紬「猫の飼い方」 (86)
最近みんなに会えてない。
大学を卒業してから父のすすめで、実家の関連会社に就職した。
会社の名前は琴吹ペットライフ。
ペット関連の商品を企画・販売している会社で、収益の柱はペットフード。
私はこの会社で事業部長をやっている。
入ったときは平社員だったが、2年で係長、それから1年で課長。1年で部長とスピード出世した。
勿論、実績をあげたから出世したわけではない。
親会社の意向。つまり私の親の意向により、部長に据えられた。
あと数年もすれば社長になり、やがては父の会社の重役として働くことになるだろう。
父に感謝していないわけではない。
この不況下では、まともに職を持てない人もたくさんいる。
私は恵まれていると言えるだろう。
でも、会社の居心地は決してよくない。
大企業の関連子会社には親会社で問題を起こしたり、出世コースから外れた人たちが落ちてくる。
そういう人たちが管理職に就いたりするわけで、子会社の社員はモチベーションの維持が難しい。
真面目に働いて結果を残しても、出世できるかは親会社の人事次第なのだ。
そのせいもあり、社内では倦怠感を伴う僻み感情が溢れている。
男性社員であろうと、女性社員であろうと、数人集まれば陰口大会がはじまるのだ。
とは言え、私に対する風当たりが特別強いわけではない。
不平不満を言ってもどうしようもないと分かっているようで、ある意味諦められているから辛くはあたってこないのかもしれない。
むしろ腫れ物を扱うように優しくしてくれる。
そんな日々に私は倦んでいた。
つまんない
ただ、嫌なことばかりでもない。
家に帰ると、玄関にお出迎えしてくれる子がいる。
私が靴を脱いで部屋に上がると、その子は黙ってついてくる。
砂糖たっぷりのミルクティーを作って、ソファに座り込むと、その子は私の膝にのる。
この子は猫。真っ黒な黒猫。
元々は捨て子だった。
とある晴れた日のこと。
『捨て猫』と油性マジックで書かれたバケツの中にこの子が入ってるのを見つけた。
脱水症状になりかけていたらしく、私が覗きこむと、弱々しい目でこちらをみた。
その表情に負けて、私は彼女を連れ帰ることにした。
水で薄めた牛乳を与えると、美味しそうに飲んで、そのまま眠った。
私はすぐにペット可のマンションを探した。
不動産屋に行って聞いてみると、会社から近くて、すぐに移れるところは3LDKしかなかった。
家賃は2倍に跳ね上がってしまうが、お金は余っていたので即決した。
それ以来、私はこの黒猫と暮らしている。
1人と1匹には少し広すぎる部屋だけど後悔はしていない。
部屋に帰ってこの子がいるだけで、全然違うからだ。
幸いにも黒猫は私になついてくれて、私を癒してくれる。
もちろんいいことばかりではない。
お気に入りの服を駄目にされたこともあるし、ひっかかれたこともある。
昔はおしっこの始末も大変だった。
今はトイレでしてくれるようになったけれど。
この子がきてから、家にいる時間は楽しいものになった。
そのせいか、逆に会社での時間はつまらないものになった。
\4
◇
そんな私に転機が訪れたのは一ヶ月ほど前のこと。
私の部署に派遣社員がきた。
名前を聞いたときまさかと思っていたけど、出会って確信に変わった。
以前のように特徴的なツインテールはしていないけど、彼女は梓ちゃんだ。
梓ちゃんは朝に一度だけ挨拶にきたけど、そのときはほとんど話せなかった。
仕事中も話す機会はまったくなかった。
流石に社員の目があると、自由におしゃべりするわけにはいかない。
私は梓ちゃんに仕事が終わった後、飲みにいこうとメールした。
しえん
◇
梓「お久しぶりです……」
紬「ええ、久しぶりね。
梓ちゃんがうちの会社に入ってくるなんて」
梓「私も驚きました。
ムギ部長が勤めていることは知っていましたが、まさか部長をやっているなんて」
紬「その、部長っていうのやめない?
