男「オレの人生ってつまんねえなあ」 (122)
大学生になって、上京して一人暮らしを始めてから三年。
実家暮らしのときと比較するとひとり言がずいぶんと増えた気がする。
しかもこの手のひとり言というのは、無意識になんのきっかけもなしに出てくる。
だから僕は自分の口から出た言葉に驚いてしまった。
『オレの人生ってつまんねえなあ』
軽い目眩を覚えたのは、その言葉のせいなのか、それとも空腹のせいなのか。
僕は思わずベッドに座り込んだ。
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「腹減ったな」
充電器を差しっぱなしにしていたスマホを手にとる。
目当ての番号をアドレス帳から引っ張り出して、電話をかけると目的の相手はワンコール目で出てきた。
おおかた、またアプリかなにかで遊んでいたのだろう。
『もしもしーどうしたのー?』
電話越しの女の声はいかにも気だるげだった。
「お前今暇だろ?」
『……そうだけどー、なに?』
「オレの家に来い」
『ええー、めんどくさい。今新しいアプリ発掘中だしー』
「うちに来てくれたら、金やるよ」
『……わたしにご飯買わせる気でしょ?
「正解。あ、でも多少は色をつけてやるよ。
どうせお前、今日もひとり飯だろ?
オレと飯が食えるんだぜ。感謝しろよ」
『うざ』
自分でも、自分の発言が実に鬱陶しいと思ったので僕は笑った。
「とにかく、適当にカップ麺とスナック菓子。
あとなんでもいいからチュウハイ買ってきてくれ。あ、化粧はしなくていいぞ」
『うるさいなあ。言われなくてもしないから。
まあいいや、たぶん一時間ぐらいしたらそっちにつくと思う』
「おう、待ってるぞ」
電話を終えた僕は、とりあえず換気をすることにした。
人様の家のにおいというのは、なかなか気になるものだ。
だから、誰が来るにしろ僕は絶対に人が家に来るときは換気をすることにしている。
窓を開けると、じめっとした風が遠慮気味に部屋に入ってくる。
雨によって湿った地面が発する独特の匂いが、僕は嫌いだった。
理由はよくわからないし、昔は気にしていなかったと思う。
雨の匂いが気になりだしたのはここ数年だ。
どこか懐かしさを感じさせるその匂いが、昔の記憶を掻き立てるせいなのかもしれない。
僕はとりあえず部屋の整理をすることにした。
もっとも僕の部屋は、自他ともに認める綺麗さなので、少しものを動かす程度ですぐ終わった。
顔を洗って歯を磨いて、それでも時間が余ったので、僕はベッドに寝転がってスマホで最近ハマっているネット小説を読むことにした。
「はい、買ってきたよ」
「おっ、サンキュー」
結局彼女が僕の部屋を訪れたのは、電話をしてから一時間後だった。
彼女はすっぴんの顔を隠すようにマスクをしていた。
「相変わらず部屋、なんもないよねー」
「お前の部屋が汚いのがなんでかわかるか? モノが多すぎるからだ」
「はっ? うざっ」
ポットに水を注いでお湯を沸かし、買ってきてもらったカップ麺をビニール袋から取り出す。
僕と彼女の関係について簡単に説明すると、大学のクラスメイト。
ただ、それだけだ。まあまあ仲はいい。しかし、もう一度言うがそれだけ。
「あーここまで来るだけで疲れたよー」
とりあえず彼女のことは、箱入りと呼ぼう。
理由は文字通りそこそこの箱入り娘だからだ。
箱入りはぶーぶー文句を言いつつ、クローゼットのハンガーに自分の上着をかけた。
実に自然な動作だった。
彼女がうちに遊びにきている回数がわかるというものだった。
「今日泊まっててもいい?」
「絶対にいやだ」
僕は首を振った。
本気でいやだったからだ。
「なんでー? どうせ用事とかもないんでしょ?」
「オレは寝るときは熟睡したいんだよ。
お前がうちに泊まってたら、オレがベッドで寝れなくなるだろ?」
「じゃあ一緒に寝る? わたしはそれでもいいよ」
「そう言ってこの前、一緒にベッドで寝たらお前、蹴飛ばされただのイビキがうるさいだの文句言ってきたろうが」
「じゃあ今回は絶対に言わない」
「ていうかなんで今日、うちに泊まりたいんだよ?」
「だってゲームあるじゃん。久々にスマブラやりたいんだよねー」
縺輔>縺九>縺吶k
新宿で適当に食事を済ませて僕はひとりで帰った。
『新宿からだったら家も近いだろ』
『ええー本当に帰れって言うの?』
『うん。帰れ』
そう言って僕は箱入りを帰らせた。
ちなみに家に帰ったあと、僕は無駄な時間と金を使わされたことへの苛立ちから、友達に電話をして愚痴を聞いてもらっていた。
『たいしてかっこよくもない主人公がモテモテなのはおかしいって言うけど、そういうのってある種の暗黙の了解じゃないの?』
電話越しのオタクくんの声は呆れているように聞こえた。
僕の愚痴は終わって、話題は彼に貸してもらったライトノベルについてになった。
主人公がやたらにモテることに関して、僕が触れたせいだ。
「まあ、そうなんだけどさ。
なんの取り柄もなければ、イケメンでもない。
そんなやつが少し優しいだけでモテるなんてあるか?」
『現実なら可能性はかなり低いだろうね』
「いや、たとえそういうマイナス要素をもっていても、雰囲気とかトークがイケてるとかなら、まだモテるのもわかるんだよ」
『そうだね。現実でも美女と野獣カップルとかっているもんね』
「だろ?」
オタクくんは僕の高校時代の友達だった。
オタクというのはもちろん本名ではない。
本名は奥田。
かなりのオタク気質で、奥田が派生してオタクになった。
