千早「孤高の休日」 (91)



七月の眩しき朝の陽光が とばりの襞をかき分け

少女のしなやか肢体に 生命の詩をもたらす

幸福な夢を編んだ 浅きまどろみを妨げられ

彼女は不機嫌そうに 寝返りをうった


さあ、おきろ もはや眠ってはならない


我々は待っていたのだ 

煩わしき静寂にまみれた夜を越え

おまえが声高らかに歌うのを


さあ、おきろ もはや眠ってはならない


少女の名は 如月千早

人々は彼女を呼ぶ —— 孤高の歌姫 —— と



千早「ちょっとくどいかしら」


——— 千早のアパート AM05:22



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このSSは、原作より少しだけファンキーでドリーマーで、
だけど一生懸命なちーちゃんがほぼ一人で過ごす、
女の子らしいオフの一日を書いたものです。

アイマスと関係ない他作品の小ネタがちょこちょこ出てきますが、
わかんない人は勢いでスルーしてください




SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1374576582




千早「私は嫌いじゃないけど、アイドルの目覚めって感じじゃないわね」

千早「それに、最初の『 眩しき朝の陽光 』が野暮ったいわ。眩しい的なニュアンスが三つも続いてるもの」

千早「駄目ね、今日は調子が悪いみたい」



千早「カジュアルさが必要なのよ」

千早「先鋭化した物を受け入れられる程の寛容さは、今の業界にはないわ」

千早「ハードコアは結局メジャーにはなれないのよね。悲しいけれど、認めなくちゃ」



千早「もう一度やりましょう」




おっはよー! お目覚めのキッスはお日様から

今日も朝が来たんだぴょん!


楽しい夢はキッスでバイバイ

まだ眠いけど 起きなきゃ non non


だって私を待っている

みんな私を待っている


静かなナイトは もういらない

素敵なダーリン 見つけナイト!


私だけが持っているボイス 

まだ見ぬアナタに届けなきゃ!


少女の名は 如月千早

人々は彼女を呼ぶ —— 孤高の歌姫 —— と



千早「完璧ね」


千早「これなら一般受けも十分狙えるわ」

千早「忘れない内にメモしてプロデューサーに渡しましょう。新曲の歌詞に使ってもらえるかもしれないわ」

時計『ゴジサンジュップン! ゴジサンジュップン!』





千早「五月蝿い!!」 SMACK!!

時計『ゴジサンジュッ ピーーーーーーーーーー』


千早「ああ、またエラーが出たのね。毎朝毎朝、電池を抜かなきゃいけないなんて面倒くさいわ」

千早「爆破されても壊れないって謳い文句だったのに、
   アラームを止める度にエラーが出るなんて不良品もいいところじゃない」

千早「せっかく日本製を買ったのに。偽者をつかまされたのかしら」 ブツブツ



〜電池交換中〜


時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「朝からとんだロスだわ」




時計『ゴジサンジュウゴフン! ゴジサンジュウゴフン!』


千早「五月蝿い!!」 KLUNK!!

時計『ゴジサ ピーーーーーーーーーーーー』

千早「ああもう。私は起きてるの、少しは学びなさい」



時計『ピーーーーーーーーーーーーーーー』

千早「そうね、目覚ましをセットしたのは私よね、わかってるわ、ごめんなさい」

千早「あなたも疲れたでしょう。電池を抜いて休ませてあげる。これでおあいこね」



時計『………………』

千早「ふふっ、あなたは無口な方がかっこいいわよ。私の気難し屋さん♪」


千早「ねえ?覚えてる?私があなたと出会った日のこと。あれは渋谷のドンキ○ーテだったわね…」




——— AM05:50


千早「二回目のロスだわ」



千早「時計に話しかけた挙句、ドンキ○ーテの曲まで熱唱してしまうなんて」



千早「才能があるのも考えものね。つい歌が溢れてしまう」




ザ—————————— ……


千早「やだ、おまけに雨まで降ってきて」



ザ—————————— ……


千早「これは止みそうに無いわね」

千早「仕方ないわ。今日はランニングは中止ね、発声をやりましょう」


千早「ふふっ、両隣と上下の部屋が空いてからというもの、声が存分に出せるわね」

千早「こんなにいい物件なのに、どうして皆、すぐに引っ越すのかしら」




——— AM06:10


千早「あーえーいーおーうー さん、はいっ」

千早「あーえーいーおーうー もういちどっ」

千早「あーえーいーおーうー —————」





——— AM06:30


千早「ああああああああああああああべ まりぃいいいいいあああああああああ」


千早「ぐらあああああああああてぃいあ ぷれえええええええええなあああああ」




——— AM06:45


千早「ふぅ…、つい歌いこんでしまったわね」




千早「このまま『 暗い日曜日 』も歌いたいけど、月曜日だしやめておきましょう」




千早「やっぱり『 Ave Maria 』はいいわね。シューベルトのマスターピースの一つと考えていいでしょう」

千早「765プロの合同ライブでもいつか歌ってみたいわ」


千早「それにしても、この曲を歌うと、HITMANがプレイしたくなるわね」

千早「今度のオフにでも高槻さんを誘って、事務所のPCでやりましょう」



千早「私、『今度の』って言ったでしょう」

千早「どういう意味か分かる?」


時計『………………』



千早「ふふっ、私、今日はあいてるの」




千早「わかってるわ。お休みなんて久しぶりだものね」

千早「あなたの言う通り、今日は一日、喉を休めることにしましょう」

千早「私の身体?ふふっ、あなたは優しいのね」

時計『………………』



千早「でもいいの。私は歌さえ歌えれば、それで幸せ。もう何も望まない」

千早「だって私は囚われのかごの鳥。あなたの腕の鳥かごで優しい時間を夢見るの」

時計『………………』



千早「英語で言ったら、夢見る Caged Bird ってところかしら」

時計『………………』




千早「ねえ、何か言ってくれない?」

時計『………………』


千早「ちーちゃん、さみしいなぁ……」

時計『………………』



千早「ふふっ、イジワル言ってごめんなさい」

千早「すぐ電池を入れてあげる。私に歌が必要なように、あなたには電池が必要なのよね」



時計『ゴジサンジュウハップン! ゴジサンジュウゴハップン!』


千早「五月蝿い!!」 SMAAAAAAAAAAAAAAAAASH!!




