モバP「暑いからアイスでも買いに行こうかな」 (15)


この暑さは、例年並みとはとても言えない。

ひとり暮らしの1LDKのエアコンの直下で、俺は涼んでいた。
仕事もない、夏の全盛期と言える今、外に出るのは得策ではない。
そう判断した俺は、何もすることなくリモコンで室内温度だけを下げた。

テレビをつけても、真昼から目を奪うような番組は放映されていない。
じりじりと、生暖かい風が立て付けの悪い窓から入ってくる。
いい加減修理するべきだろうが、日々が忙しいのだ。

プロデューサー業に手をのばし、まだ半人前にもなっていない。
事務仕事で失敗だってする。怒られることだってある。
それでも、この仕事に楽しみすら覚えている。

ああ、遮光カーテンが欲しい。薄いレースでは、日光を防ぎきれない。

足の裏に汗をかきながら立ち上がり、冷蔵庫の中を、探してみる。
…ひとり暮らしの男性の冷蔵庫に、気の利いたものはなかった。
そこにあるのはせいぜい、冷凍食品か、肴と酒ぐらいだった。

冷凍庫に作り置きしていた大量の氷も、いつの間にか食べ尽くしていたらしい。

その底の方では、いつ購入したかも定かではない冷凍食品が冷えていた。
このまま、この暑い夏を乗り切ることは出来ないだろう。
思い立った俺は、服を着替え、思った。

暑いからアイスでも買いに行こうかな、と。



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とりあえず、家の調味料を確認しておいた。

塩に胡椒に砂糖。味覇だったり、味の素。
以前奮発して買ってみた、オイスターソースもあった。
けれどどうにも、自ら料理することなど、ほとんどありはしなかった。

成人して定職に就いた今も、俺には彼女と呼べる存在が居ない。

もし、仮にそんな人がいたとするならば、この暑い中でも出かけるだろう。
どこかのショッピングモールで涼み、暑い、と語り合いたいと思う。
そこで共に、アイスクリームを買って、食べたいとも思う。

気になる人はいる。そう思ったところで、虚無感に襲われ、意識を戻した。

暑い中、日持ちして、さらに冷たく食べられるものがいい。
そうなると、蕎麦だとか、うどんだとか、麺類になるだろうか。
めんつゆも買って来なければならない。だが、調理としては簡単だ。

そうめんも買ってこよう。たっぷりと生姜をすりおろして食べるのだ。

ねぎにわさび、他にも何が必要だろうか、と思案しながら、俺は外に出た。
日陰でも照り返しが酷く、アスファルトの上は陽炎ができている。
ああ、小洒落た格好など、してくるべきではなかった。

今さら戻るのも億劫なので、ゆっくりと住宅街の中を歩き出した。


俺は本当に何となく、電車に乗り、遠くまで足を伸ばした。

特に理由があるわけではなかった。休日に堕落したくなかったから。
もしくは…何かを期待していたから、とも言えるだろうか。
その何かは俺にもわからず、電車に揺られた。

ああ、ただ、アイスクリームを買いに行こう、と思っていたはずだったのだが。

東京の駅のホームには、相変わらず多くの人が集っていた。
誰もがしっとりと汗をかき、仕事熱心な太陽に向かって嘆いていた。
かと言って、雨が降るなら、それはそれで蒸し暑くてたまらない、とも思う。

駅のホームから階段に向かい、切符を改札に通し、溜息をついた。
休日であると言うのに、誰しもが時間に追われたように活動しているからだ。
近くの自動販売機で、冷えたミルクティーで喉を潤し、紅茶のせいでさらに喉が渇いた。

最近設置された小奇麗な看板に沿って歩くと、ガラス張りのアーケートが見えた。
ここに来るなら、女性…誰か、友達でも、誘えていればよかった。
重いドアをくぐれば、内外の温度差に目眩がした。

ここには何でも揃ってはいたが、俺の行く場所だけは、なかった。


現在地である大型ショッピングモールは、数ヶ月前にオープンした。

1階から6階まで吹き抜けである、開放的なデザイン。
流行に沿うように年代別のセレクトショップ、雑貨屋もある。
とにかく老若男女を問わないその設計に、すぐに人気を博していた。

俺は1階のフードコートを見ながらも、ベンチに座っているだけだった。

ふう。彷徨う視線の落ち着きどころを探しつつ、俺は少し後悔していた。
こんなことをしに来たのなら、コンビニでアイスを買っていれば。
もしくは、近くのスーパーで適当に済ませればよかった。

