まこと王子ふんとうき(笑) (385)
以前投下したss、真「ここは……」やよい「……どこですかぁ?」の練り直し版です。
これは『アイドルマスター』と『GANTZ』のクロスオーバーです。
アイマスの方はアニメの設定やゲームの設定を混ぜてます。
ガンツの方でクロスしているのはあくまで原作の世界観や設定というだけで、ガンツに登場したキャラはほとんど出てこない予定です。
他にキャラの流血、グロ描写や死亡描写などが入るので、苦手な方は注意して下さい。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1353246038
燦然と輝く夕日に目を細めながら、菊地真は持っていたペットボトルの水を口に流し込んだ。
遠くを山々が折り重なるように続き、その下に広がる田畑が日の光に照らされている。
都会では見られない田舎ならではの美しい光景に、真は思わずため息を漏らした。
765プロ所属のアイドルである真はドラマの撮影のために群馬県まで訪れていた。
今日中に予定されていた撮影は無事に終わり、今は夕日を眺めながらスタッフ用のテントに設置されているパイプ椅子に座って一息ついている。
そんな真の周りでは、大勢のスタッフが慌ただしく撮影機材などの撤収をしていた。
「真さん、出発しますよー」
遠くから掛けられたスタッフの呼び声に、真は息を吐いて、パイプ椅子から立ち上がった。
「はーい、今行きまーす」
片付けを進めるスタッフ達にすれ違いざまに挨拶をしながら、ワゴンへの歩みを進める。重い機材を運んでいるスタッフ達は「お疲れ様でした」という返事をして真を送り出してくれた。
疲労によって頭が重い。真は歩きながらなんとなしに地面を見た。
雑草が所々生えた砂利道に自分の長い影が落ちている。
スタッフを避けつつ歩きながら、頭をもたげて自分の影を足から頭まで目で追っていく。
頭まで視線が行ったところで視界の端に並んで駐車されている乗用車やトラックの姿が映った。
顔を上げて、駐車されている車の中から白いワゴン車を見つけた。
ロケのために真が乗ってきたワゴン車だ。
いつもは担当のプロデューサーと共に現場への行き来を共にしているのだが、この日は別件で別の仕事場に行っている。
ワゴン車に歩み寄ると運転席の開いた窓から、運転手が顔を覗かせて「お疲れ様でしたー」と笑顔を向けてきた。
真も「お疲れ様です」と会釈をして、スライド式のドアに手をかける。
ドアを開けると、後部座席には既にオレンジ色の髪をした少女が座っていた。
少女はワゴンに乗り込んだ真を見た途端、眩いばかりの笑顔を咲かせた。
「真さんお疲れ様でしたー」
「あぁやよい、お疲れ様」
真と同じ事務所に所属する中学生アイドル、高槻やよい。
真はドアを閉めて、ニコニコと笑うやよいの隣の座席に腰を下ろし、背もたれに身を沈めた。
「ふーっ、疲れたなぁ」
「今日の撮影は大変でしたもんねー」
どこか舌っ足らずなやよいの言葉を聞き、真は「ああ、そうだね」と返した。
撮影しているドラマは、アクション要素満載な内容のものだった。体力や身体能力が優れ、格闘技もたしなんでいた真は撮影のたびに戦わされ、そのたびにヘトヘトになる。
およそただのアイドルのする事とは思えないアクションの数々を思い出し、深いため息を吐きながら真はうなだれた。
「みんなボクが女の子だってこと忘れてないかな……」
「だ、大丈夫ですよー。落ち込まないでくださいー」
ボクだって女の子らしくヒロインになって恋に落ちてみたいよ……
慰めようとするやよいを尻目に、細くも凛々しい眉を下げながら真は窓ガラスに頭を預けた。
生い立ちと外面、そして『男の子のような女の子』という触れ込みにより真は世に売り出すことができたのだが、それは真が望む“アイドル”としての自分の姿とは大きく違っていた。
周りのアイドルが可愛く、または美しく振る舞う中で活動することに対するジレンマも少なからずある。
しかしそのギャップを本当は受け入れたくないのだが、嘘でも受け入れなければ芸能界では生きていけない。
いつものことだ。
分かりつつも、真はどうにもできないモヤモヤを胸の内に感じ、それを吐き出すかのように大きな溜め息をついた。
そうして、しばらく窓に映り込んだ自分の顔を見ていた真の横で、やよいがふと車窓から外を見た。
「……事務所に着くのは夜遅くになりそうですねー」
話題転換を計ったのか、やよいはおもむろにそんな事を言い出した。
だろうなぁ。
やよいと同じく、車窓から夕日に赤く染まった空を眺めながら真はそう思った。
まぁ、よくあることだからしょうがないか、と開き直り携帯を開く。
「えぇと、今日もまた遅くなりそうです。と……」
「真さん、誰にメールしたんですかぁ?」
「お世話になってるプロデューサーさんに。
やよいは家の方、時間は大丈夫なの?」
「あ、はい。ちょっと心配ですけど、弟が上手くやってくれてると思います」
そう言ったやよいは家族に思いを馳せている様子で、その表情はいつもの幼い雰囲気から打って変わって、しっかりした姉としての表情をしていた。
真はその表情を見せられるたびに感心させられた。自分ではこんな表情はできない、と。
ブロロロロロロ
不意にエンジンが掛かり、ワゴンが小刻みに揺れ出す。
運転手がバックミラー越しに真とやよいに視線を投げかけながら「出発しますよー」呼び掛けた。
「あ、はーい」
「お願いしますー」
二人ががそれに返事をするとワゴンは発車し、速やかに撮影現場を後にした。
――――――――――――――――――――――――――――
高速を走る頃には日は完全に沈み、辺りは完全に暗くなった。
途中のパーキングエリアにて軽食を取った真とやよいは、疲れもあいまって後部座席ですっかり眠りに落ちている。
軽い渋滞に二度ほど捕まった後、東京都に入った頃の時刻は既に9時40分。
頭を預け合って、すうすうと気持ち良さげに寝息をたてる真とやよいの顔を、過ぎ去っていく街灯が照らしていく。
特になんの問題もなく、二人は着々と事務所に近付いていた。
そのはずだった。
「うわぁ、危ない!!」
突然、運転手が悲鳴混じりの声が聞こえ、真は淡く目を覚ました。
その直後、身体を強力な圧力が襲い、真は意識は一気に現実に引き上げられた。
理解が遅れたが、どうやら運転手が急にハンドルを切ったらしい。
急激に曲がる車両。かかる遠心力に振り回されまいとシートベルトが真の身体を捕まえているものの、勿論それは身体に食い込み、真は瞬間的に呼吸ができなくなった。
「かっ……ッはぁ」
車がカーブを止めると共に、遠心力から解放された直後、空気を求めて肺が動き出した。
「どっ、どうしたんですかぁ!?」
同じく目を覚ましたやよいが隣で素っ頓狂な声をあげた。
相変わらずハンドルは安定せずゆらゆらと車体が揺れる。真が運転手を見ると、その顔は青ざめており、目に見えて強ばっていた。
「いったいどうしたん………」
真が前に乗り出して運転手に言いかけた瞬間、強烈な光が目に飛び込んできた。
フロントガラス越しに見えた光。
それがこちらに向かって猛然と走る大型トラックの光だと分かったと同時に、真は自分の死を直感した。
直感して、そこから妙に頭が冴えた。
しかも自分でも驚くほどに冷静だった。
あぁ、死ぬのか、呆気ないな、まだドラマも撮影途中なのに、765プロのみんなと会いたいな、ファンは悲しむだろうな、父さんは泣いてくれるのかな……
様々な思いが脳内で瞬時に飛び交う。
その間、トラックの光はスロー再生しているように、ゆったりとした動きに見えた。
(これが、走馬灯なのかな)
そう思ったが最期。
直後、トラックの光で目の前が一杯になり、間髪入れず、今まで感じたこともないような激しい衝撃が全身を襲う。
それを皮きりに、視界は一杯の光から暗転して深い闇へ。
そして真の意識も、程なくして溶けるように闇の中へ消えていった。
トラックの光に視界を飲まれて、真は来たるべき最期の衝撃を待った。
しかしトラックによる衝撃は一向に襲ってこない。
その代わりに目の前を覆っていた光が段々と弱まり、視界が明瞭になっていった。
気付くと、いつの間にか真とやよいは部屋にいた。
「あれ……え?」
間の抜けた声を出しながら二人は部屋を見渡した。
小さくもなく、大きくもない、床はフローリングの一般的な部屋。部屋には真とやよい以外にも五人ほど人がいた。
それぞれ部屋のあちこちで座ったり、壁にもたれかかったりしてしている。
スーツを着た中年の男性や厚化粧の若い女、学生服を着た少年など、性別や服装はまとまりがなく、多種多様な五人。
好奇の目、驚きの目、興味のなさそうな目。
その全員が各々の視線を二人に向けていた。
部屋にはベランダに通じる窓がある。
そこからは夜景が望めて、その中を突き抜けている東京タワーからここが東京であることが窺えた。
そしてその高さから、ここが高層マンションか何かの一室であることも分かった。
ただ、部屋には家具が一切置かれていない。
その代わりに、ちょうど真とやよいの目の前、部屋の奥に、真の胸元ぐらいまである奇妙な黒い玉が置いてあった。
金属製なのか分からないが、つるつるとした球の表面は部屋の蛍光灯を鈍く反射している。
空っぽな部屋の中、鎮座するその漆黒の球体が特に目を引いた。
「えっ?……えぇっ?」
奇妙な状況に真とやよいは狼狽えられずにはいられない。
先程までの車内とは打って変わって、謎の部屋を包み込んでいる静寂にたじろぎつつ真は恐る恐る小声でやよいに話しかけた。
「ね、ねぇ……やよい」
「はいぃ……」
「ボク達さっきまで確か、車に乗ってたハズ……だよね?」
「そうですよね……?私達、なんでこんなとこにいるんでしょう……?」
とりあえずここまで
投下は不定期になるのでご了承下さい
ではまた
投下します
一応、やよいも自分と同じく戸惑っていることを確認してから真は記憶を辿り始めた。
(おかしいな、ボク達は確かに撮影帰りのワゴン車の中にいて……。疲れたボクとやよいは車内で寝てたんだ。そしたら運転手さんがいきなりハンドルを切ったから飛び起きて……)
フロントガラスから見えたのは強烈な光。咄嗟に突進してくるトラックのヘッドライトと判断して、死を覚悟した。
しかし次の瞬間にはこの部屋に。
(………ってことは、まさかここは死後の世界?)
そう思ってから自分がいつも通り、生物として呼吸をしていることに気付く。
(死んでないよね、うん死んでない。
息してるし、それに……うん、温度も感じるし、感覚もある……心臓も動いてる)
天井に設置された空調からはモーターの回転音が小さく聞こえる。
それが部屋を暑くも寒くもない気温に保っているようだ。
(……じゃ、じゃあ、あれは夢ってことなのかな?
でも、さっきまでの記憶はまるでないし、いやでも)
考えれば考えるほど思考はこんがらかっていく。
なにが本当の記憶でどこからが夢なのか。
寝ぼけているかのように現実を現実と認めることができない。
「あの、すみません」
「へっ……あっ、はい」
不意に側にいたスーツを着ているサラリーマン風の中年の男に話しかけられ、真は絡まった思考から強制的に引き上げられた。
「あの、キミ達も死にかけたの?」
と遠慮がちに男は真とやよいに言った。
えっ、と真は驚き、とっさに男に聞き返す。
「あなたもですか?」
「はい……僕は、勤めている会社の非常階段を踏み外したんですが、気付いたらここに。キミ達は?」
「え、と……ボクはこの娘と二人で車に乗ってました。それで突然、トラックが追突してきたと思ったら、気が付いたらこの部屋の中にいて……」
「だよね?」とやよいに同意を求めると、やよいは突然話を振られたことに驚きながらも「は、はい」と答えた。
男の話を聞いて、真の額を嫌な汗が伝う。
同時に、自分が見たトラックの光は確かな現実であったことを改めて確信した。
「ここにいる人達は皆そうみたいで……」
ここにいる人達―――――――――
そう言われて、改めて真は部屋の中にいる人々の顔を見ていった。
窓と逆側の壁際には、学生服らしきブレザーを着た真と同い年くらいの少年が、暗い顔をして体育座りしていた。そして奥の壁、黒い球の向こう側には壁にもたれ掛かって若い男女二人が真とやよいをじっと見つめていた。
坊主頭の男は強面で背が高く黒いジャケットを着ており、女は茶髪まじりの長い金髪、ダウンジャケットにGパンと、あまり女性的ではない質素な服装をしている。
二人とも目つきに言い知れぬ眼光を持ち、強面の男は真達を眺めているというより睨んでいるようで、女の方は首を傾け無表情でこちらに視線を投げ掛けていた。
「松本さんも、そうなんですよね?」
「……そうだけど?」
そしてサラリーマン風の男に松本、と呼ばれてぶっきらぼうな返事をしたのは、窓際に立っていたカールした茶髪を携えニットカーディガンを着ている、ギャルという言葉が似合う若い女だった。
松本は露骨に不機嫌そうな表情を男に向けている。
真は、怖そうな人だな、と若干引き気味に松本の顔を見た。
その視線に気づいたのか、松本も真とやよいに視線を移し、真と目がばっちり合ってしまった。
しかしその途端、松本は目を丸くして真とやよいの顔をまじまじと見つめ始めた。
「……っていうか、もしかして菊地真クンに高槻やよい、ちゃん?」
「……っていうか、もしかして菊地真クンに高槻やよい、ちゃん?」
(あ、バレた)
瞬間、そう思った真の隣で男が「えぇっ?」と素っ頓狂な声をあげた。
途端に真を指差し黄色い声をあげる松本。
「やっぱそうだ!やっぱ真クンじゃん!すげー!!超かっこいい!!」
「あは、は。ありがとうございます」
こんな時でも、引きつりながらも思わず営業スマイルが零れてしまう。
追っ掛けに追われて黄色い声を浴びせられるのが日常的な真にとって、興奮する松本は、非日常的状況の中に日常が溶け込むような、不思議にも多少の安心感を覚えた。
カッコいいと言われて複雑な気分になるのは相変わらずだが。
「えっ、菊地真と高槻やよいって、あのアイドルの?」
「そうだよ、こんな近くにいて気づかなかったとかマジ……」
驚いた様子で遅れてそのことに気づいた男に、松本は遠慮なく呆れた視線を送りつけた。
「あ、あのー……」
盛り上がり始めた二人の会話に、真は遠慮がちに割って入った。
自分ややよい、アイドルに出会う事で興奮するファンを何人も見てきたが、今はそれどころではない。
振り向く二人に真は質問を投げかけた。
「お二人はなんでこの部屋にいるんですか?」
すると松本は「なんでって、なにが?」と未だに興奮が冷めていない様子で聞き返してきた。
「なんでって、この部屋からは出られないんですか?」
真がそう言うと、男と松本は少し驚いたように目を見合わせてから各々ため息を吐いて、肩をすくめてみせた。
「開かないんだよ。窓も、玄関も」
「……もしかして、私達この部屋に閉じ込められちゃってるんですかぁ?」
男の返事に、やよいは不安げに聞き返した。
「開かないってそんな……」
真がそう呟くと、男は「やってみれば分かるよ」と意味深な返事をした。
「やってみればって……」
―――やってみれば
それがどういう意味で言われたのか分かりかねるも、
とりあえず真は怪訝そうな顔をしながらも窓ガラスに近寄り、留め具に手をかけた。
「……!!?あ、あれ?」
開かない。
いや、そもそも触れない。
留め具に力を掛けるどころか、まるで強力な磁石が反発し合っているかのように、手は留め具の周りで滑り落ちてしまう。
「な、なんだよこれ……」
「ど、どういうことですか?」
愕然とする真とやよい。それを見ていた男は観念したかのようにため息を吐いた。
「僕も信じられないんでだけど、玄関もそんな調子で……それに窓ガラスを割ろうとしても割れないし、大声を出したり壁を叩いても外からは誰も気付く様子がない」
そして男はスーツのポケットから携帯電話を取り出して、ディスプレイを真達に見せつけた。
見ると、ディスプレイは真っ黒に染まっている。
「しかも携帯は電波どころか電源すら入らないし。
……まるでこの部屋だけ、外の世界から切り取られてるみたいなんだ」
「えぇ!?」
真もズボンのポケットに入っていた自分の携帯電話を取り出した。
見ると電源は入っておらず、バッテリーは入っているのにいくらボタンを押してもなんの反応も無い。
「そんな……こんなことって」
「ま、真さぁん、私達ちゃんと帰れるんでしょうか……」
絶句する真の傍らで、やよいが怯える。
「大丈夫……大丈夫だよ、きっと」
自分にも言い聞かせているような口調で言いながら、真は神妙な表情でやよいを抱き寄せた。やよいは黙って、真
するとその様子を見ていた松本が少し苛立っているような口調でおもむろに喋りだした。
「真クンとやよいちゃんが来たからには、やっぱりテレビかなんかの企画かと思ったんだけど、真クンもやよいちゃんもホントになんも知らないの?」
「ボク、何も知りません。気づいたらここにいたから……」
「私もです……」
真に続き、やよいが弱々しく言った。
要するに自分たちは何者かによって拉致され、この部屋に閉じ込められているのだ。
窓や扉に触れないという説明のつかない現象や、謎の黒い球も含めて、状況はあまりにも不気味だった。
「………………」
やよいを宥めながら真は、一言も喋らず自分たちのやり取りをただ見ているだけの他の三人―――少年と、男女二人に目をやった。
この不可解な状況の中で、この三人はさっきから全く動じていない様子なのだ。
その態度は、見るからに怪しい。
「あのー……」
真は男に、他三人について話をしようとしたが、いかんせん名前を聞いてないので言葉がとぎれてしまった。
しかし男はその様子に気づいたらしく、
「言い忘れてたね。僕は、筑川幸喜っていいます」と自己紹介をしてくれた。
すると横から松本が便乗して、意気揚々と「アタシは松本千佳、真クン、やよいちゃんよろしくねー」と名乗った。
「よ、よろしくお願いします」と真とやよいは馴れない様子で二人に挨拶を返す。
それから真は、なるべく声を小さくして改めて筑川に話を切り出した。
「ところで筑川さん、さっきから黙りっぱなしの三人からは、何か話を聞いたんですか?」
「ああ、あの人達は……」
そこで、答えかけた筑川を部屋の奥から飛んできた女の声が遮った。
「あたしとこの人は事故死だよ。菊地真くん?」
妙に明るい笑顔でそう言ったのは、壁に寄りかかっていた茶髪が混じった金髪頭の女だった。
「あたしは尾形美智恵、でこっちは倉田徹、よろしく」
と尾形は自分と隣の男、倉田の名前を紹介した。
それに対して真は「あ、はは、よろしくお願いします」と若干引き気味で返した。
直前によそよそしく筑川に話しかけたこと、見た目や、どう見ても年上であること、横に立っている危ない雰囲気の倉田とつるんでいるらしいところが相まって、
妙にハキハキした様子の尾形に、真は怖じ気づいてしまったのだ。
(しかもあの倉田って人、こっち睨んでるままだし……怖いなぁ)
すると、抱き寄せていたやよいが不意に「ま、真さぁん、苦しいですよー」と声を上げた。
気づけばやよいを抱いていた腕に力が入っていたらしく、やよいは真の目の前で苦悶の表情を浮かべていた。
「あっごめん、やよい」
真は謝ってやよいを解放した。
その直後
ひゅうん
「……ん?」
その時黒い玉から、微かな異音が聞こえてきた。
気付いた真が、黒い玉に目を向ける。
瞬間、玉の表面から突如として青白い光線が伸びた。
「うわぁっ!」
真とやよいの二人は驚いて後ずさり、真は勢い余って床に尻餅をついた。
レーザーを見た筑川は「うわっ来たッ!!」と叫んだ。
「来たって……えっえっ!?」
(なんだよこれ!?)
黒い玉から放たれたレーザーは空中の一点で止まり、そこから高速で左右に移動している。
レーザーの移動したところからは、まるでコピー機のように、焼き付けるような音と共になにかが書き出されていく。
ジジジジジジジジッ
それは立体だった。
髪のようなものから始まり、徐々に下へ……
「うわ……」
真はそれが何かにすぐ気付いた。
それは人間だった。
書き出されていくグロテスクな身体の断面図は、真の位置からは克明に見える。
非現実的な光景を前に、真は床にへたり込み呆然と事を見守るしかなく、やよいは壁に背中を預けておびえている。
書き出されている『人間』
それは男だった。
眼鏡を掛けた穏やかそうな印象の顔立ちから首、肩が現れる。
会社員なのかきっちりとしたスーツを着ている。空中に書き出される男の身体が胸まで現れた辺りで、新たにもう一本のレーザーが黒い玉から放たれた。
今度現れた男は眼鏡を掛けていないが、眼鏡の男と同じスーツを着ている。
二人目が現れたところで真は筑川に声を掛けた。
「筑川さん、これは一体……」
「わからない……けどキミ達もさっきああやってこの部屋に現れたんだ」
(ぼ、僕達もこうやってここに!?)
驚いていると、レーザーから書き出された二人の身体はすでに足先まで現れていた。
ジジジジッ………
書き出しが終わると、眼鏡をかけた男の足先からレーザーは消え、一拍遅れて後から来た男からもレーザーは消えた。
二人とも見た目は若く、同じ藍色のスーツを着ており、見る限り同じ会社に勤めているようだった。
背にはバックパックを背負っており、そしてどういうわけか二人してどこか頼りなさげな雰囲気を醸し出している。
静まり返った部屋の中で、現れた若いサラリーマン二人は特に驚いた様子もなく、部屋にいた人々を順々に眺めた。
そして、脇で呆然としていた真とやよいに視線が行った途端、あからさまに目を丸くした。
「あれ?菊地真と高槻やよい……?」
「すごいな……売れっ子のアイドルが来るだなんて」
余りに非現実的な光景だったがために、真もやよいも今度ばかりは反応ができなかった。
「……どうやらこれで全員みたいだな」
奥の壁に寄りかかり、今まで黙っていた坊主頭の男、倉田が低い声で言った。
(全員……?どういう意味なんだろ)
真が、突然喋り出した倉田に驚きつつ、その言った内容の意味が分かりかねて疑問に思っていると、倉田の横にいた尾形もおもむろにサラリーマン二人に声をかけた。
「赤羽根さん、祐喜さん、やるんでしょ?」
「あ、はい」
「そうですね」
どちらが赤羽根でどちらが祐喜なのかは分からないが、尾形にそう呼ばれた二人は短い返事をすると、
バックパックを床に置いておもむろにネクタイに手をかけた。
しゅるりとネクタイを解き、次に藍色のスーツを脱ぐ。そしてYシャツのボタンを首もとから手際よく順々に外していった。
「あ、あのキミ達は一体……」
筑川がそう言いかけて、二人のYシャツの下から現れたものに絶句した。
真とやよい、それに松本も同じく二人を凝視して言葉を失う。
サラリーマン二人がYシャツを脱ぎ去ると、真っ黒のラバー状のものにぴっちりと覆われた上半身が現れた。
各所には白く丸いボタンのようなものが点々と付いており、その中心はくぼんでいて中は青緑色をしている。
タイツのように身体を包んでいるラバー状のものは黒く、鈍い光沢を放っている様は、部屋の奥に鎮座する黒い玉と似た印象を受ける。
ベルトを外してズボンを脱ぐと、下半身までラバー状のもので包まれている。
しかし革靴と靴下を脱ぐと、ラバー状のものは足首までで途切れており、そこからは生身の足がのぞいていた。
そこで二人は持っていたバッグを開くと、中から黒いブーツを取り出し、それを履いた。
奥の倉田と尾形の二人も服を脱ぎ去る。
その身体もやはりサラリーマン二人と同じ、ラバー状のスーツに包まれていた。
「なにアレ……コスプレ?」
松本が呟く。
全身を黒いラバースーツで覆った男と女が四人。
(もうなにがなにやら……)
視線が集中する中、赤羽根と祐喜と呼ばれたサラリーマン二人は、おもむろに黒い玉の前に立った。
「あぁ、えぇっと、こんばんは皆さん」
眼鏡をかけた方のサラリーマンが、どもりながら挨拶をした。
対する真達は顔を見合わせるだけで、勿論挨拶は誰も返さない。
もう片方の、やや目が大きい方のサラリーマンが咳払いをして、なにやら眼鏡をかけたサラリーマンに促す。
「あっ、えー……自己紹介します。僕は案内役の赤羽根健治です」
と眼鏡をかけたサラリーマン。
「同じく、案内役の祐喜佑太です」
と目が大きいサラリーマン。
(案内役……?)
真が脳内で単語を繰り返していると、眼鏡もとい赤羽根がやや大きな声で話し始めた。
「えっとですね皆さん、今日皆さんにお集りいただいたのは、とあるテレビ番組の企画のためなんです」
「なにアレ……コスプレ?」
松本が呟く。
全身を黒いラバースーツで覆った男と女が四人。
(もうなにがなにやら……)
視線が集中する中、赤羽根と祐喜と呼ばれたサラリーマン二人は、おもむろに黒い玉の前に立った。
「あぁ、えぇっと、こんばんは皆さん」
眼鏡をかけた方のサラリーマンが、どもりながら挨拶をした。
対する真達は顔を見合わせるだけで、勿論挨拶は誰も返さない。
もう片方の、やや目が大きい方のサラリーマンが咳払いをして、なにやら眼鏡をかけたサラリーマンに促す。
「あっ、えー……自己紹介します。僕は案内役の赤羽根健治です」
と眼鏡をかけたサラリーマン。
「同じく、案内役の祐喜佑太です」
と目が大きいサラリーマン。
(案内役……?)
真が脳内で単語を繰り返していると、眼鏡もとい赤羽根がやや大きな声で話し始めた。
「えっとですね皆さん、今日皆さんにお集りいただいたのは、とあるテレビ番組の企画のためなんです」
今回の投下は以上です
ではまた
乙乙! 待ってたよ!
タイトルつけたのガンツだろ
>>22
そういうことになりますね
試験的に自作絵をうpさせていただきます
真達が部屋に来た時の模様を描いてみました
自分のイメージを壊したくないという方は見ない事をおすすめします
投下します
唐突に始まった説明。
「正確にはぶっつけ本番でゲームをやらせて得点を競い合うっていうある番組の企画です。都内から無作為に選ばれたあなた方はその企画の参加者として認められたんです」
赤羽根の後を続いて祐喜が説明をした。
しかし誰一人として、それに納得したような表情は見せない。突然そんなことを言われて、皆呆けた表情をしている。
そんな中、尻餅をついたまま床に座っていた真はおもむろに立ち上がって、二人に質問を投げかけた。
「……あの、すみません」
「あ、はい。なんでしょう?」
たどたどしく答えたのは赤羽根だ。
「なんの、番組なんですか?」
「すいません、当番組はぶっつけ感というものを演出するために、詳しい事はお伝えできないんです。
ただ言えるのは、これは今まで一度も成されたことの無い企画でして、今回はその第一回ということで」
そこで赤羽根の説明を「ちょっとちょっと」と松本が遮った。
「……意味わかんないんだけど。真くんとかはともかく、なんであたし達みたいなパンピーもそれに出なきゃなんないの?もっと芸能人とか使えばいいじゃん」
「アメリカで放映されてるクイズ番組とかしらないですか?こういうのはむしろ一般人が健闘した方が喜ばれるんですよ」
怪訝な顔をしている松本に、祐喜が返す。
言いくるめられたようで、納得したような、どこか納得していないような複雑な表情をしながら松本は黙った。
次にその後ろから筑川が、遠慮がちに質問をぶつけた。
「……仮にテレビの企画だとしてそこの黒い玉から人間が出てきたりとか、触れない窓とか扉はどう説明するんですか?」
「アメリカとかドイツとか中国とか、先進諸国が技術を結集して運営してるんですよ。……まぁ、詳しくは明かすことはできませんが」
と赤羽根。
しかし筑川は続けて質問をぶつける。
「つまり、かなり高度な技術を用いていると?」
すると赤羽根と祐喜は顔を見合わせた。
赤羽根が困った顔をして肩をすくめて見せると、何故か祐喜は溜め息を吐いた。
「簡単に言いますと、それらは全て特殊な催眠術によるものです。ここに来る直前、あなた方は一度死んだかのような催眠術をかけられたんです」
「つまり、あれは幻覚だったんですか?」
「率直に言えばそうですし、玉から出たレーザーや触れない窓や扉も、催眠術によるものです」
祐喜の『催眠術』という説明。
筑川は松本とは違い、「なるほど」と言ってその説明に対し少し納得したような様子で引き下がった。
(『催眠術』かぁ……番組企画ってことは、カメラが入ってるんだよな。がんばんなきゃ)
『テレビの企画』だと言われた以上、下手なリアクションは出来ない。
真はそう思い、黙って説明を聞くことにした。
やよいの方はなにやら説明を一部理解できていないようで、眉を潜めてわずかに首をかしげている。
「もう一つ、いいですか?」
律儀に手を挙げて再度質問したのは筑川だ。
「後ろの倉田さんと尾形さんはなんなんですか?先程質問したらこの部屋に来るのは初めてだ、と言ってましたが」
(あの二人、ボクとやよいが来る前に筑川さんとやり取りしてたんだ……ん?)
その質問を投げかけられた後に一瞬間が空き、直後に祐喜と赤羽根はあからさまに嫌そうな様子でため息を吐いた。
「いやっ、あれはその……」
二人の反応を見た途端、尾形が何故かやや慌てた様子で何かを言いかけた。
しかしその最中。
あーたーらしーい あーさがきたー
きーぼーうの あーさーだ
「!?」
突然大音量で流れ出した歌に、真とやよいは驚いて小さく肩を揺らした。
よーろこーびに むねをひーらけー
おーおぞーら あーおーげー
それは日本人のほとんどが聞いたことがあるだろう、ラジオ体操の歌だった。
らーじおーのっ こーえにー
すーこやーかな むーねをー
歌の発信源は、例の黒い玉だった。
赤羽根と祐喜も振り返って、歌を流し続ける黒い玉を見つめている。
こーのかおーるかぜーに ひらーけよ
そーれ いっち! にぃっ! さんっ!
歌が終わると、今度は黒い玉の表面に文字が浮かび上がってきた。
何かの文章のようだ。
「あー、皆さん、見に来て下さい」
歯切れ悪く祐喜がそう言うと、『参加者』は全員が全員、わけがわからないという表情をしながらも黒い玉に近付いた。
(……なんだこれ?)
