六畳一間の中では、19型のテレビが唯一の光源だった。彼は湿気って薄くなった布団の上でぼんやりと佇んでいる。テレビの方を向いて座っているが、別段画面に気をやっている訳ではない。
ただ目の前の電子機器を、聴覚と視覚が求めていた。その欲求を満たすものが、その空間に一切無かったというだけなのだ。コンセントを抜いてしまえば無音と暗闇が心持ちをより不安定にさせる。それが何より耐えられなかった。とにかく何かを感じていたかった。故に、彼にとっては布団のカビ臭さでさえ丁度いい刺激になった。
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「あれから2年か」
22歳までの自分と、今の自分。二人を重ね合わせて見ると、まるで別人ではないかと錯覚させられる。元々華奢な体つきはより細くなり、マッチ棒を連想させる。声帯も長らく使わぬと喉からはくぐもったような音が出る。髪も髭も手入れはしていない。髪はテレビを見るとき邪魔になるので、近所にあるスーパーの惣菜コーナーから拝借した輪ゴムで、頭の後ろに括っている。
彼が気の病に堕ちたのは、およそ青春時代を卒業した後二度目の夏の頃だ。日頃のルーティンワークにもようやっと慣れ、上司からの小言を上手にいなせるようになった。職場は実家から電車と地下鉄で三時間の距離であったので、入社する際はこれを機にと独り暮らしを始めた。
掃除洗濯料理買物、生活に必要なことは当然ながら全て独りでやった。一年半の歳月で、時間のやりくりを覚え、着いていくのが大変だった時間のスピードに追いつけるようになった。
>>14
「あれから2年か」の部分は無視してください
時間の感覚がないのに2年経ったのは理解できているというのは不自然なので訂正します
そんな中、不幸というのは呼ばれてもいないのに唐突に訪れた。平日の朝、重い頭を起こし身支度をした彼の携帯に着信が入った。母からだった。
「もしもし」
「もしもし……、川田……下の名前が確認出来ませんが、ご家族の方でしょうか」
まだ寝ぼけているのだろうか。そうですが、と答えて、その声が母のものではないことに気がついた。
「あの、どちら様でしょうか」
尋ねて、状況を把握しようとした。聞けば、電話の相手は警察らしい。
いろんな思考が頭の中をぐるぐる暴れ回った。母が何か犯罪でもしたのだろうか。万引きか何かだろうか。いや、事故かも知れない。軽い怪我なら良いが、とうに齢50を過ぎた老体だ。そこから悪化しなければいいが……。
そんな彼の不安を上回る衝撃が、渦巻く思考を真っさらにした。訃報だった。
会社への連絡も忘れ、病院へ急いだ。それからのほとんどの記憶は脳が保持しておらず、気がついたら彼は喪服を着ていて、同じ空間で坊主が母に向けて経を唱えていた。その数日の間で思い出せるのは、病院への道中見た、電車に映る自分の青ざめた顔だけだ。
>>20
電車の「窓」に映るです、ごめんなさい
死因は転落事故というか交通事故というか、とにかく即死だったらしい。友人2名と車に乗り、旅行に向かう最中のことである。深夜の山道、急カーブを曲がり切れず、ガードレールを突き破り崖下へ直行した。後部座席に位置取っていた彼の母はシートベルトをしていなかったようだ。ちなみに、他2名は一命を取りとめたとの事だ。
その一件が落ち着き、彼は以前のように出社した。周りの対応がぎこちなく、彼自身もやりづらそうな顔をしていた。
身近な人が突然消えるというのもあまり実感が湧かないもので、電話をすれば馴染みのある声が再び聞けるような気がした。そう思って彼は昼の休憩時間、登録されている電話番号にダイヤルしてみた。
「おかけになった電話番号は――」
彼はその時、母の死後初めて泣いた。
上司にそれを見られていたようで、早退を勧められた。「大丈夫です、今までの分、作業が遅れていますから」
そう言って作業場に戻ったあと、こちらを心配そうに見ている同僚に一瞥し、デスクへ向かった。
それからさらに数日して、彼は違和感に気付いた。
始めは身体が重くなった気がした。歩くとき足が前に出ない。疲労が溜まったのだろうか、とその時は考えた。
次に、朝、布団からしばらく離れられなくなった。会社に行きたくないと思う日は山ほどあったが、別段そういった気分でない日にもそれは起こった。
次に、時々妙な高揚感が胸を満たした。何でも出来るような気がして、何か行動しなくては、と手足が疼いた。休日に意味もなく自宅のアパートと最寄りの駅を行ったり来たりした。
