ガリアの空の下【ストライクウィッチーズ】 (37)

ペリーネ掌編です。

ほとんど地の文(というかペリーヌさんの一人称)のうえ舞台もあちこち飛ぶので
ちょっと読みにくいとは思いますが、よろしく。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1382283213

高く晴れた空も清々しい、ガリアの陽の下。

いまわたくしたちは、パ・ド・カレーの港で扶桑の空母アマギから下船し、迎えの車の荷台で揺られている。
かつての同僚――友人と呼ぶのはやはり少々面映ゆい――と、その随行員を連れ、
わたくしたち4人は一路、我が家にしてこの一帯を収める領主の座たるシャトーに向かっているところです。

荷台の対面に座る懐かしの(…というほどでもないはずなのにずいぶんと長い月日を共に過ごした気がする)彼女は、
扶桑では珍しいらしい、ぶどう畑の美しさに惹かれたらしい。
さっきすこしだけ言葉を交わした以外は、ずっと身を逸らして車外の様子を熱心に眺めている。

やれやれ、あれではリーネさんの解説も半分も耳に入ってないでしょうね。
まったく…ふつう、こういう場では旧交を温めるべく、会話くらい交わしてもいいんじゃないかしらと思うけど、
それどころではないらしい。自分の興味を満たすことにご執心という感じだ。

まあこのほうが彼女らしいという気もするし、そんなこの子に今更気分を害することもない。
だけど、その隣で固くなっている少女は、まだそこまで達観はできないだろうな、と思う。
子供じみた彼女の有り様を受け入れるには、彼女は幼すぎる。

…わたくしも、ちょっと前まではこの少女の側に立っていたはずだと思う。

そうして揺られること数十分、わたくしたちは目的地についた。
そこは、憩いの我が家にして、この辺り一帯を収める領主の座でもある、わがシャトー。
かつて、このあたりでは一番高く、一番大きく、そして美しい建物だった。

しかし、その実物を目にした宮藤さんの顔が曇ったのを、わたくしは見逃さなかった。
いや、見逃さなかったというのは正確ではない。思い切り表情に出ているのだ、わからないはずがない。
さっきまでのぶどう畑を眺めていた時の様子と比べればその違いは一目瞭然だった。


その理由は、言われなくってもわかっている。
だって、わたくしのシャトーは…かつてこの一帯で最も高く、最も大きく、そして最も美しかったそれは、
だけれど今のその身には戦争の爪痕が深く、深く刻み込まれているのだから。
外壁は至る所が削られ、砕かれ。
窓は多くが窓ガラスを失い、もしくは戸板を打ち付け閉じられているし
かつて高くそびえていた尖塔は、半ばから折られてしまって見る影もない。
屋根だって吹き飛び、長く風雨にさらされてきた室内のあちこちには、水シミや砂汚れが残る。

一言で言えば、酷い有様という以外にない状態なのは間違いない。
わたくしがさんざんあの子に話して聞かせてあげた「麗しのわがシャトー」の姿は、ここにはない。

…とはいえ、まったく、この人は少しは表情を抑えたりすることは考えないのかしら。
いや、宮藤芳佳という人間にそういう事を期待すること自体間違っているのでしょうけど。
普通の人なら、こうもあからさまな表情の変化に不快を示したっておかしくないと思う。

でも、わたくしは、彼女とは腐れ縁が続いていたから(本当に、本当に厄介な事ですけど!)わかる。
この娘は、このシャトーに深く刻まれた戦争の傷跡を悲しんでいるのだ。
まるで自分が傷つけられたかのように。

…本当に、変わらない人ですわね。

「これでも、解放前に比べればずいぶんマシになりましたのよ」
だから、わたくしはこう言葉を投げたのだった。

そう、最初は、本当に文字通り瓦礫の山だったのだ。
それがこうしてちゃんと小城らしい外観も取り戻し、人も住めるようになった。
部屋の中では心安らかに眠ることもできるし、火を使うことだってできるようになった。

ここではたらく一人ひとりが…いえ。
それだけではない、もっとおおくの、とてもおおくの人びとの、文字通り血と汗で築き直したのだ。
石ころを一つづつ運び出し、材木を一本ずつ組み上げて、ここまでにしてくれた。

だから、わたくしはこのぼろぼろのお城をとっても誇りに感じていますのよ――
だけど、それは口には出さない。

本当に、このシャトーの姿をここまでにするまでにも、ずいぶんといろいろな事がありました。

車の荷台から飛び降り、石畳を踏みしめる。
その感触が、ふとわたくしの心をありし昔に馳せさせた。
昔…そう、たった1年前からの、思い出というにはまだ記憶に鮮明な――。

――1944年9月。

それは、人類、それも、こと我がガリア共和国の人間にとってはとても大きな意味を持つ。
すなわち、国内から人類の天敵たるネウロイの、その巣が完全に消滅し、その領土が人間の手に取り戻される
という偉業が為された、人類がネウロイに初めて勝利した日であるから。

ブリタニアにその基地を置き、同地の防衛およびガリア奪還をその主任務としていた
第501統合戦闘航空団は、その戦略目標を達成したため解散の運びとなり、
部隊の隊員たちも、それぞれ自分の祖国や次の任地へと去っていった。

このわたくし、ペリーヌ・クロステルマンも、さっそく奪還叶った祖国への帰還を果たした。

だけれど、その帰還に、しかし同僚のリネット・ビショップ軍曹(当時)が同行を志願したのは
わたくしにとっては、とても意外な出来事だった。


「わたしも、ペリーヌさんと一緒にガリアの復興をお手伝いしたいんです」

そう言ってくれた彼女の言葉からは、間違いなく心の底からの真摯な真心が感じられた。
それを嬉しく思いはしたものの、だけれども同時に、その真心は少なからずわたくしを当惑させた。

