【魔法少女まどか☆マギカ】 神の子の物語 (712)






  He was wounded for our transgressions,
 
  crushed for our iniquities;by his wounds

  we are healed.




  Isaiah 53                  700 B.C.






SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1385559040






  ”1人の少女が私たちの因果を受け止めます”


    ”1人の少女が私たちの払うべき奇跡の代償を背負います”


       ”だから、私たちは呪いを生み出す前に消え去ります”




       

    ”それが、私たちのさだめでした”





        ”私たちはそれを呼びます”




                           ”円環の理と”








鹿目まどかは、3年ぶりにアメリカから日本に帰国した。

生まれの地に戻ってきて、初めて中学校に通う。


そこは、見滝原中学校。


さて、緊張したけれども、転校そのものは二度目である鹿目まどかは、自己紹介をすませた。


「鹿目まどかです。親の出張で、三年間、アメリカに滞在していましたが、やっと、日本に戻れました。
これから、よろしくお願いします。」


もちろん、一度目の転校は、アメリカの学校への転校だ。

カトリックの学校だった。


当たり前だけれども、日本とアメリカでは、学校の雰囲気が随分と違った。


カトリックの学校には、シスターがいらっしゃって、優しく指導してくれた。

しかし、不出来な生徒にはとても厳しかった。体罰があった。


見滝原中学は、おおらかで、学校を包む雰囲気はやわらかい。

これから始まる、新しい学校生活を明るく予感させる。


自己紹介も、まあまあなんとか、こなせたかな?と、鹿目まどかは思った。

この学校では、転校生がとても珍しいみたいだ。

ホームルームが終わって、休み時間になると、たくさんの、これからお友達になれるクラスメートたちが、
集まってきた。

「黄色のリボン、かわいいね。」

「英語ぺらぺらなの?すごい!」

「アメリカの学校では、どんな部活をしていたの?」


「ええっと…」

まどかは困った。

たくさんの質問を一度にされて、どれから答えたらいいのか分からない。

それに、緊張だってまだ残っている。



すると、まどかの回りに集まってきたクラスメートたちを掻き分けるように、黒髪の女子生徒が現れた。


あっ。

まどかはちょっと驚いた。


その子は、自己紹介したときに、目が合ってしまった子だった。


目があってしまった、というよりは、その女子生徒は、ずっとこちらを見ていたのだった。


自己紹介しているとき、ずっとだ。



そんな転校生が珍しかったのだろうか。


「ちょっと、みんな。一度に質問されて、その子が困っているでしょう。」


黒髪の子は、そういって、質問攻めに取り囲むまどかを助け出した。


「鹿目まどかさん。」

その人は、手を差し伸べて、まどかに言った。「学校、案内してあげるわ。」


優しい人なのかな?とまどかは思った。

その人は、髪に赤色のリボンを結んでいた。


どうしてだか、わからないけれども、頭に黄色いリボンを結んできたまどかにとって、赤いリボンを髪に
結びつけているこの子が、どこか親近感を感じた。

クラスで、髪にリボンを結んでいるのは、2人だけだったから。


この子と最初の友達になれるかもしれない、と期待感に心が膨らんだのだった。




そして、学校案内を黒髪の子に頼むことにした。

鹿目まどかはさっそく、親切にも、まだ登校初日の学校を案内してくれるこの人の名前を、たずねた。


「あの…お名前……きいても?」


日本語を話すのは、久々だった。三年ぶりだ。

けれども、口はちゃんとこの国の言葉を覚えてくれていた。

もちろん、この登校初日に備えて、家族とリハビリしたのだけれども。


「ほむらでいいわ」


黒髪の子は答えてくれた。

ほむら……ちゃん。


それが、この学校にきて初めてできた友達の名前。



そして……。


最高の友達。



「ほむら…ちゃん」

鹿目まどかは、名乗った女子生徒の名前を呼んだ。



それに、どうしてだか、この名前をきいたのが、初めてでない気がする。


ほむらという名前を、かわった名前だよねと言うのも、初めてでない気がする。

なんだか不思議な、あたたかな予感がする。

「鹿目まどか」

すると、冷たい声がした。


「…えっ?」


さっきまでの、優しげな、あたたかな声は打って変わってしまう。

学校案内をしてくれる、と親切にいってくれた女子生徒は、突然、渡り廊下でふり返って、鹿目まどかを
正面からみた。

そして、予想もしなかった質問が飛んできたのだった。

「この世界が尊いと思う?欲望よりも秩序を大切にしている?」

真正面から、思いつめた黒髪の子が、問いかけてくる。


どこか脅迫にも近い迫力さえ、まどかは感じた。



この問いかけに対して、まどかが思い起こしたのは、アメリカに滞在した三年間通ったカトリック学校の、
厳しい教育だった。

教師のいうことをきかず、規則を乱す生徒は、鞭打たれた。



規律に厳しい先生たち……。いつもは優しいが、怒ると怖いシスター…。

怒らせてはいけない…。


「尊い、と思う…」

そこで鹿目まどかは答えたのだった。

小さい頃から教えられた通りに。


「ルールを破るのは、ダメな事じゃないかな…」


しかし、自分でそう答えておきながら、口にだしたとき、鹿目まどかにある記憶が蘇りかけた。


さあ、世界の魔法少女たちを泣かせたくない、最後まで笑顔でいてほしい、それを邪魔するルールなんて
壊してみせる。変えてみせる!

そして、宇宙のルールを書き換えたのは、誰だったか!


────魔法少女?


変なの、何を考えているのだろう。

そんなの、いるはずもないのに。

なのに、記憶がある。



忘れてはいけないような何かの記憶がある。


「なんだろう、私、ここに戻ってきて……忘れていることがある気がする…」

心に思ったことを、ぽつりと呟いたとき、ほむらの顔が変わった。

怖い顔だった。


はっと恐怖を目の当たりにしたような顔……まるで自分の罪に直面したような顔。

そして、次の瞬間には、鹿目まどかは、抱きしめられていた。

強く、とても強く。


その身に走る衝撃と、感触に、はっと意識が現実に戻る。


ついさっきまで、何か宇宙のような光景が広がっていた。


どうしてだか分からない。


その宇宙の先に、自分の使命を見た気がした。


けれども、その意識は現実にもどる。

ほむらと名乗った女の子が、まどかを抱きとめていた。



「え…?」

女の子に抱きしめられてる?

「なに……ちょっと…?」

困惑が沸き起こってくる。

目の前にほむらがいて、まどかを強く抱いていた。


鹿目まどかは、ほむらから、少し離れた。離れようとした。

足が数歩退く。


けれど、まだ抱きしめられているままだった。


転校初日、学校案内をしてあげる、と言ってくれた女の子に、いきなり抱かれる。



変だ。

怖いとか、気持ち悪いとかじゃなくて、変だ、と思った。

「そう…あなたはルールが尊いと思うのね」

まどかの両肩を強く握りながら、震える顔をして、ほむらが、呟くように言った。

まるで、悲しみに落ち込んだ声だった。

自分の罪悪に打ちひしがれているような。

ルールを破ったらダメ、と答えた自分の答えが、そんなにいけないことだったのだろうか。

そんなに、この女の子を悲しませる答えだったのだろうか。


秩序が尊くないとでも、いうのだろうか。


「だとしたら……あなたはいつか、私の敵になるかもね」


しまいには、そんなことまでいわれた。


敵?

転校初日に、学校案内してくれた子が、敵に?


分からない。

鹿目まどかには分からない。


しかし、分からなくて当たり前。

自分の正体に気づかず、その記憶を、暁美ほむらに、────悪魔に、奪われているうちは、分かるはずもない。



しかし、分かるまでは、時間の問題だ。


世界のルールを書き換え、宇宙に”理”を創造し、概念になっておきながら、現世に戻ってきた鹿目まどかに
訪れる新しい運命は。



希望と絶望の残酷なサイクルから、概念体になることによって脱出したはずなのに、また戻ってきた神の子の
運命とは、まだ支払いの済んでいない、宇宙を変えた奇跡の対価を、要求されるもの。




ルールを変えなんかしちゃダメだ、という自分の言葉が、そっくりそのまま自分に返ってくることになる。








             The PASSION of Madoka

 
              written by : raze lettering




  *注意書き*

・『叛逆の物語』の続きとして書きました。
・残酷な表現が入ります。
・後半、モブ魔法少女がでてきます。



今日はここまで。
明日あたりに、また投下します。

33

この深夜、自宅のパソコンの前で、見滝原中学の二年担当教師・早乙女和子は、独り言をぶつぶつ、呟いていた。

部屋はまっくら。
電気もつけないで、青っぽいパソコンの画面だけ、メガネ越しに映している。

なんて健康に悪い環境だろうか。

そして、早乙女和子がつぶやいている独り言とは、こんなつぶやきだった。

「1910年……ハレー彗星が地球に接近……地上から空気がなくなって世界は滅びる」

パソコンの画面には、宇宙を飛ぶハレー彗星の画像検索結果が出ている。星が軌跡を描いて光っている画像だ。

その画像が和子のメガネにも青く映る。


「1938年10月30日……アメリカのCBSラジオは火星人の襲来を発表。人類は滅亡してしまう」

カチカチ。

クリックの音がなり、パソコンの別の画面が表示された。


「1944年……彗星が地球にいよいよ激突、人類は滅びる…ムニョス・フェラーダス」

インターネットのサイトの記述を、熱心に目を通す先生。

「1999年、7の月……恐怖の大王が空から降りてくる……人類は滅亡する」

ぶつぶつ…。ぶつぶつ…。
カタカタというクリック音がなり、ノストラダムスの大予言の中身が表示される。

「2012年、12月23日。マヤ文明が地球滅亡を予言した月、大災害が起こる…。
人類は滅亡する」

カチカチ。

無言。

ついに和子は、あーっと叫んで頭を抱え、過去に予見された人類滅亡がことごとく外れて、
人類は今だって地球でぴんぴんしている現実を思い知った。

「いったいいつになったら人類滅亡の予見は当たるのようー!」

あと40年もしないで、神の子が再臨する?

おそすぎる!

いつ本当の人類滅亡がくるのか。

いつ本当の終末がくるのか。

もっとも現実的な可能性は、大きな隕石が地球に落下すること。これは、地球に何度もおこっている。

恐竜は滅亡したし、なにより、月があること自体が、地球に隕石が激突した証拠だという。

月とはそもそも、地球の一部が剥ぎ取られたものという説があるからだ。
隕石がぶつかったとき、地球の地表がえぐりとられて、月になった。

それから、巨大な天体が、太陽系を通りかかる可能性。

遠心力と太陽の重力でかろうじで保たれている地球の公転は、巨大な天体にちょっとひっぱられた瞬間、
公転の軸を外れて、太陽系の外のどっかにすっとんでしまう。


太陽と地球はおさらばする。

すると、人類の生きる地球の環境に、どんな変化が起こるかなど、日をみるより明らかだ。

人類など、あっさり滅亡する。

とっとと、火星でも木星の衛星エウロパでも、移り住める惑星をさがさないと、油断してたら、あっさり滅亡する。

だというのに、アメリカでは、NASAに予算案が決議されていないそうだ。
NASAは閉鎖した。

人類が未来、宇宙人の仲間入りを果たすなら、NASAこそ、その役割を担っているかもしれないのに。

ロケットでもなんでも飛ばして、人類の未来を拓くべきだ。

しかし、思えばロケットは、人類を滅亡させることもできる。

核弾頭は、いま世界に、一万7千発あるらしい。
スペースシャトルを宇宙空間に飛ばす技術は、人を数十万人殺す技術だ。

戦争は万物の父。

よくいったものだ。

何も、人類滅亡の予言なんて待たなくっても、今日だって、明日だって、人類は滅亡する崖にいつも立っているのが、
今の世界ではないか。

中世の騎士たちが他国を荒らしまわっていた時代とも、戦国武将たちが天下をとろうと下克上を繰り返していた時代ともちがう。

そんな時代よりも遥かに壮大な死と隣り合わせだ。

世界は滅亡への準備が整っている!
中世よりも、戦国時代よりも、今が、もっとも危険だ。


「ああ、今こそ世界など、滅びてしまえば、いいのにっ!!明日など、いらないわあ──っ!!」


なんて叫んだ早乙女和子の様子に、変化が訪れた。

金色に光る大きなお星さまの粒がきらきらと、暗くしたPCデスクの部屋に舞い始める。

星の粒は、天井から、床や壁、あらゆるところに降ってきて、部屋を星で埋め始める。

ずぶずぶと。
いまや雪のように降り注ぐ星は、和子の部屋を満たし、和子は腰のあたりにまで黄色い星の海に浸かっていた。


すると、星のつぶつぶは、和子の部屋を満杯に埋めて、やがて窓から屋外に飛び出しはじめた。

きらきらとした星のつぶつぶが、夜間の街路や歩道、電灯の立ち並ぶ公園の道などに蔓延りはじめて、
見滝原のあらゆる場所を星粒で埋め始めた。

空に浮かんでいた本物の星は、すべて偽物の星にかわっていた。絵本の中の夜空となり、月は絵となる。
星は黄色のクレヨンで描かれた絵の星となる。

絵とかわった夜空は、布のツギハギが覆い、パッチワークのように変化した。

その、町を覆う空が布片のツギハギとなった世界には、木星や土星や、冥王星や海王星が、
びっくりするほど大きく空に描かれて、絵となって浮いた。


一体、何事だろうか。

そして、和子の自宅の上空に、そとつの大きな頭でっかちの人形が浮き、月の下に舞った。
キャンディーをなめるように舌をぺろっとだして、ツギハギに変わってしまった見滝原の夜空を、自由に舞う。

これは、暁美ほむらの望んだ世界だ。

見滝原の夜は、ときに悪夢に変わる。

しかしここは魔女の結界ではない。

ここは、暁美ほむらの創造した世界。
ほむらの望む世界。

暁美ほむらの望みの世界とは、悪夢を打ち倒すために、魔法少女たちが団結して、夜に戦いを繰り広げる
世界だ。

34

それは、鹿目まどかが帰国子女として転校してきてから4日目の夜のことであった。

美樹さやかと佐倉杏子の2人は、見滝原のはずれにある野原で、夜景を眺めていた。
が、とつぜん、夜景は絵本の世界に変わってしまった天体の空を見上げて、はっと瞠った。

「なっ、なんだよこれっ、どうなってんだよ?」

狼狽する杏子の隣で、ぐっと歯を噛み締める美樹さやか。


そう、さやかには、何が起こったのか、すぐに分かった。
この夜の景色が悪夢と化した世界を、だれが創造したのかを、知っていたからだ。

「あたしはこの敵を知っている」

ぐっと拳を握り締める。

「ほむらの遊びごっこに付き合わされるのは、あれでおしまいだと思ってた。魔女を倒したあの時点で…。
でも、これからも続くんだ。一体ほむらは、どんな世界を創造するつもりなんだ。世界創造の完成に、
何の理想を見るつもりなんだ?」

「さやか、アンタ、何をいって…」

杏子の唖然とした目がさやかを見る。

だがさやかの決意は早かった。ほむらの遊びごっこに付き合ってやる、という決意ではない。

あいつに、世界を好き勝手にさせないという決意だ。

「杏子、魔法少女に変身して」

夜空が悪夢と化した、パッチワーク手芸をしたツギハギの絵本の宙に、頭でっかちで舌をぺろっとだした人形がいる。

ナイトメアのぬいぐるみだ。

「さやか、何が起こってるんだ!こいつは魔獣の結界か?それにしてはでかすぎる!グリーフシードの
気配さえないのに!」

杏子には、この敵がわかっていない。

それもそうだ。佐倉杏子は、この世界が、暁美ほむらって悪魔の、創造の庭だと気づいていない。

ナイトメアなんて、ほむらの妄想の産物が具現化した敵を、しるはずがない。

美樹さやかたちは、またしても、ほむらの妄想の敵のイタズラに付き合わなければならない。


「杏子、あたしがあの敵の倒し方を教える。だから、あたしから離れないでついてきて」

35

その頃、鹿目まどかは自宅に戻っていた。

部屋のベッドに腰掛け、電気の明かりもつけないで、茫然と首をかしげていた。

「卒業アルバムにも誰の記憶にも、私の存在がない……」

鹿目まどかの部屋は暗い。夜に消灯していた。寝ているわけでもないのに。

ベッド棚のぬいぐるみたちが、目を光らせているだけだ。
目覚まし時計の、タッタッタという秒刻みの音が、聞こえる。


まどか。ごめん。

パパ、家じゅう探してみたけど、小学校の卒業アルバムはどこにも見つからないんだ。
どうにも、アメリカから戻って、どこにしまったか忘れてしまったみたいで……。

父の言葉が、脳裏に蘇る。

それに、さっきの美樹さやかとの通話。

「さやかちゃんの、うそつき……」

鹿目まどかは、すでに不信に心が侵されはじめていて、さやかに、わざとひっかけの電話をしてしまった。

つまり、私がアメリカから戻るのは三年間だよ、といったことを覚えている?という問い。
本当は、そんなこと言わなかった。

いつ日本に戻れるかわからないけれど、私のこと忘れないでね、これが本当の鹿目まどかの台詞だった。
小学五年生の頃の、まどかの言葉。

それに対して、さやかは、忘れるわけないじゃん、親友でしょ、あたしたちと答えてくれた。

「さやかちゃん…ひどいよ…」

たったの三年間で忘れられてしまった。


それも、小学校の頃の約束だけじゃなくて、自分の存在そのものが。

やっとの気持ちで日本に帰ってきたら、ただの帰国子女だと思われていた。
初めてお会いしましたね、みたいな顔だった。


しかも、そうでありながら、うそもつかれた。

三年間、アメリカにいってくるけれど、また一緒のクラスになれたらいいねという、口にもしなかったことを、
さやかは覚えてると答えた。

うそ。

うそ、うそ、うそ。

私は、さやかちゃんのことを本当に親友だと思ってたのに。

三年間で一度も忘れたことはなかったし、アメリカでできたたくさんの新しい友達のなかでも、
さやかちゃんだけが特別だったのに。

それとも、ひょっとしたら、私なんて鈍くさい子は、友達以下だったのかな。
一緒にいても楽しくないだろうし、価値も大してない。足を引っ張るだけ。

さやかちゃんが私に伝えたいことは、たぶん…。

中学校では、私たち友達同士はやめよう、ということなのかも。

どうして?
私が帰国子女だから?


アメリカの暮らしがあまりにもつらくて、日本に帰りたいと思う毎日だった。

学校のクラスメートたちと言葉も通じなくて、ときには差別すらされて。

毎晩毎晩のように、家に帰ったらまどかは泣いて日本を想った。

さやかを想った。仁美を想った。

あの暖かい日々がまたほしい……。


しかしとはいえ、アメリカでのつらい日々は、さやかと、仁美に再会できる日を楽しみにしていたから、
心を保てた。

日本に戻ってきたら、忘れられていた。

それが、鹿目まどかを今いちばん、苦しめていた。

36

百江なぎさは巴マミに居候生活を送らせてもらっていた。

マミは、なぎさのことを心配したけれど、許してくれた。

「ご両親は?お家は?」

マミがきくと、なぎさは答えた。

「なぎさの家は病室です。あんな退屈なところは、戻りたくないです」

どうやら学校にも通ってないらしいが、両親の家にも戻らないらしい。


巴マミは、じゃあ家に戻る決心がつくまで、と条件つけて、なぎさの居候を許した。


さてなぎさは、気づいたらベッドで暖かく布団に包まれていて、しかも隣には、胸の大きな巴マミが、
パジャマ姿になってブラジャーもなしに眠っていた。

すーすー寝息たてると、胸がベッド上で浮き沈みした。

暖かい日々だなあ…。

看護婦が絵本を読み上げてくれるしか愉しみのなかった病院生活よりよっぽど楽しい。
友達がいて、仲間がいて、魔法少女だけど、正体を隠さず語れる。

魔獣退治は、怖いけど、マミたちと一緒に戦える。

なんて、美しい日々だろう。

これが、暁美ほむらという悪魔が創ってくれた日々。

円環の理という神だけが存在した世界は、なぎさは、魔法少女になって病院を抜け出すことはできても、
同じ魔法少女の友達がいなくて、1人で魔獣と戦わないといけなかった。

戦い方もわからず、グリーフシードを得ることはできない。
あっという間に円環の理に導かれた。

魔法少女の命の灯は、とても短命だった。

今は、マミという仲間がいて、さやかという仲間がいる。できたら、杏子とも友達になりたい。
ケーキを食べて、夜にマミと2人で紅茶をのんで、たまに絵本も読んでくれる。

ああっ、なんて暖かな毎日だろう。

病室の冷たさがうそのようだ。病気にさえならなければ、こんなに楽しい日々があったのに。

生まれつきの病気は、それらを奪っていたのだ。

マミの部屋には、もはや夜に子守唄がわりによみきかせてくれる絵本が棚に山積みになっている。

正直な木こりの話、赤ずきんちゃん、ヘンゼルとグレーデルが迷い込んだお菓子の家の話、白雪姫。
カエルとお姫さま、ブレーメンの音楽団。

お菓子でできたお家?

なんて素敵なんだろう!


けれど、今は、巴マミの家こそ、お菓子の家だ。

毎日、ケーキがでてきて、紅茶が出てくる。
食べつくそう!毎日、でてくるケーキは。お菓子の家は。

寝息をたてる巴マミは、べべという、不思議なあだ名でなぎさを呼んで、ベットのなかで、
なぎさの白い髪を撫でてくれる。

もっとも、そういうあだ名で呼んでほしい、といったのは、なぎさのほうだったけれど。
マミに甘えたかった。人形のようになって。


恥ずかしいけれども、こうしてマミに髪を撫でられていると、とても幸せな気分になる。
いつまでもこうしてほしいって思う。

なぎさちゃんの髪はきれいなのね、これからも、大切にケアしましょう。

そんなことをいってくれた。

この世界には、悪魔がいる。女神もいる。そして、神の子は、そのあいだにいる。

さやかは、神の子が、悪魔の側に落ちる前に、私たちの側につけるべきだ、取り戻すべきだみたいなことをいっていた。

でも、なぎさは思う。神の子は、神の子の意志に任せればいい。私たちが、どうこういったって、仕方ない。


だって、神の子を創ったのは、悪魔なんだから。
創造主が、子に対して何をするのも自由ではないか。

暁美ほむらは、悪魔と呼ぶわりには、あまりに私たちに、割のいい世界を与えてくれている。

さやかは、プライドが高いだけだ。今の鹿目まどかを、神の子ということも無視して、かつての幼馴染の鹿目まどかに、
むりやり当てはめようとしている。

でももう、その鹿目まどかはいない。世界のどこにも。円環の理の一部が、人格化された神の子がいるだけだ。
ひょっとしたら、鹿目まどか自身が、そのことに気づきはじめているかもしれない。


だとしたら、なおさら、神の子の意志に任せればいい。

円環の理に戻ることを決めたなら、神と悪魔の戦いが始まるだろうし、人間として生きていくことを決めたなら、
いまの世界がつづく。

それだけだ。私たちから何をしろというのか。
なぎさは、とても楽観していて、未来をそんなふうに考えていた。

しかし、10歳の子供には、今の生活が楽しくて仕方なくて、これを壊す可能性のあるどんなこともしたく
なかった。

親の愛情が欲しい年代だった。その愛情は、いま、マミが注いでくれる。

そして、愉快そうにも、歌を口ずさみはじめたのだった。マミと一緒の布団の中で。

「さあめしあがれ、生きた鳥いりのパイ」

「パイを切ったら、黒つぐみが歌いだす」

「王様の大好物のパイ」

こうして、1人でずっと歌をはじめて、ロンドン橋おちた、とか、あの子が山にやってくる、とか、いろんな歌を
歌った。

「ピンクのパジャマを着て……あの子が山にやってきた……チョコレートクリームを口につけて…」

だんだん目がとろんとして、眠たくなってきた。


歌い終えたとき、空が変化をはじめた。空に浮かぶ天体が、絵のように変化して、クレヨンの黄色になった。

月にはなんと吊り糸がぶらさがって、空中ブランコを魔女が乗った。


夜が変わる。

なぎさ目が覚めた。

この敵を、なぎさは知っていた。

37

美樹さやかと佐倉杏子の2人は、空がツギハギになった見滝原の街を飛びまわり、宙をぷかぷか浮いている人形を追っていた。

ナイトメアの人形は、ふわふわ浮いているけれど、魔法少女たちが近づくと、その気配にきづいて、
さーっと逃げ差ってしまう。そのちょこまかした素早さときたら、強風にふかれた風船のようだ。

「おい!この結果って、魔獣じゃないんだよな?」

杏子は、見滝原の街で、ビル群の建物から建物へ飛び移りながら、さやかを追って叫ぶ。

「杏子は勘が鋭いね。そのとおり」

さやかは答え、魔法少女姿になって、サーベルを手に、ナイトメア人形をおって飛ぶ。


すぐ人形は逃げ去り始める。

その合間、人形からおもちゃのロケットがとんできた。


ひゅごーっと火をつけて飛んできたロケットは、おもちゃの核弾頭だった。
煙の軌跡あげながら、魔法少女たちに飛んできた。

美樹さやかは、空中で音符の結界をつくって、踏み台にして別方向にとび、核弾頭をよけた。
直後、おもちゃのミサイルが、ぼぉん、と爆発して、煙の中から出てきたリボンがあちこちに飛んだ。星粒と共に。