——— AM07:00


千早「三回目のロスだわ」


千早「こう言うと、Los Angeles に三回行ったみたいでカッコいいわね」

千早「………………」



千早『プロデューサー、パリは今何時ですか?』


千早「………………」

千早「アリかナシかで言えば、アリね」



千早のお腹『ぐぅ〜〜〜〜〜……』

千早「やだ、私ったら///」




——— AM07:15


オリーブオイルとレモンをきかせた生ハムとラディッシュのミニサンドイッチ

ルッコラとトマトのイタリア風ミニサラダ

栄養たっぷりの野菜ジュースにうなぎの蒲焼き


みんな私の好きなもの



千早「実にアイドルらしい朝食ね」

千早「春香の言った通りだわ。本格的な料理でなくても、一手間加えるだけで人生が豊かになる」


千早「それにしても、特売でうなぎが沢山買えたのは幸運だったわね」

千早「今話題になってるようだし、社長も仰ってるけど、アイドルなら流行には気を配らなければ」



千早「それじゃあ……いただきます♪」




——— AM07:25


千早「あっという間に食べてしまったわ」

千早「これでは駄目ね。せっかくのオフなんだから、もう少し余裕を持たないと」

千早「………………」



千早「気が重いわね」




千早「違うのよ?べつに洗い物が嫌というわけではないの」



千早「料理をしたら洗い物が出るのは、当たり前のことだもの」

千早「それに、汚れが目に見えて落ちていくのは、何だか気持ちがいいわ」

千早「私、家事の才能は皆無だと思っていたけど、意外と主婦も向いてるかもしれないわね」

千早「ふむ」




千早『お帰りなさい、プロデュ…、あなた』

千早『ごめんなさい、つい昔の癖が出てしまって』

千早『ハハハ、いいんだよ。千早は今も俺のアイドルだからな』

千早『も、もう///!からかわないでください!』




千早『なあ、例の話、本気で考えてくれないか?』

千早『世界中のファンが今でも、千早の歌をまた聴きたいって言ってるんだぞ』

千早『……その話は終わった筈です。私はあなたの妻です。もう、歌うことはありません』

千早『確かに俺達はこうして夫婦(めおと)になったけど、千早の才能を俺が独占するのはもったいないよ』

千早『お願いです…。そんなこと、もう言わないでください……』

千早『千早……』





千早「泣けるわ」グスン


千早「でも、今の私はプロデューサーの奥さんでも、内縁の妻でもない、ただの孤高の歌姫」

千早「如何なる犠牲を払っても、洗い物を片付けてしまわなくてはならない」

千早「この問題を考えるのはその後ね」


千早「気が重いわ」




——— AM07:30


千早「………………」

千早「やっぱり流れないわ」



千早「食べる前に包丁とまな板を洗った水は、流石にもう流れていたけれど」

千早「お皿三枚に、コップとお箸」

千早「これだけ洗っただけなのに、流しの半分以上、水が溜まっている」

千早「普段意識してなかったけど、こんなに水を使っていたのね」


千早「……何だか、悪いことをしている気分になってくるわね」




千早「それにしても、この水の流れなさは常軌を逸してるわ」

千早「それも、日に日にひどくなっている気がする」

千早「このアパートに来て一年以上たつけど、こんなのは初めて」



千早「管理人さんに相談した方がいいのかしら」

千早「あの未亡人さん、私を避けている気がするのよね」

千早「それに、亡くなった旦那さんの名前を飼い犬に付けるなんて、わからないわね」

千早「………………」



千早「よしましょう。こんなのは悪趣味よ」

千早「私にあの人の悲しみを、どうこう言う権利なんて無いもの」

千早「きっと何か理由があるのよ。私なんかには分からない理由が」

千早「………………」


千早「私は私の問題に対処しましょう。とりあえずは、この水の問題」




千早「夕べは流しがいっぱいになって、三時間経ってもまだ残っていたのよね」

千早「洗面所もお風呂も普通に流れる。問題があるのは台所だけ」

千早「何が原因なのかしら」



千早「水が流れないということは、中で詰まっているってことよね」

千早「変ね、台所で髪は洗わないから髪の毛ではない」

千早「詰まるような大きなゴミは流していないし、そもそもこの、ほら、名前が分からないけど」

千早「とにかくこの、流しの底のフタっぽい所で止まるから、流れてもせいぜい野菜クズ位じゃない」

千早「開けた事ないけれど、このフタの下って、そんなので詰まってしまう程に小さな穴なのかしら」

千早「………………」


千早「とにかく、水が流れないと、どうにもならないわね」

千早「昨日よりは少ないから、三時間もかからないと思うけど」

千早「………………」




——— AM09:30


千早「………………」

千早「はっ」




千早「なにも水が流れるのを、じっと待ってることないじゃない」

千早「二時間も台所に立って、流しの水が引くのをずっと見ているなんて」



千早「私でなければ、ホラーか、疲れている人になってしまうわ」




千早「四度目のロスだわ」

千早「もう常連さんの部類ね、東京で言ったら新宿駅でも迷子にならないレベルよ」


千早「あの時は怖かったわね……」



千早「まだ少し残ってるけど、大体引いたわね」

千早「流しの半分ちょっとまであった水が引くのに、二時間」

千早「つまり、流しが満杯になっても四時間弱。多く見積もって五時間」


千早「料理と洗い物をするのは、朝と夜の二回だけ」

千早「昼は大抵、お店か事務所で食べるから、その間水が溜まっていても特に困らない」

千早「夜は夕食を済ませたら、コーヒーかココアを飲む程度。最近はユニットの皆と、外で食べる日が多い」

千早「寝ている間に水が溜まっていても、朝起きる頃には引いている」


千早「あら、別に困らなくなくない?」




