恭子「運命の」咲「赤い糸」 (83)

末原恭子は若干いらついていた。

授業も終わり何事もなく一日が過ぎた。

けれど四六時中「それ」を意識してしまい気が滅入っていた。

こんなものに動じる自分ではない。

そう頭では冷静に考えているが、身体は違和感を訴えていた。

日も暮れかけて薄暗くなった玄関を通り過ぎ、帰宅の途に着こうとしていた恭子は

校門を出たところで道路向かいの人物に気づき動きを止める。

それが見知った人物であったことと、その指に赤く光る「あるもの」を目にして

驚愕に目を見開き手に持っていた鞄をどさっと落とした。

その音に気づいて恭子が見ていたその人物―――宮永咲が顔を上げた。

同じく、恭子の指に光る赤いものを目にして咲の大きな目が若干さらに広がった。

咲「末原、さん……」

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恭子「一体どういうことやねん」

あの後、恭子は有無を言わさず咲を引っ掴むと、近くにあったファミレスに立ち寄った。

咲「私に言われても……困ります」

恭子の言葉に困惑顔の咲が返答する。

目の前に置かれたカフェオレを両手で掴んで口元に運ぶ。

その左手の小指。

そして腕組みをし眉を寄せたまま苛立ちを隠さない恭子の左手の小指にも、それはついていた。

――――赤い糸。

2人の左手小指には赤い糸が結ばれていた。

そしてあろうことか、恭子の赤い糸と咲の赤い糸は繋がっていたのだ。

咲「朝起きたらこれがついていて、びっくりしました」

恭子「いやに冷静やな」

咲「そんなことないです。これでも驚いてます」

恭子「そういう風には見えへんけどな」

咲「末原さんは驚かなかったんですか?」

恭子「驚いたに決まってるわ」

朝目覚めて自分の手元を見た恭子は、なんやこれはとしばし時が止まった。

すぐさま取ろうとしたが、触れると感触がなく触れないことが分かり、どういうことだと焦った。

しかも糸は部屋の外にまで伸びている。

指を何度も振ってもほどけず、ハサミで切ろうとしたが触れない。

水をかけてみたり、火を近づけてみたり、できる限りのあらゆることを試したが無駄に終わった。

仕方なく制服に着替えリビングに行くと、家族には見えていないことが分かった。

自分の指から糸が伸びて家の外に向かってリビングの中を横断しているのに、

気にせず素通りしているということはそういうことなのだろうと判断する。

切れないし、触れないし、不快この上ないが

自分以外の者には見えていないというのは不幸中の幸いだった。

いきなり指から糸が伸び出した特異人物というレッテルを貼られずにすむ。

であれば自分さえ気にしなければいい。

そう結論を出し一日を過ごした。

視界に入るのに苛立ちを感じはするが気にしなければどうということはない。

そう言った旨のことを簡単に話すと、咲も頷いた。

咲「私も似たような感じです。たまたま今日は学校が休みだったのもあって、この糸がどこに繫がっているのか興味が湧いて……」

咲「糸を辿って電車を乗り継いでここまで来ました。……そうしたら、目の前に末原さんがいました」

咲がなぜこんなところにいるのかがようやく分かった。

糸を到達点を探っていたというのか。

恭子「わざわざ大阪までか。暇な奴やな」

にべもなくバッサリと切ると、咲は少し言葉を詰まらせ、それから言った。

咲「そうは言っても気になります。だって、赤い糸なんですよ」

恭子「それがどうしたんや」

咲「………」

恭子がふたたび素っ気なく返すと、今度は咲も何も言わなかった。

赤い糸という点を強調した咲に、恭子も気づかないわけではなかった。

それがどういう意味を指すのかを知らないほど恭子も物知らずではない。

無類の読書好きと噂の咲も無論であろう。

恭子「おおかた、自分の運命の相手が誰なんか気になったってところかいな」

そう言うと、咲はカフェオレを飲む手を止め恭子を軽く睨んだ。

咲「分かってるんじゃないですか」

恭子「まぁな。……しかし残念やったな。私らのこれはそういう糸じゃないようやで」

きっぱりと恭子が言い切ると、咲は驚いたように目を若干大きく開いた。

咲「どういうことですか?」

恭子「簡単なことや。私と繋がっていたわけやからな。私が宮永の運命の相手なわけないしな」

恭子は教科書を朗読するかのような冷静な声で淡々と告げた。

咲「………」

咲は何も言わず俯いた。

恭子はそのつむじを見つめながら、大会の時もこれを見たなとぼんやりと思い出していた。

糸は2人の距離に比例しているようで、今は短くなっていた。

こんな明るい店内でもぼうっと光ってみえる赤い糸は、確実に2人を繋いだままでいた。



用事が済めばあとは特に話すことも無い。

恭子も咲も世間話で長話ができるタイプではなかった。

さっさとファミレスを出ると2人は駅まで歩きだした。

咲がどうするかは知らないが、とりあえず自分は今後も今日と同じように

この糸の存在を気にせず過ごすしかないと考える。

どうしても違和感は拭えないが慣れていくしかない。

頭を悩ますだけ無駄だろう。

恭子の隣にいる咲は、自分の左手を上下左右に揺らしたりして

糸が伸びたり縮んだりするのを物珍しそうに確認していた。

別段それで恭子の手が引っ張られたりすることもないので何も言わず放っておく。

先ほど寂しそうに俯いたのは、運命の赤い糸というものの先にいたのが自分で落胆したからだろう。

これが自分でなく咲といつも一緒にいる和だったら、咲の反応も違ったのかもしれない。

一瞬そう考えて、だからどうしたと思い直す。

そんなの気にすることじゃない。何を考えているんだ自分は。

そうしてるうちに駅に着き、改札をくぐる。

お互い方向は逆なので、なんとなくホームの中心に立ち、電車を待った。

しばらく電車は来ない。

特にに話すこともなく、でも何だか気になって隣に立つ相手の様子を伺っていると

遠慮がちに咲に声をかけられた。

咲「あの……」

恭子「何や?」

咲「これがこの先どうなるかは分からないですけど、状況を確認したいのでたまに電話してもいいですか?」

もし切れたりしたら、そちらがどうなったのかとか気になりますし、と続けられて恭子は頷いた。

恭子「分かったわ」

咲「ありがとうございます」

恭子は頷き、二人は連絡先を交換し合った。

仄かに笑った咲を見て、なぜだか気がそわそわしてしまう。

そうしているうちに恭子の乗る電車がホームにやって来た。

幾分か安堵した気分で流れこむ電車を見つめていると、咲がぽつりと言った。


咲「私は、この糸の先にいたのが末原さんでほっとしました」


恭子「……え?」

それは一体どういう意味だ。

咲「ほら、扉閉まっちゃいますよ」

恭子に何かを言う隙を与えず、咲の言葉に流されるままに車両に乗り込む。

慌てて振り向くと、何故か咲が寂しそうに笑っていた。

咲「では、また」

恭子「宮永」

口を開いたときには遅く、扉が無情に閉まるところだった。車両が動き出す。

恭子は無意識に両手を強く握りこんだ。

左手から伸びる赤い糸が小さく揺れる。

咲の見せた表情は、恭子の心に深く刻み込まれた。


*****

続きます。


*****


それから数日は何事もなく過ぎた。

他人には見えないし、触ることもできないから平気だと分かっていても

自分が動くたびに糸が中を舞いそれが絡まってしまうような錯覚を起こしてしまい、

どうしても違和感があるのは相変わらずだった。

そして―――この先には咲がいると知ってしまった。

何も知らなければ、もしくはこれが他の知人ならいっそ無視できただろう。

相手が咲だから気になってしまうところは認めたくないがあった。

だからといって何が起きるわけでもない。

しかしいつも通りの日々を過ごしていた矢先。

ある昼休みに突然咲から電話がかかってきた。

糸のこともあるし、何かあったのかと思いすぐに出る。

咲「末原さん、今何かありましたか」

逆に咲に問われた。

恭子「は、どういうことやねん」

咲「糸が、今急にすごく熱くなったんです」

咲は少し焦っているような声だった。

恭子「熱くなったやと?」

咲「はい。小指にはっきりと熱を感じました」

恭子「んなアホな。そんなことがあるんか……?」

この赤い糸は触れることができないのだ。

なのに結ばれている小指の糸から熱を感じだということか?

