オリss注意 うちゅうおおかみ  (36)

5月10日

閑静な住宅街を一人の男がキャリアバッグを引きずり、歩いていた。

時刻は深夜二時、彼がふぬけた微笑を浮かべていることに気付く者はいない。

幾度か、歯音が鳴るほど顔に力を込めて、引き締めたが、数秒後には元に戻った。

まあ良いのだ、今日ぐらいは。

男は足取りを速める。

なにせ、3か月ぶりの我が家である。

待っている家族なんてものはいないが、それでもやはり嬉しいものがある。

同僚との窮屈な官舎暮らしなんてものは、もうこりごりだ。

あいつとは比較的馬は合ったが、毎日顔をあわせれば、飽きても来る。

最期らへんは見るだけで吐き気を催した。

それに比べて、ここはなんと新鮮なことか。

周りを見ても、人の顔はどこにもなく、とても静かで癒される。

これこそ、自由だ。

ゆっくりと男は夜空を見上げた。

つまるところ、この男は孤独を渇望していたのである。


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ようやく玄関の前に立って、男の表情はさっと曇った。

せっかく受け取り拒否の張り紙を扉に張ったというのに、なんということをするのだ。

郵便受けの口に、はち切れんばかりの大量のチラシや封筒がはさまっていたのである。

さらには相当乱暴に突っ込まれたらしく、何枚か下に落ちてしまっている。

今度はガムテープで口を閉じるか、と深く溜息を洩らした。

やがて男は、おもむろにかがみこみ、落ちてしまったものを拾い始めた。

そのとき1枚の手紙にそれとなく目を向けると、彼はなにか恐ろしいものを見たかのように、固まって動かなくなった。

その手紙には、濃い橙色の犬のぬいぐるみがプリントされており、吹き出しがついていた。

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もそもそ、こんにちはです。

わたしはうちゅうおおかみ

きょうはおひがらもよくさんぽぴよりですね

あんたはつみをしました。

けいこくしたのに、さいさんあれしたため

あんたはかみます

わたしがいくまで、とまってください

4月1日 てぃあぅん
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もそもそ,こんばんはです

てがみみてないみたいだから

くわえるます


いまは、いまいみたいですね

もしみたら、いてください

にげてもむだです

あんたはかみます

4月3日 てぃあぉん
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もそもそ

なんでいないですか

もしみたら、き伊国やまできてください

そこにいます

かんどうしたから

いまなら

あまがみですみます

4月10日 てぃあん
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もそもそ


そろそろ

かえらないといけないので


邪知暴虐なあんたはいつになったらかえりますか

セリヌンティウスだって、2週間もまってたら

なぐるじゃすみません

かみます



4月14日 ティアン
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もそもそ

おこられた

ほんでわすれようっと

あ でもあんたははやくかえってね

でないとおこるよ

ぐるるるる

じだと

おもったより

迫力でなかった

4月20日 メロス・ティアン
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もそもそ

しごとおわんないなら

かえれないっていわれた

つぎいなかったら、いたくかむよ!

4月27日 エロス・ティアン

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もそもそ

バカ!

5月1日 ティアン
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もそもそ

だけん!

5月7日 ティアン
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もそもそ

たねうま!