会社以外では」
梓「え、えっと。ムギ先輩……って呼んでもいいんですか?」
紬「ふふ、懐かしい響きだわ」
梓「なんだか大学時代に戻ったみたいです」
紬「そうね」
いいね
梓「ムギ先輩は変わりませんね」
紬「梓ちゃんはツインテールやめたんだ?」
梓「……」
紬「梓ちゃん?」
梓「……ちょっと、嫌なことを思い出してしまって」
紬「ツインテールで?」
梓「……はい」
紬「色々あったんだね」
梓「……素面じゃ話せないので、そろそろ注文しましょう」
紬「うん。好きなもの頼んでいいよ。
今日は奢るから」
梓「そんな……悪いです」
紬「梓ちゃん……部長と平社員なら部長さんが奢るのは当たり前よ」
梓「私は派遣です」
紬「それでもよ……」
◇
梓「ツインテールの何がわるいんですか。
どいつもこいつも『そんな髪型で社会人になる自覚あるの』とか言いやがるんです」
紬「あ、うん」
梓「そのせいで一般企業は全滅。
本当にツインテールの良さのわからん馬鹿ばっかりです。
……それでもなんとかとあるパン屋さんに店員として雇ってもらったんですよ」
紬「うん」
梓「でもそのパン屋さんも2年前に潰れて……女将さんいい人だったんですが……。
それから1年ぐらいニートをやっていましたが貯金がなくなって……。
で、ネットカフェをまわりながら派遣の仕事を探す毎日……って聞いてます!?」
紬「うんうん」
梓「ムギ先輩!!」
紬「うん?」
梓「駄目だ……ムギ先輩ってお酒を飲むとうったりしちゃうんですね
知りませんでした」
紬「う~ん。聞いてたわよ~。
梓ちゃんがパン屋さんに勤めて、今はネットカフェに泊まってるのよね」
梓「はい、そうです。
俗にいうネカフェ難民ってやつです」
紬「ネットカフェで暮らすって大変じゃない?」
梓「そうでもないです。月3万ぐらいで寝る場所が確保できて、シャワーも浴びれますし。
充電もできるし、ネットもやりほうだいですし……」
紬「ふぅん……」
梓「なんて興味なさそうな」
紬「ルームシェアしない?」
梓「え?」
紬「月2万でいいわよ~」
そのツインテに対する執念は一体
梓「酔ってます?」
紬「えへへ~。梓ちゃんと会うの久しぶりだったから、たくさん飲んじゃった」
梓「はぁ……でもルームシェアですか。
本気ですか?」
紬「ほんきほんき」
梓「確かに楽になりますが……。
……酔がさめてからお話したほうが良さそうですね」
紬「zzz」
梓「え、ムギ先輩」
紬「zzz」
梓「ムギ先輩、起きてください、ムギ先輩!!」
紬「zzz」
梓「どうしよう……私は家なんてないし。
ネカフェに連れてくわけにもいかなし。
紬「zzz」
梓「……仕方ないので鞄を見せてもらいますね……」
梓「……」
梓「……」
梓「あ、これ懐かしい
……と、今は住所を調べないと」
梓「……」
梓「免許を見つけた。あ、鍵も
……店員さんにタクシーを呼んでもらおうか」
梓「……ふぅ」
梓「なにもかも、懐かしいな」
◇
梓「……ここだ」ガチャ
紬「zzz」
梓「こんばんはー、って誰もいませんよね」
?「みゃー?」
梓「……え?」
黒猫「フシャー!!」
梓「……猫さんだ。ムギ先輩、猫を飼ってるんだ」
黒猫「フシャ―!!」
梓「大丈夫。ご主人様を連れてきてあげただけだから」
黒猫「みゃ~?」
梓「お、通じた?
とりあえずベッドまで運ぼう」テケテケ
黒猫「……」テケテケ
酒よわっww
通じたすげー
紬「zzz」ゴロン
黒猫「……」ゴロン
梓「ムギ先輩に寄り添って寝てる。
よほど懐いてるんだね」
梓「それにしても真っ黒な猫さん。
以前純から預かった子より黒いなぁ。
ふふっ……幸せそうな寝顔してる」
梓「私は……。
今日はここで寝かせてもらってもいいかな。
ソファーを借りよう」
梓「……おやすみなさい、ムギ先輩」
紬「zzz」
黒猫「zzz」
梓「zzz」
◇
梓「zzz」
梓「zzz」
梓「zzz……ん」
梓「んーん……」
紬「……」ニコニコ
梓「……んッ!?」
紬「おはようございます」
梓「む、むぎ先輩?」
紬「ふふ、寝顔を見ちゃった」
梓「もう、起こしてくれれば良かったのに」
紬「まだ早い時間だから、ね」
梓「まだ6時前……ムギ先輩お寝坊は治ったんですか」
紬「ん~、完全には治ってないけど、早く寝れば早く起きれるわ」
梓「大学時代は毎日起こしてあげたのに」
紬「あー、懐かしいわね」
梓「はい。あの頃のムギ先輩は、本当にお寝坊さんで」
紬「菫に頼まれてたのよね。
『お姉ちゃんを起こしてください』って」
梓「はい」
紬「でも、本当は唯ちゃんのことを起こしたかったんじゃないの?
