穏乃「麻雀に、おかしなことはつきものだ」 (199)
01
新子憧と高鴨穏乃の関係は至極単純なものだ。
親同士のコミュニティの元に生まれる、その子供同士の繋がり。
ただでさえ狭い田舎町なので、その関係を数多く持っていた私だが、迷惑甚だしかった。
大人同士の交流に子供を巻き込むなという思いもあったが、私は他人から与えられる人間関係というものが好きではなかったのである。
例えば、友達の友達という言葉がある。
それが私は苦手だ。例え友達の友達だとしても、自分にとっては知らない誰かでしかないのだから。
それが勝手に私の中のコミュニティに割り込んできたら、まるで畑を荒らされるようで、気に食わないのだ。
まあ、私のコミュニケーション能力に難があると言われてしまえばそれまでなのだが。
話を戻そう、新子憧の話だ。
彼女と始めて出会ったのは、小学校に入学して数ヶ月経ったころである。
彼女の実家は神社で、和菓子屋であった私の家とは何かと交流があったらしい。
そして、同年代の娘がいるとお互いに知った私と憧の両親は、私達を引き合わせた。
一言でいってしまえば、私達の出会いは最悪なものだった。
一発触発、親の都合で強制的に引き合わされた私達はお互い殺伐としていたのか、出会ってすぐに口喧嘩を始めた。
握手は右手か左手か――という、些細なきっかけである。
しかし当時、私達は小学生。
そんな些細なきっかけでも小一時間は喧嘩できるほどの精強さがあるのだ。
余談だが後から聞いた話によれば、左手による握手は相手に嫌いという意思を示すものらしい。ごめん憧。
だが、険悪だった私達の関係に転機が訪れた。
阿知賀こども麻雀クラブの存在である。
当時、阿知賀女子学院の旧麻雀部部室にて開催されていたその集会に、彼女が私を誘ってくれたのだ。
「アンタだけほっとくのは可哀想だから。それだけ」
と、そっぽを向いて告げた彼女に私は驚きを隠せなかった。
人目を憚らず喧嘩をし合う間柄だ、決して良い感情は抱かれてなかっただろう。
それでも私を無視しなかったのは彼女の人柄か、ただ誰かに言われただけなのか。
どちらにせよ、それを機に私達の関係が変わっていったのは事実だ。
相も変わらず喧嘩もしたが、一緒に学校に行ったり、麻雀教室の帰りに寄り道をしたり……着実に私達の関係は善きものへとシフトした。
それから数年、またも転機が訪れる。
麻雀教室に通うようになって、私には多くの友達ができた。
いつからかそれは私の中で当たり前のことになっていて、麻雀教室は通い慣れた秘密基地のような認識だった。
だから、なのだろう。
その秘密基地がなくなる、という話を聞いた時、私は大きなショックを受けた。
主催者であった赤土先生が、九州の実業団に入社することになったのだ。
九州――阿知賀、奈良から遠く離れた地だ。
当然、麻雀教室など続けられるはずもない。
そしてその同時期には、私たちの中学進学が控えていた。
私は阿知賀女子学院中等部へ、憧は阿田峯中学校へ。
別れはいつだって避けがたく訪れる。だけどそれは一生のものではない。
さよならは惜しいけれど、生きていれば、またいつか出会えるときが来るのだ。
ただ、運が悪かったのは、二つの別れが重なってしまったことだろう。
――それから二年と半年、私達は未だ疎遠なままだった。
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02
窓から射し込む夕陽が少しだけ眩しくて、私は目を細めた。
一日の授業が全て終了して、今は放課後。
私は高等部にある部室にて、先輩の松実玄さんと共に、とあるポスターの製作を行っていた。
「ふう、何とか一段落ついたね……。穏乃ちゃん、紅茶飲む?」
「あ、私が淹れますよ」
「大丈夫だよ。ちょっと待ってて」
玄さんは破顔して、ポットの置かれたワゴンに向かった。
その笑顔に、私も自然と顔を綻ばせてしまう。
松実玄。
私の小学校からの幼馴染であり、同じ阿知賀女子学院に通う先輩。
とはいっても、私が通うのは中等部なので、校舎は違うのだが。
「穏乃ちゃーん、ミルクと砂糖、入れても良いかな?」
「ミルク多めの砂糖少なめがいいです」
「お任せあれっ」
何が楽しいのか、玄さんは鼻歌を呟いていた。
やけに良い声をしているものだから、子守唄か何かのようでさえある。
「はい、穏乃ちゃん」
マグカップを一つ手渡される。
注がれた紅茶の鼻孔を刺激する良い香りが、部屋中に充満していた。
「ありがとうございます、玄さん」
受け取って、一口啜る。
……うん、おいしい。
紅茶の微かな甘さとミルクの優しい舌触りが、まるで玄さんの性格を表しているかのようだった。
「ど、どうかな?」
「すごく美味しいですよ。流石は玄さんです」
「よ、よかったぁ」
ほっと胸を撫で下ろすと、玄さんも紅茶を飲み始めた。
それにしても本当に美味しいな、この紅茶。
部室にある茶葉はスーパーで買った安物だったはずだが、淹れ方にコツとかがあるのだろうか。
「……ふふ」
「? どうしたんですか、玄さん」
ちびちびと紅茶を賞味していた私を見て、玄さんが微笑んでいた。
そんな笑うほど変な顔をしていただろうか、私は。
「あ、ごめんね。なんだか懐かしいなって」
「懐かしい、ですか」
「うん。ゴールデンウィークが終わって、穏乃ちゃんが来てくれて……私、本当に嬉しかったんだぁ」
「……ゴールデンウィーク」
私にとっては、思い出したくもない地獄のような一週間である。
が、あの一週間が少しでも玄さんのためになったというのなら、それは無視してはいけないことだと思う。
「…………」
「穏乃ちゃん?」
「……私も、今こうして玄さんと話せることがとっても嬉しいですよ」
「そ、そうかな? えへへ……」
頬を掻いてはにかむように笑う玄さん。
その表情に罪悪感を覚え、胸が少しだけ痛んだ。
「じゃあ、もう一頑張りしましょうか」
「うんっ。……部員、集まるといいね」
「集まりますよ」
自然と強い口調になってしまう。
でも、この直感はきっと、嘘じゃない。
「こんなに可愛い人が部長なんですから」
「か、かわっ!? それって……私!?」
「他に誰がいますか」
実際、玄さんはとっても可愛らしい人だ。
顔も日本人形みたいに可憐で恐ろしいほど整っているが、それ以上に性格が可愛い。
生真面目でありながら愛嬌があって、気配りもできる……考えてみればみるほど完璧超人だなこの人。
おまけにスタイルも良いし、私が男だったらほっとかないな、うん。
むしろ小学生のころに告白して振られて玉砕まである。
「だ、だったら穏乃ちゃんだって可愛いよ!」
「えー、でも私って女っぽくないですよ。アンタは女としての自覚を持ちなさいって、良く母親に言われます」
「そんなことないよ! そ、それに、そこが良いって人もいるかもだよ!」
「どうですかね」
と、曖昧な返事を返しておく。
年中ジャージしか着ない女なんて正直駄目だと思う、色々と。
だからといって直すつもりはないけど。
「まあ私が可愛いか可愛くないかはともかく」
「可愛いよ!」
「……これ、完成させましょう」
『女子麻雀部、部員求む!』と大きく書かれたポスターだ。
我ながら暑苦しいキャッチフレーズである。
でも、女子校なんだから女子とつける必要はなかったな……。
「あ、穏乃ちゃん照れてる~」
「照れてません」
うりうりーと私の頬をめがけて接近してきた玄さんの指を避けつつ、私は作業に没頭した。
部活動を終えて、私と玄さんは共に帰路についていた。
夏に入ろうかという季節だが、この時間には太陽はすっかりその姿を消し、紺色の空が天を覆っている。
他愛のない話を繰り返しながら、私達は自分の家に帰る。
そんな当たり前の日々が、今はどうしようもなく愛おしく、懐かしい。
「じゃあまたね。穏乃ちゃん」
「はい。また明日」
「うんっ、また明日!」
玄さんの家の前で、私達はいつものように別れる。
大きく手を振る玄さんを尻目に、私は再び歩き始めた。
このまま道を下って、黒門を通り過ぎた先に高鴨家はある。
ロープウェイ乗り場の真ん前にある和菓子屋なので、吉野に行くことがあればぜひ寄って行ってほしい。
「……ん?」
と、黒門を抜けた矢先、駅から人が出て来るのが目に付いた。
丁度ロープウェイが到着したところだったらしい。
殆どの人の顔を知っている。まあ狭い田舎町だから当然といえば当然だが。
だが、その中でも一際目立っていた人の顔は分からなかった。
深く深く、パーカーのフードを被っていたからである。
身長は一五〇前後だろうか。体つきは華奢で、たぶん女。
その手に学生鞄を持っていることから、学校帰りであることが窺える。
表情は見えないが、首元から流された明るめの茶髪が街灯の光を受けてきらきらと輝いていた。
うーむ、と私は思案する。
どこか見覚えのある出で立ちだ。
恐らくは同年代なのだろう。
だけど、パーカーの下に覗く制服は阿知賀女子学院のものではない。
そもそも制服の上にパーカーを羽織るのはどうなのか、と考えたが、私も制服の上にジャージなので人のこと言えなかった。
阿知賀女子と同じように、制服に関しては緩い校風なのだろう。
などと私が考えている間に、件のパーカー制服女はずんずんとこっちに向かってきていた。
いや、別に私に向かって歩いてきたというわけではない。
ただ彼女の進路に、私が立ちはだかるように立ち止まっていただけだ。
パーカー制服女は俯いて歩いているために、どうも私には気づいていないご様子。
このままだとぶつかってしまうので、私は避けるように道脇に移動した。
「……!」
その足音で私の存在に気がついたのか、彼女はびくりと肩を揺らしてこちらに目を向けた。
私は邪魔にならないように彼女を注意深く観察していたため、必然的に目が合うことになる。
ジャージ制服女とパーカー制服女の視線が交錯した。
「――え?」
私は思わず、素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
結論からいってしまえば。
パーカー制服女の正体は新子憧だった。
うろ覚えだが、約二年ぶりの再開である。
いや、狭い田舎町なのだから実際には何度か会っているのだろうが、それをお互いがはっきりと認識したのはきっと二年ぶりである。
いつもの私なら、
「ひっさしぶりだなー、あ、そうだ。ちょっとウチよってかない?」
などと呆けて声をかけていたかもしれない。
でも今は、明らかに彼女の様子がおかしかった。
そして同時に、何故パーカーを深く被っていたのかを理解した。
「憧、お前……」
「……っ!」
言いきる前に、彼女に両手で突き飛ばされた。
それは、日頃から身体を鍛えている私にとっては少しぐらつく程度の一撃だったが、その隙に彼女は脇目も振らずに駆けだしてしまった。
まるで、私から逃げるように。
「……いや、実際にそうなんだろうけどさ」
明確な拒絶だった。
払われた右手が少しだけ痛い。
だけど、心の方が何倍も締め付けられるように痛かった。
「……憧」
でも、痛かったのは私だけだろうか。
彼女の両手は、心は、痛くなかっただろうか。
「お前――なんで、泣いてるんだよ」
03
私は家に帰った。
鞄を置いてシャワーを浴びて乾かして服を着替えてご飯を食べて、から――すぐに。
私は憧の家に向かっていた。
憧の家は金峯山寺を越えたさらに先にある、吉水神社という神社だ。
もう三年近く訪れていなかったが、場所はしっかりと覚えていた。
私は澱みない足取りで鳥居を潜って、取りあえず神職さんを探した。
余談だが、鳥居があるのは神社である。
何故かこの前見たアニメでは金峯山寺にも鳥居があったのだが、実際にはないです。
その辺の現地調査はしっかりしてほしい、現地民としては。
「んー? あれ、穏乃ちゃん?」
辺りをキョロキョロしてると、それが不審に思われたのか声をかけられた。
見ると、箒を持った巫女服の女性がにこにこと微笑んでいた。
というか、もろ知り合いである。
「久しぶりだね。全然変わってないからすぐ分かったよ」
それ小学校の時からまったく成長してないってことだよね。
泣きたい。
「……望さんですか。お久しぶりです」
新子望さん。
憧のお姉さんで、この神社の巫女さんだ。
そしてこの場合において、彼女との邂逅は幸運といえるだろう。
「どうしたの? もう遅い時間だけど」
不振がられている、というほどではないだろうが、若干警戒されている気がする。
まあ隠す意味もないし、はっきり言ってしまおう。
「えっと、実はさっき駅前で憧と会って……」
ちなみに阿知賀民にとっての駅前とは、近鉄の吉野駅ではなく、ロープウェイ乗り場の事だ。
「ああ……」
納得したようで、どこか空虚な返答。
それは拒絶の意かと思ったが、意外にも望さんは私を招いてくれた。
ついてきて、と彼女は境内に向かって歩き始めた。私もそれに続く。
「あの、憧はどこに?」
「本殿の中。ずっと祈り続けてるんだ。まあ、神様にお願いしてるんだよ」
「……お願い」
神頼みでどうにかなるものなのだろうか、あれは。
ただ悲しくて泣いている、という感じでは確かになかったけど……。
「穏乃ちゃん」
拝殿の前で立ち止まった望さんに、私は呼び止められた。
「少し不便かもしれないけど、我慢してほしい。もし不愉快に感じても、顔には出さないでほしい」
「え……何が、ですか?」
「……? 憧と会ったんじゃないの?」
「会っただけで、その、話したりはしてないんです」
どうにも話が噛み合わない。
私が彼女に拒絶されてしまったから、状況を把握できてないだけだろうか。
「……そっか。でも、月並みの言葉で申し訳ないけれど、口で言うより実際に会った方が理解できると思う」
「え……?」
「ごめん、私もちょっと、動顛しててさ……上手く説明する自信ない」
そう告げる彼女は、静かに涙を流していた。
それは悲しいというよりは、自分の無力さを嘆くような、そんな涙に見えた。
望さんはまるで、両足を地面に縫われたように、そこで立ち止まってしまっていた。
私一人で行けということだろうか。
まあ此処まで来て帰れと言われたら、流石に泣く。
本殿をこんなに間近でみるのは初めてだ。
空気が刃のように研ぎ澄まされて、神聖な雰囲気である。
「ここまで来てだけど、触っても大丈夫だよな……?」
流石に一瞬で砂になってしまうとかはないだろうが、神聖なものにはできるだけ常日頃から触らないようにしている私である。
恐る恐るといった風に、私は本殿の襖障子をノックした。私が砂になることはなかった。
「……」
暫く待っても返事がないため、聞こえなかったのかな、とか思案していたら、襖障子が独りでに開いた。
自動ドアなどでは勿論なく、向こう側から誰かが戸を開いたのだ。
そして、その誰かは一人しかいない。
「さ、さっきぶり」
「…………? ……! ……!?」
小さく手を上げて戯けると、憧は涙を目一杯溢れさせながら、驚愕に顔を染めて口をぱくぱくさせていた。
実に器用な表情筋である。可愛い。
ってそうじゃない、私は真面目な話をしに来たんだ。
「あのさ、憧……」
「……! ……!」
まるで、待ってとでも言いたげに、憧は胸の前でぶんぶんと手を振った。
待った。
本殿を飛び出した憧は、三分くらいして戻ってきた。
また逃げられたのかと思ったが、杞憂だったらしい。
勝手に吉野市民の駅前をロープウェイにしないでくれ………
乗り換え無しで阿倍野橋まで行けるのは吉野市民の誇りなんだよ……
「あのさ、憧……」
憧はどこからか持ってきたメモ帳にペンを走らせて、それを私に見せた。
【何?】
……それだけで私は、七割くらい察した。
ふぅ~む、なるほどなるほどなるほどー、というやつである。
筆談で相槌を打つ必要はないと思う、というのは勿論口に出さずに、私は続けた。
「憧は最近、変なことなかった? 変なものを見たとか、そういうやつ」
察したのなら、一々確認をとる必要はない。
聞かれたくないことだろうし、もう嫌というほど聞かれたのだろうから。
ちょっと早いけれど、次の段階に移行だ。
しかし突然そんなことを聞いたものだから、憧は涙を流しながら目を丸くしていた。
【変なことばっかよ。見て分かるでしょ?】
「ごめん。でも、そういうことじゃなくてさ……、私から見て分からないところで、だよ」
「……」
不安と苛立ちと涙を込めた上目遣いで憧は私を見た。
私の言うことは支離滅裂だ。
会話を放棄されてもおかしくないである、が、憧はペンを走らせることを止めなかった。
ぐい、と、彼女はメモ帳を押し付けるように見せた。
【鴉なら、見たけど……】
ドンピシャ、だ。
きっと私なら、彼女の問題を解決するための手助けができる。
「憧、安心していいよ」
私が助けてやる、なんておこがましい言葉は間違えても言えないけど。
でも少しでも憧が安堵出来るように、私は精一杯微笑んだ。
「――きっとよくなるから」
今日の投下は終わりです
こんな感じでだらだら続きます
>>12
ごめんなさい(土下座)
勉強不足ですまんのだが
何かとのクロスなんか?
