群生の華 (6)


 トラウマのことを心的外傷と書きます。

 心の外傷とはどういうことかと思われるかもしれません。

 しかし、心にも「内」と「外」があります。

 それは意識と無意識と呼ばれるものです。

 かつてフロイトは、意識を氷山の一角に喩えました。

 心の大部分は、見えない無意識が占めているという意味です。

 心的外傷とはすなわち、外の傷。

 意識できる傷です。

 では、「内」の傷とは。

 無意識の傷とはなんなのか。

 本人が傷と思っていない傷を、どうすればいいのか。

 わたしたちは、その患者に何ができるのか。


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 部活動は中学校で十分経験したから、高校生活ではアルバイトをしてみたい。そう考えていた。
 しかし、部活動の希望書を提出しなかったことを理由に、ヒロキは職員室に呼び出されてしまっていた。

「どうしてもっていう経済的な理由があるならまだしも、ねぇ?」

 担任の先生がぽりぽりと頭をかいた。

「ウチは基本的に部活動は全員参加だからさ。バイトを禁止する校則はないけども」

「でも、部活なんて行ってたらバイトは無理じゃないすか」

「ううーん。いや、だから暗にバイトを禁止してるわけ」

「そこを、なんとか」

「個人的にはアルバイトも社会勉強になると思ってるから、応援はしてあげたいけどさ」

「さすがミズキ先生は話がわかる。当校一の美人でいらっしゃる」

「ごまをするのはやめなさい」

 何も出やしないから、とミズキは笑った。

「しょうがないなぁ。前例がないわけじゃないし、文化部に入れることで手を打とう」

「え? ちょ、結局は部活じゃないすか」

 ヒロキの抗議を、ミズキは手で制した。

「あんまりおっきな声じゃ言えないけど、文化部はあたしが顧問なの、さ」

「……つまり?」

「事情を考慮してやる、と言っているのだ」

 文化部は、文化的な活動を目的とした部である。しかし、吹奏楽部や家庭科部、美術部は独立して存在している。そのため事実上、部活動に興味のない生徒が入部するための部活と化していた。それでも建前としては文芸部に近い活動理念を掲げており、文化祭では部誌を発行する。

 以上がミズキの説明だった。

「……なるほど!」

「一応部員は、活動に全出席することになってるんだけどね。罰則規定はない」

「そんなんでいいんですか?」

「まあ、そもそもあたしがその活動に顔出してないし」

 それでも、一応初回は出席してね、と釘をさされた。

 それぐらいなら、と請け負う。

「それから、文化祭の部誌の発行だけはちゃんとやること。部費がおりなくなるから」

「わかりました」

 この人は悪い大人なのだな、とヒロキは思った。

「失礼しまーす」

 旧校舎の四階、角部屋。来るのが億劫になる場所に文化部の部室はあった。

「ようこそ。新入部員の人ですか?」

「あ、はい」

「初めまして。井上です。井上美樹。文化部の部長をしています」

 真面目そうな人が迎えてくれた。制服を着崩していない。飾り気のある格好をしているわけでもない。
 しかし、よく見れば髪は丁寧に切りそろえてあり、軽くパーマをかけているようである。眼鏡にも繊細なデザインが施されている。ほのかに香水の香りもした。

 おしゃれには気を使う人なのだろう、と認識を改めた。

「はじめまして」

 これっきりしばらく会うことはないだろうと思いつつも、余計なことは言わないことにした。

 初回の活動は、自己紹介と簡単なデモンストレーションで終わった。

 毎週、ひとりが一冊の本を紹介するのだそうだ。
 それ以外にも活動内容を話していた気がするが、ヒロキは覚えていない。

「以上で、わたしの紹介を終わります」

 緊張していたのか、ふうと息を吐いてミキは周りを見渡した。目が合う。

「こんな感じで、本を紹介していってもらいます。相手に読ませたくなるようにするのはもちろん、自分が何を学べたのかを伝えるようにしてもらいたいです」

 黙って話を聞く。部室には十数人の部員がいたが、だれも口をきかない。

「それでは、今日は解散です。下校時間まではここを開けておくので、自由に使ってください」

 ミキのその言葉を合図に、みな一斉に席を立った。

 蠅って知ってるかと、ヒロキは聞かれた。

「ハエ?」

「そう、蠅」

「そりゃ知ってるけど。虫だろ」

「いや、横光利一って人の小説だってさ」

「小説?」

 そんな小説は知らない。
 俺も知らないけど、とカズキは言った。

「で、それがどうしたの?」

「いや、それがさ。感想文書くんだと」

「え!? なんで!?」

 最近は教員の体調不良で国語の授業で休講続きだ。その代わりに読書感想文が課されたのだという。

「マジでか……」

「ツイてないな」

 カズキも苦笑いだ。
 カズキとは中学からの仲だ。中学のときには同じ部活だった。

「俺、作文苦手なんだよ……。できる気がしない。俺の高校生活はここで終わりだ」

「早すぎるだろ」

「聞いたこともない小説を、どうしろっていうんだ!」

 ヒロキが叫ぶと、カズキはますます笑い出した。

「まあまあ。頑張れ、文化部」

 それはからかいなのか慰めなのか。笑いながら言うカズキの真意が、ヒロキはわからなかった。
 頭は感想文のことでいっぱいだ。

「関係ないよ」

 力なくそう返すのが精一杯だった。

「ただの読書同好会だぜあれ。感想言い合って終わりだもん」

「ちょうど良いじゃん」

「何が」

「感想の発表なんだろ? 何回か顔出して感想文の参考にすれば?」

「……あー」

 自分で書くはめになるよりは、いくらかマシかもしれない。

 アルバイトを探すのは、ひとまず保留しようとヒロキは思った。

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