り続けて暫く経った頃。
吹雪「――司令官、失礼しますね」
その手が、ぎしり、と止まる。
一瞬返答に詰まったのは、扉の向こうから聞えた声のせいだ。
声自体に驚いたというわけではない。
もちろん、その声の主のせいだ。
どれ程、本にかじりついていたのかは覚えていない。
ただ、そこまで長い時間ではなかったと思う。
だが、とてもじゃないが人の傷の一つであっても塞ぐのは難しい、そんな短い時間だったのは明確に覚えている。
提督「開いてるぞ。入ってくれ、吹雪」
吹雪「失礼します」
そして俺の声に応じてあっさり開いた扉の向こうから、吹雪が執務室に入ってきた。
艤装は置いてきたのだろうが、きっちり服の襟を正して、少しだけ照れくさそうに笑った吹雪は、俺に向かってぴしりと綺麗に右手を掲げた。
吹雪「作戦完了……したんですけど、ちょっと危なかったみたいです。ご心配をおかけしてすみませんでした」
提督「いや、いいんだ。よく無事でいてくれた。……本当にもう大丈夫なのか?」
吹雪「ええ、ばっちりです。何でしたらもう一出撃くらい、全然おっけーです」
半袖を更に捲り、二の腕に力を籠めて吹雪はにっこりと笑った。
その見目には傷一つなく、服装にも綻びは無い。
彼女らの服装も艤装の一部であり魂と密接な関係を持つ。
そして吹雪がその時身に着けていた服装一式には傷どころか汚れ一つなく、つまり修復は見事に完了していた。
吹雪「あれ、司令官、報告書とかが床に――わぷっ!?」
提督「良かった、本当に」
確か、俺は笑っていたと思う。
吹雪に歩み寄り、彼女の後頭部に腕を回してしっかりと抱き寄せた。
数分前の弱々しい彼女からは想像もできない力強さで、腕の中で吹雪がもがいた。
吹雪「司、司令官!?」
腕の中で体温を上げていく吹雪の抗議を無視し、腕に一層力を込めて目を閉じ、全身で吹雪を感じる。
吹雪は無事なのだ、と。
しっかと固めた腕からの脱出は不可能そうだと悟ったのか、やがて吹雪はその抵抗を弱め、恐る恐ると言った体で俺の背中に同じように手を回してきた。
吹雪「司、令官……。あの……」
提督「何だ?」
吹雪「あの、ご心配、おかけしました。……ごめんなさい」
提督「いい。いいんだ、吹雪。……本当に良かった」
吹雪「…………はい」
少し長い沈黙の後、吹雪は俺の胸の中で弱々しく頷き、そのか細い声が瞼の裏の闇を一瞬、赤く染めた。
ピシリ、と、俺の中で何かの音が聞こえたが、それには気付かないふりをした。
― ― ―
艦娘は人では無い。
あの瞬間にそれを理解したのだろうと、今ならわかる。
そして、同時にその認識に蓋をしたことも。
戦い、時に傷付こうとも快復し、再び海上に立つ。
彼女らはそういう存在だ。それは動かしようのない事実であり、同時に彼女らが背負う矜持でもある。
人では無い、という言葉には何の侮蔑も拒絶も含まれておらず、ただ彼女らの存在を端的に表し、それを理解するように促す警句だ。
彼女らは人ではなく、艦娘なのだ、と。
きっと、俺はまずそれを飲み込まなければならなかった。
築かれた土台を自分の実力だと勘違いしてしまう前に。
優秀と言われ調子に乗った人間が、一度は陥る落とし穴。
踏み固められた道に乗っていただけの癖に、その路肩に立っている注意書きを無視する愚行としか言えないような反骨心。
優秀だから。
上手くいっているから。
前にへまをした幾人もの人間と同じ轍を踏むなんて夢にも思わなかった。
いつの間にか、その穴に体全てが嵌っていることに気付きもせず。
それ以降も時折、艦娘達が酷く大破し、工廠に運び込まれることがあった。
その度に俺は彼女らの傷ついた姿を目にし、快復した姿に戸惑った。
付き添うと、彼女らの息吹を感じるのだ。
吐息は鈍器、腕を伝う血は刃物だ。
それらに打ちのめされ、自分の中の理性は崩れていく。
それを確かに感じながら、俺はそれから目を逸らした。
そして俺の心の損傷は、あの日の吹雪の傷と同じように、蓋の下で俺に気付かれないままぐずぐずと襞を広げていった。
勉強する時間が増えた。
始めは、牙が欲しかった。
彼女らのような、牙が。
それを求めても手に入らないのは分かっていたから、次は知識を求めた。
過去の、それも艦娘達が現れた時よりもっと昔の、艦船が海上を航行し火力を運用するようになったその黎明期のものまで遡って片っ端から。
幸い、俺の仕事は艦娘達が肩代わりしてくれるのも多く、時間の確保は容易だった。
水上戦、航空戦、対空戦、潜水戦、対潜戦、火砲、魚雷、機雷、爆雷、単縦、複縦、単横、輪形、傘形、夾叉、至近、直撃、破損、轟沈――。
学ぶべきことは山とあり、そしてそれを学ぶにつれますます確実なものなど何一つないという結論に近づいていく。
当然だ。
確実に戦況を操る術があるのなら、そもそもこうやって資料を残す意味すらない。
知識が深くなるにつれ、今までの戦果、被害が奇跡に近い事を思い知る。
彼女らの『前世』に則れば、一発の直撃弾はそれだけで艦には致命傷だ。
ならば現状は細すぎる張り綱の上でギリギリバランスを保っている様なもので、下にはどうしようもない不安の大穴がぽっかりと口を開けている。
その混沌を覗き込み、問う。
この奇跡は、いったいいつまで。
彼女らと、ずっと一緒に。
その為になら、何だって。
心に決めた誓いはいつしか形を歪め、しかしなおも俺を前に進ませる原動力であり続けた。
己の手すら溶ける暗夜を、ただひたすらに進み続けて。
そして、そんな頃だったと思う。
あの噂が、鎮守府に回り出したのは。
一旦ここまで。ちょっと後に再開ー。
ステンバーイ……ステンバーイ……ゴッ
艦娘のほぼ全ては、顕現時に酷い過呼吸に見舞われる。
それは心の、そして『艦の記憶』に因るものだと言われている。
概ね正しいと思う。
13.艦娘
提督「初めまして。まずは、自己紹介か」
白い清潔なシーツと同じ色の病人着。
それを探って無意識に動く手。
そしてそれを見る眼――というより『自分』。
これは何だと体を起こし、その動きに更に戸惑い、目の前に差し出された手に一層混乱が深まった。
何だこれは、一体どうしたのだ、『私』は。
提督「混乱は大いにごもっともだ。まあ、すぐに理解できるだろうから、ちょっと聞いてくれ」
自分が体を起こしたベッド脇に立ち、手を差し出していた青年が、いつまでも握られない手を苦笑いと共に引っ込める。
代わりにその手で近くの丸椅子を引っ張ってきて、自分の顔が見える場所に腰かけた。
彼の後ろには、艶やかな黒髪をうなじの辺りで短く結んだ少女が柔らかく微笑んで控える。
初対面の筈の彼女の名前が、何故か明瞭に頭に浮かんだ。『吹雪』。
提督「体調はどうかな。大体の娘達は丸一日寝た後に起きるんだが、君の調子がまだ悪いなら無理強いはしない。もう少し休みたいというならそうしよう」
頭、首、胴、手、足、そして思考と、心。
疑問を持ちつつ、しかし『考える』より遥かに先に思い通りに動くそれらに当惑しつつも何とか操り、或いは操られながら状況の把握に努める。
そんな具合にきょろきょろと辺りを見回す自分に気を悪くした様子もなく、むしろ慣れているような所作で青年は話を続けた。
ここは、どこだ。
白い壁に天井。
幾つものベッドが並べられた『部屋』という囲いだろう。
かつては自身が収まるどころか、自らの中に複数保有していたはずの囲いの中に、何故自分が。
そして何より。
傍らに座る青年に目を戻す。
そして何より、彼が身を包む白い服装。
今、身の回り取り囲む幾多の疑問は、どれも自分の理解に及ばない。
が、目の前のこのいくらかくたびれた白い装いは、それら漠々たる不可思議の中で唯一見覚えのあるもので。
提督「落ち着いてからで構わないから、少し体を動かすと良い。すぐに慣れるだろうけど、何か問題があったら彼女、吹雪に言ってくれ」
提督「大体何でも出来るから、彼女を頼るといい」
青年に視線で示された吹雪は、後ろで組んでいた手を解き、先ほどの青年と同じように自分に向かって手を差し出してくる。
吹雪「吹雪です。えっと……お久しぶり、でいいですか? また会えて、本当に嬉しいです」
今度はきちんと手を握り返し、その感触にまた驚いて急いで手を引っ込める。
柔い。
暖かい。
感覚は痛みすら伴って全身を伝わり、その刺激を呼び水に様々なものが次第に明瞭になってくる。
ああ、なるほど。
私は、ここは、これは。
提督「段々と落ち着いてきたみたいだし、仕切り直そうか」
そんな自分の様子を見ていたのだろう、意識の焦点がきちんとあってきた頃合を見計らったように青年が再び口を開いた。
提督「改めて、初めまして。これから君の上官になる者だ。君を指揮していた先達と比べられると色々と及ばないと思うが、どうぞよろしく頼む」
提督「辛いとは思うが、再び俺たちに力を貸してほしい」
そして再び差し出された手を今度こそしっかりと握り返し、口を開く。
名前を聞いた青年は少しだけ悲しそうに、しかしそれ以上に嬉しそうに笑った。
こちらまでつられそうになる、良い笑顔だった。
ほとんど全ての艦娘が通った提督との出会いは、概ね、そんな具合。
― ― ―
― ― ―
艦娘の出自は、船だ。
必要とされて生み出された存在。
人が海を駆けるために必要とした道具の一種で、人間の矛や盾たらんと建造された艦船。
それは人の為にのみ存在し、そしてそれを根底に持つ私達が存在理由を同じくしているのは道理だ。
反面、艦娘現出の原因は未だに不明とされている。
大抵の艦娘達は顕現と同時、或いはそれから程なくして自らの存在や現状、言葉や一般知識に加えた生活やこれからの行動に関する、いわば人間としての常識を『思い出す』。
中世ヨーロッパの錬金術によって生み出されるとされるフラスコの中の人造生命体のようだと言われる事もあるが、彼らのように全てを知っているわけではない。
これはきっと過去、私達に接し、私達を率い、私達が擁してきた同輩やその他の人間達が与えてくれたものなのだろう。
そして、その彼等の遺した勇気や愛、希望等の言わば『正の感情』を基に深海棲艦への対抗手段として顕現したのが、私達艦娘だ。
――というのが一般的な説である。
無論、対向がある。
とは言っても少数派であるが。
艦娘こそ無念の塊である、というものがその代表格だ。
私達艦娘のほぼ全ては、その顕現時に酷い過呼吸に見舞われる。
それは心の、そして『艦の記憶』に因るものだと言われている。
概ね正しいと思う。
過呼吸の理由は、艦船時の『記憶』を圧迫して理解する際に生じる、心のオーバーフローだ。
艦の殆どは、その乗組員達と命運を共にしている。
あるものは戦役中に、あるものは救助の活動中に、あるものはそれらの道中で。
いずれにせよその鉄の巨体は、数の多少はあるものの、共に戦うべき、そして守るべきもの達を大勢巻き込んで海中に没している。
その姿を『見』ながら、その時、私達には何も無かった。
掴む手も。
歩み寄る足も。
考える頭も。
そしてそれを辛いと感じる心すら。
義勇こそが私達の根幹であるという説を否定する気は毛頭ない。
が、それでもやはりこの目に、この体に、この心に焼き付くのはあの光景だ。
艦娘達は、同魂異体、同じ姿形を取ろうとも、それぞれは別の個体だ。
それぞれがそれぞれの心、思い、考えを持っている。
だから個々人毎に異なった思想や信念を持つことも当たり前だが、そんな中で意外にも、無念こそ艦娘の根底であると考える艦娘はそう少なくない。
決して多くも無いが。
真相がどちらの論でも構わないがともかく、だから私達艦娘は、存在そのものを人の為とし、迷わない。
進めと言われれば進み、退けと言われれば退く。
無茶を通せと言われれば道理など踏み倒し、戦えと言われれば身体が最後の一片になろうと敵の喉笛を噛み砕こう。
そして人の為に沈めと言われれば、それすら躊躇うまい。
臭い言葉と笑われるかもしれないが、道具であるが故の、そして義勇か或いは無念を芯に持つが故の、人への愛のためだ。
無念や怨念、怨嗟に身を縛られるつもりはない。
人の為に造られ、今や彼らと同じくなった身。
たまに、艦のままであった方が楽だったと思うときはあるものの、愛する彼らに近づき、頼られ、家族のように寄り添うことが出来る今のこの身体に不満は無い。
だから、私達の事を真に考えてくれる提督である『あなた』の元に顕現できた事は、本当に幸せな事なのだ。
私達はすでに艦ではないのだから。
― ― ―
吹雪「……千代田さんは?」
古鷹「ようやく眠ったよ。取り乱さなかったのは流石だけど、大分参ってて困っちゃった」
提督が倒れた後、室内に残された吹雪と千代田はとりあえず彼を寝かせようと医務室に向かった。
その途中で偶然、古鷹に会い、彼女と一緒に提督をベッドに寝かせ、その後、古鷹が鎮守府全体への一斉で提督の不調を知らせた。
提督が骨子を作り、艦娘達が肉付けをした運用規範がある。
提督の不在がある程度続こうが、運営自体に問題は無い。
だから、艦娘達は提督の心配をする以外に心を割かずに済んだ。
彼が広げた混乱を早急に収めたのが、倒れた彼自身が作ったモノと言うのが何とも皮肉めいているが、それはそれ。
提督がきちんとこの鎮守府を作ってきた証拠だ。
その原動力が何物であったにせよ。
そして概ね鎮守府全体が落ち着いた頃、提督が倒れた直後から塞ぎ込み黙々と行動していた千代田は、緊張の糸が切れたのか、或いは苛立ちに任せた自分の行動を理解したのか、はらはらと涙を流し、一層押し黙ってしまった。
