このスレはリドリー・スコット監督『キングダム・オブ・ヘブン』をモチーフに、『魔法少女まどか☆マギカ』の
世界観で、”円環の理”が誕生した国がいつか聖地となった未来の世界を描くSSスレです。
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※オリキャラが多いです
※史実の戦争や宗教、民族史は扱いません(地名・人名などはパロディ程度にでます)
※まどか改変後の世界です(ほむらの悪魔世界ではない)
※本編キャラの暁美ほむらが登場予定。
※この4スレ目は、予定通り投下が進めば、途中で過去編に入り、主人公が変わります。
過去編ではオリバー・ストーン監督『アレキサンダー』がモチーフになり、1スレ目の最初の場面に至るまでを
遡る話になります。
※残酷・残虐な描写が含まれます
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"madoka's kingdom of heaven"
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
1スレ目:【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─1─ - SSまとめ速報
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2スレ目:【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─2─ - SSまとめ速報
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3スレ目:【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─3─ - SSまとめ速報
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前スレの続きから投下します。
第65話「エドワード城の攻防戦 ③」
488
エドワード城の第四城壁区域の入門口では、国王侍従長のトレモイユが指揮する正規軍が、この関所の
守りにあたっていた。
両側の胸壁と矢狭間、クレノーと小壁体(城壁の出っ張り部分)に弓兵たちがあますことなく持ち場につき、
弓を引いている。
すると、何秒か後に、千段の階段塔をのぼってきたクリフィルとリドワーンら魔法少女が、目を回しながら
第四城壁区域の芝生敷地に姿をあらわした。
「いったい何週させるんだばかやろう」
クリフィルは目の回る頭を手で悩ましく押さえている。
「途中から右にまわって登っているのか左にまわって登ってるのか分からなっちまったよ」
リドワーン、黒い獣皮を肩に垂らした赤く鋭い眼をした魔法少女は、剣を抜く。
「お待ちかねだ」
その剣を伸ばした先には、第四城壁区域の胸壁があった。そこに弓兵たちが並び立っていた。
「まだだ!まだ撃つな!」
国王侍従長のトレモイユは手を上げて制止の合図をだす。
弓を引いたロングボウ兵、クロスボウ兵は、発射を我慢する。
クリフィルにつづいて、階段塔を登りきったレイピア使いの魔法少女レイファ・イスタンブール、アドラー、
身長がひときわ高いがあだ名がチビのチョウと呼ばれている魔法少女、オオカミに育てられた魔法少女ホウラ、
生き残り組の魔法少女たちが集結した。
城下町の魔法少女たち含め、集結した21人の魔法少女は、それぞれ手に魔法の武器をもって、
第四城壁区域の守りを固められた城門を見上げる。
国王侍従長のトレモイユは憎たらしげに歯をかみしめて邪悪な魔女どもを城壁の上から見下す。
敷地に集結した悪魔の手先どもを。
両者睨みあう。
緊張の沈黙が戦場に走ったが、直後、たくさんの足音が聞こえてきた。
「…?」
「?」
どだだだだだ。
数人ではない、数十人、いや数百人かもしれない連続する足音。
城の人間側も、芝生敷地に集まる魔法少女側も、このたくさんの足音の正体が分からない。
国王侍従長のトレモイユは、目をしぱしぱさせ、足音の予感を感じ取っていた。
その顔つきは険しいものになってく。苦虫を噛み締めるような顔だ。
魔法少女たちも戸惑った顔をしてきょろきょろ、視線を右に左に泳がせ、足音の正体を探っていた。
やがて、それは明らかになった。
第四城壁区域へつながる別の階段ルートから駆け上ってくる多量の足音は。
馬の足音さえ混じっている。
「馬?」
クリフィルはぽかーんとした目をして、丸くさせた。
リドワーン、赤く鋭い眼の、黒髪の残忍な魔法少女は、にっと笑みを浮かべた。
近づいてくる足音たちの正体がわかったからだ。
馬の足音で、思い当たる人物は、一人しかいない。
国王侍従長のトレモイユもわかっていた。
少なくともこの近づいてくる、駆け上ってくる足音は、自分たちの味方ではない。
「…地獄からの黄泉がえりの、魔女どもめが」
トレモイユは城壁の上で毒づいた。
パカパカ。
馬の音は階段をかけあがってくる。
それにつづいて、70人くらいの足音が、第四城壁区域の芝生敷地に近づいてきていた。
「撃て!撃て!」
第四城壁区域の別ルートを見張る監視塔から、指示がくだっていた。
「階段を通すな!第四城に入れるな!」
監視塔から飛んできた矢は、第四城壁区域の牢獄要塞の側ら、下方の、噴水広場から駆け上るくねくねとした、
行ったり来たり向きを変えて登る階段めがけて落ちていく。
往復階段の突き当たりに立つ四角い監視塔の出窓から、クロスボウ兵たちが顔をだし、往復階段を右に
登ったり左に登ったりする円奈たち魔法少女70人の軍団むけて矢を発射する。
その矢は、物凄い速さでびゅんと飛んでいったが、円奈は盾で防いだ。
ドガッと強力なクロスボウの一撃が円奈の盾に刺さり、盾は壊れ、木片が散ったが、円奈は身を守った。
すると円奈は馬で右向きの階段をのぼりきり、すると、くるりと向きを翻して、今度は左向きへ登る。
左向きの階段をパカパカ高速で登りきり、踊り場へくると、また、まるりと向きを翻して、さらに右向きの階段へ登る。
そうして右への階段、左への階段と向きを行ったり来たりしながら、だんだんと彼女たちは第三城壁区域から
第四城壁区域までの往復階段を順調に登りつめていく。50メートルも100メートルも。どんどん駆け上がる。
もちろん、そうはさせまいと、往復階段の右の突き当りと左の突き当たりに建てられた四角い射撃塔から、
クロスボウ兵たちがばんばん上方から矢を放ってくる。
円奈たちが右向きの階段を駆け上がっているときは、その背中を狙って、左側の射撃塔からクロスボウ兵の矢が
飛ぶ。
円奈たちが左向きの階段を駆け上がっているときは、その背中を狙って、右側の射撃塔からクロスボウ兵たちの
矢が放たれる。
激しいクロスボウ兵たちの攻撃に晒されながら、矢の雨を抜けつつ、石造り階段を登り、第四城壁区域へ
むかう円奈は、突き当りの監視塔の出窓から、クロスボウ兵が顔をだし矢を撃ってくると、咄嗟に反応して、
馬上で頭を屈める。
馬に顔をうずめて屈める円奈のすぐ頭上を矢が通過する。
ひゅっと音がなり、円奈の髪の数本がクロスボウの矢が切り、後方の階段へ落ちる。
その矢は魔法少女たちの足にあたり、矢を受けた魔法少女は往復階段の途中でうっと膝を折って苦痛に喘いだ。
クロスボウ兵が顔をだす射撃塔の出窓は、円奈たちが登り途中の階段の、17メートルほど高い位置にある。
つまり敵は17メートル高い円奈からクロスボウの矢を断続的に放ってくるので、むこうからは攻撃できるが、
こちらからは反撃できなかった。
こちら側の魔法少女たち70人のうち、5人か6人が、魔法の弓に矢を構えた。出窓に顔を出した
クロスボウ兵たちはさっと顔を隠して塔の内部に隠れてしまう。
往復階段を登る円奈の後ろの魔法少女たち数人が、手元に召喚した弓から矢を放った。
弦からびゅんびゅん矢が上向きに飛んでいく。
「──うわ!」
出窓にクロスボウを構えていた弩弓兵たちは慌てて退き、窓から姿を消した。
直後、飛ばされた矢の数々が石塔の窓に刺さり、バチンと砕けておちた。
弩弓兵たちは射撃塔の外回り回廊を移動して、別の出窓に持ち場を変える。
こんな調子で、撃たれ撃ちつつの戦火のなか円奈たちは往復階段をついに最上階にまでのぼりつめる。
そこは第四城壁区域。
国王侍従長のトレモイユが防備を整えた城門のある敷地の横通り。
円奈は地表200メートルの敷地にまで辿り着いて、片側にはエドワード城の断崖絶壁と青空の景色がひらけた階段を
いよいよ馬に乗って登りつめ、最後の監視塔の放つ弩弓兵の矢をかわすと、第四城壁区域の芝生に足を踏み入れた。
ヒヒーン。
第四城壁区域の芝生に辿り着くと、馬は前足ふりあげて、ひづめを芝生に落とし、雄雄しく鳴き声をあげた。
その馬に跨る鹿目円奈の背にあるは、エドレスの絶壁。地表3キロの高さに割れた渓谷が大陸の果てまで
つづいている。
城下町からみあげた遥か王都の高みにまでやってきた円奈は、リドワーンとクリフィルらの一行とここでついに
合流を果たし、その後ろから、ぞろぞろと順にヨヤミ、チヨリ、ベエール、オデッサ、姫新芽衣らが現れ、
さらに牢獄に捕われていた城下町の復活した魔法少女たち70人が、やってきて、大集結した。
「ヨヤミ!ベエール!」
クリフィルが嬉しそうな顔して声をだした。「無事だったのか!」
ヨヤミは照れた顔をした。そして、恥じたように鼻をくすぐった。「おかげさまで」
「おかげさま?誰だ?」
クリフィルはきょとんとした。
すると、ヨヤミやオデッサ、ベエールといった昔からの仲間たちである魔法少女たちが、みな馬上に跨った
円奈の顔をみあげた。
クリフィルは理解した。
「そうか、あんたが助けてくれたのか」
クリフィルは円奈を見て、礼を述べた。「どこの国出身の騎士か存じ上げんが、あんたは、ホンモノの騎士だ。
仲間を助けてくれてありがとう。わたしはイシュトヴァール・クリフィルだ」
最初に反乱を起こした魔法少女たち30人に、城の牢獄に捕われてソウルジェムを奪われた魔法少女たちが
復活して70人、合流し、その総勢は100人。
つまり、城下町の全ての魔法少女が、王都・エドワード城に集まった。
円奈は、クリフィルに礼を言われると、馬上で、クリフィルらの一行にむけて、告げた。
「あなたたちは王を倒すつもりでいるけれど、私は王都の城を抜けます。私がこの王都ですべき約束は、
もう果たしました。私は、この城を抜け、対岸に渡りたい。あなたたちの協力が必要なの。だから、私と一緒に
エドワード城を抜け、向かう岸へつながる橋に渡るため力を貸してくれる人を、あなたたちの中から募ります!」
クリフィルは面食らった顔をした。
きょろきょろ視線を左右に泳がせて、その候補者がいないか探した。
するとリドワーンが一行の集団の中から前に出て、名乗り出た。
「私がいこう」
黒い髪、黒い獣皮、赤い鋭い目をした魔法少女が、言った。
「私もこの城を抜けるつもりだ。南の地サルファロンにむかう。そなたを援護する」
「あなたと会うのは、アリエノールさまにお会いする以前の農村、以来です」
円奈はリドワーンとは過去に何度も会ってきたことを知っていた。
アリエノール・ダキテーヌと出会う前に一度、顔をあわし、エドレスの都市でウスターシュ・ルッチーア
と共に騎兵団の男たちと金貨100枚を賭けたときも、同じ酒場にいた。
「私はずっと、エドワード王の支配するこの城を通過できる好機を睨んでいたのだ」
リドワーンはにっと笑い、円奈に語った。
「今がそのときだ。我らが魔法少女の敵、エドワード王の城は、いま陥落しようとしている。この隙を
逃がす手はあるまい。さあ、鹿目円奈よ、我が名はリドワーン。そなたを援護し、この城を抜け出そうぞ!」
リドワーンは城下町出身の魔法少女ではない。
クリフィルやヨヤミ、ベエール、チヨリ、マイアー、アドラーなどの城下町出身の魔法少女たちと違って、リドワーン一行の
この城を攻める目的は通過であり、エドワード王の討伐そのものではなかった。
鹿目円奈と、流浪魔法少女一行、リドワーンの利害は、一致した。円奈も聖地を目指すため、この城の通過を目指すからである。
リドワーンの一行につづいて、この城の通過を目論むほかの仲間たちは、チビのチョウ、レイピア使いの
魔法少女レイファ、ホウラ、聖地出身エレム人のヨーラン、モルス城砦の娘、姫新芽衣ら含む11人。
みな魔法少女で、人間と共存して暮らす選択をハナから捨てている集団だった。
人間を徹底敵視し、人間を見たら略奪するという魔法少女の集団だった。そのリーダーはリドワーン。
この一団は俗世と世間を捨て、森から森、国から国へ渡り歩く、流浪の集団で、たまにサバトの集会をひらいた。
リーダーのリドワーンは母国セルビー城の皇女であったときは、円奈の母・鹿目神無とその夫アレスの夫妻を保護したことがある。
神無もアレスも二人とも神の国からの亡命者だった。
鹿目円奈は、このリドワーン一団が人の村を襲撃し略奪を尽くす場面に出くわしていたが、リドワーンら一行と
利害がここで一致し、共に行動し、城を抜けだす道を選ぶ。
なぜなら、今やこの王都では、人は魔法少女を殺すし、魔法少女は人を殺す場所であったからだ。
戦場と化した王城を生き延び、脱出して向こう岸へ渡る仲間を得た円奈は、馬の向きを変えて、第四城壁区域の
城門のクレノーに立つ、国王侍従長のトレモイユを睨んだ。
「城門をあけなさい!」
馬上で鞘を抜き、円奈は、その剣先を国王侍従長に差し向ける。
「でなければ、多くの人が命を失ってしまいます!」
それは少女騎士の降伏勧告であった。
国王侍従長のトレモイユは、ピンク髪をしたイカレ女の魔女を見下し、口で呟いて罵った。
「悪魔に犯された売女めが。また捕らえて火にかてやるぞ」
鹿目円奈は、相手が降伏する気なし、の意図を悟ると、自分が救った70人の魔法少女たちに、剣ふりあげて、
叫んだ。
「私と一緒に突撃してください!」
円奈は国王侍従長に守りを固める第四城壁区域の城門へ突撃をはじめる。
その円奈のあとについて、100人の魔法少女たちが、つられるように、うおおおおっと声あげるや、
猛攻をはじめた。
100人の魔法少女は、みな、国王侍従長が守る城壁へ突進していく。
「ひきつけろ!」
トレモイユは、咄嗟に弓兵たちに指示。
「まだ撃つな!十分近づくまでだ!」
号令が響き渡る。
魔法少女たち100人は、それぞれの手にそれぞれの魔法の武器を持って、第四城壁関所の守備兵たちに、
戦いに挑む。
魔法少女たちの足並みが弓兵たちの並び立つ城壁に接近し、走り寄っていく。
一体高さ7メートルもあるこの城壁をどうやって乗り越える気なのか、見当もつかない誰がみても
行き当たりばったりな、勢いだけの突撃は、はじまった。
梯子もなければ攻城機もない城門へ、ただひたすら突撃するという、一見おろかな突撃は。
円奈を先頭にして。
展開される。
100人の魔法少女たちが城門へいよいよちかづく。芝生を満たしながら城壁へ一直線に迫る。
城壁に並び立つ弓兵たちは、いつでも矢が放てるように、すでに弓を引いている。
そして、命令がくだった。
「撃て!いまだ、撃て!」
国王侍従長は腕を前へ振り落とし、並び立つ150人の弓兵たちに射撃命令をくだす。
「魔女どもを皆殺しにしろ!」
矢狭間に並び立つクロスボウ兵たちの矢が一斉に飛び、続いて、ロングボウ兵の弓から引かれた矢が射られた。
ぎりぎりまで引き寄せた後に放れた150本の矢が100人の魔法少女たちにぞくぞく当たる。
矢は、魔法少女たちの手と胸、顔、腹、額など、いたるところに容赦なく命中した。
そしてばたばたと、魔法少女たちは85人くらいが、いちどバタリと倒れたのである。
「地獄へいけ、化け物ども」
国王侍従長のトレモイユは邪悪な魔女どもを見下ろし、舌をなめずって罵倒した。
沈黙に静まり返る戦場。
が、つぎの瞬間。
矢を受けて倒れた魔法少女たちが、いきなり起き上がって再び突撃をはじめた。
羽つきの矢が体に刺さったまま敷地を走り、城門へ走ってくる。
トレモイユは、これには肝を冷やし、いきなり憤懣した顔になり、再び弓兵たちに指示した。
「撃て!撃て!殺せるだけ殺せ!」
しかしクロスボウ兵たちはまた矢を再装填中だ。
そうもしているうちに魔法少女たちは城門に達し、なんと閉じられた落とし格子を力ずくで持ち上げはじめた。
「こっちだ!こい!」
クリフィルが仲間たちに指示だし、駆け寄るよう手で合図している。
なんにんかの魔法少女たちが城門に集結してきて、城門の鉄格子を持ち上げようと手をかけている。
四人くらいの魔法少女が同時に落とし格子に手をかけ、力を込めると、落とし格子はギギギと音たてて上に
持ち上がった。
人がくぐって入れる隙間が下にできる。
「門を守れ!」
兵たちが慌てて、門をこじ開けつつある魔法少女たちを槍でブッ刺して撃退する。
「あう!」
「あた!」
魔法少女たちは、鉄格子の隙間から突かれた槍に貫かれる。血を出しつつ、思わず飛び退く。
落とし格子を持ち上げた手は離れ、ふたたびガシャンと鉄格子の門は閉じられた。
「なんて野蛮なやつらだ」
トレモイユは唸ったあと、仲間に指示した。
・・・
「生石灰と水を用意しろ」
守備兵たちは、トレモイユの指示を受けて、頷き、すると城壁内側の倉庫小屋から、生石灰を入れた壷を
大量に持ち運んできた。
魔法少女たちは弓に矢を番え、落とし格子の裏側やら槍を突き延ばしてくる守備兵たちむけて、矢を次々放った。
ビュン!
バシュン!
「あう──!」
「うぇ!」
魔法の矢に撃たれた守備兵たちは、鎧に矢が刺さり、痛みに叫びながら倒れていく。
槍を持つ兵たちを追い払った魔法少女たちは、再び、落ちた鉄格子に手をかけ、ふんと力を込めて持ち上げはじめた。
その様子を城壁上の開口部から顔をのぞかせ眺めたトレモイユは、厳しい声を発し、命令をくだした。
「二重落とし格子を閉めろ!魔女どもを閉じ込めろ!」
トレモイユの号令が戦場に鳴り轟く。「もたもたするな!」
トレモイユ指揮下の守備兵たちはすると、城門上の巻き上げ装置の、鎖止めを外し、二重落とし格子の罠を
発動させた。
ググググ…
鎖の音がなり、魔法少女たちがこじ開けようとしている落とし格子の、裏側に隠されていたもう一枚の落とし格子が
落ちてきて、ガシャンと閉じた。
すると一枚目の城門に手をかけていた魔法少女たちは、二枚目の落とし格子によって、挟まれ、出口を失った。
これが二重落とし格子の罠だった。
奥と手前、二枚の落とし格子によって挟まれ、閉じ込められて、逃げ場を失った魔法少女たち5人を待ち受ける
運命は、過酷だ。
仲間の魔法少女たちが、閉じ込められた彼女たちを助けようと、二枚目の落とし格子に手をかけ、持ち上げようと
したが、時すでに遅し。
トレモイユはすでに号令をくだしていた。
「生石灰をかけろ!魔女どもを焼け!」
守備兵たちは、壷にたくさん込めた、粉々に砕かれた白い生石灰を、持ち運んできた。
それを、ちょうど二枚の落とし格子に閉じ込められた魔法少女たちの頭上に位置する小さな穴、通称、
”人殺し穴”に注ぎ込んで、生石灰をぶっかける。
粉状の白い粉末が、多量に、閉じ込められた魔法少女たちの頭にふりかかった。
「うわ!」
「あああ!」
頭にかぶったあとは、全身に。
ばふっと、煙のように舞って、生石灰は罠の餌食となった魔法少女たちの、頭髪と全身にふりかかり、
魔法少女たちは白くなった。
閉じ込められた彼女たちは、全身に生石灰の粉末をかぶる。彼女たちの立つ足もとの地面まで白くなった。
「よし、水だ!」
トレモイユは残忍な指示をくだした。
「水をかけろ!」
守備兵たちは壷に水をいれたそれを持ち運んでくる。
その壷の注ぎ口から、生石灰を浴びせた穴に、注ぎ込みはじめた。
びちゃびちゃと、水が、人殺し穴から注がれ、生石灰だらけの魔法少女たちの頭と体にかかる。
漏れた水は、生石灰に満たされた地面にもじょろじょろと注がれた。
すると生石灰は水と反応し、じゅーじゅーと音をたてはじめ、ぐつぐつ煮えて、激しく発熱しはじめた。
「ああああああ!」
「きゃああああっ!!ああああ゛!」
落とし格子に閉じ込められた魔法少女たちの体は、全身にかぶった生石灰に水が反応して、発火した。
髪と変身の服が燃え始め、生石灰の発熱反応のなかで、煮えられ、燃やされた。
顔も、髪も、全身の肌が、生石灰の粉末をかぶったまま、じゅーじゅーと肌ごと焼かれ、爛れた。
ソウルジェムごと魔法少女たちは、300度超という生石灰の高温のなかで、全身を発火させていった。
そして、逃げたくても、逃げ場もなかった。
前も後ろも二枚の落とし格子が落ちて、あいだに閉じ込められて、逃げ場も無い僅かな空間のなかで、生石灰に焼かれ続ける。
その悲鳴と絶叫は、その場にいる誰の耳にも轟いて。
あっはははははは。
まんまと魔女たちを罠にはめた城の守備兵たちがどっと笑い出し、腹を抱えて笑い声たてた。
「焼け死ね!」
満足げにトレモイユも口から声をあげた。
焼かれる魔法少女たちは鉄格子の隙間から腕だけだして助けを求めていた。
しかしその腕も、生石灰に焼かれ、発火していた。
やがて、数分もすると、焦げた死体となってころがった。焦げ焦げのソウルジェムがころがった。
「正面突破はだめだ!」
焼け死ぬ魔法少女たちに恐れを感じたクリフィルは仲間たちに声がけをする。
「回り道を探そう!」
鹿目円奈は、馬上で剣をふるい、城門で焼け死ぬじゅーじゅーと真っ赤に爛れた魔法少女たちを見つめて、
歯を噛み締めた。
悔しそうに、きりっと、歯の音をたて、城壁側で大笑いをがなり立てる人間の兵士たちを睨んだ。
「クリフィルの言うとおりです。回り道を!」
鹿目円奈は馬上から大声だした。
城門の入り口は燃えている。業火の赤い火に焼かれている。
入り口を通ることはできない。
「バカな女め」
国王侍従長のトレモイユは、回り道を探そうなどと言い出す魔女たちを見下ろしながら、冷罵した。
「この城がなぜ千年無敵と呼ばれるかも知らないのか」
鹿目円奈たちと魔法少女たち100人(うち、15人が倒れる)は、回り道をはじめ、第四城壁区域へ
つながる、トレモイユが守る橋を渡ることは諦めて、その脇下の通路へくだりはじめた。
トレモイユらが守っていた巨大な壁の橋の下をくぐる。
アーチをくぐり、くだり歩廊を進むと、城の内部へ水が流れる、細長い橋に足を踏み入れ始めた。
水の流れる、アーチ構造の水道橋だった。
古代ローマにも見受けられたような、アーチ橋によって造られた水道が、一方向に流れていく水道橋だ。
エドワード城の水道橋は高さ150メートルを誇っていた。落下すれば、ひとたまりもないが、円奈たちは
この水道橋の上を徒歩で渡り、第四城壁区域に突入しようと試みた。
下へ下へと流れていく水道施設は、第四城壁区域の内部へ、水を運んでいく通路だった。
「敵は水道施設を渡る気でいるぞ!」
思わぬ突入路へ敵が進み始めた旨を、トレモイユは味方の守備隊長らに報告した。
「水道橋を渡らせるな!」
489
鹿目円奈たちはびちゃびちゃと水が流れる橋を進み、足を水に浸しながら、細長い石造アーチの水道橋を
渡っていた。
水道橋は一本しかなく、踏み外せば、エドワード城の深淵へ落ちることになる。その下は城壁区域都市であり、
城内の平民が暮らしている。
レンガ造りの家と煙突、シングル葺きの屋根の数々が、ここから見下ろせる。この高さから眺めれば、
都市の家々のひとつひとつは、点のように小さい。
都市に張り巡らされた道路も、糸のように細い。
雄大にして高大な水道橋を渡っていると、約70メートル先のむこう岸から、守備兵たちが水道橋を
進んできて、円奈たちの進路を塞ぐ。
円奈は、馬で細い水道橋を渡っていたが、ロングボウに弓を番えると、むこう岸から進んできた兵士らに
むけて、弓を放った。
兵士達の頭上を飛び越えていった矢。
しかし警告にはなった。
すると守備兵たちもこの警告に受けてたった。
彼らは弓を取り出し、ロングボウではなかったが、弓矢を45度上向きにし、水道橋の遥か上へ飛ばした。
ぴゅーんと弧を描いて飛んできた矢は、水道橋には落ちず、どこかの宙へ舞って、そのまま水道橋の下方、
城内都市のどこかへと落ちていった。
それは、受けてたつぞ、という守備兵たちからの返事だった。
「はっ!」
すると円奈は、覚悟をきめ、両手に握った手綱とると、水道橋の通路を馬で全速力で駆け始めた。
つづく魔法少女たちも水道施設の橋の上を、ばちゃばしゃ音をたてながら、水の流れに沿いつつ、走り始める。
これには守備隊たちもたじろいだ。
ただでさえ、人が渡ることさえ危険なこの水道橋を、馬が走ってくる。対面側から。
もし、この馬に激突されたら、どうなるか。
ちょっと考えただけで、たじろいだ守備兵だった。
しかし、後退もできない。
後ろにはぞくぞくと守備隊たちが列になって進んでいるのである。
一歩でもさがれば、すぐ後続の兵士と背中があたる。
細い水道橋は、一方通行で、一列に進む兵士らで手一杯の広さだ。
まずい。
と思ったときには、すでにおそい。
「あああああああ!」
水道橋に並び立つ兵は、円奈の馬に追突され、左右に散った。
「うわあああ」
馬に体当たりされた兵は、ぎりぎり、ころげながらも水道橋の淵に手をかけ、ぶらさがり、耐える。
しかし、重たい鎧を着込んだ兵士たちは、手だけ橋にかけて体重を支えていたが、やがて水道橋を走ってきた
魔法少女たちによって。
つぎつぎ斬られ、落ちていった。
「ああああああああうう!」
悲鳴をあげながら、橋にしがみついていた兵士は下方の城内都市へと落ちていった。
その落下は、15秒間ほどつづいた。
鹿目円奈は兵士らを蹴散らし、第四城壁区域の水道施設を渡り、その敷地についた。
ここは城壁の下段外郭で、本城はこの上の階にある。
「あぐ!」
「ぬう!」
円奈の馬の足に蹴られた兵が、左右にどかされ、敷地にぶっ倒れる。
水道橋を渡りきると、円奈は馬の手綱を引っ張り、馬をとまらせた。
馬は、前足を大きくふりあげ、地面に蹄をたたいてとまる。
後続して、100人の魔法少女が、水道橋を無事に渡りきった。
円奈が蹴飛ばした兵士らは、立つこともできないまま、魔法少女たちに胸に剣を突きたてられた。
バスッ
ザグッ
「ううう──!」
鎧を貫く剣に、歯を噛み締める兵士。
円奈は水道橋を渡りきった魔法少女たちの面々を見つめた。
リドワーンらの一行。レイピア使いに、ホウラ、チョウ、ヨーラン、ブレーダル、アルカサル、
シタデル、マイミ、姫新芽衣たち。
クリフィルら城下町出身の魔法少女たちは、ベエールにチヨリに、アドラーとマイアー、ヨヤミ、
他、総勢85名。
この人数で果たしてエドワード城を通過できるか。
しかし、第四城壁区域に渡った彼女たちは、また一歩、エドワード王の足元に近づいた。
エドレス国に君臨する支配者たる王に。
「とっちめろ!」
第四城壁区域の敷地、下段外郭のむこうから、守備兵たちが剣をぬいて、20人ほどが、わーわーと走ってきた。
「邪悪な者どもを王の領域に入れるな!」
円奈が馬をはしらせた。
「はっ!」
掛け声あげ、手綱をぶんと振るい、馬に合図をくだすと、馬は走り始めた。
守備隊たちの走る列へ、突っ込む。
円奈は、馬に乗りつつ、長い剣を守備隊むけて高い位置から振り落とした。
ガキン!
「うっ!」
馬の速度が加わった剣の一撃をくらい、剣同士を交わらせた守備隊はころぶ。
つづいて魔法少女たちも駆け込んできて、守備隊とさんざんに斬りあいをはじめた。
リドワーンは、相手の剣を絡め、せめぎあいながら敵の剣をどかし、胸を斬る。
クリフィルは敵兵と剣を激突させたあと、もう一度力を込めてとふるい、敵兵の剣を弾くと、頭を裂く。
ヨヤミは、手に小さな小刀をとりだし、敵兵につぎつぎ投げ飛ばした。
ヨヤミのナイフ攻撃を受けた敵兵たちは、剣を振るう前につぎつぎ倒れた。みな血まみれになった。
死体を踏み越え、85人の魔法少女は、外郭側を回り込みつつ進み、円奈につづいて、外郭から
城内側へつづく城壁沿いの階段をのぼりはじめた。
「敵を中にいれるな!」
守備隊たちが剣を手に階段を足で駆け下りてくる。
その彼らも、階段を駆け上がった円奈の馬に、蹴られ、階段の端からすべり落ちていった。
手すりのない城の階段から、空いた脇へこぼれて落ちていく。
「あああ!」
兵たちはころげ、声をあげる。
手からクロスボウが落ちる。
鹿目円奈は外側階段を登りきると、第四城壁区域の地下室空間へ入った。
城内に入った途端、真っ暗闇になった。
光がないのだから当然だ。
すると、ぽわーんと、来栖椎奈から授かった剣が、青白く光り始め、それが光明になった。
魔法少女たちもつづき、城内へ突入。
彼女たちは、トレモイユの指揮した防壁は突破できなかったが、回り道をしてくだり、水道施設の橋を渡ることで、
第四城壁区域の地下空間へ侵入を果たした。
残された防壁は、第五城壁区域の関所と、第六城壁区域の関所の二箇所だけだ。
ここを抜けると、ついに辿り着く。
エドワード王の住む根城に。
そこには、多数の騎士たちと、クリームヒルト姫、執政官のデネソール、世継ぎの少女アンリなどが、暮らしていた。
490
城のなかは暗かった。
貴族の暮らす城となると、華やかな舞踏会があり、王と王族たちが豪華な食事をたいらげ、夜通し貴族たちが
踊り続けるという夢の世界を思い描くけれども、それは城下町の人々の妄想であったり、乙女向けの夢物語が
描写するエセの城生活だった。
本物の城の内部は、人が暮らすには到底不便な空間だった。
第一はその暗さ。
蝋燭の火がやっと城内の狭苦しい廊下を照らしてくれる程度である。それでも、数歩先は常に闇である。
年中空気の入れ替えはなく、息苦しく空気はくさかった。
光の取り入れ口は、みごとな彫刻装飾を施した窓枠があるが、この季節では、木の鎧戸で閉じられ、しかも隙間風
を防ぐように羊毛、ピッチ、タールなどをつめていたり、羊皮紙をはりつけたりしていた。
その廊下の床は、たんなる粘土の床だった。
貴族の部屋では、焼き粘土やつやかけレンガでできていたが、夏になると、花や香りのする草を撒き散らして、
害虫を寄せ付けなくした。
冬はマット、ウールの絨毯、あるいは毛皮が敷かれた。もちろん、害虫の繁殖が助長されたのである。
貴族の城の部屋の壁にはたいてい漆喰が塗られた。
鹿目円奈は暗い廊下を馬で進み、一歩一本蹄が、床を踏みながら、パカパカと城の廊下を進んだ。
空気は一気に湿りっ気を含みはじめ、じめじめとした。
不意にも突然、曲がり角を曲がると、守備隊の兵士たちと顔をあわすことがあったので、
円奈は剣を振り落とし、守備兵と剣を交わらせた。
クリフィルら魔法少女たちも、廊下を進み、敵兵たちときの交戦をはじめていた。
円奈は馬上から剣を振り落として、守備隊をころばすと、馬を進めだし、城の裏側へでる道をさがして、
スピードを高めた。
また次の曲がり角で兵士らと出くわす。
兵士は槍を円奈にむけて殺しにくる。
円奈は、壁際の鉄籠に架けられていた松明を手にとると、馬をすすめながら、新たにはちあわせした兵士らむけて、松明の火を
投げた。
「うわあああ!」
松明の火に顔を覆われた兵士はあちちと声あげてあばれ、槍を手放した。
その隙に横を通り過ぎ、円奈は城の裏側へつづく出口を探す。
ベエールとクリフィル───犬猿の仲だったこの二人は───廊下の先々で兵士らと出くわし、剣でたたっ斬り
ながら、会話した。
「あのピンクの女はどこいった!」
敵兵を殺したばかりのクリフィルが、血に濡れた剣を手元に構え、背中越しにベエールに話しかける。
「あの馬にのったピンクはどこだ!」
「しらん!見失ったぞ!」
ベエールは答え、目の前の敵兵と戦闘をつづけた。
敵兵のふるう剣を、潜ってよけ、自分の剣を下から突き上げる。敵兵の顎を貫き、敵兵は血を流して倒れる。
粘土の床にころげた。
あまりにも暗いので、敵兵のふるう剣先がよく見えない。
油断していたら腰を叩き割られてしまう。
「見失った?プッシー野郎め!」
クリフィルは廊下を進みながら、蝋燭の火だけが照らしている粘土の通路を進み、敵兵と戦った。
暗闇のなかをすっと蠢く、わずかな光の反射をみたら、それが敵の剣だと即座に察した。
ガチャガチャと敵兵の剣と、自分の剣でちゃんばらし、衝突させあいながら、足を進め、敵兵を後ろに
おいつめてゆき、敵兵の背中が壁にぶつかると、その瞬間に素早く脇腹に剣を差し込む。
「う!」
敵兵は暗闇のなかで息を漏らした。
人間は、不意に刃物に刺されると、叫ぶというよりも、あっと息を吐く反応をする。
しかし、敵を殺した直後クリフィルの首元に刃がふるわれてきた。
また別の敵兵の刃だった。
「うわ!」
クリフィルは頭をさげながら前によろめき、壁際に背中を打ちつけながら、間一髪でかわし、新手の敵兵と対峙した。
慌てて剣を前に突き出す。剣先を前に向け、敵に近づけさせまいという構えをとる。
しかし、その剣を、勢いよく敵兵に跳ね除けられた。
カキン!
「う!」
クリフィルの剣先がどこかへ向き、正面が無防備になる。
敵兵が頭上にふりあげた剣をまっすぐ振り落としてきた。
「うわああ」
クリフィルは慌てながら、その場から何歩か前によじって、逃げた。
敵兵の振り落とした剣が、壁際をぶっ叩いた。切り傷がジリリと壁にのこった。
ぎりぎりよけたクリフィルは、前に出て、敵兵の横腹を思い切り足で蹴った。
「うが!」
魔法少女の足に蹴られた敵兵が派手にむこうへすっころぶ。重たい鎧のままころび、たてなくなった。
クリフィルは剣を上向きにして持ったまま、壁際を移動していたが、さらに奥の螺旋階段から
駆け下りてきた敵兵の剣に襲われた。
「この!」
クリフィルは気づき、まず頭を屈めた。その頭上を剣が通り過ぎる。キン!通路右側の壁に鋼鉄の刃があたった。
クリフィルは顔をあげ、起き上がると、ぶんと力の限り自分の剣を前向きにふるった。
相手の剣とそれは絡まり、両者の剣が交差する。こんどは左側の壁にぶちあたり、二人の剣は絡まったまま
壁で小競り合いをした。
するとクリフィルは剣を持つ手の腕の肘をつかって、相手の顔面をど突いた。
「うぶ!」
敵兵の鼻から血がでる。剣もつ手が弱まる。
クリフィルの持つ剣が軽くなり、壁際から開放された。クリフィルは剣を思い切り斜め向きに振り落とし、
敵兵を斬った。
その剣先は敵兵の胸に刻まれ、肋骨と肋骨のあいだを貫いた。肺を切った。
剣先を食い込ませた敵兵が倒れ込むと、それにつられ、クリフィルまで前のめりになった。剣先が抜けない。
すると、また螺旋階段からくだってきた兵が、クリフィルめがけてロングソードを振り落としてきた。
「くそっ!」
力いっぱいクリフィルは剣先を死体からぬき、そして敵兵の胸元へ飛び込んでいくようにして、
敵兵の腰あたりに、剣先をブッ差した。
「あぐぐく!」
敵兵は腰に剣を受けながら、クリフィルに押し倒される。
螺旋階段の段に頭をうちつけたときには、腰にしっかり剣が差し込まれていて、命を落としていた。
大腸か腸に剣が食い込んだ。
クリフィルは剣をぬき、螺旋階段をのぼりはじめる。
鹿目円奈とは離れ離れになってしまった。
螺旋階段からは守備隊が何人か降りてきた。
クリフィルは剣を交わらせたり、隙をついて敵兵の顔を拳で殴りつけたりしつつ、螺旋階段をのぼり、
二階廊下へ躍り出た。
それにつづいて、ベエール、チヨリ、アドラーなど、城下町出身の魔法少女たちがつづいた。
いっぽう、鹿目円奈が裏側をめざして橋っていった廊下には、リドワーン、姫新芽衣らがつづいた。
円奈たちと城下町の魔法少女たちは、これが、実質の別れになった。
491
螺旋階段を二周ほとぐるりと回ったクリフィルらの一行、魔法少女たち15人ほどは、第四城壁区域の
地下室二階通路に辿りついた。
狭苦しい、蝋燭の火しか明かりのない廊下を進んでいると、床の粘土を踏んでいたクリフィルら一行に、
クロスボウ兵の矢が襲い掛かった。
曲がり角を曲がって、まっすぐな通路を進み始めたとき、クロスボウ兵たちが廊下の先に待機していて、
しゃがみながら弩弓の狙いを定め、矢をバチバチと放ってきた。
「うお!」
「うわ!」
魔法少女たちは咄嗟に曲がり角を戻って身を隠す。クロスボウのボルト矢が飛んでゆき、奥の壁にあたって
砕けた。
「突っ込め!」
魔法少女たちが声をあげ、クロスボウ兵たちが撃ち終えた廊下奥へ突っ込みだすと、こんどはロングボウ兵たちが
角から廊下へ顔をだし、矢をぞくぞく放った。
罠だった。
クロスボウ兵の射撃の遅さを囮につかい、連射にすぐれるロングボウ兵たちを奥に隠していた。
「う!」
「ああっッ────!」
見事、罠にかかった魔法少女たちの胸元のソウルジェムが、ロングボウ兵たちの矢に射抜かれ、何人かの魔法少女は
そこで死に絶えた。
パリン、パリンと二個か三個かのソルウジェムが割れ、魔法少女たちは蝋燭の照らす細い通路に倒れ、
変身衣装がばっと光って解ける。ただの姿となって死体に変わる。
パラパラとソウルジェムの破片が飛び散る。
「くそう!」
クリフィルは間一髪でロングボウ兵たちのボドキンをかわしたが、また壁際に撤退せざるを得なくなった。
「魔女を射止めたぞ!」
人間兵士らが興奮げに声をあげる。
「二人やった!」
クリフィルは、弓兵たちが守りを固める廊下の途中の壁際に、木のテーブルがあり、そこに花瓶が置かれている
所に着目すると、仲間の魔法少女たちに指示した。
「バリケードを作れ!それから突入だ!」
するとクリフィルは、矢が乱れ飛ぶ廊下を頭屈めながら進み、壁際の木のテーブルを握ると、
ええいと押して、横向きに倒した。
がたーん。
音たてて古びた木のテーブルが横倒しになった。灰色の埃が舞った。花瓶が倒れ水をこぼした。
テーブル面が弓兵側をむいた。
「来い!」
クリフィルが倒したテーブルのもとに、魔法少女たちが廊下を進んで集まってきた。
みな横倒しになった机の側らに身を寄せて屈んで隠れる。
びゅんびゅん狭い廊下を矢が飛ぶが、横倒しにしたテーブルに守られて、魔法少女たちは無傷だった。
倒されたテーブルはまるでバリケードのような役割をはたし、防壁となった。
飛んできた矢は横倒しになったテーデル面につぎつぎにあたる。
ザクザクと、クロスボウの矢とロングボウの矢が突き刺さり、倒されたテーブル面は矢だらけになる。
と、次の瞬間、バリケード代わりにテーブルを倒した裏側から魔法少女たちが立って顔をだし、手元にもった
魔法の弓から、矢を次々に反撃に飛ばした。
不意をつかれた弓兵たちの胸に、魔法少女たちの飛ばした矢が当たる。
ぞくぞく魔法の矢が命中してゆき、弓兵たちは、クロスボウ兵もロングボウ兵も、心臓部を矢が貫いて、
倒れていった。
焼かれる矢に撃たれた兵たちは、魔法の矢によって死に絶える。
兵たちは立てなくなる。
「よし、すすめ!」
魔法少女たちは横倒しにしたテーブルを乗り越え、この隙に一挙に突っ込んできた。
残されたロングボウ兵たちは、うわああっと恐怖の叫び声あげ、剣を手に一心不乱に突っ込んでくる魔法少女たち
に恐れをなして、狭い廊下を一目散に逃げ惑いはじめた。
魔法少女たちは剣を手に、ロングボウ兵たちの逃げた道をおいかける。
弓兵たちは階段を登り、蝋燭の火が一本灯った踊り場を回って、さらに上階へ逃げていった。
「逃がすか!」
クリフィルは血のついた鉄の刃を手に、弓兵たちの背中を追いかける。
彼女も階段を駆け上がり、蝋燭の火が一本だけ灯った踊り場を回って、さらに上階へのぼって追いかけた。
492
「だからよ、女の口ってのはよ、悪魔と契約してるから、ウソばっかなんだよ」
階段塔の途中、第四城壁区域の私室で、守備兵たちが、雑談を交わしていた。
その部屋には暖炉があり、薪が燃やされている。暖炉の前にはウールの絨毯が敷かれている。
イスに腰掛けた男の守備隊たちは、イノシシの丸焼きを鉄串にして炙りながら、肉をナイフで切り取り、
頬張っていた。
暖炉のある壁際には鹿の剥製があり、頭の角が生えている。
男たちが食事を楽しむテーブル面には、鉛カップのブドウ酒に、ローストのイノシシ肉を持った皿と、香辛料を
いれた壷。
スプーンやフォークはない。それは庶民の食器だ。
「いいか、女が他人を褒めたら」
ある守備隊が喋りだし、別の守備兵が、猪肉を頬張りながら、つづきを受け持った。
「その意味は軽蔑して卑下している、だ。私のほうが上だわって意味なんだよ」
なんてやり取りをしていた。
直後、変身した魔法少女たちが部屋に飛び込んできて、剣やら弓矢やら、斧やら鎌やらもって、
守備隊たちの城内の私室にやってきた。
「なんだてめえら!」
守備隊たち、剣を抜く。
クリフィルは剣を持ち、戦いを挑んだ。
「殺してやる!」
「悪魔の手先め!本性を現したな!」
守備隊たちは剣でクリフィルの剣を受け取め、絡めた。
バッテンに二人の剣が押し合い、力を込めた。
大柄の男と、小さな魔法少女の剣が交わったが、守備隊の男たちは、別々に動きだして、
クリフィルの背後にまわると、剣をブッ刺そうとした。
その守備隊を斬ったのはベエールだった。
「うぐ!」
脇腹が綺麗に切られ、血の赤い筋が走り、だらだらと血が流れ出す。胆汁も脇から垂れた。
他の守備隊たちは、暖炉つき私室を駆け回り、魔法少女たちに襲い掛かった。
こうして私室で激しい剣の斬りあいと乱闘がはじまった。
クリフィルは、相手の剣を跳ね除け、すると、敵兵の素早く振るわれた剣の下を潜り、背後にまわる。
が、相手の反応が素早く、すぐ背後にまわったクリフィルむけて剣を振り回した。
ブン!
高速で刃がまわってくる。
「おっと!」
クリフィルは両足あげてその場を飛び上がり、刃をかわす。すると、後ろの食卓テーブルに足を着地させた。
「この魔女!逃がすか!邪悪な力を使う魔法使いの女め!成敗してくれる!」
守備隊もテーブルに乗った。
ガチャ。
大柄な男がテーブルに乗ると、テーブルの皿という皿、鉛のグラスなどが、僅かに擦れて音をたてた。
魔法少女のクリフィルは後ろに退きながら、大柄な男は前に進みながら。
食卓テーブル上で剣闘をはじめる。
まず守備隊の男が剣をふるい、すると背丈の小さなクリフィルも剣をふりあげて受けた。
ガキン!!
二人の剣はバッテンに絡まり、するとクリフィルは相手の剣を押しのけ、下向きに抑えつけた。
守備隊の男の剣が、テーブル面に押し付けられ、皿やら香辛料の壷やらにぶつかる。
するとクリフィルは、敵の剣を下に抑え付けて有利になった瞬間、剣をびゅんと振り上げて、相手の首をねらった。
間一髪、相手の敵兵はクリフィルの剣先をよける。あごを引いて、首を上向きにし、喉仏すれすれを刃が
こすれる。
「俺をなめんなよ悪の魔法使い!」
男は剣を持ち直し、クリフィルの伸ばしきった腕を隙ありとばかりに、振り落としてきた。
「ぐ!」
クリフィルは一歩飛び退いてかわした。男の剣先の軌跡がひゅっと空を斬る。
クリフィルは両足使って後ろへ一歩退き、テーブル面にまた着地する。
香辛料を入れた壷やら皿やらが、クリフィルの足に踏まれて、散らかった。
すかさずクリフィルは反撃にでて、思い切り力をこめて、剣を振り切る。
ガキン!
それは敵兵の剣とまた交わり、絡まりあった。
クリフィルは押し切る。
ギリリと互いの刃がこすれあうなか、力を出し切り、相手の刃を圧する。
敵兵も負けじと力を込めてきた。すると、二人の剣は力をぶつけあいながらもすれ違い、次の瞬間、
二人の剣は絡まりながら、円を描くようにぐるりと回った。
二人の剣は押し合いつづけた。
互いに剣先を向き合わせつつ、食卓テーブル上で距離を保ながら、剣先を絡めあう。
「とりや!」
剣先絡めつつクリフィルが、一歩だけ前に進み出て、剣先を相手へ伸ばす。
「おっと!」
伸ばされた剣先は、男はかわす。脇腹を刃がかすめた。
「そらよ!」
男が反撃に剣先を伸ばす。食卓テーブルを前に二歩ほど進み出て、魔法少女の右肩に刃をむける。
「あたるかっ!」
クリフィルは右半身を引いて剣先をかわす。
一歩退いた足が、食卓テーブルの燭台に当たった。蝋燭は倒れた。ばち。火がテーブルにひろがった。
「くらえ!」
そして剣先をまたのばし、それは男の剣に払いのけられる。
キィン!
鋭い音がなり、クリフィルの手元から剣が弾け飛んだ。
グサ!
それは天井に刺さり、めり込んだ。
「勝負あったな!」
男は丸腰のクリフィルむけて剣をふるってきた。
刃がクリフィルの肩に迫る。
「そいつはどうだか!」
クリフィルは、ひょいと身を屈めてしゃがみこむと、男のふるった刃をかわし、すると、足元にあった
食卓テーブルの香辛料の壷を手に握り、その中身を男の顔面むけて思い切りぶちまけた。
唐辛子含む胡椒などがブレンドされた香辛料の数々が、男の顔面にふりかかる。
「んっ、うぐうううう!」
目にも口にも鼻にも香料が入った男は、目から涙ながし、鼻水を垂らし、口はけほけほとむせた。
「お味はどうだ!」
クリフィルはすると、食卓テーブルから暖炉側へ降り、部屋じゅうで他の守備隊と魔法少女が剣同士で乱闘
しているなか、ひょいと両足伸ばして飛んで、天井近くに飾られた剥製の鹿の頭をとりだした。
剥製の鹿の頭を、ぶんとふるい、香辛料を顔にくらってむせている男の顔をなぐった。
「んべが!」
鹿の剥製の角が男の顔にぶちあたり、彼は倒れ込んだ。
ガチャーンと食卓テーブルの食器や燭台、鉛グラスの立ち並ぶテーブルに大柄な体を打ちつけ、散らかった。
クリフィルは鹿の頭の剥製を持ったまま、食卓テーブルを降りた。
すると、暖炉つき私室の奥側の扉が開かれ、新手の守備隊が二人、やってきた。
部屋に入った二人の守備隊は、クリフィルの姿をみとめるや、剣を同時に鞘から抜く。
クリフィルは鹿の剥製を両手にもち、その頭に生えた二本の鹿角を、新手の守備隊二人の胸に押し付けた。
「こいつをくらえ!」
ブスッ
「あうう!」
「あがが!」
二人の守備隊はどちらも、突っ込んできたクリフィルの持つ鹿の剥製の角に胸を貫かれ、二人とも倒れ込んだ。
クリフィルは鹿の剥製の破壊力を思い知った。
ベエールも暖炉つき城内の私室で、守備隊たちと乱闘をつづけていた。
魔法少女のベエールは、私室の食卓テーブルに並ぶイスを持つと、それを守備隊に投げつける。
ドゴッ
「あう!」
頭にイスが投げられた守備隊はいたそうに頭を手で守る。
するとベエールは接近してゆき、顔を覆った兵士の顔を殴って気絶させた。
「うぐ!」
兵士は壁際に倒れ込んで、背中を丸めてうずくまった。腰の鞘は空だった。
すると別の兵士が剣をふるってきた。
ベエールはそれから逃げ、椅子に足をかけ、さらに食卓テーブル上にのぼった。
既に散らかされた食卓テーブルだ。
さて、相手がテーブルにのぼると、こっちの剣は届かなくなるので、兵士も椅子にのって、テーブルに登ろうとして
追いかけてきた。
「くんな!」
するとベエールは、椅子に足を掛けテーブルに追って登ってきた兵士を、足で蹴飛ばした。
魔法少女の靴が兵士の胸をけり、すると兵士はすってんころり、一回転しながらころげて、暖炉の中に
入った。
「あづづづづ!あっづ!」
薪が赤々と燃える暖炉のなかに転げまわって入った兵士は、暖炉の灼熱に涙声になった。
ヨヤミは小刀を両手に召喚し、それを武器に敵兵と戦った。
小さな魔法少女は、その両手に小さなナイフを持って構えたが、一方、長い剣を突き出す敵兵のほうがリーチは
優勢。
だから、敵が剣を構えているうちは、ヨヤミは相手に近づけない。
その有利をチャンスとみた敵兵が、ヨヤミに襲い掛かる。
ヨヤミはそれを待っていた。
敵兵の剣先が突き伸ばされる。
するとヨヤミは、はらりと軽やかに逸れて交わし、相手の伸ばした剣の腕に、まず左手のナイフを突き立てた。
「ああああ゛ヴ!」
ナイフが腕にささった兵士が絶叫をあげる。
血を垂らす腕の痛みに、動きが鈍くなった敵兵に、今度は右手のナイフを、腹に一突き。
ズドッ
「うっ…」
敵兵は呻いた。
腹部は柔らかく、ほとんど骨にひっかからない。
ナイフを腹に刺された兵は、呻きながら、倒れた。
ヨヤミはさらに両手にそれぞれ二本のナイフを、くるくるっと手元に取り出し、残された敵兵の背後から、ナイフをトントンと、
差し込んでいった。
流れる作業のように。
「うっ…」
「あがっ…」
別の魔法少女と戦っていた兵士たちが、ヨヤミのナイフにぞくぞく背中をさされ、順に膝をついて倒れていく。
暖炉つき私室の敵兵をほぼ殲滅させた魔法少女たちは、奥の釘だらけな木の扉を開き、奥の暗い通路へ出た。
そこではクリフィルが既に戦っていた。
回り階段を進む経路で、第八歩兵部隊の兵士と剣を交えていた。
その戦いの決着は間もなくついた。
クリフィルの剣先が歩兵の腹を裂き、奥にまで差し込まれた。
兵士はクリフィルに抱きつくようにして倒れ込み、死んだ。
クリフィルはその死体を振り払ったあと、蝋燭の火が点々としか灯らぬ暗闇の回り階段をのぼろうとし、
足をかけたが、そこでベエールに呼ばれた。
「クリフィル、こっちだ!」
クリフィルが振り替えって、その剣も顔も返り血だらけだったが────ベエールのほうに戻ってきた。
ヨヤミもそこにきて合流した。
「さっき水道施設を渡ったじゃないか」
ベエールは嬉しそうに笑い、そして、暗闇の通路の右端、不思議な穴が天井と床にあいた空間を
指で示した。
それは井戸穴だった。
円状に吹き抜けた井戸穴は、遥か下の水道施設から水を汲み、この階まで運び上げる鎖が伸びている。
鎖にはバケツが取り付けられていて、鎖をにぎって上下させることで、ハゲツを下に降ろしたり上に吊り上げたり
する機能を持つ。
この吊り上げ式の井戸は、この階だけでなく、遥か上階にまで続いている。
井戸の穴が、第四城壁区域の上階にまで利用できるように、共用して使う井戸になっているのだ。だから、こんなにも深い。
つまり、この井戸を登れば、城内の遥か上の階層にまで、ショートカットができる。
「こいつはさっきあたしらが渡った水道施設の水を汲み取る井戸だ。見てのとおり、上階まで井戸はつづき、
城内の最上階までつづいている」
ベエールは井戸穴の上を示した。
逆にいえば、上階に住む人々は、深さ100メートルもある井戸穴から、いちいち水を汲み取らなければならない。
それが大変な仕事であったので、エドワード城には水運び係りという仕事が雇われいた。
井戸から水を汲み入れ、上階に住む人々へ届ける仕事人である。
さて、この井戸を侵入路として使おうと目論む魔法少女たちは、何人かが、協力しあって、巨大な岩を
持ち運んできた。
チヨリとアドラー、シタデルとアフビラという名前の魔法少女たちで、ズシンと岩を井戸通路の前に置いた。
「地下の倉庫から持ってきた」
と、シタデルが言った。
銀色の服装をした魔法少女だった。
「投石器用の岩か何かだろう」
実際、城塞は、投石器用に載せる穴や、落石用の石や岩を、囚人のいない地下牢に溜め込んでいることが
よくあった。
魔法少女たちは、何を思ってか、この投石器用の岩を、井戸通路に持ち運んできたのである。
そこまできて、クリフィルはついに合点がいった。
その顔がいたずらっぽく笑い、目を輝かせた。
「はは、こりゃ名案かもだ」
自分が一番のりだ、といわんばかりに、クリフィルは100メールの深さもある井戸穴へ飛び出し、
吊るされた鎖にばっとしがみついた。
天井から宙に吊るされた鎖はゆらゆらと揺らめき、鎖にぶら下がったクリフィルの体も左右にゆさぶった。
「準備はいいか?」
シタデルが尋ねると、鎖に両手両足でしがみついたクリフィルは、答えた。
「もちのろん!」
するとシタデルとチヨリたちは、井戸の鎖に吊るされた大きなバケツに、岩をドン、と置いた。
途端にバケツが、下へ下へ落ち始めた。
鎖の釣瓶が天井で回り始めて、岩をおいたバケツの鎖のほうが、急降下する。
すると逆に、クリフィルがしがみついたほうの鎖は、釣瓶の滑車に巻き上げられて急速に上昇しはじめた。
「おおう!」
クリフィルはしがみつく鎖が、猛スピードで巻き上がっていく爽快感に声をあげる。
そして魔法少女は、巻き上がる鎖を利用しつつ、深さ100メートルの暗い井戸穴を一挙に登りつめた。
ぎゅるぎゅると。エレベーター式に鎖によって井戸を吊りあがる。
小さな井戸穴の丸壁の中を通って、クリフィルは、急上昇する鎖によって持ち運ばれながら、最上階に
むかう。
井戸の釣瓶にまで一気に押し上げられたクリフィルは、鎖から手を放し、第四城壁区域の最上階のフロアに
着地する。
そこは、城下町からみあげて400メートルの地点、エドワード城全体の半分を超えたあたりの地点だった。
一気に王への距離が縮まる。
頂上まで、あと半分を切ったのだ。
ずりりりりり。
鎖が激しく滑車でまわっている。
すると仲間たちも鎖にしがみつき、ぶらさがりながら、小さな丸い井戸穴の中を、上昇してきた。
十人あまりの魔法少女たちが、こうして第四城壁区域の最上階に着地した。
彼女たちはみな到着した最上階の部屋を見渡した。
明るい部屋だった。
城内は、蝋燭の火はあちこちの通路間の柱に立てられ燃えてたし、採光窓も開いていて、外からの光も
差し込んでいた。
「私につづけ!」
クリフィルは、蝋燭の火が両側の柱に燃える城内の出口にむかい、すると第四城壁区域最上階の外郭へでた。
魔法少女たちが外に出た途端、猛烈な突風が彼女たちの髪にふきつけた。
どの魔法少女の髪も浮き上がる。
ふと眺めたら、矢狭間と胸壁が囲う城壁の外郭からひろがる景色は、谷の地上400メートルの城から見渡す
圧巻の景観だった。
いまでかつてほとんどの人類が立ったこともない地点に、魔法少女たちは立った。
驚いたことに、城下町に暮らしていたころは見上げるばかりであった山々と山脈の景色が、今やとんでもなく
小さく見える。
それは不思議な景色であった。
あんなに遠くに思えた天の青空が、今やずっと近く、頭上のすぐ上にあるようにすら感じられる。
自分たちが立つ城のあまりの高さに圧倒された魔法少女たちだったが、やがて胸壁の周囲から守備隊たちが
走ってきた。
第八歩兵部隊の兵士たちだ。
魔法少女たちは、手にクロスボウを持って、走り寄ってくる兵士たちに狙いを定め、撃ち放つ。
ビュン!
音たてて飛んでいった魔法の矢が、兵士らに直撃した。
「あう!」
空を裂いて飛んできた矢が兵士らに止めを刺す。第四城壁区域の最上階は、魔法少女たちに制圧されてしまう。
しかし、第五城壁区域、ここは下流貴族と貴婦人が暮らす城壁区域なのだが───への道は、さっぱり完全に
塞がれていた。
というのも、第四城壁区域から第五城壁区域まで渡る道は、正面の跳ね橋ひとつしかない。裏側に
回ろうとも一つしかない。
そして、その一つしかない跳ね橋は、今や完全に吊り上げられていて閉じられ、侵攻ルートは皆無であった。
跳ね橋が吊り上げられた第四城壁区域と第五城壁区域のあいだは、ぽっかり空洞となってしまい、第三区域まで
転落してしまうほどの大きな隙間となっているのである。
空でも飛べやしない限り、魔法少女たちはここで完全に足止めだ。
ああ、こんなときこそ魔女のように、箒に跨って空を飛べれば!
「ああ、私たちも魔法少女なら、空を飛べたらいいのになあ!」
と、クリフィルの後ろで、誰かの魔法少女が、無念そうに声を漏らした。
この時代の魔法少女は、その因果の低さから、空を飛べるような魔法少女たちではなかった。
せいぜい人間よりは5倍、6倍くらいの跳力を発揮して、6メートルくらいの高さまでジャンプするくらい
なものだった。
すると西暦3000年後期の魔法少女であるクリフィルは、笑っていう。
「もし魔法少女が空を飛べてたら、ジャンヌダルクはきっと、梯子なんか使わないでトゥーレルの要塞を飛び越えただろうし、
ブーティカは、ローマ軍の密集隊形の上空を飛んでみせただろうよ!」
過去に空を飛んだ人物は、魔術師シモンくらいしかいない。
ふう、と息はいて諦めかけた魔法少女の落胆した顔のほうへ、ふとクリフィルはふり返っていった。
「まて!」
クリフィルは指をたて、悪魔的な思いつきをひらめいた自分を褒めたい気分になりながら、
落胆した魔法少女へ告げた。
「私たちは魔法少女だから、空をぶっとべるぞ」
クリフィルがちらっと視線をむけたその先には、カタパルト式投石機の砲台塔があった。
今日はここまで。
次回、第66話「エドワード城の攻防戦 ④」
第66話「エドワード城の攻防戦 ④」
493
第五城壁区域に避難していたオーギュスタン将軍は、部下の守備隊長ルースウィックから、戦況の報告を
知らされていた。
「将軍、報告いたします。あの邪悪にして悪魔の手先、魔女どもは、第四城壁区域にまで
到達しました。」
オーギュスタン将軍は苦悩の表情をみせる。
第五城壁区域の胸壁に彼はマントを風にゆらしつつ立つ。
「しかし、第五城壁は王の命令通り、”全封鎖”を。邪の魔女どもが、これ以上、我らの城に悪さを
することは、ありません!」
オーギュスタン将軍は、第四城壁区域でちょこまかと動きだしている魔法少女たちを見下ろし、
険しく目を鋭くさせると、戦況を眺めつつ言った。
「ルースウィック。報告ありがとう。お前が生きていてよかった。よくぞ魔法少女と戦い、王を守るため、
生き延びてくれた」
「ありがたきお言葉、閣下」
ルースウィックは胸に手をあて、お辞儀する。
「第五城壁区域は安全だろう」
オーギュスタン将軍は険しい表情を浮かべつつ、戦況を考察しつつ述べる。
「わがエドワード軍は、かつてない損害を被っている。耐え難い壊滅状態だ。だが、我らは王の城にとどまり、
あの魔法の力を持つ少女たちの怒りが収まるのを待とう」
彼は将軍として目を通した兵法の書物の一節を引用して呟いた。
「”怒りは復た喜ぶべく、慍りは復た悦ぶべきも、死者は復た生くべからず”…」
怒りという感情に任せて殺し合いをしてはならない。
怒りはいつか収まるものだが、死んだ者は生き返らない。
兵法書が伝えてくれるその想いは、このエドワード城では、ことごとく裏切られていた。
494
クリフィルらの一行は、第四城壁区域の最上階を走り、カタパルト投石器が設置された砲台塔にむかっていた。
その魔法少女たちの側らには、巨大な第五城壁区域の王城の宏壮たる胸壁があり、睨みをきかせている。
クリフィルらは敷地をしばらく走りつづけて、カタパルト投石器の砲台塔に辿り着き、進入した。
砲台塔から、投石器の砲兵たちが降りてきて、細長い階段をくだりながら、剣を抜く。
自分たちの持ち場を守るためだ。
しかし、魔法少女たちと激突すると、悉く切り殺されるか、投げ捨てられた。
魔法少女に鎧をつかまれ、兵たちは、ぽいと投げられて、階段下へ転げていく。
クリフィルは剣を伸ばし先頭の兵の腹を切った。
剣を抜き、血が垂れると、敵兵を横に投げ飛ばしてどかす。
「ああヴ!」
兵士は腹から出血しながら、砲台塔から石敷きの地面へ落ちていった。
すると魔法少女たちは、第四城壁区域の外郭の淵に設置された塔の頂上に登り、カタパルト式投石器の操作に
とりかかる。
クリフィルとチヨリはレバーをぐるぐる回しだし、ロープを巻き上げて、弦に押し上げられている腕木を
強引に引っ張って降ろし、レバーを限界まで回しきると、歯車をせき止めた。
カタパルト投石器の腕木とスプーン(投石する塊弾をのせる皿部分。見た目がスプーンのようであるため、
こう呼ばれる)は、限界まで引っ張られた状態で歯車によって固定される。
歯車同士の歯が絡まり、レバーが引っ張った部分にまで、きちんと固定される仕組みだ。
弩砲の弦が限界にまで引き絞られ、いまにも腕木を跳ね飛ばしそうな勢いだが、巻き上げられたロープが
投石器の腕木を固定し、支えている。
「こんなもの使ってどうする気だ?」
ベエールは不思議な顔をしてクリフィルに尋ねた。
「門でもぶち壊す気か?跳ね橋を渡らないと第五区域に突入できないんだぞ!」
「だから、第五城壁区域に突入するのさ」
クリフィルは投石器の発射装置レバーの操作を終えると言った。
歯車の固定を見守ったあとは、弩砲の向きを操作する投石器の円盤台のレバーを力いっぱい押し、回し始める。
ぐぐぐ、と音をたてて、投石器の向きが、くるりと逆回りして、だんだん、城の外側から、内側へ向き始めた。
つまり、人間たち守備兵が並び立つ第五城壁区域の方角へ。
投石器のむく方角が変えられる。まるで石を城側へ飛ばすかのように。
「おい、まさか」
ベエールはクリフィルの考えを察した気がして、途端、ニヤリと笑みを浮かべた。
「私たちに”ぶっとべ”ってか?」
クリフィルは円盤レバーの操作を終えた。
すっかり、投石器は逆向きに反転させられて、城側、第五城壁区域の方角へ向いた。
もし、石をスプーンにのっけて投石器を稼動させれば、第五城壁区域の城内へ石が落っこちるだろう。
だが、投石器にのせるべき石弾はない。
石ではなく、投石器にのって飛ばされるのは。
「だからいったろ」
クリフィルはベエールと、仲間たちをみて、白い歯みせて笑った。
「私たちは魔法少女だから、空をとべるってな」
仲間の魔法少女たちが、皆笑った。
495
オーギュスタン将軍は目を細めて、第四城壁区域の魔法少女たちが、敷地を走って、弩砲塔をのっとり、
カタパルト式投石器をまわして、こっち側に向けているのを眺めていた。
「いったい何をする気なんだ」
人間には、あの魔法少女たちが考えていることが想像つかない。
第五城壁区域に近づけぬ腹いせに、こっちに石のひとつや二つ、投げ込む気なのか。
ところが、守備隊のルースウィックは、どこか勘の鋭い男であった。
彼は目を凝らして指でぐりぐりと擦り、魔法少女たちの動きをよく観察していると、魔法少女たちが、
投石器の腕木の皿に乗り始めたのを見つけていた。
本来なら、石を乗せ、空へ打ち上げる投石器の皿の部分に、石に代わって魔法少女が乗り、片膝ついて座り、両手は
皿を掴んで体を支えている。
まるで、いつでも空飛ぶ準備オーケー、という態勢だ。
「しょ、将軍!」
守備隊長ルースウィックは、途端に顔を青ざめさせてしまい、第五城壁区域の胸壁で、喚き始めた。
「大変です!」
「どうした?」
顔をしかめている将軍は、まだこれから何が起こるのか分かっていない。
「魔女が!魔女が!」
ルースウィックは、投石器の皿に乗っかった魔法少女を指さした。
「魔女が空を飛びます!」
オーギュスタン将軍が顔を横にむけ、ルースウィックを睨んだ。「なんだと?」
次の瞬間、魔法少女を乗せた投石器が稼動した。
ぽーん!
腕木が跳ね上がり、投石器に乗っていた魔法少女は空高く打ち上げられる。
カタパルトの太い弦によって腕木は垂直にまで浮き上がり、支え部分の柱にあたって動きをとめた。
その瞬間、魔法少女は足で皿を蹴り、投石器の勢いに乗って空高く飛び上がった。
標高400から標高500までの城から城へ、悠悠と飛ぶ!
第四城壁区域から第五城壁区域のあいだの隙間を、らくらく飛び越えてしまう。
ひゅーっと、晴天に白い雲の浮かぶ青空を舞うと、魔法少女の影は、だんだんと、落下してきて、
第五城壁区域の胸壁にすたっと着地してきた。
「うっ、うわあああ魔女だ!魔女が飛んできた!」
人間たちは、あまりの光景にちぢみあがってしまい、逃げ惑いはじめた。
第五城壁区域は魔法少女に侵略された。
「将軍、第六城壁区域に避難を!」
ルースウィックは慌てて叫び、将軍に懇願した。
「逃げてください!」
「そうしよう…」
将軍は平静さを失い、投石器によって飛んできた魔法少女たちを見つつ、恐ろしい存在を敵に回したものだ
とつくづく思いながら、第六城壁区域に避難する外郭通路の階段を昇った。
「メッツリン卿たちと合流し、最後の防衛線を張ろう」
と、将軍は守備隊長ルースウィックに告げた。
投石器によって飛ばされ、第五城壁区域に見事着地した魔法少女は、名をジェンビチェといったが、
手に弓をもち、近くの兵士たちに矢を放った。
バシュ!
飛んでいった矢が兵士の頭を貫く。
「────あう!」
頭を貫かれた兵士は、その場で気絶し、城壁の淵から身を落とし、第五城壁区域から遥か下まで転落していった。
弓矢の刺さった死体が、頭を下にして、広壮たる城壁を落下していく。
クリフィルらは投石器作戦の成功に顔を綻ばせ、嬉しそうに目を煌かせていた。
「大成功じゃないか」
それからクリフィルは、再び投石器のレバーを回し始め、一度発動させた投石器の腕木を、再び巻き上げ機で
引っ張って下に降ろし始めた。
垂直の角度にまで浮き上がった腕木は、また、角度を降ろし、水平向きにまでさがってくる。
腕木を跳ね上げる弦が引き絞られる。
「次は誰がいく?」
クリフィルが、投石器の操作を終えて尋ねると、チヨリが手をあげた。
「私がいく!」
「新入り、変わらず勇気があるな」
クリフィルは頷いて、目で投石器の皿を示した。
「のりな!」
チヨリはカタパルト投石器に乗って、弩砲の機体に跨りつつ、皿部分へ乗った。
さっきの魔法少女と同じく、片膝だけついて、両手は皿をしっかり掴んで支え、いつでも飛ばされる
準備オーケーの体勢をとる。
クラウチングスタートのような体勢。
「覚悟はいいのか?」
クリフィルが、投石器のレバーの発射装置に手をかけつつ、チヨリを見て、最後に訊くと。
チヨリは、投石器の皿に乗りながら、顔だけ頷いた。
「よし!」
次の瞬間、クリフィルは、レバーを勢いよく奥へ押し込んだ。ガチャっと音がした。
すると歯車のこすれあいが解消され、投石器のロープ巻上げ機が一気に逆回りしはじめた。
弦が腕木をうちあげ、投石器のスプーンは勢いよく魔法少女をぽーんと飛ばした。
チョリは投石器が稼動された直後、猛烈な風が全身を襲うのを感じた。
そして、あっという間に空高くに体が打ち上がっていた。
目がまわる。
くるくるくると、視界に入る景色が、城だったり空だったり、谷の絶壁だったりまた城になったりと、
激しく回転している。
チヨリは、自分が空を飛びつつ宙で身体が前回転していることを知った。
そしてくるくる回りながら、チヨリの体は第五城壁区域の上階にまで飛ぶ。
そこは下流貴族の宴会を催す地表500メートルに位置する大空間の居館だった。
ガシャーーンとステンドグラスを割りながら城の内部へ飛び込み、大空間の内部へ突入。
勢いよく内部へ飛び込んだチヨリは、大空間のステンドグラスを粉々にしつつ、大空間の地面に
ころころところげた。
体を回しながら、受身をとって、くるりと前転すると起き上がった。その頭髪にはぱらぱらとステンドグラスの
色とりどりな破片をかぶっていた。
「きゃああああ!」
「なんだ!なんだ!」
地上では反乱が起こったというのに、優雅に昼間の食事を大空間で楽しんでいた下流貴族たちは、突然の
空からの来訪者に驚く。
慌てて守備隊たちが下流貴族の居館に飛び込んできて、扉をあけ、剣を抜き、魔女退治にとりかかった。
「魔女め!死ね!」
30人の守備隊たちが、食事中であろうとも構わず剣をぶんぶんふるい、チヨリに襲い掛かる。
思いかげず楽しい食事が戦場と化した事態に直面した貴族と貴婦人たちは、慌てて白いテーブルクロスの
食卓を立ち上がり、逃げ惑いはじめた。
チヨリは、守備隊たちが剣をぶんと振り切ると、逃げるようにしてその場で跳び上がり、テーブルクロスの
テーブルにぴょんと飛びのり、よけた。
「この!」
さらに守備隊が剣をテーブルむけてふるう。するとチヨリは、ばっと両足に力いれて大きく飛び上がり、
剣の攻撃から逃げ、大広間の天井に吊り下げられた鉄製のシャンデリアにぶらさがった。
シャンデリアに手をかけてぶらつがりつつ、蜘蛛のように天井に張り付き、ぐらぐらとゆれるシャンデリアを
よじのぼり、降りようとしない。
ぐらぐらと魔法少女がしがみつくシャンデリアが天井でゆれた。
「邪悪な魔女め!降りて来い!」
守備兵たちはいらいらした声で怒鳴った。
この時代のシャンデリアは、豪勢なクリスタルを飾ったりとか、きらきらした花模様の装飾が施されたりとか、
そういうタイプのものではなかった。
鉄製で、蝋燭が灯されていた。
天井に吊るす円形の燭台にすぎないものだった。
鎖によって天井に吊るされ、8本ほどの蝋燭が、円形に立てられているシャンデリアである。
いまそこに、チヨリがぶら下がり、這い登っている。
これでは守備隊たちも手が出せない。
守備兵たちは、チヨリが逃げ込んだシャンデリアの真下に集い、そして、天井みあげつつ挑発して叫ぶ。
「邪悪な力を使う魔女どもめ!どうした、降りてこないのか。人間が怖いか!一人残らず、焼き滅ぼして
やるぞ!」
するとチヨリは挑発に乗った。
赤ずきんのフードは外し、顔をだして髪も伸ばすと、戦いのさなか敵兵から奪い取った剣を取り出して、
シャンデリアを吊るす鎖を断ち切った。
ジャランッ
重たい鉄製の大きなシャンデリアは、まっさかさまに落下してゆき、下の兵たちの顔にぶち当たった。
「うぶ!」
「ぐむ゛!」
「むぺ゛!」
下で挑発していた兵士は、落ちてきたシャンデリアに押しつぶされて、皆ころんだ。
チヨリはその兵士達の背中に着地した。
「降りてきてあげたよ!」
と、チヨリはいった。
その足元では、あわれシャンデリアの下敷きとなった男たちが、背中で呻いていた。
チヨリは、ステンドグラスがめちゃめちゃに崩れた下流貴族の居館を抜け出し、守備隊たちが駆け込んできた
扉を通ると、第五城壁区域の仲間と交流すべく廊下を巡った。
496
クリフィルは三人目の魔法少女を投石器で飛ばすべく、レバーをまわしていた。
浮き上がった腕木を、またロープ巻上げ機によって引っ張り、降ろす。
グググ…。
太い弦がしなってゆき、腕木はロープと巻上げ機のレバーによって、限界まで降ろされ、固定される。
発射準備が再び整った。
「次は誰が飛ぶ?」
レバーを回し終えたクリフィルは、得意気な顔して仲間たちに尋ねた。
こんな調子で魔法少女たちの軍団は、人間の立て篭もる最後の砦に、投石器によって自軍の駒を送り込む。
「私が飛ぶぞ」
と、名乗り出た魔法少女は、マイアー。
両手の肩にトゲトゲのついた鉄球、モーニングスターをのせた魔法少女だ。
「よし、お前が飛んで、人間を一人残らず殺しちまえ」
クリフィルは目で、皿に乗るように示した。
マイアーはすると、両肩にのせたモーニングスターの鉄球の鎖を、手放し、落とした。
ドダン、ガタン。
重たいトゲトゲの鉄球が、石を敷き詰めた地面に落ちた。
第四城壁区域の胸壁下に落っこちて、重たい衝突音と、鎖のジャララという冷たい音が、鳴り轟いた。
マイアーは、投石器の腕木先端、スプーン状の皿に乗っかり、手で掴んで、体勢を整えた。
「向こうに着いたら鐘でも鳴らしてくれ」
クリフィルは笑い、すると、グッとレバーを奥へ押し込んだ。
途端に歯車のこすれが解消され、びゅんと巻上げ機がクルクルまわりはじめる。
弩砲の弦がしなり、投石器の腕木が垂直に浮き上がった。
ドダン!
音がなり、投石器から魔法少女が発射される。
クリフィルら城下町の魔法少女たちはすると、第四城壁区域の弩砲塔から青空へ飛んでゆく仲間のアドラーを
みあげ、そのアドラーの人影が、第五城壁区域の貴族たちの居館へ突っ込んでいく様子を見守った。
いっぽう人間たちは、投石器によって空とぶ魔法少女たちの撃ち落しにかかった。
「魔女を撃ち落せ!」
第五城壁区域の塔と出窓から、クロスボウ兵たちが顔をだして弩弓を構え、狙い、矢を放つ。
空をかける鷹のように青雲のなかを突っ切って飛ぶ魔法少女めがけて、クロスボウの矢が城から放たれる。
クロスボウ兵の矢はこうしてびゅんびゅんと上空に放たれるが、そのどれも晴天を飛ぶ魔法少女を射止めない。
むなしく矢は空へ消えていくだけだ。
「撃て!撃て!ヤツを撃ち落して息の根を止めろ!」
号令が鳴り届くが、無茶だった。
クロスボウ兵たちは、城の下を走る敵兵を狙い撃つ訓練は日々積んでいるが、城の空を飛ぶ敵を撃ち落す
訓練など受けていない。
それでも懸命に、投石器によって空高くまで飛んだ魔法少女を、狙って弩弓を放つが、流れ星のように
飛んでいってしまう魔法少女をクロスボウで撃ち落すのは不可能だった。
エドワード城からつぎつぎに発射される機械弩クロスボウの矢は、すべて宙を飛ぶ魔法少女の体を射止めず、空へ消えた。
ぐおーっ。
第五城壁区域の胸壁の監視塔の頂上にたつ弩弓兵は、すぐ頭上の空を飛んでいった魔法少女を狙い、
クロスボウを上向きにして、引き金を引いて撃ったが、その矢も魔法少女の飛んだ空へむなしく消えていくだけ。
まったく命中しない。
クロスボウの引き金を引いた瞬間、ビチュンと音たてて矢が上空へ飛んでいったが、鷹のように飛ぶ魔法少女を
捉え損ね、城を覆う青空のどこかへ飛んで消えたのだった。
マイアーは投石器によって打ち上げられて、狙いを定めて撃たれてくるクロスボウの矢の雨を通過しながら、
下流貴族たちの住む居館の壁へ突っ込む。
そこはまたしても壁のステンドグラスだった。貴族たちの居館のステンドグラスだった。
空高く飛んだ魔法少女の体が、ひゅーっと空から落ちてきて、あとは隕石のように落下し、ステンドグラスを
を突き破りつつ内部へ突入。
ガシャーーーン!
「うわああああ」
「魔女だ!ついに第五城壁区域まで来た!」
城の内部の人間たち、慌てふためく。
居館の身廊と側廊は、ステンドグラスの破片だらけになり、空から太陽の日が直接差し込んだ。
マイアーはすると、受身とりつつ立ち上がると、手にモーニングスターを取り出した。
ジャラララ。
手に握られた鎖。鎖の先には、凶暴なトゲトゲの生えた鉄球が、ぶら下がっている。
マイアーは、手にジャラジャラと鉄球をぶら下げつつ、目前の人間に接近してゆき。
逆に人間は、トゲつき鉄球を持たれた魔法少女に接近されて、恐怖に顔を強張らせ、かたまって立ち尽くした。
すると、次の瞬間。
バギッ
「あぐう!」
下流貴族の顔はモーニングスターの鉄球に潰された。
ぶんと鎖に吊るされた鉄球がふるわれ、鎖がじゃらっと踊ったあと、遠心力に浮き上がったトゲトゲの鉄球が、
貴族の顔にぶち当たった。
「あああぐヴぶ!」
鉄球をもろにくらった貴族の男の顔面は血まみれになった。
鼻も目も口もすべて砕けて、のっぺらぼうのような顔になった。顔の肌はすべて剥げた。
「きゃああああ」
貴婦人女性たちが、ステンドグラスの飾られた側廊の部分を逸れ、列柱の裏側を走り、それぞれの奥の廊下へ
逃げ去りはじめる。
蜘蛛の子散らすように。
一人の魔法少女が、人間たちの城に乱入し、暴れ始める。
それは、人にとって悪夢のような絵図だった。
人類は懸命に戦いぬく。
自分たちを皆殺しにしよう企む、悪魔と契約した、魔女どもと。
貴族の居館に陣を構え、やってきたクロスボウ隊たちは、その場でしゃがみ込み、クロスボウの矢を次々
容赦なく放った。
それは、隠れる場所も逃げる場所もないマイアーに、すばすば突き刺さっていく。
魔法少女は矢だらけになり、クロスボウの強力な矢の一撃を、胸や腹に何発も受けて、よろめく。
が、それだけだった。
「学ばないやつらだな」
マイアーは、腹に何本もの矢を受けた状態のまま、クロスボウ隊の陣に走ってきた。
「そんな攻撃じゃ魔法少女は死なん!」
ジャララララ。
血だらけの鉄球を鎖に吊るして、魔法少女は、走ってきた。
モーニングスターという、恐るべき凶暴な武器を手に。
497
クリフィルは投石器のレバーを再び引いていた。
発射準備の整ったスプーンに、次に乗り込んだのはヨヤミだった。
オルレアンとユーカの仲間たちのなかでは、正義感の強い魔法少女。
綺麗な黒髪とエメラルドグリーンの瞳をした小柄な魔法少女。
だが今やその瞳に宿る彼女の正義感とは、魔法少女という存在に対して、さんざん悪事を働いた人間たちの
撲滅だった。
人と魔法少女が共存する世界はこない。
あるのは殺し合いだけだ。
「さあいけ!」
クリフィルはレバーを回し終えた投石器のレバーを、ぐっと奥に押し込んだ。
ガタン!
投石器が稼動する。
ヨヤミの小柄な魔法少女の体は、すぐに宙高くへ飛んでいった。空を飛ぶ野鳥たちよりも高く跳び、
山々と大陸の群峰が見渡せる高さにまで飛んでしまうと、ばーっと体の四肢をひろげながら、皮翼目のように
空を舞い、標高700メートルある王城の第五城壁区域の居館の…。
さらに上まで、飛び越えた。
「飛ばしすぎだよ!」
皮翼目のように四肢伸ばしながらヨヤミが叫んだ。
持ち場に着くクロスボウ兵たちがヨヤミを狙って、弩弓の引き金を引き、矢を空に飛ばしていったが、高速で飛翔する
ヨヤミには矢は当たらない。
「景気つけてぶっとんでいけ!」
投石器のレバーを回したクリフィルは、楽しそうに、居館すら飛び越えるヨヤミの打ち上げられっぷりを
眺めた。
クリフィルはわざと、投石器の弦の弾力を強めて、ヨヤミを吹っ飛ばしていた。
限界を超えてレバーをまわしていたのだ。
ヨヤミはすると、居館の赤い屋根の上を舞い、鐘楼の塔に体がぶつかった。
ゴーーーン────…。
鐘の音がなる。
そこは標高にして600メートル。
第五城壁区域の城塞にまで飛んだヨヤミの頭が、塔の頂上に吊るされたベルにぶちあちり、巨大な
ベルはゴーンゴーンと鐘の音を王城じゅうに鳴らすのだった。
それは朝の刻を知らせる鐘であったが、投石器に飛ばされた魔法少女の頭突きの激突によって、鐘は真昼の
時間帯にその音を打ち鳴らす。
城内じゅうのクロスボウ兵たちや、長弓兵たちが、城壁の通路から顔をみあげて、居館の塔から鳴らされた
鐘をみあげた。
「あいったあ!」
ヨヤミは鐘を頭にぶつけて、自分の後頭部を撫で上げていた。
「私は石頭だなあ!」
自分の頭が鐘にあたり、打ち鳴らした音の大きさに驚くヨヤミだった。
鐘楼の塔のてっぺんに腰をかけ、足だけ降ろして風景を眺める。
城下町が遥か下界の彼方にひろがる、超高層の城からの見晴らしは、素晴らしいものがあった。
が、そんな油断をしているうち、一度打ち上げられた鐘楼の巨大なベルが、振り子のように元の位置にもどってきた。
元の位置にもどってきたベルによってヨヤミは後頭部を叩かれる。
「あだ!」
ヨヤミは振り子のように上下に揺れるベルによって背中を叩かれ、ヨヤミは鐘楼の塔から押し出され落下した。
40メートルほどの塔から落ちて、貴族居館のシングル葺き屋根の勾配に着地する。
「あいったた……二度も頭をベルに叩かれたよ…」
また、頭を支えながら、居館の赤い葺き屋根の上を歩いて渡る。
そのヨヤミが頭をなでる上空を、別の魔法少女が隕石のように飛んでいた。
守備隊兵たちは恐れ慄いた。
千年無敵のあだ名を持つ、城塞に城塞を積み重ねた、絶対に安全な王都の城が、しだいに魔女たちによって、
侵略されつつある。
あっちをみれば魔女、こっちも見れば魔女、上をみあげられば屋根を歩く魔女。
いよいよ、彼らの士気はくじかれ、人類には濃厚な敗色が、突きつけられつつあった。
残された関所は第六城壁区域と第七城壁区域。
いや、第七城壁区域に近づかれた地点で、おしまいだ。もう逃げ場がないのだから。
第六城壁区域。
城の中でいちばん強い騎士たちと歴戦の勇者、壮士たちが陣を固めた最後の砦が、決着の戦場となる。
今日はここまで。
次回、第64話「エドワード城の攻防戦 ⑤」
第64話「エドワード城の攻防戦 ⑤」
498
王城の陥落もいよいよ寸前となった頃、鹿目円奈は第五城壁区域には進まず、第四城壁区域の裏側へまわって、
向こう岸に渡る道を探していた。
円奈の目指す道は、王へ辿る道ではない。
王都の城を抜け、無事、エドレス国を脱出することだ。
魔女狩りの町を生きて出ることだ。
兵士達は、ことごとく円奈の敵であった。
円奈は馬で、城内街路の路地を突き進みながら、剣を手に馬を進める。
片手は手綱を握り、もう片手は剣を手にして、立ち塞がる兵士たちをどかしていく。
ブン!
ガキン!
「あヴ!」
馬の馬力も加わった剣に斬られた兵士は倒れる。
とはいえ鎧を着ているので、人間の少女の剣に叩かれたくらいで、人は死なない。
鹿目円奈のふるう剣の力は、弱かった。
円奈が馬を進める方角に続いて、リドワーンらの一行、王都の通過を目論む魔法少女たちが追う。
黒い髪に黒い獣皮を肩にかけた赤い瞳の魔法少女リドワーン、灰髪と金色の目をした姫新芽衣、
レイピア使いのレイファ、爆発矢使いのブレーダルなどの魔法少女たちだ。
鹿目円奈が剣をふるって、打撃を与えた兵たちにとどめをさしていく。
だいだい、狭い通路で馬に激突されたか、円奈に剣で叩かれた兵士は壁際でよろめいているので、
すぐリドワーンらが鎧の隙間に刃を差し込んで、兵たちを斬る。
血を流して、狭い路地で兵は倒れ込む。
円奈は、城内都市の迷路のような狭苦しい道を進み、藁葺きの家々のあいだを通っていたが、
途中で方向感覚を失った。
クフィーユをとめ、剣を上向きに持ち直し、右と左をみる。
顔を振り返り、上をみあげ、聳えた立つとエドワード城の頂上が、背後にある風景を確認する。
頂上が後ろにあるということは、王城を通過できたということだ。
このまままっすぐいけば、対岸の方角だ。
裂け谷の向こう岸へ渡る橋に辿り着けるはず。
漆喰を白く塗りたくった家と狭い道を進み、古びた井戸の側らを過ぎて、円奈は対岸の方角へむかう。
499
鹿目円奈たちは第四城壁区域から第三城壁区域くだった。
城内都市を囲う市壁の門を通り、階段をくだって、第三城壁区域の敷地に出る。
内側から外側へ出るルートなので、関所を開門するのは容易かった。
門を開く装置や、仕掛けの解除装置は、ことごとく、内側にあるからだ。
すでに内側からの脱出を試みる円奈たちはこの装置を操作さえすればよい。
王城の出口は開かれる。
エドレス王国の国境を出る道が作られる。
城のゆるやかな大階段をずっとくだっていると、ひたすら前方には向こう岸の森と山々の大地がひろがっていた。
円奈の瞳に見知らぬ国の大陸がみえる。
この先の世界に聖地がある。
円奈の目は、ずっと、聖地をむいている。
もっとも、聖地までは、まだ1700マイルちかく、離れているのだが。
全ての魔法少女の魂の救済地と呼ばれる国が、どんな世界なのかは、分からない。
いってみなければ決して分からない。
本で読んだって知ったことにはならない。
足で聖地を踏みしめなければ、なんだって妄想することはできても、本当に知ることはできない。
まっすぐな大階段をくだっていると、その前方に、何人かの兵士がいた。
みな弓をもっている。
長弓隊だ。
円奈は手綱をひき、馬を飛び上がらせた。
馬は飛翔した。
前足をばっと前まで伸ばし、階段を降りながら高く飛んだ馬は、重力に任せて弓兵たちを踏み潰す。
「あぐう!」
「うぶう!」
馬に頭を踏まれた弓兵たちはぶっ倒れ、横断通路に横たわり、その上を馬が通り過ぎた。
第三城壁区域の胸壁が並び立つキールと呼ばれる塔のなかに、円奈たちは入った。
そこの螺旋階段をくだり、暗い廊下をわたって、第二城壁区域へ降りてしまう。
さっきまで城下町の魔法少女たちと通ってきた登り道とは、逆の下り道。
王城を通り抜けたあとは、くだるだけ。
そして対岸へ繋がる橋をめざす。
そしてエドワード城の南側の岸への出口、対岸の陸へつながる橋へたどる石造の細い階段をくだった。
そこは、円奈たちがささんざんにロングボウの雨を受けたエドワード橋とは逆の、ド・ラン橋と呼ばれる、
他国へつながるもう一つの渓谷の橋だ。
石造りのアーチ橋だが、エドワード橋より細く長い。
長さは270メートルある橋で、幅は18メートルほどしかない、踏み外せば転落死まちがいなしの危険な
橋である。
手すりは一応あるが、簡単に乗り上げてしまうような、小さな石造の手すりだ。
逆に言えば、他国の侵略者が、エドレス国の王城を攻めようと思ったら、こんな小さな橋を危うく渡らなければ
ならない。
もちろん、投石器の岩と、矢の雨が降り注ぐ。
敵はみなド・ラン橋から転落し、3キロメートルの渓谷の裂け目へと、落ちてゆくだろう。
なんにせよ、円奈たちはエドレス国を脱出するために、この橋を渡らなければならない。
たくさんの兵士たちにおわれながら。
さて円奈たちは、キープと呼ばれる城塔の階段をくだり、さまざまな守備隊と住人の生活空間を
不法侵入しつつ巡っていた。暖炉つきウール絨毯の部屋や、金庫として宝箱を置いた、屋根裏部屋へ木造の階段が
つづく部屋、鉄製シャンデリアにキャンドルが灯り、天蓋ベッドに貴婦人少女が眠っている部屋、樽を
たくさん並べおき、天井に吊るされた滑車から水を汲み取る井戸のすべてを、馬で通り過ぎ、キープ塔を
くだってゆき、第二城壁区域の落とし格子装置の開門にとりかかった。
閂を凹み部分に埋め込むタイプの城門なら、内側から開くのはたやすいが、落とし格子が道を塞ぐと、
開門装置にとりかかるのに時間がかかる。
リドワーンやレイファなどの魔法少女たちが、城門の巻上げ機室へ木造の階段をのぼり、狭い通路を通って、
アームを握って鎖を巻き上げた。
トゲのついた城門が次第に吊りあがってゆき、開かれる。
そのとき、侵入者を嗅ぎつけた王国の警備兵たちが現れ、円奈たちが来たのとは別方向の廊下の番い扉をあけてやってきた。
円奈は、馬上で振り返り、目で敵をみとめると、弓をとりだし、馬上に跨ったままビチュンと矢を放った。
「あわ!」
あわてて警備兵が扉を閉めなおす。直後、ガタン!という音がして、ロングボウの矢が扉に刺さった。
円奈は間髪いれずに二発目の矢を弓に番える。馬上に騎乗しつつ、少女騎士は得意の長弓を放つ。
二発目の矢が扉にズド!と刺さり、警備兵たちはたじろいた。円奈の矢は、のこり15本である。
「よし、通れ!」
こうして時間稼ぎして、巻上げ機を握っていたレイファが、手で合図すると、円奈をはじめとしてリドワーンの一行は落とし格子の
下をくぐり、いよいよ第一城壁区域にまでくだる。
レイファは巻上げ機のアームを手放し、すばやく自分も木造階段をくだって、落とし格子が再び地面に
落ちてしまうより前に、間に合うように急いで城門をくぐりぬけた。
アームを手放した瞬間、再び巻上げ機が重力によって城門の格子は落ち始める。
その落ちるぎりぎりで、レイファはくるりと身を回しながら城門をくぐる。
その直後、城門は通路で落ちた。
完全に道は塞がれた。
もう、後戻りはできない。いや、後戻りなど無用だ。
彼女たちの目的は、この城を出ることなのだから。
蝋燭の火が冷風にゆらめいていた。
第一城壁区域の通路は暗い。
円奈たちは通路を進み、監視塔の内部へ入った。
監視塔の内部は、石壁に囲われた丸い空間に、弓弦がたくさん輪っか状にされて壁掛けに吊るされていた。
ロングボウの弓は、戦闘時ではないときは、このように輪っか状にして丸めて、保管していた。
いつも弓弦に張っておくと張力が弱まってしまうためだ。
それと塔の内部の石壁は、伝書鳩などを飼うための巣となるちっちゃな穴もたくさんある。ここに鳩たちが生活を営む。
円奈たちは監視塔を通り過ぎて、細長い階段通路をくだり、第一城壁区域の囲壁が囲う歩廊へでる。
もうエドワード城の出口が見える場所だった。
が、全員が出ようとしたまさにそのとき、誰かが、「待て!」と叫んだ。
それは、魔法少女の声だった。
誰もがふり返って声をだした魔法少女のほうを見る。
声をだしたのは、ヨーランという、聖地出身でエレム人の魔法少女だった。
「ヨーラン!どうした?何か珍しいモンでも?」
爆発矢の使い手、ブレーダルという魔法少女が、通路で足を止めて尋ねた。
「まあね。そりゃあもう、たまげたモンを見つけちまったよ」
ヨーランは、監視塔地下の(普段は、囚人を閉じ込めたりしている空間。囚人を監禁するということは、
糞尿ふくめて悪臭を伴うので、地下に閉じ込めるのが常だ)倉庫から、樽に敷き詰められた袋に入った
黒い粉末と、黄色い粉末に、白い粉末が、別々に仕舞われている袋のそれぞれを取り出していた。
「なんだそりゃあ?」
ブレーダルは眉をひそめる。
「こいつはな、”どーんとなる魔法薬”なんだ」
エレム国出身のヨーランは楽しそうに語った。
監視塔地下の倉庫から階段のぼって出てきて、粉末のそれぞれを入れた袋を、魔法少女たちに渡していく。
黒い粉末。これは、木炭。
黄色い粉。これは、硫黄。
白い粉末。これは、硝石。
「いいか、これをな、これくらい配分して、水を加えるんだ」
ヨーランは、袋のなかの大量の粉末のそれぞれを、混ぜ合わせる。
この行為が理解不能な西世界大陸の魔法少女と、鹿目円奈は、目をひそめ、変な顔をしてヨーランを見つめていた。
「おい、あそんでる場合じゃないぞ」
ブレーダルはしびれを切らした。
「兵たちが追ってきている。さっさとこのしけた城を出ようっての!」
自分たちが走ってきた階段通路を指差す。
その先からは、蝋燭の火に照らされた奥の湿った廊下から、兵士達が走ってくる声と足音がする。
「いや、こいつさえあれば、追っ手を一掃できるぞ」
ヨーランは、三色の粉末を混合させた混合物の山をつくり、水を混ぜ、それを袋につめ、追っ手の迫る通路の
突き当たりに置いて仕掛けた。
「ブレーダル、魔力が足りなかったな」
「ああ」
ブレーダルは肩をすくめた。手元の大きな弓は、光を失っている。「ただの弓になっちまったよ」
「これを使いな」
ヨーランは、手元から、グリーフシードの何個かを、ブレーダルに手渡した。
「その前に、予備をくれくらい持ってだな…」
ヨーランは残った粉末の化合物を入れた袋を持ち、すると、みなに指示した。
「ここから離れろ!」
わけがわからないまま、守備隊の追っ手たちが剣ぬいて通路の狭い階段をくだって迫ってくると、みな逃げ始めた。
監視塔の内部から離れ、城壁の歩廊へでる。
追っての守備隊たちが、ちょうどヨーランの仕掛けた化合物の仕掛けられた袋のあたりに差し掛かる。
「ブレーダル!」
ヨーランは、第一城壁区域の歩廊を渡りながら、叫んだ。「あんたの魔法矢をかましてくれ!」
守備隊たちが監視塔の内部に辿り着く。
袋が置かれている。
ブレーダルは、グリーフシードで回復した魔力で、弓を召喚し、すると、魔法の爆発矢を、放った。
バシュン!!
