百合、ファンタジー、暗い要素あり
書き溜めなしなので思いつくままです
『犯人と思われる男性は、まったく、小学生は最高だぜ!! と繰り返し供述しており支離滅裂な――』
秋葉原で一昨日から話題になっていた、女児連れ去り事件の犯人が逮捕された。
自宅に囲っていた3人の小学生が警官に保護される映像が流される。
何の配慮もない報道陣らのシャッター音が生々しい。
テレビ画面の下に出ていた犯人の年齢は21歳で、私よりも4歳も経験値の豊富な人間でさえ、
こういった誤ちを犯すならば、17歳の私の彼氏がどんな罪を犯してもしょうがないように思えた。
その彼氏に首元を押さえつけられながら、そう思った。
喉の骨が潰れる、そう思った瞬間、
「あッ……」
気道が確保される。
彼氏の手がゆっくりと離れていくのが見えた。
「ごめん、ごめん、ごめん……好き、好き、好き」
確か何ヶ月か前に、同じような謝罪と愛の囁きを聞いたよう気がした。
「ごッほッ……ッ……ごほッ」
私は喉元を抑えながら立ち上がる。
土下座する彼氏。
さっきと同じように、
『君とはもう別れる』
とは言えない。
どうすればいい。
「今日は、体調悪いから……一人にさせてもらっていいかな?」
彼は弾けるように顔を上げた。
満面の笑顔。
発端の笑顔。
今はもう、見るに堪えない。
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勝手に許されたと勘違いしている顔。
他に何て言えば、首を締められるという結末から開放されるのだろう。
「そっか、それで変なこと言ってたんだ。うん、ごめん。ちょっと、僕もかっとなっちゃって……君が弟を連れてくるなんて言うから動転したみたい」
「そうだよね。私こそ、ごめんね。せっかく2人がいいって言ってくれてるのに」
爪のくい込んだくぼみをさすり、私は乱れた衣服を整える。
破れたシャツはもう使えない。
「この部屋、君の匂いだけだろ? それがいいんだ。桜の香り」
「ありがと……」
冷静さを取り戻した彼は、激昂した後決まって部屋の片付けを機械のように手伝ってくれる。
割れた茶碗、潰れたティッシュケース、びしょびしょのカーペット。
一つ一つきちんとだ。
最後に掃除機もかけて、何事もなかったかのように去っていく。
終わりが良ければ全ていいと思っているのかもしれない。
「じゃ、また学校で。お大事に」
とても爽やかな顔で、私が見えなくなるまで手を振って帰っていく。
深夜1時の出来事。
それは、このアパートの一室の日常だった。
「……あ」
足を軽く後ろへ引く。
向かいの住宅から突き出た桜の木々が、アパートの蛍光灯に照らし出されていた。
夕方まで雨が振っていたため、かなり散ってしまって、
1階であるこちらのドアの前は、たくさんの桜の花びらで敷き詰められていた。
湿った空気に押しつぶされるように、貼りついている。
桜の香り。
彼を魅惑する匂い。
そんなものなければ良かった。
彼を喜ばすこの膨らみも、
何もかもなければ良かった。
風が吹くと首筋が痛んだ。
部屋に戻り、明かりをつけ、
手鏡を手に取って首元を見た。
桜の花びらのような痕が、
いくつか残っていた。
次の日、マフラーを巻いて高校へ登校した。
家を出るときは、誰もいないのでおかしいとは思わなかったが、
外に出て街行く人を見ると、やっぱり春なのにこれはちょっと浮いてしまうと後悔した。
「さくら、おはよう」
名前を呼ばれて、私は振り返る。
涼しげな様子の友人が駆け寄ってきた。
「なんでマフラー?」
「まだちょっと寒いかなって」
「高校着く頃にはいらないと思うけど」
「そうだね」