古鷹がその世話を請け負い、手伝いに呼んだ彼女の姉の千歳と共に、千歳型の部屋に連れ立ち、寝かしつけたそうだ。
だが、彼女が寝入った後、せめて楽な服装に、と着替えさせようとすると、彼女自身の左の二の腕を掴んだ右手がきつく固まって離れなかったらしい。
古鷹「執務室から提督を運ぶとき以外、ずっと握ってたみたいで」
ようやく解けた時には、彼女の二の腕はくっきりと手の形に青く変色していたそうだ。
特に、自分を責めるように食い込ませていた爪の部分は内出血を起こしていたようで、今も千歳がつきっきりで加療をしているらしい。
古鷹「殊更強い感情を込めちゃったみたいだから、あれはすぐには治らないかも。……まあ、無理もないとは思うけど」
吹雪「ありがとうございます。私じゃ、多分、駄目だったと思いますから」
古鷹「そんなことは無いと思うけど」
執務室の赤い革ソファに座り、膝を抱える。
数十分前までは、『内』がどうだったにせよ、元気そうにしていた提督が倒れた。
それは吹雪にとって決して弱くは無いショックだ。
が、同時にこれはいつか来る日でもあった。
吹雪が、ひいてはこの艦隊の全員が先送りにしていただけで。
千代田がきっかけを作っただけで、いや、その場にいた自分も同罪か。
古鷹「鎮守府全体が共犯だよ。吹雪ちゃんだけが背負う事じゃないから」
て言うかむしろ、一人で背負われるのはズルいかな。と古鷹が隣に座りこんで笑う。
その手には黒く小さな直方体が握られていた。
古鷹「明石さんとか大淀さん、夕張さんとかが睨んでた通り、相当の数があったよ。……もっとも、数だけを言ったら遥かに予想の上だったけど」
提督のベルトに結着された鍵束。
気絶した彼を寝かしつけた際にそれを抜き取っていたらしい古鷹は、執務室に着くや、袖机の二段目の引き出しを開け、小箱を取り出してきた。
指輪の小箱を見る古鷹の目から、紫電の光がチリチリと奔る。
重巡の姉として、鎮守府のつなぎ役として冷静を保っている古鷹の激情はあまり見ることは無い。
古鷹「隠してるつもりだったのかわからないけど、分かり易いったらなかったよね。あそこに触ろうとすると、提督、すごく怒るんだもん」
吹雪「ふふ、そうですね……」
じっと顔を見られていることに気付いたのだろう、ぱっと表情を明るくした古鷹は吹雪にそう言って笑いかける。
が、否が応にも左目から漏れ出る光は、彼女の感情があまり静まっていないのを如実に語る。
古鷹「……もうっ」
ぎこちない吹雪の返事と視線に、古鷹はため息と共に左手で目に蓋をして、ソファの背もたれにぼすっと体を預けた。
古鷹「結局、こうなっちゃったね」
吹雪「……そうですね」
しばしの沈黙の後、古鷹が口を開いた。
この結果は、予想の範疇だ。
拒絶の結果、彼がこうなるのは何となくだが目に見えていた。
勿論、ああしたくて、ああしたわけではない。
別の方法は無いかと、ずっと考えていた。
そして皆がそれぞれこれならばという方法を試み、それが結実するまでの間、結論を遅らせていただけだ。
古鷹「……提督、大丈夫かな」
吹雪「……大丈夫ですよ。提督ですもん」
だが逆に、必要な事でもあった。
現状を突きつける事。
彼が理解しつつも、そして何となく気づきつつも目を逸らしていた事実を。
大切にしてもらっていた。
それこそ愛玩のように。
提督は時々、腫れ物に触れるが如く艦娘に接していた。
お蔭でここで生きるのはとても『楽』だった。
その原因は何となくわかる。
だが、吹雪達が求めるのはそれでは
秋月「――失礼します。お連れしました」
コンコン、と控えめなノックの音に続いた控えめなアルトボイスが、部屋の中に通る。
それを合図に、吹雪と古鷹はソファから腰を浮かし、背筋を伸ばして扉に正対した。
そしてかちゃりと開いた扉の向こうから秋月が、そして秋月に促されて一人の男性が室内に入ってきた。
吹雪「――昨日の今日でお呼び立てしてすみません。お忙しいところを本当に」
老提督「いや、畏まらないで楽にしてほしい。道すがら、秋月君から大体の事情は聞いた。大変だったね」
顔は昨日見たばかりだが、言葉を交わしたのは提督を含めても数少ない。
吹雪の言葉を受け、いささか老いた、しかしそれでもなお第一線に居続ける老提督は物腰柔らかく、恐らく昨日も座ったであろうソファの真ん中に再び腰を下ろした。
吹雪「私達だけで応対する無礼をお許しください。ですが」
老提督「ああ、構わん。君達が何を聞きたいのかは大体わかるし、多分、彼をあそこまで追い込んだのは、我々年寄りにも責任の一端はあるだろうから」
かといって、若者にはそれを自分で跳ねのけてほしかったのもあるがな、と老提督はあらかじめ吹雪が用意していた茶に口を付けた。
熱、と小さく呟いたものの、彼はそれをぐっと一気に煽り、さて、と左手で膝を叩いた。
老提督「もてなしを用意しておいてもらって悪いが、場所を変えたい。ここじゃあ、少し狭いし、人数も足りないからな。君たち全員に関わる事だから」
古鷹「助かります。すぐに手配しますので、ここで少々お待ち下さい。――秋月ちゃん、手伝ってもらえる?」
秋月「はい。――失礼します」
秋月を伴った古鷹が退出した後、室内には吹雪と老提督が残り、しばしの沈黙が流れる。
かといって吹雪は緊張して黙っているわけではない。
視線は一点に集中されている。
老提督「――やはり、気になるかね?」
吹雪「え。……はい、すみません」
老提督「謝る必要はない、仕方ない事だ。まして事情をある程度知っているなら尚更な」
膝小僧の間で組まれた手。
その左の薬指の銀環を指して、老提督は笑った。
提督とは違う、しかしこれも応じる人に安心を与える笑顔だ。
提督の資質は妖精の存在を感じれる事と鎮守府を維持できる事と聞くが、こんな顔が出来るのも資質の一つなのかも、と吹雪はふと思った。
老提督「さて。……それじゃあ、どこから話したものかな」
老提督の言葉を受けて、指輪がきらりと光る。
艦娘と人間との魂を絆で結びつける、銀の環が。
>>1のボキャブラリーが…尽きた…?
ネタを上手にばらすってこんなに難しいんですね。
世の作家さんたちは偉大です。
今回の安価も無しです。今日はここまで―。
しかし今考えれば、情報開示じゃなくて設定開示でしたね。今更ですが。
あ、>>395のミスはすみませんでした。恥ずい。
酉これでよかったっけ……。
私事でずいぶん間が空きました。ちょっとこれからも間が空きがちになるとは思いますが、完結は頑張ります。
とはいえ、進行がこちらの方でも読めないのでsage進行で進めます。
お飽きでないのなら気長にお待ちいただければ。
つーわけで、とりあえず14を。
繰り返すようですが、私事で遅くなりまして大変申し訳ありません。
「ねえ、知ってる? 私達の『限界突破』の噂」
14.指輪
老提督「それじゃあ、どこから話したものかな」
初老の男性は、執務室で吹雪に言ったのと同じ言葉で口火を切った。
講壇に対して聴衆席が階段構造になっている大会議室。艦娘達は基本的に少数出撃であるためこの会議室が使われることはめったにないが、今は満席でこそないもののその殆どに誰かしらが座っている。
この提督がこの鎮守府に到着してからまだ一時間半ほどか。
準備、そして集合は迅速だった。
秋月を伴った古鷹は、まずこの鎮守府内で一番容量の大きいこの部屋を押さえると、『講演』に際しての設営と艦娘達への伝達を急ぎ済ませた。
遠征中の部隊には提督が倒れた時点で既に帰還命令が出されていたので彼女らに関しては到着を待ち、哨戒等のどうしても外せない仕事に従事している娘、そして未だに目覚めない千代田を見ている千歳には、会議室の音声が聞こえるように無線式のインカムを渡した。
その他、マイクの調整等細々したものを用意している内に、遠征部隊も帰還。彼女らが人員、装備の点検を済ませた頃、概ね全ての準備が整った。
老提督「見知った顔はそこそこいるが、まずは初めましての娘さん方もいるだろうから、それからか」
老提督「ここの鎮守府の彼とは古くから、というほどでもないが、知り合って少し経つ。まあ、それは追々」
艦娘達が会議場に入って着席して程なく、吹雪に案内されて彼が入ってきた。
そこここで展開されていたひそひそ声も同時に収まり、室内は水を打ったように静まり返る。
壇上の踵の音だけが響き、一度だけ起こったマイクのハウリングを皮切りに彼は口を開く。
老提督「今日は、彼が倒れてしまったということで秋月君から連絡を貰って来た。噂に聞くに、ここの鎮守府の指揮系統は随分としっかりしているらしいから大してその面に関して心配はしていない」
老提督「まあ、見舞いも兼ねてその辺りも後で少々口を出させてもらおうと思う」
遠征やその他、出撃任務。
この鎮守府内部としては休み、というだけで、書類上は作戦行動中であることに変わりはない。
突然の『体調不良』で提督が倒れたとなっては、代理に指揮を執る人間が必要になる。
そういった時の為の秘書艦だし、運用規範もある。
別にわざわざ外から提督を呼ばずにも済んだのだが。
老提督「――が、君達にとってはそんな事、些末な事だろう。聞きたい事は、わかってるつもりだ」
静まり返っていた会議室内が、まるで空気まで固形化したかのように張りつめた。
総合艦隊演習の際、提督と彼は随分と懇意そうに見えた。
あのタイミングで別の鎮守府の提督を呼ぶとなっては、大体何の話をするのか、ちょっと頭を働かせれば分かる事だ。
提督がこの初老の男性と、例の指輪に関する何かを話したのだろうことは想像に難くない。
名目はある。
後は応じてくれるかどうか。
吹雪と古鷹で相談し、千歳と秋月にも参考として意見を聞いた。
結果、後手に回るようではあるが、とりあえず打診をしてから出方を見てみよう、との非常に消極的極まりない結論に達した。
老提督「とは言っても、君達は殆どの事情を知っていると思うから、実質、私が話せることはそうないんだが」
そう言うと彼は左手を開き、器用にその薬指のみを動かした。
根元には銀環。
指の動きに従って、それは室内の照明を反射しきらきらと光る。
秋月は、昨日一度連絡を取っている。
そのためいささか気易かろうと彼女が連絡を取ったところ、彼は拍子抜けするほどあっさりとこちらのアポイントを了承した。
そして「わかった、すぐにお邪魔するから待っていてほしい」とだけ言うと、そのまま電話を切ってしまったそうだ。
あとはここを訪れてから、吹雪と行動を共にしている。
磯風「提督は――。えっと、何とお呼びすれば」
左手を上げたまま、先の言葉通り何から話すか思案しているのだろう首を捻る壇上の人物に、『初めましての娘さん』であるところの磯風が手を上げた。
老提督「呼び方なんぞジジイで構わん、好きに呼ぶと良い。お爺様とか翁とか、それとわかればどうでも」
低めの磯風の声が静まり返った会議場によく響く。
にこやかに対応する翁の豪胆さを気に入ったのか、磯風は少々身を乗り出すように続けた。
磯風「じゃあ、爺様。爺様は、ウチの提督の事情をどこまでご存知か」
老提督「ふむ、そうだな」
上げた左手をそのまま顎に添え、爺様は少々口を閉ざした。
が、それもわずか、彼自身のマイクの残響が消えないうちに再び口を開く。
老提督「その質問に対する答えには相応しくないが、ここには誤解を解く手伝いに来た、というのが私の事情としては正しいか」
老提督「彼を通り越して、私が全ての事情を説明してしまうのは筋が違うだろうし」
これでいいかな、という彼の言葉に、磯風は大体の事情を説明してくれるなら、と席に座り直した。
そして彼は再び会議場の席をぐるりと見回し、他の発言者がいないのを確認し、先を続ける。
老提督「それじゃあ一先ずは、これについて。これが練度の限界を越えるための艤装、ということは知っているね」
彼が再度、開いた左手をかざす。
この場の艦娘達の頷きを見て、彼は続けた。
老提督「じゃあ、私達がどうして、これを必要としたか。そこから始めようか」
― ― ―
『艦娘運用における新たな技術検討会議について』
噂が回り始めてから程なく。
俺に宛てた封書が、本営から届いた。
内容の仔細までは覚えていないが、題目はそう記され、開催の日取りと場所が記載してあった。
題目にもある通り、艦娘運用にあたっての新技術の発表とその運用法に関する会議を開くとのこと。
それも本営の技術部が選出したメンバーのみを招集して。
何故自分が、とも思ったが、俺はそれに飛びついた。
それがどんな方法であろうとも、結果的に艦娘の戦闘被害が減ればそれは俺の望むところだったからだ。
提督「それじゃあ、行ってくる」
吹雪「司令官。ハンカチは持ちましたか?」
五月雨「切符、切符は? 乗り換えと時間は大丈夫ですか?」
千代田「帰りの時間はちゃんと知らせてね。携帯の充電は足りてる? 予備の電池は?」
提督「お前らは俺の母親か」
そしてその初日。
出発前にわらわらと群がってきた吹雪や五月雨、千代田なんかの口にする心配事を、まあ、それでも確認しなければ、といちいち取り出してチェックする。
提督「ほら、どれも大丈夫だ。全く、子供じゃないんだから」
千代田「私達が付いていけないんだから、心配するのは当然じゃない。ただでさえ最近、提督ってばなんだかぼーっとしてるし」
