【シュタゲSS】 無限遠点のデネブ (211)

注意


小説『Steins;Gate』無限遠点のアルタイル:執念オカリンの話です。

2011年7月7日から2025年8月21日まで+αの話です。

小説のネタバレを含みます。またアルタイルやRebirth未読で、本編やアニメしかシュタゲを知らない場合、あまりおもしろくないかもしれません。

何人かオリキャラが登場しますがストーリーにはあまり関係ありません。

長いです。お時間ありますときにお読みいただければ幸いです。

独自の解釈があります。中には、もしかしたら既に他の派生作品で説明されていたり、派生作品と矛盾する内容があるかもしれません。ロボノネタも多少出てきますが、これを書いた人間はロボノ本編をプレイしたことがないため同様に矛盾があるかもしれません。大目に見ていただければ幸いです。

演出の関係上、『テレビを見ろ』→ビンタ→ムービーメールのくだりはアニメ版に準拠しています。一応、原作通り、ビンタ→Dメール受信→『テレビを見ろ』→ムービーメールでもシナリオを作ってみたのですが、アニメ版の方が書いていて楽しかったです。このように、原作・アニメ・小説におけるそれぞれの設定がごちゃごちゃになっていますのでご注意ください。


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◆◆◆



『7日午後6時前、東京都千代田区外神田のテナントビル屋上で「複数の銃声が聞こえた」との110番通報があった。万世橋署勤務のK巡査らが駆けつけたところ、屋上の床面や壁面に複数の血痕及び弾痕が点在していた―――』


『サイレン音で満たされた秋葉原の夕暮れ―――今回アーク・リライト特派員はあまりにも有名な21世紀の都市伝説のひとつ「秋葉原七夕発砲事件」に迫る―――』


『その実態は35年以上前に神田界隈を騒がせた都市伝説「聖子」と酷似していた。※1「聖子」とは口裂け女の亜種と考えられている。自分の名前を連呼しながら爆発するという謎の女であり、爆発の前後にキラキラとした輝き(ケセランパサランか?)を放つ―――』


『ラジ館屋上で一体何が?彦星と織姫の奇跡―――目撃者A「あれは間違いなくUFOが墜落したんですよ!青空が少し赤みがかってきたかなと思ったら、虹がかかって、その虹が青やら白やらキラキラ光るようになって、パーッとなって、そして消えたんです!」―――』






「そんなものをスクラップにしてどうするのだ、クリスティーナよ」


カツカツと乾いた足音を研究室に響かせながら、白衣の男はそう言った。

右手には炭酸飲料の缶、左手は白衣のポケットの中に突っ込んでいる。

気ままに生えた無精髭が、ただでさえ若年寄の顔を余計に老けさせている。

うす暗い部屋の中でその少し伸びた前髪の下から鋭い眼光を覗かせた。


「クリスティーナじゃないって何度言ったらわかるのかしら?"鳳凰院凶真"さん?」


デスクに座り黙々と作業をしていたクリスティーナと呼ばれた女が、ため息をつきながら振り返る。

首の後ろで無造作に束ねただけのくしゃくしゃの黒髪が、肩甲骨あたりをなでるように躍った。

なぜか右足にスニーカー、左足に数年前に流行ったクロックスのサンダルを互い違いに履いている。


「まぁ名前のことはいいわ。さっきの質問だけど、タイムマシンが関係している記事はまとめておいた方がいいとあなたも思うでしょ」


「ふむ。それは、そうだが……」


女にはその男が慎重な態度をとる理由をよく理解していた。

彼は、自分たちになにかしらの危機が迫らないか、それを心配しているのだ。


「大丈夫よ。第三者が見ても、ただのオカルト系スクラップ記事に思われるのが関の山」


男の不安を払拭させるために気丈な態度を取った。

女はぎこちない笑みを浮かべたが、男にはそれが不適な含みを持っているように見えた。

喉仏に汗が一筋垂れる。空調の弱いこの施設は暑くて適わない。


「もう三年も経ったんだな……」


ふと感慨に浸る。

男はそう呟いて、ドクトルペッパーを一口飲んだ。

あの日旅立ったタイムマシンは、まだ帰ってこない―――


◆◆◆


 2011年7月7日



 マシンは、いよいよそのパワーを増し、光が虹のような色彩を帯び始める。

 跳躍は間もなくだ。階下から響いてくる足音はすぐ近くまで迫って来ているようだが、これなら間に合うだろう。いちおう鉄扉を硬く閉ざす。

 (……頼んだぞ……ラボメンナンバー008、橋田鈴羽……ラボメンナンバー002、椎名……まゆり……)

 そして、いよいよマシンがカー・ブラックホールを発生させると、時空間をこじ開け――

 次の瞬間、まばゆい輝きを放って、"現在"からその姿を完全に消した。

 ――2010年の『あの日。あの時』を目指して。



「……フッ、行ったか」


 俺はニヒルを気取ってみた。最後の強がりだったのかも知れない。

 とにかく、計画は成功した。そうだ、成功したんだ。

 だがあれは2010年8月21日への片道切符。到着したとしても、そこから離脱するには少ない燃料とバッテリーでの無茶な時間跳躍を行わなければならない。

 おそらくまゆりはもう、帰ってこないだろう……。

 しかし、それがまゆりの選択だったのだ。とりあえずは、成功した―――



 そう思うと途端に緊張の糸が解れた。椎名かがりに寄りかかられていることもあって、そのまま床面へとへたり込んだ。

 鉄扉に背を預けるとますます階段を駆け上がる音がはっきりと聞こえた。たくさんの足音が階下から聞こえてくるが、どうやら今、扉の向こうに居るのは数人のようだ。

 これが警官隊か報道陣の足音で本当に良かった。

 第三次世界大戦はなんとか回避できたの……だ……?



 その時、俺ははっとした。

 重大な事態であることに気づいてしまった。

 警官隊だろうが報道陣だろうが、この現場を誰かに見られたらどうなる?

 目の前には爆発したかのようにえぐられたコンクリート、おびただしい血痕、乱闘の跡。

 右肩を何発も撃たれたにもかかわらずメタリックシルバーの二つ折りケータイの画面を呆然と見つめているだけのライダースーツの女――桐生萌郁。目の前でタイムマシンが時間跳躍をしたというのに、その場で身を屈めてぐったりしている。早く止血しなければいけない。

 隣には発狂の末にいまや気絶してしまった椎名かがり。硝煙の臭いが鼻につく。

 ちなみに俺は無傷だ。鈴羽に足を打ち抜かせたのは得意の芝居であって実際は打ち抜いていない。

 あれ、これは結構ヤバいんじゃないか……。

 ドンドン、と鉄扉が叩かれる。

 ヘリの音はぐんぐん迫って来ている。

 ヤバい。どう考えてもヤバい。

 たとえマンハッタンでバリバリ活躍している敏腕弁護士であろうとも無罪を勝ち取ることは不可能な状況だ。

 まさかこの時点から俺の反政府活動が始まることになろうとは……。いやいや、ワルキューレとかいうレジスタンスを立ち上げるのはα世界線の話だったな。

 嫌な汗をかく俺の気持ちも知らないで、無情にも俺の背の後ろから声がした。

 あぁ、終わった。

 俺はタイムトラベルの成功で、思考が停止していた。

 もう、どうにでもなれ。



 だが。

 扉の向こうから聞こえた声は想像だにしない人物のものだった。


『岡部ぇ!そこにいるのはわかってんだ!どかねぇってんなら、無理やりこじ開けてやらぁ!』


はらわたに響く野太い声がしたと思ったその瞬間、俺とかがりはまとめて前方向へとふっとばされた。

鉄扉が開け放たれたのだ。


「おい!なにをメソメソこいてんだてめぇは!それでもタマついてんのか!あぁん!?」


夕日を背負った禿頭が叫んだ。


「は、はぁっ!?何故ミスターブラウンがここに!?」


「それについては後で!とにかく、今すぐケータイの電源を切って!それと早くかがりさんを連れてこっちへ!」


もう一つ声がする方を振り返ると背の低い影が居た。

あの独特の見た目は間違いなく比屋定さんだ。

厳重に鉄扉を閉めなおした後、指をさして叫んでいる。

って、こっちへ!って、そっちはかがりがさっき登ってきた鉄柵ではないか!

まさか、屋上から飛び降りろとでも言うのか!?

いやいや、無理だろ!そんなこと、できるわけがない!


「警官隊は足止めしてる!とにかく私を信じてここから飛び降りて!」


「そうだぞ岡部ぇ!男は度胸だ!先に行くぜ!」


そういうとエプロン姿のミスターブラウンは既に気を失っていた桐生萌郁を肩に担いで鉄柵をよじ登り、そして屋上から飛び降りた。ま、まじか……。

鉄柵には既に縄梯子が掛けてあった。いつの間に。


「さ、岡部さんも早く!」


「お、おう!」


何がなんだかわからなかったが、とにかく店長の豪気と比屋定さんの鬼気迫る表情に気おされた俺は、ケータイの電源を切り、椎名かがりを背負い、ケツを比屋定さんに押してもらう形で縄梯子を登った。

下を見るとなにやら直下の階の窓から白くて分厚いマットが、上から降ってきたものを室内へ招き入れるような形で突き出している。

なるほどな、そういうことだったか。ここに着地しろと。

と、縄梯子を回収していた比屋定さんに背中をおされてバランスを崩した。


「う、うわぁぁぁ!」


ドスッ。

なんとも情けない声を上げてしまった。しかし、かがりと同時にうまいこと着地できた。

ちょっと顔をすりむいた。いてて……。

続いて縄梯子と共に比屋定さんも降りてきて、すぐさま待機していたミスターブラウンによってマットもろとも室内へと引っ張りこまれた。

よく見れば、あの部屋だ。ドクター中鉢のタイムマシン発表記者会見が行われた会議室だ。


ガチャリ。

一息つく間もなくあまりにも自然に銃口が俺の眉間へ近づけられる。ま、また拳銃か……。

冷たさを感じさせる黒い光沢、重量感のあるフォルム。


「すまねぇな岡部。てめぇに恨みはねぇんだが、俺の頼みを聞いてもらわなきゃならねぇ」


ぐっ、そういえばそうだ。こいつはラウンダーだ。当然目的はタイムマシンに関する全ての独占。どうせ紅莉栖のHDのデータを渡したところでその引き金は弾かれることになるだろう。

ん?ならばなぜ屋上の時点で俺を殺さなかったんだ?というか、比屋定さんと一緒に来たのはなぜだ?


「こいつを……M4を頼む。それから、綯に謝っといてくれや」


そう言うとミスターブラウンは俺へと向けていた銃口を自分のこめかみへと押し付けて―――



バシッ。



え、え?

あまりに一瞬の出来事で理解が追いつかなかったが……。

比屋定さんが背後から忍び寄って、拳銃を叩き落とした。

あぶねぇ、なんて無茶をしやがる。ミスターブラウンもポカンとしている。


「ふぅ、さすがにもう失敗しないわね」


「店長さん。いえ、天王寺裕吾」


「あなたはここからブラウン管工房へ歩いて帰ってもビックリするほど何の問題もないわ。綯ちゃんと一緒に今までどおり元気に暮らせる。理由はよくわからないけど、とにかくそういう風に収束する」


「まぁ、どの道SERNという存在からは逃げられないみたいだから根本的な解決にはならないけど。鈴さんのためにも綯ちゃんをしっかり育ててあげて」


また彼女はよくわからないことを言った。ミスターブラウンもだいぶ困惑している。

彼女は長い台詞を言う間、先ほどから気を失っている桐生萌郁の肩に包帯を巻いていた。随分用意周到だ。


「お、おいねえちゃん」


「なんでそんなことが言えるんだ?なんでそのことを知っている?もうその台詞は聞き飽きたわ。この台詞を言うのも言い飽きたのだけど」


 ・・・?


「私は未来から来た、それで説得材料としては十分よね?」


 なんだと!まさか、タイムリープしてきたと言うのか!


「とにかく時間が無いの!桐生さんも弱っている」


 包帯で止血したと言っても、このまま放置すればいずれショック死してしまうだろう。


「天王寺さんも助けたいでしょ?大丈夫、私を信じて」


 そう言うと比屋定さんは廊下への扉を一気に開けた。


「さぁ、早く!」


 俺はあまりのことにミスターブラウンと目を合わせた。こっちもキョトンとしていたが、とにかく男二人でそれぞれ気を失った女二人を背負って会議室を後にした。




 階段の踊場、息を潜めてその時を待つ。


「……3、2、1、今!」


 比屋定さんの合図に合わせて階段を下った。ラジ館の階段は階段の途中でもう一つの階段と交差するという特殊な形をしているので、一方的に登ってくる警官隊と鉢合わせないように下りることもタイミングさえわかれば簡単だった。とは言ってもひやひやもんだ。

 外へ出てそそくさと人ごみへ紛れた。いつもより通行人が多い。未だ陽光はオレンジ色に秋葉原を照らしていたが、ビルの谷間は闇に支配され、いくらミスターブラウンの巨体と言えど身を潜めることができた。どういうわけか通行人は異様な俺たちにまったく興味を示さなかった。


「こっち!」


 言われるままに女を担いだ男二人は路地裏へ入った。

 この路地には両側にラジオパーツショップと奥には汚らしい構えの大人のおもちゃ屋さん(※大人のデパートは反対方向だ)があるのだが、そこには一台の薄汚れたワゴン車が道を塞ぐようにして停めてあった。ご丁寧に後部座席のドアは開いている。

 ワゴン車を見て、俺は沖縄でのソ連世界線漂流を思い出して少し嫌な気分になった。


「桐生さんは大丈夫、すぐ御徒町の自宅につれていって介抱してあげれば絶対に助かるわ。彼女をブラウン管工房のバイトとして雇えばいいんじゃないかしら」


「お、おう」


 さすがのミスターブラウンも混乱しているようだ。

 だが、俺もこの車の助手席に座っている人物を見てさらに混乱した。



「君は……中瀬さんッ!?」


 中瀬克美。まゆりのコスプレ仲間でフブキと呼ばれている。

 お気楽にもにやけ顔で手を振っている。

 だか彼女は代々木の先端医療センターに入院していたはず……。

 と、そこでの出来事を思い出して、彼女がここにいる理由に思い当たった。


「そうか比屋―――」


「黙って、あなたが気づいたことは概ね正しいから、後は車の中で」


 しゃべりだそうとした途端、比屋定さんに口を制されてしまった。まるで俺が何を言うかわかっていたように……いや、そうではないな。わかっていたんだ、実際に。

 とにかく、後部座席にかがりを乗せ、そして自分も乗り込んだ。ミスターブラウンと桐生萌郁も真ん中の座席へ乗り込む。

 比屋定さんは運転席へと乗り込んでいた。

 ん?比屋定さんが……運転……!?


「まさかお前、これから地獄のレースゲームを開始するのかッ!?」


 はぁ……とため息をこぼされてしまった。


「確かに私は無免許だけど、目的地に着くまで検問は一切無いわ。それに法定速度もそれなりに遵守する。あと、ちゃんと足、届くから」


 んふー、と鼻息を荒くする比屋定さん。

 なにやら厚底ブーツに履き替えていたようだ。

 イライラを隠しきれていない台詞を言い終わった途端、車は急発進した。

 歩行者を掻き分け大通りへ出た後、あっという間に新御徒町の天王寺家前に着いていた。これがゲームで鍛えた腕前なのか。


「ちっこいねえちゃん、なんでうちの場所を知ってるんだ……」


「銃創は4発分、後はかすり傷。あなたの知識と技術ならキレイに施術することも可能でしょう。あと『ちっこい』は余計。それじゃ、また後日連絡するわ。天王寺裕吾さん」


 二人を降ろすと俺はかがりを後部座席に横たわらせ、空いた真ん中の座席へと移った。車はすぐさま発進し、気づけば上野駅のガードをくぐっていた。

 まるで嵐のような脱出劇だった。



「……そろそろいいだろう比屋定さん。わからないことばかりだ、教えてくれ」


 車は都道を軽快に走っていた。今は舎人ライナーの真下を走っている。


「あー、それについては私から」


 あはは、と乾いた笑い声を出しながら中瀬さんが助手席から後部座席を振り返った。


「私もまだ半信半疑なんだけど……。私たち、夢の世界の記憶を持っていたでしょ?それを狙ってアメリカの、えっと、ストライクなんとかってのが」


「ストラトフォー」


 運転席からフォローが入った。目線が低く視界が狭いためか、かなり運転に集中しているらしい。


「そうそう!そのストラトキャスターってのが」


「フブキ」


 相当イライラしているらしい。


「ったく、まほニャンは冗談通じないなぁ」


「もし次に"まほニャン"って呼んだら車から突き落とすわよ……」


 まがまがしいオーラが漂い始めた。小鬼だ、小鬼がいる。


「……そのストラトフォーってのが、私たちの命を狙ってて、人体実験の材料にしようとしてるんだって」


 そうだった。あのレスキネンの野郎、マッドサイエンティストの風上にも置けない。

 ……あの時まで尊敬していた自分が恥ずかしい。


「それで、この真帆さんなら私たちの病気?を治せるから、ついて来いって言われて、病院から脱走しちゃった。もう元の生活には戻れないって言われたけどさー」


 たはは、と笑う。その仕草はやはりどこか少年らしさを感じる。

 というか、そんなことしたら後をつけられること必至ではないか!


「大丈夫よ、今頃教授……いえ、あのレスキネンは処刑されてるわ。私たちに構っている場合じゃない」


 しょ、処刑……。

 まぁ、そりゃそうだ。我が頼れる右腕<マイフェイバリットライトアーム>、天才スーパーハカーダルによって"Amadeus"の記憶データ、すなわちタイムマシンの作り方は完全に消去されたのだ。ストラトフォーからすれば大失態もいいところだ。


「フブキの重要性についてはレスキネンの独断が強かったみたいだから、フブキが病院から居なくなってもそれを理由に奴等の一味が私たちを追いかけてくることは無いわ。私がフブキを連れ出したってことも一応気づかれないようにしてある。どこまで通用するかわからないけど」


 いちいち言葉の端々がとげとげしく感じる。あまり触れない方が良い話題なのだろうか。



「勿論、全員を助けることはできないわ……」


 ……全員?

 比屋定さんの声のトーンが暗くなる。


「あの病院に送られていた、新型脳炎患者全員よ。少なくとも彼らは既にアメリカ送りでしょうね」


 ふむ、それを気に病んでいたのか。だが、仕方あるまい。

 こうやってフブキだけでも助け出せたのだ、とりあえずは良しとせねばならんだろう。


「比屋定さん。患者を救うもなにも、我らが未来ガジェット研究所がタイムマシンを完成させてしまえばいい。そうすれば、世界は再構成される。"なかったことになる。"そしてそれはもはや規定事項、何を恐れることがある」


 少しかっこつけて言った。


「……そうね」


一難去って、俺は安心し始めていた。

車は都県境に架かる大きな橋へと向かっていたが、鉄橋部への坂を登る手前で急に歩道側へ寄り、そして停車した。


「お、おい?どうした比屋定さん」


「ごめん、ちょっと外の空気を吸いたくて……」


そういうと比屋定さんはドアを開けて降りていった。その足取りは厚底ブーツを履いていることも相俟ってフラフラだ。

 あまりにおぼつかないので俺は中瀬さんを車中に残して追いかけた。

◆◆◆



 隅田川の上、橋の入り口辺りで追いついた。彼女は川を眺めている。

 川の上は照明が少ないので暗く、その表情は定かではない。


「岡部さん……。あなたならわかるわよね、私がどうやってこの"たった一つの脱出計画"を模索したのかを……」


 声が震えていた。今にも泣き出しそうな声だった。

 しかし、俺ならわかる、だと?

 たった一つの……あぁ。そういうことか。


「無論だ。俺がこのβ世界線にたどり着くまでどれだけ世界線を越えてきたと思っている」


 きっと比屋定さんは何度も何度も、気が遠くなるほどタイムリープを繰り返したに違いない。


「……最初はあなたが逮捕されたわ。フェイリスさんの力でなんとか不起訴処分にできたけれど、タイムマシン製作をうまく始めることはできなかった」


「だから、あなたからやり方を聞いてタイムリープした。また逮捕されたけど今度はすぐ釈放になった。だけど警察から情報が漏れたらしく、未来ガジェット研究所の場所がストラトフォーにバレてしまって、タイムリープマシンが悪用されそうになって、今日の夕方の岡部さんの脳内をぐちゃぐちゃにされそうになったわ。そうなる前に私がリープできてホントによかった」


「そこで作戦を変えたの。予め色んな人に色んな話を聞いておいて、それからタイムリープした。とにかく情報を集めまくった。マシンを作っては飛び、作っては飛びを繰り返して時間遡行していった。もうあんまり作りすぎて、目をつぶってても十数時間で作れるかも」


「ラジオ会館屋上の三人をどうやって脱出させるか、それだけでかなり試行錯誤したわ。フェイリスさんに協力してもらって報道ヘリや警官隊の足止めをしたりしてね。フェイリスさんのコネで信頼できる人間をたくさん雇ってラジ館前を通行人で溢れかえらせて、脱出後のカムフラージュにしたわ」


「天王寺さんには、橋田鈴の正体を暴露したり、偽のFBがM4を唆して重傷を与えたと言ったり、人質の綯ちゃんの無事を確保する方法があると説得したら協力してくれた。ちなみに偽のFB、というかM4の上司の正体はかがりさんよ」


「それだけじゃなくて、なんでもいいから岡部さんを奮い立たせる檄を飛ばしてくださいって天王寺さんに伝えてないと岡部さんが尻込みして警官隊に捕まってアウトとか、そんな条件を発見した時はさすがに笑ったわ」


 力ない笑いがこぼれる。

 水面に月が揺らめき、欄干に月明かりが反射している。



「……さぞ、つらかっただろう。孤独だっただろう」


 俺はかつて嫌というほど味わった。

 人生で一番長い三週間。


「だが、これでようやく計画の第一段階に入れる。我がラボのラボメンは、そんなことでは決してくじけないのだ」


 理解してあげなくてはいけない。

 タイムリープの孤独さを理解できるのは、同じくタイムリープで結果を変えようとした人間だけだ。

 だが、同時にそのつらさを乗り越えてもらわなければならない。

 俺たちの目的はここじゃない。

 達成すべきことがまだあるはずだ。

 ここでゴールしてはいけないのだ。


「まだ伝えていなかったな、比屋定真帆よ。今日からお前はッ!ラボメンナンバー009だッ!!」


「……」


 その少女は唇をかみ締めて振り向き、髪と同じくらいに顔を涙と鼻水でくしゃくしゃにしていた。



 トスッ。


 
 そのまま俺の胸に飛び込んできた。
 
 ……いや、胸じゃなくて腹部だな、身長差的に。


「……ねぇ」


 彼女はその小さな身体から、かすかに声を絞り出していた。

 俺の白衣をつかむ手に力がこもっている。


「これで私、あなたの苦しみを理解してあげられるかな……」


 その台詞を聞いて、やけに顔の左半分が熱くなった。

 体感で二日前、ダルに殴られたそこを左手で触った。

 そうか、逆だったのか。

 俺の苦しみを理解するために、お前は―――



「私はさ、紅莉栖にはなれない。あの娘が太陽なら、私は月」


「あの娘の輝きを引き継いで、反射することしかできないけれど……」


「一緒にさ、リベンジしよう?狭間の世界線、シュタインズゲートに」


 ……あぁ、そうだ。

 これから俺たち未来ガジェット研究所はタイムマシンを作って、世界の支配構造とやらを塗り替えなければならない。

 紅莉栖の思いを、まゆりの思いを、すべての思いを。

 なかったことにしてはいけない。

 シュタインズゲートを、探し出してやろうじゃないか。



 ……ん?

 でもたしかさっき『この先に検問は無い』って断言してなかったか?

 ってことはこのやり取り、実は何回もやってるんじゃ……?


「……」


 月の妖精は顔を赤らめて、俺を抱きしめる腕の力をぎゅっと強めた。



◆◆◆



「おかえりお二人さん。遅かったね」


 中瀬さんが車中から出迎えてくれた。

 買い物袋と一緒に車に乗り込む。


「あぁ、なんでもこれから一晩走り続けるというから、そこのロンソーで食料と飲み物と、それから栄養ドリンクを買って来たぞ」


 なんとも用意周到なことに、俺の私物は車の中にあった。おかげで一文無しにならずに済んだ、比屋定さんには頭が上がらない。


「えぇ!?一晩中!?まぁでもそうだよねー、なんてったって私たち、悪の秘密結社に追われてる身だもんね!」


「なぜ楽しそうなのだ中瀬克美よ……」


「オカリンさん、わかってないなー。ロマンってやつを、さ」


 チッチッチ、と指を振りながら自慢げである。存外こいつは戦時下でもたくましく生きぬくタイプなのかも知れん。


「あと、私の名前はフブキでいいよ。フルネーム呼びは、ちょっと」


「む。そうだな、わかった。それで比屋定さん。これからどこへ向かうんだ?」


 さっそく中瀬克美ことフブキはビニール袋からアンパンを探り当てていた。


「青森よ」


 バタン、とドアを閉める。キーを回して、エンジンがかかった。



「あ、青森ィ!?」


 俺とフブキは同時に驚いた。フブキはアンパンを喉に詰まらせたようだ。


「おいおい比屋定さん、まさか紅莉栖の実家に今から行こうというのか!?」


 ハザードランプを消し、ウィンカーを出して、車は発進した。


「はぁ……。今そこには関係者は誰もいないでしょ?」


 そういえばそうだった。親父はロシア、母親はアメリカ、そして娘は……。

 しかし、それでは一体なんのために青森に?牧瀬紅莉栖が幼少期を過ごしたであろう青森を見にいこうとでもいうのか?


「一応先に言っておくけど、あの娘は生まれた時から青森に住んでたわけじゃないわ。章一が学生の頃青森から上京してきて、タイムマシン研究が頓挫してから家族を引き連れてUターンして、それから。しょっちゅう東京には出てたみたいだし、あなたがこの後質問する『やっぱり青森弁しゃべってたのかな』の答えは、NOよ」


 お、おう。なんか気持ち悪いな。頭の中をのぞかれているみたいで。


「それで、何しに青森に行くのさ?」


 今度はフブキが質問した。車は扇大橋料金所から首都高速に乗った。


「ちょっとコネがあってね。それを辿ってあるところへ行くわ」


 コネ?というか、なぜそんなもったいぶるのだ、比屋定さんよ。


「ヒントをあげる。ふふっ、結構これが楽しみなのよね……。ヒント、第三次世界大戦下にあって、日本で一番安全なところはどこかしら?」


 なんだそりゃ。突然比屋定真帆主催のクイズ大会が始まった。


「先に正解した方にはビニール袋に入ってるポテチを一人で食べる権利をあげる」


「はいはーい!わかったわかった!」


 な、なに!?エサをつるされた途端全力全開だと!?

 しかし、一介の女子高生にこの政治的難問がわかるわけが……。



「沖縄でしょ?」


「はい正解」


「ぬゎぁああああ!!!なんたる!!!なんったるぅぅ!!!!」


 そうか!そうだった!俺とフブキの共通点といえばまさに今年の頭に起こった、沖縄でのソ連世界線漂流ではないか!


「くくくっ……」


 当の比屋定さんは大爆笑のようだ。くそっ、ループの度に毎回同じリアクションをしているらしいな、俺は。


「というか、わかったぞ比屋定さん。三沢基地だな?何故わかったか、この話は……」


「既にされてる。だからこそフブキを助ける理由にもなったわけだし。あなたがアッチの世界線で経験したことは、もうフブキとあなた自身から何度も聞いているわ」


「そ、そうか」


 どうにもやりにくい。


「だが、なぜ青森まで行く必要がある?入間ではダメなのか?」


「さっき言ったでしょ、コネがあるって」


 一体どんなコネなのだ?


「それは着いてからのお楽しみってことで」


 ほほう、そいつは楽しみだ。

 ん、待てよ。これからタイムマシンの研究をしなければならないというのに、悠長に沖縄に身を隠している時間などあるのか?

 確かに戦時となれば沖縄に研究室があった方が安全に研究できるのだろう。本土空襲があっても最後の砦となることは経験済みだ。

 だが、大学はどうする?両親には何と伝える?

 俺はまたあの大檜山ビル二階に戻ることができるのか……。



「大学はもちろん退学よ。あなた、世界中からその身を狙われているって自覚してる?親御さんには一応池袋を離れてもらうよう指示を出しているわ。人質にでもなられたら困るから。でも、千代田区外神田3-6-##、つまり大檜山ビルも含めて最終的にどうなるかはわからない。ラジオ会館屋上の位置を2036年まで確保する方法とか、戦時下を生き抜く方法とか、わからないことばっかり。だから、もしなんともならなかったらまたタイムリープするしかない」


比屋定真帆はきわめて無感情にそう言った。


「た、たいむりーぷ……?」


フブキが一人話についてこれていない。


「先に言っとくわ。マシンの未完成だった情報圧縮の部分は橋田さんにやり方を書いたメモを渡しておいたから、明日の朝にはタイムリープマシンが完成しているはず」


そういえば比屋定さん、どのタイミングでリープしてきたんだ?

……!?


「ま、まさか、あの短時間ですべてをやったというのか!?」


俺の記憶によれば、おそらく俺がラボを後にした今日の五時過ぎに彼女はタイムリープしてきたハズだ。しかし、それだとマットや車を準備したりするにはどうしたというのだ?

待てよ。ならフブキを連れてくるなどもっと不可能ではないか?


「ごめんなさい、岡部さん。実はね、あの下り、全部演技してたわ」


あの下り、というと……?


「ほら、橋田さんがあなたを殴って……。と言っても、この辺りはこの世界線上では"あなた"ではないことになっているから、どうでもいいのだけれど。ただ、タイムリープしてきたあなたに私が驚いたところは、あなたにとっても演技になるかしら」


「ごめ、ちょっとなに言ってるかわかんないです……」


フブキが根を上げた。


「しかし、48時間の制約の中でよくそこまで準備できたものだ」


「あら、誰がそんな決まりを作ったのかしら。私にあってあの娘……紅莉栖にないもの。それは、何事も疑ってかかる能力なんかじゃない。牧瀬紅莉栖以上の成果を出したい、と思う強い気持ちなのよ」

◆◆◆



その後、車は数度サービスエリアに停まり、休憩を取りながらも北を目指した。

サービスエリアではトイレ以外はすぐ車中に戻り、人目につかないように休憩した。

休憩中、ケータイの電源を入れていいか比屋定さんに相談してみた。


「実際に私が確認したわけじゃないからわからないけれど、ストラトフォーに電話番号を探知されて悪用される可能性がまだ存在してるかも知れないから、通信会社を解約するまでは電源を切っていおいて。なるはやで橋田さんに代行を依頼しておくわ」


「それでは俺が未来からタイムリープしてきたりDメールを受信したりできなくなってしまうではないか」


「全部私がリープするから心配しないで」


さらって言ってのけた。

確かに俺は2025年まで死なないことが確定しているが、タイムリープマシンを悪用されて脳をいじくられ、植物状態にされてしまっては元も子もない。


「最終目的地に到着後、新しいケータイの番号で契約しましょう」


う、うむ。不安だ。

俺が電源を切ったあの時点より前であればタイムリープも可能だし俺のケータイにDメールも送れる。だが、電源を切ったあの時点から新しいケータイを手に入れるまでそれができないのは、不安すぎる。


「もしその間にあなたのケータイの電源をつけていなければならないという条件が発覚したら、私がリープしてそう伝えるから」


感情の起伏なく告げられる。いったい、今は何度目のループなんだ……。

車内で休憩をとっていても、駐車場を歩く人間から中を見られてしまうことがある。あまり長くは停車していられなかったので、すぐ出発した。


三人とも疲労困憊だった。それでも今後のために情報は共有しておくべきだと判断し、できる限り色々話した。

フブキにタイムマシンやまゆりのことを説明するのは骨が折れた。フブキの理解を得るのも大変だったが、俺自身の心がまだ"まゆりがいなくなった"という現実を受け入れられずにいた。ただ、まゆりは死んだわけではない。このことはフブキも納得してくれたようだ。

逆にフブキが、まゆりが死ぬ夢を過去に何度も見ていたという話には驚かされた。こいつにはかなりのリーディングシュタイナーがあるのだと確信した。

後ろで寝ている椎名かがりの正体は実は阿万音由季だったのだという話をした時はさすがに驚いていた。そうだよな、俺だって未だに信じがたい話だと思うのに、フブキと由季さんは昔からコスプレサークルで知り合いだったわけだから。しかもそれが養子とはいえまゆりの娘ときたもんだ。

俺とフブキは交互に起きて比屋定さんが居眠り運転をしないよう励ます役をやろうという話だったが、午後十一時を過ぎてからはフブキは眠り込み、梃子でも起きなかった。この野郎。

結局夜通し比屋定さんと俺が話すことになった。比屋定さんはこのやり取りを何度もやってるらしく、俺が新しい話をしようとする度に「それはもう聞いた」と返された。つらい。



午前一時、車は岩手県山中のPAに停車した。ここで車を乗り換えるという。

代わりの車は既に到着していた。五人乗りの一般的な乗用車、トヨタのラウムだった。

男が二人乗っていた。そのうち運転手の男とはどうやら比屋定さんは知り合いのようだったが、暗がりで顔はよく見えなかった。会話は流暢な英語だったため俺には聞き取れなかった。

……まさかとは思うが、ストラトフォーの手先ではないよな?いや、ここは比屋定さんを信じよう。

未だに意識を取り戻さないかがりと、爆睡しているフブキをなんとかかつぎこんで、乗り換えを完了した。人気はちらほらあったが、闇に紛れて怪しまれずに済んだ。

運転手じゃない方の男は比屋定さんからカギを受け取ってワゴン車に乗った。比屋定さんに、いったいあの車をどうするのか尋ねたところ、このまま北海道へ船で渡ってそのまま車ごとロシアへ行くそうだ。なるほど、料金所を通るなどして車の痕跡をわざと残したのはかく乱作戦があったからだったか。

運転手の男を加えた五人はそのまま八戸自動車道を北上した。俺も比屋定さんもさすがに起きているだけの体力は無くなり、その男を信頼して眠った。

午前四時頃、まだ日が昇る前、車はどこかの公園の駐車場へ停まった。いつの間にか有料道路を降りていたらしい。そしてここでまた乗り換えるそうだ。

夏にもかかわらず肌寒い空気の中、後部座席のスライドドアを開けると目の前にはいかつい車があった。これはなんて言う車なんだっけ……ハマー?だったか。とにかく冷えるので、いそいそと寝ぼけ眼で乗り込んだ。フブキやかがりの身体は運転手の男が運び入れてくれた。

 中に用意してあったタオルケットに包まれた俺は再びぐっすりと眠り込んでしまった。

◆◆◆



「オカリンさん、おはようございます。ふぁぁ……」


 あぁ、フブキか。

 って、あれ?ここは、どこだ?

 目を覚ますと広めの保健室のような部屋のベッドで寝ていた。天井付のレールカーテンが開け放たれている。

 フブキの一つ向こうのベッドでは比屋定さんが寝ていた。他にもベッドはあったが、かがりの姿は無かった。


「いったい、どうなってるんだ?」


 辺りを見回していると、奥の引き戸が開いて見覚えある骨太の男が現れた。


「Hey,everybody.Good morning!」


 突然男は元気よく叫んだ。うわぁ、また英語か、と思うと気が重くなった。

 その男はあからさまなミリタリーファッションだった。いや、というより、あれか。こいつは軍人なのか。筋骨隆々の肉体の上に、いわゆる迷彩服を上下に着ている。

 なんだが軍人には世話になってばっかりだ。嫌になる。

 肌は褐色がかっているが、しかし人懐こい感じの顔はどうみても日本人、最低でもアジア人だった。なぜ英語?

 その後も英語で俺たちに話しかけるが何を言っているかよく聞き取れなかった。

 既に俺とフブキはベッドから身を起こしていたが、比屋定さんは薄い掛け布団をくしゃくしゃに丸めて篭っている。

 なにやら英語での問答があって、ようやくその繭から顔をひょっこりと出した。


「あー、比屋定さん。おはよう」


 髪までくしゃくしゃにしたミノムシに俺は話しかけた。


「あぁ……おは、ふゎぁ……。おはよう……」


 彼女はきっとものすごく低血圧なのだろう。


「この状況を説明してもらえると助かるのだが」


「ん……。あと五分……」


「ええい、とっとと起きろ!」


 ついカッとなって大きな声を出してしまったところ、例の男に肩を叩かれて、シーッとやられた。No,Noと言っているのはわかった。くそ、日本語でOKだ!


「もういい、先に顔を洗ってくる。えーと、あの、洗面所はどこですか?えー、ウェアー、イズ、センメンジョー?」


「オカリンさん、それはないわ……。Could you tell me......?」


 なんと、こいつ高校生のくせに憚ることなく英語が話せるのか!?

 その男とフブキに連れられる形で便所へ行った。便所はちょっと汚かった。



「それで、比屋定さん。そろそろ説明がほしいのだが……」


 俺たちはベッドに腰掛けながら朝飯を取っていた。朝飯は例の男がワゴンで運んできた。朝飯と言っても質素なパンと牛乳だったが、殊の外おいしかった。

 昨日は一晩色々話をしたのだが、今後の具体的なことについてはあまり教えてくれなかった。説明するより実際体験した方が早い、という理屈だそうだ。


「えっと、まず椎名かがりだけど、彼女は今別室で治療を受けているわ。目が覚めたらメンタルケアの専門家も必要でしょうし」


「そうだったか、なら一安心だ」


 軍属のメディックならばメンタル系も一流であろう。知らないが。

 ただ、かがりがいつも聞こえると言っていた"神様の声"に関してはもっと根本的な治療が必要になるだろう。とにかく、環境が整うまでは麻酔を打ち込んででも大人しくしててもらう外ない。


「それからさっきからずっと自己紹介しているのを無視されて、あそこで凹んでいる彼が、私のコネクションの一人、マイク・ヒヤジョーよ」


 比屋定さんが指さした先では、米軍の軍服に身を包んだアジア人が隅っこのベッドでションボリしていた。


「まいく・ひやじょー?ってことは、親戚か何かなの?」とフブキ。


「そう、私の"はとこ"に当たるわ。ただ、彼の両親は二人ともアメリカ人で、彼は日本語を全く話せないの。父方は一応日系人だけど」


 ほう、そうなのか。顔は日本人なのに日本語をしゃべらないとは、なんとも不思議な感じがする。


「彼は信頼できるわ。米国への忠誠ももちろんあるけれど、比屋定ファミリーへの仁義を尽くしたいと考えているらしいの」


 どこのマフィアだそれは。


「ふふん、沖縄人の親戚パワーを舐めないで頂戴。でも一応例の話題は避けてね。ストラトフォーに脳みそをいじくられた人たちの保護、っていう目的で内密に協力してもらってるの」


 例の話題と言ったらタイムマシンのことだろう。それこそペンタゴンへ情報が直行してしまいかねない。


「アー、ヘロー?ソーリーソーリー。マイネームイズオカベリンターロ。アイムファーインセンキュー、エンジュー?」


 そうとは知らず申し訳なかった、ということで挨拶をかましてやったのだが、フブキも比屋定さんもなんだか呆れ顔だ。

 マイクも一瞬ポカンとしていたが、満面の笑みでシェイクハンドしてくれた。どうやら意思疎通ができたようだ。



「しかし、それではこの空間に比屋定の名を持つ者が二人いることになってしまうな」


「そうね。ちょうどいいわ。今この時をもって比屋定真帆の名前を捨てる」


「な、なんだと?」


 それをすてるなんてとんでもない!


「比屋定なんて珍しい名前、目立って仕方ないから。だから、今後はできるだけ人の記憶に残らないような、平凡な名前で生活するつもり」


 偽名、ということか。


「ふむ……まぁ、一理あるな」


「あ、じゃぁさ、それこそクリスなんて名前、いいんじゃない?」


 フブキが身を乗り出してきた。って、よりにもよって"クリス"だと!?突然なにを言い出すのだ!

 ほら、比屋定さんも鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。

 ……あれ、ということはこのフブキの発言は数あるループの中でも初出なのだろうか。


「だって、昨日からよく話に出てきてたし……それに、オカリンさんがクリスって言うと、妙にしっくりくるんだよねぇ」


「い、いや、だがしかしだなぁ!」


「……たしかに、クリスだったら日本人としても欧米人としても振舞えるかしら」


「う、いや、だが、しかし……」


 何故か比屋定さんは真剣に考え込んでいる。大方、今まで自分が経験してきたループと違う現象が発生して、興味を持っていると言ったところだろう。

 だがちょっと待て。その名前、本当にいいのか?


「試しに、岡部さん。私をクリスって、呼んでみてくれる?」


「うっ……」


 わかっている、わかっている。このクリスはコードネームとしてのクリスであって、牧瀬紅莉栖とはなんら関係がないのだと、わかっているのだ!

 だが、しかし……!



「くっ……くりっ……」


勿論、俺が言いにくそうにしている理由を比屋定さんはそれなりにわかっているはずだ。だが何故敢えてそれをさせるのか……。

フブキは固唾を呑んで見守っている。

比屋定さんは何故か恥ずかしそうに上目遣いでこちらを見つめてくる。やめてくれ、こっちまで恥ずかしい。


「くり……す、さん」


はぁーっ、はぁーっ。あまりのプレッシャーに息が上がってしまった。


「う、うん。悪くないわね」


何故照れるのだ比屋定さんよ。


「というか、牧瀬紅莉栖の名前をコードネームにするなど、いいのか?」


「正直、自分に紅莉栖の研究の後釜が務まるのか不安だったんだけど、いっそのこと自分がクリスになっちゃえば研究にも自信が持てるかな、って……」


 うつむき加減に頬を赤らめる比屋定さん。そうか、そんなことを考えていたのか。


「何を言っている。もう既に紅莉栖の作ったマシンの性能以上のものを作ったのだろう?それに俺は昨日の跳躍を経験して、比屋定さんの凄さを理解しているつもりだ」


 マイクが日本語を理解していない前提でべらべらしゃべっているが、一応多少はごまかしているつもりだ。


「あ、オカリンさん。比屋定さんじゃなくて、クリスさん、でしょ?」


「う……」


 フブキに指摘されてしまった。が、やはり言えない。ううむ。

 マイクも、俺が弄ばれているのを理解してか、にやにやしている。くそう。

 その時、クリスという呼び方に刺激されて、俺の中にふつふつと虚栄心が湧き上がった。



「ふっ……ならばまず、"助手"と呼ばせてもらうところから始めようではないかぁ」


 俺のぬるっとした豹変ぶりに女子二人はビクッと身体を強張らせた。本能的になにかを感じ取ったのだろう。


「は、はぁ?どうして私があなたの助手なの?確かにあなたはラボの所長だけど、でもこの研究に関してはどちらかというと――」


 ふふっ、動揺しているな?いつまでも下手に出ている俺ではないのだ。


「理屈ではないのだぁ、助手ぅ。それともセレブ・セブンティーンヌッ!略してセレセブがいいか?いや、ここはそれこそ、蘇りし者<ザ・ゾンビ>がふさわしいではないかッ!」


「うわっ、なんか昔のオカリンさんのテンションになってきた……キモッ」


 フブキがなにか戯言をつぶやいているが気にしないでおこう。


「ちょっと、なんでセレブ?セブンティーンは、確かによく間違えられるけど、じゃなくて!意味わかんな――」


「口答えするでない!この天才HENTAI少女がッ!」


「へ、へんたいですって!?」


 その言葉に小さな身体が飛び上がった。


「ついに顔を真っ赤にしてファビョり出したなぁ、クリスティーナよ」


「クリスティーナじゃなくて、クリスでしょ!?なんで"ティーナ"をつけるの!?って、ふぁびょるって、何?」


「黙れ実験大好きッ娘のメリケン処女が。とにかくお前は今日、この日、生・ま・れ・変・わ・っ・た・の・だ・ッ!フゥーハハハッ!」


 バババッ、と腕を振り回し、最後に天井に向けて突き上げる大振りなモーションで決めた。マイクの奴は俺の美技に対し賞賛の拍手を送っている。

 ふふっ、懐かしいではないか。あぁ、懐かしい感覚だ。まさにッ!時を越えた郷愁への旅路<ノスタルジアドライブ>!