典型的すぎて面白くないあだ名である。
僕と彼が友達だと言うと、わりと周りからなにかしら言われたりする。
まあ、学校ではクラスは一緒でもグループは同じじゃなかったし、それほど交流はなかった。
学校外でちょっとした偶然から、僕らは仲良くなった。
しかし、僕は彼が結構好きだった。
彼は非常に聞き上手なのだ。
知識もアニメとかばかりに偏っているわけじゃないので、話題も豊富だ。
特に彼の勧めてくれる本のチョイスは見事だ。
面白いとか面白くないではなくて、最後まで読ませる本を貸してくれるのだ。
「ほら、オタクくんが貸してくれたグミチョコレートパインのグミ編……ああいうのは、いいと思うんだよ」
冒頭からマスターベーションについての文が延々と綴られた大貫ケンヂの青春小説。
僕は高校時代にそれを借りて、いたく気に入っていた。
『そういえばまだ続きを貸してなかったね』
「続きもそうなんだけど、ああいうマジで主人公がモテなくて、でもなんとかしようって足掻く、けど全然物事が進展しないあの感じは好感がもてるよなあ」
『……なんかあったの?』
「いやいや、べつに。
ただキミから借りた本だと、友達いないのにかわいい女だけは周りにいて、しかもモテまくり。
意味不明だろ?」
自分でも馬鹿なことを言ってるなとは思った。
しょせんは創作の話だし、こんなことにケチをつけることのほうがよほど意味不明だった。
『たしかにね。今だとネット小説とかでも多いよね。
ぼっちなのに女の子にだけはモテモテって、都合のいい設定。
最近だとネット小説でもそういう設定が多いよね。僕はぼっち、ただし女の子にはモテモテみたいな。
でもああいうのって僕は、つい見ちゃうなあ』
「たしかにな。なんだかんだ需要はあるんだろね。
いや、たとえば主人公の設定がイケメンとかならオレも全然いいんだよ」
『あはは……』
「ほかにも現実でも腹立つのと言えば、自分じゃあなんの努力もしないのに、ひたすらうじうじ悩んでたりするヤツな。
行動せずに悩むなっつーの。そう思わないか?」
話しているうちに声が大きくなっていた。
少し体温が上がったのかもしれない。
手のひらがじんわりと汗をかいていた。
『耳が痛いなあ。やっぱり大学とかでも色々やってんの?』
「あ、うん、まあ……と言っても普通の大学生活を送ってるだけだよ」
『ボクはサークルとかも入らなかったからなあ』
「彼女とかできてないの?」
僕はオタクくんの彼女を想像してみて、結局浮かばなくてやめた。
あれだなそういうのは主人公がどうのじゃなくて、
周りの女が異常にチョロイんだと考えればいいんじゃね?
つまりチョロイ女と出会いやすい主人公なんだろう
運がいいってことで
途中にレス挟んでごめんなさい
「ああ、長電話しちゃってごめんね。今度遊ぼうぜ」
『うん、じゃあね』
電話を終えて、舌打ちをして、僕はスマホを投げた。手のひらが汗ばんでいる。
「うわあ……自己嫌悪だわ」
胸にたまったモヤモヤを吐き出すために、電話したはずだったのに、吐き出した言葉はすべて自分に返ってきたらしい。
僕はどんよりとした気分でベッドにもたれかかった。
ウォークマンを取り出しイヤホンを耳に突っ込む。
ランダムの状態で曲をかけると、ギターの唸る音が聞こえた。
好きな曲だった。間違いなく。
だが、今は聞きたくない曲でもあった。
あっという間に夜がきて 半分かけた月を見る
今日一日なにをした そんなこと考えたくもない
そのまま曲に耳をすます。
さらに耳の痛いフレーズが舞い込んでくる。
あっという間に日が昇り あんまり眠れたような気がしない
できることは全部やった 無理やりそう思いたいだけ
そこまで聞いて僕は次の曲へと飛ばした。
この歌詞は聞くのは今の僕にはすこしつらかった。
次の曲にかける。
また同じ歌手だ。軽快なポップソング。
タイトルは『おでかけしましょ』
変な声が出そうになった。
もっていたウォークマンを思わずまじまじと見てしまう。
軽快なポップソングだと言ったが、この曲の歌詞は実に鋭い感性のもと書かれている。
歌詞は簡単に言うと、家にこもって実際に確かめもしないで雑誌やテレビで情報を得て、あたまでっかちになることへの注意を促したものだ。
だから『おでかけしましょ』というタイトルなのだ。
二十年近く前に書かれた歌詞だが、時代を先取り過ぎだと思う。
しかもこの歌詞の憎いところは、あくまで『おでかけしましょ』というところにある。
決して『おでかけしろ』じゃないのだ。
また本屋とテレビでたしかめてるの
いたれりつくせりの よくできた部屋で
アタマに脂肪がついてくる
そこまで口ずさんで、僕はイヤホンを耳からとった。
つけっぱなしにしていたテレビを切る。
ふと、僕はうっかり買ってしまって、テーブルに放置していた紙を見る。
「努力もなにもしない、無気力なヤツに幸せなんかは訪れない……か」
不意にスマホからラインの通知が来る。
サークルの連中からの麻雀の誘いだったが、僕はラインを開くことすらしなかった。
その紙を手に取る。
使い方は枕の下に敷いて寝る。
なにかの都市伝説で似たような内容を聞いたことがある。
時刻は二十二時をすぎたあたりで、寝るには少し早い気がしたが、僕はベッドについた。
枕の下に紙を敷く。
いったいこんな薄っぺらい紙になんの効果があるのだろうか。
雨は相変わらず降り続いている。
梅雨の季節。
雨の音の中で僕は眠った。
そして目が覚める。
※
僕「……ふわあぁ」
僕(なんだ、普通に目が覚めたぞ。あまり寝た気がしないけど……なにか変わったのか?