ああ、そういえば、ここには女性受けのいい雑貨屋も多くあると聞く。

せっかくここまで来たのだ。アイドルたちに、何か買っていってみようかな。
喜んでくれるだろうか。センスに自信はないが、受け取ってもらえたら。
純粋な気持ちで、4階のファッション雑貨のフロアを目指してみた。

エスカレーターに乗って下を見下ろして思うが、女性客が大半を占めていた。
来ている男性と言えば、女性を連れているか、子供を連れているか。
俺のような存在は、大きく見渡しても数人もいなかった。

4階に着くと、それはさらに顕著になっていた。
ほとんどを中高生の若者で占めており、とても入りにくかった。
どうしようもなくなった俺は、エスカレーターの方へ向かって歩き出していた。

「あれ?プロデューサーさんですか?」


「あ。やっぱり、プロデューサーさんでしたか。こんにちは」

今日は運のいい日なのだろうか。こんなところでちひろさんと会うなんて。
わざわざ足をのばしてよかった、と内心でそう思っていた。
とりあえず、彼女に尋ねてみることにした。

『こんにちは。ちひろさんは、どうしてここへ?』

「今日は久しぶりの休みですから、家で予定もなくて、買い物でも、と思って」

「プロデューサーさんは?」

『俺も同じです。ええと、アイスを買いに行こう、と思って』

「ふふっ…アイスを買うためだけに、ここまで来たんですか?」

『ええ。何となく、ですが。よかったら、どこかでお茶しませんか』

ちひろさんは嬉しそうに賛同してくれて、俺の隣を歩いてくれた。
端からみたら、彼氏彼女のように見えるのだろうか。
何でもいい。とにかく、神に感謝だ。

『アイスコーヒーをお願いします』

「ええと、私も、彼と同じのをお願いします」

彼女が言った、何気ない一言である彼、という発言に、少しだけ喜びを覚えた。
対面の席に座る彼女の姿は、改めて整っているのだと再確認した。
髪型から服まで、全てきちんと整えられている。

「プロデューサーさんは、ここは詳しいですか?」


『それなりには、ですが。4階には、未だに立ち入れません』

苦笑いをしながら、正直に告げた。あそこは未開の地だ。
今運ばれてきたアイスコーヒーを口に含み、改めて唇を潤した。
ちひろさんはストローを差し込み、軽く吸うと、俺に提案してくれた。

「よろしければ、一緒に色々、回っていただけませんか」

「ああ、もちろん、お時間があれば、でいいんですが」

『…ここ、詳しくないんですか?』

「いえ。何度かは来ているんですが、ええと、声をかけられてしまうので…」

…その発言の意図としては、俺も同意せざるを得ない。
美しい女性が1人で歩いていれば、男性なら放っておかないだろう。
どうせ今も今後も予定はないのだ。さらに、ちひろさんの隣を歩けるのだから。

『構いませんよ。ええと、俺でよければ』

「いえ。プロデューサーさんでなければ、私はお願いしません」

にっこりと笑ってくれる彼女の態度から、好意的に解釈してもいいのだろうか。
さっき潤したばかりの俺の口の中は、すぐにからからに乾いてしまった。
俺の慌てようがおかしかったのだろうか、彼女は笑っていた。

『では、行きましょうか』


何度か来ているという話は本当らしく、速やかに目的の店を回っていった。

女性向けのセレクトショップに入ることなど、ほとんどなかった。
アイドルと共に服を受け取りに行くぐらいだっただろうか。
今のように、私的な理由で入ることなど初めてだ。

誰もが美人な店員であり、ファッションセンスも文句の付け所がない。

ちひろさんが隣にいてくれるおかげで、男性客としての不信感は薄れている。
これ、似合うと思いますか。ええ、似合うと思います。
じゃあ、買ってみようかな。

理想的な受け答えを、今日するとは、昨日の俺は思っていなかっただろう。

「私の買い物は終わりましたから…プロデューサーさんは、どこかありますか?」

その問われ思いついたのが、4階の雑貨店に向かうことだった。
事情を説明し、男性1人では入りにくくて。そう言うと、笑っていた。
アイドルたちへのおみやげに関しても、アドバイスが欲しい、とお願いした。

「わかりました。では、行きましょうか。私も入ったことがないので、楽しみです」

間髪入れずそう答えてくれる彼女に、感謝を覚えた。
ありがとうございます、と伝えると、お礼です、と言われた。
ならば、俺は十分に彼女の人よけとしての仕事は果たしたのだろうか。

