晴絵「新春ちびっ子ss祭りはじまるよ彡☆」
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昔昔––––。
ある処に、お爺さんとお婆さんが二人で住んでいました。
お爺さんは嘗てのボーリングブームに乗っかり脱サラをし、ボーリング場経営に手を出しました。
しかし、今やブームもすっかり廃れ、ボーリング場も閑古鳥が鳴く始末。おまけに、阿知賀にも新しくラウンドワンが建つこととなり、これからどうしようか、このままでは二人は路頭に迷ってしまうのではないか、とお婆さんは身の振りを案じながら河へ洗濯に行きました。
すると、川上の方より。
ドンブラコ––––。
ドンブラコ––––。
と、何とも形容し難い音を立て、大きな桃が流れて来ました。
おかしい。
桃は––––こんなには大きく成らない筈だ。
大きい桃、それは嬉しい事だが、これでは些か大き過ぎる。過ぎたるものは不気味でしかない。ならば作り物か––––。いや、作り物にしては、出来が良過ぎる。
しかし。
どちらにせよ、持って帰って損はしないだろう。
食べられるのならこんな御馳走は無いし、紛い物なら紛い物でもこのくらい精巧な造りなら、何か置物にでも使える。最悪、漬け物石にでも––––。
池田ァをも殺す好奇心で、お婆さんはその桃を持って帰ることにしました。
お婆さんは早速、河の中へ入り桃を捕まえようと構えました。
河の水位は、お婆さんの膝より少し上、大腿が半分程度浸かるぐらいでした。流れが急なら立つのも無理でしょうが、幸い昨日今日と良い天気が続いた為、河の流れはとても緩やかです。それに、お婆さんの足腰は日ごろのボーリングで鍛えられていて、迚も健脚です。ちょっとやそっとではびくともしません。
やがて。
ドンブラコ––––。
と、桃がお婆さんの傍まで流れて来ます。
間近で見ればその桃のなんとも大きいこと––––お婆さんは一瞬肝を潰しましたが、それでも何のと気を奮い立たせ桃に飛びかかりました。その様子は丁度、相撲を取るような体となりました。
捕まえてみれば案外あっさりと桃を引き上げる事が出来ました。
お婆さんは桃に襷を掛け葛籠のようにして背負い、家路につくことにしました。
家路の途中、お婆さんはずっとこの桃をどう食べるか思案しています。
桃のずっしりとした重さや艶やかな白桃色のグラデーションが、お婆さんの脳裡に瑞々しい果肉の甘さを思い浮かべさせました。
家に帰ると早速、お爺さんと桃の事について相談しました。
色々思案した結果、お爺さんは鮪を切るような包丁を何処からか借りて来て、これで桃をまっ二つにしてみるのが良いと言いました。お婆さんもそれに賛同し、いよいよ桃を斬ろうとお爺さんは包丁を桃の真上から振り下ろしました。
包丁の刃はズブズブと、桃の果肉を上の方から裂いていきます。
やがて、桃の天辺から十寸ほどの処で、何やら固いものに突き当たりました。
おや––––。
これは何かな––––。
種にしては固過ぎる。かといって、桃に骨が在るなど聞いた事もない。ですが慥かに何か固いものに当り包丁で斬れなくなってしまいました。
固い物体––––お爺さんには、微かにこの感触には覚えがありました。
ボーリングだ––––。
ボーリングの玉の固さだ––––。
しかし、桃の中にボーリングの玉が入っているなんて、そんなオカルトはありえません。ならば、お爺さんの勘違いの他に無いでしょう。
ですが、お爺さんは仮にもボーリング場の経営者。
嫁と熊を見間違えようとも、ボーリングの玉を見誤るのはもっとありえません。
商売柄なのか、神聖なボーリングの玉に包丁を入れる事が出来ず、そのまま包丁を引き上げてしまいました。
すると桃は、不思議な事に縦の切れ目から段々と割れていき、独りでに真っ二つになりました。
お爺さんとお婆さんが仰天する間もなく、桃の中からボーリングの玉を真上に掲げた、指ぬきグローブの可愛いらしい赤ん坊が出て来ました。
灼「わずらわし…」
赤ん坊は珠のように可愛らしい女の子でした。
子供が居なかった二人は、桃から産まれたこの不思議な女の子を育てることにしました。
桃から産まれたので『桃子』にしようと謂うお爺さんの提案を、別のキャラと被るという理由で『灼郎』にしようとお婆さんが言った為、女の子の名前は灼郎に決まりました。
こうして、灼郎は麻雀を打ったり、近所の老人である熊倉トシと相撲を取ったりしてすくすくと成長してゆきました。
そんなある日––––。
灼郎は、暇を持て余し近くの海へ釣りへと出掛けることにしました。
まだ8月の暑い最中で、この時期の防波堤ではサビキがよく釣れると-59,400点から聞き、奈良の阿知賀から、隣県の三重県の伊勢まで足を伸ばしました。
灼「今日は魚をたくさん釣って帰って晩ご飯にしよ…」
すると。
浜の方が、なんだか騒がしい。どうやら悪餓鬼数人が何やら囲んでいます。
おや、と思い灼郎が遠方から覗いてみますと、
宥「あわわ…」
「なんだこいつ……?」
「変な奴だな」
と、何やら人集りの真ん中で、海亀が一匹震えていました。
灼「あれは…いじめ……?」
可哀想な海亀は、数人の悪餓鬼に苛めらているようです。
宥「た、助けて玄ちゃん…」
灼「やめるのです…僕達…」
灼郎は果敢にもいじめっ子達に立ち向かいました。
灼郎は一際小柄な少女、悪餓鬼達に敵う訳はありません。しかし、彼女の中にある育ての親より貰った名前と同様に燃えるような正義の灼焔が、苛めを見過ごすことを良しとはしませんでした。
「なんだコイツ?生意気だな」
「やっちまおうぜ!」
諫められたのを佳し、としなかったのか悪餓鬼が灼郎に向かって来ました。
悪餓鬼の一人が灼郎の頭上に棒切れを打ち込みます。
灼郎はそれをひらりと避けると、体制を崩し前のめりになった悪餓鬼の頭蓋を中指と薬指と親指とで掴み上げボーリングの玉ように他の悪餓鬼達へと投げ付けました。
「ぐげぇぇぇ!!?」
悪餓鬼達は投げ付けられた悪餓鬼に体当たりされ、ピンのように倒れ込みました。ストライクです。
灼郎の強さを目の当たりにした悪餓鬼達は、そのまま反撃する気も失せたのか、そそくさと逃げて行きました。
宥「あわわ…ありがとう…」
