小説家『……』 (10)

中東の風は乾いているな、と男はこの国に降り立って二分に一回は考えていることを口に出してみた。
ひゅうひゅうと吹き付ける風には僅かに砂が混ざっていて、目が乾く。
「……帰りに目薬でも買っていくか」
目を煩わしそうにしばたたかせ、立ち止まっていた男は再び歩き出した。
周りにはあばら家と見まごう程にボロボロの家屋が立ち並んでいて、しなびたバナナを汚い布の上で並べている年老いた商人がこちらを訝しげに見つめている。
男は訝しげな視線を気だるそうなジト目で受け止めて、年老いた商人に言った。
『日本人は珍しいか?』
『……珍しいなんてもんじゃないさ、なにしにきたんだイエローモンキー。ここらにゃ人売りぐらいしかいないぞ』
『それが目的なのさ』
『ここを真っ直ぐいきな、戦争のゴミをかき集めてるクズどもが居る。対応を間違えてくれるなよ。わしはまだ頭をスイカのように吹き飛ばされたくは無いからな』
『尽力しよう』
男は商人に興味を失ったようで、一度は止めた足をまた進めていく。
しばしボロボロの家屋が立ち並ぶ景色が続き、やがて鉄筋コンクリート造りの廃屋が見えてきた。大きさは学校ほど。廃校を拠点にしているのかもしれない。
ところどころ銃痕が刻まれ、あまり平和な所ではないことを教えてくれる。
男は門を開き、塀の内側に足を踏み入れた。
枯れた雑草が所々に茂り、ドラム缶で炎がいきり立っている庭。
『おい、誰かいないか!』
呼びかけるとすぐに正面のドアが開き、ターバンを巻いた男が出てくる。
目付きはギラギラと鋭いナイフの様に鈍く輝き、手にはカラシニコフを構えていた。
ターバンを巻いた男が問う。
『誰だ?この国のもんじゃねえな。チャイナか?』
『残念ながらチャイナとは仲が悪いな。日本人さ』
男の答えを聞き、ターバンを巻いた男は褐色の顔を歪め怪訝そうに言う。

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『日本人?おいおい、ここは観光地じゃないぞ。とっとと帰れ。じゃないと鉛弾をケツ穴にブチ込むぞ』
『待ってくれよ、俺は買い物に来たんだ』
『尚更出てけッ!日用品が欲しかったらバザールにでも行くといいッ』
男はめんどくさいなと思う。
自分たちの売り物の事を完璧にわすれさっているじゃあないか。
まあ、日本人がこんな事をするなんて聞かないな。案外世界初かもしれない―――
そんなことを思いながら、ターバンの男にやれやれと言った。
『……俺は人を買いに来たんだ。売ってるだろ?』
『……正気か?日本人』
『至ってな。希望は十代前半。できれば……そうだな、黒髪がいい』
『んな都合のいいオーダーが……待
てよ……ちょっと待ってろ』
ふと思い出した様に男は廃屋に入って行く。五分ほどすると、仕立てのいいスーツを来た初老の男が変わりに出てきた。
髪は所々に白髪が混じり、サングラスをかけている褐色の男だ。こいつが総元締めなのだろうか。
『ああ、どうもお客さま!!日本人の方のようで……で、商品の話ですが、オーダーの通りの娘が一人おります』
『……へえ、ほとんど冗談みたいなもんだったんだがな。いくらだ』
『ですが、既に予約が入っておるのですよ……予約している方は、5億で買うと仰っております』
『……10億出そう』
『毎度あり。それじゃ、中へどうぞ』
初老の男に付き従い廃屋に入っていく、屋内は外よりよっぽどホコリっぽくて、思わず咳が出てしまう。
『ハッハッハ……綺麗な空気を常に甘受してらっしゃる日本人だと、ここの空気はちと合わないかも知れませんな』
『……日本でも汚いところは汚いんだがな。ここの空気は砂が混ざってる分タチが悪い』
しばしホコリっぽい廊下を進み、やがて初老の男は廊下のつきあたりにある両開きのドアで立ち止まる。
『さて……お客様。これから見せる商品をお売りになるのは構いませんが、何のお仕事をやってなさるんで?』
『……わざわざ予防線を貼らずともきちんと払うが』
『いえいえ……ですが時たまいるんですよ。料金を踏み倒す成金の坊ちゃんがね……もちろん、先方まで出向いて頂きますが』
『それは相手の命か?それとも金だけか?』
『両方ですよ……で、何のお仕事を?』
再び聞いてくる初老の男は、いつの間にか内ポケットに手を突っ込んで何かを弄っている。
舌打ちをしたい気分だ。きちんと金は払うつもりなのにどれだけ用心しているのだろう。
『……仕方ない』