……って、そんなわけないか)
僕(もう少し寝るかな)
「なに寝ようとしてんのよ」
僕(なんだ……?)
「だから、なに寝ようとしてんのよって聞いてんの」
僕「はあ……もう誰だよ」
「彼女の顔を本当に忘れてるんだったら、ある意味すごいわ」
僕「……彼女?」
「ていうかまず、ベッドから出なさいよ。早くしないと学校に遅刻するよ?」
僕「ん……え?」
「おっす」
僕「えっと……誰?」
僕(簡単に今の状態を説明しよう。ベッドで寝ている僕。
そして、そんな僕の目の前に女子高生がいる。しかもその女子高生はかわいいときた)
女「まだ寝ぼけてんの?
いいからさっさと着替えて。学校行くわよ」
僕(なんなんだこの女……?
いや…………僕は高校二年生で、この女は僕の幼馴染かつガールフレンド。
いつも家に起こしに来てもらって、学校へは毎回一緒に行ってる……なんだこの記憶は)
僕「あー…………いつも起こしに来てくれてありがと」
女「え……ど、どうしたの急に?」
僕「……いや、早く学校へ行こう」
僕(まさかあの『カえる紙』って……自分の世界を変えてしまう紙だとでも言うのか?
ていうか、なんか思考がふわふわしてるような……)
今日はここまで
>>42いや、横レスすごい嬉しいです
僕(現在、見知らぬ幼馴染と登校中。
……なんでこんな異常な状態をオレはこんなあっさり受け入れているんだ……)
女「宿題きちんとやった? 昨日泣きついてきたけど」
僕「泣きついたの? オレが?」
僕(この制服……つまりオレは高校生になっているってことだが。
荒唐無稽すぎて笑えるな。なんだこのバカバカしい展開は)
女「で、やったの? やってないの?」
僕「あー……やったんじゃないのかな?」
女「なんでそんな曖昧なの?」
僕「昨日遊んでてそれに夢中になって忘れちゃった、みたいな?」
女「遊ぶって誰と?」
僕「そりゃあクラスのやつしかいなだろ」
女「ほとんど友達いないのに?」
僕「……」
僕(そうか。オレはここではそういう設定か。
すげーな、違和感すら覚えず、今教えられた設定をあっさりと受け入れてしまった。
ていうかなんだその設定……)
女「なんかいつにもまして気だるげだね。
もとから低血圧で朝弱いとはいえ、ちょっとボーッとしすぎじゃない??」
僕「低血圧と朝弱いのって、関係あるのか?」
女「なによ、自分が言ったんじゃない」
僕「ふーん。そうか」
女「……」
僕「……なんだよ?」
女「えいっ」
僕「いっ、いででででで……! な、なんでいきなりほっぺをつねるんだなよ!?」
女「ふふっ、少しは目が覚めたでしょ?」
僕「たしかに目はさめたけど……」
女「ほらっ、いこ」
僕「手をひっぱんなっつーの」
僕(なんて、照れ隠しで言ったけど。これ普通に手をつないでる状態だな。
なんていうか女子高生と手をつなぐって……やばい、なんかいいぞこれ)
僕「教室は、ここだな」
女「なんで教室の場所を確認すんのよ?」
僕「……最近金田一少年の事件簿のトリックで、ホテル部屋のプレートを入れ替えて誤認させるというものがあったからな」
女「たしかに教室のクラスプレートは抜き差しできるけど。
学校ならさすがにわかるでしょ?」
僕「単なる冗談だよ」
女「やっぱり今日のキミ、一段とおかしいよ」
僕「オレがおかしい? 気のせいだろ」
僕(いきなり高校生になってて、初対面の女子高生とさらっと会話してるという点ではたしかにオレはおかしいかもしれない。
しかもすでに教室の場所を把握していたしな)
友「よっ、今日も二人ともラブラブだな」
僕「ん。おはよ」
僕(まあ、こいつは普通に考えて数少ない僕の友達なんだろうな)
女「もう、からかわないでよ……おはよっ」
僕(彼女は女子グループのほうへ行ってしまった。
時間つぶしのためには、コイツと話してなきゃならないのか)
僕「昨日の課題はやったか?」
友「課題?」
僕「宿題だ。数学の、出されてただろ?」
僕(とりあえずこういうときは授業関連からせめてくに限る。
いまんところ共通の話題とかもわからないしな)
友「そんなつまらないことよりさ、ぶっちゃけアイツとはどうなんだよ?」
僕「アイツ?」
僕(って、アイツと言えば彼女のことに決まってるか)
友「とぼけんなよ。ぶっちゃけヤったのかヤってないのか?」
僕「え? 知らん」
僕(あ……思わず素で答えてしまった)
友「はあ? なんで知らねーんだよ。
お前……さてはもう二人でベッドインしてしまったのか? そうなのか?」
僕(なんだこいつ? 高校生みたいなテンションだな……いや、実際に高校生なのか)
僕「いや、まだだ」
友「ほんとか?」
僕「オレが嘘をついてるように見える?」
友「……そうか、安心した。
いやあ、彼女を先に作られただけでもびっくりなのに、それでもう童貞まで捨てられてたらね……」
僕「……」
僕(彼女とした記憶は実際に僕にはないのだから、これはウソでもなんでもないだろ)
僕「ん……」
女「起きなさい」
僕「朝か……?」
女「ちがう、昼休み」
僕「……」
僕(まじか。授業中うとうとしてて、そっから記憶がない。
まさか全ての授業でオレは寝てたのか?)
