『急がば回れ』
烈海王は奔(はし)っていた。
ダダダッ!
烈(不覚……ッッ)
烈(私としたことが、神心会での稽古開始時刻を誤って記憶していたとは……!)
烈(稽古に遅れる拳法家など、言語道断!)
烈(間に合うか……ッッ!?)
ダダダダダッ!
ザッ……!
烈「む……」
烈(ここは、いつぞやの川──)
烈(死刑囚ドイルを背負い、渡った川だ)
烈(今のこの足で、走って渡り切れるものか……?)
烈(できるかもしれぬが、絶対とはいえぬ)
烈(泳いでいけば容易いが、濡れた身体で道場に足を踏み入れるのは非礼に当たる)
烈(しかし、遠回りして橋を渡ったなら、稽古開始に間に合わぬのは確実……ッッ)
烈(どうする……!?)
烈「!」ハッ
少年「いけッ!」ビュッ
ピッ ピッ ボチャン……
少年「あァ~……沈んじゃった」
父「もっと勢いよく投げて、回転をつけなきゃダメだな」
川に石を投げて遊ぶ父子。
烈(これだッ!)
烈(蹴りの遠心力で体重を殺し、濡れた和紙の上を渡り切るという演武……)
烈(克巳さんも最大トーナメントで披露していたが)
烈(あの演武における技術と足踏みを組み合わせれば──)
烈(今の私の足でも、この川を渡り切ることは十分に可能だッッッ!)
烈(──いざッッッ!)
チャプ……
高速回転しながら、水面を猛烈な勢いで足踏みする烈。
ザババババババババババッ!
烈(うむ……)ギュルルルッ
ザババババババババババッ!
烈(イケるッッッ!)ギュルルルッ
ザババババババババババッ!
烈(この方法ならば、おそらく30メートルまでなら問題ないッッッ!)ギュルルルッ
ザババババババババババッ!
少年「お父さん……人が回りながら川を渡ってるよ……」
父「ああ……渡ってるな……」
ダンッ!
烈(渡り切った……ッッ)ハァハァ…
烈「すまぬッ! お騒がせしたッ!」
少年「イ、イエ……」
父「こちらこそ……」
烈(いざ神心会へッッッ!)ダッ
『急がば回れ』
急いでいる時は、肉体を高速回転させれば、目的地に早く着くことができるということ。
『犬も歩けば棒に当たる』
町中を歩く烈海王。
烈(……ほう)
女「コラ、ちゃんと道のはしっこを歩きなさい!」スタスタ…
犬「ワン、ワン」トコトコ…
烈(犬の散歩か……いいものだな)
犬「ワンッ!」バッ
女「あっ!」
犬「ワン、ワン!」ダッ
女「ま、待ちなさいッ!」
飼い主の女性がヒモを放したスキに、犬が走りだしてしまった。
烈「む……」
烈が犬が走っていく方向に目をやると──
ブロロロロ……
烈(自動車ッ!)
烈(このままあの子犬が一直線に走り続ければ──)
烈(子犬が自動車と激突する可能性大ッッッ!)
烈(やむをえんッッッ!)サッ
シュルッ……
カカカッ!
ズボンから、かつてドイルに使用した多節棍を取り出し、組み立てる烈。
烈「破ッ!」
ブオンッ!
グサッ!
烈が投げた棍は、犬の目の前に突き刺さり──
犬「キャンッ」コツンッ
進路を妨害することで、犬の走行を止めることに成功した。
ブロロロロ……!
そのすぐ前方を、自動車が走り去っていったことはいうまでもない。
女「あの……ありがとうございました!」
烈「礼には及びません」
烈「しかし、犬の散歩をする時はくれぐれもご注意を……」
女「は、はいッ!」
犬「クゥ~ン……」パタパタ…
女「もォ~……勝手に走りだしちゃダメでしょ!」
烈「では、私はこれで……」ザッ…
『犬も歩けば棒に当たる』
犬が危機に陥った時は、どこからともなく棒が飛んできて助けてくれるということ。
烈「破ッ!」
ブオンッ!
グサッ!