あっちは晶ちゃんと憂ちゃんが争奪戦してたから混ざれなかったみたいだけど」
梓「そうでもないです。
ムギ先輩を起こすともれなく美味しい朝食がついてきましたから」
紬「あら、食いしん坊さん。
トーストとヨーグルトを用意してあるから食べましょう」
梓「はい」
紬「……」モグモグ
梓「……」モグモグ
紬「それで、考えてくれたかしら?」
梓「え?」
紬「ルームシェアの話」
梓「あれ、本気だったんですか」
紬「うん」
梓「……ここの家賃いくらですか」
紬「13万」
梓「た、高ッッ!」
紬「うん。一人で住むにはちょっと高いよね」
梓「そんな、月2万で住ませてもらうわけには」
紬「ルームシェアしてくれたら月11万になるんだけど」
梓「……確かにいい条件です。けど、流石にそんな値段で住まわせてもらうわけには……。
そうだ。月4万出します。それなら……」
紬「+2万はつらいでしょう。今の給料じゃ……。
そうねぇ、もっと出したいというなら、お金じゃなくて体で払ってもらいましょうか」
梓「な、なななっ!」
紬「というわけで、月曜のゴミ出しを担当してもらうね。
月水金のご飯も担当。
あと、この子の餌やりも負担してもらいましょうか」
梓「え、あっ、そういう。
でも、ご飯なんて私……」
紬「大丈夫。下手でも我慢するから」
梓「むむむ……」
紬「ね」
黒猫「みゃー」
梓「仕方ないです、この子に免じて、ここに住んであげます」ナデナデ
黒猫「みゅ~みゅ~」
紬「あら、この子が人に懐くなんて珍しいわね」
梓「え、そうなんですか?」
紬「……」
梓「ムギ先輩?」
紬「……って一度言ってみたかったの~。
ほとんど誰とも会わせたことがないから、人懐っこい子かどうかは分からないんだけど」
梓「ムギ先輩って……部長さんになってもムギ先輩ですね」
紬「……不思議ね、私が部長なんて。
りっちゃんじゃないのに」
梓「律先輩……今頃何してるんでしょう」
紬「オリエンタルランドで中の人をやってるらしいわよ」
梓「えっ」
支援
家をでる前に、梓ちゃんに合鍵を渡した。
梓ちゃんは以前より感情を表に出さなくなっていて、
喜んでいるのか戸惑っているのか私には分からない。
少し強引だったかなとも思う。
ただ、ほうってはおけなかった。
女の子がネカフェ難民をするのは危険だと、以前テレビで見たことがある。
梓ちゃんのような可愛い子なら尚更だろう。
危険なだけじゃなく、疲れもとれないし、きっと食生活だって偏っていたはずだ。
でも、本当は、私が寂しかったから誘ったのかもしれない。
あの子には申し訳ないけど、猫は猫だ。
ちゃんとお話できる人間とは違う。
……その他に理由はなかったと思いたい。
会社ではいつものように働いた。
梓ちゃんの直属の上司は課長さんなので、私と直接話す機会はほとんどない。
それでも、事務所で忙しそうに走り回っている梓ちゃんを見かけると、頬が緩んだ。
部長会議では他の事業部の部長さんから「何かいいことでもあった?」と聞かれてしまった。
顔に出してしまうぐらい、私はわかりやすく御機嫌だったらしい。
私は3時間ほど残業。
梓ちゃんは定時に帰れるようだったので、先に帰るようにメールを送っておいた。
残業を終えた私が家に帰り玄関を開けると、梓ちゃんと黒猫が迎えてくれた。
猫のほうは嬉しそうにしているけど、梓ちゃんは申し訳なさそうな顔をしている。
紬「ただいま」
梓「おかえりなさい、ムギ先輩。
あのっ……」
紬「何かあったの?」
梓「夜ご飯なんですが、失敗しちゃって」
紬「えっと、とりあえず見てもいい」
梓「はい……」
紬「……。
あ、家の場所はすぐわかった?」トコトコ
梓「あ、はい。それは一発でこれました」トコトコ
紬「わっ、焼きそば!」
梓「はい。焼きそばなんですが……」
百合展開だけはやめてください
紬「べちょべちょになっちゃったんだ」
梓「どうしてこうなっちゃったんでしょう?
