花陽「ふたり乗り タイムカプセル」 (33)
そういえば、
十年前も神様のお話からはじまりました。
お米ひとつぶには七人の神様がいるんだって、
って教えてくれたのは凛ちゃんです。
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あの時も凛ちゃんの家のお風呂に二人で入ってて、
花陽はそこの黄色いプラスチック製のちっちゃいイスに座ってて、
背中をごしごし流してくれていました。
だからあんなにおいしいんだね、なんて言うと、
凛ちゃんは、
食べちゃったらいたくないかな、って
少し心配そうでした。
凛ちゃんはあの時からずっとやさしい子です。
それから洗面器でお風呂のお湯をすくって泡を流しながら、
「七人の神様って誰だろう」なんて二人で考えたのですが、
あの頃の私たちは神様の名前なんてちっとも知らなくって、
大仏様とお釈迦様とふつうの神様を挙げるので精一杯でした。
今では神様の名前だけなら、もう少し多く挙げられます。
神様の名前だけじゃなくって、
覚えなきゃいけないこと、覚えてしまったこと、
覚えたくなかったことだって、
この洗面器ではあふれちゃうほどたくさんあります。
私たちの身体だって
大きくなって、湯船に浸かればあふれちゃうほどです。
――ねぇ、おふろはいろ。
ときどきこうして誘い合わせては、
一緒にお風呂に入るようになったのも、あの夜を過ぎてからでした。
嬉しさ、寂しさ、希望、不安、
今ならそうやって名前を付けて収められる気持ちも
あの頃の花陽たちには大きすぎて、
とにかくどうしようもない時、
心があふれそうな時だけは絶対に、
ふたりで一緒にお風呂に入ることにしてきたんです。
湯気の中に体を溶かし合わせれば、心をそこに浮かべれば、
言いたいことが言えなくたって分かちあえたからです。
こうやって説明しちゃうのも、
なんだか違う気がしてしまうのですけど……。
「わはぁっ、やっぱおっきい!」
ひやっ、
って声が出ちゃうのは後ろからおっぱいをぎゅってされたせい。
な、なにするの凛ちゃん……びっくりするよ。
「だってかよちん、やぁらかいもんね」
って、聞く耳持ってくれません……ていうかまだ掴んだままです。
「凛ちゃん。ちょっといたいよ」
あ、ごめんね……
って手のひらが離れると、
その部分だけ冷えてしまうようで、なんだか落ち着かないです。
その、
そういうことしてほしいって意味じゃないけれど……。
「で、どうしたの?」
ひょこって前から顔を出した凛ちゃんの目。
まだ手のひらは泡だらけで、
私の身体を洗ってる間もぎゅーってしてたから、
凛ちゃんの胸元も花陽のボディソープまみれです。
ごはん粒みたいに白い泡が、
私たちだけの皮膚みたいだって思ったのは、
たしか高校受験の少し前でした。
「どうした、って……凛ちゃん、なんでもないよ」
そう言ったのに凛ちゃんったら「うっそだぁ」って少し笑うんです。
凛ちゃんがうそだっていうから、たぶんうそなんだ。
花陽、どうかしちゃってたんだろうな。
隠しごと、へたっぴだから。
「あのね、凛ちゃん……ええとね、」
見つめる凛ちゃん。
私の胸の奥まで、のぞき込むように。
……ああ、やっぱりだめだ。
言えないよね、こんなこと。
「……ごめん、凛ちゃん。あとで、ね」
花陽はむりくり声を大きくして
「今度は凛ちゃん洗ったげるね」って
シャワーの蛇口をきゅっとひねって全開にしました。
激しい通り雨みたいな水流が、
肌にまとっていた泡をはがし取ってしまいます。
目はつぶったままでした。
でも、
凛ちゃんの感触はすっと抜けてしまったのは、はっきり分かります。
ごごごごって 排水溝に私たちの泡が流れ込んでいきます。
このお風呂場は
もう十五歳の私たちには狭すぎて、なんだかあふれちゃいそうです。
洗い流して立ち上がった凛ちゃんが鏡越しに映り込みます。
でも湯気にぼやけて肌の色しか見えなくって、
その後ろの花陽なんて、居るのかどうかも分からないほどです。
すべすべになった肌は、一人ではちょっと寒いくらいなのに。