物語シリーズだろ
面白いよ期待!
関係ないけど
照なら
照「麻雀にお菓子はつきものだ」とかいいそう
意外にもたくさんの人に読んでいただいて嬉しいやらびっくりやらです
雑談、全然かまいませんよ
一つ一つのレスを読むの楽しいですし、モチベーションも上がりますので
もちろん、読者に楽しんでもらえるのが一番ですが
>>17さん
一応>>21さんの言う通り物語シリーズとのクロスですが
クロスというよりは設定を阿知賀編に当てはめた、みたいな感じです
化物語を知らない人でも読めるよう頑張ります
>>21さん
言い出しっぺの法則というものをご存じで?(迫真)
04
春休みのことである。
私は吸血鬼に襲われた。
二十一世紀現在。科学が止め処なく発展し、オカルトの存在が虚妄の産物と言われるようなこの時代。
そんな時代に、恥ずかしくて外も歩けないような事実だけれども、兎に角、私は吸血鬼に襲われたのだ。
聖者のように美しく、死者のように儚げな鬼だった。
姿だけをみると、私と同い年くらいに見える。が、私ごときと同列に扱うなんて失礼極まりない。
彼女は、何百何千という永劫の時を生き永らえてきたのだから。
年功序列、というわけじゃないけれど。
私にとって、敬わなければならない存在であるのは、間違えようもなかった。
そして。
そんなとんでもない、とても口先の言葉だけでは表せないような存在に襲われた私は、結果として吸血鬼もどきになってしまったの
だ。
日光も十字架も大蒜も平気な、それでいて人間離れした力を持つ、中途半端な存在に。
だがそれは、私個人の話であって、憧にとってはどうでもいいことだろう。
私が彼女の手助けをする上で重要なのは、彼女の現状に対する理解と、私が人間から少し離れた位置にいるということだけだ。
私は憧の手を引いて、吉水神社から連れ出した。
……こう言えば聞こえはかっこいいが、端的に言えばただの誘拐である。
望さんには本当に申し訳ない。でも、こうでもしないと憧を連れ出すことはできなかっただろう。
後から首を折る勢いで謝るつもりだから、今は許してほしい。
憧を着替えさせる暇はなかったので、彼女は今、巫女服の上にパーカーを羽織るという何とも前衛的な格好である。
具体的には和服の上に革ジャンを着るくらい前衛的。
まあ誰とはいわないけど、痴女みたいな恰好をしていても職務質問を受けないくらいの在郷だから、大丈夫だろう、多分。
似合ってるし、巫女服パーカー。
暫く走って、私は目についた金峯山寺の前あたりで一度立ち止まることにした。
「大丈夫か? 憧」
繋いだ手をそのままに私は振り向くと、憧は涙を拭いつつ、物凄い剣幕でメモ帳にペンを走らせていた。
そして、叩きつけるようにそれを私に見せる。
【大丈夫じゃないわよこの体力バカ! アンタに引っ張られても着いていけるわけないでしょ!】
「あ……」
そうだ。言われて気がついた。
私と憧は幼いころ、一緒にこの辺りを駆けまわっていたのだから、私についてこれるだろうと踏んでいたが、違う。
今の私は吸血鬼もどきと化していて、少しとはいえ身体能力も人間のそれを上回っているんだ。
それに、今の憧は全く本調子ではないということも、考慮しなければならない。
「……ごめん、少し早計だったよ」
謝って、手を離す。
すると憧は少しだけ悲しそうな顔をした……気がする。
いや、ずっと涙を流しているから、そう見えただけだろうか。
【……まあ、それはいいけど。どうしたの突然? ついて来いって】
「――!?」
メモ帳を見せてから何か思い至ったのか、メモ帳で顔を覆うようにして、勢いよく私から距離をとる憧。
彼女はここまで粗忽者ではなかったはずだけど……まあこんなことになったんじゃ、少し不安定でもおかしくないか。
それに憧は元々、触れれば壊れてしまうような硝子細工のように繊細な女の子なのだから。
どっかの誰かさんとは違うんだ。
「…………!? …………! ――――!」
「お、おい? 憧?」
「…………? ……! …………!!」
「おーい? 新子憧さーん?」
【ううう、なんなのよもう!】
「いや、なんなのよはこっちだよ」
憧の顔は何故か真っ赤な茹で蛸みたいになっていた。
今時、少女漫画でも見れないような表情である。可愛い。
――しかし。
今になってだが、憧は随分と筆談での会話に慣れているように見える。
会話の速度に違和感はないし、相槌だって絶妙だ。
……慣れているから。
慣れてしまったから。
つまり、この問題は昨日や一昨日からの話ではないということだ。
きっと私が考える以上に、憧は辛い体験をしたのだろう。
誰もができることができないというのは――どれだけの苦痛なのだろうか。
「説明は歩きながらするよ。少し離れたところにいるからさ、あの人」
「……」
【戒能さん、だっけ?】
「そう。戒能良子」
【ふうん? そりゃ、さぞかし良い子なんでしょうね】
「まあ、誰も彼もが、名は体を表す、ってわけじゃないだろうけどな」
それにあの人は、良い人というより変な人というイメージが先走る。
まあ私も、穏やかなのは名前だけとか、小学生くらいの時によく言われてたし、名前なんてその程度のものだろう。
大切だからといって、重要とは限らない。
「……まあでも、腕は確かだから、安心していいよ」
【怪異……の、専門家なんだっけ?】
「うん」
――怪異。
現実にはありえないような不可思議な事実やオカルトなどを、生き物に例えた存在。
憧は、それに憑かれたのだ。
「というか、知ってるんだな。怪異のこと」
【まあ、家が神社だからね】
そうだった。
「――あ。着いたよ」
私や玄さんが通う阿知賀女子学院。
今は中等部と高等部しかないが、昔は小学校も存在していたらしい。
その名残として残された旧校舎、という名の廃墟に、戒能良子は文字通り住みついていた。
私が彼女に助けられた、あの春休みから――ずっと。
ぞっとしない話である。
【うわ……こんなのまだ残ってたんだ】
私の隣に立った憧が校舎を仰ぎ見た。
幾ら阿知賀が田舎であるとはいえ、ここまで見事な廃墟は早々見つけられないだろう。
どうでもいい話だが、隣に立たれると身長的な問題で憧を見上げなければいけなくなってしまう。
いや本当、どうでもいい話なんだけど。
「こっちだよ。足元悪いから、気をつけて」
私は拉げた金網を潜るようにして、小学校に侵入した。
不審がってはいたが、渋々といった様子で憧もそれに続く。
まあ、外から見れば分かることだけども、中も当然のようにものの見事な廃墟である。
薄暗いし、外より湿気が濃い感じもする。
天井も壁も床も、余すところなく亀裂が走っていて、突けば崩れてしまいそうなくらい、脆く見える。
雰囲気はあるので、夏場の肝試しなんかにはきっと、もってこいだろう。
【随分とボロボロなのね】
「年季も相当入ってるからねぇ」
こう薄暗いもんだから筆談はし難いだろうなと思っていたが、彼女のペンはライトが点くタイプのものだった。
……やっぱ、慣れてるなあ。
【そうじゃなくて。そこの傷とか、明らかに人為的なものでしょ】
憧が照らした先には、獣が引っ掻いたかのような、凄惨な破壊の痕跡が残されていた。
「……知らない知らない。うん、私は何にも知らない」
【嘘を吐くのはよくないよ、シズ】
嘘つくの下手なくせに、見破るのは得意なんだよなあ、こいつ。
というか、これは、幾らなんでも説明できない。
『実は私達の幼馴染の清楚系黒髪美少女がむしゃくしゃして建物を倒壊寸前まで破壊しちゃったんだあははははははは』
なんて言えるわけがない。
それに、例え当の本人が覚えていないのだとしても、軽々しく口にできることじゃない。
【言いたくないなら、言わなくてもいいけど】
「……助かるよ」
「……鴉、か」
隣を歩く憧には聞こえない程度の声量で、小さく呟く。
――鴉。
スズメ目カラス科の鳥類。
黒の鳥の代表格とされ、人間にとっては鳩と並ぶくらいに身近な野鳥だろう。
そんな鴉の怪異の姿を、憧は視たという。
私は専門家ではないので、それだけで憧の抱えている問題を理解できるわけがないが、少しだけ胸がざわついた。
「…………」
既に原型を保てていない階段を上り、三階。
元が小学校であるため、教室だったであろう部屋が幾つも存在するのだが――
どの教室も扉どころか壁さえ壊れていて、廊下と一体化しているのが現状だった。
通気性抜群である。
戒能さんを探すため、私は手始めに階段から一番近場の教室を覗いた。
「YAH。ウェルカム、高鴨ちゃん」
――と、戒能良子は、そこにいた。
廃品となった机と机を、まるでベットのように組み合わせたその上で、ぴんと張りつめた糸のような正座をして。
相変わらず見透かすような――見透かしたような台詞を吐きつつ。
私に続いて教室に入ってきた憧は、そんな戒能さん見て、明らかに引いていた。
物理的な意味でも後退っていた。
事前に説明したとはいえ、廃墟に住む女性というのは、現役女子中学生の憧にとっては、中々強烈なものだったらしい。
胡散臭さ溢れる話し方も相まって、印象は最悪かもしれない。
が、こんな人でも一応、私の命の恩人なのだった。
「そっちのレディは初めまして。ナイストゥミーチュー」
「…………」
ちょんちょん、といった感じで、私は憧に肩を突かれた。
ああ、そっか。
「戒能さん、こいつは……」
と、私は一通り、憧のことを戒能さんに説明した。
私の幼馴染であること、
鴉の怪異に憑かれたこと、
声が出せずに、涙が止まらないこと――
包み隠さず、事実だけを告げた。
「――OH WOW。なるほど」
納得するように、戒能さんは頷く。
「オーケー、君の抱えているプログラムは……オールライト、理解した。正直なのはいいこと、デス」
しかし、と戒能さんは続けた。
「高鴨ちゃん、また君は違うガールを連れているのかい。君はミート……会う度に、違う女の子をテイクしていますね」
「いやいや、幼馴染って説明しましたよね?」
多分半分くらい聞いてなかったなこの人。
これ以上ないってくらい真面目に説明したのに、酷い。
「ああ、ソーリーソーリーヒゲソーリー。……となると君は、幼少期からのフレンドが二人いるのですか。OH、まるで、ストーリーのヒーローみたい、デス」
「それは私が男だったらの話でしょう」
「それもそう、です」
と、戒能さんは空笑いを零した。
相も変わらず、掴みどころのない人だ。
「では、ビジネス……仕事の話をしよう、か」
「…………」
「どうした? 憧」
また肩を突かれた。
【さっきから気になってたんだけど。あの子、何?】
何。
その聞き方からして、憧は彼女が何かであることを察したのだろう。
教室の、これ以上ないというほど隅。
死角とさえ言ってもいいその場所で、彼女は膝を抱えるようにして座って、こっちを見ていた。
聖者のように美しい金髪。
死者のように儚げな双眸。
頭に被った黒のキャップが、恐ろしく似合っていない、八歳くらいの女の子。
「…………」
その表情は闇に遮られて見ることはできない。
でも、容易に想像がついた。
この世のマイナスの感情全てをぐちゃぐちゃにして混ぜ合わせたかのような、きっと――そんな表情だ。
「――何でもないよ」
憧の問いに私は一言、短く答えた。
この話はさっさと終わらせたい、という真意を全く隠さずに。
続ける。
「何でもなければ、誰でもない。から、何もできない。影も形も種も仕掛けもない。そんな存在だよ、あの子は」
「ノゥ、それは幾らなんでもバッド……酷いデス、高鴨ちゃん」
と、戒能さんが口を挿んだ。
「確かに彼女は影も形も、種も仕掛けもないようなイグジスタンス、存在ですが……決して、何でもないわけじゃないでしょう?」
「……ああ。ですね」
確かに彼女には、残した――遺したものがあったんだ。
それは名前。
彼女の名前。
「みなも。……みなも、っていうんだ。あの子」
その名前が、彼女の本名かどうかは分からない。
もしかしたら、お得意の適当な嘘八百の一つかもしれない。
でも確かに、もう何も語ってくれない彼女と語り合った午前二時、に。
私は彼女の――みなもの口から、その名前を聞いたんだ。
その事実は間違いじゃない。
「まあでも、好きなように呼べばいいと思うよ」
彼女を呼ぶことなど、然う然うないだろうが。
吸血鬼の成れの果てで。
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードだった何か。
水面に映る影のように、もう存在しか残されていない彼女に、いったい何ができようか。
まあ、吸血鬼に影はないけど。
憧は納得はしていないようだが、小さく頷いた。察してくれたようだ。
なら、話を戻そう。
「で、ビジネスの話でしたっけ?」
「ザッツライト。マネーは、分かりやすくていいデスね」
「…………」
「幾らですか?」
憧の会話代理人として尋ねる。
「ン、そうですね。じゃあ、五万円で」
「五万円……」
中学生にとっては、結構な額だ。
お年玉貯金なんかをしていなければ、ぱっと出せるようなものじゃない。
憧は……どうだろう。
昔からお金のやり取りには厳しい奴だから、蔑ろにするなんてことはないだろうが。
ま、私と比べれば――この科学の時代に吸血鬼に襲われ、助けられた私と比べれば――大概ましな額だ。
中学三年生にして五百万円の借金を背負っている私だった。
「払える?」
私が、戒能さんの代わりに憧に尋ねた。
「…………」
迷いない手捌きで、憧はメモ帳にペンを走らせて、それを戒能さんに見せた。
【払います】
涙を零して拭ってを繰り返す彼女が、強い光を瞳に込めて。
【どんなことをしてでも、必ず】
今日はここまで
(一章分しか進んでなくて)すまんな
05
「――亡鴉(なきからす)」
五万円の契約が成立すると、まるでふと思い出したかのように、戒能さんはぽつりと、その名を口にした。
「なきからす?」
「亡者の亡に、牙の鳥と書いて、亡鴉。和歌山の山間あたりの民話伝承デス。
地域によって無鴉や泣鴉など、表記の仕方は諸説ありますが、まあこの場合、鳴きと亡きがかかっています。
この怪異は――行き遭った者の『悲しみ』を、ドロウ……奪うのです」
悲しみを奪う。
それはつまり――涙を、奪う?
「……それは違うよ、戒能さん」
だって、憧は今もこうして、涙を流しているじゃないか。
涙を、流し続けているじゃないか。
奪うどころか、与えて悲しませているの、間違いだろう。
「ノゥノゥ、高鴨ちゃん。君は大きな勘違いをしている。確かに彼女は、涙を流している。おまけに声が出せないんだろう?
