P「真美が、俺にキスをねだってくる……」(330)
代行ID:1TzYgdVk0
ありがとう! めっちゃ長いオナニーするね、ごめんね
ちゅる……ぴちゃ、 ちゅぶぶ……。
お互いの唇が離れるほんの小さな瞬間だけに響く音と、熱くぬるぬると濡れた感触だけが、俺の感じられる全てだった。
真っ暗で、世界の色彩がきちんと働いていないような、そんな冷たい部屋の中。
そのとき俺と真美は、ただお互いを慰めるだけの、“ごまかし”のキスを繰り返していた。
「ん、兄ちゃん……」
少し鼻にかかる、甘えた高い声でそう言って、真美は俺に再びキスをねだってくる。
いつものことだ。
初めてのキス。
その言葉は多くの子供たちにとっての憧れで、甘くて、嘘のようにロマンチックな響きだ。
しかしながら真美にとっての初めてのキスは、それが行われたのがあまりにも色気のない場所であったこともあり、
決してそんな夢の言葉で表すようなものではなかったように思える。
俺がこう言うと、ファースト・キスを捧げたばかりの真美はこんなことを言っていた。
「兄ちゃん、真美は夢の言葉なんていらないよ。だって、夢は朝になれば、光になって空に解けてしまうんでしょ?」
たしかに彼女には、夢みたいな言葉は必要なかったのかもしれない。
いたずら好きで、いつまでも子供だと思っていた真美は、いつの間にかひとりの大人の女になってしまっていたのだ。
俺はそのときまでそんなこと知らなかった。そんなこと、誰も教えてくれなかった。
大事なことに気付くのはいつだって手遅れのタイミングだ。ほとほと自分が嫌になる
――――――――――――
――――――
―――
「兄ちゃ~ん……元気だしなよ」
「そうだよそうだよ、兄ちゃんは悪くないってー!」
真美と亜美が、ふたりで俺を囲んで慰めてくれている。
俺のせいだと言うのに、最も迷惑がかかった当人たちはどこ吹く風だ。
俺はあの時、とても大きなミスをしでかしてしまった。
律子のプロデュースする多方面に人気のユニット、竜宮小町。
悲しみの過去を乗り越えた歌姫、如月千早。
溢れる才能を努力で昇華させる喜びを覚えたカリスマ、星井美希。
765プロにも看板と言えるアイドルがようやく生まれ、ニューイヤーライブも大成功に終わり、よしこれからだというときに。
俺のミスによって、765プロがコツコツと積み重ねてきた信頼は少しだけ崩れてしまった。
しかし当たり前のことではあるけれど、一度失ってしまった信頼を再び取り戻すのは非常に難しい。
その大きさに関わらずだ。
信頼はいつだってプラスかマイナス。
それが減るときは例外なく、ゼロではなくマイナスになるのだ。
間違いなく、今表面上に見える変化以上の損害が未来に起こる。
とんでもないことをしてしまった、という思いが当時の俺の全てだった。
コソコソ
春香(ホッ・・・良かったぁ小鳥さんプロデューサーさんのこと狙ってなかった)
春香(でもこのチョコどうしよう・・・撫でられたのが嬉しくて逃げちゃって渡しそびれちゃったよー!)
春香(・・・明日渡しても意味ないしー!)
美希「春香何コソコソしてるの?」
春香「え!?何で美希が?」
P「ん?なんだ春香まだ帰ってなかったのか・・・って何で美希までいるんだ」
美希「アハ☆」
P「アハ☆じゃねー!今日オフじゃなかったのか」
美希「今日は何の日でしょー」
P「Valentine day」
小鳥「発音いいですね」
悪いミスった
「よーし真美、亜美たちのせくち→な魅力で兄ちゃんを元気にしてやろうぜ!」
「がってん亜美! んっふっふ~、兄ちゃん覚悟しといてよね!」
ええいうるさいうるさい! と言って、俺はわずかに残った元気を搾り出し、腰に肩にとまとわりつく双子を引き剥がした。
「ははは、いやーすまんすまん! お前らに心配されるようじゃ俺も終わりだな!」
どうやら自分で思っていた以上に顔に出てしまっていたらしい。
いかなるときも、彼女たちの笑顔を曇らせてはいけない。
プロデューサーとして最低限のことを思い出した俺は、あたかも照れ隠しをするかのように笑っていた。
「元気になった俺がどうなるか、目に物見せてやる! 今夜はトラウマで眠れないぞ!」
「きゃー! 兄ちゃんのえっち!」
「セクハラ大魔神~!」
この件について社長が俺に与えた処罰は、細々とした後処理のすべてを引き受けること。それだけだった。
社長自ら方々に頭を下げてくれていたことは俺も知っていたので、
「あまりにも処罰が軽すぎる。本来ならクビにされてもおかしくはない」と思わずにいられなかった。
「君は実によくやってくれている。君に負担をかけすぎていた私にも責任はある」
「君がどうしてもここを辞めたいというなら話は別だが」
「アイドルたちを見たまえ。みんな君のことをこんなにも想っている」
「君には君の責任の取り方があるのはわかっているだろう」
社長はこんなことを話してくれていたような気がする。
よく覚えていないのは、俺があまりにも激しく泣いていたために社長の言葉を正確に聞き取れなかったからだ。
社長には本当に、感謝してもしきれない。
音無さん……彼女もそうだ。
俺と音無さんは恋人同士だった。
「おかえりなさい、プロデューサーさん」
音無さんは、いつだって笑顔だった。
「今日も大変でしたね。お疲れでしょう、いまあったかいコーヒーを淹れますね」
心ない人の言葉で深く傷つけられてしまった俺の、あまりにもひどい顔を見ても、
彼女はいつだって柔らかな笑顔を浮かべて事務所で待っていてくれた。
「ふふ。しゃきっとしてくださいね、あなたが笑顔じゃないと、私も悲しくなっちゃいます」
そんな彼女に惹かれていくのに時間はかからず、俺はすぐに恋に落ちてしまった。
そして勇気を振り絞って伝えた俺の思いに、彼女はやはり笑顔で応えてくれた。
あのミスをしでかしてしまったときも、彼女は変わらず笑顔で俺のそばにいてくれた。
音無さんは本当に、当時どん底であった俺の心の支えそのものであった。
一度、下の名前で君のことを呼んで良いかと尋ねたことがある。
音無さんはふふ、と小さく微笑み(彼女の笑い方には実に様々な種類があった)、俺に対してこんなことを言った。
「もう。ダメですよ、“プロデューサーさん”? そんなことをしたら私、きっともうところ構わずあなたに病みつきになっちゃうから」
社長と律子以外のみんな、つまりアイドルたちに俺たちの関係は明かしていなかった。
別にやましいことはしていないのだから(もちろんある意味ではしていた。主に仕事が終わったあとの夜に)、
みんなに俺たちが恋人同士であることを打ち明けてもいいと俺は思っていたのだが、彼女は頑なにそれを拒否していた。
いわく、
「あの子たちの中には、あなたに恋をしている子が何人かいます。あの年頃の女の子は、恋が自分の目に見えるすべてなんですよ」
だからその子たちのモチベーションを下げないように、俺はあくまでフリーの体でいなければならない。
かいつまんで言うとそれが彼女の意見だったのだが、俺にはそれがいまいちピンと来なかった。
あいつらが俺に恋?
「あなたは少し、鈍感すぎます。ちゃんとお仕事してくださいね、“プロデューサーさん”」
音無さんがプライベートで俺のことをプロデューサーと呼ぶとき、それは俺をたしなめるときだ。
そんなときの彼女の顔は、まるでわがままを言う子供を優しく叱り付ける母親のようであった。
「私にとってもあの子たちは大切な宝物です。いたずらに傷つけることはしたくありません。それに……」
「その方が、なんだかあなたと私だけの秘密みたいで、わくわくするじゃないですか」
母親のようだと思えば次の瞬間にはこうやって、悪戯をたくらむ子供のような笑顔を浮かべる。
ころころ変わる彼女の表情は、本当に俺を幸せな気持ちにしてくれた。
ベッドの上の彼女は、とても可愛らしかった。
体を重ねるようになってしばらく経ってから知ったことだが、音無さんは多少、いやそれなりに、特殊な性癖を持っていた。
「今日は私、あなたの犬になります!」
小鳥なのに犬なのか? と思わずにはいられなかったが、俺はおとなしく音無さんの飼い主になった。
彼女の出す突拍子のないアイデアは時に俺を驚愕させたが、それに従っていれば概ねお互いに最高の気分を味わえたからだ。
「小鳥は悪い犬です……。ご主人様、小鳥を、ん……めちゃくちゃに、してください……」
音無さんの体はとても柔らかく、陽だまりのように暖かかった。
俺はそんな彼女を抱くことがとても好きだった。
「私もだいすきです……ずっと、ずーっと一緒ですよ」
しかしながら、困ったこともないではなかった。
時折なんの前触れも無く、音無さんはまるで孵ったばかりのひよこのように自分の殻に引きこもってしまうことがあったのだ。
「ねえ、音無さん……」
「なんでしゅかぁもっかいですかぁ~……私はもう限界です、賢者タイムですピヨ」
5回もしたのだから、俺ももうそろそろ限界に近いです。
それよりこっち向いてくださいよ、寂しいじゃないですか。そして布団を独り占めしないでくださいよ、寒いじゃないですか。
音無さんは、すっかり何もかも搾り取られてしまった俺の性器を指でつつきながら、ぼそぼそと何やらさえずっていた。
「……だって、こんな年増の体なんて、元気がないときに見てもしょうがないでしょ~……」
始まってしまった。たまたまアルコールが入っていたのが失敗だったようだ。
こうなってしまったらとりあえず、一通り聞くだけ聞くしかない。
「そぉ、やっぱり年なのよお……いつもはネタにしてるけど、やっぱりこれは抗えないの」
「アンチ・エイジング……あなたも、ほんとは事務所のみんなのような若くてピチピチした子の方が満足できるのよ」
「美希ちゃんとか貴音ちゃんとか、あずささんとかぁ……」
「うえ~~ん……悲しいぃ。でも、不思議……あなたが幸せなら、私も……」
「はっ! ダメよ小鳥、NTRなんてまだレベルが高すぎて手を出してはいけないわ~!」
こんなとき俺は、とてもとても長い時間をかけながらあらゆる言葉を重ねて愛を伝え、
しくしくとウソ泣きを続ける彼女を慰めなければならなかった。
愛の言葉はもちろんすべて本心からのものであったが、ときには面倒だなと思う日もなくはなかった。
しかし、
「えへへ……だいすき~」
彼女はいつだって、最後にはお日様のように笑ってくれた。正直ずるい、と思う。
今でもはっきりと言える。
俺は音無さんのことを、本当に心から愛していた。
それこそ真美が言ったように、最初から、最後まで。
――――――――――――
――――――
―――
音無さんの葬式は恙無く終わり、俺は彼女の遺影の前で何をするでもなくひとりで座っていた。
朝から降り出した雨はそのときにはとても強くなっており、俺がいるこの場所にもその大きな雨音は響いていた。
「兄ちゃん……」
ふと顔を上げると、喪服姿の真美が俺のことをじっと見つめながら立っていた。
どうした、真美。
と声を発したつもりでいたが、うまく喉が動かなくて、ぼそぼそとした俺の言葉は
ざあざあと斎場の屋根を打ち付ける雨粒の音にかき消されてしまった。どうやら俺も少し疲れてしまっていたらしい。
真美はそっと俺の隣に腰を下ろす。
彼女の目は、意外なことに赤くはなかった。いつもの真美の、とても綺麗に澄んだ瞳だった。
音無さんはある朝、交通事故に遭って亡くなった。
それは早朝の出来事であり、いつもの彼女からすれば少し早すぎる出勤時刻であった。
しかしながらもちろんそこにはなんのドラマもなく、強いて挙げるとすれば即死ということだけが彼女にとって唯一の救いであり、
あとにはただ、音無さんが死んでしまったという事実だけが残った。
「真美は、はくじょーものかな。あんまり、涙が出ないんだよ」
そんなことを言ったら、俺の方こそ薄情者になる。
社長も事務所のみんなも、全員が彼女を想いそれぞれの涙を流していた。
声を上げ泣き叫ぶもの、嗚咽を漏らすもの。
静かにひとりで涙を流すもの、いまだに信じられないといった顔でその死を受け入れられないもの。
音無さん、あなたは本当に、みんなに愛されていたんですね。
「……みんな気付いていないみたいだけど、真美は知ってるもん。
ピヨちゃんは兄ちゃんの特別で、兄ちゃんもピヨちゃんの特別だったんだよね」
なぜ真美が俺と音無さんのことを知っているのかわからず、
鎌をかけているんじゃないかということまで考えが及ばなかった俺は、不覚にも驚愕してしまう。
「やっぱり」
長い沈黙があった。耳に入るのは、さらに強さを増していく雨の音だけだ。
そこには俺と真美しかいなくて、俺たちはそれぞれの考えを、思いを、うまく形にできずに戸惑っていた。
沈黙は時として、こんなにもはっきりと形と重さを持って存在するものなのだと、俺はこのとき初めて知った。
「……真美、ピヨちゃんといろーんなこと、お話してたんだ」
やがて真美はぽつりぽつりと話し始めた。
真美は、実に様々なことを音無さんに相談していたようだ。
765プロのみんなのこと。アイドルとしてのあり方のこと。
日に日に現れる、体の変化のこと。ある日、へんなところから血がでてきてしまったこと。
ときどき胸が痛くてたまらなくなり、眠れなくなる夜があること。それは恋だと、音無さんが教えてくれたこと。
真美は少し恥ずかしそうにしながらも、まさに赤裸々そのものである事実を俺に教えてくれた。
初潮のことまで聞かされ少しばかり居心地が悪くなったが、俺は黙って耳を傾けていた。
そして最後に、亜美のこと。
真美は、亜美が竜宮小町としてデビューしてから、今まで知らなかったいろんな思いを胸に抱いたらしい。
「真美と亜美は、いつも一緒だったんだ」
「りっちゃんがどうして、竜宮小町に亜美を選んだのかあの時はまだわかんなかった。バランスがどうこう、とか言ってたけど」
「それだったら、真美でもいいじゃん! 亜美だけずるーい! って正直思ってたんだ。
あの頃の亜美と真美は、歌もダンスもファッションも、全然差はなかったし……」
「お前ら全く一緒だな、って言われたら怒るけどね! んっふっふ、乙女心は複雑なのだよ、兄ちゃん」
「まあ、それはいいとして……」
「でも、今はわかるんだよ。きっとりっちゃんはなんていうか、真美たちの心のカタチに気付いてたんだよね~」
心の形?