灼「大丈夫…?」
海亀は助けられた事に礼を言いました。
海亀の名前は松実宥と云います。
どうやら、彼女は竜宮城という場所から一人で地上に使いへやって来た処、悪餓鬼共に捕まってしまったようです。
宥「助けてくれたお礼をしたいのだけれど……」
灼「お礼?」
宥「そうだ、ぜひとも私達が棲んでいる竜宮城へ来て下さい。あったかいさーびすもいっぱいしますよ」
灼「竜宮城か……」
灼郎も竜宮城を風の噂でその名を耳にしていました。
伊勢志摩の鳥羽湾の海中深くに、それは美しい宮殿が聳えていること。鯛が舞い比目魚と踊る、珊瑚と貝の笛太鼓––––。値段も大変リーズナブルで、この辺りの同値段帯の店と比べると大層佳い店であることも聞いています。
どうせ、今日明日と暇をもてあそぶ身、行かない手はありません。
灼郎は二つ返事で宥亀の提案に乗りました。
宥「それでは、浦島灼郎様ご案内~」
と、言うと宥亀は灼郎を背中に乗せて、海をゆるりと進みました。
宥亀の背中はこの時期には少々温かすぎましたが、灼郎は我慢して宥亀の甲羅にがっしりとしがみつきました。
やがて、浜から発って数十分程したところで、
宥「これから海の中へと潜るので、私の甲羅の中にある酸素ボンベを咥えて下さいね」
灼「酸素ボンベ……っと、ここにあるのかな……」
灼郎は言われた通り、宥亀の甲羅を探りました。灼郎は大量のホッカイロの山を掻き分けて、酸素ボンベを取り出し、それを咥えます。
灼(あっ……そういえば……)
海へと潜るので当然、服などは濡れてしまうでしょう。
灼「あの……海に潜るとせっかくのお気に入りのたぬTが濡れて……」
と、云う前に海亀は灼郎を乗せたまま、海中深くへと潜ってしまいました。
大分、潜ったかな––––。
と、云う処で、何やら眩い光が見えて来ました。
宥「もうすぐ着きますよ」
宥亀は灼郎へ言いました。灼郎はあれが竜宮城だな、と思いました。
竜宮城は、紅塗りの柱に中華風の佇まいをしており、よもや海中深くにこんな場所があるとは、灼郎も驚愕しました。
灼郎を乗せた宥亀は、やがて竜宮城の門から中へと入って行きます。出迎えてくれた鯛や比目魚のお供を、灼郎は美味しそうだなと、考えながら玄関のような場所で宥亀の背から降りました。玄関に入れば、そこには空気があり酸素ボンベ無しで充分でした。
玄「うわわ、ようこそ竜宮城へ。私はそちらの宥亀お姉ちゃんの妹で玄亀と申します」
出迎えてくれたのは、どうやら宥亀の妹のようです。
宥「玄ちゃ~ん」
玄「お姉ちゃんお帰り」
灼「あの…」
玄「姉が大変お世話になりました。ささ、灼郎様こちらへ。乙姫様もお待ちかねですよ」
灼「乙姫…」
灼郎は二匹の亀に案内され、廊下を進みました。流石は竜宮城、音に聞こえる名誉通り、内装に至っても素晴らしく美しいものでありました。灼郎はまさに夢心地です。
––––少々腥いのを我慢すればね。
それにしても乙姫と謂う人物。二匹の亀の話からすれば、どうやら此処の主人のようなものでしょう。姫––––なんて呼ばれる程です、きっと迚も美人なのだろうと灼郎は考えました。よくよく見ると、二匹の亀も大層美しく、スタイルも抜群です。
さぞかし乙姫は美しい身形をしているのだろうな––––。
きっと、独特の赤毛の髪型をし、ネクタイを締めたシャレオツな風采をし、アラフォーなんかにも恐れを成さず、阿知賀の希望を背負って立つレジェンドのような雰囲気(オーラ)を漂わせる美しすぎる美人雀士––––。
と、灼郎は期待に胸を躍らせながら、宥亀と玄亀の後を着いて行きます。
やがて。
バナナと中華蕎麦が絵描かれた襖を開け、何やら豪華な部屋へと入って行きます。
奥より灼郎達へ寄って来る陰が見えます。灼郎はこれがきっと乙姫だと、判りました。
穏乃「ようこそ灼郎さん。私がこの竜宮城の主人、乙姫です」
と、出て来たのは、ジャージに天女の羽衣のようなもの羽織ったなんともアンバランスな出で立ちをしたちんちくりんでした。
灼郎「あなたが乙姫…」
穏乃「はい、地上では宥さんを助けて頂いてありがとうございました」
乙姫はぺこりとお辞儀をしました。
姫と呼ばれる割に、迚も礼儀正しいので灼郎も期待を裏切られたことを忘れ、気分も好くなりました。
穏乃「ささ、今お料理を用意しますのでこちらへ」
と、言われ座敷の方へと案内されました。
穏乃「今日は特別に私が腕を振るいますので、楽しみにしてて下さい」
思い返せば此処へ来るまで、何も食べていません。
朝もお茶碗半盛りの麦飯とめざしが三尾、それと味噌汁に永谷園のゆうげを食べたくらいでしたので、灼郎は大層期待しました。
やがて、玄亀が朱塗りの盆に載せて料理を持って来ました。
玄「お待たせしました。前菜です」
灼「なにこの…」
料理は、何やら黒く煤けた物が二枚と、目玉焼きがひとつ。その目玉焼きも焼いている時にしくじったのか、目玉が潰れて何だか泣いているように見えます。
灼郎は取り敢えず、黒く煤けた何かに箸をつけ、一口齧るとまた盆へと戻しました。
灼「もぐもぐ…うん…」
どうやらこの黒こげは、焼き過ぎたベーコンのようです。
目玉焼きの方は、まだ食べられる味でしたが、胡椒すらかかっていない味気の無い目玉焼きは、口の中を何だか切なくさせました。
玄「いかがでしょうか?普段は私の仕事ですが、今日は特別だと云うことで乙姫様が自ら料理なされたのですよ?」
灼「びみょ…」
玄「微妙に美味い!喜んでもらえてこちらも嬉しいです。さぁ、次は副菜と主菜を持って来ますからね」
と、言うと玄亀はまた厨房へと戻って行きました。
灼郎は、改めて竜宮城内を見渡しました。よくよく見れば自分以外の客の姿は無く、鯛や比目魚も暇そうにスマホを取り出していました。
もしかして、この店地雷かも––––。
と、今更ながら感づき始めたのです。
玄「お待たせしました。副菜のバーニャカウダです。あと、すみませんが主菜はもう少し時間がかかりそうです…今、買いに…じゃなかった、作り直している最中ですので」
灼「気にしないで下さ…」
これを食べたら、此処を出よう。
皮の剥き切れていない野菜をよく判らない味のソースに浸け、もっさもっさと食べ始めました。ソースの量の割に野菜が多く、最後にはその儘何も浸けずに口に運びました。