提督「む」
千代田の言い分に、うなじを僅かな冷気が伝った。
千代田を含めた千歳型の二人は艦種変更を経て、水上機母艦から航空母艦へと改装した。
艦種によって扱いを変える訳ではないが、戦術的により攻撃的な運用が可能な空母の方が、出撃頻度が増すのは仕方がない事だ。
現に千代田自身も出撃後の入渠から出てきたばかり。
大欠伸をしながら廊下を自室に戻る途中、出掛ける俺の姿を見かけたために見送りについて来てくれたに過ぎない。
欠伸をかみ殺しながらも身体の疲労は抜けきっていないのは見ただけでわかる。
千代田「ん? どしたの、提督?」
提督「……や、何でも」
千代田も千歳も、被害を被ることが多くなった。
当然だ、敵方からすれば脅威を取り除こうとするのは何らおかしい事ではない。
俺だってそうする。
当たり前の事だ。
そう、当たり前の――
千代田「ホントに?」
提督「……ホントだ。五月雨の心配通り、ちょっと本営への行き方が心配になっただけだ」
気付けば、下げ気味の視界が千代田の顔でいっぱいになっていた。
考え事に没頭するあまりぼんやりとしていた世界が、千代田の呼びかけで焦点を結ぶ。
かぶりを振りながら、覗き込む千代田の頭に手を載せて多少強引に押し返し、足元の鞄を持ち上げる。
千代田「ちょっとー、扱いがぞんざいじゃない」
吹雪「司令官、お気を付けて」
五月雨「提督。電車、寝過ごしちゃダメですよ」
提督「ああ、行ってくる。遅くなりそうなら、連絡するから」
千代田「ちょっと」
見送りに手を振って応え、腕時計を確認しつつ駅に向かう。
一度、後ろを振り返ると鎮守府本棟に引き返す吹雪と五月雨、その二人に何やらかを抗議している千代田が並んで歩いていくのが見えた。
あの姿を守れる一助があれば。
鞄に収めた書類を布地の上から握り締め、駅に向かう歩を急がせた。
― ― ―
大本営技術部。
その新技術は日夜、艦娘達の装備や、艦娘自身のポテンシャルを上げることを追求し続けるこの部署が提唱し、開発したものだった。
新種が次々と発見される深海棲艦との戦いにあって戦力拡張は急務であり、最優先事項の一つで、技術部はその名の通り、艦娘達に関する『技術』と名のつくものなら何でも引き受ける部署だ。
新装備や改二改装。
彼らが確立した技術の恩恵は数知れず、そのため各鎮守府に噂が流れた件の『限界突破』も、十中八九ここが出所だと目されていた。
提督「むむむ……」
本営には指定された時間よりそこそこ前に着いた。
赤レンガに縁どられた白い舗装は、白亜、というにはいささか日に灼けたそれぞれの建物に緩い曲線を描きながら伸びている。
その一本の先、入口からも見える本棟。
その出入り口横に幾つか立った公旗掲揚塔の内の一本に掲げられた国旗は忙しなくはたはたと翻り、この日の風がそこそこに強い事を表していた。
その道の傍。
きれいに刈り込まれた芝の上に、この敷地内の案内板が立っている。
未知の軍勢の進行に抗う為の人類の最大拠点はやはりその規模もでかい。
その分、人の出入りも激しく、その人数に比例して建物の一つ一つも巨大で、それはつまり。
提督「何度見ても、分かりにくい……」
敷地の広さにうんざりし、ここ、何処だよ、と一人ごちる。
とりあえずすぐに技術部棟に向かおうとしたものの、いかんせん敷地が広すぎた。
その上、このスチール板の見取り図も酷く不親切だ。
何処の棟に何の部署が入っているのかがざっくりとしか記されておらず、それはここに日常的に努めている人間に対しては分かり易いのだろうが、そもそもそういった人間はこの案内板を頼りにはしないだろう。
いかにも部外者の来訪を想定していない、公安組織らしい案内図。
おまけにこの板がどの方向に立っているかも明記されていないから、周囲を見渡せば大きさからして似たような建物に囲まれた現在地にあってどこに向かえばいいのか、見れば見るほどに自信がなくなってくる。
正直、会議の招集だから、と油断していた面はある。
本営内部の立地の分かり辛さは、当然承知していた。
が、新技術の検討会議、と銘打つだけの物なのし、そこそこ大々的に開くだろうから、着いたところである程度出来上がっているであろう人の流れに乗ればいいと考えていた節はあった。
が、いざ本営に到着してみると意外なほどの人の少なさ。
恐らく平時と変わらないか、少し多い程度の人間の動きしか見えなかった。
従来、大きな会議がここで開かれるのであれば当然いるべき案内役はおろか、正門にも特別会場はどこどこ、といった立て看板すらない始末。
思わず書類を取出し、開催日を確認したほどだった。
初めは、何か後ろめたい、秘する必要があるような会議なのか、と一瞬訝しんだ。
が、もし、そんな技術に関する会議ならばそもそも本営名義の書類で通達する事自体が馬鹿げているし、ましてここで開くのなど愚の骨頂だ。
事実、案内板に辿り着く前に捕まえた職員は、内容に関しては俺と同様だったものの、会議が開催される事だけはきちんと知っていた。
老提督「おや、久しく見なかった顔があるな」
ともかく会場に行かなければ始まらない。
そうして難解な案内板を解読し、えっちら会議開催場所である技術棟に辿り着くと、入口に見知った顔を見つけた。
提督「あ、お久しぶりです」
老提督「ああ、久しぶりだね。壮健そうで何よりだ」
見知った顔は二つ。
一人は、制帽の下の白いオールバックと、その髪色から察せられる年齢とは対照的な健康そうな体躯。
老齢と言っていい年齢に差し掛かってなお、生気漲る偉丈夫だ。
そして隣にもう一人。
細提督「お久しぶり。ひょっとしてそっちも例の?」
提督「ああ、久しぶり。そうだな、ということはお二人もか」
上背は俺と同じくらい。
が、隣の老齢と比べると、対称的と言ってもいい位、明らかに細い男性。
肌は白く、こけている、というほど細くは無いにせよそれでも肉が足りない頬は内側の血管が透けて見えるのではないかという程の色の薄さ。
かといってその色は表すなら、透明感というような自然なものではなく、むしろ漂白剤をかけたような、分かり易く病的な白さだ。
が、色の白さは、と昔から言われる通り、軍属だなんていう男臭い職業にあってもどことなく中性的な印象の彼の容姿を伴い、見た目はかなり整っていると言っていい。
まあ、色が白くなくても間違いなく美形と呼ばれるカテゴリーに分類されるのだろうが、脱色されたような肌の色が与える儚げな印象が、更にそれを引き立てている。
実際に、体もあまり強くないと聞いた覚えもある。
事実、前に合った時よりも肌の色は抜けているような印象を受けた。
年齢は俺と同じか、少し上程度だったろうか。
提督になったのも、ほぼ同時期だった。
軍学校は職業訓練施設だからともかく、教育学校過程を終了してからはとんと疎くなった彼我の年齢差に少し考えを巡らせたが、すぐにあまり意味の無い事だと思い直した。
老提督「しかし、本当に久しぶりだな。戦果は著しいそうだが、最近は執務室に引き篭りがちだとか聞くが」
提督「まだまだ勉強することが多い事に最近、気付きまして。時間がいくらあっても足りませんよ」
老提督「そうだったか。まあ、噂と違って達者そうで何よりだ」
提督「これでちゃんと体には気を使っていますから。少なくともコイツみたいな青瓢箪になることはありませんよ」
細提督「なんだそれ、酷いな」
彼とは年が近く、また、初期艦が同じ『吹雪』だった事から、知り合った頃から気安い付き合いをさせてもらっていた。
お互いが着任してからの付き合いで、時折、何でも無い事で連絡を取り合う、同僚の中でも割と親しい一人だった。
提督「しかし、何度来てもここはどこに何があるか、わかり辛くて仕方がないですね。随分、迷いましたよ」
老提督「特に技術棟は端の方にあるからな。私もさっき着いたんだが、彼も入り口門の付近でウロウロしていたよ」
細提督「面目ないです」
旧交、というほどには古くない間柄を適当に温め、技術棟の入口の戸に手をかける。
端の方、と言われた通り、周りの植木やらの影響でいささか日当たりの悪い出入り口は少々ジメついている。
その傍らには俺が手元に持っている、恐らくはこの二人も同じものを持っているのだろう書類の題目でもあった『艦娘運用における新たな技術検討会議会場』と明朝体が書かれた真新しい立て看板が、飾り気も無く立てかけてあった。
老提督「にしても、人が少ないな」
メッキが所々剥げかけた真鍮のドアノブを捻ると、その古びた印象とは真逆にするりと扉が開く。
技術部だけあってこういった何がしかの機構が加わっているものには気を使っているのか、とちょっと感心し扉を潜り抜ける。
その先にはそこそこ広めの三和土と、そこから正面に二階に上る階段、そして左右に伸びる廊下。
受付「何かご用でしょうか?」
その広めの三和土を臨めるように据え付けられた小窓の向こうから、声がかかる。
小窓から少しせり出した板の上には受付と書いてある。
老提督「あ、申し訳ない。今日ここで開催予定の会議会場はどこになるのかな?」
小窓の向こうには、年嵩の筋肉質の男性が一人。
この建物の守衛か、管理人か。何にせよ受付業務に携わる人物には違いなさそうなのだ。
受付「ああ、例の――」
受付らしき男性は、そう言うと手元のファイルを簿冊をパラパラと捲り始め、それはなにやらの名前が列記されている一頁を開いて止まった。
受付「で、お三方はどちらさんかね」
その言葉を受けて三人の間で目配せがされた。
受付が開いているのはどうやら『例の』会議の名簿であるらしい。
それならば今回の会議は実際に開かれるものであって、『どちらさん』との問いは、それなりの参加人数がいるらしいという事だ。
三者一様に鞄から、送付された書類を取出しそれぞれに示す。
受付「ここと、ここ。それと……ああ、これか。――了解、会議場は一番上の階ですよ。上がってからは案内板をどうぞ」
封筒とその中の書類を検めて、名簿の中の三列にマーカーを引き、受付の男性は名簿を引っ込める。
それから階段脇のエレベーターを示してから、再び窓の奥に引っ込んだ。
老提督「どうもありがとう」
三人して軽く頭を下げ、エレベーターに向かう。
年若い俺が上矢印のボタンを押して数秒、到着したエレベーターに乗り込んだ。
老提督「しかし、何だな」
そして鉄扉が閉まって半秒ほど。
エレベーターの一番奥に乗り込んだ初老の彼が口を開いた。
老提督「会議って割に人が少ないと思っていたが、一応は本当に開かれるんだな」
提督「確かに」
細提督「あ、僕も思いました。日付間違えたかなって思ったんですけど」
エレベーターに乗ると階数表示ばかり見てしまうのは何故だろう。
どうでもいいそんな事を考えて、その通りに階数表示ばかり見ながら世間話を口にする男三人を乗せてエレベーターは上昇する。
二階。
細提督「そもそも何の会議なんでしょう。僕は知らないんだけど、君、知ってる?」
提督「新技術の検討会議だろ。書いてあったじゃないか」
細提督「そういう事じゃなくてさ。どういうものなのかなって」
提督「そうまで具体的になると、少なくとも俺は知らないな。あれかな、ってのは幾つかあるけど」
老提督「私もその程度だな。何より、艦娘に関することは噂が多すぎてどれが真実なのやら」
提督「存在自体がそもそもオカルトですからね。真偽を疑えば、それはそうなりますかね」
三人して同じことを考えていたようだ。
初めは俺も、何か後ろめたい、秘する必要があるような会議なのか、と一瞬訝しんだ。
が、もし、そんな技術に関する会議ならばそもそも本営名義の書類で通達する事自体が馬鹿げているし、ましてここで開くのなど愚の骨頂だ。
事実、ここの受付はもちろん、外の案内板に辿り着く前に捕まえた職員は、内容に関しては俺たちと同様だったが、会議が開催される事だけはきちんと知っていた。
三階。
四階。
提督「要は、秘密ではないけど、人数を絞って検討する必要があるもの、ですか」
老提督「そうなんだろうな。それでもって、本営にとっていかがわしくは無いものか」
五階。
軽い調子でベルが鳴り、鉄扉が開く。廊下に出ると、脇に階段、そしてそのすぐ傍に案内板があった。
庭で十数分睨めっこした難解な鉄板を思い出したが、ここは建物自体が単純な造りのため、目的地はすぐに知れた。
老提督「何にせよ、検討する以上は仕様やら運用方法の説明もあるだろう。行けばわかる」
提督「身も蓋もない」
老提督「事実、そうだしな」
話しつつ、確信はあった。
根拠は無く、矛盾した言い方ではあるが、ぼんやりとした確信。
後になって考えればそれは、『危機』に瀕した俺が保身のために発達させた異常な嗅覚によるものだったのかもしれない。
この会議は、艦娘の現状を打破できる可能性を含むものだと。
そしてそれは現状流れている噂では一つしかない。
この会議は『限界突破』の為の物だ。
会議場の扉が見える。
ドアノブに手を駆けつつ、思った。
彼女らの生きる道を。
その為になら、何だって。
(野郎しか出てこないから筆が進まなかったなんて言えない)
ちょっと私事の予定が良く分かんないので、次回も未定です。本当にすみません。
早く次にいけるように何とか頑張りはしますので、お付き合いいただければ。
今日はここまでー。
ホント、すみません。言い訳のしようもございません。
一つ、皆さんに質問があります。艦娘たちを愛していますか?