そもそも、わたくしはリーネさんに対して…というより、当時を振り返った時に、周りの人間から
そういう好意を受け取るに足るような人間だとはとても思えなかった。
特に、一時期わたくしの列機を務めた彼女に対しては、特に厳しい態度で接してきた。
そうしているうちに、結局はロッテが解散になり、わたくしの立場は宙に浮いた。
わたくしが見いだせず、踏みつけにしていた才能を引き出したのは、あの忌々しい豆狸だった。

そうして、ますますリーネさんとは疎遠になっていた。

最初の敵機撃墜の後、彼女はめきめきと成長していった。
実戦でロッテを組んだこともあったが、信頼出来るスナイパーだったし、少なからず命を助けられた。
本当は、彼女はそれだけの能力の有る人間だったのだ。

でも、だからこそ、きっとそこまで成長できた彼女から、わたくしはきっと嫌われている。
そのはずと思っていて、でも、そのことを気にしてすらいなかった…あの頃は。
余裕がなかった、というのは言い訳になる。
人間として、とても未熟だったのです。

だから、とても、とても当惑したのだ。彼女の誠意はわかっても、その理由がわからなくって。

ともあれ、意気高くガリアに上陸したわたくしだったけれど、復興は一筋縄ではいかなかった。

まず、人が住むため、活動するために必要な建物が、全滅にちかい有り様で…。

そもそも、ガリアがネウロイによって占領されたのは1941年のこと。
その後3年間、軍による幾度かの威力偵察や潜入調査などを除いて、
この地には人の手が入ることもなく、すべてが野ざらしにされていたのですから。

部分的であれ破壊された建物は内部にまで風雨によるダメージが達して使い物にならず、
破壊を免れ、一見したところ無事に見える建物であっても、整備がされないまま時間が経ったため
ダメになってしまっている、という状況が多く見られました。
試しとして、ある街区の建物を調べてみたら、7割の建物がそのままでは使いものにならないという
結果が出た、という話も聞きました。
例えネウロイが焼かずとも、雨風が錆びつかせる事で家はダメになってしまうのだ、という事を
わたくしたちは否応なく認識させられて……。

幸い、ネウロイは土壌には深刻な影響を与えない。
瘴気の消えた大地でも、問題なく草木が繁えるという事実は人びとを安堵させたけれど、
住むための家がないという事実は、重くのしかかっていました。

あの頃、わたくしとリーネさんが公園で植樹をした写真が新聞に掲載されましたが、
あれも祖国の復興をアピールし、国民を呼び戻すための必死の方策だったのです。

…そう、そもそもわたくしたちは復興にもっとも大切な存在を大きく欠いていて…。

それは人びと。
街を復興させる労働力も、復興させたのちにそこで暮らすのも、ひいては人。
逆に言えば、人がいなくては復興という行為そのものが成り立たない。

それは、考えてみれば、あたりまえの事。

1941年からの3年間、この国から逃げ延びた人びとは、ブリタニアで、あるいはヒスパニアで、
それ以外にもいろいろな場所で、それぞれ必死に生活してきたはず。
わたくし自身、ブリタニアに逃げ延びてから、最初はアルザスの自由ガリア空軍、
そして坂本少佐に拾われて第501統合戦闘航空団という場所で生きることになりました。

他の多くのガリア人に比べれば恵まれた暮らしをしていたのは、確かです。
だけれど、決して楽な生活だったわけではないし、命をかけて戦ってきたのも本当のこと。

でも、ある意味においては、ガリア人全員が…ひいてはあの戦争で祖国を失ったすべての人が、
やはり命をかけて戦ってきたというのも本当の事です、だから…。

避難先のブリタニアで愛する方と出会い、国籍をかえた方もいます。
生活に困窮し、祖国に帰るどころの話ではない、という人だっています。

戦争の爪痕に傷つけられた祖国の姿を見たくない人だって――っ!

……そう、いろいろな人がいて、いろいろな事情があるのです。
3年間という時間は、人が新しい生活をつくり上げるのには十分な時間です。
だから、ネウロイの脅威が消えたからと言って、民人たちがすぐにこのガリアに帰ってこれるなんて
そんな簡単な話ではないんです。

そんな簡単な話ではなかったのです。

――ペリーヌせんせい、ありがとう!

授業を終えた子供たちが、挨拶の言葉を残して一斉に部屋を出て行く。
まるで、物音に驚いた鳩が一斉に飛び立つよう。

「おつかれさまでした、ペリーヌさん」
「アメリーも、ありがとう」

授業を終えた後のいつものやりとりを交わした後、わたくしはあちらのほうに目を向ける。

「リーネさんもご苦労様でした。宮藤さんは…あー、その絵はなんですの?」
「あはは…絵って面白いね、夢中になっちゃった」

確かにリーネさんと隣り合わせで小さな子のお絵かきに付き合ってくれていたはずの彼女が、
いつのまにか、自身が黒檀の欠片を紙の上に這わしているのだった。
それにしても、これはなんの絵なのでしょう…そもそも、これは絵と言えるのか。

…物好きな金持ちになら、逆に高値で売れそうですわね。

「なにか言った?ペリーヌさん」
「い、いいえ。なんでもありませんわ」

その後、わたくしはリーネさんと宮藤さん、それに部屋の片隅で所在なげにしていた
服部静夏軍曹に今日の夕飯作りをお願いすることにした。

この後わたくしは人に会わなければならない。

この方にお会いするのも、これで何度目になるでしょう。

今わたくしが対話しているこの老紳士は、ガリア陥落以前からの古参議院の一人で、
亡命ガリア政府(何故かブリタニアやヒスパニアにいくつかありましたが…)においても
その権勢を失わなかった有能な政治家です。