バーニャカウダを食べ終えた丁度その時、襖の向こうから声がします。
宥「玄ちゃん、買って来たよぉ」
と、宥亀がマックの袋を携えて部屋へ入って来ました。灼郎はもう、何もつっこむ気が起きません。
さてさて––––。
処が変われば譚も代わります。
此処は、大阪千里山のさる大金持ちのお屋敷。日がなのどかな昼の頃に、何やら少し慌ただしい様子です。
竜華「怜ー!死んだらあかん!」
怜「竜華ぁ…」
何やらさめざめとした表情の長い黒髪の少女が床に伏せてる少女の名前を呼んでおります。横にはお医者様が座って、云々と考え込んでいます。
この黒髪長髪の少女、名は清水谷竜華と言います。
この竜華と謂う少女、ここら一帯の香具師を束ねる元締でもあります。お屋敷も彼女の持ち物なのです。そして、屋敷の床で寝ている少女は、竜華の一番の友人の園城寺怜です。
どうやらこの怜と言う少女が、騒動の一因のようです。
怜「うち、最後の最後で竜華と一緒に居られて幸せやで…」
竜華「怜!そんなん言うのやめて!」
怜はか細い声で、竜華に言います。
竜華「なぁ、怜助かるやろ?どうなんや、お医者様!」
竜華は医者に縋ってきました。
憧「ふんふむ…残念ですが、彼女は『膝枕過剰摂取症候群』に掛かっています。あと、持病の尺と慢性の仮病も併発して、大変危ない状況ですね」
竜華「それはホンマなんですか!?」
憧「マジマジ、偏差値70のこの私が云うのだから大マジよ」
竜華「そんなぁ…怜、怜ー!」
それを聞くと、竜華はまた怜に泣きつくように縋りました。
怜「うわぁ…竜華、泣かんといて。竜華の涙で布団がぐしゃぐしゃや」
竜華「せやかて…怜。なぁお医者様、怜の病気を治す方法は無いんか?」
憧「一つだけあるわ––––」
竜華の問いに、医者は答えました。
竜華「なんや?怜を元気にする為ならうちなんでもやるで!」
うーん、と一唸りしてから、一言。
医者は言いました。
憧「無いことは無いけど…」
竜華「あるんやな!」
医者の言葉に興奮した竜華は、前のめりとなり、
怜「ぐわぁ!?りゅ、竜華ぁ…苦しい…」
竜華「うわわ、ごめんな怜…」
と、怜を思わず踏みつける程でした。
憧「まぁ、ちょっと手に入れにくい物が必要なんだけどね…」
竜華「なんや、もったいつけずに言ってえな」
医者はこほんと咳払いをし、
憧「シズのジャージ…」
と、言いました。
流石の竜華も、初めて聴くような物だったので、最初は医者の狂言ではないかと疑いました。
竜華「なんや?『シズノジャージ』って?ホンマにそれで怜の病気が治るんやろうな?」
竜華は訝しんで、そう言ました。
憧「そうよ。それが有れば園城寺さんの病気が総て治るわ」
竜華「はぁ…俄には信じ難いなぁ––––嘘やあらへんやろな?」
憧「レズビアン嘘つかない」
怜「竜華ぁ…うち、ちょっと睡く––––」
次第に怜も微睡み始めました。
竜華「解った。信じるわ」
憧「OK、じゃあ、手に入れたら私に一番に渡してね。それを使って園城寺さんの治療をするからね」
藁にも縋るとはこの事でしょうか。
竜華は、医者の言うことを信じて、この『シズのジャージ』なるものを捜すことにしたのでした。
暫く経つと、お屋敷の大広間に数十人の男達が集められました。竜華が率いる香具師達です。
何れを見ても厳つい顔の男達です。普段より荒っぽい彼らは、一箇所に集められ大人しく出来る筈もなく、やがて博打を始める者、喧嘩を始めるものと、それはもうてんやわんやでした。
しかし、奥の襖から元締である竜華が現れるとあんなに荒れていた男達は水を打ったかのように静かになりました。
女伊達らに、竜華の威厳は伊達ではなかったのでしょう。
男達は、
「お嬢、お早う御座います」
と、一斉に頭を下げ挨拶をしました。
竜華「おう、この忙しい時期に、よう集まってくれたな皆。うちはお前達みたいなお弟子を持てて嬉しいで」
竜華が労いの言葉を掛けると、
「お嬢!とうとう、辻垣内組へカチコミを掛けるんですね!」
と、一人の血の気が多い男が熱り立って云いました。
竜華はそれに、
阿呆か––––。
と言って喝を入れると、その儘、男達へ今日医者に云われた事を話しました。
竜華「と、云う訳や。その『シズのジャージ』とか云うのをお前達に捜して来て欲しいんや」
やはり。
男達はざわつき始めました。
古くは四十年以上前から此処で商売をしている者でも、『シズのジャージ』なる物を見た処か、聞いた事も無かったからです。
やがて、竜華は携えていた木刀を鳴らし、男達に声を張り上げました。
竜華「四の五の謂わず、さっさと捜してこんかい!」
狂気百合の竜華––––。
それが、清水谷竜華の通り名です。
名に違わず、その気になれば此処に居る男数人程度なら纏めて相手に出来る程の力を持っています。ちょっと気の弱い男なら、彼女の一声で震え上がって何も出来なくなってしまうでしょう。
此処へ集まった男共も例外ではありません。
ただ、何と云われようとも、見た事も聞いた事も無い物を捜せる筈も––––。
竜華「持って来たもんには、勿論礼金をたっぷりはずむで」
その時。
玄関の方の襖より、一匹の蟹が現れました。
洋榎「その話––––うちが引き受けたで」
蟹が––––迷い込んで来た。
男達は、現れた怖いもの知らずの蟹に対してヤジを飛ばします。荒っぽい男共のことです、今にも茹蟹にする勢いで、蟹に声を荒げます。
やがて、竜華がヤジを制止させると、
竜華「何や蟹が一匹迷い込んで来て…」
この場で巫山戯られるのを佳しとしない竜華は、凄みのある声で、
あんま莫迦やってると蟹雑炊にするで––––。
と、言放ちました。
普通なら、本気の竜華に睨まれれば、高が魚介類など縮み上がり乾物になってしまいます。しかしこの蟹は、竜華の鋭い眼光にも臆する事無く、平然と言葉を続けました。
洋榎「まぁまぁ、そう怖い顔しなさんなや…うちがその『シズのジャージ』を取って来たるって言ってるんや」
竜華はその言葉に、直様飛びつきました。
竜華「ホンマか!?アンタ、本当に『シズのジャージ』について知ってるんか?」
洋榎「噫、よお知っとるで。『シズ』っちゅうのは昔々、うちと喧嘩をした猿のことや––––」