「は、はぁ。まったく、岡部さんは時々意味がわからないわ」


 ため息をつきながらベッドに腰掛けるクリス。

 うむ、クリス呼びにはもう抵抗はないな。だが、もう"助手"と呼ぶことはあまりないかもしれないな……。

 クリスという名前によって俺は、忌むべき存在と認識していた"ソレ"を、期せずして復活させてしまっていた。

 ……ちょっと恥ずかしいとは思う。


「真帆さんは知らないだろうけど、昔はもっと酷かったんだよー?」


 フブキはケラケラと笑っている。まぁ、実際もっと酷かったからな、反論はしない。

 そうこうしているうちに全員朝食を取り終えた。

 と、その時。廊下の奥から叫び声が聞こえてきた。





『ママァ!アイツ殺すッ!ママァ!』




「!? かがりか!?」


 あまりに悲痛な叫びに驚いた俺は部屋を一目散に飛び出していた。

 廊下の一番奥の部屋への扉を空けると、そこにかがりは居た。ブロンドの女医らしき人物と、黒褐色の肌の軍人に身体を取り押さえられている。服は患者が着る、薄い甚平のようなクランケ服に着替えさせられていた。

 かがりの半狂乱な視線が、俺の顔を鋭く射抜いた。


「殺すッ!お前ッ!絶対にやらせないから、やらせないからなァッ!!」


 全身の力を200%振り絞って出しているのではないかと思う声で、およそその少女の体躯から発せられる音量をゆうに超越した声で、かがりは俺に噛み付こうとしていた。

 そこへ俺の後ろから屈強な軍人たちが数名雪崩れ込み、かがりを台に寝かしつけた。

 なおもかがりはあばれ続けていたが、先のブロンドの女医が隙を見て一本の注射を腕に挿した。腕の周りは、俺の首より太い何本もの腕によって押さえつけられているが、それでもかがりは抵抗している。

 注射を終えると、十秒もしないうちにかがりの反抗は弱くなっていき、三十秒後には気を失った。随分強力な薬のようだ。



 これは、明らかにひどくなっている。

 俺の知っている限りではかがりにはまだ若干の理性があった。むしろ、だからこその苦痛だったはずだ。

 しかし、これではもうただ狂っているだけだ。

 まさかとは思うが、これもレスキネンの仕掛けたトラップなのか?例えば、目的を達成できなかったら脳を破壊して死に追いやるプログラム、とか……。

 ありえなくはない。これは、本当に一刻を争う事態だ。


「かがりさんの脳は、私がなんとかする」


 後から追いかけてきたクリスが言った。


「なんとかできるのか?」


「当たり前でしょ、私、これでも教授の下で研究してた脳科学者よ。もうだいたい仕組みはわかってる。あのレスキネンのやりそうなことを考えればいいだけだから」


 そうか……。それなら、よかった。


「実はここ、三沢基地に来た一番の理由はそれなの」


「何?」



「何って、あなたが教えてくれたんじゃない。なんだっけ名前……ほら、あなたがα世界線からβ世界線へ移動するきっかけになった……」


「Dメールの削除か?」


「そう。そのDメールを捉えていたのは?」


「エシュロン……そういえば、この三沢基地に通信傍受施設がある、というのは有名だったな」


「この窓から見えるわ。ほら」


窓の遠くには巨大な鉄骨造りの円筒形の囲いがあった。通称"ゾウの檻"、その手の方面では何かと話題に上る有名なものだが、@ちゃんねる掲示板では使い古されたネタとなっている。

この馬鹿でかい"ゾウの檻"だけがエシュロンではないが、ともかくエシュロンの一部であろう。

なるほど、ここのエシュロンにあのDメールは捉えられてしまって、そして全てが始まったのだな……。


「冷戦時代、当然傍受された情報はホワイトハウスに即座に届けられていた。ここ、三沢基地からね」


ふむ……?


「まさかと思って調べたら、ホワイトハウスとここは今でも非常用通信として直通で連絡できるらしいわ。それも光回線で」


なんと……!てか、それって軍機じゃないのか?


「これを把握するために何度飛んだことか……。そんなわけでストラトフォーさんの悪事をエシュロンの名で暴露させてもらうと同時に、かがりさんの治療に必要と思われるデータをヴィクコンから持ってくるわ。ホワイトハウスとヴィクコンも光回線でつながってるの。脳科学研究所と精神生理学研究所からありったけいただくわよ」


「それこそダルの領分ではないか?クリス、お前一人でできるのか?」


「大丈夫、橋田さんに教えてもらいながらやるから。それにもう何度も成功してる」


二人はビデオチャット仲間らしい。

しかし、そのやり取りこそ傍受されたら問題になるのではないか……?


「そんなわけだから数日ここに滞在して、準備が出来次第沖縄へ飛ぶわ。あんまり長居するわけにもいかないの」


経験上、とクリスは付け足した。説得力がある。

一体クリスは何日、いや、もう何ヶ月にもなるのだろうか。そんな時間を、何度も繰り返して、失敗してきたのだろうと思うと胸が痛んだ。

だが、今度こそは大丈夫だ。根拠はないが、そうでなければならない。

◆◆◆



 明朝、早速沖縄へ発つこととなった。ダルは影で相当がんばっていたらしい。

 かがりのことを考えれば早ければ早い方がいい。あの発狂の後のかがりは少し落ち着いていて、多少はコミュニケーションをとることができた。

 結局、表向きにはストラトフォーの悪事を米軍が告発したことになった。すなわち、新型脳炎患者に対して非人道的な人体実験をしている、ということをだ。

 おかげでこの時点で日本国内に残っていた新型脳炎患者はストラトフォーの手による人体実験行きを免れることとなった。それだけではなく、ストラトフォーは今後あまり表立って行動できなくなることだろう。しかしそれでも世界中の諜報機関が脳炎患者を狙っている。いずれリーディングシュタイナーもどこかの組織に発見されてしまうはずだ。

 三沢基地の面々に対しては、被害者三名は専門家の判断によって問題がないと診断されたので保護を終了したという話になっていた。色々とお世話になりました。

 しかしまぁ、これだけおおっぴらに行動しておいてタイムマシンに関しては一切バレていないというのは本当に奇跡的だと思う。勿論奇跡なんかではなく、クリスの度重なるタイムリープのおかげなわけだが。



 俺たちは積荷にまぎれてこっそり米軍の輸送機に乗り込んだ。それを手伝ってくれたのは、あの馴れ馴れしい笑顔のマイク・ヒヤジョーだった。

 離陸から4時間もすれば嘉手納基地に到着しているという。機内に乗り込んでからは、マイクの案内の下、麻袋から抜け出した。

 かがりには強力な麻酔を打ってある。向こうにつくまではなんとか凌げるだろう。

 快適な空の旅とは言えなかったが、もはや社会から消えた身分だ、仕方がない。

 飛行機に揺られ続けている間、会話は特に無かった。というか、轟音でろくに話すこともできなかった。



 まもなく嘉手納基地に着陸した。体感ではあっという間だった。再度麻袋へ姿を隠し、荷物にまぎれて軍用トラックへと移された。マイクとはここでお別れだ。

 トラックが発進し、基地内から一般道へと出て順調に走り出すと、日本語で『君たち、もう大丈夫だ。出てきなさい』と声がした。

 クリスが真っ先に袋から抜け出して、俺たちにも出るように促した。


「それで、この運転手もコネの一人なのか?」


「そう。彼の名前は比屋定盛親。基地労働者として働いているわ」


「今度も親戚さん?」


 フブキが袋からひょっこり顔を出して質問する。

 またコイツと沖縄旅行することになるとはな。まぁ、冷戦ならぬ熱戦下での沖縄旅行ではなくてよかった。

 それにしても、体中がかゆい。全く、ほこりっぽくてたまらん。

 麻袋の中ではよくわからなかったが、外へ出ると空気が違った。軍用トラックのほこりっぽさとは別に、今年の頭に味わったあの南国特有の空気だ。


「そうなるわね。でも沖縄人は、遠くても近くても親戚の団結力はすごいのよ。彼も信用できる」


 そう言えばもともとクリスが日本に来た名目は比屋定家祖先への墓参ということだったな。クリスが日本へ来たのは実時間でつい先週のことだ。


「たしか、一度も会ったことはなかったんだろう?」


 それなのに、ただ親戚というだけでそんなに信用して大丈夫なのか?


「戦前に南米に行った、本部本家の次男坊の、その長男筋の長女と紹介しただけで信頼度は100%だった。笑っちゃうけど、ホントに頼りになるんだから」


 久しぶりにクリスが屈託無く笑った。その顔には長時間の移動による疲れが見えていたが、それでもかなり緊張は解いているようだ。

 どうやらタイムリープ判断の分岐点となる山場はひとつ越えたと見ていいらしい。



「今でも本部の比屋定さんにはお世話になってますからね。なんといったって、一族門中会のリーダーであるわけですから。この前のカミウシーミーの時に合わせて作った由来記の編集の時なんか……」


 顔は見えなかったが、運転席からセーシンと呼ばれた男が突然饒舌にしゃべり出した。独特の沖縄訛りのイントネーションではあったが、標準語のはずなのに単語の意味がわからず、何を言っているのかよくわからなかった。


「それで、盛親さん。例の件は問題ないかしら」


 にやり、と笑みを浮かべて比屋定さんが質問した。

 なんだか俺の奥底で眠っていた厨二心をくすぐるような台詞回しだ。

 実際クリスも格好つけて言っている。フブキなんかは長時間のフライトによる疲労を忘れて目を輝かせ始めた。


「はい、問題ありません。毛氏比屋定門中が世界の命運を握っているというならば、全力でお手伝いさせていただきます」


 ハッハッハ、と豪快な笑い声が聞こえた。どうやらこいつもマイク同様相当がたいが良さそうだ。


「お、おいクリス。どこまで話してあるんだ?」


「世界の支配構造を破壊するための最終兵器を作る、って言ってあるわ」


「よくそれで話が通じたな……」


 後からわかったことだが、要するに、島の人間は刺激に乏しいのだ。だからこういうおもしろそうなことには首を突っ込みたがる。

 そのうちにトラックは停車した。


「さ、降りてください皆さん。ハブには気をつけて」



「皆さんはこういう都市伝説を聞いたことがありますか」


 俺たちの前に現れたのは、逞しい褐色の肌をした、まさに島の男という感じの壮年男性だった。敬語で話しかけられているのに違和感を覚える。

 トラックはジャングルのど真ん中に停車していた。辺りは日中にもかかわらず薄暗い。道は舗装されておらず、蛇やら虎やらが出てきてもおかしくない雰囲気だ。


「沖縄の米軍基地には核兵器が、あるいは生物兵器が眠っている、と」


 ほう、ネットではそれなりに出てくる話題ではないか。現在の軍事的戦略からして核があるわけない、ということで大体話はつくのだが。


「米ソ対立時代にはあったかも知れませんし、ベトナム戦争時には一部が実際にあったことが明るみになっていたりします。ですが、いったいそれらをどこに閉まっていたのか」


 ん?たしか、辺野古の弾薬庫だったか。


「おぉ、詳しいですね。そうです。ここが辺野古、キャンプ・シュワブです」


 へぇ……。で?ここにその兵器があると?


「さぁ、それはわかりません。ですが、それらしい兵器を隠していた"場所"はあります」


 ふむ……?


「その場所は今手付かずのまま放置されています。是非未来ガジェット研究所の皆さんの新しい研究所としてお使いください」


「な、なんだと!?」


 俺が驚くと、ギャーギャーと黒い鳥たちが鳴きながら一斉に空へと飛んでいった。

 それに怯えてフブキがうわぁと身体を縮めた。


「百聞は一見に如かずよ。盛永さん、宜しくお願いします」


 クリスがまた新しい人物の名前を言った。

 すると、鬱蒼と生い茂った草木の間から、赤ら顔をした老人がのっそりと現れた。

 汚れた作業着、首にタオルを巻いている。ボロボロのキャップの下からは、少し赤みがかった白髪が生えている。皺は深く、その身に年輪を刻んでいる。

 やはり骨太の男だ、こいつも比屋定ファミリーの一員であろう。


「だぁ、いったー。ちーてぃくーわ」


 ん、ん!?

 何やらわからない言語を発したその森の妖精は、腕で俺たちを招く仕草をして、また森の中へと入っていった。


「さぁ、行くわよ。岡部さんはかがりさんをよろしく」


 どうやらセーシンさんとセーエーさんとが案内役をバトンタッチするらしい。セーシンさんの方はトラックへ戻って撤退の準備を進めていた。

 セーエーさんとやらがどんどん歩みを進めていくので、俺はすぐさまかがりを背負って後を追った。

 セーエーさんは鉈で下草を払いながら奥へ奥へと進んでいく。三人と背中の一人は必死に道無き道を歩いた。

 暑い。気温は森林の中ということもあってそこまで高くは感じないのだが、ものすごい湿気だ。一歩踏み出すだけで汗が滴り落ちる。

 そして虫が多い。ええい、うっとおしい。これ、刺されでもしたらマラリアにかかるんじゃないか……?

 木々の葉擦れの音に混じって時折聞いたことも無い動物の鳴き声(鳥か?)が聞こえてくる。亜熱帯特有の生物だろう。

 まるで戦争映画のワンシーンだ。この上敵兵が潜伏などしていようものなら精神がおかしくなってしまうに違いない。


「セーエーさんは若い頃、戦後の混乱期に基地建設の仕事をやったらしいわ。とにかく穴を掘ったんだって。まさに彼が掘った穴を新しい研究所として使おうと思ってるの」


 息を上がらせながらクリスが言った。使えるのか、それ……。


「まぁ見てなさい」


 しばらくすると、岩壁が聳え立っているところまで来た。高さにして10m近くはあるだろうか、巨大な石灰質の岩壁だ。その上に生えた木の枝から無数に降りた根っこのようなものが岩壁を覆っており、ジュラ紀にタイムトラベルしたかのような気分になる。

 上に見とれていると、セーエーさんが視界から居なくなっていた。


「き、消えた!?」


「くまやが。くーわ」


 なんと岩壁の足下はくぼんでおり、奥はほら穴になっていた。どうやら鍾乳洞のようだ。

 内部にはツタに覆われた脚立が立てかけられており、それを伝って下へ降りたらしい。今にも壊れそうな脚立だ。

 俺たちもそれに続く。あれほど元気だったフブキはもはや顔面蒼白だ。

 全員で協力してかがりを洞窟の入り口まで降ろした。中は湿気がすごかったが気温は低く、ようやく冷気を感じることができた。

 ヤモリがちょろちょろと足元で蠢いている。コウモリも居そうな雰囲気だ。

 セーエーさんは鉈を置いて、代わりに懐中電灯をつけ、少し身をかがめながら奥へと進み始めた。


「あっ、ツボがある!」


 突然、隣に居たフブキが久しぶりに口を開いた。

 ん?なんだこのでかい壺は。

 フブキの指さす先には1m近い大きさの古びた壺がおいてあった。

 RPGでもあるまいし、どうして洞窟に壺が……。


「まさかメダルが入ってるとか!?」


 おいおい、さっきまでおっかなびっくりのへっぴり腰だったくせに突然テンションが上がったな。

 言うや否や、フブキはすぐさま蓋をあけた。



「……ぎゃああああああああっ!!!!!」


 鍾乳洞全体にとてつもない絶叫が轟いた。


「ほ、ほ、ほねぇぇっ!!」


 フブキはその場に尻餅をついた。どうやら腰が抜けてしまったらしい。

 目玉をぐるぐる回し、口からは泡を吹いていた。


「さんけーっ!うーまくー!」


 奥に行っていたセーエーさんが懐中電灯と共に戻ってきた。かなり怒っている。

 ゴチン、と一発フブキに拳骨を加えた。


「うわあああああああん!!!」


 お、おいおい。

 マジ泣きだった。いや、無理もないだろ。

 明かりに照らされた壺の辺りを見ると、何やら白い破片が散らばっていた。


「全く……。セーエーさん、許してあげてください。私はサーダカーですが、大丈夫、ここにはヤナムンはおりません」


 クリスはなにやら説得していた。暗がりでもよくわかるほどセーエーさんの顔は赤くなり、かんかんに怒っていた。

 とりあえずこの怒れるおじいさんは落ち着いたらしいが、フブキはずっと泣きじゃくっている。


「よしよし……」


「ひっく……ひっく……」


 セーエーさんの説得が終わるとクリスは泣きじゃくるフブキをなだめた。

 成人女性が女子高生をなだめていると考えればおかしなことはないだろうが、見た目には女子中学生が男子高校生を抱きしめているように見える。

 フブキが落ち着いた頃、セーエーさんはまた奥へと出発した。俺たちもいそいそとそれに続く。


「フブキよ、大丈夫か?」


 フブキは小さく、ん、と言った。顔は泣きはらしているようだ。


「あの壺の中には風葬後、洗骨をした人骨がまるごと一体入っていたのよ」


 洞窟をゆっくり屈みながら歩く中でクリスが説明してくれた。なんと、ミミック的なアンデッドモンスターであったか。


「あんまりそういうことを言うもんじゃないわ。あの骨壷は、戦争中にお墓の中にあったものをここに避難させたのだけど、お墓そのものが破壊されてしまって戻すに戻せなくなっていつしか忘れられてしまったものよ」


 一体その情報をどこで仕入れてきたのだ……。


 30mも進まないうちに、わりと広い鍾乳洞の空間に出た。

 広いと言ってもまだ未来ガジェット研究所@秋葉原の方が広い。


「おいおい、まさかここを研究室にしろっていうのか?」


 自分の声がこだまする。

 鍾乳石だろうか、筍状の岩が何本か奥の方にあった。その裏側へとセーエーさんがまたも消えていった。

 突然光源が消えたので焦って俺たちも続いた。

 そこには3mほどの高さのタラップが真下へ向かって設置されていた。

 ところどころ錆びているが、岩壁にしっかりと打ち付けられている。

 またも四人で協力してかがりの身体を下へと降ろした。

 しかし、なぜこんなところにタラップが?

 そんなことを思いながら自分も下へと降りる。

 一番下まで到達すると、背後に岩壁に埋め込まれた一枚の鉄扉があった。セーエーさんがカギを使って開ける。

 扉が開け放たれる。どういうわけか、光源が漏れ出す。

 そこには。




「な、なんだこりゃぁ……」




 絶句した。

 そこには、まるで宇宙を舞台にしたロボットアニメによく出てくるような、無機質で、しかしどこかレトロなだだっ広い空間があった。

◆◆◆



 天井には時代に取り残された白熱電球、壁面にはむき出しのままの配管、床はリノリウムではなくコンクリート、どこからか聞こえる換気扇の軋む音……。

 何かの映画で見た、アルプス山中にあるという地下要塞のようだ。探せばホントに核兵器か、もしくは核兵器を飛ばすためのボタンでも隠れてそうな地下空間である。

 入り口の鉄扉を開けるとすぐ100畳ほどの横長の格納庫となっていて、そこから正面の壁には通路への扉がある。その扉をあけると格納庫側の壁に沿って廊下があり、その廊下には格納庫とは反対側の壁に個室がいくつかあった。

 格納庫の、入り口からみて左側の一番奥には搬入口であろう、少し広めの通路が奥へと続いていた。

 なぜセーエーさんがこんなところのカギを持っていたのか疑問に思い、クリスに尋ねた。なんでも、琉球政府時代に将校の部屋から泥棒し……いや、"戦果"を挙げたのだそうだ。自分が一生懸命掘ったこの地下基地に存外愛着が沸いてしまったため、カギだけでもと思って盗んでおいたらしい。クリスがどんな交渉をして譲り受けたかはわからないが……。


「今は発電機を回しているけど、明後日には直接沖縄電力からちょろまかして電気を送ってもらうわ。比屋定の人間に沖電の重役がいて、既に話は通してある」


 比屋定ファミリー、恐るべし。

 フブキも口をあんぐり開け、目を見開いて驚いている。


「ここは完全に外部から遮断されてるから、新しく回線を持ってくれば安全に通信環境が確保できる。ケータイの電波も今は圏外だけど、近いうちにこの施設内部にアンテナを設置するわ。その辺ももう身内を使って委託してあるから安心して。米軍は、書類上は40年前に破棄したことになっているから人様が勝手に使ってるなんて夢にも思わないはずよ」


 もう何度も練習してきたような口ぶりで、クリスは淡々と説明を続けた。

 百聞は一見に如かずとは言ってくれたもんだ。フブキの驚嘆の顔は、次第にレアカードを手に入れた少年のそれに近づいていた。


「この亜熱帯のジャングルを出入りしても誰かに見つかる心配はほとんどない。そのまま国道へ出て名護市街へ行くこともできる。環境さえ整えば、ゆっくり腰を据えて研究できるわ。さて、ここを未来ガジェット研究所の沖縄支部にしようと思うのだけれど?"鳳凰院凶真"さん?」


 ぐっ、その名前、フェイリスから聞いたのか?

 突然俺の方を振り返ったクリスは、何か含みのある笑みを投げかけてきた。

 なんだ?その俺を試しているかのような目線は。


「いや、違うな。そうじゃない。この俺、ラボメンナンバー001である未来ガジェット研究所所長、"鳳凰院凶真"がいるところこそ、未来ガジェット研究所なのだ」


 実時間で一昨日、思い出したくも無いと思っていた"鳳凰院凶真"の不遜な顔と声が、実のところ、今はむしろ心地よく感じていた。


「くくく……ふふふ……フゥーハハハッ!俺の、俺の封印されし真名を呼び覚ましてしまったようだなぁ、クリスティーナ!いいだろう。教えてやろうではないか。我が未来ガジェット研究所の目的ッ!それはッ!運命石の扉<シュタインズゲート>を探し出しッ!世界の支配構造を破壊することだッ!フゥーッハハハ!!」



「厨二病、乙!」


 う、うるさい!せっかくカッコイイポーズをとっていたところに水を注すでない、フブキよ。

 フブキは、してやったり、といった感じで、手を頭の後ろで組み、にししと笑っている。

 というか、タイムリープで知っているからと言って誘導尋問はやめるのだ、クリスよ。


「ふふ。答えは、ノーよ。ここから先は、私も未体験。ようやくループから解放されて、うれしいやらかなしいやら」


 何故悲しいのだ?というか、そうか。それは、よかった。

 騒いでいるうちに、先ほどからどこかへ消えていたセーエーさんが戻ってきた。


「……ありがとうございます。はい」


 クリスとなにやら不思議な言語で会話している。後で教えてもらったが、これは"ウチナーグチ"という暗号言語らしい。

 どうやらセーエーさんはすべての部屋のカギを開けて回ってきたようだ。


「いくつか部屋があるから、そこを個人の部屋にしたり、かがりさんの診療室にしたりするわ。トイレとシャワーはあと一日だけ我慢して、そしたら上下水道完備になるから。さぁ、とりあえずは内装をしっかりさせて、生活できるようにしないとね」



 この日から新生・未来ガジェット研究所の活動が始まった。



 記念すべき最初の活動は、部屋の掃除であった。


◆◆◆

 2011年8月21日




「いやぁ、オカリンまじパネぇっす。リスペクトっす」


「ふふん、そうであろう?そうであろう?フゥーハハハ!」


 橋田至ことダルは、狭い鍾乳洞を必死の思いをして抜けてきた先にあった秘密基地に足を踏み入れ、呆然と立ち尽くしながらも感動していた。

 横にだだっ広かった格納庫は、カーテンで間仕切りをした。鉄扉側を談話室とし、日常的に使用する生活空間としてある。カーテンの向こうは研究室である。談話室よりも研究室の方が広い。


「最近は趣味で1/1スケールのプラモとかジオラマ作るうp主とかもいるけど、ここまで本格的にミリオタとかロボオタを魅了する秘密基地はないんじゃねーの、っつーか」


 この太った東京電機大学二年生は、夏期休暇を利用して沖縄へ学生旅行へと洒落込んでいることになっていた。実際は未来ガジェット研究員、また天才スーパーハカー、またタイムトラベラーの生みの親として文字通り地下活動をするための歴史的潜入工作である。


「それと、ケータイの解約の代行とかマジ無茶振り勘弁だお。結構危ない橋渡ったんだから僕のことを労うべきと思われ」


 そうそう、俺はといえば新しいケータイを手に入れた。せっかくなので今流行りのスマートフォンとやらにしてみた。目新しさに惹かれたのだが、なんだかしっくりこないので昔のケータイも常に白衣のポケットに入れてある。そういえば初めて紅莉栖と会った時もこうして電源を入れていなかったな……取り上げられて指摘されたんだったか。


「なーオカリン。GUSOHとかメースBとかなかったん?」


「一応進入可能なところは全て調査したが、まるでもぬけのからだったぞ」


 というか、生物兵器や核兵器がある空間で寝泊りなど願い下げである。

 ようやく生活に最低限必要なものを搬入した程度で、談話室も研究室もまだ物が少なくガランとしていた。

 ちなみに搬入口は現役で使用中の米軍関係施設と長い通路でつながっており、入り口の鉄扉よりサイズの大きい物資の搬入はセーシンさんと共同で外の人気がないタイミングを狙ってこっそり行っている。

 現役で使用中の施設と言っても滅多に使われていない。外にはいくつか短い滑走路が敷いてあって、その横にあるハンガーのような建物がここの奥と繋がっていた。

 だが万が一誰かに見つかっては元も子もない。俺たち自身の移動の際はあの鍾乳洞を通用口としていた。




「おーっ!久しぶりダルさん!相変わらずヘンタイしてる?」


「ヘンタイじゃないお!ヘンタイ紳士だお!ってフブキ氏、元気そうでよかったお」


 久し振りといってもそんなに久しぶりではないが、しかし色々なことがあったものだから随分昔のことのように感じる。



「橋田さん、わざわざ来てもらってありがとう」


 さっきから隣にいたクリスがダルに声をかけた。ダルは周囲を見渡すのに忙しくて、低い位置の確認を疎かにしていた。


「おぉーリアル真帆たん!いつからそこにいたん?いつも画面の向こうにいるからてっきり2.5次元嫁かと思ってたお!MMDモデル的な意味で!」


「二度とその名前で呼べないように口を縫ってあげましょうか……?」


「お前、いつか本物の由季さんにもしばかれるぞ……」


「まだ出会ってもないリアル嫁にしばかれるとか、僕かわいそす」


 一応ダルには偽者であった阿万音由季の話はしてある。今回のダルの来訪は、元・阿万音由季と面会することも目的のひとつであった。


「あ、あの……おひさし、ぶりです……」


 騒いでいるうちに、栗毛色の髪の持ち主が廊下に通じる扉の奥から顔を出していた。


「あ、その……。うん、久しぶり。かがりたん」


 何を隠そう、人生初のダルのデートの相手である。臆面の無く"たん"付けで呼べるのは、ダルの無神経さだろうか、心の広さだろうか。

 かがりはクリスによる治療で一時期の半狂乱状態からは回復していた。とは言っても頭痛や"神様の声"が二日に一度は酷い状態になるので目が離せない。まだまだ長期的なスパンでの治療が必要らしい。

 医療機器に関してもまた、比屋定ファミリーの一人に病院の理事長が居たらしく、そこから内密に提供していただいている。


「まぁ、お互い話は通っていると思うが、一応直接話し合っておくべきだろう」


「うん、ありがとなオカリン。それで、かがりたん。あの……」


「は、はい……」


 なにやら難しい雰囲気が漂っている。ここまでの経緯を考えればさもありなんと言ったところだ。


「また、よかったらさ、カレー、食べに行こうな?」


「は、はいっ……!」


 やれやれ、心配するだけ無駄だったようだ。お前は誰よりも優しい巨漢だよ。

 かがりの顔からは不安の色が消え、どことなく阿万音由季だった頃の笑顔をうかがわせた。これで多少頭痛も治ればいいものだが。

 かがりが実はダルに惚れているのだということを俺は知っている。本人の口から聞いたからだ(このかがりにはそんな記憶はない)。もちろんダルには絶対に言わない。どんなに金を積まれても教えてやる気は毛頭無い。

 しかし、かがりがまゆりの娘だとすると、もしかがりとダルが結婚していたら、鈴羽はまゆりの孫娘ということになっていたのか……?

「さて、役者は揃ったわ。これより、実際にタイムトラベルを経験した椎名かがりと岡部倫太郎、そして実際にタイムマシンを整備した橋田至の記憶を元に装置の設計図を考えていくわよ」


「……それってなんかズルくないか?」


 俺が思ったままをこぼす。タイムパラドックスにならないのか?


「ズルくなんかないお!全く、オカリンはなにもわかってないお!僕がマシンの整備中どれだけ鈴羽に釘を刺されたか……!マシンの秘部を御開帳させてもらえれば、すっごく楽だったのに!エロのないエロゲーをプレイしてる気分だったお!」


 なにやらダルが喚いている。なんだ一体。


「僕だってこの一年間、タイムマシンや世界線について研究してきたんだぜ?オカリンが復活しなかったら僕一人で作らなきゃならなかったわけですしおすし」


 そうであった。ダルのリュックにはおそらく元・ラボで研究していたデータや資料が詰まっている。




「それから、クリス氏に頼まれてたデータ、持ってきたお。僕は大変なものを盗んで行きました……SERNが極秘で隠し持ってたタイムマシン製作関連データです!」




 ……聞き間違いか?

 今、ダルはなんて言った?

 俺の忌まわしい記憶の言葉、"SERN"。そう言ったのか?

 SERNにハッキングしたと、そう言ったのか?

 たしかにこの世界線でも2010年7月28日には電話レンジ(仮)はダルの手によって作られていた。だがゲルバナ実験やからあげ冷凍現象などの後は、改良のためIBN5100と諸々のパーツを使用してSERNをハッキングすることも、42型ブラウン管テレビの点灯しているタイミングで運よく電話レンジ(仮)をDメール送信装置として使用することもなかった。

 2011年に電話レンジ(仮)弐号機が作られ、そしてタイムリープマシンとして生まれかわった際は、IBN5100を使うことなく、つまりSERNにハッキングすることなく、俺のα世界線での知識を用いてDメール機能実験を飛び越えて開発したのだ。

 ダル、まさかお前……。

 嘘、だよな?

 嘘だと言ってくれ……!!



「……答えろダル!!IBN5100は、どうやって手に入れた!?」


 ダルが現在IBN5100を所持しているならば非常に危険だ!

 いつSERNに暗殺されるか……ッ!

 こいつ、いったい何を考えてやがる!


「はぁ?あれはオカリンが解体しちゃったじゃん。売ればプレミアついたのに」


「そうではない!!いったい、どうやってSERNの極秘情報にハッキングをしかけたというのだ!?」


「このダル・ザ・スーパーハッカーの手にかかれば朝飯前でござる」


 むふー、と鼻息を荒くするダル。

 そうじゃない、そうじゃないんだダルッ!

 お前だって、一緒に命を狙われたじゃないか!なぜその危険性に気づかない!




 ―――夜のとばりを引き裂いて襲撃してきたラウンダーたち。
 
 ―――凶弾に頭を撃ち抜かれ、腕の中で息絶えた大切な幼なじみ。

 ―――絶望の叫び。そして、無限に続く悪夢のような時間のループ。

 それらのフラッシュバックが、俺にまたも襲いかかった。




「私から説明するわ、岡部さん。だから落ち着いて」


「うるさいッ!貴様は黙って―――」


 気づけば右の拳に力がこもっている。

 俺は、今、いったい、何をしようとした?

 我に返る。よかった、クリスは無事だ。

 俺の右手を、クリスの両手が握っていた。

 少し怯えている。目にはわずかに涙が浮かんでいる。

 こちらに来てからというもの、俺は時々、こうして興奮状態に陥ることが多くなっていた。

 ……トラウマが多すぎるんだ、俺は。


「ちょ、オカリンタンマタンマ。どしたん?だいじょぶ?」


「橋田さん、大丈夫よ。岡部さんは大丈夫、ノルアドレナリンが異常分泌しただけ……。岡部さん、私が説明不足だったわ、ごめんなさい」


 クリスが謝る必要はない……。



「……知っての通り、SERNはロシアの技術、そして牧瀬紅莉栖のHDを回収するため表立って活動し始めていたわけだけど……まったく、忌々しい記憶だわ……実はその間にSERNが所有していたIBN5100が市場に流通し始めたらしいの」


「ロシア対外情報庁(SVR)が中心となって敷かれた徹底的な情報管理体制に端を発する熾烈な諜報戦に敗れた、と言えるわ。実行犯はロシアだけど、SERNのスパイだったかがりさんのストラトフォーとしての活躍の賜物かも」


「これを受けてSERNはIBN5100での擬似的スタンドアローンを放棄して、暗号化技術によって情報機密を守る必要が出たわけ」


 クリスが一息に説明を終えた。


「そしたら僕の得意分野なのだぜい」


 ニッ、と犬歯を輝かせるダル。


「そう、だったのか……。クリス、どこでその情報を?」


「忘れたの?我が研究所の手足となってSERNでスパイ活動をしている男のことを」


 あ。

 そうであった。

 あの男、コードネームミスターブラウンは、俺たち未来ガジェット研究所に忠誠を誓ったらしい。クリスがいったいどんな手段を用いたのかまでは聞いていない。怖くて。

 ちなみにSERNに置かれたかがりの籍はミスターブラウンらの工作活動によって"死亡"扱いとなっている。

 というか、なるほど。SERNは既にそんな状態になっていたのか……。色々な組織から狙われた末に、ボロボロになっているのであろう。天王寺家がSERNに殺されていないのは情報が混乱していたからだろうか。

 なんだか安心した。もうSERNに怯える必要は、これっぽっちもないんじゃないか。



 ……あとは、自分のトラウマとどう向き合うか、だ。



「ともかく、紅莉栖のHDにあった中鉢論文……ホントは牧瀬論文と呼びたいけれど、便宜上こう呼ぶわ。この中鉢論文の理論とSERNの研究データは後付けで当てはめていく。あの娘、牧瀬紅莉栖と違って、私にできる迅速かつ確実な道はこれよ」


 研究室の中央におかれた長机に、真っ白な画用紙がバッと広げられた。
 
 ここから俺たちのタイムマシン製作が始まる。


「まったく、とんだ夏休みの自由工作だお」


「あの、私がんばります!」


 うむ、しっかり働いてくれたまえ。無理はするなよ。


「オカリンさんも働きなよっ」


 背後から突然声をかけられた。なんだ、フブキか。


「だが、労働の前に、だ。我々にも知的飲料の供給が必要だと思うのだ。そうでなければ良い議論などできなかろう」


「あ、僕コーラが飲みたいお!もちろんノンカロリーのやつ。かがりたんはなにがいい?」


 こいつ、未来の嫁ではないとわかった途端馴れ馴れしくしよって。


「あ、えっと、じゃぁマンゴーティーを……」


「私はメロンソーダね!」


「ええい、フブキ。お前も一緒に来い!」


 えぇー、と不満そうな声を出していたフブキを無理やり引っ張って、俺たちは買出しへと出かけた。



 ……俺は少し、頭を冷やしておきたかった。

◆◆◆



 時刻は13時頃だったが、このくそ暑い沖縄の原生林で太陽の下をぶらぶら歩いている人間など俺たちくらいしか居なかったため、誰かに見つかる心配は全く無かった。

 ちなみに白衣は地下研究所を出る時に脱いだ。さすがに鍾乳洞やジャングルを通るのに白衣を着ていると、色々ひっかかってしょうがなかった。

 というか、暑い。アツイ。あつい。全身から汗が吹き出る。

 国道の近くに到着すると、俺たちはツタや草葉で隠してあった一台の自転車を引っ張り出した。安いママチャリである。

 ここから山道を片道5km以上進むと名護市街があるが、流石に遠いので一番近い集落にある共同売店へと物を買いに行く。それでも片道2km近くはあるが、行きは下り坂なので二人乗りでも楽々だ。帰りはほとんど歩く。

 どういうわけかその共同売店ではドクトルペッパーが売られているのだ。ドクトルペッパリアンにとってはとんでもない僥倖だ。

 基本的に買出しは自分たちで行っていた。家具や寝具などの大きいものはセーシンさんに頼んでトラックで運搬し搬入口からこっそり入れていたが、あまり頻繁に呼び出しするのもよくないだろうということで食料品や衣服くらいは買出しに出ていた。


「しかし、潜伏先が沖縄でよかった。この知的飲料ドクペは全国でも販売している地域が限られているからな」


 共同売店へと到着し、俺は全身から失った水分を補充していた。

 くぅー、運動の後のドクペは格別だ。


「ぬこかわえぇ……にゃーお、にゃーお♪」


 店の奥ではいつもマスコット的に猫が昼寝をしている。その傍らではフブキが猫でじゃれている。

 店主の老婦人も猫と同じポーズで、つまりなんともだらしない格好で昼寝をしている。仕方が無いのでいつもカウンターに小銭を置いて物を買っている。

 この店はどういうことか、飲料だけは無駄に充実したラインナップだ。ルートビアだけではなくスコールまで売っている。沖縄産マンゴーのマンゴーティーも売っていて、今ではこれがかがりの好物となっている。


「このエーアンドダブリューっての、これって缶ビール?」


「噂には聞いていたがこれがそのルートビアとやらだな。これはアルコール飲料ではなく炭酸飲料だぞ。何でも湿布の味がするとかしないとか」


 ルートビアの缶には『A&W』とでっかくロゴが張ってあった。製造元の社名だろうか?


「なにそれ!おもしろそう!私飲んでみる!」


 と言って小銭をカウンターに追加し、缶を開けた。

 後悔先に立たず、フブキは研究所に戻るまで恨み言をずっとつぶやくはめになった。

 こいつ、実はアホの子なのか?

◆◆◆



「ただいま……」


「おぅ!オカリンおかえりン」


「やめろ……もう突っ込む気力も残っとらんわ……」


 研究室には白熱電球の明かりの下、設計図を囲んでなにやら議論を交わしている三人がいた。

 俺とフブキは買ってきたものをリュックサックから取り出した。ほら、ポッチーも買ってきたぞ。


「おっつーオカリン。これが飲みたかったんだおってヌルッ!」


 この野郎、人の大変さも知らないで。

 フブキはかがりにマンゴーティーを渡していた。ちょっと温いが、許せ。

 ついでにバナナだ。未来ガジェット研究所に必要なエネルギー補給といえば、やはりバナナであろう。ヒトの家の軒先から生えていたので、勝手に貰った。フフフ、やはり俺は狂気のマッドサイエンティスト……。


「いや、それただの泥棒でしょ。いい歳して何やってるの、岡部さん」


「ところでさ、実際タイムマシンを作るとして、パーツとかどうするん?そこんとこkwsk」


 ダルがバナナをもっちゃもっちゃほおばりながら尋ねた。


「パーツに関しては米軍基地から横流しできるようにはセッティングしてあるわ」


「mjd!?」


 流石にダルも比屋定ファミリーの力に驚いたようだ。落書きだらけの設計図にコーラのしぶきが飛び散った。

 おいおい、犯罪係数で言えばクリスの方が重大ではないか。


「でもそれだけじゃ足りないと思うから、NASDAの元技術者で、パーツショップを経営してるプロともコネを作ってるところ。盛親さんの旧い友人らしいんだけど、元々は"ロボクリニック"っていうロボット製作所だったみたい」


「ナスダ?なんだそれ」


 なすだ……那須田……。だめだ、さっぱりわからん。


「えっと、確かJAXAの前身みたいな組織でFA」


 さすが頼れる右腕<マイフェイバリットライトアーム>。そういえばダルは探査機の名前にも詳しかったな。


「そう。その人を通して種子島からパーツを海上受取できるようにしようと思ってる。そういうことを副業でやってる漁師さんがいるそうよ」


「ってことは、ロボットパーツやロケットパーツも手に入るってことか!?」


 た、たしかに鈴羽の乗ってきたタイムマシンは一見すると人工衛星のような形をしていた。β世界線のダル、というかコイツも、初めて見たときは「ロボじゃね?」と言っていたな……。


「あんまり頻繁には取引できないけどね。でもこういうところは、離島って便利だと思うわ」


 ふっふっふ、と悪い笑みを浮かべるクリス。らしくなってきたではないか。

 しかし、海上受取って。完全にアンダーグラウンドな組織になってしまったなぁ、未来ガジェット研究所よ。



「お金はどうするん?僕ら働いてないお。オカリンに至っては正真正銘のニート、NEET、Not in Education, Employment or Trainingだお」


「ぐっ、いちいち正式名称を言うな!」


「全俺が泣いた」


「実はね、ホント申し訳ないと思うのだけれど、ある会社がタイムマシン開発に関しての資金援助を申し出てきているわ」


「は、はぁ!?って、その会社にはタイムマシン開発のこと、バラしているのか?」


 早速民間にバレてしまっているではないか!それなのに、なぜそんなにしたり顔なのだクリスティーナよ!


「秋葉コーポレーション、という名前だけど?」


 あきば……秋葉……。ハッ、まさか!