それはこれ以上ないってくらい可哀想な事実だ。でも……」
でも。
「彼女自身はそのことを、全く――これっぽっちも、悲しいと思っていないのでは?」
涙というのは、人の感情が高ぶった際に流れる物だ。
そして、その悲しみを、怒りを、憎しみを。
水に流すために、人は涙を流す。
でも、新子憧の場合はどうやら……違うらしい。
「君の願いを、望みを、亡鴉は叶えてくれたというわけデスね」
【ちょ、ちょっと待ってください】
戒能さんの言葉に、憧は異を唱えた。
【なんですか。私の願いって、望みって! そんなものは知らない!】
「知らないハズ、ないでしょう?」
戒能さんは言った。
「遭っているのデスから」
「…………」
「そして、憑かれた。今だって、そこにいますよ」
【……何が、見えるっていうんですか?】
「見えませんよ。私には、何も」
そして戒能さんは、子供のようにけらけらと笑った。
これじゃあ、茶化しているようにしか見えない。
「……つまり、その亡鴉っていう怪異は、交通事故みたいに不幸な出来事として行き遭ったわけじゃなくて、
憧の意思に基づいて、行き憑いたってことですか?」
「イエス、そういうことです」
「…………」
なら、話が変わってきてしまう。
憧に憑いた鴉を退治する、というだけじゃ、根本的な問題の解決には至らない。
彼女の中の、彼女自身の問題を解消しなければいけない。
「まあ、そこの吸血鬼に襲われた高鴨ちゃんに比べれば、全然マシデスよ。
基本的に鴉は、温厚な生き物ですし、ネ」
今の、私を引き合いに出す必要あったかなあ?
【助けて……くれるんですか?】
「――助けませんよ。君が勝手に助かるだけ、デス」
阿知賀は地方の、知る人ぞ知るといっていいほどの在郷だ。
夜になれば当然辺りは真っ暗であり、足元も覚束ないぐらいである。
そのため、深夜に外に出ようなんていう物好きは、然う然ういない。
なので警備も緩いのか、中学生が深夜徘徊していても補導されるなんてことは、まずほとんどない。
まあ、それはともかく。
夜中の零時。
私と憧は身形を整えてから、再び、戒能さんのいる廃墟を訪れていた。
金網を潜って校舎にたどり着くと、戒能さんはそこで待っていた。
その服装は、浄衣と呼ばれる、神職に携わる人が着るような白の装束。
髪も整えているようで――こういってはなんだが、かなり様になっていた。
実家が神社である憧にとっては、見覚え深い姿だろう。
【戒能さんって、神職の方だったんだ】
「ん? ノゥノゥ、違いますよ」
と、戒能さんはあっさりと否定した。
「こういうのは、雰囲気作りが大事なんです。シリアスなストーリーは地の文も多いでしょう? それと同じことです。
ノープロブレム。作法はいい加減でも、付き合い方は心得ていますので」
「……」
憧は少し呑まれるように、ぽかんと口を開いていた。
「ン、二人とも良い感じに清潔ですね。グッド。一応聞きますが、お化粧はしてませんか?」
【あ、しない方がいいと思って、してません】
「私も……」
というか、化粧なんてしたことない。
――あの後。
身形を整えるために、私達は銭湯にいった。
シャワーを浴びて湯に浸かり、身を清めた。
戒能さんが言うには――準備だという。
怪異を祓うための、準備。
服もできるだけ清潔なものに着替えろとのことだったが、流石に憧の家には戻れないので、彼女には私の服を貸した。
シャツとカジュアルコート、それにプリッツスカート。どれも色の薄い、地味めなものだ。
私はといえば、シャツとホットパンツの上にジャケットを羽織るだけという、これまた地味な格好だった。
戒能さんが言うには、流石にジャージは駄目らしい。
汚れているから、だそうだ。
「ベリーグッド。では、さっさと済ませてしまいましょう」
言って、戒能さんは校舎の中へと入った。
白装束のはずなのに、その姿は消えるようにすぐ見えなくなった。
憧の手を引いて、私は戒能さんを追う。
「ところで戒能さん」
私はこの際、気になっていたことを聞くことにした。
「私って、いても大丈夫ですか?」
「邪魔ということはないデス。それに、いざという時は君のパワーが役に立ちますから」
「…………」
いざ、という時。
私はさっきの戒能さんの言葉を思い出す。
――基本的に鴉は、温厚な生き物ですし、ネ。
基本的に。
それはつまり、襲ってくることもあるかもしれないということだ。
吸血鬼のように。
または、龍のように。
「……まあ、壁くらいにはなれるかな」
「デスね」
戒能さんは笑った。
私も笑った。
そんな話をしている間に、私達は目的の部屋に辿りついた。
三階の、一番奥の教室。
崩れている壁を潜らず、戒能さんは丁寧に扉を開いた。
「……っ」
入ると、教室全体に注連縄が施され、黒板前には祭壇が置かれていた。
ゆらゆらと踊る蝋燭の炎が、嫌に艶めかしい。
「二人とも、目を伏せて頭を低くしてください。ランクは、相手の方が上です」
言って、戒能さんは澱みないお辞儀をした。
それに倣うように、私達も慌てて頭を下げる。
私は無宗教だが、このぴりぴりとした空気は、嫌というほど感じ取ることができた。
大事なのは、雰囲気――ということなのだろう。
「……では、新子さん、此処に座って」
戒能さんは祭壇の手前辺りを、指示した。
憧は頭を上げると、言われた通りそこに座った。
「じゃあ、まずは落ち着くことから始めよう……と、その前に」
はい、と、戒能さんは憧に和紙の手帳と万年筆を手渡した。
「会話ができないと、困るだろう。言いたいことがあったら、これに書いて」
「……」
受け取ると、憧はそれを祭壇の一番手前に置いた。
会話。
それは私達と――ではなく、怪異との対話だ。
粛々と、お願いするのだ。
声を返してくださいと。悲しみを忘れてごめんなさいと。
そういう意味じゃ、憧が吉水神社でやっていたことは、強ち間違いじゃなかったらしい。
――ずっと祈り続けてるんだ。まあ、神様にお願いしてるんだよ。
ただ、祈るべき相手を、お願いするべき相手を、間違えていただけの話。
神と怪異は似ているようで、決してイコールではない。
「さて」
切り出すように、戒能さんが言った。
「まずは落ち着きましょう」
目を閉じて、口を紡ぐ。
無音と化した空間で、煌く炎だけが時の流れを教えてくれる。
雰囲気作りという意味じゃ――十分だろう。
私も自然と、息を飲んでしまう。
春休みやゴールデンウィークに味わったものとは、また違う恐怖を覚えているのだ。
それは圧迫感。
微かにしか聞こえない空気の循環音が、まるで爆音のように聞こえるほどの――。
自己暗示。
または、催眠暗示。
「……落ち着きましたか?」
「……」
憧は答えない。
答えられない。
だからそのかわりに、小さく頷いた。
「オーケー。では、私の質問に答えてください。君の名前は?」
【新子憧】
「通っている学校は?」
【阿田峯中学校】
「誕生日は?」
【五月十七日】
……意味があるのかすら分からない、不可解な問答。
これも雰囲気作りの一環、だろうか。
「好きな小説家は?」
【森見登美彦】
「子供の頃の失敗談を聞かせてもらえますか?」
【言いたくありません】
「好きな古典音楽は?」
【古典音楽は嗜みません】
「小学校を卒業するとき、どう思いました?」
そのとき。
澱みなく万年筆を走らせていた憧の手が、一瞬止まった。
「……どう思いました?」
【別に、どうとも。ただ学校が家から少し遠くなるのが、面倒だなと思いました】
「初恋の子はどんな人でした?」
【言いたくありません】
「今までの人生で」
戒能さんは変わらない口調で続ける。
「一番、辛かった思い出は?」
「…………」
憧は、ここで再び、解答に詰まった。
しかも今度は、完全に手が止まっていた。
沈黙――恐らく戒能さんは、この質問だけに全ての意味を持たせているのだろう。
「どうしました? まさか、ないわけではないでしょう?」
「…………」
憧の口が、ぱくぱくと開閉する。
場の空気によってか。
言いたくないと、拒絶はできない。
そのための、雰囲気作り。
【シ、シ ズ と】
震える手は、一文字ずつ、文章としての体は為していない言葉を紡いでいく。
「高鴨ちゃんと」
【サ ヨナラ――――した こ と】
「……っ」
さよなら。
それは、二年と半年前の話。
――私は阿知賀かなー。ここの部室好きだし。
――……あたしは、阿太中かな。
あの日から、私達は別々の道を進み始めたのだ。
「それは、悲しかった?」
こくりと、憧は頷いた。
涙が、一つ二つと祭壇に落ちる。
「本当に?」
こくり。
「本当に、そう思う?」
こくりと。
憧は何度も、繰り返し頷いた。
「だったら、それは――君の思いだ」
戒能さんは言った。
「盗られたからといって、望んだからといって、放っておいていいものじゃ、ないでしょう?」
望んだ願いを。
皮肉にも亡鴉は――それを奪うことによって、叶えてくれたのだ。
「目を背けずに、向き合わないと」
戒能さんは目を開いた。
憧も、静かに――目を開けた。
蝋燭の炎は、相も変わらずに私達を照らしてくれた。
ゆらゆらと。
ゆらゆらと。
「――――!」
大きく。
大げさなくらいに、憧が仰け反った。
声も悲鳴も上げなかったが、その表情は驚愕に染まっている。
瞳孔は限界まで開き、汗が一気に噴き出していた。
「何か、見えますか?」
【み、見えます! 鴉が、前見た時と同じ大きな鴉が、見えます】
「高鴨ちゃんには、なにか見える?」
「見え、ないです。何も」
【で、でも、見える! ここにいるんだ、鴉が!】
「錯覚ではない?」
【違います。ここに、はっきりと見えるんです。本当です!】
「そう」
言いながら、戒能さんは私をちらりと見た。
その後、今度は憧の視線の先に目をやる。
そこに、何かがいるかのように。
「だったら、君は何か、言うべきことがあるのでは?」
【言う、べきこと】
憧は。
その場で両手を床につき、深々と頭を下げた。
「……ごめん……なさい」
声。
震えを孕んだ、透き通るような声だった。
私の声でも、戒能さんの声でもない。
私の記憶の中にある、新子憧の声だ。
「……返してください」
悲しみを痛みを涙を。
思い出を――返してください。
「……っ!」
びゅん、と。
暴風が吹き抜けた。
「っ――アァ!」
私は、思わずそれを掴んでしまった。
私目掛けて肉迫してきたそれを掴み取って、捕まえてしまった。
目視はできないが、全長一メートル以上の――鳥。
鴉を。
「くぅッ……!」
そして、私は突き飛ばされた。
軽々と身体が宙を舞って、廊下の壁に激突する。
「し、シズ――!」
「オーマイゴット。やっぱりこうなってしまいますか……まあ、止むをえません」
言いながら戒能さんは、ひょいっと、宙にいた何かを捕まえた。
それはもう、あっさりと。
そして、指の一本一本に、力を込めた。
鳥は首を折れば、簡単に死ぬ、から。
「か、戒能さ――」
「待って!」
戒能さんの影から、声を上げたのは憧だ。
祭壇の前で正座したまま、手をぐっと握りしめている。
「待って、ください」
「待つって、何をですか?」
手に込めた力を抑えぬまま、戒能さんは視線だけを憧に向けていた。
「……今度はちゃんと、お願いできますから」
「ほう?」
戒能さんは、手を開いたりしない。
でも、少しだけ手に込められた力が緩んだような気がした。
憧に託した……ということだろうか。
憧は。
戒能さんに掴まれたまま鴉に、正面から土下座をした。
そして、ぽつりと零すように言葉を口にする。
「……ごめんなさい」
ごめんなさい。
「それから――ありがとうございました」
ありがとう。
「あなたのおかげで、私は寂しくも、悲しくもなかった。本当に……ありがとうございました。
でも、もういいんです。私はもう大丈夫です。だからお願いです。お願いします、私に――――」
「――どうか私に、思い出を返してください」
ぎゅっと。
戒能さんは、手を握りしめた。
それはつまり、鴉が消えた、消滅したということでいいのだろう。
怪異はいなくなり、当たり前の、あるがままの私達に、戻った。
還ったのだ。
「……ありがとう」
どこか遠くを見つめて何も言わない戒能良子と。
怒涛のように流れ込む感情に耐えきれなかったのか、わんわんと声を上げて泣きじゃくる新子憧を、少しだけ遠くから眺めて。
私は知らず、そんなことを呟いていた。
今日はここまでです
多分、夜に残りを投下すると思います
勢いで書くってよくないね(至言)
06
新子憧と高鴨穏乃の関係は、結局のところ、言葉で表せるようなものじゃなかった。
それは、友達以上の関係であるとか、そもそも友達ですらなかったとか――そういう意味ではなく。
ただ単純に。
私達にとって、お互いとの繋がりというのはそもそも、さして重要ではなかったのだ。
大切だからといって、重要ではないように。
大切だからこそ――重要ではなかったのだ。
だから、私達は。
新子憧との、または高鴨穏乃との関係の本当の大切さに。
私達は失うまで、気が付くことができなかったのだ。
そして。
気がついたときには、もう手遅れ。
事の発端は、そんなよくある話だった。
これだけなら、長い人生の内の苦い思い出の一つとして、心に留まっていたかもしれない。
――でも憧は。
願ってしまった。
望んでしまった。
だから。
だから憧は――行き遭って、憑かれてしまった。
一羽の鴉に。
亡鴉は、行き遭ったものの悲しみを奪う。
奪って――取り去ってしまう。
悲しみを失った、思い出だった何かを置き去りにして。
そして、それはある意味。
憧の望んだ願いそのものだった。
悲しい思いはしたくないという純粋な願いは、純粋なままに遂げられたのだ。
――その時から、憧が声を発さなくなったという。
戒能さんが言うには、
「ま、死人に口なしということでしょう。鴉は死の象徴でもありますし、ね」
とのことである。
それが本当のことかどうかは分からない。
でも、一々追及したりしなくてもいいだろう。
事実はいつだって人を傷つけるのだから――優しい嘘があってもいいじゃないか。
嘘も方便、なんて言葉もあるくらいなんだし。
「……さて」
そろそろ、草木も眠る丑三つ時だ。
中学生は家に帰らなくちゃいけないだろう。
きっと皆、心配している。
「帰ろう、憧」
暗闇の中を歩く。
私達は会話を交わさぬまま、無言で坂を下りていく。
坂を下って下って下って――結局、金峯山寺の前まで辿りついても、私達が言葉を交わすはなかった。
氷のような静寂が、嫌に耳に響くようだった。
「……じゃ、私こっちだから」
私の半歩後ろを歩いていた憧が、それこそ呟くような声で言った。
私は左へ、憧は右へ。
それぞれの家に帰るために、別れなければならない。
二年と半年前の、何時かの日のように。
「…………」
それを思い出してしまったからなのかは、分からないけど。
――何故だか。
ここで別れてしまえば、もう二度と会えないような気がした。
「……シズ?」
だから私は、その場から倒れ込むように、憧に抱きついていた。
「…………」
憧は。
それを慌てることも拒絶することもなく、静かに受け入れてくれた。
私は――――。
「ずっと、言ってなかったことがあったんだ」
私の言うべき言葉は、二年と半年前から。
「私を連れ出してくれて、ありがとう」
いや、それよりずっと前。
「私に知らないことを沢山教えてくれて、ありがとう」
初めて出会った、あの日から。
「私を信じてくれて……ありがとう」
きっと、決まっていた。
……ああ、頭の中はもう真っ白だ。
たぶん、このまま死んでしまっても気づかないだろう。
それでも――私は。
彼女に伝えなければいけないことがある。
,.へ ,. -‐: :  ̄:二:>.、
/: : /: : : : : :/: : : : : : :`: .、
/: : : /: : : : : : :/: : : : : /ヽ:、: : :ヽ
,:´: : : : :': :丶: : : :/ : /:/_{:L l_l: : : ハ
/: : :/: :.:.:{:.、: : : :ー:レ: T:ハハ{ j l'ト: ハ}
/: : :.:/: :.:.ハ:.:.\: : : {: :ハz≦ ヽ f:ハ: ハ
./: :/:.:/ :/ ヽ:.:.:.:.r‐ヘ: 代ヒソ ヾ,,V:、 「――友達になろう、憧」
': : :.:.:.i: :( \:.( V: :ゝ'''' ハ: :',
!: :.:.:.:ハ:ハ >ーイヘ: :ヽ ー / V:.}
{: :.:.:.ハ:.{: :ヽ rz==┴`z,\\ ̄ ):.)