千早「大騒ぎして損したわ。駄目ね、悪い方に悪い方に考えてしまって」

千早「プロデューサーもよく言ってるけど、そこが私の悪い癖ね」



千早『千早は真面目な分、何か事が起こると、途端に視野が狭くなっちゃうんだよな』

千早『責任感が強いのは結構だが、問題にとらわれすぎて一人でネガティブになるのは、いいことじゃない』


千早『アイドルなんだから、辛くても笑わなきゃ駄目な時だってあるんだ』

千早『もっと余裕を持たないと駄目だぞ。千早には真や響、もちろん俺も、
   それにユニットは違えど765プロの皆がついてるんだ。いつでも頼ってくれていいんだ』



千早『俺は、千早の笑顔が好きだよ』




千早「ここまでは言ってないわね」




千早「それにしても、この、流しのフタっぽい物の下ってどうなってるのかしら」


千早「家にいた時だって開けた事なんてなかったし、少し興味があるわね」

千早「そもそも、よく考えたら自分の家に把握できてない場所があるなんて変よ」

千早「そこに盗聴器とか仕掛けられたら、身の破滅じゃない」

千早「そうよ、そうだわ。きっと何かされたのよ、こんなに水が流れないなんておかしいもの」



千早「開けてみましょう」



千早「爆発とかしないかしら」 ドキドキ




カパッ

千早「何も無いわ。拍子抜けね」

千早「大きいゴミなんて無いし、何が原因なのかしら」


千早「あら、まだ奥の方に底があるのね。この下で何かが詰まってるかもしれないわね」

千早「取っ手っぽいのが付いてるじゃない。これを起こして持ち上げれば取れるのかしら」



ヒョイッ

千早「おーぷーんせさみー」



ぐぽっ ぬるっ

千早「ひっ」




カラン カラン

千早「何よこれ、何なのよ」


千早「小さい穴がたくさん開いた金属製の細長いバケツっぽいのが出てきたと思ったら、
   周りにみっしりと緑と茶色の変な、汚いのがこびりついてる」

千早「とりあえず、写メを撮っておきましょう」 ピロリン



千早「ふふっ、上手く撮れたわ。細部の汚れもばっちりね」

千早「携帯のカメラってすごいのね。写真の知識がない私でも、こんなにキレイに撮れるんだから」

千早「まあ、被写体は汚いけど」



千早「……どうしたらいいのかしら」

千早「とりあえず、元に戻しておきましょう」

ぬるっ ぐぽっ




——— AM11:00


千早「……駄目ね、さっきのバケツっぽい細長い物が気になって、楽譜に集中できないわ」


千早「あの汚れを何とかしないといけないのよね。どう考えても、あれが原因だもの」

千早「そうよ、ポジティブに考えないと。原因が特定できたんだから一歩前進できたわけだし」

千早「一歩前進♪ 一歩前進♪」



ピコーン

千早「閃いた!」




千早「何といっても汚れには違いないんだから、食器洗剤をたくさん流せばいいのよ」

千早「ちょうど水が流れなくて長時間洗剤が残るから、漬けおき洗いみたいになるわ」


千早「ふふっ、プロデューサーの言う通りね。何でも前向きに考えないと」



千早「ちーちゃん、天才♪(うん うん)」

千早「あったまいいぞー♪(うん うん)」



千早「早速、試してみましょう」




——— AM11:45


千早「駄目に決まってるじゃない」


千早「洗い物する度に洗剤を流してるんだし、これで落ちる汚れならこんな事態になるはずないもの」


千早「はあ」



千早「時間と食器洗剤、朝から数えて五度目のロスだわ」

千早「もう市民権だって取れるわよ」




千早「それでも少しは取れたかしら?」ぐぽっ ぬるっ

千早「……あまり変わってないわね」ぬるっ ぐぽっ



千早「一体、どうしたらいいのかしら」


千早「この、名前が分からないけど、とにかく、細長い金属製の穴のあいたバケツっぽい物体」

千早「これさえ取り替えてしまえばいいのよね。ドンキ○ーテか100円ショップに売ってるかしら」

千早「でも、せっかく買ってきても、サイズが合わなかったらどうしようもないわ」

千早「………………」



千早「悩んでも仕方ないわね、お昼にしましょう」




——— PM00:00


豆から挽いたネルドリップの特製ブレンドコーヒー

しゃっきりトマトとふわふわたまごのサンドイッチにはブラックペッパーを隠しておくの

もう一品欲しいよくばりさんには うなぎの蒲焼きに浜松銘菓うなぎパイ


どれも私の好きなもの



千早「とても可愛らしい取り合わせね」




千早「料理なんて、って思っていたけど、やってみれば楽しいものね」

千早「ゆで卵をすり潰してトマトと合わせるだけで、こんなに可愛いものが作れちゃうなんて」

千早「これも写メっておきましょう」ピロリン


千早「キレイに撮れたわね。明日、真と我那覇さんに見せてあげましょう」

千早「ふふっ、これも春香のおかげね」



千早「それじゃあ………いただきます♪」




——— PM00:10


千早「また、あっという間に食べてしまったわ」


千早「駄目ね。一人だと話し相手がいないからすぐに食べてしまう」

千早「もっと味わって食べないと、私は何を生き急いでるのかしら」

千早「………………」



千早「気が重いわ」




——— PM00:15


千早「わかってはいたけど、やっぱり流れないわ」


千早「水道業者を呼んだ方がいいのかしら」

千早「でも困ったわね。この部屋には電話帳もインターネットもないわ」

千早「それに、よく知らない男の人を部屋に入れるのも抵抗があるわね」

千早「………………」



千早「プロデューサーに電話しましょう」


千早「あの人は一人暮らしの大ベテランだもの、きっと何かいいウラ技を知ってるはずだわ」

ケータイトリダシ ポパピプペ




とぅるるるるる とぅるるるるる

千早「……出ないわね」



とぅるるるるる ぴっ

千早「プロデューサー、お仕事中申し訳ありません。如月です」




Pの携帯『ただいま、電話に出ることができません』