「そう。あの猫の耳の彼女、秋葉るみ―――」


「あーあーあー!聞こえない!フェイリスたんの本名はフェイリスたん!」


「またかお前は。いい加減現実を受け止めろ」


 ダルは両手で両耳をふさぎながらわーわー喚いていた。

 一方クリスはどこか遠い目をしている。


「ホント、彼女にはお世話になりっぱなしね。新生未来ガジェット研究所の立ち上げの話をしたら真っ先に資金援助の話を切り出してきたわ」


「そうだったのか。さすがラボメンナンバー007、いい働きだ」


「え、いつフェイリスたんがラボメンになったん?」


「そういえば"鳳凰院凶真"が復活したって伝えたら、彼女すごく喜んでいたわ。そのうちここに遊びにくるんじゃないかしら」


 実は沖縄に来てからというもの、俺は外部とメールも電話も一切していない。クリスから「危険だからやめておいた方がいい」と言われていた。

 それは暗に俺が暗号や偽名で通信することが出来ない人間だと思われているということだが、まぁ、やはり下手は打たないに限る。なにせ一度エシュロンに通信傍受された身だ、痛いほど身にしみている。

 だからできるだけ外部との接触はどんな形でも避けたかった。それが知り合いであればなおさらだ。いつ人質として捕らえられてもおかしくないのだから。


「それで、橋田さん。先に私の偽造身分証明証と、資金の流れを隠蔽できる口座を開設して欲しいのだけれど」


「ちょ、いくらなんでも無理難題すぐるっしょ常考。クリス氏の3Dモデルと"まほっぽいど"のデータをくれるなら考えてあげなくもないおー。そしたら、僕のPC上であんなことやこんなことを……はぁ、はぁ……」


「前頭葉を掻き出してやろうかしら……」


「やめてください死んでしまいます。ま、やってやれないことはないんだからね!」


「なぜツンデレ口調なのだ……」



 そんな感じで始まった俺たちのタイムマシン研究。

 真っ白だった図面はどんどん埋まっていき、殺風景だった地下室はどんどんわけのわからないものが並んでいった。いよいよもって研究所然としてきたな。

 かがりの調子は徐々によくなっていった。頭痛の頻度は次第に減り、"神様の声"も小さくなったらしい。かがりの調子が良い日は、未来ガジェット研究所の衛生管理やラボメンの栄養管理の担当者となっていた。かがりのおかげでクリスは徐々にオシャレに気を遣うようになっていくこととなる。

 同時にフブキの治療も実行した。ただ、俺がレスキネンから聞いた"脳をいじくった"という話はほとんどハッタリだったらしく、ちょっとした催眠療法を施されている程度のもので、洗脳と言えるレベルのものではなかった。

 俺はというと、雑用をやる傍ら、フブキとリーディングシュタイナーについて議論していた。今まではリーディングシュタイナーの能力は自分一人でしか認識できていなかったので、フブキの夢の記憶をたどることによってより客観的に能力を分析できないかと試みていたのだ。

 その結果、ある重要な結論にたどり着くわけだが、それはまた数年後の話だ。

◆◆◆


 2011年9月21日




 さらに一ヶ月が経ち、穴蔵生活も慣れてきたある日。

 長机の上には改造された電子レンジ、自動車のバッテリー、ブラウン管テレビなどが転がっており、それを取り囲むようにして若い男女が暗い顔を突き合わせている。



 ―――タイムマシン研究は早くも暗礁に乗り上げていた。




「無理だお!どう考えたって無理だお!このサイズでこの電力を蓄電する電池なんで作れるはずない罠!1.21ジゴワットもあれば充分だろ常考!」


「自分の頭の悪さにイライラする……やっぱり、一番大きい問題は動力系統よね……」


「それこそ原子力に頼るしかないんじゃないか?」


「リビアの過激派からプルトニウムを買い付けるんですねわかります。てか鉄腕アトム作るとかそれなんて無理ゲー」


「燃料は?核燃料棒が使えないなら液体水素でも使うか?」


「-250℃の冷蔵庫plz」


「でも、可能性はあるかも。今度、米軍の原潜がパクれないか打診してみるわ。液体水素も種子島に注文してみる」


「やったッ!!さすがクリス氏!ぼくたちにできない事を平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!」


 ……などと、非現実的な話まで飛び出す始末だった。


 タイムマシン製作にあたって開発しなければ以下の装置だ。

 まず、内臓電源。すなわちバッテリー。大きさはちょうど自動車のバッテリーほどのサイズだが、今の技術では原理も構造もわからないものだった。最新の燃料電池でも歯が立たないほどの大電力を蓄えなければならない。

 燃料。全く未知。

 動力ユニット。いわゆるエンジンだ。これはタイムマシンの背面にあり、メンテナンスのことをあまり考えていない構造になっていた。逆に言えばメンテナンスしにくくなる必然性がどこかにあるのだが、未だにそれもわからない。

 コンピューターセクションは後回しにすることとなった。次々世代のドライブ(量子コンピューター?)が並んでいたようなので、こればかりは世界のPC技術が進歩しなければ話にならない。まぁ、コンピューターまわりや電装系はダルの得意分野だ。いずれなんとかなるはずだ。

 コクピットは円筒形になっている。床部分は周囲をぐるっと取り囲むように少し高い段差があった。座り心地も追求しよう。

 次に生命維持装置。コクピットは外界との間に完全な気密性を保たなければならない。これだけでも至難の技術だが、そのために酸素濃度などを維持するための生命維持装置の開発が必須となる。タイムトラベル時は無酸素状態となり、コクピットの中心にはエアポケットができる。そこに頭を突っ込んでおけば10分くらいは呼吸できるらしい。それ以上時間を要する場合は酸素マスクを着用する。

 カー・ブラックホール発生装置。これは電話レンジ(仮)をそのまま転用すればよく、現時点で技術的には完成していると言える。それとリング状特異点を生成するためのリフターだが、それ自体は例のアレを参考にして簡単に作れるだろう。だが、いざ実用的な電子の供給を行うとなったら何千、何万回もの運転実験が必要となるはずだ。特異点を完全に裸し、局所場を適合・回転・移動できれば、あのマシンの大きさでも荷電粒子に包み込まれてリング状特異点の環内を通過できるようになり、すさまじい質量に押しつぶされることで発生するフラクタル化、すなわちゲル化を避けることができる。だがもし事象の地平線<イベントホライゾン>に飲み込まれてしまえば、タイムマシンは搭乗者もろともその先へ飛ばされてしまい永遠をさまようこととなる(鈴羽談)。

 技術的には、現時点で過去方向へしかタイムトラベルできない。未来方向へのタイムトラベルを可能にする新技術も開発しなければならない。

 それから重力場制御装置。これは座標点の計測装置で、これのおかげで同じ場所に出現することができる。ジョン・タイターが言うところのVGL(ヴァリアブルグラビティロック)だ。これが中途半端だとα世界線のタイムマシンのようにビルにめり込む形で時空間転移してしまうこととなる。これもコンピューターと同様の理由で後回しだ。

 ついでに生体認証装置。これのおかげで内部情報の機密性を保てるが、これは最悪無くてもいい。

 全体的な話として、タイムマシンを実際に使用する時に発生する2Gの重力にすべての部品が耐えられるように作らなければならない。

 唯一既に開発したのはタイマーパネルだった。それは某SF映画に登場するタイムトラベル可能なデロリアンに搭載されていたものを模した(ダルの趣味だ)、黒地に赤文字で西暦を表示する機能のある装置である。但し、現時点では市販の時計となんら変わりのない機能だ。今後、本格的な相対時空時間計算も機能させなければならない。



「世界がタイムマシン開発競争を激化させていく中で、おいしい部分だけ拝借していくしかないんじゃないか」


 とか


「そのためには電話レンジ(仮)の技術や中鉢論文を部分的に流出させて技術革新を促すとか?でもそういうのって僕たちだけだと限界があるお。もう少し信頼できるコネクションを増やすべき」


 とか


「仮に協力者を募るとしたら300人委員会やらSERNやらCIAやらNSAやらストラトフォーやらロシアやら日本政府やらに反発した人材よね。そういう意味でもアッチが行動を起こさないと人材は集まらないと言えるわ」


 とか。そんな議論が展開されていた。


「結局、今の段階でできるのはアンテナを常に張ること、くらいだね」


 フブキがフォローにまわる。この頃になると話についてこれる程度には成長していた。

 タイムマシン研究の進展は、杳として知れない。





「……ごめんお。時既に時間切れっぽい。僕、そろそろ新小岩に帰らないと。また長い休みになったら遊びにくるお」


 そうだ。ダルには橋田至として普通に生活してもらわねば困る理由がある。

 鈴羽を誕生させ、そして鈴羽が中学生になったら軍隊に入れなければならない。さらに鈴羽が軍隊を裏切って我がラボに所属するようにならなければならない。


「正直、鈴羽にそんなつらい思いをさせなければならないなんて、寿命がストレスでマッハだお……。だけど、もっと悲惨な結末になるのだけは大反対なのだぜ」


「橋田さん。大丈夫です。鈴羽さんは……鈴羽おねえちゃんは、きっと私たちの希望の星になってくれます」


 かがりがダルを励ました。

 このメンバーの中で一番鈴羽と付き合いが長いのはかがりだ。まゆりのいないこの世界線で、きっとかがりは幼い鈴羽にとっての"まゆねえさん"のポジションに落ち着くのだろう。この世界線のかがり自体は俺たちと関わることなく生まれ、"椎名"の姓を名乗ることがないまま戦争孤児となるはずだ。



 ダルは大きなさみしい背中を見せて、未来ガジェット研究所を去っていった。

◆◆◆





「あのさ、私にもわかるように、その、シュタインズゲート?ってやつ、説明してくれないかな?」


 ある日、リーディングシュタイナーの分析中(という名目の雑談)に、フブキがそんなことを言った。


「そういう時はだな、『安西先生、研究がしたいです……』と頼み込むのだ」


「さすが会話のディフェンスに定評のあるオカリンさん!いいから早く教えてよー!」


「ふむ。お前もすでに未来ガジェット研究所のメンバーだからな。どれ、教えてやろう」


 などと偉そうに言ってみたが、俺にもまだわからないことだらけだ。


「えっと、オカリンさんたちが言ってる、世界線の収束、ってのはさ、たとえば同人誌……いや、漫画のコマ割りみたいなものなのかな、って思ってるんだけど」


 むむ?


「ほら、ページの右上から始まるのはどれも一緒なんだけど、ページによっては縦割りだったり、横割りだったり、小さいコマがたくさんあったり、上下左右にコマが移動するんだけど、結局左下に行き着く、みたいな。イラスト出身の子が漫画描くと壊滅的にぐちゃぐちゃなのがあったりもするけどさー」


 なるほど。おもしろい例えだ。

 そうだな。その例えで言うなら、一ページ一ページが世界線ということになる。

 一ページでストーリーが完結するとして、最初のコマと最後のコマは同じなのにそれ以外はまったく異なっている、という状況だ。

 このページをすべてまとめた一冊のコミックが『β世界線』というタイトルの書籍になっている。


「アンソロジーみたいだね。それメロブで売ってる?」


「んなわけあるか」


「ふーん……ストーリーで例えるなら、世界線の収束って原作補完の二次創作みたいだね。原作だと『2年後に、また会おう!』とか言って空白の時間ができてるところを、どんな2年間の修行があったのかファンが創作する、みたいな」


 また不思議な例えを出してきたな。


「それで、原作で語られなかった話をいろんな人がいろんな同人誌やSSでストーリーを作り上げるんだよ!」


 エスエス?あぁ、@ちゃんねるのVIPでよく見るあれか。最近は数が減ってきている気がするが。


「普通は原作補完モノの場合、スタートとゴールは辻褄合わせないといけないんだよね。だから、いろんなストーリーがあるのに、始まりと終わりはいつも一緒っていうさ。みこみこオーバードライブの渋小説とかに多いかな。矛盾がないストーリーにするのは大変だけどね」


 その"矛盾が存在しない"という条件が因果律にあたるな。

 そしてストーリー展開は因果にあたる。

 伏線とか、衝撃のストーリー展開とかはバタフライ効果だ。


「それに原作設定ってのがまたでっかい壁でさ。中には原作無視する人もいるけど、基本は設定を無視してストーリー展開はできない。この設定がアトラクタフィールド、ってこと?」


 まぁ、そうなるかな。

 この辺はダルのエロゲーの例えの方がわかりやすいかもしれない。



「SS作者ごとに原作世界観がある、ってのが多世界解釈?」


 そうだ。神の視点が複数存在することになるからな。

 エヴェレット・ホイーラーモデルというやつだ。

 だが、実際には世界はひとつしかない。

 読むことができる"原作"はひとつしかなく、そこに描かれていないストーリーは可能性世界、つまり不確定要素のかたまりだ。


「ってことは、ゲーム原作のストーリーがあるとして、アニメ化、ラノベ化、コミック化、ドラマCD化、ファンディスク化、映画化、舞台化によって、ストーリー構成が若干変わったりするのがリーディングシュタイナーだね!」


 うーん……モノによるが、まぁ、だいたいあってる。

 ではフブキよ、ここで問題だ。

 原作設定を無視するにはいったいどうすればいい?


「えー?そんなのもうオリジナルじゃん。男君設定にして主体をぼやかす、とかしないと非難GOGOだよ?」


 GOGOではない。轟々だ。


「そうじゃなかったら……原作設定の新解釈を出すとか?例えば『時を止める能力』を拡大解釈して『空間を歪める能力』にするとか、『ヒロインが既に死んでいる』ってのを『色々あって実は生きてました~』ってするとか?」


 そうだ。俺たちがまさに今やっているのは「死んだはずのヒロイン」を、設定をごまかすことによって「実は生きてました」というオチにしよう、という作戦なのだ。


「うーん……それって気をつけないとすっごい叩かれるよ?感動の再会をセッティングするなら、いろんな伏線を用意しとかないと」


 そうだ。世界が認めるストーリーを作り上げるために、そのための伏線をこれから探していこう、という話なのだ。


「なるほどー。ようやくわかったよオカリンさんたちの話!これで私も研究に参加できるね!」


 うむ。俺たちの仲間にあるべき気概である。

 このフブキとの会話だって伏線足りうるかもしれないのだ。




 リーディングシュタイナーを持つ自分ではない存在がいることによって、俺のアトラクタフィールド解釈は変容を遂げることとなる。




 ……という伏線にしておこう。

◆◆◆





『死にたく……ないよ……』



『こんな……終わり……イヤ……』



『たす……けて……』





 視界に広がる赤い色彩。

 鈍く光る白刃。

 手に伝わる血の温度。

 俺は、二度、紅莉栖を殺したんだ。

 それを認識した瞬間。

 愛する女性の生命を破壊したことを認識した瞬間。

 あのズブリと刃が肉に刺さる感触が、手から腕、そして全身へと広がり、激しい震えが上がってきた。

 目の前で景色がぐにゃりと揺れて、そのまま視界が暗転しそうになる。



 ―――またこの感覚か。

 なにやら、"俺"が騒いでいるようだ。

 相変わらず、俺が殺した、俺が殺した、と繰り返しわめき散らしている。

 その一方で、この俺があばれる身体を高みから見下ろしている。

 響き渡る自分の声を聞きながら、俺の身体を押さえつけてくれているクリスに申し訳ないと思った。



 かつて俺はメンタルクリニックに通院していたわけだが、現在地下研究所ではクリスによって治療が施されている。

 地下にこもって研究詰めで、精神バランスが崩れ始めたのだろうか。不安定な状態が続き、不眠症となっていた。

 だが、これはチャンスだとも考えていた。

 実はあまり意識的に"あの時"の状況を思い出せないのだ。思い出そうとすると、脳にストッパーがかかる状態になっていた。

 事象の確認、因果関係の整理には、"あの時"こそ最重要だ。そのため、こうしてクリスに催眠をかけてもらって、あの時の様子を鮮明に思い出さなければならなかった。



「……今日は一段とあばれたわね」


「……いつもすまない」


 喉が枯れていた。声を出すと痛みが走る。

 しょぼくれた俺の頬を、クリスが右手でやさしく撫でてくれる。

 あばれた俺を押さえつけたために、クリスの腕には何箇所か打ち身がある。


「いいのよ。これが私にできることなんだから」


 どこまでも慈愛に満ちた微笑みを投げかけてくれる。

 その優しさに、俺は罪悪感を感じてしまう。

 まゆりがいなくなって空いた穴を、俺はクリスで埋めようとしているんじゃないか……。


「……牧瀬紅莉栖は、助けてって、そう言ったんでしょ」


 だが、それは俺を逃避させるためのやさしさではない。

 現実と向き合わせるためのやさしさなのだ。


「だったら、助けてあげないとね。まったく、世話のかかる後輩だ」


 そう言って、やれやれ、という意味を示すだろう仕草をしたクリス。

 どこまでも強い女性だ。



 ……クリスが泣く日もあった。

 最初は俺にバレないよう泣いていたらしいが、共同生活をしているのだ、壁越しに聞こえてくる。

 俺が発見した時は「私って、前頭前皮質が捻くれているから……」などと言い訳していたな。

 紅莉栖がいない喪失感、日常が失われた現在、繰り返したタイムリープの日々、そしてラウンダーに襲われた記憶。

 思い返せば、つらいことばかりだ。

 現実逃避したくなる。

 だが、逃げてはいけない。この言葉の意味は、嫌と言うほど味わった。

 このつらさが、俺たちの研究を前に推し進めるのだ。

 向き合って、科学的に分析しなくてはならない。



 そのために、俺とクリスとかがりの三人はピアカウンセリングという、障害者自立生活運動などで取り入れられているカウンセリングを試してみた。

 一般にこれは、"同じ背景を持つ人同士が、対等な立場で時間を対等に分け合って、話を聞き合うこと"とされる。

 だが、実際はかなり激しい。感情を全て表出させ、思いのままをぶつける。

 一人で悩むのではなく、感情を他人にぶちまけるという行為によって、比較的に客観的かつ冷静に自分たちの経験を理解することができる。

 ……フブキにはその間は外出してもらった。古代弄魔流空手を修得してこい、と命令してある。

 地下室で三人が三人、怒り、悲しみ、苦しみを、泣き叫びながら吐露するのは、それが耳に入る第三者にとっては苦痛でしかない。そういう拷問もあると聞く。



 カウンセリング以外では、精神をあまり刺激しないような色で談話室を飾るとか、落ち着く音楽をかけるとか、そういった努力もした。俺としてはもっと暗くじめじめした空間でサイケデリックなBGMとともにマッドな研究をしたかったのだが、かがりとクリスのことが第一だ。わがままは言えない。




 ある日、談話室でクリスが音楽を聴いていた。

 談話室にはコンポが置かれていた。比屋定ファミリーの誰かから不用品だったこれを譲り受けたのだという。CDだけでなく、カセットもMDも聴ける(肝心のカセットとMDが無い)。

 流れているそれが沖縄の音楽だということはわかった。あの特徴的な三線の音色に、ゆったりとした独特の音楽言語がそう認識させた。


「どうした。郷土愛にでも目覚めたのか?」


 ソファーに深く腰掛けた、というより埋もれたクリスが、目を閉じたまま俺に返事をした。


「まぁ、否定はしないわ。この間の模合の時に、比屋定の人間、医療機器をリースしてもらってる病院の理事長さんに薦められたのだけど、なかなか良いものよ」


「モアイ?イースター島の人面巨石がなんの関係があるのだ」


「モアイじゃないわ。模合。お金とかモノをカンパしてもらうための会合、って言えばいいかしら」


 クリスは気持ちよさそうに聴き入っている。

 だが俺が知っている沖縄音楽とはどこか違う気がした。


「これは琉球古典音楽っていうジャンルよ。今流しているのは、昔節と呼ばれる曲の一曲、『作田節(ツィクテンブシ)』という名前。本来は舞踊があるのだけど。内容は、神に五穀豊穣を祈るもの」


 フェイリスが食いつきそうな内容だな。


「民謡やポップスと違って、洗練されてて、人類の叡智を感じるの」


 そうなのか?よくわからないが。


「そのままクラシック音楽だと受け取ってもらえればいいわ」


 ふむ。たしかに民謡のような人間臭さ、ポップスの商業的な感じは無い。どことなく神秘的な雰囲気もある。芸術については門外漢もいいところの俺だが、そんな風に思った。


「例の理事長さん、うるま市の精神病院の先生なんだけど、そこでは、音楽、舞踊、演劇、武芸、朗読、絵画、工芸、手芸、料理、書道、造園……ありとあらゆる芸術活動を精神医療に役立てているんだって」


 ほう。それはまた、すごいな。



「古典を聴いてるとね……私はこの沖縄で生まれ育っていないけれど、DNAレベルで人類の意思の連続を感じる気がするの。古代琉球人は、こうして神へ祈りを捧げていたのかと思うと、なんだか素敵じゃない?」


 クリスにしては珍しく非科学的な意見だな。

 科学者なら、自らの観測を科学的に分析すべきだ。

 人間の文化とは何か。祈りを捧げる神とは何か。


「ふふ、そうね。脳科学から人類学へのアプローチもおもしろいかもしれない」


 目を閉じたまま、クリスは無邪気に笑った。

 まぁ、素敵だと思うことが精神に良い影響を与えることになるなら、たとえそれがプラシーボ効果であろうと利用すべきだろう。


「こうやってリラックスして音楽を聴いているとね、そのうち眠くなるんだけど、そうすると、紅莉栖が生きていて、私に楽しそうに話をするの」


「楽しそうにって言っても、あの娘ツンデレ?だからつんけんしてるけど」


「秋葉原で友達が出来た、とか。コスプレに挑戦してみた、とか。岡部さんと青森に行った、とか」


 その笑顔は非常に穏やかなものだった。

 地下での研究詰めの生活を、一時でも忘れさせてくれる。

 セラピーの効果が出ているのだろうか。


「でも、友達が死んじゃったとか、そういう話も聞いた。悲しそうな紅莉栖を私が慰めると、子供みたいにわんわん泣いて―――」

 
 ……話を聞いていて、俺が既に話したα世界線漂流から物語を想像しているのだと思った。

 しかし、もしかしたらこれは。

 クリスにもリーディングシュタイナーが発動して、α世界線で経験していたはずの記憶を思い出しているのか?

 まぁ、こればっかりはわからないか。



 とにかく俺たちは、そうやって日々を過ごした。

 そうやってお互いを支えあって、研究を続ける。

 ―――そんな日々が何日も続いた。


◆◆◆





「もう三年も経ったんだな……」


 今日は2014年1月23日。俺がタイムマシン理論と向き合ってから既に三年の月日が経過していた。

 季節は冬だというのに、亜熱帯性気候であるのとこの密閉された地下空間であるのとで常に暑苦しい思いをしていた。

 汗が垂れる。すかさずドクペを一杯。

 ん?どうしたクリスティーナよ。俺の顔に何かついているか?


「ふふっ。いえ、三年前の岡部さんからは、今の状況は想像できないわよね」


 ふーっ、と小さく伸びをするクリス。


「ねーねー!ずーっとこんな地下室に閉じ込められっぱなしでさー!つまんないよー!」


 だだをこねるのはフブキ。お前には地下組織のメンバーである自覚が足りん。


「クリスさんはたいくつじゃないの?」


「あら、退屈なんかじゃないわ。人は何処だって学ぶことができる。学ぶことが何ひとつない場所や時など存在しない。何故なら、私たち自身が未知の宝庫なのだから」


「なんだそれは?アメリカの諺かなにかか?」


「昔後輩に言い聞かせた言葉よ」


 ほう?

 だが、たしかに随分外に出ていなかったな。場所を変えて脳に新しい環境を学習させることも必要だろう。


「今日くらい、みんなで外に行くか?」

 
 あまり暗くてじめじめしたところにずっと居ては頭にキノコが生えてしまうかもしれないからな。


「おおっ!サンセーサンセー!その言葉を待ってましたっ!」


 フブキがピョンピョンと飛び跳ねて喜んでいる。これでももう、一人前の守護兵<ガーディアン>だ。

 こいつは暇を見つけては海兵隊御用達のKARATEの道場に通っており、古代弄魔流の道を究めていた。おかげで地下メンバーで一番健康的な肉体をしている。そういう意味ではニートではない。


「あ、でしたらお弁当を用意しましょう」


 栗毛色のきれいな髪を三角巾の下に揺らして、椎名かがりがハタキを片手に現れた。地下メンバーで一番年長(実年齢はよくわからない)のためか、みんなのお母さんのような存在となっている。かがりも家事手伝い的な意味でニートではない。


「確かに、そろそろ脳に新鮮な空気を送り込まないと、いいアイディアも浮かんでこなくなるかもね」


 クリスに至っては俺たちに通じる人脈を着実に確保している。資金繰りにも精通し、研究者でありながら女社長のような状態になっていた。


「では諸君。いざ、南国ビーチのバカンスへと洒落込もうではないか」


 そんなラボメンを労う俺はなんと良きリーダーなのだろう……。



「さすがの沖縄でも、1月じゃ海は泳げないわよ」


 ぐっ、そうであった。もう季節感がマヒしている。


「あ、じゃあさ!向こうにあるリゾートホテルの室内プールにみんなで行こうよ!お金はあるんでしょ?」


 大浦湾を挟んで対岸には、沖縄随一のリゾート施設がある。実はここの社長さんと比屋定ファミリーはつながっているらしく、それこそタダ同然で室内プールを利用させてもらうこともできるだろう。

 この社長はレンタカーショップやガソリンスタンドも経営しており、自動車移動や自動車部品の横流し、実験用燃料の補給などでだいぶお世話になっている。


「でも水着を買わないと……。まずは一日買い物をしてから出かけませんか?」


 そう提案したのはかがりだ。今更だが、元・阿万音由季であり、3つも年上の25歳(実年齢はよくわからない)、四捨五入するとアラサーの彼女に対してタメを張っている俺は、やはりどこかに"まゆりの娘"という印象を感じているのだろうか。


「ならば、今日は一日那覇で買い物でもするか。そろそろ備品や食料も減ってきた頃合だしな」


「それもいいねぇ。せっかくだし、夜は居酒屋でパーッとやろうよ!あっわもり!あっわもり!」


 フブキはこの歳で既に酒の味を覚えてしまっている。まぁ、地下組織の一員だしな、そのくらい朝飯前でなくては困る。


「いいけど、あんまり無駄遣いはしないでよね。これからどれだけ高額な部品が必要になるのかもわからないのだから」




 そんなわけで久々に遠出することになった。

 基地は未だ誰にも発見されず、また今後誰かに発見されるとは到底思えないので、それこそ鍵もかけずに出かけても問題はないのだろうが、一応厳重に鍵をかけ、タラップに蓋をかぶせ、鍾乳洞に目隠しをし、獣道の入り口は草木で塞いだ。

 近年は基地移設問題の関係でマスコミやらプロ市民やらがここキャンプ・シュワブ周辺へと押し寄せてきているが、未来ガジェット研究所はかなり山側にあるので人目に触れることもなかった。

 周囲に人気が無いのを確認してから国道へ出る。そこには既にタクシーが停車してある。このタクシー運転手も比屋定ファミリーの一員だ。もうなんでもありだな、比屋定ファミリー。

 タクシーでこのまま那覇へ行きたいところだが、人目の多い那覇まで同じ車で移動することは避けたかった。

 名護市街で降ろしてもらった俺たちは、レンタカーショップへ寄った。ワゴンRが空いていたらしく、それを例の社長の名前を使って格安で借り、国道58号線を南下した。レンタカーなら、沖縄のどこを走っていてもあまり怪しまれない。

 運転はクリスだ。こいつはダルに頼んで偽装した免許証を作らせていた。俺も自動車くらい運転できるようになろうと思ったが、ダル曰く「オカリンの偽装身分証作るのはちょっとリスクが高いんだお。ケータイ解約の時に身に染みたお」とのことで断念した。

 高速を通って国際通りへ着くと、ドンキで日用雑貨やら水着やらを買いあさった。24歳の合法ロリ少女がサイズ選びに困惑し、推定25歳のお姉さんからかわいらしい水着を試着するよう促され、どぎまぎしながらも試着室のカーテンの奥へと消えていくシーンを描写しろだと?それは諸兄の想像力の逞しさに委ねよう。


 夕方になると観光客向けの沖縄料理屋へ入って日ごろの地下活動を労った。


「うぉい、キョータロー!おまえ、結局だれが好きなんだよぉ、えぇ?おーしーえーろーよー!おい、ネーチャン!泡盛お替り!コーヒー割りで!あと、海ぶどうと、スーチカーと、ドゥルテンも!」


 沖縄の夜は長い。

 オッサンの如くひどい絡み酒をしてきたのはフブキだ。

 いくらKARATEをやっているからと言って、そんなに食ったらダルになるぞ。


「"鳳凰院凶真"、だ!バカモノ。前にも言ったが、俺は研究に専念する運命に決まっているのだ。女に現を抜かしている暇などない」


「それでも……研究……ぜんぜん、す、進んでな、ないのよねぇ……ふぇぇ……」


 見た目相応に泣き上戸になっているのはクリスだ。よしよし、とかがりが慰めている。

 クリスへの年齢確認は非常に厳重だった。入店時、席への案内時、アルコール注文時、注文した商品の到着時と、実に四回も年齢確認をされている。まぁ、偽造身分証なのだが。

 クリスには古き良き琉球の血が流れているのだろう、酒を水のように飲んだにしてはあまり酔っ払っていない。弱音が出ているのは、やはり研究疲れがどっと出たからだろうか。泣いてすっきりすることは今のクリスにとって必要だと思う。



 俺たちは、なんだかんだ、それぞれが役割分担をしっかりできていた。



 午後八時半頃。秋葉原とは異なりこの街はまだまだ店の明かりが煌々と輝いている。

 観光客たちは光に誘われる虫のように、非日常的な祭りの空間をブラウン運動のごとく彷徨っている。

 店を出た俺とかがりは、すすり泣くクリスとあばれ散らすフブキを支えながら駐車場へと向かった。運転は名護まで代行を頼んである。もちろん、比屋定ファミリーの人間だ。




 その時。




 ピピピピピピピピピピ……




 クリスのケータイが鳴った。

 なんともシンプルな着信音だ。

 ダルか?なにかあっただろうか。

 依然として「ふぇぇ」などと喚いているクリスに変わって出てやろうと思い、ケータイをクリスのハンドバッグから勝手に取り出した。




 ―――液晶に表示された電話口の名前は「タイムリープマシン」だった。

◆◆◆




「なっ……!?」


 驚いた。このタイミングで来たか、と。

 つい『タイムリープマシンだと!?』と叫びそうになったが、公衆の面前であることを思い出し、すんでのところで思い留まった。

 もちろん想定はしていた。ラボの研究活動に重大な支障が出るような事態となった場合は、ダルとミスターブラウンが管理してくれている秋葉原のタイムリープマシンを使って時間跳躍する手筈になっていた。

 俺たちが今いる世界線は、2025年での色々な収束が強いため、タイムリープによって結果を変えることで発生する世界線変動は非常に小さいことが既にわかっていた。この秘密は俺のガラケーの中にあるのだが、今は内緒にしておこう。

 ちなみにDメールは必要以上に使用しないことにしている。あれは送信した瞬間過去に干渉する行為だ、どんなに微小でも因果が塗り替えられる。タイムリープはこれと異なり、因果に干渉するかしないかは当事者次第でなんとでもなる。

 むしろ、憂慮すべきはその逆だ。タイムリープという事象そのものが因果を成立させている可能性があったため、タイムリープ不可能となってしまう状況は致命的だった。

 俺のリアクションに驚いたクリスはすぐさま俺の手から自分のケータイを取り返し、自分の耳にあて、そして通話ボタンを押した。



 直後。



 クリスは苦痛なうめき声と共にその場に屈みこんだ。

 来たのだろう、未来のクリスが。

 周りの観光客たちからは多少変な目で見られていたが、酒を飲みすぎて頭が痛い人だと思われたはずだ。あまり目立つ行動はしたくないが、この程度なら問題ない。

 しばらくして、頭を抑えながらクリスがゆっくりと立ち上がった。かがりとフブキは心配そうに見ているが、クリスの口元はわずかににやけていた。



「岡部さん……。神様って、本当にいるみたいだわ……!!」



 は、はぁ?

 突然何を言い出すのかと思えば、一体どうしたのだ?


「とにかく、反対方向に向かって。県庁前から那覇港の方へ、早く!」


 クリスは興奮を抑えきれないと言った面持ちだ。

 だが突然アルコール分解中の肉体に転移された未来クリスの意識は強烈な気持ち悪さを感じていたらしく、俺とかがりでクリスとフブキを支えながらモノレール駅の方へと進んだ。

 タクシーに乗りたいところだったが、すぐには比屋定ファミリーを呼べない。クリスに指示されるまま、沖縄一のオフィス街を抜けた。






 ようやく国場川に架かる明治橋の入り口、龍を象った柱のある場所にたどり着いた。左手にはガジュマルの木を模して造られたへんてこなレストランと沖縄セルラースタジアムが見える。正面には那覇軍港、右手には民間の那覇港があった。

 そこで俺たちは信じられないものを見た。



「なんだあれは……!?」



「ゆ、UFOだっ!?」



 夜空を見上げると、そこには赤橙色に輝く複数の光点があった。数にして5、6、7……いや、増え続けている!?

 そのすべてが上下左右にゆらゆら動きながら、空中を漂っていた。

MewTubeの動画

参考: ttp://www.youtube.com/watch?v=PJKQfzbLyP0



「あ、あ、あ、ありのまま、今起こった事を話すぜ……クリスさんがタイムリープしてきたと思ったらUFOが飛んでいた……な、なにを言っているのかわからねーと思うが、お、おれもなにをされたのかわからなかった……」


 あまりの衝撃にかがりがおかしくなってしまった!


「お、おいクリス!なんなのだアレは!アレを俺たちに見せたかったのだろう!」


 グッタリしているクリスを揺すり起こす。「や、やめて……」とか細い声が聞こえたようだが、信じられない現象を目の前にして俺は動転していた。


「……アレがこれから地上に墜落するわ。誰かに回収される前に私たちで確保するわよ。これ、その座標。みんな、後はしっかり頼むわ」


 墜落だとぉ!?まさか、兵器やロケットやロボットだけでは飽き足らず、UFOまでもタイムマシン開発に利用しようというのか!?

 クリスは俺たちに口頭で詳細な東経と北緯を伝えた。それをかがりがスマホで調べ、アプリの地図で落下地点を調べた。フブキが持っていた手帳をちぎって、各自メモを片手に、そしてそれを回収するためのドンキの袋を所持して散開した。しかし、生身の人間にUFOを回収することなどできるのだろうか……。

 その心配は全く必要無かった。なぜなら、UFOの正体は小さな石ころだったからだ。

 俺は指定された座標、三重城へと走った。巨大なホテルの脇を抜け、人気の無い小さな芝生の広場にあった祠の前に、ソレは墜落していた。……なんだこりゃ。

 試しに触ろうとした、が!ビリッっときた。な、なるほど、そのためのビニール袋なのか……。





 結局、フブキとかがりと俺で回収したのは3個のソレだった。もう少しの個体数が空中に浮遊していたと思うが、それはどうやら海や川に落ちたらしく、他の人間に回収される可能性は極めて低いらしいのでこれで問題ない、という話だ。

 例の車の運転代行に那覇港のフェリーターミナルまで来てもらった。そのまま車へ潜り込み、名護を経由して、俺たちはそそくさと未来ガジェット研究所へと舞い戻った。途中でロンソーに寄ってウコンの力を購入した。

◆◆◆




「それで、クリスよ。このビリビリ石はなんなのだ」


 翌日、人生初のひどい二日酔い(正しくはアルコール分解中にタイムリープしたことによる時空酔い)に苛まれたクリスであったが、なんとかベッドから立ち上がり研究室となった広間で説明してくれた。昨日は基地に帰着するやいなや気絶するかのように眠り込んでしまったのだ。


「ふっふっふっ、聞いておどろきなさい。この石は、なんと……」


「なんと……?」


「なんと……?」


 ゴクリ。全員が息を飲む。




「モノポールなのよッ!」




 な、なんだってー……と、驚く準備をしていたのだが。


「な、なんだって?」


「なんだっけ?」


「ものれーる?」


 三者三様に首をかしげた。うーんと、どこかで聞いたことがあったような……。




 俺たちのリアクションに肩透かしを食らったクリスは説明を続けた。

 磁気単極子、すなわちモノポールとは、単一の磁苛のみを持つ存在のことで、長年理論上の存在とされていた。だが近年の物理学会の発表によると地球上でも簡単に作ることが可能だろうと言われている。

 これによって磁場と電場を対等に操作することができるようになり、まったくもって新しい情報伝達回路や情報記録媒体を開発することが可能になるという。


「それには産総研の機密データへハッキングする必要があるけどね」


 とんでもないことをさらっと言ってのける。そこに痺れる―――


「憧れなくてよろしい」


 クリスはネラーではないが、いつのまにかリアクションを学習していったようだ。


「それだけじゃないわ。一番のメインは、なんと言ってもタイムマシンの動力部分に使えるってことね」


「磁石を動力に?リニアモーターカーでも作るのか?」


「それについては橋田さんが居た方が話は早いわ。もう呼んであるから、まもなく到着する頃―――」




 その時。



 ゴンゴン、と入り口の鉄扉を何者かが叩く音がした。

 俺はササッと扉の内側に忍び寄る。


「……山」


 討ち入りを前に緊張している赤穂浪士の如き低音ヴォイスを発した。


『もぅ!このタイミングで来たら僕しかありえないっしょ常考!デブには狭くてたまらないんだお!』


「ええい、そこは『川』と答えるべきところであろう!まったく」


 ガチャ。

 そう言って扉をあけてやる。仕方の無いやつだ。

 そこには大学四年生であり、起業家の橋田至がいた。元々やっていた怪しいバイトの延長みたいなことをやっているそうだ。今年の3月で卒業だ。体型は三年前からあまり変わっていない。

 本物の阿万音由季とは、椎名かがりの時と同様、ギクシャクしながらもなんとか付き合っているらしい。既に半ば同棲のような生活をしているとか。

 この二人が出会うには、来嶋かえでの働きが大きかったそうだ。カエデも多少事情を理解しているから、うまいこと二人の関係を取り持ってくれていると思う。

 これまでもダルは冬休みや春休み、ゴールデンウィークや秋の三連休の度に沖縄へ来てくれていた。ニコニヤ町会議を見に行くとか、ガンヴァレルオフ会に参加するなどと色んな言い訳をしながら足しげく未来ガジェット研究所へと通っていた。


「は、橋田さん。遠路はるばるお疲れ様ですっ」


 かがりはそそくさとダルにタオルとコーラを渡した。


「おー、かがりたん。さっすが。いい奥さんになれるお」


 こいつ、フブキにもそんなことを言っておいてからに。

 かがりはかがりで少し顔を赤らめている。


「私も遊びに来ちゃった」


 ダルの巨体の影に隠れて気づかなかったが、一人の女性がひょっこり後ろから顔を出した。

 おぉ、噂をすれば来嶋かえでか。元々グラビアアイドル並みのプロポーションであったが、3年のうちに随分と大人の色気が出たものだ。最近流行りの『エロすぎる○○』という表現が似合うかも知れない。今はもう社会人だったはずだ。


「カエデー!!」


「フブキちゃん!」


 ヒシッ。

 感動の再会である。


「頼まれてたサークルの歴代同人誌とブラチューのコミマ特典ヴォイスドラマCD持って来たよー!」


「心の友よー!!」


 訂正しよう。オタクの再会である。



「ごめんオカリン、カエデ氏がどうしてもって言って聞かなくって」


「まぁ、来てしまったのだ。仕方ない」


「ありがとうございます、オカリンさん」


そういうとカエデは、少し姿勢を直した。


「それと、ユキさん。お久しぶりです」


カエデがかがりに対して頭を下げた。

カエデにとってかがりはサークルの先輩だった、ということになる。


「う、うん。久しぶり、カエデちゃん」


少しバツが悪そうに応えるかがり。少し困惑している。

途端、カエデはかがりに抱きついた。


「カ、カエデちゃん!?」


「よかった……やっぱりユキさんはユキさんだよ……」


ふぇぇ、と涙声が聞こえてきた。しばらくして、もう一つ涙声が聞こえてきた。

……二人のことはしばらく、そっとしておいてやるのがいいだろう。



「それで、ダル。このモノポールを動力にするとは、一体どういうことなのだ?」


 到着したばかりで悪いが、俺もいよいよ研究者然としてきたらしい。


「昨日クリス氏から連絡があった時はさすがに驚いたお。ってか、まだ作れる自信は無いんだけど、要は戦艦ヤマトを作っちゃえばいいってわけ」


「何?南西諸島海域に沈んだ帝国海軍の戦艦をか?それともDMMのエッチなゲームキャラか?」


「オカリン、わかってて言ってるっしょ?キムタクの方だお」


「す、すまん」


 というか、あまりにも突飛過ぎた。



 ダルとクリスの話を掻い摘むと、要はタイムマシン搭載エンジンを開発するために、ロケットパーツやUFOを拝借して、宇宙戦艦の波動砲をも凌ぐ出力のモノポールエンジンを造ろうという計画である。無茶苦茶もいいところだ。

 クリスに促されるまま二人でググったところ、原理はこんな感じだった。

 単極磁場という閉じられていない力線を閉塞された「場」に与え続けることで真空エネルギーをインフレーションさせ、超極小宇宙を誕生させて、そのビッグバンのエネルギーを取り出すということらしい。これ自体は電話レンジ(仮)で俺たちは似たようなことを達成している。

 但し、そのためには真の真空(より基底状態のエネルギーが低い真空)の生成を制御できるインフレーションを作り出すことが必要で、真の真空を維持しながらモノポールによる一方的な場のエネルギー飽和状態にもっていかなければインフレーション、即ちモノポールエンジンが出力可動しないため、モノポールエンジンの起動には波動エンジン以上の起動入力が必要となる。つまり、モノポールエンジンを起動させるためには波動エンジンのエネルギーが必要だということだ。宇宙戦艦ヤマトでも、モノポールドライブの起動のために補助エンジンとして波動エンジンを2基使用している。

 一応説明しておくと、古典物理の真空とは「何もない空間」であるが、量子論においての真空とは仮想粒子の対生成と対消滅が常に発生しており、決してエネルギーがゼロの空間ではない。したがって真空はあらゆる場に対して最低のエネルギーを持っている……と百科事典サイトに書いてあった。波動エンジンに使われるタキオン粒子とはこの仮想粒子のことだ。

 これはまたとんでもない技術だな……。




「でも、ようやく光明が見えてきた気がするお。これだけのエネルギーが制御できるって前提があれば、他の装置も一気に使えるようになるんじゃね?」


「そう、その通りなのよ。私たちが三年間頭を悩ませてきた動力問題はこれで解決できるはずよ!」


 クリスは疲労困憊の顔で嬉々としていた。うむ、いい感じにマッドだぞ。


「しかし、なんでこんなもんが空から振ってきたのさ?」


 フブキが口をはさんだ。

 たしかに、そもそもどういった化学反応があって生成されたのだ?


「リープ前、それについて私も調べたし、世界中の調査機関も調べていたのだけれど、結局わからなかったわ。多分、300人委員会あたりの陰謀じゃないかしら」


 ははは、そんな馬鹿な。


「過程はともかく、モノポールの入手は世界に先んじている。この技術は独占研究させてもらって、タイミングを見計らって民間へ密輸していくつもりよ」


 そうだったな。あえて競争市場へ投げ入れることで技術革新を促さなければ、2036年までにマシンの完成が間に合わなくなってしまう。



 そんな話に熱中していた―――



 その時。



 コンコン、と鉄扉がノックされた。



「!?」


「えっ、一体誰だお!?」


「まさかお前、機関のエージェントに尾行されていたのではッ!?」


「え、えぇっ!?僕ぅ!?……汚いなさすが忍者きたない」


「ありえるわ。ロシアが既にリーディングシュタイナーのコントロールを成功させていたとするならば、モノポールを強奪に来たのかも……」


「えぇーっ!私たち、殺されちゃうの!?私、沖縄に来たばっかりなのに!」


「そ、そんなぁっ!橋田さんッ!」


「フブキ!貴様の修得した古代弄魔流空手でなんとかしろ!」


「お、おりゃーっ!?」


 基地内全員がパニックになった。フブキに至ってはありとあらゆる方向にマシンガンのような高速パンチを繰り出している。→ ↓ ↘ +P

 しかし、そんな状況を知ってか知らずか、無情にもその鉄扉は開け放たれた。






「キョーマッ!!会いたかったニャーン!!」


◆◆◆






「フェ、フェイリス!?」


 そのピンク色のふわふわは俺の身体に飛び掛かり、そのままコンクリートの床に叩き付けた。俺は頭を打ち、目から火花が飛び出した。


「キョーマキョーマキョーマッ!!フェイリスはずーっと、会いたかったのニャーン!!」


 ふーびっくりした。ロシアの殺し屋かと思ったではないか。

 フェイリスのベビースキンが俺の無精髭をじょりじょりしている。や、やめんか猫娘!


「もうキョーマには会えないかと思ってたニャ。ホントに、ホントに会えてよかったニャ……!」


 どうやら少し涙ぐんでいるようだ。俺もフェイリスに会えて嬉しいが、少し大げさじゃないか?


「違うニャ!もう一生、キョーマはキョーマじゃなくなったままかと思ってたニャ!」


 ん……。あぁ、そういうことか。

 岡部倫太郎ではなく"鳳凰院凶真"に会いたかった、ってことか。


「クーニャンもカガニャンもフブニャンも、みーんな!久しぶりだニャン!」


 そう言いながらフェイリスは基地の女性メンバーに抱きついていった。なぜかカエデにも抱きついた。だがダルにだけは抱きつかず、ダルはショボーンとなった。いや、お前は東京でしょっちゅう会ってるだろうが。


「ダルニャン、ごめんニャ。ダルニャンに内緒で後をつけさせてもらったニャ」


「そんなー。言ってくれれば一緒に来た件」


「そうだよ、水臭いよフェイリスちゃん」とカエデ。


「ちょっとサプライズ的な登場がしたかったのニャ」


 ふふん、と楽しげに鼻を鳴らすチェシャ猫。全く、こっちは肝が冷えたぞ。

 そういえば3年ぶりの再会だというのに、まるで歳を取ったように感じさせないな。





「それで、キョーマ。ちょっとカガニャンを借りてもいいかニャ?」


 は?



「え、私ですか?」


「かがりさん。初めましてじゃないのは知ってるけど、一応言っておくニャ。初めまして」


 突然、フェイリスとかがりによる固有結界が出来上がった。


「は、はい。初めまして……」


 そういうとフェイリスはかがりの眼をまっすぐ見つめた。で、でたー!チェシャ猫の微笑<チェシャー・ブレイク>だー!