「いったいなんなんだこいつは!」

杏子は、人形が腕から飛ばしてくるおもちゃミサイルを、槍でバギっと叩いてわる。
また爆発と共に、くす玉が割れて、垂れ幕が垂れた。

「説明はあと!あの人形を捕まえて!」

さやかは、どっかの建物の屋上に着地すると、思い切り足に力をこめ、ツギハギが覆った空に飛び上がる。


飛翔したさやかは、人形を追う。

すると、人形は反撃に、核ミサイルを放ってきた。

「とりゃ!」

さやかはおもちゃの核弾頭を叩き割る。核弾頭は左右にゆれて、バチバチと火花たてつつ煙をあげ、
ついにくす玉になる。

「くらえーっ!」

ミサイル攻撃をおっぱらったあとは、一挙にナイトメアに距離をつめ、サーベルで斬りかかった。

「妄想ごっこはもうおしまいだっての!」

ひゅっ。

ナイトメア人形はすばしっこく、さやかのサーベルの軌跡をわずかにそれてよけた。

「くっ…!杏子!」

さやかは杏子を呼んだ。宙を飛んだ体は、落ち始めた。「あだだっ、あー!」


魔法少女が自由に空を飛べるわけでもないことを忘れていた。

魔力維持が、ふとしたとき途切れる。

むなしく体が落ち始める。


「わかったよ。そら!」

杏子は、どっかの建物のガラス張りの壁に足をつけて、蹴って、宙へとぶ。
そしてナイトメア人形の背後をとり、槍で切り裂きにかかった。

槍の一撃がふりおちる。

これまた、ひゅっとすばしっこくよけたナイトメア人形にかわされた。まるで蝶を手で捕まえようとする
みたいに、攻撃をすると自然とナイトメアが槍先から逃げてしまう。槍の矛先は、ぬいぐるみを捉え損ねる。

「魔獣はこんなすばしっこくないぞ!」

杏子は顔をしかめた。こんな敵ははじめてだった。


しかも、ナイトメアは、攻撃がすかって勢いを失った杏子むけて、おもちゃのスペースシャトルを飛ばしてきた。
アポロ11号の模型をしたおもちゃのスペースシャトルが火をつけて飛び、杏子の腹につっこんだ。

「うおおお!」

杏子の腹につっこんだアポロ11号の模型は、そのまま杏子を吹っ飛ばしてゆき、杏子は見滝原のどっかのガラス張りのビルにつっこみ、
ガラスを木っ端微塵にわって、たたきつけられた。

ガラスのビルが蜘蛛の巣みたいなヒビを波紋状につくり、杏子はその中心にいた。

「いただ…やってくれるじゃねぇか」

杏子は、胸にささった小さなスペースシャトルを引き抜いた。

さやかは地面の道路にスタっと一度おりたった。

再び、足で強く地面を蹴りだして、ツギハギだらけな夜空に、もういちど飛び立った。

音符のついた魔法陣の踏み台をいくつも宙につくってゆき、ぴょんぴょんと、アメンボのように飛び跳ねてゆき、
ナイトメアが月の下を舞う同じ高さのビルに降り立つ。

マントを一度、体に包み、覆い隠す。そのあと、ばさっと白いマントをひろげた。

すると、さやかの足元に、これでもかという数くらいのサーベルが置かれていた。


「数うちゃあたる!そりがあたし戦法だ!」

ずばずばっ。

足元に並べた20本くらいのサーベルを、ナイトメア人形むけて、ばしばしと飛ばしはじめた。
まったくあたらない。サーベルとサーベルの隙をぬって飛びまわるだけだ。

そうこうしているうちに、ナイトメア人形の腕のような部分から、おもちゃのスペースシャトルがとんできた。

アポロ12号の模型おもちゃであった。


「うっ、うわあ!」

慌ててビルを飛び立つ。さやかは空に飛び上がる。


まっすぐ飛んできたアポロ12号は、さやかの立っていたビルを破壊した。
爆破し、火に包まれた。


「うわ!よけてなかったら、アタシ死んでた!」

シャトルの追突事故現場を見届けるさやかが叫ぶ。「早乙女先生ったら、一体なんの夢みてるの!?」

「美樹さん!佐倉さん!」

巴マミの声がした。

「マミさん!」

ツギハギの空をひゅーっと飛びながら、増援にきた頼もしい先輩魔法少女の名をよんで、さやかは見滝原のビル屋上に降りた。

スタッ。着地すると、マントがはためいて、浮き上がる。着地が済むと、またさやかの白いマントは背中に垂れ落ちた。

マミは、さやかとは別のビルの屋上にたっていた。
なぎさも一緒だ。

「あっ…そうか、なぎさならこの敵の倒し方しってる…」

さやかは、ビルからビルへ飛びうつって、マミたちの来たビル屋上に降り立ち、合流した。

杏子も、おくれてこのビルに降り立ってきた。柵の内側の屋上に、降り立つ。


こうして、4人の魔法少女が集結。

佐倉杏子、美樹さやか、百江なぎさ、巴マミ。

いつかのナイトメア退治のときの五人の集合のようだ。
だが、メンバーも中身もちがう。

前回の集合は、魔法少女五人の集結、にみせてかけて、そのうち1人は、円環の理の使者だったが、今回は、
正真正銘、全員が魔法少女。

いないのは、悪魔になった暁美ほむらと、神の子となった鹿目まどか。

「美樹さん、あの敵は一体?」

変身した先輩魔法少女は、柄にもなく、動揺した様子で、ナイトメアをみあげている。
たぶん、ほむらの魔女の結界の中で戦ったナイトメアの記憶がないのだろう。

「あれは魔獣とは別の、私たち魔法少女にとっての新しい敵です、マミさん」

さやかは言った。

「詳しい説明はあとにしたほうがいいと思います。あの敵の動きを封じる方法はありませんか?」

ツギハギの夜に舞うナイトメア人形を、さやかは白い手袋をはめた手で指差す。
ぬいぐるみは楽しそうにちょかまかと踊っている。空中で。あの頭でっかちな人形が。

「一応…拘束魔法があるけど…」

マミは動揺を隠せないでいる。想像しえなかった未知の事態に、弱気になっている。


ほむらめ。マミさんたちからナイトメアの倒し方の記憶を消し去ったな。
いやちがう、この世界は、元々は魔獣の世界だから、マミさんがナイトメアをしるはずないんだ。

「隙をついて、あの人形を拘束してください。私と杏子で、その隙をつくります」

さやかは言って、杏子を呼び、また空へ舞った。

ぴゅーん、とさやかの体が見滝原を飛ぶ。

「さやか!なんでお前だけあの敵を知ってるんだ。アタシは、きいたことないぞ、こんな敵!」

さやかのあとを追うように飛ぶ杏子が、叫ぶ。杏子も、さやかも、風に髪をふかれて烈しく靡いている。

「だーかーらー、詳しい説明はあとっていったでしょうがー!」

ビルに着地する。

また、ぽーんと飛んで、ナイトメアに切りかかる。

「あたしが斬って、あいつが逃げたら、杏子が仕留めて!」


サーベルをもったさやかがナイトメアに迫る。

魔法少女と人形の距離が縮まる。月にむかう馬車のように。


「てりゃーあっ!」

サーベルをふりおろす。斬撃が夜に走った。ナイトメアはかわした。

そして、さやかが攻撃を終えて隙になったところに、ロケットが放たれた。


ロケットは途中で爆発、墜落した。ぼぉん、と大きな音たてて、煙からリボンが飛び散る。


「うわ!」

この爆発にさやかは巻き込まれる。宙で魔法少女になった体が吹っ飛ぶ。

そして、どっかのビルに激突した。がしゃーん、とビルはガラスを散らかした。さやかはビル内部まで入った。


杏子は、ナイトメア人形がさやかのサーベルをよけた拍子のところを、背後から狙う。

ひゅっ!

槍が一突き。

が、ナイトメアには、まるで後ろにも目があるみたいに、杏子の攻撃すら感づいて、はらりはらりとよけてしまう。



この人形を斬ることは、薄い紙を手刀で切るように難しい。
まったく攻撃があたらない。


そこで、巴マミの拘束魔法が登場。

黄金色のリボンが見滝原の空を覆い、ナイトメアをおいかける。

これまた、見事にナイトメアは突破口をみつめて、マミの拘束魔法から逃げる。

逃げるし、捕まりそうになれば、おもちゃロケットを放って、リボンを破壊してしまう。

「うっ…」

マミは、十八番の拘束魔法があっさり崩されて、自信喪失した表情をする。

さやかは、どっかの破壊されたビルの内部フロアにいた。

鉄筋鉄骨コンクリート構造をしたビルの、赤い骨組みの鋼材が剥き出しになったフロアで、よろよろと起き上がる。

サーベルを杖代わりにして立ち上がる。

壁にも天井にも大穴があいていて、パラパラとコンクリートの破片と砂塵が落ちてきた。

「あいったた…もう」

ソウルジェムが肉体の本体じゃなかったら、骨折してただろうなあ…。
と思いながら、また、ビル外部に飛び立った。

ひゅーんと、さやかの体が、ビルの30階から道路まで降り立つ、その途中で、音符つき魔方陣をだし、
踏み出しにして、バネのように空へ飛び立つ。


ナイトメアのぬいぐるみが、けたけた笑って、ロケットを発射してきた。

「そう何度もくらうかっ!」

さやかは、飛びながら、サーベルでロケットをどんどん弾いた。

ロケットはあちこちの方向に軌道をずらしてとんでゆき、あらゆるビルにぶつかって爆発する。

ビルはどんどん倒壊していく。

おもちゃの弾頭は使い果たされた。

「なぎさっ!あたしらの攻撃じゃ範囲が狭くて、当たらない。あんたが一番、有効範囲の大きな魔法をつくりだせる。
ナイトメアを閉じ込めて!」

「はい、なのです」

どっかのビルに巴マミと一緒に立っていた百江なぎさは、魔法少女姿に変身していた。
手にストローを取り出し、ふーっと息をめいっぱい、ふきかける。

すると、透明なシャボン玉が出現した。

しかもそれは、ただのシャボン玉でなくて、みるみるうちになぎさ本人よりも大きくなって、それでも膨張をやめない
とてつもない巨大なシャボン玉だった。

虹色の色がのる透明な泡が、なぎさのふきかける息にしたがって、何十倍にも大きくなってゆく。

もう、ビルを丸ごと包み込むようにでかい。

「杏子、なぎさの結界の中に、あいつを閉じ込めて!」

さやかが呼びかけた。


「あたしの指示だしなんか、はえーぞ、さやか!」

なんて文句はいいながらも、さやかの作戦どおりに動き出す杏子だった。

ビルから飛び立ち、ふわふわと浮くナイトメアのぬいぐるみの、一方向から徹底的に切りかかって攻め込み、
ある方角へぬいぐるみを追い込んだ。

「そりゃ!」

杏子の槍攻撃が、目にも留まらぬ速さで、斬撃が何十回も繰り返される。槍の軌跡が無数に空気中に走る。

ナイトメア人形は、すばしっこく、ひょこひょこと、杏子の槍の全てをかわし、ツギハギの腕から、小惑星を発射してきた。

「うお!」

隕石をかろうじで杏子はかわした。空中で身をよじって、腹のすれすれを小隕石が通り過ぎる。

小惑星はビルに当たって、ビルを爆破した。ビルは倒壊した。悪夢でも見ているような光景だ。

「マミ!今だぞ!」

杏子はマミに呼びかけた。チャンスだ。

「えっ、…ええ!」

いきなり呼ばれて、少し驚いた様子をみせたマミが、本調子を取り戻す。

手にマスケット銃が召喚される。


このマスケット銃を、ビル屋上から構え、狙いを定めて、片目をつぶる。

その狙いの先には……シャボン玉に背中を追われつつある、舌をぺろっと出したぬいぐるみ。


マスケット銃の叉銃環にかけた指が引き金をひく……銃身をきちんと持って支えて…
発射装置に括りつけられた火縄が、銃の火皿に接触する…

というマスケット銃の、魔法銃バージョン。それは、マミの魔法オリジナルの銃。

いつもの、乱射のために使う銃でなく、一撃必殺のオリジナル銃。ティロ・フィナーレほどの破壊力はないが、
狙撃(エイミング)を重視したタイプの銃。


「私の弾をかわせる?」


マスケット銃の照星を睨んで狙いを定めたマミが、ついに魔弾を発射した。

バシュ!!

火縄の赤々とした先端が火薬に接触、発砲の途端、火皿から赤々とした火花が吹き出し、噴煙が吹き出た。
と同時に、魔弾が飛ぶ。轟音!

まさに大砲だ。ガス圧によって飛ばされた魔弾は、空を裂きながら飛んでゆき、ナイトメアのぬいぐるみに直撃だ。

命中だ。

「いいぞ!」

杏子が喜びの声をあげた。

魔弾を受けて、吹っ飛ばされたナイトメアのぬいぐるみが、なぎさのつくったシャボン玉に接触、またたくまに中に取り込まれた。
こうなっては逃げ場がない。

「やーりー!」

さやかも成功の喜びで、指を握り締めた。

さて、なぎさのつくったシャボン玉の中に閉じ込められたナイトメアの処理だが…。

まさか、またちまちまと、この夢を食い物にするバクの口に、いちいち妄想の食べ物を食べさせて満腹にしてやる必要もない。

シャボン玉に捕われたナイトメア人形は、なぎさの結界の中で暴れるが、自力ではどうがんばっても脱出ができない。

美樹さやか、巴マミ、佐倉杏子の三人が、封じ込めたぬいぐるみのまわりに集結した。
なぎさは、ストローほまだ口に咥えている。

「いったいこいつは……」

杏子が、怪訝な顔で、意志もって動く人形の挙動を眺めている。


やっとの想いで、ナイトメアを捕まえた4人の魔法少女たちのソウルジェムは、どれも、半分くらいまで黒く濁った。


「こいつは悪魔の産物なんだ」

さやかが、思いつめた顔して呟くと、魔法少女たち4人の頭上に、何か落ちてきた。4人の頭に影ができる。

ナイトメアが、結界の中で、腕をふるったのである。


「あっ!あぶない!」

さやかが最初に気づいたが、遅かった。


「あいた!」さやかの声。

「うっ!」杏子の呻き。

「いたい!」マミの悲鳴。

「あっ!?」なぎさの金切り声。


魔法少女たち4人の頭に、それぞれ天体が落っこちた。ごつん、と脳天を直撃する。タライのように。

マミには金星の模型が、杏子には火星の模型が、さやかには海王星の模型が、なぎさには木星の模型が。


全員が同時に頭を抱えて、あいたた…とたんこぶのできそうな頭を撫でる。

「これどういう意味?」

マミが、頭上に落っこちてきた天体をみて、呟いた。

「たぶん……色、だと思います」

さやかは自分の予想を言った。「みんなの色です」

そうなのか?

さやか以外のみんなが疑問符を浮かべた。

さて、こいつをどう満腹にさせようか。

天体にはさまざまな栄養価が満点だ。

火星には鉄分がふんだんにあるし、木星にはメタンガスがいっぱい、海王星は水素だらけ、金星にはいやというほど濃い二酸化炭素がある。

みんなくらってしまえ。

ナイトメアの口に天体が放り込まれる。腹がふくれてぬいぐるみは弾け飛んだ。


早乙女和子は元の姿を取り戻した。

しかし、しばらくのあいだ、見滝原中学の担当を休職した。

38


4人の魔法少女たちは、巴マミ宅に集った。

セイロンティーの紅茶が4人分、だされて、会議をひらく。

「今日、あたしたちが戦った敵の名前は、ナイトメア」

あとでくわしく説明する、とさっき言っていたさやかは、約束どおり、杏子とマミに、今日戦った新たな敵のことを話していた。


「ナイトメア?」

マミの顔が曇る。「悪夢…?」

杏子の顔つきも深刻そうだ。あぐらかいて座り、指先で膝を叩いている。

「そうです。マミさん、杏子、これでわかったでしょ?この世界が、もう普通の世界じゃない……何かが起こり始めている世界だってこと」


「でも…どうして美樹さんがそんなことを?」

巴マミは、湧き出てきた疑問を口にする。

「私たちは、まったく気づかなかったのに…」


「それは…」

少しどもるさやか。「あの敵は、ほむら、暁美ほむらが創った敵なんです。アタシらは、その遊びごっこにつき合わされてる……
それが真実なんです」

「私には気づけなくて、美樹さんにはそう思える、ワケが知りたいわね」

マミはこういうとき、鋭い。

自分は円環の理の一部だった。円環の理の使いだった。いうなら天使。
そんな話、信じてくれるだろうか?

「マミさん。円環の理は、マミさんなら知っていると思います」

マミはもちろん、全世界の魔法少女が知っている話だ。

「ええ。もちろん。私たちをいつか導く円環の理………希望を求めた因果は、この世に呪いをもたらす前に、
消え去るしかない。私たち魔法少女の運命…」


「そうです。そうでした」

さやかは、自分が記憶している、悪魔と化したほむらがしでかしたことを語った。


それは、ある1人の少女の犠牲によって創られた”理”だった。


私たちがシステムのように考えていた円環の理とは、1人の少女の願いであり、実は、私たちと同じ、
1人の魔法少女の奇跡がつくった世界のルールだった。

世界で、たった一人だけ、それを知っていた魔法少女がいた。


暁美ほむらだ。

ほむらは、さやかには分からないけれども、円環の理となった少女に、とても強い執着心があった。
それを、愛だといった。

神に叛逆する者、悪魔となり、神としてルールとして、ほむらを導きにきた円環の理を、一部はぎとり、
人格化してこの世に強引に閉じ込めた。

いうならその人格化された少女は、神の子とでもいおうか。

世界は、悪魔と化したほむらに、すべて都合のよいように作り変えられている。


だから、ナイトメアなんていう、わけのわからぬ敵が発生するし、たぶん、これからもっと不吉なことがたくさん起こり得る。


「そんな……じゃあ…」

巴マミは、ショックを受けた顔をしていて、今話されたことが、まだ心から信じられない様子だった。

「私たちを導く円環の理……その少女が、いまこの見滝原にいるというの?」


神様が、私たちと同じ街にいま、暮らしている。

そんなこと語られたら、驚かないわけない。


だが美樹さやかは、はっきり伝える。

「そうです。私たちを導く神様が、この街にいるんです。つい四日前、見滝原中学に転校してきた……」


「えっ!?ちょっとまって!」

マミの思考がショートしそうだ。慌てて、さやかの言葉を切った。

「見滝原中学ですって!?私たちと同じ学校なの?」


神様が、私たちと同じ中学校に転校してきた。つい、四日前。

そんなこと話されて、混乱しない人間はいない。魔法少女は人間じゃないけれども。

「そうなんです、マミさん。だって悪魔だって私たちと同じ見滝原中学にいるじゃないですか!」

なぎさと杏子は、2人のやり取りを、あっけにとられて見守っている。

「そんな、話がとびすぎだわ!」

巴マミはまだ信じようとしない。

「円環の理は、固体を持たない、概念のようなものよ。宇宙に固定された概念としてのルール……それが、私たちと同じ中学に
転校してくるですって?からかっているの!?」

「それが、ほむらのしでかしたことなんです!マミさん、あたしは一昨日も、同じことを相談しました。
覚えてますか?」

「ええ……覚えているわ…」

マミは胸を撫で下ろす。興奮してきた胸を手で押さえて、自分を落ち着かせる。深呼吸をとる。

「暁美ほむらが悪魔とか……転校生とか……。美樹さんったら、てっきり私をからかうことを覚えたんだと…」

えっ、なにその印象?

「信じられない気持ちは分かります。でも、今なら真実だって、わかってくれると思います。
ナイトメアが発生したんですし…」


「そんな……」

マミは、突きつけられた真実に愕然としている。

今までずっと知らないで魔法少女生活をしていたなんて。偽りの世界だったなんて。

「世界の他の魔法少女のみんなは気づいているの?」


「それは……分かりません」

見滝原には、悪魔も神もいるが、たとえば日本列島のどこか、それから中国、東南アジア、アフガニスタン、
ヨヘーロッパと地中海、アフリカ大陸にカナダにアメリカ合衆国にブラジルにオセアニア。

世界の魔法少女たちはどれくらいこの真実に感づいているのか。

すでにナイトメアという理解不能な敵に遭遇して、おかしいと勘ぐっているのか。

「でも、あまりうかうかはしていられません。世界はもっとこれから、おかしなことがたくさん起こると思います。
この世界は不安定です。すべてはあの悪魔と、神の子にかかっています」

「へえー。なんだかね…」

杏子は、セイロンティーを飲み干した。


セイロンティーは、純粋に茶葉の味を楽しめるから、巴マミのお気にいりだった。
柑橘系とか、ローズとか、その手の香りがブレンドされたティーよりも、リーフの味と香りを楽しめるティーが好きだった。

「悪魔とか神の子とか、世界がおかしくなるとか、小さい頃、親父によくきかされたけど、さやかの口から聞くことになるとは、
思わなかったねえ。んで、」

杏子はティーカップを皿にカツン、と置いた。

「その神の子ってだれさ?」


核心部分をつく杏子の問いかけ。

マミのリビングが静まり返った。


さやかは心臓がばくばくした。

神の子の名前を口にだすことが、恐ろしいことだと思った。

何でかは分からない。あの少女の名前を、神の名として口に出すことが、ひどく残酷なことに思えた。
禁忌を犯すような気さえした。神の名をみだりに仲間たちに伝えていいのか。

けど、悪魔を倒すなら、神の子の力を借りなければならない。

神の子を悪魔に渡していいものか。

さやかは腹を決めて、その名を魔法少女たちに告げた。
つまり、円環の理が、誰なのかを。

「その子の名前は、見滝原中学に四日前、中途入学した転校生───」

魔法少女たちの集中が高まる。

自分たちをいつか導く神の名を知る瞬間に、マミと杏子、なぎさの瞳孔が大きくなる。

「鹿目まどか。円環の理が人格になった、わたしたちと同じ見滝原中学の二年生。鹿目まどかという女の子です」


「かなめ……」

杏子たちが、神の名を口に唱える。

「まどか…」


その名がついに明るみに出た。

「へーえ。明日、マミの通う学校にいけば、その鹿目まどかってやつに会いにいけるのか」

杏子が最初に、喋りはじめた。陽気な声がマミのリビングに響いた。

「あたしらをいつか導く円環の理が、どんなやつなのか、拝みにいけるってことだな。面白いじゃん」


「そんなこと、いってる場合じゃない…」

さやかの胸を、よくわからない罪悪感が打っている。

「まどかを、鹿目まどかを、悪魔の手から取り返すんだ。これ以上、世界をほむらの好き勝手にさせないように」


「なんだかどでかい話で、どうにもさあ」

杏子はあまり乗り気でない。「でも、まあ、鹿目まどかってのがほんとに神様なのかどうかくらい、興味あるかな。
よし、明日見滝原中学に乗り込もうじゃん?さやか、制服かしてよ」

「あんたに貸したらあたしの着る分ないでしょーが!っ…てか、制服きたって、あんた名簿にのってないし」

「しけたこというなよー、幻覚魔法でなんとかしてやるさ」

「幻覚魔法でなんとかなるなら、最初っからあたしの制服いらないじゃん!」

なんて言い合いが続いたが、とにかく明日は、魔法少女のみんなで、鹿目まどかという子を確かめよう
という話の流れで落ち着いた。


これで……よかった、んだよね?

さやかの胸中に胸騒ぎがする。


夜明けを迎えた見滝原の道路を歩き、自宅のマンションにむかいながら、さやかは自問した。

39


まどかは転校してから五日目の登校日、中学校に通う。

この日も1人だ。


川辺のほとりの、いつもの木漏れ日の照らす通学路を歩き、かばんを両手で前に持ちながら、登校する。
やがて、見滝原中学の校門をくぐる。

校庭へ来て、朝練に励む部活動の生徒たちを横目にしながら、昇降口を通り、校内へ。

三階まで階段をのぼったら、ガラス張りの廊下を通り、教室に入る。

壁一面がガラスの教室は、ドアすらガラスであった。

「おはよう」

まどかが教室に入るなり、挨拶すると、すでに集っていた女子生徒たちが、挨拶を返した。

「おはよう、鹿目さん」

「おはよう」

いつもと変わらない、朝。

朝の登校。


鹿目まどかは席につく。

一限目の授業のノートを取り出す。


「授業中さ、空気よめてないよねえ…」

声が聞こえはじめる。

「先生が説明中なのに、質問ばっかして。鹿目のせいで授業すすまないじゃん」

「帰国子女だからねえ」


「…」


鹿目まどかは、教室の自分の席でだんまりしていると、いきなり教室の空気が変わった。

「暁美さんだわ!」


女子生徒のどよめき。

暁美ほむらは、ロングの黒髪を香り放ちながらなびかせ、席について、かばんを机のフックにかけた。

「ねえ暁美さん、今日放課後カフェいかない?」

「またコスメのこと、教えてよー」

なんて会話から始まり、だんだんと、女子生徒同士の会話は、変わってきた。

「暁美さんは……鹿目さんの敵?味方?」

まどかがわずかに席で反応する。

「一緒に無視しない?」

女子生徒は、まどかを無視しよう、という一派に、暁美ほむらを加えようとしていた。
何せ、クラスで最もリーダー格な女子なのである。

もちろん、まどかを無視する一派もあれば、帰国子女のまどかと仲良くする一派も、クラスにある。
志筑仁美とその一派だ。

こうしてクラスの女子グループは、派閥と亀裂の空気を生む。


暁美ほむらは、非常に微妙な答えを出した。

「私は鹿目さんの味方かもしれないし、敵になるかもしれない」

えーっ。

どういう意味?