…それに、アポイントメントがなかったとは言え、わざわざ出向いた先で、わたくしのような小娘が
「子供の授業」を優先して待たせても怒り出さないような手強い方でもあります。

とはいえ、ここは政治闘争の場ではありませんし、
話の大半はこのパ・ド・カレーの情況に関するお話と、政府方針に関する情報提供で、
それはお互いにとって必要な情報の交換ということもあり、にこやかに言葉を交わすことができました。

の、ですけれど…

「しかし、やはりパリにおいでになるおつもりはありませんか」
そのような婉曲な言葉とともに投げられる、こちらの心意を伺うような、深い、強い老人の眼差し。

パリに行く…つまり、本格的に政治の道に踏み出してはどうかという提案をされているのです。
それは、彼自身の名を引き立てるための打算だけではなく(無いとはいいません、お互いに)、
復興を本気で考えるならばもっと広く大きな場で力を振るうべき、というこの方なりの誠意からの申し出なのだと知っています。

でも、復興の端緒の頃ならまだしも、今のわたくしはこのパ・ド・カレーを、
父祖からのこの土地をこそ大切に育んでいきたいと考えていて。
そのつもりはありません、と伝えるのも、なかなか大変なのです…ことに、善意からの申し出であるからこそ。

パリ…そうですわね、あの頃は灰にまみれていたあの廃墟も、
今なら、きっとその美しい町並みを楽しめる程に復興しているはず。
ただの物見遊山としてならば、足を向けたいという気持ちもあるのですけれどね。

――1945年1月。

新しい年を迎えたこの頃、わたくしとリーネさんはパリにいました。
いえ、より正確に言うならば、ガリアに戻ってきてからこのかた、
ほとんどの時間をパリの復興のために費やしています。

もちろん、このパリはガリアの首都でもあり、政治経済の中心でもあります。
亡命していたガリア政府もこの国に正式に戻ってきた以上、その首都の復興に注力するべきなのは
当然といえば当然ですが、実際のところはもっと別の理由がありました。

…そう、先の通り、復興のための基礎となるべき人も建物も、数が圧倒的に足らなかったのです。

ブリタニアを始めとした各国が支援を送ってくださっていたのは確かで、
そうした動きは復興を加速させてはいたのですが、とてものこと、それらの力を
国内全体に行き渡らせるには、人も輸送も事欠く状況で。
しかも、こう言ってしまうと身も蓋もありませんが「幸いなことに」そういった僻地には
そもそも現在のところ人がいないという事もあり、すぐに手を入れる必要がなかったことも要因ではあります。

そう、まずはこのパリから。
次には、パリにほど近い町や村へと、すこしづつ。

年明けころには故郷のパ・ド・カレーの復興に着手できるのではと考えていた
わたくしの目測は、まったくアテがはずれてしまったのです。

そうこうしている間に、ヴェネツィアにおいてネウロイの巣に大きな変化が発生し、
ロマーニャ・ヴェネツィア防衛にあたっていた第504統合戦闘航空団が壊滅。

わたくしたちは、再び戦場に立つことを余儀なくされました。

もちろん、わたくしたちがいなければ復興は成らない、などという尊大な事を
考えてはいませんでしたが、しかしやはり、せっかく取り戻し
これから元の姿を取り戻そうとしている祖国を去らなければならなかった事について
悔しい気持ちがなかったと言えば、嘘になります。

第506統合戦闘航空団の方々にも申し訳ない事になりました。
もともと、あの部隊の隊長には政府からの要望でわたくしが推されていたのですが、
わたくし自身は復興に力を注ぐために戻ってきたから、と断っていたのに、
復興道半ばでガリアを離れることになったのですから。

そんな折り、リーネさんが提案してくださったのが、ガリア復興財団の設立でした。
広く人びとから募金などを募り、その資金を元手に人や資材を再分配することで、
現在パリに集中している復興事業をガリア全体で広く展開するという、それは大きな事業の構想でした。
人材や資材の提供や金銭管理は、リーネさんの実家が運営しているビショップ財団が一元管理してくださいます。

もともとガリア解放後からそういった構想を考えてはいたそうなのですが、
501再結成に伴い、わたくしたちが直接復興に携わることができなくなる事が決まった事もあり、
実現化に向けて本格的に動くことになったのだ、とリーネさんはおっしゃっていました。

そもそもこの構想は、彼女の実家が大きな商家であり、またお母様がブリタニア軍を中心とした各方面に
強い発言力を持っていることを背景にして初めて実現できる事でした。

政府の、集中的な復興事業と対照的に、広く民間の力を活用した復興財団の活動。
この2つの異なるアプローチの並行的な運用は、その後のガリア復興を強く牽引していくことになります。

そう、ガリアを復興させた真の立役者は、このわたくしなどではなくリーネさんなのです。
(インタビューなどでわたくしがそう言うと、首をぶんぶん振って否定して記事から削除させてしまうのですけど…)

もちろん、わたくしはリーネさんがこの青写真を説明してくださった時にすぐさま賛同の声を上げましたし、
復興財団が正式に設立されたその直後に、残っていた貯金の全額をつぎ込み、
501加入に伴って連合軍から支給される俸給も、すべてリーネさんにお渡ししています。

お金を渡すたび、何故かリーネさんは困ったような顔をされていましたけれど…。

――いただきます!

