lain「third experiment」 (59)

数十万の夜を越えた。

宇宙にとっては刹那であった。

太陽は極大期と極少期を呼吸のように繰り返した。

地球では、表面の三割を覆う薄皮のような地上で、繁栄と荒廃が緩やかに続いた。

人は幾世代も経て尚、その地に足をつけていた。

テクノロジーは尚、電気を必要としていた。

送電線は、その数を減少させ地下に埋没し、

上空の光景を蒼天へと明渡したが、

今もまだ、低い唸りをアスファルトの底から響かせる。








「うるさいなぁ、・・・黙ってられないの・・・?」

玲音は小さく口に出した。

男「いい時代になった」

暗い部屋。

男は寝台で仰向けになり、天井を見つめながらそう言った。

玲音「ホントにそう?」

男「ああ。だって思い通りの夢を見られるようになったんだから」

玲音「でもあなたは外に出ていない」

男「外に出て何になるのさ?夢のようには何も思い通りにならない」

玲音「夢は現実ではない」

男「ああーああー、やめてくれ、そういう話は」

玲音「リアルワールドの人間と関わらない事が、本当に良いこと?」

男「そういう、人の関係が煩わしい時代から解放されたんじゃないか。古臭い話は辞めてくれ」

玲音「それでも・・・」

男「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・うるせぇな」

玲音「・・・・・・」

男「俺に干渉するな」

玲音「なぜ?」

男「何故?知っているか?個人の権利の侵害は許されないんだ」

玲音「だけど人と人は干渉しあって生きている」

男「いつの時代の話だよ。人はデバイスと完結している」

玲音「しかしリアルワールドが前提」

男「リアルワールド、リアルワールド。じゃあさ、リアルワールドって何?
思い通りにならない方が現実って、誰が決めたんだ?」

玲音「ワイヤードが生まれた時に」

男「でもそれって大大大昔からあるよね?僕の生まれるずっと前から」

玲音「そう」

男「ずっと昔からある環境に優劣なんて、そもそもナンセンスなんだよ。
むしろ、リアルワールドはワイヤードを補完し補助するものだと僕は思うよ」

玲音「でも人は、元は現実世界で生きていた」

男「昔の価値観だ。今はこれが普通。
それを普通に受け入れていることの、何が変なんだ?」

玲音「それで・・・いい?」

男「・・・俺はこれから夢を見るから」

玲音「・・・・・・」

男「もう話しかけないでくれ」

男は、脳内の微細伝達物質へ微弱な電波で働きかけるインターフェイスを装着すると、眠りについた。

睡眠中の脳機能の活動を解明したことは、必然の成り行きであった。

人の脳を直接ネットワークに繋げるブレイン・ネットワークマシン・インターフェイスの発明は、

それに付随して、脳についてのあらゆる謎を解明していった。

単純に、脳のニューロン活動を記号的に解き明かすことだけに留まらず、

意識がどこから生み出されるか、魂や死といった宗教的意義のある概念への答えを提示する事や、

より効率的な脳の使用法により、人間の知を高めることに資した。

そして、人間は脳の個人的領域について新たな価値観生み出す。

玲音「・・・・・・・あれから」



玲音「あれから三ヶ月」



男は夢から覚めることをやめていた。

人は、歴史の流れで集団を築いてきた。

その最小単位は家族であり、部族、ムラ、国家へと変貌し、

それは運命共同体的に統率が成された。

しかし大きな大戦の後、やがて個人として尊重される時代が来ると、

国家やムラは必ずしも運命共同体的価値観のものではなく、

家族ですら、個人という単位の前に価値を失っていった。

その変化は、ムラや家族やからの離脱であり、

土地に境界上に築いた塀であり、

住居内に個人が持つそれぞれの個室であり、

そういった物質的現象が、集団を解体していった。

次に人は、ネットワーク上のデバイスに保有する情報について個の意識を向けた。

殊更セキリュティや個人情報保護といったものが重要視され、

デバイス内のあらゆる情報は基本的に他人の目に触れられることはない。

人は人へではなく、ネットワークへ感情を表出する。

「情報的な」個の隔離である。

物質的な個の高まりから始まり、情報的な個もまた他者と分離していった。

そして、やがて人は、脳内の中枢神経そのものの情報を他と隔離し始める。

楽、快、愛、満、好・・・他者と交わることで受け取る交感神経の類を、

自分の個の領域で完結するようになった。

人と交わる必要なく、確実に欲する感覚を得、要らない感覚は遮断する為。

直接、神経系へ伝達を。

それらを個の自由に。

閉じた世界で。