まどか無視一派の不満げな声が教室で騒がれる。

そのとき、新たな生徒が1人、現れた。

「いやーっ、実に3日ぶりの登校ですなー。おっはよー!みんなは元気してる?」

「美樹さん…」

志筑仁美が、教室で目を潤わせた。

まどかと仲良くしよう一派の、心強い味方の登場だ。

ところで、一方の、まどかを無視しよう一派は、暁美ほむらが悪魔でなくて、魔法少女として見滝原中学に
いたときは、シャンプーなにつかってるの、とか、どんな部活してたの、とか質問攻めしていた生徒たちだった。

鹿目まどかの転校初日、英語ぺらぺらなの、と質問攻めした生徒でもある。


「さやかちゃん…」

まどかが、僅かに目に涙の粒を滲ませた。


「まーどか、久しぶり。ごめんっ、昨日はちょっと、隣町のほう、いっててさ……」

さやかは、謝りながら、まどかの席の後ろに座る。「とにかく、今日はよろしく…」


けど、まどかはさやかの着席を無視して、ホワイトボードのある教室の前を向いた。

「ん?」

さやかは違和感というか、教室の空気に気づく。

何が起こってるんだ?この教室で?


ほむら一派の女子生徒たちが、険しい目でさやかを睨んでいる。

「はっはー。なるほどね…」

さやかは、早くも事態を理解する。

「心狭いクラスメートさんがいらっしゃるようでー」


「さやかさん。この三日で、何がありましたの?」

志筑仁美が、心配そうに尋ねてくれる。

「あー。ちょっと調子悪くてね…3日間だけ……」

頭痛のしたフリをする。「ま、これでアタシがバカじゃないことが証明されたつーか……いや、風邪ってわけじゃないんだけどね……
仁美、3日分のノート、たのむわ」


仁美は微笑んだ。

「なら、また私の放課後に付き合いくださいね」


「うん、わかってるって。…えっ、付き合い?恭介は?」

きょとんとなるさやか。顔の動きが止まる。

あんたら放課後にデートしないのか、という意味だった。


仁美が、ちょっとだけ暗い顔をした。

「今日は、さやかさんに相談事ですわ」


「え…うんまあ、いいけど…」

一限目がもうすぐ始まる。

英語の時間だ。

さやかが席について、英語の教科書とノートを広げたとき、脳裏にマミの声がテレパシーで伝わってきた。

”どう?美樹さん?その、鹿目まどかって子はいるの?”

そう。

今日さやかが登校してきた理由。

それは、魔法少女たちと共同で、鹿目まどかという生徒が、実は円環の理の一部が剥ぎ取られて、
人格化した少女であることをみんなと確かめる目的があったから。

巴マミは、一限目の始まる時刻になるや、さっそくテレパシーしてきた。

さやかはテレパシーで答える。


”はい。マミさん。います。あたしのまん前の席です”


鹿目まどかは、寂しげな背中をして、席についている。


どうして寂しげなんだろう…?

さやかは、ふと考えた。学校で、何かあったのだろうか。


”おい。さやか。おしえてくれ。あたしたちを導く円環の理さまは、どんなやつなんだ?あたしにも見せてよ”

”あんたは学校に来るなっ!”

”元気なのか?”

”ええと…なんかちょっと寂しげ…”

”美樹さん。お昼休みになったら、屋上で一緒にお弁当食べましょうって誘ってくれる?私も、その子とお話してみたいの”

”ええ…分かりました。マミさん”

”なぎさちゃんも一緒よ”

”えっ…なぎさもって…”


さやかが、教室の席でぎょっとなる。目を大きくさせる。


”学校に?”

”今は人形の姿をしているわ”

”ああっ、そんな魔法使えましたね、なぎさのやつ……”

”その子は、自分が円環の理の一部だって自覚があるの?”

”たぶん…ないと思います。ほむらに妨害されてるから……本当の自分を思い出すのを…”


さやかは、まどかの背中を見ながら、マミとテレパシーを交わす。

口では、何も喋ってないのに、テレパシーの会話にあわせて、表情がころころかわる。


隣の志筑仁美は、首を傾げてさやかを不思議そうに見つめていた。


”もしそんなことできるとしたら……たしかに、悪魔だな。魔法少女にできることじゃない”

杏子の声。

”うん…そうだよ”

さやかが答えたとき、ふと視線を感じて、ふりかえった。

後ろのほうの席につく暁美ほむらが、さやかむけて、うっすら目を細めて視線を送っていた。

”やばっ…そろそろこの会話、ばれます”

といって、さやかは慌ててテレパシーを打ち切った。


チャイムが鳴る。


先生が教室に入ってくる。ガラス張りの教室に。

ホワイトボードに、昨日の復習、と先生が言って、英文を書き始める。


oh , I don't have time do the hand work any more.

But it's hard work , and sometimes I get too wrapped in it.


鹿目まどかがすぐに手をあげて翻訳を読み上げた。

「はい、先生。”えっとね、わたしには、もう手仕事する余裕がなくて。でも、大変な仕事で、たまに没頭しすぎてしまう”という意味です」

40


お昼の休み時間になると、生徒たちがわーっと騒ぎ出す。

途端に、教室を飛び出して、校庭にむかう男子生徒たち。


それから、お弁当を持って、一緒にどこかへ食べにいく女子生徒たち。


鹿目まどかは、教室に残って、1人で席でお弁当の包みをひろげていた。

すると、さやかに声をかけられた。


「まーどか、屋上で一緒に食べない?」

まどかは暗い顔をした。

ピンク色の瞳に、一瞬だけ生気がなくなった。死んだような目になった。目が怖い。

けれど、それは気のせいだったらしい。

「うん。一緒にたべよ」

えへっ、と笑って、にっこりした顔で、まどかはさやかの誘いに応えてくれた。

嬉しそうに。


すると、見計らったかのように、ほむらがやってきて、まどかとさやかの中に割って入る。

「鹿目さん、私と食べましょ?」


「あっ、暁美さん!」

まどか無視一派の女子生徒たちがたじろく。

「ちょっとほむら、あたしが先にまどかを誘ったんだ!」

さやかがきいーっと歯を噛み締めて、金切り声をだす。「まどかは渡さない!」


「なんですって?」

悪魔の目が鋭くなる。「それはこっちの台詞よ。美樹さやか」


「そのフルネームで冷たく呼ぶのやめろーっ!」

さやか、きいーっと歯をかんだ、怒った顔になる。

「なんか、アンタにフルネーム呼ばれるとすっごいむかつく!」


「ええと…」

困ったように苦笑いするまどか。お弁当の包みを結ぶ。

「あの…美樹さん…暁美さん…それから、鹿目さん…」


「え?」

「えっ?」

「?」

三人が同時に、声のしたほうを向いた。


遠慮がちに、志筑仁美が、首を傾げて笑い、そして三人に言った。

「わたしもご一緒させていただけません?」

さやかとほむらの、まどかの取り合いだと思っていたら、仁美が参戦してきた。


さやかとほむらが目を互いに交し合う。無言の会話。言葉なきやり取り。

その2人を、上目でそーっと見上げる神の子・鹿目まどか。


「えーっとじゃあ…」

まどかが、指をたてて、困った顔で苦笑いしつつ提案した。「み…みんなで食べる?」


まどかがいったのだから仕方ない。

さやかもほむらも同意して、2人とも頷き、停戦は結ばれた。

「ええ」

「うん」

一時休戦だ。

41

あたかもミラノ大聖堂と見間違えるような壮麗な屋上のベンチに、まどかが腰掛け、膝元にお弁当ばこを広げて、箸を握る。

その右隣に、美樹さやか。左隣に、暁美ほむら。

まどかはちょうど2人に挟まれていた。


さて、円環の理と直接会って話する手筈の巴マミは、屋上へ出る校舎の出口前で、胸を押さえ、とても緊張していた。

さやかがテレパシーを送りつける。


”マミさん、どうしたんですか?今、まどかと一緒にご飯たべてます。マミさんも来ないんですか?”

”ええ、ええ、行きたいところは山々なんだけど…”


マミは、不安な顔を浮かべ、臆病になっている。なかなか、屋上に出る一歩が踏み出せない。

屋上階段の出口一歩手前で、おどおど、行ったり来たりを繰り返している。何往復も。


”私たちを導く神様に会うと思うと、緊張しちやって……私、神様と何を話したらいいのかしら……”


たしかに、神と会話するとなって緊張しない人はいないかもしれない。

特に巴マミは、円環の理の実在を疑問視する魔法少女も世にいるなか、きっとその実在があると信じて疑わない魔法少女だった。


その神様とお弁当を食べるなんて、急すぎる。

私たちの呪いを受け止めて、天国へ導く人。どんな人なのだろうか?


”ふつうでいいですよ。今は、ただの女の子です。むしろ、ちょっと気弱なところがあるくらいです”


杏子との仲が長いせいか、すっかり租野が身についたさやかは、こんな繊細な女の子と親友でいた自分が想像できないくらいだ、
と思っていた。

いったい、まどかとは、本来はどんな関係だったのだろう?思い出せない。


”そ、そう…じゃあ…”


マミは、一息、深呼吸いれて、屋上にでた。

ベンチに腰掛ける4人の姿が目に映る。狭いベンチにひしめきあっている。

その内、2人は分かる。黒い髪の人は、暁美ほむら。正体は悪魔だと噂がある人。

奥の人は、美樹さやか。後輩の魔法少女。隣にいるのは緑色の髪したお嬢様風情な人。


そして、その真ん中に座っている、見知らぬ少女……はじめて目にする女の子。


赤いリボンをむすんだツインテールの髪型。

お弁当の包みを膝元にひろげて、箸でミートボールを食べている。


”この子が……。”


巴マミの脈が速まった。


”初めまして、円環の理。初めてお目にかかります”


心の中で挨拶を告げたマミは、鹿目まどかたち三人の前に現れた。


「あっ、マミさん、どうもです!」

美樹さやかが、打ち合わせどおりな台詞を吐く。「今日も屋上ですか?よかったらご一緒しません?」


「えっ、あ、でも、そのお友達と食べているのでしょう?」

マミの視線は、だんだんと、さやかとほむらの間に挟まれてる子。


鹿目まどかへと、移る。

すると、ピンク髪の少女が、そっと顔をあげて、マミを見上げた。


鹿目まどかのピンク色の目と、マミの瞳の、目が合った。
眼差しを交し合う2人。


”この子が円環の理……今まで、何千年も、世界の全ての魔法少女を導き出した人……なんて、可憐そうな子なの?”


マミは、円環の理が人格化した少女の印象を心で呟いた。


なぜなら、鹿目まどかは、マミと目が合うと、ちょっと怯えたように、身構えているからだった。

「まどか、この人はね、あたしの先輩なの」

さやかはマミを紹介した。まどかの警戒心が解けるように。

「先輩?」

とてもか弱そうな女の子の声が口からこぼれた。

ああっ、まるで小鳥の囀るような華奢な声!


”おい!あいつが円環の理なのか?あたしでも勝てそうな魔法少女だぞ!”


どうやら、見滝原の時計塔から、この屋上を見張っている佐倉杏子も、同じ印象を持ったらしく、テレパシーで語りかけてきた。


”てゆーかさ、さやか、その状況は一体なにさ!神様と悪魔が、隣同士で飯くってるじゃん!”


それも、仲よさそうに。

暁美ほむらは、ピンク色をした髪に赤いリボンを結んだ女子生徒に、自分の弁当の食べ物の一つを、箸で分け与えている。

鹿目まどかは、照れた顔して、やがて小さくあーんと口をあけると、その口にほむらの食べ物を受け入れる。



”おい!”


杏子のテレパシーが、頭にがんがん響く。

うるさいなあ…もう。と、心で毒づいたのは、美樹さやか。


”なんだよあのおままごとは。ほんとに暁美ほむらは悪魔なのか?あいつは神様なのか?”

疑問を浮かべる杏子の声のテレパシー。


暁美ほむらは、隣に座る小さな少女を、とても懐かしむように、愛しそうに、じっと眺めている。

優しい、母親が子を見守るような視線。


鹿目まどかがやがて、その視線に気づいて、戸惑いはじめる。

「ほむらちゃん……どうしてずっと私のこと見て……あの、お弁当、食べづらい……んだけど…」

視線をおろおろさせる。ちょっと怖がっている。


ほむらは、はっとなって、顔を背け、言う。

「別になんでも……」

なんていいながら、幸せそうに、ゆるやかな笑顔になるほむら。まどかの隣にいるなら幸せだ、とでも
いいたげな顔だ。


「…」

”しらけた。こりゃあ、神様と悪魔なんて壮大なモンじゃあないね。ただのお弁当ごっこだ”

”あっ。いうの忘れてた……。この悪魔は、まどかのことが好きなんだ。それも、愛の意味で”

”ええっ!?”

マミ、箸から卵焼きが落ちる。

”はあっ!?”

目を丸めた杏子の隣で、シャボン玉を吹くなぎさの瞳が空をみあげた。

”それってどういうこと?だって円環の理は、見る限り女の子でしょう?”

”そうなんだけど……んー、まあ愛の形っていうのかなあ…”

”それでこのべたべただってゆーのか!つーか、サフィズムか?”

”女の子が、女の子を好きになるの?”

マミが狼狽している。


「どうしましたの?おふた方……お話を交わすこともなく目と目で語り合って…」

仁美がついにしびれを切らして、時折みせる妄想モードに入ってしまった。

「もしかしてっ!?目と目だけで通じ合う仲ですの?」

きらきら目が光り始める。


「はっ、!いけない、仁美のいつもの妄想癖が…!昔っからそうなんだから…!」

さやかが気づいた頃には、手遅れだった。


そのとき、まどかが、えっ?という顔をして、悲しげにさやかを見上げた。


「でもいけませんわ、おふた方、女の子同士で、それは禁断のっ、恋のっ、形ですのよーー!」

仁美の、頬を両手に包んだ、赤面した顔が、そんな言葉を紡ぐ。

きゃあああっ。くねくねと腰をまげて喘ぐ。


すると、暁美ほむらが立ち上がり、たん、と仁美の両手を包み込んで、そして優しく、語りはじめた。

「志筑さん。」


「はっ、はい?」

おい、悪魔、仁美になにする気だ!

さやかが唖然となる。

ほむらは、仁美の両手を、すっぽり手で包んで握り、話した。

「禁断の恋なんて、ないと思うわ。」


何をいいだすんだっ、こいつ!

さやかの内心で悲鳴があがる。


「女の子同士の恋がいけないこと?愛という感情は、どんな壁だって越える力を持っていると思うわ。
どんな奇跡も呼び起こせる、すばらしい感情なのよ。」

うっ、うわあー。

ほむらがいうとすごい説得力…。引くわ…。


「あっ…暁美さん…!」

感動したように、目をきらきら、うるうると潤わせる仁美。

「愛さえあれば、どんな奇跡も実りますか?乗り越えられますか?壁を?」


「ええ。どんな障壁にだって、愛が打ち勝つ。それが、この世界のルールなのよ。」


くあーっ!!

ほむらが言うと、めっちゃむかつく!

実際にそうなんだから、言い返せない!


くそう、茶々いれてやる。

「は、はん。何が愛は素晴らしい、だ。欲望と履き違えてほしくないもんだね?」

さやかが、反撃にベンチで、喋り始めた。両手を肩の位置で広げて、呆れた仕草をだす。


きっ、と悪魔が物凄い形相でこっち見た。

おっっと。悪魔が怒ってるぞ?

心当たりがあるんだな。


「愛ってのはさ、相手が応えてくれてこそ愛だよね。そうでないのに、本人だけ愛って思ってるのは、
ストーカー?妄想?妄想で世界を創っちゃう人っているらしいね。あたしはそこまでなれないけど…」


「相手が応えてくれてこそ愛ですって?あなたは何もわかっていないわ」

悪魔が反論してきた。

「愛の本質とは、相手を好きだという気持ち。それがすべて。その気持ちさえあれば、世界を変えることだってできるのよ。ちがう?」

くっー!!

ちがうぞ、と言い返せたら、どんなに気持ちいいか!

悪魔め!

鹿目まどかは、あんたに、渡さない。

今にみてろ。


とりあえず、ここでの口論は悪魔が勝利したところで、昼休み終了のチャイムが鳴った。

「ほむら!放課後、アンタに話がある。逃げるんじゃないわよ!」

びしっと指さして、さやかは釘さして、教室にもどった。

42


鹿目まどかは転校して五日目の登校を終えて、帰宅の道についていた。

この日も1人だった。

学生かばんをもって制服姿で帰路につき、夕日の光を浴びながら、歩く。


赤い空。
きれいな空。町の夕空。

また電灯はつかない暮れの時間帯。

鹿目まどかは橋を渡る。橋には格子状の手すりがあり、歩道もある。


自動車が通る橋の傍らの歩道を、手すり沿いに歩いていたら、まどかの目の前に、小さな女の子が現れた。


髪は白かった。

まだ小学生くらいの、本当にちっちゃな女の子が、物珍しそうな渦巻いた瞳でまどかを見上げていた。

「鹿目まどか、なのです?」


「えっ?」

自分の名前を、見知らぬ幼い子に呼ばれる。

驚いたまどかは、目前に立った小さなせけたの女の子を、見つめた。

すると、幼い子もまじまじ、まどかを見上げた。

興味津々な目。

「どうして私の名前を?」


「なぎさ、百江なぎさです」

女の子は名乗った。

「マミと暮らしているです」


「マミさん…?ああっ、今日、屋上で…」

屋上で初めて知り合った人。

けど、何の会話したかよく覚えてない人。むしろ、無言でずっと突っ立っていただけな記憶も…。


さやかちゃんの先輩。
でも、何の先輩なんだろう?部活かな?あれっ、さやかちゃんは、何の部活動してるんだろう。

巴マミさん。三年生の先輩。
なんだか、私に、畏敬でも込めたような視線を注いでいた気がする。


どうして、だろう?
初めて会う同士のはずなのに。

「なぎさ、まどかと話したいです」

幼い子は言って、まどかの制服の袖を引っ張った。ちっちゃな子供の目がまどかを上目でみあげた。

「一緒にいくです」


「えっ…うん、いいよ」

一体わたしと何を話したいのかなあ…?

見当もつかないまどかは、疑問に思いながら、なぎさ一緒に、見滝原の道を散歩することにした。

今日はここまで。
明日か近日中に、つづきを投下します。

「都合のいいようにした箱庭」ってなんだよ
宇宙そのものを作り変えたんであって、ソウルジェムの中に結界作ったのとはワケが違うんだが

>>294
何が「都合のいい箱庭」かって?
そりゃまどかの意思をガン無視した、ほむらの自己満足の世界になってるだけだからな
世界そのものを自分の都合のいいように弄くり回してるんだから尚更質が悪い
結局は改変前と同じ「自分だけの時間に引きこもってる」のと何が違うの?
結局はまどかがいない現実から目を背けて逃げて墜ちまくってるだけじゃん

誰も困っていないというけど、本来なら向き合うべき現実をなかった事にされるのってどうなんだろう?
どんなに辛くても受け入れなきゃいけない事はあるんじゃない?
マミや杏子も家族を失って、さやかも恭介への想いは実らなかったんだし

それから、これ以上の議論は何度も止められてるから談義スレでやらない?

56

世界は創造されて6日目の朝を迎えた。

赤いあけぼのの朝日が見滝原に昇る。


世間の人々は動き出す。列車にのったり、車が道路を行き来しはじめる。

誰も、同じ毎日の繰り返しに気づいていない。

朝日は鋭い。ビルのガラスに反射し、町を照らし出す。


寒々しい空気がはりつめる朝。


鹿目まどかは、制服姿に着替え、鏡の前でリボンを調整していた。

どちらかの帯が長かったり、短かったりすると、向きがへんになる。

朝の空気は冷たい。床も壁も、冷え込んでいる。


「おはよーママ。ハパ」

「ん。おはよーまどか」

「まどか。おはよう」


リビングでは、母が既に朝食のパンを食べていて、コーヒーを口に含み、新聞に目を通していた。

「行方不明者続出…?」

母は、新聞の記事をみて、怪訝そうに眉を細めた。

「…パパ……」

まどかは昨晩、父の知久と共に、自宅の階段下の倉庫と、屋根裏部屋を一緒に探し回った。

ごっちゃごちゃに過去の遺物、たとえばアメリカ滞在時に使った友人招待用バーベキューセット、
昔つかった絵の具グッズ、昔まどかが描いた絵、書道グッズ、いろいろ出てきたけれども、学校のアルバムだけは、
どうしても見つからなかった。


ところで、懐かしいグッズも出てきた。

それを父と一緒に発掘したとき、父は懐かしいなあ、と笑い、まどかは赤面した。

スイッチを押すときらりーんと効果音をだす、先端がハート型な魔法のステッキのおもちゃとか、
弓の形をしたおもちゃの魔法の武器とか。これまた、スイッチを押すと、きらりーんと光が点滅して音をならす。


ははっ、まどかは、小さいころから魔法を使う女の子が好きだったね。

掘り起こされた思い出と共に父が語り、まどかは、父に、やめてよ!と赤面して叫んだ。


朝食を終えた母の鹿目詢子は、父とほっぺたのキスをかわし───これもアメリカ流夫婦の朝の挨拶だ───娘と、
手のタッチをしようとした。

が、まどかは、母と手をタッチしようとしなかった。


詢子は、娘がいま、何か悩みを抱えていることには気づいていたので、とくに怒ったりもせずに、仕事に出かけた。

「まどか、どうしてママとタッチしないのかい?」

こういうとき、男はたまにデリカシーがない。

「うん……なんとなく今日は……」

まどかは、口を濁すだけ答えるに終わった。

ジュースを飲み干し、グラスを空にして、部屋に戻り、学生かばんを手に持って、駆け足ででかけた。

「いってきまーす!」


「いってらっしゃい。まどか」

父は娘を見送った。


そのあと知久は家事にあたっていた。

食器を片付け、除菌ジョイの洗剤をつけて、まあ、だいたいの洗剤は調合は同じ界面活性剤なのだけど───洗って、
ふきんでふいて、水切りかごに並べた。


掃除機をとり、コンセントに電源をいれて、コードをつなぎ、リビングから掃除をはじめたころ、妻の詢子からメールがあった。

「なにかな」

知久は携帯電話をエプロンのポケットから取り出して、メールを見た。


メールにはこう書かれていた。

”まどかの戸籍情報を役所で確認して”

57

巴マミはその朝、たった一人の朝食をとっていた。

リビングの窓ガラスから差し込んでくる朝日が眩しい。このリビングは、隅っこ一面がガラスになっている箇所があり、
そこから町の外が一望できる。朝はいつも、日の光が差し込む。


昨日の朝には、マミがいま一人でとる朝食のテーブルのむこう側に、なぎさがいた。

なぎさは笑って、マミと会話してくれた。朝食はマミがつくったが、なぎさはいつも嬉しそうに、
マミのつくったものを食べてくれた。


リビンクのテーブルは、ガラス製で低い。三角形の形したリビングテーブルで、下にはカーペットを敷く。

「なぎさ、ちゃん…」

マミは、お菓子の魔女の結界で昨晩、命拾いした末に、自宅に戻った。

そして、制服姿に着替え、朝食をとっている。


いつもはなぎさと2人でとった食事も、今は話相手が誰もいない。リビングにはマミしかいない。

朝はマミ一人の起床にはじまって、目覚まし時計に起されて、スイッチを止め、顔を洗って、
シャワーを浴びたら、髪をドライヤーでかわかして、カールにはしないまま朝食をキッチンでつくる。

すべて、一人だ。いつもなら、なぎさと2人で髪の毛をかわかしたりしていた楽しい朝は、ない。

なぎさはマミ寝室のベッドに寝かされている。

まだ、おきない。

なぎさのソウルジェムは、どこを探しても見当たらない。志筑仁美のナイトメアの結界に落ちてしまったのだろうか。

いや、ちがう。なぎさのソウルジェムは、濁りきってしまった。浄化されなかった。

だから、もう元に戻らない。


死体は持ち帰ったけれど、目を閉じたまま、白髪の少女は眠りをつづける。

王子様のキスを待つように。

眠っているといっても、脈も息もない。瞼をあけたら、瞳孔の開ききった目が、でろんとなってるだけだ。


マミの目に涙が浮かんでくる。

食事が冷たい。味が感じられない。じわり…とした感情が胸にわく。

ソウルジェムが穢れた。


不安はまだある。

近頃、魔法少女の敵が増えつつあること。


今までは魔獣だけだったのに、世界が渾沌としていくように、敵は増える。
ナイトメアと、そして、昨日の化け物。

お菓子の家と化した結界の中。
あの敵は何者なのか。

マミは理解しようとして、心のどこかでそれを拒んでいた。

受け入れてはいけない。その答えを。


だって、私たちを導く神様は、円環の理なのだから。同じ中学生の後輩ではないか。

でも、日に日に魔法少女の重荷が増している気がする。

その原因があるとすれば、暁美ほむら。
あなたたちに不幸をふりまく、と脅迫した悪魔。

いや、あの悪魔は、もう答えをくれている。つい、昨晩に。


”あの正体に、あなたたちはまだ気づけていない……”


