酒場──
ギィィ……
客「ふう、あちいあちい」ザッ…
マスター「いらっしゃい」
客「暑いなマスター、夏ももうすぐ終わりだってのによ」パタパタ…
マスター「なにを飲むんだい?」
客「マスター、酒を出してくれや」
マスター「ウチに酒は置いてねぇよ、ミルクを頼むんだな」
客「!?」
客「ちょっと待てや、コラ」
客「酒がねぇってのは、どういうこった」
マスター「そのまんまの意味だってことだ、ボウヤ」
客「な……ボウヤだとォ!?」カチン
客「ざけんな!」
客「ここは酒場だろうが!? 酒場なのに酒がねぇってのはどういうことなんだ!」
客「えぇ!?」
アッハッハッハッハ……!
客「!」
グラサン「耳がついてねぇのかい、小僧」
グラサン「マスターは、ここに酒なんざねぇっていってんだろうが」
スキンヘッド「そういうこった!」
スキンヘッド「ミルクも飲めねぇガキはとっとと帰るこった!」
覆面「ミルクがどうしても飲めねぇんなら」
覆面「家に帰ってパパの小さなナニでもしゃぶってやがれ! ヒャハハハハッ!」
アッハッハッハッハ……!
客(ぐ……! たしかにオヤジのは小さい……当たってやがる……!)
客「じゃあ聞くがよぉ……」
客「そういうアンタらはなにを飲んでんだよ!?」
グラサン「ハァ?」
スキンヘッド「決まってんだろ?」
覆面「も、ち、ろ、ん」
グラサン&スキンヘッド&覆面「ミルクだよ!!!」バババッ
客「ゲ!?」
客(本当にミルクじゃねーか!)
グラサン&スキンヘッド&覆面「カンパーイッ!!!」カチンッ
グラサン「…………」グビッグビッ
スキンヘッド「…………」グビッグビッ
覆面「…………」グビッグビッ
グラサン「──っぷはぁ! うめぇ~なァ!」
スキンヘッド「やっぱミルクは最高だぜ!」
覆面「五臓六腑に牛さんの乳が染みわたるねぇ!」
客(なんなんだ、こいつら……!)
客「ふざけんなってんだよ!」
客「ここは酒場なんだろ!? だったら酒出せや! あぁ!?」
マスター「まあまあ、そうカリカリしなさんな」
マスター「もしかしたら、カルシウム不足かもしれないぞ?」
マスター「だったら、ミルクでカルシウム補給──」
客「るっせぇんだよ!」
客「俺が酒を出せっていってんだからよォ……」
客「大人しく酒を出しゃいいんだよ、酒をよぉ!」
客「ミルクなんざガキの飲み物だ! んなもん飲んでられっかよ!」
マスター「ほう……?」パチンッ
客「え?」
グラサン「…………」ガタッ
スキンヘッド「…………」ガタッ
覆面「…………」ガタッ
客「な、なんだよ!?」
グラサン「…………」ザッザッ
スキンヘッド「…………」ザッザッ
覆面「…………」ザッザッ
客「お、おい、近づいてくんじゃねーよ!」
グラサン「ミルクが本当にガキの飲み物かどうか……」
グラサン「自分の目で確かめてみるか? ん?」
客「え……」
グラサン「こっち来いや」グイッ
客「う、うわっ! はなせよ!」
グラサン「いいから来い!」
マスター「しっかり教育されてこいよ~」
客「オイオイ、おっさん」
客「ずいぶん町から離れちまったけど……」
客「どこまで行くんだよ、オイ!?」
客「こんなとこにミルクを売ってる店なんかねーぞ!?」
グラサン「いいから、黙ってついてこい。もうすぐだ」
グラサン「ほら、あれだ」
客「あ、あれは──」
牧場──
モォ~…… モォ~……
客「ここは……牧場!?」
グラサン「おう」
グラサン「ここでたっぷりと、ミルクの素晴らしさってもんを教えてやる」
客(オイオイ、マジかよ……)
客(酒場で酒を頼んだら──)
客(とんでもないことになっちまった!)
