無名夢歩き「ライフサイクルコスト駅」「鳥のひなの死骸です」 (13)



その駅でおりた。


海の近くだったと思う。


眠りの淵にぽっかりとあいた遺失物のような、

その駅でおりた。



客 「お願いします、駅員さま。お願いします」

客 「大切なものなのです」

客 「何かは思い出せないけれど、大切なものなのです」



あれはいつだったか。

たしか、自分に名前が無いことにも
気がついていなかったころだと思う。





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駅員 「ご愁傷さまです」


客 「ああ、どうか、どうか」

客 「前の駅だったと思うのです」

客 「あれがないと私は破滅だ」



きっと、たいして失敗もしてこなかったのだろう。

とくに不自由の見当たらない小ぎれいな客は、

自分がいかにみじめで、誠実で、

あわれみを受けるべき人間かを、這いつくばって訴えていた。



駅員 「ご愁傷さまです」

駅員 「ああ、それは大変だ」

駅員 「ええ、ええ、お察しいたしますよ」

駅員 「ご愁傷さまです」

駅員 「ご愁傷さまです……」





ここへ来たのは大陸を縦断する列車だったか、

それとも飛行船だったか。



客 「うう、うううう……」



もろもろが去った駅で、客は赤ん坊のようにうずくまって泣いていた。



客 「大事なものだったんだ」

客 「あれだ、あれなんだ。ああ、あれだ」

客 「名前も思い出せないけれど、忘れちゃいけないものだったんだ」

客 「前の駅に戻れば、きっと取り戻せるんだ」



この駅に、くだりの乗り物は来ない。





リイン ゴオン


すすり泣くように鐘が鳴る。



無名夢歩き 「やあ、もう夕方だ」



どこかに、

涸れた城の廃墟から始まった小さな町があるという。


寂しがりやの城主は、誰でも受け入れてくれるのだという。


はぐれ者しか見つけることのできないその町を探す途上に、

ここはあったのだ。





大きな橋の手前で、乳母車を押す男と会った。



無名夢歩き 「もし」


山高帽 「…………」


無名夢歩き 「もし、そこの人」


山高帽 「……何かね」


無名夢歩き 「ここは何というところでしょう」


山高帽 「君は何かね」


無名夢歩き 「私は夢歩きです」


山高帽 「そんなものいないよ」



男は大きな橋の手前で言って、

大きな橋を渡っていった。






橋の途中で乳母車は赤ん坊をこぼし、

橋を渡りきったところで男は乳母車を投げ捨てた







二階調の紳士A 「やあ、何か落ちているぞ」


二階調の紳士B 「何だろう、泣いている。赤ん坊かな」


二階調の紳士C 「違うよ、鳥の雛の死骸だ」

二階調の紳士C 「目のあたりが、鳥の雛の死骸にそっくりじゃないか」


二階調の紳士B 「なあんだ。鳥の雛の死骸が鳴いているのか」


二階調の紳士C 「気をつけたまえ。きみはこの手の間違いが多い」


二階調の紳士A 「は、は、は」



その後、たくさんの人が橋を渡り、

その人たちに宗教家や哲学者らしき人たちが愛について語った。


赤ん坊はそのままだった。





無名夢歩き 「もし」


老婆 「…………」


無名夢歩き 「もし、向こうから橋を渡ってきたおばあさん」


老婆 「……何ですね」


無名夢歩き 「もしや、あそこに落ちているのは赤ん坊ではありませんか」


老婆 「ああ、ああ、その通り、その通り」

老婆 「とんでもない人もいたものですよ」



それ以上は勘弁とばかりに手を振って、

老婆は足早に去った。






夜が近づき人通りの増えた橋。

二回往復して、三回目の復路で赤ん坊のそばに寄った。



赤ん坊 「あー」

赤ん坊 「あー」



赤ん坊は生きてきた。

裸であおむけに、口をひらいていた。

死にかけの虫のように手足を動かして、しかし必死に生きていたのだ。







小さくもたくましい命に涙を流して、


私はそっと、


それを股ごした。






ど完
ありがとうござ淫魔

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