その男が口にするその問いで、その会議は幕を開けた。
14+.指輪2
壇上の翁は、その『会議』に至る過程を一通り説明し終わると、用意された水差しからコップに水を注ぎ、それで口を湿らせた。
老提督「……君達の中では彼を知らない子の方が少ないかな」
加齢によってか、或いは提督という職業柄か。
眉間に刻まれた深い皺をもう少しだけ深くして、彼は艦娘達にそう聞いた。
傍聴席側は一瞬だけ、より深く沈黙したがすぐにその中の一隻が声を上げた。
春雨「古い艦も、新しい艦も」
春雨。
球磨とはまた別の形で激情を露わにした艦娘。
壇上の翁はそれを知る由もないが、発言に際する声や体の震えとは裏腹に、春雨の眼は真っ直ぐに壇上を見据えている。
春雨「よく、知っています。思えば、提督があの方の葬儀に出席されてからでしたから」
翁は思う。
豪胆の持ち主ではない事はよくわかる。翁の鎮守府の春雨も、それは同じだ。
しかし、恐らく。
春雨「提督があの艤装に。……あの指輪にそれまで以上の執着をするようになったのは」
老提督「やはり、そうだろうな」
その言葉を受けて、翁は再びマイクを握る。
恐らく、彼女は彼女なりに。
いや、なり、どころではなく、持ちえぬ胆を奮い立たせ、彼女の精一杯で彼女自身のこの問題と戦ってきたのだろう。
そしてそれはきっと、彼女だけでなくこの鎮守府の全員がそうなのだ。
再び、翁は思う。
あの方の葬儀。
そう口にするということは、彼が鬼籍に入ることになった遠因を知っていると言っているに等しい。
そう難しい推察ではない。
容易く想像できる事だ。
それによってここの鎮守府の提督が、艦娘への愛情を強く、異常なほど強く自覚する彼が、その遠因によって決定的に狂ってしまいかねない、ということも同時に。
艦娘は人ではない。
正しい言葉だと思う。
そしてその言葉を定着させたのは、艦娘黎明期から提督を務めてきた『年寄り』連中だ。
翁自身、上昇志向こそ希薄だったものの、幾つもの地を転戦し、その分本営とのパイプもそれなりにあった。
きっとあの時、『会議』の前のタイミングであれがどういうものなのか、把握していたのはきっと翁だけだったろう。
培った見地からせめて一言でも添えてやれれば若者たちがこうも遠回りすることも無かったのかもしれないが。
老提督「……話を続けようか」
相も変わらずクソ真面目。
どの口が言ったのやら。
提督という人種は、結局のところ同じ穴の狢なのだろう。
彼女らの為に何か。それを考えない日は、きっと一日だって無いのだ。
― ― ―
会議場に入ると、いくつか見知った顔があったがどうやら開始まで時間が無かったようでさっさと自分の席を探し、座る。
そして用意された席に腰かけ、手元に配られてきた資料を見た。
表題に曰く『艦娘の限界突破に関する研究結果とそのメカニズムについて』。
パラパラと捲ると、デフォルメされた人を表していると思しき人型と、艦娘を表していると思しき背中に重そうなモノを背負った人型。
その間に、何やら炎のような物があり、矢印を経て人から艦娘へそれが移動している様な図が目を引いた。
白衣「御揃いのようですね」
他にも何やらのグラフやチャート等のデータが各ページにつらつらと書いてあったが、それらに目を通す前に会議場に声が響いた。
顔を上げると会議室の前方に、パソコンや支持棒、大学ノートと、会議に必要な一通りのセットを持った一人の男が入ってきた。
白衣「突然のお呼び出しにも関わらずありがとうございます。今会議とその議題のモノの責任者です」
男は技術部らしいいささかくたびれた白衣と、ぶ厚そうな銀縁の眼鏡を身に着けた、ひょろりと長い上背の男だ。
会議と銘打った場所にそのようなワーキングウェアで挑むのは少々常識に欠けると言わざるを得ないが、そういった非常識さを差し挟ませない堂々とした態度でもある。
ひょろり、と言っても病弱そうというわけでもなく、俺の同期の彼と比べてもそれなりに健康そうに見える。
まあ、技術部といった仕事の性質上、穴倉暮らしであることはある程度必然であろうから、体が強そう、というわけでもないのだが。
ともかく、そういった容姿や立ち振る舞いから彼がこの会議、そして議題である技術に並々ならない情熱を注いでいるのであろうことが分かった。
そして何より目の奥に見える光に、どことなく共感を覚えた。
白衣「さて、それでは始めさせていただきましょうか。まずは」
老提督「その前に、一ついいかな?」
軽い自己紹介の後、早々に話し始めようとする白衣に、俺の席から少々離れて座った翁が手を上げて機先を制する。
白衣「はい、何でしょうか」
老提督「会議という割にいささか人数が少なすぎる気がするのだが」
老提督「選出した、とは書面で読んだが、それに今までの新しい装備や改修は、各鎮守府に書面で通達するのみだったのに、なぜ今回のモノだけは?」
出来れば選出基準を、無理なら簡単な説明だけでも先ず願いたい。
多分、私以外の参加者も気にかかっている事だろう。と翁。
無理もない。
『提督』になる技術、というか教育方針は確立されている。
それはそれだけ提督の数がいるということで、その全体数から考えると、今回の出席者は確かに少ない。
技術棟に訪れる前から不思議だった事だし、会議場を見回すと確かに皆、理由を知りたがってはいるようだ。
一方の白衣はというと、出鼻をくじかれたのにも関わらず気を悪くした様子は微塵も無い。
白衣「ああ、追って説明しようと思っていたのですが。――まあ、その疑問は当然ですね」
白衣は会議場内を一度見まわし場の雰囲気を察したのか、忙しなく動かしていた手元のノートパソコンへの操作をいったん緩めた。
白衣「それではまず、一つ、皆さんに質問があります」
そこから幾つかの操作を行い、会議開始の準備を整えたのだろう。
天井に設置されたプロジェクターの冷却ファンが回りだし、白衣はもう一度会議場全体を見渡し、にこやかに笑いながら口を開いた。
白衣「皆さんは、艦娘たちを愛していますか?」
しん、と会議場が静まり返る。
突然の質問に戸惑いも大きかったのだろうが、白衣の男の言葉が部屋全体に波及し全員がその言葉を理解したころ、別種の沈黙が会場に満ちた。
白衣「……安心しました。話を進めることができます」
殺気にも似た緊張。
『愛』などという、場所が場所なら浮ついたと取られてもおかしくない言葉を受けて、提督達は押し黙った。
始めは憤慨を持って、そして僅かな後、どうやらこの白衣の男も自分らと同等に真剣らしい、と気付いて。
白衣「さて、選出基準でしたか」
白衣は相変わらず笑顔を浮かべながら、ノートパソコンと一緒に持ち込んだ紙の束を取り出すと、会場の全員に見えるように高く掲げてパラパラと捲った。
捲るスピードが速いのでその全てに目を通すことはできないが、それは受付でチラリと見た今日の出席者を記した名簿と似たようなものに見えた。
だが
白衣「これから選出しました。探してみると、案外多くて安心しました」
あれと比べると明らかに厚さが異なる。
白衣「全鎮守府、提督の名簿です。鎮守府と提督の名前、戦果、そして艦娘の轟沈数が記してあります」
最後の一ページを捲り終わり、白衣は名簿を自分の前の机に置いた。
白衣「戦果が著しく、そして轟沈した艦娘がいない鎮守府。そこから更に艦娘を大事に思っているであろう提督を選出させていただきました」
白衣「内偵、というほど仰々しい事はしておりませんが、各々方の近隣の鎮守府に多少の聞き込みなどはさせていただきました」
無論、そうでない鎮守府にもあなた方と同じような提督もいるのでしょうが、今回の選出基準はそういう事です。
白衣はそう結んだ。
なるほど、見知った顔が多いわけだ。
会場入りした時、引っかかったモノが一つ解消した。
白衣は翁をちらりと一瞥し、翁が納得したように頷いたのを見て、再びノートパソコンの操作に移った。
老提督「つまり君は今回の会議に、君の言葉を借りれば『艦娘達を愛している』提督達に出席してもらいたかった――」
顔を上げずにパソコンの操作を続ける白衣に、翁は言葉をかける。
老提督「いや、いずれ全体に普及させるつもりではあるが、肝心な部分を『それ以外』には黙っておきたかった、そういう事か?」
白衣「その通りです。――おっと、失礼」
タン、と多少強いキーボードのタップ音と共に部屋全体の電気が落ち、プロジェクターが会議室前方のスクリーンに像を結びだした。
俺も使ったことがある、一般的に最も普及しているだろうプレゼンテーション用ソフトで作られた発表用の資料。
起動後に一瞬、先ほど俺がちらりと見た、人と艦娘、そして炎の図が映し出されたが、白衣の謝意の声と共に『艦娘の限界突破に関する研究結果とそのメカニズムについて』と記された表紙に変わった。
白衣「さて、それでは始めますが……。皆様はなぜ、艦娘の練度が99%で頭打ちなのか、考えたことがおありですか?」
ざわり、とうなじの辺りの産毛が逆立った。
そして追って来る、全身の鳥肌。
手元の資料の図は、小さかった。
加えて印刷の質もあまり良くは無かった。
だから、その紙面ではわからなかった事が、プロジェクターで拡大されたことで良く分かった。
白衣「長い間、我々本営の間でも疑問でした。彼女らは前大戦時の艦の化身。であれば何故、その練度は、つまりは再現度は99%で頭打ちなのか」
「小さい体だと、耐えきれないからじゃないのか。艦娘は今は人の身だろう」
白衣「はは、そうですね」
会議場は静まり、白衣の声とパソコンとプロジェクターのファンの音、そして時折上がる聴衆からの声以外の音は何もない。
だが、俺の心臓の脈動はうるさいほどに鼓膜を叩く。
会場に入る前の予感、そしてあの図を見て得たことによるこの高鳴り。
白衣「その通り。数万トンの排水量を誇った鉄塊を再現するには彼女らが小さすぎるだとか、化身といえども厳密に言えば別物であるからだとか、推論は様々あります」
彼女らの体が持たないから。
最も有力なのはそれだ。
先も上がったそれや、会場の端々から漏れ聞こえるその他を耳の端に捉えつつ、俺の鳥肌は一向に収まらない。
白衣「事実、そうなのかもしれません。しかし、推論は推論としまして――」
一旦、言葉を切って白衣は、くい、と眼鏡の位置を直した。
プロジェクターの光を反射してレンズの向こう、白衣の目が見えなくなった。
白衣「我々技術部は、別の方向からアプローチを試みました。何故頭打ちなのか、ではなく『何が足りないのか』」
細提督「足りない?」
白衣「ええ。99%、なんですよ? それが限界、なのではなく、1%の何かが足りないのではないか……。そう考えるのはある程度自然では?」
離れた位置から鸚鵡返しの疑問の声が上がる。
そちらを見ると、スクリーンを照らし出す青色光にただでさえ白い顔を、更に白く染めた提督が呆けたような表情で白衣の言葉に聞き入っていた。
あちらも俺と同じものを見て、そして同じ考えに至ったようだ。
白衣「艦娘の顕現。その原因の一つの俗説に、彼女らこそ無念の塊だ、というものがありますね」
白衣の瞳は反射に隠れたまま見えない。
比例して、顔に落ちた影は一層濃くなっていく。
白衣「人の姿を取ったのは何故か。その深い無念から、彼女らは人を形作って、再び人を乗せることを拒んだのではないか。そんな話も聞きます」
どの推論も正しいかどうかはわからない。
いまだ謎が多い彼女ら自身、それを正確には把握していないのだろうから。
しかし
白衣「今の私の言葉、皆様が持つ持論。どれが正解なのか、わかりません。しかし、これらを並べ、足りない1%は何なのか」
白衣「私達はそれを突き詰めてみました。まず、基本的なアプローチから」
スクリーンの映像は、白衣の言葉と共にくるくると変わっていき、彼の言葉を補足する映像を次々と映し出す。
白衣「分かっていることは幾つかあります。
1.艦娘が船の化身であること
2.名前の元となる艦の魂の顕現であること
3.魂と器、これらの関係が我々人とは異なること
艦娘に関して決定的に確かなことはこれくらいですか」
白衣の言葉と共に、それを補足する画像が次々流れ、変わる。
白衣「付け加えれば、
4.艦娘は艦の魂を持つので、人の命令には逆らわない。
がありますが、それはそれ。練度とは関係ないので今は置いておきましょうか」
さて、という一呼吸をおいて、再びスクリーンの画像が変わる。
デフォルメされた艦船をバックに、半透明の艦娘の姿。
白衣「彼女らは船であり、しかし先の『1.』を踏まえると限界まで練度を上げようとも彼女らは厳密には船とは言えません。100%ではないのですから」
白衣「なら、何が足りないのか」
スクリーン上の半透明の艦娘が、更に薄くなり、消える。
代わりに画面の端から現れたのは、これまたデフォルメされ、そして唾が短く、骨組みが入ったようなきっちりとしたシルエットをした帽子を被った、人影。
白衣「当たり前の話ですが、船はそれのみで動けるでしょうか」
「無理だな」
白衣「船のみで、戦闘行為を行えるでしょうか。砲撃は、雷撃は、回避は。それらに伴う判断は」
「出航すら、出来まいよ」