猿蟹合戦––––。
ちゅうもんを知っとるかいな。と、蟹が言いますと、周囲は忽ちに震え上がりました。
猿蟹合戦と謂えば、数千匹の猿の軍勢と数千匹の蟹が率いる連合が、衝突した事件として余りにも有名でした。
その血で血を洗う抗争の、主人物––––。
それが『シズ』と名乗る猿の事であるならば、これは少々厄介です。
竜華「その『シズ』っちゅう猿が持っとるんやな?」
洋榎「あぁ、本名は高鴨穏乃。山神の穏乃と呼ばれとった奴や––––」
猿が山登りが得意なのは、当然です。
それでも、穏乃と云う猿がそう呼ばれると謂う事は、猿の中でも特出して山が得意ということでしょう。
洋榎「今、その穏乃とか謂うエテ公は、伊勢湾に沈む竜宮城とか言う料理屋の主人に収まっとる」
竜華「竜宮…あぁ、あそこの店か。噂くらいは聞いた事あるな」
洋榎「せや。『ジャージ』っちゅうのは、奴さんが年中 羽織っとる着物の事や」
竜華「着物?」
洋榎「それをうちがちょっくら行って捕って来たるっちゅう訳や––––」
と、蟹が言いますと、竜華に向かい手を差し出しました。
竜華「なるほど、せやから報酬をくれっちゅう訳か––––」
竜華の眼光が鋭く光ります。
竜華「で、いくらや?」
洋榎「最低でも五百漫もあったらええかな…」
––––手前、蟹鍋にされたいか。
––––今すぐボイルにして喰ってやんぞ、ワレェ。
と、男達より再び野次が飛びます。
それを竜華の一睨みで制止させると、竜華は言葉を続けました。
竜華「判った五百漫やな––––」
竜華が合図をすると、何処からともなくやって来た女が札束の入ったスーツケースを持って来ました。
泉「締めて合計五百漫きっかりです––––」
洋榎「ほうほう、ええ心掛けやなぁ。仕事前に全額払ってくれるやなんて」
と、蟹が言うと、竜華は、
竜華「全額やあらへん。前金や、前金で五百漫、ジャージを持って帰って来たらもう五百漫出そう」
洋榎「うへぇ…締めて一千漫かいな…気前ええなぁ」
竜華「但し––––」
しくじった場合。地の果てでも追掛けて、カニクリームコロッケにしたるさかいな、と竜華はドスの利いた声で言放ちました。
洋榎「任せとき。うちに掛かればあの猿からジャージを剥ぎ取る事くらい朝飯前や」
物動じもせず、蟹は言うと前金を受け取り、さっさとお屋敷を出て行きます。
さてさて––––。
こうして一匹の蟹が、灼郎の居る竜宮城へと足を運ぶこととなりました。
竜宮城にて乙姫と名乗る猿の穏乃––––。
親友の病に心を痛める少女竜華––––。
そして乙姫のジャージを狙う蟹の洋榎––––。
様様な思惑が此処、竜宮城にて絡まり合い、物語は益々混迷を極めてゆきます。
果たして、灼郎の手が選ぶ運命は––––。
一旦中断します。
そして、当の竜宮城はと言うと、
灼「波の谷間に~命の花が~二つ並んで咲いている~♪」
穏乃「やんややんや」
玄「お上手です。灼郎さん」
宥「あったか~い~」
どうやら食後のカラオケ大会に夢中なようです。
あの後、なんやかんやで乙姫達に引き止められた灼郎は、なんだかんだで竜宮城での生活を満喫しているようです。
灼「ふぅ…何点かな?」
『はやや~80点だよ彡☆』
玄「なかなかのなかなかですのだ」
穏乃「お上手ですね!次は私が歌いましょう」
美しい竜宮城と、魚達の楽しい踊り。
海中という異界の土地も、平地とは違ってなかなかに見応えがあります。
灼郎は、すっかり時が経つのも忘れ、乙姫達と遊び呆けました。
灼「ふぅ…楽しかったな…」
ふと、遊び疲れた灼郎は、もう大分経ったかなと思い回りを見渡しました。
海中である為、一体今が昼なのか夕なのか、はてさて判らなくなっています。しかし、此処へ来て半日経過したのは慥かです。
灼郎は、お爺さんお婆さん、それにボーリングの事を思い出して、何となく帰りたくなりました。
玄「やや、どうしました灼郎さん?」
灼「いや…もうそろそろお暇しようかなと…」
灼郎がそう云います。一瞬、乙姫の顔に陰りが見えたと思えば、
穏乃「いやいや、もう少し居て下さいよ」
と、また笑顔で引き止められました。
しかし。
それでも、灼郎は家に残して来たお爺さんお婆さんが気掛かりだったので、何とかそれを説明して玄亀、宥亀に地上まで送ってくれるよう頼みました。
やはり。
乙姫が一瞬険しい顔をすると、渋々了承したのか、
穏乃「判りました。それでは宥さんに送ってもらいましょう」
と、その前に––––。
そう言って、乙姫は奥の部屋に消えました。
それから暫く、
穏乃「帰りの、お土産があるんですよ––––」
と言って、何やら小さな箱を持って帰って来ました。
漆塗りの美しい箱でしたので、灼郎も大変気に入り、箱を受け取ると早速空けてみようとしましたが––––。
灼「箱の中身は何だだろな…」
穏乃「うわわ、だ、駄目ですよ。そ、それは地上に帰ってからでないと、大変なことになりますよ」
と、諫められたので、灼郎も箱を空けるのは地上に出てからのお楽しみに取っておく事にしました。
さて。本格的に帰るぞ、となり宥亀と共に玄関へ近付いたその時、何やら玄関の外から門の辺りに何かの影が見えました。
人かな––––。
まさか人が海中を潜って来られる訳がありません海亀の仲間でもなさそうです。影は段々近付くと、赤いシルエットを露にしました。
そうです、先ほどの蟹の愛宕洋榎が竜宮城へとやって来たのです。
洋榎「久しぶりやな、山神の穏乃…よもや、こんな場所で料理屋の主人に収まってるとは、思いもよらんかったで」
穏乃「な!?お前は、蟹!」
洋榎「まぁ、立派な処に住んでもその阿呆面は相変わらずやな」
穏乃「なんだとー!蟹、何しに来たんだ!」
灼郎は、何だか面倒くさいことになりそうだなっと、思いながら二人の会話を傍で聴いていました。
洋榎「お前のジャージはさるお方のお病気を治す為に必要なんや。うちはそのお方から、金を貰って竜宮城の阿呆猿からジャージを剥ぎ取りに来たちゅう訳や」
穏乃「なんだと!?」
灼「ジャージで病気を治すとか…ありえな…」
宥「ぶるぶる…ジャージを剥ぎ取られたら、乙姫様凍死しちゃうよぉ」
玄「あわわ…大変なことになりましたのだ」
亀の姉妹も突然の事にどうして佳いか判らず、あたふたしています。