「…こうして歩いていると、恋人同士に見えるんでしょうか」

小さく呟く彼女の頬は、少しだけ、朱に染まっていた。


アイドル各自の好みと照らし合わせ、俺は彼女らにプレゼントを選んだ。

全員にとなると、なかなかな出費だが、普段からお金など使わない。
彼女らには助けてもらっているし、感謝の気持ちとして、だ。
嬉しそうにプレゼントを選ぶ俺をみて微笑していた。

『ええと、これで俺の買い物は終わりです、ありがとうございました』

「この後は…どうしましょうか」

『ちひろさんが他に回る所がなければ、俺は帰る予定です』

『少し、お腹もすいてきましたから。アイスクリームも食べたくて』

やはり、当初の目的であるアイスクリームは外せない。
それに用事もないのに彼女の周りにずっと居ても仕方が無い。
ここは、早く帰って食品の買い物を済ませておくべきだろうと思う。

「………」

「………え、えっと…その」

「よ、よかったら、ですが。この後、お食事、でも…」

何だか急にしおらしくなっているちひろさん。
食事の誘い?ああ、もうすぐ日が暮れる。
確かにお腹も空いている。ならば。

『俺も、誘おうと思っていたところなんです』


ショッピングモールとは思えない、最上階のレストランには驚いた。

それなりな服装をしてきてよかった、と安堵した。
ちひろさんも同様であるようで、なんだか緊張していた。
俺の方をちらりとみては、様子を伺っているようにも見えるが。

まだ早い時間なので、軽食を適当に頼み、少しだけ酒にも手をつけた。

ちひろさんはお酒に弱いのか、既に顔が赤くなっていた。
まだほとんど飲んでいない、というのに。
大丈夫だろうか。

「今日は、ありがとうございました」

『いえ、こちらこそ。俺も、プレゼントを買えましたから』

『あ…そうだ。これ、ちひろさんの分です』

「わ、私の分もあるんですか?」

『ええ、もちろん』

「あ、ありがとうございます!」

「…また、今度…何かお礼をしますから」


『お礼、ですか』

「はい。何か、案はありますか?」

『………』

『こうして、また、食事ができれば』

『ええと、仕事が終わってから、だとか』

「………」

「すみません。それは、難しいです」

ああ、やはり、そうか。欲を出すべきではなかった。
こうして食事できているだけでも、俺にとっては嬉しいことだ。
この辺でおとなしく引き下がるべきだろう。何か飲み物などでいいだろう。

『あ…すみません。なら、今度飲み物でも———』

「…でも」

「でも…今度の、お休みに」

「また、プロデューサーさんがアイスを食べたくなって、ここに来たら」

「今日と同じようなことに、なるかもしれません…ふふっ」

「事務所帰りだと、プロデューサーさん、質問攻めにあっちゃいますから」

「…私は、別にそれでもいいんですけど」


『………』

『なら、仕事帰りに行きましょう』

『楽しみにしていますから。とりあえず、明日の夜、1度どうですか』

「………」

「はいっ」

「私も、楽しみにしていますから」

注文した料理が並び、そこに雰囲気を添えて、俺はそれを味わった。
最高級でなくとも、俺にはそう感じることができた。
それは…彼女も、同じのようだ。

『美味しいです』

「ええ」

日が暮れ、月が出て、モールの明かりを背に、俺たちは立っていた。
なんだか乾いたような風が吹き抜けて、少しだけ、涼しくなって。
互いに笑い、さようならを告げ、家に向かって歩を進めていた。

ああ、帰りにアイスクリームを買って帰ろう。

モールの近くのコンビニで、アイスクリームを買って、家に戻った。
けれど、長い時間の中で、それらは全て溶けてしまって。
仕方が無いので、そのまま寝てしまった。

翌日、仕事を終え、ちひろさんとアイコンタクトで外へ出た。
少しだけ近くなったその距離をふとみた影で確認した。
そして、俺は言い訳がましく、こう言ってみた。

『昨日…帰りに、アイスクリームを買ったら、溶けてしまって、食べられなくて』

「…ふふっ。それで…どうするつもり、なんですか?」

きっと、上手く言えない俺の意図を、汲んでくれるだろうと思った。
彼女も分かっていて、俺にそう問うているような気がする。
だから…俺は、誘い文句として、こう、続けた。




『…暑いから、アイスクリームを買いに行こうかな、って』

                           おわり


以上です。ありがとうございました。
html化依頼を出させていただきます。


>>3 修正です。

[ × ] 最近設置された小奇麗な看板に沿って歩くと、ガラス張りのアーケートが見えた。
[ ○ ] 最近設置された小奇麗な看板に沿って歩くと、ガラス張りのアーケードが見えた。

としてお読みください。失礼しました。


修正はこれで以上です。ありがとうございました。

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