女「いくらでもなんでも寝すぎじゃない?」
僕「たしかにな。ナルコレプシーの心配があるな」
女「ナル……なにそれ?」
僕「なんにも。それより昼休みなんだろ?
腹減ったし……ご飯はどうしよ。お前、どうする?」
友「ああ、オレに聞いてんの? なんでオレに聞いてんだよ?」
僕「なんでって……どうせオレはお前とぐらいしかメシ食う友達いなんだろ?」
女「私もいるでしょ」
僕「女子たちと食べないの?」
女「なに言ってんの?」
僕「いや、普通に友達と食べるのかと……じゃあ三人で食べるか」
女「……ほんとに大丈夫?」
僕「なにがだ?」
女「もうっ!」
僕「え? な、なんでまた腕を引っ張んだよ?」
友「いやーやっぱり仲がいいなあ、二人は」
僕(ほかの連中もひやかしの目で見てくるが、彼女は構わず僕を屋上まで引っ張っていった)
僕「あのさ、なんでいきなり屋上になんか連れてきたんだ?
ていうか今時の学校で屋上にいけるって地味にすごいな」
女「意味わかんない」
僕「……」
僕(どうも、この世界では迂闊に口を開かないほうがいいのかもしれない)
女「いつも、昼休みは二人でご飯食べてるじゃん。
なのになんで今さらあんなこと言いだしたの?」
僕「ごめん、ちょっとボケてた」
女「もういいよ。はあ、今日はキミの好きなだし巻き玉子とか作ってきたのにな」
僕「作ってきた? まさか手作り弁当なのか!?」
女「それもいつもどおりのことでしょ?」
僕「食べたい」
女「え?」
僕「ぜひ食べさせて。いや、食べさせてください」
僕(女子高生の彼女の作ったお弁当って、もはや都市伝説レベルだぞそれは!)
女「もう意味わかんないけど、はい。残さず食べてね」
僕「当たり前だろ。
たとえこの弁当箱の中につぶれたメロンパンが入ってたとしても喜んで食うよ」
女「なにそれ」
僕「ではまずは拝見っと……こ、これは」
僕(彩もさることながら、どれもうまそうだ。
人造バランなんか使われてるし、一目見て丹精込めてつくったんだろうなあとわかる代物だ……)
僕「す、すごいな!」
女「なにが?」
僕「だってこれお前が作ったんだろ?」
女「そんなに驚くこと? いつもと同じ弁当だよ?」
僕「毎日つくってんの!?」
女「う、うん……え、ちょっと本当に怖いんだけど。
なんでそんなに色々と忘れてるの?
本当に大丈夫? 病院行ったほうがいいかも」
僕「いや、オレのリアクションは普通だ!
どこの世界にこんな素敵な弁当を作る女子高生がいるんだよ!?
すっごい感動してるぜ!」
女「……普段そんなこと言わないのに。
どうしちゃったの?」
僕「いや、だとしたら普段のオレこそが病気だったんだ。
こんなのたとえ超モテモテ男子でもそう簡単に経験できることじゃない! ありがとう!」
女「え? あ、うん……」
僕「食べていい?」
女「一生懸命つくったんだから食べてくれないとやだよ?」
僕「じゃあいただきます!」
僕(……う、うまい! いやいや、女子高生にお弁当をつくてもらった補正があるにしてもうますぎる!)
女「おいしい?」
僕「ほんっっっとにおいしい!
ていうかこの米、もしかして今朝に炊いた?」
女「今さら? 普段からそうしてるのになあ。
キミって今まで一度もそのことに触れてくれたことないよね」
僕「マジか。それはほんとにごめん!