「うん。それを真美に教えてくれたのは、やっぱりピヨちゃんだった」
――真美ちゃん。あなたたちの心はとっても違っているのよ、だからよく考えてみてね。
音無さんは、いじいじとしている真美にそんな宿題を出したらしい。
真美はそれを受けて、たくさん考えた……が。
――それってやっぱり! 亜美よりハートが弱いって思われたってことじゃーん!!
という答えしか出なかった。全く持って子供だ。
なあ真美、きっと音無さんはこう言ったんだろ?
「ぶっぶー」
「兄ちゃんすっごーい! よくわかったね!」
当然だ。そのときの音無さんの表情までわかるぞ。
――――――――――――
――――――
―――
「ぶっぶー」
「えー、なんでぇ~……もう、ピヨちゃん! ニヤニヤしてないで答え教えてよー!」
「しょうがないわねー。じゃあ、ヒントね?」
「私がもし別のメンバーで竜宮小町を組むとしたら、きっとこうするわ」
「みんなを引っ張っていけるリーダー、伊織ちゃん」
「いつも元気! みんなのムードメーカー、亜美ちゃん」
「そして……真美ちゃんよ」
「……あずさお姉ちゃんの代わりに、真美なの?」
「そうよ。はい、ヒント終わりっ! ってこんなこと言ってたの、律子さんには内緒にしてね~」
音無さんの言わんとしていたことは、俺にも痛いほどよくわかる。
亜美と真美。ふたりは近頃、どんどん違う方向へと成長してきているのだ。
ふたりともまだまだ子供で、いたずら好きな悪ガキであることには変わりない。
しかし亜美は、その元気さにさらに磨きがかかり、みんなをどんどん巻き込んでいけるようになった。
そして真美はときどき、優しく暖かな瞳でそんな亜美のことを見守っている。
長いスパンで考えたとき、今のあずささんの役割を務められるのは、きっと真美しかいないだろう。
「ま、そんなこんなで真美も亜美との心の違いってやつになんとか折り合い? をつけたんだ。
どーいう結論出したかは聞かないでね!」
きっとそれは、真美にとって心の奥に大事にしまっておくべき宝物だ。
俺なんかにそれを詮索する権利は無い。
再び沈黙が訪れる。だが、さっきまでのような重く暗い沈黙ではなかった。
俺も、真美も、音無さんとの暖かな記憶の中にいた。
そう言えば、真美とこうしてちゃんと話をするのはずいぶん久しぶりな気がするな……。
俺は幾らかの懐かしさを覚えながら、彼女の頭をやさしく撫でた。
「なあ、真美……音無さんのこと、好きだったか」
「……ん、んん……あったりまえじゃん! ピヨちゃんは真美の……大好きなお姉ちゃんだったよ」
「そうか……俺もだ」
「知ってる」
ところで、なんで真美は俺たちのことを知っていたのだろう。
音無さんが自分から、真美にだけは打ち明けたのか? いや今思えば、さっきの言葉は鎌かけだったという可能性も……。
「ピヨちゃんは兄ちゃんのことは何も言ってなかった。でも、よく見てればわかったよ」
隠せているつもりだったが、そんなに態度に出ていたのか。参ったな……ははは。
「他の皆とは、真美は見方が違うからね!」
「みかた? ああ、見方か」
「もしかしたら、ミキミキやはるるん、千早お姉ちゃんあたりも気付いていたかも」
「美希に春香に、千早? あいつら、そんなに鋭いほうか?」
「少なくとも兄ちゃんよりは鋭いんじゃないかな」
なぜか、真美がため息をついている。一体何だと言うのだ……。
真美は深く深くうつむいていたが、やがて何か大切なことを決心したかのように顔をあげると、
俺の目を真っ直ぐに見ながらこう言ってきた。……真美?
「兄ちゃん。真美、いろんなことピヨちゃんに相談してたって言ったよね」
「それはね。こういう……ことも、だよ」
真美は小さな声でこのようにつぶやくと、俺の頬を両手でつつみ、そのまま自分の顔の方へ引き込んだ。
そして、真美の小さく柔らかな唇が俺の唇に軽く触れ、すぐに……離れていった。
「真美は、兄ちゃんのことが、すきなんだ」
俺は、「えへへ、初めてのちゅーしちゃった」などと言いながら赤面している真美のことを呆然として見ていた。
初めてのちゅー? こんなところで、こんな形でいいのか?
混乱する俺が、混乱したままにファースト・キスに対する考えを述べると、真美はへへ、と笑ってこう言った。
「兄ちゃん、真美は夢の言葉なんていらないよ。だって、夢は朝になれば、光になって空に解けてしまうんでしょ?」
ここにいるのは本当に、あの双海真美なのか?
最近の真美は一時期の雪歩のように俺のことを避けているような気がしていたけれど、こんなに積極的な子だったっけ?
いまだに驚いて混乱していた俺に対し、「でもね」と真美は続けた。
「真美は消えない。花になって、兄ちゃんの隣に咲いていてあげる。どんなにつよく雨が降っても」
「兄ちゃんは、もうひとりぼっちなんかじゃないんだよ」
「だから……そんな顔しないで」
は、はは……。なにを言っているんだ。俺、そんなに変な顔してたか?
俺はそう言って笑って、自分の顔を撫でてみる。
するとまるでゴムの塊みたいに、とても硬くて柔らかい、妙な感触が返ってきた。
自分でも驚くくらいに、ひどく強張っている。笑ったと思っていたけれど、それは俺の勘違いだったみたいだ。
あ、あれ?
「兄ちゃん、あの日、ピヨちゃんが事故にあってからずっとそんな顔してたよ」
え?
「もう、ね……我慢、しなくてもね……えぐっ。いい……からさ」
真美、どうしたんだ。急に……。そんな顔見たら……なんだかこっちまで……。こ、こっち……まで? なんだ?
あ……
「あ……あ、あぁ……」
「い、いまはね……真美……真美だけしか、見てないよ」
そう言って、真美は微笑んだ。
その笑顔は、まるでかつての“彼女”のようで、とても優しく、柔らかかった。
「あ……う、ぇぐ……あ、あ、ぁああぁ……」
自分でも気付かなかったが、俺はもう限界だったらしい。
一度決壊してしまえば、あまりにも大きな感情は、涙の形を持ってぼろぼろと溢れてきてしまう。
「う……うぅ……こ、……こ」
「小鳥……!」
小鳥……。小鳥……!
「ことりぃ……!!」
「「ぁああああああああぁあああ゛ああああああ゛ぁああ!!!!」」
真美の小さな体、その腕の中で俺は泣いた。真美も、俺と同じように泣いていた。
あの一件以来、俺はもう決してアイドルたちの前で涙は流さないと心に決めていたが、それももう限界だったようだ。
顔の形はぐしゃぐしゃになり、もはや脳のコントロールから完全に離れていってしまっている。
耳の中で不愉快に響く、真っ黒な空から降り続ける雨の音だけが、唯一感じられるはっきりとした感覚であった。
そして、大量の涙によって激しくノイズのかかった視界に、かすかに“音無さん”の遺影が入りこんだ。
俺がいくら泣こうとも、
いくら彼女の名前を叫ぼうとも、
彼女はもう叱ってもくれず、ましてや……
笑ってなど、くれなかった。
少しきゅうけい。一服してくる。
ちなみにいま、書き溜め5分の1ほど消化したところ。
さっきのしょーもないSS見てくれた人、ありがとう!
――――――――――――
――――――
―――
音無さんのいない765プロダクションは、まるでドラえもんが未来に帰ってしまったあとののび太くんの部屋のようで、
どうしようもなく空虚だった。うつろで、からっぽだった。
――いま輝く、一番星……。ひとつ夢を、願った――
俺は与えられた仕事だけをただなあなあとこなしながら、音無さんが歌ってくれた最後の歌のことを思い出していた。
あれはいつの日だったか、社長が招待してくれたあのバーで彼女のもうひとつの姿が明らかになって以来、
彼女はみんなの前でもときどき歌を披露してくれるようになったのだ。
歌っている音無さんはとても楽しそうで、俺はそんな彼女をずっとずっと見ていたかった。
――だけど、今日もまた……終わってゆく――
悲しみに明け暮れる暇もなくアイドルたちはファンの前に立ち、歌を、笑顔を届けていた。
最初はみんな自分の気持ちを隠すのに必死で、中には一週間ひきこもってしまうものもいた。
俺にはそんな彼女たちを何もできないまま見守ることしかできなかったが、
数週間もするとみんないつも通りの自分の姿を取り戻し、笑顔を装うようになった。
それは、音無さんを知るものは例外なく同じ気持ちだったからだ。
「いつまでもくよくよしていたら、彼女に笑われてしまう」
彼女たちはみんなに元気を与えるアイドルであり、俺は彼女たちのプロデューサーだった。
そんなアイドルたちの強さに、俺は随分と救われた。
――――――――――――
――――――
―――
「兄ちゃん兄ちゃん! 真美たちのダンスどうだったー?」
「もう、めっちゃサイコ→だったよね! ね、真美!」
「うんうん! もう向かうところ敵無しって感じだったっしょー!」
あの時俺のせいでおじゃんになってしまった企画、双海亜美と双海真美の双子ユニット『あみまみ』は、
数ヵ月経った頃には竜宮小町に追いつけ追い越せといった勢いで人気を伸ばしていた。
もともとこのふたりはセットで活動することが多くあったが、亜美が竜宮小町としてデビューして以来その数は減少してしまっていた。
そこで俺は、正直に言って真美に対する配慮というものが多少あったのは否めないが、
ふたりにちゃんとしたユニットという形で活動してみないかと以前から持ちかけていたのだ。
ふたりは二つ返事で了解してくれた。
しかし双子が本格的に活動し始めてからも、“竜宮小町としての亜美”も負けてはおらず、
確かな固定ファンを獲得しその人気は不動のものとなりつつあった。亜美のバイタリティの高さにははたはた呆れるばかりだ。
しかし俺を本当の意味で驚かせたのは、真美だ。彼女は、俺の想像以上のポテンシャルを秘めていた。
『――あっはは、何それおっかし~! かわいいなあ、お姫ちん』
『だから今度さ、お姫ちんが事務所に常備してるカップヌ~ドルをぜんぶブタ麺に変えちゃおーよ!』
『えー! ちょっとかわいそうじゃない? それにここでそれ言ったらばれちゃうんじゃ……』
『だいじょーぶだいじょーぶ、これ放送されるのちょっとあとだから! だよねー兄ちゃん?』
双子ユニットが世に出たばかりのころ、多くの人の認識は次のようなものだった。
「“竜宮小町の双海亜美”と、その双子の姉、双海真美によるデュオ」
仕方の無いことだ。
ただでさえ竜宮小町はすでにテレビにラジオに引っ張りだこであったし、たとえあまりアイドルに興味がなくても、
彼女たちの顔だけは見たことがあると言う人がほとんどであっただろう。
しかしながらそういった人たちは、双海亜美に双子の姉がいるということまでは知らない。
双海真美は、当時そんな知名度だった。
しかし、そんな評価はあまり時間もかからず変わっていくことになる。
『ちょっと亜美、兄ちゃんなんて言ってもこれ聴いてる人たちわかんないって』
『うん、うん……来週放送? よし真美、明日さっそく決行だYO!』
『うーん、でも……やっぱめっちゃ面白そうかも!』
双子ユニットの売り出しには、俺の持てるスキルの全てを費やした。
亜美がいるぶん竜宮からのファンも多く興味を持ってくれていたため、ゼロからのスタートではない。
しかしそれに甘えず、俺は心の内で『打倒 竜宮小町』をスローガンに掲げていた。
プロデューサーたるもの、特定の誰かだけを贔屓することは許されない。
少なくとも俺の愛する765プロダクションでは、それが暗黙の了解となっていた。
しかし俺はこのふたり、特に真美のことを気にかけてプロデュース活動を行っていた。
何を言われるかわからないので、こんなことは誰にも悟られるわけにはいかない……。
「ハニーはなんだか最近、真美のことばーっかり見ている気がするの!」
「わた、私もそう思う! プロデューサーさん! 不公平ですよ、不公平!」
「プロデューサー。あの、ちょっとお話があるんですけど……!」
勘の良いものも何人かいたが、俺は無視することにした。こいつらはもうだいにんきだからだいじょうぶだよね。
『だよね~! ねえねえ真美、お姫ちんなんて言うと思う?』
『そりゃあもちろん……』
『『……ん面妖なっ!!』』
『あははっ、溜めた~!』 『溜めたね~!』
最初は、時折とても寂しそうにしている真美の姿が見ていられなくて始めた、心ばかりの慰めという意図があった企画だ。
しかし音無さんが死んでしまって以来、俺は何かに夢中になっていないととても平常を保てなかった。
そこでちょうどいい具合にそこにあった、このユニットの活動に全精力を注いでいたのだ。
しかし共に仕事を通じて交流を深めていくうちに、俺はふたりの大きな違いと、
アイドルとして持つ魅力に改めて気付かされていくことになる。
『お姫ちんのリアクションはちゃんと録音して、次の放送で発表するよ~!』
『楽しみにしててね! おやおや~亜美、今週ももうそろそろ終わりみたい』
『え→、もうしゅ~りょ~? まだまだ喋りたりないよ!』
『はいはーい、わがまま言わないの! さて、リスナーのみなさん!』
『今日はどっちが何を喋ってたかわかったかな→?』
双海姉妹は見た目こそよく似ているが、それぞれの強みは近頃大きく異なってきている。
律子いわく、「お年頃で、成長期だから」らしい。
亜美のあふれ出る元気さと真美の隠し切れない優しさは、ふたり合わさることで俺が想像していた以上のとても大きなシナジーを生んだ。
さらには見た目のキュートさもあいまって、一度興味を持ってしまうと簡単には無視できない魅力がふたりにはあった。
『答えがわかった兄ちゃん姉ちゃん、弟ちゃん妹ちゃんは番組の感想と一緒にお便りしてね!』
『んっふっふ~、実は亜美がずっとひとりで喋ってたのかもね→!』
『ぷぷ、はたして正解はどうかな? さて、この番組は!』
『あみまみの双海亜美と!』
『双海真美のふたりで! お送りしましたー!』
ふたりだから、出来ること。技の真美・力の亜美といったところだ。
そして、これは両者に共通して言える強さ。
どんなことがあっても笑顔を忘れない、くじけぬ心。
音無さん。あなたの大切な宝物は、とても強く成長しました。
――あの葬式の日、音無さんの眠る前で、俺と真美はキスをした。
当然のことではあるが、このことは俺たちだけの秘密になっていた。
俺は散々鈍感だなんだと言われてきたが、そのときはさすがに真美の気持ちに気付いていた。