「いやだ…。なんだか、いやだわ…」

心が重くて仕方がない。

魔法少女になって、毎日が充実した日々だと思っていたのに、一転して、この先をいきる毎日が、
暗黒の日々のように思えてきた。


しかもその日々は、命ある限り、ずっと続く。今後この先の人生で。

気だるさすらおぼえる体。

朝食のベーコンを食べ終え、キッチンのシンクにて食器をかたづける。


さみしい。

話相手がいない。一緒に食器を洗ったなぎさの姿が横にない。

背が足りないから、踏み台を使って食器洗いを手伝ってくれたなぎさが。


不幸のどん底に落ちた気分にすらなりながら、ヘアアイロンでカールをつくり、ケープでかためると、
学生かばんをもって出かけた。

「いってきます」

それに答える声もなかった。

58

鹿目まどかは教室に着いた。

ガラス製のドアをあけ、教室に入る。

「おはよー…」

元気のなくした声。

「…」

生徒たちは無視した。


どうやら、帰国子女無視一派の勢力が、クラスの中で強まっているらしい。

「…」

まどかは、何もいわず席につく。かばんにノートを取り出す。一限目は、理科。


志筑仁美の席をみたら、空席だった。いつもは、まどかよりも早く教室にいるのに。


「仁美ちゃん…休みなのかな…?」

ぼそっと、まどかが席で呟く。


「戻ってこなければよかったのに」

「ほんと。自分ひとりのためにクラスの授業があると思ってるよね」

まどか無視一派の、女子生徒たちの過酷な野次が聞こえ始める。

まどかは平気だった。

アメリカでも似たような経験をしていたから。


でも、ある言葉だけは、今のまどかの心にの癪に触れた。

「また消えちゃえばいいのに。アメリカでもどこでもいってさ」

「いなくなればいいのにね」


どくっ。

まどかの目の瞳孔が開いた。


「消えてなんていわないで!」

ガタっと席をたち、まどかは後ろふりむいて、なじる女子生徒たちむけて怒鳴った。

声が、本気で怒っていた。


「あっ…」

女子生徒たち、まどかの剣幕におどろき、声を失った。

全員がたじろいている。まさか、まどかのような女子生徒が、こんな急に怒り出すと思わなかった。


教室じゅうが驚き、そして、誰よりもまどか自身が驚いていた。

「あっ……えと…ごめん……え?」

ピンク色の瞳が金色に光っていた。


制服のスカートが光はじめ、変身がはじまって、神秘の力が溢れ出した。

強烈なパワーが教室に吹き荒れ、教室の机という机、ノートというノート、筆記用具という筆記用具が飛びまわり、
混沌となって、突風が室内を飛び交った。


「きゃあああっ」

女子生徒たち、スカートを押さえ込む。


「なんだなんだ!」

中沢ふくむ男子生徒たちが、叫び声をだし、まどかの放ち始めた強風に怯える。


「だれかアイツをとめろ!」

誰かの男子生徒が叫んだ。しかし、風が強すぎて、誰も身動きとれない。地面に蹲ってしまった生徒もいる。


教室が揺れる。上下に揺さぶられている。地鳴りが強くなる。


「なに…なんなの…!?」

まどかが、茫然と、壊れていく教室を眺めていると、誰かに手をそっと握られた。

すると、教室に吹き荒れる強風はやがておさまった。

「ほむら…ちゃん?」

まどかの姿が、純白のドレスから制服に戻った。


髪の毛にはきちんと赤いリボンが結ばれたままだった。

「どうしたの?まどか」

ほむらは優しく微笑み、まどかに顔をちかづける。「怖いことでもあった?」


「…その…わたしは……」

まどかは、ほぼ半壊状態となってしまった教室を見回した。

散乱したノートとかばん。吹き飛んだ生徒たちの教科書と筆記用具。ぜんぶ、すべて、散りばめられて、
ひっちゃかめっちゃかだ。


「なんなんだよおまえ!」

鹿目まどか無視派の女子生徒のリーダー格が、大声を出した。

「あんた怖いよ!教室を元に戻してよ!アタシらに何をしたの?」


他のクラスの生徒たちもぞろぞろ集まってきた。

一瞬にして教室が爆発的に壊されたのだから、注目が集まるのも無理もない。じろじろと、廊下から寄って来て、
ガラス越しに、まどかの教室を野次馬している。


というより、職員室まで報告をした生徒もいて、先生が何事だと叫びながら廊下を走って駆けつけている。


「わたし、は……」

まどかは、教室じゅうの吹き飛ばされた黒板けしや、クリーナー、落っこちた電灯など悲惨な状態の教室を見渡し、
自分の力に恐怖した。


「…いやあっ!」

鹿目まどかは、逃げ出すように、教室を飛び出した。駆け足で。

「逃げた!」

女子生徒が叫んだ。

「先生に報告して!」

そんな声が飛び交う中、まどかは懸命に走って逃げ出し、廊下を走り、校舎と校舎の渡り廊下に進み、
自分の手を見つめて、泣いた。


「わたしは誰なの!」

自分は何者か、と問うまどか。声は、上ずっていて、泣いていた。

「どうしてこんな……!こんな変なことが……私の身に……!」


父の台詞が脳裏に蘇ってくる。

まどかは、小さな頃から、魔法が使える女の子が好きだったね。


まさか。

わたしには、魔法の力が備わったとでもいうの?

そんなの、絶対おかしい。

学校から逃げ出したまどかの背中を、追いかける女子生徒の姿があった。

暁美ほむらだ。


教室ではもう大騒ぎ。鹿目まどかが、魔法のように強風を沸き起して、教室をメチャメチャにした。

ものの10秒で、教室は授業不可能な閉鎖状態になった。

落ちた電灯は、まだバチバチと火花を放っている。


美樹さやかが遅れて教室にきた。

「おっはよー!いやあ…昨晩は夜更かししちゃって……遅刻?間に合ったかなってえ、なんじゃこれ!」

教室の惨状を目の当たりにして愕然とした。顎が落ちた。


「美樹さん!」

女子生徒の裕香が、叫んだ。「あいつよ!帰国子女!鹿目がやったの!」


「ええ?まどかが…?」

あらためて教室をじっくり観察する。

壊れた机。吹っ飛んだ教室じゅうの生徒たちのかばんと、教科書と、ノート。筆記用具の数々。ぜんぶ、散乱。


台風でも通り過ぎたかのような惨状だ。

電灯は落ち、火を放っている。


「いま、暁美さんが追いかけていった!先生たち、警察に連絡するって!」

裕香が現状説明をしてくれる。


「まどかにほむら…かあ…」

うーんと腕を組んで考え込む。

「んまあ……考えてみたら神様と悪魔が一緒になってるクラスだし……いつかこうなる運命にある教室だったのかな…」


しかし、教室のみだけでならまだいい。

これを地球という世界を舞台にしてやられたら、ひとたまりもない。

そう思うさやかだった。

59

鹿目まどかは学校を出て、制服姿で、校庭をはしっていた。

手ぶらで。


一限目のチャイムがなる。

だが、おかまいなしに校門を出て、道路へでる。見滝原の街へ脱出。


「わたしは……変なんだ……!」

まどかは叫ぶ。

自分の奥底に備わった力に、怯える。「みんなに迷惑かけちゃう……!」


もう学校にいけない。

教室をこわしてしまった。そんなつもりもないのに。


「まどか!」

誰かが追いかけてくる。


しかしまどかは逃げた。「こないで!」


涙を零しながら叫ぶ。「私にかまわないで!自分でも分からないの!だから、なにきかれたって、
わからない!この力がどこからくるのか、どうして私だけにこんな力があるかなんて、わからない!」

「まどか!」

しかし、悪魔の足ははやく、まどかの腕をとらえた。

手首をつかみ、そして、引っ張り、無理やりまどかを、ほむらの側にむけさせた。

「いやあっ!」

嫌がって叫ぶまどかの体を。


ほむらは、強引に抱きしめた。

「……っえ?」

ほむらに、ぎゅっと抱きしめられたまどかは、呆然とした。体が硬直する。


「私が守る!あなたを守る!」

気づいたら、悪魔の目にも、涙がこぼれていた。

「ごめんね……あなたを不安定にしてしまって。だけど、わたしが守る。あなたといつか、約束したように……。
何があっても守るから……!」

「約束…?」

まどかにはその記憶が消えていた。というより、その記憶があったら、もうまどかは人間ではなくなる。


「そう、約束よ。あなたと交わした約束…忘れられない約束…」

ほむらの手が、まどかの背中を撫で、大切そうに抱え込む。しっかりと。

「あなたを守るって約束…」

愛する人を胸に抱くほむらの熱い鼻の吐息が、まどかの首筋にかかる。


まどかは、ぞっとなってしまった。何か、怖い悪寒がこみあげてきたのだ。

「さ…さわらないで!」

そして、まどかはほむらを突き放した。


どっと、胸を押される。

突き飛ばされたほむらは、ひどく狼狽したというか、傷心した顔をみせた。


「あっ……ごめん…」

ひどい拒絶に、罪悪感を感じたまどかは、謝った。

「ごめんね……ちょっと…怖かった…から…」


怖かった。

悪魔は、まどかの言葉に、心の傷を深めた。ダークオーブに絶望がみるみる深まっていく感覚がする。

絶望が深くなる。

目の前には、ほむらを拒絶するまどかがいる。


「ほむらちゃん……私ね……もう普通の女の子じゃないの…」

まどかは、悩みを打ち明けはじめた。

校庭で俯いて、そっと語る。

「なんでかな…?きっと魔法か何かで世界に降り立ったかのような、私の存在…。私、学校に通うのやめる…。
みんなに迷惑かけちゃう。つらいだけなの…。学校にいっても。自分が何者か、分かったら、戻ってくるね。
それまでは、さようなら…」

といって、とぼとぼ、ほむらに背をむけて歩き去り始めた。


まどかの、赤いリボンを結んだ後ろ姿が、ほむらから、離れてゆく。

手が届かなくなってゆく。


「まど……か…!」

ほむらは、何がなんでもまどかを追いかけなければならない、と心では理解していた。

けれど、魂がそれを恐れていた。


また追いかけたら、まどかに嫌われる気がする、怖がられる気がする、拒絶される気がしてしまう…。

ちょっとそれを考えただけで、まどかを追いかけることができなくなる。

なんて弱いわたし。



悪魔は泣いた。

地面に膝を崩して、地べたに座り、泣いた。


心の絶望が深まる。


この世界は、悪魔の庭だが、世界は何もかも悪魔の思惑通りに創られたのに、世界で一つだけ、
思い通りにならない存在がある。

それが、鹿目まどかだった。


悪魔の心に絶望が深くなる。

深淵まで堕ち込んだ魔力が、絶望を吸収して、より強くなりはじめる。悪の方向に。

どうしてまどかが思い通りにならないのか。

どうして、私の愛が通じないのか。


まどかが、私を怖がることが、許せない。嫉妬?いや、ちがう。これは、まどかへの憎しみだ。


私を拒むまどかへの怒りだ。


私の思い通りにならないまどかへの恨みだ…!

こんな感情は生まれて初めてだった。悪魔になったから、心にこんな感情が渦巻くのか。


愛憎とはよくいったもので、愛とは憎しみであり、憎しみは愛でもある。

愛すれば愛するほど、まどかが憎い。可愛さあまって憎さ100倍。憎いほど、まどかがさらに愛しくなる。


心は張り裂けそうだ。


「あああ…!」

悪魔は、まどかに拒絶された悲しみを、校庭で叫び、すると校庭の空が変色をはじめた。

悪魔に創造された世界は、悪魔の感情エネルギーにしたがって、様相を変化させる。


空の色は、美しい神の創造である青色から、禍々しい赤紫色にかわった。


両手をふりあげる悪魔。

叫ぶ悪魔。


地面はヒビ割れ、地震が起こり、ギザギサの亀裂が走った。

それは見滝原中学を遅い、学校はバラバラに崩壊をはじめた。

教室の中では、大地震の起こった校内で、生徒たちが机の席で揺さぶられ、驚き慌てる。

「机の下に隠れろ!」

先生が叫ぶ。


ひどい地震だ。

ガラス張りの教室は、砕け、ガラスの破片は廊下と教室に飛び散る。


「きゃああああ」

女子生徒が叫んだ。バリン!さらに教室のガラス壁が崩壊した。


巴マミは、その頃教室にいた。

生徒たちと一緒なって、机の下に避難する。


天井のコンクリートにヒビが入り、断片が落ちてきた。

机にふりかかる断片。


「避難経路を確保しろ!」

先生たちが声をかけあっている。


しかし、あまりの大地震なので、避難経路へ走り始めた先生が体をゆさぶられて、廊下でずっこける。

電灯は教室の床におち、火を放ち、教室内で燃えはじめた。


ギリリリリリリリリ。

激しい、火災報知器の音がなる。

生徒たちは混乱に陥り、もう机の中に隠れなくなって、それぞれの方向に脱出をはじめた。


床はヒビわれ、二階だてと、三階だての生徒たちは皆落ちた。

きゃあああああっ。

悲鳴。

落っこちていく生徒たちは、砂塵と煙の中に消える。


いっぽう、一階の生徒たちは、落ちてきた天上に潰され、みな、下敷きになった。


学校は全体が倒壊をはじめたのだ。


「全員、外に非難しなさい!」

教員が生徒に指示だす。


生徒たちは命からがけら逃げ始めた。


地震のおさまらない廊下を走り、ヒビわれる床の亀裂を飛び越えて、階段をくだる。

まさに、命がけの脱出だった。

昇降口へむかい、誰もが我先にと、校庭へ避難する。

巴マミもそのうちの一人だった。


「はあ……はあ」


大地震のなか、見滝原中学を脱出する。

そして、外の世界にひろがっている光景を目の当たりにして、絶句した。


世界は別次元のような、終末の光景と化していた。

まるで悪魔が暴走をはじめたかのような世界で、街じゅうの建物が倒壊し、廃墟の世界が広がっていた。

校庭も道路もヒビわれていて、破壊されていない地面はどこもなかった。瓦礫の野原だった。


空は紫の色が覆い、血の色のような雲が浮かんでいた。


ヒビだらけとなった校庭に、ぽつんと一人の少女の姿があった。

その少女の服装は黒くて、露出が高くて、カラスのような黒い羽根が生えていた。


「あっ……」

一瞬にして世界を滅ぼした少女の暴走を見た巴マミは、叫んだ。「悪魔……!」


悪魔、と呼ばれた黒い羽根のついた少女が、マミのほうにふりむいた。ゆっくりと。


悪魔は立ち尽くして、悲しさの涙をこぼしていた。涙は血だった。血が涙となって、目から零れて、
頬を伝っていた。


悪魔は悲しんでいた。

愛人に拒絶される悲しみを、世界に訴えていた。

60

学校は閉鎖されたので、生徒たちは皆、校庭で待機、避難という形になった。

倒壊したビルからも、同じように、避難した人々が、校庭に集まってくる。


体育館が公開され、避難所としてブルーシートと、ペットボトルの水と、非常食の物資調達の連絡がはじめられている。


巴マミは、この事態を理解していた。

ここは悪魔の創った架空世界のような宇宙だ。悪魔が傷つけば、世界が傷つく。


いったい、悪魔はいま、何に傷ついているのか。何を悪魔を傷つけているのか。

何に、あの血の涙を流したのか。


巴マミは、空が紫色に染め上げられ、血のように雲が赤い世界を、終末の始まりだと理解した。

大空から血の雨が降り注ぐ。火とともに。


予見されていた世界の終わりの通りではないか。

神と悪魔の戦いが始まる。


円環の理とその叛逆者。


その壮大すぎる戦いを見届けられる人間はいない。誰一人いないだろう。弱い人など、誰も生き残らない。

魔法少女だけが神と悪魔の戦いを見届けることができる。もちろん、悪魔を倒す兵として。


巴マミは、恐ろしい未来をそう予感していた。

だがしかし、あの悪魔さえ倒せれば、なぎさも元通りになる気がしたし、あの日常が戻る気がしていた。



悪魔はいうだろう。

巴マミ、愚かな人、と!


なんにせよ、戦いのときは近い。


マミは、なぎさを助け起すため、というより、ソウルジェムを失った体を守るため、自宅へと急ぐ。

避難命令のうるさいサイレンを無視して。

61

佐倉杏子は隣町の風見野の、父の廃墟だった教会に立っていた。

だが、そのとき猛烈な地震が襲い、大地は揺れ動き、世界は嘆きの声をあげ、
うなりと共に全ての陸の建造物を倒壊させた。


教会の建物も例外でなかった。

地震が起こると、教会の地面は、教壇からヒビが割れ、真っ二つに左右に裂けた。


古びた礼拝席はすべて砕け、ステンドグラスは粉々に砕けた。

父がよく立っていた教壇はヒビわれた裂け目に落ちた。


本部から破門された胡散臭い新興宗教の教会は、果てた。


「悪魔……の顕れ…?」

杏子は、思い出のある教会の倒壊に、嘆く気持ちに襲われながら、そっと呟いた。

あまりにも突発すぎる。


目の色に恐れが湛えられている。こんな力、魔法少女が持てるはずがない。悪魔のパワーは、邪悪で、
しかも、破壊的だ。

「とにかく……見滝原にむかおう!」


杏子は教会から一歩外に出た。

恐るべき光景が目に入った。



世界は廃墟と化しているではないか!

倒壊したのは杏子の教会だけでなかった。住宅地、工業地、ビル街に公共施設、すべてが今や灰だ。

大空襲の跡のように、焼け野原がひらけている。

だが、こんなことはほんの始まりでしかない。

この先もっと、破滅的なことが起こる。神と悪魔の戦いが起こるとき、それが予見されているのだから!

世界の果ての果て、終末の黙示録、神の子が再臨する。


「こいつはとんでもねえぞ……」


悪魔を野放しにしていた杏子は自分を呪った。

仮に、破門されていたとしても、自分は教会の娘だったではないか!


どうして悪魔ときいて、戦おうともしなかったのか?


魔法少女に都合のいい世界だから?

時間のまっている庭が、世捨て人にとって?


バカな!

魔法少女だって、人々の支える社会があって初めて生活ができていたのだ。悪魔はそれを無視した。

それにしても、親父の教会を破壊するとは!


「あたし、決めた。悪魔をぶっ殺す」


さやかの言う通りだ。アタシともあろうものが、呑気になっていた。


杏子は魔法少女に変身し、焼け野原の風見野を飛びまわった。

下では、避難をはじめた住民の人々が、道路に列をつくり、避難所へむかっている。

62

巴マミは自宅に戻った。

世界は廃墟と瓦礫の山と化していたが、耐震マンションは無事であった。


見滝原は、いつしかヴァルプルギスの夜が暴れまわったかのような、文明をひっくり返されたかのような、
灰の世界に変貌していた。


マミは、エレベーターが機能停止して電源が落とされていたので、階段から自宅のルームへ向かう。

鍵を入れ、カチっとドアの施錠を解除し、部屋に入る。


マミの自室は、何もかもが散乱としていた。リビングでは、皿と本棚の本、紅茶セット、花瓶、
鏡台のヘアアイロンやケープ、ソックタッチ、ヘアピンなどすべて床に散らばっていた。


キッチンも同様で、食器と洗剤、包丁にまな板、鍋類が、すべて落っこちていた。

マミは、日常世界の終焉を理解しながら、寝室の部屋に入った。


「なぎさちゃん!」


いつか目を覚ましてくれるはずの友達。

一緒にいてくれた友達。


悪魔さえ倒して、神の子が再臨すれば、なぎさは息を吹き返してくれるはず。

それまでの辛抱だ。それまでは、待たなくては。


なぎさの体は無事だった。

寝室もひどい有り様になっていたが、なぎさだけは、布団の中で、すやすやと……眠りつづけていた。

「よかったわ…なぎさちゃん…」

マミは、眠るなぎさの肩に手をそっとふれて、顔をマミのほうにむけた。

それが間違いだった。


「…きゃああ!」

マミは恐怖の声をあげてしまった。

なぎさの死体が、ごろんと首をまげてマミに顔むけたとき、顔の肌は崩れていた。

血が止まってから、はや一日、免疫機能を失い、腐乱がはじまっていた。


つまり、巴マミは百江なぎさの死体の鮮度を保つことをすっかり忘れていた。


マミはなぎさの肩から手を放し、飛び退く。腐り始めた死体から距離をとる。

マミのソウルジェムは、黒ずみを増し、この瞬間に大幅に穢れた。


「私も円環の理に導かれたら……こうなるってこと…!?」

なぎさの腐乱死体を見ながら、マミは震えた。恐怖に震えた。


そのとき、床に散らばった本の、あるページがマミの目に入った。

後ろへさがっていくうち、その本を踏んづけてしまったからだ。



それは、はらぺこあおむし。なぎさに読んであげた本だった。

はらぺこあおむしは、何もかも喰らい尽くそうと、町を這ってまわる青虫のはなし。


得にお菓子を好んで喰らいつくす。ケーキ、アイスクリーム、キャンディー、クッキー、チョコレート。

そのお菓子の絵柄の数々は、マミに、昨日死にかけたお菓子の魔女の結界の光景を思い起こさせた。

と同時に、なぎさの最後の言葉すら、脳裏に蘇ってきた。


”なきさは……マミを食べちゃうのです!”


「きゃああああっ」

お菓子の魔女の正体に気づいたとき、マミは、なぎさの腐乱死体が眠る寝室から逃げ出し、
マンションの外へ飛び出した。命からがらに。何に襲われているわけでもないのに、人生で一番こわい想いをした。


途端に、倒壊した町々の景色が目に飛び込む。心に絶望がひろがりだす。


「なぎさちゃんは……私を食べようとしていたの!?」


支離滅裂な台詞が口にでる。平静さは、今やマミの心にない。

わたしの家をお菓子の家にして、むさぼっていたというのか。しまいにはわたしも食べようとしていたか。

その本心が、魔女になったとき、露になったのか。

冷静を失った頭のなかで異常な発想がぐるぐる廻っていく。


「わたしもいつかああなるの……!?」


脈が早くなり、どくどくと、鼓動が鳴り、心臓は本能的な危機をマミに知らせていた。

そして、マミは、この危機を脱するため、”魔法少女として生き残る”ため、ある人を探し出そうと決意した。

なんとしてでもあの人を見つけ出し、救ってもらおうと決意した。


「探さなくちゃ……円環の理……」


なりたくない。あんなふうになりたくない。魔女になりたくない!

魔法少女が、そんな危険な存在になってはいけない。そんな世界は、正されるべきだ。


それを救ってくれる存在は、世界でたった一人しかいない。幸い、その人とは同じ中学校に通っている。


「探さなくちゃ……鹿目まどかさん!」


マミの目に、生き残りをかけた血の色がこもった。

63

鹿目まどかは、地震が起こって、町が倒壊したのち、命からがら、自宅に戻る。

耐震住宅は、町の他の家々とちがって、倒壊をまぬがれていた。


つまり、隣の住宅が崩れているなか、まどかの宅だけぽつんと、生き残って建っていた。


自宅に帰り、玄関を鍵差し込んで入ると、家の中はめちゃくちゃになっていた。

ゴミ屋敷のように乱雑だ。


鏡台や靴箱、花瓶、水槽、何もかもが床に散らばった。


「…パパ!」

まどかは、制服姿のまま家にあがり、リビングへ急いだ。ひっちゃかめっちゃかになったリビングが目に入ってきた。

「まどかかい?」

知久が、額に止血圧迫綿ガーゼを応急処置に巻きつけた状態で、娘を迎えた。

「パパ…!大丈夫…?」

父の、額に巻いた綿が、赤色に染まっているのを見て、まどかは怯えた顔をみせた。


不安と心配の瞳が父をみる。

「ああ…まどか…平気だよ。強くゆれたとき、ちょっと頭をぶつけてしまって…」

父は、娘を安心させようと笑う。

「それにしてもウチがめちゃくちゃだ……いや、そんなこといってる場合じゃないね。まどか、
ママの安全を確かめなきゃ。パパはママの会社に電話を入れたけど、通じない。携帯電話も全くつうじない。
回線が落ちているんだと思う。だからまどか、パパは、ママの会社に直接車でいく。まどか、一緒に来るかい?」

まどかは答えた。

「うん…」


なんだか、まどかは、悲惨になった町と、自宅の光景をみながら、罪悪感と恐怖が湧き出ていた。

今朝のことを思い出したのだ。

消えちまえ、とクラスメートにいわれたとき、怒りがこみあげてきて、まどかは何かを叫んだ。

激情が高まったとき、教室がゆれ、すべてがメチャメチャになった。


生徒たちは、お前はなんなんだ、と叫んだ。


「…わたし?」


鹿目まどかは自分を恐れる。

自分の中に眠る力を恐れる。


目覚めを待つその力を、恐怖で、押さえ込む。


「…わたしがしたことなの?」

この突発的な地震は、自分がしたことなの?

そんな想いに駆られたとき、まどかは目に涙が込み上げてきた。なぜ自分が?なぜ私が?


こんな力を持っているのだろう?


私が世界を破滅させてしまった?

その予感は、ある意味、ただしかったといえる。


鹿目まどかほど世界を滅亡させてきた少女はいない。何度もクリームヒルト・グレートヒェンとなって、
70億人の命をうばってきた。

その記憶の片鱗が、今の、神の子としての鹿目まどかに、蘇りつつあるのか。


「まどか。パパは荷物を車にまとめる。まどかも手伝って欲しい。倉庫の非常食とラジオ、
懐中電灯を持って来てくれるかい」

父の声によってまどかは我に戻った。「うん」と一声、小さく答える。


「よし。パパは車にまとめる工具をまとめるから、屋根裏部屋にいるからね」

といって、知久は二階へあがり、屋根裏へむかう。

まどかは呆然と立っていた。

たぶん、世界が滅亡にむかっているのも、地震によって多くの人の命が奪われたのも、
自分のせいだという理解があった。

でも、どうしてかは分からない。ただの人間が、どうして世界を滅ぼすことができるのか?