それが、黒い玉に表示された文章を見た真の率直な感想だった。
「てめえ達の命は無くなりました。
新しい命をどう使おうと私の勝手です。
という理屈なわけだす……」
筑川が玉の文章を読み上げる。
「『り』とか『す』が逆ですねー」
と、玉の前でしゃがみこんでいたやよいが言った。
やよいの言った通り文章はところどころで文字が逆転していたり、文字体も一つ一つがバラバラで、単純な誤字もある。
「これは、番組のオープニングみたいなものです」
と赤羽根。
それに対して真が一人「へぇ」と納得していると文字は消えて、新たになにかが浮かび上がってきた。
じじじじじじっ
出てきたのは顔写真と、それに伴うメッセージ。
てめえ達は今から
この方をヤッつけに行って下ちい
キリン星人
特徴
つよい
きりん
好きなもの
じゃがりこ
口ぐせ
キリがない
『キリン星人』という文字の下には、馬面でやたらと目が大きく睫毛の長い男性の顔写真が表示されていた。
「……なにこいつ気持ち悪っ」
松本が、表示された顔写真に対して吐き捨てるように言った。
確かに写真の男はどこか人間離れした顔をしており、つぶらな瞳は生気を感じさせず不気味だ。
「この人が、そのキリン星人っていうことですよね?」
「えぇそうです」
「それを今から倒しに行くと?」
「飲み込みが早いですね、そういうことです」
筑川の度重なる質問に、祐喜が即座に切り返していると
がしゃんっ
突如、重い音とともに、黒い玉の左右と後ろ側が引き出しのように飛び出した。
「!?」
玉が変形した、という表現が正しいのだろうか。左右両側に飛び出したのは鉄骨らしきもので構成された収納スペースで、大量の銃らしきモノがその中で整然と並んでいた。
後ろに飛び出した部位は戸棚のような形状になっており、そこに幾つもの薄いケースが入っている。
「……地球防衛軍からエージェントとして見込まれたあなた達は、世間において一度死んだことになりました。
これからあなた達は地球に巣くう悪質なエイリアンを退治しに行きます」
祐喜がおもむろに何かを淡々と語り出した。恐らくこの企画の『設定』というものだろう。
ゲームは嫌いじゃない。そこからルールの全容をなんとなく理解した真は俄かにやる気が芽生え始めた。
「……へぇ、なんか楽しそうですね。ボク、燃えてきましたよ!」
「あはは、それはよかった。
それでこの玉はいわゆる指令を与えて、我々を運ぶ役割を果たしています」
「これが、その武器ってことですか」
説明する祐喜のそばで、並ぶ銃器を眺めながら筑川が聞いた。
「えぇ、自由に見てみて下さい」
そう答えた赤羽根の言葉を皮切りに、話を聞いていた各々が、変形した黒い玉に集まった。
そう答えた赤羽根の言葉を皮切りに、話を聞いていた各々が、変形した黒い玉に集まった。
「お金かかってるなぁ」
「へぇ、よくできてるね」
左右に収納されている武器は散弾銃かライフルのような形状をした銃と、短銃の二種類があり、
どちらも玉と同じく黒色で、弾の射出口は無く近未来的なデザインをしている。
「あわわ、結構重いです……」
長銃を引き抜いたやよいが、ずっしりとした重みによろめいた。
「リアルだなー」
形こそオモチャのようだが、その実、鉄の塊のような、本物の銃を思わせる程の重量と質感を持っている。
短銃を持った真が、ふと収納スペースと玉の付け根を見やった。玉は何やら空洞になっており、どうやらそこから玉の中が覗けるようだ。
真は好奇心からなんとなしにしゃがみ込んで、中身を覗いてみた。そして次の瞬間、ぎょっとして声をあげた。
「うわっ、中に人がいますよ!?」
玉の中には裸でスキンヘッドの男が、体育座りをしているような体勢で丸まっていた。眠っているようにその目は堅く閉じられており、その上、男は呼吸器のようなものに繋がれている。
耳を済ませば、呼吸器から微かに呼吸する音が聞こえてきた。
「気持ち悪っ。すげーリアル」
「作り物、でしょうね。それにしてもスゴい作り込みだなぁ」
同じく玉の中を覗き込んだ松本と筑川がそう零した。
(作り物、にしてはよく出来過ぎだよ、これ……)
作り物とはとても思えないその男は今にも目を覚ましそうだ。真は、精巧に出来ていて凄いという感情より微かな恐怖心を覚え、立ち上がるとそそくさと玉から離れた。
「……えー、これから皆で外に出ます」
変形した玉について皆がそれぞれの感想を漏らす中、赤羽根が語りかけてきた。
「そこのどこかにコイツがいるんで、見つけ次第戦って倒します」
赤羽根は、指でトントンと黒い玉に表示された顔写真をつつく。
「倒した数だけ、点数が加算され豪華商品が与えられるというルールです」
「その、豪華商品ってのはなんなの?」
松本の問い掛けに、顔を見合わせる祐喜と赤羽根。
一拍空けてから赤羽根が呟くように言った。
「……賞金1000万」
その瞬間、部屋の空気が一変し、途端に騒がしくなった。
「はっ!?マジ!?」
「い、1000万!?」
「うっうー!びっくりですー!!それだけあれば……」
「点数を競い合うのはあなた方五人。多くの星人を倒して得点を貰って下さい。
その武器は見たようにここにあるんで好きなのを持って行って下さい。あとコレ、僕達が着てる服。このスーツはあなた方に特別な力を与えてくれます。ちゃんと着て下さいね」
興奮する皆に対して、祐喜は畳みかけるように説明をした。
そしてそこで赤羽根は、改めて後ろで黙っていた倉田と尾形に二人に視線を送った。
「彼等はあなた達が困った時の強力な助っ人です。……それと先程、筑川さんが尾形さんから聞いたことの内容は、この企画のリアリティを盛り上げるための演出の一環ですよ」
赤羽根が先の尾形に代わって説明をしている間、尾形は何故か赤羽根から目をそらしていた。
(……なにか余計な事でもしたのかな?)
尾形の様子を見て真は、日頃の仕事の番組収録などで自分が何かミスをやらかした時に、スタジオ外から冷ややかな視線をあびせてくる担当プロデューサーとのことを思い出した。
「……倉田徹だ。よろしく」
「……尾形美智恵です。改めてよろしく」
赤羽根の紹介に倉田と尾形は、改めて部屋にいた面々に短い挨拶をした。
「では詳しい説明は戦闘区域に出てからしますので、まずはそこにあるスーツを着て下さい。
着る場所はそちらの玄関で、一人ずつでお願いします」
「はぁ?更衣室とか無いの?」
祐喜の言った事に、松本が素っ頓狂な声を出して、あからさまに嫌そうな顔を場を取り仕切る二人に向けた。
真ももっともだと思いながら、松本の抗議に対する二人の返事を待つ。
「すいません、ただ誰にも見られずに着替えられるスペースはあるので。
……時間が押してるので着替えはお早めに。スーツケースは玉の後ろに入っているので」
(えぇ……更衣室ぐらい用意してくれてもいいじゃないか)
配慮が足りないように感じられる進行の仕方に、真は若干失望した。
わずかに苛々し出した松本を中心に場に僅かだがぴりぴりとした空気が流れる中、今まで一切動じず、
ずっと黙っていた少年が颯爽と玉の裏に回って行き、そこに収納されているスーツケースを一つ取り出した。
少年がケースを持って玉の裏から戻って来るのを見計らったように、筑川も続いて玉の裏に行き、棚の中を覗き込む。
少しして、怪訝な顔をしながら筑川は赤羽根と祐喜を見やった。
「……あの、名前とかは?」
「名前は書いてある場合と、各人が個別に分かるような単語が適当に書いてある場合があります。これが自分のだろうと思ったらそれを持って行って下さい」
それを聞いた真はスーツケースを抱えて部屋から出て行こうとする少年の姿を見やった。
『厨二病(笑)』
ちらりと見えた少年のスーツケースの文字。
真は眉を潜め、それに対しどういったリアクションを取ればいいのか分からず、少しだけ困惑する。
(厨二病……ってどういう意味なんだろ?)
少し馬鹿にしたように付けられた(笑)も気になる。
疑問に思いながら、玄関に向かって部屋から出て行く少年の背中を見送った。
(それにしても、変な番組だなぁ)
心の中で感想を漏らしていると、筑川が自分のケースを見つけたようで、スーツケースを抱えて戻ってきた。
『中年リーマン』と書かれたスーツケース。 書かれたことは見た目のままの内容だ。
続いて松本が『ギャル』と書かれたスーツケースを取り出し、書かれている言葉に微妙な表情をしながら戻ってきた。
真はなんとなくやよいを見やると、何を考えていたのか無表情で見つめ返してきた。
「……ボクたちも取りに行こうか」
「あ、はいー」
やよいの気の抜けた返事を聞き届けてから、真はやよいと共に玉の裏側に回って自分たちのスーツケースを探した。
棚に入っているスーツケースは残り二個だ。
真はスーツケースの一つを引っ張り出した。
「あ……それ多分、私のですー」
言ってやよいがそのケースを指差した。
真は指されたスーツケースを取り出して表面を見ると、そこにはへろへろの字で『もやしっ子』と印刷されていた。
「……そういえばやよいはもやしが好きだったんだっけ?」
「はい、家族でよくもやしパーティーをやってますよー」
その『もやしパーティー』が余程楽しいものなのか、やよいは嬉しそうな笑顔を浮かべて答えた。
「はは、そっか」
相変わらず輝かしい笑顔に釣られて微笑みながら、真は残ったケースを引っ張り出した。
『まこと王子』
「……王子、ね」
印刷された文字を見つめながら、思わず呟いた。
この黒い玉にさえ男扱いされているような気がして、なぜだか情けない気分になる。
(まぁ、馴れてるからいいけどさ)
溜め息を吐きながらもスーツケースを抱きかかえる。
「じゃあほら、戻ろうか」
傍らで待っていたやよいに促し、ケースを持って玉の裏から出て行く。
それとほぼ同時に玄関から、例の黒いスーツを着た少年が畳んだ学生服を手に持って部屋に戻って来た。
「じゃ、次は私が行きますね?」
筑川がケースを手に遠慮がちに真とやよいに声を掛けてきた。
「あ、どうぞ」
真がそう言うと、筑川は軽く会釈してから玄関に向かって行った。
今回の投下は以上です
ではまた
投下します
―――――――――――――――――――――――――――――
少年、筑川とやよいが着替え終わり、今は松本が着替えに行っている。
服のデザインが……と愚痴を言いながらも渋々着替えに行った松本を見送ってから、真は黒いラバースーツに身を包んだやよいと会話していた。
「やよい、結構似合ってるね」
「うっうー!意外と窮屈じゃないんですよ、この服」
「へー」
衣装を着たらその気になれたらしく、俄かにはしゃぐやよい。
やよいにぴったりと合ったスーツは、幼い身体のなだらかなラインを浮き彫りにしている。
(……これ、貴音やあずささんが着たら凄いことになりそうだな)
真、やよいと同じく765プロに所属しているアイドル、四条貴音と三浦あずさ。
765プロの中でも抜群のスタイルと豊満な胸を有する二人がスーツを着ている姿を、真はなんとなしに思い浮かべた。
(あの二人はこの企画に出ることはないだろうなぁ)
二人の身体のライン、主に胸や尻のラインが浮き彫りになろうものならファンを悩殺すること間違いなしだろう。
同時に子供には見せられない、公共の電波的にアウトな姿になることも間違いない。
「ところで真さん」
ラバースーツを着込んだ二人を脳裏に描いていると、不意にやよいがひそひそと話し掛けてきた。
「え……な、なに?」
釣られて真も声を潜める。
「これってプロデューサーさんとかは知ってるんでしょうか……?」
「これって、この番組のこと?」
「はい」
「うーん、どうだろ……知ってるんじゃないかなぁ?ボク達がこうやって出てるんだし。
あ、でもさっきのあの人達の説明聞いた限りだと、半分ドッキリっぽいからもしかしたら知らないかも……
まぁ、心配はいらないとは思うけど。
でもなんで?」
「これもお仕事だから頑張りたいですけど、正直ドラマの撮影帰りにこれから身体を動かすのはちょっと大変かなーって……」
やよいは少し不安そうに目を伏せた。
仕事以外に、家族や家事のことも視野に入れて生活しているやよいにとって疲労はほどほどにしておきたいのだろう。
やよいの言うとおり、内容的にも過酷なドラマ撮影をこなしてきた帰りに連れてこられたのだ。
疲れていないはずが無い。
「確かに、ちょっと体力的にキツいところはあるかもね。大丈夫?」
「今は元気ですけどー、明日のお仕事に影響が出ちゃわないかなって。
明日は真美とラジオのお仕事とか、イベントのお仕事があるんですけど、疲れてるからって皆さんのお邪魔になるわけにはいかないし……」
(ラジオにイベントかぁ)
それほど過酷な仕事では無いが、それでも仕事は仕事だ。
失敗はしたくない。
(……やよいは中学生だし、ボクみたいに運動に慣れてるってわけでもないからなぁ)
やよいは根性は十分にあるが、年齢も幼く体躯も小柄で体力面では確かに心配があった。
「うーん……じゃあボクがフォローに回るから、やよいは力を抜いて大丈夫だよ」
「ふぇっ!?それはそれで真さんに悪いですよー。それに真さんも明日仕事があるんじゃ……?」
「あるけどそんなにキツい仕事じゃ無いし、それにまだまだ力が有り余ってるから大丈夫、大丈夫!」
実際はバラエティー番組への出演などが仕事に入っていたが、実際まだまだ動ける自信はあるし、体力にも確かな余裕がある。
担当のプロデューサーに怒られない程度に頑張れば大丈夫だろう。番組の折り合いを見ながら力を調整するぐらいの器用さは多少なりとも備わっている自信はあった。
「あ、ありがとうございますー」
申し訳なさそうに笑いながら小さくお辞儀したやよい。
やよいの癖で、お辞儀と同時にぴんと伸ばした両腕が若干後ろに跳ね上がっている。
そんな癖を可愛らしいなと思い、真は笑みを零した。
「でもボク、一般の人を交えてのお仕事なんて初めてだから……正直ちょっと不安はあるんだよねー」
ファンは勿論、一般人の前で余り素になってしまうと、不本意と思いながらも真が担当のプロデューサーと共に築き上げてきた『イメージ』が崩れてしまう。
現時点で売れているとは言え真はまだ駆け出しのアイドルに過ぎない。
ここでイメージが崩れるのはまだ早過ぎるし、そこはなんとか避けたいところであった。
「はい、ちょっと難しいですよねぇ」
やよいも考えていることは同じのようだ。
と言ってもやよいの場合、アイドルとして活動している時と素との性格にあまり差が無いのだが。
(……あぁ羨ましいなぁ、そういうとこ)
口には出さず、羨望の眼差しを向ける真。
理想とのギャップに苦しまずに仕事が出来るやよいは素直に羨ましかった。
(でも上手くできるかな……)
最近こそ余り無いが、下積み時代から売れてしばらくはプロデューサーと共 に行動し、プロデューサーの機転によって助けられた場面も多々あった。
やりくりは自分だけでも多少はできるが、それでも頼りになるプロデューサーがいないことに、やはり不安はある。
小さく溜め息を漏らしていると、玄関からスーツを着た松本が部屋に入ってきた。
「真クン、次オッケーだよ」
「……じゃあやよい、後でね」
やよいに手を振りながら、スーツケースを掴んで真は玄関に向かった。
「うっうー、待ってますー」
短いですが、以上とします
投下します
「あの、戻りまし……ってあれ!?」
部屋に入ると同時に真は驚きの声をあげた。
それもその筈、部屋はもぬけの空だった。
床にはさっきいたメンバーの私服や空のスーツケースがあちこちに置いてある。
しかしその持ち主達は見る影も無い。
「みんな、どこ行ったんだよっ!?」
血相を変えて部屋を見渡す。
そこで、玉の表面に新しく何かが表示されていることに気付いた。
『行って下ちい』
誤字混じりにそうメッセージが表示され、その下ではデジタル表示で時間が刻まれている。
00:59:37
時間は秒単位で減っており、どうやらそれは例のゲームの制限時間のようだ。
ということはゲーム自体はもう始まっているらしい。
(こういうのって普通、参加者を待ってやるものだろ!?あぁもうワケわかんないよ!!)
問答無用に進行していく現状に、もはや苛立ちを覚え始める。
しかし、一人だけ部屋にぽつねんと残してどうしろと言うのだろうか。
(いや、でもさっきみたいな『転送』があるかもしれないし……)
「……そ、そうだ武器!!」
取り敢えず目に付いた黒い玉の収納スペースに駆け寄り、ショットガンのような銃を引き抜く。
いくらか既に持って行かれたようで収納スペースからは何本かの銃が無くなっていた。
そして銃を持った直後
「うわっ、うわっ」
不意に額にひやりとする感覚を覚え、思わず上擦った声を上げる。
瞬間的に、それが外気のものだと判断した。
(き、来たっ!)
ひやりとした感覚は徐々に下に下がって来て、すぐさま視界に変化が訪れた。
都心のマンションの一室から打って変わって、目の前に現れたのはどこかの閑散とした住宅街。
道脇の街灯がぽつぽつと寂しく灯っている。
先程いた部屋に人々はやはり周りにおり、皆それぞれ辺りを見回したり歩き回っていた。
自分の身体を見下ろす。
すると身体は肩から下が無く宙に浮いているような状態で、その空中から自分の身体が書き出されていく様子が見えた。
徐々に胸や二の腕、腹部が現れ、それが『転送』というものなんだと、真はなんとなしに理解した。
(スッゴいなぁ、これが催眠術……かぁ。ホントにどうやってるんだろ)
空中に現れていく自分の身体という現実離れした光景。
先程までの苛立ちや戸惑いを忘れ、その様子を何も考えずにじっと見つめる。
すると不意に横から声を掛けられた。
「真さん」
顔を上げて見ると、そこにはやよいが安堵の表情を浮かべて立っていた。
「あ、やよい。やっぱり先に来てたんだ」
そこで『転送』は終わり、真の両足がコンクリートの地面に着いた。
「はい、真さんが着替え終わってないのにいきなり連れて来られちゃって、びっくりしましたー」
「本当だよ。
全くもう!ボクのことなんて全然待たないでどんどん始めちゃってさ……信じらんないよ」
真は銃を持ったまま腕を組んで、頬を膨らませて小さく怒りを爆発させた。
しかしあくまで出演している側に過ぎないので、大きな声では言えない。
「これだけお金掛けてやってるなら、進行だってもっときちんとやんなきゃダメだろうにさ」
当の案内人である赤羽根達は、少し離れた所に四人で集まって何か話しをしている。
他のメンバーの状態を見向きする様子も無い。
「せめてもう少し取り纏めようとする努力をしてほしいよね。
カメラがどこにあんのかは分からないけど」
「あはは……でもカメラ、ほんとにどこにあるんでしょうかぁ?全然見当たらないですし」
「多分どこかに隠れてるんじゃないかなぁ。
……でもせっかく隠れてるカメラを出演者が探すなんて真似はしちゃいけないよね」
と、声を小さくしてやよいに耳打ちする。
やよいは「わかってますよー」と小声で頷いた。
「ところでここって、どこなんだろ?」
ふと疑問に思い、改めて周りを見回す。
見た限り日本のどこかにある住宅街の中であることは間違いなさそうだ。
しかし「外に出る」とは確かに言われたが、まさか本当に道端に放り出されるとは思ってもみなかった。
「うー、わかんないです……家はたくさんありますけど」
家だらけで高い建物は見当たらない。
それに道も平坦で、なんの変哲もないただの住宅街だ。
「ここ八王子みたいだね」
丁度二人の会話を聞いていたようで、筑川が歩み寄ってきた。
「あ、筑川さん。
八王子って、八王子市ですか?東京の?」
「ええ」
「なんで分かったんですか?」
「ほら、電柱とかに現在地が書かれてるじゃない」
言われて近くの電柱に目を向ける。
街灯に照らされて、ぼんやりとだが電柱には確かに『八王子市』と書かれた小さな看板が掛けてあった。
「なるほど……。ってことはボク達、一応は都内から出てないんですね。
でもこれから、そのエイリアン退治とかいうのを住宅街のど真ん中でやるんですよね?しかも夜中に」
まさかひそひそと人の目を気にしながらやるわけでは無いだろうから、それなりに騒ぐことにはなるに違いない。
ただそれを夜に、しかも街中でやるというのなら周りの付近住民にある程度の迷惑が被るのも確実だ。
「やっぱりちゃんと許可とか取ってるんじゃないでしょうかー?」
そう言ったやよいに「そうだろうね」と筑川は微笑みながら同意した。
そこで「お待たせしてすいませーん」と赤羽根の掛け声が聞こえてきた。
「みなさんちょっと集まって下さい」
手招きをされ、松本と筑川、真とやよいが赤羽根と祐喜を囲む。
例によって倉田と尾形は少し離れたところから赤羽根達を眺めていた。
そしてあの少年は少年で、近くの家のブロック塀に寄っ掛かってるだけで赤羽根達のことは完全に無視しているようだ。
(あの人、いいのかな?説明聞かなくて……)
もしかしたらあの少年も尾形や倉田のように番組側が仕込んだ『助っ人』なのかもしれない。しかし仕込んでいるという割には赤羽根達には何も触れられてないし、かと言ってあの露骨な態度は明らかに番組の関係者であることの証拠だろう。
(うーん、分かんないなぁ……)
色々と考えていると唐突に祐喜が真達の前に右手を差し出してきた。
「こいつを見て下さい」
そう言って差し出された祐喜の手には、リモコンのような細長い形の機械が握られており、その中央にはモニターが付いていた。
表示されているのは、どうやらこの辺りの地図のようだ。
地図には四角で囲まれた丸のマークが複数表示されている。
「地図に表示されているこの点、これが星人達のいる場所を示しています」
マークを指差しながら祐喜が説明する。
そしてなにやらリモコンをかちかちと操作して、地図の縮尺を先ほどよりもいくらか大きなものにした。
すると地図上には正方形の線が引かれていた。
「そしてこの枠線、この約一キロ四方の枠線から出るとミッション放棄と見なされて失格になります。
くれぐれもここから出ないよう、注意して下さい」
さらにリモコンをかちかちと操作すると今度はデジタル時計のような数字が表示された。
(あっ……これ)
見たところ、真が部屋から送られて来る前に見た、黒い玉のデジタル時計と同じもののようだ。
あれから更に一分程経っている。
「これはこのミッションの制限時間です。残り時間は58分……約一時間ですね。
この制限時間内に多くの星人を倒して下さい」
と祐喜。
説明は足早に続く。
「それと武器の説明をします。皆さんが今持っている銃はトリガーが二つ付いています」
言われて銃を覗くと、引き金が上下二つに別れていた。
「上のトリガーが相手のロックオン用。下のトリガーで攻撃ができます。上下のトリガーを同時に引かないと攻撃はできませんので、注意して下さいね。
それと照準は、拳銃は後ろに付いているモニターで、長銃はアームの先に付いているスコープでそれぞれ確認できます」
円筒形のボディにグリップを付けたような奇怪な形をしている銃。
祐喜の言ったモニターはグリップの上に付いていた。
長銃の方は、銃身から飛び出るように伸びたアームの先に長方形の小さなモニターが付いている。
「……これからは自由行動です。ただしエリアからは絶対に出ないようにお願いします」
赤羽根はそう言うと持っていたショットガンのような形状をした銃を両手で持ち直した。
「では、これより異星人の駆逐に行って来て下さい。
時間が無いので急いで下さいね。それではお気を付けて」
「お気をつけてって……あなた達は?」
筑川がやや不安そうに聞くと、赤羽根と祐喜は不敵な笑みを浮かべた。
「ここから先はあなた方のみで行動してもらいます」
「なんて言ったってプレイヤーはあなた方なんですから」
イラスト見れなーい…
もしよければまたはってください
短いですが以上です
次回から本格的にミッション開始となります
ではまた
>>54
恐れ多いですがどうぞ
http://i.imgur.com/u7c5L.jpg
投下します
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
祐喜と赤羽根に催促され、真達四人は宛もなく住宅街の中を歩いていた。
『強力な助っ人』らしい尾形と倉田は早々にどこかへと行ってしまい、例の少年も真達に一切の関心を寄せることも無く行動を別にしているようだ。
赤羽根と祐喜も「僕達はサポートに回りますので」と二人して姿を消してしまった。
松本は相変わらずふてくされた表情をして文句を言っている。
「行けっつってその異星人、だっけ?
それがどこにいんのかも全然わかんないのにさぁ……。
しかもこんなヤバい格好させてさ、笑い物じゃんアタシ達」
文句を垂れていたのは松本だけだったが、一部賛同できるところもあるので、真も黙ってそれを聞いていた。
一瞬だけ地図を見せられてから突然放置されて、どうしろと言うのだろうか。
ただ、考えてみれば二人のやや雑にも思える進行は番組の設定に沿った演出なのかもしれない、という見方もできなくもない。
……どちらにしろ余計なことは声に出して言わない方がいいだろう。
自分は所詮、アイドルでありタレントでしかないのだから。
そこで不意に筑川が「あのー」と三人に遠慮がちな様子で声を掛けた。
「言い出すの遅れたんだけど、あの祐喜って人が持ってたやつ、僕も持ってるよ」
視線が集まる中、筑川が差し出した手には祐喜の持っていたリモコンと同じ物が握られていた。
それを見たやよいもはっとした顔をして、身体をまさぐり始める。
「……あ、私もですー」
そう言ったやよいの手にもあのリモコンが握られている。
しかし画面には何も出ていない。
「これで居場所が分かるんじゃないかと思うんですが」
「操作の仕方とかは?」
「分からないですね、あの二人はなんの説明もしてくれなかったので」
言いながらリモコンをかちかちといじりはじめる筑川。
「つかこれ、なんであたし貰ってないの?真くんも貰ってないの?」
松本が声を荒げた。
「はい、ボクも持ってないですけど……これ部屋でどこにも無かったと思うんですけど、どこにあったんですか?」
答えたのはやよいだった。
「この服が入ってたケースに一緒に入ってましたよー?」
「ボクのには入ってなかったな」
「あたしにも。意味わかんないわーマジで」
持っている者と持っていない者に分けたのはなんの意味があるんだろうか。
不可解に思っていると、リモコンをいじっていた筑川が「あ、出ました。地図」と声をあげた。
「私達がいるところが、多分ここですよね。それであの二人が言っていた星人がここにいると」
「……結構近いですね」
住宅街が升目のように表示される中に、星人を表しているマークが一つ。
自分達と思われるマークも表示されており、その間を見る限り少し歩けば道端で遭遇するだろうという距離だ。
「……賞金1000万だっけ?、ヤバいよねー」
マークを見ながらおもむろに松本が呟いた。星人を多く倒した参加者が貰えるという賞金。やはり1000万という額は、かなり魅力的だ。
その時、表示されている星人のマークが動き出した。
「あっ、動いてますよー」
やよいが他三人に呼び掛けるように言った。マークは路地を辿るようにゆっくりと移動しており、真達との距離はどんどん離れていっている。
(よーし……)
「追いましょう!」
咄嗟に真は言い、星人のいるであろう位置に向かって走り出した。
こういう時、自分が先陣を切って皆を奮い立たせるべきだと直感した故の行動だ。
「あ、真さぁん」
「ちょ、ちょっと待ってよー」
とやよいと松本がせっせと真の後を追い、筑川が一番後ろから走って付いて来た。
誰もいない夜道。星空が見えない程度に明るい住宅街の中で路地を曲がり、まだ見ぬ星人に向かって四人は走り続けた。
体力が少ないやよいはその中でどうしても遅れてしまう。加えて体調のこともあり、真は気遣って、今は一緒に並んで走っている。
よって先導しているのは筑川と松本の二人だ。
マークを目指して走り出してから4分程、不意に筑川が立ち止まった。全員がそれに伴い、動きを止める。
筑川がおもむろに、道の向こうを指で差した。
「あれじゃないですか……?」
「え?」
「あれ、ですかね?キリン星人……」
筑川が指差した先を見ると、少し離れたところにシックなスーツを着た男が、街灯の下でぽつんと立っていた。
遠くて顔はよく見えないが、真達を眺めているようで、こちらを向いたままピクリとも動かない。
スーツ姿の男性と奇妙な黒いラバースーツを着た四人組。双方間の微妙な距離は、その場に変な緊張感を生んだ。
真は生唾を飲み込んで恐る恐る歩き出す。黒い玉に表示されていた肝心の顔がこの距離では近付いてみないと分からなかった。
松本や筑川も真の後ろに付き、再び真を先頭にして、四人は男に近付いていく。
近付けば近付くほど男の顔は克明になっていく。その顔は黒い玉に表示されていた『キリン星人』の顔写真と同じく、睫毛が長くつぶらな瞳をした馬面だった。
こちらをじっと見ているようで、真達が近付いている間も微動だにしない。
真上から街灯の明かりに照らされ、陰影が浮き彫りになっているその様子は非常に不気味だ。
ついに真達が目の前まで来ても、男はまばたきひとつせず、真達をジッと見たまま何の反応もない。その様子に一同は警戒しながらも、怪訝に思った。
静寂が流れる。
一方的に見つめ続けられている真は、躊躇しながらも男に話し掛けた。
「……あ、あの、こんばんは」
……静寂。
反応は無い。
(もしかして、作り物なのかなぁ?)
反応どころかまばたき一つしない男の様子に、あの黒い球の中にいた人間のことを思い出して、真はそんなことすら思い始めた。
しかしそれはさすがには無いだろうと思い改め、もう一度話し掛ける。
「あのキリン星人さん、ですか……?」
「…………じゃがりこ」
男はいやに高い声で、そう呟いた。
その言葉だけやけに鮮明に聞こえ、全員呆気に取られた顔で言葉を失った。
しばしの沈黙と共に、間の抜けたような妙な雰囲気がその場を支配する。
(……は?)
凍り付いたような沈黙を率先して破ったのは筑川だった。
「……今言いましたよね?」
「えぇ確かに……『じゃがりこ』って言いましたね」
真は『じゃがりこ』と口に出し、改めて自分達が耳にした単語を確認する。
「じゃあやっぱりキリン星人なんですよね、この人が……」
「じゃがりこ」
改めてキリン星人らしい男に向き直ると、再び『じゃがりこ』と言われて、真は口を噤んだ。
筑川は怪訝な顔をして、やよいは困惑している。あくまで男はキリン星人を演じ続けるらしい。
話し掛けるだけ野暮なように真は思えてきた。
「チッ……もういいよ、とりあえずコイツ撃っとけば得点になるんでしょ?」
「あっ、松本さん」
微妙な空気に苛立ちを交えながらそう言ったのは松本だった。
しびれを切らして手に持っていた長銃を構えると、銃口に当たる先端部を男の顔に突きつけた。
しかしその瞬間。
それまで微動だにせず表情に何の変化も無かった男が、眉間に皺を寄せ目を見開いた凄まじい形相で、勢いよく松本が向けた銃口に振り向いた。
「うわっ!」
その突然のリアクションに、筑川や真、やよいは小さな悲鳴をあげた。
銃を構えていた松本も驚いたようで、「え、な、なに?」とどもりながら銃を下ろしてしまった。
「じゃが リこ、じゃ が リ コ」
男は松本を睨み付けながら再び『じゃがりこ』と口走る。しかしその様子がおかしい。
じゃがりこ、という言葉の音程が徐々に崩れていくのだ。
「じャ がり⊃、じ ゃガИこ 」
ノイズが混じっているような、聞き辛い声調で『じゃがりこ』を連発し続ける。
不意に、ごきっ、ごきっ、と鈍い音がして、男が首を曲げた。
そして次には、あろうことかその首が徐々に伸び始めた。
「!?」
全員が言葉を失い見守る中、男は『変身』していく。
「ι゛ゃヶ リこ、じψ ガ り⊃、」
『じゃがりこ』という言葉は最早原型を留めていない。
男の発音が崩れていくのに伴って、ごきごきと鈍い音と共にという男の首は徐々に太くなり、長くなっていく。
「えぇっ!?」
これも催眠の一環なんだろうか。
しかしそうは分かっていても、想像を遥かに超えた信じがたい光景に真達は後退りをせざるを得なかった。
「いやなにコレ!?なにコレ!?」
「えっ?えぇっ!?」
「うわっ、気持ち悪……」
「ど、どうすればいいんですかっ!?」
皆がうろたえる中、男の首は2メートル程にまで伸び、その顔も鼻と首が寄って前方に長くなっていく。
更には頭部から角のような突起物が二つ現れ、その様相は最早完全なキリンだ。
無論、それは特殊メイクや特殊効果によるものには見えない。
「Щャ々りコ」
スーツを着た人間の身体にキリンの首と頭部。
スーツの首もとは太い首のせいではちきれそうになっている。
変身が終わったようで、キリンはぐぐぐっとゆったりとした動きで頭を下げ、つぶらな瞳で真達を見下ろした。
反対に真達は黙って、キリンの頭を見上げる。
「……なんだこれ」
そう真が呟いた時だ。
「Щ*ヶ∪こ!!!」
キリン星人が叫び、太い首を大きく振り回した。
「おわぁっ!!」
真や松本、筑川は咄嗟に身を引き、ぶんっ、という風を切る音がしてキリン星人の首は空振る。
首は唯一、短銃を握っていたやよいの手に当たった。
やよいは「あっ!!」と叫び、持っていた短銃はどこかに弾き飛ばされてしまった。
それを見た真が咄嗟にやよいを自分の後ろに下がらせる。
丸太のようなキリン星人の首。直撃すれば痛いだなんてことでは済まされないだろう。
撮影だと分かっていても身の危険を感じる。
「はっ?はぁっ!?」
筑川が声を裏返らせ、混乱しながら無我夢中で長銃を構え、トリガーを引いた。
ぎょーん
奇怪な音とともに銃が鮮やかな青い光を放つ。やった、と全員が固唾を呑んで撃たれたキリンを見守った。
……しかし、なにも起こらない。
「ジ*ヶ∪こ!!!」
星人は雄叫びをあげながら再び首を振り回す。
追い風を伴いながら凄まじい勢いで目の間を通過して行くキリンの首を、一同は急いで後退して避けた。
筑川が叫ぶ。
「これでどうなるっていうんですか!!」
「し、知らねーよンなこと!!」
パニックになっている松本も、がむしゃらに叫び返した。
「おーい撃ったぞー!!」
筑川が、どこかで潜んでいるであろうカメラマンに向かって叫んだ。
(こ、こうなったらボクも……)
真も後退しながら銃をキリン星人に構える。
(えっと、確か上のトリガーでロックオンして下のトリガーも引いて発射だっけか!?)