着いたら、保健室で首にシップか何か貼ってもらおう。
寝違えたことにすれば騒がれることもないし。
「昨日彼氏泊まったんでしょ? 大丈夫だった?」
「あ、うん」
「この間、外で会った時めっちゃ怒られてたじゃんか」
「あれは、私がいけなかったの。道に迷って知らない男の人に声をかけちゃったから」
「それもあの男の被害妄想だったんでしょ。確かに、さくらはすごく良い香りするけどさ、それが原因でたまたま声かけた男に取られるなんてありえないでしょ」
友人が、親指を下にする。
少し古い。
「だめだよ、そんなこと言ったら。いい人だよ」
「どーだか」
「この話はまたお昼にしようよ。外は恥ずかしいから」
「シャイだね、ほんと」
だって。
どこで聞かれているか分からないから。
振り返ると、後ろにいるような気がして、
私は急に怖くなって友人の腕にすがり付くように、寄り添った。
女の子なら大丈夫。
でも、悪口を言って、彼が聞いてしまったら、
何をされるか分からない。
もう、私には想像さえつかない。
「どうしたの」
「ううん……」
橋の上に通りかかって、ふと小学生の一群が目に入った。
黄色い帽子をみな被る中、一人の女の子だけ真っ黒な頭髪が顕になっていた。
長い髪がふわりと浮かぶ。大きな瞳。少しつり上がっていて、気の強そうな印象だった。
他の幼い子ども達から少し離れて、川を眺めながら歩いている。
彼女と擦れ違った瞬間、甘い香りがした。
彼らから少し距離が開いたところで、友人が、
「あの子、めちゃ良い匂いする。てか、さくらの匂いとちょっと似てる」
「え」
振り返ったが、もう交差点の向こうへ消えていく所だった。
ちょっとここまで
学校の帰り、交差点の電光掲示板で深夜にやっていたニュースの続報が流れていた。
犯人が言うには、自分が拐ったのではなく女児らが自ら家にやってきた。
そして、自分に真実の愛を教えて欲しいと言ったらしい。
アナウンサーもいつもは淡々と喋るのに、今日はどこかぎこちない。
犯人の気味の悪い供述のせいだろう。
有名どころのコメンテーターも、流行りの映画の影響だとか、
犯人の部屋に置いてある美少女コミック等を指摘して、
サブカルチャーへの危険性をあたかも新しい見解かのように大仰に説明していた。
私はドラッグストアに入って、痛み止めの薬が切れていたのを思い出す。
春先は特に体調を崩す。
実家から出て、一人暮らしを始めて、不安なこともたくさんあって。
寂しさに付き合ってみた彼氏は、余計不安を煽って。
けれど、一人になれば急に人肌が恋しくなる。
こんなに自分が甘えたがりだったなんて、家にいる時はわからなかった。
人ごみの中、ふいに視界が不透明になり、自分だけがポツンと立っている。
周囲の話し声や雑音だけはやたら鮮明に耳に入ってくるのに。
お店のガラス棚にふっと人影が映っていた。
顔。
彼の顔。
「……ッ」
私は体ごと後ろを向く。
誰もいない。
気のせいか。
私は薬箱を握りつぶしていた。
人のいる所へ行きたくて、家の近くの大通りに面した唐揚げ屋さんに寄った。
そこで手羽先の唐揚げを6つ程購入して、しばらくじっと座って携帯をいじるフリをしていた。
お客さんが増えてきたので、腰を上げる。向かいの本屋さんに行き、雑誌をぱらぱらとめくってまた時間を潰した。
家に帰ると、だいたいドアの前に彼がいる。最初は、それが本当に嬉しくて堪らなかった。
優しい彼が、そこにいて待ってくれて。一緒に食べるご飯は美味しくて。
なのに、どうして、こんなことに。
がさりと袋が揺れた。
下を見ると、白い手が袋を掴んでいた。
「きゃッ?!」
幽霊かと思って、飛び退き、勢いよく尻餅をついた。