5月10日 ティアン
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男には言いたいことが沢山あった。

手紙は何枚もつなげるものじゃないだとか

言葉の使い方を間違えていることだとか

あと、なんで途中から名前が変わってんだとか

それらすべてを腹の奥へ呑み下した。

男が家に帰って、最初にしたことは

その手紙をシュレッダーに刻んでゴミ箱へ捨てることだった。

そして、郵便受けの口をガムテープで塞ぐことを決心したのだ。





見切り発車なので、急に終わるかもしれません、一旦終わり

5月11日

男は、自宅から電車で一時間ほどの距離にある会社に向かった。

久々の通勤ラッシュだが、それほど苦にしている様子はない。

彼は見も知らぬ人間が周りにいても、大概は平気だった。

それは空気が周りにあるのと同じようなもので、例えそれが、臭かろうと

汚かろうと、彼は我慢するのである。

しかし逆説的に言えば、知り合いにはひどく狼狽させられるのだが。

特にこの時間帯は、『あれ』と遭遇する危険が高いことを思い出した。

「あー!お久しぶりです。出張お疲れ様でした」

後ろから声を掛けられ、彼はびくりと飛び上がった。

本当にこの子は心臓に悪い。

そして、男はこの声の持ち主へと、ぎごちなく向き直った。

彼女はあどけなさが残っている可愛らしい顔立ちである。

そして、薄ピンクの瑞々しい唇が小さく動けば、子供のように純朴な発言が庇護欲をかき立てる。

それが、何も知らぬ会社の男性職員から見た、一般的な評価。

だが、その中身を知っている男には、悪魔がスモックを着て、会いに来たようにしか見えない。

「おはよう、宇佐義さん。お変わりないようで、なにより」

「いえいえー、男さんもお変わりないようでなによりです」

彼女の相も変らぬ様子に軽い皮肉を込めたが、気づかれていないようだ。

いや、もしかして今のは仕返しのつもりなのか。

男が判断に迷っているうちに、彼女は隣へと身をすべり込ませてきた。

その様子は蛇が草むらをかき分けてくるのに似ていた。

するり、するり

その滑らかで静かな動きは、混雑を潜り抜けてきた経験からくるものだろう。

うさぎならば、飛び跳ねてくればよいのに。

ただ悪魔のしっぽが生えている彼女が、元気よく飛び跳ねている様子を思い浮かべると、その不気味さに口元が緩んだ。

宇佐義は眉をひそめて、頬を膨らませた。

「あぁっ、笑いましたね。ただお話ししたいだけなのに!」

思わず、可愛い後輩だと、錯覚した。

だが、彼女の悪戯っぽい目の輝きに気づけば、男は仏頂面にならざるをおえない。

思い出したのだ、ここで喜べば、女社員の間で噂話にされることを。

なぜこの男が知っているかというと、彼女が幾度となくそれとよく似た話を男にしたのだ。

男の一挙一動から、その真意をかぎ分ける女性の鋭さには舌を巻いた憶えがある。

ともすれば、恥ずかしい話にたまらなくなって

どうしてこんな話をするかを聞けば

男さんが引っかからないようにするためなんだとか呟いて、顔を真っ赤に染めて、俯いた。

皮肉なことに、彼女が初めて、男を罠にかけた瞬間だった。


それ以来、彼は彼女の甘言を信用しないように振る舞った。

彼女と時折出会う朝は、友情代わりに繰り出されるシャブをひらり、ひらりと躱しながら

出勤をするのが常だった。

それで益があるとすれば

彼女がちょっぴり満足して、機嫌が良くなることぐらいだった。

そして、会社の雰囲気が自然と明るくなる。

会社の人間はどことなくそれを感じ取って

彼には要らぬちょっかいを出さないのだが

当人が知る由もない。

ようやく、彼らは会社へと到着した。

記憶をたどるように、通路を進んでいくと見知った部屋が見えた。

と、その扉の前に女性が、腕を組んで不満たらたらに男たちを睨んでいた。

見たこともない人である。

すらっと背は高く、つんと尖った鼻はプライドの高さを表しているかのようだし。

こちらを恨みがましく見る目は、まるで一か月放置された飼い犬だ。

「ちょっと先輩、なにをしたんですか」

宇佐義は耳元でささやく。こそばゆいから、やめてくれ。

「いや、心当たりがまったくないんだ。というか、彼女は誰なんだ」

「えっと、ちょうど一週間前に入ってきた子ですよ。名前はおおかみさん。確か、社長のコネで入ったとか」
 
「なら、宇佐義さんに話があるんだろう。謝ってきなさい」

「そ、そんなへまはしませんよ、先輩だって知っているでしょう」

宇佐義はない胸を張った。

少しばかり、諌める必要があるみたいだが後回しだ。

「じゃあ、おれに用があるのか」

「絶対あの顔は男さんに文句があるんですよ、今にも噛みついていそうですもん」

「顔で分かるの?」

「女の勘です」

「なんでそんなに説得力あるんだろうな…」

男と宇佐義が口論して、一向に近寄ってこないことに耐えられなくなったのか、『おおかみさん』はきっと一瞥して

仕事場に戻った。

男は、なんだか、また出張に行きたくなった。

揉め事なんて、真っ平御免だ。



一旦終り 

その日一日、男は極めて謙虚に仕事を進めることにした。

黙々とキーボードを叩き、完成すれば、アウトプット。

上司に提出して、次にとりかかり、その日のノルマが終わっても、手を緩めず進める。

普段ならば、休憩室でコーヒーを一杯補給するときでも我慢しよう。

男にとって、それもこれも『おおかみさん』との余計な接触を避ける為だったのだが

それが杞憂であることが分かってきた。

彼女は先刻の不満げな様子はどこへやら

真剣な様子で仕事にとりかかっていた。

宇佐義の話では、仕事に就いて一週間であるはずだが、目の端で見る限り、おそろしく手際が良い。

書類に目を通してからキーボード入力を終えるまでが、精密かつ早い。

また、クールビューティな容姿は、この会社に潤いを与えたらしく