白衣「その通りです」
白衣の言葉、そしてスクリーン上の動きと共に、誰からともなく吐き出される言葉。
それら言葉の往来と並行して、画面端から顔を出した『提督』はてこてこと真ん中に向かって歩を進める。
画面の真ん中に浮かんでいる、艦船に向かって。
そして、すーっと船から下ろされた艦橋を登って、艦首に入っていく。
そしてその動作とオーバーラップしながら画像が入れ変わる。
白衣「船は、乗船されて初めて船としての役割を果たせます。練度の頭打ちは99%。そして足りない1%は」
映し出されたのは、俺が紙面で見た図。
白衣「お分かりですか」
人と、炎と、艦娘。
白衣「足りないのは『人間』。艦の乗組員たる、人間です」
― ― ―
しん、と静まり返った会議場。
スクリーンには大写しの図が一枚。
その図の左側。提督を表す人型は、一部がほんの少しだけ欠けていた。
その欠けた部分から伸びる矢印の先に炎。
その更に先に艦娘。
老提督「人が艦娘に乗船するなど出来るのか」
まんじりともせず会場の声に耳を傾けていた翁が沈黙を破り、口を開いた。
暗がりで良くは見えないが、唇を強く噛んでいるようにも見える。
そのせいか声もくぐもって聞えた。
老提督「あの小さな艤装に乗れ、とでも言う気か」
白衣「まさか。流石にそんな事は言いません」
何よりそんな簡単な事で限界が突破できれば苦労しません、と白衣。
白衣「図をご覧いただければ。詳しくはご説明します」
白衣はパソコンの前を離れ、支持棒を持ってスクリーンに寄る。
白衣「艦娘の魂と器は人は異なると言いましたが、一方で同じ部分もあります。魂と器。双方が互いに影響しあい、存在しているということです」
支持棒の先が、くるりと艦娘の人型を囲う。
白衣「艦娘は人に比べて魂と器が明確に独立している。それだけに人と比べてそれぞれが強固に結びつきあってもいます。ここまでは良いでしょうか?」
老提督「ああ、改めて説明されるまでも無い」
白衣「良かった。続けます」
支持棒はその先端を人間を表す人型に移し、再びそれをくるりと囲った。
白衣「一方で人の魂と器は艦娘のそれとは違い、混然としています。その分、良いにせよ悪いにせよどちらかに何かがあれば、それがもう一方にダイレクトに影響する」
老提督「待て。そこだ」
翁のぴしゃりとした声が、スクリーン上を往来する支持棒の動きを止めた。
暗がりでもわかる古強者の眼光が、研究者を見据えた。
老提督「人に魂があると、何故わかる?」
提督「――何を」
老提督「黙っていろ」
咄嗟に出掛った俺の声は、翁の一言で潰された。
腕を組み振り向きもせず、翁は壇上のみを見ている。
白衣「――それを言ってしまえば、艦娘にも魂は無いかも知れませんよ?」
老提督「それならそれで、構わん。が、今は私達の魂の話だ。目視で確認できるわけでも、まして外科手術で取り出せるわけでもあるまいに」
老提督「何故、ある、とそこまで言い切れる」
静かに、しかしある種の『気』を孕んで、淡々と吐き出される翁の言葉に、誰も異を挟まなかった。
彼に並ぶ提督達の集まりだ。
翁が今言った事と、ほぼ同じ疑問を腹に抱えているのだろう。
が、壇上の白衣はそれを真正面から受け、尚も堂々としている。
老提督「ケチを付けたいわけではない。分かっているとは思うが」
白衣「ええ、もちろん。事は我々だけではない。下手をすれば、彼女達の身の安全にもかかわる事です。慎重になるのは当然です」
むしろそういった方々だからこそ、今日お呼びしたのですから。
白衣はそう言うと、再び支持棒の動きを再開させた。
白衣「さて、いささか意地悪を言いましたが、間接的には艦娘達の存在が我々の魂の存在証明と言ってもいいと考えます。艦船は言ってしまえば鉄、その他の集合体。それに魂が宿る、というのも考えられなくはありませんが、まだ弱い」
白衣「ですが、艦娘達は生まれながらにして持っている物がありますね」
老提督「記憶と常識か」
白衣「その通り。付け加えるなら、艤装と戦闘技術も」
画面の図は変えず、人と艦娘をそれぞれ示しながら白衣は続ける。
白衣「そういった情報の入力、出力は船単体でやっていた事ではありません。すなわち乗船していた人の魂を基に彼女らがそれを模倣している、と言ってもいいと思いませんか?」
老提督「確かにそれも悪くは無い。が、艦であった彼女らがそれらを学習し、踏襲していると言ってしまうことも出来るが」
白衣「そうですね。その通りです」
魂と記憶の相互関係については、艦娘が前大戦の関連記憶を持っていることで納得はできる。
艦娘の魂の存在はそれで腑に落ちるものの、しかし人の魂は。
老提督「それだけでは、難しいな」
翁の言葉で、白衣は黙る。
自身で言った通り彼は別に、白衣の意見にケチを付けたいわけではないのだろう。
白衣の言う通り、生半可で飲み込むわけにはいかない事だから徹底して突き詰めたいのだ。
白衣「ええ、そうですね」
一瞬の沈黙後、白衣は顔を上げた。
その顔は
老提督「もったいぶらずに言ったらどうだ。君には確信があるんだろう?」
先の表情と微塵も変わらない、にこやかなものだった。
翁の物言いははっきり言えば横槍だ。言いがかりに等しい。
白衣に対する証明ばかりを求め、自分はただ質問をするだけ。
翁自身もそれは分かった上であえてそうしているのだろうが、しかしそんな一方的な暴力にも似たそれに気を悪くした様子もなく白衣はにこにこと笑う。
白衣「もう一度、図をご覧いただいてよろしいでしょうか?」
支持棒の先は、す、と淀みなく人間を表す人型に向かう。
そしてそれはもう少し繊細に移動し、ぱし、と一点を示し、止まった。
白衣「乗船する、とは言いましたが、何も人間の魂が一人分丸々乗る必要はありません。彼女らが足りないのは1%分のみ。それだけを補ってやればいい」
俺も、そしてこの会場の全員が気付いていたであろう、人の側の欠損部分。
ほんの少し欠けた部分を示して、支持棒は止まった。
白衣「人の魂の総量の極々一部だけ。これだけを分ければ、足りる。簡単な話です」
さらりと。
語る内容と同じく、白衣は簡単に語る。
何故か。
白衣「既に試しました。人の魂を個別に分離すること、そしてその程度では特段の影響は無いこと。両方を」
既に彼にとって、証明し終わった事柄であるがためだ。
使ったのは何か。
問うのも馬鹿馬鹿しい。
彼自身だ。
白衣「詳細はいささか複雑なので省略しますが、ご存知の通り、艦娘の建造顕現にはいささか呪術的な手順が必要です。そして解体も同様に」
ご存じとは思いますが、と語る白衣の目の奥。
そこに見える光に、共感を覚えた理由がわかった気がした。
この男も、俺と同じだ。
白衣「装備品開発もまた同じく。それらを基に、人間に魂があるならばそれに影響を及ぼせるような術式体系を考案、組み上げました」
そして取り出した魂を、まず装備を相手にどういった影響を及ぼすのか調べ、次いで実験は予備艤装へと。
ありとあらゆる反応を慎重に調べ、結果、艦娘への悪影響は確認できていないそうだ。
白衣「体系はほぼ、完璧であると思います。万が一があるわけにもいきませんので、まだ少々の試行の時間を頂ければと思いますが」
それを確信するのに、どれ程にまで摩耗させたのか。
しかしそれを語る彼の顔には一片の後悔も無い。
物理的な確認手段はなく、自身にどんな影響があるかもわからない魂を扱うにも関わらず、しかし彼はそれを躊躇なく試したのだろう。
この男も、俺と同じ混沌を覗き込んでいる。
そして恐らくこの会場の他の提督達も、それに飲まれている。
聴衆は先程からこの白衣の男が、人よりも艦娘の安全の方を重点的に語っているのを、そして無言の内に自分達がそれを受け入れているのを、気付いているのだろうか。
艦娘、という誰ともなく呼ばれ始めたその呼称について、言葉遊びの範囲ではあるものの、たまに議論が交わされることがある。
何故、『娘』なのか。
『女』ではないのか。
語呂もあるだろう。
字面もあるだろう。
が、根本にあるのは人間が抱く彼女ら可愛さの気持ちに由来するのだと、俺は思う。
彼女らは船だ。
人間が造り出した、道具だ。
人が生み出した、物だ。
それが今、再び人の姿を取って現れ、尚も戦おうとする。
傷付いた記憶を持ちながら、尚もだ。
艦娘は人で無いと念入りに刷り込む一方で『娘』と呼ぶその気持ちも、同時に人は、提督は抱える。
自分達が造ったのに。
子供のような、娘のような存在なのに。
そんな彼女らの背中を、ただ見て送り出すしかない無力さをどうすればいい。
爪を持たず。
牙も持たず。
何も持たないこの無力さを、どうすればいい。
そしてもし、その無力さに一矢報いることが出来るなら。
提督「人の魂を艦娘に」
白衣「その通りです。未知な部分も多くあります。リスキーな方法です。共に傷つくことにも、なるでしょう。それを踏まえて、もう一度聞かせて下さい」
どしん、と物理的な音が聞こえてきそうなほどに会議場の薄闇が重量を増し、温度が僅かに上がった。
熱源は知れている。
会場のそこここからの視線が、鋭くスクリーンに突き刺さる。
白衣「艦娘達を、愛していますか? 彼女らに魂を預けられるほどに」
緊張。
『愛』などという、場所が場所なら浮ついたと取られてもおかしくない言葉を再び受けて、提督達はまたも押し黙った。
だから、一言で表すなら、それはきっと『意地』だった。
爪を。
牙を。
愛しい愛しい娘達に、それら全てを押し付けてしまった人類の、たった一つの意地だった。
正直、残っているとは思わなかったので、残して置いてくださった方々にありましては、本当にありがとうございます。
加えて申し訳ないのですが、次回もまた未定です。
sage進行で細々やっていきます。
思い出した頃に覗いていただければ。
今日はここまで。
次回も近日中に。それ以降は、また遅くなると思われます。
15.ケッコンカッコカリ
言いたい事は全て言ったとばかりに、白衣は一度、支持棒を置いた。
白衣「何か、ご質問は」
それと同時、室内の電灯は再び点灯し、質疑応答の段階に移ったようだ。
会場が静まったのも僅かの間、白衣に促され聴衆席からはすぐに質問の声が上がる。
「今の所で構わん、艦娘の側に出るだろう影響を教えてくれないか」
白衣「デメリットを、ではなく?」
「君の口ぶりからそれはなさそうだったが、もしもあるならそれも併せて」
白衣「承知しました」
白衣は室内を明るくしたまま、スクリーンの映像を変える。
白衣「お手元の資料も一緒にご覧くださると助かります。さて結論から言ってしまえば、一応、今の段階で艦娘側に悪影響は無いとの結果が得られています。恐らくこれからも無いでしょう」
「何故、無いだろうと?」
白衣「それだけ反復して調べた、ということもあります。ですが一番の理由は、艦娘と人の魂が非常に近しいから、でしょうか」
まあ、それも実験で判明したことではありますが、と白衣は続ける。
白衣「親和性が非常に高いのです。まだ実験段階ですので、実際に艦娘に人の魂を預けてその感想を聞いたことはまだありませんが、人間の魂を受け取った艦娘側には何らかの壁を越えた、という実感しか無いでしょう」
白衣「人の魂と艦娘の魂、別物であることは間違いありませんが、ほぼ融和してしまうため、悪影響はほぼないかと」
「壁を越える、とは?」
白衣「ほぼ完全に、艦としての性能を自分のものにした感覚、とでも言いましょうか。人間の身ではそう言葉にするしかありませんが、恐らくそんな感触があるのだろうと思われます」
白衣「実験を繰り返した上で得た推測にすぎませんが、概ね正しいでしょう」
「別の者の魂を受け取っているのに、か」
白衣「量についてはこれから更に術式の調整を行っていかなければなりませんが、現段階でも人側が分ける量はごく僅かです。そんな量の魂を受け取ったからと言って、大本である艦娘の魂にはほとんど影響は無いでしょう」
白衣「あくまで『人間の魂』を受け取ることが必要なのかと」
「限界を超える、とはいっても、具体的にはどうなるんだ。艤装の代わりに、往年の砲を召喚できるわけでもあるまい?」
白衣「そうですね。受け取る魂の量が少ない以上、火力や雷撃等の攻撃威力に、劇的な変化はないでしょう。火力の増設を図るわけではありませんから」
「なら、具体的には何がどうなる」
白衣「まず、彼女達の戦いは基本的に魂の削り合いだという事を思い出してください。人の魂を足すのですから、根本的な耐久力が僅かではありますがプラスされます」
スクリーンの映像が、艦娘のみを大写しにした映像に変わる。
その横に先ほども描かれていた炎が灯ると、ゆっくりと艦娘の体の側に消えていき、艦娘の体の目方が、僅かに増した。
白衣「魂の総量が増えるので、当たり前の事ではありますね。それ以外だと、これも推測でしかありませんが、戦闘補助行為が多少行いやすくなると思われます」
「戦闘補助行為?」
白衣「大雑把に、回避や索敵などの直接相手に攻撃を加える以外の行動、でしょうか。私は如何せんその手の事には門外漢なので、勝手にそう括っているだけですが」
「その説明を貰えると助かるな」