「いッ……た」
雑誌がバラバラと床に散らばってしまって、
店員さんがすぐに駆けつけてきた。
周りにいた人達が、心配そうに声をかける。
恥ずかしさに、何度も頭を下げて、
下を見て、ふと、何に驚いたのか理解した。
「何を見ているの」
髪の長い小学生が、そこに立っていた。
「妹さん? お姉ちゃん、驚かしたらダメだよ」
右隣にいた男性が、笑いながら彼女の頭を撫でた。
少女は目を閉じることなく、
「ごめんなさい」
と目の前に出されたセリフを読み上げるように、
淡々と謝罪の言葉を述べた。
私が妹ではないです、と言う前に男性はレジの方へ向かっていく。
「これ」
少女が、腕を突き出す。
袋を拾ってくれたようだ。
「ありがとうね」
驚かした張本人から受け取って、制服のスカートを手で払う。
こちらをじっと見つめる彼女に、
「どうしたの?」
と声をかけた。
迷子だろうか。
まさか。
「さくら」
呼ばれる。
書籍の並ぶ棚を挟んで、彼がいた。
「……あ」
「さくら……」
少女もまた、私の名前を呟いていた。
書店を出て彼と帰路に着く。
「何買ったの?」
「手羽先の唐揚げだよ」
「いいね、僕の分ある?」
「ちゃんとあるよ」
「やった」
子どものようにはしゃぐ。
時折見せるその顔が私を荊棘で縛り付ける。
アパートの前に来て、
「知り合いの子?」
彼が言った。そして、指を指す。
先ほどの女の子が2階へ上がる階段に座って、私たちを見ている。
「ううん……」
今朝と、さっき書店で会ったくらい。
もしかしたら、からかっているのだろうか。
「さくら」
女の子が立ち上がる。
腰くらいまでの長い黒髪が真っ直ぐに綺麗に伸びている。
まるで飼い犬を呼ぶようだ。
蔑むわけではないけれど、主従関係のハッキリした口調。
けれど、そんないわれは私にはなかった。
「どうかしたの?」
問いかける。
「真実の愛を教えて」
小学4年生くらいの彼女は、低い声でそう言った。
ちょっと抜けます
「え?」
「そういう遊びなんじゃないの」
彼は言って、私の手を引いて少女の横を通り過ぎようとした。
「ごめんね、また今度遊ぼう」
赤いランドセルがわずかに動く。
付けられたお守りの鈴が鳴った。
「その男といても、身の破滅しか呼ばないわよ」
ぎくりとして私は立ち止まる。
今、何と言った。
彼も足を止めたが、気にせず歩き出す。
「ほら、さくら行くよ」
少し苛立った声。
これ以上は、彼の敵対心を煽りかねない。
小学生の女の子に対して警戒するとは思えないけれど。
でも、想像を超えたことをたまにするから。
「せっかく迎えにきたのに。するべきことをしなさい、さくら」
するべきこと。
少女は、私をますます混乱させる。
そこまでして、何をして欲しいのか。
大人びた口調のせいかもしれない。
生真面目に言葉を受けてしまう。
でも、こんな子知らない。
「私に真実の愛を教えなさい」
「なんなのかな、それって……」
「それはあなたが考えることよ。桜の花が散る前に、それを私が理解しなければ、私は死ぬわ」
遊びにしては物騒なことを口走る。
砂利を踏む音。
立ち去っていく少女。
ランドセルの中の教科書ががしゃがしゃと揺れていた。
部屋に戻り、二言三言先ほどのことを振り返り、彼と晩ご飯の支度へ取り掛かる。
人参の皮を剥くときも、シチューをかき混ぜる時も、彼に後ろから抱きしめられた時も、
彼女の言葉が耳から離れてくれなかった。
――私は死ぬわ。
冗談に聞こえない。
あの年頃の子が、真剣に考えた遊びだとしても。
不気味だった。
女児誘拐事件のニュースで、少女たちが言っていた言葉が蘇る。
――真実の愛を教えて。
それを彼に言うと、