石壁の通路に紫色の閃光が煌き、一点の光が眩いばかりに迸る。その場の円奈たち誰もが目を腕で覆った。
光の矢は城壁の上を通って監視塔内部に入り込んでゆき、そして、化合物をふくめた袋に着弾、発火した。
バチッ
魔法の矢が袋に刺さり、紫の閃光を放っていた矢の光が、何百倍にも明るくなり、城を満たした。
守備隊たちが眩いばかりの光に顔を覆う。
ビカッ───
次の瞬間、城を満たす光は巨大な爆発となって、炎を噴き上た。爆破は、城壁の一部と監視塔を完全に破壊して
しまい、追っ手の兵士たちは吹っ飛ぶ城の破片と一緒に、天へ打ち上げられた。
「うわああああ」
兵士たちの体はいとも容易く爆発によって投げ飛ばされ、彼らは空中でむなしくもがいた。そして高さ100メトールの
第一城壁区域の中庭へ、舞うように散っていった。
城の全体で地響きが起こり、岩盤が揺れ、その場にいた円奈たちの誰もがよろめいて城の壁に手をついて支えた。
「どうなってんだこりゃあ?あたしの弓はこんなに爆破しないぞ!」
ブレーダルは何が起こったのかわからない。
「まるで雷の落ちたみたいじゃないか!」
するとヨーランは、得意そうに語った。
「西世界の大陸の人間は無学だな」
ヨーランが説明した。
木炭と硫黄、そして硝石の粉末に水。
炭素と硝酸カリウム、硫黄の混合物に点火すると、分子が分解、窒素と二酸化炭素のガスが発生。
ガスに変化する際、物質の体積は千倍以上にも膨れ上がる。どかーんと。
いわゆる爆発という現象の正体だ。
「そんなこと誰に教わったんだ?」
自分の使う爆発矢の魔法を知ったブレーダルは、不思議そうに、エレム人に尋ねた。
するとヨーランは答えた。
「アケミホムラって魔法少女からさ」
今も聖地に生きるその魔法少女は、この世界が改変されるより前に、独学で爆薬を使っていた。
巴マミに時間停止の魔法について使い方が問題だと鞭撻された後に爆弾作成にとりかかったのだった。
だから、爆発物に関する知識があったし、その作り方も知っていた。
「で、なんで点火すると、二酸化炭素ガスとやらか発生して、体積が千倍に?」
ブレーダルは興味本位から質問すると、ヨーランは肩をすかめ、両手をひろげると、言った。
「しらん」
500
王都の城は今や絶望的に劣勢だ。
第五城壁区域には次々に魔女たちが投石器によって跳びまわり、不可侵である筈の砦は犯される。
第九歩兵部隊の守備隊たちが、懸命に魔女たちと闘うも、そもそも魔女の殺し方がわからない。
ソウルジェムを砕けなんて、無茶な話しだ。
今までのどんな剣術も槍術も、弓術も通用しない。
生石灰と水を降らせても、魔女たちに逃げられる。
執政官のデネソールは、第七城壁区域、エドワード城の頂上のバルコニーから、魔女たちが投石器によって
飛ばされて城内に送り込まれてくる光景と、その背後、サルファロン地方を睨む方面の第二城壁区域で、
監視塔がまるまる一個ごと大爆発によって破壊されバラパラの断片の雨と化した恐るべき光景を、
つぎつぎ目の当たりにして、絶望した。
「……人の世は終わった」
老いた灰髪の男、デネソールは、城の頂上から、人が魔法少女に殺戮され尽くされる光景を見下ろし、
人の世の未来を悲観して自棄になり、ぶつぶつ独り言を漏らした。
「人の命は軽んじられる。魔獣と、魔法少女の狩場の中間に立たされているに過ぎない種族になるのだ」
人の世の支配は終わった。
歴史を通じて、地球を支配してきたのは人類だった。だが西暦3000年後期になり、人類の時代は終わった。
これから、世界を牛耳るのは悪魔と契約した魔法少女どもだ。魔法少女の時代がくる。
人類は、家畜のように、魔法少女たちによって、魔獣がグリーフシードを孕むための犠牲として
養生されるにすぎない存在になる。
いや、それは今に始まった話ではない。
魔獣というのは、人の感情を喰ってグリーフシードを孕むのだから、もともと人なんて存在は、魔法少女にとっては
グリーフシードを育くむための肥料か餌にすぎない存在だった。
ニワトリが卵を孕むための栄養なのだ。
それは、鹿目まどかが宇宙を改変する前も後も変わらない。
「……人類の未来に夜明けはこない」
デネソールは悲観する。人の世の未来を悲しむ。
「人類の希望はいま、灯火と消えた。この先の世界など、死んだほうがマシだ」
執政官はすると、王が健在だというのに、執政官として政務命令を発動させてしまい、第六城壁と第七城壁の
最後の防御地点に立ったエドワード兵たちむけて、やけっぱちな指令を叫んだ。
「持ち場を離れよ!」
デネソールは、エドワード城の頂上のバルコニーから、生き残った残り少ない守備隊たちむけて、指令を
自暴自棄になりながら叫ぶ。
「逃げて生き延びろ!もう戦うな!逃げて逃げて、あさましく逃げながら生き延びるのだ!」
持ち場についた国王軍の兵たちは、デネソールの指令の声が轟くと、急に勇気がしぼんでしまい、本当に持ち場を
離れだして、武器も手放し、好き勝手に逃げ始めた。
四散八散、ちりぢりになって、持ち場を放り出した。
防壁をおろそかにしながら、戦いの緊張感から解き放たれつつそれぞれの逃げ道へと走った。
エドワード城の最後の砦は、こうして兵たちが逃げ出し、見捨てられ、誰も守りに立たなくなった。
デネソールは、悲しさに涙に目を溜めながら、最後の防壁が兵士たちに捨てられる光景を眺めていた。
これでもう本当に、人類の栄光の世は閉じられた。
魔法少女たちは守りがいなくなった防壁をやすやす抜け、王城を支配し、我々はみな殺される。
感傷に浸りながら城の敷地側へふらふらとふり返る。
と、その刹那、誰かの剣の鞘に顔面をぶったたかれた。
「ぶっ!」
デネソールは目をぎゅっと閉じ、苦痛に顔をゆがめた。
鞘を顔面にぶち当てたのはオーギュスタン将軍だった。
彼は第七城壁区域にまで戻って、最後の防衛を任されていた。
将軍である自分の指揮を無視して、全く別の指令を、しかもよりにもよって持ち場を離れろなんて命令を、
執政官の分際でくだすことに我慢ならなくなった将軍は、老いた執政官の腹をさらに鞘で殴りつける。
「うぶ!」
執政官の腰がくの字にまがる。
するとその背中へガンと肘を突き落とす。
デネソールは気絶して芝生の敷地にどさっと倒れた。
それを見届けたオーギュスタン将軍は、今や絶望に支配されつつある敗色濃厚の王都の城を守るため、
命令を全軍へ発した。
「持ち場につけ!戦いにそなえるのだ!」
将軍の声がして、城壁下の守備隊たちが顔をみあげる。
武器も手放し、戦意を失い、勇気もなくした最後の生き残り兵たちを励ます。
「我々にはまだ希望がある!」
オーギュスタン将軍は今や銀色のぎらぎら光る甲冑を身につけ、鎧姿となり、アノールと名づけた
王都随一の白馬に跨り、ぎらついた槍を手に握ると、騎乗の姿になっていた。
それは、戦闘にでる武装であった。
王都で最強の騎士が、ついに戦いに出る決心を固めたのだ。
その勇者が戦場へ出向く姿は、希望が残り少ない兵士達の勇気を呼び覚ます。
「持ち場につけ!戦士の務めを思い出せ!」
これにつづいて守備隊長ルースウィックも号令を発し、第六城壁区域に避難した全ての兵たちを鼓舞した。
「我らはまだ負けていない!」
守備隊長ルースウィックはすると、第七城壁区域の胸壁、アンブラジュールの矢狭間の上に立ち、声をあげるのだった。
仲間たちへ。
「魔女どもを地獄に叩きつけろ!」
オーギュスタン将軍は名馬アノールに乗り、ユニコーンの軍旗を風にはためかせながら、
第七城壁区域の城門をくだり、根城の通路を馳せてゆくと、自らも戦場の第六城壁区域へ赴き、
逃げ惑う兵たち一人一人に呼びかけて、励ました。
「さあ持ち場につくのだ、勇気を奮うのだ、勇者たちよ!王をお守りするのだ!」
「エドワード王万歳!」
執政官デネソールの戦役を解く命令の直後、持ち場に戻れと叫ぶ将軍の指令。
普通だったら、国に不信感を抱いてしまうようなこの流れは、どうしてだか、今や兵たちをこれまでに
ないほどの勇気に奮い起こさせ、何がなんでも絶対に王をお守りするのだ、という気持ちに、彼らは昂ぶった。
一度捨てた武器を誰もが拾い、一度捨てた持ち場にすぐさま戻る。
兵たちは、もう二度と引かぬ、たとえこの身が果てようとも、王と運命を共にする、その勇気に身が
奮い立ち、自らの死地を誰もが心に決めた。
なぜなら。
彼らの王、エドワード王こそは、本気で人類を救おうとしてくれた王だから。
誰よりも人間を愛する王だったから。
魔法少女と魔獣の狩場の養分にされるだけにすぎなかった人間の尊厳を、本当に取り戻してくれようと
している王だから。
自分たちがお守りする。
必ず守る。
絶対なる忠誠と、王への尊敬は、兵たちの士気を最後の最後、極限に高め、宇宙生物と契約した邪悪な
魔法少女たちの到来を待ち受けた。
その力はあまりにも強く、かつ不気味だ。やつらは魂と引き換えに不死身の体を手にし、魔法という、
人にとって忌むべき呪術を使う。
だが、なんとしてもやつらをとめなければならぬ。
それを、誰にも率先して、本気で戦ったのが、我らが王なのだ。
「エドワード王万歳!」
守備隊長が叫ぶと、生き残った守備隊たち誰もが、同じく叫んだ。
「エドワード王万歳!」
それは、朝の讃辞の鐘のときのような、城下町の住民たちが無理やり叫ばされるような声とちがって、
心から愛を叫ぶような、守備隊たちの忠誠心があげる魂の声だった。
501
チヨリとヨヤミ、マイアーら城下町の魔法少女たちは、エドワード城の第五城壁区域の外郭通路を走り、
遭遇する人間兵士を叩き落しながら、吊り上げられた跳ね橋を降下させ開門する装置にむかっていた。
もう生き残りも半数以下の歩兵部隊は、第五城壁区域の正面門を死守しようと、魔法少女たちと闘う。
戦場は第五城の外郭通路で繰り広げられ、幅1メートルもない壁際の歩廊で、戦闘は始まった。
歩兵部隊の残存は、270人程度。
そのうち180人は避難し、第六城壁区域の中庭芝生にて、出動したメッツリン卿ら騎士たちと最後の防衛
線の持ち場についている。
のこり90人は、逃げ遅れて、すでに閉ざされた城門の外側にはじき出され、第五城壁区域内を彷徨い、
魔法少女たちに見つかって切り殺される運命だった。
守備隊たちは、巨大跳ね橋の正面門の開門装置を、マイアーらに譲るまいと、剣を抜き、距離をとりつつ、
剣先は突き延ばす。
これは、近づくなと合図だ。
アドラーらはそれを無視する。
両手に持ったモーニングスターを振るい、兵士の剣先を重たいトゲつき鉄球で弾いてしまう。
ガチャン
「あう!」
細い鋼鉄の剣先は、鎖に吊るされた鉄球に叩かれ、どこかへ向く。
兵士は無防備になる。
すると、すかさず、もう片方の手に握られたアドラーのモーニングスターが、頭上に振り落ちてきた。
ズドッ
トゲつきの重たい鉄球は、兵士の頭を潰した。重さ20キロの鉄球の棘が、兵士の頭をバラバラと砕いた。
兵士の頭の上半分はつぶれて、モーニングスターの鉄球にこびれついた。
その兵士は即死した。
「この!」
奥の兵士が、槍を伸ばしてくる。
モーニングスターを使う敵と戦うなら、いくらか有効な武器の選択だった。
だが、相手はマイアー一人でけではなかった。
弓使いの魔法少女もすれば小刀使いの魔法少女ヨヤミもいたし、剣士の魔法少女もいた。
槍を伸ばした兵士の顔面には矢が突き立つ。
「うう!」
槍を手放し、鼻横を貫いた矢を抜き取ろうとする。
その兵士の腹に、モーニングスターが振り落とされた。
「あぐう!」
鎖によって投げられた鉄球の棘に腹部をえぐられ、兵士は苦痛に喘いだ。
中身が露になった。
剣士の魔法少女────クリフィルの投石器によって飛ばされた魔法少女の一人で、名はデトロサ──は、
兵士達の残存舞台に戦いを挑んでゆき、次々斬り付ける。
何人もの兵士が剣を突き出すその隙間に入り、剣士の魔法少女二人の兵士の間にたってぶんと剣を一振り。
すると、二人ともの兵士が、魔法少女の剣をうけて、吹っ飛ばされ、幅1メートルしかない狭い外廓通路から落下した。
「ああああ───!」
一度転落しだすと、第五城壁区域からの落差は大きい。
第三城壁区域まで、250メートルちかい落下を兵士達は辿る。その遥か下には、幾何学式噴水庭園がある。
何秒かあとには、そこには肉体の破片がぶちまけられているだろう。
こうして魔法少女たちは狭い外廓通路でも協力しあって、兵士らを撃退し、いよいよ正面門の開門装置に
ありついた。
「まわせ!」
巻上げ機の鎖をほどく。
吊り上げられた正面門は、降下し、第四城壁区域に集合した仲間たち80人の魔法少女たちが渡るための
道が通される。
クリフィルはじめ、第四城壁区域に集まった仲間たちは、第五城壁区域への正面門が降りるを、今か今かと
待ち受けている。
誰もが、王城に篭る人間を皆殺そうと思っている魔法少女たちだ。
兵士も、騎士も、貴婦人も、貴族も、王族も。
クリームヒルト姫も世継ぎの少女アンリも。皆殺してみせる。
すると、エドワード城は陥落し、王族の血筋は絶え、エドレス王国は滅びる。
いよいよ正面門が城から城へ渡された。
巨大な跳ね橋が降下し、鎖は伸ばされ、通路先に道ができる。
わおおおおっと、魔法少女たちが喜びの声あげて、手にそれぞれの武器を手に、堂々、橋を渡りはじめた。
標高にして崖上400メートルの巨大跳ね橋を渡り、王城へ。
橋を渡ると、ぞくぞく第五城壁区域に到達し、80人あまりが、複雑な往復階段を行ったり来たりしながら
右へ左へと登りつめる。
彼女たちが、エドワード王の足元に辿り着くまで、あと少しだ。
上空に位置する第六城壁区域の塔から、クロスボウ兵たちが断続的に矢を放っていたが、仮にそれが
魔法少女の体に当たったとしても、ほとんど意味はなかった。
502
舞台は標高600メートル地点の城の中庭、王都の頂上だ。
大陸の裂けた渓谷の間に建つ塔のような巨大な城は、千年無敵とさえ呼ばれていたが、いまや陥落寸前であった。
しかし、騎士たちはこの絶望的状況に立ち向う。
銀色の甲冑、立派な防具と鎧を馬にも着せ、右手には槍、背中には盾、左手には馬の手綱。
騎士たちの右手に持たれた突撃槍はエドワード王の紋章、ユニコーンが描かれて、英雄の勇猛さをあらわす。
彼らは、魔法少女との最後の決闘に受けて立つ、死を覚悟した騎士たち。
緑色の布地に白馬の一角獣を描いた旗は、城にふく風にはためく。
それは青空から届いてくる天空の城への、出陣を祝福する優しい風。でも激しい風。
ばさっ。ばさささ。
軍旗は城で激しくゆれる。騎士たちの手に持たれて、はためく。
騎士たちのリーダーは、エドレスの都市で最強の騎士ベルトラント・メッツリン卿。
都市開催の今年度の馬上槍試合の優勝者でもあり、名実共に最強の騎士である。
それにつづいてヴィンボルト卿、ディーテル卿、他、馬上槍試合でおなじみの騎士たちのメンバーは皆
つどい、馬に乗って、魔法少女という異様な敵への戦闘体勢についていた。
しかし、こうしたオールスターな面々の総指揮にあたる将軍こそは、エドレス国の勇者、オーギュスタン将軍。
メッツリン卿でさえ、オーギュスタン将軍には、馬上槍試合でも剣試合でも一度も勝てたことがない。
オーギュスタン将軍の下につく残存の弓兵部隊の隊長の面々は、長弓隊長にして国内一番のロングボウの
名手、エラスムス。
この戦いで一番魔法少女のソウルジェムを破壊した実績がある弓兵だ。
さらに、クロスボウ隊長のヴィルヘルム。彼もまた、クロスボウの名手である。もちろん、技の熟練度は
ロングボウの射手であるエラスムスのほうが高いが、ヴィルヘルムの強みは、城壁の上から敵兵を射止める
業である。
クロスボウの得意分野でもある。
守備隊、すなわち剣士たちの隊長にたつは、ルースウィック。第一から第九歩兵まで全ての指揮権を持つ。
かくして最強の騎士と勇者、弓兵、剣士たちを揃え、決戦に打って出る。
第六城壁の防壁を固める守備隊の数は、300人。
弓兵の数は、200人。
騎士の数は、30人。
将軍は一人。ただし、参謀が二人。
総勢、530人超。
対する城下町の魔法少女は、85人。
これは、王城側の人間からみると、絶望的な戦況にすら思えた。
なぜなら、反乱を起こした城下町側の魔法少女は、すでに2375人も、守備隊を殺しているからである。
エドワード城の全軍総力の、3割にちかい損害になる。
その四分の一の戦力で、王を守られなければならない。
数だけみたら、絶望的だけれども、国王軍は、どこかこの戦いに勝てるという希望を見い出していた。
それが死を目前とした躍起な覚悟なのか、絶望が一回りして楽観主義にすら走っているのか、それとも
勝算が本当にあるのか、誰にもわからない。
けれども、我々には勇者がいる。
名馬アノールに騎乗して、国旗を一身に背負い、銀色の防具をまとって、兵たちに勝てる、と励ます
将軍がいる。
国家の誇りが生んだ最強の騎士がそう言う内は、負ける気がしなかった。
たとえ、ちかいうちくる現実の未来が、ことごとく魔法少女に打ち負かされ、虐殺されるものであったとしても。
503
やがて、敵は現れた。
がやがやと甲高い少女のような声をたてながら、ぞろぞろ第六城壁区域に登ってきたのは、人の姿をした怪物たちだ。
手にモーニングスターという鎖つきの鉄球を吊るした武器をもつ敵、血まみれの剣を持つ敵、弓を持つ敵、
小刀を持つ敵、クロスボウを持つ敵。
まず20人が顔をだし、つづいて30人、40人、50人…と、数を増す。
魔法少女たちは第六城壁区域、王の根城を目前にした貴族たちの城に辿り着き、その芝生の生えた中庭に
集結した。
彼女たちが城郭の外回り階段を登りきって入った敷地の前には、徹底的に守りが固められた最後の防壁がある。
矢狭間には長弓兵が持ち場につき、弓を引く。監視塔の出窓にはクロスボウ隊の弩弓が発射口を覗かせている。
当然ながら唯一の城門は閉じられ、落とし格子が落とされ、ぴしゃりと塞がれている。
「城門に入れ!」
先頭にたったクリフィルが、剣を伸ばし、味方の魔法少女たちに大声だして呼びかけて、突撃をはじめた。
「臆するな!人ごときが魔法少女を殺すことなどできるものか!」
魔法少女たちは、突撃を開始した。
背丈の小さな少女たちが、魔法の武器をもって、ぞくぞく、城壁へ接近する。
オーギュスタン将軍はすぐ命令をくだした。
「生石灰だ!」
将軍は城壁の上に立っていた。号令はよく轟き、兵たちはすぐ動き出す。
「生石灰を!」
すでに準備されていた生石灰の粉末をいれた壷を、城門へいつでもふっかけられる準備を整える。
もちろん、この生石灰を、魔女たちが頭にかぶったら、すぐにでも水をぶっかけられる用意もある。
鉄バケツには、水がたんまり入っているのだ。
城門へ近寄ってきた魔法少女たちが、みな足にブレーキかけて、走りをとめた。
「おおっと、それがあったか」
クリフィルは慌てて引き返す。
直後、生石灰の粉末がふってきて、城門前の地面を白くさせた。
逃げ遅れた魔法少女は腕に生石灰の粉末をかぶった。
すさかず城壁側の兵たちが、バケツに入れた水を投げ込んでくるが、生石灰をくらった魔法少女は水が
身にふりかかるより前に逃げた。
「どうよう。正面突破できない」
生石灰攻撃は、魔法少女に効果抜群であった。
直後、長弓隊長エラスムスの弓矢が、目にもとまらぬ速さで飛び、生石灰から逃げて背をみせた魔法少女たちの
ソウルジェムをばしばし射抜いた。
「あぐっ───」
背中から突き出た矢の先が、ソウルジェムを砕いてしまう。割れたソウルジェムから矢が突き出る。
魔法少女は倒れる。
「あっ!───」
人間と違って、魔法少女は、死ぬときは一瞬で死ぬ。
エラスムスの弓に狙われたら最後、百発百中、ソウルジェムにあたる。腕の肘部分にソウルジェムをはめ込んでいた
変身姿の魔法少女は、矢がソウルジェムを通過し、バリンッと音たてて割れ、彼女は死んだ。
「あまり人間をなめるなよ!悪魔の手先ども!」
すると守備隊長ルースウィックが、興奮して、高壁から魔法少女の軍団むけて叫んだ。
「全員焼き滅ぼしてやる!城門にちかづいてみろ。その頭に火をふらせてやる!悪魔に犯された女ども、
穢されきった売女どもめ!腐った肉を再生するのか?淫らな肉体の魔女め。さあ、殺してやるぞ!」
「正面突破はだめだ」
クリフィルは発狂状態の守備隊長を眺めながら、呟いた。
「あの城壁を乗り越えたい。いい案はないかな?」
「古典的な攻城法ではあるが、道具を使えば突破できる」
と、デトロサが言った。
彼女には案があるようだ。
「道具ってなあ、まさか、あんた」
クリフィルは顔を渋らせていた。うーっと口を蕾む。
「また投石器使ってぶっ飛ぶ気か?」
「いやいや、投石器は、この地区に見当たりみせんね。」
棍棒をふるう魔法少女、ミューラルが言う。城下町出身の魔法少女の一人であった。
「それがここでも使えたなら、王の城までひとっ飛びでしたが!」
「今までこの方法を魔法少女が思い浮かばなかったのが不思議だよ」
クリフィルは肩をすくめた。
「投石器で飛びさえすれば、どんな城だって攻略できるじゃないか!」
デトロサは第六城壁区域の、シングル葺き屋根の倉庫に入って、中の木造の階段をくだってゆき、地下から
車輪つき梯子を取り出してきた。
長さ7メートルほどの車輪つき梯子は、攻城用そのもので、敵城の壁に梯子をかけてよじ登るもの。
クリフィルはそれを見て、目を丸めた。あんぐりした口から顎が落ちる。
「ほんとに古典的なんだな!」
デトロサは歯をみせて笑った。銀色の防具を身に着けた変身衣装は、武士のようである。
「さあ、攻城戦だ!」
504
第六城壁区域の敷地内にある倉庫から、魔法少女たちは車輪つき梯子という、攻城用具を5個ほど取り出し、
それをみんなで持った。
梯子の上には、すでに何人かの魔法少女がのっかっていた。彼女たちは、梯子ごと魔法少女たちを城壁側へ
送り込む気なのだ。
車輪つき梯子を、物凄い速さで走って城壁に近づけ、壁に車輪を走らせながら、城壁に乗り上げさせて、梯子に
のっかった魔法少女たちが先頭きって城に乗り込むという、極めて古典的な攻城法であった。
車輪つき梯子を活用して城を攻める作戦そのものは、とんでもなく昔からあるもので、古代中国には
あったし、古代ローマにもあった。
車輪つき梯子のことは雲梯と呼ばれていた。
さて、城下町の魔法少女で武士のような変身姿になるデトロサは、この車輪つき梯子に乗り、仲間たちによって
運ばれながら、城へ攻めた。
梯子の車輪が城壁に辿り着く。魔法少女たちは梯子の車輪を城壁にくっつけ、持ち上げて、だんだん角度を
あげていく。
梯子の上に乗るデトロサが城壁の高さにまで押し上げられる。
「梯子だぞ!」
オーギュスタン将軍は叫んだ。
矢が降りかかるなか、魔法少女たちは五人か六人がかりで、梯子を運び、城壁に掛けた。すると、梯子に
乗っかっていた魔法少女たちが、梯子から城壁へ突入。乱闘が始まった。
梯子を運びおえた地面の魔法少女たちに先駆けて、予めに梯子に乗っていた魔法少女が、一足先に城へ。
「剣だ!剣をぬけ!」
オーギュスタン将軍は、甲冑の兜が顔を覆う面頬から、声を張り上げた。
剣士たちが同時に剣を鞘から抜いた。
シャキン。
70本の剣が、同時に青空の日を浴びて光る。
そして、城の攻防戦ははじまった。
梯子をのぼってきた魔法少女を、刺そうとする剣士と、その剣士を刺そうとする魔法少女の、激しい切りあいだ。
梯子を登りきって、城壁の歩廊に降り立った魔法少女は、さっそく剣をブンとあたりじゅうに振り回し、
すると剣の斬撃に巻き込まれた兵士たちがぞくぞく城壁で転げた。
城壁に掛かる梯子の数は増える。
梯子が掛かるのと同時に、梯子にしがみついていた魔法少女が、さっそく最後の防壁に突入してくる。
車輪つき梯子のよって浮き上げられて、梯子に乗っていた魔法少女は、剣を手に、防壁へ乗り込む。
が、守備隊長ルースウィックが、そこに立っていて、自らの剣をめいっぱいにふるった。
「魔女め!死ね!」
その剣は梯子から防壁に乗り込んできた魔法少女の足を斬る。
片足失った魔法少女が城壁の歩廊に倒れ込む。ごろんとまわって、猫のように仰向けになった。
ルースウィックはすると、胸元の弱点らしき宝石を剣先でくだいた。
途端に、人形のように目が虚ろになり、魔法少女は息しなくなった。
「そう簡単に陛下の城は渡さないぞ!」
ルースゥィックは意気込んだ。
梯子をのぼってぞくぞくやってる魔法少女たちの相手をする。
ルースウィックは、生石灰が詰まった壷ごと、梯子むけて投げ込み、すると白い粉末が梯子にのる魔法少女たち
みんなの頭にぶわっとかぶせられた。
魔法少女たちの頭が白くなる。白髪に化けたように。
「燃えちまえ!」
するとルースウィックは水がめを投げ込んだ。
落ちた水がめは梯子を登る先頭の魔法少女の頭にあたってバリンと割れ、梯子に手をかけていた魔法少女たちの
生石灰に反応し、すぐじゅーじゅー音をたてはじめた。
「あああああ゛!」
石灰に焼かれる魔法少女たちは苦痛を訴え、みな梯子を手放して落っこちる。
顔の肌をやく灰色の生石灰を、ばたばたしながら手で振り落としている。
オーギュスタン将軍は、城壁に立っていたが、梯子が上昇し魔法少女が飛び込んでくると、さっそく剣を抜いた。
鍛冶屋イベリーノで鍛えられた最も錬度の高い剣だ。
オーギュスタンはこの剣をコルタナと名づけていた。
さて、剣をぶんぶんふるうおっかない魔法少女が城壁に乗ってくるや、オーギュスタンは身を屈めてよけ、
その刃をかわす。
だが、屈むとき、片手をついてしまった。
この体勢のせいで動きが鈍くなる。
すぐに魔法少女が、剣を振り上げてオーギュスタン将軍を叩き切ろうとしてきた。
ブン!
剣先が落ちる。
オーギュスタン将軍は間一髪、身を横向きによじらせてかわす。剣先は城壁の地面を叩いた。
直後、オーギュスタン将軍の反撃の剣が突き出た。
それは、剣先が地面をたたいた魔法少女の腹に刺さり、そのまま背中にまで剣が突き出た。
「うぐっ…」
口から血を垂らす魔法少女の動きが鈍くなる。
ふつうなら死ぬ一撃は、魔法少女には大して効き目などないことは、将軍もわかっている。
だから、鞘からもう一枚、プギオという短剣を抜いて、それで動きを鈍くした魔法少女の肩についた
宝石をバキンと砕いた。
その魔法少女は気を失って足元くずし、ぐにゃぐにゃと倒れていって、横たわった。
長弓隊長のエラスムスは、梯子から魔法少女が城壁に登ってくるや、ドンと足裏でけって、ひるませると、
弓筒から矢を取り出して、矢だけもって魔法少女の腹についた宝石を砕いた。
パリンと音がして、いとも容易く魔法少女は梯子から落下し、二度と登ってこなくなった。
魔法少女の弱点を正確に把握した国王軍は、魔法少女たちを相手に善戦を戦いぬく。
だが、それでもやっぱり、人間から見たら、魔法少女たちのパワーは恐ろしく強い。
ぞくぞく梯子をのぼって城壁に潜入してきた魔法少女たちは、城壁を早くも乗っ取りはじめ、
防壁を守る守備隊たちの身を持って投げ出してしまう。
「ああああ゛う゛!」
防壁から投げ出された兵士は高さ16メートルの城壁から落とされた。
オーギュスタン将軍は、大きな剣で相手の魔法少女の剣を振り払い、敵の剣を弾くと、素早くもう一度剣を
ふりきり、魔法少女の顔を剣で裂いた。
「があ゛っ!」
刃で裂かれた魔法少女の顔面が半分になった。
チヨリは、斧をぶんぶんふるって、防壁にたつつ守備隊たちの頭を割った。
弓兵がチヨリむけて矢を放ってきたら、身をよじってかわし、弓兵に接近していって、腰に斧をたたきつけた。
「あう!」
腰を斧で裂かれた弓兵が呻きを叫ぶ。
チヨリは斧を腰か引き抜いて、すると倒れる弓兵の心臓部に斧をもう一度、たたきつけた。
鮮血が心臓から飛びはね、チヨリの額と頬を赤く塗らした。
長弓隊長エラスムスは、梯子をつたって防壁にのぼってくる魔法少女がやってくるたび、弓に矢を番え、
その身についている宝石をことごとく射抜いた。
胸、肩、腕、膝、肘、額。
さまざまな部分にソウルジェムをつけている魔法少女たちだが、列なして梯子をのぼっても、ことごとくエラスムスに
矢で魂を射抜かれ、みなバタバタと城壁下に横たわって死体の山となった。
エラスムスに仕留められた魔法少女の数は14人だ。
守備隊長のルースウィックは、右にも魔法少女左にも魔法少女の城壁に踏みとどまり、剣士の誇りにかけて
少女の姿をした呪われた敵たちと奮闘していた。
モーニングスターを両手に握り、振り回し、守備隊たちを八つ裂きにしている魔法少女がいたので、
ルースウィックはその魔法少女に戦いを挑んだ。
モーニングスターを両手に持つ魔法少女は、鎖に吊るしたトゲトゲ鉄球を回転斬りのようにまわして、
周囲の守備隊たちの顔を叩いて散り散りにしていた。
トゲの鉄球に頬をえぐられた兵士が、血だらけの顔になって肌を失っている。肉と骨の顔になった。
かわいい部下の傷ついた姿をみて、ルースウィックは怒り、モーニングスターを振り回す悪魔のごとき
魔法少女に、戦いを挑んだのだった。
「俺様が相手だ!」
剣を持ち、モーニングスターの魔法少女の前まで走り、他の場所でも兵たちが梯子を登ってやってくる
魔法少女たちと交戦中のなか、標的の前まで、彼は進み、剣を伸ばす。
「人様に手を出しやがって!」
すぐ相手がニングスターをふるってきた。
「うお!」
ブン!
相手が鎖をふるうと、それに遅れてトゲトゲの鉄球が顔面にきた。
ルースウィックは慌てて剣をだして守った。
ガキン!
重たい鉄球に剣があたる。手首に痛みがはしり、じんじんと震動が刃から手にまで、伝わってきた。
強烈な衝撃だった。
が、なんとか敵の攻撃を防いだ。
「この!」
ルースウィクは、この修道士が使い始めたという武器の弱点を知っていた。
鎖にぶら下げられているだけの鉄球は、地面に攻撃範囲が及ばない。
いや、もし地面に攻撃範囲を広げようとするなら、必ず隙は生まれる。
ルースウィクは屈みながら魔法少女に接近してゆき、最終的には匍匐全身、這うようにして接近した。
一見すると、隙だらけで無防備なこの体勢は、もちろん、相手の攻撃を誘う。
モーニンズクターをふりあげ、死ねといわんばかりの顔をみせた魔法少女が、モーニングスターを振り落としてきた。
「はっ!」
ルースウィックはすると、それを予知していたかのように素早く身を回すと、鉄球をかわした。
直後、ルースウィックが這っていた地面を鉄球がたたきつけた。鎖の音がジャラララと鳴り、
重さ20キロの鉄球が石の地面を叩く衝撃音が轟いた。
鎖に吊るされた鉄球は、地面にまで攻撃範囲が及ばない。それでも地面に這う敵を攻撃しようとしたら、
いちどふりあげて、上からたたきつける動作をする。
これはまんま脇が隙だらけになることを意味する。
この魔法少女たちは、武器も力も持っているが、いくさの経験は人に及ばない。
「人様をなめるなよ!」
ルースウィックはすると、身をころころ地面を回すと、城壁の歩廊を素早く移動し、片手をつきつつ起き上がり、
立つと、剣をモーニングスターを持つ魔法少女の脇に差し込んだ。
「ふぬ゛ううう!」
と、意気込む鼻息もらしつつ、めいっぱい、両手の剣を魔法少女の肉に刺す。
「どうだ!まいったか!だが今更まいったって許さないぞ!」
ヨヤミは、長弓隊長エラスムスの飛ばした矢を間一髪でよけると、城壁奥の階段をおりていって、
第六城壁区域の敷地に立つと、あちこちの監視塔から飛んでくるクロスボウの矢を潜りつつ、閉じられた
城門の格子の巻き上げ装置をまわしていた。
落とし格子の門が開き始め、入り口は開かれる。
「あの魔女を止めろ!」
何人かの守備隊が剣を手に、ヨヤミにむかってきたが、その目前にスタッと飛び降りてきた仲間の魔法少女に、
彼らは殺された。
ミューラルという魔法少女をだった。
兵士達は皆、ミューラルの棍棒に叩かれ、ころげたあと、腹を棍棒で割られたりして、死んだ。
門が開かれると、城壁下の敷地で待機していた50人の魔法少女が、どーっと城門から突入してくる。
「長弓隊、進め!」
事態を察したオーギュスタン将軍が命令を発した。
すると第六城壁区域の奥側の壁から、伏兵していた長弓隊の列100人が姿をあらわし、前に出てきて、
隊列をつくり、弓を引いた。
弓兵たちの矢の先が魔法少女たち50人が押し寄せてくる門へ向く。
が、このとき、オーギュスタン将軍はクリフィルの剣によって甲冑を叩かれ、将軍はよろめき、ついには
クリフィルによって投げ飛ばされた。
「あんたが指揮官か!さあ、敵将の首をとってやるぞ!」
地面に落ちたオーギュスタン将軍は、地面に這いつくばった。甲冑の重たさで自力で立つことができない。
「ぐっ…」
そのすぐ背後で、城門を突破した50人の魔法少女たちが、やってきている。
「ぐぬ…!」
将軍は動けない。
すると、将軍の危機を察した守備隊長のルースウィックが、目を大きくさせて叫んだ。
「オーギュスタン閣下!」
ルースウィックは城壁の歩廊を走り始め、剣を持ち、オーギュスタン将軍に襲い掛かる魔法少女たち
50人の軍団にかむって、飛び込んだのである。剣もちながら大の字に両手を広げて。
「どりゃああ!」
高さ6メートルの城壁から、彼の体は舞い、門の下を通った魔法少女たちの頭上ど真ん中に飛び込んで落ちた。
頭上に落ちてきた守備隊長の体当たり攻撃によって、魔法少女たちがみなその場で倒れた。
ドタドタと、50人のうち12人くらいがころげる。
ルースウィックはすぐ立ち上がり、剣をもって、50人の魔法少女を相手にたった一人で戦いを挑んだ。
「さあかかっこい化物ども!俺が相手だ!閣下には指一本触れさせないぞ!」
将軍から注意をそらし、魔法少女たちの注意を自分にむけるため、徹底的に挑発する。
「さあどうした悪魔に魂を捧げた売女どもめ!願いごとは叶ったか!だが俺が殺してやる!」
叫び、手でクイクイと自分のもとにくるように挑発し、魔法少女たちむけて、がなりたてる。
「さあこいよ!俺が相手だ!人様を舐めると痛い目あうぞ!」
「うるさいな」
クリフィルが拳を伸ばして、守備隊長の顔を叩いた。
「はぶうっ!」
鼻をぶったたかれた守備隊長はころげた。
鼻血をだし、手で顔をおさえながら、目に涙を溜めた。尻餅ついて。
「ルースウィック!」
ようやく守備隊の仲間たちによって助け起された将軍が立ち上がった。
そして彼は、甲冑姿のまま剣もった腕を前に伸ばして、ロングボウ隊に指示をくだした。
「弓を放て!」
ズババババババ!
伏兵たち100人の弓から矢が発射され、100本の矢が飛んだ。
その矢の数々は、オーギュスタン将軍の両側を通って、ころんだルースウィックの上を飛び、
城門に集まっている魔法少女たちの肉体に、つぎつぎ刺さった。
「あう!」
「うう!」
「あがっ…!」
50人以上の魔法少女たちのほとんどに矢が命中した。
みな胸に矢を受けたりしてころび、倒れ、苦しむ表情をみせる。
額に矢があたり、気を失ったり。
足と腹に矢を受けて、痛みに喘いだりした。
魔法少女たちの苦痛の声をきいたあと、オーギュスタン将軍は、剣を肩に構え直すと、
剣先を前に向け、攻撃命令をくだした。
「突撃!」
長弓隊の全員が剣を抜く。
ジャキキキ。
鋼鉄の剣が戦場にて新たに、抜かれる。
長弓隊100人と、魔法少女たち総勢80人の、戦いがはじまる。
矢の傷みにいちどひるんだ魔法少女たちが、みな痛みを遮断し、戦いの体勢にもどると、長弓隊が剣を
抜いて、一斉に突撃してきていた。
魔法少女たちも受けて立つ。
オーギュスタン将軍も、先頭たって進み、剣を肩に構えながら、前へ向けつつ魔法少女たちの方向に突進。
命も顧みない捨て身の進撃だ。
そして、両者の距離は縮まっていった。
オーギュスタン将軍は横向きに剣をふるい、魔法少女の槍をどけると、たちまち交戦へ突入。
背丈の小さな頭上に剣をふるうと魔法少女の持つ盾に防がれる。
オーギュスタン将軍は再び剣をふるい、こんどは脇腹にむかって剣を振り切る。頭から脇への斬撃だ。
それも、魔法少女の盾に防がれる。
魔法少女が、槍を捨てると剣を鞘から抜いて、オーギュスタン将軍の肩へふるってきた。
が、オーギュスタン将軍は自らの剣でそれを受け止め、剣同士を絡めたあと、自らの剣をぶんとふるって
力で押し切り、直後、魔法少女の首を切り落とした。
ぽろっと、驚いた顔みせた魔法少女の顔が首からころげていった。
長弓隊長のエラスムスは、ソウルジェムを矢で射抜いて死んだ魔法少女の落とした盾を拾った。
その盾を、地面へ投げ、階段に滑らせると、その上に乗った。
両足を盾に乗せ、城壁の階段をガタタタタとボードのように乗りこなしながら、ななめに階段を滑り落ちつつ、弓を次々に
放って魔法少女たちを射止めた。
長弓隊長の矢が弓から飛ぶ。
矢がバチュンバチュンと音たてて空を裂き、飛ぶたび、魔法少女たちのソウルジェムが割れる。
階段を盾に乗って滑り降りつつ、弓矢を五本放ったエラスムスは、五人の魔法少女のソウルジェムを破壊する。
文字通り矢継ぎ早に放たれる矢は、ロングボウの得意技だ。
さて、五人がバタバタと倒れていったが、エラスムスは階段をくだりきると、ボードのように乗りこなした
盾を足ではじいた。
最下段で盾が弾け飛ぶ。
弾け飛んだ盾は、城門を通って突入してきた魔法少女の首にあたり、鉄の盾は刺さった。
「うう゛!」
首に鉄の盾が食い込んだ魔法少女は、苦痛に顔をゆがめ、両手で首に食い込んだ盾を引き抜こうとする。
エラスムスは、矢筒から矢を手にとりだすと、手に握って、その魔法少女の目に突き刺した。
目玉を貫いた矢を引き抜いて、その粘膜のついた矢を弓に番えると、放った。
それは目を突かれた魔法少女の胸元のソウルジェムを貫いた。
魔法少女は動かなくなった。
まるで意識はあるが全神経が突然、麻痺したように、動きを失って、倒れてしまう。
しかしそれは例えの話であって、やっぱり、ソウルジェムを失った魔法少女の体に意識は抜け落ちていた。
エラスムスは、この宝石を砕かれたらぴくりとも動かなくなってしまう魔法少女たちは、人形か何かの
ようだ、と思った。
その不可思議な生態を人が理解する日は来ないだろう。
「ルースウィック!」
かくしてたくさんの魔法少女を撃退した長弓隊長は、地面にころげて、たくさんの魔法少女の足に踏まれ
つづけているルースウィック守備隊長をようやく助け起した。
片手で守備隊長の肩をつかみ上げ、するとルースウィックは自力で立ったが、その顔は真っ赤になって、
かんかんに怒っていた。
「いまいましい魔女どもめ!」
背中を踏まれ続けていた守備隊長のプライドは、ズタズタだった。
魔法少女たちは守備隊長を無視して城門から敷地内へ突入、彼の背中を踏みながら長弓隊と戦っているのだった。
「俺と戦え!この屈辱、晴らさぬうちは死なん!さあ、こいよ魔女ども、かかってこい!」
「退却だ!」
ところがそのとき、戦場の城に、指令が鳴り渡った。
将軍の声だった。
長弓隊は懸命に魔法少女と激戦していたが、そのほとんどを殺され、劣勢にあった。
将軍は苦渋の選択のうち、撤退命令をくだす。
「撤退だ!城にひきあげろ!」
号令役が撤退命令のラッパを吹き鳴らす。青空のみおろす城に音色が響く。
「バカな!」
守備隊長ルースウィックは愕然とした。
剣を取る手の力が抜ける。剣先が芝生にぱたん、と落ちた。
「どうしてこんなところで撤退など!」
長弓隊の生き残り40人程度は、奥の塔への階段をのぼりはじめたり、城壁歩廊の奥へ逃げたりして、
撤退をはじめる。
オーギュスタン将軍が長弓隊の退去を助け、自分は最後まで踏みとどまって戦いながら、剣をふるって
魔法少女たちを撃退しつつ、自分も撤退した。
しかし、撤退といっても、すぐそこまで65人ちかい魔法少女たちが迫ってきているわけだから、
逃げれば追いかけられた。
撤退しようにもしようがない。距離はひらかない。
オーギュスタン将軍は踏みとどまって、少しでも長弓隊が逃げ延びるまで時間稼ぎをして、魔法少女の攻撃を
剣で受け返し、逆に跳ね返し、自分の剣をふるうと魔法少女の首を切り落とすが、それでも、魔法少女たちは
将軍を囲いはじめ、槍を伸ばしてきた。
「ぐ!」
将軍は引き下がる。
鎧を纏った武装では素早くは動けない。撤退してもすぐ追いつかれる。
もうダメかと思われたとき、城にラッパが鳴り轟いた。
それは撤退とは別の号令合図だった。
「誰だ!」
将軍は甲冑の面頬をとった顔をみせ、号令の轟いた方角を見た。
プオーっという勇ましいラッパ音が長く一回。
これは突撃用意せよ、の音色だった。
はっと、将軍が後ろを振り向くと、敷地を囲う市壁の城門の格子が開いた。
その奥からは、馬に乗った新たな騎士たちが現れ、突撃槍をもってやってきた。
ベルトランド・メッツリン卿。
また、それに従う王国の騎士たちもまた、この戦場へようやく到着した。
「将軍、私どもがまだいるのに、撤退とは、勇者らしくもない!」
メッツリン卿が甲冑の面頬をあけて、歯をみせて笑った。
「やっと我々も、出撃準備が整ったところなのですのに!」
将軍がみると、彼に続く30人の騎士たちが、みな手には槍、全身は甲冑、背中には盾、腰の鞘には剣の、
全武装を終えていて、まさに魔法少女たちと戦うべく騎乗していた。
「なんだああついら!」
逃げ遅れた長弓隊の死体をメッタ刺しにしていた剣を抜いたクリフィルが、顔をあげた。
その頬にも魔法少女の衣装にも、返り血がびっしょり、こびれついていた。
防壁をひとつ突破したと思ったらさらに奥に分厚い防壁があり、しかも壁も高い。
その城門はいきなり開かれ、奥から、鎧を着た馬にのった騎士たちが現れ、先端の鋭利な槍を持っている。
「いよいよ騎士さまたちのお出ましか!」
クリフィルは剣を構え持った。
白馬にのったメッツリン卿を先頭に、つい先月くらいに、馬上槍試合に参加した勇猛なる騎士たちが、
ここに全員集合し、王都の反乱者に鉄槌をくだすべく出陣する。
チヨリ、ヨヤミ、ミューラル、デトロサ、クリフィル、ベエール、マイアーにアドラー、オデッサ、ウェリン、ヒリーメルト、
他城下町の魔法少女65人、ユーカただ一人だけのぞいて、全員、王国の騎士たちとの対決に臨んだ。
「将軍閣下をお助けしろ!」
おおおおおおおっ。
メッツリン卿のラッパが再び吹き鳴らされ、騎士たちの馬が発進した。
馬術に長けた騎士たちが皆、銀色の防具に包まれた足で馬の腹をけり、すると鉄の甲冑を着た馬たちが
勢いよく駆け出す。
城内の中庭────ここは本当は、水資源を確保するための芝生で、馬の立ち入りが禁止であるのに────
騎士たちの馬は四足をあげて疾走する。
「迎え撃て!やっつけちまえ!」
いっぽうクリフィルらの魔法少女たちも、騎兵たちが突撃を開始すると、それを真正面から迎え撃ちはじめ、
自分たちも足で走りはじめた。
65人ほどの魔法少女たちが、騎兵たちと交戦に挑む。
その舞台は標高600メートルに位置するエドワード城の第六城壁区域。
王の根城のすぐ真下、最後の防壁地点である。
まさにそれは、文字通りの、頂上決戦だった。
「うおおおお!」
クリフィルが剣を構え、走りながら、声をあげた。
直後、先頭の騎士たちと激突した。
「はっ!」
槍が剣を叩く。
騎兵の伸ばした槍を、クリフィルは剣でバチンと弾いた。が、その直後に、騎兵の馬がクリフィルを蹴飛ばす。
「う!」
ぞくぞくやってくる騎兵たちの馬が、背丈の小さな魔法少女たちを踏んづけてゆき、65人のうち
20人くらいは馬の下敷きになった。
「は!」
モーニングスターをふるったマイアーも、騎士の槍に突かれ、首に穴があいた。
騎兵の槍は3メートルもあり、だいたいは、魔法少女たちが、手にもった剣やら斧やら、棍棒やら
モーニングスターやらメイルやら小刀やらで反撃する前に、リーチの長さが猛威をふるって槍が先に命中し、
魔法少女たちは貫かれる。
「騎兵たちの槍を奪え!」
血まみれのベエールが叫び、すると、ベエールは、前方5人の魔法少女を踏みつぶて突進してくる騎士が、
槍を伸ばしてくるや、それをさっと横にかわして騎兵の槍の柄を掴み返し、自分の手に握った。
「うわああ!」
すると騎兵はベエールに槍を持たれて体が浮き、馬から落ちた。
彼の手にも槍が握られていたからだ。
いっぽう、落馬させられた騎士は、ベエールに槍を奪い取られて、その腹に槍を受けた。
「ぐう!」
甲冑の隙間、バンドをとめる部分に、槍が刺し入る。
そこは胴と股間のあいだであった。
ベエールにならって、馬たちに踏み潰されなつがらも魔法少女たちは、次から次へとやってくる騎士たちの
槍攻撃をさけると、その槍を奪い取ることで、騎兵たちを続々と落馬させていった。
槍を手にしっかり抱え持っていた騎兵たちは、地面にたつ魔法少女たちに槍を掴まれて、あえなく馬から落っこちる。
「どぐう!」
ガチャンと重たい鎧の音たてて騎兵は落ちる。
「よし!馬を奪え!」
魔法少女たちは、主人を失いつつも暴走する馬の手綱を掴み、無理やり馬を引き止めると、馬具の鐙に足を
かけ、馬の背中の毛を掴みつつ馬の背に乗った。両手に手綱を握ると、手繰って馬の向きを反転させた。
騎士たちの馬は今や魔法少女の馬となった。
どの魔法少女も馬を奪いとり、馬たちの新しい主人となって、馬具に取り付けられていた予備の槍を手に握る。
「はぁっ!」
馬を奪取した魔法少女たちは槍を持ちながら、馬を発進させる。
「とぉっ!」
ベエールやクリフィル、チヨリ、ヨヤミといった面々の魔法少女たちが、その小さな体に不釣り合いな騎馬に乗って、
落馬した騎士たちを蹴飛ばした。
「うば!」
「はぐう!」
騎兵たちは落馬させられた上に、奪われた馬に踏まれる。
騎士としてはこれ以上ない屈辱だった。
さて、城門の奥からは、王国の騎士たちの第二陣が門をくだってやってきた。
ヴィンボルト卿に、モーティマー卿、アクイナス・シュペー卿ら、王国の騎士たちの第二陣は、
すでに馬を走らせていて、突撃槍をまっすぐ伸ばして、魔法少女たちに突っ込んでくる。
「返り討ちだ!」
クリフィルら魔法少女たちも、奪い取った馬に跨りつつ槍を前に伸ばし、馬に闊歩の合図だすため、
腹に挟む足の力を強める。
魔法少女たちの馬はますますスピードを高めた。
そして、第六城壁区域の中庭、頂上決戦の場にて、魔法少女たちの突撃槍と、王国の騎士たち第二陣の突撃槍が、
馬上にて激突!
城の中庭は、本来は、雨水をあつめ、地下の水槽に溜め込むための敷地であるのに、お構いなしに
そこで魔法少女たちと騎士たちの馬上槍対決が繰り広げられる。
バキキ!
ゴキ!
ドゴ!
「うっ!」
「あうう!」
魔法少女と騎士たちは馬上で槍を交え、そして次々先頭の列から落馬していった。
普段の訓練から馬上の槍交戦には慣れている騎士たちも、相手が魔法少女だと、またたく間に胸を槍に
貫かれてゆき、鎧は意味をなさなくなって、胸に槍をうけながらバタっと落馬していった。
しかしそれでも勇者たち、歴戦の騎士たちである。
中には魔法少女たちを落馬させていった騎士たちもいた。
モーティマー卿とアクイナス卿だ。
魔法少女たちの伸ばした槍を、力で押し返し、馬にのった魔法少女たちの無防備な胸を槍で突いた。
「ああヴ!」
槍が直撃した魔法少女は、自分の槍を手放し、どてっと落馬して背をみせて倒れる。
が、直後その後続に走ってきた馬に乗る魔法少女、ヨヤミが、槍をばっと伸ばし、アクイナス卿の腹を突いた。
「うぐ!」
ヒヒーン!
馬が悲鳴あげる。アクイナス卿は、手綱を限界まで引っ張ってしまった。
馬は足をとめ、前足ふりあげ、ほとんど90度にまで背が持ち上がる。
するとアクイナス卿は馬からずり落ちた。
隣でモーティマー卿、この騎士は都市の馬上槍試合で女騎士のジョスリーン卿に初戦で敗れていた騎士だったが、
こんどは魔法少女の槍にどつかれた。
「うぐ!」
モーティマー卿は体がくの字に曲がり、腰に槍を受けてしまい、ついには血を流して落馬した。
その上を魔法少女たちの馬が通過した。
ドドドド。
「うぐお!」
顔を馬の足が踏んづける。顔の骨は折れた。
クリフィルら馬に乗った魔法少女たちは、手に持つ槍がことごとく敵騎兵たちに刺さって手元が空になると、
腰の鞘から剣を抜いて、騎士たちを撃退すべく馬上で剣をふるった。
カキン!
ガキィィン!
それは、まだ生き残る騎士たちの剣と交わる。
あとから駆けつけてきた第二陣の増援部隊の騎士たちが、馬を走らせて門をくぐり、中庭にやってくると、
魔法少女たちは馬上からぶんと剣をふるい、敵の騎士も、剣を力いっぱいに振り切る。
すると、魔法少女と騎士の剣が、馬上でカキィィンと交わり、バッテンの形にぶつかりあう。
いっぽう、騎兵たちをことごとく撃退した魔法少女のクリフィルは、馬を発進させたのはいいものの、
その止め方がわからず、馬に乗ったまま軍門を通って中庭を突っ切っていた。
山羊たちや羊の飼われている城内の納屋や、薪など燃料を持ち運ぶ荷車、武器庫などが立ち並ぶ
城壁に囲われた芝生の中庭を通り過ぎて、なんと、第六城壁区域の外郭の端にまで進んでしまった。
その外観にあるのは城の景色。
つまり山々と渓谷だ。
城の外に飛び出る。
「うわあああああ!とまれ!」
クリフィルは焦り、なんとか馬を止めようとしたが、馬は一度走り始めたら止まることを知らず、城の外へ
一直線に突き進む。
城の外の空景色が次第に大きくなる。
「とまれ!とまれってば!」
まさに外郭へ乗り上げ、城壁をひとっ飛びして、城の外の渓谷へ────。
馬が飛ぶ!飛んだ!空を!
というまさにその際で、クリフィルの馬はとまった。
高所恐怖症の馬は、自分のむかう先が、曠然たる青空と谷であることを悪い目ながらついに理解し、
足をとめたのだった。
芝生をのりあげ城壁に足をかけた蹄が急ブレーキする。
するとクリフィルは突然の急ブレーキに自分の身がすっとんだ。
「うわ!」
慣性の法則よろしくクリフィルの身は馬からぽーんと飛び、空と山々と絶壁の渓谷がのぞくスレスレの標高600
メートルの城壁のヘリ、出っ張りに手をかけてぶら下がった。
よっと、声あげてよじ登った間一髪のクリフィルは、戻ってきて、すると馬にむかって、怒鳴った。
「おまえなに考えてるんだよ!」
と、城の上でクリフィルは立腹して馬を叱る。
「せっかく追い詰めた騎士を逃がしちまって、どこ突っ走ってるんだ!」
ヒヒン。
馬が小さな鼻息たててしゅんとする。
そのしゅんとなった顔をクリフィルから背ける。
「話してるのに目を逸らすな!」
すると立腹の魔法少女は、轡の綱をびしっと引っ張って、無理やり顔を自分むけさせた。
馬のつぶらな黒くて大きな瞳が魔法少女を見つめた。両耳が立った。
「おまえ戦馬として恥ずかしくないのか!」
しかしいくらクリフィルが、城の淵で馬に叱ったところで、馬耳東風、馬の耳に念仏であった。
今日はここまで。
次回、第68話「エドワード城の攻防戦 ⑥」
第70話「世継ぎの少女・アンリ」
521
そのころ鹿目円奈は、最後のエドレスの王都を脱出すべく、ド・ラン橋を渡っていた。
この橋は、エドレスの絶壁とたわれる谷に架けられた細い石橋。踏み外せば崖に転落の、綱渡りだ。
エドワード城から向こう岸の国へ渡る橋。
風に髪をゆらしながら、円奈は馬で駆け、パカパカと橋のアーチを踏みしめて進んでいたが、背後には、
厩舎から馬を呼び出し、馬に跨った敵騎士の追ってたちが、手にクロスボウを構えて、円奈たちを狙っていた。
バチン!
バシュン!
追っての敵兵たちが馬上からクロスボウを放つ。
円奈たちの背後へボルト矢が迫る。
円奈も反撃に出た。
クフィーユはまっすぐ全速力で橋の道を走る。そのまま風に吹かれる円奈が背をくるりと翻り、後ろ向きへ、弓を放つ。
やぶさめで狙われた騎士に矢が命中し、一人が落馬する。
「ああああう!」
鎖帷子に矢が当たり、重症にはならなかったが、円奈の矢が直撃した衝撃で騎士は馬から脱落する。
一人は仕留めたが、追っ手は15人ほどだ。
レイファ、リドワーン、ブレーダル、芽衣たちは走りで橋を渡る。
ヨーランは爆薬を含めた袋をついに橋のど真ん中においた。「これで準備万端だ!」ヨーランは喜びの声をあげる。
「いったい何が?」
走りながら、マイミという歌娘の魔法少女が、ぜえぜえ息をはいて顔を赤くしながら尋ねた。息があがっていた。
「何がって?」
ヨーランは、走りながら、笑った。先頭を走る円奈の馬を追いかける。
「この戦いが始まって以来最高のショーだよ」
「はあ?」
マイミは走りながら顔をかしげた。
ヨーランの設置した爆薬は橋のど真ん中。アーチ橋の一番中心である。木炭、硫黄、硝石を混ぜた火薬が山のように袋に積もれて、
そこに追っての騎士たちが通りかかろうとしている。黒い馬たちが鎧に包まれて突撃してくる。
「なにする気なのさ?」
マイミは問いかけた。
ヨーランは走りながらいった。得意げに笑って、若緑色の瞳を輝かせた。
「ぶっとぶようなことさ!」
522
鹿目円奈たちはド・ラン橋を渡りきるところまできた。
目前に向こう岸の森、サルファロンの領地がみえてくる。そこは、エドレスの国外。
しかし追っての騎士たちも円奈たちを狙う。
黒い馬にのった騎士たちの、フレイルをぶんぶん振り回した姿は、怒りの突進さながらだ。
だが哀れ、この騎士たちは、自分たちを襲う驚くべき不運を察していなかった。
魔法少女と人類、この戦いを決定づける、最期のフィナーレがきた。
「ブレーダル!」
はしりながらヨーランが叫んだ。ぜえ、ぜえ、さすがの魔法少女たちも、この長距離走にへとへとだ。
「お見舞いしてやれ!」
ブレーダルが、弓に構えていた、爆発の矢を、火薬が山ほど積もれた袋むけて、放った。
バシュン!!
紫色の光が、これまでで最大出力の強度に高められてぎらっと煌き、輝き、魔法の矢は飛んだ。
きらきら軌跡を描きながら橋の上をまっすぐ飛ぶ魔法の矢弾は、やがて、落ちて火薬の山へ。
ちょうどフレイルの鎖をがちゃがちゃと振り回す凶暴な騎士たちの足元へ着弾する。
次の瞬間!!
火薬に魔法の爆発矢が引火、ヨーランが持ち運んだ火薬のすべてが火を散らし、大炎上した。
騎士たちが渡るド・ラン橋が炎に包まれ、真っ赤になる。
「ああああああ」
「うわあああああ」
騎士たちは、馬と共に、空へ打ち上げられ、爆風のなか、火に抱かれながら、崖の彼方へ吹っ飛ばされていった。
15人の騎兵すべて。海へ落っこちる。はらはらと木の葉のように。馬がむなしく四足を空中で暴れさせていた。
「やっりー!」
ヨーランがうれしそうに手を握った。勝利をかみ締める。
しかし、ヨーランたちはやりすぎた。
…みし。
…パリパリパリ。
「…あれ?」
ヨーランが、目をきょとんとさせて、目線をおそるおそる下へ移すと、自分たちのたつ石橋が、ヒビわれを起こしているではないか。
「…ん?」
追ってをはらって、やっと休めるかと思って立ち止まったマイミ、レイファたちも、きょとんとなる。
足元がグラグラする。
「どーもイヤな予感がするぞ」
ぼそっと、白い髪をしたレイファがつぶやいた。レイピアを鞘に納めた。隣できょろきょろする姫新芽衣。
「どうして風景が傾いているんだ?」
独り言を語りはじめたのは、ブレーダル。「う、なんか、左足だけ引っ張られているような…」
円奈も馬をとめて、違和感にきづく。
どうも平衡感覚がおかしい。片方ばかりに吸い寄せられる。地面が斜め向きになってゆく。
「ちがう!」
芽衣が、叫んだ。
「傾いてるのは風景じゃない!」
次の瞬間、すべての魔法少女と、円奈が、凍りついた。
「この橋だよ!」
ぞわわ。
ひびわれが激しくなるド・ラン橋。
橋自体が危うい。
さっきの爆発で、橋を爆破した箇所は、アーチ型をした石橋の、ど真ん中。
アーチの中心、つまり最も要である部分のことを、構造上、”キー・ストーン”という。
このキーストーンがすべてのアーチ構造を支えており、ここ一箇所が崩れると、アーチのすべてが壊れる。
扇子でいう要の部分のようなもの。
ブレーダルとラーランはアーチ橋のど真ん中に爆薬をしかけ、爆破、キー・ストーンを破壊した。
あとは何が起こるかは、想像にまかせよう。
「立ち止まってる場合じゃない!」
ブレーダルが叫んだ。
「走れ!」
全員が疲労困憊のまま走りだした。
橋の切れ目、ヒビワレはみるみるうちに増えてゆき、全体がぐらっとついに揺らぐ。軋む音をがぎぎぎとたてる。さながら巨人の唸りだ。
全体が270メートルある長さがあるド・ラン橋の、半分を超えて、200メートル地点にまできたちっぽけな少女たちが、
キー・ストーンがこわれ、橋自体が崩壊しエドワード城からもろくも海へなだれようとしている危機のなかを走る。
ミシ…ミシシシ!
ド・ラン橋はついにキー・ストーン部分から崩壊をはじめ、巨大な石塊が、ぼろぼろと海へ落ち始めた。
どごん、どごんと巨大な石塊は、海に飲まれて崖下で飛沫をあげる。その飛沫の高さ、100メートル。
地表3キロメートルの断崖絶壁の真上を魔法少女たちと円奈が駆け抜ける。
しかし、間に合わない。
「うわああああ」
橋の上に乗る魔法少女たちはみな、角度を傾けはじめた橋でころげた。
バランス失い、走れなくなり、橋は横倒しになって、ずるずると滑りおちてゆき、崖下へおちる海へ、まっさかさまだ。
「ああああ!」
ブレーダルがおびえた顔になる。「落ちたくないよ!ママ!」ずずずと滑る足先の視界に絶壁の崖がひろがる。その渓谷の底も。
海抜3キロの超高層の断崖だ。
しかし巨大な橋は傾き、みしみしみし音たてて砕け、崩壊、落ち始める。
転がされるビー玉のように魔法少女たちが傾く橋の上でころげ、落ちていくだけ。手で地面をひっかいても、なお滑りおちる。
谷では荒れ狂う海が待っている。
ほぼ横向き45度に傾きはじめた橋の上で、円奈の馬もバランスを崩す。
円奈は、手綱たぐって、懸命にバランスとるが、厳しくなる。
「橋の側面へ登れ!」
おびえたブレーダルの横で、ヨーランが叫んだ。
45度傾いた橋は、真横に倒れ始め、そのぶん、橋のアーチ形をした側面が水平になる。
11人の魔法少女と円奈たちは、傾いた橋をよじのぼり、側面へ着地、崖へ渡りはじめた。
あと50メートルだ!
「クフィーユ、わたしたちきっと、聖地にたどり着ける」
崩れおちつつある橋の側面に立った円奈は、最期のラストスパートを、馬に意気込ませた。
「ほら。あそこに、わたしたちの目指す大陸がある」
その視線のむこうには、聖地のある大陸。
森。
崖先。
「いけ!クフィーユ!」
円奈の馬は全速力で走りはじめた。満身創痍なのは、円奈もクフィーユも変わらない。
二人は心を通じ合わせ、互いに限界なのを力を分け合って、エドレスの王都の最後の道を突き進む。
橋は落ちる。
ガラガラガラと音たて、ついに、巨大な石橋は3キロメートル下の海へ、こなごなになって落ちた。
その最後の瞬間、円奈はまだ、崖まで10メートルのひらきがあった。
「クフィーユ!私を聖地に連れてって!」
橋が崩壊した10メートルのひらき、空を、クフィーユは飛んだ。
少女騎士を乗せて橋から崖へ、空を横切り、奇跡のような飛翔を披露してのけ、陸地に着地、渡りきった。
パカパカパカ…
馬がサルファロンの地を踏みしめたとき、円奈は後ろを振り返った。
リドワーンたち一行の魔法少女たちは、同様に、10メートルのあきを飛んで、地表3キロの深さの谷を飛び越え、
ぜえぜえ息はきながら、へとへとになって着地していた。
523
世継ぎの少女アンリは、扉を足で蹴って王の間に現れ、大空間に姿を見せたが、その姿は誰がどうみたって
魔法少女に変身を遂げた神秘の姿であった。
アンリの衣服に、色とりどりなオーラが纏い、魔法の力を宿らせている。
ルノルデの強姦未遂からアンリを救い出した守備隊たちがあとを追って王の間に現れた。
リヴウォールトの高い天井の列柱の空間に駆けてくる。
すると守備隊2人は、アンリの魔法少女姿を見るや、へとへとと膝を崩してしまった。
「ああ……アンリさまが……アンリさまが…!」
守備隊の嘆きが玉座の間に響き渡る。
「お世継ぎのアンリさまが魔女に魅入られてしまわれた……!」
誰がどうみたって、王家の血筋を引く唯一の後継者は、邪悪な契約を交わしてしまった姿をしていた。
つまり、悪魔の誘惑に負けて、魔女に魅入られ、その魂を売り渡してしまった姿だ。
変身したその美しい姿こそが何よりも証拠だ。
女が美しくなるということは、男を誘惑する悪魔の力を借りているということだ。
この時代ではそういう価値観だった。
それは真理を掴んでいるかのようにも見えた。悪魔と契約した少女は、どんなに醜くても、変身すると
美しくなる。
エドレス王家は失意のどん底に沈みかけた。
まさに魔法少女たちによって反乱が起こされているこの国家滅亡の瀬戸際、よりにもよって血筋の後継者が
魔女に魅入られて、魔法少女になってしまった。
しかし、悪魔と契約したアンリは、その魔法少女と変身した姿を王の前に現し、そして、反乱者たちの前に
進み出て、告げた。
赤いマントに銀色のサークレットの少女剣士の声がステンドグラスの空間に響き渡る。
まるでそれは、声が虹色の神秘を帯びているかのような、光のなかに轟く声だった。
「王に触れればお前たちを皆すべて斬首する」
アンリの脅しは、クリフィル、ベエール、ヨヤミ、チヨリら城下町の魔法少女を恐れさせる。
城下町の魔法少女たちは感じ取っていた。
王家の娘であり血筋の末である魔法少女のアンリは、手の出しようもなく強い、と。
彼女一人が敵にまわっただけで、城下町の下衆な魔法少女連中の反乱者など、鎮圧されてしまう。
だが、だが。
「顔を出すのが少し遅かったですね、エドレス王家の世継ぎアンリ様!」
クリフィルは、王の首に刃をかけた。
「まさか魔法少女全滅を企てたこの王家の嫡出子が、魔法少女とは思いませんでした。それは計算外なことです。
ですが、あなたに私が止められるので?」
王の首から血が垂れ始める。
皺のついた顔をした老王の喉から汗が垂れた。
タタタタタッ、とアンリは走り始めていた。
クリフィルの、王の喉に刃をつきつける玉座の壇を駆け上がりはじめ、クリフィルに斬りかかった。
カタナと呼ばれる刀剣の軌跡が走る。
「うっと!」
クリフィルは玉座の壇から飛び降り、アンリの攻撃をかわした。
四段も五段も壇をさがって行き、地面に着地すると、剣を構えた。
「はっ!」
赤色のマントを翻しつつ、アンリはカタナを振るってきた。
「とあっ!」
クリフィルは両刃剣で受け止める。
2人の刃がバッテンに交差し、激突し、擦れ合う。金属音が荘厳な列柱の大空間に轟き渡る。
クリームヒルト姫は城の宮殿に現れ、王を守るため反乱者と戦う娘の姿を見守っていた。
見守りながら、絶望の色を目に浮かべていた。その姫の視線は悲しい。
なぜなら、知られてはいけない秘密が、今、王家の目に晒されているからだ。
子供は親のいうことをきかない。
アンリは第二次性長期、反抗期に入った頃の魔法少女になったのだ。
「なんだその程度か!」
クリフィルは、世継ぎの少女アンリと対決を演じながら、王家の魔法少女を挑発する。
「がっかりだよ!庶民の魔法少女と大して変わらない!」
もちろん、持っている因果は断然ちがうし、秘めたる魔力も、段違いであることは分かっている。
王家の血筋に眠る魔法少女としての才能の開花を摘もうとしているだけだ。
今まで魔法少女としての正体を隠してきたのだろう。
世継ぎの少女アンリのカタナの振り方は、まるで初心者で、ひょっとしたら魔法少女の力を解き放つのも
初めてかもしれない。
なら勝機はある。相手の平常心を乱し隙だらけにしてしまえ。
ガキンガキンと、アンリはカタナを振るってきたが、クリフィルはその一撃一撃を受け止めていった。
縦に振るえば横に、横に振るわれれば縦に、二度も十字に剣を絡ませあって、二人の距離は縮まらない。
剣のリーチを保ちあった距離に2人は間合いをとる。
「アンリ様、これじゃまるで剣のお稽古ですぞ!」
クリフィルは、立派な服装に変身している世継ぎの少女を煽り立てる。
「ひょっとして、刃とはお相手の刃とぶつけあうものとお考えですか!刃とは、敵の体を斬るものですよ!」
アンリの瞳に怒りが宿った。
黒い眼に炎が燃え、黒髪は風に靡き、全身に宿る覇気の如き鬼気オーラを放つカタナの刃を、力いっぱい
両手に握って高くもちあげる。
力に任せて相手に剣を叩き落とそうすとる魂胆がまる見えだ。
同じ魔法少女として、敵対する王家の魔法少女の持つソウルジェムが放つ魔力の圧倒的な威力は感じ取れる。
だが、稚拙だ。まだ、戦い方が。
「隙だらけですよアンリ様!」
ひゅっと、クリフィルは剣を一振り。
すばやく回った剣先が、アンリの首元を斬り、ぷすっと血が溢れだした。
「剣をもつ者は、相手が剣を前に構えているうちは、頭上に振り上げてはいけません。本当にお稽古の
ようになってきましたね!」
といって、数歩後ろへよろめいた赤いマントの少女剣士に迫り、剣を突き出す。
アンリは刃をかろうじでふるって弾き返す。
ガキィン!
クリフィルの剣先は逸らされ、アンリの刀に絡め取られ、二人の剣は上向きに拠れた。
すぐにクリフィルは足をだしてアンリの腹を蹴りあげた。やわらかな腹に足の一撃が入る。
「うぐっ…!」
アンリは苦痛に呻いて、数歩、さがる。
この魔法少女、痛感遮断を知らないのか?
よほど、世間知らずの箱入り娘、籠で育ってきたような女だな。
「今のはいい受けですね!ですが、剣士は、刃だけが武器じゃありません。体ぜんぶで相手を叩きのめす
もんですよ!剣で敵を叩けなければ足蹴り、いざとなったら腰も使います!」
世継ぎの少女アンリは、腹を魔法少女の足に強く蹴られて、まだぜえぜえ息を吐いて呻いていた。
銀色のサークレットをつけた少女が、顔をようやくあげて、頬についた血を手の甲でふきとった。
どうやら吐血を少々したらしい。
「はあ……はあ」
世継ぎの少女アンリは息を切らしながら、頬を赤くし、真面目な顔つきで、クリフィルを睨みつけている。
そして、再びカタナの構えをとる。手が震えている。カタナ持つ腕がびくびくしている。
まさかこの女、魔法少女に変身しながら、魔法の力を全く使ってないのか?
自分のソウルジェムに秘められた恐るべき魔力の巨大さを知らないのか?
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
まさか、人間の少女の状態のまま戦っているのか?
変身したのに、その力を一切解き放っていない。
いや、解き放ち方をわかっていない。
いったいどんな変身を遂げたんだ、この魔法少女は。
魔法少女は、自力で変身もできるようになれば、自然と魔力の解き放ち方もわかる。
変身できるようになってしまえば、ソウルジェムから魔力の汲み取り方も自然と分かるようになるもんだ。
馬の乗り方を覚えたように、いちど覚えてしまえば、自由に使えこなせるってものだ。ソウルジェムは。
なのにこの女ときたら、変身はしているが、魔力の出し方がまるでわかっていないような戦い方だ。
自力で変身したのではないか?
そういえば、魔法少女は、自分の意志とは関係なく変身してしまうことがあると聞く。
感情の限界を超えたとき、勝手に変身が始まってしまう現象である。
例えば恐怖が限界にまで達したとか、怒りが極限に達したとか、火事場の馬鹿力が要求された場面に、
魔法少女は本人の意志なく勝手に変身する。
それも一秒もかけずに、ぱっと。
人間だって極限状況になって感情が爆発すると、体内の筋肉のリミットが外れて、規格外の力をだす現象がある。
魔法少女の場合それは、変身となって、ソウルジェムに温存された魔力が暴発、勝手に変身がはじまってしまう。
オルレアンさんが火炙りなったとき、彼女がみせた最期の変身は、その現象だったとクリフィルは
記憶している。
つまり、この世継ぎの少女アンリは、生まれて初めての魔法少女への変身を、そういう経緯で果たしてしまった
のか?
だとしたら、ソウルジェムの力の解き放ち方も魔力の汲み方も、まるで分からない魔法少女が誕生したことになる。
生まれて初めて乗馬を体験をしたような、ふらふら状態だ。
この魔法少女にとっては、肉体の感覚から分離された魂の動かし方が分からない。
だって神経が繋がっていないから。
全ての人間が、耳とか髪の毛を自分の意志で動かせないのと同様に、この魔法少女にはソウルジェムの
操作方法がまるでわかってない。
だから痛感遮断もできない。
男に襲われでもして魔法少女になったか?
「アンリ、その姿はなんだ!」
すると、エドワード王が玉座で、怒鳴り声をあげた。城の空間に轟いた。
「いつ魔女に魅入られた?なんたることを!エドレス王家の血筋をなぜ売った!」
王は衝撃を受けていた。
動揺していた。気が動転していた。その全ての感情は怒りという到達点に達し、王はぶるぶる震えつつ
真実に戦慄して、攪拌すら覚える気持ちで声を漏らした。
「卑劣な宇宙生物インキュベーターめ!」
王は、王室の血筋を台無しにした宇宙生物への激しい怒りと怨念を、この世の終わりにむかって叫んだ。
ドームの天井をみあげ、円環の理とラッパの天使が描かれたステンドグラスの光にむかって立ち上がり、
両手をあげつつ、宮殿で全ての絶望を王は嘆いた。
魔法少女絶滅計画をたてた王は、まんまと、王家の血筋を、宇宙生物に盗られたのだ。
絶滅させられたのは我らが王家のほうだったのた。
人類は敗北した。
アンリが魔法少女になることによって、人類は全ての希望を失った。いや、全ての希望を、売ってしまったのだ。
インキュベーターに。
「血筋は絶えた!」
王は嘆く。声の全てをしわがらせて嘆き、両手を、天へむけて掲げる。天使にむかって叫ぶ。世の終末が
降りかかってくる。王のもとに!
「”エドレス(不滅)”の国は滅んだ!ああ、アンリよ、世継ぎの娘よ、哀れな!魂は穢され、血筋は
脱け殻となった。今やお前の肉体と血は空の殻皮だ。その契約は悪魔と交わされたのだ!」
声は宮殿と、王の間に轟く。
王はドームの玉座から崩れおち、倒れて、顔から生気をなくしながら壇の階段にもたれこんだ。
その顔は全てを諦めていて、全ての敗北を噛み締めている顔だった。
茫然自失、人間なのに瞼はまばたきすらしない。
王の尋常でない落胆、崩れ方に、魔法少女姿のアンリは狼狽して、弱った声をぼそっと出して言いかけた。
「祖父、王さま、私は、王をお守りするために……」
が、王はもう動かない。
口はぽかんと開いたまま、絶望の世の終末を、虚ろな目に映している。
「エドワード王、崩御だな」
クリフィルは剣を出した。アンリの刃を弾く。
「あっ…!」
金糸の刺繍をした赤いマントの少女騎士の手からカタナが飛ぶ。
どっかの大空間の列柱のあいだに落ちて、カカランと鳴った。その音は響いて、木霊した。
「なんとも皮肉なもんだ。魔法少女を絶滅させようと計画した男が、魔法少女に守られつつ絶望する
なんてな」
クリフィルは、丸腰になったアンリの腹をドンと手で押し、転ばせた。
「ああっ…!」
魔法少女姿ではあるが、魔力が全く使えず、人間の少女と変わらない状態のアンリは、クリフィルの手に
突き飛ばされて、簡単に転ぶ。
受身もとれない。赤いマントを地面に引きずりつつ、両肘を地面について、顔を伏せた。
アンリが倒れ込み、起き上がれないでいると、クリフィルは、いよいよ王にトドメを刺すべく、玉座の
壇に倒れ込んだ、魂の抜けたように生気のない王の前へ。
倒れ込む王の、一度きった喉に、もう一度剣先を突きつける。ドームの光にクリフィルの剣が光る。
もう、何百人と殺した人の血を吸った魔法少女の剣が。
エドレス王国滅亡の瞬間であった。
城下町の反乱者たちが、誰もが、王の殺される瞬間を見ようとしたが、ガタンと、王宮の間の入り口の扉が、
開いた。
間に合ったのだ。
世継ぎの少女アンリが、懸命に戦って、勇気を奮い起こし、わずかでも王を守るため戦ったのが、奇跡を呼んだ。
それは王家の存続という奇跡。希望を。
呼び起こした。
「その手をとめろ」
王宮の間に、やっと辿り着いた騎士の男は、クリフィルに告げる。「これは命令だ」
城下町の誰もが、現れた騎士の姿をみて、はっと息を呑んだ。
王都の者なら、その顔を知らぬ人はいない、アンリとは別の王家の人間であった。
その騎士は、つに王の間に帰還した。
金髪を流した女騎士と、2人の魔法少女の姉妹を偉大なるエドレス王国から付き従えてきて。
その女騎士の名は、アデル・ジョスリーン卿。エドレスの都市で夜警騎士を務めていた、貴婦人の出身。
2人の魔法少女は、エドレス王国の王、エドワード王の臣下にあたる農村城主の娘2人であり、その2人の名は、
姉がアリエノール・ダキテーヌ、妹がカトリーヌ。
城下町の魔法少女たちは、かくたるの面々を従えて登場した威風堂々なる王家の男をみて、顔を驚かせ、はっと息を呑む。
そして声を漏らした。
「エドワード王子…!」
クリームヒルト姫の兄、王の第一子、長男。正真正銘のプリンス。
王太子が、王国の首都に帰還を果たした。
今日はここまで。
次回、第71話「エドワード王子」(近日投下予定)
第71話「エドワード王子」
524
エドワード王子は堂々巍然たる歩調で宮殿の間を歩いた。
無言、引き締まった顔をみせ、行き違う60人ちかい城下町の魔法少女たちの間を割って王の玉座へむかって、
一歩一歩を歩く。
カツ、カツ、カツ…。
ピカピカの床を歩く王子の足音だけが、静まり返った宮殿の空間に響く。
カツ、カツ、カツ…。
城下町の魔法少女たち、ヨヤミやベエール、マイアーたちは、王子の出現と、その赫々にして厳威たる足取りで
歩く王子の雰囲気に圧されて、誰も王子に戦いを挑まず、ただ黙って、王子の前からどく。
反乱者の魔法少女たちは、エドワード王子にみな道を明ける。左右に、静かにどく。
そうして王子は、60人の魔法少女たちのあいだを割って王宮の列柱を渡り、そして玉座の前へ出ると、
壇で崩れて嘆き、気力を失った老王の前に、片膝ついて跪いて、話した。
「父王、私はこの国で起こった滅亡の危機を聞き、城に戻りました」
若い王子は、伏目にして、王に語る。
その黒髪がリヴヴォールトのドーム天井から降りる光に煌く。
「私の愛する部下と、守備隊長と、歩兵隊長、それに民が、たくさん殺されました。これほどの命が、どうして
一日にして奪われたのか。この悲劇は、誰が生んだのか」
王子が重苦しく語ると、城下町の魔法少女たちは、気まずそうに目を逸らし、王宮の床のあちこちで死んだ
兵たちの死体を眺めた。どの血もまだ生暖かく、鉄臭かった。
「多くの民に愛され続けた父王の国と、このエドレス王家の領地で、なぜこのような災禍が?」
「きけ、息子よ、国は滅びるのだ」
王は崩れ落ちた体勢で、玉座の壇に身をもたれついたまま、言った。
「アンリの姿を見よ。美しいが、既に魔女に魅入られておる。男は魔女の誘惑に屈してはならんぞ。
女に誘惑されるのではなく、支配するのだ。女は危険だ」
「エドワード王子様…!」
何人かの魔法少女は、王子の名を呼ぶのが精一杯で、動きさえとれなかった。
王子はすると、静かな面持ちですっくと起き上がり、振り返った。
その視線の先には、反乱者の魔法少女たちがいた。
列柱が両方の側廊に並んだ、王宮の間は、天井が高くて、柱の高さは50メートル近くもあった。
その場で天を見上げると、ステンドグラスに彩られた壮麗な壁が目にはいる。
だがその床は、血まみれの死体だらけであった。
謀反事件の現場は静まり返っている。
王子は、すううっと鼻息を吸い、平静な顔つきをすると、一歩一歩、また魔法少女たちのほうへ近づいた。
背の高い王子に歩き寄られて、ずりずりと後ずさって距離をとる魔法少女たち。
クリフィルだけがその場から一歩も退かず、王子と対峙する。
王子は列柱のあいだで死んで倒れた兵士の前に膝を降ろし、城に仕える者の果敢な死に敬意を払った。
死体の前で胸に手をあて、何かを小声で唱える。
守備隊長ルーウィックの死であった。
「これほど部下を愛し第一線で戦う壮士を我々は失った」
独り言を王子が唱えると、クリフィルをはじめ、何人かの魔法少女たちが、バツが悪そうに目をちらちら
させる。
王子はそんな調子で、王宮の間で死んだ部下たちの死を悼み、その前で膝をつき、胸に手をあて唱えた。
「フアンよ、お前の死のなんと苦しいことか。受け入れ難き喪失が、私たちを襲う」
王子は死人の前で立ち、それから、魔法少女たちを見た。
「お前たちが殺したのか」
魔法少女たち、舌を噛み、唇を噤んで、気まずい顔をみせる。
それは、無言の肯定であった。
「見よ。王家に忠誠を果たし、国のために命をかけた勇者たちが、皆殺された」
王子の声が、王の臥す宮殿にこだまする。声が響く。
「どんなに勇敢に、果敢に、雄渾に、名誉ある死を遂げ、勇ましく散っても、人は死ねばかくも無残、
むなしいのだ」
魔法少女たちは、自分が殺した人間たちの死体を眺めた。
確かに彼らは勇ましく戦った。国のため王のため、守り通すため死んだ。
だが死ねば、どんなに果敢な勇者の戦いぶりをみせても、殺されればただの死体。腐っていく死体なのだ。
すでに国家の勇者たちは血と、はらわたを腹から出し、みるに耐えぬ、嫌悪感ばかりが募る死に様を晒している。
彼らの生前の果敢さは讃えられない。何百人、何千人という人が、命を投げ出し、死に絶える。
そのうち、生前の勇敢さが讃えられるのは、ほんの一握り。一人いるかいないかだ。
大半の兵士は、軍役につくものは、国のために戦って散ることは素晴らしいことだと教えられる。
そして、国のために戦って死んだ、その死に様が、かくもみじめで、汚くて、誰も見向きもしない汚物と
成り果てることは、最期まで本人には分からない。
国のために戦い抜いた満足感のなかで、死体と成り果てる。
その死体は、腐り果て、腐臭物として処理される運命も知らずに。
「人を殺すとはそういうことだ」
王子は言った。魔法少女たちに険しい視線をあてる。
「お前たちはなぜ国家の誇る勇士たちを殺したのか」
エドワード王子は問う。魔法少女たちに問う。
なぜ人を殺したのかと。人命を奪うことは、これほどに痛ましいのに。
「なぜ殺したのか、だって!」
クリフィルが、剣を伸ばして、すぐ反論した。王子への口答え。
魔法少女たちの王家への畏れは、今や心にない。
「あの王が、この国が、あたしら魔法少女にしたことを分かっているのか。たくさんの魔法少女が火あぶりになった。
生きたまま焼かれたんだぞ!それだけじゃない。私ら魔法少女は、人間にあまりにもひどい目に遭わされつづけた。
我慢の限界だったんだ。なぜ、とききたいのは私たちのほうだ。なぜ、王は魔法少女を殺したのか!なぜ
人類はいつだって、魔法少女の悲惨な命運を喜ぶのか!」
クリフィルの脳裏に、火あぶりの刑になった仲間たちの、叫びが蘇る。
そして、それを面白みのある見世物として、魔法少女の火刑に熱狂する市民たち。人間の残酷さを、クリフィルは
見てきた。
魔獣とか魔女とか、人間たちとはそんな化け物たちより、よっぽど恐ろしい、残忍な生き物だ。
「そ、そうだ!」
王子の登場に、しばしたじたじしていたヨヤミも、そこで本調子に戻って、王子を糾弾した。
指を伸ばして、王子を差す。
「私たちは、お前たち人間が、魔法少女にしようとしたこと、してきたことを、まんまそっくり仕返しに
しただけだ。王様は、私たち魔法少女を殲滅しようと目論んだ。だから私たちは、人間を殲滅しようと
反乱を起こした。私たちの何が悪いのか。オオカミに襲われた牡鹿が、逆にオオカミを角で突き刺しては
いけないのか!」
「なるほど、仕返しか」
王子は、目を閉じる。ヨヤミの痛烈な糾弾を身に受け止める。
そして、ブルーの瞳をした瞼をひらき、言った。「つまりお前たちは、人間を憎みながら、人間と同じことを
したわけだ。おまえたちは、魔法少女の悲運を人類が喜ぶといったが、おまえたちは、人類の悲運を喜ぶ
わけだ」
「ちがう!」
クリフィルはすぐに叫び、王子に反駁する。
「一緒にするな。そういう話のすり替えは、もうたくさんだ。殺された者たちが、復讐に殺したら、
同じ殺人者だって?ふさげるな。どうして加害者と被害者が一緒にされる?どうして何の罪もないのに
殺された人たちが、復讐のために殺したことで同じにされる?罪のある人々を殺したのだ。復讐は正当だ!」
宮殿は、クリフィルの声を最後にして、静まり返る。
誰も何も語らなくなる。
クリフィルは辨駁し、完全に王子を論破したように思えた。
だが王子はそうではなかった。
王都の魔法少女が、悪魔で自分たちの殺人行為を正当化しようとしている心中を察して、いよいよある行動に出る
腹を決めたのである。
「そうやって復讐を正当化している限りは、この世は悲しみと憎しみばかりを繰り返す救いようもない
世界となる」
王子は、驚きべき名前をここで出した。
「殺し合い、憎しみ合い、争いはやまぬ。そんな世界でも、誰かがこの世界を守ろうとした。円環の理と
呼ばれるお前たちの救い主が。お前たちはそう信じているのではないのか」
「っ」
魔法少女たちは、自分たちの神の名を、王子によって出され、誰もが度肝を抜かれた。
「誰もが憎しみという感情を持ち、殺意に駆り立てられる。それを正当化するなど、誰にでもできる簡単なことだ。
人間にとって本当に難しいのは、その悲しみと憎しみを繰り返す連鎖を断ち切ることだ!」
王子は鞘にかけた剣の柄を手に取った。
魔法少女たちは途端に、はっとなって、身構え、武器を持った。王子が魔法少女たちを殺しにくると思ったからだ。
「この城でそれができるのはもはや、私しかいまい!」
といって、王子は次の瞬間、剣を抜き、それを───。
びかっと、ステンドグラスの張り巡らされた天井の壁から降りかかってくる光を帯びて煌く剣を───。
地面に、投げ捨てた。
ガラララン。
鋼鉄の刃の、地面を叩く音が、王宮じゅうに轟きわたる。誰の耳にも入る。そして、誰もが目を疑った。
王子は自ら武装解除した。
丸腰になったのである。
「私はこれから三つのことを、王位継承権を継ぐ者として宣言する!」
王子は、宮殿の全ての者にむかって、はっきり告げた。
「お前たちが止めるというのなら、止めるがいい。私は丸腰だ」
魔法少女たち、目をみはる。
一体何が起こるのか、と驚嘆の顔して王子を眺めている。
「私はこれより、父王からの冠を自らに授かり、王位に即位する!」
「…!」
それは、城の者すべてを驚かせた。
王が、長弓隊長のエラスムスが、生き残りのわずかな守備隊たちが、クリームヒルト姫が、その娘の少女アンリが、
国王従侍長トレモイユが。
「私は即位し、アキテーヌ領の貴公子女アリエノールを妃に迎える!」
さらにそれは、全ての城の者と、魔法少女たちさえ、驚かせた。
王子が連れてきた2人の魔法少女姉妹のうち、姉のアリエノールは、どっからどうみたって魔法少女の姿を
していたからだ。
白いドレスの、花嫁姿だった。
魔法少女を妃に迎えるというのか!王子は、何を考えているのだ!
王家の血筋は、閉経女と結婚することは許されぬ!
城の者の心の抗議は、一切無視される。
「私は宣言する。王位に即位し、アリエノールを妃と迎え、そしてエドレス王国に”魔女狩り”の廃止懲戒令を
だす!」
城の者も、魔法少女たちも、同時に息を呑んだ。
「私はここで断ち切ろう。世界の悲しみと憎しみの連鎖を、ここで断ち切る。無用の血は流させぬ。
私が戴冠し、王となったとき、王都の”魔女狩り”は終わる。それが不満だ、もっと人間を殺させろと
思うのなら、魔法少女たちよ!私を殺すがよい。私は丸腰だ。とめることは簡単だ。だが、そのとき、
今度こそお前たちは自分を正当化できなくなるだろう。お前たちは、平和よりも血の復讐を望んでいることが、
私の死によって、証明されるからだ!」
といって、王子は、丸腰の体で魔法少女たちの前で両腕を広げ、剣を待ち受けた。
誰も動けなかった。
丸腰なのに、誰も王子を殺せなかった。
このまま王子が、王の冠を頂き、新王となれば、王都で起こったこの魔法少女狩り事件は終わる。
新王自らが、魔女狩りに廃止勅令と懲戒法度を発布するからだ。
しかし、そんなにうまくいくものだろうか?
この国の未来は、そんなに簡単に取り戻せるものなのだろうか?
いくら、形式上で魔女狩りはおしまいだと発令をだしても、魔法少女のソウルジェムの秘密は暴かれ、
たくさんの人が殺され、たくさんの魔法少女が殺された。
市民と、魔法少女の心の中に、憎しみは消えない。悲しみは絶えない。
世に明るみにでた、魔法少女の異常な生態は、人類に消えうせぬ偏見の種を植え付けた。
そしてそれは、この先の人類史の未来において、永遠に忘れられることがない。
一度暴かれた秘密は、二度と隠されることがない。
そうなると、今後この先に生きる魔法少女はすべて、人類に対して疑心暗鬼の日々を送ることになる。
人類が、ソウルジェムこそ魔法少女の本体と知っている限り、魔法少女たちは人類に気を許す日々は二度と
こない。
もう、始まってしまったのだ。取り返しのつかぬ事件だったのだ。
この、王都の魔女狩り事件は。
世界の全ての人類は魔法少女の全滅を望み続ける。今後この先、永遠に。
城の大空間で、魔法少女たちが暗い未来を思い描いているうち、王子はすでに玉座の前へ進み出ていた。
全ての命運を背負ったかのような背中を、魔法少女たちは見つめ、王子が王から冠を頂くその光景を、眺めていた。
王子は今、気力が果てた王の冠を、自らの手でとり、玉座の壇で持ち上げる。
金色の冠は、王宮のドームから降りる光にあてられ、きらきらと、輝く。
王子は冠を手にとって、頭の上に掲げ、まっすぐ立った。
冠を息子に盗られた父エドワードは、抵抗も示せず、しわがれた顔を震わせながら、息子が王となる瞬間を
見上げている。
そして─────。
「父王、あなたの王位を、今ここに第一子である私が、継ぎますことを、申し上げます。」
城に降りるドーム越しの太陽の日差しと金色の冠が輝くなか、王子はその頭に冠を戴いた。
金色の輝かしい王冠は、いま王子の頭に、かぶせられる。
新王の誕生だ。
エドワード王子は自ら父王から冠をとって、自ら頭にかぶった。
戴冠したのだ。
「エドワード新王、万歳!」
すると、国王従侍長トレモイユが、王子の王位継承を見て、叫び、そして祝福した。
「エドワード新王、万歳!」
それは丸腰の王子の戴冠。
魔法少女と人間の繰り返す憎しみも悲しみも、この場で絶つと宣言した王子の王位継承。
冠を息子に奪われた父エドワードは言葉も失って、新王の若々しきパワー溢れる姿を、見つめている。
魔法少女全滅計画を企てた父王は、王権を失い、魔女狩りには終止符を打たれる。
そして魔法少女と人間の共生を謳う新王の王子が、王位につく。
「エドワード新王万歳!」
すると、守備隊たちも、王子の戴冠を見て祝福し、拍手しながら、讃え、そして跪いて、新王の誕生を
迎えた。
「エドワード新王、万歳!」
城の者すべてが、新王を祝福する。国家滅亡の危機にあった王宮の間は思わず、新王の戴冠式の祝福ムード
一色となり、誰もが王子の戴冠を喜び、そして魔女狩り事件の終焉を歓迎した。
もう、無用の血が流されることはない。
それが嬉しくてたまらないのだ。城の者の誰もが。
「エドワード新王、万歳!」
「エドワード新王、万歳!」
城のなかは嬉しさと、喜び、平和の声で満たされる。
「エドワード新王、万歳!」
それは、魔法少女たちにとっては、異様な人間たちの挙動だったけれど、だんだん、なぜだか、自分たちまで
嬉しくなってきた。
だって魔法少女たちは暗い未来を思い描いていたから。
これからずっと、魔女狩りという人間の狂気と戦い続ける日々を思い描いていたから。
だが今やそれと真逆の、平和を謳う喜色に、王宮の間が満たされている。
終わったのだ。魔女狩り事件は。
ムードは花色になり、戴冠式はそのまま、結婚式へと場が移る。
花嫁姿の魔法少女・アリエノール・デキテーヌ────鹿目円奈が専属守護を務めた領邦君主の姫が、
王冠を戴いた王子と手を結び、ドームの光の前にでた。そしてアリエノールの頭にも、王子の手によって、
白銀のサークレットをかぶせられた。
新王はアリエノールを妃に迎え、婚姻が結ばれた。
エドレス王家は、新たな歴史を歩む。
人間と、魔法少女が、共同統治する、新しい王権が始まる。
そこに魔女狩り事件の憎しみも悲しみも入り込む余地はない。その連鎖は、この戴冠式で、完全に絶たれる。
その事実が、実感として湧き出てきたとき、守備隊も、城の者も、誰もが喜び、そして新王をますます心から
讃えるのだった。
「エドワード新王、万歳!」
「アリエノール妃と、新王に、幸と栄えあれ!」
「エドレスよ世の祝福よ、世界は2人を讃えよ!もっとも幸福な2人を!」
魔法少女に変身した、世継ぎの少女アンリも、2人の結婚式を眺めながら、幸せそうに微笑み、拍手した。
自分は、世継ぎの血筋を持っていたが、自分の結婚より王子の結婚が早かった。
王位継承権は王子が握った。
これでもう、アンリ自身が、王位継承争いに巻き込まれることはなくなる。その決着は、いま、この戴冠式
によって、着いたのだから。
もう、アンリの血筋を狙う騎士たちはいなくなる。
アンリの、魔法少女の契約の願いは叶えられた。
自由になりたい、この城から解き放たれたい。
その奇跡は叶う。アンリは自由の身となる。魔法少女として、都市と城下町で、魔獣と戦う、エドレス王国で
最も強い魔法少女としての活躍の未来が待っている。
絶望するばかりが魔法少女ではない。そこには、希望も必ず、約束されている。
クリームヒルト姫でさえ、兄の戴冠式を喜んで祝福した。
優しく微笑み、アリエノールとの結婚を見守る。兄にぴったりの婚姻相手に思えた。
新王はエドワード城の欲まみれな貴婦人を婚姻相手に選ばなかった。よりにもよって農村領主の田舎娘を
連れてきた。
王都に。
実に兄らしい。
「エドワード新王、万歳!」
「アリエノールさま、この世で最も、幸せなお妃さま!」
守備隊たちがこぞって王子とアリエノール妃を祝福していると。
なんと玉座の間でぽかーんとなっていた魔法少女たちさえ、王子の誕生を、祝福し始めた。
「エドワード新王さま、万歳!」
魔法少女たちは讃える。王子の戴冠式を、喜び、讃えて、可愛らしい声をあげた。
「エドワード王子さま、幸多き方!」
笑い出し、ぱちぱち拍手し、王子と王妃の2人を見守る。
魔法少女たち数人が戴冠式を祝福しはじめると、他の魔法少女たち数十人も、讃えはじめて、
しまいには60人のうちクリフィルのぞいた全ての魔法少女たちが、王の間で戴冠式を迎えた王子を
祝福した。
拍手し、讃え、笑い、魔女狩り事件終焉の結末を喜ぶ。
その結末を奇跡のように呼び起こした王子を、いや新王の若々しき姿を、興奮しながら祝う。
クリフィルは、苦い顔して、まわりで新王の誕生を喜ぶヨヤミやベエール、マイアー、チヨリ、アドラー、
仲間たちを見渡した。
城下町の魔法少女たちの視線は熱くて、きらきらした瞳で、王子の戴冠式を見つめている。
ふう、まったく、こいつらめ。
自分たちの立場を分かっていないのか。私たちは、王家に反乱を起こした謀反者たちなんだぞ。
なのに、なにを呑気に王家の戴冠式を祝っているんだ。
過去のどんな反乱者も、こんな間抜けはいなかっただろうに!
だが、謀反者たちは、魔法少女。文字通り、女の子で、第二次性長期の年頃。
若くて顔のいい王子にメロメロだ。
その王子を、他でもないこの王城で、しかも戴冠式まで見れるなんてのは、それだけでもう、
乙女心を幸せにするに十分だった。
どれだけの世界の乙女たちが、この王子の戴冠式を、夢に思い描いてきたのだろう!
白馬の王子と、田舎娘の結婚である。
乙女たちの妄想の夢物語は、いま、ここにある!