咲「それで末原さんに何か起こったのかと思って、慌てて電話をかけてしまいました」

恭子「何かって……」

そう言われて自分が直前まで何をしていたかを思い返す。

恭子「主将……じゃない、洋榎に今日の弁当を奪われて追い回してたところや」

恭子「あまりにしつこくて、久々に頭に来てたところなんや」

無事に奪還した弁当を握りしめながら恭子がブツブツと呟くと、

それかもしれません、と咲が呟いた。

咲「怒ったということですよね?その末原さんの怒りの感情が糸を伝わって私の指に熱を伝えたのかもしれません」

恭子「そうかもしれへんけど、事例が一回じゃまだ結論を出すのは早いで」

咲「それもそうですね」

恭子「それに宮永はどうなんや。私の方の糸は全然変化がないで」

咲「私は平穏無事に生きてますから」

恭子「さよか」


昼休みを終えるチャイムが鳴り響く。

電話の向こうでも同じようにチャイムが鳴っていた。

恭子「そろそろ切るで」

咲「はい。何となくですが、この糸のことがわかって良かったです」

それでは、と通話を終える。

恭子はしばし電話を握りしめたままその場から動かなかったが、

やがて教室へ向かって歩き出した。

要するに自分の強い感情が相手に伝わるということか。

相手に何でも知られてしまうようで気分が悪いし、趣味が悪いとも思った。

厄介な糸やな、と知らず恭子は嘆息した。

それからは糸を気にしつつも平穏な日々を送っていたが。

ある夜、変化が起こった。

恭子は指が凍るように冷たくなっているのに気付いて目を覚ました。

起き上がり、左手を見つめる。

暗闇の中にぼうっと光る糸が冷気を伝えているのだとすぐに分かった。

この冷たさは尋常じゃない。

時間を確認すると深夜2時を過ぎていたが、

気にせず携帯を開いて糸の先の相手に電話をかけた。

何回かのコールのあと通話状態になった。

相手が何か言うのを待たずに恭子は口を開いた。

恭子「何かあったんか」

咲「末原、さん……」

咲の声は掠れていた。

弱々しい声音と鼻をすする音に、泣いていたのかと驚く。

咲「何でもないです。ちょっと、嫌な夢を見て」

恭子「夢?嘘をつくなや。それくらいでこの糸がこんなになるかいな」

咲「……」

恭子「宮永。いいから私には話してくれや」

隠したって無駄だ。感情は糸を通して伝わってしまう。

咲も分かっているからか、しばらくしてぽつりと話し出した。

咲「ちょっと、家族のことで悩んでました」

恭子「家族?」

咲「はい。私の家庭、あまりうまくいっていないんです……」

恭子「……」

咲「それで、色々考えてしまってしまって……ちょっと頭の中ぐるぐるしちゃってました」

最後は明るい声を努めて言い終える咲の言葉に、恭子はしばし押し黙る。

この糸があったから気づけたが、今までもこうして一人で泣いて耐えている夜があったのかもしれない。

そう思うと恭子の胸の奥がつきりと痛んだ。

家庭内の事情に赤の他人である恭子がおいそれと口を突っ込むことはできない。

そういったものは自分で解決し心の折り合いをつけていくしかないのだ。

分かってはいるが、それでもこの糸は咲の気持ちを伝えてきた。

恭子は知ってしまった。

知らず、ぼそりと呟いていた。

恭子「宮永、週末は空いてるか?」

咲「……えっ、週末ですか?空いてますけど、急にどうしたんですか」

恭子「少し私に付き合ってくれや」


*****

約束の日曜日。

恭子が指定した時間の5分前に駅に着くと、既に咲は到着しており恭子を待っていた。

咲「末原さん、今日はどこへ行くんですか?」

恭子「まぁええからついて来てや」

そう言って恭子は歩き出す。咲も隣に並んだ。

互いの小指を結ぶ赤い糸がゆらゆらと揺れる。

それを見つめながら恭子が口を開いた。

恭子「改札を出たら意外と駅前が混んでてんけど、すぐに宮永を見つけられたわ」

咲「ああ。この糸のせいですね」

咲も気づいた。何ということはない。

糸が伸びる方向に咲がいるとわかっているから、恭子は迷うことなく咲にたどり着けた。

咲「これじゃ私たち、かくれんぼをしても無駄ですね。必ず見つけられてしまう」

ふっと小さく咲が笑った。

緩んだ表情の咲に一瞬視線を奪われ、慌てて目をそらす。

恭子「…高校生にもなってそんな遊びはせえへんよ」

恭子「けど宮永はすぐにどこかにいなくなるから、見つけるのに苦労をかけなくて済むな」

咲「わ、私がどこかに行ってるわけじゃないです。皆がいつもはぐれてしまうんです」

そう咲は苦しい言い訳をする。恭子はそれが少しおかしかった。

咲「笑わないでください、末原さん」

恭子「別に笑ってへんで」

咲「嘘。口がつり上がってます」

少し拗ねた風な咲が可愛らしくて思わず見惚れてしまう。

なんだかくすぐったい気持ちが湧き上がり、それを振り払うように恭子は歩く速度を速めた。

恭子が咲を連れて行ったのは、ビル内6階全てが売り場という大型書店だった。

咲「わあっ…凄いです!私、こんなに大きな書店に来たのは初めてです」

本好きの咲の声は幾分か弾んでいた。

恭子はその様子に少し安堵しつつフロアガイドを指さす。

恭子「私は3階の一般書と新書のコーナーに行くわ。宮永はどうする?」

咲「そうですね。初めてなので一通りフロアを見ていきたいです」

恭子「なら終わったら連絡してや。私も3階から他のフロアに移動しているかもしれへんし」

咲「末原さん」

恭子の言葉を聞いて咲がくすくすと笑った。

何やと恭子が首を傾げると、咲はゆっくりと左手を上げた。

咲「さっき話したばかりじゃないですか。連絡なんて必要ないでしょう?」

恭子「あ」

そうやった、と恭子は咲の小指から垂れる赤い糸を見て思い出す。

恭子「助かるわ。これで宮永が迷子になってもすぐに探し出せるしな」

咲「むっ…なら私は店内放送で末原さんを呼び出してあげます」

恭子「メゲるわ…」

じゃれあいのような言葉の応酬を重ねながら、2人は店の中へ入って行った。