「あなたが背負った複雑な運命について、話はまほ……クーニャンから聞いているニャ。その上で、一つだけ正直に答えて欲しいことがあるニャ」


「はい……」


「あなたが阿万音由季としてスズニャンに接した気持ちは、本物だったニャ?」


「……」


 ……3年越しの核心を突く話だな。

 俺たちはダルも含め、その辺は曖昧なままにしていた。というか、かがりの頭痛を直接見ていたのもあってあまり負担を掛けたくなかったのだ。

 ……結局鈴羽は最後までかがりが"由季"だと気づかなかったんだよな。

 かがりが少しつらそうな顔をした。


「かがりたん?大丈夫?頭が痛いなら少し休んでくるといいお」


「橋田さん、ありがとうございます。大丈夫です」


 ニコ、と笑顔で返すかがり。その間も、チェシャーブレイクはかがりの眼を貫いている。


「……おねえちゃんへの思いは、多分、おねえちゃんが欲しかった本物とは違うと思います」


 鈴羽が由季に求めていたもの。それは亡き母の優しさ、暖かさだろう。


「そういうものを知っていて、私はおねえちゃんに接してきました。だから、わざとおねえちゃんの喜びそうなことをしました」


 リンスも、鼻歌も、手編みの手袋も、そういうことだったらしい。


「そういう意味では、ニセモノのやさしさだったと思います。でも、私のおねえちゃんへの思いは、今でもずっと変わりません。尊敬しています。だけど……」


 そこで言葉に詰まるかがり。


「……私はママもおねえちゃんも殺そうとしてッ!!」


 語気が突然荒くなる。


「もういいだろフェイリス。かがり、お前はママも鈴羽おねえちゃんも殺していない。二人ともきっとどこかの時空間で生きている。少し診療室で休んでくるといい」


 俺は二人の視線の間に無理やり割り込んだ。さすがにこれ以上はダメだと判断した。


「ニャ、ごめんニャ」


 申し訳なさそうな顔をするフェイリス。わかっている、仕方の無いことだ。

 頭を押さえ、呻いているかがりをダルとクリスが診療室まで案内した。戦争のPTSDだけでなく、洗脳の後遺症や銃をまゆりたちに向けて乱射した記憶もあって、かがりの心は何物よりももろくなっているのだろう。


「でも、かがりさんはウソはついていなかった。それが確認できて、よかった」


 このニャンニャンは語尾を忘れている。


「そうだな……。いや、鈴羽にとっては、偽りのやさしさだったとしても、二度と手にすることができないと諦めていた亡き母の面影だったのだから。かがりを責めることはできないだろう」


「わかってる。ただ、どうしてもかがりさんをほっとけなかった」


 どうやら留美穂になっているようだ。


「なぜだ」




「だって……私も過去にパパを殺したことがあるから……」




 はっとした。

 そうか、そうだったな。フェイリスはずっと誘拐偽装メールのことを後悔していたのだ。

 そういう意味では、似た体験を共有できる者同士なのか。

 かがりの頭痛を誘発してしまった罪悪感か、幸高氏のことを思い出してしまったためかわからないが、フェイリスは少し、つらそうだった。




「……いいか、よく聞け!コードネーム、フェイリス・ニャンニャンよ!お前にラボメンとしての任務を与えるッ!」


「ニャニャ!」


 俺の声にビビッと来たようだ。猫がなにかを警戒する時のそれに似ている。


「椎名かがりと仲良くなってこい……。それが、世界の命運を分けることとなるだろう……」


 鳳凰院凶真として、遠い目をしてみる。特に意味は無い。


「ラジャーニャー!三世代前の前世で、古代琉球のアズミ王族の王女だったフェイリスにかかれば、言霊を操って仲良くなるなんて容易いことニャ!」


 一瞬でニャンニャンモードになるフェイリス。得意のフェイリス節は、また俺のついていけない領域に達している。


「そんな王族いないから。というか、フェイリスさん前と言ってること変わってるわよ?」


 戻ってきたクリスがツッコミを入れた。あんまり考えすぎると頭がパンクするぞ。


「ま、まさかフェイリスちゃん!万座毛からキングシーサーを復活させる呪文、"美童(みやらび)の祈り"を修得しているの!?」


 カエデがなぜか話にノってきた。一体なんの話だ。


「そのまさかニャ!フェイリスのチェシャーブレイクは聖獣シーサーの"目からビーム"によって発現したのニャ!」


 ダメだこいつ、早くなんとかしないと。

 頭の痛くなる話が始まったので思考を放棄させてもらう。

 さすがに今の俺には、フェイリスのペースに合わせられるほどの余力はなかった。


「そういえばさ、せっかく昨日水着買ったんだし、みんなで泳ぎに行こうよ!」


 おっと。モノポールに熱中していて、本来の目的を忘れてしまっていた。

 フブキよ、いつもナイスタイミングで言葉を挟んでくれるな。きっとこいつ固有の異能なのだろう。後で名前をつけてやろう。


「激同!」


 ダルが興奮する。お前は元々呼んでないのだが……。


「申し訳ないけど、橋田さんが沖縄に滞在している間にモノポール研究を進めないといけないから、私と橋田さんは研究室に篭るわ」


 クリスはさらっとそんなことを言った。

 まぁ、そんなことを言えば当然、ダルが黙っちゃいない。


「えぇ~!!おにゃのこたちの水着姿をバッチリ撮ろうとカメラまで持ってきたのにぃ~!?我々の業界でも拷問です、本当にありがとうございましたorz」


 何故ある。何故用意したのだ。



「まぁ、かがりも休んでいることだ。プールは今日じゃなくてもいいだろう」


 俺がみんなを諭してやる。


「うーん、たしかにかがりさんとクリスさんの水着姿を拝められないのはもったいないなぁ……」


 カエデの分もあるのに……と付け加える。だから何故ある。


「フェイリスも一緒に行きたいニャン!だからクーニャン!明日、行こうニャ~?」


 フェイリスがクリスの両手の自由を奪って詰め寄った。


「おほっ。百合百合フィールド全開ktkr!!」


「ちょ、私は研究が……」


 言い寄られて困惑しているようだな、クリスよ。ふっ、お前もまだまだだな。


「そもそもその研究脳をリフレッシュするための計画だったはずだぞ、クリスティーナ」


 ぐっ、と悔しそうにするクリス。なに、研究ならきっと大丈夫だ。


「……そうね。せっかくかえでさんもフェイリスさんも遊びに来てくれたし、みんなでリフレッシュしましょうか」


 クリスの同意も得たところで、俺は白衣を翻す。


「それではっ、ここに波の乙女作戦<オペレーション・ナインドータース>を発動する!明日はみんなで遊ぶぞっ!」


「やったニャー!」


「よっしゃー!」


「んほおおおっ!!!み・な・ぎ・っ・て・き・た・ー!!!」


 三者三様の喜び方である。


「なんでナイン?女の子は5人しかいないよ?」


 まともなツッコミをしたのはカエデだけであった。


「あと橋田さんのカメラは没収だから。研究資金の足しにでもしようかしら」


「ぬあっ!?やめたげてよーっ!!」

◆◆◆




 アニメなら30分枠でみっちり水着回が用意されている頃合だろうが、タイムマシン製作の鬼と化した俺にとって、水遊びなど日記に一行で収まる程度の記憶にしかならないのである。

 みんなでプールで泳いで遊びました、楽しかったです。

 ……なに?それでは不満だと?仕方ない。ほんの少しだけだがプールでの思い出を公開してやろうではないか。






「うりゃー!パイルバンカー!」

 
 水面で両腕を正拳突きするフブキ。その威力はKARATEで鍛えたこともあって絶大だ。

 メンバーいち健康的な体型だ。ボーイッシュではあるが、それなりに胸もある。

 水着はオレンジ色のビキニスタイルだが、ボトムは短パン形だ。英単語らしきロゴがでっかくスタイリッシュに入っている。


「ちょっとー!やめてよフブキちゃん!もー!」


 とか言いながらも楽しそうにはしゃぐカエデ。水しぶきがキラリとまぶしく肌に輝く。

 ボディラインについては……まぁ、なんだ。ご想像にお任せする。

 水着は赤のビキニ。白い肌。たわわに実った果実。


「カガニャンも一緒にやるニャー!うニャー!」


「ちょっ、フェイリスさん激しい……ッ!」


 かがりに対して波状攻撃をしかけるフェイリス。

 ってやめろフェイリス!こっちにもしぶきがかかるではないかッ!

 フェイリスはこの日を境に、かがりの頭痛が起きないようにとフェイリス節とも言える厨二病の発動を控えることとなっていく。

 まぁ、それでも『フェイリスはフェイリスニャ♪』というトートロジーは12年後の2025年まで続くのだが……。どこかのタイミングで鈴羽に『ルミねえさん』と呼ばせるようになることを考えると、そのうち黒歴史化するのだろう。


「むふぅー。水着のおにゃのこがキャッキャウフフとか、なんたる健全な光景。正直、たまりません」


 水中に顔を半分沈め、水中眼鏡を潜望鏡のようにして女子を舐めるように見つめるダル。口元か鼻の穴からか、空気がぶくぶく漏れている。さすがヘンタイ紳士。


 ふと、プールサイドに目を向けてみる。


「君、かわいいねー。高校生?俺たち東京から来たんだけどさ、地元の子?」


 プールサイドで学生旅行の観光客であろうチャラ男2人にナンパされているのはクリスだ。そう言えば今は大学によっては休暇となっている時期か。

 クリスは無愛想にもサマーヘッドに身体を預けたまま無視している。ちなみに水着はワンピースタイプ、白ベースだが蛍光グリーンと蛍光ピンクのラインがあしらわれており、少し大人っぽい感じのものだが、それでも高校生と間違われている24歳であった。


「名前くらい教えてよー。ねーってばさー」


「……比屋定」


 ……何故そこで本名を言う。いや、この時のクリスにとってはむしろこっちの方が偽名だったのだろう。もしくは、地元の子と言われたのが存外嬉しかったのかもしれない。この観光施設で地元の子が居るとはあまり思えないが。


「ひやじょう?あー比屋定!すっごい偶然だね、俺たち今日久米島に行ってきてさー!比屋定バンタ、行ったよー!」


「めっちゃ景色よかったよなー!」


 出た、無理やり偶然を作り上げていく小手先の会話テクニックだ。最終的には『俺達の出会いは運命だったんだよ』と言って行きずりの関係を目指すんだろう、卑劣漢め。

 ……俺はこれを大学のテニスサークルの合コンのために伝授された。だが、一度も使ったことはない。

 若さゆえの過ちを傍観していたところ、クリスの様子が急変した。


「……すって」


「え、なに?」


「ごめん、聞き取れなかったよーあはは」


クリスがなにかボソボソとつぶやいた。


と、次の瞬間。



「だれが比屋定バンタですってー!!!」



 突然叫びながら立ち上がり、隣におかれたアウトドアテーブルをひっくり返し、チャラ男2人に投げつけた。



 ドンガラガッシャーン。



「ひ、ひえぇぇーっ!」


 な、なんてこった……。普通なら出禁だぞ。

 あまりの剣幕に気圧された男2人はそそくさとプールから退場した。

 こんなに激昂したクリスを俺は初めて見た。というか、どうしてそんなに怒っているのだ?


「岡部さんっ!あなた、絶対に『バンタ』の意味を調べないでよ!調べたらたタダじゃおかないから!」


 キーッ、と言い散らしながらもいそいそと投げ飛ばしたテーブルを元の位置に直し始めた。

 それは、あれか。押すなよ!絶対押すなよ!のパターンか。


 後日、大型パーツの搬入のために我がラボを訪れたセーシンさんに『バンタ』について尋ねたところ、例の暗号言語"ウチナーグチ"では「バンタ・ハンタ」は絶壁とか崖という意味があることがわかった。ワンピース水着……合法ロリ……比屋定バンタ……。今度、みんなで久米島にでも行くか。




 皆でひとしきりリフレッシュした後、フェイリスと別れ、ダルを含め俺たちはモノポールエンジンの開発に乗り出すのであった。

 フェイリスには釘を打っておいた。本当に緊急の時以外は基地を訪れてはいけないこと、と。今度こそホントに誰かに尾行されでもしたら大変だ。

 それよりも今は。2036年時点へ向けて、戦時下にあっても資金を調達できるような会社経営と、俺たちの同志として活躍が期待される人材の抜擢、東京での未来ガジェット研究所の活動拠点の確保に向けて行動してもらうよう頼んだ。

 いずれラジ館屋上へタイムマシンを移さなければならないのだ。ラジ館の建て替え工事が完了した現在でも屋上スペースと最上階はフェイリスの所有となっているが、2036年ではどうなるかわからない。まずは2025年までに、東京が焼け野原になった際の混乱に乗じてこっそり研究所を移動させてもらう。

◆◆◆





 研究に没入して、幾年月が流れた。

 世間では太陽嵐が大規模化しており、世界中のコンピューターなどの電子機器が故障し、インフラに大打撃を与えるのではないかなどと紙面を賑わせていたが、そんなことは起きず、2000年問題の時と同様、多少事件や事故が発生したもののたいした問題にはならなかった。

 そういえば今年の9月頃に「機動バトラーガンヴァレル」とかいうアニメが最終話を向かえ世間の話題をさらっていたな。放送開始直後から世界的人気を博しており、今後数年間はロボットブームが到来する、などと言われている。これによって世界の技術レベルが底上げされるのならば、我がラボにとっても大変好ましいことである。

 未来ガジェット研究所の話題としては、ダルが基地入り口の鉄扉を生体認証式に改造したこと(だってロマン優先っしょ常考)と、ダルが阿万音由季と入籍したことが中心であった。なんだかんだでうまいことやっていたのだな、ダル。

 俺は公式に式を挙げることを勧めたが、目立つ行動をしたくないという理由と、ここ未来ガジェット研究所で式を挙げたいという由季さん立っての申し出のため、ラボメンはしばし研究の手を休め、大安吉日の本日、挙式の準備を進めていた。




「しかしダルよ。お前、よく由季さんに話せたな」


「まぁ、いつかは話さなきゃならないわけですしおすし」


 話というのは、あれだ。自分たちの愛娘には、人類が未だ経験したことがない壮絶な時間漂流へと旅立たなければならないことが運命づけられている、という話だ。


「かがりちゃんすご~い!こっちの服もよく似合うね~!」


「は、はずかしいです……」


 娘の将来を本気で考える親であれば、世界のための生贄として捧げることなど到底できる決断ではない。


「すごいね~。全部サイズぴったりあうんだね~」


「えへへ……」


 しかし、由季さんは理解してくれた。この未来ガジェット研究所の目的と、俺たちが払ってきた代償を。


「あっ!このワンピも似合うかも!それともフリルのがいいかな~?」


「も、もういいですよぅ……」


 それはそれはつらい決断だったはずだ。親として、母として、断腸の思いだったことだろう。


「もうどれもかわいくてこまっちゃう~!かがりちゃんだいすき~!」


「ひゃあ!由季さん、急に抱きつかれると……!」


「……ええい!ここは未来ガジェット研究所の地下潜伏基地であって、コスプレ会場ではないのだぞ!阿万音由季ッ!」


「ふひひ、さーせん♪」


 挙式の準備と称して着々とコスプレパーティーの準備をしている阿万音由季と、阿万音由季によって着せ替え人形とされてしまった椎名かがりの姿が、そこにあった。

 どうもダルの影響が言葉の端々に現れている。

 この阿万音由季とは初対面のはずだが、そんな気は全然しない。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、やはり不思議な気がする。



「いいじゃないですかオカリンさん。ユキさんの結婚式なんですよ?」


「そーだそーだ!」


 反論してきたのはフブキとカエデだ。すっかりこの地下研究所に馴染みきっている。


「でも、ホントにかがりちゃんって私そっくりだねー♪双子みたい♪」


「あ、あはは……」


 完全に阿万音由季のペースに飲み込まれているかがり。


「よくさ、この世には自分そっくりな人間が三人いるって言うけど、私たちがその二人なのかなー!すごいよねー!」


 残りの一人はかつて2010年から1年間、存在していたがな。

 異常なまでにテンションが高い阿万音由季。もちろん、椎名かがりが偽者をやっていたことは、やんちゃした話以外はある程度話してある。

 ダルとデートしたことも。

 ……これが本妻の余裕、というやつなのだろうか。罪作りな男め。


「……オカリンさん。こういう時は、輝女かっけー、っていうんですよ」


 ボソッ、とフブキがどうでもいい知識を提供してくれた。



 そんなこんなで、結婚式という名前のコスプレファッションショーが開催された。クリスは研究を言い訳にしてなんとか離脱しようとしていたが、由季さんを前にして逃亡は不可能だった。

 彼女たちはキャッキャウフフと次々にかわいい服、ちょっとエロい服などを早着替えしていったのだが、俺はそれを落ち着いて眺めることができなかった。たしか、由季さんは、亜麻音やチョプ子、かがりはピーチ(朝霧桃子)と少佐、フブキはキラリちゃんとラビ(秋ヶ瀬うさぎ)、カエデは星来とメイクイーン+ニャン×2のメイド服、クリスは悠木ロゼッタ……だったと思う。

 なぜ俺の記憶が曖昧かって?第一に、女子たちはことごとくフリフリやらキラキラやら絶対領域やらに包まれ、この地下生活に慣れきったマッドな双眸にとってそれは眩し過ぎ、直視できなかったのだ。

 第二に、男たちも参加させられたからだッ!

ダルがストリート系が似合うとは意外だったな。コザのゲート通りにはヤバ目な黒人が経営しているB系ショップがあり、由季さんが選んで買ってきたのだ。ジュジュの微妙な冒険の第三部主人公、承太郎とかも似合うかもしれない。

 俺はというと、マッドで、クレイジーで、コケティッシュで、アバンギャルドな、そんな服をコーディネートして欲しかったのだが、由季さんは俺の要望を一切無視して、清楚なトラッド系というか、少しおじさん臭いファッションに仕立て上げられた。しかし、研究室にいて白衣を着ていないとここまで落ち着かないものか!……まぁ、式の礼服としてはこの方がいいのだろうから、我慢することにする。



 その後、ダルを清潔な感じのオフィスカジュアルっぽいスーツスタイルを着せ替えさせた(これもそれなりに似合っていた)。由季さんは、もう数えられないほどのお色直しの後、ドレス(といってもコスプレ)に身を包み、ようやく結婚式っぽいことをする運びとなった。



「えー、えーっと。あなたは、神様に誓ってガチであることを誓いますか?」


「誓うお!」


 フブキがわけのわからない言葉で神父の真似事をしている。


「ええっと、病めるときも健やかなるときも、夫として、愛と忠実を尽くすことを誓いますか」


「確定的に明らかっしょ常考。あと娘を愛することも誓うお!」


「んじゃ、ユキさん。あなたはこんなガチオタピザメガネを夫とすることを望みますか?」


「想像を絶する悲しみが僕を襲った」


「はい、望みます♪」


「順境にあっても逆境にあっても、妻として、愛と正義の悪を貫くラブリーチャーミーであることを誓いますか?」


「誓います♪」


「フブキよ、さすがにふざけすぎだ」


「あははー。ではではー!誓いのキッスをー!どぞー!」





「至さん、こっち向いてください」


「……う、うん」




 普通逆だと思うが、由季さんの手がダルの両頬を捉える。

 そして、そのまま唇を近づけて―――






 ズキュウウウン!!





「やったッ!!さすがユキさん!」


「私たちにできない事を平然とやってのけるッ!」


「そこにシビれる!あこがれるゥ!」


 ……カエデとフブキが示し合わせたかのように煽った。

 というか、何気にひどくないか、その台詞だと。





 まぁ、そんな感じで式は終わって、あとは宴会になった。

 「今日から橋田由季になるんですね……」とか。

 「死んでも由季を離さないッ!絶対にだ!」とか。

 「ユキさああああん!!お嫁に行っちゃやだあああ!!」とか。

 酔っ払った面々が言いたい事を言いたい放題していた。

 クリスはひたすら酒に強く、メンバーを次々に酔い潰していった。

 俺もそれなりに羽目をはずしていたので、この乱痴気騒ぎの様子はあまり記憶に残っていない。

 ……由季さんを見つめるかがりの笑顔には、どこか寂しさがあるように見えた。

◆◆◆




 パーティーは楽しかった。

 いや、ボキャ貧とか、形容しがたいものがあったとか、そういうことではなくてだな。

 うっぷ。

 今の俺は、アルコールが回って、楽しかったという感覚以外が脳内に存在しないのだ。

 そんなふわふわな状況で広間の奥にあるソファにどっぷり腰を下ろしている。

 女たちは個室で寝ていたり、研究室の机につっぷしている者が数名いる。

 ダルはというと、俺と同じくふわふわ、というかぷよぷよの状態で、俺の座っているソファの目の前のカーペットの上で横たわっている。


「……ところでダル。お前、鈴羽の誕生日、知ってるか?」


「……んぉ?もちろん知ってるお。娘の誕生日にプレゼントできなかったらどうしようかと思ってちゃんと聞き出したことがあるんだけど、結局その時から鈴羽がこっちにいた間に誕生日は来なかったっていう」


 のっそりのっそり答える。

 ボリボリとケツを掻くのをやめろ。お前はトトロか。


「それで。いつなんだ?」


「えっと、2017年の9月17日だお。それがどうかしたん?」


 この時の俺はだいぶ浮ついていたのだ。学生気分に戻っていた。


「いや。この世界線でも確実にその日になるとは限らないが、まぁ多分その前後が誕生日となるのだろう」


「ん?」


 久しぶりにボーイズトークがしたくなっていた。



「……お前、赤ちゃんが生まれてくるのにかかる日数、知ってるか?」


「は?トツキトウカだろ?さすがにそれくらい知ってるんだぜ―――」


 何かに気づいたダルは、ガバッと立ち上がった。


「オ、オカリン!それはさすがにセクハラすぎるお!」


「何をいう。鈴羽生誕という事象の観測のために必要な因果ではないかッ!」


「サイテーだお!ここに27歳DTニートの最低クズ野郎がいるお!」


「ふん!貴様はDT卒業が約束されてよかったなぁ。2016年11月までには確実にッ!」


「やーめーるーおーっ!俺の鈴羽をそんな目で見んなぁーっ!」


 完全に言ってることが支離滅裂だが、所詮酔っ払い同士の言い争いである。

 ダルは熊が人を襲うかの如く両手を上に広げ、熊が人を襲うかの如く俺に襲い掛かってきた。


「ふんぐぉっ!や、やめろ!胃の腑がやばいッ!出るッ!出るッ!」

「はぁはぁ!出すなら出しやがれっつーの!」


 ソファの上にくんずほぐれつになるオッサン二人。


「うおおっ!カエデ!起きて起きて!濃厚なBLシーンが展開されてるよっ!」

「えーどこどこぉ?」

 
 やめろ!フブキ!そんな目で俺たちを見るな!カエデ!カメラを構えるんじゃない!アーッ!

 俺は野生の熊を撃退すると、好奇の視線を注ぐ腐女子二人を追い払い、自分の部屋に戻って寝た。

◆◆◆





 俺はアルコールが入ると眠りがすぐ覚めてしまう体質らしい。

 午前6時。太陽の出が東京よりも一時間ほど遅い沖縄にとっては、外はまだほの暗い。

 なんとなく外の空気が吸いたくなって、通用口から鍾乳洞を経てジャングルへ出た。

 お世辞にも気分がよくなる景色とは言えなかったが、自然で溢れているだけあって空気はおいしかった。

 と、気づけば視線の先にはかがりが居た。


「どうした?眠れなかったの……か……?」


 声をかけるが様子がおかしい。

 よく見れば、かがりの顔には幾筋もの涙の跡があった。


「!? まさか、また"神様の声"が再発したのか!?」


「う、ううん。違うんです。私……」


 かなり思いつめた表情をしていた。いったいどうしたというのだ……。


「……話ならいくらでも聞いてやる」


「……ありがとうございます」


 かがりはぽつぽつと語り始めた。



「今日は、楽しい結婚式でしたね」


「由季さんもとてもいい人で、こんな私を気遣ってくれて」


「……うれしかったんです。私は、心のどこかでずっと由季さんと橋田さんに謝りたかったんです」


「だから、晴れてお二人がご結婚されて、本当にうれしかったんです」


「鈴羽おねえちゃんが誕生する因果が、着実に達成されていることが実感できたのも、うれしかった」

 
 そうか、今日のかがりはそんなことを考えていたのか。


「だけど……」


「ホントはっ……!私、橋田さんのことが好きで……ッ!そんなんじゃいけないのに、鈴羽おねえちゃんのためにならないのにっ!」


「阿万音由季さんが早くして亡くなってしまうことを知ってるからッ!その後でもいいなんて考えて……ッ!」


 語気を荒らげるかがり。まずい、精神不安定状態の兆候だ。


「かがりが悪いんじゃない。かがりを戦争孤児にさせた世界が悪いんだ。かがりを洗脳したレスキネンが悪いんだ。お前は悪くない」


「でもッ!!私が洗脳されなかったら橋田さんのことを好きになることもなかった!!私はッ……!!私の気持ちは、作り物なんかじゃないのにッ!!」


 俺は、しまった、と思った。

 たしかにそうだ。かがりの元いた世界線での経験があるからこそ、今のかがりが存在している。

 元いた世界線を否定することはできない。

 なかったことにしてはいけない。




 ―――人間は根源的に時間的存在である。



 ハイデガーの言は、こう続く。



 ―――しかし、人為的に創られた公共的な暦や時計や年表があるから、人間が時間的存在者なのではない。記憶や期待や知覚、持続的体験流、時間性の時熟は、決して単に主観的なものではない。実在そのものが、そうした時間性の構造において、人間に自覚され、顕在化してくるのである。




「……わかった。かがり。今は泣け。声を押し殺して泣け。誰にも聞かれず、誰にも知られず、ただ、悲しみをお前のためだけに孤独に泣くがいい。俺という観測点が記憶しておく。だから、安心して孤独に泣け。そうしてお前という存在を確かなものにするんだ」


 俺はかがりの肩を、やさしく両手で掴んだ。


「……うぅぅぅぅぅぅっ!!!!うわぁぁぁぁぁぁ……!!!!!」


 その日、やんばるの森に、一人の女のやり場のない悲しみが刻まれた。


◆◆◆





「そう言えば、女の子たちはお風呂どうしてるの?」


 東京に帰る直前、由季さんが突然そんなことを言った。


「えっと、湯船は無くて、シャワーで済ませてます」とフブキ。


「いやね、なんか酸っぱいニオイがしたから……」


「あぁ、それか。かがりは今でもお酢をリンスに使っているのだ」


「はい、髪にいいんですよ」


「そうなんだ!知らなかったよー。かがりちゃんって物知りさんだねー」


 いちいちかがりのことを褒める由季さん。いまいちこの人の行動心理がわからん。

 もしかしたら、かがりの内心を見破っていて、少しでも慰めになろうとしているのか?


「い、いえ。私もこれは母から習ったものですから……」


 そうか、かがりはまゆりからこのお酢リンスを習ったのか。

 かがりの中にまゆりの残り香のようなものを感じて、俺はなんだかホッとした。



 ん、待てよ?

 まゆりはあの時由季……ではなく、かがりからお酢のリンスのことを習ったはずだ。俺はその一部始終を目撃している。かがりの出身の世界線が異なるから、なんだか運命のいたずらを感じる。

 もしかしたらこの由季さんも鈴羽にお酢リンスを教えるかもしれない。だがそれはかがりから習ったもので、それはまゆりから習ったもので、それはかがりから習ったもので……。

 そしてこの、ウロボロスのような閉時曲線的因果の連鎖はシュタインズゲート到着によって開放されることになるのだろう。

 ……これがβ世界線の因果律、ということか。

◆◆◆




 やっほー!私、フブキ!22歳!

 この年齢なら普通は就活とかしてるんだろうけど……私にはそれができない、重大な秘密があるのです。

 なんとっ!悪の組織に身を追われ!地下に身を隠すこと早5年!

 日夜、悪の組織と戦うための秘密兵器を開発しているのであります!

 ……まー、私は頭がそんなに良くないから、みんなに協力はできてないんだけど。

 一応、オカリンさんには、内なる邪悪なるなんたらを払うために『古代弄魔流空手』を極めろって言われてて、それで日々研鑽を積んでいるのです!

 実際には剛柔流だけどねー。

 私が通ってるのは海兵隊御用達の、守礼館っていう道場。

 比嘉のおばあちゃんが一人で切り盛りしてるんだ。

 元々旦那さんが指導に当たってたみたいなんだけど、何年か前に他界しちゃって。

 今は生徒が生徒を教えてる状態かな。だから私はほとんどコワモテのタフガイから空手を習うことになった。

 ちっちゃい子供たちには私が指導してる。ほとんど子守りみたいなもんだけど。




 そんなある時、剛柔流の交流会として、大徳道場ってゆーところとの親善試合をやることになったんだ。

 そこのお父さんが比嘉のおばあちゃんにお世話になってたみたい。

 それで、いざ大徳道場の皆さんを招いてみたら!

 そこには道場の一人娘、中学二年生の大徳ジュンナちゃんが!(漢字わかんない)

 もうめちゃくちゃかわいくて、私はびびっと来た!

 その時居た女の子がたった二人だったので、私とジュンナちゃんが手合わせをすることに。

 やばい!たぎる!辛抱たまらん!

 こ、こんなところで私の年下属性が開花しようとはハァッ!

 それで、ジュンナちゃんに好感を抱かれたかったのでわざと負けようとしたんだけど……。

 ジュンナちゃん、弱すぎ。ホ、ホントに道場の一人娘なの!?

 まぁ、そんなところも私的にはポイント高いんですけどッ!!

 試合が終わってから私は彼女に接近することにしたッ!




「ご、ごめんねジュンナちゃん!私、加減ってのがわからなくてさーあはは……」


「う、ううん。いいんです。私が弱いから……」


 涙目なジュンナちゃん。お持ち帰りしたいいいいッ!


「そーいえば、ジュンナちゃんってどこに住んでるの?北部?」


 住所特定余裕ですた、フヒヒ♪



「えっと……種子島、っていう島なんだけど、知ってますか?」


「タネガシマ……。あぁ、あの!知ってるよーもちろん知ってるよー!一昨年、はやぶさ2を打ち上げたところでしょ?」


 私が知ってたからか、ジュンナちゃんの顔がパアッと明るくなった!この情報知っててよかったー!

 テレビのアンテナの無い地下研究所では基本的にネットから情報を得るんだけど、この前ニコニヤ動画のランキングにはやぶさの動画があがってたんだよね。

 テレビ自体はブラウン管のがあって、この間中古ゲームショップでプレステを買ってきて懐かしのゲームをかがりさんとやってさー。かがりさんいちいち新鮮なリアクションするから飽きなかったなー。クリスさんも実は意外とゲーマーで……。

 おっと、今はジュンナちゃんの話だった!


「かっこいいよねーロケット!ジュンナちゃんは打ち上げ見た?」


「う、うん!見ました!」


 か、かわひい……ッ!ジュンナたんのお腹なで回したいッ!落ち着け、私。クールになれ。


「あー、ほら。女の子私たちだけだしさ、敬語使わなくてもいいよ」


 敬語攻め属性はないんで。


「あ、す、すいません!」


 ぐはぁっ。吐血しました。


「いやぁ、謝らなくても大丈夫だけどさ」


「えっと……フブキさん?はどこに住んでるんです、あ、いや、住んでる、の?」


 ちょ、それ反則杉……。なにこの可愛い生物兵器。


「すぐこの近くなんだけどねー。ジャングルの奥地みたいなところなんだーあはは」


 それどころかアンダーグラウンドなんですけどねッ!


「へ、へぇー」


 あ、やばい。興味なさそう。な、なんとかしなくちゃ……!


「え、えっと!そう!しかも、実は私の住んでいるところ、元々核兵器があったってゆー伝説の倉庫なんだよ!」


 ……あ。

 やっちまったー!?



「か、かくへいき?」


 こ、こんな可愛い娘に似つかわしくないワード第一位です本当にありがとうございましたーッ!

 でも、これはこれでありかも……。ギャップ萌えってやつですかァー!?


「もしかして、沖縄の都市伝説?」


 お?


「そ、そう!沖縄の都市伝説って言えば、ほら!2014年のUFOとか有名じゃない?あれの正体って実はものぽーるっていう磁石なんだよねー!」


 ちなみに米軍の公式発表だと、照明弾の打ち上げだった、ってことになってるみたい。

 興味あるかな?と思ってまくし立てて見たところ。

 目がしいたけ。wktk状態なんですが!!

 ぐふぉっ。かわゆす、ギザかわゆすなぁ。


「……もしかしてジュンナちゃん。都市伝説好き、だったりする?」


「う、うん!好き!私ね、実際に都市伝説が起こったところに行くのが好きなの!」


 あーもうこれダメかもわからんね。


「じゃぁさ、ジュンナちゃん。今から一緒に都市伝説めぐりしない?」


「ほ、ほんとにっ!?ありがとうフブキお姉ちゃん!」


 幼女誘拐キター!たぎるわーマジたぎるわー。

 ジュンナたんが漏らすまでおしっこ我慢させたい……いや、正直すまんかった。

 そんなわけで早速車を比嘉のおあばちゃんに借りて二人でドライブすることになりました。持っててよかった運転免許!

 さすがにオカリンさんたちの研究所には案内できないので、近場のスポットを紹介することにしたんだー。

 沖縄ってそこら中に幽霊が出る公園とか、ユタの修行場(入ったら殺される)とかがあるんだけど、ジュンナちゃんはホラーとか心霊系はダメみたいだったからそこは行かないことにしたけど……。「ひぃぃっ!」とか「うぅ……いじわる……」とかのリアクションでもうお腹いっぱいですわー!

 有名どころで『沖縄のどこかにある7体の自由の女神を全部見つけたら幸せになれる』を実行しよう!って言ったら、もうジュンナちゃんはしゃいじゃって。

 それで車を走らせて、すぐそこにあった名護のと、恩納村のと、沖縄市のと(これはラブホなんだけどニャンニャンはさすがに自重した)、うるま市のとを回ったんだ。残りはジュンナちゃんのお楽しみに取っておきます。また沖縄に来て欲しいからね!

 いっぱいおしゃべりしたんだけど、途中でジュンナちゃんつかれちゃったみたいで眠っちゃった。ほっぺぷにー、ってしたら、やわらかいの!ウヒョー!prprしたいィッ!くんかくんかしたいィッ!静まれー、静まれ私ー!


 それで一日時間つぶして、気がつけば帰ってきたのは夕方だった。

 せっかくだし夕日でも見に行こうか、って話になって、私たちは21世紀の森ビーチへと向かった。




「なんか色々連れ回しちゃってごめんねー。疲れちゃったよね」


「ううん!そんなことないよ。すっごく楽しかった!」


 小悪魔の素質ありと見た。


「そ、そう?そう言ってくれるとお姉さん嬉しいな。はい、おやつ」


「あ、これサーターアンダギー!」


「ジュンナちゃんが寝てる間に道の駅に寄って買ってたんだー。ビックリした?」


「うん!私これ大好きなの。ありがとうお姉ちゃん!」


 と言ってサーターアンダギーをはむはむする小動物。お姉さんはジュンナちゃんをはむはむしたいよぉーっ!!はぁ……はぁ……。


「……この海はジュンナちゃんの居る種子島までつながってるんだね」


 一旦、興奮した脳みそを冷ますために詩的なことをつぶやいて見た。

 だけど、そこで会話が途切れてしまった。

 しまったーなにをやっとるんだわたしはー。


「あ!種子島と言えばさ。"ロボクリニック"ていうパーツ屋さんがあったの知ってる?」


 うちの研究室に月一で運ばれてくる部品たちはここ出身だ。

 "ロボクリニック"なんて、島にあったら有名だろうと思って聞いて見たんだけど―――。


 「……」


 地雷だったみたい。

 さっきまで元気いっぱいサーターアンダギーを食べてたのに。

 目には涙が溜まってた。


「……私の、おじいちゃんのお店なんだ」


 あーそういうパターンのやつかー。喧嘩したまま死に別れた、とかだったらヤバイなー。


「……おじいちゃんと何かあったの?」


 食べる手を止めて、ぽつぽつと語りだすジュンナちゃん。

 4年前、事故があって、おじいちゃんのロボットの下敷きに。

 それでジュンナちゃんにはトラウマが。おじいちゃんはロボ作りをやめちゃったらしい。

 こいつは、ヘビーだ。

 さて、どうしたもんですかな。



「……ジュンナちゃんさ。また、おじいちゃんにロボ作ってもらいたいと思ってる?」


「……わかんない」


 お姉さんには、わかるよ。


「じゃあ、ジュンナちゃんのロボ恐怖症がなくなったら、また作ってもらいたい?」


「……なくならないよ」


「もしも、さ」


「……うん。そしたら、おじいちゃんと仲直り、したい」


 よかった。ジュンナちゃんはホントにいい子だ。

 なら、ジュンナちゃんに人生の先輩として、色々教えてあげましょうかね。




「あー、そうそう。うちの所長がいつも言ってるんだけどさー、って言ってもこの人、結構現実逃避癖のある人なんだけど」


「逃げちゃいけない。思考を止めちゃいけない」


「なかったことにしてはいけない」


「って、そればっか」


 ジュンナちゃんがぽかんとしている。

 けれど、しっかり聞いてくれている。


「怖い、って思う気持ちはね。科学的に説明できる現象なんだ。もちろん、そう簡単に克服できるものじゃない」


「心に抱えたものってのは、それだけ自分に重大なことだってこと」


「心の仕組みはあまりにも複雑で、どんなに科学が進歩したって人間の感情はコントロールしきれない。そんな世界になっちゃったら、私たちみんなロボットみたいになっちゃうからね」


「だけど」


「克服できる可能性は」


「ゼロじゃない」



「可能性がある限り、そこには到達できる世界がある」


「だからジュンナちゃんも、きっと"きっかけ"さえあれば克服できるはずなんだ」


「今すぐには無理でも、いつの日か必ず」


「乗り越えたいと思う気持ちがあれば、絶対に」


「がんばれる」


ぐっ、と拳を握り、正拳突きをする私。


「そんな可能性を信じていれば、さ」


「なんだか、たぎってこない?」


 人の心なんて弱いものなんだって、それは研究所で嫌というほど思い知ってる。

 オカリンさんも、かがりさんも、クリスさんも。みんなそれぞれトラウマとか後悔とか抱えてて。

 でも、だからこそ可能性を信じて、世界を救おうとがんばってる。

 だからこそ、がんばれるんだよ。ジュンナちゃん。




「さぁ!お姉さんと一緒に夕日へ向かって走ろう!」


「え、えぇっ!?」


 戸惑うジュンナちゃんの手を取って、私たちはビーチを走った。

 私たち二人の影は、南国特有の神々しいオレンジ色の中に消えていった―――

寝ます

続きはまた

◆◆◆


2017年9月17日





「ラボメンナンバー008は七年後に現れる、か」



 今日は鈴羽の誕生日であり、実際予定通り生まれたらしい。

 東京の病院から緊急入電があった。

 もちろんうれしい。生命の誕生は人類の神秘であり、かけがえのない喜びだ。

 だが、それ以上に。

 俺は安心した。世界の因果がつながっていくという現実に。

 世界線の収束をうまく利用できている自分に満足感を覚えた。

 もし死産でもしようものなら俺の計画が台無しになってしまっていたところだ。

 そんな俺の捻くれた考えに自己嫌悪を覚える。

 ……いや、そんなことではだめだ。

 俺は狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真なのだからな。



 俺を除いたメンバーは出産後落ち着いてから会いに行った。

 本当はかがりもフブキもクリスも偽造身分証で生活をしている身なので、公共交通機関を利用するのは危険なのだが……。

 もし泥棒にあったら?もし事故にあったら?警察のお世話になることだけはなんとしても避けなければならない。

 だが、かがりがどうしても会いに行きたいとせっつくので、俺はしぶしぶ東京行きを認めることとなった。

 ……かがりの気持ちは、わからんでもないからな。

 クリスはあまり乗り気ではなかったようだが、なにか有った時にすぐタイムリープマシンを使えるようにするため東京行きに同行することになった。

 俺は一人ラボに残った。

 俺はすぐ鈴羽に会いたかった。

 だが、当然そうはいかない。

 社会から消えている俺たちの存在を機関に知られてはならないのだ。

 浮ついた気持ちで東京に行くことなどできない。

 すべては、紅莉栖を救うためだ。




「でも、やっぱり不思議な気がするね。本当に鈴羽さんが生まれてくるんだもん。わかってたことだけどさ」


「赤ちゃんのおねえちゃん、かわいかったよぉえへへ」


 鈴羽の様子についてはラボメンたちから口々に教えてもらうことになった。




 由季さんには大変申し訳なかったが、産後、ダルはすぐさま沖縄と東京を行き来する日々となった。いよいよタイムマシン関連の制御装置の本格的な製造段階に突入したのだ。

 そんな折、ダルからピンバッジをもらった。それは歯車をあしらったデザインだが、かなりいびつな『********つOIO』という字が彫られていた。「なんか、これを鈴羽が誕生したらあげなきゃいけないって思ったんだよね。ついでに、ラボのみんなにも」と言っていたが、おそらくα世界線のリーディングシュタイナーが不完全な形でダルにも発現していたのだろう。どうにも俺は、こういう不思議な現象に対して特になんの感情も抱かなくなってしまった。

 だが、それでいい。冷静になれ、鳳凰院凶真。

 この頃にはダルの体型は七年前とは違っていた。と言っても、健康的に痩せたわけではない。研究と開発、実業と家庭という、超多忙な日々を送っていたため、不摂生が極まって痩せ始めていた。

 もちろん、そのすべての責任は俺にある。

 鈴羽には、いつでも寂しい思いをさせてしまっていたんだな……。



 まぁ、嫌でも鈴羽は俺たちと関わりあう運命にあるのだ。ならば、こちらで大きく構えていればいい。

 ……平和な日本を、平和な時代を、一秒でも長く味合わせてやりたい。

◆◆◆



 ある時、例の懇意になっている種子島の技術者からモノポールの動力化技術の提供要請があった。と言っても大出力エンジンを作るというわけではなく、モーターを作るそうだ。いったい種子島で何を作っているのだ……。

 ビジネスの関係だったとはいえ、今までの借りも返さねばな。それにそろそろ頃合だ。これをきっかけとして次第に世界中でモノポール研究が加速していくだろう。次世代コンピュータや新しい情報媒体、モノポールモーターの開発によって加速度的に科学技術は進展していく。だが、逆に言えば、血で血を洗う戦争は間近に迫っていると言える。
 
 さて、どうやって内密かつ確実に技術・理論提供をすべきか。などと、悩む必要は無かった。我がラボの右腕として世界で暗躍している天王寺家の長女、天王寺綯がなんと種子島にいたのだ。

 天王寺家と言えばビッグニュースがある。店長こと天王寺裕吾は再婚したそうだ。相手は桐生萌郁、今は天王寺萌郁だ。すごい歳の差婚だ、いったいどんな経緯があって……いや、もしかしたら世間からのカムフラージュのためだけ、なのかもしれない。二人ともSERNに籍を置く二重スパイ状態。一瞬の緊張の緩みも許されない、そんな日常を送っていることだろう。

 話が逸れてしまった。小動物ことシスターブラウンの話だったな。JAXA調布宇宙センターに勤める傍ら300人委員会の動向を調査しているはずだったのだが、種子島宇宙センターの所長の要請によって革新ロボティクス技術研究支援事業なるものの一環で中央種子島高校と共同研究をしているのだとか。

 ならば話は早い。大きくなった綯とは俺は顔を合わせたことがないが、その活躍ぶりは非常に信頼のおけるものだ。まさか暴走などしないだろう。"運び屋"として確かな働きを見せてくれるはずだ。




 同年、ついに物理学会はアトラクタフィールド理論を提唱し始め、ある程度のレベルの大学の授業でも普通に扱われる存在となった。頭のいい理系の大学生ならば、世界線には可能性の振幅があって半ば決定論的な世界であることを知識として当然のように知っている。

 名前からしてわかると思うが、この理論は俺たち未来ガジェット研究所が、人間を選び、タイミングを選び、内密に、かつ確実に漏洩したものである。これによって世間のダイバージェンスの数値化研究や世界線研究などが進展することだろう。

 とは言ってもリーディングシュタイナー研究は世間ではまだ発達していないため、アトラクタフィールド理論だけでは他のどの組織も未来ガジェット研究所よりタイムマシン研究を先んじることはできない。充分発展したものからハッキングしてこちらでも利用させていただく。……なんだか、やってることがα世界線のSERNと一緒だな。い、いやいや!そんなことはないぞ!目的が違うのだ、目的が。

 しかし、世界線収束範囲<アトラクタフィールド>理論がすべて正しいとは限らない。今まで考えられた状況下では真と見なせるが、だからと言ってあらゆる状況に適用できるわけではない。時空に特異点があるのと同様、アトラクタフィールドにだってあるはずだ、"特異点"のようなものが。

 それさえ見つけられれば。きっと、このβ世界線から脱出できるはずなんだ。




 その翌年、ついに俺は世界線変動率<ダイバージェンス>メーターを完成させた。俺は、と言っているが、無論ラボメンと各種研究機関の研究データのおかげである。かつてミスターブラウンの家で目撃したニキシー管スタイルのものを一応作ってみた。なんとなく、そうしなければいけないような気がしたのだ。

 俺たちはとにかく世界線について、そしてアトラクタフィールドについて研究した。一体なにが収束事項でなにがそうでないのか……。これがはっきりしなければ、紅莉栖を救出することはできない。

 俺たちはひたすら計算した。このダイバージェンスによって導き出される定理が、事象の収束性についての数式を与えたのだ。"決して変えられない事象"と"変えることのできる事象"を見極めなければ、シュタインズゲートには到達できない。

 それは、一体、なんだ。

 きっとこの方程式には無数の解がある。

 そのすべての解のあらゆる組み合わせの中に、必ずシュタインズゲートを開く扉の鍵があるはずなんだ。

 明けても暮れても、俺はこの計算式と格闘した。



 その中で、俺とダルとクリスの手によって、シュタインズゲートの世界線変動率を割り出すことに成功した。



              1.048596



 この数値が、俺たちの、すべての希望だ。

◆◆◆



 ある日、未来を司る女神作戦<オペレーション・スクルド>の概要が突然決定する。

 ここに至るにはリーディングシュタイナーを客観視して分析できるようになったことが非常に大きかった。

 紅莉栖の死を回避するということがどういうことなのか。因果律を歪めず、渇望する結果だけを掠め取るような、神への反逆とも取れる行為を冷静に考えることができた。



 フブキとかがりと三人でいつものように談話室でリーディングシュタイナーについて論議していた日のこと。フブキとソ連世界線での思い出話をしているうちに、お互いの認識にところどころ齟齬が発生していることに気がついた。これは二人が異なる世界線を経験したというわけではなく、観測者によって事象の理解の仕方が異なった、という話だ。


「でもあっちのユキさんは不思議だったなー。彼氏の身を守るために咄嗟に嘘を吐いたりして。私のことも守ってくれたりさ。まるで別人!」

 
 あの防衛省の下山とかいう男に連れられ、俺、フブキ、由季さんの四人で車移動していた時の話だ。

 俺はてっきり鈴羽が生まれることはどんなことがあっても収束するものだと思い込んでいたために、たとえ2010年に第三次世界大戦が勃発しようともダルと由季さんの結婚は変わらないのだと思っていた。故に俺はソ連世界線の阿万音由季に対して特に不思議に思うことなどなかったのだ。

 ふと、ひょんなことをかがりが言った。


「でも、そのソ連世界線?で私が橋田さんと付き合ってたなんて、想像できないな」


 少し照れながらかがりが答える。


「え、どうしてさ?」


「だって、私、小さい時のトラウマというかPTSDがあるから、二人が話してる阿万音由季さんみたいに毅然として振舞えるとは思えないの」


 なるほど、そりゃそうだ。


 ……ん?