いくつもの声が唱和して、今日も夕飯が始まりました。

宮藤さんとリーネさんが作る料理を食べるのは、こうして考えてみると
ずいぶん久しぶりな気がする。
船の上では「たった2ヶ月会ってないだけで」なんて偉そうなことを言っていたけれど、
これではわたくしもリーネさんと同じですわね。

そんなどこか懐かしいラインナップに並んで、初めて見る印象の料理があった。
これはミソ汁…ですが、前に宮藤さんが作ったそれとはまったく違うように見えた。

ああ、なるほど。もしかしてこのミソ汁の作者は。
「いい匂い…このお味噌汁、服部さんが?」
「あ、はい!お口に合えばいいのですが」

なるほど、やっぱりそうでした。
可哀想に、今日はずっとああやってかちこちと固まってしまっている彼女に、
せめて美味しい食事への感謝の言葉を送ることで緊張をほぐしてあげることにしましょう。

それは実際のところ、お世辞ではなく美味しそうな匂いで。

ミソ汁は器を傾けて飲んでも作法に当たらないというのだから、やはり国ごとに食事の文化も違うものね。
そんな事を思いつつ、ふんわりと香りを楽しんでから、器を口に寄せる。

瞳の中で星が瞬いた。

衝撃的でした。

どこからか「ぐえ」という食事の場にあるまじき言葉が聞こえた。
テーブルのあちこちから漏れる感嘆とも呻きとも取れる小さな声、声。

辛うじて「個性的な味」と評して笑ってみせた。
笑えたと、思う…たぶん。

可哀想に、服部さんは真っ青な顔で頭を下げている。


…でも、正直なところ、わたくしがいままで食べた食べ物の中にもっと衝撃的なものはいくつもあった。
このミソ汁は、匂いがいいだけまだマシなほうです。

今必死に謝り倒しているこの人に、教えて差し上げたい。
かのカールスラントのトップエースの、その手でつくり上げる料理の衝撃を。
敬愛する上官が携えた、あのどろっとした液体の恐ろしさを。

それと比べれば、まだ服部さんのお味噌汁は…。

そこまで言おうとして、結局のところ慰めにはならないと思って、口をつぐんだ。

…それにしても、今でこそわたくしのほうが気を遣う側に回っているけれど、
あの頃はまだ、いろいろな人に気を遣われる側に立っていたのだと思います。

そう、そのことを教えてくださったのも、リーネさんで――。

――欲しい物?

そう、なにか欲しいものがあれば買ってきますよ、と言われた。
わたくしたちがロマーニャで501を再結成していくばくもないある日の事。

宮藤さんがメモを片手に聞いてきました。
なんでも、ローマに買い出しにいくということで、そのついでに…という事らしいのですけど、
あいにく、わたくしには特に欲しい物もないし、仮にあったとしても先立つものがありません。

だから、「なにもない」と伝えたのに、あの豆狸ったら何故か、
本当になにもないのか、などと重ねて聞いてくるのです。

よっぽど、お金がないから何も買えません、とでも言ってしまおうかと思ったけれど、
なんかそれも下品な気がしましたし、それに、わたくしのお金はすべて
ガリアの復興という大義のために差し出したのですから、この事で鬱屈を彼女にぶつけるのは
わたくしの意思を、ひいてはそこにかかってくるガリアという祖国を侮辱する行為に思えて、
本当に何もいらないからと、逃げるようにその場を去ったのでした。

その後皆さんから距離をとったわたくしは、各々が何を買って欲しいだのと
賑やかそうに話しているのを、遠巻きに聞いていました。

わたくしの全ては、今は未だ復興道半ばの祖国のために差し出すと決めてはいましたけれど、
本当は、少しだけ寂しい気持ちになってしまうのは、仕方のないことだと思いました。
そうしていると、ふと、バルクホルン大尉が宮藤さんに何かを頼んでいる姿を見つけました。

意外だな、と感じました。
あの方は、以前は俸給すべてを妹さんの治療のために送金していたことを聞いていましたから。
でも、妹さんも回復したから少しは自分のためにお金を使うようになったのかな、と思いました。

今思い返すと、わたくしはわかっていなかったなあ、と思うのです。

――わからないわよね。

目の前には、困惑した表情の服部静夏軍曹がいます。
長い船旅の疲れも残っているでしょうに、よっぽどあのミソ汁の事が辛かったのか、
いえ、恐らくもっと別の理由で眠れずにいたのでしょう、バルコニーでもの思いにふけっているのを
わたくしはたまたま見つけ、声をかけたのでした。

彼女にとっては、宮藤さん(宮藤芳佳少尉、少尉ですって。あの子には似合わないわね)は
多くの戦いを勝ち抜き、欧州を救った英雄として映っていたらしい。
でも、あの子の実像は、服部さんが思い描いていた英雄の絵からはかけ離れていた…と。

まあ、あの子にそういうのを期待するのは、無理ですわよね。
服部さんの手前笑うのは控えるけれど、それでも笑ってしまうようなお話ではあります。

あの豆狸の事は、一緒に戦わないとわからないわよね。
戦争が嫌いで、どこまでも暢気で、自分の足元もお留守なくせに人のことばっかり心配して。
料理が好きで、洗濯をするのが好きで、なんで戦場にやってきたのかよくわからない子。
でも、そんなあの子がいたからこそ、わたくしたちは強くなれた…なんて、口で言ってもわからない。

触れ合わなければ、わからない、ぶつからなければ、わからない子なのです。

だから、わたくしの言葉が、いま彼女に理解されるとは思わない。
わからないでいいのです。

「明日は早いですわよ」

そう言ってあげて、わたくしの出来るお手伝いはおしまい。
あとは、宮藤さんと、ほかならぬ服部さん自身が解決するしかないですわね。

――妹にプレゼントするために、だな…服を

そう言って、恥ずかしそうに微笑むバルクホルン大尉。
わたくしが、やはりどうにも気になってしまってバルクホルン大尉に、何を頼んだのか聞いた時のことです。

てっきり、トレーニングのための道具でも買い求めたのかと思っていたので、
まさかお洋服なんてものをこの人が頼むとは思っていなかったということもあるのですが、それだけでなく…
少々、いえ。かなりびっくりしました。

…この方も、こういう顔をすることがあるのか、と。

この、自分にも他人にも厳しい軍人の鑑のような方が、このような
穏やかな顔をすることにも驚いたし、それをこのわたくしに見せたことにも驚いてしまって。

この厳しい人に、そんな顔をさせる妹さんに…いえ。
そんな妹さんをもつ大尉に、わたくしは。

…ひとは、大切なだれかのために何かをすることで、こんなに嬉しそうな顔をするのね。

少し、羨ましかった。

そう、ほんの少しだけ、嫉妬してしまったのです。

だから、そのすぐ後あの3人が帰ってきて、皆さんに荷物の受け渡しをされている中、
わたくしは恥ずかしくって、部屋に戻ろうと思いました、
…そんなわたくしを、呼び止めた声は。

――リーネさん?