!: :.:.:.ハ:.{:. : :ヽ V三/⌒\z\:ゝ ノノ
{: :.:.:.{:. :!:. :. : ', ノ::::::{ ヽ `
V: :.:.{:. :ヽ: : : :/{::::::::::{ 、 ヽ:\
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ヽ:. :.ハ: :.:.:ハ:j ヽ:::::::::\ヽ ヽ;
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ヘ:.:./ j / ヽ:::::::::::\ ヽ
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レ / / ノ::::::::::::::::::;;ヘ '、
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07
後日談というか、今回のオチ。
私には兄弟も姉妹もいないので、起してくれるのはいつもお母さんだ。
しかし、今日ばかりは寝起きが悪かったようで、熱湯をかけた三分後に漸く目を覚ましたらしい。私はインスタント食品か何かか。
そして、今。
朝のランニングがてらに吉野山を三周して家に帰ってシャワーを浴びて朝ご飯を食べて試作品の和菓子を摘み食いして制服に着替え
てジャージを羽織った後――いざ、私は学校へと伸びる坂道を歩いていた。
登校中である。
「……ん?」
と、前方から伸びる影に私は気がついた。
「あ」
対面する彼女も私の存在に気がついたのか、そんな声を漏らした。
昨日ぶり――どころか、つい数時間前に会ったばかりだ。
随分絞られたようで、その目尻には隈が浮かんでいる。
「よ、よお……。い、良い天気ダネ」
「う、うん。そ……ぅだね」
なんだこれ。
告白翌日の中学生同士かよ。
いや、中学生だけれども。
「…………」
「…………」
会話が途切れてしまった。
気まずい。
というか、社交辞令みたいな挨拶しかしてないし……。
落ち着け、高鴨穏乃。
無理矢理にでも会話を広げろ。
「か、髪切った?」
馬鹿か私は。
「え!? い、いや、切ってないけど」
そりゃそうだ。
いくら心境に変化があったからといって、この短時間でヘアスタイルをチェンジしてたら驚愕だ。
どんな最先端だよ。
「……ぷ、ふふっ」
「っ、くく……!」
「あははははははは!」
そして私達は。
そんな会話がおかしくて、どちらからともなく、笑い合った。
一頻り笑ってから――私達は、漸く向き合った。
「おはよう、憧」
「おはよう、シズ」
お互いどこか勝ち誇ったように、その言葉を口にする。
短い一言。だが、確かな形ある言葉。
私達にはきっと、これくらいが丁度いい。
私達はまだ、出会ったばかりなのだから。
「じゃあ、行くね」
「おう」
言って、私達は別々の道へと踏み出す。
私は阿知賀女子学院中等部へ、憧は阿太峯中学校へ。
別れはいつだって避けがたく訪れる。だけどそれは一生のものではない
さよならは惜しいけれど、生きていれば、またいつか出会えるときが来るのだ。
――そう信じて、私は進む。
でも。
それだけじゃ駄目なのだということを、私は知っている。
「おーい! 憧ー!」
思いは言葉にしなければ、届かないのだから。
私は遠い背中に声を投げかける。
「ウチら、麻雀部の同好会始めたんだ! だから憧も、たまに遊びに来いよ!」
待ち合わせの約束をしていれば。
きっと、寂しさも悲しみも――楽しみへと変わるだろうから。
-r‐:/..:../..:..:..:..:..:./.:..:..:..:.{..:..:..:..:、..:ヽ..:..:..:∀ニ=- 、
/...:'⌒7..:../..:..:..:..:..:./..:..:..:..:..:|..:..:..:、:゚。..:..゚,:..:..}:゚, \:..:ヽ
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|..:..:| リ!..:..:.l..代{:.トil刈 ` {:.トil刈 〉..:.j}:゚. ..,'.| |:.. 「うん!」
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ふと空を見上げれば、澄み渡るような蒼穹が広がっている。
阿知賀に、夏が訪れようとしていた。
勝った! 第一話完ッ!
というわけで憧ちゃんが主役の第一話でした
拙い文章ですが、ここまで読んで下さってありがとうございます
次話を投下した時にも読んでいただけるような物語目指して頑張ります!
もっとオリジナル要素入れたい(小声)
次の投下は多分、一週間から二週間後くらいになると思います
主役は……誰だろう、阿知賀のレジェンドかな?(すっとぼけ)
後、シッズが一話では真面目すぎたので、二話以降はキャラ崩壊できたらいいな
01
松実宥と出会ったのは、夏初頭の日曜日のことである。
とある事情でぶらりと学校を訪れた私はその際、彼女に出会った。
何処となく、存在感の希薄な人だという印象を覚えた。
いや、まだ春の余韻を残すといえども、マフラーに手袋にセーターと完全防備な彼女の身形はインパクト絶大ではあったが……。
それ以上に。
いつ霧のように消えてしまってもおかしくないほどに、儚げでたおやかな人だと思った。
そう。
それはまるで――夢のように。
覚めれば忘れてしまいそうなほどに、ぼんやりとした危うさを、宥さんは抱えていた。
でも、この物語は決して夢なんかじゃない。
夢物語なんかじゃない。
紛れもない現実で、だからこそ、いつまでも記憶の隅に残り続けるのだろう。
喉に突っかかった小骨のように、飲み込めず吐き出せず、いつまでも。
だから私は、今でも後悔する。
私がもっと上手く立ち回っていれば、あの人を悲しませることはなかったんじゃないかと。
そして、ゴールデンウィークの出来事を帳消しにできたんじゃないかと。
そんな風に、どうしても考えてしまうのだ。
それはきっと、許されることじゃない。
ゴールデンウィーク、私を助けてくれた戒能さんやみなも、玄さんに対する冒涜に等しい。
でもきっと。
花のような笑みを浮かべる彼女は。
底抜けに優しいあの人は。
宥さんは――そんな私をも、許してしまうのだろう。
02
阿知賀女子学園は県内ではそれなりに有名なお嬢様学校であり、その設備も中々のものだ。
全教室にエアコンが完備されていたり、食堂のメニューが充実していることが私の密かな自慢であったりする。
その上、温室や鐘楼などの明らかにこれ金かけるところ間違えてるだろと突っ込まざるおえないような設備もあり、その存在は阿知賀女子学院七不思議の一つとして物議を醸していた。
……まあ、温室や鐘楼はともかく、そんなに立派な施設があるのなら、利用しない手はない。
「あー……生き返るゥ」
そんなわけで日曜日。
エアコン全開の麻雀部部室にて、ソファーにだらしなくも横になって寛いでいる私だった。
しかし、さっきまで火炎放射のような日差しを全身に受けていたのだから、このくらいの怠惰は許してほしい。
というのも、今日は今年最大の猛暑だとかで朝から暑かったのだが、そんな日に限って家のクーラーが壊れたのだ。
室温が急上昇し、忽ちサウナと化した我が家から飛び出した私は、身体が焦げるかのような錯覚を味わいつつ、このエアコン完備の阿知賀女子学院に辿りついたのだ。
ただで涼ませてもらおうという魂胆である。
いや、私一応ここの生徒だし? それに麻雀部(とはいってもまだ同好会だが)の部員だし?
大丈夫なはずだ、うん。多分。
ソファーの上で側臥位になりつつ、私は部室の中央に置かれた麻雀卓を見た。
その周りには、椅子が三つ添えられている。私と玄さんと、憧のものだ。
憧はあの日――彼女の抱えていたとある問題が解決した翌日から、この阿知賀女子学院麻雀部に度々顔を出すようになった。
「シズ、玄! あたし、また二人と麻雀がしたい!」
玄さんは最初こそ戸惑っていたが、涙を流して憧を歓迎してくれた。
「――私も、ずっとそう思ってたんだ」
まだまだあの頃と比べたら、足りないものが沢山あるけれど。
でも漸く、私達はあるがままの姿に戻れたんだ。
部室で暫く涼んでから、私は高校校舎を見て回ることにした。
麻雀部の部室は幼いころから訪れており馴染み深いものだが、こうしてじっくりと校舎を観察するのは初めてで、何というか新鮮である。
「…………」
とはいっても今日は休日であるため校内はがらんとしており、なんというか孤独だ。
玄さんや憧がいれば退屈しないんだろうけど……。
「二人とも実家の手伝いかあ……」
まあ、しかたのないことだろう。
玄さんの家は旅館で、夏休みを目前に控えたこの季節は当然忙しいのだろうし、それは神社である憧の家だって同様のはずだ。
ちなみに和菓子屋はクーラーの故障で休業中である。
目ぼしい教室を覗き終えて、残るは温室のみとなった。
温室といえば、私は入学以前までは二メートル台の箱のような物を想像していたのだが、阿知賀女子学院の温室は体育館並みの広さを持つ立派なものだ。
人気の休憩スポットでもあり、冬には多くの生徒がそこでお昼ご飯を食べる、私には縁のない場所でもある。
……いや、あれだよ?
少ないってだけで、ちゃんとダチはいるよ?
人が密集する場所が好きじゃないってだけで、誘う相手がいなかったとかじゃないからな!?
「って、誰に対して弁解してるんだ、私は……」
少しだけ憂鬱になりつつ、温室の扉を開いた。
――そして、彼女はそこにいた。
深緑を写す植物たちに囲まれて、その中心で静かに佇んでいた。
この季節に明らかに不釣り合いな桃色のマフラーと手袋。
色素の薄い、肩の辺りまで伸びた柔らかそうな茶髪。
どこか遠くを見つめるかのように儚げな、翡翠色の瞳。
その全てがうっかりすると見落としてしまいそうなほどか細くて。
しかしその存在に気付くと、目を引き付けて離さない。
私は、そんな私にはないものを全てもっている彼女に――見蕩れてしまっていた。
「……あ」
扉が開かれる音で私に気がついたのか、首元のマフラーを靡かせて彼女は振り返る。
あまりにも私が凝視していたためか、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いた。
「あ、その……スイマセン。まさか先客がいるとは思ってなくて」
はは、と空笑いを零しつつ告げると、マフラーの彼女は小さく微笑んだ。
「私も、びっくりしちゃった。貴女もここの生徒?」
「はい……といっても、まだ中三ですけどね」
「じゃあ、来年から高校生かぁ」
なれるといいねえ、と独特のテンポで彼女は言った。
…………。
それは私が高校生になれるように見えないということだろうか。
いや、決してそういう意味で言ったわけではないのは分かるけども……。
後二十センチ……いや十センチで良いんだ。
早く来い成長期。
折角だし、どこかに座らない? という彼女の提案を受けて、温室内のベンチに腰掛けることにした。
私が右側、マフラーさんが左側である。
それはいい。それはいいのだが……。
「…………」
「…………」
なんか近くない?
いや、女の子の良い匂いが嗅げて大変満足なんだけれど、この人着込んでるから暑い……。
肩なんかもう殆ど触れあっているようなもんだ。
なんだか居た堪れないので、話題を放ることにした。
「……花、好きなんですか?」
「…………私のお母さんが、お花、大好きだったから……昔からよくお世話してたんだ」
その名残りかな、と、彼女は言う。
……これは、あれだろうか。踏んではいけない物を踏んでしまった感じだろうか。
「あの……」
「でも、今は……すっごく感謝してるんだ」
彼女は。
「だって、貴女に会えたから」
そんなことを、今にも泣き出してしまいそうな笑顔で――
「……え?」
ぽふん、と肩に圧し掛かる重み。
それは確かに人にあるべき重さで、ただそれにしてはどうしようもなく軽く。
「ぅ……あッ、……はあ……はあ」
「だ、大丈夫ですか!?」
抱え込むように頭を押さえて、苦痛に顔を歪める彼女の肩を私は支えた。
「だ、大丈夫……。よくあること、だから――」
「よくあることって……」
真っ赤に頬を染めて、荒い息を吐く彼女が。
私にはどうしても、今にも折れてしまいそうな花のように見えてしまう。
「ど、どうすれば……」
春休み、そしてゴールデンウィークと。
ある程度修羅場を乗り越えてきた私だが、未だにこういったことには慣れずにいた。
慌ててポケットを弄るが、固い感触はどこにもない。
「携帯、家に忘れた……!」
玄さんや憧に連絡した後、そのまま家に置いていってしまったのだろう。
さらにパニックに陥ってしまう。
……とりあえず、ここに彼女を居させてはいけない気がした。
「し、失礼しますっ!」
などど意味不明なことを言いつつ。
私は肩を辛そうに上下させる彼女を背負って、温室を後にした。
今日はここまで
待たせてしまったのに短くて申し訳ない……
更新待ってた!
乙!
シズがイケメンすぎてつらい。
次の更新待ってます
ここまで地の文が多いssは珍しいな
なのにスラスラ読めてストーリーもいい
期待せずにはいられないな
03
マフラーのお姉さんを背負って、私は急いで自宅へと戻った。
布団を敷いて、その上に彼女をゆっくりと寝かせる。
「だ、大丈夫ですか?」
背負っていて分かったことだが、彼女の体温は異常なほど高かった。
それはもう、背中にあたる柔らかい感触にぐへへと下衆な感情を覚える余裕もないほどに。
彼女は薄く眼を開いて、今にも消え入ってしまいそうな声で答えた。
「……ごめんね、迷惑かけちゃって」
「迷惑だなんてそんな。困った時はお互い様ですよ」
それに、多少強引な善意かもしれないけど、それが誰かを救うことだってあるんだ。
実際、私は春休み、助けられた。
……でも、また私は誘拐紛いなことをしてしまったのか。
計算ができないというかなんというか、本当、単純な思考回路してるなあ、私。
思い立ったが吉日とはいうけども……うーん。
濡らしたハンカチを盥の上で絞りつつ、そんなことを考えていると、マフラーのお姉さんは小さく破顔して、
「――ありがとう」
と、言った。
……なんだかなあ。
その笑顔だけで自分の行動に満足してしまう私は、やっぱり、単純なのだろう。
「どうぞ」
私は照れを隠すように、ぶっきら棒にハンカチを手渡す。
熱湯を絞ったものだから少し熱いが、これくらいが丁度いいだろう。所謂アツシボというやつだ。
……ここぞとばかりに麻雀要素をねじ込む私だった。
「ありがとう……わあ、あったか~い」
受け取ると、ご満悦の表情でアツシボに頬ずりするマフラーのお姉さん。
それはもうほんわかーという擬音が彼女の背後に見えてもおかしくないくらい、満ち足りた表情である。
「ん?」
彼女の巻かれたマフラーがふわりと靡いた時、その端に小さく刺繍が施されているのが見えた。
「ゆう……?」
「あ、私の名前だよ。えっと……宥める、とか、宥恕とかの、宥」
宥、か。
マフラーのお姉さん改め、宥さん。
「私の名前は穏乃っていいます。穏やかの穏に、木乃伊の乃で、穏乃です」
「穏乃ちゃん……穏乃ちゃんかぁ。あったかい名前だね」
「……ですかね」
私は自分の名前を気に入っているが、素直に褒められるとこそばゆい。
なんというか、自分がお勧めした小説を凄く面白いよと言ってもらえたときみたいな感じ。
と、その時。
ピンポーン、という間延びしたインターホンのコールが鳴った。
お母さんもお父さんも家にいないので、当然、私が出るしかない。
「すいません、ちょっと……」
宥さんに軽く会釈してから玄関へと向かう。
小さく背伸びして、ドアスコープを覗いた。
「しずち゛ゃ~~~~ん!」
「どっひゃあ!」
驚きのあまり変な悲鳴を上げてしまった。
しかし、スコープのレンズ一杯に女の子の顔が映っていたら、誰だって驚くと思う。
「人ん家のドアに貼りつくな、桜子!」
扉を開けはなって、その裏に蜘蛛のようにくっついていたタンクトップ少女の首根っこを掴んで降ろす。
相変わらずだな、ギバード桜子……。
彼女は阿知賀こども麻雀クラブの後輩であり、確か今は、小学五年生のはず。
「元気ねあんたたち……」
「あ、憧。もう手伝いは終わったの?」
「ええ。だから部室に行こうかと思ったんだけど、この子たちに見つかっちゃってね」
この子たち? と私が聞き返すと、憧の後ろからひょこっと一人の女の子が現れた。
「穏乃ちゃん、お久しー」
「おお、ひな。ほんと久しぶりだな」
麻雀クラブが解散して以来、殆ど会うことはなかったんじゃないか?