分量通りに水を入れたんですが」
紬「……フライパンに蓋をした?」
梓「しちゃダメでしたか?」
紬「この麺の説明には蓋をしないように書いてあるから、
蓋をするなら水を減らさないと。
それに、野菜が多いから余計に水が出ちゃったんじゃないかしら」
梓「……そうでしたか」
紬「うん……うん……ちょっとレンジにかけてみましょう」
梓「えっ」
紬「ラップをせずにレンジにかけると水を飛ばせるの」
◇
紬「いただきます」
梓「いただきます……」
紬「……」パクッ
梓「……」パクッ
紬「うん。美味しい!」
梓「多少ダマになってますが、普通に食べれる味です。
ムギ先輩って料理も上手なんですね」
紬「自炊だけが趣味だったから……。
あ、食後にミルクティーをいれるけど、梓ちゃんも飲むよね?」
梓「いいんですか?」
紬「日課だから」
梓「なら、いただきます」
紬「仕事はどう?」
梓「雑用ですが、悪く無いです。これであの給料なら……」
紬「ふふ、長く続くといいわね」
梓「はい。
……ムギ先輩はどうですか?」
紬「……退屈かな」
梓「そうですか……」
紬「でも、嫌なことばかりじゃないのよ」
梓「例えば?」
私は足元にいた黒猫を拾い上げて、喉元を撫でた。
彼女は猫なで声を出して、心地よさそうにする。
紬「ね?」
梓「それは仕事じゃないです」
紬「……いじわる」
はじめてだったので、梓ちゃんにも砂糖をたっぷり入れたミルクティーを用意した。
甘すぎるか聞いてみたけど、「これくらいが丁度いいです」と言われた。
彼女もまた、疲れているのかもしれない。
それから交代でお風呂に入って、私達は眠ることにした。
押入れから布団を取り出して、ベッドの横にひいてあげた。
梓ちゃんは「布団なんて久しぶりです」と言って、嬉しそうに潜り込んだ。
黒猫も私のベッドに入り込んできて、2つの吐息を感じながら、眠った。
朝起きると、お腹が重かった。
あの子が乗っているのかと思ったら、白いものが乗っていたからぎょっとした。
よく見てみると、梓ちゃんの足だった。
布団から足を伸ばして器用にベッドの上にのっけている。
少しはしたない格好だと思ったけど、私はそのままにして、朝ごはんの用意をはじめた。
30分ほど後、顔を真っ赤にして寝相の弁解にきた梓ちゃんが無性にかわいかった。
◇
こうして二人と一匹の生活がはじまった。
梓ちゃんはとてもいい子で、ご飯や掃除の当番をちゃんとやってくれる。
ご飯も最初こそあまり上手ではなかったものの、ネットで色々研究しているらしく、それなりに上達している。
特にパンづくりは上手で、休日には美味しいパンをごちそうしてくれる。
楽しい。
本当にそう思う。
でも、この生活が長く続くとは思っていない。
自立できるだけの経済力を身に付ければ、梓ちゃんは出ていってしまうだろう。
そうでなくても、いい人ができれば、その人のところへ行ってしまうかもしれない。
黒猫と梓ちゃん。
どちらも最初は自立して生きていくのが難しかったから、私のところへ来てくれた。
黒猫は私が望む限り、ずっと傍にいてくれる。
でも梓ちゃんは、いつか離れていってしまう。
いつか来る別れを思うと寂しかった。
だから先のことはあまり考えないようにした。
かわいい
梓ちゃんは稀に家に帰って暗そうにしていることがあった。
仕事で上司に怒られたときだ。
メールの書き方、Excelでデータを整理する方法、コピー機が止まってしまったときの対処法。
どれも梓ちゃんが以前働いていたパン屋さんでは必要なかったことだ。
私は梓ちゃんに、その1つ1つを丁寧に教えた。
メールなら、定型文や相手に対する気配りについて。
Excelなら、VLOOKUPなどの関数について。
コピー機なら、紙詰まりの対処法について。
今頃になって、私を特別待遇してくれた会社に感謝した。
平社員時代、私には常に教え方のうまい上司がついて、業務について丁寧に教えてくれた。
そのおかげで、ひととおり仕事については理解していた。
1ヶ月……2ヶ月……3ヶ月……。
月日は流れていった。
梓ちゃんはとても真面目に働いてくれた。
仕事のできも良く、その容姿も相まって、社内での評判は上々だった。
そんなある日、人事部から書類が回ってきた。
梓ちゃんの正規雇用に関する書類だ。