そんな日の翌日は、何故かとてつもなく無気力になった。
貯金もあり、光熱費は自動で引き落とされる。食料もオンラインショッピングがある。18平米は彼だけの王国へと変わった。病院からの電話が煩わしいので、携帯は電源を落とし、引き出しにしまった。
それからずっと、彼は前述の生活を送っている。
自分の記憶から生い立ちを辿り、現在の彼に到着した。長考するのは久方ぶりなので、少し疲れを覚えた。体は未だ画面の方を向いている。それから数分、座った姿勢のまま、無為に固まっていた。
生活保護の申請も面倒なのでしておらず、ガスも止まっているから貯金も尽きたのだろう。恐らくガス以外のインフラが供給されずとも、彼は外に出ることはない。会社は最後に通院したとき、ついでに辞表を出した。常人からしたらぞっとするような状況だが、しかし不安という感情は彼からとうにすっぽ抜かれていた。
ふと、心臓が脈打つのを感じた。とくん、とくんとリズムを刻んでいるのがはっきりわかるほどだった。目の前のテレビよりうるさいほどだ。普段は外から自動車の排気音が聞こえればテレビの音量を上げ掻き消したが、これはどうしようもなかった。彼はテレビに向けていた視線を下げ、同時に胸に手を当てた。
「動いている。俺は、生きているんだな」
彼は自分という存在を心臓に確認させられた。するとすぐ、「あれ」がやってくるのを察知した。
「あれ」というのは、時たま全身が高揚感で満たされる不思議な現象のことだ。医者はその状態を何らかの名称で呼んでいたが、彼はそれを忘れたので「あれ」と呼称した。
彼は「あれ」を事前に予測できた。頭の中でスイッチが切り替わり、「あれ」が来るときは決まって自制心がオフになり、自分が誰かわからなくなる。周りからすればこの状態のほうが楽しそうに見えるので、実はこちらがオンの状態なのかも知れないが。
とにかく、そのスイッチが押される瞬間を、彼は察知できた。
察知出来るからこそ、今回のは何だか変だと思った。ジワジワと足先から熱を帯びて、活力が血管じゅうに流れて来るようだった。こんなパターンは初めてであった。
「あ、なんだ。やばいやばい、これ、本当にやばい」
脳が入れ替わる。古い脳は取り除かれ、新品が空の頭蓋に押し込まれる。九九をしてみる。全部わかる。すごい。筋肉の繊維は一本一本がピアノ線のように強靭になる。力こぶを作る。大きい。何でも出来そうだ。
思想が単純に、明瞭に、プラスになりゆく。ポジティブが彼の細胞の一つ一つを侵していった。
「だめだ、俺じゃなくなる」
しばらくぶりの不安を覚える。落ち着かなければ、本当に今の自分はどこかへ行ってしまう。
「そうだ、テレビ、テレビだよ」
彼は普段の自分と同じことをして、冷静になろうとした。画面に目を向ける。今回は刺激を求めるためのルックではなく、気を紛らわすためのウォッチだ。
夕刻を回っているのか、テレビアニメが放映されていた。
「懐かしいじゃないか、ポケモンなんてまだやってるんだな」
必死に沸き上がる興奮を抑え、番組に集中した。
「ポケモン、ゲットだぜ!」
テレビの中の少年が声を張り上げている。
「そういえば、俺が最初に買って貰ったゲーム、ポケモンだったな」
荒い息遣いを認識したくなかった。何か喋ろう。そうして彼は言葉を捻り出した。
「あの頃は楽しかったな。公園でケーブル繋いで友達と交換したりしてさ」
「戻りてぇな。今更だけど」
「ポケモン、楽しいよな」
「でも、もういい歳だしな、いくつだっけ、俺」
何か行動したいという気持ちに、いつもは自然のまま従った。自分がしたいと思うことを拒むことはない。しかし今度ばかりは違う。自分じゃない。何かが自分と入れ替わろうとしている。不信感とグルーヴが喧嘩している。葛藤がある。
「誰か、誰か助けてくれ」
この時彼は、初めて他人に頼ろうとした。生来人の頼みは断れず、与えられた仕事は一人で処理した。あまつさえボランティアなど奉仕活動に励んだ。そんな彼が、本気で助けを求めた。
「いいぜ。で、何をしたらいいんだ?」
声がした。少年の、変声期前の艶のある声だ。
希望に満ちていて、強い意志を持っていることが感じられる、そんな声だった。
声の方を向いた。テレビのスピーカーだった。驚いて画面を注視すると、今自分が見ていたアニメの主人公と目が合った。
「君もポケモントレーナーになろうぜ!」
ドキドキと動いていた心臓が、今度はバクバクとした。
「偶然、そういうシーンが流れてるだけだよな?」
怖くなって、声に出した。