恭子は本を物色しながら、小指の糸の変化に気づいていた。

どうやら咲が楽しい気分になると糸が温かくなるらしい。

じんわりとした温もりを感じ、恭子は知らず微笑を浮かべていた。

あの後電話を切って落ち着いたのか、尋常じゃない冷たさは徐々に和らいでいったが

しばらくはひんやりと冷たいままな日が続いた。

咲の心情が伝わってきて、それが気になって授業も上の空で教師に叱咤されてしまった。

全くいいとばっちりだ。

恭子自身のためにも、咲には正常な状態でいてもらわないと困る。

だから連れてきたのだ、それだけだ。他意はない。

恭子は心の中で必死に己に言い聞かせる。



一般書コーナーを物色したあと一つ上の階の専門書コーナーに移動し、

目当ての本を探していると咲に声をかけられた。

恭子「冷やかしは終わったんか?」

咲「一通り見てきました。やっぱり本がこれだけ揃ってるといいですね」

咲「探していた文庫の下巻が見つかりました」

少し嬉しそうな声で咲はカバーに包まれた文庫を恭子に見せた。

咲「ですので冷やかしじゃありません。立派なお客です」

恭子「さよか」

咲「末原さんは何か探してるんですか?」

恭子「せや。パッチワークの本と和食のレシピ本、あとイギリスで古くから伝わる古代魔術の本や」

咲「…どういうチョイスなんですか。末原さんの趣味ですか?」

恭子「んなわけあるか。部内の皆からの頼まれもんや」

咲「古代魔術の本はいったい誰が…」

恭子「…それは聞かん方が身のためや」

咲「…分かりました。そうしておきます」

それから2人でそれらの本を手分けして探した。

主婦向けの実用書コーナーに行くと、パッチワークと和食本はすぐに見つかった。

専門書コーナーに戻ると、咲が引き続き魔術本を探していた。

咲「それらしい本を洋書のコーナーで見つけたんですけど、確かめてもらえますか」

恭子「分かった。すぐに行くわ」

咲に連れられて洋書コーナーに移動する。

咲「洋書でも大丈夫なんですか?」

恭子「言語の指定はなかったから大丈夫やろ」

咲「そうですか。あ、あれです」

咲が棚の前に立って指さす。

目当ての本は、棚の一番上に置かれていた。

咲「私たちの背の高さだと届きませんね」

恭子「問題ないで。任せとき」

そう言って恭子は近くに置いてあったミニ梯子を使って本を取り出した。

恭子「…ん、この本でOKや」

本を確認してすぐに梯子を降りようとした。

が、足元がぐらついてしまう。

咲「危ないっ!」

咄嗟に支えてくれた咲のおかげで何とか倒れずに済んだ。

恭子「悪いな、宮永。助かったわ」

そう言って咲の顔を見やると何故か恥ずかしげに頬を染めている。

恭子「…ん?」

何だと思って今の状況に気づけば、自分は思い切り咲に抱きついた状態でいた。

恭子「わっ!」

慌ててぱっと手を離す。咲はまだ顔を赤くしていた。

恭子「す、すまん…これはあれや、不可抗力ってやつや…」

咲「は、はい…」

話しながら、2人はさりげなく距離を取った。

恭子「と、とにかく助かったわ。買ってくるから、1階入口で待ち合わせるで!」

咲「分かりました。先に行ってますね」

あたふたしながら恭子はレジへと向かった。

ややして小指に違和感を感じる。

何故だか糸は自分の指にほのかな温かさを伝えていた。

続きます。

時間を確認すると結構長い間書店にいたようで、

いい時間だし休憩も兼ねて昼食を取ることにした。

恭子「宮永はどこか行きたいところはあるか?」

咲「末原さんの好きなお店で良いですよ」

恭子「それなら、あっちに良さそうな店があるから行ってみよか」

咲「わかりました」

2人は並んで歩き出した。

書店から5~6分ほど歩いた大通りの角にあるレトロな感じの洋食店だった。

恭子「ここのハヤシライスは絶品らしいで」

咲「それはぜひ食べてみたいですね」

店内から香る匂いに咲は目を輝かせる。

その様子を見て恭子も軽く笑んだ。

恭子「じゃあ、さっそく入るか」

咲「はいっ」

2人揃って店の中に入りながら、咲がそっと呟いた。

咲「末原さん」

恭子「何や?」

咲「糸が、あったかいです」

恭子「……せやな」

そう言う恭子の指にも、確かに温かさを伝えていた。


*****


咲「はぁ、もうお腹いっぱいです…」

恭子「私もや。噂どおりめっちゃ美味しかったな」

咲「はい。私、あんなに美味しいハヤシライス食べたの初めてです」

これも末原さんのおかげですね、と淡く微笑まれて恭子は僅かに頬を染める。

糸は先ほどからずっと温かいままだ。

恭子「あ、あのファーストフード店のシェイクはおすすめやで」

咲「そうなんですか?」

恭子「せや。食後のデザートにでもどうや?」

咲「良いですね」

意気投合した二人は店へと足を運んだ。

店内は混んでいて座れそうになかったので、テイクアウトにしてもらって

近くの公園のベンチに並んで座った。

咲はさっそくストロベリーシェイクに口をつけていた。

恭子「味はどうや?」

咲「イチゴの味がすっきりしてて飲みやすいです」

恭子「そうか。あ、こっちも飲んでみるか?」

咲「はい。えっと、ストローは差し替えた方がいいですか」

恭子「そんなこと気にせんでええ。宮永が嫌なら替えればええけど、私は気にせえへんで」

咲「あ、いえ。私も特に気にしませんので」

恭子から受け取ったマンゴーシェイクを飲んでみる。

咲「あ、こっちの方がおいしいです」

恭子「そうか、なら取り換えてもええで」

咲「そんなの悪いです。それに末原さんまだ飲んでないじゃないですか」

ぐいと突き出されたマンゴーシェイクに、恭子は無意識に咲の手を掴んで

その手越しにストローを咥えてシェイクを飲んだ。

恭子「……ん、確かにうまいな」

ぱっと手を離して感想を言う恭子は至って普通だ。

咲「そ、うですね」

恭子「どないしたん、変な顔して」

咲「末原さんはタラシの才能がありそうだなと思っただけです」