課長さんも係長さんも既に判を押しており、あとは私が判を押せば、梓ちゃんはこの会社の正社員になれる。
私は迷わず判を押した。
◇
紬「赤飯にしようかとも思ったんだけど」
梓「わ、凄いごちそう。
ムギ先輩が有給をとったので何かと思いましたが、これを作ってたんですか」
紬「うん。ちょっと張り切ってごちそうを作っちゃった。
正社員おめでとう」
梓「はい。本当に正社員になれるなんて……」
紬「あれだけ真面目に働いてくれればね。
基本的に派遣社員さんはモチベーションが低いもの」
梓「ムギ先輩が推してくれたんですよね?」
紬「うん。けど、課長さんも係長さんも推してたのよ。
みんな梓ちゃんなら正社員として申し分ないって」
梓「ありがたい話です」
黒猫「みゃお」
紬「ふふ、この子も祝福してるみたい。
会社としても優秀な子が入ってくれてありがたいわ」
琴吹袖の人気だけは理解できん
VIPで人気だが
梓「ムギ先輩、ありがとうございました」
紬「?」
梓「ムギ先輩が色々教えてくれて……。
正社員になれたのはそのおかげだと思ってますから」
紬「そうかしら」
梓「そうです」
紬「まぁいいわ。そろそろ食べましょう。
お酒もあるから」
黒猫「みゃ~」
紬「あなたはこっち」
黒猫「みゃ~」ペロペロ
紬「いただきます」
梓「いただきます」
◇
梓ちゃんの正社員採用パーティー。
2人と1匹しかいないささやかなものだけど、2人とも楽しそうにしていた。
私の料理を美味しそうに食べる梓ちゃんを見ているだけで、私は幸せになれた。
ワイン、チューハイ、日本酒。
お酒もどんどんすすんで、私も梓ちゃんも酔ってきた。
ううん。むしろ私のほうが酔っていたかもしれない。
気がつくと私は梓ちゃんの肩を抱いて座っていた。
紬「もう、かわいいんだから」ギュ
梓「もう……酔ってますね。
でも今日は機嫌がいいので許してやるです」
紬「うふふふ~。
うふふふふ~」
梓「ふふふ。
あはははははは!」
紬「えへへ~、ねーねー、梓ちゃんはいつ出て行くの?」
黒猫「みゃ?」
梓「え?」
紬「だっていつかいなくなっちゃうんでしょ?」
梓「……出て行ったほうがいいですか?」
紬「やーだーやーだー。
出て行くなんて絶対やーだーもん」ギュ
梓「本当に酔っ払ってる……」
紬「出て行かない?」ウルウル
梓「もう、本当に酔うと性格が変わっちゃいますね、ムギ先輩は。
そうですねぇ……」
紬「出て行っちゃうんだ~」
黒猫の名前はあずにゃん3号で
梓「すぐには出て行きませんよ。
……ムギ先輩が迷惑じゃないなら」
紬「私はね~全然迷惑じゃないのよー。
ずっとずっと一緒にいたいと思っての!
だから、だからね……」グスッ
梓「……安心して下さい。
ずっと一緒にいたいと思ってますから」ナデナデ
紬「あ……」
梓「安心しました?」ナデナデ
紬「……うん。
昔もこうやって撫でてくれたよね」
梓「そうでしたっけ。
……ムギ先輩の髪、相変わらずですね」ナデナデ
紬「相変わらず?」
梓「ずっと触っていたいってことです」ナデナデ
紬「そっかぁ」
紬「……ねぇ」
梓「どうしました?」ナデナデ
紬「さっきはあんなこと言っちゃったけど、
もしも、もしもね。
出て行きたいと思ったらね……」
梓「……」ナデナデ
紬「その時は、遠慮なく出て行っていいからね。
私はね……なんとか頑張れるから」
梓「そんな顔で言われても逆効果です」ナデナデ
紬「……ごめんね。弱い先輩で」
梓「知ってます。あの頃からムギ先輩は弱虫でしたから」ナデナデ
紬「そっか、知ってたねぇ」
大学3年生の夏。
みんなが就活をはじめた頃。
私は軽い鬱になった。
医者にはいかなかったから、鬱病と診断されるかはわからない。
ただ、何もやる気がおきなくなった。
りっちゃんや澪ちゃんがサポートしてくれたおかげで、なんとか単位はとれたけど、
就職活動にはまったく手を出せなかった。
だから父の会社に入ったのだ。
鬱になった理由はわかっている。
大学時代が終わると同時に、寮での生活も終わる。
HTTも終わってしまう。
唯ちゃんはずっと音楽を続けたいと言っていたけど、社会人になれば転勤もある。
みんなで頻繁に集まれるのは大学が終わるまでだと、私は悟っていた。
大学に行かず、寮にひきこもっていた私のところに、梓ちゃんはよく来てくれた。
私は延々と梓ちゃんに愚痴を吐いた。
みんなと離れたくない。