モォ~…… モォ~……
客「牛がいっぱいいる……」
グラサン「今は放牧の時間だ」
客「放牧?」
グラサン「自由に牧草地を歩き回らせる時間だ」
グラサン「あいつらは朝、牛舎を出て、夕方には牛舎に戻ってくる」
グラサン「ほれ、寝てる奴もいれば、草食ってる奴もいる」
グラサン「いい乳を搾り出すためにな」
モォ~…… モォ~……
客「どこの牧場も、こういうことをしているの?」
グラサン「いや……放牧をしていない酪農家も多い」
客「放牧しないってことは、つまり牛たちは──」
グラサン「一生、牛舎の中で暮らすってこった」
客「そんな! それじゃ牛が可哀想だ!」
グラサン「……そういうだろうと思っていたぜ」
グラサン「だがな、可哀想だとか可哀想じゃないとかじゃ商売は回らねえんだ」
モォ~…… モォ~……
グラサン「例えば、ここのような放牧酪農を行うには」
グラサン「当然、広い土地を必要とする」
グラサン「それに牛を外に出すってことは」
グラサン「牛の状態が、温度や湿度や日光など、自然環境に大きく左右される」
グラサン「アクシデントで大切な乳牛がケガをすることだってある」
グラサン「ようするに、ムラがあるんだな」
客「なるほど……」
モォ~…… モォ~……
グラサン「一方、ずっと牛舎で育てる方法は、環境に左右されることはねえ」
グラサン「常に一定量の乳を得ることができる」
グラサン「つまり放牧とちがって、ムラが少ない」
グラサン「ただし、牛がずっと牛舎にいるわけだから」
グラサン「牛は運動不足になりストレスが溜まる。清掃とかの手間もかかる」
グラサン「こんな風に、一長一短ある」
グラサン「俺はこのとおり放牧での酪農を行っているが」
グラサン「どっちが正しいか正しくないかなんて、簡単には決められねえもんさ」
客「ふうん……難しいんだなぁ」
グラサン「あとは──」
グラサン「ウチのように放牧してる牧場の牛の乳は」
グラサン「脂肪分が少なめであっさり風味」
グラサン「牛舎で育てた牛の乳は、脂肪分が多めで味わい濃厚」
グラサン「──っていわれてるな」
グラサン「俺はあっさり味もこってり味も好きだがな」
客「へぇ……」
客(なんだか、ミルクを飲みたくなってきたじゃないか!)
グラサン「それじゃ、搾乳……乳搾りでも体験してみるかい?」
客「えっ、いいの!?」
グラサン「ウチは観光牧場じゃねえから、本来やらせることはないんだが──」
グラサン「せっかく来てもらったんだからな」
グラサン「あっちにこれから乳搾りしようとしてた牛がいるんだ」
グラサン「きっとたっぷりといい乳を出してくれることだろうぜ」
グラサン「一緒に来てくれ」
客「うん!」
モォ~……
グラサン「バケツを用意して、と」ゴトッ
グラサン「まず、このぶら下がってる乳首の根っこを」
グラサン「親指と人差し指で挟むんだ」
客「えぇ~と……」スッ…
客「こう?」キュッ
グラサン「そうそう、それでいい」
客「牛ってあったかいんだな……」
グラサン「牛の体温はだいたい38℃前後だからな。そりゃあったかいさ」
客「ふうん、人間より体温が高いのか……」
モォ~……
グラサン「んでもって、上から人差し指、中指、薬指、小指の順に握るんだ」
客「よ、よし……」ゴクッ…
グラサン「そう緊張すんなって。失敗したって牛が死ぬわけじゃねえんだ」
客「えいっ!」ギュッ…
ジョロロロロロ……
客「うおおおおお……出たぁ~!」ギュッ…
ジョロロロロロ……
グラサン「ハッハッハ、なかなかやるじゃねえか。いいスジしてるぜ」
グラサン「んじゃあ、最後にウチで取れたミルクを飲ませてやろう」
客「う、うん」
グラサン「そら、飲んでみろ」
客「…………」グビッグビッ
客「──っぷはぁっ!」
グラサン「どうだ?」
客「う、美味い!」
客「さっぱりした味わい!」
客「スッキリしたノドごし!」
客「にもかかわらず!」
客「クリーミィな舌触りと奥ゆかしい濃厚さを漂わせている……!」