 俺の脳みそに何か引っかかるものがあった。


「ってことは、あっちのユキさんはモノホンの阿万音さんだったんだ!あ、いや、今は橋田さんか」


 まぁ、そういうことになる、のか?

 いやいや、そうだと決め付けるのは早計だろう。それはフブキの観測結果から導き出した憶測に過ぎない。俺にはソ連世界線の阿万音由季と、この世界線の阿万音由季、つまり椎名かがりとを別人として観測する要素はなかったぞ。


「そんなの、オカリンさんの勘違いかもしれないじゃん」


「フブキよ、仮に本物だとするならば、何故あの時阿万音由季はヨーロッパに留学していないのだ?」


「それはだって、あのレスキネンとかいうマッドサイエンティストが裏で手を回していたからでしょ?ソ連世界線にはアイツがいなかったんだよ、きっと」


 この辺の話はかがり本人から既に詳しい話を聞いた。

 レスキネンの元での生活、ストラトフォーの一員としての行動、SERNへのスパイ活動。

 しかし、ホントにソ連世界線ではレスキネンはいなかったのか?いや、それはない。レスキネンという人間は存在していたはずだ。

 そうではなく、レスキネンが阿万音由季(本物)をヨーロッパへ留学させる動機がなかったのだ。当然それは椎名かがりがレスキネンの元で保護されていなかったからだろう。もしくはあの世界線でレスキネンはどうあがいても阿万音由季(本物)を国外退去させることができず、椎名かがりとの入れ替えに失敗していたのかもしれない。では、かがりは一体どこでなにをしていた?

 いや、こういう可能性もあるはずだ。今目の前で会話しているかがりよりもあちらの世界線に居たかがりは洗脳の度合いが強かったためにPTSDがかき消されていただけで、あの阿万音由季も本当は椎名かがりだった……?


 何かが引っかかる。俺の脳みそが急速に回転速度を上げていく。



「そう言えば、まだPTSDって残ってるの?」


「レスキネンの洗脳で上書きされちゃった感はあるけどね」


 うふふ、と笑うかがり。こういう話を笑い話として話せるようになって本当によかったと思う。

 ソ連世界線で生を受けるかがり自体はおそらく、戦後生まれということになるのだろうからPTSDになることもないのだろう。

 そうではなく、別の世界線からソ連世界線にやってきたであろう椎名かがりは、一体あの時どこで何をしていたのだ?


「もう、オカリンさん。そんなのわかるわけないじゃん。だって私たち、かがりさんを"観測"していないんだもん。それに、またロシアさんが色々やらかしてリーディングシュタイナーが発動したところで同じ世界線になってるとは限らないんだから、あの時のかがりさんが何してたかなーんて、永遠にわかりっこないよ」


 フブキにしては難しい単語を使ったな。

 しかし、確かにその通りだ。

 阿万音由季なる存在自体は"観測"していたが、それが椎名かがりの変装であったかどうかは俺もフブキも"観測"していない。俺とフブキという、二つの観測点が存在する場合、複数の認識が存在して当然だ。観測点における脳の状況が二つとも異なるのだから、認識が異なって当たり前だ。

 阿万音由季なる存在自体はこの二つの観測点によって"同時に観測"されていたが、しかし"同じ認識"は無く、結果別々の"観測(仮)"結果となった。故に世界線を移動してしまった現在では、どれだけ状況証拠を並べ立てても本当はどっちだったのかなど永遠にわからない。バタフライ効果によってすべてがひっくり返される可能性もある。状況は不確定なままだ。



 俺はここである仮説に思い当たる。



 リーディングシュタイナーを持つ俺たちが"観測(仮)"する事象の因果は、因果律として不確定な状態で成立している。何故なら、観測点が違えば必ず認識に多少の誤差が生じるからだ。



 つまりここがミソなのだ。俺が○○を観測した、というのは、別の観測点からすれば思い込みでしかない。俺が○○を観測した、というべき事象と、俺が○○を観測したと思い込んでいる、という事象は、似て非なるものだ。

 俺はかつて簡単にではあるが"観測"に騙されている。2011年のタイムリープ直後のクリスの反応、あれは演技だったわけだが、あれのおかげで俺はラジ館屋上でまゆりと鈴羽を救うことに成功している。クリスがタイムリープする前の最初の一回は演技ではなかったはずだが、その後のタイムリープではすべて演技だったのだろう。結局、クリスの反応が演技であるかどうかはどうでもよい。最初の一回目の世界線における観測と、その後の世界線での観測とはまるで別物にも関わらず、両方に共通した俺の主観的認識だけがまゆり&鈴羽の救出という結果に付随しているのだ。


 俺がα世界線から脱出した時も"観測点の違い"によって説明できる。

 既にSERNに目をつけられている状況下で、何故エシュロンに捉えられたDメールを削除するだけで過去改変の打消しが可能となったのか?この行為だけが"現在を司べる女神作戦<オペレーション・ベルダンディ>"の全容ではない。

 基本的に俺は、Dメールによって引き起こされた結果を"なかったこと"にするためには、その結果が引き起こされる時刻より前に新たなDメールが到着するようにし、結果の達成を阻止する、という手段を取ってきた。しかし、最初のDメールだけは他のDメールと異なり、"因果は確約されているが未達成"な状態での世界線変動だったのだ。

 このDメールは時系列にまだ"過去改変という結果が不確定な状態で達成されていた"。つまり2010年8月17日(クラッキングした日)以降に起こるであろうディストピアの形成の果ての鈴羽のタイムトラベルがまだ行われていないにもかかわらず鈴羽はタイムトラベルしてきて紅莉栖が生存するためにα世界線のアトラクタフィールドが確約されているため、通常の時間進行の因果が崩壊していたのだ。

 "結果"より時間的後に"原因"が存在する状況だった。時間的閉時曲線状態が変化した、とでも言うべきか。だから8月17日にクラッキングすることでバタフライ効果を誘発させ、SERNはぼこぼこになりディストピア計画は崩壊し、因果の確約が崩れ、ディストピア計画がないから鈴羽もタイムトラベルでラジ館につっこまずそのために紅莉栖が死ぬのでディストピアに重要な研究員が存在できない、しかもそれによって中鉢がロシアへ亡命するので第三次世界大戦が……という因果の環が再構成されたためにβ世界線のアトラクタフィールドへと戻ることができた。

 因果が時系列的にズレていたことによって、その"因果律のズレ"そのものの因果を作った複数の観測点(Dメールを送信した側のβ世界線観測と、Dメールを受信した側のα世界線観測)が存在したため、あのDメールは通常の因果律を無視した大幅な世界線改変を引き起こしていたわけだ。あのDメールは、最終的に二つのアトラクタフィールドの観測点を持つという、因果律の環から外れたイレギュラーな存在となっていたのだ。



 ならばその"ズレ"や"観測点の違い"を紅莉栖の救出に上手く利用できるのではないか。つまり、既にある観測点と、新しく作る観測点のアトラクタフィールドが異なれば、因果律の環から外れ、後者にとってそれはシュタインズゲートとなる場合が存在するはずだ。



 光明が見えてきた気がする。



 ユダヤ人の陰謀?マスゴミの大衆操作?お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな。

 自分を疑え。世界を騙せ。

 紅莉栖の死はβ世界線のアトラクタフィールドによって収束している。この世界線収束から抜け出し、狭間の世界線、シュタインズゲートに到達するためには当然、"紅莉栖の死"を回避した観測点を作り、それによって世界線変動を引き起こさなければならない。

 α世界線も"紅利栖の死"を観測しない世界線ではある。それではだめだ。新たに"まゆりの死"へと収束する世界線だからでもあるが、そもそも"紅莉栖の死"を観測したことを契機として例のDメールによって因果が歪められ、最終的に"紅莉栖の生"を観測できる、という世界線だからだ。

 俺はβ世界線特有の"紅莉栖の死"を観測したからこそ最初のDメールを送ったのであって、そこからα世界線への移動が始まったのだから、"紅莉栖の死"をなかったことにはできない。今いる俺の存在の因果が成立しなくなってしまう。不可能だ。



 この矛盾を突破する方法、それは一体、なんだ……。



 しばらく考えることに集中していた俺だったが、かがりがこんなことをつぶやいた。


「観測してないからわからないなんて、私、シュレディンガーの猫みたいですね」


 出たな、厨ニ病患者御用達のワードが。

 かがりよ、それは使い方が間違っているぞ。

 観測してないからわからないんじゃない。科学的な手法で観測することによってどちらかに確定してしまうことが問題なのだ――







 そうか。そうだったのか。

 そういうことだったのか。



 観測することで結果が確定してしまうなら。

 "観測"しなければいい。それだけだ。

 "観測"しなければ、因果は確定しない。

 "観測"しないためにはどうする?

 違う。これは量子論じゃない。それが目的ではない。

 "観測"をしないんじゃない。

 "塗り替えればいい"。

 "複数の観測点"が存在するならば、"別の観測点"によって"観測"は"思い込み"に"塗り替えられる"。

 "最初の俺"が"紅莉栖の死"を"観測"した事実を"塗り替えればいい"――



「そうだ。"最初の俺"は"紅莉栖の死"を"観測"していない……」


「えっ?」


「?」


 声が震えていた。

 握った拳に汗がじんわりとにじみでてくる。

 ……その時、俺の脳裏には、一羽の蝶がかすかな羽ばたきで、光の軌跡を残し、地平線を越えてゆく光景が浮かんでいた。

 
 二人が様子のおかしい俺に対して疑問符を投げかける。


「だって、見たんじゃないの?"血を流して倒れている牧瀬紅莉栖"さんを……」


「それに新聞にも出てましたし……」


 フブキとかがりがキョトンとしている。一応二人にも俺の2010年7月28日へのタイムトラベルの件は伝えてある。

 二人は、突然何を言い出すんだと思っていることだろう。実際に紅莉栖は死んでいるのだから。7月28日の夕刊、社会面に小さな記事で、牧瀬紅莉栖が殺害された事件が載っていた。この世界線では。あの観測点では。


「違う……。そうじゃないんだ。たとえ同一世界線上であっても、同一時刻であっても、同一人物であっても、それを観測したのは"α世界線から戻ってきた俺"であって、"α世界線へ旅立つ前の最初の俺"じゃない」


 はやる気持ちを抑えろ。冷静に、順を追って考えろ。

 そうだ。この二人の"岡部倫太郎"は生物的には同一個体だが、時系列的には異時間同位体であり、つまり因果としては"別の観測点"として考えるべきだ。

 一応説明しておくと、俺がここで言っている"最初の俺"とは、今俺がいるこの世界線の延長上の2010年7月28日の俺ではない。というか、そいつは"最初の俺"には成り得ない。俺は2011年7月7日の時点で今の世界線に移動したので、それ以前の状況(正確には2010年8月21日以前の状況なのだが、これについては後述する)は観測不能な可能性世界として考えるしかない。一応ダルに確認したところ、この世界線上の"その俺"は、血だまりの中の紅莉栖を見て、そのまま逃げるようにラジオ会館を出て、ラボに戻り、面倒に巻き込まれるのは避けた方がいいんじゃね?というダルの意見で、事件現場に居合わせたことは秘密にしていたらしい。そいつはα世界線へ移動せずβ世界線を生き続けて2011年7月7日に俺に上書きされたと想定できる可能性の存在である。

 俺が言っている"最初の俺"は、この俺がかつて経験した2010年7月28日の姿とイコールと見なしてよい。"最初の俺"は"俺の体感として最初の状態の俺"とほぼ同一世界線の住人だ(多少の誤差はあると思われる)。そもそも"最初の俺"はラジ館屋上にタイムマシンが到着した時の振動や、タイムマシン本体と鈴羽(今思えばあれは鈴羽だった)を確認しているし、15分前に"俺"に会ったという紅莉栖とも話をしている。だから"紅莉栖救出のためのタイムトラベル"という事象自体は"最初の俺"の観測によって確定している。ついでに一度わざと紅莉栖と接触することも確定している(この接触が収束事項であることは既に判明している)。この因果関係によって"最初の俺"は、"α世界線から戻ってきた俺"と同一個体であることが確定するが、しかし大事なのは、それぞれ"別の観測点"となっていることだ。

 また、"最初の俺"は"未来の俺"の常軌を逸した叫び声を聞いている。あれは他でもない、紅莉栖を殺害した時の俺の声だった。これを聞いていなければ俺が紅莉栖の死を確認しに階段を上ることはなく、確認できないのでDメールを送れず、α世界線へ行くこともなく……となってα世界線から戻ってくる俺の存在の因果が破綻してしまう。つまり"最初の俺"は"紅莉栖を俺が殺害する"という事象も"観測"済みであり、その"観測"によって"紅莉栖の死"は確定した因果律に組み込まれている。そう、だから俺は何度やっても無駄だと判断していた。



 だが、それでいい。



 その"観測"は、所詮"別の観測点"の話に過ぎない。


「オ、オカリンさん。落ち着いてよ」


「クリスさんを呼んで来ましょうか?」


 いや、いい。あと少しだ。

 あと少しで、何かが見えるはずなんだ。


 まず、次のことが言える。

 "最初の俺"が持っている、"α世界線へ旅立つ因果"は変えられない。なぜなら紅莉栖救出のために舞い戻った"未来の俺"を"観測"しているからだ。

 だがそれは、それだけのことだ。

 世界は所詮、主観に従属する。

 現代物理学は既に、この世界の真の姿があやふやで、究極まで突き詰めれば確率の雲の上に成り立った情報の集合体であることを解き明かしている。

 すべての事象は解釈なしには成り立たない。重要なのは、どう解釈し、どうそれを利用するか。



 ―――ふと、牧瀬紅莉栖の姿が脳裏をよぎる。なぜか歯車に腰掛けたイメージが再生された。



 ……逆に言えば、解釈することそのものが世界を認識する手段、観測のための必須要件ということだ。解釈の出来ない者は、観測者たり得ない。

 "最初の俺"がβ世界線の収束、"紅莉栖の死"を"観測"したところで、それは"別の観測点"からすれば"解釈の誤差"である可能性がある。言い換えれば"紅莉栖の死"という事象が発生する必然性はない。むしろ必然性があるのは、"α世界線から戻ってきた俺"による"観測"の方だ。これがなければ俺が今存在する因果が破綻する。俺の主観で言えば、この世界は紅莉栖の選択のおかげで存在しているのだから。だが、それはあくまで"俺の主観"で言えば、だ。



 そもそも。

 "最初の俺"は紅莉栖を検死でもしたのか?

 その検死がα世界線へ旅立つための因果律に組み込まれているのか?

 答えはNOだ。

 "最初の俺"による"紅莉栖の死"の観測の必然性、それは俺自身がかつて2010年7月28日に経験した確かな記憶の中にさえ無かった。



「"最初の俺"は"紅莉栖の死"を"解釈"しただけであって、因果は確定していない……"観測"はしていないんだ……」


 そうだ。

 だが、それだけか。

 違う。

 それどころか。


「それどころか、"あの世界"は"紅莉栖の死"を"観測"していない……ッ!!」


 そうだ。"最初の俺"も含めた"あの世界"の住人の誰もが。

 あの"牧瀬紅莉栖"でさえもが。

 "紅莉栖の死"を"観測"していない―――

 当たり前だ。自分の死を観測できる人間など此の世にいない。

 たったそれだけのことだ。

 ならば。

 二つの観測点に認識のズレを生じさせ。

 ここにタイムマシンを使った因果律の超越をぶちこむことができれば。

 過去を変えずに、結果を変える。



 ――世界を騙す。



 俺は居ても立っても居られなくなった。

 豹変した俺の様子に慌てふためく二人を残して、俺は研究室へと飛び込んだ。

◆◆◆




「……実に興味深い仮説ね」


 クリスが俺の推論を冷静に判断し感想を述べた。

 専用のデスクに腰掛け、紙コップに入ったアメリカンコーヒーを一口すすっている。


「人間の脳の仕組みと形而上のアトラクタフィールド理論をリンクさせる……。リーディングシュタイナー観測点が二箇所以上存在する場合、因果律は確定していない……。まるで波動関数」




 同一人物による異時間同位体の場合もこれに当てはまる。

 リーディングシュタイナー観測点が一箇所しか存在しない場合、脳の構造上、認識=観測となってしまうが、二箇所以上存在するならば認識に誤差が発生し、全く同一の観測は不可能となる。

 それはまるで時計盤上の短針と長針のように……。二つの針が指す時間の概念が異なっているかのごとく。観測者しだいで歪みを見せる。
この、一見当然すぎる脳の仕組みを利用する。

 結果的に二つの観測点のダイバージェンスに大きな数値的な差が生じる場合、観測事象の因果は通常の因果律の環から大きく外れる。因果律が成立する因果を考える、というメタ視点に立った考え方だ。この法則によって過去を変えずに結果を変える、つまり世界を騙すことが理論上可能となる。

 2010年7月28日には、"最初の俺"を含む"牧瀬紅莉栖が倒れている"ことを確認した数人が存在する観測点と、"未来から来た俺"という観測点の二箇所が存在している。これは確定事項だ。だから、これを利用すればいい。






 その前にこの理論を使って、かつてのβ→α移動、秋葉原集団消失事件(という俺の勘違い)を誘発した因果律超越Dメールの因果について、このホワイトボードに書き出し図式化してみよう。あの時俺が鈴羽の言葉を信じて実行したことを、今の俺なら説明できる。

 「→」記号は、左の事象を因とし、右の事象をその果とすることを示している。これは時系列は関係なく、また主体の表記を一部省略している。



「紅莉栖の死の観測(β世界線)」→「慌てた俺がダルにメール送る」→「Dメール送信」→「エシュロンに捕捉」→「DメールがSERNに解析される」→「SERNが俺たちに目をつける」→「FBを通してラウンダーに指示が飛び萌郁の襲撃」→「タイムリープマシン&牧瀬紅莉栖強奪」→「SERNの研究が発達」→「ディストピア形成」→「鈴羽の不完全なタイムトラベル」→「ラジ館にめり込む」→「記者会見が無くなる」→「紅莉栖の生の観測(α世界線=まゆりの死の収束)」



 ともかく間を全部すっとばすと、「紅莉栖の死の観測」を原因として、「紅莉栖の生の観測」が結果として生じていることがわかる。この場合の「紅莉栖の死の観測」において、確認はしていないが実際に死んでいたことが収束として確定している。また、因果の最中に牧瀬紅莉栖が生きている必要があるものが存在するが、これはα世界線の因果律の話であり、時系列的にズレた因果によって再構成されるものなのでここでは問題ではない。

 この通り、結果論ではあるが、この因果律は二箇所の矛盾した観測点によって成立しており、すなわち通常の一箇所の観測点からの因果律を超越してしまっている。この図はつまり、α世界線における因果律成立のための橋渡し的な因果である。



 再構成されたα世界線の因果律を破壊するにはどうすればよかったか。IBN5100によってクラッキングをしかけ、SERNの研究をボコボコにしてやればよかった、それによって紅莉栖の死を確定させればよかった、というわけだ。

 α→βの移動に関しては、α世界線内でエシュロンに捉えられていたDメールを削除したことによってSERNの研究がディストピア完成レベルまで達成されることを阻止したことがトリガーだ。おそらくあの時俺がエンターキーを押した瞬間、ダルの手によってSERNのタイムマシン関連データは壊滅的なダメージを与えられることが収束事項として因果の上で確定した。これによって"時系列的にまだ達成していなかった因果の連鎖"が消滅したため、α世界線内の因果律が自己矛盾を起こし、α世界線への橋渡し因果律が崩壊し、元のβ世界線の因果律へと戻った(なぜなら、ディストピアができず鈴羽が不時着せず紅莉栖が死ぬため、SERNの"タイムマシンの母"となる研究員が存在できず……という感じで因果の連鎖が崩壊したためにβ世界線の収束範囲に捕らえられたからだ)と言える。つまり、観測点の現在を変えるだけで、過去を変えずに結果を変えた。

 世界を騙したのだ。この時、まゆりの死という収束事項も同時に消滅した。


 だが、何故これができたのか。鈴羽の助言があったからだ。ではその鈴羽に助言を与えたのは誰だ?そいつに出来て、この世界線上の俺たち未来ガジェット研究所に出来ないことはないはずだ。ならば、俺たちだってこのβ世界線から抜け出す方法を考案することは可能なはずだ……!

 俺は既に一度、「元の世界線の収束範囲に戻る」という消極的な形ではあるが、世界を騙している。これの逆転の発想だ。橋渡しの因果を壊すことが可能ならば、橋渡しの因果を作ることも可能だ。これによってβ世界線から脱出できる。これを応用し、β世界線観測もα世界線観測も成立しない、狭間の世界線、『シュタインズゲート』の観測を行えばよい。


「こういうのを考えるのは私より紅莉栖……あの娘の方が断然得意なんでしょうけど」


 俺は紅莉栖救出失敗後、もう何度やっても無駄なのだと思っていたが、そうじゃない。方法が間違っていただけなのだ。無理やり牧瀬紅莉栖を救おうとしたところで「紅莉栖の死を"認識"した"最初の俺"」という事象は収束をする。通常のβ世界線の因果律、そしてβ世界線のアトラクタフィールドには抗えず、結果紅莉栖は死ぬ。紅莉栖救出計画を実行しなかった可能性世界(この場合俺はα世界線へ行っていない)では恐らく牧瀬章一が殺害することになっていた事象(観測できないので不明)を、この俺が引き継いだに過ぎなかったのだ。



 一応言っておくが、シュタインズゲートに到達するのは"この俺"ではない。

 今いる世界線の俺は未来永劫"紅莉栖の生"を観測することは有り得ない。つまり、この俺はリーディングシュタイナーを発動してシュタインズゲートへと世界線移動することはない。そもそも今いる世界線の俺がリーディングシュタイナーを発動する可能性のある2036年には既に俺は死亡しているためシュタインズゲートへの世界線移動を行うことは不可能だ。過去に死亡した人間を過去改変によって再構成し、あたかも生き返ったかのように観測することが可能なのはリーディングシュタイナーを発動した生きている人間だけであって、俺自身が死亡する今回のケースは、2025年から2036年までに俺の記憶が存在しないため、この記憶は世界線移動をしない。ないものが移動できる道理がない。よって、シュタインズゲートに存在している俺が2036年時点でリーディングシュタイナーを発動することはない。

 また、2025年のDメール送信での世界線移動は有り得ない。後述するが、この際のDメール送信によって生じる結果は既にこの世界線上で発生しているため、過去改変が行われず、ダイバージェンスが変動することにはなく、リーディングシュタイナーは発動しない。

 何より必然なのだ。この世界線は、"あの時の俺"がシュタインズゲートに到着するための、必然の歯車なのだ。この世界線で俺たちがシュタインズゲートを模索する限り、この世界線は"なかったことにしてはいけない"。


「ゲーデルの時間的閉時曲線ね。未来の行き着く先が過去につながっている。だけど、牧瀬紅莉栖の救出に成功した場合、必然的に今いるこの世界線は"なかったこと"になるわ。逆説的に救出は無理ということになる」


 そうだ。だがそうじゃない。かつて俺が経験した紅莉栖の救出失敗によって今いるこの世界線の因果が成立していると言うに過ぎない。

 つまり、どのみち"俺"は一度紅莉栖を殺す……紅莉栖の救出に失敗しなければならない。これは確定事項だ、絶対にひっくり返ることは無い。


「一度わざと救出に失敗させるってことね。だけど、それだと私たちが何をしたってまた同じ轍を踏むことしかできないわ。だってあなた、鈴羽さんに促されても、二回目のタイムトラベルを行わなかったんでしょ?」


 そうだ。だから、オペレーション・スクルドだけでは全く意味がない。

 これでようやくまゆりの言う"彦星"とつながった。あのまゆりのメールのこの世界線における意味が、ようやくわかったぞ……。



 結局、まゆりの選択は、俺たちに反撃の機会を与えるための最重要ターニングポイントだったのだ。

 俺はどこかで、あの時まゆりが居なくならなければよかったと恨み言を抱えている節があった。だが、それは違うぞ"岡部倫太郎"。

 まゆりの選択は、間違ってなどいない。むしろ正しすぎるくらいだった。

 これが、『シュタインズゲート』の選択なのか……。

◆◆◆





 俺がフブキとかがりとの会話から思いついたオペレーション・スクルドの作戦自体はそこまで難しい話ではない。非常に単純だ。

 オペレーション・スクルドの要点をまとめると以下の三点だ。紅莉栖の死の偽装、論文の抹消、そして作戦終了後、元いた8月21日へと戻ることだ。だが三点目についてはそこまで深く考える必要はない。あくまでクリアーしなければならない条件は前の二つだ。



 第一段階として、二回目の救出作戦において、確定した過去を変えないまま、牧瀬紅莉栖の死の状況を偽装し、"牧瀬紅莉栖の死の回避"を確実に観測すればいい。

 2010年の時点であれば、アトラクタフィールドは分岐しようとしているだけであって、分岐しきって互いに因果を結べないほどに不干渉状態に陥っているわけではない。まず2010年であることが大前提となる。これによって、β世界線のアトラクタフィールドの干渉を受けない世界線、シュタインズゲートが想定される。

 確定した過去を変えないことについては既に散々説明したな。まぁ、一回目の救出に失敗した直後の俺なのだ、その再現はほぼ完璧に実行可能と判断される。

 これによって"最初の俺"に"紅莉栖の死を認識"させ、かつあの世界の"紅莉栖の死の観測"を"紅莉栖の死の回避"に塗り替えてしまえばいい。確定した過去を変えずに結果を変える。

 一回目の救出作戦では死の偽装を用いても無駄だ。たとえ死を偽装し、"最初の俺"を騙してα世界線へ見送ったところで結局β世界線のアトラクタフィールドの収束のために紅莉栖は死ぬ(α世界線のまゆりの時のように24時間ずれる?)。鈴羽にもかつて言われたが、ラジ館から紅莉栖を連れ出しても無駄なことは確定している。今俺がいる世界線で死を観測したからだ。

 一回目の救出作戦で"紅莉栖の死の回避"を観測できない(不可能であり、またしてはいけない)のは、今俺たちがこの世界線で計画している作戦こそが"紅莉栖の死の回避"の観測に絶対に必要となるからだったな。

 ならば、俺の記憶にまだ存在しない、"β世界線へ戻ってきた後に紅莉栖救出へ一度失敗した俺"が二回目のタイムトラベルによって"紅莉栖の死の回避を観測する"という事象が起これば、シュタインズゲートへ行くかどうかはともかく、世界線移動自体は可能となる。

 もう一度言うがその理由は、今俺がいる世界線からの因である、まゆり&鈴羽によるタイムマシン作戦、オペレーション・スクルド、そして今製作中のタイムマシンの時間遡行が完璧に行われるという、"因果律崩壊のための因果"が成立しているからだ。



 それについて説明する前に、作戦の簡単な流れを説明しよう。

 "最初の俺"が観測したのは、"血(のように見えた赤い液体)の上にうつ伏せになり意識がない紅莉栖"であって、"紅莉栖の死"ではないのだから、その状況をラボにあったサイリウムセイバーなどを使ってセッティングさえすれば"最初の俺"はめでたく勘違いし、Dメールを送ってα世界線へ移動する。

 一方、そこで死の状況を偽装した張本人である"一度救出に失敗した岡部倫太郎"は当然"牧瀬紅莉栖の死の回避"を観測するので、その時点で"2010年7月28日に牧瀬紅莉栖が生きている世界線(シュタインズゲートではない)"へと移動することになる。

 ちなみに、"紅莉栖の死の回避"を観測した時点にも存在しているだろう"最初の俺(別)"は、実は直前まで居たはずの"最初の俺"とは別の存在となっている。この"牧瀬紅莉栖が生きている世界線"にいる"最初の俺(別)"も、α世界線へと旅立ち、人生で一番長く、一番大切な三週間を過ごす。



 しかし、この"2010年7月28日に牧瀬紅莉栖が死を回避する世界線"はまだシュタインズゲートではなく、β世界線上である。

 死を回避したところで24時間後に紅莉栖は死ぬことが確定しているのかもしれない。死を回避したところで、ロシアはタイムマシン関連実験を2010年のクリスマスに実行するし、レスキネンたちの陰謀も渦巻くことになる。ロシアが紅莉栖のアメリカの家にNPCを捜索しに泥棒に入ったくらいだから、仮に紅莉栖が生きていたとしても中鉢論文がロシアの手に渡った時点で論文内容が脳内に記憶されている紅莉栖は暗殺対象となるはずだ。

 結局タイムマシンをめぐって血で血を洗う争いの果てに鈴羽が紅莉栖救出のためにタイムトラベルしてくる"不確定のまま達成される因果"が存在する世界になっているはずだ。



 だからもう一手間必要だ。死の偽装の後、さらにもう一手間が必要なのだ。この順番は守らなくてはならない。

 第二段階として、中鉢の持っていた論文をロシアの手に渡る前にこの世から葬り去り、かつ紅莉栖にタイムマシン研究をさせなければ、世界のタイムマシン競争が白熱することはなく、ロシアに命を狙われることもなく、「鈴羽がタイムマシンで紅莉栖を救うために過去改変にくる」ことになる因果律が崩壊し、それによって因果律崩壊のための因果が二つの観測点(β世界線とシュタインズゲート)によって成立し、β世界線のアトラクタフィールドから解放され、ダイバージェンスは大きく変動し、紅莉栖が生きている状態を確定させシュタインズゲートへと移動することになる。

 では、どうやって中鉢が所持していた論文を消滅させるか。あの時、8月21日18時12分に、2025年8月21日から俺のケータイへと送られてきたDメール……。



『テレビを見ろ』



 たった一言、それだけだった。

 かつての俺はたしかにダルのワンセグでニュースを確認したが、だが意味を理解していなかった。

 俺が一度救出に失敗して戻ってきたあの時刻、各テレビ局のニュースでちょうどある事件が放送されていた。それはなにか?今の俺は既に穴が空くほど見ている。

 それは中鉢の亡命成功のニュースだった。いや、正確にはロシアン航空機火災事故のニュースなのだが。そこには『まゆしいの』と書かれたメタルうーぱが映っていた。



 あの時の俺もそれだけははっきり確認していた、と思う。この記憶はクリスとのカウンセリングのおかげでかろうじて思い出せている。

 だが、だからなんだと言う話だと思った。

 いいや、違う。間違っているぞ岡部倫太郎。このDメールこそが、シュタインズゲートへと到達する第二の鍵の在り処を示す、宝の地図なのだ!



 どういう因果かはよくわからないが、とにかくあの金属玩具が中鉢論文の封筒に入っていたことで、金属探知機に引っかかり、手荷物として封筒を持ち込んだため、貨物室火災に巻き込まれることなく、ロシアに利用され……今に至る。これだ。このバタフライ効果を利用して仕込みをすればいい。

 しかし、これだけは本当に、まったくもってどういう因果かわからない。

 そもそもどうしてまゆりのメタルうーぱがあの封筒に入ってしまったのか……。

 "牧瀬章一が論文の入った封筒を所持して飛行機に乗ること"は、計算によって収束事項だと既に判明している。

 ならば、何をすればいいか。収束事項でないものを探し出せばよい。

 それをここ何年もひたすら探しているのだが、ここだけがどうしてもわからないのだ。ダイバージェンスを大きく変えるような事象を計算するのは比較的簡単なのだが、ダイバージェンスを全く変化させないような事象を計算するのは、まるで悪魔の証明だ。

 そのため、ひたすら仮説を作り上げて、それが"収束事項である"と計算された場合は除外する、という行為を繰り返し、最終的に一つの可能性しかないという状態に絞るしか手段がない。

 金属探知機を誤作動させるようあの時のダルに指示するか?

 それとも、論文の中身をすりかえるか?

 いや、論文ごと飛行機を墜落させるべきか?墜落させるとしたらどのタイミングなら可能なのだ?

 もしくは、8月21日の11時頃にテロ予告を送りつけるか、実際に爆破テロを起こすことによって、飛行機に乗るだけ乗らせて国内に留まらせるか……。

 まさか、ここには収束事項以外は存在せず、第三次世界大戦へと収束してしまうのか?

 いや、そんなはずはない。なぜなら第三次世界大戦勃発は収束事項ではないこともわかっている。

 可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみること、だ。くそッ!一体、なにが―――



 ……仕方ない、ここは一旦おいておこう。とにかく、一度救出に失敗した直後の俺に、オペレーション・スクルドの指令ムービーメールを送ることでこのことを気づかせる。



 ところで、『テレビを見ろ』のDメールが一体どこから送られてきたのか。

 俺が今いる世界線ではない。だが、かつて俺が8月21日にいた世界線の延長上にある可能性世界から送られてきたのだ。

 なのでこれについては今この俺が2025年に送る必要はない。同様の理由で、このDメールだけではシュタインズゲートへの因果は成立していない。

 しかし、このDメールを送ったどこかの2025年の俺のおかげで、シュタインズゲートへの一歩は確実に踏み出されることになる。

 感謝するぞ、俺。


 仕込みの際、若干世界線は変動するだろうが、だがまだ「タイムマシン開発競争」が発生しない観測点は設置できておらず、つまり因果が確定していない。

 実際に中鉢論文が消滅するのは2010年8月21日であり「タイムマシン開発競争」が発生しない因果の観測点が設置されシュタインズゲートへの世界線変動が発生するのはこのタイミングとなる。このタイミングで橋渡し因果が完成する。

 ゆえに第三段階として、7月28日にラジ館屋上に存在するタイムマシンが死の偽装や仕込みの後、8月21日以降に時間移動する必要がある。行為としてはなんら難しいアクションではないので、鈴羽なら確実に達成してくれるだろう。



 一足飛びに話をしてしまったな。さて、このことについて詳しく見てみよう。



 その理由はなぜか。一回目の救出失敗の時とは少し様相が異なっている。なぜなら救出に失敗した後ではなく成功した後の話だからだ。

 アレがあそこにあったままではタイムマシンが何者かに発見されてしまう。また、俺が今いる世界線での2010年7月28日以降でも、タイムマシンは屋上に放置されていなかったことは確認済みなので、やはりβ世界線ではここに放置されるべきではないことがわかる。おそらく、深刻なパラドックスが発生する。

 そもそもリーディングシュタイナー観測点に紅莉栖の死を観測させてはならない。紅莉栖の死は未確定の因果として保存しなければならない。生きているのか死んでいるのかわからない、50%の可能性を保持しなければならない。

 紅莉栖の死を観測してしまえば、たとえ第三次世界大戦が起こらなくとも、それは作戦の失敗だ。紅莉栖の死を観測していない状況下で中鉢論文が消滅する必要がある。論文が消滅さえしてしまえば、β世界線の時系列的にズレた因果律が自己矛盾を起こし、"紅莉栖の死の観測の回避"および"論文消滅"が同時に観測されうる、シュタインズゲートへと世界は再構成されることになる。そのためのバックトゥーザフューチャーだ。

 α世界線のまゆり救出ではこの手法は考えることもできなかった。FG204型タイムマシンは未来方向への移動が不可能だったからだ。



 ではどこへタイムトラベルすればよいか。

 シュタインズゲート観測点より時間的過去では「タイムマシンが何者かに発見されてしまう」および「紅莉栖が死んでしまう」という可能性が残っているので、シュタインズゲート観測点よりも時間的未来へ向けて飛べば安全だ。搭乗員である鈴羽は俺がシュタインズゲートを観測した後、2036年に元気に暮らしているだろう鈴羽へと再構成される。

 だから"俺"は死の偽装と仕込みの後、鈴羽とともに中鉢論文消滅時点へタイムトラベルすれば、タイムマシンがその時空間に到着したと同時にシュタインズゲートへ到達する。



 ここまできてようやく紅莉栖の生の観測の因果が成立する。

 オペレーション・スクルドは成功する。

 シュタインズゲートへと到達する。

 以上の事象の変更によって達成されるダイバージェンスが1.048596であることは計算によって判明している。



 シュタインズゲートへと世界線変動が起こった後、紅莉栖が俺と関係をもってタイムマシンを開発し、第三次世界大戦が勃発するのではないか、だと?すなわち、俺の今までの議論の中で設定したシュタインズゲート観測点は本当は成立しておらず、8月21日以降もβ世界線であるのではないか、ということだな。いや、それはない。さっき計算したと言っただろう。原理としても、8月21日の時点であいつは既にアメリカへと帰っている。俺と紅莉栖がめぐり合うことは万が一つにも無い。

 とは言っても、シュタインズゲートは"タイムマシンが開発されない世界線"と同義ではないし、"タイムマシンを開発する世界線"は"タイムマシン開発競争が過熱する世界線"と同義でもない。何が起こるかわからない、未知の観測領域だ。

 もしかしたら、あるいは。紅莉栖と俺は、再会するのかもしれない。


「な、なるほど……。もちろん、そのためには鈴羽さんとまゆりさんがタイムトラベルを確実に成功させてくれる必要があるわ。あの時のあなたの目が覚めなければいけない」


「……いや待て。俺があの時感じた頭痛とめまいは、ただ立ちくらみではなかった、というのか……?」


 そうか、そういうことか。


「この世界線では、俺たちがあの時の二人に"Dメール"を送ることが確定しているのか……!」

◆◆◆




 後日この話をダルにもしたのだが「やっぱり二人だけじゃ成功するとは思えないからDメールを送ってちゃんと指示すべき」と強く言ってきたので、俺たちは"織姫作戦<オペレーション・アークライト>"を考案することとなった。

 なぜこの名前にしたか、だと?俺としてはベトナム戦争時のB-52を用いた、敵の篭城する世界線を一掃し、破壊しつくすための作戦名として採用したかったのだが……。

 かがりが、自分の母親について教えてくれた。彼女は、小さい頃から短冊に『織姫さまになれますように』と書いていたのだそうだ。織姫に読ませようというのに、こんなことを書かれては織姫もさぞ失笑したことだろう。そして、彼女は子を持つほど大きくなってもそれは変わらず、いつもよどんだ空を見上げては『あの日、私の彦星さまが復活していたら、全てが変わっていたのかな?』などとつぶやいていたそうだ……。

 このかがりの話を元に、本作戦名は「空のアークライト」と呼ばれている織姫星、ベガにちなんでつけた。



 その作戦内容は既にまゆりのメールからわかってしまっている。

 "深刻なタイムパラドックス"とやらを回避する方法で、"あの時の俺"を蹴っ飛ばしてでもいいのでどんな方法をもってしてでも立ち直らせればいい。

 あの時、まゆりは俺が置いていったケータイを握り締めていた。ならば、タイムマシンに乗った方のまゆりは、自分のケータイから俺に電話を掛ければ過去のまゆりと対話できるはずだ。



 何度か実験して確信したのだが、Dメールを送ることによってこの俺がβ世界線からα世界線へと大幅に世界線移動するという危険性は全く無い。

 2011年7月7日へDメールが到着したところでミスターブラウンは我々未来ガジェット研究所側に付くことが確定しており、またSERNが頭一つ抜けるような研究状況でもなくディストピアは形成されず鈴羽がタイムトラベルしてラジ館を破壊し中鉢の記者会見を邪魔することもないので、皮肉にも安心してDメールを送ることが出来る、ということだ。

 俺があの時見送った鈴羽のケータイにはオペレーション・アークライトを指示するDメールがあったのかも知れない(あの立ちくらみは世界線変動であったかもしれない)という不確定要素があるため、ダルの提案は実行せざるを得なかった。この実行せざるを得ない状況のために、俺があの時、時空の彼方へ見送った鈴羽のケータイにDメールが来ていたことが確定される。

 このDメールの送信と受信の両観測点には世界線的連続性があるため、またDメール自体は世界線を移動できないので、今の俺たちが将来的にDメールを絶対に送ることを決意した時点で、Dメールが届いていたことが確約される。結果的にあの立ちくらみは世界線変動を感じ、リーディングシュタイナーが発動した結果だった、ということが判明する。



 俺がα世界線でいやというほど経験したDメールによる世界線移動とは今回は様相が異なっている。

 α世界線での世界線変動の経験の場合、Dメールを"送信した記憶"を持つ存在はリーディングシュタイナーを持つ俺一人だ。"あるDメールを送信した記憶"の観測点と、"そのDメールの受信"によって改変された世界線には連続性はない。

 しかし、今いる世界線は、言わばDメールを鈴羽が"受信"した変動後の世界線なので、"将来送信すべき観測点"と"受信後の今"には連続性がある。故にDメール送信時点での世界線変動は起こらない。



 たしかにあの時Dメール受信によって世界線が変動した。

 だがこの時俺の中で、再構成された世界と、俺の過去の記憶との間に齟齬はなかった。

 いったいこのDメールでなにが変わったのか。

 過去じゃない、未来が変わっていたのだ。

 いや、少し語弊があるな。ただしくは、因果を変えたことによって世界線変動を誘発させた、というべきか。

 因果律的には原因が変わっており、これが時系列的にズレた因果律のなせるわざである。

 まゆりと鈴羽の主観からすれば、二人があの時の俺の目を覚まさせるために時間跳躍をしようと決意し、行動し、ある結果を生み出したことによって、俺たちがあの時にDメールを送らざるを得ない状況を生み出したため、Dメールを受信。結果、その受信時の観測点が今俺がいる世界線と繋がるように感じるはずだ。

 これがあの日あの時、タイムリープ前の2011年7月7日に俺が感じた世界線変動だ。



 オペレーション・スクルド用のDメール(ムービーメール)の場合も同様である。後述するが、オペレーション・アークライト成功後の観測点と、ムービーメールを送信する今いる世界線上の未来の観測点とは連続性があるので、ムービーメール送信による世界線変動は起こらない。



 この二つのオペレーションを、2011年7月7日時点の鈴羽と、オペレーション・アークライト成功後の時点である2010年8月21日時点の俺に伝達するため、電話レンジ(仮)の改良に取り組むこととなった。

 そんなわけでまたダルを東京から呼びつけ、この地下基地で篭ることとなる。

◆◆◆




「んで、どうして今いる世界線と、オペレーション・アークライトが成功した後の世界線とが連続性があるん?そうじゃなかったらオペレーション・スクルドが発動しない件」


 時系列のズレた因果律。

 過去改変後の世界線。

 ケータイのメール。


「いや今北産業じゃなくていいっす」


 俺が今いる世界線は時系列のズレた因果律の影響でオペレーション・アークライトが成功することが確定している、あるいは保証された世界線だ。

 だから、まゆりたちのタイムマシンがどの世界線の2010年8月21日に到着しようとも、アークライト発案に至った因果律のために、必ず俺が一度紅莉栖救出に失敗している世界線の8月21日へたどり着く。それは今俺がいる世界線とほとんど近接した世界線のはずだ。

 オペレーション・アークライトの成功、つまり"俺"を目覚めさせることに成功した時点で、その"俺"は、俺が今いるこの世界線上へと導かれることになる。言い換えれば、"紅莉栖救出に失敗した直後の俺"が「オペレーション・アークライト成功を観測すること」は、因果律の影響で「"今俺がいる世界線"、すなわち"完璧な電話レンジ(仮)&タイムマシンが作られる世界線"を観測すること」と同義となり、そのためにオペレーション・アークライト成功後の2010年8月21日時点で"紅莉栖救出に失敗した直後の俺"にとっての世界線移動が発動する。

 これによって、"俺が今いる世界線上"へと導かれた"俺"と、今後Dメールを送信する観測点とが世界線的に連続性を持つという、この理屈が成立して初めてオペレーション・スクルドは成功する。

 故に"俺"というリーディングシュタイナー観測点が、"今俺がいる世界線に移動してきた時点(=オペレーション・アークライト成功時点)"でDメールは確認可能となるわけだ。



 なぜこのことに気づいていたか、だと?その答えは今俺が持っているこのケータイにある。新しい方のスマホではない。古い方のガラケーだ。

 俺は昔のケータイを解約した(ダルに代行を頼んだ)その日、解約される直前に昔のケータイの電源を入れてみた。そこにはあるものが隠されていた。その時点でそれが"何か"は察したが、どういう理屈でここにあるのかがわからず今の今まで手をこまねいていたのだ。

 いや、もう言わなくてもわかるだろう。そう、このケータイには既にオペレーション・スクルドの指令ムービーメールが受信されていたのだ。

 おそらく、ラジ館脱出計画が成功した時点で(ドタバタしていた上、電源を切っていたので正確にはよくわからない)受信していた(ように感じる現象が起こった)のだろう。

 なんだか不思議な気がするが、考えてみれば当然のことだ。俺が今いる世界線の過去方向に存在している、オペレーション・アークライトによって俺が今いる世界線へと移動してきた、2010年8月21日の"俺"を、俺が今いる世界線とは別の世界線("最初の俺"がいた世界線)へと飛ばすきっかけとなったムービーメールなのだからな。今俺の手元にあって当然だ。



 もちろん見ていない。チラッとだけみて存在は確認したが、送信日時や件名、アドレスも見ていない。

 いや、実際には見たのだが一瞬だったので全く思い出すことが出来ない。これを見たら「タイムトラベラーが過去の自分と鉢合わせする」のと同様(同様と言っても時系列的には因果がズレている)、確定した過去の改変という重大なパラドックスを起こしてしまう可能性がある。



 ムービーメール送信によってβ世界線からα世界線へと大幅な世界線変動が発生することはない。

 どうして当時のエシュロンに捕らえられるであろうこのムービーメールが世界線変動を引き起こさないか、だと?