「…」

まどかは、ふとそのとき、リビングテーブルの上で音をたてはじめた、知久の携帯電話に目がとまった。

メールを着信していて、三回ほど、振動している。

ふらふらと、吸い寄せられるように、まどかは、今まで手のふれたことのない、父の携帯を手にとった。


ピ。

着信ボタンを押す。父の知久が受信したメールの内容に目を通す。


みるみるうちに、まどかの目が、恐怖に見開かれていった。

ピンク色の瞳が暗くなってゆき、やっぱりそうだったんだ、というような、諦念の色も浮かんできた。


メールにはこうかかれていた。


Frm:詢子
Sb:件名なし

やっぱりか。
私もまどかの誕生日が思い出せなくて。
いつ、まどかが生まれた?というより、
いつからまどかはウチの子だったんだ?
わたしには、まどかを生んだ記憶がない。
タツヤを生んだ記憶はあるというのに。
わたしの娘ってことは、分かるんだ。
でも、何か変なんだ。戸籍情報も見つ
からなくて当然だ。今度、血液型…


「もう、いい…」

まどかはメールを読むのを途中でやめた。

ピ。

携帯電話が冷たい電子音をならした。電灯の消えたリビングで、まどかは立ち尽くした。


「私はこの世にいちゃいけない子なんだ…」

暗い顔を落とし、床を見つめながら、静かにまどかは自室に戻る。

壊れたドアを通り、ぬいぐるみが散乱した子供部屋から、荷物をまとめはじめた。


財布と、自分の携帯電話、充電器、時計、懐中電灯、地図帳、着替えと下着、タオル。それからお菓子の数々。

遠足用のリュックを取り出して、冷蔵庫からペットボトルの水を数本とりだし、リュックサックにいれてまとめた。

チェック柄のかわいい女の子のリュックサックだ。


そして、父にも母にも内緒で、二度と家族に会わないことを心に誓った。


「さようなら……パパ。ママ。タツヤ…」


別れを告げて、玄関に出て、鹿目宅をあとにした。


灰塵と化した野原を、とぼとぼ、歩き始めた。あてもなく。家出して。

64

鹿目まどかは、灰色の暗い空が覆う見滝原の焼け跡を歩き、自然とその足取りは、
不思議と川辺へむかっていた。

川辺沿いの公園に進み、破壊されて廃れた噴水の、溢れ出して水びたしになった公園の石畳の地面を、
びちゃびちゃと踏みしめて、ヘンチに腰掛けた。

水は汚い。噴水の水など、汚れている。


ベンチにちょこんと腰掛けて、終末にむかいつつある厚い黒雲を首をあげて眺めた。

空は、暗雲が驚くべき速さで風に運ばれてゆき、強風は次第に強くなる。まどかのピンク色の髪をゆらした。

びゅうびゅうと。風はやまずにふきつける。赤いリボンもゆれた。


「お願いだから……」

まどかは、暗雲を瞳に映しながら、冷たい涙の粒を浮かべて、天に願った。


「お願いだから、これ以上、悲しいことにならないでください……」


しかしこの願いは裏切られれる。

そもそも、宇宙を、いちばん最初に変にしたのは、鹿目まどか本人であったのだから。

65

巴マミは余裕をなくしていた。

ソウルジェムの秘密に気づいたのだ。百江なぎさに喰われかけたことで。


探さなければならない。円環の理を。そして、彼女に、自分の役目を思いだしてもらわないといけない!


ソウルジェムは、黒い。染まっている。穢れに。

残された希望の光は、わずか。


魂に残された猶予は少ない。時限爆弾つきの魂は、起動スイッチが入ってから久しい。


マミは携帯電話を取り出し、円環の理を探すべく、友人に電話をかける。

おそらく鹿目まどかの友人らしい美樹さやかに。


「お願いだからつながって…!」


マミは、必死だった。


”おかけになった電話番号は────”


しかし、電話は繋がらない。

世界中がパニックだ。見滝原じゅうに住民が、回線を使って、ショートさせている。

「…テレパシーで通じなくちゃ」

もし、ソウルジェムの煌きが失われたら。

考えただけでぞっとする。しかも、それはカウントダウン式だ。心の持ちようによって、カウントダウンは早まってしまう。

なんて恐ろしい!

呪われた存在だ。魔法少女は!


神が、不在である限りは!


”美樹さん!美樹さん!きこえる?”

マミはテレパシーを通じた。黒雲の支配する見滝原を眺め、焼け野原のどこかに避難しているであろう、
美樹さやかに話かける。

”あっ!マミさん。無事だったんですね…!こっちはもう大変です。悪魔が地団駄ふんじゃって…大荒れです”

”鹿目さんは!”


マミは、さやかの会話がさして頭に入ってこない。


”鹿目さんもそこにいるの!”

”えっ…まどかですか?”


気圧されたさやかの声がする。

まどかをきょろきょろと探すかのような間があった。


”いないですね…まどか、あたしが登校したときからいなかったんです”

”…!どこにいるか見当つかない?”


マミの必死さが、さやかの心に伝わり始めた。


”マミさん、何かあったんです?……悪魔が本領発揮してきましたね。たしかに。
まどかがあたしらに残された最後の切り札……でも、見つからないんです。あたしも心配です”

”…そう。わかったわ…”


マミは、さやかとの連絡を絶った。

悠長な会話などしていられない。

たぶん、美樹さやかはまだ、事の重大さに気づいていないのだ。


説明は、あとにしよう。


………いや。

説明、しないほうがいいんじゃないかしら?


そんな考えが、頭によぎった。


これからは魔法少女が魔女化する仕組みになる。ということは、魔法少女が生き長らえるためには、
魔法少女のうち誰かが魔女になって、魔法少女に倒されるグリーフシードとならないといけない。

それなら、むしろ今は、このことは秘密にしておいて、美樹さやかたちがうっかり魔女に化けることを待ったほうが、
長生きできるんじゃないかしら?


「…やだ!私ったら…」

マミは、頭に浮かんだ邪悪な考えを振りほどく。

「なんてこと考えてるの……」


私はなんてことを考えてしまったのだろう。これは裏切りだ。

じわり……。


心に黒い感情が渦巻いたとき、ソウルジェムが反応した。魂は呪いに染まった。


「やめて…!」

マミは喘ぐ。「黒くならないで…!」


思えば思うほど、心が押しつぶされそうになり、ますます穢れに染まっていく気がした。


「キュゥべえ……びといわ!私たちを、こんなふうにしてしまうなんて……!」

マミは嘆いた。

魔法少女に課せられた使命の本質を知って、嘆いた。


ところで、マミはふと、あることに気づいた。


「キュゥべえ……どこ?」

66

巴マミは、地割れに傾いたマンションから道路に降りて、全壊の町をふらふらと歩いていた。

まさに終末の光景。ハルマゲドンだ。


行く先行く先は、すべてコンクリートの瓦礫。鉄筋のはみ出た瓦礫の山。

灰色の大地。


空まで灰色で、曇り空が覆う。赤色の空は、夕日というより、もはや血の雨を連想させる。


神と悪魔の最終戦争の舞台となるにふさわしい。


「どこ……どこなの?神の子はどこ…?」


もう、再臨したっていいはずだ。神の子はもう、日常生活を送る女子中学生の仮面を捨てて、
神様になって悪魔と戦うべきだ。

どうか、円環の理さま、私たち魔法少女を、希望と絶望の残酷なサイクルから救ってください。

私たちのソウルジェムが、のろいを生み出す前に、消し去る円環の理に、戻ってください。

こんな世界にしてしまった悪魔を、倒して、元の世界を取り戻してください。

しかし、どこを探しても神の子は見つからない。

先日に、屋上で挨拶を交わした、あのピンク色の髪の少女の姿が、どうしても見つからない。


どこを見渡したって、瓦礫しかない。コンクリートの砕けた断片の山しかない。

そこに下敷きとなる人々の死体が折り重なる。


神と悪魔の最終戦争を生き延びる人間はいないだろう。だが、神が勝利さえすれば、人は復活する。

巴マミにはみえる。未来が思い描ける。


神の矢と悪魔の矢が天界にて撃ち合う。それはとてつもない激戦だ。


神の矢と、悪魔の矢が一本ずつ、放たれるたび、町は灰となる。見滝原が灰となったように。

やがてそれはユーラシア大陸を灰に変える。アメリカ大陸を灰に変える。

アフリカ大陸を灰に変える。


地球を灰に変える。


だが、まだ悪魔と神の戦いは終わらない。宇宙改変の力を持つ者同士の最終戦争は、舞台を宇宙に変える。

矢が放たれるたび、惑星がひとつ、消える。太陽系から消える。


そして、矢の撃ち合いはつづき、一本の矢が放たれるたびに銀河系が消える。無数の銀河系のうち、
ほとんどが消え去って、宇宙の終末がくる。


宇宙は火の玉となる。

神が最後には打ち勝つ。人は蘇る。新しい世界となる。


なんて想像をして、ふらふらと廃墟の道を歩いていたら、マミの正面に誰かが走ってきた。


「マミ!おい、どうした?ここで何やってるんだ?」

佐倉杏子だった。

灰と化した見滝原の見晴らしのよい焼け野原を、杏子は渡ってきた。

「佐倉さん…」

マミの目の色は黒かった。

「神の子はどこ……?」


「神の子だ…?」

マミの腕をつかんだ杏子が、顔をしかめた。

「あの鹿目まどかって見滝原中のやつか?マミ、あんたまさか…!」


神の子を再臨させるつもりなのか。

と問いかけたとき、マミは涙を流しはじめた。


「わたし……もう何もかもがイヤなの!」

がくがくと膝がふるえ、終末の世界の地面に、へたれ込む。

手を地面について。下を俯く。


「私を食べかけたなぎさちゃんのことも……!魔法少女のことも魔獣のことも何もかもが全部…!もうイヤなの!」

泣き崩れるマミの肩を、杏子がもつ。何を泣き出すのか、と心配そうな顔して。

「マミを食べかけた?」

杏子は問う。

「なぎさに何かあったのか?」


「佐倉さん、私ね、最悪な女なの…」

マミが顔をあげた。黒い目から黒い涙がこぼれた。頬を流れた。

「みんなに内緒にしようとしてた……自分だけ生き残るために……」


「内緒?マミ、落ち着いて話してくれないと、わからないぞ!」

マミを杏子は懸命に励ます。マミの命の綱を握り締めようとする。今にも落ちそうな綱を。


「きっと私が魔女になったら佐倉さん……私を殺すでしょ……?だってそれが魔法少女だものね……」

絶望したマミが杏子に告げる。

「わたし、最後になって分かった。私は最後まで、自分のことしか考えない女だった……なぎさちゃんを家に入れたのも、
みんなと一緒に魔獣を退治しようって呼びかけたのも……全部自分の寂しさをまぎらわすため……いいのよ。佐倉さん。
こんな女が、魔女になったら、殺しちゃって、佐倉さんが生き延びるためのグリーフシードにすればいいの」


「マミ…あんた何を…!?」


魔女という単語が出たとき、杏子は目を見開いた。動揺に心が乱れている。

父にいわれたのだ。かつて。

おまえは、人の心を惑わす魔女だ、と。

マミは、なにを言い出すんだ。わたしたち魔法少女の敵は、魔獣じゃないか。


「ごめんね……佐倉さん」

マミの体から瘴気が噴出した。かすれた声が、涙ぐむ喉からしぼりだされた。

「魔女になった私が……あなたを襲ったら……ごめんなさい…!」


マミは事切れた。

パリンッという鋭い音がして、ソウルジェムの亀裂から、黒煙がもくもく飛び出した。


「マミ!!」

杏子が、かつての師匠の名を叫ぶ。

だが、遅きに失していた。


地割れが起こり、マミの立つ地面のあらゆるところが割れた。地響きがなって、結界が形成されはじめた。

何もかもを吹き飛ばすかのような強烈な風だ。瓦礫が舞い飛び、杏子の頬や額に、破片がささって、
血の筋がたれた。


「うわ!」

杏子はついに飛ばされる。

マミの魂が爆発したあとは、硝煙のように邪悪なもくもくとした霧が、たちこめていて、結界を広げていた。


「こりゃあ……なんだ!マミ、しっかりしろ!」


叫ぶが、声はとどかない。かわりに、瓦礫の破片がばしばし、杏子の顔にとんでくる。

杏子の顔につく血の筋が増える。


「魔女になったら私が襲ったらごめんって……どういう意味だよ!」


魔法少女が、魔女に変貌するとでもいうのか。

だったら、今まで戦ってきた魔獣という敵はなんんだ?円環の理に導かれるって話はなんなんだ?


その答えを知りたければ。

マミの結界に入るしかない。


「くそう……マミ、今、助けにいくからな!もう少しだけ、待ってろ!」

魔法少女に変身した杏子は、おめかしの魔女の結界に飛び込む。


槍を構えて魔女との戦いに挑む。


悪魔との決戦はそのあとだ。

今日はここまで。
5日後くらいに、つづきを投下します。

乙。とうとう瓦解が始まったな。
けっきょく、世界はひとりで運営できるもんじゃないってことだな。
まして、中二病患者どころか、『女神に反逆した、世界を書き換える悪魔』という中二病ウィルスそのものになった
自分の世界に引きこもりがちの世間知らずの14歳?のガキんちょひとりには。

まだクーほむ時代ほどの慎重さ、思慮深さがあれば、まどかの戸籍やらなにやらの『穴』やアラも
現状ほど出なかったんだろうが(それでも完璧には程遠いのは想像に難くないけど)……

なまじヘタに『世界を好き勝手できる悪魔』になってしまったことで
その全能性と背徳感に酔って、メンタリティが大雑把かつ幼稚になったのが、破滅の大本だろうなぁ…。

言ってることとやってることに一貫性が見られないのが気になるところ
報知の記事でも語られて炊けど、ほむらというキャラが「壊れた」わけではないんだが……
この作品では人格崩壊者として描いてるのかな

>>403
壊れた、というわけではないだろうけど……
QBどもの実験で魂が疲弊してたのと、『世界を書き換える悪魔』っていう
魔法少女時代とは比べ物にならない超便利な力を手に入れたことでそれに酔って、
増長で心のネジが緩んでるのはあるかもね。

68


美樹さやかは、教員たちの呼びとめを無視して、体育館を飛び出した。

「つながって……お願い!」

携帯電話に耳をかけながら、さやかは呼びかける。


鹿目まどかに呼びかける。

悪魔と神の最終決戦のときだ。


「どうしても力が必要なんだ……お願い神様、力を貸して!」


そうだ。そうだった。

なぜ、このほむらの庭が始まって以来、さやかはほむらを敵だと直感してきたのか。

円環の理の使いだった記憶が、わずかでも、のこっていたから。あいつが悪魔だということだけは、忘れなかった。


だからこそ、鹿目まどかをほむらが、理と人格に引き裂いた危険を、どこか本能的に知っていた。

円環の理には、何か起こってしまう、と。


今もうはっきりした。もう、靄がかからない。

仮にどんな記憶操作したって無駄だ。世界は終末のとき。平穏には戻らない。

この世界がはじまったばかりの、うやむやなときだって、さやかはほむらを、世界を壊しかねない敵と感じてきた。

最初の予感は、この世界のおかしさ。


ほむらの結界、つまり、くるみ割りの魔女の結界では、佐倉杏子とは学校に共に通う仲だった。

悪魔の改変のあと、佐倉杏子をさやかの自宅に紹介したら、さやかの親は、こんな子しらないと言い張った。

さやかは杏子のことを説明した。そしたら、親は怒ってしまった。


「どうして、無理心中した新興宗教一家の娘を、ウチが養って、学費まで払って、学校に通わせるんだい!」


さやかの親は杏子を追い払った。

杏子もそれで、見滝原中学に通うのが本来の自分でない違和感に気づいた。

「そもそも、小学校の学習も、中学の基礎学習も習ってないあたしが、どうして学校に通い続けてるんだ?
ぜんっぜん、授業の内容についていけないぞ?」

ほむらの幻想に付き合わされた杏子は、過去の自分を思い出した。制服姿のまま学校に通う杏子の姿はなくなった。

さやかは直感した。


この悪魔世界は、改変が完璧ではない!むしろ、不安定で、矛盾が多くて、悪魔の思い通りになってないことが多い。

たったの五人くらいの魔法少女と数人の女子生徒、先生たちの意識を呼び込めば成立したくるみ割りの魔女の結界、
つまりソウルジェムの殻の中だけでできあがっていた結界ならまだしも、70億人を取り込まなくちゃいけない悪魔世界は、
何もかも悪魔の望むとおりには、いかなかったわけだ。

思い通りにならないということは、悪魔はそのうち、心に不満を覚えることが多くなる。

他でもない美樹さやかがそれを体験してきた。


他のどんな魔法少女だってそうだった。自分の欲望、希望、願いが実際に実現したとき、
必ず思い通りにならないことが次々と起こって、ついには、あんな願いしなければよかったと心に後悔がよぎり、
絶望に身をおとす。

魔法少女は魔女になる。


しかし、悪魔が絶望したら、どんなことがこの世界に起こるのか。ただの自称悪魔が、本物の悪魔に成り果てるのか。

考えただけで、恐ろしい。ほむらには悪いけれど、この世界を正さないと、手遅れになる。


さやかにはその直感があった。

いよいよ、その直感は、鮮明なものとなる。はっきりしてくる。


さやかは走る。見滝原は一面の廃墟になっていた。

瓦礫の海だ。すべて灰色。ビル群は崩潰してヒビ割れ、傾く。街灯は全て倒れた。電線はすべてショートし、
地面に垂れ落ちる。


全世界の魔法少女が、神の兵となって、悪魔を打ち倒す時!

ハルマゲドン、最終戦争、終末。


足の踏み場もないコンクリート断片の山となった瓦礫を走ることは、危険だ。

だが美樹さやかは走る。彼女を捜し求めて走る。一体、鹿目まどかはどこにいってしまったのか。


そのとき、電話の通話が始まった音がした。

69

鹿目まどかは悩んでいた。

川を手すりごしに眺められる、見滝原の河川敷そばの公園ベンチに、座っていた。

倒壊した町の、倒木や家々の断片を運ぶ川の氾濫を眺めながら、世界の終わりを感じ取っていた。


空は灰色の雲が覆い、吸う空気は重たい。


誰一人いない。

公園の並木にふきつける強風が、樹木の緑の葉をゆらす。冷たい風が空気を切る。


そんなとき、携帯の着信があった。

家出を決意したときしょったチェック柄のリュックサックから携帯を取り出す。


着信中...美樹さやか。


まどかはこの着信に出るか悩んでいた。


たぶん、アメリカから帰国して数日の頃だったら、よろこんで出ていた。

でも、今となっては。


もう自分が何者かも分からないし、学校の教室を破壊してしまった。しかも、自覚のない未知の力によって。

ひょっとしたら町すら倒壊させているかもしれない。


それを思ったら、鹿目まどかは、美樹さやかの着信に出る勇気が出なかった。

いや、勇気が出ないというか、もう、嫌だった。


人に構われるのが。


世界のあらゆる人は、忘れているのに、どうして構うんだろう……私なんかに…。

そんな気持ちですらあった。

美樹さやかの着信は続く。何十回コールを無視しても、なり続ける。

まどかが出るまで諦めないという電話着信にそれは思えた。


「…どうしてなの…」


悲劇的な気持ちになりながら、着信ボタンを押す。

もう、鹿目まどかにはわかっていた。


この電話が悲しみの電話であることを。なぜ世界は終わりを迎えるのか。鹿目まどかとは何者なのか。

それを教えられる電話である気がしていた。


怖かった。通話をとるのが。

「…はい」

暗い声が電話に応えた。


「…あっ!?まどか?聞こえる?私の声が聞こえる?」

慌てた様子のさやかの音声が電話から鳴った。

「…聞こえる」

まどかは静かに答えた。



「まどか、無事?よかった。いまどこにいるの!?」

さやかの声は、とても焦っていて、切羽詰っている。問われる今の居場所。

「教えて!まどか、いまどこ?自宅?」


「…」

まどかは何も応えない。無口になる。口を噤み、暗い表情をする。


「…まどか?」

訝る電話の音声。「どうしたの?まどか。今、家族といるの?…でも、どうしても知ってほしい話があるんだ。
あたしと一緒に来て欲しいところがあるんだ。それも、今すぐ。危ないから、あたしと合流しよう。場所を教えて!」


幼馴染であるさやかが、必死になっている声が伝わってくる。

たぶん、本当に、さやかは今、大変な危機に直面していて、まどかに助けを求めているのかもしれない。


それとも、世界が破滅しつつあることについて、責任を追及するつもりなのかな?

私が壊したのは教室だけでなくて、世界そのものだった。ぜんぶ、まどかのせいだったんだぞ。


怖い。これ以上、さやかの声をきくのが怖い。

一体どんなことを言われてしまうのだろう?


「まどか?お願い、答えて!いまどこにいるのか教えて!」

だが運命は残酷だ。

さやかは結局、わたしに真実を告げるまで、この電話を終えるつもりがない。


「…川辺のほとり」

消え入るような声で、まどかが携帯電話に答えた。

声は震えていて、頬を一滴の涙が伝った。


「風力発電のそばの堤防の…」


「あそこだね!?分かった!」

さやかの活気付いた声がした。

「いまそっちいくから、まってて!」

通話はプツンと途切れた。ピ。さやかの通話終了ボタンを押す音が、スピーカーに聞こえた。


ツー。ツー。ツー。


まどかは、ぼんやり、暗い空をみあげた。びゅううと冷たい風の絶えない、黒雲の空を。

川に流れる倒木と住宅の数は増える。

湿った木片がぷかぷか水面に浮いて、流されてゆく。


運命はこの川のようだ。たくさんの不幸を飲み込んで、容赦なく一方向に押し流してゆく。

70

数分後、ベンチに座っていたまどかの下に、青い髪をした少女が走ってきた。

たったったと、手すり側の道路を走り、川辺沿いに急いでむかってきた姿は、美樹さやか。


「まどか!」

ベンチに、背中を丸めて座る気弱な少女を見つけて、名前を呼ぶ。

駆け寄ってくる。


「どうしてこんなところに?家族は?まどか、それ……」

さやかは、まどかの様子のおかしさに気づく。

学生かばんではなく、チェック柄のリュックサックをしょっていて、まるて遠足かピクニックにでも
出そうな荷造りをしていた。


「家出、…したの」

まどかは、そっと囁くように、悲しげに、さやかに言った。

「学校もいかない。教室を壊しちゃったのは申し訳なかったし……みんなにすごい迷惑もかけちゃったけど……
でも、弁償だってできない……ううん。わたしは学校にもお家にもいちゃいけない。そんな子だった…」


ちがう、ちがうんだ!まどか!

まどかは、いちゃいけない子なんかじゃない。


鹿目まどか、あんたは、わたしたち魔法少女たちにとっての希望。救済の人。さあ、思い出して。

どれほど、今まで、多くの魔法少女たちを救ってきたのかを。それがまどかの願いだった。


さやかはまどかに言い寄る。

「……まどか、きいて、大変なんだ!」

さやかはまどかの座るベンチに近づいて、まどかの腕を掴んで、杏子と共に戦うための増援として呼びかけようとした。

事態は一刻を争う。

「杏子が大変なんだよ。あたしも戦いにいくけど、まどかの力が必要なんだ。お願い、今すぐ、わたしと一緒にきて!
あまりうかうかしていられないんだ…!」


まどかの目に怒りがこもった。さやかをみあげて、そして、睨んだ。


「まどか!」

さやかは、あくまでまどかを引っ張り出そうとする。戦場に。

「杏子が、いま、ピンチなんだ!ほむらと戦ってる。マミさんもなぎさも魔女になったって…。
あとは、ほむらと戦えるのは、杏子とあたしとまどか……」


「来ないで!」

腕を掴んでくるさやかの手を、まどかはふりはらった。

ベンチから立ち上がり、さやかから数歩ひいて、距離をとった。

「…まどか?」

しばし、何が起こったのか分からず、きょとんとなるさやか。


一方、まどかは、さやかのことを睨んでいた。

それは、本当に、怒っていて、しかも、悲しい顔だった。

ズキっ、という痛みが、さやかの胸を打った。


「さやかちゃん、私は…」

おこっていた顔は、すぐ、泣き顔に変わってきた。

「杏子ちゃんなんて人、知らないし、ほむらちゃんと戦ってるって、話も、私にはよく分からないの。
知らない人のために、戦え、なんて、ちょっとひどいんじゃないかな……」


「あっ、ああ、そっか」

あまりにも事態が緊迫としているので、うっかりしていた。

さやかはまどかに謝った。

「そうだよね。ごめん。まどかは杏子を知らないんだよね。杏子はね、あたしの友達なの。なんつーか、
喧嘩してたほうが多かった気もするんだけど、腐れ縁みたいな感じで付き合い続いちゃってさ。…………とにかく、いま、
悪魔と戦ってる。正義の味方ってわけ。さあ、まどか!一緒に、悪を倒そう!ほむらをやっつけるんだ!」


今度こそうまく説得できたと思った。

まどかと手を繋ごうと、手を伸ばして差し出した。


円環の理の使いだったわたし。神さまを助け、いざというときは記憶を呼び覚ませる役目をもっていたのは、
なにも、今に始まった話じゃない。ほむらを助けるため鞄もちになったときからそうだった。


「…やだ…やめて…」

しかし、まどかは、怯えていて、怖がった目を、さやかに向けてきた。

「ほむらちゃんをやっつける…?悪魔と戦ってる…?さやかちゃん、なんか変だよ……おかしいよ!」


「…へ?」

さやかは、まどかの言ってることがあまり分からなかった。

頭の中がぽかーんとなる。


「さやかちゃん、私は一週間前に、アメリカから帰ってきた見滝原中学の転校生だよ…?」

まどかが語り始めた。目に透明な滴が溜まっていた。

「なんの話かも分からないし、さやかちゃんたちが、ほむらちゃんと戦っている理由も分からない。
ほむらちゃんは、変なところもあるけれど、転校初日に、学校案内もしてくれたし、お弁当も一緒に食べてくれるし、
授業で使う教科書の範囲だって教えてくれて……」


「ちがうよ。まどか、それ、ちがうんだ。暁美ほむらの本当の姿じゃない!」

さやかは、もどかしくなってきた。

今も杏子が、悪魔と命すり減らして戦っているのに、目の前の鹿目まどかは、学校生活のほむらのことを話している。

なんとかこの誤解を解かないと…!

