春香「相合傘とグレゴリオ」 (27)
すとん、と落ちる雨粒が、身体をクールダウンさせてくれた。
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肩口が濡れるのは。隣を歩く美希も同じ。
ライトグリーンの傘は大きな雨粒を弾いている。私は、傘がもう少し大きければいいのにね、と言った。
美希「身体が濡れるのは、相合傘の醍醐味でしょ?」
春香「そうなの?」
美希「うん」
私が、どうして醍醐味なのかということを聞いてみると、美希ははにかんで返した。
美希「ミキ、雨が好きなんだ」
春香「そうなの? 前は嫌いだ、って言ってたよね」
美希「考えが変わったの。雨の日は好きな傘をさして歩けるし、それに」
春香「それに?」
美希「これはさっきの質問への答えにもなるんだけどね。濡れた髪を、タオルで拭いてもらえるでしょ」
美希は目を逸らした。恥ずかしかったのかな。
誰に髪を拭いてもらうのかは聞かずに、私は「じゃあ、濡れてみる?」と彼女を茶化してみた。
春香「美希が雨に濡れたら、私が髪を拭いてあげる」
美希「それじゃあ不公平って思うな。春香も濡れたら?」
悪戯な笑みだ。控えめに、それでもどこか強い意志が垣間見えるような。
その大きな瞳に飲み込まれて、私は何も言えなくなってしまった。
美希「冗談なの」
春香「……うん」
美希が、傘の柄を握る力を強くしたのが見えた。
春香「――美希は、雨が好きって言ったけどさ」
美希「ん?」
春香「私、あんまり……雨が好きじゃなくて」
だって、晴れた空のほうが見ていて気持ちが良いでしょう?
そういうと、彼女は「確かにそうだね」と呟いて、「でも」と続けた。
美希「雨だからこそ見られる風景もあるよ」
春香「雨だから、こそ?」
美希「そうなの。傘をさして歩けば、雨の日だけに見られる景色が広がってるよ」
例えば、ほら――と、美希は対岸の歩道にあるお店に指をさした。
春香「パン屋さん?」
美希「あのお店、雨が降るとパンが半額になるの」
春香「へぇ! 全然知らなかったよ……通り道なのに」
美希「他にもあるよ。濡れた露草、大きな水たまり。通りかかるいろんな人の傘に、長靴で歩く子供」
春香「あー、そういえばそうかも。晴れてる日には見られないものばっかり」
美希「それで雨が上がれば、大きな虹が空に架かるの」
ふと空を見たら、白い雲が一面を覆っていた。
もうじき雨がやんで、空が橙色に変われば虹が見え出すのだろうか。
春香「どんな天気になっても、それぞれ見えるものって違うんだよね」
美希「だね。子供の頃は、どんな空模様でも楽しかったかなぁ」
春香「雨の日はレインコートを着て、歩いたよね」
美希「レインコートを着て、長靴を履いて……ママのお買い物についていったり」
春香「雨の日はスーパーで何か買ってもらえたりね」
美希「懐かしいの」
子供の頃は雨が好きだった。
いつの間にか私は、雨を嫌いになっていたけれど。
美希「あめあめ、ふれふれ、かあさんが」
美希が歌ったそのフレーズがたまらなく懐かしくて、私も彼女に続いてみた。
春香「じゃのめで、おむかえ、うれしいな」
濡れる制服、自転車が使えないと不便で、学校のグラウンドも使えなくて。
雨がもたらすデメリットに、幼いころは中々気づかないのかもしれない。
ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、らんらんらん。
事務所からその最寄駅までの距離を、きょうは普段より長く感じた。
いま思えば、小鳥さんに置き傘でも貸してもらえば良かったんだけれど……。
美希「よいしょ、っと」
美希は閉じた傘を軽く振って、水しぶきを落とすと一息ついた。
美希「雨、やまないねぇ」
春香「うん……朝は降ってなかったのに」
美希「春香が傘を忘れたから、久しぶりに相合傘が出来て楽しかったの」
春香「あはは……迷惑かけてごめんね、ありがとう」
今度、美希にクッキーでも作っていこうかな……なんてことを、ぼんやりと考える。
改札前に雨宿りをする人が増え始めて、私と美希は慌てて定期券を取り出した。
美希「それじゃ、帰ろっか」
春香「うん」
……と、いっても。私と美希が乗る電車は反対方向だし、ホームも離れていた。
改札を通って、真正面にある売店の近くで美希は立ち止まった。
美希「春香、地元についたら雨はどうするの?」
春香「あ……考えてなかった。やんでれば良いなぁ」
美希「それじゃあ、これ。貸してあげる」
彼女は青い鞄から、パステルブルーの折りたたみ傘を取り出した。
差し出された傘はえらくひんやりとしている。
春香「ありがとう……何から何まで」
美希「ううん。これは普段のお礼なの」
春香「お礼、って」
美希「ミキが雨を好きになったのは、春香のおかげなんだよ」
春香「わ、私の?」
美希は一度目を逸らしたけれど、すぐに私と目を合わせ直した。
アイドルとして見せるスマイルとは違う、太陽のような笑顔を見せてくれる。
美希「髪、拭いてくれたでしょ」
春香「あ――」
美希「それじゃあね、また明日なの!」
私が何かを言うのも待たずに、美希は階段へ走って行ってしまった。
床が濡れてるんだから滑るよ――違う。折りたたみ傘を返す日――でもない。
春香「……風邪、ひかないでね」
髪を拭いたあの時と、同じ言葉を呟いた。
言葉の受け取り主には多分、届いていないけれど。
雨の気温でクールダウンしたはずの私の身体は、ほんのりと赤く、熱くなっていた。
終わり。読んでいただきありがとうございました。
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