今までのオレはどうかしてたわ」
女「……べつに感謝されたくしてるわけじゃないよ。
でも、今までお弁当のことでこんなに大きな反応をしてくれたことはなかったね」
僕(最低だな、と言おうと思ったけどオレ自身のことだった)
女「でも、嬉しい。ありがと」
僕「なんでお前が礼を言うんだよ。言わなきゃいけないのはオレのほうだろ?」
女「そうなんだけど、なんでだろ。すごく私も嬉しいからさ」
僕(やべー。超かわいい。こんな女の子が実在するというのか)
僕「あのさ」
女「うん、なあに? もしかして私の分もお弁当欲しいとか?」
僕「いや、ちがうわ」
僕(まあいいか。そういえば学校の屋上ってなにげに初めてだな)
僕「んっ……ごちそうさま!」
女「すごい勢いで食べちゃったね。そんなにお腹すいてたの?」
僕「それもあるけど、うまいもんはやっぱり早く食べちゃうもんじゃね?」
女「なーんか褒めるのがずいぶん上手になったね?」
僕「その目はなんだ」
女「べっつにー」
僕「なるほどなるほど。さてはオレの浮気を疑ってんだな?」
女「ち、ちがうよ!」
僕(いやあ、やっぱり年下だと扱いやすいなあ。
今は僕も高校生なんだけど)
女「まあ、キミってほかのクラスには女の子の友達いたりするもんね」
僕「……」
僕(うわあ。僕の毛嫌いしてる設定がまた出てきたな。なんでだろ)
女「えっと、私まずいこと言ったかな?」
僕「いや、気のせいだろ」
女「ほんと?」
僕(なんでそんな不安そうな顔すんだろ。
最初の印象とちがうなあ。意外と僕の顔色を窺うことが多いな)
女「どこ行くの?」
僕「ちょっと来てよ」
女「そっちはフェンスしかないよ?」
僕「いいから。
へえ、こういうふうになってるのか。屋上から見るとグラウンドって風情あるな」
女「そう? 私にはよくわかんないな」
僕「小学生の頃を思い出すなあ」
女「小学生のころ?」
僕「うん。あの頃からとにかく色んなことをやるタイプだったな。
吹奏楽部に入ってたのに陸上部の千メートルも始めてさ。
ノリで始めたんだけど、ちっちゃい頃ってすぐ成果が出るんだよ」
女「……」
僕「そんなに早いほうじゃなかったし、大会でも全然いい成績じゃなかった。
でも、学校のマラソン大会じゃあトップテンに入ったりしたんだ」
女「そうだね、懐かしいね」
僕「中学では陸上はやめて今度は野球やってさ。
田舎の学校で大して強くもないし、野球部に友達が一番多かったからそんな理由で入ってさ」
女「懐かしいね。結局途中からテニスに変えたんだよね」
僕「うん。実は一番つらい部活で、朝の七時から学校で三キロとか走らされてさ」
女「一時期すごい痩せてたね、そういえば」
僕「入った頃は昼飯あんまり食べないようにしてたからな。
運動激しすぎてすぐに戻しちゃうからって理由で」
女「あのとき私がやめたらって言ったら、怒ったよね。あれなんで?」
僕「なんでだろ。なんかプライドとか意地とか色々あったのかなあ。
それで高校に入ったら運動系はやめて、今度は英語のディベート専門のクラブ入ったんだよな」
女「……」
僕「高校進学で私立入ったせいで、勉強がつらくてさ。
とにかく文化祭実行委員とかそういう方面の活動に打ち込んでたな。
大学入ってからもその名残で、サークルの文化祭活動とかにはめっちゃ力入れてさ」
女「うん……」
僕「とにかく人生楽しもうって大学入ったときは気合マックスだったな。
手当たり次第色んな新歓とかいったな。
調子に乗って飲みすぎて、先輩にゲロかけちゃったりとかしたりもしたし」
女「……」
僕「二年の夏休みとかは通常バイトと日雇いかけもちしたりして、ほとんどバイトしかしなかった。
それで、そのバイトの合間をぬって遊ぶ、みたいな」
女「……」
僕「なのに。なんで急にあんなふうになったんだろ」
僕(いや、急にではないんだ。
たぶん三年になったあたりから、色々とめんどくさくなったんだ)
女「ねえ」
僕「……あ、いや、ごめん。
なにをオレは言ってんだろうな」
女「大丈夫だよ。私がいるから」
僕「……なんだそりゃ」
女「不安に押しつぶされそうになっても、私がいるから大丈夫だよ」
僕「不安? オレが?
ちがう、そうじゃないよ。たしかに将来に関して漠然とした不安はあるよ。
でもそんなのは当たり前だろ」
僕(むしろ昔は今よりずっと不安まみれだった。
だいたいそんなものは誰もがもってるものじゃないか)
僕「……あ」
女「ん?」
僕「いや、なんでも。
ただ、グラウンドに見覚えがあるなって思っただけ」
女「変なの。そろそろ教室に戻ろっか?」
僕「うん」
僕(不思議なことに時間の感覚や日にちの感覚がひどく曖昧だった。
でもこっちの世界は妙に楽しかった。
突拍子もないことも起こる。
くだらないことも起こる。
地に足がついていないようなふわふわした感覚。
でも楽しいんだ)
友「これから補習かあ。だりいなあ」
僕「どんまい。頭が悪いと色々大変だね」
友「お前も補習じゃねえかよ」
僕「そうなんだよなあ。そうだ、これから購買のパン屋が来るだろ?」
友「来るね。そんなこと言われると腹減っちまうよ」
僕「じゃあ行こうぜ」
友「お前ってそういうの好きだっけ?」
僕「そういうのって?」
友「いや、だってうちの学校の七不思議の一つとして異様に混む購買があげられるぐらいだぜ?