スコープを覗く余裕もなく、銃口をキリン星人に向けてトリガーを引いた。
ぎょーん
戦隊モノのオモチャのように銃が光を放った直後、キリンが再び頭を大きく振り回し、銃を構えていた真はキリンの首振りをまともに喰らった。
強い衝撃と共に身体が吹き飛ばされる。
「がっ……!?」
「まっ、真さぁん!!」
真の後ろにいたおかげで難を逃れたやよいが血相を変えて叫んだ。
横に5メートル程吹き飛ばされ、真は地面に倒れ伏す。
筑川や松本も同じく、キリンの首をまともに喰らって弾き飛ばされている。
暴れ回るキリン星人は三人を地面に叩きつけた後、おもむろに長い首を持ち上げて、夜空を向いた。
「£∂"∂"∂"∂"∂"∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂∂!!!!!」
凄まじい金切り声でキリン星人が何かを叫んだ。
鼓膜を揺るがす余りに強烈な声量に、全員が咄嗟に耳を塞ぐ。
そして
ばばぁん
キリン星人の首が突然、風船が割れるような音を出して破裂した。
今回は以上です
ではまた
お久しぶりです
「……馬鹿にすんのもいい加減にしろよクソガキ、ぶっ殺すぞマジで」
そう啖呵を切ったのは松本だった。馬鹿にしている態度が琴線に触れたらしい。
「はッ、やってみろよ糞女」
余裕を見せながら間髪入れず挑発を返す少年。
(うわっ、性格悪いなぁ……)
女子校に通っているため男子とは触れ合う事がない真にとって、この自分と同い年ぐらいの少年の態度と言動は、真の持つ男子に対するイメージをだいぶ損なわせた。
少年の言葉を受けて、表情に怒りをありありと浮かべる松本。
「きもいんだよお前、調子こいてんじゃねえぞ」
「あ?殺すってんだろ?やってみろよバカ」
安直な罵倒でお互いに言い合う二人は小さい子供の喧嘩のようだ。
真は松本が言い返して更に余計な事になる前に少年に聞いた。
「キミも企画を運営している側の人間なの?」
ふと背筋が寒くなった
恐ろしくて確認はできないが、横から松本がキツい視線を投げかけてきているに違いない。
「企画?……ああそっか」
少年は真を見据えると、鼻で笑ってみせた。
「マジで馬鹿だなお前、まだ信じてたんだ。あいつらが言ってたこと」
少年の相も変わらず小馬鹿にするような口ぶりに真はさすがにいらっとした。
「……あいつらって、赤羽根さんと祐喜さんのこと?」
いらっとしつつも、非現実的な現実が本物なのか嘘なのか、その困惑で頭がいっぱいだったおかげで、怒りを押さえて冷静に質問を繰り返すことができた。
「それ以外誰がいんだよ。……ったく、倉田や尾形までノりやがって、糞つまんねぇ」
少年は舌打ち、苛立ちを露わにする。
「教えてやるよ。あいつらアホみたいなこと言ってたけど、マジな戦争だからこれ」
「……は?」
言っている意味が理解しかねた。
この少年はゲームかなにかに毒されているのか、そう思わずにはいられない。
しかし少年は眉をひそめて露骨に嫌な顔をすると、いたく真剣な様子で言い放った。
「は?じゃねーよ。ナメテンのかよ。
銃の光線に当たりゃ死ぬし、敵の攻撃も食らえば痛いし死ぬ。
アトラクションでも番組でもなんでもない、命掛けた戦いなんだよコレは」
「でもあの二人は番組の企画だって言ってたじゃねえか」と松本。
少年はそれに対してわざとらしく溜め息を吐いて、嘲るように言った。
「んなもん嘘に決まってんだろ。馬鹿だから騙されてんだよお前らは」
「あ?」
松本の眉間に寄っている皺が更に深くなった。
今にも吉川に飛びかかりそうな剣幕だ。
「ンだとテメ……」
しかし松本が怒鳴りかけたところを、少年は更に大きな声で遮った。
「赤羽根!!祐喜!!出て来いよ!!いるんだろ!?」
少年に祐喜、赤羽根と呼ばれてから数秒後、真の背後から再び、ばちばちという電気がほとばしる音が聞こえてきた。
真が驚いて振り向くと、そこにはいつの間にか祐喜と赤羽根の姿があった。
二人とも憂鬱そうに顔をしかめてその場に立っている。
「吉川くん……」
出てきて早々、祐喜が少年の名を呼びながら溜め息を吐いた。
「どうしてこんなことするんだ?」
少年――――吉川を非難する赤羽根。
すると吉川は敵意を露にした目で二人を睨みつけた。
「イラつくからだよお前らのやってることが。まどろっこしい上に面倒くせえしな」
「面倒って……理由は話したじゃないか」
「知るかよ、普通に戦わせればいいじゃん。戦って生き残れなきゃ死ぬ、それでいいじゃねーか。つまんねーし」
「いずれにせよ一緒に戦う仲間は必要なんだよ!どうして分かんないのかなぁ……」
「分かりたくもねーっつの、バァカ」
今一番現状を理解できていなくて、一番情報を得たい真達四人を置いてけぼりに、三人は言い争いを始めた。
「あ、あのっ!!」
三人の中だけでやり取りが成されている中、真は強い語調でその言い合いに割って入った。
会話が止み、真に三人の視線が集中する。
「話が見えないんですけど……っていうことはこれって全部作り物とかじゃなくて……?」
真の言葉に、二人は困惑した様子で口をつぐんだ。
そしてお互いに目を見合わせてから、赤羽根が観念したようにため息を吐いて話を始めた。
「ああ、吉川くんが言った通りさ。
これは本物の異星人を相手に仕掛ける、命を掛けた戦いなんだ」
(……なに言ってんだろ)
それが現実だ、と言わんばかりに緊張した面持ちで答えた赤羽根。
だんだん頭が痛くなってきた。
「いや、なんでボク達がそんなことを………これってその、ドッキリとかじゃ、ないんですか?」
「ドッキリじゃない。それに転送や星人、今俺達がやった透明化とかも全部本物なんだよ。……無論、そこの星人の亡骸もね」
……っていうのこそ番組の演出なんじゃないの?
そうは思ってもこれが本物かもしれないと疑ったのは自分であるし、かといってそれが全て本物だと言われても咄嗟には信じられない。
やよいもワケが分からない、と無数の疑問符を浮かべた様子でたたずんでいる。
松本は「はあ?」と言いたげな顔で口を開けたまま黙っていた。
他と同じく困惑した様子の筑川が、二人に質問をぶつけた。
「あー……っていうことは催眠術っていうのが、嘘だと?」
「それを含めて番組云々の下りで言った事は全部嘘。ハッタリです」
「信じられなくて混乱するのも当然ですが、全部本当の事なんです」
……頭の中を整理する必要があった。
先程までの現実的に有り得ないと信じていた光景が全て、現実のものだと言われ、酷く混乱している。
むしろこれこそがドッキリなんじゃないか、そういう考えも頭の傍らにある。
他にも色々と聞きたいことはあるのだが、むしろあり過ぎて何も質問が出て来ないぐらいだ。
その中からかろうじて出て来た疑問。
どうしてそれが浮かんできたのかは自分でも分からないが、真は構わずその疑問を二人に投げかけた。
「……じゃあ、なんでボク達は戦わなければいけないんですか?」
「ここではそれが義務だからさ。ガンツに与えられた」
ガンツ?
聞き覚えのない単語が引っ掛かる。
「ガンツ?なんですか、それは」と筑川。
「ガンツはですね……」
祐喜が答えかけようとした。
ちょうどその時
「じξ仝 り>」
あの声がした。
全員が一点に振り向く。
七人がいる路地の突き当たり、住宅街の曲がり角からキリン星人がのしのしと歩いて来た。
頭部は既に、人間の身体とは不釣り合いなキリンの頭に変容しており、先のキリン星人と同じくシックなスーツを着ている。
直前までしていた会話の内容が内容だったため、全員が一斉に星人を警戒し、その場に緊張が張りつめた。
「おっ、来た来た」
そんな中、唯一吉川は場違いな笑顔を浮かべて、嬉しそうに長銃を構えた。
やよいが先程のキリン星人が爆発した瞬間を思い出したのか、顔を青くして怯えながら真に近寄って来た。
「ま、真さん」
「やよい……」
真はどうすることもできず、やよいの名を力無く呼ぶことしかできない。
その間ものしのしと近付いてくるキリン星人の真っ黒な瞳には、街灯の光が映り込んでいる。
「……あれが、本物の異星人なんですよね?」
表情の感じられない瞳を見ながら、真は赤羽根に聞いた。
「ああそうだ。……あれを殺らなければ、俺達があれに殺される」
「殺される……」
キリンがスーツを来ているとしか思えない、シュールな見た目のキリン星人。
確かにさっき自分たちを襲ってきたが、それ相手に命を掛けた戦争をするだなんて、未だに信じられない。
(跳ね飛ばされたけど痛くなかったし)
全員が見守る中、吉川は銃を構えながら星人に一人近付いていく。
キリン星人も立ち止まり、近づいてくる吉川を見下ろした。
「……ξャが∥⊃」
キリンがそう呟き、それと同時に吉川が引き金を引いた。
ぎょーん
しかし、銃から光が放たれるその直前にキリン星人が吉川に向けて大きく首を振った。
「おっ、危ねッ!!」
風を切り、高速で振られたキリン星人の首を吉川は飛び退いて避ける。
「ジε 仝り Π!!」
仲間の死骸を見て激昂しているのか、キリンは唾液を撒き散らして叫びながら吉川に迫った。
「Щ ャヶり゛ッ」
ばぁん
しかし二撃目を放とうとしたその前に頭部が爆発。黄緑色の物体が飛び散る。
頭を失ったキリン星人は、吉川に迫った勢いでよたよたと走り、そしてすぐに力無く地面に崩れ落ちた。
「っ……」
やよいが表情を歪ませて顔を逸らす。
再び地面に飛び散る黄緑色の液体。
真は、何の変哲もない夜の路地が異形の血で彩られていく様子から、咄嗟に目を逸らした。
「はっはっはァ!!」
体中にべったりと付着した黄緑色の血液を意に介さず、吉川は楽しそうに笑っている。
(……狂ってる)
真は率直にそう思った。吉川は常人とは違う、どこかネジの外れている人間なんだろう。相手は曲がりなりにも生き物だ。それを殺して楽しそうに笑う姿は、真の目にはただただ不快に映った。
「じ ゃ仝 ―>」
「ι゛εガΠ ⊃」
緊張が少し緩んだところで再び声がした。今度は二体。
いや、二体だけではない。その声を発端に、周りからキリン星人の声が続々と聞こえてきた。
「£ャ ヶ リこ」「ι"*≡り コ」
「ジ ψが り コ」「仝ゃ 々り⊃」
「ξゃガ ∥⊃」「仝 ャξ Π>」
全員が身構える。
無数の不気味な声は重なり合い、住宅街にキリン星人の合唱が響き渡った。
しかしその姿が見えない。真達は辺りを見回して見えない声の主達を探した。
不意にやよいが上を見上げて、「あっ」と間の抜けた声をあげた。
その反応に釣られ、真も顔を上げる。
そして目に飛び込んできた光景に、真は心臓が鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
住宅の屋根の上から、無数のキリン星人が長い首を覗かせていた。
空に伸びる幾つもの首さながら林のようだ。
見下ろす星人達の真っ黒な瞳は、真達をしっかりと捉えている。
真達がキリン星人達に気付くと、途端に星人達は黙り込み、居心地の悪い静寂が辺りを包み込んだ。
「囲まれた……」
皆が絶句する中、赤羽根がぽつりと呟いた。
肌がぴりぴりし、背筋に嫌な汗が流れる。
真は、表情は相変わらず無表情だがキリン星人達から少なからず放たれている殺気をなんとなく感じた。
見つめ合いか、睨み合いか。
膠着状態が続く中、ふと一体のキリンが首を動かして視線を移した。
そこから次々とキリン達が首を動かして視線を変える。
キリン星人達の視線のほとんどは、黄緑色の血液まみれの吉川に集中していた。
「………やんのかよ?上等だわ」
吉川はそう言うと銃を持ち上げ、キリン星人に銃口を向けた。
「じゃ仝ッ!!」
すると一体のキリン星人の口から何かが発射された。
それは吉川の右肩に命中し、がつっ、と鈍い音がして吉川の身体が後退する。
「うぉっ!?」
からんころん、と金属音を響かせ、発射された物体が地面に落ちる。
それは大きな黄色い杭のようなものだった。長さ50センチ、太さは10センチはある杭がごろごろと地面に転がっている。
「ッのクソが!!」
怒った吉川が負けじと撃ち返し、一体のキリン星人の頭が再び弾け飛んだ。
直後、囲んでいたキリン星人が吉川に向けて一斉に杭を吐き出した。
「ジεガッ!!」「ξゃがッ!!」「ジャ£ッ!!」
がががががががががががががが
無数の黄色い杭が吉川に向けて雨のように降り注ぐ。
真達は咄嗟に身をすくめた。
それなりの質量がある杭を、全方向からぶつけられて吉川は身動きが全く取れないようだ。
歯を食いしばって杭を耐えている。
(………なんで無事なんだろう?)
頭をかばいながらふと真は思った。音からして重そうな杭を一心に受けているのに、吉川は傷一つつかない。
思い出せば先程、キリン星人の首振りを食らった時も痛みは全く感じなかった。身体に伝わったのは鈍く重い衝撃だけだ。
杭の雨が止む。
黄色い杭で埋め尽くされた道の真ん中に吉川は立っていた。
あの攻撃を耐えるのはやはり楽ではなかったらしく、肩を上げ下げして深い呼吸を繰り返している。
「……くそ、だいぶ喰らっちまった」
深い呼吸を繰り返しながら悔しそうに呟き、吉川はおもむろにリモコンを手に取り、カチカチと操作した。
すると、ばちばちと音を出して青い電流が吉川の身体に走った。
同時にその身体が透けて行き、仕舞いには完全に透明になってしまった。
今回は以上です
キリン星人達はそんな真の様子から決意を感じ取ったのか、それまでゆったりと近づいていたのが突然走り出し、一気に真との距離を詰めてきた。
ずん、ずん、ずん、ずん、と足音はどんどん大きくなっていく。
(き、来た!!)
巨体を携えながら走り寄って来るキリン達の姿は、否応無く真に威圧感を与えた。
その威圧感に気圧されて動揺しながらも、真はキリン達に向けて長銃の引き金を引いた。
ぎょーんぎょーん、ぎょーん
玩具の銃のようなSFチックな効果音と共に、黒い銃身が開いて青い光が放たれる。
キリン達は先の吉川との交戦で馴れたのか、首を揺らして器用に身体を蛇行させながら真の攻撃を避けていく。
そして先頭を走っていたキリンが身体を回転させながら屈むような体制に入り、首を真に向けて振り回した。
「っ!」
真も咄嗟に伏せてキリンの攻撃を避ける。
真上を通過して行く首の追い風が髪の毛を揺らした。首が通り過ぎるとともに真は体勢を低くしたまま走り出し、キリン星人達の背後に回り込む。
そして立ち上がり振り返ると共に銃を構え、キリン達の頭部に向けた。
しかしそれとほぼ同時にキリン達も、背後に回った真に顔を向けてその口を大きく開いた。
ぎょーん、ぎょーんぎょーんぎょーん、ぎょーん
「£ャ ヶ ッ!!」「ι"*≡りッ!!」「ジ ψがッ!!」
キリン達が黄色い杭が吐き出すと同時に、真も引き金を何度も何度も引き絞る。
そして放たれた三本の杭は真に向かって真っ直ぐ飛翔した。
ぱぁん、ぱぱぁん
しかし飛んできた杭は真に届く前に、乾いた破裂音を響かせながら粉々に砕け散った。
「くあっ!!」
破裂した杭に驚き、真は腕で顔を庇いながら黄色い破片を浴びた。
どうやら真の放った攻撃が杭に命中していたようだ。
しかしその直後に
ばぁん
一体のキリンの頭部が爆発、黄緑色の肉片と血液が飛び散り、頭部を無くしたキリンはそのまま力無く倒れ込んだ。
「ξゃがッ!!」「ジャ£ッ!!」
仲間のキリン星人の死に激高したのかどうかは分からないが、二体のキリン星人達は間髪入れず黄色い杭を真に向けて放った。
真はそれを横に飛んで避けるが、それに合わせるかのように首を赤く染めたキリンが首を振って真を追撃。
(よ、避けられない……!!)
そう直感した真は、無意識に足を踏ん張って両腕を開き、向かってきたキリンの首を掴んだ。
スーツのおかげで身体がちぎれるだなんてことは無いだろうが、それでも襲ってくる激しい衝撃、それに耐えられずに身体は抵抗するすべも無く宙に舞い上げられるだろうと予想していた。
「……え!?」
真は驚愕した。
キリンの首ごと宙に持ち上げられるか、あるいは吹き飛ばされると覚悟していたのに、真の身体は宙にあがる事もなく両足はしっかりと地に着いていた。そしてその両手にはキリンの首ががっちりと掴まれて静止している。
そして真のスーツの表面には、筋組織がそのまま浮き彫りになったような激しい凹凸が、ぐぐぐぐ、という革製品をしぼるような音をたてなが浮かび上がっていた。
その凹凸はまるで真の力に呼応しているかのようだ。
(なんだよこれ!?)
真が驚いていると、首を掴まれているキリンはシックなスーツに包んだ身体をじたばたと動かして抵抗を始めた。
「うわわっ!」
途端に両腕に大きな力が掛かり、真の身体が揺らぐ。キリンは真から逃れようと一層力を掛けて首や身体をぐねぐねと動かした。
まだもう一体残ったキリンも、仲間を捕らえている真を攻撃しようと動き始めている。
(こうなったら!!)
真は上半身から両腕にかけて力を込めて、がむしゃらに暴れるキリンの首を押さえ込んだ。それに反応したのか、スーツ表面の凹凸もより激しく浮き彫りになる。
真は大きく息を吸い込むと、叫びながらキリンの首を身体ごと振り回してみせた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
弧を描いて空中を舞う星人の身体は、もう一体のキリン星人に当たりそうになるも、キリンは軽く後ろに飛び退いて振り回される仲間の身体を避けた。
キリンのひょろ長い身体は最後はブロック塀に思い切り叩き付けられて静止した。
ブロック塀は音をたてて損壊し、叩き付けられたキリンは抵抗を止めて死んだようにぐったりとしている。
(……死んだかな)
それっきりキリンが動く様子も無かったので、真は、丸太のような首に回していた腕を放す。
すどしんとキリンの長い首が地面に落ちると同時に、スーツの表面の凹凸はみるみる消えていき、すぐに元の身体にぴっちりと張り付いたラバースーツに戻った。
(これが、スーツの与えてくれる特別な力……)
改めて、人智を越えた機能を備えたスーツを見回した。
(……残るはあと一体)
そう思って気を引き締め直す。
戦いはまだ終わってないのだ。
こちらが動き出すのを待っているのか、残ったキリンは真をじっと見たまま動かない。
真は頭に当たらないなら、とキリンの身体に銃口を向けて引き金を引いた。
ぎょーん
「Щ*ヶッ!!」
真が撃った瞬間、キリンも真に向かって杭を吐き出した。
両者ともに横に避け、お互いの攻撃を避ける。杭はカランと音を立てて地面を転がり、銃が放ったもの道路の地面を爆発させた。
再び睨み合いが始まる。
(こいつ……動きが素早くて銃が当たらない!)
キリンの人形のような瞳を見ながら真は思った。
残ったこのキリンは他のキリンに比べて動きが早い。スーツの力を利用して体術で行こうにも、自分から仕掛けるような無理はしたくなかった。
どうにかして動きを止めて有利になりたい。
そう考えていると、ふとキリンの背後の、先程真が放った銃撃によって道路に出来た穴が目に入った。
(そうだ、こうなったら……)
身体に向けて撃ってもどうせ当たらないならと、真は銃口をキリンの足下に向けた。
そして何度も引き金を引いた。
ぎょーんぎょーんぎょーんぎょーんぎょーんぎょーん
とにかく道路に乱射しまくる。
キリンは素早く足を動かして足下に繰り出される真の銃撃を避けていく。
ドドンドンドドドン
間があって、キリン星人の足下のコンクリートが爆音をあげながら何度も弾けとんだ。
それに驚いたのか、キリンは慌ただしく足踏みをしてその爆発から逃れようとする。
しかし爆発によりボコボコになった道路に足を取られ、キリンは体勢を崩し、真の方に向かって倒れてきた。
「!」
倒れ来る巨木のようなキリンに対して、真は迎え撃とうと銃を手放して咄嗟に拳を構えた。
「あああああああああああああああああ!!」
真は雄叫びをあげながら、拳を握りしめて倒れてくるキリン星人の首を睨みつけた。
スーツは真の力を感知して、その表面に筋肉をなぞらえた有機的な凹凸が浮かび上がる。そして目の前まで首が来たところで、真は拳をそれに思い切り叩き込んだ。
べきゃん
拳が肉にめり込む感触と同時に、キリンの首から骨の砕ける嫌な音が聞こえた。
それからキリンの首は真の拳から滑り落ちるように落ち、巨体はそのまま重力に従って、力無く地面に倒れ伏した。
「はぁっはぁっはぁっ」
真は深い呼吸を繰り返しながら、首が途中で曲がって口からは薄き緑色の液体を垂れ流しているキリンの亡骸を見やった。
「終わった……?」
思わず呟く。それ程に意外にあっけなかった。
それが異星人三体を倒した真の感想だ。
足下の銃を拾い上げて、休ませていたやよいに歩み寄る。
(やよいは起きて……ないか)
やよいはあれだけの騒音の中でも目を覚まさなかったようで、そのまぶたは未だに固く閉じられている。
いい、やよいは休ませてあげよう。こうして一人で守る事ができたんだからきっと大丈夫だ。
そう思いながら、乱れてやよいの頬に張り付いていたオレンジ色の髪をそっと払いのけた。
「ι゛ゃ ヶ リ こ」
またあの声が聞こえた。
驚いて振り向くと、先程ブロック塀に叩き付けたキリンが、ゆっくりと立ち上がっていた。
一時的に気絶していただけなのだろうか。しかし先程の真の反撃によるダメージも確かに残っているらしく、立ってはいるものの、安定せずに妙にふらふらとしている。
首にはコンクリートの粉塵ですすけた赤い染みがあった。
それはもはや目印だった。三体の中で残ったのは吉川を殺したキリンだと一目で分かる。
―――――開ききった目、引きちぎれた身体、内蔵――――
ふと吉川の肉体があのキリンの首によって砕け散る瞬間の映像が脳内にフラッシュバックした。
同時に松本や、筑川が死んだ時の姿も、釣られるように頭の中で再生される。
思い出される衝撃と、感じた事の無い喪失感。
それは今、真の中で徐々に怒りへと変わっていき、自然と銃を握る手に力がこもった。
(こいつの……こいつらのせいで筑川さん達は……)
そう思えば思うほど、理不尽な現状に対する怒りが募っていく。
周りのキリンの死骸を見て激高したのか、真の激情を感じ取ったか、吉川を殺したキリンは一歩足を踏み出した。ずん、と地面を響き渡るような重い一歩だった。
キリンが踏み出すと同時に真は長銃を持ち上げて、銃口をキリンに向けた。
キリンは首を少し倒して前傾姿勢になり、全速力で真に向けて駆け出してきた。
真はそれを合図に、銃の引き金を力一杯引いた。青い光が放たれる。
キリンはどんどん近づいてくる。
「このっこのっこのおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
ぎょーんぎょーんぎょーんぎょーんぎょーんぎょーんぎょーんぎょーんぎぃおーんぎょーんぎょーん
真は叫びながら狂ったように、照準がぶれる事も構わずに引き金を引き続けた。
キリンがすぐ目の前まで迫ってきている。
そして銃にから放たれたモノは、撃たれた物の中で遅れて炸裂を始めた。
どばぁん、ドドドドン、ばばぁん、ドドンばん、ドドドドン
道路が弾け、周りのブロック塀が弾け、向かい来るキリンが弾けた。激しい破裂音と爆発音が響き渡り、粉塵とコンクリートの破片が舞い、そして走来るキリン星人は骨の欠片も残さぬ程に粉々になる。
それは今まで出演した映画やドラマでも、勿論日常生活でも経験した事の無いような爆発だった。五感に訴えかけられているのだがどこが現実味の無い音、衝撃波。
既に倒れていたキリンの死骸までもが爆発に巻き込まれ、大量の黄緑色の液体が飛び散り、それはまるで水飛沫のように、路上を激しい水音をたてながら濡らしていく。
激しい爆発に気圧され、そして凄まじい勢いで飛び散った黄緑色の血液に押されて真は尻餅をついて背中から倒れた。
「ううぅっ……」
呻きながら真は上半身を起こし、爆発の収まった路地を険しい顔で見やった。
先程までの閑静な住宅街の面影はどこにもなく、路地には道の向こう側が見えないほどの粉塵が蔓延している。そして真が撃ったキリンは、本当に粉々になってしまったらしく、すたぼろになった二体のキリンの亡骸以外、見る影も無い。
その変わりに、電柱や塀、地面には黄緑色の液体と肉片がべったりとこびりついており、電線からは星人の血液が、雫となってぽたぽたと滴り落ちていた。
「……………汚い」
真は立ち上がり、顔についた黄緑色の液体をぬぐってから呆然と呟いた。
とりま、真とやよいの目の前からは脅威が消えたのだ。
ひとまずは安心しても、いいのか?と複雑な気分になりながら、改めてやよいに歩み寄った。
「おい、なんだよこれ!?」
それは人間の声だった。声の方を振り向くと、道路沿いの住宅から見知らぬ初老の男が目を皿のようにして、立ち尽くしていた。どうやらその家の住民のようだ。
「おいっ見てみろよコレ、すごいぞ」
「うわっ、なにコレー!?」
男が呼びかけてからすぐ、玄関から男の妻と思われる初老の女が現れた。道路の惨状を目にして同じく驚いている。
「なにがどうしたらこんな……」
「ねぇ、だから言ったでしょ。さっき音がした時に警察に連絡しておいた方がいいって」
夫婦は興奮気味に会話をしている。
だが二人は、真とやよい、それにキリン達の死骸に対してまるで反応していなかった。
真もやよいも見えてはいないかのような振る舞いだ。
「あ、あの……!」
様子はおかしいと思いながらも、近づいてくる夫婦に恐る恐る声を掛ける。
しかし夫婦は真を素通りして、地面に広がるキリンの血液をぴちゃぴちゃと鳴らしながら、えぐられた道路の方へと向かった。
(え……?)
思考が停止した。
そんな、そんな筈は無い。そう思い込みたい一心で、真は手を伸ばして男の腕を掴んだ。
「あのっ、すいません!!」
今度は強く呼びかける。
「うっうわぁっ、な、なんだぁ!?」
すると男は腕を思い切り振り払い、飛び退く勢いで驚いた。
「あっ、ご、ごめんなさい!!」
そのあまりの驚きように真も驚いてしまい、思わず謝ってしまった。
しかし、その言葉すらも二人に届いていなかったようだ。
「ちょっとぉなんなのよー……びっくりしたぁ」
「いっいや、誰かに腕を掴まれた気がして……」
「はぁ?誰もいないじゃない、ちょっと大丈夫?」
夫婦のやり取りを前にして、真は呆然と、男を掴んだ筈の自分の手を見た。
届いたのは、腕を掴んだという感覚だけ。
「どうしたんですか!?これ!」「うわっすげぇ!!」「なに?爆発?」「誰か警察に連絡して!!」
呆然とする真を置いて、周りからは同じように様子を見に住民達が家から出てきた。
そうこうしている内に、騒ぎを聞きつけた人達による小さな人だかりがあっという間に出来た。
夜中なのにも関わらず、路地は人々の喧噪で満たされている。
なのにその中の誰一人として、真とやよい、更にはキリン星人の死骸にも気付かなかった。
「な、なんだよコレ……どうなってるんだよ」
日頃は顔を出して街を歩けば、すぐに菊地真、高槻やよいだとバレてしまうというのに、今はその真逆。
まるで自分達だけがこの世界から取り残されたようだ。
「どういうことだよ……?」
その呟きも、誰からの返答も得られずに寂しく空中に霧散する。
頭がおかしくなりそうだった。
「……ッ!!!」
真は居ても立ってもいられず、休ませていたやよいをおぶると、人々の脇をすり抜けて、えぐられた道路を飛び越え、足早にその場から離れていった。
「はぁっはぁっはぁっはぁっ……」
誰にも気付かれないであのまま人々に囲まれていたら、今に気が触れてしまいそうで、一刻も早く人のいない場所に行きたかった。
また人のいない、暗い夜道を歩きながら思った。
そうだ。
赤羽根や祐喜に会わなければ。
今頼りになるのは彼等だけなのだ。
(でも最悪あの二人も……)
嫌な考えが頭によぎる。
キリン星人に囲まれたまま残してきてしまったが大丈夫なのだろうか……
「あっ」
その時、ふとやよいの腕に取り付いているリモコンが目についた。
リモコンはアームのようなものでやよいのスーツに取り付けられている。
真は縋るようにやよいの腕からリモコンを取って、かちかちといじり始めた。
(……出た)
適当にいじっていると、画面に地図が表示された。
参加者を表したマークは、見る限りだと真とやよい以外に4つ、少し離れたところで固まっている。
赤羽根と祐喜はまだ生きているようだ。
加えて言うなら彼等は倉田や尾形と合流したらしい。
そして彼等の周りには星人のマークが点々としていた。
(……よかった)
安堵しながら更にボタンを押すと、ミッションの残り時間が表示された。
『00:24:14』
残り時間は半分を切っていた。
「……急がなきゃ」
真はリモコンをやよいの腕に付け直した。
そして銃を手に持って、やよいをおぶり直すと、元来た道を全速力で走り出した。
今回の投下は以上です
ではまた
投下します
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
街の中、小さな公園に赤羽根、祐喜、尾形、倉田は集まっていた。
ベンチに座っている祐喜の膝には小型のノートPCが置いてあり、複数のアダプターで黒い玉から支給されたリモコンと繋げてある。
PCの画面にはリモコンよりも詳細な地図が表示されていた。
「真さんとやよいさん、こっち向かって来てるみたいだ」
画面を見ながら祐喜が言うと、赤羽根がほっと胸を撫で下ろした。
「そうか……よかった。また俺達以外全滅したのかと思ったよ」
筑川達が逃走した後、赤羽根と祐喜を取り囲んでいたキリン星人達は駆けつけた尾形と倉田の協力によって蹴散らされた。
だが筑川達を追うわけにもいかず、赤羽根達は残りのキリン星人を狩るために街中を移動していた。
現在は状況分析を兼ねて、四人は公園で休憩をしている。
「ね、生きててよかったね……あの筑川っていうサラリーマンと吉川は死んじゃったみたいだけど」
安堵の息を漏らす赤羽根の横から尾形が口を挟んだ。
「……………」
途端に表情を曇らせる赤羽根。
「まぁそう気を落とさないでよ、ね?次に繋げていきゃいいんだし」
尾形は、眉を下げて困ったような笑顔を赤羽根に向けながら、慰めとも皮肉とも取れる言葉を投げかける。
それから突然「しっかしまぁ吉川が死ぬなんてね」と話題転換を図り、無表情で黙り込んでいた倉田に話を振った。
「……ある意味当然の結果だろ。一人で盛り上がりやがって、あんなに忠告しといたのにな」
「あたしが高校の時はあんなヤツいなかったけどなぁ。根暗でイタいガキが増えてんのかなー」
するとPC画面を観察していた祐喜が横から口をはさんだ。
「尾形さんの世代でも根暗でイタい人はいくらでもいますけどね」
「ふーん、部屋に籠もってパソコンばっかやってるヤツとか?」
「引きこもりのことですか?」
「それも含めて」
「……さぁ?尾形さんがそう思えば、そうなんじゃないでしょうかね」
「ははっ、なにその雑な返し」
「……おい祐喜」
そこで倉田が会話に割って入った。
「星人のボスはどこにいるんだ?」
画面上に表示された星人達のマークを見ながら、祐喜は答えた。
「残りの星人は全部この近くにいますし、その中にいるんでしょうけど、それぞれの個体を捕捉してないんで分からないですね……
うーん、でも動きはありませんし、機を伺ってるんじゃないですか?」
大方のキリン星人は既に倒した。残るは五体、その内どれか一体が最も高い点数を持つ星人達のボスだ。
五体は祐喜達を取り囲むようにいたが、その位置はバラバラで、先程から動こうとする気配すら無い。
「こっちから行くしかないんじゃないの?」
「それもそうかもしれませんね」
長銃を見せつける様に持ち上げた尾形に、赤羽根が賛同する。
直後、画面を見ていた祐喜がおもむろに眉を上げ、「あ」と声を漏らした。
全員の視線が祐喜に集中する。
「……言ってるそばから、相手が来ましたよ」
「マジか。どっからだ?」
倉田が祐喜に聞いた直後。
ドンッ
地響きと共に、鈍重な音が赤羽根達の背後から聞こえてきた。
「……言うまでもないですよね」
夜空に向かって伸びているキリンの首を見上げながら、祐喜は呟いた。
しかも赤羽根達の前に現れたキリンは、今までのキリン星人とは違い、なぜか眼鏡を掛けていた。
黒縁の、標準的な眼鏡。
「……課長ってところ?」
街灯の明かりを受けて光を反射する眼鏡を見ながら、尾形が言った。
祐喜は手際よくパソコンとリモコンからアダプターを取り外し、即座にパソコンを脇に抱え、ベンチから立ち上がって戦闘態勢に入った。
その次の瞬間。
「ジャガリコッ!!!!」
キリン星人が叫びながら一瞬にして距離を詰め、首で四人を薙ごうと横に振った。
四人ともぎりぎりで飛び上がり、キリン星人の首を避ける。
祐喜の座っていたベンチはキリンの首を受けて粉々に吹き飛んだ。
「やっぱコイツ他のヤツとは違うっぽいな」
「中ボスみたいな感じ、ですかね?」
攻撃を避けた倉田と赤羽根がそんなことを言っていると、
ドンッ
再び地響き。
背後から更にもう一体、キリン星人が現れた。頭部には何故かバーコード型に禿げあがったカツラが乗っかっていた。
「もう一体!?」
「多いな今回は!!」
「他の二体もこっちに来てます!しかも……」
リモコンを見ていた祐喜が、そこで口を噤んだ。
「しかも真さんのところに、残りの一体が……」
今回の投下は以上です
次回、ボス星人との戦闘が始まります
投下します
真を足先まで転送し終えると、球から伸びるレーザーは光を弱め、やがて音もなく消えていった。
五体満足、傷一つ、汚れ一つもない真の身体。
それを見る限り、先程の麒麟との壮絶な戦いは、全てが嘘だったかのようだ。
「ま、こと……さん……」
なんにせよ真は生還したのだ。
その事実に対するやよいの感動は、黒い球の成す超常現象への疑問や他の思考の全てを脳内からあっという間に吹き飛ばしてしまった。
転送が終わると真は、球の前で座り込んでいるやよいに歩み寄ろうと一歩踏み出した。
「やよい、無事だったんだね!よかっ―――」
「真ざぁん!!」
しかしそれよりも早く、感情を堪えきれなかったやよいが泣きながら真に向かって飛び付いた。
「うわあっ!」
小柄と言えどやよいの身体を全身で受けたため、真は大きくよろめいた。
危うく背中から倒れそうになるところを踏ん張り、真は肩もとで号泣するやよいに戸惑いの表情を浮かべる。
「や、やよい!?どうしたの!?」
「真ざぁん~生ぎててよかったです~!!」
泣きながらやよいは抱きしめる腕に力を込めた。
腕の中にある、自分より少し背の高い真の身体。
その胸が、肩が、背中が、実体として自分とちゃんと触れ合っている。
そんな真の身体が暖かい。
その量感と温もりはやよいをこの上なく安心させ、それが更に涙を誘った。
悪夢を見ているかのような凄惨な光景が連続したキリン星人との戦いが、本当に夢であったかのような感覚だ。
(本当に、本当によかったですー……)
真が生きているという実感を目一杯抱き締めて、やよいは泣き続けた。
真は肩もとで号泣するやよいにしばし戸惑ってはいたが、やがて一息吐くと泣き止まないやよいの頭を優しく撫でた。
「あ、あはは、ボクもやよいが無事で安心したよ……本当に」
落ち着き払った、心地よいハスキーボイスが鼓膜を震わす。
やよいは返事をすることすらできず、ただただ「うぅ……」と嗚咽を漏らすだけだった。
部屋にいる他のメンバー。祐喜と赤羽根は、そんな抱擁を交わす二人を微笑ましげに見守っている。
しかしそれとは対称的に尾形と倉田は、真とやよいには目もくれず、黒い球をじっと見つめていた。
そして真が転送されてから間もなくして、静まり返った部屋に甲高い音が響いた。
ちーーーーーーん
トースターのアラームのような安っぽい音。
音の発信源は、黒い球からだ。
「っ!?」
驚いた真が肩を跳ね上げさせた。
鋭い音に、やよいも鼻をすすりながら黒い球へ振り向く。
(また、あの球が…………)
蛍光灯の明かりを鈍く反射する黒い球を見やりながら、やよいは少なからず分かっていた。
自分達の運命はあの不気味な黒い球が握っている、ということを。
少しして球の表面に、部屋に来た時と同じように誤字まじりの文章が表示された。
『それぢわ ちいてんを はじめぬる』
(それでは、採点を、始め、ぬる?)