白衣「コンピューターに例えましょう。処理能力は低いもののCPUをもう一つ増設するようなモノですね」
白衣「艦娘の思考や人格には影響は与えないまでも預けた魂自体は働きますので、これをモノにすれば砲撃をしながら回避行動を行うなどの並列思考をより高度に行うことが出来るようになるでしょう」
「モノにする、とは?」
白衣「『増設』された魂は人間の物ですので、当然、艦娘としての動作はしてくれません。とはいえ、これを更に繰り返し使役すれば、彼女らに馴染んでいくことでしょう。恐らく、練度の上昇として測定出来るはずです」
「限界突破、か」
白衣「そうですね。なるべく極秘裏に進めていた技術ですが、どこからか漏れたのでしょう。端的に概要を表した、良い言葉だと思います」
「限界を突破した後にも、上限はあるのか」
白衣「艦娘は言うなれば二個体の魂を持つことになりますが、器は一個体分です。確信はありませんが、単純に考えれば150%が妥当なところでしょうか」
「なるほどな」
スクリーン上の艦娘は、自身の輪郭の中に二つの炎を囲っている。
会場のあちこちから飛ぶ質疑に応じて、そこから様々なメリットが吹き出し状に捕捉されていく。
既に説明された耐久力の増加、回避や索敵技術の向上、そして二個体分の魂が『乗る』ことによる運力の上昇。
そして
白衣「艦娘、深海棲艦。今の船達の力の源は魂です」
一通りのメリットを説明し終えたのか、白衣は一拍置いてそんな事を言い出した。
白衣「同時に艤装運用に多くのエネルギーを消費するため、燃料や弾薬以外にも多量のエネルギー摂取が必要なのも、皆様がご存知の通りです」
言って、手元のパソコンのキーボードを一操作。
再び、スクリーンに違う画面が映し出された。
白衣「現在確認できている範囲ではありますが、一つだけ決定的な問題点があります。ただこれは艦娘にとってはメリットになる側面もあるため一概にデメリットとも言い切れないのですが」
図は、最初に俺が見た図に似た一枚だった。
人と艦娘が、少し間をおいて立っている。
ただ、始めと違うのは両者の間に何も表示されていない事。
そして、白衣がもう一度手元を動かすと艦娘側の肩辺りにギザギザの、漫画における衝撃を表すようなマークが表示された。
白衣「問題点の方から行きましょうか。魂は彼女らの力の源であると同時に、核でもあります」
白衣「また、艦載機等の妖精の力を借りるとはいえ、遠隔操作が可能な艤装がある事から、魂は体から離したところで相互に影響を及ぼしあうことが確認されています。そしてこれは我々とて同じであろうと予想されます」
そして更に白衣が一操作を加えると、矢印が表示された。
ただし今度のその先端は、初めに表示された図とは真逆。
艦娘から人へと方向を変えていた。
白衣「艦娘側に付与した人の魂は、彼女らの支配下にはいるものの依然として人の物であることに変わりはありません。つまり付与した後も、元の人と相互に影響しあいます」
そしてスクリーンの人の中心部に、ゆっくりと艦娘の肩口にあるギザギザと同じ模様が浮き上がってきた。
「フィードバックがあるのか」
白衣「『あると予想される』が、言葉としては正しいでしょう。ただ、ほぼ間違いないと思われます」
白衣「加えて、彼女らが受けている魂のダメージがどれ程の衝撃、苦痛なのかは正確にはわからないため、我々へのフィードバックがどんなものなのかは想像するしかありません」
「肉体的な痛みではないから?」
白衣「それもあります。ですが、もっと分かり易く我々が魂を観測するのが困難であるためです。我々にとっては未知の苦痛です。それが肉体、精神の両面において、どういった影響を及ぼすのかもはっきりしません」
「艦娘に付した我々の魂が傷付くからか」
白衣「或いは、戦闘行為で失われた不足分を補充する過程で我々の魂が磨り減るからか。どちらかはわかりませんが、どちらにせよそんな理屈で結果的に人間側の魂は摩耗することになるでしょう」
ダメージの共有。
まあ、彼の言葉からすると完全な共有ではないのだろうが。
提督「構いませんよ。彼女らだけ戦わせてるんだ、こっちにリスクが無いのがそもそもおかしかったんです」
意識せずに開いた口からはするりとそんな言葉が出た。
提督「良い技術だと思います。彼女らの助けになれるなら、願っても無い」
そう、願っても無いのだ。
言葉半分は、嘘だった。
極力誠意的に聞こえるような声音で覆った俺の嘘を、俺自身が一番良く分かっていた。
共に傷つくことが出来たなら。
俺にとってはそれこそが望むところだった。
勿論、彼女らに強くなってほしいという気持ちにも嘘偽りは無かったが。
白衣「他の皆さんも、同意見で?」
白衣がぐるりと部屋を見回すと、頷きを返す者、腕を組んだまま押し黙る者。
反応はそれぞれだったが、室内の何処にも否定の意志は見つからなかった。
老提督「なるほどな」
そんな中、翁がぽつりと口を開く。
白衣「何か?」
老提督「何故、技術部が我々、『艦娘達を愛している提督達』のみを呼んだのかが、よくわかった」
白衣「さっき貴方が仰ったとおりです。それ以外にはこれを明かしたくなかったからですよ」
老提督「その通りだな。私としても、少々勘違いしていたようだが」
翁の口調に別に責めるような調子はなく、そこにあったのは問題集の答えあわせをするような、俯瞰した納得とでも表現される様な調子だった。
老提督「私はさっき、この技術を『それ以外』には黙っておきたかったからか、と言ったか。なるほど、字面はあっていたわけだ」
老提督「先程は『艦娘達を愛していない提督達』を指して『それ以外』と言ったわけだが、違ったか」
白衣「ああ、なるほど、そういう事でしたか」
老提督「君らが呼びたくなかったのは、むしろ艦娘の方だったわけだ」
秘書艦の同行まで禁じたこの会議。
開催側にその意図は無かったのかもしれないが、厳選された一部の鎮守府のみを招くとなれば、彼女らの同行までも断る理由には十分足りる。
老提督「ああ、別にだからなんだというわけじゃない。ただ納得がいったというだけの話だ」
白衣「疑問が解消されたようで何よりです」
老提督「成程、我々がリスクを背負うかもしれない事を、彼女らが快諾するはずもない」
白衣「あなた方の鎮守府のような場所に属する艦娘であれば、尚更でしょう」
彼女らは魂を削られる苦痛を知っている。
それを知っているうえで、人がそれを負うことを是とするか。
実際には聞いてみなければわからない事ではあるが、まあ、聞かずともわかるような気はした。
今朝、俺を見送ってくれた吹雪、五月雨、千代田の顔を思いだし、そう考える。
老提督「デメリットはそれで終わりかね?」
白衣「ああ、あと少々付け足しはあるのですが……まあ、ここからは艦娘側のメリットに通じる部分なので一緒に説明してしまいましょう」
白衣はそう言うと、再びスクリーン上の画像を動かした。
図の大まかな表示自体は変わらず、矢印の表示とギザギザが消え、代わりに艦娘側に移った『人間の魂』の部分がポッと明るい黄色でスポットされた。
白衣「さて、艦娘に移した魂は彼女らの魂に融和はしますが、一方で元の人間の魂でもあり続けます」
白衣「艦娘と元の人間、両方に影響を与える状態になるわけですね。先に説明させていただいたダメージの例が顕著です」
スクリーンの艦娘と人間の間に双方向を指す矢印が浮かんでくる。
それは始めうっすらと一本浮かび、次いで二本、三本とその数を増やしていき
白衣「そして互いに与える影響というのは、何もダメージだけではないと考えられます。我々人間にとって今まで魂という物自体が縁遠い代物であったため実際の影響は分かりません」
白衣「更に言ってしまえば個人差もあるでしょうから全てを一概には言えませんが、彼女らの核が魂であることを考えれば、燃費の向上が望まれるかと思われます」
そして白衣が喋っている間、どんどんと数を増やし続けた矢印は徐々にその勢いを弱め、やがて一本の太い矢印となった。
「人の側から提供されるからか」
白衣「その通りです。魂の目方が増えたからと言って、彼女らが必要とするエネルギーの全体量は変わりませんが、外部からの供給が加わりますので艦娘側にしてみれば燃費が減ることにはなりますね」
「その理屈だと、提供元の人間が多くエネルギーを摂取することになるが」
白衣「そうなるでしょう。自らを保つために多くの栄養摂取が必要になろうかと思われます。提供側にしてみれば自分以外の個体の面倒も見ることになるわけですから」
単純に言えば食事量の増加、加えて疲れも溜まりやすくなるでしょう、と白衣は付け足す。
「メリットとデメリットと言うよりも、プラスとマイナスが寄る、といった具合か」
白衣「確かに、その言い方の方がしっくりしますね。まあ、提供する魂の量が微々たるものなので、これの影響はあまり大きくは無いと思われますが、間違いなく実感はするでしょう」
そして白衣はコトリと支持棒をパソコンの前に置くと、はぁ、と息を吐いた。
白衣「これで、大方の説明は済みました。今日はこの辺りにしましょうか」
流石にいささかの疲れが見て取れる。
パソコンと支持棒を置いた机と一緒に用意された椅子を座り、白衣はもう一度大きく息を吐いた。
それが合図と言わんばかりに、聴衆であった提督達もごそごそと帰り支度を始めた。
白衣「ああ、そうだ。一つだけ忘れていました」
後は、白衣が口にするだろう解散の音頭を待つばかりか、といったところで彼が発したのはむしろ予想とは真逆だった。
白衣「ああ、すみません。とは言っても、今日の所はむしろこれが本題でして」
一瞬、室内に流れた妙な雰囲気を敏感に察知し、白衣は両手を振って取り繕う。
まだ時間も早いですからもう少しは良いでしょう、と付け足し、白衣は持ち込んだ大学ノートを目の前に広げた。
言われて会議室の壁掛け時計に目をやると、確かに白衣がここに入室してから、まだそれほどの時間は経っていないようだ。
白衣「助かります。まあ、実はこの技術、技術部でも正式な名称が決まっていなくて。これを機に皆さんを交えて決めてしまおうかと思いまして」
白衣に前に広げられたノートにはいくつかの走り書きと、それを塗りつぶすインクが何行も連なっていた。
その筆跡はそれぞれ異なっていて、恐らくあれは部内でこの技術に関わっている幾人もの人間が案を出す用のノートなのだろうと推し量れた。
「名称、か」
白衣「ええ。術式自体はほぼ完成、あとはどういった運用をしていくかなどの技術の詰めとその過程報告の為の会議がこの会議です。その為に開催期間は長めにとってありますし、なにより本格的に運用に移るにもまず名前が無いと」
白衣はぺらぺらと手元のノートを捲り、まだ何も書き込まれていないページを開くと、胸ポケットからボールペンを取り出す。
白衣「別に今日中に必ず、というわけではないのでとりあえず案を出していただければ。肩肘を張る必要もありませんが、軽く考えられても困りますので、ある程度は真面目にお願いします」
「案を出すのは構わんが……技術部ではどんな候補が上がったのか、参考までに教えてもらいたいな」
白衣「あぁ、そうですね。ではこのノートを端からまわしますので順に閲覧していただいてよろしいですか」
白衣は立ち上がって、一番右前の席にノートを持っていく。
さっきまでの話題が重かったせいか、良い具合に弛緩した室内の雰囲気は、そういった案を出すにはいい環境と言えるかもしれない。
提督「名前、か」
乞われた以上、出さなくてはなるまいと、無い頭を捻ってみる。
人の魂を艦娘に預け、それを融和させるこの技術。
艦娘側はそれを知る事はあるまいが、これはある程度のリスク共有まで強制する。
「しかし、良いのかね。本来なら技術開発に携わっている君達がきちんと名前まで決めてしかるべきだろうに」
白衣「恥ずかしながら研究に携わっている我々では現状の事に精一杯で、どうにも頭が固くなってしまっていまして。お力添えを頂ければ、と」
俺がうんうんと頭を捻っている間に、ノートと話の流れは順調に進んでいるらしい。
早めにノートが回ってきた組は、手元の紙などに自分の案を書きつけたり、丁度良く回ってきたノートに走り書きなどを残しているようだ。
負けじともう少し概要を含めつつ、思考に埋没してみる。
骨子はやはり魂の共有か。
魂の一部を艦娘に渡し、結びつける技術。
白衣は、融和、という言葉を幾度か使った。
魂が存在の核である彼女らからすれば、融和してしまった魂は簡単に分離できないだろうと想像はできる。
ならば戦う立場である以上、一度魂を受け取った彼女らは、我々の魂と共に戦場を行くことになる。
不可分になった魂は、それらの役割が終わるまで、いつ、いかなる時もずっと。それはまるで。
提督「……ケッコン」
白衣「ん?」
結ばれた魂は戦場を駆ける。
死が二人を分かつまで。分かっても。
それを連想する単語がぽつりと零れ出た。
俺のその言葉は予想外に室内の注目を集めたらしい。
白衣「今、何と?」
提督「あ、え、いや。何となく思いついただけなんですけど」
一気に集まった視線の分だけ、顔の温度が上がる。
