律子父「娘はアイドル」 (12)
「卒業後の進路?」
「ええ、アイドル事務所の事務員として」
「アイドル事務所?」
晩飯を食べ終わった頃、唐突に娘が切り出して来たのはアルバイトをするという事だった。
卒業後の進路を決めかねていただけに、一つの道筋が立つのかもしれないと思っては見たが、アイドル事務所の事務員と言うのは初めて聞いた。
契約書を見ていると、そのまま社員として登用してくれるという内容だったので、内容自体は悪くない。
給料だって世間の相場と比べても高い訳ではないが、生活に困るほどでもない。
福利厚生も一通りそろっているし、休日は……まあ、どこの業界でも例外と言う物は存在する。
「アイドルをマネジメントするって言う仕事、何だか面白そうだなと思って。その見習いに」
「アイドル事務所なんてやめておきなさいよ、何か面倒に巻き込まれたら、あなたどうするつもりなの?」
妻が険しい顔で言うのも無理はない。
つい今しがた、テレビでアイドルの握手会中に刀傷沙汰があったらしいという事が報道されていたからだ。
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「大丈夫よ。大げさなんだから」
「ま、良いんじゃないかな」
「あなた!」
直ぐに怒ると皺が増える、なんてことを言って火に油を注ぐのは得策じゃない。
ただ、娘の事だから全ての手回しは進めている筈だった。
「はい、これその事務所の社長さんの名刺、あと親の同意書ね」
「……765プロダクション。聞いたことないな」
ご丁寧に捺印マットに朱肉まで用意してあるとあっては、もう言った所で始まらない。
「母さん、ハンコ出してくれ」
「あなた!」
そう言う妻も、こうなったら律子が梃子でも考えを変えないという事は分かっている。
納得がいかなさそうな顔で判子ケースを取り出すと、私に手渡した。
「まあ、やれるだけやればいい」
そう言って、割と軽い気持ちで私は判子を押した。
それから、数ヶ月が経ったある日の事だった。
高校を卒業した律子は予定通り765プロに入社して、毎日忙しいようだ。
仕事を終えて家に帰ると、机の上に見慣れない写真が置いてあった。
「……何だ、コレ」
「律子よ」
「いや、それは分かる」
いくら恰好が違っても、自分の娘を見間違えるはずがない。
ただ、その格好が問題と言うかなんというか。
「何だ、これ」
「ステージ衣装ですって」
「いや、だから」
そう、律子の着ているのは、ピンク色の衣装だ。
「……事務員じゃ無かったのか?」
「だったらしいけど、何でも社長さんにやってみないかって言われたそうよ」
「……」
ぎこちない笑顔を浮かべる娘の写真を見ながら、娘の行く末を少し心配はする。
まあ、一代で会社を興すなんて言う無茶をやってる分、私が人のことを言えた義理は無い訳だが。
妻もその辺りは承知しているようではあったが、私より堅実な物の考え方をする妻としては、律子の進路が心配でしょうがないと言った様子だ。
「しかしまあ……似合ってるじゃないか」
「そう言う問題じゃ無いっ!」
ピシャリと跳ね除けられたお気楽な感想を頭の中で反芻してみる。
いつものお下げから、髪型も替えているだけでも驚きだが、この写真の表情は親である私が見た事のない種類の物だった。
「……娘がアイドル、か」
「……ん?何だ律子、珍しいじゃないかスーツなんて来て」
「え?ああ、うん、ちょっとね」
ビシッとしたスーツ姿に、何時ものお下げではなく頭の上で纏めている。
いかにもキャリアウーマンと言った感じの格好だった。
あまり仕事の事を家で話さないのは、私や妻の姿を見て来たからだろうか。
私は、基本的に家で仕事の話をするのは好きでは無い。
夫婦で会社を切り盛りしている身だからこそ、家くらいゆっくりしたいではないか。
「今日はテレビ局に用事があるから」
「そうか、頑張れよ」
「うんっ」
カツコツとヒールの音を響かせながら、律子が出かけていく姿を見送る。
思えば大きくなったものだ。
昔から大人びた感じの子ではあったが、最近ではそれに色気も。
などと馬鹿な事を考えている時間では無い。
「あなた!そろそろ時間よ!」
「ああ、分かってるよ」
『知っらぬがー仏ほっとけなーい、くーちびるポーカーフェーイス♪』
「最近凄いっすねー、765プロ」
「ああ、竜宮小町なぁ。急に出てきたと思ったら一気にこれだろ?すげえよな」
