エレン「殺戮」(8)

その事実を知ったのは三十年前のことだった。

当時、壁内の訓練兵団に所属していた私は漠然とした動機の中で無作為に手を伸ばしては掴み、得ては咀嚼し己が力になることのみを求めていた。

同郷の親友らを除いては私に友と呼べる者は僅か片手で数えられる程度の物であっただろう。統一された格好、精神、またはそれは――――今になっては意識とも表現することが出来る、主体性を敢えて捨てることだけが殺伐とした時代の中で生き延びる為に必要な手段だった。

客観性と生への執着との利害関係が同一した場合に兵士らは強くなる事が出来た。あの頃の私には到底理解不能な精神、ああ言った物の中で突出した凶暴者には淘汰されるのに十分な理由があったと皮肉にも客観的に自分を見つめ直す今、それが私には分かる。

それは、ある雨の日の午後であった。

その日の体調は頗る悪く、私はとても一端の兵士とは言い難い姿であったと思われる。というのも、明け方より相部屋の彼に雑な挨拶を投げ掛けられたことによるのだが…嗚呼、後に分かったことであるが彼は私の友人の内に淡い思慮を抱いていたらしい。なるほど、当たりの強かった事にも今更納得がいく。

普段ならば襟を掴んだまま、嘗ての仲間に教わった脚技を掛けてやったところだが生憎そのような気持ちにはなれなかった。その甲斐あってか、耳にしたあの言葉は素直に私の脳内へ響いてきたのである。確か。

『オイ、今日はいつもみてぇに朝っぱらから走り廻らねぇんだな。やっ………と無駄だってことが分かったか。死に急ぎ野郎が』

妙な話だと思われるだろうが私には一瞬、一瞬だけ何処か自分はこの男に心配されているのでは無いかという錯覚に陥った。それは、彼の放った言の葉を肯定的に受せ取ったなどという話ではない。心の余裕が無い中で改めて自分の奥に内在する代え難い生への欲望を実感したからである。

午前中の実践的訓練は中止となってしまった。その日初めて思ったことだが、寧ろ嬉しいと。あの対人格闘の中で培ったことはこの筆を握る今でも覚えている。笑ってくれ。何時も組んでいた彼女に馬鹿にされるのを恐れたのが内心あったのかも知れない。前述した脚技も彼女に起因するが…それはいい。

特に何も起こらぬまま過ぎ行く時間、吉報の自由時間に喜ぶ者たちの声が各部屋で響いた。一方で私の方と言えば友が足早に仕入れた情報…午後の予定が全て座席学習に代わったとの事を聞いて只々怠いものと思ったに過ぎなかった。

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