烈が投げた棍は、犬に突き刺さり──
犬「ギャンッ」コロンッ
『逃がした魚は大きい』
フェリーで海を観光する烈海王。
烈(ふむ……)
烈(たまにはじっくり海を眺めるというのもいいものだ)
烈(海は、全ての生命の源ともいわれる……)
烈(こうして海を眺めていると──)
烈(地球誕生から現代までの悠久の流れを、この五体にて感じ取ることができる)
キャァァァ…… ワァァァ……
烈(何事か?)
烈「どうされましたか」
観光客A「あんなところにでっかい鮫が……!」
観光客B「こんな小さなフェリーじゃ、もし襲いかかられたら……!」
烈「…………」
ザザザッ……
烈(あれは……ホホジロザメ)
烈(ヒレから察するに……サイズは5メートルから6メートル、といったところか……)
烈(危険だな……)
烈「皆さん、ご安心を」
観光客A「え?」
観光客B「いったいなにを……」
烈はフェリーから足を出すと──
烈「噴ッ!」ブンッ
バッシャァンッ!
震脚の要領で水面を力強く踏みつけた。
すると──
サメ「!」ピクッ
ザザザッ……
観光客A「オオッ!」
観光客B「逃げていく!」
烈が起こした衝撃の大きさに驚いたのか、
あるいは衝撃を起こした本人の戦力に驚愕(おどろ)いたのか──
巨大ホホジロザメは海の彼方に逃げ去ってしまった。
烈「もはや、あのサメがこの海域に近づくことはないでしょう……」
『逃がした魚は大きい』
中国武術を極めれば、巨大な魚を寄せつけずに撃退できるということ。
『帯に短したすきに長し』
神心会本部道場にて、道着に着替えようとする烈海王。
烈「…………」ギュ…
ブチッ……
烈「む……」
克巳「あらら……帯が切れちゃいましたね」
克巳「その長さじゃ、帯にもたすきにも使用(つか)えないでしょう」
克巳「ちぎれた帯はウチで処分しますから──」
烈「イヤ……」
烈「今日は少々予定を変更しましょう」
克巳「え……?」
稽古開始──
烈「ハイィィィッ!」
ビュババババッ!
ビュバッ!
バババババッ!
鮮やかな帯(?)さばきで、周囲に置かれたガラス瓶を切り裂いていく烈。
烈「破ァッ!」
バシュッ!
最後のガラス瓶の頭も、ふっ飛んでしまった。
オォ~……!
克巳「スゲ……」
克巳「おみごとです、烈さん」パチパチ…
克巳「まさか、ちぎれた帯がここまで鋭利な武器になるなんて……」
克巳「中国武術の真髄、堪能させてもらいました」
烈「ふむ、ちょうどいい機会だ」
烈「今日は予定を変更して、帯の武器化について講義いたしましょう」
克巳「よろしくお願いしますッ!」ザッ
『帯に短したすきに長し』
帯として巻くには短く、たすきにするには長い布は、鞭として活用できるということ。
『仏の顔も三度』
ある寺院にて──
先輩「いいか? 絶対キズつけるなよ」
先輩「もしキズつけちまったら、とても弁償なんかできねえからな」
業者「ワカってますってェ~」
業者「俺だって初めてじゃないんスから……」
ガラガラガラ……
高価な仏像を、台車で注意深く運ぶ業者。
しかし──
猫「ニャァ~ン」ダッ
業者「ウワァッ!?」ビクッ
グラッ…… ゴトン……
業者「し、しまった……ッッ!」
業者(早く起き上がらせないと……)ゴトッ
業者「!!!」
業者(仏像の顔が……ヘコンでる……ッッ)
業者(ああ……もう終わりだ……!)
業者(どうすれば……ッッ)ガクッ
ザッ……
烈「オヤ……?」
業者「!」ギクッ
烈「どうかなされたか」
業者「イヤ……あの……!」
業者(寺の人!? いや、ちがう……カンフー映画!? 中国人!?)
たまたま寺を参拝していた烈海王であった。
烈「ふむ……運び入れるハズの仏像を誤ってヘコませてしまった、といったところか」
烈「ここで出会ったのも、なにかの縁」
烈「私にお任せを」
業者「え……ッッ」
業者(お任せを……って、このカンフー兄ちゃん、いったいどうする気だ……?)
業者(まさか、ヘコんだのなら、いっそ壊しちまおうとかいうんじゃ……)
烈「噴ッ!」シュッ
ゴッ!
業者(マジで!?)