男は持っていたバッグをあさり、通帳を取り出した。
『そこにゃ俺の資産が載ってる。一部だけどな……職業は勘弁してくれ。表に出せるようなもんじゃないんだ』
スーツの男は渡されたそれを空いてる方の手で受け取り、ざっと目を通してまあいいだろうと胸ポケットから手を出した。
『随分と持ってるじゃないか。日本人のサラリーマンはこんなに儲かるもんなのかい?』
『サラリーマンなんかじゃ一生手は届かないだろうよ』
男がなんの気なしにに返すのを聞いたスーツの男は皮肉げに唇を歪め、両開きのドアを押し開ける。
中には格子がかかっている猛獣用の箱が縦横無尽に並べられており、箱の中からは啜り泣きや何かを齧っているような音が鳴り響いてくる。
『商品にしちゃ扱いが粗雑じゃないのか?』
『それなりのモンにはそれなりの扱いをしてるさ。あんたが買うのにはここで一番良いものを食わせてる。一週間に一回ぐらいだがな』
ふう、と男は内心で嘆息する。
商品管理ぐらいしっかりとやって欲しいもんだ。それにしても一週間に一回の食事じゃ相当痩せているな……。
まあいいさ、元々連れ帰るつもりだ。
滞在を1日伸ばし、少しものを食わせてやろう。俺の作品の糧になる大事な素材だからな。
やがて、積まれた箱の中のひとつの前でスーツの男は立ち止まる。
ポケットから出した鍵を差こみ回す、鉄箱の全面が開き、中身が衆目に晒される。
『へえ……』
『どうだ、上玉だろ……あんたんとこの国に行ったって違和感は無いだろうさ』
箱の中の少女は11歳程だろうか。小さな体を隅っこで丸め、ぴくりとも動かない。
雪のように真っ白な肌、肩ほど迄の艶やかな黒髪、そしてオッドアイ。
黒と灰色の瞳が男を二人の男をジッと見つめる。
『出自も中々いわく付きでな。旅行に来てたら紛争に巻き込まれて両親共に死亡。路頭に迷ってた所をウチの組織の下っ端が拾ったんだよ……大使館に連絡しようにも出自がわからねえからどうにもならねえ。そんなら売っちまおうと思ってな』
『その発想が羨ましいよ』
『あんたらみたいに上司の嫌味を聞いてりゃ給料が貰えるワケじゃないんでな……振込はスイス銀行だ』
『承った。ところで、この辺で過ごしやすい街はあるかい?ちょっと羽を伸ばしてから帰ろうと思うんだ』
『ウチの奴に送らせる。好きにやるといい』
街はにはたどり着けるようだ、選択の自由は無いようだけど。
まあまたご親切な事で。とスーツの男に返すと、男は無言で背を向け部屋から出ていく所で、答えは無かった。

さて、と男は開かれた鉄箱の隅でうずくまる少女に英語で話しかける。
『何言ってるかわかるか?』
少女は色の違う両眼に涙を浮かばせ、首を横に振る。
(おっと……中国人?朝鮮?東アジアあたりの人間だったか……)
そう思い、今度は中国語で語りかけてみた。
《何言ってるかわかるか?》
少女はまたも首を横に振る。
韓国語でも反応は同じだった。
(なんだなんだ……?たしか親をなくしたんだったな。そのショックで喋れなくなったか?それとも単に無意味な反抗をしてるだけか?)
やけくそ気味になった男は、頭をがしがしと掻きむしりながら日本語で話しかけた。
「何言ってるかわかるか?」
そして、少女の反応は全くもって予想外の物だった。
頷いた。


――――揺れが酷いな。客に対する礼儀ってもんを知らないのか?
がたがたと揺れるワゴンに心中不平をこぼしながら、少女を買った男は帰路?についていた。
ワゴンの窓からは果てしない荒野が広がっているのが見える。見てるだけで目が乾きそうだ。
少女は男の隣のシートに無言で座っていた。
よく見てみれば身につけているズボンと長袖は薄汚れていて所々にシミが浮いていたので、男は運転手にこう言った。
『この辺に服屋は無いのか?こんなんじゃ日本に連れて帰るとき妙な視線で見られちまう』
『おいおいモンキー。お前立場わかってんのか?人を買ったんだぞ?おおっぴらに持ち帰れるとでも?』
『持ち帰れるんだなそれが。偽造パスポートはもう用意してある。あくまで親子みたいに振舞えば……まあ、なんとかなるだろうさ。空港も変えるしな』
『……お前何もんなんだ?日本ってのは法治国家だって聞いてるがなんだってお前みたいなのがうろついてる』
『さあな、国会議事堂に電話でもしてみたらどうだ……近くの服屋まででいい、ついでにその服屋の近くにあるホテルの住所を書いてくれ』
『注文の多い客だな』
『注文の多い料理店よりゃマシさ』
『……?』
運転手は男の言った事の意味が全くわからず、怪訝そうに眇められた瞳が運転席のミラーに移り込む。
宮澤賢治も異国に出ればただの人か、と男は内心で苦笑し、黙り込んだ運転手に変わって隣の少女に声をかけた。
「日本語でいいんだったな」
「……」
「なんか喋ったらどうなんだ。それともやっぱりほかの言語か?中国韓国英語。これ以外の言語だと手も足も出ないんだが。ボディーアクションで会話でもするか?」
「……日本語で、いいです」
「やっと喋ったか。それにしても日本人が売られてるなんて珍しいな。運が良かった」