洋榎「お前から、ジャージを取って来んことには、うちは蟹シュウマイにされてまうんや。悪いけどさっさと渡してもらうで」
穏乃「厭だね!蟹グラタンにでも何でもなればいいじゃないか!」
灼「あの…とにかく、私を地上へ送って貰えませんか?」
灼郎の声も、今の二匹には当然届きません。
洋榎「はよジャージを出せ!うちはジャージにしか興味は無いんや!お前が持ってることは、風の噂で訊いとるんやで」
穏乃「ほう…」
どうやら、蟹は乙姫が着ている服そのものが『ジャージ』だとは気付いていないようです。乙姫は、これはチャンスだとばかりににやりと笑いました。
穏乃「それなら、『ジャージ』は蟹さんにお渡ししましょう。私も無益な争いはしたくありませんからね」
乙姫の態度が、先ほどとは打って変わって朗らかになりました。
洋榎「おっ、話が判る猿やん。ほな、はよ持って来てもらおうか」
乙姫の瞳が、またしても一瞬怪しく光りました。
穏乃「実は、『ジャージ』はこの竜宮城の奥にある海底洞窟の深部に干してあるんです。お渡ししますんで、蟹さんも着いてきて頂けませんか?」
洋榎「海底洞窟?ふん、難儀な処に仕舞っとるんやな…」
穏乃「ふふ…なんせ『ジャージ』はここ海の中ではなかなか貴重な物で、ちょっと複雑な場所へ置いておかないと、すぐ盗られるんですよ」
洋榎「ほう…なるほどなるほど。慥かにどんな難病も治せる『ジャージ』とか云うのは、凄く貴重そうやもんな」
ユニ○ロにでも、買いに行けばいいんじゃないかな––––。
と、灼郎は言い出そうとしましたが、頭蓋にまで海藻の詰まったこの二匹に言った処で、どうしようもないのじゃないかと思い、言葉を噤みました。
穏乃「さあ此方です。付いて来て下さい」
洋榎「ほなお邪魔させてもらうわ」
蟹はずかずかと玄関から竜宮城内へと上がって来ます。
玄「私も着いて行きますよ」
灼「あの…帰りたいんですが…」
宥「ぶるぶる…海底洞窟は寒いから嫌だなぁ…」
玄「お姉ちゃんも、そんなこと言ってないで行くよ」
玄亀と宥亀もそれに着いて行ったので、灼郎一人だけが取り残される形となりました。こんな処で、一人待っていても仕方がないので、灼郎も後から着いて行くことにしました。
灼「煩わし…」
長い廊下の、そのまた先にある長い渡り廊下へ、その一番端にまで行くと一際旧い扉があります。乙姫の話では、此処が海底洞窟の入り口なのだとか。
洋榎「うへぇ…此処かいな」
穏乃「はい、この中に『ジャージ』を干してあります」
やたらニコニコと愛想の良い乙姫に急かされ、蟹が扉を開けます。
洋榎「お邪魔します…って、誰も居らへんか…」
燈すら無い洞窟内は、ただ何処までも広がる暗闇だけが静かに支配していました。蟹は、『ジャージ』を何処に干してあるのか問い質そうと、扉の方を振り向きました。
しかし。
蟹が気付くと、扉はぱたりと閉まっていたのでした––––。
洋榎「クソッ!はめられた!あの阿呆猿」
扉を叩けども、返事は全くありません。
哀れ洋榎蟹は、乙姫に計られ洞窟内へと閉じ込められてしまったのです。
洋榎「こらー!うちを此処から出せー!」
どんどんと扉を叩く音が、空しく虚空を舞います。
洋榎「うぅ…出してえな!うわーん、おかんー絹ー!助けてー」
とうとう泣き出す始末です。
けれど、いくら叫んだって扉が開く事はありませんでした。
洞窟内は、まるで冷凍庫の中のように冷たく、蟹の体力を奪っていきました。
洋榎「ぐすっ…うちは此処でチルド冷凍されてまうんやろか…」
ボイルにされる前に冷凍保存されるとは流石に笑えません。
蟹は少しでも、此処から出る方法を探る為、手探りで洞窟内を探索することにしました。これといった燈もないので、洞窟の壁を伝って他の出口はないか捜ぐってみますが、やはり他の出入り口は見付かりません。
やがて、暗闇に眼が馴れて来たのか、幽かに何か大きな塊が洞窟の真ん中に鎮座してあるのが見えました。ずっと伽藍堂だとばかり思っていた洞窟ですが、実は何か大きな物を保管する保管庫だったのです。
なんやろこれ––––。
と、蟹は考えて、塊まで近付く事にしました。触ってみると、どうやらこれは大きな氷の塊だと言う事が判りました。
––––氷塊か。
いずれ、うちもこの氷の一部になるんやろうな。
と、蟹はすっかり諦めて、地べたにへたり込んでしまったのです。
その時。
ピシッ––––と、何やら氷の裂ける音が、洞窟内へ響きました。凡てを諦めた蟹は最早、気にする素振りも見せません。
一方、外ではしめしめと言った様子の乙姫と、それを見ていた灼郎が居ました。
穏乃「はは、上手くいったぞ。何が阿呆猿だ、阿呆なのはお前の方だったな」
灼「流石にかわいそ…」
穏乃「自業自得ですよ、灼郎さん。私のジャージを剥ぎ取ろうとした者は、みんなこうなるんです」
その時、玄亀と宥亀が気色ばんで灼郎達の元へ駆け込んできました。
玄「あわわ、大変!人間達がここへ責めて来たよ!」
宥「きっと、蟹さんが言ってたジャージを剥ぎ取りに来た人達だよ」
どうやら、蟹の帰りが遅いことに業を煮やした清水谷竜華が、使いの人間を此処竜宮城へと送り込んだようです。
穏乃「くくっ…愚かな人間共め…」
灼「あの…本当にもうそろそろ帰して貰えないでしょうか…」
穏乃「本当は、灼郎さんが地上にまで持って行ってから作動させるつもりでしたが…灼郎さん、その箱を開けてみて下さい」
灼「えっ…開けていいの?」
と、灼郎が言ってる側で箱を奪い、するすると紐を解き、箱を開けました。箱の中身には、何やら判りやすい髑髏のスイッチが一つ、箱の真ん中に設置されてました。
穏乃「ははは、これでどうだ!」
乙姫がスイッチを押すと、突如洞窟の方から地鳴りが響きました。やがて四方から海水が浸食して来ます。当然灼郎は人間なので浸水すればどうすることも出来ません。
あれよあれよと言う間に、灼郎は海水に飲まれ、その儘気を失ってしまいました。
噫––––。
どうしてこんなことに––––。
––––私は濱で、気の毒な亀を助けただけなのに。
灼郎の僅かに残った意識も、竜宮城と共に海中へと消えて往きました。
短いですが今日はここまでです。
再開しまぁす。