服部さんと別れて部屋に戻ると、さっきまで確かに宮藤さんと一緒に寝ていたはずのリーネさんが、
小さなランタンの明かりを囲んでなにかをしている。

「なにをなさっているの?」
「ひっ」

リーネさんが少々臆病なのはわかっていますが、そんなに驚かれると、ちょっと傷ついてしまいますわね。
で…改めて、何をしているのかしら、リーネさん?

「あの、これ…芳佳ちゃんに」

それは、夜の闇にぼうと映える真白い布の固まり…いえ、白衣ですわね。

「前々から少しづつ作っていたんですけれど、間に合わなくって…でも、いまようやく仕上がりました」

その白衣を、ちょうどひと月前ころから…正確には、坂本少佐から、宮藤さんが留学に向けた旅路のために
このガリアに立ち寄る事をご連絡いただいたその日から、こつこつと縫い始めていたことは知っていました。
あのおっちょこちょいの豆狸は、きっと医学校で着るための白衣なんて用意しているはずはないんですから。

でも、ここ数日は予定外のこととかもいろいろあって、時間を作れなかったことも知っていました。
でもだからって、わざわざこんな夜に、小さな明かりを頼りにやることはないでしょうに。
宮藤さんに知られて気を遣わせたくない、とでも考えたのでしょうけど、でも。

「手、大丈夫?」

手元も不確かな中で作業をしていたせいでしょう、リーネさんの手にはすでに包帯が巻かれていて、
でもそれもすでにところどころ小さく、赤く、斑点のようになっていて痛々しい姿です。

「巻き直さないとダメですわね。手、かして」

そういうと、リーネさんはおずおずと手を伸ばしてきました。
ほらごらんなさい、自分で自分の手に上手く包帯を巻けるわけがないでしょうに。簡単にほどけてしまいました。

「ごめんなさい、ペリーヌさん」
「こんなことで謝らないで、リーネさん」
リーネさんの手指に包帯を巻いている間、たった一言交わした以外はお互いに喋ることもなく、
布の擦れる音と、包帯を断ち切る音だけが耳に入る。

「…はい、おしまい」
最後の一巻きを、気持ち強めに巻いて、包帯を巻き終わる。

「ありがとうございます、ペリーヌさん」
「どういたしまして」

リーネさんのお礼にそう返して…そして、わたくしは思い出した。

「ありがとう、リーネさん」

わたしの言葉に、リーネさんは「え?」とでも言わんばかりにきょとんとした顔をしている。
まぁ、このタイミングでいきなりお礼を言われてもなんのことかわからないのでしょうけど。

でも、本当に、わたくしはリーネさんにはいくら感謝を述べても足りないくらいなのです。
いつも、いつも、この人には。

――花の、種?

「ペリーヌさんにお花の育て方を教えてもらいたくって」

リーネさんは笑って言った。

でも、そういえばリーネさんは、わたくしが花を育てることが好きなのを知っていて、
だけどリーネさん自身にはそういった趣味はないはずですし、であれば、やっぱり、
それはどう考えてもわたくしのためにリーネさんが用意してくれたもので。(実際に買ったのは豆狸ですけど)

…気を遣わなくってもいいですのに。

リーネさんは、わたくしが自由にできるお金がないという事をご存知ですから、気を遣ってくださったんでしょう。
本当は、人から気を遣われるのはあまり好きではありません。ですが…。

「…こちらのマリーゴールドは日当たりのいい場所に、カモミールとベルガモットは……」

わ、わたくし、なんで説明しているんでしょう…。
そんなつもりなんてありませんのに!

とっても恥ずかしくって、でもちょっぴり嬉しくって。

わたくしにはもう家族はいないけれど、わたくしのことを思いやってくださる人が
こうして近くにいらっしゃるという事が、とっても暖かかったのです。

――次の日も、朝から温かい晴れになった。

わたくしの説明を、服部静夏軍曹は真剣な面持ちで聞いている。
この人になら、地図を任せてもきっとだいじょうぶだろうと思う。

…それにしても、坂本少佐は当然の事ですが、この服部さんも真面目な人柄ですし、
これはやっぱり宮藤さんだけが扶桑人として特別なのかしらね。
悪い意味で。

あっちのほうではリーネさんが宮藤さんに白衣を渡している。
あの脳天気な豆狸には、リーネさんがあれをどんなに苦労して拵えたかわからないでしょうから、
一ヶ月前から準備をしていたのだと、ささやかながらフォローをいれて差し上げました。

出発の時間になりました。
車に乗った彼女に、うちの庭でとれたセント・ジョーンズ・ワートの瓶詰めを手渡す。

…本当は、これを渡すべきかどうかという事について、少し迷いました。
だってこれは、宮藤さんに、もし本来の魔翌力があれば、必要のないものだから。
薬草を渡すことは、彼女が力を失ったことを殊更に思い出させてしまうかな、と懸念もしたのですが…。