真美は……俺に恋をしている。
しかしながらあのときのキスは、恋だ愛だといった甘い感情とはかけ離れたものであったように思う。
恋に焦がれる思春期の少女がする初めてのキスにしては、いささかロマンに欠けたものだった。
とにかく、そんなことがあったあとにこのようなえこひいきなプロデュースをしているのだから、
こんなことを言っても誰も信じてくれないかもしれない。
だが俺は、声を大にして言ってやりたい。
「俺は、真美に対して特別な感情を抱いてはいない!」
「えー!? なんか急にフラれたー!!」
そのとき俺は自宅のソファの上にいて、その日2回目の真美とのキスを終えたばかりであった。
時刻は17:20を少し過ぎた頃だったが、空は鉛のように重く、夕日の存在は分厚い雲壁によってすっかり隠されてしまっていた。
真美はあれ以来、オフ前日になると俺の家に泊まりにくるようになった。
ちなみに彼女が家の人に何と言って泊まりにきているかは、ずっと後になってから聞くことになる。
思えば、このとき聞いておけばよかったのだ。
そうすれば、いろんなことがもう少し、簡単になっていたのかもしれない……。
最初は俺にも、真美と俺の立場を気にする感情があった。
ふたりで会うたびに「こんなことはこれっきりで、もうやめにしよう」などと言っていたような気がする。
しかし真美とのキスは、そんなささやかな保守的願望をぶち壊しにするほどに、俺を虜にしてしまっていた。
気が付けばこの有様だ。
「ん、兄ちゃん……」
少し鼻にかかる、甘えた高い声でそう言って、真美は俺に再びキスをねだってくる。
いつものことだ。
おそらく、俺は最低で……クズなのだろう。
最愛の人を亡くしてまだ1年も経っていないというのに、あろうことか自分の担当アイドルとこうして共に過ごしているなんて……。
しかし、これだけは神に誓おう。
俺は真美を抱いてはいないし、抱くつもりもない。
そのあと真美が「ダンスみてよー」と言ってきたので、俺はひとり踊る彼女の姿を見ていた。
そんなに遅い時間じゃないが、なるべく静かに頼むぞ……。
ステップを刻みながら、真美は聞いてくる。
「兄ちゃんの、心は、どーやったらゲット、できるのかなっ! ほっ!」
「……いいか、真美。お前はアイドルで、俺はプロデューサーだ」
「いまさらそんなこと言われなくても、わかってるよー、だ! はい、くるりん、ぱっ!」
ふー、と一区切りついたらしい真美は、勝手知ったるといった様子で冷蔵庫からミネラル・ウォーターを取り出し音を立てて飲み始めた。
少しばかり汗をかいているようだ。
薄いティーシャツの下に隠れされた、発達途中であるもののうっすらとメリハリのついてきた体のラインが浮かびあがっている。
まだまだ可能性は未知数ってやつだな。
「兄ちゃんは、ごく、ごく……ぷはぁ。真美の気持ちには応えられないんでしょ?」
「ああそうだ。だから、俺がお前のことを優先して見てやっているのも、ただ単にお前の能力を買っているからなんだよ」
これは本心だ。たとえ仮に、自分の恋人がアイドルであったとしても、実力とやる気がなければ俺は仕事を持っていかない。
「でもでも兄ちゃん。真美たちのさっきの姿を見たら誰も信じてくれないんじゃないかなー?」
「う……」
「恋人じゃないなら恋人じゃないで、それならなんだか“お布団営業”みたいだねっ!」
そう言って真美は、どこかのでこちゃんよろしくにひひと笑った。
それを言うなら枕営業だろ、いやある意味間違ってはいないか……。
「俺は枕なんて受け付けないし、お前らにさせるつもりも一切ないよ」
真美の洒落にならないジョークにも動揺せず、俺はこう答えた。
しかしこんなこと言っていられるのも、俺がまだまだ業界の暗い部分を知らないからなのかもしれない。
だが、765プロのアイドルたちは、みんな例外なく俺の愛する娘たちだ。
あいつらが笑ってアイドルを続けられるなら、俺はどんな苦難だって乗り越えてみせる。
誰一人として悲しい思いなど、させてなるものか。
真美は俺の言葉を、その場にそわそわと立ったままこぶちをぎゅっとして聞いていた。
その顔はなんだかとても嬉しそうだ。
「んっふっふ~! そーだよね、兄ちゃんはそういう人だよね。だから真美は……」
そして大きくばんざいをしながら、小さな体をくるり。
これは真美の癖のような仕草であり、彼女はそうやって笑顔のエネルギーを発散させているようだった。
「だから真美は、兄ちゃんのことがだいすきなんだよ!」
そう言って満面の笑みを浮かべる彼女を見ると、とても優しく穏やかな気持ちになれる。
まるでタマゴの殻を扱うように、俺は彼女の髪を軽く撫で、そのまま自らの頭を近づけた。
本日4度目のキス。
今度は唇と唇を触れさせるだけじゃない。中学生にしてはちょっと背伸びした、大人のキスをする。
キスの雨は、夕食を食べ風呂を済ませたあとも続き、気付いたときには夜遅くになっていた。
ちゅる……ぴちゃ、 ちゅぶぶ……。
お互いの唇が離れるほんの小さな瞬間だけに響く音と、熱くぬるぬると濡れた感触だけが、俺の感じられる全てだった。
もう数えるのもおっくうになるほどたくさん唇を重ねたあと、「夜更かしはアイドルの敵だ」とかなんとか言って、
俺はぶーぶーしている真美をベッドに寝かしつけた。
今、この家で意識を持っているのは俺しかいない。
「真美なら俺の隣で寝てるけど?」
誰に対してでもなくひとりわけのわからないことをつぶやいたあと、
俺は真美の眠るベッドから離れソファの上に再び腰を下ろす。
真美はとても魅力的な女の子だ。こうして少しだけふたりの距離が近づき、俺は改めてその可愛らしさに気付くことになった。
少し明るめのブラウンの髪を縛るものは何もなく、今はシーツの上で無造作に乱れていた。
普段はサイドポニーの形にまとめあげているのでわかりづらいが、真美の髪は下ろすと肩甲骨に届くくらいの長さを持っている。
その持ち前の明るさを表すようにピョンと飛び出た髪型をする亜美の髪には、よく見ると少しだけ癖があるが、
真美の髪の毛はどこまでも柔らかく、さらさらで真っ直ぐだった。
きっとこんな日を除けば、毎日のケアを欠かしていないのだろう。彼女の隠れた努力家という一面が垣間見える。
髪と同色の瞳は、いまは瞼によって固く閉じられている。
しかしひとたび目を開けると、まるで初夏の草原を連想させるような、不思議と目が離せなくなる瞳が現れることを俺は知っている。
ティーン・エイジャー特有の好奇心と、自身の成長に対するいくばくかの不安を共存させたその瞳は、
彼女の持つ大きな魅力のひとつだ。
これから先、彼女はどのように成長し、その瞳にどのような色を加えていくのだろうか。
そして、その小さくぷるりとした唇。
真美の唇の感触を誰かに伝えるためには、おそらく三日三晩以上の時間を必要とするだろう。
それくらい彼女の唇は様々な形を持っており、俺はその変化する形を自らの唇によって確認した。
亜美は言う。自分の魅力を語りつくすには200年くらいかかる、と。
それならば真美の魅力をすべて語りつくすには、それこそ300年400年くらいの時間がかかると俺は思う。
勘違いされるのは甚だ心外であるので、ここでもう一度宣言しておこう。
俺は真美に特別な感情を抱いてはいない。
この分析は、真美をプロデュースする上で最低限知っておかなければならない彼女の武器であり、ただそれ以外の意味はない。
ほ、本当だ。
「何やってんだろう、俺は……」
しかしながら、こんな風にいくら落ち込もうとも、悲しいくらいに俺は男なのである。
このように可愛い女の子とキスを繰り返して、内心平常でいられるわけがない。
まるで貪るかのように真美と唇を重ねて、性的興奮を覚えないわけがない。
その証拠に俺の気持ちの高ぶりは、こんなにもわかりやすい形でズボンの下から自己主張している。
これはこの状況がそうさせているのであって、決して俺がロリコンというわけではない。
「…………」
まだ俺の中にほんの少しだけ残っている最後の良心が、「最後の一線を越えるわけにはいかないぞ」と言ってくる。
そんなことはわかっている。何度でも言うが、真美はアイドルで、俺は彼女のプロデューサーだ。
しかしこのままではきっと俺も眠れそうにないから、自らの手でこの気持ちの処理をしなければならなかった。
「…………」
真美が眠るすぐそばで、俺はそっとスウェット生地のズボンを下ろした。
「……! ……!」
俺はなるべく何も考えないようにして、ゆっくりと……熱すぎる気持ちを持て余すかのように猛るペニスに刺激を与え始める。
情熱がいっぱいにつまった海綿体を右手でやさしく、ときに激しく扱きながら、
ときどきちらり……と真美のかわいらしい寝顔を見た。
ちゃんと安眠できているか急に心配になったからであり、それを確認する以外の目的は決してない。
「……! ……くっ!」
そのうち、時間の感覚があいまいになってくる。
どれくらいそうしていたかわからないが、しばらくすると腰に電気が走るような感覚がやってきた。
ひとり真っ暗闇の中、俺は少し息を荒くして絶頂を迎えようとしていたのである。
よかった、これで今夜もゆっくり眠れそうだ。
「……!!」
と、そのとき。ふと、ある女性の顔が俺の頭の中に浮かんできた。
努めて何も想像しないでいたのだが、どうやら最後の最後で油断をしてしまったらしい。
俺は優しく微笑むその女性の顔をまっすぐに見ながら、とても強く射精をしてしまった。
「……ふう……」
まだ射精の快感に酔いしれていたかったが、だんだんと俺の頭はクリアになってくる。
そして、射精の瞬間に思い浮かんできた女性のことを考えた。
「……音無さん」
女子中学生相手に欲情し、さらにはその少女が眠る傍らでかつての恋人を想いながら性処理を済ませた変態が、そこにいた。
それは言い逃れのしようもなく、どうしようもなく確かに俺だった。気が付けば頬に一筋の涙が流れていた。
「……本当に、何をやっているんだろうな、俺は……」
俺はそのあと、泣きながらティッシュで隅々まで後処理を施し、消臭スプレーで部屋に残った情熱の残滓をかき消した。
真美がいるこんな夜だからこそ、静かに慎重にことを終わらせなければならない。
洗面所で丁寧に手と顔を洗うと、俺はベッドへと近づいていった。
改めて、俺は真美のことを見る。彼女は無垢な表情を浮かべて静かに寝息を立てていた。
こんなことになっているとも知らず、心から安心して眠っているように見える。
真美はまだ13歳の女の子だ。
世界の持つ眩しいくらいの素晴らしさも、目を瞑りたくなるような醜悪さも、何も知らない。
ましてや俺のこんな姿など……。
「おやすみ、真美」
そうつぶやくと、すやすやと眠る真美の頬に軽く口付けし、俺も布団の中へ潜り込んだ。
俺の予想通り、眠りはすぐにやってきた。
「………………………」
「…………っひぐ」
「……兄ちゃん」
――――――――――――
――――――
―――
その後も、双海姉妹によるユニットという形での活躍は続いた。
テレビ出演、公開ラジオ、CM、雑誌etc……レギュラー番組の話まである。
俺の予想以上に、世間は女子中学生たちのキラメキラリと輝く姿を気に入ってくれたようだった。
「ふぃ~、今日もめっちゃ働いたYO→」
「お疲れ、亜美」
竜宮小町としての活動も依然続いていた亜美は、間違いなくこの時765プロで最も多忙であった。
うちの事務所だけではなく、芸能界全体を見てもこれほどあちこち飛び回っている少女はいなかっただろう。
ちゃんとした休みと言った休みもなかなか取れず、いつも俺や律子に引っ張られて仕事に向かっていた。
「プロデューサー。あの……いま大丈夫ですか?」
「ああ、千早か! すまない、今からすぐまた出なくちゃいけないんだ。また今度でいいか? ほら、亜美、真美行くぞ」
「う~い。じゃあねー、千早お姉ちゃん!」
「ご、ごめんね。千早お姉ちゃん」
千早はもともと性格が(やよいに関することを除けば)しっかりしていたこともあって、ひとりで現場に行くことも少なくなかった。
“ほうれんそう”をしっかりと守ってくれる千早は、たとえそれ以外のコミュニケーションが最低限であろうとも
アイドル活動に関してはあまり大きな問題は起きなかったのだ。
もちろん、俺はわかっていた。このままではいけないし、こんなやり方は俺の望むところじゃない。
しかしながら、亜美と真美はやはり何かと世話を焼いておかないとどこで問題を起こすかわからないからな……。
本当はもっとひとりひとり見てやりたいところなのだが、しばらくはこのままになりそうだ。すまない……。
「……忙しそうね、あのふたり」
「しょうがないよ。今はもう、うちの看板だもんね! 私にももっとたくさん、お仕事来ないかな~。
……あみまみあまみとか、いいんじゃないかな……」
「…………」
「ふふ、そんなに心配? 千早ちゃん」
「ええ。……真美、大丈夫かしら」
「真美? そりゃ真美もだけど……どっちかと言えば、竜宮小町もやってる亜美のほうが大変なんじゃない?」
「…………」
律子との衝突は何度もあった。
最初に亜美を売り出していたのは律子プロデュースの竜宮小町であったし、
あとから現れた双子デュオの予定によって調整せざるを得なくなったスケジュールも多々あったのだ。
「プロデューサーは亜美のことを何も考えていないんですか? 倒れてからでは遅いんですよ」
まったくもって律子の言うとおりであった。
しかしながらあみまみの反響が非常に大きいことは事実としてそこにあり、
もはやうちの看板と言ってもいいくらいに成長してしまっていた。
ここで急に、亜美の属するユニットのうちどちらかの手を抜くわけにはいかない。
まだまだ大きな事務所とは言えない765プロにとって、ここは正念場であった。
律子ももちろんそのことは理解していたため、無理に双子の活動をやめさせるようなことはしなかった。
「亜美の様子がおかしくなったら、そこでまた今後について話し合いましょう」
これが俺と律子が幾度も議論し合って出した結論であった。もちろん俺としても異存はない。
亜美の様子を注意深く観察することは、俺にとって毎日の習慣となっていた。
彼女はプライベートではわりとちゃらんぽらんな態度をとっているが、ここぞという時には無理をしてしまうのだ。
体調を崩していないか?