千早「くっ、やるわね」




Pの携帯『 ピー という発信音の後に続けて』

千早「ふっ、Pの携帯がピーって、ふっ、くくっ」



Pの携帯『20秒以内で、ご用件とお名前をお話ください』

千早「くっ、だめっ、ふっ、ふふふ、あははは」




Pの携帯『 ピー 』

千早「 HAHAHAHAHA! HAHAHAHAHAHA! 」

千早「 HAHAHAHAHA! HAHAHAHAHAHA! 」



Pの携帯『お電話ありがとうございました プツッ ツー ツー ツー ツー 』

千早「 HAHAHAHA HEE HEE HEE HO HO HO...」




——— PM00:28


千早「やらかしたわ」


千早「20秒どころでなく、たっぷり5分は笑いが止まらなかったわね」

千早「ツボにはまってしまったんですもの、仕方ないじゃない。不可抗力よ」

千早「再生音声を変更するよう、プロデューサーに強く言わないと。これでは仕事に差し支えるわ」



千早「まあ、笑い声しか入ってないけど、聞けば電話してくるでしょう」

千早「もうお昼休みね、事務所も駄目だわ」

千早「音無さんも、わざわざ職場でネットゲームなんてしなくてもいいのに」

千早「そもそも、いまだに電話とインターネットが回線共有してるのがおかしいのよ」



千早「となるとユニットの二人ね、真か我那覇さんか」




千早「真は聞いても分からないでしょうね、ご両親と暮らしてるし」


千早「でも、萩原さんが言ってたけど、真って意外と家事スキルが高いらしいのよね」

千早「いつも自分は女性らしくない、って気にしてるみたいだし、
   こっそり花嫁修業とかしてるのかもしれないわね」


千早「私、付き合いが長いわりに、意外と真の事って知らないのよね」

千早「聞いてあげたら喜ぶかもしれないわね」

千早「………………」



千早「やっぱり、よしましょう」


千早「流しの下にある、細長い金属製の穴のあいたバケツっぽい物体の頑固な汚れの
   女の子らしい落とし方なんて考え付かないもの」



千早「今度、日常生活でスコーピオン・デスロックに持ちこまれた時の
   女の子らしい返し方でも、機会を見つけて聞いてみましょう」




千早「そうなると頼りは我那覇さんね」

千早「あの子はポニーテールだし家事スキルも高いし、きっといい策を持ってるに違いないわ」


千早「ひょっとして、ユニットの中で家事できないの私だけ?」

千早「私もポニーテールにすれば、家庭的になれるかしら」

千早「………………」



千早『はいさーい!自分、如月千早!東京出身の16歳!』

千早『へへーん、完璧な歌声を持つ自分についてくれば、トップアイドルなんてあっという間さー!』



千早「ダーかニエットで言えば、断然ダーね」

千早「キャラを交換してみようかしら、彼女、私みたいなクールなキャラも出来そうだし」




千早「そうね、その辺の意見も聞いてみましょう」ケータイトリダシ シャーイニスマーイル


とぅるるるるる とぅるるるるる

千早「……出ないわね」



ぴっ

千早「はいさーい!」




響の携帯『ただいま、電波が届かない場所にいるか、電源が入っていません』

千早「くっ///」




響の携帯『もう一度おかけな』 ピッ

千早「変ね。我那覇さんは仕事以外で携帯を切ったりはしないはずだけど」

千早「あ」



千早「そうよ、彼女今日、『月刊 私の編み物』のグラビアと取材の仕事があるって言ってたわ」

千早「だからプロデューサーも電話に出なかったのね」

千早「二人は戦力外の外だわ。私的な問題でお仕事の邪魔をするわけにはいかないもの」



千早「他に家事スキルが高そうな人って言ったら、あずささんか、春香かしら」

千早「あずささんは駄目だわ。竜宮は今日地方に行ってるはずだし」

千早「とすると春香なんだけど、彼女の予定は私知らないのよね。仕事中じゃないといいけど」

ケータイトリダシ ワタシマーメイ




ぴっ

春香『千早ちゃん?どうしたの?』

千早「ごめんなさい、春香。今大丈夫かしら?都合悪いならかけ直すけど」




春香『ううん、今お昼休みだから別に平気だよ。私、今日はオフで学校なんだ』

千早「そう、よかった。プライベートな話で申し訳ないんだけど、
   私、どうしても春香に助けて欲しいことがあるのよ」

春香『え!う、うん、わかった。ちょっと待ってて』



春香『ごめんねー。ちょっと仕事の話みたいだから席外すね』

声1『はいよー』 声2『いってらー』 声3『午後ティー、ここ置いとくよー』

千早(春香は学校でも人気者なのね)



春香『千早ちゃん、何があったの?私に出来ることなら何でもするよ!』

千早「春香ぁ…(´;ω;`)ブワッ」




春香『千早ちゃん!?どうしたの?』

千早「ごめんなさい…、春香の声を聞いたら、わた、私、安心しちゃって」



千早「こんなこと、真には相談できないし、我那覇さんとプロデューサーは連絡が取れないし」

千早「私、わたし、もうどうしたらいいか、わからなくて」

春香『もう大丈夫だよ、千早ちゃん。大丈夫だから、ね、何があったか話して』




千早「春香は何があっても、私の味方でいてくれる?」

春香『そんなの当たり前だよ!友達だもん!』



千早「私を嫌いになったりしない?」

春香『嫌いになんて絶対ならないよ!だから、何があったか話して。
   千早ちゃんの力になれるなら、何でもするから』

千早「春香…、ありがとう」



千早「実はね」

春香『うん』

千早「流しの下にある細長い金属製の穴のあいたバケツっぽい物体の
   外周にこびりついた頑固な汚れの落とし方を教えて欲しいの」

春香『えっ』




千早「聞こえなかったかしら?」

春香『ううん、千早ちゃんの声はすっごいクリアに聞こえたんだけど、言ってる意味がわかんなくて』

千早「ふふっ、ありがとう春香。お世辞でも嬉しいわ」

春香(え、お世辞?)