 それはズレた議論だ。俺がかつてα世界線へと移動したのは"紅莉栖の死を観測した後Dメールを『送信』したため世界線が変動するが、その『送信』のために巡り巡って紅莉栖の生を観測するのでβ世界線の因果律が自己矛盾を起こし崩壊することでα世界線の因果律が再構成されため"であるから、このムービーメールは"紅莉栖の死の観測"以前に『受信』されればなんの問題もなくβ世界線のままを保持できる。

 要は"紅莉栖が死ぬ"ことが"観測"された後でDメールを送って"紅莉栖が死なない"ことが確定したためにα世界線へ変動したのであって、まだ死んでいないならムービーメールを受信しても問題ない。

 このムービーメールの受信という過去改変によって紅莉栖の生が観測される世界線へと改変されることは、そのメールの内容からして有り得ない。ゆえにこのムービーメールは俺が今存在する世界線と全く同一と想定できる世界線へと受信され、その状態が保持される。

 この点に関してはダルがフェイリスに雷ネットで勝てなかったDメールの状況と似ている。この時は僅かに世界線が変化したため送信履歴からDメールが消えたが、今回のムービーメールの場合は当然受信時に結果が変化しないので送信後の2025年にも送信履歴は残ることだろう。

 ムービーメール自体に過去改変能力があるのではない。あの時、8月21日に一度救出に失敗して戻ってきたタイムマシンに、もう一度往復する能力があることによって間接的に過去改変が達成されるのだ。



 もう二つヒントがあった。"最初の俺"が受信したノイズまみれのムービーメールと、α世界線上で受信した文字化けメール。これらはつまり、かつて他の世界線の未来の俺が送ったムービーメールの成り損ないなのだ。

 ノイズまみれのムービーメールの送り手は誰か。そいつは紅莉栖の死を観測したにもかかわらず電話レンジ(仮)の改良に成功せず、中途半端なノイズまみれのDメールしか送ることができなかった俺だ。

 可能性世界の話になってしまうが、例えば俺が2011年7月7日にラジ館屋上で逮捕されてしまう世界線では電話レンジ(仮)の改良に成功しなかった、ということだろう(この可能性世界線はクリスのタイムリープによる過去改変の結果"なかったこと"になっている)。

 α世界線の文字化けメールは、まゆりの死を観測したにもかかわらずそれを受け入れ、SERNに拘束された紅莉栖を救うべくレジスタンス組織ワルキューレのリーダーとなった俺からのDメールなのだ。

 β世界線でもα世界線でも7月28日にDメールを受け取っていたことから、この"Dメールを送る"という事象自体はβ世界線のアトラクタフィールドでもα世界線のアトラクタフィールドでもどちらにおいても収束範囲だと推測できる。

 いや、違うな。7月28日12時26分の時点では"Dメールを受け取る"という事象がよりマクロな収束が発生しているのだろう。このDメールがβ世界線からα世界線に世界線移動する、といった因果律の崩壊に影響しない理由は既に説明したから省略しよう。

 結局、どうあがいても33歳の俺はDメールという形でなんらかの過去改変を試みるわけだ。まぁ、逆に言えば、これらの成り損ないメールのおかげでオペレーション・スクルドの立案計画に突入できたのだから、ある意味これらも因果として必然と言えるのかもしれない。



 以上のことからオペレーション・スクルドの指令ムービーメールは2010年7月28日12時26分へ向けて送信することにする。



「なるほどー。だいたいわかったお。だけど……」


「そうね、オペレーション・スクルドの第二の条件。"論文抹消"についてなんとかしないと、ムービーメールを送っても意味がないわ」

 
 そうだ。そこなのだ。これをなんとしても2025年までに解明しなくてはならない。一刻も早く計算式を―――


「オ、オカリン。顔がやばいって」


「岡部さん、疲れたでしょう。もう遅いし、ゆっくり寝た方がいい。続きはまた明日にしましょう」


「……む。もうこんな時間か」


「あと少しなのはわかる。だけど、研究者は体が資本でもあるんだから」


「うむ……。二人とも、付き合わせてしまってすまない」


「そうだおオカリン。僕を見習って健康を意識した方がいいのぜ?」


 寝言は寝て言え。

 俺はクリスになだめられる形で自室へと向かった。



 しかし、すぐには寝付けなかった。あまりにも頭が興奮していた。

 

 ……この世には、絶対不変の真理などというものは存在しない。

 どれだけあがこうと、努力だけでは変えられない壁など、ありえない。

 故に俺は妥協せず、諦めず、己の信じた道を突き進む。

 だから、忘れてはいけない。己の心の中に、自分だけの運命石の扉<シュタインズゲート>があることを。

 あと、一歩なんだ。もう手を伸ばせば手が届くのに。

 いったい、扉を開く第二の鍵はどこにある……。



 そんな考えばかりが目蓋の裏でぐるぐると回っていた。



 ――だから、眠りが浅く、あんな夢を見たんだと思う。



◆◆◆
































 ま、まぶしいっ!

 いったいどぅわれだ!ラボを白一面に塗り替えたのはッ!


「やっほ。岡部。久しぶり」


 ぬぁんだクリスティーナであったか。おどかすでない。


「だからティーナをつけるな!って、大しておどろいてないじゃない」


 ん?なにがだ。


「だって、私が存在してるのよ?不思議じゃないの?」


 ぬぁにが不思議なのだぁ。

 貴様が居なければタイムリープマシンの開発にも成功せず、β世界線へ戻ることもない。

 至極、居て当然ではないかッ。

 むしろ貴様の方こそこんなところでなにをしているのだ、助手ぅ。


「助手ってゆーな。なによ、せっかく人が心配して来てあげたのに……。あ、いや、心配はしてないけどっ」


 ん、違うな。間違っているぞ、天才HENTAI少女。

 β世界線なのだから、紅莉栖の死は収束しているに決まっているだろう。


「HENTAIゆーなっ!」


 待て。

 待て待て。

 何かがおかしい。

 一体、なにが―――

               



            オレガ……コロシタ……
                

                               ムダナンダ……ナニモカモムダナンダヨ……



                  アアアアアアアアアア――――――――!!!!






 あ、頭が。くそっ、なんだ、記憶が混濁しているのか?



「しっかり思い出して。あなたはどの"岡部"なの」





            女を犯したって、なかったことにできる


  ラボも仲間もなくなったが、フェイリスだけはいてくれるから、寂しさだって紛らわせるだろう


                                       俺は、お前を男には戻さない  


    このガキは俺のことを"殺さない"んじゃない。"殺せない"んだ


                       誰よりも大切な女性のことを、忘れたりしない


     このラボに……4人目のラボメンなんて……いない……


             俺とまゆりは付き合い始めた。まゆりもまた俺のことを大好きだと言ってくれたから






「岡部?大丈夫?」                    



 オカベ……おかべ……"岡部"……?

 その呼び方で呼ぶな。

 その呼び方で俺を呼ぶ人間は。

 ……もう此の世に居ない。



「じゃぁ、あなたは誰?」





            オカリン                    オカリンさん
   
                    岡部さん

         キョーマ

                                 おか…凶真さん

        
               岡部くん 
       
                             岡部






 違う。俺は。





             狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院ッ!凶真だッ!






 俺は……俺は、"鳳凰院凶真"だ。

 あの時、紅莉栖を救出できなかった。

 そしてこの手で刺し殺した、その俺だ。


「戻ってきたみたいね、記憶」


 あぁ、戻ってきた。

 だが、お前はいったい―――





「助手、後は俺が代わろう。貴様は引っ込んでいろ」


「なっ、久しぶりに会ってそれか……。って、そうでもないか」


「いや。俺にとっては7000万年振りだ」


「は、はぁっ!?またわけのわからないことを言って……」


 お、おいおい。ちょっと待て。

 "俺"が目の前に、いる、だと!?

 しかも、突然歯車を模した円卓が登場した……。どんな手品だ!?


「何をしょぼくれているのだ。貴様、それでも"鳳凰院凶真"か?笑わせてくれる」


 いったい、なにがどうなって……。



「ここは貴様の脳から発せられている信号によって形成された世界だ。それはつまり、すべての岡部倫太郎の可能性の束だ」


 なん……だと……?


「とにかく時間がない。今、お前が知りたい"凶悪な真実"は、いったいなんだ」


 お、俺が知りたい、真実……?

 それはもちろん。第二の鍵だ。

 シュタインズゲートを開くための、第二の鍵だ。


「そうだったな。では、これよりその鍵を見つける方法をお前に教えてやる」


 なに!?知っているのか貴様!?


「だが、鍵を見つけるのは俺でも、お前でもない。"もう一人の牧瀬紅莉栖"だ」


 い、いったいお前はなにを言っているんだ……。


「時間がないと言っている。いいか、俺はお前に方法だけを教える。そうしなければ、因果が狂ってしまうからな」


 ……?


「よく聞け"鳳凰院凶真"。これからお前に、シュタインズゲートへの鍵を探す方法を教える―――受け取れ」


 なんだ、これは。


「なんだ、とはなんだ。知らないはずがないだろう。緑のうーぱキーホルダーだ。かがりの、大切なお守りだ。早く受け取るがいい」


 なぜこれがここにある……。

 まさか、シュタインズゲートを開ける鍵のキーホルダーだとでも言うのか?

 やはり、どうみてもただのうーぱ―――



 ……!?


 と、突然、頭の中に情報がッ!?

 な、なんだこの記憶はッ!?


「記憶ではない。知識だ。鍵を探す方法、という知識だ。俺がエデンの園より持ち帰った、知恵の樹の実だ。それを、かがりのお守りの力を利用して、貴様の脳内に直接送り込んだ」


 は、はぁっ!?こいつ直接脳内に……!


「まったく、やっぱり何でもあり、ってのはよく無いわ。この空間、いくらなんでも非科学的よ」


「だが、重要なのはどう解釈し、どう利用するか、だろ?」


「わかってる。岡部のくせに偉そうな口を利くな」


「それで、"鳳凰院凶真"よ。やるべきことはわかっているな」


 なにがなんだかわからないが……。答えはイエスだ。

 やるべきことははっきりわかっている。いや、わからされたと言うべきか。


「ムービーメールへの刻み込みの件は俺に任せておけ。これは俺の仕事だ。お前はお前の仕事をやればいい」


 そうだ。ここで俺がやるべきことはひとつ。


「じゃぁ、こっちにカメラを用意しておくから。ここに向かってしゃべれば、向こうの"私"に映像がスクリーン表示されるはずよ。既に回線はつないである」


 方法はわかった。

 ならば、あとは実行するだけだ。

 この偉そうな態度の30代のおっさんは気に入らないが……。

 いいだろう。



 運命石の扉<シュタインズゲート>を開ける鍵を―――



                                          ―――見つけてみようではないか。

   
 








                         『聞こえているな。ザ・ゴースト』










◆◆◆




「―――到達した」


 見知った天井。

 ベッドに仰向けになったまま目を覚ました俺は、寝起き様につぶやいた。

 あれは本当にただの夢だったのだろうか。

 それとも、別の世界線の記憶か。

 もしくは、世界線ではなく、もっと未知の何かの中にいたのかもしれない。

 ともかく、一つはっきりとしていることがある。

 収束事項が判明した。第二の条件が開放された。

 何故わかった。何故未来予知ができる。まるでラプラスの魔だ。

 俺は決定論者ではない。俺の理論はコペンハーゲン解釈と多世界解釈のいいとこどりをしている。

 だが、不思議と確信があった。これは、間違いなく。





 ―――夢じゃない。



◆◆◆




「シュタインズゲートを開ける鍵を見つけた、ですって?」


 腕組みをしながら半信半疑で聞き返してくるクリス。

 そうだ、研究者たるもの、何事も信じながらも疑わなければならない。


「早く教えてほしい件」


 まぁまて、お前ら。そう慌てるな。

 いや、焦っているのは俺の方か。

 結論だけ言おう。

 2010年7月28日。

 すべての始まりであり、すべての終わりであるあの日。

 そこに束ねられたいくつもの運命。

 だが、科学には例外が付き物だ。

 収束事項の数少ない例外、それは―――




「うーぱだったんだッ!」




 ・・・。




 ま、待て。ちゃんと説明するから、そんなゴミを見るような目線をやめろ。

 俺はみんなに夢で見たこと、そして夢は夢ではなくリーディングシュタイナーによる世界線超越領域に保存された記憶の集合体であった可能性。そこで理解したムービーメールの真の目的を話した。


「あるあ……ねーよ。リーディングシュタイナー便利すぎワロタ。それ全部事実だったらオカリン、ラノベ作家になれるお」


 クリスも未だに疑っているようだ。そりゃそうだ、原理が解明されていないのだから。

 ムービーメールの真の目的である"無意識野"への刻印。これについても、原理はともかく、あの記憶領域を利用した実行は可能だ。


 少し、このことについて説明しよう。

 リーディングシュタイナーについて俺は長らく大きな誤解をしていた。自分の経験から、リーディングシュタイナーは「世界線変動の原因となる行動を行った世界線でのそれまでの記憶を、世界線変動後の同じ時刻へと持ち越せる能力」だと認識していた。事実、それがあるからこそ知りえない情報を手に入れていたり、瞬間移動していたりしたわけだ。

 そしてこれは誰しもが持っていて、個人差がある。フブキのように強く発現する人もいれば、そうじゃない人もいる。デジャブとして認識されるような、そういうものだと思っていた。

 だが違った。そうじゃない。俺はさんざん助手から言われたことを思い出した。


『だから"現在"が変わって私たちが変化したなら、あんたも変化してないと矛盾が生まれる』


『それとも、自分は観測者だから変化しないとでも言うつもり?その場合、あんたはこう主張していることになる。"自分は人間という存在ではない"って』


『そもそも、もし"リーディングシュタイナー(笑)"が正しいなら、あらゆる人間の記憶があんたの主観に引きずられてることになる』


『そんなの、無理が有りすぎる。もしそうだったら岡部は文字通り、神よ』


 その通りだ。俺は神じゃない。ゲームやアニメの主人公でもない。


『あんたの脳が、そう錯覚させているだけ』


 そうだ、その通りだ。

 俺中心の認識では、フブキだけでなく、すべての人間の"デジャブ"について説明ができない。

 α世界線で、フェイリスもルカ子も、時間経過と共に次第に思い出し、そして記憶が中途半端に混じった状態になってしまっていた。

 世界線を跨いで記憶は引き継がれる。俺だけが特別じゃない。



 つまるところ、この岡部倫太郎という人間も例に漏れず世界線が変動すれば記憶は改変されているのだ。改変、という言い方は、変動前の観測点からの言い方であって、世界線が変わればその因果律に従った記憶を所有することになるのは当然である。多世界解釈ではなく、世界そのものが塗り替えられているのだから。

 "この後"、リーディングシュタイナーは効果を発揮する。

 つまり改変後の俺の脳が、改変前の俺の脳内の記憶を、強烈なデジャブとしてまるごと受信し、かつその時所有している記憶のすべてを破棄しているのだ。

 この改変後の俺の脳と、改変前の俺の脳は異世界線同位体ではあるが、これによって結果的に改変後の俺の脳と改変前の俺の脳は同一のものと考えることができる。

 ダイバージェンスの非常に小さい世界線変動の場合は俺のリーディングシュタイナーが発動していないように感じていた。それは改変前と改変後における記憶の受信と破棄の内容の相違が小さい場合だったに過ぎない。



 一つの世界線の流れの中で世界線変動という現象を考えると、俺は他の人間より優れた能力を持っているわけではない。むしろその逆だ。

 つまり改変時点よりも過去の記憶(これは本来所有していたはずのものである)を取り出すことができなくなる、という重大な脳の記憶異常と同義なのだ。事実フブキたちは新型脳炎として診断されていた。

 俺は単にリーディングシュタイナーを持ち、かつ故意に世界線変動を引き起こす環境が整っている稀有な人間だった、ということに過ぎない。

 そのために自分のリーディングシュタイナーを誤解する形ではあっても認識することができた。もしかしたら重度の幻覚障害者や精神異常者は、俺以上に強烈なリーディングシュタイナーを持っている人間なのかもしれない。



 結局、リーディングシュタイナーは神に等しい力でも"魔眼"でもなんでもなく、それこそ新型脳炎のようなものなのだ。

 世界線が変動すれば所有していた記憶は塗り替えられるのだが、俺はその塗り替えられた記憶のすべてを消去し、すっからかんになった脳みそに替わりに変動前の世界線での記憶が詰め込まれる。

 もしレスキネンたちストラトフォーによって研究が本格化していたならば、数年のうちにその物理的・化学的なアプローチでリーディングシュタイナーを自在に作ることができるだろう。



 だが原理はよくわからない。飛行機が飛ぶ原理はよくわかってないのに計算式はある、というトンデモ科学界隈で有名な話とは別だ。



 ―――俺が見たあれは夢だったのか。

 否、夢ではなく、脳の外部の記憶領域、すなわち世界から超越した領域だ。

 おそらく、リーディングシュタイナーによってこの超越領域に記憶がバックアップされているのだ。

 まさにシェルドレイクの仮説。そうでなければ説明ができない。



「ちょ、ちょっと待って。その推論はさすがに非科学的すぎる。というか、疑似科学の代表格じゃない」


「まぁ、お前ならそう言うだろうとは思っていた。では、答えろクリス。記憶とはなんだ」


「は、はぁ?タイムリープマシンを開発した私にそれを聞く?」


「早くしろ、どうなっても知らんぞ」


「まったく……。わかった。せっかくだから詳しく説明してあげる」


 そういってクリスは、俺たちの前でかつてATF(アキハバラ・テクノ・フx-ラム)で行った説明を捲し上げた。


「人間の記憶は大脳皮質、とりわけ側頭葉に記憶される。いわゆるフラッシュメモリみたいなもの。そして、そのメモリに記憶を書き込んだり、読み出したりするのが海馬傍回」


「脳はニューロンと呼ばれる細胞の間を、電気信号が伝わっていくことで働いている。記憶というのは、つもりこの"電気信号の伝わり"のことで、この働きを制御しているのが海馬傍回ね」


「つまり、電気信号が海馬傍回を出入りすることで記憶は作られていく。この出入りパターンは既にあの娘、紅莉栖によって完全なデータ化に成功したわ」


 うむ。まったく、いつ聞いてもとんでもない話だと思う。


「次は記憶を思い出す、とはなにか。説明してくれ」


「はいはい。人間が記憶にアクセスしようとする時、前頭葉から側頭葉へ信号が行く。これがトップダウン記憶検索信号ね」


「俺たちはどうやってタイムリープで記憶を思い出している?」


「その言い方には語弊があるけど……。側頭葉に未来から転送された記憶を書き戻す過程で、一緒にコピーした擬似パルスを前頭葉の方に送り込めば、記憶検索信号はちゃんと働く」


 これは牧瀬紅莉栖が確信をもって説明してくれたことだったな。

 そして同時に、助手はこうも言った。




『結局は"意識はどこにある"という問題に行き着く』




 助手との議論の結果、やってみなければわからない、という話で落ち着いたのだった。


「だが、本来記憶は非常にアナログなものだ。デジタルデータと擬似パルスだけでどうしてタイムリープが可能なのか、どうして"Amadeus"はあのように機能したのか。その原理はどうなっている?」


「……不明よ」


 そうだ、結局ここの原理は不明なのだ。

 だが、それでも結果は観測されている。

 様々な実験の結果、俺たちは次の推論を立てることが可能なはずだ。

 つまり、デジタル化したところで"アナログな部分が機能している"。

 いったい、どうやって?

 脳の外部に記憶のバックアップシステムが存在するとするならば、これを説明することが可能だ―――




「そ、そんなのありえない!」


 ほう、確認もしてもいないのに否定するのか。

 現実に起きていて、いまだ解明されていない現象。

 例えば、幽霊。


「そんなオカルトと一緒にしないで!紅莉栖の研究は、ちゃんと科学的手続きを正当に踏まえたもので……」


 お前が切り抜いていたタイムマシン関連の記事、その大半はオカルト雑誌だったな。


「……たしかに、タイムマシン関連の現象がオカルト記事になることを私たちは知っているけど」


 オカルトだからと言って思考停止か?

 "そんなことじゃ、真実には絶対にたどり着けない"


「……それ、あの娘の言葉ね」


 リーディングシュタイナーもタイムトラベルもトンデモ科学ではない。少なくとも、現時点では。

 充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。


「……クラークの三法則」


 質問を変えよう。




「魂はどこにある?」




「!?」


「突然宗教の話になったお……gkbr……」


 一般的には、生きているものの内部にあるとされ、死によって外部へと移動すると考えられている。

 それは、なぜだ。魂とは、なんだ。

 イタコはどうやって死者の魂を口寄せしている?

 ツングース族はどうやって自分の魂を生きたまま取り出し、精霊の世界を旅してそのメッセージを現世に伝える?

 バリの"選ばれた少女"はどうして習ったことが無いダンスを踊ることができる?

 神がかりとはなんだ。瞑想とはなんだ。トランス状態とはなんだ。

 預言とはなんだ。憑依とはなんだ。どうして「自分じゃない」ものが脳内に存在する?

 死後の世界とはなんだ。天国、地獄、極楽浄土、黄泉の国、冥府、ヴァルハラ、ニライカナイとはなんだ。

 前世の記憶とはなんだ。正夢、予知夢とはなんだ。虫の知らせとはなんだ。勘とはなんだ。

 デジャブとはなんだ。テレパシーとはなんだ。千里眼とはなんだ。

 どうして「知ってるはずが無い」記憶が脳内に存在する?



「……まさか、岡部さん。あなたは、魂、と認識される現象群が、外部にある記憶領域により発生している、とでも言いたいの……ユング心理学のつもり?人類は深層心理で集合的無意識を共有していて、共通した元型として表出されているってこと……?パウリ効果?シンクロニシティ?そんなの、ただの偶然じゃない!」


 さぁ、どうだろうな。それは解釈次第だ。

 魂の記憶、アカシックレコードが存在するか否か。


「証明できないからあるかも知れない、って言うの?だからといって、記憶領域が外にあるかどうかなんて、人間が人間である限り、人間が脳を使ってモノを思考する限り、人間の脳機能が生命活動に依存している限り、科学的検証は原理的に不可能よ!量子的効果を脳っていうマクロスケールで発現させるためには、シンプルな系を絶対零度近くまで冷やさなきゃいけない!そんなことしたら当然絶命するわ!」


 そうだ。証明は不可能だ。


「だが、俺たちは何度もタイムリープしているし、"Amadeus"はちゃんと機能していた。なによりリーディングシュタイナーは何度も発動している。俺だけでなく、フブキもだ」


「……!!」


 反論出来ずに地団駄を踏むクリス。

 その目には悔しさが浮かんでいる。

 俺の横柄な態度に対してか、証明できない世界に対してか。

 ……牧瀬紅莉栖という存在に対してか。

 まさか、この俺が論破する日が来ようとはな。

 結局、結果がすべてなのだ、この世界は。それが世界の仕組みなのだ。

 あとは、俺たちがそれをどう解釈するか。そうだろう。



 原理はわからない。だか俺は、現にあの夢を観測している。

 ならば、あとは俺が解釈すればいい。ありとあらゆる状況下で真であると解釈する理屈を作り上げればいい。

 それ以上に、不思議な確信があった。

 紅莉栖が、助手が。

 狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真の助手が。

 見つけてくれた唯一の答えなのだから。




「"考えるよりやってみろ"、ということですね、分かりません!ってかクリス氏、もう理屈はいいから方法を見つけるべき」


「……!!……!!」


 そうだ。案ずるより産むが易し。

 クリスが天才牧瀬紅莉栖に対して劣等感を抱えているのはわかっている。

 だが、それでいい。その人間的な執念が俺たちを正しい道に導くはずだ。

 だが、思考は止めるな。行動と同時に頭を動かし、冷静に世界を見つめろ。



 ……世界は常に俺たちを陥れようとしているのだから。

 


◆◆◆





 うーぱに仕込みをすると言っても、針の穴に糸を通すような変更を余儀なくされる。

 ダイバージェンス定理による数式の計算によってハッキリしたことだが、あの時"俺がガシャポンを回した時、最初に出てくるのはメタルうーぱである"という事象自体は収束事項だ。

 だが、それだけだ。

 ならば、"未来から来た俺"が"最初の俺"に先んじてガシャポンを回し、メタルうーぱを回収してしまえばよい。わかってしまえばこれだけのことだ。あとで計算したところ、やはりこの事象により発生する世界線変動は極小値であり、真であることがわかった。まさにここが、アトラクタフィールド理論の抜け穴、特異点、例外だったのだ。

 たったこれだけのこと……。ここにたどり着くまでの12年間だった……。

 このためだけの、12年間だったんだ……。


「ご、ごめんオカリンさん。私にもわかるように、もう一度頭から説明してもらってもいい?」


「私もそうしていただけると助かります……」


 うむ、そうだな。このうーぱを踏まえて、今一度シュタインズゲートへの道のりを振り返ってみよう。





 リーディングシュタイナー観測点の主観的時系列で考えればシュタインズゲートへの道のりはそこまで難しいものではない。
βとαの狭間の世界線と考えてきたシュタインズゲートだが、主観的時系列で言えば、β→α→β→SGという直線的な移動として捉えることができる。

 一方、俺が計画している"因果の流れ"(時系列ではない)は、現時点では努力目標だが、だいたい図のようになる。主体がいろんな人間になるなのでややこしいが、主体を考えず、ただ因果の流れだけを見てもらいたい。



「β→α→βの移動」→「鈴羽のタイムマシンが8月21日に登場」→「紅莉栖を救うことを決意」→「紅莉栖の救出失敗&オペレーション・アークライト(仮)失敗」→「なんやかんやあってイマココに至る」→「完璧な電話レンジ(仮)、オペレーション・アークライト実行、オペレーション・スクルド実行、タイムマシンを作る」→「完成したタイムマシンにより鈴羽が時間遡行に成功」→



 ここまでは既に経験し、また今後この世界線上で保証されていることだ。

 オペレーション・アークライト(仮)がかつて失敗していたことはダルから聞いた。この俺が経験した8月21日にも鈴羽を乗せたタイムマシンは別の世界線からやってきていたのだが、俺の目を覚ますことに失敗していたのだ。それもそのはずだ、まゆりは搭乗していなかったのだから。

 ……それは、俺が弱かったせいでも、鈴羽の力が足りなかったせいでもない。俺が今いる世界線を確定させるために必要な失敗だったのだ。
 
 2036年、鈴羽が時間遡行するにあたって重要なことがある。まず1975年へ飛び、その後2000年へ飛び、その後2010年8月21日に飛ぶことが必要となる。

 "最初の俺"は2000年、アメリカの大手掲示板に現れたジョンタイターの存在を知っている。そして彼は(本当は鈴羽だが)1975年でIBN5100を入手している。

 ここは変えてはいけない。これは、"最初の俺"がα世界線を漂流するのに必要な知識であるし、ドクター中鉢が『タイターのパクリ』論文発表のための記者会見を行うために必要だ。つまり、因果を成立させる歯車なのだ。

 そして一回目の紅莉栖救出直前の"俺"に、鈴羽の口から「第三次世界大戦後の復興のためにIBN5100の隠された機能が必要だ」という話を聞かせなければならない。これも確定した過去だ。それから「阿万音鈴羽」という、母方の旧姓で名乗ってもらう。これも俺がかつて経験している。

 だが、どうして鈴羽が1975年の時点でIBN5100が必要な因果となっているのか、俺にはまったく検討がつかなかった。隠された機能ってなんなんだ……?ここはいずれダルとクリスが解明してくれることだろう。


 この次からが大事だ。かつての俺が主観時間的に未体験のゾーンに突入する。



→「そのタイムマシンと鈴羽によって俺に紅莉栖をわざと殺害させる"紅莉栖の死の観測"=β世界線観測点の設置」→「今この俺がいる世界線の存在が確定」→「因果律によりオペレーション・アークライト成功」→「"俺"の目が覚める」→「世界線が若干変動(俺が今いる世界線への移動)」→「ケータイにDメールが届いている」→「オペレーション・スクルドの発動」→「再度救出へ向かう」→「紅莉栖の死の偽装」→「紅莉栖の死の回避(仮)="最初の俺"は紅莉栖の死を認識するので『β→α→β』以降のここに至るまでのすべての観測点移動の確定」→



 これによって以下のことが可能となる。



→「うーぱの仕込み」→「論文の抹消」→「紅莉栖の生の観測&タイムマシン開発競争が過熱しない因果が確定=SG観測点の設置」→



 一旦ここまで。次はこれだ。



→「因果律にダイバージェンスの大きく異なる観測点が二つできる」→「因果律超越」→「アトラクタフィールド脱出」→「シュタインズゲートへ世界線変動」



 とまぁ、こんな感じだ。

 これで矛盾した"紅莉栖の死の観測"を原因として"紅莉栖の生の観測"を結果とする二つの観測点を設置し、その因果の間にタイムマシンを利用した因果律超越を用いることでβ世界線観測点での因果律崩壊を引き起こし、世界線収束範囲を脱出、リーディングシュタイナーを発動させシュタインズゲートへ到達する、という因果の図は成立する。

 過去を変えずに結果が変わる、唯一の方法だ。



「最後の方、書ききれなくなってごちゃごちゃになってるわよ」



ええい、読めるから問題なかろう。


 リーディングシュタイナー観測点である"今の俺とそれに付随した世界"の主観的時系列で考えるならばこうだ。

 2010年のオペレーション・アークライト自体には失敗したが、2011年のオペレーション・アークライト出発には成功し(この時俺は俺とクリスのタイムリープによる2種の過去改変=まゆりと鈴羽の生存確保&ラジ館屋上からの脱出確定によって世界線移動をしている)、電話レンジ(仮)の改良に成功して、オペレーション・アークライトを成功させるDメールを送り、オペレーション・スクルドを成功させるDメールを送り、タイムマシンを作って鈴羽を送り出すことになる。


「僕、人生で二回も娘と生き別れるのかお……」


 もう一方のリーディングシュタイナー観測点(すなわち"α世界線から戻ってきた俺"とそれに付随した世界)の立場から時系列を考えるとこうだ。

 今の世界線の俺たちが作ったタイムマシンとそれに乗った鈴羽に出会うことになる世界線上に復帰した"岡部倫太郎"は、その後紅莉栖救出に失敗し、戻ってきた直後に『テレビを見ろ』Dメールを受信、次いでオペレーション・アークライトが成功。

 この二つの事象の後初めて"オペレーション・アークライトが成功した世界線(俺が今いる世界線の過去方向への延長線上)"へと世界線移動、すなわち電話レンジ(仮)が改良に成功した世界線であることが確定となるので、ノイズメール世界線から離脱し、そのタイミングでオペレーション・スクルドの指令ムービーメールの内容が確認できる状態になる(確認可能なムービーメールを受信しているケータイを所持している世界線へと移動する)ことだろう。



 まとめよう。

 技術的に電話レンジ(仮)およびタイムマシンを完成されることが可能となり、かつ周辺的な事象、すなわち資金やパーツの確保、各種実験の成功、敵対勢力からの防御、2036年時点でのラジ館屋上の空間の確保や、俺以外の主要メンバーの生命活動への危機の回避などの確保が達成される場合、先述の通り、オペレーション・アークライトは確実に成功する。

 「Dメールを受信した(と保証されている)鈴羽とまゆりが過去にタイムトラベルすること」はこの世界線上で既に達成された事実であり(実際にはその後俺自身はラジ館脱出という過去改変のために世界線変動をしたはずだが、変動後もこの事実だけは変化していないので、結局オペレーション・アークライトは成功する)、この"果"が既に確定しているため「将来的に電話レンジ(仮)の改良に成功し、Dメールを送る」という"因"も保証される。

 オペレーション・アークライトの成功が確定しているために、"紅莉栖救出に一度失敗した俺"が目を覚ますことも現時点で既に確定している。故にオペレーション・スクルドが発動することも確定する。

 指令ムービーメールによって"俺"の無意識野に"決して変えられない事象"と、"変えることのできる事象"の見極めが刻まれるので、"俺"はシュタインズゲートへと歩みを進めることが確定する。

 あとは"そいつ"の努力次第だ。




 以上の方法と理論によって、狭間の世界線、シュタインズゲートへの到達は達成される。





「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


 一同、無言になった。

 研究室は静寂に包まれる。

 理論上、シュタインズゲートに到達してしまったわけだからな。絶句するのも無理も無い。

 ……いや、そうではないな。誰もがある一つの可能性に気づいていた。


「でもさ、オカリン。シュタインズゲートって……」


「そうだ」




 所詮、机上の空論だ。

 すべては推測にすぎない。

 この理論は間違っているかもしれない。

 シュタインズゲートへの到達は不可能なのかもしれない。

 ここまでの議論は無駄だったのかもしれない。

 かつてニュートン物理学が相対性理論によって塗り替えられたように、ニュートリノに質量があったように、この理論も未知の理論によって否定しうるものかもしれない。

 かもしれない。

 かもしれない。

 かもしれない―――

 何故なら、俺はシュタインズゲートを観測できないからだ。

 だが、違う。確かに俺はシュタインズゲートを観測できない。

 だが、あの夢の中では。

 俺ではない、"誰か"がシュタインズゲートを観測した。

 いや、観測はしていない。より厳密には、シュタインズゲートへの鍵を入手し、シュタインズゲートの入り口へとたどり着いたことを観測した。

 確定しているんだ。否定は、出来ない。



「そこは、わかった。岡部さんの理論を信じるわけじゃないけど……。だけど、仮にシュタインズゲートへの到達が可能だとして……」


 そうだ。シュタインズゲートへの到達が確定していたところで。


「……そう、それは未知の観測領域だ」


 たった一枚の壁の向こうは、知らない世界線。


「……何が起こるか、わからない、ということ、よね」


「そうだ。何が起こっても不思議ではない」


「……オカリンさん、それって、もしかしてさ」


 そうだ。その世界線は、おそらく。


「……シュタインズゲートへの移動直後、収束はしないだけで、まゆりは死ぬかもしれないし、紅莉栖が死ぬかもしれない。両方の可能性もある。タイムマシンが存在しなければ、その事象は永遠に覆ることはない」


「……」




 結局紅莉栖は、俺が助けた二日後には死んでしまうかもしれない。ロシアへ亡命した牧瀬章一はおそらく身柄を日本警察に拘束されるだろうが、その後逆恨みによって紅莉栖殺害を計画し、実行し、結果ヴィクコンで研究中の紅莉栖は殺されるかもしれない。

 まゆりだって強盗に射殺されるかもしれない。車に轢かれるかもしれない。地下鉄に身体を投げ入れるかもしれない。心臓発作で倒れるかもしれない。

 俺自身だって、一週間後の8月28日に死んでしまうかもしれない。突然俺という存在がシュタインズゲートから消滅するかもしれない。

 それだけではない。世界のタイムマシン開発競争とは一切関係なく第三次世界大戦が起こるかもしれない。300人委員会の陰謀で世界人口が10億人に減らされるディストピアになるかもしれない。

 かもしれない。

 かもしれない。

 かもしれない―――

 結局、バタフライ効果によってどのような収束が発生しているかもわからないのだ。



「それに、"あの時の俺"がシュタインズゲートに到着した瞬間、こちらの主観でいうと、シュタインズゲート到着計画の最終段階である、2036年の鈴羽のタイムトラベル成功によって、因果律崩壊の因果が達成され、世界は塗り替えられる。俺たちが今いる世界線は"なかったことになる"」


 シュタインズゲート観測点からすれば、俺たちの世界線は確定した歯車のひとつでありながら"なかったこと"になる。世界は再構成される。そして、俺たちの記憶はシュタインズゲートのデジャブとなる。

 この世界線とシュタインズゲートの因果律超越因果の間には"2010年7月28日に紅莉栖の死を回避する世界線"などいくつかの世界線がクッションとして存在しているため、ソ連世界線の時のような強烈なデジャブとして存在できない。

 しかも"あちらの俺"が2036年まで生きていたところで、"こちらの俺"の脳機能は2025年には存在できなくなっているのでデジャブの一切を受信できず、結局"こちらの俺"はなかったことになる。



 シュタインズゲートは決してハッピーエンドの世界とは限らない。



 そんなわけのわからないもののために、俺たちの人生を棒に振るのか。

 この世界線の幸せを全て捨てて、"あの時の俺"にすべてを賭けるのか。

 この俺が永遠に手にすることのできない結末、その幻想のためだけに一生をかけて死ぬのか。




「……それでも、やるのね」


「当たり前だ。その為にここまで来たのだからな」


 わずかな可能性がある限り、決して諦めてはいけない。今までだってそうしてきたじゃないか。

 シュタインズゲートでは、第三次世界大戦も起きないしディストピアも構築されないかもしれない。

 紅莉栖も、他の誰も死なないかもしれない。

 素晴らしい未来が待っているかもしれない。

 かもしれない。

 かもしれない。

 かもしれない―――



 だが、これだけは確定している。

 未知の領域ではあるが、完全な未知ではない。

 なぜなら、過去改変した事実は常に世界線上に残り続ける。

 今俺のケータイにあるムービーメール同様、過去改変と、改変後の世界線(シュタインズゲート)は連続性がある。



 ゆえに、シュタインズゲートであっても、7月28日に紅莉栖は"未来から来た俺"に救出されているし、メタルうーぱは牧瀬論文の封筒に入らない。

 この二つに関連する事象だけは、シュタインズゲートを成立させる、シュタインズゲートではない世界線からの影響で発生した事象となる。

 世界が再構成された後もここは確定する。

 歯車なのだ。

 シュタインズゲートを成立させる、歯車なのだ。

 これに関しては不確定な可能性とは成りえないのだ。



 ならば、シュタインズゲートは。



 ―――やはり俺たちの希望だ。



 なぁに、たとえまた未来鈴羽がタイムトラベルしてくるような状況が発生したところで、その都度世界を騙してやればいいだけだ。世界の支配構造など、何度でも塗り替えてくれるわ。

 俺は数多の世界線漂流の中で幾多の思いを犠牲にしてきた。それをなかったことにしてはいけない。

 あの時、思い出したくはないが……。あの時。俺は、紅莉栖の声を聞いた。

 時折頭の中でリフレインしていた、紅莉栖の、最期の声―――



『たす……けて……』



 俺は、お前を、助ける。

 "俺"は紅莉栖の救出に成功する。

 そこに可能性があるなら、挑戦する。




 挑戦するのを諦めたら終わり。そうしたら永遠に勝つ事は出来ない。




 それが科学者というものなのだろう?なぁ、クリスティーナ。


◆◆◆




 いよいよタイムマシンの開発は佳境に差し掛かっていた。

 今は深夜。ダルが一人カーテンの向こうで作業をしている。俺は談話室で脳内円卓会議中である。

 ダイバージェンスメーターの完成、およびシュタインズゲート計画の立案をきっかけとして、俺は"もう一つの作戦"を実行することを決意した。

 シュタインズゲートへの到達の達成を確保した上で、もう一つ世界を変えることができる可能性に俺は気づいたのだ。

 シュタインズゲートの"裏の計画"、その名も"彦星作戦<オペレーション・アルタイル>"だ。

 この計画は極秘中の極秘。実行するその日まで、ダルと俺だけの男の秘密だ。


「うほっ。みんなが寝静まったタイミングでその発言は危険なかほりが」


 お、お前は研究室から出てこんでよろしい!

 俺は2025年に死ぬことが収束として決定している。

 だがそれもタイムマシンの応用によって簡単に騙せる。

 要は、オペレーション・スクルドの指令ムービーメールを送信した後であれば、俺がこの世界線から消滅してもシュタインズゲートへの到達の因果は揺るがないのであるから(何故なら俺の死に収束する世界線だからだ)、試作機のタイムマシンで俺が過去へ飛んでもなんら問題は無いはずだ。



 そもそも、鈴羽の2036年時点での有人飛行成功のためにはどこかで有人実験をしなければならないだろう。

 この貴重なデータはクリスやダルにしっかりと取ってもらわねばなるまい。これにかこつけてオペレーション・アルタイルを実行しようと思う。



 当然過去へ飛ぶ目的は一つ。ここにきてようやく達成の目処がついた。それは俺がかつてまゆりに言い放った台詞―――



『いいか、椎名まゆり!貴様は永遠に俺の人質なのだ!この程度の事で逃げられると思うなよ!時空の果てであろうとどこまでも追いかけてやるから、そのつもりでいるがいい!フゥ!ハハハハハ!』



 シュタインズゲートを目指すのが"2010年の俺"の仕事なら。

 旅に出たきり戻らない不届きな人質と不良娘を送り返すのが、"この俺"の仕事だ。

 ―――今、会いに行くぞ。まゆり。



 だが、仮に鈴羽たちのマシンが壊れていたとしたら、まもなく完成するだろうタイムマシンに鈴羽とまゆりだけを乗せて現代、つまり俺がタイムトラベルする時点よりも未来へと帰す。

 ……俺は、その時代に残ればいい。このことは、ダルも含めて誰にも話さないでおこう。



 ……何?これ以上タイムトラベルをしていいのか?だと?

 時空の因果を歪める危険を冒してまでやる意味があるのか、と言いたいのだな。

 この俺を誰だと思っている。

 混沌を望み、世界の支配構造を破壊する者。

 そして、まゆりとの約束を達成する者。

 我が名は、"鳳凰院凶真"!

 フゥーッハハハハ!