恭子「何でいきなりそうなるねん!?」

思わず突っ込みをいれる恭子を無視して、咲は自分のシェイクをずずっと啜った。

咲「そういえば、末原さんは自分自身の本は買ったんですか?」

恭子「ああ、今日発売の新書があったから買ったで」

そう言って作者とタイトルを述べると咲が思いのほか反応した。

咲「その人、昔ミステリー書いてた人ですよね。純文学も連載してると聞いてましたが、本になったんですね」

恭子「気になるなら貸したろか」

咲「いいんですか?」

それからその作家つながりで話が盛り上がり、恭子と咲はいくつかの本の貸し借りをすることになった。

咲「末原さんと本の趣味が合って嬉しいです」

大会の時、もっと話しておけばよかった、と。

はしゃぐ咲を見ながら恭子はそっと心の中で思う。

話しておけばよかった、か。

あのとき、あんたは私を見てなかったやないか。

強い相手に夢中になって、私のことなんて眼中になかったやないか。

私はあんたが対局前に本を読む姿を見てた。

麻雀に打ち込む姿を見てた。

言ったことはないけれど。


咲「次にお会いするとき本借りるの楽しみにしてますね」

そう言って咲は嬉しそうに笑った。

恭子の左手の小指がほかほかと温かくなってくる。

咲が喜んでいることが糸から伝わってきた。

こんな簡単なことで咲を喜ばせることができるのかと恭子は意外だった。

そういった笑顔は自分に向けられるものではないと思っていた。

あの大会中も、いつだって咲の笑顔の先には自分でない誰かがいた。

不思議な感覚だと恭子は思った。

咲「今日はありがとうございました」

恭子「べつに、私の用事に付き合ってもらっただけや。礼なんていらへんで」

帰り際。駅前で咲がそう言うと恭子がぶっきらぼうに返してきた。

咲は小さく笑った。

こうして連れ出してくれたのは、恭子なりの優しさだと思った。

夜中にあんな電話をしてしまって、無視はできなかったのだろう。

仕方なしの行動だったとしても咲は嬉しかった。

咲「末原さんとお話して元気が出ました」

恭子「ああ。あんまり一人で抱え込んだらあかんで」

咲「はい。…あの、末原さん」

恭子「なんや?」

咲「えっと…次の約束をしても、いいですか」

途切れ途切れに咲はそんなことを言い出した。

咲「あの、本…貸して欲しいですし」

と付け足しをされて納得した。

恭子「ああ、せやったな」

恭子「なら再来週はどうや?」

咲「はい。大丈夫です」

恭子「じゃあ再来週で決定やな。またメールするわ」

咲「分かりました。今日は本当に楽しかったです。じゃあ、また」

そう言ってぺこりとお辞儀をした咲が小走りで去っていく。


ガラガラに空いている電車に乗り込みドア付近の席に座ると

恭子は深く息を吐いた。

咲とまた会う約束をしてしまった。

プライベートで会うことなど今までなかった。今日が初めてだった。

咲の落ち込んだ気分が晴れればと思っただけだったが、自分も確かに楽しんでいた。

咲の隣は居心地がいい。

大会の時はただ見ているだけで会話などはあまりしなかった。

それが今はこんなに咲と親しげな関係になっている。

やばいな、と思う。

一緒に過ごす時間が多くなるほど、咲という人間に惹かれている自分がいた。

ましてや2人だけで過ごし、咲が自分だけを見て話して笑っているのだと思うと

もうどうしようもない気分になった。

最寄りの駅に電車が到着し、恭子は立ち上がる。

改札を出て物思いに耽りながら歩いていると、ポケットの中に仕舞った携帯が振動した。

着信相手は咲だった。

恭子「どうしたんや?」

咲『あの、今大丈夫ですか』

伝え忘れたことがあって、と咲は続けた。

恭子「何や?」

咲『あの……前にも言いましたけど、この赤い糸』

落ち着いた穏やかな声だった。

咲『この糸の先に繋がってるのが末原さんで良かったです』

恭子はその言葉に立ち止まった。

咲『末原さんは嘘や適当なことを言わない誠実な人間だって知ってますから。……だから』

咲は少し言い淀んで、それから続けた。

咲『この先にいるのが末原さんでよかった。末原さんと、いつも繋がってると思うと力が湧いてきます』

淡々とした声音だったが、それでも嬉しいという感情は伝わってきた。

恭子「……おかしなことを言うなや」

恭子が返せるのはそれくらいだった。

今、顔を見られなくてよかったと思った。

きっと形容できないような変な顔をしている。

咲『そうですか?私はずっと末原さんとこんな風にお話してみたかったんです』

咲『だから、今すごく嬉しいです』

恭子「……そうか」

咲『今度またお会いするのが楽しみです』

恭子「そんなに本が読みたいんか」

そう返すと咲は小さく笑った。

咲『それもありますけど、末原さんに会える方が楽しみです』

恭子「宮永」

遮るように恭子は口を開いた。もうそれ以上聞きたくなかった。

期待したくなかった。

咲『末原さん?』

恭子「……何でもないで。また再来週な」

咲『はい。では、また』

嬉しそうな咲とは対称的に恭子は俯いたまま、

通話終了ボタンを押すと力なくその手を下ろした。

左手の小指に結ばれた赤い糸を見つめる。

どうしてこの糸が自分についてしまったのだろう。

咲の相手なら、衣でも淡でもいるだろうに。

彼女とつり合う程の雀力をもつ相手が。

自分にはそんな力はない。

牌に愛される、一部の選ばれた人間じゃない。

大会最終日、咲が個人戦で準優勝した時だって自分は後方にいて、

淡や小蒔や咲の応援に駆けつけた衣らがじゃれているのをただ眺めていた。

だから興味のない振りをしてずっと黙っていた。

自分も咲と話がしたいと心の中で強く思いながら、

ただその背中を見ているだけだった。

そして大会が終わった今、自分の中で終わった思いのはずだった。

麻雀を続ける以上関わらないというわけにはいかないが、

もう昔の話として咲が誰といようと冷静でいられるはずだった。