だから、なんのてらいもなく、いつもの暢気な笑顔で受け取ってくれたときは、正直ほっとしました。

そして、車は走りだしていった。

リーネさんが、いつまでも、車が見えなくなっても、しばらく手を振り続けているのを、
わたくしは後ろから眺めていたのでした。

「行ってしまいましたわね」

リーネさんがようやく、糸が切れたように手をおろしたのを見計らって声をかける。

「前と同じく、元気そうでよかったじゃないですの。
 それに、ヘルウェティアなら扶桑よりも近いし陸続きですから、文通もしやすいでしょう」
「はい、そうですね…」

それでも、名残を惜しむように、目線だけは車の向かった方向から逸れない。

「…やっぱり、寂しい?」
「え?」

リーネさんは、まるでお鍋の吹きこぼしに気づいた時のようにこちらに振り向き、
そしてしばらく目を伏せて、「そうですね、ちょっとだけ」と答えた。

ちょっとだけ、なんて感じではありませんわよ。
そう言ってしまいたい衝動に駆られたが、首元を整えるふりをして呑み込む。
誰にだって、冗談で触れて欲しくはない領域はあるものです。

「また、あの子の学校生活が落ち着いた頃に、遊びにでも行きましょう」

そう言ってあげると、ようやくあたたかな笑顔を見せてくれた。

…わたくしもそこそこ長い付き合いですけれど、やっぱりあの子と比べられると形無しですわね。
そのことにちょっとだけ羨ましさは覚えるが、やっかむほどの事でもない。

リーネさんが元気でいてくれることのほうが大切ですもの。

そう、リーネさんが…それと、ついでにあの子も、元気でやっていてくれるのが一番いいに決まっている。
昨日と同じように、昔と同じように。

少なくとも、あの宮藤芳佳は、以前と同じように明るく暢気な子でいてくれた。

昔…いえ、思い返せばまだ、たったの2ヶ月しか経ってはいません。
あの戦い、ロマーニャ・ヴェネツィア解放作戦【オペレーション・マルス】から。

人類の死力を尽くしたあの戦いで、あの子は魔法力を完全に失いました。

魔女として、志半ばにして魔翌力を失うことがどれほど辛いことか、わたくしには想像もできません。
特に、あの子の持っていた力は、あの子の夢、人の命を救う医者になりたいという願いにまったく合致していたもの。
あの治癒魔法は、どれほどの名医でさえ及ばない、まさに天から与えられた祝福。

…力さえ失っていなければ、宮藤さんは欧州くんだりまで医学の勉強に来なくとも、多くの人を救える魔法医になっていたはず。

わたくしたちとお別れした、その最後の日もあの子は笑って手を振ってさよならを言ってくれたけれど、
故郷から帰った後、時間が経って、失ったものの大きさを実感して。
打ちひしがれてはいないものか、とずいぶん心配したのです。

ですが。

「元気で、宮藤さん」

元気でいてくれて、ほんとうにありがとう、宮藤さん。

――リーネちゃん、元気でね!

宮藤さんが、笑ってそう言い、リーネさんと抱きしめあって、その別離を惜しんでいる。

オペレーション・マルスが成功に終わり、第501統合戦闘航空団は再び解散することになった。
ロマーニャから乗艦し、扶桑にとっては欧州の玄関口でもあるドーバー海峡、
ガリアのパ・ド・カレーに寄港したこの船、扶桑皇国の空母アマギも、いよいよ出発の時間を迎えた。

欧州のわたくしたちはここで下船するが、坂本少佐と宮藤さんは、このままアマギに乗って扶桑に帰ることになる。
厳しい戦いを共にくぐり抜けてきたそれぞれが、各々のやり方で別れを惜しんでいる。

「ペリーヌさんも、元気で。ガリアの復興がんばってね!」

笑顔でいう、その姿にちくりと胸が痛むのを感じる。

ロマーニャでの戦いは終わったが、欧州全体を見渡せば、ネウロイとの戦いはまだまだ続く。
その戦いのさなか、再び第501統合戦闘航空団が再結成される可能性もあるだろう。

でも、もし再び501が再結成されても、もうそこには坂本少佐も…そして、この豆狸の姿もない。
魔翌力を失った彼女が、ウィッチとしてわたくしたちと空を一緒に飛ぶことは、もう、二度とない。

それを思うと、どうしてか胸が詰まる。
大嫌いだったのに。
こんな豆狸。暢気で、人の気も知らないで、わたくしの大切な人の気を勝手放題に引いていく、ずるい子。
人の気も知らない、暢気で…。

「いつか、わたくしのシャトーに来なさい。復興した美しいガリアの街を案内してあげますから…約束、忘れないことね」

それだけ言うのが精一杯だった。

――お互いに、約束は果たせましたわね。

何故だか、とっても晴れがましい気分になる。

あの子は、あの子らしい元気さを失わないまま、この国まで来た。
わたくしも、今日まで挫けることなく、ガリアのために戦ってきた。

それに、この、傷ついてこそいるものの元の威容を取り戻しつつある
わたくしのシャトーを見せてあげることも出来た。

それもこれも、すべて…。

「リーネさん」
ふと、未だにあっちを向いたままのリーネさんを、その後ろから軽く抱きしめてみる。

「わわ、ぺ、ペリーヌさん!」

その身体はよくおひさまに当てたブランケットのようにふわふわでいい匂いがして、もっと感触を確かめたくなるけれど、
でもわたくしは宮藤さんみたいないやしんぼではないから、それ以上はしない。
ぱっと離れて見せて、狼狽したリーネさんの顔を観察してやるのです。

「お昼ごはんの準備、しましょうか」
なんでもないようにそう言って、背を向けてみせるのでした。

そうして、シャトーに向けて歩き出します、リーネさんのちょっと怒ったような声を背に受けて。

わたくしたちのシャトーへ。
わたくしと、リーネさんのシャトーへ。

リーネさんの、あの日も感じたあの匂いと感触を思い出しながら。

――わたくしのシャトーを?