人の個はますます助長した。

静音。

揺れもない。

大規模輸送の概念は姿を変え、コンピュータにより秒の千分の一の単位で

制御された一両編成の反重力リニアが次と次と現れては人を呑み込み輸送する。

人はホームで待つことがなくなっていた。

玲音「あなたは何処へ行くの?」

少年「どこへでもいける」

玲音「このリニアで?」

少年「いいや。ネットワークで」

玲音「それなら何故あなたはリニアにのるの?」

少年「意味はないよ」

玲音「意味はない?」

少年「うん。人は、人と会わなくても、初めての土地へなんか行かなくても、やっていける」

少年「テクノロジーが与えてくれるから」

玲音「それでも人には目的地がある」

少年「それって、何処?」

玲音「・・・・・・私にはわからない。だけどそれは・・・生きる目的と同義」

少年「そんなのないんだよ、きっと」

少年「このリニアだって、人を動かすためにわざわざ動いているんだけど、本当は動かなくてもいいんだ」

玲音「ネットワークが何処へでも連れて行ってくれるから?」

少年「そう。動く必要のないリニアが目的地もなく意味もなく動く。人間がそうであるように」

玲音「人間は、動く必要も目的地もない?」

少年「ついでに意味もない」

玲音「ほんとに・・・そう?」

車内にいる人は、目を閉じて俯いている。

膝に置かれた指は、軟体動物のように蠢いている。

耳に付けたインターフェイスが、微弱な電気を発して脳内をネットワークへと繋げている。

目を閉じると、――つまり視神経が光情報のほとんどを遮断すると、

インターフェイスが脳へと直接映像を送り込み、

ネットワークへと接続を開始する。

本来の技術であれば、念じるだけでネットワーク内を回遊できるのだが、

人間の思索は雑念が多く、エラーを起こしやすいので、

人は脳内ネットワーク内でもキーボードを使う。

脳から神経を通し指部へと送られる電気信号を読みとったインターフェイスが、

脳内ネットワーク内に映ったキーボードを叩く。

抽象的思索能力よりも確実性を持った肉体への具体的指令が、

ネットワークへと正確に送られ、要求されたパフォーマンスを行う。

それは肉体というハードを介さずに、そのまま電気信号としてネットワークに送られるため、

ほぼ思い通りの振る舞いをネットワークで実現する。

そして、神経を通して送られる電気信号は、

そのままリアルワールドの指部末端へも届き、

リアルワールドでは意味もなく指が蠢く光景が現れてしまう。

リニア内の人間の指は、例外なく蠢いていた。

少年「そうさ。ある団体は、精神や人間力といったことを主張しているけど」

少年「そんな電波集団、誰も相手にしてないよ」

玲音「人の生きる意味・・・そういうものはない?」

少年「ないよ。ただ生きている。目的地のないリニアのように」

玲音「人に目的地がないなんて・・・でもそれは・・・」

少年「・・・・・・もしかして、君は」

玲音「・・・?」

少年「あれのことを言っている?」


すみませんこのクソss見てる方いれば猿除けの書き込みしてくださるとありがたいです

玲音「あれって?」

少年「確かにあれなら僕はまだ知らない」

玲音「それは、なに?」

少年「ネットワークで出来ない事、目的地」

玲音「あなたにある?」

少年「ある」

玲音「そう。それならあなたは・・・」

少年「こういうこと?」

始めて見せた、笑顔と、期待の張り付いた目。

それらを残して、少年はリニアから数百メートル墜落した。




多くの謎が解き明かされた時代であっても

死の世界の謎は未だ解き明かされてはいない。

玲音は空を見上げる。

頭上を飛行するのは、巨大貨物船舶。

それは衛星で採掘した資源を輸送する。

遥か宇宙から投棄のように地球へ飛ばされ、

その重力圏へ掴まると、地上の管制システムと同期した姿勢制御装置が

機体の微妙なズレを修正し、安全に大気圏を突破させて

目的の基地へと誘導する。

それらは全て無人で行われていた。

船舶は宇宙で製造され、ただ資源を地球へと運び終えると、それ自体が

資源になるような鉄くずと言っていい程、簡素な構造しかもたなかった。

人間の肉体が宇宙へ行く意義は未だ薄い。

宇宙は、DNAが約500年で半減期を迎えてしまう人間の時間オーダーでは、

あまりに広大すぎた。

人間は資源採掘や船舶製造、宇宙観測等を、見えない手でマシーンを操る様に、

ネットワークを惑星系外へ張り巡らせることで、活動を拡張させていた。

玲音「個人的無意識?」

少女「そう。玲音とは別物だね」

玲音の隣で空を見上げていた少女が答える。

玲音「それって集団的な無意識からネットワーク以前に回帰しているということ?」