千早「つまりね」

春香『うん』

千早「つまりなのよ」

春香『へっ?』



千早「へのつっぱりじゃないわ。春香、アイドルがそんな恥ずかしいこと、口にしては駄目よ」

春香『あー…、うん、ごめんね』




千早「だからね」

春香『うん』

千早「とどのつまり、つまってるのよ」

春香『えっ?』



千早「ごめんなさい、とどのつまり、は結局って意味よ」

春香『あ、うん。それは知ってるよ』

千早「なら話が早いわ。つまり、つまってるの」

春香『千早ちゃんが?』



千早「私?そうね、たかだか流しの水が流れないくらいで、何もかも手に付かなくなってしまうんですもの」

春香『あ、流しが詰まってるんだね』




千早「ええ、察しが良くて助かるわ。さすが春香ね」

春香(あれ、ひょっとして私、千早ちゃんに遊ばれたのかな?)



千早「原因はわかってるの。流しの下にある細長い金属製の穴のあいたバケツっぽい物体の
   外側が汚れてるのからなの」

春香『あー、うん、話はわかったよ。お掃除の仕方を教えて欲しいんだね』

千早「そうなのよ、茶色とか緑のぐめぐめした分厚い汚れが一面にびっしり付着していて、
   食器洗剤なんかじゃ到底落ちそうにないのよ」

春香(食事中だったんだけどなあ)




千早「とにかく、一度写真を送るわ。目で見てもらったほうが早いから」

春香『えっ!?いいよ、わざわざそんなの!話はわかったから!』

千早「いいのよ、私と春香の仲じゃない、遠慮なんかしないで」

春香(遠慮とかじゃないんだけどなあ)



千早「ふふっ、携帯のカメラって意外とすごいのね。細部までばっちり鮮明に撮れてるの」

春香『あ、あの、ちはy』

千早「一旦切るわね」 ピッ



春香「切れちゃった…」

春香「ううぅ、気が重いなあ…」




ウー ワッホイ♪

千早「春香だわ、ちゃんと送れたかしら」


ぴっ

千早「もしもし、どう春香?写真、ちゃんと届いた?」

春香『うん、サンドイッチとコーヒーとうなぎの蒲焼きの、やたらサイズの大きい写真が届いたよ』

千早「あら、ごめんなさい。間違って昼食の写真を送ってしまったみたいね」

春香『何というか、素敵な組み合わせだね』



春香『聞いてもいいかな?うなぎの横にある、細長いビスケットか、パイみたいなのは何?』

千早「さすが春香、目の付け所がSHARPね。人呼んで夜のお菓子、浜松銘菓のうなぎパイよ」

春香『そっかあ、うなぎづくしなんだね』

千早「アイドルたるもの、流行は常に取り入れていかないとね」

春香『うん、その心がけは間違ってないと思うよ』




千早「ふふっ、ありがとう。春香にそう言ってもらえると自信がつくわ」

春香『あーー…、うん。ところで、流しの方の話なんだけど』

千早「もう一度切って、流しの下にある細長い金属製の穴のあいたバケツっぽい物体の
   汚れがびっしりこびりついた写真を送りなおすわね」

春香『ううん。私もあまり時間なくなってきたから、お掃除の仕方だけ教えるね』



春香『薬を使う方法と物理的に落とすのとあるんだけど、
   水が流れないほど汚れが酷いなら両方やった方がいいと思うんだ』

春香『物理的にっていうのは、駄目になった歯ブラシとかに食器洗剤をつけてゴシゴシする方法。
   硬い物で擦っちゃうと傷が出来て、錆とか汚れの原因になりやすいから、それは避けてね』

春香『下に新聞紙とか敷いてやれば捨てるのも簡単だよ。
   落とした汚れをそのまま流したら、もっと奥の方で詰まるかもしれないから、それもやめてね』



千早「私、新聞取ってないわ」

春香『うん、別に新聞紙じゃなくても、燃やせるゴミに出せる紙なら何でもいいんだよ』




春香『薬を使う方法っていうのはね、排水口のそういう汚れを溶かして流せるようにする溶剤があるんだ』

春香『ドラッグストアとかで、台所用洗剤のコーナーを探せばすぐ見つかると思うよ』

千早「春香、私そんなお金持ってないわ。銀行って未成年でも融資してくれるのかしら」

春香『千円もあれば十分だと思うよ』



春香『とりあえず、こんなところかな』

春香『あっ、溶剤を使う時は換気をちゃんとやって、使用上の注意をよく読んでね』

春香『汚れが落ちないからって、一箱全部使うとかゼッタイ駄目だからね?』

千早「ふふっ、大丈夫よ、春香。私だって子供じゃないんだから」

春香(心配だなあ)




——— PM00:50


春香『じゃあ、お昼の途中だったから切るね。次、移動教室なんだ』

千早「ええ、いつもありがとう。春香のおかげで、人生がどんどん豊かになっていくわ」

春香(コメントしにくいなあ)