山谷ひな。彼女も阿知賀こども麻雀クラブの後輩で、眠そうな垂れ目が特徴のヘアピン少女である。
「どうしたの、三人揃って」
「綾ちゃんが風邪引いたっていうから、皆でお見舞いに行こうと思って!」
元気よく飛び跳ねながら、桜子が答えた。
……どうでもいいが、桜子がジャンプすると、余裕で背丈が私を超えるのだけれど。
いや、本当にどうでもいいんだけどね?
大丈夫、成長期はきっとくる。
綾ちゃん、というのは志崎綾のことだろう。
彼女も阿知賀こども麻雀クラブの後輩で、私達を除けば最年長の子だ。
「風邪……か」
夏に差しかかったばかりのこの季節、体調を崩しやすいのだろうか?
吸血鬼の体質のおかげで、そういったものとは無縁な私である。
「誘ってくれるのは嬉しいんだけど、でも――」
誘拐紛いなことまでしたのだ。
だから私には、宥さんの世話をする責任があるだろう。
……まあ、ただ私がそうしたいだけなんだけれども。
なんというか、守ってあげたくなる雰囲気があるんだよな、宥さん。
「行ってきていいよ、穏乃ちゃん」
少し遠くから聞こえたその声に、私は愕然とする。
「宥さん……!?」
私は急いで、覚束ない様子の宥さんを支えた。
「駄目じゃないですかっ、安静にしてないと!」
体温の上昇は、身体の異常を示すアラートのようなものだ。
だから、今の彼女は無理に動いたりしてはいけない。
「心配掛けてごめんね……私は大丈夫」
「だ、大丈夫じゃないでしょう……そんなに熱があって」
「――私は、一人でも大丈夫だから」
お見舞いに行ってあげて、と、彼女は言った。
宥さん。
私が阿知賀女子学院の温室で、偶然出会ったお姉さん。
数時間共に過ごしただけで分かる、彼女は兎に角優しい。
底抜けに、或いは――青天井に。
だけど、私は気づいていなかった。
そんな優しすぎる彼女はしかし、自分には優しくないということに。
自分に甘い私は、結局、気づくことができなかった。
04
ここらでそろそろ、春休みの話。
春休みのことだった。
私は吸血鬼に襲われた。
襲われたというよりは、飛んで火にいる夏の虫の如く自ら身を投げ出して巻き込まれたようなものだけれど……とにかく私は、この日本の奥地・阿知賀で、吸血鬼に襲われたのだった。
血を根こそぎ奪われ、骨を根金際しゃぶられ。
その結果、私は吸血鬼になった。
吸血鬼になって――その存在を悪と断じた鹿児島の巫女たちに、命を狙われることとなった。
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの眷属であるが故に。
そんな崖っぷちの状態に身を置かれていた私を助けてくれたのは、通りすがりのお姉さん、もとい戒能良子だった。
彼女は見事に、それはもう赤子の手を捻るかのように、吸血鬼退治をその他諸々まで含め、やってのけた。
そして私は、人間に戻った。
ささやかに後遺症……吸血鬼の片鱗が残った程度で、太陽も十字架も大蒜も聖水も平気になった。
それだけの話。
大した話でもない。
人が人生において一度は味わうであろう地獄のような出来事に遭ったのが、私の場合は中学三年生の時だったというだけの、変えようもない事実。
既に解決し、完結した話題である。
幾つか残った問題らしきものは、一定の周期で私は血を飲まれ続け、そのたびに視力やらが人間のそれを超えてしまうということだ。
それはもう私の個人的な問題というか、長い一生をかけてゆっくりと向き合えばいい程度のことであり。
だから私の場合はまだ、幸運だったといってしまっていいのだろう。
その期間は、春休みの間だけだったのだから。
ほんの二週間程度で、地獄が終わったのだから。
例えば、新子憧は違う。
新子憧の場合、鴉に出遭った彼女の場合。
後から聞いた話であるが、彼女は約半年もの間、身体に不自由を抱えていた。
涙が止まらないという――言葉にしてみれば存外ロマンチックではあるが、どうしようもないほどの不都合を。
だから、あの日。
私と偶然にも再会したとき、彼女はどんな気持ちだったのだろう。
そのままトントン拍子に物事が解決に向かったから忘れてしまいそうになるけれど。
あの時彼女は、私の手を振り払った。
助けを求めずに、八つ当たりもせずに、ただただ私を拒絶した。
それは彼女が今までどんな人生を送ってきたのかを示しているようで、だからこそ今、憧が取り戻した笑顔は、何よりも大切なものだと私は思う。
「綾ちゃー! 遊びに来たよー!」
「きたよー」
「いや、お見舞いでしょ」
と、ツッコミを入れてから、私の視線に気づいたのか照れたように憧は目を逸らした。
「な、なによ」
「いや、憧もツッコミができるようになったんだなあ、って」
昔はボケキャラだったはず、そんなオカモチとか。
人は変わるものだなあ……。
私が一人で関心していると、玄関の扉が開いた。
その向こうには、マスクで口元を覆った志崎綾の姿があった。
「大丈夫~?」
「気分は如何にー?」
「ああうん。ついさっき熱も下がったからだいじょ……憧ちゃんに穏乃ちゃん!?」
「よ、綾。はい、見舞い品」
と、私はここに来る途中に買っておいたスポーツドリンクを手渡した。
アクエリやポカリではなく、ダカラなのが味噌。
「え、うん……ありがとう?」
首を傾げるようにしながら、綾はおずおずとダカラを受け取った。
マスクで見えにくいが、その顔色は悪くない。
「なんだ、案外大丈夫そうじゃない」
二人から瀕死寸前って訊いてたから、安心したわ――と、憧。
いやいやいや。
「風邪を引いたとは言ったけれど、そんなことは一言も言ってないよ!」
「そうだっけ~?」
「桜子の一人伝言ゲームの所為で見解に相違が生じた模様ー」
「一人伝言ゲームって、それただの記憶改竄じゃないか……?」
まあなんにせよ、元気そうでよかった。
宥さんは大丈夫だろうか。
なんかあの人、無理に起き上がって私の部屋を掃除したりしてそうなんだよなぁ……。
見られちゃいけないものは机の二重底の下に隠してあるから、見つかることはないだろうけど。
ごめんなさい、釘のいいところで切りたかったんですが、今日はここまでです
あれだね、SS書いてるときに他のSSを読んじゃ駄目だね(確信)
???「しずには宥姉よりあた憧ちゃんのほうがお似合いだと思うわ!」
06
「…………ん?」
背中に柔らかな感触を覚えて、私は目を醒ました。
目を醒ましたということは、私は先程まで眠っていたということだが……なんだろう、何とはなしに記憶が曖昧だ。
うーん……そもそも私はいつ眠りについたのだろう。
記憶の糸が途中でぷっつりと途絶えてしまったかのような感覚。
「たしか綾の見舞いに行って、で、憧たちと別れて……」
その後、どうしたんだっけ?
そのまま家に帰って――眠ったのだろうか、私は。
まあ、覚えていないということは、さほど重要ではないことなのだろう。
そう納得しておく。
「ん、ん……っ」
と、私の横で洩れるような嬌声。
同時に、背中の一切に溢れんばかりのおもち――すなわち胸が押しつけられた。
圧しつけられた。
「…………!」
朦朧としていた意識が加速する。
血液が沸騰したかの勢いで心臓が早鐘を打つ。
うわ……うわぁ……!
柔らかい! すっごい柔らかい!
何食べてどんな生活してたらこんな風になんの!?
「…………」
いや、もちつけ……じゃない、落ち着け高鴨穏乃。
お前は女の子の胸部の感触程度で興奮するような女じゃないだろう。
さっと、徐に己の胸を揉んでみた。
皮と肋骨の感触だけが、掌に伝わった。
「ふっ……」
全く、私が女でよかった。
余計な幻想を抱かずに済んだ。
……だけど同時に、途方もない虚無感が襲うのはなんでだろう。
一周回って冷静になった私は、隣にいた宥さんの邪魔をしないように、ひっそりと起き上がった。
……いや、なんで一緒に寝ているのだ、という疑問もあったが、しかし冷静に、寝ている彼女を起さないように起き上がった。
――そのとき漸く、私は『そいつ』の存在に気がついた。
「……!」
『そいつ』は象のように伸びた巨大な鼻で、宥さんを縛りあげていた。
ぐるぐると渦を巻くようにして、絞め上げていた。絞め憑いていた。
宥さんの表情は苦痛に歪んでいる――彼女が洩らしたのは嬌声じゃなくて、呻き声だったのだ。
私は茫然とする思考の中で、しかしどこか冷静に『そいつ』の姿を観察していた。
その姿は熊に似ている。が、身体の至るパーツがバラバラでガタガタで。
パッチワークのようにちぐはぐで、とても怪奇で異質に見えた。
怪異のように見えた……いや。
怪異――だ。こいつは、紛れもなく。
だけど……だとすれば、何故、怪異がこんなところにいる?
怪異にはそれに相応しい理由がある――とは、戒能さん談。
ならばこの怪異には、私の部屋に出現する理由があるということだ。
だが、そんなことは考えるまでもなかった。
考える間もなかった――考えるよりも先に、私は動いていたからだ。
私は側転の要領で両手を床につけて身体を捻じり、そこから跳ねるようにして獣の怪異に蹴りを放った。
吸血鬼の運動能力は既に失っているが――倒すまでとはいかずとも、怯ませるには十分の攻撃だろう。
「っ!?」
しかし、振り下ろした右足が怪異を蹴打することはなく。
霧を振り払うかのように怪異の身体をすり抜け――ただ空振った右足は、そのまま怪異の後ろに設けられていた本棚に激突した。
「ぐぅ……っ」
じんじんとした痛みが爪先から踵にかけてを貫く。
予想だにしていなかった痛みに悶えそうになるが、それを堪えて私は立ちあがった。
「宥さん!」
乱暴に身体を捻って本棚を蹴散らしながら、怪異に手を伸ばす。
それは掴むというよりは引っ掻くとでもいうべき挙動ではあったが、しかし、どちらにせよその行動は無意味だった。
怪異は。
宥さんを抱えたまま、まるで霧が四散するかのように、その場から消えてしまったのだから。
――そして、よく分からないままに、理解の及ばないままに、物語は急転したのだった。
07
「――獏(ばく)」
倒れた本棚を片付けて、学校に行くと母親に嘘をついてから、私は戒能さんのいる旧校舎を訪れていた。
そう。
登校という嘘が通用するというのはつまり、今日はもうすでにあれから一夜を明けて、月曜日なのだった。
お母さんが言うには、私は帰ってきたときには既に、部屋で熟睡していたとのことらしい。
一人で――熟睡していたらしい。
…………いや、確かに伏線はいくつもあった。
例えば……憧たちが私の家を訪れた時、宥さんの姿は死角になっていて見えていなかったのだとしても、声は聞こえていたはずだ。
なのに彼女たちは、宥さんに関する話題には一切触れることがなかった。
それはただ単純に、私に気を使っているだけかと思っていたのだが――それは全くの誤解だったのだ。
単純どころか簡単な話だった。
見えていなかったのだから。
聞こえていなかったのだ。
存在感が希薄で――いつ霧のように消えてしまってもおかしくないほどに、儚げでたおやかな人。
その印象は、しかし誤解だった。
存在感が希薄どころか――存在が皆無だったのだから。
彼女は。
宥さんの姿は、そもそも私にしか、見えていなかったのだから。それはさながら、憧だけに亡鴉の姿が見えていたように。
「その怪異は獏ですね。高鴨ちゃんも、名前くらいは聞いたことあるでしょう?」
私が一通り宥さんのことについて説明し終えると、戒能さんは機を見計らったように、そんなことを言った。
――獏。
熊の体、象の鼻、犀の目、牛の尾、虎の脚を持つとされる伝説の生き物。
「そしてその最大の特徴は、人の夢を喰うこと……ああ、ここでいう夢とは、叶える方の夢じゃなく、見るほうの夢、です」
そして、魅せられる夢です――と、戒能さんは言った。
「しかし高鴨ちゃん、今日は月曜ですよ? 学校は……あ、もしかしてあれですか? これが俗に言う創立記念日?」
「ああ、うん……、まあ」
すっぽかしたということは伏せておく。
からかわれたくないというのもあったが、私の中で余裕がなかったのだろう。
「はっはー、やっぱりそうですか。で、学業を疎かにしていることで有名な高鴨ちゃんにとってそんな大事な大事な休日に、君はまた怪異に遭遇したというわけですか……。
いやいや、君は本当ついてるというかつかれてるというか……」
皮肉げに戒能さんは言う。
「まあ、君の学力はともかく……ゆう、ねぇ。その女の子のゆうって、どんな字?」
「え? ああ、えと……宥めるとか宥恕とかの、宥」
「あー……宥す、ですか。名は体を表すって言葉、私は嫌いなんですけれど……」
中々どうして、と呟いて、戒能さんは口元を歪めるように笑った。
一人で納得したような――そんな彼女の煮え切らない態度に、私は苛立ちを隠しきれなかった。
「……な、なんでそんなに落ち着いてられるんですか!?」
「ん?」
「だって、人が攫われたんですよ!? もし宥さんの身に何かあったら……!」
と、知ったように私は言ったけれど。
そもそも私は、彼女の何を知っているっていうんだ……?
「はっはー」
戒能さんはそんな落ち着かない様子の私を嘲るように、
「元気いい、ですねぇ。なにか良いことあったのかい?」
と、言った。
「落ち着いてください、高鴨ちゃん。獏という怪異は知名度はありますが、怪異としての力は弱いのです。ええ、それはもう雑魚といってもいいほど。
知名度がイコール強さで結び付くわけではないというのは、動物と同じです。
まあそれはともかく、だから獏が件のマフラーちゃんに何らかの被害を与えるということはないと思います――抵抗を放棄したりさえしなければ。
そもそも獏というのは、池の鯉が人間の与える餌にしか興味がないように、人が見た夢を喰らうことにしか興味がないのです。
人間個人に何らかの興味を示すというのはありえないのです――例外を除いてね」
捲し立てるような戒能さんの言葉に気圧されてしまいそうになるが……例外?
嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「例外、って……?」
「例えば……いや、例外なのに例えという表現はおかしなものですが」
それでも例えるならば。
「怪異が――獏が、その子に惚れちゃった、とか」
「……え?」
と、私はとぼけてみたけれど、その例えは思いの外しっくりときていた。
いや、というのも、私がその例外というやつの例を知っていたからだ。
「そう。君も知っているヴァンパイアハーフ、つまり春休みに戦ったあの怪異の専門家も、その最たる例と言ってもいい。
……まさか霧島神社に、あんな隠し玉がいるとは、流石の私でも知りませんでしたよ」
そう、戒能さんの言う通り私は春休み、すなわち吸血鬼であった際に、鹿児島の巫女たちに命を狙われた。
厳密にいえば――狙われたのは私の命ではなくキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの命なのだが、
巫女たちはむしろ私に好意的に接してくれたくらいなのだが、しかし私はその当時、彼女の眷属であったが故に、主を殺され
るというのは私が殺されることと同義だった。
だから戦った。三人の少女と、私は文字通り命がけのバトルを繰り広げた。
その一人が、戒能さんの言う怪異の専門家にしてヴァンパイアハーフの――悪石の巫女、薄墨初美である。
ヴァンパイアハーフというのはつまり、人間とヴァンパイアの間に生まれた混血種だ。
吸血鬼の血は薄いので当然能力は落ちるが、しかし、吸血鬼の弱点を一切もたない、言わばサラブレッド。
「まあこの場合において重要なのは、怪異と人間の間に『子』が存在するということです。人間と怪異が愛し合った結果『子』を産んだということが重要なのです」
「でも、それは人間と吸血鬼の場合でしょう? 比較的姿形も似てますし……どう見ても人間とは似ても似つかない獏の怪異が、人間を好きになるだなんて……」
「逆に訊きますが、高鴨ちゃん、君は誰かに恋したことがありますか?」
「…………そりゃあ、あるよ……ありますよ」
「なぜ好きになったのか、説明できますか?」
「え? …………うーん……そうですね、その誰かっていうのは分かりにくいんで、その対象を仮にKさんとしましょう。
あ、この場合の仮にというのは例とか例外とか関係なくて、深い意味はないんです。ただそのアルファベットが頭に思い浮かんだだ
けというかまあそれはどうでもいいことですね。
私とKさんは結構長い付き合いでお互いを小学校のころから知っているんですけど、兎に角あの人は優しいというか気配りのできる
人で、とっても朗らかな人なんですよ。そんな優しい雰囲気にいつも私は癒されていて、だから自然といつも姿を追っちゃうというか
追いたいというか、むしろ一緒に老いたいくらいなんですけど、稀に目が合うとにっこりとほほ笑みかけてくれたりして私はドキドキ
しちゃったりするんです。ズルイですよね反則ですよねあの笑顔は。ああ、それは笑顔だけに惹かれるというわけじゃなくて、いや一
番惹かれるのはやっぱり笑顔なんですけど、むしろKさんの整った顔なら喜怒哀楽一顰一笑どんな表情も見たいなって思っちゃうんで
す。
でもあの人は愛想もよくて誰に対しても多情多感に接しちゃうので、Kさんが私以外に笑顔を見せてたりするとちょっぴり嫉妬しち
ゃったりして、『ああこんなこと考えてたらあの人に嫌われちゃうぞ』なんて思考が働いて後悔したりもします。
買い物とかに行くときも、ふと『狭い田舎だしKさんに偶然会えないかなー』とかぼんやり考えたり、買い物をしているときでも
『あ、この魚とかあの人好きそうだなー私も料理してみようかなーいやむしろ毎日味噌汁作ってもらいたいなー』とか思ったりするんです。
あと一緒に歩いてたりすると、ふとKさんの髪が靡いたときとか仄かに良い匂いがして――――」
「お、OKOK、分かりました高鴨ちゃん。分かったからそういうことはもっと後で語りましょう。あんまり赤裸々に君が語り過ぎると、物語が破綻してしまいます」
「そうですか? もう語らなくていいですか?」
「ノープログレム」
若干、戒能さんと私の心の距離感にずれが生じた気がするが、まあいいや。
「つまり私が言いたいのは、誰かを好きになるのに、それほど深い理由は必要ないということです」
「理由」
「そう。高鴨ちゃんがそのKさんを好きになったのだって、小さな興味が積み上がった結果でしょう?