会社の休憩室のテレビから聞こえてくるのは、765プロのアイドルグループ『竜宮小町』のデビュー曲。
デビューから間もないと言うのにかなり人気が高いようで、うちの社員にもファンがいるようだ。
『今話題のアイドルグループを紹介するこのコーナー、今日は今話題の765プロダクションの新進気鋭のユニット、竜宮小町の三人来てもらいましたー!』
『はーい、皆のアイドル、水瀬伊織ちゃんでーす』
『双海亜美だよーん、全国のにーちゃん、ねーちゃんにおじーちゃんにおばーちゃんハロハロー!』
『三浦あずさと申します。今日は、ちゃんとスタジオに時間通りに尽きましたよ~』
『あたりまえじゃない、私達が付いてたんだもの』
『そうだよねぇ、あずさお姉ちゃん放っておいたらどこに行くかわかんないもんねぇ』
「かわいーっすねぇ、俺、いおりんのファンなんすよ」
「へぇー、俺はあずささんだなぁ。あのふわーっとした感じがたまらん」
私の姿に気が付いた若い社員が立ち上がろうとしたので、手で制して置いた。
『そういえば、3人はレッスンとかどうされてるんですか?』
『それは、律子さ……プロデューサーに決めて頂いてます~』
『うちのプロデューサー、レッスンは厳しいし口うるさいし』
『ねー、怒ると角が生えるんだよ、こーんな』
「……律子?」
聞き覚えのある名前に、思わず首を傾げた。
765プロ、プロデューサー、律子。
「……律子か」
「なあ、律子。お前プロデューサーやってるのか?」
返ってきた律子が晩飯を食っているのを眺めながら、私は聞いてみた。
考えてみれば、あまり律子の仕事内容まで深く聞いたことが無かった気がしたからだ。
「ええ、今は竜宮小町の専属Pよ」
「言ってくれればよかったのに」
「聞かなかったでしょ」
それもそうだった。
しかし親としては何とも寂しい限りである。
律子は元々一人でもしっかり自立している子だから、こうなる事は何となくわかっていた。
だから、聞かなかったのだろうか。
「……少しくらい、話してくれても良かったんじゃないか?」
我ながら女々しいことを言っている気がする。
寂しかったのだろうか?
「……そう言えば、お父さんはどう思ってるの?」
「ん?」
「……私が、芸能事務所でプロデューサーやってる事」
「別に、お前が選んだ道だし、俺がとやかく言う必要はないだろう?」
「お父さんとお母さんは、一代で自分達のお店を大きくした。私だって、その位の事はやってみたいと思ってる」
「それで良いじゃないか、芸能界がどういう所か、俺には全く見当がつかないが、きっとお前の夢を叶える事が出来る場所だろう?」
「……うん」
「どうした律子。お前らしくも無い」
いつもの切れ味鮮やかな返しが無い所を見ると、かなり悩みは深いらしい。
「お父さんは、迷わなかったの?今の仕事を立ち上げた時」
「迷ったさ。失敗すれば無一文。あの時もう、律子は幼稚園だったし、賭けみたいな業務の拡大に手を出すのは控えるべきかと思った」
「でも、お父さんは決断した」
「ああ……それが俺の夢だったから。親父から受け継いだ今の会社を大きくして、社員の皆にももっと幸せになって貰いたい。だから俺は今、こうしている」
「……」
「なあ、律子。幾ら理詰めで人生過ごして行っても、最後は自分がどうするべきか、どう動くべきかってのは感覚で分かると思うんだ」
「感覚?」
「ああ。きっとお前にも分かる時が来るよ。感覚は大事だぞ?母さんとケッコンしようと思ったのがそもそもの感覚のお蔭でな」
「あなた、勘で私と結婚したんですか?」
律子の方に集中しすぎて、妻が近づいている事に気が付かなかった。
慌てて取り繕うような半笑いを浮かべて咳払いをする。
「ま、まあ、何だ……律子、お前はお前のやりたい事をやればいいさ。それがきっと、正解だ」
律子は私の顔をまじまじと見つめている。
そんなに見つめたら照れるじゃないか。
そう言ったら律子は「真面目なことを言っているお父さん、初めて見た」と言っていた。
翌朝、ひげで剃ろうと洗面所に向かうと、丁度律子が階段から降りてくるところだった。
「行ってきまーす」
「うん、行ってこい」
相変わらず、娘はキッチリした格好で出勤していく。
今日もまた、プロデューサーとして。
でも、私は忘れた事は無い。
娘が、アイドルだった事。
今でも、アイドルだという事を。
終
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