「何を言ってるんだよ?ずっと部屋に篭ってるから可笑しくなったんじゃないか?」
「違う。篭ってるからおかしくなったんじゃなく、おかしくなったから部屋から出ないことを決めたんだ。」
彼はつい答えてしまった。
「よくわかんないけど、ポケモン好きなんだろ?一緒にポケモンマスター目指そうぜ!」
「違う、アニメのキャラクターと会話が出来る訳が無い!違うんだ!」
「どうして、あなたは正常であろうとするの?」
今度は後ろの方から、少女の声がした。綺麗で細い声は、狭い部屋によく響いた。
「今までの生活、思い出してよ。ただ家の中でぼーっとしてただけじゃない。そんなの、どこからどうみてもおかしいでしょ?なのに、あなたはまだ、普通を持っていたいと思ってる。なんだか奇妙じゃない?」
「違う、それが俺にとっての普通で
、普通でありたくて病院へも行った!それで……!」
そこまで発言して、彼は自分が何を言いたいのかわからなくなった。そうして、後ろを振り向くことを決意した。
やはり少女が立っていた。中学生ほどだろうか。金髪で愛らしい顔立ちをしていた。背丈は彼と頭一つ分ほどの差だ。
その風貌を、彼はどこかで見たことがあった。必死にそれを思い出し、彼女も背後のテレビで見かけたことがあるというのが発覚した。
「ね。いいでしょ。もう。わたし達と遊ぼうよ」
再び心臓が暴れだす。少女の可愛らしさに見とれた彼は、自制するのを忘れた。
「あ、だめだ、もう、抑え切れないよ。いいじゃん、そういうことだよ、つまりはそういうこと。うん、好きでしょ。こういうの。うん。テンション上がってきた!あ、歯磨きしないと。歯磨き粉ない?買ってない?そっか。じゃあダンボールでいいや」
彼は立ち上がり、少女に抱きついた。
「うん。これからきみはわたし達といっしょにいようね」
「あ?うん。そうだね。てか、周りの誰だろ」
いつの間にか、彼の周りにはたくさんの人が居た。全員が彼に向けて微笑んでいる。
「あ、ラブりっち。アイリス。覚えてるよ、たまに真面目に見るもん。サッカーしたいな」
「じゃあやればいいじゃん、やるか」
決意し、ドアを開けようとしたが、その手を少女に掴まれた。
なんだ、と目を合わせると、少女は首をゆっくり横に振った。
「あ、そっか、こわいもんね。外。じゃあいいや」
彼は部屋に踵を返し、大声で歌いながら布団へ飛び込んだ。
周りには老若男女、挙句に犬猫、得体の知れない生物もいてすし詰めになっている。
「俺も今そっちに行くからな!行くぞ!ピカチュウ!」
画面の中にいた少年もぬらりと液晶から這い出た。彼は人口密度の高さに怒り、少年とポケモンバトルを始めた。
彼はリザードンを用い、南側の三畳分に立っているキャラクター達を炎で殺戮した。
「あ、いいな。こういうの。人生ってこういうもんだよな。暴れたい。でも、そんなことしちゃ追い出されるもんな。誰に?知らないよそんなん」
早口で呟きながら、空いたスペースへ移動し、かつてデスクとセットで購入した椅子へ腰掛けた。
引き出しをかたっぱしから開け閉めした。そこから宝物が出てくるような気がした。
「あー、はー」
脳で浮かんだことを言葉にするのが面倒になり、ただ声を上げた。がちゃがちゃと机を揺すっていると、宝物を発見出来た。
「あー、これ、携帯じゃん、携帯。知ってる?」
キャラクター達に話しかけると、彼に寄って来た。電源を入れる様を皆がのぞき込む。
「まだ電池残ってるじゃん、いいね」
数十秒間黙り、首を小刻みに振ったあと、彼は立ち上がった。
「あ、小説書こうよ。俺大学出てるし、文書けるよ。ね、何がいいかな。題材はさ、人生がいいな。俺たちさ、生きてるから、書こう。それがいいよ、超大作だね 、よし、書こうよ!」
飛び切りの笑顔で宣言し、フリック入力で文字を打ち始めた。
「お前らも出すからさ、名前、教えてよ。あ、俺が先か、俺はさ、なんだっけ……なんだっけ」
自分の名前を思い出しながら、足でリズムを刻んでいる。机をピアノに見立て、ベートーヴェンの『運命』を引き始めた。
「あー、ベートーヴェン、ベートーヴェン……かわたじゃん、俺、かわただよ、そう書こう……漢字わかんない」
「じゃあ書こう……誰に見せよう、お母さん?いや、死んだじゃん、お前らも、えーと、検索しよう」
彼はグーグルでそれらしい単語を検索すると、『SS速報』なるものを発見した。
「あ?これ、これ、これでいいね、な?誰でも書けるじゃん、早速書こう。自己紹介しないと!!」
どうもかわたです。SS書いてみたのでみなさん読んでください!