口にした単語が単語だけに尚更だ。
提督「魂を結ぶとか、字を当てるならケッコンかな、と。他の事を考えても何となく似てるようなと思ったので」
白衣「……ふむ」
しどろもどろになりながらの俺の説明に、白衣は顔を伏せ顎をさすりだした。
その動作の間に、何度かうんうんと頷いてもいる。
室内の他の面子も、俺と白衣を見比べながら事の動静を伺っているようだ。
いや、単なる思い付きをそんなに真剣に考えられても困るんだが。
白衣「……いいですね」
提督「はあ?」
白衣「中ごろで説明したかと思いますが、この手法は呪術的な手順を踏みます。確かに魂の相互関係や精神的な繋がりを鑑みると、結婚が連想できる事柄が幾つかあります」
白衣「呼び名、言霊で縛ることで、術式をある程度こちらの都合よくコントロールすることも出来るでしょう」
なるほど、結婚か。
そう呟きながら、白衣は部屋の中ごろまで回っていたノートを取り戻すとそこに何やらをがりがりと書きなぐり始めた。
入室して以来、彼は随分と冷静な印象だったが、こちらが本来の姿なのかもしれない。
白衣「……ああ、すみません。今日の所は、解散でも構わないでしょうか」
しばしあと、白衣はそう言って気恥ずかしそうに顔を上げると、こちらの返事を待たずにいそいそと持ち込んだ道具一式を持って会議室を出て行ってしまった。
いかにも一般的なイメージの研究者らしい姿で、折角案を出していた他の提督達も毒気を抜かれたらしく、順番にそのままがたがたと部屋を出ていった。
提督「……いいのか」
老提督「良いんじゃないか」
細提督「僕も、悪くないと思うけど」
明日もどうせ開かれる会議だ。
何か不都合が起きたらその時に何かあるだろう、と、次々出ていく群衆の後を追うと、自然と行きのメンバーが集まった。
細提督「意外とロマンチストだったんだね、知らなかったよ」
提督「いや、本当にただの思い付きだったんだが」
老提督「そうかね。それにしてはするっと出てきたように見受けたが」
提督「……たまたまですよ」
隣を歩く先輩提督の言葉を聞いて、少しだけひやりと背が冷えた。
魂を結ぶ。
字面からケッコンと当てたと言った他、俺は大して口にはしなかったが、それと同時に思い付いた結婚式での宣誓文句。
死が二人を分かつまで。
俺にとっては、そちらの方がより大事だったのではないかとふと思った。
細提督「それにしても、ケッコン、ね」
そう考えた俺の隣で、返答を求めていないトーンの呟きが聞こえた。
年嵩の提督にはともかく、同年代にはいささかパンチの効きすぎた名称を提案してしまったかと思い、そちらに目をやる。
細提督「ん、どうかしたかい?」
提督「いや、別に」
振り向いた俺を迎えたのは、いやに屈託のない笑みだった。
別に俺をからかうような感じも無い、ケロリとした笑み。
提督「思いのほか、気に入ってもらえたようで」
細提督「そうだね。僕は良いと思うよ、本当にね」
彼のこんな表情を見たのはいつ以来だったか、と思ったのを覚えている。
元々、感情豊かな男ではあった。
が、彼は何と言えばいいのか、腹を決めた時ほどにこやかになる男だった。
今日の流れの中に、そんな腹を決めるほどの何かがあっただろうか。
そう思いながら、その日は帰路に着いた。
その事をそんなに深く考えることは、終ぞしなかった。
― ― ―
以後も、会議は順調に進んでいった。
白衣が言った通り、ほぼ完成していたらしい技術開発は滞りなく進んだ。
その後の会議では日々の研究データの誤差や、名称に沿った艤装『指輪』の開発着手報告。
そして正式名称が『ケッコンカッコカリ』に決まった事など、細々とした事が白衣の口から報告されるくらい。
カッコカリの部分については、事実としてまず結婚とは違う上に、余り強力に意味付けしてしまうと逆にコントロールが難しくなるから、とのことだった。
ほぼ門外漢の俺にはその真偽は分からなかったが、まあ、専門家がいうならそうなのだろう。
そういった具合にトントン拍子に開発は進んでいき、最終的に任務『ケッコンカッコカリ』は全鎮守府に通達された。
曰く、Lv99に達した艦娘の練度を更に上昇させる為の任務で、それには書類と指輪を要するとのこと。
書類は純粋に本営が管理に用いるためのもの。
そしてそれと一緒に交付される艦娘用と提督用の一対の指輪。
表向きには練度が限界に達した艦娘と強い絆を結び、彼女らの魂の限界を突破させる代物、との概要をかなりぼかしたアナウンスが為された。
白衣「実際は、人間側が嵌めた指輪が魂を発信し、艦娘側が嵌めた指輪が受信を行います」
白衣「艦娘が艤装を着装した状態でお互いに嵌めて頂ければ、それで魂の受け渡しは終わりです。以降は指輪を外していただいても一向に構いません」
とてもいい名称を付けられたお蔭で、術式も指輪のようなコンパクトなものに収めることが出来ました、とは白衣談。
元々やる気があった仕事に、更に張りが出た。
艦娘達の力になれる。
それも裏方などではなく明確に形として。
ただ、俺の鎮守府では所属する全員の練度をほぼ均等に上げていくように努めていたため、発令期日までに練度が限界に達する艦娘はいないだろうという事だけが俺にとっての問題点だったが、遅かれ早かれ練度は限界に到達させることが出来ると考えれば、別に何でもなかった。
そして、一日千秋の思いで待ちわびた任務の発令から少々経ったある日、俺の手元に一本の訃報が届いた。
とある鎮守府で一人の提督が死んだ。
それ自体は、戦時下である鎮守府ではごくありふれた、何処ででもあり得るような出来事だった。
地の文ばっかり長い説明回、ようやく終了です。次回も近日中に。
今日はここまで。
投下。
今回の最後に、艦娘安価をいただきます。
16.提督2
鳥海「質問が、あります」
手を挙げたのは鳥海。
電灯の明かりを眼鏡に反射させ、その奥の瞳が見れないところはあの日のあの白衣にそっくりだな、と笑いつつ翁はそれに応じた。
老提督「何かな?」
鳥海「本営が、技術部が開発したその術式。技術部のその責任者さんの願望に沿って開発された可能性は」
老提督「無いな。彼は開発当初、純粋に限界突破の技術を模索し、それを発見した。発見されたものがたまたまこういう形だった、という話だ」
願望、という言葉を口にする際、一瞬それを躊躇いつつも、鳥海は翁の答えを受け取った。
無理もない。それを喜んで受け入れるというのは一種の破滅願望に近く、しかも自分の提督もそれに近しいものを持っていたことを鳥海は知っている。
提督自身も気付いていたのかもしれないが、彼は希死念慮のような感情を内に抱えていたようだ。
自死とまではいかないが、艦娘達の為に傷つかなければならないといった義務感が見受けられた。
確かにこの指輪は、そのまま彼の願望を形にしたような代物だ。
足柄「それにしても、名前の発案が提督とはね」
どこか不貞腐れたような足柄が、中ほどの席からぽつりと呟く。
老提督「そこだけは、流石に君らも知らなかったろう」
足柄「全く知りませんでした。よりにもよってなんで名前になったんだかと思えば」
老提督「ふふ。どうかそう言ってやらないでほしい。きっと彼なりに頭を捻ったんだろう」
足柄「それは……そうなんでしょうけど」
事実、彼がそんな名前を付けたことでややこしくなった側面もいくらかはあるのだろう。
幸か不幸か、人間の常識を持ってしまった彼女らにとっても、もちろん、当の人間達にとってもこの名称は少々センセーショナルだ。
老提督「だからこそ救われたような側面も、私はあると思うがね」
答えを求めない老提督の呟きを、マイクが拾うことは無かった。
前の方の席に座った幾人かの艦娘にも聞えなかったのか、リアクションはせいぜいが首を捻る程度だった。
ここの提督の目にどう映ったかは知らない。
それでもきっと『彼』に悔いは無かったことだろう。
そして、自分もまたこの名前に気付かされた事もある。
老提督「さて、私が知っていることもそろそろ尽きてきたか。あとは話すこともそうは無い」
あと一つ、この鎮守府が拗れた原因を翁は知っている。
が、それはこれからここの提督と彼女らがどうにかしなければならない事で、翁が口を出してはならない問題だ。
球磨「一つだけ良いクマ?」
老提督「何かな?」
演壇から動こうとした翁を、会議室の奥の黒い塊が呼び止めた。
球磨「じいちゃんの指に嵌ってるソレ。それはアレ用の指輪クマ?」
老提督「ああ、そうだね。間違いないよ」
姉妹からも離れ、最奥でまんじりともせずに動かなかった。
そのわりに壇上に注がれる彼女の視線にはやたらと棘が含まれていた。
長女の立場から、どの鎮守府でも概ね球磨の責任感は強いと聞く。
その気質はきっと彼女も同じ事で、色々と含むところもあるのだろうと極力気にしないように話を進めていたものの、やはり最終的には我慢がならなくなったようだ。
赤城「球磨さん」
球磨「大丈夫、落ち着いてるクマ」
中ほどの席から、赤城が心配そうに球磨に呼びかける。
翁は知る由もないが、赤城はプールサイドでの激昂を思いだし呼びかけたのだが、それに応じた球磨の語調は、自身が言うとおり非常にフラットなものだ。
球磨「なら、一つ聞きたいクマ。相手がどの艦までかは知らないけど、じいちゃんの相手はそれの事をきちんと知ってるのかクマ? 知ってるとするならじいちゃんの相手はなんて」
秋月に呼び出され、執務室にて対面した吹雪もきっと、同じ質問をしたかったのではないかと思う。
あの時のあの少女の目にはそういった色が見て取れた。
恐らくは他にも同じ疑問を持っている艦娘もいるだろう。
翁が指輪の事情を知らない側の提督だったならともかく、演壇上で一席打った後で、その疑問が出るのは当然の事と言える。
老提督「単純な話さ」
前置きはしたものの、話したところで無駄な事だとも思う。
その答えを、既に彼女らは持っている。
きっとここの提督も、目覚めた前後で気付くだろう。
何を思い悩むとしても、結局必要な事などそう多くはないのだ。
― ― ―
葬儀は身内と親しい間柄のみで、とてもしめやかに行われた。
元々、体が弱かったこともあった。
更に、近頃は特に体調を崩しやすくなっていたらしい。
そして最後は艦隊の作戦中に倒れ、そのまま帰らぬ人となったそうだ。
彼とは年が近く、また、初期艦が同じ『吹雪』だった。
俺は取り憑かれた妄執から鎮守府全体の練度向上を図ったが、彼はまず一番付き合いの長い秘書官を最優先したようで、発令から間もなく吹雪に指輪を渡したと彼自身から聞いていた。
死因ははっきりしている。あの指輪だ。
直接の死因ではないにしろ、原因であることは疑いようもない。
そもそも彼は一種、特殊な体質だったそうだ。
俺は技術を鍛えて提督になった人間だが、彼は元々資質を備えていたと前に聞いた。
霊場との相性が良かったらしい。それも異常に。
病弱と言う体質も霊場との相性に影響したのかは知らないが、この場合、相性が良い事は必ずしもメリットではなかった。
言うまでもなく、鎮守府は霊場だ。
そして戦闘行為を支える基盤だ。
艦娘の数が増えればそれを維持する必要がある。
通常であれば、妖精や施設の加護で提督の身体に極力負担をかけないように運営していくものなのだが、彼はそれら加護があってもなお身体に強い影響があったらしい。
結果、病弱な彼の体は鎮守府で生活すればするほど、弱っていったようだ。
提督が死ぬ。
それ自体は、戦時下である鎮守府では無いことではない。
今回はたまたま病弱な人間が、たまたま霊場との相性が良く、たまたま提督で、たまたま艦娘を強く思っていた。
それだけの話だ。
それ自体は、仕方の無いことだと言えた。
何より彼自身、もともとそんなに長くないとされていた命を国防に使えると、提督という立場を天職と自負していたようだ。
そして実際に彼の鎮守府の戦果は良かった。
知ったうえでこの道を選んだ。
彼が死ぬその場に立ち会ったわけではないが、彼に悔いは無かっただろうと思う。
が、故人の遺志と周囲の思いは別の話だ。
俺自身、彼の気持ちを理解はできても彼の訃報自体は大きなショックだった。
思い返せば、艦娘達の態度が一変したのはあの後、間もなくの事だった。
彼は得難い友人だった。
彼の方からしても俺の事をそう思っていてくれたらしく葬儀にも呼ばれ、その後しばらくは、いや、今も俺の気持ちには穴が開いている。
が、同時にその穴の壁面にこびりついた思いもある。
彼の葬儀後、俺はなお、仕事にのめり込んでいった。
今なら素直に認められる。
彼の死は悲しかったが、俺は彼が死ねた事を羨んだのだ。
それは彼女らの為に身を削った証で、俺が渇望した形だ。
俺があの日以来覗き込み続けている、混沌の底にあるものだ。
艦娘に理解のある親族だったそうだ。
憔悴しきった様子で、しかしそれでも涙一つ見せずに毅然と喪主を務めた彼の『吹雪』の顔を忘れられず、それに罪悪感を覚えたくせに、そうまで悲しんでもらえる彼を心底羨ましいと思った。
共に戦うことが出来たなら。
共に傷つくことが出来たなら。
そしてもしその時が来るとして共に沈むことが出来たなら、それはどんなにか素敵な事か。