そこには少女の欲望の全てがつまっている。
顔のいい背の高い王子に、姫という地位、一生遊べる金、料理も家事も一切労働しなくていいお抱えの
召使いたち、使用人たち。鏡の前で何百種というドレスに着替えられる部屋。
夫は政務に忙しく、私生活に介入してこない。騎士たちは自分が通りかかるたび、花に群がる蜜蜂たちのように
ついてくる。
だが、そのたびに王子がやってきて、蜂たちを追い払う。王子が守ってくれる。自分は何もしなくていい。
若さを保つ秘薬は、召使いに面倒ごとをすべて任せて頭に悩みを抱えないこと。
全てがうまくいく生活だ。
女の堕落の真骨頂がここにある。
「で、私たちにどんな罰を処す気だ?」
クリフィルは、妄想の世界に旅立っている他の魔法少女はさておき、現実を直視して、謀反者である自分たちが、
新体制に入ったエドレス王国によってどんな処遇を受けるのか、と王子に尋ねた。
王子は答えた。
「城下町に暮らすリボン工の娘、イシュトヴァール・クリフィリルよ。復讐の連鎖は絶たれた。無用の血は流さぬ。
おまえたちは町に戻り、暮らすがよい。城下町の市民には、だれひとり、魔女狩りの告発はさせぬ。拷問器具の
使用も許さぬ。平和に暮らすのだ」
わああああっ。
城下町の魔法少女たちが皆、喜んで、手にもった剣や魔法ステッキなどの武器をふりあげた。
どの顔も笑顔いっぱいだ。
新王は、全ての復讐の連鎖の一切を絶つ道を選んだ。
どこかで絶たねば、結局、いつまでも繰り返されるからだ。
人間の誰もが分かっていることなのに、実際にそれができる人間は、ほとんどいない。
だが、エドワード新王はできる。それをたった今、宣言したのだから。
魔女狩りの撤廃と魔法少女たちへの刑罰の無罪放免を。
その先にあるのは、まっ平らな平和の園。
エドレス国は、栄光の国として君臨する。
王子はクリフィルにむかって白い歯みせて笑い、宣言すると、花嫁のアリエノール・ダキテーヌを抱きしめ、
抱擁し、そして熱烈なキスを魔法少女と交わした。
それはもう本当に激烈、燃え上がるような口づけだった。
くるくる2人は回りながら唇を合わせる。
きゅあああああっ。
わあああああっ。
途端に守備隊たちも魔法少女たちも歓声をあげた。黄色い声に包まれる。
新たな国家と若々しい国王の活力に、誰もがみなぎって、花の固有魔法をもつ魔法少女は、その場で戴冠式の
式場に、花びらを魔法で舞わせたりした。
新王と妃のキスするまわりで色とりどりな花びらが舞い散った。
守備隊たちは魔法少女たちのその魔法の演出にわーわー興奮の声をあげ、より一層拍手を強めた。
暗い未来は断ち切られ、明るい、希望に満ちた世界を待ちわびる。
もちろん、この王都で起こったことはあまりにも惨く、あまりにも死者が多い。
だが、だからこそ。
今は、喜び祝う。
その過去の負の連鎖が断ち切られたこの瞬間を、心から祝い、歓ぶ。
人々が負の感情から解き放たれ、誰もが幸せを感じるとき、闇の使者、魔獣も発生しない。
インキュベーターは再び世に暗黒の絶望が誕生するまで、首を長くして待たないといけない。
エネルギー回収はおあずけだ。
さあ、歓べ、踊ろう。
王子の結婚を祝おう。
幸せを祝うのだ。
525
城下町の魔法少女でロープ職人の娘であるスミレは、青いマントに白いロングブーツの姿で、十字路を
歩いていた。
死体だらけだ。
血と、はみだした脳と臓器と、無様に倒れた人たち。人の死に様は、こんなにも惨めで、酷い。
城下町の街路で倒れた全ての死体は、魔法少女たちの謀反の跡。
癒えようもない深い痕跡。
スミレは自分の魔法少女姿を隠そうともせず、火刑になりかけた晒し台の姿と同じ服装のままで、青色の
瞳で城下町の悽惨を見つめていた。
だが、空は青く、突き抜けるようで、晴れやかだ。白い雲は陰りもない。真っ白だ。
その先に、仲間たちがいた。
ギルド議会長の娘ティリーナ、皮なめし職人の娘、石工屋の石切り職人の娘のキルステンの三人の前に、
スミレは歩いた。
三人が無言でスミレの魔法少女姿を見つめるなか、スミレは言った。
「私は、円奈に助けられた」
仲間の三人は無言だ。このほどの事件を前にして、魔法少女姿を現したスミレに答える言葉が見つからない。
「私が衛兵に殺されかけたとき、円奈の矢が、衛兵を殺して、私は救われたの。みんなは、私をどう思う…?」
それは、非常に複雑な質問だった。
もしここに、魔法少女と人の間の、越えがたき隔たりさえなければ、友達はスミレの帰還を素直に喜べたかも
しれない。
この魔法少女は謀反者の一人。王の城に潜入し、王城に捕われた魔女たちを開放しようとした。
衛兵は国を守ろうとしたが、円奈の矢に殺された。スミレは助かった。
スミレは、私をどう思うか、と問う。
スミレの瞳に悲しみが映った。透明な涙さえ浮かんできた。マントのブローチに飾られた蒼色のソウルジェムは、
暗い。
「私たち、もう、友達じゃないよね……」
スミレは頬に涙滴らせて、ティリーナたちに、言った。ぽつんと立ち尽くしたまま言った。
「私を友達って、思ってくれるわけないよね、もう……」
ティリーナたち三人は、目を落とした。
そんなはずないよ、スミレちゃんは、私たちの友達だよ、といえたら。
だが、心の中に思っているその言葉は、口には出てこない。喉でとまる。
スミレの頬から顎へ透明の滴が伝う。きらん、と垂れた雫が光る。
三人は、どうにも不思議で、スミレという魔法少女が、とてもヴァルプルギスの夜なる悪事を王都に企む
悪い魔女には思えなかった。
いまスミレが流す涙には、何か切実な気持ちがあって、どうしようもなくて、同情を誘うための涙でもなく
悔しさの涙でもなく、なにか純粋な心が破裂してしまったかのような涙に思えた。
でも、もう、手遅れだ。
ユーカはエリカを殺した。スミレは謀反者として円奈と共に公開処刑に晒された身。
友達同士の関係を保てるはずがない。
やるせなさの気持ちが、少女たちの見つめあう空気に流れたとき、王城で華やかな音楽が聞こえてきた。
城下町の誰もが、王城の方をみあげた。
王の住むエドワード城の方角を。空にも届くような天空の城を。
トランペット、小太鼓、打楽器にフルート。
城の音楽隊が、いま第四城壁区域の外郭に並び立っている。
みな、国旗つきトランペットを吹き鳴らし、城からは花びらが舞い散ってくる。
「えっ…?」
ティリーナたちは驚いた。
何事かと思った。
城では今ごろ、反乱を起こした魔法少女たちが、王城に暮らす貴族たちを根こそぎ殺している殺戮が
繰り広げられる悪夢になっているはずだ。
なのに、どうして華やかで、賑やかで、幸せそうな音楽が流れてくるのか。音楽隊はトランペットを
吹き鳴らすのか。
小太鼓がダダダダダと叩かれるのか。
コスモスとラベンダーの花びらがはらはらと舞うのか。
まるで何かの式典のようではないか。
城下町の民が、全員、目を瞠っていると、音楽と共に、第七城壁区域のバルコニーに、王子の姿が見えた。
「エドワード王子!」
ティリーナがはっと声を一番先にあげた。700メートル上空の城の王子を指差す。その姿に誰よりも
目ざとい。
ギルド議会長の娘ティリーナは、王子に最も夢中な乙女の一人であった。
「エドワード王子っ……ええっ!?」
つぎに驚いた声だしたのは、キルステン。
「きゃああああっ」
ティリーナも頬を赤らめて叫んだ。
王子は、王子でなくなっていた。
王になっていた。
なぜなら、城下町の娘たちが夢焦がれてきた白馬の王子は、いま、金色の冠を頭にかぶっているからだ。
つまり、ついさっき、城のバルコニーから、魔女を滅ぼしつくすと宣言したエドワード父王に代わって、
王子が冠を戴き、新王となり、エドレス王家の王位継承を果たした。
その隣に立つのは、花嫁姿の田舎娘、アリエノール。
2人一緒に王子と妃は、手をとりあって、幸せそうな笑顔で城下町の民の前に姿をだしている。
「ちょっとまって、誰ようの娘!」
ティリーナがぎりっと歯軋りして、田舎娘を見上げて、唸る。嫉妬に駆られている。
まさか、まさかまさかまさか、本当に、王子は城下町から娘を選ばず、田舎娘を娶ったというのか!
くだらぬ女どもが腐ったように語り草した噂は本当だったというのか!
そんな、そんなそんな、劇画のような話が、本当に?
「っていうか、なんでそんなことになってるのよう!」
ティリーナは嘆いた。髪の毛をかきむしりそうな勢いだ。「誰の為におしゃれしてきたと思ってるのよう!
てゆーか、どーゆう展開?もう、訳がわからんない!」
魔法少女が反乱を起こし、王家を滅ぼす絶望の日々が訪れると思っていたら、王子が結婚して新王になっていた。
急転直下な展開に、城下町の民はぽかーん、唖然としている。
「あーもう、私ったらこれから誰のことを考えて、体重減らしに努力できるってのよう!」
ティリーナの嘆きは続く。
「もう、お菓子を食べつくしてやる!今日から!こんがり焼けたウェスハースに、赤ワインと砂糖漬けの
ストロベリー、シロップ煮のリンゴ!」
スミレは唖然と、王子、いや新王の戴冠式を眺めていた。今、王城で何が起こっているのかさっぱり
わからない。
鹿目円奈が、また何かしてくれたのだろうか。
ティリーナもスミレも知らなかった。
かつて鹿目円奈が、ガイヤール国ギヨーレンとの戦争に巻き込まれて、戦いに出陣したと話したとき、
守り通した田舎娘の姫こそ。
今、エドワード新王が娶った魔法少女、アリエノール姫であることを。
526
エドワード新王とアリエノールの2人は、第七城壁区域のバルコニーに出て、城下町の民を見渡した。
十字路に茫然と立ち尽くす民。町の市壁の外に出て、草原に避難した民。
全ての民が、新王の姿を見上げている。
音楽が吹き鳴らされる。陽気なトランペットの音と、賑やかな小太鼓の音がする。
戴冠式は披露目だ。
新王がスピーチするのだ。
王都じゅうの民が顔をみあげて、王子の戴冠姿を見守っているなか、新王は、語り始めた。
民は新王のスピーチを聞くべく静かになる。
「今日はなんという日だろう」
と、王子はいよいよスピーチを始めた。城に吹き鳴らされる音楽は、やむ。新王の声だけが王都に響く。
「みよ!私が王都を発っているあいだ、私はアキテーヌ領にて、この王都で起こっているかくも信じがたき
残酷な事件が起こっていると聞いた。王都で反乱が起こったと!」
民は、緊張の面持ちをする。
城下町で殺戮の手をとめた魔法少女は、武器を手放して、王子の話しを聞き及んだ。
「戻ってくれば、その事件の被害は私の想像を上回るものだった。かくも無差別に民は殺され、民を守ろうとした
わが軍は無残にも切り殺された。嘆かずにいられるだろうか、こんな日を!」
「なにをいう、欺瞞の新王め!」
城下町の魔法少女が、すぐ怒り心頭して、がなりたてた。
「無差別に民は殺された?先に殺されたのは、私たちのほうだ。何もしていないのに、魔獣を倒している
だけだったのに、たくさんの仲間が殺され、燃やされた。人間だけが被害者のようにいうな!」
「黙ってろ!」
民の誰かの男が怒鳴った。「新王の話を聞け!」
魔法少女は、男をギロと睨んだが、新王の話に耳を聞くことにする。
「みよ!今日われわれは、過去のどんな人類も、魔法少女も、遭遇したことのない悲劇の上にたっている。
過去のどんな歴史にも前例のなかった事件の上に、我々は今たっている。われわれの国家は、かつてない
この事件で、魔法少女たちを迫害した。反乱はこうして起こった。人類は苦境に立たされ、今まで守られてきた
魔法少女を敵に回した。我々が経験した悲劇だ!」
城下町の民が、魔法少女たちが、唾を飲みこむ。
「だが、みよ!われわれは今、その悲劇の上に、今もこうして立っているではないか!」
新王は語り続けた。声高に、はっきりと、堂々と。
「我々は今、生きて、この事件の上に立ち、そして語りあっている!」
新王の”われわれ”には、人類も魔法少女も含まれている。
「たくさんの人命が、今日、失われてしまったではないか!なぜ、いつまでも、殺しあうことと、憎しみ合う
日々を繰り返すことを、おまえたちは望むのか。悲しみと憎しみの連鎖は、今断ち切らねばならない。
さあ、共に語って、やり直そうではないか。我々にはそれができるのだから!人は、命あるうちはやり直せる
のだから!」
王の話は終わり、そして、音楽が吹き鳴らされた。
パッパーという華やかな音楽と共に、冠を戴いた新王と魔法少女のアリエノールは、再び手を取り合う。
城下町の人々は、やり直せる、その言葉が、じんわりと胸の中にのこっていた。
魔法少女さえ、殺し合いの未来が始まる日々を思い描いて、気を重くしていたところに、その言葉が、
深く残った。冷え切った冬に春の芽が吹いたような、暖かな光が差してくる心の温かみだった。
城下町のギルド議会長の娘ティリーナは、キルステンとアルベルティーネを誘って、スミレの前に進み出た。
てくてくてくとまっすぐ前に進み出る。青いマントを着た魔法少女の前に。
スミレが不安な顔を浮かべる。目に流した透明の敵は、まだ乾いていない。
ティリーナは微笑んだ。もう、迷いはなかった。
「やり直そ?わたしたち。」
ティリーナはスミレの前に手を伸ばして、言った。
スミレは、最初、戸惑っていたが、やがて、嬉しそうに、ティリーナの手を握り返した。
仲直りだ。
もう、人だからって、魔法少女だからって、過去の事件に縛られて隔たりを感じる必要もない。
「うん、私たち、やり直そう。」
生きているうちは、人はいつだって、やり直すことが、できるのだから。
人類は何度も過ちを繰り返してきた。
魔女狩り、迫害、侵略、異教徒の虐殺。
何度も間違えてきたが、生きているうちは、やり直すことができる。
だからこそ、命は尊い。人の命はかくも尊い。
何度でもやり直そう。命あるうちはやり直せるのだ。
今日はここまで。
次回、第72話「エドワード新王」
第72話「エドワード新王」
527
一連の魔法少女狩り事件は終わった。
王国の危機に終止符は打たれ、人類と魔法少女の、避けられぬ宿命は、確かに数千の命を奪ったが、
地上の者たちはそれを乗り越えた。
彼らと、彼女らは、その上に立ったのだ。どんなに絶望的な歴史に足を踏み入れてしまっても、命あるうちは
必死に希望を追い求めつづける。
王子の戴冠を背後から見守りながら、クリフィルは王城の頂上からふと空を見上げ、心に想った。
”魔女狩りは終わったが、亀裂は残るだろう────”
空には鷲が舞っている。黒いハゲワシの群れだ。鳴き声あげながら、王の城にはびこる死体たちの臭いをかげつけて、
どっかの野山からやってきた。
”私たちは今日、たくさんの人命を奪ったのだから”
城では王子の戴冠式を祝う、食事の準備が始められている。
貴族たちと、魔法少女たちが席につき、城の料理人が持ち運ぶ料理の数々を待っている。
儀礼も作法も知らない、城下町の魔法少女たちは、なぜ王の食事会にはスプーンがないんだ、と言い出したり、
フィンガーボウルの水を飲み始めたり、砂糖でできた装飾菓子を食べるものと勘違いして口にしたり
している。
クリフィルだけが、王の食事会の席にはつかず、第七城壁区域の頂上から、顔をみあげて空を眺めつづけていた。
空を見上げる表情の前髪は、あたたかな春風にゆれて、ふわりとゆらぐ。
美しい、少女の髪が。なびいてそよぐ。
”過去のどんな魔法少女たちが、今日のような戦いを挑んだだろうか”
西暦3000年後期に数えられるこの時代。もしかしたら、私たちの知らない過去に、今日のような、魔法少女と
人類の存亡をかけた戦いがおこなわれていたかもしれない。
だとしたら、歴史は繰り返された、ということになる。
”だがこれだけはいえる 私たちは今日という戦いによってある自由を得た”
クリフィルの瞳に、空を舞うハゲワシたちの姿が映る。黒い群れ。城に倒れた兵士達の死体の、
はらわたをクチバシでつついて、臓器を摘み出そうとする鳥獣の姿が。
空を舞うハイエナたち。
今日という日に、死者がいかに多かったかを物語る。死は、死で片付けられない。死には必ず、後処理がある。
命は果てても、後処理はされる。
”それは自分の本当の気持ちに向き合うという自由────”
クリフィルは空を眺め続ける。少女の瞳に青空を映しつづける。
王都が新しい治世を迎えた城下町の空を、山々の空を、渓谷の空を、世界を包む空を。
どこまでもつづく青の空。地平線に果てはあっても、空に果てはない。
永遠に、この腕が、空に届くことはない。地球という惑星の、大気を包む空だ。
”私たち魔法少女が、魔法少女らしく生きるという自由だ”
過去のどんな魔法少女も、クリフィルらたちほど、堂々を正体をみせた魔法少女はいなかったかもしれない。
鹿目まどかも、美樹さやかも、美国織莉子も呉キリカも神邦ニコも正体を隠してきた。
クラスのみんなには内緒だ、と最初に鹿目まどかは言った。
彼女たちは最後まで自由ではなかった。鹿目まどかは母に、魔法少女になる決意をしたことを伝えられなかった。
母にも、弟のタツヤにも、父の知久にも。
クリフィルらが得た自由とは、血の犠牲の上に成り立つほど、危うくて尊いものだ。
自由はいつだって犠牲の上に手にできるもの。
自由を愛せ。
命が煙らないように。
人に圧せられるままに屈した人生を送るな。
もし、クリフィルたちが、今も人間の魔女狩りの狂気に屈して、魔法少女の正体をひたむきに隠して、
円環の理の迎がくるのを待つばかりであったならば、この日のような奇跡は起こらなかっただろう。
王子の戴冠式は開かれなかっただろう。
今日のような自由と開放を心から感じとることはなかっただろう。
この日の戦いは、自由のための戦いだった。
それが、後世に記憶されるにつれ、どんな事件として語り継がれるのかは分からない。
魔法少女が正義の味方としての使命を忘れ、殺戮に走った悲しき事件と語り継ぐか。
人類と魔法少女の亀裂が表面化した事件とでも語り継ぐか。
もし円環の理が見ていたならば、天で女神が嘆き悲しんだ事件と語り継ごうか。
だが、自由のための戦いだった。
クリフィルは言った。私たちは、魂すら捧げたが、その意志は自由だ、と。
意志の自由までなくしてしまったら、魔法少女は死人だ。魂と肉体が分離されているから死体、という意味
ではなくて、心が死んでいるという意味の死人だ。
魔法少女は、自由でこそ、生きているのだ。
「エドワード新王、万歳!」
ついに得た自由のなか、魔法少女たちは、王の食事会に出席し、こんがり焼けた香料いっぱいのロースト料理を
手で食べながら、讃える。
歓びのうちに讃える。
新しい統治を。王国の新たな治世を。
自由な未来を。
「エドワード新王、万歳!」
王城の誰もが、称賛し、叫んだ。
528
鹿目円奈はド・ラン橋を渡りきった。
王都・エドワード城を抜け、南の国サルファロンの領地、新しい大陸に辿り着く。
馬が走りきり、幅18メートルの狭い橋を抜け、断崖絶壁の渓谷の、対岸に来た。
リドワーンら11人の魔法少女たちと共に。
「はあ……はあ」
馬が止まると、円奈は疲れきった表情をみせ、馬から落ちるように着地した。
足が土に着いた瞬間、ふらっとバランス崩して、倒れ込んでしまう。
姫新芽衣がすぐに、円奈を優しく抱きかかえた。
芽衣がみると、円奈は頬を火照らせ、熱だしたように額は汗だくで熱かった。
瞼は瞑られ、はあはあと息を切らしている。
煙を大量にすったあと、酸素もないのに、無茶したのだ。魔法少女でもない、人間の女の子が。
身分は騎士らしいが、それにしても、過酷すぎた。
だが、鹿目円奈はエドレス王国を抜けた。
南の国サルファロンの地に入ったのである。
だが、鹿目円奈はエドレス王国を抜けた。
南の国サルファロンの地に入ったのである。
その先にミデルフォトルの港がある。港からは、聖地エレムへの船が出航する。その先に辿り着ける旅の目的地。
暁美ほむらが待つ聖地、東世界の大陸がある。
円奈は、ようやく瞼を上げ、ピンク色の瞳をみせて、森を眺めた。
エドレス王国を抜け、裂け谷の対岸に渡ったその先にあるのは、森の占める野の世界。
森、森、森の、日の当たらぬ山道が続くだけ。
エドレスの領地を抜けた途端に、田舎になった。
未開の森。
円奈は立って、もう一度だけ、きた道をふりかえって、渓谷の中心にそり立つ王都エドワード城を眺めた。
七つの層に分かれた、天空にまで届きそうな巨大な城がある。
エドレス国の旅は終わった。
再び、右も左も分からぬ、地図もない野生の森のなかに、入り込んでゆく。
野鳥の鳴き声が森のあちこちで聞こえ、甲高く木霊する、霧のふる暗い森の深みへ。
森を抜けば海がある。港町がある。
サルファロンの森は広い。道もなく、獣道があるばかりで、峻険な森がいつまでも続く。
土と根っこと木々の欝蒼とした道だ。
鹿目円奈は王都に別れを告げ、次に向かう道、その森の入り口を見つめた。
林道が奥へとつづく。
一度その道に足を踏み込んだら、二度と戻れぬ気がしてくるような、森林につづく暗い道を。
リドワーンら11人の仲間たちと共に。
この森林に入る。
王都・エドワード城では、戴冠式を終えた魔法少女アリエノール・ダキテーヌが、この日旅立った
鹿目円奈のことを想って、フルートの音色を城の天辺で、悲しげに吹かせていた。
神の国と女神の祈り。
それは、聖地を巡る聖戦の物語。
今日はここまで。
次回、第73話「サルファロンの森」
531
"madoka's kingdom of heaven"
ChapterⅦ: path to heaven
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
Ⅶ章: 聖地への道
第73話「サルファロンの森」
日の光は森が遮っていた。
薄暗く、道は欝蒼としていて、木々に囲われていた。
踏み込むたびに足に根っこが当たり、ひっかかり、乗り越えなくてはいけない獣道の連続だった。
鹿目円奈は何もしゃべることなく、仲間の魔法少女たちと共に、彼女だけ馬に乗って、サルファロンの領地を
進んでいたが、その目つきは真剣だった。
もうここまで来たら、進むべき先には聖地しかない。世界広しいえども、円奈の目には聖地しか映っていない。
さて、馬を進める円奈の周囲には、初対面だがなぜか仲間になってしまった11人の魔法少女たちがいた。
そのうち2人は円奈も知っているし話したこともある。
赤い目を鋭く光らせる修羅の魔法少女・リドワーン。黒い髪は肩の下まで伸びているが、流浪の人生を
過ごしていて、整えられた髪をしていない。むしろ、何年以上も風呂も入っていない、ぼさぼさの乱れた、
つやのない髪の毛である。両肩に垂らした黒い獣皮は、いつかの狩りでしとめた猪の皮をなめしたもの。
まさに野生の世界を生きる魔法少女だった。
が、実は王女の身分の生まれでもあった。過去の悲劇を通じて、今のような、流浪の魔法少女人生を送っている。
リドワーンと円奈が初めて対面したときは、エドレス王国の農村地に入るちょっと前、ドリアスの森でのことである。
ロビン・フッド団とモルス城砦に乗り込んで攻略したちょっと後のことである。
出身地のセルビー城で、神の国を亡命してきた円奈の母・鹿目神無を保護したことがある。
灰髪のふさふさした髪をして、金色の瞳をした魔法少女・姫新芽衣(きしん・めい)。
金色の目は狼の瞳のようで、夜のなかでも光りそうだ。もちろん、実際そうはならない。灰髪の髪は、年老いた
婆の髪を連想させる。しかし艶やかで、栄養たっぷりな女の子の髪の毛。動物的なふさふさ感のある髪の毛。
円奈とこの魔法少女の出会いは、エドレス王国最初の国境地帯、モルス城砦でのこと。
ロビン・フッド団の少年たちと共に砦に乗り込んだ円奈が、捕われの身となった姫新芽衣を解放した。
思いもかけず、王都・エドワード城の城下町で再会し、そして、仲間となる。
さてしかし、他の9人の魔法少女たちは、円奈とは顔も知らない、会話したこともないの他人たちである。
なのに、なぜか仲間として、南の国サルファロンの森林地帯を共に旅していた。
一人ずつ円奈は、見知らぬ魔法少女たちをちらちらと見て様相を観察した。
さて、一人は、紫の髪毛をした、大きな弓を持った魔法少女。
名はブレーダル。爆発矢使い。その攻撃力は、王都でさんざん暴れたときに、見せ付けた通り。ド・ラン橋を大破させた。
しかし魔力の消耗も激しい。すぐソウルジェムが真っ黒になる。
彼女の爆発矢を直に受けた兵士は吹っ飛ぶ。肉片と脂肪と骨の粒粒と化す。ブレーダルは流浪の身の
魔法少女であるので、人間の村を襲撃して食物を奪う。そんな悪辣な盗賊でもある彼女は、爆発矢を
人に当てる。その餌食となった人の数は知れない。
しかし、時代が時代であった。騎士が盗賊団と化すこともあれば、魔法少女が盗賊と化すこともある、
暗黒の乱世だ。
もう一人は、アルビノ種の遺伝持ちで、全身の肌も頭髪の真っ白な、神秘的な風貌をした魔法少女。
名は、レイファ・イスタンブール。レイピア使い。ナポレオン軍服のような魔法少女の変身衣装をするが、普段着は
チュニック。腰にベルトを巻いている。髪の毛は色がない。雪のように白い。その瞳まで白い。
雪の国からやってきたような、妖麗な雰囲気がある。特に、その白い毛が、ふわふわと風になびくときは。
もう一人は、髪の毛も黒く、どこか肌も褐色系の、魔法少女。
杖を持ち歩いている。円奈は知らなかったが聖地出身の魔法少女で、名はヨーラン。聖地の度重なる戦争に
嫌気がさして西世界の大陸にやってきた。聖地からは裏切り者として追われている魔法少女。
聖地出身のエレム人として、軍役の経験がある。聖エレム国には魔法少女に軍役制度がある。
しかし、鹿目神無が指揮官だった世代ではないので、円奈を見ても何も思わない。
もう一人は、髪が長くて腰あたりのであり、しかも背が一段と高い魔法少女。
あだ名はチビのチョウ。どうして背が最も高くて、頭ひとつ抜けているのに、チビの呼び名なのか分からない。
目は橙色で、黒い髪の毛には、赤い蝶の髪飾りをつけている。武器はただの剣。
円奈は、気まぐれに、たまたま馬に乗って森をすすんでいるとき彼女がすぐ隣のポジションにいたので、
「魔法少女ってどうして変身が必要なのかな」と問いかけたら、チビのチョウは「女は見た目でナメられたら
終わりだからだ」と答えたわけで、円奈には比較的、印象が強めにのこっている魔法少女だった。
もう一人は、ホウラという名前の幼い魔法少女。11歳くらい。自分自身を狼だと思っている。
幼少時代を狼に育てられていた。両親は人間ではなく、狼であった。つい最近まで、四つん這いで歩き、
深夜にくぉーんとか声をあげる奇行が目立ったので、リドワーンら仲間たちが矯正して人の言葉を教えた。
でも、いつも森で狼を見つけると、誘いかけて仲間にしてしまう。狼と気持ちを通じ合わせることができる。
もう一人は、マイミという弓使いの魔法少女。その弓は複合弓。リドワーンと同じ流浪の身で、流浪者同士、
仲間になっている。出身はエドレス郊外のサンクテア城付近の農村。歌娘だった。魔女の疑いがかかって
農村から追放される。
もう一人は、シタデルという、狩人の魔法少女。やはり、流浪の身。武器は斧だったり弓だったり、ロープだったり
いろいろ使いこなす。
もう一人は、アルカサルという、貴族の城出身の魔法少女。母姫が失脚して娘も国から追放された。
母の失脚の原因は、アルカサルが魔法少女として他国の魔法少女に負けたため。武器は剣と長弓。
彼女のロングボウは210ポンドの弦。
もう一人は、ラインバウという、鎌と斧使いの魔法少女。最近は弓の使い手にもなった。これまた流浪の身。
皆、今は流浪の身である魔法少女の集団であった。
リドワーンをリーダーとして、流浪の集団は、南の国サルファロンを目指す。
利害の一致した鹿目円奈もこの一団になりゆくで加わっていた。しかし、よくよく考えたら、鹿目円奈もまた、
故郷の地バリトンの村を旅立っているのだから、流浪とまではいかないまでも、一人身の少女。
一緒に行動できる仲間がいるのなら、いたほうが旅が安全になるに決まっている。
しかも、皆仲間が、魔法少女ともなれば、仲間であるうちは円奈に危険があることはほとんどない。
他の、魔法少女集団と敵対し戦いでもしない限りは。
しかしそれさえ起こりうる時代だ。
他人の国に入ることはつまり、他人の魔法少女の縄張り地域にのこのこ足を踏み入れる行為だ。
特に、こんな森の中は。
リドワーンの一行は、皆が無口で、黙々と森の道を進んでいた。
リドワーンが先頭で、ブレーダルやラインバウ、アルカサルらが長弓を持って、森で聞こえる獣の声に
耳を澄ましながら林道を進んでいく。
それにつづいて、一人だけ馬に騎乗する円奈、それにつづき姫新芽衣、レイファ、ホウラなどの魔法少女たちがとぼとぼと歩く。
根っこを踏み越え、道のない道を進み、森の奥へ進む。
聞こえてくる声は鳥のけたましい囀り声だけ。鳥は食事の時間であった。
皆、エドワード城での激戦を乗り越えたばかりだったから、疲れた顔をしていた。特に円奈は、馬に乗って
いたが、時折眠たそうに目を瞑った。いや、眠たそうに、というよりかは、倒れそうに、ふらっとなって、
慌ててパチパチとピンク色の瞳をこする、といった様子だった。
といのも、昨晩の王城への潜伏作戦から、一睡もしてなくて、寝不足であった。疲労もたまっていた。
すると、一人の魔法少女が、あまりに沈黙だんまりしている一行の空気に我慢しかねて、音をあげた。
「だーっ、もう、いつまでしけてるのさ」
ブレーダルだった。
紫毛の魔法少女は、指を握り締めて、がーっと歯を噛み締めて喚きはじめた。
「なんだよこの空気?林の如く静かじゃないか。魂おいてきちまったのか?」
「ちゃんと持ち歩いてるよ」
マイミが手元の赤いソウルジェムを光らせた。ぴかっと、仄かな血の色をした透明な宝石が赤く光った。
「王都を抜けたせいで、腹がへったよ」
と、シタデル。お腹がぐうと鳴った。「そこらじゅうで鳥が鳴いているじゃないか。とっつかまえよう」
一人が喋りだすと、他の一行の魔法少女たちがぺちゃぺちゃくちゃくちゃと喋りだす。
まるで、お喋りの波紋が広がっていくように。
「狩りしてる場合か。王都を抜けたが、追っ手がくるかもしれない。もっと奥に入るんだ」
と、ラインバウ。
「追ってなんか怖いもんか。ここは森だぞ。森じゃあたしが法律だ」
自信たっぷりにいうシタデル。
「はっ、何が森の法律だよ」
鼻で笑いはじめるレイピア使いのレイファ。
「エドワード城からは追ってが来てる。無用な戦いをして魔力を消費したくない」
「魔力、か!」
と、チビのチョウ。背の高い黒髪の魔法少女。身長は170センチ弱ある。
「夜になったら、この領地には魔獣が発生するのかなあ?だれも人の住んでなさそうな森だ。人が食われないと、
魔獣も発生しないからなあ!」
「だったら節約するべきだ。神の国にいきたくなければな」
ヨーランが呟く。
もちろん、ここでいう神の国とは、あの聖地の都市のことでなく、天国、つまり円環の理に導かれた先の御国のことである。
聖地の土地は、円環の理にもっとも近い地上の聖地として、魔法少女たちに神聖視された土地である。
「神の国生まれなんだろう?」
チビのチョウ、ヨーランに尋ねる。
「神の国で私がしたことなんて軍役ぐらいだったよ」
ヨーランが語る。
「指揮官経験はないけどね」
聖地は、聖なる国であるが、そうであるが故に、戦争が度重なっている。歴史を連ねて。
「ああ、お腹がすいたなあ!知ってるだろうが、腹が減ると、魔力の消費が早くなるんだ。だめだ、何か
食べよう!」
と、シタデル。
森をみあげて見回す。
「あたしが食べたいのはな、肉だ。肉だよ。そこらへんに生えてるきのこじゃない。へびいちごなら、食べても
いいかな?この季節は何の実があるかな?バニラ?」
「ブドウ畑があれば荒らしにいく」
ブレーダルがぼそっと言った。「くぬぎの木は、このあたりに生えるだろうか」
なんとも流浪の集団らしい、荒唐な会話だった。
一人が話しだすと、とめどめなくぺちゃぺちゃ魔法少女たちの会話が続く。
リドワーンだけまだ無言だった。
あと、鹿目円奈も、この会話に入らず、眠たそうに目をこすり続けているだけ。
たまに落馬さえしそうになる。そのときになって、ひゃあっと慌てて、手綱を握りなおす。
けれど、15秒もたてば、また、ふらふらと眠たそうな目になる。
一睡もせず、エドワード城に夜間潜入をして、捕まって、魔女刑にかけられて、火あぶりになりかけたところを脱出、
王都の城に再び突撃、生きて命かながら崖を渡り、森に入った。
疲れと、眠気は、当然のように円奈ののしかかっていた。
「くるみ、はぜの木、ざくろ、見つけたいのはこのあたりさ」
ブレーダルが言う。
「どんぐりは好きじゃない」
「腹が減ると魔力消費が早くなるって?そりゃ初耳だ。なぜそういえるね?」
マイミが問いかけた。
シタデルが答えた。
「腹が減って足りない栄養は、魔力が補うからさ」
「ということは、満腹でさえあれば魔力は消費しない?」
マイミが再び問いかける。
こうした調子で、11人の魔法少女と鹿目円奈は、一部の人たちがぺらぺらと呑気に会話しつつ、
森の深みに入って進んでゆく。
鳥たちの囀る森林の中を。
「いや、する。僅かずつだがする。」
坂道にさしかかりはじめた魔法少女たち。日の光は、ますます深森には届かなくなり、湿気が濃くなる。
「たとえば血が流れたり、免疫活動するとき。バイキンが体に入ったとき。肉体は勝手にソウルジェムの
魔力を借りる。意識的に絶つことはできるぞ。ところが、失敗したら血も免疫も機能を停止する」
「随分と面倒な体だな」
マイミがため息とともに愚痴を吐いた。草木だられの坂道を登る。
樹木の湿った幹に手をつけ、支えつつ上へ。
樹木は古く、皮が剥げている。
「ま、いいことばっかりの体じゃないのさ」
シタデルは森の奥へ進みつつ言った。前を見つめる。その先に、草に覆われた平地があった。森の木々は
拓けているが、草が生え伸びて、進みずらい道。
魔法少女たちは、この水気の多い草木の繁る平地を進む。
追ってはもう来ないかに思われた。
時刻は夕に近づきつつあった。鳥の鳴き声は、夕日を知らせる種類の囀りに変わる。
流浪の身として長生きしている魔法少女たちは、鳥の声によって、時刻を知る。
木々のひらけた場所では、どこかの農民が開拓に失敗した場所かもしれない、大きな広がりがあって、
切り取られた株もたくさんあった。
しかし今や切り開かれた地は草木が生え、手のつけようもなく植物に蹂躙されていた。
人が生きるためには、自然と闘わなければならない。この場所では、自然が勝利した。
ひらけた場所にでたとき、円奈はサルファロンの地に入って最初の日をみた。
思わず額を腕で庇う。降りかかる日差しが眩しい。
森に差し込む日差しは、傾いていた。一日が終わろうとしている。日が傾き地平線に近づく。
532
さて、円奈の傷ついた心中はさておき、円奈の周囲に集まった11人の仲間たちは、愉快な様子で
ご機嫌な歌を口ずさんでいた。
途方もない森を進む魔法少女たちには、他にすることもない。
「”夜がきて───あたり一面が暗くなって”」
草木の茂る草原の一帯を歩き進みながら、魔法少女が歌う。マイミだ。
マイミの歌声を、他の魔法少女たちが、たまに見かけた木の実を切り取って食べたりしながら、
聞いている。
「”月だけが私たちの見る光となる”」
時刻は、夕すぎ。
森一面はオレンジ色に染まり始める夕暮れ。
虫たちが鳴き始める。草木のあちこちでびーびーと鳴き声をあげる。
「”怖くないぞ、恐れないぞ!”」
マイミは歌いつづけ、ずんずんと草木を掻きわけ森へ進む。
また、森林の中に入った。
暗くなる。
黄昏。
オレンジ色の夕日に、森が夕日を打ち消して暗闇におちる時刻。
たそがれ、とは、誰そ彼、の意で、暗くなってきたので通りかかった人の顔もわからない、という意味。
最も森が美しくなる時刻でもある。
「”きみさえそばに、いてくれるなら”」
マイミの歌声もまた、美しい。
洗練された美声を披露してみせる。農村暮らしの娘だったときは、川のせせらぎにのせて、歌をよく歌った
ものだ。
もちろん、恋人であった美男子の隣で。
「”だから乙女よ、愛する人よ、傍にいて”」
追ってがくるかもしれない、と切羽つまった会話を交わしていた割には、緊張感のない仲間たちだった。
だいだい、道もないのに、どうして迷うもなしに適当に森の中に入っていくのか。
円奈は不安を感じ始めた。
目当てでもあるのか。
まさかとは思うけれど、適当にあてもなく森のなかを彷徨い歩いているのだろうか。
地図はないのだろうか。
この人たちについていって、本当に大丈夫なのだろうか。ひょっとして、とんでもない迷子になるんじゃないか。
しかしそうもしているうちに、夕日は落ちて、この一日が終わる。
森の木立はオレンジ色の光が差し、霧がたちこめ、いよいよ暗くなってきた。
森で夜を迎えると、何も見えなくなるほど暗くなる。
瞼を閉じても開いても変わらない程だ。
そこで11人の魔法少女たちは森のど真ん中で野宿とることを決めてしまう。
結局狩りもしないで、食べ物もない。
各自、森の途中で集めた木の実を、一箇所に集めたそれを、11人で囲う。
円奈は、馬を降りると、樹木に荷物を寄せ置き、そしてクフィーユに餌を与えた。
王都の城下町で買った干し草の残りだ。
魔法少女たちは、慣れた手つきで、火打ち石と鉄板で火をつけ、薪を集めて、焚き火にした。
その焚き火を囲って、輪をつくる。
空はすっかり暗い。夜だ。夜空には、星が煌く。きらきらと、銀河をみせて。
王都で反乱の起こった波乱の一日はやっと終わりを遂げた。
「しけた食事だよまったく、これを11人で食べようって?」
ブレーダルが言った。
11人の魔法少女たちが囲って見つめる視線の先には、小さな山に積まれた木の実。
「王都の城にはたんまりと料理が並んでたろ?」
「だから、狩りしようって、いったじゃないか」
と、シタデル。「日のあかるいあちに、鳥でも仕留めておけば…」
さて、彼女たちがこの一日で集めた食糧を見直してみよう。
いちじく、さんざしの実、ういきょう、まくわ瓜、ユリ科の山レーキ、コエンドロ、チコリ。
赤れんり草とれんり草、ちりめん葉ぼたん、白花菜。
11人で平らげるならば、文字通り、すぐに平らになる。
緊張の面持ちで、11人の魔法少女たちが、じろじろ互いに視線を交し合っていると、姫新芽衣が
起き上がって、クフィーユの隣で佇んでいる円奈の前に座って、そっと、言った。
「円奈も食べよ?」
と、芽衣が円奈のほうを振り向いたら、樹木に背を寄せて佇んだ騎士の少女は、すでに弓も剣も武装を外して、
ぐーぐー寝息をたてていた。
一睡もせずに反乱に加わって、王城に突入し、無事に国を出た騎士。聖地をめざす騎士。
今は、休息のときだった。
目は静かに閉じられて、愛馬クフィーユの傍らで、頭をくらっとさせながら、眠りに落ちている。根っこの生えた
土のところで。
クフィーユは、主人の隣で、同じように横になっている。前足を伸ばして、リラックスしている。
「疲れてるんだね」
芽衣は土の地面にしゅがんで、頬に手をつけて、ニコリと微笑ましそうに円奈を見守る。
野鳥が、獣を啄ばむ声が、森のどこかから聞こえた。
「その女は金持ちだ」
と、言い出したのはアルカサル。険しい目で円奈を見る。「馬を飼っている。ということは、騎士だ。金貨たくさん
持ち運んでいるんだろうよ」
「金なんかここじゃクソの役にもたたん」
と、レイファ。木の枝を、遊具のように、握っている。
「こんな森で金もってて何になる?必要なのは、肉だ。生きたままの鹿を、焼いて食べる肉がほしい。
あの肉づき!あの野生の肉の焼けた味!香料をつけて、ぴりっぴりの辛味と共に、あっつあつの鹿肉を食べる。
もちろん、香辛料で真っ赤な肉をな!そうだ、そこに馬がいるぞ…馬肉にするか?」
「あっははは」
魔法少女たち、笑いだす。
クフィーユがムッとした顔になる。耳を寝かせてしまう。
「明日の朝になったら狩りだ」
と、ラインバウ。「猪をとっ捕まえるんだ。みなで焼いて食うぞ」
この流浪集団の一行は、エドレス国の領地を点々とまわっていたが、やがて王都を抜けて南の国サルファロンを
目指そうと決めた。
そのためには、王都の城を抜けて、裂けた谷に架けられたエドワード城の橋を渡らなければならなかった。
だがその王都では魔女狩り事件が起こっていて、魔法少女の通行は不可であった。
一行は王都を抜けるチャンスをずっと待っていた。
そこに起こった反乱事件。鹿目円奈の火刑をきっかけに起こった反乱。
城下町暮らしの魔法少女たちが王に反抗して、城に突撃をはじめた謀反。
この謀反に乗じて、一行は王都をまんまと抜け、この領地に来た。
「魔獣を狩るのは簡単だ。野獣を狩るのは骨が折れる」
といって、ブレーダルは、山に積まれた食料のうち、ういきょうとコエンドロ、まくわ瓜を、円奈の手に
持たせた。
「なんにせよ、あたしらが、この南に踏み込めたのは、あの鹿目円奈のおかげだ」
といって、ブレーダルは笑い、眠った円奈の前髪をしわくちゃと揺さぶった。
円奈は、魔法少女に髪をばさばさとゆさぶられたとき、ぴくっと瞼をひくつかせただけで、まだ寝息は立てた。
はっははは。
租野な魔法少女たちは、円奈の反応に、また、けたけた笑った。
その夜が終わると、魔法少女たちは皆腹をすかせた状態で、森のど真ん中で眠りはじめた。
みな、樹木に身を寄せて、眠る。木の葉を集めてベッドにする魔法少女もいた。姫気質の残る芽衣がそうだ。
533
夜が明けると、鳥のさえずり声に起されて、魔法少女たちは身支度を始めていた。
森のど真ん中で。
といっても、身支度といっても、特に服を着替えることもしないし、水浴びすることもない。
乱れきった髪の毛を、櫛を仲間同士で手渡ししつつ、整えるか、服の乱れを整えるくらいかなもんだ。
円奈の髪を整えていた。
ふぁっあ…という、間抜けたあくびを、二日ぶりの睡眠をとった円奈はだした。そして、ブレーダルの視線に
気づいて、顔をそむけた。
見ないで、と。
エドレスの都市で一回、髪を切ってもらったが、また伸びてきた。肩の後ろまで髪がかかっている。
あひる座りで毛髪を櫛で梳かしている。赤いリボンは、眠る前に解いていたので、それを結び治す。
リドワーンは一番目覚めが早くて、しかも身支度も終えていた。
彼女は森の奥へ視線を投げかけていた。
じいっと森の道の先を眺めている。その視線は鋭い。といっても、この魔法少女はいつだって眼光が鋭い。
コウモリのような赤い目をしている。
ところでリドワーンは身支度を終えるのは早かったが、それもそのはず、彼女は身支度らしい身支度を
ほとんどしない魔法少女だった。
つまり、おきたら獣皮を肩にかける、で終了である。
髪も整えなければ服も調えない。つまり、髪も服もボサボサだ。しかし、流浪の生活を続けること長年、
整髪なんてどうでもいい、と考える魔法少女だった。
しかし、しかしである、どういう訳だが、髪の毛を短くしすぎると、魔法少女の魔力は低下の傾向がある。
どういう理由なのかは知れない。
たぶん、変身した魔法少女の衣装にふさわしい髪型でいろ、という意味がある気もするが、真相は分からない。
「リドワーンは相変わらず女を捨ててるな」
と、ブレーダルが大きな弓を手に持ちつつ、唇を指でぬぐって、いった。
「みろよ、あの枝毛の数。見てるだけでむさ苦しい」
「女どころか人間捨ててるよ」
レイファ、アルビノ種の色がない白髪を、櫛で丁寧に整える。さらっ、さらっと、妖気のこもっていそうな
色をした白の髪を梳かす。
「魔力のちょっとでも消費すれば髪の毛くらい整えられるのに…」
姫新芽衣、このメンバーの内では最も髪の毛に気を使う魔法少女が、リドワーンの背中を心配げに見つめている。
「そのちょっと、ていうのがダメなんだろ」
と、マイミ。
「ちょっとくらい、魔力で頭髪整えよう。ちょっとくらい、腹ごしらえを魔力で補充しよう。ちょっとくらい、
風邪を魔力でなおしちゃおう。それが寿命を縮める」
「あたしらは金よりも魔力が大切だ」
と、ヨーラン。
「こんなことわざがある。”金持ちになりたかったら、金を愛するだけじゃだめだ。金に愛されるようになれ”」
ぴっと、指たてて、得意気に語る。
「酷使するなってことだろう、回りくどい」
アルカサルがぼそっと言った。
それから彼女は、腹に手をあて、森を見回した。
「ああ、お腹すいたなあ!さあ、今日は狩りをしようじゃないか」
「狩りか、!魔法少女の腕の見せ所かい?」
からかってくる、ラインバウ。
「いったい何を仕留める気だ?いっとくが、魔獣なんか狩らないぞ。なんの腹ごしらえにならん」
「これから探すんだろう、バカか」
シタデルが睨む。「鳥でも狼でもかまわないよ。そりゃあ、鹿肉が食べたいけどさ…」
「馬肉ならそこにあるよ」
と、チビのチョウ。背の高い魔法少女が、クフィーユをさす。
するとクフィーユが、ふんと鼻息ならして、チビのチョウを威嚇した。
「うわ!」
チョウはとびのいた。
「クフィーユはダメ!」
円奈が、その間に慌てて割って入って、必死に通せんぼした。
「誰も食いやしないよ。本当に飢え死にしない限り」
と、レイピア使いのレイファ。
「飢え死にしそうだ!」
すぐにからかい始めるラインバウ。「ああ、お腹が空いて、空いて、動けないよ。本当に空腹だ。
ここ三日で、白花菜と、ういきょうしか、食べてないじゃないか!」
「ならとっとと出発しよう」
ヨーランが口にした。出発の合図を。「獲物を見つけるぞ!」
534
かくしてリドワーン一行は森を出発した。
南の国サルファロンの領地は、森がどこまでも続く。
進んでも進んでも森だ。
木々の間を進み、草木を掻き分け、ザザザと音たてながら魔法少女たちが進む。
皆、狩り用のロングボウを持っていて、矢筒には矢を15本ほど入れていた。
獣にでくわしたら狩るつもりであった。
ところが、朝っぱらの時間帯に出くわす獣の数は少ない。
「ねぐらで朝寝坊してるのか?」
獲物がなかなか見つからないマイミが、愚痴をこぼしだす。
「熊でも出てきそうな森だけどなあ」
「場所が悪いんだよ。こんな欝蒼じめじめの湿度の森じゃあさ、野兎に出くわしても、逃げられちゃうだろう」
と、レイファ。
「そうそう、この間なんだがね、」
話し始めるブレーダル。
「ヤマアラシを見つけたんだ。あたしは魔法少女に変身した。そして、ヤマアラシをとッ捕まえた。
そしたらね、たまげちゃってね!何が起こったと思う?」
「針に刺されたんだろ」
と、森を歩きながら、呆れた声で、ヨーラン。
「そう!」
ブレーダル、嬉しそうに語る。
「いや、もうあれには、まいったね!手が針だらけになっちゃってさ。しかも抜けないんだこれが!
十本、二十本じゃないぞ。ありゃあ50本くらい針があったね!ヤマアラシとだけは戦わないほうがいいぞ!」
「狩りをしたいんなら草原にでなくちゃだめだ……それか、もっと森が開けた場所……鹿は日のあたる場所
じゃないと…」
マイミが何か言いかけたら、突然、マイミは話をとめた。
「?」
11人の魔法少女たちと、円奈、全員がその場で止まり、マイミをみつめた。
「どうした?」
「しっ!」
ブレーダルが尋ねて、すぐにそれはマイミが打ち消した。しっ、静かにしろ、と。
そして、マイミはその場で地面に這い、耳を、土に当てた。
瞼を閉じて、マイミは耳を済ませる。地面に轟く音を聞き分ける。
誰もが静かに無言になる。
魔法少女たち11人と、鹿目円奈が沈黙すると、静けさの支配する森には、野鳥の鳴き声と、
風が森を吹き抜ける音しか聞こえなくなった。
ざー。ざー。
静かな木の葉のざわめきが聞こえる。
見守る鹿目円奈と魔法少女たち。
マイミは、方耳を地面にひっきけながら、遠くから聞こえてくる川の流れるせせらぎ音と、バタバタという
馬の蹄の音を聞き分けていた。
ぴく、と耳がゆれる。
「追っ手かな?」
マイミが呟く。魔法少女たちの顔つきが少し変わった。互いに視線を交し合う。
「いや、ちがう、サルファロンの騎士たちだ。あたしらを追っ払いにきたぞ」
535
魔法少女たちは戦闘態勢に入った。
背中に担いでいた弓を、手元に取り出し、握りながら、ざさざっと素早く森林を移動しはじめる。
「どっちの方向だ?」
小声でラインバウが、マイミに問いかけた。「人数は?」
「たぶん、10か20だ」
マイミが答えた。森の中を、草木を掻き分けつつ、早足で動く。「こっちだ」
魔法少女たち11人は、気配を殺しつつ、足早に移動して、しばし森を進むと、林道にでた。
木々の葉から顔をだすと、比較的、人の通りやすいように開かれた林道に、騎士たちが馬を馳せていた。
甲冑に身を包んだ大柄な騎士たち。その馬にも、鉄の鎧がかぶせられ、甲冑の馬となっている。
馬が走るたび、鎧の、ギシギシとこすれる金属音の軋む音が響く。
まさに馬も人もガチガチに守られた騎兵団だ。
それは、まちがいなく、エドレス王国の騎士たちではなく、森の騎士たちだ。
サルファロンの国の警備隊だろう。む
「やり過ごすか?」
レイファが、シタデルに尋ねた。
「勿論さ」
シタデルが小声で答えた。林の中に顔を再び隠す。甲冑の騎士たちは森を通り過ぎてゆく。
ドタドタと重い蹄鉄を打ち鳴らす騎兵たちの馬は、森の奥へ消え行く。
「余計な魔力消費はしたくないだろ。やり過ごすのが一番だ」
「けど、この林道を通らないと、サルファロンの農村に辿りつけないぞ」
と、ヨーラン。神妙な顔つきをしている。茶色の目。「この林道の傍らを通り過ぎよう。あたしらは森を
進み、騎士たちは林道を通り過ぎる。それでいい」
何人かの魔法少女たちが同意した。余計な戦闘は避けたい。
騎士たちが、この林道を警備していることはわかったから、林道に出ることはせず、森中を木々を掻き分けて
沿って進もうという意図だった。
536
パラ、パラ、パララ…と。
森に、雨が降り注いだ。
こさめの雨は、森に霧を発生させ、じめじめと、湿気を湧き立たせた。
魔法少女たちは、水を吸ってドロドロになった土を踏みしめながら、草木の茂る中を懸命に進む。
草の一本一本は、ジャングルのように、成長しきっていて、魔法少女たちの身長よりもでかい。
「ひでーひでー、流石の私もここまでひでえ森は初めてだ」
と、ラインバウ。「エドレスの王都が天国に思える」
「湿気がひどいな」
愚痴をこぼし始める魔法少女たち。みな、頭が雨でずぶ濡れだ。前髪が、雨粒を受けて、額にひっついている。
「山の天気は気まぐれだけど、いつも雨だな」
地面は塗れて泥となり、魔法少女たちの足は泥まみれだった。
草木をいちいち掻き分けないと、一歩も進めない。魔法少女たちは、剣で、バッサバッサとでっかい葉を
切り取りながら、獣道を強引に進んだ。
「底なし沼に気をつけろ」
レイファが言った。
彼女もまた、レイピアを取り出して、目前に生える木々の葉を、切り取って、道を切り開いている。
「沈んだら、誰も助けないからな」
魔法少女たち、足元をみる。
泥はぬかるんでいる。靴は泥のなかに沈んでいる。革靴が。
「ちょー最悪だ」
ブレーダルが愚痴をこぼした。今朝、せっかく整えた紫毛は、泥と、葉だらけになっていた。
どの植物も、雨水に打たれて、水びだしだった。そこを掻き分ける魔法少女たちの服もずぶ濡れになる。
「くそ、だれだ、雨を呼んだのは、雨女め」
と、マイミが、ちらっと円奈を見た。
馬に乗って森を進んでいた円奈が、訝しげに首をかしげた。
「ちゃんと林道に沿ってるのか?ちょっと木々の生え方が普通じゃない」
シタデルが、苛々した口調で、仲間たちに問いかける。
「沿ってるよ」
ヨーランが答えた。
こんな調子で、11人の魔法少女たちと、一人の鹿目円奈は、ジャングルの如き南の国サルファロンの森を
進んだ。
林道を避けたのは、警備隊と出くわすのを避けるためだった。
こんな調子で、11人の魔法少女たちと、一人の鹿目円奈は、ジャングルの如き南の国サルファロンの森を
進んだ。
林道を避けたのは、警備隊と出くわすのを避けるためだった。
537
とにかく、聖地を目指す少女・鹿目円奈は、11人の魔法少女たちとこの日も行動を共にすることになる。
朝日が森に昇り、日照りが森に差し込んでくると、皆目が覚める。
欝蒼と天井を覆う森は、相変わらず湿気が強く、朝になっても暗い。
枝根っこは樹木から垂れてぶら下がる。
目を覚ましたリドワーンの一行は、この日の作戦行動について話し合った。
「もう、伏兵と出くわす予想はついた上での行路をとる」
ブレーダルが語る。
仲間たちが、ブレーダルを囲って、話し合いをしている。伏兵、とは、サルファロンの森の騎士たちのこと。
「私の考えでは」
ブレーダルはなかまたちに作戦を伝える。
「”待ち伏せ”には”待ち伏せ”で対抗すべきだ」
「私らが待ち伏せするっていうのか?」
と、マイミが問う。
「そうだとも」
頷くブレーダル。
「考えてもみろ。ここは森だぞ。森で人が動く場所といえばどこだ?」
「水辺か」
納得したように言うシタデル。ふむと鼻を鳴らす。
「そう」
ブレーダルは得意気な顔をみせた。「待ち伏せしてる兵は水辺にいる。なら、あしたらも水辺で待ち伏せだ。
伏兵がしびれを切らして水辺を移動したところを狙う」
人も魔法少女も、森で生きようと思ったら水は欠かせない。
田舎の領主の城は、例外なく水辺の付近にある。城内の井戸から水を汲めるようになっている。
驚くべきことに、城内の井戸にはろ過機能がある。文明が発達した国からみたら、井戸なんて、と偏見されがちだが、
高性能な水路なのである。
水辺こそは、森林の重要拠点だ。
「また罠に嵌るかもしれないぞ」
警告するアルカサル。「落とし穴にでも嵌ったら」
「そのときは水辺を突っ切るさ」
ブレーダルがニヤリと歯をみせて笑う。
「そこの騎士を先頭にしてな」
ちらっと、円奈を見る。
クフィーユの首筋を愛撫していた円奈が、背筋に何かを感じ取って、ブレーダルを見た。
ははは。
魔法少女たちが、笑い始めた。
しゅん、となる円奈だった。
この魔法少女さんたちは苦手だ、と円奈は心の中でちょっぴりつぶやいた。
ユーカはこういう、粗い性格の魔法少女たちの集団に突っ込まれるという洗礼をすでに受けていたが、円奈は、
今回が初めてであった。
いまどきの魔法少女は、魔獣と闘うだけでなく、とにかく相手が人だろうと獣だろうと闘いまくるので、とにかく
荒っぽい性格の持ち主が多かった。
538
緊張した会話が交わされていた今朝とは打って変わって、昼間は、のんびりした森の移動だった。
魔法少女たちは、空腹に悩みながら、狩用ロングボウを手に、森の草木を踏みしめつつ進んでいた。
「水辺なんてどこにあるんだ」
ぼんやり、チビのチョウがぼやく。
「ブレーダル、あんたの話、聞こえはよかったが、水辺が見つからなきゃ、おじゃんじゃないか」
「近くにあるさ。近くに」
ブレーダルは呑気な声だ。「喉もかわいた。お腹もすた。ああ、食べ物が足りないって不幸だなあ」
姫新芽衣は、通りかかった森中で見つけた木の実を拾って集めている。
ういきょう、ヨモギ、タニタデ、オニナベナ、そしてこの日もへびいちご。
とりあえず食用にできる葉はなんでも集めた。
マイミは昨日の歌の続きを詠いはじめた。
伏兵の可能性さえあるのに、なんと間延びた美しい歌声が森に響く。
「”もし頭上の空が落ちてきて───”」
しかも、どの魔法少女も、マイミの歌声に対して、文句の一つも言わない。
いまいちこの魔法少女たちの空気が分からない円奈は、後ろをついていくしかない。
クフィーユだけが話し相手みたいな状況だった。
「”山々が海にまで崩れ落ちても───”」
リドワーンは、刀を抜き、邪魔する木々は切って、強引に道をつくって進む。
その後ろにつづく魔法少女たち。
姫新芽衣と、円奈の2人。
「”泣かない、私は泣かない、涙を落とさない!”」
マイミは、虫のついた葉っぱを斬りおとす。
「”あなたが傍にいてくれるのなら”」
「ジークフリードの話を知っているかい?」
突然、レイファが、シタデルに話しかけ始めていた。
与太話の尽きない魔法少女たちだった。
「いや、知らんね」
シタデルが答える。
「ドラゴン退治の英雄さ」
レイファが話した。勾配の激しい森道を降りる。
エメラルドグリーン色の葉が包む森。天井も囲い、日の光は僅かにしか漏れない。
「村人を困らせていたドラゴンを退治しに洞窟に旅したんだ。そしてドラゴンを退治した」
「ドラゴンなんかいないだろう」
シタデルは相手の話にあまり乗ろうとしなかった。
だがレイファは自分の話をつづけた。
「そこで、ドラゴン退治の報酬として、洞窟からたくさんの金銀財宝を取ったんだ。命がけで竜を退治したん
だから、見返りは当然だってね。ところが、警告されるんだ。その金銀財宝には、呪いがかかっているから、
手にしてはいけないってね。さて、シタデル、きみならどうする?」
「財宝をぶんどるね」
シタデル、即答。
「呪いがかかってるって?それと戦うのが魔法少女だろう。というより、その呪いって話も怪しいな。
財宝とられたくないからってこけおどししてるだけじゃないか?」
「なるほど、だがね、結局、金銀財宝を持ち帰った彼は国で英雄扱い、栄光の頂点だ。しかし妻と重臣の仲が
悪くなってしまってね。重臣は彼を殺したのさ。警告通り、呪われてしまったわけだ」
「で、それがどうかしたね?」
シタデルは適当に聞き流していた。
「希望と栄華に始まり、絶望と呪いに終わる。ああ、まるで私たち魔法少女みたいじゃないか!」
レイファは感極まった様子で語った。物語の感銘に、自分を置き換えているかのような口ぶりだ。
すると、シタデルは。
「流離人である私らになんの絶望があるっていうんだ」
と、呆れた口調でレイファの話を打ち切ってしまった。
539
こんな調子で与太話が続いた。
退屈に森を進む魔法少女たちは、もうなんでもいいから、話題を出す。
「レミングが自殺するって本当かね?」
と、疑問を持ち出すブレーダル。「だとしたら、レミングは死って概念を知る動物ってことになるわけだ?」
「崖から滑り落ちるだけだ」
答えるアルカサル。「数が多すぎるくせして、狭い崖道通るから、何匹か溢れ出して落っこちるんだよ」
「どうしてレミングは移動するね?」
シタデルが会話に入ってくる。
「寒いから暖かいところにいきたいんだろう?」
ブレーダル、考えを口にする。
「なら、いつも暖かいところにいればいいじゃないか」
と、シタデル。
「暖かいところは、ときに、熱すぎるんだよ。レミングの体を思い描いてみろよ。全身、けむくじゃらだぞ」
「あのちっっちゃな体を、手の平にのせてみたいなあ!」
と、喋り始めたのは、芽衣。
動物系の話になると食いつく魔法少女だった。
「くりくりした瞳に、ちゅんちゅんと鳴く小さな声。ちょこまかと歩く足。鼻にぴょんと伸びた数本の毛。
レミングに遭いたいわ!」
「病気が移ってもしらないぞ」
ヨーランは釘を刺す。
「地面をレミングが埋め尽くすんだぞ、考えただけでぞわっとするよ」
と、チビのチョウ。「大地を蠢く何か。近づいて見てみると、さあ、レミングの群れだ!」
「きみはなぜハトの首が虹色なのか知っているかい?」
隣を歩く魔法少女に、土を踏みしめながら草木を渡るのは、チビのチョウ。狼の少女ホウラに話しかけている。
「さあ、なんでかなあ」
ホウラは適当に返事を返す。塗れて湿った茶色い落ち葉を踏んで森林を進む。
「ぽっぽー。鳩はね、どこにでもいるだろ。虹ってのも、雨がふれば、どこにでもあらわれるだろ。だから虹色なんだ!
わかるかね?」
ぺらぺらと喋る魔法少女たちだが、リーダーのリドワーンだけは寡黙。
沈黙したまま森を進んでいる。
もう1人、黙々としているのは、鹿目円奈。
馬の轡の綱を持ちながら、魔法少女たちの他愛ない会話をききながら、あとについていく。
そして、ようやく彼女たちは、水の音を聞き分けて、水辺を見つける。
水の音を聞き分けたのは、一番沈黙していたリドワーンだった。
540
魔法少女たちは、生い茂る森をかきわけ、崖下の水辺を見た。
崖の高さは3メートルもない、ちょっとした切り立った岩肌だ。
ジャンプして降り立つこともできるだろう。
水辺の川は、ざーざーと白い泡立てながら水が流れていて、岩肌の上を流れる。
魔法少女たちは、森の中から顔を出さない。
目だけ、草木の中に潜ませて、水辺の様子をうかがいたてているだけだ。
読みが正しければ、魔法少女たちを待ち受ける伏兵たちはこの付近にいる。
というより、もし自分たちが、この水辺に出たら、すかさず伏兵が攻撃してくるだろうという読み。
なぜなら、ヤツらは、喉の渇きに餓えた魔法少女たちが、必ず水辺に来ると読んでいるだろうから。
それを逆手にとって水辺で待ち伏せしようという魔法少女たちの作戦。
伏兵には伏兵で対抗する作戦だ。
「いったいどこに伏兵がいる?」
草木の隙間から水辺を覗き込みながら、チビのチョウがいう。
「見当たらないな」
隣で覗き見するレイファもいう。「まあ、こっから見えるはずもないが、気配もない」
「しばらく待ってるんだ。あいつらから動き出すに違いない」
と、マイミ。
そうした小声の会話があって、それから数分間、経った。
魔法少女たち、森から動かない。水辺にはでない。
もちろん、皆、喉がカラカラだ。
二日間も水を飲んでいない。
円奈だって飲んでいない。火あぶりになりかけた昨日から、一滴の水も飲んでいない。
森に入ると、喉が渇いたから市場で飲料水を買う、というわけにはいかない。水辺にいかない限りのどを潤せない。
その水辺が目の前にある。
しかし、他国の水辺である。この川はサルファロンの領地の川だ。
近づけば、どんな伏兵の攻撃にあうかも分からない。乱世では、川の水飲むのも命がけだ。
「まだ待つんだ」
魔法少女たちの喉の渇きは、悪化した。ソウルジェムの魔力消費が早くなる。
水分不足でふらふらしてくる意識を、無理やり魔力で繋ぎとめている。
さらに、30分間、経った。
「もう、水飲もうよ…」
と、我慢の限界に達したのは、ホウラ。
狼の少女。
「喉が焼けるようだよ」
「渇きなんか忘れろ」
と、ブレータル。「けど、伏兵の気配はないな。ちよっとくらいくだっても平気かな?」
何人の魔法少女が、同意しかけたとき、馬の音がした。
馬が走る足音だ。しかも、けっこう早い。
水辺に二頭の馬が現れた。騎士を乗せている。甲冑姿の騎士は、森の騎士たち。
鞘に剣を差して、フレイルを持っている。
「巡回騎士だ」
と、ブレーダルが仲間たちに囁く。「やっぱり、見張られている川なんだ」
「水を飲んだら仲間を呼ばれてたな」
小声で言うチビのチョウ。赤い蝶の髪飾りが、緑の森で目立つ。
「でも、これで決まりだ」
森の騎士たちは川辺を通り過ぎた。
ばしゃばしゃと水を弾きながら、流れる川を馬で走りぬける。
「巡回してるなら、伏兵が近くにいる」
ブレーダルは、対岸の森を示した。「たぶん、あっちのほうだ」
魔法少女たちは対岸の森を見た。川辺の向こう岸は、丘のように、陸が盛り上がっている。
魔法少女たちは、狩用ロングボウの矢の鏃を研ぎ始める。
ぎらぎらと光る鏃を、鉄板で磨いで、より鋭くする。
そして、一時間が通過した。
森の空に太陽の日が昇る昼過ぎ頃、伏兵たちがついにしびれを切らした。
我慢合戦に魔法少女たちが勝ったのである。
互いに互いが待ち伏せしあっていた水辺に、先に降り立ったのは森の伏兵たちだった。
向こう岸から、ぞろぞろ人影が現れてきて、フードを被った男たちが弓を持ちながら、水辺へ現れてきた。
陸から水辺へ足を浸らせて、水筒に水を汲み入れたり、手ですくって川の水を飲んだりしている。
「ほらね、読みどおりだろ」
嬉しそうなチビのチョウの顔。
その顔が綻ぶ。草木の奥に隠れる。「相手は40人ほどだぞ」
「こっちは魔法少女が11人だぞ。負けると思うか?」
と、シタデル。歯をみせる。
魔法少女たちは狩用ロングボウに矢を番え、そして、弦を引き絞った。
ギギギギイ、と音が鳴る。
森の中から水辺へ、弓矢が向けられる。
キラリ、と森で光る一点の鏃。その光が日を反射して、水辺で水を汲む男の目に入った。
「アンブッシュ!」
何かの言語を喋った男が、叫んだ。
すると、森の伏兵たちが、慌てふためき始め、左右をむく。
だが、もう遅い。
次の瞬間、魔法少女たちのロングボウから矢が飛んだ。
森の奥から放たれた矢は、水辺へと現れ、そしてフードを被ったローブ姿の男たちに命中する。
「あぐ!」
たちあがる悲鳴。
魔法少女たちは新たな矢を、矢筒から一本抜き、ロングボウに番え直した。
水辺で逃げ惑いはじめる男、まだ気づかないで水汲みしている男、手で水をすくって飲んでいる男、
狙えそうな獲物から狙って、矢を撃ち放つ。
バスン!バスン!
魔法少女たちの手元の弓から矢が放たれる。
弦が矢を弾く。矢が空気を裂く音を立ててまっすぐ飛ぶ。森を飛ぶ。
「うぐあっ!」
矢は、水汲みしていた男の顔にあたる。
顔面に矢があたり、鼻下のあたりに矢が刺さる。そのまま矢は後頭部に突き出た。
男たちは川辺を逃げ惑いはじめる。じゃばじゃばと、水を弾きながら走る。
その背中を、容赦なく魔法少女たちの矢が狙う。
また、ロングボウから矢が発射された。
飛んでゆく矢は、川辺を逃げる男の足に当たる。ホウラの放った矢は、手で水をすくって飲んでいた森の騎士に
当たり、首下に矢が刺さった男は川辺で倒れた。赤色の血が川に流されていった。
川は今やあちこちが赤い。
足を撃たれた男の血も、川に垂れて流される。別の足に矢を受けた男は、川辺で倒れこみ、立てなくなった。
顔面を矢に撃たれて死んだ男の顔からも、血が流れ続けて、川に混じる。そして血は川に洗い流されてゆく。
「いけ!」
魔法少女たちは、一気に、川辺に踊り出る。3メートルの高さの崖をいっせいに飛び降りて、川辺へ着地した。
じゃぼん、と音がして、水飛沫がたち、次々に魔法少女たちは川に降り立つ。
ばしゃあ、ばしゃあ、ばっしゃあ───。
立て続けにひとりひとり、川辺に着地した魔法少女たちが、水の音をたてて、揃い立った。
「追え!全員しとめるんだ」
魔法少女たちは、弓に矢を番えたり、剣を抜いたりした。
腰あたりまで浸かった川を、ぐいぐい進んで渡る。
矢を番えるホウラや、ブレーダル、マイミらの魔法少女は、川辺から向こう岸に逃げ帰って行く男たちの
背中を狙い撃ち、剣を抜いたリドワーン、レイファ、アルカサル、チビのチョウらの魔法少女は、男たちを
走っておいかけた。
「円奈!きて!」
芽衣は、剣を抜きながら、まだ森に残っている円奈に叫んだ。
円奈は悩んだ。
このまま、この人たちと一緒に森を進んでいたら、またも、殺し合いに突入してしまう。
どうして、魔法少女たちと行動を共にすると、戦い沙汰、流血沙汰が絶えないのだろう…そう思った。
軍人と同じで武器を持つ者のまわりには血が集まるという、ちょっと考えれば当然の現実ではあるのだが…。
しかし、そのとき、森の対面する方角から、森の騎士たち20人ほどが、円奈を囲うように現れはじめた。
どの伏兵たちも棍棒や槌を手にもっている。
容赦なく円奈に近づいてくる。土を踏みしめながら。
「あ…!」
円奈の目に恐怖が浮かぶ。
「円奈!あぶない!」
芽衣が川辺で、また叫んだ。懸命に呼びかけつづける。
先頭の男が、ついに、棍棒をぶんぶん振り回しながら、馬に乗る円奈に叩き込んできた。
ヒヒーン!
すると、馬が暴れだし、男を前足で蹴飛ばす。
「うご!」
足で胸を蹴られたフードの男は草むらの中に投げ飛ばされて倒れる。
541
サルファロンの森では激しい戦いが始まっていた。
リドワーン一行の11人の魔法少女たちと、サルファロンの騎士たちの、森での戦闘である。
森の騎士たちは40人ほどだった。
後に、合流すれば、60人に増える。
対するリドワーン一行は、11人の魔法少女と、1人の少女の騎士。
土地勘も向かうの現地人のほうが詳しい。森を知り尽くしている連中だ。
しかし、ひとたび戦闘に入ってしまえば、戦闘能力は魔法少女のほうが高い。
彼女たちは、お腹ぺこぺこだし、喉はからからであったが、人間たちとの殺し合いに突入する。
斬馬刀のリドワーン、レイピア使いのレイファ、ソード使いのチビのチョウ、この三人を先頭にして、
森の伏兵たちと斬り合いが始まる。
その後ろで、弓使いのブレーダル、シタデル、ホウラ、マイミらが、森中で援護射撃をする。
「とう!」
チビのチョウは、森の伏兵たちが抜いた剣を、自分が持つ剣で叩いて弾いた。
その敵の肩をばっさり斬る。
敵兵の肩は斬られ、腕が落ちた。骨と血が飛び散った。
そのチビのチョウを、背後から棍棒で襲う伏兵がいれば、マイミの矢が彼を撃つ。
ビチュン!
矢が飛び、森の伏兵の背中に当たる。
「あぐう!」
矢が背中を貫いた森の騎士はびんと背筋伸ばして、苦痛に喘いだ。
「とおおお!」
ラインバウが剣を持ち、森の騎士たちに斬りあいを挑む。
剣をふりあげ、敵に近づき、切りかかる。
森の騎兵は、棍棒を手に、立ち向った。
「うおおおお!」
「とおおおお!」
両者が掛け声あげながら、互いに武器を当てあう。
ガッチン!
棍棒と剣が激突し、交わった。交わったそれを、ラインバウは、力いっぱい剣をふるい、棍棒をそらして、
もう一度剣を横向きに振り切った。
「おおお!」
掛け声あげてふりきった剣が、棍棒をもった敵兵の首を裂いた。首から血を流した敵兵の胸に蹴りをいれて、
倒れさせた。
周囲の敵は、マイミやブレーダル、ホウラ、シタデルらの弓に撃たれている。
マイミの放つ弓が正確に森の騎士たちの体に命中する。
三本連続で放つ。
その三本とも、森を駆ける伏兵たちの体に命中、伏兵らは樹木の裏側にまで矢を受けて、すっ飛んだ。
というのも、210ポンドの矢に撃たれたからである。
この矢に当たった衝撃は、人の体を飛ばしてしまう。
リドワーンと戦闘中の敵兵は、その足をホウラのロングボウに撃たれて、痛みに喘ぎつつ膝をついた。
膝をついた敵兵は、リドワーンの斬馬刀が頭をわった。
頭が脳天から真っ二つになった。脳も頭蓋骨もぽっきり割れた。
シタデルの弓は、槌を手に接近してくる兵の腹を撃つ。
腹に矢が刺さった森の兵は、腹に刺さった矢を強引に引き抜いて、肉も肌も剥げた。
苦痛の悲鳴が森に轟いた。
チビのチョウは、両刃剣を使って、森の木立を進み、フレイルを持った敵に襲い掛かる。
周りに10人、20人の敵兵が巡っているなか、森中で斬りあいが展開される。
これに遅れて、姫新芽衣と鹿目円奈が川を渡りきって、森に上陸した。
あたり一面、敵だらけだ。
円奈の顔にすぐ恐怖が浮かんだ。
芽衣は、剣を握り、接近してきた敵と対峙し、戦いを挑んだ。
「うおおお!」
敵が走ってくる。
芽衣は、トゲトゲのついた棍棒を持った敵に、正面から突っ込んでゆき、剣先を伸ばして、その腹に剣を突き刺した。
腹から入った剣は、背中に飛び出した。
「あうう!」
敵兵は口から苦痛を叫んで呻く。
「…ひぃっ!」
円奈は、馬上で、顔を青ざめさせた。
円奈のなかで何か魔法少女に対する見方が変わり始める。
ユーカと城下町で行動を共にしていたときは、二人で一生懸命、魔獣と戦っていた。それは人を助けるためだった。
人を助けるのが魔法少女だよ、ユーカは言っていた。
腹を剣で刺し殺された兵は、腹部を抑えながら、森の地面に倒れた。土と泥に覆われる。
芽衣は、刺し殺した兵から剣を抜いた。
ロビン・フッド団に捕われていたとき、この魔法少女を開放したりしなければ、この男の兵は刺し殺され
なかったかもしれない。
「そこの騎士は戦う気がないな!」
と、マイミが叫んだ。
弓を放っている。
芽衣の隣で剣を抜いていた兵が、脇腹を矢に撃たれて、膝をついた。
すると芽衣が、えいやっと剣を振るい、男の首を斬り飛ばした。
ぶしゃっ。
「きゃああっ」
血飛沫の点々が円奈の髪と顔に降りかかり、思わず腕で額を覆った。
その腕にも、男の血がこびれついた。
男の首は落ちていて、骨の断面図まで見えた。
「あああ!」
円奈は、瞠目した。
マイミが放った矢は、リドワーンの背後に迫る伏兵の脇腹を射抜いた。胆汁が飛び出し、黒い体液が森に飛び出すの
と同時に、兵は2メートルくらい吹っ飛んで、森の地面に落っこちて四肢を投げ出し死んだ。
番え直したマイミの新たな矢は、マイミに迫ってくる騎兵の腹に命中する。
「あう!」
騎兵は矢を受け、馬から横向きにずり落ちる。フードをかぶった頭を地面に打った。
リドワーンは、森の騎士たちと戦い続けた。
馬にのった甲冑の騎兵が現れ、リドワーンに突っ込んでくる。
棍棒にフレイルを吊るしながら。
リドワーンはすると、地面に立ったまま、馬上の騎兵むけて、斬馬刀を、思い切り水平にふるう。
馬ごと騎兵を切った。
「あぐお!」
騎兵は馬から落っこちる。体がみっともなく、ずさーと前回りする。
落っこちた騎兵が、やっと想いで地面から起き上がると、斬馬刀が彼の顔面を裂いた。
額から鼻筋、口から顎まで、ばっさりだった。
別の敵兵が襲い掛かってきた。
棍棒をふるう。
リドワーンは、頭を屈めながら棍棒をよけつつ、剣を敵の足に絡めた。
「あヴ!」
足から血が出る敵兵。足を斬られ、転ぶ。
そして、刃に剣をひっかけられたまま、持ち上げられ、敵兵は体を打ち上げられたのち、頭から地面に落ちた。
「う!」
うつ伏せに地面に転ぶ。その背中を、リドワーンの剣が貫いた。
背中を通り、地面の土にまで、剣は通った。敵兵は串刺しになった。
円奈は、森のあちこちから伏兵たちが現れて、円奈を囲いはじめたのに気づき、恐怖した。
みんな、私を殺すつもりだ!
「きゃああっ」
円奈は怖くなって、森で単独で駆け出した。
手綱をばしっとふるい、すると馬が走り出し、敵兵だらけの森を突き進む。
猛風が円奈の顔にあたる。
馬の走りによって、体が上下にゆさぶられる。
「円奈!待って!」
血に染まった剣を持ち出した芽衣が、すぐに円奈を呼びとめた。
しかし、すぐに敵に襲い掛かられてしまい、やむをえず反撃に出る。
「くっ!」
芽衣は剣で敵の棍棒を受け返す。その棍棒を剣で押しだし、敵兵の懐にはいる。
ブン!
押し返された棍棒がもう一度ふるわれた。芽衣は、屈んでよけ、敵兵の背後にまわり、その背中を剣で
叩いた。
ズブッ
敵兵の背中は斬られ、敵兵は倒れた。落ち葉のたまった地面は血に染まった。
「円奈!」
芽衣は、敵を振り払うと、再び円奈を呼びとめた。
リドワーンは敵兵の棍棒をよけた。
またふるわれた棍棒は、剣で受け止め、絡めたまま、一瞬の隙をついて敵兵の腕を斬りおとす。
「あぐ!」
棍棒を握った腕が地面に落ちた。
すぐ後ろから別の敵兵が、棍棒をふるい、リドワーンの頭を叩きにきた。
リドワーンはそれに気づいて、その場から動いてよけた。
棍棒は地面に振り切られ、空中をひゅっと叩いた。
リドワーンはすると、敵兵の背後にまわる。
すぐに敵兵の棍棒が再び水平むきにふるわれる。
ガキン!それはリドワーンの斬馬刀が受けとめる。
そしてリドワーンは、敵兵のフード服の背中をひっぱり、力強く引いてころばせた。
「あっ!」
敵兵は転ぶ。ごろんと転がる。
その腹に刀を突き刺した。
レイピア使いの魔法少女・レイファは、その見た目の特徴から、敵兵の目を引いた。
髪も白い。目も白い。肌まで白い。色がない。
ゆたかな白髪を靡かせてレイピアを突き出す様は、幻の世界からやってきた戦士のようだ。
さて、甲冑の敵を相手にしているレイファは、レイピアをいくら敵兵に突き出しても、カツンカツンと鉄の
鎧にあてがうだけで、一行に敵を倒せせない。
それをいいことに、敵兵は、レイピア使いにむかって、お構いなしにソードを叩き込んでくる。
レイファは、それをはらりはらりとよける。
レイファの肩すれすれを剣が通り過ぎる。だが、レイファには当たらない。
するとレイファは、敵がソードを水平向きにぶんとふったときに、剣の下に潜って入り込み、敵兵の
足腰を両手に包んだ。
そして、足腰をえいっと持ち上げてしまったのである。
「はぐう!」
甲冑の敵は、足腰をもちあげられて、そのまま頭と足を反転させて転げてしまう。
ガタン、と頭を地面に打った。
実は、これがレイファの隠し技だった。
レイピアを使うだけが技能じゃない。レイファが披露してみせた今の技は、いわゆる騎士の体技、レスリング
だった。
ヂヒのチョウは、森の伏兵に再び切りかかる。
敵がいる限りこの戦いはやまない。
棍棒をもった敵の攻撃をよけ、距離をつめると、さっと剣を裂く。
それは、相手の首をぎりぎり斬らない。わずかに届かなかった。
すると相手が反撃にでてきた。棍棒を縦に落としてくる。
チビのチョウは、身を屈めてかわし、何歩か進み、肩で敵兵の腹に体当たりした。
「う!」
タックルを喰らった敵兵は、飛ばされて、手からも棍棒をとりこぼし、ころぶ。
ころんだ敵兵の喉を、剣先で刺した。
鹿目円奈は、そこらじゅうで激しく戦闘が続いている森の中を、無我夢中で疾走していた。
生きて残れる道があればどこでもよかった。
その森の伏兵たちのいないところなら、どこでも、行きたかった。
円奈を乗せた馬クフィーユは、森を颯爽と駆け抜け、伏兵たちの囲う森を走る。
たくさんの伏兵たちが円奈とすれ違う。
伏兵たちはすると、棍棒をふるって、円奈に殴りかかってきた。
「きゃああ!」
馬上でぎゅっと目を閉じる円奈だった。
目を閉じてしまっていると、目前の樹木と樹木のあいだに、ロープがぴんと伸びた。
森の伏兵たちの張った罠だ。
円奈は正面から罠に突っ込んだ。
ズリッ
そのロープは高さがよく調整されていた。
円奈の首元にロープがかかり、馬だけが通り過ぎて、円奈は落馬した。
「ああっ!」
ドタッと、大きな音がした。背中を打つ。
それが自分の体が落ちた音だと気づいたとき、円奈を敵が包囲した。
「…あ、ああ…」
怯えた少女は、地面を這い上がり、森から逃げ出そうとした。
が、遅かった。逃げ遅れた。
その少女の首に、ロープがひっかかる。フード姿の男が円奈にロープをかけたのだ。
見事ロープが首に絡まると、強く引っ張られた。
「あっ……あぐあああ!」
円奈は、首にかかったロープを懸命に、指で解こうと抗った。
けれど、まったくロープは首元から解けず、呼吸ができなくなった。
背後から、ロープで首を絞められて、引きずられ続ける。
円奈の抵抗は空しい。
呼吸ができなくなり、けほけほとむせはじめた。
目に死の涙が滲みでてきた。
足でばたばたしたってロープはゆるまない。
そのまま地面をずりずり引きずられていって、さらに首に締まるロープが強められた。
「あぐ…うう!」
喉を空気が通らない。
それだけで何も考えられなくなる。呼吸に喘ぐことの他に何もできなくなる。
抵抗はむなしい。
恐るべき苦しさが体に走ったとき、リドワーンが走ってきて、円奈にロープを絡めた男の顔面を剣でブッ差した。
剣は顔面を貫いた。ボタボタという血が垂れて、円奈の服にかかった。
「ああ…あ…けほっ!」
やっとの思いでロープが首から解けた円奈は、必死に呼吸した。その頬に血が点々と滴り落ちてきた。
目の前にリドワーンが立っていた。
リドワーンは、森を通って襲い掛かってくる敵兵の胴を、ぶった切った。
上半身と下半身が分かれた。
骨と腸が地面にはみ出た。
その死体が円奈の目の前に落っこちた。
「う……うあああっ」
全身に他人の血を浴びた円奈は、目前の死体に恐怖し、そして身をすくめた。
樹木に身を寄せ、自分の体を守るように、両手を胸の前で震わせている。
森の敵兵たちは殲滅された。
40人の伏兵に11人の魔法少女が勝利した。
この森はもう、この魔法少女たちのものだ。
リドワーンは、敵の胴を斬った剣を、鞘に戻した。
11人の魔法少女たちは、それぞれの戦いを終えて、リドワーンの元に戻ってきた。
弓、刀、レイピア、どの武器も血に染まっている。
542
森の伏兵たちを全滅させた魔法少女たちリドワーンの一行は、川へと戻る。
彼女たちは、ようやく2日ぶりの水にありつけたのである。
河の水を手で掬い、喉に通す。
円奈もまた、2日ぶりの水にありつき、川の透明な冷たい水を掬って、顔を洗った。
頬に付着した血が洗い流された。
髪も洗い流された。
ピンク髪にこびれついた赤は落ちた。
火あぶりの刑になって以来、喉に通してない水を、ごくりと飲み干した。
「……はあ」
飲んだあとは、弱々しくため息をついた。
今回の戦闘は、まったく役にたたなかった。
逃げてるだけだった。しかし、他人の血がびっしょり、体にふりかかってくるあの生暖かくて、死をかぶった感触が、
なかなか拭い去れない。
543
魔法少女たちと円奈は、サルファロンの森の川辺を歩き、この森の突破を目指していた。
しかし、この森がどれくらい続くのかどれほど広いのか、分からない。
だれも地図の一つも持っていなかった。
しかし、もとより流離人の集団であるこの魔法少女たち、呑気に森をてくてく進む。
そう、呑気なのだ。
あれだけの戦闘のあとなのに、もう立ち直ったというか、魔法少女たちの様子はのんびりだ。
陽気さがあった。
狩猟弓をもってわいわいがやがや、ぺらぺらと喋りながら森を行進しているのだった。
川辺に沿って。
「なあ、人の身長って、頭と足、どっちから伸びるんだろうなあ」
と、ラインバウが言い始めていた。
「身長だって?」
最初に反応を示したのはマイミ。手に狩猟弓を持って、森を歩いている。
「私はもう止まってしまったな」
「けどさ、チョウみたいに、背の高いのもいるだろう?」
ラインバウが語る。「けど、チョウだって、生まれたときはもっと小さかったはずだ。そこで思ったんだけど、
人の成長ってのは、足か頭、どっちが大きくなってるんだろうなあ?」
「足に決まってるだろ」
と、マイミ。何を言い出すかと思えば、みたいな顔して、答える。
森の葉を手で掻き分ける。
「私だった小さいころはひよひよした足していたもんさ。よちよち歩きの、四つん這い。けど、そのうち、
足が大きくなってきて、歩けるようになるわけさ。足が伸びるんだよ」
「うーん、そうかあ」
ラインバウが、考えるように指を唇にあて、そして上を見つめた。上には森の天井があった。
白い光が木々の間から漏れている。
「けどさ、思ったんだ」
と、ラインバウは、自分の考えを述べた。
「チビのチョウと、レイファ、ブレーダルが並んで立つとき、足はみな腰まで同じ長さなのに、チビのチョウ
だけ頭ひとつ抜けていて背が大きい。やっぱり、人の身長は、頭が伸びてるんだなあ!」
川辺を進む魔法少女たちの雑談、無駄話、いやそれ以下な甲斐ない会話を、耳にきいていた円奈は、
というより、前を進む魔法少女たちがお喋りをとめないから、どうしても耳にはいってきてしまうその閑談を
耳にしながら、岩肌のきりたった水辺を馬で進み、そして、隣を歩く芽衣に、話しかけた。
「ねえ、芽衣ちゃん…」
前をゆく魔法少女たちの陽気な口ぶりとは打って変わった、重たい声が出る。
「誰かにばっかり戦わせて…」
円奈の脳裏には、マイミに叫ばれた言葉が蘇ってくる。
同時に、森の戦闘の記憶も。伏兵に襲われるなか、守られてばかりいた。
自分は戦闘しなかった。
「自分で何もしない私って、やっぱ…卑怯なのかな?」
自信のない声。
下を見つめ、落ち込んでいる。クフィーユは足を進める速さを緩めない。しっかり魔法少女たちの後ろに
ついていく。
隣を歩く芽衣は、この円奈の問いかけに、答えた。
「円奈は戦っているでしょ?」
エドワード城で、魔女狩りを企てた王と戦った。ロビン・フッド団と共にモルス城砦の守備兵たちと戦った。
けれども、この魔法少女たちの一団に加わってからは、まるで役に立てていない。
というより、戦えてなくて、自分では何もしていない。
「私、ここの人たちと一緒にいても、なんの戦力にもならない…」
円奈は、自分の実力のなさを、この森の戦いで思い知らされていた。
聖地エレム国の危機に立ち向うと使命をおった騎士が、田舎の伏兵たちとも戦闘できない。
ユーカも守られなかった。逃げるようにエドワード城の首都を脱出してきただけ。
芽衣は言った。
「人には、よく戦えるときと、よく戦えないときがあるの」
手綱を握る円奈の顔は暗く、下を向いていた。
「当然だと思わない?いつでもよく戦えるようだったら、百戦百勝じゃない。世界は、勝ちもすれば
負けもする。そうやって世の中のバランスは、成り立っているんだから。つまりね…」
芽衣は円奈に親しみを込めて話してくれる。
というより、円奈との会話を楽しんでいるようでさえあった。
ところで、前を進む魔法少女たちのうち、マイミは、またしても新しい詩を歌う美声を披露しはじめている。
「”10つの瓶が壁にある、10つの瓶が壁にある”」
両手をひろげ、歌姫になりきった様子で、目を閉じてマイミは歌っている。
川辺を進みながら。
よく、岩肌に足をとられて転ばないものだ。かろやかな女の子のステップ。岩から岩へと足を移す。
しかも、川がざーざーと流れを激しく打っていてうるさい。
「”もし1つだけ瓶が落っこちたら”」
レイファやヨーラン、リドワーン、ホウラ、シタデル、アルカサル、ブレーダルらは、このマイミの歌に
文句をつけない。つけることがほとんどない。
つまり、マイミの美声を、この一行は認めているのだ。
「”あと9つ瓶が壁にある”」
これは、幼い子供が家庭で親に教わる数え歌だった。
「希望が叶えられたら、それだけの絶望が世に撒き散らされてしまうの」
芽衣の話がつづく。
「”9つの瓶が壁にある、9つの瓶が壁にある”」
マイミの数え歌の1人声もつづく。
「”もし1つだけ瓶が落っこちたら”」
「成功したと思うことばあれば、失敗することもあるし、楽しい日もあれば悲しい日もあるでしょ?
それと同じで、戦いがうまくいく日もあれば、いかない日もある。円奈は、今は、うまくいかない日に
あるのかもしれない。でも、それだけよ」
芽衣は剣の柄をトントンと叩いた。
「私は、今日は、よく戦えた日。」
「”あと8つの瓶が壁にある”」
マイミの歌声が森の川辺に響く。
11人の魔法少女と1人の騎士は、川辺を登る。岩ばかりで、岩の一つ一つは、でかい。
「だってそれは、芽衣ちゃんが魔法少女だから…」
円奈が、ぶつぶつ、言うと、芽衣が顔をあげた。「えっ?」
バササササ。
鳥の羽ばたく音が聞こえる。
「獲物だ!」
ブレーダルが騒ぎ出す。弓を取り出す。「2日ぶりの食事をするぞ。さあ、どこにいる…?あ!」
魔法少女たちが背中の弓を一斉に取り出すさなか、一番はやく動いたのは。
まだきょろきょろと鳥を探して回っている魔法少女たちよりも、誰より早く獲物を見つけて、弓を
手に取り出した───、
鹿目円奈だった。
円奈は、森の木々の枝から枝へ飛び渡っていく野鳥を目にとらえた。
本能的に目に捉えた。
それは、15年間も、狩り生活をしてきたからだ。
この弓、一本で!
弓に矢が番えられる。
そして、向こう岸の森から、木々を渡って、やがてバサバサっと川辺へ飛び出してきた鳥に狙いが定まるまで、4秒。
羽ばたく鳥が、川の真上を飛び去る動きを、読む。
矢が飛んだ。
円奈の馬上から放った矢が、川辺を飛び、鳥を捉えた。
シュッと、まっすぐ、矢が円奈の手元から飛んでゆき、一発で鳥の悲鳴が聞こえた。鳥はぴいっと鳴き、川辺に
落ちた。
円奈の放ったロングボウの弦は、まだ、微妙にこすれて揺れていた。
全員の注目が円奈に集まった。
ブレーダル。ホウラ、マイミ、シタデルにレイファにヨーラン、ラインバウ。
「やるじゃないか!」
最初に、感銘の声をだした魔法少女は、アルカサル。やや赤い毛をした弓使い。
「なんの魔法を使ったんだい?」
いくら弓使いの魔法少女でも、狩りには苦労する。
魔獣を弓で当てるのは簡単だが、野鳥のような警戒心の強い動物を、矢で射止めるのは、なかなか魔法少女でも
いない。
鹿目円奈の弓技に、感心するのだった。
544
川に落ちた鳥を拾ったあとも、狩りが続き、鹿目円奈の弓の技に、魔法少女たちは驚かされる。
気配を殺しながら、弓を構え、指と指のあいだに矢を挟みながら、音もなく草むらを進み、しゃがみつつ、
鹿を背後から射る。
音もなく飛ぶ矢。
鹿は殺され、獲物を得る。
こうして、野鳥と、鹿と、うさぎなどを狩猟してゆき、魔法少女たちは、ついにイノシシさえ捕まえた。
何人かの魔法少女同士が、輪をつくってイノシシを囲い、囮と、本命とに別れて、イノシシを追い詰めてゆく。
まず、囮側が、イノシシをけしかけ、怒らせる。魔法の斧をつかって、バチチと火を放つ。
イノシシは逃げる。その逃げ出したところを、待ち伏せした本命側が、捕らえにかかる。
しかし、怒ったイノシシむけて、剣を伸ばしたレイファは、イノシシに突進されて、派手に体当たりをうけて
ずっこけた。
「ああう!」
野生の動物の全力疾走を直撃された魔法少女が吹っ飛ぶ。
「追え!」
アルカサルと、ブレーダルが、2人同時に弓を放つ。
森の木々へ矢が飛んでいく。
が、あたらない。
イノシシの疾走する速度は、想像絶する。
勢いときたら、逃兎のごとく、あの巨体とは思えない速さで森をザザザと走り抜ける。
円奈もロングボウに矢を構え、放ったが、イノシシは円奈の傍らを、猛烈な勢いで怒りと共に走り去り、
矢から逃げ切った。
「そっちいったぞ!マイミ!」
イノシシが猛進する先に、一人の魔法少女が、待ってました、と突っ立っていた。
その手には、槍が。
魔法で召喚した槍がある。
大きな槍。2メートルくらいの、狩用の突き槍。
「昼は野獣狩り、夜は魔獣狩り、魔法少女って疲れるねえ」
マイミは、突き槍の矛を、まっすぐ前に伸ばした。森を駛走するイノシシを、正面に捉える。
「だが、狩りにかけては、引けをとらないぞ。とっちめてやる!さあ、あたしが相手だ!」
ズドドドドと、あのイノシシの巨体が、怒りのダッシュで、魔法少女の腰あたりに、飛びかかってきた。
「そりや!」
マイミが、槍をばっと伸ばした。
と同時に、イノシシの巨体が、マイミへ突っ込む。
その巨体ときたら、魔法少女のマイミよりでかい。しかも、肉づきがよくて、野性の力が、魔法少女に襲い掛かる。
「うわ!」
野生の獣に飛びかかられたマイミは、思わず飛び退いた。
足元を崩し、よろけて、踵がすべってころぶ。
が、伸ばした槍は、たしかに、野生の獣の腹をつぬらいた。
つまり、同士討ち。
イノシシは、マイミを押し倒し、顔をふんづけて、森の奥へ逃げ去ったが、その肉体には確かに、槍が捉えた。
「よし!いいぞ!」
ブレーダルらが喜びに飛び上がる。
二日ぶりのご馳走だ。
「そのうち、力尽きるだろ。追いかけよう!」
「ああっもう!どうして乙女の顔を踏むかな!」
田舎の農村の歌娘だったマイミは、顔についた泥を払いながら、腰を起した。べっ、と舌についた泥を唾と共に吐く。
弓をもった魔法少女たちが、逃げ去ったイノシシを追って、森奥へ、タタタタタと走っていった。
魔法少女の走りは早い。
円奈も、それについて走ったが、ふと、黒髪の魔法少女リドワーンと目が合った。
この旅に出てから、何度か顔を合わせている魔法少女。
この一団のリーダーで、狩りに参加はしていない。仲間たちの狩りを見守っていただけだ。
「役に立つとか、立たないとか、今は気にしても仕方あるまい」
リドワーンは、そう、円奈に語りかけてきた。
円奈は、複雑な面持ちをした。足が止まる。
「われらは、南の国サルファロンに向かっている。おまえも、同じ方角だ。だから、共に行くのだ」
リドワーンはそう語るきりだった。
545
その夜、一団の魔法少女たちは二日ぶりのご馳走を手にする。
野鳥を何匹かに、鹿と、そしてなにりより、巨大イノシシ!