糸の先に咲がいるなんて、知らなければ良かった。

恭子は少しだけ咲を恨んだ。


*****


*****


二人で会った次の日から、咲からこまめにメールが来るようになった。

あの日からマンゴーシェイクに嵌ってるだとか、読んだ本が面白かっただとか。

返信をすると糸が途端にほかほかと温かくなるものだから

返事を楽しみに待っているのではと恭子も無視できず、

他愛のないどうでもいいことを何とかひねりだして送り返していた。

昨日見たテレビドラマが意外と面白かっただとか、今日の弁当のおかずが好物ばかりだったとか。

自分で読み返して呆れることもある。

これの何が面白いのか。

もらった方も困るだろうにと思うくらいくだらない内容だ。

だけど糸は温かくなる。

咲の控えめな微笑が目に浮かぶようだった。

もらったメールを読み返し自然と笑みを浮かべる。


いつの日からか、咲からメールが来るのを心待ちにしている自分がいた。

暇を見つけては何度も読み返し、その度に恭子の心も温かくなった。

そして咲と約束した日曜がやってきた。

出がけに家族に用事を頼まれ、やっと解放された頃には14時を過ぎていた。

元々12時待ち合わせだったのを14時にずらしてもらい、恭子が幾分か早足で待ち合わせ場所に着くと

咲は改札前の柱にもたれかかりながら所在無げにぽつんと立っていた。

ぼんやりとした表情で、その姿が寂しそうに見えた。

どうやら待たせてしまったようだ。慌てて近づく。

恭子「遅れてすまへんな」

咲「末原さん」

恭子の姿を視界に入れると咲はぱっと表情を変え、小さく笑った。

恭子「お詫びになにか奢るわ」

そう言うと咲は困ったように笑って「そんなのいいです」と返してきた。

恭子「そうか。あ、約束してたこれ、渡しとくわ」

先日会ったときに咲と貸し借りをする話をしていた本だ。

咲「ありがとうございます。私も持ってきました」

そう言って鞄から本を取り出した。

恭子はそれを受け取り、自分の鞄に仕舞う。

咲も恭子から渡された紙袋を受け取った。

今日の用事は以上だった。

本の貸し借りをするという目的は達成できた。

恭子は少し悩む。

自分はまだ咲と一緒にいたい。

けれど、これ以上一緒にいない方がいい気もする。

それに咲はどうだろう。読みたかった本を借りれて満足そうだ。

このまま早く帰ってそれらを読みたいかもしれない。

自分といるより有意義な時間が過ごせるのではと思った。

なのでしばし逡巡したあと恭子は口を開いた。

恭子「じゃあ用事も済んだし、帰るとするか」

咲「えっ」

驚きの表情で咲が本から目を離してぱっと恭子を見た。

意外な反応に、帰りたかったのではないのかと恭子も驚く。

恭子「いや、あんまり遅くなっても……明日は月曜やし……」

歯切れ悪くごにょごにょと言いよどむ。

咲「……末原さんがそう言うなら」

明らかにしょんぼりした表情で咲が呟いた。

どういうことだろう。咲は恭子にまだ用事があるというのだろうか。

淡い期待が湧きそうになって、恭子は手をきつく握る。

咲に他意はないのだ。ただそれだけだと思い直す。

恭子「……どこか行きたい所があるんか?」

それでも無下にすることはできなくて恭子がそう言うと、咲はぱっと顔を上げた。

咲「はい、あの、あっちに大型のゲームセンターがあったんで気になって」

咲が指す方角に顔をやると、駅前のネオンの向こうに見知った大型ゲームセンターの店名が見え隠れした。

恭子「入ってみたいんか?なら行ってみるか」

咲「……はいっ」


咲の住む地域にはゲームセンターはないらしく、

店内をきょろきょろともの珍しそうに眺めている。

恭子「何かやってみたいゲームはあるか?」

咲「はい。あれとか面白そうだなって」

そう言って咲が指をさしたのはクレーンゲームだった。

恭子「ならやってみるか」

咲「はいっ」

初めてプレイしたわりに、咲は意外とクレーンゲームが上手かった。

景品を色々獲得して嬉しそうな咲を見て、自然と恭子の頬も綻んだ。

咲「あ、あれもやってみたいです」

恭子「レースゲームか、ええで。手加減せえへんからな」

咲「のぞむ所です」


結果は咲の圧勝。

初めてのくせに生意気な。

再戦を申し込むと、くすくす笑いながら受けてくれた。


その後は咲に誘われるままにクイズやアクションゲーム、音ゲーにも挑戦した。

思った以上に楽しく過ごしてしまい、夕飯にと入った近くのファミレスで2人が腰を落ち着けた頃には

心地よい疲労が2人を包んでいた。

食事を終え、お腹も満たした二人はまったりと会話を楽しむ。

恭子「宮永はゲームの才があるなぁ。羨ましい限りやで」

咲「そうですか?でも沢山ぬいぐるみゲットできて嬉しいです」

恭子「そんなに持って帰れるんか?良かったらこの袋使い」

咲「ありがとうございます。……ふふっ」

恭子「ん?何を笑っとるんや?」

咲「いえ、レースのときの末原さんの顔が必死で面白かったなあと」

恭子「それは忘れてくれや……」

コーヒーを置いた咲は左手を見つめながら、愛おしむように言った。

咲「最近、この糸を見つめてぼんやりしてしまうんです。なんだかふわふわと浮いた気分っていうのか」

恭子「……」

咲「この糸の先に末原さんがいるんだなあって。末原さんとつながってるんだなって」

ふふ、と笑う。その感情は確かに喜びだった。

恭子の小指の糸が、ほかほかと温かさを伝えてきているからだ。

恭子「宮永」

恭子が何かを言う前に、咲が言葉を繋いだ。

咲「やっぱりこれは『赤い糸』なんじゃないでしょうか」

咲「本当に赤い糸だったらって、どうしても考えてしまって」

咲「他の誰でもない、私たちが繫がったことに、意味があるんじゃないかなって」


やばいと思った。

途切れ途切れに言葉を紡ぐ、懇願するような咲の声。

その表情は、溢れる気持ちを抑えるような堪えるようなもので。

そんな顔を見たらもう駄目だった。