一目惚れという言葉もありますが――それもやっぱり、第一印象という興味が膨れ上がった結果なのです」
「そして好意という感情は、人間だろうが動物だろうが怪異だろうが、関係なく抱くものです」
それは――生きているから。
人間も動物も怪異も生きていて――感情があるから。
きっと誰かを好きになるのだ。
それは理由とか事情とか、そういうものとは違うのだろう。
「価値観といったほうがいいかもしれません。君の……というより、人間の価値観だけで捉えるべき存在じゃありませんよ、怪異は」
「……じゃあ、獏が宥さんに惚れているとして、なんで獏は、その宥さんを攫うような真似をしたんですか?」
なんで傷つけるような真似をしたんですか、と、私は続けた言った。
「なんでって、男の子が女の子を攫うなんて、御伽話では常識みたいなものでしょう?」
「いや、そういうことじゃなくて……!」
「そういうことなんですよ、高鴨ちゃん。怪異の格は人間の数段上なんです。だから」
だから――人間に恋をしたとき、攫うという選択肢が生まれるのだ。
それはさながら、人間が気に入った動物を本人(動物に対して本人というのもおかしな話だが)の許可なく、ペットとして購入するかのように。
容易く、その運命を捻じ曲げる。
「でもしかし、確かにおかしな話ではあるんですよね……前述の通り、獏というのは怪異としての力は非常に弱いのです。
それこそ吸血鬼や龍どころか、鴉や君のような人間もどきよりも弱いです。だから人間が少しでも抵抗をみせれば、
幾ら惚れた相手とはいえども慄いて、寄らなくなってしまうものです」
だからいつもこっそりと、人が寝ている間に夢だけを喰らっているわけです、と戒能さんは言った。
それなのに、そんな様子さえなく、むしろ無理矢理、縛りあげて連れ攫うような真似をするというのは――つまり。
「その女の子……宥ちゃんでしたっけ? 彼女は獏に対して全く、敵意どころか脅威さえ、抱いていないということです」
つまり、抵抗の放棄。
いや多分、抵抗をしないことで宥さんは、怪異を傷つけまいとしていたのだ。
その優しさは――もう既に、善意とか偽善とかそういうものではなく。
ただただ人を、そして怪異を、誤解させ堕落させるだけの――麻薬のような宥しの心だった。
08
泥水の中で藻掻くかのような嫌な浮遊感を覚えながら、私は目を覚ました。
しかし、見上げれば白い天井があった、なんてことはなく――夢オチなどではなく。
むしろこっちが、夢の中である。
しかし、目の前に広がる景色は、とてもではないが夢の国と呼べるようなものではなかった。
そこは途方もなく暗い世界だった。
まるで、太陽そのものが存在しないかのように。
いや、これが私の心象風景であるのなら、太陽が存在しないというのは、ある意味妥当なのだろうか?
既に克服した弱点であるとはいえ、未だ太陽に燃やされたトラウマは忘れられない。
体質的な弱点は克服できても、心理的な苦手を克服するのは難しいということだろう。
まあ、確かに暗い世界ではあるが、吸血鬼としての特性――超人的な視力を色濃く残す私ならば、大した問題ではない。
「それよりも問題は、夢の中に獏を呼び出せるかどうかだな……」
夢に落ちる前には、あの廃墟のベッド(机を繋ぎ合せただけ)では中々寝つけないという問題もあったが、まあ今はどうでもいい。
もはや筋肉痛なんて慣れっこだ。
獏を倒して、宥さんを助けるためなら、これくらいどうってことはない。
……いや助けるなんて、宥さんに責任を押し付けてしまうような言葉は使うべきじゃないか。
これはただのお節介だ。戒能さんには、余計なお世話って言われたっけ。
宥さんの生き方を尊重するのなら、君のしようとしていることは、ただの要らぬ気遣いだ、と。
人は一人で勝手に助かるだけと主張する、彼女らしい言葉だ。
そして、きっとその通りだ。
怪異に捕らえられて、その存在を盗られて――なお怪異を傷つけまいとする宥さんの生き方。
その生き方を否定する資格はきっと、私にはないのだろう。
春休み、とても一人では抱えきれないほどの罪を背負った私には。
それでも。
彼女は言ったんだ、貴女に会えたから、と。
私達は確かに、阿知賀女子学院の温室で出会ったんだ。
私は宥さんのことをまだ殆ど知らないけれど、でも、彼女は生きている。私はそれを知っている。
ならばそれだけで充分だった。
高鴨穏乃とかいう女は生憎、そんな些細な繋がりだけでも、お節介を焼きたくなるような奴なのだから。
暫くして――その変化は訪れた。
足元も覚束ないような暗闇の中に、ぽっかりと、一つの穴が出現したのだ。
そして、どこに繋がっているかも知らないその穴から、飛び出すようにそいつは現れた。
夢を喰らう怪異、獏の登場だった。
長く伸びた象の鼻で――大事そうに一人の少女を抱え込んでいる。
「……よう」
手を掲げて、声を掛けてみる。
すると私の存在に気がついた獏は、面白いくらいに目を――犀の双眸をむき出しにして、殺気立った。
隠そうともしない殺意をぶつけられ思わず仰け反りそうになるが、しかし、恐怖の感情よりも先に私は違和感を覚えていた。
獏の憤怒の表情が、臆病や恐怖といったものとは全く無縁のものであったからである。
いや、結局――私のやることは変わらない。
私は、高鴨穏乃は……お前を倒す。
「――――!」
大きく息を吐いて、私は全力で地面を蹴った。
その動作はもはや、走るというよりは跳ぶと表現するのが正しいかもしれない。
ダンダンダンダンダン! とリズミカルに駆け、獏に突っ込んでいく。
獏も流石に怪異なだけあって、この暗闇の中でなお視界は機能しているのだろう――咄嗟に動いて躱わそうとする。
だけど、遅い。
私は獏の懐に潜り込んで、すかさずボディーブローを叩きこんだ。
「ギイイィィィィィイイイいいアアアアアアアアアアッッ!!?」
夥しい量の体液を口から撒き散らしながら、硝子を鉄で引っ掻いたかのように甲高い絶叫を獏は上げた。
――利いてる!
私の部屋では全く通じなかった攻撃が、通った。
それがここが現実ではなく夢の中だからなのか、はたまた別の理由があるのかは分からないが――これはいい知らせだ。
こちらの攻撃が全く通用しないなんてことがあれば、流石にお手上げだった。
まあ、だからといって諦めるつもりは毛頭なかったが。
「アアアああアァああぁァアアア――!」
狂ったように叫びながら、獏はその身を屈めて突進してきた。
虎の脚をもつ獏の速度は、その姿に似合わず迅い――吸血鬼の目でも追うのがやっとなくらいだ。
だが、見えているのなら、一直線の突進を躱わすのは容易い。
私は獏の進行方向から、最小限の動きで退ける……後は脇を通過した獏に、回し蹴りを叩きこむだけ。
そのはずだった。
瞬間、世界がひっくり返ったのかと思った。
「……?」
視界が三百六十度、縦横無尽に廻る。
そのとき、漸く私は獏によってふっ飛ばされたことを理解した。
スケート選手も目じゃない空中アクセルを決め、地面に叩きつけられる。
熊の体に思い切りタックルされた痛みと、鑢で全身を引っ掻かれたような痛みに、私の痛覚は全力でアラートを鳴らしていた。
「くぁあ……ァ、……痛ッ、……ッッた」
喉が掻き切れて、悲鳴さえ上げられない。
今度は私が、口から血を撒き散らす番だった。
「がっ……、っはあ、はァ……」
全身からも血液が溢れ出ていて、貧血を起こしかけているのか、視界がぼやける。
思考回路もぐちゃぐちゃだったが、しかし、どこか冷静に現状を分析している私がいた。
なんだ……今、何が起こった?
確かに私は獏の突進を避けたはずなのに――
「……!」
ぼやける視界の端で、私の脇を通り過ぎた獏の姿が霧のように掻き消えるのが見えた。
つまり、私が避けた獏はただの幻影で、本物の獏は避けたつもりになっていた私に肉迫していたわけだ。
……くそっ、馬鹿か私は!
怪異は、私の価値観だけで捉えるべき存在ではないと、戒能さんに言われたばかりだろうに……!
現実の物理法則なんて、怪異には全く通用しないということを、私は誰よりも知っているはずなのに。
だけど戒能さんのヤロウ、獏のどこが弱いだって――滅茶苦茶強いじゃないかこん畜生!
おかげでこっちは死にかけた!
まあ、常人なら死んでいるだろうけれど……むしろこんな痛みを味わうなら、死んだ方がマシまである。
「…………いや、死ねるか」
掠れた声で呟いて、歯を食いしばる。
生まれたての小鹿のように諤々と脚を震わせながらも、体を真っ直ぐに起こす。
考えろ考えろ考えろ、あいつを倒すための手段を――!
「……ッ!」
人差し指をこめかみに突っ込んで、ぐりぐりと掻き回す。
絵面がとんでもないことになっているが、まあもう既に血塗れだから別に大丈夫だろう。
これが吸血鬼の思考法、頭を掻き回す(物理)だ。
「アアアあァアぁあァアぁぁぁア――!」
再び獏が猛り立つ。
肉迫――今度はさらに迅い。
最早ぼやけた私の視界では、その姿を捉えきることができない。
なら――捉えてもらうとしようか!
私は猛進する獏に向かって、意趣返しでもするかのように駆けだした。
そのまま激突してしまえば、私は五体満足では済まないだろう。
だから私は――走り幅跳びの要領で、全力でジャンプをした。
何とも情けない字面ではあるが、しかし、ダンクシュート程度なら余裕で決められるほどの高さまで浮き上がっている。
慣性が働いて、私の身体はそのまま獏の上空を飛び越える――しかし、それだけじゃ終わらせない。
私は関節が外れんばかりの勢いで手を伸ばして、獏の身体のサイズにはあまりにも不相応な長い鼻を掴みとった。
途端、襲いかかる加速度に意識が飛びそうになるが、舌を噛んで堪える。
そして私は、思いっきり口を開いて、獏の鼻に噛み付いた。
ぶちぶちと、牙にも等しい鋭さをもつ犬歯が肉を噛みきっていく。
「ィィィィィイイイアアアぁアアあアアアッッ――!?!?」
狙い通り、獏は痛みに悶えて、そして鼻を乱暴に振り回した。
宥さんを絞めつけていた鼻も解かれ、彼女は宙に投げ出される。
「宥さんッ!」
獏から離れ、全力疾走で宥さんの落下した場所へ向かう。
腕を前に突きだして、私は飛び込むように宥さんの身体を受け止めた。
「……よかった」
顔色は良くないが、目立った外傷は見当たらない。
宥さんは気を失っているだけのようで、一先ず安堵する。
しかし――彼女の身体は、消え入るように半透明と化していた。
「ッ……」
分かっていたことだが、動揺を隠しきれない。
宥さんの存在は、既に殆ど消えかかっている。
怪異としての性質を残す私だからこそまだ彼女のことを捉えている事ができるが――もうそろそろ限界だ。
人間としての存在を、失いかけている。
宥さんは――怪異に為りかかっている。
今日はここまでです
今月中に二話完結できたら、いいなあ(白目)
中々時間がとれず、更新が疎かになってしまい申し訳ないです
周囲のあれこれが漸く一段落ついたので、もう少しお待ちいただければ幸いです
09
「…………あ」
獏の拘束から解放され、意識を覚ましたらしい宥さんが、薄く目を開いた。
彼女は起き上がろうとして、痛みを認識したのか、呻き声をあげる。
「大丈夫ですかっ!?」
私はしゃがみこんで息苦しそうに上下する彼女の背を支える。
「…………ごめんね……、迷惑、かけちゃって」
「迷惑なんて……」
そんな、何時かのやり取りの焼き直し。
だが、その続きは言えなかった。
「……ッ!」
私は急いで宥さんを抱えて、飛ぶようにその場を離れた。
瞬間。
「アアアあァアぁあァアぁぁぁア――!」
私を踏みつぶそうと跳躍した獏の巨体が、その場に落ちてきた。
その衝撃は大地を割り、多量の砂埃を舞いあがらせる。
冷や汗が背中に滲む。あの場にいたら、私はきっと原型を留めていなかっただろう。
砂ぼこりの中から、獏は目を限界まで剥いて私を睨みつける。
憤怒、憎悪、嫉妬――それら諸々の負の感情を煮詰めた眼光だった。
「……ははっ」
その眼光を一身に浴びて、思わず脚が竦みそうになる。
恐怖に呑まれそうになる。痛みに泣きそうになる。
めげたいし、投げたいし、辛い――けど、私は笑った。
笑ってやった。
「あはは、ハハハハハハ! ハハハハハハハハハっ!」
「し、穏乃ちゃん?」
宥さんがまるで変な人でも見るかのような視線を私に向ける。
それでも私は笑い続けた。
頭がおかしくなったとか、ついに壊れたとか、仮にそういうことを言われても否定する気はない。
実際、私はおかしくて、可笑しくて笑っているのだから。
全く戒能さんめ、貴女はとんだロマンチストだ。
怪異が人に惚れるとか、やっぱり、そんなのはありえないじゃないか。
確かに獏は、宥さんに惚れたのかもしれない。でも――人間である宥さんに惚れたわけではないんだ。
人としての宥さんに惚れたのならわざわざ彼女を己の世界の中に取り込んで、怪異にする必要などなのだから。
つまり獏は、彼女の一部分だけを好きになで、しかし残りは自分の好みではなかった――つまり人間だった――のだ。
それゆえに、その残りの部分を無理矢理自分の好みに変えようとしていたのだ。
自身と同じ存在、怪異へと。
……思わず砕かんばかりに強く、奥歯を噛んでしまう。
「そんなのは……そんなのは、恋じゃない! 自分の好みに無理矢理変えようとするなんてのは!
確かに、誰にでもいい部分と悪い部分はあるだろうさ! 意見が合わないことも、納得できないことも!