––––つがいのカモメが、二匹仲良くカァカァと鳴いています
やがてざわざわと波打つ音と共に、灼郎は目覚めました。
灼「此処は…」
宥「よかったぁ。起きたよ玄ちゃん」
玄「灼郎さん、よくご無事で」
見渡してみると、此処は灼郎が遊びに来ていた濱のようでした。
灼「あれ?竜宮城は?乙姫様は?」
宥「竜宮城は崩壊しました。灼郎さんはその時、海水に飲まれ意識を失っていたんですよ」
玄「お姉ちゃんと私が此処まで連れて来ました」
ふんす。
と、玄亀が得意げに言いました。
灼「それはどうも…でも乙姫はどうしたの…あの箱は一体何だったの?」
宥「それは…」
その時、波が迚も荒くなって来ました。
おかしいな。
今日はこんなにも天気も能いのに––––。
灼郎は、不思議に思い海の方を見ました。すると、何やら大きな影が、地平線の向こうより近付いて来るのが判りました。
影は。
とてつもなく巨大で、まるで夜が来たかのように真っ黒でした。輪郭がはっきりしてきても、なお墨のように黒いその影に、もう一つ、それは小さな小さな影が乗っていました。
乙姫です。
乙姫が乗っているものは何だろう––––と、灼郎が考え込んでると、足下に赤いものが漂流して来ました
洋榎「うぅ…おかん…きぬー…たすけ…」
灼「あなたはジャージを奪いに来た蟹…」
他にもこの影に気付いたのか、どんどん野次馬が濱へ押し寄せて来ました。地元の漁師も、普段は穏やかな海の変異をじっと眺めています。
やがて、地上のどんな建物よりも大きいのではないかと言う程の黒い影より、迚も大きな声が響きました。
「ぼっちじゃないよー」
巨人だ––––。
海から巨人が進撃して来たぞ––––。
周囲の人々がざわめき立ちました。
海を裂くようにして進む巨体。その巨体は陽の光を隠し、辺りを夜の如く真っ暗にしてしまう程です。
灼郎達も危険を感じ、逃げることにしました。
灼「なに…あれ…?」
洋榎「うちが洞窟で見た氷塊の中身や!穏乃は竜宮城の奥に、あのバケモンを隠しとったんや」
「遁げてもー…追っかけるけどー」
恐ろしい化け物の出現に、辺りはパニック状態に陥りました。流石の警察も、このような怪物には成す術もありません。
やがて、巨人の肩に乗った乙姫より、声明が出されました。
穏乃「やい!逃げ惑う愚かな人間共よ、私は猿の穏乃だ」
洋榎「なんやお前!一体何を考えとるんや!」
穏乃「お前達人間は、核兵器を使い海を汚し土地を汚し、あまつさえ杜撰な管理で原発事故まで引き起こしたな。この怪獣はな、お前達の水爆実験に巻き込まれ、突然変異してしまった哀れなトヨネザウルスなんだぞ」
宥「水爆大怪獣トヨネ…」
灼「トヨネ?」
穏乃「そうだ!私達が見付けて、何とか氷塊に閉じ込めて竜宮城の奥の海底洞窟で封印しておいたものだ。だがな、愚かな人間共が、原発の最稼働を止めないと訊いたので、封印を解くことにしたのだ。灼郎さんに渡した箱は、トヨネの封印を解く起動スイッチでもあり、地上へと誘導させる誘蛾灯の役割も担っていたのだ」
ぽいっと箱を投げ捨てる穏乃––––。
穏乃「はは、ちょっとばかし計画は狂ったけど、此処までくればもう大丈夫さ。トヨネは津々浦々の原発を目指して暴れまくるからな」
豊音「ちょー暴れまくるよー」
巨人は益々地上へと切逼して行きます。
巨人の上陸と同時に引き起こされた津波が、濱の各所を飲み込んでしまいました。巨人の地鳴りのような足音に混じり、サイレンの音が響き渡ります。
宥「穏乃ちゃん…とうとう、あの子を目覚めさせてしまったんだね…」
玄「お姉ちゃん、疾く逃げようよ」
灼「みんなこっちへ」
灼郎達は、身を安全な場所へと移しました。此処では高波に攫われるか、巨人に踏みつぶされてしまいます。でなくても、あんな巨大な相手に灼郎達ではどうすることも出来ないでしょう。
トヨネの進撃に、港町は早くも壊滅状態です。所所では火が上がり、瓦礫が散乱し、人の喚く声まで聞こえてきます。
市中はまさに阿鼻叫喚の体であります。
豊音「追っかけリーチするけどー」
やがて、自衛隊の戦車が多数、伊勢湾付近へ駆けつけました。
睦月「威嚇射撃は要らん!あの怪獣へ向け全軍一斉攻撃を仕掛けろ!」
「はっ!睦月曹長!」
凄まじい轟音を響かせて、戦車部隊はトヨネに砲弾を浴びせ掛けます。その凄まじさと言えば、銃弾の煙で辺りが覆い被さる程です。
睦月「目標の状態は!」
「はっ!目標、以前変化はありません」
豊音「ちょっと痛いよー」
トヨネは、あれだけの砲弾を浴びていながら、傷一つ無く、ぴんぴんしていました。
豊音「スエハラさん…」
その時。
豊音の背中が、雷豪を浴びたかのように一瞬に光りました––––。
人々は、何が起こるのか目を凝らしています。
豊音「サインくださいー!!」
一呼吸終えるように、トヨネの口から白い霧のようなものが辺りの戦車目掛けて吹きかけられました。その霧の中は、まるで太陽に逼圧されたかの熱く、やがて、可燃性のガスとなって辺りを燃やし尽くしました。
一瞬にして––––戦車部隊は壊滅したのです。
灼「あわわ…恐ろし…」
洋榎「猿の奴!この世界を焼き尽くす気かいな」
宥「海に逃げましょう。多分、海までは来ないでしょう」
玄「さぁ、疾く」
それぞれ玄亀、宥亀の背に乗って海へと逃げる灼郎と蟹。炎上する伊勢湾を遠目に、一人と三匹は、何処か安全な陸地を目指しました。
上空を舞うヘリや戦闘機の音。
次々とトヨネへと向う装甲車を尻目に、取り敢えず灼郎の実家へと帰ることにしました。
こんな形で、灼郎はお爺さんお婆さんの元へと帰る事が出来たのでした。
後日––––。
灼「大変なことになったな…」
灼郎はボーリング場で店番をしながら、テレビの緊急速報を観ています。
どのチャンネルも、あの大怪獣トヨネの話題で持ち切りでした。それもそのはず、日に日に増す、トヨネによる被害に、国は未だ有効な手立てを持ち合わせていなかったのです。トヨネを冷静に分析する知識人、国の対応を批判する人達、取り敢えずアニメを放送するチャンネルと、連日、様々な報道がなされていました。
灼「こっちへ被害は無いから良いけど…いや、そのうちこっちにも来るんだろうなぁ…」
––––ボウラーさん、ボウラーさん聞こえるっすか?