文章を頭の中で補正するも、その意味を完全に理解することはできなかった。
やよいが眉を潜めていると、真が訝しげに赤羽根達に聞いた。
「なんですか、これ?」
球の表示した奇怪なメッセージに対する、もっともな疑問。
しかしそれに答えたのは、今まで黙って球を見つめていた尾形だった。
「採点だよ。狩った星人の点数が出てくるの」
それを聞いてやよいは、八王子の住宅街に転送されてから赤羽根が始めに、異星人を倒してポイントを稼ぐルールの説明をしていたことを思い出した。
「どうしてそんなこと……」
真が怪訝そうな表情で質問を重ねようとすると、メッセージは消えて、次にかなり簡略化された似顔絵と名前、数字が浮かび上がって来た。
人懐っこいような目つきに金髪。似顔絵に描かれているのは尾形だ。
みっちゃん
26てん
total59てん
あと41てんでおわり
「おっ結構イケてんじゃん」と『点数』を見て嬉しそうに笑う尾形。
やよい達にとっては何がなんだかまるで分からない、が尾形の言った通りなら、尾形は26点分のキリン星人を倒したことになるのだろう。
やよいは真から離れて、頬と目元を濡らす涙を拭いながら、黒い球に向き直った。
尾形の採点結果は程なくして消え、部屋にいる別の誰かの似顔絵と点数がすぐに表示される。
鋭い目つきに坊主頭の似顔絵、尾形の隣に立つ倉田の採点結果だった。
倉田
31てん
total61てん
あと39てんでおわり
倉田の採点結果を見た途端、尾形が「うわ負けたーしかも僅差だよねこれ」と悔しそうに呟いた。
それに対し「どこがだよ」と倉田が切り返す。
『採点』は続く。
次はスーツ姿に眼鏡、そして頼りない表情を描かれた赤羽根の得点だ。
バネP
19てん
total76てん
あと24てんでおわり
(………P?)
やよいは『バネ』のなぜか後に付けられたアルファベットに引っかかりを覚えた。
P、に何かの意味があるのだろうか。
その次に同じくスーツ姿でくたびれた表情をした祐喜の似顔絵が表示された。
ざわわんP
20てん
total43てん
あと57てんでおわり
(Pって、なんのことなのかなぁ……)
あだ名に付けられた赤羽根と同じアルファベットの存在に、やよいは小首を傾げる。
残るは自分と真。
どちらが先に来るのかと、球の表面を凝視していると、新たな似顔絵が表示された。
描かれているのは、中性的な印象を受ける黒い短髪に二本のアホ毛……真だ。
名前にはスーツケースに書いてあったように『まこと王子』と表示されている。
やよいが横目で見やると、真はやはり微妙そうな顔をして、黒い球を見つめていた。
まこと王子
30てん
total30てん
あと70てんでおわり
「うわっ!!」「おぉ……」
真の点数が表示された瞬間、四人の大人達は一様に驚きの声をあげた。
「なんだこの点数、初参加の人間が出す点数じゃねぇぞ」と倉田が眉を潜める。
尾形も「あたしよりも上かよ……」と見開いた目を真に向けた。
当の真は四人の反応に非常に困惑していた。
「えーっと……こ、これってそんなにすごい点数なんですか?」
「初めてでこの点数はスゴいよ、少なくとも俺は見たことが無いな」
赤羽根が真の『30てん』を凝視しながら答えた。
真は「は、はあ」と煮え切らない様子で首を傾げながらも頷く。
そして最後に表示されたのはやよいだった。
大きな目にオレンジ色の髪の毛。名前はやはりスーツケースにあった通り、『もやしっ子』となっている。
もやしっ子
0てん
きぜつ しすぎ
王子に まもってもらいすぎ
total0てん
あと100てんでおわり
一体も倒していないやよいは、勿論のこと『0てん』だった。
しかもご丁寧にダメ出しのコメントまで添えられてある。
黒い球の言う『王子』とは真のことだろう。
「……うう」
あながち間違っていない、それどころかある程度の的を射たダメ出しは、鮮烈なメッセージとしてやよいの胸に深く突き刺さった。
直前の真の高得点との差もあり、ダメ出しのおかげで真への罪悪感すら覚えたやよいは、シュンとうつむく。
「き、気にしなくていいよ、うん」
その様子を見た真が、背後から慌てた様子でやよいの肩に手を置いた。
「そうだね、初めての参加者は大概こんなものだよ。仕方が無いよ」と祐喜も声を掛けてきた。
「うう、ありがとうございますー……」と弱々しく返しながらも、やよいはそんな二人の優しさに、なおさら申し訳ない気持ちになった。
やよいの採点が済むと、球から文字が消えて、それからなんのメッセージも表さなかった。
うんともすんとも言わない黒い球を一同はしばらく見つめる。やがて真が恐る恐る呟いた。
「……これで終わりですか?」
「終わり、だな。もう玄関も開けられるようになってるはずだ。これで帰れるよ」
赤羽根の言葉に、真とやよいは拍子抜けした顔を、お互いに見合わせた。
これで帰れる、とひとまずは胸をなで下ろす。
(……でも)
しかし二人の胸の内には大きな疑問や謎が残っていた。
「質問は?」
その胸中を覗いていたかのようなタイミングで祐喜が突然、微笑みながら二人に質問を求めた。
不意を突かれた真とやよいは思わず「え?」と聞き返す。
「二人とも聞きたいことが沢山あるんだろ?僕達の分かる範囲で答えるからさ、今の内に聞いてくれよ」
それに「ああ、そうだな」と赤羽根も頷く。
しかし質問と言えど、咄嗟には思いつかない。
この状況では、やよいにとって分からないこと、聞きたいことが多過ぎて逆にどれから聞けばいいのかが分からなかった。
「うーん……」
やよいがしかめっ面をして考え込んでいると、先に真が口を開いた。
「じゃ、じゃあまず……あの球はなんですか?ここはなんなんですか?
……見たところ東京、ですよね」
と真は、窓の外に広がる夜景と目立った赤い光を放つ東京タワーに目を向けた。
「この部屋は、見たとおり都心にある高層マンションの一室だ。
それであの球は……悪いけど僕達も詳しくは知らないんだ。ただ僕達は『ガンツ』って呼んでる」
「ガンツ……」
祐喜の言った『ガンツ』という単語を、真は怪訝そうな顔をして呟いた。
そういえば赤羽根も先程のミッションの最中、自分達と星人とを戦い合わせているのは『ガンツ』だと言っていた。
「どこの誰がこれを作ってここに置いたのか、中に入っているあの人間は何者なのか……全くの謎だ。
それに『ガンツ』って言うのも正式な名前じゃない。前にこの部屋にいた人が名付けたものなんだそうだ」
真が「前に部屋にいた人?」と繰り返した。
するとそれまで部屋の隅で倉田と共に黙り込んでいた尾形が、おもむろに話に入ってきた。
「今晩みたいな戦いを今までも繰り返して来たんだよ」
「今晩みたいのって、ボク達が来る前から、こんなことを?」
「うん、毎回戦わされる星人は違うけどね。
ただその度にガンツは死人を転送して、部屋にいる人数を調整するの。
いつからそれが始まったのかは知らないけど」
「死人……じゃああのトラックはやっぱり……」
真は驚愕した様子で呟いた。
(本当にあの時死んだんだ……)
やよいも覚えている。
ワゴン車に乗っていた時の、フロントガラスから差し込んできた強烈な光と、襲ってきた凄まじい衝撃を。
「じゃあ、尾形さん達も……?」
「うん、そうだよ。あたし達も赤羽根さん達もあの球に呼ばれたんだ。ガンツにね」
なんとも無いかのように頷く尾形。
やよいと真が信じがたい現実に呆然としていると、不意に赤羽根がガンツに近づきながら声を掛けてきた。
「菊地さん高槻さん、これを見て」
二人が目を向けると赤羽根はガンツの隣にしゃがみ、そしておもむろに開いた引き出しの間に手を入れ、ガンツの中―――球の中の男に手を伸ばした。
ジキジキジキジキジキジキ
すると表示の消えていたガンツの表層に、今度は無数の顔写真が浮かんできた。
赤羽根に促された通りガンツに歩み寄り、表示された顔写真を眺める。
「これは……」
顔写真には若者もいれば小さな子供から老人まで、老若男女様々な格好をした人間が証明写真のような形で映されている。
中にはちらほらと外国人の顔もあった。
更にそれぞれの顔写真の下部に、ガンツが付けたようなあだ名らしき単語も表示されていた。
二人の顔に、嫌な汗が流れた。
真が呟く。
「これって、まさか……」
「一番下の左端を見てごらん」
赤羽根に言われた箇所の顔写真に目をやった。
すると下段、左端から三つの顔写真に見覚えのある顔があった。
「……あっ!」
真とやよいは同時に声をあげた。
そこには、無表情でこちらに視線を投げかける松本、吉川、筑川の顔が映し出されていたのだ。
「気付いてると思うけど、そこの顔写真は全部、今までミッションで死んできた人達のものなんだ」
「こんなに、いっぱい……?」
二人して愕然となった。
写真の中にはやよいの弟妹達と年が変わらないような子供までいる。
(こんな、小さな子まで)
やよいは胸が締め付けられるような息苦しさを覚えた。
無数の顔写真。死者を表しているというそれらは、さながら仏壇に飾られる遺影のようだ。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ、この戦いってもしかして、これからもあるんですか!?」
口元をわなつかせながら真が聞いた。
それを聞いたやよいも、血相を変えながら祐喜を見やった。
「そ、そうなんですか?」
祐喜は、不憫そうに目を伏せて答えた。
「うん……ミッションが終わったら帰れるけど、帰されたあと数週間経つと、またこの部屋に転送されるんだ。
そこでまた新たな星人との戦いを指定される。全部、強制的にね」
「そ、そんな」と真が床に膝を着いた。
「……ボク達、仕事もあるのに……。これからもこんなことをしなきゃいけないんですか……?」
「家族も、いるのに」
やよいも思わず呟いていた。
この戦いとやらが、永久に続くというのだろうか。
アイドル業の傍ら、やよいは幼い弟妹達の面倒も見なければいけない。
それなのに、家に大事な家族を残して、こらからもこんな命を賭けた戦いを強いられるだなんて、とてもじゃないが心が保たない。
「ガンツにとって私達の意志は関係ないの。戦いがあればどこで何をしていても必ず呼ばれる。あたし達は逃げられないの、その球からね」
尾形は意地悪い笑みを携えて、畳み掛けるように言った。
しかしその口振りは至って真剣で、嘘を言っているようにはとても聞こえない。
(そんな……)
まるで自然災害のように不条理だ。
こんな宿命を架せられるなど、誰が予想するだろうか。
「菊地さん、高槻さん、聞いてくれるかな?」
赤羽根の呼び掛けられ、二人は顔を上げた。
また何か嫌な現実を突きつけられるのだろうか、という警戒心が、自然と表情に出てしまう。
「そういう反応になるのも分かるよ。でも仕方がないんだ、これは。……ちょうどいいから改めて、ガンツについてのルール説明をするよ」
赤羽根はそう切り出すと、一時間前に真や筑川達に話した『ルール』とは違う『本当のルール』を話し始めた。
「ミッションがある時、ガンツは死人を集めて再生、ミッションに参加させるんだ。
ミッションは毎回夜に行われて、その都度に今回のキリン星人のような異星人との戦いを強いられる。
戦闘の舞台に選ばれるのは決まって都内のどこか、決められたエリアの中で一時間という制限時間を与えられる。
……ちなみにエリアから出たらどうなるか、もう知ってるかい?」
聞かれて瞬時に、二人の脳裏に頭部が爆発して倒れ伏した筑川の最期の姿が鮮明に思い出された。
思い出した瞬間、やよいは自分の頭から血の気が引く感覚を克明に感じた。
「……あんまり思い出したくないです」
真もいつも以上に低い声で、赤羽根に言った。
顔を青くした二人を見て、赤羽根は気の毒そうに眉をさげた。
「やっぱり見たんだね……知ってるなら説明はいいか。
次に、ミッションが始まる前には必ずスーツと武器がガンツから支給される。
菊地さんも、今回の戦いでかなりスーツの力に守られたはずだ。そうだろう?」
「ええ……そうですね」
「ミッション中、俺達の姿はお互いに、そして星人からしか見えない。そして星人の姿も俺達にしか見えない。それ以外の一般人からは目に俺達や星人の姿は映らないんだ。
……ミッションの目的は、目標星人の全滅。星人達を全滅させることでミッションは終了する。仮に時間内に星人を全滅させることができなかったら、その時はペナルティーを架されることになる」
「ぺ、ペナルティー?」
「ああ、次のミッションでルールが追加されることになる。
……まぁ、追加されるルールは人によってまちまちだけどね」
すると真はほっと胸をなで下ろしながら「頭が爆発するんじゃないのか……」と独り言ちた。
「ミッションが終わると生き残った人間は部屋に再び転送される。
どんな状態でも、生きてさえいれば無傷の状態で再生される。
そして部屋に戻ると、さっきみたいなガンツによる『採点』が始まるんだ」
「赤羽根、さん」
「なんだい菊地さん?」
「その点数って、さっきから一体なんなんですか?なんのために採点が……」
すると赤羽根は「じゃあもう一度、ガンツを見てくれ」と言い、再びガンツの中に手を入れた。
今度は顔写真が一斉に消え、代わってそこに、新たなメッセージが浮かび上がってきた。
そこには『ひゃく点めにゅ~』とあり、その下に何やら箇条書きで三つ、文章が表示されている。
「……さっきの点数、あれを百点まで貯めるとこの中のメニューから一つ選べるんだ」
赤羽根の言うガンツの示す、三つのメニュー。
1 記憶をけされて解放される
2 より強力な武器を与えられる
3 MEMORYの中から人間を再生できる
どれも興味を引く内容が書かれているが、その中で特に真とやよいの目を引いたのは、1の『記憶をけされて解放される』だった。
「解放……?」と真が文章を口ずさむ。
「それって、もうここには来なくていいってことですか?」
やよいが聞くと、赤羽根は大きく頷いた。
「この部屋やガンツに関する一切の記憶を消されて、元の生活に戻ることができるんだ」
それを聞いた途端、真とやよいの表情に活力が戻ってきた。
これさえ選べば、この部屋から解放される。それは今の二人にとって願っても止まないことだ。
「ただし百点をとれば、の話だよ。それまで生き残り続けてちゃんと点数を獲得しなきゃいけない」
と背後から祐喜が付け加えた。
そう言えばそうだ。星人達とのミッションを制して、百点まで点数を稼がなければ、この部屋からは逃れられない。
(私、大丈夫かなぁ……)
それを考えると、今回で早くも30点も獲得した真に比べ、やよいは1点も無い。
道のりは遥か遠くに感じ、同時にやよいは腹の中に鉄塊があるような息苦しさを覚えた。
「この三つ目のメニューは、なんですか?」
隣で不安げに表情を陰らせるやよいとは別に、真は赤羽根に質問を繰り返した。
「さっきの顔写真、あっただろう?あれの中から一人、人間を生き返らせることができるんだ」
「えっ」と二人は声を揃える。
「ホントにそんなことが……」
「できるよ」と真を遮ったのは祐喜だった。
「何しろ、僕も一度ミッションで死んで再生されたからね。赤羽根に」
「あぁ、そう言えばそうだったっけ」と尾形と倉田が祐喜に目を向けた。
ということは赤羽根は既に一度、百点を取ったということになる。
冴えない会社員という言葉が当てはまるような容姿に加え、頼りないような雰囲気を漂わせているが、どうやら見かけに寄らず猛者であるようだ。
あはは、と柔らかく笑いながら赤羽根は眼鏡の位置を直した。
「まぁ、以上がこの部屋の、ガンツのルールさ……今教えられることはそんなところかな。他に何か質問はあるかい?」
沈黙。
二人とも特に質問は無い、と言うより今は新たに入ってきた情報を整理することで手一杯だった。
「……無いならもう帰っていいな?」
沈黙を破ったのは倉田だった。
倉田は赤羽根達の返答を待たずして、ガンツの裏にあった自分の衣服を拾い上げるとラバースーツの上に着始めた。
「あたしも帰ろ」
尾形もそれに続いて、置いてあった自分の衣服を纏い始める。
「……そうだな、そろそろ出ようか」
「ああ」
倉田と尾形にならい、赤羽根と祐喜もYシャツや藍色のスーツを手に取り、それを着始めた。
「菊地さんと高槻さんも、服を着るならこのスーツの上からにした方がいいよ。何かと便利だから」
Yシャツのボタンを閉めながら、祐喜が言った。
「あ、はい」
突然身支度を始めた四人に続き、真とやよいも言われるがまま、急いで元の服を着始めた。
「じゃあな」「お先ー」
気付けば着替え終わった倉田と尾形。
二人は挨拶をして早々に部屋から出て行ってしまった。
元々皮膚のように違和感なく、ぴったりと身体に合ったラバースーツは、その上に衣服を着てもやはり何ら違和感は無かった。
最低限他人の目に触れてしまう、手や足を包む部位を外せば、端から見てもスーツは衣服に隠れて全く目立たない。
(便利ー……)
超常的な力を秘めているだけで無く、色々と融通の利くスーツに、やよいは関心しながら、スーツの手袋、ブーツ、そして下着を手荷物のバッグの中に入れてやよいは立ち上がった。
真も既にここに来た時の元の私服姿に戻っている。
その私服姿がなぜか、とってずいぶん昔の事のように思えた。
「………………」
真の表情は憂いを帯び、視線は床に残された三つの衣服達に向けられている。
「……あの三人の衣服は、どうなるんですか?」
筑川、松本、吉川。
三人の衣服は戻ってくることの無い持ち主達に残され、それぞれ畳まれたままだ。
三人の遺体は、まだあの八王子の住宅街に残されたままなのだろうか。
「次に来るまでには、多分ガンツが消してるよ」
「…………」
赤羽根の返答は、妙に寂しく聞こえた。
残されたそれぞれの衣服。帰って来れなかった三人は、このままなのだ。
あの無数の顔写真に加えられたまま、ずっと。
誰かが百点をとって再生すれば彼等も戻って来れるだろう。
……しかし尾形達はもちろん、真や赤羽根達もしないだろう。もちろん、自分も。
それを考えると、やよいはなんともやるせない気持ちになった。
真も同じようだ。衣服を悲しげな表情で見つめ続けている。
「……二人とも、行くよ」
赤羽根に促され、二人はようやく、ガンツのある部屋を後にした。
一同はエレベーターを降りて、マンションから出て行った。
ガンツの部屋がある高層マンションは、見た目も内装も高級そうだがその実、エントランスにはオートロックシステムも無いような奇妙な建物だった。
管理人らしき人間の姿も見当たらない。
しかしロビー前に、数は少ないものの自転車や車などが並んでおり、窓から光が漏れているところを見る限り、人は住んでいるようだ。
「……おっきいなぁ」
外に出て、やよいはそびえ立つ構想マンションを見上げた。
自分の住む小さな家とは違う、巨大な集合住宅。
建物の上部は夜の闇に包まれているものの、都会の光に照らされているためにその輪郭ははっきりしている。
「ちょっといいかい、二人とも」
おもむろに祐喜に話し掛けられ、周りを見回していた真とやよいは祐喜に向き直った。
「この部屋や球、ミッションのことに関して、絶対に他人に口外しちゃダメだよ」
「知ってるだろ?頭の中の爆弾を」
と自身のこめかみを指でつつく赤羽根。
やよいと真はその仕草に釣られ、思わず頭に手を当てた。
「ガンツに関することを口外しようとした途端、この爆弾が爆発する仕掛けになってるから気を付けるんだぞ、二人とも」
顔を青ざめさせる二人に平然と言ってのける赤羽根。
(ば、爆弾……)
今、この世界を見ている眼球より奥、自分の中心とも言える場所に爆弾が入っている。
想像するだけで、恐怖と不快感で首筋が総毛立った。
それが爆発すれば、自分も筑川のような悲惨な末路を辿ることになる。
自分達の命は、既にガンツに握られているのだ。
「……ってやばい、もうこんな時間か!戻るぞ赤羽根!!」
開いた口が塞がらない二人をよそに、祐喜が腕時計を見やって叫んだ。
言われて同じく自分の腕時計に目をやる赤羽根。
「うわっ、いつの間に……」と苦い表情をすると、突然やよいと真に手を上げた。
「じゃあ真さんとやよいさん、また会うことになるからよろしく!!」
「またね!」
二人はやよいと真に有無を言わせず一方的に挨拶をすると、大急ぎでその場から走り出して行った。
やよいも真も呆気にとられながらも「あ、はい」と所在なさげに手を上げ、二人を見送った。
道を走ってどんどん小さくなっていく二人の姿。やがてどこかの角に曲がって、完全にその姿は見えなくなった。
しばらくマンションの前で呆然と立ち尽くす真とやよい。
「時間………」
小さな声で呟く真。
やよいが目を向けると、真は何かに気付いたようにズボンのポケットに手を入れた。
取り出したのは携帯だ。
あの部屋から出たためか、開くと電源は入ったようだが、その画面を見た途端に真は血相を変えた。
「も、もうこんな時間……しかもプロデューサーからスゴい量の着信が来てるよ!」
「えぇっ!?」
言われて、やよいもパーカーのポケットから事務所から貸し出されている携帯を取り出した。
「ほ、ほんとですねー」
画面を見ると着信が70件以上、メールも40件以上来ている。
殆どがプロデューサーからのもので、中には事務所に同じく所属している仲間達からも連絡が来ていた。
そのどれもが『どこにいるんだ』や『連絡をくれ』などといった明らかに心配している内容のものばかりだ。
それもそのはず、時刻は深夜12時を過ぎていた。
本来ならワゴンに乗って10時過ぎには事務所に着く予定だったのだ。
しかし気付けば、既に電車もほとんど動いていないような時間帯に来ている。
「あわわわ、どうしましょう!?」
やよいが慌てると、真も深刻な表情で何やら携帯を操作した。
どうやら地図を開いて現在地を確認したらしい。
「だ、大丈夫だよやよい。ここは事務所とそんなに遠くないみたいだから、タクシーを捕まえていけば……」
しかし言い掛けた途中で、真は唸りながら頭を抱えた。
「あぁーでもプロデューサーになんて言い訳したらいいんだーっ!!」
とりあえず、真とやよいはマンション前の道路を通りがかったタクシーを捕まえて乗り込んだ。
運転手に『795プロ』行きを伝えると、さすがに正体を気付かれたようだ。
運転席からバックミラー越しに好奇の目を投げ掛けられたが、しかし今はそれに構っている場合では無い。
「……プロデューサーにどう言い訳しようか」
「ガン……あ、あのことは言えませんし」
やよいは危うく『ガンツ』と言いそうになったが、運転手の視線に気付いて言い直した。
「うん……」
うなだれて、手に握った携帯を見つめながら真は頷いた。
その時、携帯のランプが瞬いた。
ブーッ、ブーッ、とバイブレーションが真の手に振動を与える。
「おわぁっ!?で、電話だ……」
驚きのあまり飛び上がりながらも、真は携帯を開いた。
ディスプレイには『プロデューサー』と表示されている。
「ぷ、プロデューサーからですよぉ!真さん、どうしましょう!?」
やよいに言われて、真は携帯を握り締めた。
覚悟を決めるしかない。
「取り敢えず……出るしかないっ!」
腹を据えて一思いに通話ボタンを押し、携帯を耳に当てた。
『ま、真か!?真だよな!?』
途端にプロデューサーの取り乱した声が耳に飛び込んできた。
その余りの勢いに真は気圧されながらも、なんとか返事をした。
「は、はい。ボク、菊地です」
『無事か!?無事なんだな!?やよいもいるのか!?』
「はい、無事です……やよいも一緒にいます」
恐る恐る返すと、プロデューサーは一拍置いて大きなため息を吐いた。
『はーーっ………よかったぁ。事故に遭ったって聞いた時は本当に驚いたんだからな』
思えばあの事故も、発生から何時間か経っている。
その間に事故のことは事務所にも伝わっているのだろう。
『それで、二人とも今までどこにいたんだ?』
真は思わずぎくりとした。
「い、いや、その……」
不意打ちの質問に、何も浮かばず、明らかに焦った様子で口ごもった。
何か言わなければ、何か言わなければと必死に頭を回す。
「……い、色々あって、その、詳しくは帰ってから説明します」
やっとのこと言葉を繋ぐと、向こうから『……そうか、わかった』と返ってきた。
それを聞いて真は、ひとまずは胸を撫で下ろした。
『で、今はどこにいるんだ?』
無事と聞いて落ち着いたようで、プロデューサーは先程より幾分か冷静な声で聞き返してきた。
「今タクシーに乗って、事務所に向かっているところです。もうすぐ着くと思います」
『そうか』
「あ、あのプロデューサー」
『なんだ?』
「心配かけて、すいません」
真が謝ると、プロデューサーは再び声を荒げさせた。
『ったく全くだ!!どうしてすぐに返事を寄越さなかったんだ!?俺だけじゃない、事務所のみんなが心配してたんだぞ!!』
「ご、ごめんなさい!その……携帯の電池が切れてて」
『……まぁ詳しい話は後で聞くよ。だから早く戻ってこい、な?』
「……はい」
短く返し、電話を切った。
我ながら、たどたどしい話し口調だったと思う。
プロデューサーも明らかに疑いを掛けているだろう。
真が携帯を耳から離して折りたたむと、やよいが不安げな表情を向けてきた。
「プロデューサー、なんて言ってましたか……?」
「事務所のみんなが凄く心配してたって……今は早く戻って来いって言ってた」
「そう、ですかー」
やよいは申し訳なさそうに眉を下げた。
(プロデューサー、事故のことももう知ってた……)
問題はそこだ。
事故が起きた車には本来乗っていたはずの自分達二人がいない。
プロデューサー達、事務所の人は事故だと聞いてまず自分達の安否を気にしただろう。
しかし当の二人はその時、ガンツのある部屋に連れて行かれていて、恐らく遺体などは事故現場からは見つからなかった筈だ。
それも聞いたなら当然、自分達二人がどこにいるのかというところに目が行くだろう。
(どこにいたかなんて……でも本当のことなんて言えるわけ無いし……)
本当の事を離したところで信じてもらえる気がしない。
しかし赤羽根の言うとおりなら言えば死、だ。
なにか別の言い訳をして誤魔化さなければならない。
何か使えるものは無いかと思考を張り巡らし、事故前の記憶を辿っていく。
(言い訳、言い訳……そうだ!)
苦し紛れな言い訳ではあるが、一応は思いついた。
それをやよいに伝えようと、真はやよいの肩をつついた。
「やよい、ちょっと耳貸して」
「ふぇ?い、いいですけど……」
真は運転手の目を気にして、声を潜めてやよいに耳打ちをした。
「事務所に着いたら、ボクがプロデューサーに今までどうしてたのか説明するから、やよいはそれに合わせてくれる?」
以上です
次回から日常パートに入ります
乙
面白いがカタストロフまで行くんか?