「はい、ペリーヌさん」
リーネさんはそう言って頷いた。

ペリーヌさんのシャトーを再建しましょう。
そうリーネさんが言い出したのは、アマギから降りて宿場までゆく道すがらのことでした。

この地、パ・ド・カレーは港町ではありますが、いまだガリアは復興叶わぬ地が多く、
港湾地区および内地への道路の整備こそ少しずつ進んできていましたが、
それ故、逆に郊外の農園地帯や住居地域についてはほとんど手がつけられていない状況でした。

もちろん、市街区から遠いわたくしのシャトーも。

「でも、リーネさん。それは…」

優先順位が違う、それはリーネさんも言わずとしれたところであるはず。
そもそも、このカレーで港区ばかりが復興、整備されていくのも、ひいてはガリア内地における
復興物資、人員の輸送に寄与するから、という必要に応じての事なのです。

この状況において、わたくしのシャトーの復旧という私事を優先することは、わたくしにはできない話でした。

ですがリーネさんは
「いいえ、それは話が逆なんです、ペリーヌさん」

そういってわたくしに滔々とした口調で説明を始めました。

そもそも、1944年のガリア奪還から始まったこの地の復興、そのリソースは当初、
政府機能が十分に行き渡らないという不具合を抱えていることもあり、
まずは政府がその手をかけることの出来るパリ、およびその近郊に集中して投入されました。

しかし、それでは政府から見放された地域の復興はならない。
そして、それは将来的にガリアという国家の運営にとっても大きな問題になるのだと。
それ故に、民間から、政府とは違うやり方で復興を推進する組織が必要であると。

そうして設立されたのが、ガリア復興財団でした。
その経緯については、わたくしは十分に理解しているつもりです。

その上で、リーネさんはこう続けました。

「確かに、職人さんを投入して家や設備を整備することも必要です。
 人の足りない地域に、外国からの移民を受け入れて活性化するのも有効です。
 でも、それだけでは足りないんです」

何が足りないんですの?
わたくしは聞いた。

「それは、人びとの心をまとめられるシンボルです。
 このパ・ド・カレーをほんとうの意味で復興させるには、その復興の旗印として
 ペリーヌさんの、領主の館を建てなおす必要があると思います」

この地の復興の、旗手をわたくしが務めるつもりならば、その証が必要なのだと。
それは、人びとの目に見えて、そして立派なものである必要があるのだと。

そう、自身に満ちた表情でいうのです。

そもそも、リーネさんがいなかったら、このわたくしなどがガリアのためにできることなどなんにもなかった。
復興にかける熱意しか持ち合わせがなかったわたくしに、リーネさんは具体的な方法論と、
それを実現するための機会を常に用意してくださっていたのです。

わたくしは、日頃からそう思っていました。
それをリーネさんに伝えると、リーネさんはちょっと恥ずかしげに笑って、きまってこう言うのでした。

「ペリーヌさんがいなかったら、わたしはガリアの人のために頑張ろう、なんて考えることもなかったと思います。
 誰かのために汗を流そう、なんてきっと思いもしなかったと思います。
 だから、わたしこそペリーヌさんにはとっても感謝しているし、尊敬しています」
と言われるのでした。
でも、なんでそんな事で感謝されるのか、わたくしにはよくわからないままでしたが…。

…とにかく、そうやっていつもわたくしの成すべきことを教えてくれたリーネさんは、
いまこの時も、これまでわたくしにものごとを教えてくれた時のように、静かな、だけど確信を秘めた顔でいうのでした。

「今、このガリアに人が戻ってこない、いちばん大きな理由は、
 先頭を立って歩いてくれる人、自分たちを守ってくれる相手が見いだせないからです。だから…」
その一言で、わたくしの脳裏で閃光が煌めいたように思考がつながりました。

わたくしは、貴族としての務めを、領主としての務めを実際に果たしたことがなかったので
いままでそれを知らなかったのです。はっきりとは意識してこなかったのです。

シャトーは、大きく偉大な城は、決して住む人だけのためのものではないのだと。
時に災害の際に領民を腕に抱くように庇護し、時に高みからものごとを眺望し、そして決断する。
何かにつけて不安に満ちたこの世の中で、せめて高貴に、滑稽なまでに高々と立つことで
自分を守るものがそこにいるのだと、しらしめ、また護るを実践する…。

それこそが、父がかつて果たし、そして殉じた、貴族の使命。

リーネさんの言葉には、強く納得をしました。
もはや、わたくしが否やを唱えるところはありません。

ですが…。

「ですがリーネさん、どうやって?」

その言葉に、リーネさんははっとしたような表情を浮かべた。

貴族としての誇りと務め、その話は納得のいくところです。
ですが、誇りならば胸の中に立てられますが、崩れた建物を建て直すのは、これは同じようにはいきません。

物理的に建物を建て直すには、人も、資材も…平たく言ってしまえば、お金が必要なのです。

わたくし自身には、ほとんど身持ちはありません。
俸給のすべてをリーネさんを経由してガリア復興財団に受け渡し、財産もほとんどを売り払ってしまっています。
それはリーネさんも…いえ、わたくし自身を除けば、リーネさんがもっともよく知っていることのはず。

それを聞くと、リーネさんは、ちょっと困ったように目を反らしました。
それは、何か隠し事をしているような、後ろ暗い事を考えているような…普段のリーネさんらしくない仕草です。

「まさか、ガリア復興財団の資金から…?」

それは、いくら理由があるとしても、あまり褒められたことではないと思います。
どのように理由付けをしようとも、それは資産の私的流用というもの。

確かに、わたくし自身が投じた金額もそれなりのものになりますが、しかしそれはひとえに祖国を思うからこそ。
その資金で自分の家を建てなおすというのは、自らの思いを否定することになります。

しかし、リーネさんは首をぶんぶんと振りました。

「ち、ちがいます!
 そうではなくって…」

では、いったいどこから資金を?