客「こうして改めて飲んでみると」
客「ミルクとは……ミルクとは、こんなにも美味しいものだったのか!」
客「パンのお供じゃない……十分主役になれる逸材だッ!」
グラサン「ハハハ、ありがとよ」
グラサン「ちょっと褒めすぎな気もするが、悪い気はしねえな」
客「100%本音だって!」
客「ありがとう!」
客「ありがとう……おじさん!」
客「俺……もっと、ミルクのことを知りたくなっちゃったよ!」
グラサン「よし……それなら」
グラサン「今度はあのスキンヘッドさんについていくんだな」
スキンヘッド「フフフ……」スッ…
グラサン「さらなる牛乳世界(ミルク・ワールド)がお前を待ってるだろうぜ!」
客(ミルク・ワールド……!)ゴクッ…
スキンヘッド「さ、俺についてきてくれ」
客「今度はどこに行くの?」
スキンヘッド「それはもちろん──」
スキンヘッド「ついてからのお楽しみだぜ!」
客「ったく、もったいつけるんだから……」
スキンヘッド「だって先に話しちまったら、つまらねえだろ?」
スキンヘッド「ほら、あそこだ!」
客「あ、あれは──」
ミルク工場──
客「ミルク工場!?」
スキンヘッド「そのとおり」
スキンヘッド「搾りたての牧場のミルクが上等だってことに異論はねえが」
スキンヘッド「あの酒場で俺たちが飲んでたミルクを始め」
スキンヘッド「市場に出回ってるミルクは、こうした工場で作られる!」
スキンヘッド「それを知らずして、ミルクを極めたとはいえねえぜ!」
客「た、たしかに……!」
スキンヘッド「まず、最初の工程がこれだ」
スキンヘッド「農家から送られてきたミルク“生乳”を受け入れ、検査する!」
スキンヘッド「抜き取り検査で、味や香り、細菌、抗生物質などを調べ」
スキンヘッド「この検査に合格した生乳だけが、工場に送られていくんだ」
客「へぇ~」
客「搾った乳は全部ミルクとして売り出されるのかと思ってたけど」
客「そういうわけでもないのかぁ……」
スキンヘッド「さて、検査を通ったミルクが工場に入ったわけだが──」
スキンヘッド「この段階の生乳には、目には見えないような」
スキンヘッド「小さなゴミが入っている」
スキンヘッド「これを取り除くには、どうすればいいと思う?」
客「う~ん……」
客「えぇと……顕微鏡で調べてゴミを一つ一つ取り除く?」
スキンヘッド「ハハハ、そんなことをしてたら時間がいくらあっても足りねえさ」
スキンヘッド「ゴミの除去には、あの機械を使うのさ」
客「これは……?」
スキンヘッド「“クラリファイヤー”っていう機械さ」
スキンヘッド「清浄機とも呼ぶ」
客「これでどうやってゴミを除去するの?」
スキンヘッド「生乳をものすごい勢いで回転させて、ゴミを飛ばすのさ」
客「へぇ~」
客「これでミルクがキレイになるってわけか」
スキンヘッド「で、キレイになったミルクは低温で管理される」
客「どうして?」
スキンヘッド「牛乳ってのは栄養が豊富だからな……雑菌が増えやすいんだ」
スキンヘッド「だから、低温で管理しなきゃならねえ」
スキンヘッド「キレイになっても、雑菌だらけじゃなんにもならねえだろ?」
スキンヘッド「これも品質保持のため、だな」
客「ミルクを作るのって、大変なんだなぁ~……」
スキンヘッド「次の工程は、“均質化”だ」
客「均質化?」
スキンヘッド「この“ホモジナイザー”って機械で」
スキンヘッド「ミルクの中にある脂肪のつぶ、脂肪球を細かく砕くんだ」
スキンヘッド「これをやらないと、ミルクの中に脂肪が浮いてきちまう」
スキンヘッド「ミルクになめらかさを与えるためには、絶対欠かせない工程なんだ」
客「ふむふむ」
客「この機械のおかげで、舌触りなめらかなミルクが飲めるのか!」
スキンヘッド「さて、ここまできたら“殺菌”をする」
スキンヘッド「殺菌方法には色々な種類があるんだが」
スキンヘッド「今、主流となっているのは──」