人ごみ嫌いのお前が行きたいっておかしいだろ」
僕「人ごみは嫌いだよ。でも、そういう楽しそうなイベント自体は好きだからさ。
いこうぜ。たしか数量限定のパンとかあったろ」
友「まっ、これから退屈な補修が始まるし、その前に栄養補給しとくか」
僕(このままでいいのか。そういう疑問はある。
でも、前の世界よりこっちのほうがはるかに楽しい。
正直このままでいいかなって思ってしまう)
女「今日うちに来ない?」
僕「へ?」
女「うん。今日、お父さんとお母さん……いないんだ」
僕(夕陽のせいなのかな? 妙に顔赤いな。
でも、ひさびさに胸が高鳴ってる気がするな、僕も……)
僕「じゃあ行こっかな……」
僕(こんな初々しいやりとりをするのって初めてかも。
女の家に行くだけで、これだけときめけるって高校生ってステキだなあ)
女「そういえばさ」
僕「んー?」
女「決めた……進路のこと?」
僕「進路、か」
僕(まさかこの世界でそのことを聞かれるとは……)
女「やっぱりまだ決めてないの?」
僕「そうだな、まだ色々考え中かなあ」
僕(大学を選ぶときは指定校推薦でいけるとこにしたな。
迷うことなくスパッと決めた覚えがある)
女「じゃあ、その…………」
僕「一緒に大学行く?」
女「ほんと!?」
僕「お前は優秀だからな。そうとう頑張らなきゃならないだろうけど」
女「私が勉強おしえてあげる!」
僕「そう言ってオレが受かってお前が落ちるとかはナシだぞ」
女「それだけは絶対にない」
僕「そうだな」
女「大丈夫。
絶対に二人で同じ大学に行けるようにがんばるから」
僕「オレもがんばるよ」
女「うん」
僕「……」
女「……」
僕「ここの踏切、時間長いな」
女「うん……」
僕「あのさ、ずっと聞きたかったことがあるんだけどさ」
女「なに?」
僕(今までもこのことを聞く機会はあった。
でもあえて僕は聞かなかった。
いやな予感がしたから。
聞いてはいけない気がしたから。でもどうしても聞きたい。知りたい)
僕「お前ははオレのことが好きなんだよな?」
女「な、なに言ってるの」
僕(彼女の顔が赤くなった。
それは僕のことを好きな証拠なのかもしれない。でも)
女「い、今さらそんなこと聞かなくても……」
僕「ごめん。でもさ、どうしても聞きたかったんだ」
女「そういうキミこそ私のこと好きなの?」
僕「うん。好きだよ」
僕(不思議だった。
僕はこういうことを真面目な口調で、まして直球で言うのは苦手だった)
女「……もう」
僕「もう一個聞いていいかな」
女「なに?」
僕(これを言ったらなにかが終わってしまう気がする。でも…‥)
女「もったいぶらないで早く聞いてよ」
僕「どうしてお前はオレのことが好きなんだ?」
電車が目の前を横切る。
僕の隣で彼女が口を開く。
電車が線路を削るけたたましい音。
その音にかき消されたせいで彼女の声は、聞き取りづらかった。
「……そっか。ありがとう」
「……」
「やっぱりお前の家にはいかない」
「……うん」
カンカンカンカン。
線路が開く。
彼女はそこから動こうとしなかった。
僕は彼女を置いてそのまま線路を渡る。
後ろは振り返らなかった
すみません
休憩します
さいかいしてきます
「なんか、だいたい全部わかっちゃたな……」
家に帰って僕は明かりもつけずにベッドに寝転ぶ。
地に足がついていないような、ふわふわとした感覚はすでに消え失せていた。
忘れかけていたあの倦怠感が僕にまとわりつくようにのしかかる。
「結局、どっちが正解なんだろうな」
彼女の声が耳にこびりついて離れなかった。
目を閉じる。
まぶたの裏に鮮やかに現れる。
線路。
電車。
夕焼け色に染まった彼女の横顔。
小さく開いた薄い唇。
「好き『 』理由なんてないよ」
彼女が言った言葉を僕は口に出してみた。
ただ、たった一文字だけきちんと聞き取れなかった。
文脈から考えればそこに入る文字は『に』のはずだ。
だけど、僕にはちがうように聞こえた。
「好き『な』理由なんてないよ」
声にしてみたら、妙に胸にしっくりときた。
たった一文字ちがいなのに。まったく意味がちがう。
あのときの流れから考えたら、どう考えてもこのセリフはおかしい。
でも。
「結局そういうことなんだろうな」
身体を起こして、窓際に立ってみる。
夕焼けはなりを潜めて、かわりに真っ暗な世界が広がっていた。
僕はポケットからスマートホンを取り出して、メールを彼女に送った。
「この世界も明日で終わるのかな」
僕の小さなつぶやきは窓ガラスの向こう側に吸い込まれていった。
昼休み。
僕は昼休みの開始に合わせて学校につくようにした。
今朝は彼女は迎えに来なかった。
「よっ、待った?」
「待ってないよ」
僕より先に彼女は屋上にいた。
「でも呼びつけたなら、先に来ていてほしかったな」
「ごめんごめん」
「で、なんで私をこんなとこに呼んだの?」
「お別れを言いに来た」
僕がそう言っても彼女は落ち着いたままだった。
そのことに少しガッカリしたけど、そもそもそれは僕が望んだことなのだ。
「ふうん。もう満足なのこの世界は?」
彼女の質問に僕は首を振った。
「まさか。満足できるわけないだろ。
この世界はオレの理想なんだから」
僕はフェンスに歩み寄った。
屋上の下には見知ったグラウンドが広がっていた。
「そう、ここはオレの理想世界」
背後で足音がした。