業者「チョ、チョットアンタ……仏像に拳なんか……ッッ!」
烈「破ッ!」ドリュッ
ガンッ!
業者「や、やめッ──」
烈「斗ォッ!」ボッ
ドンッ!
業者「ア~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!」
業者「……ン?」
業者「な……直ってる……ッッ! 仏像のへこみが……キレイサッパリ……」
烈「私はこれにて……」ザッ…
業者「ありがとうございますッッッ!」
仏像『やれやれ……』
仏像『こんな荒療治を受けるとは、思わなかったぞ』
仏像『まァ……男前が戻ったということで、今回は許しておいてやろう』
『仏の顔も三度』
たとえ仏の顔がへこんでしまっても、三度殴れば元通りになるということ。
『鬼に金棒』
夜、繁華街にて──
刃牙「でさァ~……」
梢江「へぇ~……」
不良A「アイツがバキか……」
不良B「あんなガキを、花山の大将や柴さんが認めてるだと? 信じられねェ……」
不良A「ま、ウワサが真実にしろフカシにしろだ」
不良A「アレをやりゃあ、俺たちの名が上がるってのは間違いねェ」
不良A「今は女ツレてるし……後ろからバットでやりゃイッパツよ」ズイッ
烈「やめておきなさい」
不良A&B「オワッ!!?」ビクッ
不良A「なんだァ……てめぇ……?」
不良B「中国人……?」
不良A「やめておきなさい……ってもしかしてアンタ、バキ君を守ろうっての?」
烈「逆だ」
烈「君たちを守りにきた」
不良A「フゥ~~~~~ン」ピクピクッ
不良B「じゃ……守ってもらおうじゃないの……」
不良A「オラァッ!」ブオンッ
不良B「シャアッ!」ブウンッ
カカッ!
不良A&B「…………ッッ」
不良A(金属バットが……折れたんじゃない。切断(きれ)た……)
不良B(人間じゃねえ……!)
不良A&B「ヒエエ~~~~~ッ!」タタタッ
烈(たかが金属バットで、あの鬼の血をひく範馬刃牙に挑もうなどと──)
烈(勇気というよりは無謀……否、無謀というよりは無知、か)
『鬼に金棒』
素人が金棒を持ったところで、鬼には到底かなわないということ。
『二階から目薬』
あるマンションの下を通りがかった烈。
ビュオォォォォォ……!
烈(む……突風か。目に少しゴミが……)ゴシゴシ…
すると──
「ねえねえ、おじちゃーん」
烈「!」
烈が上を向くと、二階のベランダに母子がいた。
幼児「ボクが目薬さしてあげる~!」キャッキャッ
烈「…………」
母「コラッ、変なこといわないの!」
母「すみません、子供のいうことなんで気にしないで──」
烈「かまいません」
母「え……ッッ」
烈(無垢なる少年の好意──拳法家として無下にはできぬ)
烈「そこから目薬を落としていただいて、一向にかまいませんッッッ!」
母「~~~~~~~~~~ッッッ!」
幼児「じゃあ、いくよ~!」
ピチョンッ……
幼児の握る容器から落とされた薬液の滴(しずく)──
常人ならば視認することすら困難であろうが、
常日頃から鍛錬を欠かしていない烈海王の動体視力には、
まるでスローモーションのように感じられた。
しかし──
ビュアッ!
烈(再び突風ッ!)
滴は風にあおられ、5メートルは横に吹き飛んでしまった。
烈(間に合うッ! 間に合わせてみせるッ!)ダッ
ズザザッ!
まるで野球のスライディングのように、仰向けに地面に滑り込んだ烈海王。
烈の右目は、少年が落とした滴を見事にキャッチした。
ムクッ……
烈「謝々(アリガトウ)……」ペコッ…
幼児「カ、カッコイイ……」
母「……でも、マネしちゃダメよ」
『二階から目薬』
拳法家にとっては、二階から落ちてくる目薬を目で拾うことも容易いということ。
『情けは人の為ならず』
町を歩く烈海王。
ブロロロロ……!
ガタンッ! ドザザザザッ……!