ずっと楽しい時間を過ごしたい。
一人で暮らすのは嫌だ。
梓ちゃんは、私の不満を全部受け止めてくれた。
自暴自棄になったときでも、
テストをサボってしまったときでも、
八つ当たりをしてしまったときでさえ。
そのおかげで私は随分助かった。
無事卒業できたのも、半分以上梓ちゃんのおかげだと思ってる。
あの頃の私は、梓ちゃんを束縛していた。
きっと私に構っていなければ、梓ちゃんはもっと楽しい大学生活を過ごせたはずだ。
就職活動だって、もっと上手くやれたかもしれない。
恋人だって、できたかもしれないのだ。
そして今また、私は梓ちゃんを束縛しようとしている。
良くないことだとはわかってる。
わかっていても手放せない。
そんな想いを抱えながら、半年ほど月日が流れたある日。
父に呼ばれた。
もう永久就職でいいよ
実家に帰ると、父は私に告げた。
本社の役員の席が空いたと。
まだ経歴が足りないのではないかと父に申し出ると、
今季の成績があれば十分だと言われた。
確かに今季、事業部の貢献利益は過去最高を更新している。
しかし、それは市場の拡大と事業部の方向性が偶然一致しただけで、私の功績と呼べるものではない。
特別なヒット商品を出したわけではないし、同じような業務を行っている他社でも、利益額を更新している事業部は珍しくない。
その旨を父に伝えると、それでも構わないと言われた。
不景気のときには責任がなくても責任をとらされ、好景気のときには具体的な功績がなくても評価される。
上に立つ者は往々として、そのようなものだと。
ただ、父は私に選択肢を与えた。
今の会社に残って社長を目指すというなら、それも良い、と。
社長という席からものを見ることも、今後のお前にとって大切なことだ、と。
本社の役員になるか、今の会社に残って社長の席を目指すか。
正直なところ、どちらでもよかった。
でも、どちらでもよくないこともあった。
琴吹の本社へは、実家から通える。
つまり、本社の役員になるという道を選ぶのなら、もうルームシェアを続ける必要はないのだ。
◇
実家には菫がいる。
菫とは今でもたまに会っているし、連絡もとっている。
きっと、実家に帰っても、
梓ちゃんと離れても、
菫がいればそんなに寂しくはない、……と思う。
思っていても、決心はつかない。
忙しく仕事場を走り回る梓ちゃんを見る。
……彼女を失うのは辛すぎる。
でも、私は、私の理由で、彼女をこれ以上縛り続けてはいけないと知っている。
だから……。
◇
梓「ゴミ出し終わりました」
紬「おかえりなさい。そしてご苦労様。
はい。ミルクティーよ」
梓「ありがとうございます」
紬「どういたしまして」
梓「……うん」
紬「どうかした?」
梓「この生活も板についてきたな、と思って」
紬「そうねぇ」
梓「はい。
あの……ムギ先輩?」
紬「なぁに?」
梓「私は、ムギ先輩が誘ってくれてよかったと思ってます。
こうやって人の温かみのある生活はやっぱりいいものです。
ネカフェ難民をやっていた頃は、生きることで精一杯でした」
紬「えっと……どうしてそんな話を突然するのかな?」
梓「それは……」
紬「もしかして察しちゃったかな?」
梓「え?」
紬「違った?」
梓「……なんだか最近元気が無さそうだったので、私のことを気にしてるのかなって」
紬「そっかぁ」
梓「……はい」
良い
紬「ね、梓ちゃん。
私ね、本社から誘われたんだ」
梓「え」
紬「うん。役員の席が空いたから来ないかって。
別に絶対ではないんだけど……」
梓「出世……ですか?」
紬「世間的にはそうなるわね」
梓「おめでとうございます」
紬「うん。ありがとう……。
でね、本社って実家の近くにあるんだ。知ってた?」
梓「……はい」
紬「だからここを引き払おうと思うの」
④
梓「えっ……」
紬「ルームシェアを終わりにしたいの。
社宅なら3万円から借りられるし、もうネカフェ難民にならなくても大丈夫だよね?」
梓「経済的には大丈夫です……けど」
紬「なら」
梓「ふざけないでください!!」バン
紬「……ぅ」
梓「そんな勝手に一方的に!」
紬「ごめんなさい、でも――」
梓「でもも何もないです!
あの言葉は嘘だったんですか!
ずっとずっと一緒にいたいって!!」
紬「嘘じゃないの。嘘じゃないけど……」
梓「嘘じゃないならここに居てください!