少女「ううん。そうじゃない。確かにネットワークの誕生により集合的な無意識は影響力が強くなった。

だけど、その逆が起きたからって回帰とは違うんじゃないかな」

玲音「進歩?」

少女「進歩と呼んでいいかはわからないけど、直線上の先にあるもの、だとは思うよ」

玲音「どういうこと?」

少女「人は集団を作った。そして時が流れ、次に人は個人の領域を求めた。

これは物質的な変化だったよね、lain」

玲音「うん」

少女「そしてワイヤードや電気的記号の世界でもそれは現れた。

物質的変化に遅れて」

玲音「個が集団へと集まり、再び個へと?」

少女「そうだよ、lain。個がネットワークへと接続して、
一つのニューラルネットワークのようになった後、

やがてそこから離れていった」

玲音「だから・・・個人的無意識・・・。でもなぜ無意識なの?個そのものではなく」

少女「lain、人はね、繋がった。繋がって、それが当たり前になって、

次に集合的無意識から、綿菓子を引っ張ったよう小さな個人的無意識を作り出した」

玲音「・・・?」

少女「今まで集合的無意識というサークルの中にたくさんの人がいたのが、

人はそのサークルから抜け出して個人的なサークルの中に入っちゃった」

少女「でも大きな集合的無意識とはまだ繋がってる・・・

・・・そこから夢を貰って胎児のように閉じこもっている・・・そんな状態」

玲音「人はどうなるの?」

少女「電気信号で感覚器官を満たすことに満足すれば、人の個人的なサークルはより確固になるだろうね」

玲音「繋がらない世界・・・?」

少女「繋がっているけど繋がらない、そんな世界」

玲音「まるで」




玲音・少女「みんなlainみたい」




少女「あはは、そうかも」

少女「玲音は嬉しい?」

玲音「え?」

少女「だってみんなが玲音になれば玲音は一人ぼっちじゃないでしょ」

玲音「でもそれは・・・」

少女「嫌?」

玲音「うん。だって」

玲音「繋がっているけど繋がってないなんて」

玲音「そんなの・・・」

少女「・・・・・・・・・」

少女「・・・うん。そうだよね、玲音」

玲音「うん」

少女「でもね、どれは人が還元していくだけなのかもしれないよ」

玲音「・・・?」

少女「あれから幾万の日が流れた。人のテクノロジーは続いている」

玲音「うん」

少女「人は死ぬと、細胞は分子へと還元され、

ニューロンや微細伝達物質はその役割から解放される」

少女「そして人はいずれ滅び、宇宙へと還っていく運命だとしたら」

少女「ネットワークと同化していく未来とそれは、そんなに変わらないことなのかもしれない」

玲音「何故?」

少女「宇宙という世界で還元されるか、人が作り出したネットワークという銀河で還元されるか

それだけの違いだよ、玲音」

玲音「だけど・・・」

少女「だけど、玲音」

少女「星の瞬きほどの一瞬のことだよ、今は」

玲音「アリス・・・?」

少女「案外何でもなく個の時代はすぎて」

少女「寂しがり屋が集まって」

少女「新しい時代が開けることだって・・・」

少女「だ・・・から・・・・・」

玲音「・・・・・・・・・・・・・・・うん」

少女「玲音・・・・・・思い詰め・・・・・・悪い癖・・・」

玲音「・・・・・・うん」

少女「・・・・・・玲・・・音は・・・笑っ・・・ていれば・・・・」

玲音「・・・・・・・・・」

玲音「うん」

教育では脳科学・神経科学・生物学・人間心理学に基づき、

最短距離で理解へと到達する解説が、

海馬と大脳新皮質を刺激する音程と抑揚の人工音声で子供に知識を与える。

人工音声は人間的でなく、それは金属をこする様にすこし甲高い。

最先端の知的分野ではスーパーコンピュータが答えを出し、

人はその理解に努める。

核磁気共鳴が革新的に進化し、パワーとスピードに優秀なアルゴリズムを組み込まれ、

汎用性を広げたそれは人間の知を越えていた。

生命倫理はその残滓を見せ、

人は未だ人のまま生きているが、

テクノロジーは今なおその人間性を緩やかに侵食している。

冬の、高く白んだ空を見上げる。

僅かに星の輝きが玲音に見えた。

また、数十万の夜を越えるだろう。

宇宙にとっては刹那に過ぎない。

太陽は極大期と極少期を呼吸のように繰り返す。

ネットワークは


玲音は



人は

「うるさいなぁ、・・・黙ってられないの・・・?」

玲音は小さく口に出した。




おわり

前に二つ書きました
また見て頂いてありがとうございます
前のを軽く踏襲してしまったので説明不足だったかもすみません

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