でも、そういう部分を受け入れて、認めて、尊重して! そうして人を好きになっていくんだ!」
獏が宥さんを傷つけることができたのは、人と怪異の価値観の違いとかそういうことじゃなかった。
ただ単に、人間としての宥さんは不要だったからだ――怪異に作り変えてしまうのだから。
「ふざけんな! お前にとって、宥さんは人形か何かなの!?
私はお前の恋を認めない、そんなのは恋じゃなくてただの欲望だ!」
もう笑えなかった。
言いたいことがありすぎて、感情が渦巻いてよく分からなくて、自分でも支離滅裂な物言いだった。
でも、掻き消えてしまいそうな意識の中で、よく言ったほうだと思う。
「アアアああアァああぁァアアアアぁあぁあァアアアああああ――!」
獏が肉迫してくる。
でも、それを躱わすことは、もう無理だ。
両足はありえないほど痙攣していて、立っているのがやっと、もうとっくに限界だ。
さまざまな記憶が頭の中で入り乱れる。
玄さんに憧、父さん母さん、和や赤土先生、麻雀クラブの皆、戒能さん――みなも。
いろんな人たちとの記憶を止め処なく思い出して泣きそうになる。
「泣かないで、穏乃ちゃん」
声が聞こえた。
酷くか細くて――とても優しい声だった。
「私が絶対に守るから」
誰かが私を撫でてくれた。
その手は温かくて、確かな人の温度を感じる。
……止めたかった。
無理矢理にでも彼女の手をとって、彼女を守りたかった。
彼女は大きく手を広げて、私の前に立つ。
「今なら、いつもより少しだけ、力が出そうなんだ。だから、その間に穏乃ちゃんはここを離れて」
やめてよ。
そんなこと、言わないでよ。
貴女は何も悪くないのに、何の罪もないのに。
守られるべきなのは、貴女のはずなのに。
「宥さんッ!」
彼女は、宥さんは、もう一度だけ振り返って――にっこりと笑った。
そして、獏と宥さんが激突する――
…………。
…………。
…………。
ことは、なかった。
「――本当アホじゃなこの従僕は。阿呆阿呆阿呆、今日からお主の渾名はアホウドリじゃ。
……前に一度忠告したじゃろ、勝手には死なせんぞ」
と。
そんな幻聴が何処からか聞こえたと同時に、降ってきた一本の刀が獏を貫通した。
鈴を転がすような声だった。
そして。
地獄で何度も聞いた――彼女の叱咤の幻聴だった。
「…………え?」
実に。
どころか、いい加減なほどに都合の良い幻聴だった。
ご都合主義もいいところだ。……何故なら、彼女はもう、喋ることなんてありえないのだから。
だから、私は何も聞いていない。ただ、彼女がそう言ったのだと妄想しただけのこと。
いや――幻聴でもなんでもいい。
夢の中なのだから、幾ら幻聴が聞こえてもおかしくない――ただ。
彼女の存在が幻覚でないのなら、それでいい。
「みなも……」
彼女の名前を呼ぶ。
だが、みなもは答えない。
そうだ。彼女は私のことをあの春休みから、口も聞かないほど憎んでいるのだから。
彼女は険しい表情のまま、獏から刀を引き抜いて、そのまま影となって消えた。
獏が悲鳴さえあげれないほどの痛みにのた打ち回る。
獏を貫いた刀は、怪異殺し。その名の通り、怪異だけを殺す刀。
既に獏は、死を逃れることはできない。
私は脚を引きずるようにして、その場にへたり込んでしまった宥さんの元に向かう。
意識がもつ間に、一つだけ伝えたいことがあったからだ。
「宥さん」
宥さんがぎこちない動きで首を回す。彼女の瞳は大粒の涙を湛えていた。
それを見て私は安心する。
死が怖くない奴なんて、いないのだから。――宥さんは、人間だ。
「って……あれ?」
ぐわんと、視界が廻る。
そこで、私の意識は途絶えた。
今日の更新はここまでです
もうちょっとだけ続くんじゃ
6/25今月中に二話完結できたら、いいなあ
7/21もう少しお待ちいただければ幸いです
8/6やっとこさ更新
うーんこの
10
回想。
ですが、昔々とはいっても、それほど遠い過去のことではありません。
阿知賀にて、旅館を経営していた一組の夫婦が、二人の娘を授かりました。
二人はとても大切に育てられ、そして、心の優しい女の子に成長しました。
そんな、周囲の誰もが羨み、誰もが幸せになると信じて疑わなかった家族でしたが、不幸が訪れました。
母が、病死したのです。
突然のことでした。
夫と、二人の娘を残して、母はあまりにも唐突に逝ってしまったのです。
幼い娘たちには母の死というものが理解できず、悲しいという感情よりも困惑が先行しました。
ですが、葬式で冷たくなってしまった母を見て、覆しようのない別れを理解し、涙を流しました。
さて、それから数年のことです。
二人の娘は中学生になり、徐々に母のいない生活というものに、慣れてきました。
ですが、それはとても悲しいことでした。
まるで、母親への思いが風化していくかのようで……。
時間というものは、この世で最も平等――とは誰の言葉でしたか。
残酷なくらいに、平等。
兎に角、再び母を亡くした悲しみに駆られた娘たちは、強く願いました。
もう一度母に逢いたい、と。
そして――その強い願いが、獏を生み出した。
例え夢だろうと幻想だろうと虚構だろうと母に再び逢えるのなら――と、その思いが、怪異の礎となったのだ。
――今のは、宥さんの記憶……か。
獏を怪異殺しの刀、『心渡』で断ったことにより、獏のもつ記憶が私に逆流してきたのだろうか。
ならば、もう既に夢は覚めたはずであって――辺りを見回すと、確かにそこは、私が眠りについた廃墟、元小学校の旧校舎の一室であった。
体の傷痕は既に消えていて、軋むような筋肉痛だけが、私を襲った。
それはつまり、あの獏とのバトルが本当に、夢の中の出来事であったということだ。
「! そうだ、宥さんは……」
がばっ、と起き上がろうとして、頭をぶつける。
痛みに頭を擦りながら、見ると、涙目のみなもが私の上に跨っていた。
どうやら私は、彼女に頭突きをかましてしまったらしい。
「ご、ごめん……!」
そんな謝罪を聞くことなく、興味がなくなったかのように私の上から降り、みなもは定位置である教室の隅に戻っていって、膝をかかえるように座った。
相変わらず、睨むように私を見ている(いや、今回の場合は頭突きをかましたことを恨まれているのだろうが)。
……でも、彼女は確かに自分の意思で、私を助けてくれた。
それだけで私は、救われた気分だよ。
「ありがとな、みなも」
彼女は答えない。
そして、答えてもらう必要もない。
吸血鬼としての力を借り、さらに助けてまでもらったんだ。もう私は十分以上に、応えてもらったのだから。
「し、穏乃ちゃんっ! 目が覚めたんだ!」
と。
教室の外から声が聞こえた。
扉の先には、季節外れのマフラーを巻いた女の子が、感極まるような表情で立っていた。
「宥さん……」
よかった。
本当に……無事でよかった。
「だ、大丈夫? 一人で起きれる?」
「あ、だいじょ……いや、やっぱり手伝ってもらっていいですか?」
「うん!」
肩を借りて、ゆっくりと起き上がった。
本当は一人でも起きれたが……まあ、筋肉痛が酷い(大体ベッドのせい)のは本当だし、それに、ちゃんと自分の手で確認しておきたかった。
彼女の温度を――決して幻想なんかじゃない、彼女の体温を。
そして、服越しでも伝わる確かな熱を感じて、思い出した。
あの時、気絶してしまい、言えなかったことを。
「……松実」
「え?」
「そういえば、言ってなかったなあ、って、私の名字。なんでだろう……」
「…………」
出鼻を挫かれてしまって戸惑ってしまったが……え?
宥さん。
松実。
松実宥。
……………………………………………………………………………………あぁ~。
11
後日談というか、今回のオチ。
学校をすっぽかしたことが両親にばれてしまい、説教と折檻のダブルラリアットを喰らった私は、寝ることができなかった(というか寝させてもらえなかった)。
まあ、この程度で済むなら安いもの……なのだろうか。
そして、徹夜した後の朝。
私はその日、何となく、ゆっくりと学校に向かっていた。
特に理由があったわけじゃない。むしろ自分ではいつも通りの速さで歩いていたつもりなのだけど、まあ一々気にするようなことじゃないか。
で。
「……あ」
後ろ姿だけで、すぐに気がついた。
この季節に明らかに不釣り合いな桃色のマフラーと手袋。
色素の薄い、肩の辺りまで伸びた柔らかそうな茶髪。
そして。
「宥さーん!」
「ふえっ!?」
――そして、確かな命の光を宿した、翡翠色の瞳。
松実宥さんだった。
「あ、なあんだ、穏乃ちゃんかあ」
びっくりしたあ、と可愛らしく胸をなでおろす宥さん。
「おはようございます……どうしたんですか? その大荷物」
何故か巨大な風呂敷包みを、彼女は抱えていた。
尋ねると、よくぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張る宥さん……ところでさっきからやけに胸を強調するな私は……。
違う……誤解しないでほしい。
決して宥さんの胸が大きいからとかそういう意図でいったわけじゃないのだ。
単に言葉を開発した人物が胸好きだったというだけの話で、私は関係ない。
おっぱいソムリエは玄さんで十分だ、多分。
「私、実は麻雀部に入ろうかなあって思って」
「ほんとですか、やったあ! ……って、んん?」
確かにそれは喜ばしい話だけど……じゃあその大きな荷物は一体。
「もしかして雀卓ですか? 確かに自動卓は一台しかありませんけど、手積みも味があっていいですよ」
「あ、そうじゃなくてね。これ、炬燵だよ」
「はい?」
炬燵……炬燵!?
夏だよ今! しかも真夏、炎天下! 私、登校するだけでも結構汗かいてるのに。
「楽しみだなあ、炬燵に入って麻雀するの。玄ちゃん、喜んでくれるかなあ」
「…………」
まあ、宥さんが楽しそうなら、いいか。
――あの後。
宥さんの失踪(この場合、失踪ではなく消失なのだが)は、まるでそれ自体が夢の出来事であったかのように、誰もが覚えていなかった。
それは宥さん自身も例外ではなく、彼女は温室で私と出会ったこと以外全て、覚えていないらしい。
まあ、私としてはそのことについて深く考えるつもりはない。
最後の最後に、獏が宥さんを解放してくれたのかな、とか、そんな程度だ。
宥さんは過去から解放されたのだから、私も、振り向くことはやめるべきだろう。
都合が良すぎると言われると、言い返す言葉がない……でも、それが宥さんのためになるなら、私はそれを許容できる。
宥さんをもう、傷つけたくはない。だから――これでいいんだ。
「……宥さん」
「なあに? 穏乃ちゃん」
「……あ、やっぱり、何でもないです」
そうだ。
だから、あの言葉ももう、伝える必要はない。
自分を大切にしてあげてください、なんて言葉は、胸にしまっておけばいい。
それに、宥さんに何かあったら、今度こそ私が、彼女の力になればいいんだから。
私は鞄を肩に背負って、再び歩き始めようとする。
「穏乃ちゃん」
そこでいわれた。
「これからは多分、今みたいに会う機会が多くなると思うんだ」
優しすぎる彼女から、そんなことを。
__
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/ ヽ 、\
/ /. |λ ! ヘ ハ. ヽ
/ ./ / /! ! .|ハ j k‐-ハ、. キ ヘ
. / ! ! !.ム |. ||_ムハ|ヽ. キ`ヽ. |
i | | |.| ハネ、. || !気込z含 ! l. ’
| | | Nィ,z之、ヽ. ハ | ら `心、| | .|
|. 八ヘ | x作 ! ` `ー` 辷__ツ ! ト |
l ヘヘヽ.辷ツ """ |. ム'
. ヽ、`´"" ' ./ /. ’ 「だからそのときはまた、声をかけてくれたら、嬉しいな」
. 八. マゝ , -, // / /
込 ` ´ .// ,イ レ ム、
',. 个. ィ// ∠__L__込 _ト、
ヘ >- ‐…ァ' ./ _ -‐ァ´/ . |
. ヽ ソ/ / /_/ / / -‐‐込
>、 { / ./ / _ -‐ / ヽ
{ / 〈 ヽ }_x≦-‐/ {- / -―………―-≧
___}>‐'´.川 ,.{ / i! |x≦-- ___ |
/ ノィj _ - ' 込| ト ゝ__ -―――-≧ュ_____!
/ ____ム>‐ ' 入ー-ゝ ―- _ ヽ
/ィ´ ̄.ィチ八`´ノ}| `ー‐'/ \ ― __ |
{ /〈 / /ー' / ヽ__/ `ー -- __ -――- 、 `ヽ
八 У / |  ̄ ̄ 〉`ヽ、\ |
У / / ノ { i i ヘ |
.: i { オ| / | | ! ハ !
. 入 ハ 、. ノ | / / ! ! ! j.|
/ ヽ ヘ 、. / ネ / V . j !|
だから、まあ。
私達はきっと、少しくらいは、足りないものを埋めあうことができたのだろう。
夏休みがなければ即死だった……な宥姉主役(?)の第二話完ッ!やったぜ
とりあえず完結できてよかったですマジで
待たせてしまって申し訳ない!(何度目だこの台詞)
二話を書いていて、改めて己の未熟さを改めて痛感しました
未熟者の>>1ですが、今後もお付き合いいただければ幸いです
ではまたいつか!
お久しぶりです>>1です
長いこと書けてないスイマセン…
今月中には更新するつもりなので許して下さい!なんでもしますから!
01
鷺森灼に嫌われている。
いや、ただ単に興味を持たれていないだけかもしれないが、少なくとも好かれているということはないだろう。
そもそも、私と彼女――鷺森灼さんとは、一切の接点を持たない。
常に教室で空気のような存在と化している私は、阿知賀女子学院の有名人である彼女の名前を聞いたことはあっても、直接話したりといった経験は皆無なのだから。
そう、有名人なのである。
いや、単純に有名というだけなら、私と同じく麻雀部に所属する松実玄さんや松実宥さんだって、彼女に引けを取らないほどの有名人であるのかもしれないが、しかしやはりそれは、阿知賀という地域に限った話ではある。
それに、高等部所属の灼さんの噂が私の通う中等部まで届いているというのは、普通に考えても、ちょっとないことだと思う。
まあ、彼女の有名人っぷりは、阿知賀が致命的なほど田舎であるということにも起因しているのかもしれないけど。
というのも鷺森灼は昔、地元のローカル番組でテレビ出演をしたことがあるのだ。
確か、ボウリングの県大会の生放送だったはずだ。
その大会で優勝したのが鷺森灼なのである。
これだけの好成績を残した彼女は、阿知賀女子のちょっとしたスターみたいなものである。
だから、鷺森灼の噂はあることからないことまで学校中を駆け巡る。
どうでもいいとしか思えないことも、黄色い声と共に広がっていく。
友達が数えるほどしかいない私の耳にも入ってくる勢いで。
もっとも、噂は噂でしかない。
話し半分。
それが真実とは限らないし、信憑性なんてかけらもない。
つまりどうでもいいのだ。
鷺森灼と縁もゆかりもありはしない私にとっては。
知る理由がないことなのだ。
と、私はそう思っている――私はそう、思い込んでいた。
それが私の思い違いであったことを知るのは、夏も佳境に差しかかった七月下旬、すなわち、夏休みが幕を開けた頃のことだった。
02
終業式が終わり、いよいよ阿知賀女子学院も夏休みの期間に突入した。
その放課後、私は麻雀部の部室で一人、机に向かってペンを動かしていた。勉強中である。
「あれ? 穏乃ちゃん。今日は部活なかったはずだよね?」
と、扉を開いて部室に入ってきたのは同じく麻雀部所属の先輩、松実玄さんだった。
「ああその、期末試験が追試になってしまって……お恥ずかしい」
少しだけ言うのが憚れたが、正直に答えた。
……仕方ないじゃん! 英語難しかったんだよ!