「じゃあ、かよちんお願い!」
って、髪の毛を洗い終えた凛ちゃんが後ろの私に背中を横たえました。
ぎゅう、って
私の胸に凛ちゃんの重みが思い切りかかってきます。
負けじと花陽も凛ちゃんをつかまえるのだっていつもやってることで、
凛ちゃん危ないよ、
って言っても聞いてくれません。
『かよちんが居なくちゃやらないよ?』なんて言うもんだから、
花陽も凛ちゃんを支えなくちゃいけないみたいです。
「どしたの?」
今度はもっと柔らかい声で。
かよちん、笑ってたよ、って。
手の中で泡立てたボディソープをうなじから二の腕に滑らせて、
片腕ずつ持ち上げて泡をすり込んでいきます。
「凛ちゃんがね、かわいいなって」
答えながら、爪の先まで一本ずつ、
小さな鶴を折るようにして泡をまぶしていきます。
そういえば、
手のひらのぷにぷにした感触が気持ちよくって、
前にそこばかり洗ってたら、変な顔で見られちゃったっけ。
凛ちゃんは「かよちんの方がかわいいよー」って聞きません。
脇の下からあばら骨まで、
腰からふとももに掛けて、肌の奥まで、
骨の中にまで伝わるように、まんべんなく、一面に。
凛ちゃんの前にひざまずいて足の指を洗うときは、
……その、あんまり上をみないようにして。
「……かよちん、だぁいすき」
歌うような声がふりそそぎます。
私はおなかや二の腕、鎖骨や胸の近くまで、
凛ちゃんを前から抱きしめるようにして洗い遂げたころです。
さっき流した私の肌も凛ちゃんとおなじような色で、
一緒くたになったみたいで、もう、たまらない感じです。
……それなのに、
「ねぇ、おふろはいろ」
仏様みたいに目を閉じたままの凛ちゃんが花陽に言いました。
そうだね、流さなくっちゃね。
ゆるめに開いたシャワーの水流、
今度はそんなにとげとげしくなくって、
凛ちゃんもしあわせな夢でも見ているような顔でそれを受けていました。
すべて洗い流した花陽たちはいつも通り一緒にお風呂に浸かります。
浴槽には、三分の二ほどしかお湯を張らないことにしています。
ざぶんとはみ出て流れ出るのが凛ちゃんは好きだったけれど、
水道代がもったいないって、怒られちゃって。
小五くらいの時かなぁ……。
そのせいか、
昨日なんてうっかり一人なのにお湯を減らしてしまって、
肩がちょっと冷たい思いをしてしまいました。
そのせいなのかな、きょう、一緒に入りたくなったのって。
身体を沈める水の音が引いて、
波もおだやかになるころには、骨の奥まであったまってきます。
凛ちゃんも同じで、
ちょうどいい頃合いに向かい合った目が重なって、
あ、凛ちゃんだなぁ、ここにいるんだ、
ってぽかぽかするんです。
この浴槽も十五歳の花陽たちにはちょっと狭いですが、
身体が大きくなった分だけ、凛ちゃんの手足に重なってしまうから、
それだけ凛ちゃんと近くなれたって感じていました。
ねぇ、ぎゅってして。
いいよ、おいで。
今日は、私が呼びました。
凛ちゃんが両腕を肩のところまで伸ばします。
くるりと後ろを向くと、
ちゃぷんと音がして、私は背中を凛ちゃんに重ね合わせました。
お湯の中で胸元に掛けられた腕に手を添えて、
うなじの辺りに頭をあずけます。
小さい頃にお母さんと一緒に入った時みたいに、
凛ちゃんに花陽を受け止めてもらいます。
私と凛ちゃんを一緒くたにします。
私たちは、ときどきこんなふうにします。
凛ちゃんが私を抱きしめたり、私が凛ちゃんを抱きしめたり。
いつの間にか、
年をとるごとに誰かに言えなくなってしまって、
二人だけの秘密になってしまいました。
でも、こんな花陽たちのことを神様はきっと見ています。
神様だってこの世にはたくさんいるらしくって、
私たちがこうするのはよくない、
いつまでもこうしてはいられない、って考える神様もいるみたいです。
来年から、この学校でも文系クラスと理系クラスに分かれるそうです。
文理選択の提出用紙が昨日、ホームルームで配布されました。
すらすらと書き終えて提出してしまった真姫ちゃんと違って、
私のペンは止まったままでした。