12人で食べても、肉に難なくありつける。
焚き火を囲い、木材を組み立てたに肉を吊るして、皮も内臓もひっぺはがしたイノシシの肉を炙っている。
鹿肉は、枝に吊るした鍋のなかで、焼いている。
ラインバウは、持参の笛を取り出して、ぴーぴーと吹いている。
メロディーにあわせてマイミが即興の詩を歌う。
レイファとブレーダル、アルカサル、ホウラが、すでに肉の食事にありついていた。
「生き返るよ」
と、アルカサル。「でも、たまに夢をみる……溢れるほどの香料と共に、イノシシの肉を食らう日を……」
「あんたの弓技には驚いたよ」
円奈に話かけたのは、シタデル。狩人の魔法少女。「このなかの内じゃ、一番の射手だよ」
「あ、ありがと…」
円奈は、遠慮がちに、礼を返して、肉にありついて食べた。
森で生きる経験の長い円奈は、実に慣れた手つきで、鹿肉をナイフでさばいて内臓を取り出すのだった。
肉から血が数滴、したたった。
「あんたは港にいくんだろ?」
シタデルは、円奈に、また、話かけてきた。その手に、鳥肉をブッ指したナイフがある。
バチバチと燃えつづける薪。焼かれつづけるイノシシの肉。じゅーじゅーと滴りおちる肉汁。火の中に油として
落ちる。
「南から、”東大陸”にいくわけだ?」
東大陸。
そこは、西大陸の世界に生まれた円奈にとっては、まるで未知の世界だ。
西大陸の田舎も田舎、辺境の高原バリトンの地に、出身国をもつ円奈には、東大陸の世界は、想像に描けない。
「聖地エレム国の大陸」
シタデルは語った。
「あんたの目標とする地だ。ヨーランの出身地でもある」
「えっ?」
初耳だった。
肉を食べる手をとめ、ナイフにさした鹿肉を口からはなして、ヨーランと呼ばれる魔法少女を見つめた。
ヨーランは、円奈の視線には気づかず、マイミの歌声の前で、眠たそうに、体をゆらしていた。
「さあ、うたおう、いっぴーいっぴーあい、いっぴーいっぴーあい…」
マイミは、ラインバウの笛の音にのせて、歌詞を口ずさむ。
「彼女はきた、山からきた、山らきたとき、6頭の白馬をつれてきた…さあ、うたおう、いっぴーいっぴーあい…」
「東世界の大陸、つまり聖地エレムのあたりじゃ、あたしら西大陸の人間には想像できないほど危険な紛争地域だ」
シタデルは、円奈に語りつづけた。
その顔つきは、真剣である。何せ、魔法少女にとっても聖地、円環の理の誕生地であるからだ。
「キミもそれに巻き込まれ、聖地に向かっているのだろう」
「…」
今日の森のような戦闘は、戦争ですらない。つまり、戦争が起こっている国は、もっと惨いことがあるのだ。
しかもほぼ全世界中から魔法少女たちが巡礼に訪れる果てに勃発した戦いだというのだから、円奈がこの目で
かつて目にしたこともないほどの大きな戦いがあるのだ。
そして東大陸の聖域と呼ばれる国にたどり着いたとき、実際に円奈はこの時代の、想像を超えた人数と魔法少女が戦われる
戦争を目の当たりにする。
さて、肉を平らげて、幸せなご馳走を味わった魔法少女たちは、森で立ち上がり、夜空をみあげる。
三日月。
前は新月だったが、やっと月が現れだした三日月。
西暦3000年後期の地球の夜空に浮かぶ。黄金色の月。雲のあいだで光っている。
鹿目まどかが生きた文明栄えた世界が、こうになるまで滅び去った1000年の間に起こったことは、
暁美ほむらに語られるまで円奈は知りえることはなかった。
円奈の母・鹿目神無が、それを娘に教えることを憚ったから。そしてそれが、神の国を亡命しバリトンの村で
円奈を生み育てようとした理由でもあったから。
「よーし、腹を拵えたあとは、魔力の拵えだ」
リドワーンら一行の魔法少女のうちの一人、アルカサルが、不思議なことを言い始めた。
月を眺め、顔をあげ、その瞳に、美しい三日月を映している。きらきらと、空に輝く星と共に。
そして、魔法少女は、月を見つめつつ、森の下で宣言するのだった。
「サバトの集会を開こう」
鹿目円奈は、この夜、魔女の集会と知られていたサバトの集会に、思いがけなく参加することになる。
魔法少女たちの開催するサバトの集会。
それは、円奈にとって、15年の人生のうちでも、もっとも奇妙な体験となる。
今日はここまで。
次回、第74話「サバトの集会」
第74話「サバトの集会」
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「サバトの集会って?え…」
円奈は深夜の森のど真ん中で愕然と立ち尽くした。
背中に抱えた弓さえ、疑問符を浮かべたように、くねった。
鹿目円奈は魔女狩りの王都・エドワード城の第三城壁区域にて、魔女刑の審問を受けたことがある。
いろいろ質問された挙句、魔獣と戦っていますという話をしたら、気狂い扱いさえされて、おまえはサバトの集会に
参加していただけだと詰問されたあの体験。判決は、火あぶり。
もちろん、円奈は、サバトの集会なんていってません、と答えたが、もうどんな話も審問官には通用しなかった。
さて、今まさに、そのサバトの集会が始まろうとしている。
魔法少女たち11人が、皆、ソウルジェムの力を解き放って変身してしまい、色とりどりで綺麗な衣装に変身して───
環をつくっている。
何を始める気なのか。
それは、女性神、つまり女神をたたえる儀式である。
あわや悪魔を崇拝する儀式でも集会でもないし、乱交にふける邪悪な集会でもない。女神を崇拝する儀式である。
女神を崇拝しつつ、契約して得た魔法という力を磨き、感じ取り、精神的に一体化しようという集会である。
自分の体の中に宿る魔法という力をより引き出し、魔術に対してより敏感な感性を得ようとする儀式である。
いったい、どこの、どんな場所で、魔法少女たちは自分の魂に眠る魔力を、より過敏に感じ取ることができるのか?
そこは、自然の真っ只中である。
エネルギーとはどこから来るのか?
支え、創造するエネルギーが女性の裡にあることを魔法少女たちは知っているので、彼女たちは集まってこの
エネルギーを共にする。同じエネルギーが自然の裡にあるので、われわれは自然にいっそう近づいて力を共にしたい。
魔女のもっとも普遍的な特徴は自然を愛し敬うことである。たいていの魔女にとっては、神は自然に内在している。
地球を女神の顕現形と感じて、魔女たちは自然を愛し尊ぶ。
自然との対立という伝統が、双児の弟である物質的「進歩」の信仰という世俗化した形に変わって、醜悪な工場、
見苦しい都市、貧しい人々の搾取、鈍重な精神を作り出した。
人間と自然のもっとも親密な一体感に戻るほうが、地球にとってもわれわれの精神にとっても良いことだろうと
魔女たちは言っている。
したがって、魔術の儀礼や祭礼は、季節や月の位相、そのほか宇宙のリズムに合わせて行っている。
魔女たちの主神は「女神」、大地の女神、月の女神、豊穣の女神として知覚される自然の神性である。処女の戦士であり、
母であり、闇と再生の醜い老婆であるという女神の三重性が強調される。
この集会では、瞑想の技術を練習し、精神と意思を集中することを習う。「月を招きおろし」、女神の力を顕現させる
大祭司の役を演じる準備をして、自分の魂にエネルギーを集めることを学ぶ。
木に話しかけ──応答に耳を傾け──ることによって、自然に心を開くことを学ぶ。魔術の道具を手に入れ、
それらに自分の人格を付与する。人格を付与した道具をもつ魔女は、それを他人の手に触れさせない。
魔術の道具は古来より、たいていは、水晶球、ルーン文字、ステッキが代表格である。
しかし、ことサバトの集会において最も重要な道具は、アサムという柄の黒い両刃の短剣で、礼拝の円を地面に刻んで
奉納し、男神と女神を換びおろすために使う。
杖、ステッキまたは剣は、力と支配をあらわす。
ろうそくは光と物質のエネルギーへの変化を表し、男、女、動物を象ったものが使われる。
「シンギュラム」という細いひもを組んでつくる組ひもはウェストに巻いて、星の効力をあらわす。
神聖な円を描くときのものさしとして使われることもある。リボン、ローブ、水晶球、太鼓、そのほか、小さな道具類も
使われることもある。大がまも女性の象徴だが、ふつう火にかけるのではなく、その中で火を焚く。
これら道具は力を充たされ、ルーン文字とその他「神秘的」な文字を刻まれる。魔女の所有物でもっとも重要なのは
「影の書」である。羊皮紙とレザーを使って手作りするのが理想だが、白紙帳簿と変わらないあっさりしたものである。
「影の書」には魔女が学んだことの記録、呪文、儀礼の形式、歌、感想などを記入する。個人の「影の書」は持ち主が
死んだら破棄されねばならない。
魔女の大きな祭礼ないしサバトは年に八回ある。サバトは、季節の変化、田園生活の変化を祝う古来の祝祭を起源とする。
最初が12月20日か21日、冬至を祝う。次は2月1日か2日。オイメルク、インボルクとも呼ばれる聖燭節、
3月20日か21日のエオストル、春分の日は豊穣の祭である。4月30日はベルテーン祭、メーデーの前夜祭、
のちに、ヴァルプルギスの前夜祭と名前が変わった。6月21日、夏至、8月1日、収穫祭、ラマス、
9月20日か21日、秋分、10月31日、サムヘイン、ハロウィーン。
サバトの集会、あるいはカヴィンでの装い、大きくわけて二種類。
ローブを着て集まるか、裸体。
裸体でいるのは自然力との接触が高まるという理由で説明されることもあれば、階級差が消えると説明されることもある。
魔女たちは会合の準備として瞑想し、またしばしば沐浴と塗油をおこなう。
さあ、古来の伝統ともいえる魔女の儀礼は、この時代の魔法少女たちがどのように執り行うのか。
鹿目円奈にはさっぱり意味不明な儀式は始まる。
アルカサルやマイミ、レイファ、芽衣、ラインバウ、ホウラ、ヨーラン、ブレーダルたちが、目を閉じて、
魔法の変身姿となったまま、ふらふら瞑想している。森のど真ん中で。
月が降りてくる森の光に、身を委ね、自然力との一体化をはかっている。
一体、どうして、ソウルジェムを生み出した魔法少女たちが、このような、自然力を重視するのだろう。
自然との一体化を儀式の中で試みるのだろう。
魔法とは何かというところにも関係がある。
瞑想が終わると、アルカサルが、剣で直径9フィートの呪術の円を描き、アサムが剣で掘りくぼめる。円内に五線の
星形を掘る。
魔女たちは、この円の内部に、宇宙の力を集める。魔女の円は神聖な円、神聖な空間、人間の世界と女神の世界の、
中間の場である。二種類の実体が接触する場であり、その力を吸収してみずからも宇宙の霊力となることのできる場である。
円には北、地を表わす、南、火を表わす、西、水を表わす、東、大気を表わす、の四方向が印づけられる。
地、火、水、気。古代の四大元素。
「月をひき降ろす」、すなわち踊り、歌、瞑想を通じて、女神の力と存在を自分の中に受け入れ、ある意味で女神となる。
すると、サバトの集会の参加者となった魔法少女たち同士が皆、手をつないだ。
そして、円を作って歌い踊る。
円の中心の一人の魔法少女、姫新芽衣が立つ。
エネルギーが頂点に達したことをかの女が感じたとき、力の円錐が生まれる。儀礼と瞑想の技術によって強められ、
集合的に一致して一点へ向けられた状態のことを、こう呼ぶ。
この力の円錐はどこへ向くのか。
この日、魔法少女たちは、月の復活をしって、治療魔法の取得へとそれを向けた。
完全に欠けていた月が、やがて、形を取り戻してゆく。三日月から半月へ、そして満月へ。形を回復する。
その自然のリズムに重ねて、治療魔法の習得をこころみる。
逆に、月が欠けてゆき、満月から半月へ、三日月へ、と形を崩していく位相のときは、治療魔法ではなく、
予防魔法の取得に力をむける。形の崩壊に歯止めをかけるのだ。
「魔法」とは、自然の力より呼び起こされる。
魔女とは何であるのか。witchという言葉は、古代語のwiccian、「魔法をかける」という動詞に由来する。
時代を通じて、「魔法」は、超自然的な力のことだと思われがちだった。
たとえば箒に乗って空飛ぶ魔女の姿。これは重力という自然に逆らっている。人に呪いをかけてカエルの姿に変えてしまったり
する魔法もまた、物理法則に逆らっている。何か妖しげな薬草を調合して、カエルやハゲワシの死体をかまどでぐつぐつ煮て、
天候に悪さをする魔術もまた、自然の理に逆らっている。
しかし、空飛ぶ魔女が現実にいることはないし、人を呪いでカエルの姿に変えてしまう魔女は実在しない。
カエルとハゲワシの死体をまぜて妖しい魔法薬を作る魔女たちの邪悪な姿も、また空想である。
つまり超自然的な魔法というのは空想である。
では、現実世界にある魔法とは、何であるのか。
いや、そもそもこの世界に魔法なんてないではないか、という発想は、実際とは異なる。
古代人が、たとえば20世紀の、遠く離れた人と携帯電話で通話し会う光景を目にしたら、「これは一体なんの魔法だ」
というだろう。
空を人が飛んでいる。月面に着陸さえ、してしまった。
「なんの魔術を使ったのか」と古代人はいうだろう。
いわゆる科学の起源は呪術にあり、化学的な発見をしてきた人々の大抵は、当時では「呪術師」と呼ばれた。
黒色火薬が、火を近づけると爆発するという現象は、20世紀の人々からみれば、化学反応による体積の膨張とみるが、
発見した当時の人にとっては魔法でしかない。
それと同じで、20世紀の人が、時間を飛び越えて過去に戻れるような人をみたら、「なんの魔法を使ったのだ」と
叫ぶだろう。時間遡行者・暁美ほむらは魔法少女だった。
だが、20世紀の人々からみれば、過去の時間軸に遡行して戻るという超現象が、「魔法」と呼ぶべきものでも、インキュベーター
の技術力からしてみれば、「技術」でしかない。
魔法とは技術と区別つかない。
たとえば、ソウルジェムを生み出した「魔法少女」たちを、仮に「技術少女」と呼んだとしたって、大きな間違いがない。
暁美ほむらは、時間を止める技術を持つ少女であり、佐倉杏子は、幻惑を使う技術を持つ少女であり、巴マミは、
リボンを操る技術を持つ少女であり、美樹さやかは自己治療の技術を持つ少女である。
呪術の根本はコスモス、すなわちあらゆる部分が相互に関係しあっている整然とした首尾一貫のある宇宙万象の存在を
信じることにある。
これはまた、おおかたの科学理論の基礎になっている斉一性の原理の根本でもある。
あらゆる部分が相互に関係しあい、影響しあっているような宇宙万象においては、人間ひとりと星、植物、鉱物、
そのほか自然現象とのあいだにも、どれほど希薄であるにせよ、関係が成立している。これか呪術的な照応への信頼である。
人が、比較的に簡単におこなえる単純な魔法、つまり下等呪術は、自動的な呪術、すなうち一定の行動をすれば、
それに応じた結果が得られるというものである。いいかえると"因果"である。
すべての呪術と同じように、魔法は、宇宙は一つの総一体であり、したがってすべての自然現象の間には隠れた"因果関係"が
存在するという仮定の上に立っている。
魔法使いは自分の知識と能力によって、このような関係を支配して、あるいは少なくとも影響を与えて、自分の求める
実用的な結果を得ようという試みをする。
もっとも単純な魔法は、ある別の物理的な現象を引き起こすためになにかの物理的行動を機械的に行う、というものである。
男性のインポテンツを引き起こすためにひもに結び目をこしらえたものをベットの下に置く。
あるいは稔りを豊かにするために種まき後の耕地で性交をする。あるいは苦痛を与えたり体を傷つけたりするために
人形や画像に釘を打つ。
魔法の思考過程は分析的にというより直感的である。
人生の中で経験する情緒に満ちた体験によって、魔法が思いかけず考案されることもある。
たとえば腹たちまぎれに、友人と喧嘩してしまい、あんなヤツ死んでしまえ、と心で呪いながら、
友人を殴るつもりで枕を殴ったとする。ところで翌日になって、友人が急死したと知らされる。
そのとき、自分の行為がひょっとして友人の死を引き起こしたのでは、と罪悪感を感じる人がいる。
もしも隠れた関係の成り立つ宇宙を信じる人であれば、人を呪い殺す魔法を使ってしまったことを確信して、
罪責感はより強いものとなる。
これが「魔法」である。「魔法少女」とはつまり宇宙の隠れた成立関係の因果による魔法を使える少女ということである。
魔法少女の素質の高さとはつまり宇宙内在の因果の強さをそれだけ持っているということである。
宇宙そのもの総体の因果成立関係を、その一身に集めてしまった鹿目まどかのもてる魔力は、
こういうわけで、万能の神にさえ例えられる魔力を手にした。
サバトの集会は、魔法の力が宇宙自然の内から発することに信用を置いて、自然に立ち返り、魔力を高めようとする魔女たち、
または魔法少女たちの呪術的な儀式の集会であった。
だから、自然に立ち返るため、手をつないで歌い、踊っていたアルカサルたち魔法少女たちは、変身した衣装を脱ぎ捨て
はじめて、しまいには全裸になる。
裸というのは女性のもっとも自然的な姿であり肌を自然にさらすことは自然との一体化をはかる儀礼だからである。
それを、ぽかーんと見守っていた円奈が、この輪に強制的に参加させられる。
全裸になった白い肌の少女たちが円奈に迫り、言うのだった。
「あんたも裸になるんだよ」
「ええっー?」
円奈は、飛び退いた。
自分の身を守るように、両腕で自分を抱きかかえて、全裸状態だが変身中の魔法少女たちから逃げる。
「いいよっ、わたしは、みてるから!」
しかし、全裸になった11人の魔法少女たちが、見学など円奈には許さない。
「いいかね、魔法の習得というのは、心の調和、それが大切なのだよ。皆、同じようにならないといけないのだよ」
「えっー…」
顔を赤くする円奈。
目の前には、素っ裸になった魔法少女たち。もう、異様としか思えない光景。
しかし、数分後には、チュニックの服もベルトも剣の鞘もロングボウも、すべてひっぺはがされて、全裸となって
森のど真ん中で、裸体の魔法少女たちと手をつないで五芒星を描いた円のまわりと踊っている、顔が真っ赤な円奈の姿があった。
まったくもって刺激的な体験だった。
サバトの集会は、かくも自然を崇拝する異教的儀式であったために、迫害の対象となってきた。
とくに、自然を賛美すること、異教の女神を信仰する豊穣の儀式であるこの集会を目の敵にしてきたのは、キリスト教会であった。
キリスト教会は、異教の神々を信仰するこの豊穣儀式を、邪悪なイメージに当てはめて迫害してきた。
まるで、サバトの集会というものが、邪悪な魔女たちの集まりであり、子供の肉を喰らっているかのように悪魔的な
イメージを定着させた。
しかも、そこに登場する悪魔の姿は、羊の角をもった化け物として描かれるが、この頭に角をもった悪魔というのが実は、
豊穣儀礼で崇拝された自然界の神々の姿を借り物としている。
キリスト教会はそれをそのまま悪魔の姿に定着させてしまった。
ヴァルプルギスの夜という儀礼も、あたかも悪い魔女のイメージが定着している。そのイメージの中で、魔女たちがブロッケン山の
野外で悪魔たちとの乱交にふける邪悪な宴を描写している。
これまた、自然崇拝を目の敵にしてきたキリスト教会の暗躍が垣間見れる。
ヴァルプルギスの夜という名前の由来は、聖ヴァルプルガという修道女にちなんだ。が、そのヴァルプルガという名前には、
”母なる大地”、”地母神”といった意味がある。キリスト教会は自然崇拝を激しく否定し、ヴァルプルガという
名前さえ、邪悪に置き換えた。
鹿目円奈は仲間の魔法少女たちと全裸になりながら、五芒星を描いた輪の周りで、踊り続けた。強制的に。
円奈は魔法少女とならないまでも、きわめて魔法的に近い経験をその人生で味わったのだった。
今日はここまで。
次回、第75話「ミデルフォトルの港」
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第75話「ミデルフォトルの港」
翌朝、朝霧たちこめる森の地平線、太陽が赤く昇ってくる頃、円奈は旅の支度をおえた。
「はぁ…」
とため息つきながら、全裸の姿から服を着て、腰にベルトを巻き、剣を鞘にさす。
その剣は、青白く光る。けれど、魔獣を相手にする気分にもなれない。
朝日の赤みが剣を反射する。その光は森のどこかを鋭く照らす。
クフィーユの背中にまたがり、あけぼのの焼ける空をみあげ、冷えた空気をすうっと鼻に吸った。
鹿目円奈たちの一行は、ついに、ミデルフォトルの港、西世界の大陸から東世界の大陸へつながる港のあたりにきた。
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それはつまり、リドワーンらの一行との別れを意味した。
鹿目円奈は、この魔法少女たちの異様な魔法の儀礼を目の当たりにするという、珍しい経験をさせてもらったのち、
この一行とわかれる。
「港にいくんだったらこの川をくだるんだ」
と教えてくれたのは、聖地出身のヨーラン。
魔法少女たち11人は、川辺のほとりにたって、みんな円奈を見送っている。
「あばよ、エドワード城を橋渡しした騎士!」
と、手をふってくれたのは、アルカサル。ロングボウの魔法少女だ。
橋渡しした、とは、魔女狩りが起こっていて、だれの魔法少女も通れなくなっていたあのエドレス王都の城を、
魔法少女狩りに抗議することによって、橋を渡る機会をつくった、という意味だろう。
「それ、みんなが壊しちゃったけどね!」
円奈はいま、川をくだる小舟に乗っていた。クフィーユと共に。舟に浮かび、川の上で手をふっている。
対して別れた12人の魔法少女は川辺の陸地に立っていた。
「みんな、じゃあねー!ばいばい!」
「達者でな、聖地についたら手紙よこしてくれてもいいぞ!」
と、ブレーダルがいったが、もちろんジョークである。手紙なんかだせっこないのを分かっているのだ。
そうもしているうちに、川はながれ、舟は円奈を運ぶ。魔法少女たちと円奈の距離はひらく。
円奈は川に浮かぶ舟に運ばれて遠くなる。
霧の中へ。
「あんたのおかげでな、エドワード城を通れたんだ。みんな、感謝してるんだぜ!」
と、叫んでくれたのは歌娘のマイミ。
きらきらした紅色の目をした魔法少女。
隣のリドワーン、王女も、円奈を見送っていた。相変わらず、無口で、沈静としていたが。
「あなたたちこそ、道を教えてくれてありがとう!」
川をながれゆきながら、円奈も叫び返す。お互いに叫ばないと、声が届かない距離になった。
舟は川をながれる。舟は、サルファロン現地民の舟屋を雇って、ミデルフォトルの港までの運賃を払って雇っていた。
舟屋は、櫂を川に突っ込みいれ、すーーっと漕いで川の流れに舟をのせ、円奈たちを運ぶ。
「元気でねー!」
「じゃあな、変な髪の騎士!」
魔法少女たちは叫び返す。その姿も、朝霧にまみれて、もう影しかみえない。
「こんな土地でくたばるな!生きて聖地へいけ!」
円奈はすると最後に、指二本を唇につけ、目を閉じ、その指を次に額へ添えると、最後にびっと腕を前に
差し出して別れをつげた。
川に浮く小舟の上で。ゆらゆら流されつつ。
これは、西世界の大陸でありがちな、餞別の挨拶の仕方であった。
ミデルフォトルの南に、円奈はむかう。
川は朝霧のなかを流れ、舟は森を運ばれていく。朝ではあるが、寒くて、霧の濃い川は夜のように暗い。
円奈は舟にクフィーユをのせて、舟の小部屋に入ると、その中で蝋燭に火を灯し、室内で羽ペンをもち、
テーブルにむかって、ぐらぐらと舟が水面にゆさぶられて揺らぐなか、羊皮紙の日記にインクでその日の感想を記した。
横文字で。
羽ペンの先が黒いインクに浸され、羊皮紙の紙面に、円奈の文字が記されていく。
ろうそくの火に灯されながら。
”その日わたしは考え始めていました───”
ぐらっと、また舟がゆらぎ、するとろうそくの火が弱くなり、一瞬、室内が暗くなる。
しかし、すぐに火は元の強さを取り戻し、また明るくなった。
円奈の手の指先が、羽ペンを動かし、古びた紙面の1ページに横文字をインクで記す。
仄かな白い蝋の灯火の元で。少女の白い手先が羽ペンを動かした。
”もし魔法少女が、戦いを宿命づけられている人たちであるなら───”
羽ペンが書き記すは、日に日に募る疑問。
それは、戦いとは、なぜ起こるのか、ということである。
少女の手によって羽ペンで書かれ、文字は増えていく。横へ。
”彼女たちは、どのように自分を納得させて他人の命を奪うのでしょうか?”
円奈も、騎士として、戦うことが職業であるから、戦いを宿命づけられていることは魔法少女と変わらない。
また、騎士は戦うから、給料を得られるのである。
しかし円奈は、お金のため、と思って、他人の命を奪ったことはなかった。
ジャンヌダルクはどのように自分を納得させてトゥーレル砦のイングランド兵たちを焼き殺してしまったのだろうか。
ブーティカはどのように自分を納得させてローマ兵たちを捕虜もとることなく殺し続けたのだろうか。
”そうせざるを得ない状況に巻き込まれること───”
円奈の手先は羽ペンで日記の古びたページに文字を記し続ける。
”それが戦いを宿命づけられるということなのでしょうか?”
かきかき、と羽ペンが動いて、1ページも終わりに近づく。インクの横文字で埋め尽くされる。
”過去にもいろんな戦争がありました。彼らは、そうせざるを得ない状況に巻き込まれたから、と───”
最後に円奈は、疑問符を横文字の最後尾にちょこん、とインクで打って、その日の日記を完成させる。
”そう納得できたのでしょうか?”
ろうそくの火は消え、舟の室内は暗くなった。
霧はますます、暗く濃くなった。
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翌朝、円奈は舟で川をくだりつづけ、雇った舟の運び屋に、目的地についたと異国の言葉で話される。
ふあ…とあくびを大きく口をあけて、目を覚ます。ピンク色の目が眠たそうに瞼をあげた。
言葉が通じないので、とりあえず口で、”ミデルフォトル??””ミデルフォトル??”と繰り返し地名だけきいて、
すると相手がコクコクと頷くので、目的地についたと円奈も確認できた。
運賃をあらためて払い、円奈は舟からクフィーユをつれて折り、岸に渡って陸地に着く。
舟の運び屋は櫂を漕いで川を戻っていった。
それを見送った円奈は、運び屋が森の奥へ消えると、くるりとむきを変えて、港町を見渡した。
円奈がたっているのは高崖の上で、そこから港町の全貌を一望できた。視界がすっかり開けていた。
「わああ…」
生まれて初めてみる港町の景色に、また、声を漏らしてしまう円奈だった。
海。
森を抜けた視界の先に、海があった。眩いばかりの。
海の、想像絶する広さ。青色の湖が、森や山、野原に遮られることなく、世界の果てまでずっと、つづいていた。
その壮大さに息をのむ。
生まれて初めて見る海。きらきらと水面に朝日を反射し、それが空のむこうまで伸びている海。
青かった。
海へ昇るあかつきの朝日は港町に差し込み、日差しにやわらかく照らされる。
海が港町に接している湾は、小さな船から大きな船までズラリ並んで浮かび、錨や鎖で港の発着場につなぎ合わされる。
船に乗り込む発着場は、木造で、柱が海の上にたてられて、橋が伸びている。
朝早いこともあって、人気が少なかったが、目的地に着いたこと、聖地にまた一歩、近づいたことに、感激をかんじる
円奈は、崖から港町へ降りられる斜路を降りた。
551
港町に下りると、たくさんの家屋や売店、小屋、納屋、厩舎などが立ち並ぶ通路へきた。
通路は、砂を敷いたじゃりじゃりとした道であった。その小路の両脇に、店や、小屋が、立ち並ぶ。
レストランであったり、ギルドのお店であったり、舟屋だったり、宿屋だったりした。
円奈は、馬の轡をひき、馬の食事を買えるお店を探した。
ところがそのとき、小路の先に、円奈は五年前にみた印を久しぶりに目の当たりにしたのである。
それは、六芒星の魔方陣だった。
その印を描いた旗は、その印を国章としているエレム軍の騎馬に跨る、騎士の持つ軍旗だった。
六芒星に二重円を描いた紋章であることもあり、その場合、六芒星の中に何らかのルーン文字みたいなものも細かく
織り込まれる。
朝日のてりつきをうけて神々しく光るそれは、円奈が、五年前、来栖椎奈に市場につれていってもらったときに、
エレム軍がきたとき、目にしたもの。
聖なる六芒星の印し。
つまり円奈は、目的地エレムの、その国の軍と、ついに合流を果たす。
円奈はバリトンの騎士であったが、いよいよ、聖地をめぐる聖戦、エレム軍の騎士に加わるのである。
…はずだった。
552
小路を抜けて、港町を海岸へすすんだ。
発着場に白い帆を張った舟がぷかぷかと海に浮かび、たくさん並ぶ発着場にきて、円奈は、エレム軍に話かける。
それは、男の騎士だった。
馬具にクロスボウを吊るしていた。
「バリトンから参りました、鹿目円奈ですが…」
男騎士は、鎖帷子をかぶった顔の布をとり、じろっと円奈をみおろした。
「そんな名前の騎士はきいとらん」
といって、冷たくあしらわれた。
「はあ…」
円奈は、がっくりくる。
ほんとに、ここにくるまで、いろいろと死ぬほど大変な目にあってきたのに、その態度とは。
しかし、円奈は気づいてないが、相手が円奈のことを知らなくても当然である。
バリトンから聖戦に参加する予定の騎士は、来栖椎奈だったのだから、代わりに無名の鹿目円奈なる騎士がきても、
相手からすれば、そんな騎士しらん、となるわけだ。
その事情を説明し忘れている。
ガイヤール軍を追い払った功績も、聖エレム軍は知らない。エドレス国内で有名なだけである。
もし円奈の母、鹿目神無が現役でエレム軍の指揮を執っていた過去の頃であったら、”鹿目”ときいだけでこのエレム騎士も
何かピンときたかもしれないが、この若手騎士はすっかりエレム国内で抹消された鹿目神無の記録を知らずに育った
わけで、円奈を何とも思わぬ青年へと成長したのだった。
ざざー。
海が静かに波を打つ。
港の並ぶ舟が、波に打たれてゆりうごく。ごごご…と、舟の高く帆を張るマストの柱が、軋む音をたてる。
甲板が斜めになる。
朝日に照らされる大船の帆が風にふかれる景観は、なんとも圧巻である。
横帆と呼ばれるロープで三枚畳に吊るした大きな帆船は、風力を動力源とする。
鹿目円奈はこれに乗って大陸のむこうにある聖地エレムの地をめざすことになるのである。
船の本体には、いくつもの穴があり、砲門のようだった。
たぶん、この穴から、船の乗組員が、クロスボウを撃ったりするのだろう。
船嘴は、船の先端、鳥のクチバシのように前向きに延びている。その上の船首斜檣に、舵があり、くるくる回して
方向をとる。
その船嘴の側面にぶらさがっているのが、吊錨架、錨をつるす装置。鎖でくるくると回す巻き上げ装置である。
錨は、しょっちゅう海底へほうりなげるから、鎖もまた、ひどくさびている。赤みがかった錆色だ。
刃が上向きについている錨は、海底に投げられたとき、底をけずりとって爪がひっかけ、船を水上の一定範囲に固定する。
仕方なく鹿目円奈は、湾沿い港町の海岸をとぼとぼ渡り始め、水平線よりだんだん空を明るくしてのぼってくる日を
ながめ、海をながめ、きらきらと光る水面の景色に感動していたが、船が立ち並び、帆が海を眺めるのに邪魔して
うっとうしいなあ、とさえ感じてきたころ、声をかけられた。
「神無さま?」
顔を、海から港町に戻すと、薄みがかった婆のように白色した髪に、水晶のような色の目をした、魔法少女が立っていた。
「鹿目神無さま?いや、まさか、そんな、若りし頃のお姿のはずでは…」
「はい?」
円奈は、相手の女の子、同い年くらいの子を、眺めた。
髪だけ老いたように白髪であるが。
「わたしの母が何か…」
相手は、目を見張った。
「母ですと!ではあなたは、神無さまの娘さま?」
こうして鹿目円奈は、エレム軍の魔法少女と落ち合い、合流を果たす。
二人は港町の岸を歩いた。
日は昇り、港町に活気があふれてきた。人々は船の出港準備をはじめ、店や通りには人気がにぎわう。
がやがやがや、と人だかりが満ちれば、騒がしさも満ちる。
「初めてお目にかかったときは驚きました」
水晶色のような髪と目をした魔法少女はいう。
「あなたはまこと、いえそれにしても、若き頃の鹿目神無さまに似ていられる!まるで生き写しです」
「私の母を?」
円奈は、自分でさえ知らない母の話に関心をそそられていた。
なぜ知らないかといえば、物心ついたときにはもう母の墓が故郷バリトンの丘にたっていたから。
エレム国の魔法少女と落ち合い、二人して港町を散歩しながら、話を交わす。
発着場では、新たに到着した異国からの船からきた商人たちと、現地の商人たちとのやりとりが開始されている。
そして、そこには税関の役人が目を光らせる。
商人が運んできた物品をことごとく調べるのだ。税関にひっかかるものは、特には酒と、パン種である。
「はい、わたしは、鹿目神無さまの指揮下にありました」
そうエレム軍の魔法少女は、感激ぶりを語る。目にきらきらとした煌きが浮かぶ。
きっとそれは、朝日の反射のせいだけではないだろう。
「エレムでは、鹿目神無さまは”紫陽花の少女”と呼ばれていたんです」
「どうして?」
鹿目円奈は、髪の毛もピンク、目の色もピンクである。円環の理となった鹿目まどかと、姿がほとんど瓜二つである。
どうしてそのような姿に成長したのかは、円奈の本人はまだ知らない。母が故国、神の国を亡命する最後、
ねがった最後の祈りのことを知るまでは…。
「神無さまは髪の色が桃色で、目の色が薄青でしたので、われわれはそう呼んだんです」
といって、エレムの魔法少女は懐かしげに円奈を見やる。ちらり、と。
「”まるで紫陽花のようだ”とね」
「はあ…」
どうやら、髪の色のことで、からかわれるのは、私だけでなかったようだ。
母も同じ悩みをもっていたのかもしれない。
ひょっとしたら鹿目の先祖代々受け継がれている悩みかもしれない。円奈は、遠い目をして港町をながめた。
「それにしても、こうしていると、まるであの頃の神無さまと会話しているようです」
相手の魔法少女は楽しげだった。
「わたしの母はエレムにいたの?」
ふっとわいた疑問を円奈は口にする。
「鹿目さま、えええと、円奈さま、鹿目という家系は代々、聖地の”象徴”とよばれた家系だったんです」
と、説明してくれた。「本来、あなたも聖地出身のはずでしたが…」
「どうして母は遠くバリトンに?」
もし本当に自分が、本来は聖地出身になるべき家系であったのなら、聖地に旅することはある意味、
故郷への帰還、ということになる。
それにしても疑問が次から次へとわいてくる。
「”象徴とよばれた家系”って?」
「鹿目さま、ひとつひとつ、説明申し上げます」
薄みがかった髪の魔法少女は、丁寧に説明してくれた。
「まず、神無さま、あなたのお母様が、バリトンへきた理由ですが、暁美ほむらとの喧嘩別れです」
「アケミホムラ?」
それは、円奈がエドワード城にいたときに、初めてきいた名だった。
ヨーランという聖地出身の魔法少女が、火薬の作り方を、そのあけみほむらって人から教わったといっていた。
「神無さまがもっと幼いころは、ホムラホムラ、って、くっついてばかりいたんですが、大人になるにつれて、
神無さまは暁美さまと喧嘩するようになりましてね、ついに神の国…エレムを出たんです」
「暁美ほむらって?どんな人?」
円奈は疑問をまた、口にした。
「預言者とも呼ばれています。円環の理の声をきけるそうです」
と、魔法少女は話した。
「わたしたち魔法少女が、円環の理によって導かれること、その先に、神の国があることを知れたのは、
そのお方が私たちにそれを伝えたためです。わたしたし魔法少女たちにとっての伝道師のようなお方です。
それまでわたしたち魔法少女は、ソウルジェムをにごらせると何が起こるのか知らない日々をすごしていました。
その意味では、救い主のような人でもあるんです。希望をくれた人、といえばわかりやすいですかね。
その人の話をきくために聖地にくる魔法少女も、われわれの国にはあとをたちません」
「聖地ってすごいなあ…」
そんな人がいたなんて。円環の理の声をきける…。
でも、円奈にとっての円環の理は、ウスターシュ・ルッチーアのときの死のような、あのむごたらしい最期の
イメージが強く、こびれついている。
「円環の理って、神さまなの?」
神の国、それは、円環の理の国。天の御国。
「元は魔法少女だったんです。その願い事が、壮大だったゆえに、神のようになった、といえるでしょう」
この時代の魔法少女は、暁美ほむらの懸命な語り継ぎのために、円環の理がどう誕生したか、だいたいは知っていた。
「”すべての魔女を消し去りたい”それがその人の願いでした。そして円環の理になったのです」
「魔女を消し去る?」
円奈にとって、魔女とは、魔女裁判のような、魔法少女たちが悪者のように貶められたイメージである。
「われわれ魔法少女は魔力を切らすと魔女へと変貌する世界があったそうなのです」
と、その魔法少女は語った。
ざざー。また、港町に、海の音がした。
「ですがその人は、魔法少女を魔女に変貌させないために、われわれの地エレムにて、
1000年か2000年ほど昔に、その願いをかなえた。それが暁美ほむらによって語られている歴史です」
「魔法少女が魔女に変貌…?」
円奈にはピンとこない話である。
この世界には、魔法少女が変貌した魔女は存在しないから、わからなくて当然である。
しかし円環の理が、実は一人の魔法少女であった、というのは円奈にとって新しい情報だった。
「えっと…それで、円環の理は、その暁美ほむらって人にだけは、話が通じるの?」
「そのようです」
と、彼女は言った。二人は港町の岸を歩き続け、中心街へくる。「ですから、預言者と呼ばれることもあります。」
「象徴家系って…?」
鹿目という血筋、家系が、聖地では象徴家系だった、ときいて、円奈は気にかかったのである。
ひょっとして、自分は何かとんでもない家系の生まれなのだろうか、とさえ思念した。
「聖地では、鹿目さまの家系は文字通り”象徴”だったんです」
彼女は答えた。にぎわう港町の中心街がみえてきて、たくさんの人の人ごみに、彼女たちはまぎれる。
樽に集まった男たちは愉快にサイをふって博打に夢中だ。その横を武装した円奈とフレイが並んで通り過ぎた。
何人かの博打に盛りふがる男たちが、15歳の少女が騎士風情に武装している姿をみて、けったけった笑い声あげて
じろじろ眺めた。
「権力の座についているわけでなく、政治に手出しするわけでなく、ただ国家の象徴でした。エレム国に鹿目家あり、
という意味合いだったんです。しかし尊敬されていました」
円奈に視線を送る。意味深に。
「それは、暁美ほむらさまが特別に鹿目の血筋に手をかけてきたから、われわれもそうするんです」
「わたしの母がエレム国の象徴だった?」
円奈は初めてしる情報の多さに戸惑いながら、疑問を口にだす。
「そうです。”失わせてはいけない記憶の血”だそうです。もちろん、あなたも聖地に生まれていれば、
象徴としての人でした。しかし神無さまは、戦場に出て、指揮官となって武器をとりました」
自分の母が、聖地で象徴の家系であり、しかも、指揮官になった。
そんな母だったなんて。
円奈は、自分が旅することもなかったら、母のことも自分の生まれのことも、こうして知ることも
ないままだったんだろうなあ…と、しみじみ、かんじていた。
しかし、なぜ鹿目の家系は象徴なのだろうか?
なんとなく、その疑問の鍵は、暁美ほむらという人が、にぎっている気がした。
「われわれの土地を狙う雪夢沙良と鹿目神無さまは、戦場で対決しました」
「ええ?」
円奈も、ついに吃驚の声をあげた。
雪夢沙良といえば、昔でいうなら、秦の始皇帝とか魏の武帝とか、ダレイオス王、キュロス王に匹敵する大君主のはず…。
魔法少女が歴史の表舞台にでてくる今どきの。
そんな敵と母が戦ってた?
「あれは、奇跡の勝利でした。わたしもその陣営にたち、神無さまと雪夢沙良の敵陣に突っ込む名誉な軍役につきましたが、
あの光景は生涯、忘れられませんね!」
と、興奮した様子で過去を語った。
「あなたの母は英雄でした。もっとも、象徴の家系が軍事に口をだすなと王家の側が猛反発して、それがいざこざと
なって神無さまは神の国を追放される、もとい、離れる一因にもなってますが……雪夢沙良25万の軍に、神無さまは
4万のわが軍を、斜形陣にしてわざと敵の前線への攻撃を誘い、騎兵の煽動と組み合わせて、敵陣の中央にわずかな
突破口をつくったんです。ご存知です?これは、アレクサンドロス大王がペルシア王をおいつめた、あの作戦ですよ!
その再現を、まさにしてしまったわけです!その場に、神無さまの背後にわたしはいました。そして、神無さまは
雪夢沙良の陣に突っ込み、槍を投げ込みましたが、間一髪でかわされてしまいましてね、自軍の左翼が潰えて、
あえなく撤退です」
「わたしの母が、そんなことを…」
ぽかーんと、新事実を知って、頭が白くなる円奈だった。
わたしは、そんな人の一人娘だったの?
小さい頃から孫子呉子が大好きだったのは、母の血だった?
「しかしそのあと軍部との亀裂が深まってしまいましたね、ああ、神無さまは悲しい将軍に
なっています…」
魔法少女は、手で涙をぬぐった。
「夜宴の酒飲みのとき、神無さまは、酒を口にすると手に負えなくなる人だったんですが…ほむらさまとついに大喧嘩
しましてね、”ほむらが、わたしにかっこよくなっちゃえばいいんだって、いったくせに、最後までわたしを象徴としてしか、
みてなかったな”と叫んで、王家の側の暗殺未遂もあって、ついに神の国をでたんです。その先にたどり着いたのが
バリトンの村だったのでしょう。そのとき、象騎兵と戦ったときの兵站を管理していたエレム兵の男、アレスが、
神無さまを暗殺未遂から助けまして、その男と神無さまは旅立ったのですが……父親のことは?」
円奈は首をヨコにふる。
「父のことも何も…」
生まれたときから、両親の顔をしらなかった。まさか、二人とも、聖地出身の人だったなんて。
わたしは聖地に生きていた家系の娘だったなんて。
「父も母もいまは亡きお方とは、残念です」
彼女は目にたまった涙をまたぬぐい、そして、ようやく名乗った。
「鹿目円奈さま、よくぞ祖国エレムへ戻られました。わたしはフレイ、鹿目神無さまの指揮下で戦いました、
聖エレム軍の軍役にある者です」
553
かくしてフレイと円奈の二人は、港町の酒場、通路に面してひらけた場所にて、テーブルにつき、酒を交わす。
昼間から。
「エレム軍に合流できたことが私のいまの喜びです」
と、円奈はフレイに語った。
二人の手には、鉛グラスが握られていて、中には、ブドウ酒が注がれている。
「エレム兵に加わる騎士としてこの港を目指していたんです。いろいろ寄り道というか、足止めにもあいましたから、
もうてっきり、合流に遅れているかと…」
「われわれがこの港町にとどまるとこ、三ヶ月ほどです」
と、フレイは話した。
「東世界の大陸の、あらゆる国に散らばったエレム民族に増援をよびかけています。1万7千、こっちの大陸で得た
援軍の数です。皆、葉月レナさまに忠誠を誓っている誠実なエレム民族の同胞たちです。その中にも本来、あなたさまの仕えた
、来栖さまもいたはずですが…」
と、悲しげに目をおとした。
円奈も、鉛グラスをテーブルにおき、寂しげな顔つきをした。
「椎奈さまにかわって、わたしがここにきたんです」
「おひとりで?」
フレイは気にかけていたことを円奈にたずねた。
「うん…」
円奈は顔を落とし、おずおず、答えた。
「お一人でこの港まで?大変だったでしょう」
フレイが察すると、円奈も苦笑した。
「そりゃあもう…死ぬほど大変な目に…」
本来は、椎奈率いる200人の村人と共に、この港に着くはずだった。
しかし、危険に危険が重なり、村人たちは村へ帰る。椎奈は息絶える。円奈だけが、そのとき騎士となって、
聖地に旅する使命を負った。
自分もエレム民族の一員なのか、それともエレム人とはまったく別の血筋があるのだろうか、自分の体の中には。
「あなたが命あれば、聖地はあなたを迎え入れます。”失われた象徴が帰還した”と」
フレイは話した。
「神無さまが神の国を追放されてから、聖地は象徴が不在でした。でもあなたが帰還するのです」
「…」
円奈は、自分が聖地に旅する、思わぬ意味あいを知らされて、正直にいえば、複雑な心境だった。
聖地にたどり着けば、自分は”象徴”になってしまうのだろうか?
椎奈と交わした約束、聖地にたどり着いてなすべき使命は、そんなことだっただろうか?
そもそも…
なぜ椎奈はすると自分がそういう子として生まれたことを教えてくれなかったのだろう?
と、思いあぐねいていると、トントントンと、硬い鞭が、円奈とフレイの座るテーブルを、たたいた。
円奈とフレイが、同時に酒場の小屋のテーブルから顔をみあげると、外の通路ぎわに、赤い髪の少女がたっていた。
武装していて、鎖帷子に、金色の刺繍入りマント、革の丈夫なベルト、シュルコ。
その立派な武装ってだけで、高貴な身分にある少女な気がした。
「あなた、魔法少女?」
その赤髪は、燃えるような、レッドの色だった。その瞳も、燃えているように、きれいで赤い。
勝ち気で活発そうな女の子だった。
しかし武装して歩いているところをみると、たぶん、魔法少女なのだろう。
「わたしはエレム国の軍に合流予定の騎士です」
と、円奈がいうと、赤髪の少女が、馬の調教用鞭を、びっと円奈の頬にあてた。
ぺこ、と円奈の頬がへこむ。鞭の先が円奈の頬を突く。
うう、と円奈が嫌味な顔をみせ、相手を睨むと、赤髪の少女はいった。
馬の調教用鞭をピシッと頬に圧しつけられて不愉快にならない人はいない。
「なにそれ?魔法少女の力を得たわけでもないただの女が騎士?」
「はい?」
円奈は、初対面でいきなり相手の頬を鞭でつつく無骨で無礼な少女に、明らかに反抗的な態度をとった。
きっ、と嫌そうな顔してピンク色の目を険しく赤髪の魔法少女へ向けた。
「人間の女なんかがどうしてそんな格好してるのって、きいてるんじゃない?」
赤髪の魔法少女は、挑発的に円奈に炊き付けた。馬の調教用鞭を、また円奈の頬に突き立てる。
ふにゃ、と円奈の肌の頬は凹んだ。
「西大陸の国々では女の騎士もいます」
円奈は険しめな表情をしたまま、目を閉じて反論した。
「わたしのように」ピンク色の前髪が少し揺れた。テーブル面の上で、円奈は頬杖ついた。
「あっはは!」
すると赤髪の魔法少女は笑い声あげた。「西大陸の人間は愚かね!学がないってのは本当だわ。
どうかしてるわ、魔法少女でもない女が騎士ですって?どういうこと?どういう趣き?」
意地悪く円奈に告げた。顔を近づけて。
「わたしたち聖エレム国家は理性の軍事国家だから、女の騎士なんていう、バカげた兵士は存在しない」
円奈は頬杖ついたまま、目を閉じている。
「この世で一番強いのは魔法少女、だから戦争で活躍できる。ただの女の子の兵士なんていないわけ。
そういうわけで、あなたが参加できる部隊は聖エレム国にはない、残念ですけどね」
じろ、目を閉じていた円奈が瞼を開いて、じとっとしたピンク色の瞳で赤髪の魔法少女を見た。
あえて、かつて円奈が、ガイヤール王国のギヨーレンなる軍隊を打ち破ったことや、エドレス北方辺境モルス城壁を
陥落させた過去の戦歴などは、一切話さない。
赤髪の魔法少女は、いかにも暁美ほむらと同民族の末裔っぽく名前を双葉サツキといったが、彼女は円奈への嫌味をつづけた。
「…まあ西大陸の人間にいってもムダね。とにかく、あなたみたいな人間の女が入れる部隊はないのだから、
自分を騎士などと名乗るのはおやめなさいな」
たしかに、東大陸には、女の子が戦場に戦士として立つ、という光景は見れない。ほぼありえない。
ところが西大陸では、人間の女の子も騎士となって魔法少女のそばで戦うこともある。円奈がこれまでの旅路で
見てきたように。ある意味、魔法少女の身の回り役としての少女騎士という様式美が西大陸世界の一つの文化でもあった。
しかしそんな文化は東大陸にない。というわけで、双葉サツキにめちゃくちゃに嫌味をたっぷり言われてる円奈だった。
この双葉サツキの母はユイというエレム王の従姉妹で、このユイと鹿目神無はとてもエレム本国で仲が悪かった。
鹿目神無はエレム国を亡命して、西世界の大陸の辺境の北村バリトンに行き着き、そこで来栖椎奈と出会う。
しかも西大陸では、魔法少女イコール魔獣を倒す少女たち、というイメージであるが、東大陸では魔法少女の存在感が
まるで違う。魔法少女イコール軍人という世界である。
戦場は男たちの世界、ではなく、戦場は魔法少女たちの世界、という現実になっている。東大陸では。
まあ、とにかく円奈が無事、東大陸にわたって聖地の国々をみていくうち、それを嫌というほど目にして
知っていくだろう。
さてさらに、双葉サツキは、この日の円奈にとっていちばんショックとなる一言を言い放った。
「わかるでしょ?わたしは”王家の魔法少女”よ」
「…」
円奈は、反抗的な目から、失望したような目つきにかわった。
こんな高飛車が王家の人だと知ったからだ。
つまりこの双葉サツキという娘に仕えるためにはるばるこんな危険だらけの旅をしてきたことになる。
落胆が強すぎてやけっぱちになって、赤髪の少女から目をそらし、ぶんっ、と頬を突く調教用鞭を奪い取ってしまった。
「あっ」
不意をつかれた赤髪の少女の手からあっさり鞭を奪われ、動揺するエレム王家の魔法少女。
しかし、すぐに、つくろって、余裕の表情をうかべた。腰に手をあて空をみつめると。
「はっ、とっときなさいな」
といって、”象徴”の家系の帰還を、明らかに敵視した王家の従妹は、背中見せて、鹿目の末裔に釘うちをすませた。
つまり、おまえが聖地に戻ってきたって、政権は私たち王家が握るのだぞ、という念押しな挨拶だったわけだ。
すると、円奈は去る王家の魔法少女を、呼び止めた。「お待ちを!」
双葉サツキ────赤髪に赤い目をした、王家の従妹にあたる魔法少女が、くるっとふりかえる。マントがゆれた。
「鞭もなくて馬に乗れますか?」
と、軽蔑的にいい、ばっと手から鞭を投げ返した。
双葉サツキが手元にそれをばし、とキャッチして受け取る。
双葉サツキは、きっと円奈を鋭く睨み、いらついた顔をちょっとせたが、無言で円奈に再び背をみせて港町を去った。
「…」
円奈は、ため息つき、皿に乗った鹿肉をナイフできりわけた。焼かれた肉をきると、じゅーじゅー音たてたのち、
血がどばどばでてきた。
「あんな子に仕えるための旅だったなんて」
と、あきれたようにいう円奈は、すでにエレム王家に対して、対抗心を抱くどころか、軽蔑的な声をだしていた。
あの来栖椎奈さまの君主だから、とても立派な人だちだろうって、淡い夢を抱いていたのに。
「王家は恐れているんですよ。英雄、鹿目神無の子が聖地にもどったら、自分たちの政権を”象徴”にすぎなかった家系に、
奪われるのではないか、とね。だから、あなたのうわさをきいて、さっそくつっかかってきたんですよ。
いえ、王家ではありませんね、時期国王の座につこうとする、あの双葉姉妹たち、ですね。現国王は葉月レナ、わたしたちの
エレム国王です。」
今日はここまで。
次回、第76話「難破」
第76話「難破」
554
とにもかくにも、旅に出てから三ヶ月ほど、円奈はついにエレム軍と合流、聖地にたどり着く目標地点へきた。
そして、聖地の現地民であるエレム軍と合流できれば、聖地への切符は手にしたも同然だった。
なにせ、聖地への道を知っている現地民と一緒になれたのだから。
実際いま、円奈は、港町の発着場にいて、フレイと、出港前の会話を交わしている。
「むこうの大陸にたどり着いたら、岸沿いに港町から進み、アキティア領の巡礼路にしたがって聖地を目指しください」
円奈は、潮風にあかれながら、海を漂うカモメたちの声の下、フレイと笑顔で会話をしている。
「困難な旅ではありますが、神の愛があればたどり着けるはずです」
「ありがとう」
円奈はいま、発着場にて、クフィーユをつれて、聖地ゆきへ運航する船舶にのるところだった。
円奈だけでなく、多くの聖地巡礼者や、エレム軍たちが、すでに乗り込んでいる。
船舶は、大きな船であった。巨大な白帆を、ばっと青い海と青い空にひろげ、すると錨を巻き上げる作業に入る船員がいる。
「出港だ!」
船員が号令をあげる。「準備しろ!」
「わたしはもうしばし援軍が到着するのをここで待ちます」
と、フレイはいった。
「さきに聖地で待っていてください。後にわたしが合流し、暁美ほむらさまのもとにあなたを連れます」
こー、こーとカモメが鳴き声をあげている。
海辺にて、二人は別れを交わした。
「うん。わかった。先に聖地で待ってるね」
それは、もう本人が聖地にたどり着ける気まんまんだったわけだが、円奈を待ち受ける波乱は、これからもつづいた。
船は出港し、円奈はクフィーユをつれて船にゆられて、風にふかれながら海を眺めていたのだが、海と空のむこう、
水平線のほうが、厚い雲に覆われ、一帯が黒雲に包まれて海が荒れて暗くなっていたのである。
555
円奈に不運が直撃した。
船は嵐にのまれ、海は荒れ狂い、波が何度も船を直撃した。この大きな波に、円奈の運航する船は襲われ、激しく上下に
ゆさぶられた。
船は、右に左に傾き、円奈は何度も船の上でバランスを失う。
甲板には何度も海の波がのりあげ、水びだしになり、船に海水が溢れ、船は傾く。
「帆をたため!」
船員達の命がけなけたましい怒号が飛び交っている。「風で倒れるぞ!」
「水をだせ!」
ばけつにいれて甲板に溢れた水を海へ投げ込む乗客員たち。
ゴゴゴゴ…
雷が暗雲からおち、海は光る。嵐のなか、暴風雨の雨粒に直撃されながら、円奈は、ついに大荒れの海の波に船がまけ、
海へ傾倒していくのをみた。
ばざん、と海洋に頭まで呑まれた瞬間、最後の霹靂が一撃、迸り、潜った海いっぱいが白く光っていた。
556
こうして船は海の藻屑、デービージョーンズの仲間入りとなる。
円奈は、折れたマストの、ぷかぷかと海に浮かぶ木片に、荒れ狂う嵐のなか、しがみついて浮かび、
西世界の大陸と東世界の大陸のあいだの海洋を、漂流する。
激しい雨が、折れたマストにしがみついて漂流する円奈の髪を激しく打つ。
当たり前だが、びしょ濡れだった。
ゆらゆらっと…波の任せるままに漂流し、嵐を過ぎるのを待った。
船の本体や、甲板、帆は、嵐に波狂う海の底へ沈んでいった。
円奈の愛馬クフィーユも、思いかけずここで生き別れとなってしまう。
神に愛されれば聖地にたどり着けるはずだ、というフレイの言葉を信じて、円奈は、飢えのなか海の漂流をつづける。
557
一日くらいたった頃、眠気の限界がきて、円奈は海を漂流する帆柱マストの木片にしがみついてぷかぷか浮かびながら、
眠りにおちた。
ふつうだったら死に至るその海での眠りは、神の加護をえる。
目が覚めたとき、円奈は大陸の沿岸にいた。
浜に寝転んでいて、しがみついていたマストの木片が、満ち潮の刻に陸地に届いていた。
そして自らは身を浜へ打ち上げられ、全身を海水と浜砂と海草だらけにしながら、陸地で眠りこけていた。
あたりを見渡した円奈は、早朝の浜をみわたし、自分がまったくしらない陸へきたことを理解した。
そこは砂漠であり、緑のない土地であった。陸は乾いていた。
ピンク色の髪にかかった、わかめや海藻などを頭から落とし、潮風はげしい浜を歩き出し、得意武器である弓も失った、
腰に剣をさしただけの状態で、餓死寸前の、一日なにもたべてなければ水ものんでない、海に一日中漂流していた体力の限界を
感じながら、砂漠へでた。
浜をのぼり海に濡れた砂をふみながら、ざーざー満ち潮の浜を去り、浜辺を渡り歩くが、その途中、ついに心くじけて、
円奈はひざをがくっと浜につけて、手で砂をぎゅうっと握り締め、だれもいない人気なしの早朝の、みしらぬ陸の砂浜にて、
ついに涙を流した。
「ごめん…クフィーユ…ごめん…」
涙を頬にたらし、聖地の陸にたどり着いた少女騎士は、騎士としての馬を失った嘆きに、ついに心に打ちひしがれて、
悲嘆にあえいだ。
「ごめん……あのとき……ごはん食べさせてあげたらよかったのに……」
それは、港町のとき、クフィーユの朝食を後回しにして、しかも自分はフレイと共に酒場で食事を楽しんだあとのこと。
難破にあい、クフィーユは海へと投げ出され、溺死した。
円奈は、最後に馬よりも自分の朝食を優先させたあの最期を、嘆き、外でクフィーユを待たせっぱなしにしていたことを、
騎士として恥じ、後悔し、心から自らを責めた。
そして、潮風に打たれ、早朝の暗い朝、海の音をききながら、むなしく、悔やみつづけて涙のしょっぱい味をのみ、
潮風に髪を打たれながら、一人ぼっちで浜の砂をぎりりとこぶしににぎりしめた。
「クフィーユ…ごめんね……ごめんね…!あううう…!」
早朝の朝は寒く、しかも静かな浜だった。
ざーっという、海の波たちしかきこえないのだ。
558
こうして円奈は、悔やみのなか、聖地の大陸の砂漠を、一人で渡り歩く。
朝は真昼になった。
鹿目円奈は、森や高峰の地で育った少女であったから、砂漠なんて地に足を踏み入れるのは、初めてのことである。
そして、砂漠の恐ろしさを、まるで分からないまま、あてもなく、よろよろと、心くじかれたまま砂漠をさまよいあるいていた。
真昼になると、太陽が頭上、真上に昇り、太陽とはこんな暑いものだったかと思うほど、灼熱の気温が円奈の肌を焼いた。
しかも、あたり一面の白い砂漠は、すべて熱を吸収し、もやもやと熱気にして沸きたち、立って歩くたび、猛暑が体の水分を奪った。
「はあ…はあう…」
それはもう、地獄の行進だった。
クフィーユを失ったショックで、とぼとぼ憂歩していたら、砂漠のど真ん中、気温にして55度の炎天下を、
彷徨い歩く状態になっていた。
昨日から、大海洋を漂流していて、一滴の水ものんでなければ一口のパンも口にしていない。
そして今日も、食べ物も見当たらず、砂漠を迷える人のように歩く。
「ああ…あ…」
喉が渇く。暑さが苦しい。水がほしい。
ついに円奈は、自力の足だけでは砂漠をあるけなくなる。来栖椎奈の剣をぬいて、それをザック、ザックと杖代わりにして
砂漠につき立て、老人のように歩く状態になった。腰もまげて。
それから2時間がすぎ、真昼の太陽は、砂漠の乾いた空に照りつきつづた。もくもくとあがる熱気と蜃気楼が、
砂漠をあるく円奈を苦しめつづけた。
「ぜえ……はあ…」
声は、もう女の子らしい声ですらなくなり、しわがれた、乾いた呻き声になってしまった。
まるで犬のように舌をたらん垂らし、しかもその舌は乾いて、つばの一滴もなかった。
杖のようにザックザックと砂漠を剣で切りながら、支えにして、一歩一歩、懸命にあるくが、目線の先にあるのは、どこまでも
つづく乾燥した砂漠の果てだ。
熱のなかで。
「あつい…あつすぎて……死んじゃう…」
それは、冗談でも比ゆ表現でもなかった。
頭がくらくらしてきた。猛烈に気持ち悪かった。汗だくの体は、服をびしょ濡れにし、余計、動きを重たくさせた。
乾いた風がさーーっと砂漠を撫で、砂の風が円奈の立つ周囲に捲き起こった。
砂埃のから風に覆われる円奈。足元をさらさらと砂に打たれつづける円奈。それでも歩き続ける。
「どこも…砂…砂漠しかない……もう…だめ…」
しわがれた声で苦痛の呻きを漏らす。だらだら、顔から汗ながす。水分をとられて、喉の渇きが死にせままれるほど
深刻で、暑さで頭ががんがん、熱中症になりつつある危機を悟っていた。
しかし、どこを見渡しても、あるのは砂漠だけ。もあもあっとした、砂漠すら歪んで見える熱気に包まれ、気温55度の、
地獄の猛暑である。
確実に聖地にちかづいていた。
太陽の日照りは、まるで炎のようだ。肌が焼かれる。女の肌は、炎天下にとても弱かった。だから砂漠の国の人々は、
女性は肌をいつも隠した。
「だめ…もう……だめだ…わたし…」
がく。
ついに、円奈は心がくじけたあと、体力も尽き果てた。
どさっ、と体は砂漠に埋もれ、すると風がふき、円奈の体を砂漠が包んでしまった。
それでも、もがこうともしない。砂漠に沈んで、埋もれて、隠されていく。
砂嵐のなか、呼吸もできなくなり、いちど倒れたからだを起こす気力も体力も、なくなった。
昨日はずっと海を漂流し、食べることも飲むこともなかった。そして今日は、地平線がぼやけゆらめく熱帯の砂漠を
炎暑のなかさ迷い歩いた挙句、またも、食べることも飲むこともなく、ついに砂漠で力尽きた。
騎士は、砂漠のど真ん中で、人目にも触れられない、砂漠の砂山の下に、気絶してしまった。
”がんばって…”
そのとき、声をきいた。
天からの声。
死に導かれる直前、頭に響いたその声は、知らない少女の声だった。
しかしなぜか知っている声だった。
当たり前だ。自分の声だったから。
つまり自分が自分に対して、がんばってといわれて、円奈は目を開いた。
ピンク色の瞳が、ゆっくり瞼をひらくと、奇跡が目前にあった。
髪に結ばれた赤いリボンが、ざわわっと砂嵐の乾いた風にふかれ、なびいた。彼女の目前に、暑い砂漠には水溜り、
オアシスができていたのである。
そこだけ砂漠が湿っていて、泥水の水溜りがあった。
「ああ…!」
円奈は、砂の山をぬけだして、這ってすがって水溜りにありつく。
泥水だろうと、なんだろうと、すがる想いで両手に掬い、喉に通す。
口にふくみ、ぐぐぐっと飲んだ。
生命の復活、気力の回復を感じ取った矢先、さらにまた、奇跡が起こった。
馬。
一匹の黒い馬がいた。
円奈のように砂漠をさまよっていたのか、水を求めて、このオアシスにやってきて、水をとくとくと飲んでいるではないか。
「あっ!」
すぐに円奈は走り出し、馬をつかまえた。
立派な馬具つきの馬の、轡にのびる手綱を手に取る。知らない人間につかまって馬はすぐあばれるが、円奈はすぐに首筋をなでて
やってなだめ、馬を落ち着かせる。
馬は落ち着いた。鼻息をふーふー鳴らしてはいたが。
しかし、これで少なくとも、砂漠を徒歩でほたることなく、馬に乗って進むことができるのである。
砂漠の国では、ラクダに乗って移動する人たちも多いが、円奈はラクダに乗る方法を知らないので、馬とここで出会えたのは
まさに奇跡、神の救いであった。
生きる希望がでてきた。
が、希望がくれば絶望、円奈の不運、不幸はまだ連鎖した。
「イム・アーディ!」
知らない言葉の、叫びが聞こえた。
図太い男の声だった。
声のした方向に、円奈がむくと、そこには、二人組みの人間が、砂漠にいた。
二人とも、馬に乗っていて、一人は槍を持ち、一人は手ぶらだった。
砂漠のさらーっという風にふかれつつ、たっている二人組みは、円奈を睨んでいた。
二人組みのうち、槍を持っていない手ぶらのほうは、オレンジ髪の少女だったが、進み出てきて、告げた。
「その馬は、この人のものよ!」
と、オレンジ髪の少女は告げた。つまり、円奈のみつけた馬をこの主人に返せ、と要求してきたのである。
しかしそんな理不尽なことをいわれて大人しくできる円奈ではない。
この馬は、いまや命綱である。この地獄の砂漠を生きて渡りきるための、命そのものである。聖地への道しるべである。
「どうしてそんな!」
納得いかない顔つき円奈は、叫び返した。乾いてかすれた女の子の声が砂漠にとどいろいた。
もうすぐやっと旅の目的地、神の国とよばれる聖地の国にたどり着こうとするのに、あんまりだ。
「ここは彼の土地だからよ!」
するとオレンジ髪の少女は、通訳の役なのかもしれない───槍もった屈強そうな男騎士に、腕を伸ばして示した。
つまり彼はこの土地を領しているから、この土地の馬もまた彼のものだという主張である。
砂漠の国で出会ったこの騎士は、頭にカフィーヤという布を巻いていた。馬の上で動くたび、この頭の布が
ひらひらとゆれていた。
年は、円奈よりは年上で、30前後にみえた。
砂漠の国の騎士である。
「この馬はわたしが先に見つけたから、わたしのにしてもいいでしょ!」
と、円奈はからからの風が荒れ吹く砂漠にて、二人組の、サラド国の騎士に、反論して声をあげた。
「わたしの生まれた国の風習ではそうだ!」
「イーミル・アッル・ルァッパ?」
通訳の女の子が、円奈のセリフをサラドの男騎士に伝える。
「イーク・ダーク・マイバル!」
すると異国の、サラド国の勇士騎士は、乱暴に何かを叫びだした。
馬が激しく行き来し、四足の蹄が砂漠をがしがしと踏みつける。
「ディアンティトハーティル・デアンデト・アドターン!」
何語かはわからない。
すると、通訳の少女が、円奈に言った。
「”おまえは卑怯者の盗人だ、そんな盗っ人とは戦う”と言ってるわ!」
円奈は困り果てた。
こっちは二日間も何も食べず、海は漂流し砂漠で乾き果てたのに、戦うというのか。
「わたしは戦う気はない!」
と、はっきり気持ちを述べるも…。
「なら馬を彼に渡しなさい!」
通訳の女の子に、そう命令されてしまう。
円奈は覚悟をきめた。
ここで馬を大人しくわたすのは、命をなげだすのに等しい。
また、砂漠を足で歩きでわたるなど、もう考えられない。その選択肢はない。
鞘から剣をぬく。
ギラン、と、気温55度炎天下のもと、鉄の刃がぬかれ、灼熱の太陽の輝きを反射した。
砂漠にギラ、と円奈の剣が白い光を放つ。
「いやだ!馬は渡さない!」
通訳の女の子は、相手の覚悟をみてとって、もう何も言わなくなった。
すると、サラドの敵国騎士が、槍を手にもち、砂漠を突っ走りはじめ、おおおおっと声あげて、馬を駆けて
一直線に円奈にせまってきた。
ドドッ。ドドッ。ドドッ。
馬の蹄の音が近くなる。大きくなる。やわらかな砂をふみしめて突進してくる。
円奈は、弓矢を海で失っているから、剣しか武器がない。剣で勝負するしかない。
「とおおお!」
砂漠の国のサラド騎士は槍をまっすぐ、円奈むけて放り投げた。
狙いは完璧である。間違いなく円奈の頭に飛んできた。
「うっ!」
頭がくらくらし、炎天下で熱中症も同然の円奈は、気力ふりしぼって、来栖椎奈の剣でやりをうけとめる。
ガキィィィィン!
大きく音がなって、槍はどこかへはじけとび、くるくる回って砂漠にサクと刺さって突き立った。
ふらふらとする足元。
慣れない砂漠という環境での戦闘。暑いし、踏みしめる砂はさらさらとやわらかい。安定しない足元。
敵国の騎士は、ふたたび円奈に迫って馬を走らせてきた。
ドダダッ。ドダダっ。
馬のスピードが上がり、円奈に突進してくる。距離が一気にせまる。
馬の巨体に迫られる。円奈とすれ違うその一瞬、サラドの勇猛な男騎士は鞘からすばやくサーベルを抜き、円奈の首に切りかかってきた。
──ヒュッ!
光る刃をみた瞬間、円奈も頭上に剣をだし、するとキランキランと光る2本の剣同士が、炎天下のしたで交わり、音をたてた。
キィィィィン!
乾いた空気で、とどろく鋼鉄の剣同士がぶつかる激突音は、甲高い。砂漠での決闘は、通訳役の少女が、見守っている。
相手は馬の馬力も加わった一太刀だが、こっちは地に足ついての一太刀である。有利不利ははっきりしていた。
「馬から降りてよ!」
と、円奈は、剣を両手にしかと構え持ちながら、異国のカフィーヤかぶったサラドの騎士に怒鳴った。
「なぜ?彼は騎士よ」
すると、通訳の女の子が、馬上で、問いかけてきた。手をあげて。
「馬に乗らないで戦う騎士がどこの世界に?」
まるで円奈のセリフがばかげたものであるかのような言い草である。
「私だって騎士だ!」
と、円奈は、剣を胸元で構え持ったまま、まっすぐ剣先を顔の横で天にたてて、再び怒鳴った。
「わたしは鹿目円奈、バリトンの騎士だ!」
ギラリギラリ、反射する陽光が刃の上をすべる。
「イム・ファーアキム・バリトン!」
すると、通訳の子がサラドの騎士に伝えた。
サラド騎士は、何かをしゃべり始めた。サーベル抜いたまま、馬を往復させて、マントをひらめかせながら、
ぺらぺら異国の言葉を話す。
「ファーキムバリトン!ウルセンッメン!サラダアラッタードゥ!リジネス!」
通訳の子が円奈に伝えた。
「”バリトンの騎士はお前みたいなヤツじゃなかった。サラドで知り合っていた”といってるわ」
円奈は、このサラド騎士と来栖椎奈が顔見知りであることを知った。顔見知りというか、情報程度には知っていたのかも。
「その人の、使命を継ぐ者だ!」
と、剣を構えながら、はっきり叫ぶと、相手は通訳いらずで察したらしい。
砂漠の国の騎士は馬から降り、すると砂漠のやわらかな砂の地面をふみしめた。
さわ、さわと足音たてながら、とつぜん、ブチンと鎖帷子の首もとの留め金をやぶった。
そして、サーベルを頭の上に掲げ、構えをとった。
対して円奈も構えをとった。剣先を頭上にもちあげる、鷹の構えという、椎奈に教わった構えである。
「やぁっ!」
男のサラド騎士のほうから仕掛けてきた。
サーベルを手馴れたてつきでぶんぶんふるってきて、円奈の体を切ろうと攻撃してくる。
円奈も応戦した。
弓は得意であったが、剣の技は自信ない。しかし、相手がサーベルを、つまり本物の剣をふるってきたら、
身を守るために体が勝手にうごき、円奈の両刃剣がサーベルをうけとめた。
ガチン!
力と力のぶつけあい。円奈が歯をかみしめて剣をふるえば、相手のサラド騎士も歯をかみ締めてサーベルをふるう。
ガチン!
こんどは円奈が相手に切りかかる。両刃剣が横向きにふるわれ、相手の顔面へ。
それは、サーベルに防がれ、あっさり弾き返され、相手が自分より剣術では明らかに上手なのを悟る。
しかし相手がサーベルひゅっひゅと体むけて切りかかってこられては、こっちも懸命に応戦、ふせぐしかない。
一歩も二歩も後ろへひいて、距離をとり、相手のふるったサーベルの斬撃が繰り出されたあとに、自分の剣を
ふるう。
その剣先は、相手に届きそうで届かない。
届く直前に、相手がサーベルをふるいなおして、円奈の剣先を叩いて、防いでしまう。
すると今度危険なのは円奈である。いきなり距離をつめられてサーベルが顔面頭上へおちてくる。
「うっあ!」
切られそうになり、後ろへ引く。怖い。こわかった。刃を互いにむけあっているとは、こんなにも怖い。
相手がたじろいで、怯えたのをみてとったサラドの男騎士は、反撃も許さないとばかりに連続でサーベルを
びゅんびゅんふるって円奈に攻めかかり、後ろへ引く勢いにおいついてきた。
「くう!」
円奈は、恐怖のあまり目を閉じて、縮こまってしまいそうになったが、それをしたら今度こそ死ぬと悟り、
懸命に目を見開いて、敵のふるう真剣のサーベルとむきあい、危険な斬撃は間一髪、自分の剣で受け止めた。
ガキィン!
力強く弾き返す。
すると、相手の剣裁きが狂い、相手が一瞬、目を大きくさせる。
その隙だ、とおもった円奈が、力のかぎり剣先を前にふりさげ、サラド騎士に切りかかる。
ガチン!
サラド騎士は、サーベルで受け止めたが、力はまだこっちに残っていた。
そのまま押し切ると、相手の手首からぽろっとサーベルがおちた。円奈の一撃を受け止め切れなかったらしい。
とどめだ!
この勝負事にケリつけるため、びゅんっ、と両刃剣を思い切りふるったが、サラド騎士にわずかに逃げられた。
「うあああ!」
円奈のふるう両刃剣に、ぎりぎり、叫びをあげながら逃げたサラド騎士は、間一髪、切られずにすんだ。
あわてて砂漠を逃げ去り、走り、さっき投げ落とした槍を抜くと、その槍で円奈と対峙した。
円奈もまた、剣を頭上に掲げ、鷹の構えをもった。
どく…どく…どく。
頭に血がのぼっている。
こんなにひどく血が全身をめぐるのは初めてだった。
真剣の切りあい。それは騎士としても、恐ろしく興奮するものだった。
「鹿目!もう十分よ!馬はあなたのものにしていいわ!」
と、通訳の女の子は、二人の戦いをやめさせようとした。ひょっとしたら、騎士を名乗った女の子が思いのほか手強く
応戦にでたのをみて、わが国の騎士のほうが殺されてしまうと危険を悟ったのかもしれない。
が、互いに殺し合いに突入した仲、互いの頭に血がのぼってしまって、あいだにわって入る第三者の声など耳にはいらない。
「うおお!」
サラド騎士が槍を伸ばしてきた。
ガキン!
槍先を剣先でたたく。が、逆に剣先を、槍の長い穂に絡めとられて、円奈の剣が、どこか変なところへそらされた。
「やぁ!」
隙あり、とばかりに、サラド騎士がぐるん、と力いっぱい槍を振り回す。
円奈は首を低くして槍の矛先をくぐってかわした。
びゅん!円奈の髪の上を槍が空ぶる。
「鹿目!やめて!」
通訳の少女が叫んだが、手遅れだった。
「はぁっ!」
思い切り、円奈が起き上がりながら振り回した剣が、左回りにぐるん、と刃を走らせ、その剣先は、
相手の槍持ったサラド騎士の首筋を掻っ切り、次の瞬間、喉元からシャワーのように血が飛んだ。
「きゃああっ」
通訳の女の子の乗る白馬に、血がどばっとこびれつき、白馬は赤い馬になってしまった。
馬は、顔にどっしゃり浴びた血にうばれ、通訳の女の子はあばれだした馬から落とされて、砂漠の砂にどすんと頭をぶつけた。
「はぁ…はぁ」
円奈は、自分の握った刃の剣先が、敵の首筋を裂いたやわらかな感触を手に覚えていたが、やがて、
相手のサラド騎士が、呼吸もできなくなって倒れ、喉元からぶしゅぶしゅと血を噴出、息をすうたびに首筋の傷口に
赤い泡が吹き出してくるのを見下ろした。
「戦いたくないっていったのに……」
むこうから戦えといってきて、応戦した結果ではあったが、喉元を切られては、助かりようもない、
いたたまれない気持ちに襲われた。
円奈は、もう助からない敵の勇士騎士に、死別の礼をし、それから、馬緒ら落ちてころんだ通訳の女の子の前にでた。
びっ、と剣先をつきつける。
「聖地への道のりを?」
通訳の女の子は、仰向けになったまま首筋に突きつけられた刃をじっと見つめていたが、やがて頭を砂漠につけて、
観念して答えた。
「知っているわ」
円奈は刃の先を通訳の子に突きつけたまま、命じた。
「わたしを聖地まで案内して」
円奈の髪が砂漠のからっ風にふかれ、ゆれた。
今日はここまで。
次回、第77話「聖地・神の国」
"madoka's kingdom of heaven"
ChapterⅦ : What god desire is here , and here
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
Ⅷ章 : 神の望まれるものは、こことここにある
第77話「聖地・神の国」
559
しばらく二人は馬にのって砂漠を進み、聖地への道のりを知っているという、サラドの通訳を
下僕にして、円奈は地平線を眺めた。
新しい馬、黒い毛の馬は、すでに円奈になついていた。
「わたしは、アガワル」
と、オレンジ髪の通訳は、名乗った。
「聖地への道のりはこっから300マイル先の南、川沿いに進んだアスロ山の先にみえるわ」
あと300マイル!
つまり、聖地はもうすぐそこだ。
2500マイルの旅、バリトンから出発して、ファラス地方の森、エドレスの国、エドワード城を通って、
ミデルフォトル港、そこから船で出発すること、何日かかけて、海を1000マイルも渡り、
いよいよ東世界の大陸に到着し、聖地がみえてきたわけだ。
「そっか…」
感浸った円奈は、感激の声を漏らす。
命がけの旅は、ついに目的地に着こうとしているのだ。
「もう300マイル先に…神の国が…」
といって、遠い目をして砂漠の地平線を眺める。その先を見ようとするかのように。
バリトンの村に生まれ育ったときから、神の国の話をきいてきた。
そこは、魔法少女にとっての救いの国である、”円環の理”の国がある。
神の国とは、円環の理という神が、導く先の天国のことをいうのと同時に、地上の、神が誕生した
聖域のこともいう。
天の神の国と、地の神の国。
地の神の国は、円奈の目前に、出現しようとしている。
二人は、砂漠に跨って馬で行進しつづけ、一晩もかけて、夜の砂漠の星空が輝くような地上を、
休むことなく進み続け、アスロ山と呼ばれる砂漠地帯の高峻の切り立った崖の山々にきた。
その山は、野原がなく、切り立った岩崖の山脈がつづく、ごつごつした山岳地帯だった。
ここを抜けると、聖地があるらしい。
「ずっと三ヶ月ちかくも、神の国のために旅してました」
感激と、聖地に到着する期待感で、体が震えている円奈は、下僕した敵国の通訳に、語りだした。
「やっとたどり着けるなんて……いまだに信じられません」
「私たちサラドの国の人にとっては、エレムの手から奪還したい土地よ」
アガワルは冗談交じりにいった。
「エレムの連中は、神の国は自分たちの国だって主張するけど───」
高峻の山岳地帯の、崖下で野宿する二人は、語りあう。
「200年前、わたしたちサラドの民が、もともとはそこに暮らしていた。エレムの連中が、
皆やってきて、サラドの民を皆殺しにするのと同時に、聖地をのっとった」
焚き火を洞窟の中でたき、二人は食事を共にする。
食事は、通訳の少女が持ち歩いていたものだった。パンだった。
「自分たちこそ”神の国の民だ”とね」
「エレムの人はどうして共同に、仲良く暮らさないんだろう…」
と、素朴な疑問を口にする。
「聖地なら、みんなで仲良く一緒に暮らせばいいのに…」
「仲良く?まさか!」
通訳の女の子は、おどろいた顔をした。
「100年前、聖地を占拠、現地民の女子供、すべて皆殺しにした野蛮エレムと
仲良くですって?サラドの民の願いはひとつ、エレム人をわたしたちのもともとの土地から、
一人残らず追い出し、海にたたき出すこと」
「…そんな」
円奈は、聖地を巡る争いの根深さの片鱗をみる。
「あなたは、自分の暮らしていた家が、とつぜん奪われて、家族も皆殺しにされて、
あとで犯人と仲良く一緒に暮らせばいいのになんていわれたら、どうかんじる?」
「…」
円奈は、言葉を返せない。
崖に削られた洞窟の中の、焚き火の音だけが、パチパチときこえる。暗い洞窟内は、
火に照らされる。岩壁が赤く灯されている。
「エレム人はわたしたちサラドの国から、聖地を無理やり奪いとり、国をかってに打ち立てた。
100年ずっと、サラドの民は復讐、いえ、正義を切望してきた。もし、正義の神が存在するなら、
聖地を虐殺と共に占拠したエレムの民を、滅ぼすはずだと…でも、200年間、わたしたちサラドの民は
敗北を味わいつづけてきた。…敵国の指揮官は強かった」
100年間の、エレムとサラドの戦争の歴史を、語る。
アデル・ジョスレーン卿という女騎士は、エドレスの都市で言っていた。
こっちの都市じゃ馬上槍試合はスポーツだが、東世界のほうでは本当の戦争だ…と。
しかもその戦争は、つまりこの時代の戦争は、人間だけが戦う戦争ではなく、魔法少女たちが戦場にたつ戦いだ…という。
つまり魔法少女が兵力になっているのである。
「まあ…わたしはあなたに命を見逃された身。あなたの命令には従うわ」
といって、通訳の子は、洞窟内でひざを手に包み、目を閉じた。
「あと一週間で聖地に案内できるから」
あと一週間…。
あと一週間で、聖地にたどり着ける。
円環の理が誕生し、世界のあらゆる魔法少女が、いつか天に導く神様のために、
巡礼におとずれ祈りにくる国に。
「うん…ありがとう」
とにかく、聖地をこの目でみれると思うと、どうしても期待感が胸に湧き出てくるのだった。
560
一週間、朝日が砂漠の山にのぼってくる頃───。
赤い暁の燃え上がる地平線に、二人の影。一人は、鹿目円奈。もう一人は、通訳のアガワル。
二人は、朝日をバックに、蜃気楼の熱気たちこめる砂漠をすすみ、山岳地帯と高峻の嶽道をぬけて、
アスロ山をぬけ、すると目の前にあらわれた。
一面の砂漠と、水辺。くねくねした川。
さらにその先にたつ、ひとつの都市。城壁に囲われた城郭都市。
「あれが”神の国”───」
通訳の子が、馬に乗ったまま、崖上の見晴らしから砂漠のむこうに並ぶ城壁の中の都市を指差し、
告げた。
「魔法少女の聖地、魂の救済地、円環の理が生まれた国よ」
「あ…!あれが…!」
円奈は驚きに目を瞠り、突然、崖の山岳をぬけた切り立った山道のむこうに、砂漠がひろがり、
その遥かむこうの彼方に、城壁に守られた都市がぽつんとあるのに気づく。
「あれが…神の国…!」
山岳の崖から遠目に眺めて感激の声を漏らす。
円奈の目に涙がたまり、太陽光を反射して、そのせいで遠くに見える聖地の国が虹のように輝いて見えてきた。
それは地上にある国というより、もはや天国にある国のように。思えた。
鹿目円奈はたどり着いた。
聖地に。
旅の目的地に。
見えてきた。この目に。神の国が。
バリトンの村から距離にして2500マイル、4000キロメートル。
度重なる危険と、事件と、戦いに、巻き込まれながら。
バリトンの村人たちにさんざん無謀だといわれた旅は、やり遂げたのだ。
命かながらに、聖地に着いたのだ。
鹿目円奈の冒険は、目的地に着く。
峻険の禿げた岩山が切り立つ崖道の淵には、看板がたてられ、”この先、円環の理誕生の地”と、
横文字で書かれていた。
うわさにきいていたとおりだ。
あの先に、世界の魔法少女たちが…ウスターシュ・ルッチーアやユーカたちが導かれていったような…神の国がある。
円環の理に導かれた魔法少女たちが最後にたどり着く天の国。
二人は、断崖絶壁の淵を馬で降りてゆき、山岳の崖道をくだりつづけた。
峻険にして乾燥地帯であり、剥げた岩しかない。崖の高さは、数百メートルある。
ここを馬で通って降りると、いよいよ聖地の前の砂漠へきた。
広くて平らな砂漠だった。
すると、城壁の都市がさっきよりも遥かに近く、地上から見上げられた。
円奈は聖地の壁をよく眺めた。
壁の高さは、20メートルほど。エドワード城のような聳立する高層な城ではなかった。
むしろ、防備が薄いのではないかと思えるくらい、質素で単純な城壁が、ずっと1キロくらい、
伸びていた。
水源は、この聖地から40キロほど東にある山地の泉から、水路をずっと引いている。
聖地の市壁は、矢狭間と、歩廊に小壁体と凹空間が並んだ、典型的な、上の部分がギザギサした城壁だった。
それは整っていて、聖地の周囲を丁寧に、ぐるりと囲っていた。砂漠の都城を。
円奈は思い出した。
来栖椎奈にきいたあの言葉を───。それは、ファラス地方の森に入る前の道で、円奈と話したあの会話である。
”初めて神の国にいったときは、そこにいるだけで魂が洗われる気分だった。城壁に囲まれた城塞都市だったが、
壁に触れているだけでに聖なる魔力が私のなか注がれてくるのを感じた。不思議な感覚だった”
”魔法少女にとって紛れもなくそこは、聖地であった”
ついにその町にたどり着いた。かつて来栖椎奈が、バリトンからみて世界の果てのようなところにある、といっていた、
その場所に。
鹿目円奈は冒険の末、辿りついた。
そして円奈は、ついに聖地の都市の城門、その真下まで、きたのである。
城門の落とし格子は、樫の木材などで作られているとこは、西大陸の城と同じであった。
城内に入ると、巡礼路と書かれた案内看板があったり、市場があったり、聖地に住まう人々の家屋で、にぎわっていた。
そしてさすが魔法少女の国とよばれるだけあって、みるからに魔法の可愛らしい衣装に変身した少女たちが、
変身衣服のまま市場をほっつき歩いて食材を買いあさったりしていた。
巡礼団みたいな魔法少女たちの集団が円奈の横を通り過ぎ、円環の理の誕生地を観光名所であるかのように訪れ、
その場所に足を踏み入れていく。
神聖なる天の国の足元に。
そんな、魔法少女の数が半端ではないこの国では、とてもかわったグリーフシードのやりくりがある。
国内の市民権を得ている魔法少女には、下流、中流、上級の3ランクがある。
下流は、魔獣退治がもっぱらである。そして得たグリーフシードの一部は、機関へ回る。だいたい常に25%ほど。
中流は、聖エレム軍の軍役につく傭兵および正規軍である。魔法少女歴3年以上の場合、正規軍へ入隊を果たす。
そのとき、入隊儀式がひらかれる。
上流は、聖エレム軍の指揮官であり、王家が中心である。旅団や中部隊の隊長もいる。
どちらにせよ、中流や上流は、下級の魔法少女たちが稼ぎまわったグリーフシードを奉納される年貢のように得るわけである。
だから軍部に就く魔法少女はもっぱら戦闘は戦争で、魔獣相手にグリーフシード稼ぎする手間はまったく不要な職業軍人なのだった。
このシステムによって非常に長生きしている魔法少女も、聖地にはいた。
それでもグリーフシードが不足するため、"魔獣培養"、"魔獣養殖"の施設が神の国の都市外郭にはある。
魔獣を意図的に大量生産する職業につく下級魔法少女たちがいる。これは敵国のサラドでも同じである。方法は簡単で、
二人の少女に矛盾する契約を同時にカベナンテルに叶えさせるだけでいい。それだけで数万くらい、魔獣が大量発生する。
その原理については未だに確定的な結論を神の国では得ていない。
円奈とレグー・アガワルの二人は、しばし無言で聖地を歩いていたが、ふと突然、円奈が、うううと唸りはじめた。
そして、涙したのである。
「長かった…ほんとに…」
うぐぐ、と涙を腕にぬぐう。
「ほんとうにここまでの道のりが長かった…」
今までの道のりをふりかえる。
「あるときは盗賊に襲われ…あるときは魔法少女たちに殺されかけて…あるときは火あぶりに
なりかけて…難破して海におぼれ砂漠で倒れ…いろいろあったけど……ほんとうにたどり着いた…神の国に…!」
隣で馬に乗っていたアガワルは、この遠い国からやってきた少女騎士が、旅のりでいろいろな苦難な目に
あいながらも、やっと神の国に到着したのだろう、と心の中で円奈を労った。
「いろいろあったのね…」
「そりゃあもう…どうしてこんなひどい目ばっかりに…って思うくらい、いろんな目に…
でも、とにかく、着いたんだあ…!」
聖地を見回し、感激に浸る。
どこも石造の道路や、塔や、袋小路があり、坂道が多く伸びる。
町全体は乾いていて、日照りは激しく、暑くて、まさに砂漠の国にある町、という雰囲気であった。
「ここが、魔法少女たちの巡礼地、円環の理に会えるっていう、国なんだね?」
「会えるっていうか、昔ここに円環の理が誕生する歴史があった、って場所じゃないの?」
アガワルが釘さしてきた。
「うーん…わたしは魔法少女じゃないからよくわからないけれど……円環の理が誕生した場所って
どこかな?」
のんきに会話を交わす、未来の敵同士だった。
561
「思ったんだけど──」
円奈は、聖地の一路を辿りながら、あらゆる人々の生活面を眺めつつ、隣をつき従うオレンジ髪のアガワルに、
たずねた。
「サラドの人は、エレムにとっての敵国の人だよね。聖地に入れるの?」
女神の場所を訪れる巡礼地にむかって、坂道の道路をすすむ。馬を、轡の手綱を手に握って連れながら。
「いまさらすぎるわ・・・」
アガワルは、あきれたように、ふう、と息つくと、いまの聖地の情勢について、説明した。
「今は、エレムとサラドは休戦中なの。エレムの王、葉月レナと、サラドの王、雪夢沙良は、
停戦条約を結んでいる。二年間のね。今がその期間の中間あたりで、そのあいだは───」
巡礼路に自然と足が入る円奈。
それをおいかけるアガワルは、説明をつづける。
巡礼路は、狭くて坂道だった。両端は家々に挟まれ、日の光が届かない。暗かった。
そして、急勾配をのぼる坂道の斜路は、砂地の通路をのぼる魔法少女と思われる女の子たちが、
多くいた。
砂漠のど真ん中にあるこの国は土地も空気も乾いていた。日照りは強く町全体が暑かった。
魔法少女たちと思われる女の子たちだって、ぜんぜん肌を晒さないし、人によっては、口まで布みたいなもので覆って聖地を歩く。
聖地の人々は、洗濯に忙しい。みな桶に衣服をいれごしごししている。
猛暑の砂漠の国である。毎日の洗濯はかかせない。
もちろん風呂も、円奈の出身地にくらべて風習化している。円奈の生まれの地や、
西世界の大陸のエドレスの国は、風呂は気がむいたら入る、という程度のものだった。
しかし猛暑で毎日汗だくのこの砂漠の地、人々は風呂に入ることが必須であり、またそうでないと、
病魔におかされる。
「サラドの者だろうと、どこの者であろうと、巡礼を許される。もちろん、そこらじゅうにエレム兵が
あるんだけどね」
「えっ?」
円奈は、香が指差した方向へ顔をあげた。
すると、高い家々が両脇に立ち並ぶそのあいだあたりに、監視塔と思われる石造の塔があり、
そこに、男の兵士が、じっと鋭い目つきで、巡礼路を監視していた。
「治安を守ってる名目だけど」
アガワルはいう。
「その名目のもと、サラドの民は多くがいわれなき容疑にふっかけられ、裁判にかけられる。
もちろん裁くのもエレム側、法律もエレム側、監視兵に目をつけられたらおしまいよ」
「えっと…裁判って…」
円奈は、西世界の大陸、エドレスの都市で経験した裁判を思い出し、アガワルにたずねる。
「あの喧嘩するやつ…だよね?」
「は?喧嘩?裁判が?」
アガワルは、相手が冗談をいっているのかとかんぐった。
が、相手はどうも本気らしかった。
ピンク髪の少女騎士は冗談ぬきの様子で話してくる。
「鎖をふりまわしたり場外にはじき出したりして…勝敗で判決をけめるんだよね?」
アガワルは、はあああっとため息をふかくついた。
「あなた、どんだけ野蛮な国に生きてきたのよ」
東世界の大陸では、裁判といえばもちろん、大判事という裁判官の職につくものがいて、法律にもとづいて厳正に
罪びとを裁く。
ここ神の国では、市民の隣人同士のトラブルが非常に多かった。
たとえば水関係。
丘があり、高低差が激しく、坂道が多い街であるので、隣の家が使用した排水が坂道をくだってこっちに流れ込んできた、
とか訴えて、近所トラブルとなる。
西世界の大陸だったら、円奈がエドレスの都市でみたように、決闘裁判となり裁判官がみているなかトラブルの当事者同士が
殴りあったり武器を与えられて激しい戦闘を演じる。その勝敗で判決が下される。
東大陸の人間はそれを見てしばしば、”西大陸の人間は無学だ”とおちょくったが、それも仕方なかった。
文化的に遅れた国が多かった。
たとえばエレム国は医療大国でも有名なのだが、そのエレム人からみて、西大陸の人間の治療方法ったら野蛮でありゃしない。
とあるエレム人は旅行中、西大陸のサルファロン王国の村で、こんな荒治療を目撃した。
村人の女性が、頭痛を医者に訴えた。
ならばと医者が「頭にとりついた病魔を払うぞ」といって斧で女性の頭を叩き割った。
女性は即死した。
脳天わられた女性の脳みそに、お清めの塩をすりつけて、「よし、治療完了だ」なんていう始末である。
そんな西大陸の野蛮さは、軽蔑の的となり、裁判の結果をケンカの勝敗で決するあの裁判にしても、また軽蔑の的だった。
暗黒の西大陸とはよくいわれたものだ。
しかしいっぽうで建築では尊敬されていた。
エドワード城のような標高700メートルの城は、東大陸には作れない城であった。石が足りないし砂漠の地にはそんな頑固な城
は建たなかった。
562
巡礼路を登りつづける円奈とアガワルだったが、丘をのぼっているその最中の、幕のはられた露店の並ぶ勾配の市場街で、
円奈は馬を休ませ、すると従者にしたアガワルにこういった。
「つき合わせちっゃてごめんね。もう私は目的地になんとかたどり着けたから、
あなたを解放する。祖国にもどって。」
それは、アガワルを意外な気分にさせた。
円奈は、自分をここまで運んでくれた砂漠のオアシスで出会った黒い毛の馬をやさしく何度も撫で、
市場でかった藁を食べさせているところだった。
クフィーユに朝食をさいごに食べさせられなかった後悔が、いまここに反動としてきているのかもしれない。
「わたしはあなたの敵国の者。休戦中だけど、未来は敵同士よ。そんなに情けかけてもいいの?
あなたはサラドの騎士と決闘し、命をかけて勝って、わたしという奴隷をえた。それを開放するの?」
「人に奴隷のような惨めな思いはさせたくないんだ」
といって、円奈は笑った。「わたし、身分が低い、ということのつらさを知ってる。昔、そうだった」
アガワルは、相手の優しさが本物であることを理解し、静かに頷いた。
オレンジ髪のオレンジ色の瞳の少女。
ただの通訳であったはずの彼女と、円奈は思いがけぬ再会を半年後、戦場で果たす。
「鹿目円奈、バリトンの騎士、"あなたの人徳は、まだ見ぬ敵の耳にも届く"でしょう」
と言い残し、馬にのり、聖地の巡礼路を戻って去った。
このときはほとんど気にしなかったが、半年後、円奈はまったく同じ台詞を戦場できくことになる。
円奈は去る相川香の後ろ姿を見送ったあと、ふりかえって、街路で薬種を売っている市場のおじいさんに、
自国の言葉が通じることを祈りながら、話かけた。
「円環の理が誕生したという場所は?」
おじいさんは、しずがに、巡礼路の丘の頂上を、指さした。
円奈もその丘をみあげる。
あそこだろう、となんとなくわかった。
それからは一気に巡礼路をのぼりつめる道をたどった。
ひたすら階段とのぼり坂。道は狭く、人とすれちがうならば、互いに道をゆずらないといけない。
互いに声をかけあいながら、細い石造の階段をのぼっていると、ようやく丘のてっぺんにきた。
もう、夕方だった。
丘のてっぺんにくると、そこは聖地の中心地で、もっとも高いところだった。
この丘から、聖地の一望が、みわたせた。都市から市場街、家屋群、囲壁、そして砂漠まで。
見晴らしは、すばらしかった。まさに聖地の眺めだった。
そう思えたのは、なぜだろう、人間である円奈にも、なんとなく聖地に足を運ぶことで、
わかったのだった。
ここが、いろんな人にとっての希望というエネルギーに満ちた磁場のような土地であることが。
たくさんの魔法少女たちが訪れ、巡礼、つまり、円環の理が誕生した場所に足を運ぶ。
それは一種の立派な活気であり、熱気であり、情熱だった。
そういう熱、感情エネルギーが、ここには渦巻いている。
石畳の地面にも、壁にも、砂にさえも。満ち溢れているのだ。
ところで、丘のてっぺんにきたら、ひょっとして円環の理になった少女に会えるのかもしれない、
というわずかな期待は、さっそく裏切られた。
そこはただの丘であり、なにもない。
ただ、看板がたてられていて、砂のたまった丘のへこみに、
”ここで一人の少女が犠牲になったといわれています”
とかかれているだけで、何の痕跡もない。
つまりたぶん、昔この場所で一人の少女は、何をおもってか、自分の命を犠牲にして
永遠の魔法少女の救済者になることを決めた。
いったいどういう状況に追い込まれれば、そういう決意をとることになるのか、円奈には想像つかない。
もし自分だったら、仮に契約できるとして、そんな契約をするだろうか?