風邪になったら大変だ。俺が暖めてやる。
疲労は溜まっていないか?
マッサージをしてやろう。体の隅まで気持ちよくしてやるぞ。
化粧の様子がいつもと変わっていないか?
どれ、もっと近くに来てよ~く見せてみろ。もっと、もっとだ。
月のものはちゃんと周期ごとに来ているか?
最後に来たのはいつかちょっと教えてくれ。来月いつ来るか計算してスケジュール調整するから、それ以外の意図はないから。
「兄ちゃん、亜美のこと心配してくれるのは嬉しいけど、それはセクハラの域っしょー!」
亜美のことを想う俺の純粋な気持ちは、残念なことになかなか彼女には伝わらなかった。
やはり亜美にとっても、今は難しいお年頃なんだな。
春香は恥ずかしそうにしながらもちゃんと教えてくれるというのに、どうやら同じ十代女子でも様々なパターンがあるらしい。
俺はまたひとつ新しいことを知り、プロデューサーとして成長できたと思ったものだ。
しかしながら俺の目には、口ではなんだかんだと言いながらも常に元気に仕事をこなしている亜美の姿が映っていた。
それは俺と同じように亜美のことを心配していた律子にとっても同様の印象であったようだ。
体に蓄積された疲労は決して少なくないだろうに、亜美はいつだって太陽のような笑顔だった。
「いおりんやあずさお姉ちゃん、りっちゃんとはもう付き合い長いっしょ? だから息ぴったりだし、あんま疲れることないよ!」
「真美とふたりでの仕事は家や事務所にいるみたいで超リラックスできるし、やっぱめっちゃ楽しい!」
「だから亜美、いま絶好調って感じっ! まだまだいけるよ→!」
異常とも言える量のスケジュールをこなしながら、亜美は亜美でどんどん成長しているようであった。
「兄ちゃん……大丈夫? 兄ちゃんこそ疲れてない?」
と、これは真美の言葉。
いつもは亜美と一緒にイタズラを重ねる真美だが、こうしてふたりでいるとき、彼女はこんな風に俺のことを心配してくれるのだ。
その日はずっと雲がかかっていて、いつ雨が降り出してもおかしくないような天気だった。
真美はそんな曇った空模様のように顔を暗くしている。
心配をかけさせるわけにはいかないと思った俺は、少しばかり強がってこう言った。
「大丈夫大丈夫、なんくるないさ。それよりも亜美だよ。あいつ、本当に無理していないだろうな……」
亜美の言うとおり、本当にまだまだいけるのだとしたら末恐ろしいことだ。
現状は物理的に考えてこれ以上スケジュールを埋めることはできないが、
このままいけば間違いなく、亜美は765プロの柱となる存在になる。
「…………ふぅん。すごいね! 亜美はね!」
しまった、と思ったときにはもう遅かったようだ。亜美のことばかり話していて、真美はどうやらいじけてしまったらしい。
「いじけてなんか、ないもん! コドモ扱いしないで! 真美はもう、中学生なんだよ!」
怒りで頬を膨らませている真美を抱きしめ、ごめんなとささやく。
真美も一生懸命頑張っているのは俺が一番よく知ってるよ。だから機嫌を治してくれ、可愛い顔が台無しだよ。
「あ……んわぁ……。……ふ、ふん!」
真美の頭を撫でながら、勝ったこれはいける! パーフェクト・コミュニケーション確定っ!
と思ったが、真美はすぐにぷいと顔を横に向けてしまった。
オトナな真美は一筋縄ではいかないらしい。
「そんな態度とるんだったらさー、真美のこと愛してるって言ってよ!」 5・4・3・2……
「愛してるよ、真美。世界で君のことしか見えなくなるくらいに、君に夢中だ」 ピピッ
「…………」
真美の様子がおかしい、どうやら余計に怒らせてしまったようだ。選択肢を間違えたか……。
「……人の気も知らないで……ばかにすんなよ~……」
しばらく時間が経ち、真美はようやくこっちを向いてくれた。そしてジト目のままいつものように、唇を重ねてくる。
真っ暗で、世界の色彩がきちんと働いていないような、そんな冷たい部屋の中。
そのとき俺と真美は、ただお互いを慰めるだけの、“ごまかし”のキスを繰り返していた。
「真美、悪い子だよ。兄ちゃんをこーやって独り占めしてる」
「なのに……兄ちゃんに最近気にかけてもらってる亜美に、嫉妬しちゃってるんだ」
「そのうえ、兄ちゃんから本当に好きだと思われたい、なんて期待してるんだよ~……」
10ぐらいまでしかよんでないけど
真美は「解けてしまうんでしょ?」なんて言わない
百歩譲ったとしても「解けちゃうんでしょ?」これでも違和感あるレベル
ふたりでいるときの真美は、いろんな意味で別人かと思うほどべたべたと甘えてくる。
しかし一方で事務所などでみんなといるとき、そして亜美がいないとき、
彼女はとても恥ずかしがりやの少女に姿を変えてしまっていた。
『に、兄ちゃん! みんなの前で……そんな、ん……そんな風に撫でないでよ……は、恥ずかしい』
ちらちらと周りを伺いながら、しばらくするとうさぎのようにぴょこぴょこと逃げ出してしまうのだ。
どうやら彼女は、“男性と接している自分が、周りからどう見られているのか”がとても気になるお年頃らしい。
思春期真っ盛りって奴だ。ふたりっきりのときの態度はその反動かもしれない。
どの口が言うんだと思われてもしかたないが、俺と真美は恋人同士ではないし、なってはならないと思っていた。
アイドルとして、プロデューサーとして。そもそも俺は、真美に対して特別な感情は抱いてはいないのだ。
これは彼女に何度も繰り返し言い聞かせてきたことだ。
「わかってるよーだ……」
真美はこの件についてこれ以上何も触れず、「疲れたから、もう寝るね」と言ってベッドに潜ってしまった。
彼女が眠りにつくのを見届けたあと、俺も寝るための支度を始めた。
汚れた食器を洗い、シャワーを浴びて汗を流し終わると、
ベッドから少し離れた場所にあるソファに腰掛けながら明日のスケジュールを確認する。
真美はオフだが、俺は響のグラビアと真のテレビ出演、二件の現場に付き添うことになっていた。
一日の流れを脳内でシミュレーションしたあと、今日やるべきことのすべてが終わった俺は布団の中へ潜り込んだ。
「俺が真美に対して、してやれることは……」
これまでどおり、いやこれまで以上に、真美のことをもっともっと輝かせてやる。
それしかない。それが唯一にして最大の、真美への恩返しだ。
そうしていつものように眠る真美の頬に口付けしようとすると、彼女の様子が少しおかしいことに気が付いた。
「真美、泣いている……?」
真美は涙を流しながら、うなされていた。顔には苦悶の表情が浮かんでいる。
「真美……おい、真美」
「う……うぅ……あ、あみ……」
亜美? 亜美がどうかしたのか?
いくら声をかけても反応がないので、とても深く嫌な夢を見ているということがわかる。
起こしてやるべきだろう。悪夢を払い、思いっきり抱きしめてやらなければ。
真美を安心して眠らせてやらなければ、俺の生きる意味はないのだから。
真美のことを起こそうとして、その肩に手を伸ばしかけた瞬間のことであった。
「ごぇんね……ご、ごめん、ね……」
「ピヨちゃん……」
「!!」
どのくらい呆然としていたか正確にはわからないが、それほど長い時間ではなかったと思う。
気が付けば真美の表情は少しだけ安らかなものになっていた。
俺が手を貸さずとも、悪夢はひとりでに消えてしまったらしい。
これなら、わざわざ眠りから覚ましてやる必要はなさそうだ。
「…………」
俺は一体、何をしているのだろう。真美は何を考え、誰を想い、涙を流していたのだろう。
俺は自分で思っている以上に、真美のことを何も知らないのかもしれない。
真美にとって、悪夢のひとつも消してやれない俺は、必要な存在なのだろうか。
真っ暗闇の部屋の中、窓ガラスの向こうに見えるどんよりとした曇り空を眺めながら、
俺はずっと真美のことを考えていた。
しかし、鳥たちがさえずり朝の到来を伝えるまで、いくら考えてもその答えは出なかった。
――――――――――――
――――――
―――
あの夜以来、気持ちの整理が付かないまま、俺はがむしゃらに働いた。
とにかく営業、営業、営業。他の細かい書類作業など、事務所や家に帰ってからいくらでも出来る。
とにかく、もっと、もっと。
もっと真美をアイドルの高みに連れて行ってやる。
それが真美のためになるのだと、俺は思い違いをしていたのだ。
――ただ、自分でいたいのに……ただ、笑っていたいのに……――
ある日真夜中に目を覚ました俺は、隣で眠っていたはずの真美がいないことに気が付く。
慌てて周りを見渡すと、彼女の姿はすぐに見つかった。
いつの間にか布団から抜け出していたらしく、真美は窓のふちに腰掛けながら静かに月を眺めていた。
そよそよと風が吹き、開け放たれたカーテンと何も縛られていない彼女の髪をやさしく揺らしている。
真美、と声をかけようとしたが、すんでのところで俺はそれをやめてしまう。彼女は小さな声で歌を歌っていた。
月の光を舞台照明にして歌う彼女の姿があまりにも儚げであったため、俺は少し動揺してしまったのだ。
そのあとも彼女はいくつかの歌を歌っていたが、ついに俺には声をかけることが出来なかった。
――――――――――――
――――――
―――
俺と真美の歪な関係は、その後も続いていく。
しかしいくら抱きしめようとも、いくら唇を重ねようとも、真美が何を思っているのか
その頃の俺にはよくわからなくなってしまっていた。
いやそんなもの、もしかしたら最初からわかっていなかったのかもしれない。
しかし、俺にはこの関係を終わらせることは出来なかった。
俺の頭は真美に関することでいっぱいになっていたのだ。
真美はどうしたら笑ってくれる? どうしたら喜んでくれる?
そのどれもが、俺には何もわからなかった。
双子ユニットの人気も、その勢いを落とすことなくさらに大きくなっていた。
真美のことが765プロのアイドルの中で一番好きだ、というファンの声は半年前とは比べ物にならないくらいに多くなっている。
そしてついに、その日がやってきた。
「おめでとう、ふたりとも!」
彼女たちの出したCDの初日売り上げが、とうとう竜宮小町の持つ記録を超えたのだ。
『打倒 竜宮小町』であった俺の目標は、ここでひとつ達成することになる。
律子はとても残念がっていたが、やはり亜美や真美の成長が嬉しいようで、最後には素直に祝福してくれた。
しかし、竜宮小町のCDは軒並みロングランする傾向にある。
話題を集めやすいあみまみが初動で勝ったとはいえ、まだまだこれからだ。
ここでひとつ、褌を締めなおさなければ。
俺が倒れたのは、そんな風にろくに睡眠もとらずに飛び回っていたときだった。
――――――――――――
――――――
―――
「兄ちゃん……」
病院のベッドで目を覚ますと、まず最初に白い天井が見えた。
上半身を起き上がらせてふと顔を横に向けると、真美がベッドの傍らにある椅子に座ってこちらをじっと見ていた。
綺麗なオレンジの夕焼けに照らされていたが、ちょうど逆光の位置だったので、その表情は読み取りづらい。
お前、こんなところで何をやっているんだ? 今日はレコーディングだろう?
「レコーディングなら昨日ちゃんと終わったよ。兄ちゃん、丸一日寝てたんだから」
そんな、じゃあ今日の予定はどうなったんだ?
まさかこんなことになるとは……俺は再び、あのときのようなミスをやらかしてしまったのか。
「兄ちゃんの仕事は、社長さんが代わりにやってくれたよ。何も心配ない。だからまだゆっくり休んでて……おねがいだから」
「そういうわけにもいかないだろう……明日からまた復帰しなきゃ」
「……兄ちゃん!!」
ばちん!
