ふと、そんな昔の言葉を思い出して、私も眼鏡をかけてみた。
そうしたらね。
どうしてだろう。
気が付いたら、鏡を振り上げて泣いていたんだ。
壊してしまいたい顔を照らすのは、灰色のふきだしが映ったディスプレイ。
「来週の日曜にそっち行くから。夜、少しだけ会える?」
きっと冷たい夜になるんだろうな、と。
充電器に繋ぎっぱなしですっかり熱くなった携帯を握りしめたまま、その日は眠った。
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こんばんは。
10レスもいかずに完結しますので、お付き合いいただけたらと思います。
『知ってる? ユキムラさん』
この冬一番の冷え込み。
ポケットの付いていないワンピース型のコートを着てきてしまった私の手に行き場所はない。
両手で口を覆い、息を吐いたって無駄だ。
今は雪が止んでいるだけ、マシなのだろうけど。
再び息を吐く。
黒縁眼鏡のレンズが、一瞬だけ白くなる。
新品の茶色いムートンブーツのファーには雪が付いていた。
点滅する街灯の明かりには照らされず、それらは輝くことなく滴となって落ちていくのだろう。
もしも雪が、クリスマスのイルミネーションみたいにきらきら色を変えるようなものだったとしたら、私達はどんな目でそれを見ていただろう。
そんなことを考えながら、勢いをつけて地面を蹴り上げる。
——トン、トン。
彼の形を崩さないように、私はその中にすっぽりと収まる。
「ねえ。……足、何センチなの?」
少し、声を張り上げなければならなかった。
「26」
「私は22。身長は?」
「174」
「私は147」
ああ、道理で。
私は彼の横を歩けないはずだ。
疾うの昔から知っていたことを、今さら問い掛ける必要はなかったのだけれど。
そのことを深く胸に刻み込むことで、私は私の想いを少しだけ癒してあげることができた。
薄暗い夜道に眩しい明かりが騒がしい音を立てて通り過ぎる。
途切れ途切れの明かりは、置き去りにされた雪だるまのような私の影を浮き彫りにした。
「俺、結婚するんだ」
そして遠ざかっていく音は、振りかざされた氷柱のような彼の言葉を……かき消してはくれなかった。
足音が止まる。
その後に二回だけ、雪がゆっくりと軋む音がした。
顔半分が真っ黒のマフラーで覆われていて、彼が彼であると証明してくれるのは、薄い一重瞼と私を見つめる大きな黒目だけだ。
私は雪に足を沈めたまま、使い古して毛玉だらけになった白いマフラーを、鼻のところまでぐいっとあげる。
もう何度目かも分からない。
吐息を、こぼした。
「ユキムラさんが眼鏡かけてるの初めて見たけど……やっぱり、似合わないな」
この言葉がどんなに切ないか。
きっと私達以外には分からない。
「私はこれでいいの。この世界は、少し霞んで見えるくらいがちょうどいいでしょう?」
本来、眼鏡は文字や人の顔をはっきりと綺麗に見るためものだ。
でも、曇ったレンズではその役目を果たせない。
「見たくないものも、見なくて済むでしょう?」
「うん」
「だから……」
「でも、見落とすものもあるだろうな」
前触れもなくまた、雪が強く吹き始めた。
手袋の中で凍った指先は、もう何も感じない。
私達が恋人同士なら、こんなものは邪魔だと言って互いの手を握り、温め合うのだろうけど。
そんな幸せな妄想を無理やり描きながら、マフラーの中で生暖かい息を吐き続け、
「さっきの、本当なの?」
届かないかもしれないと分かりながら、くぐもった声でそう問い掛けた。
「見落とすものもあるって?」
「……分かってるくせに」
込み上げてくる感情が溢れ出さないように、足元に視線を落として唇を噛み締める。
おどけた彼の声は、懐かしい痛みで私の胸を締め付けた。
いつだってそうだ。
親の勝手な事情で離れ離れになった、あの日だってそうだった。
きっと彼は、私がどうしたら悲しむのかを知っているんだ。
「本当だよ」
そうじゃなければ、こうやって傍に駆け寄り、耳元で優しく囁いたりしない。
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