「……旅行中に、紛争に巻き込まれたので」
「聞いたよ。どんぐらいあこそでうりに出されてたんだ?」
「三年半です」
「一桁の時からか、そりゃご苦労なこって。よく今まで売れなかったな」
「…………一年ぐらい前から、急に男の人があの部屋に来る頻度が上がりました」
「はー、なるほどねぇ。醜いアヒルの子は白鳥の子だったって事だ」
「…………」
「とりあえず安心しろよ。もうあそこでゲロみたいな食事を食うこともない。綺麗な服も着せてやるし風呂にも入れてやる。ただし……」
「変なことするんでしょ」
その声は今にも掻き消えてしまいそうな程か細かった。
男は目を2回しばたたかせ、やがて残念そうに言う。
「知ってるのか。あそこではテレビでも見せてくれるのかい?」
「……何となくは、もうずっと昔の記憶ですけど。うちのテレビでそんな感じのドラマがやってたので。女の人はもう少し年上でしたけど」
「へえ、随分と記憶力が良いじゃない。名前は?パスポートにはまだ名前を書いていないんだ。教えてくれよ」
「……八坂瑠璃(やさかるり)」
「OK、瑠璃。まず言わせてもらうけど、俺がお前に『変なこと』をするのは確定事項だ、だがな、それは性欲を発散するためとかそんなチンケな理由じゃない」
男の舌はよく回る。軽快に、うまくアクセントをつけて。
よく両親にホストでもやったらどうだと言われていたものだ。
まあ、今では全く違う事を飯の種にしているのだが。
「俺がお前に変なことをする理由はな、経験のためだ。俺の仕事に最も必要である、な……」
「……?」
「小説家って言えばわかり易かったか?俺はこの仕事じゃなかなかに問題児でな、作品を書くに当たっては経験しないと筆が進まないんだ。だから今までなんでもやってきたよ」
「……そんな、なんでもなんて」
「本当になんでも、さ。俺の処女作は猫を殺し続ける少年の物語だった。なんでかって言われると俺は高校生の時分は猫のハラをカッターナイフでかっさばいて川に捨てるのが趣味だったからさ」

信じられないことをさも当然のように語る男に少女―――瑠璃は嫌悪感をむき出しにし、ずり、とドア側に身を引く。
「俺が次に書いた小説は女を引っ掛けてクスリにはまらせて金を搾り取るクズの物語だった。まあ最後はご都合的に幕を引かせてもらったがな。これの理由もさっきと同じ、女をクスリにはまらせて金を搾り取るのが俺の大学生の時の趣味だった」
そして三作目は、と男が続けようとしたところで、瑠璃は小さく言った。
「もうやめてください。聞きたくないです」
それを聞いた男は弁舌をぴたりと止め、そうか。と言った。
「不愉快か?」
「きもちわるいです。なんでそんなことができるんですか」
「なんでかって言われてもな、俺はそう言う人間なんだよ。書きたいと思ったら経験しないとムズがゆくなる。皮膚の内側からダニが食らいついているかのようにな。今回の作品は幼い女の子を犯して飼い殺しにする御曹司の物語だ。最後はまだ決めてないけどな」
無表情に言い放つ男、瑠璃がもうやめてくれと言ったのを完璧に忘れている。
「これでもあっちじゃ売れてるんだぜ?外国進出もしてるしな。映画化もバンバンされてる。そんでちらりと溜まった金を株に出したら……大当たりさ。おかげさまでいろんな経験ができてる。今じゃ俺の資産の殆どは小説の金さ」
自費出版で売れるってのはうれしいねえと男は言う。無表情な顔、唇のみをわずかに釣り上げながら。
「ところで、今の気持ちはどうなんだ?瑠璃」
ぐるん、と首を瑠璃に向ける男。
「なんでそんなこときくんですか」
「経験だよ、紛争で親を殺され売られ買われ犯されるってはたから見りゃ最悪の人生を送っているお前の経験からくる一言を頼むよ」
きっとそんな人生を送ってきたお前なら月並みな言葉でも重みが違うだろうから。と男が楽しそうに言う。
瑠璃は唇を噛み締め、絞り出すように言った。
あぁ、とんでもない男に買われてしまったなと己の悲運を嘆きながら。

「……最悪です……ッ……」

爆発する寸前の様な瑠璃の声を聞いて、男は予想通りとばかりに唇を歪めた。

ちょいと休憩
だれか見てますか?

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