「小学生の間で流行ってるおまじないがあるらしいよ」
彼には小学生の妹がいて、クラスメイトの女の子達の間で話題のおまじないがあるらしく、
どんな願いも叶えるとまことしやかに噂されているらしい。出処は、どこかのサイトらしいが定かではない。
ただ、条件を満たさないと成就しないらしい。
その条件というのが、
「真実の愛を理解することってわけだね」
それを期限までに理解できなければ死ぬ。
大きな願いを叶えるための代償。
実際に死んだ人間がいるかまでは分からないけれど。
そう信じ込むことはとても危険だと思う。
「あんまり関わらない方がいいよ。次、もし来たら家の方へ行って親に直接言うしかない。娘がこんなことしてるって、早く知っておいた方がいいしね」
「うん……」
「ねえ、それよりさ……」
彼は、鞄の中から写真を取り出す。
「なに……ッそれ」
「とぼけないでよ。君の部屋にあった」
中学時代に付き合っていた彼氏の写真だった。
全部、捨てたと思っていたのに。
どうやって見つけたのか。
彼の手によってはそれは真っ二つに引き裂かれる。
寄り添い合う男女を分けて、切れ端をさらに細かく引きちぎっていく。
短く切りそろえた、前髪を彼はかきあげた。
苛立ちが頂点に来た時の前触れ。
右手に細かくなった写真を握り締めている。
私の頭上で手のひらを弾けさせた。
花びらのように、
「ちょっと綺麗じゃない?」
はらはらと私の服の上へ落ちていく。
何も無くなった手で、私の頭を掴んだ。
「髪、伸びたよね、ちょっと切る?」
私は首を振った。
「そう。でも、写真は全部捨てたって言ったのに、僕に嘘を吐いた。その罰は受けてもらわないと」
「ほんとに、全部捨てたんだよ」
上から押しつぶされそうだった。
抵抗を徐々に弱めていくと、おでこが床に着いた。
「食べなよ。好きならさ」
私はまた首を振る。
「お腹いっぱいか。そっか」
「お願い、できることならするよ……だから、許して」
「許してくれると思って、やったってことかな」
「違うよ……そんなんじゃ」
「本当に、僕を愛してくれているなら最悪の事態まで想像するべきじゃないのか? もし、写真が一枚でも残っていたら、僕が悲しまないか。本に挟んではないなかったか。僕がこの写真を見つけた時の表情を君は考えたか?」
早口で捲し立てる。
彼を満足させることなど、無理だった。
いくら、彼に合わせても彼の求める所は遠い。
近づいても、すぐに離れていく。
せっかく写真を捨てたのに。
詰めの甘い自分を恨むしかない。
「君は言われたことをやるだけで、僕が満足すると思ってる。そうだろ」
「そうじゃないの……?」
「君のことが好きだからあえて言うけど、それじゃあ僕ら台本通りに付き合ってるだけだよ」
そうじゃないの。
とは言えなかった。
「もっと僕の気持ちを考えてよ。僕はこんなに君中心なのに」
「ごめんね……」
「いいよ。キスして」
彼のおでこに唇を寄せた。
私の表情を見逃さないように、彼はキスの時もしっかりと目を開いている。
頬に、首に、指に。
最後に、唇に――。
私は影を踏まれたように、動けなかった。
彼の目がどうしたの? と語っていた。
ピンポーン。
彼がすぐに立ち上がる。
「誰だろう」
男の人だと、宅配の人以外はほとんど乱暴に追い返す。
玄関まで出て、くぐもった声で、彼が言った。
「さっきの女の子だ」
「うそ……」
彼が玄関で大きく息を吐いたのが聞こえた。
「追い返すよ。君はここにいて」
鍵を開いて、錆び付いた音が響いた。
それから、扉を閉じた。
ふいに冷蔵庫のモーター音が耳に入ってきた。
四つん這いになって廊下に出て、私は音が出ないように玄関へ近づいていく。