そう問うと、やはりリーネさんは先ほどと同じように目を逸らしてしまいました。
ですが、今度はこっちも言葉を急く事なく見つめ続けます。

…奇妙なにらめっこに、先に観念したのはリーネさんのほうでした。

こころなしか震えた手で差し出したのは、見覚えのある一冊の明細手帳でした。

それを受け取って、ページを捲ります…。
記載のある頁数は、それほど多くはありません。ですが、その含むところは…。

「……これは、いったいどういう事ですの?」

そうするつもりはなかったのに、つい言葉に怒気を孕んでしまう。
しかし、問いたださないとならない内容でした。

そこに書かれていた内容、それは、ガリア復興財団に入金をお願いした、わたくしの資金に関する明細。
ですが、わたくしがリーネさんに渡した金額と、入金された金額には差異がありました。

その入金の記録と、そして入金されずに溜め込まれた金額の記録が、詳細に書き込まれていたのです。

リーネさんは、目を逸らしたまま一言もしゃべりません。

わたくしは、二の句が継げずにいました。

手渡したお金は、すべて復興財団にまわしてもらうようにお願いしたのに。
リーネさんが、どうして…どうしてこんな隠し事を。
裏切られたような、信じたいような、わけのわからない気持ちで。
胸に渦巻くこの感情は、怒りなのか、悲しみなのか、それすら。

――そのままずっと立っていたら、きっと目眩を起こして倒れていたと思います。

「ごめんなさい」

リーネさんは、言いました。

「こんな事を隠してたらダメだって、だからいつかは言わないといけないってわかってて…
 でも、いうタイミングがわからなくって、わたし…」

そして、わたくしはようやく気づきました。
リーネさんが、ぼたぼたとだらしなくも涙を流していることに。

……リーネさんが、悪意でわたくしに隠し事をするはずがない。

少なくとも、わたくしはそう信じています。

震える、リーネさんの手を握る。

リーネさんの瞳が、わたしの瞳と重なる。

リーネさんの唇が、わずかにわなないて、しかしすぐに落ち着きを取り戻したように、言葉を紡ぎ始めました。

「ガリア復興財団を設立したことで、すこしでもガリアの復興のためにお手伝いができるって…
 ペリーヌさんのために、私にできることがあることが嬉しくって…」

リーネさんは、少しづつ言葉を発していく。
慎重に、まるで積み重ねた本の山を、一冊づつ一冊づつ、崩れないように拾っていくように。

「でもペリーヌさんが、まさか資産のすべてを投じてしまうなんて思わなくって。
 ホントは止めたかったけど、ペリーヌさんはとっても真剣で、一生懸命で」

…確かにガリアが解放された後のわたくしは、奇妙な興奮に支配されていました。
祖国の復興のためにすべてをかける、そのことに。
私財を投げ打つことなど、なんとも思わなかった。むしろ高翌揚さえ覚えていたのです、後先すら考えず。

「でも、そんな事を続けていたら、いつかなにかあった時、ペリーヌさんがつらい目に遭うって思って。
 だから、渡していただいたお給金の半分を、こっそり貯金に回していたんです。
 いつかは、ちゃんと話をしないといけないと、思っていたんですけど……言い出せなくって」

そう言って、リーネさんは深く、深く頭を下げた。

「勝手なことをして、ほんとうにごめんなさい。
 わたし、ペリーヌさんになって言われても仕方ないって――」

そこで、リーネさんの言葉は途切れた。
わたくしがその口を塞いだからだ。

彼女の頭を、わたくしの薄い胸に抱きしめることで。

その後のことは、ほとんど覚えてない。

覚えているのは、雨も降っていなかったのに、ぐしょぐしょに汚れた袖口から伸ばしたその手をつないで帰ったこと、それだけ。

――ちょっと思い出に浸り過ぎたようですわね。

目尻に浮いた涙を誤魔化すように空を仰いだ。

高い高い、あおい空、その視線の下に、かするように、でも確かに堅牢な灰色の影。

尖塔は折れている。
だけれど、屋根もついたし、大きさも、かつて仰ぎ見たそれにだいぶ近づいてきた。
果たしてリーネさんが言っていたとおり、このシャトーが形を取り戻すに連れ、カレーの街も賑やかさを取り戻している。
それに、身寄りのない子どもたちも、ふたたびこのガリアで生きる道を見出し始めている。

やっと、ここまで来た。

「いい天気ですわね。
 せっかくなら、あの豆狸にはお洗濯でもしてもらってから出発してもらえばよかったかしら」
「もう、ペリーヌさんったら」

そうして、二人でからからと笑う。

1945年9月。
世界はいまだ平和には遠く。

だけれど、このガリア共和国は。
このパ・ド・カレーは。

このささやかな平和を守っていく事こそ、わたくしの使命。
これからも、リーネさん、それにアメリー…そして、この国を愛するすべての人と。

わたくし、これからも頑張りますわ。
だから、見守っていてください…。








――と、つい昨日気持ちを新たにしたばっかりだというのに。

「まったく、とんでもない人ですわね」
喜んでいいんだか、呆れればばいいんだか、どうにも判断がつきかねる。

相変わらず、こちらの想像を飛び越えるんですから、この豆狸は!




…おかえりなさい。



おわり

というわけで終わりです。
敢えて手垢の付いているだろうこのテーマをやりたかったのです。

一週間後くらいにhtml化申請します。
では、またいつか

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