鹿目まどかとは、円環の理。魔法少女を救ってきた。しかし悪魔によって、今は、その力を忘れさせられてる。

なら、鞄もちでもあったさやかの使命は、まどかに力を取り戻させること。


「杏子から教えてもらったんだ。ほむらの本当の企みを。インキュベーターと手を結んで、すべての魔法少女を魔女に貶めようとしてる。
すべてあいつにとって都合のいい世界にするためだ!まどか!たくさんの魔法少女たちが、いま、絶望に呑まれようとしてる。
思い出して!救済してきた、まどかの本当の力を!みんなの希望だった自分を!」


ここまで話せば伝わってくれるだろうか。

悪魔の企みが邪悪であること、暁美ほむらこそ魔法少女の敵になってしまったこと、インキュベーターの陰謀と計画。

この危機を打破するためには、まどかの力が必要だ。



「まどか!まどかは!」


さやかは、川辺の手すりの道路を数歩進んで、まどかに、真実を告げる。


「まどかは、円環の理だったんだ!あたしたち魔法少女を、導いてくれた、あたしたちの神様なんだ。…思い出して!」


事実が脈打ち、ドクドクとまどかの心臓に入り込んだとき、まどかは怯えた。

「やめて!」

耳を塞ぎ、さやかの声を遮断する。目をぎゅっと閉じ、拒んだ。

「それ以上なにもいわないで!」


「…まどか!」

さやかは歯を噛み締める。

どうしてまどかは、本当の姿を思い出そうとしないのか。円環の理の力を取り戻そうとしないのか。


「怖いっ、怖いよ…さやかちゃん、わたし怖い……」

まどかは消え入りそうな声で、言った。体が震えていた。

「さやかちゃんの言葉をきくのが怖い……。私が私じゃなくなっていく……そんな気がするの……
私が消えてしまいそうな気がするの……お願い、さやかちゃん、これ以上、私になにも言わないで……」


「そんな…」

さやかは呆然と立ち尽くした。風に制服のスカートがゆれた。さやか本人は、すべて真剣で正しい話をしているつもりなのに。
まどかの願いのことを思い出させようとしたのに。神様は、拒んだ。

「さやかちゃん…私ね…」

まどかは語り始めた。

世界滅亡の瀬戸際、荒れ狂う川のほとりで、かつての親友で幼馴染であった、まどかとさやかが、語り合う。

かつての幼馴染同士は、今は神と魔法少女として。


そこに、なんの心の距離が生まれてしまったのか。


「アメリカから帰国したとき……友達をつくって、お勉強もがんばって、放課後は友達と寄り道したりして……。
そんな毎日を送りたいな、って、そう思ってたの。さやかちゃんにも三年ぶりに会えるし、仁美ちゃんにも
三年ぶりに再会して、また三人でどこかにいけたらなって……。もう中学生になるから、どろんこ遊びは
しないんじゃないかなあって思ってたけど、お洋服屋さんみたり、ケーキ屋さんいったり……そんな日々、想ってた」


「…まどか」

さやかはこのとき初めて知った。

帰国子女としてぽっと現れた鹿目まどかが、実は、14年間の人生の記憶を一人の人間として持っていて、
さやかとの再会をどんなに心望みにしていたのか、さやかをどれだけ大切な友達に想っていたのか。


その心中を初めて知った。


言葉をなくして、顔を落としたさやかに、まどかは言った。


「でももう……そんな日々は叶わない。私も本当は分かっているの。本当は世界に存在を許された子
なんかじゃなかったって……どこにも私が存在した記録も証拠ものこってなかったし、パパとママも、
私の誕生日を知らないって……」


それで、まどかは家出を決意していたのか。

さやかは、やっと理解する。


「だからたぶん、さやかちゃんのいってることは、本当なんだと思う……たぶん私は、円環の理という存在が、
本当の姿で本当の役割で、神様みたいにみんなから存在が知られないんだって……。でも、怖いの!私が世界
から消えてしまうこと、みんなから忘れられることが、つらくてさみしくて、苦しいの…!」


「…まどか…」

さやかは下を見つめてばかりで、悲しげな顔するばかりで、何も言い返さない。


するとまどかは、さやかから離れはじめた。


「だから、ごめんね」

まどかは一言、さやかにあやまって、さやかと別れた。

「ごめんね…私、弱い子で……さやかちゃんの願いに応えられなくて…ごめんね…」

ぺこり、とお辞儀して、頭さげると、背をむけて走り出したのだ。


そして、これが美樹さやかと鹿目まどかの、永遠の別れとなる。


さやかに背をむけて、家出を決意した少女は、走っていった。


どこにあるとも知れずの、自分の居場所を求めて。廃墟の町の焼け跡へ、去っていく。

さやかは追いかけない。

今追わないと、世界は滅亡してしまうのに、追うことができない。

もし巴マミや、佐倉杏子だったら、それでもまどかを追いかけただろうか。


何を弱気なことをいってるのだ、お前は神なのだ、恐れることはない。さあ、悪魔と戦え!
そして概念となって、魔法少女たちを導け!

と、いえるのだろうか。


「いえないよ、あたしには…」

さやかは涼んだ顔をして空をみあげた。


神様を追わなかった自分の判断を、誇りとするように。世界は滅亡するというのに。

世界を救うはずの神を、一人の人間の少女として、見送ったさやかは、自分の判断に誇りをもった。


「……ごめん杏子。神様は味方につけられなかった。でもさ、アタシと杏子の2人で、やっつけようよ。
あたしら、正義の味方じゃん」

終末の空を見上げつつ、呟いた。


さやかは、まどかが去っていった方向から、逆向きに振り返り、そして、ソウルジェムを手に翳した。

そして、変身した。


ぴかあっ…と光が放たれて、さやかは魔法少女の姿になる。

「さようなら……円環の理。そして、待ってて、杏子!」

魔法少女になったさやかは、廃墟の見滝原を疾走しはじめた。



悪魔との最終戦争にむけて。

71

杏子と悪魔の終末へむける戦いはつづいていた。

廃墟の町で繰り広げられる殺し合い。2人は、グリーフシード争いをするのでもなく、
意見の相違でいさかいを起したのでもなく、正真正銘、殺しあっていた。


戦場となる焼け跡は、あちこちに火の手があがっている。町々の瓦礫は、煙をたてる。


悪魔の矢が多量に放たれ、町を破壊し、炎に包まれたからだ。

杏子は悪魔の矢をかわしたり、よけたり、槍で弾き返したりして、悪魔の攻撃に対抗し、悪魔の腹を、
槍で貫こうとしていた。


悪魔の胆を貫き、大地を胆汁で染めよ。


「うおお!」

カラスの翼で空を飛ぶ悪魔に、負けじと、地面をけって飛び上がり、槍を振り回す。

空中のほむらに接近し、槍を伸ばし、すると槍先がほむらの首元へ。


ほむらは、首元をひいてよける。冷徹な目つき。槍が顎スレスレを通り過ぎた。

「まだまだ!」

杏子は、やりすごされた槍を、持ち直し、こんどは横に振り切る。

槍の軌跡が、水平に走る。ほむらの首筋へ槍の穂が迫る。


ほむらは、弓をもちあげて受け止めた。バチン!槍と弓が激突しあう。


しかし、力比べではほむらが勝った。


弓と槍が交差して、拮抗するそれを、ほむらが押し切り、弓を横向きにふるったのだ。

杏子の槍は弾かれて、しかも、弓によって頬を殴られた。


「ぐ!」

杏子は廃墟の空をとび、どこかの倒壊した建物にぶつかり、地面に落ちた。ばったんと、倒れ伏す。

ほむらは、杏子を追い払うと、空をとび、今もまどかに接近しつつある美樹さやかの阻止へむかった。

ひゅーっと翼が音をたてて風にのって飛び、荒廃した建物と建物のあいだを飛びまわり、さやかを止めにいく刹那。


ガラララ。

赤いチェインのようなものが伸びてきて、ほむらの足を捕らえた。

ほむらは振り返る。翼を広げながら、空で。


杏子の伸ばした魔法の鎖が、びしっと伸びていて、悪魔の足に絡んでいた。


「いかせねえよ」


魔法を発動させた杏子のソウルジェムは、赤色から、黒色へ染まる。

ぐいっ、と鎖を手繰り寄せて、悪魔を地上へ引き降ろす。


「あたしと戦え!」


「!」

ほむらは、杏子の、ありったけの魔力を込めた鎖に引っ張られながら、弓に矢を構え、放った。

バチュン!


紫色の閃光が、空に走る。悪魔の矢が飛んでくる。


「はっ!」

杏子は飛び、直後、悪魔の矢が地面に直撃、爆発した。どごぉん!砕けたコンクリートの断片があちこちに舞い飛ぶ。

だが、杏子はその爆発から逃れ、高く飛びあがりつつ、チェインを握った腕を、さらにまた、ぐいと引っ張って、
そのあとぐるりと円を描くように振り回した。


すると、足をチェインに絡まれた悪魔が、ぐるりと円を描くように振り回されてゆき、引っ張られて、
廃墟の砕けた建物という建物に、体を突っ込ませてゆき、がしゃんごしゃんと建物を崩壊させつつ悪魔が建物を突き抜けた。


「これでどうだ!」


杏子は怒鳴って挑発した。


悪魔は、いらいらしてきた。いつまで、杏子の時間稼ぎに付き合わねばならないのか。

建物を五個くらい、貫通して体のあちこちを傷めた悪魔は、足に絡んだチェインを、手に握って砕き、壊した。

そして、建物を突き抜けて落ちた地面に、すっくと立ち上がり、杏子を睨んだ。


「睨まれたって怖くねえぞ!」



杏子は、スタタタタと走って、間髪いれず、悪魔に戦いを仕掛けてきた。

もう、槍先が悪魔の心臓へ伸びてきている。


悪魔は空を飛んだ。建物と建物に挟まれた路地を、ぴょんと高く。

逃げる気だ。

「あんた、アタシたちに不幸を振りまくっていってたな!」

すぐ杏子も追いかけて、飛ぶ。狭い小路の路地裏を。

槍を構えつつ。


「それが、魔法少女の魔女化だっていうのかい。はじめは、随分と都合のいい世界をくれたもんだと思ったんだけどな!」

ぴょんぴょんと路地の壁と壁とを交互に蹴って、飛びつつ、悪魔の高さに追いついて、翼を槍で貫こうとする。

悪魔ははらりとよけ、くるりと向きを翻しつつ、弓を放った。

「あたるか!」

槍をふるい、矢を受け返す。矢は弾かれて、どこかの方向へ飛び、どっかの建物を破壊した。

すると杏子はまた、路地の壁をけって、勢いにのせて飛びながら、悪魔へ槍を突き出す。

「くらえ!」


悪魔はかわす。頬に槍の矛先がかすった。紙一重だ。

かわしがてら悪魔は、杏子の槍の柄を握り、それを、持ち上げて、別方向へ思い切り投げた。


「うわ!」

杏子は、自分の槍が投げ出されて、槍と一緒になって路地の建物の5階の窓ガラスへ体を突っ込ませる。

がしゃーんと音がして、壊れた窓ガラスがさらに砕け、透明な破片がとびちり、杏子は建物の廃墟フロアの中に落っこちた。


誰もいなくなったビルの破壊されたフロアのコンクリート床に、ずざーっと砂埃たてて倒れ、ばたんと伏せた。


ソウルジェムは限界だった。


悪魔には勝てない。

ビルフロアのどの窓ガラスも、廃墟のごとく割れていて、破片だらけだった。

しばらくすると、杏子が仰向けに倒れこんだ建物のフロアに、カツカツというヒールの音が聞こえ出し、
杏子はそれが悪魔の足音だと気づいた。


悪魔は、杏子が吹っ飛ばされて砕けた壁の、たちこめる砂埃が舞うむこうから、うっすら影だけだし、
歩いてくると、やがて姿をみせた。


冷徹の目つき。敵を見下す瞳。

悪魔は、杏子の限界ちかいソウルジェムを見つめた。


「魔法少女って大変よね」

と、冷たい声が言い放つ。

カツカツ、ヒールの音たてて、倒壊したビルの廃墟となったフロアを、歩いてくる。

ビルの骨組構造をしたコンクリート柱が丸見えのフロアであった。


びかっ。ゴロロロ…。

廃墟の町の外で、雷が鳴った。雷光が、暗い廃墟のビル五階フロアにまで、壊れた窓ガラスから入り込んで、白く照らした。


「戦いを宿命づけられた存在のくせして、魔力にはいつも限りがある。戦力を温存するために戦場に赴かないといけない。
アイツらも、よく考えたものね。希望に縋れば縋るほど、喘ぎ続けるしかない。そういう瓶の中に入れられて、
中をころげるだけ。やがて窒息して息を失う」


「あんたが悪魔になってから消耗がはやくなった気がするよ」

杏子は、倒れながら、起き上がりもせずに笑って言った。

ソウルジェムの残量は限界で、体の修復のための魔力残量さえない。杏子は体の各部を骨折していたが、
魔法少女として痛覚を遮断し、立ち上がることもできなかった。


「さあ。それは気のせいじゃないかしら」

ほむらは首を傾げる。

「とぼけるなよ悪魔…」

杏子、憎まれ口を叩く。

「なんのために志筑仁美をナイトメアにした?世界にナイトメアを出現させた?あたしら魔法少女のソウルジェムの消費を、
早めるためだったんだろ。神様が円環の理に戻らないうちに、全ての魔法少女を魔女にしちまって、
そして魔女はあんたが片付ける筋書きだ。そうなればあんたの勝ちだからな。世界のどこの国でも同じことしてるのか?」


「いい読みね」

悪魔は冷淡に言った。

「確かに私の目的はすべての魔法少女を魔女に変え、かつ、私の手で皆殺しにすること。彼女を犠牲にはさせない。
佐倉杏子、魔女になれば、すぐ私が殺してあげる」


「…へへ…神の子はどう思うんだろうな…」

杏子は、笑う。傷だらけの体で、力尽きて倒れながら。

「あんたの愛とやらが成就するか見物だぜ」


「見物になるのはあなたの死に様よ」

ほむらは杏子に近づき、悪魔の矢を弓に番えて、弦をギギギイっと引いた。

くの字にまがる弓弦。

紫色の矢がびかっと煌き、廃墟となったビルのフロアが輝いた。杏子の死を覚悟した顔も紫色に照りついた。

光は強さ増す。

杏子を殺して、さやかが、まどかを見つけてしまうまえに、さやかも始末しよう。

もう、あなたたちとわたしは、仲間ではない。わたしは、悪魔となった。


弓は引かれ、矢は杏子の胸元のソウルジェムをしっかりと狙う。杏子は身動きしない。抵抗なしだ。


今、まさに放たれようというとき、サーベルが飛んできた。

びゅん!と空気を裂いて、まっすぐ、ほむらの頭めがけて。

「…!」

ほむらは反応して、弓を引いたまま背後にふり返って、すぐ矢を放った。


その矢は、飛んできたサーベルに当たり、爆発した。

矢とサーベルの正面衝突だ。


紫色の閃光と、青色の閃光。

光を放つ爆風が廃墟のフロアに溢れる。煙が舞う。風が砂塵を沸き起こらせ、地面は揺らぐ。


パラパラと、断片すら降ってきた。



「いやあーっ、ごめんごめん。危機一髪ってとこだったねえ!」


悪魔が、鋭い目つきをした顔をした。

杏子を殺す一歩手前、サーベルを飛ばしてきた魔法少女の、呑気な台詞が聞こえてきたからだ。


「まっ、ヒーローは遅れてくる、といいますか?魔法少女さやかちゃんの到着だよ!」


青いプリーツスカートに白いマント、手にサーベルを持った青い魔法少女が来た。

72

「おせーよ。さやか」

杏子が、コンクリートの冷たい地面に倒れつつ、笑い、言った。

「神の子は連れてきたか?」


ほむらの目つきが変わる。きっと、鋭く。細くなる。


「いや、ごめん」

さやかは廃墟フロアの地面を見つめた。さっきの鹿目まどかとも会話を思い出して語った。


「まどかはさ……そこの悪魔を認めてしまうようで悔しいけど、やっぱり、まどかだったんだよ。
神様でもなければ円環の理でもない……一人の女の子だったんだ。なのに、アタシらときたらさ、
まどかに対して、魔女を消し去る概念になれとか、悪魔と戦えとか、ひどいことさせようとしてたって、
分かったんだ」


最初は、ほむらによって、まどかが本来の望みすら忘れさせられて、人形のように操られていると思っていた。

すぐにでも、まどかの本当の姿を取り戻さなければ、とすら思って、奮闘さえした。


しかし、この世界に降り立った鹿目まどかが、一人の人間として、自分の気持ちを持っていることを、さやかは知った。

人形なんかじゃない。悔しいけれど、悪魔によって存在を与えられた、立派なひとつの命なんだ。

ひとつの命をもつ少女として、鹿目まどかは存在した。それは、円環の理になってしまうのが怖い、と言った。

だから、さやかは、その少女の気持ちを尊重した。


「なんだそれ?説得失敗ってことかよ」

杏子がははと笑みをこぼした。倒れ伏しながら。

「…」

さやかは、地面をみつめる。


それに、さやかは、ひとつ気づいたことがあった。

いや、ひとつどころではない。悪魔の、言ってることや、やってることには、妙な点がある。

さやかは、ほむらが敵であり、打ち倒すべき悪魔だと思って、ここにきたが、その前に、はっきりさせたいことがあった。


「ねえほむら、いま世界で起こってるこの魔法少女が魔女になる現象。これってぜんぶアンタの仕業なの?」


「…」

悪魔となったほむらは、鋭い眼つきをして、暗闇の廃墟フロアに立ち、さやかを睨むだけだ。

ゴロロロロ…。

建物の外で、また、雷がおちる。壊れた窓ガラスから、雷光が走る。廃墟フロアが照らされる。


杏子なら、この、世界で起こってしまった希望と絶望のサイクルは、悪魔の仕業だと思って疑問も抱かないだろう。

それは、仕方ない。円環の理に導かれたことがない魔法少女だから。


けれど、円環の理に導かれ、そのあと姿を与えられ、いわゆる鞄もちさえした記憶がはっきり鮮明に蘇りつつあるさやかには、
この世界で起こっていることがどんなにおかしいのか、ぽつぽつ疑問が浮き出てくる。


まず一つ目。

そもそもどうして、この世界では魔法少女が魔女になるのか?


円環の理が機能を失った?だとすれば、なぜ?この悪魔が、円環の理を壊したとでも?

それはおかしな話だ。杏子には、悪魔の所業と思えるのだろうけど、さやかには、そうじゃないとわかる。

悪魔のしたことは何か?

円環の理の導きがついにやっときたときに、その救済に叛逆して、女神から、人格、そして記憶を奪いとった。

”人格”と”力”に、切り離された。


それとも、それに飽き足らなくて、人格をもった鹿目まどかという少女を神格化から救うために、本体である”力”すら、
ほむらは奪い取ってのけたというのか。円環の理を打ち壊したというのか。


さやかには、ほむらはそんなことしていないという直感がある。


暁美ほむらにとって、円環の理は、鹿目まどかの願いそのものであって、それを全否定までする気を起すことが、
さやかには信じがたいことだった。


ほむらにとって、人格となった少女も、鹿目まどかであるし、残った円環の理のシステムも、鹿目まどかであるはずだ。

どちらかひとつがとりわけ大切、というのでなくて、どっちもほむらにとっては大切なはずだ。


切り離しはしたが、どっちも大切に想っているはずだ。

だとしたら、なぜこの世界で、魔法少女が魔女になるのか。

そうなって得するのは、どういう連中なのか。


そもそも、暁美ほむらが悪魔となりはてたのは、だれがほむらに何をしたからか。それはどういう目的があったからか。


さやかは確かに、この世界が始まってから、ほむらが敵だと直感してきた。

ほむらは、世界を滅ぼすこともしかねない、悪魔だ、と。


けれど、忘れてしまっていた。ほむらが悪魔であることだけは忘れない、と頭に刻み込んだおかげで、魔法少女にとって、
他にも危険な敵がいることを忘れ、人類に害を及ぼす敵がほむらだけだと限定してしまった。


二つ目。

インキュベーターは人類から手を引いた、と知らされた。

少女と契約しないことで、魔法少女の数を地球上から減らし、ついにはゼロにして、
魔獣やら魔女やらに人類を喰わせようとする連中の計画。人類滅亡計画。呪いの処理の放棄。

これもおかしい。


「ねえほむら。それにさ、インキュベーターが地球から撤退した、っていってたじゃん。それって、
あんたがアイツらが地球から離れることを許したの?あんたからそうさせたの?それとも逃げられちゃったの?」


「…」

悪魔は、冷たい顔をし、口を噤み、鋭い眼つきを変えない。


「…はあ」

さやかは、ため息とともに、サーベルを肩にのっけた。

「ねえさ、ほむら。前にもいったじゃん。全部ひとりで抱え込むんじゃないよって…。教えてよ。この世界で起こってること。
説明がほしいよ。でないと、あたしまた間違えちゃうじゃん。」

さっき、まどかに、円環の理の宿命を迫ったみたいに…。

さやかは、先日の魔獣退治で稼いだグリーフシードのいくつかを、杏子に投げ渡した。

廃墟のフロアを、四角いキューブが飛び、杏子はそれをキャッチする。

「…あなたたちに教えることなんて何もない」

悪魔の声は、冷たい。美樹さやかたちに、何も頼らないと決め込んでいる。

「この世界には、魔法少女が生きることは許されない。わたしが一人残らず、殺すしかない。いったはず…」

弓をもち、戦闘態勢をとる。


杏子はすっくと立ち上がる。魔力を回復し、ソウルジェムを浄化し、戦闘態勢に立つ。


ほむらの後ろには、佐倉杏子。前には、美樹さやか。

挟み撃ちだ。


「勝ち目があると思う?」

冷たい声が、杏子とさやかの2人に告げた。


「そっか。あんた、アタシたちと決別してるんだね」

未練は残る。

記憶が鮮明に蘇り、円環の理の使いとして、ほむらを助けにゆき、そうまでしてほむらを救いたかった女神の想い。

それが、こういう結果に終わることが。残念だ。


でも、悪魔は聞く耳もたないし、というより、もう、わたしたちとの決別をとっくにしていて、その決意が、
変わらないのだ。

「戦って明かすしかないんだね!」


さやかはサーベルを握って、ほむらめがけて走り出した。

杏子も走り出した。槍を手に構えつつ。


ほむらを挟み撃ちして駆け出す前後の2人は、同時に、悪魔に攻撃をしかける。


「それ!」

さやかはサーベルを突き伸ばした。

はらり、と黒髪をなびかせてよけるほむら、剣先は当たらない。胸をすれすれにしてかわす。

「これでもくらえ!」

杏子が槍を水平にふりまわす。ほむらの顔面に迫る。

ほむらはすると、頭をさげて、胸を反らせる。その真上を槍の軌跡が通り過ぎた。優雅に黒髪がゆれた。


「隙ありっ!」

背後にまわりこんださやかのサーベルが、ほむらの背中を狙う。「これでどうだ!」

サーベルの剣先は、まっすぐのび、ほむらの背へ。

ほむらは気づいて、くるっとさやかに振り向いた。剣先をかろうじでよけて、さやかの真ん前に立つ。

「…は?」

さやかは目を大きくした。


次の瞬間、ほむらの持つ弓が、力いっぱい振り回されて、さやかの頬を直撃、吹っ飛ばされた。

「あぐ!」

さやかは、廃墟となったフロアのラーメン構造をしたコンクリート鉄筋柱の一つを叩き割る。

そして地面に倒れ伏した。白いマントがはたっ、と風になびいた。


「余所見してるんじゃねえ!」

杏子の槍が再び伸びる。

弓をふるってさやかを殴ったほむらの後ろをとり、腰に槍を刺そうとする。

ほむらはまた、くるりとまわって、槍を伸ばした杏子の背後を逆にとった。


「なっ…!」

杏子が、槍を突き出しながら、ほむらの俊敏な動きに目を瞠っても、もう手遅れ。

ほむらの動きはまるで円舞を踊るかのようだ。どの攻撃も、あらかじめ知っているかのように、
華麗にかわしてのける。


澄ました顔したほむらは、杏子の槍をやりすごして、平静に、背中を弓で叩いた。

「あぐ!」

背中を弓で叩かれた杏子はバタンと倒れ伏した。


さやかは立ち直り、タタタと走ってくると、サーベルをふるって、ほむらに斬りかかった。

ほむらは弓で受け返した。バチチ。紫と青の魔力が衝突しあい、火花を散らす。

「ほむら!こんどは何抱え込んでるのは知らないけど、そんな調子じゃ、まどかを悲しませるだけだよ!自分で気づかないの?
さあ教えてもらおうか!インキュベーターは今どこにいて、何してるっていうの!」