恭子の中で押さえようとしてる気持ちが溢れ出しそうだった。

自分だってその可能性を考えた。

この糸が本当に、運命の相手を繋ぐ赤い糸だったら。

それが咲だったら。

いくら否定しても心はそう願っていた。

けれど好きになったってしょうがないのだ。

自分と咲では何もかも違いすぎる。

もう駄目だ、と恭子は唇を噛んだ。


途端、咲が顔をしかめ、肩を揺らした。

咲「痛っ…」

自分の左手の小指を見つめて、咲はおろおろして恭子を見た。

咲「小指が。指が、なんかどんどん痛くなってきます」

恭子は何も言えなかった。

咲「痛、痛いです、末原さん」

恭子「宮永」

咲「私と喋るのは嫌ですか」

恭子「そうやない」

咲と共にいたい。

こうして他愛ない会話をしたりどこかに連れ立ったり。

そういうのは恭子に楽しい気持ちをもたらすけれど、

咲の純粋に自分を慕う気持ちを踏みにじっているようで恭子自身が嫌だった。

それにどうしても咲の周囲にいる者たち、

彼女と同様に牌に愛された者たちへの嫉妬が渦巻き、

そんな色んな気持ちが混ざって咲を痛めつけてしまう。

やはり自分は近づくべきではなかったのだ。

咲「私が変なこと言ったからですね。気にしないでください」

痛みに眉を寄せながら、それでも慌てて繕ったように笑みを見せる。泣き笑いのような。

そんな顔をさせているのが自分だと思うと恭子は耐え難かった。

咲「末原さん」

恭子「……私たちはもう、接触せん方がええ」

咲「え……」

恭子「私たちは相容れない存在やねん。麻雀でもそうやった。これ以上一緒にいると、宮永を必ず傷つけてまう」

咲「末原さ……」

恭子は席を立った。

驚きに目を見開いている咲に構わず食事代を置くと、

咲を見ないままファミレスから去って行った。

駅までの道を無心で歩く。

何も考えたくなかった。

歩きながら、恭子の指に結ばれた糸はどんどん冷たくなっていく。

一人残された咲が悲しんでいるのが分かって恭子は顔を顰めた。

なぜ悲しむのだ。

自分たちは相いれない者同志で、麻雀でも相性最悪で。

だから一緒にいない方がいいのだ。それが最良なんだ。

今まで通り自分だけが咲を遠くから見て焦燥感を感じていればいいだけの話だ。

少し前に戻るだけだ。

きっと明日になって清澄メンバーに囲まれれば自分のことなど薄れてどうでもよくなっていくだろう。

そうであって欲しいと思う。

この赤い糸がある限り、思い出さないというのは無理かもしれないが。

それでも極力忘れて欲しい。

恭子はそう願った。


*****

次でラストです。

それから3日は何事もなく過ぎた。

咲からの連絡はない。

恭子も勿論自分から連絡を取ることはしなかった。

糸はまだひんやりと冷たくて、恭子の心をちくちくと指す。

咲を悲しませているのは自分なのかと思いつつ、

でももしかしたら違うことで落ち込んでいるのかと思うと自意識過剰な気もしたし、

他のことで悲しんでいるならそれはそれで気になった。

チームメイトは誰もフォローしないのかと怒りさえ湧いてくる。

それこそ自分勝手な話だなと恭子は自嘲した。

屈託のない咲の笑顔を思い出す。

末原さん、と呼ぶ咲の落ち着いた声が好きだった。

咲の麻雀を楽しむ表情が好きだった。

あの大会から咲に好意を抱いていたのは事実だ。

だけど想いを伝えることもなく自分は咲を想っていくのだろうと、始まる前から諦めていた。


赤い糸を極力見ないようにして、授業に集中する。

これがいつもの自分の毎日だ。

咲とのことはイレギュラーだったのだ。

そう思おうと恭子は言い聞かせた。

しかし授業を終え、もうすぐ自宅に着くという頃合いで恭子の携帯が鳴った。

どきりと心臓が鳴る。

恭子が慌てて携帯を取り出すと、知らない番号からの着信だった。

幾分か安堵する。

そして今更ながらに咲からの電話を期待している自分に嫌気がさした。

見知らぬ番号からの着信に迷っていたが、一向に切れる気配がないのでしぶしぶ出る。

恭子「……はい」

まこ「末原さんか?わしは清澄の染谷まこという者じゃが」

恭子「染谷さん?なんで私の携帯番号知ってるねん?」

まこ「そんなことよりもお前さんに聞きたいことがあって電話したんじゃ」

恭子「聞きたいこと?」

まこ「お前さん、咲に何をしたんじゃ」

恭子は息を呑んだ。

恭子「何、って……」

まこ「咲のやつ、今週に入ってから凄く落ち込んでるんじゃ。全然練習にも身が入っておらんし」

まこ「お前さんの仕業じゃろ」

恭子「何で……私って分かるねん」

まこ「咲は最近お前さんの話ばっかりじゃったからな」

恭子「……」

まこ「日曜にお前さんと会うって咲は浮かれてたんじゃ。で、その翌日からずーっと沈みっぱなし」

まこ「原因はお前さんしかおらんじゃろ」

恭子「……私は別になにも」

まこ「とにかくこっちの練習にも響いてるんじゃ。咲のためにも明日あたり清澄に来てくれんかの」

恭子「と、突然そんなこと言われても……」

まこ「―――お前さんは咲にあんな悲しそうな顔させて、そんなことがしたくて会いに行ったんか?」

恭子の言葉を遮るようにまこの低い声が響いた。恭子は目を見開く。

恭子「それは……違う」

恭子の声も自然と低く真剣なものになった。

まこ「そうじゃろ。わしは細かいことは分からんが、こんな状態じゃ咲もお前さんも良くないってことはわかるぞ」

まこ「だから明日来れたら来てくれ。分かったの」

反論を言わせず、言いたいことだけ言うとまこは電話を切った。

恭子は唇を噛んだ。

小指は依然冷たさを恭子に伝えていた。

都合のいい頭はどうしても自分に都合のいいことを考えてしまう。

ずっと咲が沈んでると言っていた。

咲は、もしかしたら咲は、自分を想っている……? 

そう思ってもいいのだろうか。

自分と同じく、そういう意味で自分を想ってくれているのだろうか?

淡い期待を抱いてもいいのだろうか?