それとも本社に行きたいんですか?」
紬「どうして私にここにいて欲しいって思うの?」
梓「それは……ムギ先輩は弱虫ですし……それに……」
紬「それに?」
梓「この生活が気に入ってるから……」
紬「そっかぁ。
でも私のことは気にしなくていいんだよ」
梓「えっ」
紬「実家には菫がいるから」
梓「菫ですか……」
紬「うん」
梓「ねぇ、ムギ先輩。
菫がいたら、私は要らないんですか……?」
紬「そうじゃないけど、だってずっとここにいるのは、梓ちゃんにも良くないでしょ。
恋人だって作りにくいし。自分の時間だってほとんど持てないし……」
梓「……」
紬「だから、ね」
梓「……」
梓ちゃんはキッとこちらを睨みつけた。
梓「ムギ先輩にとって、私はその程度の存在だったんですか!?
菫がいたら、要らなくなっちゃう程度の存在だったんですか!?
恋人が作りにくいだなんて……そんな半端な理由でどうでもよくなっちゃう程度の存在だったんですか!!」
紬「そんなことない!
梓ちゃんは!! そんなことない!」
黒猫「みゃぁ」
梓「だったら。だったらそんな悲しいこと言わないでくださいよ!!」
紬「……」
梓「私はムギ先輩と一緒に居たいです!!」
紬「……!」
その言葉を最後に、梓ちゃんは泣いてしまった。
涙がぽろぽろ流れる。
私はハンカチを取り出して、梓ちゃんの涙を拭ってあげた。
あの頃とは逆なんだと私は知った。
梓ちゃん。
梓ちゃん。
梓ちゃん。
私はずっと梓ちゃんを必要としていた。
そして、今、理由はわからないけど、梓ちゃんは私を必要としてくれている。
一緒に居たいと言ってくれている。
私は取り返しの付かない過ちを犯してしまうところだった。
でも、まだ間に合うはずだ。
紬「ね、梓ちゃん」
梓ちゃんはこっちを向いてくれない。
私はかまわず続ける。
紬「梓ちゃんは、私を必要としてくれるんだね?」
梓ちゃんは頷いた。
紬「だったらね、ずっとずっと一緒にいましょう」
梓「い、いいんですか?」
紬「うん。
とりあえずお父様には今回の件を断っておくわ」
梓「……どうして急に?」
紬「梓ちゃんが私のことを必要としてくれたから」
梓「必要?」
紬「うん。
私もずっと梓ちゃんを必要としてきたから」
梓「……」
黒猫「みゃぁ~」
紬「……この子もね」
梓「……でもいいんですか?
私なんかのために」
紬「ね、梓ちゃんはどうして私に優しくしてくれるの?
その……大学時代のときとか」
猫「みゃぁ?」
梓「……それは」
紬「……うん」
梓「大学に入ってから楽しかったんです。
1年ぶりに先輩たちと演奏して、おしゃべりする毎日が。
あの頃とあまりにも変わらなくて」
紬「そうね、本当に楽しかったわ」
梓「でも変わってしまったこともあったんです」
紬「変わってしまったもの?」
梓「はい。唯先輩は晶さんにも抱きつくようになって、澪先輩も他の人たちと仲良くなってて。
……すごく簡単に言ってしまうと嫉妬だったと思います」
紬「嫉妬……」
梓「はい。嫉妬です……。
嫉妬した私は思ってしまったんです、私って誰にとっても特別じゃないんだなって」
紬「そんなことは……」
梓「わかってます。唯先輩にとっても澪先輩にとっても律先輩にとっても、
もちろんムギ先輩にとっても、私は自惚れとかじゃなく特別な存在だったって。
でも、そう思っちゃったんだから仕方ないです」
紬「……」
梓「だから、大学3年生になったムギ先輩が少しずつ元気がなくなってしまって、
そのこと自体は辛かったですが、私に頼ってくれるようになったのは、嬉しかったんです。
私はこの人にとって特別な存在になれたんだって」
紬「……」
梓「あの頃のムギ先輩は私のことが好きだったんだと思います。
唯先輩達に見せる顔とは全然違う顔を見せてくれましたから」
紬「……」
梓「ムギ先輩が普通に卒業して、そのうち連絡もなくなって、
私は本当に寂しかったんです」
紬「ごめんね」
梓「……なんで私から離れていったんですか?」
紬「束縛するのは嫌だったから」
梓「私は束縛されたかったです」
紬「そんなの、言ってくれなかった」
梓「じゃあ今言います。
私を束縛してください。
絶対に離さないでください」
紬「……ぅ」
梓「どうしましたか?」
紬「そんなの、愛の告白みたい」
梓「いいんです。好きですから」
紬「ぇ」
梓「寮に引き籠ってたムギ先輩のところに行ってるうちに、好きになっちゃったんです。
好きだったから、ムギ先輩のいる会社に来たんです」
紬「あの頃の私に、いいところなんてひとつも……」
梓「そんなことないです!」バン
紬「ええっと……」
梓「どんなに元気がなくても、ちゃんと私が行くとお茶を入れてくれました!
