「バカ息子が・・・」 (15)
※鬱な内容です
※SS初なので文章など色々おかしいところがあるかと思いますがご容赦ください
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息子が自ら命を絶ったと下宿先から連絡があった。
遺品を整理する為に息子の部屋に娘と入る。
部屋にはフィギュアや漫画、小説などが散乱していた。
部屋の中央には卓袱台があり、その上にはパソコンが鎮座している。
それ以外は殺風景なワンルームアパートだった。
娘が言う。
「あいつ、本当に死んじゃったんだね・・・全然実感無いよ」
泣くのを堪えているのだろうか、声が震えていた。
「あぁ・・・そうだな。」
返事をしつつ部屋のものを片付けはじめる。
仲の良い姉弟だったから余計つらいのだろう、娘も鼻をすすりながら手伝う。
だが遺品と言っても服以外は取って置いても仕方の無いものばかりだった。
遺品がフィギュアでは息子も浮かばれまい。
「パソコンと服以外は処分してしまうか」
娘に声を掛けると泣き笑いの表情で娘が言った。
「あいつのことだから中身は見られたら困るようなエッチなものばかりじゃない?
死んでも死に切れないだろうしパソコンも処分してあげたら?」
言われてなるほど、それもそうかと納得した。だが、遺書らしきものが見当たらない。
あいつのことだから手紙を面倒臭がりパソコンの中に遺書を残しているかもしれないので、
パソコンを起動して確認してみることにした。
性癖に関するものは姉に見られたくなかろうと思い娘を追い出し一人で調べる。
娘の言うとおり結構な量の成人向け動画や画像が出てきた。
その量に辟易とし、息子の性癖を見てしまったなんとも言えない気持ちを抱えて
フォルダを調べていくとあるテキストファイルが目に入った。
「懺悔」と書かれたそのファイルをクリックして表示する
そこには息子の最後の言葉が綴ってあった。
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私の人生ははっきり言って人に誇れるようなものではなかった。
自堕落な生活をし、無駄に時間を浪費した。
親や姉弟、親戚、あらゆる人に迷惑を掛けてきた。
そんな私でもまともになりたいと思っていた。
思ってはいたがどうすればまともになれるのか。
それが分からないまま気付けば30歳になろうとしている。
私はいったい、どこで間違ったのだろうか
そう考えることが最近多くなってきた。
振り返ってみると恐らく、生まれてきたことが間違いだったのだろう。
就学前から父には幾度と無く叱られた。何故こんな簡単なことが出来ないのかと。
小学校に上がってからは忘れ物が多かったので更に怒られることが増えた。
父兄に見せるプリントを学校に忘れてプリントは無いと嘘をつき
それがバレて夜学校へ取りに行かされたこともある。
私はその頃からどうしようもなく臆病で卑屈で姑息な子供だった。
当時友人たちの間で流行していたカードを誰もいない隙に盗んだことがある。
後に担任の先生にバレて説教を受けてこっそり返したが今でも何故あの時、
あんなバカな事をしてしまったのかと慙愧の念に駆られる。
振り返ると、友人たちが小遣いを貰い欲しいものを買って見せ合っているのを見ていた私は
仲間に入りたくてしょうがなかったが小遣い制でなかった上、厳しい両親に言い出せず
罪悪感を抱えつつも欲しいと言う欲求に勝てず盗んだのだと記憶している。
小学校3年の頃、母をガンで失った。父は片親でも立派に私と姉を育て、
亡き母に大丈夫だから心配するなと伝えたかったのだろうか、厳しく私たちをしつけた。
私は幼い頃よりよく嘘をついた。情けないことにこれは今でもそうである。
自分が怒られぬようにとすぐバレる嘘を平気で吐き、ごまかした。
そんなわけだから私は父から鉄拳制裁をしょっちゅう食らっていた。
叱られ、今度こそは繰り返すまいと心に決めても、うまく行かず繰り返してしまい叱られる。
この一連の流れを今までいったい何百回、何千回と繰り返してきたことだろうか。
毎日その繰り返しだったように思う。そんな私だが出来ないながらも頑張り、
中学の定期試験で、一度だけ100点を取ったことがあった。
他の科目も大半は75〜80点以上だったので嬉々として父に報告をした。
しかし父からは褒めてもらう事は無かった。その試験で私は数学で赤点をとり、
英語が平均点よりすこしばかり低い得点だった。
父は「どんなに良い点をとっても他が駄目ならば意味が無い」と一蹴した。
褒めて貰えると期待していた私は落胆した。確かに赤点は良くない。だが私は父に
「よくやった、この調子で次も頑張れ。次の試験では赤点を無くそうな」と言って欲しかった。
たった一言でいい。褒めて欲しかったのだ。しかしその些細な願いすら私には叶わなかった。
その頃からだろうか。私は頑張る・努力するということを放棄し始めた。
頑張っても一番認めて欲しい父に認めてもらえることは無いと勝手に決め付けてしまった。
父は私に期待をしていたようだ。優秀である己の息子だから出来て当たり前と考えている節もあった。
しかしなんということだろうか、私はどうしようもなく駄目で愚かで出来損ないの人間だったのだ。
父の私に対する躾はどんどん厳しく、過酷になっていった。罵声も大量に浴びた。
今でも私の中に澱のように溜まっている父の言葉がある。
「お前みたいに言っても叩いても分からないのは畜生以下だ!キチガイだ!」
私はこの言葉を聞いた時、壊れてしまったのかもしれない。
それ以降、父から罵声を浴びせられても心中では反省するでもなく、常にこう考えていた。
私は出来損ないのクズだ。キチガイなんだ。死んでしまったほうがいいのだ。何故生きているのだろう。
誰か殺してくれ。親父、俺のことを殺してくれよ。俺なんか生きている価値なんて無いだろう?