彼女が僕に向かって近づいてくる足音。
「理想の世界ならずっといればいいのに」
僕は彼女がそう言うことをわかっていた。
だから、すぐに言葉を返せた。
「でもダメだ。同時にオレはこの理想がとても嫌いだからだ。
自分の理想が嫌いってへんかもしれないけどさ」
「うん。すごいひねくれてると思う」
「大学じゃあ明るいひねくれ者って言われてんだ」
「そっか」
結局僕がこの世界にあっさりと順応できたのも。
彼女のことを簡単に受け入れられたのも。
これが僕の望んだ世界だったからにすぎない。
僕が望んだ世界。
「帰るよ。本当ならお前……キミにおわかれを言う必要なんてなかったんだ」
強い風が吹いて、グラウンドに土埃が立った。
大きなグラウンドは高校時代の記憶とそのまま一致していた。
踵を返す。そのまま彼女を素通りする。
「でも、屋上に来たのは初めての経験だったでしょ?」
「……そうだな。いい経験だったよ」
足を止める。
僕は彼女を振り返ろうとは思わなかった。
彼女がどんな顔をしてるかは、考える必要がなかったから。
「私からも一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「結局私ってキミにとってなんだったのかな」
予想外の質問が来たことが予想外で僕は黙ってしまった。
意味もなく視線をさまよわせていると、ぽつんとひとつだけ青空に浮かんでいる雲が目についた。
「理想の彼女」
「ほんとに?」
彼女が笑った気配がした。
「でもじゃあなんで、理想の彼女がそばにいるのに、どこかへ行っちゃおうとするの?」
「今欲しいものとはちがったからかな」
今度はスムーズに返答できた。
「欲しいもの? 本当はなにがほしかったの?」
「正直言うと……うまく言葉にできないんだよ」
でも、あの夕焼け色に染まった線路の前で、僕にはひとつだけわかったことがあった。
僕は彼女に質問をした。
あの質問への納得の行く回答を聞くこと。
結局それだけが僕の求めていることだった。
僕がこの世界に行き着いた理由は、自分でも笑ってしまうものだった。
「あーあ、きっと明日からまた退屈な日常が始まっちゃうんだろうね?」
「そうだな。でも、今から宣言しておくよ」
「なに?」
僕はドアノブを掴んで、それから言った。
「明日からは大学には行くよ」
それは当たり前でしょと彼女がもう一度笑った。僕もつられて笑う。
ドアを開く。蝶番が悲鳴をあげる。扉がやけに重く思えた。
「さようなら」
「……っ!」
窓から差し込む淡い太陽の光で目が覚めた。
シャツは汗で背中に張りついている。
あたりを見回してここが自分の世界であることを確信する。
「あっつ……」
窓を開けて喚起することにした。
今日からは大学に行こうと固い決意をした僕を迎える天気は、あいにくと雨だった。
「まあいっか」
スマートホンで日時を確認する。
ここのところバイトの日以外では確認をしていなかった。
十時をすぎたころだった。
日にちも恐る恐る見てみたけど、そちらも昨日から一日しか経過していない。
僕は胸をなで下ろした。
一通り用意をすまして、僕は家を出る。
授業は昼からだったけど、ぐずぐずしていると気が変わってしまうかもと早めに出ることにした。
結局彼女とわかれた僕はすぐに枕の下に紙を敷いて、眠った。
しばらくは眠れないのかな、と不安になったけど驚くほどあっさりと眠ってしまった。
そして見事に戻ってきた。
本当はあの世界は単なる夢だったのかもしれない。
あまりにもあっけなく僕はこの世界に戻ってきてしまった。
だからそんなふうに考えてしまう。
あんなふうに格好つけておいてなんだけど、正直帰れなかったらどうしようと、内心すごい心配していた。
「結局あの世界は僕が望んだ世界、ってことなのかな」
そんな僕のぼやきに反応したかのように電話がなった。
大学からのメールだった。
「うそだろ……」
普段なら喜ぶ内容のメールが来ていた。
しかし、今日だけは素直に喜べない内容だった。
今日、僕は二コマ講義をとっているが、なぜか二つとも休講になってしまった。
「……いや、行こう」
授業がないのに大学へ行ってどうするんだとも思ったけど、僕は彼女と約束したのだ。
ひさびさに大学に行くというわずかにあった緊張感は、すっかり消えてしまった。
それでも僕の足取りは妙にしっかりしていた。
「へえー、そんなことがあったんだ、ふーん」
箱入りがアイスフォッカチオにナイフを入れつつ、おざなりな相槌をした。
大学に行ったもののやることはなく、サークルにでも顔を出すかとしたところでこの女と鉢合わせした。
この女はきたメールを無視していたせいで、今日の休講情報を知らないまま学校に来たそうだ。
結局、お互い手持ち無沙汰ということで、ファミレスに来た。
「で、結局その世界で彼女とイチャイチャすることもなく終わったんだ」
「いや、イチャイチャはしたよ。
ただプラトニックな恋愛だったから、まあ、それ以上はいかなかったけど」
「ふーん」
彼女の顔は実につまらなさそうだった。
なぜ僕もあの世界での話をしているかわからなかった。
けどこの女にならべつに電波話を聞かせてもいいか、と適当な気持ちでしゃべっているだけだった。
一応恋愛要素のある話なら、なんでも食いつくやつだし。
「でもその世界って結局なんなの?」
「中学かな……もしかしたら高校かな?