>>178
ありがとうございます
現時点ではカタストロフィまで話を進める予定はありません
投下します
運転手に料金を払って、タクシーから降りると、二人は目の前に建つ雑居ビルを見上げた。
一階には見慣れた『たるき亭』の明かり。
そして三階の窓には『765プロ』とビニールテープで文字が書かれており、そこから煌々とした明かりが漏れている。
プロデューサーに秋月律子、高木社長に事務の音無小鳥は、まだ中にいるのだろう。
「……行こう、やよい」
中で自分達を待っていてくれている人々を思い、真はやよいに呼び掛けた。
頷いたやよいの表情は見た限り、やや緊張しているようだった。
二人は隣のビルとの間、細い路地に入り、そこから雑居ビルの玄関口を開けた。
ビル内に入って、三階を目指し薄暗い階段を登って行く。
いやに疲れを感じ、二人はお互いに黙ったまま、階段を登った。
ホールを寂しく響き渡る、靴がコンクリートを踏む乾いた音を聞きながら、真はふと思った。
(思えばボク達、さっきまで戦ってたんだよね……)
こうしていつも上り下りしている階段を使っていると、途端にキリン星人、ガンツ、死体……それら全てがなにか悪い夢だったように思えてきた。
赤羽根達が最初に言っていたドッキリ企画。
あちらこそが真実なんじゃないかと思える。
『ドッキリ大成功』という看板が掲げられなかっただけの、終わりを告げられなかったドッキリ企画。
スーツだってただの小道具だ。超常的な力なんて無い。
そうだ、あんなの嘘だ。嘘なんだ―――
そうこう考えていると、いつの間にか目の前に、磨り硝子に765プロと書かれたアルミ製の扉が立ちはだかったいた。
立ち止まり、隣に立つやよいと顔を見合わせる。
やよいの表情は先程よりも更に堅くなっていた。
中に入ればプロデューサー達に問い詰められるだろう。
これまでのことをちゃんと誤魔化すことができるのか、真も不安だった。
(……まぁこんなとこで立ち止まってても意味ないよね)
磨り硝子を見やり、真は一思いにドアノブを掴んで回した。
扉が開くと同時に、金属の擦れる耳障りな音が鳴る。
両側を衝立に阻まれ、短い廊下のようになっている事務所入り口。
左側には社長室への扉がある。
とりあえず衝立の間から見える場所に人影は無い。
「も、戻りましたー……」
やよいが扉を閉めたことを確認してから、恐る恐る奥に向けて声を出す。
するとすぐさま、奥からドタバタと慌ただしい音が聞こえ、プロデューサーが衝立の向こうから姿を表した。
「真っ!やよいっ!」
「プロデューサー……」
髪を振り乱したプロデューサーは、二人を見た途端に心底安心したようだ。
空気の抜けたような笑顔を浮かべて、二人を迎えた。
「無事でよかった……事故があったって聞いてみんな本っ当に心配したんだからな」
「ご、ごめんなさい」
あまりのプロデューサーの憔悴っぷりに、真とやよいは思わず声を合わせて、頭を下げた。
考えれば事務所の人々からすれば、自分達は一時生死が分からないような状態になっていたのだ。
仮に自分が逆の立場だったらと思うと、心配する気持ちはよくわかる。
頭を下げた二人を前に、プロデューサーはひらひらと手を振って、二人に顔を上げさせた。
「いいよいいよ、二人とも無事だったんだから……とりあえず奥に入って、小鳥さんや社長、律子も心配してるぞ」
二人は力無く頷くとプロデューサーの後をついて事務所の奥へ入って行った。
しかしそれから数歩も歩かない内に、かつかつと、ヒールが慌ただしく床を蹴る音が近づいてきた。
「……真、やよい、無事だったのね!」
そう言って現れたのは、竜宮小町のプロデューサーである秋月律子だ。
二人を見た途端に律子は安堵しきったような、長いため息を吐いた。
「律子……」
「律子さん……」
思わず名前を呼ぶと、律子は力が抜けた声で「二人とも、よかったぁ」と呟いた。
それが合図だったかのように、事務所の奥から事務員の音無小鳥や、社長の高木が続々と現れた。
「おおっ、菊地くん高槻くん、無事でなによりだったね」
「おかえり、二人とも大丈夫だった?」
両者とも心配そうに眉は下げられていたが、やはり安心しているのか表情は和らいでいた。
「小鳥さん、社長……心配かけてすいませんでした」
「二人とも、ごめんなさい」
「ははっ、構わないよ。ほら、こっちで休みなさい」
真とやよいが謝ると、高木社長は笑って会議室へと促し、そこにあるソファーを指した。
黒い生地のソファー。
同じくこの事務所にいるアイドルの星井美希が、暇さえあれば寝ている場所だ。
(美希……そう言えば美希からもメールが来てたな)
美希だけでなく、携帯には雪歩や他のアイドル達からもメールが来ていた。
タクシーの中で一通り読んだが、どれも自分達二人を心配した内容ばかり。
真とやよいは皆に心配をかけたことを申し訳なく思いながらも、メールから伝わった仲間からの気遣いは、二人の心に気持ちよい温もりを与えた。
そのアイドル達の姿は今、事務所の中には見当たらない。
「……他のみんなは、もう帰ったんですか?」
ソファーに腰掛けながら真はプロデューサーに聞いた。
「ああ、みんな心底心配してたけど明日も仕事があるからな……もう帰らせた。
まぁ、真とやよいの無事はさっき伝えたから、みんな安心してるだろうな」
「そう、ですか」
早く会って喋りたいな。
仲間達の顔を浮かべながら、真は切実にそう思った。
プロデューサーと律子と高木社長も、真とやよいの向かいのソファーに腰掛ける。
そして律子が、妙に疲れた顔をして話し出した。
「大変だったのよ?春香に響に、亜美と真美は自分達で探しに行こうとしてしょうがなかったし」
それを聞いて、真とやよいは二人して小さく笑った。
慌てて事務所を出て行こうとして、それを急いで抑えようとする千早や律子の姿が容易に想像ができる。
「伊織なんか家から捜索隊を出すって、いつも以上に大騒ぎだったんだぞ?
止めると泣きそうになってたし……お前達二人がよっぽど心配だったんだろうなぁ」
とプロデューサー。
高飛車な性格である水瀬伊織は、真との衝突が絶えない。
しかしそれ故に二人はお互いを信用している、いわゆる喧嘩する程仲がいい間柄だった。
それに、それ以上に何より、伊織はやよいとの仲が良い。
家庭環境も性格もかなり違うが、二人は端から見ても親友と呼べるような関係を築いている。
(仲がいいもんなぁ、二人とも)
真が横目でやよいを見ると、俯いていながらもその実、表情はむず痒そうに小さな笑みを浮かべていた。
伊織からの心配が、やはり嬉しいのだろう。
(……ボクも仲間がそうなったら、探しに行くかなぁ)
仮に自分がそういう立場だったら、と思うと、いてもたってもいられず仲間を探しに飛び出して行くだろう。
探されていた自分が思うのも変だが、春香達の気持ちは痛い程わかる。
(みんなにも一応、謝っておかないと)
「はい、お茶をどうぞ」
そうこう思案していると、小鳥が目の前に緑茶の入った湯呑みを置いた。
「ありがとうございます」と言うと、小鳥は優しく微笑み、全員に湯呑みを渡してまた会議室から出て行った。
お椀を満たす緑茶。
湯気をたてる緑色の水面を見つめる。
熱いそれをすすると、渋い味が口の中に広がった。
緑茶を呑み込み、身体に染み渡るような暖かさを実感しながら、真は大きく息を吐いた。
小鳥が煎れてくれたお茶の温もりは、そのまま真の心も解すようで、とても気持ちがいいものだった。
ぎちぎちに張り詰めた緊張の糸が切れるように身体がゆったりと安らぎ、ソファーに身体を沈める。
「あっ……」
不意に、真の視界が急激に滲んだ。
頬を暖かい液体が、静かに伝っていく。
「真、さん?」
やよいがそれに気付いた。
「ま、真?どうしたんだ?」
「真、どうしたの?どこか痛いところでもあるの?」
プロデューサーと律子が驚きながらも声を掛けてくれた。
「へへっ、どうしたんでしょうね……なんか安心しちゃって」
言いながら服の裾で涙を拭う。
(……なんなんだろう、この気持ち)
わけもわからず涙が出てしまった。
冷静なつもりなのだが、考えがどうも纏まらない。
というより現状について深く考えたくないかのようだ。
「大丈夫?疲れてるんじゃ……」
「うん……でもただ疲れてるだけだって。大丈夫だよ律子」
心配そうな律子に笑いかけ、真は涙をせき止めるために、緑茶を一気に飲み干した。
一瞬、変な空気が会議室を包み込んで静寂が流れる。
するとそれを機と見たのか、プロデューサーが、おもむろに話を切り出した。
「それで二人とも、今までどこにいたんだ?」
やよいと真は思わずぎくりとして、顔を見合わせた。
(……来た)
他の人々に吐く嘘の内容は、一応やよいとタクシーの中で話を合わせてある。
(言い訳は完璧、大丈夫だ)と心の中で自分に言い聞かせ、やよいと頷き合うと、真は話し出した。
「それがボク達、途中のパーキングエリアで置いて行かれちゃって……」
「置いて行かれた?」
信じられない、といった表情でプロデューサーが聞き返す。
「二人を下ろして、車は先に行っちゃってこと?」
律子の質問に真が頷く。
そしてその説明を、やよいが引き継いで話し出した。
「私達、それですごく困ってたんですけど、二人で電車を乗り継いだりして、なんとか事務所を目指したんですー」
「……さっき携帯の電池が切れてたって言ってたけど、公衆電話は使わなかったのか?金はあったんだよな?」
不審げに眉間に皺を寄せて、プロデューサーが尋ねてきた。
(公衆、電話……)
不意を突かれた。
想定していなかったことに、思わず言葉が詰まる。
しかし何かすぐにでも言い返さないと、嘘がバレてしまう。
「……お、思いつかなかったです。それに見当たりませんでした」
「そう、か」
真がなんとか言葉を繋げると、プロデューサーはしこりを残したような、すっきりしない顔をしながらも一応は納得したようだ。
「まあまあ、突然のことに二人とも動じただろうし、無理もないことだろう」
そこで助け舟のような高木社長の言葉により、二人への詮索は終わった。
(なんとかなった、かな……?)
目の前の三人に気づかれない程度の小さなため息を吐いて、胸をなで下ろす。
「しかし今思うと、二人が乗ってなかったのは奇跡だったね」
「ですね。二人が事故に遭ったことを思うと……ゾッとしますよ」
(そうだ、事故って)
社長と律子の会話を聞いて思い出した。
そう言えば事故の概要を一切聞いていない。
「あの、プロデューサー」
「ん?」
「その事故って、そんなにすごかったんですか?」
真の質問に、プロデューサーは不意を突かれたような顔をした。
プロデューサーだけではない、律子も社長も、心底意外そうにしている。
「二人とも知らないのか?」
「は、はい。テレビもラジオもありませんでしたから……」
「わ、私も事故のことは、知りませんでしたー……」
二人がそう返すと、プロデューサーは律子や社長と顔を見合わせた。
律子と社長がやや困った顔で頷き、少ししてからプロデューサーは事故について語り出した。
「……高速道路で大型トラックが暴走したらしくてな、おまえ達が乗っていたワゴン車と正面衝突した。
ワゴン車は大破して運転手は死亡、トラックはそのまま他の車とも衝突し続けたらしく、他にも重軽傷者が多数いるってさ」
「結構大きな事故だったみたいだから、明日の朝刊には載ると思うわよ」と律子が付け足した。
「運転手さん、亡くなったんですか……」
「ああ、警察から聞いたんだが即死だったそうだ」
プロデューサーの話を聞いて、真は喉の奥に大きなものがつっかえたような違和感を覚えた。
(どうして……)
赤羽根達の言うとおり死人達があの部屋に呼ばれるのだとしたら、なぜ運転手はガンツに呼ばれなかったのか?
逆になぜ自分達だけがあの部屋に呼ばれたのか?
わからない。
脳が思考を拒否しているかのように、それ以上考えることができない。
(そもそもあれって、ドッキリだったんじゃ……違うな。ヤバい、混乱してきた)
空回りする脳を正常な方向に回転させようと、いつの間にか空になった湯呑みを凝視していた。
「……真、どうしたの?」
不意に声を掛けられた。
「え?」と拍子抜けした声をあげて顔を上げると、律子が心配そうな顔を真に向けている。
「怖い顔して黙り込んじゃって……なんかあなたらしくないけど」
「あ、あはは、そ、そうかな?」
わざとらしく笑って見せたが、律子の表情は変わらない。
社長が「うーむ」と唸った。
「菊地くんと言えど相当疲れてるみたいだね、やよいくんも……」
「そりゃあ疲れてるでしょう、長距離を自力で帰って来たんですから。
二人とも、仕事は明日もあるんだし今日は帰って休もう。な?」
「それがいい、二人とも明日に備えて、しっかり眠りなさい」
社長とプロデューサーは言いながら、ソファーから立ち上がった。
「疲れている」と改めて言われると、二人は途端に大きな疲労感を覚えた。
「は、はい」
「わ、わかりましたー」
と、返事も弱々しくぎこちない。
「プロデューサー殿?」
ふと律子が聞くとプロデューサーは、おもむろにスーツのポケットから車の鍵を取り出した。
「ああ、俺が車で家まで送ってくよ。事故のことと安否のことも、家族には伝えてあるから……」
社長に律子、小鳥に挨拶をして、二人は事務所を後にした。
事務所から比較的近いということで、車はまずやよいの家に向かうことになっている。
真とやよいは後部座席に座っていた。
プロデューサー達に言われた通り、それ相応に疲れている二人は、安心感や座席の心地よさが合間って、うつらうつらとしている。
しかし寝るに寝れない。
なぜなら後部座席に座っているということに、事故当初の強烈な記憶が蘇るから。
それによる言い知れぬ不安は、二人の意識を宙吊りのような状態に留めた。
(また……事故が起きなければ……いいけど……)
窓ガラスに頭を預け、外を流れていく夜の街を眺めながら真は思う。
だが疲れているために、思考はバラついて全くまとまらない。
車内に響くは走行音と、カーラジオから微かに流れる音楽だけ。
プロデューサーは疲れた二人を気遣い黙って運転に徹している。
(ラジオの仕事……あったっけ……いや、あれは……やよいだったかな……)
確か自分はバラエティ番組の出演があったはずだ。
時間は、午後からだっただろうか?
詳しい時間を思い出そうとしても、頭の中に浮かんだそれらはすぐに形を失って霧散していく。
やがて真は考えることを諦め、改めて外の景色を見やった。
深夜の通りに、人は少ない。
その中に、帰宅途中なのか、疲れた顔をして歩いているサラリーマンの姿があった。
そのスーツ姿を見て、脳裏に蘇る頼りない顔。
(……赤羽根さんに祐喜さん、どこにいるんだろう)
別れ際にあの二人は、またガンツに呼び出されることになると言っていた。
それは一体いつなのか?
一週間後か?はたまた1ヶ月後か?
(突然呼ばれたら……困るよなぁ……)
眠気によるふわふわとした感覚の中、漠然とそう思う。
ただ、眠いながらも真にとってそれは、明日の予定よりも重要なことのように感じられたのだった。
以上です
投下します
目深に帽子を被り、真はいそいそと事務所のあるビルの中に入って行った。
今日は多くの女性ファンに気付かれ、追い掛けられることもなく無事に事務所に辿り着くことができた。
時刻は9時過ぎ。
母が作った朝食を食べると、真はすぐに家を出て行って事務所に向かった。
ちなみに、ガンツのラバースーツはバックの中に入れっぱなしだ。
結局部屋の中に上手い隠し場所は見当たらなかった。
それなら持ち運んでさえいれば確実に中身を見られないバックの中に入れたままの方がまだいいだろう、と真は考えたのだ。
しかし、気掛かりなのは765プロ随一のイタズラ双子、双海亜美と真美の存在だ。
(……またイタズラかなんかでバックの中身をひっくり返されなければいいけど)
考えながら事務所の階段を登っていると、不意に背後から聞き覚えのある元気がいい声が聞こえた。
「おーい真ー!」
振り向くと、満面の笑みを浮かべた我那覇響が手を振っていた。
身軽に、そして足早に階段を登って真に駆け寄ってくる。
「あ、おはよう響!」
真が挨拶をすると、響は「はいさーい」と返事をして横に並んだ。
「真、昨日はどうしたんだ?みんなすっごく心配してたんだぞ?」
やはり話の内容は、昨晩のことだ。
「いやぁ、手違いというか……途中で下ろされちゃって」
「えぇっ!途中で下ろされたって……怪我は無かったのか!?」
怪我?
響はなにか勘違いをしているようだ。
真は一瞬考え、そしてすぐに合点が行った。
「怪我って……走行中に下ろされたわけじゃないよ?パーキングエリアで下ろされたまま車が行っちゃったってだけで」
昨日と同じ嘘の理由。
プロデューサー達とは違って、響はなんの疑いも抱いていない様子で「な、なんだ。びっくりしたぞ」と胸をなで下ろした。
「よく帰って来れたなー。でもどうやって帰ってきたの?」
「まぁ……電車を乗り継いだりして、ね」
会話をしながら、事務所を目指して階段を登って行く。
ふと響が嫌みっぽい笑顔を浮かべた。
「でも真なら高速道路を走ったりして戻って来れたんじゃないの?」
「響じゃないんだからボクはそんなことできないって!」
言い返すと、途端に頬を膨らませる響。
「いくら完璧な自分だって、番組の企画とかじゃなきゃそんなことしないぞ!」
そんな響が面白くて、真は「あははっ」と笑った。
「まぁ、それにやよいもいたから、ボクだけが体力にものを言わせるわけにはいかなかったしね」
「ふーん……」
すると響は目を細めて、真の顔をまじまじと見つめた。
「な、なに?」
「いや、真が随分と落ち着いてるから変だなって思ってただけ」
「……普段のボクってそんなに落ち着きが無いの?」
思わぬ言葉に、真はややヘコみながら聞き返す。
すると響は、悩ましそうに眉間に皺を寄せた。
「というか、なんか雰囲気が違うような……」
(雰囲気?)
響の漠然とした言葉に、真は疑問符をたてる。
「なにそれ?」
聞きただすと、響は難しそうに眉を潜めて「うーん」と唸りながら首を傾げた。
「落ち着いてるって言えば落ち着いてるし……元気がない?いや、それは違うかな……うーん」
独り言を呟き続ける響。
呟けば呟くほど、眉間に寄る皺は深くなっていく。
しかし完全に煮詰まってしまったのか、終いには「うがー!」と叫び頭を抱えだした。
「なんだか自分でも分かんなくなってきたぞー!うぅぅ」
「そ、そんなに考え込まなくても……」
「とにかく!今日の真はなんだか落ち着いてるんだっ!」
真のフォローの言葉を遮り、響は勢いをつけて人差し指を顔に突きつけてきた。
表情は、なぜか少しだけ怒っているようだ。
「な、なるほど、なんだか落ち着いてるんだね、ボク」
(なんで逆ギレされたのかは分からないけど……)
真が困惑しといる傍らで、響は無理やりに納得させるように「そういうこと!」と強く言い放った。
会話をしているうちに、二人は765プロの扉の前に辿り着いた。
真が扉を開き、響と中に入るなり二人で声を張って「おはようございまーす!」と挨拶をした。
(……うん、いつも通りだね。大丈夫大丈夫)
自分の挨拶の声量を聞き、それがいつも通りであることを確認して、事務所の奥へと入っていく。
「あ、真くん響ちゃんおはよう」
「二人ともおはよう!」
二人を出迎えたのは、衝立向こうの給湯室から顔を出した天海春香と萩原雪歩だ。
それに続き、給湯室隣の休憩スペースから四条貴音が現れた。
「二人とも、おはようございます」
「はいさーい!」
「みんなおはよう!」
こうして、765プロにいつも通りの朝が訪れた。
短いですが以上です
なにか気になる点等があったら言って下さい
ではまた
乙乙!
真クン呼びは美希だけですよ
>>215
指摘ありがとうございます
雪歩は「ちゃん」付けでしたっけ?
投下します
「ふう」
ステージ裏のベンチに腰掛けて、やよいは頬を膨らませて息を吐いた。
周りではイベントスタッフが絶えず慌ただしく歩き回っており、ステージで歌っている他のアイドルの歌声が、やよいのいるステージの裏側まで聞こえてきていた。
それをBGMに、やよいは呆けた表情で宙を眺める。
午前中に双海真美とのラジオの仕事を終えたやよいは現在、日比谷のイベント会場に来ていた。
今の時刻は午後四時。
思えば朝から大変だった。
昨晩、疲労で眠い頭をなんとか動かして、寝る直前でラバースーツを脱ぎ、パジャマにまで着替えた。
朦朧とした意識で、スーツを取りあえず寝ていた布団の下に隠しておいたのだが、今朝、やよいはすっかりその存在を忘れていた。
そしてスーツは布団を片付ける時に、あっけなく弟や妹達に見つかってしまったのだ。
ガンツの情報が外部に漏れれば死ぬ、という赤羽根と祐喜の言葉を覚えていたやよいはその場で凍り付いてしまった。
結果的に頭こそ爆発はしなかったが、そのまま幼い弟達にスーツをおもちゃにされた時は寿命が削られるような思いをした。
その時は、映画撮影に使う小道具だと言ってやり過ごしたものの――――
(これじゃあ、先が思いやられるよ……)
家族の手に届くのが怖いため、スーツは手荷物として一緒に持ってきてしまっている。
小さい家の中、どこかに隠していても、幼い弟妹達に見つかってしまうのが目に見えていたからだ。
得体の知れないラバースーツをオモチャにでもされて、自分はともかく、それで弟妹に危害が加わるとしたら……そう考えるとやよいはとても耐えられなかった。
ふとやよいは衣装のポケットに入れておいた、事務所から貸し出されている携帯電話を取り出した。
携帯を開き、ディスプレイに視線を落とす。
(真さん……)
連絡は取れてないが、真は大丈夫なのだろうか?
身近にいて、ガンツの情報を共有できるのは真だけだ。
一人で昨晩の記憶を抱えるには、余りにも心細い。やよいとしては、いち早く真と連絡が取りたかった。
(でも真さん、お仕事中だったら困るし……)
だが、いかに気持ちが優れなくとも、他のアイドルの仕事を邪魔するわけにはいかない。
それはガンツがどうとかではなく、一応は社会に生きる人間として当然のことだから。
昨晩の記憶は、夢であったかのような非現実的な感覚に包まれている。
やよいにとっても、それ程までに受け入れがたい事実だった。
しかし、高速道路の事故や、八王子に残った戦闘の傷跡など、現実にガンツは夢ではなかったという確固たる証拠があり、現にガンツスーツも手荷物として、鞄の中に押し込まれたまま控え室に眠っている。
その上しばらくすればあの部屋に呼ばれて、再び宇宙人との戦いを強いられるというのだ。
あの凄惨な戦いが、また繰り広げられる。
(そんなの……いやだよぅ)
どうしようもない現実に心の整理がつかない。
そのまましばらく、携帯を握り締めたままでいると、不意に声を掛けられた。
「あれ?やよいちゃん?」
「はわっ!?な、菜々さん……」
完全に自分の殻の中に閉じこもっていたやよいは、突然声を掛けられたことにいたく驚いた。
声を掛けてきたのは、別の事務所に所属する先輩アイドル、安部菜々だった。
年齢は『17歳』。
ウサミン星人からやってきたメイドとしても活動するアイドル、という名目を持つ安部は、ウサギの耳を表したリボンを着け、メイド服をモチーフにしたであろうカラフルな衣装に身を包んでいる。
「どうしたんですか?こんなところで」
やよいを覗き込んで、ポニーテールとスカートを揺らす安部。
同じく今は休憩中のようだ。
「あの、ちょっと疲れちゃって……」
「むむむ、確かにやよいちゃんからの電波が微弱になってますねー」
やよいの額に手のひらをかざして、安部は難しい顔をした。
「でん、ぱ?」
すいません
色々あって長らく投下が途切れてしまいました
再開します
話を呑み込めずに聞き返すやよいの声は、安部の耳に届いていないようだ。
安部は満面の笑みを浮かべながら、突然ステップを踏んで、その場でくるくると回り始める。
「疲れた人にはー……」
語尾をどんどん強めていく安部。
突然言葉を切り、同時に回転を足で止めた。
止めた時に安部のブーツが床との摩擦で、きゅっ、と音を鳴らした。
そして止まると同時に、安部は勢いよく両手を突き出して、両手の平をやよいに向ける。
「ウサミンパワー注入!!」
「…………」
思わず思考停止するやよい。
安部の叫びを皮切りに、二人の間で沈黙が流れた。
「……ふふっ、冗談ですよ、冗談!」
呆気に取られるやよいを前に、ウサミン星人こと安部菜々はぴょこぴょこと小さく跳ねながら、わざとらしく笑ってみせた。
765プロにはいないタイプのアイドルだ。
馴れないテンションに気圧されながらも、それに乗じて「あ、あはは」と分けも分からず笑ってみせる。
当の安部は、ウサミンパワー注入で満足したのか、突然柔らかい微笑みを浮かべた。
「疲れたなら、あっちに休憩所がありますよ。飲み物もありますし、行ってみてはどうですか?出番まで時間もありますし」
「ありがとうございますー」
「いえいえ!元気なやよいちゃんが笑顔じゃないと、みんなのウサミンパワーも弱まっちゃいますから!ファイト!」
そう言い残し、安部は実に満足げな顔をすると、足早にその場から去ろうと、やよいに背を向ける。
だがその小さな背中を向けられた途端、やよいは何故かとても心細くなった。
何か相談できることがあるんじゃないかとも思え、安部の背中に向かって、咄嗟に声をかける。
「あ、あの菜々さん!」
立ち止まり、振り向く安部。
「ん、なんですか?」
「ちょっとお話しても、いいですか……?」
すると安部は、一瞬驚いたような表情をしてから、すぐに元の笑顔に戻り、やよいに歩み寄って隣に腰を下ろした。
「いいですよ?ウサミン星人になんでも話してみて下さい!」
溢れんばかりのスマイルを見せる安部。
(……話すことかぁ)
困ったことに、心細かった故に咄嗟に引き止めたため、肝心の話す内容を全く考えていなかった。
悩みの元凶であるガンツのことは直接は話せない。
しかしそれに近い話を持ち出せればベストだ。
間を空けて、やよいは考えた。
「じゃ、じゃあ……」
そして考えた末に、話を切り出した。
「あの……菜々さんは宇宙人さんって、いると思いますか?」
考えた末、頭の中に浮かんだワードが宇宙人だった。
しかし、流石の安部にとってもその質問は余りに突飛だったのか、目を丸くして「へ?」と素っ頓狂な声を上げている。
だが質問したやよい本人は至って真面目だった。
安部の回答が、少しでも自分の気持ちを和らげてくれるなら、と願っているから。
安部は目を丸くしたまましばらく硬直していたが、やがてその顔のまま、驚いたような声調でやよいに言い返した。
「な、なにを言ってるんですか!目の前にいるじゃないですか!私、ウサミン星人ですよ!?」
心外だ、といわんばかりの口ぶり。
「あぁ!?ご、ごめんなさい菜々さん……」
予想しなかった返答に戸惑いながらも、やよいは単純に申し訳なく思って、頭を下げて安部に謝る。
すると安部も安部で、「いや、そこまでではないんですけど」と逆に申し訳なさそうに、そしてやりにくそうに言った。
「ふう、びっくりして年甲斐もなく叫んじゃいましたよ……あっ」
「え、なんですか?」
安部は一瞬、自分の『設定』が崩れるようなことを口走ったのだが、やよいの耳には入っていなかった。
聞き返すやよいに「い、いや、なんでもないですよー」
と安心した様子でやんわりと誤魔化す安部。
それから話の筋を元に戻そうと、難しそうな顔をして安部は先程の質問に答え始めた。
「でも……そうですね、宇宙人は確かにいますよ、このウサミン星人を始めとして、数えきれない程、たくさん」
そう話す安部の口調は、いつものように砕けたものではなく、真剣そのものだった。
まるで、あたかも本当のことを語っているかのようだ。
「地球には、既に沢山の宇宙人が潜んでるかもしれませんね、私みたいに!
そしてもしかしたら、もうやよいちゃんのすぐ近くに住み着いてるかも……」
話の最後辺り、安部はやや声のトーンを落として、脅すような口ぶりで言った。
やよいにとって、それを安部が本気で言っているかどうかは分かりかねたが、昨晩キリン星人という確かな異星人を見たやよいには、頷かざるを得ないような回答だった。
身の回りに宇宙人がいる。
これからガンツに呼び出されて戦う星人達も、今もどこかで人間に紛れて生活しているのだろうか。
(人間の中で、生活……)
人に気付かれずに人の中で生きているとなれば、異星人もある程度人類と同じような価値観を共有しているのだろうか?
そう考えると、次のやよいの質問の内容は自然と決まった。
「あの安部さん、私もその宇宙人さん達と、仲良くできますか?」
「……こりゃまた突飛な質問ですねえ」
「ウサミン星人の菜々さんなら、わかるかなーって」
驚いた様子こそ見せなかったが、安部はまた難しそうな顔をした。
「うーん」と唸る安部。
「仲良くできますよ。現に私ともこうやってお話できるじゃないですか」
やよいにとって安部の言う事はもはや、アイドルとしての本人の設定から出ている言葉なのかどうかも分からなかった。
しかし少なからずその言葉を聞いて、やよいは幾分か、心が軽くなった気がした。
もしかしたら最低限戦わずに済む方法があるかも。
そう思ってやよいも「そうですか!」と笑顔を咲かせて答える。
「ただまあ、仮に襲われたら抵抗するでしょうねえ。人間だってそうですし、ウサミン星人も同じですよ?」
間を空けてから、突然そんな事を安部は言った。
「そうですよね……え?」
頷いてから、やよいは安部の言葉に引っかかりを覚えた。
宇宙人を襲うだなんて話、こちらからは一言も言ってないのに、なぜ安部は唐突にそんな話を始めたのだろうか。
不意にこちらに真っ直ぐ向けられる安部の視線。
やよいはその視線から、なぜか目を逸らす事ができない。
凍りつくやよいを前に安部はウィンクを投げ掛けてきた。
「でも宇宙人に襲われたら、やり返さないと大変な事になるかも……。
なんてね!」
やよいのただの思い過ごしかもしれない。
しかしおどけて言う安部から、何とも言えない気迫を感じて、やよいはそれ以上何も言えなかった。
以上です
遅ればせながら、一応貼っておきます
安部菜々(17?)