「おいたん、なにしてるの?」


 うっ。夏休みの家族旅行(というのは仮の姿で、実は世界の支配構造を破壊する時空の覇者による初の歴史的潜入工作)で沖縄に遊びに来ていた"おさな鈴羽"に見つかってしまった。

 まったく、良い子は寝ている時間だろう。


「おいたんの声でおきちゃった」


 そうだったか、それはすまなかった。ついでに世界初のタイムマシン有人飛行を俺が奪ってしまうことになったことも謝っておこう。


「おはなしして」


「おはなし?あぁ、いいだろう。お前が寝付くまで話をしてやろう。そうだな、今日は『なん…だと…!?アキバから萌えが…消えた…!?』がいいか?それとも『打倒!ヴァイラルアタッカーズ!!』がいいだろうか。それとも……」


「けっせー!みらいがじぇっとけんきゅーじょ!にして」


「って、それは昨日も話しただろう」


 おさな鈴羽が短い両腕を伸ばして俺に甘えてきた、のだったらよかったのだが。

 その鈴羽はどちらかと言うとキツい命令口調で言い放った。もちろん"だっこ"のポーズも取っていない。

 ダルからは実は甘えん坊だと聞いているのだが、どうも俺の前では性格のきつい娘として振舞っているようだ。


「ちょっとオカリン相談が……って鈴羽。眠ってたんじゃなかったのか?」


「俺が騒いでしまったために目が覚めてしまったようだ」


「そうか……。鈴羽、ママのところへ行ってきなさい。ちょっとパパたちお話しなきゃならないから」


「わかったパパ」


 鈴羽はすぐ返事をした。またか、と言いたげな返事だ。

 早速約束を反故にしてしまったにもかかわらず、文句ひとつ言わないよくできた子供。

 どこか寂しげな背中……。振り返らず、由季さんの元へ向かう。すまん、鈴羽。


「……今はパパって呼んでくれてるのに、しばらくすると"父さん"って呼ぶようになっちゃうんだよな」


「いや、それは収束事項とは限らないぞ?計算してやろうか?」


「だ、だが断る!それでもし収束事項だったら僕立ち直れないし……ってか、それはあとでいいから」


「そうだったな。それで相談とはなんだ?」


 談話室から研究室へとカーテンをくぐった。



「それが、未来方向への移動の件なんだけど……」


 ダルが少し深刻そうな顔をした。


「なにか進展はあったか?」


 俺たちは既に未来移動に関する理論を成立させていた。クリスの天才的な才能のおかげだ。


「あれから試しにDメールを未来に送ってみたんだけど、ちゃんと受信されたお」


「うむ。ここまでは想定通りだな」


 当然過去改変、いや未来改変は起こらない。要はタイマーメールみたいな機能だからだ。原理は異なるが、観測される事象はあまり変わらない。


「次は未来にタイムリープ可能かどうか実験すべきだと思うんだけど……」


「……いや、それは違うな。タイムリープはイコール世界線の変動とはならない現象だ。リーディングシュタイナーを発動させることなく記憶を移動させる方法だからな。それに普通に考えて、仮に実験したとして、送信の瞬間に記憶障害になり、おそらく生命維持に必要な全ての記憶が消失する。そんな状態の脳に記憶が戻ってこれると思うか?」


「う、うん。たしかに。じゃ、この実験はなしってことでおk?」


「OKだ。さっそく物質転移実験に移ってくれ」


「オーキードーキー!」


 ニカッ、と歯を見せるダル。そこに12年前のような若さはない。


「ムービーメールの方はどうだ?」


「既に余裕で36バイト以上の容量は送れるけど、やっぱムービーはノイズ入るっぽい。ホントは超画質でダンディになったパパを鈴羽に見せてやりたいんだけど……ふふふ……」


「わかった。画質はほどほどでいいから、引き続き安定した送信環境の開発だな」


「あ、オカリンごめん、もひとつ」


「どうした?」



「もしもタイムマシン起動時に、なんらかのアクシデントが起こって搭乗員が気絶したりした場合、外側から操作できるようにしておいた方がいくね?って思ったんだけど」


「……場合によっては、必要となるかもな。他の組織に奪われてしまうくらいなら、いっそ時間移動させた方がまだ可能性は開ける」


 その時は苦渋の決断を迫られることとなるだろうが。

 だが、俺たちの計画を成功させるためには仕方ない。


「あんまりこういうこと考えたくないけどさ。こんなこともあろうかと!は、たくさん準備しておくに限ると思うのだぜ」


「わかった。ではタイムマシン外部の格納スペースに端末を設置、これを外せば、生体認証を通過した人間だけが内部コンソールを遠隔操作することができるようにする、ということにしよう。頼んだぞ、技師長」


「さっすがオカリン、話が早いお。でも、いくら僕がチート性能を持っていると言っても、設計図にそんなスペース無い件」


 ダルが長机に広がった設計図を指差す。


「だったら動力ユニットの配線の位置を少しいじって、ここにスペースを新設する、というのはどうだ?」


「んー、そしたらメンテがちょっと厳しくなるかも。でも、やってみるお」


「うむ。頼んだぞ」


 こんな感じの実験の日々が続いた。

 鈴羽はまもなく由季さんとともに東京へ帰っていった。

 ダルもあまり沖縄にばかりはいられない。技術系をある程度まとめたらあとは東京でプログラム系を消化してもらっている。

 おそらく、東京の橋田家でも鈴羽とダルの家族の時間はほとんど無いのだろう。

 鈴羽の年頃では、本当は父親とのスキンシップは重要なはずだ。

 その話をダルに聞いてみると。


「……実は、あの時の鈴羽、隠そうとしてたけど、体中に傷があったんだ」


「この子の体が、いつかあんなに傷だらけにならなきゃいけないんだなんて思うと、さ」


 財布に入った、幼い鈴羽の写真を愛おしそうに眺めながらそう言った。


「最低最悪の世界線ってのも、よくわかるんだ」


「だから、絶対成功させようぜ、オカリン」




 ……俺は、狂気のマッドサイエンティスト。"鳳凰院凶真"だ。

 幼い鈴羽が親との時間が取れなくてかわいそうか?

 笑止。笑わせてくれるな。

 この世界は仲間の犠牲の上に成り立っているのだ。

 なにを今更後悔していることがあろうか。

 自分の信念を貫け。

 仲間の思いを信じろ。

 絶対に、タイムマシンを完成させる。

 絶対に、紅莉栖を救出する。

 絶対に、シュタインズゲートへと、到達する―――

◆◆◆



 リーディングシュタイナーについても民間へ流出する時期が来た。これによって、第三次世界大戦の開戦の火蓋はもう間もなく気って落とされるだろう。

 俺やフブキが実際に体験したリーディングシュタイナーの現象を、俺たちの立てた理論とセットにして疑似科学・トンデモ科学として情報流出させる。しかし、ストラトフォーやロシアを始め、新型脳炎の真実にたどり着いている組織にとってこれは喉から手が出るほど知りたい真実のはずだ。

 やつらにとってもこの情報はデマ扱いで研究しなければならないという枷ができる。これである程度情報をコントロールできるはずだ。

 人々が自由にリーディングシュタイナーをコントロールすることが可能な状況となれば世界は間違いなくタイムマシンの開発競争を劇的に加速させる。全ての組織が、自分こそが世界の頂点に君臨するような世界線を再構成するという、世界の塗り替え合戦が始まるのだ。

 ここまで一つ一つ積み上げてきたのだ。失敗は許されない。俺が今存在している、このシュタインズゲートに限りなく近い世界線を、何者かの手によって改変されることなど、あってはならない。

 我が名は"鳳凰院凶真"。狂気のマッドサイエンティストにして、世界の支配構造を破壊する男。

 失敗など、ありえん。


 そして、予想通り。

 第三次世界大戦が始まった。

 人工リーディングシュタイナーのβ版をアメリカが開発し、アメリカはそれを契機にロシアやEUのタイムマシンを狙って実力行使に出たのだ。

 この人工リーディングシュタイナーの仕組みはレスキネンの洗脳システムを応用発展させたものだった。当然こちらにはその上を行くクリスがいるのだから、アンチ人工リーディングシュタイナーも未来ガジェット研究所の手によって開発させてもらった。

 それだけでなく、アメリカが開発したと鼻を高くしているβ版の開発情報にはこちらからノイズを仕込ませてもらった。よって人工リーディングシュタイナーは使用したところでうまく機能しない。これではタイムマシン実験の最重要部分がクリアできないので、これを利用した世界線変動が起こることは無い。



 ロシアではタイムマシンがある程度完成していた、といってもそれだけでは実用化はできない。

 ロシアのタイムマシン関連実験はもちろん中鉢論文から始まっている。まず2010年のクリスマスに最初のDメール(電子メールではないだろう)送信実験が行われ、見事成功し、その確認の後Dメールを打ち消している。

 何故そんなことが可能だったのか?そう、居たのだ。俺と同様な存在が。リーディングシュタイナーをちょうどよく所持しながらも、かつDメール送信実験に携わった人間が。

 彼は300人委員会によって暗殺された。そのためロシアのタイムマシン研究は暗礁に乗り上げ、その後は血眼になってリーディングシュタイナーをちょうどよく持った仲間足りうる人材を探していたらしい。

 そういう経緯もあって、ロシアはEUとタイムマシン開発競争で小競り合いを繰り返していた。そこへアメリカが技術を独占する形で横槍を入れたものだから収拾がつかなくなった。



 グローバリゼーションがありとあらゆる地平に到達していた現在、瞬く間に戦火は世界中へ拡大し、日本政府も戦争に巻き込まれた。既に日本列島各地で火の手が上がっている。

 まだ東京は爆撃されておらず、大檜山ビルも健在だが、いつ破壊されてもおかしくないだろう。

 我が未来ガジェット研究所のある沖縄諸島一帯の米軍基地は第六次アーミテージ・レポートの世界的な影響によって軍縮が進んでいたが、"最後の米軍基地"と呼ばれたこのキャンプ・シュワブ辺野古沿岸は未だ活躍中である。



 世界の戦争は宇宙規模に発展していた。中国を初めとして、大国と呼ばれる国々は次々と衛星軌道上に軍事基地を投入した。

 地上の基地と交信しながらも宇宙基地から直接ミサイルを投下したり電磁波を照射する、などの手法で攻撃する。そのほとんどは中空で阻止されてしまうが、それでも威力は絶大であった。

 そういう関係で我がラボ上空も非常に騒がしくなっており、低緯度にもかかわらずオーロラが観測可能となっているが、予想していた通り破壊的なまでの状況にはならず、かつてのソ連世界線で体験した世界に近くなっていた。



 いずれ日本政府は国民皆兵法案を可決し、中学生の鈴羽は強制的に軍事訓練を受けることとなる。だが、そうなってもらわねば困る。



 時は来た。



 戻ろう。



 アキバへ戻ろう。



 終わりと始まりのプロローグ、俺たちの秋葉原へ。


 作戦はこうだ。

 普天間基地の移設という名目で辺野古沿岸に新しく作られた施設には、実は大浦湾の海底に掘られた横穴の中に原子力潜水艦が停泊可能な海底ドッグが存在する。
 
 現在は使われておらず、代わりにここには世界初の試製モノポール搭載潜水艦『ノーチラス』(原潜のノーチラスとは別物)が放置されている。

 公式発表では太平洋上で船体が爆発し沈没したことになっているが、その実態は、アメリカ世論の軍縮におされて破棄せざるを得なく、またその後の新型モノポール潜水艦の開発に成功したために不要となったものを、処理に困った米軍が世間に公開されていないこのドッグに投棄したものである。



 ……という陰謀論者の説があるが、実はこれも未来ガジェット研究所にとって信用のおける人物たちによるスパイ活動、情報操作の賜物である。

 沖縄からの脱出ルートに関するシミュレートを何年もやってきた俺たちにとって、この結果は必然であり、予定調和である。

 『人間が想像できることは、人間が必ず実現できる』と、かの有名なSF作家も言っている。



 この原潜もどきをまるごとパクらせてもらう。



「この潜水艦はモノポールで発電した電力を特殊装置に伝えて動力にしてるんだお。しかも、食べ物や飲み物、服とかを全部海中から手に入るもので作れるすぐれもの」


 んなわけあるか。



 運転の手筈は既に整っている。もちろん"あるコネ"を利用させてもらった。

 "あるコネ"は既に米軍のスパイとして活動している。

 彼は軍に籍を置きながら、本国の戦争の大義名分を疑問視して反体制派として活動していた。

 敵の敵は味方、という理屈で、我ら未来ガジェット研究所に全面的な支援を与えてくれたのであった。


 あとはノーチラス内部へ、まず不要な潜水艦部品を撤去し空間を確保、その後パーツごとに解体したタイムマシン試作機、必要な工具、情報媒体、マンガやドクペなどを詰め込み、横須賀へと移動し、そこからトラック数台で秋葉原入りをする。

 ドッグからの脱出経路はすでに確保してあるので問題ない。

 その後、この旧式潜水艦のステルス能力および航行性能で敵に発見されず移動しなくてはならないのだが、ここが山場だ。

 なぁに、機体の性能の違いが、戦力の決定的違いではないと教えてやる。



 潜水している間は基本的にケータイ電波の圏外となり、タイムリープの影響外に出てしまう。世間ではすでにスマホではなくポケコンという次世代端末に移っていたが、もちろん俺たちのケータイは耳に当てるタイプのものだ。



 一発勝負だ、失敗は許されない。



「……この研究所って、こんなに広かったんですね」


 かがりが呟く。なにやらノスタルジックである。

 元々研究所ですらなかったこの地下空間だが、モノを片付けてしまうと非常に殺風景に感じた。

 名残惜しいことなど何もない。むしろ元のあるべきところへ帰還するだけなのだ。

 俺たちがここにいた痕跡を残してはならない。余計なものはすべて処分する。

 回線もアンテナもすべて片付けた。ここからはタイムリープができなくなる。

 
「オカリン先生!プレステはおやつに入りますか!」


「この懐古厨が!」


「あとバナナもキボンヌ」


「お前ら、この厳戒態勢下で何をのんきな……。まぁ、勝手にしろ」


「うわーいやったー!」


 さて、約束の時間までそろそろだ。

 世話になった搬入口から、最後の仕掛けが登場するはずだ。



 その時。



 ダッダッダッ。



 軍靴の音が地下空間に響き渡る。

 いよいよきたか。

 そこには、米空軍所属、マイク・ヒヤジョーの姿があった。

 あれから歳を取ったはずだが、なぜかまだまだ若い顔つきだ。

 だがそこに昔の馴れ馴れしさはなく、軍人然としている。

 彼を先頭に10人近くの米軍が整列していた。おそらく彼らは海兵隊の反体制派だろう。



「おぉー久しぶりじゃん!マイク!」とフブキ。


 ジャキッ。


 フブキに銃口が向けられた。


 ……ん?

 なんだ、アメリカンジョークか?

 突然のことに理解が追いつかない。

 あぁ、そうか。ドッキリだな。

 さすが欧米人、日本人とはレベルが違う。



 突然マイクが英語で叫んだ。

 何を言っているかわからなかったが、とにかくドスの利いた声で、俺たちに恐怖を与えようとしていることがわかった。


「お、おいクリス。これはいったいどういう―――」


「Shut up!」




 BAAAANG!!




 無慈悲にも自動小銃が火を噴いた。

 かつて日常的にダルがごろごろしていたり、フブキがストレッチをしていた床面が見事にえぐられている。

 こ、これは洒落にならんぞ!!


「おい!冗談なら今すぐやめさせろ!実弾を発砲するやつがあるか!」




「お……岡部さん……」




 そこには、全身を硬直させ、絶望色に顔を染めたクリスの姿があった。


◆◆◆




「どうしてこうなった……」


 俺たちは全員柱に縄でくくり付けられていた。

 仮にこの縄を解くことが出来ても逃走は不可能だ。

 なぜなら、今俺たちがいるのは、海中。

 琉球海溝直上だからだ。


「このままアトランティスにでも行くんじゃね」


「いや、太平洋だからムー大陸じゃない?」


「ダルもフブキも想像力が豊かだな。そうではなく、マイクが裏切った、ということだろう」


 普通に考えればそうだろう。

 どこの世界に軍令に背いて家族を助ける人間がいる?

 いや、そうじゃない。実は元々マイクは俺たち未来ガジェット研究所に全力で協力してくれていたのだ。米軍基地からのパーツ横流しの件もマイクの助けが少なからずあった。

 なにより彼は米レジスタンスの重要なスパイだったはずだ。この行為は彼のそのポストを危うくするはず。

 ならば、どうしてこうなった。

 どうして俺たちの場所を暴露した?

 どうしてノーチラスを奪取した?

 どうしてタイムマシン研究を奪う?





「マイクの目を見た?」


 いや、よく見てないが。


「あれはかがりが発狂していた時によく似た症状だったわ」


 よく分析しているな、クリスよ。


「常に世界を警戒しろ、って言ってたのはだれかしら?つまり洗脳されてたのよ」


 洗脳……。その言葉で、あの白衣を着た巨人、レスキネンがかつて何年も前に俺に言い放った言葉を思い出す。




『なぜ人間同士の不毛な戦争がいつまでも終わらないのか。分かるかな、リンタロウ?』


『それはね「情報」のせいなんだよ。人間は誰しも、あるコミュニティに属している"群体"だ。個人個人は自主的に行動しているつもりでいても、実は、全ての脳はそのコミュニティに流布されている「情報」によってつながり、ひとつの群れとして生きることを余儀なくされているのさ』


『リーディングシュタイナー保有者の脳を使えば、もっと色々な発見があるだろう。それをタイムマシンとセットで売れば、世界の軍事バランスは完全に保たれる。戦争も回避できるんだ。君にもぜひ協力して欲しい』



 ……吐き気を催す邪悪とはこのことだ。



「まったく、ひどいことをしやがるぜ」


「まるで自律型殺戮ロボットじゃん!」


「……こわいです」


 口々にぼやく。

 結局、レスキネンの研究は軍事転用され、最強の軍隊の開発に利用されたのだろう。

 そもそも俺はATFのパーティーで洗脳された男に襲われていたじゃないか。この可能性に気づけなかったのは俺の落ち度だ。くそっ。


「……俺たちの行動が向こうさんにバレたのは、マイクの記憶がAmadeus化されたということか。それで俺たちの場所や研究のことが判明し、生きたまま本国へ連行してタイムマシン開発をさせようという魂胆なわけだ」


 人工リーディングシュタイナーに開発した(と思い込んでいる)アメリカは、何よりもまず完成したタイムマシンが欲しいはずだ。


「しかも脳波コントロールできる。真上にいるフネから洗脳状態を安定させるための電波でも出してないと、一度に大勢を長時間集団行動させるなんて今のアメリカの技術でも無理よ」


 ノーチラスの上には米軍籍の艦艇がいるようだ。目視していないのでよくわからない。

 マイクはこの潜水艦に乗っていない。おそらく上のフネに乗っているのだろう。


「今後僕たちどうなるん?オカリン」


 うーむ……困った。これはかなり、ヤバいのか?

 俺たちはもう未来が確定されたものだと高をくくっていた。

 この世界線でオペレーション・アークライトおよびオペレーション・スクルドの指令ムービーメールが送信されないことはありえない。

 ……ホントに?

 もしかしたら、未知の現象が起きるんじゃないか?

 SFモノでよくある、未来から持ってきた写真の風景が徐々に変わっていくように、このケータイに入っているDメールが消滅するなんてことがありえるのか?

 だが、俺は死なない。これは確定している。

 俺がノーチラスに乗り込んでいる限り、この旧式原潜もどきは沈むことがない。

 とは言っても、アメリカまで連れて行かれたらさすがにアウトかも知れない……。



「わかった。じゃあプランBで行こう……プランBは何だ?」


「は?ないわよそんなもの」


 クリスに一蹴されてしまった。


「最低でもあいつらの洗脳を解かないとなにもできないわ。そのためには私が洗脳手術を上書きしてあげるか、タイムリープマシンを悪用するか……」


「いやいや、普通に上のフネをぶっ壊せばよくね?」


「それこそどうやってやるのさー?」


「古代弄魔流KARATEでだな……」


「できるかーっ!」


 遅々として議論は前へ進まなかった。








―――それから3時間ほど経って。








「……むむむ。目覚めよッ!俺のESPッ!精神感応<テレパシー>ッ!アキバで待機しているミスターブラウンたちに、このピンチを知らせるのだッ!」


「ほら、フブキもがんばって。リーディングシュタイナーの力でなんとかしなさい」


「無理だよそんなの!見た事も聞いた事もないのに出来る訳ないよ!」


「あぁ……もう一度だけ我が愛しの娘と一緒にお風呂に入りたかったお……がっくし」


「は、橋田さん!しっかりしてくださいっ!私もおねえちゃんとお風呂に入りたいですっ!」


 俺たちが能天気にやっていられるのは、例の洗脳兵士どもがあまり怖く感じられなくなっていたからだ。

 どうやら命令にないこと以外はできないらしい。だから俺たちがどんなに騒ごうと、どんなに悪口を言おうと、決して文句を言わない。

 それどころか、俺たちの生命維持も命令に含まれているのだろう。希望すれば食料や飲み物も提供してくれた。クリスに英語で通訳をしてもらえば、だいたいなんでもやってくれる。

 どうせここから逃走はできない、ということなのだろう。至れりつくせりな誘拐犯たちである。


「くっ。どうやら超能力についても研究しておけばよかったようだ……」


「いやいやオカリンさん、さすがにそんな暇なかったからね?」


「暇とはなんだ暇とは。人類の神秘ではないかー」


「……岡部さんって、結構そういうの好きよね」


 ハァとため息をつくクリス。


「ならばッ!目覚めよ!俺のパイロキネシスッ!イグニッションッ!うごごごごご……」


 俺はありったけの力を腹に込めた。


「むむっ!きたっ!何かきたぞっ!」


「ちょ、うんこ漏らすのは勘弁」


「やめなさいHENTAI!」


 俺が"なにか"を感じ取った、その瞬間。





 ドォォォン。





「!?」


 海底深くを航行しているはずなのに、ノーチラス全体に立っていられないほどの振動が襲った。

 俺たちは全員座らされて柱に固定されていたので問題なかったが、あの洗脳兵士どもはばったばったと倒れていった。

 まさか、ホントに俺に超能力が宿ったというのか……!?



「ば、馬鹿!そんなわけないでしょう!きっと上の艦隊が別の組織に攻撃されたんだわ!」


「ってことはますます僕たちやばいんじゃね?」


 ……ヤバイ。

 もしこれがロシアだったら、俺たちと潜水艦とタイムマシンはそのまま海へ沈められることになる。


「……フブキ!かがり!この縄を解け!」


「ラジャー!」


「りょ、りょーかいです!」


 そうして我がラボきっての武闘派二人の腕力によって、あっけなく縄は解けた。

 兵士たちはみな気を失っている。洗脳の中心にあった装置が破壊されたためだろうか。


「ダル!すぐさま舵を奪取!操舵に移れ!」


「む、無理だお!元々この軍人たちに運転してもらう計画だったのに、操舵なんて……」


「ならこうだ!敵に潜水艦を発見される前に、この潜水艦の操舵システムを書き換えろ!航行制御のみでいい!攻撃システムは一切いらない!」


「ヒエーッ!オカリン無茶苦茶だけどそれならできるかも!だけどコントロールパネルが複雑で、いちいち操作するのにどれがどれか判別する手間がかかりそうな件」


「じゃーダルさん!これを使って!」


 サッとフブキがあるものを差し出した。

 ……プレステのコントローラー(振動機能付)だった。


「オーキードーキー!この僕にかかればちょちょいのちょいで魔改造可能なんだぜい!」


 さすが電脳の魔術師<ウィザード>級!

 この辺はダルに全て任せよう。頼むぞ、頼れる右腕<マイフェイバリットライトアーム>!

 次の問題は、こいつらだ。


「……死んだ、のか?」

「いえ、息はあるけど、気を失っているみたい。というより、多分脳機能障害ね。目が覚めると同時に発狂されたら困るから、外傷の手当てが済んだら拘束しておく必要があるわ」

 兵士たちの何人かは壁面に強く体を打ちつけ、出血していた。

 それをクリスとかがりの手で包帯を巻いたり、でかい絆創膏を張ったりした。

 俺は迅速にそいつらを、俺たちが元々拘束されていた柱に集め、縄を結んでいく。

 あとでフブキとかがりに手伝ってもらってきつく結んでもらおう。



 ……そういえば、上のフネに乗っていたであろうマイクは死んだのだろうか。

 洗脳解除による記憶障害状態で海に放り投げだされたとしたら。おそらく命は無い。

 ……俺は狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真だ。

 お前の犠牲は無駄にしないぞ。絶対秋葉原にたどり着いてやる。


 そうこうしているうちに潜水艦が急激に加速し始めた。

 ダルが成功したのだろう。急いで操舵室に戻る。

 そこには、色々なメーターに囲まれた狭い部屋の小さなモニターでゲームをするダルとフブキの姿があった。


「ゲームじゃないっつーの!僕がノーチラスたんの左半身担当で、フブキ氏が右半身担当」


「全速前進だーっ!」


 なにやら楽しそうである。


「それで、敵は?こちらに気づいているのか?」


「んいや、多分気づいてないと思われ。一応ステルス全開にしたけど、まったく追ってくる気配がないお」


 ん……?いったいどういうことだ?


「わからないけれど、もしかしたらICBMとか宇宙兵器とかで攻防を繰り広げてるのかもしれないわね」


 と、負傷者の手当てを終了したであろうクリスとかがりが戻ってきた。

 って、さすがに5人も居ると狭苦しい。


「あの兵士たちには眠ってもらったわ」


 恐ろしいことをさらっと言ってのける。


「いや、殺してないから。覚醒に関係してる神経伝達物質を抑制させてもらっただけよ」


 いやいや、それでも十二分に恐ろしいぞ。


「陸地に近づいたら、脱出ポッドで彼らを離脱させましょう」


 うむ、わかった。


「それで、舵は大丈夫そうかしら、フブキ?」


「まっかせてよ!潜水艦ゲームもやりこんだから!FFのミニゲームだけど」


「一応北に進路を取って横須賀に向かってるお。あとは、それまで誰も僕たちを発見しないことを祈るだけっす」


 ふぅ……。なんとかなったな。

 多少予定は狂ってしまったが、これで俺たちは秋葉原へ向かうことができる。

◆◆◆




「えー、まもなくー、東京湾ー、東京湾ー。お降りの際はブザーを押して、お知らせくださいー」


 ダルは結構バスの運転手とか似合うかもしれない。


「よし。それではかがり、クリス、脱出ポッド切り離しを実行しろ!」


「りょーかいです!」


「はいはい」


 横須賀には鍵のささったままのトラックが何台か停めてあることになっているが、これもマイクに手配してもらったものだ。おそらく、もう横須賀へ向かってもどうしようもない。

 そこで一旦俺たちは海上へ浮上することにした。正確に言えば、通信電波の圏内に入るようにした。そうすればタイムリープしてくる地点を設けることができる。

 だが、とにかく米軍施設以外で原潜から上陸しなくてはいけない。色々話し合ったが「もうこの際どこでもよくね?」というダルの意見に賛同し、とりあえず日の出桟橋を目指すことにした。


「それじゃ、そろそろケータイが圏外じゃなくなると思うから浮上するおー」


「おーっ!」


 ガクッと潜水艦が揺れる。


「お、おい!もっと丁寧に運転しろ!」


「そんな余裕ないっす」


 しばらくして、潜水艦の浮上は停止した。


「はい、到着。でも、急がないと釣り船とかに目視されてヤバいかも」


 一応レーダーに艦影はなかった。


「では、全員外の空気を吸いにいくぞ」


「やったー!」


 俺たちは久しぶりに陽光を浴びに出た。

 と言っても、もうかつてほどの太陽の輝きは地球上から失われている。


「うーん、空気がまずいぜ!もう一杯!」


「あまり悠長にはしていられん。リープ到着者がいないということは、このまま上陸して問題ないということだ。では、みんな戻るぞ」


「はーい」


「わかりました」






 ピピピピピピピピピピ……





 き、きたか。

 この無機質な着信音はクリスだ。

 海上に出た一同に緊張が走る。

 なにより一番動揺しているのはクリスだ。

 これを受け取れば、鬼が出るか蛇が出るか……。




 ピッ。




 クリスがスマホを耳にあて、通話ボタンを押した。



「ぐあっ!!!」


 
 頭を抑えてかがみこむクリス。



 息が荒い。その表情は。





「お……岡部さん……みんな……」





 ……心の底まで恐怖に怯えていた。




「っ!全員艦内へ退避!その後急速潜航!」


「わ、わかった!」


「オーキードーキー!」


「クリスさんも……クリスさん?大丈夫ですかッ!?」


 かがりが声を荒らげる。

 クリスは、もう両脚で立っていられないほど震えていた。


「みんなが……死んじゃって……私……」


「クリスッ!話は後だッ!どこからか攻撃を受けたのだろう、わかっている。かがり、無理やり連れ込むぞ!」


「は、はいっ!」


 俺とかがりでなんとかクリスの小さい体を潜水艦の中へと収容し、ハッチを閉めると同時に海中へと向かってノーチラスは動き出した。


「かがり!精神安定剤を!」


「はいっ!」


「それで、クリス!俺たちはどうすればいい?なにが起こったかは話さなくていい、だから、お前が弾き出した答えを教えてくれ!」


「私っ……私っ……!!」


 だめだ、相当に錯乱している。いったいなにがあったと言うんだ?

 クリスは執拗に右腕をさすっていた。

 全身をがたがたと震わすクリス。

 見ていられなくなった俺は、震える両肩をつかんだ。


「落ち着け……頼む……ッ!」


「……岡部さん……っ!」


 突然、抱きつかれた。

 よほど怖い思いをしたのだろう。

 さっき、みんなが死んだと言っていたが、おそらく俺以外のみんなが米軍かロシアに攻撃されたのだろう。

 どうする、どうする鳳凰院凶真―――







 ドォォォン!



 ドォォォン!


 ドォォォン!


 ドォォォン!



 ぐっ、またか。それも何発も連続でくる!


「ダル!もっと急いでもぐれ!」


「わかってるっつーの!」


 潜ったところで魚雷でもぶち込まれたら終わりだ。

 い、いやいや。俺が死ぬことはないんだから、沈むことはない。大丈夫だ。

 ……ホントか?もしかして、航行不能で一年間閉じ込められる可能性があるんじゃないか?

 ……限りなくありえないが、しかしゼロじゃない。

 くそっ、どうする!?どこへ逃げればいい!?

 クリスは今も続く衝撃の連鎖で縮み上がり、過呼吸状態になってしまった。


「あ、あの!持ってきました!」


「よし、かがりはすぐさまクリスの診療に当たれ!落ち着かせて、呼吸を整えさせてくれ!」


「オカリンさん!どうする、もうすぐ海底なんだけど!」


 一向に衝撃波は止む気配がない。海上はいったいどうなっているのだ!?


「と、とりあえず湾内へ進行!東京方面を目指せ!」


「オーキードーキー!」


 そういうと潜水艦はガクッと揺れ、加速し始めた。



 やはり、クリスに状況を教えてもらうしかないか……!


「クリス、おいクリス!しっかりしろ!」


「はぁ……はぁ……」


 クリスは座り込んでいた。

 過呼吸状態は治まったようだが……。



「クリス、なにがあった?教えてくれ、そうじゃないと俺たちは!」


「おか……おかべさん……」


 クリスが俺の手を握ってきた。全身の震えが俺に伝わってくる。


「大丈夫だ、俺たちは生きてる。生き延びることができる。教えてくれ、クリス!」


「っ!」




 ベチン!




 かがりがクリスをビンタした。な、なにを!?


「クリスさんっ!目を覚ましてっ!あなたがそんなんでどうするんですか!!」


「……あ……あ……」


 ぶたれたところを右手でさするクリス。呆然としている、


「私には世界線とかリーディングシュタイナーとか難しいことはわかりません!でもっ!」


「これ以上、後悔だけはしたくないッ!!!」


「!」


 な……。


「……クリスさんだって、そうでしょう。世界を変えたいんでしょう?牧瀬さんを、助けたいんでしょう!?」


「だったら!頭を動かしながら体を動かすしかないじゃないですか!!」


 そういうとかがりは座ったままのクリスを抱きしめた。


「つらかったのはわかってます。みんなわかってます。だから、私たちを信じて」


「……」


「……」


「……」








「……ごめん。ようやく脳がハッキリしてきたわ。脳震盪を意識再生に利用するとは、考えたわね……」





 クリス!?大丈夫か!?


「だ、大丈夫じゃない!!死ぬほどつらい!!泣きたい!!だけど……」


 まだ体が震えている。それでも、その小さな体は必死で叫んだ。


「……。橋田さん!フブキ!そのまま隅田川を目指して!!」


「は、はい~っ!?潜水艦で川登りとかマジで言ってるん!?」


「た・ぎ・っ・て・き・た・ー!」


 次の瞬間、今度は底から衝撃が来た。


「ぐおおっ!?」


 下から突き上げるような衝撃があり、俺はすっころんだ。

 いてて……頭を打たなくてよかった。


「ごめん、海底にぶつかったっぽい」


「大丈夫、この辺の海底土は粘土質だから船体にはそこまで傷がついていないわ。ゆっくり深度を上げていって!」


「ラジャー!飛ばすよダルさん!」


「ちょ、フブキ氏激しすぎ!」




ドォォォン。




 くっ、またか。未だに海上では波状攻撃が行われているらしい。


「アメリカが、もう私たちのタイムマシン奪取は不可能だと判断して旧式爆弾の在庫処分をやってるわ」


「な、なんだと!」


「既に地上は核の炎に包まれている。どこに浮上してもアウトよ」


「ではいったいどうするのだ!?」


「いったん身を隠す。だから、川沿いで、かつ私たちのためにすぐ動ける人がいる場所で身を潜められれば……」


 そんな都合の良いところがあるわけ……。






 ……あった。





「柳森神社だ……」


「えっ?」


「ダル!フブキ!そのまま柳森神社へ突っ込め!」


「ほ、本気かお!?ノーチラスたんで神田川に突っ込むん!?」


「いやっほーっ!!」




 ドォォン。ドォォン。




 どうやら水中にも爆弾が投下され爆発が起きているようだ。衝撃が真横からも伝わってくる。

 船体が激しく揺さぶられる。全員なにかにしがみついていなければ行動できない状態だ。


「越中島……日本橋……両国……!フブキ氏上昇!」


「アイアイサー!」


「かがり!ペリスコープ確認!」


「そのまま転回、ギリギリのところで橋をくぐるお!」


「って、屋形船ぇーっ!?」


 潜望鏡からの映像を見ていたかがりが叫んだ。

 おそらく今、俺たちの潜水艦は停泊していた屋形船たちを次々に押しのけている。

 しょ、衝撃がすごい!川底がもう船底をこすっている。岸壁にも何度も衝突しているようだ。

 出しっぱなしだった潜望鏡が突如吹っ飛び、映像がディスプレイから消えた。おそらく橋の欄干に当たって弾きとんだと思われる。

 このノーチラスの艦橋が橋の下をくぐるのはかなりギリギリだろう。もしかしたら既に何本か橋を破壊しているかもしれない。

「おk、これで屋形船を気にしなくていいお。新幹線の下の歩道橋もこの艦橋の高さじゃくぐれないはずだから、このまま行けばそこで止まるはず」


「え!?突っ込むのか!?」


「突っ込めって言ったのオカリンじゃん」


「い、いやいやいやいや!!!」


「衝撃に耐えて!!くるよ!!」



 

 ドォォォン!!





 ―――潜水艦は急停止し、俺たちは全員吹っ飛ばされた。

◆◆◆





「るか。準備はいいな?」


「は、はいっ。お父さん」


 漆原栄輔はその日、突如として始まった東京大空襲のため、息子とともに避難の準備をしなければならなくなった。


「巫女服は持ったか!?」


「は、はいっ」


 なんと言っても神社の一人息子だ、巫女服は欠かせない。

 30歳の妙齢を迎えた漆原るかは、若い頃の中性的な雰囲気は既になく、いわゆるハンサムな大人の男に成長していた。

 だが、巫女服は欠かせない。

 これから最寄の避難所へ駆け込もうとしていた、その時。




 ドォォォン。




 近くで衝撃が起こった。

 栄輔はついにこの辺りにも爆弾が落とされたかと思ったが、爆弾が飛んでくる音は聞いていない。

 むしろ、波音が激しく畳み掛けてくる―――


「川の方だ!」


 境内へ出て、左手を向けばすぐ神田川だ。





 そこには―――





「ち、父上。お久しぶりです」


「きょ、凶真くんじゃないか!」


「凶真さん!?」





 ―――13年前に失踪したるかの友達と、潜水艦があった。



 その後、俺たちは漆原家の手によって救出され、潜水艦にカバーをかけてもらい、ようやく陸上で一息つくことができた。

 クリスの情報では、まだこの一帯は爆弾が落とされないらしいので神社で待機していても問題ないとのことだった。

 だが既に横須賀には核が投下されたらしい。被爆は免れない。

 しかし、そのおかげで日本政府は大混乱。警察も消防も自衛隊も、あらゆる国家組織が核の応酬に対応することになり、おかげで神田川河口にまで手が回っていなかった。

 アメリカ軍も日本からの強い要請で攻撃を断念。完全に目標(俺たち)をロストしたようだ。

 あとはこの隙に天王寺家と秋葉コーポレーション協力のもと、東京での新拠点へと積荷ごと移動し、潜水艦を隅田川あたりに沈めればよい。新拠点となるべき場所は既に押さえてもらっている。

 だが、俺たちの存在はついに公にバレてしまった。

 いずれ世界中のすべての組織から狙われる存在となるだろう。

 そのためにも世界には争ってもらわなくてはならない。俺たちの捜索に時間をさけるほどの余裕を与えてはならない。偽報や陽動で大国同士を扇動しなければなるまい。



 あとのことは任せたぞ、頼れる右腕、バレル・タイター。

◆◆◆





「秋葉原よ!俺は、帰ってきたッ!!」


 久しぶりに俺は声高らかに叫びたくなった。


「キョーマ、静かにするニャ」


「秋葉原というより岩本町な件」


 ぐっ、少しは感傷に浸らせてくれ。


「それでかがり、クリスの容態はどうだ?」


「やっぱり無茶してたみたいです。免疫力もかなり弱ってます」


 クリスは今年で35歳になる。結局、大人の色香を醸し出すようなことはなく、容姿は幼さが残ったままだ。だが、寄る年波には抗えない。


「……少しクリスと話がしたい」


 そういうと俺は、この町工場のような建物の奥の部屋へ向かった。



 ……そこには、ベッドの上にクリスが仰向けに横たわっていた。

 点滴を受けている。その見た目ははなはだ弱弱しい。


「……岡部さん。私は大丈夫、少し休めばまた動けるわ」


 先に気丈に振舞われてしまったな。やっぱり強い女だよ、君は。


「あぁ、もちろんそうしてもらわねば困る。クリスが居なければ実験の最終段階に取り掛かれないからな」


「まあね。私ってすごい?」


「なんだ、甘えたがりになっているな。いい歳して」


「あら、お互い様。あなただってずいぶん渋くなったじゃない」


「そうかな……」


 そう言われた俺は、なんとなく自分の無精髭をなでてみる。



「それで?私の実力を認めないようならもう手伝わないけれど?」


「は、はぁ?ここまで来て何を……。あ、あー、うん。お前はすごい。よくここまで来れた」


「ふふっ、いつも上からモノを言う」


「ふん。当たり前だ。俺は、狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真なのだからな」


「……そっか」


 視線が自然に逸らされる。


「なにか言いたげだな」


「……なくなって、初めてわかる大切さとはよく言ったものね」


 そう言って、体を横たえたまま右腕を上に突き出しグーパーを繰り返した。


「右腕って、こんなに便利なものだったなんて、知らなかった。右腕が無いと私、なにもできなくて……」


「それは、向こうの記憶か?」


「そう。爆発に巻き込まれて、どっかに飛んでいったわ」


「……」



「……ねぇ、凶真さん。私、みんなが死ぬのをこの目で見ちゃった」


 乾いた感情の吐露に、俺は息を飲んだ。


「……だが、それは既になかったことになっている」


「うん。だけど、作戦決行の日にあなたは消える」


「……」


 何も言えなかった。いや違うな。何も言うべきではないと判断したのだ。


「死ぬわけじゃないって、わかってる。だけどね、人体実験するこっちの身にもなってほしいわ。ゼリーマンになったらただじゃおかないから」


「それはない。なぜなら、クリスが作ったタイムマシンだからな」


「まったく。あなた、自分がどれだけの存在かわかってるの?」


「どういうことだ」


「あなたがいなくなったら未来ガジェット研究所は必然的に閉鎖。そして、私たちはあと11年間タイムマシン研究に打ち込まなければならない」


「そうだな。そうしなければシュタインズゲートへは到達できない」


「はぁ……。あのね、私たちは、あなたがいたからここまで来れたの」


「当たり前だ。俺に感謝しろ」


「……いなくなったらさみしいんだけど」


「世界線の収束には抗えない。さみしいなどと言う暇があったら、アトラクタフィールドについての研究を進めることだな」


「はいはいそうですね」


「……大丈夫だ。俺は、お前たちを信じている」


「……」


 俺がいなくても頑張ってもらわねば困る。
 
 そうでなくては、因果が成立しない。

 シュタインズゲートへは到達できない。

 ―――俺は、仲間の思いを犠牲にしてまで、シュタインズゲートに辿り着かなければならない。


「きっと、やり遂げると信じている。だから、俺の意志を受け継いで、鈴羽を、タイムマシンを過去へ飛ばしてくれ。そうすれば、シュタインズゲートでまた会える」


 ……詭弁だ。わかっている。



「……いやだ」


 クリスの様子が変わった。

 ピアカウンセリングの時のソレの兆候だ。


「何?」


「……いやだよ!岡部さんがいなくなるなんていやだ!どうしていなくならなきゃならないの!どうして岡部さんじゃなきゃいけないの!もうアトラクタフィールドなんか知らないよッ!わからないよッ!」


「! か、かがり!安定剤を!」


 不安定状態が襲い掛かった。咄嗟に俺は部屋の外へと声を届かせる。


「シュタインズゲートへ行ったって、あなたはいないッ!β世界線を今の今まで生きてきたあなたはッ!あなたとは会えないッ!」


 身体こそ暴れていないが、顔が紅潮し、パニックを引き起こしているのがわかる。

 非常によくない容態だ。


「落ち着けクリス!大丈夫だ、何も問題はない」


「あるよぉッ!!だって私は―――」


 クリスの唇は何かを言おうとして動いて、だがなにも言わなかった。

 声帯が振動せず、有声音が出せなかったのだろう。


「……だ、大丈夫か?」


「……ごめん」


 冷静さを取り戻し、バツが悪そうに謝るクリス。

 いつになく早く回復したな……。


「クリスさんッ!大丈夫ですか。お薬持ってきました!」


 そこへかがりがかけつけた。


「……ありがとうかがりさん。いただくわ」


 かがりから受け取った錠剤を、水と一緒に飲む。

 一呼吸おいた。とりあえず、この"薬を飲む"という行為によって落ち着いたようだ。




「……実はね、私。ふたつ考えていることがあるんだけど」


「なんだ?」


「ひとつは、今日で"クリス"はやめようと思ってる。もちろん、偽名としては使い続けるけどね。だから、私と話す時は真帆って呼んでほしい」


「……?」


「もう一つは、橋田さんがある程度タイムマシンを完成させたら、私も岡部さんの後を追おうかなって」


「え、ええっ!?」


 かがりが驚いた。そりゃそうだろう。


「それじゃ後追い自殺みたいな言い方だぞ」


「でも実際そうじゃない。生きるか死ぬかわからないんだから」


「なんだ、量子論か」


「そうじゃない……ただ、私はあなたと生きたい」


「……それはどっちのイキタイ、だ?」


「ちょ、オカリンHENTAI発言自重汁」


「ぬわあっ!?いきなり現れるでない、ダル!!」


 振り返るとそこには白衣をまとったダルがいた。


「すまんこ~。あのさオカリン、トレーサーの調子を見てもらいたいんだけど」


「そ、そうか。わかった、すぐ取り掛かろう。かがり、あとは頼んだぞ」


「は、はいっ」


 そう言って俺はクリス……もとい、真帆のもとを後にした。

 いよいよオペレーション発動のための最終段階だ。

 自然と気持ちが引き締まる。








「……馬鹿」





◆◆◆


 2025年8月21日




 運命に約束された日。



 俺たちが実行すべき作戦は、以下の三つだ。

 まず、オペレーション・アークライト。バレル・タイターによる、娘へのムービーレター。

 次に、オペレーション・スクルド。俺の厨二病舞台。

 最後に、タイムマシンの有人飛行実験、という名目のオペレーション・アルタイル。

 以上、三つである。

 先の二つに関しては既に成功が確約されているが、それでもここまで積み上げてきたのだ。しっかりやりとげようではないか。



 「お、おー」とフブキ。


 「は、はいっ」とかがり。


 「ニャ~、ついにこの日が来てしまったのニャ」とフェイリス。

 
 せっかく俺が呼びつけたカエデとるかと萌郁に至っては返事すらしない。

 真帆とダルは最終調整に忙しい。

 橋田母子は一線引いたところで俺たちの様子を見守ってくれている。

 ふんっ。お前たち、とくとその目に焼き付けておくがいい。




 鳳凰院凶真の、最後の舞台を。


 ……ムービーメールを送る直前、俺はある収束事項を発見していた。



『2010年7月28日正午頃、ラジ館の8階従業員用通路奥の一室で何者かが何者かに鋭利な刃物で刺される』



 これは、収束事項であった。

 今更説明するまでもない。俺はドクター中鉢が紅莉栖の首を絞めるのを目撃しているが、それで事象は完結しなかったわけだ。

 どうあがいても、その状況を目撃した俺は牧瀬親子を仲裁に入っていたのだ。

 御託を並べるのはよそう。

 結論を言えば簡単だ、ならば俺が中鉢を刺し殺せばいい。

 ……冗談だ。それが成功しないことは、もう嫌と言うほど論じていたな。

 ならば、俺が紅莉栖の替わりに中鉢に刺されればいい。

 なぜならβ世界線において俺は2025年まで死亡しないため、おそらく治療すれば治る。

 シュタインズゲートへ到達しても、刺された事実は消えない。これについても既に説明したな。

 この行為自体がシュタインズゲート到達のための因果だからだ。改変は連続性を持つ。

 故に、シュタインズゲートへ到達した俺は、どこか病院のベッドで目を覚ますことだろう。

 だから、安心して俺はドクター中鉢に刺されることができる。



 だが、これをムービーメールで言葉にして伝えてもいいものだろうか。

 これを伝えて、あの時の俺は勇敢にもタイムトラベルへと歩みを進めるだろうか。

 これを伝えて、あの時のまゆりは俺の背中を押してくれるだろうか。

 ……この事実は、あの時の俺に、その時自分で思いついてもらわねばならない。

 大丈夫だ、"俺"ならできる。

 もう一つ、確信がある。

 あの時の夢、もう一人の俺。

 "無意識野"によって、あの時の俺は、なにをすべきか判断できるはずなんだ。

 だから、がんばれよ。あの時の俺。




 時は満ちた。





 ―――さぁ、行こうか。








                         「メールは受け取ったか?」


                「テレビニュースを見るんだ。既に見たならばこのまま聞いてくれ」


                        「初めましてだな、15年前の俺」


                「お前はこのβ世界線到達とともに電話レンジ(仮)を破棄した。そうだな?」


           「しかし俺は……お前は、1年もしないうちに再びタイムトラベル理論と向き合うことになる」


                     「向き合ってもう14年。それが俺というわけだ」


             「このメールを開いているということは、紅莉栖を救うことに失敗したということだな」


                 「さぞ、つらかっただろう。だが、そのつらさが俺に"執念"を与えた」


             「その悔しさ、その罪悪感が、2025年にこの計画を完成させた俺へと繋がったのだ」


            「ドクター中鉢が世界にタイムトラベルの論争をもたらし、世界中が戦争への道にひた走る中で」


                  「俺は地下に潜って独自にタイムトラベルの研究を続けた」


         「鈴羽が使っているタイムマシンは、俺とダルの研究のたまものだが、その基礎理論はSERNが構築し―――」


             「お前が"なかったこと"にしてきた世界線において、牧瀬紅莉栖が発展させたものだ」


         「型式は『C204型』。Cとは"Cristina"の頭文字だ。それがいみするところは理解してもらえると思う」


                  「とにかく因果は成立した。計画の最終段階について話そう」


                    「これでやっと計画の本題に入ることができる」


                  「牧瀬紅莉栖を救い、シュタインズゲートに入る計画だ」


       「ちなみに『シュタインズゲート』と命名したのは俺だ。なぜ『シュタインズゲート』なのかは、お前なら分かるはず」


                      「"特に意味はない"。そうだろう?」


                           「条件は二つ」
 

            「中鉢博士がロシアに持ち込んだ、タイムマシンに関する論文を、この世から葬り去ること」


                      「もう一つは、牧瀬紅莉栖を救うことだ」


      「だが、"牧瀬紅莉栖の死"を回避し、過去を改変するのは、アトラクタフィールドの収束により不可能……そうだな?」


                          「はっきり言おう」


                        「紅莉栖を救うことは可能だ」






                         「方法が間違っているだけなのだ」


                     「いいかよく聞け。確定した過去を変えてはいけない」


                   「"最初のお前自身"が見たことを、なかったことにしてはならない」


                   「それは"確定した過去"であり、世界線が"収束した結果"だからだ」


                   「なかったことにすれば、過去改変が起こり、すべてが失われる」


                          「"なかったことにしてはいけない"」


               「いくつもの世界線を旅してきたからこそ、タイムマシン開発にすべてを捧げた俺がここにいる」


              「お前が立っているその場所は、"俺たち"が紅莉栖を助けたいと願ったからこそ到達できた場所なんだ」


                   「お前が経験したわずか3週間の"世界線漂流"を、否定してはいけない」


                               「だが―――」


                             「"騙す"ことはできる」


                            「"騙す"相手は、お前自身だ」


               「生きている紅莉栖を、過去の自分に死んだと観測させろ。そうすれば過去改変は起きない」


              「これより最終ミッション、未来を司る女神作戦<オペレーション・スクルド>の概要を説明する」


                          「"確定した過去を変えずに、結果を変えろ"」


                「"血まみれで倒れている牧瀬紅莉栖と、それを目撃した岡部倫太郎"。その過去は確定している」


                         「だが逆に言えば、確定しているのは"それだけ"だ」


                             「"最初のお前"を騙せ」


                               「世界を、騙せ」


                      「それが、『シュタインズゲート』に到達するための条件だ」


                        「健闘を祈るぞ、狂気のマッドサイエンティストよ」


                                「エル――」


                                「プサイ――」


                                「コングルゥ」


◆◆◆







 ―――これでシュタインズゲートへの道筋はついた




 ―――俺は、約束したからな。逃げた人質を必ず捕まえに行くって



 ―――鈴羽の事もよろしくな



 ―――これまでありがとう、岡部さん



 ―――私も……呼んでいい?オ………オカリンさん、って?