スキンヘッド「120~130℃で2~3秒加熱する“超高温瞬間殺菌法”だな」
スキンヘッド「ウチの工場もこれを用いている」
スキンヘッド「高温の蒸気の中にあるプレートに、牛乳を通過させることで殺菌する」
客「たった2、3秒で殺菌が終わるんだ。すごいなぁ」
ゴウンゴウン……
スキンヘッド「殺菌されたミルクは、ああやって次々紙パックやビンに詰められる」
客「おお~!」
客「いつも店で見るミルクだ!」
客「どんどん完成品が出来上がっていく!」
スキンヘッド「いや……まだ完成じゃない」
客「ええっ!?」
スキンヘッド「この後、厳しい出荷検査を経て、合格した製品だけが」
スキンヘッド「晴れて出荷されて、店に並ぶことができるってわけだ」
客「最後の最後まで、厳しいんだなぁ……」
スキンヘッド「どうだい、少しはミルクのことが分かったかい?」
客「うん、分かった!」
スキンヘッド「じゃあ最後に、出荷する製品を飲んでみるといい」スッ
客「いただきます!」
客「…………」ゴクッゴクッ
客「美味しい!」
客「さっきの牧場で飲んだのもよかったけど、こっちもグーだよ!」
客「いつも家で飲んでる味なのに、作ってるところを知ると一味ちがうや!」
スキンヘッド「ハハハ、ありがとよ」
マスター「終わったようだね」ザッ…
客「マスター!」
マスター「さて……ミルクを作るのがいかに大変か、分かったかな?」
客「とてもよく分かったよ!」
客「さっきは子供の飲み物、なんてバカにしてゴメンなさい!」
客「ミルクは子供だけじゃない……みんなの飲み物だ!」
マスター「フフフ、それはよかった!」
客「俺、これからはいっぱい牛乳飲むよ!」
グラサン「ただし、飲みすぎには注意だぞ? 腹を下しちまう」
スキンヘッド「どんな飲み物や食べ物だって、とりすぎるとろくなことにならないし」
覆面「家計を圧迫することにもなりかねないからな」
客「分かってるって!」
マスター「酒もミルクも、飲みすぎ注意! ──ってことだな!」
アッハッハッハッハ……!
客「じゃあ俺、そろそろ帰るよ」
グラサン「おう、俺たちも楽しかったぜ」
スキンヘッド「また工場にも遊びに来てくれよな!」
覆面「寄り道せずに帰るんだぞ!」
マスター「さようなら!」
客「うん、さよなら~!」タタタッ
マスター「…………」
マスター「さて、我々も酒場に戻るとしますか」
酒場──
覆面「皆さん、本当にありがとうございました」ペコッ…
覆面「ウチの息子が未成年なのに酒場で酒を飲む、なんていいだしたのを」
覆面「どうしよう、と相談したら……こんな芝居をしてくれて……」
覆面「心なしか、今日一日で性格も素直になったようで……」
< 覆面(42) 会社員 >
マスター「ハハハ、かまいませんよ。なんたって、常連さんの頼みなんですから」
< マスター(35) 酒場経営 >
グラサン「私としても、酒飲み仲間は大切にしたいですしね」
< グラサン(33) 酪農家 >
スキンヘッド「それに……我々も面白がってやってたところがあるしな」フッ
< スキンヘッド(47) ミルクメーカー工場長 >
覆面「しかも、おかげで……例年のように月末に苦労せずに済みそうですよ」
それからしばらくして、ある小学校の教室にこんな作文が貼られていた。
『ぼくの自由研究』
ぼくは夏休みに牧場とミルク工場に見学にいきました。
牧場では、牛がモーモーとないていました。かわいかったです。
乳しぼりはとても楽しかったです。
また、牧場でもらったミルクはとてもおいしかったです。
ミルク工場では、いつも飲んでいるミルクができるようすを、
見学することができました。
工場の人がいつもこうしてがんばっているから
ぼくたちはおいしいミルクを飲むことができるのだな、と感動しました。
ぼくはミルクが大好きになりました。
<おわり>
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