永遠の救済者になること。
人としての生を捨てて、永遠のときをすごす。宇宙として。
それは確かに犠牲なのかもしれなかった。
だから、一人の少女が、その決意をかためたこの場所は、敬意を払われる。
そういうことなのかもしれない。
もちろん、場所自体が大事なのでなくて、一人の少女の犠牲、ということへの敬意と感謝が、
大事なのであって、でももしそれを心から述べる場所が世界にひとつあるのだとしたら、ここだ、
というのが、聖地のゆえんである。
魔法少女たちは、円環の理が一人の少女の犠牲であることを知り、感動して、この地に足を運ぶ。
第78話「ほむらとの再会」
563
翌朝、おなかが空腹になるのを感じた円奈は、とりあえず円環の理の誕生地にはたどり着いたという
旅の目的を果たした達成感と、これからどうすればいいんだろうという虚無感を感じる微妙な気持ちのまま、
聖都の市街路をを進んでいた。
なんせ、王家の従姉妹に、”あんたが入る部隊なんてない”と言われたままだったから。
まず、水をのみたかった。
それから、肉、たまご、野菜、魚、まあいろいろ食べたくなって、市場にはベンチにたくさん、そういった品物が
売られていて、人々でごった返す、狭い街路だった。
とにかく街路は狭いので、市場で買う人がいると、人の流れが停滞して、ごみごみとなる。
円奈は、人ごみの中をさけて、坂道の上下差もはげしい街路をなんとか通っていたが、みな、聖地に住まう人々の
背は高くて、まだ15歳の少女である円奈の背丈は、人ごみの中に沈みこんでいた。
カララン、カラランと、市場では、鐘の鳴る音がする。
市場にふあれる人々のがやがやは、昼間に入ると、より騒がしくなる。
ところで、ロングボウの弓矢を失っている円奈は、食事の買い物もしたいが、武器屋にもよりたいと思っていた。
市場の陳列はといえば、区間ごとによって売ってよい商品の品種などが決められている。たとえば食器類とか、陶磁器、
スプーン、ランプなど、カチャカチャ音をたてる金属類の売買は、”聖域”(魔法少女たちが静かに暮らす寺院)から
一定距離以上はなれた場所に店をかまえ棚に商品を陳列してあらねばならない。
”聖域”を市場の騒音で汚さないためである。
魚や、肉屋などの、臭みが漂う商品は、さらに”聖域”から遠ざけられた路地に店をかまえる。
聖域の宿泊施設つき寺院を、臭みで汚さないためである。この寺院は、かならず数人分の巡礼者用宿泊室と、
公共の水浴場があり、体を洗い清める施設がある。最低限の食事スープを用意する厨房もある。
そうした市場の仕組みを円奈は人ごみに紛れつつ観察し、知っていくのだった。
途中、円奈は非常においしそうで気になる産物を市場で発見した。
それは聖地のほんの狭い、街路でみつけたデザート屋で、幕が敷かれた小さな店である。そこに、山地の雪どけ水で冷やされた
果物ジュースが売られていた。
この暑さが地獄のような環境の国に、円奈の喉がおもわずごくり、と少女の唾が誘惑に駆られた音を鳴らしつつ飲み込まれた。
冷たい雪氷。冷やされたメロンの果汁ジュース。
この、ひやひやの雪によってメロンの果汁を冷やしたジュースは砂漠の国の名物であった。昔シャルバットと呼ばれていた
飲み物でシロップやシャーベットと語源が同じである。
円奈は思わずそれを買い求め、そして雪にひんやり溶けた冷たいメロンジュースを、幸せいっぱいの顔して飲み干した。
すばらしいデザートを堪能できたのだった。
この猛暑に、ひんやり口に冷たいメロンの汁を飲めた幸せは、スイーツ好きな女の子の幸福そのものであった。
こうしてふらふら、ふらふらと、昼間はずっと聖地の市街地、市場路をずっとめぐりめぐっていたが、その目立つ
ピンク髪の後姿を、ずっと追いかけている何人かの集団がいた。
その集団は男たち4人ほどでだった。彼ら四人は、円奈の腰の鞘にぶらさがった、赤い宝石つきの剣の柄をみて、
それに目をつけ、ずっと静かに追い回していたのである。
赤い宝石つきの剣の柄が、本来だれの持ち主だったか、彼らは知っている。
冒険に出てからこのかた、何度も盗賊に襲われたり、戦いに出向いたり、敵地に潜入したりなどの経験を積んだ
円奈は、この、昼間にはいってからさっきから誰かに追い掛け回されているという気配に、もう気づいていた。
そこで、街路のうち中心地、噴水があって、しかもその噴水からは自由に泉から引いた天然水が四方向に蛇口から注がれ、
自由に人々が飲める水のみ場にきたとき、円奈は静かに、鞘の剣に手をかけて、そっと噴水の前で背後に振り向いた。
ふりむくと、円奈の視線の先に、四人の武装した男たちが並んでいた。つけてきた男たちだ。
頭の剥げた、円奈よりよっぽど背の高い一人の男が先頭にいた。
「…」
無言のまま、剣を手に握る円奈は、目で下を見ながら相手の出方を待っている。
戦いを幾度となく経験した彼女なりの、静かな構えだった。
その後ろでは噴水から注がれる透明の水がきらきら、水面を光らせて反射さていた。
「おまえ、来栖椎奈の知り合いか?」
剥げた男は、険しい目で、噴水の水のみ台に立った、15歳の円奈をみおろした。
男の年齢は37歳ほどである。
「なに?」
円奈は、とられはしまい、と鞘の剣に手をかけた力を強める。
「その剣は来栖のものだったはずだ」
男の口調は尋問するように、厳しく、円奈に詰めよりせまる。
「おまえ、来栖の知り合いか?」
円奈は、この聖地の武装した男が、来栖椎奈の名前を知っているワケの裏、背景を察しようとした。
来栖椎奈はエレム人だった。エレム出身の、娘だった。ということは、聖地に今いるこの男と、椎奈が面識あっても、
別段、不思議ではない。
来栖椎奈は17歳で魔法少女になって、それから18年がたって円奈が15歳になる。来栖が生まれたのは35年前。
ということは、35年遡ると、この男が2歳。つまり来栖とほぼ同年代に生まれた幼馴染の男の子が、
今や立派なエレム騎士に育ったということだ。
…とまで、相手の正体を予測した円奈は。
「知ってる」
円奈はぼそっと、一口、答えた。
「背丈はどれくらいだ?」
男は、ほんとうに円奈が来栖椎奈を知っているのか、たしかめにきた。
円奈はいちど噴水の水飲み台の段差から、ちょこん、と降り立って、男と同じ地面に立ち、それからはるかに背丈の高い男をクイと首をあげてみあげた。
「あなたとわたしの中間くらい」
「瞳は黒か?」
男はまた、質問してきた。まだ円奈を疑っているらしい。
円奈は思い起こす。
バリトンの村で、やさしかった人の瞳の色を。
忘れるはずもない。
「こげ茶」
聖地の男たちは、互いに目を見合わせた。
来栖と一緒に聖地で育った幼馴染の騎士連中は、このピンク髪とピンク色の瞳孔をした奇妙な風貌の女の子が、
バリトンの村で来栖と知り合いになり、どういうわけか来栖の剣を手にしている。
円奈とこのエレム騎士たちは、互いが互いに背景を探り合いした。
「あなたにきて頂きたいところが」
といって、四人とも全員、剥げた男も先頭にして、全員が頭さげ、礼をとった。「わが殿」
564
こうして円奈は聖地の宮殿へと案内された。
そこはかつて、今は不在の来栖椎奈が、聖地に滞在していたときに住んでいた宮殿の一部で、この聖なる国の上層部の住まいである。
立派で、列柱がならび、”オジーアーチ”が並ぶ廊下、回廊、じゅうたんの敷かれた大空間、タイル張りの
壮麗な壁、布カーテンつき窓には沈香が焚かれ、香りが部屋をみたす。
天蓋ベッドは絹のカーテンつき、バスの風呂も室内に常備されていた。
聖地の、下層の人々がごったがえしていた市街路の、質素な住まいより、よっぽど豪華な宮殿の住まいだった。
そしてまずバスの風呂に円奈は案内された。石造でできた露天の風呂に裸で入ったのち、あがろうとして、
召使いらしき女たちに、「布を、布を」と言ってもまるで言葉が通じなく、けたけた女たちに笑われるだけだったので、
手をだして懸命に身振りして女たちに伝え、ようやく円奈は胸を晒すことなく風呂をあがることができたのだった。
その後、正装への着替えを手伝われ、砂漠の国の女性らしい衣装に着替えさせてもらった。
石造の宮殿の三階のカーテンからは風がふき、部屋の中になびく。この国で育てられている植物も、円奈の知っている
故郷の植物とは違い、葉がトゲトゲしていた。
この宮殿に案内されたとき、円奈はエレム騎士たちになぜ来栖から剣を授かったのかワケを話した。
幼馴染の来栖の死を悼むと共にエレム騎士たちは、その話を真実だと認めて、しかもそれが先代に失踪した
"象徴の家系の子"だと知って驚いた。
鹿目神無は、神の国をついに追放されたあの事件以後、来栖椎奈の元に辿り着いたのだ。
エレム騎士たちは、そうして、象徴家系の末裔の子、円奈に仕えて守る誓いを立てた。
と同時に、この事実の公表は神の国の国内では控え、秘密にしましょうとも、騎士たちは言った。
「ここは来栖さまの使っていた宮殿の一部でした」
と、男騎士、今は円奈の従者である、アルマレックという剥げた男はいった。
「今日からはあなたがこの宮殿の主です」
エレム王国の姫としての円奈の新しい日々。お抱えの、忠誠心に満ちた砂漠の国の騎士たち。
なにもかも、贅沢だ。
王家ではないが、特別な象徴家系としての、国の特別な姫。まったく新しい人生だ。
もしバリトンに生まれてなかったら、円奈は生まれながらの一国の姫だったはずであった。
じつは、そういう血筋の子だったのだ。
「すごい豪華でびっくり…」
と、子供な感想を漏らし、この宮殿を見回した。
西世界の大陸の、七階層エドワード城の、不便な城空間より、快適で上質な生活空間が、そこに実現していた。
「今日からここで暮らせるなんて…」
といって、格子窓をぱかっとあけ、聖地の外を眺める。
夕日。
砂漠の国に夕日がある。
宮殿の高い窓から夕暮れの聖地を眺めると、砂漠に覆われた都市の全貌が見渡せた。あちこち鐘が鳴ったり、祈りの声が
寺院から聞こえてきたりした。
565
円奈は宮殿の自室で新しいチュニックに着替えた。
すると、あのみすぼらしい少女騎士の姿は消えて、立派な黒いチュニックをきた、貴人の少女がそこにいた。
しかしその姿は、騎士ではなくなって、ただの一国の砂漠の国の姫、という姿になってしまっていた。
着替えるとき、そこには騎士しての防具一式が、宮殿の着替え室にそろっていた。
つまり、来栖椎奈がかつて使った、鎖帷子や盾などである。
それを見た円奈は、まるで、亡くしてしまったあの人に、再会するような気分にさえなって、じんわり目が
熱くなった。
”聖地にあるものはなにか────”
頭のなかに、あのやさしかった人の言葉がよみがえってくる。
いま、円奈は聖地にいて、椎奈がかつて使ったという宮殿に、住んでいる。
円奈はそっと、防具一式の掛け台にかかった、鎖帷子に指先を添えて触れる。
触れながら、白い手の指先を沿わせる…。
”生まれつき家持てぬ者が街の名士となり───”
円奈は生まれつき、農地をもてない子であった。だから、狩りだけで生活してきた。
いま、聖なる国のお姫さまとしての立場にあり、宮殿に住処をかまえている。まるで絵本のような世界だ。
”生まれつきの名士が街で物乞いをする”
だが、何かがちがった。
566
円奈は宮殿という、新しい住まいを堪能して、さて、住処も得たし今度は聖地で何しようかと、
考えあねぐいて、宮殿の二階から一階へ、立派な絨毯の敷かれた手すりに手をかけながら、
階段をそっと一階へなんとなく降りると、一階に飼われていた馬が、従者たちに
反抗してあばれている光景があった。
従者たちは、黒い馬の手綱をひっぱり、馬をなんとか納屋の仕切りに閉じ込めようとするが、馬は逆らい、
あばれて、ふーふー荒い鼻息だして前足をふりあげる。
ヒヒン!巨体が従者たちを蹴らんばかりの勢いである。
従者たちはますます懸命にうまの轡と手綱を強引にひっぱる。無理やり馬の動きを従わせようと、
五人も六人も協力しあって馬の綱をひっぱる。
「まって!乱暴しないで!」
黒いチュニックとピンク髪の姫。宮殿の主人は、従者たちのもとに駆け寄る。
すると、従者たちは、はあと息つき、おてあげとばかり両手を持ち上げる。
「こいつは手におえない馬ですよ」
「馬を怖がらせないで」
円奈はそっと、暴れて荒い息たてる馬の元に近寄り、前にたち、そっと腕を伸ばして、
馬に話かけた。
「痛がらせちゃってごめんね…」
円奈のやさしい手先が、馬の鼻筋をまず撫で、それから、なだめて顔と、首のあたりを撫でてあげた。
「自由になる?いま放してあげるから」
といって、ついには馬を制御するための馬具すら外してしまう。
すると、どうだろう!
あれだけ暴れていた馬が、馬具すら外されて、大人しくなってしまったではないか。
馬は、円奈という主人を受け入れ、馬具もなしに、円奈の指先と手先に、従うようになって、
すると、仕切りの中に自ら入ったのだった。
従者たちは、宮殿の新しい姫が馬の扱いをよく知っている人なのだと知った。
「すぐごはん食べさせてあげるからね。そしたら洗ってあげる」
しかし、円奈はもともと、馬具なでクフィーユと共に冒険していた少女騎士だったのである。
従者たちにとっては、驚くべきことでも、円奈には、馬具を外してあげるくらい、馬の気持ちを思えば
できることだった。
そんなあるとき、円奈のかまえる宮殿の敷地に、聖地の市街路より、ぴょんぴょんと二匹ほどの犬と、
一頭の白馬が、アーチ門を通って駆け込んできた。
白馬には、一人の女が乗っていた。
黒い髪、ファサっとなびく美しい髪、肩にたれた黒いヴェールにケンネル型のヘッドドレス。
宝石をあしらったネックレス、ペンダント、ブローチ、飾りピン。金のメッシュで覆った幅広の折り返しカフス
のついたガウン。詰め物で膨らませた見せかけのアンダースリーブ。
まるで王女様のような、高貴な女性がきた、と円奈は思った。
さて、その女性がヴェールにかかった口の布を取りぬぐうと、顔をみせ、紫ががった瞳で円奈を見下ろした。
「あなたの主人は?」
円奈は、白馬の女性、見た目では17歳くらいの女性をみあげ、首をよこにふる。
「失いました」
「それは、悲しいことだわ」
と、高貴な女性はいって、それから、円奈にひとつ頼みごとをした。「…水をいただける?」
「もちろんです」
円奈は答え、すると宮殿一階の敷地にある桶から勺に水をのせ、それを白馬の女性に手渡した。
宮殿の敷地は広くて、地面は砂、壁際は植物の鉢が置かれる。たくさんの油を蓄えた壷と、瓶もある。
白馬の女性は勺をうけとって、それをこくこく…と口に含んだ。
すると、白馬の女性と円奈の目があった。
ピンク色の瞳と紫色の瞳が…。
それから、白馬の女性は勺を円奈に返し、そして「ありがとう」とお礼を告げた。
そしてこう付け加えていた。
「フレイからきいたわ。”象徴の子が神の国にもどってきた”と。フレイに伝えてちょうだい。
”暁美ほむら”がここに立ち寄ったと」
といって、白馬の女性は、円奈の宮殿の敷地を、白馬を走らせ去っていった。
円奈は、無言で白馬の貴人が去るのを見送っていたが、やがて今話し相手にしていた女性が誰だったのかを知った。
「あけみほむら…あの人が?」
”預言者”。円環の理の声をきける聖地でただ一人の女性。
鹿目家を聖地での象徴とも呼ばれる家系にした人。
私の母が喧嘩別れした人。
ぽかーんとなって、その人が去るのを見送っていたが、やがて円奈の宮殿の入り口に、
フレイという、あの港町で出会った魔法少女が立っているのに気づいた。
フレイは、円奈が自分に気づいてのを見るや、ニコリ笑って挨拶した。
円奈も軽く会釈する。
かくして、鹿目円奈と暁美ほむらは、バリトンの村以来、神の国にて、再会を果たした。
そしてかの魔法少女こそ、この聖地に起こったすべての歴史、時代の移り変わり、人類衰退の訳、
鹿目まどかが宇宙を再編してからこの新しい世界の未来で、何が起こったのかを知っている、
かつての見滝原の生き残りである。
今日はここまで。
次回、第79話「神の望まれるものは、こことここにある」
第79話「神の望まれるものは、こことここにある」
567
「よくぞ無事に到着なさいました」
来栖椎奈の使っていた宮殿に案内されたあとは、円奈は今度は、王宮、つまり神の国の支配者、王家の大宮殿の
一部にフレイによって案内され、この王宮の一室でフレイと語り合っていた。
しかし今や一国の姫という身分にある円奈、王宮への出入りは自由なのである。
「して、鹿目殿、聖地のご感想は?」
そこかしこに麝香が香炉に焚かれ、白い煙が満ちる。従者たち、侍女たちが、円奈から何か命令されれば
すぐ動けるといわんばかりに、頭垂れて無言に待機していた。
やや暗いが、上品な部屋。壁際には鉢に花が飾られる。
「円環の理が誕生した場所に丘へのぼっていったけれど───」
と、円奈は聖地の感想を漏らした。姫としての高貴な服装を纏って。
「なんとなく熱気とムードに包まれているのはわかるんだけれど…ひとつの町以上ではないんだなあ…って」
その感想に、フレイは満足そうに笑って見せた。
彼女は椅子にすわって、円奈と対峙している。
「ここ女神の国で起こっている戦いは、ひとつの町以上ではないものを奪い取って、血が流される戦争です」
「かつてエレム人は聖地に暮らしていたサラドの民を皆殺しにしたとききました」
円奈は王宮の一室に立って、絨毯の敷かれた床にて、そう話した。
すると、フレイはきゅ、と目を細めた。
「あなたもそんな光景をみてきたのでは?」
円奈はすぐに思い起こしてしまう。心当たりなら、いくらでもあった。
ロビン・フッド団と共にモルス城砦に乗り込んだときのことも、エドワード城で、王都の魔法少女たちが決起したときも。
起こっていることは、つねに虐殺だった。
「わたしには正義というものが分かりません」
「正義を唱える者が最後に辿る道、それが暴力です」
と、フレイは語った。椅子の背もたれに深く腰掛け、薄い紫の瞳で円奈を見据える。はら、と水晶色の髪が垂れた。
「”自分たちは正しいのだから相手を苦しめてもかまわない。”それが彼らの言い分です。
やられるほうはたまりませんね」
フレイは自嘲気味に、首をひねて、ひとこと付け加える。「魔法少女が陥りがちな過ちです」
「同じ道をエレム国も辿った?」
円奈が問うと。
フレイは言った。「そしてサラドも」
「…」
沈黙が走る。円奈は言葉が見つからない。
「お互いに正しいと思っていることを貫き通せばするほど、自分の正しさを信じ込んで意固地になるほどに、
和平は遠ざかってくものです。彼らは”聖戦”と呼んで正当化する」
とまで語ったあと、フレイはついに座を立った。
そして、円奈の前に顔を近づけて、言った。
「”聖なる行い”とは───」
円奈が、戸惑った視線を、歩き寄ってきたフレイにむける。
「自分でその身を守れぬ者のために、力を持つ者が行動を起こすことです。神の望まれるものは」
といって、フレイは、そっと指先をだし、その白くしなやかな指先が、円奈の頭、額にふれた。
「ここと」
それからフレイの指先が、そっと円奈の胸元へ降りた。そこは、心臓がとくとく鳴る。
「ここに」
といって、フレイは円奈の頭と、次に心臓部を、二箇所、指であてて示したのだった。
「善人か悪人かは、その人の日々の行いで決まるものです。聖戦に勝つか、負けるかではありません」
フレイは円奈から離れた。
「さあこちらへ」
といって、聖地の魔法少女は円奈を王宮の裁判所へと案内する。
568
カンカーン…カンカーン…。
裁判所は、室外にある。そこは塔に鐘が吊りさげられていて、音をならし、これから始まる死刑を知らせていた。
円奈とフレイの二人は、王宮のオジーアーチが並ぶ回廊を進み、死刑を見に行くところだった。
「かのエレム騎兵はサラドの民間人を殺し───」
フレイは語り始めた。回廊を歩きながら。回廊には、アーチの列柱が細やかに並び立ち、床は凝灰岩の敷塗である。
「死刑になるところです」
木造の死刑台に立たされた二人の男騎兵は、首にロープを括られ、吊られるとこだった。
いま、床がバコンと開き、すると罪人は死刑台からガタンと落ち、ぷらん、と縄によって首を吊られ、死刑となる。
おおおおっ。
死刑の見物にきた市民たちがわーっと騒ぎ出す。歓声をあげ、手をふりあげる。死刑広場は熱気に包まれる。
「エレムとサラドは敵同士なのに?」
「ええ、今は停戦条約が結ばれた期間中ですから」
二人はオジーアーチの列柱が並ぶ宮殿から、死刑広場へ出た。
「エレム王とサラド王の雪夢沙良が結んだ和平協定です。乱した者は法によって処罰になります」
この和平協定の期間は二年間と約束されている。つまりあと平和は二年つづく。
一国の姫としての服装をした円奈の周囲の人々は、円奈とすれ違うとすぐに頭をさげて一礼を尽くす。
周囲にいる人すべてが、自分に対して敬意を尽くす感覚は、なんとも不思議だ、と円奈は思った。
今や砂漠の国のだれがみても、円奈は今や一国の姫として血筋に相応しい美しい少女の姿を取り戻しているのだ。
塔の鐘がまた鳴らされる。ベルの舌を鳴らし役が握ってカンカンとふって鳴らしている。
すると、死刑台の床がバカっと開き、ガタンと落ちてもう一人の死刑囚も首のロープによって宙吊りになる。後ろ手縛りのまま。
「それに、円環の理が誕生したからって、その聖地のために殺し合いがつづくなんて、女神だって望まないことです」
フレイはそう言い切った。
「鹿目さま、あなたと会いたい人物がいるそうです」
円奈は、フレイに案内されるがままに従い、聖地の王宮や裁判所あちこちをめぐった。
処刑広場には、判決までの記録をまとめた大法官と書記がいて、丸まった羊皮紙の書類を手に、あれこれ話し合っていた。
569
そのころ、王宮の一室、”聖六芒星隊”と呼ばれる王の親衛隊の宮殿事務室で。
エレム国王家の従妹、赤髪をした双葉サツキが、その六芒星隊の隊長である金髪の魔法少女と、
いがみあっていた。
ミデルフォトルの港で、円奈に馬鞭を頬に突きつけて威嚇してきたあの少女である。
双葉サツキには双子の妹で双葉ユキという少女もいた。二人とも、王家の親戚である。
「わたしが指示したですって?」
赤髪に美しい赤い目、明るい性格をしたこの姉妹のうち姉サツキのほうが、抗議と驚きの声をあげる。
きれいに磨かれた大理石の廊下にて。
柱の梁や、壁画の装飾はモザイクとよばれる。幾何学模様に、ガラスや貝、陶芸品などの小片を円状に並べて描いたもので、
こういう美術品は、円環の理を描くものである。
円環の理という天への入り口は、モザイク模様に描かれて連なった円環と五角星と共に天光が降り立つように
表現されることが、この聖地では多かった。
さて装飾の美しいこのモザイク壁画と大理石の空間では、アーチ窓から降りる光に差されながら抗議する赤髪の魔法少女、
双葉サツキが、和平条約を乱しエレム騎兵を暴走させた首謀者として疑われたことについて、六芒星隊の隊長といがみあっているのだった。
「そこの証人がみた」
金髪の魔法少女───聖六芒星隊の隊長────は、サツキがたつ背後の後ろ、王宮の廊下奥に座る、
頭にターバン巻いた商人の男と、
「そしてわたしと」
自分を指差し、最後に、
「天の女神とこの聖なる国がみた」
と、告げた。厳しい口調で。冷淡に。隊長席に座りながら。
聖六芒星隊とは、エレム国王の親衛隊であり、六人の魔法少女で構成される。その部下に1000人くらいの
騎兵団を従える。
「あなた、サラドの人間の言うことなんか信用する気?」
サツキは納得いかず反抗を起こす。そして、ビッ、と廊下奥に静かに座るサラドの証人の男を指差す。
「あいつらサラドは、聖エレム国の敵じゃないの!」
「双葉サツキ殿、あなたが王家の従妹という立場に甘んじていられるのも長くはなりませんぞ」
金髪の魔法少女──リウィウス──は、隊長席に深く腰掛けて、肘掛に両腕置きながら、冷たく告げた。
「”象徴の姫”が帰還なされた」
象徴、ときいたとき、双葉サツキの顔に、あどけた笑みがこぼれた。
「だからなに?神無の娘が帰還したからってどうなるの?」
バカにしたように笑ったまま、つづけて問う。
「あの家系が女神の血筋だろうとなんだろうと、ここは地上にある神の国。そこはわたしたちエレム人の国」
と、あどけた口調の双葉サツキが、腰を前に曲げてリウィウスを挑発的にみる。
「だからエレム王家が支配する」
赤色の目をうっすら細める。
リウィウスは、きつく王家の従妹を睨み返した。
「エレム騎士団がサラドの民間人を殺した事件を首謀したのが私というのなら、証拠を出しなさいな?」
あどけた、相手をおちょくったような口調は変わらない。
「双葉サツキ殿、いまエレムとサラドは停戦期間中なのですぞ!」
金髪の魔法少女はついに隊長席をダンと手をついて立って、怒りはじめた。
「あなたが影でサラド国の民間人を殺せば殺すほど、エレムの立場は危うくなる。どうして王家の従姉妹にあたるあなたが
それを理解してくださらない?」
「聖地でかつて結ばれた停戦が、さらなる戦争への準備期間でなかったことがある?」
双葉サツキはへっへと笑ってみせる。自分が間違っているなどという考えは片鱗にも頭にない自信のありようだ。
「自分たちの聖地を守るために必要なことはただひとつ、”戦争に勝つ”ことでしょ?ちがう?」
「そうして今まで聖地は、血に染められてきたのではありませんか!」
怒鳴り返す金髪の魔法少女。手をゆりうごかす。
彼女が座っていた席の、黄金の蝋燭台の火がゆれる。
大きな窓からは聖地の夕日が差し込む。王宮の廊下にまで。
さてリウィウスこと六芒星隊としてエレム軍の指揮官の一人である魔法少女歴23年の彼女は、隊長席で、双葉サツキとの対
談をつづけた。
「女神が望んでおられる神の国は、そのような国ではありません。いま、わたしたちが努めるべきは平和の実現です」
「なにをいまさら?エレムだってサラドを皆殺して聖地をぶんどったんじゃない?」
あざけった口調は双葉サツキの声から消えない。腰に方手をあて、余裕のそぶりだ。
「そのあとでいい子ちゃんするって?サラドは今だってエレムに復讐する気でいる。敵としてはこれは当たり前でしょ?
それなのに平和に浮かれて武力解いて、国を失うつもり?敵がすぐそこに迫っているのに?そうして滅んだ国がどれほどあったことか?
まあ・・・繰り返し言うけれど…今回の事件を指示したのはわたしじゃないから」
といってサツキは、この話はおしまい、とばかりに、マントを翻して王宮の広い廊下を、窓から差し込む夕日を
浴びながら早足でカツカツ去ってしまった。
それを無言で見届けていた金髪の魔法少女だったが、やがてはあと苦悩のため息をついた。
すると、廊下奥の壁際の椅子にちょこん座っていた、頭にターバン巻いて、指には宝石つけた商人の男が、
ついに不満をこぼしはじめた。
「なぜいかせるのか?」
金髪の魔法少女を、憎しみと共に怒鳴り、責める。
「おれたちの隊商が殺されたんだぞ。こっちの損害はどう補償してくれる?停戦期間中だから、取引を再開したんだぞ!
これじゃ利益をだすどころか、損してばっかだ!」
すると金髪の魔法少女は、商人への賠償として金貨袋に金貨をたんまりいれたのを、男の手に渡した。
「通商路の平和より利益が先なので?」
商人の男は金貨袋を受け取った。賠償されると納得した。
「金は金だ」
金髪の魔法少女は頷いた。「それはもちろんです」
だが少し切なそうな顔を浮かべた。
じゃりじゃりと音がなる金貨袋を受け取った男はそとまずそこは満足して、エレムの王宮を去り、長い廊下を進んで、
サラド本国へ帰る準備をした。
すると、金髪の魔法少女の顔に、ますます苦悩の表情が浮かぶ。頭痛すら感じているようで、
額に手をあてて悩むしぐさをした。
するとそのとき、フレイという魔法少女が、王宮の廊下より扉をあけて事務室に入ってきて、聖六芒星隊の隊長を呼んだ。
「リウィウス殿」
金髪の魔法少女が、呼ばれた方をむいた。
そして、フレイに付き従ってやってきた、黒いチュニックを来た姫姿のピンク髪の少女が、かつての母と
そっくりな似姿であるのをみた。
「まちがいない」
と、聖六芒星隊の隊長、リウィウスは、驚いたように青い瞳を大きく開き、それから、納得して頷く。
「鹿目神無さまのお世継ぎです」
円奈は、自分の母を知るというその金髪の魔法少女を見あげた。
立派な王宮の、大理石の廊下に立つその魔法少女は、美しい金髪が2本のツインテール、目が青色の、サファイアブルー
をしたきれいな魔法少女だった。
聖六芒星隊という、六人の王の親衛隊の隊長であり、貴族であり、軍人である。
「鹿目神無さまはわたしの戦友でした」
と、リウィウスは、円奈にやさしげに語った。
「戦いを共にしました。われわれエレムの危機を何度かお救いくださいました英雄でした」
そこでリウィウスは、この少女が一人であることに気づく。
「来栖殿は?神無さまは?」
円奈は、ゆっくり首を横にふる。
「…そうでしたか」
リウィウスは察し、悲しげに青い瞳の目線を落とした。
「こんなときに、来栖殿も神無さまも…」
また、リウィウスの顔に苦悩が浮かぶ。深い嘆息。やるせないという声。
そのあとで、リウィウスはまた顔あげて、その青い目で円奈をみた。
「あなたが砂漠で決闘し殺したサラド騎士は雪夢沙良の部下です」
砂漠で決闘した、とは、"あの馬をよこせ"といわれたことから始まった決闘だろう。
そうだった。
円奈は、自分の罪を思い出した。あとでしったことではあったが、エレム国とサラド王国は停戦条約の期間中にあった。
なのに円奈はエレムの騎士を自ら堂々名乗り、しかもサラドの騎士を一人、殺した。
これは、戦犯なのかもしれない…。
と、暗い気持ちになったとき、リウィウスは続けて言った。
「サラド王の雪夢沙良はその一件に関しては”仕方なかった”として、大目にみてます」
「…」
どうやらその一件は、円奈が砂漠で生き延びるために、仕方なかったことや、相手からふっかけて相手が敗れたのだから、
円奈が戦犯ではないことを、敵軍の王が理解してくれたようだった。
でも、だれがそこまであの一件の詳細を敵国の王に伝えてくれたのだろう…?と円奈は疑問におもう。
まるで、あの決闘をその目でみていたかのように、事情が詳しく王の耳に届いている。
「ところで鹿目さま、雪夢沙良のことは?」
と、リウィウス、六芒星隊の隊長は問いかけてきたので、円奈はそっと答えた。
「敵国サラドの王ですね?」
かわいらしい声が喉からでた。
「サラド王国に20万の兵を従えています」
もちろん、雪夢沙良といえば、この地上でいまやもっとも強力な王であることは、円奈も知っていた。
人類側のリーダーが、エドレス国のエドワード王であったならば、魔法少女側のリーダーは、このエレム国の葉月レナと
サラド王国の雪夢沙良だ。
率いる軍の規模でいったら、始皇帝の秦軍や、神聖ローマ皇帝のバルバロッサことフリードリヒ帝の遠征軍にも劣らない。
しかも、一国の君主であったり救世主であればより因果が多く魔法少女は強くなるから、やはり、葉月レナと雪夢沙良の二人は
過去の歴史にも類稀なほど強力だった。
そして軍隊をもち手下の何百・何千という帝国の魔法少女を戦いに駆り出す。
軍事を学んだ魔法少女が、敵国の軍事を学んだ魔法少女と対決する。それが戦争という形であらわれる。
たとえば敵国のサラド王国では全人口のなかで最大7000人の魔法少女が軍の兵士として戦場に従事することが可能だった。
西大陸では考えならない、魔法少女の軍事大国ともいえるような国だった。人間の軍とあわせると総数が20万になる。
そういう世界だった。この30世紀の後期は。
そうした世界のなかで生きる鹿目円奈の、最大の敵が雪夢沙良である。
エレム軍に参加してサラド国と戦う立場にあるから。最初からそのつもりでバリトンの村から旅にでた。
けれど、自分が雪夢沙良の部下を一人殺したことが、その王の耳にも届いていることを聞かされて、
いよいよあの強大な敵と対峙するような日々がやってきたのだと、実感が肌に沸きつつあった。
もちろん、そうなるために、騎士としてここにやってきたのだ。
しかしあれ、と円奈は思う。
聖地にたどり着いてからはどうもこの国の姫として、つまり高貴な女性として扱われている。
ひょっとしてだれも、わたしを騎士としてみとめていないのでは…。
「それに対抗するためわれわれも世界に散らばった同胞に呼びかけはおこなっていましたが────
停戦期間中とはいえ、それが終われば、相手国にかなう軍事力がわれわれも必要ですから───しかし、
わたしの本当の望みは、”戦争のない聖地”です」
と、リウィウスは、切実そうにぽろっと本音を漏らしたのだった。
「円環の理の女神さまも同じことを祈るはずです。そしてもしそれが実現できる人物はきっと───」
フレイが、王宮の大理石の床の、そばの椅子にそっと腰掛ける。
「われわれのエレムの王、葉月レナさまと、雪夢沙良です。ですが」
リウィウスは、はあ、と息をはき、頭痛をこらえるみたいに額を手でおさえた。
さっきからしょっちゅうおこなっている彼女の仕草だ。
そしてその頭痛の種が何であるか語り始めた。
「あのサツキたち双葉姉妹は、停戦協定を意図的に破ろうと、過激一派をつくって、サラドの民間人や隊商を
無差別に襲います。雪夢沙良はその挑発にはのりません。確実に軍備を強めています。軍が整わないうちに挑発して、
戦争を誘発する。そういうあの狂犬姉妹の作戦など、とっくに見抜いているのです」
「…」
円奈は少しずつ、この聖地をめぐる国際情勢みたいなものを、理解していく。
いまは二国間は停戦中であるから、一応の平和が保たれているが、それを乱そうとする過激派の暴動がある。
目の前の椅子に座るリウィウスという金髪の魔法少女が、エレム国内では平和推進派。
対して過激一派を率いるのが、王家の従姉妹の双葉サツキら。
エレム国は内部で真っ二つの派に実は割れていたのだ。
そんな情勢だから、エレムとサラドも二国間の緊張は高い。ロープの上を渡るような、ぐらぐらのバランスの上に、平和が成り立っている。
だからエレム国は軍隊を召集しているのだ。
世界に散らばった同族たちの再結集を。この危機に際して!
聖地エレム王国は、今どきでも世界にも珍しい魔法少女国家であるから、伝統的に王の立場には魔法少女がつくことになる。
つまり卑弥呼やクレオパトラ、ブーティカ、エリザベス、ヴィクトリアのように、
一時的にのみ魔法少女がたまたま為政者になるのでなく、もう伝統的にずっと為政者が魔法少女、という国家。
王家のうち、長女が魔法少女になって王となる。現王は葉月レナである。
その従姉妹に双葉サツキと双葉ユキという双子の姉妹がいて、葉月レナが崩御したならば、双葉サツキという姉が
魔法少女としてもっとも戦歴があるので、次期の王としては最有力候補である。
しかし穏健派(平和推進派)のリウィウスは双葉サツキに政権が渡ることを恐れる。
彼女に政権がうつるということはつまり、過激一派に国家の政権を握られるということだ。
「来栖殿は、あなたにどのようなお言葉を?」
と、リウィウスは円奈に問いかけてきた。手にグラスのワインを持ちながら。アーチ窓から漏れる日差しに、
金髪のツインテールが照らされて艶々と光っていた。
この青瞳の魔法少女は、美しい人だなぁ・・・、と円奈は思った。
円奈は、自分が来栖椎奈によって騎士に仕立てられたときの叙任式を思い出して、宮殿の指揮官室にて語った。
「”天の御国”を実現させよ、と」
それは、フレイもリウィウスの目も、大きくさせ、そして、微妙な沈黙になった。
「そうですか…なら祈りましょう、”天の御国”の実現を」
実は、エレムの民が”天の御国”、という言葉を使うとき、そこにはエレム人の目指す夢が、含まれていた。
そのエレム人の夢を、円奈はのちに、リウィウスの口から直接、聴くことになる。
だがそのときには全てが遅くて、夢が脆くも崩れ去ったあとだった。
570
王宮の頂上付近、王の食事間で、夕食会がひらかれるということで、円奈はリウィウスらと夕食会に参加する。
食事間は、宮殿の中庭であり、オジーアーチ回廊に囲われた空間の中心に、テーブルが二つほど、並べられて、
白い布がかぶされていた。
その上に、食事が並び、籠にはフルーツ類、ブドウ酒とグラス、魚料理などが、並んでいた。
女官たちが待機して、奥側に並び、立っている。
王宮の人たちは、いっぽうのテーブルが女性席、いっぽうのテーブルが男性席、というふうに分かれ、円奈は、
中庭からみて左側の席、女性席の、壁側の席に、リウィウスと共に座った。
すると、向かいの席には、王家の従妹、赤い髪の双葉サツキが、座っていた。
「あら、象徴の姫が私の前にいらしたわ」
と、円奈をみるや、さっそくくいかかってきた。
「でもここはあなたの席ではないわ」
円奈は、席にすわったまま、王宮中庭のテーブルを眺め、中身からっぽのグラスをもち、不信感を抱きつつ答えた。
「エレム王国の席では?」
「あなたはエレム人ではなく、象徴の家系の子」
赤髪の魔法少女は、円奈を敵視してやまない。
たしかに鹿目、つまり円奈の家系を遡るとエレム人ではない。どっちかといえば遡れば魏書に卑弥呼と呼ばれた女王が治めていた
民族の末裔である。
「”象徴”はこの席にお呼びじゃないってこと。あなたにはあなたの席がある」
円奈の隣で聖六芒星隊のリウィウスが青い目で、きっと険しい目を細めて双葉サツキを睨む。
すると円奈は、たしかに自分がどうやら聖地で実権を持たない、"象徴"として聖地に暮らす役目にある家系の娘だと
知るにいたっていたが、ここで素直な自分の気持ちを言うことにした。
「わたしは”象徴”としてでなく、”騎士”としてここに来たのです」
何人かの、席に座る聖地の魔法少女たちが、円奈を驚いた顔して眺めた。
つまりそれは、象徴の家系の血筋もつ娘でありながら、その立場を捨て、軍人になるのか、と思惑させた。
あの母のように。
いままで聖地の人々は、円奈の部下の騎士たちふくめて、円奈を姫として扱ってきたが、
その本人は騎士だ、と自分から名乗り出た。
聖地にしばし不在だった象徴の血筋の姫が、みずから、騎士だ、と言い張った衝撃が、宮殿の食卓に走った。
「そ?」
いっぽう、双葉サツキは、余裕の顔を崩さない。皆にこう声だして告げた。「西大陸の悪習慣に毒されているのよ。
魔法少女が戦場に出るならまだしも、人間の女の子が戦場に出るなんてね。アネゾネスの真似事かしら?」
「…」
円奈は、それ以上は何もいわず、無視して、食事のフルーツ類にありついた。
皿にわけ、手で食べた。
「…はん」
双葉サツキは、それで円奈との対決をひと段落させたらしく、自分も無言で、ブドウ酒をぐうっとグラスで
飲み干した。
微妙なピリピリな沈黙のなか、夕食会はつづくのだった。
「鹿目さまを王のもとにお連れします」
とつぜんリウィウスが沈黙をやぶって、中庭の夕食席をたち、円奈の手をとろうとする。
「リウィウス殿」
すると、フレイがさえぎった。
リウィウスが、円奈に手を差し伸べたまま、首だけフレイのほうを夕食会テーブルの席にて向いた。
「鹿目さまを王にお連れしたい人がほかにいるそうです」
571
円奈はリウィウスに案内されたが、途中、謁見のため王の間にむかう途中の廊下で、案内役が代わった。
「わたしはここで」
と、リウィウスは円奈の前で礼をし、頭さげて去ると、松明をもった門の番人たちが、
きた道の扉をガタンと閉めてしまった。
すると廊下は暗闇になり、照らすのは松明の火だけとなる。
この赤い、石の内壁の空間を、歩いていると、別の女性が円奈の前に現れた。
「わたしが誰だかわかる?」
貴人のような服装、つまり、金のメッシュで覆った幅広の折り返しカフスのついたガウンに、
詰め物で膨らませた見せかけのアンダースリーブの、王女様のような女性が、現れたのである。
それは、円奈のすむ宮殿の敷地に、水を求めて寄ってきた女性でもあった。
その女性は、自分の名を名乗っていたので、もちろん円奈はそれが誰なのか、知っていた。
「あけみほむらさん…ですね」
「わたしはあなたがバリトンの村で暮らしていてほしかった」
と、貴人らしき女性は、ゆっくりと顔を覆う布をとり、顔をみせた。
やさしげな人だった。
「でもこの国に来てしまった。運命なのかもしれない。大変な旅だったでしょう。貴女が無事でよかったわ。
あなたの母、鹿目神無(かなめかんな)は、ここエレム国とサラド王国の戦争に何度も加わった。非力な
女の子の身で、ね。それは王家の従姉妹の双葉ユイ(サツキの母)の反感をかって彼女を軍部から追い出した。
神無は来栖のもとへ身を寄せて亡命した。そこで生まれたのが、あなたよ、まどな。エレム王があなたに会いたがってる。
あなたが神の国に戻ったことを、迎え入れてくれる」
そう、その人は円奈の予想通り、暁美ほむらだった。
「王…さま?」
円奈は、バリトンの村にいた頃は本でしか知らなかった、遠い国の人物とついに対面を果たすのだと思うと、
どきまぎ、心臓が緊張に高鳴ってきていた。
「ええ。この国の王。"魔法少女"よ」
ほむらは、神の国の王のもとへ円奈を廊下へ連れて案内しつつ、松明の火を握って、空間を照らしつつ語った。
「自分の家系がどんなだったか、もう知ってる?」
「…うん」
円奈は答えた。あまり、気の進まない返事だった。当然だ。円奈は騎士として、この聖地に来たつもりだった。
ただの”象徴”として帰還しに、この国に来たかったわけじゃない。
「この国は危機にある。サラドと停戦を結んでいるけれど、それもあと二年間。いえ、あと二年もつかもわからない。
だからエレムは世界に散らばった同民族に救助をもとめた。来栖椎奈の元にもそれは届いていた」
「椎奈さまはそれに応じました」
と、円奈は、バリトンの村にいた頃の記憶を語る。
「でも、途中で倒れてしまって…そのとき、わたしを騎士に仕立てたんです。”聖地へ行け”と…」
ほむらは、椎奈が自分と結んだ約束をやぶったのを知った。
安全なバリトンの村に暮らさせてあげてほしい…それがほむらの約束だったのに。
けれど、鹿目円奈が運命に吸い寄せられるように、聖地に戻ってくるのも、運命かもしれないと、
受け入れた。無事だったのが、何よりだった。
もし、円奈がバリトンの村を一人で旅立っている情報が、もっと早く入っていれば、救助にさえ、むかって
いたかもしれないのに。
たぶん、いろいろ危険な目にあっても、”女神の加護”が、あったのだろう…。
この鹿目円奈という少女の人生はどんなものだったろう。ほむらはまったくしらない。
24時間ほぼずっと鹿目まどかを監視していたあの時間を繰り返した頃とちがって、姿は瓜二つでもまどかとは別人の円奈が、
どんな生き方をしてきたのか知らない。
両親もいないで偏狭の村に育ち、狩りをして自らを食いつなぐ幼少時代に、国際法も何もない、無法の戦国乱世の
時代を一人だけで旅してきて、はるばる大陸から大陸へ渡って聖地にたどり着いた。
それはとても危険で大変な旅路であったのでろう。
このとき暁美ほむらでさえ知らなかったが、鹿目神無が神の国からの亡命を決意したその日、神無は当時のエレム軍の
部下、レシィルに、”もし女の子が生まれるのなら鹿目まどかのような子がほしい”と願望をもらしたのを聞いて、
暁美ほむらが覚えている限り知っているその世界から消え去った子「鹿目まどか」が現世に再び生を得たような子が
生まれるように、インキュベーターに一人のエレム人少女を契約させたのだった。
インキュベーターは、その気になれば暁美ほむらの脳内だけの世界に登場する子がどんな姿をしているか調べることは
簡単だったので、それそっくりな子が神無の胎内に宿った。そして生まれたのが鹿目円奈という少女だった。
だから、鹿目円奈が鹿目まどかとコピー品のようにそっくりなのは、偶然とか、奇跡とかではなく、
インキュベーターの契約の賜物といってもよいのだった。
「あの…あけみさま?」
円奈は、暗い石壁の通路の先を進む、松明をもったほむらを、呼び止める。
「なにかしら?」
ほむらは、振り返って、円奈を見た。
「えっと…ね」
円奈は、自分の母の神無が、なぜ喧嘩し別れたのか、ほむら張本人にきこうとしたけれど、
そこまできて、なぜか聞いちゃいけない気がしてやめた。
「ううん…なんでもないの…」
ほむらは、そんな円奈のおどおどした様子をみて、ふっとやさしげな笑みをこぼした。
「?」
円奈にはどうもそのほほえみの意味が分からなかった。
こうして鹿目円奈は、聖地に旅を果たし、その神の国の王、葉月レナと謁見をする。
暗い廊下を進むと、宮殿の頂上、もっとと高い階層へきた。
外廊下へと開けて、列柱のアーチがつづくこの通路を、宮殿から夕日を眺めながら進んでいると、やがて王の私室へきた。
円奈はほむらに、そこに案内される。
すると、王の私室が目に入り、やがて一人の少女の声をきいた。
「そなたに会えてうれしい。鹿目円奈よ。よくぞ神の国に”還った”」
緊張に円奈はうろたえた。神の国の王の声を耳にしたと思うと、お腹が痛くなった。
エレム人の中で、いやこの世界のなかで、最も強い魔力をもつというその魔法少女との対面に。
葉月レナ───名前でしか聞いたことのなかった、エレム王が円奈の前に立つと、目が合った。
まず見たのは、整った顔筋に流れる様な黒髪、宝石のように美しいグリーンの瞳。
そのグリーンは、緑の葉のように癒やされるような綺麗さだった。
目が合うと、そのどこまでも深い緑に吸い込まれる、そんな気のする美しさだった。
長い黒髪は夜のように暗くて、天衣のよう。艶々としたその髪が背中辺りまで伸びていた。
葉月レナが語りつつ、緊張に固まった円奈に歩み寄ってきた。
「私はここ神の国に生まれ、16になると契約をして魔法少女になった」
葉月レナが歩くと、夜のような黒髪が艶々となびいて広がった。髪が不思議な力を帯びて浮いてるみたいだった。
「神無が一番の友であった」
と、神の国の王は、かつてまで聖地に住まう鹿目の一族の、円奈の母と親友であったことを明かすのだった。
この聖地に生まれ、このエレムの地に暁美ほむらと暮らしていた鹿目神無。
母親はなぜ、生まれ故郷の神の国を出て、大陸を渡ってまでバリトンの村まで旅立ち、そこで円奈を生んで育てたのか。
王の口から円奈に語られる。円奈が知らなかった母の話を。
今日はここまで。
次回、第80話「アイルーユ地方の領主」
>>1で予告していた過去編は、円奈の母にあたる鹿目神無のストーリーを執筆していましたが、
本作の雰囲気を壊しがちだったので、全編カットとしました。
遅くなりました。
過去編をまるまる削除したので、話が飛んでいると感じられるところがあるかもしれません。
第80話「アイルーユ地方の領主」
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こうして鹿目円奈は、魔法少女たちから神の国と呼ばれて聖地とされるこの土地が、両親の生まれの地であり、
元々は自分もこの聖地に暮らしていた家系の子の末裔だとエレム王に知らされたのだった。
そしてその末裔は、代々”象徴の子”と呼ばれ、神の国における"聖なる娘"としての特別な役目があったそうなのだ。
つまり、今では鹿目円奈が、その聖なる娘のたった一人の生き残りである。
なぜ”象徴の子”と呼ばれるのか。それは、生前の魔法少女たちにとって目に見えぬ”円環の理”を象徴する
存在だったからである。
円環の理が誕生したという女神の地に、その血を引く子孫が暮らしている。それだけで、
今や全世界の魔法少女にとって、鹿目一族は特別な存在なのだ。
だから、ここは神の国と、呼ばれるに至った。
「わたしはそなたの帰還を喜ばしく思う」
と、かつての鹿目神無の”友人”だった、エレム王・葉月レナは円奈に語る。
「神無はわたしの国を強くしてくれたし、戦争の危機にあたっては指揮を執ってくれた。わたしは神無を親友だと
思っていた。クリオス、ユリエンたちの暗殺事件のことは、まだ私の心を傷めている。だが、あの事件以来、わが国を
出奔した神無の娘に、会えたことは、まことに女神の意志のはからいと思う。そして神無の死を悼もう」
さびしい顔を浮かべたエレム王、夜のような黒髪にグリーンの瞳の魔法少女が、頭を円奈の前で垂れて目を閉じ、
母への悼みを示した。
円奈はエレム王に、神無の顔はほとんど知らず、父親のアレスのこともほとんど知らない、と王に告げた。
「暁美ほむらから聞いている。そなたがまだ3つの歳のとき、そなたと来栖の領土を守るために死んだと。
わたしの知っている神無らしい英雄の死だ。神の国にもどるまで、さぞ苦しい思いもしただろう。わたしは
ユリエンとレシィルらの事件のことで、”祖母の罪”はそなたにはないと確信している。安心して、
神の国に暮らすとよい。リウィウスらを付き添えて、そなたの保護にあたらせよう。いかなる危険も近づかせない」
祖母の罪、とは鹿目マナ(神無の母)が軍部の上級指揮官のユリエン・レシィルらを臣下をやって殺害した事件のことであり、
神無を暗殺しようとした軍部の首謀者たちにマナが先手を打ったあの事件のことである。
あの事件以来、エレム王国はすっかり動揺し、鹿目神無が神の国を亡命しようと
決意したきっかけのできごとでもあった。
神無は母のことを人殺しだ、と譏り、母のもとを離れ故郷を出た。そのとき、報復に軍部によって
母と父が殺された。
首謀者の一派らは、そのあと鹿目邸の宮殿にギリシア火という兵器で火事を起こし、
"象徴の子"を家系ごと神の国から消し去った。
エレム人は、鹿目神無が聖なる娘のうちの最後の子孫、と思っていた。
だから彼女の亡命は、エレム国に大きな衝撃を与えた。聖地としての意味が無くなったようなものだった。
そんな国内事件の記憶が強い頃、なにも知らない円奈(まどな)という孫娘がひょこっとバリトンの村より
神の国へ帰ってきたというのだから、エレム人はびっくりしている。
来栖椎奈とは会話で普段使う言葉がエレム語だったから、円奈は、国内にくると難なく現地民の
エレム人と会話できる。
エレム語では漢字は使わない。昔でいうところの、英語に近い言語で、アルファベットがある。
”R”の発音だけ痰を吐くような仕方で発音する。
だから、円奈は自分の名前を”鹿目円奈”とは漢字では書けない。
アルファベットで"KANAME MADONA"と横文字で書くだけ。つまり自分の名前に動物の鹿とか、丸形を意味する円、
祭祀を意味する文字が含まれているとは知らない。
のちに円奈は、かつて母がほむらから教わったように、漢字という文字を懸命に覚えていくことになる。
国内ではエレム人といえども一部の知識層は漢字の素養があって、人名に漢字を使うこともあった。
だから、一部のエレム国内の魔法少女は、"史記"とか"三国志"の逸話を知っている、なんてこともあった。
というより、鹿目神無もその一人であったので、円奈とはちがい自らの名を漢字で書く。
文明がほろんでも文字そのものまでは人類の手から消えなかったのだ。
エレム王としては、この象徴の子の末裔にあたる円奈の保護を、最優先に考えて手を打つ、
と円奈本人と面とに向かって約束した。
つまり、鹿目マナの罪はおまえには着せない、と。
安心して神の国に暮らすとよい、と。
鹿目神無の人生をよく記している、神無を守って討ち死にした腹心の武将
アルメニ・アレクシオス・ルミナス(魔法少女歴23年くらい)の古びた羊皮紙の伝記を王から渡されて受け取った。
円奈は伝記を開いて、書かれたエレム語を読み、母の人生のすべてを知っていくのだった。
戦馬ロレンスとの出会いから、魏武帝注孫子をめぐる部下の武将たちとの論争、アレクサンドロス大王を模倣した
レビョンの戦いから、軍兵クレイトスが魔法少女は人の世にとって害悪だと主張しはじめた諍いと、怒りに我を
失いクレイトスを刺し殺した神無の後の懺悔、娘が生まれたら自分のことを殺人者だと呼ぶのが怖いと
レシィルに相談した話や、放たれた刺客の話まで。
すべて伝記にのこっていた。
アルメニの伝記を最後まで読み終えると、母を知らないまま育ったこの15年間が悲しくなり、
円奈は涙を指で拭いた。
母と一緒に育ちたかった。母の口からその人生を教えてほしかった。もっとわたしが育って、物心がついていたら、
わたしは母のことを誇りに思うって何度でも言えたはずだし、母のことを私が守るようにバリトンで暮らしたかったのに。
ママは、私が生まれたら殺人者と呼ばれるんじゃないかって、ずっと不安になってて。
そんな不安、私が癒してあげたかった。
支えたかった。母の心は私が。
それは叶わなかった。どうして私をおいて死んでしまったの。
悔やみきれない辛さがいまさら、孤児で育った15年間を振り返るほどに深くなり、傷つく。
父母が恋しくなる。顔をみたい。話がしたい。
そして静かに言った。
「わたしは自分が象徴と呼ばれる家系の子だなんて知りませんでしたし、わたしの両親が元々は神の国に生まれた
人とも知りませんでした。けれど、生まれたときからわたしは神の国に行くべきだと信じていました。その理由が
やっと、分かりました」
円奈はそのように王へ言って、アルメニの伝記を授かった礼をしたあと、こんなふうに語りしだ。
「わたしの遠いご先祖とまが円環の理だという話は、まだわたしの実感にあまり沸きません…わたしは、今までの旅路で、
円環の理は魔法少女たちの命を攫っていく怖い存在だと思っていました。ミデルフォトルの港で、フレイさんに会うと、
かつて魔法少女は魔女に化けてしまうのろわれた運命を背負わされていたけれど、円環の理はそのすべての因果を
一身に受け止めて、ついにはこの世の存在ではなくなり概念のようになってしまった、と聞かされました。
もし円環の理が概念というのなら、それは女神なのでしょうか。神様のように魔法少女を救う、
心あるお方なのでしょうか。”象徴の子”であるわたしは、この神の国でどう暮らしていけばよいのでしょう…
神の国の王さま、わたしにはわかりません」
それは、円奈が神の国に、何か人の役に立つような人生を求めて旅してきた垣間に、唐突に象徴の子としての役割を
求められて、自分の人生に困惑している、という円奈の切実さをこめた言葉だった。
すると聖地の王、葉月レナはは人類と魔法少女の関わりから繰り下がって話はじめた。
「わたしは、魔法少女がカベナンテルと契約すると起こしうる奇跡によって、人類の歴史が変わってきたときいている。
今の人類は、絵画を描く芸術を好み、文字を綴って物語を嗜み、言葉によって伝承を継ぐ。だが人類が絵を
描くようになったのは、狩が成功するように祈っての洞窟に狩りの成功絵図を描いたのが最初であるし、
それがなければ、いまだに人類は洞穴に暮らしていたかもれない。願いによって奇跡を生み出す力を
もつ魔法少女は、いつも人類と共にいてその歴史を変えてきた。新しい力を人類に与え続けた。
にもかかわらず、魔女に転身して呪われ、魔法少女に殪されるべき敵に化けてしまうのは悲しいことだ。
それが円環の神が誕生しこの世に救済をもたらす前の宇宙だった」
目前にいるのは、世界でもっとも神聖視されている国の王で、君主なんて立場についているものだから
強力な魔力をもつ魔法少女らしい。
「賢者ソロンはクロイソスに、”人生が幸せだったかどうかは、死に際になって初めて分かることだ”と」
エレム王、葉月レナの語りは続いていた。
かつての親友、鹿目神無によく似た娘との対面に、心は喜ばしく浮き上がっているのかもしれない。
「リディアの王クロイソスははじめ理解しなかった。クロイソスは彼自身が世界でもっとも幸福な王だと思っていた。
彼の国はもっとも裕福な国で、その繁栄は頂点を極めていたから、世界の宝石と財宝が彼の国庫に集まり、王はソロンに
それを自慢した。そのソロンが、得意に絶頂にあるクロイソスに警句をのこした。”巨万の富や栄誉の頂点にたったこと
が幸せなのではなく、その幸せを死ぬまで維持できた者が本当に幸福な者なのだ”と。王はソロンが生意気な
愚者だと言っただけだった。後にクロイソスは新興国ペルシアに侵攻されて、に囚われて火あぶりとなった。
捕縛されたクロイソスは処刑台の上で、”ソロンよ、あなたは正しかった”と叫びをあげたのだそうだ」
王さま、なぜそんな話を突然に?と戸惑った円奈。
「わたしは、円環の理が誕生する前は、すべての魔法少女がクロイソスのように生涯を閉じたと思う。なんでも希望を
一つかなえ、幸運や栄誉の絶頂まで登りつめたとしても、その願い事に絶望し、後悔しながら生涯を閉じるのであれば、
魔法少女は結局は誰も幸せではなかったのだ。ソロンのいうように、幸福というものが、それを死ぬまで維持できて
こその幸福であるとしたなら、死に間際の救済を約束する円環の理は、世界のすべての魔法少女の人生を幸せに
変えるものだったと思う」
そこまでいわれて、エレム王葉月レナが、円環の理がいかに魔法少女にとってありがたいものであるのか、
言表わしてくれていることをやっと悟ったのだった。
円環の理は、世界のすべての魔法少女が不幸だったのを、幸福へとかえるほどのものだった、と。
なぜなら、”いちど得た幸せを死ぬ間際まで維持できた者こそ本当の幸せ者”だから。
その具体例としてリディア王クロイソスに忠告したソロンの話を引用しただけ。
「わたしは、そなたが、魔法少女の命を攫っていく怖い存在だと思っているときいて、私の思っている円環の理を
そなたに話した。エレム国内では、一部の者は円環の理とは宇宙に生ける女神の力だと解釈しているが、
一部の者は円環の理とは概念という仕組みに過ぎず、心をもった女神は存在しないと解釈している。」
円環の理というのが、ただの概念なのか、実は神のように振舞うことができる一人の人物なのか、という
論争は、けっこう昔からあったそうだ。
「わたしは象徴(女神)の子の血を引くそなたには、安全に神の国で暮らしていてほしいし、そなたが
神の国に生きていることによって、円環の理が実在するという希望を魔法少女たちに与えられつづけることを
信じたい。もともと、ここはそのような国だったのだ。そのためにそなたを保護することに力を尽くすと約束するし、
そなたの志願するところには答えていきたい。今がきっと、そのもっともよいときであろう。鹿目円奈よ、
神無の娘にして女神の子よ、そなたは何を願う?」
と、猛然と一方的に話されてばかりだった円奈に、ようやく何か話す番がきた。
というより、王によって番を回された。
鹿目円奈よ、女神の子よ、そなたは何を願う?
”象徴の子”に返り咲き聖地の姫となり、女神の子として魔法少女たちに希望を与えていく人生を選ぶのか。
この神の国をまた聖地としてくれるのか。
それとも、別の何かに、この聖地に来て、なるのか───。
円奈はこの聖地に旅してきた目的を、神の国の王に伝える機会をこうして与えられた。
それは恐ろしい発言になると円奈は思った。
けれど、エレム王が今いったように、それを伝えるとしたら、やはり、今しかなかった。
「わたしは”象徴”としてでなく、”騎士”として聖地に来たのです」
はっきり、王に伝えられた。
鞘に収めた来栖椎奈の剣が、ぶらん、と円奈の腰元でわずかにゆれた。
そう、これは葉月レナに謁見する前、王宮で双葉サツキに、象徴の子はここの席に座るべきでない、と食事の場で
いわれたとき、円奈がサツキに言い返した言葉。
どんなに、自分がそのような血筋を持つ子だと知らされて、神の国に暮らすに於いて聖なる娘として役割を求められる
家系の生まれだったとしても、円奈は元々はそんな人生を生きるためにこの聖地にはるばる旅してこなかったのだ。
"騎士"として、この聖地に来たのだ。
すると、葉月レナは、まるで円奈のその言葉を待っていたかのように少しだけ微笑み、すると告げた。
「やはり、あの鹿目神無の娘であるな。かつて象徴の子は、自分たちの存在こそが円環の理の存在を証明するという
立ち位置にあったから、その役目をよく果たして魔法少女たちを励ましつづけていたものだ。ほとんどの鹿目の家系の子が
そうして神の国に暮らしていた。だが、鹿目神無にはその人生が退屈だったそうだ。神無は武人を目指し、そして武人に
なった。そなたもまた、母と同じようなことを言う。」
といって、葉月レナは、この鹿目円奈は神無と比べてどれほど軍事的な才、武人の感性を持つかひとつ試すことにした。
またそのためにこのテーブルに円奈を招いたのだ。
「わたしはこの国の城壁に防御塔を新築するつもりなのだが」
するとレナは、王室の席をいちどたち、部屋の書棚から、一枚の大きな羊皮紙を持ち出し、
それを円奈の前のテーブル一面に、ばっと広げておいた。
円奈がその地図の描かれた羊皮紙に目を通す。一目みて、それが神の国の全体図の城壁と防壁拠点を記した
地図であることがわかった。
「この塔門だ」
といって葉月レナは、地図に描かれた神の国の囲壁の入門口を指さし、円奈に問いかけた。
「この城をより防御効率あげるなら、どう城を増造するか?」
なぜ急に、葉月レナがこんな質問を投げかけてきたのか、わかった。
自分は”象徴”として神の国の聖なる娘となるために聖地に戻ったのではない。”騎士”としてここに来た。
その戦に生きる人としての円奈の素質を確かめるため、いま、防壁の改築をどうするか、円奈に問いかけているのだ。
円奈は、10秒ほど、神の国の防壁を描いた地図をじっとピンク色の瞳で眺め、頭の中で敵が攻めてくるシーンを
シュミレーション、想像して描いた。
今までの経験をフルに活用して、防壁を改築するなら、もっとも防御効率のあがる、城の改造の完成形を思い描く。
ファラス地方の森を隔てたモルス城砦、湖の上にたつアキテーヌ城、谷に建った王都・エドワード城。
いままでいろいろな城をみて、また攻略さえしてきたが、神の国は谷もなければ湖もない、堀もない砂漠の平野に
築かれたしがない囲壁の都市だ。
どんな形の城壁を新しく築くのが、もっとも頑固な城をつくるだろうか?防御効率を高めるだろうか?
ついに頭の中にひとつの完成形という答えが出て、円奈はそれを葉月レナ、神の国の王へ伝えた。
「十字型、または星型がいいでしょう。城に立つ守備隊の死角をなくすのです。逆に、城に攻める者は、
梯子をかけても、背中やわき腹を守備側に晒すことになり、危険になります」
といって、その形をした防壁を築く地点を、地図上に指差して、円奈の脳内にある新しい城のことを、説明しつつ提案した。
葉月レナは、円奈の作戦、提案を受け止め、じっくり地図を眺めなおし、宝石のように煌くグリーンの瞳を細めた。
「たしかに攻めるのが困難だ」
葉月レナはそれを及第点とした。
鹿目円奈はモルス城砦の話からアキテーヌ領の傭兵になったこと、エドワード城に攻め込んだ戦歴の話まで、すべて話した。
エレム王は、この少女が、魔法少女ではないにしても卓越した戦歴をもつことを認めた。
きいてみれば、神無にも負けず劣らずの戦闘経験をもつ娘ではないか。特に西大陸で難攻不落の大城・エドワード城を
突破した話は果敢と称するに値する。
「おまえが望むなら、騎士として、ここから北100マイルのアイユール領、巡礼者寄宿の土地をおまえに与える。
敵の手から巡礼者の命を守り、その土地をよくする領主となれ」
円奈は騎士として、葉月レナから任命を受けた。
それは、神の国の傘下の騎士となったかわりに、円奈にエレム国の領土が一部与えられた、ということを
意味していた。
アイユール地方を封授され領主となったのである。
いつか、来栖椎奈が、遠くバリトンの地を与えられたように。
「だが忘れないでほしい、円奈よ。エレム本国にはそなたを敵視する一派が残っていることを。鹿目マナの謀反に
巻き込まれて家族を殺され、孫娘であるそなたを憎む一派が根強いことを。アルカイネス、レシィルらの
姪たちは、いまエレム軍部に双葉サツキらと共にいる。彼らと鹿目一族の亀裂が深まってしまうことは、予見される
事態でもあったのに、鹿目神無を信用して彼女に指揮権を与えたのは私だ。」
王は、鹿目神無に象徴の子という立場を超えて、軍部指揮官になるための権利をかつて与えた理由を、
円奈に話したのだった。
「それは本来、エレム初代王の意向に適うことではなかった。エレム王と象徴の子は互いに不可侵で、
連携することなく、立場を互いに守ると。それがエレム建国時の法規だった。政治と国事はエレム王族がおこない、
聖地としての司祭的な役目を鹿目一族がおこなう、というふうに。わたしがそれを破ってまで、神無にエレム軍部の
指揮官を任命したのは、人は生まれながら自由だと信じたかったからだ」
円奈はピンク色の瞳で、王をみつめながら、顔も知らぬ母の、将軍姿を思い浮かべた。
レビョンの戦いで母が敵国の王を敗走させた話。円奈には信じがたい。
「そなたが象徴の子となるのも、騎士となるのも、本来は自由のはずなのだ。わたしは神無のときのように、
エレム建国時の法規をやぶってそなたを領主に任命する。なぜならそなたがいま、そうしたいと私に言ったからだ。
だが、それを快く思わない、そなたを敵とみなす一派たちのことは、私もそなたも忘れてはならない。
神無のような悲劇はもう、円奈よ、そなたには引き起こさせない」
鹿目円奈はこうして、象徴の子という立場を捨てて、騎士として国内の領土を一部、封じられた。
アイルーユ領公・鹿目円奈。それが彼女の新しい名前。
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封土を授かったあと、鹿目円奈は王宮の大廊下を進み、アイルーユ領に出かける準備のため、国内の自邸に
戻るところだった。
床が鏡写しになるほどぴかぴかに磨かれた大理石の廊下を、足をすすめ、壇にランプや壷の並べられた空間を進んでいたら、
とつぜんカシャ、と足に何かがひっかかった。
円奈が地面をみおろすと、靴にひっかけて蹴ってしまったそれは、騎兵を象った手のひらサイズの小さな駒だった。
騎兵の小さな玩具は、銅製で、手に槍をもち、勇猛に戦う騎士。
いちど足にかけて倒してしまったそれを、円奈はそっと拾いあげ、床に片ひざだけついて腰を折り、それから、馬からおちて
しまった騎兵の像を、馬に乗せなおして、クイクイと位置を調整していたから、そんな円奈を宮殿の廊下の扉からそっと
のぞいている小さな男の子と目があった。
円奈が騎兵の駒のおもちゃを持ったまま、顔をあげて、その少年をみると、少年は、光が漏れる扉のむこうへ、
顔を隠して扉を閉じてしまった。
光は消えた。
たぶん、あの少年のもつ騎兵の駒だったのだろう。騎士ごっこに使う玩具にちがいない。
それにしても美しい金髪の少年だった。
円奈はこのときまだ分からなかったが、いま目にした少年は、王家の子、つまらエレム国の王子なのであった。
わたしも、騎士だよ────
そう、16歳の女の子は、聖地の姫になれる血筋であったのに、自ら戦いの宿命を負う騎士として生きる道を選んだ。
もし少年が、円奈のもとに来たら、にこり笑ってそんなふうに話しかけたかもしれないけれど、少年は円奈から去った。
あきらめて、円奈がその場をたって、そっと元に戻した騎兵のおもちゃを、床に立て直すと、宮殿の広い廊下を
また歩き続けたのだが、円奈がおもちゃから離れたのを見計らって、また少年が扉から顔をだし、廊下へ出てきて、
おもちゃを手に取り返したのである。
円奈はそっとふりむいて、少年が自分のおもちゃを取り返す様子を、見守っていた。
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それから翌朝、朝日の燃える陽が砂漠にのぼる頃、円奈はアルマレックなど部下の騎士たちを従えて、
領主として、国王から与えられた封土の地方に向かっていた。
なれない砂漠という環境の土地を進み続けること3時間、昼間ちかく、鹿目円奈はアイユール地方に到着した。
そこは、聖地巡礼に訪れる寄留者たちの宿泊スポットであり、神の国への巡礼ルートでもあった。エレムの都市から
100マイル北にある海岸の領土である。
アルマレックなどの男騎士たちは、エレム王から、鹿目円奈を領主として騎士の身分を与える、おまえたちは保護せよ、
という命令を受けて、非常に驚いた。
いくら魔法少女の活躍が表立つこの時代でも、16歳の”人間の少女”が騎士として領地を持つ、とは普通ないことだった。
しかしアルマレックは、鹿目円奈の聖地にいたるまでの旅の戦歴をきき、戦いの才能に恵まれた少女であったことを認めた。
弓術に長け、勇気がある。おそらく弓矢で倒した敵兵の数知れず、それどころか戦争を指揮した経験もあった。
エドワード城陥落事件の話は東大陸の人間にも有名であったが、その首謀者の一人でさえあったことは、
アルマレックたちを驚かせ、まだ頼りないところをしっかり保護すれば、今後の活躍も期待できる娘であった。
鹿目神無の娘といわれれば、さらに納得できる。鹿目神無はエレム国では名高い指揮官で、戦術に長けた女戦士で
あったのだ。
エレム王葉月レナからは、王家の一部の人間は、まだ鹿目マナに恨みをもっているから、円奈にどんな危害を
秘密裏に画策するか分からないから、目を離さず円奈を保護せよ、と厳命されたものだった。
それにしても日中の気温には、やられてしまう円奈だった。
相変わらず昼間すぎになると日射が厳しく50度ちかくになる。寒冷高原の山岳の村バリトンで育った円奈はこの猛暑を
体感したことがない。
しかも、炎陽が照りつける砂漠は、なんの緑も育たないのだ。
しかしともあれ、そんな領土であっても、鹿目円奈はきちんと騎士として領土を得たのであった。
前までは、身分は正式な騎士でも、どこの領地も持たなかった。これではいわゆる落ち武者、没落流浪騎士だ。
じっさい、流浪も同然の旅をしていた円奈だったが、いよいよ騎士としての肩書きのみならず、領主としての
人生をスタートさせる。
「ごらんください、あなたの領地、アイユールです」
円奈の目前にひろがった領地を、従者のアルマレック、頭のつるつるに剥げた大男が説明して、円奈を
領主の館に導いた。
砂漠のからからに乾いた土地にぽつんと建った、庭をもつ干しレンガの家だった。
「土地は1000エーカー、300家族、オリーブ園とナツメヤシ、羊300頭があります」
この領土の経済的現状を述べてくれる。
さてこの条件から始まって、この土地を豊かになるか、ダメにするかは、領主である円奈の手に、
これからはかかるわけだった。
来栖椎奈の跡をおって、自分もやっと、領主になった。
あの人のような領主になろう。
「こんな貧しくて、埃っぽいところでは…」
いっぽう、従者のアルマレックは、しばらく領主が不在だったこの廃れた、干からびた土地の現状を、悲観的にみて、
円奈の館のバルコニーにて顔を暗くした。
くらべて円奈は、木造バルコニーの手すりから、自分の領土を眺め、ほとんど砂漠で、ところどころ申し分ていどに
乾ききったみすぼらしい畑が耕されているのを見つつ、口にあけていった。
「わたしは好きだよ」
初めて自分に与えられた領土の感想を、そう漏らすと、従者のアルマレックは、この領主に心強さを感じるのだった。
「まずは…うーん…そうだね」
ひからびつつある畑。砂漠の地には、わずかばかり、ナツメヤシの木が生えて緑がある。
領主として、この土地をよくするために、いま円奈に何ができるか。
「水路を引こうか」
といって、領主はバルコニーの手すりをのりこえ、ぱさ…と乾ききった土地を、足で踏みしめた。
アルマレックは、やさしげに微笑み、まだ15歳にすぎない少女騎士の領主の提案を、受け入れた。
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鹿目円奈の初めての事業がはじまった。
それは、領主としてのデビューでもあり、民に対して領主がする最初の施しでもある。
アイルーユ地方の民は、スコップと、つるはしなどをもって、緑が生えて地下に水脈が眠っていそうなところを、
手当たりしだい、掘りはじめていた。
ばきっ。ばきっ。
埃にみまれた砂地を民はてきぱき、あちこち掘りつづける。
円奈も掘り作業に参加して、削った穴に降りて、スコップで、顔が泥だらけにるまで掘っていたが、途中、領地の子供が、
革の水筒をもってきてくれて、円奈に手渡してくれた。
この砂漠地域のど真ん中では、貴重な水である。
わたしがもらっていいの?
そんな躊躇をみせると、子供はますます、円奈に力強く、水筒を、渡してきた。
ありがとう、といって、円奈は掘り作業を中断して、穴から出て、水を飲んで休憩した。
日中の陽は烈しさをまし、円奈の額も汗だくで、額が日の光を反射してしまうほどだったが、しばらくしてまた掘り作業に
もどると、だれか言葉の通じない農民が、円奈の肩をたたいた。
どうも、こっちにきてくれと、いいたいらしい。
スコップを穴からだして、そのあとで、掘りすぎて自分が脱出できなかった穴から、民に手助けしてもらいながら
地上にでると、同じように掘りすぎて自分が脱出できないほど深く掘った穴に立つ別の領民が、湿った泥水を握りしめていた。
水だ。
水脈の一部を探り当てたのだ。
だいたい、砂地を掘り続けて泥が湿り始めたのが、3メートルほどの深さ。
さらに掘ると、もうそれは泥水ではなくなって、濁水となった。
掘れば掘るほど水が湧き出してくる。
その穴を見届けた円奈は、嬉しさに微笑み、そして、民たちに告げた。
「壁に岩を積もう」
井戸製作の取り掛かりである。
民たちは、揚々とすぐに行動に移った。こんなに嬉しい作業はない。
こうして井戸ができるあがると、つぎに、水路をひき、水脈から畑まで、水を流した。
そんなこんなで、あれこれ円奈が、自分の領地をよくするためあくせく仕事をつづけること、一ヶ月がすぎた。
その一ヶ月の経過は、めざましい発展で、埃っぽい畑しかなかった領地は、緑が育ち、水が満ち、畑は増え、
収穫の見込みも大きく期待された。
水をふくんだ、やわらかな土地は豊かで肥沃で、ナツメヤシの木が林のように育ち、円奈はある日、そのナツメヤシ林の中を、
涼しく散歩していた。
緑の育つ自分の領地の成長を、嬉しく見届ける。畑の水路に、子供たちが手作りの小さな舟を遊びで流した。
水路の小川をすいすい舟が流れに運ばれていった。その小船のあとをゆっくりと歩いて追う。
水路に流された、手作りの小型帆舟は、ころころと水路の流れに乗って、やがて畑へとはこばれる。
円奈は、自分は水路におちないように気をつけながら、足であとをおいかけて、舟を目で追って眺め続けていた。
ところで、300家族ほどが暮らすこの領地には、二人ほどの魔法少女も、暮らしていた。
一人の名はメアリ、もう一人の名はシレビア。
円奈の領地に沸く魔獣の退治は、この二人がやってくれるわけだ。
必然的に、力が強い二人の魔法少女は、アルマレックと同様、円奈の部下という位置づけになり、
領主の護衛部隊として、騎兵の立場を与えられていた。
円奈の身に何かあるときは、この二人の活躍が、期待されるわけである。
魔法少女と人間が、なんの心のわけ隔てなく共存できる国を建てること、それが最終目標である円奈は、
領地の魔法少女二人と、友好関係を築こうと努力して、たまに夕食に二人を招いた。
仮にもエドレス王都エドワード城のときのような、人と魔法少女が憎しみあうような悲劇は、絶対に自分の領土では、
繰り返したくないのである。
「なにか不満なことはないかな?わたしにできることはある?」
領主として、そして鹿目円奈として、魔法少女たちに、できることはないか、呼びかけると、
メアリとシレビアの返事はいつもこうだった。
「この領地に沸く魔獣は弱く、人々の負の感情は見つけることも難しいです。領民は幸せです。私どもから、
鹿目さまに望むことはありません。土地が幸せすぎて、魔獣が少なくて、魔法少女としては困るくらいです」
それは、複雑な返事だった。
まちがいなく円奈の領土は豊かになりつつある。民も幸せである。しかし幸せな土地では、魔獣は多く沸かず、
ということはつまり、グリーフシード不足に魔法少女は悩むことになる。
かといって、じぶんの土地に不幸を招くわけにも当然いかない……
悪い言い方をして、あのときのエドワード王の言葉を借りれば、"人類の不幸を糧とし餌にする"魔法少女たちは、
円奈のような平和な領主の土地では、グリーフシードが不足するのである。
鞭を片手に、税ばかりとりたて、飢えた農民の背中をひっぱたく領主の土地のほうが、よっぽど魔法少女にとっては、
いい狩場である。たくさんの下民の絶望によって魔獣がたくさん沸くから。
こういう事情はやはり、しばし人類を魔法少女への敵愾心、加虐心、憎悪に燃えさせてしまう。
エドレス国のエドワード王こそまさにそんな人物の代表格であった。
そして彼は魔法少女との全面対決にふみきったのだ。
円奈は、そうした、人類と魔法少女の間に刻まれた、深い深い溝を、その目でみてきた少女騎士だ。
魔法少女と人間が、なんのわけ隔てなく共存できる国、そんな国の実現は、難しい。
しかしここアイルーユ領に生きる魔法少女の二人はいつも円奈にこう答えるのだった。
「幸せな土地は、ソウルジェムに濁りがたまらないので、グリーフシードがなくたって長生きできます」
こうして、16歳の領主は、みごと国王から封じられた領土を経済的に切り盛りさせてゆき、封土の民衆たちの人望を得た。
なんとも不思議な話ではないか。
生まれたときは村社会からのけ者にされ、狩りだけで生きてきたみすぼらしい、仲間はずれの少女が、
希望を求めて聖地へ旅して、その旅の果てに、このような新しい人生を築きあげたのである。
希望は必ず、どんな生まれの者にも等しくあり、努力すれば人生をモノにできると勇気づけられるような一例ではなかろうか。
576
そんな、円奈が領地をもってから半年もすぎた頃、一人の訪問者が、アイルーユ地方をおとずれた。
白馬に跨り、日照りの激しいこの砂漠を通って、頭も顔も肌を布で覆い隠してやってきた、
ガウン姿の高貴なる女性の姿を、円奈は覚えていた。
その女性は何人かの護衛や、侍女を、従えてアイユール地方にやってきた。わざわざ本国から160マイルも北の地に、
何の用だろう。
円奈は出て、客人をむかえた。
「リエム地方にむかう途中なの」
と、女性、つまり暁美ほむらが言った。
「かつてサラドに併合される前、雪夢沙良が生まれた国があった。そこがリエム。リエムでの奇跡が幼い雪夢沙良を救った。
ただ一人、沙良を庇って魔法少女アイルーユが、包囲軍の敵陣を朝日の日差しと共に突破した。そして
このアイルーユ地方に逃亡したと、そう伝わっている。雪夢沙良は今やサラドの大君主になった。」
この地方の歴史を簡単に教えてくれたあとで、ほむらは相変わらず、領主の立場を与えられても
服はうす汚れ、ぼろ着れのようなチュニックを着ている円奈を見た。
「晴れて領主になれたのに、変らない服装なのね?」
「わたしは生まれた村では耕す農地も持てず、寄留の異邦人も同然の扱いでした。いま、騎士として、
もっとも聖なる神の国エレムの地方領主になっています」
と、円奈は、馬に乗っている高貴かつ不思議な女性客人に対して、答えていった。
「わたしは十分に変わったと思います」
ふふ、と女性はほほえみをもらす。
「あなたは変わっていないわ」
この返答をうけて、円奈は心で、うーん、なんだか難しい人だ、とちょっぴり思った。
そして、心の中でそんなつぶやきをもらしていると、女性の客人は、円奈をみつめて、つづけてこういった。
「水を飲みたい。ここに泊めていただけるかしら?」
遠くリエム地方にいくとしたら、当然一日ではたどり着けない。円奈の土地に、今晩は寄宿したい、と女性客人は
お願いしてきた。
円奈は、それを歓迎する。
「ここは砂漠の地です。水を求める人を私の町は拒みません」
といって、高貴な服装したほむらにに礼をとった。つづいて、従者の一人、言葉はまだいまいち通じないが
心では通じあえる、信頼できる侍従を呼び出して、この客人のもてなしするよう命じた。
「ラティフ!」
侍従は、領主に呼ばれるとすぐにやってきて、元気よく、この男の侍従はほむらを迎え、ほむらが泊まれる寄宿を
丁重に案内した。
それにしても、声ひとつで従者たちをあれこれ命じるとは、随分と領主とての姿が板に付いてきたものだ。
本人はやはり本国での"象徴の子"に返り咲くつもりは、ないようだ。
この日、鹿目円奈は、エレム国にきてから新しく覚えた、頭にカフィーヤを巻く習慣をとりいれ、頭に巻いていた。
というのも、青緑の高原山地で育った鹿目円奈には、この日中気温が50度という砂漠の国の環境に慣れることができず、
何度も日射病で熱をだし、ばたんきゅーしてしまったので、頭を守るために必要だったのだ。
あと砂漠なので砂嵐が起こったときは、これで顔に巻いて防塵する。この砂漠地方にくるまで、砂嵐が
こんなに恐ろしいものだと円奈は知らなかった。防塵しないと口も鼻も砂だらけになるのだ。
それにほぼ毎日風呂に入るようになった。日中の直射日光が強すぎて、汗だくになる。
母国バリトン村では誰も風呂なんて入らなかったが、ここ砂漠の地方では、風呂に入らないことは病気を呼ぶことだと
現地民に教えられた。
風呂に入るとき、エレム国のこじゃれ趣味で、色とりどりな花びらを湯船に浮かばせる。その花は百合だったり、
ほか菖蒲、水仙など菜園で育った花びらを浮かばせた。
風呂からあがると用意されたバラ水(花びらを浸した冷水)に足をいれ、ひんやり足先をひやしながら、
領主の館庭から自国民を眺めるみたいな、そういう砂漠の国の領主生活と文化に、慣れていくのだった。
584
その日も夕暮れが近づき、空が青みがかって暗くなってくるころ。砂漠のど真ん中に佇むアイルーユ地方の村の、
円奈の館の外庭で、円奈とほむらの二人が、テーブルを共にして軽い夕食をとっていた。
テーブルに二つ、水をいれるグラスと、水を入れた瓶が置かれ、二人は透明な瓶から水をグラスにそそぐ。
食事を共にする二人の間には、砂糖漬けのみかんの皮が、籠に詰められていた。二人はこれを、指で食べてすごす。
円奈は、こういうときの指の使い方を、その昔にアリエノール・ダキテーヌという魔法少女から教わっていたので、
親指、中指、人差し指の三本を使って、砂糖漬けのみかんの皮を食べた。
「本当の目的を教えてください」
と、円奈は、みかんの皮を口に食べたあと、ほむらに言うのだった。
「リエム地方に行くことが目的なんて、うそのはず」
ほむらは、この鹿目まどかと瓜二つなピンク髪の少女が、すでに自分の嘘を見抜いているのを知った。
どんな経験を積んでこの聖地にたどり着いたのか、ほむらは知らないけれど、人の建前を見抜く鋭さが、
すでに備わっているらしい。
目前の、砂漠の肌寒い、静かで暗くなってきた夕暮れでテーブルを一緒にする円奈は、ほとんど肌を隠した
服装をしていて、砂漠の国の女性らしい服装をしていた。頭のカフィーヤは今はとっていた。夕時になって
猛暑が引いたから。
だから、頭の赤いリボンは、いまは彼女の頭髪に結われて、砂漠から吹いてくる冷たい夜風(砂漠の地は
夜になると-5度くらいになる)に靡いて、可愛らしく靡いていた。
「今のあなたに分かっていることは?」逆にほむらは問い返した。
「寄宿が目的ではない。ここに来ることがあなたの目的だったのです」
と円奈がいうとほむらは、この新しい鹿目の子、円奈がほとんどすべてお見通しなのを悟る。
そこで白状した。
「わたしは夫をもたなく、家族をもたず、愛人をもたない。わたしは、1000年の長寿があり、聖地に生きていた。
あなたは、聖地を求めて遥々千里を旅し、この地にきたのに、わたしに過去にどんなことが聖地があったのか、
円環の理とは何か、わたしに何もきこうとしない。わたしは、あなたの本当の目的を教えてもらいにきた」
だいたい、いまお互いに向き合って館の中庭のテーブルに座る同士、同じ色の同じような赤いリボンを頭に
巻きつけているのに、円奈ときたら、あえてそのリボンについて何も尋ねてこないのである。
これがほむらにとってのもどかしい謎だった。
円奈は答えた。
「わたしにとって聖地は、円環の理と関係がないものです。魔法少女と人が共生できる土地が、わたしにとっての
聖地です。生まれてこの方、どこを旅し、渡りあるいても、そのような国はみつけられなかったので、
神の国、つまりエレムの地にそれを期待して、ここにきたのです」
ついに暁美ほむらは、鹿目円奈の目的を知った。
本人は、それをさらっと言ってのけたが、ほむらにとっては、20世紀の見滝原を生きてきた彼女としては、
この鹿目円奈という新しい女神の娘があまりにとてつもないことを言っていると思った。
魔法少女は、魔法少女になった時点で、人と分かち合えるなんてことは、あきらめなければいれない。
それが暁美ほむらの人生の結論だった。
さかのぼって考えてみてもそれはわかるものだ。
魔法少女に契約してしまった美樹さやかと人間の志筑仁美が分かりあえたろうか?
正面むきあって上条恭介のことをとりあえたか?
いや、仮にそこでは分かり合えたとして、両親にはどう説明するか?いつか結婚する夫にどう自分を伝えるか?
こんな体では、キスしてともいえない、抱きしめてともいえない、と美樹さやかだって諦めていたというのに。
そんな美樹さやかは、自分のことを上っ面に心配してくるまだ人間だった鹿目まどかに、まずわたしと
同じ立場になってみろ、と突き返したではないか?
これが魔法少女と人間にある決して崩されることのない壁だ。
ほむらは問いかけた。
「あなたはまどかが成し遂げられなかったことを目指している。人間であるあなたが、魔法少女と共生できる国を
築こうとするのは、どうしてなの」
円奈答えていう。
「私が魔法少女に助けられて生きてきたからです。人と魔法少女が、助け合って、共生して信じあって、
分かち合って生きて暮らせる国を築きたいのです」
それはやはり、とてつもない桁外れな話であるように、ほむらには思えてくる。
ほむらは、過去を思い出して語る。
「わたしの友人だった魔法少女たちは、人と理解しあうことができなくて、苦しんでた。巴マミという私の古い友人は、
魔法少女のことを学校の仲間に打ち明けられなくて、悩んで、苦しんでいた。佐倉杏子という私の古い友人は、
魔法少女のことを父に話すと、家族崩壊して、人間不信に苦しんだ。逆に言えば、同じ魔法少女にしか心を
打ち明けられなくなった。美樹さやかという私の古い友人は、魔法少女の体を知って、自暴自棄になって、
恋人に本当のことを打ち明けられなくて苦しんだ。あなたは、過去のたくさんの魔法少女が苦悩し絶望させたことに
対しての、救済の国をつくろうとしているのね」
それはこの新しい改変された宇宙であっても、解決をみたことのない問題だ。
円奈はどうやってそんな理想をこの現実世界に成立させるつもりなのだろう?ほむらには分からない。
こうして二人のやりとりを終えた円奈は、館庭の夕食をおえた。
中庭のテーブルにのこされた食器とグラスを侍従に片付けさせ、館邸に戻った。
その日も夜遅く、自分の土地の収益(ここでは収穫高)を記した羊皮紙に、自らの横文字のコメントを
羽ペンで書き記していたが、ネズミが円奈の靴から顔をちゅんちゅんとのぞかせるような深夜、また、ほむらが来た。
そしで円奈は門へ出て出迎えた。
「あなたの目的はこの土地ではなく私なのですか」
領主の、夜間の訪問者を出迎える態度は丁重で、まるで姫に対する騎士だ。
適度に頭を下げ、手は前で静かに結ぶ。
ほむらは手元に蝋台と火のついた蝋一本だけを持ち、深夜、円奈の邸館の門で、言った。
「わたしは千年の長寿がある。それは、魔法少女が人でないことの証でもある。人は千年も生きられない。
わたしには、千年待ち焦がれていた人がいる。それはやはり、人ではない。人でなくなってしまった。わたしは、
あなたをみているとたまに思うことがある。人でないその神のように聖なるものが、あなたを人として、この現世に
遣わせたと。わたしと会うために。おかしな考えだって、そんなことはわたしにも分かってる。」
砂漠の夜間、月の降りるとき、円奈の邸館の戸の前に立ったほむらは、この深夜、片手に皿に乗せた
一本の蝋燭の火を灯していて、ぽわっと明かりに頬が照らされていた。
ほむらは、一度、ごく、と唾を喉から飲み込み、目を閉じ、鹿目円奈に本音を語る自らの緊張と、しばし戦ったのち、
つづけた。
「だから、今わたしたちが見ている、蝋燭に照らされた世界が現実で、本物ならば、蝋燭が消されたとき訪れる闇の世界は、
本物ではなく、夢の中の出来事だと思ってほしい。」
といって、ふっと息をふきかけ、蝋燭を消す。
ぷつ。ろうそくの灯りの火がなくなり、屋内を真っ暗にする。煙だけが残った。
コト。
蝋燭をたてた皿を置く音がした。
そして、暗闇の降りた中で、”預言者”は、その長くてさらさらした美しい黒髪をふぁさっと靡かせ、進み出て、
黒に溶け込みながら、「ごめんなさい」と声を掛けながら、愛する人にするみたいにふわりと円奈を抱きしめた。
そして、鹿目円奈は、それに抵抗らしいこともしなかった。
ほむらの再訪問からいきなりはじめ、あなたの目的は私ですかと口にした瞬間から、鹿目円奈はこの夜この女性に
接近される心の準備を済ませていたのだった。
暁美ほむらという女性を円奈は美しい女性だと思っていたし、強い女性だと思っていた。聖地についてから内心ずっと。
しかも、聖地にきて初めてしった自分の、聖地の象徴として体内に流れる血が、なんとなくほむらという女性を
守るように告げている気がした。
なんだか、最初からこうあるべきだったものが、ようやく実現したような気分にさえなった。
まるで時代という時代を超えて運命の再開を果たしたような…。
ほむらは、この鹿目円奈という17歳の子が、ほんとうにまどかに似ていると思った。
母の神無よりも似ていて、もはや生き写しだ。鹿目まどかが無事に中学校を卒業して高校生に成長したら、という姿だ。
でもやっぱりまどかと円奈はちがった。中学の制服は着ず、鞘に剣をぶらさげ、鎖帷子を着て、馬に乗って騎士になる。
もしかしたらもう人を殺したことだってあるかもしれない。
だから、円奈とまどかは、まったく別人。
別人だとわきまえていたから、あのとき再開したときも、平静を自分に言い聞かせていたのに。
だから、これはほんの今だけ…。
円奈もこのときだけの幸せを味わっていた。
しかし、聖地をめぐる運命は二人を引き裂く。
これはそれまでのつかの間の”幸せ”だ。
585
翌朝の日の出、レビョンと呼ばれる砂漠で、エレム王家の従姉妹にあたる姉妹、双葉サツキと、双葉ユキの二人が、
エレム騎士団をつれて馬を進めていた。
アイユール地方とははなれたエレム国の国境にある交易路である。
ゴゴゴゴゴ…。
馬の軍団が砂漠を踏む足音。なり轟く。早朝の冷えた、静かで寒空の砂漠に。
エレム騎兵は皆、すでに軍旗を槍に掲げていて、六芒星の印を描いた国章が、砂塵の風に吹かれ、
ばささっとはためく。
その数、50騎ほど。砂漠の地に突如出現、布陣した、聖エレム騎兵軍。
その軍を率いる、双葉サツキとユキ、王家の従姉妹二人。
「いたわ」
二人の姉妹の眺める視線の先にあるのは、砂漠の前方で列をつくって進む、ラクダの隊商たちの一群。
1000人ほどの規模で、隊商たちがラクダの行列に商品をのせて、砂漠の交易路を輸送している最中の光景だった。
「キャラヴァンの隊商だわ。マハルに向かってる」
双葉サツキ、王家の従姉妹二人のうち姉のほうは、燃えるような明るい赤色の髪のストレートを砂風になびかせ、
指を隊商の方角めがけて伸ばしている。その隣の、同じく赤色髪をした、ツインテールに髪型を結いだ妹のほうの、
双葉ユキは、手に剣を持ち出した。
「マハル?丁度いいじゃない。言い訳にできるわ」
「言い訳?」
サツキが赤色をした目を、きつめにユキへ向けると、ユキは、馬上にて目を瞑り、愉快そうに、語った。
「つまり、こう言い訳できる。”サラドのキャラヴァンの隊商は、商品を運ぶフリをして武器を本国に運ぼうとし───”」
サツキが目を細め、妹の策略に耳を寄せる。
「”わたしたちはそれは停戦条約違反だとして断固として阻止した”」
「危険な妹だわ」
魔法少女のサツキも、鞘から剣をギラン、と抜く。「あの隊商を皆殺しにしたらサラドとエレムの停戦は終わり、
戦争になるわよ」
「停戦なんてエレム国のためにならない」
妹のユキは、ツインテールの髪を、腰あたりにまで伸ばして、左右にゆらす、17歳の人間の女の子だった。
魔法少女ではない。
姉のサツキだけが魔法少女。
「停戦しているあいだ、敵国が軍備を整えて強大になっていくのを、どうしてエレム国が見過ごしているのか、
わたしにはわからない。王が愚かなら、私たちが戦争を始めないと…」
「でもこれが王に知られたら?」
姉のサツキは、まだ心配に心をこまねいて、行動に踏み切れていない様子だ。剣だけは鞘から抜いたクセして、だ。
サツキは、妹のユキにくらべると優柔不断だった。
とそのとき、従軍していた聖エレム騎兵団のうち、何人かの魔法少女が、早々に変身をするなり、馬上で喋り始めた。
「王の停戦はまちがいだ。いまのうち、敵国が強大にならないうちに、敵国を打倒しよう!