当時も、そして今も、俺は心底そう思っているのだ。
― ― ―
どんな風に夢が終わったかはわからない。
眼前の黒が何色ものノイズでかき乱される。
それが眩しいという感覚だ、と思い出すのに数瞬かかった。
夢を見た割には、眠りは深かったようだ。
本能的に強く瞼を閉じると、それが刺激になったのか、素早く脳が現状を整理し始めた。
ああ、そういえば倒れたんだった、と思い出すのにそう時間はかからず、体全体を包む柔らかい感触から、誰かがベッドに寝かせてくれたのかとわかった。
倒れた現場に居合わせたであろう吹雪と千代田には迷惑をかけたな、と、自然、彼女らの顔を思い浮かべながらゆっくりと目を開くと
老提督「おや、目が覚めたかね」
提督「……うげ」
想定だにしていなかった顔がそこにあった。
老提督「御挨拶だな」
提督「……すみません」
ベッド脇に寄せた椅子に、足を組んで座る壮年の提督。
膝の上には文庫本が置いてあり、まあ、状況を見れば彼が俺を見てくれていたのは疑うべくも無いことだが。
俺も男だ。
綺麗所に囲まれた職場にあって、目覚めた直後に好んで男性の、しかもごつい部類に入るであろう顔が見たいだろうか。
反射的に謝罪を口にはしたものの、正直、あまり良い寝覚めとは言えない。
とはいえ、想定していなかった顔を見たことで、一瞬、倒れている間に入院でもしたかと思い、体は起こさずに目だけを動かして周囲を見回す。
が、景色は朝毎に目にする俺の私室のものだ。
とすると、彼がここにいるのはどういうことか。
提督「何でいらっしゃるんですか」
老提督「君の部屋にいる理由は、君がそろそろ起きそうだ、と聞いたからで、君の鎮守府にいる理由は、君の艦娘達に呼ばれたからだ」
寝起きの頭だ。
多少言葉が砕けたところでお咎めも薄いだろうと投げやり気味にした質問は、いささか回転を伴った返球がなされた。
老提督「君は時々、言葉が足りないな」
提督「……すみません」
嗜めてくる男をちらりと横目で盗み見ると、視線は膝の上の文庫本に落ちたままだ。
意識こそこちらに向いているのだろうが、反面、俺の事などどうでもいいような態度にもとれる。
俺が起きそうだ、と聞いてわざわざ部屋を訪れたにしては、その姿勢は理屈に合わない気がする。
とはいえ、視線は下がったままで、加えて口調も感情が読み取りにくい一本調子。
機嫌が悪いようでもあり、そうでないようでもある。
この人の性格からして、恐らくわざとそういう態度に固めているのだろうが、そうするとその意図は何か。
提督「しかし、呼ばれたって。……ああ、よりによって」
まさかいきなり「何か、怒ってますか?」等と聞くのも憚られ、目下別の疑問をぶつけてみようと口を開く。
が、その疑問が咽頭に上り、唇から飛び出す頃にはその疑問も自己完結してしまった。
老提督「更に言えば、既に一席打ってきたよ」
提督「……そうですか」
それが何についてなのかなど、聞くまでも無い。
指揮代理としてしか呼ばれていない。そんなわけがない。
指揮を代行するだけなら、ある程度であればここの艦娘なら誰でもできることだ。
提督「俺が気を失ってからは――」
老提督「丸1日といったところか。随分うなされていたようだな」
提督「そうですか。お手数をおかけしまして」
老提督「素直に謝られると、逆に気持ちが悪いな」
ふふ、と軽く笑いつつ、老提督は膝の文庫本を閉じる。
そしてベッドのサイドテーブルにそれを置くと、椅子をガタリと動かし、俺との位置を多少調整した。
老提督「随分な無茶をしていると聞く、と言ったろうが」
提督「は」
老提督「君の指輪狂いは、大分知られていたぞ。内外問わずな」
演習を眺める傍らで、確かに言われた。
しかし内外とは。
老提督「いちいち確認を取ったわけではないが、この鎮守府の艦娘達も恐らく全員。流石に正確な数までは把握していなかったろうが」
提督「……そんなに分かり易かったんですかね、俺」
老提督「隠し事が得意なタイプではなかろうな」
提督「まあ、そうかもしれませんね」
千代田、吹雪は共にあの指輪の事を『艤装』と言った。
そして彼も既にどういった形かはわからないが、艦娘達とそれに関する話をしてきた。
今更、考えるまでも無い。
俺のしたかった事は、するべき事は既に潰えたのだ。
老提督「……ふむ」
そう自覚した途端、全身が脱力感に支配された。
かろうじて挙げた右腕をそのまま両目の上に乗せしばらく動かずにいると、その向こうで鼻が鳴る。
老提督「思いのほか冷静だね。もっと取り乱すものと思って、看病の娘には退出願ったんだが」
提督「自分でも驚いてます」
或いは、まだ自分の中で整理がついていないだけかもしれない。
何せそれについて考えてきた時間が長すぎた。
我が事ながら、急に呑み込めなくても無理はないと思う。
どうしていいかわからない。その度合いが強すぎる。
提督「そういえば」
全身を動かせず、寝転んだままでも血液は回る。
そして血が通う限り脳は動く。
止まってくれない思考はネガティブな考えを弾こうとしてか、少しでもその焦点をずらそうとし、別の疑問を浮かび上がらせた。
提督「結局、何故艦娘達は指輪の、ケッコンカッコカリの事をあんなに詳しく知っていたのか。本営技術部は極秘するようにと」
老提督「言っとらんよ、そんな事は」
提督「え?」
老提督「極秘などとは、言っていない。我々が勝手に、話すまいと判断しただけだ」
提督「そんな――っ」
そう言うと彼は、呆れを隠そうともせずに半眼で俺を見た。
咄嗟の事に先ほどまで見ていた夢の内容を追い、そして言葉が詰まった。
俺が思い出せる範囲、確かに彼は極秘裏に開発を、とは言ったが、話すことを禁じてはいなかったように思い出せる。
いや、しかし。
提督「屁理屈では?」
老提督「だが、事実だ。会議の彼は一言もそんな事は言っていないよ」
会議に出席した二人の記憶が合致する。
だが、それが何だというのだ。
提督「確かに、そうかもしれませんが。それでも本営技術部が、そして我々が話すべきではないと思ったのは事実です。なら、艦娘達がそれを知るのはほぼ不可能なのでは」
老提督「加えて、これも前に言ったな。艦娘や本営を信用しすぎているきらいがある、と」
提督「誰かが意図的に漏らしたと?」
老提督「人の口に戸は立てられん。耳も同じだ。人の似姿を持つ彼女らとて、例外ではあるまい」
話すべき者がいれば、当然聞く者も。
確かにそうかもしれない。
老提督「君はそこの辺りを勘違いしていたから、行き詰っていただけの話だ」
提督「……」
言葉も出ない。
確かに口外を禁じられてはいなかった。
が、艦娘達がケッコンカッコカリの真相を知るわけがない、との前提に捉われ過ぎていた。
だから、何故艦娘達が指輪を受けてくれないのかがわからなかった。
多少の事情と情報を知っていればこれほど簡単な事も無い。
確かに以前、この人が言った通りだ。
提督「行き詰って、それで……。俺は、どうすればよかったんですか」
老提督「どうすれば、か」
だからと言って、それが何だ。
俺が知らないと思っていたことを、艦娘達は知っていた。
それがある以上、結論は変わるまい。
艦娘達は指輪を受け取らない。
それは揺るがないのだ。
彼は一言呟くと、組んだ膝を指で軽く叩きながら軽く首を捻り背後をちらりと見た。
老提督「そんな事、知らんよ。そもそも、君はまだ勘違いしているな」
提督「はい?」
老提督「だから君はクソ真面目だというんだ。この手の問題に、正解なんてものがあると思っているのかね?」
言うと彼は、先程サイドテーブルに置いた文庫本を手に取り、再び広げた。
老提督「気付いていないようだから言っておくが、君、この問題が終わったと思っているんじゃなかろうな?」
提督「……え」
こちらを一瞥すらせず手元の文章を再び追い始めた彼を、何の返答も出来ず、ただ見る。
いや、もう終わっただろう。
より正確に言ってしまえば、とっくに終わっていた。
艦娘が、人が傷付くと知っているのに指輪を受け取るわけがない。
彼女らが抱いて産まれてくる、人への愛がそれを許すはずがない。
老提督「だとするなら、君はまだ艦娘や本営を信用しすぎているな」
提督「はい?」
意味が、わからない。
ページに手をかけ、彼はもう一度こちらを振り返る。
しかし、こちらを見る視線は今までの呆れたような雰囲気ではない。
後進を教え導こうとする、責任感の宿った目だ。
老提督「一つ、聞きたいんだが、艦娘は君を愛していると思うかね?」
提督「いきなり何を」
老提督「答えろ。彼女らは君を愛しているか。どうなんだ」
それはいつかの白衣の質問に対するものなのか。
だとしても、そんな事は決まりきっている。
彼女らは生まれた時からその身に人への感情を宿して産まれてくるのだから。
提督「答えるまでもないでしょう」
老提督「ほう。何故?」
提督「何故って……。彼女らは艦娘なんですから」
老提督「は。そうだろうな」
彼はそう言って鼻を鳴らした。
今までの真摯な目を一転させ、再度そこに呆れを宿すとさっさと俺から視線を切ると再度、手元に目を落とした。
老提督「だから、終わっていないというんだ。まだ何も始まってすらいない」
提督「は!? それは一体」
老提督「偏屈ジジイから、最初で最後のおせっかいだ」
片目だけを上げて、彼はちらりと俺を見る。
口の端を捻り意地悪そうな、いや、忌憚なく言わせてもらえば下卑た笑いを浮かべて彼は言う。
老提督「基本をもう一度考えてみると良い。君が考えるべきは、艦娘は人ではない、だ」
提督「は……?」
老提督「何故、こう言う必要があるのか、良く考えてみたまえ。……さて、もうしばらく休むといい。それまでは見ててやろう」
もうこれ以上何も言うことは無いとばかりに、彼は三度、文庫本に目を向けた。
邪魔してくれるな、という雰囲気を見事に醸し出し、彼はその雰囲気通り、それ以上何も言うことは無かった。
体は動かせず、かといって何を聞くことも出来ず。
枕に頭を預けたまま、俺はいつの間にか再び眠りに落ちていた。
― ― ―
老提督「単純な話さ」
前置きはしたものの、話したところで無駄な事だとも思う。
その答えを、既に彼女らは持っている。
きっとここの提督も、目覚めた前後で気付くだろう。
何を思い悩むとしても、結局必要な事などそう多くはないのだ。
老提督「私の話は参考にはなるまいよ。私のような爺は、君達のような娘に好きと言われれば舞い上がってしまうが、彼はつまらないくらいクソ真面目だからね」
知っているとは思うがね、と次いで、翁は言葉を続ける。
老提督「なまじ、頭がいいからドツボに嵌る。教科書人間だからね。艦娘は人に好意を持っているなんて前知識があるから、わかっていない」
球磨「わかってない?」
質問を投げた球磨はもちろん、会する艦娘達が一様に首を捻る。
老提督「彼は、君達の愛を甘く見ている。それだけだ」
それを思い知らせてやればいい。
繰り返すが、必要な事などそう多くは無いのだから。
今日はここまで。
またしばらく間が空くと思われます。すみません。
↓+1 次の艦娘
このSSまとめへのコメント
文章力はあるし、新鮮な感じがして好みなのは確かなんだが言い難い不快感みたいな部分もあるな
目の前で餌をぶら下げる割にはすぐにお預けされて結局手に入るビジョンが見えないような感覚だわ
俺には物語の核心をこんな長く煙に巻き続けるようなSSは見れません
ちょっと話が見えてきたけど、まさかそんなありきたりな話をここまで引っ張るはずないよな?
なにかすごいどんでん返しがあることを期待します。
ずっとモヤモヤさせられてきたけど、とりあえず提督を心底嫌っての発言ではない事はわかった(今さらかよ)。
ちょっと引っ張り過ぎな感もあるけど、そこは自分の忍耐力不足(笑)としておくとして、ストーリー自体は良く出来ていると感心しました。これからラストスパートに向けてどうなるか?期待して楽しみに待ってます。頑張って下さい。
そこまで嫌なら仕方ない
って言って目の前で指輪叩き壊すのはまだですか
待ってるから更新がんばって!!
お久しぶり‼このところ更新なかったから打ちきりかと焦ったけど待ってて良かった!これからも自分のペースで頑張って下さい。
5のコメントに激しく同意!(笑)
続き楽しみにしてます‼︎
この手の真相を引っ張る手法で完結させないのは、もう、向いてないとしか言いようがないな……
な が い
三行でどうぞ
ここまで引っ張れるのって凄いと思うんだけどな…
あ、ガガイのガイw
今やっとここまで読み終わったのに中途半端で長々しい文章書いといて逃げ出すとか…
読んでここまで後悔したSSははじめてだわ
最高に時間の無駄だった
少しずつ謎が明かされていく、ではなく、目の前にある真相にわざわざ遠回りしている、って感じだからイラつくというか…不快感?がある気がする。
安価があるからってのもあるんだろうけどね
だめだ、全くわからん
読みにくい
意味がわからない
結局何を伝えたいのかさっぱりわからん
不快感しか与えないな、これは
ここまで書いたなら完結してほしい
結局なんなんだよ、エタりやがって