と気持ちの良い音がすると、俺のことを強く睨んだ真美が(あまり迫力はないが)椅子から立ち上がり、ぷるぷると震えていた。
どうやら俺は、真美に平手打ちをくらったらしい。意外に力あるんだな……。
「……ぶっちゃってごめんね。でも兄ちゃん、過労で倒れたんだよ。
だから、少しでも栄養とって休むことが、一番の復帰への近道なんだから!」
真美は力いっぱい一生懸命に眉間にしわを寄せたまま、腰に手をあてている。
これはいけない、真美の怒りのポーズだ……。
しかし過労か、いつの間にか俺も年取って体力をなくしていたのかもしれないな。
だがこんなもの、お前や亜美の疲労に比べたらなんてことないぞ。俺が休んでいていいわけがない。
「たしかに、明日には退院できるってお医者さんは言ってたみたい。けど、兄ちゃんは明日から3日間お休みだよ。
これは社長命令、ってやつ。 従わなきゃ、クビ、だって……」
ちらちらと目を逸らしながら、真美は俺に告げた。きっとクビのくだりは真美の嘘なのだろう。
そんなに心配することもないのに……というのが正直な感想であった。
しかし、社長命令となればそれに従わざるを得ないようだ。
「真美……ごめんな。こんな大事なときに、俺が倒れちまって」
「大事なときとか、そんなのどうでもいいよ!」
「どうでもいいことあるか……」
「真美が謝ってほしいのはっ! ……ううん、ごめん、なんでもない」
その後、面会時間の終了に従って真美はとぼとぼと帰っていった。
真美がいなくなると、急に猛烈な眠気がやってくる。さっき目覚めたばかりだというのに……。
それに抗うだけの体力も残っていなかったらしく、俺はすぐに眠りについてしまった。
――――――――――――
――――――
―――
夢の中で、俺は今と同じように病院のベッドに横たわっていた。
ただし、その症状はまったく異なる。俺は全身を複雑骨折していたのだ。
これは……いつのことだろう?
ああそうだ、俺はあのとき春香の舞台練習の様子を見に行き、そこで……奈落に落ちたのだった。
春香は無事か? ああよかった、様子がおかしかったから心配したぞ。
なに、心配いらない。ちょっと大げさすぎるんだよな、みんな……いてて。
そこは朝の光が暖かく差し込む病室。
俺の横から、しゃりしゃりとりんごの皮をむく音と、柔らかい声が聞こえてくる。
「ダメですよ、プロデューサーさん。ちゃんと休んでなきゃ……」
この声は、誰の声だろう?
とても安らかな気持ちになれる。
ああ、きっと俺はこの人を愛していたんだ。
あなたは……今どこにいるんですか?
俺? 俺は……あれ?
――――――――――――
――――――
―――
朝起きると、泣いていた。
いつものことだ。
……っていうのは何の本の言い回しだったかな。まあ、とにかく翌日だ。
病院でのあれやこれやの手続きを済ませてから、俺は公衆電話を使って事務所に連絡を入れた。
「こんなことになってしまってすまない、なるべく早く復帰してこの分を取り戻す」
社長と律子に対してこのようなことを伝えると、ふたりはこう返してくれた。
「そんなこと言ってないで、いい機会ですからしっかり休んで治してくださいよ! みんな心配しているんですから」
「いや~なあに、こちらのことは何も心配いらないよ。私にだってプロデューサー業の心得はあるのだからね。
なんなら3日と言わず、とことんまで休んでから復帰してくれたまえ!」
ふたりとも小言ひとつ言わず、俺の身の心配をしてくれていた。本当にありがたいことだ。
電話の向こうで美希が「ハニー、ハニーなの!?」とか「ミキもう死ぬの!!」とかなんとか言っていたような気がする。
が、気が付けば電話はもう切れてしまっていた。
まああいつは、だいじょうぶだろう……それはもうだいにんきだからな。
そのあと、携帯電話に送られてきていたみんなからの大量のメールをあたたかい気持ちで読みながら、俺は帰宅することにした。
ちなみにそのメールの大半は美希からのもので、その数実に86件。はは。
今なお送られてきているのでその件数はさらに数を増やしている。
美希の深い愛に感動しながら、俺は携帯電話の電源を切り、そっと閉じた。
雲ひとつないからりと晴れきった空の下、俺は春の光をいっぱいに浴びながら歩いていた。
自宅と病院との距離は決して近くはなかったが、
有り余る時間を潰すことと体力を取り戻すことの両方を兼ねた根性のウォーキングだ。
そんな事情もあってか、帰りがけにスーパーで食料品やトイレットペーパーなどを数点買い込んでから
ようやく自宅へとたどり着いたのは、時計の針が17時に差し掛かろうとしていたころであった。
荷物はあまり多いほうではなかったのだが、少なくない量の汗が自然と流れてくる。
「……あれ?」
玄関の鍵を開けドアをくぐると、俺はなぜか不思議な感覚に見舞われてしまった。
たった二日間だけしか空けていなかったのに、誰か別の人間が住んでいるかのような違和感を感じる……。
俺、こんなに部屋をごちゃごちゃにしてからあの日家を出たっけ?
見覚えのないポテト・チップスの袋がなぜゴミ箱に入っている?
まあ気のせいだろう、きっと自分でも気付かないうちに買って食べていたのだ。
部屋を片付けながらさて3日間何をしようかなと考えていると、突然ドアががちゃりと開いて誰かが入ってきた。
あれ俺、ちゃんと鍵閉めたよな?
ま、まさか泥棒!?
「ただいま~。あ、兄ちゃんおかえりー!」
そこにいたのは、真美だった。とてとてと部屋に入ってきて、小さなハンドバッグを椅子の背にかけている。
「もう、ケータイ切ってたっしょ! 何回も電話したんだからね!」
それはいつも通りのかわいらしい真美そのものであり、彼女はとても自然体だった。
あれれ、この子いまどうやって入ってきたんだろう? がちゃり? え、鍵?
真美はまるで自分の家、自分の部屋にいるかのように服を脱いでいく。
そして「今日は太陽サンサンであちーっすね! あ、見てこれ~。退院祝いのゴージャスセレブプリンであるぞっ!」などと言いながら、
これまた当たり前のように俺のベッドの上に脱いだ服を投げかけていった。
「……お、おい、真美?」
「どったのー? ってきゃあ! み、見ないでよ! 兄ちゃんのえっちー!」
「す、すまん!」
あれ、俺なんで謝っているんだろう。着替えを見ちゃったからか、そうだよな。
いつの間にか、運動によって流れてきていたはずの爽やかな汗は、冷や汗という形に姿を変え俺の背筋を伝っていた。
まあ美希じゃないだけよかった……と思い、そして俺は、こやつめ! という顔をして笑ったのだった。
当然いつまでも笑ってやるわけもなく、俺は今、フローリングの床の上で正座をしている真美に説教をしている。
「……で、なんで家の鍵を持っている? 渡してなかったよな?」
「こ、こないだ泊まったとき、合鍵を失敬しまして……」
「くぉおおら!! それは犯罪! わかる!? は・ん・ざ・い!!!」
「は、は・ん・ざ・い!!」
着替え途中だったので、真美はまだ半分下着姿のままだ。そんなことはどうでもいい。
これだからゆとりは……いい具合にほどよく出るとこ出して、かつ引っ込むとこは引っ込んでいやがる。
引っ込んでばかりの千早に謝れ、と言ってやりたい。まるでけしからん。
縮こまる真美の体をちらりちらりと見ながら、俺は説教を続けた。
怒られたことで少々気まずくなってしまったのか、夕食をふたりで食べている間、真美はずっと静かだった。
俺が冷蔵庫に入れられていたゴージャスなんとかプリンを2個続けておいしくいただいているときも、
真美は何やらもの欲しそうな顔をしていたが、「あ、あぁ~……」とぼそぼそしているだけで特に何も言ってこなかった。
おや、これはなかなかどうしてうまいもんだ……例の悲しい事件の犯人の気持ちも、今ならわからないでもなかった。
「きょ、今日は泊まるもん」
真美がようやく人の言葉を取り戻したのは、俺がシャワーでも浴びようかと思ってよっこいしょういちっと立ち上がったときだった。
家に帰らされるのかと思ったのかもしれない。
正直に言って俺も真美は今日泊まるものだと思っていたので、ふたりの意見は一致していることになる。
そっか、じゃあ特に何も言わないでも大丈夫だろうな。
そう思った俺は黙って浴室に入っていった。
シャワーを浴びてひとまずすっきりすると、真美はとても神妙な顔つきになって再びフローリングの上で正座していた。
あれあれ? なんだ、どうして泣きそうになっているんだ?
と俺は思ったが、とりあえず彼女の様子を黙って見ることにした。
「に……兄ちゃん……。ま……まだ怒ってる? ごめん、ね……」
そう言うと、真美は今度こそしくしくと静かに泣き始めてしまった。
俺はとても驚いてしまい、慌てて真美の近くに駆け寄る。
「おい、どうした! 何があったんだ!」
「に、兄ちゃんに嫌われたぁあ゛~~!!」
また何かおかしなことを言っている。真美を嫌いになるわけないだろう!
「う……えぐっ……ほ、ほんとう?」
「だって、兄ちゃん、ずっと真美のこと無視してるから……」
俺が真美のことを嫌いになるなんて、天地がひっくり返ったって、千早の胸が大きくなったってありえない。
そう言って俺は未だに正座を続ける真美のことを強く抱きしめてから、随分久しぶりに……キスをした。
「すまんすまん、ちょっと意地悪しすぎたよ……ごめんな、真美」
「ぅあ……。……んむ……。……こ、こんなんで許されるかと思ったら、大間違いなんだから」
本当の本当に、嫌われたかと思ったんだからっ! と真美はぷんすこしている。じゃあどうしたら許してくれるんだ?
「も、もういっかぃ……んんっ!?」
言い終わる前に、俺はもう一度真美の唇を塞ぐ。
長くて深いキスを終えると、真美の顔はまるで熟れたトマトのように真っ赤になっていた。
息も少し荒くなり、髪も乱れ、とても扇情的だ。
「……えへへ、だいすき~」
……。
真美の機嫌も治ったところで、俺と彼女はふたりで並んでソファに座り話をしていた。
「兄ちゃん、なんだか、すっきりしたね」
「まあ、今風呂入ってきたばかりだからな……」
「そういうんじゃなくて! ん~、どう言ったらいいのかなぁ。ツキ物? が落ちたっていうか」
憑き物、か。確かにそうかもしれない……ここのところ休む間もなく働いていたからな。
ほぼ2日間丸々眠ったことが、真美にそう印象付けさせているのだろう。
「あと喋り方とかもさ……なんだか、前の兄ちゃんみたい」
「そ、それになんだか、いつもより積極的だし……」
それに関しては原因がわかりきっている。禁欲の時間が長いほど、男は積極的になり女を求めるのだよ。
もちろんこんなこと真美には言わないが。
「ね、ねえ兄ちゃん。ちょっと気になるんだけど……その、ズボンがさ」
しまった、と思ったときにはもう遅い。こんなこと何度目だろうか……。
ボクはここにいる! と自己主張を続ける下半身は、俺の秘めたる熱くたぎる気持ちを何よりも雄弁に語っていた。
仮に言葉にしなかったとしても、俺の意思とは関係ないものなのだ。
先ほども言及したように近頃はひとりでする機会もなかったからこうなっているだけで、決して俺がロリコンだからというわけではない。
しかし、いつもなら見ても見ないフリをしてくれるのに、一体どうしたんだ。
「……ねえ、兄ちゃんさえよければ、真美は……」
「あほか……」
「で、でもでも!」
そう言って、真美は俺に抱きついてくる。やめろよ……。
「抱きつくのはいつものことじゃん……兄ちゃん、兄ちゃんのここ、なんだか」
「やめろって」
「は、張っちゃってさ、苦しそう、だよ……。真美、兄ちゃんのためなら……」
そう言うと、真美は俺の下半身に手を伸ばしてきた。
「っ!!」
ばしっ! と、思っていたよりも強い力で、真美のことを振り払ってしまった。やってしまった……。
突然のことに、真美はひどく動揺しているようだ。俺は慌てて真美の体を抱き起こしてやる。
「? ……!? う…うぅ……う……うぇええ゛えん!!」
また、真美は泣き出してしまった。泣かせてしまったことに対して申し訳ないという気持ちはあったが、
(一体、本当にどうしたんだ、こんなに、こんなに情緒不安定な子じゃなかっただろう!?)
という思いがあったのも確かだった。
考えてみれば今日は、最初から……いくら鍵を持っていたとしたって、チャイムも無しにいきなり入ってくるか?
俺が留守にしている間、勝手に部屋に入ったりするか?
こいつは真美だぞ、美希じゃないんだ!