我ら魔法少女に宿る力が、勝利をもたらすのだ!」
エレム騎兵団のうち数人の魔法少女が、馬に乗りながら皆つぎつぎ叫びだし、剣を鞘からがしゃっと抜くと、
サツキも行動にでる腹を、突き動かされて決めた。
「魔法少女の力を示そう!」
口々にエレム騎兵団がいって、魔法少女たちが剣を天の空にむかって伸ばし、そして叫び、そして砂漠の丘を一斉に
乗り越えだした。
「神の国万歳!」
別の鎧着た人間騎兵たちも語りだした。この人間騎兵たちは、軍隊として人間の組織された兵たちであったが、
いまや地上でもっとも強いのは魔法少女たちであって、もっとも頼りになる戦力であることを、よく知った
軍隊でもあった。
だから、魔法少女と、戦場を共にするのである。
魔法少女を味方にして戦争する限り負けは絶対にない。
「エレム王国、万歳!」
こうして魔法少女たち28人、それから30人ほどの人間騎兵たちが、エレム国旗を揚げながら馬を進めだした。
隊商とラクダたちの行列の前に、槍を伸ばしながら踊りでて、突進、襲撃を開始する。
わーきゃーきゃー。
とうぜん、武器など一切もっていない、ただ交易路で商品を輸送していただけの隊商たちは、パニックに陥る。
従者だった若者たちは叫び、商人たちは怯え、ラクダを手放して逃げだしたが、所詮みはらしのいい砂漠、
隠れるところなどなかった。
そして、あれよあれよとエレム騎兵団の馬たちにおいつかれ、容赦なく、槍を受け、そのあとは、剣によって
倒された。
馬から背中を槍で刺されるサラド王国の頭にターバン巻いた隊商たち。
28人の魔法少女たちがそれぞれ目につけた商人たちを近い標的から殺した。
馬から剣を落とし、頭を切ったり…。血飛沫。
「貴様か!」
ひとりの商人、宝石を服に着けた大柄な隊商が叫ぶ。彼は、エレム国の宮殿にて、エレム騎兵が停戦条約をやぶって
我らの隊商を襲撃している、という陳情を、リウィウスに申し出ていたあの男であった。
双葉サツキはその商人に接近してゆき、馬から、魔法の力込めた剣をばっとふるい、その商人を切った。
魔獣にふるえば一刀両断する魔法の剣は、人体もたやすく切り裂いた。
上半身が二つに裂け、商人の男は体の腰まで、剣が通ったあとはバッサリ体が分かれてしまった。
血が飛び出し、剣にこびれついて濡れた。
サツキの乗る馬にも、サツキの顔や髪と服にも。
不思議なことに、殺した人間の赤い血が顔にひっついて、生暖かいものを肌で感じるほど、もっともっと
魔法少女の力を使ってみたくなった。
どうやらそれは28人の他のエレム騎兵団の魔法少女たちも同じようだった。
そしてびとびと赤い返り血に顔まで濡らしたまま、双葉サツキは、魔法少女の力を余すことなく使って、
一人残らずエレム騎兵団と共に、丸腰な交易路の隊商を、虐殺しつづけた。
赤い朝日のあがった砂漠地での、出来事だった。
586
その日の夕方、早くも神の国の本宮殿では、国内の過激派が起こした襲撃事件のことが取り沙汰され、葉月レナの
玉座の席の前、謁見の間にて激論の的となってしまっていた。
「双葉サツキらエレム騎兵団が───」
まず語りだすのは、穏健派の代表、聖六芒星隊の隊長、リウィウス。
宮殿の謁見の間、いちばん正面の王幕下に座るのは、王・葉月レナ。無言で、玉座について座っている。
王の座からみて、右手の列柱の空間に、ずららっと並び、満たしているのは、過激派のエレム騎兵団たち。
つまり双葉サツキたち。
対して左手の列柱の空間に、きれいに並んではいるが猛烈に抗議を口々に叫びたてているのは、穏健派の聖六芒星隊
の魔法少女たち六人と、それに従う国防騎士隊。もちろん、その代表は隊長リウィウス。
「サラドの隊商を無差別に襲撃した!」
と、緊急報告に入っている内容そのまんまに、金髪の魔法少女リウィウスが文書を読み上げると、
とたんに過激派とエレム騎兵団の男たちが、がやがやがなり立てだした。
「嘘だ!」
そして双葉サツキら過激派の騎士団の一人の男が、主張をはじめた。
「交易路では隊商が武器と火薬、兵站を隠し持っていた。サラド本国に運ぶつもりだった。
これは停戦違反だ。だから我々は神の国の平和を護るために行動したのだ!」
「武器とやらはあったのか?」
さえぎって弾劾しだす穏健派。聖六芒星隊の魔法少女の一人、イーリス・レン。この過激派連中の目論見など、
とうに知っているのだ。
「停戦違反をしたのは、おまえたちだ。武力もたぬ無抵抗のキャラヴァン隊商を殺した!これこそ停戦違反だ!」
「双葉サツキとユキの姉妹は、王の家系でありながら、王の停戦条約を穢した!」
リウィウスが激昂しつつ、怒鳴り大声で国堂でサツキらを責める。
「停戦協定は崩れた。戦争になります。いまに雪夢沙良が攻めてきて───!」
そのリウィウスの声を、いきなり席をたちあがった双葉サツキ──赤髪と赤目をした容貌の魔法少女が遮って、
反撃を開始した。
「リウィウス、貴公は正義なる聖エレム軍の魔法少女にしては、雪夢沙良に通じすぎているわね?」
おおーおおーお。
野次が飛び始める。リウィウスのもとに一斉に集まる疑惑と不信の目。いきなり宮殿はリウィウスへ向けられる
猜疑視線一色となった。もっともその大半は過激派のエレム騎士団からであったが。
するとリウィウスは、黙って双葉ユキを睨み、国堂を歩みだして接近し、顔と顔を近づけて、剣幕をつけながら
脅すように小声で告げた。
「わたしは人を殺すより、生かす魔法少女だ」
青い瞳、真剣な眼光は、王家の従妹を怖気づくことなく睨む。金髪ツインテールが、ゆれた。
「命あることに感謝しろ」
「その点は立派な、正義の魔法少女ねえ」
対してサツキは、へらへら言って、茶化した。
すると、宮殿内の過激派陣営から、同調してもっと大きな笑いが起こった。
「雪夢沙良との交戦だけば、避けねばならぬ!」
この嘲笑の渦にのまれるなか、リウィウスは、自らの主張を貫き、エレム騎兵団たちに呼びかけつづける。
「戦えば、エレム軍は敗れますぞ!」
「これは国に対する冒涜だ!」
過激派にたつ魔法少女が、党派の列柱より前に何歩も前に踏み出て、リウィウスの発言を猛烈に批難、糺弾した。
「いまこのリウィウスは、我らエレム国が雪夢沙良に負ける、と言った!」
過激派側の魔法少女の一人、大きな鎌を持った少女が、胸をドンと張り、自信満々に言った。
「戦おう、神の国のために。魔法少女である我々に、敗北はない!」
と、過激派の魔法少女がいうと、過激派の陣営が、わーっと盛り上がり、口を揃えて声をだしはじめた。
「奇跡を起こせる魔法少女が負けるはずがない。さあ戦おう。魔法少女の力を示そう!」
血気盛んな、神の国の、軍人としての魔法少女と、その魔法少女たちと戦場を共にする人間軍団のエレム騎兵団は、
戦おう、戦おうの一点張りであった。
すると、リウィウスら穏健派がまたたくまに、過激派の主張と真っ向から対立して、あーだーこーだーと
議論ですらなくなった、ただの魔法少女同士の口喧嘩へと発展し、いがみ合いとなる。それを後ろから支援する
エレム騎兵団の人間たちや、援護する穏健派の国防騎士隊(またの名を神殿騎士隊)。
「国を貶めたのは停戦条約を破り、王の名誉を穢したおまえたちであろう!」
「停戦していれば敵国が備えて強くなる。敵を助ける賊め。リウィウスらは国家の敵だ!」
党派の先頭にたって口論している魔法少女たち。それを列柱の後ろで擁護しあう、過激派と穏健派の兵たち。
もう、召集つかぬ、大混乱。
女の黄色い声がきーきーやかましくなる魔法少女国家の宮殿、王の座る謁見の間。
こうして過激派と穏健派が、宮殿内にていがみあいつづけること5分、王の葉月レナの元に、
使者が持ってきた一枚の書簡が届いた。
葉月レナは、黙ったまま静かにそれを側近から受け取り、書簡の内容を読む。
その葉月レナの玉座のそばに控えているのは、侍従長の魔法少女、バイト・アシール。
ただ黙々と侍従席について、穏健派と過激派の対立を、もごもごアーモンドの実を食べながら傍観してるだけ。
書簡を読み終えた葉月レナは、玉座にて、すっと…。静かに右手をあげた。
”わたしが発言する”の合図だ。
それを見たリウィウスが──この金髪ツインテールに青い瞳の魔法少女が、議論というか口喧嘩沙汰の宮殿内を
鎮めるべく、一声、叫んだ。
「静まれ!」
それは、鶴の一声となった。
宮殿内は静まり、いがみあう過激派と穏健派の魔法少女の両陣営とも、口喧嘩をやめた。
そして、全員が王のほうへ向いて、すべての決定権もつ国王の勅を、じっと待った。
葉月レナは、宮殿内の口論が静かになったあと、しずかに右手をおろして顔をあげると、その
グリーンの瞳で、穏健派も過激派も、どちらの魔法少女と陣営の者たちを見渡しつつ静かに告げた。
「サラド王はわれわれが停戦をやぶったのを受けて、20万の軍を我らの国へ進めている」
「最初に雪夢沙良の軍が到着するのはアモリの城です。サツキらの都城だ」
リウィウスは、きっと、双葉サツキら過激派の連中を睨みつつ王の前にでて、ひざを折って跪いて礼をとった。
「王、私らの兵で進軍を食い止めます」
すると、葉月レナは玉座を静かに立ち上がった。宮殿内じゅうの魔法少女が国王の動きを見守る。
エレム王は、跪いているリウィウスを立たせ、そして小さな声で告げた。
「おまえの兵ではない。わたしの兵で食い止める」
「敵国王の前に出向くので?」
リウィウスの青い瞳が、驚きに見開かれる。「命を落としかねません!」
「神の国を救うためだ」
エレム王を担う魔法少女は、そう答た。
そのあと宮殿内で王はエレム騎兵団たちに勅を下した。
「軍を召集せよ!」
おおおおおおおおおっ。
わあああああああああああっ。
進軍の命令に、過激派じゅうの魔法少女やエレム騎兵団が、歓声をわああああっと騒ぎ立てた。
戦争になるのだ。過激派にしてみれば、望んだ展開のはじまりである。
その騒ぎ声に紛れて、葉月レナはそっと、リウィウスに秘密裏の命令を、小声で託した。
「わたしの身に何かあれば、鹿目円奈にエレム騎兵団の指揮をとらせよ」
その命令は、リウィウスを、いかばかりか、動揺させるものだった。
魔法少女ならまだしも、人間の体にすぎない16歳のあの少女に軍の指揮権を渡すというのだから。
それも、リウィウスでさえ手を焼く、あのどうしようもない過激派軍団を、あの少女が統べられるなんて
ことあるはずが…。
今日はここまで。
次回、第81話「アモリ平野の会戦」
第81話「アモリ平野の会戦」
587
同じ朝、つまり葉月レナが王宮にて軍召集の勅をだしていた頃、アイユール地方の村では静かな夜明けを
迎えていた。
目覚めると、ベッド上の羊毛の掛け布団で眠っていたことに気づいた円奈は、目をこすり、毛布をどけ、
昨晩のことを思い起こした。
「昨日のことは、夢だったんだよね…」
領主はつぶやき、その日の着替えを済まし、リンネルの下着を履いて羽毛のコートに、鎖帷子を体に纏い、
サーコートを着て住処の外へ出ると、朝日が砂漠の村を照らしていた。
そして、暁美ほむら、あの不思議な女性が、白馬に乗って、本国に戻る支度をすませているのを見て、
送迎のために出向いた。
白馬にのったほむらは、馬から円奈に見下ろして、目があうといちど目線をちらっと気まずく逸らしたあと、
また紫色の瞳で、円奈の瞳をそっと見つめて、言った。
「天の女神がいるとしたら、あなたの選んだ生き方を祝福してくると?」
「運命に委ねます」
円奈は白馬に跨る女性を地面から顔をみあげてじっと、そのピンクの瞳をして、優しく微笑み、ほむらへ答えた。
「女神様の望まれる天命に、命運を授けます」
そしてほむらがいよいよ本国に帰るため、白馬を走らせ、村を出発、それを円奈が見届けるという
段階になったとき、従者の一人アルマレックが、鹿目円奈に本国で起こったことを伝えにきた。
「鹿目殿!」
名前を呼ばれ、領主は顔を部下の騎士アルマレックのほうへ向ける。
「サラドの本陣がエレムへ向かっています。雪夢沙良は20万の軍を進め、アモリ城の包囲を計画してます」
「そんな、どうして?」
アイルーユの領主は驚きに目を瞠ってしまう。あまりに急すぎる知らせだった。
敵国の王が軍を動かし、エレム国の領地の居城のひとつ、アモリ城を包囲するなんて知らせは。
「エレムとサラドはいま停戦期間だったはず…」
それが円奈の知る聖地を挟む二カ国間の情勢だった。
停戦中の和平を乱した騎士は死刑に処されるところだって、本国の裁判所でしっかりみてきたのに。
「それが、停戦条約が破られたのです」
アルマレックのしゃべり方は冷静だった。的確に事態を領主に伝える。
つまり戦争が起こった、ということを。
「エレム本国でも王がじかに軍を動かしています。両軍の衝突は今日中に起こります。我々はいかがしますか?」
神の国・エレム軍が、ここの領土を与えてくれた王葉月レナが、近年で最強の君主である雪夢沙良の軍と今日、激突する。
そんな事態に、アイユール地方の領主としてどうするか。
答えは決まっていた。
「わたしは葉月レナさまにこの土地を授かりました。エレム軍に加わります」
円奈がいうと、さっそくもう、手下の騎士たちと、魔法少女の二人、メアリとシルビアを呼び寄せ、
ケラクの城にいち早く着く準備をするように、と命令をだした。
自らも新しい愛馬、ボードワン(豪胆ゆえの勝利)と名づけた軍馬に乗って、騎士として出撃する準備にあたった。
この日にはじまる戦争に、円奈も前線に立ち、参加するのだ。
588
鹿目円奈はアイユール地方の手下の従者たち、騎兵25人と、部下に新しく迎えた見習い騎士7人と、魔法少女2人、
側近のアルマレックを従え、アモリ城へ進軍、合計40人弱の小部隊が、鹿目円奈に率いられて、カラク地方へ
到着した。
すぐあとを、本国に戻る予定だった暁美ほむらも、ついてきたから、円奈の小部隊に加わる魔法少女は、3人となる。
「みてください、サラドの斥侯部隊です」
手下の騎兵の一人、アレッカが、アモリ地方に到着してすぐ、ひるまの砂漠のむこうの地平線に現れた、千人の大規模な
騎兵の行列を指さし、円奈に伝えた。
「その背後に雪夢沙良の本軍が接近中です」
円奈は、きっと険しい目さきになって歯を軽くかみしめ、たかが40人しか連れてない円奈の部隊の前に、
敵兵1000人の斥侯部隊が、容赦なく突き進んでくる光景を見る。
敵騎兵の隊列は、みな手に槍と、盾を持ち、馬をまっすぐ進めながら、アモリ平野へ迫ってくる。
敵の第一陣たちである。
円奈が馬からあたりを見回すと、籠を背中に抱え果物を運んでいる現地民が、まだアモリの乾荒原を
敵兵の先発部隊から逃れて、安全を求めてアモリ城へ疲弊しながら走っている姿が、何百人もあった。
エレムの本陣、葉月レナの陣営はまだ到着しないらしい。
到着したのは、円奈の部隊、つまりこの40人の騎兵団だけだ。アイルーユ騎兵団のみ。
40人vs1000人の敵兵。加えてその背後にある20万の敵陣。
多勢に無勢、不利すぎる戦況。
「鹿目殿、戦えば命はありませんぞ」
冷静なアイルーユ騎兵団の一人、従者のグニシメンドも言って、この戦いがすでに絶望的であることを、
はっきり領主に進言はした。
「逃げるなら今です」
「だめ。エレムの民を守らないと」
鹿目円奈の騎士としてとった選択の返答は、従者たちの予想通り、早かった。
「エレム王の本部隊が到着するまで、時間稼ぎをしなくては。それまでどうにかここで食い止めます」
その円奈の決断はほむらを動揺させ、怯えさせた。
「無理よ!」
馬に乗った姿のまどかに、馬で詰め寄って、いつかまどかを呼びためたときのように───戦いにでるのを引き止める。
パカパカと颯爽なる蹄の音が鳴る。
ワルプルギスの夜という、戦うに無謀な敵に、立ち向かっていってしまったあの子のときのように、
ほむらは『あの子』の背中をみながら、引き止めた。
「相手は20万の軍。あんなのに勝てっこないのに…」
ほむらの目に悲痛な透明の滴すら汲み上がってくる。絶望的な面持ちになってくる。
すると、『あの子』が、引き止めても死ぬとわかっている戦いに出ていったときのように、円奈は言うのだった。
「それでも。わたしは”騎士”だから」
その、死ぬとわかっている戦いに出向く少女の、覚悟の瞳は、あのときと、おんなじだった。
「みんなのこと、守らなくちゃいけないから」
ピンク色の目が強く意思を固めている。ゆるぎない使命感を瞳に宿している。
現地民はまだ逃げるために走っている。もちろん、人の足の走りで、逃げるだけでは、とても騎兵たちの迫る速さから、
逃げられはしない。
ドゴドゴゴと、千人の馬の敵部隊たちの、走りが地面を鳴らす響きが、だんだんと伝わってくる。
容赦なく近づく敵陣たち。
そんな…。
鹿目円奈が、この圧倒的に不利、戦えば命はないと分かりきっている敵に、戦いを挑む、その覚悟を決めている
背中の後ろ姿をみたとき、ほむらはまたわたしは守りたい人を失ってしまう、そんな気分にさえ、
陥ってしまった。
敵の力は、あまりにも強大だ。
「覚悟はいい?」
ほむらの気持ちを知らない円奈は、千人の敵兵を前に、退かず、戦う覚悟はあるか、と、戦場の仲間たちと魔法少女の
メアリとシレビアの2人に、問いかけた。
2人ともの魔法少女が、こく、と頭をうごかし頷いた。
すると円奈も、きっと目つきが戦闘モードに入り、眉は細まって、険しい色へ変化する。
全員、戦闘態勢になる。玉砕に挑む決意の色に満ちる。
そして、鞘から剣を抜き、馬上で、この剣を両手にしかと握る。
戦いに臨むのだ。剣を一度抜けば、もう退くことは許されない。
そのとき円奈はそっと、首をクイとひねると来栖椎奈の剣の刃に、ゆっくりと唇をあてキスしたのだった。
ギララララン。
円奈の従者たち、40人の騎兵も、同時に、鞘から剣を抜き出し、すると、40本の剣の光が、煌いた。
まず、円奈の馬が走り出す。
それにしたがって、25人の騎兵、7人の若い見習い騎士、2人の魔法少女の馬の足が、揃って、
ドゴッ、ドゴと、蹄が砂海をけりながら、駆け出す。
その同時の進行は、見事で、息が揃っていて、一列に並んだ40頭の馬が、一丸となって出撃を開始したのである。
円奈の領地アイユール地方を示す、黄色の布地に赤い十字紋章を描いた軍旗が、向かい風にふかれ、
黄土の砂漠にはためいた。
だんだん、円奈たち小さな騎兵部隊の、馬たちは速度を高める。
最初はゆっくりと、一列にきれいに並んで、進みだした40頭の騎馬は、対する1000頭の騎馬を誇る敵軍の斥侯部隊に
むかって、まっすぐ、徐々に、足を速め始め、ついには全速力になる。
25倍の兵力差ある歴然の大軍に、円奈たちの小部隊は挑む。
対する敵兵も、黒地に銀月を描いたサラドの紋章旗を掲げ、円奈たち40頭にすぎない部隊を壊滅させるべく、
千の騎兵を進軍させつづけ、敵兵の側も騎馬が全速力となった。
互いに向かい合う馬と馬。騎と騎。
距離は縮まる。
アイユール騎兵団、40騎vsサラドの斥侯部隊、1000騎。
あまりに絶望的で、円奈たちには、勝ち目がありえなく思える、この激突。
敵兵の部隊は、円奈たちとの激突が秒読みになると、馬を走らせながら、馬上槍試合のときのように、
旗をつけた槍をまっすぐに伸ばし、円奈たちを貫こうと、向けてきた。
もちろん、これはスポーツではない。
本物の戦争で、敵兵の使う突撃槍は、ほんとうに人を殺すための矛がついた槍である。
それが、1000の騎兵に持たれ、40騎にすぎない円奈たちを、包囲する。
「ひるまないで進め!」
すると、円奈は、剣をばっと手に高く持ち上げ、その光を太陽に反射させると、ドゴゴゴゴと40騎の味方と
共に、進撃し、ついに───。
砂漠上の互いの騎馬たちの距離がゼロになり。
千騎の敵軍と激突した。
次の瞬間、円奈がみたのは、ものすごい速度で自分の胸元に敵兵の槍が飛んでくる光景、共に敵兵と衝突した味方が、
つぎつぎ敵兵の槍に突かれ、貫かれ、串刺しにされて、馬から落ちていく光景、敵兵の持ったサーベルに首を跳ね飛ばされて
いく味方、アレッカ、グニシメンド、懸命に対抗をつづける魔法少女の2人、そして自らの馬が、敵兵の槍によって
刺され、わが身は頭からどすんと砂漠に落とされ、後頭部へくる衝撃、落ちた自分を殺そうと、斧を振り落としてくる、男の敵兵の
光る刃だった。
あらゆる残酷な光景が、またたくまに視界に駆け巡り、円奈は、戦闘に入った。
589
激突のとき、千本以上もの槍が騎兵たちの間で行き交い、衝突して砕けたり人の胸に刺さったりした。
千を超える規模で馬同士がぶつかり合ったとき、騎士の馬たちは正面激突したり、ひっくり返ったりして、
黄土の砂塵が戦場に捲き起こって、何も見えなくなった。
ある騎兵は盾で槍の一撃を防いだが、その後すぐに後列から走ってきた別の敵騎兵と激突して、何メートルも
前方へ体が飛んだ。そして砂漠へ体を打ちつけたあとは、次から次へやってくる敵兵の馬たちに踏みつぶされた。
円奈が馬から落ちてころげたとき、後から猛然とやってくる別の敵騎兵たちの馬に踏みつけられるより前に
片手をついて立ち上がることができた。
しかし立ち上がれば周りにいるのは千人の敵だった。
ドドドドドと雷鳴のように千頭もの馬の蹄が地面をならし、その真っ只中に円奈が立たされたとき、その場所を包む
衝撃に、今まで想像だにしなかったような戦場の恐ろしさに、身を打ちひしがれた。
。
一人の敵騎兵が円奈めがけて、刃のついた槍を、まっすぐ伸ばして突いてきた。
馬の突進に任せたその槍の攻撃は、恐るべき速さで円奈に迫り、あたれば体を貫通するにちがいなかった。
「ううっ!」
だから円奈は、戦場を走って逃げた。前のめりになって。そのすぐ横のあの敵兵の槍が掠めた。
当たれば死ぬ槍からわずかに避けられたとき、身にぞわっと感覚が一瞬、迸ったのち、いきなり体が熱くなった。
熱くなってからは、もう恐怖心よりも戦闘欲がまさった。
倒さなければ!敵を。さもなければ、殺されて死ぬのだ。
思えばそれは、魔法少女だって、同じだ。
自分を殺そうとする敵兵がいれば夢中になって戦った。馬が数百頭ほどまだまだ突進してくる中、
戦場に突っ立った円奈は、馬からころげて立ち上がったばかりの敵兵を剣で切りかかり、首筋を斬って一人目を殺した。
剣が届きそうな距離のところにいる敵兵になりふりかまわず剣をふりきった。それは敵兵の盾にあたった。
次の瞬間、別の敵兵と目が合い、互いに殺気だって剣を伸ばしあった。
円奈の剣と敵兵のサーベルがこのとき、カキィン!と音たてて刃同士が十字に衝突しあい、戦場の空に輝く日が
二本の剣を照らし、円奈の顔面前で輝いた。
しかしそのあと、猛烈な勢いで力任せに敵のサーベルで押され、少女の身で戦いはじめた円奈は
力負けして簡単に砂漠に足をとられころんでしまった。
背中から尻餅ついて転倒する。
剣だけ片手に持って。
「あっ!」
殺し合いとは力だ。と過酷さを思い知りながら、円奈は転倒したとき、敵兵のサーベルがふり落ちてくるのを見た。
「うっ!」
しかし、殺されるわけにはいかない円奈は、仰向けながらも懸命に剣を前に出し、身を守った。
直後、円奈の剣に敵兵のサーベルが当たり、顔面の直前で二本の剣とサーベルが衝突した。あと数センチも下だったら
円奈の顔に当たっていた。
目の前まで迫った敵の刃。もっとも死を間近にした瞬間だった。
敵兵はもう一度、円奈を殺すべく、サーベルをふりあげ、切りかかってきた。
円奈はまだ立てなかったが、這って近くに倒れていた兵の盾を手に拾うと、それを敵兵に向けた。
それが、敵兵の二撃目のサーベルから守った。ガン!と音がして、円奈の持つ盾にサーベルが叩かれ、円奈の指に
まで衝撃が伝わって、指がしびれた。
敵兵がまたサーベルを持ち上げて、三撃目、円奈にサーベルを叩き込んでくるが、円奈は形勢を逆転すべく、
盾で身を守りつつ立ち上がる。
起き上がりつつある円奈をまた敵兵のサーベルが襲いかかるが、盾で守った。顔面近くで衝撃音がする。
姿勢を守り、ようやく立ち上がった円奈は、さらにまた敵兵ともう一度、剣を交わらせた。まだ相手が優勢だ。
互いの凶器と凶器がこうして何度もぶつかりあったとき、敵が攻撃ばかり考え、守りが空いていることにきづく。
サーベルをふりきったあとの敵兵のわき腹を円奈は突く。
躊躇なんてあるわけもなく、夢中で敵兵を刺した。右手に力込めて、あらん限りに腹に刃を突き入れた。
どうか刃が入らぬなんてことがないように。
すると敵兵は喘ぎ、倒れた。
剣をわき腹から抜く。血が流れた。
きづけば仲間のアイルーユ騎兵たちも地で敵兵たちに囲まれながら戦っていた。盾をふりまわし、敵の顔を
なぐったり、背後の敵に対しては脚をだして蹴ったりしていた。
円奈は近くにいた敵兵に背後から迫り、剣で頭を叩き、三人目を倒した。頭から血が勢いよく出た。
わき腹を切ったときと違い頭を切ると血が噴出のように飛びでるのだった。
もう円奈は、戦場にあって無我夢中だ。剣が届く距離のところに敵兵がいれば叩き、敵兵の盾を切りつけ、
それで敵兵がバランスを崩したりすれば、姿勢が傾いたところを剣を振り落として斬った。
一度に二人の敵兵を相手にすることもあった。
片方の敵兵には盾で守り、そのあいだもう片方の敵兵の頭を鎖帷子ごと切る。敵兵の頭は切れなかったが
打撃をあたえ、相手はくらっとして後ずさり、よろめき、格好の隙になる。ここを円奈が顔めがけて剣を伸ばし、
すると刃が敵兵の鼻に刺さった。顔面から血を出して敵兵は砂漠の地に倒れ、死んだ。
だがどこまで戦っても、多勢に無勢、円奈たちは千人の敵兵に包囲されている。
こんどは三人の敵兵を同時に相手することになり、いくらなんでも無謀となった。
もちろん円奈は戦った。三人の敵兵のうち、一番右に立っていた兵むけて大いに剣をふりきる。だがのこり二人の兵に
後ろをとられた。
まず後ろをとった一人目の敵兵の槌が円奈の肩に命中し、ガクンと円奈の姿勢が崩れ、膝から地につく。そのあと背後の敵兵が
メイスのような武器で円奈の背中を打ち、うっと呻いて天をみあげた円奈の後頭部を、さらに三人目の兵が槌で
思い切り打った。
円奈は戦場のど真ん中に気を失って突っ伏した。いや、気を失ったならまだいい。命すら絶ったかもしれなかった。
暁美ほむらはこのとき、戦場にあって、魔法少女の力を解放したが、敵兵たちに応戦しても、防戦するばかりで
円奈をずっと探していた。
だが、千人の敵軍に囲まれ、状況は絶望的で、一度見失った円奈を見つけること適わなかった。
そのうち、10人くらいの敵軍の魔法少女に囲まれ、「お前たちの兵を指揮した鹿目円奈は我々の手の落ち、
いま我らが"主"の前に差し出される」とだけ告げられた。
だからほむらも、一緒になって敵国の"主"の前に差し出されることを降伏して願い出た。
鹿目円奈は気絶させられ、サラドの兵士二人がかりで肩を掴まれ、運び出されていた。
サラドの"主"の前に。
円奈だけでない。一緒に戦ったアイルーユ騎兵団の部下も同じ捕虜となって、サラドの本陣に連行されていた。
武器は取り上げられ、砂の地に正座で並ばされていた。
敵兵が運ぶ円奈の肩を放すと、気絶した円奈の身体はドサっと砂の地面に落ちて突っ伏した。
「ん…」
顔の頬が地面の砂に擦りついて、その痛みでようやく円奈が目を覚ました。
しかし、目を覚ましたときには、"主"がすでに剣を鞘から抜いていた。
ギラン。"主"の剣先が光る。
円奈と共に戦った、アイユール騎兵の部下たちは絶望の想いで成り行きを見つめた。
鹿目円奈は、きっと殺されてしまう。
彼女は意識が戻らず砂の地面に突っ伏したままで、いま剣先を頭にむけられていることにも気づいていない。
"主"は、足元に突っ伏す少女のピンク髪の頭に刃の剣先を運び────。
次の、瞬間。
ザクッ。
突き刺さる音がした。
思わずアイユール騎兵団たちは目を覆った───メアリもシレビアも───誰もが、円奈が殺されたと思った。
鹿目円奈はうっすらと、突っ伏したまま静かに目を開けた。目の前に、砂の地面に深く刺さった剣があった。
ぼんやりと意識を取り戻した円奈が、すっと顔をあげると、オレンジ髪と、オレンジの瞳をした魔法少女が
そこに立っていて、彼女を見下ろしていた。
「鹿目さん、”あなたの人徳は、まだ見ぬ敵の耳にも届こうもの”」
「…、アガワルさん」
円奈は、意外そうに再会相手を見つめ、驚いた様子で喋った。「やっぱり魔法少女だったんだね…」
「まあ、ね。きづいた?」
オレンジ髪の少女は語った───あの時と違い、いまは武装した格好になっていた。鎖帷子を着込み、防具を腕につけて、
銀色のマントを羽織っていた。
彼女の特徴的なオレンジ髪が、戦いの終わった砂漠に吹き付ける風にゆれた。夕暮れだった。
「本名はレグー・アーディル・アガワル…軍師をあたっているわ」
得意気な顔、というよりも、円奈との再開を喜ぶような顔。
「あなたたちの国でもこう言うでしょ?───”まいた種は刈る”」
オレンジの魔法少女が得意げに語った。「あなたに命を助けられた借りを、ここで返させてね」
円奈はふっと、弱々しく苦笑いした。「…あのときは、通訳の子かと…」
あのとき、とは円奈がこの東大陸の国に来たばかりの頃、馬の所有をめぐってサラドの一人の騎士と決闘
したときのこと。
互いに言葉が通じなかったが、アガワルが通訳してくれていたのだ。
ただの通訳する女の子にしか思えなかったが、実はサラド国の軍師を担う魔法少女だった。
円奈が、馬を賭けて決闘せざるをえなかったあの事情が、敵国の王に詳しく伝わっている話を思い出して、
そうか…アガワルさんが伝えてくれたんだ、と合点がいった。
「でも、その気になれば私なんて返り討ちにできたはず…」
決闘後、アガワルを半ば脅しで聖地に案内させたが、彼女が魔法少女だったならもっとずっと力は強く、
円奈に反撃にでるくらい簡単だったはずなのに。
その疑問にアガワルが答えた。
「あのときは停戦期間だったでしょ。あなたがたエレム人とちがって、私たちはそういう条約は守る。
義を守るのであれば、きたるべきもっと大きな戦争で、神が味方してくれる。私たちサラド人はそう考える」
円奈を捕らえたサラド軍の騎士たちは、誰も動こうとないで、みなアガワルの言動をただ見守っている。
その様子から判断しても、アガワルがサラド軍において高い地位にあることは間違いなかった。
なんせアイルーユ騎士団を指揮した鹿目円奈をみすみす逃すつもりでいるのに対して、
誰一人文句ひとつこぼさないのだから。
「双葉サツキの居城、アイル城に避難しなさい。でなければ死ぬわよ」
アガワルは円奈の肩をそっと持ち上げてやると、告げた。円奈は彼女に支えられてゆっくり立ち上がった。
身体じゃう、砂と傷だらけであった。
円奈のピンク色の瞳が、自分より背の高いオレンジ色の目をした魔法少女を見つめた。
アガワルは、優しく、しかし寂しそうに微笑みかけた。
アガワルは、一瞬だけ後ろを向いて円奈に示したのだった。「わたしたちの軍がようやく到着した」
「軍…?」
円奈が、意識が目覚めたばかりの回らない頭でアガワルの背後の向こうにある地平線の先を見渡した。
そして、やっと悟った。
恐ろしいことに────サラド国の全軍が、円奈の前に現れていた。
20万といわれたサラドの軍隊───大地を埋め尽くし、海の波のように押し寄せるサラド全軍。
いまや地平線の向こうの端から端まで、”月の旗印”を掲げる軍団に大地が埋め尽くされていた。
本軍の最前線を歩み、進んでくる、見渡す限りの数の魔法少女たち。千人を越える数だった。
みな馬に跨ったり、変身姿で進み出て、全軍の先頭に立っている。
魔法の衣装姿に変身した、千人の魔法少女が砂漠のむこうからやってくるのは圧巻だった。それぞれ魔法の武器を
手にして進んでくる眺めは、とかく恐ろしくもあった。
プオーンと、重たい角笛が鳴らされ、大地に轟く。
円奈は大軍の行進が揺らす大地の震えを足に感じ取った。ドコドコドコと進み寄ってくる
敵軍の騎馬と兵士たちの大行進が、大地を震わせているのだった。
地平線の向こうより現れた、”月の王国の軍団”。押し寄せる海のような、月の旗印の大軍。20万の軍。
それだけの馬と、騎兵と、武器持った兵士、魔法少女が、ごぞってまとめて敵としてやってくる恐怖は、想像を絶していた。
その圧倒的な数のサラド全軍を目の当たりにして、円奈は本当にエレム国の命運なんて尽きてしまうのではないかと
思った。
円奈は恐怖の顔で敵軍の全容を見つめていた────だから、自分の背後にやってきていた”別の軍団”に気付かなかった。
現れた敵軍と対面するもう片方の地平線のむこうからきた、その別の軍団に。
円奈より先に”それ”に気付いたのは、アガワルだった────彼女の得意げな顔が、みるみる険しくなった。
その目に、驚きの色がでている。
「?」円奈が彼女の様子の変化に気付いて、訝る。
「わが王に、エレム王国軍がきたと伝えなさい!」
と、アガワルが切羽詰った声で部下に指示した。部下の魔法少女は慌ててサラド本陣の軍に馬を馳せていった。
──なに?
剣を砂の地に突き立て、それを支えとしてなんとか立っている傷だらけの顔をした円奈が、ゆっくりと後ろを振り返った──
そして、驚愕の光景を目の当たりにした。
目にしたもの──反対側の砂漠の地平線をも埋め尽くしたエレム国の”大軍団”だった。
最初は気付かなかったが──大地に伝わる足音の大きな揺れはサラド軍だけのものでなかったのだ。
エレムの大軍は、熱を帯びた蜃気楼たつ地平線のむこうから、ゆらゆらとその全貌を次第に現してきた。
この蜃気楼の影響で、遠いうちはよく見えなかった王国軍が、やがて蜃気楼を超えて、姿をみせる。
王国の軍の旗印は六芒星。
六芒星を描いた魔方陣の旗印が、エレム軍によって何千と掲げられている。
神の国から軍を起こして集結。
揃いも揃った聖なる国の魔法少女たちが六芒星の旗印を掲げて、全軍の前線にあって足を進めている。
そして、並び立つ数千もの軍旗の先頭にたち、軍を進めるのは、神の国の王・葉月レナ。
砂漠に列なす16万の国王軍と、千人以上にもなる魔法少女の、一番先頭で馬を進めている。
エレム軍は行進を続けた。先頭の列を進む千人を越えるエレム国出身の魔法少女と、それに続く召集に応じて集まった
他国からきた新参の魔法少女がもう数百人以上。その後ろに、諸侯に従う16万のエレム騎兵と兵士たちがサラド軍に向けて進軍した。
向かってサラド軍もエレム軍との距離を縮めた。月の旗印を掲げ、武装した歩兵や、魔法少女たちが、
ぞろぞろと足を揃えて進み出てくる。
二つの巨大な勢力の全軍が互いに睨み合う、壮観。
巴マミ一人がいてもきっと恐ろしい戦力であろうに、今やここの会戦の平野には千人も魔法少女がいた。
エレム国軍は行進を続けた。しかし先頭を進んでいた国王レナが止まると、併せてその全軍が動きをとめた。
千を越える魔法少女もそこで足をとめる。続いて16万人の騎兵・兵隊が足をとめる。全軍待機の状態だ。
全軍停止させると、王の葉月レナだけが、一人で馬をすすめ敵軍側へ進み出た。
するとサラド側の軍営からも、一人の少女が軍から抜けて進み出てきた。
白い少女だった。彼女が進み出ると、何人かの側近の部隊が彼女を追いかけた。
だが白い少女は馬の向きを翻させて「よい」と声をだし、側近を引き止めさせた。すると側近達は軍に戻った。
レナと同じように、白い少女は一人だけで軍から進み出る。サラド本陣の魔法少女たち千人がそれを見守る。
円奈は自分のやり場に困りはてた。
驚いたことに、彼女はサラド軍とエレム軍、両国の軍がにらみ会うそのど真ん中にぽつんと放置されていた。
アガワルは配下に事態を伝えて、エレム全軍の登場に、緊張した様子をみせていた。
そのとき、円奈はふと────、一人の白い少女を見た───サラド軍の先頭から進み出てきた、馬に乗る一人の少女。
その存在に目がとまったのは、その少女が信じられないくらい───美しかったから。
雪のように白い髪。薄ピンクの瞳。花のように気高い振る舞い。まるで妖精が地上に降り立ったかのような景色が、
その少女一人だけによって醸し出されているかのよう。
少女の白い髪は長くて、馬を走らせるたびふわりふわりと、まっすぐな髪が風にゆれて流れるように靡いた。
美しい風貌を見せながらやってきた白い少女は、しかし、無表情でぶっきらぼうな顔つきをしていた。
しかしその姿形は、少女の花の如き愛らしさを欠くことなく───むしろ、怖いほど美しく際立って見えもした。
顔が砂だらけになった円奈は、そのとき、自分が誰を目撃したのかついに理解したのだった。
「雪夢沙良さん…だ」
その評判どおり、雪のように愛らしく、沙良の花のように気高い、サラド軍の王だった。
いまだに本人を目撃できたことが信じられない気持ちだった。
「すごい…」
自分の立場も忘れて円奈は、感激に白い魔法少女をじーんと熱い気持ちで眺めていた。
バリトンの村にたい頃から知っていたその英雄的な(世界で最も強い)魔法少女を、この目で見る日が
本当にやってくるなんて。
知らないうちに女の子ずわりで砂の地面に座り込んでいた。
しかしそんな感激の時は、長続きしないのであった。
そんな場合ではなかったから。
「円奈!」
捕虜から開放された暁美ほむらが(捕虜にしてい彼女らをたアガワルが、捕虜全員を開放した)、
円奈を抱き寄せ、言葉を投げかけた。
「戻らないと!」
「え…」
円奈が緊張切れた声を出して、きょとんとした目がほむらを見た。「戻る?」
「ここにいてはならない」
確かにその通りだった。サラド軍とエレム軍が互いに軍旗を翳して睨みあう真ん中。
「うん…」
ほむらに促され、円奈はアガワルから譲られた馬に跨った。馬の手綱はほむらが握り、馬を走らせた。
「はっ!」
ほむらの掛け声で馬が蹄を蹴って駆け出す。その後ろに円奈が乗って、ほむらの腰に腕を回した。
それでも円奈は、ちらっちらっと後を振り返って白い魔法少女の姿を目におさめようとした。
ほむらを乗せた馬はエレム軍の前線に戻り、魔法少女らが整列する前線に加わった。六芒星の旗をもった軍団に
彼女たちは紛れ込んだ。
雪夢沙良と葉月レナの二人は、馬を歩かせ互いに詰め寄った。
敵対する二国の王。
ついに二人は───サラド王とエレムの王は───互いの顔と顔が見て判別できる位置まで来た。
そこまでくると、二人は馬を引きとめ、馬同士が向かい合う形になった。
二人はパっと片腕をあげ、互いに挨拶をした。
そう───この二人は、今初めて対面したような二人ではない。
何十年も通じて戦い続けてきた二国の王だった。
ある意味、互いが互いを知り尽くしていた。
先に話を持ち出したのは、サラド王の雪無沙良のほうだった。白い髪と、薄ピンクの目をした魔法少女が、口を開く。
「その軍を引き上げ、この一件は私に任せていただきたい」
と、無表情な白い魔法少女が、目だけ細くして話を持ちだす。その声は妖やかで、甘いけれども鉄のように鋭い、
不思議な音色だった。
「停戦条約を破った者はこちらでわかっている」
「そのまま貴公は本国に戻られよ」
すると、葉月レナが答えた。
瞳がグリーンに煌いた彼女は、王らしい覇気を放つ。王という立場にあって、世界の因果を束ねる魔法少女のもつ迫力の
ようなものである。
「双葉ユキは余が罰す。円環の女神に誓う」
じっと、エレム王はその緑色の目で白い魔法少女を見据える。
「戦いはさせぬ」
二人の間には、沈黙が走る。
思えば二人のやり取り次第でこのまま全面戦争にも───なんにでもなるという事の重大さを、円奈は知った。
向かい合っている千人と千人の魔法少女たちは、自軍の旗を掲げたままで、動こうとはしない。
敵国同士、にらみ合っているだけ。
数万の兵士たちに持たれた無数の旗が、全軍のもとで風にふかれていた。
「同意を──」
葉月レナが、再び雪夢沙良に持ちかけた。「してくれるか?」
沙良はむすっとした顔で───本人に別の悪気などあるわけでもなくもともとそういう表情なのだ──
しばらく渋るように葉月レナを薄ピンクの瞳で見つめていたが、やがて、答えた。
「同意しよう」
葉月レナは相手国への敬意を込めて、相手国の言葉で礼を述べた。
それから頭を下げると親指で額に触れ、鼻に触れると、相手国での挨拶仕草をし、雪夢沙良を見つめた。
胸元の緑色に光る宝石は───濁っていた。
沙良がじぃっと敵国の王の瞳を見つめ、そして目を細めて告げた。
「私のグリーフシードを使うか」
葉月レナは断った。
沙良は唇に手を寄せ、そのあとで額にその手で触れると、目を瞑って、レナに礼をとった。
沙良は馬の向きを翻し、”月の軍団”へと戻った。つまり自らの従える軍のもとに。
葉月レナも六芒星の旗かかげるエレムの自軍へと戻り、そして両軍は互いが来た方向へ引き上げていく。
きわどいところまでいったが、全面戦争という事態は、避けられた。
今回はここまで。
次回、第82話「良心を欠いた王国は、もう聖地ではない」
"madoka's kingdom of heaven"
ChapterⅦ: It is a kingdom of conscience. Or nothing
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【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
Ⅸ章: 良心を欠いた王国は、もう聖地ではない
590
第82話「良心を欠いた王国は、もう聖地ではない」
軍を退却させたあとのサラド国の陣営では、王である雪夢沙良が、国境付近の軍営地に、
臨時に設けられた幕舎の下で、茶翡翠(王と同じで漢字系を名前に使う民族)と呼ばれる部下に、詰め寄られていた。
「なぜ軍を退くので?」
雪夢沙良の幕舎には、側近のレグー・アーディル・アガワルとスウという2人が、そこに立っていた。
アガワルは、オレンジ髪にオレンジの瞳をした魔法少女で、雪夢沙良の側近部下。武将でもある。先ほど勃発したアモリ平野の合戦で、
捕虜にした鹿目円奈を釈放した。
いっぽう、スウという魔法少女は、背が小さく、身長が146センチくらいしかない、とびっきり低身長な魔法少女だが、
非常に魔力が強かった。
変身姿は巫女服で、小袖と呼ばれる白衣に赤袴を、羽織っていて、竹弓というロングボウよりも
さらに大きな弓を持ち歩く魔法少女だった。
その髪は明るい茶色で、目は、ブルーである。茶髪の長さはミドルくらい。
いっぽう、茶翡翠という、雪夢沙良の部下の一人は、これまた魔法少女であった。サラド国内の全軍、4000人になる
魔法少女のうち、武将の一人であったが、エレム国と同じくサラド国内にも過激派の連中がいて、茶翡翠こそは、
この過激派の筆頭だった。
「なぜ?」
この過激派の筆頭たる武将の魔法少女が、不満げに雪夢沙良というサラドの国王に詰問するのは、
宿敵エレムを前にして軍を引き上げた理由。
こっちは20万の兵力があり、4000人も魔法少女を動員することができる。軍事大国に間違いない。
鹿目神無に何度も敗北したあの頃と違い、国の政治も整って軍制もよく敷かれている。
いっぽう、1500人の軍役魔法少女と16万の兵力にすぎないエレム国は、いま軍部内で過激派が暴れて
統率が乱れ、葉月レナもそれに手を焼いている。
まさにエレム王国を滅ぼすなら、今日それをしてしまえばよかったではないか。
それが、茶翡翠の主張だった。
茶翡翠は紫がかった瞳の色をしていて、髪は暗めの茶といったところか。
変身姿になると、紫の袴を着て、花柄を描いた和風の衣を上着に着込む。武器は、薙刀である。
「たしかに全面戦争すれば勝てただろう」
と、雪夢沙良、この白い髪と薄ピンクの瞳をした、王である魔法少女が、答えた。
アゴス・メリエル・リエムという過去に三国あったのをすべて統一した君主である。
「だが戦争は勝てばよいというものではない。私は20万の軍を引率、動員できるが、それは、20万の命を預かるという
ことなのだ」
茶翡翠は、まだ不満げな顔をして、頬を膨らませている。反抗的な目をしている。
納得できていない顔だ。
「開戦するには条件がある。水、補給線、兵站と宿営地、兵の健康の確保だ」
沙良は、王の幕舎に用意された座に腰を据えつつ、絨毯の上に土足で突っ立つ茶翡翠を、険しく見上げて諭す。
「いままで円環の神はエレムとサラド、どちらの国に勝利を与えてきた?魔法少女の神である円環の女神は、
どちらの味方をしてきた?」
「…女神がわたしどもを勝利に導きくださったことは、ほとんどない」
茶翡翠はくやしそうに目を落とすと、口を動かしてしずしず答えた。サラドとエレムの歴史を振り返る。サラド国は悲しい哉、敗北続きである。
「円環の神さまがわたしどもに味方してくれなかったのは、わたしどもが、
魔法少女の使命を十分に果たしていないからです」
彼女が悔いるように、歯から苦言をこぼすと、雪夢沙良がほんの少し鼻を鳴らし、ピンク色の瞳でみあげ部下にこう告げた。
子供にアドバイスでも教えるように。
「われわれが開戦にあたって準備が不十分だったからだ」
円環の女神の力を無視する、この王の言に、茶翡翠が敵意を込めて言い放った。
「もしそう考えているのであればあなたが王でいられるのも長くないでしょう」
王に対するこの侮言で、アガワルとスウの二人が王の座の左右から進み出て、
今にも茶翡翠を罰しそうな動きを見せたとき、そうなる前に雪夢沙良自身が座を立って、この場を収めに出た。
「もうよい。ご苦労であった」
と茶翡翠の手を握り、やわらかく、王はさりげなく"さがっておれ"と命じたのであった。
ここで茶翡翠が先ほど言った、"魔法少女の使命を十分に果たしていない"には、20世紀の頃とはだいぶ異なった
意味がある。
20世紀の価値観でいえば、魔法少女の果たすべき使命といえば、ただ一つで、"魔獣を倒して町の平和を守ること"だ。
しかし、30世紀では、魔法少女の果たすべき使命、といったとき、だいぶ意味合いが違っている。
魔獣を倒すことで人々命を守る、というのはもちろんこの時代でも命題であるが、それ以上に人々が魔法少女たちに期待した
役目は、その魔法を使って、もっと社会に活かしてほしい、ということだった。
具体的にいえば、気象変化によって国に旱魃が起こり、農作がダメになり飢饉が土地を襲ったとき、出番になるのが
いわゆるソウルジェムを持つ魔法少女たちである。
その中でも特に天候を操れるとか、雨を呼び寄せるとか、どこかの川の氾濫を起こすなど、水に関係する
魔力を持ってそうな魔法少女を募って、人の世に役立てるのであった。
同じように、農地に大量のイナゴが異常発生し、稲を食い荒らされてしまったときは、動物と心が通じそうな
魔法少女を国から集えて、イナゴを食べてくれる雀を山々から連れてくる、などの奇跡を呼び寄せて、
人の世に役立てるのだ。
さて、この一見、人と魔法少女の理想的におもえる共存関係は、実は長続きしなかった。
鹿目まどかが、居宅でインキュベーターに回想で見せられたように、魔法で人の世に役立ってきた少女たちの
運命は、どれも悲惨だったからである。
首を切り落とされ、火あぶりとなり、皮を剥がれた少女たちが、たくさんいた。それが悲しい末路だった。
彼女たちの、人の世に対する献身は、報われなかったのである。
しかしこれはついに人類側に悲劇をもたらすことになる。
早い話、人間たちなどもう信用するに値しないと見限る魔法少女が多くなっていった。
「そういうことであれば、私たち魔法少女が国をつくって、人間たちを管理してしまえ」と主張する
魔法少女たちの集団が世に続出した。実はエレム人もこうした祖先たちをもつ民族。
魔法が使えるということと、歩くゾンビも同然な体の不死身さを武器にして、国王政府を軽々打倒した。
その後、魔法少女が国王にとって代わった。革命を起こした魔法少女たちで新政府をつくった。
国の各郡県には、新政府から同志の魔法少女たちを総督として派遣した。
もちろん税金も納めさした。これで、事実上、魔法少女の国家が樹立する。
もし税金を納めない郡県があれば、そこの郡県では一切魔獣狩りを禁止し、住まう人々はみな魔獣に喰われ死んだ。
その国から脱出、亡命をこころみた村人たちも、みな国境で殺し尽くした。
こうして人々は魔法少女に逆らえぬことを悟り、抵抗を諦めた。
実は、サラド王国や、エレム王国のような、一見、年はかない少女たちが政府をつくっている、という不思議な国家は、
こういう歴史的経緯があって、建立してきたのである。
しかしこうなってしまうと、もはや魔法少女たちが、魔法を使えぬ人間たちに対して、暴虐的な支配をおこなって
いるだけということになり、本来の"魔法少女の使命"を十分に果たせていない現状となる。
つまり、旱魃が起これば川に氾濫を起こされる…等の、望ましき貢献姿は棄てられ、魔法の力を支配力に利用している…
という理想との剥離。
結局のところ、いまサラド国内でも、"魔法少女"と"人間"の関係は良好といい難く、むしろ心は離反し合ってる
ともいえる。けれどサラドに住む民は、この政府に逆らえば、魔獣狩りが行われなくなって村で死ぬことなるので、
逆らえないのだ。
茶翡翠が、"魔法少女の使命を、私どもは十分に果たせていない"と君主に苦言を述べたのは、まさにこの実情で
成り立っているサラド王国への、そして自分たちへの批判であり、こんな現状だからこそ、円環の女神である方が、
サラド王国を嫌って、敵エレム国を打倒できるような勝利を、与えてはくれなかったと暗に言ったのである。
だが今のサラド王国の君主つまり雪夢沙良の考えはちがった。
サラド国が敵エレム国に勝てなかったのは、"開戦準備が不十分のまま戦争したから"の一言で済ます。
これは茶翡翠のような考え方がある魔法少女にとったは、女神の存在すら無視した、冒涜的な一言に思えたのだった。
ところで、サラド軍が4000人もの魔法少女を軍として動員、駆り出すことができるとは、とんでもない話に思えるかも
しれない。
しかしたとえば、20世紀のフランスとかアルジェリア、あるいはドイツとかモロッコにたとえたら、
国内にいるすべての魔法少女を合計したら、4000人か5000人くらい、魔法少女が存在したわけで、一つの国から、
すべての魔法少女を総動員して戦争に駆り出すとしたら、このくらいの人数になる。
アメリカなど、当時のもっと超大国だったら、一万人くらいいたかもしれない。
見滝原だけで少なくとも五人の魔法少女がいて、そこにうじゃうじゃと魔女が沸いていた都市なのだから、数十人は
魔法少女がもともと、市民として暮らしていただろう。一つの都市からして、数十人ほど魔法少女が、いたとすれば、
日本全国で総計すれば、一万人くらいになる。あすなろ市のように、100人ちかくも魔法少女がいた都市も
あったと考えれば、なおさら、全国の総計は、多くなるだろう。
とはいえ、驚くべきは、仮に一つの国内に魔法少女が総計して、全部で4000人とか、5000人いたとして、
それを一人の魔法少女が、命令して軍隊として総動員してしまうことろである。
国内じゅうに散らばって暮らしていた魔法少女を、王として、一箇所に軍隊として集めてしまう権力である。
これは魔法少女が政府を樹立したサラド国だからこそできる、徴兵である。
郡県制の支配体制もそれを助けている。
各郡県に派遣された総督の魔法少女が、村に住む、戦争でも活躍しそうな強さが見込める
魔法少女の村娘をしょっぴいて命令すれば、すぐに国の軍隊に加えることができる。
魔法少女に対して政府の人間がきて命令してもきかない。
魔法少女に対して政府の魔法少女がきて命令するから、徴兵できるのである。
そこに、20世紀の軍隊と、30世紀の軍隊の、違いがあった。
サラドの軍は全国からかき集められた魔法少女の数が、4000人になるが、いまそのほぼ全員が、サラド軍の宿営地に
留まって、戦争に駆り出される準備段階にある。
エレム全軍と激突するためだ。
しかし少なくとも今日、その全軍激突は避けられた。
サラドの国王、雪夢沙良は、「開戦の準備が不十分だったからだ」と部下に告げる。
仮に勝てるとしても、20万の軍を引率する、とは、20万の命を授かる、ということであり、しっかり条件が揃うまでは、
開戦はしないのだ、という慎重な姿勢。
これが、サラド国内の軍部過激派には、もどかしい。
「あなたは、”聖地を奪還する”と約束なさった!」
と、茶翡翠は、切実な想い、昔は自分たちの故郷であった神の国を、エレム人に奪われた悔しさを、
主君に訴えかけていた。
「どうかその約束を、忘れませぬよう!」
その目線は熱い。ぎらぎらと光に潤い、紫がかった瞳は、聖地奪還を夢見る希望に輝く。
「だから、サラドの4000人になる魔法少女たちは、あなたに力を貸しているのです!」
すると、雪夢沙良は、白い髪を靡かせ、その雪のようにきれいな髪を空気にゆらして不思議めいた妖麗さを醸し出しつつ、
誓った。
「必ずエレム人の手から聖地を取り返してみせよう」
茶翡翠はその場は納得して主君の天幕の下を去った。
水引の髪飾りを頭に結いだ花柄袴の後ろ姿をみせて。
591
神の国のエレム本国では、王宮の地下牢に双葉ユキが囚われ、鉄格子の奥の部屋に入れられていた。
停戦協定をやぶってサラドの貿易商人を皆殺しにしたからである。エレム王は雪夢沙良の誓った約束どおり、ユキを罰していた。
まず双葉ユキは停戦条約を破った首謀者として、エレム本国の城で、軍全体が見守る中で、王葉月レナによって
鞭打たれた。
血は裁きの場を染めたが、「二度とこの停戦を乱さないと誓う」と彼女が王の前で跪いて言うまで、鞭打ちはつづいた。
しかし、それで刑罰は終わっていなかった。
もとより口で誓っただけでこの双葉ユキというヤツが過激派の活動を止めるわけないのだ。
そういうわけで、ほぼ無期懲役に近い状態で、この王族の従姉妹は牢を永遠の住処として与えられた。
姉の双葉サツキが、手元にパンを携え、神の国の地下牢につづく暗い廊下を進んでいた。石壁の空間を松明で照らしながら、
ユキが閉じ込められている牢屋の前の鉄格子に、立って止まった。
そして鉄格子の間からパンを与え、妹のユキはそれを受け取って口にふくんで食べた。
「わたし、あなたに伝えたことがある。魔法少女の殺し方」
双葉ユキは口にパンを齧りながら、もぐもぐとした口で、声にだして姉に話した。
地下牢の中はひどく暗かった。ユキの閉じ込めるこの部屋は鉄格子つきの採光窓が一つあいているだけだ。
「一つ。ソウルジェムを砕くこと」
ユキは、パンをかりっと齧る。姉とは目をあわさず、自論を快調に語る。
「二つ。ソウルジェムと体を100ヤード以上切り離すこと」
魔法少女である双葉サツキにはその二つが、魔法少女にとって確かに死を意味することが、理解できる。
無言で、牢屋に閉じ込められた妹の語りを、耳に聞いている。
「三つ。その魔法少女が契約した祈りと真逆のことをしてやること」
たとえば、誰かの命を助けたい、という祈りで契約した魔法少女を殺したいならば、その助けられた誰かの命を、
殺して奪ってしまう。契約した魔法少女は絶望によって死ぬことになる。
上条恭介の腕を直したいと美樹さやかが願った直後、わざとまた上条恭介の腕を破壊する。
美樹さやかのソウルジェムは絶望によって消えることになる。
これは、魔法少女同士で政敵争いになったとき、その相手を殺すときよく使う方法。…と双葉ユキは話す。
だからいまどきの魔法少女は、決して自分の願いごとを、他人にはもらさない。
とはいえ、普段の行動をよく観察していれば、どんな願いごとをしたものか、結局わかってしまうことも多多ある。
とくにここ神の国の例では、エレム王にあたる葉月レナの例。彼女がどんな願いごとをしていたのか、敵国との停戦協約を
意気地になって守ろうとしている行動をみていれば自明の理だ。
王が願ったことと真逆のことをわざと繰り返しおこなえば、王のソウルジェムだって例に漏れず消えることになる。
魔法少女たち自身はそれを、”円環の理に導かれる”とか、”神の国へいく”といった表現をするが、
人間から見れば、死と同じだ。
「葉月レナの祈り、わたし知ってるの。”平和に暮らせる聖地”が王の祈りだった。」
と、王家の従妹姉妹の末っ子は、そういう。
「王は”平和に暮らせる聖地”を祈り、敵国サラドとの平和条約は結ばれた。それがいまの二国間の情勢。
その条約をやぶってしまえば…」
双葉サツキは、妹のユキ、この赤髪ツインテールの少女が、牢屋の奥で言わんとしていることを、頭でだんだんと理解する。
「王は”神の国へいく”」
と、人間である双葉ユキは、王を殺す方法と、次いでこの姉妹が神の国の王権をまんまといよいよ手にせしめて継承する
陰謀計画の全貌を、明らかにしたのだった。
エレムとサラドの停戦条約は、それを願った王たる魔法少女の契約の実りだった。だとすれば、その停戦をやぶり、
戦争へ国家を陥れるのは、平和を願った王のソウルジェムを黒くさせることになる。
「そしたら、次に王になるのはあなたでしょ?まだあの王子は王になれる年齢じゃないんだから」
「わたしが王になったら…」
双葉サツキは目を細め、自らが王になったその先の将来を、思い描き、獄中の妹に語るのだった。
「サラドとの戦争になる!」
今日も戦争ギリギリのところまで持ち込めたのに、あと一歩のところでエレム王が到着、雪夢沙良との
和平交渉をかろうじで回復させてしまった。
だが王が”神の国”へ導かれ、女神のもとへ旅立ったならば、この地上の女神の国は双葉サツキが王となる。
そしたら戦争はもう、誰にもとめられない。
「別に血なまぐさいことが好きなんじゃない」
と、双葉ユキは獄中にて、石壁の牢屋の窓から漏れる月の光を眺め、顔を見上げて、そこに希望をみるように、
言うのだった。
「敵を打ち滅ぼすこと。それ以外に、平和を本当に実現する道なんてないってこと。戦争のない、平和な国の実現って、
本当はそれくらい険しい道のりの先にあるのだから」
592
鹿目円奈は半年ぶりに、神の国の宮殿へもどっていた。
全面戦争も寸前になった、国家の危機に際して、葉月レナより宮殿に呼び出されたのである。
「わたしはもう長くないようだ」
と、神の国の王は宮殿の王の寝室のベッドのもと、ゆっくりと鹿目円奈に語った。
王室の内は、かがり火と、蝋燭の火、麝香ランプの火などがやわらかく照らし、円奈と王とリウィウス、
ほむらなどの集まった者たちの姿を、暗く赤く照らし出していた。
彫琢を施した門と、装飾の多い部屋。大理石を敷き詰め、金箔をはった列柱。ここが王の私室であった。
「鹿目円奈。そなたに任命したい」
葉月レナは、サラドの敵軍がアモリの城を包囲したとき、命を賭けて円奈が現地民を救うために戦った勇戦を知っていた。
その騎士としての気質を買って、象徴の家系であり、本来は国家の実権を持たなかった鹿目円奈に、
王である葉月レナは、おどろくべき詔を、円奈に託していった。
「私の亡き後は、エレム全軍の指揮をそなたに託したい。私に代わり神の国の民を、エレムの民を護る人となってほしい。
わたしに継ぐ、神の国の王として、だ」
象徴の家系は、ついにエレム国内にて、神の国の王となる。
鹿目の血筋は、円奈の世代にて、ついに王権を手に取り戻す。エレム王家から、禅譲される。
大政奉還のように。
それは革命であり、エレム王家の権力はすべて、鹿目家の末裔、円奈に、すっかり渡ることになる。
まだ年齢にして16歳の少女にすぎない最後の末裔に。
王家から象徴の家系へ、権力が移る。
「それを、円環の女神がお許しになるならば…」
葉月レナは、言葉を一言だけこう添えた。
円奈は自信なさげに小さな声を漏らした。
「女神は私のことなど…」
それはほんとうに自信を失ってしまったような声で、顔も落ち込んだ暗い面持ちを円奈は浮かべていた。
なぜなら、アモリ平野の会戦での戦場の記憶が、まざまざ円奈の脳裏には、焼きついていたからだった。
たしかに私は、アモリ城の民を守るために戦ったが、それは結局、サラドの兵をたくさん殺したにすぎなかった。
「どうしてこんな私に…」
悲しげな目をした円奈は、呆然とつぶやく。寂しげに。まるで自分が罪びとであることを思い知ったかのように
暗い声をだした。
なぜ、いきなりそんな重大な任命を任されようとしているのか、分からない円奈は、そばにたつ側近の、
聖六芒星隊の隊長、金髪の少女リウィウスによって、説明をうけた。
「いま、葉月レナさまが”神の国”へと導かれ、このまま次期王が任命されないままでありますと、王の座につくのは
一番血縁の近い魔法少女で戦歴もつ従妹の双葉サツキです。そうなってしまえば、エレム国は戦争に陥ってしまいます。
それを防ぐため、あなたを王にしたいといっているのです」
円奈は、頭では理解したが、ひっかかることも、いくつかあった。
「わたしが王になったら───」
アイユール領の少女騎士は、黄金の蝋燭台のみに照らされたの暗がりの王の寝室でまっすぐ立ち、ピンク色の瞳で、
絹の衣装を纏う神の国の王を見据える。
「あの双葉姉妹は?」
その質問には、リウィウスが答えた。
彼女は鎖帷子を着た武装姿のままだった。真面目そうな彼女の青い瞳が円奈をまっすぐ見つめ、言った。
「反逆の罪で死刑にします。あなたに忠誠を誓わぬエレム騎士は全て、同じく死刑にします」
円奈が目を一度、下に落とした。それからまた、王を見上げた。
苦悩している少女の挙動だった。
「私に、人を処刑せよと…王よ、あなたはそう命じるのですか」
それは、拒否の返事だった。
「鹿目さま、聖地の平和を守るためです」
リウィウスがすぐに付け加えたが、その繕いも円奈に通じなかった。
「あの姉妹は、もう罰を受けました。だから、あの人たちはもう罪人ではないのです。
なのに、死刑にせよと…そういうのですか。平和のために、罪人でない人を死刑に処せよ…と。
わたしには、…できません」
とピンク髪の少女騎士は落ち込んだ様子で、悲しげに答えるのだった。
彼女はそうして神の国の王となることをついに辞退した。
葉月レナは、心から惜しそうな顔をした。
「そうするとよい」
その表情は途端に疲れきって、心労に絶望してゆく。王は、未来の国を想って、心はもはや希望持ちえなくなった。
鎖帷子にサーコートを着込んだ、16歳になった少女騎士は、逃げるように、歯を噛んで、神の国の王に背をむけて、
早足で宮殿の廊下へと、去った。
鹿目円奈はこうして、王・葉月レナの魂にあった最後の希望にトドメをさしてしまったのだ。
彼女自身が、正しいと思ったことを行った結果に…。
593
リウィウスはすぐに円奈を追いかけた。
宮殿の長廊下を歩き、円奈の背中にすぐおいつく。その肩をぎゅっとつかみ、振り向かせたあと、切実そうに、
円奈に説得をつづけた。
「なぜ、辞退するのです!双葉サツキが王となれば、開戦です。聖地の多くが血に染まるのです。
あなたが王となり即位すれば、たくさんの命が救えるだけでなく、平和を保てるのです。辞退する理由がどこに?」
宮殿の柱廊にて円奈が立ち止まる。
きゅ、と音たててふりむく円奈の足の音が、大理石の床に響いた。
リウィウスの懸命な説得はつづいたが、円奈の返事は早かった。すぐ口を開いて語りだし、リウィウスに答えた。
「より大きな善のために、少数の犠牲には目を瞑る。わたしは、それが正義とはどうしても思えないのです。
きっとこの国の女神だって同じことを考えます」
リウィウスが苦い顔をしたように、彼女も顔を横向きにし地面を見つめると、さらに円奈は付け加えた。
「良心を欠いた王国は、もう聖地ではないのです」
語気強めて、ピンク髪の騎士は言い切った。
円奈は王宮の柱廊を去った。
つまり、平和のためだから、といって過激派の人たちを死刑にする、という決断を円奈は渋った。
それが果たして”正義”といえるのだろうか?と。
そう、その頃円奈は騎士としての自分の生涯に疑問を感じ始めていた。
確かに、たくさんの命を守るために戦ってきたが、そのぶんだけ、他の人の命を奪ってきただけではないのか…と。
ロビン・フッド団と共にモルス城砦に潜入して人質を救ったときも、アリエノールの領地を守ったときも、
エドワード城で魔法少女たちが狩られる運命を救うために、奮闘したのも、結局、争いを生み、
犠牲者を出すだけだっのでは…と。
"大切なひとを守る"とか、"救う"とか、本当はそれこそが戦いをはじめるための動機であって、結局、血が流される
だけではないか…と。
騎士としての自分に疑問を感じ、これ以上、より強い権力がこの手に渡ってくるのを、恐れたのである。
リウィウスは、鹿目円奈が王にならない意思の固さを知り、諦め、聖地の運命を悲観する。
「より大きな善のために、少数の犠牲には目を瞑る。…鹿目さま、たしかにそれは正義とはいえないものかもしれません」
王となることを辞退した円奈の背中を見送りながら、リウィウスは、去る円環の理の血筋に対して言葉を残した。
「しかし完璧な正義など、本当はどこにも存在しないものなのです。ましてどうして人間や、魔法少女が、
完璧な正義の体現者になど、なれるものでしょうか?」
594
鹿目円奈は神の国の王となる使命を見捨て、アイルーユ地方へ戻る準備をしていた。
つまり領主としてまた自分のもつ土地に帰ろうとしていた。
宮殿内の、円奈宅の敷地内にある中庭の馬小屋から、馬を引いてそれに乗る直前だった。
黒髪の魔法少女、暁美ほむらがやってきて、このとき円奈を呼び止めた。
「神の国を出ましょう」
「でる?」
円奈は、それがどういう意味をもつのか、分かりかねた様子だった。
「わたしはアイユールに戻ります」
「エレムは時期、サラドとの戦争になる」
と、ほむらは語った。「皆、どの世界の魔法少女も、聖地を欲しがってる。エレムの国を逃げてどこか、
安全な国を探しましょう…2人で、逃げてしまって。バリトンの村に戻ったっていい…」
切実なほむらの想いが込められた言葉だったが、円奈はそれを拒んだ。
「わたしは、わたしの天の王国を実現させます」
といってかぶりを振り、また馬具を整える作業に手が移る。轡を結ぶベルトの長短を調整しなおす。
慣れた手つきで。手綱の手にくる位置が、ハミから四番目の瘤があるところが、馬の操作にもっとも適した長さである。
「もうこの地は戦争になる。あなたの思い描く国は、この地には建てられない」
ほむらは、それでも円奈に懸命に呼びかけつづけた。
「双葉サツキとユキの二人があなたを殺しにくる。円奈、この国を出ましょう!この国はもう諦めて。
人と魔法少女の間には、越えられない心の壁がある。1000年生きてきた魔法少女として、はっきり言うわ。
あなたの夢は実現しない!」
といって、ついには円奈を背中から抱きしめてしまって、涙ながら、目まで赤くさせて、ほむらは円奈に語った。
その顔を円奈の背中に擦り付けて。
「あなたを失いたくない」
人間と魔法少女とは相容れるのか、相容れないのか。
もし人間が、魔法少女の体の正体のことを知ったら、ソウルジェムが本体の死んだ肉体を動かしていると知ったら──
人間たちは、魔法少女を化け物だと弾劾し迫害し駆逐する。そのことは歴史も証明している。
だから、魔法少女たちは、正体を人間から隠す。
そこにあったのは共存関係ではなく、正体が知られたら迫害されるという緊張関係があっただけ。
そんなとき、一人の少女があらわれた。
その一人の少女は、夢見た。ほむらに夢を語った。
わたしは魔法少女と人が分かち合える国を見つけにきたのです。と。
「かつて円環の理は、覆すことのできない条理を覆したとわたしは聞いています」
円奈は、ほむらの抱擁には抵抗しないまま、前だけ見つめて、思い出すように目を遠くさせて、話した。
「たしかにわたしは、人と魔法少女の間には、埋めようもない溝があるんだって、そんな事件も、悲しいことも、
たくさん見てきました。でも、だからこそ、だから、」
馬具を整える手を止める。
そして目をいちど閉じたあと、黙ってしまって、そのあと、覚悟に見開いたのだった。
「わたしは人と魔法少女が通じ合える国を築きたいのです。暁美さま、わたしはアイユーユの領主として、
その実現をこれからも目指します」
それは、エレム国から逃げない、という宣言だった。
「戦争になるかもしれないのに?」
ほむらの目には、縋るような切ない涙がたまり、溢れ出しそうだ。
「悲しみと憎しみが、繰り返される世界になるかもしれないに?」
「ここは魔法少女の聖地です。希望を叶える魔法少女たちの、希望が思い描いた国です。ここはかつて、円環の理が
生まれた土地で、今は全ての魔法少女たちが、最後には魂を救われ円環の理という神の国へ導かれる。その希望を
地上に描いた国。そんな国で、希望を持つことが間違いだなんて、誰もいえないはずです」
円環の理に導かれる、とは、死に際のことをいっているわけで、今をいきる魔法少女たちには、
空想としてしか、思い描けないその死後の天国。
しかしソウルジェムをにごらせたあと、神の国へいけることが本当ならば、円環の理は実在する。
円環の理は実在した。かつてこの国にそれを創った少女がいた。
だから、魔法少女たちにとってここが聖地である。救済という希望の国が、天国にある神の国ならば、ここは、
地上にある神の国である。
わたしたちは、たしかに戦い抜いたあとは救われ、天国に導かれるのだ、という希望を分かち合う、地上の神の国である。
「わたしはわたしの希望を持ち続けます」
円奈は言って、するとゆっくり自らの手の指先を、抱きしめてくるほむらの指先の上に、のせた。
ほむらの手を、やさしく上から重ね、包んだあとは、ゆっくり、抱擁を解かせたのだった。
「だから、あなたの気持ちには、応えられません」
ついに円奈は、ほむらの抱擁を自ら解くと馬に乗ってしまい、最後にほむらに会釈だけして、神の国を発って、
アイルーユ地方へ向かってしまった。
夜の星が光る砂漠へと、馬を一匹、騎士は走らせて去ってしまったのだった。
「まど……な…」
ほむらは、手を伸ばして、赤いリボンを頭に結んだ、ピンク髪の少女を止めようとしたが、彼女はほむらのもとを離れた。
595
その頃、王宮の寝室では、天蓋ベットと絹のカーテンに、ふかふかの羽毛に包まれた葉月レナが、
濁らせきったグリーン色のソウルジェムを見て、死を近く感じながら、横たわっていた。
するとその場にやってきてくれたのは、葉月レナの姉、エレム王子を産んだ葉月エミであった。
葉月エミはレナと同じく、夜の天衣のような艶やかな黒髪、宝石のようなグリーンの瞳、
大人しい顔つきをした美しい姉だった。
見た目でみると、姉のエミはもうエレム王の母のように年上にみえる。というのも魔法少女となったレナは、
16歳のまま容姿が止まっているが、姉エミはそのまま人間として成長して30歳を超えていたから。
「エミ、か」
レナは左目の瞼を開ききり、姉の姿をみるや王宮の寝室にて口を開いて、小さな声をだし謝った。
「すまない。聖地の平和を実現できなかった…」
それは絶望しつつある魔法少女が死に際に残す、告解だった。
「この国を守りきることができず…」
姉のエミは、国を守るために、この魔法少女の王国の平和を維持するために、王の務めを果たそうとしていた王が、
心疲れ果て力尽きてしまう悲しみに、しずかに涙を呑んだ。
「あなたはよく現実の平和を理解していた王でした。武力を持たぬことは、平和につながらないことを、
知っていた王でした。あなたはそうして、雪夢沙良との二年間の和平関係を築きました」
と、エミは王の今までの統治をねぎらう。
「武力を持たぬ国はいつか侵攻され、滅んでゆきました。それが歴史というものでした。あなたは、神の国の民が
平和に国に暮らすことを望みながら、その民を守るために、武力は決して解こうとはしませんでした。
ときには武力を駆使もしました。それが平和を保つための努力だということを、あなたは知っていました。
あなたの統治は、民が知っています。あなたの統治を知っていた誰かが、きっと王国の平和のための努力を
受け継ぐでしょう」
と姉はいってそっと、力果て導かれつつある神の国の王の額に、唇をあて、キスをやさしくした。
「そしてこの国を支配する、天の女神こそが知っているのです。天の女神はあなたに
告げるでしょう。”この天の王国は決して滅びない”と…」
神の国の王が円環の理によって、天の神の国に導かれるとき、聖六芒星隊の隊長リウィウスも、王室にもどってきていた。
そしてしずかに葉月レナと葉月エミの、最後の別れ際を見守っていたのである。
「…思い出すときは魔法少女だったときの私を。わたしが戦時に赴いた初戦、2000の兵で10万の雪夢沙良の軍を
打ち破ったときの私を。あのときの私を思い出しておくれ。魔法少女になる前、人間だった頃の私ではなく…。」
エレム王の葉月レナは、幼少時代、医療も衰退したこの当時においては最も呪われた病気、癩病(ハンセン病)に侵されていた。
そのため全身の肌に鱗状の瘡蓋ができて、足から頭まで乾癬に覆わていた。顔は鼻も潰れてぼろぼろになり、
醜い様相の姿のまま16歳にまで成長した。
顔は何重にもヒビ割れが起こって崩壊していたので、乙女心に彼女は銀製の仮面をかぶり、醜い自分の顔を
人に見られまいと恥じていた。
どんな身内の人前でも…決して生の顔を見せなかった。
丘疹だらけの汚い肌も、白い手袋を着けることで隠し、そこ以外で肌がみえるところはすべて包帯を巻いた。
要するに、まるで銀の仮面をつけたミイラのような姿で王宮に暮らしていた。
彼女の心に宿っていた乙女心は、決して、ハンセン病に侵された醜い自分の姿を、人に見られまいとしていた。
葉月レナの生涯はこうして人間のときは最悪だったが、魔法少女の契約することで、暁美ほむらの先天の心臓病が
治ったように、葉月レナのハンセン病も治癒した。
こうして彼女ははじめて少女らしく、自らの姿を人前にだすことができた。
魔法少女になってからは、一国の王という因果の強さもあって、当代で最強の魔法少女とも謳われるほど、
軍事において力を発揮した。
2000人の兵だけで、敵国の雪夢沙良の10万もの軍の包囲を突破したこともあり、その軍神さを讃えられた。
"そのころの私は輝いていた。ハンセン病に侵されていた私は、まるで暗い女だったが、魔法少女になってからは、
人生に輝きを知ることができた。"
だから、あの癩病に侵されていた頃の醜い私を知っている姉のエミには、どうか人間だった頃の自分でなく、
魔法少女として輝いていたころの私を思い出していてほしい。
それが葉月レナが姉との別れ際に、告げた最後の願いだった。
「円環の女神に呼ばれ、抗いがたき迎えの刻がきた」
と葉月レナは言い残し、すると目を閉じた。ゆっくりと…神の国の王は、瞼を閉め、すう…と息を引き取る。
直後、ピンク色の光が天より現れ、葉月レナの魂を、溜まりきった絶望ごと消化してしまい、
天の神の国へ運んでいった。
魔法少女だけが入国を許された円環の神の国に、葉月レナは入っていく。
葉月エミは目を涙うかべ、姉の王が円環の理によって導かれ、神の国へ旅立った悲しみに暮れ、頬に
涙をこぼしたとき。
遅れて双葉サツキが、王室へ戻ってきた。
双葉サツキがもどってきたのを知るや葉月エミは、王の寝台にて涙をふき、きりっとした顔を取り戻して、
毅然と、過激派の従妹に対していい放った。
「騎士団を集めなさい。あなたが次期王となるのです」
台詞は、双葉サツキが王になることを認めているものだったが、声ははっきりと棘を、含ませているのだった。
鹿目円奈が、最後の葉月レナ王による王権の任命を辞退したので、結局双葉サツキが新しいエレム王に即位するのだった。
596
後に、エレム国内じゅうから、主だった廷臣たち、幕僚、騎兵、歩兵が集められて、王の告別式が荘厳に開かれていた。
その告別式は、やがて神の国の町全体へ広がった。
聖地にある光塔(ミナレット)からゴーンゴーンと、鐘が鳴らされ、王の死の知らせが民に届いたのであった。
すると不思議にも民がそれまでの日常の活動をとめて町の中央道路に集い、街々の通路を完全に埋め尽くし、行列となって、
みなしずかに膝をつき、黙祷したのだった。
神の国の民は、知っていた。葉月レナという王が、どれほど民と平和のために王の務めを果たそうとしたか。
だから王の死を嘆くと共に、いままでの王への敬意を払うため、黙祷しながら女神の国のもとでの冥福を祈るのだった。
葉月エミは、葉月レナの眠る霊廊へ出向く。
王が最期、告解の秘蹟によって清められ、神の国に旅立ったあとのこと。
王の腹部を開いたあと内臓は取り出され、埋められた。
体は内側にも外側にも塩を塗り、香辛料を詰めて防腐処置し、目・口・鼻孔・耳には香油を塗った。
それから獣皮で縫い合わせ、壁掛けで王の体をくるんだのだった。
このように防腐処置された王の遺体は、交差ヴォールトの礼拝堂の霊廊に眠らされた。
姉エミは、霊廟の傍らに、ずっと従者のように立ち続けているのだった。
王の眠るこの霊廟は燭台の灯りと薔薇の花びらに囲われて、美しかった。
だが、死すると、魔法の力で覆い隠されていた彼女の癩病に侵されていた本来の姿が露わになってきた。
王の顔は死体になったあと、みるみるうちに輪郭が崩れ始めていた。16歳のころよりもよっぽどひどい、
鼻と口の境界線もわからないほどぐちゃぐちゃに崩れた顔になってしまっていた。
ハンセン病の病状がさらに悪化した様相だった。もし彼女がずっと人間だったら、いつもこの顔だったのだ。
姉のエミは、葉月レナが悲しき癩病に侵された姿にもどってしまったのをハッと息のんで見守り、
どうかこの醜い姿ではなく、魔法少女として美しかった頃の王の姿に戻すべく、幼少時代に被っていた
あの銀製の仮面を、王の崩れた顔に再びそっとかぶせた。
こうしてエミは、王の最期の願いも、果たした。
597
その頃、神の国の聖都と100マイル離れた北の村、アイユール地方の砂漠周辺で、鹿目円奈が、
石をもってコンコンと、砂地へ投げ込んでいた。
あぐらかいて座る円奈は、手に近くの石をひろって、ぽいっと手から石を投げる。
すると、気温55度という灼熱の真昼、石にあてられた砂地に生えた葦の枯草が、摩擦でぼわっと火が点いて、
燃え上がり始めた。
「わたしもとうとう魔法を覚えたかな?」
ふ、とちょっとだけ口元で笑った円奈がつぶやくと、その後ろにたっていたもう一人の魔法少女フレイが、
話しだした。
「自分がなぜ、象徴の家系に生まれているのか、もうお気づきで?」
「わたしは本当のところ、円環の理が実在するかどうかが分からない」
と、円奈は炎天下の砂漠にて、酷暑の風に赤いリボンをゆらしつつ、言った。
「魔法少女がソウルジェムの魔力を使い果たしたら消える。それを魔法少女たちが勝手にそう呼んで、まるで神様が
存在したかのように話を創りあげているように思えてしまえてならない」
それは、人間として生きてきた円奈の聖地にきて以来の、かくしていた本心だった。
「円環の女神様なんて、ほんとうにこの国に存在しているというの?」
「大切なのは信じることです」
フレイが、答えた。
「私ども魔法少女は、円環の理の実在を信じています。私たちの死後には天国がある。"神の国"です」
「人間にはあるか分からないのに?」
円奈は疑問を口にする。「人間にとっての神の国がどこに?」暑い砂漠の地平線を見つめる。「人間にとっての
神の国なんてあるかどうかもわからないのに、どうして魔法少女には神の国があるなんて、そう言い切れるというの?」
フレイは、しばし押し黙ったあと、ゆっくり語りだした。
「信じる者が救われる。それは人間だって変わらないはずです。わたしどもは、暁美ほむらの話す、再編されたこの世界と、
円環の理が誕生した一人の少女の犠牲の話を信じています。それが本当かどうかなんて、それこそ円環の神にしか
分からないことです。しかし、わたしどもは信じているのです。」
「そうしてこの聖地は戦争の土地になった…」
信じることによって、円環の理はここに実在する。実在する円環の理は、この国でかつて誕生した。
その土地は、魔法少女たちから、”聖地”と呼ばれ尊敬された。そして聖地は戦争となる。
「鹿目さま、その戦争はいまや目前です。」
円奈がフレイのほうへ向き直る。
フレイも、一歩前に踏み出て、円奈に近づきそして警告するように告げた。
「過去のツケが、回ってくるのです。敵は忘れていません」
過去のツケ。
エレム人がサラドの手から聖地を奪い取った虐殺事件。聖地の現地民は皆殺しになった。
その恨みを敵国は忘れてはいない。いつかエレムが向き合わなければならぬツケ。
「当然のことです」
言い残して、円奈の立つ、乾燥した砂漠のアイユール地方を去った。
598
神の国では、王の追悼式が終わったあと、双葉サツキが王宮の地下通路を歩き、牢獄の一部屋にいまだに
留置されている妹のユキを閉じ込める鉄格子の前に立った。
壁際にある松明が、地下牢の空間をめらめらと照らしていた。
双葉ユキが牢獄に今閉じ込められているのは、停戦協約を乱した罰を、エレム王によって咎められているからである。
しかしどうもその王は逝ったらしい。ならもう彼女を牢獄に入れている理由は消えた。
「葉月レナは"神の国"へいった?」
双葉ユキは、牢屋の中でパンをはむはむ食べながら言った。
「ええ」
一言、サツキは不機嫌な目をしてじとっと妹を見つつ、答えた。
「あなたが次期国王?」
ユキの問い。
「ええ」
また、サツキは答えたが、鉄格子に入れられた妹を見る目つきは、やはり苛立っていた。
「鹿目円奈のことでしょ?」
姉が不機嫌な顔している理由を、ユキはユキなりに言い当てて見せた。
するとサツキは顔色かえず、じとっとした目をしたまま言った。
「ええ。まあ…ね」落とした目線をぎりっとユキへ向ける。赤色の目は、きれいで、ルビーの宝石が燃えようだ。
「”象徴”の末裔は神の国の王になる好機を自ら逃した」
双葉ユキは、せまい地下牢屋の中をぐるぐる周りつつ、石壁に囲われた狭い獄中で語るのだった。
「鹿目は王に返り咲かない。けれど念のため、殺してしまいなさいな」
サツキは妹を睨んだ。
「私たちエレム王家が支配する前から、つづいていた聖地の家系を、絶やすと?」
かつてエレム人が鹿目家を抑え、ただの象徴としての家系に貶めるまでは、国家の中心にたつ血筋だった。
何せ女神を先祖に持つ家系の一族であるから、あらゆる民が従ってきた。
サラド時代からも、その前からも。この土地が聖地になってからは。
エレム人がこの土地に圧し入り、強引に国を建てたとき、鹿目家は政権をとられただの象徴とされた。
「考えてみて。もし、あの鹿目円奈が神の国へ戻ってきて、私が王になる、なんて言い出したら。
今の民衆は誰の味方になる?」
双葉サツキと鹿目円奈、どちらをエレム民は王として迎えるつもりだろうか。
アモリ平野での、命かけて現地民を守り戦い抜いた騎士としての鹿目円奈の評判は、もはや、神の国ではすこぶる良い。
王に任命されたのにあえて辞退したことすら、かえって民の評判を高めていた。
というより、あの葉月レナから直々に王位の継承を任命されたのだから、彼女こそ真の神の国の新しい王であるはずだった、
という世論の声すらある。
いっぽう、双葉サツキは過激派にこそ支持はされるが、サラド国と結ばれていたせっかくの停戦協定を何度も破り、
敵国の交易商を殺しまくった過激派の狂犬みたいな評価すら、エレムの市民からは下されている。
「だからって殺さなくても…」
とはいえ、殺すとはいくらなんでもやりすぎな気が双葉サツキにはしていた。
そんなことすればいよいよ新王としての私の立場は悪くなるのでは?
「追放くらいでいいんじゃ?」
鹿目神無のように。
しかし思えば神無も、暗殺未遂から辛くも逃れた。あの暗殺指令をだしたのは、わたしたちの母だった。
まるで世代を継いでつづく因縁の対立だ。
「わかったわ。じゃあまず、雪夢沙良に戦争ふっかけることから始めましょう」
と、双葉ユキはいうのだった。
「わたしに、雪夢沙良に倒す考えがあるの。海岸の城と城とに兵力を分散させ敵を錯乱───」
聖地は、再び戦争を選ぶ。
なぜ戦い続けるのだろうか。どうして聖なる救いの国は、そこをめぐって、人々が血を流し続けるのだろうか?
聖地は一つしかない。そこを二つ以上の国が望む。そして奪い合いになってしまう…。
共同統治すればいいはずだ。
しかし、レグー・アーディル・アガワルはいう。
「もしある日とつぜん、家族を殺され家も奪われたとしたら、その犯人と仲良く同じ家で暮らすだろうか?」
歴史は動きだせば、止まらない。エレム人が昔、強引にサラド人の手から聖地を奪い取った時点で、
もう、”仲良く同じ家で暮らす”なんてことは、できない。
エレム人だって、それは分かっているから、サラド人との平和は、幻想だ、われわれは戦って生き延びるしかない、
と覚悟する。
それが過激派の声であり、軍人ならば、大半がサラド人との聖地をめぐる解決は戦いによってでしかない、と国の未来を
見つめる。
そんななか、聖地の平和はありえるはずだと希望を描いて、停戦条約を結んだ、雪夢沙良と葉月レナ。
しかし、この2人の君主をもってしてさえ、聖地に平和は実現できない。
魔法少女たちは、聖地をめぐって、戦いの宿命に身を投じつづける。
エレムでは穏健派に代わって過激派がこの陰謀によって政権を握る。
双葉サツキは、とうとう、妹の意見をすべて受け入れ、秘密の暗殺集団"神殿騎士団"に、アイユール地方へ
この夜に行って、鹿目円奈を暗殺せよと命令をくだした。
599
夕方、砂漠の空が赤く染まるとき、サラドの国境にある村は、エレム過激派の騎兵団に襲撃をうけ、
無差別に村人が虐殺されていた。
「神の国の王として、こうするしかなかった」
赤い返り血で頬が汚れている双葉サツキは、自分に言い聞かすように、ぼそっとつぶやく。虚ろな目をして。
「敵国との和平条約なんて、甘えだった。わたしは敵国を打ち倒し、生き残る道を選ぶ。これが神の国のためだ」
サツキが見渡す、草むらに囲われた小さな村は、サラド人の現地民が、エレム騎兵団に襲われ、騎兵団の男たち何人かの手によって
地面に組み伏せられ、剣で斬首され、草むらに首が落ちる光景が、ひろがっていた。
どの騎兵団の服にも返り血がこびれついて、赤かった。夕日の光を浴びる草原の村は、血の色でも、赤かった。
現地民をほぼ虐殺しきったあと、双葉サツキは剣をにぎって、まだ生き残っている夕焼けの草原にたつ少女に目をつけた。
さーっと夕暮れの草村に風が流れると、草はさらさらと踊った。
「雪夢沙良が、あなたに復讐をします。」
と、少女は草原にたち忽然と言った。
すると双葉サツキは、血にぬれた魔法少女服の姿のままサラド国の少女の前にでて、剣を近づけ、言った。
「そうでしょうね」
剣先が少女の白い首筋を撫でていた。
やがて赤くなった。
夕日は砂漠の地平線に落ちて、影を落とした。
600
鹿目円奈はその夕方、アイユール地方の枯れた井戸の石壁に、身を寄せて、ナツメヤシの木を見つめながら、
考えに耽っていた。
わたしの血筋と、円環の理とに関係がある。
だから、聖地にもどってきた。そして象徴の家系へとなるべきだった。
つまり聖地にいける円環の女神の末裔の娘として、魔法少女たちに祀られながら生きる使命があった。
その運命から自分は逃げた。”象徴としてでなく、騎士としてこの聖地にきた”から。
この先どのように生きたらいいんだろう。
自分が夢見た天の王国の実現は、もう、もろくもその理想は崩れそうだ。
このアイルーユ地方は、円奈が半年かけて、経済的に復興させ、緑豊かにした土地で、平和な村でもあったけれど、
ここもついに、秒読みで戦争の渦中に巻き込まれる。
騎士として、領主として、民を守るために、また戦わなければならないのだろう。敵国のサラド兵の人たちと。
けれどそれは、また他人の命を奪うことを意味する。私はそうして他人の命を奪い続けるのだろうか?
それが、正義の騎士というものなのだろうか?
エレムとサラドは戦争になる。
いうまでもなく、それは殺し合いである。”守るため?” ”正義のため?” ”騎士として?”
どんな綺麗ごとを並べたって、人の命をとっている真実に、変わりがない。
わたしは、そんな人物になりたくて、”騎士として聖地にきた”なんて台詞を、王宮にて、何度も告げたのだろうか?
魔法少女たちだってそれは変わらない。
魔法少女は、戦いを宿命づけられている人たちだ。ひとたび戦争が起これば、戦場に立つ。
どんな理由つけて自分を納得させて、他人の命を奪う? ”守るため?” ”正義のため?”
鹿目円奈には、分からない。
結局、"誰かを守るために戦う"、とは、武器を持つ、ということで、それはつまり他人を危めることではないのか…。
わたしが、アモリ城の民を守るために、多くのサラド兵をこの剣で殺したように…。
鹿目円奈の、剣を握るこの手はもう、人を危めてきた血で汚れている。これはもう取り返しのつかない血の汚れだ。
騎士になりたいなんて、思わなければ、バリトンの村について、狩りでも続けて生活していれば……。
この汚れを、手につけることはなかった。
何が、戦って人の役にたつ、だろう。何が、正義のために戦いたい、だろう。
そんなこと結局、他人を危めることに他ならない。
「椎奈さま…わたしには、騎士として何をすべきか、もう、わからないよ…」
悲しそうに、つぶやいて、剣を抱きしめたとき。
円奈は、四頭ほどの馬の蹄の音を、耳にした。
はっと、井戸穴の縁を囲う積み石壁から、身を起こして立つと、円奈を取り囲むように、四頭の騎馬に跨った四人の少女たちが、
手にフレイルやら、剣やら弓矢やらを持っていた。
どの少女も変身衣装を身に纏っていた。つまり、四人の魔法少女たちが武器を手に円奈を包囲、殺しにきていた。
四人の馬にのった魔法少女たちは、”神殿騎士団”と呼ばれるエレム国内の部隊だった。
円奈はすばやく、来栖椎奈の剣を抜き、ギラン、と光った刃を手にとって、戦う姿勢をとるも。
四人の魔法少女が相手では、生き残る見込みはなしに思えた。
「これが聖なる国の新しい王の命令だというの!」
円奈は叫び、剣を敵にむけ戦いを挑んだ。
一度戦闘モードに入れば、もうひるまない勇気ある少女騎士である。
「アイルーユ領の主である私を殺せと!それが新王の命令なの!」
すると馬に乗った魔法少女の一人が黒いマントをひらめかせつつ馬を降りてきて、剣を持ち、
円奈と対峙した。
いつか決闘した、真剣と真剣の、居合いである。
「たぁっ!」
円奈は一声、気合の声をあげ、相手の魔法少女に斬り合いを挑んだ。
ガチン、カギン、バチン、と、円奈の持つ椎奈の剣が、相手の魔法少女の剣を叩くたび、ガキガキと刃同士がこすれる
瞬間、眩い火花を赤く散らし、相手の魔法少女は、円奈の剣攻撃を受け止めながらも、後ろ後ろへ、圧されていった。
そのとき、円奈を背後から狙った、鉄の兜を頭にかぶった魔法少女3人が、魔法の弓矢を円奈むけて、放ってきた。
円奈は、背後でひゅっという弓の弦が弾く音をきき、矢が飛んでくるのを察知し、腰を曲げて屈んでよけた。
すると、三本ともの矢が、円奈の頭上をすっと通過し、どっかの砂地に落ちた。
一人の敵の魔法少女が、馬を走らせながら円奈に接近してきて、馬上からフレイルの鎖をじゃらじゃらと鳴らしながら
突っ込んできて、円奈の横までくると頭上へフレイルの鉄球を叩きつけてきた。
10kgある鉄球は、人の頭にあたればまず致死的な損傷を与えたが、円奈は目前の敵と剣を交えて闘いながらも、
姿勢を一瞬だけ前のめりにしたので、わずかに鉄球がぶおん!と音たてて空気だけ叩いて空回りした。
「うぉぉぉ!」
黒いマントの魔法少女が、前のめりになった円奈を切り殺すべく、大きく剣をふるってきた。
円奈は背を低くして走り、剣をくぐるようにして相手の背後へまわって、黒いマントを手で思いっきりひっぱる。
後ろ向きにマントをひっぱられた魔法少女は、ぐらぐらとよろめいた。そこで円奈が腕をふりきって、
思い切り投げ飛ばすようにマントを放すと、その魔法少女が、バランス崩しながら数歩、さらに後ろへと、
ふらついて退いていった。
そこへ円奈が切りかかり、魔法少女の脳天に、剣で思い切り叩いた。脳天から首元まで剣が通り、
その魔法少女は顔面がふたつに割れて、一時、気を失う。
それでも魔法少女は、別段痛くも、かゆくもない。魔力で修理すればよいのだ。だから円奈は、相手が体の
修理をはじめるよりも先に、相手の腹からソウルジェムを奪い取って、足で何度も踏みつけて壊し、砕いた。
残る三人に、円奈は戦いを挑んでゆき、剣一本を手に、接近してゆく。
すると、三人の魔法少女のうち一人が、すっくと馬をおりて砂漠に着地し、フレイルと盾を手に円奈を殺しにきた。
「はぁっ!」
気合一発、円奈は真剣をふり切り、相手のフレイルを叩く。相手もフレイルをふるい、応戦してきた。
するとフレイルの鎖が円奈の剣をからめ捕った。が、円奈はそれを予期していたので、剣にフレイルの鉄球と
鎖が巻きついたのをみるや、それを素早く自分側へ引っ張った。
すると相手の手元からフレイルが抜け、円奈の剣に巻きついたまま、フレイルは持ち主のもとをはなれた。
相手は武器なしとなり、丸腰になったところ、円奈は敵に剣をふりきる。
思い切ったその必死の一撃は、まず相手の盾に激突する。相手が盾で防いだものの姿勢がよろける。
すかさずもう一度、ぐるんと剣を回し切り、円奈は相手の兜に守られた顔面を思い切りたたく。
相手は砂地に突っ伏してたおれた。重たい鎧を着た身で、起き上がろうとする。
円奈はそこで突っ伏している敵の背中を強く剣でぶっ叩いたが、かろうじ敵が起き上がって盾で防がれた。
敵の黒い十字を描いた紋章の盾に、円奈の剣がガチン、とあたり、二人の体に反動の衝撃が走る。
が、そのとき円奈のほうが、強く剣をふりきったとき力みすぎて、反動の衝撃から体勢を保ちきれず
膝をついてしまう。
すると立ち上がってきた敵がこぶしで円奈を殴った。
「うっっ!」
今度は円奈が頭を地に打ち付けて倒れる。しかも、相手に馬乗りにされた。敵に両肩つかまれて顔面を
もちあげられたあと、兜を着た敵の頭突きを喰らい、円奈の額から血が流れ、一瞬意識がくらっとなり、
視界がぐるぐるまわった。
だが円奈は、あきらめずに、相手の腰革ベルトから、小剣を奪いとり、相手の兜のひさし下ののぞき穴の隙間に、
思いっきり歯をくいしばって突き入れた。
すると相手の目に小剣が刺され、相手が喚いて喘ぎ、円奈は馬乗りしている相手を力でどけて、
立ち上がった。
視力を失った状態の魔法少女が、右に左へと手元からおちた盾を探しているあいだに、首を円奈が切り飛ばし、
飛んだほうの生首にのこっている額にはまったソウルジェムを、剣で貫いた。
「うおおお!」
さらに剣をもった別に魔法少女が、円奈の腰めがけて、剣をふりだしてきた。
円奈は、身をよじって剣をまたかわし、よける。ひゅっ!円環の騎士の剣刃が円奈の鼻先スレスレを落ちる。
距離をとった円奈だったが、するとさらにもう一人の魔法少女が、剣を斜め向きに、繰り出してきた。
円奈は両手に握った剣で、正面に立つ魔法少女の剣をうけとめ、上へ弾き返した。剣が持ちあがる。
「うおお!」
円奈は敵の魔法少女の懐をくるり背後へまわって、前へ突きを伸ばした魔法少女の隙になった背中へ、来栖椎奈の剣を
ぶっさして、刺し殺した。
「う…ぐっ!」
腰を剣先に刺されて、股あたりから剣が突き出る。
背を仰け反って口から血を吐いた魔法少女は、円奈に背中から剣で刺し殺され、うめく。
円奈は魔法少女の体から赤くなった剣を抜いて、首筋についてた相手の魔法少女のソウルジェムを奪い、
足でふんづけて割った。
エレム暗殺部隊の魔法少女はまた一人、命を落とした。
エレム神殿騎士の魔法少女はまた一人、命を落とした。
残る一人の魔法少女に対しても、太陽の日が砂漠に照りつけるなか、円奈はギラギラ光る刃の先を魔法少女へ
むけてゆき、ついに接近戦となる。
ガキィン、カギィンィィィン────
かわいたアイルーユ地方にひびく、鋼鉄と鋼鉄の刃同士のこすれる音や、ぶつかりあう音。
両手にロングソードをにぎって、円奈の刃を受け止めるエレム暗殺部隊の魔法少女。
力は拮抗し、二人の押し合う力が外へ弾けたとき、円奈よりもはやく持ち直して前へふるった魔法少女の刃が、
円奈の体を切りつけた。
「あ゛っ…ぐ!」
胸に走る切り傷。血が噴き出た。けれど円奈は体が震えるほどに力を握り締めた刃で、相手の魔法少女へ切り返した。
仕返しにふられる鋼鉄の剣が、魔法少女の刃と激突、絡まった二本の刃は太陽が照らした。
ギララッ。キラ。
刃が反射する光に、目を瞼が覆う。が、円奈はすぐに目を見開きなおして、こすれあいつつすれ違った相手の刃に腕を
切られる傷みを感じつつ、相手へ接近、間合いをつめてゆき、顔面へ刃を落とした。
ザグッ。
目と目の間に入った刃が、魔法少女の顔を切った。相手はよろよろと糸きれて倒れた。
そして、魔力再生によってこの魔法少女が復活する前に、ソウルジェムを奪い、手で地面に叩きおとしたあと、
剣先を落として、一撃で叩き割ってしまった。
バララ…
こうして、宝石の塊は二個にも三個にも別れて砕け、あれだけ綺麗な宝石だったのに、今では破片くずと化した。
「はあ…はあ!」
ひざをつく円奈。
胸にも腕にも切り傷がある。どくどく、血が滴り、戦いが終わるとじんじん痛みが少女の肌に走ってきた。
魔法少女たちは死んだ。
鹿目円奈は父の仇、”神殿騎士団”を、倒したのだった。亡命した神無を庇った父アレスを殺したのも
この連中だったから。
円奈は、なぜこの四人が自分を暗殺にきたのかを考えた途端、今、エレム本国で権力を握っているのは誰かを察して、
すぐに馬に乗り込むや、馬に告げた。
「急いで神の国へもどって!」
その声は慌て、怯え、そして決意もあった。「戦争になる前に!」
騎士として聖地にきて、果たすべき使命を、ついに、見つけつつあったのである。
夕空の砂漠を一人の騎士が駆けぬけた。黒い影を落とす神の国をめざして。
今回はここまで。
次回、第83話「アルスラン湖の戦い」
601
第83話「アルスラン湖の戦い」
鹿目円奈は砂漠地帯を、馬によって走り、一日かけて、聖地の本国に到着した。
聖地の城門には、すでに軍隊が組織され、16万の騎兵と歩兵、補給兵、1500人の魔法少女が、集結、
エレム全軍を組織していた。
そして王のもとに側近、諸侯、騎士隊長などを集め、軍議は砂漠に立てた天幕の下でおこなっていた。
「すべての神の国の諸侯、貴族、同盟軍、魔法少女が今、つどった」
新たな神の国の王、双葉サツキは、過激派を側近に登用、リウィウスら穏健派を実権の地位から退け、
発言権を失わせていた。
だがら、リウィウスはこの王の天幕に参加はしていたが、発言権をもたず、遠くで不満そうに、王の開戦宣言を、
黙ってきいているだけだった。
「今回の王の即位に不満な分子もいるようだけど───」
双葉サツキは、天幕の中を見渡す。リウィウスにちら、と視線をぶつける。
リウィウスは青い瞳でにらみ返した。青い瞳をした顔に暗さと凄みが増した。
天幕の日陰で、それは迫力ある睨みだった。
「今は、宿敵の国サラドとの決戦のとき!」
そうだ、そうだ。
地位を得た過激派の魔法少女たちが、口々に声を揃えた。
「敵がいては聖地に平和はない。敵に戦って勝ち、滅ぼせば決着がついて、今度こそほんとうに、聖地に平和を───」
と、新王の双葉サツキが、開戦の詔を天幕の下で語っていたら、その赤い瞳をした
目線の先に、ピンク髪の少女が、やつれた様子で馬にのって帰還してくるのをみた。
「もたら…し…て?」
動揺したまま、ついには言葉を、亡くしてしまう、赤髪の新しい王。
いっぽう、生き残った鹿目円奈をみると、神の国の現実から一度は目を背けた円奈が、
こうして本国の危機に瀕したときに戻ってきたのを知って、リウィウスが、やさしげに微笑んで円奈を迎えた。
「それは反対です」
鹿目円奈は、馬からばっと飛び降り、どしゃっと砂地に着地するや、ずかずか、王の天幕に、おし入ってきた。
双葉サツキという新たな王を、睨み、砂漠の幕舎に敷かれた赤絨毯を踏みながら、過激派の連中を見渡しつつ告げた。
「開戦するにも条件があります」
円奈は、小さい頃から読むのが趣味だった、孫子呉子の中身も思い起こしつつ、このエレム貴族の軍議に
反対意見を述べた。
「水の確保、兵站と補給線、兵の健康です。新王、あなたはそのどれもが揃ってもいないのに開戦しようとしている」
「あなたの家系は象徴であって、軍議に意見を出す立場にはない」
双葉サツキは、もとより、円奈の意見など聞き入れる気などない。適当に受け流した。
すると、円奈は、いつかサツキに告げたあの台詞を、もう一度、宣言するように、はっきり言うのだった。
「わたしは象徴としてでなく、騎士として聖地に来たのです」
あの、王宮の夕食会でいったときよりも、声に強さがあって、決意が含まれていた。
覇気があり、騎士として聖地で果たすべき使命を見つけた少女の声だった。
武装したエレムの貴族たちに呼びかける。
「あなたは王だからって、手下の騎士に忠誠ばかり求める。なら、あなたが王座をとったこの神の国が
一日でも永く存するために、わたしはこの戦争に反対する。それがわたしの忠誠心です」
円奈は反論をつづけた。ピンク目の険しい視線でサツキを睨みつつ。
「水もない砂漠に進軍して、どうやって敵20万の軍を打ち破るつもりなのですか。」
「水もない砂漠の行路に進軍してくるとは敵王も予期してないから油断する」
といって、過激派の一人の魔法少女が、軍作戦を会議している天幕のテント下にて、円奈に答えた。
バーン、とエラそうに魔法のステッキを絨毯に突き立て、威圧の音をたてた。
「雪無沙良の意表をついた侵攻でサラドをこの日のうちに叩きのめす」
そうだ、そうだ。
過激派の連中は、それに声をそろえて同意した。
円奈は、今までの旅も振り返りつつ、王の天幕の下、さらに反対意見を述べた。
砂地に敷かれた絨毯を踏みしめて。もう一歩もひかない。心に決めていることを、遂げるまでは。
「敵王の雪無沙良はそんな程度の作戦、見抜きます。葉月レナと数十年間渡り合った王、それがサラド王の雪夢沙良です。
もしいま進軍すれば敵の罠にはまり、この日のうちにエレム軍は叩きのめされるでしょう」
「我らの行軍を敵が見抜いていようと、今日が決戦だ」
半ば頭に血がのぼった様子で、過激派武将の魔法少女が、軍作戦の天幕の席を立つと声をあげた。
おおーっ。わあーっ。
血気だつ騎士隊長たち。と、過激派の武将魔法少女たち。
「円環の女神の娘であるあなたが、われらの勝利を見守っておりますように!」
もはや戦争するほか道はなし。そういわんばかりの連中しか、もうエレムの王の天幕の下には
集っていなかった。
「前王は敵王に恐れなし、休戦協定を結び、偽の平和をつくった。だが今日、ついにエレム人は反撃に出れる。今日、敵軍を全滅させる!