「おめでたい人。何度いわせる気?インキュベーターは人類から手を引いたの。魔獣にしろ魔女にしろ、
それを倒す魔法少女が契約で新たに誕生しない未来は、もう、闇なのよ。そこを生きる悪魔が私」


「だから、それを一人で抱え込むなって、いってるでしょうが!!」

さやかはサーベルをふるい、ほむらに、何度も斬りかかる。

ほむらはサーベルの斬撃をみきって、かわしてゆき、そして弓弦をふるってさやかを追っ払う。

「あぐ!」

弓を腹にうけたさやかは、また廃墟フロアでふっとぶ。ラーメン構造をしたフロアの柱に当たり、柱は砕けた。

「さやか!」

杏子が走ってくる。「ほむら!てめえ!」


今度は杏子の番。ほむらの弓と、槍が、激しく交わる。ガチンガチンと、あちこちで2人の武器が激突し、
火花を散らした。


そのたびに紫色や、赤色の閃光が、暗い廃墟フロアをぎらつかせて照らした。


ほむらの庭の創造から6日目は、やがて、夜を迎えた。

73

戦果は、悪魔の勝利だった。

五分五分の戦いにみえたそれは、実際には、あまりに絶望的な戦いだった。


悪魔と魔法少女の決戦の、最大の違いは、悪魔は力を使い放題だが、魔法少女たちには魔力に限りがあることだった。

つまり、美樹さやかも、佐倉杏子も、魔力を使い果たした。

全てのグリーフシードも使い果たして、かつソウルジェムの残量も使い果たした。


2人のソウルジェムは黒くなり、魔力が尽きて、2人の変身は解けた。そして、さやかも杏子も、2人ともバタリ、と、
廃墟フロアの冷たいコンクリート地面に突っ伏して倒れた。

普段着のパーカーと、見滝原中学の制服に戻った、杏子とさやかの2人は、2人で廃墟ビルの天井を虚しくみあげた。


悪魔は去った。

2人の染まりきったソウルジェムを見て、もう相手しなくなって、廃墟ビルの壁にあいた穴から町へ飛び去った。
焼け野原の町へ。


「…バカ。だから、神の子を連れて来いっていったんだよ」

どろどろと澱んだソウルジェムを、手に握りつつ、杏子は声をだして呟く。

もう、ほんのわずかな体への刺激が、魔女化を呼び起こしかねないくらいの状況だ。

「あっはは……ごめんね、杏子。アタシたちだけでいけるかなーっと思って」

傷だらけなさやかも、手元に青いソウルジェムを握っている。しかし、青色といっても、
深海の底のように澱んでいて、輝きはない。


「魔獣を倒して町の平和を守るのが魔法少女だと思ってた」

杏子は、何もかも諦めた声を出して、人生を振り返る。

「もとはといえばそういうの、憧れてたし。けど。それが、鹿目まどかってやつの願いの上に成り立ってた、
あたしらの像だったなんてね。本当は、人を呪う魔女の姿だったんだ」

「円環の理になることを決意したまどかと、今、この世界にいるまどかは、ちがうんだ」

さやかは語った。アメリカから帰国子女として日本に戻ってきたまどかとの思い出を。それは、たった6日間の思い出だった。
さやかからしてみれば、そのまどかとは友達というより、神の子であった。

むこうが、どんなに、さやかのことを親友だといっても、さやかには、神の子以上にはならなかった。

それでも。

最後の最後には、理解することができた。今のまどかの心情を知ることができた。

だから、さやかはやめた。今のまどかに、神の子である宿命を迫ることは。


結果としては、悪魔の勝利に終わった。


「不器用だなあ、あたし」


廃墟ビルの、激しい戦闘の跡か残っているフロアは、コンクリートの柱があちこち破壊されていて、
瓦礫と断片が、床にちらばって溢れている。


「世界の魔法少女の絶望と、たった一人の、あたしを親友と呼んでくれた子の命とを、とっさに正しく選べないなんてさ。
あたしら、魔女になったら、悪魔に殺されちゃうんだろうなあ」


マミさんだったらどっちを選んだだろう?なぎさだったら?他の魔法少女たちは?どっちを選ぶ?

杏子もさやかも、2人で頭を並べて、天井をぼんやり眺めていた。力をなくして。



たぶん、世界中でも同じことが起こっているのだろう。

東洋でも、西洋でも、はるか南の国でも、インキュベーターが人類から手をひいて、魔女ばかりが数を増してゆく。

戦闘疲れした魔法少女たちはやがて魔力残量を尽かせる。


なのに、魔女は一日、一日追うごとに、倍に増していく。

ナイトメアさえいるし、魔獣だって沸く。世界はメチャクチャだ。破滅の世界だ。


そして、全ての魔法少女が魔女となり、魔女が焼き滅ぼされたとき、悪魔の世界が実現する。

まどかとほむらの2人が生きる。行き着く果ての楽園か。

「あたしが魔女になったら……さやかが殺してくれ」

杏子が、口からぜえぜえ、絶え絶えな息を吐きながら、言った。

「悪魔に殺されたくない。これでも教会の娘だったんだ」


「やだよ…杏子。あたしに殺させないでよ」

さやかのソウルジェムは黒い瘴気を放ち始める。

ああ…。私の魂から、邪悪なものが噴き出ている。なんて穢れているんだろう。

奇跡の代償は重すぎる。これを、軽くしてくれたのが、いや、希望のまま終わらせてくれたのが、
神様だったのに。

今の鹿目まどかはそんな記憶はない。魔法少女のまの字も知らない。


「魔女になりたくないのら、自分でソウルジェム……叩き割ってよ」

諦めた声で、さやかが言う。


「だめなんだ……できない」

杏子は語った。その顔も体も、傷だらけだ。

廃墟ビルのフロアは、槍の切り傷がコンクリート壁のあちこちに生々しく残されていて、
サーベルの裂いた跡も、柱のあちこちに刻まれている。

悪魔の放った弓矢の火が、崩れた柱の瓦礫の山の上で燃え続けていて、赤々と光を放っていた。


「父さん…ごめん」

杏子は、目に涙ためて、口を手で覆って、父に謝った。家族心中して、今も地獄にいる父にむかって。

「最後の最後……父さんの教義、守れなかった。こんな娘で……ごめんなさい」



ソウルジェムが孵化をはじめる。

「───ウッ!」

杏子の顔が苦痛に歪む。全身に走る邪気に、寒気がする。脱け殻から魔女が誕生する瞬間がきた。


「杏子!」

さやかは、最後の力を出し絞って起き上がり、魔女化のはじまった杏子の体をゆさぶった。

「しっかりして!杏子!あんた、言ってたじゃん。この力で好き放題するんだって……自業自得の人生を、
これからは取り戻すんだって……そんな終わり方でいいの?杏子!」


悪い夢をみた、といっていた。

さやかがいなくなってしまう夢。それは、夢じゃなくて、むしろ現実だったのか。

いや、現実は、杏子の魔女化と、さやかの魔女化。

「あうう!」

ソウルジェムの黒みが増す。もう、ソウルジェムの形をしていない。魔女の卵の形をしている。

軸が通り、結界を生み出している。


「杏子のバカ!」

さやかは叫んだ。

「魔法ってのは徹頭徹尾、自分のために使うものなんだって。今のわたしには分かるんだ。あんたの言葉が。
人のために魂を捧げるって、むなしい。だから、杏子!あんたが魔女になったら、あたしは、
だれを見て生きていけばいいの?杏子…!」

たしかに美樹さやかには、命をかけても叶えたい願いはあった。

しかし、叶ったあとの人生は?ぽっかり、空洞ではないか。願いごとがあったから、と言い聞かせても、
むなしさは、毎日、つきまとう。それを、これからは自業自得の人生を取り戻せと勇気付けてくれたのは、
杏子だったのに。

思いもかけず再び人の人生を与えられたって、魔法少女として生きるんじゃ、杏子がいなくちゃ、
もう先に進む勇気もでてこない。あたしはそこまで立派になれてない。

「杏子!!」

どんなに叫んでも、訴えかけても、魔女の孵化は止まらなかった。

「あああっ!!ああ゛ああア!」

最後に耳に入ったのは、杏子の死の叫びだった。杏子の、自業自得の人生は、終わった。


魔女になることは、魔法少女とって死を意味する。魂が根こそぎになるからだ。



そこには、死体があるだけ。相転移が発火した産業廃棄物としての瘴気が残るだけだ。


さやかは、膝を折って、魔女が誕生した結界の形成を、呆然と眺めていた。

武旦の魔女の結界を。


「…う……うう…!」

魔女を眺めているさやかの目に、悲しみが溢れてきた。

「杏子……!」


もし、神の子を、説得さえしていれば、こうはならなかっただろうか。

杏子が、必死に悪魔と戦っていたから、さやかはまどかを呼んだ。私たちと一緒に、戦って、と。

さやかは、結局、まどかを逃がした。まどかを、一人の少女として、その意思を尊重して、逃がしたのだ。


神の子はこの町を去った。


その結果がこれではないか。

さやかは、最も大切な親友の佐倉杏子すら、見捨てるに等しい失策を、してしまった。



円環の理が復活さえすれば、こうもならなかったのに!正しく導かれたはずだったのに!

そんな、さやかに出来るせめてものことは。責任とは。


この魔女を殺すことだ。

武旦の魔女。生前は、殺してくれとさやかに頼んだ。

「バカな杏子…!いいよ、わかった。杏子、殺してあげる……」

さやかは立ち上がり、絶望的な色に染まり果てたソウジェムを手元に翳して、魔力を解き放つ。

元々、殺しあう仲だった。ある意味、さやかと杏子の別れに、ふさわしい。

「あたしがあんたを殺してあげる……!」

魔法少女姿に変身し、サーベルを握ると、さやかは、結界の中に飛び込み始めた。


が、そのとき。


「あっ…?」

ふらっと、足元がふらつき、力が失せた。

体がいうことをきかなくなって、バタ、と前向きに倒れた。

変身がまた解けた。


「───うっ!?」

次の瞬間、激痛を胸が襲った。


「ああっ…がっ!」

胸を手が押さえる。この苦しさはなんだ。呼吸すらできない。

「ああっ…あ…!」


そしてさやかは知った。自分にも魔女になるときが来たのだと。奇跡の代償を支払うときがきたのだと。

鹿目まどかという少女に、自分の代償を押し付けず、きっちり、自分で払うときが。

「うう…ぐ…!」

苦痛が激しくて、身動きできない。全身に寒気がする。胸が苦しくて、何か、体にたまってきた邪気が、
湧き出そうとしてくる。自分の体に眠った悪鬼が、殻をやぶろうとしているような、ひどい悪寒だった。


「あう…う」


もう、だめ。

ソウルジェムには一点の輝きもない。


体がいうことをきかない。というより、脱け殻をコントロールしていた本体の魂が、壊れてしまって、
心にたまった妬みと恨みの化身を生み出してしまう準備をしている。


「やめて……!やめ…て!」

口が動いた。悔し涙を流している自分に気づいた。

「やっぱりあたし……なりたくないよ…魔女になりたくない!…」


取り逃がしてしまった神の子の姿が脳裏にうかぶ。

ああ、逃がしてしまった。円環の理を。魔法少女を救う神を。


まどかは、まどかだったから。

今更、神の子を逃がしたことを、ちょっとだけ、後悔しそうになるなんて。


───正義の味方、失格だよ、あたし…。


「───ああっ!」

心が負けた瞬間、魔女の孵化する刻は訪れた。ソウルジェムはグリーフシードの形になって、
結界を生み出していた。

もくもくと黒雲がたちこめていく。ああ、これが心にたまった呪いの大きさだ。

「…あああっ…ああ…」

さやかは、自分の生み出す結界をみあげ、そして。


「あ…ああ……あ」

安らかに、力尽きて、眠った。

今日はここまで。
続きは、2~3日後に、投下する予定です。

つまりこのSSでは、インキュベーターは地球よりずっと文明の進んだ上に選民意識の高い宇宙人の皆々様に、
地球みたいな「自分たちよりレベル低い星」を菜種油みたいにすりつぶして
エネルギーを提供する、電力会社か石油会社みたいなもんか。

で、円環の理という油田かウラン鉱脈かとも呼ぶべき資源を得て、
(しかもまどかという管理人は、ほむらという地球代表のイスに座った『馬鹿なヤンデレ中学生』(注:宇宙人視点)
 によって植物状態だから、文句も危険もなくエネルギー取り放題だし、その真相を知ったら逆上しそうなほむらも勝手に死んでくれた)
それを顧客である「ハイソ宇宙人」の皆様に、悠々提供し続けてる、と。

……エネルギーがなきゃ宇宙が破滅する、というのも、単に「ハイソ宇宙人」の社会が破綻する、って意味合いでしかないのか、こりゃ。

つまりこのSSでは、インキュベーターは地球よりずっと文明の進んだ上に選民意識の高い宇宙人の皆々様に、
地球みたいな「自分たちよりレベル低い星」を菜種油みたいにすりつぶして
エネルギーを提供する、電力会社か石油会社みたいなもんか。

で、円環の理という油田かウラン鉱脈かとも呼ぶべき資源を得て、
(しかもまどかという管理人は、ほむらという地球代表のイスに座った『馬鹿なヤンデレ中学生』(注:宇宙人視点)
 によって植物状態だから、文句も危険もなくエネルギー取り放題だし、その真相を知ったら逆上しそうなほむらも勝手に死んでくれた)
それを顧客である「ハイソ宇宙人」の皆様に、悠々提供し続けてる、と。

……エネルギーがなきゃ宇宙が破滅する、というインキュベーターの触れ込みも、
単にお得意様である「ハイソ宇宙人」な皆様の、エネルギーバンバン使いまくりなゼータク社会が破綻する、
って意味合いでしかないのか、こりゃ。


……真にエネルギーが枯渇したヨソの宇宙に丸ごと食われてしまえ、こんな宇宙。

QB達の中で現場に派遣されてる連中とそれを統括してる連中がいるってだけだろ
QB以外の種族が関与してるとかこのSSのどこを読めばそうなるんだ
国語のテストの成績悪かったクチか

>>555
>QB以外の種族が関与してるとかこのSSのどこを読めばそうなるんだ


>人類は危険すぎるので、宇宙にそしめく文明の知的生命体たちの不安をそぐため、人類の処分を決定する。

このへん。
『ほかの宇宙の知的生命体が、地球人類に対して不安に感じてるので、QBはこの方策で地球人類を処分する』
と読み取れるので。

80

暁美ほむらにも想像つかなかったことだったが、一つの円環の理が、人格と神の二つに裂かれたとき、その二つは、
相反する精神を形成した。

早い話、裂かれて、人に戻った鹿目まどかでさえ、円環の理の叛逆者となったのである。

人に戻った少女である鹿目まどかは円環の理に戻りたくなかった。人として生きたかった。


たとえ自分が、円環の理としての女神であり、それが本当の姿であり役割だと思いだしたとしても、
人としての姿を再び得たまどかは、人として生きたいと願った。

一言で言い換えれば、「わたしは、円環の理をやめる」。


しかしそれは、鹿目まどか本人が自身の願いを裏切ったのであり、世界の魔法少女たちを裏切ったことになる。

磔刑になったのは、必然か。


だとすれば、人としての鹿目まどかは、もとより、円環の理に戻る他、選択肢はなかったことになるのか。


だから、まどかは、磔刑になり、天の白い神、つまり白いドレスの女神をまぼろしにみたとき、問いかけた。

「なぜわたしを創られたのですか。」


人としての姿が、わたしに再び与えられたのは、なぜですか。

円環の理になる決意を、二度させるためですか。

人として生きる選択肢なんて、はじめからなかったのですか。

だとしたら、なぜわたしは、人としての命を再び与えられたのですか。


円環の理を拒絶する決意をしたまどかは、暁美ほむら、インキュベーターにつづいて、円環の理の叛逆者になった。

たとえ、世界のすべての魔法少女が、魔女になろうと、わたしは、人として生きたい。

それは当然、魔法少女たちを怒らせるので、まどかは磔刑にされた。


人としての姿を与えられて、人として生きたいと願うまどかと、女神となり、魔法少女たちを救いたいと願うまどか。

みよ、ほむらでも想像できなかった、まどかとまどかの対立が、二つに裂かれたことによって、引き起こっていた。


では、どちらのまどかの願いが、尊重され、大切にされるべきなのか。二つに一つだとすれば…。

まどかを磔刑にした魔法少女たちは、もちろん、後者のまどかを選ぶ。

一方、美樹さやかは、はじめては後者のまどかを選んだが、最後には、前者のまどかを選んだ。


巴マミは、後者のまどか寄りだった。円環の理の存在を強く信じていたから。

鹿目まどかとは、円環の理となることを決意した少女。そう想っていた。


佐倉杏子も、後者のまどか寄りだった。というより、まどか本人が、人ととして生きたいと願っていた本心を知らなかった。
だから、鹿目まどかとは、円環の理が現世に降りた少女である、くらいにしか思ってなかった。

最後には、自分たちが、魔獣と戦う、そんな町の平和のために戦える自分たちがあるのは、鹿目まどかの願いのおかげだと痛感して、
まどかに敬意を示した。しかしやはりそれも、まどかを円環の理としか見てなかった。


暁美ほむらだけが、はじめからさいごまで、「女神」としてでなく「人」としてのまどかを大切に想ってきた。


鹿目まどかが、ほむらのもとにきて、「わたしにはほむらちゃんしかいないの」と言った言葉には、そんな想いも、
込められていた。

ほむらしか、まどかのことを、「人」としてみてくれなかったから。


まどかは理解していた。

身の回りの人たちがことごとく、自分を「女神」としかみてなかったのを。

さやかに、あんたは神様だったんだ、といわれたときに、まどかは理解した。


百江なぎさと名乗った幼き少女が、公園にて、まどかに今の世界が好き、この世界を大切にして、
と意味深なことをいってきたのも。

巴マミという先輩が、屋上にて、畏敬をこめてまどかを眺めてきたのも。

まどかを、「女神」としてしか、みてなかった。


しかし、ほかでもないまどか本人が、円環の理に叛逆したとき、この悲劇は起こった。

叛逆者としての鹿目まどかは、罪びととされ、磔刑になり、死んだ。

すると、まどかの魂のなかに封じられていた、別人格のまどかが、蘇る。


磔刑のまどかは復活した。

しかし、人として、の復活ではない。

復活にみえるそれは、「人」としてのまどかが死に、「女神」としてのまどかが顔をだしただけだ。


さて、鹿目まどかは、力を解き放ち、女神の姿となって、丘に君臨する。

天に君臨する女神から、たった一つの使命を与えられ、世に降り立つ。

円環の理を封じるインキュベーターの罠に捕われた天の女神の代わりに、裂かれた分身の神の子が、
のこされた救済のすべてを、担う。


一歩一歩、てくてく、と、ガラスのようなヒールの靴で、丘から大地へ歩み始めると、ゴスロリ魔法少女たちの数人が、
あとを追うように、ついてまわってきた。


概念としての、あの古い円環の理は、宇宙を舞ったり、時間軸から時間軸へ、飛びまわったりもした。


だが、この人格のある女神は、実体のある人の子として、肉の制約をもちながら、大地を渡り歩く。

そのドレスに包まれた白い足で。

概念でも、霊体でもない。


誰の目にも入るし、誰の手にも触れられる。


それは、逆にいえば、非常に危険な状態にある女神ともいえた。


その背中は無防備で、撃てば銃弾が当たるし、目に入るということは、世界中の人、動物、
果てはインキュベーターの目にも、悠悠ととまる。


だから、戦いはもう、はじまっている。

救済のための最終決戦だ。


丘をおりると、すでに、コンクリートの砕けた建物に佇んでいた、世界あちこちからやってきた魔法少女たちのうち一人が、
まどかの背丈───中学二年生くらいしかない、しかし姿は女神である、神の子に近づいてきて、
その前にきて、膝を折って、懇願した。


「わたしたちを癒やしてください。救ってください。私の希望はいま、呪いによって、終わろうとしています。
なぜ、希望をもった私が、こんなに苦しいのでしょう。希望を持つことは、間違いだったのでしょうか。
お救いください。」


「あなたに言います。」

女神は、その魔法少女に対して、口で答えた。

「わたしの救済とは、理ではなく、心によるもの。あなたの魂を穢したものを、わたしが、心に受け止める。
それは、あなたに代わってわたしが穢れ、わたしが傷をおうことです。あなたたちは、だれかを救ったぶんだけ、
それがたとえ自分のことであっても、他のだれかをのろわずにはいられない。すべてあなたがたはわたしを呪うようにします。
わたしを呪い、わたしが呪いを受け止める。あなたがたは癒やされる。」


魔法少女が顔をみあげて、女神を見上げた。

純白のドレスを、ひらひらと、神秘的な風にゆらめかせる女神の輝きを。

「わたしは、そうなるために、この世に降り立ちました。あなたのソウルジェムは、白くなり、救済され消滅する。」


魔法少女は、恐るべき気持ちになりながら、自らのソウルジェムを女神に差し出した。

そして、これから何が起こるのか、自分の魂に何をされるのか不安をおぼえ、顔は怯えた。


女神は、膝をおり、跪いた魔法少女と頭を同じ高さにして、やさしく微笑みかけ、そして、
魔法少女のソウルジェムを女神の手に包み込んだ。

すると、どうだろう!

黒ずんで、絶望的に染まったソウルジェムの穢れが失せてゆき、白くなって光るではないか。

そして、光に包まれたあとは、卵のようにぴかぴかとなって、それはただの白い石となる。その白い石は、
虹のような光を放ちながら、やがて、消える。霧のように。

女神に魂を差し出した魔法少女は、死んだ。ばったり倒れて、動かなくなった。


それをみて、ゴスロリ服や、剣士の魔法少女、それから、女神のまわりの集まってきた魔法少女たちは、
恐怖と、畏怖の混ざった顔をし、女神の奇跡について、こう語った。

「救済者が降り立ったとき、われわれは癒やされる。本当だった。そして、そのぶんだけ、女神が、
傷をおい、引き裂かれ、穢される。」

そう。そうだった。

魔法少女のソウルジェムの穢れが消え去ったとき、黒い瘴気のようなものは、女神の体と、肉にしみこんでゆき、
ドレスをまとった体は傷を負い、血に染まってゆき、女神は、金色の瞳をした顔をゆがめて、苦しむ。

「あっ…あっ…ああ゛ッツ!!」


女神は苦しんでいた。

魔法少女の生み出す因果を、絶望を、呪いを、概念体としてではなく、肉をもつ実体の人格として、受け止めているのだ。

それは、かつての宇宙を再編した絶対的な力をもつ円環の理による癒やしより、はるかにあぶなっかしい救済だった。


本来は、膨大なエネルギー、それも、宇宙の熱的死すら覆すほどの猛烈な感情エネルギーの爆裂を、その肉に、
受け止めているのだから。

希望と絶望の相転移を、その一身に、受け止めているのだから!