夜になると晩ご飯もごちそうしてくれて、試験前はテスト勉強も教えてくれました!」
紬「それは、せっかく来てくれたんだから」
梓「そんな気遣いのできるムギ先輩だったから好きになったんです。
私と必要としてくれる優しい人だったから、私は……好きになっちゃったんです」
紬「……」
梓「あの、ムギ先輩も私のこと好きですよね?」
紬「え」
梓「好きじゃなきゃ、猫にこんな名前をつけないですよね」
黒猫「みゃお?」
④
梓ちゃんはその子を抱きかかえた。
梓「ね、梓」
黒猫梓「みゃ~」
紬「気づいてたんだ?」
梓「はい。ムギ先輩が『梓ちゃん』って言う度に毎回反応してましたから」
黒猫梓「みゃー?」
梓「よしよし」ナデナデ
黒猫梓「みゃぅ~」
紬「最近名前を呼ばなくてごめんね、梓」ナデナデ
黒猫梓「みゃぅ~」
梓「……それで、ムギ先輩」
紬「うん。私、梓ちゃんのことが好きだった。
私の全部を優しく受け止めてくれた、梓ちゃんのことが大好きだった。
だからこの子に梓ちゃんの名前をつけてしまったの」
黒猫の梓ちゃんは不思議そうにこちらを見ている。
自分の名前を連呼されたと思っているみたいだ。
人間のほうの梓ちゃんもじっとこっちを見ている。
思いが通じあった今、遠慮は要らない。
私は目を閉じて梓ちゃんの唇を奪った。
触れるだけのキスにするつもりだったけど、梓ちゃんの舌が私の唇をこじ開けた。
梓ちゃんの舌の動きは拙かったけど、私の気持ちに応えてくれたのが嬉しかった。
だから私も舌を絡めようとしたとき……。
黒猫梓「フッシャ―!!!」パン
梓「きゃっ」
紬「あ、梓ちゃん!!」
梓「いきなり猫パンチされた?」
黒猫梓「みゃお」
紬「メッ!ダメでしょ、梓ちゃん!!」
梓「え」
紬「違うの、こっちの梓ちゃんのこと」
黒猫の梓ちゃんに雰囲気をぶち壊された後、私達は笑った。
ひとしきり笑った後、ちょっとだけ泣いた。
それから大人のキスをやり直した。
もうひとりの梓ちゃんの喉元を撫でながら。
紬「ね、梓ちゃん」ナデナデ
黒猫梓「みゃ~みゃ~」
梓「なんですか、ムギ先輩」
紬「これからの話をしましょう。
これからずっとずっと二人でいるために」
梓「……!
はいっ!!」
ややこしいww
◇
その後のことを簡単に話しておく。
私はお父様に会って、本社役員就任の件を断った。
お父様は「琴吹ペットライフの社長を目指して研鑽するように」と優しく言ってくれた。
優しくされて調子に乗った私は、お父様に一つワガママを言った。
実を言うと、私はこの会社が嫌いではない。
ペット用品のものを見たり考えたりすると梓ちゃんのことを思い出すからだ。
とは言え、ワガママを通すためには実力も必要だ。
私はこの後、今まで以上仕事に全力を尽くすことになる。
そのことで梓ちゃんと喧嘩したり仲直りしたりするのだが、それはまた別の話。
梓「ワガママですか?」
紬「うん。ワガママ。もうお父様にも言ってあるの」
梓「えっと……どんなワガママか教えてもらえますか」
紬「家族にすることを前提に猫を2匹飼いたいな、って」
梓・黒猫梓「みゃ?」
おしまいっ!
あれ?ズボン脱いだ?あれ?
いいだろう
乙!
昔はムギのほうが飼われてたんだな
乙
乙
俺も飼いたい
いい話だったな
乙
乙
地味に世知辛かった
乙
梓紬は根強い人気があるな、最高
良かった
安易に百合にしなければもっと良かった
百合に行くとなんかありふれた作品になってしまう
紬梓いいな
乙乙
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