どこか……いつもとは違う、様子がおかしい。
「ま、まみね……兄ちゃんのこと、だいすきなんだよぉおお……」
「ああ、わかってる……ありがとうな」
「わがってない! ぜんっぜん! わかって……ない゛もん……ずびびっ」
真美が何を言わんとしているのか、俺にはまだよくわからなった。
しかし次の瞬間、俺は頭をがつんと叩かれたような衝撃を受けることになる。
「に……にい゛ちゃんが……」
「ううん、ちがう! にいちゃん“も”!! ……し、しんじゃうかと、思ったんだからぁあ!!」
「!!」
俺は……なんて馬鹿だったんだろう。
泣き続ける真美に対し、ひたすら抱きしめてやることしか俺にはできなかった。
しばらくすると、彼女の感情の高ぶりは少しずつ収まってきたようで、ぽつぽつと話し始める。
「兄ちゃん、ずっとずっと、無理してた」
真美が言うには、こうだ。
俺はここのところ、ずっと切羽詰った顔で無理して働いていた。
その大半は双子ユニットに関する仕事であったため、真美は自分のせいで俺がしんどくなっていると思ったらしい。
しかしながら真美にはそれを止められず、ただ俺が持ってきた仕事を上手にこなすことしかできなかったのだという。
「言ってくれればよかったのに……」
何か思うことがあったなら、どんな小さいことでも“ほうれんそう”。俺が常にアイドルたちに言っていることだ。
「そんなことしても……きっと兄ちゃんは、そんなことないぞーって言って聞いてくれなかったよ。
兄ちゃん、自分のことにはてんで鈍感なんだから」
……たしかに俺自身、きっとそうしていたと思う。実際倒れるまで自分の体はまだまだ大丈夫と思っていたからな。
アイドルに心配をかけさせるなど、あってはならないと思っていたのに。
何度も同じようなことを繰り返す、未熟すぎる自分に腹が立ってしまう。
「兄ちゃんが倒れたって聞いたとき、真美がどんな気持ちでいたかわかる?」
「…………」
俺は黙ってしまった。きっと、今の俺は真美のことを何もわかっていない。
「兄ちゃんは、さっきも言ったけどさ。真美のこと、なんもわかってないんだよ……」
「……そうかもしれない。すまない、真美……」
俺はなんだか、とても悲しい気持ちになってしまう。これは最近、ずっと考えていたことでもある。
俺は真美のことを……本当に、何も理解してやれていないのだ。
真美はきっといつか、こんな、俺に見切りをつけて……
「ってちょ!? 兄ちゃん、なんで泣いてんの!?」
「え?」
気が付けば涙が流れていた。
真美を泣かせ、悲しい気持ちにさせたこの俺が、涙を流している。わけがわからなかった。
「は……はは。すまん、あれ……とまらないな……ご、ごめんな」
涙はなかなか止まらなかった。俺はなんで泣いているんだろう? 涙が出る直前に、何を考えた?
「う……うそ。真美、兄ちゃんを……それで、兄ちゃんは……。な、泣かせるつもりなんて、なかったのに……嘘。や、やだ」
「あ……ああ……ごめぇえん……泣かせてごめんね、兄ちゃあん……!!」
そして結局、真美の方まで泣き出してしまう。
なぜ謝られているのかわからなかったが、真美が涙を流している。
その事実だけで、さらに多くの涙が俺の目から溢れ出してきた。
――――――――――――
――――――
―――
何時間、そのままでいたんだろう。
日付も変わろうかとしているとき、ようやく俺たちは落ち着きを取り戻した。
涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだ。
そのときすでにお互いに、何度ごめんねを繰り返したかわからなくなっていた。
それが何に対する謝罪なのか、とっくにその意味合いは失われてしまっていた。
「真美。俺たちには、いろんなことをちゃんと話すことが必要なんだと、思う」
「……そうだね」
「……お前がこうやって俺のそばにいてくれるから、俺は俺でいられるんだ。
だから俺は、真美の考えていることをもっと知りたい。真美には、俺の思いを知ってもらいたい」
「……うん」
「それじゃあ、まずは真美から……」
そして真美は話し始めた。
あの日から、今日まで。真美がどんな気持ちで、どんな思いで過ごしてきたのか。
彼女は誰を想い、誰のために泣くのか。
ごはんタイム! 書き溜め半分は切った!
次から視点が一時的にP→真美になります。
口調とかもうおかしすぎてやばいので受け付けなかったら……ごめんね!
――――――――――――
――――――
―――
いつからだろ、こんな気持ちを抱くようになっちゃったのは。
いつからだろ、兄ちゃんのことを……こんなに好きになっちゃったのは。
でもま、実は“いつから”なんてそんなことはどーでもいいんだけどね。
初めてのちゅーが、なんだか想像してたよりもあんまりロマンチックなものじゃなかったように、真美にとって“最初”というものは、
スバらしく理想通りになるもんじゃないんだって、最近はちょっとあきらめ気味なんだよ。
「…………本当に、すまん」
ってうそうそジョーダン! そんな顔しないでよ兄ちゃん!
……でも、この“最初”だけは、はっきりと覚えていなきゃいけない。
忘れちゃいけない。
真美の、後悔のはじまり。
「最初に言っとくね」
「真美は、あのとき――ピヨちゃんのお葬式のとき、兄ちゃんとキスしたこと、ずっと後悔してたんだ」
真美がそう言うと、兄ちゃんは真美が思っていたよりずっと大きく驚いちゃったみたいで、
悲しい気持ちを隠そうともせずにまた謝ってきた。
「……すまない。こんな俺のために、これまで嫌々ながら付き合ってくれていたんだな」
今日何度目かわからない、兄ちゃんのごめんね。
……って勘違いしないでー! きっと兄ちゃんが思っているような“後悔”じゃないから!
鈍感にもほどがあるっしょ! ……って思ったけど、いまのは真美にも原因あるかも。
真美は、誰かにちゃんと気持ちを伝えるのがめっちゃ苦手なんだ。
いつもはどーしてもちょっとふざけた感じになっちゃうし、シリアスモードだとなんだか、うっう゛ー!!! ってなる。
「あのときの兄ちゃんはほんときつそうだった。
悲しむこともできないし、受け入れることもできないし、うまく涙を流せないでいたよね」
真美はそんな兄ちゃんのことを見ていられなくて、自分でも上手に泣けないでいたにもかかわらず、
兄ちゃんの力になれたらなーって思ったんだ。
でもそれは今思うと、兄ちゃんにとって、余計なお世話だったんだよ。
「余計なお世話なんてことはない! ……俺はあのとき、本当に救われたんだ」
そう言ってくれると真美の心も少しは軽くなるってもんだよ。……けど、キスという方法は間違いだったんだと思うんだ。
キスってのはなんか……いろんなことを変えるきっかけにしては、強すぎた。
「真美もほんとはあそこまでする勇気はなかったんだけど、なーんでしちゃったんだろうねー……あはは」
兄ちゃんのことが好き、ってのはもうずっとずーっと前からあったんだ。
兄ちゃんが誰か他の女の子と話していると、それがたとえ亜美でも、胸が張り裂けそうになったの。
最初はこれがなんなのかいまいちよくわかんなかったけど……ピヨちゃんが教えてくれたんだ。
――真美ちゃん、それはきっと、プロデューサーさんのことが好きになっちゃったのよ。
真美ちゃんはいま、初めての恋をしているの。
そっか、これが恋かー! って、真美はなんだかうきうきしちゃってた。
兄ちゃんと手を繋いだり、ぎゅーってしてもらったり、キスをしてもらったり……。
こんなことを想像すると、今まで苦しかっただけの胸の痛みが嘘みたいに、とってもあったかいものになったんだ。
「まあそれでもその時はなかなか素直になれなくて、ついつい兄ちゃんのことを避けてしまう真美くんなのであった!」
あはは! ……はぁ~……。
「でも、ま……」
それからはとにかくずっと兄ちゃんのことばっか見てた。避けながらもね!
兄ちゃんと話すたびに、嬉しくなったり悲しくなったりしてたんだ。
でもでも、そのときにはもう兄ちゃんとピヨちゃんは恋人同士だったんだよね。
真美はまだまだ子供だからよくわかんないけど、ピヨちゃんはどうしてそれを――この気持ちの正体を、真美に教えてくれたのかな。
真美がピヨちゃんの立場だったらそんなこと黙ってるのに。
とにもかくにも、今思うと真美はずいぶんピエロだったよねー……ピヨちゃんの悪女! なんてね。
それでそのうち、おや? って思ったんだ。何がって~?
んっふっふ、それは兄ちゃんとピヨちゃんの不穏な空気にだYO!
――ねえ、ピヨちゃんってさ、彼氏とかいるのー?
――え? えええ? な、なにを言ってるのかしら真美ちゃん!
こんな年増をもらってくれるぷ……男性なんていないわよ! いたらしょ、紹介してほしいわ!
――へ→。じゃあさ、兄ちゃんに彼女がいるかどうかって知ってる?
――さ、さあ~……こ、今度機会があったら聞いてみるわね!
でもプロデューサーさんかなり鈍感なところあるから、きっといないんじゃないかな~……。
――へ→。ねえピヨちゃん、なんでさっきから汗だくで目を逸らしてるの?
――ピ……ピヨピヨ……。
真美はそれを聞きながら、おやおやおや? って思ってた。
ピヨちゃんは確かに兄ちゃんとの関係はなんも言ってなかったけど、この事実は真美だけじゃなくて、誰でもわかったかもね……。
「後悔したってことに戻すね。あのときのキスは、これから起こる悲しい事件のきっかけに過ぎないのであった……」
間違いなく、あのお葬式でのキスから、真美たちの関係は変になっちゃった。
さっき兄ちゃんは言ってくれたよね。真美がこうやって俺のそばにいてくれるから、俺は俺でいられるんだ、って。
それでも……。
「それでも、兄ちゃんはね。ピヨちゃんが死んじゃったことと、もっとちゃんとしたカタチで向き合うべきだったんだよ」
「それが……真美の後悔」
真美はそれを邪魔しちゃった、真美のせいで。
「真美のせい?」
「うん。真美、自分でも怖いくらいに、どんどん兄ちゃんのこと……す、好きになっちゃってたんだ」
「何度目かわからないほど兄ちゃんとキスをしたとき、真美はようやく後悔し始めたんだ」
これは決して、正しくない。
兄ちゃんは口ではなんだかんだ言いながらも、真美のために尽くしてくれた。仕事面でも、プライベートでも。
でも気が付けば、兄ちゃんの様子は日に日におかしくなっていってた。
「様子がおかしいって、そんなことなかったと思うけどな……」
「おかしかったよ……前の兄ちゃんだったら、あんなに」
「あんなに亜美に、きつきつなスケジュール組ませなかったじゃん」
「真美は……いや、真美だけは、知ってる」
亜美は、兄ちゃんとりっちゃんの期待に応えようとして毎日毎日……本当に必死だった。
それでときどき、真美しか知らないことだけど、ちょっと変になっちゃったりしてた。
亜美は亜美なりに……ピヨちゃんが死んじゃってから、何か思うところあったのかも。
ラッキーなことに大きく体調崩したりはしなかったけど、ひたすら疲れを隠して仕事してたんだよ。
うちに帰るとすぐ死んだみたいに寝ちゃってたしね。
「そんな……亜美、俺は……何も、何も知らずに、気付いてやれずに……」
「亜美に口止めされてたってのもあるけど……それ知ってて、兄ちゃんに何も教えなかった真美も悪いよ。だから……泣かないで」
「う……うぅ……亜美、すまない、すまない……!」
兄ちゃん、今日はちょっと泣き虫? ……だけどやっぱり、優しいね。そして真美は……やっぱり卑怯だね。
「もうやめよう、って真美が兄ちゃんに言えば、この関係も終わり。
いろんなことが少しだけ、前みたいに戻ってくるってのはわかってた」
でももう、そんなことできないくらい、真美は兄ちゃんなしでは生きられなくなっちゃってたんだ。
兄ちゃんとのキスはきっと、お互いスキスキーって感じの、ラブラブなものじゃなかったんだと思う。
たぶんそれは、そうでもしないと自分のカタチをちゃんと保っていられなくなるからするだけの……“ごまかし”のキスだった。
唇を重ねることで、真美たちはお互いを慰めあっていたんだ。
兄ちゃんの心は真美に向いていない、ってのは何度も聞かせれてたしね。
だけど、それでも……。
「それでも真美は、兄ちゃんにキスをねだることが……やめられなくなってた」
どんな形でもいい。真美のことを好きじゃなくたって、我慢できる。
ただ自分の居場所がほしい。
キスすることで、少しでも兄ちゃんがこっち向いてくれるなら……。
「先に謝っとく。ごめんね、兄ちゃん」
兄ちゃんは、何のことだ? という顔をしてこっちを見ている。怒るかなあ……。
「真美、ある人にね……その人もうちのアイドルなんだけど、兄ちゃんとの関係、相談しちゃってたんだ」
てへぺろ! なんてごまかしつつ、おそるおそる兄ちゃんの顔を伺ってみる。
兄ちゃんはこの世の終わりのような顔をしていた。
まあそうっすよね……でも、真美に対して怒りはしなかった。そんな余裕もなかったのかも。
そして、わずかに残ったこの世を生きる力を振り絞って、兄ちゃんは聞いてきた。
「ち、ちなみにそれは……誰なんだ?」
「……千早お姉ちゃん」
千早お姉ちゃんには、兄ちゃんとのことをほぼ全部相談していた。
真美が兄ちゃんを好きだということ、こんな関係になってしまったきっかけ、あと最近では亜美のことも……。
千早お姉ちゃんなら誰にも言わないってわかってたし、きっと真剣に考えてくれるって思ったから。
実際、千早お姉ちゃんは真美のいろんなことを聞いても、なにも嫌な顔ひとつしなかった。
千早お姉ちゃんの話す言葉は、不思議と真美の心の中にすーっと染み込んできたし、
話を聞いてもらうことで楽になった部分もたくさんあったと思う。
歌で、言葉で気持ちを伝える人って、やっぱすごいんだなーって思ったよ。
でも、千早お姉ちゃんの心に土足で踏み込むこと、真美はしちゃった……。
でもそれこそが、どうしても千早お姉ちゃんじゃなきゃだめな理由だったんだ。
それは……
深呼吸をして、真美は告白を続ける。
それは、今まで触れられなかったこと。
ふたりの間で、いつの間にかタブーになっていたこと。
誰かに助けてもらわないと、真美にはどうすることもできなかったこと。
「いまの兄ちゃんの、ピヨちゃんに対する思い」
最愛の人を亡くしてしまった、その気持ち。
真美だって、ピヨちゃんのことだいすきだったから、とても悲しいってことはわかるよ……。
けど兄ちゃんはあれから、真美と直接、ピヨちゃんに関する話をしてくれなかった。
だから真美には、兄ちゃんの今の心っていうものがわからなかったんだよ。
千早お姉ちゃんは、少し戸惑っていたけど……真剣に、ほんとうに真剣に真美の話を聞いてくれた。
――大切な人を亡くすということは、とてもつらいことだわ。
「まみ……しってるよ。兄ちゃんがときどき、ピヨちゃんのことをおもいながら、その……ひとりでしてるってこと」
「……!」
――私はプロデューサーと音無さんのことを知らなかった。まあ、なんとなく察してはいたけれど……。
だから彼にとっての音無さんが、どれくらいの大きさだったのか……
あはは。兄ちゃんびっくりしてる。そりゃそっか、男の人にとってこれって、けっこうはずかしいことらしいからね~……
――家族と言っていいくらいに愛していたのか、わからない。
だからごめんね、真美。私にはちゃんとした答えは出せないわ。
千早「私と高槻さんが心の底で繋がっているように、Pも音無さんと繋がっていたのね」
真美「…え?」
千早「えっ」
――でもね……知る方法はある。それはきっと、今の真美にしかできないことよ。
「まみ……し、しってる、よ。わかる、よ」
真美は、他の皆とは見方が違うからね!