どことなく、男性陣は身だしなみを整えており、女性陣は羨望と嫉妬の眼差しを送っているようである。

一目置かれた存在、というのが男でも分かった。

そして、宇佐義の予想が外れたと確信したのは、昼食の時だった。

『おおかみさん』はすくっと立ち上がり、つかつかとハイヒール鳴り響かせ、宇佐義の前に立った。

そして、驚いた様子の宇佐義と短く言葉を交わすと、一緒に出ていったのだ。

他の職員が首を傾げる中、彼が内心小躍りするほど喜んだ。

ただ、これは宇佐義だけには絶対の秘密にせねばなるまい。

悪魔のしっぽを踏む勇気は、これぽっちもなかった。

5月11日23時30分

男は同僚たちとの型どおりの別れを告げ

勤務時間の定刻と同時に、ひとりで、会社を出発した。

途中のコンビニで、ワンカップ酒を買い

こぢんまりとした公園で、一息ついた。

ベンチとブランコがあるだけの、未完成の遊び場。

だが男はこの場所をひどく気に入っていた。

この場所は何もないわけではない。

まず、このベンチは座り心地は良くないが、寝転がれるほどのスペースがある。

次に、あのブランコは人通りが少ないせいで、大人になっても使える。

彼は一回しか実際に使ったことはないが。

さらにはベンチの上で仰向けになれば

あれは誰にだって見えるのだ。

目いっぱいに広がった黒い布の上に

大小さまざまな鉱石が無数に散らばる様が。

時には小石が転がって布の端まで行ったり、時には赤いものまである。

この美しい景色は

ちっぽけな虚栄心と、やるせなさと共に

彼をひどく打ちのめした。

いつもこの美しい景色は、5分と持たず崩壊する。

目を何度こすっても

ぐちゃぐちゃに布と石が混ざりあって

最期には真っ暗になるのだった。

「なくな、バカ」

会社で会った『おおかみさん』の声だと気づくまでに、数秒。

男が驚いて起き上ると、一匹の狼が公園の入り口に立っていた。

銀灰色の獣毛がぼんやりと揺らめいて、白くとがった牙が口から覗く。

そして、蒼色に鈍く輝く双眸が、男を捕えて離さなかった。

ゆっくりと『おおかみさん』は言った。

「なくな、わたしがあんたをかんでやる」

男の返事も待たず、静かに、しなやかに『おおかみさん』は近づいてきた。

その姿は、今朝の宇佐義を思い出させた。

獲物を怖がらせない、そして逃がさないための歩き方。

気付けば『おおかみさん』はすぐ目の前にいた。

「てをだせ」

男は幾らか躊躇した様子を見せた。

「すると、どうなるんだ」

『おおかみさん』は呆れたように言った。

「ほんとうに宇佐義は、あんたには、なにも言わなかったんだな」

男は唐突に、混乱した。

「宇佐義?」

『おおかみさん』は唱えるように呟いた。

「わたしたちは、うちゅうおおかみ

かまれたやつは、うちゅうおおかみ

独りが嫌な、それだけの存在

宇佐義はあんたをかまなかった

それだけのこと」

そう言って、『おおかみさん』は男に飛び掛かった。

跳ね除けようとした手を、『おおかみさん』は噛もうとした。

でも、急に彼女は、横へと突き飛ばされた。

草むらから飛び出した、もう一頭の狼が突き飛ばしたからだ。

その狼は男をじっと見つめた。

『おおかみさん』よりも一回り小さく、整った毛並はどこか愛らしく思えた。

その狼は一度低く唸ってから、『おおかみさん』にまた突っ込んでいった。

その二頭は互いに上下を入れ替えながらも争い始めた。

男は、棒のようになった足をどうにか動かして、公園を出た。

なにも分からない

でも、あの狼が、逃げろと言った気がしてならなかった。

それだけの理由だった。



もうちょっとで終わり

『おおかみさん』は男が見えなくなると、動きを止めた。

私もそれに倣うと、『おおかみさん』は呆れた口調で言った。

「もういい、かまない」

『おおかみさん』は嘘をつく悪い狼ではない。

私が離れると、『おおかみさん』は姿勢を正して(つまり4足で立って)

ぷいっと後ろを振り向いた。

いじけてしまったようだ、まあ一か月も張っていたのだから仕方がない。

「ごめんね、『おおかみさん』」

「いいよ、もう。

だいたい『宇佐義』がずっと前から狙ってたし、興味本位だっただけだから」

すごい興味本位ね、と突っ込むのは藪蛇かしら。

しばらくして、ゆっくりと『おおかみさん』は言った。

「でも、あいつ、きっと自殺するよ。かまなかったら」

気にしていたことを突かれて、一瞬息が詰まった。

「今回のこともあるけど、あいつ、いつもあんなことしているんだろ

公園で、一人で泣くとか、そーとーおいつめられているよ」

「…うん」

「メロスは間に合ったけど、あんたはどうなるんだろうね、『宇佐義』」

『おおかみさん』はそう言って、草むらに向かって歩き始めた

かまれると、うちゅうおおかみになる。

それは人間でなくなるわけではないと思っている。

人の形態をとれば、人であるし、狼の形態をとっても、少しは馬鹿にはなるが

人語だって喋れる。

彼をうちゅうおおかみにすることが悪いことだとは思わない。

うちゅうおおかみ同士は強い絆が生まれる、それは兄弟の血縁のようなものだ。

きっと彼を孤独から救済するに違いない。

私と同じように。

でも、だからって大切な人にできるかと言われれば、話は別だ。

まったく別だった。

男をかもうとするたびに

際限なく罪悪感が生まれて、私を突き刺す。

おまえが本当に大切だと考えているならば、かまずに解決するべきではないのか

おまえのそれは、ただ男を自分のものにしたいというエゴではないのか

なにより、男がそれを望んでいるのか

そして今は、それ以上のものが頭の中を駆け巡っていた。

彼は私をうちゅうおおかみだと知った。

うちゅうおおかみとなった私を見た。

彼は公園から逃げた。

たったそれだけの出来事が、彼に会おうとする意思を削ぐのだ。

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