 ―――そしたら俺も、真帆たんとかまほニャンって呼んだのにな



 ―――持って行ってください。お守りです



 ―――絶対に返してください。……ママと一緒に。



 ―――全員下がれ!………計画名は、"彦星作戦<オペレーションアルタイル>"!



 ―――やっぱ、ここへ戻って来い!



 ―――凶真ぁぁ!凶真がいなきゃヤダぁぁぁ!



 ―――みんなずっと待ってるからっ!











 ―――絶対に帰って来なさいっ!








◆◆◆












「ごめんね……まゆねぇさん。やっぱ無事には、戻れそうに無い……みたい……」


 軋むタイムマシンの中で、鈴羽は強烈なGに苛まれながらも、肺、横隔膜、声帯、そして口を動かし、必死に声を絞り出す。


「タイムパラドックスを避けるためにあそこから跳んだのはいいけど……。一年後まで帰れる燃料は、もう残ってない……」


 すでにメインバッテリーは切れた。タイムマシン内部は真っ暗だ。

 予備電源もいつまで持つかわからない。


「……かと言ってさ、一度タイムトラベルに入ったら途中下車もできない。カー・ブラックホールが作り出した特異点内からどこに弾き出されるかは……運次第」


 メインコンソールに亀裂が入る。どこからか焦げ臭い臭いがする。

 鼻腔が痛い。目蓋が熱い。


「それが、1日後なのか、1年後なのか、100年後なのか、1億年後なのか……」


 もちろん、シュタインズゲート観測点が達成されれば、まゆりも鈴羽も再構成される。だが、もし失敗したら……。

 鈴羽の脳裏に、かつて父親のデスクで盗み見た"ゼリーマンズレポート"の被験者の、最期の姿が浮かんだ。

 途端に恐怖に襲われた。軍隊で鍛えられた鋼の精神など、関係ない。

 モノポールエンジンが破損したのだろうか、周囲に電撃が飛び散る。

 怖い――怖い――死にたくない――

 ぎゅっと、目をつぶる。




「スズさん」


 不意に、まゆりが話しかけた。


「ありがとう。私を、あの日へ連れて行ってくれて」


 鈴羽ははっとした。

 まゆりから、まゆねえさんから恨まれこそすれ感謝される筋合いなど自分にはないと思っていた。

 そんな中、まゆりは、鈴羽に微笑みかけていた。

 あぁ、そうか。

 これで、よかったんだ。

 あたしの人生に、意味はあったんだ―――

 鈴羽の中に芽生えた恐怖は、どこかへ忘却されていた。






 
 ドォォン。





 突然、強烈な振動と爆音に包まれた。


「きゃあああっ!」


「っ!」


 振動は一瞬で止まった。

 鈴羽にはそれがどこかへ不時着したのだとすぐ理解できた。

 慌ててタイマーを起動する。わずかに残っていた予備電源によって西暦が表示される。



 ―――目を疑う数値に、鈴羽の頭は真っ白になった。




「……な、なんで。なんでッ!?」




 暗闇に浮かび上がる赤い数字。



 ……鈴羽の網膜には『1975』の四字が焼き付いていた。



◆◆◆





「まさか、このC204くんの初期設定年に不時着するとはね。日付はかなりずれてるけど……」


 あまりにも汚らしくすすけてしまっているこの時代の東京の空。林立する工場の煙突から噴出している得体の知れない煙や粉塵、そして、群れをなして地を這う自動車の真っ黒な排ガスなどが光化学スモッグを生み、都市の上空を死のベールのように覆ってしまっている。


「うわぁー、空気が美味しくないのです……」


 鼻をつまむまゆり。

 UPXや大ビル、秋葉原タイムスタワーなどの高層ビルが存在しないため、いつもより空が広く見える。


「まぁ、まゆねぇさんだったらそーゆーリアクションになるよね」


 彼女が生きていた時代、すなわち環境問題が社会問題として取り上げられた後の東京の空は、大気汚染防止法やディーゼル車走行規制の実施と、大気汚染物質広域監視システム、低公害車、大気浄化実験施設などの開発で、澄んだ青空が広がっていた。


「うーん……参ったなー。まさか過去方向へ不時着するなんて」


 頭をかく鈴羽。

 背後には先ほどまで搭乗していたマシンは無い。

 C204型は鈴羽とまゆりを降ろした後、カー・ブラックホール発生装置が異常稼動し、事象の地平線<イベント・ホライゾン>へと飛ばされ、観測の向こう側へと消え去っていった。


「どうしてまいったなーなの?」


「シュタインズゲートへの到達は2010年8月21日のはずだから、私たちはここであと35年間過ごさないと世界は再構成されないんだ」


「そっかー。ちゃんとオカリンしゅたいんずげーとに到達するんだー」


 よかったー、と微笑むまゆり。

 岡部倫太郎の目を覚ますことに、成功したのだと。

 彦星は織姫と出会えたのだと。

 鳳凰院凶真は、復活するのだと。



 不思議と、そういう確信があった。





「いや、まゆねぇさん。まだそうと決まったわけじゃ……」


 再度頭をかく鈴羽。

 喜んでいるまゆりを見て、申し訳ない気持ちになる。


「えー、そうなの?」


「うん。35年後を観測すれば成功か失敗かどっちかに確定するんだけど」


「そっかー……」


 うってかわってしょんぼりするまゆり。

 しかし、すぐさま元気を取り戻す。


「でも、だったらまゆしぃたちはちゃんと2010年まで生き残らなきゃだね!戦わなければ生き残れないだよ!スズさん」


「……君たちはたまによくわからないことを言うよね。厨二病、っていうの?」


「うーん、ちょっと違うかなー」


「ともかく、誰かに見つかる前にここを退散しないと」


「……ねえ、スズさん」




 屋上の鉄扉へと向かう鈴羽の背中に、まゆりのどこかさびしげな声がかかる。




「この1975年でも、お星様は輝いているのかな……」



 
 まゆりが空へと、片手を伸ばした。

 光化学スモッグですすけた青空のさらに上に瞬く、星屑と握手をしようと―――








 その時だった。





 突然、空間が歪み、振動が伝わってきた。

 オゾンの臭いが鼻につく。

 そして、まばゆい閃光が、眼を焼いた。


「ッ!!」


「えっ!?な、なに!?」




 ドォォォン!



 先ほどの不時着時と類似した爆発が起こる。

 いや、鈴羽たちが到着した時よりも荒っぽい振動だった。

 粉塵が舞う。二人は咄嗟に腕で顔を覆った。

 二人はゆっくり、目を開ける。

 そこには。


「タ、タイムマシン!?」


「な、なにこれ!?どういうこと!?聞いてない!!」


 そこには、一台のタイムマシンがあった。




 軋んだ音を立てながらハッチが開く。




 マシンはあちらこちらから煙を噴出している。見るからにボロボロだ。

 黒こげになったタイムマシンから。





 一人の男が登場した。





「オ、オカリン!?」


「オカリンおじさん!?」

◆◆◆




 うえっほ、げっほ、ごっほ。うおーっほ、がっほ、げっほ。

 くそっ、煙を目いっぱい吸い込んでしまった……。

 俺が計画していたカッコイイ登場とはほど遠いものとなってしまったな。

 だが、そんなことはどうでもいい。今はとにかく―――


「鈴羽!すぐ手伝え!思考を放棄して俺の言う通りにしろ!」


「!」


 大丈夫だ、この鈴羽なら軍事訓練を受けている。こういうことには慣れっこのはずだ。

 予想通り、俺の態度にすぐ反応した。この俺の33歳の姿を見てもまったく動揺しないとは。

 鈴羽は今にも爆発しそうなFG-C193型に何のためらいもなくかけよった。


「C204型の現在の状況は!?」


「はっ!現在観測点へ搭乗員二名を降ろした後、時空より消滅しましたっ!」


 なるほど、想定の範囲内だ。やはり、予備のバッテリーは無駄になってしまったな。

 というか、敬語か……。まぁ、今の俺は完全におっさんだからな。仕方ない。


「では、今すぐコレを整備しろ!」


「オーキードーキー!」


 鈴羽は俺の命令通り、まったく無駄な動きなくFG-C193型の整備を開始した。こいつは開発メンバーの一人である俺よりもマシンの高度な整備に詳しいはずだ。

 これでいい。後は、二人をFG-C193型に乗せて、2025年へ送り届けるだけだ。

 頼むぞ、C193型。あと一回くらいはもってくれ。


「これで有人飛行実験は成功だな。ダルや真帆はさぞかし良いデータが取れたことだろう」


 フフフ、ククク。

 フゥーハハハ!

 俺は人類初のタイムトラベラーとなったのだ!




 ……なんてな。そんなことはどうでもいい。




 それよりも。




 俺はゆっくりと後ろを振り向いた―――











「……オカリン」







 その声も。



 その顔も。



 その髪も。



 その瞳も。





 ―――14年前となにも変わっていない、椎名まゆりがそこにいる。







「まったく、人質のくせに生意気だ。俺の手からは逃れられん。絶対にだ」




「オカ……リン……っ!」



 涙を流して。

 鼻水をたらして。

 唇をかみ締めて。

 顔中ぐしゃぐしゃにして、まゆりは俺の胸に飛び込んできた。




「オカリンッ!オカリンッ!オカリンッ!!」




 そう何度も何度も"俺の名前"を連呼するな。こそばゆい。

 まゆりはまるで、俺が実体であることを確認するかのように、俺をきつく抱きしめた。

 まゆりの、とても小さくて柔らかくて、暖かい手が、俺の形をなぞっていく。

 あぁ、もう涙も枯れ果てたと思ったが。

 俺は血も涙もない、狂気のマッドサイエンティスト。

 目的のためには、平気で仲間を犠牲にする。


 


 ふと気づけば、俺の頬を伝う生暖かい感触があった。






「おじさん、どうしてここがわかったのですか?」


 応急処置を完了した鈴羽がマシン昇降口から顔を出した。


「何、簡単なことだ」


 まゆりを抱きとめたまま、鈴羽に答えてやる。


「人質がどこにいるのか、俺は常に把握しているのだ」


 それだけのことだ。


「やっぱり……助けに来てくれた……!いつも、オカリンは、助けに来てくれて……!」


 声にならない声を出しているまゆり。


「がんばったな、まゆり。お前は、栄誉あるラボメンナンバー002の、偉大なる初任務を成功させた」


 まったく、お前はすごいやつだよ。




「やっと、まゆ……しぃは、オカリンの……役に……立てたよ……」




 その台詞は、いつかどこかで、俺が聞いたことのある台詞。

 俺は溢れ出しそうになる涙を、歯を食いしばってこらえた。

 とっさに、鳳凰院凶真を呼び覚まし、自分の涙をごまかす。

 ずっと大切に持っていたガラケー、いや、ケータイを、自分の耳にあてる。




「……俺だ。あぁ、そうだ。椎名まゆりはここにいる。計算通り、俺の"リーディングシュタイナー"は発動していない」


「もちろん、俺が守る。それが"彦星作戦<オペレーション・アルタイル>"だ」


「世界に訪れる混沌。これこそが、運命石の扉<シュタインズゲート>の選択なのだ―――」


「エル・プサイ・コングルゥ」




 俺はやさしく、そう言って。

 ケータイをしまった。





「お、おじさん。ごめん、KY?って言うんですよね。わかってます。だけど、どうしても今すぐ聞きたいことがあります」


 ……わかっている。そうだな、伝えなければならない。


「"あの時の俺"がシュタインズゲートへ到達したかどうか、だな」


「は、はい」


 ゴクリ、と鈴羽が固唾を飲む。


「俺が、俺たちが弾き出した計算では……」


「……」




「シュタインズゲートの観測は、既に確定事項だ」




「……え」


 呆け顔の鈴羽。ほう、β鈴羽でもそんな顔ができるんだな。


「ということは……」


「あぁ。俺たちの作戦<オペレーション>は、成功した。お前の父親がお前に託した任務は、完遂したんだ」



「な、な、な……!!!」


 全身が震えだす鈴羽。

 身体をかがめ、拳をきつく握り締める。

 その表情は、既に今までの鉄仮面ではなくなっていた。




 ―――そして、天高く飛び上がった。



                             「成功したアアッ!!!!」




 それは、心の底からの笑顔で。

 天空へ向かってガッツポーズを決め、全身全霊で叫ぶ。

 ……そう言えば、同時にまゆりの"スズさんを笑顔にしよう大作戦"も成功したんだな。



「成功した成功した成功した成功した……ッ!」


「成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した……」


「成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した……ッ!!!!」




「あたしは、成功したアアアアーーーーーーーッ!!!!!!!」






 それはまるで、自分の存在をこの世界に知らしめるような、喜色にあふれた咆哮だった。



 ぷっ。くははは。

 うむ。いい顔だぞ、鈴羽!

 これで俺もダルと由季さんに胸を張って感謝ができそうだ。




 世界線が再構成されれば、こいつは、世界中の誰よりも優しい母親と父親のもと、仲むつまじく暮らしているはずなんだ。

 すべてのつらい思い出は、なかったことになる。

 軍事訓練も、反政府組織としての闘争も、目の前で起こった母親の死も……その身体の傷も。

 戦争なんて知らない。誰にも殺されないし、誰も殺さなくていい。

 誰かに大切な人を奪われなくていいし、誰かの大切な人を奪わなくていい。

 俺たちの時代の女子大生のように、普通にオシャレして、友達と街で遊んで、恋をして……。

 そんな当たり前のような幸せが、待ってるはずなんだ。




 鈴羽。




 お前は、俺たちの希望だ。




 この世に生まれてきてくれて、ありがとう―――








 俺たちは、三人とも。





 あまりのことに感動してしまって。





 まもなく訪れる。






 迫っている危機に。






 誰も気づくことができなかった。






















『そこに誰かいるのか!?』









◆◆◆






『そこに誰かいるのか!?』


「!?」


「しまった!」


 突然、ラジ館屋上の鉄扉が叩かれ、男の声がした。

 しまった!屋上で騒ぎすぎた!


『おい、待ってろ!今鍵を持ってくるからな。事情はわからないが、とにかくこの扉を開けてやろう!』


 そういって鉄扉の向こうに居たであろう男性は、階下へ降りていった。

 まずい……。このままでは非常にまずいッ!

 俺の作戦が台無しになるッ!

 もしこのFG-C193型タイムマシンがこの時代の人間に発見されてしまったら、深刻なパラドックスが発生してしまう!

 そうなったらどうなる……。シュタインズゲートへの道は、永遠に閉ざされてしまうッ!!!


「鈴羽!今すぐタイムマシン起動の準備をしろ!」


「オーキードーキー!」

 
 歓喜の雄たけびを上げていた興奮状態から一瞬にして鈴羽はオペレーションモードへと切り替わった。

 とにかく迅速に、一刻も早くこの時空から二人を離脱させなければならない。

 タイムマシンに飛び込む鈴羽。

 急げ、急げッ!時は一刻を争う!


「おじさん!完了しました!」


「わかった!鈴羽、そのままコクピット内で待機!まゆり、タイムマシンに乗り込め!早く!」


「えっ、えっ」


 先ほどからの状況の変化についてこれていないまゆり。

 くそっ、時間がないッ!
 




「いいから早く!俺の言うことを聞くんだ!」


「や、やだっ!絶対やだよっ!」


「ま、まゆり!?」


 俺の胸倉につかみかかってきた。それも、ありったけの力を込めて。

 糞がっ!こんなことをしている場合ではない!


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だアアアッ!オカリンとまた会えたのにッ、また離れ離れになっちゃうなんてッ、絶対やだもん!死んでもやだもん!!離さないもんッ!!!」


 はち切れんばかりの声。自分でも自制できないほどの状態なのだろう。

 仕方ない、こうなったら無理やりにでも放り入れるしかない!


「うるさい!黙って言うことを―――」




「……おじさんッ!ごめんッ!」




 その時、俺は瞬時に鈴羽に両腕を背中の後ろで拘束された。

 い、いつの間に俺の背後を……ッ!


「き、キサマァ……。いったい、なんの真似だ、橋田鈴羽ァッ!」


 俺は14年間ずっと地下でひたすらに研究に明け暮れた身体。

 それに比べてこいつはまだ19歳の元軍人。

 俺に抵抗できる力は、無い。


「まゆねぇさん!乗って!二人で時空移動を開始して!」


 な、何ィッ!?

 鈴羽がここに残るというのか!?

 それではダメだ!俺のオペレーション・アルタイルが!

 失敗に終わってしまう!!


「スズ……さん……」




「マシンは二人乗り。オカリンおじさんとまゆねぇさんが乗るべきだよ。あたしはここに残って、35年間を生き抜くからッ!」


「黙れ!黙れ黙れッ!いい加減にしろッ!俺の作戦を邪魔するんじゃないッ!たとえそれが誰であろうと、たとえそれが悪の組織であろうと、たとえそれが世界であろうと、何人たりとも俺の邪魔はさせないッ!!!」


「さぁ、早く!!まゆねぇさん!!」


「離せェッ!!離せ鈴羽アアッ!!!このクソアマァァッ!!!」


「……」




 ダメだ、ダメだまゆり―――




 鈴羽をタイムマシンに乗せなければ―――




 俺が、ここへやってきた意味が―――




 その時。


 俺は一瞬、ある可能性について考えてしまった。


 考えなければよかった。


 なぜ考えてしまったのか。


 いや、それも必然だろう。ここ数年、そればかり考えていたのだから。


 思考している途中で。


 とても据わりが悪くて、急激に心に不安をもたらすその感覚。


 ……二度と味わいたくないと思った、あの感覚。


 ギュッと、冷たい手で直接心臓を鷲づかみにされたかのような、そんな錯覚。









『"鈴羽が1975年からその時間を生き、2000年に死亡する"は、β世界線の収束である』







 なぜβ世界線の店長は橋田鈴の名前を知っていた。

 なぜ大檜山ビルはミスターブラウンが所有していた。

 なぜ天王寺家は新御徒町にある。


 α世界線でもそうだった。


 つまりこの事象は、よりマクロな世界線の収束なんじゃないか。


 ここは俺たちにとっての世界線大分岐となる2010年よりも過去だ。αでもβでも収束する可能性は大いにある。


 『だったら仕方ない』

 
 なにが、なにが仕方ないんだ。


 『世界線の収束には逆らえない』

 
 そうじゃない、そうじゃないだろ鳳凰院凶真……ッ!!ふざけるなッ!!


 『そうやって結論を出したのはお前だ』


 違うッ!俺の理論が間違っていただけなのだッ!


 宇宙がまだ隠し持った、秩序のない理論がッ!


 その摂理はッ!"神"が作ったものなんかじゃないッ!真帆が教えてくれたじゃないかッ!


 あるはずだ!あるはずなんだッ!鈴羽を救う方法が……ッ!!


『お前は、狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真だ』


『目的遂行のためには、仲間の犠牲も厭わない』


『そうだろ』



 ……ッ!!!





「オカリンおじさんは、逃げなかったんですね。父さんの言った通り、強い人だ」


「す、ずは……?」


 鈴羽はそう言うと、拘束の力を緩めた。


「あの時、傷つけてごめんなさい。この一年、ずっと、ずっとあなたに謝りたかった……ッ!」


 ……なんてことだ。

 こいつは。

 自分の行為が、俺を責め続けた一年が、世界の収束だという事を知らない。

 お前が責任を感じる必要は微塵もないんだ。

 だから、謝らないでくれ、鈴羽。

 だから、泣かないでくれ、鈴羽。

 必要なことだったんだ。

 鈴羽のおかげで、俺は執念を得たのだから。



 そして鈴羽は、混乱している俺に。

 自らの涙を拭いて、やさしく微笑みかけた。


「大丈夫。あたしはこの時代で幸せになります。だから、オカリンおじさんも、幸せになって」


 なにかを決意した、強い意志の表れ。

 決して遠い目などではない。

 恐怖に怯えることも、死を悲観することもなく。

 ……その事実に、たとえ気づいていなくても。

 お前は、取り残されるんだ。

 誰も知っている人間がいない、この時代に。

 まだ19歳だぞ……。まだ未成年だぞ……。

 そこには、屹然とした態度で運命に立ち向かう、一人の美しい女性がいた。

 ……俺は、そんな彼女になら、運命をも覆せるのではないかと思った。

 過去、現在、未来。すべての運命に、打ち勝てる気がした。



 そんな幻想を、抱いてしまった。



「……ホントにッ!ホントに幸せになるんだなッ!?」




 世界の収束に対して抗うために、俺は叫んだ。




「ならばッ!……ラボメンナンバー008ッ!!橋田鈴羽ッ!!」




「お前にッ!ラボメンとしての最終任務ッ!運命の女神作戦<オペレーション・ノルニル>を与えるッ!!」




 俺は、世界の支配構造を破壊する男。




「幸せにッ!!幸せに生きろッ!!!」




「絶対、絶対2010年のその日までッ!!約束されたその時までッ!!お前は、俺たちの大切な仲間だッ!!!だからッ―――」




「幸せに生きろッ!!バイト戦士ッ!!!」




 ―――狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真だ。




「……うん」


 そう頷いて、鈴羽はまゆりと俺の背中を押した。



「ほら、早く行っちゃって。もう、ラブラブっぷりを見せ付けられちゃって、こっちはたまったもんじゃないよ」



 ……どうして。


 どうしてそんな軽口が叩けるのだ。


 どうしてそんな迷いの無い笑顔が作れるのだ。


 お前は、西暦2000年に。


 シュタインズゲートを観測する前に。


 天涯孤独の身でありながら、病気で息を引き取る……。


 過去改変によって死んだ人間を生き返らせることは、秋葉幸高氏のように可能だ。


 だが、過去改変よりも時間的過去に死亡している人間は、過去改変されない。


 当たり前だ。


 再構成より前に死んだ人間は再構成後も死んだまま。


 観測者として存在できないからだ。


 お前は、シュタインズゲートへと到達できない。


 シュタインズゲートへ到達するのは、お前じゃないんだ。


 鈴羽だけど、お前じゃないんだ……ッ!!


 俺が元いた時空の、8歳の鈴羽だけなんだ……ッ!!


 お前の存在は、記憶の断片としてしか残らないんだ……ッ!


 俺の理論では、アトラクタフィールドに、抗える……。


 だが、それは限定条件下でのみだ……。もう無理だ……。


 できない……。

 
 どちらか選ぶ、余地すらない……。


 こんなことって、あるかよ……。


 これが『シュタインズゲート』の選択なのかよ……。





「もう。いい大人がひどい顔。あとはまゆねぇさん、任せたよ」


「……うん、スズさん」


 俺はもう力が入らなかった。

 世界が望む結果に対して、俺はあまりにも無力だ……。

 ただ、ひたすら、とてつもない無力感。

 ガラガラと。

 俺が14年間積み上げてきた方程式が、崩れていく。

 たしかに、シュタインズゲートへは到達するだろう。

 だが、それを目前にして、俺はまた仲間を見殺しにしなければならない。

 そんなの、ありかよ……。

 こんな、結末なのかよ……。

 ……もう、疲れた。

 俺はまゆりに導かれるままにタイムマシンに乗った。




「……準備万端。あとは、あたしがコンソールを外側から遠隔操作する。父さんも、どうしてこんな機能を作ってくれたかな……」


「スズさん、あのね……」


「……元気で、まゆねぇさん。35年後に、また会おう」


「……幸せに、なろうね」


 泣きはらした顔でまゆりはそう言った。

 次の瞬間、ハッチは閉じられ。



 タイムマシンが起動した―――

◆◆◆





「……ねぇ、オカリン。怒ってる?」


「……いや。怒ってなどいない」


「……オカリン。ねぇ、オカリン?」


「……」


「もうがんばらなくても、いいからね」


「……」


「泣いてもいいんだよ……オカリン……」


「……」


「まゆしぃはそばにいるからね……」


「……」


「オカリンはね、まゆしぃの彦星様なんだよ……」


「……」


「まゆしぃはね、オカリンの織姫様に、なれたかな……」


「……」






 こうして俺のオペレーション・アルタイルは―――































































 失敗した。










◆◆◆



 2025年8月21日




 町工場のような建物に、オゾンの鼻をつく臭いが広がった。


「……橋田さん。トレーサー確認」


「……オーキードーキー」


 ひとしきり叫び、皆、喉が疲れている。


「えっと……その機械で、凶真さんの居場所がわかるんですか」


「機械が正しく動いていれば、問題ないはずよ」


 漆原るかが心配そうに計器を見つめる。

 画面上では、座標特定のための量子コンピュータによる計算の視覚モデルが表示されている。


「……!!見つけたお!!」


「!」


 その場に居た全員に緊張が走る。


「一度、1975年へ寄り道。その後、9分24秒経過の後、再度タイムトラベル……!!」


「ま、まさか、成功したニャ!?」


「橋田さんッ!!その後、こちらへ向かっているの!?」


「……ちょ、ちょっと待つお。まだ計算できてないっぽい」


 このトレーサーは最大七千万年前の過去から未来に至るまでトレースできる。

 だが、トレースのために必要な演算時間は時空跳躍時間に比例して増大する。


「……」


 皆が、固唾を飲んで見守る。


「……!? そ、そんな、馬鹿なぁっ!!」


「は、橋田さん!?いったい、どうしたというの!?」


「トレーサーが……トレーサーが……」





「カンストしたお……」




「カ、カンストってどういうこと!?まさか、トレーサーの計算外の時空に飛び出たってこと!?」


「いや、それはないはず。そもそもFG-C193型の飛行可能領域に合わせてトレーサーの計算限界を設定してあるから」


「じゃ、じゃあ、まさか、事象の地平線<イベントホライゾン>に……」


「いや、それだったらカンストする前のその時点で演算が終了するはず」


「じゃあ!いったいカンストしたってどういうことなんですか!?ダルさん!!」


「それはつまり……最大可能跳躍を達成した、ってことじゃね?」


「……それって」


「C193型は今、7000万年前の地球にいると思われ」


「そ、そんニャァ……」


「そんなのって……」


「あんまりです……」


 皆、言葉を失った。


「……え、えっと。1975年のタイムトラベルは、鈴羽の生体認証による外部起動だったっぽい」


「えっ?ということは……」


「C193型に乗ったのはまゆ氏とオカリン。鈴羽は……半世紀の間、生きていたなら、69歳のはず……だけど……」


「……」


 もし橋田鈴が、橋田鈴羽が生きているとするなら。

 もう自分たちは初老の女性との出会いを果たしているはずなのだ。

 それが無かった、ということは―――

 そしてもうひとつの事実。岡部倫太郎と椎名まゆりは7000万年前に飛ばされ、もう二度と戻ってくることはないということ。この事実が、全員の肩に重くのしかかった。


「ママ……」


「うそつき……」


 鈴羽が現在まで生きている可能性など無いことに誰もが気がついていた。

 岡部倫太郎と椎名まゆりに至っては人類誕生以前に死亡している。

 全員、死んでいる―――



「……橋田鈴さんのことは、裕吾さんに確認してある」


 萌郁が口を開いた。


「……橋田鈴さんは、2000年、病気で亡くなった、らしい」


 わかっていた。

 わかりきっていたことだ。

 未来ガジェット研究所の結論としては、天王寺裕吾の言うところの『橋田鈴』は、きっと同姓同名の別人だろうということにしていた。

 そういう解釈で理屈を並べていた。

 そうでなければ研究などできなかった。

 そこで、思考停止していた。


「おい、どうしたお前ら。実験は成功したのか?」


 そこへ47歳になっても筋骨隆々とした天王寺裕吾が現れた。


「……私が、メールして呼んだ」


「お、教えてください天王寺さん!おねえちゃん……いえ、橋田鈴さんの、最期を……」


「あぁ、メールにもそんなことが書いてあったな。ほら」


 そう言って取り出したのはニキシー管、いや、ダイバージェンスメーターだった。


「このメーターが2036年になったら、この表示された数値が変わるから、絶対に変わるから」


「だから裕吾。その時まで必ず生き抜いてくれ」


「もう58のジジイになってるだろうけど、それでも」


「2036年まで、死ぬんじゃないって」


「私の代わりに生き抜いてくれって」


「幸せに生きてくれって」


「そればっかりうわ言のように呟いててよぉ」


「だから、14年前のあの時、このちっこいねえちゃんに自殺を止めてもらったことは、今でも感謝してるんだぜ」


「鈴さんとの約束を破るところだったからな」


「まぁ、橋田の野郎の奥さんが鈴さんそっくりだったのには度肝抜いちまったけどな、ははは」


 視線が橋田親子に注がれる。

 そこには。

 何を話しているのかよくわかっていない鈴羽と、どんな表情をすればいいのかわからいといった感じで困惑している由季の姿があった。

 鈴羽の両肩を握る手に力が入る。



「……ホントに、最低最悪の世界線だ」


 ふと、ダルがこぼした。


「なにが収束だよ、なにがアトラクタフィールドだよ」


「そんなもん、クソゲーじゃねーか!」


「……僕はこの歳で」


「娘を亡くしてしまった」


「親友も亡くしてしまった……」


「最愛の妻だってッ!2036年までに、どんなに足掻いたって守れないッ!」


「それが収束だから……?」


「ふざけんじゃねえよ!!」


「こんなことってあるかよ!!」


「僕は……僕は、いったい誰を怒ればいいんだよ……」




 その時、鈴羽がダルの白衣の裾を掴んだ。




「父さん、私、生きてるよ?」




 その一言に、その場の全員が目を見張った。

 そうだ、この鈴羽は、今まさに生きている。

 あの鈴羽だって、自分たちが知らないだけで、きっとしっかりこの世界線の時間を生きてきたんだ。



 生きてる。



 でも、生きてる。



 岡部倫太郎も、椎名まゆりも、どこかで必ず生きてる。



「……ま、待って。おそらく、天王寺さんの言う橋田鈴さんと、私たちが知ってる鈴羽さんは、別の世界線の人物のはずよ」

 真帆がおそるおそる口を開く。

 何を言おうか、言いながら考えている。

「だって、あの鈴羽さんはオペレーション・アークライトを成功させている……ってことは、その時点から過去方向に飛んだのだから、2010年8月21日にシュタインズゲートを観測する世界線に居なきゃ、おかしい……!!」


「!!」


 ダルが顔を上げた。 


「て、店長さんが知ってる橋田鈴さんは、オペレーション・アークライトを失敗した方の鈴羽さんのはず……。ダルさんは、直接会っては無いけど、二台目のタイムマシンを見たでしょ……?」


 声が震えている。推論が推論を加速させる。


「お、おう!」


「だ、だから!もし2010年まで生き……て……いれ……ば……」


 そこで真帆は、またも気づいてしまう。

 β世界線の収束という事実に。





「……」


「い、生きていれば?」


 フブキか答えるよう促す。




「……ふふふ、くくく」


「ク、クリス氏?」


「フゥーハハハッ!!」


「クーニャン!?」


 そこには、白衣を大きく翻してポーズをとる、比屋定真帆の姿があった。


「……それはつまり、我々の開発したタイムマシンは、完璧だったということだッ!」


「!」


「なにを案ずることがあろうか。なにをためらうことがあろうか」


「俺たちは、世界の支配構造を破壊するッ!」


「実験は、成功したのだ!」


「ヴァルハラでの再会は、既に約束されたッ!」


 真帆は、強い言葉を、彼の言葉を口にするたびに、涙で声が出せなくなりそうで、必死に堪えていた。


「これが、シュタインズゲートの選択だッ!フゥーハハハ!」


「ク、クーニャンがおかしくなっちゃったニャ~」


「……フ、フフフ、フゥーハハハ!」


「は、橋田さんも!?」


「ふぅーははは!」


「鈴羽まで……」


「……ふふっ」


「あはは……」


「なんだおめぇら。気持ち悪ぃ笑い方しやがって」


「……」


ピピピピ……


「ん、なんだ萌郁?メールか?」


『フゥーハハハ! v(^-^)v
 岡部くんはみんなの中に生きてるってことだよ!
 だから大丈夫
 世界を変えよう♪』


「お、おう?」







どれだけ世界線を越えたとしても、意思は連続していく―――




◆◆◆





 FG-C193型は故障していた。

 元々無茶なタイムトラベルだったのだ。結局俺とまゆりは再度過去方向へ飛ばされることとなってしまった。

 まず言っておこう。俺たちが今いるこの世界線はシュタインズゲートでもなければ可能性世界でもない。どの世界線なのかはダイバージェンスメーター紛失のため(多分鈴羽に盗られた)正確にはわからないが、とりあえず俺という主観が存在しているので観測不可能な可能性世界とは異なる。収束の影響から抜け出すことはできないため、ここはβ世界線、もしくはよりマクロな収束の範囲内だ。

 シュタインズゲートとは別の世界線に今俺がいるということは"あの時の俺"はシュタインズゲート到達に失敗したということだろうか。いや、そうと決まるわけではない。

 確かに、世界は多世界解釈でなりたっているわけではない。かつてジョン・タイターが残した、いや、今後ジョン・タイターが残すこととなる多世界解釈は、あれはSERNを欺くためのフェイク情報だった。そうではなく、世界線変動と共にすべては"なかったことに"なる。世界は塗り替えられる。

 だが、俺が今いるここは時間的過去なのだ。シュタインズゲート観測点より未来ではない。

 俺がシュタインズゲートへと到着するための因果律崩壊の因果を成立させている、どこかの世界線上の過去方向の観測点なのだ。

 いわば、記憶の世界なのだ。

 故に、その世界線が存在するためには当然俺が今いる観測点も確定していなくてはならない。

 俺が今いる場所は、シュタインズゲートを手繰り寄せる因果の成立に必要な場所であり、確定した過去であり、必然の歯車である。



 たとえそれが、どんなに過去でもだ。



 たとえそれが、人類が誕生する以前でもだ。



 そう、ここは。



 7000万年前の地球―――







「オカリン!ネズミさんがいたよー!かわいいでしょー」


 まゆりの手のひらの上にはネズミのような生物がいた。

 このとんでもない状況下でなんとまあお気楽なものだ。

 そんなまゆりに救われているわけだが。


「どんな病原菌を持っているかわからないぞ。それに、もしかしたらそいつは俺たち人類の祖先かも知れない。丁重に扱えよ」


「えーっ?じゃーこの子はまゆしぃの、おじいちゃんのおじいちゃんの、おじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんのおじいちゃんの……」


「……まゆり。のび太君みたいなことを言うんじゃない」


 まぁ、たとえこのネズミを殺したところで祖父のパラドックスは起きないがな。

 それにこの世界線でも西暦2025年には俺が死亡することが確定しているため、ネズミの殺害のために人類が誕生しないということも有り得ない。

 俺たちは安心して日々生き物を食べて生活することができる。

 が、とりあえずはタイムマシンに備蓄してあった非常食糧で食いつないでいる。

 気候は思ったより温暖で、秋葉原なのに沖縄にいるかのようだ。


「あー、暇だ。さすがに娯楽が無さ過ぎる」


「テレビって画期的な発明だったんだねー」


 フェルディナンド・ブラウンには頭が上がらないな。


「そーいえばさ、オカリンのりーでぃんぐしゅーくりーむは、今でも使えるのかな?それがあれば、別の世界のまゆしぃたちが何をしてるのか、わからないかなー?」


「リーディングシュタイナーだ。この時代ではたとえ使えたとしても意味はないだろう……。いや、そうではないな。この世界線でも今から7000万年後に俺は誕生することになるのだから、今俺の中にある記憶や意識はお互いのリーディングシュタイナーによって影響がある可能性がある、のか」


 俺はリーディングシュタイナーの発動において「同じ時刻」という条件が決定的に重要なのだと今まで思っていたが、それは受信しやすい観測点が「同じ時刻」だというだけで、時間的な差というのは実は重要ではないのだ。

 なぜなら、記憶とは「過去を思い出すこと」であり、思い出す地点よりも時間的に過去の記憶はすべて拾うことが理論上は可能である。当たり前だ。

 だがリーディングシュタイナーの場合、別個の脳の記憶をデジャブとして思い出すことができる。

 要は記憶領域が脳の外部にあるので、たとえ今の俺が生物的な死を迎えようとも、この7000万年前の記憶の断片は未来で受信することが可能なはずだ。

 そこは世界の外側にある領域なのだから、すべての世界線で過去に存在する俺の記憶は受信される可能性がある。




『過去にだって今すぐ行けますよ。夜になったら望遠鏡で空をのぞいてみてください。何万年も前の光を見ることができるでしょう』


 紅莉栖の声が聞こえた気がした。



 俺とまゆりは、彦星と織姫は。7000万年前から現在を照らしている。



 真帆。こんな形でしか約束は果たせそうにないが。俺の記憶の断片を、意思の連続を。きっといつか、受け取ってくれ。



 かがり。お前がまゆりの娘になってくれて本当によかった。お前のお母さんの大切な宝物、必ず未来に返すからな。




「それじゃー生まれてくるオカリンは7000万年前のオカリンの記憶を見れるんだねー!すごいなー、考古学者になれるねー」


「ははは、そんなの白昼夢と一緒ではないか。即刻黄色い救急車だッ」


「えぇー、オカリンが入院したらやだよー」


 ヒシッと俺にしがみつくまゆり。

 こいつは本気で俺の心配をしてくれているらしい。

 まったく、どこまでもあっぱれなやつだ。


「まゆりよ。この時代に病院があると思うのか?それに入院するのはこの俺の方ではなくて……」


「んー?あそっかー!ならオカリンが入院することはないねー、よかったー」


 ふふふー、と笑うまゆり。

 いやいや、それはそれで問題があるだろう。



 キラキラと顔を輝かせたまゆり。
 
 やさしさに満ちた微笑み。



「でもうーぱがいてくれてよかったー。これでさみしくないね、オカリン」


 そこには、俺がタイムトラベルを開始する直前、かがりに手渡された緑のうーぱキーホルダーがあった。

 それは、かがりの大切な宝物。

 かがりの母親が、大好きだったマスコットキャラクター。


「きっとそのかがりちゃんとはねー、まゆしぃ気が合うと思うなー」


 あぁ、そうだな。

 だって、お前の娘じゃないか。

 愛情を込めて育てた、お前の娘なんだから。当然だろ。




 ふと、まゆりの存在が揺らいだ気がした。

 俺はあわてて、まゆりの頭をわしわしと撫でてやる。

 こうやって頭を撫でていれば、フラフラとどこかへいなくなってしまうこともない。


「えへへー、オカリンの手あったかいねー」


 当たり前だ。

 そんなの、当たり前だろ。

 なぜなら、俺たちは。

 生きているのだから。

 この約束の地で。

 お互いの命を感じることができる。

 まゆりの、生を感じることができる。

 まゆりと二人。

 手を繋いで、これから歩いていく。




 ―――このエデンの園で。




「ねぇオカリン。まゆしぃはね、オカリンのこと、大好きだよ」



「まゆしぃはね、幸せだよ」



「クリスちゃんと約束したはずだから……」



「幸せにしてください」



「離さないでください」



「ずっと大好きで、いさせてください」





 リーディングシュタイナーは誰もが持つ能力、か。


 もちろん、これからもずっと一緒だ。


 お前を離したりなんかはしない。


 俺たちが離れることは、ない。





 それが、運命石の扉<シュタインズゲート>の選択だよ。







「……ねぇ、オカリン」







「どうした、まゆり」







「おかえりなさい、オカリン」







「……ご苦労、まゆり」


















無限遠点のデネブ        おしまい




蛇足:書かなかった設定
SG世界線でも1975に鈴羽がいないとラボないんじゃね、について。
これも別世界線を因とする過去改変の結果が連続性を持って残っているだけなので、SG世界線で生まれる鈴羽は別に過去へ行く必要はない。


本SSの執筆にあたって、多くの考察サイト様を参考にさせていただきました。この場を借りて感謝申し上げます。
Steins;Gateをはじめとする、5pb.×ニトロプラス「科学アドベンチャーシリーズ」の関係者様に敬意と感謝をこめて。

長文お付き合いくださいましてありがとうございました。
HTML化依頼出しました。

俺の二作目のSSでした。

一作目:岡部「潰瘍性大腸炎だと……!」
    ↑糞SSですがよければ。

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