……おや? 言葉にしちゃうと、これってけっこう自分にもダメージ大きいんだ……。
いままで、しょ~がないな~くらいにしか思って、なかった……はずなのに。
――勇気を出して、一歩踏み出すこと。プロデューサーもあなたも、今ここに、確かに生きているんだから。
あなたはひとりじゃないのよ、どんなときだって。
あの時、それを私に教えてくれたのは、あなたたちでしょう?
なんだか、また、目が、熱くなってきたし……
心臓は、さっきから、
うるさいくらいに、 ばくばくしてる
「に! にい゛ちゃんは!」
「ぴ、ピヨちゃんのこと、にい゛ちゃんはまだだいすきなんだって! そうでしょう゛!?」
「わすれらない゛っで! わがっでたもん! まみ゛のこと、だからすきになれない゛ん、だって!」
「まみ゛もぉ……まみ゛だって、ピヨちゃんのこと、だいすき、だったのにぃい゛……」
「わがっでても……でももう゛、ズビっ、にい゛ちゃんのそばから、はなれられなぐ、なっちゃっでたんだもん!」
「う、う゛ぁあ……ああああぁあああ゛あ゛あああああああん!!!!」
今日は泣いてばかりだな。
涙、こんなに流したのいつぶりだろう。
ピヨちゃんのお葬式のときから今日まで、まともに泣いたこと、なかったのかも。
「う……うぅ……ひっく……ご、……ご」
「ご、ごめんえ゛……ごぇんね、ピヨちゃぁあ゛ん……」
ごめんね……本当に、ごめんね……!!
兄ちゃんが愛していたのは、本当の本当に、最初から最後まで、ピヨちゃんだった。
それがわかっていたのに、真美はこんな形で、兄ちゃんのそばに居場所を作っちゃった。
『兄ちゃんの心の中に本当はあるはずだった、ピヨちゃんの居場所を、奪ってしまった』
真美は……その後悔と、どんな形であれもう離れたくないという確かな気持ち。
ふたつの間で、ずっとずっとぐるぐる迷ってて……いつからか、
いつも通りの自分でいることも、笑うことも、できなくなっちゃってたんだ。
――――――――――――
――――――
―――
「ず……ずびび。失礼しました……へへ、なんだかかっこわりーねっ!」
今まで言えなかったその思いを、真美は勇気を出して、俺に教えてくれた。
真美がどれだけ真剣に、俺のことを想ってくれていたのか。
どれだけ俺のために、悩んでくれていたのか。
俺が今までちゃんと向き合えなかった、音無さんのことを、どう思っていたのか。
「ありがとう、真美」
そう言って、俺は真美を強く抱きしめる。
この感謝の気持ちを表すために、そしてこんな顔をしている俺を見せないために。
今度は俺の番だな。だが俺自身、うまく考えがまとまっていないのが現状だ。
しかしながら、ひとつだけはっきりしていることがある。“最初”に言わなくはならないことだ。
今なら……言える。
「真美」
「ん……?」
「俺は、真美のことを」
ふう、と深呼吸して、真美の体を少しだけ離す。
そして、真っ直ぐに真美の瞳を見た。
多少恥ずかしくはあったが、これだけはやはり顔を見て言わなければならないと思ったからだ。
「真美のことを、愛してる。世界でお前のことしか見えなくなるくらいに……真美に夢中だ」
真美はとても驚いた顔をしている。鳩が豆鉄砲くらった、とはこのような顔のことを言うのか。
「ま、またそうやって心にもないことを……」
ドラマや漫画などでは、ここで甘いキスなどして信じさせるのだろうな。しかしそれは使えない。
いまの俺と真美にとって、キスとはある意味、最も“ごまかし”に近い行為なのだから。
俺は自身の言葉で、真美にこの気持ちをぶつけなければならない。
「嘘じゃない。俺は、本当に真美のことを愛しているんだよ」
「そんなこと言っても、信じ、られないよ。どうせまた、真美のご機嫌取りなんでしょー?」
っかー! いっちょまえにめんどくせーことを言いやがるこの女!
少しばかり冷静さを失ってしまったが、
辛抱強さこそが女性を扱う上での必須スキルであることを思い出した俺は、ゆっくりと話し始める。
「真美、俺はな……愛にはちゃんとした形はないと思うんだよ」
「愛ぴょんは……ゲル状なの?」
「黙ってききなさい」
何を思ってかいまだに茶化そうとしてくる真美のデコをピンして黙らせ、俺は話を続けた。
「いいか、よく聞くんだ真美」
「俺の真美に対する強い気持ちは確かにここにある。
だが、俺はいっそこれが、真美に信じてもらえなくてもいいとさえ思っているんだ」
「結局のところ、愛とは自己満足であり、自分が幸せになるための手段に過ぎないんだからな」
「もちろん、相手に届くことに越したことはない。
両思い、それは奇跡だが、それゆえに素晴らしいものなのだから」
「それでも、俺は真美の笑顔を見ているだけで、胸が張り裂けそうになるんだよ」
「今まで、俺はこの感情とちゃんと向き合ってこなかった……俺は、怖かったんだ」
「真美が笑顔なら俺は天に昇るような気分になれるし、真美が泣くなら俺は海より深く絶望してしまう……」
「…………」
おや、真美がぷるぷるとしている。もう一息かな。
「もちろん……とてもつらいときだってある。しかし、それ以上に、俺は幸せなんだ」
「だからな、真美。俺はこの気持ちが真美に届かなくても、ひとりで抱いているだけでもいいと思うんだ」
「でも、ひとつだけ……ひとつだけ望むことがある」
「せめて、これまで通りに……俺のそばにいてくれないか」
「お前が嫌だと言うならキスもしない、体を重ねるなんてことももちろんしない」
「ただ真美がそばにいてくれれば……俺は明日を生きていけるんだから」
「だから頼む、真美。俺のことならいくら嘘つきと罵ってくれても構わない。だから……」
「だぁーーーー! もういい、もうわかったよ兄ちゃん! キモい!!」
そう叫ぶと、真美は俺の告白をさえぎってしまった。まだこれからだと言うのに。
真美はそのかわいらしい顔をゆでだこのように綺麗な朱色に染め、こちらをじとーっと睨みつけている。
「……ばっかみたい! ばか! ばかばか!! キモ過ぎー!!」
「そんな……まだ俺の気持ちは伝わらないのか? そうだよな、まだ半分くらいしか……」
「もういいから!! てかまだ半分だったの!?」
キモいなどと言われて少し傷ついてしまったが、本当に気持ちを伝えるのはとても難しいことなのだと俺は知っている。
だが真美は、頑なに俺の言葉を拒否しているようだ。
「……もう、もう十分わかったから……ばか」
真美はまた、言葉という概念を失った森の妖精のように黙ってしまった。
しかし俺の体にしがみついて離れないので、少しだけ心を開いてくれているのだと思う。
「なあ、真美……」
「……」
「……音無さんの話、聞きたいか?」
「……うん」
そうだな、あれはいつのことだったか……。
そう言って、俺はかつての恋人、音無さんのことを話し始めた。
「音無さんは、いつだって笑顔だった」
真美も知ってるだろう?
彼女の笑顔は、とても素敵で、いつも俺はその笑顔に救われていたんだ。
俺がずっと前――もう随分前になってしまった気がする――大きなミスをやらかしてしまったときも、
彼女は変わらず笑顔で俺のそばにいてくれた。
「――でさ、そのとき音無さんはこんなこと言ったんだよ」
音無さんとの馴れ初めやデートの様子、彼女がどんな風にアイドルたちのことを思っていたのかなど、
俺は本当にいろんなことを真美に話して聞かせた。
もちろん特殊な性癖の話は除いてな。
真美はうん、うんと相槌を打ちながらそれを聞いていた。
その顔はとても安らいでいて、リラックスしている様子であった。
「……それでな、音無さんは……」
あれ? なんだろう……話しているうちに、ちょっと顔が熱くなってきた。
いい年して照れてるのかな、はは。
「! ……に、にいちゃん」
音無さんのこと。今までこんな風に思い出したことあったっけ?
は、はは……忙しすぎて、そんな暇なかったかもな……。
「そ、それで……な。音無さんは、な、名前で……よばないで……なんて」
「もう、いいよ……兄ちゃん、我慢、しないで」
いや、ちがう……忙しいとか、そういうことじゃない。そんなことを、言い訳にしてはいけない。
俺は……ずっと、ずっと……逃げていたんだ。
――おかえりなさい、プロデューサーさん。
「あ……あ、あぁ」
――今日も大変でしたね。お疲れでしょう、いまあったかいコーヒーを淹れますね。
「大丈夫、真美が……真美がここにいるから……だから」
「負けないで……! 大丈夫だから、兄ちゃんは自分を、真美を、信じて……!」
――もう。ダメですよ、プロデューサーさん?
「今度は……“ごまかし”なんかじゃなくて! ……ちゃんと」
「ちゃんと! ピヨちゃんのことと、向き合って……!!」
「う、うぅ……こ、……こ」
「小鳥……!!」
なんで……。どうして、死んでしまった……なんで俺を、ひとりにしてしまったんだ……!
だいすきだって、ずっと一緒だって……言ってくれたのに……!!
――あなたが笑顔じゃないと、私も悲しくなっちゃいます。
わからない、わからない、どうしたらよかったんだ? どうすれば! 君を失わずに……!
小鳥、小鳥……! 俺は、君のことをほんとうに、ほんとうに愛していたのに……!
――私もだいすきです……ずっと、ずーっと一緒ですよ。
君が……君がいなくなってしまってから、俺は……!
まるで、光を失ってしまったように――
「こ、ことりぃ……ことりぃいいい゛いいいい!!!!」
――夜が闇で、空を消しても……雲が、銀河を隠しても……――
小鳥が死んでしまってから、俺は暗闇の中でひたすらがむしゃらに働いた。
そうしていないと、とても自分を保っていられなかったからだ。
ときどきこうやって小鳥の歌のことを思い出しながら、彼女の愛したアイドルたちのために生きていく。
それが、俺なりの小鳥への追悼だったのだ。
そうしていれば、俺は大丈夫。
彼女のことを忘れず、その思いを胸に今日も生きていく。
小鳥の死から目を背け、ちゃんと向き合おうとも、悲しもうともせずに。
「兄ちゃんっ!!」
そう叫んで、真美は俺のことを強く抱きしめてくれた。
涙の雨などどこか遠い空の向こうへ置いてきたかのように、その瞳には、闇を照らす暖かくやさしい光が宿っていた。
真美の、すべてを包んでくれるようなそのやさしさの中で、俺はようやく理解する。
なぜ先ほど――真美が自分のことを話す前に、俺が涙を流してしまったのかを。
そうだ。俺は……真美まで、いなくなってしまうんじゃないかと思ったんだ。
真美が俺を置いて、どこかへ行ってしまう。
それを想像するだけで、俺の心は引き裂かれるように痛くなったんだ
――小さくたって、あの花の様に……――
真美の存在はいつしか、俺の心の大半を占めるほど大きくなってしまっていた。
真美はそれを、間違った形だったと言った。しかし決して、そんなことはなかったんだよ。
――星は、光を咲かせてく……――
最初は小さな、小さな種だったけど……気付いたときには、俺の心にすっかり根を歩ませてしまっていた。
葉を広げ、茎を伸ばして、大きな花を咲かせていたんだ。
「真美。俺は……小鳥のことを本当に愛していた」
「うん」
「小鳥を失ってしまったとき、俺は自分の心の一部もまた、どこかに失ってしまったんだと思う」
「……うん」
「それを埋めてくれたのが、真美。お前なんだよ」
お前はそれを、ずっと後悔していたと言った。
しかしそれこそ間違いだ。
俺が救われたという事実は、真美を想う気持ちは、たしかに今ここにあるのだから。
「俺はこんなに、弱いんだ。もう愛する人を、二度と失いたくない。だから真美……」
「俺のそばに、いてくれないか」
「……うん!」
「兄ちゃん!」
少し鼻にかかる、甘えた高い声でそう言って、真美は俺にキスをねだってきた。
いつものこと……ではない。
いつものような、お互いにお互いを慰めるだけのような、“ごまかし”のキスではない。
俺は真美のことを本当に愛していたし、真美もまた俺のことを愛してくれていた。
それだけで、世界はこんなにも色彩を変えるのだ。
おわり
事務所つぶれるほどのミスってなんだったん?話関係なかったのかな
>>274
あのころPは働きすぎてまた倒れちゃって、誰にも連絡できないまま
『あみまみ』結成に関するとっても大事な打ち合わせというか会議をすっぽかしちゃった……というところまで妄想した。
一応終わらせることできたんで、こっからは俺のやりたように後日談オナニーするね! ちはやよ!
――――――――――――
――――――
―――
星も眠るような深い夜の時間になったとき、俺たちは汗だくでベッドの上にいた。
失われた体力を取り戻すために、少しばかり真美と運動をしていたのだ。
「はぁ、はぁ……ん、ねえ、兄ちゃん……」
「なんだ?」
「さっきの……告白のさ。もう、ぅ、ふう……もう半分、聞かせてよ」
「お前さっきはキモいって……」
「い、いいから! どうせ、さっきみたいに、いっ! 言って、ピヨちゃんのことも骨抜きチキンにしたんでしょ!