「そうなんだ。それで、ここでお勉強?」
「はい。家だと集中できないし、図書室は人が多いので……」
相変わらず、人が多い所は苦手な私であった。
「それに、ここがやっぱり、一番落ち着くので」
「……そうだね」
といって、玄さんは鞄を置いてから、ロッカーに向かった。
「あ、もしかして掃除ですか?」
「うん。夏休みは家の仕事が忙しくなりそうだから、部室の掃除は今日やっておこうかなって」
「私も手伝いますよ」
「大丈夫。穏乃ちゃんは勉強に専念して」
やんわりと断わられてしまった。
こう嫌味のないところが玄さんの良い所であるんだが、もう少し頼ってほしいとも思う。
……私の我儘かもしれないけど。
「……そういえばさ、穏乃ちゃん」
「なんですか?」
私が一段落ついていたときを見計らってか、
「穏乃ちゃんって、お姉ちゃんと知り合いだったんだね」
と、そんなことを聞いてきた。
玄さんのお姉ちゃんというと――勿論、松実宥さんのことだ。
「この前、知り合ったばかりなんですけどね」
「それって……この前の月曜日?」
「…………」
「その日って穏乃ちゃん、学校休んでたよね?」
玄さんには、宥さんのことは話していない。
話さなきゃいけないことだと思うけど……でも、玄さんにストレスを与えたくない。
「あのね、私、なにか大切なことを忘れてる気がするんだ」
「え……?」
「ゴールデンウィークの最終日、穏乃ちゃんがここに来てくれたでしょ? でもね、それよりもずっと前に……私は穏乃ちゃんと」
それは、春休みのことだろうか。
吸血鬼と化していた私を、あの時、玄さんは助けてくれた。
「そうだ、穏乃ちゃんが私を助けてくれたんだよね。なのに、なんで思い出せないんだろう、私……」
玄さんは自分の右手で目元を覆う。
――彼女の声が少し掠れているのを、私は聞き逃さなかった。
聞き逃せなかった。
「それにお姉ちゃんのことだって……生まれた時から今日まで一緒にいたはずなのに……ずっと離れ離れだったような気がするんだ」
「……玄さん」
「きっと、穏乃ちゃんが助けてくれたんだよね、お姉ちゃんを。それに、憧ちゃんだって……」
「――――玄さん!」
私は思わず怒鳴ってしまう。
ほとんど絶叫のようなものだった。
「あっ…………ごめん穏乃ちゃん。私、変なこと……言っちゃって」
「いえ、こちらこそ……大きな声出したりして、すいません」
そう、謝らなければいけないのは私の方なのだ。
玄さんが記憶を失うきっかけを作ってしまったのは、全て私のせいなのだから。
ゴールデンウィーク……全てはあの一週間、私が玄さんを助けられなかったから起こったことなのだ。
「私、ちょっと疲れてるのかも……今日は、もう帰るね」
「はい……あの、玄さん」
「何?」
「何かあったら、いつでも誰かを頼っていいんですよ。勿論、私も玄さんの力になりますから」
「…………」
「玄さん?」
「頼るって……どうやって?」
「……っ」
「…………ごめんね、穏乃ちゃん。またね」
そう言って去っていく玄さんを。
私はただ立ち尽くして、見ていることしかできなかった。
03
「何アンタ、玄と喧嘩したの?」
「いや、喧嘩というか何というか……」
完全下校時間となったことで校内から追い出された私は憧の家に寄っていた。
勉強を教えてもらうためという口実だが、今日は何となく真っ直ぐ家に帰りたくなかったのだ。
寄り道しちゃうお年頃である。
ノートにペンを走らせながら、私は言った。
「まあ、玄さんも色々悩んでるみたいで……」
「…………」
「で、でー」
憧に目を細められ、語尾が変な感じになってしまった。
……相変わらず嘘を見抜くのが得意だなあ、憧は。
いや、私の嘘が下手なのか?
「あの能天気な玄に悩みなんてあるわけないでしょ」
「その言い草は酷いなあ……」
まあ、古い付き合いだから言い合えることだけどさ。
「それに玄さん、気分も悪そうだったし……自分で疲れてるとも言ってたし……」
必死に言い訳まがいのことをする私であった。
憧からはすっごい愚かに見えるだろうな……。
「……まあいいわ」
と、一言つぶやいてから、憧は話題を切り替えて、
「それにしても、勉強を教えるのって難しいわね」
と、言った。
「はあ、なんで覚えるだけでいい英語ができないのかしらこの子は」
「その暗記ができないから困ってるんだよこっちは!」
これだから勉強ができる奴は!
覚えたくても覚えられないこっちの身にもなってみろ!
「でも、シズって数学はそれなりにできるんだから、頭が悪いわけじゃないのよね」
「……数学は面白いじゃん。でも英語って面白くないじゃん」
「その先入観がいけないのよ。英会話ができれば楽しいわよ?」
「そうかなあ……」
日本を出ていくつもりないし英語できなくていいじゃん、と小学生みたいなことを考えてしまう私だった。
「それに、いつまでも英語ができなかったら、アンタ進級できないかもよ」
「…………」
痛い所を突かれた。
まるで心臓を矢で射抜かれたみたいである。グサッ、って感じ。
「阿知賀は中高一貫校だけど、落第もあるって話じゃない。それは、シズにとっても良くない話でしょ?」
「……はい」
「じゃあやらないと。あたしもできる限りはサポートするからさ」
「お願いします……」
短いですが今日の更新はここまでです
何とか今月中に投稿できてよかったです
04
結局、夜の八時過ぎまで勉強漬けだった。
二時間、休みなしのぶっ通しである。
私がそれとなしに、ある程度休憩を入れた方が捗るんだけどな~とアピールを繰り返していたら、憧の奴に「それは最低限の勉強をした上での台詞」と一蹴されてしまった。
いや、ごもっともである。
涙が出るくらい正しい主張であった。
正論はいつだって人を傷つけやがる、チクショウ。
まあ、それはともかく。
一人で我武者羅に机に向かうよりは、何倍も有意義な時間であったことは間違いない。
やはり憧の教え方が上手いのだろう、ただ教科書を読むだけでは理解できなかった個所もすんなりと頭に入ってきた。
期末試験の追試が行われるのは、夏休みが明けた後すぐだ。
このペースでやれば十分、追試に間に合うだろう。憧だって太鼓判を押してくれた。
同時に、慢心せずに復習もちゃんとしろ、とも言われたが。
で。
筆記用具やら教科書やらを詰め込んだ鞄を肩に担いで、私は帰路についていた。
吹き抜ける夏の夜風が火照った身体を優しく冷やしてくれる。
街灯が殆どないこの辺りの道は、太陽が姿を隠すだけで真っ暗になってしまう。
人通りも殆どなく、気味が悪いほどの静寂だけがそこにはあった。
家に向かって歩きながら、ジャージのポケットに手を突っ込んで、私は思案する。
憧は約半年間、私は二週間――である。
宥さんは、どうなんだろう。詳しくは知らないけれど、決して短い期間ではないはずだ。
そして玄さんは、ゴールデンウィーク。
何かといえばそれは、怪異に触れていた期間である。普通じゃない、普通ではとても味わえない恐ろしい体験をした時間だ。
怪異に長く触れた者は、それだけ怪異に惹かれやすくなる。
まるでスタンド使いが引かれ合うように――いや、それはちょっと違うか。というか全然違うな、うん。
でも事実として、この日本の奥地も奥地、辺境とさえ言えるこの阿知賀の地で、怪異は立て続けに出現している。
吸血鬼、龍、鴉、獏。
この短期間に、これだけの怪異に行き遭うのはやはり、ちょっと異常である。
戒能さんがいなければ、冗談ではすまないような事態に陥っていた可能性だってあるのだ。
――戒能良子。
怪異のエキスパートにしてプロフェッショナル。
人は一人で助かるだけ、と彼女はよく言うが、しかし、私は彼女の助けのおかげで何度も命を救われた。
春休みも、ゴールデンウィークも。
命が幾つあっても足りないような地獄を生き延びることができたのはやはり、戒能さんのおかげなのだ。
……そういえば、戒能さんは何故、まるで示し合わせたかのように、春休みの時期に阿知賀にいたのだろう。
観光、というわけではあるまい。
ならばわざわざ、ホームレス紛いなことをする必要はないはず。
いや、あの人のことだから単純にお金がないだけの可能性もあるけれど。
「!?」
と、そんなときだった。
視界の遠く遠く、目を凝らしてようやく見えるか見えないかというような所に、小さな人影を私は見た。
顔も表情も見えないが、そのシルエットだけが月明かりでうっすらと浮き彫りになっている。
そして、そのシルエットが私を見据えているということに気づいた。
まるで私を観察するかのように細められた視線が私を捉えて離さない。
立ち止まってその人影と視線を交錯させる。
目と目が合ったことでポケモンバトルでも始まるのかと思ったが、しかしそれは背後からの声によって遮られた。
「おーい、シズー!」
振り返ると、そこにいたのは憧だった。
私を追って走ってきていたようで、少し息を切らしているようだった。
「憧? どした」
「こ、これ……渡すの忘れてて」
手渡されたのは一枚の封筒だった。
「この前のお金、戒能さんに届けておいてくれない?」
「……あー、あれか。別に急ぐことなかったのに」
「お母さんに頼んで、家の手伝いをしたの。まあ貯金を切り崩したりもしたけど……お金のことは、ちゃんとしておきたいから」
その辺に律儀なところはなんとも憧らしい。
ならば私も、自分の役目を果たすべきだろう。
「分かった。確かに受け取ったよ。明日の朝にでも届けてくる」
「ありがと。……何度か自分で届けにいこうと思ったんだけど、あの廃墟にたどり着けなくて」
「あの廃墟の周り、人避けの結界を張ってるらしいよ。たどり着けなかったのはそれが原因だと思う」
「結界って……いよいよオカルトじみてきたわね」
神社の娘であるお前はあんま人のこと言えないと思うんだけど……。
私は憧から受け取った封筒を鞄に締まってから、一度だけ振り返って、さっきの人影がいた方を見た。
「……どうしたの?」
「いや、なんでもない」
なんでもないし、なにもなかった。
あの人影の姿も、私を見据えていた視線も、既に消えていた。
長い間放置してて申し訳ない
また今日の夜でも続きを投稿したいと思います
05
翌日。
一学期の授業が全て終了し、ガランとした校舎に、いつものように制服に着替えて登校している私であった。
何故かといえば、部活の為である。
阿知賀女子学院麻雀部だ。
とはいえ、宥さんが加わり部員の人数が増えたとはいっても、規定人数の五人には届いていないため、未だ同好会扱いであることに変わりはない。
部費は貰えないし、本来なら部室も貸しだされはずないのだ。
ならばなぜ同好会であるはずの麻雀部に部室があるのかといえば、それは麻雀部のOBであり、そして阿知賀こども麻雀クラブのコーチであった赤土晴絵の存在である。
今から九年前の話。
インターハイの奈良地区予選にて、30年連続で無敗、まさに無敵を誇っていた晩成高校を下して、全国出場を果たした無名の高校があった。
それが我らが阿知賀女子学院。そしてその当時のエースが今もなお名高い阿知賀のレジェンド・赤土晴絵なのだ。
全国大会でも結果を残した彼女の存在は大きな話題になり、阿知賀女子学院という学校名を広く全国に知らしめた。
その成果(いや、戦果というべきだろうか)もあって、赤土晴絵、そして麻雀部は教師たちに滅茶苦茶気に入られている。
だからなのか、私と玄さんがゴールデンウィーク明けに麻雀部を再び設立したいという話をしに行った時の教師たちの沸きっぷりはほんと凄かった。
校長先生とか泣いて喜んでたし。
閑話休題。
まあ部活の為に登校したというのは嘘ではないが、部活動は午後からである。
ちなみに現在の時刻は十時過ぎ頃。昼食を学校で食べるにしても、些か来るのが早い。
というのは、またも勉強のためである。
家じゃ勉強しないからと、母親に家を追い出されたのだ。というか蹴り出された。
日に日に私の扱い雑になっていく気がするのは気のせいだろうか。
まあいいや、今は勉強に集中しよう。
試験で言うのが憚れるような点数を取ってしまった私は、夏休み明けに追試を受けなければならない。
合格するまで永遠に繰り返されるそれは、何としてでも回避したい。
そのためにはやはり、最初の追試で良い点を取って一発合格するしかない。
「よっしゃー! やってやるぞ! うおおおおおおおおおおおおお!!」
ペンを決意を込めるように強く握って一念発起する私。
だが普段やる気のない奴が突然やる気を出したところで続くわけがない。
…………。
案の定、三十分程度で私は撃沈していた。
ペンを放り投げて、机に思いっきり突っ伏していた。
「……わっかんねー」
理解できたことといえば、如何に憧が勉強を教えるのが上手いのかということぐらいである。
あこの ちからって すげー! って感じ。
「あれ? 穏乃ちゃん、来るの早いねぇ」
と、扉を開いて部室に入ってきたのは麻雀部の先輩で玄さんのお姉さんである松実宥さんだった。
相も変わらず夏に似つかわしくないマフラーと手袋を携えた、見てるだけで熱中症になってしまいそうな格好をしている。
当の本人は汗の一滴も掻いてない様子だが……今さらだけれどこの人怪異よりも怪異じみている気がするのだが。
「あ、もしかして穏乃ちゃんお勉強?」
「はい。期末試験の成績が芳しくなかったので……」
「大変だね~、どんなことやってるの?」
宥さんは後ろに立って、私のノートを覗きこむ。
その時、ふわっと、優しい匂いが私の鼻孔をくすぐる。フレグランスってやつ?
「ふむふむ……あ、この辺なら私、教えられるよ」
「ほんとですか!?」
一人で手詰まっていたところにまさかの救世主である。
やはり高校二年生にもなれば中三のレベルなど、たかが知れてるのだろうか。
「うん。勿論、穏乃ちゃんがよければだけど……」
「ぜひ! ぜひお願いします!」
私は宥さんの手を取って頭を下げた(特技)。
「う、うん。じゃあ、隣座るね」
宥さんは雀卓のところにあった椅子を一つ取ってきて、私の隣にその椅子を置き、腰かけた。
彼女がスカートの裾を直しおえるのを見計らって、私は話しかけた。
「宥さんもこんな早く来てたんですね」
「温室の花に水をあげに来たんだ。ただ、少し来るのが早すぎたかも……」
マフラーの毛先を弄りながら、宥さんは照れくさそうに告げた。
結構な広さあるからなぁ、阿知賀女子の温室は。
全部の草花に水をやろうとすると、少し時間がかかりそうだ。
まあそこら辺は手慣れてる宥さんだからこそ、早く済んでしまったというのはあるのだろう。
「……そういえば、穏乃ちゃんと始めて話したのも、あの温室だったね」
「ああ。ですね」
一週間前の日曜日、私はふらっと立ち寄った温室で松実宥さんと出会った。
出会って――彼女の抱える問題を解決した。
怪異を解決した。
いや、決して解決したといえるほど、めでたしめでたしな結末ではない。
怪異を退治して、それで全てが元通りになるなんていうことはなかった。
問題そのものをどうにかしたところで、その問題が及ぼした影響は決して消えない。
だが少なくとも。
今、確かに彼女がここにいるという事実だけは、代え難いものであった。
だから。
「宥さんと、出会えて良かった」
「…………え?」
あ。
思わず口に出してしまった。
なんてことを口走ってるんだ私は。完全に口説き文句だこれ。
「いやあのですねその、変な意味じゃなくて純粋に宥さんと仲良くなれてよかったというかええと…」
恥ずかしさと混乱でうまく言葉がまとまらない。
ああ、これじゃ余計に誤解を招くだけじゃないか。
もういっそここで好きです結婚してくださいと告白して玉砕した方がマシまである。玉砕しちゃうのかよ。
「私も、だよ」
「え?」
「私も、穏乃ちゃんと出会えて、すごく…嬉しいよ?」
Q:天使をみたことある?
A:目の前にいた。
ビックリした、あまりの宥さんの可愛さに心臓が止まるかと思った。ふう、危ない危ない。思わず昇天してしまうところだったよ。
――でも。
私との出会いが、多くの物を失ってしまった彼女にとっての、価値のあるものになったとしたら。
それはとても、喜ばしいことだと思った。
今日の更新はここまでです
宥たそ~
お久しぶりです>>1です
更新が滞ってしまって申し訳ない
続きの構想自体はあるので来月中には必ず続きを投稿します
このSSまとめへのコメント
面白い!
続き待ってる