千早「ふうっ」

千早「持つべきものは、生活力のある友人ね」

千早「春香には悪いことをしたわね。プライベートな時間をこんなことに使わせてしまって」



千早「今度のライブに差し入れでもして、埋め合わせをしましょう。うな重の竹でいいかしら」




千早「それにしても、やっぱり春香は学校でも人気があるのね」

千早「当然よね。あの性格だもの」

千早「最初はあざとく感じても、ちょっと付き合えば、本当にいい子なんだってすぐにわかるわ」

千早「………………」



千早「学校にも、大勢友達がいるんでしょうね」


千早「誰かさんとは大違いだわ」


千早「ふ、ふふ、ふふふ」



千早「あ」




千早「やだ、私ったら、学校のことをすっかり失念してたわ」


千早「今からでも行った方がいいかしら」

千早「仕事とはいえ、先週は丸々一週間休んでしまったのよね」

千早「先々週だってほとんど登校してないし」

千早「………………」



千早「あ」



千早「そもそも、よく考えたら、期末試験を受けてないじゃない」

千早「確か、テスト期間は先週だったわよね…。坂本先生がそう仰ってたわ」

千早「………………」




ケータイトリダシ オクルーコトバー

教員『はい、都立桜高等学校です』

千早「もしもし、さんね、…二年B組の如月千早です。担任の坂本先生は今授業中でしょうか?」

教員『ああ、如月さんだね。ちょっと待っていなさい』 ピッ




〜〜〜♪ 〜〜〜♪(保留音)

千早(何て説明したらいいんでしょう。ウソは言いたくないし)

千早(いくら忘れていたとはいえ、これって完璧なサボタージュよね)

千早(正直に事情を話すしかないわね。先生ならわかってくださるわ)



〜〜〜♪ 〜〜〜♪

千早(それとも、開幕からギャグで掴んだ方がいいのかしら)




〜〜〜♪ 〜〜〜♪

千早(でも難しいわね。こういうのはタイミングが重要だし)

千早(今の内に練習しておきましょう)




千早「おぉーいー、きんぱちくうぅーん」

ぴっ

教員『坂本先生は今授業中だね。何か急用かい?』

千早「あっ、あのっ、いえ///」




千早「すみません///」

教員『?』


千早「あっ、いえっ、私、今日も、先週も休んでしまって
   期末考査も受けれていないのでその事を確認しようと」

千早「あっ、あの、今後のスケジュールにも影響があるので、それでお電話したんです」

教員『ああ、そうだったね。追試を受けてもらう事になると思うよ。
   坂本先生に電話があったと伝えておくよ』

千早「は、はい、よろしくお願いします。失礼します」



千早「またやらかしたわ」




千早「やっぱり、普段独り言を言うのがよくないのよね」

千早「考え無しに喋ってしまう癖がついてしまったみたい」

千早「学校はともかく、仕事に差し障るわ」



千早「そうね、もう独り言を言うのはよしましょう」

千早「よし、決めたわ。イチニのサンで独り言はやめるわよ」

千早「イチニのサン!はいっ!」

千早「………………」


千早「ふふっ、これでもう安心だわ」



千早「よし!それじゃあ学校の問題が片付いたところで、買い物に行きましょう」

千早「まだうなぎがあるから、スーパーには行かないでいいわ」

千早「そうなると行くのは近所のドラッグストアだけね」

千早「時間がもったいないし、眼鏡と帽子だけすればいいわよね」

千早「いつの間にか雨も止んでるわね。晴れてる間に急いで行ってきましょう」

千早「え〜っと、サイフ、サイフはどこかしら…」


————

——



——

——— PM01:40


千早「ゴム手袋もしたし、マスクも眼鏡もかけた」

千早「窓も全開だし、換気も十分。歯ブラシとスポーツ新聞も用意したわ」

千早「さあ、後は汚れを取るだけね。それで全てが元通りになるの」



千早「最初はこの溶剤ね。まずこれで面での攻撃を加えて、歯ブラシで汚れを確固撃破」

千早「その後にもう一度溶剤を流し込み、再び面での制圧射撃を加えて穢れを完全に消し去る」



千早「素晴らしいわ。これを『暁の蒼鷲作戦』と名づけましょう」




千早「まずはこれね、『排水口の汚れトレール。』直球なネーミングだけど嫌いじゃないわ」



『流し口に金属製もしくはゴム製のフタがはめてある場合は取り外し、
 付近のゴミを取り除いてください』

千早「このフタだけ取ればいいのね、バケツはそのまま、と」 ひょいっ



『約40度のお湯を適量用意してください』

千早「適量ってどれぐらいかしら。大は小を兼ねるっていうし、たくさんあった方がいいわよね」 だばー



『本製品一袋を流し込んでください。ストレーナーがある場合も外さずに流し込んでください』

千早「この細長いバケツはストレーナーって言うのね。世の中、知らないことだらけね」 ざざー




『溶剤全体にいきわたるようにお湯をかけます。泡が発生するので15分ほど放置し、
 十分な量のお湯で流してください。24時間以上放置しないでください』

千早「お湯入りまーす。よろこんでー♪」だばー



ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく

千早「すごい勢いで泡が出てきたわ。流しがジャグジーみたいになってる」



千早「泡が出てるってことは、そこで化学反応が起きてるってことよね」

千早「本当に大丈夫かしら、爆発とかしたらどうしましょう」


千早「……心配だわ」




——— PM02:10


千早「だから、じっと見てなくていいんだって」


千早「何回、同じ過ちを繰り返したら気が済むのかしら」

千早「これでは私も、あなたのことを笑えないわね。ふふっ」

時計『………………』



千早「六度目のロスだわ。今はロス市警のイタリア系の警部さんに絡まれてるあたりね」

千早「………………」


千早『いやね、お嬢さん。実はアタシのカミさんが、あなたの歌の、そりゃあ大ファンでしてね』



千早「流石に、男の人のモノマネは無理ね」

千早「20分以上経過してるわね。残った泡を流して、どうなったか見てみましょう」だぱー




千早「心なしか、水の流れがよくなった気がするわね」


くぽっ ぬるっ

千早「ふむ、表面的には取れてるけど、まだまだ汚れが残っているし、盛大にぬめってるわ」



千早「まあ、そんなものよね」

千早「そう簡単には行かないわ、それでこそ人生よ」



千早「燃えてきたわ」


千早「プランBに移行しましょう。えーっと、歯ブラシと新聞ね……」




——— PM02:20


ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「なかなか楽しいわ」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「朝は触りたくもなかったけど、ぬめりだって意外と慣れるものね」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「それに、目に見えて汚れが取れていくのって、やっぱり楽しいわ」