http://i.imgur.com/qrjQcz9.jpg
http://i.imgur.com/CCP5ZLz.jpg
投下します
『今日の午後六時頃、神奈川県川崎市で起きた強盗殺人の――――』
真は車の助手席から、疲れた顔を窓の外の景色に向けた。
隣では、黙々と運転に集中するプロデューサー。
外はすっかり暮れており、辺りは夜の闇に包まれている。
仕事を終えた真は、昨日と同じくプロデューサーの車に揺られて自宅に向かっていた。
静かな車内では、ラジオから流れるニュースがよく聞こえる。
『青梅市、町にて火災が発生しました。これにより住宅一軒が全焼。焼け跡からは三人の遺体が発見されており―――』
否応なしに耳に入るラジオからのニュース。
火災、交通事故、殺人事件、災害……一体何人の人間が日本中、この一日で死んでいるんだろう。
そんなこと、今まで気にも留めなかったし、考えたこともなかった。
(本当はそんなこと、考えたくもないのに)
しかし真がいかに頭からそれを振り払おうとしても、それはじわじわと思考を侵食していく。
「……プロデューサー」
「ん?なんだ?」
「悪いんですけど……ラジオのチャンネル、ニュースから別のに変えていいですか?」
「あ、あぁ、俺がやるよ」
プロデューサーは気を使って真が手を伸ばす前に、ラジオのチャンネルをカチカチと変えた。
「これでいいか?」と手を止めると、車内には明るい曲調のポップスが流れ始めた。
「はい、ありがとうございます」
会釈をして真は再び、座席に深くもたれかかった。
今日はいつも以上に疲れた。
重い身体を車の揺れに任せながら、漠然とそう感じた。
それにいつものような、一日の仕事を無事に終えた時の気持ちのいい達成感も無い。
あるのは、胸に鉛が入っているかのような息苦しさすら感じる程の、漠然とした不安。
バラエティー番組の収録の後、真はプロデューサーと合流し、都内のCDショップで握手会の仕事に出ていた。
午後からの仕事である番組収録中は、真の期待通り、頭の中にぶり返す昨晩の記憶を紛らわすことができた。
しかし収録が終わるとなると、それは水面下で育っていたかのように、午前よりも増して更に気分を重苦しくしていた。
真の精神状態が芳しくないことは、後に合流したプロデューサーも感じたようで、とにかく真の体調や様子を気にかけてくれた。
(あれは嬉しかったなぁ)
それからプロデューサーは、真の体調を懸念して次に入っている仕事もキャンセルするかどうか聞いてきたが、すぐにでも気を紛らわせたい真は躊躇なくその仕事を快諾した。
しかし、握手会も終えて家に帰ろうとしている現在、はっきり言って気分は最悪だった。
仕事は一時的に気持ちを紛らわせるだけで、問題は何一つとして解決していない。
むしろ病巣のように、それは真の胸中で重みを増していっている。
一体この気分の悪さは何なのだろうか。
(やよいは……無事だったからいいけど)
仕事の合間に、ある程度時間を見計らってやよいに電話したところ、短い時間ではあったが会話することができた。
精神的に大丈夫かどうか聞くと、「大丈夫です」と答えが返ってきたが、少なからず影響が出ているらしく、その声にはいつもの無邪気な元気さが失われていた。
真としても、こんなこと始めてだった。
こんなにも気分が重く、今すぐ現実を放り出して眠りたい気分になったのは。
事務所から一時間近く走って、車は菊地家の前に到着した。
「真、着いたぞ」
「あ、はい」
プロデューサーに促されて、シートベルトを外して荷物を手に車から降りる。
ドアを閉めると、プロデューサーが運転席の窓越しに、不安げな顔をして話しかけて来た。
「大丈夫か?真。いつになく疲れてるみたいだが……」
「だから大丈夫ですよって。寝たら治りますよ」
自分を心配してくれているプロデューサーの言葉。
今日一日、午後に合流してからもう十回近く言われている。
「なんかあるなら相談に乗るぞ?」
それが出来ないから困っているのに。
いや、自分を心配してくれているプロデューサーに悪気など一片も無いだろう。
思わず漏れそうになる溜息を呑み込む。
「いえ……大丈夫です。ちょっと、疲れが取れてないだけで」
するとプロデューサーは「そうか……しっかり身体を休めるんだぞ」と、やや寂しそうな顔を向けてきた。
(そんな顔しないで下さいよ、プロデューサー)
相談したい、助けを求めたいのは山々だが、こればかりは何も言えない。
真だって、まだ死にたくない。
プロデューサーも、まさか目の前にいるプロデュース中のアイドルが、得体の知れないものに命を握られているとは思いもしないだろう。
「はい。
送ってくれてありがとうございました、プロデューサー」
本当はもっと一緒にいて欲しい。
一人で居るとどうにかなりそうだった。
「ああ。じゃあ、おやすみ」
だが喉から出そうになる言葉、伸びそうになる手を堪えて、真は今出来る精一杯の笑顔を形作った。
「……おやすみなさい」
挨拶をするとプロデューサーは頷いて窓を閉じ、車は静かに発進して行った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
飛び散る肉片、血、人がただの肉塊になる、臓物、確かな殺意、異形の存在が迫ってくる―――――
「……っは!?」
弾けるように真は目を覚ました。
息は荒く、呼吸によりかなり早いペースで布団が上下している。
額に手をやると、大量の汗が手に付着した。
窓から漏れる月明かりを頼りに、汗に濡れた手を真は眺めた。
「イヤな……夢だったな……」
呟きながら上体を起こす。
時刻は午前三時。
起きるには早過ぎる時間だ。
気持ちは幾分か落ち着いたものの、息はまだ荒く、真は深呼吸を繰り返した。
ただただ恐ろしいだけの、最悪な夢だった。
少しでも気を紛らわせようと、なんとなしに視線を部屋に移す。
棚、可愛らしいぬいぐるみ、扉、勉強机に勉強椅子、と順々に目に入る。
ふと机の上に放ってあったバッグから出ている、ぬらぬらと月明かりを反射するものに目が止まった。
黒いそれはラバー状のもので、力無くバッグから飛び出ている。
いくつものポッチが付属しているそれ。
あの部屋の、スーツだ。
「…………ッ!?」
それを確認した直後、胃が急激に脈動し始めた。
血相を変えて、真は布団を跳ね上げる。
そのまま部屋から飛び出し、トイレに駆け込み、乱暴に扉を開いてから、倒れ込むようにして便器に頭をもたれた。
「おえぇっ、げほっげほっ」
びちゃびちゃ、と吐瀉物が汚い音をたてて便器内に飛び込んでいく。
苦しい、苦しい。
目に涙が滲んだ。
真は胸に苦しさを感じながら、ひとしきり吐き続けた。
吐き終わってから真は顔を上げて、力無く床に座り込んだ。
覚束ない手つきでトイレットペーパーを引き出し、口を拭く。
それを便器に放り込んでからレバーを引き、吐瀉物と共に流した。
「……ボク、どうしちゃったのかな」
便器の中で渦巻く水を見つめながら、呆然として呟いた。
気付けば身体が震えている。
震えを抑えようと、真は自身の身体を抱きしめたが、芯から来る震えは一向に止む気配がない。
「なんだよ、止まってくれよ……」
言う事を聞かない身体、に必死に言い聞かせる真。
同時に、考えないようにしていたキリン星人の記憶が、抑えていた反動のように克明に蘇り、溢れ出した。
恨めしげだった麒麟の片目、今までの人生で向けられた事が無かった程に明確な殺意、血、殺し合い、死。
溢れ出すミッション時の記憶。必死だったあの時のことが、今になって身体が震える程怖くなってきた。
今この瞬間、自分と苦しみを分かち合える者は、いない。
自分は、孤独だ。
「止まれよ……止まれよぉ……」
真の精神に、病巣のように巣食う悩みの種。
脳裏に浮かぶ、誤字まじりの不気味なメッセージ。
てめえ達の命は無くなりました
新しい命をどう使おうと私の勝手です
という理屈なわけだす
それは『ガンツ』と呼ばれる、得体の知れない黒い球に命を握られている恐怖。
そして、急激に近い存在に感じられた、死への恐怖だった。
以上です
真は、ミッションのショックで精神状態がよろしくないです
投下します
暇つぶしに見ていた雑誌も読み終わり、テーブルの上に投げ出す。
事務所のソファに仰向けに寝そべり、響は憂鬱そうに溜め息を吐いた。
胸元には、ペットのハムスター『ハム蔵』が鎮座している。
「みんなもう行っちゃったし……自分達は暇だなー、ハム蔵」
響が語り掛けると、ハム蔵は「きゅう」と小さな鳴き声で反応を示した。
午前十時。
自分は仕事前のために、そして他のアイドル達は早くから事務所を出て行ったために、響は一人、事務所の休憩スペースで暇を持て余している。
朝、いつも通りペット達には餌をやったし、散歩が必要なペットには散歩もした。
家でやれることはやった上で事務所に来たが、いたのは菊地真と天海春香、如月千早だけで、その三人も響が来てからまもなくしてすぐに仕事へ行ってしまった。
これなら今出演しているドラマの台本を持ってくればよかった、と思いながら、うっすらと埃が付いた天井を呆然と眺める。
眺めながら、響は思い付いたように呟いた。
「……真、大丈夫かなぁ」
それに反応し、胸元で小首を傾げるハム蔵。
番組出演のために、先に事務所を出て行った三人の中、真の妙に覇気の無い姿が、響は気になっていた。
真も表面では何でもないように取り繕っているようで、千早や春香に、彼女の異変を気付いた様子は無い。
しかし似た者同士だからだろうか、響は真の変化を漠然と感じ取っていた。
(あれ以来、やっぱり変だぞ)
あれ、というのは四日程前の事故のことだ。
数日経った今、心なしか元よりスレンダーだった真の体型は更に痩せたようにも思える。
痩せたというより、萎んだという表現が正しいかもしれない。
彼女の象徴とも言える『元気』が上辺だけのもののように感じられて仕方ないのだ。
しかしそれが気になって本人に事故のことを聞いても、素っ気ない顔で「心配ないって、なんでもないから」と言うだけだ。
(やよいに聞いても同じようなこと言うだけだし……)
やよい。
そう言えばあの日真と一緒にいた筈の高槻やよいも、見るからに元気が無い。
真と違って、やよいの様子の変化は顕著で、それは他のアイドル達にもひしひしと伝わっていた。
それによってやよいの様子をプロデューサーや小鳥が考慮したため、今日のスケジュール表にやよいの名前は無い。
伊織もやよいのことを心底心配しているが、やよいもまた真と同じように、悩みの種を隠し続けているようだ。
心配ない、の一点張りで何も話してくれないらしい。
あの伊織にも話さないなんて、と響は思った。
正直者なやよいは、問い詰めれば口を割ってしまう。
大の親友である伊織が聞けば尚更効果てきめんだ。
その伊織が聞いても何も言わないとは、余程言えない理由があるのだろうか。
(うーん、やっぱりあの事故の夜に何かがあったとしか考えられないぞ)
じゃあ一体、そこでなにが起こったのだろう?
一人思考し、ソファの上で唸っていると、事務所の扉が開く音が聞こえてきた。
足音が近付いてくる。音からしてヒールだろうか。
響はハム蔵を足元に移してから上体を起こし、ソファの背もたれ部分に顎を乗せて顔を出した。
「響、おはようございます」
揺れる銀髪。
現れたのは四条貴音だった。
「あ、おはよう貴音」
「ハム蔵も、おはようございます」
貴音に挨拶され、ハム蔵は小さく鳴いてそれに答えた。
「皆は?」
トートバッグを下ろし、響の向かいのソファに座りながら貴音は聞いた。
響も足をソファから下ろして座り直す。
「みんなもう仕事に行ってるぞ。奥に小鳥さんがいるけど。
あ、でも竜宮小町の三人と真美と、あとやよいは今日オフだって」
「成る程」
「貴音は?」
「しばらくしたら、仕事に向かう予定です」
「そっか」
「響は、仕事はどうしたのですか?」
「貴音と同じ、これから仕事だよ」
「そうですか」
なんともない会話。
同時期にこの事務所に入ったこともあり、貴音とは付き合いが長く、お互いの気心が知れてる間柄だ。
それゆえ響にとって、貴音は誰よりも落ち着いて会話ができる仲間だった。
そうだ。
貴音なら鋭いところもあるし真のことも気付いてるかもしれない。
ふとそう思い立ち、響は「ねぇ、貴音」と早速話を切り出した。
「はい?」
「真とやよい、どう思う?」
「はて……どう思う、とは?」
「最近二人とも元気ないと思わない?」
「やよいは確かにそうですが、真は違うのではないでしょうか」
首を傾げる貴音。
どうやら貴音ですら真の変化は読み取れなかったのか、響の当ては外れたようだ。
響は溜め息を吐いてから「真も変だぞ」と主張する。
「貴音も気付いてないみたいだけど真は隠してるんだ、元気ないことを」
「言われてみればそうかもしれませんが、そうだとしてなぜ真はそれを隠しているのでしょう」
「それが分からないから自分はモヤモヤしてるの!」
思わず、少しだけ声が大きくなった。
そうだ、わからない。心の不調をひた隠す真とやよいの心中がまるで見えてこない。
貴音の前で口に出してみたら、『モヤモヤ』は胸の中で余計に大きくなった気がする。
「なんで自分達に教えてくれないんだ?なんで隠すんだ?信用されてないみたいで嫌だぞ……」
「そんなことは無いでしょう。私達にとって真は大事な仲間、真にとっての私達もきっと同じに違いありません」
「だよね!でも、なら尚更だぞ。なんで自分達に何も言ってくれないの?」
「なにか相談できない理由があるはずです。私達にも相談できず、頑なに真実を隠したがる、なにかが」
頑なに真実を隠したがる、何か。
貴音の言葉が、響の脳裏に事故のことを思い出させる。
「……四日前だぞ」
「四日前?」
「うん、事故が起きて二人の帰りが遅くなったの」
「二人の精神不調の、原因と思われる出来事ですね。そこで二人に何かがあった、と」
冷静に言葉を繋ぐ貴音。
響は頷き、「その理由を知りたいぞ」と難しい顔をした。
「しかし、真がそこまで頑なに隠している秘密だと言うのなら、私達の詮索も無用なのではないでしょうか」
随分と素っ気ない言い方をする貴音に、響は「どうして?」とぎょっとして聞き返す。
対する貴音は、特になんとも思っていないような、涼しい顔をしている。
「やよいと、特に真に関しては私達が気付けない程の演技をしている……ということは、それ程までに隠したいという事実が二人にあるということ。
本当に相談に乗ってほしくば、人は少なからず自分に悩み事がある素振りを見せる筈です。
その二人がそこまで隠したがっている秘密を、私達が無理に明るみに出す必要は無いのではないでしょうか」
「そんなの、二人がもしかしたら事件とかに巻き込まれていて口止めとかされてるかもしれないじゃないか」
貴音の言っていることはは分かる。
しかし響にとって、それは仲間を見捨てる発言のようにも聞き取れた。
「そんなこと言うなんて、貴音らしくないぞ。真とやよいが心配じゃないのか?」
酷く心外だった。
思わず気持ちが高ぶり、口調が強くなる。
しかし言い返された貴音は、少し驚いた顔をしてから、唐突に柔らかい笑みを浮かべて響を見つめ返した。
「落ち着いて、響。もちろん私だって真とやよいのことを気に掛けています。
ですがこれは、なにか事件や事故の問題ではありません、これは単にあの二人の心の問題なのです」
「なんでそんなことが分かるんだ?」
「それは、秘密です」
くすりと笑いながら、貴音は短く簡潔に返す。
その答えになっていない答えに、響は思わず言葉を失った。
貴音はとにかく謎と秘密が多く、誰も彼女の出自や私生活を知らない。
他よりも付き合いがある響にとってもそれは同じで、今のところ人柄しか分かっていない。だが、それでも何故か信用に足るのが四条貴音だった。
そんな貴音だからだろうか、妙に自信ありげな顔で『秘密』と言われると、なんとなく許せる気分になってしまうのだ。
響は少し固まってから、ため息を吐いて肩を竦めた。
「わかったよ……だけどそれが二人の心の問題だったとして、自分達は力になれないのか?」
「なれないわけではありませんが、あまり踏み入らない方が賢明でしょう。
それに、触れて欲しくない話を触れられ続けたら、響も嫌ですよね?」
言われて、響は妙に納得した。
その目を覗き込むように、貴音は響を真っ直ぐ見つめて話を続ける。
「この話は他の誰かにもしましたか?」
「いや、真のことは貴音に話すのが初めてだよ」
「そうですか。それなら他言しないよう、いいですね?
他の者に伝わって真とやよいが質問責めに遭えば、どうなるか分かりません」
「うん、わかった」と響は頷いた。
問題の根本的な解決には至ってはいない。
が、貴音も考えあって言っているのだし、その考えにも一理ある。
きっとこれで大丈夫なのだろう。
「ありがとう貴音、ちょっとスッキリしたぞ」
気付けば、胸中のモヤモヤは無くなっている。
やはり貴音に相談してよかった、と響は思った。
「お易い御用です」
そうとだけ言って貴音は、響に柔らかく微笑みかけた。
以上です
投下します
日曜日。
手をハンカチで拭きながら、真はトイレから控え室へと足早に向かっていた。
765プロのアイドルが総出演する、日曜正午の一時間生番組、『生っすかサンデー』。
その収録が今さっき終わったところで、現在はしばしの休憩時間となっている。
今日はやよいに響、貴音と双海姉妹、あずさと伊織がロケに行き、残りのアイドルはスタジオ内で収録していた。
清潔感溢れるテレビ局の廊下を、局のスタッフ等とすれ違いながら歩いていると、途中で小さな休憩場に出た。
白い壁に囲まれた空間に、整列するソファ、奥の壁には自販機、そして端ではテレビが点いている。
流れているのは、同じ局で放送しているニュース番組だ。
テレビから流れるニュースを認知した途端に真は苦い顔になり、テレビが視界に入らぬように顔を背けてその場を足早に通り過ぎようとした。
忌まわしい記憶のせいで嘔吐した、五日前の夜。
あれ以来、あらゆる事故や事件のニュースが気になってしょうがない。
そういったニュースが耳に入りそうになる度に、耳を塞いだり、その場から離れたりと、とにかく避ける事に努力していた。
しかしどんなに拒否しようとしても、それらの情報はいやでも耳に入ってくる。
むしろ拒否しようとすればするほど、ニュースに対して心が敏感になっていった。
日中は、ガンツの記憶を克明に思い出す夜ほど、ネガティブな気分にはならない。
そのおかげで、睡眠不足という弊害以外は大して仕事に影響は出ていないし、精神的不調も他のアイドルや仕事仲間には気付かれずに済んでいる。
だがそれでも、あの夜のことを連想するようなことを思うと、平静を保っていた気分はすぐにでも転覆してしまうのだ。
『渋谷区円山町のアパートから80代と見られる女性の遺体が発見されました。この女 性は一人暮らしをしていたとのことで死後三日……』
テレビを意識せず、急いで休憩場を通り過ぎたにも関わらず、ニュースはすんなりと頭の中に入ってきた。
孤独死。
聞こえて来たニュースから、そんな言葉が頭によぎる。
たった独りだけ、誰もいない場所で誰にも気付かれずに死ぬ。
独り身で生きる老人に最近多く見られるという話を、いつぞや見たドキュメント番組で知った。
孤独死、という言葉は、毒のようにジクジクと鈍痛を伴いながら、真の心に浸透していく。
夜になると感じる、息が詰まりそうになる程の孤独感を知っている真にとって、その言葉は自分と密接に関わっているように思えた。
考えながら廊下を歩いていく。
命の危険に晒されていても、その助けを他人に求められない自分ややよいはどうなのだろうか。
このままガンツによって、恐怖心すら周りと分かち合えずに自分が死んだとしたら。
キリン星人との戦いから帰って来れず、部屋に置かれたままの三人の衣服。
三人の家族や知人は、今頃どうしているのだろうか。
畳まれたまま、あの部屋に放置された自分の衣服のイメージが、脳裏に浮かび上がる。
それに釣られるように、吉川達の死んだ時の姿が……
(あーダメダメダメ!だから考えちゃ駄目なんだって!)
必死に自分に言い聞かせ、不吉なイメージを打ち消した。
仕事中だと言うのに、無駄に深く考えて自分から後ろ向きになっては駄目だ。自分らしくない。
そう思い込んでみたものの、胸の中では不安が相も変わらずどっかりと居座っている。
それが真の中から退くことはなく、この四日間、そんな風に死の恐怖に脅えては仕事で無理やり考えないようにする毎日が続いていた。
ようやく目的の控え室、『765プロ様』と貼り紙が貼られたドアに辿り着いた。
避難するようにドアを開けて中に入る。
室内では他のアイドル達が談話していた。
星井美希、萩原雪歩、天海春香、双海真美、如月千早。
真が部屋に入った途端にその中のいくつかの視線が自分に向けられた。
その瞬間、幾分か室内の空気がぎこちなくなったように感じる。
きっとそう感じるのは自分の勝手な勘違いに違いない。
そう思い込むことにして、真はスツールに座り込むと、周りに聞こえない程度に小さなため息を吐いた。
ガンツによる心労は、響や雪歩以外の仲間からは、真っ向から言われるどころか気付かれた節も無かった。
しかしここ二日で徐々に、そして明らかに周囲から異変を察知され始めている。
真の内面に溜まった恐怖と憂鬱は、既に外へと滲み出始めていたのだ。
キリン星人との戦いから早六日。
真は、徐々に深刻になりつつある精神的ダメージをひた隠し、忘れるように仕事に打ち込んでいた。
やよい以外で相談できる相手もいない上に、そのやよいに全てをぶつけるわけにもいかず、ただ自分の中にあの記憶を押しとどめ続ける毎日。
加えて、頭の中にあるという爆弾。
その実感を伴った死の影に怯え、ショッキング過ぎるあの夜の記憶のフラッシュバックに苦しむ。
まだ六日とは言え、感じたこともない精神的苦痛の数々に、真は限界を感じ始めていた。
(だいたい宇宙人てなんなんだよ……意味わかんないよ)
今まで積み上げてきたはずの『現実』の価値観を、理不尽に破壊した『現実』そのものに、もはや憤りを覚えてきた。
どうしてこんな特異な悩みに自分が振り回されなければならないのか、考えれば考えるほど意味が分からない。
化粧台の鏡に映った自分の顔と睨み合いながら、真は拳を握り締める。
しかし鏡に映った自分は、ひどく疲れているように見えた。
自分自身を睨みつける自分の顔は、精一杯怒ろうとして空回りしているかのようだ。
真実味の無い怒気に、真は妙に虚しくなった。
分かっていた。
どうしようもないものに向かって、一人で憤ったところでそれは無意味であることを。
握り締めていた手のひらを、なんとなしに見つめる。
憂鬱と恐怖を振り払うように怒りを爆発させてみたが、結局意味は無い。
当たり前だが、問題は何一つ解決していない。
その事実を認めて真はなお空しくなり、何度目が分からないため息を吐きそうになった。
「あの……」
吐きそうになって、ふと横から遠慮がちに声を掛けられた。
「……真ちゃん、大丈夫?」
特徴的なか細い声。
顔を向けると、いつの間にかそこに、雪歩が心配そうな表情を真に向けて立っていた。
先程まで春香や美希と話していたはずだが……と二人の方を一瞥すると、二人ともこちらを意識していないような様子で会話を続けている。
「ん、雪歩。なにが?」
真はすっかりとパターン化してしまった、誤魔化すためにする何も無かったかのような白々しい表情を雪歩に向けた。
しかしそれでも雪歩の表情から、不安げな色は消えない。
「なんだか、苛々してない?」
「いや別に、苛々してるつもりはないんだけど……」
「うーん、でも顔色もちょっと悪いみたいに見えるよ?疲れてるんじゃ……」
そう言って雪歩は、突然のぞき込むように顔を近づけてきた。
不意に来たそれを避けるように、真は反射的にカウンターに寄りかかって身体をずらす。
「だ、大丈夫だよ。今日は特に体力勝負みたいな収録じゃなかったし……ありがとう雪歩」
すると雪歩はなにか言いたげな表情をしながらも、「うん、ならいいんだけど」とだけ頷いて微笑んだ。
そのどこか寂しげな微笑みに、真はとても申し訳ない気持ちになった。
「横、いい?」
雪歩は遠慮がちに真の隣のスツールを指す。
「あ、うん、勿論だよ」
真が頷くと、雪歩はいそいそとスツールに腰を下ろす。
そこから会話が始まる、と思いきや、その場を包み込んだのは何ともぎこちない沈黙だった。
お互いが相手の心に踏み入ろうと探っているのが雰囲気で分かる。
雪歩が、自分と真との距離を測りかねているのだ。
直前の、反射的とは言え雪歩を避けてしまったやり取りの空気が、場を余計に気まずくさせていた。
(……なんでこんな気まずいのかなぁ)
真は酷く嘆かわしい気分になった。
性格の相性もあって、雪歩とは事務所に入った当初からかなり仲が良い。
その相性と、加えて雪歩の性格故か、なぜかその場その場での心中を見抜かれることが多かった。
だが今の真には、見抜かれて暴かれるわけにはいかない秘密がある。
雪歩にそれを悟られるわけにはいかないのだが、突き放すわけにもいかず、どっちつかずな状況の中、雪歩との距離は微妙に離れていっていた。
今の二人の姿は、端から見ても仲の良い友人同士とはとても思えないだろう。
そう考えると余計に悲しくなった。
仕方ないとは言え、雪歩の友人としての心配を無碍にし続けた結果、こんなことになってしまったのだ。
鏡越しに一瞬、雪歩を見やった。
こちらの視線に気付いた様子は無く、相変わらず、なにか言いたげな顔をして俯いている。
(ボク達、友達のはずなのに……)
やはりここは自分から何か切り出すべきだ。
心を削る沈黙に耐えかね、真は何か言おうと息を吸った。
「二人でなにしてるのかな?」
ちょうどその時、背後から声を掛けられた。
気付けば、先程まで美希と談話していたはずの春香が、にこやかに笑いながらそこに立っている。
「春香!」
「春香ちゃん……」
驚く真と対称的に、助け舟が来たような安堵の表情を浮かべる雪歩。
全く違うリアクションをする二人に、春香は困ったように笑いながら話を切り出した。
「そういえば真、明後日オフでしょ?」
「うん、春香も?」
「うん。暇なら、買い物に行かない?私と雪歩と、真の三人で」
「雪歩も?」
「う、うん」
頭を引っ込め、小さくなりながら頷く雪歩。
それから申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね、真ちゃん。本当はそのことを私から聞こうと思ったんだけど……なんか話すタイミングを見失っちゃって」
「そうだったんだ」
「うん、ホントになんか、ごめんね」
少し安心したように、しかし依然と小さくなって雪歩は謝る。
「なんで雪歩が謝るのさ。ボクの方こそ、ごめん」
真も内心でホッとしながら、雪歩に謝った。
ようやく素の表情を見せ合うことが出来た。
それと同時に、二人の間に友人同士の空気が戻ってくる。
さっきまでの空気が途端に馬鹿馬鹿しく思えて、真と雪歩はむず痒そうに笑った。
そこに春香が笑いながら「二人とも、なんで謝ってるの?」と聞いてきた。
「ううん、なんでもないよ」
「うん、なんでもないよ春香」
二人がほぼ同時にそう答えると、春香もおかしそうに「変なの」と笑った。
『変なの』と言いつつ多分、春香は二人の気まずい沈黙に気付いていたのだろう。
それを分かってて、黙りこくる二人の間に割り込んできたのかもしれない。
(……ありがとう、春香)
さすがに「ありがとう」と声に出して、自分から話をややこしくすることはできない。
真は心の中で春香に感謝の言葉を述べた。
「それで明後日の話だけど」
と、楽しげに話を戻す春香。
「雪歩は午前に仕事が入ってるから、午後からになるけど……どう?行かない?」
聞かれて、一瞬考えた。
確かにその日は真も、なんの予定も入っていない。
それに休みの日に一人でいて、一人で一日中憂鬱になるのも嫌だ。
誘いを断る理由はどこにも無かった。
「明後日か。うん、ボクも行くよ」
快諾するまで時間は掛からなかった。
それを聞いた二人は嬉しそうに笑い、春香は「じゃあ決まりだね!」と声を跳ねさせた。
「いいなぁ、ミキも行きたいなぁ」
「あ、美希」
携帯をいじりながら、美希が春香の横に立った。
ため息を吐き、恨めしげに細めた目を春香に向けながら、ジーンズのポケットに携帯をしまう。
「三人でお出掛けなんて羨ましいのー」
「あはは、でも美希はその日は仕事でしょ?」
「オフじゃないんだね」
春香に真が反応すると、美希は憤慨したように目を吊り上げさせた。
「そーだよ?ミキはその日は仕事だよ?春香ったらわかっててミキがお仕事してる間に雪歩や真クンと遊ぶなんて……ヒドいの!」
「ご、ごめんね美希、そんなつもりは……」
声を荒げて顔を背けた美希に、春香は動揺して、なにか言葉を繋げようとする。
しかしそれを遮って、美希は何ともなかったような無表情を春香に向けた。
「分かってるの。ちょっとからかってみただけなの」
「もう」
頬を膨らませる春香に、美希は悪戯っぽく笑った。
「春香はホントに引っかかりやすいの」
「そ、そんなことないよー!」
心外だと言わんばかりに否定する春香に、美希は尚も笑い、真と雪歩もそれにつられて笑った。
その時、不意に控え室の扉が開いた。
音に反応して真達四人はなんとなしに振り向く。
入ってきたのはプロデューサーだった。
なにやら小さな封筒を手にして、室内を見回している。
間もなくして、プロデューサーは真に目を留めた。
「おい真、ちょっといいか?」
手招きをしながら呼ぶプロデューサーに、春香達は会話を止めて反射的に真へと視線を集めた。
「あ、はい」
三人と顔を見合わせながら、スツールから立ち上がって真はプロデューサーの元に向かった。
「手紙が来てるぞ」
と、封筒をひらひらと振りながらプロデューサーは言った。
「え、ボクに……?」
プロデューサーは頷き、なんの飾り付けもない簡素な封筒を見せつける。
それを見に、春香に雪歩、美希も集まって来た。
「手紙?」
「ファンからですか?」
疑問符を浮かべる雪歩と、春香の問いにプロデューサーは肩を竦めてみせた。
「さあ、俺はスタッフから渡されただけだからな。そのスタッフ曰わく、送り主が直接渡しに来たらしいんだが」
「へえ」
「でも直接渡すファンっていつも沢山いますよね」
不思議そうな雪歩に美希も頷く。
「ねえハニー、なんでこの手紙だけ真に手渡しなの?」
送られてきたファンレターやプレゼントは、アイドルごとに一カ所にまとめて置かれるのが普通だ。
それから事務員やスタッフが中身を確認してアイドルのもとに届くため、それらの工程を無視して直接届けられることは無い。
「さあな。詳しくは聞いてないが、送り主が早急にこれを渡して欲しいって言っていたらしい」
「も、もしかして脅迫状とか……」
雪歩はプロデューサーの持つ手紙を見ながら、怯えたように表情を強ばらせる。
「ゆ、雪歩、やめてくれよ」
雪歩の言葉に、真も思わずドキッとした。思い当たる節が無いわけでは無い。
それがガンツ関係だとしたらと思うと、嫌な気持ちがぶり返していく。
しかし、真の気分が沈下し始めると同時に、プロデューサーが小さく笑って否定した。
「いや、それは無いだろ。脅迫状だったとしてそんなものを手渡しで送るはず無いしな。
スタッフも送り主の顔を見てるし、局の監視カメラにもばっちり映ってるだろうから」
「で、ですよね」
プロデューサーの言葉に真が胸をなで下ろしていると、不意に横から、潜められた悪戯っぽい声が聞こえてきた。
「脅迫状とは、なにやら事件の匂いがしますなー」
見ると、双海真美が手を顎に当てて、いかにも考えている風な表情で佇んでいた。
しかし厳しい顔付きとは裏腹に、その目は好奇心で輝いている。
「だから脅迫状じゃないって、今プロデューサーが言ってたでしょ?」
その好奇心を消すように真美を窘めたのは、隣に立つ如月千早だ。
いつの間にか、輪の中に真美と千早も加わっていた。
「えー違うのー?
……じゃあじゃあ、もしかしてまこちん宛てのラブレター!?」
真美は残念そうにしてから、しかしすぐに表情を輝かせた。
控え室に響く真美の大声に、アイドル達は様々な反応を示す。
「えぇっ、ボクに!?」
「ら、らぶ!?」
「そんなの許されないの!」
真と雪歩は声を裏返させ動揺し、美希は慌てた様子で否定した。
「みんな落ち着いて……」
と苦笑いする春香。
プロデューサーも苦笑いして「こんな、なんの飾り付けもない封筒に入れられてるのがラブレターなわけ無いだろ」と言った。
その途端、「なーんだ」とつまんなそうに真美は口を尖らせ、動揺した三人も安心したように息を吐く。
真としては、正直のところラブレターであれば少し嬉しかったのだが。と複雑な気持ちになっていた。
少しでも慰めが欲しかったし、単純にそうであれば、自分が『女性』として魅力的である事が保証できる、一つの証になっただろうから。
千早は周りの反応に合わせるよう頷きながら、やはり興味深そうに手紙を見つめながらプロデューサーに聞いた。
「そもそも誰から来たんですか?その手紙」
するとプロデューサーは肩を竦めて「分からない」と示してから手紙を真に手渡した。
「一応、裏に名前が書いてあるんだが」
プロデューサーに言われ、真は受け取った封筒を裏返す。
それに合わせ、周りのアイドル達も覗き込むようにして真の周りに集まった。
封筒の裏面、右端に小さな文字が並んでいる。
それを見て、真は思わず息を詰まらせた。
「……誰これ?」
真美の呟きが聞こえる。
だが真にとって、その名は知らないはずが無かった。
『赤羽根健治』
見覚えのある名が、そこにあった。
以上です
投下します
平日ではあったが、109の客入りはそこそこのものであった。
三人は時間を忘れ、八階まである109の各階を上り下りして、各階にある無数の服を見て回っていた。
入店してから数時間が経ち、それぞれのお気に入りを買ったところで、ふと真は我に返ったように腕時計を見やる。
「……もうニ時半か」
気付けば正午を過ぎていることに、真は顔に出さず驚いた。
それに春香が露骨に驚き、自身の携帯を見やる。
「もうニ時半?楽しいと時間経つの早いねー」
時間を確認してから、春香はやや残念そうに肩を竦めた。
「だね」と、真も苦笑しながら同意する。
真としても、楽しい時ほど時間の進みが遅くなって欲しいところではあった。
いや、楽しい時だけではなく、この平穏な毎日が延々と続けば、今という時間が永遠になってくれればいいのに……。
表情の裏で、真は切実に願う。
だが現実はそうはいかないことも重々承知だ。
「そろそろお昼にしない?」と雪歩。
紙袋を片手に、わずかだが疲労の様子を見せている。
思い返せば、確かに腹も空いたし、そろそろ少し休みたいところであった。
「賛成」
「うん」
二人が頷くと、一同はエレベーターに向かった。
今いる場所は三階で、レストランがあるのは七階だ。
七階には二つ、イタリアンレストランとカフェテリアがあり、三人が腹を満たすべく選んだのはイタリアンレストランの方だった。
板張りの床に、飾りすぎていない店内の装飾は、先程まで三人が歩き回っていた無数の服達が揺らめく煌びやかな世界とは打って変わって、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
並ぶテーブルには、他の客がまばらにおり、それぞれ談笑するなり、遅めの昼食をとるなりしている。
真達三人に気を払っている者はいないようだ。
それを確認して、三人は店内の一角にあるテーブルに安心して腰を下ろす。
荷物を椅子の脇に置いて一息吐くと、春香がおもむろに立ち上がった。
「ちょっとトイレ、行ってくるね」
と春香は言い、雪歩と真の返事を待たずに店の出入口に早歩きで向かって行こうとした。
行こうとして数歩踏み出したところで、春香が悲鳴をあげた。
「あわわわ!」
雪歩と真は同時に、呆けた声をあげた。
「あっ」
直後に響く、びたん、と床に肉を叩きつける音。変装用の眼鏡が床を転がっていく。
春香が、また何も無いところで足をもつれされて転んだのだ。
そもそも広くない店内に音は響き渡り、転倒により静まり返る中で他の客やウェイトレスは皆倒れた春香に視線を集中させている。
あれだけ大きな音をたてて盛大に転んだのだから仕方がないが、この注目は少しマズい。
「大丈夫!?」
誰かが動き出して正体がバレないよう、雪歩と真は他の人々よりも早く、春香に近付いて助け起こした。
「ご、ごめん。ありがとう二人とも」
「いててて」
いつもなら転び方の割に大した傷は負わないのに、今日は打ち所が悪かったようだ。
右膝に見るも痛々しい青あざが出来ている。
「あちゃー、やっちゃった……」
春香は痛みに堪えながら、青あざのできた膝を見つめた。
「春香、立てる?」
「うん……でも結構、痛い、かも」
真が聞くと、春香は遠慮がちに答えた。
真は「手を貸すよ」と、春香の肩に腕を回す。
雪歩も「わ、私も」と、真と共に春香を助け起こした。
「うん、ありがとう」と言って、春香は二人の手から離れて一人で立つ。
しかし身体を支えるには足がやや痛むらしく、ふらふらと僅かに揺れている。
「……とりあえずボクは春香をトイレまで連れて行くから、雪歩はここにいて、荷物を見ててくれる?」
「えぇっ?いいよ」
「痛みが治まるまでは足をいたわるべきだよ」
遠慮する春香に、真は言い聞かせる。
そんな真を手助けするように雪歩が言葉を重ねた。
「二人で行って来ていいよ。私は待ってるから」
真と雪歩の二人に言われ、春香は何か言いたげな顔をしてから、申し訳なさそうに頷いた。
「ごめん、二人とも」
「いいって、ほら早く行こう?」
真はそう言い、雪歩に「じゃあ行ってくるよ」とだけ告げた。
それから春香と言い訳をするかのように、他の客に顔が見えないよう会釈だけして、レストランから出て行った。
他の客の目を気にしながら七階を通り抜け、レストランとは対角の位置にある女子トイレの前に来たところで、春香は真から離れた。
「もう、大丈夫だよ。ありがとう真」
「わかった。じゃあボクはここで待ってるから」
「うん」
頷き、春香は打ちつけた足を庇うように歩き出し、女子トイレへと消えていった。
女子トイレ前で、真は春香を待って所在なさげに立ち尽くしていた。
尿意も便意も無いし、特に用も無かったため、トイレに入る必要は無い。
このまま雪歩の元に戻ることもできたが、春香を送り届けて来た手前そんなことはできないし、するつもりも無い。
暇を持て余して、真は帽子の影から店内を歩く客を眺めていた。
やはり女性が多い印象を受ける。
時折カップルであろう男女二人組が目に付いた。
楽しげに店内を回るカップル達を、なるべく気付かれないように俯きながらも目で追う。
妬ましい、という程では無かったが、自分を支えてくれるだろう人が隣にいる彼女達 が羨ましく思えた。
自分のもとにも白馬の王子さまが訪れれば……と思う。
(白馬の王子さま、か)
ずっと夢に見ていた存在。
ヒロインが絶体絶命の窮地に陥った時、颯爽と現れてヒロインを危機から救い出してくれる、そんな存在。
ずっと夢に見ていたはずの存在は、思い返せば真の人生において、最大級の危機だったはずのガンツのミッション中、真の脳内を掠めもしなかった。
あの夜、あの時、真はやよいを守りながら自分の力で星人を下し、自分の力で道を切り開いた。
そこに他人の力添えなんて無かった。
自分は、むしろ守る側だ。
本当は白馬の王子さまなんて、いないのかもしれない。
いつぞやの、お姫様になりたいという願望を押し殺し、ファンの前では自分が王子さまとして振る舞うという誓いを思い出した。
それが、あのミッションでも同じだと言うなら……
真の心に、暗い影が落ちそうになる。
それを感じながら周りの、『平凡な日常』を謳歌しているだろう人々を眺め続けた。
(……ん?)