あぁ、もういやだ。生きていたくない。何でこんなクズの俺が生きていて母が死んでしまったんだ。
俺が死んで母が生きていればこんなに父を悲しませることは無いだろうに。
今思い返しても中学生が考えるような事じゃないと思うがその位私は自身を消してしまいたかった。
叱られる度にそう考え、中学卒業をする頃には一人の時にそう考えることが増えてきた。
無論、そんなことを周囲に悟られぬように本音を隠し通し明るく振舞い続けた。
高校に入って環境が変わり、アルバイトが出来る年齢になった。
しかし父はアルバイトを許可してくれなかった。そのうえ携帯も持てず門限は18時、小遣いは3千円。
世間一般の高校生が送る生活を恐らく送っていなかったように思う。
学校が終わると友人と遊べずに帰宅するも勉強をしようにも身が入らず、
深夜に父が帰宅すると怯え、萎縮し顔色を伺う。寝る時も何かしら自分の落ち度があって
夜中たたき起こされることもザラだった為に眠りに落ちるまで階下の物音に聞き耳を立てる。
そんな生活だった。
ここまで書いて父が悪いと捉えられかねないが上記の出来事はすべて自分の行いの結果だ。
だからこそどうしようもなく悲しい事実に行き着いてしまう。
私は
私はやはり生まれてくるべきではなかったのだ。
私が生まれてきたことによってどれだけ父に、姉に、周囲に迷惑を掛けてきたことだろうか。
父は私を叱り付ける時に幾度と無くこう思ったに違いない。
何故こんなにも出来が悪いのか
何故こんな簡単なことが出来ないのか
俺の育て方が間違っていたのか
あぁ、父さん。あなたに非など無いのです。
私が生まれてきてしまったから
私が存在しているからあなたをここまで苦しめてしまったのです。
ここまで育ててくれてありがとう。
ですがもうこれ以上生きているのは苦痛なのです。
父さん、姉さん、大好きです。
あなたたちの家族として生まれてきて本当に私は幸運でした。
しかしそれと引き換えにあなたたちの人生を滅茶苦茶に壊してしまいました。
父さん、あなたの期待を裏切り続けてごめんなさい。
姉さん、あなたの人生を狂わせてしまってごめんなさい。
生まれてきてごめんなさい。
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そこには息子の本音が書かれていた。
今まで息子が何を考えているのか分からなかった。
こんな形で知ることになるとは思いもしなかった。
私は動くことが出来ずただ涙を流すことしか出来なかった。
「バカ息子が・・・子供のやったことを親は許すもんだ、それが親子って言うもんだ。
そんなことも分からないまま親より先に死ぬんじゃない。・・・馬鹿者。」
夕日が差し込む中、娘が入ってくるまでの間私は泣き続けた。
それから数日後、息子の遺品は結局服だけ取っておき残りは処分することにした。
「パソコンやっぱり処分するの?あいつの遺書、あったんでしょ?」
娘がそう尋ねてきたので私は答えた。
「あいつの本音が知れたんだ、もうそれだけで十分だよ」
私は息子の本音を知ることが出来たが遅すぎた。
あいつを最後に褒めたのはいつだったか。
あいつと最後に笑い会ったのはいつだったか。
あの日と同じ夕焼けの空を見上げ思い出そうとする。
だが私には思い出せず、それがたまらなく悲しかった。
終
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