と、まるで脳に直接話しかけるような声が、店番をする灼郎の耳へと届きました。
灼「一体誰…?」
灼郎は声に答えました。
私っす。あの時の桃っす––––。
どうやら声の主は、自分のことを灼郎が入っていたあの時の桃だと主張しました。
しかし。
灼「桃は––––私を外へ出した後、お爺さんとお婆さんに食べられた筈じゃ…」
あれは––––質量を持った残像っす。
と、桃が答えると、
突如。
灼郎の目の前には、縦に半分に割れた大きな桃が姿を現しました。
桃「ボウラーさん、久しぶりっすね」
その、何とも不思議な光景の前に、半分に割れた桃が喋りかけるなどと大変シュールな図でありましたが、ともかく桃の言葉に耳を傾けてみることにしました。
桃「ついに…トヨネが復活したんっすね」
灼「うん…今、大変なことになってる…でも、いずれ自衛隊の人達がやっつけて…」
桃「水爆の洗礼を受けたトヨネに、通常の兵器は通用しないっすよ。倒すには、水爆より強力な兵器を使用しないと––––」
灼「でも、どうやって?」
桃「その為に私がこの世に生を受けたと言っても過言じゃないっすよ!私の体の主成分には、酸素を破壊する因子が含まれているっす。つまり、私の果汁を使って武器を作れば、あのトヨネを倒す事も出来るという訳っすよ」
灼「ほうほう…なら早速、自衛隊の人か誰かに教えないと…」
桃「そうっす。私はそのためにボウラーさんに話しかけたっす」
でも、ちょっと待って欲しいっす。
と、桃は灼郎に言いました。
桃「どうせ、果汁になるなら…熊倉金物店に居る、卸し金さんに磨り下ろして貰いたいっすよ…」
桃はその白桃色の皮を少し赤くして言いました。
灼郎も、それくらい叶えてあげても良いか、と思い桃の願いを承諾したのでした。
熊倉金物店は、街の往来から離れた場所、丁度人通りの絶えた場所にありました。灼郎は常日頃からこんな場所で商売をして儲かるものかと疑問に思っていましたが、金物なんて長く置いておいた処で、腐る物でもないし、たまに人が来るくらいで丁度佳いのでしょう。
灼郎は荷車に桃を乗せて此処までやって来ました。
トシ「おや、灼ちゃん。どうしたんだい?」
余談ですが、この熊倉老人。店の番以外は凄まじい形相で鳥の観察をするのが趣味であった為、地元の子供から『妖怪ウォッチ』の渾名で親しまれていました。
灼「今日は、ちょっと欲しいものがあって…」
簪「ふええ…智美ちゃん。誰か来たよ」
笑い袋「ワハハ」
久しぶりの客を見て、店の金物達も目を覚ましました。
トシ「そうかい。ならじっくり捜してくれていいよ」
と、トシさんが言うので、灼郎は早速、桃が云っていた卸し金を探しました。
灼「うーん…此処に卸し金があるはずなんだけど?」
簪「卸し金ですか?それなら…」
笑い袋「ワハハ」
親切な簪が案内してくれたお陰で、灼郎は桃が言っていた卸し金を見付けることが出来ました。
卸し金「君が私を探しているおチビちゃんかな?私は卸し金のゆみだ」
やたらと、イケメンな卸し金がありました。
灼「あったあった…これ下さい」
トシ「おやおや、その子を選ぶとは、お目が高いねぇ」
しかし––––。
と、熊倉老人が言います。
トシ「その子はこの店の、謂わば看板娘みたいなもんなんだよ。それを手放すのは、少し惜しいねぇ」
灼「なら、少し貸してくれるだけでも…」
トシ「それならこうしようかね。今からアタシと相撲を取って勝てたらその子を譲ってあげるよ」
どうやら、老いて呆けたのか、話を聞いていません。大変面倒臭い展開ではありましたが、此処で言い返しても面倒臭くなるだけなので、渋々その提案を了承しました。
二人は店の外へ出向き、ちょっとした広場に簡単な土俵を書いてそこで相撲を取ることにしました。
今日はここまでです。
ちょっとだけ更新
やがて、土俵へ上がり四股を踏む熊倉老人は、
トシ「クックック…」
灼「?」
ビリッと音がし、
トシ「こんなこともあろうかと!鍛え続けたこの躯!!」
突如、熊倉老人の着ていた服が爆ぜた––––そして、その真下に隠されていた羅漢のような肉体を露にしました。どうやら本気なようです。
灼「此処からが地獄だ…」
卸し金を賭けた闘いがッ!
今、始まるッ––––!!