真美にも言ってくれないと、ふ、ふこぉへーじゃん……んっ」
「はは、まったく真美はまだまだ子供だなあ」
「その子供相手に、こんな! ……ん、んあー!」
それから俺は、心からの気持ちを誠心誠意、真美に伝えた。
彼女は顔を真っ赤にしながら、体中に珠の汗をいっぱいに浮かべながら、俺の告白を聞いていた。
いやあ、そんなに恥ずかしかったのかな?
――――――――――――
――――――
―――
俺と真美がお互いの心情を吐露したあの夜のあと、俺は残り2日間の休暇をすべて真美と一緒に過ごした。
真美は真美でもちろん仕事や学校があったので、会うのは主に夜になってからであったが。
「そういえば、真美。だいぶいまさらの話なんだがな……」
「なあに、ハニ→?」
「ひぃ、そそれだけはやめてくれ! ……ゴホン、えー。俺の家に泊まること、家の人にはなんて言ってるんだ?」
「……ん、んっふっふ~……」
冷や汗をかきながら、真美はちらりと目を逸らした。まさかこいつ……。
「だ、だまってるわけじゃないよ? ただちょっと、千早お姉ちゃんに口裏合わせてもらってるってゆーか」
はいはい出たよ! まーたちーちゃんだよ! おれもうどんな顔してあいつの前にいけばいいかわかんない!
――――――――――――
――――――
―――
「はっはっは、よく戻ってきてくれたな! いい顔をしてるじゃないか」
3日間ゆっくりと休み、真美によって体力気力ともに充電させてもらった俺は、久しぶりに事務所へ出勤した。
迷惑をかけてすまなかった、ということを伝えると、みんなは思い思いの言葉で俺の復帰を喜んでくれた。
いかん、また涙が……。特に美希は、なんだか鬼気迫るといった勢いで血走った眼を俺に向けていた。
「ハニー、ハニー……コヒュー」
そんなに心配してくれてたのか、はは、こいつめ。
嬉しいけど、社長も話しかけてくれてるし俺そっちいくね。ごめんね。
「私も若くないな、この三日間ふたりには翻弄されっぱなしだったよ!
いやあ、あのじゃじゃ馬たちを乗りこなせるのはやはり君しかいない!」
ところでそのじゃじゃ馬のひとりである真美はというと、なにも知らない顔をしながら
みんなに合わせて「兄ちゃん真美に会えなくてさみしかったっしょ→?」などと言ってのけた。
大した役者だ。舞台もいけるか?
そうして、さて何から手をつけようかなと自分のデスクに座ったところで、
恐れ多くも如月千早様が俺のようなゴミめにお声をかけてくださった。
「あの……プロデューサー。ちょっとお話が」
「ひっ!! い、一体私めになんの御用でしょうか千早様!」
「ち、千早様?」
「お、お金でしょうか? 少々お待ちください、いまダッシュでATMに行ってきます故」
「……プロデューサーは私のことをなんだと……!」
「お、怒らないで! いやむしろ怒ってくださいそれで気が済むのなら!」
心の準備ができていなかったために少しばかり取り乱してしまった俺は、
深呼吸をして、ようやく千早の言葉を聞き始めた。
思えば、こうして千早と話すのはずいぶん久しぶりな気がするな。
何か得体の知れない恐怖を感じ取って避けていたのかもしれない……。
近頃真美とやたら強い結びつきを持っている千早は、どうやらすべてを知っているようだった。
「真美と、その……ちゃんと話し合ったんですね」
「……ああ。すまなかったな、千早。お前にも迷惑かけた」
「迷惑だなんて思っていません。真美も……私にとって、大切な家族ですから」
当然、音無さんもです。そう加えてから、千早はまるで歌うように喋る。随分と機嫌が良いみたいだ。
「恋愛観、倫理観は人それぞれです。世間的には許されないかもしれませんが……。
私は、あなたのしていることを責めたりしません。真美はあんなに幸せそうですし」
「ただ、プロデューサーはみんなのプロデューサーなんです。寂しがってる人たちのこと、ちゃんと考えてあげてくださいね?
……もちろん、」
そう言うと、千早は長くてさらさらの髪をくるりと翻しながらこう続けた。
「私のことも」
ぽかんとしている俺の顔を見て、千早はふふ、と透き通る声を上げて笑った。
もともと綺麗であったが、最近はさらに磨きがかかっている。
知らないうちに、ここのアイドルたちはみんなそれぞれの成長をしているようだ。
「俺が骨折して入院しているときもそうだったが……本当に、お前には助けられてばかりのようだな」
「これを……」
そう言うと俺は、スーツの内ポケットからすっと一枚の写真を取り出し、千早の手の中にそれを納めた。
俺の秘蔵のうち一枚。これまでのプロデューサー人生の中でも、会心の出来だ。
いつもお守りにしている大切な写真だが……俺の感謝の気持ちを表すのに、これ以上のものはないだろう。
「こ、これは……!」
そこには、蒼天色のスクール水着を身にまとい、カメラに向けてウィンクを浴びせている少女――
高槻やよいという名の天使の姿が写っていた。
やよいは悪戯っぽい笑顔を浮かべながら――その笑顔はやはり、深く淀んだ心さえも洗われてしまうくらいに可愛らしい――
こちらに水をかけてきている。その水を全身で思いっきり浴びたら、どんな幸せな気分になれるのだろう。
そして彼女の象徴でもあるそのふわふわのツイン・テールの髪は、太陽よりも真っ赤なシュシュでまとめられている。
とても爽やかな、夏らしさを感じさせる一枚だ。
一緒に学校のプールにこっそりと忍び込み、彼女の浴びた水を腹いっぱいにすすりたいとさえ思わせる。
「た……高槻さん……!」
千早……どこを見ている?
そうだな、たしかに露出が多い衣装であることから、ついついその健康的なすべすべ肌や、
張りと柔らかさを想像させるふともも、小さいがしかししっかりとその存在を主張している胸の谷間などに目がいってしまうだろう。
わかるぞ、お前の気持ちはとてもよくわかる。
しかしながら、真に注目すべきは――鎖骨、だと思わないか。
「――!!」
彼女はまだそのプロポーションが未熟であるが故に、いやその未熟さもまた大きな魅力であるのだが、
あまりきわどい衣装でグラビアに出ることは多くない。だからこそだ。
やよいの鎖骨――このフレーズ以上に、こんなにも胸を締め付けるものがあるか? 俺にはすぐ答えが出てこない。
こんな風に心を開ききり、警戒心をなくしたやよいの、鎖骨を……
……指で、そっと……なぞってみたいと思わないか?
そのとき彼女はどんな表情をするのか……想像してみてくれ、千早。
「やめて! わ、私は……決してそんな目で高槻さんのこと――」
ところで、先ほども少し触れた水についてもう少し考えてみようじゃないか。
これは彼女の玉のような肢体にまとわりついている、一般に“ほぉす”と呼ばれる面妖な長い筒状のモノから放出されているな。
そのながくて、やよいの手にあまるモノの先っちょは今、彼女のちいさなお手てによってぎゅっ……と押さえ込まれている。
やよいが押さえ込むことによって、さらに勢いを増して大量の液体が溢れ出てしまっているのだ。
そしてその、彼女の体を艶かしく濡らす液体は、虹という形へと昇華されて、いる……っ……つ、繋ぐレインボー……! これが!!
これが連想させるもの! そ、それはもうひとつしかないだろう! ふざけんな、俺の心をこんなに弄びやがって!
お、俺もう、なんくるなくなっちゃう―――
「はぁ、はあ、だ、だめぇええ――……」
こんな風に千早とやよい談義に花を咲かせていた途中で、俺は頭をがつんと殴られてしまった。
だ、誰だ!? 千早か? いや千早は今、顔を真っ赤にして写真に釘付けになっている……。
「はぁ……はぁ……。に、兄ちゃんの変態! ロリコン! うわきもの~!!」
そこには真美がいた。目にはなぜか涙をいっぱいに溜め、今にも爆発しそうなほどの怒りの表情を浮かべている……。
しかしロリコンとは、お前がそれを言ってしまうのか。やよいは一応お前より年上だぞ。
ちなみに俺はロリコンではない。
好きになってしまったのがたまたま、干支が一周してしまうくらい年の離れた、13歳の女子中学生だったというだけの話だ。
「や、やあ真美。怒った顔もかわいいな」
もう一発殴られた。
「兄ちゃんの……ばかぁあああ!!」
「え、浮気!? え、真美!? ど、どういうことですか! プロデューサーさん!」
「ハニー……? ちゃんと説明、してくれるん……だ、よね……?」
「ふ、不潔ですぅ……(ちらり、ちらり)」
「あ、私の写真だぁー!」
「高槻さん、かわ、かわいい……!」
「うっうー! ありがとうございまぁす千早さん!」
「だー!! うるさーい!!!」
収集のつかなくなった事務所に、律子の怒号が響き渡る。
「プロデューサー殿が帰ってきたからって、ちょっとはしゃぎすぎよあんたたち!」
「い~い!? もうすぐ定例ライブなんだから、遊んでばっかじゃなくて気合入れなさい! き・あ・い!」
そう、もうすぐ765プロオールスターによるライブだ。
みんなで一緒にやることができる、最近では数少ないイベント。俺の復帰一発目の、大仕事になる。
――――――――――――
――――――
―――
「おつかれ! みんな!」
最後のアンコール曲が終わり、ライブは終焉を迎える。
全てを出し尽くしたみんなは、息も絶え絶えといった様子で俺や律子の待つ舞台袖に集まってきた。
結論から言って、ライブは大成功に終わった。
会場に来てくれたファンたちの盛り上がりも最高であり、未だに冷めやらぬ熱気がここまで伝わってくる。
スポットライトがきらめく舞台で踊り、歌いきった。その達成感は、きっと彼女たちにしか共有できないものだろう。
みんな、どこかすがすがしい表情をしている。……ただひとりを除いて。
「に、兄ちゃあん……」
真美が、不安を隠しきれないといった様子で俺のそばに立っていた。
腕をうしろに組みながら、俺の足元に目線を向けてもじもじしている。
さっきまであんなに楽しそうに歌って踊っていたといのに……。
その細い足はがくがくと震えており、つついたら飛んでいってしまいそうにも見える。
……真美は、俺を含めた一部の人しか知らないが、これからひとりでとんでもないことをしようとしている。
そんな真美に言えることは、これしかないだろう。
「……大丈夫だ、自分を信じろ。失敗したら、思いっきり泣けばいい!」
真美、お前にはやっぱり笑顔がとてもよく似合う。
そんな顔してちゃ、これからお前がやろうとしてること、ちゃんと届かないぞ。
「うん!」
そう言って、真美は宝石のような笑顔を浮かべて走っていった。
真美がひとり、舞台の上に舞い戻る。
『いえーい! 会場の兄ちゃん姉ちゃん! 今日は楽しんでくれたー!?』
会場のファンたちは再び姿を現した真美を見て、まだアンコールがあるのか、と期待しているようだ。
『今日のライブはほんとは、さっきの曲で終わりなんだ~』
ええ~!! という声が会場中に響き渡る。
『んっふっふ~、ごめんね! みんな搾りに搾りつくしちゃって、もうなーんも出てこないんだよ~』
真美ちゃんえろーい! 誰かがこう言った。うちのアイドルに向かってなんてことを言いやがる。
どうやらマナーのなってないファンのお客様がいるようだな。真美の本当にエロい姿を知っているのは俺だけだ。
『でもでも真美は! まだまだとーっても元気だから、最後の最後に一曲だけ、歌っちゃうYO→!』
『なんてね、ほんとは色んな人にすっごいすーっごい頼み込んで、ようやくやらせてもらえることになったんだ』
『だから最初に謝っとくね。ごめんなさい! 真美は今からここを、メッチャ私物化します!』
『そんなだからこれやるのも、ちょっとの人しか知らないの。
りっちゃんとか今頃驚いて、へんな顔になってるんだろうなー! ぷぷ!』
実際その通りだ。律子だけでなく、アイドルたちのほとんどが何が起こっているかわからないまま真美のことを見ている。
『それでも』
『真美の気持ちが、大切なひとに! 真美の大好きなお姉ちゃんに! 届けばいいなって思う!』
そこまで一息で言ってしまうと、とても静かで優しいイントロダクションに合わせて、真美は歌い始めた。
今 輝く一番星
ひとつ夢を願った…
だけど 今日もまた終わってゆく
『光』
http://www.youtube.com/watch?v=DACrvLBNhzM
ただ自分でいたいのに…
ただ笑っていたいのに…
だけど成れなくて もう出来なくて 落ちる涙
「真美……」
舞台袖で真美のひとり舞台をはらはらと見守る俺の隣で、千早が小さくつぶやいた。
千早も、真美の言う“ちょっとの人”のひとりだ。
かつての千早がそうであったように、今この瞬間にきらめく舞台に立つ真美もまた、
どうしようもない状況から仲間の手によって救われたのだった。
光。
“彼女”が、みんなの前だけで特別に歌ってくれた最後の曲だ。
曲調、歌詞ともに今までの真美のイメージとは正反対の歌だろう。
しかし、不思議と違和感はなかった。
客席にいるファンたちも、今まで見せたことのない彼女の表情や雰囲気に最初こそ驚いた様子であったが、
今では固唾を飲んで見守っている。
真美が何を考え、何を思って、いまこの舞台に立っているのか。765プロのみんなはもうわかっているようだった。
春香や亜美などは、まだ始まったばかりだと言うのに涙を流している。
真美……頑張れ……!
夜が闇で空を消しても
雲が銀河を隠しても
小さくたって
あの花の様に
星は光を咲かせてく
どうか負けないで
自分を信じて大丈夫だから
どうか止めないで
夢が朝になっても覚めないなら
明日を迎えにいってらっしゃい
一瞬。
1秒にも満たないほんの少しの間であったが、真美の小さな頭がかすかに動いた。
そのとき真美は、彼女だけを照らす
眩しくて、どこかやさしい“光”を見あげて、
小さく微笑んでいた。
おわり
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