――――いや、そうじゃない。

恭子は拳を握りしめた。

咲がどう思っているかじゃない。

それを考えても自分は咲じゃないから完全に把握することなどできやしない。

そうじゃなくて、自分がどう思っているかだ。

咲が自分のことを想ってくれてるかも知れないから好きになったわけじゃない。

自分を見ていないときから、恋に落とされていた。

否応なく、宮永咲という存在に、自分は恋をしていた。

もう嘘をつくのはやめよう。

自分が傷つくのを恐れて、咲を傷つけ、悲しませることはもうしたくなかった。


*****


翌日。

恭子が清澄へ行くと、まこが校門に身体をもたれかけて待っていた。

恭子を見ると顎をしゃくって先へと促した。黙って後に続く。

学校は早退した。こんなことは初めてだった。

明日親に確実にどやされるだろうが気にしていられなかった。


咲は校舎裏にいた。まだ部活が始まる前なのだろう。

まこを見つけ顔を上げると、背後にいる恭子に気づいて咲は目を見開いた。

咲「末原、さん……」

まこは2人を引き合わせると、恭子の肩を軽く叩いて去って行った。

咲「どうしてここに……」

恭子「宮永に会いにきた」

恭子ははっきりと言った。咲はその言葉に再度驚く。

意を決してここまで来たのだ。きちんと伝えなければ。

恭子は姿勢を正すと咲に向かって頭を下げた。

恭子「この間は悪かったわ」

咲「え……」

恭子「私の勝手な都合で、宮永を傷つけてしまった」

咲はまだ事態を呑み込めていないのか、この状況に瞳を瞬かせている。

恭子はまっすぐに咲を見つめると言葉を続けた。

恭子「私は期待してしまったんや。宮永と会って、自然に話しているうちにそれが思いのほか心地良くて…」

恭子「もしかして宮永もそう思ってるんやないかって。この赤い糸は、もしかしたら本当に運命の糸なんやないかって」

自分の言葉に咲は大きく目を見開く。恭子は続ける。

恭子「そうやったら良いのにと思った。そしてそんな自分に嫌気がさしたんや」

恭子「宮永は他意なく私を誘っているだけやのに、やましい期待をしている自分が心底嫌になった」

自分を嘲るように薄く笑みを浮かべた。

恭子「だから宮永がこの赤い糸のことを言ったとき、私の気持ちを見透かされたんやと焦った」

咲「末原さん……、それは違います」

咲は痛みに耐えるように目を細めて自分の胸を押さえた。

咲「末原さんから好意的な返事を期待ばかりして、冷たく返されて勝手に落ち込んで…」

咲「この前は本気で拒絶されて、目の前が真っ暗になりました。心臓が痛くて痛くて、すごく辛くて」

恭子「……すまへん」

咲の言葉に被せるように恭子は謝罪した。

うぬぼれでなく、やはり傷つけていた。心底申し訳なかった。

恭子「だから謝りたかった。宮永の好意に反発してしまってすまんかった」

咲「末原さん……」

恭子「……ここからは私の勝手な言い分や」

真剣な表情で恭子は言葉を続けた。

恭子「私は宮永に近づきたかった。麻雀でも肩を並べるような存在になりたかった」

恭子「でも宮永は選ばれた人間で、私はそうやなくて。そうなれないことを悔しく思った」

恭子「だから部外者らしく距離を置いたんや。そうするのが宮永のためやと思った」

恭子「麻雀を通して宮永と会話できればそれでいいと、自分に言い聞かせてたんや」

初めて告げる気持ちに、咲の目が驚きで見開かれる。

恭子「けどこうして宮永と触れ合うようになって、欲が湧いたんや。もっと近づきたいと思うようになったんや」

恭子「そんな自分が浅ましくて、嫌で、宮永から離れようとした。あんたは他意なく私に接しているだけやのに」

咲「……ちがいます」

恭子「だからもう会わないほうが」

咲「ちがいますっ」

咲の張り上げた声に瞠目する。

咲はみるみる顔を歪め、最後には涙を浮かべ泣いてしまった。

恭子「み、宮永?」

咲ははっきりと泣いていた。

顔をくしゃくしゃにさせて泣いていた。

恭子が何かを言う前に、咲はきっぱりと言った。

咲「私は麻雀とか関係なく、あなたが好きなんです」

恭子の身体が震えた。

今、はっきりと告げられた。咲が、自分を。

咲「……この糸が突然現れて、私は糸の相手が末原さんだったらどんなにいいだろうと思いました」

咲「だから必死に糸をたどって相手を探しました。そうしたら本当に末原さんがいて、すごく嬉しくて」

ひくひくと泣きながら、必死に咲が言葉を紡ぐ。

咲「それで、この糸を口実にあなたとどうしたらもっと近づけるか、そればかり考えてた浅ましい女なんです」

恭子「宮永」


咲「末原さんがすき、すきなんです」