・
・
・
しかし、幾ら鍛えに鍛えた熊倉老人も寄る年波には勝てず、ものの数秒でのされてしまいました。
トシ「やっぱり、灼郎には勝てなかったよ…」
と言う訳で、
灼「約束通り、卸し金は貰う…」
灼郎は約束の物を、手に取りました。
卸し金「私に降ろして欲しい物とは、一体何かな?大根か?大蒜か?」
灼「そこの桃を…」
桃「はわわ…と、とうとう憧れの卸し金先輩と…」
卸し金「私は君が欲しい!もとい…君を卸したい!」
桃「こんな…私で良ければ…」
そう云うと、卸し金は桃を卸し始めました。しゃりしゃりと卸されて行く桃の果汁を、店に有った瓶に貯めていきます。但、果物を卸しているだけなのに、その激しさと来たら––––。
その様子を傍で見ていた熊倉老人も、
トシ「あらあら…ラブラブだねぇ。なんだかアタシも久しぶりに濡れてきたよ…」
と、ちらちらと灼郎の顔を見詰めてきますが、灼郎の方でもなるべく眼を合わさないようにしました。
卸し金「モモ!モモ!」
桃「あーん!先輩激し過ぎっすよ」
なにこの––––。
と、思っている間に、桃はみるみる擂り下ろされ、もはや影も形も無くなりました。
卸し金「これがモモの…擂り下ろし果汁だ…」
と、言い終えると、卸し金は堪らなくなってわんわんと泣き出し始めました。
それは、瓶になみなみと注がれた桃の果汁に、その涙が混ざってしまうような勢いです。それを見ていた他の金具達も、
簪「ぐすん…可哀想ですぅ…悲恋ですぅ…」
トシ「あ”んまりだねぇ…ぐずびび…若い”二人が…ひっく…可哀想だよ…ずず…」
と、つられて泣き出しました。
笑い袋「ワハハ」
と、笑う者も居ます。
簪「ちょっと!智美ちゃん、こんな時に…不謹慎だよ!智美ちゃんには金具心が無いの?そんなの人間にも劣る––––」
笑い袋「ワハハ」
卸し金「妹尾––––その辺にしておけ…」
簪「卸し金先輩?でも…」
卸し金「蒲原は…こんな辛い時にも、笑って私たちを励まそうとしてくれてるんだ。モモはモモ自身が謂っていたように、果汁となり世の災厄を防ぐ為に生まれてきた…。ならば、私たちは寧ろ、モモの新たな門出を笑って送り出すべきじゃないのか?なぁ、蒲原?」
笑い袋「ワハハ」
簪「そんな…智美ちゃん。私、智美ちゃんの気持ちも考えずに…」
卸し金「よし…私たちも笑おう…ワハハ!!」
簪「先輩…ワハハ!!」
笑い袋「ワハハ」
トシ「ワハハ!!」
と、笑いの大合唱が起きましたが、
灼「あの…もうよろしいでしょうか…」
灼郎は結構冷静に対処しました。
さてさて。
またまた桃の果汁を乗せた荷車を引いて、今度は村で一番の天才発明家として名の知れた、小走やえの元を訪ねました。此処なら、恐らく生前、桃の話した兵器を作ることが出来るであろうと、考えたからです。
小走研究所へ着いた灼郎が、今までの経緯と、桃の果汁について小走やえへ説明するや、
やえ「焼き魚を生魚に戻す研究で、ノーベル平和(ぴんふ)賞を受賞したこの私に任せておけ」
と、意気揚々と承諾してくれました。
灼「お願いします…」
初瀬「博士、本当に出来るのですか?」
やえ「噫。心配しなさんな。科学界の王者であるこの私に不可能な事は無いよ、小保方何某や森口何某のようなニワカは相手にならんよ」
小走博士は、灼郎より受け取った瓶を助手である初瀬に持たせて、
やえ「まぁ、明日の昼頃には試作が完成してるさ。その時、アンタ暇してるかって…その…」
と、もじもじしながら、
灼「なに?意図が読めな…」
やえ「実験を見せてやるって言ってるの!この阿知賀最強の科学者がよ」
灼「はぁ…それは…まぁ…はい」
そして、明日の昼頃。
灼郎は、約束通り研究所へやって来ました。
灼「お邪魔しま…」
やえ「よ、よ、よくぞ来てくれた!!」
と、何やら無駄に正装をした小走博士が出迎えてくれました。何故に正装––––と、灼郎も思いましたが。
実は、小走博士。
小さい頃より、ふと、近所で元気に麻雀を打つ灼郎の姿を見かけ、一目惚れをしていたのです。
今日は、その為に、灼郎へ好い処を見せようとこの実験に呼んだのでした。
実験が上手くいけば、灼郎は自分へ好意を向けてくれる筈––––。
と、小走博士は目論んでいたのです。
やえ「きゅふふ…きゅふふふふ…」
灼「あの…話聞いてますか?きもちわる…」
初瀬「さあさあ、こちらへどうぞ」
助手の初瀬に案内され、灼郎と小走博士は研究所の地下へと降りました。
やえ「ようこそ!此処が、我がラボだ!!我家だと思ってゆっくり寛いでくれても構わないぞ!!」
灼「いえ…別に、実験を見に来ただけなので…」
地下実験室には、何やらよく判らない機械やコンピューター、それに真ん中には巨大な水槽が置いてありました。
水槽の中には、一匹のカピバラが気持ち良さそうにぷかぷかと浮いています。
「カピー♪」
灼「可愛…」
やえ「よし、実験開始だ」
と、合図をすると、その水槽の中へ何やら円い物体が投下されます。
物体は、やがて二つにぱかりと割れると、多量の泡を発生させました。
そして、
「カビィィィ!!!!?」
とカピバラが断末魔をあげると、皮膚は溶け出し、肉は剥がれ落ち、みるみるうちに骨だけになってしまいました。
やえ「ははは!成功だ!デストロイヤーモモは完成したぞ!」
灼「うぅ…」
灼郎は実験のあまりの残酷さに、思わず吐き出し、そして研究所を出て行ってしまいました。
当然、実験の余りの素晴らしさに、感動して抱きついて来るとばかり思っていた小走博士は、何がなんだか判らずに困惑しきってしまいました。
やえ「お、おい…どうした…」
灼「ひぃぃ…来ないで!この狂気のマッドサイエンティスト!!」
小走博士は、どうやら嫌われたようでした。
噫––––。
そんな、私はただ、灼郎へ良い処を魅せたかっただけなのに、こんな––––。
と、両手を地面に付けて、ぽろぽろと涙を零し始めました。
またまた短いですがここまです
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