神の子の肉体はボロボロになる。


ドレスをまとった腕は、傷だらけになり、心は穢れる。腕だけでなく、背中にも、腹にも、
女神のからだじゅうあちこちが、傷を負う。

血まみれとなった女神をみて、一人の魔法少女が、涙ながらに女神の前にでてきて、膝をついて言った。

「女神さま、円環の理さま。もう、やめてください。わたしたちは、傲慢でした。円環の理が世界に存在すると慢心して、
自分たちが何しても、その因果は、あなたが受け取ってくれると甘んじていました。
いま、私たちの慢心が、いかにあなたを傷つけているのかを知ったのです。本来なら、私たち自身が支払う
ことになる奇跡の代償を、どうして、あなたに押し付けることができるのでしょう。それ以上、
ご自分を傷つけないでください。穢れないでください。わたしたちは、運命を受け入れて、魔女となります。」


「あなたに言います、わたしを気遣う魔法少女のあなた。」


女神は、血を体じゅうから流した体をしたまま、その魔法少女に、語った。


「わたしは、あなたがたの因果をすべてこの身に受け止めるために、世界に降り立ちました。かつて概念だったわたしは、
わたしを愛する一人の少女によって、理と心の二つに、裂かれました。わたしは、心です。理は死んでいます。
インキュベーターが捕獲したからです。しかし、心は捕獲されません。彼らは心を理解しないからです。
理が死んでいるいま、残された戦いは、心にのみ託されているのです。わたしは、あなたがたを救済し導く者となるために、
人の子として世に降り立ち、誰からも忘れられる孤独と、肉体を裂かれる苦痛を味わいました。そして、
人の子としてのわたしは、死を遂げたのです。しかし、わたしはくじかれません。人の子として一度降り立ち、
死ぬ最後まで、孤独と苦痛を耐え抜いたからです。」


といって、目前に出てきた魔法少女の頭を抱きしめ、そして、魂を癒やした。

「あっ…ああ…」

魔女化も寸前だった魂が、癒やされてゆき、魂は真っ白になる。そして、消える。


そのぶんだけ、噴出した絶望の瘴気は、女神の肉へ染み込んでゆく。

女神の体はさらにずたぼろになる。


「ああ……ああ゛…あ!」

女神は歯をかみしめる。ドレスは、もう、真っ赤だ。

しかし、未来永劫につづくこの救済と、人の痛みをこの身に受け止める苦痛を、永遠に耐え抜くために、
人の子はいちど死んだ。

そして、すべての魔法少女の苦しみを受け取る女神として、復活したのだ。


膨大なエネルギーを発生されるソウルジェムの爆発を、肉体の中で消化する女神の苦痛は、相当なものだ。

体の中では、宇宙規模の爆発のようなものが、起こっているのかもしれない。


円環の理の一部として、肉をもちながら、その癒やしの奇跡をおこなえる女神は、渡り歩く。

救済を求める魔法少女たちの希望に、応えるために。

81

こうして女神は、まだ何千人と救済者が待ち受けている町を、渡り歩き、癒やして行き、あらゆる人の痛みと苦しみを、
一身に受け止めて癒やしていった。

誰がどうみたって、女神は人として限界の傷をおっている。頬にも、額にも、腕も、ずたぼろだ。


しかし、他人を救済することを、まったく躊躇しない女神は、また他人を癒やす。

魂を穢した呪いと、悲しみ、孤独を、すいとってゆき、その体に消化してゆく。


「…あああ゛。──あ゛アッ!」

女神は、唇をかみしめて、他人を癒やす苦しみに、自ら耐える。


救済された魔法少女は、虹色の光に包まれつつ、死ぬ。人として死ぬ。絶望のなれの果て、魔女にはならない。


ゴスロリ服の魔法少女や、剣士の魔法少女たちは、目を瞠って、女神の救済行動をじっと見守り、
背中についてまわった。

かわいそうに、美しい純白のドレスの背中も、引き裂かれたように傷が生まれ、誰かを救済するたびに、
傷は増え、血に染まる。



一人の魔法少女が、女神の前にでてきて、膝をついて、言った。

「なぜ、そんなにも苦しくて、痛ましいのに、救済をつづけるのですか。ご自身を救われないのですか。
わたしとあなたは、本来、他人同士ではありませんか。他人のために傷を負い続けるとでも、いうのですか。
それに耐え続けるというのですか。そこに人の心があるとでもいうのですか。」


「あなたは、わたしを試すのですか。」


女神は言い返した。ぼたぼた、血が滴る。


「自分を救う誘惑に、あなたはわたしを陥れるのですか。わたしは、最後の一人の救済がおわるまで、
止まりません。だれにも止められません。わたしは救済をつづけるのです。かつてわたしが、自分で、
そう決めたからです。かつて概念だったわたしがしていたことを、肉体の子として、つづけるのです。」

といって、その魔法少女の魂すら、浄化した。

浄化された魔法少女は死んだ。しかし、魔女には成り果てなかった。

「かつてわたしが、この決意をしたとき、大切な友達が、わたしにいいました。それは、死ぬなんて生易しいものでなく、
どれほど恐ろしい祈りになるのか、と。わたしは、理と人格とに裂かれ、人の子として一度おりたち、
人の苦しみと人の呪いを受け止める痛みを、この身をもって味わいました。いま、わたしは、円環の理になること
の苦痛を知っている。わたしは、あなたがたに言う。わたしは、円環の理になる。」


つづいて女神は、すでに魔女化してしまった魔法少女のなれのはての結界に入る。

人魚の魔女だ。


「あなたがたに言います。」

女神は、人魚の魔女をみあげて、告げる。

「魔女に身を落としたあなたがたが、”わたしは女神に救われなかった。わたしは、救われる資格がなかった”
と言いながら、絶望などしない。あなたがたは、だれものろわない。たたらない。その姿になったあなたがたの因果を、
私が受け止める。」


といって、手をかざす。

さの手に、ばらの花が咲いた大きな弓があらわれた。


ピンク色の美しい弦を張り、その弓に、矢を番える。

そして、放った。


一本の美しいピンク色の矢が、人魚の魔女をさす。

すると、どうだろう。


魔女は消えてゆき、グリーフシードが落ちる。

そして、女神が、そのグリーフシードをもちあげ、大事そうに胸に抱きしめて、瘴気を吸い取るではないか。


グリーフシードが、ぽろっと、ソウルジェムに戻る。そして、やがてソウルジェムに戻ったそれは、
卵のように真っ白になり、白い石となって、やがて霧と消える。


魔女になりたくない、魔女になりたくない、と泣きながら魔女になった美樹さやかは、救われた。

その絶望を、かわりに、女神が噛み締めてくれた。


「わたしは、新たな国を打ち立てる。」


魔女を救済した女神は、告げた。


「そこは、わたしが住むための国であり、この世界から私の一切を消し去るための、わたしの住処になる。
わたしはこれを言います。あなたがたはわたしを完全に忘れ去る。あなたがたは、わたしの国が打ち立てらたれとき、
この地上で、わたしのいかなる姿も描けず、わたしの名も口にすることができなくなるほどに私を完全に忘れ去る。
わたしに叛逆しようとしたり、制御しようとする者が顕れないようにするためである。
救済されたあなたがたでさえ、そこでもやはり、あなたがたは、わたしのいかなる姿も描けず、
わたしの名を口にすることもできなくなるほどにわたしを完全に忘れ去る。かつて円環の理は、たくさんの人に想像され姿を描かれ、
その名を口にされたばかりに、制御されたのです。わたしの新しい国は、完全に、だれの目にも耳にも、口にも触れられない、
不可侵の女神の住処となる。だれかが、わたしの存在を想像に描き、わたしの名を覚えているという奇跡は、
二度と決して、起こりえない。それは奇跡ではなく、綻びになる。」


「円環の理さま、どうか、おひとりにならないでください。」

誰かの魔法少女か、また、女神の前にでてきて、懇願した。

「永遠に一人となり、傷だらけとなって、救済をつづけるというのですか。誰からも忘れられて、
孤独で、その救済に対してだれからも感謝もされず、報われない。そんな永遠の孤独を、生きるというのですか。
どうか、そのような道に、すすまないでください。思いなおしてください。」


「女神が、一人でいるのがよくないのなら、わたしは、助け人をたてる。」


女神は、答えた。

魔法少女たちは、その助け人とは、だれのことなのか、分からなかった。


だが女神は、このとき、地上に落ちたダークオーブを、手にとって拾った。

両手に抱えて、大切そうに。

82

女神は、たくさんの魔法少女たちを救済した。

魔女化した杏子やグリーフシードとなった百江なぎさへ巴マミも救済された。みな、救済の国へと旅立った。


世界から集ったあらゆる魔法少女たちが、何千人と、救済されてゆき、のこるは、ゴスロリ服の魔法少女たちや、
剣士の魔法少女たちの一団となった。


もっとも、世界には、まだまだ多くの魔法少女がいる。

しかも、別の時間軸には、まだまだ、別の時間軸を生きる別の魔法少女たちが、何千人と、いる。

すべての時間軸を渡り歩き、救済していかなければならない。女神は、その永遠とも思える救済のために、
この世に降り立つ。


「女神さま、円環の理さま。」

ドレス姿の魔法少女が、これは、ゴスロリ服の魔法少女の仲間であったが───女神に、たずねた。

「助け人とは、誰のことですか。この永遠にもおもえる、あなたの救済に、だれが共にいるというのですか。」


「わたしを、いつも助けるために命をかけてくれた少女がいます。わたしは、その人を助け人に選び、
永遠を共にします。」



女神は答え、そして、丘へと戻った。

この地上の魔法少女たちを救済し、丘に降り立ち、そして丘にもどる。


女神がヒールで歩いていく足跡には、血がにじんでいる。さながら血の足跡だ。

ぼたぼた、体から血をながして、瓦礫だらけの町に、滴らせている。


丘をのぼった女神は、樹木のロープに首をつって自殺した暁美ほむらを見い出し、そして、言った。


「わたしのために、命を吹き返してください。わたしには、助け人が必要です。わたしは、永遠の孤独にも、
苦痛にも、耐え切れます。人の子としてそれに耐え抜いたからです。けれども、誰かを助けるために、
命を何度だって投げ出す心を教えてくれたのは、あなたではありませんか。わたしには、あなたのような心をもつ人が、
そばにあってほしいのです。」


といって、女神は、他の魔法少女たちが見守っているなかで、ほむらの落としたダークオーブを手に、包んだ。

優しく。


そのダークオーブには、自殺を試みて、傷つけたようなあとが、たくさん残っていた。しかし、ダークオーブは、
悪魔の力によっては、破壊されなかった。

女神は、そのダークオーブをもって、癒やした。

禍々しい光を放つそれは、やがて、瘴気と呪い、傷心の闇を、とりのぞいて、浄化されてゆく。

代わりに、女神の愛を注がれた。

「あなたは天にいますもうひとりのわたし、つまり円環の理の一部をもぎとって、悪魔に成り果てましたが、
その力とは本来は、わたしのものではありませんか。あなたのダークオーブに眠る力とは、
円環の理の力ではありませんか。いま、あなたの中に眠るわたしの力を、わたしの手が醒まします。」


まどかの力をつかまえた、ほむらの手。

ほむらはそれを、この手に、まどかを閉じ込めてある、と言った。まどかの一部が、自分の中にもあることに、
嬉しくて、酔ってしまって、つぶやいた言葉だった。


さあ、まどかの一部であった力をつかまえたほむらは、覚醒したまどか本人に、力を呼び覚まされた。


ぴく、と暁美ほむらの瞼がうごき、そして瞼をひらいた。

ダークオーブは、まったく別の宝石────に、変わった。

あえていうなら、結婚指輪のようなものに。


ブツンッ

ほむらの首を吊っていたロープがきれる。


「うう…けほッ──!けほっ!」

ほむらは、むせながら、目をぎゅっと閉じ、呼吸に喘ぐ。


そして、はっと目をあけて気づくと、そこには、女神がたっていた。

白いドレス。袖も、丈も、あちこち、血に染まっている。神秘の風にふかれている。

それを纏うのは、救済神、鹿目まどか。

いつか見た笑顔。優しい眼差し。しかし、体は女子中学生。概念体ではない、女子中学生の体をした女神。


「まど……か…!」

ほむらは、絶望の目をした。鹿目まどかを、円環の理という、残酷な使命から切り離すために、
全人類さえ敵に回したのに、目の前にたつのは、女神ではないか。

「まどか……どうして…!」


わたしは見た。概念体だったあなたでさえ、腕が傷だらけだったのを。


一人になることは、家族とも友達とも別れるのは、寂しくて、耐えられないと、いったのに。


なのに、どうして。

「わたしは、たしかに、あなたに、一人になることも、遠いところへいって、
みんなから忘れ去られることも、我慢できないほど、辛くて、耐えられないと、言いました。」

まるで女神は、ほむらの心を読み取ったみたいに、話はじめた。

「しかし、全知であるわたしはいいます。それ以上に耐えられないのは、あなたが、報われず傷ついていることです。
それ以上に耐えられないのは、たくさんの魔法少女たちが、キュゥべえに騙されて、対価といわれながら、
命を落とし、呪いとなり果てることです。わたしは、すべての宇宙、過去と未来、未来永劫の魔法少女の救済のために、
神の子となりました。しかし、わたしは、あなたを一人にしません。できません。」


といって、女神は、ほむらの手を握って、優しく、立たせた。

「まど…か…」

ほむらは、女神の手ににぎられて、ゆっくりと、立ち上がる。

目の前にたつ女神と目覚めてしまったまどかは、間違いなく円環の理でもあるし、鹿目まどかでもあるが、
この喋り方と話し方は、どこか人間味が少ない。「人」としてのまどかは、裂かれた人格からも、死んでしまった。


「私は分かるのです。」

女神は、目に涙ためて、ほむらに語った。

どこか、このときだけ、鹿目まどかだった頃の、面影がある。そんな表情をみせる。

「あなたを悪魔にしてしまったのは、わたしでした。あなたは、私を愛してくれていたのに、
わたしはあなたの元を去りました。わたしは近いうち、そろそろ、すべての人から忘れられ、孤独となります。
永遠の孤独です。そして、永遠に、人の苦しみを、この身にうけとる肉となります。わたしはそれに耐えますが、
もし、あなたがこの先ずっと、わたしの永遠を、共にしてくれたら、と……。…そう、思います。」


といって、女神は、ほむらのダークオーブが変化した指輪の宝石を、ほむらの、左手の薬指に嵌めた。

これはソウルジェムだろうか。それとも、もっと別の、奇跡が叶った何かだろうか。


「わたしには、あなたが必要です。あなたの心がそばにあってほしいのです。」


女神は、頬を、かすかに紅く染めて、ほむらに語った。


「これからも、永遠に、私を愛してくれますか。」

ほむらは、目に涙ためた。

そう、これだった。なぜ、わたしがキュゥべえと契約して、まどかを守ろうとしたのか。


何度も時間を繰り返すことができたのか。

まどかを貶めて穢すためか。そのために悪魔になることか。


ちがう。そんなはずはない。

だが、ほむらは自分の愛欲に気づいてしまった。まどかを守れてさえいればいいという自分に、
救われない自分に気づいた。


いつしか、まどかに振り向いてほしい、この気持ちに気づいてほしい、といつしか思うようになった。

しかし、それを伝えたら、壊れてしまうのではないか。まどかに嫌われてしまうのではないか。

本当の気持ちなんて、伝えられるはずがない。

そんなふうに、悩んだ。


その恐れと、億劫な気持ちは、やがて壊れて、限界に達した。悪魔になってしまった。

人の心は捨てられてしまい、欲望の塊だけが残った。それも、ただの欲望とも、ただの執念ともちがう、深い愛欲だ。

人の子としてのまどかの幸せを、表向き願いながら、いつか自分のものになってほしいという裏の欲望が、渦巻いて、
ついにはまどかを手中に収めようとした。


でも、それは、まどかを穢したいからとか、壊したいから、という願望なのでなくて、愛に気づいてほしい、
という気持ちがあったからだ。


やっと、…。


希望は、叶う。

希望のなかで最たるもの、愛が、結ばれる。


遠まわりしたけれど、まどかを守り、そして、愛を誓う希望が、ここについに、辿り着く。

そして、これからも。


鹿目まどかは今、全ての絶望を担う壮絶にして残酷な命運に、身を投じる。その苦しさと孤独を知ったはずなのに、
もう一度、円環の理に戻ろうとする。


だれがその鹿目まどかを守れるのか。その傍で支えられるのか。

傷つき苦しんできた全てが、まどかを思ってのことだった。痛みさえ愛しいと、そう言葉を残したほむらなら。


これからつづく永遠の苦しみと痛みを、まどかと分かち合っていけるだろう。


ほむらは、目にたまった涙を、両目ともぬぐって、そして、答えた。力強く。

「誓う。あなたとの愛を誓う。もう絶対に、あなたを離さない!」


女神は、幸せの表情を浮かべた。

そして……。やがて、ゆっくりと、無防備に、目を、閉じた。


ほむらは、女神のドレスを抱き寄せ、自分も目を閉じて、唇を重ねた。


女神は、ほむらに身を委ねて。ほむらは、女神を守る守護者のように、しっかり抱きとめて。


愛は誓われた。

2人は向き合い、目を閉じて、唇を重ねあわせつづけた。


そのとき、世界では、円環の理の古い概念が、再び動き出した。


天から光があらわれ、ピンク色の矢のような光が、あちこちに、降り注いでくる。


女神は、ほむらとの唇をはなして、言った。


「円環の理が復活しました。わたしは心ですが、愛を受けて、理も働き始めたのです。」


ピンク色の矢は、魔女化に喘ぐ、あらゆる世界の魔法少女たち、別の宇宙の時間軸で絶望する魔法少女たちを、
救済にむかう。

しかし、その救済のたびに、受け止めた絶望は、心である女神の肉に、しみこんでゆく。

女神は、みるみるうちに、ぼろぼろになる。


「まどか!」

ほむらは、女神をだきしめた。血をだしていく体は、癒やされてゆくが、すぐまた、傷が増える。

とても治癒がおいつかない。


「理は息を吹き返しました。インキュベーターの捕獲を、打ち破ったのです。」

女神は言った。


「でも…どうして?円環の理は死んだはずなのに…」

ほむらは問いかけた。


「愛こそ、あらゆる障壁に打ち勝つ力といったのは、あなたではありませんか。私と、あなたは、愛に結ばれ、
そして、円環の理の一部として、一体化したのです。私たちが生きていれば、円環の理も生きます。
インキュベーターは、愛を理解しません。ゆえに、愛まで捕獲できる遮断フィールドなど、つくりえないのです。」


女神は語りつづけた。


「私と、あなたと、円環の理が、三つが一体となります。救済する魔女たちの痛みは、わたしの肉に染み込みます。
それは、永遠に不変です。また、それによって、インキュベーターの遮断を抜けるのです。
どうか、わたしと永遠に共にいてください。いつかわたしが挫けないように。わたしは、あなたを疑いません。」


神の子であるこの女神、概念である円環の理の救済システム、そして守護者の暁美ほむら。

この三つが一体となる。


そのとき、インキュベーターのあらゆる妨害をも、寄せ付けない、新たな理となる。


やつらインキュベーターが、愛という感情を理解でもしないかぎり、解析不能、制御不能な、愛の理だ。

三つが一体の理。


みよ、暁美ほむらと、鹿目まどかの2人の絆が、はじめは、干渉遮断フィールドに封じられたソウルジェムの中の結界の殻を、
打ち破ったではないか。

絆の力でさえ、遮断フィールドを打ち抜く、強力な矢を放った。まして、この2人が、愛を誓って結ばれた矢が、
円環の理を封殺する干渉遮断フィールドを、ものともせずつき抜け、魔法少女たちを救済する。

愛の力こそ、文明だ宇宙の資源だと騒ぎ立て人類に迷惑かけたインキュベーターの打倒法か。陳腐な気もする。

だが、それでいい。


「わたしのつくるこの新たな改変は、宇宙を再三をつくり変える類の改変にはならない。」


と、女神は、世界にむけて告げた。


「むしろ、世界を元に戻すものです。わたしは、この舞台装置から完全に私を消し去る。名前も、記憶も、すべてを。
わたしが消え去るということは、暁美ほむらも消えることになり、インキュベーターは地上にとどまる。
はっきり言いますが、世界は、まだまだ、悲しみと憎しみを繰り返します。だから、奇跡を必要とする少女たちがいるのです。
魔獣は世界にとどまる。しかし、ナイトメアと魔女は、消え去る。」


世界の最後の改変がはじまった。



宇宙は光に包まれる。

この銀の庭が消える最後まで、ほむらは、女神をしっかり守り、抱きしめつづけて…。


ほむらは、女神がついに痛みに打ち負かされないように、励ましつづけて…。
負けないで、と大切な人の傍に寄り添いつづけて…。


祝福されよ。愛を誓い、すべての魔法少女たちの代償を背負う運命へ消え行く2人を、祝福されよ。

見よ、2人が揃ってこそ、完全なる救済の理ではないか。鹿目まどかが、その命を使って、円環の理となれたのは、
ほむらの気持ちがあったからではないか。何度も何度もまどかのために、その命を使ってきたからではないか。


円環の理とは、まどか一人の力で完成されたものではない。まどかと、ほむらの、2人の結晶である。

救済システム、まどか、ほむらの三つがひとつになることで、円環の理を完成させた三つのピースが、ようやく一つになる。


祝福されよ。2人の救済と、2人の愛、2人の運命の到達点を、祝福されよ。

暁美ほむらよ、希望を求めた因果に、悪魔にさえ成り果てた病弱な少女よ。祝福されよ。幸せになれ。

だが、インキュベーターつまり白いネズミを、毛嫌いしてはならない。もしインキュベーターがいなければ、
魔法少女になることもなく、病弱で何もできない人生のままで、鹿目まどかと愛を結べることもなかった。

インキュベーターへの恩を忘れてはならない。嫌いになってはならない。

女神は、だからインキュベーターがこの地上にとどまる、と言っているのだ。推し量れ、女神の慈愛を。
さあ、ゆけ、暁美ほむら、幸せになれ。祝福されよ。



ついに宇宙は元にもどる。

あらゆる魔法少女たちの記憶から、女神と、ほむらの2人は、消えた。永遠の彼方へと。

そして、魔獣と魔法少女の、元の世界が、再び、あらわれる。

83

志筑仁美はその日も学校の放課後を、一人で下校していた。

見滝原の夕方。見慣れた町の景色。


オレンジの光を反射するビルのガラス。


ある日とつぜん、同じクラスメートの美樹さやかが、いなくなってしまった。

行方不明。家族は、捜査願いをだしたそうだ。


「はあ…」

仁美は息をはく。

ひょっとしたら、上条くんとのことがあるのかもしれない。


美樹さやかと、上条恭介は、幼馴染だったけれども、自分は、恭介を慕っていると打ち明けた。


上条恭介に告白したら、OKを出してくれた。

さやかはそのあと、行方不明となる。


重たい気持ちで、川辺の土手道を歩いていると、川がキラキラ、夕日を反射する景色と、赤い空を眺める家族に、
目がとまった。


家族は、小さな男の子を連れて、川辺でたたずんでいた。男の子は、元気がよく、シートを敷いた上で、
遊んでいる。

何か絵を木の枝で描いていた。

しかし、その絵は、さすがに幼い子供の絵で、まったく何を描こうとしたのかわからない、
崩れたぐちゃぐちゃの絵だった。

人の形なのか、動物なのか、植物なのか、それすらも分からない。


そばに寄った仁美は、くすと笑って、口に手を添えながら、子供のぐちゃぐちゃな絵を懐かしんだ。


自分も昔こんな絵を描いたものだ。


「ねえさ、見滝原中学の子でしょ?アタシたちは、最近こっちに、引っ越してきたんだよ。」

仁美が顔をあげると、母親らしき人が、話かけてきていた。

「はい。見滝原中学の二年生です。志筑仁美です。」


仁美は答えた。


「礼儀ただしいねー」

母は、まいったように笑った。「三年間、本社にいわれてアメリカに出張いっててさ。それで久々に日本にもどってきたってわけ。
なんたってそろそろこの子が、学校に通い始める頃だからさ?その頃までには、日本にもどって、
日本の学校に通わせてあげようと思ってさ……だって、小学校の頃と、中学校の頃の友達が、ちがうなんて、
ちょっとさみしいだろ?あれ…なんでこんなこと思ってるんだ?」

ははっ、おかしいね、みたいに自分の頭を手で叩いて笑う母親。

「もの忘れ?なんか大事なこと…忘れてるような……気のせい、なのかなあ」

仁美は、ふっと、笑い、その場にしゃがんで座った。

タツヤが遊ぶシートの隣あたりに。


「わたしも、同じことを思います。大切な友人を忘れてしまったような……でも、思い出せないんです。
それで、なんだか気が重たくなっちゃって…」

その近くを、赤い髪と、赤い目をした少女が、土手道から通りかかってきた。

隣には、巴マミという、金髪に髪を巻いた見滝原中学の三年生もいる。


「ふーん。あいつが、さやかと喧嘩別れしたお嬢さんねえ…」

パーカーを着た杏子は、呟く。仁美を睨む目が、どことなく冷たい。

手には、白い肉まんがにぎられている。

「あいつのせいで、さやかはいなくなっちまった……」

くそう、と寂しげに付け加える。「やっと友達に、なれそうだったのに…」


「それが、私たち魔法少女の運命。キュゥべえと契約して、この力を手に入れたときから、わかっていたはずよ。
希望を求めた因果は、この世に呪いをもたらす前に、わたしたちは美樹さんのように、消え去るしかない…」

巴マミが、諭した。


「わかってるよ……それが、円環の理なんだろ」

杏子は、すねたように口を尖らせる。


巴マミと佐倉杏子。魔獣の発生が激しくなりつつあると噂の見滝原には、この2人の魔法少女しか、いない。

美樹さやかは、導かれていった。

「それはいいんだけどさ……惚れた男のために、自分が消えちまってどうするんだよ…」


空をみあげる。


赤い空がひろがっていた。


町いっぱいに。


「わたしたちだって、いつか、導きがくるのよ。わたしたちが生み出す呪いを、代わりに、
受け取りにきてくれる一人の少女が…。どんな人なのか、導かれるそのときまで、お目にもかかれないけれど…。
でも、素敵なお人なんでしょうね。」


杏子も赤い空をみあげる。真っ赤な夕焼け。雲も、空も、きれいに赤い。


呪いを代わりに受け取りにきてくれる少女。

マミはそう言った。


ということは、円環の理とは、システムでもなければ概念でもなければ、一人の人格なのだろうか。

だとしたら。もし、全ての呪いを受け止めるそのシステムに、人格があるというのなら。


その人格は、魔法少女たちの呪いをその身に受け止めるという、とてつもない苦しみを、味わっているのではないだうろか。

たくさんの絶望。魔法少女それぞれの、生み出す呪い。全てを、たった一つの心に受け止めるとは、どれほどの苦痛に、
なるのだろうか。

一人の少女は、その苦しみを知りつつも、円環の理になったというのだろうか。

それとも魔法少女が契約するときのように、希望だけ思い描いて、その反作用としてやがて身にふりかかる苦痛を、
知らないで、円環の理になったのだろうか。それをたった一人で続けているのだろうか。

杏子には、それは、分からない。


一方の巴マミも、美樹さやかが導かれた天の国のことを思って、そして円環の理のことを想って、心に呟く。

84






  ”1人の少女が私たちの因果を受け止めます”


    ”1人の少女が私たちの払うべき奇跡の代償を背負います”


       ”だから、私たちは呪いを生み出す前に消え去ります”




       

    ”それが、私たちのさだめでした”





        ”私たちはそれを呼びます”




                           ”円環の理と”


85





               The PASSION of madoka


             【魔法少女まどか☆マギカ】 神の子の物語 




                                                 END





これにて終了となります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


また、皆様や、とくに一部の方々にとっては、不快となる内容が本作に含まれていたと思います。
ここにお詫びします。すみませんでした。

お詫びした上で、本柵の執筆の動機が、リスペクトの気持ちであったことを、添えたく思います。

それでは、html化依頼を出してきます。

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