恭子は歯を食いしばった。そうしないと涙が出てきそうだった。

恭子「……私でいいんか。私で」

咲「あなたじゃなきゃ嫌です」

しゃくりあげる咲を恭子はたまらなくなって胸の中に攫った。

きつく、きつく抱きしめる。

咲は恭子にしがみつくと、子供のように嘆願した。

咲「私の運命の赤い糸のひとになってください」

恭子「宮永……」


恭子「―――好きや」


ふわりと二人の間で世界が光輝いた。

それは目のくらむような光だったが、堅く抱き合う二人は何も気づかなかった。

咲「末原さん」

恭子「宮永」

しばらくして二人は身体を離し、見つめ合った。

恭子「私の恋人に、なってくれへんか」

恭子の真摯な言葉に、咲は嬉しそうに微笑んだ。

咲「はい……っ」

たまらなくなって再度抱きしめると、ほぅと咲は恭子の腕の中でため息を漏らす。

そして何かに気づいた。

咲「あ……」

左手を見つめる。恭子もそれに気づいて自分の左手を見た。

赤い糸は、消えてしまっていた。

不思議な赤い糸だった。

咲と恭子は見つめ合い、ふっと笑いあう。

咲「消えちゃいましたね」

恭子「せやな」

咲「私たちを、繋いでくれたんですね」

恭子「……そうやな」

わけが分からず、沢山振り回された。

けれど恭子はその人知を超えた不思議な糸に感謝せずにはいられなかった。

恭子「もう、糸が無くても大丈夫やな」

咲「はい」

恭子「宮永……いや、咲」

咲「……は、い」

急に名前で呼ばれ咲は顔を赤らめる。

恭子「次の、約束をしよう」

咲「……はい。恭子さん」

互いの指を絡め合う。

これからはこうして互いを触れ合わせて気持ちを伝えていけばいい。

互いの体温を、ずっとこうして感じていけたらと、二人は心の中で願った。


*****

初めてのキスは、恭子の部屋の中だった。

試験勉強をしていたのに、身を寄せ合って問題について論議しているうちに不意に手が触れた。

恭子が慌てて咲を見つめると、じっと咲が自分を見ていて、その瞳に吸い寄せられるようにキスをした。

唇を挟み、擦り付け。

咲が唇を開いたタイミングで角度を変えて深く重ね、舌を絡めた。

互いに互いのことで頭がいっぱいになって、脳内がじんと痺れてくる。

恭子はそのまま咲を抱きしめると、咲がうっとりと身体を寄せてきた。

咲「恭子さん」

恭子「何や、咲」

咲「好きです」

恭子「ああ」

咲の思いが滲み出るような柔らかな声に、愛おしくなって再度唇を重ねる。

右手でその頬を上向かせ唇を合わせると、喉を鳴らしてン、と声を出して首筋にしがみついてきた。

なまめかしい声に恭子はたまらない気持ちになる。

咲「……恭子さんも言ってください」

唇を離すと、焦れたように咲が呟いた。

咲「好きって」

恭子「……今言ったやん」

咲「ああ、じゃ嫌です。ちゃんと言ってほしいです」

恭子「咲……」

咲の頬を両手で挟むと、真っ直ぐな瞳で咲を見つめた。

恭子「好きや」

咲「恭子さ……」

咲の言葉を遮り唇を塞ぐ。

舌を吸うと、んん、と驚きと甘受が綯交ぜになったような声で咲が応えた。

咲「恭子さん……すきです、すき」

恭子「……あんまり煽るなや」

気づくと床に押し倒すような態勢になっていた。

慌てて咲の上から退こうとするが咲はふふ、と笑った。

咲「もっと仲良しになれること、したいです」

恭子の目が見開かれる。

咲の頬は赤く、瞳は何かを期待して濡れたような深い色をしていた。

咲「もっと、恭子さんのそばに行きたい」

恭子「咲……」

咲を押し倒したまま、真下の咲を見つめていた恭子だが。

ぶんぶん首を振ると、咲の上から退いた。

咲の手を引き身体を起こしてやる。

恭子「……試験が終わったらな」

やっとの思いで恭子が言うと、咲は目を見開いてから笑った。

咲「恭子さんらしいです」

そう囁いた咲は恭子を抱きしめてきた。

咲「早く恭子さんといやらしいことしたいです」

恭子「……私の理性を試してるんか」

まったくこいつは小悪魔のようやな、と恭子はため息をついた。

これだけ毎日耐えていたら、試験が終わった時咲をどうしてしまうか自分自身で予想がつかなかった。

咲「恭子さん……私、糸がなくても分かります」

恭子「何がや」

咲「あったかいです」

恋人の胸にもたれかかりながら、咲はそっと大事なものを紡ぐように囁いた。

恭子「……ああ。幸せやな」

恭子は咲の耳元に囁きかけると、潤んだ瞳の咲に再度口づけを落とした。


終わり

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