そんな中、買い物客の中にいる一人の少女が目に止まった。
一瞬しか見えなかったが、その顔は自分にとってかなり見覚えのある人のもののように見えた。
(あれって……)
思わず目で追うと、少女は客に紛れて真との距離を離していく。
春香はまだ出て来ないようだし、少しぐらいこの場を離れても特に問題は無いだろう。
そう思って、真は早歩きで少女の後を追い始めた。
もしかしたら人違いかもしれない。
そう思って確認のために、顔の分かる位置に回り込み、本人の気付かない距離まで近寄って顔を伺う。
少女は進行方向を真っ直ぐ見つめるだけで、こちらには気付いていないようだ。
その顔は……似ているというか、本人そのもののような気がする。
見覚えのある身長、人なつこそうな可愛らしい顔つきに、中学生とは思えないプロポーション。
違う点は、いつもより明らかに濃いわざとらしい化粧に、短い茶髪ぐらい。
妙に凝った変装だが、慣れ親しまれた真にはすぐに分かった。
「美希!」
確信し、横から近寄って声をかけた。
少女……星井美希は驚いた表情で真に振り向く。
いつもなら驚くなりなんなり、感情を露わにした極端な反応をするだろう。
しかし美希は、なぜか表情を和らげることなく、滅多にしない凄んだ目つきで真を睨む。
真は見たこともないような美希の敵意ある表情に、思わず息が詰まりそうになった。
そして美希は、警戒心を全面に押し出しながら口紅を塗った唇を動かした。
「……誰ですか?」
一瞬、真の頭の中は真っ白になった。
もしかしたら間違えたかもしれない。
完全にやってしまったか。
だが、そう思ったが同時に、その特徴的な声から、それが明らかに星井美希のものだと確信した。
間違いない、美希だ。
調子を取り戻し、真は未だ睨み付けてくる美希に言い放った。
「そんな変装、バレバレだよ美希」
美希は「はあ?」と全力で怪訝そうな表情を形作り、真を迎え撃つ。
なんなのだろうか、と真は思う。
冗談にしては妙に気合いが入っているし、冗談だとしても敵意を向けられることは気持ちのいいことではない。
(それに美希って、こんな遊びするような子だっけ?)
亜美と真美が不意に仕掛けてくる寸劇とも違う、演技。
あるいは美希にもなにか隠し事でもあるのか。わからない。
美希の様子に真が内心で困惑していると、美希は呆れたように喋り出した。
「変装って……それに美希って、もしかして星井美希のことですか?」
なるほど、星井美希にそっくりな別人を演じているのか。
もしかしたら、いや、きっとこの前の春香を騙したように、自分を騙しに掛かっているに違いない。
真は言葉を返した。
「うん、っていうか美希のことじゃないか」
「は?だから、私は違いますって」
尚もしらばっくれる美希。
(もう、一人称まで変えるなんて)
いつもの『ミキ』、から変えて『私』にしている辺り手が込んでいる。
事務所では秋月律子に敬称をつけて呼ぶことにすらまだ慣れていないのに。
もしやこれこそ、テレビ番組かなにかの企画なのではないか?と勘ぐった。
自分がドッキリを仕掛けられ、美希は仕掛け人。
もしかしたら雪歩と春香も仕掛け人かもしれない。
仕事とは言え、公私を混同させられるのはあまりいい気はしないが、プロデューサーならやりかねないな。
可能性はあるな、と一人納得しながら、真は会話を続けた。
「それになんだよ、そのカツラ。
気合い入ってる変装だなー。もしかして亜美と真美も関わってるの?」
「亜美と真美?それにカツラって……これ、カツラじゃなくて地毛なんですけど。
そんなに信じられないなら触ってみます?」
おっ、大きく出てきたな。
きっとこれで真がカツラを引っ張ってから、初めて美希が種明かしをするのかもしれない。
そう考え、挑戦的な笑みを浮かべて真は、美希の茶髪に手を伸ばした。
さらさらとした髪、その端を指で摘む。
「じゃあ遠慮なく……って、え?」
きゅっ、と引っ張ると、なんの突っかかりも無くカツラはずり落ちる……ことは無く、確かな手応えと同時に、美希が痛みに顔を少し歪めた。
「ね?」
美希、とそっくりな少女は、今にも溜め息を吐きそうな顔をして真を見やった。
今度こそ真っ白になった思考の中、真はゆっくりと少女の髪から手を離す。
「美希、じゃない?」
「だからさっきから言ってるじゃないですか」
抗議するような少女の視線を認識した途端、真は顔から炎が噴出したかと錯覚するぐらいの恥を覚えた。
「うわぁ、すみません!ボクすっごい失礼なことを……」
思わず後退りをして、慌てて頭を下げて少女に謝る。
しかし少女は至極冷静で、かつ早くこの場所を離れたいと言わんばかりに面倒臭そうな顔をして、手をひらひらと振った。
「いえいえ、いいですよ。本当によく間違われますから」
それから少女は、真の返答も待たずに「じゃあ」と言い放ち、そそくさと歩き出して真から離れて行く。
「じ、じゃあ……」
少女に聞こえたかどうかは分からないが、真も反射的に返事をして、遠ざかる少女の背中を見送った。
少女の去った方向を見ながら、先程まで目の前にあった顔、体つき、声を思い返す。
(……すごい、美希に似てたな)
似ていた、というよりやはり瓜二つだった。
思い返しながら、春香を置いてきた女子トイレに戻ろうと歩き出す。
真が女子トイレに着いたのと、春香がトイレから出て来たのはほぼ同時だった。
春香は真を見るやいなや、申し訳なさそうな笑顔を浮かべた。
「ごめん真、待たせちゃった」
「え?いや、いいよ。それより足はどう?」
「うん、おかげでだいぶ痛みが引いてきたよ」
「ただ跡が……」と言って、春香は青あざの出来た膝を見やった。
見た限り青あざは、青黒く色を濃くしており、更に痛ましさを醸し出していた。
生傷に関して、またプロデューサーに何か言われるのが憂鬱なのだろう。
春香は苦い表情で青あざを見つめている。
「……まぁ、痛くないならいいと思うけど」
真はなんとか言葉を掛けたが、思ったより歯切れの悪い返事になってしまった。
それに反応した春香が怪訝な顔を向けてくる。
「真、どうかしたの?」
聞かれ、一瞬美希と瓜二つの少女について話そうかどうか迷ったが、特に隠す必要も無いため、正直に話すことにした。
「いや、美希とそっくりな人に会ってさ、本当にそっくりだったから間違えて話し掛けちゃって」
話しながら、レストランへと二人は歩みを進め始める。
「へえ、真が話し掛けるなんて余程似てたんだね」
「うん、本当にそっくりだったから……なんかアレだよ、そう、生き写しって感じだった」
「ふうん、そんな人いるんだ。私も会ってみたいなぁ」
興味深そうに頷く春香の横で、真はたった今自分の言った言葉に、妙に納得していた。
そう、正に生き写しだった。
そんな生々しい言葉が当てはまるぐらいには、彼女は星井美希と似ていた。
バラエティー番組で引っ張り出される、『有名人とのそっくりさん』とはわけが違う、ただ言動と僅かに雰囲気が違うだけ。
(そうだ、帰ったら美希にも話してみようかな)
先の少女と違い、普段のんびりとした雰囲気を漂わす彼女は一体どんな反応をするのだろうか。
まるで自分が別の人生を歩んだかのような、そんな印象の人間がいたと知ったら。
(……そんなわけ無いだろうけど)
なぜか胸に去来している、妙に不吉な予感を打ち消すように、真は頭の中に浮かんだ可能性を否定した。
「なに食べようかなー」
不意に春香の呟きが耳に届き、気付けば既にレストランの前に来ていた。
その呟きに合わせて、会話が始まる。
「やっぱりイタリアンだし、スパゲッティとか?」
「スパゲティかぁ、うーんどれも美味しいだろうけど……迷うなぁ」
あまり考え過ぎることも無いだろう。
あの少女との邂逅は自分にとって、そんなに重大なことでは無い筈だ。
そう願いながら、真は春香と共にレストランの中へと入って行った。
以上です
投下します
本当に来てしまった。
もはや夢だったのではないかと思うぐらい、今まで音沙汰が無かったのに。
余りに突然のことに転送が終わっても尚その場で固まっていると、やよいが心配そうに眉を下げて近付いて来た。
真はやよいに何か言おうとしたが言葉が出て来ない。
それはやよいも同じようで、代わりに二人は至極不安げな目をして、お互いに顔を見合わせる。
そんな二人の様子を見て、尾形が嫌らしい笑みを浮かべた。
「またここに来られてそんなに嬉しい?」
……よくもそんな神経を逆撫でするような言葉が言えるな。
真は本気でそう思い、不安から転じて怒りの念を視線に込め、尾形を思い切り睨み付けた。
「そんなわけないでしょ。からかわないでください」
自分でも予想していない程に低く、殺気立った声が出た。
映画やドラマでの演技でも出てことの無いような声だ。
やよいがそれにびっくりしたようで、目を見開いて真に振り向き、振り向いてまた驚いたように息を呑んだ。
やよいがそんな反応をするなんて、一体今の自分はどんな顔をしているのだろう。
ただ、ここ数日に溜まりに溜まった不安が怒りとなって表情に出ているのは、なんとなく分かる。
対して尾形は臆せず、それどころか「おおう、こわいこわい」などと、おどけた調子で真を見つめ返す。
それに呆れた様子で赤羽根と祐喜が「尾形さん」「なんでまたそんなこと言うんですか」と言って、非難の目を向けた。
「はいはいわかったよ、ごめんね茶化して」
それを受けて、尾形は面倒そうに手を上げて、ぶっきらぼうに謝った。
「ここまでが生き残りのメンバーか」
間を空けて、話の切り替えを図ったかのように倉田が言った。
生き残り……前回のミッションを生き延びた、今部屋にいる自分を含めた六人のことを言っているのだろう。
となると、これ以降にこの部屋へと来るのは、前回の真達と同様、どこかで死んだ人間ということになる。
「どんな人が来るかなー」
「厄介な奴じゃなきゃいいですけどね」
尾形と祐喜が、ガンツを見やりながらそんな言葉を交わしている。
(どんな人って……なんにも思わないのかな)
真には信じられなかった。
ここに人が来るということは、自分達と同じくどこかで死んだ人間だというのに。
それに対して何も思うことは無いのだろうか。
前と全く変わらない調子で話し合う大人達の言動に首を傾げていると、間もなくしてガンツから新たなレーザーが放たれた。
(来た!)
青白い光線に、やよいは後ずさりをして、真は思わず身構える。
前回見た時と同じようにレーザーの切っ先は空中で止まり、そこを起点として左右に高速で揺れ、生物を書き出しながら下へと下がっていく。
見るのは久々だが、やはり空中に現れる生き物の断面は生々しい。
自分もこんな風に現れたのだと思うと、おぞましかった。
脳、頭蓋骨、頭皮、毛髪から始まる、ただの生き物。
生き物がレーザーで書き出されていく様は、まるで人間も、動くだけでただのモノでしかないと、言い聞かせられているようで気持ちが悪い。
それはそうと、一体どんな人が来るのだろう。
尾形達のような楽観した感情は無いが、真もそこにはやはり、興味を向けざるを得なかった。
転送される人間は寝転がっていたのだろうか。
やたらと低い位置に放たれたレーザーは空中に、白髪を携えた誰かの頭部を描き始めた。
(……ん?)
白髪……かと思いきや、毛の生えている場所に額等の区切りが無い。
しかも途中で毛は茶色に変わった。
それに人間にしては、頭が妙に違和感のある形状をしているし、耳も毛むくじゃらで、大きく垂れている。
「え?」
真は思わず声をあげた。
ガンツから転送されて来たそれは、どう見ても犬だった。
「……犬?」
赤羽根が、やや引きつったような声で呟く。
犬は舌を出して、短く早い呼吸を繰り返している。
やよいを一回り小さくしたような、見たことが無い程、大きな体躯をした犬だった。
人間の子供より大きな身体は、それなりの存在感と威圧感を放っている。
犬種はセントバーナードだろうか、垂れた耳と温和そうな顔つきが特徴的だ。
転送が終わるとすぐ、その犬は所在なさげにその場の匂いを嗅ぎ、歩き出した。
「わっ、犬だ!」
尾形が今まで聞いたことの無いような無邪気な声を出して、犬に近寄ろうとした。
しかし犬はラバースーツに身を包んだ尾形を警戒し、威嚇や唸りこそしないものの、近寄る尾形をあからさまに避けた。
「イヤにデカいな……」
避けられた尾形が残念そうに犬から離れていく中、赤羽根が引相変わらずきつった声でそう呟いた。
それを聞き、「犬苦手だもんな、お前」と祐喜が返す。
(へぇ、赤羽根さんって、犬が苦手なんだ……じゃなくて!)
我に帰り、真は四人に聞いた。
「人間以外の動物もガンツに呼ばれるってことがあるんですか?」
「見ての通りだよ」
「時々送られてくるんだよね」
と、特に気にした様子も無く、祐喜と尾形が答える。
時々送られてくる、ということは過去には他にも動物がいたのだろう。
今いないのは、ミッション中に死んだか、あるいは百点を取って解放されたか。
(いや、百点を取ったっていうのはあんまり考えられないし……)
真が思案していると、不意にやよいが脇腹をつついてきた。
それから「真さん、あれ」と、なにやら転送されてきた犬の首辺りを指差している。
「あれって……ん?」
犬の首もと。
白い毛に埋もれて見えにくいが、よく見れば水色の首輪がついている。
それを確認した途端、真は犬に対し、強烈な既視感を覚えた。
「……もしかしてアレって、いぬ美さんじゃないですか?」
「いぬ美?いぬ美……」
なんとなく、その名を反芻する。
妙に聞き覚えのある名だ。
あっ。
少しして真の中で記憶が掘り起こされ、感じた既視感は確かなものとなった。
「も、もしかして……」
やよいに言い掛けた自分の声は、なぜか少しだけ震えていた。
「いぬ美って、響のペットの……?」
やよいが黙って頷いた、その直後。
いぬ美の現れた空間に向けて、新たに二本のレーザーが、ガンツから放たれた。
以上です
投下します
今日は結構、遅くなっちゃったな。
携帯電話で時刻を確認してから、島村卯月は憂鬱な顔で、すっかり暗くなった空を見上げた。
制服に身を包んではいるが、今は塾帰りの最中だ。
講師と話しているうちに、時刻は夜の十時を過ぎていた。
中学の頃から塾へと行かされている卯月は、現在高校二年生の17歳である。
勉強は嫌いでは無いし、おかげで成績は常に学年上位と安定している。
卯月本人も問題がある人間では無い上に、家庭にもこれといった不自由があるわけでは無いので、『平穏』極まりない毎日を過ごしていた。
そんな卯月にとって、たった今憂鬱なのは、このまま疲れた身体を引きずって家に帰り、夕飯を食べて風呂に入ると、寝床につくのは深夜十二時過ぎになるであろうことだった。
せめても寝る直前、一日を締めくくる前に、友達と電話をするという自分の好きな時間が欲しかったのだが、それも叶わないようだ。
大通りの歩道から見える、そびえるビルの合間から覗く切り取られたような夜空は、強烈な町灯りに照らされているために薄黄色に染まって見えた。
ああ、いやだな。
ただそうとだけ思って、視線を前方に戻す。
(ん?)
道の先になにやら蠢いている小さな人影を見つけた。
街灯に照らされ、シルエットがほの暗く、夜道に浮き上がっている。
(……なんだろ、アレ)
歩みを進めると、人影の細部が自然と明瞭になっていく。
人影まで、あと数メートルというところで正体が分かった。
歩道に幼い女の子がしゃがんで、妙に大きな犬を可愛がっている。
少女は小学校、高学年ぐらいだろうか。
活発そうな短い髪にツーサイドアップが特徴的だ。
どうしてこんな時間に、そんな子がいるんだろう。
夜に小学生の少女が一人で、危ないなぁ。そう思って、卯月は少女に近付いた。
「こんな時間に、なにしてるの?」
卯月が話し掛けると、少女は肩を小さく跳ね上げて、やや怯えて固まった表情をゆっくりと卯月に向けてきた。
驚かせてしまったようだ。
悪かったかな、と思いながら卯月は少女に微笑みかけた。
「危ないよ。女の子がこんな時間に、一人でいるなんて」
卯月の微笑みを見て安心したのか、少女は表情を和らげた。
しかし和らげると同時に、少女は申し訳なさそうにシュンと俯く。
「ごめんなさい」
「その犬、キミの飼い犬?」
卯月はしゃがみながら少女に聞いた。
説教や注意でもされると思ったのだろうか。
少女は意外そうな表情をしてから、しかしすぐさま笑みを浮かべて答えた。
「いや、私のじゃありません。でも、この辺りをうろついてたから脱走でもしたんじゃないかなって」
「ふーん……なんか余程イヤなことでもあったのかなー」
言いながら卯月は、なんとなしに犬の頭を撫でつける。
犬は卯月の手から逃れようとはせず、舌を出し、尻尾を振って気持ち良さそうに身体を揺らした。
「この子お姉さんにも懐いてますね」
「人懐っこいのかな?」
「いや、お姉さんがこのワンちゃんを安心させてるんだと思いますよ」
「そうかなぁ」
「そうですよ」
「だといいなぁ」と呟きながら、卯月は少し、この犬をうらやましく感じていた。
(脱走、かぁ)
率直に行動へと移すことで、現状を打破しようとする努力ができる。
そんな人とは違う動物の行動力が、卯月はなんだか羨ましかった。
「……それにしても大きいね、この犬」
「セントバナードだと思います。大型犬ですね」
「よく知ってるね。犬好きなの?」
「好き、というか……可愛いくないですか?ワンちゃんって」
「まあ、確かに可愛いけど、だから好きなの?」
「はい。可愛いものはみんな好きですから」
少女の表情に、段々と活気付いてきた。
もしかして、と卯月は思う。
この少女は自分に話し掛けられて嬉しかったのだろうか。
「お姉さんはワンちゃん、好きなんですか?」
「うーん……好きか嫌いかって聞かれたら、好きかな」
そう答えると、少女は「えへへ」と朗らかに笑った。
それにしても、なんでこんな時間に一人で……と思い、少女の背中を見やった。
小さな背中に背負っているバッグ。
よく見ると、バッグには大手学習塾のマークが入っている。
ああ、なんだ私と同じか。
女の子に対し、卯月は妙に親近感が湧いた。
同時に、今時の小学生もこんな時間まで1日を勉強に費やされることに、少し呆れに近い感情を覚えた。
私が小学生の頃って、まだまだ遊び盛りだったような。
だからこそなのだろうか。
街灯に照らされる、犬と戯れている少女の表情は、とても幸せそうだった。
「お姉さん、高校生?」
「うん、そうだよ。あなたは?」
「……じゃあ、私いくつぐらいに見えますか?」
いきなり質問を投げかけながら、犬を抱いて少女はいたずらっぽく笑う。
その質問にやや驚いたものの、その笑顔から少女との距離がぐっと近くなったように卯月は感じた。
「うーん、十……二?」
「11でしたー、おしかったですね!」
少女は実に楽しそうに喋った。
その明るい表情を見ていると、卯月も気持ちが和らいでいく。
「あはは、11かー。じゃあ小五?」
「はい!」
嬉しそうに、元気よく返事をする少女。
「あの、私は赤城みりあって言います。よければお姉さんの名前、教えてもらえますか?」
少女の、みりあの突然の自己紹介に卯月は一瞬戸惑った。
しかし自己紹介をされ、更に名前を聞かれたということは、それ程までに安心できる、または記憶に残しておきたい人間と認められたということなのだろう。
卯月はそれを素直に嬉しく思った。
「みりあ、ちゃんか。見た目に似合った可愛らしい名前だね」
卯月が褒めるとみりあは照れくさそうに笑った。
それを(可愛いなあ)と思いながら、卯月も名乗る。
「島村卯月だよ。よろしくね、みりあちゃん」
「うづきさん……優しい雰囲気にぴったりな名前ですね」
「あはは、ありがとう」
……塾から出て行くの遅れてよかったかも。
一日を締めくくる前の自由時間は無かったが、塾を出るのに遅れたおかげで、いい出会いがあった。
趣味の友人との長電話よりも、もっと楽しくて有益な時間を過ごせたと思う。
そう思えるまでに、みりあには自分と気が合う印象を受けた。
そうして卯月は笑い合いながら、みりあとの会話を満喫していると、
いぬ美ー!自分が悪かったぞー!反省してるから帰ってきてくれー!
どこからともなく叫び声が聞こえて来た。
おそらく声の主は少女だ。
しかしどこから聞こえているのか、声はビルの合間を反響し、発した主の位置を分からなくさせていた。
「え?」
「なに今の?」
その声に反応してか、不意に犬がみりあの元から離れた。
卯月とみりあとは違い、犬はその声の出所を察知したのか、迷い無く走り出す。
みりあは突然の事に驚いて、反射的に犬を追い掛けようとした。
そして卯月は「あっ」と息を呑んだ。
犬は車道へと走り出し、それを追いかけて行くみりあも必然的に車道へと飛び出して行く。
犬と少女を照らす、眩いヘッドライトに、鳴り響くクラクション。
「危ない!」
叫んだ。
しかし卯月の叫び声は、けたたましいクラクションに掻き消されてみりあの耳には届かない。
卯月は我を忘れて駆け出し、叫びながら、必死にみりあに手を伸ばした。
気付いたら卯月とみりあは、殺風景な部屋にいた。
フローリングの床に白い壁、周りには何やら黒い全身タイツのようなものに身を包んだ男女が四人と私服の少女が二人。皆、自分達二人を興味深そうに見つめている。
彼等の背後、部屋の奥には巨大な黒い球が鎮座している。
全く状況が呑み込めない中、部屋を見渡すと窓からは東京タワーを中心にした夜景が見えた。
どうやら自分達は都内のマンションの一室にいるようだ。
余りにも突然の事に、卯月は声も出ない。
頭の中は、大量発生した疑問符に埋め尽くされて一杯になっている。
なぜ?
つい今まで私とみりあちゃんは外にいたはず。
なぜ気付いたらこんな場所に?
この人達は誰?
それに、あの黒い球は一体………。
卯月はまだ気付いていない。
自分の積み上げて来た『平穏』が、あっけなく、残酷に崩壊したことを。
以上です
一応画像を貼っておきます
島村卯月(17)
http://i.imgur.com/Ts8H0Tq.jpg
赤城みりあ(11)
http://i.imgur.com/zL2MlYr.jpg
お久しぶりです
長らく投下間隔を空けて申し訳ありませんでした
投下速度をもう少し早くできるよう心掛けていきたいので、今後ともよろしくお願いします
では投下します
「ンだここ……」「東京、か?」
「携帯使えるか?」「ううん、私のはダメ」
「俺もだ」「どうなってんだよ……」
女性と男性二人の三人組に、黒服を着た柄の悪い男二人は、部屋を見回し、携帯電話を出すなどして不安げに話している。
来たばかりの人間の反応は、大概そんなものだった。
加え、部屋の隅で黙って固まっている女子高生と小学生といぬ美。
それから南国を思わせる褐色肌をした外国人の少女。
部屋には、前回以上に多種多様な人間が揃っている。
転送されてきた当初の彼等の動向は、初めてここに来た時の真達とほとんど同じだ。
窓が開かないどころか触れないことを確認したり、携帯電話などが一切使えないことに驚愕したり。
一緒に転送されてきた人間と寄り添いながら不安げにやり取りを続ける姿は、否が応でも前回初めて来た自分とやよいを重ねてしまう。
やがて黒服の男二人が玄関へと向かった。
それを見た男女の三人組が釣られるように、恐る恐る部屋から顔を出して玄関の方を覗く。
「おいッ、開かねえぞ!?」
黒服達の苛立ちの籠もった声が聞こえてきた。
やはり扉も同じく触れないことを確認したのだろう。
どたどたと、乱暴に歩く音が聞こえてきた。
それに合わせるように男女の三人組がそそくさと顔を引っ込める。
「クソッ、どうなッてんだよ!」
黒服二人が怒鳴りながら戻ってきた。
「オイ誰か知ってんだろ!答えろコノヤロー!」
部屋の中の人間達を見回しながら怒鳴り散らす。
それに対する反応は様々。
女子高生達や褐色の少女、男女三人組は身体を強ばらせて押し黙っている。
やよいと真は赤羽根達の様子を伺い、赤羽根達は特に怯えた様子も無いが口を閉ざしたまま。
その沈黙に我慢ならないのか、黒服二人がまた何か怒鳴ろうと口を開けた。
じじじじじじじっ
丁度その時、ガンツから新たに二本のレーザーが照射された。
レーザーの切っ先に自然と注意が集まる。
転送を初めて見る黒服二人は、何が起きたのかと、開けた口を閉じることも忘れて、空中に書き出されていく人間の頭部を凝視している。
撫でつけられた健康そうな黒髪。
片方はエンブレムの付いた紺色の帽子……警察官の帽子だ。
現れたのは優しげな顔をした初老の警官。
そして刑事だろうか、スーツの上にトレンチコートを着た厳めしい顔つきをしている、オールバックの長身の男。
現在の『新規参加者』として転送された人数は10人。
自分達前回の生き残りと合計で17人。
人員は前回の倍に近い。
その全員が、決して広くないマンションの一室に集合しているため、いくらガンツ以外に物を置いていない殺風景な部屋と言えども、その空気は微かに息苦しさを覚える程になっている。
「また今回は随分と多いね」
「ああ」
増えていく『参加者達』を見やりながら、尾形と倉田もひそひそと話している。
それを耳に入れながら真は(そういえば)と、未だ口を開けたまま、食い入るように転送を見つめている黒服の男二人に目をやった。
背格好や、ここに来た時の振る舞いからして、決して良い人間では無いだろう二人組。
転送そのものに驚いたこともあるだろうが、それ以外にも何か不都合そうな顔をして警官と長身の男を見据えているのが、真には妙に気になる。
黒服二人と共に転送されてきた外国人の少女の存在も意味ありげだ。
その少女も、今ではやはり転送されてくる人間に目が釘付けになっているが、来た当初は部屋の片隅で恐怖に怯えたように縮こまりながら黒服の二人を睨みつけていた。
一体どういう関係なのだろう。
(もしかしてヤクザ……とか?)
拉致、強姦、人身売買------様々な推測が頭の中に浮かんでくる。
それらの推測をして真は一人で、黒服二人に対して仄かな恐怖を感じた。
しかし、すぐに思い直す。
これから始まることに比べてしまえば、そんなものに対する恐怖なんて些細なものでしかない。
公的機関の警察だろうが、社会の裏で何かしている者が来ようが、皆等しく理不尽な戦いに放り込まれていく。
やはり自分の力で、なんとかするしかない。
思い直して、真は一層憂鬱な気分になった。
やがて、警官等二人の転送が終わった。
部屋に転送されて来るなり他と同じく、やはり戸惑いを隠せない様子で部屋を見回す。
戸惑いつつも長身の男はふと、コートの中に手を伸ばし、中に着ていたシックなスーツの胸ポケットから、何やら革の財布のようなものを取り出した。
「あー、失礼……私はこういう者だが」
と断りを入れながらそれを、部屋を見る限り最も分かりやすく固まっているグループ-----ラバースーツを着た四人に見せつける。
真の立ち位置からもそれは見えたが、それは財布では無かった。
表面に貼り付いている、警視庁と彫られたバッジ。
出で立ちから想像できる通り、どうやら刑事らしい。
なにかの事件で死んでしまったのだろうか?