2 かわた 2015/01/14(水) 12:52:31.48 ID:mDAaY+i/0
サトシ(ポケモンアニメ):「本日かわたさんは、祭りの場で地面に座って食べて知らないおじさんから拳骨をくらったらしい!!」
アイリス(ポケットモンスターベストウイッシュ):「別に祭りの場だから地面に座って食べても良いじゃないの!!」
デント(ポケットモンスターベストウイッシュ):「かわたさんが精神病院の薬を飲んでなかったら、かわたさんは精神障害を引き起こしてたかもしれないよ!!」
こうして彼、「かわた」はこの「どうもかわたです。SS書いてみたのでみなさん読んでください!!」を投稿するに至った。
現在持ちうる全ての知恵を捻り出し、テレビから飛び出した住人達と相談した。一通りの文を書き終えると、彼は満足し、眠りについた。
翌日、アパートの管理会社から派遣された職員が家を訪れた。家賃の滞納と昨日の騒音が相まったとのことだ。チャイムを鳴らしても出ないが、中からは物音が聞こえる。
「ごめんなさい、出てこないようなら、合鍵あるので開けますよ」
一言断って、彼の部屋の鍵を開け、ドアノブを捻った。
部屋に入ると、カビ臭さがつん、と鼻をつついた。靴からは得体のしれないキノコが生えている。壁は黒ずんでいるし、下駄箱はなぜか破壊されていた。
「うわ、なんだこれ」
そんな状況に驚きながらも、中に居るはずの彼に声を掛けた。
「あのー、すいません、不動産会社のものですが」
返事はない。恐る恐る居間に向かう。
居間に入る直前、廊下からテレビが映っているのが見えた。こんな時間にアニメなんかやっていただろうか。訝しげに思いながらも、物音の正体がこれだったことを知った。
そして、六畳一間に踏み入った。
彼は、そこにいた。布団の上でテレビを向き、あぐらをかいて佇んでいる。彼にとっての常時が、そこにあった。
ただ一つ違ったのは、彼が完全に硬直しているということである。
「あの、川田さん」
職員が肩に手を置くと、「かわた」は人形のように倒れた。崩れ落ちたといってもいいかも知れない。
「あの、ちょっと!ちょっと!大丈夫ですか!」
これは只事ではないと思い、急いで携帯を取り出し、110と119に電話した。
しばらくして、パトカーやら救急車が到着し、アパートに野次馬の群れが出来た。
職員は、後に警察官から「君のしたことは不法侵入だ」と注意された。その時
「それじゃ、私は逮捕されるんですか」
と訪ねた。
「いや、不法侵入された本人がもういないからね、状況が状況だし、厳重注意ということにしてあげよう」
「もういないって、つまり」
「餓死だそうだ」
彼は、職員が訪れた時、既に死んでいたらしい。
「普通は餓死寸前になるとね、動くことが出来ないから亡くなってもしばらく気が付かれないんだ」
「しかし、川田さんの家からは騒音がしたと苦情が、それに数人で騒いでいたと……」
「そこだ。それについては操作中なんだけど……、あまり、一般の方に内情を教えるわけにはいかないから、すみませんね」
未だにその謎だけは解明されていない。管理会社は早く捜査を終わらせて、部屋をクリーニングしたいとの意向だ。警察としても、死因自体ははっきりしているので深入りはよそう、という雰囲気らしい。
以上が、私が川田について持ちうる知識の一切です。
読んで下さった皆さん、ありがとうございます。
オチはありませんが、なぜ川田がこのような所へ書き込みをしたのか、考えながら作文致しました。
私は川田のかつての友人であり、身寄りのない彼の葬儀の執り行いを任されました。
今までの話は、警察の方から聞いたものです。あれ?
川田とは高あれ?校時代の友人であおかしいり、優秀だった川田って誰彼とテストの点数そんなのあったかを競ったりしました。
ん、なんか警察から聞いたこと以外のことも脚色しちゃってるかも。ちょっと読み返してきます。
おかしいな。なんで知ってるんだ?かわたのこと。俺はアイツの友達じゃない。
そうだよ、アイツの心の中まで分かるわけないもんな。皆さんもそう思いますよね?
私もそう思います。アイツって誰?
ごめんなさい!思い出しました!ぼくがかわたです!!
前のSSは途中だったので、こちらで、続きを書きます!
じゃあタイトルです!!
「どうもかわ
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