そうすれば本当の平和だ!」
「…。」
円奈は、過激派の連中を睨むだけ睨んだあと、天幕を去った。
神の国を戦争の危機から救うことは不可能だ。
過激派にも過激派の考えはある。
この和平条約が有効だった二年間、敵国が軍を毎日拡充しているのを知っていた。もはやエレム軍より強大になった
のを知り、もう一部の軍部の者は我慢できなくなり、この和平条約をあえて破り、これ以上、敵国の軍拡充を
許してはならない、戦争を仕掛けなければ未来はないと行動を起こした。
やがてこれが過激派と呼ばれる政党一派になった。交易商を襲撃したり、敵国領土に侵攻し現地民を包囲して
無差別虐殺を繰り返した。
ついに聖エレム国は、穏健派は退けられ、代わって過激派が実権を握り、サラド国との戦争へと突入してしまう。
602
鹿目円奈は本国の都に戻り、城壁の通路に腰掛け、いずれ戦場になるであろうこの聖地での攻城戦を、
すでに脳内でシュミレーションし始めていた。
軍事的才能を遺憾なく発揮した母の血が、急激に沸き立ち始める。
双葉サツキのエレム軍は、サラド軍との決戦のため、砂漠の地へ発ったが、雪夢沙良を相手に敗れるだろう。
エレム軍の騎士隊長たちは、この日のうちに決戦だ、といっていたが、負けるだろう。
雪夢沙良がその作戦を見抜かないす筈もなく、第一双葉サツキのような王が即位したら最初に起こす行動が
何になるかなんて、敵王には察しがつくというもの。
双葉サツキという新王の軍は、雪夢沙良に敗北して壊滅する。
そしたら、サラド王が次に狙うのは、いうまでもなく、本国であるこの聖地の都。
敵20万の兵が、この地へ、押し寄せてきたら、どのように守るべきだろう?
どんな作戦を立てて、城壁を守りきる?
敵はどのように攻めてくる?
聖地の城壁から、この都を守る壁の形状と、全貌を眺めながら、ピンク髪に結ぶ赤いリボンを風にゆらし、考えはじめていた。
「現状は?」
考えつつ、城壁に腰掛け、砂漠の地平線の彼方を見つめ、円奈は、そばの城壁に立っていたリウィウスに、話しかけた。
いまごろあの見つめる視線の先では、戦場となってエレム軍とサラド軍が戦いをしていることだろう。
「まったく戦況の行方は、私どもには分かりません」
金髪ツインテール、青い瞳をした聖六芒星隊の魔法少女は、王位を辞退した少女騎士の背中に答えた。
その髪に結ばれたリボンのゆれを、じっと、つめていた。
リウィウスはじめ、穏健派の魔法少女たちは、双葉サツキの軍に参加しなかった。
参加すれば死、と知っていたし、また、聖地の平和を望む彼女たちは、現王が率いるような軍には従わない。
円奈は、聖地におりる夕暮れを、遠い目をした瞳で眺め、映しながら、そして、聖エレム軍が、サラド軍との戦争へ向けて
行軍する直前のことを、思い出していた。
数時間前のことである。
「あなたも軍に参加を?」
象徴の家系はこの戦争に参加する義理を持たない、という理由で、軍から退けられた円奈が、魔法少女のフレイを、
聖エレム軍の戦列に紛れているのをみつけるや、問いかけた。
ミデルフォトルの港で、円奈が西大陸から東大陸へ船で渡る旅にある途中に、最初に合流したエレム人の魔法少女
である。
フレイはすでに軍馬に乗っていて、武装を済ませていた。
鎖鎧、マント、鼻あてつきの兜、サーコートの服装。鎖の鎧。
戦争に参加する準備が、バッチリ整っていた。
「従軍することが私の務めです」
と、にこやかに、フレイは笑う。
「聖エレム軍に忠誠を誓っていますからね」
「この戦争に加われば、死ぬのに?」
鹿目円奈は、双葉サツキの率いる16万の大軍が、敵国の雪夢沙良に打ち滅ぼされる命運を、すでに悟っていた。
聖なる軍は敗れる。
「死は必然です」
すると、フレイはにこやかなまま、軍馬に跨りつつ、言うのだった。
「鹿目さま、母上に、あなたの成長を伝えますよ」
といって、馬を走らせ、16万の兵がクロスボウを担ぎながら、砂漠の彼方へ、水の確保もないのに行軍していく大規模な行列を、
沿うように進んで去っていった。
そして、後ろを見守る円奈にむけて、手をばいばい、と背をみせたまま馬上でふったのだった。
その姿はやがて夕日の降りる砂漠のむこうへと消えた。
これが、フレイと円奈の永別となった。
双葉サツキのような魔法少女の王や、そのほか、エレム王家の魔法少女の仕事といえば、ほとんどは戦争、であった。
国家の憂いはひたすら外敵の存在であって、こればっかりは契約の祈りだけでは保障がつかぬ事柄なので、
魔法少女の存在が武力そのものとなり国家の守り手として戦場に立つ。
たとえば"敵国を滅ぼしてください"と一言契約したとしても、そのころ敵国では"わが国を相手国より強い国に
してください"のように祈っている少女がいるわけで、二重契約となり、最終的には互いの国の魔法少女同士が戦って、
白黒つけないと、インキュベーターの奇跡は現実には起こらない、ということになる。
しまいには1000人、2000人もの魔法少女たちの総力戦になる。これが30世紀後期、この世界に起こっている
戦争のありさまである。そしてこの日もまさに、そんな大決戦が、これからはじまろうとしているところだ。
このとき、円奈は傍にいたリウィウスに話しかけた。
「リウィウスさん。雪夢沙良がエレム軍を全滅させてしまう。聖地の民をどうやって守れば?」
「葉月レナが神の国へゆき───」
リウィウスはこのとき、鹿目円奈が王の座を辞退したときから、聖地の運命を悲観していた。
サファイアのように美しい青い瞳は、切なさとやるせなさを浮かべていて、涙でも浮かんできそうな目線で、
言葉を漏らすのだった。
「そして聖地も王と共に死にました」
葉月レナあってはじめてのエレムの聖地だったのである、といわんばかりの台詞だった。
こんな会話を2人がしているあいだにも、エレム総勢16万の軍は、宿敵サラド軍と今日、衝突するため、兵たちが
砂漠をざくざくと行軍していた。
重たい、盾と鎧、武具、弩、水筒などを運びながら。
日照りきびしい砂漠へ、40キロの行軍に、出発したのだった。
騎兵には魔法少女が多くて、16万の聖エレム軍のうち、馬にのった兵のほとんどが、総計すると1500人の
魔法少女たちだった。
そして歩兵、つまり足で進んで行軍する人間兵は、重さ38キロの鎧やら装備やらを抱え、砂漠と立ち込む
熱気の戦場へ出向く。
603
鹿目円奈は聖地の宮殿へ戻っていた。
すると、聖地の家々に暮らす民の誰もが、怯えている顔つきをしていることに気づく。
貧相な民家で洗濯物を干す女たち、市場で色とりどりな香辛料を売る人、皮をなめす職人、大工、魚商人、
薬商、あらゆる人たちが、この国の命運は敵国の手による復讐、虐殺の運命へ墜ちることを予感し、陰鬱だった。
円奈は、市場路を通り、宮殿へ帰るが、その民の恐怖に強張った表情、国の未来を悲観している様子をみているうち、
ある気持ちが、心に、胸に、湧き上がってきていた。
もう、この聖地を守れるのは、私しかいない。
私が、戦うしかない。
そんな気持ちであった。
象徴の家系は、軍事権を持つことが許さない。
しかし円奈は象徴としてこの聖地に来たのではない。”騎士”として、この聖地に来た。
もし、”騎士”としてこの聖地に来たその意味があるとすれば、それは、いま戦争に突入して、怯えてしまっている
民を、護ることなのだろう。
ふつふつ、沸き立ってくる闘志。戦うという意志。覚悟。使命感。
正義の味方、私はそれほど完璧な騎士には、なれないのかもしれない。
わたしの手は、血で汚れてしまっている。
人の命を危めた血だ。一人や二人じゃない。
それでもやはり、私のほかに、聖地を護れる人はいない。
そんな確信が、心にできあがりつつあった。
リウィアスのいうとおりだ。完璧なる正義なんて現世にはない。それがあるのは、天の女神の国だけなのだろう。
そうとでも決め付けるしかない。ついに円奈は、なぜ魔法少女たちが目にも見えない耳にも聞こえない
女神の存在を信じるのか、理解しつつもあった。
宮殿の王室へ、廊下の空間を進んで戻ると、そこは、残されたエレム王家の血筋の人たちが、光を反射する
大理石の床に佇んで、ただ無言のうちに、この国に訪れる戦争という悲運を、味わっていた。
葉月エミという、葉月レナの姉と、その家族たちだった。
「従妹のサツキでは雪夢沙良に勝てない」
鹿目円奈が王室の間へ訪れるや、葉月エミが、円奈に語った。その語る声は、絶望の渦中に、心が沈んでいるかのように、
暗かった。
「この戦争で街は滅びる。民も、すべて死ぬ」
すると円奈は、残された王家の家族が、絶望したまま静まり返っている前に、片膝をついて跪くや、下に俯きつつ、
ピンク色の前髪をゆらして、はっきり大声を轟かせて、告げるのだった。
「誓ってこの国の民と、あなたがた王家を、守ってみせます!」
それが、騎士として聖地にきた、鹿目円奈の使命だった。
604
いっぽう、砂漠へと行軍を開始したエレム軍は───。
うだるように暑い砂漠に、苦しめられていた。
鉄の鎧を着て、盾と槍を待ち運ぶ兵士たちの、水筒の水は数時間で枯れ、その後も、50度を超える猛暑のなか過酷な進軍をつづけた。
砂漠では幾たびもはげしい砂嵐が起こり、喉がからからな兵士たちの口や、喉を、枯らせる。
目にも砂が入り、重たい鎧に包まれた腕をそのたび持ち上げて、目をこすらなくてはいけない。
日射症で倒れる兵士が続出するなか、16万人のエレム兵たちは重量38キロの装備を身に包みながら、 炎暑の砂漠を行軍していた。
40キロ先に進めば、アルスラン湖があるので、兵たちはそこまで行軍し水分補給をする予定なのだが、
その40キロの行軍がすでに、命とり。
40キロ先にならたどり着けるだろう、という双葉サツキの、軽率な判断は、エレム軍をやすやすと、
全滅の危機に晒していた。
馬に乗って進軍していた魔法少女たちすら、喉の渇きに気力を果たし、戦うよりも前に疲労で倒れ、ついにばたん、と落馬する。
一人や二人じゃない。もう何人も、日射病か水分不足、猛暑で倒れた。
歩いても歩いてもゆく先は砂漠がつづいている。日照る太陽は砂漠の地面をじりじり焼く。
ここを軍隊が重装備、しかも鉄の鎧をまとって行軍しているのだから、これを40キロも進めようなんて判断は、
致命的なミスだった。
鹿目円奈が、開戦するなら水を確保するべきだ、と警告したのに、それは無視された。
また、ばたん、と魔法少女が一人、砂漠の炎天下のなか、水分を失って倒れ、背中みせたまま、
砂漠の丘に突っ伏した。
こうして、16万の軍は、40キロ、猛暑の砂漠を行軍しているうち、はらはらと、兵の人数が倒れて失われてゆき、
全体の士気などは、底に沈みつつ、あった。
しかし新王はこの行軍を強行した。こんな無謀な強行軍だからこそ、敵軍もまさかここを通るとは思わないだろう
から、そこで不意をつけるだろう、と。
けれどもいよいよ、ひとつの大きな丘を超え、聖エレム軍は、アルスラン湖が彼方の先に見えてくるところにきた。
すると、喉の渇きに死にそうな兵たちが、魔法少女たちが、われ先にと、走りだして、水を求めて、駆け出した。
サツキも馬を早めた。
ババハバッ。
馬が早足になって走る。双葉サツキが軍の先頭を進んでアルスラン湖を、よく視界におさめようと砂漠の丘を
のぼり、一足先に進んだが。
その新王の赤い瞳をした目線の先に。
驚くべき光景が入ってきた。
敵の大軍だった。
すでに湖を囲って占拠していた。
バッチリ布陣を固めて、エレム軍を待ち受けていたのである。
それは、軍旗や、太鼓、楽器、扇、葦草など、エレム軍を地獄の底に叩き落すために用意されたさまざまな残酷な道具の発動を、
待っている黒い海のような人だかりであり。
4000人を超える、この広々とした砂漠じゅうの、あちこちに陣立った、サラド軍の魔法少女たちであり。
駱駝に10万本の矢を運ばせた、敵の弓兵たち10万人の戦列であったのである。
罠だった。
敵軍は双葉サツキのような新王なら愚かにもこの罠にかかるであろうと見抜いていたのだった。
605
この戦争の結果は、火をひるより明らかだった。
聖エレム軍が、重たい鎧や盾と槍を引き摺りながら、水分不足を耐えて猛暑の砂漠を40キロも進軍して、
疲労困憊してやっとついたアルスラン湖が、もう敵軍にすっかり占領されてしまっていること、その士気の絶望的低下。
いっぽうサラド軍は、この湖をとっくのとに占拠、食事も済ませて腹を満たし、休憩しつつ疲れることなく布陣して
敵軍を待ちうけ、敵兵を罠にはめる準備すら、すっかり完了させていたのである。
その勝利の条件を綺麗に揃えたサラド軍は、4000人にもなる魔法少女のうち、砂漠にある山岳の、頂に立つ監視役が、
エレム軍の姿を見て、旗をふって、味方の全軍に合図をだした。
「エレム軍、きたり!」
乾いた山岳の崖上の偵察所から、手を伸ばして指差して声あげたのは、サラド軍役につく魔法少女たち。
崖に立つ姿は、身長よりも大きな旗を持っている。
「敵軍、到着しました!」
崖の監視役が旗をふると、この合図によって、湖を囲って陣を張っていた全軍が、敵軍つまりエレム国の到来を知る。
「エレム軍、南西の方角より、接近です!」
山岳と崖にたつ、あらゆるサラド軍の魔法少女たちが、偵察所から旗をふるいはじめる。ばさばさと。砂漠の地に。
あちこちに配置しておいた、砂漠の山岳上の監視役が、こうして旗をふる。元気よく。どの旗も強い風にたなびいた。
こうしてサラド王は敵のエレム軍が、旗合図を見上げて確認することで、まんまと罠にかかって
この湖の地にきたと知る。
開戦合図の号令をだすため、全軍の指揮者、雪夢沙良は、腕をふりあげた。
ばっ。
雪夢沙良、この白い髪をした美しい妖麗なる魔法少女が、腕をふりあげると、サラドの弓兵たちが、矢に火をつけ、
弓を構える。
扇をもった部隊は、扇を仰ぐ準備をはじめる。
音楽隊は、笛や、太鼓、琴などの演奏準備に入る。
王の隣に立つ雪夢沙良の側近、アーディル・アガワルは、エレム軍を完全に滅ぼしてしまう号令を、雪夢沙良が
下す瞬間を、見つめていた。
勝利という確信のなかで、なぜか少しだけ、複雑な気分を感じていた。
これから始まるのは16万人を殺す戦争だ。
それに、もしあのエレム軍の中に、鹿目円奈が加わっていたら────あの騎士の命も、きっとない。
雪夢沙良の隣にたつ側近は、このアガワルと、もう一人、赤袴と白い衣を着た巫女服の魔法少女で、背丈がチビな、
スウという竹弓が武器の武将と、そばに、茶翡翠という、紫の袴姿の、薙刀を得意とする武将たる魔法少女がいる。
「円環の女神が、わたしたちに味方してくださった」
茶翡翠は、エレム兵たちが喉の渇きに喘ぎ、湖に直進している光景を目にしつつ、口に声をだした。
606
戦いの火蓋は切って落とされた。
渇きに喘いだエレム軍の兵士らがなりふり構わず、死にもの狂いで水を求めて、湖を占拠したサラド軍の突破
にかかりはじめると、サラド軍の弓兵は、砂漠にちりばめた葦の草に火をつけるため、一万本の火矢を放った。
それは、エレム軍の頭に覆いかぶさる。そして開戦前に、足元に罠として砂漠に敷いていた葦の草に火がつき、エレム軍はこうして、
全軍が火につつれてしまう。
それを見届けるや雪夢沙良は、次の攻撃の指令をだす。
扇で砂を扇ぐこと。
大きな扇をもった数百人の部隊が、葦の火に囲まれ、逃げ場をなくしたエレム軍の中に、砂を送り届ける。
ぱたぱたぱた、と扇を仰いで、風をおこし、砂漠の砂を、エレム兵たちに飛ばすのである。
砂漠の砂が舞い起こされ、吸う空気は砂まみれ、喉奥のわずかな水分まで奪い取られる。
鼻から息を吸うたびに、大量の砂煙が、肺にも、喉にも、入ってしまうのである。
けほ…けほ…けほ!
どのエレム軍兵士も、喉の渇きのなか、人工の砂嵐に包まれて襲われていると、敵兵の新たな罠が、発動する。
それは、音楽だった。
ぴひょろぴひょろ、という笛の陽気なメロディーと、太鼓のダンダンダンという喧しい騒音、琴の激しい旋律が、
エレム兵たちの耳に届く。
わざと華やかで派手な音楽を楽器を持ち出して演奏し、戦場を音楽に包んで、エレム兵たちを精神的な興奮状態にし、
血をどくどくめぐらせて、体内の栄養の消費を早めた。
最後のエネルギーの一滴まで、奪ってしまう。
どこまでも容赦のない攻撃だった。
サラド軍は、仕上げにと、10万本の矢をふらせる。周到に用意した、人工砂嵐作戦や、音楽作戦、湖占拠作戦によって、
完全勝利を収める。
その戦果は、サラド軍はたった100人の死者も出さずに、エレム軍の兵16万人を殺害するという、
とんでもない勝利だった。
仇敵エレムを相手にこのあざやかな勝利。
サラド国の大勝利だった。
607
エレム新王の双葉サツキらは、捕虜となって武装を解かれ、雪夢沙良の天幕の前に、連れられた。
砂漠に絨毯しかれた天幕は、王の部下たち、茶翡翠やスウ、アガワルなどの魔法少女たちも、そろっていた。
喉の渇きがさぞ苦しいだろう、と察した雪夢沙良は、天幕内に、冷やして保存していたバラ水を、黄金のグラスに
注ぎ、差し出してやった。
双葉サツキは、それを受け取るや、すぐ妹のユキに手渡した。
魔法少女は、喉の渇きで死に至ることはない。気絶してしまった部下は多くいたが。
人間である妹のユキが、すぐそのバラ水のシャーベットを、飲みほし、ごくっと喉を冷たく潤すと、
サラドの王は厳しく言った。
「おまえに与えたのではない。」
雪のように白色の髪を背中まで伸ばした、薄ピンクの魔法少女が、ユキを睨んで告げると、ユキは一言、突っ立ったまま
答えた。
「知ってる…」
ギリ。
雪夢沙良の背後に仕える、天幕下に控えていた茶翡翠が、鞘から、人を切る銀色の刃を抜く。
その音を耳にしたユキは、いよいよ死ぬときがきたのだ、と諦念の表情を浮かべた。
つぎの瞬間、雪夢沙良は、茶翡翠の抜いた刃を受け取ることなく、自らの剣をぬき、ユキ、この赤い髪とツインテールを
した王家の少女の首を裂いた。
しゅばっ。
赤い鮮血が散り、砂漠を濡らす。
「う…うぐ…!ぅっ…」
喉が切られ、ぶしゅぶしゅと血がシャワーのように溢れ出しつづけるユキは、もう、言葉もしゃべれない。
すると、サラドの近衛兵たちに、ユキは両肩を持たれて、頭を上から掴まれ首を長く曲げられた体勢で固定される。
首を切りやすく差し出した体勢である。そして、抵抗できないまま、雪夢沙良に首を今度こそ、きれいに切り落とされた。
ばさっ。
首の落ちる音がし、双葉ユキは死んだ。
白い服をきた部下たちが、死体処理のため首のなくなったサツキの遺体を運びだし、砂漠を引き摺っていった。
いっぽうでは、別の者が、落ちた双葉ユキの生首を丁寧に、白い衣に包んでいった。
雪夢沙良は、血に染まった剣を、近衛兵にもたせた。すると近衛兵が、その赤い剣を白い布で丁寧にふきあげた。
サラド国内の茶翡翠は、エレム王家の新王の妹の死に、こらえきれず勝利の笑みをこぼした。
ついに、念願かなったぞ、と。
こうして双葉ユキというエレム国過激派組織の首謀者は、サラド王の手によって直々、誅されたが、姉のほうは
生かされたままだった。
というのも、姉はいまエレム国の新王であったから。
「王は王を殺さぬ」
と、残された姉の双葉サツキに対して、雪夢沙良は鋭く刺すような視線で告げた。殺さぬ訳を。
「前エレム王、葉月は民が平和に暮らす国を築くために、敵王であるわたしと何度も戦ったのだ。
おまえはどんな国を建てようとしたのだ?戦争するだけの国か?」
双葉サツキは何もいわなかった。
そして、捕虜としてサラド軍の世話のもと、生かされ続ける境遇を、あっけなく受け入れたのだった。
エレム王国内の過激派はこうして全員死んだか捕虜になった。
608
その数時間後、アルスラン湖、つまりエレム軍とサラド軍の戦場となった砂漠一帯の地に、鹿目円奈とリウィウスが
戦果を確かめにやって来た。
その空一面には、死肉を喰らうハゲワシの群れが、夕空を黒く染めて漂い、エレム16万人の死体を貪っていた。
この空いっぱいの数千羽のハゲワシが腐肉を食べる光景が、円奈とリウィウスの視界いっぱいの大地に広がり、
エレム軍の全滅を生々しく物語っていた。
立ち込める腐臭はこの世のものとは思えない。死の腐臭が空と大地を覆っているのだ。
ここは穢れにみちていた。
たくさんの槍が砂漠にたてられ、その槍の矛先には、討ち取られたエレム軍の兵士の生首が、晒し首として串刺しになり、
サラド兵の念願の復讐の完遂の形となっていた。
生首の数は、5000、6000ほど、砂漠のあちこちに林のように立てられていた。
さらし首の槍がずらりと砂漠の丘の頂上までずっと続いていた。
円奈とリウィウスの2人は、馬を進め、戦場となったアルスラン湖の付近へ降りる。ハゲワシ数百匹の黒い群れの中に入り、
鼻が曲がりそうなほど腐臭にみちた死体山の砂漠を、進み、そして円奈は。
魔法少女フレイが生首となって、槍に突き立てられ、串刺しに晒されているのを見つけた。
戦場跡のこる砂漠には、乾いた風がふきつけ、晒し首となったフレイの水色の髪が、さらさらとゆれていた。
1500人の魔法少女がここで、16万人の軍と共に死を遂げたが、どのソウルジェムも粉々に割られ、1500個のソウルジェムの
破片が、ガラスとなってギラギラと砂漠のあちこちに、散らばって、一面に広がる戦場跡をキラキラと輝かせていた。
そして1500人の魔法少女の屍は砂地に散らばっていた。
「はじめは、聖地の平和のために戦う戦士だと……私も自分でそう信じていました」
この絶望的なエレム国の死滅をいよいよ現実として目の当たりにしたリウィウスは、声を漏らした。
ツインテールの金髪を、戦場跡にふく風に靡かせながら。
独り言のように。悲しみの独白ように。
「しかし私どもは結局、”領土”のために、戦っていたのです」
と、穏健派の代表として葉月レナに仕えてきた魔法少女は語りだした。それから、隣で口にする言葉もなく黙りこんで
エレム軍の惨敗を眺め、失意の顔を浮かべている円奈に、エレム国の歴史の真実を話した。
「鹿目さま、わたしどもエレム人は、世界いたるところから迫害され、追放されてきた民族でした」
円奈が視線を、死体に溢れる砂漠の山からリウィウスの青色をした瞳へと移す。
こー、こーとハゲワタシ達が鳴き声を屍の大地で歓喜の声をあげている。
円奈とリウィウス、二人の少女の髪が風にふかれる。
「歴史ではじめに、魔法少女の国をつくろうとした私たちは、人類から、多大な迫害を受けてきたのです」
円奈は知らなかった。
この西暦3000後期年、魔法少女が当たり前のように歴史の表舞台にたち、魔法少女が国家を建てる。
そんな世界は、昔にはありえなかった、ということを。
西暦2000年頃、その文明栄えていた遠い昔は、むしろ人類は魔法少女の存在など知らなかった。
魔法少女たちは自分たちの正体をひたむきに隠しながら人間社会に紛れて生活していた。
西暦3000年後期となった今に至るまで、世界で最初に魔法少女の国をつくろうとしたのは、このエレム民族だった。
魔法少女の存在を人類の前にだし、そして、魔法少女が統治する魔法少女のための国をつくろうとしていた。
そして、それは、迫害されるという運命を辿った。
エレム国の願いはひとつだった。”魔法少女が、魔法少女らしくある国を実現させたい”
世界の多くの魔法少女は、これまで、魔法少女でありながら、正体を隠して自分に嘘つきながら生きなければならなかった。
そしてそれは、多くの世界の魔法少女たちを、くるしめてきた現実だった。
魔法少女が、魔獣を狩るためには、屋外に外出しなければいけないが、当然のことながら、女性が女性だけで外出することを
認めている国は少なかった。
よっぽど犯罪率の少ない平和な国か、先進国でもなければ、女性が女性だけで外出などできず、男性、つまりは家族または
夫が付き添わないといけなかった。
女性が一人だけで町を歩けば、娼婦と同じ扱いになる国だって、たくさんあったのである。
そんな中、男性の付き添いがないと家からの外出さえ許されない国の魔法少女たちが、魔法少女である正体を隠しながら
魔獣と戦って生きていくのが、とんでもなく難しいことだった。
そしてすぐに魔力を尽きさせていったのである。現実に勝てぬ絶望と共に。
魔獣の結界の中に突然入り込めば、夫から、「どこへいっていた」と問われるだろうし、「魔獣と戦っていた」なんて
答えれば、妻は気がおかしくなったと思われる。
だから魔法少女たちは、人間社会の世間に、苦しめられて生きていた。
そんな中、「なら、魔法少女が認められる国を建てればいいではないか。」それが、エレム民族の描いた夢だった。
魔法少女が国王となり、民は、魔法少女を堂々と認める社会のある国。
"魔法少女としての人権"がある国家である。
それを、最初に建国しようとした。
その最初の国は、滅びた。
人類が、迫害したからであった。
そんな国、世界にあってたまるか、と、魔法少女の人権国家を、つぶしてしまった。
歴史上はじめて自ら魔法少女という存在を主張し、かつ魔法少女を社会に認めるように訴えだしたこのエレム民族のせいで、
世界中の国が魔法少女の存在を知ることになり、結局は世界中の魔法少女が迫害された。世界で魔法少女狩りの戦争が起こった。
そのせいで全地球上の魔法少女はほぼ滅びた。しかも、魔法少女がほぼ滅びたことで、魔獣が世に蔓延り、
人類まで滅びた。暁美ほむらがみてきた文明衰退である。
人類が滅びた原因は人類にあった。
いままで人類を魔獣の手から守ってきた魔法少女たちを自ら滅ぼしてしまった。
魔法少女と人類の過去の最終戦争は、地形を変え、大陸を変え、人種を変えるほどの大戦争だった。
過去の文明はそれほど恐怖の兵器を大量に使い果たし、使い果たしてはその文明を失った。20世紀時代の魔法少女は世界中ですべて全滅した。
円奈はその話を信じるのにほとんど時間がかからなかった。
人類が、魔法少女を凶暴に迫害する性があることを、エドレスの王都・エドワード城で、その目でまざまざ
見てきたからである。
国を失ったエレム民族は、魔法少女の存在を支持する人々と共に、放浪・離散の旅に出る。世界あちこちに散らばった。
一部は東大陸の僻地アグリスへ。一部は西大陸の辺境バリトンへ。
あちこち散らばりながら、エレム民族は行く先行く先の国々、地域、都市で迫害の対象になってきたのだった。
人類衰退の原因、そして全世界の魔法少女が滅びた原因は、エレム民族にあることを全世界の民は知っていたからだ。
それでも魔法少女の民主主義国家の再建を、厳しく迫害されながら、エレム人はあきらめなかった。
あるときはその夢を歌にして、詩にして、語り継いで、そんな国を夢見てきた。
そして、ゆく先ゆく先の国で、迫害されてきたのだった。
「わたしたちはただ、魔法少女たちが安全に暮らせて、人類に迫害されない国が欲しかった」
と、リウィウスは、エレム国の兵士らが惨敗のうちに戦死した兵たちを見渡しながら、涙を流した。
「だから、そんな国をこの聖地に求めたのです」
しかし、その聖地は、すでにサラドという国の民族が、暮らしていた。
エレム民族の指導者と、魔法少女が安全に暮らせる国が欲しかった仲間たちは、サラド人の手から聖地を
奪い取ろうと考えた。
そうせざるをえなかった。
どこへいっても迫害される自分たちが、安全に暮らすためには、自分たちで国を持つしかない。
サラド国の傘下となっても、結局、自分の国をもたない民族は、迫害される運命にある。
それを歴史的経験として知っているエレム人は、自分たちの国を建てるため、サラド人から聖地を奪い取り、
強引にエレム国を建国する。
そして、聖地は血に染まり、しかもその戦いは、今日この日まで、つづいている。
「結局は領土のための戦いだったのです。わたしたちはただ、自分達の民族が安心して暮らせる国がほしかった。
それだけのために……どれほどの血が、これまでも、そしてこれからも、流されつづけるのでしょうか」
リウィウスは語りおえ、青いサファイアブルー色の瞳からこぼれた涙をふき、円奈に告げた。
「わたしはエレム国と離縁します。エレムの夢は崩れたのです。南のキプスの地をめざします。
鹿目さまも私とともに?」
エレム国が全滅も間近な今、リウィウスは、象徴の家系、元はサラド人と共に暮らしていたこの家系の末裔の子を、
安全に戦争から逃がす道へ、誘ったのであった。
「私と共に他国へ逃れますか?」
すると円奈は、ピンク色の瞳を見上げると、リウィウスに答えた。
「私はエレムの民と共に聖地に残ります」
それは、鹿目円奈が騎士として、本国にのこされたエレムの民を守る決意を固めた返事と、リウィウスは受け取った。
「あなたはやはり、あの母の娘ですね」
と、少しだけ嬉しそうに笑ったリウィウスは、砂漠の地を去る最後に、聖地防衛にむけてのアドバイスをした。
「雪夢沙良の軍は水辺から水辺へ移動します。あと四日か五日の猶予があります」
鹿目円奈は死滅した味方軍の遺体が積もった山を見渡しながら、リウィウスの言葉を受け止めている。
「あなたに円環の女神が味方しますことを」
といって、リウィウスは円奈の乗るボードワンの馬を叩き、そして、金髪ツインテールの魔法少女は、
馬を走らせこの地を去った。
つづけて、第84話「騎士よ、立て!」を投稿します。
609
"Madoka's kingdom of heaven"
ChapterⅦ: Wall breached
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【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
Ⅸ章: 神の国 攻防戦
第84話「騎士よ、立て!」
鹿目円奈は聖地を守る作戦を立てるため、本国に戻って、聖都の市壁から見渡した砂漠の、一定の距離の地点ごとに、
それぞれ目印となる白い石を、置き並べていた。
部下たちが砂漠へ突っ走り、1ヤードごとに瘤が結ばれた測り縄を市壁から伸ばし、150ヤードの距離、
300ヤードの距離、400ヤードの距離の地点にきたとき、石をコツン、と線上に並べ置いていった。
そのあとで白い塗料を塗りたくって、聖地の市壁に立っている者からもよく見てわかるようにした。
「次は400!」
と、円奈は、城壁の凹凸した狭間から小さな背丈の身をやや乗り出し、目で見送りながら合図を送った。
すると、近くの防御塔に立っていた側近のアルマレックが、400を意味する旗を、大きく空へ持ち上げる。
砂漠の側に立っている部下たちが、その合図旗をみて、「400だ!」と声を掛け合い、測り縄ではかった、
エレムの市壁から400ヤード離れた地点のところに、石を置く。
そのあと、バケツに入れて運んだ白い塗料をハケで塗る。
聖地の都からも、目前に広がる砂漠のうち、どこが400ヤードの地点か目で見て把握できるようになった。
こんな調子で、鹿目円奈は、4日後か5日後に到着するであろう雪夢沙良の軍に対抗するため、いろいろ準備を
していた。
が、そのとき。
思いもかけず彼方遠くの砂丘に、サラド国の月印を描いた旗をもった騎兵が一人、現れた。
砂丘の天辺にてゆらゆら蜃気楼にゆれて、熱気の中に旗を漂わせている。
それを城壁から見つけた円奈は、身をのりだした体勢をととのえた。城壁の狭間に腕をおき、
平静に、落ち着いた声で味方へ告げた。
「きたよ。敵軍が到着した…よ」
「あれは、一騎に過ぎません」
味方の市民兵士が一人、円奈に口ぞえした。
「ううん」
城壁に腕から寄りかかっていた円奈は、その背後に控える軍の存在を悟っていた。
首を横にふり、冷静に戦況を判断し、口にした。「全軍だよ」
そして、円奈の直感は正しかった。
つまり、先頭に一騎ぽつんと立った敵兵は、全軍の進行方向を定める指針のため赤色の旗を翳す一騎だった。
この騎兵がたつ砂丘の背後には、この騎兵の赤旗を目印にしてぞろぞろと動く20万人の大軍勢があった。
砂漠の丘を乗り越えつつある軍勢。その後ろに広がる大地に、永遠と横たわるように伸びきった大軍。
軍隊に参加しているのは、4000人の兵役につく魔法少女たちである。
この敵軍が鹿目円奈の戦う最後の相手である。
砂漠の戦いを知り尽くしているサラド軍の進軍は、水の確保、熱射病対策をしっかり整える。
炎天下の進軍を兵力欠くことなく進めるため、兵士達には重たい装備はさせず、軽装の武装をさせて
エレム本国に接近する。
つまり、聖地のところまで、やってきたのだ。
610
鹿目円奈は、敵軍の到来を知るや、リウィウスに予告された猶予よりも遥かに早く敵軍が迫っている現実を受け止め、
すぐに味方たちに武装するよう命令をくだした。
その数分後、エレムの本国に残されたわずかな市民たちが弓矢や剣を持たされて、城壁に立ち並び、
すれ違う円奈にお辞儀したり頭下げたりしていた。
防衛のため、戦闘などしたことがない市民が、国を守るために聖地の市壁に立っているのだ。
「敵が攻城塔を仕掛けるのは高さの足りるこの地点と───」
円奈は、部下の騎士アルマレックを連れつつ、守備を固めつつある市壁の歩廊の上を歩く。
側近の騎士である彼に、彼女が今日この日までシュミレーションを重ねていた、予想される攻城戦の展開を、伝えていた。
「地形の高低差が少ないこの地点になるはず」
すれ違うどの兵も、矢と、箙、矢筒、弓を持って、円奈の行く末を不安げに見守る。
なかには年端もいかない少年や、少女まで、武器を持たされ、城壁の持ち場に並ばせられていた。
それくらい、エレム国に残された兵力は、枯渇していた。アルスラン湖で、正規の国軍は全滅したからである。
「敵は攻城塔から兵を送り込むために────」
円奈はそんな市民兵で固めた防備の城壁を渡りつつ、聖地の防御塔の中をくぐって、アルマレックに
防衛戦の作戦展開を伝えていた。
「いちど投石攻撃をとめるはず。そのわずかな隙に私たちは一気に反撃する」
この一重の市壁のみに囲われた聖地を、20万もの敵軍からどう守るか、頭の知恵をふりしぼっていた円奈だったが、
ある別の防御塔の影下に入ったとき、そこで待ち伏せしていた魔法少女のバイト・アシールに、がしと肩をつかまれた。
「この町をはなれるのです!」
防御塔の内部という影下で、エレム市民の目と耳が届かぬ場所で、こっそりアシールが耳打ちする。
「どうやって?」
円奈は、防御塔でピタと立ち止まって、しかし視線はずっと前をみながら、問い返す。
「駿馬に乗り、町の裏口から山へ!」
バイト・アシールはいった。
円奈は立ち止まったままだ。「…民は?」
「あわれとは思いますが、これも天の主、女神のくだした運命です」
と、魔法少女は円奈に食い下がる。
円奈はそれをついに無視し、防御塔の外へ出て、市民たちが武器の扱い方を練習している市場空間の前にでた。
いままで市場であったその広場は、今は商店のベンチや荷車はすべて取り去られ、ある市民はクロスボウの
使い方を練習し、女の子までがそれに参加していた。
また別の市場の広場では、巨大な天秤式投石器を市民たちが協力しあって組立て、国の防衛戦にむけて
準備を進めていた。
「静まれ!」
従者のアルマレックが聖地に叫ぶと、市民たちは静まった。
投石器を組み立てるカツンカツンという金槌の音はやみ、投石器にのせて飛ばす石塊を荷車に乗せて運びだす音、
がやがやという剣の稽古の声はやむ。
静けさが支配した。
すると、円奈が市壁の上に立ち、武装した市民たちの集まった前で語りだした。
市民のだれもが頭をあげて、市壁に立った円奈の姿を見あげた。
「聖地を守る使命を果たすため───」
円奈の声が聖地に轟く。
「わたしたちは、できる限りの準備をした!」
市民たちに語る円奈の姿は、堂々然としており、聖地の主としての姿をみせている。
少女騎士の勇気あるたたずまいは、絶望的な戦いにのぞむことになる市民たちをいくらか元気づける。
わずか一重の市壁だけに囲われたこの都を、市民が20万の敵軍を相手に守りきるという絶望に。少女ひとりだけが希望の光を放つ。
「かつてこの土地では、一人の少女が犠牲になりました」
と、鹿目円奈は、語り始めた。
この聖地にまつわる伝説を。
「そうして、地上のすべての魔法少女たちが救われる世界ができたのです」
何人かの、市民のうちの魔法少女が、顔をしんみりとさせて円奈をみあげた。
この地で犠牲になったという、一人の少女の慈愛の深さと、その悲しさ切なさに、心が感動するのだった。
「その土地はいまこうして───」
円奈の声が少しトーンが落ちる。
「魔法少女たちの奪い合いの土地となりました」
魔法少女たちが悲しげに顔を落とした。
そして、聖地に生きる市民たちも。
この地でかつて誕生したという円環の理。それは、一人の少女が永遠の犠牲となることで、永遠にすべての魔法少女が
救済される奇跡。
その奇跡の地に縋り、円環の理の救済にしがみつき、やがてこの土地はあらゆる魔法少女たちの
奪い合いの土地になってしまった。
市壁に囲われたこの土地は、小さな町ながら、全世界の魔法少女たちにとって特別な国となり、聖なる国となった。
「この戦いはどうして起こったのでしょうか?一人の少女の犠牲のため?それを神聖視する私たちの起こした戦いのため?
”理”となった一人の少女は私たちが戦うことを望むのでしょうか?…いいえ、望みはしません」
市民たちも魔法少女たちも、暗い沈黙が支配する。
円環の理は、こんな戦いは望まない────。それを、改めて女神の国に生きる象徴の子の末裔によって、
語りだされたのである。
鹿目円奈という女神の子の指弾と、語り口は、市民たち、魔法少女たちの耳に痛い。
しかし、円奈は市壁の上で、語りつづけた。
「円環の理は、こんな戦いは望んでいないと思います。しかしそれでもわたしたちは戦わねばならないのです!」
声は強くなった。
「誰にもこの戦いは止められない!」
悲しい現実、しかし直面しなければならない現実。
円奈はこの聖地に、それをはっきり声明する。
戦わなければならない現実を!
「戦いは避けられません。けれど、私たちは聖地を守るために戦うのではない」
円奈の声は、市民たちの耳に届き、そして、戦う命運を覚悟する。
「そこに住まう人々の命を護るためだ!」
市民たちは、鹿目円奈という少女の声によって、戦わなければならない宿命を改めて、告げられたのだ。
一方の円奈は、戦った経験もなく平和に暮らしていた市民たちを、無理やり武装させ、戦争に駆り出す
気持ちにかられて、いたたまれなくなりその場の市壁を早足で歩き去った。
その背後を、守るようにほむらが付き従って階段を降りた。
円奈は市壁の傍階段を下りながら、何の罪もない市民たちを戦いに臨ませる、その正義とは何か、と考えていた。
円奈は、”守る”とか、”救う”と決意することが、どんな意味を持つのか、もう知っている。
それは、武器を持つことであり、血が流されることなのだ。
円奈はそれを自分の目で見てきたからである。この旅路、故郷バリトンからこの神の国に至るまで、ずっと、だ。
だとすれば、武器を持つ者の正義、騎士としての正義、ひいては武器をもつ魔法少女たちの正義とは、何なのだろう───
円奈は、聖地を守る、そう決意したことで、この聖地に多大な流血が起こるでろうことも、同時に覚悟しなければならない。
そこまでする正義とは、何なのだろう?
円奈は、思う。
正義とは、自分でその身を守れない弱者のために、力と勇気を持つ者こそが、行動を起こすことなんじゃないか、と。
強き者が果たすべき責任なんじゃないか、と。
そのために勇気をふるい、弱者に代わって力を踏み出すことが正義であり、神の望まれることであるならば───
誰だって、騎士になれる。
その身分に関係なく、生まれの身分、血筋、家系も関係なく、誰でも騎士になれるはずだ。
階段を下りて、聖都、エレム市の広場へ降りて道路を辿っていると名前を呼ばれた。
「鹿目さま!鹿目さま!」
さっきから円奈に付きまとう、聖地出身の元侍従長の魔法少女・バイト・アシールが、またも難癖つけてくる。
円奈は、振り返ってアシールを睨みつける。
アシールは疑った様子で言った。
「騎士もいない聖地をどうやって守るのですか?」
と、紫髪の魔法少女は、このばかばかしい無謀な現状に対する詰問を、円奈にぶつけてくる。
「騎士がいませんよ!」
「いない?」
円奈が聞き返すと、アシールはそうだといわんばかりに首をタテにふった。
円奈はすると、エレム聖都の家々を見回した。
まわりにするのは武器の扱いかたも知らぬ市民たちばかりであった。さっき円奈は、戦わなければならない、
と告げたが、そもそも戦など経験がない市民しかエレムの町には残されていない。
近くに立っていた同い年くらいのエレム市民の少年にたずねた。
「あなたの職業は?」
エレムの少年は答えた。
「版木捺染の織物を父に習い、作っています」
どれも、市場職人か、宮殿職人ばかりで、"騎士"か"兵士"を職業とする者がいない。
当然である。エレムの騎士はアルスラン湖で、全滅してしまったではないか。
アシールが、腰に手をあてて、ほらみなさい、みたいな顔をして鼻息だした。
騎士もいないのにどう戦争するつもりか。兵士なしで戦争する気か。
そんな無言の非難を、アシールは視線で痛く円奈にぶつける。
「それが、あなたの身分?」
すると円奈は、さっき質問した少年を見つめ、一言告げた。「ひざまずいて」
少年が、市民たちが、きょどった顔をみせる。
すると円奈は、もう一度きびしく命令した。「ひざまずけ」
少年は、おずおずと、ひざを折って跪いた。
それを瞳で見下ろした円奈は、次に、市壁じゅうの聖地の民へむけて、顔をみあげ、命令の声をあげた。
「武器を持てる者!それを扱える者は、私に跪け!」
聖地の主となった少女の声は、聖地になり轟く。
「私にみな跪け!」
市壁じゅうの、武器を持つ者、扱える少年たち、魔法少女たちが、女神の国である聖地の主に命令され、一斉に跪く。
聖地じゅうの市民が円奈に片膝を折って跪き、頭を低くし、命令を待った。
すると円奈は目の前の、版木捺染の織物を作っているのが職業、と答えた金髪の少年にむかって、いった。
「恐れずに、敵に立ち向かえ」
それは、いつか円奈が騎士になったとき、来栖椎奈と誓いを交わした言葉。
円奈はつづいて誓いの言葉を、足元に跪いた少年に託していく。
「真実を示して──」
少年は、円奈の前に跪いて、聖地の主をじっとみあげている。
「弱き者を助け、正義に生きよ。それがわたしと、あなたがたの誓いだ」
いくさの経験ない少年が、その誓いを胸に、闘志を顔に宿す。
聖地の新しい主の言葉のひとつひとつが、少年の胸内に誓いとして刻まれる。
すると円奈は予期せず、その少年の顔を思い切り拳でバチンとぶった。
音がなり轟く。
円奈は殴った意味を少年に告げた。
「その痛みがあなたに記憶させる」
円奈によって告げられ、少年は頬の痛みと共に、この誓いを忘れず心に刻んだ。
円奈はそういって、ついに、市民たちに命じた。
「騎士よ、立て!」
ざざざ…っと、聖地じゅうの、何万という市民たちが、いま、そろって立ち上がる。
さっきまでは、騎士の一人さえいなかったのに、今や聖地は何万人という騎士たちに満たされる。
これが鹿目円奈の魔法、奇跡であった。
「騎士たちよ、たちあがれ!」
少年も、フードをかぶった農夫さえ、騎士として今、たちあがる。
騎士の身分を授かった市民たちの顔は、どれも自分の力に驚いたような、勇気に満ちた顔つきに変わっている。
鹿目円奈は、聖地の新たな王として、市民に全員、騎士の身分を与えたのだ。
それを見た円奈は、バイト・アシールにちらりと視線だけ送って、その場を立ち去ろうとした。
ほらみろ、われわれエレム国は、こんなにもたくさんの騎士がいるではないか、といわんばかりの視線である。
するとアシールは、すかさず、鹿目の血筋の子に食ってかかった。
「どういうつもり!?」
去る円奈の背中をおいかけ、叫び、凶弾する。
「あなた、世界を変える気?」
アシールは、相手の正気を疑うような視線を円奈に当て、噛みつく。
「こんな、にわか仕立ての騎士たちで、本気で敵軍に勝てるとでも?」
すると円奈はアシールのほうにくるりと向き直る。
答えるそのピンク色の瞳に、一点の自信のかげりもなかった。
「勝てる」
アシールは力の抜けたような顔をみせ、一方、市民たちはなごやかに笑った。
今回はここまで。
次回、第85話「神の国防衛戦・一日目」
第85話「神の国防衛戦・一日目」
611
その夜、聖地は武装した騎士たちが持ち場につき、守りを固めていた。
砂漠の地の夜は寒く、市民兵たちが持つ松明の火が、聖地の防壁をあちこち照らしつつ暖めていた。
彼らは皆、城壁や塔にまんべんなく立ちはだかり、防御地点の持ち場について、敵軍の到来を待ち受けて武装している。
円奈も、城壁下の聖地の入り口の門の前に立ち、敵陣が接近中であろう地の彼方を眺めていた。
「アルマレック」
円奈は、敵が到来するであろう方角の砂漠をみつめながら、従者の騎士に話かけた。
「私がこの聖地で死んだら───」
アルマレック、頭が禿げている背の高い騎士は、円奈のすぐ後ろにつき従う。
「わたしの土地をあなたに授ける」
と、聖地の王となった少女はいった。「あなたがアイルーユの領主です」
アルマレックは、円奈の手を握って、笑った。
「埃っぽくて、貧しい土地です」
円奈も微笑み返した。
アルマレックは聖地の主であるこの鹿目という少女が、聖地で死ぬ覚悟を決めている意味をふくむ言葉を告げられたとき、
こうしてやわらかに返しのだった。
そんな会話を二人で交わしていると、一人の騎兵が真夜中の砂漠に現れた。
すると、パッパラーと派手な角笛が夜間に吹き鳴らされる。
それは、敵軍の角笛であった。
一人の騎兵は、ギランギランと夜月を反射する剣をふりまわして、声高に宣言する。
「円環の女神がサラドを勝利に導く!」
声は女の子のものだった。たぶん、敵国の魔法少女だろう。
敵国サラドは、エレムの民から聖地を奪還するため、国の総力あげて、四千人の魔法少女を結集、20万の軍隊を率いて、
やってきた。
「円環の女神さまが、私たちに勝利を与えくださる!」
「いつ、はじまるので?」
アルマレックは、敵の攻撃予告を耳にしながら、円奈にたずねた。
すると円奈は、敵の先頭きる騎兵を目を細め睨み、小さな声で言った。「もうすぐだよ」
といって、円奈も、アルマレックも、そばの暁美ほむらも、聖地の門をくぐって城壁の中に戻った。
その後、門は閉じられた。
612
それから数分後。
夜空に浮かんでいた星の光が、突然に地上にも現れた。
ぽつぽつと地上に現れだしたあたらしい光の大群は、夜の砂漠一面にひろがりはじめる。
「投石攻撃だ!」
地平線に現れた光の大群を目にしたエレム兵士たちは叫び、恐怖に心を震わせながら閉ざされた
城門にかんぬきをかける。
その直後、燃えた光の弾がエレムの城壁の上空を飛び、市内に落下してきた。
ドゴ───ッ!
巨大な燃えた石が聖地の町へ落ちた。
真っ赤に燃えた石は次々とエレムの市内にどこどこ落ちてくる。
はじまりは突然に、そしてはじまると嵐のように。
光る巨石は、夜空より神の国に落ちてくるなり油を撒き散らして、町に火をつける。
燃える石は夜空を突っ走って、またエレムの城壁に落ちてきた。
そしてどばっと光が爆発し、そこらじゅうに火と油を撒き散らす。
とばされる石弾には、油がたんまり塗られていて、落ちてくるなり、火と共に町に降り注ぐのだった。
「投石器を壁に寄せろ!」
激しい投石攻撃に晒されたエレムの人間たちは叫ぶ。自軍の組み立てた投石器を守るために、
火と油が敵軍の攻撃によって降り注ぐなか、何十人もたかって懸命に投石器の車輪を押して運んだ。
敵の石弾にあたらぬよう城壁の内側へ、寄せようとした。
近くで通路を走っていた市民兵は投石弾に直撃され、首は遥か遠くの路地にまで吹っ飛んだ。
「水を!火を消せ!」
燃えた石を雨のように投げ込まれた神の国は炎上し、黄土色の家々を燃やしていった。
町の光塔(ミナレット)に石弾が直撃すれは塔が倒れた。
琥珀、織物、小間物、ピスタチオ、薬味などの屋台店が並ぶ中央道路は、日差しから守るため木製の天井で
覆っていたが、今やそこにドコドゴと油に燃えた投石弾が落下し、すべて炎上して、市民たちは火に囲われた。
四辻のところでは天井は化粧漆喰(スタッコ)の丸屋根になっていたが、燃える投石の落下で、これらも
倒壊していく。
壊されていく聖地。神の国。
敵軍の攻撃は、火は雨となって油とともに空から降ってくる。それを頭からかぶってしまう魔法少女もいた。
燃えた魔法少女は、聖地の四辻を走りまわり、頭についた火を消そうと抗った。
「水だ!消火を!」
エレムの人間たちはこの夜中、バケツを互いに協力して運びながら、落ちてきた石の火を消そうと水をかけた。
だが、あたり一面に撒き散らされた油の火を消すのは難しい。
「押すんだ!」
円奈はエレムの兵士達と一緒になって、火の雨が降り注ぐなか車輪つきの重たい投石器を押しだした。
ぐぐぐっと車輪つきの投石器が動いて、城壁の内側に寄せられていった。
「押せ!」
アルマレックも円奈に協力した。もてる力をだしきって、歯を食いしばりながら投石器を押した。
敵軍の飛ばした投石は、星の光る夜空へ打ち上げられ、燃える火の音を
ごうごう轟かせながら夜風に乗って飛ぶ。
その石はエレム城壁の上にドンと落ちるとバウンドして跳ねた。火と油散らしながらエレム市内の道路にまで
転がり込む。
途端に神の国の市内が火油に見舞われる。空から家々の屋根へ、通路へ、そして人へ。
あたりを見回すと、街じゅうが火の雨によって燃やされ、油は地に満ち、火に囲まれている。
エレムじゅうの兵士がパニックに陥った。火だるまになったエレム兵がそこらじゅうにいた。
右も左も火の手があがるという恐怖。自分たちの住む聖都が燃える恐怖だ。
神の国の地下に避難した、女や子供たちは、天井から伝わってくる衝撃に震えていた。
戦争が起こって、いま住んでいる町は敵軍にいま狙われていて、自分たちの命は、地上で城壁を防備する市民兵たちにかかっていると知る。
投石弾が神の国に落下し、地面をたたくと、また地下空間にゴーンと低い音が響きわたり、避難民たちを
恐怖に陥れていく。と同時に地上で戦っている市民兵たちの断末魔と、ふためく足音の連続も、耳に轟いてくる。
鹿目円奈は、戦えぬ女子供が避難した地下廊下に入り、何度も何度も繰り返し、地面が揺れ、地響きが地下空間に響き渡るなかを、
避難民ひとりひとりを励ましながら歩き回った。
泣き止まない子供の前で立ち止まり、膝をついて座り、「わたしたちが必ず守るから」と言って、泣き止むまで
傍にいて安心させた。
その子供の母親には縋られた。円奈はその母親にも、「敵軍の手からこの国を守り切ります」とはっきり
約束して、ひとりひとりの避難民たちの恐怖心を和らげることに心を砕いた。
敵軍による投石はこうして、ひとつひとつが夜空をゆらゆら飛び回って、雨のようにエレム市内に落ち続ける。
まさにそれは、開戦の夜、舞い落ちる巨大な炎の雨粒。
四千人以上ともいわれるサラド軍の魔法少女たちが放った、何かの魔法攻撃のごとく。
だが、実際にはそれは、一つ一つがサラド軍が持ち運んできて組み立てた投石器の発射する、火をつけて燃やした
石であった。
サラド軍はこの夜に聖地の前の砂漠に布陣し、20万人にもなる軍隊を召集し50台以上もの投石器を組み立てた。
そしてこの夜明けとともに、投石器群による、徹底的にして破壊的な攻撃をエレム国に開始した。
サラドの兵士らは投石器の発射装置の末端にある受け皿に石を搭載する。
バケツに用意した油をたっぷり石に注ぐ。そのあと松明で着火すると、石が燃えて、エレム国めがけて夜空に飛ばされる。
トラブシェット投石器と呼ばれる兵器の5メートルほどある天秤皿がスイングし、石が、赤い火の粉を夜空に散らしながらキラキラと
飛ぶ美しい光景は、魔法のようであった。
星のきらめく美しい夜空の下、炎の虹が聖地に燃え上がる。
しかし、サラド側からみれば夜にも美しいこの大規模攻撃の景色は、それを受けるエレム市内側からみると、
最大限の恐怖そのものであった。
トラブシェット投石器は、重力を用いて石を飛ばす原理で、天秤にも似ている。
片方の天秤皿には石を載せ、もう片方の天秤皿には巨大な錘を吊り下げる。
本来であれば錘のほうがはるかに重たいので、天秤は錘があるほうが下になるが、これを人力でロープで引っ張り、
強引に錘があるほうの天秤皿を持ち上げて、石が載せてあるほうを下にしておく。
そのあと鎖を繋ぎ止めて固定する。
あとは、鎖を繋ぎとめている金具フックを、ハンマーで叩いて外せば、急激に重力によって錘の側の天秤皿が落ち、
代わって石を載せた皿のほうが急激に持ち上げり、最終的には天秤そのものがグルリと一回転する。
そのとき石が上空へ飛ばされる。
その距離は400メートルか500メートルであり、この時代では最大飛距離を誇る最強兵器だった。
「発射!」
それぞれの投石器のには、一人ずつ指揮官がついていて、兵たちに発射の命をくだした。
指揮官からの命令があると、サラドの兵卒が手に持ったハンマーで錘を吊り下げた皿を繋ぎとめた鎖の金具を外す。
すると投石器が稼動して、吊り上げられていた錘が落ちてくる。ぐるんと投石器の天秤が回転して、
反対側の天秤棒の皿に載せられていた石がびゅんと飛ばされていく。
「打ち放て!」
指示を受けて、サラド軍の兵士が投石器の鎖を支えるフックをハンマーで叩ききる。フックがはずれ、
鎖が落ち、投石器が発動する。
「うて!」
また別の指揮官が叫ぶ。サラド兵士がハンマーで投石器の鎖を繋ぎとめたフックを放す。
石塊にはバケツに入れた油をたっぷり注ぎ、兵士が松明で火をつけた。たいまつの火が、ぶわっと石弾に燃えうつる。
その燃えた石が、投石器によって打ち飛ばされ、神の国の城壁に届く。
20万が布陣した軍から、エレム市内へ送り届けられ続ける火の投石。
「発射だ!」
また別の投石器についた指揮官が指示する。兵士がハンマーで鎖の支えをぶっ放し、石が明るく燃えながら神の国へ
飛んでいった。
指揮官が自分のついた投石器を飛ばす号令にだす言葉はさまざまだったが、とにかく、号令があるたびに
投石器から燃えた石がガシガシ夜空を飛んだ。
そしてエレム城壁を飛びこえて、神の国に落ちていった。
指揮官が指示するたび、また投石器から石が飛ばされる。
百人もの指揮官がそれぞれ50台の投石器について、それぞれに飛ばす号令を出しているのだった。
のこる四千あまりの魔法少女たちは、数万の騎士たちとともに、それぞれの位置から、神の国の燃える城壁を眺めていた。
投石の数々によって、神の国の城壁が叩かれ、何度も何度も空から落ちてきた巨石に直撃されるが、
神の国の城壁はまだ崩壊せずに、持ちこたえていた。
次々と投石攻撃によって燃えた火の石を投げ込まれ、火の海と化していく神の国──。
その燃えゆくエレム都市を眺めながら、アガワルが疑問を口にした。
「どうして反撃してこないのよ?」
と、ドゴドゴ燃えた石に叩かれる神の国の城壁を見つめつつ、アガワルがぼやいた。耳元で、夜風をあぶる火の音がかすめる。
雪夢沙良もその火に燃える城壁を見つめながら、答えた。
「機を待っているのだ」
サラド王は戦争を甘くみない君主だ。エレム王国が簡単に聖地をゆずるとは思っていない。
きっと何か反撃の手立てを準備していると踏んでいる。
夜明けと同時に開始されたサラド軍の攻撃───。
夜空へ飛ばされていく火の石は、夜空を赤色に照らしながらのなかをぴゅんぴゅんと飛び、敵軍の城へ降り注ぎつづけた。
結局それが完全に夜が明けるまで続いた。
それは戦争でも、この世の美しい景色にさえ、思えた。投石器の下でうっとり眺めてしまうサラド軍の魔法少女たちも
いた。
結局、夜が明けるまでの数時間で、神の国には数百個の燃えた石が市内に投げ込まれ続けた。
613
円奈は神の国の地下へゆき、松明を手に通路を照らしながら、進んでいた。
地下に残された食糧、武器、水、小麦、蜜、油の量などを改めて目でみて確認していた。
そのすぐあとに騎士のアルマレックと、エレム国に残された数少ない魔法少女の一人、ショートカットで
黒髪のアッカがついて、円奈の行動を見守っていた。
円奈は、女子供たちが避難していた石壁の地下廊を通り過ぎ、奥の貯蔵庫へきた。
そこで円奈は松明の火を翻して、アッカに向き直った。貯蔵庫の暗闇で火に照らされた顔に、恐怖が浮かんでいた。
「まだ戦いが始まった初日なのに」
と、円奈は言った。その口調も少し、震えていた。「あと何日戦うことに?100日で終えられる?」
避難した女子供たちの前では決して見せなかった、円奈の弱音。
すでに円奈は、サラド国との全面戦争で、エレム国の全市民たちの命を担った戦争の開戦に直面して、心は潰れそうだった。
「アタシたちが敵軍を完全に追い払うか、全滅させるかまでだ」
アッカが冷静な声調で答えた。
だが松明の火に照らされたアッカの顔にも、絶望にも近い暗さが顔に浮かんでいた。
「それまではこの戦争は続く」
「…」
円奈の思いつめた顔が息をはく。
「雪夢沙良はもう、慈悲はみせない」
アッカは、自分達のおかれた苦しすぎる境遇をはっきりと口にして告げた。
「城壁が破られたら、わたしたちエレム人を皆殺しにする。全員殺されるんだ」
「最後まで抵抗を貫いて──」
円奈が言った。その手に持つ松明から火の粉が落ちた。震えているのだろうか。「雪夢沙良さんに条件を出させる」
「条件って?」
アッカが尋ねた。「どんな?」
「民の安全と───」
円奈が言った。神の血筋を引くピンクの瞳がアッカを見た。「亡命先の自由を」
少女の目はぎっと瞠目していて、切迫している気持ちがよく見て取れた。だがそれはアッカも同じだった。
今回はここまで。
次回、第86話「神の国防衛戦・二日目」
第86話「神の国攻城戦・二日目」
614
神の国では地上の市民は寝ることも許されず、戦争一日目の夜をすごした。
夜があけると、神の国に朝がきた。
かわいて、涼んだ朝は雰囲気が張詰めていて、いよいよはじまった戦争の空気を、砂漠の風が運んでくるかのようだった。
つまり、並び立った敵陣の空気だ。
敵陣のもとに朝日の赤い日が昇る。砂漠を照らす赤い日差し。暖かな照りつけ。そこに揃い立つ敵の大軍。
鹿目円奈は神の国の防壁に立った。
ピンク髪と結んだ赤いリボンを、戦場となる早朝のやさしい風になびかせて、朝になってついにその目前に
姿をあらわしたサラドの敵勢を、眺めていた。
円奈がエレム国の戦うことのできる市民を騎士に仕立て、身分を与え、城壁に立たせた市民兵の数は、三万人だった。
そのうち、230人くらいが、本国にのこった魔法少女である。
円奈の立つエレム市壁の足元に、白い妖精カベナンテルが降り立ち、円奈に契約を持ち出した。
エドレスの王都エドワード城の牢獄以来の再開であった。
「いまや円奈にかかる因果量は絶大だ。その力をもってすれば、契約の力で魔法少女になり、
エレムの民を救えうる力を得るだろう」
円奈はこの契約を断った。
「わたしは騎士としてこの国にきた。もし今わたしがあなたと契約して、魔法少女になれば、
わたしが捜し求めた天の国は見つからなくなってしまうよ」
鹿目円奈は鹿目まどかのように、避けようもない嘆きと、綻びを、魔法少女になることで跳ね返そうとする
道はとらなかった。
人間としてこの運命に立ち向かうのである。
それには意味があった。鹿目円奈の見つけたい国とは、そういう国だからだ。
魔法少女だけが戦いの宿命を背負って、犠牲になってはいけない。
自分は人間としてこの戦争を戦うのだ。
それに、たしかに、聖地の新しい王となった鹿目円奈が、魔法少女になれば、強力な魔力を得るだろうけれど、
エレム国とサラド国の最終対決ともなったこの日、いまごろ敵国では、「この日の戦争に勝てますように」と
祈って新たに誕生した魔法少女が100人くらいいるだろうから、円奈一人の祈りは、この魔法少女対魔法少女という
図式の戦争では、あんまし効き目がないのだ。
これは、そういう戦争だ。
カベナンテルもそれをよく分かっている。その証拠に、"エレムの民を救えうる力を得るだろう"なんて言葉の
遣い方だ。決して、"エレムの民を救える"とは言い切らない。
早朝の神の国はまだ火が燃えている。
油と火の投石攻撃の雨に晒された聖地は、赤い火が立ちこめ、煙が天へ伸びた。
しかし市民たちはそんななかで自軍の投石器を懸命に運んでいた。
昨夜、敵軍の投石攻撃から守るため、いちど城壁の内側にくっつけて寄せていたトラブシェット式投石器を、エレム兵たちは力をあわせて
ロープをひっぱることで、投石器の車輪をまわして、定位置にもどす。
エレム兵たちは、城壁の内側で、一日たっても消火できない油の火をよけながら、投石器を定位置にもどす。
もどしながら、エレム兵たちは、魔法少女たちの不思議な歌声をきいた。
城壁のむこうにたつ、敵国の魔法少女たちの、不思議な歌声を。
615
神の国の市民兵たちが守りを固めた城壁の前に並び立った、20万人の敵軍勢。
いつか円奈が一望千里に眺めた砂漠の地平線が、今は敵軍の並び立った軍列になっていた。
サラド軍に参加した、軍勢のうち四千人ちかい世界の魔法少女たちは、やっと訪れた神の国にむかって、
聖歌を唱え始めた。
それは神の国に存在した女神、つまり”円環の理”を讃えるために歌われる聖歌。
軍勢に参加した少女たちが歌うと、その歌声は重なって、地上から天にも届く勢いで歌われた。
それは神妙な光景だったけれども、敵軍に包囲されたエレム側にとってあたかもそれは、”四面楚歌”とも
いうべき状況に似ていた。
”円環の理”が住む国の前に赴いたサラド軍のうち、何百という魔法少女が前線に並び立って、神の国にむかって、
目を瞑ると静かに聖歌を歌うのであった。
魔法少女たちは、両手を胸の前で握り合わせて目を閉じ、祈りを捧げるように聖歌を天にむけて歌うのだった。
女神を讃える賛美歌を。
声をあわせて聖歌を歌うサラド軍を、円奈は神の国の城壁から眺めた。
早朝に歌われる静かな聖歌は、他でもない嵐の前の静けさなのであった。
城壁に立て篭もったエレムの民は恐怖の顔で聖歌を歌うサラド軍を見つめていた。途方に暮れたような顔をしていた。
20万人の敵軍勢から聞こえてくる歌声に圧倒されて、おそらく数分後にはこの軍勢の総攻撃を受けることになると思うと、
縮みこむような恐怖を覚えるのだった。
それでもサラド軍は聖歌を歌い上げた。神が見下ろしているこの神の国、”円環の理”の神、神聖なる国の前で、
心より聖歌を歌い上げ続けた。
両手を結び、祈り、目を閉じて歌う髪が、微風になびいて揺れる。弓矢を腰に巻きつけ固定した魔法少女たちの前髪が。
そう、今は聖歌を歌う集団とはいえ、敵は誰もが矢と剣を持っているのであり、神の国を攻め落とすための破城槌と、
移動櫓つまり攻城塔と、投石器、梯子などを持ち込んでいる20万の軍勢なのだ。
その軍勢から、一方的に聖歌を歌われるこの不気味さは!
城壁に立ってみたエレム兵にしてみれば、絶望的な恐怖だった。
地上を揺るがすような歌声は、サラド軍にいる魔法少女たちがが歌い、それは、女神が自分達に勝利を
もたらすと信じて、心より歌うのだった。
祈りが終わると、いよいよ、サラド軍の歌声はやんだ。
円奈の指揮下のもとにある、エレムの市民兵たちは縮み上がった。
いよいよ戦争がはじまると思った。
猶予の刻はおわった。
円奈は城壁からサラド軍を見下ろした。そして見覚えある白い髪の魔法少女が砂漠にならんだ大軍勢の先頭に躍り出てきて、
左翼の陣から中央の陣まで馬を走らせた。
もちろん円奈はそれが誰なのか分かった。
サラド王は中央まで馬を走らせ、オレンジ髪の魔法少女と合流する。
円奈たちが、白い石を400、300、150の距離ごとに置きならべていたエレム城壁の前方の砂漠を、敵国の王は馬で颯爽と進む。
アーディル・アガワルは雪夢沙良が戻ってくると、進言した。
「慈悲を。女子供の命は見逃しておきましょう」
目に見えて神の国の防壁に立つエレムの兵士たちがおびえているので、かわいそうになったアガワルは
思わずそう言ったのであった。
「いや」
しかし、沙良は薄目をしてエレム軍を睨みつけると、告げた。
「慈悲はない。だれ一人とて生かさぬ」
アガワルはエレム軍を心で哀れんだ。この君主は冷徹なまでに、今や長年の敵・エレム国を滅亡させる決意であった。
あとは、エレム軍が聖地を捨てるか、女子供ふくめ全員死ぬまで抵抗を続けるか。
それ次第だ。
沙良は神の国を攻め落とすための十五基ほどの移動櫓、並び立つ攻城塔を軍の前線におかせ、進軍の準備をさせた。
月印の旗が軍に掲げられて、風にゆれていた。
静まり返った。
固唾を呑むエレム軍。進軍の合図を待つサラム軍。
鹿目円奈と────雪夢沙良の目があった。
きっ。
円奈が神の国の城壁から沙良を見下ろし、沙良は軍勢の先頭から円奈を見上げた。
そして沙良はぐっと腕を胸元に寄せると、円奈にはっきり示したのだった。開戦の合図を。
”覚悟しろ”
それを合図に、サラド軍のひしめく投石器が一挙に稼動しだした。左翼からも、中央からも、右翼からも石か飛ぶ。
大群の投石器から飛ばされた石はくるくる回転しながら青空を舞って、大きな弧を描きながら最終的にエレム市壁へ
むかって落下してくる。
投石器が稼動すると、ついに、サラド軍本体が動き始めた。
果てしなく砂漠の地上を埋め尽くした20万人の軍勢が、中央から左翼、中央から右翼、同時に足を揃えて砂漠を
進軍しだす。
移動櫓(やぐら)も軍と一緒になって静かにうごきだした。
移動櫓は、見た目は塔であり、実際に攻城塔という別名ももっていた。
塔は下部に車輪つきで、何本にもなるロープにつながれ、魔法少女や、馬や、人間らによって、ひっぱられ運ばれる。
これがエレム城壁にまで運ばれると、その塔から、サラド兵が神の国へいよいよ乗り込むことができる。
塔の中は、梯子が着いているので、この塔が城壁にくっつきさえすれば、地上から無数の兵たちが次々に神の国へ
登って入れるようになる。
数万旗もはためく月印の軍旗が、波のようにうごめきだす。
馬に乗った数百人の魔法少女たちは軍旗を肩で片側に掲げ、数万の騎士や兵士たちの先陣を切って、砂漠を
一歩一歩確かめるように進む。
神の国の城壁からサラドの軍勢はまだ砂漠をはさんで数キロメートルはまだ離れていたが、いよいよ敵軍はその距離を
埋め始めた。
その間もエレム国には、敵軍のトラブシェット投石器による投石攻撃が、絶え間なく降り注いでいた。
ドコ…ドコ…!
エレム市民兵の人間たちは震え上がっていた。
砂漠のむこうより列なしてやってくる、月の旗を掲げた敵国の魔法少女たちの一歩一歩が、自分たちの国の滅亡へ
のカウントダウンに思えた。
その魔法少女たちが先陣きる敵勢に立ち向うは、聖地・エレムの国に残された希望・鹿目円奈!
サラドの王・雪夢沙良は、軍列なして進む魔法少女たちと共に馬を歩かせ、エレム軍の様子と動きを
注意深く見あげている。
すぐそばには、馬で軍列を進む茶翡翠やスウ、アガワルなどの側近を、従えている。
鹿目円奈vs雪夢沙良!
長いこと続いたエレムとサラド、神の国の戦いも、大詰めだ。
徐々に距離の縮まるエレム城壁とサラド敵勢。
アルマレックが神の国の城壁の上から迫る敵勢を眺める。
砂漠に現れた敵軍の海はまだずっと先にあったが、数分後にはこの兵の海が城壁に達する。
神の国攻防戦・二日目!
その火蓋が切って落とされる。
エレム軍の戦闘経験もない市民兵たちは迫り来る魔法少女ふくむ敵兵の軍団に震え上がっていたが、しかし、神の国はそうそう
落とせぬよう多重の罠と、凶器と、仕掛けが施されている要塞だった。
なんの隔たりもなく順調に城壁へ進んでいたサラド軍は、しかし、次の瞬間、エレム側と円奈の用意した猛烈な
反撃の嵐にのまれることになる。
すっ……。
サラド軍の軍列が、ついに円奈が並べおいて目印にしていた白く塗った石のすぐそこを通過した。
これは、開戦前の準備段階であらかじめ聖地前の砂漠に並べおいていたもの。
敵国の魔法少女の足がその横を通り過ぎる。これは、聖地から400の距離に置かれた石。
なんだろう、と魔法少女が白い石を振り返りつつ見下ろして見た。
円奈が、400の距離に置いて目印にしていた石を、敵陣先頭の魔法少女の一人が通過する瞬間を見るや、
くるりと向き直ってついに第一攻撃の指示を口にした。
「400!」
その声をうけて部下の騎士アルマレックが大声で告げる。「400だ!」
「400を通過しました!」
エレムの市民兵も叫ぶ。城壁の塔にある通路を駆け抜け、味方にむかって大声で叫ぶ。
「敵は400を通過です!」
「撃て!」
円奈が怒号を張り上げ、城壁の上からびっと指差し、ついに攻撃命令を下した。
「撃て!」
エレムの市民兵士たちが叫び、そして、エレム側城壁内に設置されていた大型投石器が動く。
投石器の鎖の留め具をハンマーで思い切りたたき、するとエレム軍側のトラブシェット投石器が発動し、大型の天秤が
ぐるり、と回転し始める。
すると投石器が石を飛ばした。投石機の錘が、繋ぎを外されてスイングしていき、反対の天秤棒から石が吹っ飛んだ。
その石はエレムの城壁を飛び越えて、青空をはるかとび、その先にひしめくサラド20万の敵軍勢めがけてまっさかさまに
落ちていった。
ドゴッ!
白く塗られた石を通過した魔法少女めがけ、巨大な石が落ちてきた。
魔法少女はかろうじで落ちてきた石をよけたが、かわりに後続の兵卒が押しつぶされた。
兵卒は跡形なくつぶされた。上半身がちぎれてどこかに吹っ飛んだ。
また落ちてきた石がサラド軍の兵士たちをえぐり、何人かの頭を潰してしまった。
攻城塔のやぐらを櫂で押し運ぶ兵卒たちにも石が直撃し、何人かの櫂を握った兵士らは死にもの狂いに手で頭を
守ったりした。が、それは反射的な防衛行動で、結局は石に当たればことごとく体が粉砕され、あちこちに肉と骨が
散った。
エレム軍の大型の投石器は、錘を吊り上げた天秤をフック同士で繋ぎとめているタイプの投石器だった。
エレムの兵士がフックを繋ぎとめて準備していたロープを引っ張ると、カチャっとフック同士がはずれ、
錘がおちて天秤がつりあがり、投石器の石弾を載せた皿がぐるんとまわりだす。
それが円をえがくように回って、ついに皿からは石弾が遠心力によって空へ放たれて飛ばされる。
「400!」
また別の敵陣の先頭が白く塗られた石の傍らを通り抜けた。それを合図に、エレムの兵士が声をあげる。
「400に撃て!」
攻撃指示が城壁からくだり、すると、城壁内のエレム兵士が大型投石器の繋がれたフック同士のロープをひっぱり、
フックを外し、投石器を稼動させる。
カチャンとフック同士がはずれ、投石器の錘がぐるんと回転し、天秤棒の皿から遠心力で石塊が発射される。
石塊は正確に400の地点に落っこちる。
先陣をすすむ魔法少女たちが、飛んできた石にべちょりと潰され、ソウルジェムもろとろ原型とどめず粉砕した。
あるいは、激しく上空から降り注ぐエレム側からの投石の一つが、移動櫓のひとつに直撃した。
投げ込まれた巨石に直撃したやぐらはバキっと真っ二つにわれた。中に潜んでいた魔法少女や兵士たちが、
数十人も塔から宙へ投げ出された。
「うああぅっ!」
と、やぐらの砕け散る破片と一緒になって落ちる兵士は、空中に投げ出されながら悲鳴をだした。
あらじめ、円奈の作戦で飛距離を測っていたから、投石器の石は正確に狙いどおり、砂漠を進む敵軍の攻城塔へ当たる。
戦争開始から数分後。
「300!」
円奈が、今度は300の距離に並べられた白石を敵軍の兵が通り過ぎるのをみるや、再び指示した。
「300地点だ!」
聖地側のエレムの兵士たちが円奈の声を受けて、号令をだす。「敵軍が300を通過!」
攻撃命令をうけ、投石器の張力を300の飛距離に調整していた投石器が稼動する。
ロープが引っ張られ、フック同士がガキンと外れて、天秤の吊り上げらた錘がぐるんと落ち、天秤棒から石が飛ばされる。
300を通過したサラド軍めがけて石が正確に落ちてきた。
正面から自分達めがけてまっすぐに回転しながら石が落ちてくる光景を目の当たりにして、逃げる者もいたが、
逃げ遅れた者は石に顔面を直撃され上半身を裂かれた。
血飛沫と黄色い脂肪があらゆる周囲の兵の兜とか、鎧にひっついた。
数千人する陣のうち何人かが、こうして石に潰されて死んだ。
300を通過しつつあった攻城塔のやぐらのうち一つがまた、エレム陣営からの投石攻撃に晒され、真っ二つになって
崩壊した。
木片の砕け散るバラバラという音とともに攻城塔は破壊される。サラド兵たちの頭にふりかかった。
こうしてエレム軍とサラド軍の戦争は、石の飛ばしあい、投石器合戦という形からスタートする。
聖地・神の国の城壁の見下ろす砂漠の乾いた青空を、ビュンビュン無数の石が飛び交う。
サラドの王・雪夢沙良は、自軍先頭の兵士たちが投石器による攻撃で押しつぶされたりする様を、
その場を右に左にいったり来たりして落ち着きなく見守っている。
「300通過しました!」
また、エレムの兵士が叫ぶ。
「敵軍、300通過!」
攻撃指示がくだり、投石器が稼動する。ぐるん。投石器の天秤から発射された石は太陽の照らす空を舞う。
やがてそれは、左翼の月印旗を掲げる敵国の魔法少女たちの前線めがけて、まっすぐに落っこちる。
巨大な石が空から頭上に降ってきて、何人もの兵が石に潰され犠牲になった。
けれども20万人の大軍勢は、一歩一歩、着実に進んできた。
沙良はまだ落ち着けなさげに、自分の持ち場から右いったり左いったりしつつ、自軍の前線とエレムの城壁を
見守っている。
側近のスウや、アガワルの二人のほうが、もっとずっと冷静に、戦況を見守っているようにさえ、思えた。
「150!」
円奈がエレム城壁の下の敵軍を見下ろしながら、新たな指示をだした。「弓を構えて!」
「150だ!」
号令がでるや、数千人の弓兵が城壁の前に進み出て現れた。
まだ弓の使い方になれぬ市民じたての兵士たちだ。
ある兵は弩をもち、ある兵は弓をもって城壁の矢狭間がある持ち場につく。
「敵軍、150に到達!」
市民兵たちが城壁に造られた矢狭間の持ち場につく。
その弓兵たちの顔つきは、固く緊張している。布袋の箙から矢を一本、震える手で取る。
「矢を!」
円奈の指示が神の国に轟く。
指示をうけ、城壁に並んだ数千の弓兵はそれぞれ矢を番え、慣れない手つきで弓をひきしぼる。
番えられた矢は、人の胴体を貫くに十分な長さと硬さがある。
円奈は、まだ弓を扱う力がついてない市民のために、強力な矢じり───を与えていた。その尖る鏃にはろうも
塗った。ろうを塗ることで矢の錐が敵の鎧を貫く。
敵軍の前線は、城壁から150の距離に並べられた白い石の線を続々突破する。
「放て!」
指示がくだった。数千人の弓兵たちが矢を同時に放つ。
矢の弦のしなる音が砂漠の乾いた空気に轟いて、矢が次々に空中へ飛ぶ。
その黒い矢の雨は、まっすぐに150の距離へ突っ走る。
「護れ!」
降り注がれる矢を防ぐため、サラド軍最前線の指揮官は号令した。自らも盾を頭にかぶせ矢を防いだ。
サラド軍の兵士らもならって一斉に盾を手にとりだし、身を守る。数百の盾にグサグサと矢が無数に刺さった。
しかし、盾と盾の合間をぬって落ちてくる矢が、サラド兵士の腕や肩にザクザク刺さった。
はらはらと落ちくる矢のロウの塗られた錐の餌食になる。
「番え!」
サラド軍の指揮官が叫んだ。サラド軍の弓兵たち数百人が列揃えると弓を手に取り出し、ぐっと上向きに構えた。
狙うはエレム城壁に並ぶ弓兵。
「射て!」
ヒュ!
サラド軍の矢が空を裂いてとんできた。エレムの城壁の箇所へ、矢が何百本も刺さる。
シュバババババ!
エレム兵士たちも反撃にまた数千の矢を神の国から放つ。
そして数千本の矢の雨を通り抜けて、数万の敵軍がわあああっとエレムの城壁に列なして群がりだした。
城壁に到達すると、さっそく城壁を攻め落とす準備にとりかかる。
神の国から見下ろす乾いた砂漠は、敵兵たちの列に満たされていく。
城壁では、敵軍の攻城塔が近づき、数千人の敵兵たちがその下で列をつくった。
やぐらが城壁まで運ばれると、下の敵兵たちはこぞって列の先頭から、やぐらの中に順番に乗り込む。
やぐらに乗り込むと、味方の兵士たちにバケツの水をばしゃぁあっと頭に浴びせられる。
頭に水をかぶるのは、エレム側の火攻めを予測しているからだ。
やぐらの中に入った水でずぶぬれの兵士たちは、やぐらの数階層に分かれた梯子を順にぼり、最上階をめざす。
最上階から、神の国へ乗り込むのだ。
やぐらの最上階には跳ね橋があり、今は垂直に吊りあがっている。
これが今は防壁となって、神の国のエレム兵から放たれる無数の矢から、最上階に立つ兵士らを守っている。
そうもしていると、いよいよ櫓がエレム城壁にぴったりとくっついた。そうして、敵兵が、やぐら最上階にある
跳ね橋のロープ巻き上げ機をぐるぐる回してゆるめ始めた。
巻き上げ機がゆるめられると、跳ね橋が角度を下げて、ゆっくりとエレム城壁の側へ降りてくる。
グググ……
「火炎弾を用意!」
敵軍のやぐらが神の国の城壁にくっつくと、円奈はエレムの兵士たちに声をあげて指示をだした。
エレム兵士たちは、すぐ城壁のそこまで迫ってきた攻城塔の威容に、すっかり怯えている。
つい昨日までは市民だった兵たちは、いよいよ敵兵や敵国の魔法少女が攻城塔からなだれ込んでくるかと思うと、
恐怖感に心が支配されてしまう。
「火の準備を!」
励ますように円奈が声をあげ続けた。
「火炎弾を持って敵を待て!」
やぐらの跳ね橋が、ついに、ガシンと神の国の城壁へ落ちた。やぐらと城壁のあいだに橋ができた。
「突撃しろ!」
途端に、やぐらに登っていた何百人という敵兵士たちが、中から飛び出してきて、どどっと殺到してきた。
敵国の魔法少女たちは、やぐらの暗がりから、照りつける太陽のもと、エレムの城壁に飛び出す。
おろされた跳ね橋を渡って、鞘から剣をぬき、聖地エレムの城へ渡る。「渡れ!城壁を乗っ取れ!」
そこでまず起こるのは人間の魔法少女の戦いだ。この時代、魔法少女が軍事力として戦争の前線に活躍するのが
当たり前な時代の、まず起こる最初の戦い。
迎えうつはエレム兵たち。
「火を放て!」
敵の声に負けじと、円奈が声を張り上げ攻撃命令を叫んだ。
「火炎弾を敵に投げろ!」
戦闘経験も皆無の人間たちが、円奈の声に励まされ、勇気をふるって攻城塔から現れた敵国の魔法少女たちに
攻撃をしかける。
「投げつけろ!」
エレム兵士たちは、やぐらの橋をわたってきた敵兵の魔法少女めがけて、石油と硫黄を混合して壷につめ、
火を点火した火炎弾を次々に投げつけた。
この火炎弾は、円奈がこの一週間の準備で多量に市民兵に作らせていた”特殊弾”。
また、戦闘経験のない者でも、壷をなげるだけで攻撃できる手軽さもあった。
飛んできた火炎弾を、魔法少女たちは盾で守ることができたが、盾にあたると火炎弾の壷がパリンとわれて、
中から石油と硫黄が飛び散って火を撒き散らす二次災害を引き起こした。
またそれが本当のねらいだった。
飛び散った火が魔法少女の身体にふりかかり、魔法の変身衣装に飛びついて、燃え広がる。
水を頭からかぶったはずの魔法少女たちが火に包まれていく。
魔法の衣装と火が一体化し断末魔の悲鳴があがる。
人間が魔法少女に対してできうる唯一最大の抵抗手段ともいえる火炎攻撃は、ここでもやはり猛威をふるう。
火に燃え上がった魔法少女たちは悲痛の叫びをあげて、火達磨になって火と一緒にやぐらの橋から転落していった。
聖地の城壁の下に落ちて、焼死する。
たとえ身体を水に浸していたも、身体に火が燃えうつるこの特殊な火炎弾は、”ギリシアの火”と呼ばれた。
魂を身体からむき出しにしたソウルジェムに火をあがられ、芯から焼かれる痛みが魔法少女たちを襲う。
火に燃えた魔法少女たちは顔すら火に覆われて、影も形も真っ黒に燃えて、魂燃え尽きさせるまでひたすら業火の
なかで泣き叫ぶ。
呪われた者たちのように。
火炎攻撃が魔法少女に効力を発揮することは、皮肉にも、円奈が魔女狩りの都市・エドレスの王都で、
学んできたことだった。
円奈の人生の経験は、すべてこの戦争のためにあったといわんばかりに、発揮されていく。
「矢を放て!」
円奈の攻撃指示が再びくだった。
エレムの兵士たちがぎこちなく弓を構える。
「撃ち殺せ!みんな殺せ!」
やぐらの橋が火だらけになって炎上し、戸惑いと恐怖で足を固まらせていた、やぐらに残った敵兵士たちめがけて、
まっすぐ矢がとんでくる。
ズバババハ!
エレム兵たちの矢の連続射撃が、残された敵兵士たちを射止めた。やぐらでごろごろと倒れて死体同士が折り重なった。
「うわあああ!」
火の燃えるやぐらから脱出しようと試みた兵士の足に矢が刺さり、叫び声あげながらやぐらから
城壁の下まで転落する兵士もいた。
砂漠に群がる敵勢のなかに、ごうごう黒く燃えた身を落とした。20メートル下まで落下し、命を絶った。
「やぐらを燃やせ!」
敵軍の第一波を殲滅させることに成功した円奈は、つづけて、やぐらそのものを完全に燃焼させるように、
すかさず味方のエレム兵たちに指示をだす。
そこで市民兵たちはぶどう詰み用のかごを取り出して、タール、たきぎ、松脂、芦の皮などを満たし、
火をつけてから、油も注ぎ、敵軍のやぐらに、何個も投げ込んだ。
やぐらの最上階で火事が起こる。
それをみて市民兵たちはさらに、煮え立った油いっぱいのかごも加えて放り込み、火勢をあおる。
火はやぐらの上部を燃やしつくし、徐々に各階に達し、やぐらの木造部へ広がった。
こうなると、やぐらの中に潜んでいた敵兵たちは、焼かれることを恐れて、散らすようにやぐらの中から
逃げ出す。
が、最上階にいて逃げ遅れた兵は、炎に襲われ、焼け死ぬかした。
円奈は、敵軍の攻城塔やぐらを炎上させ、撃退することに成功する。
しかし、敵軍は別の動きを見せ始めていた。
敵軍の攻撃の手は、城壁につづいて、こんどは聖地の門へ到達した。神の国の入り口だ。
エレム弓兵の放つ矢の雨を抜け、城壁まで辿り着いたサラド軍は、一斉に城門に群がりだし、一点に集まり、
城門突破に乗り出していた。
すると城門の前に登場したのは、巨大な破城槌。
それは、三角形をした木造屋根の下に巨大な槌をロープでぶらさげた攻城兵器だ。破城槌の屋根は
やぐらと同じで酢に浸した動物の皮がぺたぺた張られて防火が施され、その下部もやはり、運べるように車輪つきだった。
この巨大な破城槌が城門めがけて進みでた。
「鹿目殿、正面門が危険だ!」
そばの城門塔に立ってたとある魔法少女が恐怖に叫び、破城槌に攻められつつある城門塔から離れた。
彼女の名はグアル・レールフリー。
エレム内に残った数少ない魔法少女の一人で、リウィウスはじめとする”六芒星の魔法少女”ら穏健派に従っていたが、
その六芒星の魔法少女らが、神の国に見切りつけて去ったあとも神の国に残っていた。
「すぐに知らせないと!」
グアル・レールフリーは敵軍の破城槌が猛威をふるいだした事態を円奈に知らせるため、見張り塔の梯子を
降りて、城壁の通路に降り立つと、円奈を捜した。
そこでもエレム兵士たちが激しい混戦をつづけていた。
敵軍は、持ち出した梯子を城壁にたてて、よじ登っている。
「鹿目殿!」
ゆっくりと梯子を登ってくる敵を、エレムの人間たちが懸命に押し返している。
梯子から城壁に乗り出してくる敵を、剣で突いてぶっ刺す。
グアルは弓矢の雨飛び交うなか、城壁を進んで円奈を呼んだ。「鹿目殿!」
「火を放て!」
グアルが目当ての少女の声をやっと耳にする。
円奈は、また城壁に取り付けられた移動櫓から殺到する敵の魔法少女たちに、燃えた火炎弾を投げつけている
ところであった。
「敵はだれも、城壁に足をつかせるな!」
火炎弾が次々に炸裂し、油と硫黄の火を空気中に撒き散らす。またたくまにそれはやぐらの架け橋に落ちて、
木の板でできた架け橋は炎上していった。
がむしゃらに燃えた架け橋を走ろうとするサラド兵士は、それでもやっぱり灼熱の炎に足をとられて、苦痛の叫び
あげると城壁から転落していくのだった。
「射て!」
弦のしなる音が数本鳴って、城壁を守るエレム兵たちの矢が飛んだ。矢は敵軍のやぐらへと飛んでいく。
飛ぶ矢の群れが攻城櫓の敵兵を散り散りにした。こうして、やぐらを渡って神の国へ突入できる敵兵はなくなる。
「敵を壁に登らせるな!」
すると円奈は、今度は梯子を使って城壁に潜入している敵兵士を相手にしていた。
梯子を登っている敵兵士の兜を、ドンと剣で叩く。
梯子から侵攻してくる敵は、両手がふさがっているので、守り手の側からは、いとも簡単に攻撃して撃退ができる。
だから円奈も、城壁の上から、敵兵の頭を剣で突くことで、梯子から攻めてくる敵兵を落としていく。
「誰も城壁に足をつけさせるな!」
「鹿目殿!」
グアル・レールフリーが、鹿目円奈───このピンク髪をした汗だくの少女に飛びつく。
ガキンガキンと、剣同士のぶつかる金属音がけたましいなか、自分の声が相手に届くように懸命になって声をだす。
城壁で戦うエレム兵、城壁に登ってきたサラド兵、そしてまだまだ大量に梯子をのぼってくる敵兵の行列の騒音。
想像絶する騒乱だ。
「鹿目殿、敵軍が正面門に到達してます!」グアルは叫んだ。
円奈は、急に誰かにしがみつかれて、最初はひどく驚いた顔をしたが、味方の魔法少女だと気付くと、すぐに答えた。
「わかった!」
円奈が、はしごを登ってきた敵兵が全員、エレム市民兵の剣によって打倒されたのを見届けるや、返事した。
円奈自身の剣も、何人かの梯子から攻めてきた敵兵を殺していたので、血の赤色を帯びていた。
「すぐにいくっ!」
円奈は聖地の門へめざし、城壁から見張り塔までの歩廊を走った。
「円奈!?」
持ち場を去り、城門へむかった円奈の動きにほむらが気付いた。
顔をふりあげると、円奈はレールフリーと一緒に城門の塔へ駆け出していた。
「……そんなっ!!」
ほむらはその二人のあとを追うべく、城壁の上を走った。
炎上したやぐらを通り過ぎ、ギリシア火炎弾の火種にするために置かれた火の釜を飛び越え、
激しく戦っているエレム兵士たちの間を走り抜ける。
ほむらにとってこの戦争の最大の心配事は、城壁の守りよりも、鹿目血筋の子の命だ。
だが、梯子をよじ登ってきた何人かのサラド軍の魔法少女が、ほむらの前に立ち塞がった。
二人の魔法少女は、てくてく梯子を地道に登ってくるや、守り手の兵士らの抵抗をはねのけ、神の国の城壁に
足を踏み入れる。
二人の魔法少女が剣によって、エレム市民兵たちを五人も殺した。
「預言者だ!」
と、サラドの魔法少女が叫んだ。「円環の理の声をきくお方だ!」
血のついた剣それぞれ握った二人が、顔を見合わせる。「どうするのか?」
「邪魔!」
ほむらが声あらげて言い、手に光る紫の矢を構えた。
円奈は梯子から神の国の城壁にのぼった敵兵士ら相手に、鞘から剣を抜くと混戦に入った。
みれば味方のエレム市民兵たちが何人も倒れ、敗北の姿をみてせいた。
だからここの城壁は、敵兵のサラド人に、侵攻を許してしまっていたのだ。
「みんな殺せ!」
円奈が、近くにいた味方のエレム人魔法少女に呼びかけ、ここに群がった敵兵たちの殲滅を命じた。
円奈を先頭にして、レールフリー、そのほか10人ほどの魔法少女が、神の国の城壁に入った敵兵たちへ
攻め込み、殺しにかかる。
カチャカチャと剣同士がぶつかり、城壁での戦いはますます激しさを増す。
円奈が戦っている敵兵士は、後ろから増援にかけつけたエレム兵士の剣に背中から刺され、血を吐いて倒れた。
「鹿目さま、ご無事で!」
エレム兵士が円奈に声がけしてくれる。
「ありがとう!」
円奈は会釈し、礼を告げると急いでまた城壁を駆け抜ける。
城壁にかかる梯子の数はどんどん増した。
梯子を登る敵兵士たちは、ぞろぞろと蟻の行列のように、続々城壁に達する。
正面門のほうでは、敵軍の巨大な破城槌が城門に達した。
さっそく屋根の下にロープでぶらさげられた長い槌を、敵兵士ら数十人がかりで前後にゆさぶって、
城門を叩き始めた。
このは破城槌は屋根によって守られているから、エレム城壁に立つ守り手の兵士たちが、火をつけた矢を何発も
放っているが、屋根に当たるだけで、肝心の破城槌そのものを破壊できない。
サラド兵たちは狭い三角形の屋根に守られながら、ロープに吊るされた破城槌を前後にゆすり、
槌の尖った先端を聖地の門に叩きつける。
ドシン────ッ
叩かれた聖地の門は、軋む音を轟かせた。
ズシン───ッッ!