ゴシゴシ ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「それほど簡単には落ちないんだけど、ね」




ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「○○氏、当選……。そういえば日曜は選挙だったわね」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「私もいつかは、政治のことも考えないといけないのよね」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「まあ、今は目の前のぬめりに集中しましょう」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「ぬめりを、どげんかせんといかん」



ゴシゴシ ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「スケールが小さいわね…」




ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「なかなか落ちないわね…」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「………………」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「母さんも、時々はこういうこと、してたのかしら」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「………………」



ゴシゴシ ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「たぶん、みんな、そうなのよね」




ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「お手伝いさんがいれば、別なんでしょうけど」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「私は有名になっても、そういうのは嫌ね」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「765プロに入りたての頃なら、そうは思わなかったでしょうね」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「………………」



ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「孤高のぬめり取り」 ボソッ



ゴシゴシ ゴシゴシ ゴシゴシ

千早「ぷっ、くくっ」




——— PM03:30


千早「ふうっ、大体落ちたわね」

千早「こんなものでしょう。疲れちゃった」

千早「ついつい興が乗って台所全体を掃除してしまったわ」



千早「引っ越してきて一年以上経つけど、ここまで大掛かりに掃除した事はなかったわ」

千早「そんなんだもの、どこかしら不具合が出てくるのも無理ないわね」



千早「後はもう一度、さっきの薬で洗浄して終わりにしましょう」




——— PM04:00


千早「後片付けしてたら、なんだかんだでもう四時ね」

千早「疲れたけど、充実した時間だったわ」



千早「コーヒーを淹れて、音楽でも聴きましょう」

千早「朝も歌ったけど、今日はシューベルトね。シューベルトと、ビリー・ホリディ」



千早「ふふっ、我ながら変な組み合わせだわ。ふふっ、ふふふ」




——— PM04:10


いつもより少し遅い 午後のお茶の時間

雨に燻った夏の空気が アンニュイな午後を演出するの

さあ、コーヒーが入ったわ 感覚を研ぎ澄ませましょうよ

私の好きな音楽と 私の好きな、私の時間


今ここにあるものぜんぶ、みんな私の好きなもの



千早「いつの間にか雨が降っていたのね」

千早「でも、空気が涼しくて気持ちいいわね。窓はそのまま開けておきましょう」


千早「さあ!後顧の憂いは全て断ち切ったわ」

千早「楽しい音楽の時間よ」




ピーンポーン♪

千早「何でやねん」




ピーンポーン♪

千早「ロンドンでお茶の時間に、ぴーんぽーん、なんてしたら銃殺刑よ」



ピーンポーン♪

千早「今は見逃してあげるわ。萩原さんがここにいなくて良かったわね。
   今頃スコップが脳髄に突き刺さってるわよ」



ピーンポーン♪

千早「ああもう!何だっていうのかしら」



ピーンポーン♪

千早「はいはい、今行くわよ」



ピーンポーン♪

千早「風!」

ドアの向こうの声1『えっ?』 声2『えっ?』




千早「———ふぅ、コーヒーが美味しいわね」

千早「静かになったところで、シューベルトをかけましょう。
   『 Ave Maria 』にしましょうか、『 野ばら 』にしましょうか」




ピーンポーン♪

千早「 What? 」



ピーンポーン♪

千早「………………」



ピーンポーン♪

千早「律子に頼んで、インターホン押したら爆発する様に改造してもらおうかしら」




ドン!ドン!

千早「しつこいわね、一体どこの無礼者かしら。だんだん恐ろしくなってきたわ」



ドン!ドン!

千早「ドアスコープを覗けばいいんだけど、アイスピックが出てきそうで怖いのよね」



ドン!ドン!

千早「あんなアニメ、見るんじゃなかったわ……」



ドン!ドン!

千早「怯えていても仕方ないわね、ドアチェーンは増設して八つあるし、何とか対処できるでしょう」




ドン!ドン!

千早「すぅー……、よし」



ドン!ドン!