言い争っている気配はない。
「さくら」
背後から声。
「えッ……」
少女が立っていた。
唐突に、空間がそこだけ違うのだろうかと錯覚するほど、
違和感を持たせつつ、彼女がそこにいた。
「な……んで」
「私に真実の愛を教えなさい。それまでは、ここから絶対に出さない」
「何を言ってるの……?」
どこから入って来たのだろうか。
もしかすると、彼が扉を開けた瞬間扉の裏に隠れていて、隙をついて入ってきたのかもしれない。
「お家の人心配するから、帰らないとダメだよ」
「帰る場所なんて、ないわ。あなたの香りを辿ってきた。戻る道など忘れてしまった」
会話が通じない。
やはり、彼に連れ帰ってもらうしかない。
私は玄関を開ける。
暗がりの通路には、誰もいない。
押しつぶされた花びらがあるだけ。
「……どこに行ったの」
「いるわよ。お互いに見えないだけ」
私は彼を呼んだ。
隣近所の人が、怒鳴ってきてもおかしくないくらいには叫んだ。
彼だけじゃない。街の音が全て消えていた。
サンダルを履いて、階下まで駆け足で降りていく。
静まり返るアパート。電気はついているのに、
人の気配だけは消えている。
「どこへ行くの」
「なにこれ……」
「何をそんなに驚くの。いつも、感じていたものでしょう」
彼女は背負っていたランドセルを適当に放り投げる。
鈍い音と、中身が混ぜかる音がした。
「ほら、邪魔者はいなくなったわ」
少し舌足らずな言葉。
おぼつかない足取りは、小学生にしか見えない。
こちらに近づき、私の腰のあたりにぎゅっと抱きついてくる。
そして、小さな指で桜の木を指した。
「あの花が散ってしまう前に」
「……」
悪い夢を見ている。
「夢を見ていると思ってる。それも悪い夢」
「そうだよ……」
「それは間違いじゃないけれど、夢のままで終わっていいの?」
その問いには答えず、私は彼女から離れ、部屋へと戻る。
カンカンカン――と階段の足音がいつもよりも甲高い。
後ろから追いかけてくる。
彼女が入って来る前に扉を閉めた。
「意味のないことは、止めた方がいいわよ」
頭がぐちゃぐちゃだ。
その日は、布団を敷いて早めに眠った。
起きたら何もかも元に戻っていると思ったからだ。
なぜか彼女も同じ布団に入ってきたので、
私はそこを譲り別の布団を出して、それに丸まって寝た。
同じ空間にいることに耐えられなかったけれど、
追い出しても追い出しても部屋にいるので、
最後には疲れてしまった。
翌日、布団からころんとはみ出た彼女がいた。
「……まだ、いる」
あまりよく眠れず、瞼が重たかった。
寝相の悪い少女は、それだけ見るとただの小学生の女の子だった。
小さく丸まって、くしゃみをしている。
布団をかけ直してやる。
「ん……」
目をこすりながら、覚醒する。
私の腕を掴み、
「……お」
何か言いかける。
そして、目を見開く。
私の顔をその目に焼き付けんばかりに。
「さくら、お腹空いた」
「……」
冷蔵庫にあった卵で目玉焼きをつくり、昨日のシチューを温める。
食パンにいちごジャムを塗って、きっちんの椅子に机に溺れるように座って待つ少女の前にお皿を置いていく。
それを当たり前のように食べていく少女。
行儀よく食べる姿は、育ちの良さを感じた。
どうして、冷静に朝食なんてものを作っているんだろう。
食欲はあまりなかったので、少しだけパンをかじった。
「そう言えば、あなたお名前は?」
落ち着いた脳が、ふとそんなことを聞きたがる。
「ゆり」
「ゆり……」
どこにでもいる少女の名前。
どこかで聞いたことがある。
どこだったか、思い出せない。
普遍的な名前。
ゆりちゃんはお家どこなの?