さらにもう一度の打撃。
強い音で門が軋んだ。門は叩かれると砂埃を多量に落とし、揺れ動いた。
このとき、門の裏側では、戦闘経験もないエレムの兵士達が緊張に強張らせた顔で、手にそれぞれ弩をもって、
門が突破されれば押し寄せるであろう敵軍を迎え撃つ準備をしていた。
その数は約百人。
聖地の入り口をかため、弩を構えて敵軍の到来を待ち受けている。
門を突破した敵に矢の雨を浴びせる覚悟だ。
円奈がようやく聖地の門の部分に辿り着いた。
城壁から見張り塔にかかる梯子をのぼって、塔のてっぺんから様子を見下ろす。高さは27メートルほど。
海のように押し寄せている20万人の敵勢が見晴らしできた。
無数に敵の矢が飛んできたが、円奈は城壁の矢狭間に伏せて、反射的に矢の嵐から身を守った。
その矢狭間の間から目を覗かせ、敵軍を見下ろし、破城槌が城門に達しているのを確認した。
いや、達しているどころか、すでに破城槌が聖地の門を何度か打撃している。もし門が突破されれば、
聖地へ敵兵の乱入を許すことになる。
そうなれば、戦場は城壁ではなく町にまで及ぶことになっていまう。敵兵が地下通路を発見し、なだれこめば、
地下に隠れて避難しているエレム人の女子供たちは、すべて死ぬ。
一刻をあらそう事態。
円奈は、なんとかこの破城槌をとめなくてはならなかった。
だが、神の国の城壁から見下ろすところにある破城槌は、三角形の屋根に守られ、とても上から攻撃することができない。
火矢で撃っても、屋根が攻撃を防ぐ。しかも、屋根には動物の皮を張られ、酢まで浸されているので、火攻めも
通用しない。
こうなっては、ただただ敵軍が入口の門を槌でたたくのを許すのみだ。
敵陣から矢がビュンビュン飛んできて、円奈の立つ矢狭間にバシバシあたって砕け散る。
まどなは再び反射的に、顔を伏せてよけた。矢は、あちこちの矢狭間の開口部にあたり、バラバラと地面にちらばった。
ほむらがやっと見張り塔に辿りついた。通路から見張り塔への短い梯子を登り、乗り越える。
矢はほむら狙って数本とんできたが、ほむらには当たらなかった。
見張り塔に登ると、円奈はエレム兵士に新たな攻撃指示をだしていた。
「油を!」
円奈の怒号が、命令としてエレム兵士たちに伝令される。「油を流せ!」
円奈の声をうけてエレムの兵士たちは巨大な釜に煮やした石油をたくさん満たし、それを運ぶと入口の門のあたりへ、
城壁からばしゃあっと流した。
滝のように流れ落ちる黒い粘液は、びとびとと破城槌に落ち、ぬらした。
石油のあの独特な匂いがあたり一面たちこめる。そこだけ砂漠が真っ黒に濡れた。
「火を放て!」
すると、円奈があの火炎弾を握って、石油塗れにした敵の破城槌めがけて落とした。「火を投げるんだ!」
「投げろ!」
エレム兵士たちも続いて、エレムの城壁から火炎弾を投げ落とす。何個も、何個も。「火を撃て!」
バリンと壷が割れ、火を撒き散らし、火は流した黒い石油にまたたく間に燃え広がる。
ぶわあっ───ッ
一瞬にして、火炎が素早く黒い液体を伝ったかと思えば、あっという間にあたり一面が赤い火の海となる。
「あああああ───!!」
破城槌で門を攻めていたサラド軍の人間たちは石油の火に焼かれた。
まず足元から焼かれ、破城槌を守る屋根も焼け落ちてきて、顔も燃えた。
そうして破城槌全体が燃えてゆき、彼らは炎に包まれた。
彼らは苦痛に喘ぎながら出口を求め、続々と燃えた破城槌の屋根の下を脱出しようとしたが、
燃え広がった石油の火はすでに彼らの人肉を焼き滅ぼし、すでに皆が火達磨だった。
どこへ逃げようとしてもあたりじゅう石油みまれだった。石油はいま真っ赤な火の海だ。
肌は爛れ、皮の下にある肉と血にまで、石油の火が燃えうつる。
「あああ゛あ゛あ゛アアアっ!!!」
断末魔が火炎地獄のなかで叫ばれる。
破城槌は完全に炎上した。
服が焦げ、石油の匂いに包まれ、からだじゅう頭髪まで火に焼かれる。
石油と火に焼かれながらなお助けを求めるように、燃えた屋根から脱出して火傷に喘ぐ人間たちを。
「……!」
自軍の兵士たちが焼かれ、あばれ、火のなかで苦しむ姿を見て、雪夢沙良が思わず一歩前へ踏み出した。
ただサラド王はその目に、自分の部下が石油の火に焼かれ叫んでいる姿を映している。
そのめったに感情を顔にださない薄ピンクの目にあるのは怒りか、悲しみか。
ただ身じろきもせず、部下の戦死する姿をじっと見つめていた。
それからも戦闘は続いた。
城壁ではやぐらが炎上し、梯子による侵入は防がれ、城門の破城槌は焼かれた。
こうして日が落ちるまで、サラドとエレムの防戦が神の国にて繰り広げられづけた。投石器からは燃えた石が飛び、
城壁では梯子による突撃が絶え間なくつづき、攻城塔からの進入攻撃もまた展開された。
だが、そうしたあらゆる攻撃にもことごとく、エレム市民兵たちは決死の覚悟で抵抗し、守りつづけ、
ついに夕が暮れてこの日の戦争は一時引き揚げとなった。
616
「誰が指揮を?」
二日目の戦闘が終わった夜、撤退したサラド軍の幕舎にて。
サラド王の雪夢沙良と側近のアガワル、スウ、茶翡翠などが、今日の戦果について話し合った。
深夜の寒い砂漠下に張られた王の天幕は、中は黄金ランプの火が輝き照らしだす。
小さな椅子に腰掛けたサラド王は、鱗状の鎖帷子を来た武装の姿で、今日の戦争の敵国の指揮者は誰か、
と問いかけたのだった。
エレム王の双葉サツキは今や我が軍の捕虜だし、妹のユキも殺した。
情報によれば、穏健派のリウィウスはじめ聖六芒星隊も聖地を見捨てて去った。神殿騎士団も政権をとってないとか。
つまり、エレム国にはもう王となるような、民を導けるような者はのこっていないはずだった。
正規軍さえいないのだから、今日にだって神の国は陥落すると踏んでいた。
簡単に落とせるはずの城は、思いもかけず息の合ったエレム市民たちの抵抗にあい、聖地はサラドの手に渡らなかった。
そこで雪夢沙良は、あのエレム市民と共に聖地を守った指導者は誰か、と問いかけたのだった。
すると、情報を掴んでいたスウ、巫女服姿のちゃっちゃな背丈の魔法少女が、竹弓を持ちながら、答えた。
「鹿目円奈、鹿目神無の娘です」
「鹿目神無だと?」
雪夢沙良の薄ピンクの、冷たい目が鋭くなった。
「むかし、レビョンで殺されかけた。娘がいたのか?」
それは、雪夢沙良がエレム国と戦争したとき、聖地の象徴の家系であった鹿目の娘が、とつぜん戦士として戦場に現れ、
エレム軍の指揮者となり雪夢沙良を殺しかけたときの記憶だった。
肩まである茶髪に澄んだ青瞳をした少女のスウは、掴んでいる情報のことを、さらに話した。
「アガワルがカラクで開放した娘です」
つまり、今、エレム国の聖地に残り、市民たちを兵士に駆り立てて神の国を守っている指導者は、いちどカラク包囲戦で
わが方の捕虜としたはずだった。
しかし側近のアガワルが釈放してしまったばっかりに、その軍事才能がいかんなく開花し、わが軍に思いもよらぬ苦戦を強いられ、
犠牲者も多くだしたということだった。
もちろんアガワルは、鹿目円奈を捕虜から開放したときのことは覚えている。
それは円奈が、海岸近くの砂漠で決闘して馬を獲得し、通訳であった自分も殺されるところを、聖地に案内することを
条件にアガワルの命を見逃し、しかも決闘に負けた側として円奈の奴隷となる立場からも解き放った恩返しとして、
円奈を捕虜から開放したのだった。
つまり、円奈をアモリ(サラド人はカラクと呼んでいる地方の)平野戦でアガワルが開放したのは、恩返し──義理だったのである。
「義理などもたなくてよかったな」
と、アガワルが円奈を開放した心境を察したサラドの君主が、苦い顔をして口を噛み、エレムの市民たちが
最後の守りを固めた神の国の城壁を遠く眺めるや、冷たく言った。
するとアガワルは、雪夢沙良が神の国を遠目に眺める背中に、ゆっくりと歩み寄って。隣に並んだ。
「主君のあなたを見習ったからです」
そして、2人並び、夜空の聖地を憧憬の眼差しで眺めた。
兵が焚き火を燃やして野宿する20万人の軍営地のところは、ラクダが行ったりきたりしている。
そのもっと向こう、2キロメートル先の小さな城塞都市。
その都市の壁の向こうに、救い主の女神の国があった。
そして、その神の国の上空には、夜に浮かぶ白い三日月の光が差し、宇宙にある円環の女神の世界の神秘を、漂わせていた。
それは天の神の国である。
617
開戦から三日目の戦火が開かれる前夜────。
鹿目円奈はもう眠りから覚めて、夜風に髪をゆらしつつ、神の国の塔に立っていた。
その視線の先に、サラド国の軍営地が広がっている。
軍営地ではあちこちの宿舎に松明が灯り、ぽつぽつと光っている。兵士たちの生活を窺わせる。
それは空に浮かぶ星にも劣らぬ灯火の数。地上にある星空そのものだった。
これが聖地をめぐる戦争前夜の円奈が眺める光景。
明日にはあの敵陣が、また総力あげてこの城壁にやってくる。
戦争はやがて三日目に突入する。この三日目も、神の国を守りきれる保障は、円奈にはない。
だが円奈はい否応なく、三日目の朝日がのぼれば、エレムの民を守るため、戦いに身を投じなくてはいけない。
吹き荒れる夜風によって、城壁に立てられた六芒星の旗がはためく。
円奈は聖地の城壁の塔から、夜空をみあげた。夜が明けつつある聖地の青い明け空に煌くのは、白い三日月。
この月はずっと昔から何万年も、きっと私たち人類と、魔法少女たちを見守ってきたのであろう。
天にある女神の国も一緒に。そしてここは、地上の女神の国である。
空が青みがかってくると、円奈はエレムの市民たちに、睡眠の終わりを告げ、三日目の防衛準備にあたらせた。
城壁の兵士たちは黙々と、刃物つきの槍という、残忍な兵器を手渡し手渡し運びあう。
この槍を巨大な弩───弩砲とも”バリスタ”とも呼ばれる超特大の弩弓にボルトという槍を装填させる。
これは昨日は使わなかった兵器で、城壁の見張り塔や角塔、城門塔に、まんべんなく新たに設置された兵器だった。
この巨大弩砲の弦をしぼる手動の巻き上げ機を兵士たちが懸命に力をふりしぼって、ひきしぼる。
ギシギシギシと巻き上げ機の鉄の歯車がまわって、バリスタの太い縄の弓がひきしぼられていく。
人間の男一人ではとても巻き上げられないこの巨大弓の巻き上げ機を、エレムの市民たちは何人も協力しあって一生懸命に
巻き上げる。
夜はまだ空けない。
青みがかった夜更け空が覆う地上に冷たい空気が流れるだけ。
サラド軍は野営地でまだ眠りに静まっている。
だがエレムの城壁では、一足先に戦闘準備と防壁の仕掛けを造り上げ始めていた。
まだ朝は暗く、互いに協力し合う兵士同士の顔もみえないくらいだった。
それでも仲間同士、彼らはバリスタの発射装置を懸命に動かした。
円奈は神の国の貯蔵庫から、ギリシア火とは別の新たな新兵器”ボルト”を見つけ、この巨大弩砲に
装填させた。
ギロリと怪しい光を放つ”ボルト”の巨大な爪が、大槍の尖端と組み合わさる。
さらにもう一つ、円奈は城壁に新しい仕掛けを施す。
巨大弩砲のと同じように、エレム市民が懸命になって巻き上げ機の歯車をまわして吊り上げているのは、
大きな錘の木箱。
投石器の錘に使うような重さをもつ木箱が、城壁の前にロープで吊り上げられている。
冷たい歯車がギシギシギシと回り、錘が吊り上げられ、上空に固定されていく。
吊り上げられているそ巨大錘を、ひとたびロープを切って落とそうものなら、下に攻め込んだ敵兵士など
頭からぺしゃんこにしてしまうような錘だ。
そしてさらに、エレム兵士が守っている防壁の足元に伸びているのは一本の太い鎖。
この鎖は巨大弩砲の”ボルト”に結ばれ、その時になれば、兵士たちが一丸となってこの鎖を
一方向に引っ張りあげる仕掛けだ。
敵はまだ、この恐るべき仕掛けが、どう猛威をふるうのか知らぬであろう!
城壁部と矢狭間の内側は、二日目と相変わらずで、ずらりとギリシア火炎弾の壷がならび、いつでも点火できるように、
釜には火が焚かれている。
その隣では木バケツにたっぷり石油が満たされ、梯子をよし登る敵兵の頭にぶっかけられる準備が整っている。
まさに二重にも三重にも仕掛けの練られた防御体制が、じき火蓋を切るであろう三日目の敵軍の襲来にむけて
完成した。
そして、夜があけてきた。
青い夜更け空は次第に赤みがかり、砂漠に日がのぼってくる。
その頃、神の国の葉月宮殿の裏、”犠牲の丘”で、暁美ほむらが。
自分の黒髪に結んだ赤いリボンを、この青い夜更けの風にゆらしながら、手をあわせて祈りっていた。
青い夜空は次第に赤色へとかわる。静かな、嵐の前のしずけさが、夜明けをむかえる。
ほむらは”犠牲の丘”で祈っていた。一人の少女が犠牲になった場所が今もここに残る。すべての魔法少女たちの、
巡礼地であり、聖地であり、もっとも天の女神の国に近い場所である。
遠い昔、鹿目まどかはここで犠牲になって、人間である自分を失い円環の理になった。
人を捨て、概念に成り果ててしまった少女の魂の土地は、ほむらの魂さえ傷つける。
それは自分の”葬られるべき過去”だった。
今回はここまで。
次回、第87話「神の国防衛戦・三日目」
第87話「神の国防衛戦・三日目」
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そして、夜が明けると同時に、三日目の戦いがはじめられた。
二日目と同様に、聖地をめぐる攻防戦は投石器の撃ち合いからはじまる。
投石器から燃えた石が空とぶや、その空の下を、数万人ごと軍列つくった大軍がわああああっと城壁に殺到する。
昨日の、砂漠に並べ置いた白い塗料の石は、もちろん全て取り除かれた。
エレム軍は正確な距離が測れずに、手当たり次第押し寄せる敵軍に石をとにかく投石器で飛ばして応戦する。
「石を飛ばせ!」
城壁からエレム兵士の声が張り上げられる。「撃て!」
合図で投石器が稼動し、投石がサラド軍の方向に落ちる。
この日のエレム軍の投石器から飛ばす石は、敵軍にならって、油をたっぷり満たした火炎弾に切り替えた。
殺到するサラド軍の頭上に続々と落っこちる火が燃える石は、敵兵に降りかかりながら、黒い煙を地上に蔓延させる。
戦闘がはじまって時間が経過するにつれこの黒い煙はますます増えた。
まるで、エレム城壁の前には黒い煙に覆われカーテンができる勢いだった。
敵軍は黒煙のカーテンに覆われて視界もままならないまま、黒い煙のなかを進み、聖地の城壁をめざす。
「進め!」
燃えた石と、黒煙のなかを突っ走って、敵勢は聖地の城壁に、この日もちかづいてくる。
「射て!」
砂漠を覆う黒い煙を越えてきた敵兵を迎えるは、円奈の指示によって放たれる黒い矢の雨。
鹿目円奈───エレム城の防衛を指揮する少女騎士は、城壁の上にたって、腕を伸ばして指示をくだす。
「敵兵を射止めて殺せ!」
数百人のエレム市民兵たちが、城壁から並んで矢を放つ。
「けほけほ!」
目にしみる黒い煙をやっと抜けた敵軍兵士は襲い来る矢に注意がいきとどかず、胸や足を矢に撃たれた。
「盾を放すな!」
前線進む敵国の魔法少女たち────この魔法少女は、二日目には第二線にあって待機していた魔法少女たちである──は、
目にしみる煙堪えながらも盾を頭にかぶせて、落ちる矢から身を守り、神の国の城壁に進んでいた。
「盾で守れ!」
二日目は15基進められていたやぐらの攻城塔は、開戦三日目にあたる今日では20基ほど、戦場に押し運ばれていた。
20基の攻城塔は、それぞれの進度で、神の国の城壁めざして進む。
攻城塔の下では、数万人の兵が進み、エレムの城壁に達するや、梯子をかける。
城壁に達した敵国のサラド兵は、持ち出した梯子を順に城壁にとりつけはじめる。
こうして数分もすると、神の国の城壁には百本以上の梯子が掛けられ、先頭の者から順によじ登りはじめるのだ。
さらに時間が経過すると、城壁にかけられる梯子の数はもっと増える。
しかしやっとの想いで、梯子を登り、聖地の城壁にたどりついても、エレム民兵たちの剣の激烈な抵抗に遭って、
斬り殺されてゆき、また防壁から20メートル下に落下していった。
何千人の兵士を城壁に送り込んでも、一向に突破できないのは、エレム市民兵たちが、今朝の夜明け前に、防衛の準備を
固めていたからである。
「はっ!」
円奈は城壁まで梯子をのぼってきた敵兵の頭を、剣で切って掛かる。
「ぐっ!」
一太刀で敵が引かねば、もう一撃剣を加えて、敵を梯子から撃退する。
こうして円奈は一人の敵兵を追い払ったしたが、つづく何百人という敵兵がまだ、いくつもの梯子にしがみついて、
あとからあとからへと登ってきていた。
剣の扱いなれぬエレム市民兵たちは、魔法少女と思われる少女がてくてくと梯子を登ってくるのを見るや、
火で焚いた釜に煮える石油を、釜ごとひっくり返して梯子にふっかける。
「うああああっ!」
ぐつぐつ滾っている黒い油をどばっと頭にぶっかけられて、魔法少女と思われる少女が一人、悲痛の声あげて
梯子から転落する。
エレム兵士たちが二人ががかりで持つ、石油を煮やした釜は、その取っ手に布が何重にも巻かれ、熱が伝わらぬように
している。
このような展開で攻防戦の三日目は半日ずっと続いていたが、次第に城壁に着地する敵兵は増えた。
何百本という梯子が、聖地の市壁にずらりと並びたてられて、一人また一人と敵が城壁に上ってきては、鞘から剣を抜き、
城壁に並び立つエレム兵との混戦に入る。
「かけろ!」
城壁を守るエレム兵士たちが釜の取っ手を握る。釜の中で湯気だてている石油を、梯子を登る敵兵士たちの顔面に垂らした。
「うわああっ!」
沸騰する石油を浴びた敵兵士は、悲鳴あげながら梯子から転落し、下の兵士達も巻き込んで派手に雪崩れ込む。
周囲の頭上では矢が嵐のように飛び交っていた。
エレムの弓兵が放つ数百本の矢の雨と、サラド軍の撃ち放つ矢とが、城壁と砂漠を行き来する。
一箇所穴ができると、そこを突破口にして次々にサラドの敵兵士たちが神の国の城壁に集まってきた。
城壁に着地するや、エレム兵士に剣を振るって斬りつける。
「うっ!」
もともと戦闘経験のないエレム兵士は、城壁まで登ることを許してしまったサラド兵や魔法少女との交戦に、
次々に敗れて殺された。
彼らエレム兵は、のぼってきた城壁の敵兵にむかって、まっすぐ剣を振り落とすのが精一杯で、
サラドの魔法少女はその一撃をはらりとよけるか、自分の剣で受け止めたりするや、反撃にくりでて相手のわき腹に刺したり、
蹴って転ばせたあと、倒れたエレム兵士の心臓部に剣先を突いたりするのだ。
だんだん、血の匂い沸き立ち始めるエレムの城壁。
エレム市民兵の戦死者が増えはじめた。
サラドのとある一人の魔法少女は、エレム兵の腹に突き刺して殺した剣を抜こうとしたが、これがなかなか抜けなくて、しばし
踏ん張っていた。
「ふぬっ!」
どうやら剣は敵兵の肋骨部分にめり込んでしまったらしく、剣を抜こうとして持ち上げると、敵兵の身体までついて
持ち上がるのだ。
「ごのっ!」
魔法少女が敵兵の腹を踏んづけると押さえつけ、剣を抜こうと試みる。途端に、エレム兵の口から血が溢れ出た。
剣がやっと抜けた。
真っ赤になった剣先が自由になる。
死体折り重なる城壁の上で、残されたエレム兵と新たに剣を交える。
ばらばらと転がる死体踏み越えて、残るエレム兵士との戦闘に入る。ガキンガキンと、剣同士が当たって金属音を
打ち鳴らす。
そうしていると、軍列のあいだを進んでくる攻城塔が、城壁に近づいてきていた。車輪つきやぐらを
サラド兵らが何十人がかりで押して運び、城壁にむけて進ませている。
運ばれる攻城塔の頂上には、何人もの魔法少女含む弓兵が立っていて、やぐらの上から、城壁のエレム兵を狙って
矢を断続的に射撃している。
その攻城塔から飛ぶ矢は、城壁のデコボコした狭間胸壁に当たったり、中に入ってきたりして、一部の矢が
エレム兵を仕留める。
敵国の弓兵たちはこうして攻城塔のてっぺんから狙い定めて、神の国へ次々に矢を放った。
攻城塔は、敵国の城に兵を送り込むための塔、というだけでなく、その高い塔の頂上から、城の守り手の兵を
狙えるという利点ももっていた。
鹿目円奈は、この攻城塔からの敵の矢が激しい市壁の地点で防衛戦を続ける。
「かけろ!」
エレム兵士たちが釜に茹でた石油を梯子登る魔法少女にぶっかける。
「誰も登らせるな!」
顔に石油浴びた魔法少女の顔が真っ黒になった。煮える石油に顔を焼かれ、魔法少女は梯子を手放しておちた。
円奈は弓矢を握り、梯子をのぼってきた敵兵の胸を撃つ。
バスッ!
下向きに弓矢が撃たれる。矢狭間から真下、梯子に手足かける兵士の胸へ一直線に矢が落ちる。
心臓に矢が当たった兵士は、梯子から手を放し、20メートル下の地べたへ、落下していった。
ところで、長いこと戦いの戦歴もつ魔法少女は、梯子をのぼる途中、石油をぶっかけられても、痛覚を遮断し、
自らの肌の焦げる匂いと石油の強烈な異臭のなか、歯をくいしばって、なお梯子をのぼっているのもいた。
しかしその魔法少女も、守り手が立つ城壁側から火をなげこまれ、石油まみれのまま全身を火達磨にされると
もうほんとうに、生きながらえることはできなかった。魂の本体たるソウルジェムにまて火が届いたからだった。
火につつまれた石油まみれの魔法少女は黒くなって梯子から落っこちた。
円奈は、矢狭間に身を乗り出すと、弓に番えた矢で梯子を上ってきた、別のある敵魔法少女の頭を撃ち抜く。
「あぁぁぁう───!」
魔法少女の頭に矢が刺さり、彼女は呻き声あげた。しかし梯子は手放さなかった。他の敵兵の行列同様、
梯子に手足をかけて懸命に梯子をのぼる。
円奈が二本目の矢を弓に番えた。ギィィっと弦を引き絞り、限界まで張ると、ビュンと矢を放つ。
二本目の矢も、魔法少女の頭に刺さった。
ビターンと二本の矢が頭にささった魔法少女は、それでも、梯子をまた一段、のぼった。
ソウルジェムさえ矢に射抜かれなければ死なないのだ。
円奈が三本目の矢を弓に番えた。
魔法少女は、あと2段、3段のぼれば、聖地にたどりつく。
しかしその聖地の入り口では、円奈が、弓に矢を番えている。
弓矢を構え持ち、狙いを定めているピンク髪の少女騎士を、サラドの魔法少女はぎりっと歯をかみしめてみあげた。
そして痛覚を遮断して、三本目の矢を待ち受けた。
円奈の弓が矢を弾き飛ばした。
矢狭間から下向きへ矢が飛ぶ。矢は梯子にしがみつく魔法少女の額に食い込んでゆき、魔法少女は
ふらっと目を白くさせて意識をとばして、梯子からはらりと落ちていった。
痛感は遮断しても、脳神経の中枢を撃たれたことで意識が遮断されてしまったのである。
魔法少女の一人が、がっと梯子にとびつくや、踏ざんに手と足をかけ、勢いつけてのぼってきた。
「神の国へ!」
彼女は、そう意気込んでいた。「聖なる国を取り戻すんだ!」
聖地の壁を決死の想いで駆け上がってくる。
「ふっかけろ!」
しかしエレム市民兵たちが、釜に満たした石油が十分に煮え立つと、矢狭間から釜を傾けて石油をこぼす。
「あああっ!!」
石油は彼女の髪の毛に流れ落ち、熱さに耐え切れずまっさか様に梯子から転落していく。
砂漠にずてんと落ち、頭から肩まで石油に濡れた彼女は、痛感遮断もうまくできなくて、悲鳴ばかり
あげて火傷に苦しみつづけた。
まだ、魔法少女になって期間の短い、少女であった。
こうして神の国の城壁では、何十万人というサラド兵が攻めるも攻めるも次々に返り討ちにあい、城壁の下に転がる死体は山のように
積まれていた。
エレム市民たちは、三日目も、なんとか敵軍の猛然たる攻めを懸命に守り抜いていた。
だがそうもしなければ、聖地に住まう、女子供たち、自分たちも家族も、皆が死ぬのだ。
若い青年は父・母を守るため、老年の兵は妻と子を守るため。敵兵たちと戦う。
「火炎弾を!」
円奈が防壁の板囲いから再び弓矢を放ち、梯子を登ってくる無数の敵兵たちの頭に当ててみせると、新たな指示を味方に与えた。
「火炎弾を持て!」
また、敵のやぐらが神の国に接近しつつあったのだ。
矢が激しく飛び交うなか、やぐらだけはその聳え立つ威圧をみせながら、神の国を防衛する兵士たちの目前まで
運ばれる。
次の瞬間、攻城塔のてっぺんから、敵の魔法少女たちが現れて、矢を構えてエレム兵めがけて放ってきた。
「伏せろ!」
「危ない!」
円奈たちは城壁の陰に身を隠した。矢狭間に背をあてて伏せる。その頭上を敵の放った矢が次々に通過する。
やぐらの塔のてっぺんで、魔法少女たちは、狙いを定め、鹿目円奈らに矢を放っている。
断続的に放たれ続ける矢の数々。
バチバチと城砦の石に当たって砕ける矢の軸節。
エレム兵はみな、城壁の矢狭間に身を隠している。
その間、防衛の手が緩んだ隙に梯子からぞくぞく敵兵士が登ってきた。
防壁のところに敵兵が何人も押し入ってくる。
「追い返せ!」
「大変だ!」
すると、防戦に参加していたエレムの20人あまりの魔法少女たちが、侵攻された箇所の市民兵たちを援護する
ために走りよってくる。
梯子だらけの城壁の上を、ふためいて走る。
「こっちだ!」「助けなきゃ!!」四人も五人もつづいて、侵攻の激しい部分へ駆けつける。「早く!」
防壁の真下では、敵兵たちが攻城塔を運び、やぐらは神の国の城壁にぴったりくっついた。
「突撃用意!」
やぐらの中の敵兵たちが、号令をあげている。「神の国の城壁に入れ!」
「火炎弾をうて!」
円奈は指示をだし、エレム兵士たちは城壁に並べられた火炎弾を持った。釜で燃える火に点火し、構え持つ。
攻城塔の橋がエレム側の城壁におろされ、敵兵が流れ込んでくると、昨日もそうしたように、敵兵めがけて
火炎弾を投げつける。
「誰も城壁に渡らせるな!」
バリン!
火炎弾から火が飛び散り、石油と硫黄が敵兵にふりかかる。やぐらの跳ね橋は炎上する。
ああああああ────
なだれ込む敵兵は火に焼かれる。
火に包まれ、衣服と身体を燃やし、何十人という兵が立ち込める火に呑み込まれる。
「斬れ!」
円奈は火に燃えて暴れ狂う敵一人一人を剣で斬りつけ、全員殺傷し、ここの城壁も守ったが、ふと聖地入口の門近くに建つ見張り塔に、
あってはならぬ光景をみた。
「……そんなっ!」
円奈が見たのは、正面門を守る見張り塔に打ち立てられた”月印の旗”。自国の六芒星印の旗は取り払われ、敵サラドの魔法少女たちが、
そこに月模様の自軍の軍旗を立てているのだ。
それは他でもない、”城壁制圧”のしるし。
陣の中央にあって戦闘を見届けていた敵国の王・雪夢沙良さえ、これには満足げに、一歩進み出て自国の軍旗が神の国に
打ち立てられたのを眺めた。
一部の城壁が敵軍に制圧された。
「なんとかしないと…っ!」
円奈は声を漏らす。
いまごろ制圧された見張り塔に敵兵が集中し、突破口にされ、そこからどっとエレム市内に押し寄せるのを
想像してぞっとした。
円奈は剣を抜き、きいっと、敵陣で満足げな顔をしている雪夢沙良を睨みつけると、正面門めざして走り出した。
行く手を阻むように、防壁の通路に陣とって現れる敵兵や、魔法少女は、剣で撃退した。
敵兵の顎を斬りつけ、魔法少女の頭を切り落とし、また現れた別の魔法少女の身を裂く。
「邪魔しないで!」
新たに梯子をよじのぼって、エレム城壁に乗り出してきた魔法少女には、その腹を蹴飛ばして梯子から落とし、
邪魔する者を全て撃退しながら、エレム市民兵に指示した。
「"バリスタ"用意!」
ばっと手をあげて、エレム兵たちに命令をくだす。
「バリスタ撃ち方用意!」
エレム兵が円奈の指示うけて、動き出した。
見張り塔に設置されたバリスタの発射台に、ロープを取り付けた巨大な槍をセットする。
槍の先端には鋭い爪をした"ボルト"。
ガシャンと鉄の音がして、ボルトつきの長槍がバリスタ───巨大弩砲に装鎮される。
「用意だ!」
エレム兵士たちが協力しあって、他のバリスタにもボルトつき長槍を発射台に設置させる。
だが、その間も城壁にとりつけられた移動櫓から、何百人という敵兵がエレム市内に突入する。
円奈が留守にした部分に、つけこんだのだ。
すかさず、抵抗する城壁側のエレム兵士とのぶつかり合いの混戦に入る。
第88話「神の国攻防戦・四日目」
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そして、開戦から四日目は、運命の日となった。
敵は、エレム城壁の弱点に気づき、その門が埋め込まれた城壁の部分の前に、全兵力を集中させ、
何十台とある投石器を並べおき、この弱点の箇所だけ狙うようにして、集中砲火を浴びせかけてきた。
「同胞たちよ!」
この朝、運命の戦闘四日目、サラド王の側近の一人・茶髪に赤みがかった目をした魔法少女が、馬に乗りながら
城壁前に並び立った数百人の魔法少女たちに呼びかけていた。
「円環の神がこの日を与え下さったのだ!」
その日特に強く吹き荒れる風が、彼女の茶髪を激しくゆらす。彼女の名は茶翡翠。本名でなく自らそう名乗る魔法少女。
服装は、花柄を描いた衣に、紫の袴。水引きという髪飾りを結ぶ。
「神の国に共に入ろう!」
馬の手綱を片手に、もう片手は天にむかってのばし、日の光を手に集めると、叫ぶ。
「捕虜はとるな!敵が200年前にした復讐は、今日ここに果たす!皆殺しだ!!」
その赤みがかった目に、復讐心に燃え上がった昂ぶりが映える。
そして自らの救い主を讃える言葉を、天にむかって唱えるのだった。
「円環の女神が、勝利を与えくださる!」
すると、城壁の崩壊を待ち受けるサラド数千人の魔法少女たちも、それぞれの武器、剣や弓や、槍や矛などを持って、
口々に、唱えるのだった。
「円環の女神が、勝利を与えくださる!」
魔法少女は誰しもあこがれる。そこに夢みる。
女神の国、神の国、天の円環の理に、もっとも近い地上の聖域に。
サラドの魔法少女たちは今日、そこに入門を果たすのだ。
この声が叫ばれるなか、サラドの陣営から、投石器の岩塊が、雨のように空を飛び、そして連続的に門を埋め込んだ
弱点の城壁の箇所にぶち当たる。
岩は空を高々と飛んだあと、神の国を守る弱い城壁の部分に落ちて砕け、すると、エレムの城壁も弱まっていった。
むなしくも。もろくも。
途絶えることない容赦ない投石器の攻撃。
トラブシェット投石器が、錘をぐると落としながら天秤棒から岩を空へ打ち上げ、空から勢いつけて落ちてきた隕石のような
岩が、エレムの弱い城壁を叩き続ける。
こうして10弾、20弾という岩塊がエレムの城壁に降り注ぎ、ばらばらと粉々に砕けちったとき、わあああああっと
サラド全軍が興奮の声をあげた。
砂漠に木霊する鬨の歓声。
それは、聖地からエレム人を追い払うという念願、エレムへの血の復讐の日という念願への叫びだった。
サラド王の雪夢沙良は、相川香が隣で、微妙な視線をぶつけてくる中、皆殺しだ、皆殺しだと叫ぶサラド全軍の勢いの中心に立って、
崩壊しつつあるエレムの城壁を、冷たく平静に、眺め続けていた。
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そのエレム城壁の内側では、鹿目円奈が、破壊されつつある城壁の前にたち、すべての兵を集め、この日の最終決戦の
に臨む兵たちに、最期の振起を呼びかけていた。
「城壁が破られたら──」
そう語る円奈の後ろで、サラド軍の投げつける投石器の岩が、また城壁にあたり、円奈の背後の門を埋め込んだ壁が
ヒビわれる。
どしゃあっ、と音がなり、地揺れはエレム兵すべての足に伝わり、耳を劈く。
石が細切れになった砂埃が、壁から市内へとこぼれ、この城壁がもう長くはもたないことを、見るものに理解させる。
「もう、逃げ道はない」
と、円奈は宣告した。
逃げ道はない。
エレム兵すべての目が、死の恐怖と、数分後には訪れるサラド軍の突入に、こわばっていた。
この聖地はサラド軍に包囲され、城壁もついにくずれる。敵軍が町に突入してくる。
もう、逃げ道はない。
「武器を手放せば───」
エレム兵たちの先頭にたち、この最終対決に受けてたつ鎖帷子の少女騎士は、恐れをはねのけて、兵士たちを
励まし、勇気づけさせていた。
「わたしたちは決して助からない」
その声は、聖地に残るすべての市民兵の耳にとどく。
武器を手にもったすべての市民兵。それは、三日の戦争を生き残った少ない同胞たち。
槍と、盾と、剣を持たされた少年兵たち、青年たち、年端もない、手にクロスボウを持った少女たちである。
みな、死に直面した現実に顔を引きしめつつある。この四面楚歌、敵軍に包囲された城に、敵が侵入してくるという
最期の覚悟を悟った顔だった。
そのとき、どがぁん!と破壊音が轟き、またも城壁が投石器の攻撃に直撃され、脆い城壁の箇所はまたも、
ぱらぱらと細切れになった石の断片を飛び散らせた。
崩れ去っていく、削られていくエレム城壁。
この壁の崩壊と共に、聖地の民は死にゆく運命だった。
「私達は必ず敵軍に打ち勝てる!」
と、円奈は鎖帷子に包まれた怪我した腕を握り締めると大声で告げた。ぎらぎら、銀色の鎖帷子が炎陽の日を反射する。
それは、絶望のさなか勝利という希望を求める、最後の死に間際の声。
「迎え打って!敵を!」
鹿目円奈が声を枯らせて最期のときまで叫ぶと。
エレム国の兵士たちは、───人間も魔法少女も───手にそれぞれの武器を高く持ち上げると左右に揺らし、
戦いの喊声をあげた。
斧やクロスボウや、槌や槍や剣を────
みな振り上げる。
「迎えうとう!」
そうエレム兵たちが叫び、大きな喚声をあげ、鬨の声をあげたのと同時に、最後のサラド軍の投石器のどでかい岩塊が、
空を切りながら飛んできた。
それは門を埋め込んだ弱い城壁にとどめをさし、壁を壊し、エレム城内側にまで、転がりこんできた。
「うわああ」
兵たちは飛んできた岩塊に直撃され、いきなりエレム兵の戦列が崩れ、何十人と怪我を負った。
ガラガラガラ…
そう音たてて崩れ、ついに城壁が崩れだすと、もろくも壁全体が落ちてゆき砕けて去る。
なくなっていく最後の壁。敵軍の侵入を守っていた壁。
その城壁はなくなり、瓦礫の山となった。
砂埃と土砂、石破片が煙のようにあたりじゅうに立ち込めて、目に何も見えなくなると、両軍とも静かになった。
しかしそれは嵐の前の静けさだった。
城壁の崩れ落ちて舞い上がった砂埃がやみ、石の破片があちこち飛び散ったあとは、エレム城壁の一部は崩れてなくなり、
エレム軍とサラド軍が、顔を見合わせあったのである。
と同時に、聖地を包囲したサラド兵の軍が、わあああああっと声あげて、なだれ込むようにエレム市内へ突入してきた。
手に剣を持った敵国の魔法少女たち、続いてサラド兵たちが、喊声だしながらエレムの町に圧し入ってきた。
敵軍は神の国に入ってきた。
「迎え撃て!」
聖地の新王・鹿目円奈が打って出た。
その決死の突撃で、円奈は身を守るための盾すら放り投げてしまい、剣を両手に持って敵軍を迎え撃つ。
全員が全員、死を覚悟し、死兵も同然となって、エレム市民は武器を手に城壁の割れ目へ突っ込んでいくのだ。
対する外側ではサラド軍が先頭きる数百人の魔法少女と、数万人の兵士たちが、一緒になって滝の如く城壁の割れ目になだれ込みはじめ、
殺到し、我先にと崩れたエレム城壁の瓦礫をわらわら登りだす。
瓦礫を登り、エレム国内へ侵入してくる。
迎え撃つエレムの兵士らの数百人は、鹿目円奈を先頭にして、剣や、斧を手に、数百人が崩された城壁の裂け目に走り、
崩された城壁の瓦礫を登る。
サラド軍との最後の混戦に入る。
瓦礫の山を越えさせまいとエレム軍は先に瓦礫の山に陣とって、敵軍につっこんだ。敵国の兵士たちと盾と盾、剣と剣が激突する。
鹿目円奈は、聖地の崩壊した城壁の残骸となった瓦礫の山を上りきると、目に飛び込んでくる視界に、殺到する20万の敵軍
が群がっているのを見た。
円奈は、盾さえ捨てて、剣一本でその敵軍の海へと突っ込む。
サラド兵たちは全軍あげて城壁の割れ目に侵入してくる。
対する鹿目円奈らエレム軍は、円奈を先頭にして、百人あまりのエレム国の魔法少女がつづき、その後ろに
エレム兵らがつづいた。
鹿目円奈が先頭きって敵兵士の頭へ剣を振り落とすと、続いてエレム軍の兵士たちが各々やってきて、
武器をサラド軍にあてつける。
バキッ
ザクッ
ゴキッ──
そんな音が両軍衝突の混戦に鳴り轟き、円奈たちは押し寄せるサラド軍に最後の抗戦を挑む。
ほむらは、そんな状態のなかにあって、長年つづいた自分の死すら決めて、先頭で戦う円奈のあとに続いて
戦闘に加わった。
円奈は、対面する兵士の腹を剣先で貫き、抜くと、変身した魔法少女たち一人一人の頭に順に剣を振り落とし、
血で染める。
右にも敵国の魔法少女、左にも敵国の魔法少女の戦いを、戦いぬく。
だが、敵国の魔法少女だって、この戦いは懸命である。
なにせ円環の理の国に、やっとその足を踏み入れた第一歩なのだ。
この戦いを生き残って、神の国の救いをその身に感じ取りたいという願いは、サラド国の魔法少女はみんな思っていることだ。
自分たちは、魂を抜かれた脱け殻の身体を知っている。
だがこの国にさえ入れば……
それは、世界でただひとつ、この神の国でしかありえないのだ。他のどこでもない。ここなのだ。
円環の理は迷信かもしれぬ。だが、迷信では決してない、少なくともこの国にさえ入れば!
自分達は、脱け殻で、からっぽで、いつもいつも、日に日に穢れるソウルジェムに怯えていて、
でもそれは自分自身で──
濁りきれば、どうなってしまうのか、考えるだけでも恐ろしい。
でも、ここには円環の理という、救い主がいる。それは妄想かもしれぬ。数多もの、魂を犠牲に差し出した魔法少女が
後悔の念にとらわれ都合のいい妄言をいっているだけなのかもしれぬ。
だがそうではない。円環の理は本当に、確かにいて、それは、この神の国にさえ入れば、その存在を感じ取られるのだ。
ここが、救い主が誕生した土地だから。
だから世界のすべての魔法少女は、神の国に入ることに憧れる。執念を持つ。
だが、最後に立ちはだかるエレム軍がそうはさせない。
押し寄せるサラドの魔法少女たちを、出て行けと押し返すのだ。
サラドの魔法少女は剣を握り、もう目前にした神の国の土地に入るために、懸命に戦った。
裂け目を守るエレム兵の盾に剣をふるい、ガシガシ叩き、押し寄せて、神の国に押し入ろうとする。
ただ、神の救いを感じ取りたい、ただその一心で。
かつてそこで、一人の魔法少女が自分たちのために祈り、円環の理となったその過去に、ただ触れたいという想いが、
彼女たちを殺し合いに駆り立てる。
だが、エレムの兵士たちはゆずらない。敵国の魔法少女を、神の国に入れようとはしない。
救いの地を求めて血走ったように剣を振るうサラドの魔法少女たちを盾で押し返し、攻撃をふせぎ、そして脇から剣を刺した。
盾の懐から伸びてきた剣に魔法少女が刺される。
神の国へ、あと一歩、あと一歩のところで、次第に力尽きて倒れる魔法少女たちの目に浮かぶ涙は、
血に塗り替えられる。
一人、また一人と倒れる魔法少女たちと、その屍を乗り越える魔法少女たち。神の国への入り口に
押し寄せ、人間たちを[ピーーー]。
円奈は、魔法少女の振るう剣を自分の剣で跳ね除け、弾き返すと、その腹を蹴り、押し返す。
けりだされた魔法少女は、ドテンとよろけて後続のサラド兵士たちに背中をぶつける。
その蹴った魔法少女にむかって、円奈がかつて恩人に教わった鷹の構えをとると、魔法少女が持った盾に思い切り叩き落す。
ダンッ!刃が盾に食い込んだ。
決死の一撃のとき、円奈のあげた声は、もう自分を忘れたような、死人の叫びだった。
エレムの兵士たちが、見た目では年端もいかない魔法少女たちと武器を手に拾いながら殺し合う。
剣を握り締めた円奈は、次第に返り血で自分の顔が生暖かくなっていくのを感じながら、また剣をふるった。
ガキン───
ある敵国の魔法少女の剣にそれがあたる。
もう一振り。
ガキィィィィン──
その一撃で、敵魔法少女の剣が怯んだ。すかさず円奈が相手の脇を刺す。瓦礫の山に倒れこんだ魔法少女は、
ふとそこはもう、瓦礫の山ではなく死人の山になっているのを見た───自分が踏んづけているのは、神の国を
目前にして死んだ、仲間たちの顔だった。
仲間たちの顔は砂と瓦礫につぶれ、みるに耐えられない悲劇がそこにあると知り、そして、自分もまさに同じ場所にいることを知った。
聖地は血みどろの戦場と化していた。
ピンク髪をした敵国の少女騎士が、私の命を狙って、雄たけびに口を開けて剣を落としてくるのだ。
その横では、足を負傷して立てなくなったエレム市民兵に、手にもった鉄槌を何度も何度も叩き落す魔法少女がいた。
エレム兵士は、泣き叫びながら槌の攻撃から顔を庇い続けるだけ。
やめてくれ───そんな叫び声すら、戦場の混戦にかき消される。
もう、死んでようが生きていようが魔法少女は敵兵の顔を槌で殴る。
エレム兵の顔はつぶれていく。
また、あるエレムの兵士が瓦礫の下にころんだ。
悲鳴あげながら血だらけの瓦礫に手をつき、足をつく。すると彼は、着込んでいた鎖帷子を、痛みに狂乱しながら脱いだ。
すると、鎖帷子に染み込んだ血がボタボタおち、真っ赤になった肩と、腕とが、露になった。
彼の友人であるエレム兵が倒れた彼を庇った。
「ううっ……!ううっ…」
そんな兵士たちと同じように、円奈もついに瓦礫の下に崩れ落ちて、手をついた。剣を取りこぼしてしまう。
ギラギラとソウジェムの破片が血の海に煌く瓦礫に手をつき、痛みに目をぎゅっと閉じながら、尻ついて倒れこむ。
倒れこむと、兵士たちのひしめく足の数々と、その間で煌く、天の光が目に入った。
円奈は鼻筋に流れる返り血もふかずに目を見開くと、手からとりこぼしてしまった来栖椎奈の剣を戦場を這って拾い、
再び握り、血だらけの瓦礫を必死に起き上がって、目前の敵魔法少女の剣を斬りつける。
相手の魔法少女も歯を食いしばってそれに対抗した。
ギィィィン───
剣先同士が絡みあい、そしてその剣の交差した部分を、ある光が照らした─────
円奈の目に映る、その天からの光の筋。
ガチャャャャン───
再び剣同士があたる。そして、煌く剣同士の交差する十字の光────太陽。天から降りた光が煌く。神のもたらした光。
円奈は血みまれの剣を握り締め、歯を食いしばり、目前の魔法少女を殺すために、剣を振り切った。
魔法少女は、静かに崩れ、倒れる。
ふと円奈は、死を覚悟してわれも忘れて戦いに身を投じ、殺せるだけ殺しきったあと、自分がある境地に辿りついた
ことを悟った。
それは、完全に冷静な境地にして、何かが覚醒している境地。
なにもかもが見える。
一人また一人と倒れるエレムの戦士たちの姿も、倒れたサラドの魔法少女を、必死になって抱き起こして、
守ろうとする仲間の魔法少女も、倒れたエレム兵士を襲う槌の魔法少女を、他のエレム兵たちが何人も引っ張って
味方を助けようとしてする姿も。
何もかもが目にはいるのに、自分の意識は完全に目覚めしていて、目の前の敵との戦闘にも負ける気にならない。
そしてまた、一人の魔法少女の首を裂くのだ─────
その隣で、友人の魔法少女が、目に愕きを湛え、首裂かれ倒れた魔法少女に駆け寄り、肩を抱き寄せる。
肩抱き起こされた魔法少女の首はがくんと垂れ、意識を失っている。
それを見て、涙を流し、自分も泣け叫ぶ。
エレム兵士数人がかりで服をひっぱられ、引き倒された魔法少女は、その腹にエレム兵から何本もの剣を受ける。
押さえつけられ、立ち上がることもできぬまま、4本も5本も、剣を体に突き立てれる。苦悶の表情で痛みが叫ばれる。
ソウルジェムを砕かれ、実際に死に絶えた魔法少女もいたが、割られずに、身体だけ裂かれて、生殺しのまま
血を身体から流し、横たわっている魔法少女も、何十人といた。
だが、どれほど阿鼻叫喚と、血と死と剣の地獄絵図になろうとも、エレム兵たちは武器を手放さない。
見渡す限り凶器を握った人間と魔法少女が殺しあってばかりいる。
そうして完全に互いに譲らぬままで。
神の国には狂気と恐怖の叫びがいつまでもやまない。
城壁の崩れた裂け目から、どうにかして一歩でも神の国に足を踏み入れようとするサラドの魔法少女たちと、
一歩たりとも引かぬエレムの人間たちが、いつもでもおしあいへしあいし、どんづまりの殺し合いを続ける。
一人死ねば後続の兵士が代わりに押しはいり、また一人死ねば後続からやってくる。
永遠と、隙間ひとつ生まれぬ裂けた城壁の押し合いへいしあい。
その、城壁の裂け目に人間と魔法少女が群がってひしめき合うのを、天の女神だけが見下ろしていた。
人と魔法少女が聖地をめぐって殺しあうのを……。
盾同士で押し合いへしあいし、盾の合間をぬってバンバン互いに剣で叩く争いごとを……。
土地を奪い合う人間たちと、魔法少女たちを……。
すべての魔法少女の魂を救いたい、と契約して犠牲になった一人の女神が……。
鹿目まどかが……。
すっかり、城壁の戦いが夕暮れになり、そして次の日の明け方になるまで。
ずっと…。
見下ろしていた。
今回はここまで、
次回、第89話「神の国」
第89話「神の国」
"madoka's kingdom of heaven"
Chaper Ⅹ : kingdom of heaven
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
Ⅹ章 : 神の国
620
そして。
城壁下の人と、魔法少女は、その全てが死体になった。
あれだけ騒がしく、敵軍が押し寄せ、詰めかけ、押し合いしていた城壁の裂け目は、
すっかり静かになり、争いを続けていた者は全て横たわり、死人となった。
争いごともなくなった静かな朝である。
結局、サラドの魔法少女たちは、百人以上も城壁の裂け目で命を落としたが、それだけの犠牲をだしてもなお、
本当に神の国に足を踏み入れた魔法少女は、だれ一人といなかった。
全員が、裂け目の途中で瓦礫の山に身を落とし、そして、死んだ。
もうどの死体も動かない。
鹿目円奈は、昨晩ぶっ続けで行われた戦いの疲れを癒やすため、崩された神の国の城壁の瓦礫に横たわり、
剣を鞘にしまうことも忘れてじっとしていた。
じっとりと目をひらき、薄く開いたピンク色の目で、城壁の中に重なる死体たちを眺める。
ともに戦った仲間たち。神の国の騎士たち。私と誓いをたてた騎士たち。
もう、だれも動かない。
そんな、聖地で死に絶えた騎士たちを乾いた視線でめながる。
ヒンク色の瞳をした目に生気がなかった。ぼんやりとした目色。
ところが、昨晩に円奈と共に戦って生き抜いたグアル・レーリフリーが、静かではあるがまだ立ち並び陣を張っている
サラド軍を見て指差し、声をあげた。「鹿目殿!」
もう変身姿を解いて、普段の鎖帷子の武装姿に戻っていたレールフリー。城壁の上からサラド軍を指差している。
円奈はゆっくりと目を動かし、すると、腰元に刃をだしたままの剣を、身を起こすのと同時に鞘に静かにしまい、
死体と血の瓦礫の山をのぼった。
ガラッ…ガラッ。
一歩一歩のぼるたび、瓦礫は崩れ、砕け、雪崩れる。
瓦礫の山を登り、上に立った。そう、割れたエレム城壁の真ん中に。すると目前にはサラドの軍勢の姿がひろがっていた。
20万人のサラド軍が。
相変わらず聖地前の砂漠にずらりと広大に陣をかまえていた。
軍勢はやはり大地を覆いつくしていたが、敵は、今日は朝から休戦の白旗を掲げていた。
それを一人風にゆられながら見渡す円奈。
「雪夢沙良だ」
同じく瓦礫に昇ってきて、円奈の隣に立ったシャアバン(仲間の魔法少女の一人)が、疲れきった顔つきでぼそっと、円奈に言ってやった。
陣張ったサラド軍は、その先頭に一人の白い魔法少女が立っており、彼女の立つところは、部下の魔法少女たちによって、
天幕が張られている。
「円奈。お前が雪夢沙良と───」
シャアバンが、傷だらけの顔で、そうピンク髪の少女騎士に呼びかける。「交渉にでるんだ」
円奈は、朝の砂漠のからっ風にそのピンク髪をゆらしながら、まだ頬の返り血も乾いてない顔の、虚ろな目で、
サラド軍の最前線に出た白い魔法少女を遠めに見つめた。つまり敵国の王を。
葉月エレナも、双葉姉妹も、あらゆる王族が絶えたいま、サラド国の王・雪夢沙良とまともに対等に交渉できるのは、
自分しか残されていない現実に実感が沸かない。
円奈はゆっくりと瓦礫の山を降り、サラド軍の王の天幕のもとへ、たった一人で進み出ていった。
エレムの国王はサラドの国王のもとへ。
進み出ていく。
その背中を、ほむらと、シャアバンが見つめる。
崩された城壁に並びたった、生き残ったエレム兵士たちが。
少年兵が。
少女が。
魔法少女たちが。
エレムの誰もが、敵国の君主のもとへ歩き進む円奈を見守っていた。
ついに円奈は神の国のやぶられた城壁を降りて、黄土に風が捲く砂漠に踏み出て、20万人のサラド軍の前にでる。
その敵陣の側から、雪夢沙良が歩みでてきた。
雪夢沙良は、その美しい白い髪をそよ風になびかせて、天幕の影に先にはいると、円奈の到着を
待ち受ける。
薄ピンクの目が細められて、鹿目円奈をじいっと見据える。
円奈もゆっくりと、足を雪夢沙良のもとへと進めた。
鹿目円奈と雪夢沙良。
運命の対決を演じた二人が、ついに顔と顔をあわす。
雪夢沙良は、目の前に円奈がくると、ただ無表情に、頑なな顔つきで、薄ピンクの目で円奈を見据えるや、
さっそく用件を口にだす。
「いつ街を明け渡すのだ?」
円奈は雪夢沙良を険しい目で見つめた。
聖地を背にして数歩前に進み出て、天幕の蔭へ入り、雪夢沙良に近づく。
「そうするくらいなら、焼き払う」
円奈は険しい目つきで相手を見つめると、敵国の美しい魔法少女に、歩みつめると敵国の王に答えた。
「私たち双方の聖地を。あなたたち魔法少女を狂わせるこの聖地を、全部なかったことにする」
そう脅しかけ、相手をピンク色をした目で見下ろし、冷たくいい放つ。
また春風が吹いて、円奈のピンク色の髪と、赤いリボンが、なびいてふわっとゆれた。
雪夢沙良はぶっきらぼうな目つきで、じっとピンク色の少女を見据えていた。
相手の脅しを吟味し、ふっとわずかに微笑んだあと、またいつもの頑なな無表情にもどって、
白い前髪を春風にゆらしながら、答えた。
「よいことかもしれんな」
雪夢沙良は、むすっとした顔のまま、白い前髪だけゆらしている。
「灰にするのか?」
「なにもかも。すべて」
円奈はすぐに言った。敵国の王を相手に、臆さない。
「私の兵を1人殺せば、あなたがたの兵10人を殺す。そしてあなたがたは、灰になった神の国の、
どこが円環の理の生まれた場所なのかを見い出せない。それでもこの街を奪い取る気なら、くればいい。
あなたの軍は壊滅する。覚悟して最後を迎えるがいい」
と言い切り、相手を険しい目つきで見下ろし、一歩もひかない態度をみせつけた。
「…」
沙良は、しばし押し黙る。
ただじっと円奈のピンク色の目だけを睨み、目と目を交し合った。それから、城壁の奥のほうを見やって、そこに
エレム兵が多く残されていることを示した。
「街の中には子供も、老人もいるであろう」
と、雪夢沙良は、切り出す。
エレム城壁の守備を担った少女に厳しくせめたてる。「私の兵とともに、彼らも死ぬのだぞ」
「…」
今度は円奈が押し黙る番だった。
少しだけ顔をしかめて、唇をかんで、砂漠をみつめる。
これ以上戦えば、犠牲者がでるだけ。そんなことは、円奈にも、分かっている。
でも他に、エレムの民を守る方法が思いつかない。
「…」
雪夢沙良は、依然として一歩もひかない。ぴくりとも身じろきしない。ただ、相手の言葉を待ち受けている。
じっと円奈を見つめ続けている。
ただ風だけが、二人の少女達の髪をゆらし、天幕をしずかにゆらしている。
円奈は、沙良の目を見返していたが、やがて気まずそうに視線をそらすと、しぶしぶと口にした。
「…なら、そっちの条件は?」
ピンク髪にむすばれた赤いリボンが砂漠にふくやさしい風にふかれて、ゆらり、とゆれた。
沙良が、眉を細めて、口をあけるとこう話した。
「君らエレムの民をみな安全に外の他国へ逃がす」
と、沙良は条件をだした。
「1人残らず。女、子供、老人、全員の市民と騎士、王家の家族も」
円奈が沙良の言葉に眉間にシワ寄せた。ギロリと相手を横目で睨みつける。
それでも沙良ははっきり宣言し、約束する。
「血は流さぬ。"円環の女神"に誓って」
円奈は疑っていた。
口でそういうのは容易いが、神の国には、あまりにも血が流されすぎた歴史がある。
「かつてエレム人は、聖地を占領したとき、サラド人を皆殺しにした」
円奈は相手の目を見ながら言う。
すると、白い少女は目を細めて答えをだした。
「私はそいつらとはちがう」
その口調は強く、鋭く、意志があった。
「わたしは、沙良。サラドの雪夢沙良だ」
円奈は息を飲み込み、沙良を見つめた。
雪夢はずっと円奈の目を見つめ続けている。
そのふっきらぼうな表情で。雪のように白い髪をなびかせて。目は、一瞬たりともそらされなかった。
すると………円奈は決断した。
一度だけ聖地の空をみあげ、大いなる青空の下に聳えるアタベク山をみつめ、砂漠をながめ、
円環の理のことを思い描いた。
「私たちエレムは」
すぅぅぅぅぅ…。という、大きな呼吸。
そして…鹿目円奈は、答えをだした。
「あなたに神の国を明け渡します」
この瞬間、エレム国200年の神の国の支配は終わった。
魔法少女の国家を建てたい、というエレム人の夢も、終わった。
”円環の理の国”は、サラドに明け渡された。
「セィバリ・イリコ 」
雪夢沙良は自国の言葉で感謝を述べた。
「あなたにも平和がつづくことを」
円奈もわずかに微笑んで、言った。
和議が成立すると、もともとそっけない性格の雪夢沙良はさっさと向きを翻して自軍のもとへ戻っていってしまう。
その白い魔法少女の、砂漠へ去る背中にむかって、円奈は最後に訊ねた。
「神の国とは何?」
すると雪夢沙良は、一瞬だけ立ち止まり、背の向き変えて横目で一言で答えた。「なんでもない土地だ。無意味だ」
そしてマント姿みせて自軍へ戻る。
無意味、かあ…。
さすがに円奈は苦い顔をした。私たちは、”無意味”な戦いをしていたのかな。雪夢さん…。
心のなかが切なさでいっぱいになっていると、沙良はもう一度だけ、クルっと振り返って円奈をみた。
沙良は、今までに見せたこともないような表情で、花のようににっこり笑ってみせた。「だが、すべてだ」
サラドの白い魔法少女はそう言って、両手を胸元で握りしめて、円奈にめいっぱい笑ってみせのであった。
その微笑みは、聖地を手に入れるという、積年の願いをついに叶えた喜びいっぱいの、少女の無邪気な笑いであった。
思わず円奈も笑った。
あのぶっきらぼう極まりない、いつも氷のように無表情な雪夢沙良さんでも、そんな風に笑うんだなあ。
雪夢沙良はもう振り返って、また背をむけてまっすぐに自軍のもとへ戻っていく。
神の国を手に入れたことを、サラド兵士のみんなに知らせるのだろう。
そのふわりと風をふかれてゆれる美しい白髪の少女の後ろ姿を、円奈は見つめていた。
おそらくこれが、この目で雪夢沙良さんを見る最後の機会だろう。
さようなら。サラド国の王。
円奈は振り返った。
振り向くと、神の国があった。
私たちが守るために戦い、そして失った国が。
その崩れた城壁にはエレムの民が残されている。みんな不安と、怯えた顔で自分を待っている。
ゆっくりと、鹿目円奈は神の国へ戻る。
彼女は地面へ目線を落とした。
そこには、悲劇のあとが残されていた。
神の国の崩された城壁に、数百の魔法少女が命を落として死体として重なり、数万の人が戦死して目を閉じ、
横たわっている。
足の踏み場もないくらいの、数万人の死体累々の山を踏み越えて、円奈がエレムの城壁に戻ってきた。
死体と、そこらじゅう盾と剣と、折れた軍旗だらけの死体の海を進み、崩された城壁の瓦礫にたつ。
乾ききらないほどの血に塗れた、エレム城壁の割れ目に。
円奈は立つ。
円奈は───その乾いた返り血を頬につけた顔で──エレム国に残された民のみんなを見上げた。
エレム国は滅びた。滅亡した。
みんなが、自分の言葉を待っている。
どの顔にも生気がない。乾いた顔をしている。
みんなが円奈を見ていた。エレムの騎士たち───武器を持ったまだ幼い少女、少年、返り血で真っ赤になった衣装の
魔法少女、戦いに疲れ果てたやつれた顔の大人たち───暁美ほむらもシャアバンも───みんなが。
円奈の言葉を待っている。
円奈もまたみんなを見た。顔を見あげて、そしてゆっくりと、みんなに告げた。
「神の国を───」
円奈はみんなにむかって、その言葉を口にだす。「明け渡しました」
崩された城壁に残された兵士たちが、魔法少女たちがそれを聞く。
がくん、と頭を垂れる魔法少女。剣を握りしめる手が力なく落ちた。国が敗れたことを知って。
「みんな、無事にこの街を出れます」
エレムの民は、神の国の喪失を知って目を落とした。でもどことなく、その顔から緊張と怯えがとけ、
微笑みだす青年や、魔法少女もいた。
「もしここが”神の国”であるなら───」
円奈は、血と瓦礫の上に立ったまま呟いて、目を下ろして俯いた。エレムの人々の顔を見るのが怖くて。
そのまま下をむいて、死体たちを見下ろしながら、いった。「女神の御心のままに…」
また顔をあげ、瓦礫の山を踏み越えて、円奈は城壁に戻ってくる。
一歩一歩、最後の聖地を踏みしめて。
続いて、神の国には。
パチ、パチパチパチ。
わあああああっ。
鹿目円奈という、エレムの民の命を最後までついに守りきった少女を讃える拍手と、歓声と。
「円奈ー!」
剣を振り上げて、歓喜する少年兵士たちとの。「鹿目円奈ー!ばんざーい!鹿目円奈!」
声に包まれた。
「神に感謝しよう!」
そしてエレムの民は───神の国の喪失を知らされた民は───神を讃えあい、この瞬間の平和を喜び合った。
「家に帰れる!」
と、一人の少女が涙ぐみながら言い、となりの少女と肩を寄せて抱き合った。「パパと、ママにまた会える!」
あるいは、人間の青年の手を魔法少女が手に取り、目に涙を溜めて語り合う。
「よく戦ったわ──!」「うん──!」そんな感激の言葉を、二人で交し合う。「生きてここを出れるんだ!」
みんなが笑いあっている───生きる喜びに。そこに人も魔法少女も関係ない───ただ一緒に、みんなと
平和を分かちあい、喜び合っている。
そのとき円奈ははっとした────。
みんながみんな同じく、平和を謳歌しているのだ。肩をとりあい、よろこび合う少女と魔法少女。兵士たちと魔法少女。
剣を持った人間の兵士と、変身した魔法少女───。
みんな関係なく、目に涙をためながら、互いに手を取り合ったり、抱き合ったり、はしゃぎあっている。
人と魔法少女。
ただの服と魔法の衣装も関係なく───。
みんな平等に、与えられた”生”を謳歌できる喜びを、心を通じ合わせて喜び合っている。
平和という喜びを。
魂の救済地にて、それを喜び合う。
人と、魔法少女たちが抱き合い、手を取り合い、喜びあっている姿を見て、目頭にこみあげる熱いものを
円奈を感じた。
そして胸に手を当て、心のなかで話した。
椎奈さま、見ていますか。
いまここには、魔法少女も人もその隔たりがありません。同じ魂を持つ者同士、平和を一緒に、讃えあっています。
あなたが思い描いた国は、あったのです。
621
それから、雪夢沙良は神の国に正装で入り(つまり、白のマント姿で)、いよいよ神の国はサラド国の領土となった。
城内ではサラドの民と、その魔法少女たちが、戦争でめちゃくちゃになった聖地の道路、家屋、壁などの片付けや改修、
投石の処理など共同作業に一日ぶっ通しで明け暮れた。
だが、サラド人は希望に満ちていた。
200年も望んだ神の国だ。やっと、取り戻した。
かつてのエレムのように、力づくで奪い都市民に対し暴虐を働いたのでもなく。
魔法少女である雪夢沙良が、人間である鹿目円奈に対等に和議を結び、明け渡された平和の王国。
平和の王国は、”円環の理”が見守る。神の国であり、天の御国である。
円環の理の国。
魔法少女が奇跡をつくりだし、絶望して魔女になり、人知れずに消え涙の礎となるのではなく────。
絶望は神が受け取り、魔獣に還元して、魔獣のグリーフシードは人の絶望を汲み、魔法少女の希望のソウルジェムは
浄化されて、また魔獣が生まれる巡り巡っていく円環の理。
それは"女神"と"人"と"魔法少女"が円のように環へつながれる宇宙の新しい概念。
その円環の理という宇宙が、鹿目まどかによって造られ、その子鹿目円奈は、天の御国をみつける。
第90話「双葉サツキとの決闘」
622
女神の故郷へ足を踏み入れた雪夢沙良は、聖地の宮殿を歩き、エレム人が使い古していた200年前のサラドの宮殿の回廊
を、祖先への敬意と共に歩き渡った。
部下たちはバラ水を聖地の宮殿へまいて洗浄にあたっていた。
その香りで聖地の巡礼路を清め、サラドの国へと組み替えるべく改修作業も開始される。
雪夢沙良は生まれて初めて訪れる女神の誕生地に辿る巡礼路をそっと歩き、そして丘へと進んで、ついに訪れた。
円環の理が誕生したその地、一人の少女が犠牲になったといわれる場所に。
丘だけがあって、あとは乾いた砂と石ころだけのある、何もない静かなところだった。
その場所に訪れるや、雪夢沙良は一人、涙を流した。
すべての魔法少女の希望のために永遠にその身を犠牲にした一人の少女への畏怖と感謝と、悲しさも、こみ上げてきて、
ひたすら、その場に跪いて、額を地面につけ、女神の犠牲に、感謝と祈りを、涙と共に、捧げつづけた。
ありがとう。
円環の理さま、ありがとう。
ただ、そういう言葉しか、雪夢沙良には、心に出てこなかった。
わたしたちは、あなたの犠牲があったから、いかなる希望も、絶望に尽きては終わらないのです。
623
鹿目円奈は聖地の民をエレム市内から開放したあと、血のついた顔を巡礼路の路地にて洗っていた。
壷から水を掬いとり、他人の血を浴びた頬の赤い汚れを流し落とす。
そこは聖地内では聖域と呼ばれる寺院に挟まれた通路で、オジーアーチの回廊もそばにみえた。
聖地を旅たつことになるエレム人の魔法少女たちも、この寺院で最後のお清め(体洗い)を済ませて国外へでる旅の支度をしていた。
ばしゃ、ばしゃ。
水をピンク髪に浸す。血に汚れた髪も濡れる。
「うう…」
度重なる戦いに精神すり減らした円奈が、めまいをかんじて鼻筋を掴むと、気力の限界がきて、しばし壷を載せた板の縁台
に寄りかかり、うずくまった。
テントを張った露店や寺院の入り口。石壁の通路には、鉄柵の扉がはめ込まれている。
自分もエレム国を出る旅の準備をしなくては、と濡れた髪からびたびた水滴を落としたまま立ち上がろうとしたとき、
その円奈のこめかみに、硬い感触がした。
双葉サツキ。エレムの前王が、円奈に剣の柄を突きつけていた。
赤髪で、ルビーのような赤瞳をしたこの魔法少女は、アルスラン湖の戦いでサラド軍の捕虜となったが、円奈が聖地を開
城すると釈放されてエレムの国にもどってきた。
とはいえ、前王としての面目は今となっては皆目である。いまの双葉サツキには、なんの権力も名誉もない。
「”完璧なる騎士”」
と、双葉サツキは、ぎりりと悔しそうに噛んだ歯の口から、鹿目円奈に因縁をつけた。円奈のこめかみに剣の柄先を押し付けたまま。
「あなたがそうだでも?」
聖地の問題は戦争によってしか解決するしかない、それが双葉サツキの考えだった。だから戦争になった。
いっぽうで円奈は、雪夢沙良に聖地を明け渡した平和的解決の後に、多くのエレム人の命を救ったのだ。
相容れない二人である。
円奈は押し付けられた剣の柄を握り、双葉サツキから奪い取った。
すると双葉サツキは華麗にくるり回ると魔法少女の姿に変身し、先王の威厳を虚栄ながら見せ、魔法の剣を召喚して手に取った。
円奈は、双葉サツキに渡された剣の柄をぎっと握り、刃の先を、双葉サツキへむける。
双葉サツキも受けてたって、召喚した魔法の赤い剣を円奈の剣でバシっと叩いて、絡めた。
すると魔法少女のパワーに圧せられた円奈が、膝ついてずっこけた。
「完璧なる騎士なんかじゃない」
一度ころげた円奈は俯きつつ、剣を地面に突き立てて支えにするように立ちあがり、口で搾り出すように力強く言葉を告げて、
双葉サツキと対決する。
エレム王とエレム王。"象徴の娘"とエレム王家。
運命の因縁対決。
「人間の善悪は日々の行いが決める」
「そ?」
双葉サツキは首をひねる。夕入りの頃のことだった。
エレム現地民の民衆が集まってきた。野次馬たちだ。この狭い旧市街の路地に。エレム王同士の決闘がはじまろうとしている。
「円環なる女神の子。暁美ほむらはあなたをそう呼ぶ。あなたの築き上げる神の国はどこにある?」
サツキは視線をあげてサラド人に占拠されつつある聖地の市街路を見渡す。
彼女なりにエレム王国を守ろうとした。サラド人と戦争することで。しかし、鹿目円奈がサラド人に聖地を渡してしまったせいで、
エレム王国は滅びた。
「見なさいよ、そんな国、どこにもない」
といって、双葉サツキはついに、魔法少女のパワーを出しつつ円奈に切りかかりはじめた。
「わたしはたしかに神の国をみつけた!」
言い返した円奈は、サツキの刃を自分の剣で受け止め、そして激しい切り合いが始まった。
カン、カキン、カキン、キィィィン───
手早く繰り出されるサツキの斬撃は、右から左から、次々に円奈の体を切断するために振るわれた。
その攻撃のひとつひとつを、反射神経だけで受け止めていく円奈は、懸命に剣を動かしつづけた。
ガキィン、キン!
旅支度をしたエレム人たち民衆がさらに集まって二人を囲む。狭い旧市街の路地で決闘はつづく。
ガキィィン!
サツキの猛威振るう刃を、力いっぱいふるった円奈の刃が食い止める。二人の刃同士がバッテンに激突し、交わってこすれた。
しかし、こういう押し合いになると、人間の少女である円奈はどうしても力で魔法少女に勝てない。
そのまま圧されきってしまい、サツキの刃が円奈の目前にぐいいっと迫ってきた。
「う!」
円奈は刃をもちあげ、サツキの押しかかる刃を上へどうにか受け流しつつ下を掻い潜ってかわす。するとサツキの脇へ立った。
「はっ!」
そのサツキの脇をねらって、大きく円を描くように剣をふるう。それはサツキの刃の腰へせまる。
サツキははらり距離をとって円奈の刃からにげた。慣れた動きだった。
しかし円奈は迫った。再びサツキめがけて剣を思い切り、勢にのせて叩きつける。
体の重力ものせた渾身の一撃。
サツキの刃がそれを受け止めたが、円奈の力いっぱいふりきった剣が、サツキの刃を叩いたとき、わずかに勢いが勝った。
勢いでまさった円奈の剣がサツキ剣を押しのけて、サツキの正面が無防備になる。
この一瞬をねらって、円奈がサツキの胸元へ剣を振りきった。
「はぁっ!」
口に声あげてサツキを斬りつける円奈。
しかしサツキが身を退いてそれをよける。直後、円奈の刃が路地の石壁を勢いよく叩きつけた
ガン!!!
この音は人の集まった巡礼路に高々と鳴る。共鳴して旧市街の路地に轟いた。
円奈が叩いた石壁には切り傷がのこった。砂埃が舞い落ちた。
身を退いてよけたサツキの攻撃の番。
魔法少女の握る赤い剣が、ふりきった円奈の横身を狙い、刃が振り落とされた。
円奈はかわしたが、間に合わなかった。
ギリッ。びちゃ。
魔法少女の剣が円奈の横身を切り刻み、肩からわき腹まで、剣が裂いた。
「あ゛っ…う゛!」
体から力が抜け、苦痛に顔をゆがめた円奈が、砂の地面にしりもちつく。
びたた、と血の滴が落ちて染みた。
とどめを刺しに、サツキが円奈の顔面めがけて刃をふるう。
命かながら受け止める円奈。顔面の目前で、刃同士で絡まって止まった。
しかしサツキは容赦することなく再び刃をもちあげ、円奈を切り殺しにきた。
円奈は起き上がり、逃げて、路地の奥、聖域の寺院が建てられた敷地まで行って、サツキと対峙した。
サツキのふるった剣先は、円奈のころげた路地を叩き、そして路地の別の縁台に置かれた壷を叩き割った。
さらにサツキは横向きに剣をふるう。それは逃げた円奈の背中をぎりぎり切りそこねた。そしてまた石壁をたたき、刻んだ。
1.2メートルある剣がガン、と音たてて通路の石壁を打つと、砂埃が舞って落ちた。
そこらじゅうの壁や地面、縁台が、もう、切り傷だらけで、二人の決闘の激しさを物語っていた。
寺院のほうまで逃げた円奈は、追ってきたサツキに刃をむけ、血を流しながら戦いをつづける。
とにかくサツキは円奈を殺す一心だった。
二人ともサラドの雪夢沙良と戦い、敗れた。しかし二人の負け方には大差がある。サツキは円奈と決着つけたかった。
ぐるん、と勢いつけて円奈を回転ギリするみたいに切りかかる。
間一髪でサツキの剣に当たらなかった円奈が、自分の剣を振り切り、するとサツキの腹を刺した。
回転ギリを繰り出したあとのサツキの腹には隙があったのだ。
「ううっ…!」
腹を刺されたサツキは、口から血を吐き出す。そして赤髪と赤い目をした魔法少女は、自分の腹から剣が抜き取られる
ぬちゃという感覚をおぼえた。
円奈がサツキの腹から剣をぬき、そして頭上へ高く掲げ、構えなおしたのである。
”鷹の構え”───という、来栖椎奈から教わった構えであった。
「あああっ!」
サツキは怒りを感じて、女の叫びをあげて円奈に力まかせに切りかかる。それは平常心を失った乱れた刃の動きであり、
円奈にあっさり返された。
ギィィィン!
円奈の下から持ち上げた剣によって、上辺へと跳ね除けられ、流れに乗った円奈の剣先が、再び、サツキの体へ滑り込むようにして入り込み、
サツキの腰が切れる。
「うっ…」
円奈の刃がサツキの腰を通り、そこは血を出す。
痛みをかんじて、思わずうっとなるサツキ。しかし、魔法少女なら、これでもまだ、戦える。
が、次の瞬間、円奈は剣さばきによって、サツキの腕から剣が跳ね飛ばされた。
手からなくなるサツキの剣。
さらに円奈によって足を斬られた。足の筋を切られ、立てなくなるサツキ。
がくん、と膝をついて、身動きとれなくなり、手から剣もなくなる。敗北だった。
「ううう…゛」
恨めしい目を、円奈に向ける。魔力修正すれば、再び戦えるが、円奈の前でそれをすることが、敗北をみとめるも同然であ
る気がして、サツキはこれ以上なにもできなくなった。というより、魔力修正するような動きを見せた瞬間、円奈に首を切られ、
ソウルジェムも切られるだろう。
円奈は剣を持ち上げ、再び鷹の構えをとっていた。
剣先は赤く、キラキラと赤く光っている。綺麗に。
その剣を握る手はぶるぶる震えていて、円奈の表情も目の瞳孔が開き、大きくなって、体の血に流れる興奮と戦っていた。
頭に血がのぼっていて、今にも双葉サツキを切り殺しそうだ。抑えがたい衝動に全身がガクガクと激しく震えていた。
それをみたサツキは観念した。
「殺して」
頭を垂れて、首をさしだす。
「あなたがわたしを殺し、エレム王族の血筋はあなたによって絶たれる。受け入れるわ」
首を切り落としたら、わたしの命ソウルジェムはあなたのものだ。
すべてを諦め、絶望したマント姿の元王・魔法少女が赤い髪を垂れて、地面を見つめ、死を待った。
それを見届けた円奈は、この手の剣を振り落とし殺すという衝動に勝った。
そしてゆっくりと剣の先を、おろしたのである。ギラン、と刃の先は、市街路の砂の地面へ下がる。
「もしその足で立てるなら───」
と、鹿目円奈は、膝を崩して絶望した王家の魔法少女に、言葉を言い残した。「まだその足で立ち上がれるのなら…」
「"騎士"として、立て」
そして手から刃を放し、少女騎士は剣を落とした。
そのガタン、という、剣の落ちた音が、鹿目円奈が騎士でなく一人の女になった瞬間だった。
鹿目円奈は、傷ついた脇や肩に手をあてながら、ずるずる痛む足をひきずって、聖地の旧市街地をあとにした。
血痕の点々が巡礼路の道にのこった。
第91話「故郷」
624
聖地から外に出た砂漠には、地平線の彼方まで延びる長蛇の列ができていた。
エレム市民の列である。
その誰もが当然ながら武装は解かれ、丸腰にされたあとは、サラド騎兵たちの護衛のもと、他国へ逃れるまでの長く果てしない旅路を、辿っていた。
その中には、バイト・アシール、宝石をはめていた指輪を奪われた少女と、グアルレールフリーや、シャアバン、アッカ、禿の騎士アルマレック、
エレム人のたくさんの魔法少女がいた。やはり財産はすべて奪われながら、サラド騎兵たちに囲まれて安全に国外まで護送されていた。
エレム市民の列は数十万人であり、老人、女子供、男、青年、少年、魔法少女、その長い列は、永遠と砂漠の果てまでつづく。
難民としてのエレム人を受け入れるどこかの他国にたどり着くまで、この列の行進はつづく。
それが何人、何十日、何百日、何年かかるかは、だれにもわからない。
こうして、エレムの民は再び離散の民、国を失った流浪の難民たちとなる。
だが、魔法少女国家の再建の夢は、あきらめない。その夢は、エレム人と、その魔法少女たちの心に、輝きつづける。
エレムの民の行方は、この先も、天の女神が見守りつづける。
鹿目円奈は、そのとき、まだ聖地に残っていた。
もちろん、あらゆる武装は解かれ、王としての身分も失い失脚、同じく流浪のエレム人難民という扱いではあったが、
雪夢沙良の厚遇を受けて、馬だけは持ち帰ってゆい、ということになっていた。
最後まで抵抗を戦い抜いた円奈への、雪夢沙良なりの敬意だったのである。
それで、一匹の馬が円奈に与えるべく選ばれたわけであるが、その馬をみたレグー・アガワルが、円奈にむけて言った。
「この馬は、あまりよくない馬ね?」
と、あのカラクの会戦での対決以来、再会したアガワルと円奈の2人は、親密に会話を交し合う。
「けど、あなたに使っていいと許可された馬だそうよ」
円奈は微笑んで、みたわす聖地の巡礼路や市場は、みなサラド人に満たされている光景の中に紛れて、
感謝を告げる。
「ありがと。アガワルさん」
「鹿目。」
レグー・アガワルは、ニコリと微笑み、そっと、手を差し伸ばした。
「きっと円環の女神があなたを守ったから、これだけのことができたのよ。」
それは、エレムの民を最後まで守りきった円奈への、アガワルからの祝福だった。
「あなたにこれからも、円環の神の加護があることを。」
円奈はその手を握り、二人は握手をそっと、交わした。
「セィバリ・イリコ」
覚えたたてのサラド国の言葉で、円奈も微笑み、礼をいって答えた。
そのあとは聖地にお別れするときがきた。
鹿目円奈は、雪夢沙良に与えられた新しい馬に跨った。彼女は今、身分の保証も、武器も何もない、ただの難民の人間の少女と
なったので、だれか護衛人の付き添いが必要なのであるが────とにかく、アガワルとも、別れをつげた。
「わたしは故郷に帰ります。さようなら、アガワルさん」
「ええ。さようなら、鹿目。」
アガワルは、手をふった。
円奈は馬を走らせ、聖地の門より、外に出る。故郷へ戻るまた長い旅に。神の国エレム…いや、サラドより、故郷の村バリトンを目差して。
さいご、砂漠の風にふかれながら、エレムの聖地を最後にふりかえった。
城壁に囲われた都市。円環の理が治める女神の国。魔法少女たちが信じる、天国にもっとも地上で近い、神の国。
その土地の価値とは。
「無意味なものだったけど…」
円奈は、雪夢沙良との最後の対決で、交わしたあの会話を思い出して、つぶやいていた。
「すべてだ」
ふわり、とまた、砂漠のやわらかな風に、頭の赤いリボンがゆれる。
聖地に別れを告げた円奈は、故郷へと帰る道へ辿った。
625
円奈は、砂漠の彼方へと列つくって祖国を旅立つエレム人たちの難民の行列に加わり、馬をパカパカ歩かせていたが、
やがてその列の一人に、黒髪に赤いリボンを結んだ少女が歩いていることに気づいた。
その赤いリボンは、円奈のピンク髪に結ばれた赤いリボンと同じであり、すぐに誰なのか分かった円奈は、
そっとその黒髪の人の隣に、馬を並べて歩かせた。
「あなたは聖地には留まらないのですか?」
と、円奈は馬からその人に話しかけた。
「私は聖地よりも、共に歩みたい人がいた」
黒髪に赤いリボンを、蝶にして結んだ、美しい少女は、答えた。
「それはだれのことです?」
円奈は確信犯的に、少しだけ意地悪な質問をした。
そのあとで、自ら微笑み、語りはじめた。
「私はその人のようになれないと思います。”完璧に誰かを救い続ける”そんなきれいな人には…」
ほむらは、円奈が誰のことを語っているのか分かったし、自分が共に歩みたいといった人のことを、円奈が察していることもわかった。
「わたしはそんな完璧な騎士には、なれなかったのです」
白馬に乗った円奈は、そう言う。
つまり自分は、円環の理のように、きれいに誰かを救い続けることはできなかった。
エレム人を守りはしたが、サラド人を多く殺したし、これまでの旅でも、誰かを守るために戦って、たくさんの人をあやめてきた、
といっているのだろう。
だから、自分は完璧な騎士にはなれなかった、と彼女は言う。
この円奈の台詞は意味深だった。
ほむらに伝えたいこの裏の意味は。
私は円環の理のように完璧ではないけれど、ほむらが共に歩みたい人という話題に、自分のことを話しているわけである。
「あなたはなぜ自分が象徴の家系であったか知ったのね?」
ほむらは少しだけ顔をやさしく綻ばせ、円奈の台詞の意味のあらゆることを理解して、まず取っ掛かりの部分から、たずねた。
「私の口からよりも、あなたの口から聞きたいのです」
と、円奈は目を閉じ、安らかな顔で、砂漠の風に髪をゆらし、優雅に白馬に跨りつつ、言うのだった。
「わかったわ。」
ほむらは、鹿目の血筋の末裔の子に、真実をすべて話した。
「鹿目まどか。それが円環の理となったひとりの少女の名前だった…」
「鹿目、まどか…」
鹿目円奈は、遠い先祖の、しかし今もこの世界に生きている、宇宙の理の女神の名を、ようやく知る。
「それが私のご先祖さまで、円環の理になったひと…そうなんですね」
「ええ。」
ほむらは頷いた。
砂漠の地はあいかわらずかさかさで、砂風が荒く吹きつく。そのたびにあたり一面に黄土の砂と埃がたちこめる。
「わたしはまどかの創ったこの新しい世界を守ろうと戦いつづけてきた。まどかのことを知る人は、世界でただ一人、
わたしだけだった…」
悲しげに、紫の瞳に、砂漠を映す。
その横を、槍と盾も持ったサラド騎兵たち数人が早足で通り過ぎた。
「わたしはいろいろな人にまどかの犠牲のことを話した。世界はそうしてまどかを知っていって…」
「この地が、聖地になったんですね」
と、円奈が後を継いだ。
するとほむらが、無言でこくっ…とうなづく。
「世界は円環の理の真実をしった。けれど、それで起こってしまったこの戦争を、まどかは悲しむわ」
まるで罪悪感に苛まれるかのような話し方で。
「ちがいます。暁美さま」
静かに首を横にふったのは、以前までは少女騎士だった、鹿目円奈。
「わたしは、バリトンの村たら旅立って、円環の理の真実のことを知ったたくさんの魔法少女たちが、
救いを信じて、希望を持ち続けている姿を、この目でみてきました」
「…」
悲しげなほむらの紫の瞳に、寂しさも映える。
「きっとあなたが、鹿目まどかの犠牲のことを、たくさんの人に話したからです。魔法少女の人たちは、救われることを知って、
希望を持ち続けることができたのです。もし、あなたが話さなかったら、魔法少女は、ソウルジェムを濁らせきってしまうと
どうなってしまうのか、知らないままだったのです。その悩みに今日も怯えていたでしょう」
ほむらの瞳に、暖かさが少しだけ、戻った。
そして、ばっと白馬から降り立った円奈の差し出した手を、ゆっくりと、握り返したのだった。
絡まる指と指。
20世紀から生きてきた暁美ほむらと、30世紀に生を預かった鹿目円奈。
二人は手を結ぶ。
「ありがとう、円奈」
世代を超えた再会かのように。
こうして2人は手をつなぎ、エレムの地を去って新しい住まいを求める旅に出た。
その先にある人生へ向けて。
「わたしはまどかではありません。でも、あなたの気持ちに応えられることから、一人の女として、これからは
応えていきます」
円奈が聖地の騎士であったころは、円奈はほむらの気持ちを断った。
けれど、エレム王としての身分も、騎士としての職業も失い、ただの一人の女の子になった今、一緒に生きていける人として、
ほむらと共に行きたい、とそれとなく言っているのだった。
鹿目円奈は、まだ16歳の少女だった。
円環の神の加護があったから、あれだけ戦うことができたのだ───と、そうアガワルはいったけれど、これからは、
一人の女の子として生きていこう、そう決意する円奈だった。
騎士でもなく、戦士でもなく、象徴でもなく…。
「こんな私でよかったら、私と共にいてください」
と、手をつないだほむらに、頬を染めていうのだった。
ほむらはあれからずっと、鹿目の血筋を見守ってきた魔法少女である。
答えは、決まっていた。
この世界の、聖地をめぐる戦争は、たしかに、ほむらが女神の存在のことを世界に知らしめたことで起こった。
けれど、その世界は希望に満ちている。
女神の存在を知った魔法少女たちは自分達は救われるのだと知るに至ったからである。
その世界は祝福されるべきだ、と、円奈は言うのだった。
希望の象徴。それが神の国である、と。
最終話「バリトン村の一庶民」
626
鹿目円奈がバリトンの地を離れてから約二年と5ヶ月。
彼女は故郷に戻ってきた。
故郷バリトンに。
二人が帰ってくる頃には、鹿目円奈がエレム軍の指揮を取り、サラドの雪夢沙良を相手に防戦をやり遂げたという話が
すっかり広まっていた。
バリトンの民はむしろ畏れるような視線を円奈に注いだ。
でも円奈は何もいわなかった。ただ故郷を懐かしんでいた。
自分の石作りの古臭い小屋を。藁をかぶせただけの天井と、木を打ち立てて柱にした自分の家を。
その家は焼け爛れていて、完全に廃屋だった。藁は燃え、雪をかぶり、しめった黒い灰がたちこめていた。
鹿目円奈はバリトンの村の、ぼろぼろに焦げた廃家の屋根に潜り、その下から、バリトンの山峡の丘を、見渡す。
二年半ぶりにみる故郷の美しい緑と自然は、何も変わっていなかった。
バリトンの地には新しい魔法少女がもう住み着いていた。
その魔法少女はアーリスタンといった。円奈がバリトンに戻ってくるや、アーリスタンはさっそく挨拶をした。
「お噂はすでに届いておりますよ」
と、アーリスタンは円奈の手をとって、微笑んで言った。
「神の国を守った大英雄とお会いでき、光栄です」
「あはは…ありがと」
と、ぎこちなく円奈は笑った。褒められることには、ほとんど慣れていない。「大英雄だなんて、そんな」
「いえいえ、あなたの成し遂げたことを偉大です」
アーリスタンは首をふるふる振り、語った。
「貴女は離れ離れになってしまった魔法少女と人の心を、つなげて見せたのです───実際、神の国ではサラド軍を
前にして、魔法少女と人とが気持ちを一つにして団結し、戦ったのだとか!人と魔法少女が、心を一つになった出来事として、
未来の人たちの神話になるでしょうね!」
「そんなおおげさな…」
円奈は顔を赤くして、指で顔を掻いた。照れている動作が全面に出ていた。
「そんなお方と」魔法少女はニッコリ微笑んだ。「共に暮らせるなど、幸せです。ぜひ神の国での話しを
お聞かせください、ね!」
円奈はまたもぎこちなく、笑った。
「あ───うん、そのうち───ね」
そんなことを考えていると、馬の駆ける蹄の音が聞こえてきた。
誰かがこちらにむかってきているしい。
みると、円奈から見ても一目でよそ者がきてるとわかった。まず衣装が豪華だった。
辺境の地バリトンに似つかわしくもない。
馬に跨った少女二人組みが、こちらにむかってきていた。
一人は金髪のツインテールに、黒いマント。もう一人は明るい茶髪に、白を基調としたサーコート服を羽織っている。
二人組みはあっという間に里道を走って、自分達の目の前までやってきた。
あ、二人とも魔法少女だ。
見るだけで、それは分かった。
「エレムの同盟国の者だ。神の国奪還に向かう。」
と、金髪ツインテールの子が静かな口調で告げた。
リウィウスよりも長めのツインテールだった。目は赤かった。
「私の名はベイルートだ。神の国で戦いエレムの民を守った鹿目円奈にここで会えると聞いたのだが」
「まだ戻ってきていないです」
と、とっさに円奈がそう答え、二人を見あげた。「寄り道でもしているか、どこかの国に定住しちゃったかも」
「ではお前は誰だ」
と、金髪ツインテールの子が訊いた。あまり優しい口調ではなかった。
「私は一庶民にすぎません」
と、円奈は答えると、自分の格好を手で示した。「見ての通り」そして、苦笑いしてみせた。
神の国を出て、戻る途中、帰り道ではあらゆる国が円奈を厚く迎え、金品やら豪華な衣服やらを献上してきた。
円奈は全部それを断った。
結局、バリトンをはじめに出発したときと変わらないみすぼらしいチュニックの布のコット一枚にベルトという姿だった。
「…」
金髪ツインテールの魔法少女は、その赤い目でじっと円奈を見つめた。
「会えないとは残念だ」
と、金髪の少女はため息をついて目を落とした。
それは、目の前の少女が鹿目円奈その本人と知りながら、再び彼女をあの聖地たる戦場に連れ出すことを、
遠慮した王の台詞だった。
このベイルートなる名前を告げた魔法少女は、サラドの雪夢沙良がエレムの民の命を保障しつつ聖地を奪還した
話に聞き及び、そんな君主にはぜひ会って戦いたいと決起した北の国の王であった。
「私に円環の神が味方なさることを祈ろう」
とベイルート王は言い残し、この王は、白馬を翻し、緑色の刺繍入りマントをひらめかせて、偏狭バリトンの地を離れていく。
丘へつづく道を通って。側近の護衛を連れて。護衛たちは、槍を持ちながら馬で走り去った。
いまサラドの雪無沙良が支配する神の国へ、長い旅にでるに違いない。
「もう当分は神の国にはいかないよ」
と、円奈は言った。「ううん、二度と。もう、あの聖地にはいかない。もしバリトンの地でまた暮らすことが許されるのなら、ね」
人間である鹿目円奈はこのとき17歳になって、生理痛もはじまっていた。
だから、少女騎士というかつての職業を引退して、女として生きる日々をこの村で生活していく。
「もちろんです」
と、アーリスタンが微笑んで答えた。「元のように暮らしてくださいませ。何か相談があれば、私でよければ応じます」
「ありがとう」
そう円奈は笑い、相馬フールクの手綱を引いて連れ出した。
627
円奈はバリトンの人々との再会も果たした。
こゆりとの再会も果たした。たくさん、旅の話を聞かせた。このときこゆりは立派な村娘に成長して、母親の羊毛縫いを手伝っていた。
あの丘へのぼって、墓へ戻ってきた。
両親の墓への参り。
それは、いつも円奈が、バリトンで生まれ育っていた頃は、習慣にしていたもの。
だが聖地に旅立ち、それから故郷に戻ってきた円奈は、この墓の前に立つのが数年ぶりだった。
「お母さん」
円奈は、数年ぶりにみる父と母の墓をみつめ、そっと声をだす。「もどってきたよ…」
”KANAME KANNA”
”KANAME ALLES”
二人の名前の文字。墓に刻まれている。
旅立つ前は知らなかった、父母の人生。
神の国に旅立ち、聖地にたどり着いて帰ってきた今だからこそ知っている、父母の人生。
父母のことを知りながら、今は両親のために祈ることができる。
なぜ神の国で生まれた母が、このバリトンの地までやってきて、私に命を授けてくれたのか。
その母を守るために、付き添ってくれた父の想いも。
静かに目を閉じ、墓の前で、じっと旅のことを思い出す。
来栖椎奈のことを。聖地に旅立った日々のことを。聖地で円奈が見たものを。
人と魔法少女の共生は実現しうるのか。それを求めて旅にでて、ついに聖地の果てに自分がみつけた答えのことを。
ずっと、天の両親に報告していった。
まるで両親に、自分の旅のことを話すかのように、心に思い描きつづけた。旅のことを。
それが終わると、円奈は両親の墓に背をむけ、馬に乗った。
バッと少女は馬をはしらせる。
円奈はかえってきた。
故郷バリトンに。
生まれははずれ者として、旅立つときは騎士として。聖地へ旅立ち、そして一人の女として故郷へ戻ってきた。
暁美ほむらと共に。
円奈は馬に乗って、墓をたてた丘のもとを去った。
とうぶん、もうここにもどってくることはないだろう。
バリトンの地は春を迎え、雪は解けて春の花が芽を吹いていた。
山道に咲いた木々の新しい季節の花を見届けつつ、円奈はほむらと一緒に、新しい人生へ駆け出していった。
馬を駆ける円奈の後ろ姿が、バリトンの山峡の農地へ消えていく。
2人は一緒に生きていく。
円奈とほむらは2人一緒になって、並んで馬を走らせ、馬を丘から農地へと走らせていって。
鹿目円奈は、ほむらと共に、西暦3000年の故郷の大地と、高原の山々へと。
どこまも。
自由に、馬を馳せていった。
『まどか☆マギカSS 神の国と女神の祈り 』は完結です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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