どっちかは忘れたけど、密かにそういうのに憧れてた時期があったんだ」
「友達がいないのに、彼女がいるって世界に」
僕は彼女の頭頂部にチョップした。
「いたい……」
「まあたしかに身も蓋もない言い方をすりゃ、そうなるんだろうけど。ちがうわ。
オレって中学高校とわりと人のこともいじるし、その分よくいじられるキャラだったんだ。
だからそういう孤独な一匹狼的なのに少し憧れてたんじゃないかな」
「彼女はなんなの? 孤独な一匹狼のくせに女がいるっておかしくない?」
「そうだな」
僕はあえて否定しなかった。
あの世界の彼女の存在だけに言えば、今の僕が望んだものだったからだ。
いや、本当に望んだのは彼女というよりは彼女がくれるだろうと思った――
「なんかよくわかんないや」
「オレもだ」
そう言って僕は笑った。なぜか彼女の顔がむくれる。
「どうした?」
「なんか楽しそうでむかつく」
「は?」
「私なんてついに彼氏とわかれたのに」
「なんだそんなことか」
僕の言葉に彼女の顔はさらに膨らんだ。
指でつついたら破裂するかもしれない。
「でも、さっきお前ナンパされてたじゃん」
一時間ほど前、僕がコンビニで買い物をしている間、彼女は外で待っていた。
そのとき、男から声をかけられていた。
「でもイケメンじゃないし。
ていうかそういうの、ここんとこ多いな」
「やったじゃん、モテ期じゃん」
「これってモテ期なのかなあ。
でもみんな声かけてくる人イケメンじゃないもん」
「ちょろいと思われてんじゃない?」
「ああもうやだ、ムカつく! 彼氏もいなければクラスでも仲いい人あんまりいないし!
今日も同じヤツとご飯食べてるし!」
彼女がアイスにかぶりつくのを眺めていて、ふと自分が批判した設定と同じであると気づく。
また僕は笑ってしまった。
「ああもういいことなさすぎ!」
「人生なんてそういうもんだろ」
僕は自分を棚にあげてそんなことをうそぶいてみた。
「むぅ……もういい! 今日はおごりね!」
なんでオレが、と言おうと思ってやめた。
ここのところ遊ばなさすぎて、金銭的にはかなり余裕があった。
「はいはい、特別な」
まあ、たまにはいいだろうと僕はやけ食いしだした箱入りに、おごってやることにした。
箱入りに予想外の額を奢らされた僕は、電車に乗って新宿へ来ていた。
いや、箱入りに奢ったことと新宿に来たことにはなんの関係もないけど。
相変わらず新宿の街は人で溢れていた。
急ぎ足の雑踏をぬうように、僕は目的の場所へと向かった。
連日降り続いている雨のせいで、コンクリートの地面にはいくつか水たまりができていた。
新宿の街は雨の匂いが立ち込めていて、僕は眉間にシワが寄っているのに気づいた。
「まあ、でもこういうのもいつかは変わるのかな」
大学に行く途中で気づいたけど、どうも地元の雨の匂いとこちらのそれとではちがうみたいだ。
なんというか、こちらのそれはもっと薄汚れていて、肺に入れるのを躊躇してしまうような感じで……。
小さな発見だし、それに気づいたからなんなんだ、と言われればそれまでだが。
しかし、将来的にはこの薄汚れた匂いを懐かしむときもくるかもしれない。
「いらっしゃい」
「どうも」
例の変な商品を売る女性は、以前と同じ場所にいた。
「ちょっと聞きたいことがあって来ました」
彼女の前にはダンボールがあって、その上には赤い縁のメガネが置いてあった。
しかし、目的は新しい商品ではない。
「結局あの『カえる紙』ってなんだったんですか?」
「……」
フードの下に隠れた顔は沈黙でしか答えてくれない。
「あれは自分の世界を変えてくれるとか、そういうものなんですか?」
「……」
「……」
「それはお買い上げになった方だけが解るのでございます」
しかし、と彼女は続けた。
「本当は祖母からは、指定された言葉以外は言ってはいけないってことになってるんですけどね」
「前にも似たようなことを言ってましたよね」
「ええ。あなたは例の紙を使ったのでしょう?」
「はい、使いましたよ」
「でも、まだイマイチ効果を実感されていない?」
「そうです」
「安心してください、すぐにわかりますよ」
それっきり彼女は口を開かなくなった。
僕が一応お礼を言って帰ろうとした際に、『見える眼鏡』というものを勧められたが、五千円だったしコワかったので遠慮しておいた。
雨にけぶった遊歩道に、街灯が頼りなく揺れていた。
あれから僕はすぐに帰途についた。
「明日も雨は降るのかな……」
イヤホンをさして帰宅するというのも、最近ではずっとしてなかったのでなんだか新鮮だった。
謎の女性が言うには、すぐに『カえる紙』の効果を認識するとのことだった。
しかし、いまのところわかる気配はない。
まもなく家が見えてくる。
実はあの世界のことは、例の紙と関係がないのだろうか。
てっきり僕はあの紙は自分の理想の世界に連れていってくれるとな、そんな感じのものだと思っていたが。
「なんかコワイなあ」
もしこれからあれよりとんでもないことが起きたら、と想像して僕は身震いした。
しかし、いつまでもコワがっているわけにはいかない。
家についたので、鍵をあけようとバッグを探っているとあの曲が流れた。
『お出かけしましょ』
「言われなくても出かけたよ……あっ」
唐突に僕は『カえる紙』の意味を理解した。
僕は自分でも驚くほどこみ上げてくる笑いに、思わず扉にもたれてしゃがみこんでしまった。
笑いながら、くだらないと思いつつ僕は謎の女性に感謝した。
お わ り
むぅこれにて終わりです
レスで気づいていた方もいましたが、これは週間ストーリーランドの謎の老婆の話をもとにしたものです
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました
http://bzyugeeeei.blog.fc2.com/blog-category-4.html
自分の過去作のあるブログです
よかったらみてください
それではまたどっかのssで
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