烈「!」
トラックに積んであった土嚢が、道路に崩れ落ちてしまった。
キキィッ……
運転手「アッチャ~……他の車が来る前に、積み直さないと!」ダダダッ
烈「手伝いましょう」
運転手「ありがとう! 助かるよ!」
烈「…………」ヒョイッ
運転手(すげェ……指の力だけで土嚢をつまみ上げてる……)
運転手(一袋20キロはあるってのによ……)
烈のおかげで、あっという間に土嚢は積み終わった。
運転手「本当に助かったよ!」
烈「礼には及びません」
運転手「しかし、それじゃ俺の気が──」
烈「かまいません」
烈「失敬」ザッ…
運転手(いったい何者なんだ……プロの格闘家かなんか?)
烈(フム……よき鍛錬ができた)
他人のピンチを、ピンチ力(物をつまむ力)の鍛錬に生かす烈であった。
『情けは人の為ならず』
他者に情けをかけることは、己の武を高めることに繋がるということ。
『年寄りの冷や水』
中国武術師範、烈海王氏はこのように語っている。
烈「周辺の環境を武器と成す──」
烈「行住坐臥全て戦いといえる武術家にとっては、必須の技術といえるでしょう」
烈「この分野の第一人者といえば」
烈「環境利用闘法の師範、ガイア氏などが挙げられるでしょうが……」
烈「我、中国武術界の長老、郭海皇もまた環境の武器化には秀でております」
烈「私も先日、老師に教えを受けましたが、それはもう……」
………
……
…
郭「烈よ」
郭「このように、柔らかく頼りない“水”ではあるが」チャプ…
郭「使いようによっては、とてつもない武器になる」
烈「はっ……」
郭「例えば──」
郭「こうッッッ!」シュッ
パァァァンッ!
消力(シャオリー)の要領で、手首にスナップをきかせ、壁に水を投げつける郭海皇。
烈「…………ッッ(石の壁にヒビがッ!)」
郭「さらに──」
郭「目に当てれば目潰し、気管に叩き込めば呼吸困難に陥らせることもできる」
郭「涙穴に鋭打すれば、地上で“溺れさせる”ことも可能じゃ」
烈「ナルホド……」
郭「しかも水といっても、なにも“水”でなくともよい」
烈「……といいますと?」
郭「よ~するに、液体ならなんでもよい」
郭「汗でも、涙でも、唾液でも、胃液でも、血液でも、尿でも、精液でも……」
郭「日頃我々が何気なく垂れ流してるモノは、実は大きな武器というわけじゃ」
烈(ナ、ル、ホ、ドォ~……)
…
……
………
烈「教えを乞いつつ、私は改めて郭老師の恐ろしさを思い知りました」
烈「あの方ならば……郭海皇ならば、使うでしょう」
烈「勝利に必要とあらば、迷わず使用(つか)うでしょう」
烈「必要とあらば──水でも体液でも、なんでもッ!」
烈「それが武というものなのですから……」
『年寄りの冷や水』
水を得た老人は非常に危険だということ。
『火のないところに煙は立たぬ』
神心会本部──
克巳「──以上ッ!」
克巳「本日の稽古はここまでッッッ!」
門下生A「オスッ!」
門下生B「館長、勉強させていただきましたッ!」
門下生C「ありがとうございましたァ!」
克巳(ふぅ……今日のところはこんなもんかな)
克巳(あとは自主練でも──)
克巳「!?」
ある部屋の扉から、白い煙のようなものが漏れ出していた。
克巳(なんだいありゃ……)
克巳(まさか──火事ッ!?)
ガラァッ!
勢いよく扉を開ける克巳。
すると──
克巳「…………」
克巳「烈……さん……?」
烈「む」
モワァ~……
克巳(今の煙の正体は──)
克巳(烈さんの体から流れる汗が気化してできた、湯気だったのか……ッッ)
克巳「站椿(たんとう)ですよね……。いったい何時間そうして……」
烈「数えていない」
克巳「ハハ……さすが!」
克巳「どうです……?」
克巳「こっちも門下相手の稽古が終わったところなんです」
克巳「組み手でもしませんか?」
烈「私はかまわん」
克巳(俺は腕、烈さんは足を失ったが──)
克巳(烈海王の炎のような闘気は未だ健在、だな)
克巳(俺も見習わなきゃなァ……)
『火のないところに煙は立たぬ』
煙を立たせることができる武術家は、もはや炎であるということ。
以上で終わりです
ありがとうございましたッ!
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