千早「合言葉を言え!」



ドアの向こうの声1と2『 野ばら 』


千早「きさまら はんらんぐんだな!」ガチャッ




P「よっ!」 響「はいさーい!」

千早「///」




——— PM04:25


千早「はい、コーヒーです」

P「ありがとう」 響「ありがとー」


千早「これもどうぞ、浜松銘菓、うなぎパイです」

響「うなぎが入ってるの?」

千早「うなぎパウダーよ、うなぎの骨のだし汁を粉末にしたもの」



千早「それで、一体どうしたんですか?あの様に騒がれては、ご近所の方に迷惑です」

響「どうしたんだ、っていうのは自分達の台詞だぞ」パリパリ

P「取材の休憩時間に携帯確認したら、千早の着信に気が付いてさ」パリパリ

千早「あ」




P「伝言が入ってるから聞いてみたら、まるまる20秒間、笑い声しか入ってなくて」パリパリ

響「なのに繋がらないから心配になって、学校に電話したけど欠席した、って言われてさー」パリパリ

P「真にもかけたんだけど、自分の携帯には何も来てない、って言われて」パリパリ

響「それからも何度か電話したんだけど、やっぱり繋がらなくて」パリパリ

P「それで帰りに寄ってみたってわけだ」パリパリ



千早「すみませんでした。掃除中だったもので、携帯のことはすっかり失念していました」

P「うん。オフまで拘束する様で悪いけど、重要な連絡が入ることもあるだろうし、
  なるべく気を付けるようにしてくれ」パリパリ

千早「はい、これからは肌身離さず、常に携帯するよう心がけます。携帯だけに」

響(え?これって笑った方がいいの?)パリパリ





千早「あら、お二人だけでなく、真からも着信が何回か入ってるわ」

響「電話してあげてよ。心配してるといけないから」パリパリ

P「だな、一声かけてやってくれ」



P「これ美味いな」

千早「よろしければ、もう一つどうぞ」

響「自分ももらっていい?」パリパリ

千早「ええ、まだ手を付けてないダンボールが三箱あるの」

P「千早は豪快だなあ」




千早『もしもし、真、今大丈夫?そう、今日はごめんなさい。何だか心配かけたみたいで』


P「響、こぼさないように気をつけて食えよ」パリパリ

響「プロデューサー、ひょっとして自分のこと馬鹿にしてる?」パリパリ



千早『ええ、ありがとう。私って、そんなに危なっかしいのかしら?ふふっ、そうね。
   そういえば私、真に教えて欲しいことがあったんだけど』


P「まったく、俺の担当は危なっかしいヤツばっかりだな。律子がうらやましいよ」パリパリ

響「目を離せないって意味だと、あずささんが一番危なっかしいと思うぞ」パリパリ




千早『そうなの、脚の力で丸め込むのは私も出来るのよ。でも、それって技をかけられる前でしょう?
   相手にスピンされて、技の形が出来上がった後のことを聞いてるの』


P「あいつら、何話してるんだ?」パリパリ

響「女子の会話を盗み聞きするのはいただけないぞ、プロデューサー」パリパリ


響「グラビアも終わったし、もう一個もらおっと」




千早『上体をひねって、アンクル・ホールドに持ち込むの?素晴らしいわ、理想的じゃない。
   今度教えてもらえる?』


P「おい響、少しは遠慮しろよ。この後、飯食いに行くんだろ?」パリパリ

響「まだ時間あるし、甘いものは別腹さー。プロデューサーこそ遠慮した方がいいぞ。
  もう若くないんだから」パリパリ




千早『流石真ね、こんなに女の子らしい返し技を知ってるなんて。
   空手以外のことも詳しいのは、花嫁修業の賜物かしら?なんてね、ふふっ』


響「プロデューサー?二人も一緒にいいかな?」パリパリ

P「別にいいぞ、いつものことだしな」パリパリ




響「ねえ、千早!自分達、一旦事務所に行って、その後でご飯食べに行くんだけど二人も来ない?」

千早「ちょっと待って、聞いてみるわ」



千早『真?プロデューサーがご飯に連れて行ってくれるそうだけど、あなたも来ないかって』

響「真も来れれば、いつも通りだね」パリパリ

P「だな。お前達も売れてきたし、最近は遅くなりがちだからな」パリパリ




千早『そう、わかったわ。ええ、それがいいわね。ええ、じゃあまた明日』


千早「真は来ないそうです。久しぶりに家族で夕飯を食べるそうなので、今日はそっちを優先したいと」

響「あー、それなら仕方ないかー」

P「まあ、仕事の日はいつも一緒だからな。それがいいだろう」



P「千早はどうする?一度事務所に戻らなきゃいけないから時間かかるけど、一緒に出るか?
  それとも後で迎えに来るか?」

千早「差し支えなければ、急いで支度をするので待っていただけませんか?」

P「別に構わんぞ。今日は律子もいないし、他の連中は何もないからな。
  急がなくていいから、ゆっくり支度してくれ」



P「俺達は音楽でも聴いて待ってることにするよ。千早のコレクションはすごいからな」

響(あー、プロデューサー、カッコつけてるけどサボりモード入っちゃったなー、これ)


千早「では、先にコーヒーを淹れますね」





P「おっ、響、『 暗い日曜日 』とかどうだ?」

響「そんな、タイトルからして気分が落ち込みそうな曲、聴きたくないぞ」

千早「あら、結構いい曲よ」

P「それに、お前達は日曜も月曜も大して変わらないだろ」

響「そういう問題じゃないと思うぞ」



響「ねえ、千早は今日のオフ、何して過ごしてたの?」

千早「そうね、何時間も無為に過ごしたり、ずっと掃除してたり」



千早「楽しい月曜日、だったわね」


————

——



——

——— 千早のアパート PM10:20


お風呂上がりのストレッチは 頑張った私への大切なご褒美

カラダをひねって 背筋を伸ばせば キモチのコリもほぐれていく

ガーゼ素材のドレスに着替えて 今日も一日おつかれさま 

トゥナイト出逢う ナイトはだあれ?



千早「ふうっ、ストレッチも終わったし、後は寝るだけね」

千早「明日からまた仕事だわ。頑張らなくっちゃ」



時計『………………』


千早「あら、ごめんなさい。あなたのことをすっかり忘れていたわね」

千早「電池を入れて、時間を合わせてあげましょう」

千早「えーっと、携帯、携帯…」





カチャ カチャ

千早「今は…、10時25分ね」

千早「よし、と」



時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』


千早「ふふっ」




時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「おかしなものよね、目覚ましだって携帯の時計で間に合うのに、わざわざこんなことして」



時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「ねえ、今日も色んなことがあったわ」



時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「あなたは傍で見ていたから、話すまでもないわよね」




時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「明日はレッスンが二つと、夜に萩原さんとのラジオのお仕事」



時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「今日学んだことを話してこようと思ってるの」



時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「ふふっ、きっと明日も明日で、色々なことがあるんでしょうね」



時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「ふぅ…、眠くなってきたわね。今日はもう、休みましょう」




時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「明日も、いつも通りの時間でいいわね」



時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「起きれないと困るから、数分おきにセットして、と」



時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「ふふっ、明日の朝もよろしくね。気難し屋のお隣さん♪」



時計『チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ』

千早「それじゃあ———」






———おやすみなさい





                    千早「孤高の休日」 おわり

疲れた。

MASTER LIVEの千早が歌う「魔法をかけて」を聴いてたら、
可愛くて一生懸命な彼女が、日常生活の中で新しい事に触れるSSが書きたくなったんだ。

真は存在だけの登場の方が、リアリティがあっていいかなと思ってこういう形にしました。
期待してた人、すまん



ここまで読んでくれた人ありがとう。HTML化依頼出してきます

面白かった
お疲れ

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