花陽は凛ちゃんほど理科が得意じゃないから、理系選択にはできない。
それは凛ちゃんも同じで、
私たち、来年からは別のクラスになってしまうみたいです。
それはきっと、
教室の壁だけじゃなくって、
校舎の壁も、やがて街や国の壁だって隔ててしまって、
花陽と凛ちゃんは別々に大人になっていくんだって、
そう思ってしまったんです。
このお湯だって身体が大きくなれば
湯船の水かさだって減らさなくちゃいけないです。
三分の二でも足りなくって、
それこそ大人になる頃には、もう、
お湯をからっぽにしても足りないのかも。
時間は過ぎていって、
「運命」って名前の神様が、
もう時間だよ、おあがりなさい、って声を掛けるんです。
波の中にそれぞれ流されて、こんなに近いのに、遠くなってしまう。
いっそ、
ふやけちゃえたらいいのにね。
って言ったら、凛ちゃんは、
それいいね、
ってほほ笑んでくれました。
ふやけたいね、
そうだね、
って。
お風呂に入ると
こうやって人には通じない新しい言葉ができたりして、
ここは花陽たち二人だけの国になります。
この国では時の流れも遅くなるようで、
私たちはどんどん幼く小さくなって、
子どもの頃、
神様の名前も知らずに噛みつぶしてしまえた頃にまで遡っていきます。
大昔のちっぽけな思い出を拾い上げるのもいつだってそんな時です。
ここは花陽たちの乗ったタイムマシンでした。
ねえ、おぼえてる? 七人の神様のこと。
そうだね。
あの時、大変だったよね。
あの夜のことが、
さっき見たように記憶のなかで映し出されます。
あれから二人でこんなふうにお風呂に入ってたら、
ちょうど停電が起きて、
急に真っ暗闇になって、誰にもなんにも見えなくなっちゃって。
なんだか暗いところに流されちゃいそうで、
怖くて泣き出しちゃった花陽のこと、
凛ちゃんも鼻声になってたのに、
ちゃんとつなぎ止めてくれてたんだった。
怖いけど、
凛ちゃんがちゃんといる。
それだけで、大丈夫だいじょうぶって言い合いながら、
明かりが戻るまで抱きしめ合ってたんだった。
……そっか。
簡単なことだったんだ。
ねえ、ちょっと待ってて。
って伝えて、
きょとんとしてる凛ちゃんを残して、
花陽はじゃぶんとお風呂の外へあがります。
肌が冷えちゃわないうちに、お湯が肌に残ってるうちに、早くしないと。
「ねぇ凛ちゃん、電気消していい?」
洗面所に続く扉を開けると、
それだけで熱が逃げてくようで、外の空気が肌に当たります。
それでも、
いかなくちゃ。
「え? いいけど、なんで?」
ぱちん。
ふわりと緞帳のように降りた暗闇、ここはもう、真っ暗です。
かよちん、さむいよ。
ってお風呂の中の凛ちゃんが呼びます。
花陽一人分の熱でもさむいのが、本当はうれしい。
私はすぐお湯に入り直すと、
今度は花陽の方から、凛ちゃん来てって、引き戻しました。
おぼえてる?
うん。
あの時みたいに互いに向き合って、
でこぼこした身体の形が当たるのも気にしないで、
むしろ凛ちゃんと私を
もう一度かみ合わせるようにして、強く抱きしめました。
あんまり強くしすぎて、
はずみで涙まで浮かんできちゃうあたり、
ほんとうにあの夜へと戻ってきたみたい。
誰にも見えない、
神様にも見えないくらいの真っ暗闇のなかで、
ふたり分の息と涙声だけがしずかに聞こえてて、
花陽は最初からここに居たかったんだってはっきり分かりました。
そのためなら、なんだって。
もう、花陽はたぶん、大丈夫です。
外の風に当たることだって、真っ暗闇がきたって。
離れてしまったって、たぶん、きっと。
過去へと遡るだけのタイムマシンは、
この夜、未来に流れていくタイムカプセルへと変わります。
十年以上の気持ちを、
肌越しだけじゃなくて、言葉でもちゃんと、伝えなくっちゃ。
――凛ちゃん、いっしょで、いようよ。
あったかい暗闇のなかで、
凛ちゃんが、私のことを受け止めてくれました。
どのように確かめ合ったかは、神様にもひみつです。
おわり。
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