と聞こうとしたが、昨日のようにはぐらかされると思い、喉元に出かかったものを飲み込む。
「同じ、花の名前なんだ」
そう言えば、彼の名前にも花の文字があったっけ。
彼はどこに行ってしまったのだろう。
みんな、どこへ。
それとも、私がいなくなってしまったのだろうか。
「綺麗な名前だね」
自然と会話の流れで言った言葉だった。
少女は、そこで初めて意表を突かれたように驚き、
悲しそうに笑った。
洗い物を済ませ、テレビをつける。
壁を背もたれにして座ると、ゆりも横に腰掛ける。
「見たいテレビある?」
「ないわ」
「そっか」
適当にチャンネルを弄る。
「私、学校へ行くから、一緒に出ようか」
「いいけど、誰もいないわよ」
また、よくわからないことを言っていた。
もう何を言ってもあまり会話が通じないと思ったので、
私は制服に着替えて、友人の待っている公園へゆりと共に向かった。
「あれ……」
携帯にはラインが入っていて、
私が遅いと呟かれている。
「そんなこと言っても、どこにいるの……」
とりあえず、場所を確認するが、やはりここで合っている。
「学校へ行くの?」
ゆりが問う。
「いくよ……」
私は心許無く言った。
「……はあッ……はあッ」
全力で走ったせいか、久しぶりに息切れした。
通学途中人っ子一人おらず、
学校へ着いても誰も教室にいなかった。
隅から隅まで、走り回って、自分の教室へまた戻ってきた。
「お疲れ様」
私の席で本を読んでいたゆりが言った。
「どうして、誰もいなくなっちゃったの……」
信じられない。
なんなんだろう、一体。
悪い夢だと彼女は言うけど。
いつになったら醒めるのか。
そして、ゆりだけは、この少女だけはいる。
平然と、当たり前のように、私にくっついている。
鍵も答えも、この子の中にしかないのだと、私はそこで漸く彼女に聞いた。
「……どうしたら出られるの」
「再三言ってるけど、私に真実の愛を教えてくれればいいの。答えはあなたしか知らない」
真実。それは、なに。
親子の愛? 家族の愛? 友愛? 恋人への好意?
それとも、社会への奉仕の気持ち?
「……彼との愛が真実なら、それを私に教えなさい」
眉根を寄せて、ゆりが言う。
「えっと……どうやって」
「彼にしていたことを私にすればいいの」
「う、うん」
席へ座る彼女の元へ駆け寄って、
悩んだ挙句に抱きしめる。
「ど、どうかな」
「わからない。何がしたいの?」
「いつも一緒だよって言う気持ちを伝えてるの」
「それで、私にどうなって欲しいの?」
「どうって」
どこかで聞いた台詞だった。
「私を愛してもいないくせに、よくそんなことができるわね」
体に釘を打ち込まれたように、
その言葉は私の脳を揺さぶった。
「同じことを彼にもしていたんでしょ」
「違うよ……私は」
「さくら」
耳元に息を吹きかけるように、彼女は呟いた。
びくりとして、私は肩を揺らす。
「あなたが、認めてくれないとダメなの」
「私は彼を好きだよ……確かに、危ないこともされたけど、でも本当はただの淋しがり屋で。私がいないと、ダメなんだよ……あの人は」
「恐れてはダメよ、さくら。あなたは、彼がいなくても大丈夫なの」
「彼がいなくても大丈夫?」
「そう」
「どうして、そんなこと言えるの」
「私がいるから」
細い腕が、渡しに回される。
揺さぶられた脳が、決して思い出さないようにしていた記憶を蘇らせる。
「いつから……いてくれたの」
「小学生の時に、あなたが誘拐されてから、ずっと傍にいたわ。あの日、当時21歳だった実家の隣に住むお兄さんの家でおまじないをさせられ、真実の愛を抱かなければ、殺すと脅された。抱けば、願いが叶うと言われて」
「うん……」
「あなたは、私を捨ててお兄さんを好きになったけど。もう、いいじゃない。お兄さんは捕まったんだから。いつまでも縛られなくていいの。彼氏への好意だって、無理に抱かなくていい。さあ、真実の愛を私に教えて」
「……そんなもの私にあるのかな」
「どうして、あなたはいつも自分の中で答えを出そうとするの」
ゆり、否、幼い私が私の頬を叩いた。
「一人じゃないでしょ。呼べばいいの。あなたが一番信頼している人を。あなたが思っているより、あなたのことが心配でたまらないって顔してたでしょ」
「いいの、かな……迷惑じゃないかな、危ないんじゃ……」
「私が言うんだから、いいに決まってるじゃない」
「そっか……あはは」
「それに呼ばなければ、死ぬのはあなたの方よ」
「そうだね……」
私は目を閉じた。
現実が、急速に身体に戻ってきて、ずしりと重みを感じた。
目を開けると部屋にいた。
散らばった紙くずのような写真。
彼は外に出て、女の子がいないか確かめている。
私は携帯を取り出して、ラインを打った。
待ち合わせ場所はいつもの公園ではなく、私の家。
――どうか、私に真実の愛を教えて。
おわり
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