真の頭の中で、また想像が膨らむ。
「警視庁捜査一課、剣持勇だ。ここは……どこ、なんだ?」
剣持は、早速赤羽根達に質問を投げかけた。
だが窓から見える東京の夜景を見て、『ここはどこか』という自分の質問に疑問を覚えたのか、一瞬言葉が途切れかける。
冷静を取り繕っているが、内面では混乱している様子が見て取れた。
「それに君達、君達のその格好は一体……」
訝しげにラバースーツを顎で指す。
それに赤羽根が何か答えようと口を開きかけたが、その前に。
「警察サンですカ!?助けて下サイ!」
あの外国人の少女が、片言の日本語で叫びながら突然、剣持に飛び付いた。
不意を突かれた剣持は、悲鳴に近い声を挙げて踏みとどまり、混乱を露呈しながら少女に振り返る。
「な、なんだ君は?」
「ワタシ、あの二人に誘拐されテ!それからココにいたんデス!」
すっかり黙っていた黒服の二人組を指差しながら、少女はやや文脈がおかしい日本語でそう返した。
誘拐、という言葉に、部屋の中の空気が一挙に不穏なものへと変わる。
どうやら、真の推測は当たっていたらしい。
「は、はぁ!?」
視線が集まる中、黒服の二人は不意を突かれたように慌て始めた。
対して剣持はその反応を見て、逆に冷静さを取り戻したようだ。
「じゃあ君を……もしや我々をここに連れてきたのは彼等なのか?」
少女を自分から引き離しながら低い声で静かに聞き返すと、男達は慌てて口を挟んだ。
「ち、ちげえよ!冤罪だ、ンなもん!」
「俺達だって気付いたらここにいたんだよ!」
「嘘つくナ!」
褐色肌の少女は、剣持と警官に寄り添いながら叫ぶ。
しかし男達が舌打ちをして少女を睨みつけると、少女は怯えて、サッと警官の影に隠れてしまった。
「こら!やめろお前達!」と、初老の警官が少女を庇いながら、二人を叱り飛ばす。
「うるせえ!つうかむしろ怪しいっつったらやっぱアイツらの方だろが!」
黒服二人の、ひ弱そうな男の方がそう叫び返して赤羽根達を指差した。
確かに、怪しさで言ったらこの中でダントツに怪しい集団ではある。
剣持は黒服の二人に留意する様子を見せながらも、「確かにそうだが」と、目を細めて、赤羽根と祐喜を一瞥する。
しかし二人に特に敵意が無いことを察したのか、そのまま問い詰めはせず、剣持は周りにいる女子高生と小学生、男女三人組に視線を移して、質問を始めた。
「……君達はどうやってここに?」
顔を見合わせる5人。
戸惑う中、恐る恐ると答えたのは男女三人組の一人、顔の整った茶髪の男だった。
「いやあの、俺達三人は、ある劇団の劇団員なんですけど、団員が泊まる寮が火事になって……火に囲まれて『もう駄目だ』ってなったんです。
でもそれで気付いたら、いつの間にかここにいて」
剣持は眉を潜めながらも、特に追及はせずに「そうか」と頷く。
それから剣持は三人に名前を聞いた。
劇団員の三人は戸惑いながらも一人ずつ名乗る。
金髪カチューシャの男が『三鬼谷巧』。
顔の整った茶髪の男が『城龍也』。
黒髪の女性が『絵門いずみ』。
それから流れで、最初に来た女子高生が、小学生の少女といぬ美との出会いからここに来る直前の記憶までを話した。
その説明の中で、『島村卯月』と『赤城みりあ』という二人の名前も明かされた。
(……ということは、今頃響は大騒ぎしてるんだろうな)
みりあと卯月の傍らで、大人しく伏せているいぬ美を見やりながら、真は、前にペットに逃げられた時の響の姿を回想した。
響は時折余計なことをしては、怒ったペットに反抗されるのだが、卯月の話を聞いた限りだと今回もそのようだ。
ただ、いつもは最終的にペットと和解して事無きを得る。
だがまさかそうなる前に、いぬ美がこんなことに巻き込まれているとは、響は夢にも思ってないだろう。
(……なんとかして生かして、家に帰してあげないと)
このまま『家族』と称すいぬ美が行方不明だなんてことになったら、あの元気印の響がどうなるか分かったものではない。
それを防ぐためにも、いぬ美も守らなければ。
決意を固める真とは別に、剣持の質疑は続く。
状況も相まって、その姿は刑事というより推理小説などに出てくる探偵のようだ。
「それで……君は?」
視線を下げて、優しげな声で剣持は聞いた。
質疑の対象は警官の背中に隠れている、『誘拐された』と言った褐色肌の少女だった。
少女は黒服の男二人を怯えた目で睨んでから、視線を警官と剣持に戻す。
黙ってはいるが、どうしたらいいか分からない、というような表情をしていた。
「大丈夫、お巡りさんと刑事さんがいるから」
初老の警官が少女の気持ちを察して、優しげにそう言い聞かせる。
それを聞いた黒服二人は、たまらず「おいッ!」と少女を脅した。
しかし少女は警官の目を見て頷くと、脅すように睨みを利かせる男達に怯えながらも、たどたどしい日本語で話しだした。
「わ、ワタシはナターリアと言いマス。ブラジルからニホンに留学で来て……原宿を歩いてたら、アノ二人に連れて行かれテ……」
それからのナターリアによって語られたことは、真の推測を裏切らず、そして他の参加者達の表情を失わせるに充分な内容だった。
周りからの警戒心が明らかに強まっている中、男二人は苦虫を噛み潰した表情で、剣持とナターリアを睨んだ。
「ヤクザか、お前等」
ナターリアの話の後、剣持は更に厳めしくなった顔で、黒服二人を睨み付けた。
「だからどうしたってんだよ」
「……話を聞いた限りだと、逮捕は免れないが、お前達もここに連れてこられただけのようだな」
「さっきからそうだっつってんだろ」
ひ弱そうな方が吐き捨てるように返すと、剣持はようやく、今まで黙っていた赤羽根と祐喜に向き直る。
それに合わせて、全員の視線が二人に集まった。
「となるとやはり君達が引っかかるな。
その格好はなんなんだ?そこの黒い球と関係あるのか?」
スーツもガンツも似たような見た目と雰囲気を持っているからだろう。
早くも関連付けられてしまった。
「いや、これはその……」
「説明が……」
何を戸惑っているのか、赤羽根と祐喜は困った顔をして目を見合わせ、言いよどんでいる。
「説明?やっぱり何か知っているんだな?」
剣持が声を低めて、二人に詰め寄る。
祐喜と赤羽根は、更にばつの悪そうな顔になり、ガンツを一瞥した。
もしかして手っ取り早く、自分達で説明する取っ掛かりとしてガンツのミッション開始の合図を待っているのだろうか。
「我々をここに連れてきたのも君達なのか?」
剣持は更に威圧感を出して、祐喜を見下ろした。
「いや、それは違います、はい」
随分と歯切れ悪く、祐喜が否定する。
「違う?じゃあ仲間が他にいるのか?」
言い方からして、完全に赤羽根や祐喜達を犯人として見なしているようだ。
「それに私達も含めて、どうやら皆死ぬ直前にここに連れてこられたようだが、一体どうやった?」
剣持の質問に、祐喜と赤羽根は沈黙している。
真とやよいは、それに祐喜と赤羽根がどう答えるのか、固唾を飲んで見守っていた。
沈黙が長引けば長引くほど、刺すような視線は鋭さを増していく。
ガンツは一向に『ラジオ体操の歌』を歌いださない。
やがて、集まる視線と取り囲む沈黙に観念したように、祐喜がおずおずと口を開いた。
「信じてもらえないでしょうが……皆さんをここに連れてきたのは、僕たちでは無く、この球です」
言いながら、祐喜はガンツを指差す。
案の定、剣持も警官も目を丸くして「は?」と聞き返してきた。
まるでその会話に反応したかのようだ。
あーたーらしーい あーさがきたー きーぼーうの あーさーだ
例の『ラジオ体操の歌』が、そこでようやく流れ出した。
中途半端ではありますが、今回はここで切ります
ではまた
お久しぶりです
投下速度を上げると言ったそばから間を空けて申し訳ありません
ようやく丁度いいところまで書き溜めが出来たので、しばらくぶりに投下します
祐喜とヤクザの一幕はそれなりに効果があったようで、多くの新参者達が不安がりながらも自分に与えられたスーツを着ていった。
真っ先にガンツからスーツケースを引っ張りだしたのは劇団員の三人。
さすが劇団員と言うだけあって様々な衣装を着ているからだろう、スーツを着ること自体への抵抗感も余り無いようだ。
剣持と警官は不審に感じている様子を見せながらもそれに続き、それぞれ拙い字で『デカ』『ポリ公』と書かれたスーツケースを持って玄関に向かった。
いぬ美にも『犬』と一文字だけ書かれたケースが用意されていた。
確認すると中には、いぬ美の身体にしっかり合った犬型のスーツに、小さなブーツが四つ入っていた。
無論、いぬ美が自分自身でスーツを着ることはできない。
なので、いぬ美に関しては、既にスーツを着ていたやよいと祐喜が、スーツを着させている。
ブラジル人少女、ナターリアはそそくさとスーツを着て、今では部屋の隅で『サンバ』と書かれたケースを抱えて縮こまっている。
唯一スーツを着る様子の無いヤクザの二人は、祐喜を殴って拳を痛めたこともあって、敵意の籠もった目で尾形や赤羽根達四人を睨みつけるだけに終わっていた。
そしてスーツは持っているものの着てはいない真は皆に取り残される形で、最初に転送されてきた卯月とみりあの三人で着替えることになった。
必然的に卯月とみりあを引き連れて玄関に向かう真だったが、心中はそれどころでは無い。
どくっ、どくっ、どくっ、どくっ
あの場違いな『ラジオ体操の歌』を聞いて以来、心臓が早鐘を打ち続けている。
頭の中ではあの文章と、新たな標的『のっぺら星人』の画像だけが渦巻いていた。
(や、ヤバい……何も考えられない……)
真自身も混乱していた。
一度は吹っ切れたと思ったのに、実際はそうでもなかったようだ。
いざ現実を迎えると、緊張なのか恐怖なのか、とにかく脳内が何かに満たされて痺れてしまっている。
無心状態で玄関まで来て、真は床に荷物を置いた。
卯月とみりあは顔を見合わせながらもそれに倣い、玄関横に設置された空の靴箱の上に荷物やスーツケースを置く。
機械的にバッグを開いて、中を覗く。
開け口から覗いた物を見た瞬間、真の頭の中から痺れが抜けた。
「………あ」
思わず声が漏れた。
それは、今日春香と雪歩とともに買っていた衣服だった。
そう言えばここに来る前までの動向を、渋谷に買い物に行っていたことをすっかり忘れていた。
透明なビニールに包まれた、白を基調とした可愛らしいワンピース。
(そうだ、せっかく買ったんだ)
ビニール越しに、白いワンピースを手でなぞりながら真は歯を噛み締めた。
(……これを着るためにも生き残らなきゃ)
とりあえずでも決意をすると、真は白いワンピースを避けて、その奥にあるワンピースとは対照的な黒いラバースーツを掴み取った。
「……本当に、ここで着替えるんですか?」
不意に卯月が、玄関を見回しながら聞いてきた。
「あ、ああ、うん」
二人の存在を半分忘れていた真は、どもりながら頷き、バッグからスーツを取り出した。
その真の肯定に、二人は嫌そうに少し眉を潜める。
それもそうだ。
見ず知らずの家の玄関で着替えをするだなんて馬鹿みたいな行為に、抵抗感を感じない訳が無い。
しかし真がスーツを置いて、何気ない顔で服を脱ぎ始めると、二人も戸惑いはあるようだが特に文句は言わず、それに続いて衣服を脱ぎだした。
シャツまで脱いだところで真は、なんとなしに二人のケースの表面を見やった。
卯月のケースには『ぱんぴー』、そしてみりあには『ロリ』とあだ名が書かれている。
(ロリ、は分かるけど……『ぱんぴー』って?)
『ぱんぴー』とは一般ピープルのことだろうか。
なぜそう名付けられたのかは知る由もないが、それが彼女と何かしら関係のあるものなのは間違いない。
ただ、スーツケースをガンツから取り出す時、卯月が自分の『あだ名』を見て眉を潜ませていたことを思い出すと、名付けられた本人もその理由はよく分かっていないようだ。
(あ……そうだ)
上半身の上着を全て脱ぎ去ったところで、真はふと思い立った。
「下着とか着てると、このスーツ着れないから気をつけてね」
脱衣中の二人に注意を促す。
すると二人は動きを止め、呆けた表情を真に向けた。
「つまり、全裸にならないと着れないんですか?」
卯月の言葉に真が首を縦に振ると、二人はやはり不満げに首を傾げつつも、脱衣を再開した。
制服のブレザーを脱ぎ、Yシャツのボタンを二、三個外す。
しかしそこで、卯月は再び手を止めた。
「あの、隠しカメラとか……無いですよね?」
「無い無い、無いよ」
予想だにしなかった質問に、思わず苦笑しながら真が否定すると、卯月は相変わらず嫌そうな顔をして、いそいそと脱衣を再開した。
(……多分ね)
心の中で、そう付け加える。
仮に誰かに隠し撮りされていると考えると、真も鳥肌が立つくらいの嫌悪感を覚えるが、確証は無い。
見た限り、どこにもカメラらしき物は無いし、こんな場所で誰かが盗撮しているとも思えなかった。
とは言えど、聞かれると確認せずにはいられず、真も目だけを動かして玄関を見回した。
「あの……」
真がズボンを脱いだところで、聞き覚えの無い声に話しかけられた。
話しかけてきたのは、今まで黙っていた赤城みりあだ。
妙に期待の籠もった目で自分を見つめている。
「聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
話したいことは、みりあの顔を見てすぐに分かった。
真のことを、『アイドル』だということを確認したいのだろう。
(気づかれちゃったかな……まあ、それもそうだよね)
しかし、確認を突然するのでは無く、ちゃんと指示を仰ぐ辺り、幼くあどけない見た目とは裏腹にしっかりした子のようだ。
みりあに対しては話しても問題無いかもしれない、と真はもう一方の卯月の顔を窺った。
卯月の方は、相変わらず状況を上手く飲み込めていない、なんともいえない表情で真を見返してきた。
……多分、大丈夫だろう。
そう判断し、みりあに「うん、いいよ」と返した。
真から許しが出ると、少女はやや口ごもりながら恐る恐ると、言った。
「菊地真、くんですよね?」
「……え?」
卯月が声を漏らして手を止めた。
(でも………『くん』か)
くん付けされることには慣れているが、どうしても意識せざるを得ない。
やはり『男の子のような女の子』と売り込みは、世間からの目をしっかりとその通りにさせているようだ。
溜め息を吐きたくなる気持ちを抑えて「うん、そうだよ」と答える。
「やっぱり!」
みりあはそれまでの不安げな顔から打って変わって、屈託のない笑顔を咲かせた。
「え?えぇぇ!?そうだったんですか!?」
笑顔のみりあの横で、ようやく事実を理解した卯月が、大声を上げて驚いた。
慌てて真は人差し指を立てて、卯月に静かにするよう促した。
「しーっ!余り大きな声は出さないでよ」
言いながら、真はガンツ部屋の方を一瞥する。
いずれはバレるのだろうが、今ここでアイドルと分かったら、ヤクザやら警察やらがいる現状が更にややこしいものになりかねない。
生死に関わる問題に直面している中、それは避けたかった。
「す、すいません」と、卯月は申し訳無さそうに謝ってから、スカートを脱ぎ始めた。
上を全部脱いだみりあは、ラバースーツの構造に戸惑った様子を見せつつも、上半身を包む部位に身体を通し始めた。
真もブラジャーを外して、上半身をラバースーツに通す。
頭をラバースーツから出したところで、ほぼ同時に上半身を着たみりあが、再び質問をぶつけてきた。
「……それで隣にいた人は、高槻やよいちゃん、ですよね?」
今度は『ちゃん』付けだ。
(……いいなぁ、やよい)
しっかりと『女の子』として認めてもらえているやよいにすら、少しのジェラシーを感じてしまう。
そんな自分を惨めに思いながらも「うん」と答えた。
「えぇぇえ!?」
再び卯月の叫び。
今度は真の静止が入る前に、みりあが突っ込みを入れた。
「だから卯月さん……」
「ご、ごめん」
みりあから呆れた表情を向けられ、さすがに恥ずかしくなったのか、卯月は顔を赤らめさせて俯く。
「でも私、全然気付けなかったです。まさかホンモノの菊地真さんだなんて」
卯月は顔を上げ、未だ驚いている表情で真に向けた。
「二人もここにいるってことは、やっぱり……?」
「うん、ボクとやよいも、今日より一週間以上前に……事故で死んで、ガンツに呼ばれたんだ」
卯月に答えた途端、真の胸の内に暗雲が流れ込んだ。
ガンツ関係のことは部屋にいる人間以外には言えないために、自分の口から自分が事故死したことをはっきり言ったのは、今が初めてだ。
言ってはみたが、勿論いい気分にはならない。
一度死んで、ガンツに身を縛られているということを自分から肯定したようだ。
「一週間前……」
「全然最近じゃないですか」
と、みりあと卯月。
パンツに手を掛けながら真は頷いた。
「うん、だからボクもやよいも、まだ分かってないことが多いんだけど……。
ボク達以外の、赤羽根さんや祐喜さん、その後ろにいた二人はそれよりも、もっと前から、この部屋で戦ってるらしいんだけどね」
女子同士とは言えど、脱衣所でも無い場所で下半身を見られるのは恥ずかしいため、急いでパンツを脱ぎ、スーツを着て素早く下半身を隠す。
「赤羽根さん……?さっき説明してた人達のことですか?」
質問しながら、卯月はスカートを履いたままパンツを下ろす。
そのままラバースーツの下半身部分に足を通し始めた。
真はブーツとグローブをはめながら、それに答えた。
「あ、うん。眼鏡を掛けている方が赤羽根さんで、掛けてない方が祐喜さんって言うんだ。
二人の後ろにいた人達は、分かるよね?」
「あ、はい」
返事をしながら、卯月はスカートを下ろした。
「金髪と茶髪の女の人が尾形さん、坊主頭の男の人が倉田さん。
四人ともボク達よりずっとガンツのことを知ってると思うし、尾形さんや倉田さんは分からないけど……赤羽根さんと祐喜さんは良い人だし頼っていいと思うよ」
一応赤羽根と祐喜を良い風に紹介はしたが、先程の祐喜の冷ややかな態度から、それが信用されるかどうかは分からない。
ただ卯月は「なるほど」と当たり障りの無い返事をして、ブラジャーを外して上半身をスーツに通し始めた。
「それで……お家には帰れるんですか?」
とグローブをはめながら、みりあは不安げに聞いてきた。
気になるだろう。それも当然だ。
「うん。……さっき言ってたガンツのミッションをクリアすれば、みんな部屋に戻されて、そうすれば家に帰れるようになるよ」
ただそのミッションというのが、正体不明の生命体との命がけの戦いなのだが、それを言ったところでこの二人に実感が湧くはずも無い。
それに、真自身がミッションに対して気構えがなっていないのに、二人に言ってやれる言葉も当然だが見つからなかった。
「ミッションって、その祐喜さんって人が言ってた……命がけとか、死ぬとか言ってたけど……」
思い返して、不安になったのだろう。
みりあは顔を俯いて呟いた。
顔色も若干青ざめているように見える。
そのみりあを励ますように、卯月は小さな肩を抱き寄せた。
しかしその卯月の表情も、決して明るいものでは無い。
「全部現実、なんですか?
私達が死んだのも、その、これからよく分からないものと、命を賭けて戦うっていうのも」
自分の言葉を確認するような口調で、卯月が聞いた。
「まだ信じられないだろうし、ボクも未だに認めたくないけど……全部現実だよ」
「ドッキリとかでもなくて?」
真が頷くと、卯月の表情に一段と濃い影が落ちた。
だがドッキリや夢では無い。残念ながら、それは確かだ。
寄り添い合う卯月とみりあを前に、真は何も言えない。
三人を包み込む沈黙が、どんどん重みを増していった。
どくん、どくん、どくっ、どくっ
それに呼応して、また真の中で心音が大きくなってきた。
(ま、また……)
このままではこの空気に呑まれて、どうにかなってしまいそうだ。
たまらず、真は口を開いた。
「……く、詳しい話はまた後で赤羽根さんと祐喜さんがしてくれると思う。
ところで、改めて君達の名前を聞きたいんだけど、いいかな?」
「あ……はい。
私は島村卯月。卯月でいいです」
「赤城みりあです。私も、みりあって呼んでくださいね」
元気は無いなりにも自分を奮い立たせているのか、二人とも真に対して精一杯微笑んでみせた。
「みりあちゃんに、卯月ちゃん」と二人の名前を呟き、真も二人に笑いかける。
「よろしく、二人とも。
ボクのことも名前で呼んでいいよ」
真への敬い故か、二人は「よろしくお願いします」と声を揃え、ぺこりと頭を下げた。
「うわぁっ!?」
「なんだこれ!?」
その時、部屋の方から新参者達のどよめきが聞こえてきた。
「……え?」
「な、なんでしょうか?」
驚く二人を尻目に、真の脳内には前回の記憶が蘇っていた。
「……多分、転送が始まったんだ。取り敢えず二人とも戻ろう」
今回は以上です
短いですが投下します
部屋に戻ると案の定、転送が始まっていた。
既に何人かの転送が済んだようで、部屋にいる人数が明らかに減っている。
赤羽根の隣に腰辺りまで消えている男がいるが、体格を見たところ祐喜だろうか。
「ばうっ、ばうっ、ばうっ!」
いぬ美は消えて行く人を警戒して、激しく吠えている。
転送そのものを始めて見る剣持と警官は、口を開けたまま絶句していた。
「転送されたらそこから動かないで下さい」
赤羽根が緊張した面持ちで言った。
「て、転送って、どこに行くんですか?」
やや裏返った声で赤羽根に聞いたのは城だった。
得体が知れず、行き先も分からない転送にやはり不安を覚えるのだろう。
「分からないですが、決まって都内のどこかに行きます」
赤羽根がそう返すと、城は切羽詰まった顔をして何かを言いかけた。
「きゃぁっ!!」
しかしそれは絵門の短い悲鳴によって遮られた。
「う、うわぁっ」
怯える絵門の視線の先で、劇団員仲間の三鬼谷が脳天から徐々に削られ始めている。
「ま、真さん!」
聞き覚えのある声に、真はハッとして振り向く。
見ると、やよいも頭頂部から順々に消え始めていた。
「……大丈夫だよ、やよい」
真はやよいの両手を優しく握り、やよいの耳が消える前に優しく呼び掛けてやった。
そうして、やよいの転送を見届けていると、
「あっ!」
「ま、真さんも!」
みりあと卯月が、焦った様子で真を指差している。
……来たか
二人よりかは幾分か冷静に、しかし心中では例の拍動がアラームのように鳴り続けている中、真は黙って転送が終わるのを待った。
髪の毛が外の風を受けて揺らぐ感覚に、直後、視界がガンツ部屋から外の景色へと移っていく。
今度は一体どこだ。
額から下へ下へ、夜の冷えた外気が包み込んでいく。
マンションの一室から、広々とした外へ。
待ち構える真の視界に映ったのは、幅の広い整備された綺麗な道路に、脇に建つ巨大な建物、闇に煌めく幾つものネオン。
なぜか人通りが少ないが、前回の簡素な住宅街とは違う、開発された土地であることに間違いない。
まだ肩までしか転送されていないが、辺りを見回す。
周りには、先に転送されたヤクザやナターリ、三鬼谷が、所在なさげにそこらをうろついている。
その向こう、真達に一番近い建物を先に転送されていた祐喜、尾形、倉田が見上げている。
(……あれって)
真にも、その建物に見覚えがあった。
いつか他のアイドル達と遊びに行ったこともある。
青や緑の光で美しくライトアップされた、巨大なショッピングセンター。
江東区、豊洲にある『ららぽーと豊洲』だ。
「真さーん」
先に転送されたやよいが、緊張した面持ちで真を呼んだ。
足先まで転送が完了したことを確認してから、真は感触を確かめるように、ざりざりとアスファルトを足で擦った。
「真さん、ここってー事務所のみんなでも来たことありますよね?」
「うん……ららぽーと、だよね。ここ」
「ですよねぇ。
……もしかしてのっぺら星人って、あのららぽーとの中にいるんでしょうか?」
言われて思わず「え」と呟いた。
それから、敵がどこにいるのかなんてことを転送されて早々に考えているだなんて、と真は驚いた。
普通に考えれば、画像ではマネキン人形のような見た目をしていた星人が存在するには、ショッピングモールはうってつけの場所だろう。
自分よりやよいの方が圧倒的に冷静なのかもしれない。
それを認識すると、なぜか今度は焦りが込み上げてきた。
それを無表情で隠しながら真は答える。
「かも、ね。多分祐喜さんとかは知ってるんじゃないかな」
やよいと話している間も、続々と部屋から人々が転送されてきている。
ららぽーとを見上げていた祐喜や尾形、倉田に、いつの間にか赤羽根が加わっていた。
だが、卯月やみりあに、いぬ美はまだ転送されてきていないようだ。
「……とりあえず、ボク達も赤羽根さん達の話を聞いてみようか」
「そうですね」
頷き合い、二人は話し合う四人の元へと向かった。
以上です
投下します
塾の帰りに赤城みりあと、あのセントバナード犬と出くわしてから一時間ちょっと経っただろうか。
島村卯月は、刺激的で暴力的で、何より奇妙な夜を体感していた。
レーザーを介して人が書き出されたり、超常的な能力を持つというラバースーツを着せられたり、あげくはこれからよく分からない生物と戦闘を行うらしく、まるで映画やマンガの世界に来てしまったようだ。
更には、あの今をときめくアイドル、菊地真に高槻やよいとの邂逅を遂げてしまった。
大きな不安を感じる傍ら、アイドル達との邂逅からいよいよこれはテレビのドッキリ番組とかの収録なんじゃないかと、仄かに思い始めたところだ。
また『転送』が始まり、部屋から次々と人が消えて行った。
そして今現在。
卯月は、気付けば外にいた。
周りには高層ビルが点々としている。
目の前には光に彩られた『LaLa port』という文字が目立つ、横広がりに巨大な建物。
(らら、ぽーと?)
卯月自身はあまり行ったことが無いが、テレビ番組でもたまに取り上げられているので、どういう場所なのかは知っていた。
端的に言うならば、巨大なショッピングセンター。
昼間なら家族連れだとか、カップルだとかで溢れかえっているのだろうが、夜は人通りがほとんど無く、閑散としている。
東京湾の開発された地区と言えど、都心の新宿等とは違い、さすがに夜まで活気づいている訳では無いようだ。
遠くから車の走行音が微かに聞こえてくる程度で、周囲に人がいる様子は全く無い。
代わりにいるのは、全身をラバースーツに包んだ人々。
それが合間って、あまり珍しくないネオンに彩られた建物も、なんだか見知らぬ雰囲気を纏っている。
不思議で、不気味な光景だった。
なんだか別の惑星に来てしまったような、奇妙な疎外感を感じて、思わず身が竦んでしまう。
理解を超えた状況の中、目に映る全てが卯月を不安な気持ちにさせていく。
「……卯月さん」
呆然と立ち竦んでいると、背後からか細い声で呼ばれた。
振り返ると、空中に胸元辺りまで出現しているみりあが、こちらを心底不安げな目をして見ている。
「みりあちゃん!」
自身も感じていた心細さから、卯月もみりあの元に駆け寄った。
「……なんだか、嘘みたい」
みりあは書き出されて行く自分の足先を見つめながら、呟いた。
「私も、そう思うよ」
無論、卯月も同じ気持ちだ。
これは夢なんじゃないか、そう思えてならない。
だが、この夜の涼しげな空気、東京湾から吹いているのであろう強い風。
卯月の感覚器を刺激するそれら全てが、これが紛れも無い現実である事を示していた。
「ばうっ」
犬の鳴き声。
見ると、あのセントバナード犬も自分達の近くに転送されてきている。
「あっ、わんちゃん!」
犬は、転送が終わるのも待たずに、まだ現れていない足をパタパタと動かして、みりあと卯月の元に駆け寄ってきた。
尻尾を振ってみりあに撫でられている犬の姿は、卯月の不安を溶かしていく。
この状況の中で、この犬は唯一の癒しだ。
どうやら最後に転送されてきたのがこの犬らしい。
周りにいる人々の顔ぶれを見る限り、これで部屋から全員の転送が済んだようだ。
「……あ、真さん達は?」
犬を撫で回しながらみりあが呟いた。
言われて「そういえば」と周りを見回すと、真とやよい、それに祐喜達六人はららぽーとの前に集まっていた。
何か話し合っているようだ。
「あそこにいますね。……何話してるんだろう」
「何か、打ち合わせとかかな?」
「その、みっしょん、のですか?」
「かな?わかんないけど」
遠目に六人を見ながら話していると、その集まっている六人の中から突然、眼鏡を掛けた男が叫んだ。
「あっ、ちょっと!」
真いわく赤羽根という名前らしい男の声に、皆が振り向く。
見ると、あのヤクザ二人、加えて劇団員の三人が歩道に沿って、この場から離れようとしていた。
引き止められるも五人は足を止めず、その中でヤクザ二人が攻撃的な目つきを赤羽根達に投げかける。
「るせーな!誰が付き合うっつんだよバカヤロー!」
罵り、気弱そうな顔つきのヤクザが中指を立てて見せた。
「だから!」
ヤクザ達の態度に、一瞬呆れたような表情を浮かべながらも、赤羽根が諦めずに声を掛けようとする。
ピンポロパンポンピンポロパンポン
しかしそれを遮り、どこからともなく軽快な電子音が聞こえてきた。
ピンポロパンポンピンポロパンポン
電子音は一向に鳴り止む気配が無い。
(なにこれ。携帯の、着メロ?)
卯月はそう思ったが、場違いなそのメロディーに、新参者達が皆お互いを見合っているところを見ると誰も携帯など持って来てはいないようだ。
それに、そのメロディーはやや遠くから鳴っているように聞こえた。
それもちょうど、ヤクザや劇団員達がいつ場所辺りから。
「なんだろ、この音……」
卯月達が戸惑っていると、「止まれー!」と、さっきよりも増して随分と必死な様子の叫び声が聞こえてきた。
その声は祐喜……という名前らしい、男のものだった。
「それ以上進んじゃ駄目だ!」
「戻ってきてください!」
隣にいた真もそれに合わせて呼び掛け始める。
そして何故か、やよいはその少し後ろで、手を口に当てて青ざめた顔で遠くにいる五人を見ていた。
尾形と倉田は腕組みをして、冷たい表情で歩み去る五人を見つめているが----それ以外の、赤羽根や真の様子を見る限りだと、どうやらまずい状況であることは確かなようだ。
その焦りように卯月達も不安になる。
「るっせんだよバカヤロー!」
「フザケた音流しやがって!うるっせんだよ!」
しかし、劇団員の三人はともかく、ヤクザの二人はそれに聞く耳を持つ様子も無い。
「それ以上行くと、頭が爆発します!戻ってきてください!」
頭が、爆発?
祐喜の叫んだ物騒なワードが引っかかり、卯月は頭の中で反芻する。
その言葉に反応したのは卯月だけでなく、剣持や警官、劇団員の三人も、信じられないというような表情で眉を潜めて、祐喜を見やった。
脅し文句とも取れるそれに、流石のヤクザも頭にきたのか、歩きつつも振り向き、祐喜に叫び返す。
「あぁ!?脅しのつもりかクソ野郎!」
「じゃあ頭吹っ飛ばしてみろっつんだよ!コの、ひゃ ろぉお」
不意に、気弱そうな風貌をした方のヤクザの語尾が、空気を抜いたような力無いものになった。
それを卯月が認識した直後。
ばんっ
破裂音と共にヤクザの頭が消え、代わりに赤い飛沫が飛び散った。
「え?」
卯月は無意識に、声を漏らした。
それから身体が凍りついたように動かなくなる。
ピンポロパンポンピンポロパンポン
皆が黙り込み、電子音だけがけたたましく鳴り響く中、頭を失ったヤクザの身体が、音をたてて背中から倒れる。
なに?なにあれ?
遠くてよくは見えないが、倒れたヤクザの首元から赤い液体が地面に飛び散る。
あれは……血?
卯月が『それ』がなんなのか、理解した頃に。
「う、うぁ……うあああああああああああああ!!」
頭を無い死体の隣で、血飛沫を直に受けたもう一人のヤクザが、悲鳴をあげながら尻餅をついた。
それを皮切りに、卯月の凍りついた思考も解放され、直ぐに猛烈な恐怖と嫌悪感が襲ってきた。
「いやっ、いやあああああああ!!」
叫び、凄惨な光景を見ないようにと顔を伏せ、傍らで呆然としていたみりあに抱きつく。
みりあも反射的な所作で、卯月の身体に腕を回して抱きついてきた。
だが卯月と違って悲鳴はあげずに、自分を落ち着けようとしているのか大きく荒い呼吸を繰り返している。
「うわああああああ!」
「きゃあああああああ!」
辺りに、他の参加者達の悲鳴がこだます。
「戻れ!そこから先に行くな!」
「戻れって!!」
悲鳴の中に聞こえる、祐喜、赤羽根のものと思しき怒号。
ばぁん
その中で、再び破裂音が聞こえてきた。
「きゃあっ!」
そこでみりあが初めて、短い悲鳴をあげた。
尚一層強まる周りの悲鳴。
混乱しながらも卯月は何が起きたのかを理解し、みりあとお互い震えながら、惨状から目を背けようとより強く抱き合う。
座り込み、抱き合う二人の周りでは、残った整った顔立ちをしているヤクザ、そして絵門いずみと城龍也が悲鳴をあげながら走り戻ってきていた。
もう、あの軽快で不気味な電子音は鳴り止んでいる。
そして一同より離れた場所には、首の無い二つの遺体。
片方はヤクザ、そしてもう片方は、混乱の際にエリア外へ出てしまった三鬼谷巧のもの。
電子音が止んでから、しばらくして参加者達の悲鳴も止んだ。
それから聞こえるのは、恐怖と混乱を落ち着けようとする深く荒い呼吸と、何人かの嗚咽。
開始五分足らず。
『のっぺら星人』ミッションは、凄惨な形を持ってして、幕を開けた。
以上です
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